1 :
メイ:
宗教のことは良く分からないけど、先日祖母のお葬式で初めて
自分の家が浄土真宗だってことを知りました。
特に意味ないけど実際、浄土真宗の人ってどのくらい居るの??
同じ宗派ってことは何か考え方も似ているような気がするので
良かったらお話しましょう!!
>>1へ。
こんなスレを立てると、親鸞会の関係者や「親鸞ヲタのゴキブリ教祖」こと渡海難が食いついてきます。
親鸞会と渡海難にはくれぐれも注意しましょう!
3 :
もぐたん:2001/07/24(火) 15:23
うち実家がソウダヨ。
お寺。
4 :
メイ:2001/07/24(火) 15:41
>>2 浄土真宗ってやばいのでしょうか??何か心配になってきました。
>>3 東野浩二の実家も浄土真宗のお寺をやってるみたいですね。
「うれる堂」で言ってましたよ。もぐたんさんも京都の方ですか??
5 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 15:56
寺では仏法が説かれていません
親鸞会へおいで。
6 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 16:00
浄土真宗といってもいろいろありますが,本願寺派の方ですか?
7 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 16:03
>>5 行ったことないけれど、大阪の津村別院(北御堂)では
法話会やっているよ。
本山とか築地とか大きいところではやっていると思われます。
8 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 16:09
>>4 心配ありません。親鸞会も渡海難も浄土真宗の教団や本願寺とは何のつながりもありません。
本願寺と親鸞会はまったくの無関係です。
親鸞会はカルトの新興宗教です。
9 :
メイ:2001/07/24(火) 16:27
>>6さん
本願寺派とかわかりません。すいません、何も分からないのに
スレを作っちゃって。でも、同じ宗派の人ってどんな人がいるのか
興味があったんです。あんまり友達にどこの宗教なんて聞けないし。
でも親鸞会と全く無関係でホッとしました。一瞬本当に焦りました。
10 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 16:29
11 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 16:53
宗派に関わりなく,大悲の願船に乗って念仏の日暮らしをさせていただきましょう.
12 :
メイ:2001/07/24(火) 17:11
>>12 親鸞会は、古典哲学研究会とか、アルタとか、
いろんなダミーサークルを使って大学の中で勧誘してるカルトだからね。
お気を付けを。
15 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 18:21
ところでメイさんみたいな一般の門徒さんはどういう教義理解ですか?
16 :
メイ:2001/07/24(火) 18:25
教義理解って何でしょうか??はっきり言って宗教のこと全く
分かりません。ごめんね。浄土真宗はごく普通の宗教ですよね??
┌─────────┐
│ .|
│ 渡海難警報! │
│ .|
└―――──――――┘
ヽ(´ー`)ノ
( へ)
く
18 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 18:46
無常迅速,罪悪深重でお浄土に生まれるべからざる者を必ず助ける阿弥陀仏の本願を信じてご恩報謝のお念仏を称える.
真宗の教義はこれ以外ありません.
19 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 18:51
寺の法話に行ってみると,若い人は珍しいので珍重されます.
20 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 20:26
信者数では日本で一番多いんじゃなかったっけ?
>>8 >本願寺と親鸞会はまったくの無関係です。親鸞会はカルトの新興宗教です。
親鸞会は新興カルト、本願寺は既存カルトじゃないの?。(笑)
本願寺に行けば、巨大な本堂があってそこでは親鸞を祀ってる。阿弥陀堂は横で小さくなっている。
人間親鸞を祀って神様にするなんて、オウムさんと同じだ。オウムさんは、本願寺を真似たんじゃないの?
>>20 >信者数では日本で一番多いんじゃなかったっけ?
日本で一番不信者が多いんじゃなかったっけ?。親鸞を礼拝しているんだからね。坊主も、在家も。がっかりするよ。
22 :
凡夫:2001/07/25(水) 21:39
本願寺派や大谷派は、阿弥陀一尊しか(それも空中住立尊のみ)しか信仰しない大乗仏教中世界に類例
のない宗派。その意味で日蓮正宗にも似ている。親鸞会のようなカルトがでてくるのもよくわかる。野間
宏の親父も確か戦前、真宗系カルトの教祖だった。
23 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 21:50
親鸞会を真宗系カルトの系譜のなかにきちんと位置づける作業を誰かやってくれないかな.
>寺の法話に行ってみると,若い人は珍しいので珍重されます.
俺達のことをよく知らないくせにごちゃごちゃ言うな。俺達のことは本を買って勉強しろ。
ま、こういう態度に近い法話会もあるようですね(笑)。
25 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:04
うちも浄土真宗だよ。(本願寺派)
でも霊魂がどうとか言ってる。
26 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:08
一向専念無量寿仏が真宗の教えです.
他のものを拝んではいけませんぜ.
27 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:15
うちもうちも!
浄土真宗だよ〜!
28 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:21
>>21 本願寺に特別な感情・遺恨があるみたいやね?
よかったら教えて!
29 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:29
>28
かまうなアホ!
30 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 00:35
宗派に関わりなく,阿弥陀如来のご本願を信じてお念仏いたしましょう.
31 :
you too:2001/07/26(木) 01:12
こんばんは。
うちは真宗大谷派らしいです。
歎異抄とか読むけど、信心してるわけでもないです。
>>1 浄土真宗のHPを検索してみたらいかがですか?
32 :
1:2001/07/26(木) 02:34
あのう、聞いてると家の宗教はなんかヤバイ気がしてきたんですけど・・・・。
家は宗教には殆ど関わってないので分からなかったんですけど、浄土真宗って普通の
宗教じゃないんですか??
33 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 02:52
別にヤバかないよ。実際、うちは普通にやってるし。
まぁ葬儀社なんかの都合で浄土真宗ではやらないって事を
やらされたりする事はあったけど。
あとね、迷信、まじない、占いなんかは信じないらしいんだけど、
20歳の私は、つい雑誌や新聞の占い欄チェックして
「あー○○だー」「今日はラッキーだ〜」とか一喜一憂したり、
「霊柩車を見ると親の死に目に会えない」とか信じちゃってるよ。
祖母や父みたいに深く信心してたわけじゃないからねぇ…。
私は結構いい加減だよ。朝夕の勤行は既に習慣と化してる。
>>28 >本願寺に特別な感情・遺恨があるみたいやね?
遺恨は全くありません。
仏教、あるいは親鸞仏教を非常に分かりにくいもにしているのが本願寺体制だと思っています。
親鸞仏教をこのまま永遠に闇の霞の中で消滅させてはいけない。未来に向けて正しくつなげていかなければいけない。未来に向けて正しくつなげていくことが今の我々世代の責任だろうと思っています。
35 :
渡海 難( p5148-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp):2001/07/26(木) 09:33
>家の宗教はなんかヤバイ気がしてきたんですけど
既成の巨大宗教だからそれほど心配する必要はない。宗教に限らないけど、お布施するときは慎重にしよう。意味のあるお布施に限ること。意味のない惰性的なお布施は慎むこと。金額は、相手から受けた提供物に対する対価として妥当かどうか、よく考えよう。
寺にお金を積んでも死んだ人は喜ばない。喜ぶのはお寺さんだけ。
支払い後の相手における使用目的もよく研究しよう。
息子が宗門大学に入ったから、あるいは本山に修行に行くから祝い金をくれなどという、アホ寺もあると聞く(具体例は真宗ではない)。筋の合わない布施の要求があれば、そのような末寺とは金輪際に縁を切るくらいの覚悟で末寺とはつき合った方がいい。
渡海難の書き込みパターン。
1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習するのを装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「親鸞会ですね」(このパターンが多い)か、「お坊さんですね」と親鸞会や寺批判で逃げ、誹謗発言をする。
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 開き直って「私は悪人です。私の言うことなんて……」と卑下発言。もしくは「仮説」に逃げる。
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をしてその顛末を浄土通信に掲載し、さらしage(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がり他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。
※補足 やり取りの合間に野次馬が浄土通信に来るのでアクセスが上がるが、大抵、その内容のアホさにあきれて二度と来ない。
37 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 13:52
メイさんへ
インターネットの検索で(ヤフーとか)”浄土真宗”で検索して見て下さい。
1万5000件以上見つかります。とても全部見るのは無理ですね。適当に(失礼)
クリックして見て下さい。
38 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 14:25
39 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 15:13
>>35 >意味のあるお布施
>筋の合わない布施
って具体的にどう見分ければよいのですか?
40 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 15:28
41 :
40:2001/07/26(木) 15:31
失礼しました。全部たした数も載っていました。
42 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:19
本願寺の門徒の人あるいは僧侶の方、教えて下さい。
本願寺に納める年間の会費に相当するもの(言い方が
わかりません)はいくらぐらいですか?。
>>32 (追加)
>宗教はなんかヤバイ気がしてきたんですけど・・・・。
宗教としてはそれほどヤバイとは思わないけど、ヤバイ人はいるようだ。 例
>>29 自分に都合の悪いことには、すごみを利かせて恫喝する坊さんはいる(笑)。
>>39 >どう見分ければよいのですか?
難しいな。少なくとも万人を納得させる客観的な基準はないと思う。
2CHで聞いた話だが、坊さんにお布施を渡そうとすると、厚みを見て金額を値踏みし、即座に「お間違えでしょう」と突き返す人がいるそうだ。そういう坊さんは、坊さん仲間では尊敬されるらしい。冗談で家業をやってる坊さんは多いようだ。冗談で家業をやる人とは縁を切るべきだ。
葬式費用などは、坊さんにきちんと支払額を聞くべきだ。聞いて額を言って来なければ、払う必要はない。サービス行為には、請求がなければ支払い義務は生じない。葬儀費用は、葬儀屋さんとか、石屋さんとかが口添えしてくる。内訳会計が不明瞭な請求は一円でも払っちゃいけない。
世間的な相場で考えよう。サラリーマンは、一か月で平均二十日働いて年240日。年収は約七百万。一日の給与は、二万九千円だ。七百万の中には残業手当が入っているが、退職金などは入っていない。ま、一日で二万九千円と思えばいい。時給にすれば、三千六百円。例えば葬式で四時間拘束すれば、一万四千円。半日の葬式なら、この程度支払えばいいんじゃないの?
大卒の初任給は約二十万円。一日一万円。22〜3歳の坊さんなら、葬式で四時間拘束して五千円というのが相場だろう。これ以上の金額の請求があれば、理由を聞くべきだと思う。
2CHで聞いた話だ。酔っぱらって檀家回りする坊主がいるそうだ。酔っぱらってやってくるような坊さんの寺とは、縁を切りなさい。冗談で坊さん家業をやっているんだろう。
真宗には、盆祭りは無い。年忌もない。人は死んだら倶会一所だ。戒名も法名もいらない。吉凶禍福の縁起も担がない。請求が回ってきたら、十分考えてから行動すること。
仏教に興味があるなら、法座に行くのもいいだろう。ただし、信心を得るのに一生かかるとなんて言われたら、そんなとこには二度と行きなさんな。一生かかるとは、死ぬまで分からんと言っているんだからね。生きている内には糞の役にも立たんと言っているのと同じだ。
3,4回通って、手応えを感じなかったら、二度と行きなさんな。十年通って糞の役にも立たない法座などは腐るほどある。人生の役に立たない宗教は、ゴミだと思いなさい。自分の人生の役に立つ宗教かどうかは、3,4回通って結論を出しなさい。人生は長くはない。
少なくとも、
>>29さんみたいな人がいるような所には行かない方がいいだろう。
46 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 18:40
記憶は確かではありませんが、”本願寺派、大谷派ともに末寺1万ヶ寺、信徒数1千万を
誇る...”という様な文を読んだ事があるような気がします。今は大分少ないようですね。
お坊さん頑張って下さい。
47 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 18:57
あんまり罵り合いをしていると、メイさんからヤバイ宗教だと思われて
しまいます。本物の浄土真宗は罵り合いはしません。
48 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:00
>>47 本物の浄土真宗→ヤバくない
親鸞会→超ヤバい
渡海難→親鸞会と同様にヤバい。もしくは親鸞会ほどではないがヤバい。
※渡海難が人間的にヤバいということは過去のカキコで証明済み
49 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:08
>>42 本願寺といっても東西両本願寺があります。
西と東では宗派が違います。
当然年会費に相当するものも違うはずです。
50 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:18
親鸞会はたしかにヤバい.
一生を棒に振る危険性すらある.
既成教団はそういう意味での危険性はないね.勤行とか初めてだと違和感あるかもしれないけど.
51 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:21
僧侶になろうと思っていますが、今のところ
浄土真宗の教えはしっかりわかっていません。
親鸞会が超ヤバいのは教えに問題があるからなのでしょうか?
52 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:25
>>51 教義よりも活動に問題点が多いです.
宗教じゃないとウソをついて大学生を勧誘しています.
53 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:27
組織についても異論はいっさい許されない雰囲気です.
ちょっとでも意見をいうと法謗罪ですもん.
そのへん本願寺教団だと何でも自由な議論が許されていると聞きますが..
54 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:29
55 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:35
うお,親鸞会スレッド集か.
56 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:38
親鸞会に一生をかける(?)つもりで入会した若者が数年でごろごろやめていく.
こんな極端に出入りの激しい教団が健全と思えますか?
57 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 20:54
自分は親鸞会の人には出会ったことはありませんが、「親鸞会=
超ヤバい集団で不健全」というのはわかります。
では何故、そんなところに若者が一生をかけるつもりで入会していく
のでしょう。組織や活動に問題があるのは明白でしょうが、何か
教義の面でも、既成の浄土真宗(教団)とは異なる問題があるので
しょうか。
58 :
56(通りすがりの元親鸞会):2001/07/26(木) 21:00
教義の面では親鸞会は既成の真宗教団(の本山の教学レベルよりは末寺の説教レベル)とは全然ちがいますね.
教義面の相違は多岐にわたりますが,まず親鸞会では信心決定の一念の自覚(もちろん仮時ですけど)がなかったら地獄行きだと説きます.
寺の説教では自覚の有無に関わらず阿弥陀如来はわれわれを地獄へなんか絶対におとさないぞ,と説きますよね.
ご本尊も違います.本願寺は名号本尊を否定はしていませんが,寺にはすべて木像を置いているようですね.
親鸞会は名号本尊でなければいけないとします.
59 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:03
>では何故、そんなところに若者が一生をかけるつもりで入会していく
>のでしょう。組織や活動に問題があるのは明白でしょうが、何か
>教義の面でも、既成の浄土真宗(教団)とは異なる問題があるので
>しょうか。
教義よりも勧誘活動自体に問題があります。
若者がこれだけ多く親鸞会に入っていくのは、心理的なものがあると思います。
例えば大学のダミーサークルが新入生を勧誘する時に使う「約束カード」。これを渡されると「必ず約束を守らねばならぬ」という心理状態に陥ります。あと、新入生勧誘時にやたらと人がいいような振る舞いをするのも、心理的テクニックです。「感じのいい人だなあ」と思わせ、自分たちのところに引きつける手段なのです。
教義云々も親鸞会と本願寺は異なった見解を持っており対立しています。
まあ例えるならば創価学会と日蓮正宗の対立のようなもんです。
>何故、そんなところに若者が一生をかけるつもりで入会していくのでしょう。
「出会ったことはありませんが、〜わかります」と、簡単に分かった気になる人が多いからじゃないでしょうか。
61 :
通りすがりの元親鸞会:2001/07/26(木) 21:05
で,信心決定するには自力無功とはっきりするまで求めきらなければならないとして,善を勧めます.
善とはいうまでもなく聴聞や勤行,布教,布施などをさします.
このへんは親鸞会会長さんの信心と会員の信心とが違うようにも思えるのですが,少なくとも会員の信心としてはバリバリ自力なわけです.
三業を良くして後生の一大事を助かろうとしてるんですから.
62 :
通りすがりの元会員:2001/07/26(木) 21:09
>>60 まぁそうですな.
親鸞会会員さんは他の教団や教学から学ぶべきところはまったくないと思っていますからね.
で,信心を問うてみるとこれが完全に自力.
63 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:13
ここはスパイの巣窟か?!
・・にしては貧弱!!
元会員をなのる君たちよ
脱落したら沈黙を守りたまえ
そしてすべてを棺桶までもっていきたまえ
それが義理ってもんじゃん
みじめな人生だろうけどさ
>>63 また来たか。
荒らしはうざい!
同じ文章ばっかコピペするな!
65 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 21:19
かえって教団の印象を悪くしてることに気づかないのかね?
66 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 22:59
法座って何ですか?
67 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 23:03
その名の通仏法が説かれる集まりのことですが
68 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 23:08
一度法座にいってみられるとよいのでは.
69 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 23:19
66です。何も知らないのですみません。
お寺でいつでもやっているんですか?
70 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 23:29
うちの近くの寺では毎週日曜日に勤行と法座をしているようです.
大きな法座も年に何回かあります.
予定などはお寺に聞けばわかると思います.
>>70 >うちの近くの寺では〜法座をしているようです.
「いるようです」?。はて。伝聞ですか? 不確かな推量? 予想?
そこの法座には、貴方はご近所でも御参加なさってないようですね。 近所でも貴方でさえ敷居の高い不確かな法座を貴方は、会ったこともない未知の他人にご紹介なさるんですか?
>>48 >渡海難が人間的にヤバいということは過去のカキコで証明済み
ヤバいとことがどのように証明済みですか。?
ま、思ったことは僕はそのまま書きますので、奥歯にモノを挟んだお坊さんには嫌われているみたいですね。
あなたも、奥歯にモノを挟んでいるお坊さんですか。
因習と先祖からの惰性にあぐらかいている方々から嫌われれば、現代では勲章のようなもの、品質保証書のようなものですかネぇ。
渡海難の書き込みパターン。
1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習するのを装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「親鸞会ですね」(このパターンが多い)か、「お坊さんですね」と親鸞会や寺批判で逃げ、誹謗発言をする。
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 開き直って「私は悪人です。私の言うことなんて……」と卑下発言。もしくは「仮説」に逃げる。
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をしてその顛末を浄土通信に掲載し、さらしage(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がり他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。
※補足 やり取りの合間に野次馬が浄土通信に来るのでアクセスが上がるが、大抵、その内容のアホさにあきれて二度と来ない。
>>72の場合は上記のうち5に該当。
彼は自分を煽った者を勝手に「お坊さん」と決めつける電波野郎である。だから2chで嫌われている。
自己顕示欲が強くて、独善的で自信過剰な人です。
自分勝手な空想・妄想癖があり、それを真実だと決めつけて、他人を誹謗中傷してきます。
他人を批判することで、自分を認めさせようとしているのだと思います。
自分の想像が主体ですから、まともに反論して議論しようとしても、話題が噛み合わずに
議論になんてなりません。
精神的にストレスがたまるだけの人ですからできるだけ付き合わないほうがいいのですが、やたらと突っかかってきます。
75 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 18:09
渡海くんの書き込みはネタとして楽しんでいるので一向にかまいません.
>>75 じゃぁ、あなたたちでスレ立てて遊んでてよ。
非常に不愉快な思いをしているものもいるんだから。
>非常に不愉快な思いをしているものもいるんだから。
非常に?? 不愉快?? はて? 何が不愉快でしたか?
78 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 21:10
>>77 まさにそういう態度が不愉快なんだと思うよ
79 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 21:17
ネタとして楽しめるほどの面白みすら無いね
みなさん、あんまり渡海難に関わらないほうがいいですよ。
また「坊さんですか?」といわれますよ。
彼の敵は真宗の「坊さん」ですから。
81 :
アビ:2001/07/27(金) 21:57
あ、あのう・・・
浄土真宗の話はどこへ・・・
82 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 22:01
>>81 スマソ。
渡海が乱入すると必ずスレが変な方向へ行くね。もうすでに他スレでも大騒ぎになってるよ。
というわけで、これ以上渡海難の話をするのはやめとこう。そして渡海難は完全に無視しよう。
83 :
アビ:2001/07/27(金) 22:14
そうしましょう。
ところで、何かの本で(確か小室直樹だと思ったけど)浄土真宗は
仏教より、キリスト教の教えに近いというのを読んだ記憶があるのですが。
84 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 22:18
85 :
アビ:2001/07/27(金) 22:25
エーっとうる覚えですが確かこんな風に書いてたはずです
浄土真宗の教えを突き詰めると、「信じるものはすくわれる」
という解釈になるとか、
本当なんでしょうか。
誰かおせーて。
86 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 22:29
阿弥陀―キリスト
信心 ―信仰
許し ―義認
極楽 ―天国
ってな具合だね
87 :
アビ:2001/07/27(金) 22:33
表に書き表すとそういう感じになると思います。
ただ、いきなりそう書かれていても、本当かなあ・・というかんじかして。
88 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 22:33
キリスト教のことはよく知りませんが,二種深信みたいなものもあるのですか?
89 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 22:40
ど素人のいいかげんな想像ですが、
『すべて主の御名を呼び求むる者は救わるべし』(ヨエル書2−2)
私が子供の頃には、
「信じるものは救われる、アーメン」とキリスト教徒の真似をしました。
浄土真宗は、阿弥陀仏の救済を信じて、南無阿弥陀仏と阿弥陀仏の御名を称えれば(称名
念仏)必ず阿弥陀仏の慈悲によって救済されるという教え。
どちらも「信じるものは救われる」という点で似通っているといわれているのではないで
しょうか。
90 :
アビ:2001/07/27(金) 22:41
うっ、申し訳ありません「二種深信」のことばのいみがわかりません。
91 :
アビ:2001/07/27(金) 22:43
ああ、なるほど、そうかも。
92 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 22:49
二種深信とは浄土真宗の信心の中身のことです.
深信と言うは、即ちこれ深信の心なり。また二種あり。一つには決定して深く自身は
現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に没し常に流転して出離の縁あることなしと深く信ず。二つには決定
して彼の阿弥陀仏の四十八願は、衆生を摂受して、疑いなくおもんばかりなく、彼の願力に乗じて、定んで往生をうと
深く信ず
といいまして,流転輪廻をまぬがれない我々であるという自覚と,そういう我々を間違いなく救って下さる阿弥陀仏の本願であるという自覚.
この二つをはっきり信じるのが他力の信心です.
93 :
アビ:2001/07/27(金) 22:58
ありがとうございます。
94 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 23:27
〈二種深信〉
1:自身が救われがたい凡夫(ボンブ)であると深信すること(機の深信)
2:このような凡夫を阿弥陀仏の本願力がかならず救うと深信すること(法の深信)
95 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 23:28
>>94 ありゃりゃ、ダブりましたね。すみません。
96 :
アビ:2001/07/27(金) 23:30
確かに流転輪廻を運命に変えて、阿弥陀仏を神とすれば、ほとんどキリスト教と変わらない感じですね。
97 :
アビ:2001/07/27(金) 23:41
そういえば、山本七平という人が、日本に入ってきた宗教は、例外なく
本来の教義が、捻じ曲がっていって、最終的には神道(似近いもの)
になってしまう。と、書いていました。
特徴は、救いの条件が(悟りであれ、永遠の命であれ)無条件である。
それをたどっていくと、日本の神話にある「神が無条件で人に土地を
与えた」という解釈に突き当たると。
すいませんなんか、日本語おかしいですね、書いてる意味わかります?
98 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 23:42
流転輪廻は自分の行為の結果,因果の道理にしたがってなされるものなので,行為と無関係な「運命」とは違います.
神とは全知全能で万物の創造主だと思いますが,仏教ではそのようなものは認めません.
流転輪廻している我々の魂を阿頼耶識といいますが,これは誰かが作ったものとは説かれていないと思います.
そして仏様でも因果の道理を破ることはできないとされております.
99 :
アビ:2001/07/27(金) 23:44
ああ、そうか。
100 :
アビ:2001/07/27(金) 23:46
法前仏後とかいうのですか?
101 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 23:46
真宗の教義が日本独自のものかどうかは,あんまり議論しても仕方ないですね.
親鸞さんの時代以来,何百年にも渡るながーい教義体系構築の歴史があるわけですから.
102 :
アビ:2001/07/27(金) 23:52
そうですね、長々と、付き合っていただいて、ありがとうございます。
あ、そういえば、うちの実家のお寺さん(菩提寺というのかな?)が松山千春の所
の、お寺さんとおなじところです。
103 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 00:01
あら,こんなところでお礼をいわれると恐縮します.
大谷派の法主さんもバンドをやってたんでしたっけ?
104 :
アビ:2001/07/28(土) 00:20
そうなんですか?
105 :
メイ:2001/07/28(土) 02:00
みなさんお久しぶりです。ここに来ている方はみんな浄土真宗の人達ですか??
もしそうなら凄く親近感も持ちます。何となく宗教が一緒だと何か縁があるのかなとか思ったりするんです。これからも宜しくね!!
106 :
アビ:2001/07/28(土) 02:41
>102
書き忘れましたが、このお寺さんも当然浄土真宗です
書き込んで以来きました。
>メイさんうちは京都のお寺ではないです。
南の方にあります。
仕事が忙しくて帰っていませんが、
真宗の事はよくわかりません。
阿弥陀仏を称えるだけです。
108 :
アビ:2001/07/28(土) 05:45
うちの近所はホトンド浄土真宗ですよ。
109 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 11:07
うちは関東なので浄土真宗は少ないようです.
禅宗系や日蓮宗が多いのかな.
110 :
メイ:2001/07/28(土) 13:22
私は埼玉だけど浄土真宗だよ。
111 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 13:50
九州にいたときは浄土宗が多かった。
お葬式のときとか精進するみたいだから
真宗よりも厳しいみたい
112 :
アビ:2001/07/28(土) 16:59
京都に旅行した時、西と東の本願寺に行ってきたら、東本願寺では、おっさんが昼寝
していたので、私も真似して寝てきました。内地の暑さに慣れていない私には心地よ
かったですよ。
113 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 20:08
私も京都の本山に行ったことがありますが,すごい威容を誇っていましたね.
114 :
アビ:2001/07/28(土) 20:40
東本願寺に、髪の毛で作った縄が展示してありましたね。(東でよかったよな)
115 :
真:2001/07/28(土) 20:46
116 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 21:31
>>114 どっちか忘れました.
あの辺は仏具店がいっぱいありますね.
今の東本願寺は共産党に牛耳られているって、本当?
従来、浄土真宗では親鸞上人のことを見真大師と読んでいたが
東本願寺は、「見真大師は、日本を戦争に導いた明治天皇が付けた
名前であり、我々はその名称を使うべきではない」と主張。
今後、見真大師という名称を使わないことに決めた。
宗派にもよるが、仏壇の右側には、見真大師の名号あるいは
肖像画が飾られている。
118 :
アビ:2001/07/29(日) 00:35
共産党かどうかはわかりませんが、トップ人事で大もめしているというのは聞いたことあります
トップに早稲田か慶応の現役学生をすえて、「ふざけんなこら」「うるせえ、これでいいんだ」
ってな状況だとか・・・
119 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 00:44
いわゆるお東さん紛争ですか?
「東本願寺派」が分かれたあとも未だにやってるんでしょうか.
120 :
アビ:2001/07/29(日) 00:54
うーん、その後の話は聞きませんね。
今日は、松山千春のお父さんの葬式の時、後の説法で千春の歌を熱唱した
坊さんがお経を読みに来たというのに。しかも本人の前で(無関係)
121 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 00:58
>>118 >トップに早稲田か慶応の現役学生をすえて、「ふざけんなこら」「うるせえ、これでいいんだ」
>ってな状況だとか・・・
これは少々古い情報ですね。
数年前に一時期早稲田のロン毛のバンドやってるにーちゃんがトップになったことがあったん
だけど、結局親とどでかい財産を持ち逃げしちゃったんだよ。
122 :
アビ:2001/07/29(日) 01:06
エーっ!そうなの、四年ぶりに新しい情報を聞きました。
その後のことも教えてください。
123 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 01:16
東京の浅草の東本願寺派(旧浅草別院の乗っ取り)は前門主の長男(故人)=天皇の従兄
弟
早稲田のロン毛のにーちゃんの親で本廟維持財団というどでかい財産を持ち逃げしたのが
次男
現門主は3男。
4男が両親から溺愛されたボンボンで東本願寺騒動の張本人的な奴で、除名(僧籍はく
奪)されているはず。
124 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 01:19
大谷派ってばかばかしい争いを何十年も続けてるんですね.
125 :
腰痛:2001/07/29(日) 01:20
前から思ってたんだけど、修行してない坊さんにお布施するのって、
非常に疑問に思うのだけど・・・。
善智識って言うけど、私は本(”人物叢書 親鸞”とか”歎異抄”)で
知ったので、坊さんに教わったわけじゃないし・・・。
今、お布施の請求(15万円以上)来てるけど、真宗ってこういうトコなんだって、
初めて知りました。(修繕費らしいけど、100世帯として1500万円だよね。)
ちなみに、よその宗派はもっと酷いらしいです。
126 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 01:27
御恩報謝にならないと思えば払わなければいいのではないでしょうか.
127 :
腰痛:2001/07/29(日) 01:36
>>126 はは!(笑)
付き合いがあるから、そんなキレイゴトは通りません。
修繕費オンリーとは考えられないですね。
檀家の役員どもの飲食代に移行するのが、目に浮かぶ・・・。
明細欲しいなぁ・・・。(笑)
128 :
アビ:2001/07/29(日) 01:37
>125
あ、うちにも今、寺の屋根を直すとかで「十万くれない?」ってきてます。
129 :
腰痛:2001/07/29(日) 01:41
せっかくの和やかな雰囲気を壊しそうで申し訳ないのですが、
どんなヒトをも救うっていうことは、凶悪事件を起こしたヒトでも
救われるわけですよね。
130 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 01:45
悪人こそ弥陀の本願の正客ですよ.
どんな凶悪犯にも如来様のお慈悲はかかっております.
131 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 01:50
>>130 たしかにすべての人に如来様のお慈悲はかかっています。
が、「悪人正機」の「悪人」と、世間でいう犯罪者の「悪人」を一緒にすると聞き間違い(造悪無碍の異安心)をする危険性があります。
132 :
腰痛:2001/07/29(日) 01:54
悪人の集まるところ=刑務所=極楽
フィーリング的(謎)にはわかる。(悪人正機)
救いようが無いから救われるべきだという発想は嫌いじゃないです。
でも、教団トップがこれじゃあ・・・。
133 :
アビ:2001/07/29(日) 01:57
厳しいですね
134 :
腰痛:2001/07/29(日) 01:59
>>131 同意!
実はその答えを期待してたのさ♪
”他力本願”っていいイメージないけど、
これ、そんなに悪い考え方じゃないと思う。
世間は所詮戯言だよ。
死にかければ、よくわかるから・・・。
135 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:03
自覚(の可能性)が前提だと思うよ。
何らかのその人なりの信心が起きた時点で、自覚は出てくるから。
その自覚すらも阿弥陀さんからいただくという感じなのだろうけど。
もちろん、自覚のない三悪趣にも、常に仏の加持はあるけど、
ちょっとそのケースはまた別。ややこしくなるから、ここまで。
136 :
腰痛:2001/07/29(日) 02:06
>>134の続き
でも、生きてるうちに実体を持ってしまう・・・。
悟りを開くってコトは、生きながら死ぬってことなんでしょうね。
ほかの宗派の人はたいへんだ〜。
その点、他力は楽だよね。
137 :
腰痛:2001/07/29(日) 02:12
>>135 >阿弥陀さんからいただくという感じなのだろうけど.
自分から起こそうと思って起こした心ではないから、
いただいたっていうフィーリングになる。
でも、そんなの、この無常の世の中では、すぐ消えてしまうよ。
心境のコトにとどまるのは意味ないと思う・・・。
138 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:12
>>136 いやいや、他の宗派も同じこと。
他力についての認識と気づきがいつどのように起こるかと、
ややその趣が異なるだけでさ。
まったく同じかどうかは知らないけど、
自分も縁起で、なおかつ、
信心者の「持」があっても「加」がないと加持が成立しないから、
信心すらも広い意味では他力(あるいは他力とか自力をも超えた)と考えるようになる。
その強調の仕方が違うだけであってね。
139 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:13
「悪人」とは他人のことではない、自分こそが「悪人」だった、という目覚めが真宗の信心です。
悪人目当ての阿弥陀仏の本願だから、悪人にしか呼び声は聞こえません。
自分が善人だと舞い上がってる人や、「どんなに悪いことしても阿弥陀仏が助けてくれるからいいや」という人は問題外です。
悪人の自分と阿弥陀仏だけの世界です。
世間がどうとか、教団トップがどうとかまったく関係ありません。
140 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:15
>>問題外です
まあね。それでも、本人は気づかなくても仏さんはせっせと活動される。
忙しいわな。
141 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:16
>>140 そのとおりですね。
早く阿弥陀様のご苦労に気付いてあげてほしいです。
142 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:18
自らがいかに心の貧しい存在かってことに気づくのが大事なのは、
他の宗派でも同じ同じ。
それがないと、どうにもならん。
143 :
腰痛:2001/07/29(日) 02:18
>>138 あぁ、密教の方ですか。こんばんは。
密教はいいですね〜。
核心をついたことをはっきり言える。
如実知自心・・・真宗じゃ言えないもん。(笑)
144 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:20
人間観
キリスト教→落ちた天使
仏教 →舞い上がった猿
145 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:21
>>143 すいませんね。チベット仏教のゲルク派の修行者です。
もし、的外れなこと言ったり、不快なこと言ったらごめんさないね。
一応、気を付けてますけど。
まったく同じではないでしょうけど、基本部分は同じだと思うよ。
146 :
腰痛:2001/07/29(日) 02:24
>>139 >世間がどうとか、教団トップがどうとかまったく関係ありません。
それなら、教団いらないじゃん。
五木寛之一人いれば十分。(笑)
信心はそうかもしれない。あなたのおっしゃるとおりでしょう。
でも、檀家はそうも言ってられないんです。お金出してるから。
正しく使って欲しいよぉ。
147 :
ななし:2001/07/29(日) 02:37
148 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:38
抗議行動や声明みたいなことはよく話題になるね。
それも1つのあり方だわな。
149 :
ななし:2001/07/29(日) 02:45
>>147 声明を出すこと自体はいいと思うんですが、
一般の信徒さんもそういう人が多いのか疑問に思ったので伺いました。
150 :
ななし:2001/07/29(日) 02:50
もっとくわしく話しますと実家が真宗なんです。
靖国も神道も個人的にはいいと思うんですが、
自分のようなものは、少数派なのか確認しときたいと思い伺いました。
151 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:55
同じ宗派にいても考えはそれぞれでしょう。
ほら、なんていうか、出来事によって人それぞれの個人や家庭や親戚とかの事情が出てくるだろうし。
152 :
ななし:2001/07/29(日) 03:03
>>151 答えてくださりどうもありがとうございます。
実家が離れているため、お寺やお墓よりも
神社にお参りする方が多いので、
嫌われてるかもと心配でもありました。
153 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 03:06
>>152 他人や仏さんに失礼のないようにしてればいいことなんじゃない?
あまり考えすぎないこと。
154 :
ななし:2001/07/29(日) 03:10
>>152 そうですね。
他人と話すときは政治的な話題は禁物ですね。
155 :
アビ:2001/07/29(日) 03:12
そういえば山本七平が、日本の宗教団体(仏教に限らず)は、政治的発言
をすることが多いと書いていましたが
156 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 03:17
団体一律でって話ならちょっと怖い部分もあるね。
宗派内の各自が考えて、たまたま同士というか同じ考え方の人が
何か行動しようか、とか声明だそうかという話ならわかるけど。
157 :
アビ:2001/07/29(日) 03:21
宗教家なら私の感覚では156さんの感覚が普通だとおもうんですけど。
(ちょっと普通という言葉は定義がはっきりしないのであまり使いたく
ないんですが)
158 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 15:28
>>127 「明細欲しいなぁ・・・。」
「檀家役員飲食代・タクシー代・檀家総代への手みやげ代」こういう明細が立派に書いてあったらどうする?
>>146 「お金出してるから。正しく使って欲しいよぉ。」
ベンツ自動車購入費・檀家役員飲食代・タクシー代・檀家総代への手みやげ代・息子の大学入学工作金という形で正しく使っていますと言われたらどうするの?
「付き合いがあるから、そんなキレイゴトは通りません。」
貴方からの布施を受け取り、坊さんもこう言って笑っているかもしれません。
159 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 17:28
>>125 >今、お布施の請求(15万円以上)来てる
お寺はどういう神経なの?今この不況の時期に。
160 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 18:01
>>159 その言い方だと、好況期には相当なお布施をしたのかということになる。
大事なのは、何故その額が必要なのか、自分らに納得できる説明がないといけない
と思う。
161 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 18:08
浄土真宗本願寺派ってお布施とかあんまかからないんじゃないっけ?
ウチは浄土真宗本願寺派っすよ。
なまぁ〜んだぁ〜んぶぅ〜ってね。
>その言い方だと、好況期には相当なお布施をしたのかということになる。
檀家はお布施するのが当たり前。寺は布施を受けて当たり前。そういうこと?
お布施は檀家にとっての税金か?。お寺は宗教税の取り立て人?。
自分たちは布施を受けるに値するかどうかという、真摯な気持ちがなければ、お寺は社会から浮かび上がるよ。2CH的に言えば、「坊主は氏んでクレー」ということになるんじゃないの?
>浄土真宗本願寺派ってお布施とかあんまかからないんじゃないっけ?
どのくらいなら「あんまかからない」って言えるの?
檀家はお寺様にお布施するのは当たり前。お寺様にはお布施を受けとっていただいて当たり前。そういうことかな?
163 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 18:46
渡海よ,もう投票は行ったんだろうなあ
164 :
160:2001/07/29(日) 22:53
>>162 君の問いは君の主張として理解できるが、レスとは噛み合っていないように思う・・・
自分は寺の維持は好不況に関係なく基本的には必要だと思っている。ただ、檀家
のふところ事情も様々だから、好況であろうが不況であろうがいつも請求通り払
えるとは限らないし、もちろん何でも払うつもりもない。
言いたかった事は、何の説明もないまま請求だけが来たり、自分の思いからして
納得できないような話なら、好不況に関係なく自分は断る!という事だ。
浄土真宗系の学校通ってたなあ・・。
でも入ってから「浄土真宗」の学校だということを知ったぐらいだし(爆、
別に信者の人ばかりの学校じゃなかった。
というか、「仏教なんてダサい」て言ってる子ばっかりだったな。
お寺の子は何人かいたようだけど。
私の家は真宗じゃないけど、知識・教養として真宗について・仏教について
触れることが出来て良かった。
もちろん勧誘?とかもなかったし。
スレ違いだったらスマソ。
懐かしくなったもので・・・
166 :
腰痛:2001/07/30(月) 00:07
>>158 もし、いいかげんな明細くれたら、即「さようなら。」です。
ちゃんとした、やる気のある坊さんのところに帰依します。
でも、坊さんそのものよりも、古手の檀家役員の方がやっかいなんです。
坊さんはお客さん(しきり屋檀家)のいいなりみたいだし・・。
(他所の宗派も事情は同じでしょう。)
167 :
アビ:2001/07/30(月) 01:53
>165さん
大谷高校ですか?
>>166さん
内地の檀家の付き合いって大変らしいですね
168 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 03:17
将来的には(ジジィになったら)出家得度して
中国山地の無住寺院譲り受けてひっそり暮らすのが
夢なんですが。。。
169 :
アビ:2001/07/30(月) 03:38
>168
なんか尾崎放哉みたいっすね。
せきをしてもひとり
170 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 08:40
>168
私が住んでいるところも田舎なんだけど、
門徒の少ない小さなお寺からつぶれていきます。
跡を継ぐ人がいなくなっていきます。
当然、寺の収入では生活できないわけですが、
そんなお寺に住んでもらえるなら歓迎されるんじゃないかと思います。
171 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 11:24
172 :
アビ:2001/07/30(月) 20:31
>170
そういうお寺で浄土真宗の所ってありますかね、住んでみたいなぁ
173 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 20:59
>172
あります。
私の住む町の郊外にはつい最近東本願寺系が2ヶ寺無住になりました。
住職が90才で跡取りのいない寺も1ヶ寺あります。
全国の過疎地でそういう寺はどんどん出てくるのでしょう。
174 :
165:2001/07/30(月) 22:14
175 :
アビ:2001/07/31(火) 00:08
私の地元の大谷高校女子高でしたよ、今共学ですけど。
176 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 00:23
くさい
177 :
174:2001/07/31(火) 00:42
>>175 そうなんですか。
「大谷高校」は名前は聞いた事はあったのですが中身?については
全然知らなかったもので・・。
すいません。
学校名に「女」とかついてなかったので(例:〜女子学園、のように)
共学なのかと思いました、、、。
178 :
アビ:2001/07/31(火) 00:52
女子高時代の大谷高校は学校についても生徒についてもあまり良い噂は
きかなかったですねぇ。
179 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 01:25
大谷高校って京都にあるやつ?
180 :
アビ:2001/07/31(火) 01:59
いや、北海道。
ツーかあれ、日本全国にあるみたいですね。
181 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 02:33
学校ネットで検索したら大谷高校は全国にあるようです.
182 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 08:59
大谷高等学校(京都)
京都光華高等学校
大谷高等学校(大阪)
東大谷高等学校
同朋高等学校
名古屋大谷高等学校
豊田大谷高等学校
愛知啓成高等学校
大成高等学校
飯田女子高等学校
伊那西高等学校
北陸大谷高等学校
函館大谷高等学校
札幌大谷高等学校
帯広大谷高等学校
室蘭大谷高等学校
登別大谷高等学校
稚内大谷高等学校
昭和女子高等学校
183 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 09:01
伸助は京都・大谷高校やったね。
184 :
アビ:2001/07/31(火) 09:03
こんなにあるんですか。
ちなみに、帯広大谷は、「ジャン高」と呼ばれております。
室蘭大谷は、サッカーでは全国的に有名。登別大谷も強い。
185 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 13:57
北海道って大谷系が多いのかな。
高校、北海道に多いよね。
186 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 16:45
明治初期に国(政府)の北海道開拓に積極的に協力したのは真宗大谷派らしいです。
函館から札幌に至る道路に大谷道路という名称が付けられた道路があると聞いています。
また、当時の門主の銅像も建っているとか・・・。
187 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 17:05
ほう、そうなんですか。
何やら勉強になりました。
だから北海道に大谷派の学校が多いんですね。
188 :
アビ:2001/07/31(火) 17:18
中学の時、一人のキリスト教徒除いて、全員大谷派でしたよ。
あ、私北海道なんですけど。
189 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 17:25
>>188 中学生が自分の家の宗教を知っとったの?
社会の授業かなんかで調べたんかな?
190 :
アビ:2001/07/31(火) 17:30
何かの授業の時、先生が、手を上げさせたのです。
なかなか不気味でもあり、壮観でもありといった感じでした。
かといって、キリスト教の子が差別されていたとか、そういうことはあ
りませんで、彼はクラスの人気(特に女子)ナンバーワンの子でした。
191 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 17:50
192 :
アビ:2001/07/31(火) 17:58
西本願寺ですか。
見ると何かビミョ〜に間違ってる感があって良いですね。
ところで、松方弘樹ともめたのって、確か西じゃなかったっけ。
193 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 18:31
>松方弘樹ともめたの
それ東、蓮如物語って映画の収益で裁判してるはず。
194 :
アビ:2001/07/31(火) 18:38
それも東ですか(藁
揉めまくってますな。
195 :
アビ:2001/07/31(火) 20:04
ただ、建物としては東本願寺の方が開放的な感じがして西本願寺よりいいなぁ。
196 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 20:06
>195
それは門の中に衝立がないことを言ってるんですか?
どういうところが開放的ですか?
197 :
アビ:2001/07/31(火) 20:14
西本願寺って、入ってすぐ、車回しみたいに木を植えているじゃないですか、
あれがちょっと圧迫感を感じて。
198 :
名無しさん@1周年:2001/07/31(火) 20:46
門の中に、短い塀のような、衝立のようなものが立ってたのは
覚えがあったんだけど、車回しみたいな木までは覚えがなかったもので・・・。
そういえば、西本願寺へお参りに行ったのはかなり前の話だからねぇ。
199 :
アビ:2001/07/31(火) 20:56
西も東も鳩がたくさんいましたねえ、入り口の所で売っている豆をあげ
ようとしたら、東大寺の鹿よりも大変な目にあいましたよ。肩に乗るわ
手をついばむわ、頭の上に乗ってくるわ・・・
200 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 05:01
よっしゃ!200ゲット
201 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 08:07
age
202 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 20:17
nannkahigasinowagurutibakarikaitearuyounakigasurukedoomosiroikaraage
203 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 11:19
>202
読みにくい
204 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 12:29
>>203 Hen Na Hito Nan Darou
205 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 13:08
>204
読みやすい
206 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 13:51
★☆浄土真宗の人いる??☆★
`☆、 .。・:*:・`☆、
.。・:*:・〃。・:*:・`★、〃 、。・:*:・`★、〃
はーい!いまーす。
。・:*:・`★ .。・:*:・`☆、
.。・:*:・`☆、 .。・:*:・〃☆。・:*:・★
207 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 16:36
>206
まあ、ファンシー。
208 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 17:24
>206
だって極楽浄土はこの上なくファンシーな世界なんだよ〜!
209 :
アビ:2001/08/02(木) 18:49
みてみたーい!
210 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 18:50
>209
阿弥陀経でも読んで想像してみて!
211 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 18:52
夢の中で化仏が出てきて見せてくれるかもしれませんよ.
212 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 18:59
浄土真宗の教義本質は安楽死のそれに似ている
213 :
アビ:2001/08/02(木) 19:01
>211
うーむ、サイケデリック!
214 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 19:14
215 :
アビ:2001/08/02(木) 21:45
>214
?何ですか、これ。
216 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 22:15
>>215 まぁ,あまり気にされない方がよいかと.
たしか御伝鈔には夢告の話がいくつか出てきますね.
親鸞さんが19歳のときにあと十余年の命であると宣告されたとか,のちに親鸞さんの弟子の平太郎が熊野神社に参拝しなかったら夢の中に熊野権現と親鸞さんが出てきたとかいうのもあります.
217 :
アビ:2001/08/02(木) 22:32
浄土真宗においては、夢は重要なんですか?
218 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 22:46
夢が本物かどうかということよりも,それが何を教えているかということが大事だと思います.
それは聖道門の方便の仏教を捨てて浄土の仏教を信じなさいということであったり,女犯の夢告であれば煩悩は救いの妨げにならないということであったり,あるいは神祇不拝の教えであったりするわけです.
219 :
アビ:2001/08/02(木) 22:49
なるほど!
220 :
アビ:2001/08/03(金) 13:16
そういえば、浄土真宗って昔、楼蘭に調査隊送ったか、調査隊のパトロンになったか
しませんでした?
>>220 大谷探検隊、でしたっけ???>楼蘭の調査隊
222 :
にんまり:2001/08/03(金) 18:09
浄土信州てホントに仏教? 解脱とか 涅槃とかもうどうでもいいって感じ。
223 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 18:50
あのですね〜
仏教にいろいろな宗派があって,それぞれが何百年もかけて精緻な教学体系を作っているわけですから,今さらどの宗派がホントの仏教(釈迦の本意?)かを問うことにはほとんど意味がありません.
解脱や涅槃にしても,真宗と他の宗派とではそもそも意味が違うでしょうし.
真宗には真宗の立場があり,他の宗派にもそれぞれの立場がある.こういうことではないでしょうか.
>>218 聖道門の方便の仏教を捨てて浄土の仏教を信じなさいということ。煩悩は救いの妨げにならないということ。神祇不拝の教え。こうした教えが、なぜ、夢のお告で伝達されなければいけないんですか。夢告というと、神秘的で証明不能、問答無用な感じが僕はするんですが、こうした問題は、証明不能で問答無用な問題なんでしょうか?
225 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 20:23
>こうした問題は、証明不能で問答無用な問題なんでしょうか?
そうなんでしょう!!
>そうなんでしょう!!
見解が違いますね。こんな問題はいずれも問答無用じゃないと僕は思いますよ。きちんと説明していけば、決して難しい議論ではない。親鸞は、これらの問題に十二分に議論してるんじゃないですか。
問答無用という意思表示は別の方に向けられているんでしょう。無戒無名無冠の前科者である転落僧、愚禿親鸞が、輝ける親鸞聖人に神格化して中で、親鸞教団初期の人間臭いどろどろとした非常に興味深い議論が内在している。夢告は神格化の不可欠な役割を果たしたと僕は思っているんですよ。
227 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 20:56
渡海難なる人物は、色々なスレッドで、多くの人に難癖をつけるのを趣味、生きがい
としている人物です。決して相手にしないよう、お願い申し上げます。
==================================
228 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 20:57
detakoitu.ぷっ。
229 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 21:32
230 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 21:36
>218
ひょっとして218さんのレスが抹香臭いお坊さんの匂いがしたのかな?
