崇教真光と世界文明教団の違い

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600名無しさん@1周年
世界真光文明教団代表役員地位保全事件(一)

これは当時崇教局長の関口栄氏が、世界真光文明教団と岡田甲子を訴えた裁判。
関口氏は東京都台東区北上野2−13−8
宗教法人世界真光文明教団は東京都大田区田園調布2−25−10
岡田甲子は東京都世田谷区羽根木2−26−16
と所在を記して出ている。(宗教関係判例集成 第一書房)

唐突だが、オウム村井刺殺関連の暴力団羽根組とは世田谷のこの地域に関係あるのか?名前が教祖の元自宅住所に似ているのも嫌なものだろう。
さて、どうして、もめたかという経緯も奇怪である。
昭和49年6月23日岡田光玉が死亡。
死亡前6月13日光玉は養女甲子に後継者の指名を伝えた。
6月25日光玉の通夜の席上「6月13日光玉より関口を2代目にと指名が
あった。2代教え主用のおみたまを光玉より預かっているので関口氏に
渡したい。」旨を幹部に発表した。
6月26日甲子は光玉の遺体の前で、関口におみたまを授与した。
ここまでは平穏であったようだ。
ところが、7月1日責任役員5名が甲子を教え主に互選し
7月5日には甲子を代表役員として登記してしまう。
(教団規則第6条に1代表役員はこの法人の教え主をもって充てる。
         2後任の教え主は現在の教え主があらかじめ指名した
          者をもって充てる。あらかじめ指名していない場合は
          責任役員の互選により選定する。
 関口氏は責任役員ではなかった。 この2つが前提条件としてのポイント。)
しかし式典では関口氏がたてられ、7月13日日本武道館での光玉教団葬では
1万5千人の信者・来賓に対して岡田甲子から関口氏指名を発表。
続いて関口氏は2代教え主を受諾する旨の挨拶をした。
「神むき」という言葉があるそうだが、
「表向き」と「裏向き」が言っている事とやっている事が違う状態で
事態は進んで行ったと裁判資料の説明文でわかる。
ついに「御神示」を甲子が関口氏を呼んで見せ、これが有名な、
「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」である。
8月25日関口氏は教団本部に出仕せぬようになり、教団は事実上分裂した。
49年9月18日関口氏は裁判を起こす。
その判決が50年7月24日に出たということである。