1 :
名無しブッダ:
誰か、“悟り”を開けた人、いたら教えてくれぇ〜!
2 :
おチャクラ全開悟りでGO!:2001/04/23(月) 09:46
開けたときにはすでにあの世行き
ここに「私は悟りを開きました」なんて書き込んでくる奴は
ただの妄想狂か煽りだな
3 :
名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 12:24
言う者は知らず、知る者は言わざる
4 :
名無しブッダ:2001/04/23(月) 12:46
>>2-3
でもブッダは「悟りを開いた」って、自ら公言して布教したんだよね?
5 :
ある禅師によると:2001/04/23(月) 13:52
我々は差別の世界で、「我他彼此(がたぴし)」いがみあって生きて
いる。その差別の根本に自我がいる。その自我を座禅でつぶす。それ
を「空」とも「無我」ともいう。その「無」に徹したところが「禅定」
(悟りの境地)である。そこは「無我」、「空」の平等の世界である。
(秋月龍ミン『白隠禅師』講談社現代新書)
6 :
名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 15:15
>4
「自分は悟った」と知らせる事はすごく簡単だけど、
その心境がどういうものであるのかを伝える事は、たとえ
釈迦であっても出来ないと思う。
結局は自分で苦悩して考えてやってみないことにはね。
じゃあ、何をやればいいのか、という話になるんだけど、
それは私は分かりません。誰か答えてやってください。
7 :
ラフラ:2001/04/23(月) 15:32
確か輪廻転生のサイクルから自由に抜け出すととができる状態だと
きいた覚えがありますけど。
8 :
名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 16:29
>7
そう、そういう風に、文字にしたりして、人に読ませたり、
聞かせたりする事ができたとしても、じゃあ、それを体験する、体で
感じる事は、できないでしょ?
頭でどんなに「悟りとはああだ、こうだ」と考えたとしても、それは
悟っているとは言えないですよね。
「悟り」を他人に体験させる事が出来ていたら、こんなに悩まなくても
いいんであってね。ほんと、あとは自分で座禅でもやるなり、八正道を
守るなりしてやるしかない。
でも、「悟り」を何のために得る必要があるのか?ということを突き詰める
方が大事な感じがします。それだけ「悟り」を得る事は容易なことでは無い
と思いますので・・・。ひょっとしたら一生悟りを得ようとして得られずに
死んじゃうかもしれないですからね。いや〜私にはとてもできんわ。
9 :
ラフラ:2001/04/23(月) 16:48
そうですね。そうなると悟りを得ようなんて思わないほうが
幸せなのかもしれませんね。
道を求める事の難しさ
オイゲン・へリゲルの「弓と禅」の話を思い出しました
10 :
名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 17:25
>9
逆に、「悟りの境地」っていうのは、昔の日本人なんかがそうなんじゃ
ないかな〜なんて思ったりします。
神様に感謝して、普通に生きていた古代の日本人なんか、「悟り」そのまんま
じゃないだろうか、と思います。
哲学的に考えたり、なんかとてつもなく難しい事が「悟り」ではないような・・・
そんな気がするんですよ。
「悟り」というものにすごい価値をつけたのは仏教の影響ですよね。
でも、そんな価値があるもんなのかなあ〜なんて思うわけです。
悟ったあと、どうなるんだろうか?イエスさんは、悟っていた、といえる人
なんでしょうか?家族のために身を粉にして働いているお父さん、お母さん方は、
悟っているといえるんでしょうか?
なんか、わけわからんようになってきた。
でも、誰かに答えてほしいです。
11 :
名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 17:36
諸々の国内宗教団体のトップの中で悟れている人っていないんじゃ
ないの?
12 :
ラフラ:2001/04/23(月) 17:54
たぶん古代の日本人にも明日の糧はどうしよう。病気への恐怖
など今の現代人とは違った意味の恐怖があるように思います。
決して晴れてたやおかな時だけがあっただけとは思えないので。。
もし「悟り」の状態を我々の言葉に近いものに置き換えれば「安心」という言葉に悟りが近い様な
気がします。私信ですが・・
でも知りたいですね。悟りの意味
本当に魂を賭けてまで得るべきものなのか?
13 :
名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 18:35
「悟り」というのは「悟りというものが無い」事に気付く事だったり
して・・・
14 :
名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 19:30
悟りはあるだろうけど、自覚症状が無いんだよ。
病気になって、はじめて健康の意味がわかるのと同じで。
15 :
名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 19:35
「神はいない」と気づく状態のことです。
16 :
名無しさん@1周年 :2001/04/23(月) 19:43
悟りのあるなしにこだわらなくなるのが悟り
17 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/23(月) 19:47
自己という意識が完全に消滅してしまうのが悟りだと思います。(No Selfやね)
18 :
僕ぁ:2001/04/23(月) 19:51
悟りが開いちまって、閉じられないんだ。
誰か閉じてくれい。
開きっぱなしなんだよう。(しくしく)
19 :
名無しブッダ:2001/04/23(月) 19:59
確か、ブッダは、生・老・病・死と言う4つの苦しみから脱する
為に苦行を始めたんだったっけ。
生・老・病・死の克服とは、要するに、人間が生まれてから、死ぬまでの
間に、味わう苦しみ、悩み、悲しみ等から、解脱した状態って事なのか?
そうなると、何の苦悩も持たずに、気楽な人生を送ってる人間は悟りを開いた
事になるのかな?
20 :
名無しさん@1周年 :2001/04/23(月) 20:00
21 :
渡海 難 p2218-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp:2001/04/23(月) 20:09
22 :
ラフラ:2001/04/23(月) 20:30
僕たちは悟りたいと思っている。
けれども努力が足りない。怠惰だ。
否、マニュアルがないのだ。
悟りへの道へ至るマニュアルが・・
ちまたに参考書はあふれているが本物は何処に売ってるのか?
アマゾンドットコムか?紀伊国屋か?
そもそも悟りなる状態は存在するのか?
誰も悟った人を見たことがないのに。
2千年前の小国の王子の精神状態を指してそういうのか?
誰か教えて欲しい。悟りって なに?
渡海 難 さん ありがとうございました。でもわかんない
23 :
:2001/04/23(月) 20:55
−− 質 問 −−
「悟ってる」って自分でわかるんですか。それとも「あいつ悟っちゃて
るな」と他人から見た時の方が良くわかりますか。
24 :
勝手なことで言えば・・:2001/04/23(月) 21:09
人様に通じる、自己表現を完璧にマスターすることです。
人として、男として、女として、若者として・・いや、年齢相応な・・???
心技体という言葉がありますが、すべてがコントロール出来、
他者に表現できれば、どんなにか良い人生が送れると思います。
25 :
ばかぼん:2001/04/23(月) 21:11
---答え---
一字削除一字挿入
「逝ってる」って自分でわかるんですか。それとも「あいつ逝っちゃて
るな」と他人から見た時の方が良くわかりますか。
解脱とはこの程度のものなのか?
26 :
名無しさん@1周年:2001/04/24(火) 01:04
悟りを開く=心が無執着の状態のことではないのですか?
27 :
名無し:2001/04/24(火) 01:42
今もっている、「言葉」は無いと・・・「性(男女)」の別は無いと・・・
魂は純粋に向かうのだと・・・・
人間止めますか?動物やめますか?生命絶ちますか?という世界
と紙一重だな、無執着はきっと。
純粋な魂は良く渇きを満たし、出会いに恵まれ、自己表現やすばらしい
人間相互の交流に飽かされている。そういう状態が「悟り」だと思うが!?
悟りとは純真無垢な魂であることから始まる普通の人間の「人」らしさ
に行き着くものではないのか?
28 :
名無しさん@1周年:2001/04/24(火) 01:59
小学生のときに、心が無執着の状態を体験することができました。
なんてことは無い。全然大したことも、いいことも、何も無かったです。
いいことがあると感じるなら、無執着にはなれないです。
29 :
名無しさん@1周年:2001/04/25(水) 08:29
>>28 悟りが、無感動、無関心になることとは違うと思うけど。
喜びや悲しみや苦しみをあるがままに受け入れるという
ことではないのかな。
30 :
名無しさん@1周年:2001/04/25(水) 08:40
野暮の極みなんでしょうな。「悟り」を語るなんてのは。
語るもんじゃなくて、それこそ会得するなり、開くなり
するもんなんでしょう。しまった。野暮った。
31 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/25(水) 11:24
>>30 キミがこのスレで一番の悟りたいクンみたいだね。
32 :
:2001/04/25(水) 15:56
33 :
:2001/04/25(水) 16:04
悟りとは愛であり、それが自分自身でもあるということを体現すること。
34 :
:2001/04/25(水) 16:07
愛には実体あり。しかしそれを知る一般人は100%皆無であり。
35 :
:2001/04/25(水) 16:09
そこに迷いの根源あり。
36 :
:2001/04/25(水) 16:11
男である女である人間であるという意識を捨て去り
37 :
:2001/04/25(水) 16:12
愛そのものの実体に身を任せ一体となり。
38 :
:2001/04/25(水) 16:16
ただ只管なる懺悔と感謝を。
39 :
:2001/04/25(水) 16:17
あらゆる他人、全ての物を愛することに
命を懸けることを天に誓え
40 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 16:33
∩
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( ´Д`)// < 先生!
>>32-39 が今日もオナニーやっちゃています!
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41 :
:2001/04/25(水) 16:59
ここからは言葉で表現できない。
天への誓いが本物であれば、感応を起こす。
ここからが悟りへ向かう入り口となり。イバラの長い道のりを歩むことになる。
42 :
:2001/04/25(水) 17:07
>>10 悟りは価値あるものか?
あなたの今最高の幸せとは何ですか?
その何千倍、何万倍の幸せを得られるのが悟りというものです。
43 :
:2001/04/25(水) 17:18
感応とは、敢えて表現するならば、母に抱かれた子供と言えるでしょう。
キリスト教にもそんなのがありましたね。
44 :
渡海 難 p3069-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp:2001/04/25(水) 17:53
僧侶として、専門家として発言する坊さんがいないね。
オナニーのポンチ絵では興奮するけど、悟りとは何かという問題になると何も言えなくなるのか。 (-_-;)
45 :
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜:2001/04/26(木) 05:40
人は皆生まれながらにして既に悟りを開いている。
否、既に草も木も鳥も石ころですら悟りを開いているのである。
悟りを開こうとする者こそが悟りから一番遠く、悟りの言葉さえ知らぬ者こそが一番悟りに近い者なのである。
>34〜39
それこそが、悟りからほど遠い「魔境」であり、一時の脳内麻薬中毒者の症状と変わりは無い。
46 :
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜:2001/04/26(木) 06:01
裏を返せば「悟り」とはそれ自体が到着点(終)ではなく、「次の悟り」への出発点(始)なのである。
そして草は草、木は木、人は人其々、「悟り」が違う。之が真の平等である。
47 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 06:24
>>41 >>イバラの長い道のりを歩むことになる。
イバラの道から離れてこそ悟りは有ると信じたい。
48 :
名無しさん@1周年:2001/04/26(木) 06:47
>42
ドラッグでもやってろ。
一生悟りに憧れてろ。
>47
悟りと救いを一緒にすんな。
苦しいのが嫌なら、自死せよ。
49 :
名無しさん@1周年:2001/04/26(木) 06:57
>48悟りと救いを一緒にすんな。 苦しいのが嫌なら、自死せよ。
でも、お釈迦様は苦行を放棄したんだよね?
50 :
名無しブッダ:2001/04/26(木) 09:33
ところで、現代の世の中に、「自分は悟りを開いた!」って公言してる
人間はいるの???
51 :
名無し:2001/04/26(木) 16:41
>40
何故、手の長さが「それ」なのですか?
52 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 17:49
そういえば、オ○ムのアサハラは自ら「最終解脱者」ってほざいて
いたっけ(w
最終解脱って「悟り」を開いた事と同じ意味なのかねぇ?
53 :
名無しさん@1周年:2001/04/26(木) 22:36
>51
意味不明なんですけど
54 :
(w:2001/04/27(金) 00:55
悟りを開けば幸せに成れるとか言ってるけど
いったい誰が悟りを開くのかってこと.
その「誰」というのが明らかにされていくことが悟りなんだと思うけど.
このとてつもない明晰さの中であなたの正体は開かされるでしょう.
輪廻転生しつづけるあなたとはいったい誰のことですか、と問うために
仏陀は外見的には幾らでも取替え可能なイメージの思考実験を呈示したんでしょうね
55 :
わからんチン:2001/04/27(金) 03:29
俺みたいなもんが、わかったようなことを言うのは気が引けるが、
「悟り」なんて、それについて話し合う仲間の中の話題でしかない。
そこに悟りはないし、元々悟りなんてのは観念、イメージに過ぎない。
調和の取れた人間関係を主体的に取れる人間は、きっと悟るよりも
真の人間に近いし、あえて言うならば「悟っている」のではないかと
俺なんかは思う。乱文、失礼!
56 :
ハァ?(゚Д゚)y−~~:2001/04/27(金) 06:48
「悟り」とは、何処かに有ると云われる「ユートピア社会思想」の小乗的なものとおもはれ
「悟り」とは、エクスタシーだと思うぞ。。。
58 :
名無しさん@1周年:2001/04/27(金) 12:41
「悟り」とは、自分という存在を特別扱いすることなく、この大自然で繰り広げ
られている巨大なチェスゲームの駒のひとつとして、過小にも過大にも評価せず、
あるがままに見ることだと思う。
雨が降ったら、明日の遠足がふいになったと考えず、田んぼの蛙さん、よかった
ね、と素直に喜ぶ気持ち。
59 :
牧童の葦笛:2001/04/27(金) 19:25
一番遠いものと一番近いものをひもできゅっと結んで輪っかにすることさ
60 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 20:48
61 :
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜:2001/04/28(土) 01:08
神道の何処かの宗派では、神様と人間との間の「(差)を取る」と言う事が「悟り」であると説明してます。
62 :
名無しさん@1周年:2001/04/28(土) 18:29
>>28-29
悟りとは、やはり無執着が正しいと思う。
無執着だから、無感動・無関心になるというのではないよ。
この世は苦に満ちている
↓
その苦の原因は執着だ
↓
だから執着を取りのぞこう
↓
実際に執着が取り除かれた(執着が非常に抑えられた)状態はある
↓
その状態が「悟り」といわれる状態
ではないのか?
悟ったから何か特別な能力が身につくわけじゃなし、
即、幸福になるわけでもないだろう。
悟り=何か特別なもの−優れた価値観など−という考え方には違和感を感ずる。
「悟り」とかって人が思ってるより簡単なものだと思う。
簡単過ぎて逆にわからないものだと思う。
俺も良くわからないけど俺としては根源的な部分にあるような気がする・・・
わけのわからないことを書いてすいません。
つーか俺は「死んだ後」に興味があるよ。
そーゆうスレや板は何処かな? 探してきます・・・
64 :
名無しさん@1周年 :2001/04/28(土) 21:48
良いスレッドだ。
あげとく
65 :
:2001/04/28(土) 22:32
>>45 自己矛盾していますね。
悟りを求めない者には与えられるはずがありません。
求めて与えられ離れて与えられるものです。
悟りのヒトカケラを体感しなければ、その素晴らしさは語れません。
66 :
:2001/04/28(土) 22:43
>>62 悟りを得る為の一条件として無執着はありますが、それだけではありません。
大方の人は執着しないということに執着していると気づいていません。
無執着に求め、尚且つ与えられるものであるともいえます。
67 :
62:2001/04/28(土) 23:04
> 大方の人は執着しないということに執着していると気づいていません。
その通りに思います。
無執着を目指すと無執着にはなれません。
苦からなんとか逃れたいとの思いこそが、無執着へ到達させると思うのです。
無執着だからといって、それ自体がスバラシものではないと思います。
お伺いします。無執着という心の状態自体が「悟り」だと私は思うのですが、
これはちがうとお考えですか?もっと別のものなのでしょうか?
68 :
mina:2001/04/29(日) 00:45
全てが無くなった後に何もないと気が付く直前の状態。
69 :
仏陀:2001/04/29(日) 01:09
一切が苦であると理解できたら、その人は悟っているといえるのではないでしょうか?
但し、この境地は仏教の最終地点ではない
71 :
ばふーん:2001/04/29(日) 01:55
Let it be!
72 :
*****:2001/04/29(日) 02:25
観念上の時間と空間が消滅するんだよ
73 :
うぃんどうず:2001/04/29(日) 03:32
自分を他者のようにして観ること、他者を自分のようにして観ること
74 :
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜:2001/04/29(日) 05:44
>65と>66は同じ方ですか?
この世は矛盾だらけです。それゆえに、このスレッドの沢山の方々が仰るように「悟り」を言葉に表す事は余りにも(困難)なのです。
貴方は「否定」から「悟り」を観測し、私は「肯定」から「悟り」を観測しているに過ぎません。
貴方は「0」を観測し、私は「∞」を観測しているに過ぎません。共に同じモノを見ているだけです。
>66「無執着に求め・・・・・・」
既に>46を理解していただけたようですね。
貴方の、悟り体験を人に伝える事は素晴らしい芸術や過去の感動を人に伝える事と同じくらい困難です。
それに気が付かなければ「悟り症候群」に落ちてしまうだけです。
「悟り」なんてただの文字です。
75 :
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜:2001/04/29(日) 05:48
「悟り」なんてただの文字です。しかし其処にも仏性は宿り次の悟りへの入り口となります。
76 :
名無しさん@1周年:2001/04/29(日) 09:02
見性悟道とは、妄想を捨てて、本来自分の中にあるものを確実に
つかみ、それを活用出来るようになることである。
以下、言うべからず。
ただ、必ずやこの境地に至れると信じて、怠らずに勤め励むべし。
(山岡鉄舟)
77 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/29(日) 09:22
>苦からなんとか逃れたいとの思いこそが、無執着へ到達させると思うのです。
そーかなぁ。苦に正面から向き合い、苦を全面的に受け入れたときに苦から解放されるんじゃない?
78 :
名無しさん@1周年:2001/04/29(日) 09:28
>77
苦を受け入れれば苦は消える、と簡単に言いますが、いくら受け入れようと
しても、ガンの死ぬほどの苦痛は消えないし、借金の苦悩は消えません。
現象に向かい、正面から立ち向かおうとしても出来がたい苦しみの時は
どうすればいいのでしょうか?
79 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/29(日) 09:51
>>78 さぁ。私はガンにも借金苦にも陥ったことがないので分かりません。
ガンで苦しんでいる人ってものすごい痛みに耐えられるのに、根底に
ある死は受け入れられないでガンと戦い続ける人が多くないですか?
80 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/29(日) 09:56
>>78 借金だと額が膨大なら自己破産という道もあるし、返済の目処が立って
がむしゃらに働き始めれば苦悩している暇なんてないと思います。苦悩
するのは行動を開始していない時に限られるのでは?
81 :
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜:2001/04/29(日) 10:21
このスレが’1000’まで到達した時に初めて見えます。
「悟り」と「悟りの影を踏んでいる」事との違い。
「悟りを開く事」と「悟りを得る事」の違いが。
82 :
渡海 難 p3216-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp:2001/04/29(日) 11:02
悟りとは何か。難しく考える必要はない。自分が知らなければいけないことを正しく知ることだ。そう思えばいいだろう。
もし悟りというものが、それ以外の何かだったとしても、自分が知らなければいけないことを正しく知ることは、人としてとても大事だ。悟りというものがそれ以外の別の何かでも、自分が知らなければいけないことだけでも正しく知ることができれば、人にはそれ以外の認識は特に必要ない。必要ない認識は必要ない。悟りなんかは必要ない。
自分が知らなければいけないことを正しく知ることが悟りなら、それをしっかり求めていけばいい。
自分が知らなければいけないことととはなにか。職業人なら、仕事上の知識、智恵、経験があるだろう。家族人なら、家族の心、気持ちも正しく知らないといけない。学生なら、学生として学ぶべき事がたくさんある。世の中には知らないといけないことがたくさんある。そういうことを正しく体得していくこと、みんな大事だ。大事なら、それを悟りと思えばいい。
83 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/29(日) 11:18
>そういうことを正しく体得していくこと、みんな大事だ。
そういうことにまったく価値が無いことに気付くことが悟りだったらどうする?
84 :
通りすがり:2001/04/29(日) 11:35
>>82 なるほど色んな知識を得ることは大切でしょう。
けれども、知ったからといって、それで生活が変わるほど世の中は甘くありません。
理屈はどうであれ、自分の周りの状況を好転させることができれば、それこそまさに
本物ではないでしょうか(それを悟りというかどうかは知りませんが)。
85 :
渡海 難 p2102-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp:2001/04/29(日) 11:37
>そういうことにまったく価値が無いことに気付くことが悟りだったらどうする?
いやあ、面白いつっこみをしてくるね(笑)。
価値が無いことに気付くことが悟りでもいいんじゃないの?それなら、悟りなんか問題にしないで、自分が知らなければいけないことを正しく知っていけばいいでしょ。
自分が知らなければいけないことを正しく知って損ということはないだろう(笑)。
86 :
渡海 難 p2102-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp:2001/04/29(日) 11:40
>なるほど色んな知識を得ることは大切でしょう。
知識に限定するかどうかは別ですよ。知識を含まないということもない。
知識をふくめて、人として知らないといけないことを知っていく(体得していく)ということです。
87 :
:2001/04/29(日) 12:51
>>67 無執着という心の状態自体が「悟り」であるならば、
植物などの生物も悟っていることになってしまいます。
無執着とは本来生物が持っている根本の状態に過ぎません。
迷い欲望などの執着は人間が上塗りしたものです。
そのペンキを剥がした状態が無執着であり、剥がしただけのそれは悟りではありません。
釈尊がブッタガヤの菩提樹で瞑想していた時に誘惑をはねのけたということだけが注目されているようですが
それだけでなく、何かしらの外力が加わったのでしょう。
ちなみに
>>32-39
>>41-43
>>65-66の名前空欄は私です。
88 :
名無しさん@1周年:2001/04/29(日) 13:00
現世利益がないと、いくら悟りだなんだって言っても
幸せが感じられなきゃ意味が無いと思う
悟りだけじゃ家族を養う事は出来ない、子供を学校へ通わせる事も
出来ない、悟りからは「お金」は生まれない
悟りばかり強調する宗教は現世利益はあんまりないんじゃないか
悟らなくても幸福であるほうがいい、物心両面で満たされている
ことのほうがいい
独り言ですいません
89 :
名無しさん@1周年:2001/04/29(日) 13:04
釈迦がどんなに立派だと言っても、所詮は物乞いにすぎないんじゃ
ないだろうか?
知識を得て、会社に就職して、働いて、家庭を築く事が「悟り」と
いう蜃気楼みたいなものよりも、ずっと大事な事のように思います
そこで「悟り」を得たいと思っている方々に質問です
どうしてそんなに「悟り」を求めるのですか?
その理由は?
90 :
悪霊:2001/04/29(日) 13:15
>>89 それは怠惰のためだ。
「悟り」を得る事が出来れば、自分の苦悩が全て消滅するという
とんでもない思い違いのためだ。
この世界を構築してきた者達は、努力に努力を重ねて今の社会を
作り出してきたのだ。不完全であるとしてもだ。
悟りなど求めずに、自分の立場で懸命に努力する者こそが、社会
を前進させている、生きる仏そのものだ。
若人よ、悟りなどという幻覚に惑わされる事なかれ。
自らの立場で懸命に努力すべし。
それが、自分と社会を幸福にする道であると思う。
信仰はそれを補助するものにすぎない。
91 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/29(日) 14:26
>そのペンキを剥がした状態が無執着であり、剥がしただけのそれは悟りではありません。
その文脈でペンキ職人がいたらどう評価しますか?
92 :
62:2001/04/29(日) 16:35
> 無執着という心の状態自体が「悟り」であるならば、
> 植物などの生物も悟っていることになってしまいます。
> 無執着とは本来生物が持っている根本の状態に過ぎません。
植物は思考しません。感情を持ち意志のある人間が、
感情と意志を持ったままで無執着になれると言いたかったのです。
無執着になると、執着に基づく打算や利己心を無視して、
自分がすべきことを選び取りやすくなります。
こういう無執着状態での判断・考え方・ものの見方は、
空を理解したあとに生ずるとされる智恵(無差別智?)と
同じものだと理解しています。
別にこれが「悟り」でなければそれでも構わないのですが...
93 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/29(日) 17:11
>無執着になると、執着に基づく打算や利己心を無視して、
>自分がすべきことを選び取りやすくなります。
真我が表出してきたってことですよね?
でも、バーナデットロバーツによればその真我も消えちゃうみたいですよ。
94 :
ごっち:2001/04/29(日) 18:17
やっぱ、般若心教の語句通りじゃないの。 周りに、とかじゃなく、
自分がどういう状態にあるか(般若心教は、"我が人生に悔い無し"っ
て感じだし)。
まぁ、仏教の良いところは、「個人的」ってところだろうな。 釈
迦も、それを知ってたからこそ、最期に"死"という、分かり易い
表現をしたんだろうし。
「涅槃」を、「それ以上生きる必要が無い」と解釈するならば、
結局は、"完璧な人生を目指す"というのに落ち着くと思う。
# 参考までに、俺の家は、代々、浄土宗だ(大して意識したこと無い
が)。
# 俺は多分、まだ何回も生まれ変わるだろう。 それが善いことな
のか悪いことなのか、わからない。 でも、個人的には、人生を、
(部分的に(笑))やり直したい。
95 :
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜:2001/04/29(日) 18:33
まかはんにゃばらみつたしんぎょう
摩詞般若波羅密多心教
かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみつたじしょうけんご
観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五
おんかいくうどいっさいくやくしゃりししきふいくうくうふ
皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
いしきしきそくぜくう〈うそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぶにょ
異色色即是空 空即是色 受想行識 亦復如
ぜしゃりし ぜしょほうくうそうふしょうふめつぶくふじょう
是舎利子是諸法空相不生不減不垢不浄
ふぞうふげんぜこくうちゅうむしきむじゅそうぎょうしきむげん
不増不滅是故空中無色無受想行識無限
にびぜっしんにむしきしょうこうみそくほうむげんかいないし
耳鼻舌身意無色声香味触法無限界乃至
むいしきかいむむみょうやくむむみょうじんないしむろうし
無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死
やくむろうしじんむくしょうめつどうむちやくむとくいむ
亦無老死尽無苦集減道無智亦無得以無
しょとくこぽだいさったえはんにやはらみつたこしんむ
所得故菩提薩 依般若波羅密多故心無
けいげむけいげこむうくふおん いっさいてんどうむ
罫擬無罫擬故無有恐怖遠離一切 倒夢
そうくぎょうねはんさんぜしょぶつえはんにゃばらみたこ
想究涅繋三世諸仏依般若波羅密多故
とくあのくたらさんみゃくさんぼだいこちばんにゃはらみつ
得阿多羅三貘三菩提故知般若波羅密
たぜだいじんしゅぜだいみょうしゅぜむじょう しゅせむとうどう
多是大神呪是大明呪是無上呪是無等々
しゅのうじゅいっさいくしんじつふここせつばんにゃはらみつ
呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅密
たしゅそく せっしゅわつ
多呪即説呪日
ぎゃていぎゃてはらそうぎゃてぼじそわか
諦 諦 波羅 諦波羅僧 諦菩提娑婆詞
はんにゃしんぎょう
般若心教
96 :
>95のつ・づ・き:2001/04/29(日) 18:38
観自在菩薩は、深き般若波羅密多を行せし時、五 は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。
舎利子よ。色は空に異ならず、空は色に異ならず。
色は、すなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり。 受・想・行・識も又かくの如し
舎利子よ。 この諸法は、空の相にして、生せず、滅せず垢つかす、浄からず、増さず、減らず。
この故に、空の中には、色もなく、
受も想も行も識もなく眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。
限界もなく、ないし、意識界もなし。 無明もなく、無明の尽くることなし、ないし、老も死もなく。
又、老と死の尽きる車なし。苦も、集も、滅も道もなく、智もなく、又得もなし。
得るところなきをもっての故に菩提薩は、般若波羅密多に依る。故に、心に罫 なし。
罫 なきが故に、恐怖あることなく、一切の、倒せる夢想を遠離して涅槃を究す。
三世の諸仏も般若波羅密多によるが故に、阿多羅三 三菩薩を得たまえり。 故に知るぺし。
般若波羅密多は、これ大神呪なり、これ大神呪なり、これ無上呪なり。 これ無等等呪なり。
よく一切の苦を除き真実にして虚ならざるが故に般若波羅密多の呪を説く。
すなわち呪を説いて日く。
請諦波羅諦波羅僧諦菩提裟婆詞般若心教
97 :
>96のつ・づ・き :2001/04/29(日) 18:40
全知者である悟った人に礼したてまつる。
求道者にして、聖なる観音は深遠な知恵の完成を実践していた時に、
存在するものには5 つの構成要素があると見極めた。
しかし、彼は、これらの構成要素が、その本性から言うと、実体のないものであると見抜いたのであった。
シャーリブトラよ。 この世に於いては、
物質的現象には、実体がないのであり実体がないからこそ、 物質的現象で(あり得るので)ある。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。
又、物質的現象は、実体がないことを離れて、物質的現象であるのではない。
〈このようにして、〉およそ物質的現象というのは、 全て、実体がないことである。
およそ実体がないこということは、物質的現象なのである。
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、全て実体がないのである。
シャーリブトラよ。 この世に於いては、 全ての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、
汚れを離れたものでもなく減るということもなく、増すということもない。
98 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/29(日) 18:46
>結局は、"完璧な人生を目指す"というのに落ち着くと思う。
今までも全部完璧だったって気付いちゃうよ。
99 :
ハァ?(゚Д゚)y−〜〜:2001/04/29(日) 19:11
鼻が在るから匂いもあり。
目が在るから映像が見える。
舌が在るから味があじわえる。
チ○ポが無ければマ○コの存在は有り得ない。
(有る)と認識する役目の(身体器官)が有るから匂いも映像も快感も不快感も存在できるのではないでしょうか。
「悟り」を認識する役目の(身体器官)が有るから悟りを朧気ながらも感じる事が出来るのかも知れません。
※これらは私の勝手な未完な自己流解釈に過ぎません。
人其々色々な解釈が在って当然です。人に自分の思考を押し付けすぎない事が重要かもしれません。
100 :
へぼん:2001/04/29(日) 19:29
ある禅和尚の話。
「小さな悟りは数え切れず、大きな悟りは数回」体験したそうです。
日々の生活の中でも小さな悟りはあるとか。
それともう一つ、私の友人が坊さんでして、
そのお父さんは癌でなくなられたそうですが、
床についているときに、
「さとった。だが、もう時間がない」といったとか。
101 :
仏陀:2001/04/29(日) 19:36
「一切皆苦」の意味が、真に理解できたとき、その人は、悟っているといえるのでは
ないだろうか。それは、一見、恐ろしいように見えるが、真実を見ようとしないで、
刹那刹那の快楽に溺れている・溺れたいと願っているからであろう。
悟りを得たいのなら、ありのままの真実を見つめていく事が重要でしょう。
102 :
夕マゴ一夕ノレ夕シツ力:2001/04/29(日) 19:44
>>101 「一切皆苦」って「一切皆快」ってことでしょ。
103 :
62:2001/04/29(日) 19:54
>>93 不勉強で、真我ということばは使ったことはありせんでした。
実はバーナデットロバーツも知りません。
空をざーと勉強しただけですので。
執着している対象が、実は空だったということを観ずることができれば、
その執着から離れられるのだというのが私の理解しているところです。
それ以上のことは分かりません。
104 :
名無しブッダ:2001/04/30(月) 13:25
>>95-97
昔、般若心経の日本語訳?を或る本で読んだ事が有るが、最後のとこだけは、はっきり
覚えてる。何故か読んで、感動して暗記した。
最後のこの部分。他は色即是空、空即是色くらいしか覚えてないけど(w
請諦波羅諦波羅僧諦菩提裟婆詞般若心教
「ゆけるものよ、ゆけるものよ、彼岸にゆけるものよ、彼岸にまったきゆけるものよ、
悟りよ、幸い有れ、ここに知恵の完成の心を終わる。」
彼岸に逝くものが悟りを開けるって事かね?
105 :
カワカブッタ:2001/04/30(月) 15:26
お彼岸には墓参りに逝かなきゃね
106 :
ぷちとまと:2001/04/30(月) 15:30
彼岸にいっている=悟り(無上正等覚)を開いた=仏である です
107 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/04/30(月) 17:34
請諦波羅諦波羅僧諦菩提裟婆詞般若心教
「ゆけるものよ、ゆけるものよ、彼岸にゆけるものよ、彼岸にまったきゆけるものよ、
悟りよ、幸い有れ、ここに知恵の完成の心を終わる。」
>104さん、達磨に目を入れていただいきまして、どうもありがとうございました。
私もこの言葉にはとても震えを感じます。
「悟りにむかってがんばれ、がんばれ、悟りを目標にする者たちよ頑張れ。
既に’悟り’は君のはそばにいて常に見守っているよ」
「悟り(目標)に向かって進む時、君は既に悟りと一体になってるんだよ」
とまるで悟り(目標)にむかって進む全ての人に対しての励ましのように感じて好きです。
私個人的にはむしろ
>>95-97 よりも>104 の(請諦波羅諦波羅僧諦菩提裟婆詞般若心教 )
の部分にその真髄を感じております。
ところで、原文やサンスクリット語ではどのような意味が有るのかも興味ある所です。
108 :
名無しさん@1周年 :2001/05/02(水) 21:33
深いね。
110 :
あたまがない:2001/05/03(木) 05:13
みんな自分が悟りを開いてることに気が付かないのか?
111 :
名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 05:28
全てが神であると認識できたとき。
112 :
名無しさん@1周年:2001/05/03(木) 11:09
ところで、昔から疑問に思ってる事が有るんだが・・・・
そもそもブッダの始めた原始仏教って宗教なの?宗教と言うよりも、哲学・思想
の方が当てはまるんじゃない?
宗教って、基本的に超越的な“神”と言う存在が有って、人間の行動は常に
その超越者に見張られて、悪い事をしたら、いずれ(死後も含め)罰を受ける
から、戒律を設けて、それを守り清く正しく生きましょう。と言う感じでしょ?
単純な理論で且つ、無学な人間の行動を規制するには、うってつけのもの。
それに対し、仏教の元々は、人間には避けがたい4つの苦が有り、その苦から、いかにすれば
脱する事が出来るか?と言う事だから、人間の存在意味、いかに生きるべきかを
考える哲学・思想の範疇に入れる方が正しいのではないでしょうか?
弟子が悪かったのか???
113 :
名無しさん@1周年 :2001/05/03(木) 11:30
>>112 そうかもしれないね。
そもそも「宗教」って言葉の定義が曖昧すぎるんだよな。
明治以前にはなかった言葉だし。
114 :
名無しさん@1周年 :2001/05/03(木) 11:35
哲学って言葉も明治以降だよね。
115 :
名無しブッダ:2001/05/06(日) 16:39
>>107 いえいえ、ご丁寧なレス、逆に恐縮致します。貴方の投稿に付け加えるなんて
偉そうなつもりは全く無かったんですよ。ただ、最後の箇所だけは覚えてたってだけです。
坊さんから聞いたことがあるが、釈迦は、「私は悟りを開きました。」
なんて言ったことはないそうだ。後世の連中が作り出したことだ。
まあ、一種の異常な精神状態としてそのように感じる人はいるようだね。
現在でも。悟りとは何か、誰も答えることができないからこそ、仏教は
存続したのかもしれんね。はっきり分かって説明できたら、必要なかろう。
117 :
トマス:2001/05/06(日) 21:44
すみません!
解脱しましたーー!!
手塚おさむの「ブッダ」読んで泣いたら解脱してしまいました。
こころがからだからはなれてしまったんです。やった。やった。ついに解脱できた
と思いました。25才のときです。花とか木の気持ちがわかるようでした。
いまも変わってないけどインターネットもふつうに見てます。
118 :
トマス:2001/05/07(月) 22:27
だれも「うそだろっ!!!」
と突っ込んでくれないのでさみしいです。
仏教の勉強とかされているかたは反論して。
119 :
・・・・Σ(゚Д゚)y-〜〜:2001/05/08(火) 00:15
>115
こちらこそ勉強になり恐縮しております。いつも皆さんに(良し悪し、又それらを超えた)事云々を学ばせていただいたり、様々な価値観を味わい本当に感謝している次第です。
>118
私的には肉体的(解脱?)と観念的(悟り)というモノを一応区別して考察しておりますので余り参考にならないと思いますが、もし機会があれば、コリンウィルソン著の「アウトサイダー」or「フランシュタインの城」等を読まれ見ては如何でしょうか。
賛否両論色々ありますが、人間や動物の脳内ホルモン物質の働き・生理機能などについて何かと参考になる事かと思います。
120 :
ばふーん:2001/05/08(火) 00:49
コリン・ウィルソンか。よいねー。
下手に仏教学者とかの書いたもん読むよかイイかも。
121 :
名無しさん:2001/05/08(火) 08:27
>>117 ブッダの悟りのシーンもいいけど、自分の一番お気に入りのシーンは
シッダルタが悟りを得ようと苦悩してる時に、故郷のカピラバストゥがコーサラ国
に占領され、ヤショダラが「貴方、私たちを助けに来て!」と叫んでる姿に対し
「ヤショダラが私を呼んでいる気がする・・・・」「ヤショダラ、父上、母上、私は行けない、・・・・・」
と苦悩するシーン。このシーンは何度見ても泣ける。
122 :
械:2001/05/08(火) 17:05
たしか、華厳経っていうのに書いてあるのが、悟りの状態だそうだ。
>>112 宗教・哲学の定義ってのが、いまいちあいまいだからしょうがないと思いますが、
哲学をたくさんの人に伝えようとすると、
どうしても「宗教」と呼ばれるものになるのでは?
仏陀の思想は今で言えば間違いなく「哲学」と呼ばれるでしょう。
123 :
トマス:2001/05/08(火) 21:42
>119
レスありがとうございます。「アウトサイダー」はわたしの愛読書のひとつ
です。何回読んでもいい本です。わたしの体験は「アウトサイダー」にでてくる
ラーマクリシュナの体験とよく似ていると感じてます。甘い水差しがこころにあって
たえずハートをうるおすというくだりや「クリパーシッダという類の信者がいる。
これは千年間闇の中だったが急にランプの光があたって明るくなった部屋のようだ。」
とかです。
124 :
名無しさん:2001/05/08(火) 22:07
例えば…
人さし指が、
「自分は人さし指である以前に、人体というものの一部分なんだ」
と気付くことと思ってます。
125 :
名無しさん@1周年:2001/05/08(火) 23:52
LSDでぱっちりきめたら、「悟り」がわかります。
126 :
名無しさん@1周年:2001/05/08(火) 23:55
つうか、仏教の各派でも悟りの捉え方は違うよな。
そこらへん誰か詳しく教えてくれないかい?
禅の公案みたいな説き方もあれば、
体感的な状態で悟りを説くのもある。
127 :
・・・・Σ(゚Д゚)y-〜〜:2001/05/09(水) 06:34
>>119 こちらこそどうも。
oh!・・・やはり「コリンウィルソン系」読んでたんですね♪失礼いたしました。
いわゆる(恍惚・絶頂体験)ですね。
しかしそれを常に維持しながら(通常生活を送る)事は余りにも困難・・・??
128 :
名無しさん@1周年:2001/05/09(水) 06:48
>>127 コリン・ウィルソンを読んで、出口王仁三郎の霊界物語を
読めば、「それを常に維持しながら(通常生活を送る)事」
は簡単なことが分かるはず。
129 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/05/09(水) 07:28
>>128 コリン・ウィルソンを過大評価しすぎてませんか?
貴方イタイですよ。
130 :
128:2001/05/09(水) 07:41
>129
コリン・ウィルソンは、たとえていえば神秘体験
という家の門の外から神秘体験を覗いてそれらの体
験を整理しているだけだから、入門としては使える
ということ。神秘体験と言う家の中にいる者の言葉
の方が意味があるのは当然。
131 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/05/09(水) 08:14
>130
おっしゃりたい事が良くわかりません。
霊界物語とどの辺が関係有るのでしょうか?
(恍惚・絶頂)状態で生活を両立し続ける事はまず不可能です。出来ても長生き出来ないでしょう。
エンドルフィンを出せば一時的に感覚は別の世界に行くでしょうが、現実問題において肉体・睡眠における負担など体と精神が付いていかなくなります。
(出口王仁三郎も安易な荒修行を戒めてませんか?)
132 :
トマス:2001/05/09(水) 20:45
>127
はい。日常生活はたいへんです。最初の2年間はよろこびが大きすぎて
「死んでしまうかも」と何回も思いました。人間のおつとめが終わっちゃった
って感じでした。最近は落ち着いてきて静かな喜びに変わりました。
観念的な悟りという意味ではわたしは悟ってないと思いいます。いまだに
スコラ哲学書とか読みます。
ちなみに仏教に興味をもったのは大川隆法の「太陽の法」を読んでから
なんですよ。笑われてしまうかな。へへへ。
「常勝思考」はいまだに持ってます。これもいい本のような気が。
ああ笑いものになってしまう!
133 :
ういんだうづ:2001/05/09(水) 23:54
>124
フラクタル図形に似てますね.相似形が何処までも続いていくような.
