1 :
マルコ:
全ての信仰の根源にかかわることを改めて考えてみたいと思います。
自分はカトリックですが教義的に言えば「救い」とは、
洗礼を受けて罪から清められ
キリストの死と復活にあずかる者とされ
死後も永遠の命を約束される
要約すれば上記のようになります。ただ私個人としては「救い」を、
キリストの弟子になることによって
彼が目指した「神の国」の建設に努める使命が与えられる
つまり、「生きる意味」が与えられる
と解釈しています。つまり「救い」とは「生きる意味」が与えられること、だと。
さて、全宗教の人達に問います。あなたの「救い」とは何ですか?
2 :
Miss名無しさん:2001/05/03(木) 19:33
ほんとわからんよね。
私にしてみれば、現世で救われることが救い。
死んだあとのことなら詐欺も同然。
3 :
マルコ:2001/05/03(木) 20:00
>2
どういう状態が、あなたにとって「現世で救われた」状態でしょうか?
4 :
質 問:2001/05/03(木) 20:16
無宗教でも、参加OK?
しあわせになること
6 :
名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 20:52
人間が本当の人間らしさを取り戻すこと。
個人、家庭、国、そして世界、森羅万象全てが慈しみと愛に満ちた
世界を取り戻すこと。
そしたら、宗教もいらなくなる。
7 :
通りすがり:2001/05/03(木) 21:07
>>6 そうですね。
人間は誰でも今のそのままの状態で既に救われています。
こうやって人生を歩ませてもらっていることが何よりの救いです。人生が継続して
いるうちは、本人次第でどうにでもなるからです。
それに気づかない人は、他に救いがあるかのような錯覚を起こして苦悩することに
なるのでしょう。
8 :
救われたい:2001/05/03(木) 21:29
>>6 でも、そうなるのは難しい、と思う。
簡単だったら、既にそうなってるはずだから・・・
9 :
ひみつ:2001/05/03(木) 21:36
神道では、救いの概念は希薄ですね。
10 :
☆:2001/05/03(木) 21:42
>>8 でも 餓死していく人もたくさんいる中
虐待・迫害、殺害される人も 未だに。
その人達に 人生を歩ませてもらっていることが
何よりの救いとか そのままの状態で救われているとは
いいがたい。
本人次第でどうにでもなるなんていう問題ばかりでないことっ
てあるだろう。
まあ、いわんとすることはわからんでもないけど。
11 :
☆:2001/05/03(木) 21:43
12 :
光の子:2001/05/03(木) 21:45
自らも「神」であることに気づき、神として生きる事。
「いつかどこかで」救われよう、というのではなく自ら
も含めた「すべて」が「今ここで」神に満たされ救われて
いることに気づくのが救いなのだと思います。6・7
さんに近いのかな。
ただ、自らの本来の姿、神の姿を自らの内と「すべて」
の内と外に「見つける」のってかなり難しいことなんで
しょうね....。神に満ちた世界の内で神を遠くに求めれば
求めるほど、神が見えなくなる。
13 :
6:2001/05/03(木) 22:04
>>7 >人間は誰でも今のそのままの状態で既に救われています
私はそうは思いません。
今の状態というのは、人間の本来の人間らしさを見失っている状態と考えています。
人間は「無知無明」に陥っています。それゆえ、多くの先人達は、
それを克服しようと、宗教、哲学、思想を求道したのだと思います。
今、生きていること、生かされていることは大いに感謝し、恵みですが、
その状態の延長線ではなく、何か別の転換か飛躍が必要ではないでしょぅか。
その転換が「救い」となるのかも知れません。
14 :
名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 22:40
というよりも、なぜ、そんなに「救われたい」のかが、分からん。。
15 :
6:2001/05/03(木) 22:41
キリスト教では、死後も永遠の命を約束されるわけですね。
あるいは西方浄土を説く教えもある。
私は
>>2 さんの言うとおりに現世の救いが大事と思う。
そこらへんは
>>12 さんも現世を大事にして、
「どこか」ではなく、今「ここで」と言われていますね。
「気づく」ことが大事なわけですが、
それは多くの人が「気づいていない」ということになります。
気づいていないまま、そのまま行ったら大変なことになるでしょうね。
まず「気づいていない」ことを気づく、
ソクラテスの「汝自身の無知を知れ」ではないですが、
今の自分が、本来の自分では無いことに気づくことが必要。
そして、方向転換して神のように生きる事を求めていく。
16 :
ブラック:2001/05/03(木) 22:51
>14
今の世界、社会、個人(自分も)がおかしいから。
正直ものがバカを見るような理不尽な社会。
日本に生まれたというだけで、のほほんと親のスネかじってる厨房もいるし
アフリカで必死に弾の飛び交う中を生きている子ども達もいる不条理な世界。
こんな世界を何とかしてくれ!
17 :
通りすがり:2001/05/03(木) 23:04
>>10 そういった人たちは、そのような状況が必要だからこそ、そのような状態
でいるのです。状況に振り回されていると物事の本質を見失います。
>>13 求道者になれば、人間本来の姿からどんどん遠ざかります。同じやるのなら
求道者ではなく、救済者になる方がいいです。
>>16 人任せではなく、自ら救済者として立ち上がってください。みんな人任せだから
世の中がおかしくなるのです。自分が人生をやっているこの世の中に責任を持た
ないから、生かされていることを素直に喜べなくなるのです。
18 :
変わり者:2001/05/03(木) 23:09
通りすがりさんの意見に賛成!
その通りだと思います。
19 :
6:2001/05/03(木) 23:56
>>17 通りすがりさんへ。
「自ら救済者として立ち上がってください」と言いながら、
でも、餓死・虐待・迫害・殺害される人は、
「必要だからこそ、そのような状態でいる」と現状肯定ですか?
「世の中に責任を持つ」と思えば、
そのような餓死・虐待・迫害・殺害される人達も救済していこうとは
思わないのですか?
もちろん、救済が単なる餓死、殺害などの外的な克服だけを捉えては
いけないでしょうが、ほっといてよい問題とも思えません。
通りすがりさんはどのように「世の中に責任を持つ」ということを
考えておられるのですか?
20 :
6:2001/05/04(金) 00:15
「人間は誰でも今のそのままの状態で既に救われて」 いません!
