1 :
ななしそ:
うざったく感じる人がいるかも知れないが恐れながらスレッドをたて
てみた。
イエスの十字架は救いとなり得るか?ならないと思う。
十字架の死と復活がひとくくりで贖罪の完成だと思うが、復活は真実
だろうか?僕は疑わしいと思う。そもそも聖書自体が疑わしいと思う
のだが。十字架の死を受け入れる事が救いならば、救いにあずかった
後、すぐに死ねば天国にいける事になる。わざわざ残りの人生を教義
に縛られて生きなくてもいいのでそのほうが楽だ。そもそもイエスの
十字架の死は罪の救いのためだろうか?パウロの後付けではないのか?
この事についてクリスチャンの方々はどのように理解しているのだろう。
クリスチャンを攻撃するつもりはないけど、馴れ合うつもりもないので
よろしく。せっかくの2Chですので。
2 :
ななし:2001/05/22(火) 21:02
そもそも、肉体をもった復活であるか、霊体での復活かで、意味合いは
大きくことなるであろう。
3 :
ななし:2001/05/22(火) 21:13
初期のキリスト教では、キリスト教に改宗した時点で、それまでの
罪は全て消えるとされたそうだ。
だから、氏ぬ間際まで改宗しなかった人もいた。
だから、改宗して、すぐ氏ねば、1同様に、罪がないことになる。
4 :
処刑以前からの議論:2001/05/22(火) 21:45
旧約聖書イザヤ53章に、キリストの贖罪がすでに述べられています。
死者の復活についても旧約聖書にその例が見られます。
福音書の記述にも、死者の復活を信じないサドカイ派の言及があります。
また十字架直後に復活を阻もうとする宗教勢力、権力についても記述が
あります。
さらに初代教会の時代から、肉体の復活を否定するグノーシス説という
「合理的解釈」を試みるものもあったことも書かれています。
神さまは、どう考えても無理な、不可能な方法で、歴史に突っ込んで行
かれた。神さまは聖書の記述どおりの桁外れの「愚か者」です。
ハレルヤ!
5 :
名無し:2001/05/22(火) 22:02
>そもそも聖書自体が疑わしいと思うのだが。
対話の余地なし。サヨナラ
6 :
名無しさん@1周年:2001/05/22(火) 22:04
どこにでも実質的意味合いでの議論と形式的意味合いでの議論は見られるものですね。
「神は心の奥底を見られる」と言う言葉、ここが改悛が形式的意味合いでのそれだけで
無く実質的意味合いのそれであるべき事を神が求める根拠としてあるではないですか。
そもそも、神への帰依を真に志すなら一時の躊躇も無く、打算じみた心理による留保も
無くすぐにでもそうするはずです。そうしないのは神の存在も何も信じていないから。
そんな人が死の間際に行う改悛は、まさに形式的な意味合いの空虚なものでしょう。
しかし、死が間際にある人の心理は、恐らくそれだけで自分の過去のあらゆる行為を悔
い改めさせ、真に神への帰依を求める心を喚起させるものと思います。そうであるなら
ば、神はそれを敢えて退ける事はしないのかも知れません。死の瞬間までそのような打
算的で俗な心で居られる人がいるでしょうか?
しかし私はこのような神を実在のものとして前提した上での観念を論ずる際の神には大
きな愛を感じ感動を覚えますが、現実に目を向けつつ神の実在そのものを論ずる際には
疑問と不満しか感じません。
つまり神がいるとは思えてもそれが俗に言われるような愛
なる存在とは到底思っておりません。
7 :
ななしさんへ:2001/05/22(火) 22:14
「改宗」してから死ぬ・・・・そんな順序は選択できるでしょうか。
「改宗」は実質が伴わなければ「虚偽」です。
自分が神さまを第一として生きてこなかったことに対する、実質的な
深い認罪と、潔い悔い改めがなければ、「改宗」になりません。
「改宗」してから死ぬ、などという心根では、とうてい「改宗」には
至らないでしょう。
また罪の赦しは、信じた人の一生にわたって差し出されたもので、け
っして過去の罪だけに対するものではありません。
インチキキリスト神が十字架ではりつけされるか(藁
インチキキリスト神が十字架ではりつけされるか(藁
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9 :
ななし:2001/05/22(火) 22:29
>「改宗」してから死ぬ・・・・そんな順序は選択できるでしょうか。
意味がわからないが、キリスト教史の本によれば、「初期には」、
老人になったりして氏ぬ間際に改宗した例もあったらしい。
(改宗=洗礼を受ける)
>「改宗」は実質が伴わなければ「虚偽」です。
じゃあ、キリスト教徒から犯罪者がでるということは、どう説明するの?
今のキリスト教徒のは、「虚偽」が大勢いるということでしょ。
>また罪の赦しは、信じた人の一生にわたって差し出されたもので、け
>っして過去の罪だけに対するものではありません。
キリスト教の教理には歴史的な変遷がある。
それは、いまのあなたの教派の解釈ということでしょう。
10 :
名無しさん@1周年:2001/05/22(火) 22:30
チョウシュウって、ほんと無教養らしいね(プププ
教会特有の言い回しは、分かりにくいので、遠慮してほしい。
自分がいつ死ぬのか知っている人はいません。
明日一日を生き延びることでさえ100%大丈夫とい
う人はいないのです。
あとで「改宗」しようと思うくらいなら、今日そう
するのが賢い人のやり方でしょう。
>>7に同感です。
13 :
ななし:2001/05/22(火) 23:25
おまこしゃぶりこ冷静に自分の意見を言えよー。
一行コピペの嵐じゃなくてさあ。
他じゃ、まともなこと書いてんだから。
14 :
ななし:2001/05/22(火) 23:36
所詮、新約聖書は、創作の世界だからな。
15 :
ななしそ:2001/05/22(火) 23:36
>>12 明日死ぬかも知れないと考えて生きる人がいるだろうか。それともキリスト教
の人はそのように考えて毎日を生きてるのだろうか。そんな事を本気で実感で
きる人がいるのか。死期の迫った人なら分からないでもないけど、そんな事考
えながら生きて楽しいだろうか。それが救いなのか
イエスキリストの十字架の死を信じる事がなぜ救いにつながるのか疑問だ
「>ななし」
こんな風なHNにしてくれよ。うざい。
>>13 >他じゃ、まともなこと書いてんだから。
おまこしゃぶりこのまともなことって、どのスレよ?(びっくり
レス、きぼーん!
18 :
ななしそ:2001/05/22(火) 23:43
>>5 おそらくあなたは聖書を信じているのだな。
どのあたりが信じるに足るか一言聞かせてから去って欲しかったな。
このままではレスの無駄遣いだ
19 :
ななし>信者:2001/05/22(火) 23:44
>「イエスキリストの十字架の死を信じる事が救いにつながる」
この考え方を発明したのは、パウロということでいいのか?
あとマルコ福音書によるとか、、、
20 :
ななし>信者:2001/05/22(火) 23:53
パウロなら、充分な根拠があるとは感じない。
マルコによるというのなら、個人の救済より、「神の国」の到来を
最優先に考えなければならないしな。
所詮、新約聖書は、創作の世界だからな。
21 :
名無しさん:2001/05/23(水) 00:33
>19
「聖霊の働き」ってのが解らない人には、
一生解らないよ。
エセ宗教のマニュアル読んだだけでこういう所に
で発言して恥さらすな。アホくさ。糞レス。
22 :
ななし>21:2001/05/23(水) 00:38
こんなアホなこと言う奴いるもんだから、、、
17のアホをよく叱っといてくだはい。
>17 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2001/05/22(火) 23:41
>
>
>>13 >
>>他じゃ、まともなこと書いてんだから。
>
>おまこしゃぶりこのまともなことって、どのスレよ?(びっくり
>レス、きぼーん!
23 :
ななし@@@@@@:2001/05/23(水) 00:45
>>16 「ななし」はみんなに開かれたHNだ。
まぎらわしかったらコテハン名のれ。
24 :
ななし>21:2001/05/23(水) 00:48
「イエスキリストの十字架の死を信じる事が救いにつながる」が、
どうして「聖霊の働き」と関係あるの?
キリスト教は世界最大の宗教でその影響力は計り知れない。
そしてその教えは必ずしも正しい事ばかりを導いてきたとはいえない。
教会もそれを認めている。
なのに何故信者は批判に対して下品な口調で攻撃するのだろうか?
要するに底辺の信者は異教徒や異民族を虐殺していた頃と何ら
変わらないということではないだろうか。その癖に信仰の自由だの
なんだのと近代民主主義の美味しい所だけを声高に主張するのだから
ダブルスタンダードだね。
26 :
ななしそ:2001/05/23(水) 01:03
>>21 「聖霊の働き」?聖書を読み解く力の事か?キリスト教では精霊を
認めない福音派が存在するだろう。彼等はどうやって聖書を読み解
くのだ
27 :
ななしそ:2001/05/23(水) 01:08
>>21 「聖霊の働き」によって聖書を読み解く力が与えられたのならば、
すべての人が一つの聖霊の促しによって理解する事になるな。
それなのに何故キリスト教はいくつかの宗派に分かれる事になった?
一つの力によって促されたのなら皆同じ理解をするはずだろう。
しかし結果はそうではないな。
28 :
ぱぱいや:2001/05/23(水) 05:14
>なのに何故信者は批判に対して下品な口調で攻撃するのだろうか?
同感。ネットでクリスチャンってkぉれが正体か、とはじめて知った。
29 :
age:2001/05/23(水) 05:21
>>27 >「聖霊の働き」によって聖書を読み解く力が与えられたのならば、
>すべての人が一つの聖霊の促しによって理解する事になるな。
>それなのに何故キリスト教はいくつかの宗派に分かれる事になった?
聖霊は人間の「人格」と共に働くの。どこかの霊媒師みたいに、
なにかにとり付かれたみたいになって、人間が機械的に
聖霊の道具になるんじゃないからね。
30 :
age:2001/05/23(水) 05:25
>ネットでクリスチャンってkぉれが正体か、とはじめて知った。
2chにきて、全体のキリスト教徒を悟ったつもりか?
いくら何でも、サンプル採集に間違ってんじゃないの?
俺も含めて、ここで発言するクリスチャンの傾向は
片寄っているでしょうが?わかんないの?そんなの常識でしょ?
クリスチャンを知りたければ、実際に聖書一冊読んで、祈ってみろ。
31 :
age:2001/05/23(水) 05:31
>ネットでクリスチャンってkぉれが正体か、とはじめて知った。
外国に行き、その国の下町の酒場に行き、そこの人々を見
「ああ、これが○○人の正体かぁ」と悟るような愚かさ。偏見。
32 :
ぱぱいや:2001/05/23(水) 05:34
「ネットで」っつってんだろ。ヤフーでもCIFでもどこいっても同じだよ。
↑こんなつまんない発言にいちいち噛み付いてるようじゃ
クリスチャンも大したことねえな、って話をしてんだよ。
33 :
age:2001/05/23(水) 05:57
CIFってなに?
34 :
ティベリウス:2001/05/23(水) 05:58
イエスが言った言葉を軽んずる風潮から、イエスの十字架を
重視する考えが生まれた…・気もする。
とか、言ってみたり。
35 :
ティベリウス:2001/05/23(水) 05:59
十字架話は単にお弟子さん達の説教だものなぁ。
36 :
コンスタンティヌス:2001/05/23(水) 07:40
キリスト教の教義なぞ、漏れの一存で、何とでも変えられる。
37 :
部外者の乱入:2001/05/23(水) 08:45
仏教的に解釈するとね、「イエス様の十字架で私は救われるんだ」と
一生懸命祈っているうちは、救われない。
祈っているうちに自分の罪深さを思い知り、「自分はこんなひどい罪
人なんだから、たとえイエス様の十字架でも救われないかもしれない。
自分は地獄必定の人間。それだけ悪いことをしたから自業自得だ」
と悟って、十字架への執着を解いた人だけが、救われる。
本当の意味で「悔い改めた」人は、イエスの十字架にすがることもし
ない。すがる人は、「我」に恋々としていて、自分の罪を認めていない。
私は、2chでいろいろなクリスチャンの方と対話したけど、異教徒の
私の目から見て、「この人は救われるな」と思える人は、たいていこう
答えたものです。「自分が死後天国へ行くか地獄へ行くか、私にはわかり
ませんし、それをお決めになるのは神様です」
「救われるに決まってるだろ〜、信じないお前らはみな地獄行き」と
決めつける連中は、例外なく傲慢で、鼻持ちならぬ性格。私が神なら
真っ先に地獄へ落としてやりたい種類の人格でしたね。ここにもいる
ようだが。
38 :
名無し:2001/05/23(水) 09:22
>イエスが言った言葉を軽んずる風潮から、イエスの十字架を
>重視する考えが生まれた…・気もする。
いや、パウロ以前にすでに贖罪の考え方はあったし、
アンティオキアの教会にはエルサレム教会からペトロが来りしているから
パウロが勝手に贖罪の考え方を吹聴したとはいえないだろ。
イエスの言葉を重視していたエルサレム教会時代にすでに贖罪の考え方は
みとめられていたんじゃないの?
39 :
ななしそ:2001/05/23(水) 09:22
>>29 ageさん、では聖書解釈を「聖霊にうながされたその人の人格」を通して与えられたか
「その人の人格のみ」を通して与えられたか、どのように区別し判断するのだ?
それと、聖霊を認めない福音派はどうなるのか教えてほしいのだが
>どこかの霊媒師みたいに、なにかにとり付かれたみたいになって、人間が機械的に
>聖霊の道具になるんじゃないからね。
そうか?僕はある教会で「異言」を聞いた事があるがそれはまさに「なにかに獲り憑か
れたみたい」だったぞ。「レロレオレロ・・」や「るるるる」と意味不明だった。
聖書に「酔った」という表現だったと思うがそれは正気を失った状態をいうのではないか?
それとも異言は茶番か?聖霊に満たされた「気になっている」もしくは「ふりをしている」
だけか?説明して欲しい
40 :
名無しさん@1周年:2001/05/23(水) 09:28
ワタシはクリスチャンだけど、天国へ行けると信じている幸せ者。
そんな、深刻に考えたことがない。
バカといわれようとも、人生概ね幸せだし、満足してるし、楽しいし、
神様がワタシを地獄へ落とすとは、考えもつかない。
地獄へ行く人ってどんな人?
41 :
ななしそ:2001/05/23(水) 09:38
>>40 聖書的に考えればクリスチャン以外でないのか?>地獄に行く人
>神様がワタシを地獄へ落とすとは、考えもつかない。
そんなあなたがなぜクリスチャンになったか不思議に思うのだが
42 :
名無しさん@1周年:2001/05/23(水) 10:09
40>41
家族がクリスチャンだったし、学校がカトリックで、
何とはなしに、中学の時に受けてしまったんです。
両親も1年に何回かしか教会へ行かないけど、
キリスト教的な教えは、根付いているように思う。
でも、ここの人たちが盛んに議論してるような難しいことは
話題にもならないし、う〜んちょっと別世界のような感じもします。
救うために神があって、救われない人間がいるって信じられないところがあって。
キリストは、どんな人でも救ってくれるような、スーパースターな感じを
幼い頃から持っていたせいかな。だからクリスチャンじゃない人も、
クリスチャンが祈れば、救ってくれる、みたいに。。。単純です。はい。
43 :
部外者の乱入:2001/05/23(水) 10:30
>40,42
う〜む。キリスト教では「悔い改め」を説くと思うんだけどなあ。罪の
意識がない人が、なぜキリストの贖罪を求めるんでしょうか。
イエスは、「私は罪人を迎えるために来た、医者が必要なのは病気の
人である」と公言しているでしょう?
>神様がワタシを地獄へ落とすとは、考えもつかない。
と考えられる人は、イエスと一番縁がない人だと思うけどね。
44 :
nanasisan:2001/05/23(水) 10:38
>>42 自分が幸せな時、「神様を信じている」と言うのはたやすい。
しかし、アナタが受け入れられないような不幸に直面したとき
それでも「神様を信じている」と言うのは大変なことなのです。
(ヨブのようにね)
長いアナタの人生のなかで、そんな場面も一度や二度は経験すると思いますが
そのとき、まだキリストをスーパースターと思うことが出来るなら、アナタ
は本物の信者です。ハイ。
45 :
42:2001/05/23(水) 11:07
>>43 >>44 はぁ〜、軟弱なクリスチャンで、すみません。
自分のことは、罪の意識があることはあるけど、神に赦しを乞うたら
赦された気分になってしまいます。
うちにも多少なりと不幸はありましたが、不幸はあってもそれは現象だけで
その本質に、意味があると考えてしまいます・・・なんていうか、
すごい病気の人も、飢えに苦しむ人も、健康な人も、それは見かけで、
神が見てるのは、その人たちの心で、病気で心が浄化される人もいれば
もっと醜くなる人もいるし、現象は不平等でも、神の前ではみんな平等のような
ことを考えます。
ワタシが幸せで能天気だからといって、別に神にとっては手のかからないだけで
神に嫌われる筋合いもないと思ってるんです。自分が飢えた人にろくに何もできない
無力な人間だと、自覚してたら、祈ります。何か出来ると思って悶々と苦しむ方が
傲慢だと思うのです。ワタシの力以外で出来ないことは、神に委ねます。
46 :
42:2001/05/23(水) 11:36
ワタシの妹が身障者だった(他界しました)んですけど、
結構楽しく過ごせたと思います。最後、苦しんだけど、
「ありがとう」といって死んでいった。妹はクリスチャンじゃ
なかったし、誰もそうなることを勧めなかったけど、妹は、
心が救われていたような気がしました。両親もこれで良かったんだと言っていたし、
ワタシ的には、神の救いとは、そういうことだと思ってるところがあります。
みんな、最後まで、誰も呪ったり不平不満を言ったりしなかったし、
あがいたりしないで、淡々と過ごせたし、これで良かったんだな、と思うんです。
神の救いは、この世の中から、現象的な不幸を無くすことじゃないと思うわけです。
47 :
ななしそ:2001/05/23(水) 11:41
>>42 つまりあなたは「難しく考えなさんな」、というスタンスなのだな。
あなたはそのように納得できているのだからそれでいいのだろう。
>>45をみるとそれでも自分なりの考えを持っておられるようだが。
これはやはりあなたが考えた結果だと思う。あげあしとりですまない。
考えた結果、難しく考えるなという結論に至ったのだろう?
