死後の世界

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11円君
さて、死後の世界はホントにあるか?!
について話をしたいです。
最初のテーマ
「今がツラくて自殺したら地獄に落ちるのか?」
自殺は1番重い罪だといろんなとこから聞きますが。
ツライ人は永遠にツライ思いをしなければならないのでしょうか?
死後の世界なんぞ、無いほうがいいとたまに思うのですが
みなさんはどうですか?
2sin:2001/08/21(火) 19:36
死者は土に還るのみ。
3むもん:2001/08/23(木) 14:14

阿含経には地獄の様子が克明に説かれていますよ。読むだけで震え上がります。
どうも、人を恨みながら死んで地獄へ生まれる例が多いようです。

また逆に人を助けようとしながら死んだ人は天界へ生まれるようです。
マザーテレサはどこに生まれたかな〜。相当上層の天界に生まれたでしょうね。
4:2001/08/23(木) 14:31
>>1
死後の世界は、存在し神(正神、邪神)も存在し、貴方の行動を全て記録しています。
死後は、正神はその記録を元に、どの世界で修行を積むのが良いかを決定し
貴方の魂はその世界へと行きます。
5名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 14:37
その辺にさまよってる霊は
天界でも地獄でもないのでは?

この世にとどまれるのでしょうか?
6:2001/08/23(木) 14:42
>>5
この世に留まって浮遊している霊も、いづれ遅かれ早かれ>>4
ような道を辿ります。
7名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 14:52
修行の世界?

定員オーバーにはならないのですか?
8:2001/08/23(木) 14:57
もう一つ、一番大事なことは貴方を始め人間には、魂があり
その魂は天地創造の神の分け御霊である、尊い存在であり
貴方の中で決定したことは如何なる高次元にいる神でも変え
ることはできません。
9:2001/08/23(木) 15:01
人間は、いづれ神になる存在ですのでそれには、修行が必要です
人間にもいろいろな人がいるように、神にもいろいろな神があり
それぞれの、必要な修行ができる世界で、神を目指して修行をしています。

宇宙は広大無辺にして、その先はわからないです。それと同じように
霊界も広大無辺にして無間、「定員オーバー」の心配は必要ありません
10:2001/08/23(木) 15:11
まあ、生きているだけで立派な修行ですから、へんに霊や超能力、宗教
などに、興味を持たず、明るく今のままでいきてればいいんですよ。
宗教に入っても特別神がえこひいきすることはありませんし、一生懸命に
頑張っている人間には、影ながら神の助けがあると思っていればいいですよ。
11名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:18
10の意見に納得です。

あと、輪廻転生はしないのですか?
12名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:29
>>3
地獄に関しては,源信僧都の往生要集に詳しい。
13名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:31
>>3 阿含経のどこに地獄のことが書いてありますか?
14名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:33
>>2 賛成
死んだらゴミになるだけ。
ゴミだから焼却処分さ。
15>>10:2001/08/23(木) 15:45
11の答えください。
16W:2001/08/23(木) 16:09
輪廻てんしようは、あります
17W:2001/08/23(木) 16:09
輪廻てんしようは、あります
18名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 16:20
19名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 16:24
>>1
同じスレ立てるな!




移動してください。

死後の世界
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=991080062
20名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 16:25

終┃ 了┃ 終┃ 了┃ 終┃ 了┃ 終┃ 了┃
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21むもん:2001/08/23(木) 17:49
>>13
>>阿含経のどこに地獄のことが書いてありますか?

中阿含(天子経第七の一部)訳します。
・・・・彼の地獄の獄卒は衆生を捉え、熱した鉄板の上に座らせ、真っ赤に焼けたやっとこで
口を開き、その口中に熱鉄丸の真っ赤に燃えたのを入れる。鉄丸は唇を焼き、舌を焼き、歯を
焼き、咽を焼き、心臓を焼き、大腸・小腸を焼いて身体を通過する。このように責められるこ
と百千歳、極重の苦を受け死ぬことは出来ない。必ず彼の悪不善の業を尽きさせる。・・・・。

これはほんの一部です。
22名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 20:00
>>21
たとえ話としての地獄というのは、仏教というかインドの定番なんですかね。
23むもん:2001/08/24(金) 08:44
>>22

阿含経の場合たとえ話の場合はたとえ話と書かれているのです。だから地獄という世界が
あると説かれていることになるのです。そこで地獄から赦されてこの世に来た人の様子を
阿含経から紹介します。

目ノ連は云った「私は衆生が全身火に包まれ、悲鳴をあげながな空中を走っているのを見ました」
仏は諸の比丘に告げられた「あの衆生は過去の時、自在王の第一夫人であったが、ある時怒りを
起こし熱灯油を王にかけた。その罪によって地獄の中で無量の苦を受け地獄の余罪にて今人身を
得たが続いて苦を受けている。」(雑阿含、瞋恚燈油漉経の一部)
24名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 09:51
死ねば分かるさ、そんなもん。
それより、今をどう生きるかが、大事だよ。
結局、死後の世界云々、という教えも話も、
全て、「だから今をどう生きるかが大切なんだ」って、
教えているんじゃないかな?
25むもん:2001/08/24(金) 13:30
>>24
>>全て、「だから今をどう生きるかが大切なんだ」って、教えているんじゃないかな?

その通り、まったく同感です。
26名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 13:32
>>24
全く同感です。今を生きた後に「死後の世界」は
ついてくるモノだと思います。
27:2001/08/24(金) 13:40
>>24
まさに、そのとおりです。生きることは修行!!
28ま〜も:2001/08/24(金) 13:58
阿含経に、明確に死後の世界を説かれた所があるという
ことは知りませんでした。
参考になりました。
(何を読まれたのですか?)
死後の世界を認識するか否かによって、「どう生きるか」という方向
が180度変わるのではないでしょうか。
29ま〜も:2001/08/24(金) 14:02
盂蘭盆の起源となった弟子との会話で、少し読んだような気がしました。
そういえば。
30ま〜も:2001/08/24(金) 15:53
>むもんさんへ

阿含経の外の所も教えてください。
31むもん:2001/08/24(金) 18:44
>>(何を読まれたのですか?)