既に誰もが救われていれば、
>>16 さんの理不尽不条理な世は無いでしょう。
だれもが神の子としての可能性、本質を秘めているでしょうが、
その神の子としての姿、生活が発現されていないのはなぜですか。
救われていないからだと思います。
自分の親兄弟が、餓死・虐待・迫害・殺害の目にあおうとしている中で
「彼は必要だからこそ、そのような状態でいる」と言えるのが、
救われているものの境地ですか?
21 :
どうでもいい奴:2001/05/04(金) 00:19
僕には、12さんがルシファー(明けの明星)に見えまする。
何故だろう?まっ、どうでもいいや。
22 :
さよ:2001/05/04(金) 00:31
光の子(12)さんへ
神に満ちた世界なら、神を見つけるのは簡単だと思うのですが・・・
23 :
☆:2001/05/04(金) 00:34
ルシファー(明けの明星)って、堕天使サタンのこと?
24 :
人間は神@1周年:2001/05/04(金) 00:54
サタンも神の子。
いずれ救われる時が来る。
そのような教義を持つイスラム教の山岳宗教の一派があるそうです。
私はその教えに希望を見た。
25 :
さよ:2001/05/04(金) 01:03
サタンの救われる時ってどんなの。
サタンが悪いことしなくなるのかな。
くわしく教えてくださーい。
26 :
名無し:2001/05/04(金) 10:22
>>7 名前
昔から頻繁に言いくり返されてきた典型的坊主節だな。潰れかかった幽霊屋敷で、「やっぱ出たー」、っていう感じだな。
27 :
名無しさん@1周年:2001/05/04(金) 10:44
28 :
マルコ:2001/05/04(金) 11:10
>4
もちろん、OKですよ。
29 :
マルコ:2001/05/04(金) 12:02
キリストは、
「実に、神の国は、あなたがたの間にある」
と謎めいた言葉を残しています。
この「神の国」を「救い」に置き換えると、
「実に、救いは、あなたがたの間にある」
となる。私なりに考えてみると、キリストの説く「救い」は、教義にあるような
死後の約束などではなく、現世のものだと思う。
人がこの世に生を受けたのは、>6さんの言うような理想社会を築くためであり、
それが神の願いである。キリストは自分の教えに従って私達が生きれば、理想
社会は建設可能だと考えた。キリストの教えとは、手を変え品を変え様々な言い方を
しているが極論すればたった一つしかない。
「他人のために生きなさい」
お互いが自分を捨てお互いのために生きれば、それでもう理想社会となる。
自分を捨て、神の願いに応えるべく、他人のために生きること。
その境地に達して、そのように生きることに喜びを感じること。
それがキリストの説いた「救い」ではないかと思うのです。
30 :
マルコ:2001/05/04(金) 12:14
と、まあ私はキリスト教しか知りませんので、その立場から語らせてもらいます。
他宗教の皆様は、皆様それぞれの立場から、どうか語って下さい。
無神論者の方も。
31 :
人間は神@1周年:2001/05/04(金) 14:15
>>25さよ様
この宗派はイスラム教異端イスマイリ派の分派のヤズィディス派と
呼ばれるものです。この派の聖典は二つあって、『啓示の書』、
および『黒の書』と呼ばれています。そこでは主として堕天使サタンに
ついて延べられています。
その内容によると、サタンは天界から堕ちたのち、神の赦しを得て、
神から世界の運行を管理する役目と、人々の魂を解脱に導く役目とを
任せられた、とのことです。だから、堕天使を崇拝するといっても、
いわゆる悪魔礼拝とは全く違った内容の信仰なのです。
「秘密結社の手帖」澁澤龍彦・著、出版社・河出文庫より抜粋
32 :
反天理教:2001/05/04(金) 14:18
33 :
名無しさん@1周年:2001/05/04(金) 14:27
>>29 えらい教徒間で解釈が違いますね。
本当に、神様なんてのがいるのかいないのか知りませんが、信者に
何も示してはくれないんですね。
どうして信じられるのですか?純粋な疑問です。
34 :
マルコ:2001/05/04(金) 14:28
>32
もう少し詳しく語ってもらえます?
35 :
マルコ:2001/05/04(金) 15:01
>33
それぞれの解釈の違いから、学び合えればいいと。
積極的に信じようとしたからです。
36 :
名無しは今:2001/05/04(金) 15:46
互いの罪や弱さ、過ちを越えて
神を信じて、今自分が生きている。同じ、この地上に愛する
者が生きている。それがどんなにすばらしいことか!!
ああ、神様に感謝している。今こそ私にとって「神の国」
は実現しているのだと・・・
(ちょっとオーバーなのはあしからず。)
37 :
名無し:2001/05/04(金) 15:57
たぶん、「神の国」というのは神からの印を確信した
人が、信徒の間や愛する者達との交流の中で、感じる
個人的なもの。個々、それぞれが主観を持って判断する
こと。というか、愛によって自分の周囲の人間関係を
築けた人は、きっと人生は豊かであり、そうでない人は
それなりの・・・ということではないだろうか?
愛に生きると決めたときから、神と自分との関係は確立
されている。そして、愛の確信を得る人間関係に気づいた
時に、「神の国」に気づくのかも。
38 :
名無しさん@1周年:2001/05/04(金) 21:27
「救い」は、神による救いなどないと割りきったときに、
はじめて「救い」を実感できる。
というのは、どう?
