>>823 >転生輪廻を否定する“無我”の解釈にこだわっている人がいる
人間が生得的に「心」を持つ以上、「輪廻転生」のようなものは必ず心に浮かぶでしょう。
だからこそ、それに惑わされずに、人々の心の中の「輪廻転生」を大切に生きていく
ことになるのでしょうね。「因果不昧」とはそういう意味ではないでしょうか?
「輪廻転生」の否定は、自分の心、他人の心を否定することですから。
「輪廻転生」を否定、軽蔑して終わるものは、人間としての底が知れてると思いますよ。
>>824 >一切を超えたものについて釈尊が語られなかったのは、
>如来になった人がいなかったということだと思います。
釈迦の元に集まった菩薩道に生きようとする行者にとって、
そんなものを語るのは「百害あって一利なし」だからではないでしょうか?
一般論・抽象論ではなく、人々が苦しむ具体的な状況の下でのみ、
「悟りの境地」は意味があると考えたのではないでしょうか?
>>825 >>829 変人さん
やっぱり、変人さんの世界観(「枯葉一葉」だったけ?)は、完全に浄土真宗的だと思うよ。
五木寛之「大河の一滴」の書き出しの部分を立ち読みしてみたら?