1 :
考えても無駄@名無し :
2001/05/08(火) 05:05 ジッドゥ・クリシュナムルティー jiddu krishnamurti 1895年5月、南インドのマドラス近郊に生まれる。14歳の時に、神智学協会の要人により<世界教師>の候補者として見出され、様々な教育を受けたのち、彼のために用意された<星の教団>の指導者となるが、「真理は道なき大地であり、どのような宗教宗派によっても近寄ることはできない」と宣言し、34歳でどう教団を解散。以後、数多くの講話・著作・対話を通じて、「人間をぜった的に、無条件に自由にすること」にその生涯を捧げた。1986年2月、90歳で逝去。 (「あなたは世界だ」星雲社 ¥1800ー巻末より引用) 死んだのはカルフォルニアで、である。 彼の著作はまだ一冊しか読んでいない。上記「あなたが世界だーYou are the world」 かつてなく平明で深遠な文章で、「無条件の精神」が描かれている。講演会の質疑応答形式なのだが、話・質疑が進むにつれて周囲の心が緩やかに静まっている感じがすごく伝わってくる。 宗教書や精神世界物の本でこういう感じは初めて。興奮することはあっても、ドンドン静かになっていくなんて・・・・。 一種ニヒリスティックにも読めるが、けして虚無ではなく葛藤のない心理状態=愛を語っている。。幸福とかという甘美さのかけらもない澄み切った口調。 そう感じました。 こんなクリシュナムルティーについて大いに語りましょう!
2 :
ななし :2001/05/08(火) 06:34
ムーミンにでていた「むだじゃむだじゃ」って分厚い本をみてるキャラいましたよね あのほんはクリシュナムルチーさんの著書だったのかも知れませんね。精神世界と言われる分野で唯一マトモに感じました。
3 :
守護の天使 :2001/05/08(火) 10:00
下記の書籍も素晴らしかったでした。みずみずしい感覚と飾らない美しさが感じられます。 これも少年の頃の著作だそうです。 「道を歩む」人だけでなく、一般生活においても充分参考になり、難しいテーマを感じさせない 親しみ安さも感じます。(本当は深いんでしょうけれども) 『大師のみ足のもとに』 クリシュナムルティ著 田中恵美子訳 出版元:神智学協会
4 :
名無し :2001/05/08(火) 14:47
原書で読まれた方、どれから読んだらよいかおすすめのものおしえてください。 彼の最後についてもしりたいです。 実際に彼とあった方おはなしきかせてください。
5 :
考えても無駄@名無し :2001/05/08(火) 14:54
>2 >ムーミンにでていた「むだじゃむだじゃ」って分厚い本をみてるキャラいましたよね >あのほんはクリシュナムルチーさんの著書だったのかも知れませんね。 あははは そうかもしれないですね。もちろんクリシュナムルティが「なにごともむだ」とはいいそうにありませんが、 カリカチュアライズされたクリシュナムルティー像はまさしくニヒリスト。 あのキャラの風貌もなんとなく似てますよね。 >守護の天使さん その本はまだ彼が<星の教団>を指導していた時のものでしょうか? 神智学協会が出版元になっているものですから。 もしそうなら、教団解散までの彼が見れそうで興味深いですね。 彼は「規律」という言葉で「学び」を表現していますが、どうして「規律」という言葉を選んだんでしょうね〜。
6 :
名無し :2001/05/08(火) 15:02
クリシュナムルテイのいってたOTHERNESS体験って、日本の親鸞の到達した他力本願の境地とにてませんか? もちろん形式やプロセスぬきでみてですけれど・・・・
>>5 考えても無駄@名無し さんへ
『大師のみ足のもとに』は 始め は1910年12月に出版されました。
クリシュナムルティが16歳のころのもののようです。
そうして星の教団は1911年の春に結成されたようです。
クリシュナムルティの世界 大野純一編訳 コスモス・ライブラリー P60 より
>>4 青山でクリシュナムルティーの勉強会みたいなのを主宰している 高橋さんという方がKとほんの少しだけ会ったことがあるそうですよ。 数年前、何度か行ったことがありますが、 勉強会と言っても別に堅苦しいものではなく、クリシュナムルティのビデオを 見て感想を話し合ったりするような感じの会合です。 (今でもやってるのかは? ですが) 連絡先は、確かクリシュナムルティの伝記に後書きにあったと思います。
9 :
考えても無駄@名無し :2001/05/09(水) 00:44
>>8 クリシュナムルティ・センター(高橋重敏主宰)
〒107−0061
東京都港区北青山1−2−6
03−3423−6664
日本におけるクリシュナムルティ紹介の正式窓口として、隔月で「クリシュナムルティの言葉」を刊行してる他、読書会、ビデオ上映会、書籍・ビデオ販売、イギリス、アメリカ及びインドにあるクリシュナムルティ学校についての案内などをおこなっている。
「クリシュナムルティの教育・人性論ー心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性」巻末より
200年11月11日発行
とあるのでたぶんいまもやっているんでしょうね。
>>7
Mさん情報ありがとう。星の教団ができる前の彼の著作なんですね。それも興味深いですね。
彼を語る時、素人ながら思うのは、
○星の教団設立以前の世界教師としての教育を受けていた期間
○教団指導をしていた期間
○そして教団解散後の活動期間
○最後に死を目前としたころの彼の発言
と4つに分けて、どういう変遷をたどったのか調べてみたいな〜〜。
どうして彼が神智学要人の眼に止まったのか、そして他にも世界教師の候補者がいたのに彼が選ばれたのか?
誰がどういう基準でどのような手順で選んだのか?その他の候補者だった彼の同級生(?)はその後どうなったのか・・・・・・・
すごく知りたいな〜〜〜。
誰か詳しい人いますか?本来そういうのは彼の追求してきたものとは関係ないんですけどね。でも、知りたい!
10 :
W :2001/05/09(水) 04:41
ご存知かも知れませんが、信頼できる彼の他伝として『クリシュナムルティ 目覚めの時代』(メアリー・ルティエンス著、高橋重敏訳)があると思います。 彼の前半生38年について近親者によってかかれており読み応えがあります。 9さんの知的欲求も満たしてくれることとおもいます。 1920年代カリフォルニア州オハイでの有名な霊的体験についても詳述されており 興味深いです。 つい先日、上述のオハイを訪れました。クリシュナムルティ財団の敷地の 中にいまでも彼の自宅がひっそりとのこされており、財団の女性に案内を受けた のですが、ここが彼がなくなった場所ですよ、と聞いたときは少し感動いたしま した。財団の敷地内は彼の『最後の日記』の描写どおり、小動物が時折顔をのぞ かせるようなオレンジ畑が丘一面に広がっており、非常に美しく静かな場所でし た。おすすめいたします。
11 :
4 :2001/05/09(水) 05:26
みなさん、ありがとう。
12 :
O :2001/05/09(水) 05:55
いいスレですね。こんな感じで穏やかに行きたいものです。 基本ですが「自我の終焉」(篠崎書院)はいい本です。何度読んでも その度に、新たな気づきを得られる本ですね。一気に読むのは疲れ ますが・・。彼のエッセンスという気がします。 「私は何も信じない」(コスモスライブラリー)も対話集として結構 好きです。常に対話者に誠実に応じている様子がうかがえ、実際に 目の前で聞いてるような緊迫感もあります。おすすめです。
13 :
M :2001/05/09(水) 07:22
14 :
守護の天使 :2001/05/09(水) 13:14
>>5 考えても無駄さん
>彼は「規律」という言葉で「学び」を表現していますが、どうして「規律」という言葉を選んだんでしょうね〜。
原典を見てないので、憶測ですが「規律」=弟子の道と考えたのでしょう。
真実を知る人、未だ知らない人で大師の弟子とそうでない人を分けるとしたら、著作は神の経綸にある程度触れた人を
想定して書かれているような何ヶ所の記述が見られます。
彼の所属していた宗教環境を考えるとやはり戒律までは行かなくても、経綸に沿って学ぶ以上の何かの実践
に熱心に取り組む人たちを考えに入れていたのでしょうね。そうすると学びの殿堂ではなく、何らかの請願を
立て叡智への殿堂入りを希望する人々に呼びかけていたのかも知れません。
(三つの殿堂は後から考えたこじつけです。そのころは無かったかも(^^))
15 :
考えても無駄@名無し :2001/05/09(水) 15:54
>>10 >ご存知かも知れませんが、信頼できる彼の他伝として『クリシュナムルティ
>目覚めの時代』(メアリー・ルティエンス著、高橋重敏訳)があると思います。
わたし本当に名前と噂ばっかりの情報しかない、クリシュナムルティ初心者なんです。ホントうれしくなるような情報です(^0^)
もう少し彼自身の著作(もち翻訳本)を読んで、自分なりのクリシュナムルティー観をまとめてから、取り掛かるつもりです。
わたしも「思考の奴隷」になりたがりですから、慎重にとりくんでみます(^^)
>>12 >基本ですが「自我の終焉」(篠崎書院)はいい本です。
>「私は何も信じない」(コスモスライブラリー)も対話集として結構好きです。
う〜ん、すでにタイトルからして期待させるものがありますよね〜。
「哲学もどき屋」のスノッブなボクは、ニーチェやショウペンハウエル(の解説本^^;)でニヒリズムにある種の可能性みたいなものを予感してきました。
でも難しすぎるのと、自分にどう関係があるのかよくわからない仕舞いで先に進めず(泣)
ニヒリズムに期待したのは、自己の解体の先に行き着くものが見れそうに思ったからです。
特にネットワーク型の社会になりつつある今、いやでも我々の自我がどうなっていくのか?たぶん教化/強化されていくのでしょう。
でもそもそも自我なんてあるのか?ナ〜ンテ、スノッブな興味が湧きます。
>>14 なるほどです。たしかに規律は弟子という英語と同じスペル(discipline)ですもんね〜(ですよね?)。
「学び」はたぶん「awaness」で、「気づき」のことだと思います。
なんかわたし、自然に興奮してきてしまったぞ(笑)クールダウンしよ(^^)
16 :
守護の天使 :2001/05/09(水) 16:40
>>15 考えても無駄さんはI AM THAT I AMに凄く近いのだと思います。
一般論として、なまじ宗教や神を信じるとそれが、自我の溶解の妨げになります。
勿論神を否定しているのではないですが、無思慮に肯定も危険ですよね。
何何に於ける主義的なものは、終焉させねばいけません(^^)
自我は無いのだが、自我はある、ある程度嘘つきを許容しなければ…
17 :
考えても無駄@名無し :2001/05/09(水) 21:11
世界教師の候補として神智学に選ばれた子どもは九人いました。 その中で一番有力とされたジッドゥ・クリシュナムルティの弟のニティヤは 成人前に死んでしまいます。クリシュナムルティが生涯、神智学に反感を 抱くのも兄弟の死を恨みに思っていたからという見方が有力です。 クリシュナムルティの著作権を管理していた団体の長だったラージャ・ゴパル も九人の子どもの一人でした。彼は後にクリシュナムルティと対立し、著作権 を自らのものとした上で、クリシュナムルティと決別します。 ルドルフ・シュタイナーが、神智学と決別して、ドイツで別個に人智学を おこすのは、世界教師にクリシュナムルティが選ばれたことへの不満から です。シュタイナー自身が、世界教師として、神智学に指名されることを 期待していたのに、クリシュナムルティに横取りされてしまったと考えた ようです。
18 :
考えても無駄@名無し :2001/05/09(水) 21:56
>>16 >考えても無駄さんはI AM THAT I AMに凄く近いのだと思います。
デへ(^^;)「I AM THAT I AM」ってかっこいいね〜〜。クリシュナムルティの言葉?「わたしはわたしであるところのものだ」って意味かな?そうだとするとココに知的(^^;)な関心が行く、俗物的なわ・た・しーp。哲学板にあった永井均スレッドを思い出します。つまり、独我論(自己について言及すること)とはトートロジーなのだ、と。論理的にはA=Aといっているわけですから、「意味ないじゃん」です。何もいっていないということです。
さて、クリシュナムルティは意味のあることを言っていたんでしょうか?それとも「意味そのものがない」といっていたんでしょうか?ではそういっている「I=クリシュナムルティ」って・・・・・。
難解な数式を解くような知的興奮と、それとは正反対にI(私)とI(私)とがTHAT(それ)を挟んで向き合っている統語的な美しさに魅入ってしまいそうになる感じがある。
こういうところにも彼の「注意深さ」と人を惹きつける魅力を感じてしまいますね。
たぶん原書(英語?)を母語として読める人は、こういう活字の列にちりばめられた、彼の詩人ぶり、センスを味わえるんだろうな〜〜〜。うらやましい〜〜〜〜〜。
くやしいから
>財団の敷地内は彼の『最後の日記』の描写どおり、小動物が時折顔をのぞかせるようなオレンジ畑が丘一面に広がっており、非常に美しく静かな場所でし
>た。
この名文を繰り返し読んで、クリシュナムルティの残り香を味わおう・・・
これじゃますます彼のメッセージとは反対に思考に囚われていく〜〜〜〜。
19 :
考えても無駄@名無し :2001/05/09(水) 22:09
>>17 HNがかぶってま〜す。
9人の世界教師候補者の中にあのシュタイナーまでいたとは。あまりシュタイナーには興味ないんですけど、驚き。
他にも9人の中に20世紀の神秘主義有名人がぞろぞろいたのかな?
#クリシュナムルティには「神秘主義」を感じないんだよな〜〜。詩人か哲人だね、印象は。
連続レスごめん>ALL
20 :
M :2001/05/10(木) 20:58
>>17 >世界教師の候補として神智学に選ばれた子どもは九人いました
というのはどこからの情報ですか?
21 :
17 :2001/05/10(木) 21:38
>>20 ANNIE BESANT ed.
"THE THEOSOPHIST"年報
22 :
:2001/05/11(金) 02:53
クリシュナムルティが世界教師の器と認められた経緯について。 一般的にはレッドビーターが霊視能力によって見いだしたとされている。 その事も事実だろうが、アニー・ベザントが果たした役割も大きかった。 彼女はチベットのある秘教サークルと親密な関わりのあったスワミ・ヴィシュッダナンダ と交際していたが、その際ある時点で彼にお墨付きをもらったのが決定打になったという。 スワミ・ヴィシュッダナンダはかなりの霊能力者として有名だったが「奇跡」を人に 見せたりしていたので、ヨガナンダのように彼に対して否定的な見解を持つ者は多かった。 しかしチベット密教最高秘伝の一つである時輪密教の奥伝を知っていたと思われる。 ヴィシュッダナンダの弟子のゴピナト・カヴィラジの弟子であった学者ジャガンナト ・ウパディヤヤは弥勒降臨予言について記してあるA.D.600〜900頃のチベット密教 の聖典を研究していたが、その中に弥勒が降臨する人物の名はクリシュナムルティであると チベット語の音表記で記されていたという。 私の想像だが、きっとその聖典はヴィシュッダナンダから授けられたものだろう。 その聖典は今もウパディヤヤの弟子か家族が大切に保管していると思われる。是非観てみたいものだ。
23 :
トパトパ :2001/05/11(金) 03:24
>>19 >#クリシュナムルティには「神秘主義」を感じないんだよな〜〜。
私もそんな印象でした。なんか「神秘主義」みたいなものは鼻から否定しているような感じ。
でもこんなことも言ってるんですよね。意外意外。
「世の中には様々な秘教主義社会があり、様々な秘教主義的修行方法がある。その内の
幾つかの集団においては、それに属している者がある段階に至ると達人の直弟子とされる。
そうなると達人はその弟子を守るために弟子の全ての思考、感情、行為がその中に映し出される
ようなイメージ(想念形態)を作り上げる。」
24 :
M :2001/05/11(金) 07:10
25 :
守護の天使 :2001/05/11(金) 15:51
>>17 考えても無駄さん
ニティヤの件は知りませんでした。
☆の教団からの離脱は彼自身の"自我の放棄"によるものと思っていましたので。
つまり、弟子による霊的地位の或いは権力地位の放棄という実践を自ら行った。
こういう風に考えるのは、少し美化しすぎだったかもしれません。(^^;
しかしながら、ブラバッキー以降のメンバーの中で彼のシンプルな美しさはやはり
異色です。それであるものを語る時、相当な人格者でさえ自我の支点を抜きに話し
はできないようです。彼の場合、非常にダイレクトというかある透明なプリズムを
通した虹を見るような感があります。それでいて個性がないかというと充分個性的
なので不思議です。悟性という点ではブラバッキーは強烈な意思の個性を感じさせた、
そしてクリシュナムルティは叡智という点でやはり深遠な個性を感じさせる。
26 :
考えても無駄@名無し :2001/05/11(金) 18:20
>>23 >>25 たぶん彼は神秘主義的系譜ではあっても、彼そのものは違ったんじゃないでしょうかね。
ブラバツキー女史は随分交霊会(?)でよくトリックが見破られていたひとで、それでも堂々とするようなおかしげな人だったようです。
彼女や神智学も随分まがい物とかがあったんでしょうね。しかし、それを契機に色んなネットワークが出来て、チベットともつながりができたりしたのでしょう。
そういうことも含めて彼の人生をすごく波乱万丈だったのだと想像します。
彼を特別美化する気もないけど、25さんの言うようにそういう系譜とは関係ないところで、彼なりの発見があったと思います。
私のような俗物にとっては、著作の際だった面白さと、彼の生い立ちのとんでもなくミステリアスの両方が興味を惹き付けます。
退屈な毎日にあって、わたしを愉しませてくれる人=クリシュナムルティということは出来そうです。
このままいい感じでスレッドが伸びるといいですね。
27 :
ジェスター :2001/05/11(金) 18:34
クリシュナムルティって難解でないですか? 「恐怖なしに生きる」を読んだんですが何を言っているのか よくわかりませんでした。 わたしの頭が悪いから?
28 :
考えても無駄@名無し :2001/05/12(土) 01:51
>>27 難しいですよ。フツーに読んでも。ただ活字を追っかけている感じでしたよ、最初。
平明な言葉だけど、具体性が少なく、全体を観察するってことの繰り返し。で?と問うと、ドツボにはまっちゃう書物です。
心の静寂はただ「ありのままに見る」ことですよ、ということしか言っていないともいえるな。
それが特に対話とか講演会の問答になるとすごくいい感じなんですよ。まったりした空気がこちらにも伝わってくる・・・・
私はそう読みました。
29 :
ジェスター :2001/05/12(土) 13:59
あ、レスありがとうございます。 ま、覚者の言葉ですからむずかしいのでしょうね。
30 :
名無しさん@1周年 :2001/05/12(土) 14:47
>27 最初読んだ時はホントに難しかったですね。 というより、まともに読めませんでした。 だから買う気も起きなかった。 もしかしたら翻訳の問題も大きいのかなとフト思ったり しましたが。 何かをキッカケにしてクリシュナムルティの思想がほんの 少し理解できてからは、本の内容もそれなりに分かるように なりました。 子供相手に語っている書物の方がわかりやすいかも。 あと、著者のは違いますが、ヴァーノン・ハワードという人 が書いた「スーパーマインド」とか「何故あなたは我慢するのか」 という書籍(いずれも日本教文社)を読んでみると良いかも しれません。 その後でクリシュナムルティを読むと、不思議と分かりやすく なります。 この両者の思想が同じものであるという保証は私にも ないのですが。 (ヴァーノン・ハワードはクリシュナムルティを高く評価 しています。)
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/13(日) 10:36
クリシュナムルティー、ラマナ・マハリシとならんで近代で悟った数少ない人のうちの1人だな。
32 :
考えても無駄@名無し :2001/05/13(日) 22:26
クリシュナムルティの難しさは、彼自身に「理解されよう」というサービス精神(我欲)みたいなものがなかったところにも原因ありそうですね。 ラジニーシとか手に入る精神世界ものを読んで、オカルト少年よろしく「覚醒=スーパーマンに成れるのでは?」と妄想していた頃では、クリシュナムルティの言葉を聞いてもつまんなく感じていたんだろうな、と思い起こしています。 そして、いまもアッパーになる願望から離れられません。著作(今日は「わたしは何も信じない」)を読んでいて自分が消えそうになった瞬間、急に怖くなって「エイ!」気合入れて立ち戻ったりなんかしてしまいます。もったいないような、心の準備が出来ていないような。 「ありのまま」を見つめる事、その勇気がまだないようです(^^;) それさえも感じてみつめる・・・・・日々死んでゆく・・・・・ ココから先は「一角サイの如く」一人行かねばならないんでしょうね〜〜。この不安・恐怖も見つめるとしよう。
33 :
トパトパ :2001/05/14(月) 00:04
>>32 >クリシュナムルティの難しさは、彼自身に「理解されよう」というサービス精神(我欲)
>みたいなものがなかったところにも原因ありそうですね。
「耳あるものは聞け」というスタンスなんですよね。
そこに私は「本物」を感じてしまう。
「ジ・エンディング・オブ・タイム」などのデヴィット・ボームとの鼎談がとても好きです。
「ジ・エンディング・オブ・タイム」では凄いことを語っています。
34 :
考えても無駄@名無し :2001/05/14(月) 15:47
>33 >「耳あるものは聞け」というスタンスなんですよね。 >そこに私は「本物」を感じてしまう。 なるなる。まさにそのスタンス。とはいえ、全く相手のことを抜きに語っているわけでもなく、相手の興味をよく聞きながら話しているんですよね。だから、初めに読んだ本の対談者やテーマが自分のヴィヴィットなテーマと離れると、かなりきついんですよね〜〜。教育論とかは特に(^^;) なお、私には彼が本物か否かはわからないし、覚者かどうかもわからないです。「いい叔父さん」てかんじかな? >「ジ・エンディング・オブ・タイム」などのデヴィット・ボームとの鼎談がとても好きです。 >「ジ・エンディング・オブ・タイム」では凄いことを語っています。 デヴィット・ボームって量子力学の? 彼は晩年中国の「易経」に関心を持っていて、墓標には「タオ」太極のマークがあるそうですね。 私は彼ボームの弟子のハイゼンベルグのフアンで、「部分と全体」はすばらしい本です。 自伝というか、量子力学発見までの日常の出来事がかかれています。ボームの話もでてきます。 量子力学って言うのも科学に於ける「観察と観察者」の問題が出てくるようで、うまくいえないですがクリシュナムルティの興味と重なるところがありそうですね。 ちなみに「ジ・エンディング・オブ・タイム」はどこの出版社で、おいくらかしら?楽しみです。
36 :
考えても無駄@名無し :2001/05/14(月) 21:32
>35 お知らせどうも(^^) 今日は「最後の日記」を買いましたよ。Wさんありがとう! どうも彼の教育論は興味もてないんで、「クリシュナムルティーの教育論」は途中でパス!大野純一氏の先入観・信念まで読みたくねーツーの(笑) あと、「生の全体性」も購入。これにもデヴィット・ボームともう一人との鼎談がのっている。思わず、GET! クリシュナムルティは対談でこそその魅力が出ると思った。今読んでいる「私は何も信じない」もまさにそう。 もちろん「最後の日記」のように詩のような美しい文章もいいけど、悩める子羊状態の私には対談者側に立てるので、GOOD! しかし、彼のような純粋芸術、純粋精神みたいなものが面白いと感じるってことは「歳をとった」ということなのかのね。 名曲(クラシック)喫茶に行って読みたい気分。けして擦り寄ってきて甘いセールストークをしてくるようなヒーリングミュージックではダメ! 渋谷の「ライオン」はクーラー効き過ぎ!寒すぎる(^^;)でも行きたいな〜〜。
37 :
2の名無し :2001/05/15(火) 04:40
久しびりにきてみて、ムルチーさんのお友達がいっぱいあそびにきてるので感激。 とてもうれしかったです まる。
38 :
考える名無しさん :2001/05/15(火) 18:33
生の全体性ではさりげなしにすげーこと言っている。 D.ボームとかがあまりに物分りが悪くて”ちげーよ、こうだよ” みたいおなかんじになっちゃったのかな。
39 :
考えても無駄@名無し :2001/05/15(火) 22:31
>D.ボームとかがあまりに物分りが悪くて”ちげーよ、こうだよ” >みたいおなかんじになっちゃったのかな ウキャキャキャキャ!! あの大天才が子どもになっちゃったんだろうか(^^)楽しみだよ、生の全体性を読むのが(笑)
40 :
トパトパ :2001/05/16(水) 01:24
クリシュナは対談相手として、D.ボームには特別なものを感じていたんではないか? と思ってしまう。D.ボームはクリシュナの語彙の足らないところ、意味の不鮮明なところ などを上手く噛み砕いて解りやすくする役割を果たしながら、対話の内容を深める切っ掛けを 作り出してもいる。対談相手としてボームほどナンセンスさや脱線の少ない人はあまり知らない。 D.シャインバーグは話しズレまくりでクリシュナにたしなめられたりしている。 「生の全体性」はビデオもあるので、それを観ると活字では伝わらない緊迫感がよく伝わってきますよ。
41 :
M :2001/05/16(水) 19:57
>>40 「生の全体性」のビデオは日本語訳版ありますか?
クリシュナムルティーセンターで入手できますか?
値段は?
42 :
考える名無しさん :2001/05/16(水) 23:02
クリシュナムルティは、すべての宗教、信条、教義を否定するべきだ と主張しているのに、なぜ宗教家とか神秘家とかいわれてんの? 俺はその逆の徹底的なリアリストだと思うんだけど。 そうでしょう?(パクリ)
43 :
pearl :2001/05/16(水) 23:47
他の人との関係がなければ毎日の生活はどうなってしまうのだろう? ただお互いに存在を確認するだけの関係。 モノとお金を交換する関係。 一緒に働く関係。 一緒に会話を楽しむ関係。
44 :
アクロバットリーダー :2001/05/17(木) 00:10
クリシュナムルティの本を読むことによって時間をつぶすという パターンにはまっている人はいますか?彼が言っている事は良く 分かる。とても吸い込まれて読んでしまう。読んでいる間は不安 がなくなり、気分が落ち着く。でも普段の生活に戻ると同じよう にいつものパターンで生きていく。良く考えるとただのエンター テイメントになっていませんか?
45 :
考えても無駄@名無し :2001/05/17(木) 03:08
>>44 うう・・・痛いお言葉。私はそのクチでしょうね。
でも
>良く考えるとただのエンターテイメントになっていませんか?
という言葉にクリシュナジーを聖人化したり、生を意味あるものにしようという気持はありませんか?
人生にエンターテーメントではない何かを求めている。これはまさに宗教や主義の世界では?
彼は常に空っぽの状態を語っていました。自我のない状態を。これは人生の無意味性を直視することですよね?
ですから、あなたにも
>クリシュナムルティの本を読むことによって時間をつぶすというパターン
と同じものを見つけてしまいます。
これは批判ではなく、またあなたの書き込みも批判ではないと思います。
ただ、書き込むあたってどういう意図や信念があったのかな?とは思います。
それを一緒に考えることは私にとっては興味深いことです(^0^)
46 :
アクロバットリーダー :2001/05/18(金) 21:22
前の文章はただ客観的に自分の事をみて最近思った事を書いてみたのです。 彼の本を読むことによって満足しているだけの自分を痛感しているのです。 毎日の生活では能力不足と実行力のなさできっちりと仕事をこなせていない。 他の人とのカンケイでは常に摩擦を起こして疲れているだけ。 そして彼の本を読んで違う日常を体験する。すっきりした気分で満足を得る。 けれどもいつもの世界に戻れば同じように古いパターンで生きていく。 こういったことは事を書くことは皆さんに対しても失礼なことだと思います。 自分の意図は自分でさえ良く分かっていませんが、何か他の人の注意を引きたいのだと思います。 人は本当に自分の人生を捧げてがんばっている人の姿に感銘を受けます。 ただ自分の本当の姿を直視して、自分の問題を解決して、そして何か実践したい。 そう願います。
47 :
考えても無駄@名無し :2001/05/18(金) 21:39
>>46 >アクロバットリーダーさん
レスありがとう!
わたしはクリシュナジーの本を読んでいると、けして物語の世界に入っていくという感じはなく、自分自身に焦点が集まっていくような感じがします。
「自分との対話」または「自分とクリシュナジーとの対話」・・・・そんな感じ。
そしてある種の堂々巡りの末、フッと自分が消えるような感じがします。
あとで、「ああこういうのを彼はいっているんだな〜〜」、と思うのです。
古いパターンに戻るっていうのはすごくよくわかります。しかし、「戻っている」というのも解釈=思考ですよね。それは思考パターンを再強化しているのでは?
人生は闘いじゃないんだから、そういう時もある。または今日はこんな感じだったな〜〜と知覚すればよいのではないでしょうか?
#と、あなたに言うようでいて、私自身にも言っているんでしょうね、このカキコも。
マッタ〜〜リいきましょ(^^)
48 :
O :2001/05/19(土) 03:28
>>47 >古いパターンに戻るっていうのはすごくよくわかります。しかし、「戻っている」
>というのも解釈=思考ですよね。それは思考パターンを再強化しているのでは?
「戻っている」というのは解釈=思考ではないと思いますが。言葉を使う限りに
おいて常にあるがままを条件付けてしまうことは避けられませんが、44さんの
言っているニュアンスから、それは自己観察のあるがままの表現だと私は感じ
ました。
>>42 私もそう思いますが、世間によくいるアンチ宗教を掲げてるような自称リアリスト
とはずいぶん違う気がします。リアリティ自体それを語る人によって捉え方が
まちまちですしね。クリシュナムルティをどう呼ぶかなんてそれこそ彼にはどう
でもいいことでしょうね。
49 :
俺流 :2001/05/19(土) 03:47
>>42 >クリシュナムルティは、すべての宗教、信条、教義を否定するべきだ
>と主張しているのに、なぜ宗教家とか神秘家とかいわれてんの?
「否定する」の意味が分かってたらそんな疑問は出てこないよ。
クリシュナムルティーの「否定する」っていうのは、
もう一方に「肯定する」っていうのがあって、
その二元対立をもとに否定する、と言っている訳じゃ「ない」からね。
彼は、ただ否定する。
もしもそうでない、と言うなら、
それなら彼は「無宗教」という新しい宗教を始めたことになってしまう。
「信条を持たない」という信条、を持っていた、ということになってしまう。
だから彼は神秘家だし、宗教家でいいんだよ。
もっとも彼が宗教家だとしたら(そうなんだが)、
世間一般で言われているような宗教家は実は宗教家ではないんだが。わかる?
50 :
考える名無しさん :2001/05/19(土) 12:16
そういうことね、ふんふん↑
51 :
pearl :2001/05/19(土) 19:33
皆さんクリシュナムルティの話を読む、聞くことによって自分がどう変わったかなど、話してみませんか? 彼は言っていました、「関係という鏡においてのみ自分の本当の姿が見える」と。 また「私、話手は少しも重要ではない」と言っていました。 彼の願いは彼の話を聞いた人があらゆる問題に陥っている本当の自分の姿に気づき、 自分と周りの人とそしてこの地球とより良い関係を築くことにあったのではないでしょうか? 文字を介してになりますが、この場で何か対話を始めて見ませんか?
52 :
ka :2001/05/19(土) 20:55
彼の言葉は、あとから徐々に自分の中に浸透し、いつしかクリシュナムルティ すら信じない、必要としない何者とも同一化しない自分に気がつく。 支えるものは何もないし、必要ともしない。心に中心がない。 そんな、自分になっていることに、気が付く。 他人から見ると虚無的で、ニヒリズムの境地の見えるらしいが...。
53 :
pearl :2001/05/19(土) 23:34
彼の話に空っぽになる心、すべての心のからくりを見る境地、そういった体験を得るのです。 ですが現実に戻ると46の方のように、分かっていながら常に比較し至らない自分を嘆く 自分に気づくのです。仕事の責任の重さにあくせくしている自分に気づくのです。 やらなければいけないこと、やりたいこと、成し遂げたいこと、すべての願望が自分の中に見えます。 見えながらもこの気持ちは決して放棄できないのです。 この社会ではやはり一定の役割を果たさないといけません。お金をもらうからには それに見合うこと成果を出さないといけません。 実際別にそんなに深刻ではないのです。結構気楽にやっています。 ただクリシュナムルティを知っている皆さんとこの辺の実際の自分を話してみたいのです。 いかがでしょうか?
54 :
考えない名無し :2001/05/20(日) 00:26
>>51 >「関係という鏡においてのみ自分の本当の姿が見える」と。
彼は「関係性」の重要さに度々ふれていますね。
私は前々から、クリシュナムルティーのファン(?)は、
なぜかこのことを正確に理解していたり、
強調して話をすることが、きわめて少ない、と感じていました。
このスレの52さんみたいな書き方をする人は非常に多いのですが(苦笑)。
>>53 >見えながらもこの気持ちは決して放棄できないのです。
見えていたら放棄していることに気がつくのではありませんか?
したがって、あなたは「本当には」見ていないのではありませんか?
「見ること」と「実行すること」の間にギャップがあるとは思えません。
少なくとも私自身にとっては。
55 :
考えても無駄@名無し :2001/05/20(日) 03:06
>>54 >「関係という鏡においてのみ自分の本当の姿が見える」
>私は前々から、クリシュナムルティーのファン(?)は、
>なぜかこのことを正確に理解していたり、強調して話をすることが、きわめて少ない、と感じていました。
どの場を通してこう考えるのかわかりませんが、それは精神世界の住民の多くがそうだから、と言うことでしょうか?
それのいかんは別に
>「関係という鏡においてのみ自分の本当の姿が見える」
がクリシュナムルティの言葉だからこそよくわからないというところがあります。
一般的にこういう話は理解できるのですが、「私は何も信じない」という人がどうして「関係」が語りえるのか?
ホント難しく語りにくい部分です。
と書きながら「生の全体性」にヒントがあったような気がしたので、今から読んでみます。
>Pearlさん
なんかよくわかるよ。アクロバットリーダーさんのカキコ同様に。
そういう話をしてみたいし、聞いてみたいな〜〜。
まだわたしは初心者なんで深みのある意見はいえません。まだクリシュナムルティーの言葉に癒されている段階なのかもね。
先の「関係」の話なんかもそうだけど・・・
56 :
O :2001/05/20(日) 04:47
>>55 >>「関係という鏡においてのみ自分の本当の姿が見える」
>がクリシュナムルティの言葉だからこそよくわからないというところがあります。
>一般的にこういう話は理解できるのですが、「私は何も信じない」という人がどうして「関係」が語りえるのか?
>ホント難しく語りにくい部分です。
彼が信じないのは、人間のエゴが生み出したもの(思考によってつくられた
概念や思想など)ということではないでしょうか。彼はいっさいを信じない
と言ってはないと思います。たとえば、目の前にある木を本当に実在するのだ
ろうか、などとは問わないように。
「関係」というのはエゴ以前に存在している何かであるということが言いたい
のだと私は読みました。本来は関係し合っていると。それを邪魔するのがエゴで
あると。
57 :
考えても無駄@名無し :2001/05/20(日) 05:30
>>56 毎度わかりやすい解説どうも(^^)そういえば、Kは観念を通してみていることに焦点をあてて批判していますね。
ただ人は存在しているだけなんでしょうかね〜〜。木や星のように・・・秩序(宇宙)の中で・・・
58 :
考えない名無し :2001/05/20(日) 05:44
>>56 >彼が信じないのは、人間のエゴが生み出したもの(思考によってつくられた
>概念や思想など)ということではないでしょうか。彼はいっさいを信じない
>と言ってはないと思います。たとえば、目の前にある木を本当に実在するのだ
>ろうか、などとは問わないように。
目の前にある木を「本当に実在するのだろうか?」
と問うことは「信じないこと」ではなく、
単に「疑うこと」です。
そしてもちろん、「信じないこと」と「疑うこと」は全く別のことでしょう。
「信じない」ということは、私に言わせれば、
「結論を出さない」ということとほとんど同義語です。
そして「結論を出さないでいる」ということは、
「絶えず動きつづける運動の中にいること」と同じことでしょう。
したがって「信じないでいる」ということは、
眠りこけたマインドには無理なことです。
なぜなら眠りこけたマインドは、すぐに結論をだすでしょうから。
そしてマインドによって導き出された結論こそは「信条」であり、「思考」です。
たとえばマインドは言います。
「私の目の前に一本の木がある。これは〇×という木だ」
で、もうそれ以上その木を「見ません」。
なぜなら以前、その木に関して百科事典で調べたことがあって、
知識として知っているからです。結論が出たわけです。
クリシュナムルティーなら、
ただ、その木と対峙し、
ただ、あるがままに見ることでしょう。
そして私の理解によれば、クリシュナムルティーはそのような状態を
「信じない」
と呼んだのだと思います。つまり「信じないでいる状態」=「空白の心」でしょう。
したがって「空白の心」と「関係性」は全く矛盾しません。
いや、むしろ空白の心なしに、いったいどうやって関係性を見出せばいいんでしょう?
どうやってあるがままに目の前の木と対峙することができるでしょう?
私には両者は全く同じものに思えます。
59 :
考えない名無し :2001/05/20(日) 05:55
私はクリシュナムルティーの著作をすべて読んだわけではないので 彼がどう言っているのか、本当のところは分かりませんが、 これに関連してもうひとつ気がついたことを書いておくと、 クリシュナムルティーが「関係性」などと言うと、 あまりに言葉が平易なので、分かったような分からないような感じがするのかもしれませんが、 ためしに、彼の言っていることを仏教用語に置き換えて理解しようとしてみてください。 そうしてみるなら、もちろん「関係性」は「縁起」ということになり、 彼が言っていることはすでに仏教の中で言われてきたことです。 特に唯識論など学ぶのは役に立つことでしょう。
60 :
考えても無駄@名無し :2001/05/20(日) 14:28
関係性=縁起で、唯識論を学のが役立つ・・・・ですか。 法華経の世界やね。 で質問 私が思うに、他者との「関係」で現れる自分の中での無秩序=「葛藤」、それを見つめると「自我」の存在に気づく。すなわち2人の間にそれぞれの自我(エゴ)が入ることで、葛藤というゆがみが出る。 では「自我とは何ぞや」といえば「思考」や「経験」の積み重ね。他と自分を分離させるもの。 その自我がない時「いまここ」にあり、生全体となり、全一となる。 自我のない状態、それは印象など先入観をもたずに見つめている(知覚している)状態。それはどこにでもあるもの。それに<気づく>のみ と理解しました。どんなもんでしょうか? #縁起という一部の人にとって手垢にまみれた言葉を使うことで、聞き手が過剰に意味付与することをクリシュナジーは恐れていたのでは?また仏教に縁の少ない西洋人にはまず仏教を知らないと、彼との問答に入れない葛藤があるから避けたのでは? 彼の言葉は「問い」であって「答え」ではないと思う。「縁起」という別な言葉を持ち出すことはいわゆる思考の「答え」。 そう思うのは私の読解力のなさゆえでしょうか?私は「関係」という言葉にも彼の慎重さを感じるのですが?
61 :
O :2001/05/20(日) 16:40
>>58 くわしい解説ありがとうございます。言葉足りずすいません。
結論保留と単に疑うことは別のもというのはその通りですね。
ところで、彼のことを理解しづらいのはもっぱら我々が言葉による
表現ないしはコミュニケーションに浸りきってるからでしょうね。
特に書かれた言語を一方的に読むというやり方は、論理を追うことに
意識を集中させがちになります。言葉を通してあるがままのものを
確認する。そういうことができるのが一番いいとは思うんですが。
ゆえに彼は対話を重視したと思うし、あるがままのものを言葉によって
定義しようとしなかった。対話者に対してもいちいち説明するのではな
く、あくまで自分で見させようとしていました。そんな彼ですから本を
書くことに対してジレンマのようなものがあったのではないでしょうか。
この掲示板を通して、いかに言葉の足かせから自由になって語れるのか
皆さんの誠意に期待してます。
62 :
pearl :2001/05/20(日) 18:23
なんだかまたテーマから少しそれた事を言うようですみません。 イメージというテーマで少しお話したいのですが、彼は固まったイメージを持つことが、 他の人との関係を妨げるような事を言っていました。どうでしょう?皆さんここの掲示板に書き込んで おられる他の方のイメージが頭の中にできていませんか?誰かは自分に手厳しい事を返してきたので、 少しむっとした。彼、彼女は苦手なタイプだ。彼は自分と気が合いそう。たった文字のやり取りの 世界なのにみなさんの頭には他の方のイメージが固まってきていませんか? そしてもし本当の本人に会えば私達はその固まったイメージをもって彼、彼女にあうのではないでしょうか? ここに書き込まれている方達の書き込みを読みながら思ったのです。 自分の中にそういった心の動きが見て取れます。 既に自分の中には皆さんのイメージできているのです。 そして誰かを怒らせない差し障りのない事を、もしくは誰かを喜ばせるような事を書き込もうとしているのです。 皆さんはどうでしょう?
63 :
rooop :2001/05/20(日) 19:16
ネットでのやり取りは自己投影みたいなとこありますね. みんなパソの向こうに他者を想定してるわけですが ほんとは自分のことなんですよね. 人間というのはそういうものに反応してしまうんですね. ほとんど自動機械です.
クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団 クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団 クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団 クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団 クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団 クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団 クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団クリシュナムルティー信じてる奴は糞アホの集団
65 :
名無しさん@1周年 :2001/05/20(日) 19:21
はいスカッシュレモン1丁!!
66 :
考えても無駄@名無し :2001/05/20(日) 19:39
>>62 たぶんそうなんでしょうね。イメージが先行しているんでしょうね。そしてそのイメージが事実のように思えている。私の中にもそういうものを感じます。
昨日あったことなんですが、ネット仲間数名と飲んだんです。で、そこにみんないるのに携帯電話がそれぞれ鳴ってそっちと会話。一緒の空間を所有しているはずなのに、ディスコミュニケーション
他方、新聞にのってましたが、ネット恋愛で一度も会っていないのに心の中を吐露して琴線触れ合っていた人同士が、別れ話をきっかけに一方を殺しちゃうまでに到っている。
どちらが本当に深いつながりがあったんだろうと疑ってしまうエピソードです。
結局昨日のケースでは自分の中にある相手のイメージと対話しているわけだから、目の前に相手がいても携帯電話で長々と別な人と会話しても平気なんだと思うし、後者の場合も活字からのイメージだけで、ことを膨らませすぎている結果だと思う。
私はネットやバーチャルなものの危険性と口にするつもりはない。
こういうことを実はわれわれはネット以外の日常でもしているんだと再認識しただけの話。
そしてイメージを全面批判するつもりもない。あくまで「ありのまま観る」「全一性の獲得」に弊害となっているというだけの話。
生理的経済的にはとても役立つものだと思いますよ。
バランスなのかな、こういうものも・・・・
>>63 さん
まさしくそうですね。
67 :
O :2001/05/20(日) 19:49
>>62 もちろんおっしゃるようなイメージがおぼろげながらありますよ。
そういうものを持ってしまう理由にはいろいろあるとは思いますが
ひとつに発言者のエゴに反応してるのではないでしょうか。もちろん
それに反応する当のものもエゴでしょうね。
しかし、出来上がったイメージにこだわるこだわらないという自由は
あると思います。そういうイメージを持って本人に会ったとしても、
会えば変わってしまうかもしれませんしね。要は常にこだわらないよう
にしとけばいいのではないでしょうか。どっちみちそういうイメージ
というのはそう本質的なことでもないと思います。なぜそういうイメージ
を持ってしまうのだろうか、というのが大事なのでしょうね。
クリシュナムルティ自身もムッとすることもあったでしょうし、かなしみ
や嫉妬や怒りなどもとうぜん普通に経験していたと思います。ただそういう
ものを否定も正当化もせずに受け止め、そしてその原因を注意深く見つめた
のでしょう。私はといえば、それを良い悪いで判断しようとしたり、そうい
苦痛から逃れよう画策しがちですね。しっかり味わうのがいいのでしょうね。
68 :
考えても無駄@名無し :2001/05/20(日) 21:45
>>67 さん
>クリシュナムルティ自身もムッとすることもあったでしょうし、かなしみ
>や嫉妬や怒りなどもとうぜん普通に経験していたと思います。ただそういう
>ものを否定も正当化もせずに受け止め、そしてその原因を注意深く見つめた
>のでしょう。私はといえば、それを良い悪いで判断しようとしたり、そうい
>苦痛から逃れよう画策しがちですね。しっかり味わうのがいいのでしょうね。
こういう読みができるあたり、クリシュナムルティのユニークさを感じますね。なんと言うか遠くない人物というか・・・。
賛美する気はないが、やはり面白いと思う。変化とともにあった人・・・・。
なんか気が楽になってきたな〜〜〜(^^)
69 :
考えない名無し :2001/05/21(月) 01:19
>>60 >#縁起という一部の人にとって手垢にまみれた言葉を使うことで、聞き手が過剰に意味付与することをクリシュナジーは恐れていたのでは?
>また仏教に縁の少ない西洋人にはまず仏教を知らないと、彼との問答に入れない葛藤があるから避けたのでは?
もちろんそうでしょう。
>彼の言葉は「問い」であって「答え」ではないと思う。
>「縁起」という別な言葉を持ち出すことはいわゆる思考の「答え」。
それは場合によるでしょう。
私はそのこと(関係と縁起が同じものを説明している、ということ)
に気がついていない人のために言っただけです。
>>61 >この掲示板を通して、いかに言葉の足かせから自由になって語れるのか
>皆さんの誠意に期待してます。
私の感触ではそれは無理のようです。
特にこのスレッドの反応は…
まるでめくらと光の議論をしているような感じがしますね。
今までいろんなスレッドで発言してきましたが
申し訳ないですが、ここは最悪の部類に入ります。
>そして誰かを怒らせない差し障りのない事を、もしくは誰かを喜ばせるような事を書き込もうとしているのです。
>皆さんはどうでしょう?
ここは2ちゃんですよ(笑)。
本音を書いたらいいじゃないですか。
私はそうしています。
70 :
考えない名無し :2001/05/21(月) 01:27
一言付け加えるなら、 こんなぬるま湯につかったような議論は、 単なる娯楽でしかないでしょう。 クリシュナジィが一番嫌ったのが、 この手の「真剣味のなさ」でした。 ここの議論はその意味で、ちょっと吐き気がしてくるぐらいですよ。
71 :
X :2001/05/21(月) 02:36
あらまあ! 70晩餐 あなたならどんなふうに議論をすすめますか?
72 :
名無し :2001/05/21(月) 02:54
>>69 >まるでめくらと光の議論をしているような感じがしますね
やはりか・・・・ココにもいた、自分が真の理解者だというやつが・・・・
さようなら〜〜〜〜
73 :
考えない名無し :2001/05/21(月) 03:11
>やはりか・・・・ココにもいた、自分が真の理解者だというやつが・・・・ 私の過去ログをよく読んでみて下さいね。 私は「私の理解によれば」と書いています。 あなたも「自分の」理解を書けばいいだけでしょう。 あなたはクリシュナムルティーではないのだから、 「彼の」理解を書くことはできません。 また、私は一度も、「私だけが真の理解者だ」とは言いませんでした。 >さようなら〜〜〜〜 もしかして馬鹿にされたと感じてエゴを傷つけられたのですか? あなたが出て行くのは歓迎しますけど。
74 :
考えても無駄@名無し :2001/05/21(月) 19:06
訂正があります。 「生の全体性」に出てくる鼎談者D・ボームとニールス・ボアを取り違えていたようです。 自ら墓標にタオのマークをつけたのは確か、ニールス・ボアのようです。これも不確かな記憶につき、興味のある方はご自分でお調べください(^^;)
75 :
O :2001/05/22(火) 02:51
>>69 >>70 >私の感触ではそれは無理のようです。
>特にこのスレッドの反応は…
>まるでめくらと光の議論をしているような感じがしますね。
>今までいろんなスレッドで発言してきましたが
>申し訳ないですが、ここは最悪の部類に入ります。
そういうレスが真剣=誠意あるレスだとは思えません。
特に言葉づかいですね。もっと誠意をもってはどうですか?
>一言付け加えるなら、
>こんなぬるま湯につかったような議論は、
>単なる娯楽でしかないでしょう。
>クリシュナジィが一番嫌ったのが、
>この手の「真剣味のなさ」でした。
>ここの議論はその意味で、ちょっと吐き気がしてくるぐらいですよ。
前々から考えない名無しさんのレス読ませてもらってますが、確かに
あなたはよく理解しているように思われます。(これもあくまで私の理解ですが)
そして理解していない且つ真剣みもない人たちを腹立たしく思う気持ちもあるで
しょう。ですが、このような書き込みをしていったいどうなるというのですか?
クリシュナムルティが我慢強く誠意をもって対応していたのは知っているでしょう。
理解してるひとがすぐに短気を起こしてこのようなレスをするでしょうか?
あなたは、私が思うに、彼の本を読んで字面のまま理解しているに過ぎないのでは
ないですか?そうでないのなら、このようなレスをしてしまう自分の心の動きを
注意深く監視してみて下さい。そして、何が見えるかレスで期待してます。
76 :
考えても無駄@名無し :2001/05/22(火) 13:50
ネットの便利さを最近実感。クリシュナムルティを読みつつ、感想を言いあえる。それぞれの生活環境、生い立ちによって読まれ方は違うことはやむを得ないだろう。もちろんクリシュナジーはそういう環境、自我を越えたつながりと動きを見つけてきたんだとは思う。 でもやっぱり入り口がそれぞれ違うのはやむを得ないでしょう。 眼が悪く、あまり詠むスピードは速くないのです、読書好きでもあまり本を読めていない私ですが、これまでに読んできた哲学本(解説書含む)や人生訓ものなどなど色々読んだ中で、クリシュナジーはもっとも判り易く、そして先進的(?)根源的な印象を受けている。 それでも既存の思考回路を壊しつつ読むわけだから、混乱してしまう。 でも、ココでわたしがインチキ感想文を書くと、違った視点でレスがきたりしてまた視野が広がる感じがする。活字を追うだけの読書から、生きた学びをしながらの読書になっているような気がする。 彼は世界中の人の話を傾聴していたという。たぶん自我がまた一つ壊れていく流れを愉しんでいたのでしょう。私にそれだけの力量がいまあるとは思えないのですが、自我とまでいわずともプライドとか偏見といった役にも何にも立たないエゴの領域は壊していけるような気がする。 すでに私たちはこの世界にある、いや、彼に言わせれば、私が世界、世界が私なのです。 何か「一角の者」なろうとするのではない、ありのまま、変化しつつある自分を生そのものとして受け入れられる、そんな気がします。 たぶんこれはわたしの願望なのかもしれません。しかし、内側から来る願望は生を維持するための空腹感と同じく大切なような気がする。 その内側からの願望のあり方の違いは、たぶん彼が個々の存在の「ユニークさ」なんじゃないかな? 色んな意味で、クリシュナジーは私を楽しませてくれる人です。 夕暮れ時に彼と二人でコーヒーの香を味わいつつ、時空を共有できる喜びを分かち合ってみたいもんです。 沈黙を保ちつつ・・・・
77 :
考えない名無し :2001/05/23(水) 01:30
>そういうレスが真剣=誠意あるレスだとは思えません。 >特に言葉づかいですね。もっと誠意をもってはどうですか? 言葉づかい、ですか。 このスレでは丁重な言葉づかいを心がけていましたが(笑)。 >前々から考えない名無しさんのレス読ませてもらってますが、確かに >あなたはよく理解しているように思われます。(これもあくまで私の理解ですが) >そして理解していない且つ真剣みもない人たちを腹立たしく思う気持ちもあるで >しょう。ですが、このような書き込みをしていったいどうなるというのですか? ようやく少しは正直なレスがきたようなので、私も少し正直にレスしましょう。 ご質問の件ですが、私はレスのあり方に関しては、 人によってそれぞれ違うのが当然だと思っています。 たとえばあなたは、 >クリシュナムルティが我慢強く誠意をもって対応していたのは知っているでしょう。 >理解してるひとがすぐに短気を起こしてこのようなレスをするでしょうか? と言われます。 しかし私はクリシュナムルティーではありません。 もしも私が、クリシュナムルティーがこうだったから、 だから私もこうあろう、と考えて丁寧な言葉使いを心がけるのだとしたら、 私は私自身の本性にそむくことになるでしょう。 また、そういうことを書くことでどうなるのか? ということですが、私の今までの経験では、 自分を正直に出せば出すだけ、 それだけ多くを学ぶことが可能です。 私は自分の理解を正直に書くことで、他の誰よりも自分自身が多くを受け取る、 そういう体験をこれまでしてきました。
78 :
考えない名無し :2001/05/23(水) 01:30
>あなたは、私が思うに、彼の本を読んで字面のまま理解しているに過ぎないのでは >ないですか?そうでないのなら、このようなレスをしてしまう自分の心の動きを >注意深く監視してみて下さい。そして、何が見えるかレスで期待してます。 ここには私のレスのあり方が「いけない」「よくない」という前提条件がすでに存在し、 なおかつそのような私のレスのあり方に対する非難が含まれているように思えます。 ですから、まず最初にしなければならないことは、 そのような前提条件が本当に正しいのか? 私がした一連のレスが誠意のないレスである、とするなら、 なぜそうなのか? 結論を出してしまう前に、まずあなたの側に偏見がないか、 検討しなければならないでしょう。
79 :
考えない名無し :2001/05/23(水) 01:48
誤解のないように付け加えておきます。 私は私のレスのあり方が「正しい」と言っているのでもなければ、 Oさんの前提条件のつけ方が間違っている、と言っているのでもありません。 正直に言うなら、本当のところ 私には私のレスのつけ方が「正しい」のか「間違っている」のか、 分かりません。 私は検討しなければならないでしょう、と書きました。 どうぞ、「真剣に」検討してみてください。
80 :
W :2001/05/23(水) 02:00
考えない名無しさん、 あなたをこのスレッドで行われたやりとりを‘めくらが光の議論をしているよう’ なり‘最悪の部類’なり‘真剣味がない’等の言葉で批判したいという気持ちになった原因は何なのでしょうか?あなたが、このような外部的な刺激にたいして反応することとなったあなたの精神(マインド)の中に蓄積されたものは何なのでしょうか? あなたをそう言わしめたあなたの知識、優越欲、顕示欲、習得した議論の方法論、他の議論の場で味わった快感の記憶、・・・ 等精神のなかのがらくたこそがクリシュナムルティのいう自我であり、他者と自分をDivideするものではないでしょうか? 議論する材料は、たまたまクリシュナムルティであっただけで、なんでもよかったのではないでしょうか? それにあなたが進めようとしている議論があまり有益なものとは思えません。言葉遊び・ てにをはがちがうだけで他の不毛な議論と変わりがない。そのような印象です。 まあ、わたしもKがいっていることを彼の境地で理解しているとは思いませんがね。自分が持っている欲求、欲望を満たしていくなかで自分の反応に目をむけておく程度です。
81 :
考えない名無し :2001/05/23(水) 02:54
>考えない名無しさん、 >あなたをこのスレッドで行われたやりとりを‘めくらが光の議論をしているよう’ >なり‘最悪の部類’なり‘真剣味がない’等の言葉で批判したいという気持ちになった原因は何なのでしょうか? >あなたが、このような外部的な刺激にたいして反応することとなったあなたの精神(マインド)の中に蓄積されたものは何なのでしょうか? Wさん、本当にそれを知りたいですか? 私はこのスレッドを無視することもできました。 自分の理解を、ここにわざわざ書く必要もありませんでした。 >あなたをそう言わしめたあなたの知識、優越欲、顕示欲、習得した議論の方法論、他の議論の場で味わった快感の記憶、・・・ >等精神のなかのがらくたこそがクリシュナムルティのいう自我であり、他者と自分をDivideするものではないでしょうか? 残念ながら、私にはあなたが私の書きこみの内容をよく読んでいるとは思えません。
82 :
O :2001/05/23(水) 03:49
>>77 -78-79
うむ、もっともな議論です。しかし、あくまで議論のための議論です。
あなたの本性がそういうレスをつけたのなら何も言う事はありません。
そうすることによって自分自身が多くを受け取ったということもある
でしょう。問題はあなたも提起しておられるように受け取ったものが
どういうものであるかです。何を学んだかです。それは私にはもちろん
わかりません。自分で見るしかありません。
レスが正しいか間違ってるかという判断はどうでもいいことです。
レスを書くにいたったあなたの心の動きや
あなたのレスがこのスレッドにどういう影響を与えたか、ということです。
これはあなた自身で見てみてください。そんなこと知ったことか、自分が
学べればどうだっていいなんてことは言わないでください。
ところで、あなたは今回ようやく正直にレスをつけると告白
なさいましたね。今まではどのようなつもりでレスをなさってたので
すか。70のレスから、私は今までも真剣にレスを書いていたものと思
ってました。これはちょっと残念ですね。どうかこれからも正直に
真剣にレスを書いてください。私は議論のための議論はあまりしたく
ありません。あなたの本性がどうしてもさせるのならご自由にしてく
ださい。
83 :
ななし :2001/05/23(水) 03:49
まあまあ、みなさん、押さえて押さえて。 日本人は、なあなあを好むもんやがな。 きつい言い方をされたら誰でも嫌がりまんがな。 でも、たまの煽りは「考えない名無し」さんの言うみなさんの 「正直さ」を引き出すための方便にはなるかも知れまへんな。
84 :
考えない名無し :2001/05/23(水) 04:42
>>82 >レスが正しいか間違ってるかという判断はどうでもいいことです。
>レスを書くにいたったあなたの心の動きや
>あなたのレスがこのスレッドにどういう影響を与えたか、ということです。
>これはあなた自身で見てみてください。そんなこと知ったことか、自分が
>学べればどうだっていいなんてことは言わないでください。
何かが間違っていると思ったときに、
正直にそのことを指摘するのは悪いことでしょうか?