やっぱ、ダメ。。。
39 :
通りすがり:2001/05/04(金) 22:07
>>19 弱者をさらに弱くしてどうするんですか。どんな人でも、今その人が置かれている
状況の中で、人間本来の姿を体現しなければいけないから、そういった状況がある
のです。その人の人生を代わりにやってあげることなど誰にもできないのです。
結局、その人が本物の人間になるのは、その人自身にしかできません。救済者と
いえども、現状に苦悩する人々に夢と希望を与え、本物の人間になるための後押し
をすることしかできません。
世の中はいつでも悪くありません。今の世の中を作ったのも、これからの世の中を
作るのも我々です。誰か別の人が作ったのでもなければ、神や悪魔が作ったのでも
ありません。自分が変わり、人間本来の姿を体現すれば周りが変わります。周りが
変わればすべてが変わります。これが世の中に対する、そして自分の人生に対する
責任です。
40 :
通りすがり:2001/05/04(金) 22:10
>>20 本物の人間にもなれないものが神の子を云々しても無意味です。
41 :
通りすがり:2001/05/04(金) 22:19
>>29 マルコさん
「他人のために生きなさい」に対して、私はキリスト教徒ではありませんが全く同感
です。そして敢えてもう少し付け加えます。
「どうせやるなら、キリスト教ではなくキリストそのものをやれ」
「聖書の解釈を云々する暇があるなら、目の前の人を喜ばせてみろ」
42 :
日本人的無宗教:2001/05/04(金) 22:21
私にとって救いとは
死んだ後何も無い事です。
死んだ後まで天国だの地獄だの輪廻転生だの人間が決めた
煩わしい世界にふりまわされたくない
43 :
何も無い???:2001/05/04(金) 22:44
人間の幸せは、一人の人間が人間であることをやめることよりも、
人間らしく調和の取れた人間関係に満たされるところにあると思います。
人間は、永遠に向かった何らかの存在であるというよりも、
今、物であれ人であれ、特に「心」を持った人間「相互の関係」の中に
「生」を見ているのだと思います。
44 :
日本人的無宗教:2001/05/04(金) 23:06
勘違いするなボケ
死んだ後まで人間の作った抽象概念にふりまわされない
事が救いだと述べたまでだ。仏教では解脱とか言うらしいがな
45 :
>44:2001/05/05(土) 00:16
いや、きっとそれが地獄ならぬ、永遠の闇であることを気づくべき。
46 :
44無宗教さんへ:2001/05/05(土) 00:36
生きていたことのありがたさを感じる者には「死」の意味がある。
自分が、何もないとか人生は意味がないと嘆じてみても、
実際は死ぬまでは生きていた自分がいるのだ。
「生きていた」という事実は死をまぬかれない人間にとって
何の意味もないと言えるのか?
意味ある生が、またどこかで始まるのかもしれない。
自分にはコントロール不可能な意志や力や偶然が働いて
自分は「生きていた」のかもしれないと思えないか?
生きていたという事実が曲げられない以上、終わりは
計り知れない「始まり」であることを予測できないか?
自分が生まれたのは、自分の意志であって自分の働きが
現れたのである、なんて言える人は地上に一人もいないはず。
47 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 01:46
>>45 それはキリスト教やイスラム教とかマニ教の概念でしょ。
仏教からすれば永遠の命やらは地獄的だってさ。
価値観の差だね(相対的であり絶対的ではない)
>>46 あのね、俺は生に意味が無いとは言ってないのよ。
生きてるのはそりゃそうさ、生まれた。親がいて
自分が存在してる、その理由?知らんよ。神だの超越者だのが
創造して人は生かされている?人生に意味がある?そんなの誰が
決めるんだよ、所詮そんなものは人類の創造に過ぎないだろ?生きる理由付けとかさ。
知らないものは知らない、かってに天地創造だの天国地獄だの因果律だの
アカシックレコードだの、アガスティアだの、輪廻転生だのただでさえ
今生きてる世界も人様のレールにそってるのに、死んだ後まで人の創造したレールを
歩まされる事が「絶望」だよ。まず自分がいる、それで精一杯だろ?コギト・エル・ニズムだっけ。
48 :
参 考 ま で に:2001/05/05(土) 02:17
「神/天は自らを救おうとする者を救う」
49 :
>44:2001/05/05(土) 08:26
死んだら(解脱して)仏になるというのは、頭の勝手な解釈に過ぎない。
今仏でないものは、死んでも仏ではない。
この世もあの世も(肉体の有無を除けば)何も変わりはしない。何も変わらないと
いうことは、この世で最高であったものはあの世でも最高。この世で地獄であった
ものはあの世でも地獄。
50 :
マルコ:2001/05/05(土) 12:20
>41
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、かのガンジ−の言葉「私はキリストのように生きていないキリスト教徒を
軽蔑する」を思い出しました。努力します、ハイ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
51 :
マルコ:2001/05/05(土) 15:47
>46
ドキュソ丸出しな質問かもしれませんが、そこまで何も信じられないのは
つらくありませんか?
52 :
>日本人的無宗教:2001/05/05(土) 17:00
>因果律だの
おいおい、因果律は科学の絶対的前提だぞ。
これを疑うなら今までの科学は単なる幻想か?
あんた宗教の味方なのか科学の味方なのか、どっちなの?(藁
53 :
>日本人的無宗教:2001/05/05(土) 17:03
>まず自分がいる、それで精一杯だろ?
>コギト・エル・ニズムだっけ。
「コギト・エル・ニズム」って何?(藁
ああ、「コギト・エルゴ・スム」のことね。
まさか、このデカルトの言葉を無神論(物質一元論)的意味で使ってないよね?
だとしたら稀に見るドキュソなんだが
54 :
日本人的無宗教ではないが…:2001/05/05(土) 17:05
>>52 >あんた宗教の味方なのか科学の味方なのか、どっちなの?(藁
この二極対立って、臭くない?
双方を、「良心」に従わせたいね。。
55 :
>日本人的無宗教:2001/05/05(土) 17:07
「抽象概念にふりまわされない」と言っておきながら
何の根拠も無い抽象的な「日本人」をHNに入れてるのはどういうわけ?(藁
56 :
日本人的無宗教ではないが…:2001/05/05(土) 17:16
>何の根拠も無い抽象的な「日本人」をHNに入れてるのはどういうわけ?(藁
日本人は、抽象化というよりも、具体的・実感的概念だと思うぞ。。
57 :
:2001/05/05(土) 17:21
>>56 日本人が具体的・実感的概念なら、宗教の信者であることも、また同じだぞ。
何の疑いも無く神を信じるのと
何の疑いも無く自分が日本人であるというアイデンティティを持つのは
原理的に全く同じ。
58 :
:2001/05/05(土) 17:25
>>56 あなたがまさしく言ったように
宗教だって「具体的」に「実感」として在るのだよ。
59 :
名無しさん@1周年:2001/05/05(土) 17:30
>日本人が具体的・実感的概念なら、宗教の信者であることも、また同じだぞ。
俺は違うと思うぞ。。
日本人には、特別な教育・布教はいらないけど、
宗教には、特別な宗教教育、布教が必要になるのでは?
原理的には、日本人であることが先で、次に宗教の教えが来る。。
テーマは、「救済」。
日本人は、もともと「救い」を求める民族ではないように思われ。。
日本人のキリシタンも、他国の信徒に比較して、
「救い」を信じても、求める傾向は少ないように思われ。。
この点、どうよ?