小宇宙と大宇宙の照応とも上がそうであるように下もそうであるとも、
自然界も相似形と自己反復に満ちてるし、黄金比の式も自分自身をいれこんだものに
なってるし、永遠の自己反射が宇宙の本質なのかも
134 :
まきんとしゅ:2001/05/10(木) 01:11
キノコ体験してからフラクタルとかみょーに気になる。
宇宙も自分も振動で、互いを含みあい共振しあう関係だと
感じるようになった。
135 :
128:2001/05/10(木) 01:43
>>131 コリン・ウィルソンの『至高体験』を読んだことないのじゃないかな。
>(出口王仁三郎も安易な荒修行を戒めてませんか?)
荒修行と、至高体験は関係ないしむしろ害になるだろう。
136 :
名無しさん@1周年:2001/05/10(木) 01:48
釈迦が悟りを開いたのは、苦行林を出て、乳粥を啜ったときでしたっけ?
137 :
ジャヤバルマン:2001/05/10(木) 04:20
現代社会にどっぷり使っている私には「悟る」ことなど到底ムリです。
シャカについて調べているのですが、菩提樹にて悟りの瞑想に入った時の
シャカの心境はどれだと思いますか?
@悟ることへの執着さえ完全に無くしていた。そしてその先に悟りがあった。
A強く悟ること以外の執着を完全に無くしていた。そしてその先に悟りがあった。
「空」とか「無」から解釈すると@のような…
「悟るまでは動かぬ」的な文献から解釈するとAのような気もします。
*仏教宗教の超人または神様、釈迦仏陀ではなく、
歴史人物としての人間シッダルダに興味があります。
「月蔵経」以降の仏教はさほど興味ないです。
138 :
名無しさん@1周年:2001/05/10(木) 04:53
でさぁ、悟りの状態に関して
各宗派での解釈、定義というもの誰か分かりまへんかな?
139 :
名無しさん@1周年:2001/05/10(木) 05:03
140 :
名無しさん:2001/05/10(木) 05:03
悟りにはいろんな分け方があるが五十二位に階別するのが有名。
凡夫(人間)は0段。そこから修行により1段ずつ上り、最高位52位が
仏の悟りである。
悟りについて、浄土真宗の親鸞は『教行信証』の中で、二双四重の教判を
うちたてている。二双四重の教判とは竪出・竪超・横出・横超・・・
竪とは自力ということで、自らの力で善根を行い悟りを開くこと。
竪出=南都仏教・律宗など、竪超=禅宗・真言宗
横とは他力(仏=阿弥陀の力)を借りて覚りを開くこと。
横出=浄土宗、横超=浄土真宗
141 :
名無しさん@1周年:2001/05/10(木) 05:07
それと出来るなら
悟りを得る為の方法論も述べてみてください
142 :
名無しさん:2001/05/10(木) 05:23
全宗派を調べたわけではないのですが。
竪出の宗派は戒律を行うことで悟りを得る。三学といい「戒・定・慧」の実践
が律宗。六度万行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の実践が天台。
竪超の宗派はたとえば禅宗の曹洞宗は只管多坐(ただひたすら禅を組む)臨済
は師より授けられた公案を解く。禅宗に共通するのは経文を用いず以心伝心に
よる師弟間のやりとり。
横出の浄土宗は念仏を称えることにより死後化土に生まれ、500歳ののちに
極楽へ往生。時宗は臨終に顛倒しない心を得るために踊り念仏を行う。
横超の浄土真宗は、現生で弥陀の力で正定聚(51段)を覚り、臨終の一念に
弥陀の極楽浄土に往生し、52段の仏覚を開く。
143 :
名無しさん@1周年:2001/05/10(木) 05:43
144 :
ヽ(´▽`)y-〜〜:2001/05/10(木) 20:04
>>135 君は『至高体験』しか読んだ事ないのかな〜?
もっと((思考体験))してらっしゃい♪
>荒修行と、至高体験は関係ない・・・・・・
人間の体の仕組みって知ってる?
脳内ホルモンの働き♪って知ってる?
>・・・・むしろ害になるだろう。
私の言葉をそのまま繰り返して如何するね?
九官鳥やΩ鳥じゃないんだから。
145 :
ヽ(´▽`)y-〜〜:2001/05/10(木) 20:07
>>128
>コリン・ウィルソンを読んで、出口王仁三郎の霊界物語を
>読めば、「それを常に維持しながら(通常生活を送る)事」
>は簡単なことが分かるはず。
ネ〜♪どういう生活送ってるの?
興味あるから告白してごらん♪
ついでに良かったら君の”悟り”体験も聞きたいな〜♪
いや是非聞かせてください。
それと2chに来る前にはちゃんと学校の宿題終わらせておくんだよ
146 :
トマス:2001/05/10(木) 22:43
○わたしはどのようにして解脱したのか?
わたしの体験よりもどうやって解脱(すみませんこのことばしかあてがえ
ないんです)したのかを書きます。
20才のとき三浦綾子さんの「塩狩峠」を読んでこの世界には神様がいるんだ
と思うようになりました。それいらいお祈りをしたり、仕事から帰ってから
1日に1時間から2時間ぐらいひとりでかんがえごとをするようになりました。
哲学の本も結構読みました。人間は真理というものがあるならそれに到達できる
のだろうかとよくかんがえました。5年間そんな生活を送りました。
そしてある日ふとお釈迦様のことを知る機会にあったのです。じぶんはお釈迦さま
のようなかたがこの世にもおられたのだと知って泣いたのです。
解脱は自力でできたのではないです。神様がわたしのこころをつきさしたのです。
そのあとわたしは気絶しました。朝おきるとこころが解脱していました。
「人は(地水火風の)四要素からなる。
人が死ぬと、地は地、水は水、火は火、風は風に戻り
感覚は虚空の中に消える。
四人の男が棺を担いで死体を運び
死者の噂話をして火葬場にいたり
そこで焼かれて、骨は鳩の羽根の色になり
灰となって葬式は終わる。
乞食(こつじき)の行を説くものは愚か者。
(物質以外の)存在を信ずる人は空しい無意味なことをいう。
からだは、死ねば、愚者も賢者もおなじように消滅する。
死後、生きのびることはない。」
148 :
128:2001/05/11(金) 02:50
>>144 >>145 >人間の体の仕組みって知ってる?
>脳内ホルモンの働き♪って知ってる?
不完全な脳科学を盲信して脳内ホルモンで脳について全て
分かった気になって浮かれているのはオメデタイ。
>ついでに良かったら君の”悟り”体験も聞きたいな〜♪
>いや是非聞かせてください。
「他人の自己(おのれ)に等しからむことを欲せず、心中常に
蒼空のごとく海洋のごとく、二六時中意思内(うち)にのみ
向かひ、自己の独(ひと)り知るところを慎み、その力量才
覚を人に知られむことを望まず」
『霊界物語』第22巻「総説」
ということを知らないわけではあるまい。
149 :
れふり〜:2001/05/11(金) 09:23
一本!そこまで!
128さんの勝ち。
150 :
150:2001/05/11(金) 21:24
「梵我一如」ってどうよ?
151 :
ヽ(´▽`)y-〜〜:2001/05/12(土) 03:34
>不完全な脳科学を盲信して脳内ホルモンで脳について全て
>分かった気になって浮かれているのはオメデタイ。
君イタイ振りしているだけかと思っていたら、本当にイタかったのね・・・・
私の書き込みを盲信と感じているとおっしゃているうちは、
貴方は私を盲信していると言う事ですよ(pure♪
「他人の自己(おのれ)に等しからむことを欲せず、心中常に
蒼空のごとく海洋のごとく、二六時中意思内(うち)にのみ
向かひ、自己の独(ひと)り知るところを慎み、その力量才
覚を人に知られむことを望まず」
『霊界物語』第22巻「総説」
という事しってる?(はあと♪
次は何コピペしてくれるのかな〜?
☆.。.:*・゜☆.。.た・の・し・み〜♪☆.。.゜☆.。.:*・゜☆
152 :
ヽ(´▽`)y-〜〜:2001/05/12(土) 03:35
>>149 フササ
∧,,∧
ミ*^ー゚彡 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ξ ミ ",つ <>>勝ち負け言ってるうちは君のまけヨ♪
ξミ,,,U,,,ミ \_______________
153 :
ヽ(´▽`)y-〜〜:2001/05/12(土) 03:57
>>146 トマスさんレス遅れてごめんね
ストーカーファンがヤキモチ焼いてるだけだから
彼らを許してあげてください m(__)m
154 :
名無しさん@1周年:2001/05/12(土) 04:33
トマスさんの解脱の状態を詳しくお知らせ下さい。
仏教の悟りとあなたの解脱はどう同じ?違うのですか?
155 :
128:2001/05/12(土) 05:47
>ハァ?(゚Д゚)y-〜〜さん
>>135 >>(出口王仁三郎も安易な荒修行を戒めてませんか?)
>荒修行と、至高体験は関係ないしむしろ害になるだろう。
について、あなたは、
>>144 > >・・・・むしろ害になるだろう。
>私の言葉をそのまま繰り返して如何するね?
>九官鳥やΩ鳥じゃないんだから。
と書いている。
しかし、あなたが
>>131 > エンドルフィンを出せば一時的に感覚は別の世界に行くでしょうが、現実問題において肉体・睡眠における負担など体と精神が付いていかなくなります。
>
> (出口王仁三郎も安易な荒修行を戒めてませんか?)
と書いたことからすれば、
あなたの考えでは、<至高体験は、荒行による>
私の考えは、 <至高体験は、荒行とは関係ない>
この2つの対立する考えが、どうして「私の言葉をその
まま繰り返して如何するね?」ということになるのかね。
最低限の読解力さえないあなたのような人間の相手をい
つまでもしている程私もヒマじゃない。
149のれふり〜さんは私ではない。
156 :
128:2001/05/12(土) 06:09
>>151 >私の書き込みを盲信と感じているとおっしゃているうちは、
>貴方は私を盲信していると言う事ですよ(pure♪
あなたが盲信していなければ、相手をやっつける為に
信じてもいない脳内ホルモンといった概念を振り回して
いるということになるのだが、そういう人間だと思って
もらいたいということなのだろうね。
自分の書いたことがどういう論理的結果をもたらすか
ということも自覚できないのは、やはりオメデタイ人間
だというしかないようだ。
157 :
ヽ(´▽`)y-〜〜:2001/05/12(土) 06:13
自分の書いたことがどういう論理的結果をもたらすか
ということも自覚できないのは、やはりオメデタイ人間
だというしかないようだ。
158 :
ヽ(´▽`)y-〜〜:2001/05/12(土) 06:24
>>156 >相手をやっつける為に ・・・・
やっつられてると感じるの?
何故♪
159 :
ヽ(´▽`)y-〜〜:2001/05/12(土) 06:39
>>156
>最低限の読解力さえないあなたのような人間の相手をい
>つまでもしている程私もヒマじゃない。
あれ〜♪言ってる事とやってる事が違いませんか?
ヒマじゃない人間が2chに何故来るの♪
160 :
・・・・Σ(゚Д゚)y-〜〜:2001/05/12(土) 10:57
結局私のような者に論議をふっかけるだけ相手にするだけ馬鹿馬鹿しいのである。
そのような意味でも彼が退散した事は正解なのである。本来勝ち負けは無い!しかし付け加えるならば彼は負けながら勝ち、私は勝ちながら負けたのである。
否、その逆でもかまわない。
しかし、決定的に違ったのは片方が(地を天にまで高め)ようとした行為に対し、もう片方は(天を地に引きずり落ろす)行為を望んでいたという事である。
本来善と悪との戦いなどは無いのかもしれない。有るのはどちらも自分を善と信じながら争っているという事なのである。まして争い事のその本質とは、極悪と微悪の力量比べなのであり、どんなに正しい事でも、それを「押し付ける」行為という時点で束縛という「業」が発生するのかもしれない。
人間本来、皆が天分の才を与えられているものなのである。しかし、何故その多くは凡夫たりえるのか?
「束縛と怠惰」
この状態に入うる時、人は本来の輝きを見失い、その方向性を誤るのではないだろうか。
いったい「青い鳥」とはどこにいるのだろうか・・・・
∫
∧,,∧ ∬ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ,,゚Д゚ノ,っ━~ < ・・・などと考えてみたりする
_と~,,, ~,,,ノ_. ∀ \_________
.ミ,,,/~), .| ┷┳━
 ̄ ̄ ̄ .し'J ̄ ̄|... ┃
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .┻
161 :
久〜:2001/05/12(土) 11:14
総ての女性に対して欲情しなければならないという救世主の本当に哀れな難しい立場
文鮮明が、成りたいと切望する真のアダムの立場・・・・・
すべての女は、最初にエバがサタンと性行為(by 堕落論)をして、堕落後にアダムの妻に
なった事(この事によりサタンの血統が全人類に遺伝した、もちろん文鮮明にも by 堕落論)
の復帰摂理として、まず真のアダムである文鮮明(教義上の理由不明?文鮮明の母親は
高名な僧侶にでも血統転換されて文鮮明を産んだか?または、文鮮明自身が青年時代に
金百文の血分けセミナーで、どこぞのばばあに血統転換されたのか?)の妻になり、血分け
または、合同結婚式で、実体、象徴に係わらず血統転換されて復帰の後、サタンの立場の者
(=教義上の堕落人間)に払い下げられなければならないのである。したがって文鮮明は
総ての女性に対して欲情しなければならないという、真に辛い立場なのである。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7976/
162 :
トマス:2001/05/12(土) 21:10
>154
わたしの解脱の状態について少し書きます。
目がさめたときわたしのこころがキラキラ輝いているのがわかりました。
そしてわたしのこころと魂が完全に別れてしまっていました。こころは
あたまにあるのですが、魂つまり本当のじぶんは心臓の真中にあるように
なりました。こころと魂が別れてわたしは本当の自由を得ました。わたしの
苦しみや束縛が消えてしまったのです。たいへんな幸せでした。うれしくて
こんなにこころが楽になるものかと感じました。
夏休みにクーラーのきいた部屋でソファに寝そべって冷たいジュースをのむ
ときのあのリラックスした気持ちが永遠に続いている感じです。
草木を見るときは、日の光を浴びた木々が深い呼吸をしているのがわかります。
緑の輝きの中に心が溶けいりそうな甘い感覚に浸ります。
つづきはまた書きます。
163 :
光の子:2001/05/12(土) 22:51
すべての「ある」ものが不二であることに、あるいは「ある
と思っていたもの」が自らの本質そのものである事に気づく
事。「自らがあると思っていたもの」を自らと異なるものと
して対象化する時、人は自らの眼を塵で覆う。その塵すら、
自ら生み出している幻である事に気づかずに。塵を拭おうと
する者は執着という墨で眼を洗い、塵を見るため内に入る者
は塵など最初からあり得ない事に気づく。そして、自ら見た
者はすべての「ある」ものが「あった」事もなく「あり続ける」
事もない事を「ある」という幻が消える時に悟る。
彼岸は果てしない苦行の末「辿り着く」遥かな場所ではなく、
今ここにある「本質」を自ら見た時にすべての内に見えてくる
もの。彼岸を見た者は彼岸を見る者でも彼岸にある者でもな
く、彼岸であるものとなる。
彼岸に行こうと遠くを探す者は、「今ここ」にある彼岸を
見失うだろう。そして、光の内で閉ざされる事のない眼に
気づく事もなく、自ら眼を闇に閉ざしていると思いながら
光を求め続けるだろう。その者は、自分が眼を閉ざしてい
ると思っている事にも気づかない。
164 :
ばふーん:2001/05/13(日) 00:43
>草木を見るときは、日の光を浴びた木々が深い呼吸をしているのがわかります。
いいね〜。
結局、理屈じゃないんだよな。
仏教書とかの内容ごちゃごちゃコピペしたって仕方ない。
自分で感じないとね。
165 :
154:2001/05/13(日) 02:46
>>162トマスさん
悟りの定義となると私にはどれが正しいかと限定はできませんが
トマスさんの状態は
通常より遥かに深い意識が芽生えると共に
胸のチャクラが開いたといった状態なのかなぁ??
続き楽しみにしてます
166 :
悟りをひらい:2001/05/13(日) 08:24
悟をむすうんでひらいて〜
自分が悪の立場をとるぐらいの器量がないとだめってことだ。
かといって悪いことしちゃだめだめ〜
167 :
文献派:2001/05/13(日) 20:36
禅で見性した人によると、慈悲に満ちたとてつもなく巨大な意識(?)に
包まれた体験だそうだね。そのとき無限と永遠を感得するそうだ。
それとトマスさんは何らかの悟りを体験してるみたいですね。
トマスさんの体験を読んで、白隠禅師の本にもひとりで覚った
なんとかっていう居士の話があったのを思い出しました。
168 :
トマス:2001/05/13(日) 21:44
わたしの解脱の状態その2
わたしは多分悟りはひらいてないのです。仕事でもあれこれ悩み
ますから。
まえにこころが魂とはなれると書きました。魂は心臓の真中にあ
るようになります。これがわたしになります。たいへんなよろこびに
つつまれます。虹色の甘い雨がわたしにふりそそぐかんじになります。
ほんとうにあまいのです。
木々の呼吸のことのあとに草木や花と気持ちがつうじるようになり
ました。花などはときにひかりにつつまれているようにみえます。
目に見えるあらゆるものにいのちがやどっているとかんじます。
石ころやガードレールにさえもです。
永遠のまどろみにひたります。 今日はこのへんで。
169 :
154:2001/05/14(月) 04:59
凄いですね、トマスさん
心臓の部分には真我とかブラフマンがあるってのはヒンドゥー教の聖典に
書かれてますね そこらへんと関係してるのかな
その体験にとどまる事なく密教やらヨーガやらを
本格的に勉強されてはいかがでしょか、
体験のフィードバックも得られ、さらに素晴らしい成果が得られると思うんですが、
素人意見ですが、それで満足していたら凄くもったいない気がします!
170 :
他人から引用:2001/05/14(月) 17:02
法華経に説かれている唯一のだめ人間とは、
「私は悟った」という人
のことを指します。
もうその時点で成長できないからです。
人は死ぬまで修行ということです。
171 :
wa:2001/05/14(月) 19:27
人の人生って死ぬまで修行ですか?
早く逝く人って幸せなのかもしれませんね。
私はいつ終わるんだろうか?
ハァー疲れた。
172 :
悟る為にがんばらない:2001/05/14(月) 19:37
幸せとは何でしょうか?なれるものなのでしょうか?
幸せとは感じるものです。
皆違う環境に生まれ、違う環境に育つ中で、いかに
幸せを感じることの出来る価値観を磨くかが大切
だと感じるのです。
※創価学会は持って生まれた価値観を放棄し、新しい
価値観を創造すると言っていますが全く持ってカルトです。
皆それぞれ違う環境の中で、持っている自分の価値観を
磨くことの方が大切です。
173 :
トマス:2001/05/14(月) 21:22
わたしの解脱の状態その3(ちょっと休憩)
じつはヨーガをならっているんです。5年ぐらいになります。インドの行者さん
にも2回ほどアーサナをおそわりました。
シャバアーサナ(リラックスするヨーガ体操)のしかたを書きます。
しずかな部屋で灯りを暗くしてください。ゆかに仰向けになります。
てのひらをうえにむけて。両足をかるくひらきます。目をとじて
はぐきをかみしめない。はなからゆっくり息をはきます。くりかえし
手のちからをぬきます。ゆっくりはなから息をはきます。足のちからを
ぬきます。つぎにおなか、むねのちからをぬきます。ゆっくり呼吸して
ください。さいごに眉間のちからをぬきます。こころをやすめます。
ゆっくり呼吸してからだを休めてください。10分から20分ぐらい。
気持ちよくなったらねてもいいです。
食事のあとにされるときは30分はあけてください。ふろのあとはしないで
ください。
仕事や勉強のつかれをとります。
174 :
魚茶:2001/05/19(土) 19:39
私も悟りにはほど遠い境地に生きておりますが……。
>>95-97
拝見していてふと思い出したのですが、密教(と言うか空海さんの)解釈では「般若菩薩による悟りの境地の披露文」になるそうです。
般若菩薩が自分の得た境地と、その境地に至る為の真言を舎利子に説くというストーリー。
確か密教では「悉地を成就する」という言い方をしますね。行によって得た妙果、と言った感じでしょうか。
「顕教(小乗・大乗仏教)は塵を払い、密教(秘密仏教)は蔵を開く」
と言う対比を密教系教団では言いますが、欲を人間の行動力の源として肯定している点が特異な点でしょうか。
一般に説明する場合「月が雲に隠れている状態」を以て迷妄の状態に例えることが多いです。
「本来悟りを得た身であるのに、欲の雲に覆われている為に本当の自分が見えずにいる」
「欲を払おう努力をする」仏教に対し、「欲は行動力の原点なのだから払ってもきりはない。本来の自分に気づき欲をコントロールする」のが密教、と言う感じでしょうか?
言葉足らずで恐縮ですが、それぞれに日々悟りと言う名の成長を得ているのではないでしょうか。
悟ったから幸せになるわけではないと思います。幸せに気づけばそれが悟りなのでしょう。
175 :
154:2001/05/20(日) 00:00
トマスさん、やっぱりそうですよね
本を読んでるだけそういう状態に到ったと思いました。
アサーナではないですが、
身体を調整するという目的は同じだと思いますし
僕もいまは気功を習ってます。
176 :
:2001/06/06(水) 05:56
177 :
名無しさん@1周年:2001/06/08(金) 23:49
衆生本来仏なり(坐禅和賛)
何か「特別」なものになるんじゃなくて、「本来」のあり方に
目覚めた状態、なんじゃないかな。
178 :
名無しさん@1周年:2001/06/09(土) 06:35
b
179 :
名無しさん@1周年:2001/06/21(木) 10:33
ニヤリ
180 :
名無しさん@1周年:2001/06/21(木) 10:47
そもそも森羅万象全てに備わっている仏性に気づいたというか、それを自覚した状態なんですかね。
181 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/06/21(木) 10:49
久再見・・・
夏至越解禁有無?
182 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/06/21(木) 10:53
復活?or・・・・・↓
183 :
名無しさん@1周年:2001/06/21(木) 10:55
悟った人間は自分が悟ったなんて言わんものだろ
184 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/06/21(木) 11:05
悟らざるからこそ、悟りが必要なのだ
185 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/06/21(木) 11:41
再・寝♪♪謝
186 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/06/23(土) 00:43
温泉でゆっくりくつろいだ気分!
「悟りの道標」の本を書いた清水って今何やってんのかな?
ダライラマに会って、それで箔をつけ「人生塾」なんて団体を作りやがった。
で、言っていることは、そこそこなんだが、顔が「なんじゃそりゃ?」だったな。
威厳のない。風格のない顔の指導者は全て偽モンと定義するよ。ワシ。
ゴーマンかましてよかですか?
188 :
名無しさん@1周年 :2001/06/23(土) 01:00
良し
189 :
通行人さん:2001/06/23(土) 02:37
良寛和尚曰く
災難に逢時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。
本来悟りや仏の教えなどは言葉では現せないものだと思います。
良寛さんのこの言葉から推測していただくしかないでしょう。
190 :
名無しさん@1周年:2001/06/23(土) 03:06
「即身成仏」って何。
悟りと関係あるの?
191 :
名無しさん@1周年:2001/06/23(土) 03:07
24時間意識がある状態で〜す♪
192 :
名無しさん@1周年:2001/06/23(土) 03:11
人の心みる妖怪にサトリってあったけど関係ないよね
193 :
名無しさん@1周年:2001/06/23(土) 03:14
>>192 その話、何かで読んだことある。木こりがその妖怪の首を刎ねようと
するとそいつは相手の心を読む力を持っているので悟られて、刎ねる
ことが出来ない。木こりが散々その妖怪に心を読まれてののしられて
もう諦めて斧を放り出したら、その妖怪の首に当たってしまったとい
うようなものではなかったかな。
194 :
ゲゲゲの下駄郎:2001/06/23(土) 03:16
>>192 先の事をなんでも見とおせる妖怪だったうような。
水木先生は達磨大師のような修行僧のように描いてたっけ。
195 :
しゃいにんぐ:2001/06/23(土) 12:53
>>193 作為の意欲を離れた心境に“解脱”あり・・・、
無念無想を凝らし無為自然を旨とせよ、という教訓のようですな。
196 :
七瀬:2001/06/23(土) 13:11
中国の老荘思想とごたまぜになっております。概念自体。
197 :
(゚Д゚)<あぼーん:2001/06/23(土) 15:47
うんこを我慢して思いっきり出したあの瞬間が悟りなのれす。
あの清々しさこそが悟りなのれす。
198 :
鳥:2001/06/23(土) 16:49
一発抜いた後のオトコは大抵悟りの境地です。
199 :
ミラレパ:2001/06/23(土) 18:50
>>198 チベット仏教の無上ヨーガの世界では女性の大印(マハームドラ)を
使用してのセックス行がありますが、原則として射精を抑制し続ける事が
要求されます。精液は菩提心の象徴で、それを捨てる事は仏法を捨てる事を
意味するからです。射精を抑える為に呼吸法や観想法がありますが密教なので
明かせません。チベット仏教のちゃんとしたラマの許で修行し灌頂を授かって
ください。
200 :
名無しさん:2001/06/23(土) 23:52
>199
それはあれでしょドライオーガスムスだっけ?
201 :
ハァ?(゚Д゚)y-〜〜:2001/06/24(日) 01:12
エクスタシーか・・・??
完全な自我の忘却の事なのかそれとも、確固たる自我の確立が悟りというものなのだろうか?
「悟りの道標」の著者、清水の情報を持っている人がいたら、彼の近況を
教えて欲しいです。くれぐれも、変な方向に行かないように祈ってるのですが…。
203 :
名無し@カト:2001/06/24(日) 10:03
キリスト教、カトリックの解脱状態について。
観想と言われる深い深い祈りの中で、神を見ている(霊的な目で)
状態です。
どんな感じ、、というと、光と暖かさ、至上の甘美さに包まれた、
至福の状態。
外的事象による相対的な至福感ではなく、理由亡き理屈亡き
至福状態そのもである至福。つまり、神との一致状態なんでしょ
うね。その時、霊的目は至上の「美」を見るという体験していま
す。
age
205 :
名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 01:36
>>204 もしかして、この世は地獄スレもageた?
206 :
名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 01:38
キノコを使って瞑想するとよくわからない状態になります。
普通の瞑想ではそれなりに深い状態になりますが、キノコや
ガンジャを使うとキマった時だけ深く、悟りを開いた感じさえします。
ちなみにブッダはキノコを食べて死んだそうなので、瞑想に使っていた
と思います。
207 :
名無しさん@1周年:2001/07/01(日) 02:27
>>206 >ちなみにブッダはキノコを食べて死んだそうなので、瞑想に使っていた
>と思います。
常識的に考えてください。
悟りを開いた人間が瞑想にキノコなんか使うわきゃないですよ。(藁藁藁
208 :
・・・・Σ(゚Д゚)y-〜〜:2001/07/01(日) 14:12
>206
>キノコや ガンジャを使うとキマった時だけ深く、悟りを開いた感じさえします。
それこそが、インスタントな「悟り」であり、自己の内なる感覚を外部からの刺激で揺すっているだけなのかも。
本来、(扉)を開く為には外側から無理にぶち破るのものでも(スペア鍵)を使い強引に開けるのでもなく、
内側から内側の錠を外し’やさしく開けて’あげればいいのでしょう。
肉体的に見れば’呼吸法’も’滝に打たれるなどのスポーツ’も健康法として見れば効果があるのかも知れませんが、
精神面に於いては、やはり’外側から無理に扉を開く’という事に変わりは無い。
>ちなみにブッダはキノコを食べて死んだそうなので、瞑想に使っていた
>と思います。
おもしろい説ですね・・・
実際、仏陀が悟りを開いたと言われる菩提樹の樹は特定されているのに、
死因となる(キノコの種類)が特定されていないと言う事は、実際キノコ中毒で死んだのかどうかも曖昧であるような気もします。
あるいは、(キノコと言うキーワード)が何かの比喩暗示なのかも知れません。
仏教発生同時期のジャイナ教(ヴァルダマーナ)などは余りにも仏陀とその生涯が酷似しており(ただしこちらの死因は餓死だそうです)
ひょっとすると、当時のカースト批判聖者もしくは別の宗派の聖者、又は仏陀死後に仏陀の生まれ変わりを自称する方々がキノコを使用の瞑想を行っていたか、その為の死因が後世の逸話に混合してしまった結果が(キノコ中毒説)発祥の起源とも取れそうな気もします。
何しろ当時ですらオリエンタル文化の影響を受けていた地域であり、さらには当時の人々の存在自体、伝説化しその教義も分離混合部分消滅してしまった現在に於いて、
真相はどうだったのか・・・・トンデモ疑問ですが、一考して見たいものです。
209 :
・・・・Σ(゚Д゚)y-〜〜:2001/07/01(日) 14:14
スレ違いかもしれませんが大乗仏教’竜樹’の思想について詳しい方はおられますか?
210 :
ゴータマシッタカルタ:2001/07/01(日) 14:27
>>206 アヤワスカでもうひとつ深い(発狂に近い)段階に行けますよ。
211 :
・・・・Σ(゚Д゚)y-〜〜:2001/07/01(日) 15:03
>210
(アヤワスカ)って何?
212 :
ゴータマシッタカルタ:2001/07/01(日) 15:39
>>211 ジメチルトリプタミン+モノアミンオキシターゼインヒビター
213 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 09:42
>トマスさん
またなんか書いてちょ
214 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 15:05
南伝 相応部経典 三八、一、涅槃
漢訳 雑阿含経 一八、一、難等
かようにわたしは聞いた。
ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。
その時、ジャンプカーダカ(閣浮車)なる遊行者が、長老サーリプツタを訪れてきて、たがいに会釈をかわし、親愛にして慇懃なる談話をまじえて、やがて傍らに坐した。
傍らに坐したジャンプカーダカは、長老サーリプツタにいった。
「友サーリプッタよ、涅槃、涅槃といわれるが、友よ、いったい、涅槃とはなんであろうか」
「友よ、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである」
「では、友よ、その涅槃を実現するに道があるであろうか。そこにいたる方法があるであろうか」
「友よ、その涅槃を実現するには道がある。そこにいたる方法があるのである」
「では、友よ、その涅槃を実現する道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか」
「友よ、聖なる八支の道こそは、その涅槃を実現する道である。それは、すなわち、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。友よ、これがその涅槃を実現する道であり、そこにいたる方法なのである」
「友よ、この涅槃を実現する道は、まことに善い、そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。友サーリプッタよ、それはまた勤めはげむに足る」
215 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 22:52
あげ
216 :
トマス:2001/07/05(木) 23:23
すこしだけ書きますね。
○解脱して思ったこと
こころがからだから離れると「ああ、自分はこの世の執着からはなれてしまった
欲徳が燃え尽きてしまった」という思いが何度もこみ上げてきました。
執着が燃え尽きるとこころのまわりを業がさらさらと流れていきます。清水に
打たれる小石のようです。薬との違いは永続的なことだと思います。
217 :
名無しさん@1周年:2001/07/05(木) 23:40
218 :
名無しさん@1周年:2001/07/06(金) 07:42
── ̄ ̄ ̄──
─ ̄ _── ̄ ─ ̄\
/| / ̄__── ̄── ̄ |
/\ ─── ̄ ̄ ̄── ̄ |
∧  ̄ ̄  ̄二|
├ ┤
| / ̄\ / ̄ ̄\ |
| ━ ━ |
| | ─ 、
| |/ |
/ ̄ | |/ ̄ |
| \| | ) |
| ( | / | | / /
\ | 〜 〜 | /
\| |/
| (__───___) |
| \_ _/ |
\ \ ̄ ̄ ̄ ̄/ /| いいかげん宗教から解脱しろよ!
| ̄ ̄\ \ / / |
| \ \  ̄ / / |
 ̄| | ̄\  ̄ ̄ / |
| | \ / ─ ̄ |
| | \ / ─ ̄ |
|_|  ̄| ̄ ̄ ̄ ̄
219 :
名無しさん@1周年:2001/07/08(日) 01:11
>トマスさん
トマスさんの体験談はとても興味深いものがありますね。
まとまった文章にしてHP作ってみてはどうでしょう?
220 :
名無しさん:2001/07/17(火) 22:31
age
221 :
大きなお世話:2001/07/21(土) 00:27
完全な悟りを開いている人は、現在は絶無に近いので聞いても無駄です。
222 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/21(土) 00:56
>221さんへ
’完全’な悟りを開いた人ってどうなるの?Σ( ̄□ ̄)
ていうか’完全’て何?よくわか〜んない!!!
>執着が燃え尽きるとこころのまわりを業がさらさらと流れていきます。清水に
>打たれる小石のようです。薬との違いは永続的なことだと思います
業の認識には、ある種説得力あるが、この文章では、真偽をきめかねん。
そのぐらいのことは、私にも言えそうだしね。さて、トマスさんに質問です。
「神は一瞬にして全ての存在を解脱させることが、できた。しかし、神は
それをなさらずに、解脱までのプロセスを用意された。一瞬にして全ての
存在を解脱できるはずなのに
なぜ、それをしなかったのでしょうか? 解脱が人間の求める目的であるにも関わらずです。
224 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 11:33
225 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 12:31
昔読んだ本と、頭の中だけで、議論していても悟りを開くなんて判るはずがない。
悟りとは、経験だから、そうなったとき初めて良くわかる。知ったかぶりで、
ここに書いている人がいるし、私もその一人かもしれない。でも、ひとつだけ
言えることは、人間の意識が神の意識と同一化した状態であるといえる。そういうのも
私の意識がそれにちかずいている経験をしているから。
226 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 12:47
>>223 人間が自力でやらなきゃ意味がないから。
227 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 13:03
>トマス
こいつに言っても判らないだろうが、単なる馬鹿、妄想者です。
228 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 13:22
因縁を解脱すれば悟りに至ります。
その悟りをもって人々を救うには「法力」が必要です。
やっぱり本物は阿含宗しかないようですね。
229 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 14:05
↑
頭を桐山のクズに犯されたゴミ信者
230 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 14:09
>>228 本物は、いかなる事情があれ、決して宗派を作りはしません。
悪しからず御了承ください。
231 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 14:21
悟りね〜〜
日常生活での「あ、そうか!」じゃダメなんですかね?
絡み合った糸がほどけるような瞬間。
また夜半に一人物思う時想起する色んなイメージ・・・
過去の出来事や空想・・・連想・・・・
様々な事象が絡まり、凝固してまた新たな頃が起きていく様・・・それを頭の中に流れるがまま眺め、愉しむ
幽玄境にいるかのような一時
少なくともこんな日常がすでにあるんだから充分なような・・・
もちろん、仏教(密教)やキリスト教などの言説が想像力を喚起する触媒として
役立つことは否定するどころか大肯定していますよ。
ないものねだりした時、人は得られぬ不幸を味わうのではないですか?
233 :
jj:2001/07/21(土) 14:37
>>1 素っ裸になって、駅前を歩いてもはづかしくないって言うこと
実行してv警察につかまっても責任持ちません
>>233 そ奴は、人間ではありません。人間として欠陥品です。
あるいは、単なる露出狂か規違いでしょう。
235 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 17:56
あくまでも、私の中の悟りのイメージですが、書きます。
まず、生理状態が疲れ知らず、毒など飲んでも至福のものとして、消化して
しまう。この世のあらゆることを知るだけの体のつくりになっている。
つぎにその人のやることについては、何も間違いがなくなる。そして、悪い
考えも浮かばない。いつも至福意識に満ちている。その人が思ったことは、自然
に成し遂げられる。いいかえれば、この世の森羅万象の力がその人をサポートしている。
この宇宙の最も小さいものから大きいものを瞬時に理解できる。この世の自然法則を
動かすことができる。神の愛に基づいて行動する。
上記のことがその人に備わっても、見た目には普通の人である。
236 :
未知の人間:2001/07/21(土) 18:04
そのイメージは何処から来たものですか?
237 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 19:09
「悟った人」ってのは「普通の人」と全く同じだぜ。
君が解らないだけだよ。何故なら、君は「悟っていない」のだから。
ともかく、仏教においては「悟り」がAtoZであり、これを問題にしない
ような仏教など私はその価値を認めない。似非仏教徒が求める、功徳や日
常的な欲得など、仏陀に言わせれば、牢屋を美しく着飾るものでしかないのだからな。
ともかく、仏教と称するものに「仏教」を観ずることはない。
悟りとは、無明から生じる因縁を絶つことを意味する。だが、これ以上レベルを上げて
話すと、悪用されそうなのでやめとくよ。雑談で話していいことと、いけないことがある。
239 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 22:40
中学校では、輪廻から解脱すること、って習いました。
今ってどう教えてるのかなぁ?そもそも授業でやらなそう。
240 :
名無しさん@1周年:2001/07/21(土) 23:03
ある種のイデオロギーなら教えられるかもしれないけど
今の先生に宗教とか信仰とかを教えるのは無理そう。
241 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ :2001/07/21(土) 23:58
>238
「悟り」を開く前に「心」を開いた方がいいんじゃないの(アヒャヒャ
>>238 だれに向かって、何のために、何をいってるの?
さっぱり分からないよ。
スレを評論してるのか?自己顕示欲か?
それとも、道を説いてるのかな。
やっぱり覚者かな。これだけ、断言できるのなら。
243 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 00:14
この人のことなら別スレで論じてくれない?
スレ違いだよ。
まぁ確かに、何いってんのか不明だな。ともかく、「悟り」などの主題について、
話し合っても、無駄。実践あるのみだと思うよ。瞑想やヴィッパッサナーとかのね。
>「悟り」を開く前に「心」を開いた方がいいんじゃないの(アヒャヒャ
アヒャヒャって部分が心を閉ざしてるように感じるんだが(笑)。
246 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/22(日) 00:30
アヒャヒャ
ネットおかまか? アヒャヒャ(笑)。
248 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 00:33
ピエールは悟りを開いてるから心がないんだよ。
ない心を開けと言われてもねえ。
249 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/22(日) 00:37
>274
その調子で(アヒャヒャ
248
いつ俺が悟りを開いたと言った? それを主張すれば、たちまち、
それを剥がす行為に皆取り掛かるだろう。そして、私の言ったことが無効化される。
だから私は、自分の思うところを言う。ただそれだけだ。
251 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/22(日) 00:47
↑
>247でした(アヒャヒャ
252 :
んんん:2001/07/22(日) 00:49
心があるなら開いてほしい。
なければ無理強いはしない。
253 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/22(日) 00:52
だめだめ〜 ますます心を閉ざしてるよ〜
254 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 00:54
最近の若造ってのは、知識だけを仕入れてきやがる。
そして「悟り」の価値を自分のくだらないレベルにまで引き下げやがる。
そして、さも判ったような顔をする若造が多すぎて困る。
254
同感だな。
素人が、悟りについて、語るなど禅僧にしてみれば、100年早いというものだ。
237
悟った人が、普通の人と変わらないって言うのですか。まあ、悟りにも
いろいろなレベルがありますからね。子供だって悟れる『悟り』もある
訳です。
257 :
名無しさん@1周年 :2001/07/22(日) 01:01
100年早い?
素人は一生悟れないということか。
知識は実行することで、知恵になる。悟りとは、知恵の延長線上にあるものであり、
それを知識レベルに下げることは、その知識自体を殺す行為につながる。
ともかく、この種の主題に関しては、話し合っても無駄だな。
259 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/22(日) 01:03
ピエールさんってギャグのセンスもあるんだね(はーと
そもそも悟りの定義があいまいだ。体験を言うのかそれとも境地を言うのかで分かれる。
解脱そのものを悟りと思っている者にしては、体験で得られる悟りの経験など価値はない。
オウムの連中などを見ていると、クンダリニーのスヴァスティナーチャクラを開発することで
得られる快感を称して悟りなどというアホちゃんもいるわけだ。
とすると性のエクスタシーが悟り。立川流もそうか。という理論になるわけで、
体験で言うなら、ある種のLSDで得られる快感も悟りというわけよ。
もはやそこには、「悟り」を分ける境界線もなく、自己申告による。
悟り予備軍が待構えているというわけだ。で、禅でいうところの十牛図で目指す。
「空」の把握こそが、俺にとって悟りとしたいのだがな。
これは体験と言うよりも直感に近い。
>258
んなら、カキコすんなよ。
言葉をもてあそんで、人を迷わすだけじゃん。
262 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 01:16
悟りが空だってんなら空を説明してよ。
>260
十牛図を出してくるわりには、文章がこなれてないな。
「どちらも向いていないようで、すべての方向をむいている」といった、そんな感じもない。
ただ頑なに妄想的に屹立している印象しかない。
もっと深く柔らかなものを感じさせても良いと思うのだが。
何か間違えた方法をとったのではないのか。病的ですらある。
264 :
名無しさん@1周年 :2001/07/22(日) 01:29
ちんちんが屹立してるだけ(ぷ
263
言っていることは、そのとおりだな。TV見ながら適当に書き込みしているからね。
そもそも、2Chで真剣に悟りを語ることにあまり意味を感じない。
>何か間違えた方法をとったのではないのか。病的ですらある。
心配ご無用。
>もっと深く柔らかなものを
これには興味がある。具体的に説明してもらえないだろうか?
