生長の家について語り合いましょう

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784会員
プチ会員さんへ

あなたのおっしゃられる事はよく理解できる気がいたします。
私の説をもっと詳しく言わせていただきますと、今湧いて来ている感情や想いや、様々な欲望を、「自分の意志力で押え付けたり」、「最初から無だ」と想い込むのではなくて、
「ああ、これは自分の感情のように感じたりするけれども、一度神様の中に投げ入れてしまおう」と思った上で、「神様お願い致します。これらの思いを神様の御心に叶うものに浄化してください」
とお願いすればいいだけなのですよ。それを少しづつでも続けていけば、必ず何かが感じられるようになります。

また、神様の想い、愛の想いと同じ想いと一つにさせていただく祈り方も、私の経験からいけばすごく効果があります。
「神様は愛だ、だから神の子である私も愛だ」と思うやり方は効果がありそうで私には効果がありませんでした。

だから、神様が願う思いを祈りにすればいいんじゃないか?と思ったわけです。
神様は愛であるし、私達全ての幸福と完成を願っておられるに違いない。実相世界が完成されているように、肉体世界も完成されるように、と思われている事と思いますし、私達の本体もそのように願っているに違いない、と思ったわけです。
だから、このように祈りました。

「神様お願いします。私もみんなも全てが幸福でありますように。」
「神様お願いします。全ての物に実相が現れますように。」
「神様の御心が天に成るごとく、この世界にも現れますように。」

と祈るわけです。普段の自分の思いが「消えてゆく姿」と見なすことが出来ない人達とか、「これは肉体想念だ」と思えない。どうしても自分の思いをごまかす感じがして出来ない、次から次へと自我の想いが湧いて来てしまう方々は、「これは神様の想いではない自我の思いなのだよなー」と認識出来ているわけですから、無理して否定せずに、
そういう想いが過ぎ去った後でもいいですから、先ほどの祈りをやっていただければ、その祈り自体が神様の大光明なので、次々に自我の想いが浄められ、純化されてゆくのです。
ただ普通に暮らす中で、一日一度でもいいですから先ほどの祈りをやっていただくようになれば、色んな事をお感じになられるかも知れません。
というわけで、そういう祈り方をお勧めする次第です。
785名無しさん@1周年:2001/06/23(土) 16:00
「風」さんは如何したのだろう?
786名無し:2001/06/23(土) 19:58
私が勤めていた教化部はノルマがきつくて、
講習会の頃必ず自律神経失調症になる人がいました。
787アクエリアン:2001/06/23(土) 22:07
みなさん、書き込みありがとうございます。
会員さんの書き込みはなるほどと感心するところや教えられるところが多いです。
人生の達人というのでしょうか、なるほどそういうふうに人生の問題に対処していけばいいのか、
と唸るところが多く、勉強になります。
風さんやむもんさんの会員さんとのやりとりも、ハイレヴェルであり、真理というものを
多次元的に多角的に、より深く考察できるように思います。
むもんさんの仏教論も非常に参考になっています。
毎日ここを覗くのが楽しみになりました。

三上クニさん、書き込みありがとうございます。

>生長の家が発展していくためにもこの教えに興味の有る方の意見交換は素晴らしいことです。

そうなんです。こういう一般に広く公開された場所で、自由に闊達に思うところを語り合うことは
非常に意義のあることではないかと思っています。

風さんは、

>信徒、非信徒、元信徒の集いの場所としてはここは最適で
>はないかと思いはじめています。嵐にもめげず、道を求めるものたちに
>共通する思いの部分で語り合えればと思っております。

とおっしゃっておられますが、そういう評価をしていただいて非常にうれしいです。
ここで色んな方とやりとりすることによって、自分の教義の理解や人生論のあいまいなところが分かってくる
のではないかと思います。それが今後の課題だと認識できて、それをもっと深く、明確に理解しようという動機
づけになるのではないかと考えています。
ですから、ロムの人も含めて、みなさまの積極的な書き込みを期待しています。
788アクエリアン:2001/06/23(土) 22:09