231 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 21:46
218だけど,わたしは坊主なんかじゃないよ.
「通りすがりの元会員」なんだけど.
>>229 どうぞこちらにお構いなく。ご遠慮なく(笑)。
233 :
アビ:2001/08/03(金) 22:08
そういえば、築地本願寺の建物ってなんかすごいものありませんか、
何ツーか、サキケデリックというか、なんというか・・
言い表せないものがありませんか?
234 :
通りすがりの元会員:2001/08/03(金) 22:19
築地本願寺は何度か行ったことがありますが,インド風の建物ですね.
235 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 22:24
突然ですが、元会員さんの方は今はどうしているんでしょうか。
どこかのお寺の門徒さんになった人いますか。
もう二度と真宗には関わりたくないですか。
236 :
通りすがりの元会員:2001/08/03(金) 22:30
私は今は特にどこの教団とも関わっていません.
でもかつては親鸞聖人の教えを聞いていた身なので,懐かしくて書き込みしています.
237 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 23:18
>>234 古代インド様式らしいですが、
どちらかというとかたくなに伝統を守るイメージの伝統仏教が
どういういきさつであのような本堂を建てたんでしょうね。
238 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 23:31
>>236 私は一応伝統仏教教団と関りのある者なんだけど、
信頼できる坊さんに出会わなかったら、
別に教団に帰依・所属する必要はないと思う。
高史明さんのように特定の教団に関らなくとも
歎異抄によって救われた人もいます。
昔は経典も聖教も本山が独占していたんだろうけど、
今じゃ誰でも自由に教えに触れることができるんですから・・・。
239 :
通りすがりの元会員:2001/08/03(金) 23:49
私が元いた教団では組織に所属することでかえって救いから遠ざかっていた感じでした.
会をやめてから寺の説教に行ったりしましたが,あまり大した話はしていないようでした.
240 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 01:58
大無量寿経 真実之教浄土真宗
浄土真宗とは教団や組織の名前ではありません。
親鸞聖人は阿弥陀仏の本願を浄土真宗と言われました。
組織云々を議論するより、真実信心について沙汰すべきではないですか?
241 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 02:08
まさにそうなんだよね。
ところが親鸞会の場合、信心を問題にしないで勧誘した人数やアニメの売り上げや財施の額ばっかり問題にしているんだ。
そこが救いから遠ざかっていると感じるんですが。
242 :
240:2001/08/04(土) 07:40
>>241 確かに親鸞会は問題が多いです。
しかし親鸞会員だって宗祖や七祖の御聖教を読んでいるでしょう?
問題は会組織ではなく、御文章を何回拝読しても驚かない自己なのではないですか?
上記のようなことが「聞書」の中にあります。
もっともっと聖教に親しみましょう。
そしてたとえ自力の念仏といえども、念仏に親しみ近づき称えさせていただきましょう。
まず自己の信は如何に、と問うのが真宗です。
243 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 09:17
>>229 ここは無知蒙昧な哀れな者(坊主)共が、(寺の説教場の延長場として考えております。)あさはかで愚かな、戯れ言たわごとを(人々に向かって)述べあって(人々を愚弄し、将来のお布施拡大につなげようと期待しつつ、自己満足を坊主共がひたすら)楽しむ場(なの)です。
深い知識と高い教養を身につけられた渡海難さまがお出ましになられて、ご高説をお述べになられますと、愚か者(の坊主)共は誰もレスが付けることができなくなってしまいます。(これでは、お寺へのお布施の拡大すらおぼつかなくなります。)どちらか御指定のHP等で(勝手に)ご講義下されば、そちらへ(義理にかこつけてときおり)お伺いしてご高説を拝聴させていただき(、私どもが大衆を愚弄する際のヒントでも戴きたいと思っており)、愚かな私どもが勉強させていただきますので、(大衆を愚弄する私どものお布施拡大事業には)どうぞそのように御配慮下さいますようお願い申し上げます。
244 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 12:49
∧ ∧ ┌─────────
( ´ー`) <
>>243 渡海信者ウゼーヨ
\ < └───/|────
\.\______//
\ /
∪∪ ̄∪∪
245 :
:2001/08/04(土) 12:57
ここは渡海難スレじゃありません。
これより先、渡海難及び渡海難関係者、渡海難信者の書きこみはご遠慮ください。
そして、渡海難への誹謗中傷を含む渡海難関連の話題を書きこむこともおやめください。
(「渡海難&渡海信者」VS「アンチ渡海」で荒れるので)
245さんは、いつからこのスレの管理人になりましたか?
どこの方ですか? お名前は?
書きこみはご遠慮くださいなどと、こんな自由な掲示板で一方的に言っても意味がないでしょう。
自由と言っても自ずからルールはできてくるもんですよ。アンチ渡海難が非常識な感情的なカキコを自制すれば荒れないんじゃないですか?
夢告について話題提供した人は、済んだんでしょうか?
247 :
通りすがりの元会員:2001/08/04(土) 15:08
親鸞会員はほとんど聖教を読みません.会長の著書は読んでいますが.
聖教を自分で読むと誤解するとかいってます.とくに七祖聖教は所持すらしていません.
彼らはせいぜい会長さんらの作成した一問一答形式のテキストを暗記するくらいです.
専任講師でも教行信証を通読したことはないんじゃないですか?
248 :
通りすがりの元会員:2001/08/04(土) 15:11
彼らは法蔵館などの一般の仏教や真宗の本も読みません.
読んではいけないとされているからです.
例外的に『教行信証講義』は勧められたことがありますが,これも読みたければどうぞという程度です.
249 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 17:15
>>247-248
そうですか、そういう体質なんですか。
いきなり難しい「教行信証」を読まなくとも、
やさしいものからでいいから本は読むべきですよね。
お寺へお説教を聞きに行くようなおばあちゃんたちなら別だけど、
親鸞会に入会するするような青年なら特にね。
250 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 17:50
>彼らは法蔵館などの一般の仏教や真宗の本も読みません.
親鸞会員が使ってる「真宗聖典」って法蔵館発行のやつじゃなかったっけ?
俺(元会員)が大学のとき、サークルで強制的に買わされたが。
251 :
通りすがりの元会員:2001/08/04(土) 18:01
真宗聖典だけは法蔵館のものですね.
新勧合宿に行ったら有無を言わさず買わされて閉口しました.
252 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 18:04
真宗聖典は特別な解釈が書いてないから、
親鸞会側にとって害がない、影響のない本だからでしょうね。
253 :
通りすがりの元会員:2001/08/04(土) 18:51
話題が親鸞会の方に脱線してしまい,すみません.
まぁいろいろと問題はあるにせよ,あれだけ大勢の若者が熱心に親鸞聖人の教えを聞いているところは他にないですよ.
そこは評価しています.
254 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 19:11
>>253 いやいや、脱線でもないでしょう。
親鸞会の教義は何も知りませんが、
伝統教団だけが浄土真宗ではありません。
団体にしろ個人にしろ、
親鸞聖人の教えを正しく受け継ぐものはみな浄土真宗です。
いずれが正しくて、いずれが誤りであるかは問題ですが・・・。
255 :
名無しさん@一周年:2001/08/04(土) 19:34
親鸞会の話なんてのは、親鸞聖人の話なんてものではない。TAKAMORIの私欲のために親鸞の名を利用しているだけだ。おぼこい若者が、なんぼ集まった
ところで評価すべきものはない。強いて云えば、TAKAMORIとその周辺の事業力(営業!)くらいか。
256 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 19:52
アンチ親鸞会の人の発想も会と同じくカルト的なところがあるようですな。
ひょっとして中根教信者かい?
257 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 20:01
中根先生は、信心決定された善知識です。
釈尊、七高僧、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人へと継がれた真実の法は、今中根先生によって、花開こうとしています。
まさに中根先生は平成の善知識であり、親鸞聖人の生まれ変わりです。
258 :
通りすがりの元会員:2001/08/04(土) 20:06
どうも,せっかくマターリしていたのに親鸞会のことを話題にすると荒れるようなので,
ここでは話さないようにしましょう.
259 :
アビ:2001/08/04(土) 20:40
できればそうしてください。話に入れないので。(藁
親鸞会のスレッドあるので、そちらの方へ。
260 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 23:12
中根って誰だ?
昔、プロ野球選手にそんな奴がいたけど・・・親鸞聖人の生まれ変わりって
親鸞の思想には生まれ変わりなんて発想はないと思うぞ。
自分で「親鸞聖人の生まれ変わり」なんて言っているんなら、
それだけでそいつはいかさま師だと思う。
261 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 23:14
>233
東本願寺の近くにもそんなような建物あったな。
元坊さんの保険組合の建物だったか?
262 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 23:23
ええ〜っ!「東本願寺の近くにもそんなような」って、そんなんあったっけ?
263 :
アビ:2001/08/04(土) 23:26
あ、私、それかどうかわかりませんが、「何かを間違えたモスク」といった
様な建物見たことあります。あまり大きくはないですけど。
そのでたらめさにビビりました。
264 :
通りすがりの元会員:2001/08/04(土) 23:27
本師源空のおはりには 光明紫雲のごとくなり
音楽哀婉雅亮にて 異香みぎりに暎芳す
命終その期ちかづきて 本師源空のたまはく
往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし (源空和讃)
とありまして,報土往生を遂げた人は娑婆に戻ってきて衆生済度をしているといわれます.
もっとも生まれ変わりを自称しているようでは実にぁゃιぃですね.
>報土往生を遂げた人は娑婆に戻ってきて衆生済度をしているといわれます.もっとも生まれ変わりを自称しているようでは実にぁゃιぃですね.
通りすがりの元会員さんの理解ではどうなっているんでしょうね?「本師源空のたまはく」というのは、生まれ変わりを自称しているということなんでしょうか?生まれ変わりを自称していないということなんでしょうか。源空は、あやしいんですか?。源空はあやしくないということでしょうか?
266 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 09:23
渡海難なる人物は、色々なスレッドで、多くの人に難癖をつけるのを趣味、生きがい
としている人物です。決して相手にしないよう、お願い申し上げます。
==================================
267 :
名無しさん@一周年:2001/08/05(日) 09:51
255だが、257とも中根とも関係ない。震乱会が、金儲けカルトだというのは、一般常識だと思う。それを若者が、集まっているから
どうのというのは、若者を買いかぶり過ぎ。社会常識のない偏差値秀才を騙すのは、一般論として詐欺師にとっては造作もないことだろう。
268 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 10:07
>>267 >社会常識のない偏差値秀才
学校と塾だけ通ってて、受験に必要な知識だけで頭が一杯で、
一般社会の知識が欠如しているって。
司法試験制度がかわるそうだけど、
やっぱり現行制度では、一般的な社会生活を理解していない
六法全書しか知らない裁判官や検事、弁護士ばかりができてしまって、
そんなエリートが自分たちで想像もできないような事件を裁くことに
無理が出てきたからだそうです。
まぁ、難しいこと言わなくっても、オームで立証済みですね。
269 :
名無しさん@1周年 :2001/08/05(日) 10:08
266は、色々なスレッドで渡海難なる人物にたびたび天狗の鼻をへし折られ、悔し涙を飲だけで結局返す言葉もなく、その後は渡海難に難癖をつけ回るのを唯一の慰みとしている人物です。ネクラ人間ですから相手にしないよう、お願い申し上げます。
270 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 10:10
271 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 10:17
>>269-270
☆ 煽り・荒らしは、2ちゃんねるの神様・仏様にお任せして、放置しましょう。
272 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 10:21
>>266 ☆ 煽り・荒らしは、2ちゃんねるの神様・仏様にお任せして、放置しましょう。
このスレも荒れ気味だな。
274 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 10:45
浄土真宗本願寺派(お西)
真宗大谷派(お東)
この2つって、教義的に同じなの?それとも全然違うの?
アンチ渡海難の方々に申し上げます。馬鹿な書き込みをしないでください。
あなた方が馬鹿な書き込みをするとスレが荒れます。
どうも失礼しました。
このスレも荒れ気味だな。
276 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 12:14
>>274 両者とも親鸞を宗祖(教祖)としているので、根本的な教えに違いはありません。
ただ、やり方(お勤めの方法や仏壇の造りなど)に違いがあります。
>>274 両者とも親鸞を宗祖(教祖??)としているので、根本的な教えに違いはありません。<教祖じゃないよね。教祖は釈尊だよね(笑)>
親鸞は生前こう言いました。
「今日より法に依りて人に依らざるべし、義に依りて語に依らざるべし<教行信証 化身土 巻>」
「某(それがし<親鸞>)閉眼せば、賀茂河に入れて魚にあたうべし<改邪抄>」と。
巨大な本堂(御影堂という)中央に巨大な親鸞像を祀る仏壇の造り方、坊さん達が親鸞像に向かって礼拝するお勤めの方法などは、東西で共通してますね。中央大広間に祀られて礼拝される愚禿親鸞さんは、何百年間もの間、さぞお尻の穴がむずかゆいことであらせられるとお察ししてるんですよ。
<Kon na huu ni Sinran-san o sinpai suru boku wa atama ga okasii no ka. Sinran-san o reihai suru bosama no atama ga okasii no ka.>
渡海難に天狗の鼻を折られたアンチ渡海難の方々に申し上げます。このレスに馬鹿な書き込みをしないでください。
あなた方が馬鹿な書き込みをするとスレが荒れます。 どうも失礼しました。
親渡海の方に申し上げます
☆ 煽り・荒らしは、2ちゃんねるの神様・仏様にお任せして、放置しましょう。
<このスレも荒れ気味だな(苦笑)。>
278 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 17:46
西本願寺と東本願寺は仲が悪いと聞きますが、そうなのですか?
279 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 18:00
―――――――――――――――――
このスレも程度が落ちたぞ。大丈夫かゴルァ
__ __┌―――――――――――――――
∨ |
>>266,
>>269-273,
>>275,
>>277渡海難に渡海信者、アンチ渡海が大量に釣れたか・・・
日 凸 U | ______
≡≡≡≡≡| /≡∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
U ∩ [] ∨ (´∀` )< みんな似たようなもんだね。
__ ∧∧__ .∧_∧∞__)_ \____________
( ,,)日( .)□
― / | ― ( )―――
\(__.ノ ━┳━)
━┳━ └ ┃―・゛
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄ ┻ ̄ ̄
281 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 18:13
>>278 別に仲が悪いということはないはずです。
282 :
通りすがりの元会員:2001/08/05(日) 18:52
分裂して何百年も経っているのに,今さら東西本願寺で対立するということもないんじゃないでしょうか.
ところで西と東は教義はほとんど同じなのでしょうか?
>西本願寺と東本願寺は仲が悪いと聞きますが、そうなのですか?
東本願寺が、大谷派を指すのか、最近出来た新興の東本願寺派をさすか知らないが、仲が悪いと言うことはないだろう。それよりも、大谷派と東本願寺派とは骨肉の争いをしているようだ。
西本願寺(本願寺派)と大谷派とは、特に仲が悪いことはないでしょう。むしろいい関係で互いにライバルとして競い合ってきたようだ。両派分裂の時以来の歴史的因縁がある。
徳川幕府は、浄土宗を菩提寺にしてきた。そのため徳川時代、浄土真宗は冷や飯を食ってきた。一向宗は事実上、日本最大の宗派だったが、本願寺の公式の立場は、天台宗寺院である青蓮院の末寺ということになっていた。昔は政治的な力はゼロに近く、法主が現代でも青蓮院で得度するのはそういう因縁がある。
倒幕の機運が出てくると、西本願寺は反徳川で勤王(長州)に味方したらしい。これが成功して、西本願寺は明治政府の中枢にブレインを送り込んだ。明治憲法の起草には、本願寺が一枚噛んでいると聞いたことがある。親鸞が顕真大師の称号を受けたのも、倒幕クーデターに味方した西本願寺の勲功による。一向宗が、浄土真宗という名を使えているのも、西本願寺の働きによる。浄土真宗という名乗りは、昔から浄土宗が反対してきた。浄土宗が折れたのは、浄土宗が幕末には佐幕派に回り、勢力を失ったことによる。
大谷派は本願寺派に一歩遅れた。大谷派は徳川時代初期の分派独立で、歴史的に徳川家には義理があった。明治なって、大谷派は本願寺派に対して競争心を燃やす。そこで、政府の国策遂行に努力し、北海道開拓、満州開拓という国家プロジェクトに宗派を挙げて協力した。北海道には大谷派のお寺が多いのもその為だ。
大谷派は、貧しい門徒の中から秀才を捜し出し、西洋に留学させた。その中から清沢満之などの逸材が出てくる。これが後に浩々洞を作り、近代真宗教学を作る。ただ、一方で大谷派は、満州開拓で痛手を負う。多くの門徒を大陸で殺した。
大谷派が中国に向かうと、本願寺派はアメリカに渡った。第二次世界大戦で一時苦しいときもあったが、ハワイ開教は、宗派として一応成功だろう。
本願寺派は教学的には大谷派に一歩遅れているという意識があるようだ(今は違うのかな)。清沢満之の存在が大きい。清沢満之は若死にしたが、その間に曽我量深さんなどの多くの逸材を育てた。僕も、曽我さんの本は昔よく読んだもんだ。内容はほとんど覚えてないけど、偶に本をめくると自分の言っていることの原点に出会ってビックリする。
<伝聞のところが多いので、間違っているところもあるかも知れません。素人の独断的な解釈もありますが、多分、だいたい合ってるでしょう。違ってれば勘弁してください。責任は取りません>
285 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 19:17
>>282 最近では岩波仏教辞典の「往生」、「成仏」の説明をめぐって議論になったそうです。
本願寺派では、「死んでからしか往生・成仏できない」と主張しているのに対し、
大谷派では、「生きている間にも往生・成仏は可能」と主張しているそうです。
どうも、親鸞聖人の著述には、両方の記述があるそうです。
新しい版では、本願寺派では・・・という注釈が付けられているそうです。
残念ながら私のものは初版本で確認できません。
ついでに、大谷派では10人の学者がいれば、10人10色の説があり、それぞれの主張
が認められるらしいのですが、
本願寺派はトップの見解が統一見解として出されていて、個々人の主張は認められないと
いう体質があるそうです。
286 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 21:42
元々1つの宗であったのですよね。なんで分かれちゃったのですか。
けんかしたから?歴史の勉強不足していますが。
287 :
通りすがりの元会員:2001/08/05(日) 21:47
>>285 ありがとうございます.そういえば大谷派では死後の往生を認めないのでしたっけ.
東西分裂の原因は,江戸時代のはじめに幕府が本願寺の跡目争いを利用して分裂させたそうです.
288 :
名無しさん@一周年:2001/08/05(日) 22:48
東西両派と三門徒派、高田派は昔は仲が悪かった。三門徒派、高田派などは、石山合戦では、信長方についていた
くらいだから。昭和30年代くらいまでは、何とかいう三門徒派の本山などは、蓮如の籠がとおるとき、山門を閉め
ていたという。まあ、本願寺派は(分裂前の)朝倉氏滅亡後柴田氏入植前の無政府状態の越前をのっとり、他宗に改
宗を強制し拒めば殺戮していた(永平寺も危うく滅ぼされるところだった)というから創価の伸張期と似ているという
指摘ももっともか。親鸞会あたりはそれをイメージしているのだろう。元祖巨大極悪カルトというところか。
289 :
通りすがりの元会員:2001/08/05(日) 23:13
290 :
名無しさん@一周年:2001/08/05(日) 23:25
今は、全日本仏教会傘下の伝統教団は、表向き仲がよい。というか世俗化して宗教対立の理由
もない(信者は間に合っている)。本願寺や創価の発展期は、そうしたラディカル路線もありだったが
(日蓮宗もあったか)いまそんなことを戦略としてやっているのは親鸞会と顕正会くらい。これも高森
○春、浅井克○の代になれば徐々に世俗化路線にシフトしていくでしょう。
291 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 23:26
浄土真宗の歴史論、蓮如論になっちゃいましたか。
蓮如に対する評価は色々あるし、難しいですね。
292 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 05:15
嵐が去ってage
293 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 05:50
ジョーと心中
294 :
通りすがりの元会員:2001/08/07(火) 06:07
ところで真宗十派のなかでHPを作っているところはまだ
比較的大手のところだけみたいですね.
295 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 07:17
>>294 そうですね。大手のHPの内容もちょっと寒いですね。
296 :
名無しさん@一周年:2001/08/08(水) 00:08
浄土真宗は、元々、賎民の宗教
天台天子、真言公卿、浄土公方、臨済大名、曹洞土民、日蓮乞食、門徒それ以下。
うちは、代々浄土真宗ですとか本願寺の門徒です、なんて誇らしげにいうキティーもいる。
297 :
ボノ:2001/08/08(水) 00:35
>>296 浄土教はもともと社会的下層の救いを説いた教え
それ以下が仏道を歩めるとこに意味があるのです
うひょ
298 :
通りすがりの元会員:2001/08/08(水) 00:42
浄土真宗はわれわれのような賤民にも成仏の道を説いてくださるありがたい教えです.
299 :
アビ:2001/08/08(水) 00:47
考えてみたら、通っていた幼稚園、大谷派でした。
300 :
ボノ:2001/08/08(水) 00:49
>>298 そう言うほど「ありがたい教え」じゃないだろ
なんだかんだいってかなり厳しいぞ…
301 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 08:08
>>300 「ありがたい教え」なんだけど、
普通の人にはなかなか理解しづらいし、
信じることが難しい教えだと言われています。
だから、他力本願という言葉はよく誤解されて使われますよね。
自分ではちっとも努力しないで、ものごとをほかの人にまかせてしまう、
いささか虫のいい「なまけもので無責任」ってね。
「かなり厳しいぞ」
自己を厳しく見つめよ、これが仏教の基本だと思います。
302 :
名無し@1周年:2001/08/08(水) 08:23
日○○○より邪宗だよ。ここは。
邪法だから御注意。
間違った方便は使い放題。
解脱できないので霊的には物凄いタンハーが溜まる。
いつかの坊さんが言っていたが、まさに無限地獄だ。
他力なので業力は動かせない。だから魔とは戦えない。
やられっ放しだ。
それにここの坊さんは霊魂を否定する。
肯定、肯定も否定もしない、じゃなくて否定だ。
ひどい所は公務員やる片手間、坊主をしている寺すらある。
あきれ返るよ。
303 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 09:18
むう,その芸風から察するに阿含宗さんですか?
いきなりやってきて宗派そのものを全面否定するやり方はおさとが知れますよ。
304 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 09:31
>>302 それ親鸞会などのカルトが言っている「無間地獄」だろ?
「無限地獄」じゃなくって。
>だから魔とは戦えない。
「南無阿弥陀仏をとなふれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ
よろづの悪鬼をちかづけず」
「願力不思議の信心は
大菩提心なりければ
天地にみてる悪鬼神
みなことごとくおそるなり」
305 :
セクシー:2001/08/08(水) 16:38
>1
御意
霊魂否定するのなら阿弥陀如来さんも否定するんだろうね。
306 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 17:19
307 :
ボノ:2001/08/08(水) 23:03
>305
いつから阿弥陀如来は霊になったんだ??
308 :
名無しのヒッキー:2001/08/08(水) 23:04
リーマン辞めて、鬱で無職でヒッキーだが、たった1つの望みがあります。
ホームページ製作です。HP宣伝スレでないのにカキコしてすいません。
漏れのHP観てやってください。お役に立てるかと思います。御加護を
http://www.doteiban.com/
309 :
☆外道☆:2001/08/09(木) 05:35
>>302 霊魂の否定は真宗に限らず仏教の基本の基本。αにしてΩだ。
それを無視して、よくもまあ偉そうに言えたもんだ。
方便、解脱、タンハー、無限地獄(爆、他力、業力
とまあ知る限りの仏教用語を並べ立てているが、
心は一文不知の尼女房にも劣る。
310 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 16:45
たとい諸門こぞりて、念仏はかいなきひとのためなり、その宗、あさし
いやしというとも、さらにあらそわずして、われらがごとく下根の凡夫、
一文不通のものの、信ずればたすかるよし、うけたまわりて信じそうらえば、
さらに上根のひとのためにはいやしくとも、われらがためには、最上の法
にてまします。たとい自余の教法はすぐれたりとも、みずからがためには器量
およばざれば、つとめがたし。われもひとも、生死をはなれんことこそ、
諸仏の御本意にておわしませば、御さまたげあるべからずとて、にくい気せずは、
たれのひとかありて、あたをなすべきや。かつは、「諍論のところにはもろもろの
煩悩おこる、智者遠離すべき」よしの証文そうろうにこそ。
311 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 17:29
312 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 17:44
仏教はインドで興ったから、当然「輪廻」を基本にしてると思います。
「輪廻」とは「六道」を彷徨うことと聞いたことがあります。
霊魂を否定するのなら、何が彷徨うのでしょうか?
313 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 17:47
314 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 17:59
あら屋敷! とは何ですか
315 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 18:09
313じゃないけど、深層心理。
316 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 18:17
314ですが、質問した後にネットで調べてみました。
『広辞苑』によれば阿頼耶識とは「人間存在の根底をなす
意識の流れ。経験を蓄積して個性を形成し、またすべての
心的活動のよりどころとなる。唯識派で説く。八識の一。」
なら質問するな!って言わないでね。
317 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 18:25
アラヤ識=霊魂ではないのですか?
318 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 18:48
>>317 「霊魂」をどう定義するかによるけど
誤解されるといけないので
阿頼耶識≠霊魂
としておいた方が良いと思う
319 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 19:11
じょう_けん【常見】世界を常住不変であるとし、肉体は滅びても人間の自我は消滅しないとする考え方。断見とともに誤った考え方として否定される。
だん_けん【断見】邪見の一。因果の道理を否定し、この世に存在する者はその死後はまったく無になってしまうのだとする考え。
「霊魂」というと「常見」に陥りやすい。
320 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 19:21
321 :
↑:2001/08/09(木) 19:42
うむ。深いな‥。
322 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 20:04
昨日は宜保愛子が出て心霊占いみたいなのをやっていたし、
今日はタケシの番組で心霊写真をやってる。
日本人ってどうしてこういうの好きで、信じるんやろうねぇ。
323 :
アビ:2001/08/09(木) 20:32
信じる云々というよりは、楽しいから見てるだけという気がするっす。
女の子なんかも、きゃあきゃあ言うのが楽しいだけで、
何できゃあきゃあ言うかは問題ではないような感じじゃない?
324 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 22:04
>323
楽しむんだったら別に問題視するつもりはないんだけど、
カルトっぽい番組が目につくってことは、
カルトを信じているのかなぁ?って思ってしまって・・・。
325 :
名無しさん@10周年 :2001/08/10(金) 00:12
簡易方便宗教じゃないの?
言っちゃわるいけど。
そりゃ方便にだって真理と言えば真理はあるわな。
角度を変えて見ればな。
不動や神道には近寄るな、と言うね、ここの坊さんは、
あれって何故なの?
326 :
ボノ:2001/08/10(金) 00:25
>>325 そりゃ不動や神道が真宗とは違う方向性をもつ宗教だからでしょ
それと真実の宗教って具体的にどこのなの??
327 :
名無しさん@10周年:2001/08/10(金) 00:52
真実、と言う言葉ではなくて、全体システム中の一つのみで良し、
とするところに問題があるのでは?
真理・真実という話しと、ファンクションの優劣とは次元が異なり
ますね。ファンクションを無視すれば何だって真理になりますね。
然らば〃霊の供養〃が目的の大乗仏教本来の姿から、単なる人間社会
に政治的影響を及ぼす目的の頭数だけの論理の政治組織と化すだけ
ですね。確かに捉えている方向性は違うでしょうね。
真実の宗教など無いでありましょう。恐らく。
しかしシステム中の一つのみでよし、では、システム全体としては
機能しないのでは? それなら逆にシステム全体を体得している人
には、システムの一部のみでよし、とする教えは必要無いのでは?
論理からしてそういうことになります。
328 :
ボノ:2001/08/10(金) 00:58
>>327 何がいいたいのかよくわかんないけど
いつから大乗仏教本来の目的が霊の供養になったの?
出拠は??
329 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 01:09
大乗仏教である天台宗、真言宗の流れは密教ですね。
密教は善無為、金剛智、不空、等の古代インドの信頼性の高い
霊能者の教えですね。〃霊〃の存在が前提で説かれている教え
ですね。顕教は異なるでしょうが。
しかし基本は霊の救済ですよ。
330 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 11:49
いつから真宗は密教になったんだ??
331 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 11:51
真宗と真言の区別もつかない人が書きこしているの?
そんな感じのスレッドだね。
332 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 12:03
>>329 密教を意識した新興宗教のように感じるな。
333 :
ボノ:2001/08/10(金) 12:07
>>古代インドの信頼性の高い霊能者
って仏教は釈尊の教えじゃないの?
334 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 12:47
なもふかしぎこー
335 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:38
ごぶつほんがんりき〜
336 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 15:17
一向専念無量寿佛
337 :
名無しさん@一周年:2001/08/10(金) 22:37
まあ、仏教は歴史的な意味でのお釈迦さんの教えではないのは、否定できないでしょう。真宗では、七祖の一人に慧心僧都源信をあげているが、彼は、天台の学僧
であるとともに倶舎、因明の専門家であり、密教も修めていて決して専修念仏ではなかった。善導流の口称念仏を天台浄土教にとりいれただけである。彼は、晩年、伝教
大師最澄が、徳一との間で、決着のつけられなかった権実論争に「一乗要決」で法華一乗を有利に導いた。また、密教の極楽往生の秘法である光明真言も弘めた(これは、奇しくも
法然、親鸞のライバルの明恵や、日蓮のライバルの叡尊、忍性らにより弘められた。)。彼を祖師としながら自習に都合の悪いことは教えない今の真宗教団は、やはり、おかしい。
なにしろ源信は、今で言う霊界通信の会も主催していたんですから。
338 :
名無しさん@一周年:2001/08/10(金) 22:39
訂正 自習→自宗
339 :
ボノ:2001/08/10(金) 23:42
>>337 真宗教学において源信が専修念仏だとどこで主張しているの?
源信教学と親鸞教学がまったく一緒だとどこで主張してる??
真宗における七祖の位置付けをもう一回確認してくださーーい
>>339 >真宗教学において源信が専修念仏だとどこで主張しているの?
真宗教学上で言えば、源信は専修念仏を教えている方という理解でいいんじゃないですか?
専修念仏以外に、どのような主張をしていると思いますか。
>>337 真宗学では、親鸞というフィルターをつけてものごとを見ることも大事なんですよ。親鸞というフィルターを外して生で見ることも大事。これは僕も繰り返し主張している。だけど、親鸞というフィルターを付けることも忘れてはいけない。親鸞というフィルターをつけて源信を見たとき、その時は源信でなく、親鸞を見ているんです。
親鸞というフィルターをつけて源信を見たときは、親鸞というフィルターをつけて源信を見ているんだという自覚が必要でしょうね。この自覚を忘れると、実は親鸞も源信も見えなくなると僕は思います。
親鸞というフィルターは、付けたり外したりしないといけない。僕はそう思うんですよ。付けたり外したりすると、そのときの見え方から、親鸞というフィルターの本質が分かってくる。親鸞というフィルターの本質から仏教の本質を学ぼうというのが、僕は親鸞学だと思っています。
341 :
名無しさん@一周年:2001/08/11(土) 09:45
ボノさんに質問
七祖の師資相承は、専修念仏と限ってないのであるならば、専修念仏の宗旨は、対告衆を凡夫に
限定しているのでしょうか?それでは、鎮西義とかわりないと思いますが。真宗の宗旨は、凡聖
を問わずということではなかったでしょうか?
342 :
名無しさん@一周年:2001/08/11(土) 09:58
私の個人的な味わいですが(この言葉嫌われるかな)、源信僧都の極重悪人、専称念佛、
無他方便(引用が正確でないかもしれません)の言葉を、極重悪人唯称佛、我亦在被摂取中
と一般論としてではなくわがこと、自分一人のこととして味あわれた親鸞聖人の自己内省の
深さにひかれます。
343 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 12:06
>>340 この議論に関しては、>340が正しいのではないかと思う。
344 :
ボノ:2001/08/11(土) 13:51
>>340 源信なんて天台の法主なんだからいろんなこと主張しているなじゃないの
渡海さんならそれくらいわかってるでしょうに…
まだ完全に確立されてはいないのですが、真宗における七祖教学は真宗教義学と真宗教理史という二分野から考察されるべきでしょうね。今までは思いっきり親鸞フィルターを通してでしか(真宗教学的にしか)理解されてない感じですから
345 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 13:56
>>341 ちょっとよくわからないのですが…
専修念仏に限ってなければ、「凡聖を問わず」
専修念仏に限れば、「凡夫のみ」
ということなら理解できるのですが
もうちょっと詳しく話を聞かせてください
質問からずれるかもしれませんが、僕は真宗の教えは「悪人正機」ではなくて、「悪人正因」の教えだと思っています。
346 :
ボノ:2001/08/11(土) 14:02
>>344 今の真宗における課題は その「深さにひかれた」からどうなんだということなんだと思います。
あんまり註釈学ばっかりやっててもいかがなもんかと思うのですよねぇ
ハーバードでキリスト教神学と真宗学の対話の学会があったときに、神学者の人が「学問的な対話がこんな短時間でできるわけがない。我々が知りたかったのは真宗者とはいかなる存在なのか?ということだ」と言ったらしいですから。
そういうことが課題になってくるんでしょうね
>>344 名前:ボノ
>源信なんて天台の法主なんだからいろんなこと主張しているなじゃないの
面白い気付きを貰ったのかも知れません。
真宗学の広さ概念に違いがあるのかも知れません。言っていることは正反対みたいだけど、言いたいところはそんなに違ってないのかも知れない。
親鸞フィルターを通してみた概要を真宗学というか、親鸞フィルターを外して生の七祖に触れていくことまでを真宗学というかの、学問観の表面的な違いがあるのかも知れない。
「今までは思いっきり親鸞フィルターを通してでしか(真宗教学的にしか)理解されてない感じ」というのは、僕は部外者だけどそうだと思う。親鸞フィルターを通して生の姿を見ようという姿勢、これも真宗学だと言うなら、それはそれで当然だと思う。これも真宗学だというなら、ボノさんの意見に僕も賛成する。僕は部外者だから、真宗学というと親鸞フィルターを外しては考えられない。大学などで実際に研究している人であればそこは自由に研究すべきだ。七高僧あるいは、それ以外の例えば慧遠とか、吉蔵とか僕は余り知らないけどそういう高僧達の主張も生で見て、そこに親鸞フィルターをかけるとどう見えてくるか、そういう思索検討がなされないといけないと僕も思う。
348 :
ボノ:2001/08/11(土) 14:29
>>347 別に正反対のことを言ってるわけではありません
真宗教義学やら真宗教理史やら真宗伝道学やらほかにもいっぱいあるでしょうが、そういう方法論をもって研究していくのが真宗学だということです
そしてこういう営みはすでに大学で実践されつつあるということです
>正反対のことを言ってるわけではありません
なるほど。
こうなると、一般の人が考えている真宗学と、大学で研究されている真宗学との間で温度差ができそうですね。
その辺のずれはどう埋めますか?
350 :
ボノ:2001/08/11(土) 14:39
>>350 そんなんそういう方法論で真宗を学んだ人が努力というか、まぁ真宗学とはそういうもんだと広めていくしかないじゃないでしょうか…
というか一般の人なんか大学じゃ難行・苦行をしてると思ってる人が多いと思いますが…
351 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 14:41
>>350 番号間違えた…、さっきの
>>349ね、ついでに
ところで靖国の公式参拝どう思います??
352 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 14:48
>>350 真宗学って、聖典の何ページに親鸞さんのこういう言葉が載っていてと場所をチェックして、
やたら親鸞さんの言葉をありがたがるお説教のような講義を聴くのかと思っていた。
失礼しました。
353 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 14:59
渡海はここでも荒らしてたのか〜。
どうしようもない人だな。
みなさん、放置しましょう!
354 :
ボノ:2001/08/11(土) 14:59
>>352 で、最終的には親鸞の思想が現代の諸問題(個人的な悩みや社会的な問題などなど)にどのように答えていくのか、ということまで視野にいれることがこれからの真宗学には必須だと思います
355 :
名無しさん@一周年:2001/08/11(土) 15:36
源信さんって天台の法主ではなかったと思いますが。僧位争いを嫌い生涯横川の僧都だったのでは?
356 :
名無しさん@一周年:2001/08/11(土) 15:47
松本史郎先生の「法然親鸞思想論」を真宗系の人は、どう評価していますか?
357 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 16:02
>>354 そうですね。
偉そうなことの言える私ではありませんが、
浄土真宗も時代と社会の移り変わりの中で、形骸化しつつありますからね。
宗教団体や寺が栄えるという意味ではなくて、
正に末代悪世と思われる現代で、親鸞の教えが救いになればいいですね。
浄土真宗の寺院が、信仰・念仏・聞法の場としての機能を回復するためには、
自民党じゃありませんが、各寺院・僧侶が自分たちの存在そのものを賭けた
思い切った一大改革が必要かもしれませんね。
これからは片手間で住職・僧侶が勤まるような甘い時代ではないかもしれません。
勉強されて、よろしくご指導下さい。
>>354 名前:ボノ
現代の諸問題に答えていく主体は、親鸞の思想なんですか。僕はそうじゃないと思う。親鸞思想のテーマは、諸問題に立ち向かっていける人間を育てていくことだと僕は思う。
例えば、首相の靖国参拝はいいか悪いか。脳死を認めるか認めないか。例を挙げればこういう問題に対して、親鸞の思想は直接には何も応えない。いいとも悪いとも言わない。善悪の二つ総じてもて存知せずというのが、基本的なスタンスだ。極端な言い方をすれば、そんなことどっちだっていいじゃないかというだろう。
どっちだっていいじゃないかということじゃ、社会は困る。こういう問題に社会は答えを出さないといけない。人間は答えを出さないといけない。様々な倫理観・政治観をぶつけ、倫理論争・政治論争を行って行く中で見つけていく。親鸞の思想は、こうした倫理論争・政治論争に直接関与することはない。
親鸞の思想は人間に関与する。社会には立場立場でさまざまな人がいる。答えを出さなければならない立場の人が、仮に、苦悩しあるいは疲弊したとき、挫折しあるいは再起を誓うとき、そこに複眼的な視点を提示する。複眼的な視点を提示するという形で、苦悩し疲弊している人間に関与していく。答えを出さなけばいけないということで苦悩している人に、例えば「善悪の二つ総じてもって存知せず」いう正反対の視点も提示し、押してダメなら引いてみろ、回り道もあるだろうと、新たな視点を提示する。ぼくなどはこういうところに深い智慧を感じている。
>>355 >源信さんって天台の法主ではなかったと思いますが。僧位争いを嫌い生涯横川の僧都だったのでは?
ぼくもそんな話を聞いたことがある。僧都というのは僧正より下だから、法主ではなかったはずだ。
僧位争いを嫌い生涯横川に入ったという話は聞いたことがある。ただこれも推測だろう。僧位争いに破れて生涯横川に籠もる外に居所がなかった可能性もある。後世の人は、先人を美化しがちだ。修飾語は注意した方がいいかも知れない。
>勉強されて、よろしくご指導下さい。
依然、他人の後に付いていきますか? 「旧態依然・金魚のウンコ」というと、また怒られるかな? 荒らしと言われるかな?
思い切った一大改革が必要なんですよ。これからは片手間で住職・僧侶が勤まるような甘い時代ではありませんからね。しっかりしてくださいよ。
361 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 18:46
>>360 人の人格を決めつけるのが趣味なんやね。
論拠のない空想・想像で批判するのはやめなさい。
そうでないというなら、「旧態依然・金魚のウンコ」発言ができる論拠を示して下さい。
失礼だよ。
362 :
ボノ:2001/08/11(土) 19:38
>>354 念仏は新しい人格主体を形成していくと思います
その念仏によって育った主体によって社会の諸問題を考えていく
親鸞の文章に込められた宗教的生によって問題を考察していく営みですな
なんか問題ありまして??
源信は法主じゃないの…
そりゃ大変失礼しました
他に職業を持ちながらの僧侶って悪いことばっかりじゃないと思う
だって僕のように一般社会を知らないで、寺に生まれ、そこで育っていくと世間とのズレがどうしても出てくるんですよね
363 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 19:53
仏教は、政治や経済、科学のような客観的な道ではなく、
自分の心を問題とし、反省・自覚の道を説き、
ただ現実の世界を明るくあるがままに受け入れるという心持ちを勧めているように思いま
す。
何も社会に働きかけないで、ただ黙ってあるがままに現実を受け入れるという、無気力で
消極的な、夢も希望もない、暗いあきらめの人生観であるように思われます。
しかし、「生死即涅槃」ということばが教えることの一つは、生死の世界、この現実世界
を愛する心だと思います。
愛する心で、現実世界に対して、積極的に働きかけることを教えているのではないかと思
います。
靖国、教科書、クローン人間・・・、現実の社会生活において、さまざまな主義主張があり、
立場があり、主義主張は人によってさまざまです。
右派・左派・中間派、どのような立場であっても、深く社会を愛する心から、とらわれを
はなれ、私利私欲をはなれて、なすべきをなし、主張すべきを主張するなら、そこに生死
即涅槃の意義があるのではないかと思います。
364 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 19:57
>>362 問題意識の持てない純正培養のボンボンはもちろん困った者だと思いますが、
アルバイト坊さんもいかがなものかと思います。
問題意識のない、単なるお経の宅配が坊主の本職だと勘違いしている点は、
ぼんぼん同様だと思います。
362
>なんか問題ありまして??
僕に聞いていますか?
別にあなたに問題があるとは言っていません。人それぞれに違った意見があっていいわけですね。
ただ、僕は自分の考えを書きたくなっただけです。批判めいた意思はありません。
366 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 20:57
ぶっちゃけた話、坊さんって本気で親鸞聖人の教えを信じているんですか?
飯のタネだから信じているフリをしているだけの人も多いんじゃないですか?
367 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:03
>>366 自分の心でさえ分からないから、仏教で教えられているんでしょう。
他人の心の中なんて誰にも分からんでしょう。
368 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 21:13
>>366 信じているフリをしているだけだとしか思えない坊さんとは、
宗教的な付き合いをしないことです。
369 :
ボノ:2001/08/11(土) 23:37
>>357 とりあえずえらそうなことを書いてはみたのですが、このことって言うのは簡単だけど、実践するのはかなり難しい気がします。
僕はこういう文章を書いてしまった以上は、それに恥じないようにやっていきたいと思っています
思うだけなら誰でも思えますから、まぁ一つよろしくお願いします。
370 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 23:56
>>364 真宗における僧侶の質ということはみなさんが感じられている通りだと思います。
豊原という総長さんは「僧侶は儀礼をちゃんとやれなければいかん」とか言ってましたし
信心・信仰云々の前にちゃんとお経をあげれるようになれということですよね
西本願寺教団は自ら進んで形骸化への道を選んだようです。
お寺の統廃合がスムーズにできるようなシステムが出来上がればこういう問題解決の手がかりにもなろうとは思いますが、いつの話になることやら…
なかなか難しい問題ですよね
ちょっと弱気モードです
371 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 07:41
>>369 読経をするだけのいわゆる葬式坊主といわれる坊さんは、
世の中から尊敬されているのではなく、
軽蔑されているという自覚をもつべきだと思います。
自覚があっても、こういう時代だからと諦めてしまっていたり、
開き直っていたり・・・。
一人ではどうしようもないし、なかなか困難だとは思います。
でも、せめてこれではいかんという意識をもった僧侶が目立つように
ならなくてはいけないと思います。
どういっていいのか分からないけど、頑張ろう。
372 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 07:55
>>370 部外者ですが、総長さんの言葉は、
儀式・読経すら満足にできないほど、
インスタント僧侶、アルバイト僧侶が多くなったという危機感の表れじゃないですか。
僧侶の質の低下をうれいた言葉だと思いました。
373 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 09:56
だって、言っちゃ悪いが、もともとがインスタントだもの。
インスタントだって真剣に食べれば栄養はある。
374 :
ボノ:2001/08/12(日) 10:25
>>372 真宗においては読経は信仰の表れとして位置付けられるものなのです
お経をちゃんとおげれれば、一見ちゃんとした僧侶に見えないこともないけど、それは目の錯覚であってなんの解決にもならないのです
儀礼を重視していくということはますます僧侶の質の低下を助長していくに他ならならないのです
375 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 10:30
>>373 インスタントでも栄養があることはあるけど、真剣に食べ続けるもんじゃないでしょ…
376 :
ボノ:2001/08/12(日) 10:35
>>371 二河譬において旅人は一人で西に向かって旅していくんですよね
求道の旅は困難だけど、一人でいくものでしょう
そんなしんどいことしないでも食べていければいいじゃない
という群賊・悪獣の声と戦いながらの旅はかなりの覚悟がいるでしょうね…
どこかで会えたらそんときはよろしくお願いします
377 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 13:56
>>374 そうすると、やっぱり、現在の真宗寺院のあり方を根底からくつがえすような
意識改革運動をするか、さもなくば、別に宗派を建てなければならないと思います。
意味がわからんでも、親鸞の教えを知らなくても、とりあえず読経ができて、
見せかけだけ僧侶らしく見えればそれで認められるのですから・・・。
お経の配達さえできれば、それで一人前の僧侶だという体制を改革すべきです。、
378 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 14:20
>>377 >お経の配達さえできれば、それで一人前の僧侶だという体制を改革すべき
えぇーっ!そんな体制とってるんですか?
379 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 15:11
>>378 得度(お坊さんになる儀式)を受式できる年齢は、9才からですからね。
親が得度をさせるというのが実態でしょうし、
子供にどこまで自覚させることができるかいえば、難しいでしょうね。
ただ、あくまで得度というのは、仏弟子として聞法の生活をさせていただきますという誓
いを立てる儀式ですから、大人になったら改めてそういう意識をもってもらい必要がある
のではないかと思います。
380 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 15:17
>>379 住職になるための資格を得るには、指定のテキストで勉強して試験を受けるか、指定の学
校で決められた単位を取得ししなければなりませんから、最低限の仏教や親鸞の教えに触
れることが義務づけられていますが、僧侶にはそういうことが義務づけられてはいません。
お勤め、読経さえできれば、得度の資格は得ることができ、得度後の僧侶としてのあり方
は全くのノーチェックです。
しかし、浄土真宗、親鸞の教えは、自覚の宗教といえるのかもしれません。
都市では、葬儀屋の契約僧侶として、正に葬式坊主として稼ぎに専念するのも浄土真宗の
僧侶、こつこつと聞法に励むのも浄土真宗の僧侶、それでいいのかもしれませんが・・・。
やっぱり、門徒が僧侶を選ばなければなりませんね。
381 :
ボノ:2001/08/12(日) 23:09
>>378 西本願寺教団においてはまずは勤行という方向性です
あくまでも「まず」なんですが、それにしてもこの方向性は間違っていますよね
382 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 23:13
383 :
ボノ:2001/08/12(日) 23:20
>>382 けど大谷派は教団の上の方にやる気がある人がいるでしょ
大師号を公には使わない決議をしたり、ハンセン病の宗門決議をしたり
本願寺派は下もひどいけど、上はもっとひどいですから
384 :
ボノ:2001/08/12(日) 23:24
冷静になって考えてみたら、教団が悪いとか、しょうもない名ばかりの坊主が悪いとかばっかり言ってることに気付きました
現状の話よりも、じゃあどうすればいいかということを考えねば…
385 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 00:45
>>381 方向性として、まずは勤行でよいと思っていたのですが‥。
「まずは勤行でよい」が、「勤行だけでよい」になっていませんか?「勤行さえできればよい」になっていませんか?「勤行さえできないのか?」になっていませんか?
勤行だけでよいという段階は、入門後2,3日で卒業すべきでしょう。一週間も立たない内に次の段階に行くべきだ。ところが、教団の中に勤行の次の段階を教えられる人がいない。少ない。学ぼうとする気も起こらない。こういう雰囲気がありませんか?