>265
>そもそも、2Chで真剣に悟りを語ることにあまり意味を感じない。
それなら、貴方は最初から書き込むべきではなかった。
安易に書き込みをすることにより、誤解と混乱が生ずる。
敢えて質問します。何故、悟りを求めているのですか?
根本的な動機は何なのでしょうか?教えて欲しいもの
です。真面目な質問として捉えてください。
269 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 01:44
>>266 ピエールの発言には悲愴感や悲しみの感覚がまるでない。
高度な知識を語っていてもまるで陰影がない。
それが深く柔らかくなりえない原因。
270 :
263:2001/07/22(日) 01:45
>266
単なる印象にすぎないとしかいえない。
貴方が前後関係を良く読まないで、書き込みをする例にであった。
それだけでも、軽薄な印象が残った。
相手を深く包摂し、より高いところに導こうとする、いわば菩薩行の志が感じられない。
自分よりレベルの低いものを軽蔑しているのが手に取るように分かる。
これでは、尊敬を得ることもできない。他者の「契機」を奪い取る作業をしているにほかならない。
そのような印象を受ける。大慈悲心を感じない。
極めて残念である。
このようなことの説明を求める幼さを自覚すべきだろう。
271 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 01:59
個人的な印象では団塊世代オヤジより今の若者の方が
直感が優れていると思う。
>270
私は、自分にそんなにない部分(例えば愛)を前面に出すようなことはしない。
もし私がそれをするようであれば、それは、浮浪者の前で難民の募金活動をする、
偽善者となってしまうだろう。
慈悲心がない。慈悲の悲とは人間の悲しさに通じるものであり、私には、その悲しさは
人一倍持っているが、それを慈しむ心に欠けているのは全くその通りです。
確かに言っていることは、そこそこの人物なら、価値を見出すことができる。
だか、その反面見下した発言が鼻につくという矛盾をかんじて怒る。
ただ、いえるのは、見下しているのではなく、それには自信があると言うことです。
それと、私の発言は毒を盛って毒を精するという側面もあります。これは、あつかましいが
グルジェフの破壊性を考察すれば分かると思います。優れた人が宝石混合の状態から、
宝を導きだすのに邪なイメージも役立つのですよ。理解できない者は石しか見つけられない。
それでこそ、曲解を防げるというものです。
273 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 02:02
>>268 殆ど全ての人が金、異性、権力、心の平安等の欲望を得んが
ために悟りを求めています。
274 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 02:09
ピエールさん、他スレでもよく見かけるけど
なんでいつも漢字の誤変換が多いの?
いちいち突っ込む気はしないけどさ。
長文をダラダラ書く前にちょっとは読み直すなりして考えてよ。
誤変換の多さは単なるケアレスミスに思えないんだけど。
何故、悟りを求めているのですか?動機はなんなのです?
他人の批判中傷ばかりしてると、人間,心が小さくなり
ますよ。その厳しさを自分に向けなさい。それが嫌なら
誉めるべきは、誉めてあげなさい。まあ、それはともか
く、何故、悟りをもとめるのですか?答えてもらえませ
んか?
タダで書いているので、推敲してないんですよ。お金もらえるのなら、
ちゃんと書きますがね。
277 :
263:2001/07/22(日) 02:19
>272
なるほど、貴方の、その「気分」が全く分からないと言う訳ではない。
しかし、そのグルジェフにもなぞらえた、貴方の姿勢が通用するのは、極めて優れた資質をもった人間に対してだけであり、安易に他人に見せるべきことではない。
基本は不定形生物のごとく、融通無碍な姿勢を持ち、相手に応じて韜晦をも示す、ということではないのか。
今のままでは、自分の大安売りだな。そして、他者とのかかわりを通じて己の仏性、大慈悲心を目覚めさせる契機をも奪ってしまう。
これでは、あまりにもったいないではないか。
もう少し、大きくなってはもらえまいか。それは、霊的エリートに対してのみ通用するやり方であり、
下手をすると、邪悪なものに飲み込まれかねない。
278 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 02:20
>>275 俺は正直にいうと、全能になって欲望を全て満たしたいから悟りを
求めています。
279 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 02:21
>>276 思い上がった発言だな。
タダで教えてやってんだからいいかげんでいいだろ
ってことか。
>277
この板全体が宗教を論じる場だから、言っておくが、宗教とは学校(スクール)のようなもので、
当人以上の教義や人物を理解することはできない。そして、それ以上を要求したり、それ以下を
強制したりすることも罪につながる。つまり、自分なりのレベルでかたればいいということですよ。
というか、このようなキツイイメージで登場するスレッドはかなり限られてますよ。悟り板とか、日蓮系とか。
あまり問題ないと思いますけどね。
助言してくれた事に関してですがね。人間を指導するなどと言う発想は思い上がりもはなはだしいですよ。
指導するには、まず、自分を指導できるようにならなければならない。そして、私は、
まず感情および思考の制御法を学習しているところです。
キリスト教徒をみて私は思うが、彼らは、キリスト教徒と名乗る資格もない。
なぜなら、彼らにはキリストの規範に沿った生き方をするには未熟だからだ。
しかし恥ずかしげもなく彼らはキリスト教徒と主張する。アホではないかと思う。
仏教徒もそうだ。これだけ言えば、私が人を導くなんて発想が心の奥にあったとしても、
決して表に出さない理由がわかっただろう。
>タダで教えてやってんだからいいかげんでいいだろ
文書く仕事ですので・・・・・。これ以上やめましょう。
282 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 02:42
本当に文筆業なのか?
全然論理的な文章を書けてないじゃんか。
282
ごもっとも。箸休め的な書きなぐりだからね。以後この件に関しては、
プライベートなので無視するよ。
284 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 02:54
プライベートはともかく、普段から論理的に考え、論理的な文章をたくさん書いて
文章を書くことに繊細な神経を払っていれば、たとえ箸休めの書き殴りでも
そこそこの体裁になるもんだと思うがな。
実は、書き殴ってないときも似たようなもんじゃねえのか。
>284
失礼なやつだな。書きなぐりと言うからには、適当に決まってんだろう(笑)。
その「程度」をキミが決め付けられるとでも思っているのか?
それよりも、板にあわせた話題を出せよ。
286 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 03:04
図星か。
書き殴るにしては話題が重過ぎるぜ。
>失礼なやつだな。書きなぐりと言うからには、適当に決まってんだろう(笑)。
>その「程度」をキミが決め付けられるとでも思っているのか?
>それよりも、板にあわせた話題を出せよ。
288 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 03:10
あんたの書き込みは面白いから別に構わないけどさ。
それでは、
嘘ということにしてください。文章に力を入れると、時間がかかってしかたがないから。
素人のキミの言うとおりだ。
290 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 03:11
↑面白いというのは、ドンキホーテとして、ね。
俺も名無しにしようかな(トホホ・・・)
言いたいことも言えるし、自分の発言に責任を持たなくてもいい。
文も適当に書ける…。もはや、このHNを名乗る必要ないかもな。
293 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 03:23
なにイジけてるんだよ。
面白いだけであんたの存在価値はあるんだよ。
自信持てよ。
294 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 03:33
感情、体に従うということです。しかし知性をすてるわけではありません。バランスもしくは統合です。
感覚、思考すべてが澱み無く流れるのをかんじます。しかし特別なモードがあるわけではありません。
素早く、適切な行動をとります。しかし自分の能力が即アップするわけではありません。
いやなこと、いいこと、というよりも、必要か、そうでないかという判断基準になります。しかし嫌いなたべものがすきになるわけではない。
エラそうなかきかただけどぼくもまだまだ。
おちょくられるために参加するなんて、アホらしい。仕事の
話題を出した時点で、すでにジエンド。これからは、名無しで、
面白おかしく参加するよ。プロをなめるなよ。
2ch板文章に誤字・脱字を
出していたのはわざとだ。それはプロ意識から出ているものであり、
自分の仕事に対するささやかな、誇りに由来する。
理解してくれなくて結構だがな。
>>295 名無しでもいいのですが、メール欄は mage を継続してくださいね。
>>295 自分で勝手に仕事じゃないから書き殴ってると言っておきながらよく言うわ。
なめられるような文章書いてるからだろ。
>2ch板文章に誤字・脱字を
出していたのはわざとだ。それはプロ意識から出ているものであり、
自分の仕事に対するささやかな、誇りに由来する。
理解してくれなくて結構だがな。
こんなむちゃくちゃな言い分、誰も理解しないよ。
298 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 04:12
>>295 これまで面白がられおちょくられてただけだ
ってことに気付いてなかったんかいな。
ニブイ奴(ぷ
299 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 05:15
極静かにな「ナチュラルハイ」な状態をいうんだす
300 :
k:2001/07/22(日) 05:26
>>1 お万個見ても、ちんぽが立たない状態をいう。
亜・・・・それって いんぽか
301 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 05:32
最近の若造は、「悟り」を自己暗示するらしい。
そして、自分は「悟っている」などと思い込んでいるらしい。
「私は世界だ」などとどこで覚えたかは存ぜぬが、猿のように繰り返し、
何でもかんでも好き勝手、やりたい放題らしい。ロクなものではあるまいて。
一生、悟れぬと知れ!! お主らごときにこの悟り、渡してなるものか。。。
302 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 05:38
>ピエール
本当のプロは、自分の誇りとすることについてはいつ何時も神経を鋭敏に
研ぎ澄まして最高のものを出そうとするもの。
お前の言うプロは金をもらう、もらわない程度のレベルのもの。
お前の数々の勘違い発言はこのあたりに端を発していたようだな。
よくわかったよ。
303 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 05:45
上に追加
気付いてないかもしれないので言っておくと、なめられてるのは誤字脱字のレベルじゃなくて
発言内容の荒唐無稽さ。
あの程度の誤字脱字の校正に手間取ってるやつがプロとは片腹痛い。
304 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 08:12
たぶん、すべて妄想の中にいたのだろう。ピエールは。
305 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 08:25
いくらでも言うがいい。ともかく、ピエールは存在しなくなった。それはそれで
いいではないか。フィクションのキャラクターは終了したと言うことだ。
ともかく、発言内容に関しては、私は責任をもたない。
>発言内容の荒唐無稽さ。
それを主張するなら、具体的に言ってくれないかな。宗教板において荒唐無稽さなど、
皆の常識ではないか(苦笑)。
>ピエールは存在しなくなった。
喜ばしいことだ。
>303
ピエールの言っていることを楽しみにしていたんだが、おぬしの行為で
その楽しみがなくなったじゃないか(怒)。
308 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 08:35
ともかく、悟りに関しては皆、言うことないのかな。
309 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 08:41
>303
言っていることは、認めないが、それだけ偉そうなことを言うには、悟りに関して
それなりの考えを持っているということだろう。そこで、キミの「悟り」
の理論とやらを聞かせてくれないだろうか。無理だろうがな。
キミには揶揄しかできないのだろう(苦笑)。こんな連中に本気になれると思うか?
中傷ではなく、まともに対話する雰囲気だったら、名前を捨てようとは
思わなかったよ。
310 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 08:53
>お前の言うプロは金をもらう、もらわない程度のレベルのもの。
あたりまえだ。よく正義のために戦うとかぬかす弁護士がいるが、彼らは
正義のために行動しているのではない「ビジネス」のためだ。
国際的なボランティア団体の役員は、多大な給料をもらっているのを知っている
だろうか? 無料で働く者などいないということだよ。ここで真剣になれというのも
無理な話だ。というか、ここで真剣になっている者は危ないのではないか?
誤字脱字に関しては、それをお前に言われる筋合いではない。余計なお世話だ。
311 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 08:58
「精神世界を夢見ている者にとっては、目的地へ行く為
の列車の切符代すらダタであるべき」だと思っている。
だが、タダで手に入れた知識など誰も評価しないものだ。それなら、私の
自信のある知識をタダで配布するに、それなりのペナルティをつけてもいいではないか。
わざと読みにくくしているのも、そういう理由だ。
これは私の勝手な独断と偏見であるがな。
312 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 09:09
>311
無料のプロバイダだからといって、わざとノイズを混入させたりはしないものだ。
お前の場合は、回路自体から残留ノイズがでてるが。
313 :
フムフム:2001/07/22(日) 09:15
>ピエール
中途半端な精神世界の知識を寄せ集めて、偉そうに書きこみを続ける鬱陶しい奴。
突っ込まれると、自分は文章のプロだ、と話題を変えてうそぶく奴。(自慢が好き=幼稚)
プロの文章にはみえんがな(笑
ついでに、頭も良さそうにはみえん(笑
あるがままの自己認識からスタートしたらどう?>ピエール
そうだね。当初ピエールのカキコを見て、俺は高校生かなと思ってたんだが・・。
議論の展開が病的なのかもしれないな・・。深刻なものを内在させてるね。
315 :
フムフム:2001/07/22(日) 09:22
>313訂正
自慢が好き>「自慢と自己弁護が好き」に訂正!
316 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/22(日) 09:24
☆
λ / :。
< ゜-゜>ρ ‥
σ( ) ・` 。・ ; ’ 、∴ ゚ ,・・` 。・ : ’ ∵、‘。‥ ゚ ,・・` 。∴ 、’.
υυ 、’ ・゚
・ ピエールって不思議!! ‘.
。: 作:ファンシー乙女 ;
… `。
; ピエールって不思議!能も無いのにいばってばかり 。 ‘
∵ ‘.
・ その自信は何を拠り所にしてるのかしら? ,‘.
`。 。
‘. ピエールって不思議!苦し紛れに嘘ばかり。 ‘.
。: ;
… その妄言の発想はどこから来るのかしら? `。
` ; ゚ ・
` ; 金、金、と壊れたラジオのようね :・
’。 ‥
‘・∴ 。’∵ 、 ; 。…. ・ ” ,・` 。・ ; ’ 、∴ ・・ ゚、 ,` : ’
ピエールさん。オレは最初からまともに会話するつもりでしたが。悟りに付いては
ここにいる人たちやピエールさんに、与えられるようなものが理論にしても境
地にしても,あるかは分かりません。ただ、多くの方が批判中傷に終始してい
るのに対し、ピエールさんからは「透明のセンス」が覗われます。
私は何故、悟りを求めるのかを質問していましたが、確かに真面目に質問した
私のほうに無理があったようです。
318 :
ピエー儿:2001/07/22(日) 12:08
こちらこそ御免なさい m(__)m ペコペコ
皆さんのおかげで傲慢だった私の目も覚めたような気がします。
んんっ?!・・・ヒョッとしてこれも悟りっていうのかな(苦笑)
作家を目指してもう何年経ったでしょうか・・・・
窓の外、今日は蝉の声が心に染み入ります。
ハぁぁぁ〜〜(ため息)
真夏の太陽、木洩れ日をすり抜け私に語りかける愛しいまでの風のハーモ―ニー
自然って素晴らしいですね。。。。私は今、身も心も生まれたままの姿です(キャッ!
>>307 ハハハ、ゴメン。
俺も楽しみにしていた一人だ。
ピエールが本気でキレルとは思わなかった。
ここはまあ、この超鈍感の浮沈空母を沈めた俺の偉業を称えてくれ。
何を言っても自分の方で勝手に勘違いしてキレルに至らないだろうと
思っていたのだが思わぬところに逆鱗があったようだ。
>>309 まだわかっていないようだな。
お前の発言は「悟り」の内容などという高度なレベルでの荒唐無稽ですらなく、
論の進め方、語り方のレベルでの荒唐無稽なんだよ。
いったいどういう育ち方をしたんだ、お前は?
とにかくピエールは相当に応えたようだな。
>319
偉業をたたえたい(笑)。
あのピエールという奴は、議論の腰を折るという意味では天才的だったな。
俺は、新手の荒らしか?とも感じていた。語彙の割に議論が稚拙なのと、相手の心情を読み取れないからだ。
おそらく、何らかの独善的な行法のせいで、健全な思考パターンが失われたのだろう。
荒唐無稽というより、異様な感じが常に残っていた。
高校生ぐらいでないとしたら、驚きだ。
深刻な問題を抱えていることに自身が気づいていないのかもしれない。
これで、少しは有意義な議論がやりやすくなるというものだ。
ピエールを批判している連中が、正しいというわけでもないだろう。
319、320
鬼の首でも取ったようですね。しかし、あなた達の言っていることからは
「透明のセンス」は響かないようです。中傷と批判ばかりだし。ピエール
と言う人に、何処かで傷つけられたのでしょうか?私には経緯は分かりま
せんが。この場で語っている事柄からすると、ピエールさんという方から
以外は輝きがでていないと感じます。でも、私の間違いかも知れませんの
で「悟り」の心境に付いて説明して頂けないでしょうか?ピエールさんと
違って、代価に依ってではなく、大慈悲に依っているお方のようですから。
真面目に、お願いします。
323 :
>>322:2001/07/22(日) 22:01
324 :
未知の人間:2001/07/22(日) 23:00
無ー茶 グラシアス 323さん。無名なのが悲しい。
325 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:36
>とにかくピエールは相当に応えたようだな
批判や中傷が目的のようなこの場に関してある種の憤りを感じたことは事実だが、
実は、どうでも良くなったのが、事実だ。
人が弱みを見せた途端にハイエナのように
喰らいついてくる人たちの発言を観察するのも、非常に興味深かった。彼らから何か
中身のあるような批判を聞けたらそれは、私の糧として生かすつもりだったが、
彼らの目的が「私の反応を楽しむ」程度のものだったので、まぁ勝手に言ってください。
としかいえない。ともかく、この論争で私にある種の「偏屈なプライド」というものを
認識させてくれた点で大いに意義があった。これほどとは思わなかったよ。ありがとう。
早速、心のしこりを内観することにする。
言っておくが俺はいい年こいてるよ。
326 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:48
>325
お前は、笑い者になっている以外、思いがけないところで人の心を傷つけてるよ。
お前のカキコからは、感謝の心や、慈しむ優しさや、そういったものがほとんど感じられない。
内観どころではない、せめて心の中で謝罪したらどうだ?
「偏屈なプライド」ではない。ここに逃げるなよ。
お前は人間として大事な何かが欠落してるんだよ。はやく目を覚ませよ。
327 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:52
319=320に言っておくが、
人のことを言う前に自分の発言内容を吟味してみたらどうだ?
私のことを言えるような内容か? 何処にも建設的な意見はないだろう(笑)。
私を恨んでいるような者の言い草だと思わないか?
328 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:54
326
その言葉を全て君に返すよ。偉そうに私に説教したい気持ちはわかるが、
名前を名乗るのを恥ずかしくなった私の気分も察してしかるべきだろう。
これ以上何をいうのかな?
329 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:57
もういいじゃないかな。
>>325はかなり素直で正直な表明だろう。
すぐには目を覚ますことはできないよ。
ピエールが今何歳かは知らないけど40歳とか50歳くらいなら
今から努力して死ぬ間際くらいにやっと人並みの感覚を取り戻せるんじゃないか。
>>325でピエールにしては十分に謝罪した方だろう。
330 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:58
>感謝の心や、慈しむ優しさや
何を言っているのやら…。私の参加スレはここだけじゃない。沢山ある。
しかも、キャラをそれぞれで変えてる。
感謝の心だの優しさ…。人をこけ下ろして、それを人に強制することに恥ずかしさを感じないのか?
331 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:59
もうやめろよ。
恥の上塗りだよ。
>ピエール
332 :
名無しさん@1周年:2001/07/22(日) 23:59
326=329
ちょっと疑問に思ったのだが、同一人物ではないかな?
333 :
329:2001/07/23(月) 00:02
>332
違う。
329と331が俺のレス。
334 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:05
>ピエールが今何歳かは知らないけど40歳とか50歳くらいなら
>今から努力して死ぬ間際くらいにやっと人並みの感覚を取り戻せるんじゃないか
何歳だか知らないが、失礼もいいところだ。キミは何様のつもりなんだ?
軽軽しく発言した者がピエールを批判できるか。
335 :
329:2001/07/23(月) 00:07
滑稽なレスをつける猛者がいなくなったのは寂しいけど
ピエールが妄想の世界から脱出するのを俺は応援したいよ。
悟りなんて問題外のはるかな道のりだとは思うけどね。
336 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:10
>ピエールが妄想の世界から脱出
まぁ私は、それを妄想と自認してますがね(笑)。だから言ったじゃないですか・・・。
キャラを演じていたと。それで?
>ピエールが妄想の世界から脱出
お前こそが悟ってるつもりか?ウザイやつ。
338 :
329:2001/07/23(月) 00:14
>334
俺は20代だ。
こんな若輩者に諭されなきゃならん年長者が悪い。
無駄には年を取りたくないと思ったよ。
>336
もういっぺんコテハンデビューしてまた叩かれろ。
あとから言いつくろったって無駄なんだよ。
339 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:15
観察してると多重にカキコしてるの1人〜2人じゃないか(笑)。
ピエールさんに死念持ってるやつとか(怖)。
340 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:18
>もういっぺんコテハンデビューしてまた叩かれろ。
>あとから言いつくろったって無駄なんだよ。
発言に中身がないよ・・・。分からないかな? 言えば言うほど
自分を貶めていると(苦笑)。
341 :
329:2001/07/23(月) 00:18
>339
>>323のオイリュトミーのスレでも見ろよ。
1人や2人じゃないよ。
ピエールは半年前からあの調子なんだよ。
342 :
329:2001/07/23(月) 00:19
どうでもいいけどコテハンやめたんなら
少しは元ピエールと思われないレスをつけてくれよ。
一目瞭然じゃないか。
343 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:25
20歳代の若造に40〜50歳ぐらいの人間の視野が解る訳はないだろう。
もし、視野と呼べるものがあるならば、だけれども。
344 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:25
だから、私のキャラクターは強烈なんですよ。それを出すのは、
クリシュナムルティやシュタイナー、顕彰会や日蓮のスレ。
そこでは、私のキャラが問題なりましたがね。他では、問題になりません。
以上です。なんで、掲示板のキャラを日常生活と思うわけ(大爆笑)?
あなたみたいに必至になるのではなく、それなりに楽しむのが筋じゃないか。
反感を買うのは面倒だが。
345 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:27
>40〜50歳
そんなに歳とってません。
346 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:29
ピエールが、学生あるいは高校生なら大笑いだね。
347 :
329:2001/07/23(月) 00:30
言い訳は見苦しいな。
せっかく、
>>325は潔いと思ったのにな。
348 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:35
>347
言い訳しないと、あなたのタメにならないと判断したからです。
そもそも、私の誤字脱字のミスで、よくもここまで、問題を発展させてくれましたね(笑)。
で、なんで俺こんなにかき回されてんだか・・・。
349 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:38
350 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:40
>348
自慢が好きで、自己弁護も好きだからでは?
351 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 00:41
スレ違い。悟りについて語れ!!!!ボケども。
352 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 01:27
本来たたかれるべき者が、そのまま放置されている状況というのもどうかな?
>ここはまあ、この超鈍感の浮沈空母を沈めた俺の偉業を称えてくれ。
>お前は人間として大事な何かが欠落してるんだよ。はやく目を覚ませよ
>中途半端な精神世界の知識を寄せ集めて、偉そうに書きこみを続ける鬱陶しい奴。
> 語彙の割に議論が稚拙なのと、相手の心情を読み取れないからだ。
> お前のカキコからは、感謝の心や、慈しむ優しさや、そういったものがほとんど感じられない。
>議論の展開が病的なのかもしれないな・・。深刻なものを内在させてるね。
なにこれ・・・。で、何を主張したの?
353 :
鈴木 悟:2001/07/23(月) 01:32
悟ですが何か?
354 :
鈴木 悟:2001/07/23(月) 01:35
スマン1レス出遅れた
サトルくん、おそかったじゃない。
356 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 01:42
>352
邪気の塊のような存在が悟りに興味を持つということは、
オウムの連中が解脱を求めたのと同じだはないかな。ともかく、
あの人の私念には辟易していた。ピエールさんの主張にではなく、
純粋に彼のパーソナリティや仕事についての攻撃を繰り返し、そして、
論までも否定した。論理の問題をつくのなら、彼なりの論理を展開しろと
思うのだが、それもない。破壊的な参加者だなぁ・・・。
357 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 01:44
>352
だから、旧ピエールを正しく受け止めたの。
358 :
未知の人間:2001/07/23(月) 01:56
また、始まってしまったようですね。323さんのオイリゥトミーのスレは読んで
来ましたが、コテハンで知識ではなく,意見を発言するのは、ピエールさんくらい
でしたよ。強引な口調は見うけられるけどね。まあ、この2chの環境では致し方ない
のでは。色々な動機でここに来ている人がいるのだから。私もマジに書き込んでも
無知の人間などといわれる始末だからなあ。(他のスレ)キチガイとも言われた。
さて、351さん。すみません。「悟り」に付いてですよね。では、悟りのレベルですが、
仏教では、何段階に分かれているのですか?そして、どの段階に来れば他人と争わなくなる
のでしょうか?何方か、教えてくれませんか?
359 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 01:57
>357
また、偉そうに人を侮辱するだけか・・。何にもないな。
360 :
こまん:2001/07/23(月) 02:00
>359
皆、分かっているだろう。嵐に認定。
361 :
こまん:2001/07/23(月) 02:02
>358
事情を知るには、クリシュナムルティのスレを読むといいですよ。多分、357はピエールさんに
やり込められたクチです。そこで恨みを買っていたのでしょうね。
なんと情けない・・・。
362 :
こまん:2001/07/23(月) 02:04
もしかして、HN考えない名無しか?
363 :
未知の人間:2001/07/23(月) 02:11
こまんさん。いろいろすまんですね。感謝あるよ。でも、こまんとは
面白いHNですな。
364 :
nanasi:2001/07/23(月) 03:11
はじめまして。時々ここの板を拝見していたネット初心者です。
突然不躾で申し訳ありませんが、良い機会に思われたので、ピエールさんに一つ質問させて下さい。
顕正会や親鸞会のことは存じませんでしたが、実は私が多少の興味を持って覗いたスレッドに、なぜか必ずピエールさんがいらっしゃるのです(笑)。
それぞれで展開されるご意見に関して、実は実は「どうしてソコで止めるの?」みたく思っておりました。
そこら辺の隔靴掻痒感が「この方は、、、うーん、どうなんだろう?」な疑問もあったのですが、この度のやり取りの中で、私の中での一抹の不信感はすっかり解消させてもらいました。
わかりにくい方にはわからん事でしょうが、ピエールさんは大変な慈悲心をお持ちの方だと思います。(安心して下さい、だからと言って、ピエールさんを崇拝したり致しませんから(笑))。
、
さて、質問なのですが、「未開」の論理(?)をまことしやかに言葉を重ねて語る輩こそ、やたらピエールさんに突っかかって来るように、私の目には映るのですが、いかがでしょうか?
うーん、いわゆる「オトコのプライド」っていうのもあるのかなぁ、と勘ぐらざるを得ない程、なんでこんなにヒステリーを起こすのか不思議で仕方ないんですよね。
また、どこかのスレッドでお見かけすることもあるかと思うので、よかったら「日本人の争いごと」に関するピエールさんなりの総括的な御意見を伺えましたら幸いです。
「悟り」に直接話題はつながらないとは思いますが、上手くいけば間接的にはつながるかと考えますので、ピエールさん及び心ある御覧の皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
365 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 03:14
ゆきさん知りません?
366 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 03:19
まだピエールのアホさに気付かないボンクラがいるのか。
そんなやつは「悟り」についてなんか考えるな!!!
ピエールがいろんなスレに書き込んだ過去のレスや
このスレでのピエールの反応をよく読んで見極めることだな。
精神世界について知識だけしかないやつのアホさがわかる
という意味では価値のある作業かもな。
>>356 勘違いするな。
聞いてもしないのにパーソナリティや仕事を引き合いに
先に出してきたのはいつもいつもピエールの方だ。
勝手に自分で弱点を曝け出して返り討ちでバカにされてるだけ。
恐らく、356=こまん=元ピエール、だな。
367 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 03:35
ハンドルネームを変えて自作自演まで始めたか。
前よりタチが悪くなったな。
>>362 ほんとにバカだな、お前は。
俺もあのスレは見てたけどな、そういう発言をすると「私はピエールです」
って告白してるようなものだってことがわからないのか。
やり込められてたのはお前だろ。
驚いた。
こんなことになっていたのか・・・・。
「反ピエール」は、相当な人数にのぼると思われる。
例えば、319と320は別人のように感じられる。
私は、ずっと書き込みをしていない。
疑心暗鬼とは恐ろしいものだ。
366の言うことは事実だと思う。
369 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 09:14
自分は知っている、と思わせぶりな書きこみが鼻につく。>ピエール
つっこまれると本を書いただの、自分は文章のプロだ、などと関係のないことを
持ち出し自慢する。それで墓穴を掘ったのが、今回(笑
>自作自演
前からやっていたのでは?
他のスレでも、ピエール批判が出ると必ず、「ピエールは面白い」というレスが
ついていてような気がするが…。
疑心暗鬼か(笑
370 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 10:04
>369
あんさんも多重ハンドルの自作自演。悔しいなら、何か面白いこと言ってみなよ。
胸糞悪くなるような発言しか期待できないけどね。
嫉妬してんでしょ(わら
371 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 10:11
ここで発言するものは、悟りについて言及すべし。それ以外の者は嵐だ。
いいな。
>366の言うことは事実だと思う。
366の言っていることのほうが、破壊的だよ。反論(悪口)以外、何も主張しないとこなんか。
372 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 10:15
とりあえず、主張から、ピエールと荒らし1VS1の対決だな。
多重ハンドルの数では荒らしが上か・・・。メール欄の不自然さを見れば
見当がつく。
373 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 10:31
>例えば、319と320は別人のように感じられる。
なんでわざわざそれを持ち出してくる。喰いいるようにレスを観察してた
証拠じゃん(笑。荒らしも墓穴を掘っているな・・・。面白いから、
ファイトを続けてくれよ。さぁファイト!
374 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 10:44
>なんでこんなにヒステリーを起こすのか不思議で仕方ないんですよね。
感情的ではなく大人の会話すればいいのにね。譲歩したピエールさんのほうが
少しましだったような気がします。他の方は絶対に譲歩しそうにない…・。
ここは、板と違い、悟りに最も遠い人たちがつまらないプライドを闘わせる場所なのですか?
375 :
nanasi:2001/07/23(月) 11:26
364の付け足しです。
(ピエールさんのネット上周囲で起こりがちな)「日本人の争いごと」=「このオレ様に優しくないオマエはアクマだ!」(笑)。
、、、私はピエールさんよりずっと若いのですが(スンマセン&笑)、まだまだ子育て中の母親としましては、それなりにイイ年のモンが、こういう言説を堂々と主張しているのに触れる度、「甘えたさんネ!(笑)」
とかで笑っておれない何か病理めいたものが存在している気がしてなりません。
(誤解なきように申し添えますと、病理と言っても個人レベルの事ではありませんので、念の為)。
ピエールさんもお書きになっていたよう、「キツメのスレッド」にこそ、そうした傾向が顕著な事について、どう思われますか?
突然現れて勝手な質問で申し訳ないです。別に急ぎませんし、今のここの雰囲気が悪すぎるようでしたら、いつかまたクリシュナムルティあたりでモメル前にそれとなく(笑)、お返事なり頂けたら幸いです。で、モメルんでしょうね、きっと(笑)。
まあ私が一番言いたいのは何かと申しますと、、、「<おかーちゃん>も疲れたヨ」だったりしてね!(爆笑)。
「悟り」スレッドに集う皆様、というわけで思いっきり掲示板違いな質問でもあったりするのを、どうかお許し下さいますようお願い申し上げます(^^)。
376 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 11:36
所詮、悟りなどに興味を持つ連中は、アホの集まりだということですよ。
通して読めば誰がまともな発言をしていたか、一目瞭然ではないでしょうか?
約1名の荒らしは論外でしょう(笑。
377 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:13
>nanasiさんへ
日本人の特徴には議論が下手、哲学的抽象的思考が苦手ということがよく言われます。
そして、それらの中の最大のものは、何かことがあると、これは日本特有の現象だという
説明をして満足を得ようとすることだと思います。
>「日本人の争いごと」=「このオレ様に優しくないオマエはアクマだ!」
>それなりにイイ年のモンが、こういう言説を堂々と主張している
こんなのは日本人に限ったことでは全然ありません。
あえて言えば、日常生活で議論が下手で本音を押し隠している分、こういうネット環境で
病理的なまでの中傷発言が噴出しているのだと思います。
378 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:23
>ピエールさんのネット上周囲で起こりがちな
ワロタ
379 :
非公開:2001/07/23(月) 12:27
本題からドンドンはずれています。
もうやめにして、直接、悟りについて書いて下さい。
380 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:31
>もうやめにして、直接、悟りについて書いて下さい。
それができればこんなにモメないよ。
「生兵法は大怪我のもと」
381 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:43
>所詮、悟りなどに興味を持つ連中は、アホの集まりだということですよ。
ピエールを責めたくなる人間の気持ちも理解してほしい。
「悟り」のようなテーマは簡単には語れないからこそ、まったくのデタラメが
語られていても無知識の者にはそれらしく聞こえてしまう恐れがある。
そしてそれがマインドコントロールにもつながる。
議論を恐れるな、と言いたい。
何よりも避けたいと思うのは、このような破壊的なやりとりを見て
真に宗教的なるものまでもが全否定されてしまうことだ。
382 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:51
>377
あの荒らしを見てると、実感。彼には、批判や揶揄といったものばかり。
建設的な意見などなにもない。論には論で闘って欲しいものです。
彼にはピエール氏と論で戦えるものがないから、人格攻撃に移るんでしょうね。
その現象は顕彰会の板でも見ました。nanasiさんの言うとおり、そこでもピエールさんが、
弱みを見せたとたん、ヒステリーを起こして攻撃してました・・・。
ともかく、悟りの板なのだから、悟りに関する主張で対決して欲しいものです。
醜い争いは見たくありません。
383 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:55
>まったくのデタラメが
彼の主張をでたらめと断言するあなたも、同じワナにハマってますよ。
その根拠をしめさないで、理解して欲しいとは不遜です。
主張には主張で闘えばいい。
384 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:57
>弱みを見せたとたん
弱みを見せただけでも、良いではないか。自分から逃げることをしなかっただけでも。
385 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 12:59
>主張には主張で闘えばいい。
ピエールには常識的な主張がまったく通らないんだよ。
非常識な論理を主張するやつには人格攻撃もやむなし、とも思う。
386 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 13:03
>385
例えば? 非常識なんて言葉は宗教板で通じると思っているの?
常識を持つものは人格を尊重する。
エボバや統一教会のスレッドに戦闘状態で突っ込みそうなやつだな。
387 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 13:05
>常識的な主張がまったく通らないんだよ
意味不明だな。ウォッチャーをしているが、ピンとこない。
そのような事例があればはっきり
明示すべきだ。
388 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 13:07
いじめっこの自己弁護を聞いているみたいだ(苦笑)。
そもそも、偉そうなやつをこけ下ろしたくて、そのための都合の良い
理由を考えているわけだろう。そんなものは、すぐに見抜かれてお終いだ。
ピエールちゃん、こんな時間に何やってるの?
>>386 >エボバや統一教会のスレッドに戦闘状態で突っ込みそうなやつだな。
また自分から馬脚を出したね。
こんなたとえ方はピエールちゃんにしかできないし、ちゃんと誤字まであるよ。
まったく、、、なんて言うのかな。
手持ちカードをフルオープンでポーカーでもやってるみたいだね。
勝負にもゲームにもならないよ。
早く議論の壇上に上がれるようにせいぜい精進してね。
391 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 14:57
>390
相変わらず品がない・・・。ピエール氏だろうが、そうでなかろうが問題あるまい。
問題があるとすれば、あなたの品のなさです。言っても無駄か・・。
なにか主張してごらんなさい・。これは議論の壇上にすらあがっていないアナタへの試練です。
392 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 15:12
俺はピエールではないが、読んでみれば、ハッキリ言って、ピエール氏
に噛み付いてるの病気としか思えない。なんで、氏みたいに改心しないんだ?
何もないくせに偉そうにしているとこなんか、爆笑もん。
393 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 20:14
394 :
愚童者:2001/07/23(月) 21:01
>>1 これは、自己申告?
それとも推薦?
私は、他人を見て、その人が悟りを得た人か否かはわからないので、推薦人にもなれない(笑)。
うーむ、悟りについて論ずるのは、難しいですね。宗教者でもないし。
そもそも、悟りとはなんぞや、ということになってしまう。
悩み多き問題ですねえ。
建設的な発言にならずスマンです。
もしかして、悟っているひとは、悟りにこだわっていないのかも。
・・・なんて、迷い言かもしれませんが・・・。
上をずーと、読ませてもらったが、
はっはーん(笑)。俺を執拗に中傷していたやつの正体がわかったぞ。
あんた、クリシュナムルティのスレで、皆の高度な話に入り込めず、
参加者たちに無視されていたやつだろう。それでいて隙あれば中傷の言葉を投げかけていた荒らし。
どうりで…。HNを捨てると言うのもこれでひとまずやめだ。とりあえず、俺がどうかしていた。
中傷には無視。これが2chの基本的なスタンスだったよな。
多重ハンドルに騙されて、馬鹿を見てしまった。
>よかったら「日本人の争いごと」に関するピエールさんなりの総括的な御意見を伺えましたら幸いです。
いきなり抽象的ですね。うーん、この2chでの争いに限定して言えば、偉そうなやつは
つぶされるということです。たとえ、それが大学教授(もちろん私ではない)であったとしても、
執拗にその人の知識をこけ下ろそうとする人たちが現れるということです。
そういえば、電波男という学者の知識を執拗に剥ごうとする人たちがいたが、彼らはその返り討ちにあって。
滑稽だった。つまり、どんな人であっても、ここでは無知にされる危険性があると言うわけです。
でも、言うまでもなく知識のあるなしで争うことの無意味さはいうまでもないでしょう。
私にとって、知識を誇示しようとする意識はこれっぽちもありませんが…。
というより、これほど無知なものはいないと思っています。
mageも復活!
398 :
名無しさん@1周年:2001/07/23(月) 23:57
ピエールはコテハン復活か。
捨てハンのレスの方が面白いなと思いかけていたのに。
まあ、ピエールも一つ賢くなったようだな。
捨てハンの方がみんなからコテハンのとき以上にバカにされることに気付いたんだな。
よくぞそのことに気付いた、と今日のところはほめといてやるよ。
>398
そんなことどうでもいいから、悟りについての意見を聞かせてくれよ。
400 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 00:03
>>394 >>これは、自己申告?
>>それとも推薦?
>>私は、他人を見て、その人が悟りを得た人か否かはわからないので、推薦人にもなれない(笑)。
>>うーむ、悟りについて論ずるのは、難しいですね。宗教者でもないし。
「悟り」を開いた人が、他人を見て、その人が悟りを得た人か否かをわかるかどうか?
これに答えられる人は、悟りを開いている{かもしれない}。
ただし、答えにならない、なっていないかもしれない。
あるいは、答えたくないかもしれない。どうだろうか?誰か?
悟りに関してですが、宗教書をある一定以上読むことによって、
宗教書群に共通するある種の教えというものが、分かってきます。
その共通する観念を真理と私は捉らえるわけです。そして、
悟りについて語る書物をある一定以上読めば、その書物に共通する、
ある種の共通認識のようなものが分かってくるでしょう。私が、
悟りに関して言及する場合、そのような書物が土台となっています。
答えになっていないでしょうが・・・。
>400
悟りに関して論理的基盤が欲しければ、島田明徳なんかいいのでは?