国訳一切経の阿含部(大東出版)です。
阿含経の説の死後の世界を要約すると次のようになります。

欲界=「欲天・阿修羅界・人間界・餓鬼界・畜生界・地獄界」衆生はこの六道をあっちに生まれ、
こっちに生まれして、輪廻しています。ほとんどの人間は六道から解脱することは出来ません。

色界=この世界はいわゆる天国と称する所で、人々はこれ以上の世界に生まれることを願ってい
ます。ここで一番下層の世界を「梵天界」といい寿命は一劫です。一劫といえばほとんど無限の
命で、死を知りません。

無色界=この世界の一番下層世界の寿命は10000劫で、最上層世界の寿命は84000劫と
あります。
32ま〜も:2001/08/24(金) 23:52
ほ〜〜〜〜!
「国訳一切経」って、ほとんど漢文をそのまま書き下したような
物だったような・・・。(感心)
どこへ行くとみられるのでしょうか???
でも、色界というのは、物質界かと思ってましたが。
阿含経読んでみたいです。(暇ありませんが)
33名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 01:24
死後の世界それはそれは白けるそうです。「死語」の世界(藁
34名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 01:25
死後=死語って、SERAPHIC FIELD PartTで
がいしゅつだったような・・・。
35名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 01:31
何が修行だよ。十戒もろくに守らないくせに。
36ま〜も:2001/08/25(土) 11:01
むもんさんって、本格的に仏教を学ばれてる方みたいですね。
37ま〜も:2001/08/25(土) 15:16
五百羅漢といわれるくらいで、釈迦の弟子には霊視できる位の人が
多かったみたいですから、釈迦自身が、あの世を霊視していたのは当然
ですよね。
38むもん:01/08/27 08:47 ID:gokzfqvo

神通力はに三明というのがあって「宿命智通」「生死智通」「漏盡智通」
の三つだといいます。
宿命智通=自分の過去世の輪廻の経過がわかる。過去世の名前、食物、仕事など一切。
生死智通=衆生の過去世の輪廻の経過がわかる。
漏盡智通=自分は解脱していて、輪廻はしないことがわかる。
これが阿羅漢になって最初に発現する神通力のようです。
39ま〜も:01/08/27 20:28 ID:fBYy0yvA
神通力には、段階があるみたいですね。
阿羅漢は、最も初歩的な段階と聞いてますから、2番目と3番目については、
ほんとかな?と言う気がします。
解脱して輪廻しないのは、如来クラスではないでしょうか。。。
40むもん:01/08/30 08:16 ID:lEJOcvoM
漏盡通についてですが。色界の一番下の天界を梵天といい寿命は一劫ですが、一劫といえば。
『一由旬の立方体に芥子粒を一杯に満たし、それを100年毎に一粒ずつ取り出し、芥子粒が
無くなっても一劫は終わらない。』と書かれています。

一由旬という長さの単位は24qとも8qとも云われています。一番短い8qを採用しても、
想像してください。8qの立方体に芥子粒を詰め込んで100年毎に一粒ずつ取り出し、
それが無くなっても一劫が終わらないと云うのですよ。ここに生まれただけでも輪廻しないと
云えるのではないでしょうか。
41ま〜も:01/08/30 08:34 ID:BQwJYopU
阿羅漢クラスで300年、菩薩クラスで800年、如来クラスで2000年
くらいのはずですが???(輪廻の間隔)
42名無しさん@1周年:01/09/05 06:11 ID:SVxMuZ2Y

天界からわざわざこの世に生まれてくる天子がいます。何をしに来るかというと、
人のために働き人をを助けて、その功徳の力で上層天界へ昇ろうとしているのです。
天界ではそれが出来ないからです。天子たちは全部鈍感だからです。
そこでわざわざ人間の世界へ生まれてくるのです。これが「菩薩」ですね。
43むもん:01/09/12 09:05
最近の菩薩といえば、マザーテレサですね。
もし、マザーテレサが一般的な凡夫だったら、
「家族が心配するからこんなことはやめよう」
「結婚して幸福になろう」
「裕福になって、安楽な生活を送ろう」
こんなこと考えるのではないですか。
これじゃあ人助けはとても出来ませんよね。
44佐藤喜美代:01/09/13 16:10
死後の世界は存在しない!実際に存在するならば見せて欲しいと思う。
45名無しさん@1周年:01/09/13 17:17

「死後の世界は無い」という根拠は、全く無い。
「死後の世界は有る」と、すべての人が納得する根拠は無い。
46名無しさん@1周年:01/09/13 17:22
今夜2時30分に東京駅からの列車があります。
興味のある方はキタロウから切符を買ってください。
47名無しさん@1周年:01/09/16 03:18
土曜日の朝日新聞朝刊によると、イスラム教では自爆テロをやって死んだ人は
殉教者として天国へ行くんだってさ。テロリストの親も、息子のおかげで天国へ
行けると信じ切ってるんだとさ。
それでもって異教徒、特に多神教徒は即地獄行きだってさ(これは別の本に
書いてあった)。世界貿易センタービルを粉砕した犯人が天国行きで、奴らに
殺された日本人は地獄行きかい。イスラム凶って素晴らしい宗教だよな。
48ぐひょ:01/09/16 03:42
宇宙の真理と呼ぶべき場所から真理を強く体内に宿した
者達が現世に生まれ出ててきます。
その体内に宿された真理が露出して、人々を幸福にするのは
生後16〜18年ぐらいの時期が多いようです。

アイドルって人間じゃない。。。
49むもん:01/09/30 16:40
>>44
>>死後の世界は存在しない!実際に存在するならば見せて欲しいと思う。

夢の中で、目覚めた世界は無い。実際に存在するなら見せて欲しいと思う。
といっているのと同じでは?
50名無しさん@1周年:01/09/30 19:49
ま〜も=むもんくさいな
51名無しさん@1周年:01/09/30 19:58
むもんは「死後の世界があって欲しい」という執着から脱していない。
それは仏教では無い。
52名無しさん@1周年:01/09/30 20:18
それにしても人間は、人間はって、この宇宙の中のごくごく小さな地球に生まれたオレ達人間ってそんなにエライのであろうか?こんなにワガママなオレ達が死んでから、尚いい思い(天国行き)をするとは考えられません。
53むもん:01/09/30 21:21
>>52
あなたはエライですよ。創造神だものね。
なんたって、一人で世界を造ったんだから。世界という幻覚をね。
でも、人を困らせたりすると、次はもっと悪い世界を造るかもね?
人を助けたりすると天国を造るかな?
54ま〜も:01/09/30 21:33
昔何かのアンケートで面白いのがありましたね。
20年前は、「死後の世界がない」と思っている若い人(20才くらい?)
は70%位だったそうです。
最近は、逆に「死後の世界がある」と思っている人が70%だと書いてあり
ました。
漫画等で、死後の世界の事が自然に出てきますから、当たり前になってる
みたいです。
守護霊とか地獄霊とかが一杯出てきますから。
そのうち、あの世なんかあるか!という人は、「前世紀の遺物」になるかも
知れませんね。(和良)
55名無しさん@1周年:01/09/30 21:51
<<53の人は52の言いたいこと全く理解してないね!! 人の意見の揚げ足とるより自分の意見を書いてみたら?
56名無しさん@1周年:01/09/30 22:02
そうだーそうだー アゴンとてれさは、もういいから。 あなた自身の考えを!
57名無しさん@1周年:01/10/01 00:16
むもんさん。あなた阿含経を絶対的なものだと思っていますか?
58むもん:01/10/01 07:59
>>55・56
揚げ足をとるなんてとんでもない。
私は真剣に53の通りに確信しているのですよ。

人間は誰でも創造の神である。だから自分の世界を造り続けている。
戦争の幻覚を造る人。平和な幻覚を造る人。いろいろあるのです。
そして、死と共に幻覚は終わる。しかし、その記憶によってまた、
新しい幻覚が始まるのです。次はどのような世界を造るか・・・。
これが私自身の考えです。