でもまあしかし、何不自由なく育った人という印象を受ける。あなたの
その考えがいつまで変わらずにいられるか、主の試みの時、あなたはな
んと神に言うのか興味深いところだ。
48 :
ななしそ:2001/05/23(水) 11:47
>>46 事実なのだろうが、まるで絵に描かれたような理想的な話だな(失礼)。
あなたには幸せなパターンが巡ったようだが、みんながみんなそのような
事ばかりではないだろう。批判するつもりはないが世間を知らないお嬢様
のようだな。キリストもおとぎ話の中の人物になってしまっていないか
49 :
UG:2001/05/23(水) 11:52
まぁ、はっきり言える事は、
神 = ミカエル
であり、キリストではない、奴は詐欺師ですは。
50 :
救われた人は:2001/05/23(水) 12:10
自分は幸せだ で終わっては大変だ。
「造られた全ての者に福音を宣べ伝えなさい」
隣人はだれ?
51 :
44:2001/05/23(水) 12:23
>>45>>46 いや、ワタシはアナタのクリスチャンとしてのスタンスを評価してますよ。
軟弱ではないでしょ。誰よりも一番強いかも。
52 :
ぼんぼん:2001/05/23(水) 13:02
>誰よりも一番強いかも。
それは違う。経験してないだけ。
53 :
42:2001/05/23(水) 13:28
>>48 ワタシのキリストが、おとぎ話の中の人物だったら、少しショック。
すぐ近くにいるような感じがしてるので。もっとシビアな人なのかな。
みなさんのキリストは、悪いことをしたら、ビシッと、鞭が飛んで来るような
感じですか?
>>51 ありがとう。でも、ワタシは強くないです。と思ってます。
早く死んでもいい、なんて思います。イエスは、そういう時は怒るけど
いつも赦してくれます・・・と思っているけど、幻想なのかな。
でも、十字架のイエスを眺めていると、これ以上自分には何もできない
ような気がしてきます。キリストのようには強くなれないし、
人を救うことも出来ないし、自分が救われて生きてるだけが、
せい一杯のような気がします。ずーっとそういう感じです。
54 :
無信教:2001/05/23(水) 13:30
なんかこわい・・・・・・・
55 :
ななしそ:2001/05/23(水) 13:54
>>53 ちがうちがう。あなたの中でキリストがおとぎ話の人物になってしまっては
いないかということだよ。憶測だが幻想の中の美しいイメージしか持ち合わ
せてないのではないか?スーパーマンのようなヒーローなのだろう?まるで
白馬の王子に憧れる夢見る少女のようだな
56 :
にゃ:2001/05/23(水) 14:18
皆が活発に意見なさっているところに白痴的な質問でごめんなさいなんですが、
復活がなければやっぱり贖罪ではないの?
私は「神の子が私達の罪の為に死んでくれた」で十分なんだけど、
「復活がない=神の子ではなかった」になるのかな?
57 :
42:2001/05/23(水) 14:24
>>55 さあ・・・ただ、実際に手助けしてくれるわけでもなし、そこにいるだけだから。
そこまで頼りになるわけじゃない。キリストについて想像することもないし
気がついたら、要所要所に存在する、という感じ。
自分の信仰が深いとは思えないし、いい加減だけど、キリストの像は
ずっと身近にあったから、その影響かもしれない・・・ですね。
あの人の十字架の苦しみより深い苦しみなんて、この世にひとつも
ないような感じがしてます。
>>54こわいと言われても、別に霊が見えるわけじゃなし、
不思議体験はしたことがないです。
58 :
部外者の乱入:2001/05/23(水) 14:28
>>45,
>>46 >何か出来ると思って悶々と苦しむ方が傲慢だと思うのです。ワタシの力以外で
>出来ないことは、神に委ねます。
「自分は罪人だ」という自己批判--->「悔い改めて」、イエスの贖罪を求める
というのがいわゆるキリスト教の考え方だと思うのですけど、この後で2つに
別れてしまうように思います。
Aコース:「自分は弱くてどうしても罪を犯してしまうけど、できるかぎり努力
して罪を犯さないようにしよう」
Bコース:「どうせ、自分は無力なんだから、罪を犯すのはしかたがないことだ。
むしろ神様まかせで気楽に生きればいいんだ」
私としては、「悔い改め」とは、罪を犯す自分を含めて過去からの決別だと思って
います。本当の意味での「神様まかせ」ならば、罪を犯す余地なんてないと思う。
「神様が死ねを言われたら、有り難く受け入れます」という人が、自分の欲得で
他人に迷惑をかけたり、傷つけたりしないと思うんです。口先で「神にまかせる」
と言いつつ、自分の生活はマイペースのまま、と言うのは虫がよすぎると思うん
ですけど。「一生懸命、死ぬ気で働きます」と言いつつ、「今見ているテレビ番組
が終わってから始めます」と言うような理不尽さを感じてしまう。
今のキリスト教って、圧倒的にBコースが多いと思う。それだから、自分の周り
を含めて、社会悪がなくならない。イエスが望んだことはAコースなんじゃない?
42さんのはBコースに近いような気がするけど。
55さんが言うのもそういうところなんじゃない?「おとぎ話」の信仰なら、自分
の実生活に「実害」はでないけど、そんなの信仰じゃないと思う。信仰は自分を
巻き込んだ「ドキュメンタリー」でなくっちゃ。
59 :
42:2001/05/23(水) 14:31
>私は「神の子が私達の罪の為に死んでくれた」で十分なんだけど
ワタシも。そう思う。クリスチャンのくせに、復活祭はぴんとこないし。
十字架上のイエスだけで、十分、イエスの神性を感じてしまう。
信者の風上にもおけない、といわれそう。
60 :
霊:2001/05/23(水) 14:34
別に霊を見ただけで怖がるなよ、まぁ、悪霊なら別だけど。
まぁ、キリストは復活はした、しかし、その後、生き地獄を
味わいながら、霊魂そのもの消滅したんだよ。
そらまぁ、「サターン」が嫌いなのもわかるよ、復活した時、
サターン(ウラノス)にさんざんいじめられるからね、まぁ、
現在ではいじめられてた(過去形ですな)、でも両者とも
霊魂そのもの消滅したのだよね。
でも、なんでサターンまで消滅した理由はよくわからないが・・・
61 :
42:2001/05/23(水) 14:52
>>58 そっかー。ワタシは、Bコース?
社会のたいていの普通の人たちは、一生懸命生きてるように見えるし、
そんな悪い罪を犯しているわけじゃないし、Aコースだと、可哀想な感じが
しませんか。そんなに神は、厳しいのですか。
罪のレベル感覚がワタシと違う、なんていったら、変ですか?ワタシには、
周りの人たちは、クリスチャンでない人たちも含めて、とてもけなげに
生きてるように感じるのですが・・・
Bコースのワタシだって、人を傷つけるような罪は犯さないよう努力するけど、
テレビ見てから勉強くらいで罪だったら、悲愴・・・それを「悔い改めて」
過去の自分から決別するのは、無理。死ぬ時、一気に「悔い改める」ほうが
ウソをつかなくて済むと思います。
62 :
42:2001/05/23(水) 14:55
今日は、この辺で、さよならです。みなさん、ありがとう。
あした、また見てみます。
63 :
部外者の乱入:2001/05/23(水) 15:26
>61(忘れないうちに書いておきますので、あしたご覧ください)
>ワタシには、周りの人たちは、クリスチャンでない人たちも含めて、
>とてもけなげに生きてるように感じるのですが・・・
そうですね。しかし、その時代の社会常識が当てになるかと言えば、
あやしいと思います。奴隷制度が当たり前だったイエスの時代に、パウロ
は奴隷を解放しようと手紙を書きました。その時代に42さんや私が居合わ
せたら、「そりゃあ、潔癖主義すぎるよ。相手は奴隷じゃないか」とたし
なめただろうと思います。
資本主義そのものを悪と断罪する人だっているし、「強い者勝ちが当たり
前」というのには、私自身も疑問を持っています。福音書で説かれている
イエスの理想に触れるたび、とても自分には無理だと考えてしまいます。
そのギャップが「罪の認識」なんではないでしょうか。現実生活に埋没し
た状態では、「悔い改め」の心は出てこないと思う。
「金持ちが天国にはいるのは、らくだが針の穴を通るよりも難しい」
「神とマンモンにはかね仕えることはできない」
こういう聖句を素直に味わうごとに、自分の今の生活形態に戦慄を感じ
ますけどね。
64 :
ななしそ:2001/05/23(水) 16:41
>>56 もし復活がなかったら「生ける神キリスト」の定義がなくなってしまうと
思うのだが。永遠の命について語った本人が死にましたでは説得力が何も
なくなってしまうだろう。神が死んだのならキリスト教は何に対して祈る
のか。
>>61 クリスチャンはだいたいにおいて謙虚で人当たりが優しいように「見える」。
でもそう「見える」だけではないのか?罪が赦されたとしても罪人である事
に変わりはないのだろう?それともクリスチャンになれば罪は犯さなくなるの
か?それとクリスチャンは常に自分に「神という逃げ道」を持っているから僕
はどうしても弱さを感じてしまうな。壁にぶつかればすぐに「神様」だろう。
偏見かも知れないが。
65 :
詐欺の仕方:2001/05/23(水) 17:03
本に書くのであれば、自分の正体が隠せるのであれば、
いくらでも奇麗事はかけるわな。
まぁ、クリスチャンの人らは「行為」によってのみ、
善悪を判断する、しかし、それは神を馬鹿にしているのだ。
神はなぜその行為をやったのか、魂の根拠を聞く。
一般にはウソを付いてはならない、ウソを付くのは罰だ。
しかし、時には人を助ける為、ウソを付かねばならない時もある。
そのような時、人を助ける為にウソをつくなら神はそれを許す。
しかし、人を苦しめる為にウソを付かないのであれば、神はそれを
許さない。
もちろん、ジョークは別だがな。
冗談は神も好きだ、時と場合によるがな、
そしてそれがわかるようになるために、人間として成長しろ!
と言っているのだが・・・
まぁ、ガブリエル様ならやさしいから良いけどな、
他の神なら、神に願う時、かならず何かの代償を払わなければ
ならない、それも自分が犠牲になるくらいのな。
祈りさえすればよい、と言うのは甘ったれてるのじゃないか。
もちろん、最も重要なのは、自分自身の覚悟だ。
66 :
ななしそ:2001/05/23(水) 18:02
>>65 あなたはいつぞやのカラスか?霊というHNでも書き込んでいるようだが。
どのような思想をお持ちか知らないがまさに「惑わす者」だな。なんだか
思考が混乱する。あなたの思想の基本は何か教えて欲しい。
>>66 あのね、
こいつあっちこっちのスレで見るよ。
色々名前は変えてるけど、
話の流れとか関係なく突然脈絡も無くしゃしゃりでてきて
わけのわからない電波文書いていくからすぐわかる。
ネタでやってるのか本物のキティガイなのか・・・
本物だったらちょと怖い(・・;)
68 :
ミュー:2001/05/23(水) 18:20
チョウシュウの変身だったりしてハハハ。
70 :
ななしそ:2001/05/24(木) 11:57
昼休みだからあげておこう
71 :
日本茶:2001/05/24(木) 12:29
>>65 というか君は民族・神話板にいたのと同じ人物かな?
そのガブリエル様がどうのっていうのは
一体何の影響だろう?
72 :
日本茶:2001/05/24(木) 12:31
>>68 オマコしゃぶりこはわりとまともなこと書きます。
73 :
非キリスト教徒:2001/05/24(木) 12:39
非キリスト教徒(でもほとんどがそう言った人)から見れば、
どうみてもクリスチャンのやり方はおかしいんだけどね。
まぁ、周りから批難されても反抗し続けるらしいから、
キリストのようにな、だから周りの一般人のまともな意見が
変に聞こえるのだろ。
実際、多くの一般人がクリスチャンの行為に迷惑している。
そのくせ、クリスチャンは自分達の考えこそ絶対、それ以外のもの
は間違っている、とするのだろ。
ユダのくせに自分は救世主だと言い張ってな。
キリスト教徒以外の一般人は誰もキリストを神聖視しない。
しかしそれを神聖視するクリスチャンこそきちがいに見えるのだよ。
まぁ、殆どの人が、キリスト教とオカルトは同一のものと理解
し始めたのさ。
74 :
非キリスト2:2001/05/24(木) 12:46
非キリストだけど、73、おまえつまんない。
もういいよそういうの。こっちが逆に馬鹿にされるぜ。
そういう井の中の蛙みたいな発言ばかりが、非キリスト派の意見
だとおもわれるとはずかしい。
73は逝ってくれ。
75 :
名無さん@1周年:2001/05/24(木) 12:49
俺もアンチだが73みたいのはもういいと思う。
別なレベルの低いスレッドでそういうのは発言したらどうだ?
アンチ巨人とかが、ドームに風が吹いているとかいっているのと
かわらないとおもうよ。もっとここはレベルの高いスレなんだ。
キリストなヤツ、こんなのはウ゛ァカとみなして、無視していいから
今後もちゃんと会話しようぜ。
76 :
ななしそ:2001/05/24(木) 12:51
>>74 >>73を弁護するつもりではないが。
街中をキリストの宣伝カーで「人は罪人です」「この世は過ぎ去ります」
「主はすぐに来られます」「悔改めなければ永遠に地獄の業火に焼かれま
す」と大音量で聞かされれば非クリスチャンはいい気持ちはしないのは
確かだろう。また、素直でちょっと気の弱い人などはそれを聞いて「悔改
めなきゃ」なんて思うかもしれない。信仰を吟味せずに。
77 :
非キリスト教徒:2001/05/24(木) 12:53
俺は民族・神話板で書いた者じゃないが、そいつが言っている
ことも真実なのさ。
キリスト教徒でも一部の上層部の者なら知ってる、むしろ、
「なぜ、我々より詳しくしっているのか?」と疑問に思っている
だろうな、今頃は。
もちろん、彼が言ったことはキリスト教の中でも極秘中の極秘の
事項、一般のクリスチャンには絶対知らされないこと。
だから一般のクリスチャンが知らないのは当然なのさ。
実際、一般のクリスチャンなら「天使」の存在は知りえても、
天使の中にもいろいろあり、階級もある、役割もある。
人を殺す天使もいる。
しかし、一般の信者には公開されてない、すべてタブー(禁止)
だ、一般の信者には、天使とは非常に慈悲深く人間にとって
優しい者として、教えられてるだろうし、そう言った布教の
仕方をして勢力を拡大することに成功したからな。
ちなみに、天使名や天使のクラス(役割)は、キリスト教や
ユダヤ教はおろか、実はイスラム教も殆ど同じ、ちょっとした
違いしかないのだ。
だいたい、聖書に出てくる神、人物も同一人物でありながら様々な
名前を使い分けているのだ。
まぁ、聖書を文字通りにしか読んでいない人は別だし、一般の信者
には何言ってるかさっぱりわからないだろうな
78 :
ななしそ:2001/05/24(木) 12:58
>>77 僕の知らないことばかりだな。
その、人を殺す役割を担う天使に命令するのはやはり神なのか?
79 :
非キリスト教徒:2001/05/24(木) 13:00
まぁ、天使名とかは、我々の世界でもあまり言ってはならない
ことなのだが、一応、ある使命のためにあえて使った。
しかし、その役割が果たした今、また天使を語ることを封ずる
80 :
日本茶:2001/05/24(木) 13:04
81 :
ななしそ:2001/05/24(木) 13:19
82 :
42:2001/05/24(木) 13:27
>>63部外者の乱入さん、今、昨日の最後のレスを読んでみました。
耳の痛いことばかりでした。現実に埋没してる私には、正しくものを見ることすら
出来ないのだろうかと、思うばかりです。(あ、きのうは、変換したら「ワタシ」と
出てきたのでそのまま書き進みましたが、今日は「私」にしてます。)
その頃、奴隷制度を当たり前に思う私がいたとしたら、今も、何かを当たり前に思い、
それ自体が罪であることは当然あると思うし・・・
ただ、歴史上で人間が犯してる罪を、クリスチャンである故に自分の罪としてまで
背負うと、聖職者になって一生涯、祈り続けなくてはならない。それほど重いです。
それが出来たら、聖人です。そのところは、法皇や聖職者にお願いして、私たちは
平凡な自分に割り当てられた平凡な現実を、こなしていくこと。それしか出来ようが
ないように思うのです。
83 :
名無しさん:2001/05/24(木) 13:31
84 :
名無しさん:2001/05/24(木) 13:33
>>76 そりゃ新興宗教だろ。
まともなカソリックやプロテスタントはそんな事しないぜ。
85 :
42:2001/05/24(木) 13:46
>>64ななしそさん、復活がなければ、イエスが神だと信じることは出来ないというのが
定説なんですけど、例えば、彼氏が交通事故で亡くなったりした時「彼は天国へ行った」と
信じることが出来ると思うんです。私の場合、妹だったけど。
イエスが、本当に信じられる人だったら、復活しなくても「私は、天国にいます」と
言われたら、私は信じていたと思えてしまう。それは変ですか。私の横には、生まれた時から
イエスの像があって、いつもそばで見ていると教えられてきたから、彼が復活したしないは、
私にとっては、かえって物語です。
復活しなくても、人の心の中に、生涯、息づいていることが神の証拠だと思うのです。
先ほどの彼や私の妹は、自分1代で終るけど2000年もの間、人々の心に居続けることの
できる人だから、神としか思えないのです。普遍的に信じられる人だから。
86 :
ななし:2001/05/24(木) 14:20
>復活がなければ、イエスが神だと信じることは出来ないというのが
>定説なんですけど、
肉体をもたない、霊体のイエスの復活なら、信じることは容易なの
だろうが、、、
87 :
シャドウ:2001/05/24(木) 14:22
私の名はシャドウ!!
