親鸞仏教を見直そう。

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1渡海 難 p69-dna31yokohamami.kanagawa.ocn.ne.jp
 「親鸞仏教の正当性を問う」の続編です。昨年の末に教行信証の総序が終わりました。今後は「教の巻」を逐語的に見ていきたいと思います。
 2CHからは浄土真宗のお坊さんもいなくなったようです。親鸞会さんもいなくなったようです。お坊さんや親鸞会さんなどを相手にする必要はないでしょう。宗教団体なんかに関係なく、個人として親鸞仏教と向き合ってみませんか。親鸞仏教を真剣に注目しようという方の真剣なレスポンスを期待します。

 「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つは往相、二つには還相なり」

 「謹んで」とは、注意深くというような意味だろう。真剣にというような意味でもあるだろう。浄土真宗というものは、軽薄に上っ面だけ掠めるように見たら大きな間違いを冒すだろう。できるだけ内容を用心深く考えて行きたい。
 浄土真宗を案じる。案とは思案というような意味だろう。考えるという意味だろう。
 浄土真宗とは何か。ここでいう浄土真宗とは、宗派の名称ではない。浄土を巡って語られてきた真宗という意味だろう。
 真宗とは何か。「真宗」とは念仏三昧の教えという意味だ(行の巻)。ひたすらひたすら念仏を称えていく世界は二つの断面がある。一つは往相という断面、もう一つは還相という断面だ。
 往相とは何か。還相とは何か。回向とは何か。これが分からないと親鸞思想は全体像が分からない。