あと斎藤啓一とか。
403 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 00:52
せいぜいがんばれや。
今度はなめられないようにな。
一度死んで生まれ変わったつもりでな。
>ピエール
404 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 03:03
知らん
405 :
nanasi:2001/07/24(火) 04:37
いろいろなお返事を、ピエールさんはじめ皆様より頂きありがとうございました。
言い古された話ではありますが、非常に「母性原理」の強い国(例/太陽神が女性系で月神が男性系。世界に他に類はない、と読んだ記憶があります。)
に住まい、その言語を使用しつつ議論したりする場合、母性集団であるが故に噴出してくる無意識の暴力性(?)みたいなモノに、
もう少し目を向けても損はないんじゃないかな?と思い、昨夜のような書き込みをさせて頂いた次第です。
(第一、ネットというのが、それこそこれは大変な規模の母性形態かと、、、)
はっきり言ってインド・ヨーロッパ語族の発想である所の「悟り」をテーマにする限り、そこを避けていくら議論を重ねても、
なかなか上手くいかないというか、「結局おかーちゃんの思う壺」(スイマセン、我ながらいまいち意味不明デス(笑))
な展開になるように思いました。
そんなことを考えつつ、ふと思いついた事なのですが、
いっそ「悟りへの道」を、とりあえず二系統に分かれて考察するナーンテどーでしょう?(笑)
存在系(アニミズムから本覚思想、各種大乗仏教から如来蔵・唯識、そしてサーンキヤ哲学まで)組と
無我系(原始仏教にジャイナ教(誰かいます?/笑)、、、うーん、あとはギリシャのストア学派ぐらいしか私は思いつかんデス、ハイ)組
に分かれてやれば、変な諍いもなく、ほのぼのまったり平和の内に話も進んでいくように思うのですが、、、。
「悟りは知識にあらず!」と言ったところで、やっぱり人それぞれ好みはある訳でね(^^)。
まあこのアイデアに問題があるとしたら、「中観大好き!」な人にどちらに入ってもらうか(どっちにしてもこの人モメルかな?/笑)と、
最終的に両者の意見をすり合わせた時、大モメにモメマクル事ぐらいですヨ!!!(爆笑)
と、いうわけでもう寝ます(泣)。
つまらぬ駄文をお読みいただきありがとうございました。
このスレッドがより良き方向に進んで行かれますことを心からお祈り申し上げます。
406 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ :2001/07/24(火) 07:30
ボン ジュ― ル♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( つ つ ⊂__へ つ
く く く ) ) ) (_)/
(_(_) (__)_) 彡(_)
407 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 11:09
nanasi=ピエールの母
408 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 11:22
なんのこっちゃ わかりまへん
409 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 12:04
ここに二回ほど書きこしたものです。
映画マトリックスは、悟りを説明するのにわかりやすいです。
映画の中では、コンピューターに支配されている幻想世界がありましたが、コンピューター
を宇宙のありとあらゆる自然法則と入れ替えれば全部説明つきます。映画の中では、コンピューター
は悪でしたが、自然法則は善です。映画の中の幻想世界は、わたしたちの今感じて生きている世界、
そして、キアヌが薬を飲んでいった世界は、絶対の世界、神の世界、存在とかいろいろ言う。私たちは、
キアヌの行った世界と切り離され、そのことにさえきずかない。幻想世界で悟りを論じていても、わからない。
キアヌの行った世界に行ってはじめて、今生きている世界が、幻想であり、本当の世界の仕組みを理解しばめる。
何人か薬のんで、あの世に行っていますが、最後にキアヌだけが、撃たれてもよみがえり、コンピューターの
内部構造を全部見抜き、撃たれてきた弾をとめていますが、悟りで言うと、宇宙の自然法則を自分の物とし、全知全能になった
姿と見られる。 まだ、いろいろ細かく、書こうと思えば書けるけど、あほちゃうみたいな声がとんできそうなのでこれまで。
410 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/24(火) 12:59
)))))
σ σ
οノ <悟るにはアホにならなきゃね!
)))))
σ σ
∇ノ <悟りを解説するにのは知識が必要ね!
)))))
σ σ
〜ノ <この世って矛盾だらけね〜!ん、もぉぉぉ!
411 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 14:49
>nanasi
なるほど。ピエールはマザコンだったわけだ。
>このオレ様に優しくないオマエはアクマだ!
ピエールの論理はマザコンの論理だったわけだな。
こういう発言もあった。
>偉そうに私に説教したい気持ちはわかるが、
>名前を名乗るのを恥ずかしくなった私の気分も察してしかるべきだろう。
自分は他人の発言の行間も言外の意味も汲み取ろうとせず、こんな発言ばかり
繰り返したピエール。
タダでやること、代償を得ないでする行為にはペナルティすら課すと
主張したピエール。
ピエールの自作自演は手に取るようにわかったが、最後までわからなかったのが、
いかにしてこういう人間(ピエール)ができあがったか。
俺はてっきり無茶な行をして正常な思考を失ったのだと思っていた。
何のことはない。マザコンだったのだ。
さすがは、ピエールの母。お母ちゃんにはすべてお見通しだったわけだ。
ピエールちゃん、早く自立してね。
いや、乳離れしてね。
412 :
愚童者:2001/07/24(火) 15:38
てっきり無視されるのかと思い消沈してましたが、ありがとうございます。
私は、悟りを得たものは他人の悟りにも対しても判断ができるようになるのかな、などと勝手な前提を置いておりました。
良く考えてみれば、これも無理があったように思います。
>401のピエールさん。
ここでいう、「宗教書」というのは、正法眼蔵や臨済録などという古典をいうのですか?
手にとっては見るのですが、あまりにも難解で、初心者には手も足も出ません。
ピエールさんは、これらを読まれたのでしょうが、私にはあまりに高度で、「宗教書群に共通するある種の教え」にたどり着くことすら難しいように思います。
それと、「宗教書群に共通する観念が真理」とのことですが、そうであるならば、宗教書というサンプルの取り方によって、「真理」に大きな幅が生ずるようにも思えてきます。
恣意的に真理を決定でき、雲をつかむような話しになってしまうようにも感じます・・。難しいです。
初心者の私にとってはつらいところであります。
ここで言う「宗教書」とは、どう捕らえればよいのでしょうか。
オカルトっぽいものまで含むのでしょうか。
むちゃくちゃなことを書いてすみません。
413 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 15:54
ピエールさんがいうには、全ての宗教に共通する論理の最大公約数を真理といっているのではないでしょうか。
つまり、「真理とはあらゆる宗教が持つ善や道徳」の概念のようなものだろうと判断します。
つまり、信者の獲得数を決め、ソレに向けて勺服するような教団があるとしたら、
それは、一般的な宗教の規範から外れてる。つまり、真理ではないと思います。
414 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 16:04
例えば顕彰会とか。
415 :
nanasi:2001/07/24(火) 20:28
>>411 Oh!Nonnonnon,pauvre garcon、、、
私は一応、あなたのような方を念頭に置いて405の前半を書きました。
「結局おかーちゃんの思う壺」ってこのコトだったんですネ!!(苦苦苦&大爆笑)。
「タダ問題(?)」を巡り、随分こだわりをお持ちのようにお見受け致しましたので、
僭越ながら、河合隼雄氏の著作(心理療法の本・下)よりの引用を書き込みさせて頂きます。
<たしかに、普通の常識に従えば、他人を援助しようとする者は、時間と場所などに
かかわらず、そして、報酬にもこだわらずに行為するのが当然と思われる。そして、心理療法の
創始者たちは、そのような常識に従って、しかも、きわめて献身的に行動してみて、その非を経験的
に知ったのである。面接場所を限定せず、分析家が被分析者に会うとき、そこに感情転移という困難な状況が生じる
ことに、彼らは気づいたのである。すなわち、分析家の方は特別な感情を抱いていないのに、被分析者が分析家に
対して恋愛感情や、激しい愛憎の感情を抱き、それに基づいて行動するのみならず、
分析家のほうもそのような感情を抱いているものと断定してしまうことがよく生じるのである。
(続く)
416 :
nanasi:2001/07/24(火) 21:11
(続き)
筆者は、学校の教師、宗教家など対人援助の仕事をしている人たちから相談を受けることが多い。
それらのほとんどが、前述の転移現象について無知のまま、何とか他人を援助しようとして
(筆者からいわせれば)向こう見ずな努力を重ねることによって、強い転移状況にまきこまれた、
という場合なのである。>(講談社+α文庫版タイトルは「日本人と心理療法」p43より)。
そういえば、グルジェフもこの件については、かなり慎重に言及してるはずです。
長い引用になりましたが、要するに、「タダにこだわるヤツはストーカーになるから気をつけろ!」ってコトですか?(笑)
それから!
「他人の発言の行間も言外の意味も読み取ろうとせず」という、あなたの文章!
そんなにピエールさんにつっかからずとも、この私でしたらわかってますよ、、、
というわけで、この方に頭を抱えてこられた皆様!
「オレって、、、ホントは<いいヤツ>なんだよ?、、、ぐっすん」らしいんで、
愛と平和と寛容の心を持って、忘却することといたしましょう(^^)。
417 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 22:03
>nanasi
さすがにお母ちゃんは違うなあ。心理学にまで詳しいんだ。
>>415、
>>416で言わんとするところはわかるよ。ピエールにはわからないと思うけど。
しかし、ピエールみたいなやつには、一度
>>411のような真実をつきつけて
ショック療法をして上げた方がいいんじゃないかな。
一度、憤死させて上げるのが俺のピエールへの情だけど。
ここで憤死したとしてもネオ麦茶のようにはならんだろう。責任は持てないが。
あとこの下のスレでのピエールの最後の方の発言は笑えなかった。
http://mentai.2ch.net/psy/kako/993/993163606.html 哀れ、ピエールは小学生並みの分別すら身につけていない。
ピエールに相談したいやつはここでの最後の方のレスをよく読みなよ。
相談しても無駄だということがわかるよ。
>「オレって、、、ホントは<いいヤツ>なんだよ?、、、ぐっすん」らしいんで
そうでもないだろう。わかってて悪意でピエールを煽ってたやつもいたよ。
俺は半分悪意、半分情だな。中でもいちばんの悪意者はあなただろう。
結局、下の発言はピエールを心理療法のモルモットにするための方便だったのだから。
>わかりにくい方にはわからん事でしょうが、
>ピエールさんは大変な慈悲心をお持ちの方だと思います。
心理学をやると性格は悪くなるみたいだね。
それとも、俺のこのレスもお母ちゃんの思う壷?
思う壷に入り込んであげるからトコトンやってみてよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・411を書き込んだpauvre garconより
> ピエールさんは、これらを読まれたのでしょうが、私にはあまりに高度で、
>「宗教書群に共通するある種の教え」にたどり着くことすら難しいように思います
私に関してですが、禅僧のそれらの書物は読んでません・・・。かろうじて、読んでいるのはスッタニパータ
や、アーガマなどのもろもろの仏教経典ぐらいですかね。それというのも、仏教の経典を読むと、
眠くなってしまう性質ですので・・・。法華経なんかとくに。
私の考え方の基本は、グルジェフや原始仏教、英国の心霊主義などがベースになっています。
これらの書物でも、それらに共通した認識のようなものは感じられると思います。
419 :
大きなお世話:2001/07/24(火) 23:06
正法眼蔵や臨済録は読んではいけません。
読んでもよいもですが、誤解に誤解をかさねた、無益な理解が残るだけです。
正法眼蔵を読むくらいなら。
普勧坐禅儀、学道用心集、正法眼蔵随聞記を読みましょう。皆短編ですぐ読めます。
そして、納得がいったらさっさと実践しましょう。
どれだけ、議論をつくしても、悟りは手に入る性質のものではありませんから。
実践すれば、悟りは、今、此処にあります。
>実践すれば、悟りは、今、此処にあります
これには、同感だが、そういう、あなたは悟りを手に入れたのだろうか?
また、瞑想法の四念処といったものに関しての意見を聞きたい。
421 :
名無しさん@1周年:2001/07/24(火) 23:18
割り込みスマソ。
nanasiさんに教えてほしいことがある。
心理学に詳しい人から見てピエールはどういう状態にあるのか。
このままいくと凄惨な事件を起こしうるのか。
これほどまでに、知識と分別のアンバランスなやつは私は見たことがないので
私にはまったく想像がつかない。
>正法眼蔵や臨済録は読んではいけません。
何故でしょうか? どう考えても、分からないのですが、理由を説明してはもらえないですか?
423 :
愚童者:2001/07/24(火) 23:40
>418
ありがとうございます。
挙られたものについて、私なりに取り組んで見たいと思います。
>419
ご意見ありがとうございます。
少々面食らいましたが。
正法眼蔵随聞記は持っております。再読してみたいと思います。
他の2つについても、入手したいと思います。
実践、なるほど、この観点を忘れていたようです。
>419
なんでそこで口をつぐむのか。あなたは、普勧坐禅儀、学道用心集などを
元にした禅の瞑想にこそ悟りがあると
主張しているのではないでしょうか?
425 :
愚童者:2001/07/25(水) 00:02
おそらく、419「大きなお世話」さんは、私が座禅をすることなく、このような大著に取り組むことは、一知半解というか、頭でっかちになる、といった趣旨のアドバイスをされたのだと思います。そのように、善意に受け止めましたので、私としては十分です。
興味深い意見と受け止めましたので、悪い印象は持ちません。
いずれにせよ、穏やかに、このスレが進行することを願います。
>425
了解しました。
427 :
未知の人間:2001/07/25(水) 04:59
ピエールさん、復活したのですね。なによりです。さて「悟り」に付いて、私も自分の
意見を述べる必要があるでしょうね。何かを尋ねるのなら、自分も何かを差出すのが
礼儀と言うものですから。さて、悟りに付いて私が提供できるものなど、たかが知れて
いるのですが、私自身は、原始仏教の瞑想法が気に入っています。あまりマジに
取り組んでいませんが。取り合えず、五感で得られるものと、精神的に得られるものに
分けて、どのような違いがあるのか、身体の必要と精神の必要を研究?しているところ
であります。悟りを求めるには、人間に付いての自分なりの回答が必要だとも思うのです。
それは、端的に言ってしまえば、イエス様の言葉として新約聖書中にある、人はパンのみ
でいきるのでなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。と言う部分に集約されている。
人間は、肉体を維持するために(生きる為に)パン(物質)が必要である訳です。
しかし、五感(物質)を満足させても、何かが足りないとは、多くの人が思うところ(特に
現代の日本のような環境では)だと思います。では、その足りない何かとは一体何だろう
と言う事です。愛と言うこともできるかもしれない。でも、愛の正体が、解るだろうか?
また、計れるだろうか?これも謎です。その他、人間がこれを求めて得られれば、幸福に
なれると思っているものも、非常に漠然としていている。私自身、大悟が得られるか
どうかは分かりませんが、求めるものとしては、やっぱり最高の幸せが欲しいと言う
ベクトルではないかと思います。つまり、この世的な幸せのみを求めていた時の私も、
まがりなりにも求道を志すようになった今でも、幸せになりたいと言う底辺の動機は
変わっていないような気がするのです。幸せになりたい。は悟りとは違うものだろうか?
428 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 07:42
>>415,
>>416 恐ろしい誤読だ。
悟りの話題とは関係ないが、指摘させていただく。
「心」と宗教板ということで、「心」に関することなので。
>すなわち、分析家の方は特別な感情を抱いていないのに、被分析者が分析家に
>対して恋愛感情や、激しい愛憎の感情を抱き、それに基づいて行動するのみならず、
>分析家のほうもそのような感情を抱いているものと断定してしまうことがよく生じるのである。
分析家がこう判断するのは、分析家がストーカーだからなのではなく、むしろ被分析家が
ストーカー的発想で、心理分析という職務上の関係を私的な関係と誤解することから生じる。
要するに、被分析者の心情を分析者が対話などの関係を通じて客観的に把握するのは困難だ
ということ。
被分析者の心情を分析するときには、分析者が被分析者にとって大き過ぎる存在に
ならないように注意せよ、ということ。
心理分析の場で援助しようとの努力が感情転移を招いて不適切だからと言って
>普通の常識に従えば、他人を援助しようとする者は、時間と場所などに
>かかわらず、そして、報酬にもこだわらずに行為するのが当然と思われる。
この一般常識までも
>タダにこだわるヤツはストーカーになるから気をつけろ!
と帰結して否定するとはなんたる誤読。
悪寒をもよおすような論理展開だ。
このスレの住人と思われる方からお誘いを受けているのですが、スレのテーマが大きすぎて、ちょっと手が出ない感じです。
悟りという言葉はたくさんの概念があります。釈迦の三十五歳の時の悟り、入涅槃の大乗の悟り、禅宗が言う大悟、小悟、浄土教が考える悟り、親鸞の概念、キリスト教の聖書に出てくる悟り、日常会話での悟り等々。
焦点が絞られてこないと、議論に噛み合いがなくなる心配があります。このスレッドの議論は、こちらはもう少しROMに徹したいと思います。
親鸞が言う悟り、あるいは信心と悟りとの関係のような問題に議論が向けば論戦に参加することもあると思います。
>>429 渡海難が来るとこのスレが荒れるので、
渡海難はこのスレに来ないでください。以上
431 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 14:15
>430
同感です。親鸞が口にする悟りにしても、たかが知れてる。とそこまで言っては
申し訳ないですが…。ともかく、せっかく沈静化され、良い方向に進もうとする
スレなんですから、手を出さない方がいいでしょう。
渡海難の書き込みパターン。
1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習するのを装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「親鸞会ですね」(このパターンが多い)か、「お坊さんですね」と親鸞会や寺批判で逃げ、誹謗発言をする。
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 開き直って「私は悪人です。私の言うことなんて……」と卑下発言。もしくは「仮説」に逃げる。
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をしてその顛末を浄土通信に掲載し、さらしage(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がり他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐れているんだ」と田スレや他の掲示板で言いふらす。
※補足 やり取りの合間に野次馬が浄土通信に来るのでアクセスが上がるが、大抵、その内容のアホさにあきれて二度と来ない。
433 :
宗教キラー:2001/07/25(水) 14:22
悟りを開く暇があったらもっと働け 日坂 希
434 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 14:30
渡海難がいろんなの引き連れてきたぞ(笑)。やばいよこれ・・・。
>>434 だから渡海難が来るとスレがヘンな方向へ行くんだってば・・・(涙
渡海難はきっと
「
>>430-432はお坊さんですね」と勝手に決めつける発言をするだろうね。
妄想も激しい人だねぇ。
以前、どこかのスレで渡海難は「坊さんはネット上でオナニーしてしぶきをあげて喜んでる」というように妄想の著しいドキュソ発言してるから、あんまりこれ以上関わらない方がいい・・・。
436 :
どらちゃん:2001/07/25(水) 14:43
なんか今日初めて見にきたのですが、色んな書き込み見てると、
ここって本当に初心者にはやさしくないHPですよね。
期待してきたのに・・・・。
本当にがっかりです。誹謗中傷の応酬で心の話しなんて
くそくらえって感じですよね。まぁ反面教師と捉えたら
いいんでしょうけど・・・・。
>>436 まあまあ、マターリといきましょう。
ちょっとした厄介者が入ってきたけど、無視していいですよ。
>なんか今日初めて見にきたのですが、色んな書き込み見てると、
>ここって本当に初心者にはやさしくないHPですよね。
>期待してきたのに・・・・。
>本当にがっかりです。誹謗中傷の応酬で心の話しなんて
>くそくらえって感じですよね。まぁ反面教師と捉えたら
>いいんでしょうけど・・・・。
2ちゃんねるってこんなもんですよ
439 :
どらちゃん:2001/07/25(水) 15:59
そうなんですかぁ・・・・。私は基礎知識もあまりないんで
難しく感じるわ、名無しさんと名無し@1周年の区別もつかないし(笑)。
>2ちゃんねるってこんなもんですよ
と言う一言で救われた様な気がします(笑)。
、まぁそれも悟りの一種かもしれませんよね(笑)
どうも皆様ありがとうございました。
440 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 16:11
というより、君はどこでも適応できないタイプの人間だろうね。
441 :
どらちゃん:2001/07/25(水) 16:57
>というより、君はどこでも適応できないタイプの人間だろうね。
(o_ _)ノ彡☆ギャハハ!! バンバン! 煽るならもっと頭使えよ?
もっと根拠のある煽りでね。頭悪いのバレルよ?
まぁ頭悪いの自覚するのも悟りの一種か?
バカ悟りおめでとう!(/@^。)/お☆め☆で☆と☆う\(。^@\)
その悟りを大切にね。世間のみんなはバカには寛容なはずだから
精々、ごまめ人生楽しんでくれよ?
(o_ _)ノ彡☆ギャハハ!! バンバン!
442 :
misanga:2001/07/25(水) 17:01
443 :
pauvre garcon(411,417,421):2001/07/25(水) 18:50
nanasiはピエールだったのか。
完璧に騙されたな。
>>428に解説されなかったら本当に思う壷にはまっていた。
>>415、
>>416がそんな意図だったなんて常軌を逸した発想だ。
感情転移については聞いたことがあったが、こんな詭弁に使われようとは。
ピエールは感情転移の問題を、顕正会スレでカルトに悩む当事者相手に無責任な
発言をしても構わないことの理論的根拠に使いたいわけだな。
タダで親身になると、被相談者のためにならないばかりか、相談者にとっても
ストーカー変容の危険性があるから良くない、と。
驚いたな。
俺は主に顕正会スレでピエール=一言の不気味さを見ていたが、ここでもっと
不気味なピエールを見てしまった。
疑心暗鬼で見てみると、愚童者、未知の人間、どらちゃんもピエールか。
渡海難というもっと得体の知れないやつも出てきたな。
俺も執拗にピエールにこだわりすぎていたのだが。
もしかすると俺がピエールの術中にはまっていただけなのか。
コテハン捨て、復活、見え透いた名無しレスもすべてピエールによる「芝居」
に思えてきた。
酔狂でやるには度を越しているよ。
もう俺には手におえない。
俺の敗北だ。
もうピエールに関わるのはやめよう。
444 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 18:59
>443
いいな、みんな。荒らしは無視だぞ。
445 :
愚童者:2001/07/25(水) 19:03
>443
私は、単独のHN、上記が初登場の者です。誤解なきようにお願いします。
殆ど、ロム専門でした。ピエールさん側にあると思われるのも心外です。
446 :
pauvre garcon:2001/07/25(水) 19:05
もう誰が荒らしで誰が自作自演なのかわからんわ。
まあいいだろう。
どのみちここにいるやつは誰も悟れないよ。
447 :
pauvre garcon :2001/07/25(水) 19:08
>愚童者
好きなようにやってくれ。
できればnanasiさんのコメントもほしいな。
448 :
>pauvre garcon :2001/07/25(水) 19:12
異常に考えすぎというか、スレ違い(苦笑)。
ROMに徹しようと思っていたのですが、どうもそのようなことは許されない状況になってきているようですね。
>>431 >親鸞が口にする悟りにしても、たかが知れてる。とそこまで言っては申し訳ないですが…。
申し訳ないかどうか知りませんが、親鸞が口にする悟りはどのように知れてるのでしょうか?
>>434 >渡海難がいろんなの引き連れてきたぞ(笑)。やばいよこれ・・・。
僕が連れてきた覚えはありません。貴方は理由もなく他人に言いがかりをつけるレス荒らしですか?
>>443 名前:pauvre garcon(411,417,421)
>渡海難というもっと得体の知れないやつも出てきたな。
誰が得体の知れないやつなんですか?。あなた自身はどのように得体の知れているやつなんでしょうか。渡海難ひとりがことさら得体の知れないやつと言われれば、僕としては極めて不愉快千万ですよ。
あなたはこのスレを荒らすレス荒らしですか。
僕はレス荒らしに沈黙はしません。
450 :
pauvre garcon:2001/07/25(水) 19:28
渡海 難もピエールか?
なんて読むんだろう?
とかいなんで合ってるのか?
キリスト教で悟りなんて聞いたことないぞ。
451 :
pauvre garcon:2001/07/25(水) 19:30
要するにピエールは話し相手がほしいだけなんだろう。
ヒマなときはまた煽ってあげるよ。
452 :
非公開:2001/07/25(水) 21:05
誰か、“悟り”を開けた人、いたら教えてくれぇ〜!
“悟り”を開けた人なぞ、絶無なので教えられないぞ。
どうしてもと言うのなら、自分自身に問いたまえ。
453 :
非公開:2001/07/25(水) 21:09
悟りを開くってどういう状態???
悟りを開いた人にしか解りません。したがって聞いても無益です。
454 :
名無しさん@1周年:2001/07/25(水) 21:48
悟りに至った聖者に合いたければ三田に行きなさい。
さすれば仏陀の真実に触れることが出来ます。
>>450 名前:pauvre garcon
>渡海 難もピエールか? <何のことだ?>
>なんて読むんだろう? <Toumi Katasi>
>キリスト教で悟りなんて聞いたことないぞ。 <例 ルカ8−10>
456 :
非公開:2001/07/25(水) 23:33
三田に行くと何があるの?
457 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/26(木) 00:10
| |/( ゚∀゚) \|
| | ∩ ∩ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 俺様を呼んだかゴルァ? |
( ゚∀゚) ヨンデナイ..カエッテ。. \ .___________/
(∩∩)─────────|/───────
/ ∧⊂ヽギコギコ〜♪
/ (゚Д゚)ノ
/ ____/ |⊃ |\____
\ 親 / ̄ | | ̄\ 鸞 /
\/ ⊂ ノ〜 \/
/\ ((⊂∪⊃)) /\
/ 渡 \____/ 難\
 ̄ ̄ ̄ ̄\. 海 ./ ̄ ̄ ̄ ̄
\/
未知の人間さん、
>人間は、肉体を維持するために(生きる為に)パン(物質)が必要である訳です。
>かし、五感(物質)を満足させても、何かが足りないとは、多くの人が思うところ(特に
>代の日本のような環境では)だと思います。では、その足りない何かとは一体何だろう
>言う事です。愛と言うこともできるかもしれない。でも、愛の正体が、解るだろうか?
>た、計れるだろうか?これも謎です。
愛の正体とは恐怖がない状態ではないでしょうか? 人は恐怖があると、人を信じることが
出来ずに誰かを愛することが出来ないものです。その恐怖とは自我の保存本能に由来し、
より自我を安定させようとする我欲から生じます。確かに愛=人格の完成度に結びつくでしょう。
だが、果たして、それが悟りと直結するだろうか? 私は懐疑的です。理由は、
人格的に完成された人が、愛情豊かな人が理に通じているとは、必ずしもいえないのです。
美和明弘を例に出しましょう。彼は非常に向上心が強く愛情に関しても尋常ならざるものがあります。
それは、彼の書物や物腰から判断してですが、しかし、彼は日蓮を聖人と崇めているのです。
この点が私にはがっかりでしょうがありません。
未知さんが言った原始仏教の名双方とはヴィッパッサナー瞑想だと思いますが、
それは、非常に正しい選択だと思いますよ。
名双方=瞑想法
ファンシー乙女ってば・・・。
461 :
初カキコ:2001/07/26(木) 01:38
結局悟りへの道とは、
諸悪莫作(諸々の悪を作すなかれ)
衆善奉行(衆の善を奉行せよ)
自浄其意(自ら其の心を浄めよ)
是諸仏教(是れ諸仏の教なり) ダンマパダ「一八三」
だと思います。
道元はこれをもって悟りへ至る道とせよ、と説いています。
注意すべきは、ここで言う善とか悪とは絶対的なものではありません。
それから、スッタニパータ等で釈迦はみずからを「仏陀(覚者)」だと言っています。
462 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 01:45
精神医学者とか臨床心理の人で人々に貢献されている人も多いし、立派な人も多いけど、
「アンタの私生活じゃずいぶん他人に無神経すぎないか?」って感じることも結構多い。
「何やってもいいんだ、私が何やろうが何言おうがそれをどう受け取るかは
私の問題じゃないのだ」
っていう開き直った困った人生観持った人多くてびっくりしたよ。
特に相手に迷惑かけたときに、この言葉を言って責任転嫁する精神医学者や臨床者。
中途半端に空性の一端だけ知って天狗になって人に迷惑駆け出す
やこ禅僧みたいな感じ。
凡夫は妄分別が原因で智慧と慈悲は別々になってるから、
あえて意識してそれを結合させるよう努めないと、
仏教修行にしろ、臨床とかの治療にしろ、おかしな方向に行くだけだよ。
463 :
nanasi:2001/07/26(木) 01:54
>>417 「忘却済。」、、、の一語で済まそうかと思いましたが、
一つだけ書く!
私は<オノヨーコ様>の大ファンです!!(笑/直筆サイン持ってるヨーン)
>>421 残念ながら、、、何も起こらないと思いますが(笑)。
上の方のレスだったか、違うスレッドだったか、さだかではないのですが(なんせいろんな
所でお見かけするので/泣)、ピエールさんは「2chでのやりとりは<自分の鏡>だと思って、利用させて
もらってる」みたいな事を確か述べられていたと記憶しています。
この<鏡>なる表現がある限り、非常にマトモな方だと私なんかは考えますが、、、割とね、よく使うんですよ、
「他人の存在を<自分の鏡>とすることで、自らの欠点についての<気づき>を得る」という方法論自体は。
まず「知恵の完成」を目指す方には、ありがちというか何というか(笑)。
それにしても、ピエールさん、、、あなたの「スクール」の教えは教えとして、それを2chで実践なさるとは、
いささか無謀に感じるのは私だけ?(笑)
あ、それから、私は別に心理学に詳しくなんてないですヨ。
>>428 でも哲学系だったら、ほんの少しなら知らないわけでもないので、
あなたのような分析哲学かじりの反応は予想しておりました。
私の返事といたしましては、「カテゴリーエラー」です。
詳しくは、「時は流れず」(大森荘蔵/青土社)という本の中に、他我問題を扱った章がございますので
よかったら参照して下さい。
これ以上は、掲示板違いになるので、言いたいあるなら哲学板へどーぞ。
でも、それこそあそこはキッツイから、あんまりいい加減なこと書き込まない方がいいですヨ(笑)。
>>428 nanasiはピエールさんではありません。
あまりに病的なので黙ってましたが、最後に別人の証拠を書いておきます。
私は一生懸命「初心者版」見て、覚えてきたつもりでしたが、あなたの411文章の
コピー&ペーストを416において出来ませんでした(爆笑)。
知ってたらやりますよ、、、誰でもネ!(泣)
>>444および心ある皆様へ
自分で提案しておきながら、ごめんなさい。
もうしません。
お許しください。
>>444及び
,
464 :
仏陀:2001/07/26(木) 01:55
生命の中心である欲望のさらに奥に
無欲の喜びがあることを知ることが悟り。
諸悪莫作(諸々の悪を作すなかれ)
衆善奉行(衆の善を奉行せよ)
自浄其意(自ら其の心を浄めよ)
是諸仏教(是れ諸仏の教なり) ダンマパダ「一八三」
始まりが終わり。
465 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 01:56
他人を思いやれない等、
心が卑屈なことは恥ずかしいことだという素朴な自覚を持った上で
修行したほうがいいと思う。
あと、救いと悟りを混同する人も多いから危険。
それに加えて、困ったことに、悟りと成仏が同じであることを知らない人も多い。
表面的に観念の呪縛から脱したところで、それは成仏じゃないってことを知らない人が
多すぎるかも。
自分勝手な早合点や独りよがりな境地にならないように、
無理せず顕教の基礎をみっちり固めて修行したほうが良いよ。
色んな方便を提示した日本の各祖師も、
実際には何回も一切経を読み返した事実は忘れちゃ駄目だと思う。
すべての人が同じことするのは難しいけど、
自分勝手や独りよがりが一番恥ずかしいことだという気持ちは持っていたほうがいい。
成仏とか悟り以前に、まずそういう人間としての基礎作りが大事だよ。
466 :
仏陀:2001/07/26(木) 02:05
愛なき悟りは死と同じ。
悟りなき愛は生と同じ。
愛ある悟りは生死と同じ。
467 :
未知の人間:2001/07/26(木) 02:09
初めに断っておきますが、私はピエールさんではありません。まったくの別人。
色々と、厄介な問題があって、このスレもままならない状態になりつつあるよう
ですが、何とか続けていきたいものです。
悟りは、悟った人にし解らない。私にも解らない。しかし、悟りに付いての意見
交換が、無益だとは私は思わない。部分的な解答でも、ヒントは得られる時がある
と思いますから。あと、悟りって、仏教の専売特許ではないのではないか。悟りと言う
言葉を使って表現しているのは、仏教ですが、優れた宗教にはその極地に同様のものが
あるのではないかと思うのです。
468 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 02:13
悟りは、坊主のおもちゃではない。
成仏は、きっと、坊主のおもちゃだろう。
○○教等を学ぶことが悟りに通じる訳ではない。
悟りは、まさに日常生活と何の隔たりもない。
469 :
仏陀:2001/07/26(木) 02:27
卵の殻を手につかんだのなら
すぐに割りなさい。
470 :
nanasi:2001/07/26(木) 02:34
省略されました(苦)。でもちょっと笑えるんで、暇な人だけクリックしてね。
それでは、突然お邪魔致しました。また時々のぞきにきます。
お別れに、「悟った人」のお言葉を一つ、お礼の置き土産とさせて下さい。
「怨みいだく人々の中に たのしく 怨みなく 住まんかな
怨みごころの人々の中に つゆ怨みなく 住まんかな
心にいたみもつ人々の中に たのしく 心いたみなく 住まんかな
心いたみ 嘆く人々の中に つゆ心いたみなく 住まんかな」
by 仏陀
<法句経・安寧より>
471 :
未知の人間:2001/07/26(木) 02:36
458
ピエールさん確認。確かに、私も、愛情が悟りに直結しているとは思い
ません。精神的な必用ではあるとは思いますが、愛する事によって多くの
悲劇が生まれて来ることも事実だからです。あと、ご指摘の通り、ビパッサナ
瞑想が要になっています。違うスレで草レーサーって覚えてますか?
472 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 02:38
>>悟りは、まさに日常生活と何の隔たりもない。
そうだね。
ただ、注意しないと、それって単なる梵我一如の世界になるよ。
梵我一如と悟りは違うよ。
同じなら同じでもいいけど、実際には違うからね。
梵我一如や中国の伝統思想の禅的世界観と、悟りは違うからね。
仏は無自性だから定義できないと言って、
仏とは何かということの追求を放棄したら、悟る手だてはなくなっちゃうよ。
それだと無意味。
なぜなら、凡夫には、言葉、心、体を持っていると思い込んでいるのだから。
言葉と心と体に執着してもしょうがないが、それを取っ掛かりとすることを放棄すると、
悟ることはできないよ。
諸法が空性だからといっても、縁起としての条件付けがいきなりすぐに消えるわけじゃない。
だから、観念的に仮の無分別になったとしても、
心や言葉や体の傾向性や燻重という業がすぐに解消することはないんだよ。
「私という感覚」と「五蘊」、「非実体性」と「相互依存性」
この点をちゃんと詰めていかないと、
「空性だから、観念的にそれを知っただけで何でも解消されてそれが悟りだ」
と勘違いしてしまうことになる。
悟りや成仏は、特別なことではないが、
「五蘊の燻重」と「私という感覚」をバランスよく解消していかないと
成仏や悟りは無理なんだよ。
473 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 02:51
たとえば、宇宙船から地球を眺めた人が、
物理的に国境などないのに土地を争う人類のおろかさに気づいたからと言っても、
その人が十分思慮深い賢い人ならば、いきなり明日から即刻すべての国が国境を捨てろとは言わない。
信頼関係の整っていない相手にそんなことを言っても、各国が頑なになるだけだと知っているから。
餓鬼がどこかで悪さをしているのを見かけても、
十分思慮深い人ならば、いきなり「お前は実体性がないのだから、おろかなまねはやめろ」とは言わない。
そんなことをいきなりいっても、餓鬼は頑なになるだけだから。
物事への認識は、すぐにはかわらない。それが凡夫というものなのだ。
だから、基本的には、無理せず、あせらず、段階を踏んで修行したほうがいい。
474 :
仏陀:2001/07/26(木) 03:04
在るものも無いものも
動くものも静まるものも
とどまるものも行くものも
多くのものも一つのものも
知るものも知らないものも
冷たいものも熱いものも
すべてともに生きてあれ
475 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 03:07
もし悟りたいと思う人がいたら
その動機を最初に直視したほうが無難だ。
それをするかしないかで、その後の展開がまるっきり変わってしまう。
自分の動機、現状の奥底のドロドロした本音、自分がどうなりたいのか、
ちゃんと吟味したほうが無難だ。
476 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 03:41
自然ホウニ と あるがまま を混同しなければ良いんじゃないの?
オナニーを罪悪と考えてペニスを切断してもしょうがないってことでしょ?
方便となるものにこだわると方便じゃなくなるが
方便となるものを放棄したところで無意味ってことか?
当然、実在論になってもしょうがないし、
反動的に虚無的になってもしょうがないし、
だからと言って、すべてが心の反映で何も存在しないってのも誤りだわなあ。
あくまで理屈としてだが、
物事が資糧として実体性のない性質を持つものとして「単に存在する」ってとりあえず理解しておくのが
シンプルで安全だと思う。
その道や方法は各自の想と業に順じてどうぞご自由に。
人間とそれ以外のすべての存在への敬意と尊敬の念は決してお忘れにならないように。
あ、それが一番大事か・・・。
477 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 04:05
“悟り”って状態をしることより
悟りじゃないものは何かに注意し続けることの方が賢いカモね。
478 :
仏陀:2001/07/26(木) 05:19
それこそ
消去法的に卵の殻を知ること。
次はフライパンを用意して…
479 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 05:57
>>477 現実世界を上手に、そして無意味に他人に迷惑かけずに行きていく上では、
そのほうが現実的だろうね。
>>478 玉子焼き食べたくなってきたよ。ありがとう。
調理中
結局ハムエッグにしちゃいました。
諸仏諸菩薩に感謝、恩ある母なる一切衆生の皆さんにも感謝。
いただきま〜す。
へへ、おいしいよ。
480 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 06:20
450前後以降からの流れは面白い。
お釈迦さん的説法と、
虚空蔵さん的説法と、
文殊さん的説法が
互いに上手く相補し合ってるよ。あはは。
3つをうまく噛み砕いて消化するとためになる。
481 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 15:40
いつでも平安にあるというわけでなく
おっかなびっくりでも、マジでびびってても動けれる人
482 :
仏陀:2001/07/26(木) 15:52
苦しみなき悟りは力無し。
483 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 16:31
孤独なき悟りも力なし。
484 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 16:36
まあ、とりあえずはのんびりしてください。
485 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:25
濁っているなりの自覚で痛みをまず感じて。
他人から、痛みの自覚を強制されることはないようにしてください。
他人からの強制による痛みの自覚だと
別な他人に痛みの自覚を強制するようになってしまいます。
最近話題の虐待と同じことです。
特に、新興宗教系の禅師には、ご注意ください。
486 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:34
痴呆、知的障害って悟りと同義?
487 :
阿佐谷北:2001/07/26(木) 17:40
>>1 新宿駅西口地下(タクシー乗り場近く)に、
二人くらい、托鉢している僧がいるよ(昼間)。
夜だと、一人。こちらは真言宗らしい。
こういう質問は、専門家に聞いたほうがいいですよ。
488 :
阿佐谷北:2001/07/26(木) 17:44
続き.....
この種の掲示板が烏合の衆ばかりになってしまっている理由は、
専門家に聞くことを怠っているからではなかろうか。
と思う。
489 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:51
>>488 そうだね。
好きな方法で、情報収集したりすればいいんじゃない?
こんな時代だからさ、伝統的な宗教の名刹でも変なとこあるし、
高僧とか専門家とか言われている人でも妙な人もいるし。
慎重に、慎重に、吟味を重ねて、
広い視野で、色んなことを参考にしながら、
なおかつ、盲目的にならずに、
やってくしかないと思うよ。
現代ほど、特にここ数年ほど、
専門家ほど、当てにならない存在はないって感じ。
だからと言って、すべての専門家が駄目なわけでもない。
だから、慎重にね。
他人にアドバイス求めるときには盲目的にはならないように、
自分で吟味するときには独りよがりにはならないように。
いやいや、どっちも怖いよ。盲目的なのも独りよがりも。
490 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 17:56
>新宿駅西口地下(タクシー乗り場近く)に、
>二人くらい、托鉢している僧がいるよ(昼間)。
>夜だと、一人。こちらは真言宗らしい。
新宿西口には、本当の托鉢僧侶もいます。
しかし、本当は仏教以外の宗教団体が、お金を集めるために
信者に袈裟を着せてやらせている偽の托鉢僧もいます。
私も、西口で托鉢したことありますが、
本当の托鉢僧侶が来ると、いなくなってしまいます。
これは、僧侶関係者だけではなく、
あそこを通る仏教徒の一般人にも有名な話です。
注意したほうがいいと思うよ。
491 :
名無しさん@1周年:2001/07/26(木) 18:10
>>488 ここに書いてる人は誰もが己はまだ悟ってないことをわかった上で書いてるんであって・・・。
ただ、それでも何か役に立てることがあるならと思ってるのだと思う。
物事にはすべてにおいて肯定的な面が見つけられないことはないと思う。
己の現状とはかけ離れたないものねだりは無理なのだからしょうがないと思う。
専門家に聞くという発想の功罪両方ある。1さんがその発想にいたらなかった原因は何か
まで考えれば、このような方法もアリかと私は思う。
492 :
nanasi:2001/07/26(木) 19:20
>>467 未知の人間様へ
古代ギリシャに、スッキリと気持ちのいい方達が沢山いらっしゃいますよ。
そんな<気さくオヤジ>中のオヤジ知名度NO.1と言えばソクラテス。
死の当日に弟子達と交わした対話篇「パイドン」(プラトン著/岩波文庫)は、
最高峰の知性と友愛の素晴らしさを軸に、笑いあり涙ありの人情悲喜劇モノ
として天下一品です!
うーん、BC500年頃って、アーリア民族にとって本当に不思議な時代だった
んだなぁ、と、感嘆することしきりです。
ところで、未知の人間さんは草レーサーさんなのですか?