さて、
>>85=42君の意見だが、大いに反論したい!!
どうしてイエスが大勢の人達の心の中に生き続けてきたか、それは、彼を信じる事で、罪を許され永遠の生命を得る事が出来る、救済される、と信じられてきたからだ!しかし、君の妹さんが死んでも、失礼だが妹さんが神の子である事を信じる事で永遠の生命が得られるわけでも、罪を許されるわけでも、救済されるわけでもあるまい!!
イエスが信じられてきた事の理由は、彼の人徳を尊ぶだけでは無く、彼を信じる事で得られるある種の「救済」を人々が求めていたからだと私は思うぞYO!
このパターンは釈迦を信じる人達にも言える事なんだYO!
イエスの人間性とか、イエスは面白い奴だ、とか、そういう事で人に好かれたんじゃなくて、自分達を救ってくれる、永遠の生命を与えてくれる(と思い込んでいる)からこそ、多くの人達の心の中にイエスが生きてきたように感じられるだけにすぎないのだ!!
救済というご褒美があるからイエスは好かれている(ように見える)にすぎないんだYO!!
88 :
名無しさん@:2001/05/24(木) 14:26
89 :
42:2001/05/24(木) 14:49
>>87 >救済というご褒美があるからイエスは好かれている(ように見える)にすぎないんだ
そういう事もあるんでしょうね。死ねば天国や極楽へ行けるのをみんな望んでるから。
でも、クリスチャンには、煉獄も地獄もあるから、普通の人たちより厳しいかも。ですよ。
天国へ行けると信じてる私こと、軟弱クリスチャンは、みなさんに戒められてしまいました。
でも、救われるといえば、日本人のほとんどは、お葬式してもらって
お坊さんにお経詠んでもらって、みんなから成仏願ってもらって、あちらの世界で
楽しく暮らしてることになってるし、別にクリスチャンでなくても、救われてしまいますよね。
私としては、救われるとは「自分の心が安寧でいられること」それも今だけじゃなく、
死ぬ時までも、ずっと。そういうことだと思ってます。誰かに愛情深く見守られていると、
人間は、不安や恐怖がなくなります。感謝の気持ちも生まれます。
そうして、生きて死んでいくことが「救われた」ということだと思ってます。
90 :
>1:2001/05/24(木) 14:51
>イエスの十字架は救いとなり得るか?ならないと思う。
十字架の死と復活がひとくくりで贖罪の完成だと思うが、復活は真実
だろうか?僕は疑わしいと思う。そもそも聖書自体が疑わしいと思う
のだが。十字架の死を受け入れる事が救いならば、救いにあずかった
後、すぐに死ねば天国にいける事になる。わざわざ残りの人生を教義
に縛られて生きなくてもいいのでそのほうが楽だ。そもそもイエスの
十字架の死は罪の救いのためだろうか?パウロの後付けではないのか?
それを信じているからキリスト者と呼ばれる。信じないのは非キリスト者。
どちらを選ぶのも個人の自由。こんなのは2chで騒いで結論が出るような問題じゃ
ないよ。
>この事についてクリスチャンの方々はどのように理解しているのだろう。
信じないのは自由だが、なぜ同意を求める?自分の考えに自身が無いから
42さんの信仰をムキになって否定しているだけ。
91 :
部外者の乱入:2001/05/24(木) 14:53
>>85(42さん)
そんなに素直に認めていただくと、こっちが困ってしまいますよ(^^;)。
実は私もBコース人間だから、「今の社会は怪しからん」と愚痴りつつ、その怪しか
らん社会に給料をもらって生活しています。マジにAコースを目指したら、きっと
アゴが干上がっちゃう(^^)。「弱い自分ができるだけ」というのは、逃げになって
しまいますけど、たとえ両足がガタガタ震えても、「社会悪」にだけは背を向けない
という気概だけは必要だと自分に言い聞かせています。たとえ逃げるとしても、
後ろ向きで全力疾走(^^)。
>歴史上で人間が犯してる罪を、クリスチャンである故に自分の罪としてまで
>背負うと、聖職者になって一生涯、祈り続けなくてはならない。
そんな必要はないと思うのですけど。当時としては社会常識だったかもしれません
し、もしそうであるならば、単なる「無知が故に犯した過失」です。むしろ、自分
の日々の生活において、「イエスさまに知られたら後ろめたく感じるようなこと」
をしていないかどうか、が重要な気がします。エストラーダさんは、カトリック
教徒ですけど、巨額の資産を持っています。また、日本のある俳優さんは自称、
カトリック教徒ですが、いつも目玉が飛び出るような宝石を見せびらかし、辛らつ
な言葉で「バトル」を繰り返しています。私は、Bコースの端くれで、彼らをどう
こう批判できる立場にはありませんが、少なくとも、彼らが自分の行為を「うしろ
めたい」と感じてほしいものだと思います。たとえ罪の攻勢に尻尾を巻いて逃げ出す
時にも、後ろ向きで走ってほしいと。
92 :
考える名無しさん:2001/05/24(木) 14:58
今、一番イケテル掲示板、ホームページ教えてちょ。
もちろん、キリスト教のね。
93 :
部外者の乱入:2001/05/24(木) 15:03
94 :
42:2001/05/24(木) 15:04
>>87続き
もし、救済だけでイエスが好かれていたら、死ぬ時だけクリスチャンになったって
救われるわけですけど、自分の人生を見守る無限の愛情に満ちた人、
そういうところに存在価値があるような感じがするのです。
95 :
ななしそ:2001/05/24(木) 15:09
>>84 「主イエスキリストは・・・」と言っていたぞ。「キリストは主である」と告白
できるものがクリスチャンなのだろう?新興宗教ではないように思えるな。
>>90 わけのわからない人だ。僕は42さんを否定したくてこのスレッドを立てたわけで
はない。同意を求めていない。結論を求めていない。イエスの十字架についてク
リスチャンの方々はどのように理解しているか「本音」を聞きたいだけだ。
手前勝手に捻じ曲げて理解しないで欲しい。
>自分の考えに自身が無いから
「自信」はあるぞ。あるからこそスレッドを立てた。
「十字架は救いにならない、今ある一般的な聖書の常識はパウロのつくったもの」
96 :
ななしそ:2001/05/24(木) 15:12
>>92 42さん、クリスチャン以外は救われないと思うか?あなたはどう思う?
97 :
42:2001/05/24(木) 15:15
>>91 そう言ってもらって、ほっとしました。
Bコースは、後ろめたくですね。謙虚な感じで、いいかも。(笑)です。
いろいろ有難うございました。
98 :
42:2001/05/24(木) 15:29
>>96ななしそさんへ
クリスチャン以外も救われると思ってます。
唯一神、というところまで考えたら、凄く複雑ですが、私の救済の考えは
>>94 なので、救済する人が、神様仏様、家族や恋人でも救われることは出来ると思ってます。
これは、たぶん大きな声で言えない。クリスチャンとして顰蹙をかうかもしれないです。
もうひとつは、私たちがその人のために祈ること。自己満足かもしれないけど、
クリスチャンとしてできる最大の愛情表現だし、キリストもそうしなさいと言ってるし、
キリストはそれに免じて、キリスト教でない人も救ってくれると信じています。
たとえ、聖書に書いてなくても、弟子が書き忘れたかもしれないし、逆は真なりとは
限らないと思います。私を信じないものは、全員地獄行きだ、とか書いてないです。
99 :
名無しさん:2001/05/24(木) 15:30
>>95 仏陀を崇めていればサリン作ってもなんでも仏教なのか?
君の論理だとこの世に新興宗教もカルトも存在しない事になるな。
100 :
42:2001/05/24(木) 15:54
>>96 十字架が救いになるかでしたら、私は単純です。
全人類の、それまでの罪を背負って磔刑になったイエスを考えると、
それ以上の深いつぐないは、ないと思えるので、それをお手本として
私たちは苦しみや辛さに負けずにいれるので、救いになってます。
(これは、イエスは神である、と信じていることが前提ですけど)
でも、磔刑以降の人類の罪は、どんどん溜まるばかりだと思ってます。
あれは、あそこで完成しても、今後は人類の破滅を待つのか、再度キリストが
現れるのか・・・カトリックではあまり気にする風潮がないので、私も気にしてません。
話は違いますが、ななしそさんが私の意見を否定してるなど、全然感じていません(笑)
いろんな意見があって楽しいです。ただ、今日も、これ以降、時間がとれないので残念です。
101 :
ななしそ:2001/05/24(木) 16:11
>>99 聖書には「イエスは主である」と告白できる事がクリスチャンの証明
(詳しくは聖霊を受けた人)と書いてあったぞ。聖書が言うにはキリ
スト教は生ける神イエスキリストのみを主とするとの事だ。
つまりは人間の教祖は持たないという事だ。
だから「主イエスキリストは・・・」と言える事は、彼らの神は「キリ
スト教のイエスキリスト」だろう。イエスを神とするのはキリスト教だ。
ユダヤ教やイスラム教はイエスを神と認めない。いわゆる新興宗教もイ
エスを神とはしないだろう。
>>99あなたは聖書を読んだことがあるか?
聖書的なバックボーンはないように見えるな。
102 :
名無しさん:2001/05/24(木) 16:20
>>101 そうやって信者を取り込むのが君らカルトのやりくちか。
気をつけるとしよう。勉強になったよ。(笑)
103 :
ななしそ:2001/05/24(木) 16:21
>>100 >>42さんはカトリックか。僕はマザーテレサの良いイメージがあるので
カトリックにも良いイメージがある。
>クリスチャン以外も救われると思ってます。
おおらかで清廉された信仰をもっておられるみたいだな。あなたに祈って
もらう人は幸せだろう。
104 :
名無しさん:2001/05/24(木) 16:22
終末論をぎょぎょうしく騒ぎ立てて、
なかば脅すように入信を迫るのは「エホバの証人」の常套手段だな。
105 :
ななしそ:2001/05/24(木) 16:23
>>102 カルト?何のことだ?僕は宗教をやっていないが。
カルトと言えば恥じ入るとでも思ったか
>>102 その程度の知識なら、あなたにとって宗教はみなカルトなのだろうな。
107 :
名無しさん23:2001/05/24(木) 16:29
>>101 正統なキリスト教会はそんな布教活動はしませんよ。
長い長いその歴史から、無理やり布教しても反感を生むだけだとわかっているからです。
教会には鐘突き塔がありますよね。
なぜあんなに高い塔があるか知ってますか?
「教会はいつもここにあります。貴方が救いを必要とする時は、いつでもいらっしゃい。」
って意味なんです。
だから街中でスピーカーで大音量でけたたましく終末論をがなりたてたりしません。
そんな事するのはエホ証やモルモンのようなカルトだけです。
108 :
ななしそ:2001/05/24(木) 16:37
>>107 そうか、エホバの証人とモルモン教は詳しく知らないから(モルモン教
は特に)あれはそうなのかもしれないな。イエスキリストを神する宗教
もカルトのように危険になりうるのとなるとキリスト教といっても安心
できないな。それと、カトリックは布教活動はあまりしないみたいだが
彼らは布教に躍起になったりはしないのだろうか?プロテスタントは布
教が盛んに思えるが
109 :
名無しさん23:2001/05/24(木) 16:38
だいたい、キリスト教は世界宗教ですよ。
日本国内ではキリスト教は少数派(国民の1%)ですから実感がないかもしれませんが
世界で一番普及している宗教なんです。
そりゃぁ救いにあずかる人が増える事は喜ばしい事ですけど、
別に必死になって新たな信者獲得に東奔西走する必要はないんです。
組織の維持の為に是が非でも新しい信者(金ヅル)を獲得しなければならないカルトとは違います。
110 :
名無しさん@1周年:2001/05/24(木) 16:41
>>107 >街中でスピーカーで大音量でけたたましく終末論をがなりたてたり
あれは、救世軍とかいう、特殊なキリスト教団体じゃなかったっけ。
111 :
名無しさん23:2001/05/24(木) 16:44
> あれは、救世軍とかいう、特殊なキリスト教団体じゃなかったっけ。
それ、異端ですよ。騙されないでくださいね。
112 :
名無しさん@1周年:2001/05/24(木) 16:55
>>108 カトリックが布教しないのは、熱心じゃないというわけでなく、
布教するのは、聖職者クラス。決まりはないけど、そんな雰囲気になってますよ。
一般信者は、それぞれの社会で、自分の能力の限り、一生懸命活動することが
間接的な布教とされてるようです。一般信者は、自分の信仰を深めることを優先せよ、
ということではないでしょうか。
聖職者の布教も、教会のミサが布教活動だといわれてます。なので、カトリック教会は
一般人でも別宗教でも、誰でも出入り自由で、ミサに参加できるようになってます。
神父がミサで福音を伝え、説諭する、それがカトリックの布教です。
(もし違ったらすみません。一応信者のはしくれです)
113 :
名無しさん23:2001/05/24(木) 17:15
>>112の補足
つまり、
「もしあなたがイエスキリストの救いを必要とするなら、教会に来てミサに参加なさい。
教会はいつでもここにあり、その門は全ての人に開かれています。」
という事です。
でも最近は、都市部では高層ビルだらけだから、教会の塔は救いの目印にはならないかも・・・(^^ゞ
114 :
ななしそ:2001/05/24(木) 18:20
>>107 >「教会はいつもここにあります。貴方が救いを必要とする時は、いつでも
>いらっしゃい。」
放蕩息子を待ちつづける父親の姿とかぶった。感動した。
>>112、
>>113 なるほどー。勉強になった、ありがとう。僕の知ってる教会はたぶんプロ
テスタント派で「万人司祭」という考え方で熱心に布教活動していたみた
いだったな。
>一般信者は、それぞれの社会で、自分の能力の限り、一生懸命活動する
>ことが間接的な布教とされてるようです
これも素晴らしいと思うな。一番無理がない気がする。
>教会の塔は救いの目印にはならないかも・・・
そんな事はないように思う。
115 :
かみ:2001/05/24(木) 18:27
キリストが神の国は近い、とかのたまってから、早2000年。
いまだに来ない。そろそろだまされていたことに気づいても
いいんじゃない?
116 :
名無しさん:2001/05/24(木) 18:46
>>115 イエスキリストを救いの主として信じ、洗礼を受けたその瞬間から、
自分は神の国に入ったと信じてます。
それでいいじゃないですか。
117 :
名無しさん:2001/05/24(木) 19:01
「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えていわれた。
”神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。
実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ”」
新共同訳聖書・ルカによる福音書・17章20節〜
118 :
エホ証しね:2001/05/24(木) 19:15
エホバの証人の奴らは現実に世界地図の上に神の国ができると思い込んでたみたいだね(藁
でもエホ証の言う1914年になってもそんな国できなかった
路線変更して1914年生まれの人が死に絶えた時神の国が〜つってたけど(藁
最近じゃー来ないなら自分達で作るとかぬかして北海道の土地買い占めてるってウワサも(藁
エホ証って聖書を読みましょうとか言いながら全然読んでないのな
>117でイエスキリストが言ってるのに(藁
119 :
名無し:2001/05/24(木) 19:19
> 最近じゃー来ないなら自分達で作るとかぬかして北海道の土地買い占めてるってウワサも(藁
エホ証の言う【神の国】とはムツゴロウ動物王国の事なのか?
120 :
名無しさん@1周年:2001/05/24(木) 19:46
モルモンもその「け」あり。
世の終りも来ないし、しびれきらして、自分らで作ってしまおう、
な〜んて即物的なパターン。だよね。
そんでもって、金集め、信者集めが、信仰のかなめになってくらしい。
121 :
バプ@品川:2001/05/24(木) 21:53
>>117 私は「神の支配」の方が、ダイナミックな活動のニュアンスが出て、
「神の国」という存在的な表現で表すより好きだな〜
十字架の言葉は、滅び行くものには愚かであるが、救いにあずかる私たちには、
神の力である。第一コリント1章18節
幼児洗礼を受け順調に人生を歩んで来た人とは、どーも信仰について話しても
会話がかみ合わない。なんでなのか不思議に思っていたが、42さんのカキコを
見て納得できた。あ、批判じゃないですよ。
ただただ、うらやましいなぁ、と思う。
私にとって信仰は時折とても重くて、投げ出したくなることもあるので。
自分の中に根付いているので投げ出すのは不可能で、だから苦しい。
125 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:2001/05/25(金) 09:06
>1
貴方は正しいと思う。
イエスは、十字架はもう思い出すのもいやだからやめてと言ってるらしい。
誰だってあんないやなことを思い出したら恐怖で気絶してしまう。
イエスは十字架にかけられたとき、痛みで気絶したらしいです。
だから死んではいなかった。弟子達はイエスを隠して手当した。
イエスは元気になってから外国に逃げたらしい。
イエスが死んだと思った者から見れば、生き返ったと思うわけ。
後世の者が復活などという物語を作った。
126 :
ななしそ:2001/05/25(金) 09:09
>>121 バブ@品川さん、お待ちしてましたよ。今からリンク先を読ませていただきます。
>>123 となると十字架を信じない(救いにあずからない)非クリスチャンは「滅び行くもの」
だと聖書は言っているのか
>>124 42さんは幸せそうで、僕も正直羨ましいと思うな。
>私にとって信仰は時折とても重くて、投げ出したくなることもあるので
僕は宗教はやっていないが、前は神とか人の罪とかとても重苦しく感じていた時期が
あった。
127 :
ななしそ:2001/05/25(金) 09:19
>>125 僕も手足に楔を打ち込まれる事など想像したくはないな。
イエスは生きていて外国に渡ったという説は聞いたことはあるが詳しくは
知らない。外国に逃げたイエスはその後、外国で死んだのか?イエスはキ
リスト教の成立を知っていたのだろうか?
