1 :
名無しさん@1周年:
実は私15年以上前まで会員でした。
自分のなかでいろいろありまして(聞かないで下さい)
退会したのですが、いまだに素朴な疑問があります。
会の主張される“信心決定”の体験ですが
これは科学的もしくは心理学的に説明可能なのでしょうか?
もしくはいわゆる“精神世界”の言葉でもかまいません。
ご存知の方いらっしゃいましたら教えて頂けませんでしょうか。
また、瞑想等トレーニングによって体験は可能なのでしょうか?
よろしくお願いします。
2 :
タロウ:2001/07/01(日) 12:22
会員ではありません。
宗教は麻薬です。
麻薬におぼれない限り、信心決定はありません。
>>2
そうですね。麻薬だとはおもいます。
現在はどこの団体にも所属してません。
では、初詣にクリスマス、法事葬儀は仏教と、
浅く“おぼれなければ”いいんですね。フツーに生きたければ。
質問の意味をご理解頂けてます?
浄土真宗ご存知の方ですか?
4 :
昔会員:2001/07/01(日) 18:05
体験内容そのものは、宗教体験としてかなり一般的なものであると思います。
宗教心理学などは、まだまだ未発達(対象や、データを一般化しにくいからか?)
ですので科学的な分析は、出来ていないでしょうが、真宗の異端の系譜における
獲信から宗教的な部分(後生など)が、内観法として学会もでき普及しつつあるよう
ですから研究してみては如何? 高森師の師の伊藤康善師と内観の創始者の吉本伊信
氏とは交流もあったと言われていますので親鸞会とも関係ありです(もっとも、親鸞会
内部では、高森師の神格化を進めるためか、あまり師の過去には触れられませんが)。
5 :
昔会員:2001/07/01(日) 18:09
訂正 宗教的な部分が、→宗教的な部分を除いたものが、
>>4
ありがとうございます。
とても丁寧に答えて頂きうれしく思います。
ただ研究するほどの熱意は今はありません。
『あれは何だろう』って腑に落ちないままなので・・・。
やはり宗教的感情の高まりからくる体験なんでしょうか。
地獄に落ちていくとき阿弥陀仏に救われる・・・。
その瞬間に起きる内面的経験は、一般的な言葉に置き換えることは
難しいんでしょうかねぇ。
信心決定は親鸞聖人御自身はもちろん
他団体でも言われてることなので
こういった疑問は私だけでもない気がするのですが・・・。
7 :
それより:2001/07/01(日) 18:57
後生の一大事にとらわれているとしんどいのではないでしょうか?
信心決定しても、たいしたことない。
大事なのは信後の生活態度というか、そこからが正念場だと思います。
T森みたく信心決定したら終わりというのはマチガイです。
わしは元会員で5年前に辞めた。
>>7
とらわれてませんよ(笑)少なくとも現在は。
「後生の一大事」って私にとってはどうでもいいんです。ホントに。
親鸞会もT氏にも今となっては関心ないです。
どうもスレッドのタイトル間違えたかもしれませんが。
9 :
名無し:2001/07/01(日) 19:35
4))の伊藤師と吉本師との関係は、実に興味深いですね。これを裏付ける文献か何かご存知でしたら、ぜひお知らせください。
11 :
名無し:2001/07/02(月) 11:04
age
12 :
なるほど:2001/07/02(月) 22:30
伊藤康善師は、奈良県出身で、その著『仏敵』も奈良での門徒衆との信体験が中心となっている。吉本師も奈良の門徒衆によって覚醒したのですよ。
13 :
nanasi :2001/07/03(火) 08:17
age
14 :
nanasi:2001/07/03(火) 19:45
age
15 :
名無しさん@1周年:2001/07/06(金) 13:24
age
16 :
shiran:2001/07/09(月) 00:20
これを使おうか。
17 :
末寺僧侶: