1 :
名無しさん:
以前ベストセラーになったとかいう「神との対話」、
お読みになった方どう思われました?
この本の著者の作品がどんどん出版されていますけれど。
あの本にも出てくる「奇跡のコース」というチャネリング本
がありますが(未訳)、これはニューエイジの古典とも
言われている作品らしいです。
私が思うに、この「奇跡のコース」の思想をパクッたのが
「神との対話」ではないかと。
ちなみに「神との対話」の“神様”は、「『奇跡のコース』
は私が書かせた」などと宣っています。
著者の自作自演か、あるいは著者の潜在意識が“本人の思想”
をいかにも宇宙の真理であるかのごとく演出したものであるか、
そのいずれかだと思っています。
2 :
真実を求める:2001/05/03(木) 17:50
その前に、彼(著者)は神に対して、自分に語りかける事が出来るので
あれば、どうして他の人類全てに語りかけないのか?という質問を
していません。
それに、著者が神から聞いた声を、書いた本を、私達がお金を払い、
買って読む事に対しても、著者は何の疑問も「神」に対してぶつけて
いません。
よって、この本は空想小説ぐらいの価値しかないと私は見ています。
1さんはどう思われますか?
3 :
真実を求める:2001/05/03(木) 17:55
それに、いくら「神」と言えども、特定の個人にだけしか語りかけない
ような神であるのならば、客観性がまるでなく、著者の主観にすぎない
ものでしかありません。
そのような物はやはり、読む人の「信じる、信じない」の自由になって
しまうのです。それでも信じる、という人は、私はそれでいいと思います。
なぜなら、信じる自由があるのだから。
4 :
変わり者:2001/05/03(木) 18:29
>その前に、彼(著者)は神に対して、自分に語りかける事が出来るので
>あれば、どうして他の人類全てに語りかけないのか?という質問を
>していません。
>それに、著者が神から聞いた声を、書いた本を、私達がお金を払い、
>買って読む事に対しても、著者は何の疑問も「神」に対してぶつけて
>いません。
ちゃんと書いてます。ちゃんと読んだら?
5 :
Miss名無しさん:2001/05/03(木) 19:50
私も1さんの意見わかる。
あんなのニューエイジやヒンドゥーの思想に傾倒した人間が
書いてるものだよ。
人間にとって理想的な真理というものを書けば、共鳴する人間も多く売れるしね。
>それに、いくら「神」と言えども、特定の個人にだけしか語りかけない
>ような神であるのならば、客観性がまるでなく、著者の主観にすぎない
>ものでしかありません。
神様は常に全てのひとにメッセージを送っています。
ただ、よく聞ける人やまだ受け取る準備のできてない人、
その中間の人・・・と様々です。
この場合は、よく聞こえる人がよく聞こえない人のために
本にまとめてくれている。ただそれだけのこと。>神との対話
7 :
奇跡が欲しい!証しが欲しい!!:2001/05/03(木) 20:23
「神との対話」読みました。
いいと思います。でも、それだけじゃ説得力が小さすぎる。
有無を言わせず「神の実在」を感じさせてくれるものでなければ・・・
もはや説教や教えだけでは人を導くのは難しいと思う。
8 :
変わり者:2001/05/03(木) 21:39
>有無を言わせず「神の実在」を感じさせてくれるものでなければ・・
この答えも本の中に書いてあるんだけど ほんとに本読んだの?
>もはや説教や教えだけでは人を導くのは難しいと思う。
この世に しなければならない事など なにもない!
あるのは、あなたが何者になって 何をしたいかだけだ
ほんとの意味で救わなければならない人は、いない
9 :
名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 21:56
ここで言う、「神との対話」はだれの著作なの?
WメイトのF見さんも書いているけど?
10 :
>9:2001/05/03(木) 22:13
ニール・ドナルド・ウォルシュでしょ?
11 :
Miss名無しさん:2001/05/03(木) 22:33
確かにあれが本当なら理想的だよね。
3しか読んでないけど「神との対話」では輪廻を肯定してるんでしょう?
12 :
名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 23:32
13 :
変わり者:2001/05/04(金) 00:36
>7
神さまからのメッセージは、説教や教えだけではないよ。
15 :
人間は神@1周年:2001/05/04(金) 00:50
「神との対話」を一言でまとめると
「人間は神である」これに尽きます
16 :
ななし:2001/05/04(金) 00:56
17 :
名無的発言者:2001/05/04(金) 04:54
キリスト教信者には結構ショックな内容だよ
日本は八百万の神々の国だから、何をいまさらって
感じだけどね。
18 :
名無し:2001/05/04(金) 06:23
キリスト教は、輪廻のこと、封印してるからね。
19 :
推薦人:2001/05/04(金) 07:28
とっても感動しましたよん。
読んで今まで感じていた疑問のほとんどが、
解決できた気がした。輪廻にしても、もしも、
本にある通りなら、納得できると思った。
上にかいてた、サイト見ましたが、ちょっと、
本の読み込みが足りないと思う。
一度読んだくらいでは、本にもあるように、
理解しきれない。簡単そうだけど、奥深い内容となっております。
20 :
名無しさん@1周年:2001/05/04(金) 07:35
>19
どういうところが良いと思った?
21 :
推薦人:2001/05/04(金) 08:02
一番印象的なのは、全ての出来事に対して
個人として責任を認めなさいといっていること。
その理由についても、きちんと書いてありますが、
ここでは省きます。
神とか輪廻とかというより、現代社会の病んだ部分を
改善していく為の方向性を与えていると思う。
20さんは、いかがですか。
わたし自身は、著者が実際に神の声を聞いたのかとか、
そういったことには、あまり興味がないです。
何よりも内容そのもののレベルがとても高いことに、
驚きましたね。
22 :
名無しさん@1周年:2001/05/04(金) 08:23
私は20だけど、まだ全部は読んでいません。
ただ、従来の欧米人の思想からはかなりはずれて
いる分、敬虔なキリスト教信者とかは驚きだった
のではないかと思います。
23 :
勝手にしたら:2001/05/04(金) 15:53
変わり者さんの言うとおり、みんな書いてあるでしょ。
あの本は痛快だね。宗教組織なんて無意味って言ってるんだから。
宗教の信者の人はつらいかもしれないけど。
ま、こんな風にみんなが「こんな話信じるワキャないじゃん」って思っているうちは、
数々の宗教組織は安泰ってコトかな。
正直良く出したと思うよあれは。
24 :
名無し→18の名無しへ:2001/05/04(金) 16:05
キリスト教は輪廻の思想がない。
封印しているんではない。勘違いしないように。
輪廻の思想を説くキリスト教は過去あった。
しかし、それらはすべて「異端」とされている。
正統信仰に、輪廻は無い。勘違いしないように。
>>22 ぱぱさまあたりが書いたというならともかく、そうでないんだからバカな不敬虔者が
またでた、位にしか思ってないわよ。
26 :
コーヒー牛乳:2001/05/04(金) 16:42
キリスト教の人間が読んだら、一番「異端」として嫌われる要素に
満ち満ちてるんじゃないの。
ニューエイジっぽいし。
まあ、おもしろい本ではあるよね。
コーヒーラーメン一丁ばぶー
28 :
勧告:2001/05/04(金) 23:53
>ぱぱさまあたりが書いたというならともかく、
>そうでないんだからバカな不敬虔者が
>またでた、位にしか思ってないわよ。
書いた人が誰かで自分の考えを決めてるのかい?
少しは、自分の頭で考えたら?
29 :
どきどき名無しさん:2001/05/04(金) 23:56
>輪廻の思想を説くキリスト教は過去あった。
しかし、それらはすべて「異端」とされている。
正統信仰に、輪廻は無い。勘違いしないように。
過去にあったものを多数決で決めるような教義に無謬性はあるの?
30 :
なぜなの教えて!:2001/05/05(土) 00:04
キリスト教では、神様は悪魔に勝ったり負けたりするらしい!
なのに懺悔しない人間に罰を与えるそうな・・・・・
ノアの箱舟の話も神が人間に罰を与えたのだということらしい?
人間に罰を与えるまえに悪魔を滅ぼすことに力をそそいだら?
神さまは、人間に罰を与えたりしないよ。
自分が蒔いた種は、いずれ自分が刈り取るようになっているだけのこと。
32 :
:2001/05/05(土) 12:53
>>2 >>3 こういう人ってほんとに不思議・・・
どういう読み方してるんだろう???
33 :
ニール大好き:2001/05/05(土) 13:41
この本はニューエイジの本ではありません。むしろ、この本に出てくる神
のことばは、ニューエイジの考えとは随分異なっていると思われます。
日本のニューエイジャーで有名な人で、この本に感銘を受けたという人は
多いらしいけど、著者のニューエイジに対する皮肉めいたことばを
どんな風に受け止めて、感銘を受けたのか、個人的には興味があります。
>>32 “彼だけ”の真実を求めているんじゃないの?(w
35 :
:2001/05/05(土) 16:40
36 :
:2001/05/06(日) 06:24
不思議と「神との対話」関連の話題を取り扱ったスレやトピは
あまり大きくならない
やはり否定に否定的だからかな
対立部分が成り立たないもんねぇ
ちゃんと読んでる人ならばなおさら
否定派に対して熱くならないし
まず認める事に重点を置いてるからか
諍いが少ない分 ネタも少ない・・・
37 :
名無しさん@1周年:2001/05/06(日) 14:41
>36
言われてみれば、その通り!
不思議だ・・・
案外、世間で言われている程には読まれていない可能性も?
日本ではニューエイジブームが一段落してから出てきた本でしょ?
シャーリー・マクレーンや「聖なる予言」の頃の方が、もっと
話題を呼んだかもしれない。
38 :
ハァ?:2001/05/06(日) 14:46
デムパとの会話・・・
39 :
いかじる:2001/05/06(日) 15:03
『神との対話』、がなぜこの世に出て来たのか、
きっと意味があると思う。
全ての宗教も、ニューエイジも、全てあの世の影響無しでは
この世に出現出来ない。
『神との対話』も、見えない世界からのシグナルの一つだと思うヨ
40 :
ハァ?:2001/05/06(日) 15:23
見えないデムパ世界・・・
41 :
:2001/05/06(日) 15:38
確かにデムハ゜は目視でけんけどね
42 :
メッセンジャー:2001/05/07(月) 12:30
>37
『神との対話』は、必要な人に ちゃんと届いている。
この世は、演劇の舞台で演技をしているようなのもだと思う
理解している人は、せっかく神から与えられたチャンスだから
自分なりの最高のビジョンで最高のバージョンを生きようとしている。
この世で自分なりの愛を自分なりの形で表現しようとしてる。
悪魔がいなければ神も存在しないし 悪人がいなければ善人もいない。
解らない人がいなければ、解る人も存在しない。
43 :
考える名無しさん:2001/05/07(月) 15:22
>↑
うえ〜〜、きも〜〜〜〜!!!
初めから敗北インタビューを用意しているボクサーだね。
傷つきたくないくんは逝ってよし!!
44 :
必要だった人:2001/05/07(月) 16:02
この本のおもしろいところって、何一つ感じる事のない人と、
むちゃくちゃ感動してしまう人がいるってことかな。
何となくだけど、こういう差って、これからもどんどん
広がっていくような気がします。もちろん、どっちが、
上か下かってことじゃなくてね。
45 :
考える名無しさん :2001/05/07(月) 16:42
サイババの信者は「神との対話」をすぐ受け入れる。
よくわからない、その世界。
46 :
:2001/05/07(月) 17:28
以前サイババの教えを紹介したHPで読んだ感じでは
よく似てる所があったと思う
いろんな所によくにた欠片みたいなモノを感じる
武術の型(字わからん)とかにもね
意味が分かれば「ああなるほどね」とか「そりゃそうだろう」と
いう感想になりそうな内容
47 :
ななし:2001/05/10(木) 14:23
なんかサイババを神からのメッセンジャーとして肯定しているらしいですが本当ですか?
作者の本の内容はサイババの教えにおおいに影響を受けている気がする。
そしてサイババを肯定するなら当てにならん本だ。
48 :
教えて!:2001/05/10(木) 17:35
>サイババの教えを紹介したHPで読んだ感じでは
>よく似てる所があったと思う
>いろんな所によくにた欠片みたいなモノを感じる
具体的に どんな所が似ているんですか?
教えて下さい。お願いします。
49 :
:2001/05/10(木) 18:24
>>48 あんまり憶えてないんですが
毎日毎晩 起きた時、ご飯食べるときや寝る前などに
神を想うというかお祈りをするみたいなのを
厳格に習慣付かせる事で
そういう考え方を日常化させるような教え
(これじゃよく分からないな)
毎日 確実に「神を想う」というような行為を
信仰の祈りの中に入れてるから そういう部分で
=====
神との対話の中の教えというか
こういう自分になりたいと想ったら
そうなった自分を想像して、その自分の通りに行動すれば良い
というのがあるんだけど、なりたいと想い続けるよりも
既になった場合はどう行動するかを考えて
その通りに行動する事で、そうなる(なれる)
ってな部分かな?
50 :
おいおい ちょっとまって:2001/05/10(木) 18:58
あんまり憶えてないんですが
>毎日毎晩 起きた時、ご飯食べるときや寝る前などに
>神を想うというかお祈りをするみたいなのを
おいおい 俺は、何回も神との対話を読んだけど
そんな事書いてないぞ
逆に、祈ってもらう必要はないと書いているぞ!!
>厳格に習慣付かせる事で
>そういう考え方を日常化させるような教え
神は、祈ってもらわなければ 神が困ることは何もないし
強制したこともないと書いている。
さらに 十戎もないと書いている。
あれは、モーゼが 自分で勝手に十戎と言っただけだと
神は、人間を束縛したり何かを強制などしたことは
ないと書いている。
51 :
:2001/05/10(木) 23:42
>>50 サイババのサイトでのことをいってるの
45からの流れをみて!
それとも48は神との対話の話がききたかったのかえ?
52 :
ちょっとはわかるぞ:2001/05/11(金) 09:32
48さんのいわれてるのは、たぶん、思考を現実化させる為の
テクニック的なことだと思う。神との対話では、
最高の祈りとは、神にたよったり、すがったりすることではなく、
感謝すること とある。これは、まだ、実現していない
ことを現実として認め、感謝したほうが、実現が早いということをいっている。
行動で考えるとそうであるがごとくふるまう ということ。
また、続編につながる神との友情では現実をよりよいものにしていく為に、
神を利用せよともいっている。利用するということは、朝晩、祈ることにも
なるし、神のことを考えることにもなる。サイババのことは、
知らないけど、こういうことは、昔から、成功哲学系の
いろいろな本でもかかれてるよね。
53 :
nipponn:2001/05/11(金) 11:37
けっこうみんなよんでるmmだね。
この本を読んで以来神様と対話しています。
きちんと答えてくれます。
54 :
極論になるが:2001/05/11(金) 11:47
売春はどうなるんだろうか。
感謝さえすればいい?金を持っていて、若い女の子とやりたい中年
オヤジと、金が欲しくて若い肉体を持っている女子学生が出会ったら、
どうなる?
神が人間に一切束縛を与えないというのなら、売春も大いに結構と
いう理屈になると思うぞ。「神との対話」を支持される方は売春を
肯定されるんだろうか?
55 :
54:2001/05/11(金) 11:51
同じような質問だけど、こういう場合も肯定するわけ?
1)役人が賄賂を取って、特定の業者の利益をはかる(役人とその業者
が神に感謝すればよい?)
2)麻薬常習者が、大金を払って暴力団から麻薬を買う
56 :
ななし:2001/05/11(金) 11:58
思考は現実化するってのはニューエイジからきてるよ
全体的にはヴェーダ哲学から影響を受けてるから
必然的にサイババの教えと似てしまう。
神は「宗教宗派」で人間を裁かないという当たり前だけど
既成宗教の信者には受け入れられないことを言っているのもサイババと共通。
とにかくこの作者はうさんくさいよ。
神との対話によって書かれたという証拠なんかどこにもない。
相手が神ならそのくらいの徴を与えてもよさそうなもんなのに。
57 :
教えて!:2001/05/11(金) 11:58
>>49 >>51さんへ
サイババのことを あまり知らないので
サイババについてのHPなどについて
知りたかったのですが・・・・すみませんでした!!
>>53 >この本を読んで以来神様と対話しています。
>きちんと答えてくれます。
ほんとですか??
58 :
purinnpurinn:2001/05/11(金) 12:02
ニューエイジが危険だと言われるのは、人間の薄汚い欲望の部分も
遠回りに肯定してしまうところですよ。
そういう売春というマイナスの勉強をして成長していく、、、みたいな。
59 :
nipponn:2001/05/11(金) 12:07
>57
本当です。自分では考えられないようなメッセージみたいな思考みたいな
答えがきこえます。思考を特に使ってきます。
60 :
nipponn:2001/05/11(金) 12:11
>58
売春というのもそのオヤジと女子学生の世界モデルに当てはめれば
悪いことではないんだよね。私たちからみればいやな印象がでかいけど。
61 :
教えて!:2001/05/11(金) 12:17
>>59 さんへ
もしも 本当ならば
サイババのことをどう思いますか?
それと あなたと対話している神は、
「神との対話」の神様と同じですか?
62 :
チョコチップ:2001/05/11(金) 12:19
>>13 そのサイト「神との対話」なんかより遥かにうさんくさいね。
63 :
nipponn:2001/05/11(金) 12:51
>61
あなたはサイババのことにとても興味をもってるようだね。
真実か真実でないかはあなたが判断すればいい。
わたしは何も判定しない。
自分という神を信じみみをすましてごらん。私はいろんな
手段であなたに語りかける。なぜあなたが聞こえないか。
それはあなたがそう信じていないからだよ。
わたしはつねにメッセージをおくりっている。
今まではあなたは無意識の内に受け取っていたかもしれない。
これからは何かを感じうけとるだろう。
64 :
Miss名無しさん:2001/05/11(金) 12:59
>>61 確かにサイババの教えは完璧だし、理不尽な現世を納得いくように教えているけど
彼そのものが犯罪者だったらどうしようもない。
元サイババ信者としては。
既成宗教のなかでサイババの教え(というかヴェーダンダ哲学)が一番完璧だとは思うけどね。
65 :
ちゃんと読んでね:2001/05/11(金) 14:34
>54 55
神との対話によると、この世に悪というものはない。
なぜなら、神は善悪を判断しないから。
だから、殺人でも、許されてしまう。
ヒットラーも、天国にいって、幸せになったという、
文が初版ではカットされていたらしいけど、結局
一言でいってしまえば、全て何もかも、神が
罰するということはない。だから、人間は、神を恐れる必要もない。
だから、何をやってもOK。愛という観点で、その個人個人が
判断すれば良いこと。もともと、神との対話では、「死ぬこと」自体が、
すばらしいことだとしているから、殺されたって別にどうってことないさ
ということになるのかもしれない。でも、もちろん、被害者の為にも、
現段階では、しかるべき法的措置は、必要です。
66 :
54:2001/05/11(金) 14:58
>65
>人間は、神を恐れる必要もない。だから、何をやってもOK。
その論理は破綻しているよ。神がこの世を造ったのには意味があるは
ずで、それを核ミサイルで粉々にしても許されるというのは矛盾だ。
神の手で生成があって初めて、それを破壊する「悪」が存在を許される。
ブレーキがない車も困るが、エンジンのない車なんて考えられない。
こういう不平等な関係を、「善悪」という概念に置き換えることで、
真理を誤魔化している。そういうのを詭弁というんだよ。
銀行強盗は、銀行があるから成り立つ。銀行がなければ銀行強盗など
ありえない。逆に、銀行は銀行強盗がなくても困らない。つまり、
「悪」は「善」に寄生するもので、宿主の「善」に異存して存在して
いる。「悪」とは、宿主なしには成り立たない存在、と定義しても
いい。
そういう考察を抜きにして、「善悪」の違いなどない、というのは
全くオメデタイと言う他はないね。
67 :
Miss名無しさん:2001/05/11(金) 15:02
68 :
ass:2001/05/11(金) 15:23
最大の悪は悪なんてないということである。
69 :
じゃあ聞くけど:2001/05/11(金) 15:24
悪って何? そもそも、銀行強盗が悪いって決めたのは誰?