128 :
名無しさんが・・・:2001/05/25(金) 09:49
イエスの墓は青森にあるよ。有名だよ。
129 :
ななしそ:2001/05/25(金) 13:01
>>42さんといい、バプ@品川さんといい、柔和な言葉で語られるとどうしても毒気
を抜かれてしまうな。悪意にはいくらでも抵抗できるが善意には抵抗しにくい。
でも一言「ぬるい」と言っておこう。「信仰してもしなくても神はあなたを愛して
おられますよ」、「天国はどこにあるかわからないけどきっとみんな入ることが出
来ますよ」、「救いが何なのかわからないけど神の愛を知ればきっと救われますよ、
幸せですよ」と大体このような事を言いたいのだろう。これのどこに神を信仰する
意味がある?聖書に書かれてある事と違うようだが、それで聖書を読む意味があるか?
疑問だ。十字架の話に戻るが、あなたたちの神イエスキリストは「信じても信じなく
てもいいよ、でも私はあなたたちの罪のために身代わりに死んでおくからね」という
ようなつもりで十字架に死んだのか?そして何千年も後になってそのイエスの心を
継ぐ者は「イエス様を信じても信じなくても救われるよ」と言っているわけだ。
僕がイエスだったら悲しい。
130 :
ななしそ:2001/05/25(金) 13:10
例えば僕に恋人など愛する人がいたとしよう。海難事故か何かで救命ボート
は残り後一つしかない。その最愛の人をボートに乗せて僕は死ぬことにする。
別れ間際にその愛する人へ「愛しているよ信じてね」と言ったとしよう。
何年か後になって、その僕の愛した人がこう言ったらどんなに悲しいだろう。
「私の身代わりになって死んだあの人は愛してるって言っていたけどそれは
本当かしら」
∧ ∧ ┌─────────
( ´ー`) < シラネーヨ
\ < └───/|────
\.\______//
\ /
∪∪ ̄∪∪
132 :
ななしそ:2001/05/25(金) 15:57
笑えた
何わけわかんねー話してんだよjノイローゼどもが!
135 :
ななしそ:2001/05/25(金) 17:27
>>トマト
あなた他の板にも書いてるな。もっと煽ってくれ
136 :
ミス・まんこ:2001/05/25(金) 17:51
私は「ミス・まんこ」よ!!
137 :
ななしそ:2001/05/25(金) 17:54
よろしく「ミス・まんこ」さん。
あなたは女性クリスチャンか?だとしたら非常に興味をそそられるが。
>>129 同感!
うちの教会は幼児洗礼組ばっかりなので、42さんのような感覚が正しいのかもと
思えて来てしまうんだが。でもさー、うちの教会に限って言うと、「この人、聖書
読んだことあるんかな?」「キリスト教を信じてるのか?」と疑いたくなるような
人が多いんだな。私の僻みかも知れないが。
パウロは苦手だったのだが、93のリンク先の文章を読んだらパウロにちょっと
親しみを感じるようになった。パウロって罪悪感のかたまりだったのかな?
139 :
Joy:2001/05/26(土) 07:50
>>126 |となると十字架を信じない(救いにあずからない)非クリスチャンは
|「滅び行くもの」だと聖書は言っているのか
聖書の言葉特にこの箇所をぐだぐだ言っても始まらない。
聖書に書かれていることのみを味わってください。非クリスチャンは
滅びるとは言わない。福音を聞きながら信じようとしないものは滅びる。
140 :
Joy:2001/05/26(土) 08:10
いや、人間が神から離れたときそれはすでに滅ぶべき運命なのだ。
しかしたとえ、キリストの言葉を聞いたことが無くてもキリストの
御心を少ない光の中で実践したならば、そのひとは救われるかもし
れないだろう。しかし、神の御子の大きな犠牲(十字架)を十分聞
きながら、信じようとしなければ葡萄の木から離れてしまった枝の
ように枯れ果ててしまうのだ。神が枯れさせてしまうのではない。
自ら木の幹を離れた枝は、枯れる定めなのだ。
141 :
ななしそ:2001/05/26(土) 09:54
>>140 >いや、人間が神から離れたときそれはすでに滅ぶべき運命なのだ。
神の愛とはそんなものなのか。人に自由意志を与え御心に従わないものは滅ぼす
というのか。だとしたら人はなんなのだ。神の愛玩動物か。
それとも聖書の言葉だけでもと神に取り繕い、神の機嫌を損なわないようにすれ
ばその人は神に救われるのか。それは違うと言うのだろう「神は人の心をご覧に
なられる」と言って。
ならば神の目に御心に、本当に適うのは一体誰なのか。それでもやはりクリスチ
ャンがそうだと言うのか。
>神が枯れさせてしまうのではない。自ら木の幹を離れた枝は、枯れる定めなのだ。
全ての事柄を定めたのは神なのだろう。木から離れた枝が枯れるように定めたのは
やはり神なのだろう。深酒がたたって肝臓を壊した息子に「自業自得だ」と見放す
母親のようなものか。
142 :
Joy:2001/05/26(土) 14:56
だから見捨ててないって。(^^;)
論理の飛躍というか人のいってるこt
143 :
名無しさん@1周年:2001/05/26(土) 15:11
イエスが全人類の罪を背負って死んだ。だからクリスチャンは罪が許されてる
というのはどうしようもない考え方です。
それから、肉体的なことだけで言えば、イエスより苦しんで死んだ腐るほどいます。
144 :
えーと:2001/05/26(土) 15:13
a
145 :
42:2001/05/26(土) 15:33
>>141 ぬるま湯に入浴中らしい?私ですが(笑)また、来てみました。
このスレで刺激されて、熱いお風呂もたまに入らなくては・・・なんて
啓発されました。煮え湯は怖いから、逃げさせてくださいね〜
ななしそさんの、誰が救われて、誰が見捨てられるのか、なんですが、
キリストの愛は「無償の愛」と聞いています。誰でも「神様助けて」「赦して」
といえば、その場で愛と救いを与えてくれる、私としてはそう確信してます。
悪人でも、クリスチャンでなくても、みんな「助けて」と「天に向かって求めれば与えられる」
ということで、救われないのは、神のことを一瞬も思わない人。全て自分ひとりの力で生きていると
思ってる人だと思うのです。
洗礼や他の秘蹟などで救われるのは、現在までの罪だと思っているんですけど、
クリスチャンの方、そうですよね。だからその後も、いつも私たちは、罪の告白をして、
赦しを乞わなければなりません。クリスチャンが運のいいのは、ただ赦されるチャンスが
多い。教会へ行ったり、聖書を読んで、罪深い自分を再確認できるメリットがある
だけではないでしょうか。(あと、聖書と洗礼について続く。待ってて下さいね)
146 :
42:2001/05/26(土) 15:51
続きですけど、これはカトリックしか通用しないかもしれない。他の会派とは違うので
そのこと、よろしくお願いします。
聖書を読んでいたら救われるか、なんて信じてないのがカトリックかもしれない。
聖書には、神の人間に向けての教えや戒めが書いてあって、それを読めば、私たちが
どう生きたら、良いのかがわかります。ここでもクリスチャンが運が良いのは、聖書を
持っていて、日々、確かめながら生きていける、ということかと思えるのです。
洗礼も、十字架の救いも同じで、あれは、これまでの過去の罪が赦されるということで、
クリスチャンであってもなくても、これから先は、同じ条件かと思います。クリスチャンは
神の前にあって、チャンスに恵まれているだけだと思います。それでなければ、
十字架以降、受洗以降、私たちが告解(ゆるしの秘蹟)を何回も受けたりする必要もないし、
能天気に生きてたら、それで救われるはずなので。そう思っています。
敬虔なクリスチャンの方が、違うと思われるなら、指摘してくださいね〜
私は、敬虔とは、とても言えないクリスチャンなので。
147 :
黒い・・・:2001/05/26(土) 15:57
>42「許して」と言い、願うだけで罪が許されるなら、楽だろうね。
でもそれが神の愛だと?
借金しまくってる子どもを親が過保護的に金工面してる図がチラつくんだけど。
許しを請うだけで無責任に救う神なんて極めて人間的な幻想だよ。
殺人を犯したものが死の間際に心から許しをこう、そしてその人は天国行き。
じゃあ、殺された人は?残された人は?責任は?
あきらかにしがらみを生み出す行為をしておきながら、自分だけ神の愛とやらに
目覚めて天国いかれちゃーたまんないよ(笑)
自分の行動には責任がともない、犯した罪があるなら自分で刈り取る。
それが神の公正ってもんじゃないの?
第一、本当に神に目覚めたのなら、自分がやったことに悔いてヒトリ天国に
いこうだなんて思いもしないだろうけどね。
148 :
42:2001/05/26(土) 15:58
>みんな「助けて」と「天に向かって求めれば与えられる」
これも、キリストの絵姿をイメージしなくても、全然かまわないです。
きっと、誰でも困った時に、助けてと天を見上げてずっと待ってると、
愛が注がれているのがわかると思います。(また、オカルトっぽいでしたか)
149 :
42:2001/05/26(土) 16:19
>>147 >殺人を犯したものが死の間際に心から許しをこう、そしてその人は天国行き
それは、その通りです。ただ秘蹟を受けることを望まない程度の悔い改めなら、
天国へ行けるかどうかわかりません。キリスト教には、煉獄もありますから。
一般のみなさんにとっては、許せないことでも、神の判断基準は違います。
恨みや憎しみに囚われている人間の方を、憐れみ、悲しまれます。
被害者の方も、神に助けを乞うて、御心にまかせれば、心は平安となって、
神の前に救われます。
現実の社会の問題は、それで得られた心の平安をもとに。解決する努力を
すれば、いっそう力強く、知恵も湧いてくると思います。
現実社会のルールを否定するものでもなく、人間は、人間社会のルールで
より良く生きてもいいと教えられています。(カトリックだけかもしれないけど)
150 :
42:2001/05/26(土) 16:30
>>147 自分がやったことを悔いる、というのがずいぶん簡単に書かれているけど、
悔い改めるって、罪が大きいほど、死に値する苦しみかと思います。
大罪で悔い改めた人は、被害者に謝罪するのは勿論、自ら死刑をのぞみ、
地獄へ落としてくれ、と七転八倒する人もあります。
しかし、大抵は、悪いことをしたことは認めて、苦しんでも、それより
自分の死に対しての恐怖が大きいです。そのくらいでは悔い改めたことにはなりません。
151 :
42:2001/05/26(土) 16:37
>自ら死刑をのぞみ、地獄へ落としてくれ、と七転八倒する人もあります。
これでも、まだダメなんですね。その先に悔い改めた心があるのですけど、
想像していただけたら、と思います。私もその後の心の推移について、
まだわからないことがあります。最後は、たぶん、悔い改めることと
自分の死で償うことは出来ないことに気付くということでしょうけど。
152 :
42:2001/05/26(土) 16:42
>悔い改めることと 自分の死で償うことは出来ないことに気付くということでしょうけど。
あぁ〜変な文でした。ごめんなさい。
最後は、たぶん、悔い改めることと、自分の死は、天秤にかけられないことに
気付くということでしょうけど。(という意味を書くつもりでした)
153 :
42:2001/05/26(土) 16:46
なんか、私のレスばかり連なって〜(恥)皆さんのレスを待てずに、
今日もこのへんで失礼することになってしまいました。明日は来れませんが
そのうちまた来ます。
154 :
名無しさん・・・:2001/05/26(土) 16:54
イエスの十字架は救いとはなりえません。残念でした。
イエスは十字架上で死んではいません。ただ気絶しただけでした。
その後日本に逃げて来ましたとさ。これホント。
155 :
Joy:2001/05/26(土) 22:34
神は、罪の奴隷となっている人類を見捨てることが出来ず、御子を
地上に送った。御子は
全人類の罪を背負って死にました。そう信じ受け入れたのがクリスチャン
であって、そうでないのは非クリスチャン。そういうことです。
信じるものにとっては信仰の力ですが、信じないものにとってはこのスレッ
ドのいくつかにあるように愚かな言葉だということ。そういうこと。
形だけ洗礼を受けてたとしても、このことを本当に信じてなければ非クリ
スチャンだと思います。
156 :
Joy:2001/05/27(日) 08:23
なんか154のような電波をあっちこちで見かける
157 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 08:24
age
158 :
ななしそ:2001/05/28(月) 10:13
僕は
>>147さんの意見に全面的に同意だな。まったくそのとおりだと思う。
殺人者が神に救われたとして残された人は神のことをどう思うだろうか。神は許して
も私は許さないというのが正直なところではないだろうか。そして残された人々は神
を恨むかもしれない。神を恨む人は神に救われようとは思わないだろう。残されたそ
の人は神を憎み、殺人者を憎み、憎しみを抱えつつ一生を生きることになるだろう。
159 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 13:35
あたりまえ。
憎しみに取り付かれ、人を許す事をしない人が救われないのは理の当然。
宗教を持ち出すまでもない。
160 :
部外者の乱入:2001/05/28(月) 13:59
>>150 その悔い改めが徹底した時、「古い自己の死」があると思うのですよ。人がなぜ
犯罪を、しかも悪いことがわかっていてやるかと言えば、「自分」が可愛いから
です。悔い改めによって、「自分」は死んでも当然だ、地獄で永遠に苦しんで当然
だ、と心の底から思えたとき、「自分」が壊れ、罪をつくる動機がなくなってしま
う。長い間苦しんできた病がケロっと治ったような不思議な感覚。自分は、今の今
まで、一体何を求めてこんな罪を重ねてきたんだろうか。これが悔い改めだと思い
ます。
「貧乏脱出大作戦」は私の好きな番組でよく見るのですが、ダメ料理人が「変わる」
ある瞬間というのがありますよね。ひとことで言うと「古い自分との決別」。聖句
に「明日のことを思い煩うな」というのがありますけど、あれが本当にわかっている
人なら罪など犯さないのです。盗みを働くのも、人に買って富を奪うのも、「自分」
の未来の繁栄のためです。もし、「人は思い煩わずとも、神様がちゃんと養ってくだ
さる」と信じているとしたら、こんな罪なんか犯す必要がない。
本当に「古い自己との決別」を果たした人なら、二度と罪を犯す恐れはないでしょう。
だから、遺族の感情問題は抜きにして、その人に制裁を加える必要もないのです。
161 :
ななしそ:2001/05/28(月) 14:09
>>159 42さんはクリスチャン以外も救われると言う意見だったと思うが、あなたはそうで
はないのだな。人間的な目で見れば「殺人を犯して罪を悔改めた人(その後更生)」
と、「近親者を殺された、今でも神と加害者を憎んでる人」とでは後者の方が善良
であるように思えるのだが。善良と言うか無理も無いことだと思う。当然神が憐れみ
深いお方であるなら殺人者を憐れむのと同様に被害者をも憐れむべきであると思うな。
だがそれでも「許すことの出来ない人」に非があるというわけか。
162 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 14:29
>>161 人は誰でも多かれ少なかれ罪を犯す。
だが過去の自分の過ちを悔い、自らの罪を認め、罪を償った人を、
一度でも罪を犯したのだから永遠に許されるべきではないと?
俺は違うと思うね。
「デッドマンウォーキング」を見てくれ。
小さな嘘や裏切りや罪を重ねながら、
自分は罪を犯している自覚も無く漠然と自分は悪人ではないと思って
日々を生きている我々一般の人間に比べ、
死刑囚である彼らの、自分の犯した罪に向かい合う姿の何と誠実な事か。
逆に、家族を殺された人たち。
確かに理不尽でやるせない気持ちになるだろう。
だからといって、残された家族が恨みと憎しみに凝り固まって、
不幸な一生を送る事を故人は望んでいるのか?
刑罰を言い渡され、刑が執行されたなら、
それでよしとして許すべきじゃないのか?
仮に、恨みと憎しみにまかせて出所した所を仇討ちしたとしよう。
相手の家族はどう思う?
「なんで?夫は(とうちゃんは)30年も刑務所に入って、人生を棒に振って、罪をつぐなったのに!
肩身の狭い思いをしながら、近所から石を投げられながらも、
あの人さえ帰ってきてくれれば、それまではと思い、母子二人で耐えてきたのに・・・」
今度は相手の残された家族が恨みと憎しみに取り付かれるんじゃないか?
しかも、仇を討ったからって、それでサッパリスッキリするとは限らないんじゃないか?
憎しみは憎しみを呼び、留まる所を知らない。
憎しみの連鎖を絶つには、どこかで誰かが「許す」って事をする以外、方法はないんじゃないか?
163 :
ななしそ:2001/05/28(月) 14:46
>>162 あなたの言う事はしごくもっともだと思う。僕が持ち出した例で殺人者が法による
罰を受けてしまった後なら常識的にはチャラと言うことになって当然だろう。
>憎しみの連鎖を絶つには、どこかで誰かが「許す」って事をする以外、方法はない
>んじゃないか?