そういえば、かの「先生」もギリシャは大変お好きなんですよ!、、、て、いうか、
「あれから人間は退化してますよっ」と例の仏頂面してブーたれておられました(笑)。
ネット慣れしてないもので、驚くことばかりなのですが、改めて宜しくお願い申し上げます。
>>485 賛成です。短い文章の内にキチンとまとめられていて感心しました。見習いたいですぅ。
493 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/26(木) 20:18
駅前で托鉢している人の中には不法入国者が多いです。
何故か赤坂の事務所に帰ります。
494 :
未知の人間:2001/07/27(金) 00:41
nanasiさん
驚木、桃の木、さんしょの木です。私は単純なところがあるので、アナタの謎めいた
言葉で、迷想修行しました。(笑)でも、真面目ながらも堅苦しくないレス、有り難く
思います。私は浅学なもので、このレベルでは差し出せるものが少ないので恥じ入って
しまいますが、「パイドン」は楽しみです。必用な時は出せるものは出してこれからも
書き込みして行こうと思っていますので、こちらこそ宜しくお願い致します。
495 :
nanasi:2001/07/27(金) 17:44
喜んで頂けて、私も嬉しいです。
じゃあ少しギリシャネタの続きを、、、本当にあの気さくオヤジ達、、じゃなくて、
哲人達って不思議なんですよ。総体的にギリシャ哲学とは<ゴッツイ我(唯一絶対神が
いないので、デカルト以降の近代合理主義以上のシロモノだとまあ思って下さい)>
の世界であり、その内であーだこーだと思索と対話とホモ(笑)の日々を過ごしてわけ
ですが、対話成立の最低基盤たる所の共通認識として、輪廻転生を<知っている>のです。
<信じている>じゃなくて<知っている>。それに関し最も有名なのはピタゴラスですが、
後世に伝えられた大物クラスの発想から伺い得るに、そんな事は当たり前に知っていた、と。
「だから何!」と2chでは突っ込まれそうですが、私が言いたいのは500年後のローマ時代
(丁度インドでは大乗が成立あたりでしょうか)になると、もう賢人達は<信じてる>わけでして、、、
それがまた不思議!!、、、という、それだけのユルーイ話なので、どーか皆さん見逃してやって
下さいネ(笑)。
そうそう、未知の人間さん、もし本屋に行かれるようでしたら、プラトンの近くに「自省録」
(マルクスアウレリウス著)なる文庫もあるはずなので、よかったら奮発していただけませんでしょうか?(笑)
確かに<気さくオヤジ>ってみんなラブリーで良いものの、なんせ<知ってる人>なわけですからねぇ、、、
その点<そうあの人達が言ってんだから、もうこれは信じるしかない!>時代に、しかも超面倒な
社会生活の片わらに記されたこの小さな本は、未知の人間さんの仏道修行におかれましても、素晴らしい
「善智識」として活躍できる事かと信じております。少なくとも2chよりは(笑)。
それでは、また!、、、ふふふ、あるんですよ、「慈悲」をめぐる<恐怖のネタ>が一個ね(笑)。
>>488 >この種の掲示板が烏合の衆ばかりになってしまっている理由は、専門家に聞くことを怠っているからではなかろうか。
専門家に話を聞くというのは大事だ。専門家はそれなりの知恵がある。ただ、専門家なら全部安心というわけじゃない。
例えば、NHKの市民講座で、「ブッダ」というドキュメントシリーズがある。禅宗系大学の高名な先生が監修して出演している。その中で、重要な発言がくり返し出てくる。釈迦は老病死苦を悟って出家したと言っている。生苦が抜けているんだ。四回出城する伝説の話はするが、生は苦ではないという主張だった。
四苦は生老病死苦を言う。十二因縁の法理では生・老病・死と言う。老病は一体で捉えることはあるけど、生が苦ではないという思想は、仏教にこれまで無かった。市民講座の中で、その先生がどうして生苦を抜かしているか、説明は全くない。
この辺は、悟りの概念の基本的な部分だ。高名な先生だから釈迦以来の伝統説を批判して自説を述べるのはいいけどその場合は、きちんと説明すべきだ。
僕はその一件以来、NHKの宗教番組と、その大学の仏教学には不信感を持っている。
悟りについて議論するなら、まず、釈迦の悟りは何だったかというそこを原点にして考えていくといいだろう。十二因縁と四諦八正道の本質を探るべきだろう。
焦点が絞られてくれば参戦する。
497 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 18:53
>>496 悟りは仏教の専売特許じゃないだろうという考えの人が結構いるから
仏教と直接絡めるのは難しいんじゃないの?
私なら、無自性の仏だからこそ、その悟りをあえて「定義」する必要があると思うんだけど、
そのような理由で、難しいみたいです。
それに、それだとちょっとスレのテーマからもズレるしね。
>>497 だから、渡海難は無視しましょうよ。
元からテーマからズレたことしか言ってないし。
渡海難がこのスレに来てからスレが荒れたんだから。
499 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 19:06
悟りってなんだろうね。
悟りも大事だけど、
とりあえずは、人を無意味に傷つけないことのほうがもっと大事だと思うわ。
500 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 19:33
悟りにほど遠い議論をぐるぐるいつまでもあなたたちはやりつづけるだけ。
所詮頭の中の理詰め悟りなのだから。それにきずいたほうがいいんじゃないの。
ほとんどの宗教が、理詰め悟りの状態だし、だからこそ、宗教は毒だといわれるんだ。
それに酔って、いつまでも、同じ議論をし、ぐるぐるまわってる。
眠りにつく瞬間。
502 :
カキコ二度目:2001/07/27(金) 20:11
>>496 生が苦と言うのは後から付け加えられたものらしいです。
503 :
名無しさん@1周年:2001/07/27(金) 20:16
>>500 まあまあ、いいじゃん。人それぞれやり方あるんだしさ。
誰も自分のやり方を他人に強制はできないんだし。
信仰や信心持つことも、持たないことも誰も強制できないしさ。
それに、ここは言葉を使ってコミュニケーションする場所だよ?
だったら、たとえおろかでも言葉を積み重ねるしかナインジャン。
それに、ほとんど毎回色んな人が感想書いてるだけなんだから。
見に来た人が、適当に感想を持ったり参考にしたりすればいいんじゃないの?
>>502 >生が苦と言うのは後から付け加えられたものらしいです。
その可能性はある。文献的な根拠があるのですか。
老病死が苦であるという主張は分かりやすい。生を苦と捉えたとき、苦は深い哲学的な意味をもってくる。大乗仏教は、古来、生も苦と捉えてきた。生を苦から外すなら説明が必要だ。
NHKの一般向けの放送では深く突っ込むことは難しかったのかも知れない。その辺は同情の余地がある。しかし、一般日本人は生老病死を苦と捉えている。一般日本人向けの放送で生を省くなら、きちんと説明すべきだろう。専門家なのに説明をごまかしているという不信感が僕に湧いた。
505 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 00:38
ソイツァ ゴウキだね
506 :
nanasi:2001/07/28(土) 06:30
「仏道とは<男が女になる道>と見抜いたり!」
と、以前、作家の橋本治が豪語しておりました。
これに対する私の見解は、次の通りです。
1.根本仏教の立場においては、半分正しい(知恵と慈悲)。
2.大乗仏教の立場においては、ほとんど正しい(利他・菩薩行重視)。
3.密教の立場においては、全く正しい(方便をもって究境とす)。
4.浄土教の立場のおいては、ノーコメント(「たとひ法然上人(以下略)」by親鸞上人)
皆様の積極的な御意見・御感想をお待ちしています。
507 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 08:38
難しくてわからん。
508 :
未知の人間:2001/07/28(土) 09:07
悟りは仏教の専売特許ではないと言う考えには同感しますが、苦しみを超えて行く
と言うことは普遍的なテーマとして成り立つと思うし、悟りのことは分からなくても
宗教者も無宗教者も「苦しみ」なら、誰でも背負っていることなので、実感が持ちやすい
と思います。そして、その苦しみを超える為の実践理論として御釈迦様が確立した方法は
優れたものであるといえるでしょうし、苦しみを超えるのは悟りを深めていく道でもある
と思われる。始めに大悟あり、ではないはずです。まあ、人生は。
さて、それなら仏教の一番の原点である、四諦、八正道を、より深く厳正に理解する為に
このテーマで意見を述べてみたり、議論してみたりするのは、仏教の達人から入門者に至る
まで得るものは大きいと思うのですが、如何なものでしょう?
まあ、議論になれば多少エキサイトしてしまうのは致し方ないでしょう。でも、他宗の攻撃
などは控えて欲しいです。まあ、四諦の「苦」からしてかなり違いがあるようなので、
困難な作業になるのは、予想されますが。しかし、学問よりも、悟りの方へ向かうように注意
したいものです。
あと、物理学者って優秀になると、数式を使わず、自分の言葉で説明することができ、難解な
問題の前では、巧みに数式を使います。これって分野は違うことですが、通じるものはあるように
思う。つまり、自在なんです。
509 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 09:44
仏教は心理療法だと思っているので、悟りとはトラウマの無い本来の自分に戻った
状態だと解釈しているんですが。
510 :
変人:2001/07/28(土) 10:11
悟りはね、「ラーメンの味」にたとえる事が出来るんですよ。
つまり、味を言葉で説明するよりも、食べたほうが納得できる。
悟りを極めるには、食べ歩きをした方が早道なんですね。
で、一応自分では極めたつもりで、「悟り宣言」をするわけです。
そうしますと「君それは間違っているよ」とか言われ面食らってしまう。
つまり、正しく悟ったか、間違って悟ったかはあまり意味はない。
ようは、本人が「美味しい」と感じればそれでいいのです。
悟りの極意は、経験です。その積み重ねで本質が見えてきます。
二元論ではありません。悟りの中にも迷いが内在しています。
極論すれば、セックスのエクスタシーにも悟りは内在しております。
>仏教は心理療法だと思っているので、悟りとはトラウマの無い本来の自分に戻った
状態だと解釈しているんですが。
僕の理解などとは違うようだ。
悟りを得ればトラウマは無くなるかも知れない。軽くなることもあるかも知れない。けど、トラウマのままで悟るということはあるだろう。
仏教は三学を重視する。三学とは、戒律・禅定・知恵だ。仏教は、お釈迦様またはその代理人に、自分はお釈迦様の規則を守りますと誓うと、お釈迦様の定めた規則書を受け取った。規則が戒律であり、戒律を受ける事を受戒という。このとき弟子は頭とひげをそる。赤ん坊を擬制し、これまでの自分を葬って精神的に生まれ変り、新たな人生の再出発を始める。
お釈迦様は、御自分が理解された認識の内、言葉や絵画、彫刻など、有形的に表現できるものは全てそのように表現された。言葉で記述された真理は「法」という。法が表現しようとしている対象を真理という。法が記述している具体的な中身を知恵という。認識・非認識を越えた真理そのものは真如という。<法・知恵・真理・真如の定義は、僕が受けている感じです。権威のある定義ではありません>
真理は、全てが有形的に表現できる知恵ばかりじゃない。スポーツでも、芸術でも、言葉などで有形的に伝達できる真理と伝達できない真理がある。
有形的に伝達できない真理も、お釈迦様は、誰もが手に届くようにした。つまり、認識に至る方法論を明らかにした。それが禅定だ。禅定にはいろいろな方法がある。代表例が座禅だ。座禅には、歩く座禅というのもある。経行(キンヒン)という。
座禅というと無念無想というイメージがあるが、臨済禅などは、公案を思索する。これらは一般に止(し)という。止に対して観というのがある。両者合わせて止観という。観は、一定の形をイメージするイメージ訓練だ。座禅の姿勢で瞑想するが、瞑想しながらダイナミックに踊る方法もある。能などの舞踊はこれが起源だろう。仏教は美術を発展させてきた。仏教美術品は、観を行うための小道具だ。運動選手などが試合前に盛んにイメージ訓練する。あれは多分近年、インドからヨーロッパに伝わった瞑想訓練法の一つだろう。観と発生は同じだろうと思っている。
止観には、仏の名を称える称名を伴う場合と、伴わない場合とがある。釈尊先生は、過去の開拓的な先人達、未来の賢人を目指す努力家達、現在の優れた多くの指導者達を深く尊敬しながら心に念じつつ、若者を指導した。これを仏々相念という。止観で、仏の名を称えるというのは、これが起源だろう。だから、古代の称名は、無数の仏の名を称えた。やがてその煩雑さが嫌われたんだろう。阿弥陀仏という代表的な一仏に称名は集約されてきた。
称名は、止観の付随的な修行法として始まったと思うが、古代には止観の導入法として、あるいは緊急時の代用方法として、これだけが独立して行われることも少なくなかった。
悟りというのは、こういう行為つまり禅定から得られくる無形の知見であって、先人達が言葉や絵画や彫刻では伝達できないと思った真理だと思っていいと思う。
ただ、ことばで表現できないからと言っても全く表現できないものじゃないだろう。アウトラインなどは言葉や絵画で表現されている。表現されている真理は知恵という。知恵は悟りによって得られ、悟りから知恵に至ることも特別な事じゃない。
514 :
509:2001/07/28(土) 11:24
確かにトラウマがあっても、そのトラウマごと自分を見つめることは
できるかもしれませんね。
私は全も悟りも心理学的に解釈が可能なはずだと思ってるんでけど、
心理学者で研究している人はいないのかな?
誤 知恵は悟りによって得られ
正 知恵から悟りの方法が得られ
516 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/28(土) 11:30
丶 ̄ 、 /
/ ' _/| " " Y
/'" 〃 ` ',-ー '))"~)) )ζ
< ヽ /(( (( (( _,))_)) )),,
\__V)) )) ( __ )),,ー、(( (( ))
(( (( ((',-、´' ´`''~ ζ)) )
( (( ))'`'~ 、 '"ζ(( )) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
) )) )\″ ゜_.λ(( (( ゛ <
( ( ( ) > ̄ ヽ、)),'^^'' 、 | 興味深い。もっと続けて。
, -―ー '" ; ' 7 !) \_________________
/ , '"^、 `ー-、 _, -ー ! /'|
|' _ミ7ゝ ,. ! / |
|| Y' ::y' : | |
|.| | : : | !
|' ! .'◎, | '◎,! |,/
| ヽ、 ,人 ノ |
! | `゛´ ` ー 'ヽ ノ
i | ヽ、_, '
ヽ、__ ノ /
/ r |
/ i
/ !
_o/ ` , ' .|
//ヾ'~~"''ー、_|__ __/_, -'"~!
7 |  ̄ / ̄ \
| l| ノ \
| |"~、| \
| | ヽ \
| | ヽ \
>>514 >心理学者で研究している人はいないのかな?
生理学者が座禅中の人体内機構に注目している
東京工業大学の先生が総持寺の坊さんの協力を求めているようだ。
518 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/28(土) 11:54
α波 β波 γ波
┠──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┼──┨
88彡ミ8。 /)
8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
|(| ∩ ∩|| / / <ほいっ!
从ゝ__▽_.从 /
/||_、_|| /
/ (___)
\(ミl_,_(
/. _ \
/_ / \ _.〉
/ / / /
. (二/ (二)
519 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 13:00
>現在の優れた多くの指導者達を深く尊敬しながら心に念じつつ、若者を指導した。これを仏々相念という。
麻原の説いたグルヨーガのことですね。
>麻原の説いたグルヨーガのことですね。
そうですか。彼も同じようなことを言っていましたか。あなたは逮捕前の麻原さんの説法をお聞きに行ったことのある方ですか。元オウム?
仏々相念は珍しい主張じゃないでしょう。賢人、哲人というのは、過去の開拓的な先人を尊敬し、現在の優れた指導者に敬意を払い、次の時代の賢人を目指す努力家達を尊敬しています。これは、賢人、哲人の共通的な精神でしょう。賢人達は、時空を超えて互いに心を通じ合わせるそんな心で、次の時代を担う若者に接し、育てるんでしょう。こういう、賢人・哲人の普遍的な精神を釈迦から学ぼうというのが、浄土教の原点だと思っています。だからこそ、浄土教は無数の仏達の存在を主張します。
グルヨーガというのは初耳です。言葉の意味もよく分かりませんが、麻原さんが仏仏相念を説いていたと、お詳しい貴方から聞いても意外な感じはしません。彼も、仏教関係の本はかなり読んでいたのでしょう。僕は麻原さんについてあなたほどよく知りません。
仏仏相念の概念を知らない坊さんがいれば、そういう坊さんの方が問題ですね。
経典を引用します。「去来現仏、仏仏相念 念諸仏耶」 <大無量寿経>
521 :
未知の人間:2001/07/28(土) 13:51
渡海 難さんって、いろんな所で叩かれているみたいですが、彼と同等に議論できる
人がいないから、叩く以外に出来ないって言うのが実情って気がするな。
論戦では私なども、軽ーく撃沈されちゃう。論戦する為のスレだったら、とっとと
退散だけど、仏教の勉強になる。仏教入門者の私はプライドが少ない分、気楽である。
522 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 13:52
>麻原の説いたグルヨーガのことですね。
典型的なカルトのパターン。
>>521さん。あなたは全然わかっていないね。
彼はドキュソ発言ばかり繰り返しているので、2chでは嫌われているだけなのです。
524 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 14:35
グルユーガといわれているものは、チベット仏教の前行で、
下地として学んだ仏教の基礎を統合するような意味を持つ。
麻原氏とは本来は直接関係ない。
理念的には、三宝に帰依すると同義語。
グルやラマへの盲目的な服従を意味するのではなく、
各自の想に順じて師僧が現れるということ。
もちろん、密教など、師を要するときには、師を慎重にえらぶことも大事だが。
どんなに仏教が衰退して堕落しても、
仏教という形で伝えられた教えを学ぶことができるのは(それ以外の教えの良し悪しを言っているのではなく筋として)、
仏法僧という3宝を通じでのみ、ということも表している。
これは、排他主義なのではなくて、単なる道理を説いただけなのであるが、
勘違いされやすい。
という訳で、ここでいう「僧」や「グル」は、文字通りの意味ではない。
ほとんどの人はわかっていると思うが、一応書いとく。
これをよく読んでおいてね>未知の人間さん
渡海難の書き込みパターン。
1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習するのを装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「親鸞会ですね」(このパターンが多い)か、「お坊さんですね」と親鸞会や寺批判で逃げ、誹謗発言をする。
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 開き直って「私は悪人です。私の言うことなんて……」と卑下発言。もしくは「仮説」に逃げる。
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をしてその顛末を浄土通信に掲載し、さらしage(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がり他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。
※補足 やり取りの合間に野次馬が浄土通信に来るのでアクセスが上がるが、大抵、その内容のアホさにあきれて二度と来ない。
526 :
変人:2001/07/28(土) 14:40
>>520
70年代の理論闘争を思い出します。
これにはまってしまいますと怖いですよ。
「悟り」をイデオロギーで追求していきますと、方向性がずれてきます。
しかも、それに自分が気がつかなくなってきます。
527 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 14:41
渡海 難さんって
ここでの書き込みはともかく
本来の彼(彼女)の意図はともかく、
単なる自己顕示と誤解されやすい表現をあえて取ることを繰り返したつけで
信用する人が減ってしまった面もある。
ただ、ちゃんと見ている人は、まともなことを書けることも知っている。
が、やっぱりもう少し配慮が欲しいところ。
528 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 14:44
みなさん。
ここは悟りを開くことについてのスレです。
渡海難氏のことは忘れましょう。
529 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 14:59
語るためのルールは誰も強制できない。
ただ、単なる意見や感想の発表会にするのか、
詰めて話をしたいのか、各自自覚されたい。
別に単なる発表会でも良いのだ。
また、仏教における悟りを語る場合は、仏教の土壌で語りたい。
仏教では、基礎概念の定義はどのの仏教宗派でもほぼ同じだから。
そうでない場合は、各自の背景が違いすぎて、話がかみ合いにくい。
だからといって、それが駄目とまでは言わないが。
異なる意見や感想を参考にする機会くらいにはなる。
530 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 15:00
↑。もちろん、悟りがどこかの専売特許じゃないことを前提として書いている。
531 :
未知の人間:2001/07/28(土) 15:11
523、525さん
先輩方のご警告、有難く受け取らせてもらいます。当方仏教は入門者レベル
で2CHも初心者です。前後の経緯は当然把握していませんので、今後軽率な
発言は控えます。
528さん
そうですね。私も悟りについて知りたいから、ここに来るのでした。
532 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 16:20
言葉は上手く使うもの。
何とかに懲りて何とかを一生拒否するのはしなやかさに欠けます。
533 :
未知の人間:2001/07/28(土) 18:09
532
何とかに懲りて何とかを一生拒否するのはしなやかさに欠けます。
何とかに懲りず何とかを一生拒否しないのは悟に接近する為の力。
534 :
名無しさん@1周年:2001/07/28(土) 18:22
>>533 ま、そういう考え方もあるわな。
君の選択として尊重するよ。
535 :
PlayBoy:2001/07/29(日) 02:11
宗教的知識は無いし、悟りの定義は知らないよ。
ただ、何かを見ている時、
「見るものは見られるもの」
この状態が「悟りを開いている」状態である。
他の「悟り」の状態は、特殊な事じゃないの?
宗教理論家等が何とノタマウかは知らないけどね。
>>506 >>「仏道とは<男が女になる道>と見抜いたり!」
この本を読んだことは無いし、仏道も知らないが、そう思う。
<男が女性的になる道>だと、俺は思う。
俺は、内面的に女性的ではない人間を尊敬することはない。
536 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 02:36
>>他の「悟り」の状態は、特殊な事じゃないの?
ちょっと発想と言うか展開が理解しにくいのですが・・・。
まあ、わかってらっしゃると思うけど、
尊敬することはなくても尊重はしてあげなよ。
というか、悟ってない限りにおいては、悟りよりもある意味でそっちのほうが大事であるわけだから。
537 :
JOHN&YOKO:2001/07/29(日) 03:04
「 L O V E & P E A C E 」
壁画「BUDDHA」解説プレートより
(ラクシュミーナーラーヤン寺院/inINDIA)
>535
Thankus.
538 :
nanasi:2001/07/29(日) 05:20
>>508 7から9行目。ちょっと言いにくいのですが、、、「先生」はそういうのを、
実は大変嫌っておられました。理由はあえて書きませんが、一応。
だからと言って私からどうこう申すものではないし、「先生」に従う必要もないわけ
ですから、どうぞそこの所はご理解いただけますようお願いいたします。
それにしても、だんだんとよい雰囲気になってきましたね。
おーい、みんなぁ、元気かぁー!(すいません、謎の書き込みばっかりで/笑)
歴史教科書問題で別板に逝っていたが、しばらく見ぬうちもう1つの「悟り」板も含め、
いい展開ですね。
渡海 難氏は、以前言い争いをした記憶がある。その時は、偏狭な考え方をしている人
という印象を持ったが、それは、彼の心の支柱である「親鸞」を私が攻撃したればこそ。
この板では、私はそれをやらない。というか、毛種の違う、
仏教を学ぶに聞き役に徹している方が、面白そうだ。
臭い匂いは基から断たなきゃ
ダメッ!
>専門家なのに説明をごまかしているという不信感
日本の仏教学者に関しては、私はそれを強く感じます。つい先日まで、仏陀の生誕地
はインドだと主張してゆずらなかったし(カピラヴァ-ストゥはネパール)。
大乗非仏説を展開して、現代日本の仏教そのものを総括しないなど・・・。
ともかく、仏教において「悟り」そのものが根本テーマにあるに関わらず、日蓮を一とした
新興(言わせて)仏教ときたら、全く仏教と関係ない方向に逝ってしまった。
ともかく、悟りを前面に出して主張するのはオウムのような連中というのも悲しい。
なんか残党が紛れ込んでいるが・・・。彼らに言っておくが、執着を絶つ教義で、
指導者(’グル)を信仰したら、それは教義を根本から矛盾で崩壊させるものなんだよ。
と、水面下でオウムサイトが増えつつある現状を嘆く俺。本当に多いよ。クンダリニーで
検索かけてごらん。
>>541 名前:ピエール
>つい先日まで、仏陀の生誕地はインドだと主張してゆずらなかったし(カピラヴァ-ストゥはネパール)。
生誕地の候補は複数あるらしいですよ。二千数百年昔と今では国境線も違う。今の国境線でインドだネパールだと言っても生産的ではないでしょう。それともあなたは歴史学者で、カピラヴァ-ストゥに間違いないという強い確信でもあるのでしょうか?
>大乗非仏説を展開して
これは仏教を学ぶときの重要な一視点でしょう。ただし、唯一の視点ではない。唯一の視点ではないということは、重要な視点でないということを意味しない。唯一ではないが、看過できない視点である。
>仏教において「悟り」そのものが根本テーマ
根本テーマには、悟りも含まれるということでしょう。「悟り」そのものが根本テーマと言われると、これだけみたいな印象があり、偏狭な考え方をしている人という印象を持つ。根本テーマは外にもたくさんある。例えば、信心などというのは、悟りと同じくらい重要だ。
>悟りを前面に出して主張するのはオウムのような連中というのも悲しい。
それじゃ、僕も少し積極的に議論に参加しましょうか。貴方が聞き役に徹して戴けると(
>>539)、心強い。釈迦は何を悟ったかは、既に2CHで数ヶ月前に書きました。親鸞が言う悟りについて議論しましょうか。
>それじゃ、僕も少し積極的に議論に参加しましょうか。貴方が聞き役に徹して戴けると(
>>539)、心強い。釈迦は何を悟ったかは、既に2CHで数ヶ月前に書きました。親鸞が言う悟りについて議論しましょうか。
だから渡海のアホは参加するな!
お前のようなアホが来ると議論が台無しになるんだよ!
出ていけ!
544 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 15:01
>>543 どこからともなく突然乱入してきて、特定のカキコ者に向かって「アホ」「出ていけ」とsageで暴言を吐く。
ネクラのスレ荒らしは無視しよう。
546 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 15:59
547 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 16:08
>>544-546
いやー、煽り合いって
楽しそうですなモナ〜
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| っていうかどっちもどっちでくだらないですなモナ〜
\
ハッハッハ  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,,,,,,,,,,,,, ,,,,,,,,,,,,,, ハッハッハ
[,|,,,★,,|] [,|,,★,,,|]
( ´∀`)y━~~ (・∀・ )y━~~
( ⊃ ノ ( ⊃ ノ
i⌒i_イ⌒ii⌒i /⌒ヽ._ノi⌒i
| (__)| | .(__)⌒l.⌒ |
|___(_)_| .|_(_)___| (・∀・ )ハッハッハ!!
548 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 16:25
生きていたら分かるさ〜。色んなことに気がつくさ〜。
どんな修行をやっても普通に生きていても行くところは同じさ〜。
みんな生きているものだと知ればいいさ〜。
偉い人も底辺で生活している人もこの世にあるもの全て
そこまで行けばみんな神様仏様と知るさ。
簡単なようで難しいこと。でもそこに入ったら簡単なことだと知るさ。
549 :
名無しさん@1周年:2001/07/29(日) 16:32
>>548 >生きていたら分かるさ〜。色んなことに気がつくさ〜。
要するに、それがわからない人が多いからこのスレがあるんだね。
550 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/29(日) 17:37
ミミミミミ彡彡彡 彡彡彡ミミミミミミミ
ミミミミ 〇妖怪さとり想像図〇ミミ
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ミミミミ 彡 ∧,,∧ミミミミミ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミミミミ ミミ ゚Д゚ 彡 < εκαηδξΞιSει”υοκε!
ミミミミ ミ 彡.ミミミ \___________
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ミミミミ 彡 ミ 彡彡彡彡 ミミミミミミ
ミミミミ 彡 ミ 彡彡彡彡 ミミミミミミ
ミミミミ,,彡 ミ,,彡彡 ミミミミミミミミミミ
親鸞の悟りについて議論してみたいと思います。
親鸞の悟りとは何か。この問題について、僕もまだ真正面から捉えたことがありません。多分、「信」とは違った概念が出てくると思います。これは僕の実験的試論です。議論は途中で立ち往生するかも知れませんが、そのときはそのときで勘弁してください。
如来の勝智、遍虚空の所説義言は、ただ仏のみ悟りたまえり。このゆえに博く諸智土を聞きて、我が教如実の言を信ずべし(信の巻)。
親鸞にとって、悟りというのは、仏にだけ属する行為という認識があるようです。仏以外の存在者の悟りは、悟りという概念から外しているようです。仏以外の存在者の悟りはなんでしょう。明確な文献は探せませんが、恐らく「迷い」という概念を当てはめていくでしょう。
仏教では悟りを求めるのが原則です。悟りは修行の結果で得ていくものです。禅では、大悟、小悟という言葉もあるようです。悟りは、禅定によって得ていくものです。ところが、親鸞はこうした概念を否定します。親鸞独自の末法観があり、独自の仏教観があります。(続く)
552 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/30(月) 00:21
踊念仏 一遍上人なんかどんなもん。没後と同時に教えをほどんど焼いてしまったらしいけど
\ ,/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
⌒
∧,,∧ ∩1,,∧ ∧,,∧゙ ∧,,∧ ∧,,∧
ミ◎_◎,彡 . .| |◎_◎彡 ミ◎_◎彡 ミ◎_◎,彡 ミ◎_◎,彡
((⊂ ⊃ / ,⊃ ((⊂、 ⊃゙ ((⊂ ,⊃)) ((⊂、⊂ヽ
(( ⊂,, ノ゙ ((( ,,_,,⊃゙ ((⊂,,_,, ) ((( ,,_,,⊃)) ((⊂,__,, )))
(/,, ヽ),, (/, ヽ),, ,,(/
553 :
nanasi:2001/07/30(月) 01:13
>>506よりの派生命題を考えてみました。
「仏法とは<男と男が仲良しになれる方法>である。」
このスレッドを見ている、そこのキミ!
まさかイヤじゃないだろうなっ!?(笑)
ファンシー乙女に一票!
:渡海 難氏は結局、親鸞の悟りについて、
言及したくてうずうずしていたわけだ(笑)。カオスが予想される・・・・。
老婆心からいうが、親鸞を捨ててみれば? 観念ではなく、禅僧の体験としての悟りを
テーマにした方が、実があると思うよ。
555 :
名無しさん@1周年:2001/07/30(月) 01:27
551>
親鸞の言っている事を正しく理解されていない。
”ただ仏のみ悟りたまえり”
を字面で読んでいますね。ここを、”仏”と”仏以外の存在”に分け、
その”仏”のほうなんだ、という分別して解釈してしまうと正しくありません。
親鸞が仏と、仏でない存在、2つ(もしくはそれ以上)について、
比較して論じた文章がありますか。ないと思いますよ。なぜなら、
そういう行為自体が迷いであり、そういうことを考えることに意義がないからです。
ですから、迷いと悟り、悟りとはなにか、といった想念自体は
全く悟りから離れた行為です。
”仏以外の存在者の悟りはなんでしょう”
あなたがまだ道半ばで、しかも違う方向を向いているということがわかります。
あなたは地図を収集し、解析し、目的地を探っています。
しかし地図を読むだけでは永久に目的地にはたどり着きません。
地図上の一点を割り出したら、簡単にそこにたどりつける、そんな風に思っていませんか?
残念ながらそういう一点は見つけられないと思います。なぜなら、それが著述可能な
ものであり、皆が簡単にたどり着けるのであれば、既に宗教など不用であり文字を
読めるようになった時点でそのテキストを読み聞かせればよいのですから。
重ねて言いますが、座って地図を眺めても何も得られないでしょう。
ガイドブックとしての機能はどの本も、ほとんどゼロといって差し支えありません。
”私はこの本を読んで悟りを開いた”なんて人がいたらかわいそうですね。
悟りというものを誤解された迷いの長者です。本が有害とさえ思います。
556 :
夏目漱石:2001/07/30(月) 01:44
「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。
<空>の盃でよくああ飽きずに献酬ができると思いますわ」
「奥さん、先刻の続きをもう少し云わせてくださいませんか。
奥さんには<空な理窟>と聞こえるかも知れませんが、私はそんな
<上の空で云ってる事じゃないんだから>」
「こころ」より
ゆーてるやんけ。
557 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/30(月) 01:54
>>554 何故?何が一票なのかよくわかりませんがお受け取りできません(恕
その一票は貴方が本当に大切にしなくてはいけない人達の為に取っておいてください。
そして貴方を批判している人達にまず投じてください。今の貴方ならそれが出来るはずです
558 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/30(月) 02:37
>>557 ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,,゚ー゚)< なんつったりちて
@_) \__________
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,,・ー・)< なんつったりちて
@_) \__________
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(,,゚д゚)< なんつったりちて
@_) \__________
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(,,・д・)< なんつったりちて
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(,,゚∀゚)< なんつったりちて
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(,,・∀・)< なんつったりちて
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(;=д;=) < なんずっだりじでぇ〜
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Λ_Λ! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__( ;・Д・)__< ていうか、もう寝なよ!!
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かわいい…
>>554 名前:ピエール
>渡海 難氏は結局、親鸞の悟りについて、言及したくてうずうずしていたわけだ(笑)。
そうじゃない。「なぜ人を殺してはいけないのか」というスレッドに関わってたときは、そっちで手一杯だった。悟りについては、以前スレッドが立って、僕の言うべきことはほとんど尽きていたと思ってる感があった。何だっていいんだけど、自分で教行信証の行の巻を論ずるスレッドを立てようかとも思ってたとき、このスレッドから誘いもあった。だから応援しようかという気にもなった。僕が来れば、反渡海のアホ共も付いてきて少しは鈴なりになるだろう。僕としては、悟りより、「信心とは何か」「信心と信仰は違うのか」という議論の方が面白いと思っている。ただ、いずれ「行の巻」スレッドを立てようと思ってるから、自分から信心についてのスレッドをたてるつもりは、今はない。
>カオスが予想される・・・・。 <カオスが予想されるってどういう意味?>
>老婆心からいうが、親鸞を捨ててみれば?
僕の方はいつ捨ててもいいんだけど、親鸞さんが僕を手放してくれない(笑)。よっぽど向こうが僕を気に入ってるんだろ。
>観念ではなく、禅僧の体験としての悟りをテーマにした方が、実があると思うよ。
貴方がやったらどうですか。僕は素人だから手広くはできない。親鸞仏教以外は全く知らない。
仏教の専門家になってはいけないと、昔僕は言われたものだ。一生かけて信心を極めて行きなさいなどと、今から思えば随分馬鹿なことも言われた。その人は、学者になることは恥ずかしいことのように僕に言っていた。信心が大事なんであって、仏教学者になることは目的ではないとも言った。君は仏教学者に向いているから、専門家になって一生かけて仏教学を学問として研究していきなさいと言ってくれる人には、遂に一度も会わなかった。自分の膝元にいつまでもいつまでもだらだらと若者を通わせて引っ張っておきたがっていたんだな。次の時代の社会に向けて開拓的な仏教者を力強く押し出して行こうと言う意気込みのある人には、仏教という世界の中では遂に僕は出会うチャンスがなかった。
信心なんかはね、若者が仏教を求めてきたら、本当は、ひと月ふた月でマスターさせてやらないといけない。信心をひと月ふた月で簡単に分からせて、それで卒業だ。仏教の専門家になることを勧めるんじゃなかったら、信心さえ分かればそれでいい。それは一生の宝になる。宝を与えてやったらそれで終わりだ。それで十分だ。ひと月ふた月で卒業させなさいよ。一生かけて究めていくんだったら、それは信心じゃない。一生かけては、仏教学を究めていくんだ。学問として仏教学をやるんなら、親鸞だけじゃだめだろうね。親鸞仏教も、仏教全体を見渡して学理的に立証して行く必要がある。
仏教者の中には本当に人材がいないようだ。人材が集まらないんだろうね。僕も、幅広く仏教あるいは宗教を専門に学問として研究するチャンスがなかった。だから汎仏教は僕は知らない。親鸞を捨てなさい。禅をしなさいと言われても、できない相談だ。仏教との僕の付き合いは、親鸞との狭い付き合いで終わりさ。ま、それで悪くはない(笑)。ただ、僕は、才能のあるこれからの若者には、開拓的に汎仏教を学問として勉強しなさいと言ってやりたいね。
>>555 >親鸞の言っている事を正しく理解されていない。 <ほほう。なるほど。>
>”ただ仏のみ悟りたまえり”を字面で読んでいますね。 <なるほど。>
>ここを、”仏”と”仏以外の存在”に分け、その”仏”のほうなんだ、という分別して解釈してしまうと正しくありません。 <あなたの見解ですね。>
>親鸞が仏と、仏でない存在、2つ(もしくはそれ以上)について、比較して論じた文章がありますか。ないと思いますよ。
なるほど。
「煩悩具足の身をもって、既に悟りを開くという事。この条、もっての外の事に候う<歎異抄>」。親鸞の直接の言葉は頭に浮かびませんが、高弟唯円の言葉は有名です。煩悩具足の身の者と煩悩具足の身でない者とに分け、悟りがあるのは煩悩具足の身でない者の方だ、という分別があると思いますよ。
ものごとを二つに分けて考えていくのは、親鸞は頻繁にやっています。例示します。
「難易対 横竪対 頓漸対 超渉対 真仮対 順逆対 純雑対 邪正対 勝劣対 親疎対 大小対 多少対 重軽対 通別対 径迂対 捷遅対 広狭対 近遠対 了不了教対 大利小利対 無上有上対…………已上四十二対<愚禿抄>」
>そういう行為自体が迷いであり、そういうことを考えることに意義がないからです。
<見解の相違です>
>迷いと悟り、悟りとはなにか、といった想念自体は全く悟りから離れた行為です。
<見解の相違です>
>あなたがまだ道半ばで、しかも違う方向を向いているということがわかります。
<向いている方向が、あなたとの関係で違ってるだけだと思います>
>あなたは地図を収集し、解析し、目的地を探っています。 <断定的推測>
>しかし地図を読むだけでは <飛躍的例示>
>永久に目的地にはたどり着きません。 <独断的・想像的・断定的思いこみ>
>地図上の一点を割り出したら、簡単にそこにたどりつける、そんな風に思っていませんか?
<断定的推測>
>残念ながらそういう一点は見つけられないと思います。
<相手を無視した断定的思いこみもしくは我説の押しつけ>
>なぜなら、それが著述可能なものであり、皆が簡単にたどり着けるのであれば、
<独断的自己中心的例示>
>既に宗教など不用であり文字を読めるようになった時点でそのテキストを読み聞かせればよいのですから。
<飛躍的論理・想像的思いこみ>
>重ねて言いますが、座って地図を眺めても何も得られないでしょう。
<想像的・独断的主張>
>ガイドブックとしての機能はどの本も、ほとんどゼロといって差し支えありません。
<自己中心的例示>
>”私はこの本を読んで悟りを開いた”なんて人がいたらかわいそうですね。
<机上・軽薄的想像価値観>
>悟りというものを誤解された迷いの長者です。本が有害とさえ思います。
<小児的思い上がり>
>>552 >踊念仏 一遍上人なんかどんなもん。没後と同時に教えをほどんど焼いてしまったらしいけど。
一遍上人が焼いたというのは、一遍上人が直接所持していた文書であって、お弟子さんに配布した文書などは残った。
踊念仏はホームページがある。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/jg3tys/rokusai.html 多分本当の踊念仏はあれじゃないと思う。ホームページの踊念仏は、盆踊りみたいだ。踊念仏は、修行の一形態であって、禅定のひとつだ。体を使ったイメージ訓練に近かったんじゃないか。
スキー選手などは、試合の直前にイメージ訓練をするらしい。瞑想しながらイスから立ち上がり、体を動かして滑空の体型を取りながら、心を落ち着かせるらしい(伝聞だから信用性は薄い)。
僕は、自分が想像する踊念仏をやったことがある。仏壇の前で念仏を称えながら座禅し、瞑想状態で仏像を瞼の裏に呼び出す。瞑想しながら立ち上がり、体を動かしながら瞼の裏の仏像を全身で表現する。そのとき僕は仰天した。脳は爆発しそうにふくれあがり猛烈な痛さを伴いながら脈動した。恐くなって僕は途中で止めたけど、そのときこれが踊念仏だろうと勝手に思ったよ。(その後、僕は恐いから二度としていない)
僕の説は想像の域を出ないけど、瞑想しながら立ち上がって全身で仏像の形態を表現していく仕草は、能の動きに似ていた。能は踊念仏から発展したものだというから、僕の考えはあながち見当はずれとだは思わない。
566 :
未知の人間:2001/07/30(月) 22:18
ファンシー乙女さんって、面白い人ですね。真面目で一本気な私にはない、しなやかさ
があって、スレが緊張状態になっても彼OR彼女の愛嬌のある絵をみると、テンションが
下がって良く寝れるようになる。
これは、ある本で読んだ話なのですが、ある修行者が、道を求めて、ある師匠に付きました。
彼の求道心は強く、熱心に修行して長い年月が過ぎていきました。そんな中で彼は師に呼ばれ
悟りの奥義を伝授されることになりました。彼は天にも上る気持ちでした。
長い間の研鑚と苦しい修行の甲斐があって、とうとう悟れる!
