新興仏教教団VS伝統仏教 堕落度を比較

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1バカボン
新興宗教(ここでは仏教に限る)を批判するスレッドが
たくさんありますね。伝統仏教がやっていることも悪徳
新興宗教がやっていることも、たいした違いがないという
のがバカボンの考えです。

「新興宗教でこんな悪事を行なっているけど既成教団でも同じこと
をやっている」という例を書き込んでください。

合掌
2はじめちゃん:2001/08/23(木) 15:53
結局、自分の教団が一番と思っているのは同じでしょう。
団体の為の宗教。
3丹波ちゃん:2001/08/23(木) 18:10
もともと何らかの関係で既成教団から出てきたのが新興宗教だと思うんですね。
そしていわゆる新興宗教は教団内のゴタゴタ・事件をきっかけにしてそれまで
教団内のサブリーダー的な人々が独立していった訳です。
 ですから、のれん分けとか支店とかいったものではなく、最もわかりやすい説明
をするとクラブのホステスが前の店のお客を連れて自分の店を出したという独立の
しかたをしているわけです。
キリストや釈迦が出現したものと、出現のしかたが根本的に違うわけです。
なぜ独立したのか?
出て行った教団側と出てきた側の言い分を比較すれば何がほんとうかすぐにわかり
ます。今までこのことはどちら側にいても自分側のことしかわかりませんでしたが
ネット社会になって明らかになっていきます。

>団体の為の宗教
そうですね。
自分の教団が一番と思わなければ宗教はやってられない。
自分の教団の教祖・会長が一番と思えなければ宗教はやっていけない。
それは信者として当たり前の思いだし、そうでなければやめた方がいい。
しかし、問題は教団側の人間にある。
自分の教団は一番だ、(何が一番かわからないが)と思っている信者の
心・無料奉仕をする労働、神・仏に受けて頂こうとするモノ・金をどう
使っているかである。
信者から見て、ちょっとおかしいんじゃないかと思われたらもうそれで
終わりでしょう。
宗教をする人は、他人がどんな悪事を行っていても、それを公表するよ
うなことはしません。神様は知っていますから。
しかし、人が集まる。金が集まる。だんだんと社会的な地位とか名誉とか
名声を得る為に、つまり指導者の自己顕示欲の為に団体(信者)が使われ
て行くのは人間社会の常ですね。
4名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 18:32
浄土真宗本願寺派が親鸞会を利用してる面もあるよね。
5バカボン:2001/08/23(木) 18:45
>3
>ます。今までこのことはどちら側にいても自分側のことしかわかりません
>でしたが ネット社会になって明らかになっていきます。
教団の裏事情の暴露に2ちゃんねるが貢献しているかも(藁
6よーこ:2001/08/23(木) 19:39
水子供養など霊障ものでおどして金を取っている伝統仏教教団についておしえて!
7過去のコピペ:2001/08/23(木) 20:25
危ない宗教を見分けるポイント
正しい宗教とは・危ない宗教とは

1.永遠不変,一貫性がある。

これは立教の当時から現在まで、変わることのない教義が説かれているかどうかということだ。
釈迦は、「初めもよく、中頃もよく、終りもよき教えを説け」といっている。 悟りを開くということは、永遠の真理に到達することだ。その教祖の言動や教義が教団の都合で、コロコロ変わる宗教はインチキだということになる。


2.宗教にも普遍妥当性はある。

宗教の本質を考えれば、宗教の真理は、本来一つでなければならない。
世の常識ないしは良識に照らして、おかしいと思うような宗教はありえない。


3.神は神殿をつくらない。

釈迦やキリストは大神殿をつくらなかった。
時代がちがうとはいえ、神殿など教団財産の拡大を目的にするような宗教は必ず墜落する。
8過去のコピペ:2001/08/23(木) 20:26
危ない宗教を見分けるポイント
正しい宗教とは・危ない宗教とは