たぶんそうだろうな。
ただキリスト教の価値観でいけばどうなるのかと思ってな。彼らは悔改めた殺人者と
恨みに取り付かれた近親者のどちらが心情的に認められるかと。
164 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 15:24
思うに、クリスチャンだったら十中八九「許すことの出来ない人」に非があるというと思うね。
彼らは行動よりも「心のありよう」を重要視するから。
『隣人の妻に心の中で淫らな事をした者は、隣人の妻を犯したのも同じ』みたいな話をきいた。
罪を心から悔い改め、自分が悪人であると認めた者は、もう救われているとするだろうし、
逆に、たとえ実際に手を汚さなくても、
憎しみに心を染めて毎日毎日相手をくびり殺す事ばかり想像し、
いつまでたっても相手を許す事ができない人は、
もはや被害者から転じて加害者である、この世に憎悪を撒き散らす悪の種である、
って感じになるんじゃないかな。
165 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 15:27
そう考えると、
『汝の敵を愛せよ』とか
『右の頬を打たれたら左の頬を出せ』とかっていうのは
実はものすごく深くて、
それでいて実行するのはものすごく難しい事なんだな。
166 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 16:24
右の頬をぶったとき、左の頬を出されても殴るのは右の頬。
右利きだから。
167 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 16:27
つまらん。
下らん書き込みでスレ汚すんじゃねえボケが。
168 :
部外者の乱入 :2001/05/28(月) 17:04
横レスごめんよ。
>164
>思うに、クリスチャンだったら十中八九「許すことの出来ない人」に
>非があるというと思うね。彼らは行動よりも「心のありよう」を重要
>視するから。
これはキリスト教徒に限らず、仏教徒も同じでしょう。
ある人が念仏を繰り返す内に「自分」を脱皮して、生き仏の境地にな
ってしまった(在家でこうなった人のことを妙好人と言います)。その
男のエピソードです。妙好人が自分の畑で丹精こめて野菜を作っている
と、性悪の通行人がわざと馬を畑に入れ、野菜を食わせはじめた。それ
をじっと見ていた妙好人は、向こうを指さして「あっちの方が出来が
よくておいしいから、馬に食わせてやってくれ」。通行人はさすがに
恥じてそそくさと逃げ去ったそうです。
妙好人と普通の人との差は、「自分」があるかないか、だけです。妙好
人にとって、野菜を食うのが自分だろうが、見知らぬ通行人の馬だろう
が、関係ないのです。許す、許さないの範疇をも超えています。「自他
対立」そのものの消滅です。
私は、妙好人に「イエスの理想」を見出します。
169 :
ななしそ:2001/05/28(月) 17:47
>>166 不覚にも笑ってしまったよ
仏教もキリスト教も「許す」事の大切さは同じわけだ。
質問だが、仏教は人を「許す」とき神(仏?)に祈るのだろうか。キリ
スト教は人を許す力を与えてくれるよう神に祈るみたいだが
170 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 17:53
宗派によって違うんじゃねーか?
どうでもいいけどあんなクソさぶいギャグに面白いとかいうな。
馬鹿が調子に乗ってあちこちに下らんギャグ書き散らしだしたらどうする。
171 :
ななしそ:2001/05/28(月) 18:12
>馬鹿が調子に乗ってあちこちに下らんギャグ書き散らしだしたらどうする。
それは別に僕には関係ないな
172 :
部外者の乱入 (168):2001/05/28(月) 18:17
>169-170
仏教はもともと神を必要としないので、人を許すために神に祈るような
ことはしません。また、仏教では因果応報を説きますので、殴られたの
は自分が過去に殴られるような悪業を積んだに違いない、とおとなしく
諦めます。これが嵩じると、たとえ飢え死に寸前の行き倒れを見ても、
彼は彼の悪業に苦しんでいるんだから、と冷酷に見捨てることにもなり
ます。これは仏教固有の弊害だと思います。
「許すのが大事」というわけでなくて、「許す許さない」以前の話なの
です。雨が降って、遠足が台無しになった。こんなときに振りやがった
雨を許さない、と怒っても仕方がありません。雨が降るような日に遠足
をセットした自分が悪い、とも言えます。いや、本当は雨も自分も悪く
ない。その出会い(縁)のタイミングが悪かっただけだ。相手が動物や
人間であっても、同じように考え、余計な「解釈」を行わない。
173 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 18:21
それが諦観ってやつですかい?
174 :
ななしそ:2001/05/28(月) 18:23
僕も因果応報が一番矛盾の無い考えだと思う。
>たとえ飢え死に寸前の行き倒れを見ても、彼は彼の悪業に苦しんでいるんだから、
>と冷酷に見捨てることに
因果応報で行くと見捨てたら自分もいつか見捨てられるって事になってまずいと思う
のだが、どうだろう?
175 :
部外者の乱入:2001/05/28(月) 18:35
ふと最近感じたことですけど、「えひめ丸」の衝突沈没事故の裏には、
いくつもの偶然のお膳立てがあると思うのです。確かに、米軍側の致命
的なミスもあった。だけど、両方の船がぶつかったということは、あら
かじめそういう位置に「置かれていた」と言うしかない。「えひめ丸」
も知らず知らず、問題の位置に移動してきたので、いわば「共犯」と言え
ます。こういう事例にぶつかると、どうしても「縁」のせいだ、と言う
他ありません。どうしても、加害者だけに罪を押し付けても割り切れな
い何かが残るのです。
これを「神」の御意志と解釈すれば、事故の責任は、事故を起こすべく
両者を並べた神様にあるということになる。キリスト教徒には、とても
認められない結論でしょう。だけど、実際にそういう「不幸な偶然」は
実在しています。もし、この「神」の行為を「許す」ことができるなら
ば(試練であるなどの理由付けによって)、当然、不幸にも加害者になった
人間も許すことができるはずです。彼は、神の命令によって知らず知らず
にあなたとの「交差点」に引き寄せられ、あなたに害をなした。そこには、
神の意図が働いている。あなたはそれを怒ってはならない。なぜなら、
それは間接的に神を恨むことになるからです。
176 :
部外者の乱入:2001/05/28(月) 18:46
>174
>因果応報で行くと見捨てたら自分もいつか見捨てられるって事になってまずいと思う
>のだが、どうだろう?
もともと、因果応報はバラモン教から受け継いだものなので、因果
応報にも「貧富」の差があって、生まれつき行き倒れるような貧しい
人もあれば、生まれながらに支配階級という恵まれた人もある、という
考えが根底にあるようです。私はあまり好きませんけど。
というわけで、富める者が貧しい者を見捨てつづけて数千年、インドの
カースト制度は今も健在です(^^;
177 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 19:02
>どうでもいいけどあんなクソさぶいギャグに面白いとかいうな。
あほ言え。ギャグではなくて事実だ。
おまえ情緒不安定なんじゃねえか。
178 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 19:04
>>170 それからオマエ物言いがむかつく。
ダメクリスチャンだな。
179 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 19:07
>>177-178
お前
>>166書いた本人だろ。
バレバレなんだよ。
自分でうまいこと言ったとでも思ってんのか?
救い様のねえ馬鹿だな。
180 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 19:10
それから、2chみたいな匿名掲示板で口調にいちいち腹立てるな馬鹿。
そんなんじゃ表層に目を奪われて中身を見る目が閉ざされるぞ。
181 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 19:14
>>179 名前変えてるわけでもないのに、ばからし。
182 :
age:2001/05/28(月) 20:09
ageage
183 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 21:52
>思うに、クリスチャンだったら十中八九「許すことの出来ない人」に
>非があるというと思うね。彼らは行動よりも「心のありよう」を重要
>視するから。
亀レス スマソ。
それは絶対言わない。言うのは信仰が浅い人。
クリスチャンで信仰の深い人は、人を裁かない。
恨みや憎しみに取りつかれている人のことは「かわいそう」に思う。
それだから、その人が執着してることから開放されるように祈ってやる。
神父さんだったら、恨みや憎みをいっぱい聞いてあげて、一緒に祈りましょう。
ということになる。クリスチャンの名誉のために書きました。
184 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 22:00
そうか、キリストの教えでは
人が人を裁いちゃいけないんだっけ?
理解が浅くて失礼しました。
185 :
Joy:2001/05/28(月) 22:05
186 :
コーヒー牛乳:2001/05/29(火) 01:48
>イエスは生きていて外国に渡ったという説は聞いたことはあるが詳しくは知らない。
外国に逃げたイエスはその後、外国で死んだのか?
亀レスですが。
その類の説の真っ当なネタって何なんでしょう。
東方にあるいろんな伝承とかトリノの聖骸布のなかの一説が
渾淆し敷衍されて伝えられてるんでしょうか?
この板に詳しい人がいるのでは。
『バピーシャ・マハー・プラナ』という梵語の史書には
イエスは母マリアや弟子のトマスと共にダマスカスに暫く逗留した後
北部ペルシアを横断して、多くの人々に教えを説き改宗させ
人々から「レプラ治療者」「救世主」などと呼ばれていたと記されてるそうです。
晩年にはダル湖のほとりで質素な生活を送り、弟子のトマスに自分の使命を襲受すること
また自分の死んだ場所に墓を作るよう言い遺したとか。
そのイエスの遺骸を葬ったとされるのがインドのカシミール地方スリナガルにある
ロザバル(預言者の墓)聖地なんですけど。
あとイエスと共に伝道の旅にでたマリアは
旅の難儀に耐えられず、現在のパキスタンのラワルピンジ近郊の町で
死んだとされてるものもあります。
マリアの墓があるその町はマリアに因みマリーと名づけられました。
・・「生き延びて外国に渡った説」はこの辺からきてるのかな?
187 :
コーヒー牛乳:2001/05/29(火) 01:54
>イエスは十字架上で死んではいません。ただ気絶しただけでした。 その後日本に逃げて来ましたとさ。これホント。
>イエスの墓は青森にあるよ。有名だよ。
近頃、この内容の書き込みをよく見かけるけど
青森の戸来村(現在の新郷村)のキリストの墓のこと言ってるわけですね?
青森では有名なので知っている人は多いと思うけど一応、電波の発信源なので釘を刺しておきます。
昭和初期、茨城県の竹内巨麿という人物が、戸来村で発見した土まんじゅうを
「ここがキリストの墓」と言い出したのが始まりです。
この竹内何某という奴はキリストの遺言書や
どこで手に入れたかヨセフとマリアの骨で作った像、モーゼの十戒の石版まで持ってます。
なんでも竹内家先祖伝来の古文書『竹内文書』によると
「聖書に記されていない空白の期間、実はこのときキリストは日本へ渡り
越中の国にいた高名な僧の弟子になって切磋琢磨の苦行に励んだ。
そして11年間の修行を終えたキリストは祖国に戻り、日本で学んだ尊い教えをユダヤの人々に語りついだ。
だがキリストの教えは当時のユダヤ教徒には全く受け入れられず、裏切られて磔刑に処せられることになった。
・・がしかし、偶然そこを通りがかった弟のイスキリが役人達の目をすり抜け
兄イエスの身代わりとなって十字架に張り付けられた。
命がらがら生き延びたキリストは、4年間シベリアを放浪した後、アラスカから船に乗り、現在の八戸に上陸。
再び日本の土を踏んだキリストは名前を『十来太郎大天空』と改めミユ子という婦女を娶り
三人の子宝に恵まれ106歳の天寿を全うした」
という福音書にはない驚くべき全貌を記しています。
なぜかゴルゴタの丘で死んだはずのイスキリの墓まであります。(耳が埋葬)
他にも釈迦の墓とモーゼの墓がそれぞれ五所川原市と押水町にあるそうです。
竹内文献も2000年前のものらしいのですが、とにかくこんな話は世の中にゴマンとあるので
古代の文献なんてものをあまりにも遵守しすぎるのは意味がないのでは。というのが、私の聖書観です。
・・例がメチャクチャ悪いですが。スレ違いスマソ。
188 :
名前いれてちょ:2001/05/29(火) 02:01
>>イエスは生きていて外国に渡ったという説は聞いたことはあるが詳しくは知らない。
>外国に逃げたイエスはその後、外国で死んだのか?
南フランス?に逝ったというペシェル解析のスィーリングの説もトン
デモであるそうな。漏れなど、馬鹿馬鹿しくて、読んでもいない。(スマソ)
189 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 02:20
正典と外伝偽典の差なんて人間の判断だから
なにが正しいのかわかんないなあ。
190 :
ななしそ:2001/05/29(火) 09:15
>>176 >因果応報にも「貧富」の差があって、生まれつき行き倒れるような貧しい
>人もあれば、生まれながらに支配階級という恵まれた人もある、という
>考えが根底にあるようです。
そうなんだ、知らなかった。その考えは僕も好かないな。
聖書に「人は自分の蒔いたものを刈り取る」といったような記述があったように
記憶してるけど、これは因果のことを言い表してるような気がしてならない。
「御国はあなたがたの中にある」と言ったのも仏教観と似ているような気がする。
キリスト教も仏教も言いたい事は同じなのではないだろうか。時間が経つうちに
人の手によって教義が都合のいいように歪められてしまったのではないだろうか。
その所がいつも気になる。
>正典と外伝偽典の差なんて人間の判断だからなにが正しいのかわかんないなあ
激しく同意。カトリックとプロテスタントでは聖書が違うと聞いたが本当だろうか?
191 :
ななしそ:2001/05/29(火) 09:21
連続書き込み失礼。
「人の手によって教義が都合のいいように歪められてしまったのではないだろうか」
と書いたが、これはつまりキリスト教で言うとイエスの言葉とパウロの言葉の違い
の事が言いたい。イエスが人々に伝えたかったことをパウロは正しく伝えられている
のだろうか。僕はそれはないと思う。パウロは十字架を「罪の贖いのため」としたが
イエスは本当にそのつもりで十字架にかかったのだろうか。
192 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 15:02
>>190 ちょい訂正させてもらっていいかな?
> 「御国はあなたがたの中にある」と言った
「あなた方の中に」ではなく
「あなたがたの間に」ですよ。
同じ神に繋がる者、同じ葡萄木のひと房として、
隣人を愛するその気持ち、隣人との正しき交わりの中に
『主なる神の王国』がある、という教えです。
個人の内部で自己完結、じゃないんです、はい。
193 :
ななしそ:2001/05/29(火) 15:34
>>192 ご指摘ありがとう。でも確かに「あなたがたのうちに」だったような
気がする。今日帰って調べてみますが。
>>192さんの聖書は新改訳ですか?
僕のは口語訳だったような気がします。どちらにしろもう一度調べてきます。
>>193 あれ?「あなたがたのただなかにある」だったような。
無知暴露で恥ずかしい
195 :
うしろに名無しさんが・・・:2001/05/29(火) 23:09
キリストの十字架は災いにこそなれ、救いにはならなかった。少なくとも、日本のキリシタンに
とっては十字架は、正にハリツケの十字架だった。これホント。
よってキリスト教は人を殺してしまう宗教。クワバラ、クワバラ。
196 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 23:11
197 :
名無しさんが・・・:2001/05/29(火) 23:15
そういえば、信じる者も信じない者もキリストのために随分殺し合っていますね。
信じる者は、信じない者を殺し、信じない者は、信じる者を殺した。
キリストさんのお陰で亡くなった人の数は数知れずということですかね。
198 :
牧師:2001/05/29(火) 23:27
私も生活のためにやってますが、そろそろ宗教変えを考えなければいけませんかね。
何か他にいい宗教はないでしょうか。
199 :
Joy:2001/05/29(火) 23:35
>>197 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。
わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすた
めに来たのです。
200 :
うしろに名無しさんが・・・:2001/05/29(火) 23:56
聖書を研究している人に聞いたのですが、聖書にはキリスト教のためなら
人を殺しても良いとハッキリ書いてあるそうですよ。
どこに書いてあるか忘れましたが、それで強く信じる人は十字架のために
キリストのために突き進んでいったのですね。
正に十字軍はその典型でした。
十字架のために国を滅ぼされ、ドレイにされ、殺された人は数え切れない。
秀吉と家康はそれを分かっていた。その後、外来思想を遮断した日本は、
世界一平和な都市と文化を形成することとなる。
江戸時代は世界に類を見ない文化が華開いた時代だそうです。
201 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 00:01
>聖書にはキリスト教のためなら人を殺しても良いとハッキリ書いてあるそうですよ。
どこに書いてあるのかはっきりと提示してもらわんと。
202 :
日本人にとってのキリスト教:2001/05/30(水) 00:06
日本人にとってのキリスト教とはいったい何なのだろうか?
皆背丈に合わぬ服を着込むように、無理に背伸びをしているような気がする。
203 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 00:11
>>197 >キリストさんのお陰で亡くなった人の数は数知れずということですかね
それは、人間が愚かだからでは。
歴史が進んで、豊かな国になるとキリストのために殺し合いがないのは
どういうことかな。キリスト教の解釈が変ってきたのか、
話し合いで政治や経済や領土問題を解決できるように、社会が変ったのか。
全てはキリスト教があったから、殺し合いにつながったと言えないと思う。
逆に、キリスト教や他宗教が全部なければ、過去の戦争や殺し合いがなかったと
言えるのかどうか、聞いてみたいですね。キリスト以前にも、戦争や殺し合いが
あったから、宗教が栄えたのではないんですか。
204 :
うしろに名無しさんが・・・:2001/05/30(水) 00:37
人間は愚かだから、キリストを信じたのではないかな。
キリストなどのない日本の縄文には、1万年以上も戦いはなかったそうですね。
弥生になって、中国などを通しての外来思想が入ってから、戦いが始まった
ようです。
キリスト教は今では、何万という教派に別れて、統一協会やエホバとか
ものみの塔とか、ラエリアンとかいうフリーセックスやサイババなどを
信じる人もキリストの教えの解釈でなりたっていますね。
いまでも充分に人々を悩ませる元となってる気がするけどどうかな。
205 :
0:2001/05/30(水) 00:42
キリスト教は政治や経済、領土問題の走狗として
利用されたのでは?先頭きって。罪は重いよ。キリスト教。
206 :
名無しさんが・・・:2001/05/30(水) 00:43
私も以前キリスト教やったことあったけれど、野の花をみるがよい・・
などと言って、飾ることをやめなさいと説教して、自分はピカピカに
飾って説教している・・という世界だったような気がします。
所詮キリストはそんな世界だった。
何よりも独善と排他にはまいったということでした。
208 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 00:48
>>204 >弥生になって、中国などを通しての外来思想が入ってから、戦いが始まった
歴史の授業では、狩猟生活から農耕生活になって、土地に定着して集団生活を
始めるようになって、自分たちの土地の所有欲と権利意識が芽生えて、
戦いが始まった。と習いますね。その辺から、侵略・強奪などが顕著になってきています。
209 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 00:52
>>206 >所詮キリストはそんな世界だった。
>何よりも独善と排他にはまいったということでした
それってどこのキリストよ。TCCか、モルモンイエスか?