日本人は中国や韓国に、銀行強盗まがいのことやってきたんじゃないの。
人間の価値観ほど、うつろいやすくて、曖昧なものもない。
その為に法律も必要。ただ、本によれば、神が人間をつくった理由は
肉体をもたない、神が、あらゆることを経験する目的として
つくったとある。だから、ミサイルで、粉々にしようが、強盗を
しようが、それが、一つの経験となる訳だから、それだけで、
神の人間をつくった目的は達成されたことになる。
そもそも、善悪っていうのは、その時代や人によって受け止め方は違う。
今、十人の人間を殺せば、殺人犯になるけど、戦時中、十人の人間を
殺せば、英雄になれた。今だってこういう国はある。
こう考えただけでも、一つの出来事を善か悪かは、人によって
違うことがわかるはず。
ちっとも矛盾してない。むしろ、何もかもを善だの悪だのと、
決めつける思想そのものが危険。
70 :
54:2001/05/11(金) 15:44
>69
>日本人は中国や韓国に、銀行強盗まがいのことやってきたんじゃないの。
>戦時中、十人の人間を殺せば、英雄になれた。
私は植民地政策は「悪」だと思っています。また、心の底から人殺しが好きな人間
はいないと思います(頭がいかれた人間を除いて)。英雄というのは、殺人の目的
を美化する「いい訳」にすぎない。
>ミサイルで、粉々にしようが、強盗をしようが、それが、一つの経験となる訳
>だから、それだけで、神の人間をつくった目的は達成されたことになる。
心の底から望んでミサイルで世界を粉々にしたいと考える人間はいないと思う。
たいていは、自分の欲望を達成するために軍備を増強し、最後は無用なにらみ合い
をやった末にミサイルが飛び出す。家に帰ればうなるほど金があるのに、銀行強盗
そのものに生きがいを見出す人間もいない。彼らは金を得るために、「銀行強盗を
も辞さない」にすぎない。人殺して、金を奪うことが悪いことだと誰もが知ってい
る。知っていてやるのは、「社会には合法的に人を殺して金儲けする奴らが一杯
いるじゃないか」などという「いい訳」を隠れ蓑にしているだけ。
「ミサイル」も「銀行強盗」も、それを本当に望んでやっているんだろうか?誰も
望まないことを「体験」しても、学習効果はない。そんなもの、誰だって「悪」だと
知っているから(それがわからないのなら人間失格だ)。
71 :
54:2001/05/11(金) 15:56
私には戦争体験はないけど、戦場にいけば、殺し合いをやらざるを得
ない。その時に、本当に敵の兵隊を殺すのを「楽しみ」にしていた人
なんているんだろうか?
ほとんどは、「殺したくはないが、殺さなければ味方に殺される」と
イヤイヤやったのだと思う。殺し合いを指示した軍部だって、山本五十
六のように、早々から敗戦することを見抜いていた指揮官もいた。
補給ラインもない死地に、自分達の部下を送ることを承知し、涙を隠し
て進撃した部隊長もいたはず。
ほとんどの人は、戦争は「悪」だと頭でわかっていた。それなのに、
希望しない「悪」をやらざるを得ない状況に追い込まれたというのが
問題です。本当に殺し合いが好きなら、好きなだけやってみれば、と
いうのとは次元が違う。戦争は「悪」だと決められない、などという
ピントのボケたことを言って平気なのは、世間で「悪」との葛藤に
苦しんだことのない「温室培養人間」のたわごとです。
72 :
Miss名無しさん:2001/05/11(金) 16:12
>>69 この考えかたが危険そのもの。
そしてニューエイジ系の人はそれに気づかない。
神が自分自身の存在を確認するためだけの理由で
内戦、紛争の地に生まれたり拷問されたり病気になったりしてたまるか。
神のマスターベーションのために人間が犠牲になってるってことになるぞ。
自分の身に起きたら呑気に、「悪なんてない」なんて言ってられないはずだ。
73 :
72:2001/05/11(金) 16:15
そしてニューエイジにはいろんな言い訳があるんだよな。
そういう地に生まれた魂は自分でそれを選択したとかなんとか。
74 :
みすななし:2001/05/11(金) 17:37
ニューエイジや成功哲学の「思考は実現する」とか現在の状態はその人の想念によってつくられた
とかいうのはある程度まではあたってるけど、
生まれつき手足のない人がいくら感謝したり、手足が生えるイメージを繰り返したって
それは無理なんだから、いいかげんなこといわないでほしいよ。
一部は当てはまって、一部は当てはまらないのは真理じゃない。
75 :
:2001/05/11(金) 17:38
>家に帰ればうなるほど金があるのに、銀行強盗
>そのものに生きがいを見出す人間もいない
金はあるのに万引きする人はいるけど?
76 :
:2001/05/11(金) 17:40
イメージで腫瘍が消えたなんて話しもあるくらいだから
手や足が生えてきてもよさそうなもんなのにねぇ(^^)
77 :
`´:2001/05/11(金) 17:47
まあ、無理に理解を求めなくてもいいんじゃない?
危険思想と思う人はそういう選択したんだからさ
78 :
33=65=69:2001/05/11(金) 19:16
あなたの書いているのは、あくまでも、あなた個人の価値観に
過ぎない。一方ではあなたの言う、頭のいかれた人間で
人殺しを楽しむ人がいるというのも現実。
その為に法律もある訳です。
> ほとんどの人は、戦争は「悪」だと頭でわかっていた。それなのに、
> 希望しない「悪」をやらざるを得ない状況に追い込まれたというのが
> 問題です。
何度もかくけど、これも、あなた個人が勝手に感じている
問題にすぎない。
> 誰も
> 望まないことを「体験」しても、学習効果はない。
もしも、ほんとにみんながそう思ってたら
戦争なんて、おきなかったんじゃないの?あなたのいう「希望しない「悪」」を
善き事として望んだ人がいたからこうなったんじゃないの?
もしも、あなたの大切な人が誰かに殺されそうになったら、どうする?
わたしだったら、その人を守る為に戦うと思うよ。
結果的に誰かを殺してしまうかもしれない。
もし、実際そういう人がいたとしたら、人殺しだけど、
その人にとっては「正義」を貫いたことにもなる。
身勝手に人の命を奪うことが「悪」なら、その「悪」を
阻止する為にまた、「悪」が生まれることだって
あり得る話。
> 本当に殺し合いが好きなら、好きなだけやってみれば、と
> いうのとは次元が違う。
そんなこと言ってないし、そんな風に考えてもいない。
物事を自分だけの一方的な善悪だけで決めつけるなといっているだけ。
もともと、戦争だって、そんな風な一方的で身勝手な価値観から、
生まれたものなんじゃないの?
「戦争は「悪」だと決められない」からといって、
善としている訳ではない。
あくまでも、神と人間とのスタンスの話でかいているだけ。
あなたの様な人にこそきちんと読んで欲しいと思う。
あなたが、紛争の犠牲者になりたくないのなら、
そうならないような、現実を選べば良いだけ。
その為にも思考を現実化させるという意味も出てくる。
わたしは、ニューエージ的な思想は嫌いだし、
著者も納得できないと書いている。
わたしの考えをニューエージと思われるのは
大変迷惑な話です。
79 :
ななし:2001/05/11(金) 19:36
危険な思想でも真実ならかまわないが
矛盾してるからおかしいと思ってるだけ。
80 :
`´:2001/05/12(土) 01:15
矛盾についてもなんか書いてたな
81 :
nipponn:2001/05/12(土) 01:20
人はなぜあなたを疑うのでしょう?
=それは自分をうたがうからだ。=
82 :
名無しさん :2001/05/12(土) 03:33
結局、キリスト教の絶対的な善悪という考え方が破綻してきたので、東洋の相対的な善悪の考え方を導入したのがニューエイジという感じがする。
戦争(を含めすべてのこと)を善とも悪とも考えないという姿勢は仏教に限らず、結構古く、紀元前ぐらいには存在してた。
ギリシャとかインドではアホみたいに議論ばっかしてたから。
大体、論理って常に前提条件が必要になるから(AだからB)、本当にAなのか?って疑ってくとAにも前提条件が必要になって、無限に完結することはない。
つまり、本当の意味では何も証明できないということ。
多くの宗教っていうのは、その論理の出発点を定めてた。(Aって言ったら絶対Aなんだ!神さまが言ったんだから。)
この出発点が違うと争うことになる。
仏教ではこの出発点を認めてないから争わない(つーか議論できない)。
西洋世界にとってはニューエイジでも、東洋では昔からあった考え方(西洋にもあったけど、キリスト教が強かったので、学問の領域でのみ生きていたと思う。だから、科学者の多くは善悪の問題には立ち入らない。こういうことが分かってるから。)。
それを神の名でもって、言っただけ。
83 :
噛むと喉痛いわー:2001/05/12(土) 15:47
>>82さん
>つまり、本当の意味では何も証明できないということ。
そういうことがわからない人は多い。
『神との対話』に「対象」はいらないんだよね。
だからニールが本当に神と対話をしたのか?などと言う人がいる。
しかし、この本を理解している人はそんなことはどうでもいいことを知っている。
ただ真理を自分のうちに見出せばいいのだから。
84 :
54:2001/05/14(月) 09:28
>82
確かに、仏教を初めとする東洋思想では、「善悪」を相対的な関係として捉えて
いますけど、それにも関わらず「やってよいことと、やるべきでないこと」は
ちゃんと立て分けている。「善悪」が相対価値ならば、殺人してもいいか、と
言えば、仏教では不殺生を説く。
「禅」の修業は2段階にわかれています。初めは、「善悪」を含めた二元的対立
からなる「分別智」の思考を完全に破壊する修行、「色即是空」の修行です。
しかし、それだけでは完成せず、こんどは再び、「善悪」などの区別のある世界に
戻ってくる、「空即是色」の修行が始まります。最初の段階でとどまったものを、
禅では「野狐禅」と呼び、光も音もない世界に永遠に安らぐ、一種の邪見と見なし
ます。白隠禅師は、若い頃に自分がそのような魔道に入った経験を書いています。
真に「禅」で悟りを開いた者は、他に対する慈悲心が湧いてこざるを得ません。
一度は、「善悪」の対立を消したのち、今度は新鮮な目で「善悪」の立てわけが
わかるようになる。確かに、一切諸法は皆空かもしれないが、水は冷たく、火は
熱い。そういう区別は厳然としてある。仏と凡夫は、水と氷の関係だというが、
水は水、氷は氷、という区別もある。そこに出てくるのが無限の慈悲心=菩提心
です。その時、初めて「汝、殺すなかれ」の意味が心の底から理解できる。
「神との対話」の説く「善悪」のない世界は、決して間違ってはいませんが、その
まま進めば、必ず「野狐禅」の邪見に落ち込みます。
85 :
一人間:2001/05/14(月) 12:43
>84
同意。
やはり我々は神の御心を推し量ることの出来ないうちは、常識と理性を忘れずに
進む事が人として大事な気がする。
善悪不二という言葉は、釈迦やキリストのような神我一体境にたどり着いた後に
言える事だ。
出来るだけ正しき道を歩もうとする努力は必要であると思う。
86 :
82:2001/05/15(火) 12:00
>84
禅については良く知らないけど、一応、大乗だよね?
大乗って、仏教の本来の教えと大きく矛盾してるように思う。
「すべての物差しを捨て、この世界のすべては私ではない」と認識するのが仏教の目指すところで、そこに到達してしまえば、救われていない者も救われるべき者も存在しなくなる。
本来は、そこで終わりのはず。
原始仏教経典にはこんな話がある。
何度もニルヴァーナに到達し、戻ってきた修行完成者が「もう何度も涅槃に到達したし、死んでもOKだろ」ってことで自殺する。
それを知った悪魔は、「まずいんじゃないの?」って仏陀のところにチクりに来る。
仏陀は「修行完成者を称えに行こう!」と言って、弟子とともにその者の亡き骸のある洞窟に向かう。
修行完成においては、死さえ悪ではない。
それなのに、まだ救われなければならない人というのが存在すんの?
他にも仏陀が突っ込まれてる話とかもある。
「お前、何、説教たれちゃってるわけ?悟ったんじゃないの?こうでなくちゃならないっていう執着まだあんの?ほんとに悟ったの?」って言われて、
「やだなー、説教してるんじゃなくて、聞かれたから答えてるだけだよー。執着してないよー」って仏陀が言い訳する。
悟った人ってのは、価値判断をしないから、「こうでなくてはならない」という目標もないんだそうな。
自分や世界が不完全だと思うから、「こうなりたい、ああしたい」ってなるんであって、不完全だと認識しない人には欲求がない。
こういうことをちゃんと分かってる奴には戒律なんて必要ないんだけど、自分の都合のいいときだけ「善も悪もない」って事を言い出す輩がいるから戒律はあるんだろう。
こういうことから見ると、「野狐禅」とやらが本来の仏教の終着点だと俺は思う。
大乗は、「民衆の救済」という物差しを提唱したから、すべての物差しを捨てても、そこで終わらず、生きるためにまた捨てたはずの物差しを採用するという矛盾がでてきたんじゃない?
87 :
54(84):2001/05/15(火) 12:16
>86
もし、「野狐禅」が仏教の悟りの境地ならば、釈尊はヒマラヤの山奥
にでも引っ込んで、ニルバーナの境地をひとり楽しまれたことでしょう。
あの暑いインド中を、80歳まで歩き回って法を説いた慈悲心は、「野
狐禅」とは無縁のものです。
道元禅師は、もともと宗派にはこだわらず、小乗仏教として蔑まれて
いた阿含経を愛読しておられた、めずらしい方ですが、彼の主著である
『正法眼蔵』にも「大乗仏教」の精神がはっきりと息づいています。
「仏となるにいと易き道あり、もろもろの悪を作らず、生死(この世の
人生)に著する(執着する)心なく、一切衆生のために、憐れみ深くし
て、上を敬い、下を憐れみ、万事をいとう心なく、願う心なくて、心に
思うことなく、憂うることなき、これを仏と名づく。また外に尋ぬるこ
となかれ」(「生死」の章)
菩提心(大悲心)を忘れた時点で、仏教は外道に堕し、それを修正する
ために大乗仏典が世に現れたのだと私は信じています。原始仏教の経典
がそのまま釈尊の声と捉えるのも問題だと思われませんか?
88 :
54:2001/05/15(火) 12:28
『ウダーナヴァルガ』にはこういう記述があります。
たとい百年のあいだ毎月千回ずつ祭祀(まつり)を営む人がいても、その功徳は
慈しみの心(の功徳)の十六分の一にも及ばない(第24章、#25)
たとい百年のあいだ毎月千回ずつ祭祀(まつり)を営む人がいても、その功徳は
生きとし生けるものどもを憐れむ(功徳)の十六分の一にも及ばない(同、#26)
89 :
`´:2001/05/15(火) 18:40
仏教の話しになってるね
というか あれにこう書いてあった どれにああ書いてあった
な話しになってるけど 面白い
>「やだなー、説教してるんじゃなくて、聞かれたから答えてるだけだよー。執着してないよー」
>って仏陀が言い訳する。
って、この場合の「言い訳」って
「言い逃れ」の意味で使ってるわけですか?
それとも「諭す」の意味で使ってるわけですか?
「聞かれたから答えただけで 執着してるわけではない」という応えは
至極もっともだと わたしゃ思いますが・・・
90 :
54:2001/05/16(水) 14:55
>89
誰も「私は悟りを開いて仏になった」と言い切れる人がいませんので、どうして
も「過去の文献にはこう書いてある」という迫り方しかできないと思います。
ちょっと、仏教に深入りした議論になり、「神との対話」から逸れつつあります
が、このポイント=悟りを開いた時に「慈悲心」が伴うかどうか、は非常に重要
な問題だと思いますので、もう少し「道草」させていただきます(^^)。
釈尊もイエスも、天才的な宗教改革者でしたが、彼らが既存宗教のどういう誤謬
を正したのか、と言えば、結局「慈悲心」の一言に行き着くと私は解釈していま
す。
[釈尊の場合]
バラモン教では、前世の行いによって個人の運命が既に決まっており、現世で賎民
として生まれた者は永遠に賎民を続けねばならない、と説いた。支配階級は、それ
を利用して、強固な人民支配を行っていた。釈尊は、人は「執着心」を取り除く
ことで誰もが「仏」になれる、と説き、実際に彼の教団では、カースト的な差別を
禁じた。
[イエスの場合]
ユダヤ教では、モーゼの十戒に始まる戒律を完璧に守る者のみが神の意に叶う、と
いう選民意識が発達し、生まれつきの身体障害者や業病に苦しむ者、貧しい者など
は神の意に叶わない、「地獄必定」の人間達だと決めつけ、社会的に抹殺していた。
イエスは、これらの「罪人」を優先的に自分の弟子として引き取り、また、選民意識
を持つ支配階級に対して「あなた方よりも、あなた方が罪人と呼んでいる、これらの
連中の方が、先に天国へ迎えられる」と公然と非難した。
91 :
54(続き):2001/05/16(水) 14:55
二人の聖者が命をかけてなしたこととは、宗教の名の元に、人間を「善人」と「悪人」
に分類して、人が人を裁き支配する、そのような暴挙から人間を解放することだった
と私は思います。そして、人間をはかる尺度として、「自分よりも他人のために思い
やりの心をもてるかどうか」=「慈悲心」の有無を掲げたのです。
あらゆる(ユダヤ教の)掟のうちで、どれが第一でしょうか、の問いとして、
「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように
愛する」ことだ、とイエスは答えています。また、別のところでは、天国におい
て偉い人になろうと思ったら、他人を支配するのではなくて、他人に奴隷のように
仕える人になれ、とも言っています。
私見ですが、「神との対話」の是非を審査する上で、「慈悲心」の有無が一番の
決め手になると思います。「慈悲心」がなければ、どんな高遠なる思想でも、表面
に装飾を凝らした墓石にすぎず、禅師たちの言葉を借りれば「野狐禅」にすぎま
せん。
92 :
ななし:2001/05/16(水) 15:02
査定もなにも
いくら教えが完璧でも書いた奴が嘘つきだったらどうしようもないじゃない。
サイババが良い例。
93 :
55:2001/05/16(水) 16:14
「神との対話」では、人は環境・時期などを すべて自分で選んで生まれてきた
のだと書いている。その中に神の意思は、関与していない。
「悟り」とは、今の自分は、自ら望んだことだと理解して
いろんな事が体験できる幸せに気付くことだと思う。
94 :
>ななし:2001/05/16(水) 16:21
>査定もなにも
>いくら教えが完璧でも書いた奴が嘘つきだったらどうしようもないじゃない。
>サイババが良い例。
誰がなんと言おうと 真実は真実だ!
お前は、尊敬する人や善人が1+1=2と言ったら信じて
嘘つきや悪人が 1+1=2と言ったら信じないのか?
事実じゃないと思うのか?
95 :
54:2001/05/16(水) 16:44
>55さん(93)
またまた私見になりますが、単に「いろんな事が体験できる幸せに気付
き、神に感謝する」だけでは不十分だと思います。
釈尊時代のバラモン教司祭も、イエス時代のユダヤ教司祭も、自分の
身の上についていろいろと神の恩に思いを廻らし、朝夕、感謝の礼拝を
やっていたはずです。しかし、それでも釈尊やイエスから否定された。
なぜか、と言うに、そこに「隣人」が含まれていないからです。
バラモン教もユダヤ教も、貧困や差別に苦しむ「隣人」を見て見ぬふり
をしていたのです。「隣人」には知らん顔をして、「神」に顔を向けて
いた。イエスはその偽善を鋭く指摘した。「神の子」である「隣人」を
見捨てて、「神」を愛せるわけがない。
「神との対話」には、バラモン教やユダヤ教的な「利己主義」を感じ
ます。他人の難儀など、自ら選んだものだから放置せよ、という教義な
ど、実にバラモン教のカースト制度そっくりです。
私の判定結果は「真っ黒けのけ」です。
96 :
偽善者:2001/05/16(水) 16:44
>「神との対話」を信じる、または評価する人達へ
この作者は「自分の思いこみ」と「神の声」をどうやって区別する事が出来た
のでしょうか?