2CHに来て始めて痛切に感じたことがあります。坊さんというのは、実に品がない人種だ。社会で一番品がない人種というのは、坊さんなんじゃないですか。僕は坊さんとの付き合いは広くない。少なくとも、2CHという飾り気のない社会の中では、品がない坊さんの声の方が圧倒的多数派のような感じを僕はもってます。
僕は、しばらく2CHで教行信証論を綴りました。在家の僕が綴るような教行信証論に執拗な関心を持つ人といえば、それは特殊な人でしょう。親鸞仏教などは、一般社会じゃマイナーな関心しかない。まして、素人の僕の親鸞論なんかに、一般在家の素人の人なんかはほとんど関心をもたないでしょう。批判してくる人同志は、インターネットだから面識は無いはずなのに、互いに声を掛け合っている。互いは気心の知れた特定の集団の人だということはすぐ分かった。僕の親鸞論は、従来説からはかなり距離がある。実質的に僕の一人説と言うべきものです。執拗に批判してくるのは、最初、僕は、親鸞会の講師連中かと思った。そうしたら、高森さんと同列で僕を批判してくる論調があるのを知りました。親鸞会の人なら、僕を高森さんと同列で批判するということはないでしょう。この集団は坊さん達ではないかと思った。試しに、僕はお檀家さんに直接呼びかける文章を書いたんですよ。そのときは半信半疑だったんだけど、その後、一時、急激に静かになった。坊さんに都合の悪い文章が檀家向けに直接向けられると静かになると言う素直(?)な反応を示す集団は、坊さんしかないでしょ(笑)。
筋道のある論陣を張って批判してくるなら、これは正当だ。そうじゃない。嫌らしいポンチエ、自殺、首吊りのポンチエなどを執拗に書き込んでくる。自分のキンタマをポンチエで晒したり、オナニー画を描いて攻撃してくる。品位としたら、坊さんというのは最低の人種でしょう。そのくせ、キンタマ宗キンタマ坊主と言ったら、怒ってきた人もいた(笑)。
2,3日で勤行を卒業させたら、その次は坊さん達に社会の常識を教えてくださいよ。自分のキンタマを社会に晒してはいけませんよ。自分のオナニーなどは他人に見せなさんな。坊さん社会にはこういう常識を教えられる人がなかなかいないんでしょう。親鸞論を展開している見ず知らずの人を、やたらゴキブリと言いなさんな。中身が親鸞論であって批判があれば、きちんと筋を通した論陣を張って批判しなさい。こういうことを、勤行の次ぎの段階で教える人がいないんでしょう。パソコンをいじりながらインターネットに関与してくる人というのは、十代後半から、二十、三十代の人でしょうか。そのくらいの年の坊さんの中には、既に住職さんもいるんでしょう。恥ずかしさという感情がないようです。「インターネットで自分のキンタマを晒してはいけません」と、教える人がいない。教団はこの辺が問題でしょう。
かりそめにも親鸞仏教論を議論している論調に対しては、形だけでも尊敬だけは払いなさい。別に僕は自分を偉いと思っているわけじゃない。「親鸞」「釈迦」「仏道」そこに飛び交うこういう単語に尊敬の念を持つというのは、語られている議論の筋道の善し悪しを別にして、坊さんとして最低のマナーじゃないですか。「親鸞」「釈迦」「仏道」とはどういうものか、その概念などは知らなくてもいいけど、こうした単語が飛び交う中に、アホなポンチ絵や悪口(あっこう)雑言を織り込むという神経は止めなさいよ。これほど非道く常識のない社会というのは、坊さん社会を外したら、外にないでしょうね。
十代後半から、三十代の坊さんに、勤行の次には、世の中に恥ずかしいということがあるということを教える。これが大事でしょう。世の中には恥ずかしいということもあるんだということを坊さんにも教えていますよと、天下に言える教団になることが必要かと思います。
388 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 11:22
悪人正気の〃悪獣〃ならば、いくらでも見たことがあります。
いったい、真宗ってどうなってんの?
389 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 11:25
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=995955231&st=386&to=386&nofirst=true >勤行だけでよいという段階は、入門後2,3日で卒業すべきでしょう。
>一週間も立たない内に次の段階に行くべきだ。
>ところが、教団の中に勤行の次の段階を教えられる人がいない。少ない。
>学ぼうとする気も起こらない。こういう雰囲気がありませんか?
もっともらしくレスしてるけど、論拠を示さないこういうカキコは単なる空想でしかないでしょう?
あなたにたまたま出会いがなかっただけかもしれないでしょう?
>2CHに来て始めて痛切に感じたことがあります。
>坊さんというのは、実に品がない人種だ。
>社会で一番品がない人種というのは、坊さんなんじゃないですか。
>僕は坊さんとの付き合いは広くない。
>少なくとも、2CHという飾り気のない社会の中では、
>品がない坊さんの声の方が圧倒的多数派のような感じを僕はもってます。
具体的に『坊さんは下品』ということを示してもらいたい。
>教行信証論に執拗な関心を持つ人といえば、それは特殊な人でしょう。
>親鸞仏教などは、一般社会じゃマイナーな関心しかない。
これも在家という大多数の人も含めたあんたの勝手な決めつけだろう?
在家で親鸞聖人の教え・教行信証に関心のある人はいないんですか?
歎異抄は隠れたベストセラーといわれましたが・・・。
>批判してくる人同志は、インターネットだから面識は無いはずなのに、
>互いに声を掛け合っている。
>互いは気心の知れた特定の集団の人だということはすぐ分かった。
あんた僻んでるんか?被害妄想か?
>試しに、僕はお檀家さんに直接呼びかける文章を書いたんですよ。
>そのときは半信半疑だったんだけど、その後、一時、急激に静かになった。
>坊さんに都合の悪い文章が檀家向けに直接向けられると静かになると言う素直(?)な
>反応を示す集団は、坊さんしかないでしょ(笑)。
じゃぁ、そこまでいうなら、その具体的事例で、お坊さん集団が一致団結してアンタをいじめたって証明してごらんよ。
390 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 11:28
でもさ、真宗坊さんの自己批判してるカキコに便乗して
こんなカキコするってみっともなくないか?
自分の主張が正しいと思ったら、堂々と正論を主張したらいいだろうに。
自分をいじめた坊さんが悪いって泣き言、言わなくったって。
391 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 11:33
392 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 11:36
393 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 12:38
>386
>勤行だけでよいという段階は、入門後2,3日で卒業すべき
あまい。そんなもんじゃない。
394 :
ボノ:2001/08/13(月) 13:15
>>386 >>387 そういうことがあったんですか、よくわかんないけど、僕が真宗のインターネットに関与している10代後半から20代、30代の僧籍を持つ者として深くお詫びを申し上げておきます。
数々のご無礼大変申し訳ありませんでした
今後は少なくとも僕だけでもそういうことのないように気をつけていきたいと思います。
けど本当にやる気のない僧侶はこんなとこ見ないと思いますよ
どうしてそんなに反発があったのかということもちょっと考えてもらいたいと思います
文章が難解であったとか
問題定義が不十分であったとか
そういう相手なら、そういう相手のレベルにあわせて論義を進めるのが肝要かと思いますが…
それといくつかお尋ねしたいことがあります
@教行信証論って書いてありますけど、正式名称は『顕浄土真実教行証文類』ですよね。略すなら『教行証文類』もしくは「本典」とすべきでしょう。確かに構成としては「信巻」があるので、「信」という語句を入れてもいいような気がしますが。なんで「教行信証」とあの書物を呼ぶのですか?
A難海さんは自らのことを在家とおっしゃってますけど、僕も在家です。真宗を学ぶものはみんな在家ですよね。
B従来の『教行証文類』の理解とはかけ離れた、理解をされてるんですよね。どの理解をもって従来の理解とされているのか。難海さんの『教行証文類』理解を全部書いてもらわなくていいですので、そこのどんな問題があるのか教えてください。
395 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 13:41
>>394 >よくわかんないけど、僕が真宗のインターネットに関与している10代後半から20代、30代の僧籍を持つ者として深くお詫びを申し上げておきます。
>数々のご無礼大変申し訳ありませんでした
>今後は少なくとも僕だけでもそういうことのないように気をつけていきたいと思います。
別に謝る必要ないよ。しかも本当に坊さんがやったなんて証拠ないんだし。
「坊さんがやった」というのはあくまでも渡海君の妄想に過ぎないからね。
>それといくつかお尋ねしたいことがあります
>@教行信証論って書いてありますけど、正式名称は『顕浄土真実教行証文類』ですよね。略すなら『教行証文類』もしくは「本典」とすべきでしょう。確かに構成としては「信巻」があるので、「信」という語句を入れてもいいような気がしますが。なんで「教行信証」とあの書物を呼ぶのですか?
>A難海さんは自らのことを在家とおっしゃってますけど、僕も在家です。真宗を学ぶものはみんな在家ですよね。
>B従来の『教行証文類』の理解とはかけ離れた、理解をされてるんですよね。どの理解をもって従来の理解とされているのか。難海さんの『教行証文類』理解を全部書いてもらわなくていいですので、そこのどんな問題があるのか教えてください。
だから、まともにつきあっちゃダメだっつーの。といっても渡海君はまともに相手できる人間じゃないけど。
ともかく渡海君は無視しなよ。
396 :
ボノ:2001/08/13(月) 15:04
>>393 勤式って習得するまでに結構時間がかかるものなんですよね
なんたって、ありがたく聞こえるようにあげることを目標にしてますからね
勤式ばかりはバカバカしてくてヤーな感じになります
397 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 15:09
>>396 そんなんじゃだめだな。ちゃんと習得してくれ。
398 :
ボノ:2001/08/13(月) 15:13
>>397 ダメで結構
「型」に逃げるほど僕は落ちぶれていませんから
399 :
葬儀屋:2001/08/13(月) 15:59
正式な勤式は壇家には、ありがたく聞こえないもの。
坊さんの間でも論議がおきてる。 まあ、こっちはありがたく聞こえるようお願いしますって頼むけどね。
400 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 17:17
400ゲット!
401 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 17:22
>>398 他に何がある。せめて型ぐらい努めたらどうだ。
402 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 17:35
>>398 とても立派な決意だと思います。
寺の住職であり、大学の哲学の先生でもあった方がおいでました。
門徒へお参りに出るということもなく、ほとんど勤行(読経)をするということもなく、
定期的に法話をされるだけでした。
生れは数千という門徒のある大きなお寺の跡取りさんでしたが、長々とお経を読むだけの
僧侶としてのあり方が嫌で、弟さんに跡取りの地位を譲って自分は外に出られました。
一言では言いつくせない努力と苦労があったようですが、その先生の姿が本来の浄土真宗
の住職としてのあり方かなあと思いました。
しかし、私は勤行が全く無意味だとも思っていません。
403 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 18:17
儀式なき宗教は思想化し、教義なき宗教は変調する。
ようは両方重要ってことやね。
404 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 18:29
>>402 その先生は哲学者、宗教学者としては立派かもしれませんが
僧侶としてはどうでしょう?
それと、弟さんに跡取りの地位を譲ったのなら住職にはなってないのでは?
405 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 18:33
406 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 19:06
>>404 >弟さんに跡取りの地位を譲ったのなら住職にはなってないのでは?
別の、ご門徒の多くないお寺の住職になられました。
僧侶として、住職として立派な方だったと思います。
407 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 19:08
私も浄土です。
一応、出家も済ませてるけど普段は何もしてません。
浄土って不思議な宗教だなってつくづく思いますよ
389 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/13(月) 11:22
>論拠を示さないこういうカキコは単なる空想でしかないでしょう?
単なる空想ではないですよ。質問というのは、貴方にとって空想なんですか?「こういう雰囲気がありませんか?」と、僕は聞いているんですよ。虚心坦懐に。自分は知らないから聞くという場合、論拠を示さないといけませんか?論拠を示せれば、聞く必要も無いでしょう。「そんな雰囲気がない」というなら「そんな雰囲気はありません」というご返事をくださればいいんじゃないですか?
>あなたにたまたま出会いがなかっただけかもしれないでしょう?
御反論の意思がつかめません。「こういう雰囲気がありませんか?」と僕は聞いてるんですよ。次の段階を教えられる人はいらしゃると貴方が思うなら「いらっしゃいますよ」とおっしゃって下されば十分でしょ。いらっしゃれば十分なんですよ。その方と僕はお会いしておかないといけませんでしたか。そんなことはないでしょう。次の段階を教えられる人がいれば、それだけで大変おめでたいことではありませんか。
>具体的に『坊さんは下品』ということを示してもらいたい。
僕は見ず知らずの人から、理由もなく証拠の提示を要求される覚えはないんですよ。貴方は裁判官として裁判に関わっているつもりですか?
「坊さんなんじゃないですか」と僕は同意的にお尋ねをしているだけです。「感じを僕はもってます」と僕は書きました。僕における正直な気持ちです。あなたは僕がどう思っていると想像していますか。「坊さんというのはみなさん品のある方々である」という風に僕が思っていると想像していますか。それは違います。「品がない坊さんの声の方が圧倒的多数派のような感じを僕はもってます」。これが正解です。
>これも在家という大多数の人も含めたあんたの勝手な決めつけだろう?
なるほどそうですか。貴方とは見解が相違します。
「教行信証論に執拗な関心を持つ人といえば、それは特殊な人でしょう。親鸞仏教などは、一般社会じゃマイナーな関心しかない」。これが僕の見解です。貴方とは見解が違う。そんなことは世の中にいくらであることです。不満ですか?
>歎異抄は隠れたベストセラーといわれましたが・・・。
それがどうかしましたか? 隠れてどうするんですか?
>あんた僻んでるんか?被害妄想か? <ほほう。貴方は面白いことを言う。>
>じゃぁ、そこまでいうなら、その具体的事例で、お坊さん集団が一致団結してアンタをいじめたって証明してごらんよ。
いじめられたなんて誰も思っていませんよ(笑)。坊さんってバカなことする奴だなと思ってるだけですよ。
>>390 >真宗坊さんの自己批判してるカキコに便乗してこんなカキコするってみっともなくないか
ここは公共自由の掲示板ですから、全く気になりませんね。「自己批判してる」というのは、貴方の決めつけです。そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。みっともないというなら、自分のキンタマをインターネットで晒す人の方がみっともないと思います。
>自分の主張が正しいと思ったら、堂々と正論を主張したらいいだろうに。
これでも堂々と正論を主張しているつもりなんですよ(苦笑)
>自分をいじめた坊さんが悪いって泣き言、言わなくったって。
泣き言を言っているように感じますか(笑)
>>391 >どうして決めつけられるんだ?
「〜素直な反応を示す集団は、坊さんしかないでしょ。」といっています。「坊さんしかないでしょ」とは、蓋然性はかなり高いでしょうと、同意の提案をしているということです。高いでしょというのは、可能性は百パーセントじゃないよということです。百パーセントではないよと言っています。
蓋然性は高まってないと貴方が言いたいなら、勝手に貴方が弾劾証拠を示せばいいでしょ。弾劾証拠を示せば蓋然性は低くなる。どんな事実でも、可能性は0と百パーセントの間を揺れるだけ。その中で、問題は、0に近いか百に近いかというだけでしょ。その蓋然性の数値はどの程度かは、2CHの参加者が自由に判断すればいい。
くり返しますが、可能性は百パーセントだとは僕は言ってないんですよ。百パーセントだとは言ってないんだから、決めつけていることにはならないでしょ。もっと冷静になってね(笑)。
>アンタの反論してる坊さん全員がポンチエ書いて煽って、荒らしてるって信じてるんか?
全員?? ま、あまり極端な想像をしなさんな。
>アンタの被害妄想だと思う。 <被害を受けたとは思ってないよ。呆れ返っているのさ(笑)。>
>>392 >空想をして決めつけるんだろうねぇ。
予想してるだけですよ。貴方には予想するということはないの? (笑)
>根拠も、意味もないだろう? <見解の相違でしょうね。>
>>393 >あまい。そんなもんじゃない。
2,3日という数字は、実体を知らない部外者の野次と思ってくださって結構ですよ。ただ、出来るだけ早い内に卒業すべきでしょうね。
>>394 >そういうことがあったんですか、よくわかんないけど、 <過去ログ倉庫を見てください。>
>数々のご無礼大変申し訳ありませんでした
貴方から謝っていただくようなことじゃないでしょう。親鸞論が語られている掲示板に執拗に恥ずかしい書き込みをしてくる人がどこかにいるという認識さえ持っていただければ嬉しいですよ。坊さんしかいないだろうというのは、僕の推測です。
>けど本当にやる気のない僧侶はこんなとこ見ないと思いますよ
ま、僕には分かりません。
>どうしてそんなに反発があったのかということもちょっと考えてもらいたいと思います
毛色の違う親鸞論には、キンタマに抱く興奮と同じようなムラムラとする興奮を持つ人がいるようですね。お一人じゃないようです(笑)。
>文章が難解であったとか問題定義が不十分であったとかそういう相手なら、そういう相手のレベルにあわせて論義を進めるのが肝要かと思いますが…
ま、読んで見てください。日本人に読めない文章とは思っていません。
>なんで「教行信証」とあの書物を呼ぶのですか?
面白い質問をしてきますね。教行信証というのは、確かに通俗的な名称ですが、社会的には極めて定着している呼称だと思いますよ。
教行信証という呼称としては、既に覚如が「教行信証大意」というのを遺しています。その中で「一部六巻の書をつくりて「教行信証文類」と号し」とあります。非常に古い時代から教行信証と言われて来ていたのでしょう。
『顕浄土真実教行証文類』というのは、正式名称ではないでしょう。総序の序文の冒頭に「顕浄土真実教行証文類序」とあります。信の巻きの序文に「顕浄土真実信文類序」とあります。顕浄土真実教行証文類序という形で総序の序文の冒頭にあるだけで、「顕浄土真実教行証文類」という字句は遺されていません。ご確認ください。こういう考えでいかがでしょうか?
>難海さんは自らのことを在家とおっしゃってますけど、僕も在家です。真宗を学ぶものはみんな在家ですよね。
宗門の方式に従って得度された方は、僧籍を返上するか、剥奪されない限り、社会的には僧侶なんじゃないですか。
>従来の『教行証文類』の理解とはかけ離れた、理解をされてるんですよね。どの理解をもって従来の理解とされているのか。
教行信証講義(法蔵館)をベースにし、岩波・角川の注釈書を参照しています。
>難海さんの『教行証文類』理解を全部書いてもらわなくていいですので、そこのどんな問題があるのか教えてください。
いろいろありますね(笑)。
僕のホームページで既に教行信証論を公開しています。ただ、既に公開した教行信証論では若干の不満が出てきて、その書き直し版草稿のつもりでこの掲示板に連載してきています。
>>403 >儀式なき宗教は思想化し、教義なき宗教は変調する。ようは両方重要ってことやね。
基本的に賛成ですね。型は必要でしょうね。心は型で伝わるということがあるでしょ。
歌舞伎の中村勘九郎さんが、昔テレビでおもしろいことを言ってました。大阪歌舞伎はなぜ滅びたか。大阪歌舞伎は型を軽視した。何でも自由でいいといっていたらしい。このため優れた伝統が伝承ができず、庶民から飽きられた。江戸歌舞伎は、型を徹底的に教える。型を学ばせることで先人の心を伝えてきた。
型にしがみついて、型だけやればいいということじゃないでしょ。ただ、型を軽視しちゃいけない。なお、先人の心の籠もってない型は、いくら学んでも伝わらない。これは当然。
417 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 21:14
>>407 「私も浄土です。」って、浄土宗ってことですか?
「出家も済ませてるけど」って、お寺の生れですか?
一般家庭の方ならどういうことから出家されたんですか?
何もしていないっということは、普通の仕事をしているってことですか?
一番聞きたいことなんですけど、
「浄土って不思議な宗教だなってつくづく思いますよ 」って
どういうところが不思議なのか教えて下さい。
418 :
ボノ:2001/08/13(月) 23:42
>>414 それではあの書物の正式名称はなんというのですか?
在家の反対語は僧侶じゃなくて出家ですよ
宗門の規定によって得度するということが、社会的にはどう思われていても、その実体がまったく無意味なものであることは言うまでもないでしょ
>>415 最近『親鸞の教行信証を読み解く』という本がでてますよね
あれって後世に残る名著だと思います
『教行信証講義』もまぁすごいとは思いますけど、そういう文化遺産みたいのよりこっちを参考にしたほうが面白いですよ
419 :
ボノ:2001/08/13(月) 23:54
>>416 中身がなくなっても型は結構最後まで残るものなんですよ
教義を根底とした儀式ならいいんですけどね
本願寺教団の総務は公文書で教学と勤式(儀礼)は別物だって言ってますからね
みなさんがいってる儀礼と僕が言ってる話は次元がちがうのですよ
法要で法話の前に参集のみんなと『正信偈』をお勤めする。こういうのまで否定しようとは思ってませんよ
それとですね、再び質問なんですが
@真宗において行はあるのですか?
A念仏申すことによって人間変わるのですか?変わらないのですか?
B蓮如は親鸞思想を正しく伝えているのですか?
C「化身土巻」の菩薩戒経の引文は何をいいたいのですか?
お暇なときでいいですから、教えてください
420 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 04:38
>>419 これこれ、僧籍を持つ者がシロウト相手に試すような質問をしてはいけません。
カレの活動が活発化するじゃありませんか。
カレの活動が活発化すると、このスレッドが荒れるんですよ。
子供の頃、教わりませんでしたか? 人に迷惑をかけちゃダメだって
421 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 05:20
>>402 自分あをのやりたいようにやらせてくれない大きな寺よりも
自分の好き勝手にやらせてくれる寺を選んだようにとれる。
なぜ、生家で
>門徒へお参りに出るということもなく、ほとんど勤行(読経)を
>するということもなく、定期的に法話をされるだけ
が出来なかったんだろう。
そもそも「本来の浄土真宗の住職としてのあり方」ってどんなんでしょうね。
422 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 07:24
>>421 簡単にいうと、門徒の多くの人たちが、邦字で、長い読経を希望し、法話を嫌ったからです。
住職になられたお寺は奥さんの実家のお寺で、はっきりいうとご門徒がほとんどなかったので、
ご門徒の法事に出かける必要がほとんどなかったのだと思います。
そこのお寺の盛大なご法事のお手伝いをさせていただきましたが、
読経は、阿弥陀経と正信偈だけだったと思います。
そのかわり、著名な方たちが何人も法話をされました。
423 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 08:14
>>422 邦字で、 → 法事で、 の間違いです。
424 :
ボノ:2001/08/14(火) 12:24
>>420 人は他人に迷惑をかけてしか生きられないんだと教わりました
425 :
421です:2001/08/14(火) 14:26
訂正 自分あをの → 自分の
なぜか変な文字が入ってしまいました。しかも気付いていませんでした。
すみません。
私の所のお寺の跡取り(一人息子)も10数年前ですが
坊主になるのは嫌だといって寺を出てしまいました。
壇家中おお騒ぎです。
それから新しい住職さんが入って一安心となった頃に
寺を出たその一人息子が他の寺に婿養子に入り、
またひと騒ぎです。
年寄り連中は未だにウダウダ言ってます。
決まり文句は「私たちが子供の頃から可愛がってあげたのに…見捨てていくなんて」です。
426 :
↑の続きです。:2001/08/14(火) 14:39
間違ってきれちゃった
ひどいのになると「だれのおかげで大きくなれたとおもってるのかね」なんてのもききます。
事情は違いますが壇家から見れば同じようなもんでしょう。
さて、せんな坊さんはいかがなものでしょう?
427 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 15:04
>>425 >坊主になるのは嫌だといって寺を出てしまいました。
>寺を出たその一人息子が他の寺に婿養子に入り
>402の先生は、自分の信念とする真宗僧像を求めたけれども、
自分の生れた寺では、門徒の求める住職像が、
自分の信念と逆のあり方だったので、寺を出たので、
同じように考えてしまうけれども、内容は全く違うと思います。
>>418 >それではあの書物の正式名称はなんというのですか?
こんなことは、浄土真宗のお坊様に伺ったらいかがですか(笑)。
著者は名称は付けなかったんじゃないですか。著者が名称を付けなかった例って、日本の古典の中に外にはありませんかね。日本の古典は余り僕は良く知らないんだけど。
先人の文書の抜き書きを集めただけのものに敢えて名称を付けるというのは、不遜なことと思われたかも知れません。あるいはそんな不遜な行為はしませんよという演技をしている可能性もある。
「教行信証文類」と号すると覚如は言っています。身内の会話の中では「教行信証文類」という名称で呼ばれていた可能性が大きいでしょう。今日、「教行信証」という呼称が定着していますから、正式名称もこれで十分でしょう。
>在家の反対語は僧侶じゃなくて出家ですよ <どうかしましたか。>
>その実体がまったく無意味なものであることは言うまでもないでしょ
それなら、僧籍返上しますか?
>最近『親鸞の教行信証を読み解く』という本がでてますよね <時々、本屋に並んでいますね。>
>あれって後世に残る名著だと思います
著者の藤場さんは、2CHに来られてるかも知れませんよ。藤場さんかなと思われるような方と2CHでレスの交換をしたことがあります。相手は匿名でしたから確証はありません。その直後、あの方のホームページを見たら、ある掲示板に匿名でカキコしたという記事が載っていました。匿名だから、非常に気楽だったと言っていましたよ。レスを交換した方が藤場さんだったかどうか、予想の範囲を超えません(笑)。
藤場さんのホームページの掲示板にも一度、カキコをしました。2CHほどは面白くなかった。
>そういう文化遺産みたいのよりこっちを参考にしたほうが面白いですよ
『親鸞の教行信証を読み解く』は、余り読もうとは思いませんね。明治以降の坊さんの書いた本には、どうせどれもこれもドングリの背比べでしょう。少なくともこれまではロクなモノがなかった。突然飛び抜けたものが登場するとも思えない。坊さんの書いたモノはもうたくさんですね(笑)。ま、先入観でしょうけど。先入観でも結構当たっているでしょ(笑)。暇が出来て気が向いたら読むかも知れません。
藤場さんの本は高い本ですよね。どのへんが面白かったか、貴方の感じをご紹介いただけると嬉しいですね。この場合はタダで済む(笑)。
>>419 名前:ボノ
>中身がなくなっても型は結構最後まで残るものなんですよ 〜 否定しようとは思ってませんよ
??
>@真宗において行はあるのですか?
「謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり」 こういう理解で宜しいんじゃないですか
>A念仏申すことによって人間変わるのですか?変わらないのですか?
人も変わる。世界も変わる。同じ人格が継続していると考えれば、世界が変わる。ある世界から別の世界に移動するから「往く」という。同じ世界が継続していると考えれば人格が変わる。意思と行動が変われば新たな人格がスタートする。新たな人格がスタートするから「生まれる」という。これを往生という。
>B蓮如は親鸞思想を正しく伝えているのですか?
蓮如は本質を外してない。枝葉部分はそれぞれの主観で色々議論できるでしょう。
>C「化身土巻」の菩薩戒経の引文は何をいいたいのですか?
僕は次のように思っています。菩薩戒経の引文は、地を拝んではいけないということでしょう。議論には切れ目があります。切れ目をきちんと追っていかないと体系的筋道が見えてこない。
現代の本なら、章・節・段などの区切りを数字で示します。標題・小見出しも示す。論文などは、何章何節何段という数字から、議論の構成が分かる。昔の本は数字が入っていません。そのため一見して分かりにくくなっています。先人の本は、師匠の話を聞きながら、繰り返し音読と転写されることを前提にしていますから、現代のような工夫はありません。
親鸞の本には、数字よる区切りの提示はありませんが、繰り返し読むと小見出しが見えてくる。そこから区切りが分かってきます。ご指摘の菩薩戒経は新たな議論の展開の先頭にあるものでしょう。議論の切れ目の小見出しのようなものです。小見出しは議論の結論を示している。
僕は、化身土巻末は、議論が大きく三つに分かれると思っています。起信論までが第一章。弁正論だけで第二章。法事讃から論語までが第三章です。
第一章は、「月蔵経巻八忍辱品第十六」までが第一節。華厳経の「また曰く、占相〜」から第二節。「菩薩戒経」から第三節になります。そのように読んでいいと思います。
化身土巻末は非常に現実的な話を議論している。その中で親鸞は、第一章で二つの主張をしている。一つは、迷信を信じちゃいけないと言うこと。二つは、念仏の信心は現実社会を変革するんだということ。
迷信を信じちゃいけないと言う主張は、三つに分かれる。天を拝んではいけない。地を拝んではいけない。占いを信じてはいけない。占いというのは天と地とをつなぐ中間にある。
菩薩戒経は、地を拝んではいけないという主張の起点です。地における礼拝の対象は、国王・父母・六親・地の鬼神。親鸞はこれらも拝んではいけないと教える。
親鸞は、第一章第一節の議論に力を入れている。現代の僕らなら、この中の社会変革論を議論の全ての中心に据えるでしょうね。
>>426 >せんな坊さんはいかがなものでしょう?
多くの寺は、事実上、村の守護神シャーマンなんでしょう。仏教とは関係ないんじゃないですか。
>>427 >同じように考えてしまうけれども、内容は全く違うと思います。
右にころんでも、左にころんでも、しょせんは仏教とは無関係でしょう。
433 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 20:31
ボノ さんへ
あなたが渡海に反論し、議論するのは自由です。
でも、
>>420 さんの忠告を念頭に置いて対処して下さい。
渡海のカキコ全てを否定・拒否するわけではありませんが、
質問、推測ということで、
長々と書き込まれるただ読み手を不愉快にさせるだけのカキコが多すぎると思う。
直接相手をしているボノさんじゃなくても、不愉快な思いをするということを意識してレスして下さい。
レスは、不特定多数の者に対して発進するようにしてください。
434 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 20:32
435 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 21:04
436 :
独り言:2001/08/14(火) 21:31
仏教の問題とは何だろう?
自己を見つめよという、仏教の呼びかけは何のためなんだろう。
今、生きているこの命を、生き生きと生き抜くためではないんだろうか?
自己の信念を確認するために、単に門徒に媚びて、
のほほんと生まれた寺の跡を継ぐのではなく、やむなく寺を捨てるという行為が、
右にころんでも、左にころんでも、しょせんは仏教とは無関係、というなら、
仏教は何を目的とし、何を問題としているんだろう。
多くの人が勘違いしていると思われる、あの世のこと、冥土の幸福を問題にしとるんだろ
うか?
私はそうではないと思うんだけど・・・。
>>436 名前:独り言
>右にころんでも、左にころんでも、しょせんは仏教とは無関係、というなら、仏教は何を目的とし、何を問題としているんだろう。
ものごとを真正面に受ける方のようですね。真正面に受け止められるとこちらもたじろぎを覚えるものです。いささか言い過ぎの面もあったかも知れません。
のほほんと生まれた寺の跡を継ぐのではなく、やむなく寺を捨てたのだと言われれば、それはその方の勝手でしょう。真剣な思いで生きていこうとされても、その結果が外に現れて他人に見えて来るには時間がかかる。インターネットなら一瞬に伝わる距離にあっても、インターネットの向こうの人に結果・効果が伝わるのにはもっと時間がかかる。それまでは、外の人にとっては、右にころんだか、左にころんだかの違いでしかない。
悪事は一瞬でも、真実には時間がかかる。どれだけ正しい心でも、自分の心は一瞬に受け入れられて当たり前。分かって貰えて当りまえ。もしそんな思いがあれば、少なくともそんな部分は仏教とは無関係ではないでしょうか。時期が来る前なら分かって貰えなくても心配する必要はないでしょう。自らが信じる道であれば着実に歩みたいものです。
438 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 00:01
早朝にラジオ説法とかやってた(藁
439 :
教えて!!:2001/08/15(水) 03:23
今年の甲子園に平安でてる平安高校って浄土真宗の学校なんですか??平安高校が男子校のために京都女子高がチアガールとして応援に来ていました。ともに浄土真宗系の姉妹校らしいです。京都女子高の学生はメチャ可愛い子ばかりです。真相を教えて下さい!!
440 :
アビ:2001/08/15(水) 04:07
441 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 07:23
どうして二重カキコ?
>>439 平安高校、京都女子高校とも浄土真宗本願寺派=西本願寺系の学校です。
>仏教の問題とは何だろう?
「何が仏教か、仏教ではないか」。難しいことを考えるなら、それ以前にも考えなければいけないことがあるかも知れませんね。自分から質問を発し、回答らしきものが返ってきたら、挨拶を戻すのは、大事なことじゃないでしょうか。
「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す」挨拶を返しても、罰が当たるとは思えません。
443 :
勝手なつぶやき:2001/08/15(水) 09:46
ふ〜ん。
教行信証などに述べられている親鸞の思想と、
親鸞の人生は無関係だって言うのかと思ったけど・・・。
教行信証にのみ真実が語られていて、
親鸞の人生を学んでも全くのムダだっていうのかと思った。
親鸞の思想が、人格や人生と無関係だったら、
「罪悪深重の凡夫」とか「愚禿釋の鸞」などの言葉が、
空々しいものになってしまいますよね。
それこそ、そらごと、たわごと、机上の空論でしかない。
444 :
ボノ:2001/08/15(水) 14:04
>>430 @ということは衆生の称名念仏行が真宗において行になるということですか?
Aということは真宗は現世往生を説くということですか?
B蓮如教学から導かれる親鸞教学の本質とはなんですか?まさか信心を獲ることによって死後成仏するということじゃないでしょう
>>431 C親鸞は社会変革論を『教行証文類』で説いていましたか!それでは渡海さんはその親鸞教学学ぶものとしてどういう実践をされているのですか?
445 :
ボノ:2001/08/15(水) 14:10
>>444 なにげに否定的な質問になってしまったんですけど、僕も大筋において難海さんの意見に賛成します。けど一つだけは全然ちがいますけどね…
>>433 >>435 要するに文体とかがえらそうに見えるということでしょ。あまりにひどいようなら僕は退散しますので、ちょっと我慢してみてください。よろしくお願いします
446 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 14:35
ボノ頑張れ
447 :
ブツブツ:2001/08/15(水) 15:08
自分の信念による人生の選択は、自分自身の選びですから、他人の評価は関係ありません。
他人の評価を気にするようなあやふやなものなら、信念とはいえません。
そんな意味で、その方の勝手といえば、勝手です。
私は、世間体とか、見栄とかといった他人の評価を気にして、自分を他人の目で縛りつけて、自分の生き方を不自由にしてしまっているということが多いんじゃないかと思います。そして、自分が窮屈な生き方しかできないのは、世間のせいだと他人に自分の人生の責任を転嫁してしまっているんじゃいかと思います。
自己を見つめよという仏教の呼びかけや親鸞の生きざまを学ぶことにより、こういう自分のあり方に気づいていくということも、仏教の現実的な性格ではないかと思います。
仏教ってそんなチンケなもんか!って批判されそうですが、素直にそう思っています。
448 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 15:57
↑その通りと思います。
449 :
421:2001/08/15(水) 16:51
>>427 檀家から見ればどちらも
自分のやりたい事の為に寺を出て、また寺に入るという事をしている
ので同じようなもんだと言ってるんです。
>自分の生れた寺では、門徒の求める住職像が、
>自分の信念と逆のあり方だったので、寺を出た
なぜ、檀家さん達と話し合い自分の信念を理解してもらおうと
しなかったのでしょう?
なぜ、
>門徒へお参りに出るということもなく、ほとんど勤行(読経)をするという
>こともなく、定期的に法話をされるだけでした。
これを生まれた寺で行おうとしなかったのでしょうか?
私には檀家さんとの対話をほっぽり出して逃げたようにしか受け取れません。
自分の思い通りにならないからといって逃げるのは子供のやる事です。
立派だとは間違えても言えません。
檀家が少なく住職になってくれる人がいないような寺に入って
檀家さんの話も聞かずに自分の思うままに好き勝手にやる坊主、
そんな印象を私は受けましたが、
僧侶の世界ではそれがすばらしい事なのでしょうか?
実際にその先生がどんな方なのかまったく知りませんので
とんでもない事言ってるのかも知れませんが、
その方の生まれたお寺の檀家さんからはどんな評価を受けてるんでしょうね。
興味深いです。
450 :
ブツブツ:2001/08/15(水) 18:02
>>449 >檀家から見ればどちらも
>自分のやりたい事の為に寺を出て、また寺に入るという事をしている
>ので同じようなもんだと言ってるんです。
あなたがこのように思うのも仕方ないと思います。
自分のことではない、他人のプライバシーに関することですから、あまり詳しくレスできません。
でも、実は生まれられたお寺も、あとから入られたお寺も、先代や先々代の住職は浄土真宗では有名な方のお寺です。
もうすでに、私がどこのお寺の先生の話をカキコしたか、分かっている人も入るんじゃないかと思います。
>なぜ、檀家さん達と話し合い自分の信念を理解してもらおうと
>しなかったのでしょう?
実はね、門徒さんが、法事のお経の短いのが気に入らない、法話の長いのが気に入らないと、
日常的に住職をひきづり回すなどの暴力をふるうような修羅場が続いたんです。
ですから、
>私には檀家さんとの対話をほっぽり出して逃げたようにしか受け取れません。
>自分の思い通りにならないからといって逃げるのは子供のやる事です。
>檀家さんの話も聞かずに自分の思うままに好き勝手にやる坊主
こんなふうに感想を持つのは仕方がありませんが、私は違うと思います。
前にも書きましたが、これ以上説明すると、多くの人に分かってしまい、現在、両方のお寺にいらっしゃる方の迷惑になりますから、この話題はここまでにします。
451 :
ヴ・ナロード:2001/08/15(水) 18:21
>>296-298
実家のある地域の門徒は封建勢力たる松平家に対し一揆を起こしてきた。
われわれは、家康ゆかりの地に生まれたことを誇る気にはならない。
信仰と自治のために弾圧者と闘った門徒の末裔であることを誇りに思う。
452 :
K:2001/08/15(水) 21:51
>>450 >この話題はここまでにします。
私もその先生の事をどうこうしたいという訳ではないのでいいですよ。
(有名な先生らしいが知りませんし興味もないですから)
で、その先生は以降ぬきにして、お聞きしたいです。
僧侶(住職)は門徒(檀家)をどのように考えてるんでしょうか?
説教を聞かせる為のかぼちゃですか?
それとも、唯の金ヅルですか?
お寺から出たり入ったり簡単にして良いものなのでしょうか?
農家が嫌だからと言って離婚した女性が数年後、別の農家と結婚したら
釈然としないものがあると思うんですが。(変な例えかな…)
>>444 >衆生の称名念仏行が真宗において行になるということですか?
「真宗において行になる」まさにそういうことだと思いますね。
宗祖は、念仏は非行だとも言っている(歎異抄)。大行だとも言っている(教行信証)。恐らくこの辺の整合性を指摘されているんでしょう。
宗祖は矛盾している。混乱しているんだ。こう思うのもひとつの立場でしょう。しかし、「行」と「大行」とは意味を使い分けている。概念が違うんじゃないかと考えることもできるんじゃないですか。
称名念仏は行なんだと言っても、行ではないと言っても、宗祖が勧めているのは称名念仏。だったら親鸞ファンは称名念仏をする。自分が称える称名念仏は、行であるといってもいい。行では無いと言ってもいい。称名念仏は行でも非行でもいい。親鸞聖人が称名念仏しなさいよと言ってるんだから、称名念仏する。そういうことでいかがですか?
>真宗は現世往生を説くということですか?
真宗は往生を説く。現世か来世かにはこだわらないんじゃないですか。
「何の義に依って往生と説くぞや。 〜 穢土の仮名の人・浄土の仮名の人、決定して一を得ず、決定して異を得ず。前心・後心またかくのごとし。何をもってのゆえに。もし一ならばすなわち因果なけん。もし異ならばすなわち相続にあらず」。
<往生とはどういうことですか。穢土の人が極楽浄土に往生する。穢土にいた身と極楽浄土に往生した身とは、同じ身ですか別の身ですか。同じとも違うとも言えないでしょう。往生する前の心と往生した後の心も、同じとも言えないし違うとも言えない。穢土と極楽浄土との間で同じだと言えば、因果つまり変化はなかったということになる。穢土と極楽浄土との間で別の存在だと言えば連続性が切れてしまう。結局、同じだとも違うとも言えない。
ある環境下に入ると、人は別人のように見違えることがあるものです。かつて祇園精舎に入学した多くの人がそういう経験をされたんじゃないかと僕は思うんですね。祇園精舎に入学した人を、その後に母親などの身内が訪ねていく。するとその変わり様に驚いたことでしょう。「変わったね。見違えるようになったね」。身内がこういうと、本人は笑いながら返答したことでしょう。「僕は変わってないよ。それこそ母さんこそ変わったよ」って。
人は、素晴らしい出会いを持つとしばしば心が洗われます。意思と行動と言葉が変わってきます。意思と行動と言葉が変われば人格がかわります。人格が変わればあらたな誕生があるでしょう。釈尊先生が出家されたとき、一人の王が死に、一人の僧が誕生しました。
他人から見ると変わったように見えても、本人は変わってないと言うかもしれません。祇園精舎に入る前と後でも、俺は俺なんだよと応える。でも「母さんは変わったね」と見えてくる。人格は変わってなくても、目に飛び込んでくる世界は一変している。世界が変わる。素晴らしい出会いを持つと見えている世界が変わる。これを往くという。
僕は祇園精舎ではこういうことがたびたびあったんだと思うんですね。往生という概念の基本はそういうことでしょう。
念仏を称えるとこれだけの変化があるのか。これだけの変化が起きる人もいるし、起きない人もいるでしょう。実際に起きる人は千人に一人かもしれない。一万人に一人かも知れません。千人に一人でも、一万人に一人でも、可能性として起きうるなら、起きると言っていいでしょうね。
<(続く) 反論は議論が一応区切りに来てからにしてください>
456 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 22:10
457 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 22:11
458 :
名無しさん@一周年:2001/08/15(水) 22:48
親鸞は、法然の弟子なのになぜ別の宗派の開祖とされているのでしょうか?一説では、覚如が、親鸞を宗祖として独立したとのことですが
そういうことでしょうか?初歩的な質問で恐縮ですが、どなたかご教示願えればありがたいです。
459 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 00:22
あのさぁ。「型」が教えてくれることって、君の思い込みよりも、数百万倍たくさんあるんだよ。
『実悟旧記』とか、読んだことある?
君程度の認識で、真宗僧侶を代表するような書き込みはやめてくれない。
渡海をつけあがらせるだけだから。
460 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 00:31
461 :
ボノ:2001/08/16(木) 00:35
>>446 はーーい 頑張りまーーす
って何を頑張れとおっしゃるのかな…
>>453 「非行・非善」である他力の称名念仏行が真宗における行である
ということでしょ
僕もそう思います
簡潔にGOですよ!!長いのがいけないと言ってる人がいるんだから
>>447 この意見って先のご住職の話にも関わってくるし、難海さんの話にも関わってきますよね
その人の行動原理(自分の信念)が念仏にあるのか、それとも他のとこにあるのかということが僕は重要だと思います
462 :
ボノ:2001/08/16(木) 00:38
>>459 じゃあ「型」を張り切って頑張っておいてください
どっちの信心が正しいかいずれわかることですから
463 :
459:2001/08/16(木) 00:51
>>462 まさに、そのとおり。浄土真宗なめたらいかんぜよ。
464 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 07:24
平等施一切
難海ってまた荒らすのかな?
ドキドキするね。
海渡=挙動不審
おしまい。
467 :
独り言:2001/08/16(木) 08:37
>>461 「念仏の申さるるも如来の御はからひなりとおもへば、」などの言葉があるように、
「他力の」ということが議論のキーポイントかな?と思いました。
468 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 09:36
織田信長万歳!!
469 :
K:2001/08/16(木) 21:02
>>456 読ませていただきました。
お寺で生活している人の事など何も知らないので勉強になりました。
で、もう一度お坊さんにお聞きしたいです。
僧侶(住職)は門徒(檀家)をどのように考えてるんでしょうか?
うるさい小姑でしょうか?
お寺から出たり入ったり簡単にして良いものなのでしょうか?
檀家が気に入らなかったら寺ごと切り捨てちゃうのですか?
470 :
K:2001/08/16(木) 21:02
お寺から貰った『おぼん』という小冊子にお寺の奥さんが
「お寺と門徒は運命共同体だ。」という言葉を引用して
「ご門徒が問題をかかえていればその問題に、
迷っていればその迷いに、どこまでも寄り添っていく
姿勢を私はその言葉に感じました。」と
書いていました。そして、また
「切り捨てたり妥協したりする自分を見つめながら、
どこまでも一緒に仏法を聞いていこうよ、という
姿勢を持ちつづけることだったようです。」と
しめてありました。
大変良い話だと思いました。
こんなお寺の人は稀なのでしょうか?
それとも、タテマエ?
祇園精舎の大きな特徴は、そこには釈尊先生がいたということでしょう。
釈尊先生の存在は大きかった。
祇園精舎では、釈尊先生は先生の戒律を守りますと誓った者を入学させ、そこで禅定と智慧を教えた。
釈尊先生は、自分が認識した真理の中で、言葉・絵画・彫刻など有形的に表現できるものは法と呼んで有形的に残された。
形で表現できないものは、直接残すことはできなくても、誰もが容易に手の届くところに置いた。
その真理を認識に至るための道筋を明らかにした。それが禅定だと思います。
祇園精舎の学習は、先生を「先生」と呼ぶことから始まったと思います。
祇園精舎では、誰が先生であるか、先生をどう呼ぶか。こういう学習から始まったのでしょう。釈尊先生は、「自分がここの先生であり、自分を先生と呼ぶ者には、自分は自らが知っていることを全力を上げて教えるつもりだ」。こう説いたことでしょう。
優れた賢人達は、互いを尊敬しあい、互いに相手を「先生」呼ぶ。入門者は、祇園精舎で先生を「先生」と呼ぶことを始めて教わった。
「先生」という言葉の意味は、祇園精舎に来て始めて教わった。
その意味で、「先生」という言葉は、賢人達にのみ属する。祇園精舎の生徒は、賢人達が所有する「先生」という言葉を釈尊先生から預かった。
生徒は先生という言葉に感嘆詞をつけ、先生を「ああ先生」と呼ぶこともあったでしょう。
南無阿弥陀仏の南無とは感嘆詞であり、阿弥陀仏とは「先生」という意味だろう。僕はそう思っています。
南無阿弥陀仏という言葉に、僕は学習の原点、祇園精舎の原点を感じています。
祇園精舎でお弟子さん達は、大きく成長するまでの間、釈尊先生との間で様々な確執があったと思います。
釈尊先生との衝突で壁にぶつかると、生徒さん達は何をどうしたか。
仲間から離れ、目をつぶりながら「先生、ああ先生」と先生の名を呼びながら、木立の根元にでもいつまでもいつまでも座っていることもあったんじゃないでしょうか。
「王いま座禅してただ当に念仏すべし(行の巻)」とは、恐らくそんな背景を持った言葉ではないでしょうか。
これは僕の想像です。
彼らはそんな念仏の中で、恐らく今で全く気が付かなかった先生の真意に気付かされ、先生の真意に触れることで成長していったんじゃないでしょうか?
南無阿弥陀仏と称えれば、祇園精舎で起きたことが現代でも起きるのか。かつては百%起きていたかも知れません。
そんなことも、現代では一万人に一人、十万人に一人かも知れません。そんな変化は一万人、十万人に一人かもしれない。
しかし、何かはおきてくる。親鸞は次のような経文を引用し、独自の主張をしてくるようです。
親鸞の引用を聞いてみたいと思います。
(続く)
473 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 21:45
おお、渡海が来た。
474 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 21:48
あぼ〜ん
475 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 21:53
ハハッ
それにしてもこの渡海難ってやつみんなからバカにされながら
よくもこれだけ長文の詳しいレスを何度もできるもんだな。
こいつに賽の河原で石積みでもさせてみたいな。
476 :
正直な感想:2001/08/16(木) 22:53
専門用語を使わずに、現代用語、日常用語を使って説明されているので、
とても分かり易いはずなんですが、私にとっては、渡海用語での説明です。
文字は見慣れた文字が並んでいるのですが、文字の意味が私が理解したものと
渡海さんが意味したものが同じかどうか、かなり疑問です。
言葉というのは難しいですね。
477 :
儀式屋:2001/08/16(木) 22:55
>>462 私は、大学卒業後、本山での儀式作法の講習会などにも通っったり
して、本山レベルではありませんが、一般の住職や僧侶よりも儀式
作法に関しては習得しているつもりです。
この10年ほどは、親戚や近所のお寺の蓮如上人の御遠忌法要のお
手伝いを多くさせていただきました。
盛大な法要のディレクターとして指揮・運営させていただくと、
とても偉い仕事をしたようでとても気持ちがいいです。
でも、未だに儀式が好きかというとそうではありません。
>>398でボノさんが“「型」に逃げる”って表現していますが、
私自身そうだと思います。
学問(教学)の道に挫折したから、儀式作法を選んだということが
あると思います。
私は、型に逃げたんだと思います。
478 :
儀式屋:2001/08/16(木) 22:55
また、よそのお寺の御遠忌法要を運営させていただくと、素直に、
住職や寺族、門信徒が一致団結して、盛大な法要を営まれることが
すばらしいと思いますし、うらやましく思います。
しかし、その一方で、大きな経費をかけて行うに値する内容だった
かと考えると、決してそうは思えません。
自分はただ単に大きな張子を作ってみせただけのように思えて、資
金の無駄づかいのお手伝いをしたような後ろめたさを感じます。
そういう理由もあって、もちろん私の寺が貧しいということもある
し、私自身が小心でご門徒にお願いできないということもあって、
自分の寺ではそういう盛大な法要をしていません。
私自身、儀式の専門家であるかのように評価してもらうことに、心
地よさを感じる一方で、自分がかかわる儀式に大きな意義を感ずる
ことができずにいるというのが本心です。
479 :
儀式屋:2001/08/16(木) 22:56
3年前から、月に2回の定例法話を引き受けました。
これまでも、単発の法話をさせていただくことはありましたが、
決まった場所での定例法話は初体験です。
ほとんど決まったような同じ顔ぶれが集まるわけですから、同じ話
はできません。
そこで、テーマを正信偈に決めて、毎回、学生の研究発表のように、
一夜漬けの勉強をしながらお話しをさせてもらっています。
前任者は、本山の講師を務めるほどの方で、大先輩です。
それに聴衆は、ずっと法話を聞き続けてこられた方がほとんどで、
中には元・親鸞会という強者までいらっしゃいます。
教学(勉強)に挫折した私のようなものが務められるような役割で
はありませんが、毎回素直に自分の思いをお話しさせていただいて
います。
私が、ど素人の言葉で話をすると、おばちゃん、おばあちゃんたち
が、きちんと仏教用語でまとめてくれます。
法話をしているのは私ですが、一番勉強させてもらっているのも私
だと思います。
坊さんのくせに情けないって叱られそうですが、これが本来の浄土
真宗かなぁ?と思っています。
480 :
次男坊:2001/08/16(木) 23:42
>>469 >お寺から出たり入ったり簡単にして良いものなのでしょうか?
>檀家が気に入らなかったら寺ごと切り捨てちゃうのですか?
あなたの門徒を品物のようにそんなに簡単に考えているのか、とい
うあなたの気持ちはよく理解しているつもりです。
そんなに簡単に寺を捨てるほど、軽く考えているのかということで
すよね。
でも、逆もあると思うんです。
寺の長男に生まれたからといういいわけで、他に能力がないくせに
やむなくというポーズで、いいかげんに、適当に住職を務めること
が門徒にとって幸せなことかどうかということです。
そこには、「お寺と門徒は運命共同体だ。」などという意識が存在
するはずはありません。
私の地方では、“寺と門徒は、本家・新宅。親子”という言葉で、
寺と門徒の関係が表現されていました。
ご門徒が、私に期待する心づもり、だと今でも肝に銘じているつも
りです。
逆に言えば、単なる金づる、単なるスポンサーだとしか思えないよ
うなやつは、住職になってほしくないという意思表示でしょう。
私は、寺を継いだ者がご門徒のことを真面目に真剣に考えて、寺を
捨てた者が門徒のことを考えずに我が侭をしたとは決めつけられな
いと思います。
自分のような者が寺を継ぐべきでない、自分はご門徒の信仰心に応
えることはできないと、ご門徒のことを思えばこそ寺を出た人も多
いと思います。
481 :
次男坊:2001/08/16(木) 23:43
実は、私は寺の次男坊です。
兄は首都圏の公立大学へ進学して、公務員となり、寺を捨てました。
兄のように偏差値の高い大学へ進学できなかった弟の私が、やむな
く寺の跡を継ぎました。
兄は、旧厚生省関係の福祉の仕事がきっかけで、仏教の勉強をする
こととなり、それがきっかけで自分が捨てたはずの仏教の教えに目
覚めて得度をし、教師という住職になる資格も取得し、とうとう義
姉共々夫婦揃って脱サラして、福祉施設のボランティアをしながら
寺を起こしつつあります。
しぶしぶ寺を継いだ私と、福祉のボランティアに専念するために安
定した公務員の職を捨てて坊さんになった兄、どちらが純粋か、比
べるまでもありません。
482 :
ボノ:2001/08/16(木) 23:54
>>471 >>472 その書き込みは何故称名念仏行が真実の行でありうるか?という説明なんですか?
そりゃ文法的にも単語的にも日本語だけど…、簡潔に要点だけでいきましょ…
483 :
ボノ:2001/08/17(金) 00:25
>>儀式屋さん
親鸞の教えを学ぶものにとって大切なのは学問ではないと思うのです。
ましてや作法・儀礼でもないのです。
僕は念仏を主体的に考えていこうという気持ちだけだと思います。儀式屋さんの言葉で言えば「(念仏に対する)自分の思い」を持ち続ける営みこそが最も大切なことだろうと思います。
言葉を変えれば、自分にとって阿弥陀仏とは如何なる存在なのか?自己とはなんぞや??とか、まぁいろんな言い方があるとは思いますが、そういうことを考え続けることがもっとも大切なんだろうと思います。
その方法論として学問があったり、社会的な実践があるんだろうと思います。助業ということです。
僕は前に「型」に逃げると言ったんですけど、「学問」に逃げるというのもあると思います。
学問の話ならだれが話したって同じ話になっちゃうんですよね。個人の宗教体験が問題とならない恐れがあるような気がします。
缶コーヒーを説明するのにこれは砂糖が何%で脱脂粉乳が何%でとか言ってるようなものだと思います。こんな説明なら実際にコーヒーを飲まなくてもできるんですよね。
そんな説明よりもこのコーヒーはいままでのと比べて苦いのか、甘いのか、おいしいのか、まずいのか、そういう説明が僕にたちには求められてるんだと思います。
月二回の法話は大変と思いますが、「型」に逃げず、「学問」に逃げず頑張ってくださいね
僕も後をついていきますから
>簡潔に要点だけでいきましょ…
長すぎますか?(苦笑) では結論から行きましょう。
往生は現世・来世にこだわらないということです。
往生の意味は、原理的には、祇園精舎に入ることを意味する。
往生の実質的意味は、仏道修行者の仲間に入るということを意味する。仏道修行者の仲間に入るということと、祇園精舎に入るということは、因果の鏡で等価的に評価論で考えられている。
評価の基礎は2つある。伝統教学を形式論理的に解釈した説明的論拠。これがひとつ。
もうひとつは、親鸞自らの経験的事実。形式論理的論拠は教行信証という形で詳細に論議されている。
経験的事実は、化身土巻で詳しく論じられている。
要点は一応こういうことです。まず要点と仰るので、議論を一時ここで止めてみましょう。
ただし、これだけでは非常に分かりにくいと思います。現世・来世にこだわらないとはどういうことか。
祇園精舎に入るとはどういうことか。仏道修行者の仲間に加わるとはどいうことか。
原理・実質・評価という言葉一つ一つの概念が明確になってこないと、全体の構造概念はクリヤーにならないと思います。
私の中に言い尽くせないものがあります。
もっとも、いきなり木々一本一本を見ていくと森全体が見えなくなります。
難しいところですね(苦笑)。とっつき安いところから質問してくださると応えやすくなります。
485 :
クリヤー:2001/08/17(金) 00:36
クリヤー
486 :
渡海がいいことを言った:2001/08/17(金) 00:39
>往生は現世・来世にこだわらないということです
487 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 00:45
>儀式屋
>次男坊
あんた達エライよ、頑張ってよ。
488 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 00:53
489 :
名無しさん@1周年 :2001/08/17(金) 00:56
んん!?難しいなぁ・・・。
親鸞はなぜ、念仏を選んだか・・・。
「念仏以外の行では、救ってあげたくとも思うように救えないっていう現実がある。
法華経はありがたい。でも、丸暗記したところで何の救いにもならない。
ならば、念仏して仏と成った後に一切衆生を救えばいいのではないか。」
って、思ったんでしょうね。歎異抄を読む限りでは・・・。
私は、他力門の最初の入り口は、実は聖道門と同じ、「菩提心を起こす」こと
ではないかと思います。
490 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 01:59
>>483 ボノよ。おまえには儀式屋に講釈たれる資格など、数百万分の1もないぞ。
二十願の世界はこわいぞ。二十願の世界は魔境だぞ。
おまえ、このままいくと渡海みたいになっちゃうぞ。
よろこびを むかしはそでにつつみけり こよいは身にもあまりぬるかな。
よくよく省みてみろよ。
491 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 07:58
>>490 >二十願の世界はこわいぞ。二十願の世界は魔境だぞ。
これはどういう意味なんですか?
一般人、素人にも分かるようなカキコをお願いします。
493 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 09:07
あぼ〜ん
494 :
素人:2001/08/17(金) 09:55
>>492 >後生の一大事とは、極めて意義深く、重大重要な仕事だ。
>昔の人は、それだけに一生を捧げた。
>重大重要性では昔と変わりはないけど、その遂行方法は親鸞聖人以降、極めて簡単にな
>った。
>「ただ念仏」。これだけで十分なんだ。
・・・
>後生の一大事が片づいていれば、後生は明るい。死んでも地獄に行かない。
後生の一大事って、あの世の問題なのか?
死んでから地獄へ堕ちないように、冥土の幸福を心配することが、後生の一大事か?
念仏って、地獄へ堕ちないための呪文だったのか?
495 :
儀式屋:2001/08/17(金) 10:18
>>490 >おまえには儀式屋に講釈たれる資格など、数百万分の1もないぞ。
皆さんはどのように読まれたか分かりませんが、
私はボノさんに講釈をたれられたという意識はありません。
ボノさんの儀式に対する否定的なレスに対して、反発ばかりが目立ったので、
私の思いをレスしただけです。
私が勝手にボノさんの考えに賛同しただけです。
496 :
490:2001/08/17(金) 11:21
>>491 他力の中の自力を二十願といいます。
宗祖親鸞聖人のお言葉の上からは、(ちょっと長いですけど)
まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶慶心を獲ず。ゆえに宗師(善導大師)は、
「かの仏恩を念報することなし。業行をなすといえども心に軽慢を生ず。つねに名利と相応するがゆえに、人我おのずから覆いて同行・善知識に親近せざるがゆえに、このみて雑縁に近づきて往生の正行を自障障他するがゆえに」といへり。
とか
おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもって
おのれが善根とするがゆえに、信を生ずることあたはず、と。
蓮如上人の上からは、
身をすてて、おのおのと同座するをば、
聖人のおおせにも
「四海の信心の人は皆兄弟」と仰せられたれば
我もその御言葉のごとくなり。
とか
我ばかりと思い独覚心なることあさましきことなり。
とか
人はあがりあがりて落ち場をしらぬなり。
など等
つまり、自分の身の丈に合う様(無理やり収めこむために)にお念仏をコピペ/カット&ペースト(略してカッペ?)
しているにすぎないのに、円融至徳の本願の嘉号(スナワチ南無阿弥陀部ナリ)であってみれば、そこには広く深いと思えるだけの世界がひろがっており、真摯な求道をしているかのような充足感を味わえるということです。
長くてゴメソ
497 :
素人:2001/08/17(金) 11:48
>>496 >自分の身の丈に合う様(無理やり収めこむために)にお念仏をコピペ/カット&ペースト(略してカッペ?)
>しているにすぎないのに、円融至徳の本願の嘉号(スナワチ南無阿弥陀部ナリ)であってみれば、
>そこには広く深いと思えるだけの世界がひろがっており、真摯な求道をしているかのような充足感を味わえるということです。
すみません。
南無阿弥陀仏のお念仏に出会えば、
真摯な求道をしているかのような充足感を味わえるということですか?
もしそうなら、どうしたら南無阿弥陀仏のお念仏に出会えるんですか?
「そこには広く深いと思えるだけの世界がひろがっており」ってことなんですけど、
お念仏の世界は、単なる大きな空洞ってことですか?
質問ばかりですみません。
>>494 名前
>後生の一大事って、あの世の問題なのか?
後生の一大事とはこの世の問題。後生はあの世だけど、それを一大事と認識するかどうかはこの世の今の問題です。
>冥土の幸福を心配することが、後生の一大事か?
冥土の幸福の心配ではないでしょう。予測不能の先々の問題にとらわれて袋小路に迷うよりも、足下の現実の問題に全力集中する精神的余裕を持とうと言うことでしょうね。
>念仏って、地獄へ堕ちないための呪文だったのか?
素人の方なら、呪文という包括的な概念でいいでしょう。起源的には真言という分類に入ると思います。真言には呪文という訳語が使用されています。
仮に地獄とか呪文というキーワードを使うなら、もう少し別の言い方をしたいと思います。
地獄だけに限らず、地獄から天界までを一括し、その全体を極楽浄土に転じていく呪文だと思います。地獄から天界までを六道といいます。有頂天から絶望までを包括して学習の礎に変えていくそういう呪文だと僕は考えています。
499 :
素人2:2001/08/17(金) 13:36
>>498 1.どうしてあの世のことを、この世で一大事として認識しなければならないのですか?
2.私は、死んだ後のことは心配していないんですけど、私のような者には念仏は必要ないんですか?
500 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 13:48
501 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 14:37
502 :
496:2001/08/17(金) 16:26
>>497 すいません。言葉が足りませんでした。その前に
>>496の誤字を訂正しておきます。
×大慶慶心→○大慶喜心
×(スナワチ南無阿弥陀部ナリ)→○(スナワチ南無阿弥陀仏ナリ)
さて、
×円融至徳の本願の嘉号(スナワチ南無阿弥陀仏ナリ)であってみれば
○上の文に追加→それを我が手柄の如く矮小に曲解してしまってすらも、
×そこには広く深いと思えるだけの世界がひろがっており
○そこには他力真実の御本願の世界の広さ・深さには比べるべくもないものの、
行者の心の闇に相応するかのような、広く深いと思い込むに足りるだけの
自力の迷妄にとらわれた上での仏道の世界がひろがっており
×真摯な求道をしているかのような充足感を味わえるということです
○あたかも、我こそは真摯な求道を歩む者であるかのような錯覚に陥いってしまう
世界がある。ということです。
これらは、他力の御本願のご縁をいただきつつも、もったいなくも自力の迷妄に沈む姿です。
その恐ろしさとは、自心の虚偽になかなか気付けないということはもちろん、どこかで
自心の虚偽に気付きつつも、その虚偽を自覚したとたんに、それまでの自分の求道が
はかなく崩壊せざるを得ないことを恐れてますます自力の迷妄を自ら好んで深めようとしがちである。
(私のうそが、たとえ私に対しても見破られませんように、これがいつかほんとの真実に変わりますようにと
祈りつつ、心をかたくなに他の一切に対して閉ざさざるを得なくなる。)というところにあるでしょう。
他力の御本願の世界は、不可称 不可説 不可思議の、もっともっと広広とした、のびやかな世界です。
二十願の行者すら、その自心にひそむ恐れを捨てて、真実功徳の大宝海に帰入するならば、自分が捨てたと
思ったものの数百万倍もの(わざとクドク使ってるんですこの単語←ベンカイ)功徳が回向されていたことに
気付かされることでしょう。
その心を、蓮如上人は御文章第一帖第1通に、
よろこびを むかしはそでにつつみけり こよいは身にもあまりぬるかな。
と古歌にさし寄せてお示しくださいました。よくよくご案じください。
マタマタ長レス スマソ
503 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 16:33
>>502 他力の御本願の世界は、不可称 不可説 不可思議の、もっともっと広広とした、のびやかな世界です。
じゃあ坊主は説教なんかできんよな
504 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 18:01
南無渡海難
505 :
素人:2001/08/17(金) 18:01
>>502 丁寧にありがとうございます。
私なりに考えながら、何度か読ませていただきました。
自分の頭で阿弥陀さまの救い(南無阿弥陀仏の念仏)を理解しようとするなってことですか?
努力しようとするなってことですか?
もし阿弥陀さまの他力本願が理解できても、自分が頭がいいから理解できたと思うなってことですか?
>>499 名前:素人2
1.どうしてあの世のことを、この世で一大事として認識しなければならないのですか?
あの世のことをこの世の一大事として認識しなければならない理由などはないでしょう。
基本的には、物事に対して複眼的な目を持ってみようと言う提案だと思えばいいでしょう。
今生における今の生活。今の仕事。今の学校。
こういうものこそが我々にとって最も大切です。
その大切さは敢えて言うまでもないでしょう。
その中で仏教は、複眼的な目を持ってみようという提案をしていると思えばいい。
「今生における今の生活。今の仕事。
今の学校。こういうものが我々にとっては最も大切」。
こういう考えでは時に身動きできなくなる場合がある。
仕事がうまく行かないとき、今の仕事こそが大事なんだという、単眼的な価値観だけでは自分を追いつめ、袋小路で自分の首を絞めてしまうことがある。
そんなとき、別の価値観が近くにあると精神的なゆとりができる。
大事なのは多様な価値観を持つことでしょう。
「あの世のことこそ一番大事だ」などという考えに単眼的にとらわれると、どこぞのカルトの信者さんのように、不幸になる。
複眼的な目が持てず、同じように単眼になるなら、「今生における今の生活。今の仕事。今の学校。こういうものが我々にとっては最も大切です」という価値観の側で単眼になった方がまだいいかもしれない。
2.私は、死んだ後のことは心配していないんですけど、私のような者には念仏は必要ないんですか?
必要ないでしょう。死んだ後のことを心配していないなら、別に念仏なんかいらんでしょう。
宗教が本当に必要な人というのは、僕は恐らく、百人に一人、千人に一人程度じゃないかと思ってます。
ほとんどの人は、一生宗教などに縁がなくても、立派な人生を十分に生きていけるものでしょう。
おかしな宗教にかぶれて人生を狂わす人は極めて多い。
宗教にかぶれて人生を狂わすような人には、宗教は害になる。
ただ、単眼の価値観に縛られていると、七十年、八十年の人生の中で一週間あるいは二週間ぐらい、場合によっては1年以上も動きの取れない袋小路で苦労する場合があるものです。
複眼で考えられれば、少なくとも精神的には余裕が出来て楽になるのに、単眼の価値観に自縄自縛して苦労する。
そういう場合にはやはり宗教は必要だと僕は思う。
自縄自縛で苦労しているとき、泥縄式に本物のの宗教と接触しようとしても、これはなかなかうまくいかない。
複眼的価値観が必要なとき、きちんと機能するようにするには、あまり宗教なんか必要の無いときから徐々に接触し、困った時にはいつでも手が届くところに遊ばしておく必要がある。
僕はそう思うんですよ。
>>507 誤 遊ばしておく必要がある。
正 複眼的な価値観をころがしておく必要がある。
509 :
渡海なかなかいいこと言ってるな:2001/08/17(金) 19:55
但し、もっと読みやすくする工夫をして下さい。
でこぼこになってるから・・・
510 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 20:10
臨終になると、平生死んだ後の心配をしてこなかったことを後悔するって本当ですか?
511 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 20:13
渡海よ。
俺はお前に真面目な話をする。聞いてくれ。
俺は小学校の時から、「人をいじめてはいけない」という信念をもっていた。
クラスでいじめられている奴がいると、先頭に立ってそいつを庇ってやった。
そいつがシカトされていると、すすんで話しかけてやったり、
持ち物を隠されたりすると、こっそり隠し場所を教えてあげたりした。
おかげで俺はほかの奴から冷たくされたこともあった。
俺はそいつらに「なぜあいつをいじめるのさ?」って訊くと、
きまって「ウザいから」「キモいから」という答えが返ってきた。
俺はそんなふうに、他人を感覚の違いだけで攻撃する奴が許せなかった。
確かにいじめられる奴らは、暗かったり、変に気取ってたりして、
他人とのコミュニケーションに少し問題がある奴がおおかった。
でも俺は「じっくりつきあっていれば良いところもあるさ」と思って、
根気強くつきあってきた。彼等はいじめられているからかも知れないが、
結構寂しがりやで、二人きりになるといろいろ話してくれた。
渡海よ。俺はだからいじめられっ子の気持ちが少しはわかるつもりだ。
ネットワークの向こうでは自分が見えないから、大胆になるのもわかる。
仕返しが怖くないから、煽り放題なのも、お前には気持ちがいいんだろう。
渡海よ。でもお前はそれではいけないんだ。
お前の問題は、その絶望的なまでのコミュニケーション能力の欠如にあるんだ。
お前のスレッドには、俺からみても「キモい」と思わせるオーラが出ているんだ。
お前にたいするレスが敵対的なものばかりなのも、まともなレスが返ってこないのも、そういう事なんだ。
お前は、現実社会でも、ネット上でも、独りぼっちなんだ。
512 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 20:14
愛する子供が事故で死んだ時、小切手の不渡りで大金持ちから、超貧乏に。
愛した女が手に入んないとき。若くして末期癌になった時。
この世は苦しみの集まり。
仏教なくして、生きたって、死ぬ時には汚い身一つで逝かなければならない。
妻も連れてなければ、孫もペットも財産も手放さなくてはならない。
そして地獄へ落ちるのだ。
513 :
つぶやき:2001/08/17(金) 20:43
>>506-507
渡海さんの言葉・意見が、私に理解できない理由が、なんとなく分かったような気がしました。
渡海さんは、仏教、少なくとも浄土真宗の念仏の教えは、死んだ後のことを問題にしていると考えていらっしゃるんですよね。
私は、仏教は、「お前の生きざまはそれでいいのか」と、今・現在の生きる姿勢が問われているのではないかと思っていました。
「後生の一大事」の呼びかけは、「お前も必ず死んでいく身なんだぞ」と、死を自覚せよという呼びかけだと思っていました。
お前は自分はまだまだ生きていられると、自分が死んでいかなければならないということを自覚していないから、
だらだらとなんとなく日暮らしをしてしまってはいないかと、反省を促しているのではないかと思っていました。
「お前には明日という日はないかもしれない。だから、一瞬一瞬の、今をしっかり生きよ」という呼びかけているのだと思っていました。
どこにそんなことが書いてある?って質問されても、私には返事ができません。
なんとなく、いつの間にか、そんなふうに思っていただけですから・・・。
>>444 C親鸞は社会変革論を『教行証文類』で説いていましたか
社会変革というと言葉の選択に正確性を欠いていたかも知れませんね。しかし、間違いだと言わ
れるほどのズレは多分無いと思いますよ。
天台では一隅を照らす灯は千里を灯すと言うそうですね。一隅をもって千里に通じる灯、親鸞の
念仏想にもそんな静かな改革性があると思います。千里に通じる一隅の灯を、親鸞の記述から見て
いきたいと思います。
「もし世尊声聞弟子ありて、法に住し法に順じて、三業相応して修行せば、我等みなことごとく
護持養育して、一切所須乏しきところなからしめんと。
<釈尊先生のお弟子さん、あるいは小乗の賢人達に教わる人々が、意思と行動と発言において先生
方が示されている教えに従っている限り、陰に日向に我々は応援してやろうじゃないか。少なくと
も経済的な困窮に陥らないように守ってやろうじゃないか>
「自在の処を得て、一切闘諍飢饉を休息せしめ、乃至、三宝の種断絶せざらしむるがゆえに、三種
の精気久住して増長せしむるがゆえに、悪行の衆生を遮障して、行法の衆生を護養するがゆえに、
衆生をして三悪道を休息せしめ、三善道に趣向するがゆえに、仏法をして久しく住せんことを得し
めんがためのゆえに、勤に護持を作すと。
<さまざまな精神達に器量に応じた所在すべき本来の場所を与え、争いと飢餓を減らしたいと思
う。真理を具現する仏法僧を絶やしかねない原因を排除することに全力を注ぎたいと思う。社会の
安定と大衆の心の安定と秩序の安定を確保し、悪行を行なおうとする人々の思いを止めさせ、人々
の社会的な活動を守りたいと思う。地獄道・餓鬼道・畜生道(三悪道)に転落することなく、正し
く人道・天道・仏道(三善道)に向かわせたいと思う。いつまでもいつまでも仏道を社会に留めた
いと思う。自分はそのことに全力を尽くしたいと思う>」
正しく仏法を求めていけば、物事は自ずから必ずや好転していく。親鸞は雪深い流刑の地でそう
した出会いをたくさんもったのでしょう。化身土巻末に、僕は流刑地での親鸞の体験的事実を感じ
ています。
>親鸞教学学ぶものとしてどういう実践をされているのですか?
僕だってただ念仏称えるだけですよ(笑)。
>>513 名前:つぶやき
>渡海さんの言葉・意見が、私に理解できない理由が、なんとなく分かったような気がしました。
そうですか。なんとなく分かったような気がしましたか。ウンウン。よかったですね。では、じっくりと考えるとまた、変わってくるかも知れませんね。
517 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 21:08
あぼ〜ん
518 :
淫乱:2001/08/17(金) 22:30
浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし
519 :
502:2001/08/17(金) 23:20
>>503 >>505 もしかしたら人は、「ありがとう」や「ごめんなさい」の言葉を知らなくても生きていけるのかもしれない。実際この世に生まれてきたときには、それらの言葉は知らなかったんだし。
いつからありがとうがいえるようになったんだろうか。
いつからごめんなさいがいえるようになったんだろうか。
誰に教えてもらった言葉だったんだろうか。
けど、「ありがとう」や「ごめんなさい」の言葉がどれだけたくさん自分の人生に豊かな世界を作りだしてくれたことだろう。
「ありがとう」や「ごめんなさい」の言葉を教える人がいなかったなら、自分の人生はいったいどうなっていただろう。
それらについて、正確に思いはかることなどできないけれど、「ありがとう」や「ごめんなさい」と言わずにはおれない生の瞬間が、自分の人生には確かにある。
お念仏もそうですね。すべての人の人生に、生死をつらぬく言葉のあることを教えられ、その言葉によって自分の人生がいろどり豊かに育てられてゆくんです。いろどり豊かにひらかれてゆくんです。
お念仏を理解するのではなく、人の称えるお念仏に聞いていくんです。自分の称えるお念仏に聞いていくんです。
520 :
M会ROM:2001/08/17(金) 23:26
521 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 07:53
な〜む〜と〜う〜み〜な〜ん〜>>>南無阿弥陀仏
× な〜む〜と〜う〜み〜な〜ん〜
◎ 南無阿弥陀仏
(苦笑)
523 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 09:20
どうでもいいことを思い出したんですけど、
中国には、南無阿弥陀仏をナムオミトーフーと発音する地方があるそうですね。
524 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 09:49
南無 渡海難 → ナムトウミナン → ナムウミトナン
→ ナムオミトナン → ナムオミトーナン → ナムオミトーナム
→ ナムオミトーナフ → ナムオミトーフー → 南無阿弥陀仏
525 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 09:54
念仏誹謗の有情は
阿鼻地獄に堕在して
八万劫中大苦悩
ひまなくうくとぞときたまう
526 :
名無しさん@一周年:2001/08/18(土) 16:35
念仏誹謗の有情とは、弥陀のお目当ての私一人のこと
>>458 >親鸞は、法然の弟子なのになぜ別の宗派の開祖とされているのでしょうか?一説では、覚
如が、親鸞を宗祖として独立したとのことですがそういうことでしょうか?
どうしてこういう質問に真正面から応えようというお坊さんは出てこないんでしょうね。
在家の方の初歩的な質問は馬鹿馬鹿しくて答える気にもならないということでしょうか。
親鸞を宗祖として独立させたのは覚如でしょう。法然上人自体、一宗一派を起こそうとい
う気持ちはなかったでしょう。
法然一門で新たな一宗を起こそうという気概は、法然の遺弟である親鸞に強い。精神的に
は流罪事件が大きく影響している。ところが歴史は皮肉なもので、法然一門で結集して新た
な一派を起こそうとした親鸞は、他の法然門下と決別する形で自分が一派の祖に祀られてし
まった。他の法然一門は、親鸞を外して結集し、法然を祖とした独自の宗派を作る結果にな
った。
覚如は、親鸞門下の結集というより、東山大谷祖廟中心主義を主張している。目の上のた
んこぶとなる他の親鸞門下を、覚如は意識的に蹴落とそうとさえしている。親鸞門下と祖廟
との確執は戦国時代まで続く。石山寺戦争では高田派は信長側についたと記憶しています。
<もし違っていたらごめんなさい。>
浄土真宗(一向宗)というのは、本来は大谷祖廟宗なんでしょう。大谷祖廟宗が親鸞を祖
として一派を宣言して巨大化したことで、高田派など親鸞ゆかりの寺々もつられて浄土真宗
(一向宗)を名乗るようになったということではないでしょうか。
法然一門の新たな一宗の結成を追究している親鸞の主張は、策略家である覚如の助けにな
っているという感じがします。覚如は策略家だけど、策略だけでは世の中は動かない。法然
と親鸞が別の宗派の祖となる方向に歴史が定着したのは、法然と親鸞では思想に違いがある
という現実があるからでしょう。
初歩的な質問は馬鹿馬鹿しいから応えないと言うんじゃなく、詳しい方はもっとカキコす
るといいでしょう。
528 :
名無しさん@一周年:2001/08/18(土) 17:19
法然って確か死ぬまで天台沙門を名乗っていたんですよね?日蓮系では、天台沙門を名乗るかどうかで大もめで、
分派の原因にもなっているのに比べたら対照的。やっぱり、法然さんには、開宗の意志は無かったんでしょうか?
529 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 19:19
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ( ((((((^))))))´ ̄ ̄ ̄ ̄\(# ノノノノノノノノノ)|___A_| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ )
( 人____).|ミ/ _=_| ノノノノメノナノノ) ノー◎-◎|ノ川 ノ ー))/))ナ)))ナ)ヽ)
|ミ/ ー◎-◎-)(6ー[¬]-[¬] ノー□-□-|リ(彡ミ)\ つ|ノ川 ー●-●.| ノ ⌒ _ ⌒ |ノ
(6 (_ _) )| 、」 |川) ∴)`_´(∴)ゝ彡ミ) | ∀ノノ .| (・・) |( .///) 3 (//)
_|/ ∴ ノ 3 ノ \ (ー)// \___/ ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)/| (三) |)\___/()
(__/\_____ノ_| \___/ |_| | ノ三三三三|/::::::::\___/\ ヽ()
/ (__)) ))| | 親鸞会 | | 渡海マンセー(6ノー⊂⊃⊂⊃:::::::::::::渡海会::::|/ アホ坊主(())
[]__ | | 渡海先生ヽ | 氏ね .| | |彡 ・・ |:::::::::::::::::::::::::::::::::/| )|
|] | |______)_)三三|□|ミ(__)____ノ彡 (ーノヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/_)_____))
\_.(__)三三三[国]) \::::::::::::::::::/ \:::::::Y::::| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|三三[国])、_/)_/)_\
/(_)\::::::::::::::::::::| ̄ ̄|:::::::|::| ̄ ̄ ̄ ̄|::::|:::(⊃ 打倒本願寺 ⊂):::::::::::\:::(∴)◎∀◎(∴) \
|カンパ..|:::::::::/:::::/ .|:::::::|::|浄土通信 .|::::|:::::|________|´)::::::::/⊂) ̄ 念仏宗 ̄(つ ̄
|4000¥ |;;;;;;/;;;;;/.____|;;;;;;;|;;|____|;;;;|:::/;;;;;;__.へへ__;;;\/;;;;/;;/(~ ̄ ̄ ̄) ̄ ̄~)
(___|)__|) (___)__)(___(;;;;;;;;;;;___||__;;;;;;(__).__)(____)___)
530 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 20:14
>>527 >>458の質問によく気がつきましたね。
>どうしてこういう質問に真正面から応えようというお坊さんは出てこないんでしょうね。
>在家の方の初歩的な質問は馬鹿馬鹿しくて答える気にもならないということでしょうか。
これは違うと思います。
ボノさんやあなたの議論に目がいってしまって、この質問が目に止まらなかった、頭に残らなかっただけでしょう。
あなたの欠点は、こういう余分なカキコをすることです。
上の2行があるために、素直にその下の説明が読めないでしょう?
渡海は、坊さんを批判するために、みなが忘れそうになっていた80個前のレスを持ち出して、
自分が坊さんよりも知識があることを誇示したいんじゃないかって、勘ぐりたくなるでしょう。
531 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 20:15
「詳しい方はもっとカキコするといいでしょう。」
こんなカキコされると、私のような素人が参加できなくなってしまうんですけど・・・、
と言い訳をしておいて(渡海さん噛みつかないでください)、
法然上人と、弟子の親鸞聖人のお念仏、信心は同じでした。
親鸞聖人は、浄土真宗を開かれたのは法然聖人だと認識していたと思いますし、
親鸞聖人は法然聖人の教えにしたがわれただけで、親鸞聖人自身には開宗の意志はなかったと思います。
しかし、同じ法然聖人の教えを受けられた弟子の弁長上人や証空上人と、親鸞上人では、法然聖人の教えの受け取り方が異なっていたのでしょう。
そこで弁長上人や証空上人の流れが浄土宗、親鸞聖人の流れが浄土真宗になったのだと聞きました。
532 :
名無しさん@一周年:2001/08/18(土) 22:43
浄土宗と浄土真宗の違いは、日蓮宗と日蓮正宗の関係によく対比される。確かに覚如が、あたかも親鸞のみが、法然の正当な後継者であるか
のように話をでっちあげた口伝書を書いて独立したあたりはよく似ている。しかも覚如や、存覚は、西山義を
学びその影響を受けているのに、証空が親鸞に論破されて教義を盗んだかのような作り事を平気で書いているの
は、盗人猛々しい感じがする。
533 :
名無しさん@一周年:2001/08/18(土) 22:52
356の質問も見逃されているのでしょうか?(リンクの張り方を知りません。お手数ですが、探して下さい。)
534 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 22:58
535 :
名無しさん@一周年:2001/08/18(土) 23:22
533です。ありがとう。
>>530 >質問によく気がつきましたね。
カキコのあった直後に気が付いていたんですよ。これは面白いし、きっとレスがすぐつくだ
ろうと期待していたんですよ。僕はすぐ書きたかったんだけど、ノボさんとの議論がこんなに
早く事実上終息するとは思わなかったからそっちに移れなかったんです。
>これは違うと思います。
そうですか。大変失礼しました。m(_ _)m (-_-;)
>あなたの欠点は、こういう余分なカキコをすることです。
そうですか。大変失礼しました。m(_ _)m (-_-;)
>上の2行があるために、素直にその下の説明が読めないでしょう?
そうですか。大変失礼しました。m(_ _)m (-_-;)
>知識があることを誇示したいんじゃないかって、勘ぐりたくなるでしょう。
いやいや。そういう訳では…… m(_ _)m (-_-;) <モジモヂ>
誤 ノボさん
正 ボノさん m(_ _)m
>>531 >私のような素人が参加できなくなってしまうんですけど・・・、
申し訳ない。大変失礼しました。m(_ _)m (-_-;)
>渡海さん噛みつかないでください、
とうとう。オオカミになってしまったか (-_-;)
>法然上人と、弟子の親鸞聖人のお念仏、信心は同じでした。
同じかどうかなどは、主観の相違でどうでも言える。
>親鸞聖人は、浄土真宗を開かれたのは法然聖人だと認識していたと思いますし、
なるほど。僕とは少し見解が違うようですね。
>親鸞聖人は法然聖人の教えにしたがわれただけで、親鸞聖人自身には開宗の意志はなかっ
たと思います。
その通りでしょうね。
>しかし、同じ法然聖人の教えを受けられた弟子の弁長上人や証空上人と、親鸞上人では、
法然聖人の教えの受け取り方が異なっていたのでしょう。
こういう話は聞いたことがあるけど、弁長・証空という人がどういう理解をしていたか僕
が分からないため、僕は何とも言えない。
>そこで弁長上人や証空上人の流れが浄土宗、親鸞聖人の流れが浄土真宗になったのだと聞
きました。
弁長や証空の流れが浄土宗、親鸞の流れが浄土真宗になったということはその通りでしょ
う。ただ、弁長や証空は二祖となっている。浄土宗は法然上人を始祖としている。弁長や証
空の受け取りが法然の真意と違っていれば、弁長や証空が始祖と仰がれても不思議ではない。
法然の思想と親鸞の思想とが同一だというなら、法然が始祖、親鸞は二祖となる。ところ
が親鸞は宗祖(始祖)と仰がれ、法然は元祖と呼ばれている。いわば、親鸞が実権を握る社
長で法然はお飾り的な名誉会長的な存在だ。
法然の思想は親鸞思想と明らかに違うと僕は思う。親鸞は、流罪・僧籍剥奪という異常な
経験を経て、思想が変貌したんだと思う。法然に従う他の高弟達には、流罪で変貌した親鸞
思想は受け入れられないと思う。
540 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 23:37
>>533 渡海さんは、お坊さんではないけど、真宗系でしょう。
お坊さんが答えないと批判ばかりしているんだから、この質問にも答えてあげなさい。
ちなみに、私はこの著者も書名も知りませんでした。
541 :
名無しさん@一周年:2001/08/18(土) 23:46
覚如は、恵信尼の書簡のなかの、自分のみた夢のなかで、法然が勢至、親鸞が観音だった
という内容を改変して法然が勢至、聖徳太子が観音、親鸞が阿弥陀と法然を親鸞より格下げ
して親鸞の露払い役にしてしまっている。
542 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 00:13
>>536 >ノボさんとの議論がこんなに早く事実上終息
>するとは思わなかったからそっちに移れなかったんです。
って
>>505=渡海だろ。もうつっこめないの(w
>質問にも答えてあげなさい。
随分失礼な方ですね。
僕は他人から命令される覚えはありません。真宗系などと、モノを扱うみたいなそんな勝手
な括り方をされる覚えもありません。僕は親鸞ファンであって、他人から真宗系などと言われ
る覚えはありません。僕を他人と一緒にくくらないでください。こちらにも人格と誇りがあり
ます。
僕は学者ではありません。松本史郎さんなどと、著者も書名も知りません。興味もありませ
ん。読もうとも思いません。僕は明治以降の坊さんの書いたものには、ほとんど興味がありま
せん。
読めばだいたい決まって腹が立ってくる。なんでこんなバカなことを言うんだろうって、そ
んな気になるんですよ(苦笑)。
ま、昔は曽我量深さんの本は少し読みました。内容はほとんど覚えていません。ただし今の
僕の考え方は、かつて曽我思想に歯がゆさを覚え、歯がゆさを克服する方向で議論を具体化し
ており、曽我批判が無意識の底流になっていると自分では勝手に思っています。まあ、曽我派
から見ると噴飯モノかも知れませんけどネ(苦笑)。
こんなところでよろしいでしょうか?
544 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 00:17
おや?
渡海難さんが下げレスとは珍しいですね。
545 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 00:35
>>532 親鸞の子や孫、子孫たちにはいろいろ問題があると思います。
息子善鸞は、親鸞自身に義絶(勘当)されているほどですから・・・。
>>539 浄土真宗のお坊さんのようなお答えですね。
思想的には、法然の思想は親鸞思想と明らかに違うというあなたのご意見はその通りだと思います。
龍樹〜天親〜曇鸞〜道綽〜善導〜源信〜源空〜親鸞、これが浄土教の正道だと思います。
歎異抄や御伝鈔の記述を素直に受け取るなら、親鸞聖人は自分こそ法然上人の教えを正しく受け継ぐものだとおっしゃっているように思います。
つまり、自分こそ七高僧の浄土教の正道にあると名のっていらっしゃるのでしょう。
そういう意味です。
546 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 00:53
547 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 01:06
>>543 ここは“浄土真宗の人”のスレッドですよね?
↑私の理解では浄土真宗の僧侶か門徒だと思う
渡海さんは板違いの人なのではないでしょうか…
548 :
K:2001/08/19(日) 03:57
>>480 次男坊さん
お答えありがとうございます。(亀レス申し訳無い)
私も理想と現実にはかなりのギャップがあることは重々承知しております。
そして、その半分は檀家に責任があることも承知しております。
しかしながら、そのギャップを埋める努力を僧侶も門徒もしていないのでは?
と思ったので質問させていただきました。
なぜ自分は僧侶になったんだろう≠ニ僧侶のみなさんに考えていただきたかった
のです。(レスがついたのは貴方だけでしたが)
惰性で僧侶になられた方、教学に興味をもたれて僧侶になられた方、
いろいろいるかと思われますが、何の為に寺を任されているのか?
と言う事を忘れないでいただきたいものです。
なにも知らないシロウトの戯言かもしれませんが、
僧侶のみなさま、よろしくお願いします。
549 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 06:03
>何の為に寺を任されているのか?
>と言う事を忘れないでいただきたいものです。
随分失礼な方ですね。
僕は他人から命令される覚えはありません。真宗の僧侶などと、モノを扱うみたいなそんな勝手
な括り方をされる覚えもありません。僕を他人と一緒にくくらないでください。こちらにも人格と誇りがあり
ます。
550 :
素人:2001/08/19(日) 08:18
>>542 >って
>>505=渡海だろ。もうつっこめないの(w
イヤ、渡海じゃありません。
私は、渡海のカキコの姿勢には批判的なものです。
>>545 >歎異抄や御伝鈔の記述を素直に受け取るなら、
成る程。僕とは見解が違いますね。
歎異抄は親鸞を知る上で1級の資料だけど、著者の我流の主観が入ってる。親鸞思想とのズ
レを注意しないと読み間違う危険があると僕は思ってるんですよ。
御伝鈔は笑い話の結晶でしょう。正しいことも一部には書いてあるとは想像するけど、資料
としては読み手をバカにしている紙くずのようなもんだと僕は思っています。
人それぞれ考え方、受け取りは違っていてもいいんでしょう。
>>546 何を仰りたいのかよく分かりません。
>>547 >渡海さんは板違いの人なのではないでしょうか…
僕のような人にカキコされたくなければ、パスワードで入室を制限する僧侶と門徒だけの会
員制掲示板を作りなさいよ。
しばらく掲示板を休みます。カキコできません。
553 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 10:13
浄土通信で一方的勝利宣言までもうすぐ!
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
556 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 12:08
533です。松本史郎先生じゃなくて松本史朗先生せすね。大変失礼致しました。
557 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 12:28
実際のところ、覚如を本派や谷派は、現在どう評価していますか?体系的な覚如教学批判をやっているの
は、信楽峻麿先生が目立つくらいですが。
558 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 12:31
覚如って少年時代に興福寺の坊主にレイプされたっていうのは本当ですか?
559 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 12:51
ボノはどこいった?
逃げたのか?
560 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 13:05
松本史朗先生って確か曹洞宗のお坊さんでしたよね。真宗の坊主よりかはマシかも。
他人も庭はきれいに見えるっていうから。本派の大村英昭先生がカトリックに憧れ
るのも、日蓮宗の丸山照雄先生が真宗の谷派の一部を買い被っているのも同じかな?
561 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 15:44
>>557 >覚如を本派や谷派は、現在どう評価していますか?
こんな質問されて、はい、私が○○派の代表ですって答える人はいないでしょう。
562 :
1:2001/08/19(日) 16:43
親鸞の遺骨を、京都東山の大谷に改葬し、廟堂を建てたのが本願寺の始まりとされています。
現在の東西本願寺が、親鸞の影像を安置した御影堂を伽藍の中心に置いているのは、本願寺の始まりが親鸞の廟堂であるかららしい。
その廟堂が建てられた大谷の土地は、親鸞の娘・覚信尼の死別した夫の日野広綱の所有地だった。
覚信尼は、この土地を関東の門徒に寄付をして、廟所を共同で管理することとし、その管理責任者としての「留守職」という職は親鸞の子孫が世襲するという協定を結んで、自分が初代の留守職となった。
留守職は、覚信尼から長男の覚恵に受け継がれた。
563 :
2:2001/08/19(日) 16:44
覚信尼には、再婚した夫禅念との間に唯善という子もあった。
唯善は、廟堂の管理職をめぐって争い、親鸞の影像と遺骨を鎌倉に持ち去って、大谷の廟堂を破壊した。
門徒諸派のうちには唯善を支持する勢力もあって、教団を二分する騒動となった。
その騒動後、廟所の復興を果たしたのは、高田派の顕智ら関東の門徒であった。
覚恵の子(覚信尼の孫)の覚如は、門徒に逆らうことはしないという誓約書を差し出して、ようやく留守職につくことを許された。
しかし、覚如は廟堂を本願寺と改め、1世を親鸞、2世を如信(善鸞の子)、自分を本願寺3世と定めて、以後の本願寺中心の教団の基礎を固めたとされている。
564 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 17:19
いまだに本願寺系は、異安心とかで自分の思想を表明しにくいのかな?本派は、戦前は
野々村事件などがあったが、戦後は、いち早く、佐々木壮一京大教授を顧問に迎え、他
教団に先駆けて宗規宗制の近代化、民主化を断行し、谷派は、周知の如く教学の近代化
で他宗他門に先駆し、戦後は、紛争を経て改革派が実験を掌握したんじゃなかったのか?
別に代表どうのこうのではな一人の僧侶として本派や谷派の教学の現状について発言できな
いのか?
565 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 17:27
566 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 17:27
↑
実験→実権
どうのこうのではな→どうのこうのではなく
567 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 17:30
やっぱりでかい日蓮正宗だな。親鸞会みたいなキティーがでるのも当然。
568 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 17:36
>>562-563は、「本廟物語(東本願寺の歴史)」藤島達郎著 東本願寺出版部発行に、だいたいそのようなことが書かれていると思います。
お前の要約は間違っているという指摘があれば訂正してください。
569 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 17:44
教科書問題が何かと騒がしい昨今ですが、私の高校時代、教科書(山川出版)で法然
の著書「選択本願念仏集」の読みをせんじゃくほんがんねんぶつしゅう、親鸞の主著
を「教行信証」とならったが、浄土宗では、せんちゃくほんがんねんぶつしゅう と
読み、高田派などでは、親鸞の主著を「教行証」「文類」などとよぶという。明治以降
本願寺系が権力を持ったためかこんな一宗一派に偏った公教育がなされていたとは。
創価が今以上に権力をもったらどうなることやら。やはり宗教は恐ろしい。
570 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 17:57
>>569 因果関係のハッキリしない妄想で結論をつくらないように。
571 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 18:00
>>567 親鸞会は浄土真宗本願寺派を飛び出した僧が起こした新興宗教。
日蓮正宗とは直接的には結びつかないのでは・・・。
572 :
名無しさん@一周年:2001/08/19(日) 18:05
日蓮正宗みたいな個を認めない強権的な本願寺派の体質があるから、葬苛や犬笑と同じ
ようなカルトが生まれるということ。説明しなくてもわかってくれ。
573 :
名無しさん@1周年:2001/08/19(日) 18:45
日蓮正宗の体質は知らないけど、喪家のようなカルト真宗に
擦り寄ったりしないだろ。
本願寺派の歴史でいえば、教学的な(実践的な)面は大いに
反省の必要ありだが、基本となる教義の伝承・研究について
は、頑固すぎるぐらいの頑固さがあって当然だ。
だからこそ、○鸞会や無量○会のカルト性を指摘できるんだよ。
あっ!それと○海のことも。
↑訂正
カルト真宗→カルト宗教
いちおうsageで。
南無阿弥陀仏
576 :
ボノ:2001/08/19(日) 23:52
ちょっとご無沙汰してたら渡海さんが…
けど渡海さんの理解は以外に保守的な理解なんですね
僕は真宗は現世往生と来世成仏(往生)は一体となったものでり、現世往生なくして成仏なんかありえないと思います
蓮如については親鸞の意趣を正確には伝えていないと思います
親鸞においては現世往生に力点がおかれているのに対し、
蓮如においては来世往生に力点がおかれている、藤原氏などの浄土信仰に近いものがあると思います。
念仏して浄土に生まれるという点においては似たようなものですけど、その内実は全然違うでしょう…
社会変革論においては僕は明確に社会を変革していく原理が親鸞思想にはあると思います
阿弥陀仏の誓願に共感し、その国土に生まれたいと思うならば、その必然として穢土を浄土に少しでも近づけていきたいという思いはでてくるでしょう
それが報恩の念仏にとどまるなんてとうてい思えません
けど穢土に浄土の光を当てるなんてことはできないんですけどね
けどできないからといってやめることはできないんでしょうね
577 :
ボノ:2001/08/20(月) 00:03
>>502 大変ありがたいお説教ありがとうございます
念仏すると「いろどり豊かに育てられてゆくんです。いろどり豊かにひらかれてゆくんです」か、よく聞く話です
けどそれってどういうことですか?
念仏よろこんでも種々の差別はもちろんのこと、いろんなことで悩んでいる人はいっぱいいますよ
今は苦しいかもしれないけど、死んだらそういう苦しみのない世界にいけるからいいんですか?
「自らを罪悪深重の凡夫と深く信じる」ことがいろどり豊かなんですか?
そういう観念的な念仏理解はどっかの布教大会ででやってください
まぁしないにこしたことはないけど…
578 :
502改め NB:2001/08/20(月) 02:35
>>577 ボノさんおかえり。ははは、まさに明日、って今日は布教大会。
早く寝ないと。
けど、ボノさんはあれやねぇ。割と言葉じりをとらえてステレオタイプ
な断定をする人やねぇ。安易なステレオタイプこそ差別の根源だよ。
502では、あなたのいうように真俗二諦をベースにした「機責め」には
なってないと思うんだけど。どのへんでそれを感じたんでしょうか。
少なくとも 僕にはそういう意識はないんだけど。
もう少し詳しい解説きぼんぬ
それと
>>576蓮如上人はとんち物語でも読むようなつもりで読んでみる
と、まったく違ったすがたをあらわすお方だから、安易に現在の一部
真宗学的理解で固定的に捉えないようにしたほうがいいよ。
社会変革論については江戸幕府の宗教政策から捉える視点を抜きにし
ては、陳腐な還元主義的神学論に陥る危険性が大。柏原祐泉先生の
『近世・近代仏教史の研究』@平楽寺書店に示された歴史観からは得
るものが多いと思う。まあ、古典だけど良書だよ。
579 :
ボノ:2001/08/20(月) 03:13
>>578 本当に布教大会でしたか
盆明けって時間的に余裕があるからそういう行事があるんですかね?
