幸福の科学って最近聞かないけど(3)

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書くと言っていた「正当性から考える『幸福の科学は変貌したか』」と「宗教法人格取得について」ですが,「『太陽の法』第1章前半のレトリック」について書いて以来,すっかり幸福の科学がどうでもよくなってしまい,書けそうもありません。時間が経てば書く気になるかもしれないとも考えたのですが,時間が経つほど駄目です。


「正当性から考える『幸福の科学は変貌したか』」
を書くといっていましたが,これを書くためには,ほとんどの幸福の科学の書籍を読まざるを得ません。しかし,幸福の科学の本を大量に読むというのは「人生の無駄使い」としか今の自分には思えないので,断念しました。少しだけ調べましたが,幸福の科学に対する好意的な解釈は裏切られる可能性が高い,とこのケースでも言えそうな感触は得ています。


「前407について」
ただ,「正当性から〜 」を書かなくても,訂正は必要だと思います。特に,前407は問題があると思います。
「伏線」が論点ですが,「ミカエル霊」と「エリヤ霊」の霊言を見て,あの時は伏線のように思えたのですが,いくつかの書籍(※)を読んで今は正直な所よくわかりません。意図的のようにも思えるし,意図的でないようにも思えます。

(※例えば『-改訂版- 大予言の嘘』志水一夫,データハウス,190項〜193項 等。ちなみにこの本によれば,『小学五年生』1991年10月号では『ノストラダムス戦慄の啓示』は「異常にあやしい」と書かれているとか。『小学五年生』からも相手にされないとは…)


「宗教法人格取得」
については,まだ読んでいなかった過去ログを読んでみたところ,まとまってはいませんがいろんな所で少しずつ触れられていました。改めて書くとすると,この論点についてまとめる,というだけであまり必要性を感じません。つっこむポイントはいつもありますが。