97 :
`´:2001/05/16(水) 17:05
>>95 その判定でOKだと思いますが
なにか引っかかることがあれば
さらに深く読んで内容を理解してみるのもいいかも
>>96 自動書記みたいな書き方じゃなかったんですか?
98 :
nipponn:2001/05/16(水) 18:17
あげ
99 :
nipponn:2001/05/16(水) 18:24
あなたたちはまだ神が遠くにいる感覚にいるようだね。
神は存在する全てであり存在しない全てである。
あなたは純粋な創造者であり、神です。
100 :
偽善者:2001/05/16(水) 19:04
>>99 素晴らしいお考えをお持ちのようですね。あなたにお尋ねしたいのですが、
あなたがそのような信念を持つきっかけになったのは、どのような体験から
ですか?何も体験無しにそのような考えになるとは思えないので・・・
「神」か何かの超実在者からの何らかのメッセージでもあったのですか?
その存在から何かを語り掛けられたのですか?
どうかお答え下さい。私達はあなたのような方々から話を聞いて何かのヒントに
しないと、あまりにも「神」というものがあいまいすぎてわからなさすぎるからです。
101 :
nipponn:2001/05/16(水) 23:21
>神」か何かの超実在者からの何らかのメッセージでもあったのですか?
神はいつでも誰にでもメッセージを送っている。
問題はあなたが耳を傾けることではないですか。
信じることです。あなたは受け取ってると。
あなたと聖人の違いはそこにあるでしょう。
>あまりにも「神」というものがあいまいすぎてわからなさすぎるからです。
神は存在する全てであり存在しない全てである。
宇宙には神しかいない。その昔神とあなたの関係は父と子といわれてきた。
それは別にかまわない。けど対等な存在ということを確認してほしい。
別に友達に話すように語りかけてもいいんだよ。
優しく吹くそよ風、すごい笑えるユーモアを出したとき、泣いてるとき、
怒ってるとき、いやみなとき、子供の微笑み、ほのかな木の香り、
見渡す広い大地、どこにでも神はいる。
>素晴らしいお考えをお持ちのようですね。何も体験無しにそのような考えになるとは思えないので・・・
神との対話を読んでからだよ。あなたも読んでみたらこの考えがすらすらでます。
102 :
>93:2001/05/17(木) 09:35
>「神との対話」には、バラモン教やユダヤ教的な「利己主義」を感じ
>ます。他人の難儀など、自ら選んだものだから放置せよ、という教義な
>ど、実にバラモン教のカースト制度そっくりです。
103 :
82:2001/05/17(木) 09:47
>って、この場合の「言い訳」って
「言い逃れ」の意味で使ってるわけですか?
それとも「諭す」の意味で使ってるわけですか?
諭すというか、説明するの意味。
私見を混ぜて、随分と歪曲してみました。
謹んで、お詫び申し上げます。
言いたかったこと。
仏教というのは、認識・論理の不完全性というものから出発して、「何も存在しない」という極論に達したものと思うけど、その結論と大乗の民衆救済というのがどうもなじまないという気がする。
確かに、「すべては私ではない」という認識はキリスト教の「すべては私である」という認識(良く知らないので、間違ってるかも)と同様に、自分を含め誰のこともえこひいきしないということになる。
しかし、それが積極的な救済につながるとはどうしても思えない。
誰のことも特別視しないことを大乗では慈悲と呼んでるのはないのかな?
一応、「神との対話」の話もしなくてはいけないので。
>この作者は「自分の思いこみ」と「神の声」をどうやって区別する事が出来た
のでしょうか?
本の中には、自分のでっち上げではないかと疑っていた様子が載ってる。
その時、神様は「どっちでもいいじゃん。それに、お前、こんなすげーこと言えんの?お前じゃ言えないだろ?」ってな答えだったと思う。
もっと客観的で確実な出現の仕方をしてくれ、というお願いに対しては、
「今、お前の前にいるじゃん。疑ってんの?こうやっていろんな奴の前に出現してんだぜ。いつも、みんなの前にいるのに、あんま気付いてくんないんだよね。さみしーなー」ってな感じかな。
その後、「私=神」ということを再三に渡り、神から吹き込まれたニールは「私=神だから、そんなこと、どーでもいいんだ!」とポジティブシンキング。
すっかり、自分に騙されてしまいました。(以上、私見混入済)
神だったら、ニールの知らない人名、書籍名、映画のタイトル、団体名言っても良さそうなのにね。
なんにしても、ニール自体は長い間、神様のこと考えたり、本呼んだり、セミナーに参加してたナイスガイと思われる。
104 :
>93:2001/05/17(木) 10:07
上は間違えました。
>またまた私見になりますが、単に「いろんな事が体験できる
>幸せに気付き、神に感謝する」だけでは不十分だと思います。
神は、人から祈りや感謝などをしてもらう必要はないし 困ることも
ないと書いている。ただ感謝すれば思っていることが実現しやすい
だから なにも欲しいと思わなければ祈りや感謝などは必要ないのかも
尊敬や感謝や服従を望むのは 王様や支配者などの人たちであって
神じゃないとも書いている。
悟った人は、今の自分は、自ら望んだことだであり望みは叶っている
と理解しているから 誰から強制されることもなく自然と感謝してる
とは思うけども
>「神との対話」には、バラモン教やユダヤ教的な「利己主義」を感じ
>ます。他人の難儀など、自ら選んだものだから放置せよ、という教義な
>ど、実にバラモン教のカースト制度そっくりです。
本には「他人の難儀など、自ら選んだものだから放置せよ」などとは
書いていない。逆に 難儀してる人を助けることができるのか?
その人に対して愛を表現できるのか?行動に移せるのか?
とたずねている。
ただ その人が困っている人を助けなかったからといって
神が その人に罰を与えたり地獄に落としたりはしないと書いている。
それと 理解し難いのが 救われてない人がいないと
救う人が存在しないという事。
105 :
nipponn:2001/05/17(木) 11:42
何のためにこの世に生きているのですか?
自分が何者であるかを思い出すため、そして創りなおすためだ。(あなた方の言う)人生とは、概念として知っていることを体験的に知る機会だ。何も学ぶ必要はない。既に知っていることを思い出し、それにもとづいて行動すればいい。
魂は、知る必要のあることはすべて知っている。隠されていることは何もないし、知らされていないこともない。だが、知っているだけでは、充分ではない。魂は体験したがっている。
自分が寛大であることを知っていても、寛大さを示す何かをしなければ、概念にすぎない。親切であることを知っていても、誰かに親切にしなければ、自意識があるだけだ。
自己についての偉大な概念を体験に変えたい。それが魂の唯一の望みだ。概念が体験にならない限り、推測にすぎない。わたしは長い間、自分について推測をめぐらしてきた。
=神との対話より=
106 :
nipponn:2001/05/17(木) 11:48
私がこの世で学ぶべき因果(カルマ)の教訓は何なのでしょうか?私は、何を克服しようとしているのでしょうか?
この世で、あなたは何も学んでいない。学ぶものは何もない。あなたはただ、思い出しているだけだ。つまり、わたしを思い出しているのだ。
何を克服しようとしているのか?克服しようとすること自体を克服しようとしているのだ。
=神との対話より=
107 :
nipponn:2001/05/17(木) 11:51
どうして、ヒトラーは天国に行ったのですか?
ヒトラーは、何も「間違った」ことをしなかったからだ。ヒトラーは自分らしく行動した、それだけだ。念のために言うが、何年もの間、おおぜいの人達が、彼は「正しい」と思っていたのだよ。本人がそう思うのは当然ではないか?あなたが狂気じみた考えを思いついたとしても、それに一千万人が賛成したら、あなたは自分を狂人だとは思うまい。
世界は−ようやく−ヒトラーは「間違っている」と判断した。ということは、世界の人々が、ヒトラー経験との関係を通じて、自分は何者であり、何者であろうとするかについて新しい考えをいだいたということだ。彼はものさしを提供したのだよ!パラメーターを設定した。私たちが自分自身についての考えを計測し、限界を決めるための境界を作ったのだ。対極ではあるが、キリストも同じ事をしたのだよ。
108 :
名無しさん@1周年:2001/05/17(木) 13:21
>>101 そのメッセージが「神」からのものであるという証拠は?
「悪魔のささやき」だって多いよ。
109 :
`´:2001/05/17(木) 14:02
>>108 その問答はキリがないっすねー
先に進まない
しかし「悪魔」を確認できるのもすごいっすねー
神も確認できないかな
110 :
108:2001/05/17(木) 16:48
>109
一般論になるけどね、誰も見ていない所に1万円札が落ちているとして、一瞬、
ポケットにねじこもうか、と考えたりしますよね。同時に、こんなことはやっ
ちゃいかん、という気持ちもある。この「善悪」の判断には理屈なんてないで
しょう?昔の人がよく口にした「お天道様に顔向けできない」という感覚に近い。
この判断に従えば、「そんなとんでもないことをそそのかした声」は「悪魔」だ
ということになる。
声の主が「神」か「悪魔」か、と「確認」しようとした時点で、この生まれつきの
「善悪」の尺度は消えてしまう。「悪魔の声?悪魔の存在を証明せよ。できないの
なら、悪魔とは断定できない」「1万円が落ちていて、目撃者がいなかったのは、
それを拾えという神の御意志だ」などなど、あとはいくらでも理屈がつけられる。
「善悪」を理屈で分析し出したら、もうその人は「善悪」に対して盲目ですよ。
いや、盲目になって「罪の意識」を忘れるために、理屈をこねるんです。それが
証拠に、後ろめたいことをやっている人は、まず「言い訳」を口にする。
新聞に、ベトナム帰還兵の告白のことが書いてありました。誤って民間人を攻撃
し、皆殺しにしてしまった。その人は、何度も悪夢にうなされて夜中に飛び起きた
と言います。法律的には「無罪」が確定していたのですが。社会や法律が許しても、
どうしても許さない存在が、彼の心の中にあるのです。いくら「あの戦闘は御国
のためだった」とか、「誤認なんて誰でも犯しうるミスだ」とか、言い訳をしても
解決しない。
程度こそ違え、人は皆同じようなことをやっていると思う。「神との対話」だって、
「罪の意識」を無感覚にするためのモルヒネという面があるよ。
111 :
nanasi:2001/05/17(木) 20:56
しかしだねー、サイババと神との対話の教えにいくら傾倒したところで
サイババはインチキ。神との対話の作者もうさんくさい
それじゃ話にならん。
112 :
`´:2001/05/18(金) 06:34
>>110 例え話にそんな善悪は時代と場所によっても変わる
なんてつっこんでも意味が無いので簡素に それは
人の『良心』ってやつですね?
>「罪の意識」を無感覚にするためのモルヒネという面があるよ。
うーん 使い方しだい
そう使おうと思って読む人はそう使えるでしょうな
>>2,>>3のように
どんな読み方してんねん な人もいますからね
113 :
108:2001/05/18(金) 09:37
>112
確かに、世間で言う良心には、社会的な要請から教育によって刷り込まれたもの
があるのは確かです。しかし、それだけではなく、人間が誰でも生まれつきに持
っている「良心」があると私は考えています。
「人を殺してはいけない」と、小学校で習った記憶はありますか?親だって、日常
生活で「人を殺すことはいけないことだよ」などとわざわざ子供に教えたりしない。
自分の周りの人間が死に、葬式に参列して、「死ぬ」とはどういうものか、を「模
擬体験」することで、死にたくない、他人を殺すことも悪いことだ、というのを学習
するのです。どんな人でも、自分が死ぬという体験だけはできません。他人の死を
鏡として、自分の死を意識するのです。
以上の話の中には、一切、社会的要請は入っていません。人間が死ぬ運命を背負って
いるという、人間の本質に関わることです。人間である限り、死ぬのは嫌なことで、
他人もまた死ぬのは嫌なのです。だから、他人を殺すのは「悪」なのです。これを
良心が訴えています。
何でもかんでも、「善悪」概念は人工的に造られたものだ、とごっちゃに議論して
しまうと、本質を見誤ります。特に、人間の本質と結びついた「善悪」を軽視し、
無視しようとするのは、「モルヒネ」の濫用です。
114 :
nipponn:2001/05/18(金) 10:37
世界はそろそろばかなふるまいをやめ、目覚めて、人類の唯一の問題は愛の欠落だということに気付いたほうがいい。
愛は寛容を、寛容は平和を生む。不寛容は戦争を生み出し、耐えがたい状況に無関心になる。
愛は無関心でいられない。どうして、無関心でいられるのかわからない。
人類すべてに対する愛と関心への一番の近道は、全人類を自分の家族と考えることだ。
全人類を自分の家族と考える一番の近道は、分裂をやめることだ。世界の国民国家は団結すべきだ。
=神との対話より=
こんなこと書いてる私ですけど、神との対話で「おやっ?」って思うところは自分のうちの声を聞き
修正しているんだ。けどこの本は真実をついてると思う。
115 :
偽善者:2001/05/18(金) 12:00
>114
では、改めてあなたにお尋ねしたいのですが、あなたの中にある「自分のうちの声」というものが、あなたの言うところの
「神の声」なのですよね。
それがどうして「神の声」である、と言えるのですか?そういう確信を持つような体験があったからではないでしょうか。
あなたの中にある「内なる声」というものが、「あなたの単なる思いこみ、もしくは過去の思想・体験の集積から浮かんでくる知識」にすぎない、とは思わなかったのですか?
なぜなら、私もしょっちゅう「内なる声」が頭の中で響くからです。「ああじゃないか、こうではないか、いや、もしくはこうかもしれない」というようなもので、
その声が正しい時もあれば、間違っている時もあります。ですから、そのようなものを「内なる声」などと思う事はありませんし、自分がその事について検証・実証できないもの(例えば「神」とか「霊」とか)について自分の
中の「内なる声」がどのような事を語り掛ける事があっても、それはあくまでも私の中の思考が勝手の想像・空想しているにすぎない、と思っているわけです。
あなたが自分の中の「内なる声」を「神の声」と確信出来るという事は、それをあなたなりに確信させる出来事があってはずです。そこのところをもう少し詳しく教えていただきたいのですが。
116 :
nipponn:2001/05/18(金) 15:12
>115
答えは簡単だよ。
信じるんだよ。
私とあなたの違いは信じる差だよ。
それに自分の言葉、思考だっていいじゃないか。って思うね。
それが素晴らしいとおもうなら充分じゃないか。
あなたは内なる声を真剣に求めている。
すごく素晴らしいことだと思います。本当に。
117 :
偽善者:2001/05/18(金) 15:23
>116
いいえ、あなたこそ私の問いに真剣にお答え頂いて、本当に嬉しく思います。
嫌がられる事を覚悟していましたから。あなたは真剣にお答えくださっています。
それだけでも、あなたに質問出来て良かった、と思います。
「信じる事」ですか、自分を信じきる事が徹底出来ない私には難しいですね。
私は私の想像を根底から打ち砕くような形で、私の前に「有りて有る者」が現われて
くれる事を期待しているのですが・・・。信じる、信じないとか関係無い力で私の前に
現われてくれるんじゃないだろうか?なんて思っています。
118 :
nipponn:2001/05/18(金) 16:26
>信じる、信じないとか関係無い力で私の前に
現われてくれるんじゃないだろうか?なんて思っています。
神は存在する全てであり存在しない全てである。
どこにも現れている。
119 :
偽善者:2001/05/18(金) 17:29
>118
なるほど、あなたのお考えはわかりました。それは、あくまでもあなたの信じている事であり、
真実のところはあなたもわからない、という風に理解していいのですね?
120 :
`´:2001/05/18(金) 19:03
>>113 善悪を判断したり
善悪がなにであるかを判断したり
善悪の判断の善悪を判断する事が
いこーる善悪の軽視につながるとは思えない
自分的にはむしろ善悪とは何かを理解することは
より 色んな条件を含んだ善悪を見つめることになり
自分が経験する(見たり聞いたりも含む)出来事の本質を
偏らず見抜けやすくなる んじゃないかなぁと思う
121 :
103:2001/05/18(金) 19:22
>120
無神論で、人間が「善悪」を決めてよいのなら、おっしゃる通りです。
122 :
113:2001/05/18(金) 19:41
ごめん。121は103でなくて113でした。
あるキリスト教の牧師が、禅に興味をもって、ひたすら修行に励み、
最終的に到達した結論とは、「神の声は良心のことである」です。
仏教修行は、あらゆる二元対立を、薄皮を剥ぐように「空」じていき
ますが、空じきったところに、ある何かが残る。これが仏教でいう
「仏性」です。それは慈愛のかたまりのようなものです。
そこから生まれる教えとは、以下のようなものです。
1.天と心にすむ神の、み声を心でよく聴いて、働きましょう、学びま
しょう、善きことしましょう、どこまでも。
2.人は神の内に住み、神は人のうちに住む、魚と水の如くにて、人と
神とは一体だ。
3.人を大事にしているは、神を大事にするのです、人を粗末にしてい
るは、神を粗末にするのです。
4.小さい小さい親切も、天と心に住む神は、一つ一つ喜びて、一つ一つ
むくいます。
5.神のむくいの来る時は、おそい早いはあるけれど、おそい時にはおそ
いほど、神のむくいは多くなる。
6.苦しい時には神さまに、ただちにお祈り致しましょう、楽しい時には
神さまに、ただちにお礼を申しましょう。
7.もし間違いをした時は、ただちにおわびを致しましょう。天を心に
住む神は、必ず聞いてくだされる。
(『禅者牧師 吉田清太郎』、秋月龍ミン編著、平河出版社)
良心の声を、いくら人智で考察しても、真理にはたどり着けません。
人智で考えが及ぶのは「分別智」にすぎないからです。自他不二の神
の目から見なければ、本当の善悪などわかりっこない。その唯一の
手がかりが「良心」です。
123 :
ななし:2001/05/19(土) 01:24
「釈迦が悟りを開いた」
という根拠は?麻原も悟りを開いたと主張していたが。
釈迦は立派だったというのは判断基準にはならないと思うが。
>>122 1〜7、優しい言葉ですね。良い言葉をありがとうー☆
125 :
nipponn:2001/05/19(土) 02:27
>118
真実ってのはほど遠そうでシンプルなのかも知れない。
真実は愛。これは確実だ。
私たちが真実をつくっている。よって真実なんてない。ってのが真実かも知れない。
すでに魂は真実を知っている。だからそこまで求めなくていいと思うよ。私はきになるタイプだけど。
偽善者さん。あなたは偽善者じゃないよ。その内を真剣に求める姿勢に感動です。
名前このさい変えちゃいましょうよ。
126 :
ななし:2001/05/19(土) 02:54
サイババって行方不明なの?
>>117 信じる、信じないとか関係無い力で現れてはくれますが、
期待してるうちはないと思います。>「現れ」
128 :
偽善者:2001/05/19(土) 10:39
>>127 では、あなたの前には現われてくれたのですか?
「神」という者が。
紙との対話)を読んで感動してる奴がそもそも、自分に酔ってるアホの集
団だ。あんな理屈っぽい紙があるわけねーだろ!常識でものいえよ。
著者の詐欺師に騙されてんじゃねーば!あれこそとんでも世界本で
ナンバー1こうほ(藁
130 :
>123:2001/05/19(土) 11:08
>>123 >「釈迦が悟りを開いた」
>という根拠は?麻原も悟りを開いたと主張していたが。
>釈迦は立派だったというのは判断基準にはならないと思うが
一つの判断基準として行動や足跡をみればいいのでは?
一生をかけて 何を行なったかを観れば その人が何を考えいたのか
だいたい つかめると思う。
人は、一生の間すっと自分の考えに偽りながら生きていけるとは思えないし
自分はできないと思うから
加えて 個人的な解釈なんですが 般若心経は悟る為の智慧を書いたもの
だと思ってます。
すべては一つではない。
分かれているからこその美しさもあるのだ。
>>128さん、まだ、いるかな?
それを聞いてどうするの?