60 :
:2001/05/05(土) 17:36
>原理的には、日本人であることが先で、次に宗教の教えが来る。。
日本人というのは絶対的なものじゃないでしょ。
それこそ共同幻想でしかない。
国家とはそれ自体宗教なんだよ。
61 :
名無しさん@1周年:2001/05/05(土) 17:37
>宗教だって「具体的」に「実感」として在るのだよ。
少し、ニュアンスが違うと思うぞ。。
日本人的「具体的」な「実感」に合わせ、
キリスト教の教えを再構成したものに、
日本人のキリシタンの、宗教的「具体的」な「実感」があるものと思われ。。
つーか、キリシタンって何よ?
いつの時代を指して言ってんのか曖昧だよ。
現在の信者のことを言ってるの?
63 :
名無しさん@1周年:2001/05/05(土) 17:47
>国家とはそれ自体宗教なんだよ。
政教分離の理念を、どう理解してる?興味あります。。
64 :
ななしさん@1周年:2001/05/05(土) 17:48
65 :
B.T:2001/05/05(土) 17:51
「金魚救い」ならぬ「金救い」(w
66 :
:2001/05/05(土) 17:57
>政教分離の理念を、どう理解してる?興味あります。。
社会的なルール。理念じゃないでしょ。
67 :
名無しさん@1周年:2001/05/05(土) 17:58
>日本人というのは絶対的なものじゃないでしょ。
宗教よりも、絶対性に近いと思われ。
宗教は改宗できても、
日本人をして生まれ育ったことは変えることが出来ない。。
もちろん、日本人というのが、「日本国籍を持つもの」を意味するのではなく、
「日本語をマサータングにする人」ぐらいの意味。。
68 :
名無しさん@1周年:2001/05/05(土) 18:00
>>政教分離の理念を、どう理解してる?興味あります。。
>社会的なルール。理念じゃないでしょ。
理念があって、ルールが作られたものと思われ。。
69 :
名無しさん@1周年:2001/05/05(土) 18:04
誤字・脱字、めっちゃ多いのを許されたし。。
スマソ。。
70 :
>52:2001/05/05(土) 18:21
因果律は科学で証明されてはいません。暫定的な公理のようなものです。
また、因果律を擁護する人々も、原因が未来にあって結果が過去にあってもかまわない
としています。
71 :
:2001/05/05(土) 18:23
>宗教よりも、絶対性に近いと思われ。
そう思うのなら、何もいうことは無いです。
人間の作った抽象概念だからといって宗教的な価値を否定するなら
国家(言語や貨幣も含む)や民族だって似たようなモノだということを言いたかっただけです。
72 :
:2001/05/05(土) 18:29
>因果律は科学で証明されてはいません。
???
証明とか、そういう類の話じゃないでしょ。
73 :
名無しさん@1周年:2001/05/05(土) 18:59
>人間の作った抽象概念だからといって宗教的な価値を否定するなら
>国家(言語や貨幣も含む)や民族だって似たようなモノだということを言いたかっただけです。
もう一度、テーマに戻して、「救済」。。
「僕は、救済をいつも求めています。当然のことです。」
↑
日本語の文脈で、この言葉の下卑た様、嫌らしさは、分かります…よね?
日本人は、基本的に「救済」を求めるのを忌避しない?
その点の情緒的感覚は、日本人なら、キリスト教徒でもあるはず。。。
他の国では、敬虔な信者の言葉ってことになるかも。。。
74 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 19:54
よっしゃ、宗教ドキュンらしいのが噛み付いてきたな。
>>52 >おいおい、因果律は科学の絶対的前提だぞ。
>これを疑うなら今までの科学は単なる幻想か?
>あんた宗教の味方なのか科学の味方なのか、どっちなの?(藁
わりぃな。 仏教の因果応報を書こうと思ってたら間違えたんだよ(藁
ところで君は因果応報は信じてる訳?この世で例えば障害児として
生まれた人は前世での悪業の報いを受けてるとかさ。
仏教の因果律はこういうことだろ、事象には原因がある。
それと物理とかの科学で証明された事は永遠普遍というのは
無い(って決めるのも矛盾すんだよな)んじゃねーの?
75 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 19:57
>>53 >>まず自分がいる、それで精一杯だろ?
>>コギト・エル・ニズムだっけ。
>「コギト・エル・ニズム」って何?(藁
>ああ、「コギト・エルゴ・スム」のことね。
>まさか、このデカルトの言葉を無神論(物質一元論)的意味で使ってないよね?
>だとしたら稀に見るドキュソなんだが
サンキュー、そうだったな「我思う故に我あり」って素直に書けば
よかったな。これはあくまで思索の出発点だろ?
ところで俺はいつ「無神論者」になったんだ??「懐疑的立場」じゃねえのかナー?
妄想凄いね、ドキュソさん。
76 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 20:00
>>54 >「抽象概念にふりまわされない」と言っておきながら
>何の根拠も無い抽象的な「日本人」をHNに入れてるのはどういうわけ?(藁
文章よく読めよタコ(藁
>>44 ここで
#勘違いするなボケ
#死んだ後まで人間の作った抽象概念にふりまわされない
と書いてるだろ。生きてる間はしょーがねえさ。
死んだ後くらいほっとけってことだよ。
77 :
>74:2001/05/05(土) 21:57
>ところで君は因果応報は信じてる訳?この世で例えば障害児として
>生まれた人は前世での悪業の報いを受けてるとかさ。
生まれたときの状態やどんな両親の下に生まれるかは、因果関係よりもその人に何が
必要かで決まります。
それに(いわゆる)障害児が悪いこととも思えません。それは単なるその人の特徴で
あり、状態であって、それ自体は何ら問題ではありません。
「その状況を有効に活かしてみよ」という人生に対する課題でしょう。
>それと物理とかの科学で証明された事は永遠普遍というのは
>無い(って決めるのも矛盾すんだよな)んじゃねーの?