どうでもいいことだから無視しますか?
もちろんそのことを指摘された方はいい気分ではないでしょう。
いい気分が大事なら、何も指摘できません。
今、あなたは自分にウソをついていますよね?
あなたは私を非難したい、私の間違いを指摘したい、違いますか?
だから私は、それならば何が間違いなのか、検討しましょう、
と言っているのですよ。それがどうして議論のための議論なのですか?
クリシュナムルティーに関するエピソードで以下のような話を聞いたことがあります。
Kの講話で、質疑応答のとき、聴衆の中の女性から質問がありました。
「なぜ戦争は無くならないのでしょう?」
もちろん、その女性は戦争を非難するつもりで、
戦争をする人たちを非難するつもりで、
その質問をしたのでしょう。
当然、Kもそれに同意する形で答える、と思ったに違いありません。
ところがKの答えはその女性を大いに傷つけるようなものでした。
「戦争は、あなたが起こしているのです!」
分かりますか?
>ところで、あなたは今回ようやく正直にレスをつけると告白
>なさいましたね。今まではどのようなつもりでレスをなさってたので
>すか。
Oさん、議論は一人では出来ません。
あなたが正直に書けば、私も「初めて」それに対して正直に書くことが出来ます。
もちろん、私は最初からそれなりに真剣に書いていますが、
肝心の議論の中身が低調でバカバカしいものなら、
私も大して中身の無いことしか書けません。
85 :
エロエロ :2001/05/23(水) 05:19
ここにいるのは男性がほとんどだろうと 想定してセックスの話にたとえてみよう。 ところで、なんでセックスをするのかな? 子孫を残すため、、、なんて答えなんでね。 気持ちいいからやるんだよね。 なんで気持ちいいのかな? 人間には性欲があるから、という答えもやめてね。 純粋に女性のカラダにむしゃぶりつくのが気持ちいいんだよね。 でも、その気持ち良さも年とともに、 いろんな人生経験とともにだんだん薄れてくる。 年を取れば、もう、10代のようにはセックスを楽しめなくなる。 頭の中でいろいろ変なことを考え始めると 女性を見ても立たないなんてこともよくある。 クリシュナムルティはそれが良くない、と言っているんだよ。 10代のころ、初めて女性の体に触れた感触を いつまでも新鮮に保つように、と言ってるんだよ。 そして、新鮮な気持ちでセックスを楽しんでいるうちに、 自分の中の性欲を客観視している自分に気付くことがある。 そのときこそ、クリシュナムルティの哲学を理解する瞬間だ。 人間には子孫を残すためにセックスをするんだ、 とかセックスは男女にとって大切なコミュニケーションだなんて つまらない理屈を並べずにセックスを見つめることができれば及第点かな。 まず、自分の行動をすべてこのように見つめてみることを心がけてみよう。
86 :
O :2001/05/23(水) 05:59
しかし、私たちはこんな時間まで起きて何をやっているんでしょうね(笑) ようやく考えない名無しさんのレスにも誠意がうかがえてほっとしてます。 >何かが間違っていると思ったときに、 >正直にそのことを指摘するのは悪いことでしょうか? >どうでもいいことだから無視しますか? 無視したわけではありません。あなたの問いがずれているのです。 もちろん良い悪いの話でもありません。 >もちろんそのことを指摘された方はいい気分ではないでしょう。 >いい気分が大事なら、何も指摘できません。 指摘の仕方次第です。69や70をもう一度読み返してください。 他によい議論に導くような方法は思いつきませんか? >今、あなたは自分にウソをついていますよね? >あなたは私を非難したい、私の間違いを指摘したい、違いますか? そのような感情だけではないです。今までのレスもウソではありません。 あなたは感情をストレートに表現しないとウソをついていることになる のですか?相手を傷つける表現が本音であるというわけではないでしょう。 ストレートな表現であっても誠意の感じられる表現はありますが、あなた のは、少なくとも69,70を見る限り感じられません。これにも根拠なるもの が必要ですか? >だから私は、それならば何が間違いなのか、検討しましょう、 >と言っているのですよ。それがどうして議論のための議論なのですか? 自分で見てください。そこがわかっていただかないと先へは進めません。 私はあなたを論破したいわけではありません。不毛なことです。それを わかってください。
87 :
O :2001/05/23(水) 06:06
>クリシュナムルティーに関するエピソードで以下のような話を聞いたことがあります。 >Kの講話で、質疑応答のとき、聴衆の中の女性から質問がありました。 >「なぜ戦争は無くならないのでしょう?」 >もちろん、その女性は戦争を非難するつもりで、 >戦争をする人たちを非難するつもりで、 >その質問をしたのでしょう。 >当然、Kもそれに同意する形で答える、と思ったに違いありません。 >ところがKの答えはその女性を大いに傷つけるようなものでした。 >「戦争は、あなたが起こしているのです!」 >分かりますか? このエピソードであなたが学んだのは、正しい指摘なら相手を 傷つけてもいいということだけなのですか?彼女の内面の葛藤 が戦争を生み出しているということが本質です。もちろん指摘 することが悪いのではなく、仕方です。クリシュナムルティに 悪意は微塵も感じられません。あなたのレスと比べてください。 あなたのレスに悪意があるというのも論証するつもりはありませ ん。感性の問題でしょう。
88 :
O :2001/05/23(水) 06:07
>Oさん、議論は一人では出来ません。 >あなたが正直に書けば、私も「初めて」それに対して正直に書くことが出来ます。 >もちろん、私は最初からそれなりに真剣に書いていますが、 >肝心の議論の中身が低調でバカバカしいものなら、 >私も大して中身の無いことしか書けません。 自分から中身のある議論にもっていこうという気はさらさら ないようですね。それなら、無視するという手段が適切でした。 なぜなら、それまでは中身がない(あなたによれば)なりにも まったりとそれなりに情報交換できたわけですから。ぬるま湯の ような議論でも、それなりにみなさん楽しんでいたように私に は感じました。もちろん、あなたのように感じてる人がいても おかしくないですが。それはそれでいいのではないですか? 私はネットではなく、生身の人間とクリシュナムルティについて 話すのが好みです。突っ込んだ話でも顔を見て話すとニュアンスが わかりやすいですからね。同じ時間や空間を共有できるので、共感 もし易いです。ですから、私にとってこのスレッドは情報交換や 感想程度でいいわけでした。まぁ、私にとってですけど・・。 こういう議論も以前は好きでしたが、不毛さに気づきもうする気はない です。他に参戦者がいればいいですけどね。 長いレスですいません。
89 :
XYZ :2001/05/23(水) 06:16
クリシュナムルティはひどいやつだよな。 息子を亡くしたばかりで落胆してる母親にも >「戦争は、あなたが起こしているのです!」 これと似たような悲しみに追い討ちをかけるようなことを言ってるよ。 まったくひどいやつだ。
90 :
いろは :2001/05/23(水) 16:24
>89 慰めではなく真の救済を心がけていたからだよ.
91 :
悪徳商法 :2001/05/23(水) 16:47
まぁ、大半の宗教化が人の弱みに付け込んで「ゆすり」をかける ことが多いな。 もちろん、ヤクザより最悪、もしかしたら宗教者がヤクザの起源 かもね。 だから、人々には「神」の話はあんまりしてはならない、悪用されるから。 そういうことでは、「神は存在するがそれが何者かはわからない」 あるいは、「神は存在しない」と考えてもかまわない。 まぁ、人間として大切なことをしているのであれば、その者が「神は 存在しない」と考えていても許されるのだ。 それより、「神の名」を悪用する奴の方が罪は大きいな 神は、人間として立派なことをする者には寛大だ。 しかし、悪行ばかりする者には容赦は無い
92 :
にほへ :2001/05/23(水) 20:27
ドロドロでんな
93 :
考えない名無し :2001/05/24(木) 01:46
>>86 >指摘の仕方次第です。69や70をもう一度読み返してください。
>他によい議論に導くような方法は思いつきませんか?
「指摘の仕方次第」とは、私の指摘の仕方が悪かった、ということでしょうか?
それなら、なぜハッキリとそう言わないのですか?
実際にはあなたはこのほんの4行前に、
「もちろん良い悪いの話でもありません。」と言っていますね…。
私の指摘の仕方が「悪い」というお話しでしょう?
こういう書き方は私には欺瞞にしか見えませんが。
もしあなたが正直にそのことを認めれば、そのとき初めて、
私が
>>78 >>79 で言ったような「検討」が可能なんです。
あなたはそれから逃げているだけじゃないんですか?
>あなたは感情をストレートに表現しないとウソをついていることになる
>のですか?
そう思います。
これは理解すべき非常に重要な点です。
ただし、「表現」というのが何を指すのかは
十分議論しなければならないでしょう。
外に出すだけが表現ではありませんから。
>相手を傷つける表現が本音であるというわけではないでしょう。
もちろんそうです。相手を傷つけることが良いことであるわけがありません。
94 :
考えない名無し :2001/05/24(木) 01:47
>ストレートな表現であっても誠意の感じられる表現はありますが、あなた >のは、少なくとも69,70を見る限り感じられません。これにも根拠なるもの >が必要ですか? 必要です。 なぜならマインドは社会によって条件付けられていて、 どのような表現が失礼に当たるか、というのは、 その社会のあり方とも密接に関係しているからです。 私のような議論の進め方を非難するのは、 もしかしたら「あなたの」日本人としての条件付けのせいなのかも知れません。 さらに言うなら、もしかしたら、私が69、70のような書き方をしたのは、 ある明確な意図があってのこと、かも知れないわけです。 ですから検討が必要だ、と言ったのです。 したがって私の方から見ると、下記の >>だから私は、それならば何が間違いなのか、検討しましょう、 >>と言っているのですよ。それがどうして議論のための議論なのですか? の発言に対する >自分で見てください。そこがわかっていただかないと先へは進めません。 というのは全く不可解です。私から見るなら、 他ならぬあなたが「見ていない」ように思えますし、 必死に逃げているように見えるわけですから。さらに、 >私はあなたを論破したいわけではありません。不毛なことです。それを >わかってください。 というのも不可解です。あなたが私を論破しようとしていないのは明白です。 実際には、何度もご指摘申し上げているように、 問題点をあぶり出そうとすると、 あなたが議論から逃げようとするように私には見えています。
95 :
考えない名無し :2001/05/24(木) 01:48
>>87 >このエピソードであなたが学んだのは、正しい指摘なら相手を
>傷つけてもいいということだけなのですか?彼女の内面の葛藤
>が戦争を生み出しているということが本質です。
これは「言い方」というか、「口調」としては非常に丁重な口調ですが、
言っていることの「内容」としてはすごいものがありますね。
試しに2ちゃん用語に翻訳してみましょうか?
さしずめ下記のようになることでしょう。
「このエピソードであんたが学んだことってそんだけ?
俺はもっと本質的なことに気がついているよ」
あなたは自分の口調に自分でだまされているのではありませんか?
また、あなたに言わせると「正しい指摘なら相手を傷つけてもいい」
ということらしいですが、私はそれは違うと思っています。
なぜなら「正しい指摘」が人を傷つけることは本質的にあり得ないこと、だからです。
一見、世の中にはそういうことがあるかのように見えることもあります。
しかし、実際には、もしも「正しい」指摘が人を傷つけたかのように見えることがあるとしたら、
それは、その指摘を受けた人が、マインドに間違った条件付けを持っていたから、でしょう。
その条件付けが、他ならぬその人自身を傷つけるわけです。
たとえば仮に、あなたが年長者で私が若輩者で、会話の際に敬語を使わなかったとします。
あなたはたぶん、私にその意図が無くても、バカにされた、と感じるかも知れません。
96 :
正直な名無しさん :2001/05/24(木) 01:49
なんかよ〜 議論の前段階で詰まってんぞー それだけ人が正直になるのは難しいってことなのね。
97 :
考えない名無し :2001/05/24(木) 01:49
ついでに >彼女の内面の葛藤 >が戦争を生み出しているということが本質です ですが、私はそれは微妙にポイントがずれている、と思います。 この話の本質、ということなら、再び「関係性」がテーマでしょう。 彼女は戦争を、どこか遠いところで起こっている、 自分とは「関係のない」ことのように話しています。 しかしKに言わせれば、それに関して彼女にも責任があるわけです。 彼女はそのことが分かっていない。 一方的に人を非難すれば、 たとえ、それが戦争を起こしている人たちだとしても、 それは無責任な「娯楽」でしかありません。 実は私がこのエピソードをだしたのは、この戦争に無関心な女性と、 議論から逃げようとするあなたの姿がだぶって見えたからです。 >クリシュナムルティに >悪意は微塵も感じられません。あなたのレスと比べてください。 再び、ここにはすさまじい欺瞞があると思います。 Kの本を読んでも悪意を感じないのは当然です。 なぜなら本を読む限り、 Kは「あなたに直接」話しかけている訳ではありませんから。 実際にはKに敵対する人もいたのです。ラージャゴパルのように。 また、伝記によると、Kの側近で、 Kの元を去っていった人も数多いと書かれています。 もちろん、実際にはKのせいではなく、 去っていった人自身の条件付けが、 Kとともにいることで傷つけられるせいである、 と解説されていましたが。 >あなたのレスに悪意があるというのも論証するつもりはありませ >ん。感性の問題でしょう。 あなたはほんの一行前に、「Kには悪意が感じられない、 あなたのと比べて下さい」と書きました。 その本意は何でしょう? Kには悪意が無いが、あなた(私)にはある、 と書きたかったのではありませんか? それならなぜハッキリそう書かないのですか? しかもこれを書いたすぐ後に、 「…論証するつもりはありません。感性の問題でしょう」ですか。 私はこれは欺瞞である、と思います。
98 :
考えない名無し :2001/05/24(木) 01:49
>>88 >自分から中身のある議論にもっていこうという気はさらさら
>ないようですね。それなら、無視するという手段が適切でした。
どうしてそういう結論になるのか不思議です。
私が「議論は一人では出来ない」と書いたのは、
再び「関係性」を念頭に置いてのことでした。
Kが「関係という鏡においてのみ自分の本当の姿が見える」
と言っていたことを思い出して下さい。
あなたは自分の姿が見たくないから逃げているのではありませんか?
(私は問いかけています。違っていたらどうぞ遠慮なく反論して下さい。)
>ぬるま湯の
>ような議論でも、それなりにみなさん楽しんでいたように私に
>は感じました。もちろん、あなたのように感じてる人がいても
>おかしくないですが。
ええ、みなさん楽しんでいらっしゃいました(苦笑)。
ですから私はそれを「単なる娯楽」だ、とご指摘申し上げている訳です。
>それはそれでいいのではないですか?
あなたがそれでいい、と思うのはあなたの勝手ですが、
私としては「無関心」でいるのは良くないと思い、
Kはそのような娯楽をよしとしなかった人でした、
と申し上げているわけです。
>こういう議論も以前は好きでしたが、不毛さに気づきもうする気はない
>です。他に参戦者がいればいいですけどね。
「参戦」も何も、私は戦っているつもりはありません。
あなたにとっては「議論」は常に戦いで、
論破するか、されるかしか無いのでしょうか?
もしもそういう視点で見ているなら、
(その「あなた自身の」視点のせいで)
あらゆる議論が不毛なものになることでしょう。
99 :
正直な名無しさん :2001/05/24(木) 01:52
ごめんね。 アップ中だったのね。
100 :
正直な名無しさん :2001/05/24(木) 01:54
でもよ〜 真面目に正直に議論をし始めたら面白くなくなってきて 誰もレスしなくなっちゃたりなんかしちゃったりして。 あー、まったく真理は道なき大地だわさ。
101 :
満腹 :2001/05/24(木) 02:03
考えない@名無しさん あんた単にけちつけているだけで、全然関係を鏡にしていないんじゃない? 全然他者に意見に耳を傾けることなく自分の意見だけ言っていると気づかない? それがあなたにとって重要ならほっとくだけだけど、時節にこだわるところに、まずは一般的な真摯な態度を感じないし、他方でエゴを土台に生きてきたんだな〜〜としか感じない. それを批判する気はない.俺も途上の人だからな。私はあなたを鏡にさせていただくよ.あんたの醜い姿(私の自己投影?)に感謝するよ(笑)
102 :
考えない名無し :2001/05/24(木) 02:17
>それを批判する気はない.俺も途上の人だからな。 そうですか。 では批判なさらないでかまいませんよ(爆笑)!
103 :
和尚 :2001/05/24(木) 02:43
みよ、この二人を! Kの教えを語っているうちに、いかに自分の頭の良さを他人に示したいかという 醜い自我に囚われてしまっているかを!
104 :
通行人 :2001/05/24(木) 03:32
このままじゃ、 ラジニーシ(和尚)スレと一緒だね(藁
105 :
ななし :2001/05/24(木) 03:42
クリシュナムルティとラジニーシを並列で語るなよ。
106 :
考えない名無し :2001/05/24(木) 04:07
私は自分がエゴイストで強情で、無類の口論好きで、醜い人間だ、 ということを認めるにはやぶさかではありません(笑)。 実際には、そのことを悪いことだ、と言って批判したら、 「本当の自分」を見ることが出来ません。 誤解のないように付け加えると、 そのような自分のあり方を「悪い」とも「良い」とも言わず、 判断を保留にして、ただ、ああ、自分はこういう人間で、 今こういうことをしているのだなあ、と見つめるわけです。 ここできわめて重要なことは、醜い自分、口論好きで強情な自分を、 ことさら批判せず、かといって開き直るのでもなく、 科学者が客観的に実験結果を観察するように、ただあるがままに見つめるわけです。 このことが一体どれほど重要なことか! 百万言を費やしてもいいつくせません。 なぜならそれがただ唯一の見る方法だからです。 そして、この見る方法を妨げるものもまた、ただ一つしかありません。 それは自分自身にたいしてウソをつくこと、です。 たとえばこのスレッドの誰かさんみたいに、 明らかに私を批判しているのに、批判する気持ちでいっぱいなのに、 それなのに「批判する気はありません」とか(笑)。 これではいつまで経っても問題点が明らかになりません。 このスレッドでつくづく感じたことは、クリシュナムルティーを好む人には、 問題点を見ようとするのを拒む人が多い、ということですね。
107 :
ナナ :2001/05/24(木) 04:50
>クリシュナムルティーを好む人には、問題点を見ようとするのを拒む人が多い というよりも、ものぐさな奴が多いと思う。 手っ取り早く真理に近づけそうな気がするもんね。 文章も言葉も表面的には単純だからね。 そんなに簡単に真理に近づけるわけがないのに。
108 :
>106 :2001/05/24(木) 05:21
あんまり自分を卑下しなくてもいいじゃん。
109 :
10011101 :2001/05/24(木) 09:27
>107 たまには花を素直に見つめてみな
110 :
考えても無駄@名無し :2001/05/24(木) 19:44
クリシュナムルティーがいっていることって、我々に真剣な苦行をさせようってことなんだろうか? そうであるならば、議論することも大事だと思う。流派が出来てきそうこともいいのかも。 私の狭い理解だと、「ありのまま見つめる」そのことだけを促しているとしか読めない。 そうすることで得られる事、生きた学びとしての体験は全て「ユニークさ」である個々に任せているように思う。 関係性を鏡に・・・・ この辺の理解はまだまだわからないが、議論が起こっているここを見に来る、それもすでに その実践といえるんじゃないだろうか? ナルシズムを土台とした自己投影の繰り返される2ch。 これって強調された私たちの日々のあり方を映し出しているように思えませんか?
111 :
k :2001/05/25(金) 02:53
106、 見つめる、とうことをあなたは誤解しているね。「それ」は対象を見ない。あるいは対象 というものは重要ではない。気づき、そのものに気づくこと、で「それ」で在ることが 可能になる。 あなたの言っている「見ること」も大切だと思う。嘘をついていたら駄目。 でも、それではいつまでたってもポイントを付かずに終わってしまうでしょう。 科学者のように観察できるのは対象だけ。 でも、クリシュナジの「見ること」は主体だ。
112 :
クリムル :2001/05/25(金) 03:02
ありのままの今をただうけとめていく。 ことばの世界は表現手段。
113 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 03:47
>106、 >見つめる、とうことをあなたは誤解しているね。「それ」は対象を見ない。あるいは対象 >というものは重要ではない。気づき、そのものに気づくこと、で「それ」で在ることが >可能になる。 「見る」とはどういうことでしょうか? 私の理解では、 そこに見る対象(客体)が無いとき、 見るもの(主体)もまたいません。 したがって「見る」、という行為は 本質的にそれ自体が関係性を暗示していないでしょうか? だからこそ、Kはあの有名なステートメント、 「見るものは、見られるものだ」 を表明したのではありませんか? >あなたの言っている「見ること」も大切だと思う。嘘をついていたら駄目。 >でも、それではいつまでたってもポイントを付かずに終わってしまうでしょう。 >科学者のように観察できるのは対象だけ。 >でも、クリシュナジの「見ること」は主体だ。 上記のとおりですから、 主体と客体は同じものなのです。
114 :
アヘ :2001/05/25(金) 03:48
偉そうなことばっかりゆうんやったらクリシュナムルティなんかに頼るな!
115 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 03:58
>偉そうなことばっかりゆうんやったらクリシュナムルティなんかに頼るな! あのー、私は自分の理解を言ってるんですけど…。 どうでもいいけどキミ、大阪人(笑)?
116 :
アヘ :2001/05/25(金) 04:02
大阪人でおま。 114はマジレスやぞ。 クリシュナムルティはいつか卒業せなあかんと思うてる。
117 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 04:10
>114はマジレスやぞ。 それは失礼。 でもどういうことを指して頼る、と言うんでしょう? 本を読むな、ということ? 彼は別に「方法」を残さなかったと思いますが。 >クリシュナムルティはいつか卒業せなあかんと思うてる。 いつか、ではなく「今すぐ」卒業してね(もし入学してるなら、だけど)。
118 :
アヘ :2001/05/25(金) 04:16
>彼は別に「方法」を残さなかったと思いますが。 禅問答みたいやけど、方法を残さないっちゅうのも 方法を残したのとおんなじことなんじゃ。 「方法はありません」と明言することも 一つの方法を提示しとるのと同じなんや。 わかるかな? >ではなく「今すぐ」卒業してね ワシはもう卒業しとる。
119 :
k :2001/05/25(金) 04:17
見るものは見られるもの。客体が消えれば主体も消える。 体験者の体験は体験とは呼べない、等々。 鶴と亀が出会った、なんてのも。 「それ」を暗示しているだけ。 また、悟りには幾つかの段階があって、一つだと判断すると混乱のもと。 「それ」つまり思考でも感情でもない意識の ことだけれど、主体にある、只在る、ってが第一段階。 それは「無い」ではない。絶対無ではない。 気づき自体に気づくことで気づきである。只ってことなんだ。
120 :
k :2001/05/25(金) 04:24
見る、ということはどうゆことか? と、考えたら分かる訳ない。気持ちはわかるけれどね。 Howはない、といったのは誰かな? 何も見ない、何も知ろうしない、何も探求しない、 すると「それ」はそこにすでに在る。 青い鳥、読みました?
121 :
k :2001/05/25(金) 04:32
追加、 しかし、そうは言っても、そうならない。そうなる為に、マインドが 完全に降参するまでに、修行ってもんがあるんだ。 しかし、修行が導くのでは勿論ない。それが獲得されるもの、到達されるもの、 だとすれば、それは体験であって、それはどんなに美しくても価値はない。 諦めてみたら、すでにそこに在った。だからみんな微笑む訳さ。 修行を否定したKジは、真理を指し示しただけで、道を語らなかった。 道を否定した。それがジの道、直接的にかたるアドヴァイタの道だった。 それが自分の助けになるかどうか、見極めるんだね。
122 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 04:41
>「方法はありません」と明言することも >一つの方法を提示しとるのと同じなんや。 >わかるかな? ええ。 でもそれって、方法を探している人が「いる」場合に限られるでしょ。 そこに方法を探し求めている人が「いる」なら、 いくらその人が「私は方法がないと知っている」と言ってみても、 結局、「方法が無い、という方法」を「実行」しようと試みるわけですから(笑)。 >>ではなく「今すぐ」卒業してね >ワシはもう卒業しとる。 それは卒業おめでとう(苦笑)。 >また、悟りには幾つかの段階があって、一つだと判断すると混乱のもと。 >「それ」つまり思考でも感情でもない意識の >ことだけれど、主体にある、只在る、ってが第一段階。 そういうことは各自が自分で研鑽すべきことでしょう。 >それは「無い」ではない。絶対無ではない。 実際には「それ」というのは、Kのいう「生の全体性」のことでしょうね。 私も「無」だとは思っていませんよ。
123 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 04:49
>何も見ない、何も知ろうしない、何も探求しない、 >すると「それ」はそこにすでに在る。 >青い鳥、読みました? 青い鳥、ですか。 結局、「待つ」しかないってことかな。 >修行を否定したKジは、真理を指し示しただけで、道を語らなかった。 >道を否定した。それがジの道、直接的にかたるアドヴァイタの道だった。 >それが自分の助けになるかどうか、見極めるんだね。 彼は役に立ちませんよ。明らかに。
124 :
k :2001/05/25(金) 05:04
チルチル・ミチルは只待ってなんかいなかったよ。 探しに行った。だから家に「帰って」それを見つけたんだはなかったかな? 彼が役に立つか、立たないかは、人によるね。 絶対誰にも役に立たない、とは言えない。 その人がどこに立って居るかによる。
125 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 05:10
>チルチル・ミチルは只待ってなんかいなかったよ。 >探しに行った。だから家に「帰って」それを見つけたんだはなかったかな? 私にとっては「待つこと」が「家にいる」ことです。 >彼が役に立つか、立たないかは、人によるね。 >絶対誰にも役に立たない、とは言えない。 >その人がどこに立って居るかによる。 そのとおり! 人によります。 ですから「頼るな」というのは言い過ぎではありませんか(爆笑)。
126 :
ノビ太 :2001/05/25(金) 12:59
あれ、もしかしてKさんてSさん、あれCさん?
127 :
アゴオリ :2001/05/25(金) 13:45
>>121 >マインドが 完全に降参するまでに、修行ってもんがあるんだ。
そのような正統な修行法を知っている者をあなたが知っているとは思えない。
和尚は論外。彼のたてた雑音と真理の調べの違いの分からない人が多すぎる。
128 :
考えても無駄@名無し :2001/05/25(金) 15:07
単純な疑問だけど、客体がない時主体はないって変じゃない?クリシュナジが正しいか否かはさておき、彼の言っていることの逆を言っているんじゃない? かれは「主体がない時客体はない、経験者がない時経験はない」といっていますね。 確かに主客は同じなんだといっていますが、木や川という<自然>は現実だといってますよ。つまり、自分の思考の産物ではないと。 ということはこの主客はともに思考の産物=イメージであり、客体=自然や対象物ではないさそうです。客体とは過去の経験によって造られた思考回路のこと、そして主体とはそれに反発する心理的抵抗。それらを抜きに自分と出会うことはすなわち現実である自然の部分であり、全体であるというようなホーリスティックなことを言っているのではないかな? ということは全くもって科学者のような観察ではありえず、まして他者に説教をするような質のものではないといえそうです。そして関係性とは社会的な関係などではなく、「自分の内面における主ー客、観察者ー観察されるもの」の間柄をいっている。 というのがわたしの理解ですが?どんなもんでしょうか?
129 :
k :2001/05/25(金) 15:11
そんなもんでしょうね
130 :
考えても無駄@名無し :2001/05/25(金) 19:00
ふと思ったんですが、もし今わたしが真剣に自己と向き合っているのに、そこへ土足で入ってきて「そんなやり方は生ぬるい!」と怒鳴り込むものがいたとしたらどうだろうか?と。 いつでもどこでも自己と向き合える人は、問題なくそれさえもありがたく味わうんでしょうが、初心者・未熟ものである私だったらどうだろうか? 「少し静かにして!」と条件付の<わたし>がお願いするだろう。 それに対して「自分に正直に『生ぬるい』と思ったからそうしたんだ、だから俺は条件付じゃない!」と反論されたらどうだろうか? その土足人は確かに無条件「かも」知れない。しかしそれが未熟者の私にとってどれだけ助けになるというのだろうか? 土足人が「正しい」意見をいっていたとして、私は「素直に」土足人の信者とならねばならないのでしょうか? わたしは改めて初心を省みる。なぜクリシュナムルティに学ぼうとしたのかを。 それは何かに頼らず生きたいと言う願望だった。ガキのような願望だ。そのためにどうなるか保証のない「自己を見つめる」 を少しずつ実践してきた(つもり)。 わたしは今後そういう出来事に「仮に」出会った時、こう言うだろう。 「アドバイスありがとう。でもわたしの行く道です。道を開けて下さい。」・・・・と。
131 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 19:42
>>128 >単純な疑問だけど、客体がない時主体はないって変じゃない?
>クリシュナジが正しいか否かはさておき、彼の言っていることの逆を言っているんじゃない?
ええ、逆を言っているようですね(笑)。
この際、Kのことは忘れましょう。
私は「客体がないとき主体がない」でも間違いではないと思います。
また、Kも似たようなことは、言い方を変えて言っています
(このスレッドでおなじみの言葉です)。
しかし、それについては最後に論証しましょう。
>かれは「主体がない時客体はない、経験者がない時経験はない」といっていますね。
> 確かに主客は同じなんだといっていますが、木や川という<自然>は現実だといってますよ。つまり、自分の思考の産物ではないと。
つまり「客体」として存在する、ということが現実ではないわけですね。
「現実(リアリティー)」とは主客の別を越えたときに初めてあるわけです。
>ということはこの主客はともに思考の産物=イメージであり、客体=自然や対象物ではないさそうです。
ちょっと待ってください。
混乱があるようです。
主客がともに思考の産物=イメージなのですか?
「思考の産物=イメージ」は立派な客体だと思いますが。
そのイメージを見ている観察者が主体、ではありませんか?
主体と客体の定義を先にしないと混乱しますね。
132 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 19:42
>客体とは過去の経験によって造られた思考回路のこと、そして主体とはそれに反発する心理的抵抗。
ここもちょっと違うと思います。
思考回路に反発するもの(心理的抵抗)がそこにいる、それが主体…。
いいえ、その反発もまた思考のトリック=客体ではありませんか?
主体はあくまでも、その反応を見ている観察者でしょう。
>それらを抜きに自分と出会うことはすなわち現実である自然の部分であり、全体であるというようなホーリスティックなことを言っているのではないかな?
それらを抜きに自分と出会う…
そのときに出会う「自分」とはなんでしょうか?
具体的になにを指しているのでしょう?
> ということは全くもって科学者のような観察ではありえず、
どうしてですか?
私は自分の内面を観察するのと、外側の世界を観察するのは、
同じ観察だと思いますよ。
最初は外側から、そして徐々に内側に向かうのが瞑想です。
>まして他者に説教をするような質のものではないといえそうです。
説教、ですか。
まあ、そう見えるのでしょうね。
実際には私はただ、「自分が理解していると思うこと」を表明しただけです。
このスレッドをもう一度よく読み返してみてください。
大変多くの方が、たとえば
>>87 や
>>111 のように、
「私に対して」説教しようとしているんですが(苦笑)。
133 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 19:42
>そして関係性とは社会的な関係などではなく、「自分の内面における主ー客、観察者ー観察されるもの」の間柄をいっている。 >というのがわたしの理解ですが?どんなもんでしょうか? すみませんが関係性が社会的な関係でないなら、 Kは60年以上ものあいだ何をしていたというのでしょうか? ヒマラヤで瞑想に明け暮れていましたか? 私はここははっきり否定します。 社会的な関係と内面的な関係は分けて考えることはできません。 両者は同じものです。 たとえば私がここであなたを侮辱するとします。 あなたは平静でいられるでしょうか? もしも、怒りが沸いてきたら、 そのとき初めて、あなたは自分の中に怒りがある、ということを知ります。 つまり、私の侮辱という外部からの刺激は、あなたにとって客体ですが、 それがなければあなたの主体としての心理的な反応も起こりません。 そして、実をいうと「主体」というのは、 これらの反応があることによって、 そして、その反応を観察することによって、 初めてその存在を(観察者として)知ることができるんです。 外部からの刺激や客体が一切ないなら、 それらの刺激を認知(観察)する主体も同時に存在できません。 すなわち「客体がないとき主体もない」のです。 もう一度Kの言葉をかみ締めてください。 「関係という鏡においてのみ自分の本当の姿が見える」 p.s. これから仕事が忙しくなるので今まで通りレスできないと思います。
134 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 19:52
>「アドバイスありがとう。でもわたしの行く道です。道を開けて下さい。」・・・・と。 立派なことです。 これは全くその通りです。 否定しません。 それをKにたいしても言って下さい。
135 :
k :2001/05/25(金) 20:14
外から刺激がなければ主体は存在しない? こんな間違えをどうして犯せるのでしょう? 頭ばっかりで考えているからです。 感覚遮断機の中に入って実験してみてください。 むしろ、外部からの刺激に一切関係なく存在している者、を主体と 定義したほうがいいでしょうね。
136 :
k :2001/05/25(金) 20:21
観察者、というのをもう一度定義し直してみる必要を感じます。 それはマインドの一部でしょうか? マインドの一部が、ほかの一部を観察することはできます。 しかし、これでは観察者には至りませんよね。 どうどう巡りです。 対象とは無関係に存在している、<気づき>と定義し直して、お話を始めませんか?
137 :
考えない名無し :2001/05/25(金) 21:10
>感覚遮断機の中に入って実験してみてください。 大変な誤解があるようです。 実際には感覚遮断機に入っても、外部からの刺激はなくなりません。 というのも、肉体そのものがすでに主体にとって観察可能な客体だからです。 また私は「思考」も観察可能な客体だと思います。 したがって完全に感覚を遮断しようとするなら、感覚遮断機ではなく、 「瞑想」しかないでしょうね。 >むしろ、外部からの刺激に一切関係なく存在している者、を主体と >定義したほうがいいでしょうね。 それは不可能です。 外部からの刺激が全くなくても、主体だけ単独で存在できる、などとというのは。 >対象とは無関係に存在している、<気づき>と定義し直して、お話を始めませんか? 「対象とは無関係な気付き」などというものは存在しません。 気付きは常に気付いている主体と、その対象の関係性の中にあります。 両方(主体と客体)が同時に存在していて、 分けることができない、というのが本当なんですが…。
138 :
k :2001/05/25(金) 23:34
瞑想して肉体感覚も思考も消えたときに、 立ち上がってくるものは何でしょう? それは絶対無でしょうか? 体験者の体験とは通常<対象のない気づき>ではないでしょうか? 論理的に話を進めるよりも実存的に話したほうがいいでしょう。 無だとか自己だとかの話にはきりがない。 あなたは、<対象のない気づき>など存在しない、といっていますが、 それは意識など存在しない、といっているのと同意なんですよ。 では、伺いますがあなたが生きている、という証はなんでしょう? 意識ではないでしょうか? 意識を超えたもの、存在を超えたもの、について、ここで語ることが それほど意味があるとは思えませんけど。 やっぱり、知的遊戯がお好みなんですかね。 ここのクリシュナ・ムルティ派というのは。
139 :
考えても無駄@名無し :2001/05/25(金) 23:35
なんとなくシックリしません。 自然は現実である。そしてそれを「あの木は薔薇科で・・・」というような翻訳を抜きに眺める時それは「ありのまま」見ている。 これはいいですよね? さて、自然同様に現実たる他者。その他者からわたしが罵倒されるとする。 それに怒るという反応をする私。罵倒は紛れもなく外からの刺激であり、現実。 わたしが見つめるべきは外部からの刺激でしょうか?それとも「怒る」という反応でしょうか? わたしは「怒る」という反応を見つめます。しかし、クリシュナジの呼びかけに答えていなければ、わたしは他者を「ふざけた野郎だ」という風に思い、「怒り」に目を向けないでしょう。 「怒り」に目を向けるからこそ、「怒り」に気づけるのでは? この「怒り」は内面的なことで社会的な関係性ではないです。むしろ社会的関係性を眺めるのであれば、罵倒という刺激か、他者そのものを見なければなりません。 クリシュナジの「関係」が社会的関係というのはいささか???です。 客体のない主体はない。それはそうかもしれません。しかし、客体が対象物たる自然という現実であれば、それは「ある」のだから、わたしたちは永遠に主客を越えたところにはいけません。 対象とは自然ですか?それともなにか別なものですか?自然は主客を越えたリアリティー(現実)なんじゃないんですか? そのリアリティーとつながるために内側を見つめ、思考の産物たるイメージを取り除き自然(他者)をありのままに見るのではないのですか? それが思考が作り出した現実=社会を自然な姿に変えていくということではないですか?
140 :
k :2001/05/25(金) 23:41
それで、悟りにも段階があるから、それを考慮に入れて 話を進めていかないと混乱すると申しました。 通常それは、自己、全体、非在と進みます。 クリシュナ・ムルティが主体も客体も存在しない、といえばそれは、 全体について語っているのです。
141 :
名前入れてちょ :2001/05/25(金) 23:41
うーむ。 気軽にレスをつけにくい雰囲気になってきたなあ。 考えない名無しさんにデリカシーが欠けるなんてことが上で言われているけど 結果的には考えない名無しさんのおかげでこのスレでの議論も活性化してきた。 やはりたまの煽りは必要だね。 なんせ、2chだしね。 >それは不可能です。 >外部からの刺激が全くなくても、主体だけ単独で存在できる、などとというのは。 素朴な疑問であるが、なぜこのようなことが断言できるのかな? 人間の精神活動において9分9厘、不可能だということは認めるとしても 理論的には主体だけ単独に存在するのは可能だと思うが。
142 :
名前入れてちょ :2001/05/25(金) 23:44
いやはや、理論的にだけではなく実存的にも主体だけ単独で存在しうると 私は思うのだけれども。
143 :
k :2001/05/26(土) 00:02
勿論私も単独で主体が存在しうる、と思いますよ。 そこが私の主張です。ただし、条件付きで。 もっと単純に、ここには個別化した意識が現に在る、訳でしょう。 違います? あなたとは分離感のある意識だ。それをまず認めましょう、 という話です。 仏教とかでも無という。それは非在についてのお釈迦様の見解でしょう。 そこから話しても、単なる「絵に描いた餅」です。 だから知的遊戯に堕している、とほかの体系から非難されるんでしょうね。
144 :
考えない名無し :2001/05/26(土) 01:52
>>138 >あなたは、<対象のない気づき>など存在しない、といっていますが、
>それは意識など存在しない、といっているのと同意なんですよ。
そうは思いません。
意識はあります。
私の言っているのは、意識とその意識が捉える客体は同じものだ、ということです。
簡単に言うと、裏と表が切り離せないのと同じことです。
私が仮に、表の存在しない裏だけの紙がある、といえばウソになるでしょう。
しかし、それは裏が存在しない、ということを意味しません。
>では、伺いますがあなたが生きている、という証はなんでしょう?
>意識ではないでしょうか?
生きている証ですか。
難しいですね。
意識がある、というのは確かにその証だとは思いますが。
「意識」だけが「世界」から離れて単独で存在出来るとは思いません。
したがってたぶん、
私が生きている証は「意識」であり、その意識が捉えるこの「世界」、
つまりは生の全体性です。
>意識を超えたもの、存在を超えたもの、について、ここで語ることが
>それほど意味があるとは思えませんけど。
>やっぱり、知的遊戯がお好みなんですかね。
>ここのクリシュナ・ムルティ派というのは。
私は別にクリシュナムルティー派ではありませんよ。
145 :
考えない名無し :2001/05/26(土) 01:53
>>139 >自然は現実である。そしてそれを「あの木は薔薇科で・・・」
>というような翻訳を抜きに眺める時それは「ありのまま」見ている。
>これはいいですよね?
ええ、それでいいと思います。
>わたしが見つめるべきは外部からの刺激でしょうか?それとも「怒る」という反応でしょうか?
ゆっくり進みましょう。
最初に前置きしておきますが、
私は別に押しつけるつもりはありませんし、
私ならこう考える、ということを
これからここに書いていきます。
まず最初に、外部からの刺激とその反応を明確に分けることは出来ないと思います。
反応を見つめる、ということですが、見つめているのは誰でしょうか?
「反応」もまた、「刺激」と同じくらい外部のものではありませんか?
また「外部からの刺激」ですが、これを注意深く見ることは是非とも必要だと思います。
そうでなければ私はその刺激にすかさず「レッテルをはる」ことでしょう。
これは「私に対する侮辱だ」という具合に。
しかし実際は微妙に違うかも知れません。
たとえばフランス料理を食べているとき、
誰かがスープを音をたててすすった、とします。
可能性としては「テーブルマナーを知らない」ということ
が一番あることでしょう。
でももしかしたら、その音を立てた人は、
単に他の人の注意を引きたかっただけなのかも知れません。
やり方としてはほめられたものではありませんが(笑)。
そのことを知るには深く観察する必要があるわけです。
146 :
考えない名無し :2001/05/26(土) 01:53
>わたしは「怒る」という反応を見つめます。しかし、クリシュナジの呼びかけに答えていなければ、 >わたしは他者を「ふざけた野郎だ」という風に思い、「怒り」に目を向けないでしょう。 >「怒り」に目を向けるからこそ、「怒り」に気づけるのでは? なぜ、刺激と反応を分けるのですか? 私はそれらは一連の分かちがたい関係を形成していると思います。 怒るには怒る理由があるわけです。 その理由はたとえば「私は侮辱された」ということかもしれません。 しかし「侮辱された」と考えたのはなぜでしょう? 実際は、もしかしたら、あなたを侮辱した人はよくよく見ると、 単にあなたのことを知らない人で、 あなたのこと悪く言う噂を聞き、それを信じていただけなのかもしれません。 そのことが分かれば、「怒り」の代わりに、 もしかしたら「哀れみ」が反応として起こっていたかも知れません。 ということはつまり、 「反応は既に刺激の観察の結果」 なのではありませんか? ですから反応だけ単独で取り出して見つめてもあまり役に立つとは思いません。 だからこそKは「選択なき目覚め」を強調したのだと思います。
147 :
考えない名無し :2001/05/26(土) 01:53
>この「怒り」は内面的なことで社会的な関係性ではないです。 >むしろ社会的関係性を眺めるのであれば、罵倒という刺激か、他者そのものを見なければなりません。 >クリシュナジの「関係」が社会的関係というのはいささか???です。 私はその両方(内的関係と社会的関係)だ、と申し上げたつもりでした。 実際、どのような場面で怒るか、というのは社会と密接な関係があります。 中国ではメンツをつぶされると怒るでしょうし、 別の国では別の理由がある訳です。 それはもう既に社会によって十分条件づけられていて、 完全に内部の反応だ、とは言えません。 >客体のない主体はない。それはそうかもしれません。 >しかし、客体が対象物たる自然という現実であれば、それは「ある」のだから、 >わたしたちは永遠に主客を越えたところにはいけません。 確かにそう見えますね(笑)。 しかしそれでもKは力強く、 「世界はあなただ」 と宣言しました。 >対象とは自然ですか?それともなにか別なものですか? 私にとって「対象」とは、観察可能なものすべて、です。 >自然は主客を越えたリアリティー(現実)なんじゃないんですか? 確かに。 ただし、あなたもその一部であるときに。 >そのリアリティーとつながるために内側を見つめ、思考の産物たるイメージを取り除き自然(他者)をありのままに見るのではないのですか? その通りでしょう。 しかし、あなたが上記でおっしゃったのは、 つまり、最終最後、外部をありのままに見る、ということですよ。
148 :
考えない名無し :2001/05/26(土) 01:54
>>141 >考えない名無しさんにデリカシーが欠けるなんてことが上で言われているけど
>結果的には考えない名無しさんのおかげでこのスレでの議論も活性化してきた。
ハッキリとデリカシーがない、と言い切ったのはあなたが初めてです。
そして、私はこれを認めます(笑)。
しかし、上記のテーブルマナーの例えの通り、
私にマナーを教えようとした人は失敗したようです(爆笑)。
>素朴な疑問であるが、なぜこのようなことが断言できるのかな?
>人間の精神活動において9分9厘、不可能だということは認めるとしても
>理論的には主体だけ単独に存在するのは可能だと思うが。
それは肉体なしに魂だけ単独で存在出来る、
というようなことですか?
私はそうは思いません。
理論的にも不可能だ、と思います。
>>143 >勿論私も単独で主体が存在しうる、と思いますよ。
>そこが私の主張です。ただし、条件付きで。
>もっと単純に、ここには個別化した意識が現に在る、訳でしょう。
>違います?
個別化した意識ですか?
意識は人の数だけあるのでしょうか?
>あなたとは分離感のある意識だ。それをまず認めましょう、
>という話です。
それを認めるのはかまいませんが、あくまでも立脚点として、ですね。
実際には意識の正体を突き止めた人は誰もいません。
それは永遠に不可知にとどまることでしょう。
#すみません。これが最後のレスになりそうです。
149 :
名前入れてちょ :2001/05/26(土) 02:14
>それを認めるのはかまいませんが、あくまでも立脚点として、ですね。 >実際には意識の正体を突き止めた人は誰もいません。 >それは永遠に不可知にとどまることでしょう。 なるほど。 明確な理由はないということか。 不可知なものは不可能だ、ということにしたいわけだね。 立脚点の違いならやむを得ないね。 私も単独の主体の存在を証明できるわけではないしね。 これは仕方がない。
150 :
ナナシ :2001/05/26(土) 02:20
>>148 >私にマナーを教えようとした人は失敗したようです(爆笑)。
成功したんじゃないか?あれ以来まともなマナーになってきたぞ。相変わらず
の議論だがな。
151 :
名前入れてちょ :2001/05/26(土) 02:21
>ハッキリとデリカシーがない、と言い切ったのはあなたが初めてです。 >そして、私はこれを認めます(笑)。 言いきったのは初めてって言われても… 他のみんなもそう感じているのは明らかじゃないですか。 デリカシーがないのは別に悪いことではないですよ。 私もデリカシーはありません(笑)。 ただあなたの場合、他人に対してはデリカシーがないのに対して あなた自身に対してはかなりデリカシーをお持ちのようだ。 他人に対するデリカシーを放棄するなら、自分自身に対する デリカシーも放棄した方が印象が良くなると私は思う。 いえ、別に説得したいわけじゃありませんよ。
152 :
名無しさん@1周年 :2001/05/26(土) 02:34
神智学自体がものすごい怪しいものだ。
153 :
ナナシ :2001/05/26(土) 02:51
>152 プププ 煽るのヘタクソね。 その程度じゃ、誰も侮辱されたとか、反発心とか感じないもんね。 考えない名無しの煽りをみならってみよう。
154 :
k :2001/05/26(土) 13:57
立脚点としてはそれでいい、というよりも、そこに立脚していなければ クリシュナ・ムルティの教えは使えない、ってことなんです。 個別化された意識、分離感というものに不満がある場合、マインドが作り出す幻想 は宇宙意識、生の全体性、何でもいいけど、それではオヤジ・ニューエージです。 分離があるからこそ融合が可能んです。 これが有名な声明、 「アートマンはブラフマンにほかならない」 が出てくるんです。分離を認めて受け入れ、自己にしっかり立脚して初めて 全体とは?と進めるんです。中心がないのに中心を失えますか? 自己すら持てない者がどうやって自己を失えるのか? 貧乏人が何億円も寄付することを夢見ているようなもの、とよく言われています。
155 :
k :2001/05/26(土) 14:07
あなたね、事故かなにかで病院に担ぎ込まれて、医師に 「あなた、大丈夫ですか?意識はありますか?」と問われて、 「ここに「わたし」などいません。ゆえに私の意識などありません。 生は全体を通してしか語れません。あなたのおっしゃることは私には 分かりません」 なんて言いますか? 誰しも、振り返れば「意識」「主体意識」にまず立脚しているのです。 それには分離感がある。だからって、そんなものは存在しない、と理屈 で言うのは構わないけれど、それだけなら無意味です。 マインドではなくて、アートマン、サッチダナンダを失う用意がある者 だけが、それを語るのに相応しい者なんです。 クリシュナ・ムルティが語った相手とはそのような者、ヨギとか そんな類で、マインドにしっかり立脚している、オヤジ・ニューエージ たちではないのです。 幻想から抜けれるべきだと思います。
156 :
:2001/05/26(土) 14:31
↑一番危険なタイプ
157 :
考えても無駄@名無し :2001/05/26(土) 15:54
うむ、難しい。 刺激と反応を分けているのは考えないさんですよ。 たぶん方便としてでしょうけど。 刺激や反応が不可分なのは当然です。全体性へとつながる話をしているわけですから。 ただし、まず「怒っている」時、わたしは怒りでです。内部では分離していません。そして相手に「ふざけた野郎だ!」とレッテルを張り、他者を自己をさらに分離します。 そして、「あ、怒ってはいけない」という抵抗が浮かび上がり今度は内部で「怒り」という反応と、抵抗に分離されます。これが「葛藤」状態ですよね。 さてこの時わたしにとって他者は存在しているでしょうか?存在していません。 存在するのは、「怒り」、抵抗、他者のイメージだけです。 しかし「わたしにとっては存在しない」などとは無関係に厳然として現実としての自然たる他者は存在しています。 これが戦争であり、大きな意味での葛藤です。 さて、それでは他者のイメージに他者を近づけて一致させる事は可能か?それは不可能です。わたしにとって存在しない他者をどうにかすることは無理です。 全体性に到るには、まず、「怒り」=反応を見つめ、その流れたる刺激を見つめ、そして相手(他者)を見つめねばなりません。 この順番はとても大切だと思います。 ですから、最終的には「関係性」は「全て」になりますが、「関係性を鏡に」という時、社会関係が先に来ることはなさそうに思うわけです。 わたしは当初からこう考えていたわけではありません。議論の中でそう思ったということです。 自分が一如となり、そして相手を見る時自他が一如となり、全体性に還元されるのではないでしょうか? 自分が分裂していて、社会関係を見つめてそれがありのままの社会関係を見たといえるのでしょうか?歪んだ社会関係のイメージを持つだけではないですか? 歪んみ、くすんだ鏡でお化粧、剃髭する人はいますか?
>>154 kさん、あたま冷やしてね(笑)。
>>145 >ただし、まず「怒っている」時、わたしは怒りでです。内部では分離していません。
>そして相手に「ふざけた野郎だ!」とレッテルを張り、他者を自己をさらに分離します。
怒りが先にあって、それからレッテルを貼るのですか?
レッテルを貼るからこそ、だから怒りが沸くのでしょう。
明らかに順序が逆です。
…考えても無駄さん。あなたも少し頭を冷やしましょう。
ちなみに「瞑想」は、たとえばヴィッパサナーなどでもそうですが、
どこ世界のどんなテクニックでも、まず観察しやすい外側から徐々に内側に向かうものです。
これはかなり真剣な忠告です。
でもあなたが自分で考え始めたのは冗談抜きですばらしいことだ、と思いますよ。
いや、マジで。
159 :
マジレス :2001/05/27(日) 02:23
怒りがレッテル貼りで生ずることと 怒りの原因がレッテルを貼った方にあるか貼られた方にあるか は別の問題。 直接の引き金要因としてはレッテルを貼った方にあるにしても レッテルを貼らせた方に間接要因があるとも言える。 つまり、このような言い方は詭弁だと受け止めることが十分に可能だ。 自己観察にはこのような物言いに騙されないことも重要だな。
160 :
マジレス :2001/05/27(日) 02:28
追加 自己観察のとき、このような視点が欠けていると、自分より聡明な人間によって 容易にマインドコントロールを受けることを許すことになる。 怒りの原因をすべて自己のレッテル貼りに帰着させることができれば (たとえそれが事実であるとしても) マインドコントロールも容易にできると思われる。
161 :
名無しさん@1周年 :2001/05/27(日) 13:27
Kさんが154で仰っていることは、ヨガ指導者の内藤景代さんの教えと 相通じるものを感じました。 (違っていたら、ごめんなさい) しっかり自我を確立した上での大いなる意識・・・この点をきちんと 説いている指導者って案外少ないように思います。
162 :
考えても無駄@名無し :2001/05/27(日) 23:47
>なぜ、刺激と反応を分けるのですか? 私はそれらは一連の分かちがたい関係を形成していると思います。 怒るには怒る理由があるわけです。 その理由はたとえば「私は侮辱された」ということかもしれません。 しかし「侮辱された」と考えたのはなぜでしょう? 実際は、もしかしたら、あなたを侮辱した人はよくよく見ると、 単にあなたのことを知らない人で、 あなたのこと悪く言う噂を聞き、それを信じていただけなのかもしれません この部分を読み落していました。 反応する以前に、すでにこちらにこういう刺激にはこういう反応というパターンがある。これが思考の産物ですね。 そう考えると考えない名無しさんの言い分 >怒りが先にあって、それからレッテルを貼るのですか? レッテルを貼るからこそ、だから怒りが沸くのでしょう。 明らかに順序が逆です。 はわかります。 今わたしの中で起きている感情「イライラ」=出来事による反応 ま、ある異性を巡る「嫉妬」なんですが、嫉妬していることは気づいています。 それはどうも「嫉妬」レッテルを貼っているからではなく、確かに「嫉妬」のようです。 これは「イライラ」反応の理由「嫉妬」=思考の産物ということでよいのか? そうだとして何を見つめるべきなのか?その異性に対するわたしの印象(イメージ)を見るべきか? それともその異性を見るべきなのか?はたまた異性とライバル(笑)とわたしとの関係を見るべきなのか? まずは「嫉妬」という思考の産物を見つめるべきに思うが・・・。どうなんでしょうね
163 :
皇帝ラインハルト1世 :2001/05/28(月) 00:09
>>34 うん。
「管理者の信頼性」については、俺もすでに
>>8 の最終行で問題提起させてもらった。
誤解してもらいたくないけど、このスレはあくまで意見のサンプリングだからね。
164 :
皇帝ラインハルト1世 :2001/05/28(月) 00:10
すれまちがい。すまん!
165 :
考えない名無し :2001/05/28(月) 01:57
>>157 >歪んみ、くすんだ鏡でお化粧、剃髭する人はいますか?
実際には皆さんそうしています。
その「鏡」がホコリひとつないくらい澄み切っているのなら、
そもそもの最初から瞑想の必要もない、とは思いませんか?