関係ないか…
で、ステレオタイプたってそう書いてあるから、そう思っただけなですけどね
「いろどり豊かな生活」ってなんなのですか?
「いろどり豊かな生活」って思うことが念仏を申すことなの?
わかんないっす
二段落目は何がいいたいのかがわかんないです
蓮如の文章はとんち物語ですか
そんな読み方だったらなんでもOKですよね
高森さんの本だろうが、聖書でもなんだろうが、その気になって読めばなんとでも読めますもんね…
けどそんなんは聖教とは言わないでしょ
580 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 05:30
私は去年まで大谷派でしたが、ゆえなくて止めました。今は清沢満之にはまっています。
満之の好きな人いませんか?
南無阿弥陀仏
582 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 09:20
>>580 清沢満之を嫌いだという人の方が少ないでしょう。
まぁ、渡海さんは明治以降の坊さんの著作はバカにして読まないっていうんだから、別として、
特に大谷派の人にとっては、明治以降は清沢満之主義を理想・目標としてきたのではありませんか?
親鸞への原点回帰という原理主義的な宗教改革運動を提唱したので、
封建制度時代そのままの寺壇制度と葬式仏教の上に特権階級意識であぐらをかき続けようとする守旧派(?)にとっては都合の悪い存在でしょうね。
なんだか政治問題みたいですね。
あぁ、それに在家と呼ばれる一般家庭の生まれですから、
血脈・法脈というと血統のことだと勘違いしている貴族意識の強い人たちも妬ましく思ったでしょうね。
しかし、一般的には大谷派の人は、清沢満之という人を持ったということをとても誇りに思っていると思いますよ。
583 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 09:54
興味深い発言を発見しました。
>>547 ここは“浄土真宗の人”のスレッドですよね?
↑私の理解では浄土真宗の僧侶か門徒だと思う
渡海さんは板違いの人なのではないでしょうか…
私は、>580にも書いたように、昨年檀那寺と縁を切りましたので、
大谷派ではなくなったと思っています。
しかし、親鸞と縁を切った覚えはありません。むしろ、親鸞との縁を大切にするために
邪魔になる檀那寺との縁を切ったのです。
それから、先祖代々の墓は同じ村の大谷派のお寺の中にあります。ここの住職とは
仲良くしているし、お墓にも毎月1回は行っています。
それから、親鸞と同じように、満之さんや柳宗悦さんも好きなので、本をよく読みます。
満之さんの命日には毎年西方寺に泊り込みで出かけ、「満之に学ぶ全国集会」に集まる
人たちとお目にかかることを楽しみにしております。
「浄土真宗の僧侶か門徒」とはどんな人のことを言われるのでしょうか???
私の一番嫌いな人で、私から見ると親鸞の敵のように見えるのですが、どなたか
教えてください。
584 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 09:55
>>580 はい、います。
今から17年程前、偶然実家で、「清沢満之先生のことば」という
小冊子(定価100円)を見つけて読んだときの感動は一生忘れ難い
ものとなっています。その本を勝手に持ち帰り、今もたびたび読んで
います。その中から印象に残っているものを少し。
(今本が有りませんので不正確ですが、)
如来の仕事を盗むものは安心できない。
死なずに何ができますか。
汽車に乗った時は荷物はおろすのがよい。
どちらでもよい、あなたの気がすむようにしなさい。
ものごとには理屈以上のものがある。
この現前の境遇に落在せるもの。
如来は更なる難事を示してますます佳境に入らしめ
たもうごとし。あに感謝せざるを得んや。
”我が信念”
585 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 10:04
>582 血脈・法脈というと血統のことだと勘違いしている貴族意識の強い人たちも
妬ましく思ったでしょうね。
しかし、一般的には大谷派の人は、清沢満之という人を持ったということを
とても誇りに思っていると思いますよ。
ご教示ありがとうございました。私も薄々そう思っていました。
貴族意識の強い人と一般の人と二種類が混在しているんですね。
まあ、一種の集団精神分裂ですね。まったく実感です。
私は一般の人です。民主主義で言えば多数派ですね。大谷派ではどうして多数派が
主導権を握れないのでしょうか?
586 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 10:12
>576 社会変革論においては僕は明確に社会を変革していく原理が親鸞思想にはあると思います
阿弥陀仏の誓願に共感し、その国土に生まれたいと思うならば、その必然として穢土を浄土に
少しでも近づけていきたいという思いはでてくるでしょう
それが報恩の念仏にとどまるなんてとうてい思えません
まったく共鳴しました。これからもいろいろお聞かせください。
587 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 10:25
>584 はい、います。
今から17年程前、偶然実家で、「清沢満之先生のことば」という
小冊子(定価100円)を見つけて読んだときの感動は一生忘れ難い
ものとなっています。その本を勝手に持ち帰り、今もたびたび読んで
います。
同志ですね。よろしくお願いします。
私は昨年の浜風臘扇忌清沢満之に学ぶ全国集会で、ある人から「現代語訳 清沢満之
語録(岩波現代文庫)」を勧められて入手し、これから読まなければと思っているのですが、
一人ではなかなかその気になれません。少し読んだら感想や疑問をここに書き込ませて
いただきながら何とか読み続けたいと思っております。 よろしくお願いします。
588 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 11:45
>>583 本来、浄土真宗というより、浄土の教えには「僧侶と門徒」という考え方はないと思います。
共に念仏の教えを聞き行ずる仲間であり、同じ専修念仏に生きる仲間であり、
念仏者はみな仏弟子として平等であるはずだから・・・。
また、上記の理由で、特定の宗教団体に属したり、
寺院に属しているものだけが門徒ではないと思います。
専修念仏に生きようとする人は、みな門徒だと思います。
ところが、プロだアマだ。住職・僧侶・寺族・寺方だ、在家・門徒だと、
妙な差別・区別の意識を持った人がいるようです。
まぁ、確かに、衣を着る僧侶と呼ばれる人たちは、率先して聞法に励むべきかな?っとは思いますが、
特権階級意識・貴族意識に結びつくのは間違いだと思います。
589 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 12:04
>>583 >昨年檀那寺と縁を切りました
>親鸞と縁を切った覚えはありません
寺を選ぶという姿勢は大切だと思います。
嫌いな住職・僧侶の元で、辛抱する必要はないと思います。
ただ、田舎・地方だと、裏切り者扱いされるようでなかなか難しいし、
寺同士の暗黙の了解があるようで、寺を変わることも難しいようですが・・・。
590 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 12:30
>588 確かに、衣を着る僧侶と呼ばれる人たちは、率先して聞法に励むべきかな?っとは思いますが、
特権階級意識・貴族意識に結びつくのは間違いだと思います。
問題は間違いが多すぎることです。教徒のご本山で何が行われているか解りませんが、
これは組織犯罪です。本山が腐っているとしか解釈の仕様がありません。
清沢満之が糾弾した頃よりもはるかに悪質です。親鸞の、明らかに敵です。
東京裁判だったら「協同謀議」の罪になったでしょうね。
591 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 12:33
>589 田舎・地方だと、裏切り者扱いされるようでなかなか難しいし、
寺同士の暗黙の了解があるようで、寺を変わることも難しいようですが・・・。
良くご存知で。私はまったく裏切りもの扱いです。
このスレは人間扱いしていただけそうで、地獄で仏とはこのことです。
592 :
ボノ:2001/08/20(月) 12:36
>宙援隊員さん
はじめまして、こちらこそよろしくお願いします
阿弥陀仏というのは自分の成仏よりも一切衆生の成仏を先に成就させようとした仏さまですよね
自分の幸せよりも他人の幸せを優先させる精神を教えてくれてると思うのです
そこに他人という私が関係で関わってくるのであれば、「ありがと、ラッキー」てな具合になるのですが、実はそうではなくてその精神に共感していくということもありえると思うのですよね。完全にはできないんですけどね。共感し続けていく営みがあるんじゃないかと思います。
なんかそんな感じです
593 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 13:42
>592 共感し続けていく営みがあるんじゃないかと思います。
私もそう願っています。これこそお浄土ですね。人間はここまで努力して来たのですから、
21世紀は実現したいです。一歩でも、半歩でも近づきたい。
594 :
NB:2001/08/20(月) 22:46
>>579 だからぁ。
>>519(ボノさん
>>502のリンクは貼りまちがいですよね。)の文章全体からとらえて
>念仏よろこんでも種々の差別はもちろんのこと、いろんなことで悩んでいる人はいっぱいいますよ
>今は苦しいかもしれないけど、死んだらそういう苦しみのない世界にいけるからいいんですか?
と受け取られるような「真俗二諦」の教説を一体どのへんからあなたは感じたのか。
>「自らを罪悪深重の凡夫と深く信じる」ことがいろどり豊かなんですか?
と受け取られるような「機責め」の説教スタイルを一体どのへんからあなたは感じたのか。
つまり、どのへんから、519の文章が死後に限定した救済を表現したものであると受け取れるのか。
「すべての人の人生に」がどうして、「自らを罪悪深重の凡夫と深く信じる」に変換されるのか。
>>577の文章からは見えてこないから、もう少し詳しい説明をお聞きしたいとお願いしたんです。
これが第2段落のいわんとするところです。もしかして「きぼんぬ」がわかりませんでしたか。
それから、曇鸞大師の『浄土論註』にしても法然聖人の『選択集』でも、まあどのお聖教でもいいん
ですが、その論理展開は近代の文献学的方法論をベースにした近代真宗学の論理展開とはまったく異
質のものがありますよね。いわゆる「会通」と呼ばれるものです。これはなんでもありの解釈方法で
はなく、独自の形式をもった論理構築のための方法論です。
蓮如上人の著述は平易な古文を用いたものが多いために、こうした論理構築における相違が見落とさ
れがちです。そこに十分な注意を払わないと十全な蓮師理解ができなくなります。という意味で「と
んち物語でも読むようなつもりで読んでみると」と表現したのです。ご理解ください。
595 :
NB:2001/08/20(月) 22:48
>>582 満之ですかぁ。ありがたいですね。「世間が哲学を重んずれば、忽ち仏教は哲学的なりと云い、
世間が慈善を称すれば、忽ち仏教は慈善主義なりと云い、世間が倫理道徳を…」私は本願寺派
ですが、この、満之の当時の仏教界批判は私の僧侶としての自覚の原点となっております。こ
の言葉に出会ったのは結構な昔のことではありますが、今もこの原点に立ち返りつつ袈裟をま
とう身としての日暮しを送らせていただいております。
満之の唱えた「精神主義」に対しては建設的な反論や反省もいくつか出されたように記憶して
おりますが、100年以上を経た現代においてすら、近代社会における仏教革新の道は「満之
の問いかけにどう答えられるか。」という形をとってはじめて、意味のあるものとして現れる
のだと考えております。
596 :
NB:2001/08/20(月) 23:15
597 :
宙援隊員:2001/08/20(月) 23:31
>595 満之の唱えた「精神主義」に対しては建設的な反論や反省もいくつか出されたように記憶して
>おりますが、100年以上を経た現代においてすら、近代社会における仏教革新の道は「満之
>の問いかけにどう答えられるか。」という形をとってはじめて、意味のあるものとして現れる
>のだと考えております。
私もそう思って少しずつ勉強しています。1年に一度は、彼のお寺の大浜の西方寺で
開催される「満之に学ぶ全国集会」に一泊二日で参加しているのですが、これだけでは
不十分です。
私の住所は大浜の近くの岡崎ですが、この近くで満之を勉強する場所はないもので
しょうか?
598 :
NB:2001/08/21(火) 00:13
>>597 う〜ん。本派では体系的な満之研究はないように思うので、大派はともかく、私の知
る限りでは分かりません。
「精神界」のバックナンバーは(ってもうとっくに廃刊してますけどね。)龍谷大学
の大宮図書館にもあったような気がしますが、(資料あさりのときにコピーした覚え
があります。)きっと大谷大学の図書館のほうが充実してるんでしょうね。って結構
揃えてらっしゃいますか?でも古書店にはまずでてこないですよね。
まあ、あの時代の大谷派は村上専精の『仏教統一論』とか、とか…あともうお一人ほ
ど、大乗非仏説華やかなりし時にあたって近代仏教の危機に立ち向かった方がいらっ
しゃいましたよね。ありがたいことだと思います。
ただ、当時の仏教改革論の多くがキリスト教の自由主義神学の影響をモロにこうむっ
ていたなかで、満之のしめる位置は独自の思索によるものでした。
私の卑見ではありますが、これは、宗門の伝統否定というよりも、むしろ宗門の伝統
護持の営みであったように思えるんですけど。いかがでしょうか。
私もご縁があれば大浜の西方寺様の全国集会にお参りしたいです。そんな集会があるこ
とを恥ずかしながら初めて知りました。いつあるんですか。
599 :
迷い人:2001/08/21(火) 00:24
>582 その他雑談
うん。大谷派の人で清沢嫌いと明言する人はしらないなぁ。
でも、大学の真宗学は清沢論中心になってつまらんのでは?
所詮若死にだし。。。たいしたことないような。。。キガスル。
(因みに我が家のトイレには清沢の原稿のコピーを貼って
いるが…字が読めん(笑))
むしろその弟子の曽我量深や安田理深の方が面白いと思うが。
いずれにせよ、難解ではあるが(ぼそぼそ)
しかし、本派の人は信楽さんによ、谷派からは読まれないね。
本派の方は谷派ものをよく読んでると、本屋さんが言ってた。
一つには本派は「これが正解」という<判決>があってガチガチ
だからかな。。(「易しい安心論題」←めっちゃ難解(笑))
谷派はその点自由というか、「ええ加減」(笑)。
そこがオモロイのであろうね。
600 :
迷い人:2001/08/21(火) 00:25
蓮如ついて雑談
蓮如批判は本派の若手(たぶん信楽系)が、体系的ではないけど、
三連弾で永田文昌堂から「蓮如への誤解」を出しているね。
同書に対する保守派からの批判(探求社「蓮如への誤解への誤解」
稲城選恵)もあったがはシリーズ中で再反論されている。解放同
盟の小森龍邦さんも明石書店「蓮如論」で稲城さんを批判している。
蓮如に対する評価は本派主流は肯定し(御用学者の笠原一男さんの
講談社学術文庫「蓮如」は讃仰で埋め尽くされている)、本派の一部
が、かなり強烈な批判(親鸞と蓮如は違う)をしている。
谷派は、元々は、教団紛争で主流となった改革派は「アンチ蓮如」。
(従来の伝統学派はほぼ死滅<高倉学寮>。しかし最近は、御義口伝
という口伝書の研究が静かに進められているから、そこから新たな
蓮如像が出されるかもしれない。)
ただ、改革派は政権を取ってしまったので、先の蓮如500年のイベント
があったから蓮如を語らなくてはいけない。でも語らなきゃあ、カッコは
つかないので、90年頃からバンバン蓮如ものが出たね。
政治的に「蓮如」には一時、蓋をしたけど、本心は好きなのかもね。。
文栄堂「蓮如の世界」はとりあえず大谷大学の先生に論文を書かせてか
き集めたという感じ。アリバイ的(笑)。
東本願寺「蓮如上人」は、<蓮如上人ついては、今日、様々な見方や意見
があります。が、ともかくも…>と、都合の悪い意見を無視して、蓮如は
偉いんだという編集ですなぁ。<ともかくも>に私は苦渋を感ずる。
東本願寺「蓮如上人に学ぶシリーズ1〜4」は、教学研究所所長の西田さん
が中心になって、権威を集めたシンポを編集したもの。
メンバーがメンバーだけにそれなりには楽しめる。が、あくまでそれなり。
登場者;網野善彦、池田勇諦、出雲路修、柏原祐泉、黒田俊雄、高史明、
児玉暁洋、佐々木令信、寺川俊昭、平野修、金龍静、廣瀬杲、大桑斉、他
それぞれが蓮如ついて何を言っているかは直接確かめられてください
601 :
釈重憐:2001/08/21(火) 09:25
このスレと「無量寿会」のスレを毎日チェックしている者です。
いま興味があるのがカルト問題で無量寿会を中心に情報を集めています。
私も大派の坊主です。私自身の中でも満之はいつも立ち返る所です。
このごろよく思うのですが、「親鸞会」を脱会した方がカルトから立ち直るのに
満之を学ばれるといいのではないかと考えております。
みなさんも「無量寿会」のスレものぞきに来てください。
602 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 09:50
信楽先生はもう名誉回復はされているんでしょうか?
どういうことかと言いますと、伝統教学の方から”異安心”
と厳しい批判を受けていたと思うのですが。
私は信楽先生が異安人とはどうしても思えないんですが。
信楽先生は”忌中”の代わりに”還浄”を使おうという運動に
反対されているようですね。
この件に関しては、どちらの言い分も正しい様に思われ、
よく分かりません。
忌中に代わるよい表現はないでしょうか。
>>573 >あっ!それと○海のことも。
何か言いたいことがあるの?
>>576 >ちょっとご無沙汰してたら渡海さんが… <どうかしましたか?>
>けど渡海さんの理解は以外に保守的な理解なんですね
保守的? どういう意味?
あなたは教義分類学でもご専攻ですか?
「現世往生を説くということですか?」という質問に答えてあったつもりです。気が付きませんでしたか?
すでに僕は「現世往生を説くということですか?」という質問に答えたつもりです。カキコには気が付きませんでしたか?気が付いていらっしゃれば、質問には答えたということにご挨拶はあってもいいと思いますけどね。いかがですか?
>真宗は現世往生と来世成仏(往生)は一体となったものでり、現世往生なくして成仏なんかありえないと思います
あなたの仰ることがちんぷんかんぷんです。
貴方がい言う「現世往生」とはどういうことでしょうか?「来世成仏」とはどういう概念なんでしょうね。「現世往生なくして成仏なんかありえない」と、あなたは僕にこういうことを言いたいために、質問を発したのでしょうか。随分手が込んでいますね(笑)
僕の言う往生の概念と、貴方の往生の概念は同じなんでしょうか。違うのでしょうか?僕の言う往生の概念が貴方に伝わっているとは、僕には思えないんですよ。
「往生」いう一見同じ言葉を使っているようですが、僕のいう往生の概念はどのように理解されていますか?貴方の言う往生と同じでしょうか。違うのでしょうか。僕は貴方の往生の概念をお聞きしたい。
「現世往生なくして成仏なんかありえない」。はて?「現世往生」?。はて?「成仏」?はて?本当にどういう意味なんでしょうね?
基本的な言葉の概念が違っていたら、「ありえる」と言っても「ありえない」と言っても、上っ面だけで空しいですね。
>蓮如については親鸞の意趣を正確には伝えていないと思います。
貴方は僕にこれが仰りたかったんですか。これを仰りたかったなら、遠回りな質問などして相手に答えさせないで、直接仰ればいいことですね?
「蓮如教学から導かれる親鸞教学の本質とはなんですか?」あなたは僕にこういう質問を向けられました。僕はそれに答えたつもりです。答えになっていましたか。いませんでしたか?「親鸞教学の本質とはなにか」という質問は、貴方の中ではもう済んだ問題でしょうか?
「蓮如教学から導かれる親鸞教学の本質は何か?」。あなたならこれにどう答えるのですか?貴方が発したこんな質問には、貴方自身は本当は興味もないのでしょうか。「蓮如は親鸞の意趣を正確には伝えていない」。貴方はこれだけ言えば話はいいのでしょうか。
>親鸞においては現世往生に力点がおかれているのに対し、蓮如においては来世往生に力点がおかれている、藤原氏などの浄土信仰に近いものがあると思います。
それがどうかしましたか?
>念仏して浄土に生まれるという点においては似たようなものですけど、その内実は全然違うでしょう…
ちんぷんかんぷんですね。力点はどこかなどということは、評価者の主観的スケールを当てはめれば、何とでも言えるでしょう。十人いれば十通りの評価が出る。水掛け論だ(笑)。
「蓮如教学から導かれる親鸞教学の本質は何か?」。あなたならこれにどう答えるのですか?
>社会変革論においては僕は明確に社会を変革していく原理が親鸞思想にはあると思います
はて?
「親鸞は社会変革論を『教行証文類』で説いていましたか!」。貴方のこの問いに、相手から回答は戻って来たのでしょうか? 挨拶があってもいいと思いますよ。
「…か!」の「!」はどういう意味だったんでしょうね?「『教行証文類』は社会変革論を説いてない」ということに、貴方は強い主張があると思ってたんですよ。
違いますか?『教行証文類』は社会変革論を説いていたんですか?説いていないんですか?いかがでしょうか?
『教行証文類』は社会変革論をもし説いてないければ、社会を変革していく原理は、明確にどこにあるのでしょうか? まるで上の空の抽象論を聞いているようですね。
>阿弥陀仏の誓願に共感し、その国土に生まれたいと思うならば、その必然として穢土を浄土に少しでも近づけていきたいという思いはでてくるでしょう
阿弥陀仏の誓願なんていうお伽噺なんかには、到底共感できないという、極めて健全な魂の人は、浄土に少しでも近づけていきたいという思いはでてこないでしょうね。
誓願に共感しても、そんな国に生まれるなんていうお伽噺は、馬鹿馬鹿しくて聞いちゃいられないという極めて健全な魂の方は、浄土に少しでも近づけていきたいという思いは出てこないんでしょうね。
>それが報恩の念仏にとどまるなんてとうてい思えませんけど穢土に浄土の光を当てるなんてことはできないんですけどねけどできないからといってやめることはできないんでしょうね
自分は阿弥陀仏の誓願に共感しているぞ。その国土に生まれたいと思っているぞ。だから報恩の念仏を立派にしているぞ。みてくれ、自分は報恩の念仏に留まらず、穢土に浄土の光を当てている。このことは自分は決してやめることはできないぞ。
こう思っている方もいるかも知れませんね。世の中にはいろんな方がいます。
明確に社会を変革していく親鸞思想の社会変革論は、どういう仕組みになってるんでしょうか?
>>578 >もう少し詳しい解説きぼんぬ
??
>蓮如上人はとんち物語でも読むようなつもりで読んでみると、まったく違ったすがたをあらわすお方だから、安易に現在の一部真宗学的理解で固定的に捉えないようにしたほうがいいよ。
ボノさんがとんち物語でも読むようなつもりで読んでいるように感じましたか?
>社会変革論については江戸幕府の宗教政策から捉える視点を抜きにしては、陳腐な還元主義的神学論に陥る危険性が大。
どこかに陳腐な還元主義的神学論がありましたか?
>まあ、古典だけど良書だよ。
自分は読んだぞという見栄が張れるようになれる良書だよということでしょうか?
どのような良書だったんでしょうか。あいにく僕は、江戸幕府の宗教政策を全く知りません。教行信証しか知らない陳腐な還元主義的神学論者です。
>>579 >ステレオタイプたってそう書いてあるから、そう思っただけなですけどね
「そう書いてある」?どう書いてありましたか?
>けどそんなんは聖教とは言わないでしょ
うんうん。
>>582 >清沢満之を嫌いだという人の方が少ないでしょう。
清沢満之なんて知らないという人の方が圧倒的でしょう(笑)。
>渡海さんは明治以降の坊さんの著作はバカにして読まないっていうんだから、別として、
僕は嫌いだなんて言いませんよ。そんな人は知らないといいますよ。知らないんだもん。嫌いなんて言えません(笑)。
>>588 >プロだアマだ〜妙な差別・区別の意識を持った人がいるようです。
プロだアマだというのは、妙な差別・区別の意識なんですか。
>まぁ、確かに、衣を着る僧侶と呼ばれる人たちは、率先して聞法に励むべきかな?っとは思いますが、
坊さんといえども、聞法に励んでいれば十分なんでしょうか?葬儀屋さんと連係した地元の葬式シャーマン屋さんであれば、坊さんの役目は十分なんでしょうね。
「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え」
先に生まれていれば後を導き、後に生まれた者の訪いを受けることに社会的に率先して責任を負う者がいなければ、連続無窮にして、休止せざらしめんとすることは不可能ですよね。
そういう責任を負うことに率先して社会に向けて挙手をしたのは誰なんでしょう?。ま、親父の惰性を継いで住職になった坊さんは、そんなことに挙手をした覚えはないと言うんでしょうけど。
>>591 >地獄で仏とはこのことです。
地獄に行けば、こんなもんじゃ済まんでしょ(笑)。
>>593 >これこそお浄土ですね。人間はここまで努力して来たのですから、21世紀は実現したいです。一歩でも、半歩でも近づきたい。
???
611 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 10:40
台風11号が接近しています。みなさん注意しましょう。
612 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 10:50
ほとんどレベルが高すぎて、私の能力では、理解できませんが、それでもかなり気になる言葉がありましたので、確認させてください。
>>606 >阿弥陀仏の誓願なんていうお伽噺なんかには、到底共感できないという、
>極めて健全な魂の人
「阿弥陀仏の誓願なんていうお伽噺なんかには、到底共感できない」人は、
「極めて健全な魂の人」だと言われているんですよね。
渡海さん自身が、極めて健全な魂の持ち主なので、阿弥陀仏の誓願はお伽噺だと考えていらっしゃるのですか?
それとも、渡海さんは不健全な魂の持ち主なので、阿弥陀仏の誓願はお伽噺だとは考えていらっしゃらないのですか?
>誓願に共感しても、そんな国に生まれるなんていうお伽噺は、
>馬鹿馬鹿しくて聞いちゃいられないという極めて健全な魂の方
「そんな国に生まれるなんていうお伽噺は、馬鹿馬鹿しくて聞いちゃいられない」方は、
「極めて健全な魂の方」だと言われているんですよね。
渡海さん自身が、極めて健全な魂の持ち主なので、そんな国に生まれるなんていうお伽噺は、馬鹿馬鹿しくて聞いちゃいられない、と考えていらっしゃるのですか?
それとも、渡海さんは不健全な魂の持ち主なので、「そんな国に生まれる」ということを信じていらっしゃるのですか?
613 :
宙援隊員:2001/08/21(火) 10:56
>612 ほとんどレベルが高すぎて、私の能力では、理解できませんが、それでもかなり
>気になる言葉がありましたので、確認させてください。
あの発言はレベルの問題でなく、発言の態度の問題で、私は皮肉とか当てこすりの部類に
属する発言だと割り切りました。
614 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 11:16
>>429 >明治以降の坊さんの書いた本には、どうせどれもこれもドングリの背比べでしょう。
>少なくともこれまではロクなモノがなかった。
>突然飛び抜けたものが登場するとも思えない。坊さんの書いたモノはもうたくさんですね(笑)。
>>543 >僕は明治以降の坊さんの書いたものには、ほとんど興味がありません。
>読めばだいたい決まって腹が立ってくる。なんでこんなバカなことを言うんだろうって、
>そんな気になるんですよ(苦笑)。
>>609 >>清沢満之を嫌いだという人の方が少ないでしょう。
> 清沢満之なんて知らないという人の方が圧倒的でしょう(笑)。
>>渡海さんは明治以降の坊さんの著作はバカにして読まないっていうんだから、別として、
> 僕は嫌いだなんて言いませんよ。そんな人は知らないといいますよ。
>知らないんだもん。嫌いなんて言えません(笑)。
>>284 >清沢満之などの逸材が出てくる。
>清沢満之の存在が大きい。清沢満之は若死にしたが、その間に曽我量深さんなどの多くの逸材を
>育てた。僕も、曽我さんの本は昔よく読んだもんだ。内容はほとんど覚えてないけど、偶に本をめく
>ると自分の言っていることの原点に出会ってビックリする。
>>543 >ま、昔は曽我量深さんの本は少し読みました。内容はほとんど覚えていません。ただし今の
>僕の考え方は、かつて曽我思想に歯がゆさを覚え、歯がゆさを克服する方向で議論を具体化し
>ており、曽我批判が無意識の底流になっていると自分では勝手に思っています。まあ、曽我派
>から見ると噴飯モノかも知れませんけどネ(苦笑)。
あぼーん
616 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 11:37
渡海はしばらく来ないんじゃなかったっけ?
>>603-610
なんで帰ってくるんだYO!
↓
552 名前:渡海 難( p0741-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/08/19(日) 08:30
しばらく掲示板を休みます。カキコできません。
617 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 11:45
>>615 以前”同士”といわれた者ですが、掲示板の性格上具体的な
住所、電話番号等の書き込みは控た方がよろしいかと思います。
偉そうにいってすみません。
618 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 11:58
>>617 実は私もドキッとした。
住所、連絡先は、できたら削除してもらったほうがいいと思う。
619 :
宙援隊員:2001/08/21(火) 12:35
>599 大谷派の人で清沢嫌いと明言する人はしらないなぁ。
そうでしょうか?私も先祖代々大谷派ですが、清沢好きと明言する人に
会ったことありません。
>でも、大学の真宗学は清沢論中心になってつまらんのでは?
私はきちんと理解し、実践する姿勢がないからつまらないのだと解釈しています。
>所詮若死にだし。。。たいしたことないような。。。キガスル。
私も今年の6月「満之に学ぶ全国集会」で「清沢満之語録」を紹介されるまではそうでした。
その本を今も見ながら書き込んでいますが、これを見ると「そうではない」んじゃないか
という反省の念が沸いてきます。ボツボツ勉強する予定です。
>むしろその弟子の曽我量深や安田理深の方が面白いと思うが。
>いずれにせよ、難解ではあるが(ぼそぼそ)
面白いという意味が解りませんが、感じは解ります。
>しかし、本派の人は信楽さんによ、谷派からは読まれないね。
>本派の方は谷派ものをよく読んでると、本屋さんが言ってた。
そうですか?私の場合は、1996年4月20日大谷派三河別院での信楽峻磨さんの説教
「真宗信心の正義と屈折−近代真宗教団史をかえりみて−」を聞いたのが真宗の
本格的な勉強の最初で、強烈な衝撃を与えられました。今もその時のレジュメと
「宗教と現代社会」を見ながら書き込んでいます。
>谷派はその点自由というか、「ええ加減」(笑)。
>そこがオモロイのであろうね。
「ええ加減」というのはまったく同感です。でも、当人としては「オモロイ」とは
言えませんね。「付き合いきれない」です。
620 :
NB:2001/08/21(火) 12:35
>>615 ちょっと非常事態になってるみたいなので、sageでレスします。
教えていだだきありがとうございます。その日は予定がはいって
いるので、来年はお参りできませんけど、いつか必ずお参りした
いです。
ところで皆さん。削除されるまでsage進行でいきませんか。
オイ渡海、こんなときこそ、目まいがして、失神しそうな連続カキコしろよ!
お前の連続カキコがあったら、その上のカキコはよっぽど根性のあるやつしか読まなくなるだろ。
こういう時にこそ役に立て。
622 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 14:10
1.
私の夢は東西本願寺が再び統一することです。
浄土真宗大谷本願寺派というのはどうでしょうか。
(銀行みたい)
こんなこと思っている人いませんか。
2.
本願寺派で”なもあみだぶつ”というのは素直に良くないと
思います。”なむあみだぶつ”でしょう。
ややこしいです。改革して下さい。
>>612 >ほとんどレベルが高すぎて、私の能力では、理解できませんが
<毛色の違う発言に対する単なる拒絶反応でしょう。>
>極めて健全な魂の持ち主なので、阿弥陀仏の誓願はお伽噺だと考えていらっしゃるのですか?
お伽噺という言葉にご不快でもありますか?
「阿弥陀仏の誓願なんていうお伽噺なんかには、到底共感できない」と、極めて健全な魂をもってそう主張する人はたくさんいるでしょうということです。
阿弥陀仏とは何か。この概念は十人十色、実に様々ですからね。人は自分の概念でものを言います。
「阿弥陀仏はありがたい。ありがたい」などと言っている人で、極めて不健全な魂をもっていらっしゃる方も多いでしょう。僕はそう思うんですね。
「阿弥陀仏はありがたい。ありがたい」などと不健全な魂をもって言っている人の阿弥陀仏観と、「阿弥陀仏の誓願なんていうお伽噺なんかには、到底共感できない」と極めて健全な魂をもっていう人の阿弥陀仏観とは、極めて近接しているという場合もあるでしょう。
>渡海さん自身が、極めて健全な魂の持ち主なので、阿弥陀仏の誓願はお伽噺だと考えていらっしゃるのですか?
「阿弥陀仏の誓願なんていうお伽噺なんかには、到底共感できない」と、極めて健全な魂をもって主張する人はたくさんいるでしょうということです。誓願とは何か。この概念は十人十色、実に様々ですからね。
>渡海さん自身が、極めて健全な魂の持ち主なので、阿弥陀仏の誓願はお伽噺だと考えていらっしゃるのですか?
さあ?僕が健全か、健全ではないかは、他人様の方がよく見える。お前の魂は不健全だという人がいれば、不健全なのかも知れませんね(笑)。
阿弥陀仏と何か、阿弥陀仏の誓願とは何か。これについては僕は、自分なりの意見を持っています。僕は、自分の概念に基づく限り、お伽噺とは思っていません。他人様の持っている概念に基づくと、お伽噺と変わりないという場合もあるでしょう。そう思っています。
>渡海さん自身が、極めて健全な魂の持ち主なので、そんな国に生まれるなんていうお伽噺は、馬鹿馬鹿しくて聞いちゃいられない、と考えていらっしゃるのですか?
阿弥陀仏観、誓願観と同様にお考え下さい。
>>613 >私は皮肉とか当てこすりの部類に属する発言だと割り切りました。
<信謗ともにあるべし(笑)。>
>>615 >ありがたいご発言です。私もまったく同じように受け止めています。そして追従しているつもりです。
清沢さんは断食とか座禅とかをやってらしたと漏れ伺っています。詳しくは知りません。清沢先生のそういう意気込みは、追従者に受け継がれているんでしょうか?。それともあれは自力邪道として、排斥されているんでしょうか。
>>621 >オイ渡海、こんなときこそ、目まいがして、失神しそうな連続カキコしろよ!
お前は随分横柄な口を利く奴だな。どこのどいつだ?
626 :
ボノ:2001/08/21(火) 19:40
>>難海さん おかえりまさい
確かにちゃんと返事ができていまでしたね
すみませんでした
あなたの理解はやっぱ全体を通してお聞きしないとダメっぽいですね
4000円出して通販を利用させていただきます
ではでは…
>626
おいおい!お前、脳みそ大丈夫か?
こんなことで4000円使うんじゃないよ!
このままでは人生取り返しがつかなくなるぞ!
もう一度考え直せ!
628 :
ボノ:2001/08/21(火) 19:48
629 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 19:48
>625
>お前は随分横柄な口を利く奴だな。どこのどいつだ?
あんたには負けるよ
630 :
ボノ:2001/08/21(火) 19:51
>>NBさん
僕の文章がおかしかったみたいです
もうちょっとまともな日本語で
>>577を書き直します
すみません
631 :
宙援隊員:2001/08/21(火) 20:00
>>625 清沢さんは断食とか座禅とかをやってらしたと漏れ伺っています。詳しくは知りません。
>清沢先生のそういう意気込みは、追従者に受け継がれているんでしょうか?。
>それともあれは自力邪道として、排斥されているんでしょうか。
清沢さんのことをお知りになりたかったら、ご勉強なさることですね。
私は勉強中ですからお教えする立場ではありません。
私が追従しているのは彼の本質を知りたいと思って勉強しているという意味です。
具体的には新しい本で、今村仁司編訳「現代語訳 清沢満之語録(岩波現代文庫)」
で勉強を始めようという段階です。
ご興味があったらご一緒に勉強しませんか?
一般的には、門徒というのは私のような人間のことをいうのだと思います。
632 :
宙援隊員:2001/08/21(火) 20:17
>>625 清沢先生のそういう意気込みは、追従者に受け継がれているんでしょうか?。
気になったので原文を見直したら以下のとおりでした。
>>615 >598 当時の仏教改革論の多くがキリスト教の自由主義神学の影響をモロにこうむっ
>ていたなかで、満之のしめる位置は独自の思索によるものでした。
>私の卑見ではありますが、これは、宗門の伝統否定というよりも、むしろ宗門の伝統
>護持の営みであったように思えるんですけど。いかがでしょうか。
(私の発言)
>ありがたいご発言です。私もまったく同じように受け止めています。そして追従している
>つもりです。
もうお解りだと思いますが、私が追従しようとしているのは、625が問題にしている
「清沢先生のそういう意気込み」ではなく、598にある「宗門の伝統護持」のことを
言っております。
どぎつく言えば、625の読み違えということになります。お気になさらないで下さい。
633 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 20:29
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634 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 20:33
私の家も浄土真宗なのですが、天皇否定の宗教と言われ
たのですが本当ですか?マジで。
635 :
NB:2001/08/21(火) 21:55
宙援隊員さまへ
615に対して削除依頼をしたところ削除人の方より下記の通りの
回答がありました。この件に関しましてはあなたにお任せいたし
ます。善処方よろしくお願い申し上げます。
>■個人情報削除依頼第13スレッド■
>ご本人が公開しているものですし、住所氏名電番の他に
>文章がついていますので削除はためらわれます。。
>1. 個人の取り扱い 削除対象 電話番号
>文意によって本人が公開したと判断できるもの、
>投稿者の自己責任があるものは削除されないことがあります
636 :
宙援隊員:2001/08/21(火) 22:03
>>635 ありがとうございました。どうぞ消してください。
637 :
ボノ:2001/08/21(火) 22:09
>>宙援隊員
まだ消されていないんですよぉ
まこさんこと見てください…
638 :
NB:2001/08/21(火) 22:21
>>636 削除してよいのなら、あなたが直接削除依頼板にいって電番とあなたとが
無関係であることを理由として、あなたが削除依頼を出してください。
2chとはいえ、最低限の責任感は持っていただきたい。
>>626 >確かにちゃんと返事ができていまでしたね <そう伺って安心しました。>
>あなたの理解はやっぱ全体を通してお聞きしないとダメっぽいですね
僕のホームページをご覧下さるなら、僕が強調したい考えの断片的な部分を掲示している箇所があります。自分としてはやや古いので、今議論すれば多少違ったことも言いそうですが、基本的なところは変わってないと思います。
原稿用紙30枚程度の短いエッセーです。もしよかったらご覧下さい。
場所
http://www3.justnet.ne.jp/~katasi-park/ 「御質問にお応えします」コーナ 『悟りについて』pdfファイル
>>629 >あんたには負けるよ <いやいや。貴方はお偉い。お偉い(笑)。>
>>631 名前:宙援隊員
>清沢さんのことをお知りになりたかったら、ご勉強なさることですね。
いえいえ。追従者について少し関心が湧いただけです。
>彼の本質を知りたいと思って勉強しているという意味です。
座禅もしないで、断食もしないで本質だけ知ろうというわけですね。
>ご興味があったらご一緒に勉強しませんか?
いやいや、追従者の方はネットに出てこられるので、ネットだけで十分ですよ。
>一般的には、門徒というのは私のような人間のことをいうのだと思います。
いやはや、あなたはご門徒の代表者様でいらっしゃったでしたか。お見それしました(笑)。
>>632 名前:宙援隊員
>598にある「宗門の伝統護持」のことを言っております。
そうでしたか。貴方はご自分のご都合の良いところだけをかいつまみ、「ありがたい。ありがたい」と追従していこうというわけですね。
自分の都合の良いところだけをかいつままれて「ありがたい。ありがたい」と追従されたら、清沢さんも草場の陰でさぞくしゃみをなさることでしょうね(笑)。
>>634 「主上臣下、法に背き義に違し、怐bを成し怨を結ぶ。」という記述の問題でしょうかね。
641 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 23:13
642 :
迷い人:2001/08/22(水) 00:05
>634、641
<天皇家否定>
天皇家否定どころか戦前の教学は<天皇家一体>ですね。
論拠は消息の「朝家の御ため、国民のために」
大谷光瑞「精神文化叢書」、山辺習学「わが親鸞」、禿諦住「真宗の日本的性格」
など。
戦後、服部之総「親鸞ノート」で、上記「王法為本」的解釈を批判し、
「信心為本」と展開。
家永三郎、林田茂雄がそれに続く。
服部説に赤松俊秀が学問的に批判をし、この問題について、以下。。。
三品彰英、二葉憲香、古田武彦、笠原一男、宮地廓慧、重松明久と、
かなりの論者がこの問題を論ずるに至る。
(明石書店「河田光夫著作集第三巻 親鸞の思想形成」より趣意を抜粋)
まぁ、戦前に戦争遂行の尖兵となってワイワイガヤガヤやった戦争責任があるの
で、その反動というか(笑)、反省で、天皇家や天皇制、靖国問題には、
批判的ではあるかもしれない。が、個々の坊さんや門徒さんはそーでもない
かもしれない。
化身土巻の<主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ>は、天皇家という
より、念仏弾圧した<太上天皇諱尊成、今上諱為仁>という二人の天皇と、
その弾圧を天皇という権力に要請した<興福寺の学徒>に対する批判だね。
お前ら仏教がわかってへんから、念仏弾圧したんや、という意味でしょう。
643 :
NB:2001/08/22(水) 01:29
644 :
宙援隊員:2001/08/22(水) 06:02
>642 まぁ、戦前に戦争遂行の尖兵となってワイワイガヤガヤやった戦争責任があるの
>で、その反動というか(笑)、反省で、天皇家や天皇制、靖国問題には、
>批判的ではあるかもしれない。が、個々の坊さんや門徒さんはそーでもない
>かもしれない。
同感です。よくよく見ると戦前戦後あまり体質は変わっていない。
むしろ、東西本願寺教団の体質は、日本国以上に封建的です。
645 :
宙援隊員:2001/08/22(水) 06:09
>643 戦争へと突き進む道に異議を唱えることのできなかった宗門機構、
>およびそこに属する様々な個人個人が、それをどうとらえていくか。
>ということが浄土真宗の大きな問題として存在しているのは確かです。
同じことを、現在と近い将来の問題として憂えています。
>それから渡海にはたぶらかされないようにしてください。参考までに
>↓をクリックしてね。
>
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=997002274&ls=50 私も、たぶらかされたというより、コテンパンにやっつけられました。でも、面白い人
ですね。それから、上のスレッドをクリックしました。安堵しました。感謝です。
646 :
634:2001/08/22(水) 11:00
有り難うございます。
安心しました。家はたぶん西だと思いますが、
同時に遺族でもありますので。
ただ、一檀家として、西東の問題や、歴史観一つまとまってない
(ただし、カルトっぽいのも嫌ですが)のは、少し残念です。
いや、逆にまとめようとする事が無理というか、
他宗教・価値観を否定する言論や歴史観を歪曲する事だけは
やめて頂きたいものです。もちろん、個人としての信念は必要でしょうが。
647 :
634:2001/08/22(水) 11:08
>>643 >戦争責任についての反省
ある意味、同意致します。
ただ、神道を含め戦前の一時期は、仕方ない面もあるのでは。
宗教としては、戦争に限らず争いを好まない考え方を
広めて頂きたいのですが、
>>646に繋がりますが、
他宗教や皇室を敵対視したり、西東の争いは、対象が変わった
だけに見えて残念です。
648 :
名無しさん@1周年:2001/08/22(水) 14:28
>>647 >他宗教や皇室を敵対視したり、西東の争いは、対象が変わっただけに見えて残念です。
好戦的というのは困ったものですが、
何でもかんでも物分かりよさそうに社会に迎合し、妥協してしまうというのも
宗教として困ったものなんじゃないでしょうか?
649 :
名無しさん@1周年:2001/08/22(水) 17:31
西本願寺にお参りした時、”見真”の額縁を見ると
悲しくなってきます。
大谷派の見識は立派なものですね。
>>643 >渡海にはたぶらかされないようにしてください。
渡海はどのように他人をたぶらかしましたか。理由のない非難中傷は不当に他人の名誉と誇りを傷つけますね。貴方も浄土真宗のお坊様のはしくれのようですね。
>そこに属する様々な個人個人が、それをどうとらえていくか。ということが浄土真宗の大きな問題として存在しているのは確かです。
他人を理由無く誹謗中傷しないと言う問題は、個人個人が、どうとらえていくんですか?
どんなご立派なことを仰っても、偽善者の次の言葉は白々しく感じますね。もっとも、一部はちんぷんかんぷん、宇宙人のうなり声のように僕には感じられますけどね(笑)。
>>502 「これらは、他力の御本願のご縁をいただきつつも、もったいなくも自力の迷妄に沈む姿です。
その恐ろしさとは、自心の虚偽になかなか気付けないということはもちろん、どこかで
自心の虚偽に気付きつつも、その虚偽を自覚したとたんに、それまでの自分の求道が
はかなく崩壊せざるを得ないことを恐れてますます自力の迷妄を自ら好んで深めようとしがちである。
(私のうそが、たとえ私に対しても見破られませんように、これがいつかほんとの真実に変わりますようにと
祈りつつ、心をかたくなに他の一切に対して閉ざさざるを得なくなる。)というところにあるでしょう。
他力の御本願の世界は、不可称 不可説 不可思議の、もっともっと広広とした、のびやかな世界です。
二十願の行者すら、その自心にひそむ恐れを捨てて、真実功徳の大宝海に帰入するならば、自分が捨てたと
思ったものの数百万倍もの(わざとクドク使ってるんですこの単語←ベンカイ)功徳が回向されていたことに
気付かされることでしょう。
その心を、蓮如上人は御文章第一帖第1通に、
よろこびを むかしはそでにつつみけり こよいは身にもあまりぬるかな。
と古歌にさし寄せてお示しくださいました。よくよくご案じください。」
お坊さんであるならその前にまず、理由もなく他人を誹謗中傷しないことが、人間として大事ですよね。歯が浮くような立派なことは、その次ぎにおっしゃってくださいな。
>>650 >渡海はどのように他人をたぶらかしましたか。
自分の胸の中に聞いてみろ!
>理由のない非難中傷は不当に他人の名誉と誇りを傷つけますね。
貴様も人の事を言えんだろーが!
>貴方も浄土真宗のお坊様のはしくれのようですね。
どうしてそうやって根拠なく決めつけられるのかな?
そういう言動が嫌われる原因になることに早く気付けよ!
>自分の胸の中に聞いてみろ! <心当たりはありません。口は気を付けて言うもんですよ。>
>貴様も人の事を言えんだろーが! <ものごとは、気を付けながら、鏡を見ながら言うもんですよ。>
>決めつけられるのかな?
651さんもお揃いでお坊さんのようですね(笑)?
「ようですね」とは、強い推定が私の中に湧いているということです。決めつけられるなどとは言っていませんよ。
NBさんはお坊さんでないと貴方がいうなら、それは推定が私と貴方で異なっているだけのことでしょう。
>651さんもお揃いでお坊さんのようですね(笑)?
またかよ?もうそういう反撃はよせ!はっきり言ってくだらん!って言うか呆れる。
オレは坊さんじゃないよ!
>「ようですね」とは、強い推定が私の中に湧いているということです。決めつけられるなどとは言っていませんよ。
アンタの場合、外部から見てそうは思えない!こっちから見れば、その「強い推定」が「確信」=「決めつけ」になるんだよ!
>NBさんはお坊さんでないと貴方がいうなら、それは推定が私と貴方で異なっているだけのことでしょう。
って言うかレスの内容だけで相手を坊さんと決めつける事自体どうかしてる!坊さんだと言うならばそれなりの根拠を示して、納得のいくようにしてもらいたい!
アンタの場合は、「自分の敵(すなわち自分の言う事に対して反感を持つ者)は坊さんである」と勝手に定義してるとしか思えないよ!
654 :
名無しさん@1周年:2001/08/22(水) 20:24
渡海は、妄想癖があるようですね。
渡海は、透視ができると思っているようですね。
渡海は、カキコから坊さんの抹香臭さを嗅ぎ取る超能力があると思っているようですね。
渡海は、精神的な病があるようですね。
「ようですね」とは、強い推定が私の中に湧いているということです。
決めつけられるなどとは言っていませんよ。
渡海は、不健全な魂の持ち主で、被害妄想の強い、うすらトンカチのバカですか?
これは、決めつけではありませんよ。
あなたに、そうであるのかないのか、質問しているだけですから。
>オレは坊さんじゃないよ!