宇宙が永遠であることは証明されていません。存在するかどうかわからない時間軸
上で、普遍的に通用するかどうかを検討することは無意味です。
78 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 22:05
>生まれたときの状態やどんな両親の下に生まれるかは、因果関係よりもその人に何が
>必要かで決まります。
"誰"が"どうやって" "何の為に" 必要かどうか決めるのか懐疑的な人間でも納得できる
論理で説明してくれ。特定宗教内のローカルルール内での矛盾が無いとか、整合性が
あるとか言われても納得せんぞ。
>それに(いわゆる)障害児が悪いこととも思えません。それは単なるその人の特徴で
>あり、状態であって、それ自体は何ら問題ではありません。
誰も障害児が悪なんて価値判断下してねーっつの。 障害児が障害を持ち生まれてくる
理由は因果応報かどうか、それだけ。因果応報って言う馬鹿自称仏教徒がいたからな。
>「その状況を有効に活かしてみよ」という人生に対する課題でしょう。
"誰"が "何の為に" 課題を与えるのか 説明してくれよ。
特定宗教内のローカルルール内での矛盾が無いとか、整合性が
あるとか言われても納得せんぞ。
>宇宙が永遠であることは証明されていません。存在するかどうかわからない時間軸
>上で、普遍的に通用するかどうかを検討することは無意味です。
永遠とか絶対とか断言できないうちに断言するのはどーゆこっちゃというのが
宗教者に対する不満だ。まーそれが信じるって事? 信じるのは勝手だし
救われたいと思うのも勝手だが、他人も「自分と同じように救われたいだろう」
と「信じる」のだけは簡便してほしいナー。
79 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 22:06
なんで、解決できてないのに「そうである」と断言できんのかなー
「わかりません」「保留です」「未決です」「研究中です」
こう言えないのか?信仰者って
80 :
>78:2001/05/05(土) 22:13
とんでもない勘違いをしておられるようです。
私は宗教者でも何でもありません。それにあなたのローカルルール(勝手に宗教者と決め
付けるとかのルールがあるのかな?)内で整合性をとれるような解説はできませんし、仮
にできてもするつもりはありません。
あなたは非常に知識が豊富で、頭がよいのでしょう。だから世の中のことをよく分かって
おられるのかも知れません。
ただ、重要なことを見落としていませんか? それがあなたの生活にどう活かされました?
それともうひとつ、難解な理論理屈を身につける前に、基礎的な日本語の素養をもっと磨
きましょう。
>そうだったな「我思う故に我あり」って素直に書けば
>よかったな。これはあくまで思索の出発点だろ?
そんな単純な理解なのか?あきれた。
コギトは心身二元論の信仰告白なの。
「主体の意志(精神・魂)」の存在を主張したものなんだよ。
きわめてキリスト教的なんだな。
だから20世紀になってコギトはフロイトらによって
徹底的に批判されるようになる。
82 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 22:25
>>80 いいか?文章をちゃんと読め(藁
>私は宗教者でも何でもありません。
俺は宗教者だと断言はしてない、特定の宗教団体のローカル・ルールを
信奉してる奴かどうか知る為に
>>78 で「特定宗教内のローカルルール内での矛盾が無いとか、整合性が
あるとか言われても納得せんぞ。 」
と書いたんだよ、まあいいや。 もしおまえが
>>77 なら
>必要かで決まります。
と断言してる理由は何だ? 俺は自然科学というローカル・ルールを採用してる
これは一般社会(イスラム圏とか知らんが)はに普及しているルールじゃないのか?
一般社会で使用されている共通ルールを使用して
>>78 の質問に答えてよ。
>仮にできてもするつもりはありません。
あ、ごめん。信じてるだけ?
>あなたは非常に知識が豊富で、頭がよいのでしょう。
>だから世の中のことをよく分かっておられるのかも知れません。
妄想?
>ただ、重要なことを見落としていませんか? それがあなたの生活にどう活かされました?
質問の前提が妄想だもんだから、どう活かすのかわかんねーんだけど(藁
>それともうひとつ、難解な理論理屈を身につける前に
>基礎的な日本語の素養をもっと磨きましょう。
それはお前だ(藁
83 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 22:28
>>81 >>そうだったな「我思う故に我あり」って素直に書けば
>>よかったな。これはあくまで思索の出発点だろ?
>そんな単純な理解なのか?あきれた。
てゆーか便宜上、記憶の底にあった言葉を使っただけだよ(藁
真面目に受け取るなドキュソ。でも思索の出発点というのは
一面では「正」じゃねーの? 違うんなら、別の言葉用意するよ。
>コギトは心身二元論の信仰告白なの。
>「主体の意志(精神・魂)」の存在を主張したものなんだよ。
>きわめてキリスト教的なんだな。
ほーご教授あんがとさん、挑発した甲斐あるよ、勉強になった。
検索エンジンで調べてみるよ。(本は高いし、図書館は面倒だ 藁)
>だから20世紀になってコギトはフロイトらによって
>徹底的に批判されるようになる。
知らない人に「だから」と言ってもよー解らんよ。
前提条件が適用されるレベルの人と言語ゲームしてて。
84 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 22:30
自然科学自体も批判にさらされるもんだったっけな(藁
ファイヤアーベント信者にとっての「救い」ってなんだろな
86 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 22:36
お、反証不能か(藁
がんばれよ宗教ドキュソ
>147 名前:20投稿日:2001/04/29(日) 01:40
>ヤレヤレ・・・
>>97のカキコから24時間近く経ったというのに、
>>97に
>真っ向から答えるレスが無いとは。コシヌケてるねぇ〜。その代わり、宗教を
>否定されてヒステリックになった連中の無意味なカキコばかりか。はははっ
>
>そこで結論。やはり宗教に真理などアリマセン。
↑日本人的無宗教ってこいつだろ。
88 :
日本人的無宗教:2001/05/05(土) 22:51
だれ?その粗暴な人(藁
>コギトは心身二元論の信仰告白なの。
>「主体の意志(精神・魂)」の存在を主張したものなんだよ。
>きわめてキリスト教的なんだな。
キリスト教的?
そう言いきるには説明が必要だろう。
というか、はっきり言って間違いであろう。
90 :
名無し:2001/05/06(日) 07:46
>>82 >俺は自然科学というローカル・ルールを採用してる
>これは一般社会(イスラム圏とか知らんが)はに普及しているルールじゃないのか?
お前ヒッキーじゃないのか?一般社会のことを知らなさ過ぎる。
一般社会で普及しているルールは自然科学なんかじゃない。「常識」という独善的で非科学的な
ルールだよ。当然常識には間違いも多い。
それに「一般社会(イスラム圏とか知らんが)はに」ってのは未知の言語だが、どこの言葉だ。
>>80が言うように、くだらないゴタクを並べる前に日本語を勉強しろ。
91 :
80:2001/05/06(日) 08:06
>>82 仕方ないですね。少し解説しましょう。
まず、
>>78の"誰が"についてですが、強いて答えるならば「天」とでもいうしかあり
ません。それはあくまで"誰が"に対応するためであって、実際には自然界の法則です。
光速度やプランク定数を"誰が"、"何のために"決めたかといわれても、強いて答える
ならそういうしかないのと同じです。
両親との出会いをはじめ、人生における出会いは「類は友を呼ぶ」というあの法則に
支配されます。最高の両親の下には最高の子供が、最低の両親の下には最低の子供が
生まれることになるのでしょう。これは両親と子供に必要な状況に他なりません。こ
れを活かすも殺すも本人次第です。
このことは多くの観測事実と符合しています。あなたも自然科学をどうのこうのとい
うのあれば、追試による検証を行ってみてください。
日本人的無宗教と名乗っている、かまって欲しくてやんちゃするタイプの糞ガキへ
随分偉そうに書き込んでいる割には
そんな単純な理解なのか?あきれた。藁)
慢心して偉そうに書き込んでる糞ガキよ、
お前に何が判ると言うんだ、その程度では挑発しても甲斐はないなぁ。爆)
お前の頭の中が整合性を取れていないので、何書き込んでも大笑いだよ、ドキュソくん。藁藁藁藁藁・・・)
93 :
80:2001/05/06(日) 13:09
91に補足。
自然科学では反論に際しては追試の結果を以て行うのが基本的なルールです。
ここは論文発表の場ではないので概要しかお伝えできませんが、追試を本気で行う
つもりであれば連絡先を教えてください。詳細をお伝えしましょう。
まあ、「自然科学をローカル・ルールとして採用している」というのが出任せだっ
たとすれば、もはや何を言っても無駄ですけど。
94 :
考える名無しさん:2001/05/06(日) 13:15
>そもそも「救い」って何よ?(全宗教)
あ?商売道具だよ。長期型元金未保証の国債みたいなもんかな。
とりあえず、俺に預けてみない?キミの人生をさ。
今みたいに世知辛い時こそが買いですよ、奥さん!!
95 :
名無しさん@1周年:2001/05/06(日) 13:38
>>90 あんた、キリスト教系カルトちゃん?
>お前ヒッキーじゃないのか?一般社会のことを知らなさ過ぎる。
>一般社会で普及しているルールは自然科学なんかじゃない。
>「常識」という独善的で非科学的なルールだよ。
>当然常識には間違いも多い。
常識は、常識であって、すごい大切なものでしょ?
他人の非常識を考えてみよ。。。
常識に「独善的で非科学的なルール」という反社会的態度を採りながら、
「救い」も糞もないのでは?
すごく“ひっきー”の言葉に聞こえるぞ。。
おっと、「常識を疑う」という科学的・批判的態度の話は、別な。。。
96 :
90:2001/05/06(日) 15:28
>>95 常識が役に立つのは自分の保身をはかるときぐらい。
多くの現実的な問題解決の手段としては常識は全く無意味だよ。そもそも常識という
のは特定の集団内での共通認識のことだけど、その特定の集団は個々が勝手に設定
できるんだから当たり前だけど。それでも自分の常識は他人においても常識とするの
が一般社会に普及しているけどね。(それも常識なんだろうな)
そういうわけで、常識は何ら大切なものではない。自分のことしか考えない連中は常
識が一番大切なのかも知れないけど。
>常識に「独善的で非科学的なルール」という反社会的態度を採りながら、
上に述べた理由から、これは事実であって反社会的でも何でもない。常識だからという
理由で不法行為を正当化するような連中が反社会的。
>「救い」も糞もないのでは?
救いは独善的でも非科学的でもない。それに一般社会に普及しているルールが何であるか
とは一切関係がない。もうひとつ言っとくと、救いに関しての見解については、まだ一切
触れた覚えはない。夢でも見たんじゃないの。
97 :
印南:2001/05/06(日) 15:36
,,,,,|||||||||||||||||||||||||ll|||||||||||||||||||||||||,,,,
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||| || |||_|_|_|_|J ,ハ、 ι|_|_|_|_|| | |||
(^| | 。 |ヽ /| 。 | |^)
(e| L____』 | | L____』 |3)
( ||  ̄ ̄ ̄ | |  ̄ ̄ ̄ ||,)
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||| | | ||| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\|、 __ _< | | >_ __ ,|/ < 俺にはヒロポンこそが救いだ
-| l ↑ ̄ ヽ__/  ̄↑ // \____________
| l ヽ、________/ //
| l \┼┼┼┼┼/ //
ヽl  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ //
\ ‘ ̄ ̄ ̄ ̄' /
\ /
\ /
\____/
99 :
名無しさん@1周年:2001/05/06(日) 16:08
>>96 悪いけど、年いくつ?
>常識が役に立つのは自分の保身をはかるときぐらい。
>多くの現実的な問題解決の手段としては常識は全く無意味だよ。そもそも常識という
>のは特定の集団内での共通認識のことだけど、その特定の集団は個々が勝手に設定
>できるんだから当たり前だけど。それでも自分の常識は他人においても常識とするの
>が一般社会に普及しているけどね。(それも常識なんだろうな)
>そういうわけで、常識は何ら大切なものではない。自分のことしか考えない連中は常
>識が一番大切なのかも知れないけど。
↑この発言が、反社会的なものだと理解できる?
自分の保身を図らずに、一般社会を、どう生きているのか、不思議かも。。。
あんた自身が、常識という共通意識の厳然として存在する、特定の集団内に属している
ことは、大丈夫?
多くの現実的な問題解決手段? どこの誰かか分からない奴の非常識な問題解決方法?
誰も相手にしないはず。
常識が厳然として設定されている社会の中にある、多くの問題。。その問題解決を実行す
るのは、特定集団内の常識を持った人間であることは、大丈夫?
100 :
名無しさん@1周年:2001/05/06(日) 16:09
>>96 >>常識に「独善的で非科学的なルール」という反社会的態度を採りながら、
>これは事実であって反社会的でも何でもない。
事実と常識の関係を、どう理解しているのかに興味あり。。簡単に説明してちょ。。
>もうひとつ言っとくと、救いに関しての見解については、まだ一切
>触れた覚えはない。夢でも見たんじゃないの。
>>1の文章は読める?大丈夫?
「まだ一切触れた覚えはない」って、どういう意味?
どれだけ煽りに過敏に反応して、惨めな醜態を晒してきたのかを、告白してるの?
それとも、スレ違いな発言を繰り返してきたことの懺悔かな?