>>57
阿含経に限らず、「真実の法則が述べられている」と考えられる
あらゆる経典を信じます。もちろん聖書もね。なぜなら、真実は
一つでなければならないからです。
59名無しさん@1周年:01/10/02 00:05
人々がそれぞれ幻覚の中に生きているなら人により真実が異なり一つでは無くなりませんか?
60はじめちゃん混乱中:01/10/02 00:33
死んで魂があるとすれば、体の周辺に最初はふわふわしてますよね。
どこかに行きたければいけるの?
例えば、フランスに行くぞ!って。比較的すぐにいけるのかもしれない
ですね。しかし、誰かが迎えに来るなら妨害されますね。
ふわふわ出来る時間があって、定時になったら迎えにくる。というのも
どっかの宗教っぽくて理解出来ないよね。
ふわふわしていて、殆どの人間には気付かれないから、空にでも戻るか?
なんて思って成仏する事になるのでしょうかね。
でもそんな事したら、先祖霊が守ってます。なんて言う人はどうなる?
かと言って、誰かを守っていれば、生まれ変わりなんて出来ないよね。
時間制なのかな?この人を守ってあげればわしゃ満足じゃ、だからその
人が死んだら引き継ぎをして、わたしゃ天に昇ろうなんて思うのでしょうかね。

今、もし不満ややり残しやストレスがある精神状態なら死んでも変わらない
様に思えます。そしたらその気持ちに対応した所に吸い込まれてしまうので
しょうか?
それが地獄とか餓鬼とか仏教で言われている所なのでしょうか?
人間界という世界があるけど、地球が誕生したあたりはあったのでしょうか?
そんな変化の激しい世界なんでしょうか?
いろいろと矛盾を感じて、一回死なせてくれる宗教があったらいいですけどね。
少しは理解出来そうだから。だけど、修行しなきゃ、きっとだめなんでしょうね。

わけがわからん。みんなにも読んでいて不快にさせたかな。
ごめんです。
61名無しさん@1周年:01/10/02 00:45
今の所科学では解明できぬ事があります。それを納得させるには、神や霊の存在は助かるんでは。でも実際にあるかもねご先祖様
62名無しさん@1周年:01/10/02 01:14
死後の世界を研究してる?疑似科学。
死後があるかどうかだれもわからんけど、仮にあるとした場合の仮説のひとつとして゛うぞ。

http://www.asahi-net.or.jp/~qr7s-tmym/ITC/Believe.htm
63むもん:01/10/02 07:42
>>59
>>人々がそれぞれ幻覚の中に生きているなら人により真実が異なり
>>一つでは無くなりませんか?

おっしゃる通りです。このような疑問は生じてしかるべきなのです。
しかし、「あなたの造った幻覚」であるからにはいかに人々がいるように感じても、
それも幻覚であるから存在しないと考えるのが本当の「正見」の解釈なのです。
「あなたの造った幻覚の世界」にはあなたしかいないのです。

では、人々は存在すると考えて見ましょう。
その場合、共通の幻覚を見ていることになります。あなたに近い人ほどあなたの
幻覚に似ていることになり、家族はほとんど同じ幻覚といっていいでしょう。
しかし、まったく同一の幻覚ではありません。
ただし、この考えは、阿含経でいう「邪見」なのです。
64名無しさん@1周年:01/10/02 13:18
幻覚であるから存在しないと観るのが正見であるとの解説は、ちょっと解りづらいです。有・無のどちらにも執着せず、それらを離れた処に(中)という正見の道が開かれるのでは!!
65むもん:01/10/02 15:40
>>64
確かに仏教学者や僧侶でそのように解釈している方が多く、解説書もそのような
解釈が多いのですが、それは全くの間違いなのです。その誤解は『空』を『幻覚』と
捉えていないために起きるのです。

これは幻覚が存在するか否かという問題ですが、
無いとはいえないのです。なぜなら、眼前には幻覚の世界が見えるからです。
もし、無いなら幻覚も見えてはならないことになるからです。
しかし、有るともいえない。なぜなら世界は幻覚で出来ているからです。

そこで、仏は有るともいわない、無いともいわない。これが「中道」です。
この中道をわかりやすく説明すると『世界は無いが、幻覚としてならある』
ということになるのです。


この中道の解釈を誤ると、阿含経は完全に意味不明の怪物になってしまうのです。
66名無しさん@1周年:01/10/02 23:30
>>65
でもそれはあなたの解釈でしょう?
「…と私は解釈している」ぐらいにしといてください。
67名無しさん@1周年:01/10/02 23:43
空さえも幻覚では無く、幻覚世界さえも空なのでは
68名無しさん@1周年:01/10/02 23:52
<<65さん!!あなたはあらゆる経典(阿含をはじめ)を研究しているであろう仏教学者の解釈より、自分の見解が優れていると何故言い切れる。
69名無しさん@1周年:01/10/02 23:55
小学校の七夕で、こんな短冊を見つけた。
「死んでも命がありますように」だって。
これが人間です。
70名無しさん@1周年:01/10/03 00:14
>>68
人間は見たいものを見るのです。

みなさん「確証バイアス」という言葉をご存知ですか?
71名無しさん@1周年:01/10/03 00:28
<<70さんへ、確証バイアスの意味を教えてください。浅学でゴメソ。
7270:01/10/03 00:37
簡単に言うと、「自分に都合の悪い情報は(無意識に)避けて、自分に都合の良い情報を取り入れようとする事」
普通、人間は多かれ少なかれやってる事だけど、問題はその程度。
頑なに「タバコは体に悪くない!」と言い張って、肺ガンで死んだじいさんもいる。
73名無しさん@1周年:01/10/03 01:44
「タバコは体に悪くない!」と本気で信じてタバコすってる人のほうが「タバコは体に悪いかも」と思って吸ってる
人より健康でいられるような気がするな。
74難度海 沈降:01/10/03 03:38
>>66 同感です。

>>68 イっちゃってるからじゃないでしょうか。
経典を死ぬほど研究しても自分の見解が勝れてるって勘違いするとは限らないし、
真実がわかるってわけでもないと思う。要は自分を批判するつもりがないのでしょう。
昔はやってたのかもしれないけど、もう出来なくなってる。
宗教ですねえ。実存的なのは実存的なんだろうなあ。

>>69 俺は人間じゃないのかなあ。

ってことで、むもんさん、もう少し冷静になって書き込んだ方が良いと思う。
あなたにとっての真実が他人にもそうだとは限らない。
WTC関連の動きを見てもそれはわかるのではないだろうか。真実は人それぞれ。
他人に押しつけ出すとおかしくなる。アメリカも、やった人も。

別にむもんさんの考えてる内容をどうこうしたいわけじゃないです。
それを他人に無批判に延長して押しつけようとするのは思いとどまって欲しいってことです。
‥‥!! ってことは俺も寛容にならんといかんのかー!!( ̄□ ̄;)!!
75 :01/10/03 04:13
死んだら燃やされてお骨になる。
魂だけは違うだろう、なんとも言えないけど。
他の生前の時の身内の傍に存在するのでは?
もしくは自然と同化する?