210 :
七資産:2001/05/30(水) 01:45
>>209 >それってどこのキリストよ。TCCか、モルモンイエスか?
もしそれらが間違っているとしたら何故、神は訂正しないんだ?
そして何故彼等はそれを信じて心の平安を他のキリスト教徒と
同じ様に得ているんだ?
結局、同じことなんじゃないのか?
211 :
真夜中のダンディ:2001/05/30(水) 02:21
197>>
今まで歴史には、日本人が自分の国のためなら
人を殺していいって言ったらしいよ。
日本の国のために死んだ人の数はたくさんらしいよ。
だから日本人ってのは人殺しらしいよ。
212 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 02:37
>>210 何でも悪いことは、神の信仰のせい、と思ってる人。
そういう人って、頭堅いよね、社会的にものを見たり、
広い視野でものを見たりできないようですね。
心の平安とマイコンは違いますよ。
マイコンなんかで平安はないから、それらの宗教が社会問題化してるということでしょう。
正統派の宗教の信者は、社会生活に適応してます。
それでなきゃ、信者人口に億という数字は出ません。
>自分はピカピカに飾って説教している
そう?イエス自体は清貧な人物だった気がするけど。
>サイババなどを信じる人もキリストの教えの解釈でなりたっていますね。
サイババは大概の既成宗教をパクってるけど基本的にはヒンドゥーだよ。
214 :
名無しさん:2001/05/30(水) 02:55
>>209 >私も以前キリスト教やったことあったけれど、野の花をみるがよい・・
>などと言って、飾ることをやめなさいと説教して、自分はピカピカに
>飾って説教している・・という世界だったような気がします。
>所詮キリストはそんな世界だった。
>何よりも独善と排他にはまいったということでした
「キリスト教の2000年」上 ポール=ジョンソン 共同通信社
の128ページぐらいでも読んでみろ。
215 :
電動戦隊バイブレンジャー:2001/05/30(水) 04:59
はっきり言ってキリストっていいやつでも悪いやつでもねぇ!!
どーでもいいやつなんだよ。
キリストが世界に大きく関わってるなんて考えるやつはうんこだ。
216 :
電動戦隊バイブレンジャー:2001/05/30(水) 05:01
神は確かにいるが、今、人間が神と呼んでる神はいねぇよ
217 :
電動戦隊バイブレンジャー:2001/05/30(水) 05:06
キリスト信者にせよ、アンチキリストにせよ真剣に世界の出来事とイエスを
結びつけんなよ
>>190 「人は自分の蒔いたものを刈り取る」というのは、仏教でいう因果とはチョット
違うような。聖書はカトリックもプロテスタントも基本的には同じ。
ただカトリックのフランシスコ会訳とかもあって、私はカトではないが
フランシスコ会訳はけっこう好きだ。言葉の選び方とか。
イエスが伝えようとした事をパウロは正しく理解してなかったと思う。
なんせ面識がなかったしね。イエスはパウロが言っているようなつもりで十字架に
かかったわけぢゃないと、私も思う。
でもこんな事いうと、怒る人けっこういるんだよねー。(藁
219 :
革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 10:01
イエスはユダヤ最大最高の革命闘士だった。
当時、植民地としてローマの支配のくびきの下に置かれていたユダヤは、自らを神の民と誇る歴史ある民族だった。
だが、各地で武闘派政治結社ゼロテ党(熱心党)によるゲリラ的な行動はあったものの、
強大なる当時のローマ帝国の軍事力には抗うべくもなかった。
かつての偉大な我が民族が異教徒の奴隷と化している現状を見かね、ナザレの大工の息子であったイエスは革命の理想に燃えて立った。
だがイエスはゼロテ党の愚は繰り返さなかった。
血気盛んな若者を集めてナイフを持たせ武力(軍事力)で対抗しても、相手は世界帝国ローマである。勝てる見込みなどない。
イエスの取った革命の道は、いわば『草の根運動』だった。
10人の屈強な戦士より、1000人の老人や病人を自分の軍の兵士としようとしたのだ。
(ここにイエスのたぐい稀なる知性と先見の明が見える。)
彼には持って生まれたカリスマと知性、弁舌の才、そしてエンターテイナーの素質があった。
まず彼は、当時大衆に影響力のあった「洗礼者ヨハネ」を説得し、
ドラマティックなパフォーマンスで彼の後継者という肩書きを得てその存在をアピールした。
彼はユダヤに伝わる神の言葉で人々の中の『民族の誇り』に訴えかけ、
大衆に理解しやすいように喩え話を頻繁に用い、言葉を選んで語りかけ、
「荒れ野をさまよった」とされる時期に東方の導師に教わった医学や薬学の知識で病人を治療し、
いくつかの奇術・トリックを使って大衆をひきつけた。
また彼は、集団心理学と言うべき物も心得ていた。
彼は大衆の間に広がる『噂』の力も知っていた。
集団ヒステリー状態に置いた会衆に幻覚を見せたり、
部下を使って、「イエスは奇跡を起こすらしい」
「イエスはダビデの子、救世主らしい」「ラザロという男を生き返らせたらしい」
などの『噂』を広めさせ、瞬く間に信奉者を増やしていった。
220 :
革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 10:01
さらにここでイエスは、驚くべき作戦に出る。
倒すべき敵であるはずのローマ軍兵士にまで同様の手で信奉者を作り始めたのだ。
なぜか?
イエスはローマの弱点を見抜いていたのだ。
皇帝の意を末端まで徹底させるには、帝国はあまりにも巨大になり過ぎていた。
ローマの大衆がこぞって異を唱えれば、いかに皇帝の権威をもってしても抑えきれなくなってしまうだろう。
イエスは帝国の国民の中に信奉者を作り、民意を操作して『植民地ユダヤ』に同情的な世論を作る事で、
ゼロテ党のように外から武力によってではなく、
帝国の内側からローマを打倒する事を目論んでいたのだ。
本来ユダヤの民のみの神であったヤハウェを『全人類を救済してくれる神』へと無理に捻じ曲げたのは、
多民族国家であるローマ帝国国民に訴えるためだった。
(実に卓越した政治的戦略と言える。)
だが、イエスにも一つ誤算があった。
権力を持った人間の愚かさを軽く見すぎていた。
順調に進むかに見えたイエスの革命運動は、ユダヤの身内による意外な背後からの攻撃によって潰える。
当時ユダヤ教会を支配していた高僧達は、ローマの植民地支配化にあってもなお、その権力を維持していた。
いや、苦難の時代だからこそ、神を求める民衆の信心は篤く、高僧達にとってはありがたかっただろう。
いつの世もそうであるように、高僧達は金と権力に腐りきった暮らしに満足していた。
ところが、イエスなる若者がカリスマとして世に出、民衆の支持を一身に集めてしまった。
(ちょうど、小泉人気で国民の支持を失ってしまった献金大好き族議員の心境だったろう。)
彼らにとっては『民族の独立』よりも『目先の金と権力』『現在の安楽な生活』を維持する方が大事だった。
自分達の既得権益を侵される危険を感じた高僧達は、
イエスを『由緒正しいユダヤ教を勝手に歪めて広める悪魔の使い』として非難し、
なんとか民衆の心を取り戻そうと画策した。
だが論争と情報戦に関しては、既得権益にしがみついて安穏と暮らしていただけの高僧達よりイエスの方が一枚も二枚も上手だった。
高僧達の反論は、イエスによってことごとく論破されてしまう。
イエスは逆にこの事を逆手に取って、さらに自分の支持者を増やしさえした。
221 :
革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 10:02
ここに至って高僧達は、もはやイエスを反逆者としてローマに売る以外、自分達の生き残る術は無いと心を決める。
自分達の息のかかった者をイエスの側近に潜り込ませ、ローマ反逆の証拠を固めていった。
イエスが側近の裏切りに気が付いた時には、もはや逃げられない所まで追い込まれていた。
イエスは人間の愚かさを、既得権益への妄執に憑かれた者の恐ろしさを甘く見過ぎていた。
逮捕・処刑が時間の問題だと悟ったイエスは、最後の作戦に討って出る。
避けられない死を逆手に取り、自らを殉教者とする事で、ユダヤ独立のシンボルとなる事だ。
高僧側の内通者であるユダに「行って私を引き渡すがいい」と命じ、
側近の部下達に「イエスはかねてより自らの死を予見していた」
「イエスは復活し、ユダヤを率いる為に必ず戻ってくる」と噂を流させ、
磔刑によって自らの伝説を完全な物として完成させようとしたのだ。
イエスが十字架上で言った「彼らは自分が何をしているのかわからないのです」という言葉は、
同じユダヤの民でありながら、自分達の既得権益に目がくらみ、独立運動を、国を売った高僧達に向かって吐かれた言葉だった。
だがイエスの死後、事態は思わぬ方向へ流れはじめる。
イエスの生前の目論見通り、ローマの一般市民の間で彼の伝説は広まっていったが、
それはもはやユダヤ独立云々とは関係の無い、新しい宗教、『キリスト教』としてであった。
それは市井の人々の希望と夢の産物であり、イエスは圧制や重税の苦しみから開放してくれる都合のいい神の子、救い主だった。
一度はローマの弾圧により地下に潜ったキリスト教だが、人々の想いは強く、やがてはローマを支配するようになっていく。
そして彼の伝説は一人歩きを始め、皮肉な事に彼の希望とは裏腹に、ユダヤから離れてユダヤ批判の中心となっていった。
その後変質しながらヨーロッパ諸国に野火の如く広がっていったキリスト教は、
歴史の中で様々な国家やイデオロギーに侵略の大義名分として利用され、現在に至っている。
今ではもはや『革命闘士・イエス』の本当の姿を知る人は少ない。
222 :
カト:2001/05/30(水) 10:36
>>219-221
じゃあ『チェ・ゲバラ』もそのうち『イエズス』と同じように神の子になるね。(^_^;)
223 :
あなたのうしろに名無しさんが・・・:2001/05/30(水) 11:46
イエスの父親ジョセフは2メートルもある大男で大酒飲みで酒乱でいつも母親の
マリヤをなぐっていたそうです。こういうことは聖書では教えていませんね。
イエスは12歳ごろから、商人の手伝いをして頻繁にインドへ旅にいってたそ
うです。
インドでいろいろな知識を得て、また、今のヒーラーのように病気を治す力も
得て、困った人の病気を治すようになりました。
イエスは心やさしい人間的に素晴らしい人でした。だからそういう力があたえ
られたのだと思います。
イエスは父母の肉体関係を見ているので、大人になつても女性にはふれようと
もしませんでした。ところがエマという女性がイエスに惚れていました。
イエスはエマの誘惑を断ったところ、エマは怒って、奉公先のパリサイ人の
主人にイエスがユダヤの王だと言っているとウソをいいました。
イエスの人気を妬んでいたパリサイ人はその噂をユダヤ人の間だに言い広め
ました。
やがて、その噂が、イエスがユダヤの王としてローマに戦争をしかける・・
というまでに誇張されていきました・・。その後は皆さんご存知のように
ハリツケに繋がっていきます。
磔の時イエスが気絶したのは誠のようです。その時に大きな落雷があり、
処刑人はイエスの死を確かめずに逃げたようです。
ユダと弟に助けられたイエスは、ガリラヤ湖から隣りの国に逃げ、
その後ラクダに乗って港へつきました。
その後簡単に言えば、ユダは途中のインドで降り、イエスと弟と
船頭などは日本の東北に辿りつきました。
弟と船頭は現地の娘と結婚してその地にとどまり、イエスは途中
人々の病気を治しながら大阪まできました。
あとはどうせ信用しないから教えられない・・。でもこれホントだよ。
224 :
カト:2001/05/30(水) 12:37
>>223 > あとはどうせ信用しないから教えられない・・。でもこれホントだよ。
誰に聞いてきたんだよ!(^_^;)
225 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 18:19
トンデモ本でしょう。
226 :
ななし:2001/05/30(水) 18:26
でも2000年前は聖書もトンデモ本だったんじゃない?
水の上を歩いたとかパンがモコモコ増えてったとかさ。
227 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 18:28
>>226 そういうみもふたもない言い方をされると
確かにトンデモに聞こえるなぁ・・・(藁
228 :
Joy:2001/05/30(水) 18:30
人々の病気を治しながら大阪まできました。
というのが笑った。
229 :
名無しさん:2001/05/30(水) 18:35
>>219-221の文は、
「新約聖書が史実であると仮定した場合」の
科学は信じるけど奇跡や神は信じない現代人の一般的な受け取り方だと思うな。
そういう意味では非常に興味深い。
それにしてもこれだけの長文書くの大変だっただろうね(笑)
(
>>223の「イエスは日本で死んだ」説はハァ?だけど(笑))
230 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 18:42
>>229 どこかの本の受け売りですよ。うちにもそのたぐいのトンデモがあるので
わかるんだけど、史実と一見誰もが考えそうなことと、大嘘がたくみに
ミックスされているんですね。それがトンデモ本の巧妙さ。
231 :
名無しさん:2001/05/30(水) 18:53
トンデモといえば、うちの近所の某村では、来週の日曜、
キリスト祭りを挙行します。
キリストの墓の前で、村に伝わるナニャドヤラ踊りを踊っ
て、霊を慰めるそうな(w
232 :
革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 18:58
>>230 どこかの本のパクリじゃない。
この板で十字架の意義やキリストの思惑について様々な意見が出ているのを見て刺激を受け、
だったら『そもそもキリストが神の子ではなく人間だったとしたら?』という視点で
自分なりに聖書を再解釈して書き上げた物だ。
こんなつたない文でも、削ったり、書き直したり、一時間もかけて推敲して
自分なりに精一杯考えて書いた文だ。
書く方は一時間でも読むのは1〜2分だろ?
トンデモ扱いしないで、せめてちゃんと呼んでくれ。
233 :
革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 18:59
× 呼んで
○ 読んで ・・・鬱。
234 :
ななし:2001/05/30(水) 19:11
>>132 そうです。
お疲れ様。書くのは難しく読んで批判するだけなら容易いのさ。
235 :
ななし:2001/05/30(水) 19:12
あ、232だった。スマソ。
236 :
革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 19:15
>>234 ありがとう。
やっぱり苦労して書いたからには多くの人に読んでもらいたい気持ちがある。
でも冷静に考えたら、
勝手に書いておいて何言ってんだと思われても仕方ないんだな。
こんなの出てきたら俺でも荒らしと思う。(w
237 :
Joy:2001/05/30(水) 19:18
238 :
革命の闘士・イエスとは:2001/05/30(水) 19:21
239 :
Joy:2001/05/30(水) 19:36
>>238 あ、ほんまや。すっかり勘違いしとったわ。
from (偽大阪人)
240 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 19:49
(誤)しとったわ→兵庫・三重などの関西弁(真性大阪人)
(正)してたやん・してたわ・してましたわ
241 :
名無しさん:2001/05/30(水) 19:50
奥が深いな関西弁
242 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 21:45
イエスの十字架が救いってどういう意味で言ってるの?
イエスは現世での幸福は保証しなかったでしょう?
それは後の世で・・ってこと?救いってそういうことなの?
それからイエスが十字架にかからなかったら、キリスト教は生まれなかったから
だからそれが救いなの?
243 :
よしふみ:2001/05/30(水) 21:51
イエスが十字架で殺されたのが人類の救いというのは、真実を語らなかったからなのです。
聖書には随所にイエスの言葉として「私は神の言われたことを語っている」というように、自分が語りたくても許されないものがあったことを言っている。
その真実を語ったら、人類の半分が裁きに遭っていたものを、語らなかったから裁かれるべき人が救われた.
でもそお付けは今回ってきています。
あの時悪人を始末していれば現在の混乱はなかった。
全ての人が救われるべきという意見で最後の審判が延期されたもののようです。
244 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 21:52
イエスって具体的にどんだけの拷問受けたわけ。
なんか当時磔刑で処刑された人たちは4日間は吊るされてたわけでしょ。
その点イエスはあっさり死ねてまだましだったのでは。
245 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 21:56
そうなんだよなぁ。
【全人類の罪を背負って】というには軽すぎる刑。
実感湧かないよなぁ。
246 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 21:57
十字架よりヨブの苦しみの方がキッツイよなぁ。
247 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 22:00
ヨブはキツイっすよねえ。
248 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 22:03
誰かが苦しんだからそれで「自分の」罪が解決する、というのは
単なる幻想だな。自分の罪を他人に背負わせたところで何の解決に
もならない。「自分の罪はあの人が背負ってくれた」などというの
は、自分の罪をごまかすための口実でしかないのだから。
249 :
よしふみ:2001/05/30(水) 22:05
苦しみと言う点ではイエスより苦しんでいる人は何人もいる
彼が天に愛されたのはその正しさ故なのです
だから誤ったものを信じるのはよくない
努力すれば努力したただけ地獄におちる
努力が報われるというのは当てはまらないのです
天の人を見る尺度は正しいか正しくないかであり苦しんだか苦しんでいないかではないのです
だからきびしいと言えばきびしいし
人間じゃないといえば人間じゃない
250 :
名無しさん:2001/05/30(水) 23:10
>イエスの十字架が救いってどういう意味で言ってるの?
>イエスは現世での幸福は保証しなかったでしょう?
弟子たちは、近い将来の「神の国」が来るとは思っていたろうが、、、
>それは後の世で・・ってこと?救いってそういうことなの?
神の国がこないと、真に救われないはず。ところが、キリスト教徒の中には、
現世幸福を願っている人も多い。現世の矛盾はおかしいとか、、、
そこが、理解できない。何を願って、キリスト教徒になっているのか。
251 :
名無しさん:2001/05/30(水) 23:32
>イエスの十字架は救いとなり得るか?