>>160 >自己観察のとき、このような視点が欠けていると、自分より聡明な人間によって
>容易にマインドコントロールを受けることを許すことになる。
なかなかいい感じですね。
しかし、それを言うなら、
どのような視点を持つことも役にたたない、というのが本当です。
疑いから反発するのも、信仰から従うのもマインドの質としは同じです。
その聡明な人が、反発する人を右に向かせよう、と思えば、
「左に向け」と偉そうに言えばいいんですから。
>>162 >まずは「嫉妬」という思考の産物を見つめるべきに思うが・・・。どうなんでしょうね」
それは人による、と思います。
あなたは
>>157 で、
>まず「怒っている」時、わたしは怒りでです。内部では分離していません
と書きました。
私は、その状態では見たくても見れない、と思います。
見るためには距離(分離)が必要ですから。
私は「反応も刺激と同じくらい外部のもの」と書きましたが、
あなたにとってはそうではないようです。
まず、自分が観察可能なところからゆっくりはじめればいいと思いますよ。
#時間の関係であんまり詳しく書けなくてすみません。
166 :
考えても無駄@名無し :2001/05/30(水) 23:10
今日「子どもたちとの対話」平河出版を古本屋でGET! まだ途中だけど、あの人は子どもにもあの調子で難しい「禅問答」をするんだな〜〜と関心(?) もしかすると父兄相手の話かもしれないが・・・ あれが入学説明会で、子ども本人の意志で入学するか否かを決めろっていわれたら、子どもは嫌がるんじゃないかな? ただ、あいかわらずとろけるような語り口で、ミーハーなわたしにはGOODな一冊。 わたしの毎日が淡々と淡いものに感じられ、一方でなんとなくリアルさが増しているように思うのは、プラシーボ効果なのかな? 最近目を瞑る(心を見る)のが楽しいんですけど・・・ 相手の話もよく見えるような気がする。思考の流れって言うのかな〜〜。 ま、この間の議論も取り入れて、世界を見つめ、自分の内面、思考の流れをよく見ることにしよう。 自分が炭酸の泡になったみたいな気分・・・・(ウフ)
167 :
Kについて :2001/05/30(水) 23:47
グルジェフに似ている気がしますが。 高岡光によれば、本物1位がクリシュナムルティで 2位がグルジェフでした。 ちなみに同氏は、ずっと昔に、ある精神世界系雑誌で、サイババ批判をしていました。
168 :
@ :2001/05/31(木) 08:12
誰だ?高岡光ってのは?超能力サラリーマンこと高塚光のこと? 彼も誰が本物ということで、そういえる私は本物といっているということに気づかないのかな〜〜。噂の真相にバッシングされるとすぐに噂の真相をヨイショする投稿をして、超能力者と名乗るのを止めるような、一広告マンでしかないのに・・・
169 :
>168さん :2001/05/31(木) 17:05
あの〜高塚光とは全然別人ですよ(藁 『クリシュナムルティ・水晶の革命家』(発売・星雲社/発行・創栄出版 1998) という著作があります。 98時点 ローズマウント・スクール・オブ・セオソフィー主宰 かなりの論争家というイメージは、読後持ちましたが・・・ 皆さん、下記の本も一度、読まれてみては? ピーター・ワシントン 『神秘主義への扉〜現代オカルティズムはどこから来たか』中央公論新社1999
170 :
追加 :2001/05/31(木) 17:12
>167 >ある精神世界系雑誌 パワースペース(休刊) サイババ特集 のことですね。
171 :
考えても無駄@名無し :2001/05/31(木) 20:32
わたしも高岡光ってひと知らない。他に紹介してくれて人も・・・ 当分はクリシュナムルティの解説本は読まないだろうな。 彼の言葉が平明なのにそれを解説するとなると、著者の先入観や思考が幅効かしそうだもの。 そういえば、以前読んだ「デジタル内観」の人もクリシュナムルティフアンだったけど、かなり彼の読むクリシュナムルティとわたしの読むクリシュナムルティではかなり違いがあると思った。 せっかくなら、自分の感じたように読み勧めた方が当分はよさそう〜〜 一通り読んだら解説本も読んでみます。
172 :
名無しさん@1周年 :2001/05/31(木) 20:44
ピーター・ワシントン の本は、クリシュナムルティの解説本というより 神智学協会の歴史を軸に、導師とよばれた人々をめぐる人間ドラマを 描写した著作です。いろんなエピソードが載っている年代記本です。
173 :
水晶の革命家より :2001/06/01(金) 00:33
我々の、いわゆる利他的行為の動機は優越欲であると思うと私はクリシュナムルティに話した。 「それは明白な事実です。」彼は答えた。 K:宇宙の貯蔵庫みたいなものがあって、どんな人のどんな行為も記憶されています。利己心の全くない心だけがそこと交流できるのです。 フリッツがクリシュナムルティに「ドンファンの教え」についてどう思うかと尋ねたところ、彼はそれが偽作であると仄めかしたと言う。
>>167 クリシュナムルティはエリート、グルジェフはたたき上げって感じがする。
似てると思うけど、何であんなに方法が違うんだろう?やっぱり、それぞれの
個性(性格)なのだろうか?それとも、環境?二人ともそういうものから自由
なはずなのに・・。どう思う?>all
175 :
考えても無駄@名無し :2001/06/01(金) 09:18
グルジェフはその弟子の書いた本しか知らないので、どういうことを語っていたか知らないのですが、そんなに似ていたかな〜〜。「何とか水素」とか変な用語など使って、神秘的で面白そうだけど、すごく大雑把に言うとどういう教えだったの?例えば、Kの「無条件の精神」「わたしは何も信じない」みたいなキャッチコピーでいいから教えて(^^)
176 :
:2001/06/01(金) 11:09
>>173 K:「私はクンダリニについても詳しく知っています。
----それについての本は一冊も読んでいませんが。」
なんていうのもありましたね。
177 :
考えても無駄@名無し :2001/06/01(金) 14:16
>>176 ふむ、面白そうですね。しかし神秘主義からかなり遠いところにいる孤高の人=クリシュナムルティというイメージは崩れました。 眼から鱗です。クンダリーニやアーカシックレコードなどへの言及が彼からあるとは・・・ やはり神智学出身だもんな〜〜。 かなりイメージを通して彼を見ていたんだな〜〜、わたしは。 正直アーカシックレコードがあるとか、クンダリーニには興味ないです。でも、利己心(自我=エゴ)のない状態にそういうものが表れるのは一向に構わない、そんな感じ。 わたしのような思考イメージによって自動機械となったものには、Kは何度「自分を見つめる」といっても多すぎる事はないから、講話の中でも、それのみを強調してきたのかな?などとまたまた類推してしまう。 クンダリーニやアーカシックレコドなどをリアルさをもって語れる日がわたしにくるのかな? ここではだいぶベテランのKフアンに教えてもらっている状態だけど、皆さんが味わっている状態の一部でも味わってみたいもの。 まだわたしは自分を見つめる時に立ち上がる新鮮な「リラックス&快感」に酔っているだけみたい。 こういうのは「善悪」「快・不快」という2元論でしかないんでしょうね。 もっと「ありのまま」に「うんこはうんこ」でしかなく、「うんこはきたない」というような価値判断から自由な心になりたいな〜〜。
>>175 その本ってウスペンスキーの「奇跡を求めて」?私もグルジェフ自身の本はよく
わからなかったから、それを読んで味わった程度。グルジェフの教えはキャッチ
コピーで語るのはあまりにも広範囲だけど、まず人間機械からの自由がテーマかな
と思う。その取っ掛かりとして、自己観察を重んじてるところが似てるのでは?
「グルジェフとクリシュナムルティ」って本もコスモスライブラリーから出てたから
その辺に詳しく書かれてあるかも。ちなみに、私は読んでません。
グルジェフは方法論をかなり具体的実践的に説いてる所が、道を具体的に示さなか
ったクリシュナムルティと決定的に違うから、比較すること自体に意味があるのか
どうかわからない。でも、すごく気になることも確か。
>>177 クリシュナムルティと実際に会った事はないけど、たぶん普通に尊敬できるいわゆる
「常識的」なひとだったのでは?と想像してしまう。だから、ありのままに「うんこ
はうんこ」として認識するにしても、やはりちゃんとフイて(笑)清潔にしてたんだ
ろうなと。こういう解釈って性善説ぽくって自分はあまり好きじゃないけれど・・。
180 :
名無しさん :2001/06/02(土) 00:42
181 :
考えても無駄@名無し :2001/06/02(土) 01:28
そうか自動機械からの自由、これは神秘主義の基本かもね。 グルジェフは話が難しいんじゃないかな〜^と「第4の道(?)」を読んで思った。 Kは普通の人っていうのはなんかいいな〜〜〜 かれから神秘主義はいまだ感じとれないが、何でこんなによどみない口調なんだろうと思う。 涼しい人なんだろうな〜〜。こう対面すると何でも話してしまいたくなるような・・・ あんなふうに人に接してみたいな〜〜と思わせるものがあるよね。 茶会などの奥義もああいう無駄のなさなんだろうな。人のもてなし方にも美しさを感じちゃう。 「私は何も信じない」で無名の人との対話にそれを感じました。 あ〜〜、彼の生前の姿が見たかったな〜〜〜
182 :
考えても無駄@名無し :2001/06/02(土) 16:02
ちょっぴりクリシュナムルティふんの前で愚痴っちゃを(^^;) ウザかったら無視してね。 異性問題でまたふ〜〜〜と「嫉妬心」が湧いてきちゃった。好きな異性ではあっても「お付き合いしたい」というよりそれまでお友達でした。 でも他の友人がその人のことを好きになって口説き始めたんです。そうするとその異性のことをとられるような気がして急にその人のことを好きになっていったんです。 それが明らかに所有欲からくる嫉妬とわかっています。だから、それをそのまま味わいました。 そして消えていくのを感じました。 でもまた嫉妬心が湧いてきちゃうんです。その異性から相談されるたびに・・・・・。やはり嫉妬でしかないと思うわけです。実際その人たちが付き合わなくなっても、私はその人を口説いたりしないでしょう。 わたしは非生産的なことをしていますよね。 そんな気持もそのまま味わって、思考を止める一助にしていくのが「関係を鏡に」とアドバイスされた意味だし。 ふ〜〜〜〜。
>>182 所有欲からくる嫉妬の無意味さを痛感するためには、実際に横やりを入れて
その恋愛を妨害し、その人を手に入れることからやってみればいいのでは?
たぶん後味が非常に悪いと思うので、是非やってみる事を薦めるね。
クリシュナムルティの本を読むよりよっぽど実感すると思うよ。これは別に
煽りでもなんでもなくマジレスだよ。
184 :
名無しさん :2001/06/03(日) 01:35
クリシュナムルティに言わせれば、恋愛において純愛は存在しない、
恋愛もただのエゴと欲望のぶつかり合い、ということになるんだろうね。
>>183 恋愛だけじゃなくて、嫉妬が動機で部下や後輩にくだらない正論ばかり言って
説教ばかりする上司がいるんだけど、いつも後味悪がってるよ。
いちど、クリシュナムルティでも紹介してあげたいけど、部下の忠告、諌言
なんてまず受けない人だからねえ。
みんなからウザがられて孤立しちゃってるよ。
185 :
名無しさん :2001/06/03(日) 01:58
クリシュナムルティを上司に紹介しても無駄っぽいな。 そういえば、俺が説教されたとき変な人生哲学書みたいなのを 引用して人間はこういうもんだからお前はこうあるべきみたいな ことを言われたな。 クリシュナムルティを読んでも無駄だろうな。 上司の中で後味の悪さが極点に達するまで待つよりほかはなさそうだ。
>>185 その「変な人生哲学書」ってなんですか?
論語とか・・。
>>186 論語ではございません。
なぜなら俺は学生時代、論語を暗誦できるくらい読み込んでいたから。
上司も論語をひいてくるくらいなら尊敬できるんだが。
「まず、人には自分の理想があってその理想によって今の生活が縛られる・・・?」
みたいなことを言ってた。
俺が何か変な理想に束縛されててまっとうな感じ方が出来なくなってる、
みたいなことを言いたかったのかな?
よくわからないよ。
188 :
考えても無駄@名無し :2001/06/03(日) 07:22
私の愚痴にマジレスくれてありがとう。どうするかは当該と私の3名が徹夜で呑んではなしたけど、結果は出ずじまい。 正面から向かい合うつもりではあります。
>>187 そうか・・。論語好きだったのですね。「変な」って所に論語を引き合いに出したの
は大した意味はありません、ちなみに。私も孔子は好きです、人間的に。
でも、上司の言っていることってそのフレーズからすると、クリシュナムルティと気が
合いそうに思うけど・・。それだけでは何とも言えませんがね。そんなことどうこう
より、とにかくウザイ人っていうのはどんな事いってもウザイし。
>>188 まぁ、「実際は」そんなとこだね。
190 :
考えても無駄@名無し :2001/06/04(月) 02:24
>189さん そう、その「実際」を大事にしたいです(^^)いまとてもフラットな気分であります。
191 :
K :2001/06/04(月) 21:22
比較的若い頃の肉声を聞いてみたいのですが、どんな感じなのでしょう。 (最晩年のビデオテープしか見たことがありません) マンジュゴーシャ(仏陀の口)とは、このような話し方を言うのだろうか? と「水晶の革命家」(高岡光)に書いてありましたが。
192 :
トパトパ :2001/06/04(月) 22:23
>>191 晩年とさほど声の質(やや高めの鼻にかかったような)は変わらないが、勢いが凄い時がある。
翻訳版はないが"WITH A SILENT MIND"というKのバイオグラフィービデオは貴重な映像や
若い頃からの友人が語るエピソード満載でオススメ。
そのなかでドリス・プラットというおばあさんが若かりし頃、20代のKに
「この次に(Kの次に)ロード・マイトレイヤが化身するのはいつか?」と尋ねたところ、Kは
「500年後だ」と答えたという。
そのプラット女史は「世界の涙が世界教師を作る」というKの言葉にインパクトを受けたと語っていた。
193 :
考えても無駄@名無し :2001/06/04(月) 22:37
うひょ〜〜、このスレッド立てた甲斐があるってもんだ。 191&192さんすごい情報ありがとう!(感涙)
194 :
トパトパ :2001/06/05(火) 00:30
195 :
:2001/06/05(火) 00:44
>>177 故ププル・ジャヤカール女史の伝記にはオカルティックな話が沢山でてきますよ。
クンダリーニについてもいくつかの対談本でかなりつっこんで話してました。
あらゆるオカルティックな事柄を熟知していたのは間違いないでしょう。
196 :
NANASI :2001/06/05(火) 01:59
私は彼の顔も好きです。
197 :
:2001/06/05(火) 02:33
クリシュナムルティの動画うっぷきぼんぬ
198 :
ナナシ :2001/06/05(火) 02:36
>>トバトバさん 貴重な情報Thanks!
199 :
ラジニーシ :2001/06/06(水) 14:43
和尚について K「彼は犯罪者です」
200 :
:2001/06/06(水) 21:25
↑ま、真実ですからね。
201 :
考えても無駄@名無し :2001/06/06(水) 23:42
そんな本当のこといっちゃうんだな〜〜、Kは。 私は好きですよラジニーシ。レクター博士同様に博学で、人の心をよーく知っていて、洗練されたものと悲鳴ならぬ賞賛をこよなく愛した伊達オトコ。 生前に会っておくべきでした。距離をおいて、礼節を保って・・・ウフフ
202 :
竹脇ムーガ :2001/06/07(木) 02:20
大野純一の訳は変ですね。 訳文としての読者への効果を考えず、自分に酔ってる感じ。
203 :
名無き身 :2001/06/07(木) 02:35
1985年頃のKの プライベートトークで。(未公刊資料より) 質問「ラジニーシをどう評価されますか?」 K「彼がかつて光明を得たのは確かだ。しかし今それを失ってしまっている」 というのがあります。
204 :
ナナシ :2001/06/07(木) 02:43
>>202 もう少し具体的に言ってちょうだい。>訳文としての読者への効果
どういうこと?
自分に酔ってる感じ<これは、まぁ、わかる気がする。
205 :
竹脇ムーガ :2001/06/07(木) 03:39
訳業っていうのは「この(英語の)ニュアンスは凄い、これを伝える
にはどういう表現が相応しいだろう?」・・・という、
他者に伝えるための言葉の案出でなくてはならないと思うんですが、
大野氏は「覚者が語っているイメージ」を勝手に作り出して、
(多分それに自身を重ね合わせて)そいつに語らせてる、読者を無視して。
…という印象を持ちました。
>>204
206 :
ナナシ :2001/06/07(木) 03:50
>>205 なるほど、よくわかるよ。丁寧にthanks。
あんまり原書にふれたことないんだけど、(当方の語学力からして)
原書読んでより細かいニュアンスがわかったという経験はあるね。
大野氏の問題なのか日本語の問題なのか俺にはわかりません。
そんなにいい訳ってのも、K以外の訳書でもあまりお目にかかったこと
ないしね。なにかお薦めの訳書ってある?(Kの本で)
207 :
ななし :2001/06/07(木) 04:14
クリシュナムルティは聖者の中ではいちばんのイケメンだよな。
208 :
竹脇ムーガ :2001/06/07(木) 06:25
>>206 「自己の変容」the urgency of change(めるくまーる)かなぁ?
質問者(アラン・ノーデ)の質が高い。質疑が徹底している。
209 :
:2001/06/07(木) 10:30
>>203 >1985年頃のKの プライベートトークで。(未公刊資料より)
>質問「ラジニーシをどう評価されますか?」
>K「彼がかつて光明を得たのは確かだ。しかし今それを失ってしまっている」
>というのがあります。
これはあり得ないですね。「光明を得た」というのもどういう意味で言ってるんだか。
かつて得て、今失ってしまうようなものをKが「光明」と呼ぶかね?
1985年頃といえば誌の1年程前。プライベートトークというとごく身近な人たちとしかしていない。
体がかなり弱っていたんでね。それらの身近な人たちがラジニーシについて殊更Kに質問する可能性はほとんどなかった。
210 :
BM :2001/06/07(木) 12:20
>>209 Kの死の一年前だろうが、気になっていれば質問する者がいてもおかしくないと思うが?
Kの追随者の中には、Kがラジニーシにおちょくられ、それがいつまでも気になっている
人物がいても自然ではないだろうか?
あなたがその時期、Kにしばらく付き添っていて、つぶさにその状況を御覧になっていた
のなら、あなたの仰ることは納得できるのだが。
>「光明」について
ブッダの弟子ゴーディカは6度光明を得たが、6度失ったらしい。(「テーラ・ガーター」)
またブッダも「つねに気をつけておれ」(「スッタニパータ」)と語っているので、気をつ
けていなければ、渇愛にとらわれて落ちてしまうこともあるのでは?
とりあえず参考までに。
211 :
考える名無しさん :2001/06/07(木) 12:35
クリシュナムルティたん、ハァハァ
212 :
考えても無駄@名無し :2001/06/07(木) 13:28
>光明 少なくとも、もともとの光明から堕ちたからこそ、光明に戻ろうとするわけですから、光明をえてもまた堕してもおかしくないわな。
213 :
ナナシ :2001/06/07(木) 14:10
>>209 出典の記事を書いたのは、ラジニーシの女性信者で、短いコメントでした。
Kの言葉が正しく伝わっているのかは、保証のかぎりではないですが、
英文も併記しておきますね。
He replied,"Certainly he was enlightened,but he is no more."
とクリシュナムルティがこたえたと記されています。1984〜1985年頃の
個人的なインタビューです。
215 :
考えても無駄@名無し :2001/06/07(木) 20:31
>ナナシさん >所有欲からくる嫉妬の無意味さを痛感するためには、実際に横やりを入れて >その恋愛を妨害し、その人を手に入れることからやってみればいいのでは? >たぶん後味が非常に悪いと思うので、是非やってみる事を薦めるね。 >クリシュナムルティの本を読むよりよっぽど実感すると思うよ ほんと、おっしゃる通りですわ。3者会談して結果出なかったけど、のち異性から相談を受けました。 判り易く端折っていうと「Aさん(ライバル)の求愛は迷惑だ。」という意味のことを遠まわしに言っていました。 で、友人でもあるAさんにわたしからその旨「うまく伝えて欲しい」との依頼。 3者会談で深入りしないでおいてよかった!!深入りしていたら善意の第三者たれなかったもん。 やっとこさ、友人Aに伝えました。理解を得ました。 後味?ん・・・・、嫉妬と知っていたいたんで、やはり異性への気持は恋愛感情とならないし、Aさんから異性を奪ったわけじゃないんで、両者の役に立てたぐらいの気持です。 でも、「関係を鏡に」の意味がすこしわかったような気がします。
216 :
ババ :2001/06/07(木) 23:45
サイババ版よりははるかにレベルが高いな。
217 :
果 :2001/06/08(金) 03:56
Kの言葉を咀嚼していくと心の変容もそうだが視界というか、世界 の見え方が変わると思う。今まで見えなかったものが見えませんか? 私は意外なものが見えるようになりました。 (くわしく書きませんが)皆さんそんな体験ありませんか? 余談ですが最近、注目を集めている認知脳科学の「こころのはたらき」に対する 見解は 「こころのはたらきは記憶である」 という日本人研究者酒井邦嘉の見解らしい。 これは、Kを知っているものからしたらあたり前のことなのに。 彼の示唆する知覚のはたらきもKの見解と似ている。 興味のある人は調べて下さい。科学がKに追いつくかも。
218 :
考えても無駄@名無し :2001/06/09(土) 00:30
認知科学っておもろいよね、あとアフォーダンスなんかも。 意外なものが見える?見落としていた傷や濃淡とかは見えますが、それ以外は見えません。 ないものは見えないです。 あと周りが明るく見えたりします。
219 :
K :2001/06/09(土) 00:58
神とか愛とか求めても、自分の本当の姿をしっかりと見つめなければ、 自己欺瞞に陥ると思います。 そういうことを教えてくれたのはKでした。
220 :
森田療法 :2001/06/09(土) 02:14
森田正馬もクリシュナムルティとおんなじようなこと言ってる。 事実唯真 あるがまま 現在になりきる たしか、心理療法の本にクリシュナムルティのこと紹介されてたな。
221 :
果 :2001/06/09(土) 02:55
>219 一般に宗教団体は、現世を否定し「自分達=聖 世間=俗」といった図式 で現実社会を否定しますよね。そのくせ部外者からみたらその団体は現実社会 より俗ぽかったり....。自分達の利己的追及を「神の仕事」とか 「真理の追究」とかいった都合のいい言葉に置き換えて自己を欺いたり...。 真実を現実を否定したり逃避したりすることに求めたり..。 Kの言葉はありとあらゆる欺瞞、逃避、に気付かせてくれますよね。 Kには一般宗教が持つ不健康がないのがいいですね。
そういえば、コリン=ウイルソンがKのことを批判していたなあ。 全く的外れだったけど。コリン=ウイルソンは三島由紀夫に対して も全くいい加減な批評をしていたな。コリン=ウイルソンは グルジェフに関しての理解力は卓越しているのに。結局、自分に都合が いいか、悪いかで批評している気がするな。コリン=ウイルソンは。
Kを知って聖書を読むと、全く違って見えますよ。 一度読んでみてください。Kに詳しい人。
224 :
名無しさん@1周年 :2001/06/09(土) 06:08
h
225 :
ナナシ :2001/06/09(土) 10:35
>>222 手短でいいから、コリちゃんはKのことなんて批判してたの?
226 :
:2001/06/09(土) 11:45
>>223 確かに!
Kはまた言葉本来の意味を取り戻してもくれます。
「ヴェーダーンタ=知識の終わり」とか。
227 :
考えても無駄@名無し :2001/06/09(土) 15:53
>神とか愛とか求めても、自分の本当の姿をしっかりと見つめなければ、 >自己欺瞞に陥ると思います。 >そういうことを教えてくれたのはKでした。 うんうん、、上記嫉妬ゲームで改めてそう思った。 その続き書かせて・・・ 例の異性、わたしに「Aさんの迷惑と伝えて」といったので、うまく伝えたんだけど、急に自分への関心の眼がなくなってさみしくなったか、Aさんに「たまには連絡してくれ」と電話したとか・・・。 Aさんから電話が私にあってそれを聞いた。その異性は「Aさんからたまには連絡させてくれといわれ、しぶしぶOKした」ですと。 それでまた、私は変な嫉妬をする。 これって自分自身を見つめてないってことだよね〜〜。 本当にクリシュナジーには教えられるよ・・・・ >森田療法 これもかなり読んだな〜〜。でも、その弟子はクズばっかり。そんなもんでしょうね。
>225 コリン=ウイルソンは主に彼の教えの「体系だっていないこと」、「具体的な形を 取っていないこと」をロム=ランダウとかの発言を引用しつつ批判しながら 「彼からは何も得る事がない」と結論していましたよ。 図書館で読んだ本で書名は忘れましたが、世界の神秘化、小説家等の雑多な 知識を網羅した本でした。三島由紀夫に関しては「単なる変態」 といった扱いで三島にあまり詳しくない私ですら憤慨ものでした。 彼の行動を「本気のクーデター」と捉えて冷笑したような文章で 批評家の癖にワイドショーのような評論を書いていました。 Kに関しても三島に関してもかなり「知らないのに書いている」雰囲気 で満ちていました。
229 :
ナナシ :2001/06/09(土) 21:02
>>228 Thanks!
コリちゃんの言いたいこともわからないでもない。
具体的なことをKはあまりにもはしょりすぎたと思う。
それは「そういうことに囚われないように」というKの配慮だとは思うんだけど。
コリちゃんは知識大好き人間だからその辺はゆずれなかったんだろう。
230 :
考えても無駄@名無し :2001/06/11(月) 22:37
脱線しまくりは私も同罪だけど、クリシュナムルティーのもっとフォーカス当てようよ〜〜〜
231 :
K :2001/06/12(火) 23:56
やっぱりKは美しい。 見た目が美しいって大切だと思います。 やばいカルトのグルで、美しい人を見たことがありません。
クリシュナムルティね。眠ったような顔をしてるね。シュタイナーは逆に神経質的だし。 それにくらべりゃまともか。だた、胆力は皆無に等しい。 現実問題として、ヤクザと口げんかしたら、子犬のようにあしらわれるだろう。 その点グルジェフなら、そうはならない。ここの微妙な差が天地ほどの差だと気付けないようでは、 神秘学を学ぶことが無意味になるんでないの?
233 :
グルジエフ :2001/06/13(水) 00:39
現在私の本物表第二位を占めているのは「男の中の男」グルジエフである。 クリシュナムルティの教えのほかに私が最も興味を持っているのはグルジエフのそれであると言った後、私はクリシュナムルティに聞いた。 「彼(グルジエフ)は貴方に会った事があるのではないですか?」 P:I believe he met you. 「いいえ。しかし私の友達の何人もが彼の一時的な弟子でした。」 K:No. But I had many friends who were his disciples.Everybody left him 「彼はかなり知っていました」 P:He knew quite a lot 「少しです」 K:Little 高岡光「水晶の革命家」
234 :
:2001/06/13(水) 01:08
>>232 何が言いたいのかさっぱり・・・。
神秘学を学ぶより、格闘技をやってくれ。たのむ。
235 :
ナナシ :2001/06/13(水) 01:13
そういえばグルジェフスレってないな。 232が立てたら?
236 :
名無しさん :2001/06/13(水) 01:17
>>232 に言わせると、
グルジェフ>ヤクザ>クリシュナムルティ>シュタイナー
ってことでいいかな?
237 :
考えても無駄@名無し :2001/06/13(水) 19:23
序列つけたい心理って、やっぱ「適応したい」なんだろうな〜。「ありのままにみる」、その時の強烈な孤独感、寂謬感=抵抗に耐え切れない叫びなのか?
238 :
身体意識 :2001/06/14(木) 01:34
ピエールさんは、高岡英夫のところに行ってください。 ちなみに私は、転会空手をやっていました。
239 :
NANASI :2001/06/14(木) 01:51
ピエール=考えない名無しのおとうと
言いたい放題だな。つまりは、自己統制に関しての重要性を説いているの。 言うはやすし、だが実行には、「言う」に使った資質とは全く別の物が 試される。それは、感情の制御であるし…。 つまりだ。オウムは基地外集団だが、執着を絶てだの人を愛せ、だの 盗んだ協議の中に光るものはあった。だが、あの殺人集団のなかでは、それが 何の意味もない。つまり、クリシュナムルティには、直感を実行に移すだけの 器がなかったといいたいの。張り倒すには、サイババには躊躇するが、 クリシュナムルティなら、なんとかできるかもしれない。 そういう状況を考えると、純粋で心が綺麗な空想家にしか、ワシの目にはうつらんのよ。 クリさんを見て。
俺はサイババを殴るのに躊躇しない。胡散臭い人間を殴るのに何故 恐怖するの?手に脂が付着しそうなので、そういう意味では躊躇するが..。 俺は宗教家が基本的に大嫌いだが、クリシュナムルティは組織を自己拡大の 道具にしなかったのでそれだけで十分、尊敬に値する。救世主にでっち上げられ そうになった時も命がけでかわしたようだし。 (別に彼の言葉で普段は動こうとは思わんが..) クリシュナムルティが一番宗教関係で好きな俺はヤクザに拉致されたことが あってしかも、どうにかしたがそれがなにか?口喧嘩ですむと思うか? そんなわけねえだろ。ヤクザ関係以外で3回も殺されかかっているが 役に立ったぞクリシュナムルティの言葉は色々とな。 (死にかけて始めて役に立つと知ったが)まあお前も一度死にかけてみろや。 宗教関係の言葉でどれが一番現実に適応してるか分かるから。 格闘技じゃだめだぞ。ルールも糞もねえ危機に出会え。 その意味ではヤクザに拉致られるのが一番かもな。 まあ、お前が自分で身体はって試してみろや。別にクリシュナムルティ信者 じゃねえから、どうでもいいんだがな。誰が役に立とうが。
242 :
クリシュナジー :2001/06/14(木) 13:34
241おもしろいんでクリシュナジーあげ
243 :
トパトパ :2001/06/14(木) 23:57
>>240 >クリシュナムルティには、直感を実行に移すだけの
>器がなかった・・・・・
あなたの言う「実行」とは何を指すのですか?
>純粋で心が綺麗な空想家にしか、ワシの目にはうつらんのよ。
>クリさんを見て。
感じ方は人それぞれだが、私には空想家には見えんな。
空想家ほどKと隔たった存在はないとさえ感じる。
上は面白い(笑)。また勘違いしとるよ。あのね、サイババは詐欺師。だが、クリシュナムルティは 哲学者だ。思想という点では比べようもない。問題は、内的な力。 これは、クリシュナムルティ個人に対して言っているのであって、思想を否定するモンじゃないよ。 めんどくさいな。もう、説明すんの面倒だから、一言言っておくと。 一般人よりも、大胆なヤクザの方が、「道」に近い。内面の力とは外面に現れる。これに類することをユングは言っていたではないか。 「その人の社会の接し方がその人の心だ」と。その点では、詐欺師といえどもサイババのほうが、 世の理に通じている。ただし、世俗諦と真義諦というものがあって、 いくら豪華なダンプに乗っていても、それを運転する者が、アホなら、 どこかの家に突っ込むか、交通事故。はては、行き先も知らない。ラビリンス運転に終始してしまう。 わかるか?? クリシュナムルティの思想は、その与えられた者にとって、いくらでも使い道はある。 それは宝にもなる。問題はクリシュナ自体の「存在」。例えるなら、 オンボロで、さび付いた車に乗った、聖者のようだ。目的地は知っているかも知れんが、 車はそこまでたどり着く保障はない。 こう言ってもまた、誤解すんだろうがな(苦笑)。 クリシュナムルティの思想を実践するなら、彼が否定されても、心を一切動かさないことだ。 動かした時点で、その思想は、自我の罠にはまり、無意味なものになる。
245 :
トパトパ :2001/06/15(金) 01:08
>>240 なるほど態々レスサンキュ。
ま、私も魅かれはするが信者ってわけじゃないんで彼が否定されても別にどうって事はないんだが。
色んなところで否定されまくっているし、誤解されまくっているようだから。
ププル・ジャヤカールやメアリー・ラチャンスの伝記読んだ限りでは、彼女らがKのガチガチの
信者だとは思われず、内容も信憑性が感じられた。
それらを読んでKはやはり本当に「世界教師」のヴィークル(器、乗物)だったんではないかなと思った。
それらの伝記はあまりにミステリアス過ぎる。非常にエソテリックでもあるし。
247 :
ナナシ :2001/06/15(金) 02:26
>>244 ピエール氏の言う所の内的な力というのはわかるが、そういう一種のパワーという
尺度でだけはかるのはいかがなものかと思う。心の静寂もパワーを源とするもの
なのか?内的な力というものと自我とをどうやって区別するのか?
ヤクザの力強さも自我のパワーのように感じるのだが、どうだろう?
もっと自我を磨けってことなの?
そういう意味なのならわかるが・・。
まあ、ピエール のいう事には一理ある。理解しがたい感覚かもしれんが 「俗を徹底し聖に達する」ことは、あると思う。(俺の達観) ヤクザは独自の倫理がある。一般とずれているので気が付かない人間もいるが ヤクザは自分に『倫理』を課しそれを命がけで守ったりする。 日本はどちらかといえば『道徳』を重視し、内面はおざなりだ。 これは『本音と建前』とか『ハレとケ』の区別とかのゴミのような言葉で わかんだろ?外面的規範重視で内面はおざなりなのは色々問題があんだよな。 いうなりゃ「人に悪く見られないように道徳的に振舞おう」とかそういう 思考がある場合カント曰くの『仮言命法』でクリシュナ曰くの『観念の重視』 だな。その点ヤクザは違う。『外面的道徳はおざなりで自己の内面的倫理 を命がけで守ったり』する。一般人と逆だ。これは高得点だ。 しかもよく死にかけるだろ?あいつら。これは結構意味深いことやねんぞ。 〔続く〕
面倒臭いので途中でやめたが、気が向いたらまた書くわ。
250 :
考えても無駄@名無し :2001/06/16(土) 00:05
なんか変な会話だな〜〜。>1 クリシュナムルティーの言葉には惹かれまくりの重病人の俺なんだけど、それでも彼の言いなりになる気は全然起きないな〜〜。。 ただ、「ありのまま」にみるっていうのを文字通り「ありのまま見ている」とことを実践していると、表現しがたいような静寂があるよ。 もちろんずーっと維持できているなんて状態じゃないけど。そうすると彼の言葉がとてもリアリティーをおびてきて、彼が口にしていないその先をうっすらと見えるような気がする。 私はそれで「ああ、彼はこれを実行して来たんだな〜〜」と思うわけね。 これって内面重視だけど、外面というか行動も次第に一致してくると思うんですよ。 彼は元々ヤクザと喧嘩することを語ってないわけで、「ヤクザの極道社会内の掟厳守」はそれはそれで立派だと思うよ。でもスケールが狭いじゃん。 それなら共産党内の規律だって同じようなもの。 選択してこの地に生まれたわけではない私たちがこの地でどう生きるかを模索するのと、自発的選択で入ったヤクザや共産党内部での鉄の規律を守るのとでは全然位相が違うよ。 でもヤクザとやばい状況で遭遇したら、それはそれで心の中に隠れている自分の固定観念とかを見つけられて勉強にはなりそう。ただし、生きて帰ってこれたらばのはなしだが。 クリシュナムルジーの場合は、対立することを望まないから、胆力があるような顔してなくて当然だと思うがね。 植芝盛平も若い頃は胆力ある顔していたけど、技は凡庸だったそうです。 対立しない心となった晩年の彼はとても安らかな表情ですよ。胆力なんか感じない。 顔に出る胆力って言うのはブサイクなもんだと思うがね。麻原なんかがいい例。
251 :
:2001/06/16(土) 00:22
サイババは何かに憑依されているような顔しているね。たぶんそうだろう。 霊能力に関してもKはサイババなど足下にも及ばないのは確かだろう。 和尚もただの大口叩きだな。自分で言うほど力は持っていなかった。
>250 よくできました。といいたいが、言っては悪いが、思考の素材そのものが、 凡庸すぎて、スタートからゴールまでの論理の展開が直線過ぎだよ。 バイオリズムに左右されて、あー今日は悟りが深いな。アー今日はダメだな。 なんてクリシュナムルティはいわゆるクリちゃんとしか言えない。 彼の最大の欠点は「存在」に対する認識が欠如していた。 つまり、脳科学の力で、悟りを作り出せる時代がくれば、クリちゃんの思想は、 詩人に成り下がる代物だ。
250 ただ、内観(自己観察)。ヴィッパッサナー瞑想的な「ありのまま見ている」状態を実践しているなら文句はいわない。 自分に気付き続ける。それは、夢の中で、自意識を持つようなものだからな。
254 :
FHM :2001/06/16(土) 01:05
>霊能力に関してもKはサイババなど足下にも及ばないのは確かだろう。 霊能力というのは全く重要じゃないんだが。 そんなこともわからんでKのファンみたいなコメント書くなよ。
255 :
:2001/06/16(土) 01:54
>>253 >彼の最大の欠点は「存在」に対する認識が欠如していた。
要するに彼は偽善者、嘘つきだ言いたいわけだな。「存在」に対する認識が欠如していながら
真理、神、愛について語り続けていたのだから。
>つまり、脳科学の力で、悟りを作り出せる時代がくれば、クリちゃんの思想は、
>詩人に成り下がる代物だ。
脳科学の力で作り出せる『悟り』なんて安っぽいね。そんなもん悟りじゃないんじゃない?
脳科学の力で真理が体得出来る時代なんて絶対来ないと思うがね。ニュー永治っぽい考えというか
希望だな。
>>254 そんなことは解ってるよ。本物はその気になればどんな霊能力でも
使えるって事が言いたかっただけ。Kは主に癒しと透視くらいしかあえて使おうとはしなかったようだが。
霊能力=本物の証 ではない事は百も承知。ある種の技法で得た霊能力と覚者のそれとでは質が違う。
いや、未だに和尚に霊能力があったと思い込んでるアホがいるみたいだからさ。
百歩譲って、霊能力があってもいいんだけど、どうせ妄想とゴッチャになった低レベルな霊視程度だろう。
きっとそこまでも行ってないよ、彼は。 際ババもね。
256 :
ピヨ :2001/06/16(土) 01:56
ここってなんかむつかしいお話がいっぱいなんですね。 なんかここまでくると、あのわずらわしく思ってた「ギボーン」とか言って割って入ってくる人がみょーになつかしくなります(笑)。
257 :
BONG :2001/06/16(土) 07:18
おもしれー。面白いよ。2chでクリシュナジーのスレに出会えるとは夢にも思わなんだ。 過去ログ全部読んでたら朝になっちまったよ。もう鳥肌立まくり。アザーネスとやらが訪れそうな勢いだよ。 ところでボームとの対話では随分アツく時間をかけて「覚者の本当の仕事」について問いかけているよね。彼に関する文献であそこまでそれについて突っ込んだモノをオレは読んだことがないんだけど、どう思う。
258 :
FHM :2001/06/16(土) 12:55
>255 >霊能力=本物の証 ではない事は百も承知。ある種の技法で得た霊能力と覚者のそれとでは質が違う。 いや、そういう言い方自体、 あなたが霊能力やら奇跡やらの本質を理解していないことを示していると思うんだが。 試しに、ある種の技法で得た霊能力と覚者のそれ、がどう違うのか説明してくれよ。
259 :
トパトパ :2001/06/16(土) 13:00
>>257 「ジ・エンディング・オブ・タイム」や「人類の未来」ですよね?
特に前者の第8章「洞察は他人によって目覚めさせられ得るか?」(うろ覚えで申し訳ない)
では「存在の基盤と繋がった者」をX(つまりはKのこと)、「普通の人」をYとしてXの
性質について対話しているが、確かに「覚者の本当の仕事」についてあそこまで突っ込んだ
対話は他にはないと思った。エソテリックな事をあそこまでシンプルに表現したのは素晴らしい。
「X(覚者)は講和、著作、簿記などをするかもしれないが、そんなことは彼の活動の中ではちっぽけで
取るに足らない一部分に過ぎない。」というようなことも言っていた。簿記っていうのがユーモラスだ
講和や著作が取るに足らない一部の活動だとすると、その他の「活動」とは一体何なんだ?
確か別の章で「Xがこの世に臨在することによって全人類が超感覚的な影響を受けるに違いない。」
というようなことも語っている。きっと目に見えない高度な仕事をしていたのだろう。
ボームとの対話は本当に興味深い。
241だ。スレの方向とは関係ない話をしてしまったこと。反省している。 ざっと、見た所、クリシュナは自己を崇拝する病人を作り出していないようだな。 皆、一歩引いて彼の言説を検討し、盲目的に追従していない。素晴らしい。 他スレを見ろ。下らないぞ。「あの人は聖者だ」「あのお方は○○の転生だ」 とかそういうアイドル応援と大差がない所を彷徨い、その自らの思考の無根拠 を省みようとしない。 クリシュナの言説はそのような幻影を破壊することにやはり効果があるようだ。 クリシュナは宗教でも思想でもないと思う。否定をもって事実や真理を導く あの姿勢は科学に近い。俺のような宗教家アレルギーの人間にも訴える物がある。 信じることを強要して神に対する恐れを説くくせに他人に対して「神はああだ こうだ」言う奴は「俺が神だ」と言うのと変わりがねえジャン。あれは 神を利用した自己拡大だ。本人は気がついていないのが恐ろしい。 ついでに言っておくが俺は真理なんか興味がないし悟りなんて不気味なもの 得たくない。ただ、人間の認識能力の限界、意思疎通の限界、人間の意識とか 雑多なネタに興味がある。その一環としてたまにこのスレに来てるだけなので 「ムカツク」とか「氏ね」とか言わないように。でもクリシュナの本だけで 14冊は読んでるので1なんかよりは詳しいから居座るの許してくれや。 「来るな」と言っても名前変えりゃ分からんだろうし。じゃあ、また。
>>259 レス有り難う。
ココがキモのような気がしてます。このスレも含めてあらゆる娑婆でのアレコレが謂わばワルアガキなのかも知れませんが、この視点が有る限り我々の関係も不毛なモノに終わらないような気がしとります。
>>260 来るがエエ 来るがエエ ワシも来る
262 :
K :2001/06/17(日) 01:55
241の人、おもしろい。 もっといろいろ聞かせてくださーい。
>241 の言っていることはもっともだ。人を見抜くには、「そいつが何に興味を持っているか でわかる」これはワシの名言なのだが。つまり、興味を持つ対称が、その人の求めているものとなるわけだ。 >真理なんか興味がないし悟りなんて不気味なもの 得たくない。 なにも、ノーマルにこだわる必要はないんじゃないか? 悟りを求めると恥ずかしげもなく公言するやつは、 信用できないが、真理を求めるなら、それこそまともの証になる。 というより、70から80年の時限爆弾がセットさせた、人生。無に帰すまえの一瞬の泡のようなつかの間 の人生で哲学的な真理を考えないやつは馬鹿としかいえない。 宗教連中のように功徳を求めるやつは、もってのほかだ。牢屋を着飾って虚しいだけだろう。 ヤクザに拉致も凄いが(笑)。それならワシぼったくりに引っかかったよ。 それもかなり情けないが。 クリシュナムルティに愛着を持っているのはわかるが、それに関して特別な感情はないよ。 もっと堂々とクリシュナムルティが好きと公言してはどうかな? ただ、あの神智学的な流れは、賛同できない。シュタイナーは幻覚者だし、ブラバッキーは 品がないし。
264 :
ナナシ :2001/06/17(日) 02:29
>>241 あなた、言い方は無骨で男らしいがその奥に純粋な泉のような心をもってますな。
この言い方は気持ち悪い?
>あの姿勢は科学に近い。
そう、だから、ボームとの対談もエキサイティングなのですな。宗教家との対話は
いまいち突っ込み切れてないのが多い。
>「ムカツク」とか「氏ね」とか言わないように。
歓迎ですね。(別に私が仕切りたいわけではない。)
いや、かましてください、どしどし。変に宗教知らないほうが自由な眼を持ち得ま
すからね。ちなみに月並みだけど、どの本がもっともおもしろかったです?
265 :
:2001/06/17(日) 02:51
>>258 FHM 氏
>あなたが霊能力やら奇跡やらの本質を理解していないことを示していると思うんだが。
>試しに、ある種の技法で得た霊能力と覚者のそれ、がどう違うのか説明してくれよ。
変なネタ蒔いたのは俺だから、自分で刈るが、かなり端折って書くからそのつもりで。
俺が霊能力やら奇跡やらの本質を完全に理解しているとは言い難いしそのつもりもないが、
霊能力やらいわゆる奇跡の現象とは、我々が重点的に意識を持って暮らしているこの三次元的な
世界とは異なった法則、秩序によって支配される世界の現象がこの三次元的な世界において実現される事
だと俺は理解している。
ある種の技法で得た霊能力と覚者のそれは表面的に見るならば同じように見える。
が、ある種の技法などによっていわゆる「チャクラを開く」ような事を作為的に行った場合、
「霊能力」が芽生える事はあるが、それは本人の自覚のレベルと同調していないのでコントロール
出来なくなる。また、様々な現象を起こすその力は本人の内的な力ではなく、人間のエゴによって
幾世代も蓄積されてきた破壊的な想念、いわば悪魔的な想念の力だ。フォースの暗黒面みたいなものだな。
黒魔術はこれらの存在とコンタクトを取るメソッドを持っていて、力のある魔術師はかなりの事が出来る。
しかし、黒魔術師は自覚するしないに関わらず地獄へ直行便に乗っている。技法によって「霊能力」を
得ようとする者は黒魔術の道に陥る。
266 :
FHM :2001/06/17(日) 02:53
267 :
:2001/06/17(日) 02:53
・・・265続き
これらのことは、覚者(精神の発達段階のどのレベルから覚者と呼ぶかは別問題として)
によって率いられている組織によって与えられる「技法」に関しては例外だが。
Kもそのような組織について言及している
>>23 これは写真集「千の太陽」(初版本は「千の月」)からの引用だろう。
また、「暗黒面の力」についても側近の者に「恐怖は悪を魅きつける」と注意を促していた。
特に「プロセス」の最中には恐怖を持たないよう周りの者に忠告していた。
「霊能力」について彼は晩年、ププル・ジャヤカールに「子供の頃から、透視、癒し、物質化など
ができた」と語っている。何度か面談をしたという高岡光によれば「それ(霊能力)と関わってはいけません。
自然に身に付くまでは。」と注意したという。
駄文、長文失礼しました。
268 :
FHM :2001/06/17(日) 02:55
あ、アップ途中だったのね
269 :
FHM :2001/06/17(日) 03:03
>「霊能力」が芽生える事はあるが、それは本人の自覚のレベルと同調していないのでコントロール >出来なくなる。また、様々な現象を起こすその力は本人の内的な力ではなく、人間のエゴによって >幾世代も蓄積されてきた破壊的な想念、いわば悪魔的な想念の力だ。フォースの暗黒面みたいなものだな。 つまり霊能力自体が問題なのではなく、 それを行使する人の意図が黒いか白いかが問題だ、と言いたいのかな?
霊能力はむしろないほうが、その人の心の成長のためになると思うよ。 あって、うっとおしい。なければラッキー。チャクラの開発に興味のある 人は、自我の補完機能働いている場合がほとんどで、あぶないやつが多い。 「今に見ていろ」的な延長線上に内分泌系をしげきするのもなぁ。ちん● ではなく、内分泌をしごいているようにしか感じられんわけよ。 で、そういうのに限って社会との接点がない。ある程度オカルト知識がたまってくると、 不思議なことに常識的なことしかいいたくなくなるもんだ。当たり前ほど、不可解で、 非常識なほど、人為的ということに気付けるからな。ところで、 地球はとんでもないスピードで回転していることを知ってるか?
271 :
:2001/06/17(日) 03:49
あれ?読み直したら「覚者の霊能力の性質」を書き忘れてる。
短く書きます。覚者はそれを完全な自覚を持ってコントロールできる。
何故なら、
>>259 でトパトパ氏が引用している「存在の基盤」と繋がる域に達している
のが覚者の条件だから。「存在の基盤」=神(この言葉を使うのは勇気がいるが)とすると、
それと接触あるいは同化できるということは神の持つ全知、全能、全愛の性質を表現できる。
俺はあらゆる人間の中にこの性質が眠っていると思っているが。
自我を浄化し「独自性」を持つまでになった覚者によって表現される「能力」はトリックによって
身に付けた「霊能力」、とは性質が異なると言えると思う。そんな「霊能者」「魔術師」「ヒーラー」では
いくら何でも頭骸骨陥没骨折を一通の電報で一瞬で完治させたりはできまい。(Kはそれを再従兄弟に対しやった)
アラン・W・アンダーソン教授との対話でもこれらの力について語っている。
FHM氏>俺の見解は間違っているかもしれないよ。俺は正しいなんてつもりはないからね。
しかしタイミングが良かったね。一種のシンクロニシティだね。(笑)
272 :
FHM=実は帰ってきた考えない名無し(笑) :2001/06/17(日) 04:46
>>255 、
>>265 、
>>267 、
>>271 さん。
申し訳ないが、正直言って
あなたのような人がKのファン?だと知って驚いている。
まあ、あなたが霊能力についてどう考えようがあなたの自由だが、
私がなぜそれを否定するのか、あるいはKがなぜ何度もその事に関して警告していると思うか(私見だが)、
他のKのファンがなぜそれを気にもとめないか、
この際だから、その理由をはっきり書いておくべきかもしれないな。
あなたの今後のこともあるだろうし。
まず、いきなり霊能力と言っても、考えづらいだろう。
そこで普通に「能力」について考えてみてくれ。
「能力」ってなんだろうね?
たとえば私が100kgの岩を持ち上げられれば、それはそれで立派な能力と言えるな。
別の人は、走るのが早くて100メートルを10秒台で走れるかもしれない。これも立派な能力だ。
もちろんこんなのは普通の能力で取るに足りない能力かもしれない。
しかし、だからといって、仮に100メートルを8秒台で走れたって、それはきわめて優れた能力、オリンピック級の能力というだけで、
それでも「能力」であることに変わりはない。そうすると、これらに共通することってなんだろうね?
すべての「能力」に共通する「能力」というものの本質について考えたことある?
273 :
FHM=実は帰ってきた考えない名無し(笑) :2001/06/17(日) 04:47
普通に考えれば「能力」っていうのは、 そこにその能力を行使する人がいて、その人が何ができるか、ってことなんじゃないのか? だとしたら、霊能力もやっぱり上記の「能力」の範疇に入ることになるな。 なぜならそこにはその霊能力を行使する人がいて、その人が行う奇跡があるわけだから。 もちろん透視なんて誰にでもできるわけではないかもしれない。 しかし、そこに透視する人がいて、透視という行為がある。これは通常の能力の定義と全く違わない。 ついでに言っておくと、この手のことに関して、その能力を行使する人の「意図」は関係ない。 善意で行うか、悪意で行うか、なんてことは、霊能力の本質と全く関わりのないことだ。 こういうのは善意で行えばいいってもんでもない。 また、かりにそういう能力があってもできるだけ行使しないほうがいい。 というより、実際には本当の覚者なら言われなくても何もしないものだ。 私は、Kがかつて、自分が霊能で治療した人(確か足が悪かった人)について、 治療後、結局その人は足が治ったばっかりに罪を犯した。で、そのことからKは、 自分は治療者であるより世界教師であるべきだと分かった、と言っていたな。 うろ覚えで間違っているかもしれんが、まあ、そういうストーリーだった。
274 :
FHM=実は帰ってきた考えない名無し(笑) :2001/06/17(日) 04:47
>>265 霊能力やらいわゆる奇跡の現象とは、我々が重点的に意識を持って暮らしているこの三次元的な
>世界とは異なった法則、秩序によって支配される世界の現象がこの三次元的な世界において実現される事
>だと俺は理解している。
全くのオカルトだ(笑)。
本当の「奇跡」とは、私が上で定義した霊能力とは全く違う。
なぜなら本当の奇跡が行われるとき、そこにはその奇跡を執り行う人は存在しないからだ。
そこが霊能力とか能力とかいうのと、「奇跡」の決定的な違いだ。
奇跡というのはただ「起こる」。
そこにはそれを執り行う自我、あるいはそれをコントロールするエゴは全く存在しない。
そこには「能力」の場合にあったような「行為する人と行為」の分離は存在していない。
そしてその分離がないとき、そのような人はその存在そのものがひとつの奇跡となるだろう。
そして彼のような人は、理解するだろう。この世界のありようがもうすでに十分に奇跡だと。
そして自分の行為によって、この生の全体性という奇跡が起こるのを邪魔するまい、と思うに違いない。
Kがそうしたように。
したがって
>>271 短く書きます。覚者はそれを完全な自覚を持ってコントロールできる。
というのは全くの間違いだ。それも、全く正反対の間違いだよ。
>>271 FHM氏>俺の見解は間違っているかもしれないよ。俺は正しいなんてつもりはないからね。
>>しかしタイミングが良かったね。一種のシンクロニシティだね。(笑)
この一言で救われたね。
これがなければもっとこっぴどく叩くつもりだった(笑)。
#時差ぼけで変な時間に返答スマソ。
275 :
・・・・・ :2001/06/17(日) 07:14
長々と解説ありがとさん。 それにしても、自我の塊のような人間が自我のない境地を語ることほど滑稽で ナンセンスなことはないよなぁ・・(藁 自我にも様々な発達段階があって、それを味噌もクソもいっしょみたいに語るのは わかってない何よりの証だと思うがな。 あまりにも高い境地のことを自覚のないものが語るほど危ないことはないんだよ。 Kにあこがれてるのはよくわかるがな。(w
「(存在の)基盤」は人間を必要としていない。ただ、それと出会った人がいる。 クリ爺大好き!
>ピエール氏 「真理には興味がない」と言ったが、自分は生きることそれ自体に関心がある。 ただ生きることに関心があるのではなく死を含む生に関心がある。(大袈裟だが) それを『真理への関心』という言葉に置き直すのには少し抵抗がある。 その言葉は様々な概念を人々が付与しているからだ。 その言葉の世間的な定義に対して「自分は真理には興味がない」と発言した。 宗教関係者や右左両翼様々なイデオロギーを自己拡大の手段として利用し 人を搾取するための手段としての『真理』には相当内面的に抵抗が あるだけなんだ。それとクリシュナが好きだということはない。 ただ、いくら抵抗しても彼の言葉が持つある種の『真実』には逆らえない ものがある。彼の言葉にはどこか「王様は裸だよ」といった少年のような響き があるんだな。彼の言説に文句をつけることは、例えが変で恐縮だが 「三平方の定理は間違いだ。そんなもの嘘ジャン。」と言うようなものだ。 ある種の真実性は否定しようがない。(否定しようと俺はあがいたが) 俺も神智学や人智学に胡散臭さを感じる。あの団体の創始者達は人格が 壊れていたと思う。行動もそうだし、何より顔に人生や思考が出てしまっている。 何の先入観も持たずに集団や個人を見たらそれの大まかな要素は視覚で知覚できる と思う。超能力に関しては必要がないと思う。生きている事それ自体、超能力 だと思うのが宗教的なんじゃねえの?(よく知んないけどな宗教的思考は) さあ、もうヤクザがどうしたとか下らない話題を出さずにちょっと真面目に 意見を書いていきますわ。では、また。
278 :
考えても無駄@名無し :2001/06/18(月) 00:58
1です。 >でもクリシュナの本だけで 14冊は読んでるので1なんかよりは詳しいから居座るの許してくれや。 「来るな」と言っても名前変えりゃ分からんだろうし。じゃあ、また。 そんなにいじめないでよ(苦笑)。クリシュナムルティー崇拝モード系のあたしだけど、きついことが平気でいわれる2chで学ぼうっていうんだから。 ひねりもない一本調子なあたしだけど、今後もよろしく>ピエールさん、考えないさん、他常連さん(はぁと)
279 :
考えない名無し :2001/06/18(月) 01:20
274に一言付け加えておきます。
Kのような人を媒体として奇跡が起こる、ということはあるでしょう。
しかし、それはKが起こしているというよりも、
Kを通して起こる、というのが正しいと思います。
>>275 >それにしても、自我の塊のような人間が自我のない境地を語ることほど滑稽で
>ナンセンスなことはないよなぁ・・(藁
それはそうですね。
それではぜひ、ここに自我のない方をつれてきて議論に参加させて下さい(爆笑)。
>自我にも様々な発達段階があって、それを味噌もクソもいっしょみたいに語るのは
>わかってない何よりの証だと思うがな。
自我にも様々な発達段階がある、というのは全くその通りです。
しかしKは自我の終焉について語っていませんでしたか?
実際には子供っぽい未熟な自我ほどわがままで自分勝手なものです。
それは小さい子供を見れば分かるでしょう。
成熟した自我の持ち主は、決して超能力やら霊能力にあこがれたりしません。
そういうものにあこがれるのは、小さな子供が、
自分の思い通りにならないことに出会ったときに、
こういうときに魔法があればなあ、と思うのに似ています。
あなたが
>>271 で言った
>覚者はそれを完全な自覚を持ってコントロールできる。
というのはあなたの願望なのではありませんか?
実際には、覚者はコントロールする主体としてのエゴを失っているはずなので、
論理的にもあなたの言っていることはおかしいのですよ。
280 :
・・・・・ :2001/06/18(月) 01:55
>>279 >それではぜひ、ここに自我のない方をつれてきて議論に参加させて下さい(爆笑)。
2ちゃんねるに来るかよ。いるかどうかもわかんねぇのに。
何が可笑しい?逝っちゃってんのか?
それと俺は271じゃない。271の名誉のために言っとくが。横やり入れて悪かったな。
>>覚者はそれを完全な自覚を持ってコントロールできる。
>というのはあなたの願望なのではありませんか?
>実際には、覚者はコントロールする主体としてのエゴを失っているはずなので、
>論理的にもあなたの言っていることはおかしいのですよ。
せっかくだから、レスするよ。
コントロールできる自我のほうができないそれとくらべてより発達してるって
解釈してみ。それを自我があるからどちらも同じみたいないいかたするなって
ことだろ。奇跡の解釈はその通りだろうが、その過程をみたこともないのに語る
なって言いたいんだよ。そのぐらいのことエセ教祖でも言うって。
俺の言いたいのはいきなり自我の終焉に飛ばずに、自我をもっと緻密に見てく必要
があるってこと。Kの言ったとおりに自我がなくなったやつっているのか?
Kは即時の理解って言ってるがな。自我のない状態を考える前に見なきゃいけない
ことはたくさんあるぜ。うんざりするほどだ。
まぁ、邪魔して悪かったよ。>考えない名無し
281 :
考えない名無し :2001/06/18(月) 02:16
>>280 >何が可笑しい?逝っちゃってんのか?
いや、自我があるのはあなたも同じだろうと思ってね。
>コントロールできる自我のほうができないそれとくらべてより発達してるって
>.解釈してみ。それを自我があるからどちらも同じみたいないいかたするなって
>ことだろ。
自我がある限り、結局は同じことでしょう。
あなたや271さんが言っていることは、
自我という牢獄が綺麗に飾られているか、
それともみすぼらしいか、
ということですよ。
>奇跡の解釈はその通りだろうが、その過程をみたこともないのに語る
>なって言いたいんだよ。そのぐらいのことエセ教祖でも言うって。
私がこれに言及したのは、
271があまりにカルト的解釈で霊能力を語っていたからなんだけどね。
話の流れが分かってなかったようだね。
282 :
・・・・・ :2001/06/18(月) 02:41
>>281 俺が自我がないって言ったか?
ないわけないだろ。あんたのこと言ってんだよ。俺はそういう状態について
語れないぜ。Kの本を読んで想像するだけだ。Kの言ってることから想像するに
って感じで言えよ。どうしても言いたいんならな。
それとな、綺麗に飾られた自我のほうがよりマシなんだよ。自我の発達段階は決して
飛ばせないんだぜ。そういうことを細かく見ずに自我あるなしの短絡的な考えでしか
人間を見れないのか?Kの影響を向けた悪い見本みたいだな・・。
>271があまりにカルト的解釈で霊能力を語っていたからなんだけどね。
カルト的解釈のどこに問題があるのか自我のあるなし以外で説明してみてくれ。
あまりにも短絡的すぎるってことだよ。カルト的な段階も自我の発達段階の
途上にある。そういうことも考慮にいれて語ってもらいたいなぁ。それとも
あんた、カルト的段階を通過した自我の持ち主なのか?