地獄、天国はあきらかにマイコンだろ。
勝手にイメージ植え付けてさ。
創世記から今まで死んだ人達、天国地獄の人口密度すごいんだろうな。
76むもん:01/10/03 09:02

もちろん皆さんに私の考えを押しつけるつもりは毛頭ありません。
阿含経・大般若経・法華経・観無量寿経・華厳経(途中)と読んできましたが。
確実にそのように説かれているのです。

大般若経の般若波羅蜜には、くどいほど何度もそれが説かれているのです。
その一部を紹介します。(読みやすくしています)

仏は善現に告げられた『善現、色と幻と異なり有りや否や、受想行識と幻
と異なり有りや否や』と。
善現は答へていった『不なり世尊。色は幻に異ならず、色は即ちこれ幻、幻は即
ちこれ色、受想行識もこの如し』と。(大般若経)

阿含経にも同じように説かれているのです。

仏は告げられた『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者(生まれる者)、
滅する者(死ぬ者)これ幻化にして真実有ること無ければなり。』(阿含経)

私たちが毎晩見る『夢』は幻覚の代表的なものですが、阿含経には次のように
あります。

その時世尊、諸々の比丘に告げられた『人間の四百歳は兜卒陀天上の一日一夜なり。
このように三十日を一カ月、十二カ月を一歳として、兜卒陀天の寿命は四千歳なり。』
(阿含経)

私たちが毎日、夜昼を繰り返し、夜には幻覚(夢)を見ていますが、これは一種の
『ミニ輪廻』なのです。仏教の経典を歪めることなく、忠実に解釈すれば必ず
このような解釈になる筈ですが。
77名無しさん@1周年:01/10/03 10:24
>>76
そんなに『阿含経』『阿含経』と言うのなら、当然原典を読んだ事はあるんだろうな。
阿含経が漢訳されたのは紀元後だから、もとの経典に比べて、多少内容が変化している事は知ってるか?
『阿含経』が、全部ゴータマ・ブッダの真説じゃないぞ。
78名無しさん@1周年:01/10/03 11:13
>>74
>人それぞれ。

そんなのは、真実ではない。
79名無しさん@1周年:01/10/03 12:25
釈尊が説かれたから正しいのであろうが、何故そのように説かれたのかを深く考えましたか?釈尊の方便をそのまま鵜呑みですか?そこにこだわってませんか?
80名無しさん@1周年:01/10/03 12:56
みなさま、誠に残念でございますが、死後の世界は存在しません。百パーセント存在しません。
なぜなら、死なるものが本来ないのでございます。それぞれが己の主観世界で生き通しなので
ございます。ホラー映画など見て自分の主観世界にそういうものを焼き付けないほうがいいで
しょう。肉体という愚鈍な物質を纏っている状態に比べて、ストレートに現象化してしまします。
81むもん:01/10/03 13:38
>>79
>>釈尊が説かれたから正しいのであろうが、何故そのように説かれたのかを深く
>>考えましたか?釈尊の方便をそのまま鵜呑みですか?そこにこだわってませんか?

こういうご意見をお待ちしていました。
阿含経を鵜呑みにして暗記するような方法で理解することは間違っています。
阿含経や大般若経にあるように、空=幻覚(夢)という論理を基にして、
阿含経を読むとまるで数学の教科書を読むように論理のつじつまが合ってい
るのです。そういうわけで世界の法則を解くカギとなっている阿含経を二度
も三度も読み返したのです。

それによって、ますます大乗の意味が鮮明に理解できるようになるのです。
大乗では阿含経の説を方便といっていますが、なぜそのようにいっている
のかもはっきりと理解できるようになるわけです。
82むもん:01/10/03 13:49
>>80
>>死後の世界は存在しません。百パーセント存在しません。
>>なぜなら、死なるものが本来ないのでございます。

この論法は正しい。
阿含経を経て大乗にはいるとこのような論法になります。すなわち、限りなく
幻覚が覚めると死のない世界に存在していることを悟るのです。
幻覚の中でのみ幻覚の終わりという意味で死があるのであり、幻覚でない実在の
世界には死は無いのです。
83名無しさん@1周年:01/10/03 18:54
>>82
「死のない世界があって欲しい」という執着
84名無しさん@1周年:01/10/04 00:35
揚げ
85むもん:01/10/04 07:59

悪夢にうなされて、ハッと目を覚まし「ああ、夢か夢でよかった」ということが
時々ありますよね。

このように、
死後の世界で目を覚まし「ああ、夢でよかった、人間になった夢を見ていた」
というようなことになるとは考えられませんか?
もしも、そうであったら、この世が無くて、死後の世界が有ることになりますよね。

簡単にいうと小乗、大乗を通じて、仏はこのように説いているのです。
86名無しさん@1周年:01/10/04 22:26
空=幻覚?空=無我では
87ま〜も:01/10/04 23:46
そのとおり。。。
88名無しさん@1周年:01/10/04 23:53
>>85
だから、それは執着なんだって。
釈迦が聞いたら否定すると思うよ。
89釈迦:01/10/04 23:57
そのとおり。。
90ま〜も:01/10/05 06:58
夢、幻覚というのは、近いけど、異なるような気がします。
あえて言えば、「劇」か「ドラマ」といった方が適切だと
思います。
肉体というぬいぐるみを着て演ずる「劇」、これが現世です。
釈迦の考え方の根底には、「努力精進」「自助努力」があります
から、「夢」とか「幻覚」ではあまりに無目的で主体性がない
のではないでしょうか?
91むもん:01/10/05 08:13
>>86
空=幻覚だから空=無我なのです。
つまり、この世は幻覚だから、自分自身も無い(無我)のです。

>>88
76で経典から抜粋したように、釈迦自身がいっているのです。

>>90
この世界を『人間ドラマ』という説はもっともだと思います。
この世は幻覚にしてはあまりにもリアルだからです。
しかし、ドラマでは『因果応報』は成り立たないのです。
人間の未来の出来事は、現在の行為や思考によって造られると
説かれているのです。幻覚、夢だからこそ、思考によって
未来の運命は変化するのです。

釈迦の説く「精進努力」という言葉を多くの人は誤解しているのです。
煎じ詰めていうなら「この世界を幻覚と見破るための精進努力」なのです。
決して無目的ではありません。幻覚を見破った者ほど、死後、上層世界に
覚醒することが出来るからです。
92名無しさん@1周年:01/10/05 11:01
>>91
だ〜か〜ら〜、この世を越えた『上層世界』とか言う物に対する『憧れ』とか『執着』だっての!
お釈迦様が言ってるだろ、「この世もかの世も望むな」と。
「この世もかの世も(空だから)望むな。しかし、この世を越えた『上層世界』は(真実だから)望め。」なんて言うか?