>十字架の死と復活がひとくくりで贖罪の完成だと思うが
本来、神の国がくるという救いと復活は、関係なかったと思うな。
神の国が来るとき、イエスの再臨もあるということではないか。
イエスが復活しても、救いとは関係ないと思うな。その時には、既に、
神の国が来ていて救われているはずだから。
252 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 23:36
>>250 現世幸福を願ってるキリスト教、というのが何かわかりませんが、
キリスト教では、人間には原罪があるのだから、どんなに現世幸福を願っても、
原罪だけは、消えないということです。
キリスト教徒にも、現世で心が救われる権利もあるし、死んで天国へ行かせてもらう
権利もあります。権利というのは変かもしれませんが。幸せに暮らしてもいいわけです。
全人類の原罪が全て許される時が、神の国が来る時と言われています。
253 :
Joy:2001/05/30(水) 23:37
242=244=245=246=247=248
一人何役してるつもりか知りませんが、下手な芝居は
やめましょうね。
254 :
250:2001/05/30(水) 23:40
>現世幸福を願ってるキリスト教、というのが何かわかりませんが、
たとえば、インド人の女の子が酷い目にあった。可哀相だ。神は何
もしてくれない、、、という人がいるということ。
255 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 23:52
>242=244=245=246=247=248
一人何役してるつもりか知りませんが、下手な芝居は
やめましょうね。
何言ってんの?しかも何の芝居なの。
まず、私は242、244、247ですがHNは「名無しさん@1周年」
で同じで自作自演でもなんでもない単なる連続書き込みです。
自分のレスにレスしてるわけでもない。
勝手な憶測でものをいわないでもらいたい。
256 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 23:57
はいはーい
なんかイタイ人がいるので
今回だけ特別に自己申告
>>246-247は俺でーす!
257 :
256:2001/05/30(水) 23:58
258 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 23:59
259 :
252ですが:2001/05/31(木) 00:11
>>254 キリスト教で、信仰が深い人は、その考えは持っていないはずなんですが・・・
神の業(ワザ)というのは、そんなに現世的なものと捉えてないです。
救ってください、と祈っても、あとは神の御心のままに、というのが
キリスト教の考えではないかと思います。
もし、結果が悪くても、人間にはわからないけれど、それが神が望んだ
良い結果だと思うわけです。
260 :
252ですが:2001/05/31(木) 00:20
>>254 よく、259の神に対して、無慈悲だ、神は全知全能じゃないじゃないか、と
怒る人がいますが、キリスト教徒は、主イエスを信じていることが基本の
考えだからで、信じてなければ、理解できない話かと思います。
信じていること自体から批判してもらわないと、なかなかその教義の是非について
一般の人に語るのは、難しいです。
261 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 00:35
>>254 なぜ信じてるかというと、みなさんが困った時に「神様、仏様助けて下さい」
と思って、何とかその場を切り抜けたという経験をした時、
そんなことは忘れてしまう人と、神様仏様のおかげだと、一瞬でも思ったり
する人がいると思うのですが、その一瞬をずっと長くしたようなものが
信仰だと思います。
たぶん、キリスト教に巡り合って、感謝することが多くなって、ますます信じる、
という循環かと思います。一般の人には、想像していただくしかありません。
262 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 01:12
>>259 それって単なる自己満足の世界になってる気がする。
「神さまのなさることはぜーんぶ正しいんだから」みたいな。
信仰してる人だけの世界だね。一般人には計り知れない。
263 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 01:16
>>262 一般人って誰のことだ?
[無宗教の人間=一般人=正しい]で、
しかも[自分=一般人=正しい]と思い込んでるイタイ馬鹿が約一名いるな。(プ
264 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 01:37
>>263 宗教を信じてるなら軽軽しくバカだなんだというな。
そっちのほうが痛いんだよ。
265 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 01:47
俺は浄土真宗だけど、別に熱心な信者ってわけじゃないんでね。(プ
266 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 01:49
その(プってのはやめてくれ。
267 :
名無し:2001/05/31(木) 01:57
(プとか(ワラとか、たいしたことでもないのに、
挑発してる君は、いくら立派なことを言っても
人間性が知れてしまうぞ。
268 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 02:01
いや人間性は小さいけど、なんかやじゃんさ・・。
269 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 12:20
>>260 「よく怒る人がいますが」っていうか、いえ・・それが普通の感覚なんじゃないでしょうか。
怒らないことが悟ってるとかそういうことじゃないと思います。
あなたが十字架に磔にされた時、3日も太陽に焼かれながら血の匂いをかいだハゲタカに蝕まれていくとします。
その時「神よ、どうして私をお見捨てになったのですか」
というのが人間刹那の叫びでしょう。
イエスですらもそうだったのに、あなた達だけは違うということはない。
ただ、傍観者だけが「神さまのなさることはわからないのです。」と言いえるだけでしょう。
当事者でなければわからないものです。
270 :
名無しさん@1周年:2001/05/31(木) 12:25
>>267 (プも(藁も2chじゃよく使われるからいちいち腹たててたらやってけないよ。
>あなたが十字架に磔にされた時、3日も太陽に焼かれながら血の匂いをかいだ
>ハゲタカに蝕まれていくとします。
安息日前だったので、十字架から降ろされて、犬に喰われたという可能性も大きい。
272 :
無神論者:2001/05/31(木) 19:50
十字架で殺されたのが救いって、同じ救うにしてもなんでそんな鬱な方法とるのよ>神
もっと他にやりかたはないのか。お前が姿を見せれば一発だろ。
273 :
名無しさん@1周年 :2001/05/31(木) 20:20
>>271 でも十字架刑って普通3・4日かけてカラスとかハゲタカに食われて死ぬんでしょ?
>>272 そうだよね。「神はその一人子を使わすほど世を愛してくださった」
とかいってそんなに愛してるなら自分がくればいいだろってかんじ。
>でも十字架刑って普通3・4日かけてカラスとかハゲタカに食われて死ぬんでしょ?
そうです。
275 :
紙:2001/05/31(木) 21:14
神がキリストを送りこむ>十字架に架ける>それが救い
つまり神のジサクジエン。神は2chネラー。
276 :
考えない名無しさん:2001/06/01(金) 01:06
このレスを見ていると、キリスト教はインチキ教であることが良く分かる。
ああでもない、こうでもないと2千年。今でも言葉遊びに夢中である。
組織というものは、大きくなると頭の良い学者をいっぱい集めて、人々を
信じ込ませるように、洗脳して、信者を増やすためにいろいろと教義を考え
出す。
これはどんな宗教も皆同じ。キリスト教もイスラム教も、みんな誇張した作り話。
その話しを頭から信じて得意になっている。
プ、どころか、ワラどころか、何と表現したらよいか分からないほど可笑しいことだ。
紙も何も無いときの話だ。紙が出来てから何回も書きたし、書き直した話しだ。
日本の新興宗教のおふでさきや大本のほうがよっぽど信用出来る。紙があって実際に
本人が書いている。
創価学会も組織的に素晴らしい頭脳の持ち主を一杯集めていろいろと教義を作って
いるが、何百年後に君むたちと同じように信者とアンチ信者が議論を重ねることだろう。
前に誰か言ってたイエスのことの方がよっぽど真実に近いかもしれない。
イエスが大阪に行った後、どうしたのか、是非知りたいものである。
277 :
名無しさん@1周年:2001/06/01(金) 03:06
278 :
名無の名無し:2001/06/01(金) 13:46
>277
クサーイ屁すんなよな。
お前いつも屁ばっかりたれて、臭いから消えろ。
279 :
○子:2001/06/01(金) 16:21
みんな、真実を知らないからな〜(藁)。
280 :
S:2001/06/01(金) 21:07
十字架にかけられ殺されたってのが、何で救いになるのかそもそも良く分からん。
どうこじつけたらそう言う風になるんだ?
281 :
名無し:2001/06/01(金) 21:16
>十字架にかけられ殺されたってのが、何で救いになるのかそもそも良く分からん。
贖罪っていうのは、多分イエスに本当に従った弟子達の間から
生まれた思想だと思うけど、おそらく元々は自分達の身代わりになって
死んでくれたというリアルな反省があったんだろうね。
いつのまにか抽象的な内容に摩り替わってしまったけどさ。
282 :
S:2001/06/01(金) 21:55
自分たちが見殺しにした罪の意識から....ですか。
そう考えれば復活したって話も弟子たちの責任のがれともとれるな。
死んだんじゃないよ、復活したんだよ、だからオレたちは悪くないよってか。
283 :
○子:2001/06/01(金) 23:08
>十字架にかけられ殺されたってのが、何で救いになるのかそもそも良く分からん。
一応、ヨハネには、自分が氏んだらメシアが来るという、イエスの話がある。あいつ、
ドキュンだから、これは本当らしい。
贖罪っていうのは、身代わりというよりは、清さの霊(聖霊)が与えられたことに
対する弟子達の解釈からきたものでしょ。罪が消えて、清くなったのは何故と考え
たんだよ。
復活は、復活しなければ、イエスの魂が地獄をさまようことになり、再臨出来なく
なるという、僕ら、古代人の発想からきたものなんだよ。
284 :
名無しさんが・・・:2001/06/02(土) 00:14
AGE
285 :
Joy:2001/06/02(土) 09:00
242=244=245=246=247=248 では無いということに
しときましょ。
短時間の間にこんだけ、同じような思想の書き込みがあって、そうじゃない
という方が難しいけどねえ。
286 :
名無しさん@1周年:2001/06/02(土) 13:02
>>285 自分の意見が特異で、一般の意見とはズレてる事を信じたがらない可哀想なひと。
287 :
名無しさん@1周年:2001/06/02(土) 13:18
>>285 私は242ですけどあなたちょっとわかってない人のようだから教えましょう。
普通自作自演するときはかえって時間ずらすもんですよ。
あなたのように短絡的に考える人がいるから。
しかもあんな無意味な独り言のような意見で誰かへの反論、罵りでもなんでもないこと自作してどうすんの。
同じような「思想」っていうほどのことじゃないでしょ。普通誰でも考えますよ。
たとえば、286と私が同じ人物って疑うならわかる。違いますが。
まあ、わかる人がみればわかるでしょ。
288 :
248:2001/06/02(土) 15:06
>>285 253はあほらしくて無視していたけど、まだこんな事書くんなら一言。
少なくとも私の書き込みは私は
>>248 だけだよ。
私は、「罪」というものは本質的に「自らの」問題だと思う。それは
「他人が」苦しんだから、それで「解決」されるもんじゃない。他人が
苦しんだり他人に赦されたりして解決されるような「罪」は、「自分の」
罪ではなく他人の罪でしかないのだから。自分の罪からは、自ら解決し
自らを赦せる、と自分で納得できた時に救われる。赦しを請うのであれば、
その相手は神ではなく罪を犯した相手、あるいは自らの心だ。
もちろん、神に対して罪を犯した、というのであれば神を信じれば良い
だろう。しかし、それで救われるのは「神との関係において」生じた罪だ
けだ。「人の世の」あるいは「自らの行い・思い」としての罪は、十字架
では救われないし、十字架や神が救ってくれる、などという幻想でごまか
さず自分で向きあうべきだろう。
289 :
〇子:2001/06/02(土) 15:40
自作自演なら、昔、よく書いたものだったな。
ハダカで、亜麻布かぶったりして、、、
今じゃあ、みんなやってんだな。
290 :
Joy:2001/06/02(土) 16:47
>>286-288
わかりました。私の先走りでした。
291 :
名無し:2001/06/04(月) 00:39
age
292 :
名無しさん@1周年:2001/06/04(月) 00:40
>>288 神と向き合うことが、そのまま自分と向き合うことになるんじゃないの?
294 :
オルカ:2001/06/04(月) 02:22
私は、どの宗教にも属していませんが、いくつかの宗教団体と接触して
感じた事があります。
それは、「何かを信じる力」と「一心に願う力」は強いと言う事です。
お百度参りや願掛けと同じように不安な気持ちを安らげてくれる意味で
イエス様や十字架は効果が有ると思います。
イエス様や十字架にお祈りする事で精神的な安定が得られるのなら
安定薬で治療するよりは身体に良いのではないでしょうか?
イエス様や十字架と言う具体的な人物やアイテムを使う事で子供にも
分かり易いですし、聖書を読む事で教養(英語など話せるが読み書きが
出来ない)も身に付きます。
そう言う意味では、2000年以上(これからも)も多くの人々を
勇気づけているイエス様のカリスマ性は素晴らしい事ですし、
十字架に張り付けになられた事でカリスマ性が増したのであれば
やはり多くの人々を救っているのではないでしょうか?
キリスト教の教えや聖書の内容が正しいと思う人には、それが真実であり
嘘臭いとか偽りと思う人には、真実ではないのです。
(私は、聖書を詩の様に感じましたが・・・)
本来、不安な気持ちやちょっとした罪悪感などは自ら乗越えなければ
いけないのでしょうが、人々全てがそんなに強い心を持っているわけでは
ないのですから・・・
295 :
名無し:2001/06/04(月) 04:30
>2000年以上(これからも)も多くの人々を 勇気づけているイエス様の
>カリスマ性は素晴らしい事ですし
イエスが生まれたのをBC8〜AD1とし、イエスの宣教開始をAD25以降とすると、
イエスは、宣教開始後、高々、1976年しか教えていない。
12歳の少年の時からとして、20年を加えても、1996年にしかならない。
さては、生まれたときから、既に、人々を勇気ずけていたのかな?
さすがは、イエスだ、、、
296 :
名無しさん@1周年:2001/06/04(月) 05:16
>>295 そういう小賢しい屁理屈が一番嫌いです。
297 :
Joy:2001/06/04(月) 06:29
イエスキリストの誕生そのものが、私たちの罪のために受肉したと
考えます。ですから、生まれたときから勇気ずけでよろしいでしょうね。
298 :
L:2001/06/04(月) 09:41
神はなんで人間すべての罪をたったひとりに背負わせたんすかね。
299 :
名無しさん@1周年:2001/06/04(月) 12:25
>>298 正統キリスト教ではキリストは人間ではなく神と考えます。
昔から神は人間に神と共に生きるよう伝えてきたが、人間はいっこうに不品行を改めようとしない。
それは一般の人間にとって裁きの神が畏れ多く、自分達には遠く、偉大すぎたためです。
そこで神は人間をあわれに思い、本来いと高き永遠の存在である神が、
わざわざ肉の体をまとって人間世界にあらわれ、人間の言葉で神の愛を教え伝えた。
これが「受肉」です。
300 :
299さん訂正:2001/06/04(月) 12:32
(誤)正統キリスト教ではキリストは「人間ではなく神」と考えます。
(正)正統キリスト教ではキリストは「人間であり神である」と考えます。
301 :
参禅者:2001/06/04(月) 12:54
>>283 >贖罪っていうのは、身代わりというよりは、清さの霊(聖霊)が与えられたことに
>対する弟子達の解釈からきたものでしょ。罪が消えて、清くなったのは何故と考え
>たんだよ。
これは面白いと思った。実は、禅でも同じことを教えているから。他人と争って
自分の利益を独占しようとする心から、すべての罪が出てくると思うんですが、
禅では「それは自分のようで、本当の自分ではない」とし、座禅で徹底的に「仮
の自分」を壊すのです。すると、「本来の自分」、自他の別もなく、他人を争って
罪を重ねるような愚行もやらない、実に素晴らしい自分とご対面できると言います。
これを、「見性」と呼び、俗にいう「悟りを開いた状態」です。この時の感動を
記した語録などが残されているのですが、「一度の悟りによって、これまでの罪障
が雲のように消えた」という表現を書いている人が多いのです。
仏教的には、「仮の自分」によって一種の夢遊病状態でやったことですから、罪障
そのものが実在しないのです。夢の中で人を殺し、それを悩んでいるような状態で
す。だから、「見性」して夢から覚めれば、夢の中で犯した罪もすべて消える、と
いうことだと思います。ちょうど、精神障害者が犯罪を犯しても、罪に問わないの
とよく似ています。
キリスト教では、先に「神」を仮定するため、仏教的に「罪は元からない」と
考えるのが難しく、「聖霊によって罪を拭われた」と表現したのでしょう。
302 :
参禅者:2001/06/04(月) 13:07
ついでに私見を。
「キリストの贖罪」と、浄土宗などの「阿弥陀如来による救い」は非常によく似てい
るのですが、いずれも一種の方便ではないか、と思うのです(禅から見たらの話で
すけど)。
今、高熱にうなされて、人を殺してしまった幻影に怯える人があるとします。その
人にいくら「それは単なるあなたの幻影なんだよ」と諭しても、病人には通用しない
でしょう。むしろ「ああ、あなたが殺した人は、ちゃんとイエス様が救われました。
あなたの罪もまた拭われました」と方便を使った方が通じやすいでしょう。また、
福音書全体に一貫して流れる思想は「汝の敵をも愛せ」ですが、「イエス様(阿弥陀
如来でも同じですが)が、とうてい払いきれない自分の借金を許してくださった」
という感激があれば、他人にある小額の借金(他人から受けた損害に対する怨み)を
笑って許すのは簡単になるでしょう。
禅から見ると、「罪を許された」というのは副産物にすぎず、その人が悟りを開いて
罪を犯さない自分に目覚めることが主目的です。聖書の聖句をいろいろと解釈して、
キリストの贖罪を正当化しても意味がないと思います。むしろ、本当に罪から自由に
なった人なら、仮に過去の罪が許されなかったとしても、全く意に介さないでしょう。
303 :
参禅者:2001/06/04(月) 13:27
調子に乗って、もうひとつ問題提起を。
人間が「知恵の木の実」をカジって、楽園を追放されたいわゆる「原罪」の原因は、
「神が食べてはならぬと禁じた木の実を盗んだ」こと、それだけです。もし、神が
禁じるのを忘れていて、二人がそれを口にしたなら、それは単なる事故であって、
罪には問われません。二人を罪を犯させたのは、木の実ではなく、それをかじった
歯でもなく、味わった舌でもない。神のいいつけに背いて食べているという、良心
の咎めによって、彼らは罪を犯したのです。
彼らが神と一体で、神の与えたものだけを食べていた時代には、「本来の自分」しか
ない状態でした。彼らは、蛇の誘惑によって「自分」が神と同等に知恵を持つために
神を裏切ったのです。その「自分」が実は実態のない「仮の自分」であることに気が
つかずに。彼らを天国から追放したものは、彼らが勝手に作り上げた「仮の自分」で
あったのです。そして、「仮の自分」を自分だと信じて、神から離れていった。
304 :
名無しさん@1周年:2001/06/04(月) 13:39
>>298 罪をたった一人に背負わせたかもしれないけど
苦しみをたった一人に背負わせたわけではないから
その「罪を背負って」ということがいまいちよくわからないな。
305 :
陰陽道:2001/06/04(月) 17:51
「仮」「本物」まことしやか。
トータルで自分です。それが実体です。
「仮」「本物」はグノーシス(霊肉二言論、仮現論)そのもの。
306 :
参禅者:2001/06/04(月) 20:27
>305
再度、問題提起。
性欲は、人間の持つ本能の中でも最も強いものですが、これは肉体にあるのか、
精神にあるのか?死後、肉体が分解しても性欲は残るのか?もし残るとすれば、
それは何のためにか?