283 :
:2001/06/18(月) 02:50
>>272 -274
これに関しては特に異論なし。しかし、この文脈で言う「いわゆる奇跡」とは超常現象的な意味で
あって、
>なぜなら本当の奇跡が行われるとき、そこにはその奇跡を執り行う人は存在しないからだ。
>そこが霊能力とか能力とかいうのと、「奇跡」の決定的な違いだ。
という意味ではない。ここで誤解してる。それに、よく読んでもらえば解ると思うが、俺の文章の
意図はあなたのそれとそう異なってはいないよ、警告するという点でも。
>>269 >それを行使する人の意図が黒いか白いかが問題だ、と言いたいのかな?
いや、いくら白い意図を以てしても
>>270 で ピエール氏が指摘するような類いの人間は
は黒に転じてしまう。どんな魔術結社でも「魂の成長のため」とか謳ってるが実際は黒そのもの。
どれだけ意図が白かろうと技法によった場合、そう意図せずとも暗黒面の力によって
現象が起こる事には変わりない。その個人の内的な力、魂本来の力の表現としての霊能力と
悪魔的な想念の力ではその限界も質も違う。現象自体は同じでも。
・・上記は昨日アプし忘れたもの。こういう意味で「質が違う」と言いたかった。
284 :
:2001/06/18(月) 02:52
霊能力に関して「覚者はそれを完全な自覚を持ってコントロールできる。」というのは何をやっているのか
ハッキリ解っているということ。この辺の意見が違うのは仕方がないし、あくまで俺の見解というだけ。
癒しなどを念頭においてこう書いた。癒しを行う場合、自覚もコントロールもできなければただのアマチュア。
霊視についても覚者は「見たくないのに見えてしまう」という事がない。コントロールとはそういう意味。
この辺のことは「反抗的なメシア」の中で若かりしKがS・フィールドに語っている。
超能力やら霊能力にあこがれて、それを得る事で優越欲を満たそうとして変な「修行」したりするとコントロール
不可能になり振り回されるよ、ということ。
因に
>>275 の・・・・・氏は俺ではない。が、それに対するあなたの
>>279 には、ほぼ異論なし。
>実際には、覚者はコントロールする主体としてのエゴを失っているはずなので、・・・
しつこいが、「コントロール」の解釈が違う。超能力やら霊能力と言ったって、あなたの言うように能力の
延長線上のものなんだから、「エゴを失って」いても俺の言う意味ではコントロール(体の動きを自覚、制御するというような意味)
できなければおかしい。叩かれんのは一向に構わないが、スレの趣旨から脱線しまっくてるし、「自然に身に付くまでは」本当には解らない
事柄でもあるからここでフルストップしましょう。
こんな事はKの教えの中の最も瑣末な事、いや、瑣末ですらない事だから、俺が間違っていたということで。
285 :
考えない名無し :2001/06/18(月) 03:36
>>Kの本を読んで想像するだけだ。Kの言ってることから想像するに
>>って感じで言えよ。どうしても言いたいんならな。
言ってますよ(笑)。
>>272 の5行目とかでも一言入れているしね。
私も別に自分に自我がない、なんて言ってませんよ。
>それとな、綺麗に飾られた自我のほうがよりマシなんだよ。自我の発達段階は決して
>飛ばせないんだぜ。そういうことを細かく見ずに自我あるなしの短絡的な考えでしか
>人間を見れないのか?Kの影響を向けた悪い見本みたいだな・・。
だ・か・ら。
その「ましな自我」は霊能力なんて求めない、って言っているんだが。
自我の発達段階がはずせないのは当然でしょう?
未熟な自我だからカルトにも引っかかる。
・・・・・ さん。
あなたの言ってる「自我の発達段階」ということに関しては、
すでに新しいテーマになっていますね。
霊能力のコントロールとは話が違っているでしょう?
それについて議論したい、というのはかまいませんが。
>>284 >この辺のことは「反抗的なメシア」の中で若かりしKがS・フィールドに語っている
若かりしころのKの言うことは必ずしも晩年に言っていたこととは違いますね。
>こんな事はKの教えの中の最も瑣末な事、いや、瑣末ですらない事だから、俺が間違っていたということで。
ええ、重要じゃないと思います。
終わりにしましょう(笑)。
#サッカーはローマが優勝したようなのでもう寝ます。
286 :
:2001/06/18(月) 03:37
ちょっと追加・・ Kという存在を作為的にオカルティズムと完全に切り離して考えるのは不自然に思える。 確かにそういう流れが多いが。 オカルティズム=カルトではない。そんな気持ちもあってあんなこと書いたというのもある。 高岡光も「オカルティズム」と言う言葉が汚されきってしまっていることを自著で嘆いているが、気持ちはよく解る。 彼に言わせると、 K :「彼(高岡光)が私の教えはオカルトそのものであると言っているよ。」 中略 ププル:「貴方にとってオカルトとは何ですか?」 高岡 :「完全なオーダーに則った知識、それがオカルトです。」 (注:過去レスで「水晶の革命家」の引用をしたのは俺ではない。)
287 :
・・・・・ :2001/06/18(月) 04:30
カルト的解釈=オカルト的解釈って意味だ。俺も違うと思ったが
考えない名無し氏がそうとらえてると思ったもんでな。
>>285 >その「ましな自我」は霊能力なんて求めない、って言っているんだが。
霊能力に目覚めた自我はかなりの自覚がないかぎり統制は難しいと思うぞ。
「霊能力なんて求めない」なんて軽く言ってるが・・。
>自我の発達段階がはずせないのは当然でしょう?
飛ばせないというのは、段階を飛び越せないって意味だ。表現不足だったか。
>未熟な自我だからカルトにも引っかかる。
カルト教団のことか?一部知人がいたが、かなり発達したヤツもいるには
いた。ただ、一度段階をクリアしたからってすべてから自由になるわけじゃ
ない。いい大人が子供じみたこともするだろ?常に注意力がいる。また、準備
が充分でないのに次の段階に足を踏み入れてしまうこともある。取りこぼしが
残るわけだな。そうなっておかしくなるヤツは確かにカルトには多いな。
>・・・・・ さん。
>あなたの言ってる「自我の発達段階」ということに関しては、
>すでに新しいテーマになっていますね。
>霊能力のコントロールとは話が違っているでしょう?
途上で自然に身に付く段階があるってことだよ。関係あるだろ?
そんなとき振り回されないようにコントロールする必要があるってこと。
自我でもそういう時役に立つんだ。
>それについて議論したい、というのはかまいませんが。
そういうことを考慮にいれてこそ、Kの教えは生きてくると思うぜ?
別に議論したくはないが。
いずれにしても俺ももうやめるよ。なかなかおもしろい脱線だった。
288 :
考えても無駄@名無し :2001/06/18(月) 08:11
>人を見抜くには、「そいつが何に興味を持っているか >でわかる」これはワシの名言なのだが。つまり、興味を持つ対称が、その人の求めているものとなるわけだ。 これっていいね。『羊たちの沈黙』でレクター博士がクラリスにこういっている。 「クラリス、単純なことだよ。本質に目を向けるんだ。アリストテレスの哲学書を読みなさい。欲望とはどうして起きる?毎日目にしてそしてそれになろうとする・・・・・」 てやり取りがあったね。 目がいってしまうもの。それが興味。そこにその人の本質が現れる。 わたしが持つ興味の中心は「注意(ATTENTION)について」 それを方向付ける力が「意志」。これで人格というかパーソナリティー、そしてそれによって人生が大分決まるように思う。 だからkは「ありのままみる」ということを語っているんだと思う。 価値判断なし、無反応に観察して、物理力となり意志で注意を向けたものがその人の事実を創造するんだと。 ありのままみれない時、心は騒ぎ、注意は散漫になる。方向付けできない。 そして過去に囚われる。 などなど。 朝の思い付きでした。会社にいってきます。じゃね(^^)
289 :
BONG :2001/06/18(月) 10:30
アナタがいるとき愛はない。アナタがいないとき愛はある。
290 :
自我のない名無しさん :2001/06/18(月) 12:04
自我や自我をなくすことについて硬直的な解釈がなされているようだ。 自我については、ある、なし、といったデジタルな解釈から ありたいと思ったときはあり、なくしたいと思ったときはなくなる、といった ファジーなものと解釈はできないか? 自我をなくせ、というのはまったくの虚無ではなく、いつでも自由自在に 変幻自在に自我をあるようにも、なくすようにもできる、ということではないか? 自我というものにコントロールされずいつでも自由自在に自我を消すことも 有らしめることもできる、ということが重要ではないのか? じゃあ、その自我を有らしめたい、無くさしめたい、と思ってる主体は何かって? それはもはや自我じゃないな。 一度完全に自我をなくしてみないとわからんだろうぜ。 自我がなくなっても雑念のない意識みたいなものはあるんだよ。
291 :
BONG :2001/06/18(月) 16:38
>>290 さん
ワシもそう思います。そしてそれはもはや「解釈」ではなく、「実感」といったものではないでしょうか。
292 :
考える名無しさん :2001/06/18(月) 17:29
老子>ゲーテ>クリシュナムルティ>シュタイナー> グルジェフ>ラジニーシ>ユング
293 :
いい加減にしろ! :2001/06/18(月) 17:29
294 :
イイ! :2001/06/18(月) 17:32
295 :
ナナシ :2001/06/18(月) 19:05
>>292 なんかワカルきがする。その序列。ゲーテはよくわからんが・・・。
シュタイナーも?だな。
>>294 何が言いたいのかよくわからん・・。
≪ナチス系≫ グルジェフ>ヒトラー>ゲッペルス>ユング>ハイデッガー>ハウスホッファー ≪無我系≫ 釈迦=クリシュナムルティ=老子=達磨=道元=荘子>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ラジニーシ=某尊師=某高橋代表 批判、修正ご自由にどうぞ。
297 :
考えても無駄@名無し :2001/06/18(月) 20:27
質問! どうしてクリシュナムルティを語るのに霊能力が出てくるわけ? ま、オカルト(隠された智慧)が出てくるまではわかるが、霊能力っていうのは意味不明。 だいたい霊能力ってなんなのさ? 教えてチョ!
298 :
会員 :2001/06/18(月) 20:35
自己凝視しなさい。 私は出来ません
299 :
K :2001/06/18(月) 22:45
サイババが日本でブームだった頃、 パワースペースという雑誌で、高岡光が、 サイババのやっているのはインドのオカルト奇術にすぎない、 そんな者の語る愛の説法など聞く価値もない、というようなことを読者のページに 投稿していた。 その頃サイババ信者だった自分は、とても衝撃を受け、 高岡光の文中に書かれていたクリシュナムルティと言う名前が、妙に印象に残った。 その後、サイババの教えの偽善性に悩み、神経症的になった。 自分のエゴや執着、欲望を押さえ込むというやり方は、何年も死ぬ気でやってみればわかるが、 必ず、破綻が来る。 それで、クリシュナムルティを読むようになり、サイババの洗脳も解け、以前より、人間らしくなった。 そして今は、クリシュナムルティもあまり興味がなくなり、 普通の一人の人間として、まっとうに、美しく生きられればいいかな、と思っている。 もう何も、すがりつくものも無くなって,裸の自分になったとき、 はじめてあるがままの自分と対面すると思う。 でも、本当の自分を見つめ続けるということは、本当に、つらいことです。
300 :
ドストエフスキーファン :2001/06/18(月) 23:55
>>299 まったくもって同感。
このスレのどの解説よりも心にグッと来ましたよ。
普通に美しく生きるというのは本当に難しくもあり、そして簡単でもある。
私もムイシュキン公爵やアリョーシャのように美しくありたいと思う。
301 :
BONG :2001/06/18(月) 23:55
>>299 さん
つらいですか・・・。あるがままの自分と対面してなお継続性を求めたり、努力してしまう。
在り続けよう、ならねばと方向性をもってしまう。私たちの旅はまだまだ続くのでしょうね。
荒野の7人だったか忘れたが、悪者に立ち向かわない無力なカウボーイを貶す 子供に用心棒たちが言ったね。「俺たちには、平凡に生きることはできない。 それは、彼らが偉大だからと」。つまり、自我の性質は、自己顕示であり、自己維持 にあるわけで、それを助長するような「サイババ」のような目立つ変人には、 何の抵抗もなくなれる。サイババにとって、ごく平凡な 農民のような生き方は地獄のようであろう。つまり、サイババは自分に逃げているのであって、 それは、決して褒めた者ではない。あの程度の教義は、中学生で超えてもらわないとと思うが…。 ともかくクリシュナムルティには、変な力みがない分、彼の生き様は、 彼そのものを表現しているのだろう。とすれば、1人の瞑想家でいいんでないの。 彼が、バグワンから完全に馬鹿にされていたのも一理あるが、それはそれで、いいと思うよ。
303 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 01:00
昨日はこのテーマやめるつもりだったが、
>>286 以下を読んで気が変わった。
もう少し追加しておく。
まず、
>>283 >ここで誤解してる。それに、よく読んでもらえば解ると思うが、俺の文章の
>意図はあなたのそれとそう異なってはいないよ、警告するという点でも。
前後を含めて読み返してみたが、私が誤解している訳ではなさそうだ。
さらに私の意図と283さんの意図が同じようなもの、というのも全く違う。
どう読み返しても全く正反対としか言いようがない。
>
>>269 >>それを行使する人の意図が黒いか白いかが問題だ、と言いたいのかな?
>いや、いくら白い意図を以てしても
>>270 で ピエール氏が指摘するような類いの人間は
>は黒に転じてしまう。どんな魔術結社でも「魂の成長のため」とか謳ってるが実際は黒そのもの。
>どれだけ意図が白かろうと技法によった場合、そう意図せずとも暗黒面の力によって
>現象が起こる事には変わりない。
暗黒面の力って何だい(苦笑)?
自分で自分が言っている意味分かっているのかい?
白い意図をもってしても黒に転じてしまう、って??
…あのね、私が霊能力に気をつけるように言うのは、
黒かろうが、白かろうが、「能力」を行使するためには、
そこに「能力を行使する人」と「能力を行使する対象」の分離があり、
それが根本的に「主客の分離」を前提としているためだ。
これがあるために、黒かろうが白かろうが、
特定の「意図」を持つことは瞑想の妨げになる、っていうことなんだよ。
304 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 01:00
したがって、
>>284 >霊能力に関して「覚者はそれを完全な自覚を持ってコントロールできる。」というのは何をやっているのか
>ハッキリ解っているということ。この辺の意見が違うのは仕方がないし、あくまで俺の見解というだけ。
というのは、キミだけの見解にしておきなさい(笑)。
私が言っているのは、もう一度読み返してもらいたいのだが、
本当の覚者なら霊能力など使わないだろう
ということだ。
つまり、もともと使わない訳だから、コントロールがどうこうという話しが出てくる訳がない。
ではなぜKが霊能力を使ったのか?
Kがその手のオカルトをやっていたのは「若かりし頃」だろう。
そのころはまだ完全にはKは光明を得ていなかった、というのが私の見解だ。
なぜなら「能力」の行使は、それが霊能力であろうがあるまいが、
主客の分離をもたらすがゆえに真の「覚醒」の妨げになるからだ。
>しつこいが、「コントロール」の解釈が違う。超能力やら霊能力と言ったって、あなたの言うように能力の
>延長線上のものなんだから、「エゴを失って」いても俺の言う意味ではコントロール(体の動きを自覚、制御するというような意味)
>できなければおかしい。
しつこいが、「コントロール」の意味は同じだ。
エゴを失って、一体「誰が」「何に」対してその能力をコントロールするというのか?
コントロールする主体と客体が一致しているというときに!
305 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 01:03
>>286 >ちょっと追加・・
>Kという存在を作為的にオカルティズムと完全に切り離して考えるのは不自然に思える。
>確かにそういう流れが多いが。
バカを言うのもいい加減にしなさい!
その流れを作ったのは、他ならぬK本人だろうが。
>高岡 :「完全なオーダーに則った知識、それがオカルトです。」
オカルト的知識と通常の科学的知識ではその性質が全く違う。
この発言を読む限りでは、このような言い方ではその違いがごっちゃになっている。
…確かに宗教は「主体に関する科学」で、そのアプローチはきわめて科学的だ。
というより、全く科学そのもの、と言っていいだろう。
しかし、それが通常の科学のように観察可能な対象=客体を扱うわけではない、
という点を忘れてはいけない。
そしてそのような知識は基本的にどの局面でも、
自己開示的なもの
なんだよ。それは誰にも教えることは出来ないし、
人に伝えることもできない。
もしもどこかに秘密の教えがある、とか秘密スクールがある、
などと思っているなら、そんな幻想は捨てた方が良い。
表面的にそういうものがあるように見える局面があるが、
実はそれは探求者自身が探求の中で自分自身と出会う過程に過ぎない。
だからオカルティズムをことさら気にする必要はない。
重要なのは自己に向き合うことだ。
306 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 01:03
おっと、・・・・・さん。 あなたは私のこのような断定的な物言いとかが嫌いだったんだよね(笑)。 しかし私は、覚者の霊能力が重要かどうかを考えるのに、 覚者である必要も、霊能力者である必要も、 あるいは、あなたが言うような高い境地とやらも必要ない、ということを知っているんでね。 試しに覚者に100mを8秒台で走る能力が必要かどうかを考えてみればいい。 この問題を解くのに、覚者であったり、走者であったりする必要は全くないだろう? また、オカルティズムの自己開示的顕現については、実際に身をもって知っている。 あなただってヒバリに向かってスズメのようにさえずれ、とは言えないだろう(笑)。 あと、意外かもしれないが、私にとってKは、 高岡氏とやらがいうような本物No.1ではない。念のため。
>299 俺は文体で解かって貰えると思うが、結構若い。 若いが色々な事をしてきた、金を稼ぎ、勉強をし、義理人情に酔い、(ヤクザに 拉致されたのはその一環である)論争し、女とばかり遊び、(まじだぜ) 人を攻撃し(物理的にじゃないよ、やられたらやり返すけど基本は口論) 派手な人間とつるみ、超高学歴の人間とばかり話をし 仕事では命がけでやったおかげで団塊の世代とタメ口 で偉そうに意見を通せるようになり、時代に踊らされダンスなどをし、 毎日のようにナンパし、世直しと思い不良相手に喧嘩を買い説教などをし (俺は格闘家のような体型、顔をし、メチャクチャ鍛えていた。 あだ名はT1000型だった。ターミネーター2の暗殺ロボットに由来する。) 教育者の欠陥を議論中に指摘し3人くらい辞めさせたり、 それこそここに書ききれないような沢山のことをした。 だが、ある日気が付いた。俺は『本当は下らない自分』から逃げる為に全く興味の ないことばかりして自分を欺き20数年生きてきたことを。本当は自分の行動は 内発性などなく『社会が求める俺像』を演じ、自分で自分が作ったドラマを 演じていたことに。情けなかった。だが、引きずらず速攻、偽りの自分を捨てた。 仕事も捨てた。周りには呆れられ見捨てられた。だが虚構性のない あるがままの自分でいる現在はかつてないほど楽しい。(誤解のないように 言っておくがヒッキーではなく現在はいい年こいて学生だ。) 299氏のような体験は俺にもある。ちなみに16歳ぐらいの頃、俺も サイババ=神及びもしかしたら悪魔の化身=すげえ と単純思考して 崇拝しかかっていた事がある。だが良く見たらキモィおっさんなのでやめた。 だってキモかったんだもん仕方ねえじゃん。しかし同じような経験してるね。 人間って意外と…。
しかし、ネットはコミュニケーションツールとしては最悪だね。 日常生活でも断片でしか理解しあえないのに、氷山の本当に一角の言葉で しか伝達しあえないんだからね。ネット上に現れる言葉はかなり実体性が 希薄なのに、それに一喜一憂してそれが現実の自分への批判のように 解釈し喜怒哀楽の対象になるのは本当に愚かしいと俺は思う。 常にそういう事を認識していたい馬鹿な俺様は あえて言葉使いを粗暴にしたいと思う。 これは理解しあえない不毛に対するせめてもの自慰行為なんだ。 最初から理解しあえないことを前提にするためのナイスなバリアだ。 虚構を常に認識し続ける為の俺のための処方箋だ。 だから俺は粗暴な言葉で書くのをやめないの。 「宗教団体および構成員メッチャきっしょい。お前ら霊的成長願う前に 家計のやりくり考えろ。魂きれいにする前に、家の便所掃除しろや。 あの世を考える前にこの世を考えやがれ。ばーか。」 こんな感じでね。
309 :
:2001/06/19(火) 02:21
>>297 >質問!
>どうしてクリシュナムルティを語るのに霊能力が出てくるわけ?
彼の甥が書いた"As the River Joins the Ocean"やジャヤカルの伝記にはそういうエピソード
がいっぱい出てくるので、つい書いてしまった。脱線させて御免。
故ジャヤカルおばさんは特にその手の話題が好きみたいだね。
俺は現時点では超能力なんていらんな。興味はあるけどね、不可思議な事って面白いから。
今そんなモン持ったらロト6の当選番号や当り馬券の予知に使ったり、可愛い娘の裸を透視
したりして悪趣に陥るのは目に見えてる。やっぱ俺は道踏み外すよ。基地に刃物になりかねない。
我欲に縛られている内は途轍もない障害になる。いらないよ"Unless it comes naturally."
310 :
・・・・・ :2001/06/19(火) 02:25
>>306 >しかし私は、覚者の霊能力が重要かどうかを考えるのに、
>覚者である必要も、霊能力者である必要も、
>あるいは、あなたが言うような高い境地とやらも必要ない、ということを知っているんでね。
そういう風に「自分は知っている」と勘違いした輩が絶えないのはどうしようもないな。
試しにあんたの生活をライブ中継で見てみたいもんだ。ネットでは何とでも言える
からな。さぞかしニヤニヤしながらキーを叩いてるんだろうぜ。(w
まぁ、そこまで知ってても2ちゃんに来てレスつける必要はあるってんだから人間つう
のは奥が深いよなぁ。勉強になるぜ、あんたのおかげで。
311 :
・・・・・ :2001/06/19(火) 02:37
312 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 02:50
>>310 >まぁ、そこまで知ってても2ちゃんに来てレスつける必要はあるってんだから
あの〜、「そこまで知ってる」も何も、
私が上記で書いたのは小学生でも分かるようなことなんですけど…。
あのね、関係性ってのは鏡みたいに自分を映し出すもんだよ。
あなたが架空の私を想像して勉強するのはかまわないけど、
あなたがこのスレッドや私の発言の中に見いだすものは、結局
あなた自身の姿である
ということをお忘れ無く。
313 :
名無しさん :2001/06/19(火) 02:56
ところでアンタのNO.1はなんなのさ? お釈迦様?老子?荘子? >考えない名無しサン
314 :
・・・・・ :2001/06/19(火) 03:03
>>312 小学生でもて・・。ワラタよ。
苦しまぎれに使い古された言葉で逃げたな。
関係性ってことではぐらかすなよ。
あんたの言うことはKのくり返しだよ。創造性ってのがまるでない。
断言できるが、実感からでた言葉ではない。それぐらいわかるぜ?
ってあんた自身が言ってるよ。(w
315 :
:2001/06/19(火) 03:50
>>313 ん〜、きっとOSHOでしょ。霊能力ないけど何となくそう感ず。
ナンカいきり立ってるよね〜。
316 :
0 :2001/06/19(火) 03:54
オショー? ヒューミルンの告発本の中でクリシュナムルティは オショーは犯罪者だって断言してるよね。
317 :
315 :2001/06/19(火) 04:06
>>316 寝る前に一言。「それ言っちゃうとヤバイ煽りになるぞ。」
おやすみ。
318 :
0 :2001/06/19(火) 04:27
どっちが煽り? クリシュナムルティの発言? それともヒューミルンの告発本?
319 :
通りすがり :2001/06/19(火) 19:12
>>318 それともヒューミルンの告発本?
ヒューミルンの告発本だろう?
あれは書いた本人がインチキだったとみとめている。
320 :
:2001/06/19(火) 22:43
>>304 >本当の覚者なら霊能力など使わないだろう
俺はこうは思わない。これはあくまであなたの意見として受けとめる。
Kが甥のナラヤンの甥を「祝福を送る。彼は快復する。」という短い電報
で昏睡状態から一瞬で治したのは優に80は過ぎてからだったと記憶している。
40過ぎれば若いとは言わない。40代から晩年までかなりの人を癒したと言われている。
当然Kは目立たないように極く身近な者あるいは緊急でやむを得ない場合以外には施さな
かったし、なるべく他人に知られないようにしていたという。確かにインドで大勢に知られたら
大変だよな。
「(病人が癒しを求めて来たら)出来ることはするが、それは私の本職ではない。」
と明言している。
一生歩行困難と宣告されたインド人女性を完治させたという話題をK自身が持ち出した時に、同席していた
一人がしきりに「何をしたのか?どうやったのか?」知りたがったという。
それに対しKは手振りで「そこまで」と制止し「出来ることをやっただけです。」と答えた。
―――「キッチン・クロニクル」より
これらの癒しは「Kを通して、ただ起こる事」じゃ説明つかない。自覚も制御もしている事がうかがえる。
俺に言わせりゃ当然だが。 脱線はこれで最後にするのでご勘弁!
321 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 23:38
>>313 >ところでアンタのNO.1はなんなのさ?
>お釈迦様?老子?荘子?
いろいろ憶測が飛び交っているようだが、
私にとっての本物No1は私自身だよ(爆笑)。
決まってるじゃないか、他に誰かいるかい?
いや、勘違いしないでもらいたいんだが、
私にはKの悟りの境地や、あるいは釈迦やイエスのことは分からないんでね。
私は、Kのように光明を得たわけでも、釈迦のいう涅槃の境地にいるわけでもない。
私に分かるのは、私自身は悟りを知らない、ということだけだ。
そして、悟りが理解できない私には、悟った人を探すことも出来ない。
Kや釈迦、あるいはキリストなどが本物かどうかってことは、結局、
自分自身が真実かどうかってことだろう。
本物を信じれば安心ってものじゃあないんだよ。
釈迦を手本にしたカルトなんて山ほどある。
ちなみに高岡っていうのは、ここで情報を読む限りでは胡散臭い人物だな。
上記の理由により、本物を探している、という時点で胡散臭い(笑)。
彼がサイババがインチキと見破ったみたいに書いている人がいるが、
例のビブーティやらなんやらが手品であるっていうことは、
彼がまだ日本のTVなどでブームだった頃よりだいぶ前から暴露されていたよ。
そのニュースを知っていただけのことだろ。
そいういう胡散臭い連中が、
Kのオカルティストとしての一面を、K本人がいやがっていたのに、
ことさらクローズアップしようとしている…。
322 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 23:38
>>314 ・・・・・よ。
おまえ、もう一度このスレッドを読み返してごらん。
最初にKの言う「私は何も信じない」の「信じない」の意味についてや、
「関係性」についての議論があったな。「霊能力」を巡る議論もあった。
同じ言葉を巡って、いろいろな解釈が出ていたが、
結局、私の言っていることはごくごく常識的なことではなかったか?
オリジナリティーがないのは当然だろう。常識的なことしか言っていないんだから。
おまえはその常識的なことさえ分からない自分の不明を恥じるべきなのではないのか?
実際の私がどうか、など詮索する意味があるのか?
ついでに言っておく。
自分がめくらである、と認識するのが旅の第一歩だ。
それが分かれば、おまえのやっているような無用な詮索は止むだろう。
なぜなら、めくらに光は探せない、からだ。
…そして準備が整えば、光の方でめくらを探し始める。
上の方で誰かがKの言葉を引用していたな、
「世界の涙が世界教師を作る」と。
323 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 23:40
>>320 >これらの癒しは「Kを通して、ただ起こる事」じゃ説明つかない。自覚も制御もしている事がうかがえる。
何度も言うようで悪いが、霊能力と覚者の本質とは「全く」関係ない。
100mを8秒台で走れようが、空中浮遊が出来ようが、それが覚者として大事なことだと思うかい?
また私が「Kを通して、ただ起こる事」としたのは奇跡のことで、
彼が発揮するその手の霊能力のことではない。私は霊能力と奇跡を分けている。
よく考えてごらん。仏陀がキリストみたいに死者を生き返らせたか?
キリストが奇跡を行ったから仏陀より格が上なのか?
また、グルジェフもその手の力の使い手だったといわれているが、
その力の行使が
自己覚醒の妨げになる
と悟って、ある時、特定の目的以外には使うまいと封印した。
さらに、キミは知らないかも知れないが、スーフィーの伝統でもよく奇跡について語られる。
奇跡の使い手だったあるスーフィーのマスターは、よく「私はなにもしない」と言っていた。
実際には彼を通じて不思議なことが起こっていたにも関わらず。
324 :
考えない名無し :2001/06/19(火) 23:41
そういえば、前に
>>276 で
>「(存在の)基盤」は人間を必要としていない。ただ、それと出会った人がいる。
というコメントがあったな。
スーフィーの伝統では存在(の基盤)は、
それ自体を表現するのに(悟った)人間を必要としている、と考えるんだ。
だからそのマスターは、自分が行っているのではなく、自分を通じてそれが行われる、と表現した。
一見、上記のKが使った霊能力も、彼が行っていたように見えるが、
実際にはそのインド人女性は治るべくして治る時期にKに出会ったと考えるべきだろう。
であるならやはりKが直したのではない。
なぜなら、その時期にKに出会うことが出来るかどうかは「存在」が決めることだからだ。
私ならそう考える。でなければKはただのオカルティストだ。本物の覚者とは言えまい。
いずれにせよ、キミの考え方はあまりに幼稚でオカルト指向だ。
ま、自分が初学者である、と認めてるところは誰かさんより立派だが(笑)。
325 :
考える名無しさん :2001/06/19(火) 23:56
考えない名無しさんの語り口はやっぱりオショーを連想させるなあ。
326 :
考えても無駄@名無し :2001/06/20(水) 01:19
私にはどうしても霊能力云々はエピソードとしての面白さはあっても、単にファンタジーでしかないと思うな。 ファンタジーが力を持つことは驚くに足りない。 当たり前です。出版されたり、人に影響を与えるからファンタジーなんだから。 ファンタジーを好むものはファンタジーに救われもする(「霊」的治癒など)がそのファンタジーの牢獄に棲むことになる危険性もある。 醒めた者にそういうファンタジーが必要だろうか?答えは「ノン!」 またそれを他人にいうことはないでしょうね。 もちろん事実として不可思議なことが起きたという事はあるかもしれないにしても・・・ 自己覚醒を妨げる・・・との意見もあるようだが、もしそうであるとすれば、それがわかっ て議論が続くってことは注意がそちらに向いているということですよ。 kは自分の師について問われても[関係ないこと]と取り合わなかった。 そこの行間にすべてがあるんじゃないの?
>その時期にKに出会うことが出来るかどうかは「存在」が決めることだからだ。 俺には、クリシュナムルティの「存在」は低く映る。これまた、論で説明するのは 難しいが、毒がないからだ。その点グルジェフや和尚はそれを持っていた。 関心関心といいたいとこだが、ここでまた、麻原やサイババのような毒々しい詐欺師 を引き合いにだしてくるのだろう(笑)。あれは自我の毒であり、私の指摘する、 清濁あわせのむ意味での毒ではない。善人が安心できる、そんな指導者が居たら、 自我にとって、何の成長をもたらさない。つまらん導師になる。 グルジェフだっけ。確かこう言った。自我の苦しむのものは霊にとって有益であり。 自我がよろこぶものは霊にとってマイナスになると。「真理」には我々がどう感じるか など全くどうでもいいのだ。クリシュナムルティは、毒がない。それは彼の内部で展開する 指導者としての資質の枯渇と考えてもいい。それよりクリシュナムルティの言うようなこと、 俺自身で展開する内的対話と全然差を感じなかったが…。
328 :
・・・・・ :2001/06/20(水) 02:08
わかった、わかったよ。自分に酔ってるヤツに何を言ってもダメだこりゃ。
2ちゃんに来なくてもそこらじゅうにめくら(差別用語だ)のヤツはゴロゴロ
いるだろ?わざわざ2ちゃんかい?(w
お願いだからそこまで本当に認識してるなら、こんなセコイ所オサラバして
世界教師として羽ばたいてくれや。あんたがここで長々と説教しても、めくら
(差別用語だ)の俺には意味があるとは思えないなぁ。
あんたが本物ならなんとなくそう回りも感じるもんだ。いくらめくら(差別・・)
でもな。かすかな光くらいは感じる。もっと知りたいと思うもんだ。
だが、あんたの言うことは読めるんだよ。なぜなら、本に書いてある通りだから。
まちがっても常識的ではない。それを常識的と思うのはあんたがバランスを欠いて
いるってことだ。もっとあるがままの人間のリアルさに立ち返ることをお薦めする。
>>315 >>325 おそらく、ビンゴだ。本人の口からは決して言わないだろうが・・。影響受けてるの
は間違いない。
それにしても、いつまでこういうスタンスでやっていくのかは見ものだな。(w
俺に言っているのか? それなら的外れ。俺がクリシュナムルティとの差を 感じないというのは、彼についてそれほどの思想的な評価がないからだ。 それにしても、そんなに凄いとおもうのかね? 自我についての一通りの考察があれば、 誰にでも言える代物だよ。あえて挑戦的に言うが、層化の連中は「呪文を唱えれば欲が満たされる」 とまともに信じていて、それを唯一絶対の教義だと信じてる(笑)。 それについて、普通の者なら、「そんなに力むな」と諭すだろう(苦笑)。
330 :
・・・・・ :2001/06/20(水) 02:27
>>329 ちゃうちゃう。
>>322 悪いな。
そうだ、自我についての考察があれば普通のことだ。というか、あまり
にも微妙で、誤解を招くような内容は敢えて話さなかったということ
だろう。ピエール氏と俺とはKの「存在」に関する評価がちがうんだろう
な。毒に関しては、そういう意味合いはある。しかし、グルジェフのタクラミ
はあまりにも厳しく、弟子が育たなかったということもある。
Kに関しては逆の意味で育たなかったが。
どれを評価するかは個人個人のいままでの自分の体験に左右されるのだろう。
厳しい環境か、そうでないかは。
331 :
・・・・・ :2001/06/20(水) 02:43
普通と言ったが、考察は普通(常識的とは言えない)だが、Kは普通じゃない。 彼の生きざまは・・。まぁ、俺から見るとな。 自我の考察についても膨大だ。まともに見ないように何重にも罠がある。 グルジェフはそこの所を綿密に解説した。実際に使えるのはグルジェフ の方かもしれない。ただ、あのワークはとても俺はついてけないが。 「存在」は実際に会ってみないと何とも言えんがなぁ。
332 :
通りすがり :2001/06/20(水) 03:07
オショーにあってKにないものって何? 「毒」の内容を詳しく、しるぶぷれ。
俺もある意味、Kに共感を感じない面がある。(宗教関係では一番まともだが) 覚醒剤で廃人になった知り合いは癒しなど欲していなかった。 彼が欲していたのはより多くのシャブとシャブ仲間だった。 躁鬱で社会復帰できない人間は光なんて欲していなかった。 あいつが欲していたのは更なる躁状態での飛翔だった。 SEX依存症でそれなしには生きていけない女が欲していたのは更なる 快楽だった。それで生活が破綻しているのが、分かっていながら。 みんな、それが不幸の最大要因になっているのに捨てようとしなかった。 何故か?それは、不幸が大好きで人間は不幸が最大の快楽に転化してしまう からなんだね。島田伸介がやってそうな『お涙頂戴番組』に出るような 人間は必ず無意識に不幸を楽しみ、そしてそれを糧として毎日生きているんだね。 他人から受けた傷が何より大事で自虐的快楽に浸っているのに本人達が気が つかないんだね。 そういう人間達にKの教えは意味をなさないと思う。そういう人間達を救い出す のはショックしかなくてそれはある種の『暴力』の形をとる場合があると思う。 戸塚ヨットスクール式のね。それでも手遅れだったりするし。 Kは暴力は一切認めないと言っているが、(俺個人は)愛は暴力の形を 取らざるを得ない場合があると思う。暴力まで振り切れん愛なぞ観念に 過ぎないと思う。(まあ俺個人の意見だけどな)これは場合によりけりで 全てにあてはまる分けでないのは言うまでもないがね。Kも万能ではないって こった。消化するにはある程度の人格の完成が必要なんじゃないの? よく知んないけど。人間は救われたいと思わなきゃ救われないって事だろ。 ちなみに俺のNO.1は国立大学で教授しててかなりの秀才の ○○さんって人。全然宗教とは関係ない。(え?聞いてない?では失礼w
>オショーにあってKにないものって何? 決まってるだろ。SEXだ。人間の全存在を決定しているといっても 過言ではない性の力だ。和尚は性が前面にでてるじゃん。 ネタレスに見えるマジレスだよ。これは。
335 :
ななしさん :2001/06/20(水) 04:16
オショーなんて麻原彰晃と同じだろ。 クリシュナジーと比較するのも汚らわしい。
336 :
通りすがり :2001/06/20(水) 04:48
>クリシュナジーと比較するのも汚らわしい。 クリシュナムルティーの信者発見(w。
麻原は本当にダメ。言葉を存在が裏切り過ぎ。太りすぎ。 和尚は自分の言葉をある程度、体感してたと思うよ。 自分の存在に見合わない知や言葉、理論は危険な代物だね。 もちろん地位も。 北の方にある変な国の太ったおっさんがこれを如実に表しているよね。 周りが迷惑だね。ああいう奴を出すのが嫌だから心に権威を 作るのは良くないんだね。
338 :
のび田 :2001/06/20(水) 10:20
日本でクリシュナムルティに近いのは名書「ファウスト博士の超人覚醒法」 の著書斎藤啓一だろう。MSNで「斎藤啓一」のキーワードで検索かけてみな。 ここの検索は神秘学者の検索で群を抜いているよ。
339 :
K :2001/06/20(水) 15:17
僕がクリシュナムルティについて、興味が薄れてきたのは たぶん、著作を読んでいると、悟ったような気になってしまうからです。 何を言っても、どんな意見を書いても、結局、自己顕示でしかない。 それを自覚しつつ、それでも、こうやって何か書きたくなるのは、 人間のさがだと思います。 ちなみに世間では、悟りや真理など求めていない普通の人のほうが、 人間的に立派で輝いていたりすると思うのは、僕だけでしょうか。
340 :
会員 :2001/06/20(水) 15:26
Kさん、あなたのいうとおりです ホントにホントにあなたのいうとおりです 宗教なんて知らずにそれなりに生きている人達の方が、 実はすごい人達なんじゃないかな、という気がする でも、私はもうそういう思考状態には戻れない気もする あまりにも自分本来の感じ方や素直な気持ちを忘れてしまったんだね・・・
341 :
通りすがり :2001/06/20(水) 15:59
ん?Kさんの口調が変わってるね。 何たくらんでるの(w。
>338 おい、俺もそれ持っていたぞ。13才のころ熟読した。 最後、博士の元に暴徒が襲来して覚醒していない人間の恐ろしさ を教訓に終わるんだよな?アイスクリーム売りや農作業の修行、実に 独特だった。いやあ懐かしい。あれは『人間失格』とともに13歳の ころの俺の星だった。(w
Kの教えは禅と類似しているのは有名だが江戸時代の粋(いき)の概念 に通じるものがある。同じ字だが粋(すい)と粋(いき)とでは全く違う。 そんなこんなで、名著と名高い『いきの構造』(九鬼周造著)を今から 読もうと思う。西田幾多郎あたりはなんか読む気がしないが、この本から はいいにおいがする。皆さん仏教や道教、禅、以外にも意外と Kと類似するものは多いですぞよ。日本の古典なんかに…。 えっ?お前なんかに言われたくないって?では失礼。
>342 「ファウスト博士の超人覚醒法」 いやはや懐かしい。書中にこんなエピソードがあった。一通りの神秘行を得て、 集団から抜け出ようとする若者。理由は、これで、社会的名声が得られるというものだった。 その若者に、ファウスト博士は「愚かなことをいってはいけない。社会的名声や肉体の 強健さなど、幻想だ。得られれば、それを失うまいとして苦しみ。肉体的な健康など 肉体が老化すればうしなわれるのだ。私はそんなことのために神秘行を指導したのではない。 あなた方は、人とは違った生き方を志向しなければならない。それは苦しみにみちたものであるだろう。 よいだろうか? われわれにとって、かけがえのない師。最高の師は「苦しみ」であるのだ。 その師は我々の感じ方のどこかに間違いがあるとき生じる。苦しみは、それを教え、 自我という幻想の打破を約束してくれるのだ。覚醒のチャンスを教えてくれるのだ」。 確かこんなだったと思う。
345 :
考える名無しさん :2001/06/21(木) 01:36
考えない名無しさんの言っていることはおかしい。 このスレの上の方でKが嫌ったのは空虚な言葉のやり取りだと言いながら 結局、考えない名無しさんのレスがそうなっていっている。 ごく常識的で小学生にもわかるK解釈しかここで述べられないのなら 空虚な言葉のやり取りだと言って最初に毒づいてきたあれは、いったい何だったのだ? 他人の揚げ足を取って論破するのを興とした悪趣味としか見えない。
>続き だから苦しみから逃げることを説く宗教は間違っている。 正しい宗教なら、苦しみから何かを学ぶことを説いているはずだ。苦しみとは、 何を隠そう「あなた自身」なのだから。 しかるに「この人物を崇拝して呪文を唱えれば苦しみから逃れられる」。こう言う宗教のいかに野蛮で、 破壊的なものか…。それにしても、241さん。読書のセンスはなかなかですよ。 あれを読んでいるだけでもたいした者だ。
347 :
考えない名無し :2001/06/21(木) 02:11
>ごく常識的で小学生にもわかるK解釈しかここで述べられないのなら >空虚な言葉のやり取りだと言って最初に毒づいてきたあれは、いったい何だったのだ? 真剣な討論に大学生にしかわからない専門用が必要ですか? 実際にはそういうオリジナリティーを求めるほうが空虚なのではありませんか?
348 :
考えない名無し :2001/06/21(木) 02:22
訂正
>>347 ×専門用
○専門用語
>このスレの上の方でKが嫌ったのは空虚な言葉のやり取りだと言いながら
>結局、考えない名無しさんのレスがそうなっていっている。
前にも書きましたが議論は一人ではできません。
あなたが真剣に問い掛けるなら、私はそうします。
というより私自身はいつでもそうしていますが。
また、後半、私がこのスレに戻ってきたのは、カルトな発言を見つけたからですよ。
349 :
・・・・・ :2001/06/21(木) 03:41
>ピエール氏 言いたいことは分るが、あまり「苦しみ」そのものを重視するとカルトに いい様につけこまれる可能性あるぞ。不必要に苦しませてトラウマとなること もあるからなぁ。そいつの責任というのもあるが・・。 避けてはならない苦痛もあれば、当然の苦痛もあると思うがどうか? その辺を取り違えるとある種のインドの苦行僧のようにある意味麻痺した状態に陥って 抜けれなくなる可能性もあると思うのだが。
350 :
通りすがり :2001/06/21(木) 04:56
「避けてはならない苦痛」イコール「当然の苦痛」と思うがどうか?
351 :
名無しさん :2001/06/21(木) 04:58
だいたい日本の宗教が戒律や苦行をはしょり過ぎ。
おはようございます。(朝だから敬語) ちょっと勘違いが発生しているようなので、昨日から寝ないで勉強してた とても勤勉な俺がピエール氏に代わり言っておくが、あれは氏の言葉では なく伝説の名著(w)「ファウスト博士の超人覚醒法」からの氏の記憶を 基にした抜粋で別に氏の説ではないはず。俺の記憶ともしっかり合致 してる、かなり精度の高い引用ですな。 一見、超能力開発に重きを置いたお子様本の様相を呈しているが、人間の 機械性を指摘し、いかにそれが害悪を生んでいるか、いかに人間機械の状態 から抜け出すかを簡潔に記した本であり。中身はなかなか深遠ですな。 あの、珍しい本をピエール氏が読んでるとは…。 なぜか、ここに集まる皆さんとシンクロする事が多いですな。 どうでもいいけど生物工学の発展それに伴うクローン人間の登場は不可避 ですな。今後の展開から目が離せませんな。 それと学生の諸君。工学部を目指してくれ。日本が生き残る道は工学しか ないですぞ。(涙)どれだけ理系離れがひどいか..。
353 :
探偵コナミ :2001/06/21(木) 10:07
241は27歳。
>353 はずれ。 >351 日本の宗教でも禅系や、真言系は物凄い修行するぜ。 あと修道院の戒律の厳しさも有名だ。 修験道も神通力を得る為にかなりの修行をするし..。 だから昔の坊さんは『僧兵』として無類の強さを誇ったんだね。 修行にはマインドコントロールの要素が強くて同じ修行をして 同じ苦痛を味わうことによって生まれる結束の強さは並外れている。 戦友みたいになるんだよね。そういう意味でも組織宗教は修行を重視するんだね。 最近では企業の新人社員研修にも似たものを見ることができるよ。 やっぱり修行で自我が強くなるのはKの発言を待つまでもないけどね。 (俺は修行してクセに自我が強いもは言うまでもないけどね)w それと勢いで上にクローンがどうした理系がどうしたとか書いてしまった。 異論もあると思うがスレ違いなので突っ込みがあっても無視するのを御赦し あそばせ。 興味のある人はクローン関係の将来に関しては 『セックス.イン.ザ.フューチャー』ロビン.ベイカー著 紀伊国屋書店 理系離れ及び工学関係に関しては 『科学の現在を問う』 村上陽一郎著 講談社現代新書 『テクノシステム転換の戦略』村山祐三著 NHKブックス このあたりを読んでおくれや。特に十代の学生諸君(いないかも..)。 特に君達に読んで欲しい。単純に娯楽としても面白いから。 じゃあ脱線はここまでで。ここではKに関する話以外、今後一切 致しませんのでご容赦あれ。特に1様。考えても無駄@名無し様。
訂正 >(俺は修行してクセに自我が強いもは言うまでもないけどね) ↓ (俺は修行してないクセに自我が強いもは言うまでもないけどね ごめんなさい。
356 :
K :2001/06/21(木) 13:06
苦しみが本当に必要なのかどうか僕にはわかりません。 苦しみは自己内省させてくれるし、そこから気づくことも多いと思います。 でも、人間は苦しみさえも求めてしまう動物です。 心理療法系の本を読んでいると、そういうことがよくあります。 苦しみは快感になるのです。 だから、苦しみを崇拝する宗教は危険でもあります。 ヤマギシは、特講と呼ばれるセミナーで解離性人格障害を引き起こすらしいです。 「洗脳の楽園」(米本和弘) これは極度の苦しみが、快感に至った結果です。 そのような、現代医学からすれば、精神病にあたる症状を、昔の人が、悟りであると思い込んでいた例はたくさんあるようです。 とても危険なことです。
357 :
通りすがり :2001/06/21(木) 16:40
>>356 >苦しみは快感になるのです。
だったら苦しみが起こったとき、その感覚に「苦しみ」と命名するのはおかしいじゃん。
358 :
まったく :2001/06/21(木) 18:15
わかっとらんな。「ファウスト博士」のベースには自己観察の行法があって、 苦しみに執着するなと言う。バックボーンがある。 同様に幸せや快楽に執着してはいけない。斎藤啓一の本は、中道を目指している理論なの。
357 脳の中で快楽をつかさどるA10神経と、苦痛を感じる中枢はとなりだからな。 でだ、これは、脳のホメオスタシスを保つ為に、ある一定以上の電流が脳の神経に流れないように、 脳の自立的な麻痺を起こさせるために生じるとワシは考える。 苦悩はある一定の脳細胞の回路に限界以上の電流を生じさせ、それを破壊するものなのだ。 つまり、この機構があるために、脳は真実を突き止めて考えることが、できないで、 ある一定の苦痛には、都合の良い解釈をしてしまう。 だから、それを打破するために苦しみをそのままに観ずることが重要となる。逃げるのではなく 対峙するのだ。 例えば、麻原のような極悪人がいると仮定しよう。彼が、もし自分に好意を抱いていると仮定したら、 たちまち、そいつが悪人ではないような感じに囚われるだろう。 逆に、非常に優れた者がいて、その人が自分に悪意を持っていると仮定する。 たちまち、悪人に思えてくる。自我には、このような緩衝装置(斎藤啓一&グルジェフの受け売りだが) がある。それを破壊しないことには、幻想のエゴを脱することは出来ない。 そこで、自己観察が必要となるのだ。それは苦痛に着すのでなく、 それを緩衝装置を破壊する行為であるといっておく。
360 :
名無しさん :2001/06/22(金) 00:53
クリシュナムルティの脳はどうなってるんだろうなあ。 自己観察をクリシュナムルティレベルまでできるようになったら 脳の構造も変化するのかなあ。 そこらへんの精神的変化と脳という物質的、肉体的変化はどう接合するのかな? 精神的変化をもとに行動原理という、物理的なものが変わるのであれば、 脳の構造の物理的変化もないとは言いきれないのではないか? アインシュタインの脳は好奇心を司るグリア細胞というのが普通人の 2倍ほどあったこと以外はみな同じだったらしいが。 クリシュナムルティのような場合は科学的、物理的に検出できない ところの変化なのだろうか?
そういえば、Kは背骨の痛み及び後頭部の痛みが大変だったらしいね。 このあたりからクンダリーニ関して何故彼が書物を読まないのに詳しかったか を説く鍵があるんじゃないか?(俺はこのへん詳しくないので突っ込むなよ) 自己観察を続けることによる、脳細胞の活性化に関しても言及していたと思う。 そして脳の限られた部分しか使っていない事も言及していたよね。 その限られた部分とは彼に言わせれば『思考』だったよね。 脳はroutineで使い続けることによりすっかり機械化し感情、思考までも 機械化してしまう。それを自己観察により新しく生まれ変わらせるんだね。 このあたりから瞑想の根本が『死』にあるんじゃないかと思っちゃうよね。 古い自分から瞑想することにより死ぬんだね。 そういえばフロイトが人間の『死の衝動』 について語っていたけど、これは無意識に機械性からの脱却を願う衝動 の発露なんじゃないかと俺はトンデモ妄想してしまう。 でこんなmaterialから判断するに、多分Kの脳は常人と物理的に違うもの があったんじゃないかと俺は思う。禅僧の脳波も常人とは違う分けだし。 かくいう俺は養老猛ファンでありますが。
>機械化し感情、思考までも >機械化してしまう。 機械的なパターン化された反応を超えるには、夢のなかで自意識をもつ行為が必要となる。 インディアンの明晰夢コントロール技術。でってカスタネダなんだけど、 では夢の中で自意識をもち、夢を顕在意識下に置く為には、まず、夢の中で、手をみることからはじめる という、手から、そして体全体にうつり、そして、夢の中で、自意識をてにするのだと。 自己観察は、まさに夢の中で、手を見る行為に他ならない。チベットのポア(オウムのアホ!用語として死んでる) では、我々の現実を夢の一種と捉え、そして夢の中で、自意識を得ることで、現実生活での 修行を促進する考え方がある。まぁこの現実も夢だとしたら、そこから目覚めるには、 もう1つ上の意識で、自己を認識する動作が、必要になるということ。 我々が、朝起きて夢を認識するのと同様にね。そしてそれを現実に対して行えるのが、 自己観察。これ以外にない。それ以外は牢屋を豪華に着飾るようなものだ。 ろうやは、貧相で、嫌なものであるかぎり、その存在は明白になる。 仏陀がサンスクリッドで「目覚めた者」と言う意味だが、あながち「そのとおり」の意味だろう。
>ピエール氏 人間の意識は『持っている』というよりは、社会関係等のcontextで現実的 には『持たされている』といった方が正しいのだろう。 これは、皆の思考を徹底的に追求していくと、完全に内発的なものは一切なく 社会関係等のなかで個人の経験、知識により受動的に形成されたという事実 からも容易に想像可能だ。 なぜ『お笑い』がここまで社会的人気を誇るようになったかも 社会のなかで持たされざるを得ない根拠のない思考(それは個々で違う。 学歴社会、性差別、年功序列etc)が持つ権威の虚構性を暴いてしまう ことにあるんじゃないか?皆、思考の受動的な部分や無根拠、条件付け などに気が付きながらもそれを続けざる得ない苦痛があってそれをお笑いは 暴いてしまう。『王様は裸だよ』である。 すべて宗教の目的は機械性から離脱して真の人間になる為にあったと グルジェフが言ってたけ。しかしグルジェフの弟子達が最もグルジェフにより 条件付けられ、自由を失い機械化したことに注意が必要だろう。 (現在においてはどうなっているか、知らない。) そしてKが最後に言った言葉「誰も変わったものはいなかった」にも 注意が必要だ。『変わること』=『死ぬ事』は相当の配慮が必要 なことを示唆しているんだろう。 最後に、人間の意識の虚構性を感じ取ったいい句を紹介。 露と落ち 露と消えぬる わが身かな 浪華のことは 夢のまた夢 (豊臣秀吉) これは秀吉、辞世の句だけど秀吉は最後まで自分の人生と同一化できなかった みたいだね。そして人生を夢と捉えることを好んだみたいだね。 (今日は『知ってるつもり』風に締めてみた。)w
364 :
k :2001/06/22(金) 18:44
この世は夢って、日本の仏教思想によくあるね。 ところで、クリシュナムルティは観察者のいない観察ということを言っていたけど、 この世は夢、ということを悟るのとは少し違うと僕は思います。 自分を客観視するメタな視点を作るということは、たやすいです。 でもそうじゃなくて、Kの言っていたのは、なりきることで、 時間の概念のない状態をいっているのではないでしょうか。 それはこの世を幻想にするのではなくて、リアルに感じることではないかと思うのです。 あとカスタネダは、Kによると偽作だそうです。
Kさん、よく分かるよ。 この世を夢と捉える事、それ自体はっきり言って夢だし…。 またそう考える事もまた夢だね。そうやってまたもや幻想に囚われていく。 こうやって書いていることそれは、単に言葉をもて遊んでるだけなんんだね。 realityを考えることそれもrealityの否定だね。 静止するしかないんだね。 でカスタネダって何?
あ、誤解のないように書いておこう。 最初の方で書いたけど、14冊Kの本を読んだってのは それは8年前のことだ。ここに書いていることは基本的に その時の記憶を基に書いている。今は他のことを勉強しなければ ならないので、ややいい加減な感じは否めない。ご容赦あれ。 それと、ガキのころ聖書を読んでいたし、その後仏典ばかり読んで 今は諸事情から現代思想や哲学を勉強しなくてはならなくなっている。 最近はそれに加えて生物の生態やらなんやらをずっとやってる。 ここに来るときは出来る限り頭を切り替えるけどやっぱり日常がでて…。 (他スレには一切行かないんだけど) まあ許してくれや。 ところで、kさんカスタネダってなに?
>カスタネダは、Kによると偽作だそうです そりゃ偽作だろう。でも俺、高藤総一郎と同じスタンスで、わらでも使うという主義。 241さん。カスタネダならMSNのサーチで「カスタネダ」を入れて見て。 2番目のMysticism and PhilosophyはなかなかのHP。
>ピエール氏 ありがとう。今から見てくる。
369 :
K :2001/06/23(土) 02:00
心と宗教を見ていると、 いろんな人が、それぞれの宗教や思想やグルにはまって、 自分は正しい、自分の信仰している教えは絶対だ、と言わんばかりです。 それはそれで幸せなのかもしれません。 僕自身は、いろんなものを信じては裏切られ、組織宗教や精神世界の団体の腐敗を間近に見てきたので、 何かを絶対視するということ自体がもはやできなくなってしまいました。 クリシュナムルティ好きの人は、そういう人が多いんじゃないの?