そうですか。そうですか。匿名とは便利なもんですね。もし坊さんじゃなければ、失礼しました。
人のお里は話の内容で知れてくる。それでも、推定的見解に狂いがあるというのは、どこでもある話ですね。違っていたらごめんなさい。
坊さんでない人が「坊さんか?」と推定されても余り腹は立たないけど、「お坊さまですね」と坊さんが推定を受けると、余計に腹が立つことはあるかも知れませんね。
発言に責任が持たないと自覚しているときは、お里を隠したいのは人情ですね。
坊さんか坊さんでないかは、本当は大きな問題じゃない。それよりも、歯が浮くような白々しい立派なことを言うことは、恥ずかしいことじゃありませんか?。在家の貴方はそう思いませんか?
白々しいことも、お坊様でなければいいという問題ではないと思います。在家でも同じだと思います。在家でも同じだけど、万一お坊様だったら、殊の外に恥ずかしいことですね。違いますか?。
お坊様だったら、歯が浮くような白々しい立派なことは言わないものですか? もしそうならいいことですね。歯が浮くような白々しい立派なことを言えば、それは皆在家の方ですか?ま、そうとも言えませんよね(笑)。
在家・お坊様の区別無く、一緒に自戒したいものです(笑)。万一お坊様なら、殊の外自戒したいものですねと、申し上げたいのですよ。
>その「強い推定」が「確信」=「決めつけ」になるんだよ! <これが決めつけ(爆)>
>自分の言う事に対して反感を持つ者は坊さんであると勝手に定義してるとしか思えないよ!
なるほど。なるほど。
ところでNBさんは僕に反感を持っているのでしょうか? 貴方にはそう見えるのでしょうか?
>>654 >妄想癖があるようですね。 <そうかも知れませんね(笑)>。
>透視ができると思っているようですね。 <ほほう(笑)>
>カキコから坊さんの抹香臭さを嗅ぎ取る超能力があると思っているようですね。
ほほう(笑)
>精神的な病があるようですね。 <ほほう。面白いことを言いますね。>
>「ようですね」とは、強い推定が私の中に湧いているということです。
そうでしたか。貴方はこのような内容で強い推定が湧いてくる方だったんですね。なるほど。なるほど。うんうん。そうでしたか。そうでしたか。うんうん。
>決めつけられるなどとは言っていませんよ。 <どなたかそんなことを言っていますか?>
>不健全な魂の持ち主で、被害妄想の強い、うすらトンカチのバカですか?
<バカかもしれませね(笑)。>
>これは、決めつけではありませんよ。 <そうですね。貴方の強い推定なんでしょね(笑)。>
>あなたに、そうであるのかないのか、質問しているだけですから。
ああ。そうだったんですか。質問でしたか。うんうん。
ま、普通の人は、質問するときは相手を呼び捨てなんかしませんね。そして貴方もお揃いでお坊さんのようですね。ま、勝手な想像です(笑)。
657 :
宙援隊員:2001/08/22(水) 22:25
>647 宗教としては、戦争に限らず争いを好まない考え方を
広めて頂きたいのですが、
>>646に繋がりますが、
他宗教や皇室を敵対視したり、西東の争いは、対象が変わった
だけに見えて残念です。
>648 好戦的というのは困ったものですが、
何でもかんでも物分かりよさそうに社会に迎合し、妥協してしまうというのも
宗教として困ったものなんじゃないでしょうか?
「この二つの考えが並存した中で如何に生きるか」が私の宗教に期待するところであり、
私の人生修行です。
ありがたいことです。
658 :
NB:2001/08/22(水) 23:38
私は確かに本願寺派の僧侶です。それは以前のレスでも書き込んで
おり、その点では渡海の認識は間違っていません。
>>646 お返事ありがとうございます。
ただ、率直に申し上げて、「同時に遺族でもある(戦没者のご遺族
の方ですね)」と認識されたお立場から「安心しました」とおっし
ゃられてもとまどいを感じてしまうのが、私の正直なところです。
人間の歴史の大部分は非常に醜く、中でも、近代を迎えた仏教教団
の歴史はこれほど醜い歴史が他にあろうかと思えるほどです。本願
寺派も近代史のなかでずいぶんと多くの過ちの主犯格をつとめ、そ
の歴史につらなる者として、定紋の入った袈裟をまとい生活する我
が身に絶望的な気分を覚えることもあります。
それらの過ちを否定するあまり、無垢の赤子のごとき集団を作る主
張もあることでしょうが、それは決して仏教の名のもとに犯された
多くの過ちに反省を加えることにはならないと考えます。むしろ、
過ちを犯す新たな歴史の出発点を作るに過ぎないとすら言えるかも
しれません。
過ちには、過ちへといたる歴史的必然性があります。その過ちの中
に踏み止まり、それを見つめ、そこに学ぶことによってしか過ちを
過ちであると正しく指摘し、それを二度と繰り返さないための決意
は生まれないのだと思います。
靖国神社をめぐる議論も、そうした問題の中の大切な一つなのです。
単に自分とは無関係な反天皇の立場として捉えないでいただきたい
と、切に願っております。
>>649 >西本願寺にお参りした時、”見真”の額縁を見ると悲しくなってきます。
別に僕が西本願寺を弁護する必要はないんだけど、一言。
「見真大師」の称号は、倒幕維新に貢献した本願寺の功績に維新政府が報いた論功行賞と聞いています。
本派の場合、歴史に果たした功績の象徴としてはこの称号に誇りを持っていいんじゃないですか。大谷派とは考えが違ってもいいと思いますよ。いかがでしょうか?
幕末から明治維新にかけて、本願寺は我が国の先進的な改革に組織を挙げて貢献していたと漏れ聞いています。
過去への懺悔ばかりじゃなく(笑)、先輩達の輝いた歴史的な功績に詳しい方は、坊さんの中にもっといらっしゃるんじゃないでしょうか?
本願寺には貢献なんか何もなくって、貢献があったというのは僕の誤解かもしれませんけどね。
660 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 09:37
お国に貢献したかどうか、何てことは関係ないと思う。
国から「大師」として認定されたから、親鸞が偉くて、
大師号がなかったら、その辺のくそ坊主というわけではない。
661 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 09:44
コピペ
真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)は、宗祖親鸞聖人に贈られた
「見真大師」の称号の使用を今後は見合わせることを決めた。
明治9年11月28日に、明治天皇より親鸞聖人に「見真大師」の
大師号が贈られた。大師とは、「大導師」「大師範」の意味であり、
本来は「国や帝王の師となるべきもの」という意味で使われた言葉であった。
学徳の優れた高僧に対する敬称であり、後に高僧没後に朝廷から贈られる名前
「諡号」(シゴウ)として用いられようになった。
真宗大谷派は、戦争協力を含め国策に追従した過去への反省の視点から、
この度の「見真大師」の称号の使用をやめることを決定したと発表した。
662 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 09:46
コピペの続き
参考: (6/30 15:01 asahi.com)
親鸞の「見真大師」称号、今後は使いません 真宗大谷派
真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)は、戦争協力を
含め国家にのみ込まれた過去への反省から、明治政府が宗祖・親鸞に
贈った「見真大師」の称号の使用を今後は見合わせることを決めた。
7月1日からは、本山が信仰のよりどころとして全国の寺や門徒に
授与する御影(ごえい)(肖像)に用いるのは「宗祖聖人」「親鸞聖人」の
称号だけとする。
教団は自らの戦争責任を認め、国策に追従した歴史の批判を進めており、
昨年は大谷暢顕門首が「周辺諸国にも惨禍をもたらした」と懴悔(さんげ)
した。最近は僧侶(そうりょ)から「親鸞聖人は朝廷の弾圧を受けても信心を
貫いた。その宗祖をしのぶのに、歴代朝廷が高僧に与えてきた大師号はふさわ
しくない」などという声があがっていた。
「見真大師」号は1876(明治9)年、太政官から、東西の両本願寺など
浄土真宗の有力宗派に与えられた。両本願寺などが国に働きかけた成果という。
あのなんかすっごく難しい議論の最中でスイマセン。
このあいだ気がついたのですが、外国には浄土真宗がありませんよね。
浄土真宗が800年近く根付いた日本には死者にむちうつことはしませんよね。
どんな極悪人でさえも、自らハラキリしたなら罪はそれ以上問わないですよ
ね。そういう意味で悪人正機説は一般にも広まっていますよね。
総理の靖国参拝だってそういう意味なのに外国には理解されなかったですよ
ね。
それで何がいいたいかというと、このすばらしい考え方はもっと世界にアピ
ールする必要があるのではないかと思った次第です。
日本じゃ当たり前でさえあるのに....
話の途中ですいませんでした。どうぞお続け下さい。
664 :
:2001/08/23(木) 11:44
665 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 12:37
666 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 12:40
667 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 13:57
>>658 >靖国神社をめぐる議論も、そうした問題の中の大切な一つなのです。
>単に自分とは無関係な反天皇の立場として捉えないでいただきたい と、切に願っております。
よくわからないのですが。
で、教団としての歴史観は、サヨ的なものなのですか?
668 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 14:45
真宗教団連合・首相・閣僚の靖国神社公式参拝中止要請文(6月5日) より
靖国神社は明治政府の国家神道体制の基で作られ、国家による目的
遂行のための戦争に従軍し、そのためにいのちを失った戦死者のみ
を「英霊」として祀り、国家の行う「戦争という殺戮」を正当化す
る仕組みをもつ極めて、政治的意図をもって創設された特異な宗教
施設であり、戦後はその「英霊」(A級戦犯も含む)を慰霊・顕彰
するための一宗教法人であります。
669 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 14:45
真宗教団連合・首相・閣僚の靖国神社公式参拝中止要請文(8月3日) より
私たちが宗祖とする親鸞聖人もまた、その心を受け継ぎ、「世の中
安穏なれ」と愚かなる私たちが、真に人間として歩むべき方向を、
生涯を尽くして示されました。
しかしながら、悲しいことに、かつて私たちもその教えに背き、自
己を正当化し、国家が起こした戦争行為を無批判に容認し、多くの
人びとを戦地に送り出し、また、諸外国の人びとに言語に絶する惨
禍をもたらしました。私たち真宗教団連合はこのことを、この「戦
没者を追悼し平和を祈念する日」にあたって、あらためて深く懺悔
するとともに、仏の前に自らを戒め「非戦・平和」の願いに生きる
ことを、重ねて決意し、すべての戦争犠牲者に追悼の誠を表するも
のであります。
靖国神社は明治政府の国家神道体制のもとで創設され、人間の自
己中心性の恐ろしさを問うことなく戦争を正当化し、国家の戦争責
任を回避する機能を果たしてきた特異な宗教施設であります。そこ
には、靖国神社の合祀規定に適合した戦没者のみが「英霊」として
祀られる一方で、原爆、空襲等にて亡くなられた多くの方々は祀ら
れることのない、極めて差別的な一宗教法人であります。
670 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:05
なるほど、この教団も靖国を歪曲してるんだ。
>自己を正当化し、
今でもそうじゃん。
>国家が起こした戦争行為を無批判に容認し、多くの人びとを戦地に送り出し、また、諸外国の人びとに言語に絶する惨
>禍をもたらしました
じゃ、教団が全ての賠償引き受けては。それでこそ、宗教者でしょ。
それができなきゃ、解散してから言えよ。
671 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:08
>>667 念仏の教えに学ぶということは
>>668 >>669 というものの見方を学ぶということです
サヨ的とか流行の言葉を使って先入観で判断するよりも
まずは本気で親鸞の教えを学ぶことが何よりも大切です
それもこんなところでちょっとお気軽に質問するんじゃなくて
自分の足でお寺に足を運んで聞くとか、
自分でお金を出して本を買って読んでみるとか
そういう熱意が何よりも大切です
672 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:10
673 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:17
>>672 は?
俺、別に教団のための信仰心もってないもん。
674 :
672:2001/08/23(木) 15:19
675 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:22
>>674 慰霊に思想があるの?
戦後、靖国は存在したが戦争になった?
676 :
672:2001/08/23(木) 15:24
>>675 慰霊という概念が思想じゃん
慰めるって何?
霊って何?
677 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:25
678 :
672:2001/08/23(木) 15:27
>>677 同類だけど違うでしょ
渡海にしては語彙力が貧弱だもん<675
679 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:29
>>676 それ、宗教思想じゃん。
そんなこと、定義して普通慰霊も法事もしてないよ。
680 :
672:2001/08/23(木) 15:32
>>676 宗教思想って思想じゃないの?
定義したらなんで法事をしないの?
681 :
672:2001/08/23(木) 15:32
682 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:33
>>674 教義もないのに、勝手に靖国思想を作っている教団だったのね。
まあ、何も存在しない仏壇で法事して、楽しい人生送って下さい。
683 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:34
まあ充分、この教団の親切さが理解できました。
684 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 15:41
>>682 教義があるから反対してんだろ
なかったら反対せんだろ普通
ちゃんと読め
685 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 19:14
他力本願について、教えてください
如来の本願力という観点ではなく私たちが生活する上での観点からお願いします
686 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 20:12
>>685 大勢の他人の力や自然の恵み、いってしまえば宇宙的な生命の真理によって、
生かされている自分であるという自覚だと思います。
病気になれば健康になりたいと願い医者や薬局に通い、
腹がすけば食べたいと願いコンビニやマーケットに行き、
物が足りないと思えば買い物に走る。
私たちの生活のどれ一つでも、自分独りでは満足させることはできないのです。
わたしたちは生かされている、そのあたりまえのことに気づかさせてくれるのが、
現実の生活における他力の気づきではないかと思います。
今後、渡海 難は、「渡海 難◆kW1hOAXE」という表示をします。
IPを明記する標記は今回をもって最後とするつもりです。
>>660 >お国に貢献したかどうか、何てことは関係ないと思う。国から「大師」として認定されたから、親鸞が偉くて、大師号がなかったら、その辺のくそ坊主というわけではない。
話の分かんない人ですね(苦笑)。
大師号は、実質は親鸞が偉かったということで貰ったんじゃないでしょ。親鸞は、無名無位無冠無戒の在家の元流刑囚ですよ。僧でもないのに大師号を受ける。例外中の例外でしょう。幕末維新に貢献した本願寺教団が果たした功績が大きかったからじゃないの?
歴史にど素人のぼくが口を入れると話がややこしくなりそうだから余り立ち入りたくないけど、行きがかり上カキコしなければならないみたいね。想像を交えて書きます。歴史に詳しい坊さんがいたら助けて欲しいな(苦笑)。山口県の坊さんはいませんか?。
幕末期、太平洋を越えてペリーが来る。北海道にはオロシャが来る。諸藩は借金財政でどこも火の車。勤王か佐幕か。開国か攘夷か。国論は四分五裂する。そんなとき、将来を見越して勤王開国を選択し、国家を動かした先人は僕は凄いと思う。
清は英国に破れて香港を失う。フィリピンにはスペインが陣取り、ベトナムにはフランスがいる。樺太に間宮林蔵が立てた墓標をロシヤは撤去して占領を開始する。ロシヤは千島を南下してくる。そんな中で国家の独立を守ったのは誰ですか。
我が国の独立を守るためには、現代の本願寺の坊さんからさえも名前を忘れられた無名のしかし極めて明晰な優れた一向宗の坊さん達のたくさんの血も涙も流れているんでしょう。長州で、吉田松陰から西洋を教わった坊さんはいなかったんでしょうか。いればどこの坊さんですか。
長州と京都の浪士との伝令は誰がどのようにしたんでしょうね。幕府の動向を長州に知らせた連絡網はどのように作られたんでしょう。新撰組に追われた浪士をかくまったのは誰だったんでしょうか。
国家体制を回転させるには、どこかに鉄の団結を誓う全国的規模の支援組織がなければならんでしょう。薩長土肥などという地方の小藩だけの力では、国は動かないでしょう。
一向宗門徒が組織を挙げて協力したんじゃないかと思いますよ。
本山が勤王に傾けば、佐幕藩の末寺は苦悩したでしょう。多くの犠牲者の血を吸わなければ、国家に革命は起こりません。
浄土真宗教団が戦争遂行に協力したと言って懺悔するのは結構でしょう。懺悔するだけなら簡単でしょ。無名の偉大な先人の掘り起こしを忘れれば、現在生きている坊さんが本日、過ちを犯すでしょう。
689 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 20:58
685です
ありがとうございます>>686
申し訳ないのですが、文章表現により多少の誤解があるかもしれませんが、
私がお尋ねしたいのは如来の本願力(他力)が、生活していく上でどのような効果をもたらすかです。
また、縁起のなかで生かされているということに気づかされるのは何も他力でなくても気づくのではないでしょうか?
690 :
名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 21:01
だからぁ、「見真大師」というのは親鸞に対する称号でしょう?
幕末維新に貢献した本願寺教団が果たした功績が大きかったから、という評価は、
親鸞の思想的な評価、人物評かとは直接的には無関係なものだといっているんです。
もし、幕末維新に、本願寺教団が何ら功績がなかったとしても、
親鸞の思想的な評価、人物評価が下がるべきものではないといっているんです。
極端にいえば、「見真大師」という称号があるから、教行信証が国家認定の正しい思想で、
「見真大師」という称号がなかったら、
教行信証が国家に認定してもらえない疑わしい思想ということではないといっているんです。
蓮如なら、大師号を喜んだかもしれないけれど、
果たして、親鸞は、大師号を喜んでいるだろうか?
>>690 >だからぁ、「見真大師」というのは親鸞に対する称号でしょう?
形式的にはそうでしょう。実質的には倒幕維新に果たした真宗教団に対する社会の尊敬の象徴でしょう。
>親鸞の思想的な評価、人物評かとは直接的には無関係なものだといっているんです。
なるほど。
>幕末維新に、本願寺教団が何ら功績がなかったとしても、親鸞の思想的な評価、人物評価が下がるべきものではないといっているんです。
なるほど。
>「見真大師」という称号がなかったら、教行信証が国家に認定してもらえない疑わしい思想ということではないといっているんです。
なるほど。
>蓮如なら、大師号を喜んだかもしれないけれど、果たして、親鸞は、大師号を喜んでいるだろうか?
蓮如も貰っているでしょう。慧灯大師ですよね。まあ、そんなことはどうでもいい。貴方の言い分は分かった。
>果たして、親鸞は、大師号を喜んでいるだろうか?
親鸞は喜んでいるでしょう。見真大師というのは、親鸞一人が大師号を貰ったということだけの問題じゃないはずですからね。
自分(親鸞)が言いたかったことを必死になって聞こうとしてきてくれていた多くの人々の数百年間の念願に、精神的に一つの区切りがついた象徴的事柄の一つとして、喜んでいるでしょう。
一向宗は、長年、卑しく汚き宗と言われてきたようですね。地方に行けば真宗寺院ばかりだけど、京都では本山本願寺と言っても青蓮院という天台宗の一末寺の末寺に過ぎない。
法主は青蓮院にお伺いを立てないと得度もできない。江戸本願寺、築地本願寺は、形ばかり大きくても、上野の寛永寺(天台宗)に頭が上がらない。
僧にあらず俗にあらずとつっぱても、宗祖は所詮、在俗の元流刑囚。政治的発言力は限りなくゼロに近い。一向宗でなく、浄土真宗という名前も名乗れない。
実質的経済力は巨大でも、仏教の中で評価は極めて低かった。一向宗の坊さん達は、徳川期、多くの場面で悔しい思いをしてきたでしょう。
宗祖が大師号を持っていなかったのは、日蓮宗と浄土真宗だけだった。法然上人は、歴代の天皇から大師号を受けている。実質的経済力は巨大でも、真宗は仏教の中で評価は極めて低かった。それがやっと、宗派として一人前になった。
他宗派の坊さんに馬鹿にされないで済む。明治期の坊さんの喜びは大きかったでしょう。坊さん達が喜べば、それを見て親鸞さんも喜んだでしょう。
現代、大谷派では大師号を使わないという考えは、それはそれなりに評価できると思いますよ。大谷派はそういう判断でいいでしょう。しかし、先人の苦闘を知らないで行う決断は、どんな決断も誤りでしょう。
693 :
NB:2001/08/24(金) 00:08
>>663 古歌にいわく
子の罪を 親こそ憎め 憎めども 捨てぬは 親の情けなりけり と。
我が罪を、許して救う 弥陀如来 なのではなく、
我が罪の、許しが救いよ 弥陀如来なのでもなく、
汝が罪を、許すわけにはいかん。許すわけにはいかん。
許すわけにはいかんからこそ、わしがお前を必ず救う。
の名乗りがすなわちお念仏です。
ご本願の心に照らされるならば、なんで以前と同じ心で罪を造り続けることができ
ようか。
この味わいを悪人正機のご本願、悪人正機の南無阿弥陀仏といただくのです。
ですから、死者に鞭打つことはしない。とか、死を以って償えば許すとかは、
あの、、、悪人正機説じゃないです。でも「世界に広げよう念仏の声」ですよね。
>>685 「他力とはすなわち如来の本願力なり」を機の側からうかがうのが悪人正機の味わいです
ね。そのほか、現生正定聚、往生要期の心、それからもちろん御同行・御同朋など等、本
派の教義からはそのようにうかがうことができます。『嘆異抄』はもちろん『蓮如上人御
一代記聞書』などは、まさに問いの答えになってるように思うのですけど。
ネタっぽい気もするので、こんなところでどうでしょう。
>>692 聖人がよろこんでらっしゃるかどうかはともかく、総論では賛成します。
酔っ払って書き込んでますので、文章が乱れてましたら、ごめんなさい。
694 :
見物人:2001/08/24(金) 07:44
私の家は浄土真宗ですが私自身はまったく興味がありません
というか、まったく信じていません。
原始仏典、大乗仏典、チベット密教、ヨーガ経典の本を読んだあとで
浄土真宗に興味を持つことなどできない。
仏教を信じるのに必要なものと信じるに値するのは経典と真剣な修行者
仏壇、仏具、仏像はいらない
権力、金、女、酒、狂言、肉食の坊主はいなくなって良し
695 :
名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 07:48
うざいうざい渡海 難 ◆kW1hOAXE
696 :
名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 08:41
694さんとほぼ同意見でしたが、阿弥陀仏は実際にあるという体験を持ってから
親鸞の気持ちが少しわかるような感じがしてます。
理屈ぬきの教え救いと思います。でもいまの坊主はいやな人多いですね。
697 :
宙援隊員:2001/08/24(金) 09:37
>696 でもいまの坊主はいやな人多いですね。
いまの坊主だけでなく、坊主は概して、昔も未来もうざいと思う。
だから去年、檀那寺と縁を切って、東本願寺とも縁が切れて、残るのは親鸞さんと
満之さんとのつながりだけになって、本当に清々した。
皆さんもそうしたら? 唯一の解決策だと思いますよ。
698 :
NB:2001/08/24(金) 09:50
>ネタっぽい気もするので、こんなところでどうでしょう。
アホなこと書いてしまって恥ずかしいです。深くお詫びします。
NBは今日から一週間ほど消えます。
699 :
名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 10:19
親鸞:「弟子一人ももたず」「寺は小棟をむね」、個人主義
蓮如:教団経営と人身掌握術に優れた才能を発揮したカリスマ的・職業宗教者、大衆主義
蓮如に対しては、親鸞の教えを広く普及させて、巨大な本願寺教団を組織した大功績者という評価の反面、
親鸞の精神を汚して教団を太らせることのみに夢中になった化け物的な俗物という評価もあります。
そういえば、「愚民の宗祖」というレッテルでまともに扱われることなく、埋もれた存在であった親鸞を、
日本を代表する宗教思想家の一人として再評価させるきっかけを作ったのは、清沢満之だとも言われています。
親鸞の教え・願いにかなっているのか、反しているのか・・・、評価というのは、難しいですね。
700 :
石川原粒手:2001/08/24(金) 12:41
最近清沢満之に関するカキコが多くなって、清沢好きの
私としては、嬉しく思っています。
概ね好意的なものが多いですね。
本願寺派に於ける、清沢満之の評価というのは
どんなでしょうか。
私は僧侶でもどの寺の門徒でもありませんが、一応西です。
701 :
宙援隊員:2001/08/24(金) 14:41
>700 本願寺派に於ける、清沢満之の評価というのはどんなでしょうか。
私も本派における評価をお聞きしたいですね。
私はお東ですが、ほとんど聞いたことはありません。身内だから気軽に話せないという
こともあるかもしれません。
しかし、真実はもっと陰湿な原因があるような気もします。それを明らかにする参考の
ためにも、是非、本派に於ける評価を詳細にお聞きしたいです。
702 :
あわて門徒:2001/08/24(金) 16:28
すみまへん、ちょっとおたずねします
お東の門徒ですが跡継ぎが無くで
お仏壇付きのお墓を東山浄苑で買えと兄弟からゆわれています
お寺さんにゆうと怒られそうでただ今情報を集めてあります
もんと物知らずで今になってあわてております
難しい教義はわかりませんが浄苑は連枝さんのところでお寺さんと
敵対関係でしょうか????すみませんが簡単にお願いします
703 :
宙援隊員:2001/08/24(金) 17:02
>702 難しい教義はわかりませんが浄苑は連枝さんのところでお寺さんと敵対関係でしょうか??
私も先祖代々お東の門徒で、似た問題を抱えています。
母が去年なくなって、お骨の一部を未だに仏壇に保管していて、東本願寺に納骨するための
ものだと縁者に思われています。しかし、私は、そんなことは親鸞は言われず、鴨川に流せ
と言われていると理解しているので、いずれその種の処理をするつもりです。
でも、身内から造反されることは目に見えています。その時は、徹底的に抗戦し、
浄土真宗とはどういうものであるか、決着をつけるつもりで、いまから武者震いします。
私は連枝さんともお寺さんとも敵対関係で、味方は親鸞さんと満之さんだけです。
しんどいことです。連枝さんとお寺さんの関係は内輪喧嘩みたいなものだと思います。
704 :
文殊:2001/08/24(金) 18:06
>>44 今、ふとこのスレッドを見たら、
渡海難は、
「葬式費用などは、坊さんにきちんと支払額を聞くべきだ。
聞いて額を言って来なければ、払う必要はない。
サービス行為には、請求がなければ支払い義務は生じない。
葬儀費用は、葬儀屋さんとか、石屋さんとかが口添えしてくる。
内訳会計が不明瞭な請求は一円でも払っちゃいけない。
世間的な相場で考えよう。サラリーマンは、一か月で平均二十日働いて年240日。
年収は約七百万。一日の給与は、二万九千円だ。七百万の中には残業手当が入っているが、退職金などは入っていない。
ま、一日で二万九千円と思えばいい。時給にすれば、三千六百円。例えば葬式で四時間拘束すれば、一万四千円。
半日の葬式なら、この程度支払えばいいんじゃないの?
大卒の初任給は約二十万円。一日一万円。22〜3歳の坊さんなら、葬式で四時間拘束して五千円というのが相場だろう。
これ以上の金額の請求があれば、理由を聞くべきだと思う。 」
と言っているが、彼の脳が腐りすぎていて可哀想になる。
「世間的な相場」などと言っているのが哀れを誘うほどの、世間知らずだぞ、恥ずかしい男だな。
葬式の時、坊さんに支払う金は個人ではなくてその宗教法人に支払い、
坊さんはその宗教法人から給料を貰うという形になるに決まっとるじゃないか。
相手が宗教法人なのに、坊さんの歳が幾つかは関係ないぞ、阿呆。
取引先の会社のセールスマンの年齢によって、その会社の商品やサービスの値段は変わるのか。馬鹿野郎!!
おまけに、寺は自営なのにそこに勝手に「初任給」などという累進課税を導入するな。この旧体制屁理屈野郎!!
おまけに、更にそれを時給計算するとは・・・。
なぜ、サラリーマンの時給にこだわるんだ、お前は。
旧体制の呪縛されて、脳が動いてないんだな。
可哀想に自分の考え方の馬鹿さ加減にも気づかないんだろうな。
もう書き込まない方がいいな。
馬鹿丸出しとは、渡海難、お前のことだよ。ああ、読んでいて恥ずかしい。
705 :
文殊:2001/08/24(金) 18:53
渡海難。
お前はまだ、若干の論理的判断力がありそうだから、
お前の理屈の矛盾を論破してやろうとしたのだが、
>>663 こいつは本当の、本物の、リアルな、超、スーパー、甚だ、阿呆だ。
驚いた。本物だ。
706 :
名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 18:58
ここは飯のタネがなくなったら困る坊主が必死に自分たちの正当性を主張するところですか?
707 :
文殊:2001/08/24(金) 19:13
>>706 馬鹿。小学生の上げ足取りかお前は。
俺が坊主なわけねえだろ。
俺は自営業者だ、馬鹿、良く読め!!
そう思うんだったら、
正当性がないということを証明してみろ、小学生並のことしか言えんのか。
この痴呆野郎。
まあ、お前みたいな奴は何も言えんだろうがな。この低脳が!!
708 :
>>文殊:2001/08/24(金) 19:19
で,寺は自営なのか宗教団体の支店なのかどっちなの?
あと初任給と累進課税はまったく別の概念だと思いますが
709 :
文殊:2001/08/24(金) 19:24
>>708 アホ、馬鹿、間抜け、死ね。
お前のお袋の教育が悪いから、お前がここまで馬鹿になったんだろうな。
お前のお袋は社会的変質者で精神的犯罪者だ。
因業婆無知淫乱不潔非常識吉外精神的児童虐待社会的悪醜悪
上記一行をお前のお袋に捧げる。
お前は悪くない。お前を育てたお袋が悪い。
この世に自営業の支店というものがあることは知っているか。
馬鹿親の息子よ。
初任給ということばが、累進課税の所産であり、名残であるのかもきづかんのか。
淫乱婆の子よ。
Monjyu no yoo na sokonuke no baka ga dete kuru to sirakeru noo.
711 :
名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 22:44
渡海に言われたらおしまいだYO
712 :
名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 22:51
>tokai nan
omae ha kono sled ni kuruna
713 :
名無しさん@1周年:2001/08/24(金) 22:59
sledだってさ
プッ
714 :
訂正:2001/08/24(金) 23:00
sureddo
715 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 02:24
渡海本名かこわるい
顔ぶさいく
おまえがよくいうよという生活してる。
716 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 02:26
あなかしこ
あなかしこ
717 :
名無しさん@1周年 :2001/08/25(土) 02:53
ち〜ん
なまんだぶ
なまんだぶ
>>706 世の中に、ゴロツキ坊主は腐るほどいるようだ。
良識的な坊さんもいるようだが、そういう人はアホ坊主の陰で小さくなって震えているんでしょう。
悪貨は良貨を駆逐するというのは、坊さんの世界の話のようですね。
719 :
宙援隊員:2001/08/25(土) 10:09
>718
坊主の世界だけでなく、私が経験したサラリーマンの世界も、大学教師の世界も
同じです。
さはさりながら、、、ですねえ。このごろの日本のひどさは格別です。同じ日本でも
少し前まではこんなにひどくなかったし、今の時代でも、欧米は多少ましに見える。
ああ、親鸞と満之に会いたい。
720 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 10:14
スレッドはTHREAD。
英語で枝とかっていう意味だけど。
721 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 10:58
>>718 良識的な坊さん>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ゴロツキ坊主、アホ坊主≒渡海難
アホ坊主(=No721の名無し)≒渡海難 (笑)
723 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 12:18
渡海難=きらわれものときずいてないあほ
724 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 12:29
sladであほがばれた。
百日説法屁ひとつ
725 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 12:45
>>722訂正
>>721(=坊主じゃなくて一般人だろ、多分)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>何の根拠もなく
>>721を坊主と決めつける揚げ足取りのバカ・渡海難
>>723に同意。言いたいのはそれだけ。
意味のない中傷合戦はいいかげんにしろよ。
坊主でも坊主でなくても、No721の名無しはアホ坊主と同レベルじゃないの?智恵のある人なら、あんな馬鹿なカキコはしないでしょうに。
渡海難とはちょっとレベルが違う。
どこが違うかって? そんなこと自分からは言えませんね (笑)
お前も同レベルじゃないかって? スマス (^^ゞ(苦笑)
ま、No725の名無しは、早とちりでしょう。 (笑)
>意味のない中傷合戦はいいかげんにしろよ。
No726さんよ。こんな事はネタで書きなさんな。ネタでないつもりなら、他人の名前を騙るのはやめなさい。
本気なら、堂々と自分の名を名乗りなさいよ。
728 :
:2001/08/25(土) 13:57
>>727 渡海 難◆kW1hOAXEへ
君いつもいるね。いつもそんなことばかり書いているね。
気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ?わかってるの?
それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。
きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。
でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。
もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの?
自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの?
家族からも近所からも煙たがられているんだね。
友達も彼女も彼氏もいないんだね。学校でも会社でも浮いているんだね。
どこに行っても相手にされないんだね。
ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。
ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの?
かわいそうに。もう駄目じゃん。
生きていても何もいいことないよ?
どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない?
相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。
始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、
もう飽きられて完全に無視されているね。
それって迷惑なんだよ?気付いてる?
おもしろくもないのに、意味不明な事を大量に書かれても目障りなんだよね。
さようなら。この世から消えてくれ。君いるだけで迷惑。
せめて最後ぐらい人里離れた山の中で自殺してね。
729 :
名無しさん@1周年 :2001/08/25(土) 13:59
No721=No725 か?
>>マークを、改行を排除してカキコしている点をみると。同一人物だろう。
「一般人だろ、多分」などと、自分について普通、「多分」なんて言うか?
721=725=嘘つき坊主だ!! (激爆笑)
721=725=渡海難
だったりして。
渡海はよく他のHNを名乗る事があるらしいから。
731 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 17:03
729
嘘つき坊主は721,725だけじゃないだろ。
2CHの坊主は、大概は嘘つきだろ。
732 :
名無しさん@1周年:2001/08/25(土) 17:09
>>731の言いたい事をまとめると、
「2CHに来る坊主はドキュソしかいない。まともな坊主は2CHに来ない。」
ということでよろしいですか?
中には「なんちゃって坊さん」(坊さんじゃないのに坊さんに成りすました人。恐らく親鸞会の人かも)がいるかも。
>>730 >721=725=渡海難だったりして。
随分と大胆な仮説を立てる方ですね。(苦笑)
>>732 >恐らく親鸞会の人
推測で心当たりがあるレスでもあるのでしょうか?どれでしょうか?
今後、名前標記を変更します。「渡海 難◆y18prX3k」とします。「渡海 難 ◆kW1hOAXE 」は止めます。
「渡海 難 ◆kW1hOAXE 」のパスワードを探索している馬鹿がいるようです。組織的かもしれません。どこの組織でしょうね。
渡海 難に関連して類似のパスワードが次にも出てくれば、2CHの管理者またはその筋から、パスワード変換表が流出している可能性もあると考えます。再度IP公開方式に戻すかも知れません。
>坊さんじゃないのに坊さんに成りすました人。恐らく親鸞会の人かも
腹にも無い口先だけの当てずっぽうだったんでしょうか。話は具体的で、手口は込み入ってますね(笑)。
都合の悪い相手の議論の矛先を意識的に急展開させることを目的とした工作的な発言を意図すれば、無理な話題を作りあげることはありますね。どこのどういう方でしょうね(笑)。
渡海 難の標記は「渡海 難◆y18prX3k」となります。
736 :
名無しさん@一周年:01/08/26 11:50
渡海がいすわっているためか親鸞会が覆面で紛れこんでいるためか2chにかきっこ
する坊主は本当にドキュソなのかここは、スレッド名泣かせの荒れようだな?浄土真
宗もこいつらのお陰で看板に糞ぶっかけられているようなもんだ。
>>736 >渡海がいすわっているためか 〜 お陰で看板に糞ぶっかけられているようなもんだ。
あなたのようなご立派な方がしっかりと議論をリードなされば宜しいんじゃないですか?
貴方が露払いをなされば、やがて浄土真宗の気高いご立派なお坊さまもおもむろにご登場くださるかも知れません。
738 :
名無しさん@1周年:01/08/26 12:17
親鸞は自分の名前つかうな!!というぞ。
本当の如来の信があれば群れないぞ。
おまえら最低のにせもの、戸籍上の本名でやれ。
>>712 本当に書き込んだ本人です。
<お詫び>
酔っぱらった勢いで書いてしまいました。
後悔しています。
本当に、申し訳ありませんでした。
渡海 難様 お許し下さい。
>>739 >本当に、申し訳ありませんでした。渡海 難様 お許し下さい。
良心に咎める思いがあるようですね。黙っていれば相手に分からないものを、あえて書きたい、詫びたいお気持ちになられたようですね。
ま、気にしなさんな。貴方のカキコは、僕の方では全く記憶にありませんでした。気にかけてもいませんでした。
酔った勢いというなら、書いた内容は、貴方自身も気が付かない貴方の本音だったかも知れませんね。貴方の本音でも、他人は全く構わないんですよ。
気が付かなかった自分の本音がもし出てくれば、そのときを機会に自分の本音としっかり向き合うといいでしょう。
自分の中で何かが崩れそうになってくると、人は自分でも思いも懸けなかった行動に出るものです。その行動はしばしば自分の奥深いところとつながっている。
何かが崩れるというのは、いつ来るか分かりません。どういう理由で来るかも全く分かりません。明日来るかも知れないし、永遠に来ないかも知れません。
来たからいいとか悪いとか、来なければいいとか悪いとかということでもありません。
思いがけないどういう行動に出てもいいんですよ。出てしまった行動は気にする必要はないでしょう。
その変わり、その次には、そときの自分の本心とまともに向き合うことの方が、次ぎに得るものが多いでしょう。
キャップパスワードを個人的に取得したハッカーがいるようです。
この件について、総合案内にお知らせを書いたら、パスワードが公開されてしまいました(失敗。 苦笑)
キャップパスワードの使用を中止し、以後、しばらくはIP公開方式で表示します。
っていうか二度と来るな、渡海!
所詮IPを表示してもトリップ使ってもレスの内容としては変わらんだろ?
ハッカーに進入されるようじゃそれらは無駄じゃないの?
>>743 お一人でもファンがいらっしゃる限り、2CHと御縁は切れないんですよ(微笑)。
>>741 有り難うございます。
今は素面ですが、別に渡海さんのファンでも、
同調者でもありません。
712の様な書き込みをした後で、何もなかったかの様に
書き込みをすることが、自分には耐えられなかったのです。
自分にうそはつけません。
746 :
名無しさん@1周年:01/08/26 18:33 ID:m3JSg//E
渡海さんは、昔は本当は僧侶になりたかったんだけど、なれなくてくやしい思いを
したということがあるんだろうね。自分の方が僧侶よりも知識があると思っていた
から余計にくやしくてたまらず、僧侶に対して挑発的な口撃を続けるんでしょう。
747 :
名無しさん@京都板じゃないよ:01/08/26 18:37 ID:ZBD7PO.Q
家族を持つ在家であることと、僧であることは両立するのだろうか?
出家僧でなく学問僧であるなら、仏教学についての知識で渡海氏より
劣っていることはちょっと困ると思われ。
>>746 >昔は本当は僧侶になりたかったんだけど、なれなくてくやしい思いをしたということがあるんだろうね。
ゲスの勘ぐりというところかな。ま、余り詮索しなさんな。渡海 難を詮索したいというなら、渡海 難を詮索したい気持ちはわからんでもない(笑)。
僕らの青年期では、坊さんになるなんて言えば、世襲でもない限り、変人と思われたものさ。
今は出家ブームらしいけど、競争社会が嫌になった人が甘い幻想を抱いて出家するという場合も多いんじゃない?まあ、仮に僧になるんなら、浄土真宗なんていう中途半端なもんじゃなく、唐招提寺か東大寺で正式に受戒したいね。向こうが引き受けてくれるかどうか知らないけど。
総持寺の座禅会に参加していたとき、僕より年輩の人が出家方法について坊さんに相談していた。曹洞宗で受戒するのも悪くない。出家ならいつでもできる。今からでも遅くない。
先に女房が死んでそのときこっちが元気なら出家しても悪くない。でもね、親鸞仏教は僧形にこだわらないんだよ。
仏教学、宗教学者の道を選ばなかったことは、多少、悔いてる(苦笑)。僕は昔、学者として宗教を極めることは、恥ずかしいことのようにある坊さんから言われたものさ。
カルト系の新興宗教がたくさんの社会問題を起こしてきて始めて知ったよ。宗教学ってのは、社会的に非常に重要な研究対象がものすごくたくさんあったんだね。知らなかったよ(苦笑)。
坊さんには学問蔑視の風潮が広くあるんでしょうか。もしあれば、この弊害は大きいと思う。学問蔑視は絶対に間違いだ。学問蔑視の風潮があれば、これは宗教を滅ぼすよ。
信心も大事だけど、本気になってる相手には、信心だけだったら2,3ヶ月で分からせなさいよ。それ以上時間をかけちゃいけない。信心を極めるには一生かかるなんてことは愚の骨頂だ。親鸞、蓮如なんかは、即日に分からせたんじゃないかしら。
>自分の方が僧侶よりも知識があると思っていたから余計にくやしくてたまらず、
仏教の古典的な知識で、素人の在家に劣る人がいれば、僧侶の方が恥ずかしいんじゃないの?
僕が悔しいと思う理由はないでしょ。ま、坊さんとして貴方が僕に悔しさを持ってるかどうかなどということは、僕は知らないよ。
悔しさと言えば、親鸞・釈迦・仏法などという単語が飛び交う中、キンタマのポンチエとオナニーの放列を向けられ、ゴキブリと罵られたことには、今でも腹を立ててるけどね。
>僧侶に対して挑発的な口撃を続けるんでしょう。
挑発的な口撃などはしていないでしょう?どこで?
あなたのカキコは、「☆☆渡海難専用スレ☆☆ 」のNo305,306を受けたものでしょう。「☆☆渡海難専用スレ☆☆ 」にカキコすることは憚ったのかしら?
「自分の今の年齢は現代そのものに責任を負っている世代だと思っています」と僕は書いたでしょ。あなたもお坊さんみたいだけど、こういう言葉には関心がないようね(笑)。
時代・社会に対する責任意識という高尚な感覚は分からん人のようだ。
幕末期の本願寺の坊さんは、国家や社会に対する責任意識があったんでしょう。彼らは高尚な理想に燃えていたからこそ、喜んで死地に赴いたんでしょう。
今の坊さんは盛んに(自分以外の人の)過去を懺悔するけど、過去の無名の偉大な賢人達を自分たちの仲間の中から掘り返そうということは、興味がないのかしら?。立派な人はウザイのかも知れないね。
>>749 誤 僧侶の方が恥ずかしいんじゃないの?
正 僧侶の方が恥ずかしいんじゃないの?。気位が高い人の場合ね。
751 :
親鸞:01/08/26 23:12 ID:DbiroWIg
渡海 難はわたしの名 親鸞を使うな!わたしを話題にするな!
>>751 勘違いしなさんな(笑)。親鸞違いじゃ。僕は、平成時代のヤボ親鸞(失礼)なんかには用はない。
鎌倉期に活躍し、1262年に没した親鸞さんを問題にしているのさ。
現代のアンタのことを話題にしてるんじゃないから、安心しなさい。
私の家系は浄土真宗です。いろいろ、本で読んだりしたけど、浄土真宗には何の魅力感じない。
生きていく上で、その思想思い出したり、考えたりしたことあるけど、何の意味もないと思った。
南無阿弥陀仏なんて、私にとって、何の意味もない。ただ、自然なこと。
親鸞が、越後かなんかに流されたとき、苦に思うどころか、それを阿弥陀の計らいとして、
浄土真宗を広めたなんて言うくだりある。結局はものの考えようと言うことか。
そう言うふうに、他の力によって、流され、ふらふら、そんな考えで生きていくなんて
いうのは、あほだ。もっと、人間多くの考えをもつて、行動できるはず。結局は流されているのは、
弱いからだ。苦に陥ると阿弥陀の計らいとか考えるのは、心のごまかしで、弱さがあるからだ。
私の叔父で、浄土真宗に30年ぐらいすごくはまっているの居るけど、なぜ、そこまではまっているのかわからない。
叔父は、その席で坊さんに娑婆世界で、実際に心だけではなく、実際に平和で何の苦もなくずっと生活
できること、浄土真宗にそのようなことが可能かどうか聞いていた。そんな力なんてあるはずない。
結局、苦しいとき心をごまかして、我慢して生きていくということなんじゃないのだろうか。
754 :
名無しさん@1周年:01/08/27 08:08 ID:lV6l6GQY
浄土系は仏教でも他力だからではないでしょうか?
他力なんて、あたりまえ、いちいち大きく取り上げるまでもない。
自分が不利に置かれたとき、他力のせいにするのはやめろ。
逃げるな。
756 :
名無しさん@1周年:01/08/27 11:49 ID:mw7CsD92
757 :
不断見:01/08/27 11:57 ID:8N6BF.Wc
>>753 阿弥陀仏にすがれるのは、ただ浄土往生だけでしょう。
日頃のあらゆる事を自分で考えずに、全てを阿弥陀仏におまかせして
しまうのは、「おまかせ」の名を借りた、ただの怠惰にすぎないのでは
ないでしょうか。
親鸞さん、法然さんも、念仏一念になるまでは、ありとあらゆる自力の行を
修め尽くし、行い続けた、と聞いています。自分の力では、悟りどころか、
心の平安さえ、得られない、という徹底した自覚を得るまでは、自分の力で
精一杯進んでみるのが、一番良い方法だと思います。
753サンも、お父さんはお父さんのお考えがあるのだから、あなたはご自身の
道を迷わずお進みになられるのが良いと思います。
758 :
不断見:01/08/27 12:01 ID:8N6BF.Wc
阿弥陀仏や宗教を信じずに進むのも、またその人の人生であり、
阿弥陀仏に自らの救われを求めておすがりするのも、信じる事も
また、その人の人生でしょう。
信じる人を快く思わないのも、また一つの考え方ですが、信じる人を
絶対的に否定する事は出来ないという事だけは、忘れないで頂きたいと
思います。
759 :
親鸞:01/08/27 13:30 ID:4dicg4lc
OTHERNESS is YOUR EVERYTHING.
>>757 私は、思想そのものに理解できませんし、浄土真宗にはまっている人を理解できません。
自分の家がそうであっても。理解できないのであって、馬鹿にしているつもりはありません。
自力の行をして、心の平安を得られないと言う類、また、悪人正機説で言うところの
凡夫の思想、本当にそうなのかと言うこと。今、科学の時代にあって、人間の能力は
4パーセントぐらいしか発揮できていないという事実もあります。今と昔では違います。
あまり、こう書いていても、あまり、対立するばかりだと思うので、やめます。
人それぞれに信じた道を行けばいいでしょう。ごめんなさい。
難しいですね〜。
762 :
不断見:01/08/27 17:26 ID:l25mG80w
>>760 浄土真宗の教義が広まった時代というものは、ちょっと旅に出たりすると山賊が
現れたりして生命や財産を脅かされる時代でしたし、今のような人権が重視される
時代ではありませんでした。医学や科学や人権制度も整備されていない不安な時代で
は、人々が何かに救われたい、という思いは今の人達より強烈で真剣なものであった
だろう、と想像します。
その中で、阿弥陀仏の名号を唱える事で、既に浄土往生は定まったのであるから、後の
念仏は報恩の念仏である、という思想に人々が心の救われを得たとしても何ら不思議では
ありません。
しかし、今の時代のように、食べ物、着る物にさほど困る事無く、生命の危険に脅かされる
事があまり感じにくい時代では、何かにすがろうとする心じたいが持ちにくい時代である
かも知れません。それよりも、自分の中の隠された能力を引き出す、とか、自分を超えたい
という教えのようなものが人を引きつけやすいのではないか、とも思います。
ただ、このような一見満たされるように見える時代でも、以前として人々の心の中から
悩み、苦しみが完全に消え事はありません。人々が色んな宗教に頼るのも、自らの何らかの
苦悩から救われる事を目的にしているのかもしれないし、その助けとして宗教はやはり人々に
必要とされているのでしょう。そのうちの一つが浄土真宗にすぎないのでは、と思います。
763 :
名無しさん@1周年:01/08/27 18:48 ID:WAudlSJs
議論とは関係ないんですが、758さんと762さんはIDが違うんですが同じ人でしょうか。
764 :
不断見:01/08/27 19:14 ID:dfCNAVi.
>>763 同じデス。ID表示でも、書き込む毎に違うのはなぜでしょうかね?
765 :
名無しさん@1周年:01/08/27 19:31 ID:WAudlSJs
766 :
ジェイク:01/08/27 19:35 ID:MJUe9Uyk
テスト
767 :
ジェイク:01/08/27 19:37 ID:MJUe9Uyk
テスト2
768 :
ジェイク:01/08/27 19:38 ID:MJUe9Uyk
IDは変わらんね。
769 :
ジェイク:01/08/27 19:58 ID:MJUe9Uyk
いや、親鸞上人が言う「悪人」とは我々のこと、
つまり、煩悩から解脱できない我々全員のこと。
勿論、ご存知のように悟りを開いた人など仏陀以来一人もいない。
それでも、僧侶はその一生を傾けて解脱の道を模索するのも良いだろう。
僧侶以外の人間はどう仏教に関与するのか。
往生を求めたい人は、世を捨てるしかないのか。
社会で働く人間は往生できないのか。
自分が解脱できる自信と暇がある人は、
自力で悟りを求めればいい。
>>760は人間は努力次第で何でもできるという、
運動部に入って洗脳された高校女子タイプ。
おまけに、多分
>>760はその文面からして、猜疑心がつよく、
人に対する包容力が無く、
人一倍自力開悟には遠いタイプ。
貴方のような人こそ、弥陀の本願にすがるべきなのに。
>勿論、ご存知のように悟りを開いた人など仏陀以来一人もいない。
ホントかい?