786さん書き込みありがとうございます。

>私が勤めていた教化部はノルマがきつくて、 講習会の頃必ず自律神経失調症になる人がいました。

組織を運営していくことはなかなか大変ですね。
人類光明化という使命に燃えて、一人でも多くの人に生長の家の真理を伝えたいという情熱がノルマと
いうことになってくるのでしょうが、そのノルマが目的化してしまっては本末転倒になるのではないかと
思います。理想世界百万部運動というのもありましたが、やはりあれは、生長の家の教えのレヴェルを
考えれば無理があったのではないか、そんなに高貴なことを考えている人は、まだまだ日本には少なかった
のではという思いがします。数を追うのではなく、小数精鋭を目指していくべきではなかったのか、
そんな思いがします。
789786:2001/06/23(土) 23:56
アクエリアンさん、レスありがとう。
わたしは生長の家の教化部に勤めているあいだに、
組織の嫌な部分にばかり心をフォーカスしてしまい、
勤めを辞めたあと、長い間生長の家アレルギーでした。

教化部長や役員の方が教化部の成績のために、
講習会の受講券や動員の数を影で調整する姿、醜かった。
動員の数がとても多かった年なんて、
翌年の動員が大変になるからという理由で
受講券を処分したりしてました。
信徒さんたちが一所懸命努力して集めてくださったのに。
今思い出しても泣けてくる。
790:2001/06/24(日) 07:00
>>786
 それは大変残念な話です。アップしてくれてありがとう。

 風は生きていますが、時期的に自分の仕事がいそがしいので
 落ち着いたらまたアップしますね。読むことは読んでいます。
 
791むもん:2001/06/24(日) 12:05
私は会員さんの修行法に反対する者ではありません。むしろ行っている者です。ただし、会員さんのよ
うにそれを主眼として取り入れているのではなく、「日常の想念」として行っているのです。この方法
は今抱えている問題や不安を解消させるには実に素晴らしい効果を発揮するからです。会員さんがこの
ように熱心に説明して下さるからには「神からのメッセージ」かも知れませんので、もっと大きく取り
入れたいと考えています。

748で私は「神に全託」の方法で不治と言われる「肝硬変」が治った例があると申しましたが、これは
「紫雲荘」の主宰者で橋本徹馬という先生の体験です。先生は百才でお亡くなりになりましたが、この
先生は多くの人の病を「病気の心的な原因の解明」によって治しておられた方です。後は息子さんが継
いでおられるようです。そこでこの肝硬変の治癒の例を簡単に紹介させていただきたいと思います。

ある人が肝硬変で入院したのですが、医者からは手遅れだと言われたそうです。そこでご主人の代わり
に夫人が紫雲荘に相談されました。そこで先生は肝硬変であるからには「何かくよくよしていませんか」
と尋ねられたのです。すると「今三千万円ばかりの借金があり、八千万円ほどの土地があるので、それ
を売って返したいのですが、その土地がなかなか売れないので困っているのです」という返答でした。
そこで先生は「そんなことは心配にはおよびません。神様に実はこれこれで困っています。私は土地が
売れるといいと思うのですが、すべてを神様にお任せしますのでよろしくお願いします。といって重荷
を神様にふりかけてしまって楽な気持ちになるのです。」ご主人が言われたようにすると肝硬変が治っ
たばかりではなく、在庫の商品がどんどん売れ出して三千万円が土地を売ることなく返済できたという
話です。「生命の医学大事典より」※このお話はかなり縮めて要点だけを抜粋してあります。
792三上クニ:2001/06/24(日) 12:08
黒住教祖を始めとする「相手は自分の心の状態を写し出す鏡である」という言葉は
心理学で言う「投影」という事でしょう。「笑いは健康に良い」「瞑想は必要である」と最近の
全然宗教と関係無い本にも書かれています。現代の科学は昔から伝わっている真理を
再確認しているようで面白いです。
793会員:2001/06/24(日) 12:11
神への全託の祈りとは、無限供給の源である宇宙大生命に自分の想念を
「お任せ致します」の想いと共にお返しする事により、宇宙大生命と
一つになる事なのです。

肉体想念を神様にお返ししてしまい、「ただ神様の光を通す器とならしめたまえ」
となり切ったとき、神様の無限供給の大光明が、私達に流れ入るのです。
自我で物事を引き寄せる事は、神への全託と比べたら、天地以上の差があるのです。