師匠の言はこうでした。「お前の修行もいよいよ佳境だ。これから伝授する行法を持ってすれば
悟れるだろう」と言うことでした。彼が勇んで部屋を出ようとした時、1つの注意を受けました。
「修行中は蜘蛛に気をつけろ、その蜘蛛は必ず出てきてお前の修行の邪魔をする」ということでした。
その時はさして気にもせず部屋を後にしました。彼は思ったのです。「師匠もおかしなことを言う。
今まで修行中に蜘蛛などでたことがないのに・・・。これなら悟れるっ!」って
いよいよ彼は最後の修行に入っていきました。修行は順調に進み、もはやこの先にはいよいよ悟り
が待っているだけに違いない。と、彼がそう思った瞬間、蜘蛛のことを思い出しました。
師匠は蜘蛛が邪魔しに来ると言っていた。しかし、蜘蛛など何処にもいない。
おかしい。今まで、師匠の言に間違いはなかった。なら、必ず蜘蛛は出てくるはずだ。
何故だ、何故出てこない。蜘蛛さえ出てきてくれれば、それで悟れるんだ。別に蜘蛛が
でたからと言ってどうと言うことはない。蜘蛛さえでてくれれば、悟りがある。
蜘蛛さえでてくれば・・・蜘蛛さえでてくれば・・・・・。
やがて、気も狂わんばかりに彼は悶え始めました。そして彼は性も根も尽き果て、師匠
のもとへとやって、来て言いました。「師よ、悟れませんでした・・・」
信心と悟り。
567 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/31(火) 01:46
>>565 __―――――― /\/\/\/\/\/\/\/\/\/\
/ \ /
/ \ ) 意外といえば意外ですね。貴方も向こう側に
/_ __ | ( 行った事のある人だったとはねぇ〜〜
/ \ | / / \ | / よく此処ではいろんな方に叩かれているので、
/ _ \ / /\||||| | \ おかしな人だとは以前から想っておりましたが・・・
|/ \_|| ||||_/ /\ ) 貴方が体験した事については、おそらく御自身が
< ̄o ̄> < ̄o ̄> | | ( 一番わかる事なのかもしれない。そして何より
/  ̄ ̄/  ̄ ̄ | ∂ | )貴方がどういう人なのかも未だよく知らないので
( /(_⌒)\ / ) ) | ( 安易に私がコメントするのは止めておいたほう
| === ==== | ( | ) がよさそうですね。
( || |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| || (_/ ( それとも何かコメントした方がよろしいでしょう
|| |  ̄ ̄ ̄⌒ ̄| || | ) か?
|| | | || | ( あっ?!・・・・・そうそう、それとですが。
|| | | || | ) もう少し、凡人の目線に立って書き込みして
|| ) /⌒⌒| | || | ( いただければ助かります。
|| / / |_ / || | ) もったいないですYO
|| ヽ ̄⌒ ̄ ̄ / || / \/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\
|| ヽ ̄ ̄ ̄ ̄/ || /
\  ̄ ̄ ̄ /
\________ /
568 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/31(火) 01:47
>>566 __―――――― /\/\/\/\/\/\/\/\/\/\
/ \ /
/ \ )
/_ __ | (
/ \ | / / \ | /
/ _ \ / /\||||| | \
|/ \_|| ||||_/ /\ )
< ̄o ̄> < ̄o ̄> | | (
/  ̄ ̄/  ̄ ̄ | ∂ | )
( /(_⌒)\ / ) ) | ( (゚д゚)ウマー
| === ==== | ( | )
( || |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| || (_/ (
|| |  ̄ ̄ ̄⌒ ̄| || | )
|| | | || | (
|| | | || | /
|| ) /⌒⌒| | || | <
|| / / |_ / || | \
|| ヽ ̄⌒ ̄ ̄ / || / |/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\
|| ヽ ̄ ̄ ̄ ̄/ || /
\  ̄ ̄ ̄ /
\________ /
569 :
美輪明宏:2001/07/31(火) 02:29
ファンシー乙女さん、、、
まずあーたが受け取ってあげることが、大切なんじゃなくって?
照れるなんて、まだまだよ、、、せいぜいがんばりなさい。
それから、先日わたくし別の「悟り」スレッドも少し拝見いたしました。
弱いものイジメは良くないわね。わかったら次から気をつけなさい。それでいいの。
それから、、、わたくし、古い人間なものであまり下品な絵は好みではございません。
横尾チャンはともかく、三島先生が生きて御覧になったらなんとおっしゃるか、、、ふっ。
今度書いたらハルミを呼びますからね。ハルミよ、、、ハルミ知らない?
まあ、よござんしょう、覚悟してらっしゃい、ホホホホホ。
それから、ピエールさんとおしゃる殿方に、この際わたくしから是非一言だけ。
テメー、甘ったれんじゃないよぉっ!
アッシはアッシなりに「人間として当たり前の事」を精一杯生きてきただけで、
誰を何を拝もうと、アンタの知ったこっちゃないのは、よく覚えとけってんだっ!
、、、失礼(艶)。
そうそう、あなたがお好きでいらっしゃる原始仏教の「先生」も、わたくしの事を
テレビで御覧になったらしくて、皆様の前でずいぶん誉めて下すったんですって。
テープが残っておりますので、つづきはまたいつか。
ではごきげんよう、ピエールさん、、、ふ。
570 :
美輪明宏:2001/07/31(火) 02:33
上の絵じゃなくて、、、アレよ、アレ!
571 :
アミターバ:2001/07/31(火) 02:57
ようこそ、渡海 難。
572 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/31(火) 06:06
どうもーはじめまして。
え〜と難しい漢字のHNですね。「み・じ・ん・こ」と読むのですか?ごめんなさいね漢字は苦手なもので。あっそうそう、、、、あとなれなれしい人もだめですね。といより嫌いです。しかも、わけのわからないハルミってなんですか?あなたは何処か体の具合でも悪いのですか。ていうか御気は確かですか?私は世界で一番、日本で三番目に地球に優しい人と言われているので貴方のようなリアル既定にも優しくあろうと今まで努めて居りましたがもう限界です。ていうかもう寝ます。起こさないで下さい。
573 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/07/31(火) 06:07
・・・・というのは冗談です。ごめんm(__)m ね
でも、これも何かの縁。せっかく来たのですから、此処に来られている他の博識なベテランな方々と、意見の食い違いを噛み締めながらも何かしら為になるお話など聞かせていただければ幸いです。
しかし、お忙しいのでしたら無理にとは申しません。
574 :
瀬戸内寂聴:2001/07/31(火) 13:54
こんにちは、ファンシー乙女さん。
どうせ描くなら、六角堂の観音さまにでもなさった方が
芸があって面白いんじゃございません?
というまあそれぐらいですね、あの人が言いたいのは。
「ファンシーさんには期待していますわ」とハッキリ書くのに照れてんでしょうよ。
お気を悪くなさらず許してやって下さいな。
、、、結局こだわってるってことかしら、彼もまた。
ところで、観音の三十三現身て仏教用語をご存知じゃなかったら、ごめんあそばせ。
でも多重ハンドルは禁止だったら止めますです、ハイ(笑)。
どうなんでしょう?なんせ初心者なもんで誰か教えてくださいません?
575 :
さくさく:2001/07/31(火) 19:56
スレの本意に沿わないが、悟りを求める心は煩悩から生じている
と云う縁覚を先程得ました。
576 :
匿名希望:2001/07/31(火) 19:59
さくさくさん、私もそう思います。
577 :
未知の人間:2001/07/31(火) 21:25
まるほど。十界から言うと、六道は輪廻する迷いの心で、声門、縁覚、菩薩と悟りの
レベルは上がっていく、最後に仏陀の悟りがある訳ですよね。
そう言えば、nanasiさんはしきりに「先生」と言っていたが、596も先生って言って
いたな。同一人物のことであろうか?なーんか、よく判らなくなってきたなあ、もう。
538では、「先生はそういうことを大変嫌っていました」うーん、わからん。
先生って誰?ギリシャの歴史が好きな人?まあ、悟りに付いてのテーマとはあまり
関係がないので、あまり、気にしないようにはしてますが、気になります。(笑)
さて、これは悟りとはあまり関係がないかもしれませんが、人間が極限状態に近くなる
と、面白い現象が出るんです。かつて、自動車レースをしていた頃の話しなのですが、
クラッシュやコースアウトなどで、大ピンチに直面すると、一瞬ですが、心が身体から
飛び出すんです。つまり、外から状況を見ている。しかも、とてつもなく冷静に。
別に特別なことではなく、大抵の人が経験しているようです。最初の内はわからないの
ですが、慣れて来ると、ピンチの時もある程度冷静でいられる。そうなってくると色々と
不思議な事が起こっていることに気付きだす。別に宗教や精神世界の修行など縁のない人
なのに、不動の自己がいるみたいですよ。普段は忘れているし、彼らは、速く走ることに
夢中でそんなことにいちいちかまっていないだけで。私も経験があるから、よく判るのです。
死ぬかもしれない大ピンチなのに、非常に冷静に、しかも、外側から自分の置かれた状況を
見ているのです。何の修行もしていない普通の人々が。人間って不思議ですね。
578 :
nanasi:2001/07/31(火) 21:25
タイに行った時の話。
彼の地の偉い坊さんと雑談をしてたら、
「お釈迦様は宇宙人にも説法していた」
と、言われてしまった。
いわゆる天人の事かと思ったら、違うらしい。
別の惑星の住人だとか。
へらへらしてたら、経典にあります、と自信あり気に彼は言った。
(残念ながら箇所は聞き落とし、、、というか、よー聞かんかった)。
おかしな話だぐらいで、特に気にも留めなかったある日、
「スクール」について記されたインドの古い本に、
ある惑星が滅びても、教えそのものは消滅しないよう、別の惑星に保存しておくシステム
がある、と、さりげに書いてあった。
話の真偽はともかく、この後私が従来抱いていた<仏教>や<覚り>に対する漠然かつ勝手な
イメージが見事に崩壊したのは言うまでもありません(笑)。
私的には良かったと思ってますが、
妙な書き込みしか出来ない自分はちょっとイヤだなぁ、
と、先程つらつら他の方のを文章を読み直して、しんみりとした次第です。
以上、典型的な発表会レスでした。
すまない。
579 :
nanasi:2001/07/31(火) 22:00
>577
あ******・*****な。
そーいや、「先生」も上の話をぺろっと口にしたとたん、
「しまった!]って顔してました。
この調子じゃあ、極楽惑星が何時の日か発見されたりして(笑)。
580 :
未知の人間:2001/07/31(火) 22:08
nanasiさん。それはちょっと、ここではヤバクないですか?荒唐無稽と
叩かれてしまいますよ。私としては、そういう話し、面白く聞かせてもらい
ますが。何しろ個性豊かな方達がたくさんいますので....(オレも?)
581 :
555:2001/07/31(火) 22:31
>親鸞が仏と、仏でない存在、2つ(もしくはそれ以上)について、比較して論じた文章がありますか。ないと思いますよ。
> なるほど。
> 「煩悩具足の身をもって、既に悟りを開くという事。この条、もっての外の事に候う<歎異抄>」。
>親鸞の直接の言葉は頭に浮かびませんが、高弟唯円の言葉は有名です。
>煩悩具足の身の者と煩悩具足の身でない者とに分け、
>悟りがあるのは煩悩具足の身でない者の方だ、という分別があると思いますよ。
前後を知らないので教えて欲しいのですが、
その前後に”煩悩具足の身であるもの、そうでない者”に関する比較記述がありますか。
私の否定する”悟りと、そうでない状態”の比較言及ですが、
若い時、伝え方を知らないで、誤解を招く表現をすることがよくあります。
親鸞学者なら親鸞の、できれば後期の著述を引いて欲しいもんです。
たぶん親鸞はかなり言葉を選ぶようになっていると思うから、
うかつに曲解(私の言う、比較表現など)される文章を残さないように
なっていると思います。どうですか。
> ものごとを二つに分けて考えていくのは、親鸞は頻繁にやっています。例示します。
> 「難易対 横竪対 頓漸対 超渉対 真仮対 順逆対 純雑対 邪正対 勝劣対 親疎対 大小対 多少対 重軽対 通別対 径迂対 捷遅対 広狭対 近遠対 了不了教対 大利小利対 無上有上対…………已上四十二対<愚禿抄>」
ものごと全般を分けて考えてはいかんとは言ってないよ。悟りと悟りでないという比較表現をして
いないはずと言ったまで。上記の表現で親鸞は何を言いたかったと思いますか?
582 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 01:12
>>574 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ < ハァ、ハァーーン、ソウユウ、コトダッタノカ
( ´_ゝ`) \________
/ \
/ /\ / ̄\
_| ̄ ̄ \ / ヽ \_
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__)
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| || ||
583 :
nanasi:2001/08/01(水) 02:15
>580
御心配いただき感謝です。
そうですよねぇ、まずいですよねぇ(笑)。
ただね、言い訳するわけでもないのですが、私達が知っているいわゆる仏教学や信仰
なる視座を一旦置いといて(捨てると超マズイですから!)、尚且つ、いわゆる原理主義的な
読みをするでもなく、クールな心で経典を読みますと、マズーイ話はわんさかあるわけですわ。
確か中村元先生が、そうした思惟方法の根本的な相違を巡り、古今東西の言語学に及ぶ論文を記して
おられたのですが(雑誌連載中に少し読んだだけなので、タイトルは不明)、あまりにブッチギリに
違いすぎるその格差にボーゼンとするほかありませんでした。
思うに、現代の心理学や精神分析すら絶対通用しない世界ですから、あれはもう。
でもって、ただただ私はボーゼンとしたままの者であり、叩かれても別に答えようもないので
未知の人間さん、安心して下さい!(これ自体がものすごく変な言い訳ですね/笑)
、、、それと<極楽惑星>につきましては、あの超インテリだった法然上人が、その存在を
確認(!)しておられますので、もし私が叩かれましたら、浄土宗の方あとはヨロシクね!!(笑)
584 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 02:54
>>575 悟りについての答えなんかは皆とっくに出してんだyoたぶん。
ただその先にあるもっと重要な大切なモノが何なのかそれが知りたくて皆ここに集ってんだyo
足の速い奴もいれば、遅い奴もいるのさ。大食いの奴もいれば、小食の奴もいるのさ。甲子園には行けなかったけど、人一倍野球が好きな奴もいるのさ。
偉い奴も偉くない奴も本当は居ないのさ。
煩悩万世〜!なのさ。
585 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 03:01
586 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 03:33
このスレ最初ッから読むか自分で考えてne。なまけもの3
587 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 03:45
>>586 あんたも含めて、あれやこれやと、悟りについて妄想することか?
588 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 03:53
どうして人に聞こうとばかりするのです?食べ物まで人に噛んで貰っているのですか?
589 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 04:01
>>588 あんただって人に聞くこともあるだろー?
あんたは神か?
590 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 04:04
神様はあなたです。
591 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 04:06
592 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 04:22
では仏様でも構いません。
そして「俺は神じゃないよ」 と
そう、その時こそ神が一番近くに居るのではないでしょうか。
593 :
トマス:2001/08/01(水) 04:23
ひときれの真理をたずさえてこの世を歩いていこう。
ひときれの真理ってなーに?
“ 神 様 ”のことだよ。
594 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 04:28
>>592 神が一番近くに居ようが俺が神や仏でないことは事実なんだ。
595 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 04:39
>>594 そうです。神や仏でない事は事実かも知れません。
しかし、神や仏である事も事実かもne
596 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 05:20
>>594さん
もしご気分を害されたのでしたら、謝らせていただきますM(__)M
ただ山の頂上の事をいくらお話しても、自分で登らなければ何も判りません。
そして、行ってない人にその風景を話したところで理解出来ないでしょう。
家から海までの行き方は説明出来ても行かなければ海の青さを本当に知る事は無いでしょう。
山にも大きな山もあれば小さな山もあります。
目的地もどこに決めるのかは自分の選択です。
それだけでもを理解していただければ幸いです。
597 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 05:26
>>596 >ただ山の頂上の事をいくらお話しても
てことはあなたは登頂に成功したってことかい?
598 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 05:27
悟りにしても、解脱にしてもグルという存在がいないとダメです!
ちまたで悟ったようなこといっている人のなかで
本当に悟っている人はいません!
言葉の遊びを繰り返したとしても
それは、なんら利益を得ることはありません!
グルを探さなくてはいけません!
あなたの悟りの想いが本当に 真摯で
清らかであるなら 必ずグルは現れます!
求道心を持つべきです!
599 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 05:28
普段の生活の中で誰でも成功してますよ。
お・ば・〇・3♪
600 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 05:40
>>599 神に対して馬鹿、氏ね、キチガイはないだろー。
601 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 05:47
)))))
σ σ
οノ <600ゲットオメデト!
)))))
σ σ
∇ノ <神様にもイロイロいるからね~
)))))
σ σ
〜ノ <ていうか氏ねとは逝ってないぞぉ!ん、もぉぉぉ!
602 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 05:52
603 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/01(水) 05:58
Λ_Λ Λ_Λ
( __ __) ( __ __) /⌒\
(6 ・ 」・). (6 ・ 」・) ( )
( ∀) ( ∀) | |
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⊂ ) ノ\つ ) ノ\つ ( ・∀・) Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(_⌒ヽ (_⌒ヽ ) ノ ( ・∀・) < そんなアナタも〜
ヽ ヘ } ヽ ヘ } (_⌒ヽ (_⌒ヽ \_____
ノノ `J ノノ `J )ノ `J )ノ `J
Λ_Λ Λ_Λ
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(6 ・ 」・). (6 ・ 」・) ( )
( ∀) ( ∀) | |
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/ __ < / __ < ⊂) ノつ ( ・∀・) < 神様です!
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∠/ ノノ∠/ ノノ ∠ '´ )ノ ∠ '´ )ノ
(^^)/~~~
604 :
555:2001/08/01(水) 09:58
幽体離脱は体験として嘘じゃないと思いますが、
それが即霊魂の存在を裏付けるとは思いません。
NHKの臨死体験の番組に、脳外科の手術中に"見た"人がいました。
脳内の隠し機能、感覚みたいなものかも。
面白いのは、三途の川と日本人が言うが、具体的なイメージではなく文化的解釈でそういう表現になるらしい事。
悟りも、特殊感覚が常時あるとかよびだせるとかなら説明は簡単なのだが。
僕は悟った、なんていいませんよ。言うとウソになります。悟りというのは説明用語で、自らにあてようとするとしっくりこない。もっと自由なものなんです
>>581 >その前後に”煩悩具足の身であるもの、そうでない者”に関する比較記述がありますか。
引用の前後なんかは、引用者に聞くんじゃなく、自分で調べなさいよ。僕は自分の議論に必要十分な範囲を紹介したつもりです。僕は貴方の家庭教師じゃない。歎異抄なんかはどこにでも売っている。図書館に行けば置いてある。高い本じゃない。厚い本でもない。原文だけ拾えば、原稿用紙50枚にもならないでしょう。僕の引用は十五章です。
>若い時、伝え方を知らないで、誤解を招く表現をすることがよくあります。
誤解を招く表現をすることが、誰の場合によくあるんですか? 親鸞ですか? 若いときの親鸞よりは自分の方が正しく仏教を知っているという自負が貴方にはあるようですね。
>親鸞学者なら <僕は親鸞学者ではありません。在野の念仏者です>
>後期の著述を引いて欲しいもんです。 <自分で探したらいかがですか?>
>たぶん親鸞はかなり言葉を選ぶようになっていると思うから、
没後700年後に貴方が地上に誕生することを予想し、700年後に出現する貴方の価値観を予想しながらそれに沿うような言葉を選んでいたなんて、そんなことは無いでしょう。
>うかつに曲解(私の言う、比較表現など)される文章を残さないようになっていると思います。
どういう迂闊な曲解ですか? 迂闊な曲解をしているのは貴方ではありませんか?
>ものごと全般を分けて考えてはいかんとは言ってないよ。
「仏と、仏でない存在、2つ(もしくはそれ以上)について、比較して論じた文章」と仰ったから例示しました。いけませんでしかたか?
>悟りと悟りでないという比較表現をしていないはずと言ったまで。
比較表現の意味がよく分かりませんが、紹介します。
衆生有碍の悟りにて 無碍の仏智を疑えば 曾婆羅頻陀羅地獄にて 多劫衆苦に沈むなり 浄土和讃 宝治二年 作 親鸞七六歳
有碍の悟りとは障碍のある悟りという意味です。迷いのある悟りと言う意味です。悟ったつもりの迷いという意味でしょう。無碍の仏智とは、障碍の無い知恵という意味です。仏が、正しく悟ったところから出してきた正しい知恵という意味でしょう。
分かったつもりになった悟りで、深く悟った仏の正しい知恵を疑えば、地獄に沈んで長い間苦しむよと言っているんでしょう。
釈迦の教法ましませど 修すべき有情のなき故に 悟り得る者末法に 一人もあらじと説き給う 正像末和讃 正嘉二年 補訂 親鸞八八歳
お釈迦様の教えは多少残っていても、末法という時代になるとそれを修行する人はいなくなる。だから、悟りを得る人は一人もいなくなる。お釈迦様はこうお説きになった。
「比較表現」の意味が僕にはよく分かりませんが、対比ということですか。「悟ったつもりの有碍の悟りと、正しく悟ったところから出てきた無碍の仏智」という対比ではご不満ですか?。自分の想像と波長の合わない主張は排除しますか?
貴方は何を仰りたいんでしょうね。
親鸞の考えを勝手に想像し、自分流に決めつけたいですか。現代に悟りは無い。これは親鸞思想の核心部分です。親鸞には親鸞一流の考え方がある。現代でも悟りがあるという人はいても構わないんですよ。悟りがあるという主張が間違っているという訳じゃない。こういう議論は、結論じゃなく、結論に至る思索経路、考え方が大事なんです。思索経路が間違ってれば、仮に言ってる結論は同じでもトンチンカンになる。トンチンカンになれば、宗祖の言ってることが分かってない現代のどこぞの宗派の坊さんと同じになる。結論は違っても、結論に至る思索経路がきちんとしてればいい。道元さんなどは、親鸞の主張と結論で真っ向から対立するかも知れません。結論では真っ向から対立しても、互いは互いの主張を理解し、意気投合するかも知れません。両方とも巨人だと思いますからね。
608 :
555:2001/08/01(水) 14:03
> 「比較表現」の意味が僕にはよく分かりませんが、対比ということですか。
「悟ったつもりの有碍の悟りと、正しく悟ったところから出てきた無碍の仏智」
という対比ではご不満ですか?。自分の想像と波長の合わない主張は排除しますか?
すみません満足です。
自分の言う比較表現とは自己の中の”悟り”か”そうでない状態”かをモニターする
”自己観照”のことを言っています。”自己観照”が即迷いであるといいたかっただけです。
ですんで上記のように”自己の状態”でなく客観的に悟りの”ステージ”を
言われるのは全然かまいません。ていうか非常にいい表現だと思います。しっくりきます。
あなたが、結論は言葉として知っているが、その経路をたぐろうと本を読んで
トンチンカンな経路をたどっているように見えたのでちょっとつっついてみただけです。
ところで道元はどう思います?あなたに言わせれば、
彼の文は飛躍と決め付けの嵐ではないですか?
609 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 14:06
>>608 親鸞ヲタの渡海君に何を言っても無駄です。
>ところで道元はどう思います?あなたに言わせれば、
>彼の文は飛躍と決め付けの嵐ではないですか?
彼のにとって道元はどうでもいい存在なのです。
親鸞仏教のことしか言えない渡海君って、けっこう排他的ですね。
この点で親○会といっしょ。
610 :
名無しさん@1周年:2001/08/01(水) 17:04
親鸞好きなやつは煩悩が強いというか情念が強いやつ
というイメージがあるね。
なんてったって悪人正機だもんね。
611 :
未知の人間:2001/08/01(水) 20:35
555さん
私の体験したことが、幽体離脱かどうかは、私には判らないのです。いわんや霊魂
の存在の裏ら付けなどと、私が言えることではないのです。
ただ、何でもかんでも合理的に脳で説明しようとする多くの人達の意見には正直いって
辟易します。私自身は、霊魂と言うのが妥当かどうか知らないけど、それに該当するような
ものは、あると思っています。でも、それが「何なのか?」は私には解りません。
612 :
未知の人間:2001/08/01(水) 21:21
nanasiさん、その極楽惑星に、私も一度くらい転生してみたい。それで、極楽を
悟りたい。「こっ、これが極楽かーーーっ」って。まあ、何転生かければ行ける
のかは大いなる疑問である訳ですが。(笑)
あと、先日紀伊国屋で「パイドン」入手しました。「自省禄」は見つからなかった。
まだ、読み終えてはいないけど、価値の有る本を紹介してくれたことに、御礼を言わせて
頂きます。(同時に、個人的なやりとりにこの場を使ってしまう無礼を他の人達にも、
お詫びします。微力ながらもこのスレにこれからも貢献しますので・・・スマンせん)
>>608 >トンチンカンな経路をたどっているように見えた
あれっ??。 トンチンカンな経路をたどっているように見えました?。 まあ、いいでしょう。見え方は人によってそれぞれですからね。
>客観的に悟りの”ステージ”を言われる
悟りのステージ??。悟りのステージって??。
>ところで道元はどう思います?あなたに言わせれば、彼の文は飛躍と決め付けの嵐ではないですか?。
貴方はどう思いますか?。
僕にとって道元は遠い存在です。僕は親鸞で手一杯です。
三十年ぐらい昔、正法眼蔵随聞記は読んだことがあります。そのときはあまり印象は残らなかった。今なら、読んでも多分かなり分かると思いますけどね。学生時代にはあまり残らなかった。
総持寺(曹洞宗 横浜)の座禅会にはしばらく行きました。直に腰を痛め、一方でもう禅は分かったという気分にもなったもんだから、それからは敷居も高くなりました。短い期間だったけど、総持寺での坊さんの話はそれなりに肯けてくるものがありました。例えば、あるとき「末法は無い」という話をしていました。「そうだ、そうだ。末法は無い」。部屋の隅で話を聞きながら、僕はそんな風に頷いたものですよ。
末法はあるとい言ってもいい。末法はないと言ってもいい。結論はどっちでもいい。座ればそのまま悟りじゃないか。そう言われれば「そうだ。そうだ」と僕は同調するんですよ。「末法は無い」と言ってもいい。「悟りはある」と言ってもいい。これは別に飛躍でも決め付けでもない。議論の立っている場、筋道が違うだけです。
じゃ、お前はどっちを選ぶのかと言われれば、僕は親鸞の筋道を選びます。なぜなら、親鸞さんが僕を気に入ってくれて、手放してくれないんですよ(笑)。
614 :
匿名希望:2001/08/01(水) 22:16
親鸞様でも道元様でもよいのですが。
で、御利益ありました。親鸞様の筋道で
615 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 01:39
>>613 私は親鸞上人や浄土教については、一般社会人程度にしか知らないので、渡海難さんの論自体を
判別するすべはありません。ただ、渡海さんの文章を見ていると、以前某博物館に展示してあった
教行信証の原本を思い出さずにはいられませんでした。もちろん御存知かと思いますが、筆で書いたとは
思えない小さな字が帳面ビッシリとあり、しかも書いては消し修正しては直し、その上ちまちまと注釈
は書き込んであるはで、今夜は悪い夢を見るんじゃないか、と私は大変なショックを受けた事があります(笑)。
「世の中にはホントにこーんな<悪人>がいるんだぁ。私はやっぱり世間知らずだったのね。うーん、浄土真宗
て絶対<いる>わぁ、、、」と。しかも隣がよりによって、正法眼蔵の原本だったので、それは見事な対称振りに
ちょっと笑っちゃいました。
それから、別の浄土系スレでも一度見たのですが<渡海難・注意書き
>>525>てございますでしょう?
前後関係を全く知らない私なんかからしますと、「これって、愚禿親鸞マンマじゃん!!」と、
もう嬉しくてたまりません。どうして誰も気づかないのか、不思議でしょうがないんですよネ(笑)。
以上、何の<文献的・歴史的根拠>もない話ではありますが、渡海さんのおっしゃるよう
「親鸞さんが僕を気に入って手放してくれないんですよ(笑)」というのは、まごうかたなき真実だ、
と直感する者が、ここに一人おりますことを、お伝えしたく書き込みした次第です。
行きますか、佐渡へ!!
、、、私はイヤよ(笑/と、いうわけで今回匿名希望で、失礼致しましたぁ)。
616 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 02:24
「、、、だから、こういうことだって言える<宗教とは、頭の悪い人間によって汚されてしまった、
合理的で明晰な思想のなれの果てでもある」と。
こんなことを言えば激怒する宗教関係者はいくらでもいるかもしれないが、
<そういうこともありうるのだ>という考え方をしない限り、宗教はこの先、<ただのどうしようもないもの>
になってしまうだけだろう。世の中には「自分の頭でちゃんとものを考えられるようになりたい」と思っている
人間はいくらでもいて、そういう人を励ますということになったら、結局その声は<宗教>になるしかないからだ。
宗教というものが、そういう<人に語りかける愛情>であることを忘れない方がいい。
<愛情だからこそ宗教>だったりもするのだ。
いつまでも混濁した思想を「正しいから信じろ」なんてことを言っていると、
愛情を必要とする人間に<必要な愛情>が届かなくなってしまう。
オウム真理教の<混濁>は、そのことをストレートに語っているのではないだろうか。」
(宗教なんてこわくない!/橋本治)
渡海難さんの論は私には全く意味不明ながら、もしかして親鸞の背後霊を除いた
渡海さん自身が言いたいのはこういう事なんじゃないかな?と感じたのですが、、、
とはいえ、<独断的・妄想的思い込み>だったらごめんなさい(笑)。
あ、最後の所はもちろん、お寺関係・親鸞会他に置き換えて!
617 :
キリスト:2001/08/02(木) 02:57
悟りとは、内なる本当の父親に全てを委ねたような状態です。内なる本当の父親とは、主であり、創造主であり、神であります。悟りとは、その事実を頭で理解するのではなく、身体で理解することなのです。しかしその為の方法論はありません。なぜなら全てを神に委ねなければならないからです。そしてその時、自分が神の一部であることに気がつくのです。これが人間の言う「悟り」であると私は信じていたいと思う。
618 :
nanasi:2001/08/02(木) 03:16
河合隼雄がある仏教学者との対談の中で、
「もし本当に覚りを開いた人がいたとしたら、
周りの人間は大変不幸な目にあっている、と思いますね。
お釈迦様がそうだったのではないでしょうか。」
と、暴言(!)を吐いてました。
(まぁ当然あの方の事ですから、それでもやっぱりお釈迦様はエライ!と、
仏教学者の心を傷つけないよう(笑)巧くまとめておりましたが、、、)
何となくそうだろうなぁ、という気はするのですが、
そこら辺の構造(?)を、説明できる方いませんか?
>>614 >御利益ありました。親鸞様の筋道で
質問ですか?。御利益ですか?。
あるんじゃないですか?。親鸞さんがこれだけしつこくつきまとってくるということは、親鸞さんは、浄土真宗の坊様達に相当、愛想を尽かしているんでしょう。今後の僕に、かなり期待しているということでしょう。
僕につきまとえば、親鸞さんにとっては自分に御利益があると、親鸞さんは自分で信じているんでしょう。僕からみて親鸞さんは他人です。他人の気持ちは測り知れませんけどね。詳しいことは親鸞さんの道筋にいる親鸞さん本人に聞いてくださいな。
620 :
名無しさん@1周年:2001/08/02(木) 10:47
むずい
621 :
彼岸華:2001/08/02(木) 13:54
他力の行は自力の行。
行ある処に他力無し。
622 :
匿名希望:2001/08/02(木) 20:51
義なきを義とす。 無義
自然法爾
弥陀佛は自然のやうを知らせん料なり
即得往生住不退転
道元様も親鸞さまも、さしたる違いは無いように思います。
方法論は違いますが。
623 :
匿名希望:2001/08/02(木) 20:54
自力の宗教はありません。
禅宗でも自力で悟れとは申しません。
他力と行とは矛盾しません。
624 :
615:2001/08/03(金) 00:56
そういえば、同じ陳列ケースに入ってました(笑)。
625 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 01:16
どっちにしろあの二人の性格だと、インドじゃ大変だろうナ、、、
626 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 02:36
(ブッダの教えとは?)
「神話もいいけど、もっと冷静になろうぜっ!」
(大乗とは?)
「それじゃあ絵になりませんよォー、ディレクター」
by みうらじゅん
627 :
彼岸華:2001/08/03(金) 03:11
無我即ち相対無。
相対無本来絶対無。
628 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/03(金) 03:16
>>614 ご利益を求めての信仰するというよりも、何か一つの事をやり遂げた時結果的に身に付いて来る副産物がご利益とか徳とか呼ばれるものなんじゃないのかな。
ホラいるじゃないエロ画像集めているうちにパソコンにやたら詳しくなっている人とか。
>>618 何となく判ります。
それだけ巨大な自負に満ち溢れれるか、赤ん坊のようにpureになるかって事なのかも知れませんね。
狂気かpureそこまでいきつくとき人は何を見るかということなのでしょうか。
良し悪しを別として、ある意味、渡海 難先生を見ているとふとそう感じるときが有ります。
>>619 >親鸞さんは自分で信じているんでしょう。僕からみて親鸞さんは他人です。他人の気持ちは測り知れませんけどね。
>詳しいことは親鸞さんの道筋にいる親鸞さん本人に聞いてくださいな。
凄いですね、文面そのまま受けとってよろしいのでしょうか。
それとも哲学的に解釈した方がいいのでしょうか。
>ホラいるじゃないエロ画像集めているうちにパソコンにやたら詳しくなっている人とか。
エロ画像集めているうちにパソコンに”やたら詳しく”なれるとは思えません。。。
630 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ :2001/08/03(金) 05:38
>>629 (゚д゚)ウマー
(゚д゚)( ゚д゚)ウマー (゚д゚)ウマー
(゚д゚)(゚д゚)(゚д゚)ウマー (゚д゚)(゚д゚)ウマー
(゚д゚)(゚д゚)ウマー (゚д゚)(゚д゚)(゚д゚)ウマー
|// (゚д゚)(゚д゚)ウマー
| |//
| カタイコトユーナヨ ! /
| ∧ ∧ /
| (,,・∇・) / ⊂,'⊃
| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~|
| |ふぁんたじー|
| | 号 _|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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⊂⊃ /\ ⊂⊃
/⊂⊃ \/ \ /\ ⊂⊃ /\
〜〜〜〜 \ \ /\/ \
/ / \
現代では、もう、悟りはない。親鸞はこう言います。親鸞の主張の根拠を考えてみたいと思います。親鸞がいう根拠は、悟りに至るプロセスが無くなったということです。釈迦の教えは残ってるんだけど、それを修行する人がいなくなるから、悟りを得る人は一人もいなくなる。親鸞はそういます。それでは、道元禅師はどうなのか、白隠禅師は悟ってないのか。こういう批判が出てくるでしょう。道元禅師も白隠禅師も悟ってない。親鸞はそう応えるでしょう。親鸞が主張する根拠を聞けば、道元さんも白隠さんも反対しないでしょう。親鸞の主張の根拠を探って行きたいと思います。
仏教は、悟りについて二種あると考えています。小乗の悟りと大乗の悟りです。大乗仏教が問題にするのは大乗の悟りです。大無量寿経というお経を引用します。
「設(たと)い我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽(しんぎょう)して我が国に生まれんと欲(おも)うて、乃至(ないし)十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。
「仮に基礎段階の学習を終了し、自分としては個人的に真理の一端が認識でき、お陰で人々から尊敬を受けられる指導的立場の人(仏)になっても、私の目標はそこで終わるものではない。私は教育者をめざす。自分の得た認識を人々が共感的に享受し、社会の共有の財産としてくれることがない限り、あるいは人々が自らの認識を改め、私と共通の認識界に立ちたいと思ってくれることがない限り、私は教育者として、自らの目的を達成したと自らを信じる(正覚)ことはないだろう。」
「たとえ仏を得んに」とは、「基礎段階の学習を終了し、個人的には真理の一端が認識でき、お陰で人々からは尊敬を受る指導的立場の人(仏)になっても」という意味でしょう。小乗の仏と言っていいでしょう。
「十方衆生」とは「人々」という意味です。「十方」とは、東・西・南・北・南東・北東・南西・北西・上・下です。東方の人とは過去の人々。西方の人とは未来の人々。南方の人とは活動している人々。北方の人とは休息している人々。上方の人とは上位の人々。下方の人とは下位の人々。そう考えてもいいでしょう。
心を至し信楽してとは、真剣にという意味で解せばいいでしょう。親鸞の解釈に縛られずに原義で考えたいと思います。我が国に生まれんと欲うとは、同じ世界観、認識観を得たいと思うということでしょう。乃至とは少なくともという意味です。念とは、恐らく1日あるいは半日を単位とした時間的概念だろうと僕は思っています。ここでも法然・親鸞の解釈に縛られず、古代の原義で考えたいと思います。生まれるとは、新たな人格の誕生を意味します。新たな人格の誕生は、認識世界が変容することで生じます。それまでの誤っていた自分の認識を改め、先生と共通の認識を得たいという認識を持つということです。教育者は、生徒のそのような認識変化がない限り、初期の目標の達成はありません。正覚を得じとは、教育指導者として目的を達成したと自覚することはないという意味でしょう。
大乗仏教は、基本的にはこのような考えを持っていると考えていいと思います。これに対する親鸞のアプローチを考えていきたいと思います。
633 :
大きなお世話:2001/08/03(金) 20:08
634 :
名無しさん@1周年:2001/08/03(金) 20:10
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| 渡海難は無視 Λ_Λ いいですね。
|| \ (゚ー゚*)
||________⊂⊂ |
∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧ ( ∧ ∧ ( ∧ ∧ | |
〜(_( ∧ ∧ __( ∧ ∧__( ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_( ∧ ∧_( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
635 :
未知の人間:2001/08/03(金) 20:37
渡海さんにお尋ねしてもよろしいでしょうか?
仏教の原点と言うものがあるとしたら、それはどんなものでしょうか?
その原点からして、宗派の違う仏教者の間では、食い違いはあるのですか?
また、宗教の分裂は多くとも、統合は何故非常に少ないのでしょうか?
仏教史のなかで、釈迦の悟りを超える悟りを得た者はいたのでしょうか?
あなたのレスに関係ないような質問ばかりで申し訳ないのですが、よろしければ
都合がつくまで待ちますので、お答えください。
636 :
:2001/08/03(金) 20:53
>>635 >あなたのレスに関係ないような質問ばかりで申し訳ないのですが、よろしければ
>都合がつくまで待ちますので、お答えください。
「レスに関係ないような質問」って言ったって、向こうはスレの内容に関係なく勝手に持論を述べてるだけなんだよ。
ほっとけ。
>>635 名前:未知の人間
>仏教の原点と言うものがあるとしたら、それはどんなものでしょうか?
原点と言えば出発点でしょう。仏教の出発点はお釈迦様の三五歳の時のお悟りです。これは十二因縁の法理と呼ばれています。十二因縁の法理こそ、全仏教の原点であり、十二因縁の法理を学ばない宗派があれば、とても仏教とは言えないでしょうね。
>宗派の違う仏教者の間では、食い違いはあるのですか?
議論の重心の置きどころが違うと、議論の流れが変わってきます。議論の流れが変わってくれば結論も違ってきます。結論が違っていれば、初心者の前で並んで話をするときに互いの折り合いの悪い部分もあるでしょう。ただ、お互いの見解を丁寧に聞いていけば、相違する表層の背後に、実に壮大一味の世界があるものです。
食い違っていると思えるのは、自分の無知が原因という場合も多いにあるかも知れませんね。
>宗教の分裂は多くとも、統合は何故非常に少ないのでしょうか?
統合する必要を感じる人がいなければ統合しないんじゃないですか。宗派などは所詮人間の集団ですから。
>仏教史のなかで、釈迦の悟りを超える悟りを得た者はいたのでしょうか?
二つの考えを並立的に考える必要があるでしょう。
ひとつの考え方。
全仏教徒の全ての悟りは、釈迦の悟りを超えています。また、超えていなければいけないでしょう。仏教徒の全ての悟りは、釈迦の悟りを原点とし、そこから発展しています。根は樹木の地盤にあり、幹も枝葉も全て根よりも高いところにあります。根よりも低いところにある枝葉は腐敗した枝葉です。
別の考え方。
早稲田大学からは大隈先生を超える教育者は出ないでしょう。慶応大学からは福沢先生を超える教育者は出ないでしょう。創立者というのは、余人に代えられない存在です。
お釈迦様は仏教の教祖として、全仏教徒にとって余人に代えられない存在です。仮にお釈迦様を超える教育者が出現しても、その教育者はお釈迦様に教わって成長したお釈迦様のお弟子さんです。お釈迦様を超える教育者であればあるほど、その方は先人であるお釈迦様を深く深く尊敬することでしょう。お釈迦様を深く尊敬すれば尊敬するほど、自分はお釈迦様などの足下にも及ばないという自覚に限りなく目覚めていくことでしょう。
639 :
nanasi:2001/08/03(金) 23:40
こういう風なお話しを、
時々でいいから(笑)、
していただけると、
うれしーぴょん!