133 :
ぷれぜんと:2001/05/20(日) 01:23
『神との対話』シリーズで人生変わってしまいました。nipponnさんの言わんとすることがようわかる。
今度のニール氏講演会も期待。自分がいちばん思いっきり解放されたのはセックスに対する罪悪感やな。
しなければならないことは何もない。
134 :
偽善者:2001/05/20(日) 01:53
>>132 何もしません。少なくとも批判はしません。
ただ、聞きたいだけです。
しかし、答えたくなければ、それでも構いません。
135 :
nipponn:2001/05/20(日) 02:01
>『神との対話』シリーズで人生変わってしまいました。
私もです。もっといい表現があるのに。とか、ここはこう違うかなあ。っておもうところは自分で修正するほどなんか自分に自信がつきました。
>>134 参考にしたいのかな?それなら、数々の文献を読まれるとかどうでしょう?
質問攻めはかんべんなんで。(笑
ただ、今現在に至るまではかなり長い間苦しみました。
そういうことも覚悟されたほうがいいようです。
私は「神との対話」はまだ読んでいませんが、
過去ログを読めば、nipponnさん他、答えが出てるのが解ります。
それをまず素直に受け止めてみては?(神さまは素直な心が大好きです。(笑))
なにか、焦っておられるようにもみえますが、
とりあえず普段から心をニュートラルに保つよう心がけてみてください。
あなたにまだ準備ができてないのかもしれません。
頭で考えず、心で感じることが大切です。
134さんは、ちなみにどういうかたちで現れると考えてますか?
自分でそれを得るために、なにか行動を起こしたりしていますか?
137 :
シグマ:2001/05/20(日) 12:44
いつも、神からのメッセージを聞いてると言ってる人がいるけど、
・・ちなみに、そのメッセージを本にも出してる人だけど・・・
本に書いてあるすばらしいメッセージを読んでから、その人に
会うと、これが、ほんとにあの本書いてる人なのかなって思ったね。
何だか、傲慢だし、ろくろく人の話も聞かないし、やたらと攻撃的だし、
神からのメッセージを聞けることととその人の人間性は一致しないんだと
思った。逆に、そんなこと全然知らないと言う人でも、人間的に
立派な人もたくさんいるわけで、いくら、神とコンタクトがとれる
からって、この程度の人間にしかなれないんなら、別に
無理して、神からのメッセージを受け取る理由もないんじゃ
ないのかな。
138 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 13:31
>>137 シグマさんは「神との対話」の作者に会った事があるんですか?
139 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 14:03
神がホントにいるのなら、俺達の前に現れてもいいようなもんだけどねえ・・・。
天使や悪魔でさえ、俺達は見た事が無いじゃないか。
見る事が出来ない物に関しては、何を言おうと文句言われ無いからいいよな。
140 :
スミレ:2001/05/20(日) 14:11
>一生をかけて 何を行なったかを観れば その人が何を考えいたのか
だいたいつかめると思う。
私は、かなりながいことサイババの信者でした。
このスレには彼に影響を受けた、若しくは現役の信者さんもいるのではないですか?
メディアから一般信者に伝えられるところの彼の「生き方」は
無料の病院をつくり、貧者に施し、刑務所を慰問し・・
などなど様々な奉仕に身を捧げているように伝えられていました。
しかし、彼の醜聞が露見した今となっては、
そんな第三者の他人の生き方の「判断」など単なる推測でしかないということがわかったのです。
今となっては、サイババ信者など物笑いの種ですが、
少なくとも以前はかなりの信憑性をもって
世界中から多くの科学者や高名な医師が彼のもとを訪れ、
サイババはキリストを遥かに凌駕するほどの奇跡や癒しを行い
それらを「説明不可能」として認めざるをえず、帰依者になったと伝えられていたのです。
現代でもこのように、人間の書いた本など嘘だらけ、勘違いだらけであるのに
なぜ、釈迦のみならず、大昔の聖典聖書にあることを信じることができるのでしょうか?
141 :
スミレ:2001/05/20(日) 14:17
>あなたにまだ準備ができてないのかもしれません。
私は嘗て、サイババ信者にこういう言葉をウンザリするほど聞かされました。
「あなたはまだ(ババを神として認める)その段階にいない」
「神との対話」という本もババ信者から借りましたけど
驚いたことに物凄く「ババ信者好み」なんです。教えも考えかたも酷似してます。
はっきり言って「都合がいい」んですよ。
それが「真理」であってほしいと思うことを皆さん、信じているにすぎないように見えます。
サイババの信者で、何人も「心でババと話をしている」
「神からのメッセージがくる」「リーディングができる」と自称している人に出会いました。
「今日のダルシャンでババのエネルギーが身体に流れ込んできた!」とか。
このような「勘違い」の可能性の高い個人的な体験?を私は信じる価値があるとは思いません。
142 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 14:22
>>141 そうそう、所詮その人の思い込みとか、主観的なものに片寄りすぎて
いるんだよね。それはやっぱり実証にはならないんだよね。
万人にはっきり証明できるような物じゃないと、観念論の範囲を出る事は
できないでしょ。そんな物は真理とは言えないんだよね、真理だと信じる事ができてもね 。
143 :
シグマ:2001/05/20(日) 14:29
>138
いえいえ、ニールに会ったんじゃないです。
ただ、自分はよく、神からのメッセージを受け取っていると
言ってる人って、自己啓発セミナーとかやってる人に
結構いるんですよね。それで、そういう人たちが、言ってる
ことは、それ相応に真実味もあって、「神との対話」と、
重なってる部分もあるんだけど、実際に、日常生活で
その人たちが、実践していることって、そのメッセージからは、
随分かけ離れた印象を受けるので、はっきり言って
ただの偽善者そのものだと思うわけです。自分は神からのメッセージを
ちゃーんと受け取っているんだからね・・・みたいな
訳のわからない優越感ありありの様子には、うらやましいとか
じゃなくて、その神からのメッセージをどうして、自分で
きちんと実践していこうと思わないのかなと不思議でたまりません。
ニールの、ホームレス救済や、戦争撲滅の活動を考えると、
彼と、今日本で活躍している、自称神からのメッセージを受け取っている
人々との差には雲泥のものがあります。同じようなことを言っているのに
どうしてこんなにも違うのか、ほんとに不思議です。
144 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 14:36
>>143 そうですよね、もっともだと思います。他者救済よりも、自己救済の方が
先に立っているからかもしれませんね。そう信じ込む事で心の安定を得たい、みたいな。
そういう側面が強いからかもしれませんね。
145 :
スミレ:2001/05/20(日) 14:52
>ニールの、ホームレス救済や、戦争撲滅の活動を考えると、
こういう活動はパファーマンスであることが多いんです。
サイババの奇跡なんてインチキという批判に対し、
「でも無料の病院を2つも設立し、無料の学校教育を行い、
アイキャンプや貧しい人への施しなど彼のような行動をする人がどうして嘘つきなことがあるの?」
という庇護の役割をはたすのです。
私がもし、「神との対話」を書いたり、「私は神だ」と自称したとしたら
金は腐るほどあるわけだから、いくらでも慈善事業をしますよ。
146 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 14:54
>>145 そうなると、余計に性質が悪いというか・・・インチキどころじゃないですね。
ただの利口な「悪」にすぎないですよ。「神」とかを説いているだけに余計にそう思いますよ。
147 :
シグマ:2001/05/20(日) 15:18
>145
なるほど・・・。まあたとえパフォーマンスであっても、少なくとも
誰かの役には立ってる訳ですから、それはそれで、よいんじゃない
でしょうか。こういった、自称、神からのメッセージを受け取っている
人たちが、数々のパフォーマンスをやってくれれば、ほんとに、
世界はもっと良くなることでしょう。
日本人の方でも神からのメッセージを受け取っている方は
ぜひとも、こういったパフォーマーの一員となって活動して
頂きたいものです。あ、やらなくちゃいけないことなど
何もない・・・なんて、つまらないことはいいっこなしね。
148 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 15:22
>>147 つまり「自己救済のみ」から「他者救済=すなわち自己救済」への発展。
仏教で言うなら「往相から還相へ」というところでしょうか。
149 :
シグマ:2001/05/20(日) 16:17
>148
そういうことですね。今、スピリチュアル関連のセミナーで自己救済
に力を入れてるとこってほんとに多いんですよね。ま、それだけ、
自分が救われてないって感じる人がとても多いということでしょう。
自分が救われなければ、人なんて救えないんだっていうのが、
共通した言い分です。
だけど、不思議と、自分は神からのメッセージは受け取っているんだよと
断言はしてるんです。そんなこんなを数十年やってる人もいるもんだから、
で、あんたは一体いつになったら、救われて
人を救う道に進むことができるんだい と つっこみたくなります。
もしも、本当に神からのメッセージを受け取って自分なりの確信がもてたら、
私だって、力いっぱい救済活動に専念すると思いますよ。
だけど、悲しいことに、ニールやサイババみたいな人は今の日本人には
一人も見当たらない。メッセージが聞けて、それ相応の料金をとって、
人に教えてあげられる人はいるかもしれないけどね。そんなもの
何だっていうんだろう。もしも、一人でも、例えパフォーマンスだけでも、
そんな人がいたら、すごく評価するし、寄付だってしたいくらいだけどね。
150 :
`´ :2001/05/20(日) 16:27
>>121 ん? 善悪は人間が決めているという認識で
話してるんですが・・・
151 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 16:27
>>149 うん、でも、寄付したり、支持する前に、その人物の人間性はしっかりと
見極める必要はありますよね。もしもペテン師だったら、自分の欲望に
私達の寄付が使われてしまうわけだから。かえってペテン師の片棒を担ぐ
役割になり兼ねない。個人で活動するのも手ですよ。やってみたら
どうですか?シグマさん!
152 :
>145:2001/05/20(日) 16:35
>>145 >私がもし、「神との対話」を書いたり、「私は神だ」と自称したとしたら
>金は腐るほどあるわけだから、いくらでも慈善事業をしますよ。
じゃあ お金持ちの人が全て慈善事業をしてるの?
それと慈善事業ってお金がないとできないの?
お金がなくても 自分でできることはたくさんあると思うよ!
あなたは自信をもって慈善事業をしてるって言える?
たとえ偽善者でも 慈善事業しているんだから・・・・
お金があれば いくらでも慈善事業ができると思ってるんだから
お金がなくても慈善事業できるってことを知らないんだね!
153 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 16:46
>>152 145のスミレさんは、お金があれば、いくらでもパフォーマンスに
すぎない慈善行為が出来る、という事を言いたいだけなんじゃないかな?
だって、それを隠れ蓑にして、自分の私欲を満たす事が出来るわけだから。
そういう人達が設立した施設なり、運動なりが、永続的なものかどうかは、
確認する必要があるよね。資金がなくなるとおしまい、なんてケースもあるかもしんないし。
154 :
スミレ:2001/05/20(日) 16:46
>152
意味不明です。
それ揚げ足とってるだけでしょう。そんなこと何も言ってませんが。
なぜ、私が現実生活でどういう活動をしているのか知りもしないのに
そんなことを言えるのか理解に苦しむ。
私は単に、「慈善事業をしていることが、特定の教祖や本の真実性を示す基準にはならない」
ということを主張しただけですよ。
155 :
シグマ:2001/05/20(日) 17:07
個人的な慈善事業の点でいえば、毎年一度、月収の一割程度をめどに、
ボランティア団体に寄付したりとか、ユニセフ関連のグッズを買ったりとか、
障害者たちの活動を見にいったり くらいのことはやってます。家は特別
お金持ちでもないけどね。
別にこんなことって、神からのメッセージを聞かなくたって、家の近所では、
割と普通に行われていることです。だから、私は慈善事業をやってるのよ
みたいな すごい意識は全くない。
ただ、個人でやるって限界があるんですよね。それぞれ仕事もあるし、
時間的な制限もあるし。それで、神からのメッセージを聞けるくらいの
人なら、もっと大きな活動もできるんじゃないかと期待してしまうわけです。
障害をもった人が、不自由な手で、一生懸命働いている姿とかみたら、
別に神からのメッセージが聞けなくたって、何か、役にたちたいくらいの
ことは思うし、まず、自分が救われなくちゃ人は救えないなんて
こと思わないよ。確かにお金がなくても、慈善事業はできるよね。
わたしは、ほんとは、そういう活動したいんだけど、しかたないから、
お金を寄付することで、自分を納得させてるってところがあるかな。
156 :
>145:2001/05/20(日) 18:23
>なぜ、私が現実生活でどういう活動をしているのか知りもしないのに
>そんなことを言えるのか理解に苦しむ。
じゃあ あなたは どれだけ知ってて「神との対話」の著者の批判ができるの?
俺も あなたの言うことの理解に苦しむ
>慈善事業をしていることが、特定の教祖や本の真実性を示す基準にはならない
ほんとに そう思うの?
たとえ偽善者でも 本の中で慈善事業や奉仕活動について書いて
一生を通して慈善事業をしているのであれば 俺は 真実性を示す基準になると思う
すべてとは 言わないが
なぜなら 慈善事業は言うことは簡単だが 実際 行なうと大変だと思うから。
155さんのように 年に何回かの寄付をしたりボランティアだけでも
良いことだと判ってても 心から喜んでできることは少ないし
やり続けることは 難しい
だから
>私がもし、「神との対話」を書いたり、「私は神だ」と自称したとしたら
>金は腐るほどあるわけだから、いくらでも慈善事業をしますよ。
なんて 軽軽しく俺は言えない
157 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 18:47
156さん、スミレさんの154の文章を良く読んでみてくださいな。
158 :
スミレ:2001/05/20(日) 18:55
>なんて 軽軽しく俺は言えない
軽々しく言えるかいえないかは、問題ではないでしょう。
数々の宗教、思想を巡り渡り、騙されてきた者の意見として
批判しているのではなく、提言してるだけですよ。
「作者が良い行いをしているから」ということは「些細な」判断材料だと言ってるのです。
別に偽善はよくないとかそんなレベルの話はしてません。
どこの新興宗教の教祖も様々な慈善事業をしていることになってます。
だからといってその宗教が本物という判断はできないでしょう?
いいたのはそれだけのこと。
神との対話を笑い話とらえるならそこそこ読めるエンターテイメントだ。
しかしまじめに読んでる奴は、キチガイ精神オタッキークレイジー死ね。
神との対話を笑い話とらえるならそこそこ読めるエンターテイメントだ。
しかしまじめに読んでる奴は、キチガイ精神オタッキークレイジー死ね。
神との対話を笑い話とらえるならそこそこ読めるエンターテイメントだ。
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神との対話を笑い話とらえるならそこそこ読めるエンターテイメントだ。
しかしまじめに読んでる奴は、キチガイ精神オタッキークレイジー死ね。神との対話を笑い話とらえるならそこそこ読めるエンターテイメントだ。
しかしまじめに読んでる奴は、キチガイ精神オタッキークレイジー死ね。
神との対話を笑い話とらえるならそこそこ読めるエンターテイメントだ。
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しかしまじめに読んでる奴は、キチガイ精神オタッキークレイジー死ね。
神との対話を笑い話とらえるならそこそこ読めるエンターテイメントだ。
しかしまじめに読んでる奴は、キチガイ精神オタッキークレイジー死ね。
をを!すごいレスの数。(笑
神さまのメッセージを受け取ることは何も特別なことではないです。
むしろ、そのことを強調してたりする人はァャιィ。
聞けても聞けなくてもどっちだっていいんじゃないでしょうか。
それぞれが自分なりの生活を送っていれば。
161 :
名無しさん@1周年:2001/05/20(日) 19:23
>159
うむ?少しは同意出来るな、今度は。
162 :
シグマ:2001/05/20(日) 20:47
>160
普段はどんなメッセージを受け取っていらっしゃるのでしょうか。
「神との対話」にあるようなことですか。
163 :
コーヒー牛乳:2001/05/20(日) 22:29
>毎年一度、月収の一割程度をめどに、ボランティア団体に寄付したりとか
素晴らしいザンスネ・・。
はっきり言って慈善でも偽善でも、なんでもいいから寄付してくれるとありがたいです。
うちのNGOも胡散臭い宗教団体が大口の寄付をしてくれるから助かります。
もちろん、その宗教団体の宣伝もさせられるんですけどね。
(サイトにリンクはったりとか)
しかし、金の出所に綺麗も汚いも言ってられない現状です。
福祉事業、慈善活動というのは、宗教団体やらスピリチュアルリーダーやらが
博愛的な組織理念、自らの高潔な精神性をアピールするための常套手段なんです。
立正佼成会なんかの福祉事業は結構、すごいですね。
ユニセフとも提携してるようだし。
サイババについてはウンザリするほど言いたいことがあるけど
がいしゅつだからやめときます。
164 :
シグマ:2001/05/20(日) 23:19
>163
そうそう、お金を受け取るほうにしてみたら、結局どこからだって
いい訳だよね。だけど、自称 神からのメッセージを受け取ってる
人たちって、この位しかできなくて、申し訳ないな と思う
程度のことすら、無関心なんだよね。ほんとに、口だけでは、
神のことをすらすら語るくせに、実際に何か行動をおこす と
いったことを何一つやらない。だけど、不思議なことに、
「神との対話」は、ほんとによくわかる などと、中身とそぐわない
ような行動をとりながら、平気で言う。
神のメッセージが聞けるのは、よくわかったからさ、そろそろ何か、
一般庶民にわかるような行動で示してくれないかな。偽善でも
いいんじゃない。助かる人もいるんだしさ。
165 :
nipponn:2001/05/21(月) 00:50
わたしはコミュニケーションの手段に思考も使う。思考と感情は同じではないが、同時に生まれることがある。思考を通じたコミュニケーションには、イメージや画像が使われる。だから単なる言葉よりも思考の方がコミュニケーションの道具として効果的だ。
感情と思考の他にもう一つ、経験という、偉大なコミュニケーション手段がある。
感情と思考と経験のすべてが失敗した時、最後に言葉が使われる。
わたしのメッセージは常に、あなたの最高の考え、最もくもりのない言葉、最も偉大な感情である。それ以外は別の源から生じている。そう考えれば、簡単に区別できるだろう。
最高の考えには、必ず喜びがある。くもりのない言葉には真実が含まれている。最も偉大な感情、それは愛である。
喜び、真実、愛。
この3つは入れ替えることもできるし、互いにつながりあっている。順序は問題ではない。
わたしからの一番力強いメッセージは経験だ。
わたしは、強制はしない。おどすこともない。わたしは自由な意思と選択する力をあなた方に与えた。それを奪うことは決してない。
わたしは世界のすみずみにまで、繰り返してメッセージを送り続けてきた。あなた方がメツセージを受け取って、しっかりと握りしめ、これは自分のものだと言うまで、いつまででも送りつづける。
=神との対話より=
宇宙に向けこれが自分だといいきれるのは本当に幸せかもしれない。
>>162 シグマさん、はじめまして。
>普段はどんなメッセージを受け取っていらっしゃるのでしょうか。
それを聞いてどうしたいのですか?正直なお答えをお願いしますね。
>「神との対話」にあるようなことですか。
前日もレスしたように、私は「神との対話」は読んでいません。
それは、どのようなことでしたか?
