親鸞仏教を見直そう。

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513渡海無理
親鸞のフィルターを外したいのなら親鸞が引用する経論それ自体に当たれば良いだけのことでは?なぜ教行信証を読む必要があるのですか?
教行信証の大切なところは親鸞がどういう主張を以てある経論を引用するのか、ということで親鸞のフィルターを通してみなければただの経論の引用の断片に過ぎないと思います。
親鸞のフィルターを外す、あるいは各宗祖のフィルターを外して経論それ自体を追求することは、とても素晴らしいし魅力的なことです。現在の学会はそういう方向で進んでいます。しかし親鸞を批判するためにはまずは親鸞の著作にじかに当たり、主張を正確に理解してからでないと的はずれな批判になるし、渡海のレベルになれば冒涜ということが言えましょう。
せっかく親鸞のフィルターを外せたとしてもその上から何故渡海のフィルターを装着する必要があるのですか?

512さん、渡海の言うことは矛盾だらけです。
他力とか自力とか、信心とか念仏とか僕にはよく分かりません。むしろものすごい嘘臭い言葉に聞こえます。
親鸞を信じられないのなら貴方自身で経論それ自体に当たってみましょうよ。
自力だと言われるでしょうが貴方自身の力でこのスレを読み返してください。
そして貴方自身の目で仏教ということを見つめてください。