640 :
nanasi:2001/08/04(土) 00:41
ホーキング博士がある宇宙物理学者との対談の終わりに、
(「最後に個人的な質問を一つお許し下さい。あなたは<過去の記憶>をお持ちでしょうか?」)
「それが<昔の思い出>というのを指すのでしたら、私にはありません。」
と、爆弾発言(!)をかましておりました。
何となくそうなんだろうな、という気はするのですが、
そこら辺の構造(?)を、説明できる方いませんか?(まただ、、、)
ちなみに、<ある宇宙物理学者>さんの述懐によりますと、「この世界に身を置いていると、天才と呼ばれる人物
に少なからず接する機会を得たが、鉛筆一本使わずに(そりゃそーだ!)レポート用紙16枚に及ぶ数式を証明して
みせたのは、彼だけだ。」とのことでした。
(宇宙の<構造>についての、物理学的説明は別に結構ですんで、、、こないだディスカバリーchで特集やっとりましたから(笑)
始まりもなく終わりもない、トカナントカ。)
尚、ホーキング博士が唐突すぎるようでしたら、「なぜクリシュナムルティは<過去の記憶>を欠いていたか?」
でも質問自体はかまいません。
ヒントは<時間認識>にあるはずだ、とは思うのですが、、、これが私の限界なんですぅ(泣)。
少しぐらいは仏教用語がまじっててもなんとか理解すべく頑張ってみますが、
いきなり「無我じゃ!」とかいうのはカンベンしてくんろ(笑)。
、、、いや、それも楽しくていいかもネ!(笑)
641 :
緊急:2001/08/04(土) 00:47
「悟り」開ききっちゃってもう閉じないんです。
誰か助けて下さい。
642 :
名無しさん@1周年:2001/08/04(土) 02:16
>641
「(悟り開いたから)誰か助けてください。」って、そ、そんなぁ(爆笑)。
でも、なんか緊急な感じは確かに致しますので、、、
何でもいいからゆっくりめに体を動かして、その動きのひとつひとつに
出来るだけ細かくチェックを入れていく、というのは無理ですか?
もし外出できるのなら、そうやってなんせ体の方に意識を置きつつ
コンビニでおにぎりでも買って満腹してみる、なんてーのもいいかもネ、、、。
それも無理なら、「動揺してます」「あせっています」「恐怖を感じています」とか
今の御自分の気持ちに一番近いセリフを簡単に言語化しながら、あなたの意識そのものを
出来るだけ客観的に観察してみてはいかがでしょうか?なるべくその気持ちに対する反省というか
判断はしないようにね。ただ見てるだけ。そんだけ。
では、緊急さんの心が幸せでありますように。
安らかな眠りにつけますように。
おやすみなさい。
643 :
nanasi:2001/08/04(土) 03:11
>628
なるほどなるほど、、、御返答感謝です。
「悟り」というのは、どこかで「あなた人間やめますか?」な部分があるのかもしれませんね。
(そんな事を思ってましたら、上で緊急さんが困っておられてちょっと驚きました/笑)
渡海さんの事は「隠れファンです」としかよー言いませんが(笑)、親鸞の直筆を見た時は
「この世では救われない魂って本当にあるんだなぁ」とそれはそれは衝撃を受けましたね。
そうした人がそれでも生きていく方法論としての<浄土真宗な悟り>を認める事自体は、
私は特に抵抗はないつもりですが、、、実際の周りのモンにはやっぱりキツイ悟りでしょうな。
キツイといえば道元も相当だし、、、あの二人に共通する<潔癖症>って、ちょっと私には不思議な気がしますです、ハイ。
弟子筋に至ると、どんどん体育会系になってくるところも、なんか理解を超えるトコあるし(笑)。
まぁ渡海先生もおっしゃるよう、大衆の不幸は正に多様だって事なんでしょうかね。しんみり。
644 :
通りすがり:2001/08/04(土) 19:17
>>631 >>632 弥陀の十八願の様ですが、幾分解釈が違っているような気がします・・・
浄土真宗の僧侶の方!原文の解釈をお願いします。
645 :
未知の人間:2001/08/04(土) 20:51
海渡 難さん
丁重なレスをどうもありがとうございました。
仏教の出発点は、まず、縁起の法であるということは私にも分かりますし、そう思います。
しかし、十二因縁などは、どこまで学べばいいのでしょう?10界的な見方で言うと、
声聞は文献などを読んだり、説法を聞いたりしながら六道輪廻の虚しさを悟る。
縁覚(独覚)は自ずから様々な出来事の中から、関係性をみいだして縁起と言うものの実感
を得て悟っていく。そして、その上の菩薩になれれば、もう、縁起の法の会得は、取り敢えず
完成したということでしょうか?でも、まだ上に仏と言う段階がある。
私は、このスレに来るようになって、悟りというものがよく分からなくなってきた。
かつては、先の10界の中の仏のレベルまでいくのが、悟りなのだと思っていたのだが、
海渡さんの言うように、全ての仏教者が御釈迦様(仏陀)の悟りを超えている。
また、超えていなければならない。ともある訳だし、このスレの方々も悟るのは誰でも
悟れるなどとも言っている。この悟りも(仏陀)の悟りを超えているのでしょうか?
ならば、仏陀が沢山いる現代なのだろうか?しかし、私は思う。仏陀の悟りを得たので
あれば、仏陀のような、神通力をを使えるはずだろうと思う。その実力を実証できなければ
仏陀ではないと思う。神通力は後世のものが、お釈迦様を神格化する為にでっちあげた話し
であるとも思えないのです。
645 名前:未知の人間
>十二因縁などは、どこまで学べばいいのでしょう?
どの程度ならダメとか、どこまで学べばいいという問題ではないと思いますよ。縁起の法は、いわば直感の世界でしょう。
縁起の法は単語が十二個並びます。単語を十二個も並べるとどうしても理屈っぽくなりますが、大事なのは最初と最後でしょう。最初は無明、最後は生・老病・死となります。つまり生・老病・死の原因は無明にあったんだという認識、これが縁起の法の骨格だと思います。
人は絶えず意思と行動を変えます。有頂天だった者が、次の瞬間に鬼畜となり、次の瞬間には真人間に戻る。翌日には地獄の底で塗炭の苦しみを舐める。そういうことはしばしばあります。鬼の心で鬼の行動をとる者を鬼と言います。ケダモノの心でケダモノノ行動をとる者をケダモノといいます。人は、人間の仮面を被っていても、絶えず意思と行動を変え、地獄界から天界の間を振幅します。
意思と行動が変れば、古い人格が死に、新たな人格が誕生します。一定の意思・行動が継続している間にも、蛇行し、中断し、疲弊します。再起(生)、中断(病)、疲弊(老)、挫折(死)をくり返します。
「馬鹿だった。馬鹿だった。オレは馬鹿だった」。有頂天だった者はしばしば過去を後悔します。鬼畜もしばしば過去を後悔します。後悔しても後悔しても、人は繰り返し有頂天になり、鬼ケダモノに戻ります。何故でしょうか。馬鹿だからでしょう。愚かだからでしょう。本当の真実が全く分かってないからでしょう。人は、再起(生)・挫折(死)・再起(生)・挫折(死)を繰り返します。迷いの根元は無明にあった。これが釈尊先生の三十五歳のときのお悟りだろうと思っています。
迷いの根元は我々自身の底知れぬ愚かさにある。これは大変なことだ。互いに真実を学び合おう。教え合おう。我々自身が自らの愚かさに目覚めれば、実に様々な者が我々に向かって真実を教えてくれている。西洋で、ソクラテスから無知の知を教わったプラトンは、西洋で最初の学校アカデミヤを創設します。自らの無明に気付いた釈尊先生は、祇園精舎を創建します。仏教とは、釈尊先生のこのような自覚に始まった教育学習運動だろうと思っています。(続く)
647 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 08:43
>>646 十二縁起は確か、落下のプロセスが12あり、上昇のプロセスが
12あると思うのですが、そうすると、無明から始まり、
解脱で終わると思うのですが・・・
お教えくださいませ。
>落下のプロセスが12あり、上昇のプロセスが12あると思うのですが、そうすると、無明から始まり、解脱で終わると思うのですが
これは本当に確かなことですか? 確かであるという根拠を示してください。
あなたが仰る落下のプロセスとはどのようなものでしょうか?上昇のプロセスとはどのようなものでしょうか?
あなたが仰る無明・解脱とはどのような概念でしょうか?
>>644 名前:通りすがり
>幾分解釈が違っているような気がします・・・ <どのように違っている気がしますか?>
650 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 09:12
>>648 釈迦が説いた十二縁起は、確か無明、行、識、名色、六処、
触、受、愛、・・・
以上が落下のプロセスで、以下が落下のプロセスです、。
悩、信、覚醒、悦、喜、軽安、楽、三昧、・・・解脱。
根拠と言われましても、仏典を読めばわかると思いますよ。
無明とは、色々な観点から言えるのですが、
真我の独存の状態が、無知ゆえに、落下していく状態とも言えますし、
私たちの、身、口、心の悪業により、純粋なわたしたち、
つまり、真我を見ることができなくなった状態とも
言えると、思います。
651 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 09:27
>>650 具体的な経典の名前を挙げていただけると有難いのですが。
652 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 09:28
>>648 解脱とは、涅槃のことだと思います、最終的には。
解脱にも色々あって、真解脱などの、段階もありますが。
真我の独存の状態。全ての煩悩を滅した状態です。
653 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 09:34
>>651 う〜ん、具体的な名前は今手元にないんで、わからないんですが、
仏典も、サンスクリット語から、中国語に英語から、日本語って
パターンもあって、かなり捻じ曲げられてますからね。
色々、読んだほうがいいと思います。
あと、今日本に伝わってる、仏教は仏教とは言わないので、
参考にしないほうがいいと思います。
昨日も、他のスレでおっしゃてた方がいましたが、
釈迦は、先祖供養しろ、とわ言ってないですからね。
>>650 >釈迦が説いた十二縁起は、確か
「確か」なんて、こんな程度でもう、そんな自信のないこと言いなさんな。
>無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、・・・
それで、このひとつひとつにはどういう意味があるんですか?意味はないんですか。呪文ですか? 貴方はこの一つ一つを、どういう意味だと思っているんですか?
>以上が落下のプロセス
落下のプロセス?? 済みません。仰っている意味がわかりません。簡潔に分かりやすく言ってください。何がどこに落ちていくんですか。落ちていく主体・落下前、落下後の位置。落下エネルギー、これらは一体どのような概念ですか?
自分が思っている事は全て正しい。自分が思っている事は相手は自ずから全て分かる。自分が曖昧なところもたちどころに相手は理解する。なぜなら自分の主張は正しいから。渡海は頭がいいから。勝手にこんな風に思い込みなさんなよ。僕を買いかぶりなさんなよ。冗談じゃないよ。
>で、以下が落下のプロセスです、。 「落下」は「上昇」の誤記?
> 悩、信、覚醒、悦、喜、軽安、楽、三昧、・・・解脱。
仰っている意味がさっぱりわかりません。何の呪文でしょうか?簡潔に分かりやすく言ってください。
>根拠と言われましても、仏典を読めばわかると思いますよ。
>う〜ん、具体的な名前は今手元にないんで、わからないんですが(
>>653)
>仏典も、サンスクリット語から、中国語に英語から、日本語ってパターンもあって、かなり捻じ曲げられてますからね。色々、読んだほうがいいと思います。
おい、おい。僕に何を読めと言ってるんですか?
それで、貴方は読んだんですか。読んでどう分かったんですか?
自分は読んでない。自分は読んでも分からんが、お前が読めば分かる。お前が読んで、今自分が思っている所を適中させ、他人が言っていることを俺に説明しろなどと、こんな馬鹿なことを要求してるんじゃないでしょうね。僕は神様じゃないんだよ。
>無明とは、色々な観点から言えるのですが、
色々な観点から言えるなら、貴方の思いを言ってみてくださいよ。
>今日本に伝わってる、仏教は仏教とは言わないので、参考にしないほうがいいと思います。(
>>653)
それで貴方は何が言いたいわけ??
>真我の独存の状態が、無知ゆえに、落下していく状態とも言えますし、私たちの、身、口、心の悪業により、純粋なわたしたち、つまり、真我を見ることができなくなった状態とも言えると、思います。
ナンダ?コレハ? ちんぷんかんぷんじゃわい。宇宙人の呪文を称えれば、自分は分からんが、自分を通り越して相手は分かるだろうなどと思わないでくださいよ。僕は宇宙人じゃないんだよ。 (笑)
>釈迦は、先祖供養しろ、とわ言ってないですからね。
なるほど。それで釈迦は何をしろと言っていたわけ? 呪文ではなく、貴方の言葉で日本語で教えてください。
>>652 >真解脱などの、段階もありますが。
真解脱?? それじゃ嘘解脱というのもあるの? 解脱ってナーニ?
>真我の独存の状態。全ての煩悩を滅した状態です。
あちゃ。これも宇宙人の呪文だな。ちんぷんかんぷんだ。こんな呪文が誰に分かるんじゃい? (笑)
658 :
名無しさん@1周年:2001/08/05(日) 19:51
2chで書込みすればするほど開きかけた悟りが1歩づつ閉じていきます。
これほんと。
660 :
未知の人間:2001/08/05(日) 20:02
海渡さん
またしても御丁重なレスをどうもありがとうございます。
仰ってくれることはよく分かります。これなら、入門者にも有り難い解説です。
でも、私もこの事に付いて(縁起の法)もっと勉強する必要があるし、レス
の最後に(続)となっていたので、割り込みは控えていようと思います。
661 :
未知の人間:2001/08/05(日) 20:39
659様
問題なのは分かります。でも、問題のない人はいないとおもうのですが?
問題があるから、皆さんも書き込んでいらっしゃるのではないですか?
確かに、色々な人が色々な目的で書き込んでいる訳だし、悟りにも修行にも
色々なものとレベルがあるのでしょう。私もここで色々と質問をしてきましてが、
まともに答えてくれてるレスが少ないのです。
私のような入門者を相手にするのは面倒で同レベルの人同士で意見交換したい
と言うのは分かりますが、それなら、無視するなり見ないようにするなり、対処
法はあるはずです。「気に入らないから追い出してしまおう」と言うのでは、少々
大人気ないような感じを受けます。
ここは誰でも自由に書き込めると言う利点はありますが、統制の取れない場でも
あるため、混乱は必至です。環境としては受け入れざるを得なくても、自分としては
受け入れなければいいのではないかと私は思うのですが。
662 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 00:29
663 :
nanasi:2001/08/06(月) 02:25
>661
昨日は事情があってアクセス出来ないでいたら、こんな事になっていましたか、、、。
いつもの如く冷静に対応なさっておられる、未知の人間さんには感心することしきりです。
、、、661は正に正論中の正論であり反対意見を述べるものではないのですが、、、私が初めて
書き込みした時の事覚えていらっしゃいますでしょうか?何なんでしょうね、あの<傷つきやすさ>は。
無視出来る人は中傷なんてしないですよ。それが出来ない自分の脆弱性こそ、もう少し積極的に
受け止められないモノかと私なんぞは思いますが、、、まあそれが無理なんでしょうね(笑)。
いいではないですか、未知さんが見ないふりをして、聞きたいことをこの際遠慮なくお願いしてみれば!
未知さんがなさる、まともな質問には、まともに答えて下さるではありませんか!!その間に邪魔が入ったとて
今更<傷つく>よーな方ではないと思いますですヨ、渡海さんは。なんせ<愚かなハゲ>って自分で名乗るような
イヤーーーーーーーーな御方がバックについてるんですものネ!(笑)。
664 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 02:28
無欲、死
665 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 02:37
>663
傷つきやすいのはオマエ
666 :
nanasi:2001/08/06(月) 03:12
それにしても、どうして誰も641の緊急さんを助けてあげないのでしょうか?
「そんなの<悟り>じゃない」としても、それなりの書き込みをしてきた方なら
それなりに通ってきたはずの危機的状況だと思うんですけどねぇ、、、。
違うのかな?
、、、なーんだやっぱり違うのかぁ(笑)、、、と、いうことです、未知の人間さん。
(645下から5行目参照。いまだにコピペが出来なくて/笑)。
と、いうわけで、安心して下さい!ブッダの覚りとここでのソレは別物ですってば(笑)
勿論、だから無意味だとは、私は決して思いませんけどね。
ものすごく生きづらかった人が、最近少しましになったとしたら、それはそれでその人なりの
<悟り体験>があったと解釈しても別にいいんじゃないのかな?と考える私は普段から大変アバウト
な性格の輩です(笑)。
667 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 03:24
>665
「投影」はよくないよぉー、チミー。
668 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 03:37
「投影」の「投影」と思われ。
669 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 03:43
>668
残念、それが人格障害でした。
670 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 04:13
ますたーべーしょん
671 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 04:16
べすたーまーしょん
672 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 07:20
渡海様
申し訳ありません。あなたのプライドを傷つけるつもりはありませんでした。
どうぞ、お許し下さいませ。
「確か」と書きましたのも、曖昧だったからではなく、
あなた様のプライドを傷つけたくない、とゆう配慮からでした。
誤解なさらないで下さいね。
私もお聞きしたいのですが、渡海様は十二縁起の最初と最後、
無明と生老病死、が重要とおっしゃてましたが、
では、その間をどう解釈してますか?
私は、仏教を学ぶものとして、無明、行、識、と
当たり前のことのように書いてしまい、ご理解出来なかったのですね?
この場で説明するのは、とても長くなるので、避けたかったのですが、
それでは、落下のプロセスについて説明いたします。
もともと、私たちの真我は独存の状態にありました。
つまり、唯我独存ですね。絶対の平安状態にありました。
そこは、時間もなく、もちろん、肉体もありません。
その真我に、3つの根本煩悩が干渉したんです。
それで、真我は、判断を誤り、自分が絶対平安の境地にいるにも
関わらず、苦に至るプロセスを進んでしまったんです。
これが無明です。真我の独存は、ニルヴァーナとも、涅槃とも言います。
673 :
672:2001/08/06(月) 07:33
次は、行ですね。
行とは、読んで字のごとく、動くとゆう意味です。
行には、心、口、身の3つがあり、
考え、話、動くことです。
ヨーガで言うところの、コーザル世界などで、
心、口、身で経験を始めてしまうんです。
この、経験をしていく段階が六識です。
名色とは、五蘊のことです。
(念のため、五蘊も書いときますね!色、受、想、行、識のことです。
これも、呪文と言われそうなので、簡単にいうと、色は肉体、受は感覚、
想は表層意識、行は深層意識、識は判断のことです。)
六処は、名色が具体化するだけですが、
目、耳、鼻、口、触覚、意識のことです。
このように、全てを説明すると、とても長くなってしまうので、
ご自分で調べて欲しかった、とゆうのが本音です。
すみませんでした。
しかし、呪文ではなく、全てに意味があるのです。
しかし、十二縁起の一つ一つの説明は、ここでは省略させて頂きます。
674 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 07:49
悟りとは、カトリック信者になる事です。
マジで。
675 :
672:2001/08/06(月) 07:54
>落ちていく主体・落下前、落下後の位置。落下エネルギー、これらは一体どのような概念ですか?
これも、一つ一つお答えいたしますね。
まず、主体は、真我です。落下後の位置は、その真我によって違いますが、
人間の世界かもしれませんし、天界かもしれません。
つまり、そこから、苦しみの輪廻が始まってしまったのですね。
落下のエネルギーは、根本煩悩(根本意識)の、貧、怒、無知です。
>なるほど。それで釈迦は何をしろと言っていたわけ? 呪文ではなく、貴方の言葉で日本語で教えてください。
仏陀は、輪廻を超え、解脱し、涅槃しなさい、と言いました。
そして、その修行法を残してくださいました。
>真解脱?? それじゃ嘘解脱というのもあるの? 解脱ってナーニ?
解脱にも、色々な段階があります。離解脱とか。
真解脱は、十二縁起でいうと、如実智見にあたります。
嘘解脱はないと思いますよ。
これで、おわかり頂けましたでしょうか?
小乗仏教に寂静を得るための修行法があると思いますが、それを行うと、
怒りが生起しなくなるのではないでしょうか?
676 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 09:25
>>659 拝見させて頂きました。
また、別スレの渡海様のレスも拝見させて頂きました。
あなたは、仏教ではなく、日本の変な宗教に入ってますね?親鸞は完璧な悟りを得てません。仏陀の経典を勉強しましょう!
677 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 09:27
>>676 渡海に「様」付けは不要です。(皮肉であろうがなかろうが)
678 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 09:28
渡海難の書き込みパターン。
1 あるスレに突如として乱入。「最初は〜について教えてください」と学習するのを装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「親鸞会ですね」(このパターンが多い)か、「お坊さんですね」と親鸞会や寺批判で逃げ、誹謗発言をする。
6 それに対する反撃の後、4〜5、もしくは3〜4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 開き直って「私は悪人です。私の言うことなんて……」と卑下発言。もしくは「仮説」に逃げる。
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をしてその顛末を浄土通信に掲載し、さらしage(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がり他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。
※補足 やり取りの合間に野次馬が浄土通信に来るのでアクセスが上がるが、大抵、その内容のアホさにあきれて二度と来ない。
679 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 12:37
渡海難て浄土通信でカンパのお願いなんてやってんのか。
悟りなんかほど遠いよ。
>>1 物事はすべて移ろい行くと分かれば、それが悟り。
681 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 12:42
そのカンパで得た金でひきこもってヒマな毎日2chにカキコか。
俺は高僧だから喜捨をもらって当然なんて思ってるんだろう。
こいつのいうことを聞いてると涅槃や悟りが低俗なものに思えてくる。
悟りをなんとか自分レベルに引き下げようと最大限の努力を払って
論を展開してる。
682 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 12:43
生臭坊主まるもうけ
683 :
名無しさん@1周年 :2001/08/06(月) 12:44
マリファナ吸えば誰でもインスタント宗教体験
物事はすべて移ろい行くと分かれば、それが悟り。
685 :
>679:2001/08/06(月) 13:43
カンパのお願い
みなさまへ
渡海 難
平成12年2月
(1) 浄土通信維持のため、経済的な支援をしてくださる方を捜しています。
(2) 最近、浄土通信宛に掲示板、電子メールなどで多くの質問、問い合わせが送られてきます。当方はそれらにできるだけ迅速にお応えしようとしています。
(3) 質問の内容は親鸞仏教の本質に関わる問題が多く、回答に時間をとられています。
(4) 親鸞仏教を将来に向けて正しく語り伝えて行くことは、多少なりともそれを聞きかじってきた者の喜びであり、また責任と考えています。
(5) こちらは自由業とは言え、家族を抱えた生活があります。
(6) 浄土通信を今後も円滑に運営していくには、それなりの経済的なバックボーンが必要になってきました。通信費だけでも相当の額になります。
(7) 目安として、月一回、一口4000円を1口以上あるいは半口、定期的あるいは不定期に、1ヶ月でも2ヶ月でもお送りくださる方がいらしてくださるとまことに幸いです。
(8) もし、今後、ある程度のカンパをいただけるようになると、横浜だけでなく、その他の地方でも浄土通信の「こんにちは会」が開けるようになります。
(9) カンパ金をお送りくださっても、何か特別に特典を差し上げるということはほとんど不可能です。それでも、渡海 難という人物は、インターネットで多少なりとも親鸞仏教を正しく伝えている一人であるとご評価くださる方がいらっしゃると幸いです。渡海 難に今後も発言させてみようとお思いくださって、お心ばかりでも応援くださると誠に幸いです。
(10) 誠に恐縮ですが、浄土通信ライブラリーで平成九年以降の分は、金額の多少に関わらず、カンパ金にご協力いただける旨のご連絡をくださった方にのみパスワードをお知らせします。どなたにも広くお読みいただきたいのですが、経済問題はいかんともしがたく、御了解ください。
(11) 平成九年以前の浄土通信ライブラリー、及び親鸞の思想と教行信証は、一応印刷不能になっております。カンパ金にご協力いただける旨のご連絡をくださった方で御希望の方には、印刷可能のpdfファイルをお送りします。
ご支援をくださった場合、必ず振り込み者名と電子メールアドレスをお知らせください。
686 :
>679:2001/08/06(月) 13:43
--------------------------------------------------------------------------------
どちらかをご利用ください 送金先 さくら銀行 鶴見支店 普通預金口座
口座番号 572−6571166
名義 トウミ カタシ
送金先 郵便貯金
記号 10200 番号 86266201
名義 トウミ カタシ
687 :
東陶実崇:2001/08/06(月) 13:46
ものごとはすべて、うつろい行くと分かれば、それが悟り。
688 :
555:2001/08/06(月) 13:55
しばらく来なかったらなんかagaってますなあ。
渡海難氏
>>608 >トンチンカンな経路をたどっているように見えた
あれっ??。 トンチンカンな経路をたどっているように見えました?。 まあ、いいでしょう。見え方は人によってそれぞれですからね。
見解の相違というやつでしょう。100%のコミュニケーションというのはないですから。
>客観的に悟りの”ステージ”を言われる
悟りのステージ??。悟りのステージって??。
そういうところにひっかからないほうがいいです。親鸞の文を読んだ僕の感想に過ぎません。
>ところで道元はどう思います?あなたに言わせれば、彼の文は飛躍と決め付けの嵐ではないですか?。
貴方はどう思いますか?。
一応答えると、現成公案を知ってますが非常にしっくりきます。
フィーリングが近いというか、うなずけるというか。逆に注釈を読むと”なんだこりゃ”て感じ。
>611
555さん
ただ、何でもかんでも合理的に脳で説明しようとする多くの人達の意見には正直いって
辟易します。私自身は、霊魂と言うのが妥当かどうか知らないけど、それに該当するような
ものは、あると思っています。でも、それが「何なのか?」は私には解りません。
僕も脳(物質)至上主義者ではありません。ただ、これまで宗教の領域だったところが
物質科学に分解されつづけているわけで、それは意義あることだと思います。
僕としては、霊というのがあるとすれば、それは各細胞にまで還元できるもので、
細胞が死ねばその意識という”ID”はなくなり、なんとなくどっかの誰かと混ざる
のかなあと思っています。だから敵を作って死んでも、その敵ともいづれ混ざるので
アホくさい、最初から仲良くしろよ、と思います。
低級な哲学ですんまそん。
>623 名前:匿名希望 投稿日:2001/08/02(木) 20:54
自力の宗教はありません。
禅宗でも自力で悟れとは申しません。
他力と行とは矛盾しません。
これすごく共感できます。
宗教とか宗派の違いっていうのは、表現の差異、
例えば臨死体験を三途の川というかかお花畑というかの差に
過ぎないと思うんです。
689 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 14:45
>>25 命の定義をしてください。そうしないと、話がかみ合わないと思います。
690 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 15:02
悟りを開いても病苦や死苦からは、逃れられない。
691 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ :2001/08/06(月) 17:07
>>690 病死や死苦から逃れられないから人は神、仏、悟りにすがりつこうとするのかも知れませんね。
しかしこの考えは現実逃避と紙一重かもしれません。
むしろ、悟りを開いた人とは病苦、死苦に立ち向かう「覚悟」が出来た人の事かもしれないですね。
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< もし君が毒矢に撃たれたら、まずどんな行動を取る?
_φ___⊂)__ \_______________
/荘/子/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
|愛媛みかん|/
692 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 17:24
>>672,673,675
「無我」を説いたブッダが、実は「真我」を示していたとは思えませんが。
ところで、現アレフの人?
>>672 >申し訳ありません。あなたのプライドを傷つけるつもりはありませんでした。
プライドを傷ついたかどうかなどということは、問題ではありません。心にない謝罪は不用です。
>「確か」と書きましたのも、曖昧だったからではなく、あなた様のプライドを傷つけたくない、とゆう配慮からでした。
あのような対話で傷がつくプライドが僕にあるように思えましたか。心にもないことを言えば、掲示板は顔が見えない以上、誤解が誤解を招きます。心にあることを誠実に書きましょう。「確か」と書いたのは曖昧だったからでしょ。
>誤解なさらないで下さいね。
こういう言葉は相手を疑心暗鬼にさせて却って誤解を招きます。
>その間をどう解釈してますか?
骨格に対する肉付けと思っています。あるいは、無明と迷いという因果関係を直感した先人が、これだけでは説明不十分と思い、因から果に至る間を連結している更に精密な因果関係を検討して説明しているものと解釈しています。
無明と生・老病・死との間の個々の単語の解釈は、これまで1,2回この2chのスレッドで書きましたので、今回は割愛させていただきます。大事なのは最初と最後だと思っています。中間は多分、いろいろな解釈が可能でしょう。12個の単語列挙は、説明方法の一例だろうと思っています。
>私は、仏教を学ぶものとして、無明、行、識、と当たり前のことのように書いてしまい、ご理解出来なかったのですね?
無明、行、識等々は、仏教の専門用語です。日常的な言葉ではありません。非日常的な言葉は、人々の間で流通頻度が少なく、定義は個人間で大きな違いが出ていると考えます。非日常的な単語で話を交換するときはこうした点に注意が必要でしょう。お互いに定義が違うだろうということ、概念が違うだろということを前提に話をしないと、相手に対し失礼です。
「お前は俺が前提にしている定義を知っていて当たり前」「お前は俺の定義の中で考えろ」「俺の概念は普遍的なんだ。」「お前は俺の定義、俺の概念を前提にしてものを考えろ」。こういう態度は、失礼です。
定義が違う恐れのある単語の使用は最小限にしたいものです。使用がやむを得ない場合でも、概念の共通する単語を使って別ルートで相手に正しく定義を伝えておく努力が必要でしょう。お前は俺の言う前提概念が分かっていて当たり前なのだ。俺がお前に言ってやることは常識的なことだから、言外の前提概念がお前と俺とで共通してないとなれば、それはお前が非常識だ。こういう態度の方からは、私は話が聞けません。
>もともと、私たちの真我は独存の状態にありました。
「ありました。」などと、誰に向かって言っているんですか。露骨な権威者ヅラは不愉快です。
あなたはどれだけの学問を積んだ方ですか。独存の状態にありましたというのは、どなたかの仮説ですか。おそらくどこぞの偉いさんが、相手を煙に巻いて眠らせるときに愛用する催眠術でしょう?いきなり意味不明の概念を断定的に切り出せば、相手の反感を買うだけです。
真我という意味も分からない。独存という意味も分からない。この二つが伝わって来ないから、「状態にありました。」というポピュラーな言葉も、概念がさっぱりわからない。自分の考えを伝えようと思ったら、もっと謙虚になったらどうですか。
>つまり、唯我独存ですね。絶対の平安状態にありました。
「つまり」というのは、言い換えをするときの言葉です。難しいことを言った後でこれを言い換えようとするなら、もっと平易な言葉で言ったらどうですか。「唯我独存・絶対の平安」ってなんですか。ここでも貴方は呪文をもってくる。
>そこは、時間もなく、もちろん、肉体もありません。
あなたは、立派な肩書きの誇り高い催眠術師のようだ。相手をケムに巻きたいですか(笑)。
「そこ」とはどこですか。「そこ」とは、地理的・場所的範囲を指示します。地理的・場所的範囲を指示する単語が先行してなければそことは言えません。あなたは何が言いたいんですか?
時間がないとはどういうことですか。肉体もありません? 貴方は一体何が言いたいのですか。
>その真我に、3つの根本煩悩が干渉したんです。
あー。アホラシ。ちんぷんかんぷんじゃ。
>それで、真我は、判断を誤り、自分が絶対平安の境地にいるにも関わらず、苦に至るプロセスを進んでしまったんです。これが無明です。真我の独存は、ニルヴァーナとも、涅槃とも言います。
あー。アホラシ。貴方の話には興味が湧かない。貴方は大学の先生ですか。学生ですか?催眠術の呪文など、アホらしくて聞いちゃいられない。ちんぷんかんぷんじゃ。
>>673 >次は、行ですね。行とは、読んで字のごとく、動くとゆう意味です。行には、心、口、身の3つがあり、考え、話、動くことです。
あのねー。小学生のための国語辞典にどう書いてあるかを聞いているんじゃないですよ。もっと、ましなことは言えないんですか?
>ヨーガで言うところの、コーザル世界などで、心、口、身で経験を始めてしまうんです。この、経験をしていく段階が六識です。
あなたはヨーガの話をしたいんですか?。コーザル世界など言われてもちんぷんかんぷんですよ。
あのねー。相手と定義概念の共通化を図り、言語的に共通の土俵の上で話をしないと、相手には話が伝わらないんです。相手を自分の言語(定義・概念)の土俵に引きずり込むんじゃなく、相手の言語の土俵の中に飛び込んで行きなさいよ。
>名色とは、五蘊のことです。(念のため、五蘊も書いときますね!色、受、想、行、識のことです。これも、呪文と言われそうなので、簡単にいうと、色は肉体、受は感覚、想は表層意識、行は深層意識、識は判断のことです。)六処は、名色が具体化するだけですが、目、耳、鼻、口、触覚、意識のことです。
血の通わない仏教辞典をコピーしてきてどうするの。貴方は貴方の考えを綴りなさい。
>このように、全てを説明すると、とても長くなってしまうので、ご自分で調べて欲しかった、とゆうのが本音です。
長くなると思ったら書きなさんな。相手は仏教辞典の記載が聞きたいんじゃないのよ。貴方は貴方が伝えたい貴方の心を、平易な言葉で伝えようとしなさいよ。平易な言葉というのは、逐一相手に定義を説明しなくても、既に日常世界で概念が共通している言葉という意味です。
697 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 19:13
がんばれ渡海 難。
まけるな渡海 難。
つよいぞ渡海 難。
>これも、一つ一つお答えいたしますね。
もう。たくさんという感じなんですが、僕の方が要求した関係でおつきあいします。
>まず、主体は、真我です。 <さあ、ちんぷんかんぷんだ。真我?? ああ、分かんない。>
>落下後の位置は、その真我によって違いますが、人間の世界かもしれませんし、天界かもしれません。
真我って落ちるものなの?? ああ、分かんない。 人間の世界?? こうなってくると、普通なら平易な言葉として分かる言葉も、定義が心配になる。人間の世界ってナーニ?真我は人間の世界と別にあるの?同一のものなの?人間の世界は十二因縁とは全く別の概念なの。
ああバカバカしい。一つ一つ、全部定義を聞いていかなくちゃいけない。定義説明文の中の単語にもあらたに定義の説明が欲しくなる。ああー。ついていけない。ついていけない。
>これで、おわかり頂けましたでしょうか? 小乗仏教に寂静を得るための修行法があると思いますが、それを行うと、怒りが生起しなくなるのではないでしょうか?
まったくもってちんぷんかんぷんです。
平易な言葉で説明すること。定義説明の必要のない言葉を使って説明すること。使用する語は、自分勝手な特殊な定義をつけないこと。新聞とか、週刊誌とか、放送局とか、大衆一般メディアで使用慣れている定義で説明すること。
たとえ自分が権威者であっても、何かを伝えようと言う場合には、決して自分の権威をちらつかせないこと。相手の言語の土俵でものを言うこと。自分の土俵でものを言わないこと。
こういうことをしないと、相手は聞いてくれませんよ。
>>676 あなたは、仏教ではなく、日本の変な宗教に入ってますね?
どのように思われても構いませんよ。仏教か仏教でないかなどという、そんな枠組みは、僕にとってはどうでもいいことです。
>親鸞は完璧な悟りを得てません。 僕は親鸞が好きなんですよ(笑)。
>仏陀の経典を勉強しましょう! どうぞあなたがおやりになればいいでしょう。
>>677 >渡海に「様」付けは不要です。(皮肉であろうがなかろうが)
そうそう。ここは意見が一致する。ちなみに「先生」などという敬称を付けてレスを書いてくださった方がいました。これも余計です。
ただ、見ず知らずの方からいきなり呼び捨てされる覚えはないと思っています。ケンカを売るつもりの無い方は、一般的に「さん」くらいつけて欲しいと思います。
「渡海氏」と書いてくださる方がいますが、「氏」は少し固い感じですよね。「君」という敬称をつけていた人がいました。これは失礼ですよね。
>>645 >声聞は文献などを読んだり、説法を聞いたりしながら六道輪廻の虚しさを悟る。縁覚(独覚)は自ずから様々な出来事の中から、関係性をみいだして縁起と言うものの実感を得て悟っていく。そして、その上の菩薩になれれば、もう、縁起の法の会得は、取り敢えず完成したということでしょうか?
声聞・縁覚というのは、小乗仏教の聖者だそうです。釈尊は、三五歳のとき、縁覚となりました。教行信証で親鸞は涅槃経を引用し、師なくして悟りという言葉を引用しています。縁覚とは、師匠を持たないで独学で悟るという意味でしょう。声聞というのは、まあ、耳学問の達人というような意味でしょうね。
仏教の先人達は、どの程度の実力を身につけると声聞・縁覚と呼ばれるようになったか、これはよく分かりません。華厳経などには詳しく書いてあるのかも知れませんが、僕は知りません。華厳経などには書いてあっても、それは大乗仏教という次元でみた小乗仏教でしょうから、一応フィルターが入っていると思った方がいいかもしれません。
菩薩という概念は、小乗仏教でも大乗仏教でもあるようです。でも、大乗仏教の先人達は、真の菩薩は大乗段階から始まると考えているようです。大乗の菩薩は、小乗の声聞・縁覚を超えた人々ですから、縁起の法の会得は完成しているんでしょう。
>10界の中の仏のレベルまでいくのが、悟りなのだと思っていた
十界という概念は、天台宗あるいは日蓮宗などで頻繁に出てくる概念ではないですか。親鸞関係で十界という概念はあまり見ません。少なくとも僕は記憶にない。
親鸞関係ではむしろ六道という概念を立ててきます。六道と仏道、あるいは世間道と出世間道という対立的な用語を見ます。
十界というと、地獄から仏界まで不連続の連続でつながっているような感じが僕はします。六道と仏道という場合には、その間にハッキリした断絶があると考えたいですね。断絶という言葉では分かりにくいかも知れませんが、輪廻の有無で大きな違いがあると思います。輪廻は六道の中の問題です。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天とは一体のもので、その中で人はめまぐるしく変化します。しかし、人がこの六道から出ることは容易なことではありません。声聞・縁覚あるいは菩薩の世界に踏み込むと六道には戻りません。六道には戻らないというのは非常に面白い考えだと僕は思っています。六道に戻るとはどういうことか、戻らないと言うのはどういうことか、これは興味深い議論だと思っています。言いたいことがたくさんある。機会があれば是非書きたいと思います。
ところで、悟りには大きく二つあります。小乗の悟りと大乗の悟りです。大無量寿経というお経で、「たとえ我、仏を得たらんに」というのが小乗の悟り。「正覚を得じ」の「正覚」は、大乗の悟りです。小乗の悟りを得た者が大乗の悟りに達するまでには、お経には更にたくさんの悟りがあるように書いてあるようです。この辺は華厳の経に詳しいんでしょう。僕は良く知りません。段階的にたくさん悟りがあるというのは、教員になった若手教師がベテラン教師になるまでの間に、たくさんの発見、気づきがあるのと同じ原理でしょう。 (続く)
702 :
未知の人間:2001/08/06(月) 20:49
煩悩の力恐るべし。正論も暗転の縁起を連鎖させてしまう。
私には「正しいであろう」と言う判断があったので661を
書き込んだ訳なのだが、思わぬ展開になってしまった。
しかし、おのおの方は道を求めて歩く人々だ。
瞑想修行中に己の心が暴れ出す時、どの様に対処するか?
他人の言動だと思いきってしまう処に、現象世界の難しさが
あるんですよね。この世は相対的な相互作用として全ての物事が
発生する場所です。つまり、諸行無常の理が、定めとして確定している。
しかし、生物がその形態を保っていられるのは、無常の世界に変わらぬ
実相があるからなのだと私は思う。
その実相に辿り着くまでは、苦しみを通して生きていかなければならない
のが、ある意味、道を求めて歩む者の人生ともいえるのでしょう。
無明があるのだから、予測できない煩悩が動き出してしまう。
でも、無明が無明のままであれば、いつまでもそのままの状態に甘んじ
なければならないと言うのも、お分かりになると思います。
自我のままに、快の煩悩に乗ってしまえば、苦しみの種を蒔き六道をさ迷う。
どちらにしても、苦悩は避けられないのだし、無明が動いて煩悩として現れれば
その時こそ、捕まえるチャンスでもある訳です。
道を求める者ならば、怒りの毒に自分の心が苦しんでいるのが理解できるはずです。
諸法無我であるならば、自他を分かつんじゃなくて、同苦である訳じゃないですか。
何処からともなく生まれてきて、何処へともなく去っていく。皆、無明です。
生も死も解らないのが人間ですよ。束の間のあいだ、友に過ごす。
だから、少し「忍耐してくれー」偉そうな長レスすまんなあ、諸敬へ。
703 :
nanasi:2001/08/06(月) 22:22
>>626 2・021
世界の実体を形成するものは、対象である。それゆえに、対象は、合成されたものではありえない。
2・0211
仮に世界に実体なしとすれば、ある命題に意義があるかどうかは、他の命題が真であるかどうかに依存することになる。
2・0212
そういうことになれば、[真、偽いずれにせよ]世界の絵を描くことはできない。
by ヴィトゲンシュタイン
「論理哲学論考」
、、、たまたま今日読んでた本にあったので(笑)。
704 :
nanasi:2001/08/06(月) 22:46
>>641 そういう類の緊急事態に関しましては、「トランスパーソナル心理学」の方の分野で
近年扱っているようです。とはいえ、あそこは玉石混交だったりもするので、安易に
ご紹介は出来ないでいましたが、先程インターネットで調べました所、まあ特に害も
ないような専門サイトを見つけましたので、よかったら参考なりなさってみては?
http://www.npcj.com/sen/
705 :
nanasi:2001/08/06(月) 22:53
704追加
上記サイトの[6.スピリチュアル・エマージェンシーへの対応]という所です。
706 :
匿名希望:2001/08/06(月) 23:17
理屈が多すぎます。
そういったものを、全部捨てなければ、悟りには届きません。
悟りは、対象化できません。したがって、自分でそれを見届けることは出来ないのです。
したがって、大悟徹底した人の、点検を受ける必要があります。
重要なのは、学問的アプローチではありません。
自ら実践することです。言葉では説明が困難な事柄です。
どうか実践してください。
極めて正論と思います。その通りと思います。
ただ、「実践だ、実践だ」と言われると、私どもの親世代が経験したと聞いています竹槍精神的な感じがしないでもありません。
多少の不安はありますが、正論には違いないでしょう。基本的には大いに賛成です。
710 :
名無しさん@1周年:2001/08/06(月) 23:38
age
711 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 09:20
まず、仏陀は無我を説いてません。パーリ語やサンスクリット語の古い経典には、
非我とあります。従って、アートマンの存在を認めています。
非我、と説いたはずが、入滅後、瞑想経験のない学者達に、非我=無我と訳されてしまったのです。
アートマン=真我です。真我とはなんですか?と聞く自体、ナンセンスなんですね。
二元論ではないわけです。始まりがあって、終わりがあるわけでは、ないんです。
もともと、あるもので、なくならないのです。
渡海様がよく言われる、禅の修業は、そもそも、無我を訳してる仏典を使ったので、誤りが生じたんです。
無我ならば、十二縁起は成り立たないでしょ?
