高橋信次、高橋佳子と高電工業(株)

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969名無しさん@1周年
(続きです)
ですから、「永遠不滅の実体としての魂がある」ことと「個々が実は独立
した存在ではない」ということが、究極に意味では両立しているのだと
考えています。その自他の区別を無くしていく仏教で言う無分別という境地
だと思います。それが深まれば深まるほど自他を分かつ意識がなくなってくる
そして高い次元に意識が住するという解釈でいます。逆に自他を分かつ意識が
強い程、次元が低い意識と思います。高橋先生の説いて下さっている真我に
ついて、先生の「祈りの道」(三宝出版)から抜粋させて頂きます。
   「かつて『私』は空を住処とし 境をもたず 流れる理のままに
相対の世界に 固定の枠をあてがうことなく
智慧の現れをこそ 自らの身体となしていた。
智慧とはただなることであった。
私は樹々であり 山であり
海であり 月であった。
私は彼であり 人々であった」
最後に、縁起さんのいうだけの世界観でいえば、仏陀の存在はどう説明
されるのでしょうか?また、「スッタニパータ」の大いなる章にある
アシタ仙人が幼い釈迦に未来の仏陀だと告げに行くのは、そういう素晴ら
しい魂がお生まれになったからということだと思いますが、縁起さんだとどう
いう説明になるのですか?もし宜しければ教えてください。