167 :
名無しさん@1周年:2001/05/21(月) 01:19
168 :
いいいい:2001/05/21(月) 04:07
神なんているわけないじゃん。自分に存在意義を持たせたいがためにそんなのを崇拝してるんでしょ。
宗教なんてバカみたい。だってみ〜んなじぶんは特別って思ってるから、そして自信がないからすがりつくんでしょ。
169 :
113:2001/05/21(月) 09:00
>>140,
>>141,
>>142 宗教的な真理は、「客観的証明」が不可能です。神が姿を現さないのは、「客観的
証明」を拒否しているからです。「私が見えないにも関わらず、私を信じる者で
あれ」という要請です。神は、自分の姿を現して、恐怖心や畏怖心でもって強制
的に人間が自分を信仰することを望まれなかった。どなたかが既に書いておられ
ましたが、人間は、いかに考え、行動するかによって「何者か」が決まるのです。
それを自由意志によって決定するが故に、その行動に責任が生じる。人は、神の
存在に対する一切の証拠がない状態で、神を信じるか、信じないか、の選択をせね
ばなりません。そして、人はその選択の責任を自ら負います。
サイババの奇跡が本物であるかどうかは、サイババが主張している教えが本物で
あるかどうかと関係がありません。たとえサイババが詐欺師であったとしても、
彼の教えが尊いから真理と認めるというのでなかったのであれば、140さんの信仰
は贋物だったというだけです。サイババを単に「偶像崇拝」していただけです。
聖書の中のイエスの言葉に感動する人の多くは、イエスの教えの崇高さに心打たれ
て真理を直観するからです。私もその一人です。たとえ、イエスが実在の人物では
なく、後世のでっちあげであったとしても、私はイエスの教えを真理として生きる
杖にしていきたいと思っています。
真理は自分の心の中にあるのです。そうでなければ、人間の分際でどうして「真偽」
を見抜けましょうか?人は、奇跡によって姿を現した「何者か」が神であるか、
悪魔であるか見分けることはできません。彼はいずれの場合も、「自分は神である」
と言い張るからです。サイババがいくら奇跡を連発しようが、彼の正体を見分ける
決定的証拠にはなりません。宗教を何か客観的に証明できるようなものとして捉え、
その証拠を外に求めれば、たちまち詐欺師(偽キリスト)の餌食になります。
170 :
名無しさん@2周年 :2001/05/21(月) 09:55
>>167 >その根拠を言えよ。
サイババが詐欺師だろうと聖人だろうと1+1=2といえば
それは真実だと言ってるだけだ。
殺人犯が、「日本では、人殺しは良くないし罰せられる」
といえば それは事実だ。単に説得力はないが
個人的には、サイババが詐欺師だろうと聖人だろうと
俺には感心はないが 詐欺師が言った言葉と同じだから
全て間違いだと決めつけること事態がアサハカな考えだ
171 :
名無しさん@2周年:2001/05/21(月) 10:03
>>169 同感です。
今のキリスト教が おかしくても聖書の中のイエスの言葉が全て間違いとは
ならないと思います。
172 :
シグマ:2001/05/21(月) 11:27
>>166 なぜ知りたいかというと、「神との対話」の著者ニールは、神から、より
大きなビジョンに向かって進みつづけるよう、アドバイスされ、彼自身も
いくつかのボランティア活動にいそしんでいます。大きなビジョンとは、
「愛」に基づいて行動することであり、日常的におこるあらゆる災いその他
に対して、個人として責任を認め、引き受け、それに対して行動を起こす
ということです。日本で、ニールと同じように、自称 神からのメッセージ
を受け取っている人たちは、どうも、こういった責任に対して無関心で
あるように思われます。あなたの神様はそういったことに対してどのように
言われるのか、興味があったので質問しました。私の知る自称 神からの
メッセージを受ける人々は、日頃ろくに、ニュースや新聞も見ず世間的な
ことには、ほとんど、無関心であり、ひたすら、自己救済に努め、ちょっと
した募金にすら拒否反応を示し、お金にだけは強欲です。そして何かというと
山にこもったりして、瞑想ばかりしています。
あなたの神様は、そういう生き方をしろと言っていらっしゃるのでしょうか。
私自身は神のメッセージなど受け取っていませんが、本に書かれてあること
には、すごく納得できるものがあったし、実際に、責任も感じています。
自称 神のメッセージを受け取る人々に この責任という質問を投げ掛けると
まずは、あなた自身を救うことができなければ・・・といった、
どうにも、的外れなことばかり言います。それでも、自分はメッセンジャー
であり、「神との対話」は真理であるというような、馬鹿丸出しの発言を
繰返します。日頃活字などに接することがないせいで、文章の理解力が
ないのかもしれませんが、同じ神のメッセージを受け取っている割には
どうにもずれを感じてしまう訳です。私は「神との対話」を読んだ人たちが、
真にそこに書かれてあることを各自の責任のもとで、実行すれば、
もっと良い方向に変わっていくのではないかと考えています。
だからこそ、自称 神からのメッセージを受け取っている人々が
何一つ行動しようとしないのが、歯痒いのです。
173 :
113:2001/05/21(月) 11:49
>172
なるほど。確かに行動を起こしてボランティア活動をしている点は、
重要なポイントだと思います。ただ、それでも最終的な結論は出てこ
ないでしょう。彼の著書は世界中でベストセラーになり、印税収入は
莫大なものになるはずです。その資金を彼が何に使うかを見守る必要
があると思います。慈善事業への投資額の多さから言えば、ロッ○フェ
ラー財団の方が桁外れに多いはずです。それにも関わらず、識者はその
慈善事業が節税対策や、財団の好感度の上昇を狙った「利己的動機」で
あることを承知しています。
ニール氏の真価が問われるのは、まだまだ先のことだと思います。
174 :
シグマ:2001/05/21(月) 13:08
>173
確かに「動機」は大切ですが、たとえ、利己的動機であっても、実際に
役には立つわけです。故田中角栄氏も、告訴こそされましたが、
新潟県民の中には、神のようにあがめている人がいるように、
動機が何であれ、何をどれだけやったか は、重要なことです。
最も我慢ならないのは、「神はこんなこといってるんだよ」と
物知り顔に、言うだけで、一日中瞑想やらダンスやらに、
没頭して過ごす人々です。別にダンスをするなとはいいませんよ。
ただ、もうちょっと世間に目を向けて、少なくとも現在のニールのように
大きなビジョンをもって行動してみたらどうでしょうかと思うだけです。
今この段階でニールの評価をくだすのは、確かに難しいことですが、
それこそ、各自の良心に耳を傾け、良いと思うことは、素直な気持で
やっていくことが大事なのではないでしょうか。
「神との対話」では、政治のあり方についても書かれています。
真に理解している人なら、世間の出来事に対して無関心では
いられないはずなのです。
175 :
スミレ:2001/05/21(月) 13:51
>彼の教えが尊いから真理と認めるというのでなかったのであれば、140さんの信仰
は贋物だったというだけです。
私は彼の教えが尊いから惹かれました。
しかし、それに固執してしまえば逆に真実を見逃すでしょう。
「素晴らしい教え、自分が望ましい真理=真実」とは限らないのです。
何度もいいますが、矛盾点がなく合理的、自分の好みにあった真理
だから真理と盲信することは浅はかです。
176 :
名無しさん@1周年:2001/05/21(月) 14:57
>>175 同意。全ての神や宗教などの思想は、神(真実)に至るための一手段(方便)
にすぎず、その一手段が自分の好みに合う(波長・因縁が合う)からと言って、
それが真理そのものである、と断定してはならない、という事であると理解しました。
その謙虚さを全ての宗教者や、信仰者や、目に見えない物を信じる人達が身に付け、注意
して行動するようになれば、様々な思想、宗教の押し付け、強制、サリン撒き放題、テロリズム
はなくなるでしょうね。
177 :
名無しさん@2周年:2001/05/21(月) 15:44
>>175 >「素晴らしい教え、自分が望ましい真理=真実」とは限らないのです。
確かに その通りだと思います。
でも最後には、自分の価値観などで判断しなくてはならなくなると思う
だから 間違ってたり騙されたりもすると思います。
でも間違ってたら 解った時点で自分の考えを変えればいいと思う
ほんとに一方的な思い込みや一途な盲信は怖いと思います。
178 :
113:2001/05/21(月) 17:09
>175
おっしゃることはよく理解できるのですが、それなら「神など存在し
ない、人間は死ねば終わりだ」という完全無神論についても、合理的
ということになります。矛盾なく合理的な「解」がひとつでない場合
もあります(パラダイム)。しかし、その「解」は180度違います。
そのどちらを選ぶか、という時にどうしても主観的な価値判断、「どち
らを好むか」を尺度にするしかありません。
神の要請が、「客観的証拠なしに神の存在を信じられるかどうか」で
あれば、神が望んでいることは、むしろ「神に居て欲しいか、居て欲しく
ないか」という「好み」が問われていることになりませんか?
179 :
113:2001/05/21(月) 17:29
>たとえ、利己的動機であっても、実際に役には立つわけです。
これには異論があります。ある人が、新入りを相手にシゴキをやって
いるとする。撲る、蹴るの暴行で、とうとう新入りがダウンすると、
「俺はお前を憎いと思ってこんなことをやっているんじゃない。鍛え
てやろうとしているだけだ」と言い捨てて、その場を去る。
その人が本当に新入りを鍛えようとして、愛の鞭をふるったのか、単に
獣性を発揮して残酷に血を求めただけなのか、本人以外には誰もわから
ない。もし、新入りが死にでもしたら、加害者は法廷に引き出されるで
しょうが、彼は「新入りを鍛えるためにやった」という証言を繰り返す
のみでしょう。その本心(動機)が何であったか、誰にもわからないし、
それを証明することはできません。
人間の本当の価値とは、その誰にもわからない内面性にあるのだと思う
のです。善意が裏目に出ることもあります。たとえばですが、マザー
テレサは貧しい人の看病に一生を賭けた善意の人でしたが、彼女ががん
ばったために、インドの社会整備が遅れた、と批判する人がおります。
確かに、彼女のなしたことがすべて「善」ではなかったし、結果的に
「悪」になったこともあったでしょう。しかし、それをもって彼女を
裁けるでしょうか?
人間のなすことを結果まで含めて裁くのはあまりに酷というものです。
悪人でも、結果よければよし、というのは、人間を社会の道具として
唯物的に見すぎているように思います。これを突き詰めると、能力が
なくて社会的に貢献できない人間は抹殺した方が食料確保の面で有利
という価値観につながるのでは?
180 :
名無しさん@1周年:2001/05/21(月) 17:33
>>178 横レスですいませんが、「神の要請」なるものも、あなたの概念に
すぎないわけですよ。ひょっとしたら神は自分の事なんて信じてくれ
なくてもいいよ、と思っているかもしれないのです。
ですから、私達は神を信じようが、信じまいが、その自分の信念にすぎ
ないものを、「他人に押し付けさえしなければ」どう思おうが構わない、
と私は思います。例えば、イエスが言ったから、と言って、「聖書」の教えを
興味の無い人達に布教する必要があるのか?と言わざるを得なくなるのです。
これはどの宗教に対しても言える事です。私にとっては神は完全なる謎であり、完全なる
沈黙者です。私達は神自身を真実に知っているのではなく、歴史の中で神について語られた様々な概念について
語り合っているにすぎません。ですから、私達が神を好もうが、好むまいが、神は何も問うては
いない、とも言えるのではないでしょうか(完全なる自由)。それに作為的な制限をつけたがるのが、私達人間の「業(罪)」
なのかもしれないと思います。
181 :
113:2001/05/21(月) 17:49
>180
確かにそれも選択肢のひとつですね。
1)神は「客観的事実」をもって信仰を強制しない
2)神は、もともと信仰してほしいとは考えていない
3)神は存在しない
どの仮定も、矛盾がなくて合理的な説明です。
それなら、どれを「好むか」という主観的な基準で決めるしかない。
私はキリスト教徒ではありません(洗礼を受けていないという点で)
ので、誤解があるかもしれませんが、大多数のキリスト教会は、信仰
を強制しようとはしていません。ただ、その選択肢として「聖書」の
教えがあることを、前もって伝えておく義務があるから、世界中を
伝道しているのだと思います。もちろん、「聖書」を読んでその教え
を受け入れるかどうかは、個人の「完全なる自由」です。
>私達が神を好もうが、好むまいが、神は何も問うてはいない、とも
>言えるのではないでしょうか(完全なる自由)。
これについては、誰も「人間にはそんな自由などない」などと反対する
人はいないでしょう。客観的に矛盾がありませんからね。
182 :
名無しさん@1周年180:2001/05/21(月) 18:19
>181
賛成していただいてありがとうございます。そうなると、「この教えが絶対である」とか「この教えこそが真理だ」と説いている一部(というかほとんど)の新興宗教団体の虚偽性、欺瞞性に対して、大いに疑問符を投げかけなければならないですね。
また、ニューエイジだろうと、精神世界の作者であろうと、「これが絶対だ、これが最後のメッセージ」などと説いている著者は、大いに怪しいと言わざるを得ませんよね。
そこで、どうして人はそのような「これが絶対」などと説く人物に魅力を感じて、大きな宗教団体やもしくはそれに順ずる団体を作りだして、その中で喜びを感じてしまうのか、という所まで問いたいのですが。ここのテーマから外れそうなので、
とりあえずそれは又の機会にします。
183 :
`´:2001/05/21(月) 19:02
なんか素晴らしく前向きな展開
184 :
181(113):2001/05/21(月) 19:04
>182
そうですね。もし「この教えこそが絶対的真理だ」というのが本当な
らば(あり得ないと思いますけど)、神はこの時点で人間に与えた
「絶対的自由」に矛盾することになります。もし、「この教えでない
と人間が救えない」という種類のものであれば、すぐさま人間の前に
姿を現し、脅しでもすかしでもやって、強制的に自分に服従を強いる
べきでしょう。身を隠してウジウジ言っている場合ではありませんから。
繰り返しになりますが、神が求めるのは、「完全に自主的な帰順」です
から、本人がその気になるまで、恐らく気長にお待ちになるのでしょう。
もちろん、「この教えが絶対である」とか「この教えこそが真理だ」とか
いう性急な意見が、神の意図に反するのは当然のことだと思います。それ
は人間に与えられた最も重要な特性である自由意志を奪います。
同様の理由から、いろいろなオカルト的な現象(奇跡)などを教えの
正しさの拠り所にする教えも、神の意図に反するものと考えて間違い
ないでしょう。
185 :
名無しさん@1周年:2001/05/21(月) 19:26
>184
先ほどの続きですが、ましてや「神の裁き」とか「最後の審判」とか
「仏罰」などを強調して、信者の自由意思を制御し、自分達の勢力拡大を狙おうとする宗教団体などは、
許されざるものだと思います。多分、「神との対話」の作者は、そのような文など書いてなさそうな
感じですね。どちらにしても、そういう神の裁きなどを強調するエセ宗教団体などに多くの人がダマされ無い事を
願います。たとえそんな所へ入信しても、他人に押し付ける事無く、自分だけで信じているうちは、害は少ないと思いますから。
186 :
スミレ:2001/05/21(月) 19:36
>それなら「神など存在しない、人間は死ねば終わりだ」という完全無神論についても、合理的
ということになります。
そもそも、それが最もごく当たり前の考えなのですが
「そんなことはない、何かあるはずだ」
と納得できない人間は別の考えを模索するわけです。
私は神との対話が嘘っぱちだと決めつけたいのではありません。
ただ、信じるほどの根拠はない、ということは感じざるをえません。
ああいう類いの本はこれまでにウンザリするほどありました。
世の中にはただ、金がほしいか若しくは、そんな理由などなくとも嘘をつく人間は大勢いるのです。
ニール自身が「金目当てで嘘を書いてると思われませんか」と神に尋ねていますが
誰かに言われる前にあらかじめ自らの欺瞞性を指摘しておくのはよくやることです。
搾取しまくりのいかがわしい新興宗教の教祖の本にも
「昨今は、金目当てのカルト宗教ばかり、まったく嘆かわしい限りです・・・。」
なんて書いてあります。
「こんな高尚なことを語る方が嘘つきなわけがない!!」と思ってしまいがちですが
私はそれでまんまと騙されました。
狡猾な人間は嘘でも崇高な教えを語る・・ということをつくずく感じました。
スウェーデンボルグはあらゆる学問を極めた天才的な人物でした。
彼は「天国と地獄」を旅したそうで、その霊的体験を本に書いています。
たしか、ニールは地獄などないと書いていますね。
そして、スウェーデンボルグは輪廻転生などないときっぱり否定してます。
なぜ、ニールの言うことが真実で、ボルグの言うことが嘘だと判断できますか。
古今東西あっちこちで全く違う真理を主張する人間がいるのは一貫してませんね。
真理はひとつのはずです。
支離滅裂な文章お許しください、ただ、自分が感じたままを書きました。
187 :
www:2001/05/21(月) 19:36
マヌケな奴、この世で何が正しいか?だって、
そんなもん、人に(神に)教えられてわかるものいでは
ない、自分で善悪を判断できるようになれ!これが真の
教えだ。
救いを求める者の元には堕天使がよってくるだけ、自分自身が
成長しないとな
188 :
スミレ:2001/05/21(月) 19:39
>それなら「神など存在しない、人間は死ねば終わりだ」という完全無神論についても、合理的
ということになります。
そもそも、それが最もごく当たり前の考えなのですが
「そんなことはない、何かあるはずだ」
と納得できない人間は別の考えを模索するわけです。
私は神との対話が嘘っぱちだと決めつけたいのではありません。
ただ、信じるほどの根拠はない、ということは感じざるをえません。
ああいう類いの本はこれまでにウンザリするほどありました。
世の中にはただ、金がほしいか若しくは、そんな理由などなくとも嘘をつく人間は大勢いるのです。
ニール自身が「金目当てで嘘を書いてると思われませんか」と神に尋ねていますが
誰かに言われる前にあらかじめ自らの欺瞞性を指摘しておくのはよくやることです。
搾取しまくりのいかがわしい新興宗教の教祖の本にも
「昨今は、金目当てのカルト宗教ばかり、まったく嘆かわしい限りです・・・。」
なんて書いてあります。
「こんな高尚なことを語る方が嘘つきなわけがない!!」と思ってしまいがちですが
私はそれでまんまと騙されました。
狡猾な人間は嘘でも崇高な教えを語る・・ということをつくずく感じました。
スウェーデンボルグはあらゆる学問を極めた天才的な人物でした。
彼は「天国と地獄」を旅したそうで、その霊的体験を本に書いています。
たしか、ニールは地獄などないと書いていますね。
そして、スウェーデンボルグは輪廻転生などないときっぱり否定してます。
なぜ、ニールの言うことが真実で、ボルグの言うことが嘘だと判断できますか。
古今東西あっちこちで全く違う真理を主張する人間がいるのは一貫してませんね。
真理はひとつのはずです。
支離滅裂な文章お許しください、ただ、自分が感じたままを書きました。
189 :
スミレ:2001/05/21(月) 19:40
すみません。なぜか同じ文が二つも・・・。???
190 :
ななしんぼ:2001/05/21(月) 19:42
それにしてもこのスレは真面目に語ってるね、みんな。
191 :
本を読んで思ったこと:2001/05/21(月) 19:46
「神との対話」をよんでいろいろ考えさせられた一人です。
本を読んで いろんな宗教の呪縛(「神の裁き」とか「最後の審判」とか
「仏罰」「地獄」など)から自由になったような気がします。
だから今はどの宗教も信じたいとは思いません。
勘違いなら申し訳ないですが
>>184>>185さんの考えは
「神との対話」で書いてあることと似ているような気がします。
192 :
184(113):2001/05/21(月) 20:03
>191
恐らく共通点が多いと思います。ただ、「神の対話」の説く真実もまた
数多くの選択肢のひとつにすぎないと思いますし、伝統的な仏教やキリ
スト教に価値を見出す私としては、その選択肢を増やすために、「伝道」
をせざるを得ません。それが共感を得るかどうかは別問題です。とにかく、
自分が「一番真理に近い」と確信する選択肢を、他の人のために提示する
ことは決して無駄ではないと思います。
どなたかが書かれていましたけど、「神との対話」に書かれている内容は、
別に「神」を引っ張り出さずとも、多くの哲学者や宗教家が指摘してきた
ことです。特に仏教の勉強をすれば、「善悪不二」の概念などすぐにぶつ
かります。「神との対話」がこれだけ注目される背景には、昔はなかば常識
をされてきた東洋的なものの考え方が廃れ、日本人も西洋一辺倒になって
しまったという実情があります。
私は「神との対話」は、仏教思想の一面を捉えている点でいい本だと感じ
ますが、仏教的に見ると欠陥もあり、ましてや「神」からのメッセージだ
と必要以上にありがたがるべきではないと思います。むしろ、それほど新
しい概念でもないものを(温故知新的新しさがあるとしても)、「神」の
レッテルを貼って出版されていることに「眉唾」的要素を感じてしまいます。
あくまで、議論のネタとしてとどめるべきでしょうね。
193 :
ななしさん@匿名:2001/05/21(月) 20:18
でも世の中には真面目に「信仰」しちゃう人達もいるんだよ。
194 :
名無しさん@1周年:2001/05/21(月) 20:28
>>193 そこです、問題は。
どうして人は、信念にすぎない物を、盲信し、それを説く教祖に自らの自由意思を捨てて盲従するのでしょうか?