結局、執着の対象が変わっただけなんだよ。
『現実』から『現実を越えた世界』に対してな。
それは仏教とは言えないの。
93むもん:01/10/05 14:42
>>92
お気に障ったらお許し下さい。
あなたの論理をお持ちの方は非常に多くおられます。たぶん同じ解説書を読まれたのでは
ないかと思います。確かにそういう記述はありますが。

「幻覚を見破る」ことによって上層世界へ覚醒すると述べたのは理由があるのです。
確かに出家者は「完全に幻覚を見破る」ことによって、輪廻から解脱するとあります。
これを無餘涅槃というのですが、これは出家者でしかも阿羅漢果を得た者でなくては
出来ないのです。
阿含経では在家で解脱した者は一人もいないようです。解脱はそれほど難しいのです。
そこで、出家や在家の者で「幻覚を見破る」修行をした者はどうなるかというと、
そのレベルにしたがってある人は上層世界の天界へ、またある人は下層世界の天界で
覚醒するのです。

こういうことは、阿含経全体を読まないとわからないです。私は皆さんに解説書を
読むのではなく、ぜひ直接国訳一切経などの原本を読んでいただきたいと思うのです。
94名無しさん@1周年:01/10/05 19:53
>>92
『アーガマ(原本)』→漢訳『阿含経』
9594:01/10/05 19:54
間違えた
×>>92
>>93
96名無しさん@1周年:01/10/05 20:57
もし、「○○天に生まれれば寿命は○○年で、大いに楽しく生きる事が出来るなら、
無理して輪廻から解脱しなくても良いや。」と言うのを聞いたら、お釈迦様も悲しむだろうて。
97名無しさん@1周年:01/10/05 22:10
>>96

因果応報だから、「○○天に生まれる」ためには、それに見合った因が必要。
頑張らずに、「○○天に生まれる」ことは有り得ない。

たとえ、「非想非非想処天に生まれる」ことが出来ても、必ず終わりが来る。
そして、気を抜けば、また地獄に転落して逝く。
98名無しさん@1周年:01/10/05 22:17
>1さん
何個当てはまりますか?

・占いを信じている
・UFOは実在すると思う
・死後の世界はきっとある
・霊をの存在を信じている
・超能力者は本物だ
・「アンビリバボー」をよく見る
・「ガチンコ」はやらせではないと思う

2個以上当てはまった場合はもう手遅れです。  
9996:01/10/05 22:21
>>97
いや。
「解脱するまで頑張らなくとも、○○天に生まれるくらい頑張れば良いや。」
つー意味。

でも、「天に生まれたい」ってのも執着だよなー。
10097:01/10/05 22:48
>>99
>「解脱するまで頑張らなくとも、○○天に生まれるくらい頑張れば良いや。」

○○天に生まれるには、人間界に生まれるよりも、もっと頑張らないといけない。
今、人間界に生まれている我々にとっては、○○天に生まれることは大変なことだ。


「解脱するまで頑張らなくとも、○○天に生まれるくらい頑張れば良いや。」

なんて思ってる人は、そのうちに

「○○天に生まれるまで頑張らなくとも、人間界にまた生まれるくらい頑張れば良いや。」

ってなるさ。

そして、さらに・・・・
101ま〜も:01/10/06 01:36
むもんさんは、本当に「幻覚」がお好きなようですね。
「幻覚」というのも「ドラマ」というのも例えですから、
「当たらずとも遠からず」なのかも知れません。

しかし、「厳格」に言うと(オヤジギャグ)、次の箇所はおかしい
と思います。

>釈迦の説く「精進努力」という言葉を多くの人は誤解しているのです。
>煎じ詰めていうなら「この世界を幻覚と見破るための精進努力」なのです。
>決して無目的ではありません。幻覚を見破った者ほど、死後、上層世界に
>覚醒することが出来るからです。

なぜなら、この世が、儚いつかの間の「仮の世」であることは、
あの世へ帰れば誰でも分かる「常識」です。
ということは、この世に生まれる前は、誰でも知っていた「常識」という
ことです。
その一時的に忘れている「常識」を思い出すのが人生の「努力精進」の全て
ということはありません。
それは、「正見」の一部ではあると思いますが・・・。

「努力精進」は、彼の全思想の根本をなすものであり、八正道全てに
かかわるものだと思います。(ここはあまり長く書けないですね。確か。)
102むもん:01/10/06 08:10
>>101
>>この世が、儚いつかの間の「仮の世」であることは、
>>あの世へ帰れば誰でも分かる「常識」です。

ところがそうは行かないのです。本当の夢であれば、朝起きて寝るまで現実の
世界で過ごすことが出来ますが、この世の夢の場合は一瞬目覚めるが、すぐに
再び眠ってしまうのです。すなわち、この世に再び生まれるということです。

>>「努力精進」は、彼の全思想の根本をなすものであり、八正道全てにかかわ
>>るものだと思います。

確かに「努力精進」は八正道に対するものです。
しかし、八正道を「道徳」のように捉えるのは間違いです。八正道を行うことに
よって幻覚から覚醒することが出来るのです。一般に正見の意味を間違えている
ために道徳のようになってしまったのです。
阿含経には「三十七菩提(八正道含む)」という修行がありますが、これはすべて
「無常・苦・空・非我」を確信する為の修行なのです。また、「無常苦空非我」の
確信はすべて「幻覚を見破る」為の確信でなのです。
(つづく)
103むもん:01/10/06 08:32

阿含経に「十不善業」という10コの戒律がありますが、これらも道徳的なもの
ではなく、「幻覚を見破る」為に必要な条件なのです。

十不善業の中の一つ「瞋恚(怒り)」を例に挙げてみましょう。
なぜ怒ってはいけないのでしょう。「怒られた人が嫌な思いをするから?」とんでもない。
怒りはこの世が実在と思う誤謬によって起きるのです。
「夢であるこの世には誰一人存在せず、怒りは病気事故災害などといったあらゆる
「苦」となって自分自身(自分もいないのであるが)に還ってくる」という法則が
あるのです。
そこで、この世が幻覚であると悟った者は怒りは起きず、怒りを起こさない努力は
この世を幻覚と悟りやすくするのです。これが十不善業の努力の真意です。

夢が深くなる→悪に向かう。→苦に向かう。→地獄へ向かう。
夢が浅くなる→善に向かう。→安楽に向かう。→天国へ向かう。
というわけです。


 
104ま〜も:01/10/06 09:52
大きな果樹園のリンゴの木を指さして、「これが果樹園だ」といっている
ように見えます。
この世が全てであるとおもっている無学文盲の人々の執着をとるために
この世が無常で一時の仮の世であるという説法をしたことは多かった
と思います。
でも、それは、多くの方法・手段の一つであって、それをあたかも
人生の目的でもあるかのように置きかえておられるのはおかしい
と思います。