771 :
石川はウンコしないよ。連合会総会長:01/08/27 20:33 ID:8aQZxvu6
>勿論、ご存知のように悟りを開いた人など仏陀以来一人もいない。
ははは・・・
「悟り」の意味を分かって言っているのかな?
君はどこで勉強してきたのかな?
772 :
不断見:01/08/27 20:52 ID:hz9zXksg
私はある浄土真宗のお坊さんに言われた事は、親鸞聖人や法然上人や
蓮如上人の言葉を読んで感動する事はとても良い事なのですが、自分自身
にとって本当に念仏が必要な物なのかどうか、それを突き詰めて考えて
頂きたい、と言われました。簡単に信じて、それで信心を得た、と思うのでは
なく、むしろ念仏とは自分にとって何なのか、徹底的に考え、疑ってほしい、と
疑い続けてそれでも疑い得ない所まで行きつかないと、本当に信心を得た、とは
言えないのではないか、とそのお坊さんはおっしゃられていました。
念仏はいくら疑おうと、否定しようと、否定出来ない物が「お念仏」であると思うから、
との事でした。
>>753 >浄土真宗には何の魅力感じない。生きていく上で、その思想思い出したり、考えたりしたことあるけど、何の意味もないと思った。
<なるほど>
>南無阿弥陀仏なんて、私にとって、何の意味もない。ただ、自然なこと。
<そりゃそうだろう>
>それを阿弥陀の計らいとして、 浄土真宗を広めたなんて言うくだりある。
阿弥陀の計らいとして?? そんなくだりがあるの?本当? 聞いたこと無いな(笑)。
>結局はものの考えようと言うことか。
何についてはものの考えようと言うことなの?
>他の力によって、流され、ふらふら、そんな考えで生きていくなんていうのは、あほだ。
うんうん。これは同感できそうだ。
>もっと、人間多くの考えをもつて、行動できるはず。
もっとというのは、何と比べてもっとという意味なの?
>苦に陥ると阿弥陀の計らいとか考えるのは、心のごまかしで、弱さがあるからだ。
<うん。そういう場合はあるだろうね。場合としては多いかも知れないね。>
>なぜ、そこまではまっているのかわからない。 <ほほう。>
>そんな力なんてあるはずない。 <うんうん。>
>結局、苦しいとき心をごまかして、我慢して生きていくということなんじゃないのだろうか。
苦しいとき、心をごまかさないできちんと我慢して生きてくことは、大事なことだろうね。
>>755 >自分が不利に置かれたとき、他力のせいにするのはやめろ。逃げるな。
何かそういう具体例があったのでしょうか。
自分は、仮に不利な状況に置かれても、他人のせいにしたり、逃げたりするのはいやだという、そういう思いなんでしょうね。
>>757 >阿弥陀仏にすがれるのは、ただ浄土往生だけでしょう。
問題としては、浄土往生と浄土往生以外と、何か二つも三つもあるという前提でしょうか。その内、阿弥陀仏にすがることで解決がつくのは浄土往生だけだということでしょうか?
阿弥陀仏・すがる・浄土往生、こう言った専門用語は何を意味しているのかよく分かりませんが、そんなイメージがあるんでしょうか?専門用語はブラックボックスとしておきましょう。
>日頃のあらゆる事を自分で考えずに、全てを阿弥陀仏におまかせしてしまうのは、「おまかせ」の名を借りた、ただの怠惰にすぎないのではないでしょうか。
難解ですね。
「日頃のあらゆる事」というのは、「浄土往生と浄土往生以外」両方を包括する概念なんでしょうか?「浄土往生以外」だけを指していますか?
阿弥陀仏にすがるということと、自分で考えないということは、同一概念なんでしょうか?
「ただの怠惰」というのは、「浄土往生と浄土往生以外」両方を通じてただの怠惰と言えるということなんでしょうか?
>念仏一念になるまでは、ありとあらゆる自力の行を修め尽くし、行い続けた、と聞いています。
ありとあらゆる自力の行を修め尽くしたなどと、どのような方から聞いているんでしょうね?修め尽くすなど、そんなことが人間に可能なんでしょうか?。
>自分の力では、悟りどころか、心の平安さえ、得られない、という徹底した自覚を得るまでは、自分の力で精一杯進んでみるのが、一番良い方法だと思います。
自分の力で精一杯進んでみると自覚が得られるんですか?それとも悟りどころか、心の平安さえ得られないんですか?
自分の力で精一杯進んでみるのが一番良い方法だというのは、「浄土往生と浄土往生以外」両方を通じて言えることなんでしょうか。どちらか一方だけなんでしょうか?
>753サンも、お父<誤記?>さんはお父さんのお考えがあるのだから、あなたはご自身の道を迷わずお進みになられるのが良いと思います。
<仰っていることがよく分かりませんね。>
>>758 >信じる人を快く思わないのも、また一つの考え方ですが、信じる人を絶対的に否定する事は出来ないという事だけは、忘れないで頂きたいと思います。
<もし忘れるとどうかなるんですか?仰っていることがよく分かりませんね。>
>>760 >私は、思想そのものに理解できませんし、浄土真宗にはまっている人を理解できません。
<浄土真宗にはまっている人は理解できないところがあるというのは同調できそうだ。>
>理解できないのであって、馬鹿にしているつもりはありません。 <うんうん。>
>自力の行をして、心の平安を得られないと言う類、また、悪人正機説で言うところの凡夫の思想、本当にそうなのかと言うこと。
「自力の行では心の平安を得られない」。「悪人こそ救われる」。こういうことはおかしいということですか?こういう主張はおかしいというなら、ものすごく気持ちが通じ合えるという感じが、僕にはありますね(微笑)。
>人間の能力は4パーセントぐらいしか発揮できていないという事実もあります。今と昔では違います。
科学が発達してきたと言っても、人間はまだ能力の4パーセントぐらいしか使っていない。残り96%をもっと使い込んでいけばさまざまな能力を発揮できるはずだ。そう考えるんでしょうね。
「自力の行では心の平安を得られないということ」。「悪人こそ救われる」。こういう言うことはおかしいということかな? うんうん。同調できそうだな。賛成だな。
>>762 >人々が色んな宗教に頼るのも、自らの何らかの苦悩から救われる事を目的にしているのかもしれないし、その助けとして宗教はやはり人々に必要とされているのでしょう。そのうちの一つが浄土真宗にすぎないのでは、と思います。
>>760,
>>753は、そのうちの一つの浄土真宗じゃいま、全然満たされんじゃないの?
>>769 >
>>760は人間は努力次第で何でもできるという、運動部に入って洗脳された高校女子タイプ。
決めつけ式人間類型分類学でも始めますか(笑)
>おまけに、多分
>>760はその文面からして、猜疑心がつよく、人に対する包容力が無く、人一倍自力開悟には遠いタイプ。貴方のような人こそ、弥陀の本願にすがるべきなのに。
怨み節でもぶつけてやりたい悔しいお気持ちなんでしょうか。こんなことで悔しがっているんじゃ、貴方のような人にすがられる阿弥陀さんは、さぞ迷惑顔するんでしょうね(笑)。
779 :
不断見:01/08/27 21:46 ID:fRjrMeIc
>>778 そうです。私は「念仏」で本当に人は救われるのか、法然上人や親鸞聖人の
ような境地へと至れるのか、考えつづけております。
全然満たされておりません。
渡海 灘様、
あなたは「他力の信心」についてどのようにお考えですか?
本当に「念仏」で人は救われるのでしょうか?
渡海様は「念仏」で救われた、という実感を経験された事はおありでしょうか?
急な質問ですいません。もしよろしければお答え下さい。お願いいたします。
780 :
名無しさん@1周年:01/08/27 22:34 ID:WAudlSJs
私の独断かも知れませんが、救われないことが
救いであるような気がします。
もちろん救われたと言う実感はありません。
理想としては、安心して苦しめるようになればと
思っていますが、多分一生そういう境地になれないでしょう。
幸せになるためには不幸になることが一番の近道。
なに言っているのかわかりませんね。
間違いのないことは人の一生は苦悩であるということ
だと思います。
>>780 >なに言っているのかわかりませんね。 <うんうん(微笑)>
>間違いのないことは人の一生は苦悩であるということだと思います。
<何かに悲観したい心があるのでしょうか?>
IDは回線切って繋ぎ直すと変わります。どうでもいいですが。
783 :
親鸞:01/08/28 03:31 ID:QIl68BI2
渡海 灘等と名乗り無限地獄で自己満足、楽しいか。
784 :
名無しさん@1周年:01/08/28 04:02 ID:vWe7nTzc
>>783 親鸞なら「無限地獄」とは言わないよ
偽物だね
785 :
迷い人:01/08/28 04:25 ID:K6s6gyNU
1本だな(笑)>784
しかし、荒れてるね。。。
>760
<浄土真宗にはまっている人を理解できません>
貴重な意見です。わからないことを正直にわからないというのは、
悪いことじゃないと思いますよ。
ワカッタキニナルホウガ、駄目なんですが、
僕たちはあほですから、往々にしてわかった気になる。
それと、渡海 灘さんより勉強してない学者なんていないよ。(笑)
ここを見ている一般人の方は、渡海 灘さんは知識あると思っているのかな。
ちと不思議だ。
786 :
名無しさん@1周年 :01/08/28 05:36 ID:8miy7vz.
親鸞も無限地獄っていってるよ勉強不足
得意がってるがしょせん自分の枠でしか生きられないんだね。
781=784=785=渡海 灘
同類項
でも親鸞さんって名前はもったいないな。
787 :
nenbutsu:01/08/28 05:41 ID:Bd93Xn9A
788 :
《゚Д゚》ゴラァァァ!!!!:01/08/28 05:44 ID:HxaVRyU2
渡海 灘 の自作自演はあたりまえ。
みんな知ってるぞ。
789 :
nenbutsu:01/08/28 05:49 ID:Bd93Xn9A
渡海は今の時間は寝てるんじゃない?
それに強制IDだからいちいち切断してつないでってしなきゃいけないし
790 :
《゚Д゚》ゴラァァァ!!!!:01/08/28 05:54 ID:KjYE0eDg
渡海 灘 の自作自演はあたりまえってこと。
791 :
(*゚Д゚) 渡海 灘 ゴラァ!:01/08/28 05:58 ID:DYswFAlM
おまえみんなにきらわれてる。
792 :
宗派無:01/08/28 07:06 ID:..ZaMw/g
>>771
パドマサンバヴァは?
793 :
名無しさん@1周年:01/08/28 09:46 ID:Euxd9phk
>>771 勉強してないので恐縮ですが、釈迦のほかには悟った人がいるのですか?
予想どうり、773さんがでてきました。いろいろ書かれるとは、思っていたけど、
細かすぎ。私の言いたいことの70パーセントは理解できてらつしゃる。あまり、訂正する気もないので、
そのままにしときます。
私は、浄土真宗について、否定的なことを述べたかもしれません。私が、ここでちょっと期待していたのは、
私の述べた論議に対して、これこれこういうことで浄土真宗とは奥深い者なんですと言う人がちょっと現れてもいいんじゃないかということ。
同時に同意してくれる人も欲しかったけれど。叔父の浄土真宗のはいりこみかた見ていると奥深いものだと
言う人が出てきてもおかしくない気がする。でも、私も全て否定しているわけではない。
叔父と悟りとは何かと言う談義していて、意識と言うキーワードを教えられ、悟りというものをだいぶ理解できるようになった。
仏教の中か、浄土真宗の中に意識と言うキーワードがあるのかどうか私にはわかりませんが。浄土真宗をやっていて、叔父は悟って
いるわけではないけれども理知的にわかっているのだなと思う。
795 :
(*゚Д゚)およよ!:01/08/28 09:55 ID:wEH71feY
予想どうり?
ウヒャヒャヒャヒャ実は私だよ〜ん。
796 :
(*゚Д゚)!:01/08/28 09:59 ID:A5T7EEJQ
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | 南無阿弥陀仏
/ ./\ \_____
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ,) ナムナム |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 .( )〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
794のつづき
だから、叔父は何らかそういうことを知っているということだけでも、否定できないかなという気はしている。
妙好人 才市の詩
この娑婆世界から極楽に
生まれる早道や ほかにない
やっぱりこの娑婆世界なり
娑婆の世界も南無阿弥陀仏
極楽の世界も南無阿弥陀仏
ありがたいな ありがたいな
才市がこの目が境
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
この詩は、すごいと思う。悟っているわけではないけど、娑婆世界において心の平安を
得ているがために出てくる詩だと思う。
797のつづき
清沢満之の如来ますまし案ずることなかれ
というのも、理解できわかるけれど753の理由のため浄土真宗には傾倒できない。
801 :
宙援隊員:01/08/28 10:42 ID:SNbuY.wY
>798 清沢満之の如来ますまし案ずることなかれ
>というのも、理解できわかるけれど753の理由のため浄土真宗には傾倒できない。
あなたのご自由だと思います。
私はこれから「清沢満之語録」を読もうか読むまいか、迷っている初心者です。
これも私の自由。これ以外、生きる方法があるわけない。
798のつづき
いま、797と798をメモからうつしていて、分別知という言葉が出てきました。
分別知という言葉を元に、753を考えると初めから否定しているにしても、
何か理解できるような、頭の中こんがらがってきた。
803 :
(*゚Д゚)!〜のつづき?:01/08/28 11:36 ID:iVZ3nDQY
アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャ、
アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャ、アーヒャッヒャッヒャアーヒャッヒャッヒャ、
∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧∧ ∧∧∧
(,, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ) ゚∀゚ ) ゚∀゚ )
@_∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧∧ ∧∧∧
(,, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ) ゚∀゚ ) ゚∀゚ )
∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧∧ ∧∧∧ノ
(,, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ),, ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ), ゚∀゚ ) ゚∀゚ ) ゚∀゚ )
@__ノ@__ノ@__ノ@__ノ@_ノ@_ノ@_ノ@_ノ@__ノ@___ノ
804 :
不断見:01/08/28 12:01 ID:T1a5MjqI
お念仏を唱える人の中で、才市翁や妙好人のような境地へ至る人もいれば、
浄土真宗の家柄に生れながらも、オウム事件を起こしてしまうような麻原の
ような人物もいる。(真宗のお坊さんに聞いた話です)そしてほとんどの人はお念仏を唱えていても、「他力の信心」を
得ているのかどうかもわからないままに唱えている人が多いのではないだろうか。
その違いとは、一体何なのだろうか?
善智識の方々にご教授頂ければ幸いです。
805 :
名無しさん@1周年:01/08/28 12:04 ID:c/MbfVcM
浄土真宗ってのは、50歳以上にならないとわからないってよって言われたんだけど
そうなんですかね。
806 :
不断見:01/08/28 12:11 ID:9IU/Y/5o
>>805さん
もしそうだとしたら、浄土真宗の教義は若い人にはわからない、という事
になってしまう。私もその事について悩んでいた所です。年を重ねなければ
理解出来ない教えであるならば、それは「他力の信心」「弥陀の計らい」とは
関係ないものになってしまう。年齢に応じた教えの説き方があると思いますが、
ではどうすれば若い方々に浄土真宗の素晴らしさを説いておられるのか、善智識
の方々にお答え頂きたい。
807 :
名無しさん@1周年:01/08/28 12:50 ID:rc1lEgdA
>>806 いつから仏教のお坊さんは結婚するようになったのだろうか?
宗派に関係なく結婚するという時点ですでに戒律をやぶっているのではないか
それに付け加えて、酒を飲む、タバコをすう、ということになると
老若男女問わず敬遠するのではないだろうか
808 :
コピペ:01/08/28 13:08 ID:LZ31hNWQ
>>786-787
顕浄土真実教行証文類 末
恩田に背き福田に違するをもつてのゆゑに、これを名づけて逆とす。
この逆を執するものは、身壊れ命終へて、必定して無間地獄に堕して、一大劫のうちに無間の苦を受けん、無間業と名づく〉と。
809 :
名無しさん@1周年:01/08/28 13:18 ID:MFs0/of.
>>807 珍鸞は、ケコーンしたりしてたよね。
だから、後々、浄土真宗 珍鸞会なんていうドキューンな宗教が出来るんだよ。
810 :
宙援隊員:01/08/28 13:35 ID:SNbuY.wY
>806 年を重ねなければ理解出来ない教えであるならば、それは「他力の信心」
>「弥陀の計らい」とは関係ないものになってしまう。
私自身、幼稚園に行く前からおばあさんに連れられておあさじを聞きましたが、
十分理解できました。浄土真宗の教えは非常に簡単ですから、大丈夫です。
>年齢に応じた教えの説き方があると思いますが、ではどうすれば若い方々に
>浄土真宗の素晴らしさを説いておられるのか、善智識の方々にお答え頂きたい。
私は現在大学生を教える立場ですが、親鸞の考えを教えるのは、幼児の場合より
難しいです。小・中・高校の余計な知識が災いするのでしょうね。
でも、不可能ではありません。要は、教師や社会人の生きざまをきちんと
見せることです。見せられない恥ずかしい生き方をしている人は、せめて自分の苦しさとか、
そこから這い上がる努力を見せることですね。
それに尽きると思います。私の知恵はそれだけです。善智識がなくて申し訳ありません。
811 :
名無しさん@1周年:01/08/28 14:24 ID:cY5fnRRk
仏光寺派や専修寺派など、本願寺派、大谷派以外の方はどれくらいいらっしゃいますか?
812 :
名無しさん@1周年:01/08/28 16:13 ID:B4wOvvMY
×無限地獄 ○無間地獄
813 :
不断見:01/08/28 17:10 ID:Ig4tKFZI
>>810さん。
お答え頂いてどうも有り難うございます。
814 :
揚げ足取りじゃありません:01/08/28 17:20 ID:gtCIAoH2
>>810 >善智識がなくて申し訳ありません。
善知識は知識のことではなく、人のことですから、“善知識がなくて・・・”はおかしいでしょう。
“善知識ではなくて・・・”などと表現すべきではないでしょうか?
815 :
(*゚Д゚)これもX夢幻!:01/08/28 17:25 ID:PD4c5JAo
見見、私の知恵はそれだけです。うまー。
>>785 >貴重な意見です。わからないことを正直にわからないというのは、悪いことじゃないと思いますよ。
「貴重な意見」?? そんな程度なの? わからないことを正直にわからないということは、とても大事な事じゃないの?
>ワカッタキニナルホウガ、駄目なんですが、 <そうそう。>
>僕たちはあほですから、往々にしてわかった気になる。
開き直っているんでしょうね。長く仏法を聞いてくると、開き直って仏法を鼻先であしらう術を知ってくる。
>それと、渡海 灘さんより勉強してない学者なんていないよ。 <笑>
>ここを見ている一般人の方は、渡海 灘さんは知識あると思っているのかな。
「渡海 灘<難>さんは知識ある」と一般人の方は思ってしまっているようなら、学者の方は襟を正して頑張ってくださいな。
>>786 >でも親鸞さんって名前はもったいないな。
同感
「親鸞」を名乗るなら、もう少し知恵を付けてからにして欲しいよね(笑)。
>>794 >予想どうり、773さんがでてきました。 <ひっかかりますか?。都合でも悪かったでしょうか?>
>私の言いたいことの70パーセントは理解できてらつしゃる。
<70パーセントなら高得点だ(笑)。>
>あまり、訂正する気もないので、そのままにしときます。
<特に訂正しなきゃならんところも無いんでしょうね>
>これこれこういうことで浄土真宗とは奥深い者なんですと言う人がちょっと現れてもいいんじゃないかということ。
<言って欲しかった期待の奥深さはどんなところですか>
>叔父の浄土真宗のはいりこみかた見ていると奥深いものだと言う人が出てきてもおかしくない気がする。
<そんな奥深さは叔父さんに伺えばよろしいんじゃないですか>
>私も全て否定しているわけではない。 <あなたが否定している部分というのはどんなところですか?>
>悟りというものをだいぶ理解できるようになった。 <すごい、すごい。>
>私は、浄土真宗について、否定的なことを述べたかもしれません。
<貴方は貴方の思いを言っただけで、浄土真宗についてなんかは何も言ってないでしょう。>
>叔父は悟っているわけではないけれども理知的にわかっているのだなと思う。
<立派な叔父さんのようですね>
>>795 >ウヒャヒャヒャヒャ実は私だよ〜ん。 <ウッソー(笑)>
>>797 >この詩は、すごいと思う。悟っているわけではないけど、娑婆世界において心の平安を得ているがために出てくる詩だと思う。
才一さんはすごいよね。ある種の悟りの境地と言ってもいいかもしれないよね。
>>798 >理解できわかる <凄いな。>
>浄土真宗には傾倒できない。
傾倒する必要なんかないだろう。
浄土真宗が必要になったとき振り返ればいい。必要になることがなければ、無用の長物だ。
819 :
宙援隊員:01/08/28 20:50 ID:SNbuY.wY
>814
ご指摘ありがとうございました。
820 :
名無しさん@1周年:01/08/28 21:24 ID:Bfi4lrT.
このスレ見てると未だに何が凄いのかよく分からない。勉強不足と言われりゃ
それまでだけどさ。どうも極楽とか往生とか何かこうピンとこないんだな。
821 :
名無しさん@1周年:01/08/28 22:11 ID:8pRW55mo
>>820 意味が違うかもしれんけど、仏教の教えは、求める者には響くんだと思う。
それは無理して理解しようとするとか、一生懸命勉強するとかって意味ではなくて、
絶望とか挫折とかってことがあって、救いを求めた時に仏教の教えが響くんだと思う。
822 :
不断見:01/08/28 22:49 ID:9IU/Y/5o
>>820 極楽往生とか、浄土へ行く、とか信心獲得とか言うけれども、つまり一言で
現わすと、念仏を唱えることで「救われる」と言う事ではないでしょうか。
では、何から救われるのか、というと、それは人それぞれなのかも知れません。
しかし、このスレで「お念仏」を唱え続けている方々にお聞きしたいのです。
「念仏を唱え続ける事で、本当に救われるのでしょうか?」と。
823 :
不断見:01/08/28 22:54 ID:9IU/Y/5o
そして念仏の効果や、阿弥陀仏や浄土の存在など半信半疑のままで、
念仏を唱え続けていても、いつか必ず救われた、と実感を頂く事が
出来るようになるのか、と。
もしも、何をも求めずに念仏を唱え続ける事が大事だとしたら、
そのような心境で念仏を唱えることが出来る方々が一体、この世に
どれだけいらっしゃるでしょうか?と。
死んだ後の事などわからない、生きる事への苦悩や様々な煩悩で心
満たされる方々に対して、念仏をどのように説いておられるのですか?と。
824 :
名無しさん@1周年:01/08/28 23:11 ID:EONAOMPo
>>821 今、自分が救いを求めてるのかって言われれば、確かにそうじゃないね。
正直言って、救いを求めるってどういうことなのかがわからない。
825 :
名無しさん@1周年:01/08/28 23:26 ID:8pRW55mo
>>822 >「念仏を唱え続ける事で、本当に救われるのでしょうか?」
念仏を唱え続けて救われようとするなら、
それは自分が念仏という努力を阿弥陀仏に認めてもらおうという自力の念仏であって、
他力の念仏ではないと思う。
>>832 >念仏の効果や、阿弥陀仏や浄土の存在など半信半疑のままで、
>念仏を唱え続けていても、いつか必ず救われた、と実感を頂く事が
>出来るようになるのか
答えにはならないけど、念仏が救われるための手段だという前提でのカキコだと思いますが、
念仏は手段ではなく、我々にとっては結果だと思います。
半信半疑では念仏は出ないでしょう。
阿弥陀仏の救済を信じ切ったところで出きるのが念仏で、
念仏が出た時にはすでに救われることが決定しているのですから、
念仏は手段ではなく、念仏は結果だと思います。
屁理屈ですが・・・。
>>779 質問が来ていたのを忘れていました。(^^ゞ
>あなたは「他力の信心」についてどのようにお考えですか?
これを話し出すと長くなる。長くなると例えばボノさんみたいな人から要点だけと言われる。要点を書くと概念が不明確になる。難しいな(苦笑)。
例えば、泳げなかった人が、あるとき泳ぐ要領に合点がいく。そうだったのかと、分かる。水にはいると、自然に水が教えてくれる。プールが自然に教えてくれる。先生はアドバイスだけ。結局、分かるためには実際に水に入って泳いでみようとすることが大事だと分かる。
泳いでみなさいよという教えと、誘いにそってとにかく泳ごうとしてみるという行為、すると自ずから確証が得られてくる。
泳ぎなさいよという教え、泳ぐという行為、そこから得られる確証、この教えと行為と確証から、ああそうだったのかと先人の心に共感できてくる。
「教行証を敬信す」るという「教行信証 総序」の言葉から、他力の信心というものの本質が見えてくる感じがしませんか。
>本当に「念仏」で人は救われるのでしょうか?
うん。救われるでしょう。救われませんか?そんな筈はない(笑)。
>「念仏」で救われた、という実感を経験された事はおありでしょうか?
救われたという実感と言われると語弊がある。「そうだったのか。先人が念仏しなさいよと言っていたわけだ。念仏にはこんな凄いことが隠れていたんだ。先人の心はここにはあったんだ」という、そういう気付きというか合点が胸に打った経験はありますよ。
僕はこの2CHでもそれは何度か書いた覚えがある。
>>822 >つまり一言で現わすと、念仏を唱えることで「救われる」と言う事ではないでしょうか。
>「念仏を唱え続ける事で、本当に救われるのでしょうか?」と。
>>823 >そして念仏の効果や、阿弥陀仏や浄土の存在など半信半疑のままで、念仏を唱え続けていても、いつか必ず救われた、と実感を頂く事が出来るようになるのか、と。
>そのような心境で念仏を唱えることが出来る方々が一体、この世にどれだけいらっしゃるでしょうか?と。
>死んだ後の事などわからない、生きる事への苦悩や様々な煩悩で心満たされる方々に対して、念仏をどのように説いておられるのですか?と。
>>824 >正直言って、救いを求めるってどういうことなのかがわからない。
素晴らしい問題提起がたくさんある。「渡海 灘さんより勉強してない学者なんていない<
>>785>」んだから、ここは渡海 難さんより勉強されている学者さんからわかりやすい説明を伺いたいところですね。No785さん。そうですよね。
828 :
迷い人:01/08/29 01:05 ID:V4fhXa1I
>827
そこいらの真宗系の著作を適当に読めばそれぞれの方が、
能書きを垂れているよ。
自分にあった奴を読めばよい。
829 :
浅田飴クール:01/08/29 01:07 ID:JyxnlYco
浄土真宗は、「コンドーム」OKですか?
830 :
ひとりごと:01/08/29 06:50 ID:AxoJM1mk
>>823 ただ念仏をとなえても意味はないだろう。
仏に近づきたいという思いをもっていなければ
ただの意味不明な言葉に過ぎない。
その点はすべての宗派にいえることだ。
831 :
迷い人:01/08/29 07:55 ID:.Xmo.3oU
>830
甘い。無願三昧という言葉が仏教にはある。
何も願わない、求めない。
〜ために〜するというのは、まだ不純物が混ざっていると考えた解釈もありさえ
するのだ。
仏教経典に出てくる「遊」の意味をちと思索されるとよいかも知れんね。
832 :
名無しさんじゃないよ:01/08/29 08:03 ID:.ocTsX2c
おいおい、君ら、出家修行者の議論するなよ。
浄土真宗は、あくまで、在家だろ。坊さんも在家、信徒も在家。
833 :
ひとりごと:01/08/29 08:14 ID:7ttlnsUI
>>831 それを言われると困ってしまう
瞑想についてカキコするつもりでいたわけではないので
834 :
愚禿:01/08/29 10:07 ID:1Kpf6iEQ
渡海難さんはこのスレで盛んに浄土真宗に対して論評されているようですが、
浄土真宗に対するあなたの立場はどのようなものなのですか。
また、あなたが信仰する宗教は何ですか。
それとも、無宗教の方なのでしょうか。
わたしは、浄土真宗の寺の門徒で、よく寺のご住職とも話をします。
浄土真宗の教えは確かにわかりにくいとは思います。
そこで、あなたと話し合ってみたいと思います。
その前に貴方自身の宗教について知りたいのですが。
そうでないと、貴方の考えがどのようなフィルターを通ったものなのかが、
わからないのです。
ちなみに、わたしは初めてここには来ましたので、
これまでのこの板の経緯はわかりません。
835 :
名無しさん@1周年:01/08/29 12:52 ID:KoWYdSFw
>>これまでのこの板の経緯はわかりません
もうすでにされていたら申し訳ないのですが、
一通り1番から全部読んでみてもよろしいのでは
ないでしょうか。
836 :
ご参考に:01/08/29 13:29 ID:ROoVeYFY
837 :
(*゚Д゚)愚かなハゲ?しんらん。:01/08/29 14:22 ID:JQ37t/D2
自称、渡海難は私生活で金を借りてますー?申告はー?集金は合法ー?
838 :
愚禿:01/08/29 14:54 ID:1Kpf6iEQ
ご返事は戴けないようですね。
>>836の方、有り難うございます。
しかし、私は本人の言葉を聞いてみたいのです。
839 :
名無しさん@1周年:01/08/29 15:12 ID:nVTh0dQU
>愚禿さんへ
渡海難は「念仏宗渡海会」教祖で、2chでは「ゴキブリ厨房教祖」としてうざがられています。
彼は、2chの仏教関連のスレを自己流仏教解釈で荒らしまくっています。
自己顕示欲が強くて、独善的で自信過剰な人です。
自分勝手な空想・妄想癖があり、それを真実だと決めつけて、他人を誹謗中傷してきます。
他人を批判することで、自分を認めさせようとしているのだと思います。
自分の想像が主体ですから、まともに反論して議論しようとしても、話題が噛み合わずに
議論になんてなりません。
ですから、あまり相手にしないほうがいいと思います。
※参考までにこちらもご覧下さい。渡海難がどんな人かがよくわかるので。
☆☆渡海難専用スレ☆☆
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=997002274&ls=50
840 :
名無しさん@1周年:01/08/29 20:10 ID:BdX2DVGo
唱える(となえ・る) = 口に出して言うこと。例「お題目を唱える」
称える(となえ・る) = 名を呼ぶこと。例「お念仏を称える」
841 :
名無しさん@1周年:01/08/29 21:09 ID:A0iT8RrE
私の書いたことについて、いろいろ注釈、渡海難さんはつけたけど、
残念ながら浄土真宗の事わかっているのかどうか疑われる事書いている。
私自身も浄土真宗について、よく知っているわけでもなく、
理解できない人間だが、浄土真宗の基本的な論旨の言葉の意味ぐらいはわかってのべているつもりだ。
その基本が、わかっていない解釈していた渡海難さんは。
842 :
S:01/08/29 21:24 ID:1vV47ZK6
>渡海難さん
藤場さんのHPがあるそうですが、アドレスを教えてもらえないでしょうか。
843 :
名無しさん@1周年:01/08/29 21:40 ID:ROoVeYFY
844 :
名無しさん@1周年:01/08/29 21:59 ID:WOBHP6fw
845 :
名無しさん@1周年:01/08/29 22:10 ID:ROoVeYFY
>>844 自分で探して見つからんから聞いているんです。
846 :
nenbutsu:01/08/30 01:06 ID:LjuX8vsM
847 :
名無しさん@1周年:01/08/30 07:57 ID:W2KR6At2
>>846 は、
藤場俊基さんは、常讃寺ですから、玉永寺、石川正穂さんは違うんじゃないの?
藤場俊基 著「親鸞の教行信証を読み解く」読書会のHP・掲示板だから、
著者の藤場さんが参加することがあるかもしれないけど・・・。
848 :
S:01/08/30 08:29 ID:fo4ZsCuY
常讃寺のHPはないんじゃないかと思うんですが。
渡海が掲示板でやり合ったというのは、藤場さんではないと思うのですが。
849 :
?:01/08/30 09:30 ID:PYuTueos
「らくりんばんばん」で検索してください
850 :
不断見:01/08/30 11:47 ID:m3XLd2J6
>>825さんは「お念仏」をとなえるには、阿弥陀仏の本願を信じなければ、とか、半信半疑では
「お念仏」は出来ない、とおっしゃられていますが、この世に完全に阿弥陀仏の本願を信じ切って「お念仏」をとなえている人が、一体、どれだけいらっしゃるでしょうか?
阿弥陀仏の本願を完全に信じたり、御恩報謝のお念仏を出来る人は、もうぞれだけで「救われている方々」であります。しかし、この世にどれだけそういう方々がおられるのか?という現実問題に
ならざるをえないのです。本当に「お念仏」にお力があり、真に絶対他力の念仏であれば、となえる人の心境が疑いの心であろうと、感謝の想いがなかろうと、ただただ自分の救われを求めるために
となえる念仏であろうとも、となえていれば、となえていさえすれば、忘れる事がたまにあっても、思い出した時に念仏をとなえていれば、いつかはわからないけれども、必ずや救われる日が来る、
その救われが私達の表面に現れて来る、それは生きているうちか、死んだ後かわからないが、必ずや「自然の理」によって、自然とお念仏に対する感謝の想いも、阿弥陀仏に対する感謝の想いも
出て来るのではないか、それこそが真の絶対他力の念仏ではありませんか?
一方では「絶対他力の念仏」と言いながら、一方では「となえる人の信心が必要だ」と説いたり、「御恩報謝の念仏でなければならない」と説くのであったら、それはとなえる人の感謝や信心を必要とする
自力の念仏ではないでしょうか。
「たとえどのような心であろうと、想いを持つままであろうと、となえていれば、救われる。それが念仏である。なぜならば、念仏の力は私達の想いとか信心など全く考慮しない絶対他力の救済力であるからだ。」
私はそのように思いますが。どうでしょうか。
851 :
不断見:01/08/30 12:05 ID:mavE51VY
念仏をお与え下さった阿弥陀仏とその根拠となる教えを説かれた世尊と七高僧に対する
感謝の想いを持つ事を伝える事は大切であると思いますが、それはあくまでもお念仏をとなえ続けてかなり心身共に
救われの境地へ至った方々にしか伝えられない事であると思います。今、苦悩の真っ只中にいる人は、救われを求めて
「お念仏」されている人がほとんどでありますし、阿弥陀仏の存在や極楽浄土の存在など関係なく、ただ唱えることで何らかの
救われを得たいという人々がほとんどでありますから、そういう方々を救済するための「お念仏」でなければならないのではないでしょうか?
ですから私は、念仏を唱え始めた人には、「念仏をうたがおうと、信じようと、全くお念仏の効力を妨げる物ではないから、そのまま唱えたいときに、お唱え下さい。」
とお伝えするでしょう。そしてもしもお唱えしていて、心身共に救われを感じられるようになられた方々には、その時はじめて「御恩報謝の念仏」をお伝えするでしょう。
今苦しんでいて、心が不平不満に満ちた方々には、「既に念仏によって救われた」という思いも「救われた事による感謝報恩の念仏」など到底出来る物ではないのです。出来ない物を出来るように
説く事は他力門の本意ではないのではありませんか。不平不満があるならばそのままでいい、となえたくなければとなえなくていい、となえたいときに少しづつでも念仏をお唱えしていく事、
それが一番大事な事ではないでしょうか。本当に念仏に力があるのであれば、いずれ唱える方々は救われるはずです。なぜなら念仏を唱える人をお救いになられるのは「阿弥陀如来」であるからです。
852 :
不断見:01/08/30 12:25 ID:vboZa6uo
念仏に出会わせていただいたのも阿弥陀仏のお導き、そして初めてお念仏を心の中ででも、一言でも唱えたら、それで浄土往生は決定した、将来の救われは決定した、と私は解釈しています。
しかし、その事はあくまでも将来においての救われであり、今現在の救われではないと思うのです。救われた状態が生きているうちに自らの心身に現れて来るのか、それとも死後において現れて来るのか
それはその人の宿業の軽重によってちがってくるのは仕方がないことであると思います。
けれども、少しづつでも唱え続けていれば、念仏の力によって、念仏そのものの光明力・救済力によって、いずれ心身共に救われる状態が現れて来るのではないでしょうか。
私達の信心に力があるのではなくて、あくまでも力があるのは「南無阿弥陀仏」の名号そのものにあるのではないでしょうか。
阿弥陀仏の救済の現れである念仏が、唱える人の心境や信心を必要とするのであれば、その時点で絶対他力とは言えません。
一度でも唱えたら、その人の将来の救われは決った、というのが念仏の真意ではないでしょうか。
しかしその救われを本当に実感できるようになるまでは、自力にかたむいたりもするし、他宗教に関心を持ったりもするし、念仏を捨てる事もあるだろうし、悪い事をしてしまうかもしれない。
人によってはどのような事をしでかすかもわからないのです。しかしそれは将来の救われに至るまでの過程であり、宿業が現れて消えてゆく姿にすぎないのではないでしょうか。
だからと言って、念仏をとなえていさえすれば、どんな悪い事をしてもかまわない、と言いたいのではありません。
出来るだけ人として正しい道を辿ろうと勤める事は大切な事ではないでしょうか。
しかしそのようにして正しい道を歩もうとする思いも、念仏を唱えていれば、そういう思いも湧いて来るのではないでしょうか。
853 :
(*゚Д゚)愚かなハゲ?しんらん。:01/08/30 12:30 ID:.AGrjff6
自称、渡海難は私生活で金を借りてますー?申告はー?集金は合法ー?
返事は戴けないようですね。私も本人の言葉を聞いてみたいのです。
時々、名前変えてるのばればれですよ。
854 :
不断見:01/08/30 12:36 ID:vboZa6uo
念仏は、一度唱えただけで、既に阿弥陀仏とつながった。将来の救われは決定した、
しかし、今現時点で救われを実感出来なければ出来ないで良い。無理して感謝する必要もない。
あるがままで、不平不満を持ったままで、感謝出来ないままで、お念仏さえしていれば、
阿弥陀如来様が、私達を感謝出来る様に導いてくださるのではないでしょうか。
私達に出来る事は、ただ「お念仏」をお唱えする事、だけではないでしょうか。
そして自分が感謝できるようになった時に、感謝の念仏をすれば良いでしょう。
その後も感謝出来ない時はそのままでお念仏すればよいでしょう。私達がたまたま感謝出来る様になったからと言って、
それが永遠に続く物ではないでしょう。何か自分に不都合な事があると、たちまち不平不満の思いの渦の中に巻き込まれてしまうのが
ほとんどの私達の姿ではありませんか。念仏をとなえつづけていて、どんな心になろうとも、それは将来の救われに至る前の
「消えてゆく姿」であると思います。この世の全ては消えてゆき、移り変わるもの、ただ消えないものは「お念仏」だけではないでしょうか。
855 :
825:01/08/30 14:00 ID:W2KR6At2
私は、お念仏を唱える者も、唱えない者も救われているんだと思う。
ただ、自分が救われていることに気づくか、気づかないかの差だと思う。
自分が救われているのだと気づいたら、自然と念仏ができるんだと思う。
856 :
不断見:01/08/30 14:01 ID:5sxsUu8g
「念仏は、唱え続けなければならない」というものでもなく、「御恩報謝の念仏でなければならない」ものでもない、と思います。
ただ一度だけでも唱えたならば、救われるのが「念仏」であり、その時自分が幸福でなくて、御恩報謝の思いも湧いて来ないで、
ちっとも救われた実感がなければそれで良いから、そのままで、ただあるがままで、念仏を唱えたければ唱えれば良いし、唱えたくなければ
唱えなくても良い。いつの日か自分が素直に、自然に、阿弥陀仏や様々な人々や物事に感謝出来る様になった時、その時はじめて
「御恩報謝の念仏」が出来るのだから、それまではただただ愚かなままで、不平不満があるままで、恨み妬みがあるままで、疑いの思いがあるままで、
お念仏をお唱えすれば良いのではないでしょうか。それまでは「自分が救われを実感出来るようにさせていただくための念仏」で良いと思います。
私達の信心が私達を救うのではない、私達をお救いくださるのはあくまでも南無阿弥陀仏の名号を通して働かれる阿弥陀如来様の救済力でしょうから。
857 :
不断見:01/08/30 14:13 ID:DMegWg62
>>855さんへ。
私は、念仏だけでしか、人は救われない、とは思っていません。
その人が自分が救われた、幸福になった、と感じられて、周囲の人々に迷惑さえ
かけなければ、どんな宗教でも良いと思います(カルトを除いて)。
「私達は本来仏性なり」という聖道門の教えの観点からすれば、私達は全て救われるも救われないもない、ただの仏そのままの存在のはずです。
しかし現実はどうでしょうか。人が人を殺し、騙し、自分の欲望を満たすために他の人の人生を破壊してしまうような方々も現におられます。
自分の子供すら殺してしまう人々もおられます。そのような方々に対して「あなたは既に救われている」と申し上げた所で、何にもなりません。
また、現在の私自身においても、「救われている」実感などありません。
ですから、自分は本来救われている存在なのだ、という事をいつの日か自覚させていただけるようになるためにも、「お念仏」は必要であると思いますし、
様々な宗教の存在意義もそこにあると思われます。
858 :
名無しさん@1周年:01/08/30 14:13 ID:W2KR6At2
859 :
不断見:01/08/30 14:31 ID:b3Pncfl6
私の祖母は、昔、まだ私の父が小さい時に夫をなくして、とても苦労した、と
言っていました。その時は金もないし、子供を大きくしなければならないしで、神や仏なんか
あるものか!と思っていたそうです。その時は神様や仏様なんて信じられなかったけれども、子供が
大きくなり、祖母を養うようになり、暮らしも楽になると、自然と仏様を拝む事が出来、念仏をお唱えする事が
出来るようになった、と言っていました。だから、神や仏なんかあるものか!と今思っていても、それは自分が現在
幸福ではなく、満たされていないから信じられないだけであって、自分が満たされて、周囲の方々や様々なものに感謝
出来るようになれば、自然と神様や仏様に感謝出来る思いも湧いて来るでしょう。だから、むりして感謝する必要も無いし、
念仏も唱えたくなければ唱えなくても良いと思います。しかし、自分が満たされずに、幸福で無い時にもお念仏が唱えられる人は
それはそれで有りがたい事であるし、なにも言う事は無いと思います。
ただし、この世の勉強や仕事はきちんとしなければいけないのではないでしょうか。
その上で念仏しなければ、何もしないで念仏さえすれば、物やお金が湧いて来る事はない、と思います。
当たり前のことを当たり前にしながら、そして念仏をする事が大切ではないかと思います。
860 :
名無しさん@1周年:01/08/30 14:45 ID:SenYTgY.
861 :
名無しさん@1周年:01/08/30 15:14 ID:SenYTgY.
>>859 >当たり前のことを当たり前にしながら、そして念仏をする事が大切ではないかと思います。
あるがままにものが見れない、当たり前のことを当たり前にできないのが、迷いの世界でしょう。
あるがままにものを見、当たり前のことを当たり前にできるのが、悟りの世界でしょう。
気づいてみれば、阿弥陀さんの救いも当たり前のことなのではないでしょうか。
素直になれないから、当たり前のことに気づかないのではないでしょうか。
862 :
不断見:01/08/30 15:20 ID:orO5sFYk
>>861 それでは、「お念仏」という他力行をしながらも、日常生活において
仕事や勉強という一見自力行に見える事を為さねばならない私達のジレンマを
どのように解釈すればよろしいのでしょうか。念仏だけではご飯を食べる事は出来ないと思います。
普通の人と同じように何らかの生業を営まなければならないでしょう。
そういう意味での「当たり前」と私は言ったつもりなのですが。
863 :
不断見:01/08/30 15:30 ID:OOaE6tN6
>>861さんへ追加
念仏だけ唱えていては生きる事は出来ません。お金を稼がなければならない。
まして家族を養わなければならない人にとって「念仏だけで食べていける」とは言えないでしょう。
その人達にとっては「お金を稼ぐ事」が第一であり、自分達のその日の暮らしをどうするか、先の事をどうするかで
精一杯なのではないでしょうか。そう言う人達は嫌が応でも仕事をしなければなりません。
それは仏教を学ぶ以前の「当たり前過ぎる程の当たり前の事」なのではないでしょうか。
この世が迷いだのどうのと言う前に、それが現実であると思いますが、いかがでしょうか。
そういう状況においては、毎日の生活に不満を持ちながらでも、お念仏をわずかづつでも続けるしか出来ない状況であり、
そのような状況においても「お念仏」が出来る人々はむしろ上等の部類に入る人々であり、ほとんどの人は念仏どころか神仏を信じる事さえ
出来ないのがほとんどでないかと思いますが、どうでしょうか。
864 :
名無しさん@1周年:01/08/30 15:42 ID:ekXsg52g
念仏の生活は、仕事や家庭生活や社会生活などを捨てるということではないでしょう。
自己中心的な利己主義を捨てて、仕事をし、家庭生活を営み、社会とかかわっていくというのが、
仏教的な生き方であり、念仏の生活なんじゃないですか?
865 :
不断見:01/08/30 15:55 ID:6c59hnlI
>>861さんへ追加
それに私でさえ目に見えない、未だに会ったこともない阿弥陀仏に対して、
ただその阿弥陀仏の名号を唱えていさえすれば、今すぐにではなくとも、将来私は救われていたんだ、
ああ、阿弥陀仏様、先師の方々、ありがとうございます、この世の全ての方々、ありがとうございます、と作為ではなく、
自然と心の底から感謝を実感出来るようにならせていただけるのではないか、と期待してお念仏をさせていただいているのです。
阿弥陀仏どころか、神仏の事にさえ思いが至らない、見えるものしか信じない、という方々は確かにいらっしゃいますが、
その人達のように私達がならない保証など有りません。神仏などいるものか!と思わざるを得ないような不幸な出来事に、私達が決して出会わぬ
保証などどこにもないのです。前世の宿業が縁に触れれば、どのような事でも犯してしまうのが私達凡夫の人間だ、と親鸞聖人は歎異抄の中で語って
おられるではないですか。その凡夫の私達に出来る事と言えば、生きながら細々と出来る限り「お念仏」を唱え続ける事しか出来ないのではないかと思われます。
その名号の不可思議力によって、自然な御恩報謝の想いも、正道を歩もうとする勇気も頂けるようになるのではないかと思っているのですが
いかがでしょうか。
866 :
名無しさん@1周年:01/08/30 15:56 ID:ekXsg52g
私たちは、生きるために働いています。
働くのは、食べるためです。
食べて生きるためです。
ところがどうでしょう。
私たちは生きていますか?働いて生きているでしょうか。
いつのまにか、働いて食べるばかりに一生懸命になって、生きることを忘れてしまってはいないでしょうか。
私がお金を稼いで、お金を使って食べて生きるはずなのに、いつのまにか、お金を稼ぐばかりの人生になってはいないでしょうか。
お金を使うはずの自分が、お金に使われてはいないでしょうか。
お金になれば何でもいい、お金のためなら何でもする、という私になってはいないでしょうか。
私たちはいつのまにかお金の奴隷になってしまっているように思えます。
「働かなければ食べて生きていけない」という大義名分をいいことに、
金のために働くばかりの人生になってはいないか、お前はそれでいいのか、
というのが、お釈迦さん以来の仏教のメッセージではないかと思います。
867 :
名無しさん@1周年:01/08/30 16:01 ID:ekXsg52g
>>865 >前世の宿業が縁に触れれば、どのような事でも犯してしまうのが私達凡夫の人間だ、
>と親鸞聖人は歎異抄の中で語っておられるではないですか。
歎異抄のどこにそういう言葉があるのか教えてください。
868 :
不断見:01/08/30 16:06 ID:.ze7axhc
>>864さんへ
確かにそのような方々はいらっしゃるでしょう。しかしそのような方々は世間から見れば「御立派な方々」であり、
いざ住宅ローンや借金や、我が子の教育費に追われる方々にとっては、自己中心的や利己主義と言われようが思われようが、
まず自分達の生き方を先に立てなければならないのではありませんか!?