神にしろ、宗教にしろ、精神世界関係のあらゆる書物にしろ、それをあくまで自分の学びにすればいいはずです。
それなのに、ある一部の人々は、「この教えこそが唯一絶対の真理だ!信じなければ神に救われない!!」という教えを信じて、
しかもそれを他人に押し付けます。どうやらここのスレの皆さんは、多かれ少なかれそのような経験を持たれた方々が多そうです。
どうして、人は唯一の真理を求め、それに盲従しようとするのでしょうか?
もしよければお答え下さい。
195 :
名無しさん@1周年:2001/05/21(月) 20:35
ちなみに私は、盲従・盲信する事で、自分に対する低いイメージから逃れようとする心理から来るのかもしれませんし、
その教え(唯一絶対の真理と本人が錯覚している)を盲信する事で、自分の中のありとあらゆる葛藤から
逃れようとする事が大きな原因の一つであると思います。盲信している間は、その真理を行じているという優越感・恍惚感を
得られると思いますから。
しかし、依然として、彼は「神」を知りません。
196 :
死・死・死:2001/05/21(月) 21:00
「最後の審判」ね、アイツらただの人間の分際で勝手に人を
裁きやがって、あいつらには天罰をくれてやらなな
まぁ、そう言うことをしているから神の使徒に殺されるんじゃ
なかったっけ、
「神は我々を見捨てたのか」何言ってるんねん、ただの人間の分際で
神の如く振る舞いをしたから天罰が当たったのじゃ。
彼らは、肉体はおろか、霊魂まで消滅されるでしょう、愉快、愉快
197 :
名無しさん@1周年:2001/05/21(月) 21:54
>>196 つまり、そうやって「最後の審判」などという事を持ち出して、他人を
ある教えにひき入れる事により、自分にも、他人に何がしかの影響力を与える事が出来る、という自己拡大感を味わっているのかも
しれませんね。しかも、自分が他人に自分の信念を話す事によって、より自分の信念が強固になるのではないでしょうか?
198 :
シグマ:2001/05/22(火) 00:05
>>179 うーん、さばく気はないんですよ。そう思われたとしたら、書き方が
悪かったですね。
>人間の本当の価値とは、その誰にもわからない内面性にあるのだと思う
>のです。善意が裏目に出ることもあります。
私も、そう思いますよ。
人間の一生ってすごく短いですよね。
で、自分の生きている間にもっと良い世の中になって欲しいな
という願いは誰もが思うことではないでしょうか。
自分のほぼ半生を山に隠り特定の信者を集めて、瞑想やダンスに明けくれ、
安らかに息を引き取っていく、自称神からのメッセージを受け取った人間と、
犯罪に手をそめながらも、その後ろめたさからか、慈善活動だけは
行い、間接的にではあれ、多くの命を救った人間と どちらが
立派だといえるでしょうか。
裁く気はないんですよ。決められないし。
ただ、良心に基づいた行動というのは、山奥に引きこもって瞑想すること
ではないと思うんです。そして、それは、「神との対話」で、
書かれていることとも、大きく異なっているんですよね。
自称 神からのメッセージを受け取っている人たちは、
「神との対話」に感動しているようでは、ありますが、
何か、自分の都合の良いように勘違いしてるんじゃないかと
思うんです。私の知る限りでも、「神との対話」に感動した
という、自称神からのメッセンジャーは何人も
いるんですね。それで、その人達のやっていることと言えば、
読書前も読書後も、変わらず、ダンスやら瞑想やらに
明け暮れる毎日です。何も行動を起こさないことを責める
気はないんですが、あんたの神様ってろくなメッセージ
送ってないんじゃないの といいたいだけです。
199 :
シグマ:2001/05/22(火) 00:19
>>194 どうして、人は唯一の真理を求め、それに盲従しようとするのでしょうか?
もしよければお答え下さい。
そんなこと全く思ってないので答えられません。
真理って、これまで たくさんの人達が求め探してたけど、
確実なことなんて何もわかってないし。「無知の知」って
いうのがあるけど、別にわかんなくたっていいんじゃ
ないのって思っちゃうんだけど、そういうのって駄目かな。
>>172シグマさん、誠実なお答えありがとうございます。
やはり、単に体験談を望まれているわけではないんですよね?
不思議な体験談などは、すでに色々なところに多く出回っていますし、
私にとっても過去のことで、語ったところでそれはサムイ行為なんです。>不思議体験話
(流れによってはそれもアリだと思いますが。)
他人の人生を代わることはできないように、私の体験は私のものですし。
そうした経緯のなかで、私はある神さまやひとつの教えだけに傾倒はしていません。
通りやすいので、ここでは「神さま」という言い方をしているだけです。
なにか大いなる力(ときには小さい)というか、宇宙や大自然の法則でもあり、
あらゆる生命に愛や力を与えているような存在、だと思っています。
と、同時に内なる指針のようなもの(ひらめきや直感、良心など)もそうであり、
そのふたつのものは繋がっていると感じています。
(又、その考えとは別に、神道や仏教などに、ご縁があり惹かれる神様もいます。)
自然を師と仰ぐときもあれば、「人」に学ぶことも多々ある日々です。
>あなたの神様は、そういう生き方をしろと言っていらっしゃるのでしょうか。
いいえ。(キッパリ!笑)
神さまは具体的にあーしろこーしろと、解り易く語りかけてはくれません。
(むしろ、実際にそういう声が聞こえてきたら疑っていいです。)
シグマさんが「神との対話」を読まれて惹かれたこと、心に響いたことも
その本を通じてシグマさんに届いたメッセージのひとつだとは思われませんか?
>より大きなビジョンに向かって進みつづけるよう、アドバイスされ、
>彼自身も 大きなビジョンとは、 「愛」に基づいて行動することであり、
>「日常的に」おこるあらゆる災いその他 に対して、
>個人として責任を認め、引き受け、それに対して行動を起こすということです。
ここに答えが出てますよ。(笑
「神さま」により近づくための行動とは、山にこもったり、瞑想やダンス(?)
に没頭することでは決してなく、個々がそれぞれの人生を自己責任のもとに
自分らしく「生きる」ことにあると思います。(←最終的には自分を救うこと?)
恐らく、このことを「自分を救う」と意味を違えているのではないでしょうか。
>シグマさんがずれを感じている人々
>私は「神との対話」を読んだ人たちが、
>真にそこに書かれてあることを各自の責任のもとで、実行すれば、
>もっと良い方向に変わっていくのではないかと考えています。
そのことを「ずれを感じてる人達」に、
シグマさんが実践してみせるチャンスが訪れてるとは思われませんか?
(長文ではじかれて、遅くなりました。ゴメソ。 )
202 :
スミレ:2001/05/22(火) 02:05
シグマさんのおっしゃるような人達によく出会いました。
「我こそは真理を悟った、そしてその精髄を理解している」
といったかんじで、とにかく説教好きの傾向がありました。
ヒーリングやレイキといったことを職業にしている場合も多かったです。
その中に神と心で会話ができてトランス状態に入り
リーディングができる、という有名な人がいましたけど、僅かな質問で
「あなたいいとこついてるわね!」と何時間も説教をしてくるような人でした。
(殆どが他人の霊性段階の批判・悪口なのですが)
普通に悩みを打ち明け「神なんていないのかも・・」とほのめかしたら
「それはあなたの〜カルマで全てはあなたの責任なのになぜ神を責めるのか!」
と「キレて」しまい、しまいには私の両親やら人格やら全てを批判され、ボロボロに泣かされました。
他の人たちともこんな具合だったようなんですが。
この「神との対話」を信じてる人達の中でなにかを吹っ切ったように
やりたい放題何でも肯定している人達がいます。不特定多数とセックスすることも
「今はそういう学びのとき」とかなんとか言ってました。
プラスに活かせる人はいいのだけれど・・・なんかこう危険な臭いを感じましたね。(w
203 :
名無しさん@1周年:2001/05/22(火) 02:15
>>202 それは、宗教なんか全てやめてしまったほうがまだいいですね。
スミレさんが見た人達は、ただ単に自分の欲望を「神との対話」によって
正当化しようとしているにすぎませんね
「全て学び」の一言で済んでしまえば、何でも許されると思ってるんでしょうか・・・。
あきれますね。
204 :
nipponn:2001/05/22(火) 02:25
まず初めに在ったのは、「存在のすべて」それだけだった。
その「存在のすべて」は、自分自身が何かを知ることはできない。
さて「存在のすべて」は、あるのは自分自身だけだと知っていたが、それだけでは充分ではなかった。何故なら、「存在のすべて」であることの絶対的な素晴らしさを概念的には知っていたが、体験的には知り得なかったから。そこで、自らを体験したいと激しく望んだ。素晴らしいというのはどんな感じなのか、知りたかった。だが、それは不可能だった。なぜなら、「素晴らしい」という言葉そのものが相対的なものだったから。「存在のすべて」は、素晴らしくないとはどういうことなのか分からなければ、素晴らしいとはどんなのかを知ることができなかった。否定があってはじめて、肯定があるからだ。
このエネルギー、純粋な、見えず、聞こえず、観察できず、従って他の誰も知り得ないエネルギーは、自分の素晴らしさを体験しようとした。その為には、自分の中にある比較対照の基準を使わなければならないと気付いた。
一部は全体より小さい、それなら自らを分割すれば、それぞれの部分は全体よりも小さいのだから、残る全体を振り返って、素晴らしさを知ることができるだろう。
そこで、「存在のすべて」は自らを分割した。「これ」と「あれ」が分かれた。しかも、どちらも同時に存在している。また「どちらでもないもの」も存在している。こうして3つの要素が生まれた。あらゆる物を包み込むのは無である。空間を包合するのは、非空間である。部分を支えるのは全体である。
あらゆる物を包み込むの無、それをある人々は神と呼ぶ、だが、これも正確とは言えない。神とは「存在のすべて」であって、同時に「すべてでない」ものでもある。
さて、「ここ」にあるものと「あそこ」にあるものを創り出し神は、自らを知る事が可能になった。この内側からの爆発(ビックバン)が起こった時、神は相対性という自分への最も偉大な贈り物を創造した。
205 :
名無しさん@1周年:2001/05/22(火) 02:26
>202
まだ本能と良心の狭間で苦悩している人のほうが、よっぽどいいですね。
自我欲望を宗教や思想で開き直ろうとするのは、幼いとしか思えない。
206 :
nipponn:2001/05/22(火) 02:27
全ての要素が出現したので、時が生まれた。なぜなら、物はまずここにあって、次にあそこにあるのであり、ここからあそこに移る時間は計測できるからだ。
見える部分がそれ自身を定義づけ、各部分が「相対的」になったように、見えない部分も定義づけられ、相対的になった。
神は、純粋な愛である自分を知るために、対照となる正反対のあらゆるもの−「不安」−を創り上げた。
わたしは自分の無数の部分(霊)に、全体としてのわたしが持っているのと同じ創造力を与えた。私達は同じものでできている。同じ資質、能力を持っている。その能力には、宇宙から物質的な現実を創出する力も含まれている。
わたしがあなたがたを創造したのは、神としての自分を知るためだった。あなたがたを通してしか、知る方法がなかったからだ。従ってあなたがたを創った目的は、あなたがた自身がわたしであることを知らせるためだったといってもいい。
あなたがた自身がわたしであることを知る方法はただひとつしかなく、それはまず、わたしではないものとしての自分を知ることからだ。
神との共同行為の計画の下で、純粋な霊であるあなたがたは、創造されたばかりの物質的な宇宙に入る。概念として知っていることを体験として知るには、物質的な世界で経験するしかないからだ。自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であり、全ての物質的な生命の目的だ。
自分を創らないという経験があって初めて、自分を創ることができる。「何である」ためには、「そうではない」ことを体験する必要があるが、自分でなくなることは出来ない。もともと神の子供なのだから。そこで、次善の方法として、自分が何者であるかを忘れたのだ。
物質的な宇宙に入った時、記憶を捨てた。自分が何者であるかを選べるようになった。あなたは神の一部であると聞かされるのではなく、神の一部としての生き方を自分で選び取る。そうすれば全ての選択肢を与えられた上で、自らを体験することが出来る。全ての選択肢、それが神である
207 :
名無しさん@1周年 :2001/05/22(火) 06:27
>ただ単に自分の欲望を「神との対話」によって正当化しようとしているにすぎませんね
性的な欲望=悪って考え方も、昔の人が自分の欲望を「昔の神との対話」によって正当化しようとしたにすぎないって事は分かってる?
母系社会から父系社会への移行等歴史を勉強した方がいいよ。
現在、シングルマザーが増えてきて、部分的に母系社会に移行しはじめている。
母系社会では、性的奔放さは悪にはならない。
ゴムの発明で、性感染症の危険も大幅に減ったし、社会的状況は確実に変化してる。
いつまでも、昔の社会的要求を絶対的で恒久的なものだと勘違いしてるのはイタイ
ヤマギシがそうらしいけど、フリーセックスで子供は全体として育てるという社会だって在り得るんだぜ。
あんたらは父系社会どっぷりだから、悪だと考えるだろうが、彼らからすれば、人間を所有して束縛してることの方が悪なんだよ。(家、結婚って制度)
自分の価値観を疑ったことはないのかい?
208 :
シグマ:2001/05/22(火) 08:49
>>200 >>201 丁寧に答えて頂いてありがとうございました。
やっと、自分の考えをわかってもらえたような気がして
とてもうれしいです。また、あなたが、私の知る自称「神のメッセンジャー」
たちと違う事がわかって安心しました。
>シグマさんが「神との対話」を読まれて惹かれたこと、心に響いたことも
>その本を通じてシグマさんに届いたメッセージのひとつだとは思われませんか?
確かに本の中でも感動する気持ちも、メッセージであるとあります。
こうなると、自分の判断によるところがあるでしょうし、
むずかしいとこですね。
209 :
名無しさん@1周年:2001/05/22(火) 10:22
>207
フリーセックスがよいことだと思うならあなたはそのように生きれば?
誰も責めない。
210 :
113:2001/05/22(火) 11:57
>202,205,207,209
「神との対話」を読んで、そうか、フーリセックスもOKなんだ、って嬉嬉として
実行に移す人というのは、社会的な制裁とか評判さえ確保されるなら、いつでも
フリーセックスをやりたい、と心に願っていた人なんでしょうね。そういう人は、
別に「神との対話」を読まなくても、出会いサイトなんかでうまく相手が見つかれ
ばせっせと励むんだろうと思います。それが「良い悪い」は別として。
結局はフリーセックスをやりたいかどうか、の好みの問題になる。
207さんの議論がおかしい所は、この「好み」の問題を、社会的な利益や不利益に
わざわざ置き換えていることです。「私はフリーセックスが好きだ。」これだけ
でいいではありませんか。これに対して「いや、フリーセックスは社会的な不利益
をもたらすからダメだ」という意見が出たら、207のような反論をすればいいので
す。
何か、先に「言い訳がましい」説明が出てくるところに、隠された「後ろめたさ」
が顔を出してるように見える、と言ったら言い過ぎかな?(^^)
何か、ルーシーさん殺しの犯人のアリバイ工作のことを思い出しちゃった。
211 :
溝の口パーユ:2001/05/22(火) 12:02
てゆうか207は・・・・チンポ・・・・・
212 :
スミレ:2001/05/22(火) 13:12
「フリーセックスなんて悪よ!」
なんてことが言いたかったわけではないんです。
ただ、サイババのアシュラムで腐れ縁的な不倫関係で悩んでいる女性に対して
「神との対話」信奉者が「この世に悪も善もない」
みたいなことアドバイスしてましたね。
不倫はその人のモラルの判断だとしても、この世には明らかに善と悪があるのに
そういう言葉でお茶を濁すのはどうかと思う。
犯罪的なことも「間違いを犯して学ぶ。その人はそういう段階」
という風に許容してたなあ・・・
本人が精神的に楽ならいいのかな?とは思うのだけれど。
私はかなり深刻な病気で長いこと苦しんでいるのですが、ニューエイジ系の人やサイババ信者に
「まあ!素敵!カルマ落ちたね!」
と言われた時は流石にムッときました。(w
213 :
スミレ:2001/05/22(火) 13:35
↑これは「神との対話」の教えが悪いと言ってるわけではないですよ。
信奉者のあり方が危険な感じだなあ、と。
214 :
ムル:2001/05/22(火) 14:14
私はスミレさんの言いたいこと、よくわかります。
何かの体系に乗っかって
借り物の言葉でしか話せなくなってる人は多いです。
言葉や思想を自分の中に取り込んでいく内に
自分で考え判断することを放棄してしまうのではないでしょうか。
何を読み、何を経験したにしろ、いつでもゼロの立場に戻って
自分自身の言葉で話せる人でないと信用できないですね。
215 :
シグマ:2001/05/22(火) 17:43
>214
激しく同意。
スミレさんのおっしゃるヒーリング関連の仕事をしている人は
やたらと、「真理を見誤るな」とか「これが○○なんだ」
とか、断定的にいうことが多いんですよね。
最終的にはやはり、ムルさんのいわれるように、自分自身が
どう感じるのか を正確に知ることが大事だと思います。
むぅ、僕はサイババの本とか、神との対話は読んだことないけど、
なんだかそっくりな考え方だな・・・なんか怖いな
てゆーか「神との対話」読んでみようか
217 :
日本茶:2001/05/22(火) 18:45
↑あなたはハマってしまうと思われ。
あなたの信仰のソースがサイババや神との対話でないとすると
どこなんだろ?
218 :
名無しさん@1周年:2001/05/22(火) 20:18
ちょっと話題を変えてゴメンよ。
ここ(2ch)のスレ「異言」のところの14の投稿をご覧ください。
チャネリングって広義の「異言」の一種ではないでしょうか?
219 :
ななしそ:2001/05/22(火) 20:58
>>217 そのつもりで読んでたわけではないけど、ニューエイジ系と思われる
思想の影響が大きいと思う。少しづつキリスト教と東洋思想が混ぜこ
ぜになっているが。信仰と言うほどのものではないだろうと思う。
しょせん我教
220 :
シグマ:2001/05/23(水) 01:13
nipponnさんも、神のメッセージを受け取っていらっしゃるようですが、
どのようなことでしょうか。
もしよろしければ教えてください。
あと、余計なことですが、スミレさんは、「神との対話」を読まれては
いると思うのですが、内容を信じるか否かというのではなく、
本に書かれてある1文1文に対して自分でどう思うのか といった角度で
再度読まれると良いのではないかと思います。
上手くいえませんが、何かの拠り所を書籍その他
一般宗教に求めても、自分自身意外のものであれば、
結局は行き詰まることになると思います。
私自身はそういったものを探し続けることに疲れたので
もう無理していろいろやることをやめてしまいました。
でも、自分の中から、また新たな確信みたいなものが、
生まれてきています。私にとって「神との対話」は、そのきっかけにしか
すぎません。是非とも再読をお薦めします。
>>208 シグマさん
こちらこそ、物事としっかりと向き合えたような感じがして嬉しいです。(^^
>最終的にはやはり、ムルさんのいわれるように、自分自身が
どう感じるのか を正確に知ることが大事だと思います。
同意です。私が経験したなかでの、「判断」の目安を書いておきますので、
よかったら参考にしてください。(書き足りてないかも、だけど。)
(頭で考えたり、知識、理屈は関係なし。あくまでも心で感じることです。↓)
直感やひらめき、清らかな感じ、明るい感じ、清々しい感じ、懐かしい感じ
癒される感じ、やさしく暖かい感じ、わくわくして心が喜んでる感じ、
(などの良い感じのするものor人or場所or場面)
特別に思えるようなことは、
大きな存在に守られてるような感じ、心に響く感じ、妙に気になる、
祝福されたようなor許されたような気がして涙が溢れてしばらく止まらない。
世の中の全てが輝いていて、なにか大きな存在が見守ってるような感じ・・・
・・・・以上のような感じがするのに、陶酔ではなく、醒めてる自分もいる。
心の声を意識しながらも、決して無理せずに自分らしく自己責任のもとで
日常を生き生きと送っていれば、誰かや何かに頼らなくても充分だと思います。
(世俗を離れるようなことよりもこっちのが実はタイヘンなことだと思う。)
そしてできる範囲で、自然に触れたり、感を磨くようなことをすると、
メッセージも解り易くなると思います。
普段から頭の良い人のほうが困難になかもしれません。>心で感じる
なので、受け取る人もそうでない人もどっちがエライわけでもないですね。
人それぞれ得意分野が色々違うだけ。(笑
「神さま」が胡散くさい方は、自分を信じればいいのでしょうか。
(内容が内容だけに書くのに時間かかってしまいました。ごめんなさい。)
うわー、シグマさん、何か掴みましたね!