もし、性欲が肉体のもので精神のものでないなら、死後、なぜ精神が性欲によって
生じた不祥事の責任を負わねばならないのか?精神に性欲がないのなら、罰しても
学習効果は得られない。赤子の頃のおねしょの責任を大人に取らせるような話にな
る。
307 :
Joy:2001/06/04(月) 20:37
||
Λ||Λ
( / ⌒ヽ
| | |
∪ 亅|
| | |
∪∪
:
:
‐ニ三ニ‐
308 :
名無しさん@1周年:2001/06/04(月) 21:34
>>307 君、他人の名前つかってそういうことするんじゃないよ。
幼稚。
309 :
Z:2001/06/04(月) 22:45
>>306 死んで肉体が無くなったらホルモン分泌も当然なくなちゃうから性欲もなくなるんじゃない?
つーか性器自体も無いんだし。性欲だけあっても意味がネエと思う。
310 :
0:2001/06/04(月) 22:48
>>306 肉体が無くなったら精神も一緒に無くなるのでノーブロブレム。
もし死語も精神がのこるのなら脳という器官はただのお飾り。
311 :
オルカ:2001/06/05(火) 07:19
>>306 參弾者さんへ
性欲も食欲も肉体が有るからだけど、それを精神(理性)で押さえるのが
人間ではないでしょうか? 肉体が有る時に女の子に悪い事をしたら
やっぱり精神がしっかりしていなかったからじゃないかなぁ
私は綿アメが好きなんだけど夜店で綿アメ食べて身体が勝手に食べました
って言う分けにはいかないでしょうね。
#でも、TVで悪い事をした子供に「誰がやったの?」ってお母さんが
#聞いたら子供が「手がやった」って言ったのは可愛かったけど・・・
それと遅いお返事でごめんなさい。
宗教って色々有るけれど何だか似た所が有りますよね
的外れだと思うけど例えばイエス様が復活したとして、中国や日本、インド
などに現れたとしたら、呼び方は、ブッダ様とか正徳太子様とかお名前が
変わっているのではないかなって思うんです。
某教会の人に尋ねたら分からないって言われましたけど・・・
312 :
ななしそ:2001/06/05(火) 09:12
ここのところずっと忙しくてROMばかりしてた。
亀レスで恐縮だが僕は
>>288さんに同意。「罪」は自分の責任だと思う。
ちょっと忙しいので短い文で失礼。
313 :
参禅者:2001/06/05(火) 09:21
>309-311
RESをどうもです。
性欲も食欲も、肉体の維持のためにあるので、死んで肉体が滅びれば、
その必要はなくなる、ということで共通の見解に至ったようです。
精神の追うべき責任としては、オルカさんがご指摘のように、せいぜい
肉体に対する「監督義務」ですね。確かに、肉体を野放しにした結果、
他人を傷つけたりした場合には、精神が負うべき責任が出てくるように
思いますが、それを罰するにはどうすればいいでしょう。鞭打っても
死刑にしても、それは肉体に対する制裁です。やはり、精神の制裁とは、
本人の心からの「悔い改め」しかありえないと思います。
仮に、死後残るのが精神の部分ならば、大事なことは肉体的な制裁を
行うことではなくて、ひとつひとつの罪について「悔い改める」ことだ
と思うのです。
なぜ、こんな問題提起をしたかと言いますと、キリスト教の「原罪」に
疑問を持っているからです。「原罪」は多くの場合、性的禁欲と重ねて語ら
れますが、肉体なき後、精神だけになった人に対して、神が「お前は生前に
肉体の管理責任を怠った」という既成事実だけで裁くとは思えないのです。
もし、その人が十分に「悔い改めて」いるなら、責めてもしかたがない。
肉体はすでにないのですから。
イエスとパリサイ人の違いとは、イエスは「悔い改めと許し」という精
神中心の教え、パリサイ人は「律法を守り通す」という肉体中心の教え
だと私は思っています。パウロ書簡、特に牧会書簡では、日常生活の心得
が重点を占めていますが、見ようによってはパリサイ人への逆戻りという
気がします。「原罪」もまた、そのひとつではないでしょうか。
314 :
あずみ:2001/06/05(火) 22:45
牧会書簡はパウロによって書かれたものではないというのが「定説」です。
315 :
Z:2001/06/05(火) 22:49
キリスト教には全然うといんですが、そもそも生殖行為なしには子孫を残せないように
人間を造っておいて、それを罪だというのはどうも納得がいかないですが。
316 :
名無しさん@1周年:2001/06/06(水) 00:04
>牧会書簡はパウロによって書かれたものではないというのが「定説」です。
では、聖典から、破棄しましょう。
317 :
>316:2001/06/06(水) 00:17
>>牧会書簡はパウロによって書かれたものではないというのが「定説」です。
>では、聖典から、破棄しましょう。
そして、何も残らなかった(藁藁藁人形)。
318 :
オルカ:2001/06/06(水) 17:26
>>315 Zさんへ
>生殖行為なしには子孫を残せないように人間を造っておいて、
>それを罪だというのはどうも納得がいかないですが。
私も納得が行きません。
子供が居なければ、その宗教を続ける人が居なくなってしまいます。
もしかしたら何かの誤解や当時の勢力者の陰謀が、ねじれたまま引き継が
れたのではないでしょうか?
例えば、宣教師や神父様や牧師様は、異性に接したりプライベートな
悩みごとの相談を受けます。 そんな時に間違いが起こらないように
するために特定の方のみに対しての規則の様なものでしたら理解できます。
間違いを起こさないように指導するのではなく、間違いが起きにくい環境を作っているのかな? ちょっと 中学校の校則みたいですけど・・・
陰謀としては、例えば、選ばれたものだけが許され好きにできる様な
仕組みにしたとか・・・これは悪い例ですね、ごめんなさい。
仕事でも自分が正しいと思う事をやりたかったら偉くなれって、踊る’刑事
ドラマでやっていましたが、偉い人は組織自体を善にでも悪にでもできるの
ですね。
宗教の事を全然知らないのに、こんなレスポンスをごめんなさい。
319 :
21世紀のチンチン・ルター:2001/06/06(水) 23:04
権威主義「定説」
320 :
参禅者:2001/06/07(木) 18:05
>320
みんな知ってるだろ。どっしらけ。
322 :
名無しさん@1周年:2001/06/09(土) 06:48
m
323 :
名無しさん@1周年 :2001/06/09(土) 09:33
>>315 結婚して、子供を産み育てることを「罪」と呼
ぶキリスト教会があるのならばそれは偽者とみなして
もかまいません。
324 :
p:2001/06/09(土) 11:44
だったら犬猫みたいに発情期以外はチンコ立たないように人間も造っとけ>神
325 :
>320:2001/06/09(土) 18:11
田川健三ですね。他にプロテスタントでは荒井ささぐ、八木誠一あたりは必読です。
カトリックでは、カール・ラーナー、日本では井上洋治・百瀬文晃も必読です。
その上で、イエスの十字架を議論しましょうね>おおる
326 :
オルカ:2001/06/09(土) 18:16
>>323 名無しさん@1周年さんへ
>
>>315 結婚して、子供を産み育てることを「罪」と呼
>ぶキリスト教会があるのならばそれは偽者とみなして
>もかまいません。
お話のに割り込んでごめんなさい。
私はキリスト教の事は良く知りませんが、子供を産み育てることは「罪」では
ないのですね
それなら納得できます。
キリスト教にも色々な宗派が有ると思いますが、私が見た映画に出て来る
キリスト教信者の女性は、結婚しないとか、娘を生んだ事は罪であり、
娘の事を悪魔だと言っていた事が凄く印象に残っていました。
ごく普通の家庭で家族全員がクリスチャンと言う設定の映画の方が多いとは
思いますが、やはりインパクトの強い所はいつまでも記憶に残ります。
2〜3の映画にそう言うシーンがあったと思いますがタイトルは覚えていま
せん。
327 :
C:2001/06/09(土) 22:52
<<326
1夫婦で生出し
2夫婦で否認
1は可、2は不可でしょうか。キリスト教会では。
328 :
オルカ:2001/06/10(日) 00:20
>>327 Cさんへ
お返事を有難うございます。
お返事の内容が少し分からないのですが、もしかしたら人口が過剰の国では
困った事になってしまうと言う事でしょうね(*^^*)
男の人も大変でしょうが、女の人も「いやいや」が出来ないのでしたら
男の人以上に大変です。
キリスト教とは直接は関係ないと思いますが・・・
そんなに昔から、そう言う道具があったんですか?
でも、キリスト教の教えに有ると言う事は、あったのでしょうね
ちょっとびっくりしました。
329 :
オルカ:2001/06/10(日) 01:19
>>1 ななしそさんへ
もう、お読みになられて居ないかもしれませんが、十字架のお話ですが
やっぱり結果的には必要だったのかもしれません。
女の人はウェディングドレスを着たいと思う人も多いでしょ?
神式も良いですが、仏式はちょっと・・・
#今、CDTVで結婚式で歌ってもらいたい曲順がありました。
#モー娘。のハッピーウェディング衣装も可愛いですけど・・・
330 :
名無しさん@1周年:2001/06/16(土) 04:32
_,,,,-‐―−--、,,_
,-―< ̄ 、‐z,‐、 `i_
/ , ヽ::. \i. ヘ ヽ
/ / , ヘ::. ヽ」 . |
/ /, , i ,、 ,、 : ヽ : . | ______________
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i| l:N|:l:::l/|、__|,, || i i i i : | <イエスが死んでも代わりはいるもの・・
| | >::|∧ |j > ||> i l | | l / \
//::::i:ノ /.|i: |: : | | / |/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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331 :
メンタイ:2001/06/16(土) 04:49
オルカって子、荒らしか。
頭いかれてんじゃないの。
>>331 あいつ、スレッドブルドーザー。
スレの雰囲気、ぶっ壊して駆け抜ける、スレッドブル。
通った跡は、残骸。ここも運が悪かったな。
333 :
名無しさん@1周年:2001/06/16(土) 05:12
>>332 そして「あずみ」はスレッドクラッシャー。
個人攻撃で人を徹底的に叩き人格まで否定する、スレクラ。
目をつけられたら最後、精神崩壊するまで食いついて離さない。
捕まった奴は運が悪かったな。
334 :
オルカ:2001/06/16(土) 05:14
あたし、なんにもわかんないの。ごめんなさい。許して。
ところで、キリストって、誰と結婚したのォ。
ごめんなさいね。知識がなくって。
でもどーしても聞きたかったの。
結婚式は、仏式だったのか神式だったのかってことを。
教会であげたことも考えられますよね。
# 私は教会で、ウエディングドレスだったの。
ごめんなさいね。許してね。なんにも知らないくて。
>>333 オルカ=スレブル
あずみ=スレクラ
いいねえ。逝かすじゃん。
このスレどうなったの。
いいスレだったのにね。
337 :
ななしそ:2001/06/16(土) 09:34
>>ALL
長い間ほっぽかしにしといてすみませんでした。「神との対話」などという本の
事をこの板で知って、それを読むまでの間ちょっと間を置いてました。忙しいと
いうのもあったんですが。
「神との対話」という本、一部ではトンデモ本といわれているようですが驚くほ
ど僕の考えに一致する。となると僕はトンデモな思想を持ち合わせていることに
なるが、言わせてもらおう。
キリスト教がそのままイエスの教えというわけではない。
もっと言わせてもらおう。キリスト教はただの宗教。教義を守る事と神の言葉を
守る事は同じではない。教義と神の言葉は必ずしも一致しない。
もう少しいいたいことがあるがまだちょっとはっきりしないのでとりあえずココ
まで
338 :
名無しさん@1周年:2001/06/16(土) 09:41
>>337 こうして
また一人トンデモ本に洗脳されたキティが生まれた。
339 :
ななしそ:2001/06/16(土) 12:14
340 :
オルカ:2001/06/16(土) 13:36
>>334 のオルカさんへ
私は
>>329 のオルカです。
私は人生で大切な事は、生まれる事、結婚する事、亡くなる事だと思います。
その大切な事を学んで心から、お祝やお見送りをするために教会が有ると思っています。
当然、大切な事を学んでいる時も教会の人達がお互いを支えあって行く事も必要と思います。
私は
>>294 でカリスマ性の事を書きましたが、人々を団結させるための要素として
昔は「奇跡で人々を癒された」だけでも充分だったのかもしれませんが、
科学が進歩して奇跡を信じない現代では「犠牲で人々を救われた」ことがカリスマ性を掻き立てている様に思います。
たとえ手作りでもいいのでお誕生日のお祝、結婚式、御葬式を心を込めて行ってくれる仲間が必要ではないでしょうか?
そう言う意味なんですよね? 334のオルカさん(笑)
>>340 スレッドブルドーザー!
あんたさあ、このスレッドの趣旨わかってんの?
ここを”冠婚葬祭”スレにするつもりか?
342 :
オルカ:2001/06/16(土) 14:46
ごめんなさい。そんなつもりじゃないんです。
何も知らなくて、勉強不足でお許しください。
それで、私の結婚式のことなんですけど、
プロテスタントの牧師先生にお願いしたら、快く引き受けて下さいました。
不思議なことがありました。私の持っている聖書から天使が3羽も飛んでいきました。
これは、神が私にプロテスタントの牧師先生と仲良くなるようにおっしゃっているの
かもしれませんね。
あくる日、連れ合いとお稲荷さんの前を通りかかると、モルモンの宣教師が私を
睨んでいる幻影が見えました。これは、悪い霊かもしれませんね。
#お水の花道のビデオを見ながらこれを書けるのはとっても嬉しいです。
#知識がなくてごめんなさい。でもあのドラマはほんとうに感動してます。
343 :
:2001/06/16(土) 14:49
オルカを追い出してくれ。頼む。キリスト系のスレがぐちゃぐちゃになる。
頭がいかれてる。新婚で、結婚式が自慢で、プロテスタントの牧師先生と親しくなり、
モルモンの英会話教室に通い、異常心理学の本を読んで世の中にカルトがあることを
初めて知り、神社で霊の不思議現象を体験、感動し、アンビリバボーに感動し、
ルパン3世に感動し、手の中でモルモン書の表紙が溶け、神の啓示を受けているくせに
無宗教だと言い、★スレの流れを無視して、知識もろくに持たずに、いきなり長文レスで入りこみ、
スレの住民の議論を中断し、スレの雰囲気をガタガタにぶっ壊し、来る人来る人に
幼稚なレスつけまくり、叩かれると謝りまくるくせに、すぐに再生し、再び★から始める。
知識がなくてごめんなさい?なら来るなよ!頭悪いくせにでしゃばりで、謙虚で人の言うことは
ハイハイ聞くくせに、横柄なくらい全く聞いてない。高速を40キロで走るヘタレドライバーか
おまえは。煽ってもよけるようなタマじゃない。平気な顔して走る走る。
頼むから躁鬱板へ逝ってくれ。限界だ、俺、もう鬱だ氏のう。
344 :
ななしそ:2001/06/16(土) 17:28
>>343 あなたとても辛そうだな。なんか読んでて心配になった。
だいじょうぶ、放っておけばやがて消えていくと思う
345 :
真実から逃れてはなりません。:2001/06/16(土) 17:29
あげ
a
348 :
名無しさん@1周年:2001/07/19(木) 09:39
g
349 :
ななしそ:2001/07/19(木) 10:38
ああ、なつかしいスレッドが・・・てっきり沈んで削除か倉庫行きだと思っていた
最近僕はまた考えが変わってきた「イエスの十字架は人類の罪の身代わりになった
かも知れず、それは信じる価値があると思うがそれ以降のパウロの神学はイエスの
言いたかったこととズレている所もある」
ぶりかえして迷惑かもしれないけどage
350 :
名無しさん@1周年:2001/07/20(金) 08:39
聖パトリックの祈り
キリスト、我の側にいたまえ、
キリスト、我の前にいたまえ、
キリスト、我の後ろにいたまえ、
我が心の神よ。
キリスト我の内にいたまえ、
キリスト我の下にいたまえ、
キリスト我の上にいたまえ、
永久に離れることなかれ。
352 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 09:15
パンの中に閉じ込められたイエス
353 :
それならまだ救いがあるが....:2001/07/30(月) 10:03
キリスト教徒の妄想によって永遠に磔にされたイエス
354 :
十字架刑の後は、禽獣の餌にされたイエス:
十字架に欠けられたことに救いはない
絶望だけだ