親○会会長は正気

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566逃げるようにやめた元会員
親鸞会が「正しい」というにもいくつかバージョンの違いがあると思う。
1、親鸞聖人の教えは正しい。2、高森会長の信心は正しい。3、高森会長の指導は何であれ正しい。4、講師部員や上司の指導は何であれ正しい。
私としては1と2までは認めている。けれど、3とかましてや4は到底信じられなかった。
で、1と2まで認めていて、教義に納得しているんだったら会を辞めるという選択肢はありえないはず。なぜなら後生の一大事はこの世のどんな苦しみよりも苦しく、長いものだから。
組織がどんなに狂っていても、それに従って横の道を進まなきゃいけない。自分の頭であれこれ計らいを入れるのは恐ろしい法謗罪である。とにかく組織上の納得できないことにも無条件絶対服従しなきゃいけない、ということになる。
親鸞会の場合、教義と組織を一体視しているので、組織に対するどんな疑問も教義への疑い(=法謗罪)と受け取られてしまう。
前述の図式で言えば1〜4までを一つのものとして見ているわけだ。
だから親鸞会的にはありうる選択肢は自分で考える一切の自主性を捨てて組織に盲従するか、完全に辞めて法謗罪の側に廻るかしかないことになる。
実際には中間的な形態を容認しているのは事実ですが、そういう人たちが幹部連中からどう見られているかを考えてみればいい。中途半端なお荷物くらいにしか思われていないのでは。