>>220を読んでたら、私までなんだか喜びみたいなものが湧いてきました。(ウレシー!!
「神さま」も喜んでられるのが解るよー。
>私自身はそういったものを探し続けることに疲れたので 〜。
私もそうでした。本が多かったんですけど、(有名な人には不思議と
会わせてもらえませんでした。)私なりに答えを見つけたときに
「神との対話」が出たので、もう読まなかったんです。(内容は大体一緒でしたし。)
本でも長い歴史のある色々な宗教でも、そのときそのとき心に響いたことを
取り入れていけばいいと私も思っています。
うわー、なんか「おめでとう」を言いたい感じ。(笑)
訂正です。
>222
「神さま」が胡散くさい方は、自分を信じればいいのでしょうか。
↓
「神さま」が胡散くさい方は、自分を信じればいいのではないでしょうか。
・・・でした。でも、いいことあったからいーや。(笑
連続レス、ごめんなさいー。
225 :
180その他:2001/05/23(水) 02:34
散々好き勝手なことを書きこんで来ましたが、実は私も神様の存在を
信じています。法則と人格面の両面性を兼ね備えた神様です。
私の言いたい事は全て書き込む事が出来、皆さんの貴重なご意見を
勉強にさせていただく事が出来たことは、本当に良かったと思います。
それではご機嫌よう。
226 :
コーヒー牛乳:2001/05/23(水) 03:56
ニューエイジの嚆矢は何なのでしょう?
いろいろありすぎてよくわかりません。
一応、スウェーデンボルグもその先駆的存在だったらしいんですけど。
それにしてもこの「チャネリング」と呼ばれるものなんですが
例えば
>>1の「奇跡の学習コース」のヘレン・シャックマン博士の場合
彼の内から聞こえてきたと主張するこの「声」とやらを
第三者が真実か否かと見極めることはできませんよね。
チャネラーが単なるホラ吹きか、真性キ○ガイか、精神分裂症患者なのかは私たちにはわからない。
エドガーケイシーは、数千マイル離れた土地の見知らぬ患者を催眠透視し
その診断の多くは的中したとされてます。
これらの証拠書類としては、医師の宣誓書やケイシーが催眠状態中に喋った記録、
その患者の手紙などが残されており、現在も閲覧できるわけで
(捏造されたものかどうかはともかく)
そこから我々も幾らかの判断をすることができます。
しかし「神との対話」の場合、神からの声が聞こえてきたと主張して
それが事実かどうかとわかっているのはニール本人のみですから。
無神論者だったヘレン博士とは違って
ニールはこれまで霊的探求し、ニューエイジ思想には特に傾倒していたわけだから
彼の思想の集大成を自身で創作して上梓した・・
と穿った見方をされてもしかたがないかも。
それからニールの講演会お一人様8400円って高いぞ。
いや、宗教ビジネスの中では安いほうだけど。
227 :
コーヒー牛乳:2001/05/23(水) 05:06
あと、その人がどのような生き方をしたかが判定基準になるって話が出てたけど
私が新興宗教やスピリチュアルリーダーと言われる人達で個人的に一番注目するのは
「どれだけ儲けようとしてるか、商売にしてるか」です。
また、儲けたとしてもそれをどれだけ社会に還元するか・・かな。
228 :
nipponn:2001/05/23(水) 13:21
このスレの今までのまとめでいうと、
1.自分でその真実が役に立つか立たないかを判断すればいい。(わくわくするかどうか)
2.魂の存在や真実を知ってから己の魂を磨く実践をしているか自分に問う。(実践)
3.自分という唯一の存在を信じる。=神を信じれないのは自分を疑うからだ=
ってことですかねえ。二ールがこれが神の声だと思ったのは、<<十戒などない>>ってことばや、
世界国家の上手くいくやりかた(2巻に長く書かれてある)やそのほかにもいっぱいあるようです。
聖なる2分法という言葉もこの本でしかないことばである。
聖なる2分法に関しては仏教でも同じ考え方がある。私の言葉で書くけど、この世は空であるが存在し存在するが空である。この矛盾を神との対話では聖なる2分法といっている。
あと神との対話の世界国家の上手くいくやりかたに詳しいひといませんか(経済学者のかた)?
僕が言うのもなんなんだが・・・
ここのスレにレスする人たちってなんか怖いな。はじめて怖いと感じてしまった
オマエモナーって返してくれ
230 :
ななぷり:2001/05/23(水) 14:20
>>229 どうして「怖い」と思ったのですか?興味爆裂です。
その理由を詳しく教えてください。マジレスでプリーズ。
231 :
。:2001/05/23(水) 14:33
他人ですが、
簡単にまとめようとしたり、結論付ける人は怖い。
「メッセージ」「自分」とかの前提条件を疑わない人は怖い。
232 :
うんち君:2001/05/23(水) 14:42
>229
君が一番キてるよ。
233 :
RRR:2001/05/23(水) 14:44
世界国家のうまくいくやり方、「皆さん、仲良くしましょう、
そして世の中を荒らす奴に天罰を与えましょう」
というわけよ。
一応、結論は単純明快なんだけど、そこにたどり着くまでの
プロセスは複雑で難しい
234 :
シグマ:2001/05/23(水) 17:34
>>221 >>222 >>223 >>224 レスありがとうございました。
>>223さんは、別の方なんですよね。
昨日のニュースステーションを見た方はいらっしゃるでしょうか。
予算の運営に失敗したある町の紹介をしていました。町役場は、
その予算を役場ではなく国が管理するようになった為、ボールペン一本
買うのでも、国に申請書を出さなければならない事態になっているそうです。
そこの住民たちは、ボランティアで、ゴミを拾い、週に一度老人に弁当を
届け、簡単な道路の修繕も予算に頼ることなく、役場の人間が修理している
そうです。近隣の町で、立派な図書館が新設される中、そこでは、各自が
読み終った本を持ち寄り、役場の一部を解放し、図書館にしています。
そして、その住民は、インタビューで、自分達の住んでいるところなん
だから、自己責任でやらなくちゃいけない。と自然に語っていました。
こういった自然発生的なボランティアグループが、あちこちにあり、
注目すべきは、横同士のつながりがほとんどなく、それぞれが、誰かの
命令や指示ではなく、それぞれの意志でおこなっているということです。
つまり、それは、予算運営に失敗した責任を住民一人一人が、引き受けて、
それぞれの行動に移したと考えられないでしょうか。
これが、地域コミュニティーの本来あるべき姿では
ないかと、考えさせられました。
これが、自分に届いたメッセージであるかどうかは、わからないのですが、
非常に感銘を受けたのは確かです。
>>230 なんて表現すればいいのか見当つかないな。こんなの初めてだ。得体の知れないものを
見たというか・・・。
>>221、
>>222、
>>223、
>>224を読んでみると知らない人どうし
が嬉々として通じ合っている(と言うのか?)様子がなんだか得体が知れなくてな。幸
せな狂い方に見える。電波お花畑板に行かれたほうが良いのではないかと。
すみません、
>>221、
>>222、
>>223、
>>224の方に悪口を言うつもりはないのですが、
気分を害されたら申し訳ありません。お許しください。
>>232 オマエモナーって返して欲しかったな。
水面下で知らず知らずのうちに同じ思想の人たちが出来上がってゆく気がして戦慄を
覚えた。これがニューエイジでいう人類の覚醒なのか?信じられないな
236 :
コーヒー牛乳:2001/05/23(水) 19:52
よっしゃ!
\\ //
\ /
\ Λ_Λ / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ ( `Д´) / < オ〜マ〜エ〜モ〜…
\ くっ Ъ / | \_______
\ ) ) ) /
\ (__)_) /
\\ Λ_Λ ナーッ!!!
\\ ( `Д´) //________
――\ (二ラ 二ラ ________
― \\ ) ) ) 丶\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
― \ (__)_)
237 :
ななぷり:2001/05/23(水) 20:33
新必殺技、オマエモナー波
コーヒー牛乳さんのお陰でみんな昇天しました(あの世に)
よか〜ったああああ〜〜〜〜〜〜〜・・・・(天に昇りました
238 :
シグマ:2001/05/23(水) 21:17
>>221 >>223 まさか、こんな場で、自分の本音をわかってもらえるとは思いませんでした。
まさに、「神さまも粋なことをなさる・・・??」
私は、ニューエージ系のセミナーでははっきりいってどこに行っても
劣等生でした。こぞって、山に隠り、いかに自分が神とコンタクトを
とったかを喜々として語り合うような人々の説く「真理」を
自分の中で受け入れ切れなかったからです。そして、的外れな
質問をしては、周りの人間にせせら笑われる始末でした。
「あらゆる出来事に対して責任をもたなければならないのでは・・・?」
という質問に対しては、「あなたには真理がわかっていない」
「自分がそんなに立派な人間だと思っているのか」
「自分一人で地球を救うつもりでいるのか」
こんな風に、自分自身のもつ価値観を否定されてきました。
でも、少なくともお二人のお陰で、やっと、自分に
自信がもてたような気がしています。
ほんとうにありがとうございました。
何ができるかわかりませんが、今自分の場所から新たに始めようと
思っています。
>>234 シグマさん、みなさん、ごめんなさい。お騒がせしました。
全部、私のレスです。
>>223は、デリケートなレスを送った直後で気が緩み、寝不足&あの時間帯でハイになり
つい個人的なことを書いてしまいました。
なんかヘンなものが横切ったとでも思って、始めの3行は透明アボーンして下さい。
と、いうように(w)いくら著作物があろうとも、所詮は皆「人間」だと思います。
皆が成長過程にあるので、人生の途中では、誰もがつまづいたり、舞い上がったり
堕落したり、又はその後さらに成長したり・・・それぞれ色々あると思われます。
この本の著者についても、後になってみないと解らないといえるのでは?
ほっといても、誰もが自分が蒔いた種は自分で刈り取ることと思われ。
(もちろん、すみれさんにひどいことをした人も。)
このスレで著者についての議論を止める気はありませんが、
本にしても個人にしても、そろそろ外よりも内側のほうをよーく見つめてごらん?
と言われてるような気がしませんか?
私はシグマさんのとある地域の話を読んで、皆がああであれば
世の中も変わるだろうな、と思う。この話で、私個人が教わったことは、
やはり、そのときそのときで自分らしく(自己責任のもとで)良心に沿ったような
暮らしをそれぞれが送っていればいいんじゃないかな、ということです。
それは、魂の存在を認識しなくても皆ができることだと思います。
そして、本や教えなどに関しては、例えば緑茶が飲みたいときもあれば、
コーヒーも好きだったり、なぜかミルクティーが飲みたくなったり、
中華食べたからウーロン茶にしよう、でも、基本は緑茶だ!とか・・・・(笑)
紅茶が嫌いな人もいれば、ハーブティーに凝ってる人もいたりして?
そういう風に、自分の目で日常に取り入れていけばいいのでは?と考えます。
くれぐれもがぶ飲みしたり、飲みすぎてお腹壊さないように。(笑)
>238
>まさに、「神さまも粋なことをなさる・・・??」
私も日頃、そんなノリで受け取ってます。(笑)
もちろん真摯な心で向かうこともあります。
>自分の中で受け入れ切れなかったからです。
シグマさんの本当の自分は知っていたんですね。
これからもこの自分を大切にされて下さい。(表面の感情ではなく。)
シグマさんのつらい体験も「神さま」がシグマさんの(魂の)成長のために
必要だった体験で、用意してくれたひとつの課題だったように思われます。
いつでも見ててくれて、時間・場所に関係なく「あらゆる手段」を使って、
ここぞという時に手を差し伸べてくれるみたいですよ。
実は正直言って、最初の質問のときは、放置しようと考えたのですが、(←頭で)
なぜかきちんと向き合ってみようという気になったんです。(←感で)
今となったらおかげさまで、書いてよかったーという充実感があります。
私も同時に色々教わってます。(笑)
>235 覚悟のうえで書いてるので気にしてないよん。気持ちも解るし。>デムパ
>236 モナをありがとうー。天に昇りました。(笑)
ちなみに、私の「判断」では、目に見えない部分を書いています。
「神さま」はお金は使わないです。(使うのは・・・・・、だーれだ♪(笑)
暴利を貪っているところは、もちろん要注意ですね。
あと、接してみて、思いやりが感じられない人なんかも・・・・。
そういう日常の当たり前のことを前提として、書いてます。
その辺のところ、よろしくお願いしますー。>ALL
度重なる長文レス、ごめんなさい。そろそろ逝きます。(ROMしてますねー。)
241 :
nipponn:2001/05/28(月) 09:29
age
242 :
名無しさん@1周年:2001/05/28(月) 13:01
あげ
243 :
ななし@はぁーと:2001/06/01(金) 22:40
あなたがサンノゼへ向かっているのなら・・・・・・。
244 :
さつまあげ:2001/06/05(火) 00:10
神との対話は理解されていない、というよりもそれを読む人の心を映し出しているようです。
すばらしい内容も否定的な心で読めば、それなりの結果が得られます。
むかし、「神はマインドテストだ」と仰る先生がいました。
私もそのとおりだとしみじみ思います。
そして神との対話でもそうなのですが、この本をじっくり読めば今まで気付かなかったあることに気付けます。
書かれてあることを鵜呑みするのではなく、本全体の中でそのフレーズが何を言おうとしているのかを感じることができれば、すばらしい本だということがわかると思います。
私がスレの流れを止めてしまったようで、ちょっと責任を感じていました。
レスがついてて、嬉しいです。
それと、これはちょっとお遊びですが、寝る前などに心を落ち着けてから
パッとページを開くと、けっこう今の自分にドキッとするような言葉が
あったりします。>この手の良い感じの本(曖昧でゴメソ。)
おもしろいですよ。
「神との対話」は、「現代の聖書」といったコピーをつけたいような気がします。
(怒られるかなー。笑)
246 :
コーヒー牛乳:2001/06/05(火) 02:09
>「現代の聖書」といったコピーをつけたいような
聖書がああいう大らかな内容だったらよかったのにね。
でもニールって神と語り合うには相応しげなサワヤカな風貌してるよね。
山奥とかにログハウスとか持ってデカい犬飼ってそうだ。
私も主の祈りなどは、大好きです。
あれには、全てがあるような・・・・・☆
ずっと、聖書がもっと解りやすければいいな、と思っていました。
(昔、職場で関わったことあります。)
ニ−ル、そういう暮らししてそうー(^^
あと、「聖なるビジョン」書いた人とかも。
248 :
神との名無しさん:2001/06/13(水) 01:00
「倫理は法制化できないことが、やっとわかるからだ」
ってどういうことなんですかねー?
教えてください。
249 :
カルマ:2001/06/13(水) 01:05
>>248 それどの本のどの辺に書いてあったの?
見てみたいから教えて。
250 :
ぴぐもん:2001/06/13(水) 20:22
ちょっと興味を引かれたんで、みてみましたが、やっぱ神と名乗る低級霊ですね
こんなにおしゃべりな、神様初めて
251 :
名無しさん@:2001/06/13(水) 20:36
確かにね、ニールが嘘つきなのか、ただの、心の病気なのか、
低級霊の言葉なのか、判断つかないもんね。
他のチャネリングで別の神は違うこと言うしね。
252 :
神との名無しさん :2001/06/14(木) 00:42
>>249さん
『神との友情(下)』のP201です。
教えて!
253 :
神との名無しさん :2001/06/15(金) 01:11
「どんな者でも自分なりの世界モデルに照らし合わせれば、何も間違ったことはしていない。」
これに似たことが書かれてある本ってありますか?
254 :
サンマーク:2001/06/15(金) 09:26
>252
よく、道徳の授業で習うような、「人に迷惑をかけてはいけません」
とか、「困っている人がいたら、助けてあげましょう」みたいな
ことって、この本では、人間が勝手につくりあげたルールとして
かかれていて、だから、悪人でも間違ったことはしてないってことに
なるんじゃないの。それでもって新しい福音にもとづいた世界になれば、
今ある、憲法とか、ルールが全く必要ないんだってことに気付くって
ことでは・・・?
255 :
ななっしんぐ:2001/06/15(金) 11:57
>252,254
うむ。いくらルールを定めて、罰則で規制したとしても、人の心の傾向は変わらな
いという意味でしょうね。例えばですが、日本では買春が法律で禁止されている
から、規制がゆるい東南アジアまで出かけているという人は、法律がなければ、
日本で嬉々として買春にはげむでしょう。しかし、神の目からすると、人間の本質
というのは、肉体的な特徴や教養の高低、社会的地位の高低などではなくて、自由
に買春できる状態におかれたときに、自主的に買春するかどうか、ということだと
思う。言葉の響きが悪いが、「神からの試し」に近い。
人は買春をすることで、「買春者」となり、その行為の責任(社会的という意味で
はなく、神との関係という意味です)を負わされるのです。「買春」の目撃者が
いてもいなくても同じですし、社会的な実害があってもなくても同じことです。
いくら外部から規制をかけても、その人が「買春者」であるという事実は変わらな
い。人間の中身には変化がない、ということを意味していると思います。
256 :
カルマ:2001/06/15(金) 12:14
>>248,
>>252さん、どうも、読んでみました。
>「倫理は法制化できないことが、やっとわかるからだ」
>ってどういうことなんですかねー?
「あなたがたはみんな、お互いに責任がある。」が答えだと思います。
257 :
名無しさん@1周年:2001/06/15(金) 12:32
「神との対話」も「聖書」も「コーラン」もトンデモ本だよ。
258 :
ななっしんぐ:2001/06/15(金) 12:34
>256
「お互いに責任」というのは、カルマの「善因善果、悪因悪果」のこと
だろうと思うけど、実際にはそんなに簡単ではないと思います。
カルマで自分の行為が自分にはねかえってくるから、悪事を犯さないと
いうのも、刑罰の一種にすぎないからです。社会が裁くのでなくて、自然
の摂理で裁かれるという差しかない。鞭の痛みを恐れて服従する動物と
変わりがありません。
たとえば、ここに人を殺したくて仕方がない人が居るとして、仏教の本を
勉強して、「悪因悪果なら、自分が殺されるのは嫌だから、人を殺すのを
やめよう」と決心したなら、確かにその人は殺人を犯さず、カルマを積む
こともないでしょう。しかし、その人の「人を殺すことに快感を覚える」
という性格は変わりません。災害などで多量の死者が出ると、心の中で
喝采を送るでしょう。
私は、カルマでもって人間を「調教」するのが神の意図だと思いません。
むしろ、本心から「人を殺すことはよくないことだ」と理解し、たとえ
それが自分の利益につながらない場合でも、その信念を貫くような、魂の
成長を遂げることだと思います。
259 :
名無しさん@1周年:2001/06/15(金) 12:36
「神との対話」て本、あのサンマーク出版だよな?
裏にいるのは自称経営コンサルタントの船井幸雄@オカルトじいさん
だろ?
よって
>>257のとおりトンデモ本に決定!
260 :
カルマ:2001/06/16(土) 00:05
ななっしんぐさん、こんばんわ
>>258 >「お互いに責任」というのは、カルマの「善因善果、悪因悪果」のこと
>だろうと思うけど、実際にはそんなに簡単ではないと思います。
自分の行いが自分に返ってくるから、「倫理は法制化できない(その必要が
ない)」というふうに受け取ったのでしょうか?