宗教関係者が「自分は正しい」と言うのはあたり前なんだよ。 自分で勝手に問題を設定し、自分にとって都合の良い方程式で解かせる。 そして答えはそいつにとって都合のよいものが出る。そりゃ正しいわ。 オレがよく宗教関係者のまねで、人に話す冗談がある。 俺の家には白猫がいてもう十分、大人の年齢なんだけどどうもガキっぽさが 抜けなくて仔猫みたいなんだ。それをみながら 「これはホワイトタイガーの赤ん坊に違いない。なぜなら普通の仔猫はもっと 小さいからだ。この大きさでまだ赤ん坊なのはそれはホワイトタイガーの赤ん坊 だからだ。」と言う。 そして「これは猫だ」と反論があったらまた 「普通の仔猫はもっと小さい。この大きさでまだ赤ん坊なのはそれはホワイト タイガーの赤ん坊だからだ。」と反復するの。誰もなにも言わなくなる。 宗教関係者のlogicはこれとかわりがないよ。これは安っぽい例えだけど 論破するのとそれが真実であるのとは違う、格好の例だよね。 でもこのレベルの理論で世間に流布している宗教の多い事、多い事。(w
一般宗教の論理は、突き詰めて考えれば、「頭の良い小学生」が考え付く論理なんだよ。 それ以上のレベルを超えると大衆がついてこなくなり、途端にレベルを下げられる。 しかも、それは強制的にだ。執着を絶つ本来の仏教が、今、欲得を満たす、幻想を見る 教義に変えられてしまったようにな。呪文を唱えれば欲が満たされる…。日本人の大半に とって仏教とは、そんなものだ。 どこかのサイトで目にした仏陀の言葉なんだけど「宗教とは利用できる全てだ」という文句があった。 俺には、この言葉が瞬時に仏陀のものだと直感的に把握した。これはまごうことなき、仏陀の言葉だと。 そういう直感を養うには、特定の教団の論理にがんじがらめにされていては無理だ。 宗教とは所属を要求する。所属しなければ、救われないとも言う。 こう言う集団は完全に間違い。俺は鼻で笑う。宗教とは、何を信じるかではなく、 何を行うかだ。行いが正しければ、それは、信じているものの正しさを証明し、 行いが、アホならば、信じているものが、本人が優れていると勘違いしても、 本人にとっては所詮アホ理論でしかない。 だが、この程度の罠に嵌まっている人たちが多いことを考えると、 やっぱり、真理とは、一握りの人のために保護されているとしか考えられないよ。 真理とは、ある一定の教団や指導者たちに共通するものであるのだがな。 ある一定以上のレベルに達した者は何故か似てくる。
お勉強大好きの俺が寝むい脳で感じる事を幾つか書こう。 俺は昔、何故かクリスチャンの家庭で育ったわけではないのに、キリスト教関係者 が毎週、家に来て俺に聖書を説いていた。だが、あらかた話を聞いて宣教師の 言うことが嘘だと思った。何故か? 神の恐ろしさを説くのに神について既知のもののように語るからだ。 聖書を物凄い卑近なレベルに下げ、そしてねじ曲げるからだ。 不可知の神を可知的に説くからだ。ガキの俺はすぐ嘘だと思った。 そして10年ほど経って神について知らないことから始め、そして肯定的 認識を一切、避けあくまで『神ではないもの』を知ることによって 神を知る学派を知ることになった。ここまで書いて分かると思うがこの考え方 はKに似ているし、ソクラテス、仏陀などの姿勢に似ている。 俺は相変わらず既製のキリスト教団体の教えになじめず、それが諸宗教を勉強 する原動力になっている。毎年宗教の根本的なものの類似にたどりつくばかり で決して、それらが、分離するものではないことに気が付く。 そして、当人の認識レベルによって人生は必ず、存在に見合う教えの方向に 勝手に導かれるようになるんじゃないかと思う。否応無しにだ。 だから諸宗教に裏切られて傷ついたという話はそれは幸運の兆し なんじゃないかと思う。だからkさんなんかは幸運なんじゃないか? それだけ幻想を持たないことは。だが前に書いてらしたように 『普通の人vs宗教の人』という二元論でとらえて『前者=善 後者=悪』 と捉えるのはあまり良くない。なぜなら聖のなかに俗はあるし俗の中に聖が あるからだ。俺の中では『普通の人=宗教の人』だ。両者に同じ図式が 見て取れる場合が多いからだ。宗教関係者を俺がここでボロカスに言うのは ここには宗教関係者が多そうだからだ。決して宗教そのものをけなした 覚えはない。二元論を作り出す過程を見破りその幻想を知るのも瞑想の 大事な役割だと思う。 え?お前はどうかって?もう女性に関する二元論 『美人vsブス』とか『若いvsオバサン』などの図式に囚われっぱなしで 一度も打ち破ったことはない。(w さあ、いまから勉強という幻想に囚われよう(涙
373 :
・・・・・ :2001/06/23(土) 20:10
>>371 執着をいきなり絶とうとすることより、ある程度欲を満たしてその不毛さを認識
するという順序も決して無駄ではない。欲望とはどういうものかしっかり味わう
ことだ。でないと、すっぱい葡萄のようなことになる。やせがまんすると、欲望を
無自覚に満たしているヤツに対して無意識に嫉妬するということになる。
「馬鹿みたいに欲望満たしやがって」というフレーズはどこかにそういうものが
感じられるのは俺だけか・・・?もし、不毛さを自覚した上でそのような人を見ると
微笑ましくは思うが非難する気にはならないだろう。「かつては俺もそうだった」
見たいにひっそりと思うだけだ。ピエール氏から感じるというのではなく一般的な
話だ。
>やっぱり、真理とは、一握りの人のために保護されているとしか考えられないよ。
そんなことはないだろう。多くのひとが同時に知りうるということはないと思うが。
そういえば、グルジェフの「知識は物質だ」というような話は興味深かったな。
>>372 >『美人vsブス』とか『若いvsオバサン』などの図式に囚われっぱなしで
>一度も打ち破ったことはない。(w
ワラタ。あまり幻想を打ち破ると変態になるかもな。(w
>「馬鹿みたいに欲望満たしやがって」 まぁ確かに欲望を抑えようとしている。まるで、踊るのを抑えているヘビメタ狂のように。 執着を絶つことに俺は興味はないよ。ただ、自在に操りたいとは思う。 例えば、「お前などゴキブリのような野郎だ」と言われたとしよう。 そこで、怒りに身を任せるのではない。怒りであろうが、憎しみであろうが、愛であろうが、自在に 操る力が欲しいと思う。また、それこそが、真の自由ではないかとも思うのだよ。 SEXや食欲といった、肉が希求する欲望に関しては、制限的に満たすことも必要だと思うが、 問題は「自分をよく見せ、よく思われたい」といった自我の欲だ。これは、満たされれば満たされるほど、 増大し、終いには手が付けられなくなるほど、肥大化してしまう。オナニーを覚えたサルが死ぬまで、それを繰り替える逸話のように。 だから、これに関しては、抑制するよりも、「対処」をしたいと思う。 それには。やはりアレしかない気がするんだよ。もちろん自己観察。 NLP(神経言語プログラム)で、今までと違った対応の仕方を学ぶ。これもいい。 我々は、自分の社会への対応についてもっと自由であるべきだと思うよ。
375 :
考えない名無し :2001/06/24(日) 00:43
>>374 >そこで、怒りに身を任せるのではない。怒りであろうが、憎しみであろうが、愛であろうが、自在に
>操る力が欲しいと思う。また、それこそが、真の自由ではないかとも思うのだよ。
上の方で完璧なコントロールについて書いた奴も相当ひどかったが、
これもいい勝負のようだ。
真に宗教的な人が欲するのは「私から」の自由であって、
「私の」自由ではない。
そしてそれ以外に真の自由は存在しない。
意志でなく意思が欲しいとな? それじゃ、そこいらの生物だよ。もしくは、石ころ。もちろん俺の言っていることにはいくつも複線があり、 それを説明しても君にはなんのことかわからんだろう。
377 :
考えない名無し :2001/06/24(日) 00:52
>それを説明しても君にはなんのことかわからんだろう。 試しに説明してごらん。
>真に宗教的な人が欲するのは「私から」の自由であって、 >「私の」自由ではない。 これは基本だ。
379 :
考えない名無し :2001/06/24(日) 01:00
>これは基本だ。 で?
>試しに説明してごらん。 説明するまでもない。俺が、君に阿鼻雑言をたたきつけりゃ、 その心の葛藤を制御したいと思うだろう。君が言った、 >「私から」の自由であって、 私からの自由など、自己を制御する力がなきゃ不可能なもの。 「私からの自由」を口で言うのは簡単だが、これは恐ろしいほど不可能だ。 「私の」自由と、「私からの自由」の距離が異常に離れていることに気付けないようじゃ、 完全にオカルトに毒されている。現実を直視した方がいい。
>上の方で完璧なコントロールについて書いた奴も相当ひどかったが、 >これもいい勝負のようだ。 何処がひどいのだ? 君の言っていることのオリジナリティのなさも相当ひどいよ。
382 :
考えない名無し :2001/06/24(日) 01:18
>>380 >>試しに説明してごらん。
>説明するまでもない。俺が、君に阿鼻雑言をたたきつけりゃ、
>その心の葛藤を制御したいと思うだろう。
信じてもらえないかも知れないが、私は制御したいとは思わない。
私ならもしもそのような心の葛藤が起きたら、
なぜそうなったのか、その理由を理解したいと思う。
>>「私から」の自由であって、
>私からの自由など、自己を制御する力がなきゃ不可能なもの。
ピエールちゃん。
キミが理解できないのも分からないでもないが、
自己の制御なんていうのは、そもそもの最初から幻想なんだよ。
>「私の」自由と、「私からの自由」の距離が異常に離れていることに気付けないようじゃ、
>完全にオカルトに毒されている。
異常に離れているのではなく、全く違う別のこと。
自分がグルジェフを誤解、曲解していることを棚に上げてよく言うわ(笑)。
>382 まぁ良くある話で、言葉の使い方の違いだけで、言いたいことは、そう変わらんということもある。 やけに毒毒しいので、なにか、コンプレックスを隠しているのは分かるが、君とは、言い争っても不毛な気がする。 こういうのは、オカルトおたくにコテンパンにのされるのが一番だが、 よくある2チャンネラーといったところか。
>自己の制御なんていうのは、そもそもの最初から幻想なんだよ。 なんで? これには興味がある。説明してみてよ。そこに幻想を持ち込む 理由を知りたい。言葉の定義が魍魎だった。 制御とは、無為自然。理に身を任せることによって、生じる、理に沿う生き方と定義しよう。
>異常に離れているのではなく、全く違う別のこと。 この発言にも責任をとってもらおうか。思いつきで発言している 場面が多すぎるんでないか? こんなとこで、言うのもなんだが、 文章には起承転結を心がけるべきだ。とくに相手の発言に注釈をつけた場合にはな。
なんだよ。人には質問しといて、こっちの質問には都合が悪くて答えんのか。 思いつきで話したと解釈するよ。
387 :
考えない名無し :2001/06/24(日) 02:13
>制御とは、無為自然。理に身を任せることによって、生じる、理に沿う生き方と定義しよう。 それは本当にオリジナリティーあふれる定義だなあ(爆笑)! まあ、キミの場合はそれほど危険でもなさそうだから これ以上追求しないが、質問には答えておくよ。 自己の制御が幻想なのは、一義的には、 そもそものはじめから、 自己の中で、物事を制御することを司っている「自我」というものが、 自己の主人ではないからです。 当たり前ですが、自我が制御できることには限界があるわけで、 よくカルトな人が自分の欲望や感情をコントロールしたいようなことをいうが、 実際には感情の方が力を持っており、自我はその前では無力でしょう。 自我が制御出来ることがあり、出来ないことがある。 そして「出来ないことの方が本当の自分」で、 コントロールしようとしている肝心の自我の方が召使いなんです。 ただ、普通の人は自分を自我と同一視しているため、 なんとかしたいと思ってしまう。 もちろんグルジェフはそう言っていたし、 こんなことは今更言うまでもないことでしょう。 二義的には、そもそもコントロールの必要がない、ということがあるでしょう。 そして実はこっちの方がより本質的な理由です。 たとえば「怒り」は、怒るべきときでないのに怒れば問題でしょうが、 しかるべきときには必要かもしれません。 また、こういう自分でありたい、と思えば、 次にどうやってなれるか、というコントロールの問題が出てきますが、 そもそも菊になりたいと思うバラがいけない訳です。 最後にもっとも本質的な理由は、 「自己」というのは全体の一部として有機的に機能しているので、 自己を見る者は全体をみるだろう、ということです。 そこにはコントロールする主体と客体が一致しているという事実があるため、 そもそもコントロールという問題が出てこないのでしょう。
だから、そのようなことは、グルジェフ関係の書物を読めば常識。 問題は、何故、君がそんなに、参加者たちの上に立ちたがるかだ。 君の書いたことはそれにくらべりゃさほど問題ではないね。
389 :
考えない名無し :2001/06/24(日) 02:24
>だから、そのようなことは、グルジェフ関係の書物を読めば常識。 キミの発言がその常識の意味を理解していないことを表しているから。 #おやすみ。
>「自己」というのは全体の一部として有機的に機能しているので、 >自己を見る者は全体をみるだろう、ということです 何故だ? 理論が分からない。というより文章がわからない。
391 :
・・・・・ :2001/06/24(日) 02:29
おっと、まだやってるな。(w
>>390 それは、「ホロン」のことを言ってるんじゃないか?
>問題は、何故、君がそんなに、参加者たちの上に立ちたがるかだ。
考えない名無し氏はこのことに責任もって答えるべきだ。自分の言葉で。
というか、もう止めようぜ。ほんとに・・。
392 :
こども :2001/06/24(日) 02:31
>キミの発言がその常識の意味を理解していないことを表しているから。 自我=自我を統制できないパラドックスなど最初から分かってる。 そして、自我を制御しようとするのも、結局は自我でしかなく、それは、夢の中で、 夢の色彩を変えるようなものだ。 だから、私にとっての自我の制御とは、それ以上の意識での認識作業となる。 だからこそ具体策として自己観察という 「仮の主人(真我)を作る行為」を持ち出してるというのに。…確かに俺、グルジェフの 認識は低いが、君はそれより劣るんじゃないか?
394 :
おとな :2001/06/24(日) 02:36
392=387
395 :
こども :2001/06/24(日) 02:41
きゃははっ、ちゃうよ。でもみんなよく似てるね、
>「自己」というのは全体の一部として有機的に機能しているので、 >自己を見る者は全体をみるだろう、ということです アーサー・ケストラーのホロン理論を都合のいいように個人の意識に当てはめてますね。 自己と全体の意識の境界線が不明瞭なら、発狂してますよ。 人間は、「全体の意識に飲み込まれない強力なエゴを作る」という形で哺乳類から意識を進化させてきた 歴史があり、自我を認識しながら、かつ全体意識も意識できるとみるのが正しいでしょう。
>自我を認識しながら、かつ全体意識も意識できる から、全体意識の要求に沿って、自我意識をコントロールできる。 意識の制御についてこう考えるが。
398 :
K曰く、、、 :2001/06/24(日) 02:49
>>387 >実際には感情の方が力を持っており、自我はその前では無力でしょう。
その無力さを打ち破ることが、真理へ到達すること。
>>396 >自己と全体の意識の境界線が不明瞭なら、発狂してますよ。
それでも発狂しないのが、真理へ到達した者。
399 :
考える名無しさん :2001/06/24(日) 03:49
メクソハナクソ。 誰も真理に到達できていないのに その解釈を巡って罵倒し合ってばかり。
400 :
考える名無しさん :2001/06/24(日) 03:56
あー、ばからしいったらありゃしねえ。 メクソハナクソ、50歩100歩とわかってるのに それでも50歩にこだわりたがるんだね。
おれ他スレが嫌でここに来たの。だってつまんねえんだもん。 ネット上で喧嘩したくないもん。俺、よそで昔たくさん喧嘩したし。 今は外でも車ぶつけられた時、以外喧嘩しない。おれ嫌ってほど 喧嘩見てきたから飽きちゃった。 だから言い合いしないよここでは。取り合わないよ。論争なんか。
402 :
名無しさん@1周年 :2001/06/24(日) 04:37
>>399 >>400 クリシュナ爺の指摘していたことを実演して見せてくれてるんだからオモロイじゃん。
ピエールさん。なんか新しいスレッド立ち上げてよ。 このスレじゃやっぱ話題に限界があるしKの話以外するのは1さんに 申し訳ないし...。
ピエールさんが、スレ立ててくれたら俺はそこのコテハンになるよ。 そうだな名前は(にい よん いち)とか(弐百四拾壱)とか (弐四壱)に改名しよう。(24壱)ってのもありだな。(w
405 :
>241 :2001/06/24(日) 07:30
422 名前:考えても無駄@名無し 投稿日:2001/05/08(火) 04:34
エロティックな響きの言葉を投げかけるラジニーシも好きだけど、
クリシュナムルティーもかなりいいよね〜。読んでいて心が止まっていくのを感じるがス・テ・キ。
ま、快楽も恐怖と表裏一体で、思考がなせる業なんしょうが(藁)
てなわけで、クリシュナムルティーのスレッド立てるんで、そっちもよろしく!
423 名前:考えても無駄@名無し 投稿日:2001/05/08(火) 05:08
クリシュナムルティーを大いに語ろう!スレッド
http://yasai.2ch.net/psycho/ 1さんに申し訳ないかは↑を見て判断しなされ。
なんとここはラジニーシスレから派生していた!
>241 スレッドを立てるですか…。スレッドを立てると、その責任を負わなきゃいけないでっすからね。 よく、自分の敬愛する指導者のスレッドを立てて、2ちゃんだから、ぼろ糞に貶されて。 自分はスレッドを立てた責任があるから、その指導者を必至で擁護する(笑)。 そんな図式があるし、俺はそんな疲れることはいやです。 といっても、俺が最も尊敬する指導者ってグルジェフではありませんが…。 最も、ああいう人物に興味のある人物、学んだ人物は、基本的に、指導者が非難されても、 心を動かさないで、対処出来るもんです。ちなみに、俗宗教シュタイナーやラジニーシのスレッドには、 この程度のことを理解できないことが多く、俺がグルジェフを肯定することを言っているからといって、 攻撃の矛先をグルジェフに持っていくアホな人もいました。もちろん、 なんともおもわんから、一緒になって、非難するフリをしてやり過ごしたりしてますが(笑)。 ここの宗教板でけんか腰になってくる相手は、必ず相手を軽蔑することが目的。だからこそ、 引くことができなくて、そのまま喧嘩になる。だから、そう言う行為が、スレッドの中でうたわれる人物 を最も侮辱する行為とは気付けずに…。クリシュナムルティに関しては、 俺、あえて侮辱する気がしない。相対的にみて、精神世界の指導者はひどいのばかりだからだ。 9割が偽者。で、本質は嘘というのがほとんど。つまり、詐欺の団体に関しては、俺は厳しく対処するし、 それこそ喧嘩になっても、自分を貫くが、クリシュナムルティに関しては、 そういう必要をあまり感じなくなった。この人物に興味を持つ人は、 人物に着する愚かさを誰にも言われずに認識してるからだ。
>必ず相手を軽蔑することが目的。 いやそうではないかもしれん。それにしても相手を落とすことで、自分を高められると 勘違いしてる連中が多すぎるよ。
408 :
通りすがり :2001/06/24(日) 09:53
どうでもいいけど相当こたえてるね>ピエール氏。 いつ寝てるの?(w
>ピエールさん じゃあこのまま楽しく行きましょう。 それと405さんラジニーシスレから派生していたのは知っていました。 でも、一応、1さんの顔は立てないと。あれは挨拶みたいなもんです。 俺が乱暴な口を利くのも単なるアピールで、理解し会えないことを前提にする 為です。何年も客商売やって団塊と仕事してきた俺が敬語を使えない分けない でしょう。2ちゃんやるのはやはり覚悟がいりますね。それなりの。 とにかく面倒くさいんですよ。見えない相手に論争をするのは。 昔、面と向かい一対一でよく知り合いの教育関係者と論争していたんですよ。 今でも教員の方とよく教育問題やら文部省の事、本当の教育とはなんだみたい な話をするんですけどやっぱりそれでも理解しあえない。お互い仲良くても 出来ない。それをネットで真剣な話が可能だなんて思っていないから、 いつもお笑い口調なんですよ。俺が本当は関西弁を話してるなんて考えられ ないでしょう?普段は誰に対しても絶対敬語で通すなんて考えられないし。 でも実際はそうなんです。いかにネット上で見えないことが多いかの 好例です。 まあ405さんがOK出してくれたんで、色んなスレ違いの話題も出して 楽しく行きましょう。俺はネット上ではあほらしいので論争はしませんが..。 そして今後も粗暴な口の聞き方で頑張りますわ。
410 :
考えても無駄@名無し :2001/06/24(日) 11:46
ヤッパ2chの限界か?そして2chを作っているわたしたちの限界か? 喧嘩上等!議論もヨシ!! というよりマッタリばかりしていると、喧嘩もしたくなるもんみたいね。 自己の存在確認のために・・・・ 子どもが愛情を向けて欲しいがためにママに駄々をこねるのと同じように そういう自分の自我を見ているような感じがする。 たぶん私の心の反映がいまのこのスレ何だろうな〜〜と思ったりした。 ま、クリシュナムルティーの書籍以外の彼の情報をもっていない私なんで、面白くもあるが 彼を語るという当初の意図からはかけ離れてきているね。 どこかでクリシュナムルティーのモチーフと統合されるさらに面白いんだが・・・ ちなみにラジニーシスレからここが派生したんじゃなく、ここを建てる時に読者層がかぶるラジニーシスレに宣伝文を入れただけです。 ま、そういうのを「派生した」というのかもしれないが(苦笑)
411 :
名無しさん@1周年 :2001/06/24(日) 17:26
オモロイよ。
412 :
考えない名無し :2001/06/24(日) 21:43
外野はいろいろうるさいようだが、もう一言付け加えておく。
>>393 >>キミの発言がその常識の意味を理解していないことを表しているから。
>自我=自我を統制できないパラドックスなど最初から分かってる。
いいや、ピエールちゃん。
こういう言い方から、キミが実際には何にも分かっていない、
ということがよくわかるんだよ。
自我で自我を制御出来ないのはパラドックスでも何でもない。
それは単なる事実だ。
それをなぜパラドックスと呼ぶ?
(普通は誰も、単なる事実をパラドックスとは呼ばない)
自分でその理由が分かっているのかい?
私はその理由を指摘しようとしているんだが。
>だから、私にとっての自我の制御とは、それ以上の意識での認識作業となる。
間違い。
自我の制御が出来る、ということはすなわち、
自我の終焉、を意味している。
つまり制御というのは、どこまでいっても幻想。
また、キミは他のスレッドでたびたび、
「自分を見ている自分」について言及しているが、
それもまたエゴのトリックだ。
413 :
考えない名無し :2001/06/24(日) 21:43
実際には、もしも深く観察するなら、
観察者は、観察という行為と別に存在するのではない。
もしも自分を見ている自分がいるなら、
その「自分を見ている自分」を見ている自分、はどこにいるんだい?
そもそも上記の通り、自我を制御出来ない、
ということが分かっていれば(腹のそこから分かっていれば)、
それ以上、制御の話は出てこないはずだ。
なのになぜ制御したいのか?
そんなにも制御したがっているは一体誰なのか?
自我だろう?
その自我が「それ以上の意識」というトリックを作っている。
>>396 >アーサー・ケストラーのホロン理論を都合のいいように個人の意識に当てはめてますね。
残念ながら、私はアーサー・ケストラーは一冊も読んだことがない。
414 :
考える名無しさん :2001/06/24(日) 21:58
>考えない名無し 「制御」という言葉に過剰に反応し過ぎていないか? 自分の中の、言葉に対する個人的な、特殊な感受性を棚に上げて これほどまでに相手に「お前は何もわかっていない」 などと言い続けることにそれほど意味があるのか?
415 :
考える名無しさん :2001/06/24(日) 22:06
ひとくちに「制御」と言っても独裁者が完全に支配するような制御もあれば フィードバック制御のようにどこに制御の主体があるかわからないような制御も あるでしょ。
416 :
考えない名無し :2001/06/25(月) 00:34
>>414 >これほどまでに相手に「お前は何もわかっていない」
>などと言い続けることにそれほど意味があるのか?
Kは60年以上同じようなことを言い続けました。
意味があったんでしょうか?
>>415 >フィードバック制御のようにどこに制御の主体があるかわからないような制御も
>あるでしょ。
言葉というのは人によって使い方が違います。
>言葉というのは人によって使い方が違います。 なら、俺の言いたいこともわかるだろう。言葉の解釈は問題ではなく、 事実だ。この種のことに関しては、論じるより実践あるのみだと思うよ。 例えで、おれがよくグルジェフを挙げるのは、この人物が俺の言いたいことを 説明するのに最も都合がいいからだ。私の師匠のような人物は、別にいるが、 その人物のナを言っても、しらないだろう。いわば、グルジェフというフィルター を通して、私は自分の信条を語ってるのだ。制御とは、なんのことはない。 内的な力を得ることだ。それは、宅間のような者とは対極に位置する者とでもいっておこう。 で、オイラへの注釈考えすぎじゃないの。
418 :
名無しさん@1周年 :2001/06/25(月) 00:53
考えない名無しさんもおかしなことを言うねえ。 >Kは60年以上同じようなことを言い続けました。 ご自分とKを同列で扱うつもりですか? それでも別に構わないけど、ならば、もう少しご自分の言葉で語って下さい。 Kは「Kを勝手に崇拝する人々」と対話していただけですよ。 あなたはあなたが勝手に「あなたを崇拝していない人々」相手に 横からイヤミたらたらレスをつけているんですよ。 まったく違いますよ。
419 :
名無しさん :2001/06/25(月) 05:42
面白いな。 一方は自分をクリシュナムルティになぞらえ、 もう一方は自分を宅間なんかとは違うんだと言っている。 極端だな。 尊大と卑屈は表裏一体。
420 :
名無しさん@1周年 :2001/06/25(月) 07:49
age
考えない名無しみたいな典型的ドキュソは無視したほうがいいですよ。 クラスにひとりはいたじゃないですか?こういうオタクの癖に自意識だけ 強いバカは。誰からも相手されない存在感の希薄な奴の典型ですよ。 こういう自称聖人は、はやく精神病院という名のお寺で、仲間達相手に 説法を説いたらいいんです。無視が一番です。
スワミ.考えない名無しはみなさんのような凡夫が理解できる位置に いらっしゃる方ではないことは自明じゃないですか。理解する為には 発狂という名の光明をみてもらう必要があります。どうしても説法を 理解したい方には凡人なら5年の引きこもりが必要です。 なぜなら、スワミ・考えない名無し氏は15年の引きこもりの後に今の 光を得たからです。 今は拘束服のローブを身にまとい、瞑想中のスワミに レスする人はやはりそれなりの霊的地位が必要なことは 言うまでもないことでしょう。 嗚呼我らが師スワミ・考えない名無し氏に永久の光を。 そして信者に不快感という名の説法をこのまま唱えて 下さる事を地にまします我らがミミズに祈るばかりであります。 なおスワミに面会を希望されるかたは某都立病院精神科の病棟 で面会できます。ぜひともおいでください。スワミは日本語が 話せないので、そこのとこだけはご留意下さい。
423 :
K :2001/06/25(月) 15:24
2日ぶりに見たら、大変なことになってますね。 考えない名無しさんが単に、知識だけの誇大妄想の人なのか、 それともあえてそういうキャラを演じることで、本質的な理解を導こうとしているのか 僕にはわかりませんが、 クリシュナムルティ好きな人の中には、知識だけで自分が悟ったように思い込んでしまうことが 幾分かあるような気がしてなりません。 武道の達人が力を抜けば良い技ができると言うのだけを聞いて、素人が力を抜いて技をかけても、 何にもならないことは明白です。 クリシュナムルティのことなど知らなくて、クリシュナムルティの境地に至っていたのなら、本物でしょう。
424 :
K :2001/06/25(月) 15:31
しつこいですが、「水晶の革命家」より 私はスリ・ランカはハプタレに滞在していた時の事だがたまたま新聞を読んでいた私はすっかりたまげてしまった。 「瞑想は言葉の反復ではない」という投書を眼にしたからだ。 なぜ人は生の内なる動きに関して何らかの権威を受け入れるのか? 私たちは「私は悟った」と主張するグルを信じてその権威を受け入れる。 しかし瞑想は日々の生活から離れたものではない。そして瞑想は言葉の反復ではない。 方法に準拠した瞑想は思考の運動と化するのである。云々。 これは何か言うべきだ。いや言うのが義務だと私は感じた。そこで新聞社に手紙を書いた。 掲載されるとは思っていなかったが予想に反してそれは掲載された。
425 :
K 「クリシュナムルティ水晶の革命化」 つづき :2001/06/25(月) 15:38
貴紙八月十五日の「声」で「瞑想は言葉の反復ではない」という投書を拝見したが、贋物特有の俗臭が強く私の鼻をついた。 その人間独自の理解に基づいたものであればたとえ私と異なった意見であっても私はそれを尊重する。 だが偉大な人間の言葉を理解することなく鸚鵡のように模倣する俗物根性だけは許す事ができない。 そしてこの投書の主がクリシュナムルティの著作からその言葉を模倣したに過ぎないことは明々白々だ。 他の誰かの「センス」ある言葉を模倣するよりは自分自身の言葉でナンセンスを語るほうがまだマシなのである。
kさん久しぶり。 みんなとりあえず、あまりカリカリしなくていいいんじゃないか? しょせんはネットだよ。ところで 自分の言葉じゃないがいい言葉を見つけたので書いておこう ローマ五賢帝のひとりストア派の マルクス.アウレリウス.アントニヌスの『自省録』より 「他人の魂の中に何がおこっているか気をつけないからといって そのために不幸になる人はそうたやすく見られるものではない。 しかし自分自身の魂のうごきを注意深く見守っていない人は必ず 不幸になる。」 これは単純にいい言葉だし普遍性があり時代を超えて人間にあて はまると思う。特筆すべきはこれが『皇帝』という地位にある 人間が自分自身に向けた言葉として書き残したという事実だ。 これ以外にもこの『自省録』には金言が満載されていて、この皇帝 の倫理性の高さは比類のないものがある。なぜこれを引用するかと いえばこのスレの現在に対するもっともらしい批判になっていると 思うからだ。そういえばキリストもこれに似た言葉を言ってたっけ。 まず、自分ありきじゃないか?いいじゃねえか他人は。 まあ俺も最近、「他人はどうでもいい」とか言ってて、以上に いい女からの誘いをミスミス逃したばかりか、気が付いたら 友達が若くして異常に出世したり結婚したりしてんだけど(w
考えない名無し様。お懐かしい。あれから十年になりますか...? 我々が、雪の激しい強制収容精神病棟から逃亡を企てて貴方は遠くインドへ 私は北朝鮮に逃亡してから...。様々な困難を経てやっと貴方が 構想しておられた教えを完成しなすったんですね...。 いつも貴方はKの著作を音読しながら 「俺は考えないのだー。考えない。無だー。空だ。愛だー。」 と叫んでらっしゃいました。そして最後には 「ひーーーーーかーーーーーりを見ーーーーーーーーたーーーーーー。」 と悟りを得られました。主治医からは結局(誇大妄想)(分裂病)など と診断されましたが、同じ病棟の私は貴方が真理を得られたこと、 それを批判する愚民どもはサタンの手先であることを微塵も疑いませんでした。 今、このスレでメクラどもを相手に真理の言霊を発する貴方はまるでオーメン で民衆相手に星の教団の解散を宣告するKのようであります。 積年の御友人の麻原氏、高橋氏、福永氏も同じように光明をえられました。 しかし何故か貴方と同じ光明をみる人は必ず刑務所に服役するはめに 陥るのが定めとなっております。嘆かわしいことに、愚民達は貴方の教えを 解しません。さあ、貴方を理解する我々が待つ強制収容精神病棟に帰りましょう。 貴方には、あそこに素晴らしい信徒達がいるのです。あなたの高次元の 教えはそこでのみ効力を発するのです。永遠の光に満ちた貴方の教えは 凡人たちには単なる(分裂病)としか写らないのです。さあ、我らと共に、 いざ帰らん。
スワミ今晩も説法がんばって。
スワミの説法が読めるのは2ちゃんだけ。
スワミがいつどうやって捕まるか楽しみだな(w
431 :
沙 :2001/06/25(月) 19:25
ありとあらゆる宗教が自らが最大の理解者と勘違いする人間によって変質し、 原型を失い、見る影もない別物にいかにして変えられるかは考えない名無しの ような典型的厨房の発言を見たら分かりやすい。 こういうドキュソは優しくさとすより、ドキュソ扱いしてちゃんと自分の地位を 確認させてやったほうがいい。みんな甘すぎるよ。 もう来なくていいよ。考えない名無しよ。みんなお前が嫌いなのは 見たら分かるだろ?どこに行ってもドキュソ扱いだってお前なんか。 社会的にだめで、女にももてない。宗教的なものも凡人以下。 お前本当にうざいよ。早く消えな。(藁)
432 :
シュタイナーとか人智学の板から :2001/06/25(月) 20:59
>名無しさん 以前この板でグルジェフとナチスの関係を不等式で表されていましたが、 グルジェフとナチスの関係の説明を宜しくお願いします。^^。
433 :
通りすがり :2001/06/25(月) 21:13
なんかすごいね〜
>>428 〜
>>431 。
まるで誰かに叩かれたときのカルトの反応そっくり。
クリシュナムルティーの信者ってカルトと一緒じゃん(W。
434 :
通りすがり :2001/06/25(月) 21:19
>>421 、
>>427 とかも忘れていた。
でも、本人は自分が悟ってる、なんて一言もいっていないのに、
こういう反応って…。
よっぽど言われたことが図星だったんだね。
435 :
通りすがり :2001/06/25(月) 21:23
実はずっとロムしてたんだけど、「k」さんイコール「・・・・」さんなんじゃないかなあ? なんか「k」さんが書き込む時間帯が途中でかわってたり口調が変わっていたり。
436 :
通りすがり :2001/06/25(月) 21:24
うーん、案外、高岡ってのが自分でやっていたりして(W。
437 :
通りすがり :2001/06/25(月) 21:57
Kさん、肝心のあなたが人の言葉(水晶の革命家)からパクッてるって(W。
438 :
名無しさん@1周年 :2001/06/25(月) 22:29
高岡なぞがパクるほどのネタかよ、おい 会ったことあるか、あのドキュソに?
439 :
・・・・・ :2001/06/25(月) 22:44
>>434 -435
まぁ、確かに421,422,427,428などの煽りはちょっとやりすぎだな。
しかし、あんたもしっかりレス読んでるとは思えないぞ。>通りすがり氏
アゲアシとりばっかしてないで、あんたの意見を述べろよ。
ちなみに、k氏と俺は別人だ。k氏がすべて同一人物かどうかはわからないが、
結構発言は共感できるものがある。おそらく口調の変化はこのスレのやりとりを
見てうんざりしたんじゃないか?
ネットでは証明のしようがないがな(w
このスレの住人の共通理解として、人間の自我についてどう克服するかというのが
問題意識としてある。(克服しようなんて意志は人それぞれとして)
それでKの本を読んで何かしら思うとこがあったわけだよな。いかにしてKの本に
書いてあるようなことを現実の生活にすり合わせていくか?こういう疑問を持ってる
人が多いんじゃないか。だから、Kの言ってることをそのまま検討するのも大いに
結構だが、そんなことは本を読めばだいたいわかる。(理解度は人それぞれだな)
俺個人はそんなことよりも、上のテーマで話を進めたいわけだよ。
考えない名無し氏はよく理解してるとは思うぜ。ただ、人がほんのりとした感想を
もらしたのを捕まえて、考えない名無し氏におうかがいをたてたわけでもないのに
いちいち食いついてくるっていうのは違うだろ。それこそ、いらぬおせっかいだ。
考えない名無し氏に提案。あんたが何か議題を投げかけてはどうだ?それに食いついて
来る人に対してレスして見ては。それと、考えない名無し氏に対して質問のある人は
必ず、「>考えない名無し氏」というのをつけることにするとか・・。聞きたい人もいる
だろうしな。俺はもういいよ。(w
440 :
K :2001/06/25(月) 23:41
ぼくはK kさんとは別人。 あと、引用とパクリは違います。 料理の鉄人が作った料理と、 そのレシピを完全に真似して、素人が作った料理と 同じなわけがありません。 クリシュナムルティが使った言葉とロジックを 材料にして、同じような口調で料理したところで、 素人は素人です。 それが見えてしまうのです。
考えない名無しか…。それにしても、俺がグルジェフを持ち出しただけで、 君のグルジェフの理解は低いと言ってくるあたり…。実は低かろうが高かろうが、 自分の意見として言っているわけで、結局どうでもいいことなんだけどな(笑)。 なんか、やけに対抗意識を燃やしてくるあたり、プライドが高くてよっぽど精神的指導者たちに執着してんだろうな。 もっと、等身大の自分を演じたらどうだ? クリシュナムルティを餌に自慰に走ってどうする(笑)。
442 :
考える名無しさん :2001/06/26(火) 00:13
なんにしても考えない名無しさんにはある種の才能がある。 ここまで断続的に荒らしによらないで不快なレスはそうそう つけられるものではない。 こういう者がどのような社会生活を送っているのか 興味が出てきた。 どこにでも必ず一人はいるただのひねくれ者か?
443 :
通りすがり :2001/06/26(火) 00:21
>あと、引用とパクリは違います。
あっ、ごめん。間違えちゃった。
>>437 はkさんに対してじゃなく・・・・さんに対して。
・・・・さんは「自分の言葉で言え」ってオウムみたいに繰り返してたから、変だなあって思っていたの。
>>425 みてなんだ、パクりじゃんっ、て思ったんよ(W。
444 :
通りすがり :2001/06/26(火) 00:30
>>アゲアシとりばっかしてないで、あんたの意見を述べろよ。 じゃあ、一言だけ。 >考えない名無し氏におうかがいをたてたわけでもないのにいちいち食いついてくるっていうのは違うだろ。 って言うけど、いつも先に食いついているのは・・・・さんの方。ほっとけばいいのにって思ってた。 このスレの1さんだってほっておいているし、241さんも相手にしていない。あんただけだよスレ汚してんの。 つまりさぁ、どっちもどっちなのにあんたは自分で気が付いていない。
445 :
通りすがり :2001/06/26(火) 01:06
>素人は素人です。 >それが見えてしまうのです こういう「自分には分かる」って奴が後を絶たなくてこまるぜって・・・・さんが言ってましたよ(W。
446 :
考えない名無し :2001/06/26(火) 01:31
いやはや何ともすさまじいね(笑)。
>>442 >ここまで断続的に荒らしによらないで不快なレスはそうそう
私がここに書いているのは、単なる日本語という記号です。
それをどう解釈するか、というのはひとえに「あなたの解釈」にかかっています。
試しに私の発言を、頭のいかれた哀れな人の独り言、と解釈してみて下さい。
不快になりますか?
それともかわいそう、という哀れみが反応として起こりますか?
実は「不快」な反応も、そして「哀れみ」という反応も、
両方ともに「あなたの」為した反応であって、
「私の」為したことではありません。
そして、このような「反応」は「両方ともに」間違っているのではないでしょうか?
447 :
名無しさん@1周年 :2001/06/26(火) 01:46
>>446 こいつより電波男先生に専任講師になってもらったほうが
板全体の利益になるんだがな。
448 :
・・・・・ :2001/06/26(火) 02:08
>>444 >いつも先に食いついているのは・・・・さんの方。ほっとけばいいのにって思ってた。
と言いつつアゲアシとってたあんたも同類。まぁ、これは納得したよ。
もう止めるぜ。あんたが俺にやろうとしたことを俺もやりたかっただけだ。
>こういう「自分には分かる」って奴が後を絶たなくてこまるぜって・・・・さんが言ってましたよ(W。
文脈よく読めよ。何にでも当てはめるなよ。
それと俺は「・・・・」ではなく「・・・・・」だ。
449 :
442 :2001/06/26(火) 02:18
>>446 いまは不快感よりも哀れみよりも好奇心が先に立つ。
日常生活では本当はいいやつなのか、あんたは?
ここでは悪ぶってるのか?
悪ぶるのもここまで継続できるのは才能だな。
450 :
名無しさん@1周年 :2001/06/26(火) 03:59
通りすがりが1番スレを汚していると思われ
451 :
名無しさん@1周年 :2001/06/26(火) 04:20
通りすがりはいっそのこと通りすがってほしいと思われ
Kさんとkさんがいたんだ。知らなかった。てっきり同一人物だと思ってたよ。 ずっと、同じ人だと思ってレスしてた。ゴメンナサイ。 もう皆さん理解していると思うけど、言葉の定義なんてそれぞれ違う。 「万人に通用する言葉の定義で話せ」って言っても無理でしょ?だからこのスレ を続けていくうちにこのスレだけで通用する言葉の大まかな概念が出来るまで 分かりあえないまま続けるしかないでしょ=このスレオンリ−の普遍言語ですね。 今の日本社会の問題にこんな問題がある。凶悪犯罪が増えて明白に 異質な人間が増殖して、モラル等が低下したと言われている。それに対する対処と して『共同体的道徳の復活』を唱える人間と、『あくまで個人の権利、価値観の 尊重をした上での協力』を訴える人間と大まかに分けて二つに分かれている。 俺は前者はちょっと今の時代に適応していないし、乱暴な感じがすると思う。 『理解しあえていると決めつけて、協力する』のと『理解しあえないことを前提 に協力する』のは質が全く違う。2ちゃんでよくある論争はなんか前者の価値感 が裏切られた怒りに訴えたものが多いと思う。でも、俺みたいに最初から「理解 しあえない」と思いながらやっている人間は争わない。これはニヒリズムでは なくて『現代社会を生きる若者特有の知恵』だと思っている。(w このあたりは『宮台真治』とか『小林よしのり』とかの本を等しく読んで各自現代 のちょっとした思想的動き(w)を勉強してもらえたら分かりやすいけど、 特に読む価値はないかもしれない(笑 でもこのスレでお互い理解が最後まで不可能だとも思っていない。 スレを続けるうちにお互いの個性が出きったところで、共通の理解の基盤が ある程度できてくると思う。そうなるのがちょっと楽しみですな。最近は。 こういう意見はKの言葉をまったく使っていないし、勝手に勉強した諸々の言葉 の寄せ集めで大変申し訳ないんだけど一応書いときました。今度はいかに俺が 異質な両極端の人間(旧帝大大生or中卒ヤンキ−)(遊び人or超真面目教育者) とかの人間両方と仲良くやってきたか気が向いたら書きます(w
453 :
通りすがり :2001/06/26(火) 21:56
>通りすがりはいっそのこと通りすがってほしいと思われ 書きこみ時間を見るに、自分の思い通りにスレを操れないので悔し涙で夜も眠れていないと思われ(W。
454 :
名無しさん@1周年 :2001/06/26(火) 22:23
ぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷっ 「(旧帝大大生or中卒ヤンキ−)(遊び人or超真面目教育者)」 ぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷっ ゚プププツ ハヅカシクナイノカナ コノヒト プププププツ
あらら、ギャグで書いたことがまじで笑われてる。 まあそれはいいとして、ちょっとこれから 忙しくなるのでもう来ません。またネット上で お会いできたらいいですね。 色々あったけどとてもいいスレでしたね。 それじゃあ、さようなら。(好青年風)
↑ 名前いれ間違え。もう来ないのは241です。 最後にしくじちゃった。(最後にいろんなスレ見てきてレスいれたから) じゃあ本当にさようなら。ネットは1年ぐらい止めます。 勉強に本腰いれなくちゃ。さいなら。
なにも去ることないでしょ(苦笑)。この板全体を徘徊する魑魅魍魎に、べろん と頬をなでられたぐらいで、もう参加しないとは…。 こうかんがえてごらん。ここの板は、統一協会の信者やオウムの連中の目にも 触れるし、創価や顕彰会のようなカルト信者の目にも触れる可能性がある。 そんな人たちが他人の価値観を尊敬するか? 引きづり落として、こけ下ろすにきまってるだろう。 ところで、「小林よしのり」は正論ですよ。あのような人たちがどんどん、世の中に 出てこないといけない。
458 :
考えない名無し :2001/06/27(水) 00:27
>>449 >ここでは悪ぶってるのか?
別に悪ぶっているつもりはありませんが(苦笑)。
ここ(2ちゃん)ではカルト叩きをしています。
…私のオリジナルの理解について、
いろいろ言われているようなので少し書いておきましょう。
まず最初に、私が理解するところでは、
「理解」というのものには、そもそものはじめから
オリジナリティーというものがありません。
オリジナリティーがあるのは、あくまでも、
その「理解」に至るまでの個人的な道筋、
言い換えればその人の人生のありよう、です。
これには確かに、それぞれのオリジナリティーがあります。
しかし「理解そのもの」にはオリジナリティーはありません。
ですから、何かオリジナリティーのあることを書こうとすれば、
自分の個人的な体験について書くことになるわけです。
しかし、私はそれ(個人的体験)について書いていませんし、
今後も書くつもりはありません。
あまり意味のあることでは無いと思っていますので。
なぜなら、人は自分自身の人生を生きるしかないからです。
459 :
考えない名無し :2001/06/27(水) 00:27
ちなみに、人と人とが分かり合えるのは、 「理解」にオリジナリティーがないからですよ。 人は自分自身を知ることで他人を知るんです。 自分自身を知るのにインターネットが障害になったり、 書物が障害になったりすると思いますか? あなたがここで、私の言葉に耳傾ける (私はそれを娯楽と呼びます)のではなく、 あくまでも私の言葉をきっかけに「自分自身に耳傾ける」なら、 すべての人と時代を越えた同じ理解を得ることでしょう。 しかし、もちろんそのためには 自分自身を深く知る必要があることでしょう。 #私もそろそろ仕事が忙しいのでしばらくレスしません。
>ピエ−ル氏 違うって。本当に勉強しなくちゃならないんだって。 俺すごく義務を怠ってたの。最近。ここ来るまでもっと勉強してたの。 ここ楽しいから腐敗しきっていたの。おれ。 プププププを気にしたわけじゃないよ。(w 俺、心と宗教板○○○○叩き、哲学板で、ENGLISH板の勉強間違い指摘で 社会学板の社会学擁護で、大学受験板の間違い指摘等で (一番恐ろしいのが大学受験板1つ煽りが入ると連続10くらい入る) もっとバカにされてきてるから気にしないよ。煽りは。 でも朝、やっぱりこのスレが気になって覗いちゃった。 ちょっと、執着あるみたい。(w 2ちゃん自体止めるつもりだったけどこのスレを日曜だけ覗きに来ます。 だから可能な限り存続しておいて欲しいな。じゃあまた。
461 :
名無しさん@1周年 :2001/06/28(木) 00:51
>自分の思い通りにスレを操れないので悔し涙で夜も眠れていないと思われ わたしはROMのみだったんだけど・・・。アナタがつまんないことばっか つっこんでるからでしょ?それともおバカさんだからまともにレスつけないの? アナタの憶測って全部はずれてるのね?(わらひ
462 :
nanasi :2001/06/28(木) 03:25
考えない名無しさんが普通のレスをしている。 あんまり面白くないな。 やっぱりこの人の個性はあの一連の毒づきレスにあるみたいだな。 毒づかれると嫌悪感、まっとうなレスだとつまらない。 こうなると毒づきレスがなつかしくなってくる。 人の解釈、イメージなんてこんなもんだな。 いいかげんなもんだよ。 >「理解」というのものには、そもそものはじめから オリジナリティーというものがありません。 この「理解」の理解の仕方にはオリジナリティを感じるぞ。
463 :
一言 :2001/06/28(木) 18:56
オオリジナリティね。自分でじっくり考えたかどうかで、それは決まるよ。 じっくり考えたものならオリジナリティあり。逆はまたしかり。 はたから読めば、ばれるしわかるんじゃない? 考えない名無しの言うことは、 何処かで聞いたものをジグソーのようにあわせているから、周りからツッコミ が入ると思うよ。ある種この分野に造詣が深い人はそれを見抜いちゃうからね。
464 :
通りすがり :2001/06/28(木) 21:46
>ある種この分野に造詣が深い人はそれを見抜いちゃうからね。 そうやね。このスレのKさんとか・・・・・さんが自分の言葉を自分で理解していないかったことは 誰の目にも明かやね!(W。
わけのわからない言葉に逃げる人は、すでにその言葉を理解していないか、 混乱状態にありながら、最大公約数の妥協で論理を展開しようとする。 だから、まともに対応するのもめんどくさくなるんだがな。
466 :
名無しさん@1周年 :2001/06/30(土) 12:21
age
467 :
名無しさん@ダム広場 :2001/06/30(土) 14:44
>>463 >何処かで聞いたものをジグソーのようにあわせているから、・・・・
オショウはこれの世界的大家でしたね。凄い芸人でした。
この分野に造詣が深い人でもいまだに見抜けない人が多いようですが。
造詣深さよりも直観の問題かな。
EO系(ホウザン系)の人はオショウ派が多いですね。
EOに騙されるような人には、そりゃ見抜けんわな。
ここはクリシュナムルティーのスレッド。
age
470 :
M :2001/07/02(月) 23:16
情報交換しませんか。インドのクリシュナムルティ財団にいったこと ある方いらっしゃいますか?とても自然がきれいな場所ときいていますが。
>オショウはこれの世界的大家でしたね。 うーん。和尚がか? あまりピンとこないな。それを言うなら、 大川隆法なんかそのモンだと思うがな。 EOは読み物的に優れているからよし。ただし、客観視できる人に限って。 あれを本気にしチャまずいな(笑)。
472 :
K 通りすがりさんへ :2001/07/03(火) 11:21
>このスレのKさんとか・・・・・さんが自分の言葉を自分で理解していないかったことは 誰の目にも明かやね!(W。 どの文章でしょうか?いつもあいまいな指摘なので、論争の題材になりません。どこのどのような発言が、 問題なのかきちんと示してください。
>>472 どうでもいいがあんた本当に見苦しい。一種の偏執狂。
この発言自体が分かっていない何よりの証拠。
試しに一言指摘してあげる。 >論争の題材になりません。 あんたまだこの期に及んで論争したいんかい?ほんとにあきれる。
475 :
名無しさん@1周年 :2001/07/03(火) 14:36
オレ達はやっぱり勝ち負けを求めてしまうのだなぁ。 「外野がイロイロうるさい」というようなことをいってた人もいるけど、囲いはすぐにできてしまうんだなぁ。 コトバによって世界全体を見渡すことは本当に困難なことなんだなぁ。 本当に勉強になります。皆さんに感謝。
476 :
名無しさん@1周年 :2001/07/03(火) 15:07
クリシュナ・ムルティの「クリシュナ」はインドの神ということは知ってるけど、「ムルティ」ってどういう意味ですか?
477 :
一言 :2001/07/03(火) 18:32
ムトゥの踊るマハラジャのなまりです。
"像"ってどれかの本の解説にあった気がする。 だから"クリシュナムルティ"="神の像"?
なんだかクリシュナムルティーから離れて行き過ぎたね、このスレッド。 よってsage
480 :
BM :2001/07/04(水) 01:07
481 :
名無しさん@1周年 :2001/07/04(水) 02:47
>>480 ありがとう〜
以前からクリシュナムルティという名前=音列=記号を見ると、私にとってはその記号は意味不明だったので、それを使っている人がその不可解な記号に自己投影しているだけに見えてしまっていたので。すっきりしました。
482 :
K :2001/07/04(水) 10:17
相手と対話をするには、相手の発言のどの点に意見の相違があるのか、きちんと示す事が、ルールのひとつだと思います。 通りすがりさんたちは、感覚で非難しているようにしか思えませんでした。それではこちらがなんとなく不快になるだけで、建設的な意見交換はできません。 こういうことを書いている事自体が問題なら、掲示板の意味がありません。根本的に言っている事自体がおかしいです。 そういう指摘なら、473さんも僕と同じレベルですね。
483 :
ドンファン :2001/07/04(水) 13:50
人は自分自身を理解している程度に応じてしか、他人を理解することが出来ない。 誰かが別の誰かについての意見を口にしているところに出くわしたなら、 よく観てみるがいい。 その人が描き出している人物像は件の人物と似ていることがわかるだろう。 むしろ彼の描き出した人物像は、どこかしら彼自身の姿の方に似てはいまいか?
484 :
守護の天使 :2001/07/04(水) 13:59
>>479 考えても無駄@名無しさん=トピ主さん
ロングランになりましたね。
彼の識別の話はお役に立ちましたか。私は、最初カキコした人間です。
>>483 さん
人間の内部のマーヤは他人の中の同じマーヤに気付きやすいんでしょうかね
485 :
名無しさん@1周年 :2001/07/04(水) 17:09
つーか、どんなスレやレスからも学ぶことはできるし。 俺、アタマ悪い(ココに来るといつも痛感)からスルドイことや深いことはナニも言えないけど、みんなのレス読んでるとマジで嬉しくなる。 2chならではって部分もあるし、ある意味クリシュナ爺の著作や講演録よりナマナマしくて身近に感じたりもする。 ところでガイシュツだけど、ボームとの対話で触れられていた、「覚者の本当の仕事」がアタマから離れないんだけど、これについてなにか思うところのある人はいますか? 俺自身はこれがクリ爺の最終的に指し示そうとしていたことなんじゃないのかと思えて仕方ないんですが。
486 :
名無しさん@1周年 :2001/07/04(水) 17:15
487 :
通りすがり :2001/07/04(水) 20:11
>相手と対話をするには、相手の発言のどの点に意見の相違があるのか、きちんと示す事が、ルールのひとつだと思います。 それってkさんや・・・・・さんが一番やっていなかったことやね。人の話の内容は全部無視して人格攻撃ばっかりしてたじゃん(W。
483 ワシの場合、相手が言っていることを間違っていると断定することはめったにしない。 何故なら、それはその人の理解度だからだ。例えれば、精神的な障害にあっている人の主張する世界が あるとしよう。そして、その人の言っていることがいかにおかしなことでも、それはその人にとっての真実に 他ならない。 相手を評価する場合、自分の経験や知識に応じ我々は、その人を理解する。とするなら、 多かれ少なかれ、ここの参加者は人格攻撃によって、自我の補完として、クリシュナムルティ を利用していたとしか思えんよ。つまり、俺がよく言う例えだが、浮浪者の前で、募金活動 をするようなもん。当人は、自分に酔いしれているが、実は人を救うということに全然興味がない。 つまり、偽善者が多いという気がしてならない。やさしい指導者には偽善者が集まりやすい。 厳しい指導者には、真理を求める人が集まる。この図式は自我の性質を考えれば、明白なんだがな。
>やさしい指導者には偽善者が集まりやすい。 >厳しい指導者には、真理を求める人が集まる。 ということは間違いをはっきり間違いと指摘してくれる厳しい指導者が必要ということだね。
和尚はやさしい指導者になりそうだよね。
491 :
一言 :2001/07/05(木) 12:52
クリシュナムルティは他人に余り興味が無かった。常に自分の中で収束する「悟り」に 一喜一憂する。間違いを指摘するだろうが、 それは、情ではなく知性で。つまり、他人がどうなろうと知ったこっちゃないわけだ。
492 :
二言 :2001/07/05(木) 13:02
>それは、情ではなく知性で。つまり、他人がどうなろうと知ったこっちゃないわけだ。 Kはなぜ講話をやめないのか、と聞かれてたぶん愛からです、と答えている。ウソを言っちゃいけない。また彼にとって他人と自分という垣根は取り払われていただろうね。
1982年にボンベイでKの講和を聞いた友人の話によると、 本の印象とは違って子供のようによく笑う人だったとのこと。 会場にはラジニーシのヘタレ弟子たちも大勢参加していたが、 Kは彼らを面白そうにからかっていたそうだ。
494 :
名無しさん@1周年 :2001/07/05(木) 17:58
age
守護天使さん >彼の識別の話はお役に立ちましたか。私は、最初カキコした人間です。 まだよく理解できていないみたいです〜〜〜(TT) >ピエールさん >相手を評価する場合、自分の経験や知識に応じ我々は、その人を理解する。とするなら、 多かれ少なかれ、ここの参加者は人格攻撃によって、自我の補完として、クリシュナムルティ を利用していたとしか思えんよ。 ?たぶん私は自我の補完物としてクリシュナジーを利用していると思うが、あなたはどう? 同じ土俵で語っている段階で「お互い様」としかならないと思うのだが? 人格攻撃をすることで、自分が優位に立ったかのように思う人は2chに多いそうだけど、そんな一般論はあまり意味がないと思うけど? また、論理的に語れるということや知識を多くもっていることで優位に立ったような気分になる自我肥大の人も珍しくないし、醜いね。 クリシュナジーの文献読んで実践しないものを批判したり、実践を勧めたりするのも自我の補完物とする人の所業ですよね。 >やさしい指導者には偽善者が集まりやすい。厳しい指導者には、真理を求める人が集まる。 これは単なる「先入観」にしか思えないんですが? やさしい、厳しいってどうやって区別するの?どうやってフォロワーを偽善者、真理探究者とに見分けるの? あなたの目にはやさしい指導者のフォロワーが偽善者に見える、それだけのことじゃないの? 真理探究者で偽善者っていうのもあるだろうしね。 #あ〜、クリシュナジーの話題から遠くなってしまったな〜〜〜。
496 :
名無しさん@1周年 :2001/07/05(木) 19:13
age
497 :
名無しさん@1周年 :2001/07/05(木) 19:54
別に遠くなってないと思うけど・・・。
そろそろ、「共感」ってテーマで話を進めてもよろしいかと・・・。
>そろそろ、「共感」ってテーマで話を進めてもよろしいかと・・・。 お、お!! それなんかよさそう(^^) 「共感」 私の数少ないトランスパーソナル的体験の一つです。 クリシュナジーがなんかいってるのかな?
500 :
K :2001/07/05(木) 22:44
良かった。 また本質的なおもしろいカキコが増えてきましたね。 ところで通りすがりさん、 ぼくはKです。 kさんではありません。 はじめのほうで、kさんという人がいるとは知らなかったんです。 まぎらわしくてすみません。
501 :
名無しさん@1周年 :2001/07/05(木) 22:47
『ナナシズム』とは?