>夢が浅くなる→善に向かう。→安楽に向かう。→天国へ向かう。

このような単純なものではないと思います。(失礼ながら)
105ま〜も:01/10/06 11:47
失礼な事を申し上げたから、若干釈明しておきましょう。

1.第一に、「心の多重性」が考慮されておりません。
  表面意識で「幻覚」と分かっても、それは卵の殻に絵を描いた
  程度のものにすぎません。1週間もすれば忘れてしまうものです。
2.長い転生の過程で作り上げた「心の傾向性・カルマ」と
  いうものが考慮されておりません。
  たとえ、表面意識で多少真理が分かっても、即、善に向かえる
  ほど、人間は単純な存在ではありません。
3.「因果応報が、長い転生の過程で実現される」ということが
  考慮されておりません。
  善に向かっても、即、安楽に向かうというものではありません。
4.さらに、最も重要なのは、「人間の心の奥底に神の心」があると
  いうことが考慮されておりません。
  夢が浅くなることが重要なのではなく、心の内なる神の心に
  如何に近づくかと言うことが重要なのだと思います。
  彼の説いた八正道は、人生の苦を集め滅する道であり、
  内なる本来の神性を顕現させるための実践行でした。 
106むもん:01/10/06 13:13
>>104
>>この世が全てであるとおもっている無学文盲の人々の執着をとるために
>>この世が無常で一時の仮の世であるという説法をしたことは多かった
>>と思います。

こういう文章は本当によく聞きますね。
しかし、これを初めに云った人はね、大乗だけを読んだ人なんですよ。
「無学文盲の人たち」と云われるなら、仏教学者も僧侶も私もすべての人が
「無学文盲」なのですよ。幻覚と幻覚からの解脱を知らないから、決して
何かに執着している人だけを指すのではありません。

>> >夢が浅くなる→善に向かう。→安楽に向かう。→天国へ向かう。
>> このような単純なものではないと思います。(失礼ながら)

これは決して単純なことではありません。
これを成就するために、家族や財産を捨て、林にこもって何十年も三十七菩提
の修行をするのですから。潜在意識の奥の奥まで幻覚を悟るためにね。
107むもん:01/10/06 14:58
>>105
>>長い転生の過程で作り上げた「心の傾向性・カルマ」と
>>いうものが考慮されておりません。

何万生もの輪廻で積んだカルマは何万生もかかって、償うのであれば、
誰も解脱は出来ないでしょう。
「幻覚を悟った時」カルマは消滅するのです。
しかし、十不善業を犯すのであれば、まだ「幻覚」を悟っていないと
いえるでしょう。

>>夢が浅くなることが重要なのではなく、心の内なる神の心に
>>如何に近づくかと言うことが重要なのだと思います。

夢が浅くなることが神に近づくことを意味するのです。
本当の夢について考えてみましょう。
布団の中の自分がより神に近い存在だとします。
夢が浅くなると布団の中の自分が目覚めはじめるのです。そして、ついに目が覚めた(死)時、
布団の中の実在の自分が覚醒するのです。そして夢が浅かったためこの人は再び眠る
必要はなく、この世(天国)で生活し死ぬまで寝る必要はないのです。
(こんな人はいませんけどね)
108名無しさん@1周年:01/10/06 15:48
>245 :むもん :01/10/05 14:13
>たとえば「数学」を考えると、小学校で加減乗除など基本をを勉強し、
>中学になると数学は高度になって行きます。
>こうして、数学を学びたいと思う者はその教科書で勉強するのです。
>その場合、その数学の原理は誰が発見したのか。この数学の原理はいつ頃
>作られたのかということにはあまり関心を持たないでしょう。

>このように、仏法そのものを学びたい者には誰の作で、いつ頃作られた
>のかについては、あまり関心がないのです。

>阿含経に限らず、「真実の法則が述べられている」と考えられる
>あらゆる経典を信じます。もちろん聖書もね。なぜなら、真実は
>一つでなければならないからです。

真実であるかどうか判断するあなた自身が、

>205 :むもん :01/08/31 06:37 ID:EAw2KJZI

>>>釈迦の在世中にはすべて口伝でしたから、書きしるしたものは一切ありません。

>しかしですねえ。増一阿含経で阿難が次のように云ってるのですよ。
>『若し、増一の経巻を書写するものあらば、此の福無量にして計るべからず』

>やはり阿含経の経典があったんでは?

こんな事言ってるようじゃだめだな。
109ま〜も:01/10/06 19:27
山に登るにも道は沢山ありますから、
「幻覚、幻覚」と一心に心を集中していれば、
不軽菩薩みたいに、「幻覚菩薩」になれるかも
知れませんね。(うぷぷ)
あまり一般的な解釈とは思いませんが。
110非科学者:01/10/06 20:28

>>仏は告げられた『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者(生まれる者)、
>>滅する者(死ぬ者)これ幻化にして真実有ること無ければなり。』(阿含経)

>>その時世尊、諸々の比丘に告げられた『人間の四百歳は兜卒陀天上の一日一夜なり。
>>このように三十日を一カ月、十二カ月を一歳として、兜卒陀天の寿命は四千歳なり。』
>>(阿含経)

大般若経の般若波羅蜜は仏の智慧を説いており、特に「空」を説いていますが、
幻覚と夢と無のオンパレードですよ。
皆さんは仏教の解説書は信じるが、仏の言葉は信用されないのでしょうか。
実に不思議な現象ですね。
111むもん:01/10/06 20:29
非科学者とはむもんのことです。
112名無しさん@1周年:01/10/06 20:42
この広大無辺で奥深き仏の教えを著しく魅力の無いようしないでほしい。
113名無しさん@1周年:01/10/06 23:01
>>110
その『仏の言葉』の解釈の仕方が問題。
あなたの解釈の仕方だと、ますます執着を招く。
それから『阿含経』は紀元後に漢訳された仏典であり、原典から多少変化してるのよ。
原典を読んでね。

>>112
114名無しさん@1周年:01/10/07 00:53
一般の解釈「この世は空である」→「永遠普遍のものは無い」
むもんの解釈「この世は空(幻覚)である」→「幻覚を破ると永遠普遍の世界がある」
115ま〜も:01/10/07 01:23
(本来は)幻(の如きもの) →  幻覚そのもの
(本来は)夢(の如きもの) →  夢そのもの
のように解されているのではないでしょうか?

空も、(本来は)が付いていたはずです。
空は、どちらかと言えば、「神一元」、「光一元」
に近いニュアンスだと思います。
116むもん:01/10/07 08:45
>>114
あなたのおっしゃる通りですよ。
神の世界に近づく方法は二つあるのですよ。
1.この世の幻覚を見破ると心身が清浄になる。(阿含経)
2.自分は神の子であることを自覚する。(法華経)

これは必ず「1.」を先にやらなければいけないのです。
非常に欲張りで怒りっぽい人がガミガミ怒りながら「私は神の子」だとか
「南無阿弥陀仏」とか云っても効果が無いとは思いませんか?
「欲張りで怒りっぽい」のを先に滅尽しなくてはいけないのですよ。
「欲張りで怒りっぽい」これは我慢したって滅尽出来るものではありませんよ。
幻覚を見破った時すべてが滅尽出来るのです。阿含経を先にやって幻覚を見破り、
十不善業を守り、この世に対する一切の欲望からことごとく離れてから大乗を
行わなければ何の効果もないのです。

>>115
>>仏善現に告げたまはく『善現、色と幻と異なり有りや否や、受想行識と幻
>>と異なり有りや否や』と。
>>善現答へて曰く『不なり世尊。色幻に異ならず、色は即ち是れ幻、幻は即
>>ち是れ色、受想行識も是の如し』と。(大般若経)