101 :
マルコ:2001/05/07(月) 17:04
1です。すみません、今もどってきました。
あきらかに議論がスレ違ってきてますね。
もとに戻したいと思います。
>59、>73で問題提起がされていますので、
とりあえずそこまで戻ってみたいと思います。
102 :
名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 17:43
マルコ びっくり!(^^)
59,73です。。
キリシタンを「クリスチャン」に代えてくださいな。。
恥ずかし〜。。
103 :
マルコ:2001/05/07(月) 17:57
>59、>73で言われている通り、もともと日本には「救い」という
概念は希薄というか存在さえしなかったのではないでしょうか。
仏教渡来と共に、「輸入」されたものだと思います。しかし、平安時代の
末法思想を経て、鎌倉仏教が花開き、この時点で日本人の心にも「救い」
の概念がいったん定着しました。「救い」=「極楽往生」という形で。
つまり死んだ後に、「浄土」(天国)に行くのが、日本人にとっての
「救い」の一般的な理解で、これが今に到るまで細々と言うか、何となく
続いていると思うのです。しかし、>73で言われているように、
「救い」という日本語には独特のいやらしさが確かにあります。
「救われている」人がいるということは、同時に「救われていない」
「救われない」人の存在を暗示させます。そういう選別的な含みが
この言葉にはあるので、「和」を重んじる日本人にはどうしても
嫌悪というか抵抗を感じる言葉ですね。そういう日本人の精神性を
無視して、安易に「救い」を連発するキリスト教会の無神経さは
おおいに反省されるべきだと思います。長文でスマソです。
>そういう日本人の精神性を
>無視して、安易に「救い」を連発するキリスト教会の無神経さは
>おおいに反省されるべきだと思います。
日本人の精神性がそうだとしても
だからといってキリスト教が反省しなきゃならん理由が理解不能。
105 :
マルコ:2001/05/07(月) 18:51
>104
日本で布教するなら当然日本文化はシカトできないのに、
「真理は一つです!」の石頭口調で欧米バ−ジョンの
キリスト教を押し付けてきたことは反省すべきでは?
でも当スレの趣旨とは関係無いことです。
106 :
名無しさん@1周年:2001/05/07(月) 18:51
>>103 マルコさん
日本の浄土思想系の「救済」と、キリスト教系の「救済」は、
その一神論的な思想と、救済という点で、確かに似てるけど、
大分違うところもあるように思う。。
何というか、キリスト教系の救済は、聖書の理解を通して、神に近づこうと
している印象がある。。
それに対し、浄土思想系の救済、特に真宗では、救済されるか否かを含め、
「南無阿弥陀仏」と一言唱え、すべてのことを阿弥陀如来に委ね、日常生活に
没頭することが信仰になるところが違うように思われ。。。
つまり、「阿弥陀如来が救済してくれるかもしれない」ということすら考えずに、
日常のことに没頭できる人を高く評価するようで。。
典型的には、真宗の中で、よく信仰をする者としてあげられる「妙好人」が
あげられると思う。。
キリスト教の中では、「妙好人」のような人間をどう見るのかに興味あります。。
107 :
妙鋼人:2001/05/07(月) 22:33
親鸞聖人とイエスキリストの類似点なんて本が昔ありましたね。
>>97 >俺にはヒロポンこそが救いだ
ヒロポンとは昔の覚せい剤の事か?
109 :
マルコ:2001/05/08(火) 16:23
>106
「妙好人」。聞いたことがあります。
確かお寺の本堂の御本尊の前で、ぐらんぐらん居眠りしていて、
「ゴルァ!行儀悪いぞ!」って怒られたら、
「親さんの前だけよな。安心して眠れるのは。裁判所じゃよう眠られんからな。ようこそようこそ」
なんてニコニコしながら言うような人ですね。
カトリックの聖女で「小さき花のテレジア」というシスタ−がいました。
この人は祈りの最中によく居眠りしたらしいのですが、それを上の人から咎められると、
「私は起きているときも眠っているときも神様の胸の内で安らいでいます」
と言ったそうです。
「妙好人」とカトリックの聖女、聖人は、幼子のように神に信頼している、という点で
確かに共通するものがありそうですね。
110 :
マルコ:2001/05/08(火) 16:31
>107
親鸞(法然)→「善人なおもて往生とぐ、いわんや悪人をや」
イエス→「わたしが来たのは罪人を招くためだ」
111 :
ヨーグルト:2001/05/08(火) 16:35
今日食べるものがない人にとってはまともな生活ができることが救い。
魂がどうのこうのと言ってるのは精神的に満たされない先進国とかの人々の発想って気がする。
112 :
マルコ:2001/05/08(火) 16:53
>111
まさにイエスは、今日食べるものが無い人達を前にして、
「貧しい人達、あなた達は幸いだ!」とブチ上げて総スカンを食らいました。
それを食らうことを分かっていたのですがイエスはあえてそうしたのです。
その時からイエスの十字架への道は始ったのです。
113 :
ヨーグルト:2001/05/08(火) 17:01
>「貧しい人達、あなた達は幸いだ!」とブチ上げて総スカンを食らいました。
さもありなん。総スカンも食らうだろう。病むもの、貧しいものに「幸いだ」
なんて言った日には。幸いじゃないんだから、明らかに。
それにあの世のことなら、確かめようもない。
幸福に生きて天国に逝く人が一番幸いだ。
114 :
ヨーグルト:2001/05/08(火) 17:04
まあ、気休めか心の安らぎにはなるんだろうか。
でも救いかどうか・・・。
115 :
マルコ:2001/05/08(火) 17:19
>幸いじゃないんだから、明らかに。
本当にそうですよね。自らも貧民層出身だったイエスは、そのことを分かりすぎる位
分っていたはずなのになんで「幸いだ!」なんて言ったんでしょうか?
その辺わたしもキリスト教徒のくせして正直理解に苦しむんです。
ヨ−グルトさんは、イエスが、何故「幸いだ!」なんてあえて言ったと思いますか?
116 :
ヨーグルト:2001/05/08(火) 17:36
おー、マルコさん。私もそうです。
とりあえず、現世で苦しんだ分、慰めを天国で与えられるという意味なんだろうか?
と・・考えてきたんですが、それにしても余りにも惨たらしい苦しみというのもありますからね。
ほどほどに苦しみ、来世で慰められたら幸いかもしれないけど
幸福に生きて天国に逝く人との差は何なんだろう・・?
そしてまた死後のことなど確かめようもない・・・。
あと、イエスの教えからいくと「心の貧しい人は幸いだ」は矛盾してるような。。。
誤訳でしょうか?
「心の満たされない人」ならわかる気もしますが。
117 :
ヨーグルト:2001/05/08(火) 17:36
おー、マルコさん。私もそうです。
とりあえず、現世で苦しんだ分、慰めを天国で与えられるという意味なんだろうか?