>論理的に語れるということや知識を多くもっていることで優位に立ったよう >な気分になる自我肥大の人も珍しくないし、醜いね。 まぁ確かに、こういう宗教的なことや超状的なことを求める人たちの中には、そう言うものが 多かれ少なかれ蠢いているもんだ。自分の前世が信長や秀吉ととおもっとるやつは、日本で数万居るだろう。 何を隠そうビートたけしも自分の前世が秀吉だったとおもってるぐらいだからな。秀吉は、ある人間を癒し続けとるわけだ。 つまりだ。クリシュナムルティとは、そういう自我の補完の延長線上にあり、それ自体には、 そんなに力のある思想を感じない。例えれば、チャネリングのようなものだ。人間の心理を知り尽くした、チャネラーが 無意識かの海馬の記憶を上手い具合にくっつけ、それなりの思想を完成させる。 騙されたと思うなら、読んでご覧。そこには、心理的な間違いはなく。ただ当たり前のことが書き連ねてあるから。 正しいことを言う。それは問題ではない。しかし、それをどう生かすか「その技術」および実践法がない。 そこに俺は、クリシュナムルティに弱点を感じるし。バシャ-ル、EOと同様のものを感じるんだよ。 実践的な行法「自己観察」でもクリちゃんが教えていれば、ジーザスクリ●●●スーパースターと 手放しで絶賛しているのだがな。残念なことだ。
503 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 00:29
>>502 是非、あなたにジーザスピエールスーパースターとして立っていただきたい。
504 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 00:34
>実践的な行法「自己観察」でもクリちゃんが教えていれば 実は教えている。というか、それしか教えていない。つーか、Kからそれを抜かしたら何が残るんだよ。
505 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 00:42
ageまくり
(Kが「星の教団」を解散させた理由などの話のあとで・・) ナーハル:しかしそれでも、あなたは導師として教えを垂れてこられたではありませんか? K:いやいや、なるほど教えては来ましたが、それはまったく別のレベルでのこと なのです。私は、自分の思想と他の人のそれとをひたすら分かち合うようにし ています。その観点では、キリストや仏陀やその他のいかなる偉大な教師でも、 喜んで受け入れます。私はただ、かれらのまわりに宗派が作り上げられて、 教師の言葉や思想よりも教師その人のほうが重要になってしまう、そういうあり方 に反対なだけです。 「私は何も信じない」よりナーハル氏との対談 ここにクリシュナムルティの「共感」に関するヒントが・・。
507 :
通りすがり :2001/07/06(金) 00:47
>kさんではありません。 >はじめのほうで、kさんという人がいるとは知らなかったんです。 あのね、kさんでもKさんでも関係ない。おかしな発言に対してつっこんでいるだけ。あなたは論争の題材にならない、って言ってた人でしょ? 論争と議論は違うでしょ。論争は相手を負かすためにやる。議論は真理を探すためにやる。kさんや・・・・さんがやってたのは論争、 考えない名無しさんがやろうとしてたのは議論。あんあたが論争したいならkさんたちと同類だし、他からのつっこみも入るだろうね!
508 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 00:48
同時に又「共感を阻害するモノ」のヒントも・・・。
509 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 00:54
>通りすがりさん 何でそんなに論争口調なの?(笑
510 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 00:58
AとBが共感するとき、AもBも両方ともに重要ではない。 つまり、共感があるとき、そこに共感する人はいない。だからこそ共感がある。 共感しあう共通の理解のみが重要なんだ、と思いますよ。
511 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 01:01
age
512 :
通りすがり :2001/07/06(金) 01:02
>>通りすがりさん >何でそんなに論争口調なの?(笑 偽善の臭いをかぎつけたから(W。
513 :
通りすがり :2001/07/06(金) 01:13
AとBが論争するとき、AもBも、それぞれにとって重要である。 つまり、共感がないとき、そこには共感し合わない人たちがいる。だからこそ共感できない。 論争には「相手」が重要。だからこそ人格攻撃になる。そして論争からは共感は生まれない( ̄ー ̄)。
514 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 01:14
>通りすがりさん あなたもちょっと臭うわよ。プンプイ〜ン(笑 もうほっとけばぁ〜。種を蒔いちゃダメよ。
515 :
通りすがり :2001/07/06(金) 01:16
Kさんがやめれば私もやめますよ。
516 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 01:22
もうほっとけばぁ〜。種を蒔いちゃダメよ。
517 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 01:24
516は失敗。 510>514 つーか、あんたも煽るのやめろよ。
518 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 01:47
そして、議論からも共感は生まれない( ̄ー ̄)。
519 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 01:50
517>518 なんだ、あんたも論争屋か…。
520 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 01:53
>そして、議論からも共感は生まれない( ̄ー ̄)。 Kは真剣な議論、討論の重要性を度々言っていますよ。 つーか、Kとボームとかの議論もそうだし…。
521 :
名無しさん@1周年 :2001/07/06(金) 02:08
age
>議論から、共感は生まれない。 そんな事もないと思いますよ。互いの心が安定していて、 自分の経験・信条のみに、固執しないニュートラルなスタンスを持ち 正しく 判断し、思考し、理解し、感じるなら そこに第3の新しい気づきが発見され、共有できるように思いますよ。 ただ自分が、そういう状態でいられるか そしてそういう人を、見つけ出せるかが問題。 (あんまりROMしてないので 見当はずれの事言ってたらご容赦)
523 :
よくぞ云ったぜランキング!! :2001/07/06(金) 04:59
守護の天使 なまじ宗教や神を信じるとそれが、自我の溶解の妨げになります。 pearl 他の人との関係がなければ毎日の生活はどうなってしまうのだろう? アクロバットリーダー 良く考えるとただのエンター テイメントになっていませんか? O 言葉を使う限りにおいて常にあるがままを条件付けてしまうことは避けられませんが、それは自己観察のあるがままの表現だと私は感じ ました。 俺流 彼は神秘家だし、宗教家でいいんだよ。 もっとも彼が宗教家だとしたら(そうなんだが)、 世間一般で言われているような宗教家は実は宗教家ではないんだが。わかる? O 目の前にある木を本当に実在するのだろうか、などとは問わないように。 本来は関係し合っていると。それを邪魔するのがエゴであると。 考えない名無し まるでめくらと光の議論をしているような感じがしますね。ここは最悪の部類に入ります。 通行人 このままじゃ、ラジニーシ(和尚)スレと一緒だね(藁 ななし クリシュナムルティとラジニーシを並列で語るなよ。 考えても無駄@名無し こういうことを実はわれわれはネット以外の日常でもしているんだと再認識しただけの話。 名無し やはりココにもいた、自分が真の理解者だというやつが・・・・ 考えない名無し このスレでは丁重な言葉づかいを心がけていましたが(笑)ようやく少しは正直なレスがきたようなので、私も少し正直にレスしましょう。 W あなたの知識、優越欲、顕示欲、習得した議論の方法論、他の議論の場で味わった快感の記憶、・・・ 等
524 :
よくぞ云ったぜランキング!! :2001/07/06(金) 05:02
O あなたの本性がそういうレスをつけたのなら何も言う事はありません。 エロエロ つまらない理屈を並べずにセックスを見つめることができれば及第点かな。 XYZ クリシュナムルティはひどいやつだ。息子を亡くした母親に「戦争は、あなたが起こしているのです!」と悲しみに追い討ちをかけるようなことを言ってるよ。 まったくひどいやつだ。 満腹 私はあなたを鏡にさせていただくよ.あんたの醜い姿(私の自己投影?)に感謝するよ(笑) 和尚 みよ、この二人を! Kの教えを語っているうちに、いかに自分の頭の良さを他人に示したいかという醜い自我に囚われてしまっているかを! 考えても無駄@名無し ナルシズムを土台とした自己投影の繰り返される2ch。 これって強調された私たちの日々のあり方を映し出しているように思えませんか? アヘ 偉そうなことばっかりゆうんやったらクリシュナムルティなんかに頼るな! 考えない名無し いつか、ではなく「今すぐ」卒業してね(もし入学してるなら、だけど)。 k 真理を指し示しただけで、道を語らなかった。道を否定した。それがジの道、直接的にかたるアドヴァイタの道だった。 アヘ ワシはもう卒業しとる。 考えない名無し それは卒業おめでとう(苦笑)。
525 :
よくぞ云ったぜランキング!! :2001/07/06(金) 05:06
考えない名無し p.s. これから仕事が忙しくなるので今まで通りレスできないと思います。#すみません。これが最後のレスになりそうです。 k やっぱり、知的遊戯がお好みなんですかね。ここのクリシュナ・ムルティ派というのは。 考えない名無し 私にマナーを教えようとした人は失敗したようです(爆笑)。 ナナシ 成功したんじゃないか?あれ以来まともなマナーになってきたぞ。相変わらず の議論だがな。 名前入れてちょ 他人に対してはデリカシーがないのに対して あなた自身に対してはかなりデリカシーをお持ちのようだ。他人に対するデリカシーを放棄するなら、自分自身に対する デリカシーも放棄した方が印象が良くなると私は思う。 いえ、別に説得したいわけじゃありませんよ。 マジレス つまり、このような言い方は詭弁だと受け止めることが十分に可能だ。 自己観察にはこのような物言いに騙されないことも重要だな。 水晶の革命家より 宇宙の貯蔵庫みたいなものがあって、どんな人のどんな行為も記憶されています。利己心の全くない心だけがそこと交流できるのです。 考えても無駄@名無し 正直アーカシックレコードがあるとか、クンダリーニには興味ないです。うんこはうんこ」でしかなく、「うんこはきたない」というような価値判断から自由な心になりたいな〜〜。 ナナシ ありのままに「うんこ はうんこ」として認識するにしても、やはりちゃんとフイて(笑)清潔にしてたんだ ろうなと。 名無しさん クリシュナムルティを上司に紹介しても無駄っぽいな。 ラジニーシ 和尚について K「彼は犯罪者です」
526 :
うへへ :2001/07/06(金) 05:16
>よくぞ云ったぜランキング おれの発言、8個あった。
527 :
うへへ :2001/07/06(金) 05:21
しかも全部ハンドル違う(藁 統一ハンドルにすべきだったかな。
528 :
無関係な人 :2001/07/06(金) 05:37
せめて、このスレ内だけでも、統一ハンドルにした方が、、と思われ・・
529 :
非僧非俗 :2001/07/06(金) 05:55
はぁーーい、皆さぁーーん、熱心な打ち込みお疲れさんでした。 ずーーーっと傾聴?してました。で、ワタスの感じたことを、 皆さんにダイジェスト版でお伝えしまぁーーーす。 これは前半の部分ね。たくさん紙面を占有して、ちょっと気が引け るので、あえてワタスのコメントは控えさせてもらいますね。 で、皆んなでオフというかやってみたいんだけど・・・、 なにね結果は掲示板とたいして違わないだろうけどね、 実際に会うとダイナミズムが変わるのだろうか? そんな単純な疑問もあるし、顔見て話したいし、スリリングだとは思うな。 皆んでクリシュナ爺ぃ〜を語ろうや!! オレが幹事やるから・・・。 で、皆さんのご要望があれば、続きの第2弾もBBSに載せるョ〜? 別に皆さんの真剣さを茶化してなんかいないから心配しないでネ。 オフの名前は「ここがヘンだよK爺さん」とか付けたら、皆んなにヒンシュク買うかな? だいたいクリシュナムルティ派というか、皆んなトリスマシテいるからな。 自分だけが知ってるような、高慢さの壁というかあってさ。 あとはニヒリストか、へりくだり組、これまでの多くがそうだったな。 貴君たちは、どうなんだろ? 真摯になってクリシュナムルティを語れるかい? それにしても106の発言に至っては、暗愚りクチがふさがらなかったよ。 自分を知ることが必要だな。見たり、聞いたりして理解できないなんて 無惨だろうな・・・理解とは「愛」だって当たり前に簡単なことも わざわざ複雑にしているんだろうな・・・単純だと楽しいのになぁ。 皆んな鯉、オレの家の道、真っ直ぐだから、来るのに迷いようもないから・・・。 皆んな友だち、オール・マイ・リレーション!!嬉しいよ〜♪
非僧非俗=・・・・・だあ。
自分が正しいと思っているとなんでも出来るんだね。恥ずかしくない?>531。
533 :
直言 :2001/07/06(金) 08:16
>>522 >自分の経験・信条のみに、固執しないニュートラルなスタンスを持ち
>正しく
>判断し、思考し、理解し、感じるなら
>そこに第3の新しい気づきが発見され、共有できるように思いますよ。
激しく同意。
自分の意見に固執しまくりの発言>529だな。
相手に分からせよう、として必死になっているね。
534 :
なんだこりゃ? :2001/07/06(金) 11:01
>>529 >無惨だろうな・・・理解とは「愛」だって当たり前に簡単なことも
>わざわざ複雑にしているんだろうな・・・単純だと楽しいのになぁ。
理解は愛?それが分かっててこの荒らしかよ。
>皆んな鯉、オレの家の道、真っ直ぐだから、来るのに迷いようもないから・・・。
行きたくないよ。
>皆んな友だち、オール・マイ・リレーション!!嬉しいよ〜♪
友達に対してするレスかこれが?壊れた?
535 :
無しさん :2001/07/06(金) 20:34
age
536 :
通りすがり :2001/07/06(金) 21:05
>>529 非僧非俗さん。
思いっきり素朴な疑問。
なんでそんなに自分だけが正しいと思えるの?
前に「自分にはわかるっ、ていうやつが後を絶たなくて困るぜ」って言ってたよね?
そのあなたがどうして自分だけを例外において「おまえらみんな分かってないぜ」みたいなことが言えるの?
そんなに人の上に立ちたいの?逃げたりごまかしたりしないでちゃんと答えてよね。
537 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 01:10
荒らし、煽りは、去りました。議論及び話を続けて下さい。
538 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 03:14
age わたしらは学ぶべき。
539 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 12:45
個人の学び?それは一人一人でできる事。 ここでの話はそれとはまた違う意味での学びに入るのでは?
540 :
無問題 :2001/07/07(土) 13:10
>個人の学び?それは一人一人でできる事。 >ここでの話はそれとはまた違う意味での学びに入るのでは? 同じことでしょう。 自分自身から学ぶのと外側の世界から学ぶのとは。 結局、人が外側に見るのは自分自身の姿でしかない。
541 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 13:34
自分自身を内証は 他者に通じるということ?
542 :
無問題 :2001/07/07(土) 14:04
>自分自身を内証は 他者に通じるということ? いや、大事なのは見ることで、 その見る対象が内側か外側か、というのは程度の差でしかない、ということ。
543 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 14:13
じゃあ、ここのばで話をするのも良い事だし、
外(例えば他者)からの、言葉にしろ、それからも学びは摂れるんでしょ?
>>538 は あなたじゃないよね?
544 :
無問題 :2001/07/07(土) 14:15
>じゃあ、ここのばで話をするのも良い事だし、
>外(例えば他者)からの、言葉にしろ、それからも学びは摂れるんでしょ?
ええ、ただし、その人の視力に応じて。
>
>>538 は あなたじゃないよね?
違います。
545 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 14:17
何か、私に教えてください。
546 :
無問題 :2001/07/07(土) 14:19
もう一言追加。 視力を養うのは個人の問題。 道を指し示すことは出来ても、実際にその道を歩くのは個人個人の問題。 視力を養うのことを「学ぶ」というのなら、学ぶのはその人個人にしかできない。
547 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 14:23
視力と言うのは、感じるとか感性的な感覚ですか?
548 :
無問題 :2001/07/07(土) 14:30
>視力と言うのは、感じるとか感性的な感覚ですか? 「感覚」もまた外側にある、と思いませんか?
549 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 14:35
両方(外にも内にも)在るような気がしますが、 どちらが先かと問われるのは 鶏と卵どっちが先?に 似てるよーな・・・
550 :
無問題 :2001/07/07(土) 14:46
>両方(外にも内にも)在るような気がしますが、 もう少し説明して下さい。
551 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 14:49
内と外の統合。かな?
552 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 14:55
ちょっと、おかしいと思われるかもしれないのですが・・・だって もし私からみれば 外側に感覚があっても その外側の(人でもいいけれど)ものから 見れば 私自身が、外側だから。
553 :
無問題 :2001/07/07(土) 14:56
>内と外の統合。かな? 私が感覚を外側にある、と言ったのは、 普通は「肉体」を外側、その肉体を感じる「肉体感覚」を内側、 という風に分けて捉えられがちだからです。 でも、肉体が無ければ肉体感覚だけ単独で存在することは出来ません。 本当は両者(肉体と肉体感覚)は同じものなのではないでしょうか?
554 :
無問題 :2001/07/07(土) 14:59
もういいでしょう。 また気が向いたらレスします。
555 :
名無しさん@1周年 :2001/07/07(土) 15:03
肉体感覚とするなら 見て字のとうり肉体がなければ 成り立たない感覚なんじゃないですか? でも肉感的じゃなく、精神というか、心の疎通なんかは ちょっと毛色が違うような・・・
とりあえず、上げとくよ。
557 :
名無しさん@1周年 :2001/07/09(月) 07:06
>>553 肉体感覚ってでも変な言葉使ってますよね。(注・挑発してるのではない)
肉体感覚とすれば、本とに読んで字の如く肉体から得られる感覚ですか?
思いとか、感情も思考もですか?
可能性としての話なんですが、肉体は精神の発生装置とか、維持装置との
仮定はどうですか?
貴方の言う「内」を精神とか感情・思考・思いと仮定して、「内」と「外」は似て比なるものならず
同じにして比なるもの と言うか・・・・
肉体が有ればそこにどうしても、精神が発生する(肉体が精神発生装置だから)
存在と言う意味では両者は一心同体で同じ物と、言えるかもしれないが、
その、役わり・性質は、異質である。(全て異質とは言い切りにくいが・・・)
と、言うのはどうです?
558 :
無問題=考えない名無し :2001/07/10(火) 00:32
553>555、557 >でも肉感的じゃなく、精神というか、心の疎通なんかは >ちょっと毛色が違うような・・・ 精神というのは非常に幅広い概念です。 それに「肉体」という言葉をストレートに対応させるのはあまり適切ではないでしょう。 「精神」を主体とするなら、それに対応する客体は「身体」です。 >肉体感覚とすれば、本とに読んで字の如く肉体から得られる感覚ですか? >思いとか、感情も思考もですか? いいえ。 肉体と肉体感覚としたのにはそれなりの理由があります。 感情や思考も、もちろん、それ(肉体)に根ざしていますが、 単純に肉体に対応させる訳にはいきません。 上で精神と身体を対応関係にある、としましたが、 私が上記のような説明をしてみたのは、 たとえば「光の感覚」を肉体感覚、それを可能にする機能体を「目=肉体」である、 とするなら、感情を可能にするためにも、光感覚に対する機能体としての目のように、 それを可能にするための機能体が必要になってくるからです。 ちなみに神智学徒たちはその機能体を「エーテル体」と呼んでいました。 しかし、ここで誤解がないように言い添えておくと、 エーテル体というものは、肉体と全く別に単独で存在する物理的な存在ではなく、 あくまでも人間存在のなかに起こる「感情」という現象を、 「機能」の面から客体化して名付けたものである、という点です。 私は多くのオカルティストたちがこの点を見逃していると思います。 そしてもちろん、その「機能=エーテル体」が働いていなかったら、 感情を持つことはできません。 すなわち、 エーテル体(客体)が無ければ感情(主体)は存在出来ない という訳です。 ちなみにスーフィーにも同じような考え方がありますが、 彼らはその機能体を、 神智学徒たちのように「身体」になぞらえたりはしません。 彼らはそれを「7つの谷」として語ります。 >可能性としての話なんですが、肉体は精神の発生装置とか、維持装置との >仮定はどうですか? …557さん、私はもっと深く説明することも出来ますが、もうそろそろいいでしょう。 仮定の話しや可能性について考えてみるのも大いに意義があることとは思います。
559 :
無問題=考えない名無し :2001/07/10(火) 00:33
しかし、私としては単にそれについて「考える」のではなく、 「実際に」探求しなければ意味が無いと思います。 頭で考えることは本当の意味での探求の役には立ちません。 議論というものも、好奇心からあれこれ考えるだけでは一向に深いものにはならないでしょう。 …「見る」ためには、善い、悪い、正しい、間違っている、などの どのような種類の判断が入ってもいけません。 その判断がフィルターになって見ることを妨げます。 こう言うと、私が上の方で他の人に対して、それは間違っている、 としたのは何だったのだ?と言われそうですね(笑)。 もちろん、日常生活において判断なしにいることはできません。 1+1が2であるかどうかさえ判断出来なければパソコンも動かせないでしょう。 つまり、「判断が入ってはいけない」と、するのも一つの判断で、 そのような「判断」を持つこともまた妨げになるわけです。 すなわち、 沈黙 それが答えではないでしょうか?
560 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 01:41
沈黙について長々と語る
561 :
考えない名無し :2001/07/10(火) 02:07
>沈黙について長々と語る 言葉は読めても沈黙を読めない人のため。
562 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 02:18
それをいらぬお節介と言う
563 :
考えない名無し :2001/07/10(火) 02:21
>それをいらぬお節介と言う あなたのやっていることも(笑)。
564 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 02:26
562は正論。563は脊椎反射レス(ゲラ
565 :
考えない名無し :2001/07/10(火) 02:33
>562は正論。563は脊椎反射レス(ゲラ あなたのやっていることは単なる荒らし。
566 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 02:59
珍問答。ネガティヴな珍問答。
567 :
考えない名無し :2001/07/10(火) 03:16
あなたは問いかけていない。私も答えていない。
おやすみ
誰もいなくなっただろうから
誰もいなくなっただろうから
ひとりひっそりと
あらしてみよう
巷には師匠ごっこ弟子ごっこが流行り
ここではただ師匠ごっこだけが流行る
読みかじりの継ぎはぎを
託宣としてありがたがれと
他人の名を借りて
代弁者であるかのように
先哲の言葉も
都合の良いように
読み替え、すり替えて
ただの思いつき
無価値な思いつきを
他者に押し付け
先哲の名を汚す
自分は無謬
理解しないものは無知
自己を知る?
自己を疑いもしないで?
あらかじめ答えを
あらかじめ決定した答えを携え
議論へと
もしそれが議論と呼べるのなら
臨む
ただ自分のささいな思い付きへの執着が
書き込むことで幾らか満足する
書き込まれた思い付きが
他の同様な師匠ごっこの書き込みとぶつかり
599 :
557 :2001/07/10(火) 03:58
あのー・・出来たら もう、やめてくれたほうが・・・
論破せよとの憎しみにかられる
ちぇっ!600までやりたかったのに!
ひそかに600取りやがって、、、
603 :
557 :2001/07/10(火) 04:00
それか、分けないで、まとめて書いた方が・・
604 :
557 :2001/07/10(火) 04:02
なんか、ピンと来る「気ずき」なんか あるなら、書いて下さい・
605 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 04:06
う〜ん
>>599 の割り込み方は見事だね。芸術的!
606 :
557 :2001/07/10(火) 04:09
607 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 04:15
じゃあ「無作為であらしを撃退」ですね
608 :
557 :2001/07/10(火) 04:25
>>607 そう言われてもなんと、お答えしてよいやら・・・
一連の荒らしさんの、つぶやきも
続けて読むと興味深いと言うか・・・・
609 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 04:45
でも、自分で「あらしてみよう」って言ってるよこの人。
610 :
557 :2001/07/10(火) 04:57
>>609 そこらへんが、可愛らしく憎めない荒らしです、この人
611 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 05:04
612 :
557 :2001/07/10(火) 05:24
>>611 書き込み
>>568 -
>>572 の、所なんか
こっそりと、物陰から様子を窺いながら、夜中に親の目を盗んで
自分なりの 見方を一人ひっそり語る、子供のような
心も感じます。(ちゃめっけも)
613 :
朝が来たゾ〜 :2001/07/10(火) 05:45
今日は いい日に なりそうだ〜♪ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・) ⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂_へ つ < < < ) ) ) (_)| (_(_) (__)_) 彡(__)
614 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 05:48
ヤイ、僕は大人だぞ。
615 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 05:48
なんだかほのぼのしたスレになってるね
616 :
557 :2001/07/10(火) 05:52
心の印象です。私はよい所だと思います。
>>614 >>613 は、ずれちゃいましたね。残念です。次はがんばってね。
しかしちょっとおだてるとすぐ調子に乗るんだな。人を攻撃するのは自分が祭り上げられたいからか?
618 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 07:22
>>617 攻撃と、採るか、議論と採るかですね。
その攻撃の中にも、何かくみ取るべきもの、考えさせられるもの、
気持ちにひっかかるものも 出てくるかもしれません。
(あきらかな 中傷は別として)
617>618 また先生が出てきた…。
今朝の一連の荒らしにも、もちろんなにがしかの真理はあるさ。 でもそれを言っている肝心の本人がすっかりクリシュナムルティーの保護者きどり。 その上、下手に出る人におだて上げられて舞い上がっちゃてさ。
621 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 08:14
まあ。少しはいい気持ちというか、でもこのスタンスもなければ 理解は生まれないのでは?(まあ逆に相手の本心を見るために 叩いて試すという手段も、時にはありかもね。アフターケアを忘れずに。) しかし、私、クリシュナムルティーて知らんのよ。 優雅な名前から、若い女性の(生存中)思想家かなんかと 思ってたのよ。本とかも読んだ事ないし・ クリシュナムルティーの保護者と言うより、別に通り一遍の事 しか、言ってないと思うのだけれど?
622 :
考える名 :2001/07/10(火) 08:57
レベルが低すぎる話と高い話が混在している。 今回の考えない名無しのレスは荒さなきゃならんほどの ひどい失礼なレスではないと思う。
623 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 12:16
クリシュナムルティーについて大いに語ろう!! クリシュナムルティーの専門家を騙って大いに語ろう!! クリシュナムルティー気取りで大いに語ろう!! クリシュナムルティーの保護者きどりで大いに語ろう!! 沈黙について語ろう、大いに語ろう!! それぞれの低いレベルと低すぎるレベルで大いにかたろう!!
624 :
557 :2001/07/10(火) 13:09
あのー・・・、私今回、なぜか無問題さん(考えない名無しさん)に質問
というか、してた者なんですけど
>>558 の答えについて何か、少々きつねにつままれた というか
言葉が何か複雑すぎると言うか、思考がいきなり何かの段階お飛び越して
語られてる、というか、、、
私の一番聞きたい所は、すかされたというか・・・?
で、ご相談なんですが、皆さんに
>>557 の私の質問と、その返信
>>558 の内容について
ついて、もう少しすべらかな意での説明や感想を聞きたいのですが・・・
答えてくれますか?
>答えてくれますか? このスレを最初から全部読むこと。クリシュナムルティーの著作も2〜3冊は読むこと。 そしてその感想を改めてここに書いてみて下さいな。
>クリシュナムルティーの保護者と言うより、別に通り一遍の事 >しか、言ってないと思うのだけれど? 今朝荒らしたのはこのスレの上の方のkという人物。中間では・・・・・を名乗っている。 やっぱこのスレを最初からちゃんと読んでないとこの荒らしの性格の異常性は分からないぞ。
627 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 14:24
なんか誤解があるみたいね 今朝のあらしはおれなんだけど
628 :
あらしと呼ばれている627 :2001/07/10(火) 14:35
>>628 どうでもいいがいつ寝てるんだよ。十分異常だぞ(ワラ。
630 :
十分異常と笑われている628 :2001/07/10(火) 14:47
>>629 なんだよ!
クリシュナムルティーについて語ろうってんだから目覚めたいんだろ!
眠ることなんか心配するなYO!
>眠ることなんか心配するなYO! 眠らないと狂っちゃうYO!
632 :
眠りながら生きる630 :2001/07/10(火) 15:02
>>631 基地外が狂うことを心配してどうなるYO!
633 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 16:45
わーはっはっはっはー。タノシロイYO!
634 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 16:58
クリシュナムルティについて語る。 彼は、「人格者」である。美しく、神々しい「人格者」である。 ただ、それだけである。
635 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 20:29
>>557 >可能性としての話なんですが、肉体は精神の発生装置とか、維持装置との
>仮定はどうですか?
こういう仮定をそのまま受け入れてしまう人間にとってはクリシュナムルティも
いわゆる精神世界関連の著作も受け入れ難いものになるだろう。
なぜなら、その仮定を否定するところからクリシュナムルティは始まる
と言っても過言ではないからである。
もっとも、クリシュナムルティ信奉者の中にもその仮定を表面的には
否定してはいるものの、その仮定を否定する判断のありよう、
判断の仕方はまったく同様であることはしばしば起こるのである。
その仮定もクリシュナムルティの言説も我々にとっては、ともに
魅力的な一つの仮説、アイデアに過ぎないと自覚することが肝要だ。
「私のこの精神、気持ちは私の肉体が作り出している」と、
いま、あなたは思っているのだ。
この、いまあなたが思っている、という事実を見つめることが大事だ。
もっともらしい理論を与えられて満足してしまう精神をクリシュナムルティは
満足してしまわないように仕向けようとする。
あなたがクリシュナムルティを読めばもっとはぐらかされているように
感じるだろう。
はぐらかさずに言えば、最初の仮定はウソだと、クリシュナムルティなら
本心では答えるだろう。
ただ、権威的な発言を好まないクリシュナムルティははぐらかし言説に終始する。
そこで
>>559 に接続する。
>>558 のような説明はあなたにとっては、あなたが提示した仮定と
本質的にはさほどかわらないのですよ。
もし、あなたがそれらを無批判に受け入れるのであれば。
636 :
635 :2001/07/10(火) 20:54
635に追加 「沈黙」という答に納得できないのであれば、 「なぜ、あなたは精神や肉体のことについて考え始めたのか」 を思い出してみて下さい。 実際に精神や肉体の関係、構造を知ることよりも、なぜ、自分の 関心がそこへ向かったのかを知ることの方がはるかに重要なのです。
ひさしぶりにきてみりゃ、荒らされてら〜 論争好き、お勉強家の常連さんももうこのスレッドに飽きたのかな? 難しくって、ついていけませんでした(TT)
638 :
名無しさん@1周年 :2001/07/10(火) 21:39
説明や感想を求める人に居丈高に教えを垂れる
639 :
635 :2001/07/10(火) 21:57
>>558 、
>>559 は相当、親切に説明していると思うがなあ。
>説明や感想を求める人に居丈高に教えを垂れる
なんでもかんでもこういう反応を示すのはもういいかげんやめてほしい。
>彼は、「人格者」である。美しく、神々しい「人格者」である。 >ただ、それだけである。 ほらほら、そんな事書くと、また荒らしさんから、自分の意見を押しつけてありがたがれという師匠ごっこだ、ってつっこまれますよ〜。 自分の意見だけが正しくて、他の意見は荒らしで葬り去ろうとしている、なんて言われますよ〜。 クリシュナムルティーの代弁者を気取って自分に酔ってる人間には何を言ってもだめだこりゃって言われますよ〜。 思いつきで書いてるって非難されますよ〜。って、あっ、634自体が荒らしさんの書き込みなのかな〜(W。
641 :
毎回反応してもらってとても嬉しい638 :2001/07/10(火) 22:14
>>634 のような独り言は面白くないので放置。
>>639 のようなリアクションがとても嬉しい。 ヽ(´▽`)ノ
なんだよ。まだ続いてんのか(笑)。足の引きずりあいは結構だが、あまり進展ないな。 結論・クリシュナムルティの思想そのものが、自我の思想であるため、相手のエゴに 敏感になって「お前偉そうだな」とののしりあう。つまり、自我を超える体系を彼自身 示してきたにも関わらず、誰1人としてそれを体現できないところに、あの思想の欠点があるのでないか?
643 :
このスレの人は親切だと思う641 :2001/07/10(火) 23:38
>>642 足の引きずり「あい」じゃないYO!
一方的に引っ張ってるだけだYO!
ついでにクリシュナムルティの思想なんて知らないYO!
高岡みたいになりたくないもんね
偉そうに教えを垂れている人に引き寄せられてきただけだYO!
おおそうか、実はスレを読んでないんだ(笑)。ただ、これまでの話の展開から、 何が話し合われているか予想がついただけだ。
645 :
またレスが貰えて感涙に噎ぶ643 :2001/07/10(火) 23:58
>>644 何も話し「合わ」れていないことの予想は簡単だネ
646 :
634・武蔵 :2001/07/11(水) 00:25
クリシュナムルティについて語る、独り言・第2章 彼が、言及しているものに囚われるは愚者である。
647 :
考えない名無し :2001/07/11(水) 00:34
>>635 >
>>557 >>可能性としての話なんですが、肉体は精神の発生装置とか、維持装置との
>>仮定はどうですか?
>こういう仮定をそのまま受け入れてしまう人間にとってはクリシュナムルティも
>いわゆる精神世界関連の著作も受け入れ難いものになるだろう。
>なぜなら、その仮定を否定するところからクリシュナムルティは始まる
>と言っても過言ではないからである。
635さん。ここら辺は全く異論がありません。
>もっとも、クリシュナムルティ信奉者の中にもその仮定を表面的には
>否定してはいるものの、その仮定を否定する判断のありよう、
>判断の仕方はまったく同様であることはしばしば起こるのである。
>その仮定もクリシュナムルティの言説も我々にとっては、ともに
>魅力的な一つの仮説、アイデアに過ぎないと自覚することが肝要だ。
これもその通りでしょう。
>「私のこの精神、気持ちは私の肉体が作り出している」と、
>いま、あなたは思っているのだ。
>この、いまあなたが思っている、という事実を見つめることが大事だ。
ええ、その通りです。
ですから私は正直に自分が思っていることを意見として書いた訳です。
もう一度読んでいただければおわかりになると思いますが、
私はKがこのように教えていて、自分をはそれを信じている、
という風には書きませんでした。
私が仮にお酒が好きな人間でそのことを自覚して正直に「私はお酒が好きだ」と、
書くとしたら、そのことに何か問題があるでしょうか?
逆によくよく考えるなら、もし私が
「今、自分はこう考えている。しかしこれは魅力的な仮説に過ぎないから
そのように考えるのをやめよう」と言ったとしたら、
そのときは既にまた、自分を偽り、自分を変えようとする、
例のおなじみのトリックにひっかかっているのではないでしょうか?
648 :
考えない名無し :2001/07/11(水) 00:34
>もっともらしい理論を与えられて満足してしまう精神をクリシュナムルティは
>満足してしまわないように仕向けようとする。
ええ、全く異論はありません。
>はぐらかさずに言えば、最初の仮定はウソだと、クリシュナムルティなら
>本心では答えるだろう。
>ただ、権威的な発言を好まないクリシュナムルティははぐらかし言説に終始する。
私はここはちょっと違うと思います。
これは上の方でも書いたことですが、Kにとっての否定は
「否定する」ということを無批判に受け入れる、ということでは無いと私は思います。
私が言う「否定する、ということを無批判に受け入れる」というのがどういう意味かを知りたければ、
たとえばこのスレの荒らしさんがやっているような批判を読めば分かるでしょう。
彼は「否定する」という態度のあり方を狂信的に信じているようです(笑)。
それは結局、本当には否定することではないでしょう。
Kのような人が否定する、とか、何も信じない、と言うとき、
それは全く本当に「その通り」のことを意味するのではないでしょうか?
つまり「空白の心」です。
ウソだ、と断定する心のありようが、果たして「空白の心」と言えるでしょうか?
>そこで
>>559 に接続する。
>
>>558 のような説明はあなたにとっては、あなたが提示した仮定と
>本質的にはさほどかわらないのですよ。
>もし、あなたがそれらを無批判に受け入れるのであれば。
受け入れる、というより見つめる訳です。
両者は全く違うことです。
>実際に精神や肉体の関係、構造を知ることよりも、なぜ、自分の
>関心がそこへ向かったのかを知ることの方がはるかに重要なのです。
ええ、そのためにも、
自分にそのような関心がある、
ということをまず最初に知る必要があるわけです。
649 :
お別れを言うあらし645 :2001/07/11(水) 00:52
↑この人の書き方、偉そうでなくなってつまんないし、
>>646 のような同業者も出てきたことだし、消えることにしま〜す
〜さいなら〜
>↑この人の書き方、偉そうでなくなってつまんないし、 なんだ。やっぱり内容読まないで態度だけ見てたのか。もうでてくるなYO!(W。
651 :
634・武蔵 :2001/07/11(水) 01:27
クリシュナムルティについて語る、独り言・第3章 言語が、言語によって、言語を否定できるなら........。
652 :
名無しさん@1周年 :2001/07/11(水) 01:31
前から思っていたのですが、 このスレには随分と偉そうな人がいますね。 誰とは言いませんが。。。
653 :
名無しさん@1周年 :2001/07/11(水) 02:01
クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
656 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
657 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 656 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
658 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 657 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 656 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
659 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 658 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 657 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 656 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
660 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 659 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 658 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 657 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 656 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
661 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 660 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 659 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 658 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 657 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 656 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
662 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 661 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 660 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 659 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 658 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 657 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 656 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
663 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:12 662 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 661 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 660 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:11 659 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 658 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 657 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:10 656 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 655 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:09 654 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:08 653 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/11(水) 02:01 クリシュナムルティが2chの管理人だったら、 宗教板は潰すだろう。
↑ まさにバカ・・・大バカ者・・・
最近、どないしたの? ちょっと荒れ気味だよ。
>↑ まさにバカ・・・大バカ者・・・ 煽らないようにね。
クリシュナムルティーであろうがなんだろうが、 それが日本語に翻訳されて、 日本人が言葉で共感を覚えるとき、 神道との近似を避けられない。 「沈黙」とは「血を大切にすること」。 「血」とは「霊」のこと。 神道スレにあったろ? 「邪」とは「サディズム」のこと。 「サディズム」とは「血を大切にできないこと」。 「荒らし」をやって「うまくいく」と覚えたら、 いつまでも「サディズム」が抜けないよ。 「邪」に入られたままになっちゃうよ。 「荒らし」ても「うまくいった」とは思わないようにね。 思っても否定してね。 荒らせば荒らすだけ、ひどくなってくよ、、、
669 :
逝ってよし :2001/07/11(水) 02:49
クリシュナムルティが2ちゃんねらーだったら 俺たち全員「逝ってよし!」だな。
自分の立場が悪くなるとコテハンから名無しに変えて スレを荒らしたり乱暴な自作自演をする人がいるみたいですね。
↑貴方も電波入ってるよ。
672 :
? :2001/07/11(水) 03:03
みんな考えない名無しが悪いんだ! あいつがサンドバッグみたく叩かれ役のキャラで出てこないから 叩きたいやつのウップンが晴らせなくて変な荒らしが出てくる。 考えない名無しはもっとイヤミなレスを付けるべきだ! 誰が見ても叩ける意地の悪いキャラで登場するべきだ!
673 :
名無しさん@1周年 :2001/07/11(水) 03:19
674 :
634・武蔵 :2001/07/11(水) 03:30
クリシュナムルティについて語る、独り言・第4章 「沈黙」などに何の価値もない。
675 :
名無しさん@1周年 :2001/07/11(水) 04:17
クリシュナムルティー、逝ってよし!!
676 :
676 :2001/07/11(水) 04:36
ひでぇーーなココのBBSは、 便所の落書きのほうがまだマシだな。
677 :
634・武蔵 :2001/07/11(水) 04:40
クリシュナムルティについて語る、独り言・第5章 彼は、「沈黙」を語ったことなど、ただの一度もない。
678 :
朝が来たゾ〜 :2001/07/11(水) 05:07
絶対 ママに 内緒だぞ〜♪ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・) ⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ < < < ) ) ) (_)| (_(_) (__)_) 彡(__)
679 :
557 :2001/07/11(水) 06:21
680 :
557 :2001/07/11(水) 06:51
>>635 及び 考えない名無しさん
あのー・・・ですね,レス635のですね
>「私のこの精神、気持ちは私の肉体が作り出している。」と
今あなたは思っているのだ。
とのお言葉なんですけど、私そうは思っていません。
そうゆう可能性はないのかな?とは思っていても。
思うの言葉の(この場合の意味付けが)私、本体の気持ちを通り越して
いきなり、断定的に私の手から離れ どこかに据え付けられてしまいました。
「貴方は思ってる」は 確かに可能性として思ってるのであっても
可能性をはずしてしまうと随分と私の中では違うものになってしまいます。
少々扱い方が、荒いです。
沢山の可能性があるはずですから(他の考え)私はあの私が出した発案に固執したり
思い込んだり、断定している訳ではないのです。
なぜ性急に、そう捕ってしまったのか残念です。
681 :
635 :2001/07/11(水) 09:07
>>680 残念な思いをさせて申し訳ないですね。
しかし、私や考えない名無しさんやクリシュナムルティなどのような者にとって
そのような仮説は成り立たないことはほとんど自明のことなのです。
正直なところ可能性としてもありえません。
と、私は思っています。
ですので、可能性として提案されたというあなたの発案が、私から見れば
断定に近い固執にさえ思えてしまうのです。
もちろん、私がその発案は可能性としてすらありえないと思っていることは
あなたから見れば私自身が固執しているように見えるでしょう。
それは別に構いません。
もう既にかなりこのような探求を続けてきて、ある程度の自分なりの確信も
得てきた私にとっては、あなたのその発案はありえないものなのです。
そしてクリシュナムルティのような人物にとってもありえないものだと
100%私は確信しています。
私がそう思う理由はちょっとやそっとでは説明できません。
682 :
635 :2001/07/11(水) 09:07
あまりいいたとえではありませんが、極端に言えば、あなたのその発案は 例えば、「誰にも見つからなければさしたる理由もなく人を殺すことも 構わないのではないのですか」、と問われているのに等しいようにも 私には感じるのです。 これも厳密に理由を説明するのは困難ですが、そんな問いかけすら 通常は発しないものでしょう。 倫理的に間違っていると言っても厳密な理由にはならないでしょう。 もう、こういう問いかけをしている、その事実だけで何か、私と一線を 隔てたある固執をその問いかけをした者がしているようにように 私には感じられるのです。 もしかすると、私が何かに固執しているのかもしれません。 あなたが間違っているというつもりはありませんが、ある種の仮定、仮説を 立てるという行為自体それだけで、その可能性としての思いだけで、 ある種の固執や固定観念に基づいていることも十分によくあることなのです。 あなたからすれば、性急に私が判断を下しているように見えるかもしれませんが。 それに、沢山の可能性があるはず、というのも一つのアイデア、仮説に過ぎません。 人それぞれ自由に思いなしをしても構わない、ということは、可能性が 沢山あることとは必ずしも結びつきません。 結果として真実が自分にとって面白くないもの、狭い可能性であること、 は十分にありえます。 あなたは沢山の可能性があるはず、となぜ思いましたか? 可能性はオンリーワンかもしれませんよ。
683 :
名無しさん@1周年 :2001/07/11(水) 15:03
635=考えない名無し=無問題だろ ハンドルころころ変えてもカキコが変らんからバレバレ あんたのカキコはエラぶってるくせに内容ゼロ
684 :
考えない名無し :2001/07/12(木) 00:34
>
>>635 及び 考えない名無しさん
>あのー・・・ですね,レス635のですね
>>「私のこの精神、気持ちは私の肉体が作り出している。」と
> 今あなたは思っているのだ。
>とのお言葉なんですけど、私そうは思っていません。
>そうゆう可能性はないのかな?とは思っていても。
>思うの言葉の(この場合の意味付けが)私、本体の気持ちを通り越して
>いきなり、断定的に私の手から離れ どこかに据え付けられてしまいました。
557さん。
あなたの感じ方は(このスレの中では)
ずいぶんまともだと思います。というか普通でしょう。
ただ
>>635 さんは、このメッセージを私に向けて発しています。
私には彼が何を指摘しようとしているのか、何となく分かります。
だからこそ
>>674 のような返答をしてみました。
もちろん、私が分かっている、と思っただけかも知れませんが。
私がこういうところ(掲示板)で書き込みをするとき、
常に気をつけていることが2つだけあります。
一つは、この掲示版を不特定多数の人が見ているだろう、ということ。
もう一つは、この掲示板の向こう側の人間を、
私は操作(コントロール)することは出来ないだろう、
ということです。
不特定多数の人が見ている、というのを具体的に説明すると、
私がたとえばここで557さんへ、と書いていても、
実際には別の人のことを考慮しながら書いているだろう、ということです。
というのも、私は実際のあなたのことを知りませんから。
685 :
考えない名無し :2001/07/12(木) 00:34
57さん、あなたは
>>624 で、
私がなぜ
>>558 や
>>559 のような説明をしたのか、
それがあなたの聞きたいこととずいぶんずれていて
とまどった、ということを書いていたようです。それも当然でしょう。
というのも、あの説明は、私がこのスレの上の方で説明しようとしたことへの
補完の意味合いがあるからです。
つまり、あなたに説明しているようで実は必ずしもそうではない訳です。
私のレスが全般的に説明口調でくどいのはそういう理由です
(お気づきの通り、もう既にあなたの指摘から外れたことを書いています(笑))。
もう一つの、相手をコントロール出来ない、
というのは、私が何回もこのスレの上の方で論じたことです。
もし誰かが変わるとしたら、それは、その人が自分で自分自身を変えたときだけ、
いや、もっと正確に言うなら、
その人の気づきがその人自身を成長させたときだけ
ではないでしょうか?
私が誰かを変えることができる、などというのは幻想でしょう。
私はそこまで傲慢ではありません。
しかし、このスレを読めば、いかに多くの方が私を説得しよう、
私に分からせよう、私をコントロールしよう、
と苦心しているかが分かるでしょう。
私に言わせれば、そのような意図をもつことは暴力です。
しかし、その暴力は私を傷つけないでしょう。
なぜならその「(私に対して分からせてやろうという)意図」
てら持っているのは私ではないからです。
そのような意図を持つことは、自分で自分自身を傷つける暴力です。
たとえば、その「意図」のせいで夜も眠れない、とか(爆笑)。
いずれにせよ、私は何もコントロールしようとしないよう気をつけています。
つまり、彼らが私の発言により苦しんでいるとしたら、
それは彼らが自分自身の条件付けにより勝手に苦しんでいるだけのことです。
686 :
考えない名無し :2001/07/12(木) 00:35
…あまりにも明白に間違ったことを何回も書き込んでいるような人に、
私は罵倒口調で臨むこともあります。
しかし、私の口調が厳しいものであっても、丁重なものであっても、
言っていることの内容は変わりません。
私はただ、私自身で有り続けるだけです。
>>681 >そしてクリシュナムルティのような人物にとってもありえないものだと
>100%私は確信しています。
何かを100%確信することはカルトへの道ですよ。
その理解がいかに正しいものであっても、
100%確信したときに「信条」となり、したがって腐臭を放ちはじめます。
というより、もっとハッキリ言うなら、
あなたは本気で「空白の心」を持つものが、
100%確信することが出来る、と思っているのですか(笑)?
確信するべき主体としての「思考者」がそこにいないというのに!
687 :
考えない名無し :2001/07/12(木) 00:35
>あまりいいたとえではありませんが、極端に言えば、あなたのその発案は
>例えば、「誰にも見つからなければさしたる理由もなく人を殺すことも
>構わないのではないのですか」、と問われているのに等しいようにも
>私には感じるのです。
…1+1は2である、ということは100%確信するべきことではありません。
だからと言って、もちろん疑うこともナンセンスです。
それは「静かに見つめるべきこと」でしょう。
なぜならそれは、あなたの「思い」とは別に存在することだからです。
>>648 をもう一度読んでみて下さい。
私が言わんとしていることは、「信じる」ことも「疑う」ことも、
「両方ともに」間違っているだろう、ということです。
つまり、いかにそれが正しかろうと、それを正しい、と確信するなら、
あなたは本当には何もその正しさを理解していないのではないでしょうか?
>私がそう思う理由はちょっとやそっとでは説明できません。
そんなこと言わずに冷静に説明してみて下さい。
688 :
考えない名無し :2001/07/12(木) 00:35
ちなみに私が
>>558 で説明しようとしたことは、
単に私自身が見たことの説明です。
繰り返しますが、それを100%確信しているのではなく、
ただ、それを静かに見つめているだけです。
また、558を読んで「肉体が精神や思考を作り出している」と私が主張している、
とあなたが解釈されたのでしたら、それは私の意味するところではありません。
私の主張がどうあろうと、それとは別にあなたの言いたいことは分かったつもりだったので、
とくに否定はしませんでしたが、もしもそうであるなら(あなたの解釈が上記のとおりなら)、
やはりここは、はっきり否定するべきでしたね。
P.S.
>しかし、私や考えない名無しさんやクリシュナムルティなどのような者にとって
>そのような仮説は成り立たないことはほとんど自明のことなのです。
どうか、私をKと同列に扱わないで下さい。またスレが荒れますから。
あっ、あなたは別にKと同列でもかまいませんよ(爆笑)!
なんか、言っている意味が分からんぞ。まるでシュタイナーの訳をしている人の 文章みたいだ。と挑発的な文を投げかけとくよ。 神秘学者たちに毒されているのではないだろうか?無理して偉人ぶろうとしてるのが みえみえで不自然だよ(笑)。 >それを静かに見つめているだけです 君はヴィッパッサナー瞑想でもしているのだろうか? 自己を見るには、 自己をもってでは不可能だ。それには、自我を包括するもう1ランク上の 認識作用が必要となる。手で手を見ることが出来ない。手を見るにはそれから、 離れていなければならない。
690 :
635 :2001/07/12(木) 01:00
考えない名無しさん、すべてあなたのおっしゃる通りです。
異論、反論はありません。
私としては、
>>683 の、>635=考えない名無し
この部分が否定されれば満足です。
普通の読解力があれば>635=考えない名無し
となることはありえないことと誰もが思ってくれるでしょう。
(これも100%確信なんて言うとクレームがつくかな)
考えない名無しさんのような感じ方をしている人間が
少なくとも2人以上存在することが示されれば十分な気がしますね。
>>私がそう思う理由はちょっとやそっとでは説明できません。
>そんなこと言わずに冷静に説明してみて下さい。
これをやれば、
>無理して偉人ぶろうとしてるのがみえみえで不自然だよ(笑)。
こういう反応が返ってきそうなのでやめます。
率直に言って
>「肉体が精神や思考を作り出している」
こういう仮説を立てることの方が私にはアクロバティックな
思考に思えてなりません。
しかし、恐らくこれが大多数の人々にとっては普通なのでしょう。
691 :
634・武蔵 :2001/07/12(木) 01:09
>>684 =考えない名無しさん
>>あなたの感じ方は(このスレの中では)
>>ずいぶんまともだと思います。というか普通でしょう。
>>ただ
>>635 さんは、このメッセージを私に向けて発しています。
>>私には彼が何を指摘しようとしているのか、何となく分かります。
>>だからこそ
>>674 のような返答をしてみました。
>>もちろん、私が分かっている、と思っただけかも知れませんが。
674を表現したのは、私ですよ。番号違いでしょう。
692 :
考えない名無し :2001/07/12(木) 01:12
>674を表現したのは、私ですよ。番号違いでしょう。
失礼、
>>647 でした。
なんか、建設的な方法に進んでるようなのね結構。いやはや、またスレ読んでませんでした。 チャンチャン!
694 :
名無しさん@1周年 :2001/07/12(木) 01:20
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ) ハア / J uJ J u \ ( ) / u J ━ ━ | | J J (・) (・)| ハア ( )(6 J J つJ ) ( | J u┏━┓| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ハア\ J ┃□┃| < このスレのみんなにLOVEを感じるよ |\/ ̄ ̄ ̄|_■■■/⌒\________ \.| ノア | .\ / ̄ ̄ヽ \三沢の| /⌒⌒ヽ / \ \全て.|・ | \ ( 人 ) / ヽ \_| / ゝ ヽ \ / | \. |;; | \/ | | \ _l |;; ;;; |\__/ | | \ ―|;; ;;; |-/ | | \ |;; ;;; |/ | | \ |;; | |/ | | | |; ;; ;;| /| | \ ;; / | \ / ;;
695 :
名無しさん@1周年 :2001/07/12(木) 01:21
サメの話しようぜ
やっぱ、見え見えだよ。>635、考えない名無し ただ単にKのような”態度”を取って生きていきたいんじゃねえの。
697 :
635 :2001/07/12(木) 01:23
>>558 がわかりにくいのかな、もしかすると。
「肉体」と「肉体感覚」のあたり。
精神と肉体の二元論みたいな考え方をいったん頭から外して
みてはいかがかな?
二元化されるというより何層かで連続的に接合しているようなもの
と考えればいいのではないかな。
しかし、いずれにしてもなあ、精神が肉体の化学反応で生み出される
というような仮説を採用しているのであれば
>>558 の記述は
まったく無意味になってしまうよな。
698 :
635 :2001/07/12(木) 01:26
>>696 どのように思われても構わないが、
635ノットイコール考えない名無し
ということだけは強調しておきたい。
699 :
通行人 :2001/07/12(木) 01:31
自作自演してる奴、 夜も寝ないでネット中毒してる奴、 互いに足の引っ張り合いっこしてるだけでねぇのか オウムやバグワンのアシュラムに こういう奴らごぢゃごぢゃいたでぇ・・・ 早く病院行ったほうがええYO〜
700 :
635 :2001/07/12(木) 01:36
>>699 荒らしも中傷もいやだけどそういう総括もいやだ。
考えない名無しさんのレスをそういう総括の中に埋没させないでくれ。
と、言っても埋没するんだろうね、きっと。
699 まぁ確かに(笑)。 ちょっと見て思うのは、彼らの文章に日常を感じないことだ。 神秘性ばかりに目が行ってしまい、現実に即した具体的な記述がない。 ということは、彼らは、そういう思想を妄想することはできるが、 全く実行できないことを意味する。実行できない知識。 それが、現実からの逃避でなければいいのだがな。 オウムでもポアやら原始仏教やらチベット密教が話されていた。 それは、無意味な発想として、信者たちの妄想を増大させていたのだよ。 問題があるとすれば、本人がそれを実行する必然性を感じていないことだ。 クリシュナムルティ信奉者にもそういう甘えを感じてしょうがない。
>>698 >>635 ノットイコール考えない名無し
>>ということだけは強調しておきたい。
俺は、そんなのどっちでもいいや。何を恐れてるんだい?
見抜く奴は、見抜くだろう。
要は、話の中身さ。そこに何が見えるかさ。
難しいことは、あまり解んないけどネ。
最初から、レス読んで見抜いてやるよ。そこに何が動めいているか。
貴方の関心である「Kに誰が最も近いか」を。
703 :
635 :2001/07/12(木) 01:56
何やら恐ろしい展開になってきた・・・ 私はクリシュナムルティを信奉していませんし、 >貴方の関心である「Kに誰が最も近いか」を。 こんなこと、夢にも思ってなかったよ!
704 :
635 :2001/07/12(木) 01:59
かなり前の上の方のレスを見ると考えない名無しさんの レスの内容を理解できる、もしくはそれに同調できる者が 少なくとも二人はいると思うが、もう一度出てきて欲しいな。 複数の人間がこれは全うな発言だと認めれば説得力が出るでしょ。
>>703 635なんて、まだ読んでねえよ。(藁
まだ読んでねえから、もし、「早とちり」なら後で謝っから。
いいだろう? 所詮こんなのゲームなのだから。
>>704 635
>少なくとも二人はいると思うが、もう一度出てきて欲しいな。
レス指定してみなよ。
707 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/12(木) 02:31
┌┐ pipo pipo〜♪ ――――┴┴――――――――、 /.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄  ̄ ̄|| ________ /. // ∧ ∧||| ||| || / [/_____//[ ].゚Д゚,,) __||| __ || < 迎えに来たぉーーー! ||_. * _|_| ̄ ̄ ∪|.|. 2ch || \________ lO|o―o|O | 2ch |.| 精神病院 || | ∈口∋ ̄_l__l⌒l______ |⌒|  ̄ ̄`ー' ̄ `ー' `ー' `ー'
708 :
名無しさん@1周年 :2001/07/12(木) 03:32
逝ってヨシ
709 :
>708 :2001/07/12(木) 03:58
太平洋戦争で侵略、殺人、若者の洗脳、国民資産壊滅、などの罪を犯した 指導者及び洗脳に関わった神を裁判にかけなければいけない。 犯罪者を野放しにしておいて、次ぎの戦争も何もないもんだ。 時間が経過しているので指導者である人間に罪を減じるのは止むを得まい、 しかし、もっとも卑怯な戦争犯罪の主犯である神だけは許してはならない。 どんな悪徳の軍人でも人間である以上まだ救いがある、 しかし姿さえ現わさない神どもの残虐、強欲、無反省は許されるべきではない。
710 :
>702、見ぬけねえ、 :2001/07/12(木) 04:00
>見抜く奴は、見抜くだろう。 神というトンデモナイ恥知らずな犯罪人(?)にかかったら人間なんて 良いようにボロボロにされますよ。遺族会の人も怒っています。 平和遺族会全国連絡会は七月七日、講演会「いま、アジアから問われるもの―講演と証言で考える『あの戦争』と日本の未来」を東京・渋谷区立勤労福祉会館で開き、約百十人が集まった。 七月七日は蘆溝橋事件の日であり、同会が「侵略戦争の反省とアジアへの加害責任の自覚の上に、戦没者遺族の平和運動を進めよう」と八六年に結成された日である。 「東京裁判を見直す―何が裁かれ、何が裁かれなかったのか」と題して、内海愛子・恵泉女学園大学教授が講演を行った。 内海氏は日本軍が抱えた三十五万人の捕虜について、アジア人は「無敵皇軍」という教育をして「解放」した後、労働者として強制徴用し、白人は「労務を希望する」とサインさせ、日本国内の軍需工場や泰緬鉄道建設に投入し、過酷な状況で働かせ、捕虜の二七%が死亡した実態を報告。
711 :
>701、甘い。 :2001/07/12(木) 04:02
神の野郎は 姿見せないで残酷な悪さを繰り返しています。 人間が好き勝手に翻弄されているのを見ると こいつらだけは絶対許せませんね。
712 :
712 :2001/07/12(木) 07:23
>709 >710 此処でいう神とは、現人神のことなんかい? しかしだが蘆溝橋事件なんて知ってる者おらへんのでは?