そのように自分達が満たされていて、社会に目を向ける余裕が出て来た人は、そのようにされれば良い事で、何も言う事はありませんが、
そのように出来ない方々はどのように「お念仏」を唱えていけば良いか、という事が語られないと、「お念仏」の意義が薄れてしまうのではないでしょうか。
社会に目を向ける余裕も無く、自分達の生活や仕事にいっぱいいっぱいの人に向かって「自己中心的、利己主義になるな」と説いた所で、一つのお説教には
なるでしょうが、心の底からの救われにはならないのではありませんか。
たとえ現在自己中心的で利己主義であろうとも、そのようにしか生きられない、しかしお念仏を唱えることでそのような自分をお救いいただきたい、
そういう方々を救うための「お念仏」でなければ、全ての人々を救うとおっしゃられた阿弥陀仏の本願に反するのではないか、浄土門の本意でないかと思いますが
いかがでしょうか。
869 :
不断見:01/08/30 16:34 ID:Fvb3g5vE
>>867さんへ
「兎の毛や羊の毛の先についている塵ほどの罪でも、犯した罪で、宿業によらないものはない。」
(中央公論社「日本の名著・親鸞」『歎異抄』90ページ上段より抜粋)
「これでわかるだろう。すなわち、どんなことでも、心のままになるものならば、浄土に生まれるために千人殺せと言う時には、ただちに殺すだろう。しかしそうではあっても、一人でも殺せるような宿業のはたらきかけがないために、
殺さないのである。自分の心が善くて、殺さないのではない。また殺すまいと思っても、(そこに宿業のはたらきかけがあれば)百人、あるいは千人を殺す事もあるだろう」と(親鸞聖人は)仰せられた。
(同著、90ページ下段から抜粋)
「そうならなければならない前世の宿業が働きかけるならば、どのようなふるまいでもするであろう。」と(親鸞)聖人は仰せられたことである。
(同著、91ページ下段から抜粋)
以上が歎異抄からの親鸞聖人の言説の抜粋です。
>>866さんへ
そのように金のためだけに働いているばかりになってはいても、どうする事も出来ない私達はどうすればよいのですか?救われるのでしょうか?という救いの声に答えるのが、浄土門の方々のお役目であると思いますが、
いかがでしょうか。「金のためだけで働いていて、それでいいのか」だけではだめです。そこに「では、どうすれば救われるのか、そしてその方法は何か」という事が説かれなければ何にもならないでしょう。
お釈迦様はこの世は全て「諸行無常」であるから執着するな、と説かれたと私は解釈していますが、それでは全てのものに対する執着に苦しむ方々を救う事は出来ません。
だからこそ法然上人はあれほどの研鑚を積み重ねて、執着から離れられない方々がいかにして救われる方法はないか、と経文に問いつづけて、やっと専修念仏の教えに出会われたのでしょう。
しかし、今はその念仏すら信じられない方々が多くいるのであります。そう言う方々に対してどのように「お念仏」を説かれているのでしょうか?
>>866さんはどのように「お念仏」を説いていらっしゃるのでしょうか。
870 :
不断見:01/08/30 16:38 ID:SYg/HRLk
>>867さんへ
「兎の毛や羊の毛の先についている塵ほどの罪でも、犯した罪で、宿業によらないものはない。」
(中央公論社「日本の名著・親鸞」『歎異抄』90ページ上段より抜粋)
「これでわかるだろう。すなわち、どんなことでも、心のままになるものならば、浄土に生まれるために千人殺せと言う時には、ただちに殺すだろう。しかしそうではあっても、一人でも殺せるような宿業のはたらきかけがないために、
殺さないのである。自分の心が善くて、殺さないのではない。また殺すまいと思っても、(そこに宿業のはたらきかけがあれば)百人、あるいは千人を殺す事もあるだろう」と(親鸞聖人は)仰せられた。
(同著、90ページ下段から抜粋)
「そうならなければならない前世の宿業が働きかけるならば、どのようなふるまいでもするであろう。」と(親鸞)聖人は仰せられたことである。
(同著、91ページ下段から抜粋)
以上が歎異抄からの親鸞聖人の言説の抜粋です。
>>866さんへ
そのように金のためだけに働いているばかりになってはいても、どうする事も出来ない私達はどうすればよいのですか?救われるのでしょうか?という救いの声に答えるのが、浄土門の方々のお役目であると思いますが、
いかがでしょうか。「金のためだけで働いていて、それでいいのか」だけではだめです。そこに「では、どうすれば救われるのか、そしてその方法は何か」という事が説かれなければ何にもならないでしょう。
お釈迦様はこの世は全て「諸行無常」であるから執着するな、と説かれたと私は解釈していますが、それでは全てのものに対する執着に苦しむ方々を救う事は出来ません。
だからこそ法然上人はあれほどの研鑚を積み重ねて、執着から離れられない方々がいかにして救われる方法はないか、と経文に問いつづけて、やっと専修念仏の教えに出会われたのでしょう。
しかし、今はその念仏すら信じられない方々が多くいるのであります。そう言う方々に対してどのように「お念仏」を説かれているのでしょうか?
>>866さんはどのように「お念仏」を説いていらっしゃるのでしょうか。
871 :
不断見:01/08/30 16:40 ID:SYg/HRLk
2度レスになってしまいました。申し訳有りません。
872 :
NB:01/08/30 16:52 ID:2OLG.PH.
なんか久しぶりに来てみたら、2chって大変なことになってるんですね。
不断見さんへ
衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし。
また、きくといふは信心をあらわす御のりなり。
この「聞」がすなわち信心そのものです。すなわち「聞」とは、私を救う仏
との出会いのことをいうのです。(余談ですが、観経さまの上からは、この
「聞」を「見」と顕され、これを聞見一致といただきます)
信心には必ずお念仏がそなわります。
こんな歌がありましたよね。「なんにもご用は無いけれど、呼んでみたいの
ねえ、かあさん。」
目の前に母がいようとおるまいと、母なる存在に出会っている人間には、上
の歌のような瞬間が必ずあるはずです。
「かあさん」とただ口に呼んだからといって、必ずしも母なる存在に出会っ
ているわけではないように、口にただお念仏を唱えたからといって、いつの
まにやら信心がそなわるわけではありません。
ですからお念仏の称え方やら称える時の心構えやら心境やらは、他力のご信
心には余計なはからいです。私をすくう如来のましますことを聞きわけ、聞
きわけ、現にいま私のもとへと届けられた救いのお喚び声を聞きわけ、聞き
わけ、歩む人生の道のりをすなわちそのまま信心と名づけるのです。
信心をいただけば救われるのではありません。救われた姿を信心と名づける
のです。
我が心のどこかしらに「信心」なる得体の知れないものを蓄えこんで放さな
いように心がけるのが他力の信心・他力の念仏ではありません。
救いとは何か?についてはまた後ほど。その前にあなたは「救われ」なる単
語をお使いですが、なにか隠された意味でもあるんですか。
873 :
いちおう本願寺派門徒:01/08/30 17:15 ID:pTidRP1M
真宗の教えはいいと思うんだけど、ちょっとでも見解を異にする者を
"異安人”扱いして追放する、ということを繰り返してきているからなぁ。
そこがどうも引っかかるところ。
874 :
不断見:01/08/30 17:39 ID:484rqDGc
>>872のNBさんへ。
現に肉体を持ち、私達の目に表れ、肌で感じる事が出来る私達の母親と、目にも見えない、肌で感じない、その声すら聞く事が出来ない
「阿弥陀如来様」の本願を聞いて、それに私達自身の救われを求めてお念仏を唱える事は同じようで全くちがうように私には感じます。
私自身阿弥陀如来が本当に存在するのかどうかすら半信半疑なままでお念仏をとなえているのです。
そしてわたしのような人は沢山おられますよ。そのような人々が念仏を唱えるだけでは信心は得られない、とするのならば、
念仏の効力や功徳は一体どのようにして現れるのでしょうか?
「お念仏の称え方やら称える時の心構えやら新教やらは、他力のご信心には余計なはからいです・・・」とNBさんは言われましたが、
では、ただただ愚かなままで、信じられなくてもなんでもいいから、「お念仏」を称えさえすればよいのではありませんか。
お念仏を称えていて、信心を頂けば救われるのではなく、救われた姿が信心と名付ける、ともおっしゃられていますが、
私は念仏を称えていても「救われた実感」など有りません。半信半疑の信仰のままで念仏を称えています。
それともあなたは救われた実感がないままでも、念仏に出会えた事が既に救われであるから、その後の念仏は「御恩報謝のお念仏である」という蓮如上人の
お言葉を説かれるおつもりでしょうか。
救われた実感も感動もないのに、「救われた」と思わなければならず、感謝報恩の念仏をしなければならないのであるならば、私にはとても出来そうに有りません。
しかし、そのような私をもお救いくださるのが「お念仏」のはずです。
私はただ、この迷いと共に、悩みと共に「お念仏」を称えるしか無いと思っております。
それが偽らざる私の今の思いです。
875 :
不断見:01/08/30 17:44 ID:484rqDGc
神仏の存在を信じられなくても、本願を信じられなくても、称えるだけで
極楽往生できるのが、「絶対他力の名号の不可思議力」なのではないでしょうか。
あとは、私達の心の中に自然に「救われた、良かった」という心が湧いて来るまで、
少しづつでもお念仏を称え続けていれば良いのではないでしょうか。
迷い心のままで、称える事がお念仏なのではないでしょうか。
876 :
名無しさん@お腹いっぱい:01/08/30 18:16 ID:jOitRVEs
絶対他力と無信の信は違うらしい
>>810 その一
私自身、幼稚園に行く前からおばあさんに連れられておあさじを聞きましたが、十分理解できました。<だから見てください私は、こんな素晴らしい人になりました。>浄土真宗の教えは非常に簡単ですから、大丈夫です。<みなさん。わたしのようないい子になりましょう>
その二
私自身、幼稚園に行く前からおばあさんに連れられておあさじを聞きましたが、十分理解できました。<幼稚園に行く前の人にもちゃんと理解できる内容なんですよ。
みなさんは幼稚園は出てらしゃる方ばかりでしょう。あなたは、幼稚園前の人でさえ分かることがわからないんですかぁ?>浄土真宗の教えは非常に簡単ですから、大丈夫です。
<幼稚園前の人にも分かる内容が貴方には分かりませんか。みなさん。わたしのようないい子になりましょうね>
私は現在大学生を教える立場ですが、親鸞の考えを教えるのは、幼児の場合より難しいです。<幼児は簡単に騙せますから、簡単なんです>小・中・高校の余計な知識が災いするのでしょうね。<なかなか騙せないんですよ>
でも、不可能ではありません。要は、教師や社会人の生きざまをきちんと見せることです。<見てください。私などは学生に自分の生き様をきちんと見せてますよ。
この立派さには、自分でもほれぼれとしているんですよ。私と違って自分の生き様を>見せられない恥ずかしい生き方をしている人は、せめて自分の苦しさとか、そこから這い上がる努力を見せることですね。
<どうか立派な私を少しでも見習ってください。>それに尽きると思います。私の知恵はそれだけです。<善知識さん教えてくださいと私をお呼び下さいましたので、善知識(人)として出てきました。
<私は>善知識(人)ですけど、私を見習ってくださいと言うほか、自慢できるような>善智識<理解>がなくて申し訳ありません。
結局この方は、何が言いたいのでしょうね?
>>814 >“善知識ではなくて・・・”などと表現すべきではないでしょうか?
そんなことはこの方は百も承知でしょう。その上で敢えて「善智識がなくて申し訳ありません」と書いているんでしょう(笑)。
>>828 >>そこいらの真宗系の著作を適当に読めばそれぞれの方が、能書きを垂れているよ。自分にあった奴を読めばよい。
<粗雑な人だ。それとも出版社の営業部員の方ですか?>
>>830 >ただ念仏をとなえても意味はないだろう。
<うん、うん。そうだ、そうだ。そして、ただ称えよとも言うんだよ。>
>>831 >まだ不純物が混ざっていると考えた解釈もありさえするのだ。
不純物が混ざっていちゃいけないの?不純物が混ざっているような念仏じゃだめだろうと、推し量っているんですよね(笑)。不純物が混ざっていちゃいけないという推し量りは、不純物はないの?
>仏教経典に出てくる「遊」の意味をちと思索されるとよいかも知れんね。
仏教経典に出てくる「遊」の意味を思索しないで称えているんじゃ、仏さんは救ってくれないんじゃわい、と仏さんを疑っているんですよね。
832
>>浄土真宗は、あくまで、在家だろ。
<坊さんも在家、信徒も在家。味噌も糞もいっしょということかな?>
>>834 >論評されているようですが、浄土真宗に対するあなたの立場はどのようなものなのですか。
<それではその論評を読んでみてください。>
>あなたが信仰する宗教は何ですか。それとも、無宗教の方なのでしょうか。
<どのようにでも御解釈なさってください。>
>そこで、あなたと話し合ってみたいと思います。
<適当にカキコなされば、私は勝手にそれに応答するでしょう。>
>その前に貴方自身の宗教について知りたいのですが。
<貴方が知りたいと言うことは、貴方の勝手ですね。私には関係ないことですね。>
>貴方の考えがどのようなフィルターを通ったものなのかが、わからないのです。
<どこかにフィルターがありましたか。どのようなフィルターでしたか?>
>ちなみに、わたしは初めてここには来ましたので、これまでのこの板の経緯はわかりません。
<では、この板の前のカキコを読んでください。貴方に特別講義する資格は私はありません。>
>>842 >藤場さんのHPがあるそうですが、アドレスを教えてもらえないでしょうか。
<
http://web2.incl.ne.jp/fujiba/rak.htm?>
>>844 >渡海のアホに頼るな! <あほで悪かったな。それじゃ、あんたはそんなに賢いのか?(苦笑)>
>>848 >渡海が掲示板でやり合ったというのは、藤場さんではないと思うのですが。
やり合ったなんていうほどのことはないんですよ(笑)。
正確には覚えていない。僕などが敷居を高く感じる別の掲示板で藤場さんが「実体がない」というような意味のことを言っていらした。
そこで僕の方で彼の掲示板(らくりんばんばん)に関連したカキコをしたんですよ。そしたら、「迷惑だ」というような反応が返ってきた。それだけです。
自分の議論があちこちで飛ぶのが嫌だったんでしょう。
>>853 >自称、渡海難は私生活で金を借りてますー?申告はー?集金は合法ー?返事は戴けないようですね。私も本人の言葉を聞いてみたいのです。
私生活のぞき見、興信所、探偵関係については板違い。
883 :
不断見:01/08/30 18:59 ID:rN5E6uKE
>>渡海 灘さんへ。
いつぞやは私の愚問にお答え頂き、誠にありがとうございました。
私は渡海さんのお考えと全く同じであるわけではありませんが、共通する所はあると思いました。
結局の所、お救いくださるのも、浄土往生させてくださるのも、私達の信心が高いからではなく、私達の心が清いからでもなく、
阿弥陀仏の不可思議力によるのであるから、今、現時点では「救われた」とか「将来、浄土往生は決定したのであるから、これからの念仏は御恩報謝のお念仏だ」などと
無理して思う必要もなく、自然(じねん)と念仏に対する、阿弥陀仏に対する御恩報謝の思いが湧いて来るまで、迷い心のままで、欲望があるままで、阿弥陀仏や念仏の力を信じ切れないままで、
いつの日か来るかもしれない「救われた」という実感を得られるまで、自分なりに「お念仏」を心の中で称え続けようと思いました。
私は自分を偽らずに、自分に正直に、救われてなんかいない、という思いがあるならあるままで、お念仏を称え続けようと思います。
私が信じる阿弥陀仏は、そのようなお方であります。自力の人だろうと、自力半分他力半分の人であろうと、疑心に満ちた人であろうと、たった一言その名号を称えれば、私はあなた方を救います、
というのが、阿弥陀如来の本願であると思います。
>>876さんへ
絶対他力と無信の信は一つです。全く同じ意味であると私は思います。
なぜならば、私達が念仏を信じるのも、私達の才能や素質が信じるのではなく、阿弥陀仏が
私達を通して働かれるのが「信心」であると私は思うからです。
阿弥陀仏の不可思議力が、私達の心に「信心」となって現れるのであると私は思っています。
であるから絶対他力なのではないでしょうか。そのように思います。
884 :
不断見:01/08/30 19:29 ID:qe.0/yLQ
>>876さんへ追加
それに、名号を称えれば救うのは阿弥陀仏の救済力であります。
私達に出来る事は、ただただ、自分達の救われを求めて、救われたという実感を
感じられるまで、自分の心身の苦しみと共に、煩悩と共に、お念仏を御称え続けるしか
出来ないのではないでしょうか。ただ念仏を称えたたけで、「これで私の往生は決定した!ありがたい!感謝いたします!!」
という思いが湧いて来る人などは、上等の人ではないでしょうか。まして救われた事による御恩報謝の念仏など、生活に疲れた方々の
何の力になるものではありません。人の心身の苦しみを無視して「御恩報謝の念仏」などを軽々と説く人は、人の苦しみなどを思いやれない
人でありますし、そのような人に念仏を説かれたら、聞いた人は念仏から遠ざからないとも限りません。
感謝出来なければそれでいいし、信じきれないならばそれでいいと私は思うのです。
そして自然と称える事が出来るようになった時に、お念仏を御称えすれば、それでいいのではないでしょうか。
念仏に対する信心も、御恩報謝の思いも、救われたという実感も、私達が努力して持つ物ではなく、念仏をただただこのあるがままの姿で称え続けていれば、自然(じねん)と阿弥陀仏から
授けていただけるようになるのではないでしょうか。それこそが絶対他力の念仏なのではないでしょうか。
私達に出来る事は、自分が称えられる時に、お念仏をあるがままの姿で御称えするだけだと思います。
885 :
不断見:01/08/30 19:33 ID:qe.0/yLQ
阿弥陀仏を信じさせてくださるのも、阿弥陀仏。
阿弥陀仏に感謝させてくださるのも、阿弥陀仏。
阿弥陀仏を称えさせていただくのも、阿弥陀仏のお力以外にないのであれば、
私達は信じ切れないままで、感謝出来ないままで、ただただこのままで、お念仏を
御称えさせていただくほかに、一体、何を念仏に付け足す必要があるのでしょうか!
886 :
名無しさん@1周年:01/08/30 19:41 ID:xGjnijUs
>>885 >一体、何を念仏に付け足す必要があるのでしょうか!
誰でもないあなたでしょう?いろいろと理屈をこね回しているのは・・・。
887 :
不断見:01/08/30 20:12 ID:z3OoA9sk
>>886 私は私の考える「他力の信心」を書き込ませて頂きました。
理屈をこね回しているように思えますが、私の言いたい事を要約すれば、
「念仏は、ただ称えるだけで、いつかは救われるのではないか?」という事です。
失礼致しました。
念仏なんて、どうでもいい。何を理屈こねまわしてるんだ。とらわれすぎてる。
念仏なんて、ほっとけばいいよ。出るときゃ出るでしょ。自分の中で、念仏がどうあろうと、
ほっとけ。それよりもっと、大切な事あるような気がする。自分と娑婆世界とのたいじというかな、
それしとったら、念仏なんて、出るときもありゃぁ、出ないときもある。
そのたいじの中で、自分がどう目が開かれていくかと言うことが大事だよ。
>>841 >残念ながら浄土真宗の事わかっているのかどうか疑われる事書いている。
疑われる事は全然、残念じゃありませんよ。浄土真宗の事わかってないというのが、本当かも知れませんからね。
>浄土真宗の基本的な論旨の言葉の意味ぐらいはわかってのべている
そうですか。それは大変いいことですね。勉強しなくても論旨が分かる。恵まれた環境の方なんでしょう。
>その基本が、わかっていない解釈していた渡海難さんは。
どう思ってくださってもいいんですよ。貴方は貴方が信じる道を行きなさい。きっと素晴らしい道が開かれるでしょう。
890 :
NB:01/08/30 20:40 ID:BayUKQpQ
>>874 なるほど確かに、「かあさん」と「阿弥陀如来」を単純に比較することは
できないかもしれませんね。
「おまえを救う仏と出会え」と言われるよりも、「おまえの母に出会え」
と言われるほうが(多くの人にとっては)はるかに簡単なことには違いあ
りません。
しかし、「おまえをおもう母の心に出会え」と言われたならばどうでしょ
う。とたんに大変難しいことにはなりませんか。難しいけど、それに出会
う道筋は、それは人それぞれの道のりにはなることでしょうが、必ずある
はずではないですか。
「おまえを救う仏に出会え」ということも同じことです。「おまえを救わ
ずにはおれない仏の願いに出会え」と言い換えてよいでしょう。ですから
浄土真宗では聞即信といい、聞くよりほかに信なしともいただくのです。
母の体は滅しても、母の心は必ず私に響いてくるように、仏の御体は見れ
ないけれど、仏の願いを聞きひらくすべは必ず私たち全てに開かれている
のです。
たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり
それから、絶待他力のご本願は「無信の信」なる凡夫のはからいなどとは
似ても似つかないものです。
さしでがましいようではありますが、自見の覚悟で他力の宗旨を乱すこと
なかれと願うばかりです。
参考までに
>>519では答えになりませんかね。
891 :
不断見:01/08/30 20:45 ID:9iRPTouA
>>888さんへ
あなたはそのようにおっしゃるかもしれませんが、私は現に様々なものにとらわれており、
執着する心が消えない。そして今もあなたや886さんから「理屈をこね過ぎだ」と言われたばかり。
私のような者は念仏に救われを求めるしかないのです。
それなのにあなたは念仏にとらわれるな、とおっしゃる。念仏を称えていけば、今閉じている目も、
いずれは開かれるのではないのでしょうか。
892 :
不断見:01/08/30 20:49 ID:9iRPTouA
>>894さんへ
あなたのおっしゃる事はわかりました。しかし、私は他力の宗旨を乱すより前に、
自分の救われを得たいだけです。そのための「称名念仏」でしかありません。
この疑いの心のままで、半信半疑のままで、念仏を称えるしかありません。
893 :
不断見:01/08/30 20:51 ID:9iRPTouA
>>894さんへ追加
目に見えない阿弥陀仏の本願を完全に信じ切る事など、今の私には出来ないのです。
それでも救われたい、と思いつつ、念仏を称えるしか、ないのです。
もっと、日常のことに目を向けられてはいかがですか。
895 :
なんとなく思う:01/08/30 21:08 ID:xGjnijUs
>>891-893
あなたは念仏を課題としてものを考えすぎるんじゃないですか?
念仏という概念にとらわれてしまってるように思う。
>様々なものにとらわれており、 執着する心が消えない。
>念仏に救われを求めるしかない
>自分の救われを得たいだけ
>疑いの心
>半信半疑
>完全に信じ切る事など出来ない
そういう自分、自分の心を見つめて、
自分の求めているものがなんなのかを考えたほうがいいんじゃないですか?
896 :
NB:01/08/30 21:17 ID:PkRzmxLA
本願成就の南無阿弥陀仏です。本願力回向の南無阿弥陀仏です。
あなたの称えるお念仏はどこから持ってきたものですか。
どこで作ったものですか。
それから私はあなたを否定しようとは思っていない。あなたに
反論しようとも思っていない。あなたがあなたの願いの通りに
救われればいいのになあ。と思っているだけです。
そのための万分の一かでも参考になればと考えているだけです。
897 :
かい:01/08/30 21:51 ID:nJ2ceMFo
南無阿弥陀仏の意味はサンスクリット語だったかな。
「はかり知れない仏の教えに帰依しますの意味だそうです。」 坊さんに聞きました。厳しい生活から救いのもてなかった平安とか、鎌倉時代だからこそ
必要であったと思います。衣食たり、情報も多いこの時代には向いていなく思います。
なお南無妙法蓮華経は蓮の花のように美しいお経に帰依しますです。これを一万回でも唱えれば幸せになれるという過激なs学会もあります。 」
898 :
名無しさん@2周年:01/08/30 22:36 ID:0B4wLpSs
涅槃経では
懺きを人とすると書いてあるよ。
主張だけで終るのは寂しいよ。
皆、親鸞さんが好きな人ばかりじゃないの。
なんだか、共通に持っているもの忘れてない。
899 :
名無しさん@1周年:01/08/30 23:04 ID:xGjnijUs
900 :
名無しさん@1周年:01/08/30 23:11 ID:pTidRP1M
豊かな時代には厭離穢土といってもピンときませんな
902 :
名無しさん@1周年:01/08/30 23:37 ID:xGjnijUs
この世は穢土とは思いがたいということですか。
むりやり思えるものでもないし、自覚の問題ですからどうしようもないかもしれませんね。
でも、それはいつの時代も同じだと思います。
903 :
宙援隊員:01/08/31 06:52 ID:Pu5hd/9Y
>902 自覚の問題ですからどうしようもないかもしれませんね。
>でも、それはいつの時代も同じだと思います。
同じだけれども、違うところもある。だから新しい教祖が出てきて、新しい教義と
新しい布教の方法を生み出す。今は、歴史上まれに見る宗教改革の時代だと思います。
904 :
名無しさん@1周年:01/08/31 08:43 ID:iFOQRLT2
南無阿弥陀仏を称えるという事は称える我々と光明無料、寿命無料の阿弥陀仏と常に一緒に
いるということ、一緒に生活しているということです。それは呪文では決してありません。
現世的ご利益を期待するためのものでもありません。いのちの本源、宇宙自然と自己との
関係をその根本において、表現した言葉なのです。
>>891、892、893
これから助かるというのじゃない、すでに助けられている、その事実が南無阿弥陀仏です。
仏法を聴聞して、理屈がわかって助かるのではない。すでに南無阿弥陀仏に助けられていることに気づいて、
その事実をこころにしかといただくばかりだということです。信心、悟りもそれ以外ないと言うことです。
がんばろうね。
南無阿弥陀仏の目をもらって、その目と心で、この世を眺めてみると、穢土と呼んでいたこの世が初めから
浄土であったということがわかるのです。
だから、私は娑婆世界と自分をたいじさせて、目を開いて、目を境に穢土から浄土になるようにしなさいといっているんです。
日常生活の中にことごとく、阿弥陀の力は満ちている。だから、日常生活に目を向けなさいといっているのです。
その阿弥陀の力が見え出すと、自然に感謝の言葉や念仏が出てくる。
がんばろうね。
907 :
宙援隊員:01/08/31 10:51 ID:Pu5hd/9Y
>904 仏教が姿を変え、形を変えるのは、仏教がその時代においても生きていることだ
とおっしゃる場合に、「姿を変え、形を変え」て生きている、その仏教とはなんでしょうか?
ひょっとしたらオウムでもいいのでしょうか?
「仏教思想の流れにそったものである」かどうかは、誰がどのように決めるのでしょう?
>基準は難しいですが、純粋に宗教といえるものであるかどうかしっかりと見極めなければならない
まったくしんどいですね。これも在家の仕事でしょうか?
908 :
名無しさん@1周年:01/08/31 11:27 ID:znFaq7j.
>>907 >ひょっとしたらオウムでもいいのでしょうか?
とか言ってくるヤツがいたりするから、904は
>しっかりと見極めなければならない
と言ってるんじゃないの?
909 :
908:01/08/31 11:33 ID:znFaq7j.
誰の仕事かは知りませんが、
>まったくしんどいですね。
と思うんなら、別に無理に自分の仕事にする必要はない。
910 :
気になる:01/08/31 11:33 ID:TdsHKoWw
>906
>>娑婆世界と自分をたいじさせて
この表現がちょっと気になるんだけど、
自分を離れて、自分の心と無関係に外物(娑婆世界)があるのではない、
自己を見つめよ、自分の心を見つめよというのが、仏教の教えだと思うのですが・・・。
911 :
S:01/08/31 11:38 ID:1rT8hTr6
>793
大乗仏教の仏とはスーパーマンなんですよ。ですから実在の人物で仏になった人は
いないことになっています。
竜樹ですら菩薩の十地の初地の歓喜地というになっています。
渡辺照宏が「日本の仏教」という本で、大乗と自称し小乗と貶めているが、仏になった者が
一人もいないのはおかしいではないか。小乗は少なくとも悟った者はいる、とかいう
ことを書いています。
912 :
名無しさん@1周年:01/08/31 11:39 ID:TdsHKoWw
>>908 国民のレベルに見合った政治しか生まれないって言われるけど、宗教も同じだと思う。
商品にしてもサービスにしても、最終的な選択権は一人一人の個人にあるのですから・・・。
でも、坊主にしっかりしろ!って言いたい気持ちは、十分、分かりますけどね。
913 :
名無しさん:01/08/31 11:39 ID:1rT8hTr6
宙援隊員はなんか渡海と似ているね。
914 :
名無しさん@1周年:01/08/31 11:51 ID:TdsHKoWw
915 :
宙援隊員:01/08/31 11:53 ID:Pu5hd/9Y
>913
別人ですよーっ
霊性も違いますよ-っ
知性は似ているように見えるかもしれない。
916 :
名無しさん@1周年:01/08/31 12:20 ID:TdsHKoWw
>>344 意味が分からんのやけど・・・。
誰が鈴木大拙みたいだって?
917 :
名無しさん@1周年:01/08/31 12:25 ID:TdsHKoWw
>>916 ごめんスレ間違えた。
それにしても、このスレいつの間にか900越えたね。
2ちゃん継続できるんなら、そろそろ新スレに移行しなければ・・・。
>>910 対峙 向き合うこと 表現悪かったかなー。離れるという意味じゃないよ。
意味通ってると思うんだけど。
>>910 自分の心を見つめよ。南無阿弥陀仏の目をもらうということが心の部分です。
920 :
名無しさん@1周年:01/08/31 15:13 ID:LP.Q.uow
>>All
どんな人でも「南無阿弥陀仏」ととなえれば、浄土へ行けるのですか?
921 :
名無しさん@1周年:01/08/31 16:19 ID:TdsHKoWw
>>918 広辞苑
【対峙】:相対してそばだつこと。向きあって立つこと。「―する両軍」
現代新国語辞典
【対峙】
《名・自サ》〔文〕・競い合うように、むかい合って (そびえ) 立つこと。
行動を起こさずに、にらみあったまま対立すること。にらみ合い。
922 :
913:01/08/31 16:48 ID:C1osAcb6
>915
レスの書き方が似ているし、妙な文句の付け方も似ている。
>「姿を変え、形を変え」て生きている、その仏教とはなんでしょうか?
原始仏教、上座部仏教、大乗仏教、密教、中国仏教、チベット仏教、日本仏教、
姿を変え、形を変えているように思われるが。
>ひょっとしたらオウムでもいいのでしょうか?
どうしてここにオウムが出てこなければいけないのか。
こういういやらしさが似ている。
質問をしているふりして、馬鹿にしているいやらしさが似ている。
ボノも人からの批判に過剰反応するところが似ている。
923 :
目指せ1000:01/08/31 17:26 ID:kLtQOGWA
へな
924 :
924:01/08/31 18:01 ID:kLtQOGWA
924
925 :
名無しさん@1周年:01/08/31 19:52 ID:TdsHKoWw
926 :
愚禿:01/08/31 20:17 ID:kBcpXOuM
>>881 やはり、渡海難という人はただ煽っているだけのようですね。
これまでの書き込みを改めてよく読んでみましたが、
浄土真宗に関しては勿論、仏教全般に対して基本的な知識が欠落しているようですね。
いわゆる、間違いだらけの「知ったかぶり」という以上の何者でもないようです。
すこし、仏教を語るには、恥ずかしいですね。
十分に学ぶ機会を得られなかったという意味では、
可哀想な人だとはおもいますが・・・。
>>822 >念仏を唱えることで「救われる」と言う事ではないでしょうか。
唱える「行為」で「救われる」っていうこと? そうかなー?。「救われる」ってどういうことだと思うんですか?
>何から救われるのか、というと、それは人それぞれなのかも知れません。
そうかなー?。 救いの主体(発動点)が違えば、本物と偽物が混在するということにはならないのかしら?
>このスレで「お念仏」を唱え続けている方々にお聞きしたいのです。
こういう言い方をされると、答えにくくなるんだよね。下手にレスすれば、「私は、お念仏を唱え続けている者です」という宣言をすることなる。
「唱え続け」るってどういうこと?「唱える者」と「唱え続ける者」とは違うの?同じなの?こんな概念を全て置き去りにして一方的に宣言をするということは、僕はできない。「唱えることはあっても『続ける』という程の者ではない」と思えばレスできませんよね。
「惹かれることはあっても唱えていますとは自信をもって広言することには気が引ける」という人もレスできませんよね。レスのハードルを高くしたのは、意味があってのことでしょうか。
810は回答しているけど、「善智識の方々にお答え頂きたい。
>>806」という言い方も同じですね。レスのハードルを高くするということは、目的がなければ普通はしないとい思います。いかがでしょうか。
>「念仏を唱え続ける事で、本当に救われるのでしょうか?」と。
「唱え続ける事で」というのは、「唱える行為の回数の蓄積と時間の経過を伴ってやがて」という意味でしょうか。あるいは、「唱えたという行為実績の蓄積に伴って」という意味でしょうか?
>>823 > … なるのか、と。
なる主体はだれを指していますか?
唱える不断見さんがいつかはそうなれますかという質問ですか?それとも、「…出来るようになる人などは、所詮、世の中に一人もいないんでしょう」という反語的主張なんでしょうか?
> … でしょうか?と。
何も求めずに念仏を唱え続ける事が大事だと言っても、そのような心境で念仏を唱えることが出来る方々などは、事実上、この世にほとんどいない、という反語的主張でしょうか?
> … ですか?と。
説いている主体は誰に置いているんでしょうか。そもそも仏教というものはどのように説いているんですかという質問ですか。実際の坊さん達は在家にどのように説いていますかという質問でしょうか?
「死んだ後の事などわからないんだから、生きる事への苦悩や様々な煩悩で苦しむ方々がいても、結局念仏は何の取り柄にもならないものである、ということが言いたいのでしょうか?
>>926 >浄土真宗に関しては勿論、仏教全般に対して基本的な知識が欠落しているようですね。いわゆる、間違いだらけの「知ったかぶり」という以上の何者でもないようです。
貴方は、真宗知識の検定員の方ですか?
>すこし、仏教を語るには、恥ずかしいですね。
仏教を語っているんじゃないんですよ。僕は自分の考えを表明しているだけなんですけどね。
>十分に学ぶ機会を得られなかったという意味では、可哀想な人だとはおもいますが・・・。
十分に学ぶ機会を得られなかった人は可哀想な人なんですか?。そして貴方は、幸福な人?
それでは、2CHの範囲内でおいおい貴方から浄土真宗を教えていただきましょう。
930 :
かい:01/08/31 21:04 ID:aMJfBd16
私の実家は浄土真宗だし、親鸞上人には尊敬の気持ちこそあれ否定するつもりは全くありません。あの時代にあって絶望にあえぐ人々の救済という点からもその実績は誰も否定できないと思います。ただ私は親鸞上人のあの教えはあの時代であったからこそ
絶対他力となったのであり、仏へ導くための方便であったと思います。基本的に釈尊の時から仏教は自力本願による悟りが本道であったと思います。
浄土真宗は、蓮如上人の導きの力により多くの信者を得たわけですが、現代にあっての魂の救済というてんにおいては現代人には物足りなく、そのために新興宗教に流れていると思います。
みなさん、がき相手にレスするのはやめましょう。
932 :
名無しさん:01/08/31 21:06 ID:e5nC/Ifc
渡海さんは一日のうち何時間を2ちゃんねるに費やしているんでしょうか。
お仕事は大丈夫なんでしょうか。
いらぬ心配ですが、気になったもので。
こんなことを書くと、またお叱りを受けることでしょうが。
933 :
S:01/08/31 21:16 ID:e5nC/Ifc
かいさんの言うこと、もっとも。
なぜ新興宗教の方が魅力が教えて下さい。
934 :
愚禿:01/08/31 21:25 ID:kBcpXOuM
>>929 仏教の目的とは何か。
この問題ができたら、君に講義してあげましょう。
渡海難君。
935 :
愚禿:01/08/31 21:27 ID:kBcpXOuM
すまない。
君には難しすぎるから、答えなくてもいい。
さようなら。もう、2ちゃんねるも終わるようだから、
私もこれで失礼する。
さようなら。
>>824 >正直言って、救いを求めるってどういうことなのかがわからない。
こんなこと、単純に考えたらいいんじゃないですか。難しく考えると分からなくなる。僕にも874さんがどう考えているか分かりませんが、僕は僕なりに意見を持っています。
救いっていうのはね、自分が生きていく上で一番大事なこと。一番大事なことが得られるというのが救いだろうと僕は思う。
これに反対する人はいるかも知れない。生きていく上で一番大事なことと救いとは直接関係がない、と。もし、生きていく上で一番大事なことと以外のことが救いなら、救いは僕にとって一番大事なことではない。
一番大事なことでなければ、僕にとって二の次、三の次の問題だ。そんなものは、必要が無ければ必要がない。結局、救いなどという名前を付けて求めるに値しない。僕は、生きていく上で一番大事なこととを救いと名付けてそれを求める。
生きていく上で一番大事なこととは何か。例えば、健康問題で困れば医者に相談する。保健所に相談する。
現代はいい時代で、例えば火山が爆発したとなると、国が避難所を作ってくれる。条件は厳しいけど、生活に困れば生活保護というものもある。
法律事件で困れば、弁護士が相談に乗ってくれる。現代では生きていく上でにっちもさっちも行かなくなるという事態は、比較的少なくなった。
それでも長い人生の中で、身動きがとれなくなることはやはりある。社会が不況になるとこういう場面は多くなる。相談する人もいない。
相談は聞いてくれても、身動き一つ取れず火の車。進むも地獄、引くも地獄、留まるも地獄。こういう場面がある。そんなときどうするのか。結局最悪の選択肢を選ばないとならないのか。
救いというのは、そんなときにこそ頼りがいになる智恵だろう。本当に必要なのは、八十年の人生の中で一週間あるかないか程度のものだろう。それでも、人によるとそれが1年にも2年にも及ぶ。
そんな時に人生の杖となってくれる智恵、仏教はそんなものを与えてくれる。仏教の救いとはそういうものだと僕は思っているんですよ。
937 :
名無しさん@1周年:01/08/31 21:39 ID:4OfS3IO2
渡海さんへ
ご存知のことと思いますが、2ちゃんねるがオークションに売り出されました。
ということは、この2ちゃんねるは終わりということになります。
渡海さんも、これを機に2ちゃんねるから完全に撤退してはいかがでしょうか?
938 :
名無しさん@1周年:01/08/31 23:19 ID:TdsHKoWw
>>936 「自分が生きていく上で一番大事なこと。」が、
「本当に必要なのは、八十年の人生の中で一週間あるかないか程度のものだろう。」???
939 :
名無しさん@1周年:01/08/31 23:48 ID:TdsHKoWw
>>938 渡海の考える仏教の救いは、もしもの時の保険みたいなもんなんや。
でも、そんなんやったら、聴聞とか聞法とかって教えを聞いたり、自分を見つめたりって面倒なことする必要ないやん?
本当に困って切羽詰まった時に、「阿弥陀さ〜ん、助けて〜!」って叫んだら、そんでええやん。
浄土の念仏はまだええよね。他力本願で自分でなんの努力もしてないんやから。
でも、一生懸命努力して悟りをひらいた人なんて気の毒やん。
ごっつい苦労して悟っても、人生にもしもがなかったら、せっかくの悟りが役にたたんのやろ?
そういう人は、歳とって死んでいく時に思うやろな、仏教の修行なんて無駄なことをしたもんやなぁ〜って。
なんやこんなん書いとったら、お釈迦さんってスッゲ〜無駄な努力したアホの元祖みたいな。
渡海は、お釈迦さんをアホにしとるぞ。
940 :
渡海もどき:01/09/01 00:43 ID:Qd3UQddc
>>936 >こんなこと、単純に考えたらいいんじゃないですか。難しく考えると分からなくなる。
ああそう。じゃぁ、難しく考えずに、単純に考えようね。
>僕にも874さんがどう考えているか分かりませんが、僕は僕なりに意見を持っています。
自分なりの考えを持つってのは大切だよね。
>救いっていうのはね、自分が生きていく上で一番大事なこと。一番大事なことが得られるというのが救いだろうと僕は思う。
うんうん。(笑
>これに反対する人はいるかも知れない。
そう、いるかもしれないし、いないかもしれない。
>生きていく上で一番大事なことと救いとは直接関係がない、と。
意味が分からん。
>もし、生きていく上で一番大事なことと以外のことが救いなら、救いは僕にとって一番大事なことではない。
それは君ばかりではないだろう。
>一番大事なことでなければ、僕にとって二の次、三の次の問題だ。
そりゃそうだろうね。
>そんなものは、必要が無ければ必要がない。
ちょっとしつこいね。
>結局、救いなどという名前を付けて求めるに値しない。
そう。
941 :
渡海もどき:01/09/01 00:44 ID:Qd3UQddc
>僕は、生きていく上で一番大事なこととを救いと名付けてそれを求める。
うんうん。
>生きていく上で一番大事なこととは何か。例えば、健康問題で困れば医者に相談する。保健所に相談する。
えっ!医者や保健所に相談することが、生きていく上で一番大事なこと?
>現代はいい時代で、例えば火山が爆発したとなると、国が避難所を作ってくれる。
>条件は厳しいけど、生活に困れば生活保護というものもある。
>法律事件で困れば、弁護士が相談に乗ってくれる。
おいおい、一番大事なことがそんなにあったら、一番じゃないじゃないか。
>現代では生きていく上でにっちもさっちも行かなくなるという事態は、比較的少なくなった。
そうかもしれんね。
942 :
渡海もどき:01/09/01 00:45 ID:Qd3UQddc
>それでも長い人生の中で、身動きがとれなくなることはやはりある。
どういう場面かな?
>社会が不況になるとこういう場面は多くなる。相談する人もいない。
景気がいい時は、そういう場面がないといいたいわけ?
>相談は聞いてくれても、身動き一つ取れず火の車。
今の銀行に相談したらそうかもしれないな。(苦笑
>進むも地獄、引くも地獄、留まるも地獄。こういう場面がある。
君の現状が、こういう状態? (いい気味
>そんなときどうするのか。
ふんふん。
>結局最悪の選択肢を選ばないとならないのか。
ええっ!いきなり自殺して保険金をあてにしちゃうの?
>救いというのは、そんなときにこそ頼りがいになる智恵だろう。
アリコか?
>本当に必要なのは、八十年の人生の中で一週間あるかないか程度のものだろう。
保険ならそうだろうね。
943 :
渡海もどき:01/09/01 00:50 ID:Qd3UQddc
>それでも、人によるとそれが1年にも2年にも及ぶ。
神戸の震災の被災者は未だに苦しんでる。
>そんな時に人生の杖となってくれる智恵、仏教はそんなものを与えてくれる。
自己破産せずに、自殺せずに、図太く生きていく知恵でしょうか?
>仏教の救いとはそういうものだと僕は思っているんですよ。
ブッダが読んだら喜ぶだろうね。(爆笑
944 :
前にも書きましたが:01/09/01 02:15 ID:TV3bDB8.
唱える(となえ・る) = 口に出して言う
称える(となえ・る) = 名を呼ぶ
このスレではほぼROMに徹して観察させていただいておりますが、適切な漢字を使用しているのはNBさんと、不断見さんの発言の一部、ですな。
細かいことをあげ足取って渡海みたいなことはしたくありませんが、まあこの用語・用法は真宗の基本中の基本ですから、
派をとわず真宗の人は適切な言葉を使うべきかと思います。
もちろん、真宗でない人はこんなこと気にしなくてかまいません。
(つまり、渡海は間違った漢字を使ってもよいということです)
渡海難、あんたもやっと救われるな。2チャンネル終わりだ。
仏教とはとてもいいがたいようなことを大きな顔して語る人がいる。
あんたの頭の中の回路じゃ仏教の本質には触れられない。
無分別知、無分別知。
渡海難もどき最高。あなたのファンです。
ご臨終です。渡海難の為に、この板は死にました。
仏の呼びかけも、渡海難には聞こえていない。かわいそうな人です。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
949 :
名無しさん@1周年:01/09/01 14:12 ID:F407tPak
渡海難=がき
>>938 どこか御不審ですか?
>>939-944
レスポンスをお待ちですか?。お待ちでしたら、少し時間がかかります。
渡海もどきさんへ
僕のレスの付け方は気に入ってくださいましたか(微笑)?
裁判の時の答弁書の書き方がヒントです。こういう書き方は、相手の主張の中で議論ができ、論点がハッキリして分かりやすいでしょう。
貴方のレスは、僕の発言のどこに対応しているか、貴方の受け取りもハッキリしていますね。僕も非常にレスが付けやすいですよ。
レスは少し待ってください。そとき2CHが続いていたらレスします。
別の避難所にみなさんが避難するようでしたら、態勢に便乗して僕もそちらに移動し、移動先でレスします。ではでは。
>>945 迷っている方がいる限り、私はその方と共に歩みたいと思っているんですよ。2チャンネルが終わっても、僕の歩みは止まりませんよ。
>>947-948
947-948さん、渡海難もどきさんは最高の方ですね。凄い方ですね。ついに貴方の胸の支えを取ってくださいましたね。貴方の胸の支えを取ることはなかなかできないことでしたね。よかった。よかった。
947-948さんは、渡海難もどきさんに心からお礼を言うといいですね(微笑)。
僕には、仏の呼びかけは聞こえてなくても、貴方の喜びの声は聞こえていますよ。ウンウン。
>>949 うん。うん(微笑)。
渡海難氏への私の疑問
1、本当に仏教に帰依しているのか。
2、何をあなたは目指しているのか。
社会に対して、他人に対して、自分自身に対して、
3、何の考えを元に多くのレスに答えたりしているのか。
4、多くのレスに答えているが、他人に対してどうそれが影響するかと言うところまで考えているのか。
それは、他人に好影響を与えていると思っているのか。
5、自分の論旨が屁理屈のような形で、折れ曲がっているのをわかっているのか。
他人から見るとそう見える。他人を欺く手段の一つかと私は思っていたりして。
まあ、これだけの疑問を私に抱かせると言うことは、ある意味大変魅力のあるお方ですよ。
いろんなところでスレたってるし。宙に疑問を投げつけたような感じで、返事は返ってこないかもしれないし、
他のところで聞かれてるかもしれない。浄土真宗のお方荒らしてすみません。すれ違いも、はなはだしくて。
もう、私もここを離れますし。浄土真宗について、まともに話ができなかったな。残念。
953 :
渡海もどき:01/09/01 20:54 ID:DJ.m1HHs
>>950 私はレスは望みません。というより、レスはやめてください。
多分、多くの参加者に不愉快な思いをさせ、迷惑だろうと思いますから・・・。
>裁判の時の答弁書の書き方がヒントです。
裁判闘争の手法を、こういう議論の場に持ち込むことはふさわしくないと思う。
あんたの真似をしてみてよくわかったけど、
おちょくりとからかいで煽るにはもってこいの手法だね。
954 :
944:01/09/02 03:30 ID:mbczineI
>>950 953に同じく。レスを望みません。何か言われても返答するつもりないです。
>>946 修正助言 「無分別知」>「無分別智」
955 :
名無しさん@1周年:01/09/02 04:16 ID:CVD.cte6
最近、ここを拝見させてもらってます。
最初は渡海氏を人の考え方もそれぞれあって、いいかなと思っておりましたが、
あなたが来ると、もう迷惑に感じます。大多数の方がそうではないでしょうか?
人は迷惑をかけずに、生きていくことは出来ないかもしれませんが、人を不快に
させずに生きてく気持ちは大切ですよね?渡海さん
956 :
名無しさん@1周年:01/09/02 07:34 ID:DrY7th26
新スレ立ってんだからsageレスしようよ。
マターリ系で。
新スレのほうがあがってる。カコワルイ
>956
あーーーーーーーー
漏れまでageレスしちゃった。
鬱だ詩脳。
958 :
NB:01/09/02 19:45 ID:sZjby8Zs
今日はようやくヒマなんで、早くから酒を食らって酔うております。
ずっとROMだったんで、2ちゃんねるに書き込みしてから日が浅いので
、実際に書き込みしてみると、しかも成り行き上なんかコテハンみたいに
になったりしてみると、また違った世界が2chにあったことに気づいたり
します。(NBなんてコテハンとは認めない方もいらっしゃいましょうが)
思うに、信心の世界と不信の世界をへだてる高い高い塀の上で危うい綱渡り
を続ける覚悟こそが、袈裟と衣を身にまとうことを許された我が身のせめて
もの罪滅ぼしと思っておりましたけど、随分と多くの疑問を忘れ果ててしま
ったことに、改めて気づかされたりします。
ありがとう2ch。ありがとう皆様。
959 :
名無しさん@1周年:01/09/04 14:45 ID:UkXd8xvI
薩摩藩バンザイ、
織田信長バンザイ、
960 :
名無しさん@1周年:01/09/04 15:25 ID:SfxXwa0U
本願寺の最大の汚点(?)は、「異安心」という名の異端裁判だと考えますが
その点は渡海さん及びみなさんいかがお考えなのでしょうか。
961 :
名無しさん@1周年:01/09/04 15:30 ID:mNLy2KzA
古いほうまだあったんだ…
誰かいる?