4.「罰があたる」と恐怖心に訴えることはしない。

人の心を安らかにするのが、宗教である。
神や払を引き合いに出して恐怖心を与える宗教はニセモノである。


5.正しい宗教は世襲化しない。

どんな理由があろうと、世襲は教団の財産を子孫に譲ることである。
人情、欲望は、真の宗教の道を踏み外すもとである。
世襲は禁止されている。後継者は能力によって選ばれなければならない。
しかしながら能力本位で後継者を選んだとき、その人物がたまたま偶然息子であったということである。
したがってこれは世襲ではない。


6.教祖を神格化しない。

人間は神ではない。釈迦やキリストが、偶像崇拝を否定したことでもわかるように、教祖を神に仕立てることは、驕(おご)りと増上(ぞうじょう)慢の結果である。

7.言うこととやることが一致している。

慈悲や愛を説きながら、その一方で豪邸に往み、贅沢している教祖は、民衆の苦しみを理解できない俗物である。
9過去のコピペ:2001/08/23(木) 20:27
危ない宗教を見分けるポイント
正しい宗教とは・危ない宗教とは


8.現世利益(げんぜりやく)だけを説く宗教は正しくない。

新興宗教は現世利益を売り物にしているところが多い。現世利益とは、要するに病気治し、商売繁盛、お金儲けという欲の絡んだことばかりだ。
その結果、宗教団体が栄えても宗教とはほど遠い我欲にまみれた日本の現状があるわけである。


9.正しい宗教は「盲信」を強要しない。

信じることは重要であり、大きな力の源であるが、だからといって、教団が「素直に信じろ」といい「疑問を持つことは信心が足りないからだ」というのは、まちがいである。
信仰をしていて、疑問が生じるのは、当然のことであり、その疑問を解くことで、さらに信仰が深まるというのが、正しい信仰であろう。
その意味では、疑問に答えられない宗教は本物ではない。


10.正しい宗教は金で救われるとは言わない。

人の弱みにつけ込み、同情するふりをしては「因縁を切ってあげる」とか「水子の祟りがある」といいながら、大金を強要することは、危ない宗教を見分ける、もっともわかりやすい判断基準である。
10過去のコピペ:2001/08/23(木) 20:28
危ない宗教を見分けるポイント
正しい宗教とは・危ない宗教とは


11.正しい宗教は会員を増やせと強要しない。

伝道も献金も強制的に行うものではない。本来は、自分が信仰によって救われ、幸せになれた喜びを自分一人のものにしてはおけないという思いから行われるべきものだ。
「自分が救われるためには、まず人を救わなければならない」といって、信者獲得を強要することは、本末転倒である。


12.領収証を出さない教団は危ない。

問題のある教団は、一般に領収書を出すことを警戒している。あとで訴えられたり、脱税で問題になったり、ロクなことにならないというわけだ。
もっとも、最近は堂々と領収書を出して、集団訴訟が起こっている教団もある。その意味では、領収書を出す出さない以前に、領収書が欲しくなるような高額の献金自体が問題ということだろう。

13.正しい宗教は批判を受け入れる。

教祖の神格化や偶像崇拝に象徴されるように盲信を強要する一方、信仰や教団の在り方に対する批判さえ許さない教団が多い。人間は批判があって、初めて成長もし、正しい道を踏み外すことなく生きていけるのである。
その当たり前のことが許されないため、宗教の現場には教団によって批判能力や判断能力まで取り上げられ、思考停止状態にされた信者たちでいっぱいなのである。
11名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 14:39
↑ 13.について外部の批判は受け入れても、内部の批判は周囲の信者が許さないよ。
12名無しさん@1周年
では、

  『危ない「危ない宗教を見分けるポイント 正しい宗教とは・危ない宗教とは……」を見分けるポイント』
  『正しい「危ない宗教を見分けるポイント 正しい宗教とは・危ない宗教とは……」』とは
  『危ない「危ない宗教を見分けるポイント 正しい宗教とは・危ない宗教とは……」』とは

って?