713 :
名無しさん@1周年 :2001/07/12(木) 08:04
>708 逝ってヨシ ポアしろポア
714 :
ケレモリ :2001/07/12(木) 08:13
びろろーん
715 :
アサハカショーコー :2001/07/12(木) 09:34
君ねぇ、ここは宗教の板なんだから 大東亜戦争の話なんか困るんだよね jouyou君、彼を何とかしたまえ、 神はワシだけでいいんだから・・・
しかしひどい荒らしだね。クリシュナムルティー信じてるカルトほどひどいカルトはないね。
特に
>>702 。自分には見抜けるとかたくなに信じているんだ。あんた病院いけよ、ほんとに。
717 :
名無しさん@1周年 :2001/07/12(木) 17:06
>>711 >>神の野郎は
>>姿見せないで残酷な悪さを繰り返しています。
>>人間が好き勝手に翻弄されているのを見ると
>>こいつらだけは絶対許せませんね。
貴方の言っていることを正確に捉えたかどうかは解らぬが、
だからこそ、Kのような「存在」が必要かと思われる。
718 :
名無しさん@1周年 :2001/07/12(木) 17:22
どんな形であれ、金を要求する宗教はマヤカシじゃない? どんな理由であれ、組織だてる宗教はマヤカシじゃない? 私はそんな気がするわ。ごめんなさい、何かの信者さん。 Kの対話は、信じるためのものじゃないわ。 Kの言葉を「響かせる」だけの体験じゃないかしら。
719 :
無宗教 :2001/07/12(木) 18:21
>>718 煽るな〜つ〜の。理解できないよ。また、荒されるよ。
連中、「否定」を用いて、自己正当化するのだから。
連中、「否定」を消化できないのだから。
はは〜ん、オマエがアラシだな?>719
721 :
635 :2001/07/12(木) 22:05
もう、ここも700以上のレスがつき、1000でスレが終了するとするなら ここも大詰め。 せっかくだからできるだけ多くの人にクリシュナムルティの言いたいことを 理解できるように、理解の助けとなるようになってほしいものだ。 ・ Kのことを教えて下さい ↓ ・ 誰か(例えば、考えない名無しさん)が答える ↓ ・ 「偉そうなことを言うな」と発言する者が出てくる ↓ ・ 少しく罵倒合戦になる ↓ ・「結局誰もわかってないんだよね。人より上に立ちたいだけなんだよね」と総括 ↓ ・ふりだしへ戻る 幾度となくこういう展開が繰り返されている。 もうこういうことはやめませんか。 そのために、考えない名無しさんと議論できる複数の人間が出てくることが 最も望ましいことだと思います。 そうすれば、考えない名無しさんが「偉そうに」見える度合いが弱まって 上のループから抜け出せるでしょう。
722 :
635 :2001/07/12(木) 22:07
>>706 さし当たっては、小文字のkさん(120あたり)、・・・・・さん(275あたり)
あたりでどうでしょうか?
スレの更新は、800ぐらいでね。
724 :
635 :2001/07/12(木) 22:10
ところで、クリシュナムルティは信じることを拒絶し、 懐疑することを奨励しているように思える。 極論だが、例えば、こういうのはどうだろう。 「果たして、私は本当に人間なのだろうか?」 理解の悪い人間に対して、白痴だ、類人猿並みだなどと 言ってバカにしたいわけではありません。 「私は本当に人間なのかって?当たり前じゃないか、そんなの」 本当にそうだろうか。そのことをどうやって知りましたか? 「実の親から生まれたから、人の子だから」 親が人間なら、人間から生まれた自分なら、自分は間違いなく、 人間なのでしょうか? 言葉をしゃべれば人間なのか? 心のようなものがあれば人間なのか? 私は、他の人と同じ、人間という種族に属しているのだろうか? そもそも人間とはいったい何か? 自分が特別、他人より優れている、劣っている、あるいは狂っている などというわけではなく、自分以外の他人がすべて、人間というカテゴリーに 括られ、自分一人だけ別カテゴリーに括られる・・・ 私は、人生のある時期、このような思いにとりつかれていたことがあります。 その疑問にどのような答を下したかについては口をつぐんでおきましょう。 現実には、ほとんどの人が自分は人間だと「信じ」ているだけなんですよ。 しかし、疑う、特定のイメージを持たずにありのままに見る、 ということはこういう疑問を抱くことにもつながりえるのですよ。 下手をすると発狂します。
725 :
635 :2001/07/12(木) 22:11
だから、クリシュナムルティの言うような、「沈黙」は 多くの人にとって実行困難なものにとどまるのでしょう。 「沈黙」は本当に難しい! 今述べたことはまとまりのない試論です。 批判、異論、反論、誹謗、中傷等、大歓迎です。
726 :
覗いてみました :2001/07/12(木) 22:51
>>724 「果たして、私は本当に人間なのだろうか?」
というのは良い問いだと思います
わたしの場合はその問いは、
「『人間』という言葉で表現されるものを、わたしはどれほど理解しているだろうか?」
という更なる問いを生みます
そしてその問いは、「自分の理解が限られている」ことを私に実感させるとともに、
今の理解の範囲を超えた「より大きな可能性」もまた実感させます
そのような対照的な2つの実感と共にある短い間、
わたしは沈黙の内にいることができます
727 :
635 :2001/07/12(木) 23:21
追加しますと、Kの言う「沈黙」というのは、文字どおり黙ることでも
精神を鈍重にすることでもなく、
>>724 のような少し気が触れたような
問いを発することでもあります。
積極的な行為とも言えます。
人口に膾炙した言い方をすれば、「常識を疑え」ということになるかもしれません。
この場合の常識は、夜が明ければ日が昇るというような常識ではなく、
もっと人として生きる上での根源的な基盤になるようなもの。
やみくもに疑えばいいと言うわけでもないので、疑うべき常識の定義は難しいですね。
自分が受けてきた教育における常識を逐一剥いでいくようなことかもしれません。
特に倫理、哲学など、抽象的、観念的な分野の常識と言えばいいのかもしれません。
「人間」というのも一つの抽象的、思想的概念だと私は思います。
728 :
635 :2001/07/12(木) 23:23
>>726 >今の理解の範囲を超えた「より大きな可能性」もまた実感させます
どのような可能性でしょうか?
>「人間」というのも一つの抽象的、思想的概念だと私は思います。 確かに、人間と言う概念こそあやふやなものはないね。
730 :
覗いてみました :2001/07/12(木) 23:42
>>728 一方に
「今 自分が自分と認識しているものの、無に等しい小ささ」
の実感があり、
もう一方に
「とても大きな 不可知の可能性が実在している」
実感があります
その相反する実感のどちらにも飲み込まれない短い時間、
わたしはそれら2つを同時に感じていて、
より大きいものとより小さなもの、または
より上位のものとより下位のものの間の
空虚な隙間にいることを感じます
その空間は、沈黙に満たされています
神秘主義というのは、狂気という概念に切迫するものだから、ある意味、 そう言う素養のある人、直感の鋭い人はあまり深入りしない方がいいのです。 かえって、自我の強い者のほうが、精神的な世界で成功する可能性がある。 それは、自我と無意識との「接点」において、神秘家が直感を得ているからであり。 常人がその接点に触れれば、自我が無意識に飲み込まれて発狂してしまうからです。 私が、目の前に「@真理を得たい」と言う人がいたら、まっさきにこう言うでしょう。 何かの分野で一流になれ、現実生活での勝者になれと。 現実ごときで躊躇している者では、もっと過酷な精神の世界では、危険な状況に追い込まれると思うよ。 例えれば、アメーバ-は無意識と同化している。それこそ、真理を体感しているかもしれない。 だが、自我がないから、その意識は存在し得ない。自我を消す思想には、 そのようなアメーバ-への道が横たわっている危険があるのかもしれないな。
732 :
覗いてみました :2001/07/13(金) 00:11
わたしはクリシュナムルティについて良く知らないのですが
「懐疑」という言葉はわたしにとって「自己を疑うこと」を意味します
>>730 に述べたような実感の、一方だけを信じないということです
もし「自分の無に等しい小ささ」 だけしかなければ、
わたしは生きている必要はまったく無くなります
そして「自己が巨大な存在である」とだけわたしが思うとすれば
それは白昼夢か妄想にしかならないでしょう
わたしが毎日の生活のなかで、
自分というものを折りにふれ観つづけてきた間の経験が
>>730 です
冷静に自分を見ることから、自分の無に等しい小ささを実感し、
同時に巨大な存在を感じ、そのあいだにいることです。
「神仏」といった宗教用語を安易に使うのは好まないのですが、
この沈黙と共にあるときにわたしが体験するのは
「敬虔」という感情です
733 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 00:13
自ら飛び込んでみること。過去に対して正に「死ぬ(発狂さえ恐れない)」決意であること。コトバだけではなく、実存においてそれらに取り組んでいること。 その時にココでの語らいはとても巨大なモノになるような気がします。
734 :
774 :2001/07/13(金) 00:17
712で云う635の意見に激しく同意!!
733 実は、そのぬるま湯のような思想の背後に、相当厳しい物があるような気がします。 我々は、「悟り」などの言葉を気軽に使うが、それには、日常においての相当な素養 が求められる者であり、それを知らずにいざ飛び込んだら…。 恐ろしさに気付いた時は、もう手遅れかもしれない。
736 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 00:22
ワタシは飛び込みます。
あんたは、高藤総一郎かい(笑)?
738 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 00:27
高藤宗一郎ってどんな人なんですか?
仙道の本を書いている人です。 仙道の瞑想をやっているときに、境界線が見えたらしいんですよ(笑)。 これ以上踏み込んで、深い瞑想をしたら、日常的な感性からはずれ、もう 一般人のように物事を楽しめなくなると。 つまり、ある種の自分の死です。そして、高藤はそれ以上の行を深めずに、 日常に没頭する道をえらんだと。
740 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 00:35
>>739 ありがとうございました。面白い話ですね。
741 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 00:43
>>724 >>しかし、疑う、特定のイメージを持たずにありのままに見る、
>>ということはこういう疑問を抱くことにもつながりえるのですよ。
>>下手をすると発狂します。
よく解らないですね。何か、前提がありそうな気がするけれども。
「ありのままに見ること」と「疑問を抱く」ことが何故繋がるのでしょうか?
>>735 >>我々は、「悟り」などの言葉を気軽に使うが、それには、日常においての相当な素養
>>が求められる者であり、それを知らずにいざ飛び込んだら…。
>>恐ろしさに気付いた時は、もう手遅れかもしれない。
解らないですね。何か、前提がありそうな気がするけれども。
「悟り」は、日常生活には無いのでしょうか。
つまり、日常的なことをきっちり出来ない者は、自己の奴隷であり、 ユングが「内面(心)が外面」であるといみじくもいったように、 心を扱う「悟り」を扱うのは不可能ということです。暴れ馬に乗るミスターオクレのごとく。
743 :
741 :2001/07/13(金) 01:48
>>742 = ピエールさん
>>日常的なことをきっちり出来ない者は、自己の奴隷であり...
貴方がおっしゃている「悟り」とは、単に「強い意志を持て」ということですか?
意志とは意思に方向性がついたものです。つまり自らの意志によって、 行動できることが「意志」の前提なのです。 悟りの体験ならドラッグを使えば事足りるでしょう。しかし、悟りの体験など、 全く価値がないのです。理由は、それを使うことができないからです。 体験が日常生活に生きてこないのです。 だが、意志があれば、悟りをコントロールできる。そのために強い意志が必要と思いますよ。
745 :
741 :2001/07/13(金) 03:00
>>744 = ピエールさん
>>しかし、悟りの体験など、全く価値がないのです。理由は、それを使うことができないからです。
貴方は、おそらく「力強く眼前の”現実”を生きている、あるいは創造している」方でしょう。
なら、”「悟り」「あるがままに見る」”ことを勧める?人たちは何をしているのでしょうか?
ただ、「そういうことを語る人である」だけなのでしょうか?
何故なら、強固な強い自我だけで充分でしょう?
>>745 さん
意志、悟り、コントロールといった言葉の定義が先でしょう。
747 :
741 :2001/07/13(金) 04:33
>>746 まず、実際に漢和辞典に載っている「正確な意味」は知りません。
また、学者等が用いている意味とズレているかもしれません。
この場合に私が用いているイメージ
意思=言葉を用いる動きかな。比較・考えたりなどすることかな。
意志=意思の前にあるもの。考えを生み出す基となるものかな。
悟り=「意志を自らに取り入れている状態」かな。不明、単なるイメージ。
コントロール=自分は別個にあるって感じかな。車を運転するとか。
とりあえず。おやすみ。
748 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 08:52
ハレ ラーマ
749 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/13(金) 09:48
2チャンでマジになると馬鹿を見るって云われたが、 その通りだと思ったな。 だいたいが、名無しでクリシュナムルティを語るってこと 自体に無理がある。 誰かクリシュナムルティのサイトでいいとこ知りませんかね? そこでなら俺も参加したいんだが・・・・
750 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 13:42
751 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 15:25
>>750 ゲロゲロ〜
こういう頭の悪いチンカス野郎のレスがつくと
つくづく・・・吐き気を催す!! ゲロゲロ〜
752 :
名無しさん@1周年 :2001/07/13(金) 15:38
>>751 あんた分かってないわね。。。(ププッ
この板から見出せばいいじゃない? 馬〜鹿!!(ププッ
753 :
635 :2001/07/13(金) 23:13
>>730 、
>>732 覗いてみましたさん、よくわかります。
私の場合、「私は人間なのか」→「私は何なのか」となり、
あなたの言う、その両方のイメージにとらわれました。
家族や友人や社会から引き剥がされたハダカの自分を考えるとき、
肩書き、身分などの何の後ろ楯もない自分を実感をするとき、
自分が途方もないちっぽけな無価値なものと感じられます。
一方で、自分の意識の深層を見るにつけ、そこには
光とも闇とも言えない広大な領域が広がっているように見えます。
このような思いの中にいるとき、私は確かに沈黙して
ありのままに観察しています。
754 :
635 :2001/07/13(金) 23:13
>>741 >よく解らないですね。何か、前提がありそうな気がするけれども。
>「ありのままに見ること」と「疑問を抱く」ことが何故繋がるのでしょうか?
前提はありますね。
恐らく、私にではなくクリシュナムルティに。
これは私の勝手なクリシュナムルティ解釈ではありますが、
Kのメッセージはある程度知的な人々に対するものではないかと思ってます。
知識優位の教育を受ける機会の多い我々は、イデオロギーや宗教などの
観念の言葉のみにとらわれ、その真意をつかみ損なっていることも
多いのではないかと思います。
ありのままに事物を見つめてそれを十分に咀嚼した後に、便宜的に
抽象的なレッテルをつけるなんてことをするヒマも機会もなく、
まず、初めにレッテルありきで事物をそこに当てはめるという、
逆立ち的な理解の仕方をしているとも言えると思います。
そこで、Kのメッセージが有効になると思います。
「もっと事物をありのままに見つめなさい」
「自分が無批判に受け入れているレッテルに疑問を持ちなさい」
こう考えれば「あるがままに見つめることを薦める」人が何をしたいか
はわかるでしょう。
まずは、単純に誤解、錯誤を取り除きたいと考えているのですよ。
755 :
635 :2001/07/13(金) 23:17
>>749 これは半分冗談ですけど、2ちゃんねるでこそKを語るにもっとも
ふさわしい場ではありませんか。
Kは組織を否定しました。
ここの言論空間ほど無責任で組織の対極にある場もないでしょう。
2ちゃんねるはKを語る理想の場です。
>貴方は、おそらく「力強く眼前の”現実”を生きている、あるいは創造している」方でしょう。 >なら、”「悟り」「あるがままに見る」”ことを勧める?人たちは何をしているのでしょうか? いやそうでもないですよ。日常の私は自分自身の理想とはかけ離れた者です。 エゴを消滅させることを志向し、その道を目指しているつもりですが、 甘えがネックになって、どうしようもない。自我の強さは、人生を航海するに、 船体の強さとなって、それはそれでいいのだが…。
奇妙なことを言うが、あなたの人生で、悟りを全く価値のない状態と定義する者は、私以外もう現れないと思います。 悟り、それこそが、全ての求道者が求める究極の状態なのにです。 我々はGの言説に寄れば、全くの機械です。怒られれば喜び、貶されれば悲しむ。 私には、それがたまらなく嫌だった。例え憎しみであろうが、それが本人の意思したものであったなら、 因果の規範から外れたものであったなら。機械的な反応で得られるであろう愛よりも、 はるかにすばらしいものです。言っていることがわかるだろうか? 『悟りの道標』という本を書いた清水というのがいたが、彼は確かに悟っている。 だが、私には、それが、「単なる体験」でしか、なかったのを見抜いていたので、 手紙で、彼の思い上がりを正し、その体験を日常生活で、発揮する為の「意志」を手に入れる 行を彼に勧めた。するとどうだろうか、彼はなんと、白紙の手紙を送り返してきた。 もちろん、彼には白紙の意味に深意を込められル程の人物でなく、それは彼の、 「思い上がり」から来ている、不遜な気持ちからきているのを感じた私は、 そのことを指摘した。すると、今度は○と書かれた手紙が送られてきた。 …私は愕然としたよ。チベットでダライラマに会って、それを自分の本に堂々と 載せる恥知らず。しかも、一般人に対しても、自分を上と捕らえる常識のなさ。 私は彼にもっと言ってやりたかったのだが、彼にはそれを理解できないことを 知ったので、やめた。ともかく、彼の顔に現れている相、そのものが、未熟を表現していた。 彼は「人生塾」という精神道場を指導しているらしいが、詳しい情報を持っておられる 方がいたら、教えて欲しい。 取り留めのない話になってしまったが、恐ろしく簡単に言えば、悟りを人工的に作り出したとする。 その体験をとなりの加藤さんが体験したとする。そしてその体験が終わった。 果たして、加藤さんは聖人になっているだろうか? 答えは絶対に否だ。 それには、存在(霊格)が必要になってくる。そして、悟っただけで、指導者になったり、 道場を構える馬鹿がいるが、そういう愚考を犯すのは、やはりそれを指摘するだけの、 容量を持つ指導者がいなかったのだと思うのです。
758 :
考えない名無し :2001/07/14(土) 00:32
…しかし、またもとのペースに戻っちゃったね。
私が出てきて、また偉そうな口調で話をするとスレが荒れるんだろうな(苦笑)。
>>704 複数の人間がこれは全うな発言だと認めれば説得力が出るでしょ。
気持ちはありがたいけど、最初から私の言っていることが
正確に理解されるとは期待していなかったし、
賛同者が欲しいわけでも認めてもらいたい訳でもないので心配はいりません。
>>742 >ユングが「内面(心)が外面」であるといみじくもいったように、
ピエールちゃん。
キミは本当にあいかわらずだなあ(笑)。
ユングが上記で言おうとしていることは、Kの言葉でいうなら、
「見るものは見られるものだ」
にきわめて近い認識なんだよ。ちゃんと分かっている?
いいように誤解しているじゃないか。
>>744 >だが、意志があれば、悟りをコントロールできる。そのために強い意志が必要と思いますよ。
ピエールちゃん。
キミねえ、悟りの体験が価値がない、というのはその通りだけど、
「悟りそのもの」と「悟りの体験」とがごっちゃになっているよ。
たとえば、ある種の高揚感とか恍惚感だとか、あるいは光の体験といったものは、
確かに悟りの過程、あるいは結果としてもたらされる、ということはあります。
しかし、それらの体験は「悟りそのもの」ではありません。
ですから、ある種の薬物を使って、
あるいは、ある種の技法を使って、
それらの体験を作りだす、ということは確かに出来るでしょう。
しかし、「悟りそのもの」を作り出すことはできません。
それは薬物だから無理、という意味ではなく、
いかなる技法をもってしても不可能でしょう。
だからね、ピエールちゃん、
悟りをコントロール出来る、というのは間違いなんだよ。
分かった?
759 :
考えない名無し :2001/07/14(土) 00:33
>>749 さん。
>2チャンでマジになると馬鹿を見るって云われたが、
確かに(笑)。でも、こういうペースで
ピエールちゃんみたいなバカ…じゃなかった頭の不自由な方(差別用語ではない)
なんかとまじめに議論したかったんじゃないの?
ピエールちゃんのレスは荒らさないの?
あっ、その価値すらないか(爆笑)。
>だいたいが、名無しでクリシュナムルティを語るってこと
>自体に無理がある。
私はそうは思わないね。匿名だから本音が出る。
それに、私の発言は名前を外しても口調と内容でハッキリ分かるんだろう?
…たぶんこれが本当に最後になるだろうからちょっとマジレスしときます。
まず、私は一連の荒らしに対してはそれほど悪く思っていません。
さすがにちょっと「くどい」、とは思いましたが(笑)。
しかし、こんなぬるま湯につかった議論をするよりは遙かに有意義でした。
このスレの最初のほうで指摘したとおり、
自分の本音をぶつけない限り、何事も問題点が明らかにならないでしょう。
その意味では荒らしをした人が(あなたかどうか知らないが)
本音をぶつけて来てくれたことはむしろうれしかったくらいです。
実際、あの荒らしがあったおかげでロムしている人の中には、
否定とはなにか?ということが明確になった、という人だっていたと思いますしね
(あなたにとって明らかになったかどうかは知らないが)。
760 :
考えない名無し :2001/07/14(土) 00:36
だいたい、私の言葉が本当に無意味で内容がないなら、
あんなに多くの人(1人かも知れないが)が熱心に荒らしたり警告を発したりはしないでしょう。
自分がイエスの生まれ変わりだ、という人は精神病院に行けばたくさんいます。
しかしそんな人は誰もまじめに相手にしない。
わざわざ病院まで行って、この人の言っていることは危険だ、とか周りに警告すると思いますか?
イエスが磔にされたのは、彼の言葉に真実の力があったからでしょう。
九官鳥が神の王国に付いてしゃべったって、誰も磔にしませんよ。
つまり、ここで荒らしをしていた人は私の言葉の良き理解者だったと思っています。
私はそう思っていたからとくに反論しませんでしたし、
もっと理解が深まれば私が指摘しようとしたことも分かってもらえると思っていましたしね。
むしろ
>>529 のような発言には内心、感銘を受けましたよ、いやマジで(笑)。
あっ、もちろん言うまでも無いことですが、
私はイエスやKのように悟っている訳ではありません。
あくまでもたとえばの話です。
…荒らしをしていた人の指摘のなかに、
「言葉を言うだけなら誰にでも出来る、問題はその人の存在だ」
という趣旨のことがありました。
これは確かにその通りですが、いわゆる一面真理でしかありません。
上記のとおり、同じ言葉を同じようにしゃべっても、イエスは磔になり、九官鳥はそうはならない。
よく、「言うだけなら麻原だってパクリで仏典に書いてあることを言える」と言いますが、
理解のある人が読めば、麻原が自分の言葉を自分で理解していないことは、
彼の「言葉だけ」からでもあまりに明白で(実際の麻原に会わなくても)、だまされようがない。
761 :
考えない名無し :2001/07/14(土) 00:37
それはたとえば、ピエールちゃんがどこかで読んだ知識を振り回しても、 彼には本物の「理解」がないから、 上記の悟りの体験が無意味という「知識」の説明を見れば分かるとおり、 その言葉の「運用の仕方」の部分で間違ってしまう という理由からです。 九官鳥は「オハヨウ」という言葉を覚えたら、意味が分からないから、 夜でも「オハヨウ」と言い続けるでしょう。 ちょうど誰かさんが「言葉で言うだけなら誰でも出来る」と繰り返したように。もちろん私は基本的に自分の理解しか書いていません。 逆に言うと、この程度の理解では悟りにはほど遠い訳です。 それと、私に対して、Kの真似をしているだの、 Kにもっとも近いのは自分だと思いたがっている、だの という指摘もありましたが、 私は冗談抜きでKのようになんてなりたくないですね。 私はKが私より上の存在で、自分が下だ、などとは全く思っていない。 KはK。私は私です。 もちろんKは悟りを得ていて、私はまだ得ていません。 でもそれがどうだというのでしょう? 私だってKを尊敬する気持ちは人一倍あります。 だがそれは自分を卑下することでは無いわけです。 比較すること自体が間違っていると感じますし、 比較しないなら、そもそものはじめから上下関係は生まれません。
762 :
考えない名無し :2001/07/14(土) 00:38
また、私が偉ぶっている、という指摘もありましたが、
私は実際に偉いんですよ(大爆笑)。
いや、もちろん私は、自分「だけ」が偉くて他の人が偉くない、
と言うつもりはありません。
みんなそれぞれのやり方でそれぞれに偉いんではないでしょうか?
たとえば私は、ちょっと議論の進め方がうまくて、ちょっと知識があるかもしれない。
それはたぶん事実でしょう。そしてその事実を比較するなら確かに私は偉い(笑)。
しかしトータルで見るなら、それぞれに皆ユニークで、
比較のしようがないからそれぞれに偉い。
たとえば、私には
>>529 のようなレスの付け方は出来ないし、
あれはあれで一つの才能でしょう。
そう思えば私の発言に腹も立たないはずですよ。
ねっ、ピエールちゃん(笑)。
最後に、
>>486 さん。
http://www.at-m.or.jp/~khoshino/j.k.htm は楽しく読ませてもらいました。
実はボームとの対話って、読んだことがなかったんです。
でもさすがにいいこといっていますね。
>「じたばたしないようにしなさい。何もすることはないのだ」と言い聞かせます。
>が、それは、何が起こるかを待ち、
>そして見ること以外のあらゆることをしようとする非覚者によって勝手に解釈され、
>あれこれのことを追求しなければ望みはないと思いちがいされてしまうのです。
つくづくその通り!と思う今日この頃です。
ただ、私ならココの部分はどうしても、
コントロールは不可能、という説明の仕方をしてしまいますね。
ではみなさんさようなら。
759 相変わらず言っとることが不明だな(笑)。
ここは、考えない名無しのような荒らしが荒らしとしての価値を認めてもらえる。それは、それで、 硬直した思考に陥らない利点がある。そうはいかないスレもあるから 困ったものだ。まぁ、君は清水のような本を書かないことだけを祈っとるよ。 ただし、清水の本は日本の精神本のなかでは、かなりいい線いっとるがな。
765 :
557 :2001/07/14(土) 01:21
ああ、待ってください考えないななしさん。 最後だなんていうなら ぜんぜん関係ないスレ違いを承知で、書かせてください。 私は、あなたに馬鹿のような(らしい)質問をした者なのですが。 635さんに振り払われたのですが、私の真剣みの無さに怒っていたのでしょうか? 私のあくまでも印象なのですが、わたしの「可能性という言葉をとって しまったら私の、意とするものと違うものになってしまう」という (まあ、クレームともとれる発言ですが)その問いに答えてくれた 635さんの発言に私は、立ちはだかる壁のような印象をもったのです。 私が、発した「荒い」とか「残念です」の言葉に怒っていたのでしょうか? それとも、私のことを愚かしい者が、一人前の事をいうな。とか わたしが635さんの、言う事を理解していない!!と業を煮やしていたのでしょうか? 他の方のレスを読んでみて、ピエールさんや、覗いてみましたさんとかには、感じない物です。 私は635さんの、あの壁のように立ちはだかる姿勢になにかその後ろに 隠されて、いるようにも感じました。 本当は本人にも聞きたいのですが、又あのように言われても困ってしまうので、 前に、いろいろ635さんの様な姿勢で論じてた経験のある、 あなたに聞きました。 でも本とは、ピエールさんとか、他の方の意見もききたい。
766 :
考えない名無し :2001/07/14(土) 01:43
>前に、いろいろ635さんの様な姿勢で論じてた経験のある、 >あなたに聞きました。 557さん。635さんの態度がどういう意図かは私にはわかりません。 私の意図は、前に書いたとおりです。 …あなたは本当にまじめな方なんだなあ、というのが あなたの発言を読んだ私の率直な印象です。 そういうあなたのような姿勢こそは 私が謙虚に学ばなければならないものでしたね。 ご指摘ありがとう。 では。
767 :
感覚派 :2001/07/14(土) 02:06
「ピエール」さん「考える名無し」さん どちらも、理解できるんだよな、ある程度。ご両人に申し訳ないけど。 言葉の使用法かな?定義によるものかな?視点かな?何だろう? 単に、俺の頭のせいかな?けど、こんなことに頭いらねえや。 けど、やっぱ前提があるよね、きっと。頭のいい人はつらいネ。 「あるがままに見る」って明々白々じゃないの? 「コントロール」なんて単なる観念じゃないの?
768 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/14(土) 02:36
>>529 こいつは確かにいい奴だぉー。
誰かを傷つける発言してるんじゃないし、ノーテンキで場違いな奴だけど、
いいキャラしてるぜ。
攻撃した奴らは嫉妬してるだけけじゃねえのか?
769 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/14(土) 03:13
>>775 での635にレスしとく。
半分冗談だがアナタちょっとお節介ですぅ<藁
俺は喉が渇いたからお水をくださいと云うたんです。
これは私の意志です。
それに対してアナタは石をくれたんですよ・・・
で、折角ありがとですが、私は要りませんと言うのです。
>Kは組織を否定しました。
>ここの言論空間ほど無責任で組織の対極にある場もないでしょう。
>2ちゃんねるはKを語る理想の場です。
これはちょっと言いすぎやでぇーホンマニ(- -;)
Kは組織そのものは否定しとらんて、ただ真理は組織化されえない
と言うことでねえの?つまり組織宗教を否定したんどす。
まあいいかぁマジになるとバカみるから、ヤメトコ。
ああ、それからピエールね、最近、ピエールちゃんづけになっとんの?
お友だちでけてええねぇ(^0^)
774>の発言ね、「だが、意志があれば、悟りをコントロールできる。
そのために強い意志が必要と思いますよ。 」
愛するのに強い意志は必要ないと思うんよ、うんうん、
そんだけ。
770 :
感覚派 :2001/07/14(土) 03:53
>>768 言いたいことは解るけどネ。
傷つける発言したっていいんじゃないの?
結局さ、まあ「傷つく奴」の問題になるかもネ。
それに「応じれば」済むことジャン。
あるいは、そいつが引き受けるべく責任かもネ。
「ヴァ−チャル」だよ!
頭のいい奴はさ、論理、あるいは表現・言葉の厳密さ、的確さってヤツかな?、
そういうのを辿るから、スゲーこだわると思うよ。
ケンカしているように見えているだけの時もあると思うネ。
おまけに、時に「表象的?」に答えていたり、また「実存的?」に答えてっからネ。
攻撃した奴らが嫉妬していたっていいんじゃないの?
貴方に嫉妬がなくなりゃ済むハナシじゃん。
まあ、そのことに対して貴方が文句を言うのも自由だと思うけどネ。
悪いネ、Kの話題からそれちゃって。
771 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/14(土) 05:22
>>770 感覚はん、確かに、そりゃそうだわ・・・謎笑
アンタ、アタイより頭いいんと違う?
ジェラスィーーーーーーー!!
772 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/14(土) 05:25
age
773 :
名無しさん@1周年 :2001/07/14(土) 05:27
結局、フタ開けてみると、みんながした考えない名無し批判は 妥当だったってオチかい?つまんねー
774 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/14(土) 05:28
age
775 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/14(土) 05:32
おぉーー危ねぇーとこじゃったわい。 発言ナンバー774を、うっかり取られるとこだった。 774=名無し が取れてシアワセ(^0^)
776 :
名無しさん@1周年 :2001/07/14(土) 05:34
>774@兄ちゃん寝る 早く寝ろよ・・。HN通りに・・。
777 :
777 :2001/07/14(土) 05:46
777げ〜とっ!
778 :
名無しさん@1周年 :2001/07/14(土) 06:03
とても美しい朝です。とてつもない深みを湛えた空の彼方此方で柔らかな雲が静かに姿を変えてゆきます。鳥たちは鋭く艶やかな歌声を響かせあい、木々の緑は自ら光を放っているかのようです。 空気はひんやりとして、時間はまだじっとしています。 すいません。あまりに素晴らしい朝なのでつい・・・。
779 :
635 :2001/07/14(土) 13:25
また少し荒れ気味ですが、気にせずに今日も書き込んでみます。 「悟り」について興味を持っている人が多いようなので「悟り」について。 語弊もあるかとも思いますがご容赦を。 まずもって「悟り」とは何なのか? 恐らく、何かの境地なんでしょうねえ。 しかし、たいていの人は悟りを得ていないだろうし、そうであるなら その境地を知らないわけであり、想像もできない境地ということですね。 そうなると、分からないことを分かるようになるだけで、小さな悟りを 得たと言ってもいいのかもしれませんね。 実際、分からないことを分かるようになれば、新しい境地に立ったと 多くの人は感じるでしょうね。 では、なぜ私たちは「悟り」を得たいのでしょうか? 悟ればきっと何かいいことがあると思っているからでしょうね。 たいていの人は人生で様々な悩みを抱えていて、感情的なわだかまりを 感じながら生きていて、「悟り」を得れば、そういうわだかまりがなくなって 心地よく生きていけるかもしれない、そう思っているのではありませんか。
780 :
635 :2001/07/14(土) 13:26
ここでクリシュナムルティを読んでうかがい知ることのできる 「悟り」のイメージ(あくまで私自身の解釈)を述べてみましょう。 「悟り」とは双方向のプロセスのようです。 つまり、私たち自身の何らかの努力に加えて、私たちに悟りをもたらす実在 (K流に言えば、道なき大地の果ての真理)の訪れ、の2つです。 「悟り」には、私たちにはあるがままに自分自身や事物を見つめることが 要求され、実在(真理)の側には(恐らく偶然の)訪れが要求される。 私たちには(偶然の)訪れを制御できようはずもない。 であるので、Kに従って「悟り」を得ようとするなら、自分の側の努力 「あるがままに見つめる」「沈黙」をするしかない。 ここであることに気付かれませんか?
781 :
635 :2001/07/14(土) 13:27
私たちが「悟り」を得たいのは感情的なわだかまりを取り除きたいから。 そのためには電極やクスリを使ってまで擬似悟り体験を得ようとする。 しかし、Kが言っているのはこうです。 「悟り」を得たければ、まず、自分で自分の感情的わだかまりを取り除け! これは、「悟り」を得てとてつもない境地に到達してすがすがしく生きたいと 思っている私たちにとっては絶望的なまでに厳しい表明ですね。 「悟り」で得られるであろう効用を自分で作り出しなさい、ということですね。 それでは「悟り」を切望する意味がありませんね。 しかも、想像するに「悟り」の訪れは偶然にしか来ないようです。 私たちが死にもの狂いの修養をしてようやく感情的わだかまりをなくすことが できたとして、それでも「悟り」の要件は満たしていないこともありうる。 私たちが安易に「悟り」を得たいと思っているのに対してずいぶん 報いの乏しい、ほとんどない厳しいものですね。 もっとも、「悟り」を得る直前及び得た後には「悟りを得たい」「報いを得たい」 という気持ちも恐らくなくなっているでしょうからなんとも言えないですねえ。
782 :
635 :2001/07/14(土) 13:34
>>765 >本当は本人にも聞きたいのですが、又あのように言われても困ってしまうので、
まあ、そう簡単に判断しないで下さい。
また別の角度から書いてみます。
783 :
635 :2001/07/14(土) 23:50
精神と肉体の関係について釈然とされていないことが想像されるので 思ったことを書いてみる。 私は「精神は肉体による化学的作用のようなもの」というアイデアを否定した。 すると、精神とは一体何だろうか? 精神の方に肉体に対する優位性があるということだろうか? そうなると霊能力のようなものだと、イメージが先行するかもしれない。 上のレスでは霊能力に関して激しい議論がなされていた。 私は、霊能力、超能力、奇蹟についてまったく詳しくはないが、 それらは、人間の手に及ばない、いまだ人間がその原理を保有していない 「3次元的、科学的自然作用」だろうと思っている。 雷やオーロラや日蝕や流星やいろいろある奇蹟的現象も科学的原理でもって 説明できると思う。 ミステリーサークル、UFO、その他現在ある奇蹟的現象もいつの日か科学的説明が 可能になるだろうと思っている。 超能力が超能力である所以は普通人の手に及ばないからだと単純に思っている。 例えば、サイコキネシス(精神で物を動かす)はどうだろうか?
784 :
635 :2001/07/14(土) 23:50
サイコキネシスも超能力だろう。 しかし、手や足を動かす作用はどうだろうか。 普通に健康なら心の中で動かしたいと思えば動かせる。 神経で脳と手がつながっているから当然? じゃあ、「手を動かしたい」という思いと脳や神経とはどうつながるか? 確かに心、脳、神経は非常に近接、接触しているのに反し、サイコキネシスと 言えば通常は接触なしの物体を心で動かすわけで、その点では違う。 しかし、心で思うことで神経伝達作用という「物質」が作動することと サイコキネシスで「物質」を動かせることの間には、心での思いが 物質に伝わるという点においては類似していると思える。 超能力、霊能力は本質的には通常の人間の能力と異なりはしないだろうと思う。 普通に手を動かす作用においても、ある種の精神の優位性をうかがわせる。 まあ、条件反射というものもあるらしいけれども。
785 :
635 :2001/07/14(土) 23:51
霊能力ではないが、記憶と精神の関係を考えてみたい。 記憶というのは脳に貯蔵されており、脳も肉体であることに異論はないと思う。 記憶が精神を作り出すのか。 1年前の自分と現在の自分は肉体的条件と、記憶という点で 少しは異なっていよう。 その異なりが1年前の精神と現在の精神との違いを あたかも別人格のようにもたらすのであろうか。 確かに、子供の頃と大人になってからを比較すると本当に別人格かのように なっている場合もしばしばあるだろうが。 精神分裂や多重人格のことを言っているのではありません。 統一的な人格、つまり心の正体がどこにあるのか疑問が残る。 10年前の自分と今の自分と比較して自分の核となる部分が 変わっていないと思えるなら、やはり精神優位の証拠となりはしないか。 記憶の中にある過去の自分に、今の自分が記憶で接触を試みるとき、 「肉体」と「肉体感覚」の関係と類似の関係がありはしないか。
786 :
635 :2001/07/14(土) 23:52
私の結論を言えば、「肉体が精神顕現装置」であるということです。 私はこの世の中の現象はすべて科学的説明が可能なのではないかと思っています。 霊能力、「悟り」などの現象ですら。 但し、私は「科学」という言葉をかなり広い意味で使っています。 また、原理を知ることとその原理を応用することに 一定の間隙があるとも思っています。 原理の中には完全に人間の支配下における原理と逆に人間が支配下に ならざるを得ない原理があると思います。 そうであるので、科学的原理が理解されたとして人間はそれで満足できるか という疑問が残ります。 例えば、自転車の細かい動作原理までわかることと自転車をうまく乗りこなすこと とはかなり別の問題でしょう。 そのためには何度も自転車に乗って訓練、鍛練が必要でしょう。 人間というあり方の原理を人間が科学的に探求し尽くしたところで 恐らく人間は満足できないでしょう。 私がクリシュナムルティを読んで理解した「悟りの原理」はかなり 苛酷なものです。 あれが正しいとして「悟り」に向けてがんばろうと思う人は 少ないのではないでしょうか。 結局は、「急がば回れ」ということなのですから。 またもやとりとめもない試論です。 批判していただいて結構です。
787 :
名無しさん@1周年 :2001/07/14(土) 23:58
watanabesan?
788 :
635 :2001/07/15(日) 00:04
>>766 >557さん。635さんの態度がどういう意図かは私にはわかりません。
私はとりわけ特別な意図は何もありません。
>>721 以上のことは何も考えていません。
どうかこのスレが無限ループから抜け出して欲しいものです。
789 :
557 :2001/07/15(日) 00:39
watasiha,
anatano,sono,
iyamitarasii,
hitokotoooitokoronimo,(
>>788 )
monnkuwo,tuketeirunodesu
saigono,
kotobaha,anataga,
watasinitaisuru
kannpekina,omoikomidesu.
tatoebanasinisitemo
barenakereba,hitowo,
korositemoiinokanannte
amarenimo,innyouga,hinnganai.
demo,hokano,bunnsyouwo,
yonnde,matomonatokoromo,arutomitomemasu,
790 :
そぼくさん :2001/07/15(日) 02:06
またまたここにもいたじぶんに心酔してるアホがとくいになって高説をはいてるがなんでそんなにじぶんがただしいとおもえるのどうしてもほかのにんげんたちよりうえにたちたいのそぼくなぎもん
791 :
635 :2001/07/15(日) 02:28
今夜はあまり人が来ないですねえ。
今夜はリアルタイムで話をしようと思っていたのに。
>>789 、
>>790 ローマ字、ひらがなの次はカタカナですか?
いっそのこと外国語にしますか?
英語ならわかりますよ。
文句ばかり言ってないで自分の考えを言えばどうですか?
792 :
名無しさん@1周年 :2001/07/15(日) 02:34
793 :
そぼくさんへ :2001/07/15(日) 02:34
何でもかんでも高説、と決め付けるのはぜんぜんそぼくじゃないよ。
794 :
557さんへ :2001/07/15(日) 02:36
anatagaitibanniyamidesuyo!
795 :
635さんへ :2001/07/15(日) 02:43
あなたが
>>781 あたりで言っていることは、簡単に言ってしまえば、
悟りを得るためには、悟りを得るしかない、と言うことでしょう?
だったらそのとおりだと思いますよ。
遅かれ早かれ、本物の探求者だったら必ず一度は突き当たる問題です。
いわゆる、自分の襟首を自分で引っ張り上げて宙に浮こうとするようなもどかしさがある。
796 :
795 :2001/07/15(日) 03:01
外的な現象世界には、原因-結果のパラダイムがある。 たとえば、体を鍛えようと思えば、腕立て伏せを1日100回づつやる、とか。 この場合、腕立て伏せ、という鍛錬が「原因」で、体が丈夫になる、というのが「結果」。 これを精神世界とか、いわゆる悟りに当てはめるからおかしくなる。 毎日10時間づつ瞑想すれば必ず悟れる、というのなら、瞑想が原因で悟りが結果だ。 ところが実際はそうはならない。 実は内的主観の世界では、 この原因結果のパラダイムがちょうど外的現象世界と逆転している。 すなわち、悟りが原因で、悟りの体験が結果。 普通はこれを逆に勘違いしている。 これが分からないことには探求は一向に深いものにはならないでしょう。
797 :
635 :2001/07/15(日) 03:19
>>795 、
>>796 そうですね。
「悟り」の構造はやっかいな構造をしていると思いますね。
目標物がどこかにあってそこへ辿り着くために邁進できるようなものではないようですね。
自分で無から有を作り出さなければいけないような感じもしますね。
「悟り」はあるのかもしれない、ないのかもしれない、また、今自分が歩んでいる道は
正しいのかもしれない、誤りかもしれない、そういったことを絶えず検証してゆく
必要性を感じます。
798 :
796 :2001/07/15(日) 03:26
>>797 探求の初期の段階では悟りが何か分からないまま探していて、
その上、上記のような「方法を探す」という愚を犯してしまいがちです。
しかし探求が本当に真摯なものであるなら、
次第になぜ自分が悟れないかが分かってくる。
あなたはその原因を見たこと、感じたことはありますか?
799 :
635 :2001/07/15(日) 03:35
>>798 うまくは言えないですが、既存の手法、人から聞き知った知識は
何の役にも立たないことを実感し、最後には自分ですべてを
背負い込むような形で臨まなければならないに感じるようになりました。
800 :
名無しさん@1周年 :2001/07/15(日) 03:42
>635 君いつもえらそうなこととばかり書いているね。 気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ? わかってるの? それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。 きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。 でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。 もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの? 自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの? 家族からも近所からも煙たがられているんだね。 友達も彼女もいないんだね。会社でも浮いているんだね。 どこに行っても相手にされないんだね。 ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。 ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの?かわいそうに。 もう駄目じゃん。生きていても何もいいことないよ? どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない? 相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。 始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、 もう飽きられて完全に無視されているね。 それって迷惑なんだよ?気付いてる?
801 :
635 :2001/07/15(日) 03:46
>>800 オリジナルですか、それともコピペですか?
オリジナルなら感服いたします。
802 :
800さんへ :2001/07/15(日) 03:46
あなたが一番偉そうです。 635さんはあなたに直接説教しているわけではないですよ。 もうちょっと冷静になれないんですか?
803 :
798>799 :2001/07/15(日) 03:57
同感です。 悟れないのは自分が悟ろうと真剣になっていないから。 私はそれに以外にないと思います。
今日のところはおやすみなさい
805 :
朝が来たゾ〜 :2001/07/15(日) 05:23
今日も いい日に なりそうだ〜♪ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・) ⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ < < < ) ) ) (_)| (_(_) (__)_) 彡(__)
806 :
M :2001/07/15(日) 06:35
802=考えない名無し
番号にはアンカー( >> )張ろうよ
808 :
名無しさん@1周年 :2001/07/15(日) 06:58
単純に言いますね。 つまり、悟りが自我のない状態だとすると、 自我によって自我を無くそうと志すところに そもそもの間違いがある。ということかな?
809 :
635 :2001/07/15(日) 22:18
また今日も書き込んでみます。 とりあえずクリシュナムルティに従って「ありのままに見る」には どうすればいいか考えてみたいと思います。 私は一つの手法を提案します。 Kも言っていることと思いますが、私たちをしてありのままに見させないように しているものの最大のものの一つは言語です。 であるので、言語を使わずに事物や自分を見つめたり、考えたりできるように なることをまずは目標とするのがいいのではないかと思います。 しかし、もう既にかなり知識優位の教育をうけてきた私たちにとっては それは困難なことでしょう。 実際、私たちが事物を眺めるとき、あるいは何かを思い、考えるとき 言語で思い、考えていることがほとんどだと思います。 しかし、言語というのはこの世の中をデジタルに切り出してきたもの に過ぎません。 何か、自然に触れて未知の植物や動物を目の当たりにしても、私たちは 過去の記憶と照合して難しい学名や専門用語に当てはめるなどして 理解できたと満足してしまうことが多いのではないでしょうか。 そのとき、ありのままの事実は私たちの中にある貧弱な言語表現による イメージに変換されてもとのありのままのものとは似ても似つかないもの になってしまうこともしばしばだと思います。 結果的に私たちはありのままに見ることができなくなっています。
810 :
635 :2001/07/15(日) 22:18
私は、言語表現を否定しているわけではありません。 言語というツールは高速大量コミュニケーションに適したものだ と思っています。 私たちが今使用しているパソコン、インターネットはこの利点を最大限に 生かしたものだと思います。 アナログな原データから細部をそぎおとして電気信号として扱いやすい デジタルなデータへ変換してネット上にのせています。 そして、高速大量通信を可能としています。 私たちの言語表現というのも基本的にはこれと同じことをしているのだ と思います。 私たちが事物を言語で表現するというのは、連続的でアナログな事物を 不連続でスカスカのデジタルなものとして表現しているに過ぎません。 ありのままの極一部を捉えているに過ぎません。 ありのままに見つめるためには、私たちはいったん そのデジタルな言語空間の外に出る必要があります。 そうすれば、Kの言う実在や真理の一端を垣間見ることができます。 それらの一端を垣間見て再びそれを言語空間へ落としてくることの できる人たちのことを私たちは詩人、文豪と読んでいます。 さらに具体的な手法としては外国語の学習があげられるかもしれません。 真面目に外国語によるコミュニケーションをしようとすると 否応なく自身が無意識に使っている日本語表現を顧みることが 要求されます。 その過程で言語によらずに事物を見つめることが少しは可能になります。
811 :
635 :2001/07/15(日) 22:19
>>808 間違っているとも正しいとも言えないですね。
たとえてみれば
>>795 で言われているように襟首をつかんで飛べと
言われているようなものです。
恐らくは自我を滅するのに自我を用いなければならないはずで
私たちが間違っていると言うよりは無理難題なんですよ。
クリシュナムルティはそれを、自分自身をありのままに見つめる
ことでなんとかやってみなさい、と言っているのだと思います。
812 :
635 :2001/07/15(日) 22:19
それからKを読む上で大事なことと思われるのは、Kの書物を 精神世界、宗教、神秘学、神智学、教育等の本と思って 読まないことだと思います。 精神世界の本だと思いながら読み始めることでKの発言を ありのままに読み取ることができなくなりうると思います。 本当は、グルジェフ、シュタイナーその他の人々の書物も きっとそう読まれるべきだと思うんですけどね。 私はKの書物を哲学書だと思って読んでいます。 哲学書の割には難解な術語や予備知識を要せずに読めるということで 私は愛読しています。 自分で言うのもなんですが、意外にこの点は重要ではないか と思いますね。
813 :
名無しさん@1周年 :2001/07/15(日) 22:30
>>812 そう言いたい気持ちもわかるけど、哲学者とのちがいもあると思う。
Kは神秘学などのことを知っている上でああいう発言をしてるわけ
だから。
あと、教育に関してはKはかなり力を入れていたと思うけどね。
どっちにしてもどう思って呼んでもいいじゃないかな。
哲学書って限定しなくてもね。
グルジェフなんて自分で自分の言ってることは秘教的キリスト教だ
って言ってる。
自己を見つめるって部分に限定すると、あなたの言うように考えた
方がイイとは思うよ。
814 :
635 :2001/07/15(日) 22:37
815 :
803 :2001/07/15(日) 23:17
>803で、
>悟れないのは自分が悟ろうと真剣になっていないから。
と書きましたが、これだと、じゃあ、悟ろうとすれば悟れるのか?
だったら悟ろうとすることが原因で悟りが結果じゃないのか?
と言われそうですね。
もちろんそういう意味ではないんですが。
>>808 >つまり、悟りが自我のない状態だとすると、
>自我によって自我を無くそうと志すところに
>そもそもの間違いがある。ということかな?
自我があるから自我がない状態を求めるのに、
自我がない状態で無ければそもそも悟れない、という無限ループがある(笑)。
しかし、無限ループにはまる、ということは、きっとどこかが間違っているんですよ。
ところがいくら考えてみても、どこが間違っているのかが分からない。
なんというか、禅の公案とはまさにこんな感じなんじゃないか、と思いましたね。
私が自身を振り返ってみても、ここが一つのターニングポイントだったような気がします。
ここをある程度突破して、初めて見えてくるものがある。
816 :
815 :2001/07/15(日) 23:18
それまでも、自分では覚者の言葉を自分なりに理解しているつもりだったんです。 でも、全然全く、なんにも自分が分かっていなかったことに気がついた。 いや、今なら分かる、と言うつもりもないですよ。 ただ、ここを突破すると何かがおぼろげながら姿を現す。 見ようとすると見えなくなるなにかが。 私がこのターニングポイントで気がついたことの一つは、 そもそも自分は、 「見る」ということを実際に試したことがなかった、 ということです。 いや、それまでだって瞑想はしていましたし、自分では一所懸命見ているつもりだった。 たが、本当には見ていなかった。 それどころか一所懸命に目をつぶっていた。自分では目を開けているつもりで。 今となっては、自分が何を勘違いしていたのか、それぐらいは分かります。 普通は、見るときには、それに伴う判断がある。 これは善い、これは悪い、これは…だ、これは×だ。 しかし、見るときにそれは障害になる。
817 :
816 :2001/07/15(日) 23:18
そのことに気がついて、 そこで一所懸命に判断するまい、と思うわけです。 ところが「判断するまい」という判断が既に一つの立派な「判断」で、 そのこと自体が既に見ることを妨げている。 そこで大事なのは、 「なぜ自分がその判断を手放すことが出来ないか」 その理由を知ることなんですね。 判断がそこにあるのは、実は 自分で勝手にその判断にしがみついてるから なんです。逆に言うと、本当は誰も真実なんて見たくないんです。 普通はこれをいくら声を大にして指摘しても、 そんなことは分かっている、でもどうすればいんだ、 と言われるだけで全く伝わらない。 私は内心思うわけです。 どうすればも、こうすればもないだろう! だって自分でしがみついているんだから。 自分で手放せばいいだよ。 しかし実際にそう言おうもんなら非難の荒らし。 なんとももどかしいもんです(笑)。
名前に番号使うんだったらせめて同じ番号で統一してよ
819 :
635 :2001/07/16(月) 00:24
>>815 、
>>816 、
>>817 貴重な体験談ですね。
真実を追究したいという気持ちが強ければ強いほど
「悟り」に近づくように思えます。
私の場合、真実を見たくないというよりは、
自分で何が真実なのかを判断する勇気が持てなかった
ところがあったと思います。
自分にとっての最重要事項についての判断を他者に委ねたい、
自分自身で自分の最重要なことを判断するのは恐ろしい、
そんな感情が強かったと思います。
それでも、真実を見たいという思いから、徐々に
すべての判断を自分で下そうと決意をするようになりました。
私の場合、「結局のところ、他者に委ねている」ことへの気付きが
ターニングポイントであったと思います。
もちろん、その気付きがある前でも、決して自分は判断を他者に
委ねてはいない、と思い込んでいたわけではありますが。
820 :
635 :2001/07/16(月) 00:26
>>818 私には誰の書き込みかすぐにわかったよ。
言わぬが花かな。
821 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/16(月) 01:05
ほほぉ−珍しくマシなスレになってるね。 > ありのままに見させないようにしているものの最大のものの一つは言語。 言葉は記号であると同時にイメージだからでしょうね。 > Kの書物を哲学書だと思って読んでいます。 これに関しては私も同じですが、そのようなカテゴライズできないと いうところがクリシュナムルティーの真骨頂ですね。 > ただ、ここを突破すると何かがおぼろげながら姿を現す。 > 見ようとすると見えなくなるなにかが。 ここは、おそらくは誰もが突き当たるところかも知れません。 そして話しの焦点であり、我々の最大の関心事でもある訳です。 ところで過去ログを詳しく辿っていないので、 いい加減な口をを挟むのは慎みたいのですが、 まさか本気で悟りを得ようとしているのではないでしょうね? 単にクリシュナムルティーに関するトピックとして論じていると 思っていますが、どうなんでしょう? 私は悟ったとすることのほとんどは幻想だと思う懐疑人なので、 これが悟りだというナンセンスからは抜け出すことが出来た。 ただ、それだけなんです。これが悟りなのでしょううか? 比較するものもなく、それを観察する観察者もいない。 これについてコメントをいただきたいのですが? だから前にも申し上げたとおり、けたたましさのない雰囲気のなかで、 私は真摯な人たちと熱心に話したいのですが・・・笑
822 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/16(月) 02:24
>635 >815 >816・・・・ こうした発言は、軽率な言い方だが、 こうした板で書かれ、そのまま消滅させるのは ちょっともったいない気がする。 私は、この環境が自由に発言できる場だとは思わないし、 得る(学ぶ)ものより、失うもの、 犠牲のほうがはるかに多いと思われる。 誰が何を話しているのか皆目わからなかったし、 文字からの推察、そして疑心暗鬼に陥ったのだ。 クリシュナムルティーを語るのに、 こんなエネルギーを使ったのは、はじめてかも知れない。 だから、どこか落ち着ける場所はないものかと、 皆さんにお尋ねし、情報提供を依頼したにすぎないのだ。 再度、お尋ねするが、そういうHPお薦めがあれば、 どなたか紹介してくれませんか?
更新しようね。重いよ。
824 :
名無しさん@1周年 :2001/07/16(月) 06:01
>>821 実際に生身の人間と会って対話するのがいいと思うよ。
日本のクリシュナムルティセンターって所で
ビデオ鑑賞会や討論会かなんかやってると思う。
そこのページにいって問い合わせるといいよ。
ココには貼らないから自分で調べな。
825 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/16(月) 06:31
>>824 情報ありがとうございます。
クリシュナムルティセンターって、
青山にある高橋爺ちゃんのとこだね。
あそこは設立以前から知っているけど、
資産家が道楽でやっているようなものですよ。
日本じゃ自分が一番クリシュナムルティーを
知っているという顔する高慢チキな爺さんですよね。
権威主義的で私は好きじゃないな。
それ以前からクリシュナムルティーを学んでた人たち、
ごく少数の人たちがいて、30人くらいかな、
その人たちが日本にクリシュナムルティーを招待しようと
地道に努力してたんだけど、
クリシュナムルティーが亡くなる、ちょっと前に
高橋さんが突然、会に入って来て、
金にモノ言わせて自分でクリシュナムルティーセンター
作って、当時の人たちは皆んな抜けてしまったんだよね。
クリシュナムルティーを愛する人たちだから、
そういう流れに対して誰も意義を唱える人もいないしね。
これが日本のクリシュナムルティー活動のおおまかな流れ。
知らなかった?
だから私はセンターには行かないよ。
それよりも新しい潮流を作ったほうがいいかな?
どう思いますか?