ぼくは、そうは受け取っていません。
他に、回答になりそうな部分を見つけたので、引用します。
「なぜ、ひとつである存在が自らを傷つけたがるのか? たとえ被害を与え
ることをしたとしても、なぜ、もう一度害するようなことをするのか?
もう一度傷つけることが、なぜ最初の被害を回復させることになるのか?
それではつま先を何かにぶつけたからといって、仕返しに二倍も強く蹴りつ
けるようなものだ。」
(『神とひとつになること』169ページ)
>私は、カルマでもって人間を「調教」するのが神の意図だと思いません。
>むしろ、本心から「人を殺すことはよくないことだ」と理解し、たとえ
>それが自分の利益につながらない場合でも、その信念を貫くような、魂の
>成長を遂げることだと思います。
ぼくは、「わたしたちはすべて一体である」からだと思います。
261 :
ピヨ:2001/06/16(土) 00:09
>>214 さんとその近辺のお話(めちゃアバウト)、俺は好きなんだけどな。
262 :
名無しさん@宇宙人 :2001/06/16(土) 00:11
宇宙人はいるらしい
263 :
カルマ:2001/06/16(土) 00:35
>>261 ピヨさん、ご指摘どうもですm(__)m<と勝手に思ってしまった
>>260 たしかに、引用ばかりだよね(^^ゞ
264 :
神との名無しさん :2001/06/16(土) 12:42
>254、255、256さんありがとうございます。
>254さん
>だから、悪人でも間違ったことはしてないってことに・・・
そういう見方もありますね。だから法制化できないと。
>255さん
>いくら外部から規制をかけても・・・人間の中身には変化がない・・・
人間の中身の問題ですか?私もそれを思ったのですが、なんかあたりまえ過ぎて
少し(文意と)違うかなぁと思ったのです。わざわざ「やっと・・」って書かれて
あったので。どうですかね?
>256さん
>「あなたがたはみんな、お互いに責任がある。」
これは「倫理を法制化」しても「仕返しに二倍も強く蹴りつけるようなものだ。」
だから「倫理を法制化」はかえって倫理を強めるだけだという意味なのでしょうか?
たしかに相対的な世界では、ある特徴を強めれば、それの対極を生じさせることになります。
そこである倫理を規定すれば、それの対極も強めることになる。そこで倫理を規定すればするほど
それに従わないものもどんどん増えていく。いたちごっこになる。。。
う〜ん、わかりません。?
265 :
神との名無しさん :2001/06/19(火) 00:42
「神を信じる」っていうのは
ものごとは完璧に機能しているっていうことを自覚することかなぁ?
266 :
忘れられてますね(笑):2001/06/26(火) 04:30
こういうやりとり多いですね〜
「神と対話した」って言う人は他人に触れ回りたいのでしょうか?
言葉を巧みに操り「信じなさい」って言うの、どこでもやってますね
そもそも他人に信じろって言うの変じゃないですか?
他人も同じように感じて欲しいんですか?
自分の事を理解して欲しいんですか?
基本的に人って奴は伝聞なんかで聞いても「へーそうなのね」って程度ですよ?
神と意識を共有できるなら、それで良いじゃないですか
他人に伝えなければイケナイなんておかしいですよ?
あなたは「経験、体験した」から「信じた」のでしょう?
「そんなことがあるのね」ってレベルから、「ある!」に変わっただけじゃないですか
私は特別なんだって思いたいの?
「信じてっ!私の言うことを信じてっ!」って怒鳴らなくてもいいじゃない
人にとって必要な事なので有れば、ソレが進化ならば
みんなそこに行き着くじゃない、
私も感じた、ああっあなたも感じたのね!よかった〜
それから何が得られるの?
安心?
置いて行かれなかったって思いたいの?
信じようとするのはおかしいよ、
当たり前のことを当たり前と思えなくなるんだよ?
私は信じるって言葉が嫌いです
267 :
名無しさん@1周年:2001/06/26(火) 10:22
age
268 :
名無しさん@1周年:2001/06/26(火) 19:32
キミは奇跡を信じるか?
269 :
nipponn:2001/06/27(水) 01:42
臨済宗とかの教えもきいたことあるけど
けっこうかみとの対話ににたところもあるよ。
宇宙人の話はさすがに出てこないけどね。
270 :
堕靡泥の星:2001/06/27(水) 02:00
この神さま、著者と知的レベルが一緒なんだよな。
読んでて藁っちまったよ。
271 :
名無しさん@1周年:2001/06/27(水) 03:01
奇跡を信じる?
信じればいいじゃない、私には関係ないよ?
自分が信じてればいいこと
272 :
名無しさん@1周年:2001/06/27(水) 07:40
宇宙観っていうのは良く出てきますね>宗教
273 :
gufu:2001/06/27(水) 17:37
サラシage
274 :
nipponn:2001/06/27(水) 18:04
宇宙人によってもたらされたぎじゅつが
地球の科学を飛躍させたというのみんなしんじます!?
おれは信じるけど。
275 :
2001/05/03:2001/06/28(木) 01:05
■掲示板に戻る■ レスを全部読む 最新レス100
ニューエイジの嚆矢は何なのでしょう? あの巨大なサイトも使っています。
いろいろありすぎてよくわかりません
276 :
age:2001/06/28(木) 01:57
age
277 :
nipponn:2001/06/29(金) 01:46
a
278 :
7:2001/06/29(金) 01:52
|よし| ΛΛ |よし| ΛΛ |よし| ΛΛ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〃 ̄∩ ゚Д゚) 〃 ̄∩ ゚Д゚) 〃 ̄∩ ゚Д゚) < 全員一致で逝ってよし!
ヾ. ) ヾ. ) ヾ. ) \_____________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
| 逝ってよし認定委員会 |
| |
\|
279 :
名無しさん@1周年:2001/06/30(土) 00:40
神が現われたとかのたまってる人、具体的にどういう状況だったか
説明してくれや。それを聞いてどうするって?お前がハッタリこいてる
かどうか知りたいだけだよ。それからnipponnって奴、お前はしゃいでんじゃ
ねえよ。精神世界初心者だろう?本読んだくらいでわかったような気に
なってんじゃねえよ、恥ずかしい。そんな簡単なもんじゃねえぞ。
人間なんか根本的にエゴイストなんだよ。自分が一番かわいいんだよ。
そんなもんがイエスや仏陀のようにいきなりなれるか!
神との対話を信じてああいうふうに生きようと思ってる人はこれから
いろいろ自己矛盾にぶつかると思うが決して自分を、無理矢理正当化
しないようにしてくれよな、オウムの奴等みたいに。たのむぜ。
280 :
名無しさん@1周年:2001/06/30(土) 11:32
善悪を決め付けないほうがいいという話のとこだったか、
物事は一方から見ないほうがいいという話のとこだったか、
当たり前だというように原爆投下の正当性(アメリカ的見方)を主張するニールさんに対し、
反論している文章(←どう考えても一般アメリカ人にできる考え方じゃなかった。)を読んで
この本はアメリカ人のおじさんだけじゃなく、何者かが書いた本なんだなあって思った。
それが神か、ニールさんのハイヤーセルフか、他の存在か、分からないけど。
文庫が出てたから何気なしに買ったけど、買ってよかった。
281 :
神との名無しさん :2001/06/30(土) 22:23
>>279さん
>神との対話を信じてああいうふうに生きようと思ってる人
どういうふうなのでしょうか?
それに神との対話を信じるってどういうことだ?、と思ってしまいます。
あの本は信じることをまったく必要としません。
もし信じなければならないことがあるようならば読んでもためにならないでしょう。
というか、そんなことがどこに書かれているか知りたい。
282 :
名無しさん@1周年:2001/06/30(土) 23:37
>>281 ハァ?ニールって野郎がほんとに神(あるいはそのような存在)と
対話したと間に受けてあの本に書いてあることを今後の人生にいかそう
とか思ってる奴のことだよ。信じることをまったく必要としてないだあ?
じゃあなんで否定派、懐疑派がレスしてくるんだあ?俺にはあの本全体が
信じろといってると思うぜ。信じなければならないことがないのなら
なんで出版すんだよ。それならニールって野郎の腹の中にしまっておけば
いいだろうが。出版=伝えたい=信じた方がいいよってことだろ?
さんざん信じる信じないで言い合ってきたスレなのに今さら理屈
ごねてんじゃねえよ。
283 :
名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 03:41
とりあえず
このスレ読んで思ったこと
nipponさんは本読んでから声が聞こえるようになったらしー
なのに常識的に会話する方々には、神の声として自分の考えを話さない
本からの引用だけ
周りの意見が怖いから話せないんでしょ?
nipponさん
あなたの考え話して他の人に矛盾指摘されて
自己破綻するのが怖いんでしょ?
↑自作自演ばっか!
ん?始めて書き込んだけど?
286 :
名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 14:37
age
287 :
名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 21:28
284=nippon
288 :
にっぽんじゃないよ!:2001/07/01(日) 22:37
>神との対話を信じてああいうふうに生きようと思ってる人はこれから
>いろいろ自己矛盾にぶつかると思うが
どうゆう自己矛盾にぶつかるのかな?
具体的な例をあげてみてくれない?
ちなみに俺は、ニールが どんな人間か?なんて興味もなければ
会いたいとか話をしたいなんて思わない!
ただ単に本を読んで その内容に納得しただけ
お陰でいろんな宗教があるが特定の宗教をする必要がないと思った。
だからキリスト教・仏教なんてのに興味もなくなったんだが
289 :
名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 23:28
>>288 愛、愛などと連呼しとるだろ?あの本。
それで例えば影響された奴はボランティアを始めたりするわけだ。
でも所詮自己満足だから相手がわがままだったり態度でかいと
むかついたりするんだな。それで自分はせっかく助けてあげてるのに
などとたわけたことを思うわけだ。
あと多少悪いことしてヒトラーも天国にいったのだから大丈夫などと
自己正当化する奴も出てきそうだな。なんだかんだいっても
心の奥底にはうしろめたいという感情があることを自分でわかって
いながら都合のいいように正当化してしまう危険があると思うぜ。
あと自分は真理を知っていて他の奴はなんも知らんし知ろうとも
しない無知な奴とうぬぼれてしまう危険があるんじゃねえか?
そしてそのうぬぼれの感情の卑しさをなんとなく自分で気付きながら
これまた正当化してねじふせてしまうんだな。
290 :
名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 23:33
自己正当化も度が過ぎると注意ってことなのかな。
謙虚であることは大事だと思う。
291 :
神との名無しさん :2001/07/02(月) 00:01
>>282さん
レス遅くなり申し訳ない。
>俺にはあの本全体が信じろといってると思うぜ。
>信じなければならないことがないのならなんで出版すんだよ。
そういう解釈もあるのでしょう。
でも私や強烈なインパクトを受けた人はそういうようには読みませんよ。
今まで自分が感じてきた疑問を再確認したといったら良いのでしょうか?
再確認なので信じることはまったく必要ないのです。
だからニールがどんな人間であろうと、誰と会話しようとも関係ないのですよ。
292 :
名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 00:07
じゃー
>>63に書いてあるのはnipponさんの私見?
本の引用でないの?
293 :
にっぽんじゃないよ!:2001/07/02(月) 00:30
>>289 >それで例えば影響された奴はボランティアを始めたりするわけだ。
>でも所詮自己満足だから相手がわがままだったり態度でかいと
>むかついたりするんだな。それで自分はせっかく助けてあげてるのに
>などとたわけたことを思うわけだ。
確かに そう思い込む人は、多いかも
>あと多少悪いことしてヒトラーも天国にいったのだから大丈夫などと
>自己正当化する奴も出てきそうだな。
これまた確かに そうゆう解釈の人も多くなるかもしれない。
>あと自分は真理を知っていて他の奴はなんも知らんし知ろうとも
>しない無知な奴とうぬぼれてしまう危険があるんじゃねえか?
う〜む これは、宗教全般にいえるかもしれない。
何の不都合もない人を「救ってあげられるのは、この宗教です。」
なんて言ってる人が多いけど
「じゃあ あなたは、悩みや煩悩もなくて、救われてるの?」
と言いたくなる。
俺が、この本から思ったことは、「変な集団に惑わされずに
自分の人生を思う存分楽しみない」「でも因果応報だから
悪い事したらそれなりの報いがあるよ」ってことかな
294 :
名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 01:26
>>291 ニールの人格ではなく、本の内容自体が俺にはのめりこむとやばいんじゃ
ないかと思ってるわけだよ。
どうも人間=神という考え方は自分の卑しい部分を認めなくなる、目を
そむける危険が出てくるように思う。あと成功哲学と似たようなこと
言ってるところとか。そんな簡単にいくならみんな成功者になってるぜ。
自分の願望が実際実現したと本気で思い込むことそれ自体が至難の技
だと思うぜ。それから善悪の判断しないってそれは自分に関係ない場合
だけ有効であって自分や自分の身内が危害を加えられてもそうできるかい?
好きな女が輪姦されたり、大事な子供が殺されてもそう思える自信が
あるかい?
295 :
通りがかりのやじ馬:2001/07/02(月) 11:36
>289
>多少悪いことしてヒトラーも天国にいったのだから大丈夫
昨日読んでいた本に、偶然ヒトラーとの心霊通信の話が載っていたけど、それに
よれば、ヒトラーは黒雲が立ちこめる沼の中をあてどもなく彷徨っているらしい。
この種の話は、もともと裏が取れないのだから、あんまり盲信しない方がいいよ。
296 :
289:2001/07/02(月) 20:23
>>295 >この種の話は、もともと裏が取れないのだから、あんまり盲信しない方がいいよ。
してねえよ。おまえこそ俺の書き込みの意味を勘違いしてんじゃねえよ。
297 :
名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 21:39
>>291 >今まで自分が感じてきた疑問を再確認したといったら良いのでしょうか?
どういう疑問かもっと具体的に聞かせてください。
298 :
名無しさん@1周年:2001/07/03(火) 01:08
あまりにも謙遜ぶる奴もイヤらしいけど、
自分には使命があるとのたまう人は危ない。
アセンションは宗教じゃないから
299 :
nipponn:2001/07/03(火) 01:30
>>253 仏教でもそういうことはかいてあるらしい。
自分のしんじる道をゆく。
そして相手を批難するのはよしたほうがいい。(これは自分にいってるんだけど)
相手のその言ったこと、やったことに対して自分はどう思うか。
それに対しどうやって自分のもってる優しい面や、愛ある面を放てるか。
そう考えてみてはどう?
あなたの愛は宇宙を動かす!!
すみずみまで満ち溢れる...。
300 :
名無しさん@1周年:2001/07/03(火) 18:13
>>299 だから口でのたまうだけなら誰でもいえる。
そしてのたまうだけで実践してない輩のほうが
圧倒的に多い。実践の難しさを知っている者なら
そんなに軽々しく歯の浮くようなセリフは言わない。
>>283は
別にnipponさんを非難してるわけではないですよ?
アナタは自分の思ったことを書くことが
非難することだとおっしゃるの?
私はタダ、あなたはあなたの考えを話していないから
あなたはどう思っているのか聞きたかったなと思ったので
書いたのです。
人に非難されることをおそれて自分の考えを言えないのが
アナタなんじゃないですか?
自分の世界観、宗教観、語って居る方のほうが
まだ自分なりの考えがあるんでしょうと思えるが
あなたは知識として仕入れた情報に
無防備過ぎるような気がしてならない
人に考えろと言う前にご自分の考えをまとめることをおすすめします。
と言うのがあなたの発言から私が思ったことです。
302 :
nipponn:2001/07/03(火) 20:04
私の言いたいことは
自分の信じる道を行こう!!ってこと。
ただそれだけ。
303 :
名無しさん@1周年:2001/07/03(火) 20:14
オウム信者だって自分の信じる道を歩いたのだよ。
304 :
神との名無しさん :2001/07/04(水) 00:23
>303
文脈から見て、
だからオウム信者のように「悪い」道を歩くこともできると言いたいのかな?
それをどう見るか?
それをあなたは決めることができる。
そうすれば宇宙の中でのあなたという存在もそれにより決まる。
「あなた」という存在は、今まであなたが決めてきたことの総和である。
では、これを信じるか? いや、これを信じることはできないでしょう。
このようなことは、あたりまえ過ぎて信じることができない。
しかし気付くことはできる。それが『神との対話』に書かれていることでしょう?
だから信じることを必要としないのですよ。
305 :
名無しさん:2001/07/04(水) 00:31
>>304 自分の信じた道が、他人から見たら悪ということもあり得る。
「私」を評価できるのは「私」自身だけ?んなことはないよ。
306 :
名無しさん@1周年:2001/07/04(水) 03:26
>>304 ハァ?神との対話に書かれていたからあんたは気付いたんだろ?
気付いた=信じたっつーことじゃねえか。ごまかしてんじゃねえよ!
てめえのような奴が一番始末が悪い。すでに自分の都合のいいように
解釈する傾向が見て取れる。
307 :
名無しさん@1周年:2001/07/04(水) 09:23
人を非難する事も時には必要でしょう。
でも、非難された人間は傷つく。
傷ついた人間をどれだけいたわる事ができるか?
そして、正しく導く事ができるのか?
そもそも自分は、人を非難できるほど正しいのか?
正しくなければ人を非難する権利を持ち得ない?
考えるとキリないですけど、根本に愛が無いと駄目なのかなー。なんて・・・
308 :
名無しさん@1周年:2001/07/04(水) 12:20
非難されてると思うの?
自分が正しいのに非難されてると?
人の意見を非難としてしか受け止められないのはマズイでっすね
非難されるとしたらアナタの書き込みが、
貴女の意見に対した意見ですよ?
傷つけないように言葉を選ぶのは当たり前
>>307 人を正しく導こうと思っている時点で
他人を見下していると思われますが
どうでしょう?
309 :
名無しさん@1周年:2001/07/04(水) 14:24
>>306 そうそう、何かの本や思想に影響を受けて、それを単純に信じこんじまうことを
「気づき」とか「悟り」とか精神的、霊的な段階が高いと勘違いするバカにはイライラさせられるね。
傍目からみりゃあ、またかい、ってかんじでウンザリ。
310 :
:2001/07/05(木) 09:36
>>294 被害(事?)に対する自分の感情と 事の善悪はまた別ではないかいなと思います
311 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 16:41
age
312 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 18:33
>>310 感情=ある種の判断ではないかと思われます。
313 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 22:29
age
314 :
名無しさん@1周年:2001/07/06(金) 04:50
h掲示板に皆様、今もって疑似科学、オカルトにこだわる大人になりきれぬ方々を如何思いますか。
これが、個人レベルであればそれは思想の自由のうち、被害も最小限に抑えられるのですが、宗教法人ともなると話は変わってきます。新興宗教法人の布教と言う法律を悪用した手口は、今のところ国民も国家も全く手の内どころがないのが実情です。以下に紹介するサイトは「南風会」という右翼気取りの宗教結社、非常に風変わりな神道系団体ですが、一方では審神や霊感鑑定など俗に言う神秘主義の分野にまで手を伸ばしておりその意味では明らかに本来の精神の健康という宗教の存在意義を逸脱した魔術重視のカルト結社といえるでしょう。
もし、ご興味のある方、あるいは勇気のある方は彼らの為に何か一言掲示板に彼らの目を覚ますような忠告を書き込んであげて下さい。
http://www.tokyobbs.or.jp/mikumo/cgi-bin/minibbs.cgi
315 :
名無しさん@1周年:2001/07/06(金) 15:44
気づき=当たり前だったことを思い出すこと
>>304 は、
「自分がどう見るかを決め、それを繰り返して自分という人間が決められていく」
という当たり前のことを思い出しただけ
信じる=他人の意見を鵜呑みにすること
とは違う
もし間違ってると思うなら上記の意見に反論したら?
316 :
310:2001/07/07(土) 07:08
317 :
名無しさん@1周年:2001/07/08(日) 03:07
>>315 当たり前のことを思い出すとか気づくなどという
表現の仕方は普通しないでしょう?いまいち
何が言いたいのかわからん。
■■■■■■■■■■■屁■■■■■■■■■■■■
319 :
310:2001/07/08(日) 09:03
和訳に難有り?
320 :
名無しさん@1周年:2001/07/12(木) 02:13
age
321 :
名無しさん@1周年:
age