これは国訳一切経の大般若経からの抜粋ですが。
どこに「本来」とか「如きもの」と書いてありますか?
「色即是空」 即ですよ即。
117名無しさん@1周年:01/10/07 08:58
これだけ多くの批判を受け、少しも疑問を持たずに突き通すのは、たしかに素晴らしいかもね、でも進歩は出来ぬであろう。
118ま〜も:01/10/07 09:34
木を見て森を見ていない。
119名無しさん@1周年:01/10/07 13:11
むもんさん。
阿含経はともかく、大般若経・法華経・観無量寿経・華厳経については、
「釈迦の説法を記したものではない」という事は了承されてますよね?
120ま〜も:01/10/07 15:08
生長の家の谷口雅春さんの教えと対比すると良くわかります。
彼は、「肉体なし」「死なし」「「罪なし」と説きました。
でも、彼の思想の全体を眺めると、当然(本来は)という枕言葉
がその言葉の裏にかくされており、また、この「肉体なし」等
の教えが彼の教えの半分に過ぎないことが分かるのです。
彼の教えの根底にあるのは、魂の「生長」であり、
本質は、「寸時も前進せよ」とか
「人生を神生となし、必勝を信じて邁進すべし」という
言葉で示されている力強い教えなのです。
同じように、釈迦の思想も、全体を眺めると、(本来は)
が隠されていることが分かりますよ〜〜。
121名無しさん@1周年:01/10/07 16:25
本来はの何処が力強いの?
122むもん:01/10/07 16:28
>>120
ほ〜。いいこといいますね〜。

確かに生長の家の教えは「肉体は本来無し」「死は本来無し」「罪は本来無し」
このように、「本来」が入ります。それは肉体も、死も、罪もあるように見える
からです。「有るように見えるが本来は無いぞ」といっているのです。

しかし、同時に生長の家では「現象は心の影」といいます。
これは「現象は幻覚である」という意味と同じです。
この場合は「本来現象は心の影」とはいいません。「本来」はいらないです。
したがって、「現象は幻覚である」も、本来はいらないのです。
幻覚そのものだからです。

確かにおっしゃるように生長の家の「肉体無し」の教えは半分だといえます。
だから、生長の家の教えは大乗に当たるのであって、修行の順位からすれば
阿含経の後にあるのです。
123名無しさん@1周年:01/10/07 17:54
仏教で『空』と言った場合、一般的には「ものには恒久的な実体がない事」を言うのだと思うが、
つまり、
『色即是空』「形あるものには恒久的な実体がない」
『空即是色』「恒久的な実体がないのだが今ここにある」
けして『何もない=幻』を意味するのではないと思ったが?
124名無しさん@1周年:01/10/07 18:20
なんか映画のマトリックスに似てるな
「この世界は幻である」とな?
125名無しさん@1周年:01/10/07 18:54
>>124
むもんはそう言ってるけど。
126ま〜も:01/10/07 18:56
むもんさんのご意見をお聞きして違和感を感じるのは、
「認識論」と「修業論」をごっちゃにされていることです。
「空」も「幻」も「夢」も「肉体はない」も、これは認識論です。
一方、「現象は心の影」は、「だから、心を調御せよ」という
修業論です。
八正道その他の修業論に(本来は)がつかないのは当然の事です。

上記のとおり、「影」は現象が心のとおり現れるということを
言って、修業の目的を示しているのであって、
認識の対象としても「幻覚」とは全く異なると思います。

なお、さらに一言付言すれば、生長の家の教えは、1人1人の
心を調和し光明化することによって、世界を光明化しようと
するものであって、(多少方法論は異なるとしても)初期に
説かれた原始仏教思想と非常によく似ております。

釈迦は、心と行いを調御し、中道を基準とした反省によって
心の内なる光明・神性を引き出そうとしたのに対し、
谷口雅春氏は、心の内なる光明・神性を直視することによって、
逆に、心と行いを正そうとされたのです。(方法論の違い)
ですから、生長の家が大乗であるという認識は明らかに間違って
おります。
127むもん:01/10/07 21:47
>>124
その通り。映画の通りです。

>>126
あのね・・・・・。
「認識論」はね。仏の説では「智慧」というのです。
「空」も「幻」も「夢」も「肉体はない」も認識論です。
但し「現象は心の影」も認識論なのです。そこで、あなたが、「だから、心を調御
せよ」というなら、その時点で「修業論」になるのです。もし「現象は心の影」を
修業論だというなら、「幻」も修業論になります。「幻を見破れ」という意味でね。

阿含経も同じで「幻覚は無常なので因果の法を修業せよ」と云っているのですよ。
だから、因果の法は十不善業を犯すことを因とし、その果として苦を生ずるから、
十不善業を犯すなといっているのです。

>>原始仏教思想と非常によく似ております。
ぜんぜん似ていないよ。確かに、所々谷口雅春先生は阿含経に似たようなことを
説いている記述はあります。
それより新約聖書の方が因果を説いている部分は多いですね。
「裁いてはいけませんあなたも裁かれるからです」よって滅ぼされます」
これらの言葉はまさに因果の法なのです。

>>釈迦は、心と行いを調御し、中道を基準とした反省によって心の内なる光明・
>>神性を引き出そうとしたのに

ぜんぜん違うよ。阿含経は苦が生まれる過程を説いているのです。苦は何によって
生じるか。そして、苦からどうやって解脱するか。を説いているのです。
生長の家では「病気など苦は神が造ったものではない。神によって造られていない
ものは、有るように見えても存在しない」と説くのです。
これは確かに真理です。
128119:01/10/07 23:15
どうなの?
129むもん:01/10/08 08:24
>>128
>>阿含経はともかく、大般若経・法華経・観無量寿経・華厳経については、
>>「釈迦の説法を記したものではない」という事は了承されてますよね?

このことについてですか?

たとえば、ある人が古本屋で「古代インド病気療法」という古本を発見しました。
「小乗編、大乗編」の二冊であった。中に書かれている記述は奇想天外なもので
あったが、つじつまは合っていた。内容があまりにも常識から離れているので
なかなか信じることが出来なかった。
しかし、書かれている通りをそのまま信じ、その通りにやってみたら実に十年以上
も病気で世間のいろいろな療法を試してみて一向によくならなかった病気が治った
のである。そこでこれこそ真実であると確信し、「古代インド療法」の勉強を
はじめた。

このさい、この書物は、誰の作で、小乗編、大乗編はいつ頃作られたのだろう。
こういうことが問題になるでしょうか。
130119:01/10/08 11:55
『有効」か『無効』かを聞いてるんではなく、「釈迦の説である」と思ってるのかそうではないのかを聞いてるのですよ。
131むもん:01/10/08 14:44
そんなことはわかりませんよ。その時代に生きていたわけじゃないから。
そういうことは歴史学者に任せますよ。歴史は昔から苦手だから。
132名無しさん@1周年:01/10/08 18:01
>>127
>苦からどうやって解脱するか
この方法が