ともあれ情報をくれたご親切には感謝・・・合掌
826 :
824 :2001/07/16(月) 06:48
>>825 いや、知らなかったよ(笑)。
774@兄ちゃん寝るさんの希望してるこのスレの雰囲気は俺も賛成。だけど
やっぱりいろんな人たちが集まるので、無理だと思う。
学び=共感だと思ってる俺はやっぱり疲れるんだよね、このスレは。
傷つけあって学ぶことも理解できるけど、あなたの言うように失うものが
多いと俺も思う。違いばかりを指摘しあってる感じでね。同じように感じてる
部分は必ずあるはずなのに。そういうのを共有したがらない人もいるわけで・・。
違った場でまた遭遇できるといいけどね。
827 :
824 :2001/07/16(月) 06:53
>それよりも新しい潮流を作ったほうがいいかな? >どう思いますか? 俺は近場の知人でとりあえず満足してるね。 でもやっぱり人が集まるということには金と手間がかかるのは どうしようもないからね。金持ちが力を握るのはしょうがない ことだね。ふぅ・・。
828 :
名無しさん@1周年 :2001/07/16(月) 07:11
829 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/16(月) 18:52
774@兄ちゃん寝る・・・コテハンですよ それ以外は違うな で、何が言いたいのでしょう クリシュナムルティーのHPを紹介して欲しいと いうのが、そんなに問題なのだろうか まぁいいか
830 :
635 :2001/07/16(月) 22:06
>>821 >ここは、おそらくは誰もが突き当たるところかも知れません。
>そして話しの焦点であり、我々の最大の関心事でもある訳です。
そうですね。
Kの言う通りにありのままに見たとして、何が見えるのかが
最大の関心事でしょうね。
>まさか本気で悟りを得ようとしているのではないでしょうね?
微妙なところですね。
>単にクリシュナムルティーに関するトピックとして論じていると
>思っていますが、どうなんでしょう?
Kの発言を文字どおり率直に受け止めるのであれば、
Kはそれを望んではいないですね。
と言うより、Kがいちばん嫌がることではないでしょうか。
「私の唯一の関心は人々を絶対に無条件に自由にすることです」
この発言を文字どおり信ずるならば、客観的なトピックスとして
論じるのはK理解の妨げにすらなるように思います。
それとも、分けた方がいいんでしょうか。
「Kの教えを実践しましょう」板と「Kをサカナにお茶しましょう」板
とにでも分けますか。
831 :
635 :2001/07/16(月) 22:07
>私は悟ったとすることのほとんどは幻想だと思う懐疑人なので、 >これが悟りだというナンセンスからは抜け出すことが出来た。 >ただ、それだけなんです。これが悟りなのでしょううか? >比較するものもなく、それを観察する観察者もいない。 実際のところ、仮に「悟り」が存在するとしても、私たちのほとんど全員は 悟っていないわけであるので、また、将来的にも悟れる可能性はほぼゼロ と考えて間違いないので、「悟り」は存在しないとしても 不都合はないとも思いますね。 上で述べた「悟り」の構造上、「悟り」は存在しないとしても 何の矛盾もなさそうですしね。 ただもし、「悟り」が存在すると仮定するなら、あなたのいる位置は “出発点”だということになりますね。 もう、誤った「悟り」のイメージには囚われなくなった。 今度は正しい「悟り」を探しにゆこう。 こんなところかもしれませんね。
832 :
635 :2001/07/16(月) 22:07
>>822 、
>>825 、
>>829 だから言ったではないですか。
ここ2ちゃんねるがいい、と。
ここは実際に人と会って話すのよりもはるかに自由があると思います。
実際に会えば、感情がジャマをして率直に話せないことでも
ここでならかなり率直に話もできて、多少対立があっても
さほど本気で怒るところまでいかずに済むと思います。
この間言ったことは半分は本気なんですよ。
確かに「心と宗教板」はひどすぎる、けたたましすぎる面はあるかもしれません。
そうであるなら例えば「哲学板」にパート2を立てるなんていうのはどうです?
あそこはまだいいと思いますよ。
あそこも誹謗中傷合戦はありますが、ここほどじゃない。
かなり真剣に学術的なことを論じているスレもたくさんあります。
しかし、率直に思います。
この程度の雑音を流せなければ、自己観察はおぼつきませんよ。
それに、真摯に語りかければきっと賛同者は現れます。
833 :
635 :2001/07/16(月) 22:08
>それよりも新しい潮流を作ったほうがいいかな? >どう思いますか? 形にこだわらなくてもいいのではないですか。 私も金にモノを言わせた組織は好きではありません。 ここならどんな職業の人間でもいつでも好きなときに参加できる。 これは理想的な場と言えるのではないでしょうか。 かなりメジャーな掲示板であるので実のある議論がなされれば 自ずと人は集まりますよ。 件の従来の組織がK理解の妨げになるようなつまらないものであれば そちらの方が勝手に枯渇してゆくでしょう。
834 :
635 :2001/07/16(月) 22:08
>>826 >学び=共感だと思ってる俺はやっぱり疲れるんだよね、このスレは。
>傷つけあって学ぶことも理解できるけど、あなたの言うように失うものが
>多いと俺も思う。違いばかりを指摘しあってる感じでね。同じように感じてる
>部分は必ずあるはずなのに。そういうのを共有したがらない人もいるわけで・・。
考えない名無しさんのような発言をそう思っていらっしゃるのだと思います。
いいではないですか、憎まれ役みたいなのが一人や二人いることは。
問題は彼の発言内容、K理解が誤っているか否かでしょう。
かなり的外れなキレ方をしていれば私も積極的に批判したい気に
なりますが、私にはかなり妥当なK理解だと思えます。
私は論争は好きではないので細かな差異は流します。
根本的なところで食い違ってると思えるなら論争するべきと考えています。
このような言い方は嫌がられると思いますが、学びは共感だと
私も思いますが、共感は必ずしも学びとは限らない、と思います。
可能性として多数派がかなり間違った、K理解に程遠いところで、
共感がなされているとしたら、そこへ批判をぶつけていくべきでは
ないでしょうか?
これはむしろ民主主義的なあり方ですよ。
仮に、1人が正しくてその他全員が誤りという場合、その正しい1人が議論を
ふっかけて潮流を変えることができるような場の方が良くはありませんか。
これは、実際に論争という一種バトルロワイヤルみたいな過程を
経なければ見えてこないものだと思います。
民主主義的なあり方が必ずしも有効とも限らないのですが。
835 :
635 :2001/07/16(月) 22:09
私もあまり無意味で消耗するだけと思われる論争は避けたいので
起こりうる論争について少し述べたいと思います。
私が書いた
>>754 、
>>809 、
>>810 も参照して欲しいです。
1. 言葉じり、言い間違いの揚げ足を取る
これはマジレスをたくさん書いていくことで解消できるでしょう。
ここで真摯に話そうという人にとっては大して問題にはならないでしょう。
836 :
635 :2001/07/16(月) 22:09
2. 採用している言葉の定義が違う
これこそが最も消耗する論争の中心にあるといっても過言ではないと思います。
私たちは言葉でコミュニケーションをとるわけですが、その言葉に寄せる
イメージがそれぞれ異なる場合がある。
また、私が主に
>>754 で言ったように言葉と現象の逆立ち理解とでも
いうような理解の仕方がしばしば起こっている。
この理解のやっかいなところは自分で自分の誤謬性をなかなか気付き得ない
ところだ。
また、他人から指摘されても気付くことはまれだと思う。
私は論理学に詳しくはないが、自分が採用した公理体系内の論理操作
だけではその公理の誤謬は出てきようがないと思う。
根本の、自分の保持している言葉と現象の接合具合に批判の目が
向けられなければ永久に間違った公理体系内の外に出ることができない。
このような違った公理体系同士の論争は決してかみ合うことはなく
罵倒合戦にならざるをえない。
論争がこのような様相を呈していると思えば、私が
>>809 、
>>810 で書いた
ことを思い出して欲しい。
いま一度、自分が見ている実在のレベルとそれに対応させている
言葉づかいを検証する必要がある。
言葉づかいの異なりでさらにやっかいなのはその使い方が単なる日本語と
英語の違いのレベルではないだろう、ということだ。
実在を見た、あるいは垣間見た者とまったく垣間見ていないが
見たつもりになっている者との違いをどうやって見極めるかが
主要な争点となろう。
837 :
635 :2001/07/16(月) 22:10
3. クリシュナムルティ解釈の違い 1.、2.のようなレベルの論争を回避できればこの解釈のレベルの論争は まったくストレスのない、実りのある論争になると思います。 と言うよりも、2.のレベルの錯誤の解消がクリシュナムルティの主要な 仕事であったとさえ、私には思える。 ここでの論争は避けるべき論争ではなく、積極的になされるべき論争だと 思います。
838 :
635 :2001/07/16(月) 22:11
>774@兄ちゃん寝るさん ところで、私個人としては「悟り」を得たいと思ったことは一度もありません。 私はむしろ、この世界や人間がなぜ存在するのか、など哲学的な真理探究の 方に興味があって、修行をして「悟り」を得ようなどとは考えた事もありません。 ただ、人間の本質的な属性としてあたかも通過儀礼のように「悟り」 というものがあるのなら、それを知りたい、体験してみたい という気持ちはありますね。 必死に修行をしてなんとしてでも「悟り」を得たいというわけではないですね。 ただの私の勘ですが、「悟り」はあるんじゃないかと思いますね。 なぜそう思うかと言うとやはりこの世の中や人間の存在には何らかの 意味や目的があるのではないかと思っているからです。 通常イメージできる目的、意義、ゴールなどとは異なるであろうとは 思いますが、何かがあるのではないかと思っています。 私はある程度「ありのままに見る」ことに成功していると自分では感じていますが まだ足りない、先にもっと見えてくるものがあるようにも思っています。 それが「悟り」なのかどうかはわかりませんが。 「悟り」をあまり大袈裟なものと捉えず、分からないことが分かるようになれば それは一つの小さな悟りだと私は考えています。 実際、悟っていなければ「悟り」については分からないわけです。 とりわけそれに大袈裟なイメージを付与することもないでしょう。 まだ何か先があると思っている今はまだ悟っていない域だと解釈して さらにありのままに見ることができるようにしようと思っています。
839 :
635 :2001/07/16(月) 22:13
840 :
635 :2001/07/16(月) 22:17
私はそれほどでもないのですが、真摯な板でないと許せない という人もいるかもしれません。 >「Kの教えを実践しましょう」板と「Kをサカナにお茶しましょう」板 これも一つのアイデアだと思います。 後者をここのパート2として、前者を哲学板にでも立てるのはどうですか? 現在、哲学板にはクリシュナムルティのスレは存在しません。
3日ほどで、過去ログ全部読ませて頂きました。 殆どが一度限りしか読んでいないので、80%も理解してないかもしれません。 読んで一番強く残った感想はただひとつ、 「何故みんな(あ、全員ではないですが)明らかな煽らーを相手にするのか?」 でした。スマソ。とても立派な意見をお持ちの方でさえ、「何だ結局似た者同士か」 とかハタから見てて思ってしまいました。 (いきなり来て煽るような事言って失礼しますだす) 確か2ch のどこかに「煽らーに煽られているかどうかというのは、相手を無視 できるかどうかで、もし無視できなかったらあなたは煽られていると見ていい でしょう」とか書いてあったし、よく板の最初に「煽り・荒らしは無視」って書いて あると思うのですが…。 偉そうな事をいきなり書いてしまいました。ログを読んでいて、エネルギーが しょっちゅう無駄な方向に流れているなーと、そんな感想を抱いたもので。 (別に私の言う通りに変えろという訳ではありません) 横ヤリすまそ。逝ってきます。
842 :
826 :2001/07/16(月) 23:19
>>834 考えない名無しさんの理解に妥当性があるというのは異論ありません。
>細かな差異は流します。
これが出来るかどうかということが問題だったわけです。
たとえば、
>>815 >>816 >>817 の人のように語ることのほうが有効でしょう。
体験的に語るとでも言いましょうか。
>共感は必ずしも学びとは限らない・・以下
そう思います。共感のない学びはないということです。
Kの言いたいのはあくまで、いかに世界と直接に関われるか
ということであったと思います。行き着くところはいかにも
シンプルな境地というか。それを言葉の定義うんぬんという
ことから始めるのはいいですが、そういう論争を通じてその
境地になるかどうかは別問題であると思います。いや、むしろ
不可能でしょう。
私はあなたの関心事である哲学的な探求という意味では既に
ターニングポイントに近づいているのではないでしょうか。
Kの教えを実践するというのは正に自分で見るしかないから
です。
843 :
826訂正 :2001/07/16(月) 23:27
×私はあなたの関心事である哲学的な探求という意味では既に ターニングポイントに近づいているのではないでしょうか。 ↓ 私が思うにあなたの関心事である哲学的な探求という意味では既に ターニングポイントに近づいているのではないでしょうか。 失礼。
>826 なかなか、本気のようですね。 だが、それが本物になってくると、とてつもない試練があなたを襲うかもしれない。 真理にとって、人間の人生など、全く価値もない。陰陽の理論に沿って、 心理を求める者には、過酷な出来事がおとずれるものだ。それは、あなたが認められ 始めていることの証明かもしれない…。 ところで、悟りについて、明確な提示をしている人なら、島田明徳がいる。 彼は気功家であり、その道では信頼における。著書「悟りの意味」地湧社。 ただ、私とは方向性や求めているものが全く違うので、あの知恵を利用させてもらう 関係ですがね。どうせなら、彼にはもっと大人の顔と、謙虚な名前をつけてもらいたいものだ。
845 :
635 :2001/07/17(火) 00:20
>826
>たとえば、
>>815 、
>>816 、
>>817 の人のように語ることのほうが有効でしょう。
気付いている人もいると思いますけど、=考えない名無しさんでしょ?
間違ってたらすみません。
>それを言葉の定義うんぬんということから始めるのはいいですが、
>そういう論争を通じてその境地になるかどうかは別問題であると思います。
>いや、むしろ不可能でしょう。
一つの手法を提案しただけですよ。
普通に人に「あるがままに見つめなさい」と言って
「はい、わかりました、そうします」なんて反応が返ってくると思いますか?
一つの補助線として私たちの頭の中は知識や言葉やらのウッソウとした
ジャングルになっていてそれが「見る」ことを妨げる度合いが極めて大きい
のでそこから始めてはいかがでしょうか、と提案したに過ぎません。
私は知人の何人かに言語を用いずに思考できるか、と尋ねたことがあります。
全員がノーでした。
言語による思考の外に出るのは至難の技のようです。
しかし、あるがままに見つめるというのは当然その外に出ることです。
私自身の経験上、わかりやすい具体的手法を提案しました。
気に入らなければ流していただいて結構です。
846 :
635 :2001/07/17(火) 00:21
>私が思うにあなたの関心事である哲学的な探求という意味では既に >ターニングポイントに近づいているのではないでしょうか。 ハッキリと言ってもらいたいですね。 あなたは、こう言いたいんでしょう。 「あなたは頭の中で考えているだけで実践が何も伴ってない」 間違ってたらすみません。 しかし、別に構いません、そのようにハッキリ指摘していただいても。 できれば理由も添えて欲しいですね。 Kの言葉を借りずに。 でなきゃ、売り言葉に買い言葉の域を出ませんよ。 >体験的に語るとでも言いましょうか。 >Kの言いたいのはあくまで、いかに世界と直接に関われるか >ということであったと思います。 私は実体験がゼロで世界と直接に関わってない、 とおっしゃりたいのかもしれません。 そういう可能性がないとは言いません。 しかし、「世界」というのは自分の内面も含む概念ですよ。 自分の頭の中の知識や観念も立派に「世界」ですよ。
847 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 00:22
>>844 島田明徳がインチキ野郎だっていうのは、太極拳の世界では常識ですよ。
あなた、別スレではウスペンスキー・センターに行ってたとカキコしてた人じゃない?
なんでよりによってインチキなものばかり求めるの?
848 :
635 :2001/07/17(火) 00:25
>>846 に付け加え
>しかし、「世界」というのは自分の内面も含む概念ですよ。
確かに、初めは外面世界から始めるのが適切だと思います。
しかし、いずれは必ず、内面世界のジャングルに立ち向かわなければ
ならないときがある、と私は思っています。
順序は、外面→内面となるとは思いますが。
849 :
635 :2001/07/17(火) 00:27
>ピエールさん
>>844 私も本気なんですよ。
認めて下さい(笑)
>島田明徳がインチキ野郎だっていうのは 私は、彼を弁護はしないが、「悟り」に関しての彼だけは、別だ。 これは私の感性のようなものであり、分かる者には分かると言っておこう。 ただ、私は悟ったというだけでは、その人を全く評価しない。そして、彼に対する私の評価 も高くはない。しかし、相対的に評価するなら、あれほど悟りについて、 明快に説くものも珍しい。それは評価に値する。 ウスペンスキーセンターには、1、2度どういうものか参加しただけだ。 ただ、これらのことに関するあなたの「インチキ」と言う感想は、「その通りだ」 と言っておこう。あなたのレベルに合わせればの話であるが。
851 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/17(火) 00:39
>>824 親切に感謝、また何処かで会ったらよろしくね。
>>635 >>まさか本気で悟りを得ようとしているのではないでしょうね?
>微妙なところですね。
笑・あなたは正直な人だ、いや正直言うと私も少しは色気ありです・笑
ただクリシュナムルティーは、
それは段階的なものでなく垂直的なものだと言ってるよね、
>「Kの教えを実践しましょう」板と「Kをサカナにお茶しましょう」板
>例えば「哲学板」にパート2を立てる
うんうん、具体的になってきましたね、なるほど、なるほど
あなたの発言内容には、ほぼ同意する。
ただ組織についての私の指摘には、あなたは答えてないね。
852 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/17(火) 00:42
>>635 >言葉の定義が違う
だから、まずは言葉のコンセンサスを得ないことには
(建設的な)話し合いは不可能かも知れないんだよね。
別に建設にこだわっているのではないけどね。
しかし本題に入る前に、このコンセンサスさえも得られず
互いに罵りあうのは何とも残念だと思うのですよ。
で、何とかならないのと感じるのは当たり前のことだと
そんな感じかな、だから
>真摯な板でないと許せない
というのは極論すぎるだろうな。
>>841 ななすぃすゎん@選挙逝かないですよん
エネルギーがしょっちゅう無駄な方向に流れているなーという感想を
素直に聞いて、自分はそうでなくありたいと思う訳だけど、
結局はそうでない人に対して不愉快さや腹立てるかも知れない。
それが煽られているということなら、煽られないようにしようという
自分がまたそこにいる訳だし、その意味ではゲシュタルト的なワークを
させてもらっているのかも知れない。そう考えれば腹も立たないけど。
クリシュナムルティーも腹を立てることがあるよ。
講話の時にバグワンの弟子たちが一番前の席に陣取って、
いろいろ批判的なことを言うと、不愉快そうに反撃するとね。
イエスも商人たちの市場で狼藉を働いたらしい。
人間は理論よりも感情を優先させるから、
怒ること自体はそんな悪いことでもないと思う気もする。
それよりも感情をコントロールというか、抑圧するほうが
不健全かも知れないとも感じる。それって自己イメージかも
知れないってこと。どうかな?
853 :
826 :2001/07/17(火) 00:43
>>635 さん
>「あなたは頭の中で考えているだけで実践が何も伴ってない」
いや、そんなことまで思ってませんよ。そこまでわかりませんから。
>言語による思考の外に出るのは至難の技のようです。
>しかし、あるがままに見つめるというのは当然その外に出ることです。
これが私のいいたいことですよ。
>しかし、「世界」というのは自分の内面も含む概念ですよ。
>自分の頭の中の知識や観念も立派に「世界」ですよ。
あるがままのもの=世界というニュアンスです。それをさえぎるもの
が知識であり概念であり時間でありつまり過去のものです。
そういう意味で、世界と直接に関わろうと思えば、見たり味わったり
するしかないと思うだけです。
別にこれから議論していくことを止めてもらいたいというわけではないです。
自分が参加しなければいいというだけですから。
ということで。お邪魔しました。
>認めて下さい 掲示板だけでは、判断できない問題ですよ(笑)。 かくいう私も本気かどうか怪しいから。
それより、番号がHNの状況なんとかならんかな? 誰が誰だかわからんよ’(笑)
856 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 00:56
終わりに近づいてやっと和んで来ましたな♪ 煽りも結構だけど、読んでて楽しいですよ。 喜びのある学び♪
857 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 00:59
いや、変に和んでると例の人が・・・(ぶるぶる
856=857 不気味な荒らしだな。
859 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/17(火) 01:15
>>826 >いかに世界と直接に関われるかということ。
>それを言葉の定義うんぬんということから始めるのはいいですが、
>そういう論争を通じてその境地になるかどうかは別問題である。
同意です。
>そういう論争を通じてその境地になるかどうかは別問題である。 絶対に不可能です。それは、私が保証しましょう。 ともかく、真理は得れば得るほど、遠くなる。仏教では、何が必要かではなく、 なにが「いらないか」を考えそれを捨てていく。論争よりも我々の内部で行われる、 内的対話を消すことが寛容かもね。つまり、我々の思考は全て、言語化されて、 おこなわれる。それを排除して、イメージだけで思考する。これをやるだけで、 飛躍的に思考スピードが速まるのを感じるだろう。そしてそれこそが、 物事に執着しない、概念(言葉)を超えた発送に通じるものなのだろうな。
発送=発想。
862 :
>>826 :2001/07/17(火) 01:26
863 :
774@兄ちゃん寝る :2001/07/17(火) 01:45
ピエール >何が必要かではなく、何が「いらないか」を考えそれを捨てる。 >論争よりも我々の内部で行われる、 内的対話を消すことが寛容。 同意です。つまり否定するんだね、そしてその否定さえも否定する。 それが虚無主義的だと言われるのだと思うが、 実は、否定の否定は、つまりは肯定だから。同じ地点に戻っている。 しかしそこは従来の同地点とはまったく別の地点なわけで、 見方や感じ方が違う、これが悟りの境地にもっとも近いと感じています。
寛容→肝要ですよね?
一応プロなんだが(笑)
何のプロ?
867 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 02:36
バッタものあさりのプロだろ
>バッタものあさりのプロだろ ワラタ
869 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 04:02
>>それが虚無主義的だと言われるのだと思うが、 >>実は、否定の否定は、つまりは肯定だから。同じ地点に戻っている。 × 否定の否定=>肯定 ○ 否定の否定=>非在
870 :
久しぶりに来たぜ867 :2001/07/17(火) 04:24
手前勝手な解釈もどきを書いて貶し合ったり、馴れ合ったり。 自分の体験と体験によって得た理解を書いてみろ。 もしあるとすれば、だがな。
871 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 04:25
>>869 × 否定の否定=>肯定
× 否定の否定=>非在
○ 絶えざる運動
872 :
言葉を弄ぶだけのスレに御立腹の870 :2001/07/17(火) 04:33
自分の経験と無縁に言葉の定義もどきをして満足か? せんずりだ、せんずり!猿並みだな!
874 :
こんな時間なのに反応があって嬉しい872 :2001/07/17(火) 04:44
>>873 ありがとう、反応してくれて。やっぱりこのスレの人はアラシに親切!
875 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 04:49
>>871 ○ 絶えざる運動
この「絶えざる運動」は、「絶えざる運動そのもの」によって自らを意識しているのか?
876 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 04:59
>>875 この「絶えざる運動」は、「絶えざる運動そのもの」によって自らを意識しているのか?
意識していること、というプロセス。意識するものと意識する対象の分離はない。
877 :
嘲りの笑みを浮かべる874 :2001/07/17(火) 05:08
理解がなければ耳障りの良い言葉に流れるものだね。 分離がなければ意識と接触する僅かな可能性さえないものを。 体験のない言葉の玩弄を見るのは楽しいよ 道端で必死でちんぽしごいてるガキを見てるみたいでね
878 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 05:23
>>877 否定の否定=> 「非在 <=> 絶えざる運動」
これは、いかがなものであるか?
Good Night. Have a nice day!
879 :
メンドクサイけど律義者の877 :2001/07/17(火) 05:39
↓絶↑ 非在 ↓え↑ ↓ざ↑ 意識と呼びうるもの ↓る↑ ↓運↑ ↓分離↑ ↓動↑ ☆自己観察の可能な位置☆ ↓と↑ ↓分離↑ ↓よ↑ ↓び↑ ↓う↑ 絶えず同じところを堂々巡りしているあなたの思考や ↓る↑ 否定に否定で反応するあなたの感情や ↓も↑ 単に豚でしかないあなたの体 ↓の↑
880 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 05:53
881 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 05:56
おまえも猿だな >879
882 :
635 :2001/07/17(火) 07:53
絶えず同じところを堂々巡りしているあなたの思考や 否定に否定で反応するあなたの感情や 単に豚でしかないあなたの体 おまえは豚だろ >881
883 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 10:18
味噌も糞も一緒にされて、さぞピエール氏は苦笑していることだろう。 ともかく島田明徳がインチキという理論を示した者は、ちっゃんと、その理由を 提示するべきではないか? 思いつきや、場の流れで発言しているのはわかっているが。
884 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 10:49
絶えず同じところを堂々巡りしているあなたの思考や 否定に否定で反応するあなたの感情や 単に豚でしかないあなたの体 おまえは豚だろ >881 >> アカンな(爆笑 > 635
885 :
635 :2001/07/17(火) 11:01
>>882 これを書いたのは私ではありません。
念のため。断っておきます。
886 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 11:01
もう・・はきそう・・
887 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 11:04
つーことは偽の635がいるわけやな。 本物の635は誰や? 荒らしはどっちゃーーー
888 :
884 :2001/07/17(火) 11:10
889 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 11:28
あんたらクリシュナムルティおよび精神世界に興味を持つ必要なし。 働け!!
890 :
884(アホ)の同僚 :2001/07/17(火) 13:52
>>All 知っときなはれや。世の中「あんた」の想い通りになりまへん。 ほな、さいなら〜。
891 :
635 :2001/07/17(火) 21:58
>>851 >774@兄ちゃん寝るさん
>ただ組織についての私の指摘には、あなたは答えてないね。
あの発言の半分は本気で、残り半分は冗談ということでご容赦下さい。
あの時は一過性の荒らしだと思って、瞬間的に思いついた言葉で
一蹴してやろうと思いああいう発言になりました。
「組織」について私は何も思うところはありません。
ただ、私は自分の実生活でKの話題を話したことのある知人は3人だけです。
ここ2ちゃんねるでは日に一度数十分、のべ日数1週間だけで
少なくとも5人程度とKの話題を話したことになります。
どう考えても、「組織」に頼るより便利としか言いようがありません。
匿名での対話の価値を認めない向きもあります。
しかし、もうすぐある参議院選挙の投票にしても街頭アンケートにしても
匿名の方が望ましい場面も世の中にはたくさんあると思います。
892 :
635 :2001/07/17(火) 21:58
>>853 >826さん
どうも話がかみ合ってないような気がしますね。
>あるがままのもの=世界というニュアンスです。それをさえぎるもの
>が知識であり概念であり時間でありつまり過去のものです。
>そういう意味で、世界と直接に関わろうと思えば、見たり味わったり
>するしかないと思うだけです。
私があのように提案したのは、何も哲学者並みに、「有」や「無」や「存在」
などを厳密に定義していこうなどと言っているのではなく、
私たちの眼前に言葉という障壁があるので、それをKにならって
ハッキリ認識することで取り除こう、と言っているのですよ。
「世界」と直接関わろうと思ってもなかなかできない。
それはあなたのおっしゃる通り遮るものがあるから。
まずはその遮るものをハッキリと見よう、ということを提案したかったのです。
一足飛びに本当に世界に直接関われるなら、私たちは
何の苦労もなくそうしています。
だから、後の
>>860 、
>>863 はおかしい気がしますね。
否定する、排除するのはいいですけど、それを「見ないで」やろう、
みたいなことを言っています。
Kの言っていることと逆ですよ。
別にKの手法が唯一無二とは言いませんが。
893 :
635 :2001/07/17(火) 21:59
(続き) >そういう論争を通じてその境地になるかどうかは別問題である。 あとこれですけど、もちろん議論しただけで、一方的に自分の立場を 押し付けるだけで、何の内省もなければそれはその通りですよ。 私は、他人と議論することで自分の内にある考えが整理されてくる という経験を何度もしているので、議論の後、何らかの内省があれば 何かに気付くという可能性は十分にあると思っています。
894 :
635 :2001/07/17(火) 21:59
それから、「あるがままに見る」ことと「悟り」について もう少し、今度は具体的に述べてみたいと思います。 犯罪被害者を弁護するある老弁護士がいます。 ご存知の人もいるでしょう。 その弁護士先生は数十年来、そういう方々の立場に立って 弁護活動を続けてこられたそうです。 で、あるとき自分の身内が犯罪被害の不幸に見舞われました。 そのときその弁護士先生はこう思われたそうです。 これまで多数、犯罪被害の弁護活動をしてきたが、 自分は全く被害者の気持ちを理解していなかった。 その後、以前にも増してそういう方々の立場の弁護に 全力を尽くすよう決意されたそうです。 うがった見方をすれば、自分の怨恨の思いを晴らしたい という気持ちもあるのかもしれません。 しかし、想像するに、この弁護士先生は自分の身内に 不幸が降りかかることがきっかけで、「あるがままに見る」 ことをなされたのではないでしょうか。 私たちはこの老弁護士の何分の一もあるがままに見ていない のだと思います。 自分のいちばんの身内のことも、自分が恃みにしている 長年の専門、プロ分野に対してもまったくあるがままに見ていない、 これが私たち多くの現状ではないでしょうか。
895 :
635 :2001/07/17(火) 22:00
また、サイババのエピソードにこんなのがあります。 最近はサイババはまがい者だという話もありますが とりあえずそれは置いておきましょう。 私にもその真偽はわかりません。 ある訪問者がサイババに尋ねました。 「あなたは神の化身だと言われた。神の化身であるとは どのようなな気分なのか味わわせてほしい。」 サイババは承知して訪問者の体に触れました。 「わっ、もうやめてくれ。」 訪問者はすぐに音をあげたそうです。 訪問者には無数の悲鳴、うめき声、おえつ、その他 暗黒のような叫び声が聞こえたそうです。 どう思いますか?
896 :
635 :2001/07/17(火) 22:00
ここでは、「神の化身」を「悟りを得た者」に置き換えても 構わないと思います。 サイババの邪悪な精神を象徴している? そう解釈するのはとりあえずはやめておきましょう。 それが「悟り」を得た者に実際に見えている情景ではないか と私は想像しています。 もちろん、それだけではないでしょう。 もっとすばらしい、驚嘆すべき真理、実在の世界も 彼の眼前には広がっていたかもしれません。 しかし、こう言っては極端ですが、「悟り」の境地は 地獄のただなかにいる境地でもあるかもしれないのです。 Kに従いありのままに世界を見た、見尽くしたとしましょう。 そうすれば、必ず世界の悲惨さ、無数の人間の負の情念も見尽くすはずです。 そうであるなら、少なくとも「悟り」を得る直前には 「地獄の境地」にいる自分を見出すかもしれません。 もちろん、それだけではないでしょうが。
897 :
635 :2001/07/17(火) 22:01
私たちは「悟り」というものに過剰に「透明な」「澄みきった」 「光明」というイメージばかりを付与してはいないでしょうか。 「ありのままに見る」と言いながら、そういうイメージに 沿って自分の都合のいいものばかりを選択して、それだけを 「ありのままに見て」いないでしょうか。 私は自分の経験上、このように思っています。
898 :
635 :2001/07/17(火) 22:01
「ありのままに見る」探求の入り口にも立っていない頃、 世界はむしろ平坦で無色のようなものに見える。 何の障害物も見えない。 むしろ澄みきっている。 実はそれは自分が選択した極めて限定された世界ではないのでしょうか。 汚れた物が見えないかわりに、Kの言う「実在」のようなものも 全く見えない。 平坦でなんの感動も躍動もない。 そんな世界です。 探求を続けてできるだけ見ようと努めます。 先ほどの老弁護士のような経験も経て少しはあるがままに見ることが 可能になります。 そうすると、自分が今まで固定された背景としか感じていなかった ものが実は障害物であったり、あるいは「実在」の一端であった ことに気付き始めます。 このイメージは、よく言われる光明や澄みきったイメージではありません。 しかし、悲惨さ、地獄のただなかにいるように思えながらも 一方で、感動や躍動も感じます。
899 :
635 :2001/07/17(火) 22:01
私たちはなかなかあるがままに見ることができません。 それは自分から嫌なものから目を背けたいという気持ちもあるでしょう。 しかし、私が少しは見えるようになってから気付いたことは 無意識のうちに世界の多くの事象を背景のように思い、見たくても、 見ようと思っても、見えないことがたくさんある、ということです。 「悟り」の境地のイメージですが、地球物理学でアイソスタシー説という ものがあったり、仏教ではハスの花のたとえもあります。 極楽のようなイメージを喚起させるその背後に何倍もの 阿鼻叫喚の地獄がはりついているようなものではないかと思っています。 もっとも、自我を滅しているであろうからそれを見て悲しんだり 喜んだりということはないのでしょうが。
900 :
635 :2001/07/17(火) 22:02
>>882 、
>>885 は偽者です。
偽者が出てくるようになれば私もコテハンとして一人前でしょうか。
>考えても無駄@名無しさん
すいませんが、そろそろ次スレへの移行を検討して下さい。
私の提案は
>>824 に書いてあります。
もうそろそろ私がここに書き込むのも潮時になってきました。
島田明徳は別としてサイババに関しては、何もないといっていい。 悟りを知りたければ、瞑想すればいい。すぐには無理かもしれないが、自分の境界線 が、全体に溶けていく感覚が味わえるはずだ。そして無の感覚がくる。そして、私 を含めて全ての現象が幻であったということに気付く。ともかく、悟りを論理でかたるほど、 この世界でみっともないことはないんだからね。仏陀は、迦葉尊者に花と笑顔で会話したという。 沈黙。これを理解するのには、会話ではなく実行あるのみだ。
実は悟りとは入り口であり、それを日常生活に生かすことから、 修行者として、初心者になったといっていい。ともかく、巷の自称 教祖の中にはそんなのばっかりだ。しかも、彼らは時々真理を口にする。
そんなのばっかりだ=恥知らず
すごいね。ピエールさんは、悟りを得た人なのだ。
じつはそうなのだ!(バカボン)
合掌。
嘘にきまってんだろ。あやうくコニーや霊能者マリアと同じカテゴリに入れられる とこだった。要するに、本を読んで悟れるんなら、皆悟っていると言うこと。 ちゃんと悟りにいたる修行法があるんだからそれを使えばいい。ただそれだけ。
907 >ちゃんと悟りにいたる修行法があるんだからそれを使えばいい 悟りに至る方法をご存じなあなたは、大変な方でいらっしゃる。 ここまで言い切れるのは、覚者に違いありません。 どうか、新しいスレをお立てになられ、我ら凡夫をお導き下さい。 伏して請い願いまする。2ちゃん最高の解脱者よ。
俺は、麻原かっちゅーの(笑)。 まぁ俺の言っていることを100パー信じてるアホはいないんだから、 それぐらいにしておいたら?
910 :
名無しさん@1周年 :2001/07/17(火) 23:52
いやいや、貴方様は、クリシュナムルティーを遥かに凌駕し、シュタイナーごときを足元にも寄せ付けない。 嗚呼、恐れ多くも、グルジェフと同列にご自分をとらえていらっしゃる。 そのような表現が金口から発せられるのは、貴方様が史上まれにみる覚者でいらっしゃるからです。 私共は、貴方様の力強い断定口調に、ただただ感服するのみでございます。 ぜひ、ぜひ、スレを立ち上げられて、その深い知恵を垂れて下さるよう、願うのみでありまする。 されば、私共は、断片的な言葉ではない、体系的な貴方様のお考えを受け止めることが出来るからでございます。 それが、また、貴方様の、責任というものでもありましょう。
ああそうかい。的外れもいいところだ。面白いから、もっと褒めてよ(笑)。 断定しても、それを相手に強制しない限り、自分の意見を言っているのとおんなじなんだけどな。
912 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 00:29
>>878 >
>>877 >否定の否定=> 「非在 <=> 絶えざる運動」
>これは、いかがなものであるか?
「非在」の定義次第では表現の違いだけかもしれない。
しかしよく学んでいらっしゃる。
913 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 00:32
>>901 >>悟りを知りたければ、瞑想すればいい。すぐには無理かもしれないが、自分の境界線
「瞑想」=>「ドラッグを吸引」
「低性能車で危険を伴う未知のスピードドライヴィングを」
「すぐには無理かもしれないが」=> 1.「ハット突然に」
2.「状況が安全なら、眼を閉じて感じていれば」
>>が、全体に溶けていく感覚が味わえるはずだ。そして無の感覚がくる。そして、私
「全体に溶けていく感覚」=> 1の場合、「アレッて感覚」、集中持続で
時に「感謝」、時に「孤独」どちらの場合でも強烈
2の場合、真(感覚的には)
時に超快感(死ぬ?ような感じ)、時に耐えられない孤独感
「無の感覚」=> ?
>>を含めて全ての現象が幻であったということに気付く。
「全ての現象が幻」=> 「全ての現象が”幻” or ”私”」
これは、悟りか? で、それがどうした?
言っていることは、ただの煽りか。その通りでいいよ。どうせ、この板 打ち止めになる寸前だからね(笑)。もっとネタを提供してください。ほら。
915 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 00:46
>>899 >それは自分から嫌なものから目を背けたいという気持ちもあるでしょう。
嫌なものからは目をそむけ、美しいものは見つめていたい。
しかし、そもそも何かを美しい、と判断するから、
だからこそ何かが醜い。
私たちは醜いものは見たくない。
しかし美しいものは見たい。
美しいものを見たいから、
その喜びがほしいから、だからこそ、
これは美しい、とかこれは醜い、
という判断を手放すことができない。
…何かを美しいと言うのを止めるとき、
初めてこの世から醜さが消える。
916 :
774@兄ちゃん寝るさん :2001/07/18(水) 00:57
もう900越えたから、このスレもなくなるね。 さて私もそろそろ引き上げます。 皆さん、ありがとうございました。 635さん、そろそろ潮時なのですね。 あなたが私に与えてくれたのは、 単なる言葉や知識だけだったように思います。 これがコミュニケーションだとは思いません。 これは意見ではなく私の感想です。 826さん、また会いましょう。 その他のご親切な方に感謝しつつ・・・
917 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 01:42
やっぱ、集中力かな? けど、集中してたってこれじゃネエって時が多いね。 自分は、何もしていないって感じで生きれりゃ楽かな。 論理的にはどうなんだろう?「考えない名無し」なら解るだろうな。
918 :
918 :2001/07/18(水) 09:33
ゴトさんの掲示板が閉まってた。どうしたの?何かあったの?誰か知ってる?
919 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 11:38
635は 何かが充満しすぎて、こころがこちらに遮断されてる。
920 :
考えても無駄@名無し :2001/07/18(水) 15:17
>>900 >635さん
うう・・・私のこの板での存在理由が見つからないほど高度なお話・・・・
そこにのこっていたわが使命は、ただありのままにPART.2スレッドを立てることだったのね・・・
などとほざきながら[クリシュナムルティーを大いに語ろうPART.2]スレッド立てましたよん(^^)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=995436341 ちなみに以前話した恋の三角関係、男が自殺未遂を起しました。
冷静に処理できたし、それを淡々と受け入れているところに「クリシュナムルティー読んでいてよかった」と思うわけです。
「悟り」とか大それたこと考えたこともないのでこの程度。
サイババの話しは面白かったです。
またPART.2でもよろしく!!
みんな一斉にPART.2へ引っ越しましょう!!
922 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 19:25
腫れ
923 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 19:28
害基地 既知外
924 :
考えても無駄@名無し :2001/07/18(水) 19:30
925 :
635 :2001/07/18(水) 20:56
>>916 >774@兄ちゃん寝るさんさん
残念ですね。
あなたは恐らく私の語り方が非礼だとおっしゃりたいのでしょう。
間違っていたらすみません。
しかし、あなたはどうなんですか?
>>707 、
>>749 でここでのコミュニケーションを否定するような
現われ方をして
>>825 では現存する組織を実名で少し中傷して
その語り方は非礼ではないのですか?
誤解しないで欲しいですが、私はあなたを非難するつもりはありません。
ただ、あなたは私などよりよほど、あなたがバカにしている
無責任で非礼な2ちゃんねらーです。
そういう意味でもあなたには2ちゃんねるがお似合いなんですよ。
非礼な人間相手に礼儀正しい語りかけを求めるのですか。
ずいぶん依存心が強い人ですね。
2ちゃんねらーにはありがちですが。
私は言葉の定義に少しこだわりましたが、あなたには「礼儀」や
「コミュニケーション」の定義をうかがいたいですね。
Kの話とは関係ないのでこれくらいにします。
私はここでかなり非礼でぶっきらぼうな語り方をしていることは
認めますが、内容については率直に思い、考えたことしか書いていません。
批判は大いに結構ですが、内容について率直にしていただけると幸いです。
926 :
635 :2001/07/18(水) 20:56
だいたい、おかしいだろ、
>>749 は。
どう考えても。
頼み事をするのに、まず、相手をバカにしてその後にお願いしているじゃないか。
こんなバカな頼み方があるかよ。
俺が勝手におせっかいでレスを付けた、みたいなことも書いていたけど
おせっかいをやりたくなるくらい異彩を放ったバカに見えたんだよ。
こんなバカに礼儀やコミュニケーションをとやかく言われたくないよ。
荒らしと間違われて一蹴されて当然だろ。
クダラナイ正論で荒してくる奴は即座にブッタ切ってやるだけだよ。
まだ、俺は親切に答えた方だよ。
あと、このレスも親切で書いてるんだからな。
あんたが望んでいるようなけたたましくない場ではここまで
懇切丁寧にあんたのバカさを指摘してくれないだろうからな。
感謝しろよ。
927 :
635 :2001/07/18(水) 20:57
>>919 どのような意図で書かれているのかわかりませんが
>>898 あたりを読んで欲しいと思います。
それから、このスレでは初めて告白しますが、私は
「言葉を介せずに思考することが可能になった」
人間です。
いろいろ言葉の定義などにこだわった理由はこのあたりにもあります。
絵を見たり、パズルを解いたり、イメージを巡らすときだけではなく、
普通に人と話しているときですら、いつもそういう状態になっています。
このような思考のあり方を良きものとするようなレスもありましたが
実際はそうではありません。
たとえて言えば、「擬似白痴体験」です。
もちろん、私は白痴ではありません。
言葉を介せず思考できるようになり、「世界」に対する親和性が強くなった分、
「社会」に対する親和性は弱まりました。
「世界」をある程度ありのままに見ることが可能になると
何もないカラッポの背景の中に何かが充満しているように感じられ、
逆に「社会」に充満したもろもろの事象が虚無のように思えてきました。
「こちらに遮断されている」という指摘は適切かもしれません。
928 :
635 :2001/07/18(水) 20:57
しかし、断っておきますが、私は悟っていません。 もう一つ重要なことは私のこのような意識状態は、いかなる 脳外科的手術、オカルト手法、厳しい修行、修養などによってもたらされた ものではなく、クリシュナムルティの言うような自分の思いというものを ありのままに見つめることによってもたらされました。 現代にクリシュナムルティという存在がなければ、私は自分に起こった 変化の説明、解釈をオカルトの方面に、あるいは精神疾患の方面に 求めたかもしれません。 このあたりの事情が私がクリシュナムルティを支持する いちばんの理由です。 クリシュナムルティに教え導かれたと言うよりも 感謝したいというのが本当のところです。
929 :
635 :2001/07/18(水) 21:01
>考えても無駄@名無しさん ありがとうございます。 最後にちょっと荒らしを招きかねないレスをしてしまいました。 もうこういう話題は新スレには持ち込まないようにしますので 許して下さい。 新スレにも書き込むかどうかはしばらく様子を見ます。 私はこのスレの終盤、かなり冗長、稚拙、駄文ではありましたが 自分が正直に率直に思い考えたことだけを書き綴ってきました。 いかなる奇をてらった内容も書いたつもりはありません。 自分自身に対して正直になされた探究というものは、いかなる 手法、形式をとっても有意義なものと私は考えています。 そして、自分自身で考え抜いたことのみが人生において 真に役立つものだと私は思っています。 たとえ、相手が覚者であろうと恐れることはないと思っています。 私が書き込んだことが役に立てば幸いです。
930 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 21:20
>>927 そんなの、私はガキの頃からだよ。あんたもか?
635あんた、何しようとしてんの?
自分の内面点検してるだろ?今までの歩みを。
931 :
635 :2001/07/18(水) 21:33
>>930 もちろん、私もモノゴコロがつく前はそうだったと思います。
ですが、当然のことながらその頃の記憶はありません。
もっと詳しく書くこともできますが、少し書き疲れました。
あなたのおっしゃることが事実であれば、あなたの探究の道のり
とでも言うべきものをここに書いてみることはK理解に役立つ
と思います。
世のほとんどの人は言語で考えるという思考の外に出ていません。
どうすれば出られるのか、どうぞ新スレで論を展開して下さい。
お願いします。
楽しみにしています。
932 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 21:50
>>631 630で言ったことは少し、オーバーだった。
しかし、説明せよとは、あれとか これとか、この感覚
とかに、なるだろうよ。
パート2に書き込もうかと思ったが、みんなつかれとんのね。下がってる(笑)。 あれだけの不毛な言い争いをやりたくないというわけだ。 635さんに言っておくが、特殊な意識状態など、ある種の人には常連のようなもので、 それ自体には、たいした価値はない。霊媒体質の人なんか、しょっちゅう超場的な感覚を 味わっているし、基地外が、ニターと笑う時には常人では計り知れない快感を感じているのだからね。 つまり、それを利用して、自分は「凄い」と思いたいし、それを周りに認められたい。 そういう意識を感じてしょうがない。日常との規範から緩むと言う状態は、大変危険だと警告を発しておくよ。 真理を把握するとは、それが現実生活の「力」として現れるということです。
例えば、俺みたいに著書があるとかな。
↑これは言いすぎだった(苦笑)。
936 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 23:31
どんな著作があるのだ? 知りたい 知りたい 宣伝許す書いてみてチョ。 ぴえ〜るへ
答えたくないが、アミューズメント関係だから、思想と関係なしです。
938 :
名無しさん@1周年 :2001/07/18(水) 23:36
おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて おしえて ね〜 ぴえ〜る
939 :
名無しさん@1周年 :2001/07/19(木) 00:09
・・・・・そして、ピエールは答えない・・・・・・ああ・・・
・・・・・そして、このスレはパート2へ・・・・・・ああ・・・
941 :
名無しさん@1周年 :2001/07/19(木) 00:18
・・・・そして、まねされて涙にくれる・・・・ああ・・・
942 :
名無しさん@1周年 :2001/07/19(木) 00:36
>>934 〜
ピエールの著書 : 現在、パクリ出版社より発売中
『賢者の言葉を利用して上手に世を渡る方法』
『それなりの言葉を会話の中に散りばめ、人を欺く方法』
現在、自己正当化の方法を模索中....
942 絶対に言わない理由を説明するためにそういうスレをまっとったんよ!! ありがとう。これで、わかったろう(笑)。
944 :
名無しさん@1周年 :2001/07/19(木) 00:46
942よ、そのウイットは認めるが、なんとよけいなことを・・・・ よよよよよ・・・・・・・(歳ばれるな・・・)
ピエールは、愉快な奴だよ。
みなさんの人生に幸あらんことを! これにて −−−−−−−−−−−−−−−−終了−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 合掌・・・・・。
−−−−−−−−−−−復活!−−−−−−−−−−− 藁・・・・・・。
1000を間近に書き込みが止まってしまいましたね。 パート2もまだ閑古鳥状態ですが、 あえてパート2への書き込みは避けてここに書き込みます。 ただし、下げで書きます。 もしかすると私がしゃしゃり出て盛り下げてしまったのか それとも盛り上がるまで私に書き込みを続けろと言うことなのか。 私はこのスレが無限ループから脱してほしいというようなことを 書きましたけれどもそれだけでもないのです。 もっと本音を言えばここにクリシュナムルティ本人に書き込んで欲しいのです。 そしてそのご高説を賜りたいと私は思っているのです。 もちろんKは既に死んでいます。 K並みに意識の高い、私などより幾段階も道のりの先を進んでいる 人の書き込みを期待しているのです。 そのためにはここが救いようがないほどKの言説から程遠いスレになるべき なのか、それともKとボームの対話を彷彿とさせるような高度な対話が 必要なのか、それはわかりません。 こんなところで高度な議論なんかあるわけない、とおっしゃる人にはこう言いたい。 ここが下劣な場なら、国会も学会もすべて下劣だ。 違いは程度の差でしかない。 そうであるなら、Kは現実世界で講演などせず山奥で隠遁していたはず。 Kは現実世界で語りに語った。 ならば、ここで語ってもいいはず。 まだ1000まで余白があるのでもう少し。
>ピエールさん
>>933 ご忠告ありがとうございます。
過去レスも欠かさず読ませてもらっていますが、
まだピエールさんの本意はよくわかりません。
少し確認させていただきたいと思います。
>真理を把握するとは、それが現実生活の「力」として現れるということです。
どうもこの発言だと「真理」を得ることと「力」を得ることが
トートロジカル(同義反復)のように聞こえてしまいます。
がしかし、トートロジーではないでしょう。
「真理」は「真理」であるがゆえに、「真理」そのものとしての
絶対的価値があるものというのが本当のところでしょう。
確かに「真理」を得た者はしばしば、あくまで結果的に
「力」を得ることがある。
しかし、「力」を得た者が既に「真理」を得ているかどうかには
直接の相関はない。
これが本当のところでしょう。
今日ではこういう観念論的な哲学は流行らないのと、 このような解釈は容易にまがいもののオカルトに堕してしまう可能性 はあるものの、クリシュナムルティの言うところに忠実に従うならば こうならざるを得ないと思います。 実際のところ、「真理」を得たと感じさせる意識状態は人工的に作り出せる。 であるから、「力」をも得たことによってその検証とした方がよい (あくまでひとつの検証にしか過ぎないものの) とピエールさんはおっしゃりたいのでしょうか。 しかし、現実的とはいえ、「力」を得たいと望むのは、考えない名無しさんも おっしゃってましたが、霊能力などオカルトの力を得たいと望むのと 本質的には同じことでしょう。 私の場合は、まだまだ「真理」を得たというには程遠く、意識状態が違う と言っても霊媒やトランスのようなことはまったくなく、さらには 「力」もなったくないので、とりあえず、Kの書物が座右にあるうちは 安全だとは思っていますが。
あとそれから、よけいなお世話ですけど、過去レスを見ていて、 考えない名無しさんが怒りたくなるポイントを見出したので 最後に参考までに書いておきます。 見る人が見れば恐らく明らかだとは思うのですが、 初学者で怒られたり、説教されたり、議論をふっかけられたり するのが嫌な人は参考にして下さい。 逆に以下に述べることをもう少し詳しく知りたい、最近は 考えない名無しさんの書き込みがなくて寂しいと思っている人も 参考にしてみて下さい。 1. クリシュナムルティとオカルトを絡めるな そもそもそういう人はKに関心を抱かないと思われるので、 これはそんなに留意する必要はないかもしれないですね。 私に至ってはこのスレで発言した誰よりもオカルトの知識は乏しいですね。 2. 修行などによって自我をコントロールする、できるなどとは思うな こう言っては失礼ですが、考えない名無しさんは異常なまでに これを強調していましたね。 少し詳しく考えてみたいと思います。
クリシュナムルティに「あるがままに見ろ」と言われて
私たちが実際に「あるがままに見」てみてもどうにもこうにも手応えがない。
すると、
>>917 さんのような、集中力が足りないからだめなのか、
という議論になってくる。
そうなると、精神を制御、コントロールみたいな話になって
考えない名無しさんが登場しなければならないことになる。
つまり、ここで幾度となくもめたようなことは
Kの推奨する探究法をやろうとすると
どうしても自然に発生してしまうようにすら思える。
上の方でも少し述べられていたが、ここでもう一度、
「自由」について述べてみたい。
「自由」の対概念は言うまでもなく、「束縛」だ。
また、今日の日本においてよく言われる通り、
「自由」とは「放縦」のことでもないはずだ。
ここにおいて自分の意識の焦点がどこにあるかによる主観的な感じ方の違いと
客観的なあり方の違いがごちゃごちゃになっているようだ。
私たちが主観的に自分が「自由」だと感じていてもそれは「自由」ではなく、
また、ある人の客観的なあり方を見てその人が
本当に「自由」であるかも判断し難い。
苛酷な生涯をしばしば送っている求道者たちを私たちは「自由」な人だと
疑問なく思うだろうか。
人間には「神性」と「獣性」があると言われる。 そして、Kに言わせれば現代に生きる私たちはほとんど「獣性」しか表現できていない ということになる。 簡単に言えば「神性」を十全に表現することが「自由」だ。 これでは何も言っていないのに等しいのでもう少し詳しく。
私たちが「自由」についてイメージするのはほとんど「放縦」ではなかろうか。 開き直ってみれば、「放縦」でどこが悪いとも言えよう。 では、「自由」とはなんだろうか。 自分を自由に制御できることが「自由」なのか。 ここでよく考えてみる。 私たちは例外なく「自由」という言葉にポジティブなイメージを持っている。 私たちは例外なくできることなら「自由」でありたいと思っているのだ。 服従、隷属、奴隷、束縛、不自由、、、が好きな者はいないだろう。 そう、私たちは「自由」を熱望している。 「自由」にネガティブなイメージを持つ者は皆無だ。 ここでKに言われる通りあるがままに眺めてみると、 何かを熱望している自分を発見することになる。 「自由」を望む気持ちは文字通り「自由」が望ましいから発するというより 今現在の自分の位置が不自由であるから発せられると言えるのではないか。 人がもし、本当に「自由」なら「自由」などいらない、あるいは 「自由」という観念すら想起しないのではないだろうか。 つまり、本当の意味で人が「自由」になれば、不自由感が相対的に減少し、 「自由」を欲しなくなる。 逆に不自由になればなるほど不自由感が相対的に増加し、 「自由」を欲するようになる。 結論的には自由感覚には絶えずその裏には不自由感が存在する。 さらに言えば不自由感がつきまとう「自由」は「放縦」なのだ。
では、上で言った「神性」と一体となる「自由」は本当に「自由」であるのか。 何やらこちらの方が不自由、束縛のようにも思われる。 しかし、「神性」の方が人間の本来のあり方なのであればそうとも言えない。 少し分かり易く言い直そう。 「自由」には二通りのイメージが存在するように思われる。 ・何ものとも交渉しない浮遊した状態の自由。 ・「神性」とでも言うべき「実在」「真理」、人間が本来あるべき状態への一体化。 言うまでもなく、前者が「放縦」で、後者が「自由」だ。 何かと一体化するというのは束縛、不自由感を連想させるが、それが 人間の本来のあり方であり、そうなることによって、自由感、不自由感も 消失するというのであれば、やはり「自由」ということになるだろう。 「脱自由感覚」、これが「自由」だ。
もう一つ、私たちは確固たる意志、強力な信念、 どうしてもそういうものに憧れてしまう。 実際、クリシュナムルティのような「自由」を得た者の発言は そのようなイメージに相応しいものに聞こえる。 そこで私たちはその発言の裏にそういう意志を感じる。 しかし、現実はそうではない。 Kの発言は確固たる意志によるものではなく、「神性」とでも言うべき 人間の本来あるべき姿を体現したことによることから来ている。 「脱自由感覚」によって自由も不自由も感じなくなった者の発言が 私たちには確固たる信念によるものに見えてしまっている。 さらにもう一つ、極論を言おう。 クリシュナムルティは悟りを得て「自由」を得ている。 にもかかわらず、通常の人間としての人格も持っている。 これが不都合の原因かもしれない。 「自我」もなく、「私」もなければ「人格」などなくても構わない。 石や山や木など自然の被造物が言葉ではなく自然現象で 人間に語ればいいのだ。 しかし、これも言葉で語られるのと同様難しい。 どうしても人間の側で勝手な解釈が入ってしまう。
以上を踏まえると、
>>917 さんのような問いかけに対して例えばピエールさんが
「集中力には意思ではなく、意志が必要です。意志があれば集中力を
コントロールできる。そうすれば見えないものがどんどん見えてくる」
みたいなレスをつければ考えない名無しさんが暴れ出すことになるのでしょう。
それにしても考えない名無しさんが引用していたこの言葉 >「じたばたしないようにしなさい。何もすることはないのだ」と言い聞かせます。 >が、それは、何が起こるかを待ち、 >そして見ること以外のあらゆることをしようとする非覚者によって勝手に解釈され、 >あれこれのことを追求しなければ望みはないと思いちがいされてしまうのです。 解釈のしようによってはKのこの発言は容易にアヘンになってしまう。 「見ること以外のあらゆることをする」というのがポイントだろう。 「見る」ことのためには積極的に死にもの狂いにならなければならない。 それ以外については特に何も必要はない。 この発言はアヘンなどではない。
これもさらに余計なことになりますが、考えない名無しさんは相当に叩いていましたが
私はピエールさんの蛮勇とユーモアには一目置いています。
それらいずれの要素も探究への道のりに必要なものでしょう。
私も蛮勇にかけてはピエールに引けをとらないと思っていますが、
ユーモアにかけては完全にピエールさんに軍配が上がるでしょう。
正直なところピエールさんのレスには何度も幻惑されました。
それと同時に自分自身を内省する機会も得ました。
冗談なのか、本気なのか、反面教師なのか、本物の教師なのか、天然なのか、
ピエロを演じているだけなのか、、、、私にはいまだによくわかりません。
>>232 で彗星の如く現れて、
>>240 のサイババとの比較に至っては
凡夫の私の想像をはるかに絶する発想でした。
以後、数々の中傷にまったくめげず蛮勇とユーモアを放っていらっしゃる。
パート2でのご活躍も期待したいところです。
私の命数ももう尽きました。 これで終わりです。
635はこれにて自我を捨てて名無しさんに戻ります。
962 :
わかりません :
2001/07/21(土) 15:26 ついでにこっちもあげ。