と・・考えてきたんですが、それにしても余りにも惨たらしい苦しみというのもありますからね。
ほどほどに苦しみ、来世で慰められたら幸いかもしれないけど
幸福に生きて天国に逝く人との差は何なんだろう・・?
そしてまた死後のことなど確かめようもない・・・。
あと、イエスの教えからいくと「心の貧しい人は幸いだ」は矛盾してるような。。。
誤訳でしょうか?
「心の満たされない人」ならわかる気もしますが。
118 :
ヨーグルト:2001/05/08(火) 17:37
うげ、2重書きこだ。すいません。
119 :
名のある名無しさん:2001/05/08(火) 22:31
「救い」とは宗教を卒業することだと思います。
色ずけのない考えで何の疑問も生じない心の平安を得ることであると思います。
120 :
名無しさん@:2001/05/08(火) 23:10
「救い」とは、肩を張らずに、自分らしい生き方を
を見つける事だと思います。
121 :
無宗教:2001/05/08(火) 23:27
救いなんて保険かけるような言葉は嫌いだ。
人間に救いなんてないよ。救いのかわりに言葉があるとしたら
それは「自然」だ。2つの意味でね。説明しなくてもわかるよね。
122 :
↑:2001/05/08(火) 23:32
と言いつつ、説明したがってるだろ?(w
123 :
名無し:2001/05/08(火) 23:39
「平安」じゃないの?
124 :
名のある名無しさん:2001/05/09(水) 00:15
私は救われているから、その心境の一端を述べさせて頂くならば・・。
しかし、言葉に表すことは大変難しいことです。
それから、00な人にはいくら説明しても分からないと思います。
でも一人ぐらいは理解する人もおられると思いますので、この現象界
の言葉で現してみましょう。
一口に言うと、その一端は、次の誰もが知っている歌のような状態が
永遠に続くような状態とでもいいましょうか。
畢竟、「春の小川はサラサラ行くよ、岸のスミレやレンゲの花が姿やさしく
色うつくしく、咲けよ咲けよとささやきながら・・」
ま、そんな状態の世界が広がっている不動心のような状態です。
こんな状態の現実の中に、自分がいるのです。歓喜と感謝の世界です。
125 :
名無しさん@1周年:2001/05/13(日) 17:24
「来世で救われる」という幻想から離れ、現在に「生きる」
事、かな。
126 :
名無しさん :2001/05/13(日) 17:41
仏教信者です。
救いとは仏教で「抜苦与楽」といい、苦しみを抜いて楽しみを与えられること。
ここでいう苦しみ・楽しみの定義ですが、肉体の苦しみ、金などがない苦しみ・・
いろいろ人生には苦はありますが、いつの時代でも変わらない人間の根本の苦に、
「生・老・病・死」があります。この四つの苦しみをさらに詳しく十二因縁で
教えられその根本の原因を「無明」と説かれました。全ての人間は無明により
苦しんでおり、この無明の解決こそがさとりであり、それが真実の楽であり、
救われるということになります。
127 :
名無しさん@1周年:2001/05/14(月) 17:34
身内の突然の死別に際して、宗教は劇薬のように効きました。
この死別の前も後も宗教とは無縁の生活を続けてはいますが、
以前ほど宗教に入れ込んでいる人を否定的に感じなくなりました。
生きていく上での、身に余る悲しみや苦悩も実感しましたし、
そういう時、宗教が劇的な救いをもたらしてくれることも体験しましたから。
128 :
名無しさん@1周年:2001/05/14(月) 18:02
「救い」って単なる自己満足だよ。
信仰者の。
129 :
名無しさん@1周年:2001/05/16(水) 23:41
生きている時間をどれだけ有意義に過ごせるか、って事かなあ。
130 :
アリスとテレス:2001/06/13(水) 00:58
ある人がある宗教に入信してこれこそ本当の救いなんだと
固く信じてられたので、廻りの人々に薦める。そして拒まれる。この人は分からな
いで可哀想だ。いまは分からないから拒むのだ。よし、救いの為だ、何が何でもあ
の人を導こう。これは、果たして救いなのか、迷惑なのか?キリスト教にしても、
仏教にしても、何にしても、信、に頼る部分がある以上、客観的にそれが正しいと
証明することは誰に出来るか。言語と認識の限界もある。ある、自殺希望者がビル
の屋上で飛び降りようとしている。この人を助けるべきか、助けないべきか?
助けるのが常識的に良い事であることには間違いない。でも、この人が、3年後に
5人の人を殺して自分も自殺してしまったら?こう言う事さえ人間には解からない
のですよ。善意の行為でとんでもない結果が出てしまうこともある。反対に、どん
なに助けたくても、助けられないこともある。このように人間と言う存在の限界を
突き詰めてみれば、人間である以上救いにも、限界があると思われます。この限界
を理解できない宗教も救いも現実離れした、観念上の救いにしかなり得ない。
そんなものは、地獄のような現実が差し迫った時には、立ち向かう力にはならない
と思われます。五感の刺激を全て空として一人悟ってみたつもりでも、現実社会の
諸問題の中に投げ込まれたら、悟りも救いも自己満足に過ぎなかったと気付くはず
です。イエス様は神の世界に一人行かずに、世の人々に手を差し伸べた。でも、全
ての人を救えなかった。自分を殺そうとして来る者を救えなかった。御釈迦様は
一人涅槃の世界に旅立たず、世の人々に法を説いた。でも、全ての人を救えなかった
教団から、裏切り者も出た。殺されてしまう弟子もいた。このように現実に限界を言
うものがある。あの方々でさえ、救いたくても救えない現実を嫌というほどかみ締め
ておられたのではないでしょうか。詭弁は無用です。救いには質とランクの違いがあ
るのです。悟りも同じです。この限界を感じない救いも悟りも、自己満足に過ぎませ
ん。そして、人間である以上この限界を超えることは出来ないのです。
131 :
仏教歹:2001/06/13(水) 01:35
132 :
幕兵衛:2001/06/13(水) 15:46
133 :
アリスとテレス:2001/06/16(土) 21:05
アリスとテレスは限界を認めている。満足は無い。自己満足では満足できない
人間なんだ。だから、極限からの努力を自らに果たす。そうでなければ、救い
などと言って、偉そうなことは書き込まない。人生の挑戦者、アリスとテレス
今日も、彼の兆戦は続く・・・。
すくわれたいね
135 :
名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 08:56
自分は自分で救うしかない。
a