親鸞仏教を見直そう。

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165難度海 沈降
> 155
> 例はほかにもあるけど、あの一件以来、
> 2CHのあなたはいちおう嘘つきだと思って僕は対応してきたつもりだよ。

そっれはそれは。とってもよぅござんしたね。
「236」の書き込み以降、「400」を越えるレスがあるあのスレの中で、わたしに対するレスをしながら、渡海氏はずっとわたしを「ウソツキ」と認識し、その上で「対応して」いたんですね。それは知らなかったなー。

> 155
> 「親鸞仏教を問う」で自分は何を書いたか思い出してみると分かる。
> 思い出せないかな。嘘つきというのは物忘れが早いからね(笑)。

「親鸞仏教を問う」は「親鸞仏教の正当性を問う」の間違いだね。
「間違い」と「ウソ」とは違うし、些細なことだし、意味は通じるから構わない。

わたしは嘘吐きではないし、物忘れもそんなに激しくはない。
少なくともわたしは、渡海氏のように「議論」を呼びかけて議論を封殺する行為を取るような嘘吐きではないし、自分が何を喋りどう反応したのかを忘れるほど物忘れが激しいわけでもない。

渡海氏の考える「うそつき」を「155」そ詳読した上で定義すれば、「じぶんのことばを「ひっくりかえす」ひと」ということになろうか。
して、その「ことばを「ひっくりかえす」」という言葉は、過去の自分の言葉に対する態度を真摯な状態で保ち、過去の訂正をしたり改善をしたり、それを宣言しつつ行われる内容に対しても適用される言葉である。そのようになるだろう。
また、「ウソツキ」をそのように理解しているのなら、渡海氏がそのような「ウソツキ」になるのを恐れ、自分の持つ先入観や誤解その他もろもろに気づいたとしてもそれを訂正できないでいること(一部はやってるが)、2chでの自分の態度を表面的な次元・根本的な次元の双方に於いて全くあらためることができずにここまで来てしまっていること、その全てに非常に合理的な説明ができる。わたしはそう考える。