>>心と行いを調御し、中道を基準とした反省
なのでは?
133むもん:01/10/08 21:02
>>132
>>心と行いを調御し、中道を基準とした反省

心と行いの調御とは?
中道を基準とした反省とは?
134コピペ:01/10/08 21:26
>>133
すべての悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、―これが諸の仏の教えである。
(ダンマパダ183)

コレ↑
135名無しさん@1周年:01/10/08 22:35
むもんちゃんは、幻覚の中にいる。
136名無しさん@1周年:01/10/08 22:36
>>135
あなたも、幻覚の中にいる。
137名無しさん@1周年:01/10/08 23:29
<<136 あなたの考えを押し付けないで!幻覚教でも開いて幻覚経でも読んでてよ!
138名無しさん@1周年:01/10/08 23:39
>>135

あなたの考えを押し付けないで!幻覚教でも開いて幻覚経でも読んでてよ!
139名無しさん@1周年:01/10/09 02:32
>>1
昔より死後の世界や輪廻転生という考えが社会に受け入れられているのは、
精神科医であり死の研究者(本人曰く「生の研究者」)でもある、
エリザベス・キューブラー・ロス博士の功績が大きいようです。
その研究によって、元々東洋にあった思想が西洋の研究者によって逆輸入されたみたいな感じで。

その著書によると、「自殺は身内の者に重い罪の意識を負わせます。
「なぜこんなことに?」「私のせいだ」「どうして止められなかったのだろう」
身内の者は悪夢に苦しむことになり、自殺した人は死の世界でその悪夢の責任を問われます。」
とあります。(自殺をいっしょくたに論じることはできないとしていますが)
また、国内の某鍼灸療法の医学博士も、「(霊的成長において)自殺してしまった人は、
10人中、10人が下方に波動を感じる」といいますし、自殺していいような見解って目にしません。
でも、子どもの頃に恐れていた、閻魔様に舌を抜かれたり、火に焼かれたり、
釜で茹でられたりぃ〜、といった地獄って、ないようです。(W
140↑むもん:01/10/09 05:57
でしょ?
141むもん:01/10/09 07:41
>>137
>>あなたの考えを押し付けないで!幻覚教でも開いて幻覚経でも読んでてよ!

決して私の考えを云っているのではありませんよ。
こんな論理を発見できるほど私の頭は良くありません。
阿含経にこのように書いてあると云っているだけですよ。
幻覚経というなら、阿含経=幻覚経ということになります。
142名無しさん@1周年:01/10/09 08:44
>>140
違うよ。阿含経では「釜茹で」あり。
143名無しさん@1周年:01/10/09 17:00
ただ自分のなしたことなさなかったことについてそれが正しかったか正しくなかったかをよく反省せよ
144名無しさん@1周年:01/10/09 17:38
<<143。ようするに人の事をいちいちきにするなっつう事ね。でも気になちゃうよね。修行が足りねーか
145名無しさん@1周年:01/10/09 18:57
>>144

<<143 じゃなくって >>143 って書いてくれ!
146名無しさん@1周年:01/10/09 20:51
わかったサンキュー >> 145
147名無しさん@1周年:01/10/10 18:38
>>146

>> 145 じゃなくって >>145 って書いてくれ!
 ↑
ここにspaceを入れたらダメ!
148名無しさん@1周年:01/10/10 21:44
>>147オッケェーありがとね。
149名無しさん@1周年:01/10/13 00:01
>>135-138

141 :むもん :01/10/09 07:41
>>137
>>あなたの考えを押し付けないで!幻覚教でも開いて幻覚経でも読んでてよ!

決して私の考えを云っているのではありませんよ。
こんな論理を発見できるほど私の頭は良くありません。
阿含経にこのように書いてあると云っているだけですよ。
幻覚経というなら、阿含経=幻覚経ということになります

はて?137は、むもん?
150名無しさん@1周年:01/10/15 21:00
『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者(生まれる者)、
滅する者(死ぬ者)これ幻化にして真実有ること無ければなり。』

誰か現代語に訳してください。
151良スレ:01/10/15 21:56
>>1
あのね、あの世はあるよ。
死んだら、生きていた時の行いが、高級な霊によって判定され、
行く世界が決定される仕組みなんだね
152名無しさん@1周年:01/10/16 08:23
>>150
『一切の行為はみな空である。みな静かなものであって、生まれてくる者も死んで
行く者もあなたの幻覚であって真実ではない。』
153むもん:01/10/22 13:28
>>151
これは本当。
154名無しさん@1周年:01/10/22 13:32
>>151 これは方便
155名無しさん@1周年:01/10/22 13:36
>>151
高級な霊って何?
156むもん:01/10/23 09:58
人間が死ねば霊になる。
すると、151さんの言うように高級霊に導かれる。
157名無しさん@1周年:01/10/28 19:06
>>156
高級霊って何?
158名無しさん@1周年:01/10/28 20:43
低級もありますか?
159名無しさん@1周年:01/10/29 00:57
>>158
高級があるのなら、低級もあるだろう。
160名無しさん@1周年:01/10/29 21:54
>156
阿含経に高級霊ってでてくるの?
161名無しさん@1周年:01/10/29 22:02
>>160
たぶん、出てこないだろう。
1621へ:01/10/31 01:25
仏教にとっての一番の地獄へ落ちる業は謗法罪ですよ。
一言で言うと
有名になってはいけないこと、親族を殺すこと、仏教を謗ること、
これらの業を犯すと、釜の湯の叱責がまってますよ。
163名無しさん@1周年:01/11/03 23:19
>>162
なぜ、有名になってはいけないの?
164むもん:01/11/17 09:32
>>160
>>阿含経に高級霊ってでてくるの?

よくでてきますよ。
梵天界の大梵王。三十三天の釈提桓因。四王天の毘沙門天王。
仏や弟子の座禅中にときどき現れます。
165むもん:01/11/21 09:01
人間は死ぬと、つまり霊になるとどうなるか。
地上世界では法律に対する恐怖、世評に対する恐怖、生命の損失に対する恐怖、
名誉に対する恐怖、などによって抑制されているが、霊になるとこれらの抑制が
一切なくなり、その性質はむき出しになる。

その場合、悪を行う(たとえば殺人)などの性質を持つ者は霊界にとどまることは
出来ず、その悪い性質が滅尽するまで、すなわち「殺人=苦しみ」が浸透するまで、
地獄の猛火で焼き尽くされなければならないのです。

それゆえ、地上に生きる間に悪い性質を滅尽しておかなければならないのです。
166名無しさん@1周年:01/11/21 22:50
起立!注目!霊!ってか?
167名無しさん@1周年:01/11/22 23:52
ガングロ あっ?死語じゃなくて?
168むもん:01/11/24 13:42
人は死後どのような世界に生じるかは、その性質の分類によるのです。
聖書や仏典から見ると、イエスキリストや仏陀には、性質が無いようです。
すなわち、性質が薄いほど上層世界に生じるのです。
169ミラージュ
魂は生まれ変わるよ、きっと。