WMコピペ専用スレ(第2幕)

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10名無しさん@1周年
81 名前:宝島30/1993年6月号その3 投稿日:2000/09/22(金) 11:45

宗教渡り鳥も群がるコスモメイト

そこで出会ったのが、半田より十七歳年上の主婦、徳田(旧姓植松)愛子であった。愛子は三四年生まれの現在五九歳。
愛子の父、植松は世界真光文明教団の創立に力を奮った人で、家庭環境はもともと宗教的雰囲気に包まれていた。その影響で世界真光に入信してはいたが、平凡に結婚し、二人の子どもを育てていた主婦であった。それが実母が死んだ直後に、夢の中で神が出るようになってから、宗教活動をするようになっていた。

そんなときに、二人は紅卍字会で出会ったわけである。突き放したいい方をすれば、「宗教オタク的な青年」(元会員の話)と「宗教好きの女」(徳田の元夫)との邂逅でもあった。半田には愛子が霊能力者に映り、愛子には半田が神のお告げを伝導する青年に映った。二人は自分たちを、大本教の開祖出口なおと教祖の出口王仁三郎に見立てたようだ。後年のことになるが、愛子と半田は自分たちの前世は推古天皇と聖徳太子、卑弥呼とその弟だと触れ回るようになる。学芸会のレベルである。

二人が出会ってから、徳田の家で、“生活修行”と称する修行が始まる。家に住みつくようになったのは、半田だけではない。大学時代のやはり宗教好きのESSの仲間、西宮の両親、大本教にやはり出入していた弟それに妹がどっと押し寄せてきた。その数、総勢約二十人。愛子の元夫は下着メーカーの社長である。その彼が話す。

「奇妙な風景でした。朝起きると、食卓に大勢の青年がいて、宗教的なことを話している。夜、家に帰ってもたむろしていた」

夫ならずとも、理解しがたい奇妙な光景であったであろう。当然のことだが、徳田夫婦は離婚する。徳田の方が字画がいいということで、愛子の姓は徳田のままだ。

修行の内容は省力するが、朝からディスカッションをしても、生活費は稼がなければならない。当初は健康食品の訪問販売などをして糊口をしのいでいたらしいが、愛子の兄・植松健税理士の宗教仲間(真光文明教団)である弁理士の栂村繁郎(虎の門特許事務所所長)がスポンサーとなり、(株)三十鈴を設立し、予備校経営と、ポルノビデオ、健康機器の訪問販売のちに時計の卸を始めた。

ちなみに、(株)三十鈴は八〇年に三十鈴(株)に社名変更するとともに、社長に半田の父・利晴が就任し、現在(年商三十二億円)に至っている。父親の猥褻な行為も前から噂されていたが、噂はどうやら事実のようであった。半田晴久が横浜地裁に訴えられた後に、三十鈴の元女性社員が今度は息子の晴久と父親の利晴の二人を猥褻行為で訴えた。猥褻行為の訴訟は増えているが、一人の女性から親子ともども訴えられるケースは珍しい。血統のせいかしらん。
<コピペ情報:この部分は後に訂正記事が出されています>

話を元に戻す。三十鈴の設立によって経営的な基盤ができると、半田は「深見青山」、徳田は「橘カオル」を名乗り、西荻窪でコスモメイトを旗揚げする。修行を始めてから、六、七年後のことであった。

ところで、新しい宗教団体をつくると必ずといってよいほど宗教渡り鳥的な人が群がってくる。コスモメイトの場合も例外ではなく、深見直属の部下の萩原冨三男と手相家の西谷康人は、今話題の統一教会からGLAの体験者。西谷は、統一教会では合同結婚式に参加するほど熱心な活動家であった。深見の強制猥褻行為のことを知りグループから去った村田康一はTM(瞑想団体)、阿含宗、世界真光文明教団を経験している。栂村夫妻は世界真光文明教団の元信者。これらのほかにコスモメイトの幹部に七澤公典がいる。彼は北島三郎が歌う「与作」の作詞家で、その後アル中となり、コスモメイトに入った。宗教は初体験である。