親鸞仏教を見直そう。

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437マミー
渡海難のいう「教行信証論」とは、先ず自身の思い込みを先行させ、後から
文拠をくっつけると言う方式ですから、対象となる文献・資料の意義を明らかに
したものではありません。むしろ、彼個人の思い込みを仏教・親鸞にまつわる
資料を利用して表現したものに過ぎません。仏性=教育指導性、等はその好例。
 渡海の個人的な思いに共感できる者にとっては、愉快かも知れませんが、
純粋に仏教・親鸞に心を寄せる者からすれば、どうでもいいことばかり。
 今後もコウシャク垂れは継続するでしょうが、渡海に対し、
仏教・親鸞の観点から真面目に批判する価値は何もありません。