1 :
名無しさん@1周年:
読んだ人いる?
3 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 16:14
う〜ん、この板の人はあえて読まないんじゃないの。
その本で橋本がどんなこと云ってるかってこと?
う〜ん、むずかしいこと聞くね。
「安直に答えを求めてはいけないよ。大事なのは自分の頭で
ものを考えること。トンデモなく大変で、悠長で、効率の悪い
ことだけど、粘り強く考えていこうじゃあ〜りませんか」
と云ってるみたいだよ(笑
ンなこたぁ当たり前だ?
うん、当たり前のことだね。
でもさ、
「結局のところ、あのオウム真理教事件って一体何だったんだろ?」
なんて考えつづけているような人には、橋本治の『宗教なんかこわくない!』
は面白いはず。ちくまの文庫本なら680円。お安くなってます。
一度読んでみたら? 考えを整理する糸口が見つかるかもしれないよ。
ごめんなさい。本体価格は680円だけど、外税がかかる。
680円+税ってことね。訂正します。
ついでに末木文美士さんの『日本仏教史(思想史としてのアプローチ)』
も一緒に読んでみたらどうかしら。巻末の解説は橋本治が書いてるよ。
>>4 きゃ、アイツの文体模写はやめてくれ〜。
気色悪ぅ〜。
どうせやるなら橋本でやってほしかった(ワラ
8 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:00
9 :
アビ:2001/08/02(木) 19:03
鈴木邦男の書いた同名書なら読みましたが。
10 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 22:24
>>9 あれは、対談集じゃなかった?
鈴木自身は、その本でどんなこと云ってるの?
11 :
アビ:2001/08/02(木) 22:40
えーっと、カルトに引っかからないためには、宗教教育が、重要である、
と、ついては、勧誘しないと言う条件で、そうした人たちに、学校で語
ってもらってはどうかと。
子供もやわではないから、話聞いたぐらいじゃ、だまされない。そうや
って小さいころから、免疫を付けさせるのはどうか。
こんな感じのことを言っていました。
12 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 23:35
対談の相手は、景山民雄や島田裕巳か・・・・・・
ひろさちやもいるね。
「カルトの話を聞かせること=宗教教育」ってこと?
「勧誘しないという」条件を付けたとしても危ない感じ
がするなぁ。
だいたい、「子供もやわではないから、話聞いたぐらいじゃ、
だまされない」なんて素朴すぎやしない?
鈴木邦男のオツムはナイーブすぎやしないか?
子ども達には、カルトの講話を同時にいくつも聞かせるのかなぁ。
各教団の話を相対化して聞けるような状態になってるわけ?
そういうい事前の準備、というかガイダンスはちゃんとされて
たのだろうか。心配。
13 :
アビ:2001/08/03(金) 00:21
>12
私も読んでて、そういう感じはしました。ただ、12さんの書いているようなガイダンス
や手引きなどがしっかりとできれば、かなり有効な手だと思いますが(っ手それが一番で
きていないからオウムみたいなことになったのか)
14 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 00:31
発刊当時よんだな〜。つまんない本だった。
橋本治は宗教が理解できないくせに批判しようとしている。
本質を理解できていないひとの批判はつまらない。
橋本にとって宗教とは「じぶんのアタマでものを考えられないひとにたいして
いろいろ答えをあたえてくれるもの」
カルトの場合なら当たっているかもしれないが、それは宗教の本質とはいえない。
信仰してても自分のアタマで考えているひとなんて山ほどいるしな。
橋本は宗教のほんとに面白いところを知ってから批判してほしいもんだ。
15 :
名無しさん:2001/08/03(金) 00:35
橋本は宗教オンチ。この本を評価している人も同様。
16 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 15:09
橋本治の本はよい本だから
宗教人以外には読む価値があると思う。
カルトがどうの、という話があったが、
現在の宗教はカルトにならなければ
単なる生活風習にしかなりえないのでは。
キリスト教の始まりはまさにカルト、という感じだし、
仏教のその始まりにおいては当時の迷信であった
輪廻の考えから抜け出るためのものであったわけで、
この現代において、輪廻からの解脱を図ろうとして
仏教を信仰するというのはやはり
自分の頭を使って考えていないやつだと思う。
輪廻は日本人にとっては何度も続く苦しみではないし、
自殺する者にとっては希望だったりするだろ。
というあたりでは橋本治の言うことはもっともだ。
けれども話が簡単でないのは、
原始仏教から時代を経て変化してゆくところで
元の形からいろいろと変化していることだ。
輪廻思想ひとつで橋本は仏教を見切ったように
なっているのではないか。
橋本治の本を読んで分かった気になっているやつは
やはり自分の頭で考えていない。
当たり前すぎて言うのも恥ずかしいが。
もし仏教が単なる倫理のようなものであったら
それは宗教ではないだろう。
やはり仏教の本質にあるそれを宗教たらしめているものが何かが
私にはまだわかっていない。
中論での空、縁起の思想は興味あっていろいろ読んだが、
大日如来や阿弥陀さまを信仰しようなんて思えない。
その違いこそにこそ宗教があるのだと思うのだけど。
言ってしまえば私には宗教は必要がない。
みんなはどうやって宗教を必要とするのだろう。
何らかの不幸から?
そのとき何かを信仰しながらしかも
自分で考えることでもって宗教するとはどういうことだろう。
>>14 オイラは、橋本が宗教を理解できてないとは思ってないし、
橋本がアンタのいうような「宗教の批判」をしているとも思ってないんだ。
が、ンなことは置いといて、興味があってオイラが教えてもらいたいのは、
アンタのいう「宗教のほんとに面白いところ」ってやつ。
「ほんとに面白いところ」って、どんなところ?
>>16 >輪廻思想ひとつで橋本は仏教を見切ったように
>なっているのではないか。
これは、どういう意味だろ。文意がつかめない。「見切った」というのは
「見捨てた」という意味かな、 それとも「底の底まで理解した」という意味?
つまり、橋本は「輪廻転生思想だけを取り上げて仏教をダメだとみなしている」
という意味なのか、「輪廻転生思想だけを取り上げて仏教だと勘違いして
いる」という意味なのか、教えてください。
18 :
16:
>>17 あーわかりにくかったですか。
橋本は仏教が輪廻転生思想が意味をなしていた時代の
過去の産物である、とみなしている、というのが私の理解です。
輪廻思想じたいはあくまで当時よく広まっていた考えであって、
仏教がそれをあるとみなしたかどうかについては諸説あったと思いますが、
(確かそういうスレもありましたね。)
橋本氏は仏教の根本はこの輪廻からの解脱にある、とみなして、
(永遠に続く苦しみとしての)輪廻が定着していない現在の日本では
仏教の意味がないとしていると思います。
「見切った」は「ここが根幹である、とみなした」の意味で取ってください。
仏教自体が輪廻思想を必然としているか、
輪廻思想がなければ仏教には意味がないか、
とかいろいろ考えられることはあると思います。
>>14 私も聞いてみたい、「宗教のほんとに面白いところ」。
それは私の疑問
>>16の
> やはり仏教の本質にあるそれを宗教たらしめているものが何かが
> 私にはまだわかっていない。
への答えになるかもしれないので。