渡海様は難しい言葉が多すぎる、とおっしゃいますが、その通りです。
つまり、仏典は人間の世界より上に行く教えですから、人間レベルでは、難しいのが当たり前なんです。
しかし、私の使う言葉は、仏典をご覧になって頂ければわかりますが、
仏典に出てくる言葉の中でも、簡単な言葉を選んで使っています。
他のスレでは、仏教について有意義な議論が出来たのですが、渡海様とも同じように、議論できると思ったのが間違いでした。
私の書くことに対して、他の方は、仏典と照らし合わせ、間違いを指摘して下さったりするのですが、
あなたには、その知識がないため、私の書く、仏典の教えに対しては、「チンプンカンプン」、「呪文」などとゆう言葉を使い、
純粋な反論はないのです。そして、私の口調の揚げ足を取ることに、執着してらっしゃいます。
ためになる宗教を勉強してるのなら、もっと冷静な人格でいられるはずなんです。
あなたが仏教やキリスト教を語ることにより、それぞれの評判を落とすことになりかねません。
例えば>701
輪廻は六界の中の問題、とありますが、
だとするならば、仏典の中の、色界、梵天、空無辺処はどのように定義されますか?
六界は、欲界の世界観です。次元の違う世界もあります。
渡海様のおっしゃることで、素晴らしいところもあると思います。
私も学ぶべきところがあります。
しかし、自分の知らないことを言われると、取り乱すのはトラブルの元であります。
どうぞ、お気をつけ下さい。
712 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 10:00
コミュニケーションをする気がないのなら公開の掲示板に書き込むな!
バカヤロウ!
一人で日記でも書いてろ。
713 :
未知の人間:2001/08/07(火) 11:13
706様
大悟徹底した人など、何処におられるのですか?
また、凡夫がそのような人を見分ける事が出来ますでしょうか?
実践とは、どう言う意味でしょう?自分の人生、生活の現実の中に
入って修行をするということでしょうか?
714 :
アストラル界の馬鹿どもへ:2001/08/07(火) 11:41
……全的否定が自由である。われわれが正しいとみなしているいっ
さいのものを 否定し、社会の全道徳を否定し、内なるいっさいの
権威の受容を否定し、人が語り、結論づけてきたいっさいの真理を
否定し、いっさいの伝統、あらゆる教説を 否定し、技術的知識以外
のすべての知識を否定し、あらゆる経験を否定し、覚えている、また
忘れていた快楽へのいっさいの衝動を否定し、あらゆる達成を否定し
特定の仕方のいっさいの行為を否定し、ありとあらゆる観念、原理、
理論を 否定すること。そのような否定こそがもっとも肯定的な行為
であり、それゆえそれが自由であり「悟り」なのである。
「虚偽を虚偽と見、虚偽の中に真理を見、そして真理を真理と見る」
ことこそは、精神みずからに課す究極の浄化の行為であり、溌剌とし
て自在な精神の働きを圧殺する過去を理解することによって越え、
かくして精神は自由になり、そして「いまここに」ある祝福された
空間の中を喜々として漂う。
TP心理学なんて悟りに持ち出すなよ。茶番じゃないんだから...(藁
715 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 11:50
>>714 あなたの言う、「自由」とはなんですか?
うーん。仏教でいう「捨」に近いと思いますが・・・
あなたの言う、「真理」とは何かも教えて下さい。
716 :
nanasi:2001/08/07(火) 12:00
「初期仏教以来、仏教の修行体系は、戒定慧の三学という枠でとらえられる。戒とは、いわゆる戒律(狭くは律)のことで、修行生活における禁止事項を、その意義を考えながら遵守することである。これは、外的な行動を慎むことで、心の平安、清澄をはかるものである。つぎの定は、直接心を鍛錬し、心の平安、清澄を不動のものとすることを目的とする。雑念、妄念でふらつくことがなくなったときにこそ、仏教としての正しいものの見方(理屈)を体得することができる。これが慧(智慧)である。智慧を完成したとき、修行者は解脱に至る。もちろん、この三学は、実際には並行して行われるのであるが、理念としては、階梯をなしていると見られる。(続く)
みんな何を難しい事書いているの?諸行無常が分かれば悟りじゃん。
718 :
nanasi:2001/08/07(火) 12:19
(716続き)
のちの大乗仏教になると、禅定の最高境地である三味(心が全く浮動になった状態)をもって解脱(成仏)とみなす傾向がしだいに顕著になり、密教にいたってクライマックスに達する。釈尊がはじめのころついたふたりの仙(アーラーラ・カーラーマ、ウッダカ・ラーマプッタ)の教えは、かなりそれに近いものであったと考えられる。つまり、禅定の次なるものとしての智慧の獲得というものが、彼らの教えには欠如していると釈尊は漠然とながらも直感したにちがいないのである。成道以降の釈尊の教えが、いかに理屈っぽいものであるか、いかに合理的な思考に貫かれているかは、あとでじっくり見ることにするが、智慧に重視という釈尊の基本的姿勢は、初期仏教の経典のいくつかをひもといてみればすぐにわかることである。(続く)
719 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 12:21
>>717 あなたは諸行無常を完全に体得できているのですか?
諸行無常を含めた真理を体得するための具体的な方法を、皆いにしえ
の経典に求めているのではないですか。へんな茶化しはやめてください。
720 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 12:26
>>717 あと、「あなたキリストと釈迦どっちが偉い」のスレで
>無我=我が無常である、という意味です。我が無いという意味ではない
といっている方でしょ?(違ったらごめんなさい)向こうで反論でてますよ。
>>719 体得しているわけが無いじゃない。体得できれば仏様だよ。
体得する事が、悟りを開くということ。
畳の上で「諸行無常」ということは誰でも言える。
崖っぷちで、嵐の海の小船で、剣の切っ先を付きつけれれて、
食べ物も無く餓死間近で、飲み物も無く乾きに苦しみながら、
こういう状態において、
にっこり笑って「諸行無常だから」といえれば体得できたということだろう。
722 :
nanasi:2001/08/07(火) 12:28
(718続き)
禅定は智慧とは原理的に無関係である。三昧じたいは、生来禅定に向いた心的傾向をもつ人(おそらくかなり少数派だとおもう)ならば、教理とは無関係にいとも容易に得られる。三昧をある種驚異的なこととして尊ぶ傾向は、生来禅定に向いた傾向を持たない多数派の、埒もないあこがれから醸し出されたものだといってよいであろう。(続く)
>>719 真理を体得するための具体的な方法を、、
スレッド読んでないんだけど、表題とは変わっているのね。
表題は、悟りとはどんな状態?だと思うけど。
724 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 12:46
>輪廻する葦 君へ。
諸行無常は悟りでは、ないですね。わかりますか?
それは、仏教の基本です。
諸行無常だから、輪廻を絶ちましょう、という教えが仏教なのです。
そして、輪廻を絶つための修行により、悟りを得ることができるのです。
諸行無常=悟りなんて言ったら、笑われますよ。
この世は、無常である、ということを理解することも悟りの一つですが、それはまだ、低い悟りなのです。
「諸行無常だから、輪廻を絶ちましょう」
これは間違いです。「諸行無常、一切皆苦」などは現実の認識論です。
だから、輪廻を、、、とはならない。
その苦しみをどうしたら良いですか。。と問われたときに、輪廻を、、
という方法もあるよ。となるのです。
「輪廻を絶つための修行により、悟りを得ることができるのです」
これも間違い。悟りを開く事によって輪廻から逃れる事ができるのです。
まあ瑣末な事ですが。
727 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 13:07
>>725 輪廻を絶つ以外では、苦しみを絶つ方法がありません。
死ぬことは苦しみです。どこの世界に転生しても死にます。
ですから、輪廻を絶ち、涅槃しなさい、と釈迦は言っているのです。
悟りを得る以外に、苦しみを越えることは出来ません。
輪廻をする限り、必ず苦しみに合います。
728 :
nanasi:2001/08/07(火) 13:16
(722続き)
釈尊は、人並みはずれて禅定に向いた心的傾向を、これといった鍛錬なしにもちあわせていた人物だったようで、だからこそ、ふたりの仙人が最高だと説く境地(無所有処定、非想非非想処定)に、いともやすやすと達したのであろう。禅定の、あたりまえにして最大の問題は、そこから戻れば、またもとの雑々として心を乱す日常生活がまっているということである。いとも容易に最高の禅定の境地に達し、またもとの状態に戻るのみ、これが、老いや病や死といった苦しみから最終的に逃れる道だとは、釈尊にはとうてい思えなかったということであろう。(「仏教誕生」p99/宮元啓一/ちくま新書)
えー、なかなか、推測と独断にみちみちた文章(笑)ではありますが、どうも話が、不二一元論的な神秘主義傾向で止まっているように感じましたので、打ってみました。御意見のある方は遠慮なくコピー&ペーストして下さいね!(トホホ、、)
私としては「いわゆる正論ってヤツですネ?(笑)」な風に読みましたが、さまざまな立場よりの御感想も、何かの参考になるかもと思われますので、どーぞよろしく。
729 :
nanasi:2001/08/07(火) 13:31
>>717 ハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイ!、、、これでいいですか?(笑)
それにしても、私がのろのろのろのろ打ってるうちに、こんな展開になっていたとは!
不思議だわぁ、、、いつもコレだ。
730 :
l:2001/08/07(火) 14:12
>>1 教祖・・・がっぽがっぽ、税金のかからないお金が自分の懐に舞い込んでくる
とわかった時。
信者・・・お金がかかればかかるほど、霊的に向上したと
勝手に自己まんぞく、した時。
731 :
アストラル界の馬鹿どもへ:2001/08/07(火) 15:52
>>727 輪廻には段階があるんだよ。バーカ!即座の変容なんて所詮、無理な話。
まず、今の日本に生まれてきたわれわれには、悟ることはできない。
なぜなら私は元僧侶でありますが、宗教が真の宗教としての役割を果た
していないのがまず一つ!それゆえ、オウムへ逝くような若者が増える。
それと日本の教育制度。偏差値教育によって、常に友達とを競争させ、
塾や予備校などに通わされ、良い点を取れば優越感をおぼえ、悪ければ
劣等感を生み出す。母親のエゴに無理やり囚われ、その偽善にさえ気づ
かされずに育ってきた、我々の心の中にはつねに、貪欲さと競争心とで
溢れている。「飴とムチとの飼いならし教育」と呼んでいますが...
その中で、われわれに人を思いやる愛など育つはずもなく、つねに他人
とを比較しながら自我を強固にしてきた。もう現代に、日本に生まれた
時点で、悟れないのである。カルマの段階として低位に属するのである。
そういう人はいない。「鈴木大拙」さん以来、いないのではないか!?
ちみは、あと百回生まれ変われ!そうすれば分かるだろう。輪廻の法則が(藁
732 :
アストラル界の馬鹿どもへ:2001/08/07(火) 15:56
自己の中から心が現われるときに、世界が現われる。それゆえに、
世界が(実在として)現われているときには、自己は隠されている。
自己が輝きつづけるならば、心は自己を(その残留物として)残して
滅するだろう。「自己」という言葉で呼ばれているものはアートマン
である。心はつねに何かしら粗大なものに依存してのみ存在する。
それは独りであることができない。微妙な身体とか個我(ジーヴァ)
と呼ばれているものは、心である。心も呼吸も、その源は同じもので
ある。想いとは心の本性である。「私」という想いが、心の最初の
想いであり、それがエゴ性である。エゴ性が生まれ出る同じ場所から
呼吸も生まれてくる。それゆえに、心が静かになれば呼吸も制御され
呼吸が制御されれば心も静かになる。目が覚めている状態サマーディ
にあっては、心が静まっていれば呼吸も制御されている。呼吸は心の
粗大な姿である。死のときまでは、心は身体内に呼吸を保つ。身体が
死ねば、心は呼吸とともに出てゆく。それゆえに、呼吸制御の実習は
心に静かさを取り戻す為の方法、すなわにマノニグラハであって、
心を消滅させる方法、マノナーシャではない。
呼吸制御の実修と同じく、神の姿を瞑想すること、マントラを唱え
つづけること、断食その他の実修は、心に静けさを取り戻すための方
法にすぎない。神の姿を瞑想することや、マントラを唱えつづけるこ
とによって、心は一点に集中される。心はつねにさまよいつづけるも
のではあるが、鼻を鎖でつながれた象が他のものは何もつかまえられ
ないように神の御名や姿に満たされていれば他の対象には動かない。
数知れぬ想いへと心が拡散しているときは、そのひとつひとつの想い
は弱いものとなる。それが消えてしまうと心は一点に集中され、強い
ものになる。そのような心にとって自己を問うことは容易である。
733 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 17:11
734 :
733:2001/08/07(火) 17:17
735 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 17:46
>>731 輪廻に段階があるのではなく、あなたに悟りに達するカルマがないだけです。
日本人は悟れない、なんて、あなたの一人よがりです。
あなたは悟れません。
お釈迦様の弟子は、裕福な、育ちの良い子供か、大犯罪人の2つに分かれてたと言われます。
後者は、修行するか、処刑されるかどちらかだったわけですが、
修行に励み、高い悟りを得ています。
731でしょうもない言葉を発したかと思えば、732では、なかなかまともなことを言っているようです。
何者なのでしょう?732はなにかの本の解釈を写したのでしょうが。
前半のアートマンの定義は素晴らしいのですが、やはり空に到達してない学者のほんでしょう。
後半は」はちゃめちゃになってきています。
736 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 18:10
「輪廻する葦」という有名な名著をご存知ですか?
737 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 18:22
先ほどHNが「輪廻する葦」と言う方が、いくつかのスレを荒らしていました。
阿含宗の桐山は魔境です。阿含経と何か関わりがあるのかと思ったら、全く間違ってました。
最後には、
「輪廻する葦」は阿含宗桐山師の代表的著作です。
以上のコメントはすべて受け売りでした。おわり。
HN;輪廻する葦は、これにて消えます。でわ。
と書いて消えました。
738 :
アストラル界の馬鹿どもへ:2001/08/07(火) 19:47
>>735 私には悟れません。
どうぞいつかではなく、今世になるのですか?あなた様が悟られた時の
感想をお聞かせ下さいませ...。(藁 よろしくお願いいたします。(^^)
739 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 19:51
>737
害危地がスレを荒らしているようですね。
キモチ悪い話。
740 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 19:55
衆生とは迷った仏のこと?
悟りを開くのは衆生ですか?仏ですか?
741 :
nanasi:2001/08/07(火) 21:12
742 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 21:21
一回あぽーんした状態のこと?
743 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:23
>>740 仏は迷わんよ。
衆生は悟りを開けんよ。
仏は既に悟りを開いてるよ。
>>711 >無我ならば、十二縁起は成り立たないでしょ?
無我は、十二縁起の焼き直しでしょう。
>つまり、仏典は人間の世界より上に行く教えですから、人間レベルでは、難しいのが当たり前なんです。
「人間レベルでは、難しいのが当たり前」。こう言えばどんな呪文にも注目させられる。ま、万能の殺し文句ですね。注目して貰えないと催眠術はかかりません。催眠術が御専門の方でも、呪文の意味の解読は難しいでしょう。
>純粋な反論はないのです。
呪文に反論はありません。
>私の口調の揚げ足を取ることに、執着してらっしゃいます。
言っている本人が、「難しいのが当たり前」なんて言ってるんじゃ、他人に理解して貰えなくて当たり前。
>人格でいられるはずなんです。 悪い人格でワルーござんしたかな。
>色界、梵天、空無辺処はどのように定義されますか?
こんなこたー、学者先生に聞いてください。僕らの世界じゃ、欲界・色界・無色界という単語を使うんです(往生要集)。欲界・色界・無色界とは何か。僕の考えは、以前、どこぞのスレに書きました。
>しかし、自分の知らないことを言われると、取り乱すのはトラブルの元であります。どうぞ、お気をつけ下さい。
なんでも構いませんが、人間レベルでは、難しいのが当たり前な呪文には興味がありません。僕は人間ですから。
746 :
名無しさん@1周年:2001/08/07(火) 22:30
いいぞ渡海!
747 :
慈愛:2001/08/07(火) 22:54
悟りを求め色々な修行をやっているが、どうしても悟れないという人いますか?
もしあなたが悟りに対して情熱があるなら秘訣を御教えしますが?
748 :
慈愛:2001/08/07(火) 23:33
皆さん、悟りの秘訣を知りたくないんですか?
>>747-748
他人の心配する前に、貴方が悟るべきでしょうね(笑)。
750 :
慈愛:2001/08/08(水) 00:02
これが最後の勧告です。
皆さん、悟りの秘訣を知りたくないんですか?
本日AM1:00までに御要求がなければもうお話しません。
751 :
慈愛:2001/08/08(水) 01:09
皆さん、残念でしたね。
お宝を逃がしてしまいましたね。
では、迷い続けてください。
752 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/08(水) 01:14
uwa~
yasu~poi
753 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 08:08
>>745 よくわかってらっしゃらないので、お教えいたしますと、
色界、梵天、空無辺処=欲界・色界・無色界ではありません。
従って「欲界・色界・無色界」という言葉を使います、といわれることに矛盾が生じます。
色界はあなたの言う色界でいいと思いますが、梵天や空無辺処は、色界や無色界のを細かく分けた世界なんです。
わかりますか?つまり、欲界は大きく分けて六つありますよね?そういうことです。
つまり、あなたは輪廻は欲界(六界)だけとおっしゃいましたが、色界や無色界は輪廻しないのか?という疑問だったわけです。
私の質問の仕方が悪かったみたいですね。御許し下さいませ。
それでは、次は、あまり血圧を上げないでお答え下さい。
よろしくお願い致します。
754 :
未知の人間:2001/08/08(水) 08:15
いやはや、悟りを求めるのも命がけじゃわい。悟るか、狂うか。どちらが先か?
こうなってくると、悟りを求める動機の部分が根っ子の部分に繋がっているか
どうかが問われるわけじゃのう。厳しいなあ。
まあ、慌てない慌てない。一休み一休み。
755 :
nanasi:2001/08/08(水) 14:40
>742
一回だとまだいいんでしょうけど、その一回が行ったきりになる可能性もあるわけで(笑)。
て、いうか、体験主義の弊害として、その体験自体にどうしても執着を持ち続けてしまう人が中にはいらっしゃるわけで、
もうそうなりますと、誰が何を善意から申しても無駄なんじゃないでしょうか?しかし、一番マズイのはそうこうするうちに、
元々あったはずのフツー人格(?)の部分が荒廃してくる事で、それはキツイですよねぇ、、、
とはいえ、<共感をもって聞く>と言われてもねぇ(爆笑)。
まぁ、静かに<ワラタ>しつつ、そっと合掌することと致しましょう。
>754
上の続きとなりますが、要するに<執着>しないよう、それも一時の現象として「観察する姿勢」を崩さなければ、
それほど心配するほどの事でもないみたいですよ?ただ、お書きになっておられた「根っ子の部分」の問題って
確かに大きいと、私も思います。それに纏わるちょっとした実験(?)のネタが一つあるんですが、、、またいづれ!
756 :
nanasi:2001/08/08(水) 15:04
結局、松本史朗氏の「dhatu-vada批判」はその後どうなったのか、誰かおせーて!!
(一生懸命打ったのに、誰もコピペどころか、簡単なレスすらしてくれないので、
ただいまフツー人格がちょっと荒廃しています(笑)。いいから、おせーて!!!)
いいから、
757 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 16:13
758 :
nanasi:2001/08/08(水) 18:31
>754
755の書き忘れ。<観察系>の前後に、もう一つの瞑想をも、きちんとやっておく事が、
実は<あぼーん>しない為の秘訣なんだ、と聞いたことがあります。では、どういう具合に
秘訣として成立するのかも聞いたのですが、その場では「ふーん」と納得しても、よく考えたら
<ちょっぴりあぼーん>な話となってしまう所が、、、まさしく<愛の神秘>なんでしょうかネ(笑)。
と、いうことなんで、まぁ適当に読み流してやってケロ。
>756
荒廃はやっぱイカンです。すいません。でも、誰か情報ないですか?
>>753 他人を催眠術にかけているのかと思っていましたよ。あなたは催眠術で自分まで寝ぼけさせているようですね(笑)。
>あなたは輪廻は欲界だけとおっしゃいました
こんなことをどこで言っていましたか?早く目を覚ましてちょうだいね。
nanasiさんへ
>荒廃はやっぱイカンです
心配いりません。時間ができたらまた書きます。悟りについての説明は、続きが残っています。
760 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 21:05
>>759 お久しぶりです。
>>701を見て下さい。
あなたは確かに「輪廻は六道の中の問題です。」とおっしゃてます。
言ったことを言ってないというのは、ここに参加する資格すらないのだと思います。
761 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 21:27
どうせ多重ハンドルで自分で自分のつけたレスに同意だの同感だのと
言ってるんだよ。
ハタから見てるとヲタ同士の会話みたいで気色悪いだけだよ。
第六明天道者 有三 一者欲界 二者色界 三者無色界 其相既広難可具述 (第六道を明らかにする。天道には三っつある。一には欲界、二には色界、三には無色界である。これらの様子は詳しく述べることはできない<往生要集>)
欲界というのは、地獄から天の一部まで含む。天の残りは色界と無色界である。往生要集にこうあります。天は六道の一つですから、色界も無色界も天道のひとつとして輪廻界です。源信僧都からはこのように教わりました。質問は源信僧都に向けてください。僕は素人です。
色界と無色界は輪廻の外というのは、貴方の催眠術でしょう。
呪文が解けて、夢から覚めてから参加してね。
764 :
未知の人間:2001/08/08(水) 22:03
しかし、ネットの世界と言うのは人間が見えないので困るな。悟りを求める人って
どちらかと言うと善意の人であろうと言う私の認識が崩れ去ってしまったようだ。
間違い勘違いというより、悪意があると感じるのは、始めての感覚になる。
これでは、ピエールさんや、海渡さんが強い語調になるのも無理もない選択かも知れ
ない。何しろ、相手がどのような意図を持っているのか、皆目見当もつかないのだから。
美辞麗句をつかって陥れたり馬鹿にしたりする質の悪い人。曖昧な事をいって迷わせる
人。もしかしたら、この条件内ではまともなコミュニケーションを期待する方が無理が
あるのかもしれない。
765 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 22:08
>>764 “善意”、“悪意”という言葉にどのような意味を込めているのか説明してみな。
“曖昧な事”がイヤならばね。
766 :
未知の人間:2001/08/08(水) 22:28
765
悪いがキミのような物言いをする人とは意思の疎通を行いたくありませんので、あしからず。
767 :
けら:2001/08/08(水) 22:31
渡海がどうした
小物め
そんな奴を相手にするより、覚如や唯円の著作を読んだ方が良いぞ
768 :
名無しさん:2001/08/08(水) 22:32
都会が入った時点で、このスレッドは死んだ。
769 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 22:37
>悪いがキミのような物言いをする人とは意思の疎通を行いたく
>ありませんので、あしからず。
これが、ここで嫌われてるやつらのホンネなんだよ。
自分が想定した枠外の発言には耳を傾けたくないってね。
少しでも自分の感情を害するようなレスをつけるやつとは
コミュニケーションを取る気はしない、だとさ。
だから閉じこもってるとか言われるのさ。
自分が想定した枠外の反応に対処しないというのは
いかなる者ともコミュニケーションはしないと言ってるのと同じだな。
770 :
・・・・:2001/08/08(水) 22:39
>>769 お前みたいな愚物と話したくない権利も人間にはあるという事だ
相手を批判する前に自分を省みたらどうだ
771 :
匿名希望:2001/08/08(水) 22:42
慈愛さん、どうか悟りにいたる秘訣をご教授ください。
772 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 22:45
>>770 ならば、2chなどに書き込まなければいいだろう。
>>769程度の発言で愚物とまで言いきるような脆弱な精神で
公の掲示板に書き込むなんてやめときな。
2chは公かどうかはわからないけど。
773 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 22:52
>>764 あなたは渡海に同情的な見方みたいですが、
私は渡海に腹立たしい思いをさせられているものの一人です。
匿名のネット掲示板ですから言いたい放題になりがちだけど、
そんな中にも真面目な議論・レスもあります。
ただ、面と向かっての議論と違って、文章力、表現力が要求されます。
>>701の渡海さんのレスだけど、真面目なレスなんだけど、
レスにしては長いんだけど、結局
>>701の主旨がなんなのか掴み難い。
はっきりいえば、のらりくらりと長いだけで、何がいいたいのかわからない。
そこでイライラさせられるわけです。
774 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 22:56
>>770 >お前みたいな愚物と話したくない権利も人間にはあるという事だ
渡海に対してこう思ってるやつがどれだけいると思ってるんだ。
自分だけが他人を愚物と見下せる高みに立ててるつもりか。
渡海と話したくない者の権利はどう考えるんだ?
775 :
名無しさん@1周年:2001/08/08(水) 22:57
何を基準で「愚物」と言ってるのか説明しろ。
776 :
773:2001/08/08(水) 23:03
>>774 同意!
渡海にはかかわりあってほしくない。
「お前みたいな愚物」正にこういう意図を渡海にカキコから感じる。
777 :
未知の人間:2001/08/08(水) 23:31
とにかく、理屈の応酬をやりあっても得るものは少ない。そう言う判断です。
未成熟な感情からなら、理屈が高度でも子供が高度な武器を持って戦うこと
のようではないですか?それに、私は人間だから好き嫌いがあるということ
ですし、私にも愚かさは山ほどあるという事です。
誰が嫌いな人と意思の疎通を図りたいですか?でも、私はその人がここで何かを
書き込むことは反対しません。それが、人間の自由意思というものです。
誰が私に向かって何を言おうと自由ですよ。ただし、私がそれを受け取るかどうか
は、私が決めていいことです。受け取れない言葉に付いては、その旨を伝えること
があるかもしれません。それだけで済むのなら、余計な言い争いは無駄なのです。
778 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 00:22
>>誰が嫌いな人と意思の疎通を図りたいですか?
だから、渡海と意思の疎通を図りたくないっていってるの!
だけど、渡海から理屈の応酬をやりあって来るの!
「未成熟な感情からなら、理屈が高度でも子供が高度な武器を持って戦うこと
のようではないですか?」
この言葉はそのまま渡海にも伝えて下さい。
>私にも愚かさは山ほどある
私にもあります。でも、渡海からはこういう自省の気持ちが伝わらない。
少なくとも私は渡海にはかまってほしくないんです。
779 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 01:15
何をもって「未成熟な感情」と言うのかねえ。
根気よく話す努力をしてもいいと思うけどねえ。
「話せばわかる」がどんなときにも通用するとは言わないけどね。
発言の表層部分だけとって「おまえはわかっていない」、
「おまえとは話しても無意味だ」と即断するやつが多いよ。
780 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 01:25
779の言うことはもっともだけど、
道の人間が最初に拒絶したのは、765に対してだろ。
765みたいなのは相手にしないでいいとおもうぜ。
781 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 08:41
渡海様
六界の上に色界、無色界があるのではないのです。六界(欲界)の天界にこの二つが含まれる、というのはあなたは瞑想家じゃないので、わからないと思いますが、
欲界とは次元が違うんです。六界(欲界)の上、というより奥にある感じです。
ですから、「輪廻は六界の話」と表現するのはもうやめた方がいいです。
「輪廻は欲界、色界、無色界の話」って言ったほうがいいです。
ちねみに、涅槃は無色界の上にあると考えてください。
あと、私は2chに最近きたばかりで知らなかったのですが、あなたは有名な荒らしだったのですね。
知らずに、あなたと議論しようとしてました。恥ずかしいです。
ですから、もう私のレスに答えないで下さい。疲れます。
あなたが書き込んだ後や、前に自作自演で応援めいたことをカキコするのも止めた方がいいと思いますよ。
782 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 09:29
輪廻:解脱しない限り、生ある者は迷いの世界である三界六道(もしくは五道)を輪廻しな
ければならない
三界:欲界・色界・無色界の三つの総称。
欲界は欲望にとらわれた生物が住む境域。
色界は欲望は超越したが、物質的条件(色)にとらわれた生物が住む境域。
無色界は欲望も物質的条件も超越し、精神的条件のみを有する生物が住む境域。
生物はこれらの境域を輪廻する。
783 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 09:36
784 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 09:47
>あなたが書き込んだ後や、前に自作自演で応援めいたことをカキコする
のも止めた方がいいと思いますよ。
やっぱり、誰が見てもそう見えるわな。
自作自演が渡海難のしわざじゃなくとも一人で何ハンドルも使って
渡海難応援レスをしているやつがいるのは間違いない。
渡海難の感性を擁護できるやつがそんなにたくさんいるはずがない。
785 :
1:2001/08/09(木) 10:05
>784
というか、渡海の感性についていけるのは、
1+1=3を盲目的に信じるタイプの無知の極みの人です。
786 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 12:17
渡海様へ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=987980215&st=605&to=605&nofirst=true >>その前後に”煩悩具足の身であるもの、そうでない者”に関する比較記述がありますか。
> 引用の前後なんかは、引用者に聞くんじゃなく、自分で調べなさいよ。
>僕は自分の議論に必要十分な範囲を紹介したつもりです。僕は貴方の家庭教師じゃない。>歎異抄なんかはどこにでも売っている。図書館に行けば置いてある。高い本じゃない。
>厚い本でもない。原文だけ拾えば、原稿用紙50枚にもならないでしょう。
>僕の引用は十五章です。
と書いてあるのに、相手にはやたら「証拠は?根拠は?」とつめより、
根拠を出すと、渡海様はちょっとアレなので、理解できず、
詳しく書け!と言いますね。ですから、後はご自分でお調べ下さい、というと
いつものように、ネンチャク攻撃。
上記の自分の書いたことを参考にして下さい。
自作自演はおやめください。
あ、レスしないで下さいね。
787 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 15:27
念彼観音力 衆怨悉退散 妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音
788 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 17:07
>>561 こういう心の呪縛から解き放たれて、
生き生きと生きることができるようになることが、
悟りの境地の第1歩やね。
789 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 17:48
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能苦世間苦
具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身
種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
790 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 18:21
真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常せん仰
無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間
非体戒雷震 慈意妙大雲 樹甘露法雨 滅除煩悩炎
791 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 19:45
自分を捨てて、自分の事はどうでもいいや、と思う事が悟りじゃないの。
792 :
名無しさん@1周年:2001/08/09(木) 19:56
>>791 >自分を捨てて、自分の事はどうでもいいや
捨てなければならないのは、自分の中の、幸せに(いきいきと)生きるために不必要な心、
自分が生きることに専念するために障害となる心だと思う。
自分のことはどうでもいいやっていうのではなく、
本当の自分の値打ちを見いだして、
本当に自分を大切にすることだと思う。
793 :
未知の人間:2001/08/09(木) 20:54
諸法無我で相互依存をやむなくされている人間なのだから、自分と言うのは自我ではないはずです。
その理の中での自分とは、周りの環境も含まれると思います。御釈迦様は自己をどのように観察
するのか?と、よく御弟子さんと対話していたようです。
794 :
792:2001/08/09(木) 21:06
>>793 そうですね、表現を変えれば、
本当の自分の姿が見えた時が、悟った時かもしれませんね。
795 :
nanasi:2001/08/09(木) 22:21
ある国ある所にて。
「皆様、日々のご修行ご苦労様です。さて、質問です。
お友達のA君がこの度、めでたくも悟りを開かれました。
外見こそかつての気さくなA君ながら、その静謐その英知その愛の深さのいずれにおいても
今や比べ物にもならないことは、もちろんあなたが一番御存知のはず、、、
さて、あなたはA君に対してどう思いますか?
尚、これは自分の内面を知るための思考実験であり、反省や後悔の感情を促するものではありません。
では、どうぞ。」
答の例.ヨーロッパ代表B君「シネッ!コロスッ!」
中央アジア代表B君「足元のひれ伏し、その汚い足に頬ずりしたい」
(実は、東南及び極東アジア人には、自らの権力志向と向かい合う為の、この一種のセラピーはまだ公開されていません。
理由は「あいつがそんな事を考えていたなんて!!と、ビックリしすぎて、ショックを受けるから」(笑)。
まぁ、ショックを受けないのもどーしたものか、と私なんかはやっぱり感じますが(笑)、理想的にはそういう心の中のエグサ(?)
をキチンと観てそれを消化(または昇化)した後に、「悟りへの道」を歩むに越したことはないようです。勿論、理想の話なんだけど、
このスレをずっと見てきた方には、ま、言わずもがな、、、ということで/笑)。
では、ドーゾ。
796 :
nanasi:2001/08/09(木) 22:51
Avalokitesvaraさま、ありがとう。
797 :
未知の人間:2001/08/09(木) 23:14
これは厳しい質問だ。本音と建前の間をしばらくは、行ったり来たりすると思う。
嫉妬と羨望の混在状態になるだろうな。
本音、何で貴様がオレより先に悟りやがったんだーっ!師匠に英才教育されおったからなあ。チクショウ!
建前、とうとうやったね。キミならいつか悟ると思っていたよ!
本心、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
nanasiさん、この質問はちょっとキツイですよ。まあ、真面目に考えても、答えは書き込むことは
控えるでしょう。マジに受け止めたら、動くものを正視するの勇気いるよ。
798 :
未知の人間:2001/08/09(木) 23:22
ナムサン
799 :
>>795:2001/08/10(金) 00:39
>>795 あまりに非現実的な思考実験だ。
そのようなシチュエーションはありえない。
ひとことで言えば、無意味なシュミレーションだ。
悟りはコンテストとは違う。
知人が悟りを開くようなことがあったとしても。
よって、答なし。
>>781 >渡海様へ 〜 あ、レスしないで下さいね。
自分は寝言を言うけれど、寝言には返事してくれるなということなんでしょうな。
寝言なら相手に何を言ってもいいということじゃないだろう。ここは公共の掲示板だ。
呪文から目が覚めてない人の発言にレスを付けるのは不本意ですが、このスレは多くの方が見ていると思いますので、敢えてカキコします。
催眠術で眠っている方にお分かり戴けることは期待していません。お互いに催眠術の呪文を掛け合って幻想世界にふけっているお坊様方も多数いらっしゃるようです。その方々にもお分かり戴くことは期待していません。返答レスは不用です。常識的な考えが出来る方にご理解戴きたいと思います。
>六界の上に色界、無色界があるのではないのです。
ぼくはこんなこと言っていません。「六道」とは言うけど、あるいは「三界」とは言うけど、「六界」というのは781さん独自の言葉です。六界などという単語は、僕は聞いたことがない。ま、呪文の一つなんでしょう。だから目を覚ましなさいと僕は言うんですよ。聞いたことが無いと僕がいうと不満ですか。そんな不満は源信僧都に文句を言ってください。僕は、呪文には興味ないんです。
801 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/10(金) 07:08
>>791 私もそう思います。シンプルですがその一言に尽きるのかも知れません。
動中の静とは、(無中)とはそういうものから生み出されるのかもne。
>>795 「悟り」というものを特別視している貴方様がとても輝いておられます。
他人は自分を映す鏡という事をしみじみ思い出させていただきました。
>>800(続き)
>「輪廻は六界の話」と表現するのはもうやめた方がいいです。
こんな表現は誰もしていませんよ。誰もしてない表現を持ち出して「表現するのはもうやめた方がいいです。」というのは、幻想世界の781さんの自作自演です。
>ちねみに、涅槃は無色界の上にあると考えてください。
催眠術の呪文で寝ぼけている方の寝言として無視します。
781さんは呪文に陶酔する荒らしとして、2CHではやがて有名になるかも知れませんね。781さんの支持者は、坊さんらしい人を中心に、2CHでは多そうだ。他人が言っても無いことを、こう言っていると決めつけてそれに反論を仕掛けていく。自作自演で相手を決めつけ、「言ったことを言ってないというのは、ここに参加する資格すらない(
>>760)」と、バカな言いがかりを付けてくる。
他人を自作自演と言う前に、ションベンで顔でも洗って目を覚まし、自分の自作自演を止めなさい。2CHを荒らすのは止めなさい。
>>785 催眠術師の感性についていけるのは、1+1=3を盲目的に信じるタイプの無知の人の極みでしょ。
ま、もっとも、1とは何を意味するのか、3が何を意味するかは知りません。これも多分呪文でしょう(笑)。
804 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/10(金) 08:20
☆ 神道・仏教 @ 質問箱 ☆ から
434 名前:よいこ ◆48DQ.Prk 投稿日:2001/08/09(木) 17:42
>成りすましでゲンナリしていた固定HNさん
新スクリプトの機能で、簡単にキャップもどきをつけることが
できるようになりましたのでご報告。
名前欄に、#パスワード です。
例えば、
名前欄 よいこ#123456
で今回の名前欄となります。
ひとり用キャップ、略してトリップ
http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=accuse&key=997341975&ls=50 435 名前:よいこ ◇48DQ.Prk 投稿日:2001/08/10(金) 06:37
名前欄に、
よいこ ◆48DQ.Prk
と書いて投稿しました。
だそうです。
>>803 と、それはともかく自作自演や煽られるのは有名税もしくは布教に付き物の法難と思って諦めるか、心広く相手の言い分も聞いて上げる気持ちになってみたらよろしいんじゃないでしょうか。双方とも、もっともらしい言い分を構えているのですから圏外の人達には何がなんだかワケわかりませんよ。
そのてんでは神道系の方々はうまく流し、調和するコツをわきまえているようですが。そういう部分は見習ってみてはいかがでしょうka.
805 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/10(金) 08:36
てゆーか・・・まさか、ひょっとして自分で自分のレスを煽ってたりはしてませんよね。
まあぁどうでもいっか〜キリがない。
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
アーヒャヒャヒャヒャ アーヒャヒャヒャヒャ
∧⊂ヽ ∧,⊂ヽ
アーヒャヒャヒャヒャ (゚∀゚)ノ ミ゚∀゚ミ アーヒャヒャヒャヒャ
∧ ∧∧ ∧ アーヒャヒャヒャヒャ .|⊃ | ミ⊃ ミ アーヒャヒャヒャヒャ ∧,,∧∧,,∧
(゚∀゚ ≡ ゚∀゚) ∧ ∧ | | ミ ミ ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧ ミ゚∀゚ ≡ ゚∀゚ミ
./ | 〜′ ̄ ̄( ゚∀゚).〜ゝ ⊃ ⊂ ノ〜〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚∀゚彡 ミ ミ
(___ノ UU ̄ ̄U U ∪ ∪ UU"""" U U ミ,,,,,,,,ミ
/ /
あーひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
806 :
nanasi:2001/08/10(金) 10:38
>>797 あ、書き込む必要なんてないですよ!
「、、、最近、イイ線行ってない?」と、ふと自分で自分の事を思った時などに、
それ以上<あぼーん>しないでいる為の(笑)、ちょっとした家庭用置き薬程度に考えて
頂けたら、と思います。<理想の話>と記したように、現実には日々の有り様の内に、
並行しながら、いつしかこの問い自体が無効化していくのではないかな?と、そんな風に
感じてはおりますが、、、うーん、私もわかんないですぅ(笑)。アバウトでごめんなさーい!!
>>799 思考実験ですから、その視点に立てば、おっしゃる通りです。
「シュレジンガーのニャンコちゃんは、生きているのか、死んでいるのか?」(量子力学の古典的命題)
みたいなモノかと思われますが、799様はあの質問への書き込みをなさった折、ただただ笑い飛ばせ
ましたですか?だったら素晴らしいことです、本当に!私なんか聞いただけで「ああ、いやだいやだ!」と
うんざりしましたからねぇ(笑)。
>>801 それはよろしゅうございました(笑)。
>>803 そうですか、やっぱり御存知でしたか!昨日、何年かぶりに「縁起と空」を少し読んでみて
dharma-dhatuに対する分析はやはり納得させられる所が私には多くありました。
しかし、以前読んだ時にも思ったのですが、なぜか結論部分に至ると、いつの間にか<文学>の重要性
が熱く説かれてあり(笑)、そこら辺が、、、「今頃、望みどおり<ニーチェ的没落>してんのかなぁ、
<ニーチェ的破滅>してなきゃいーけどなぁー」と、いらぬ心配を致したりもする次第です(笑)。
えー、私の順番は、PART2の600番代位に思っていていいですか?、、、甘いかな(笑)。
807 :
1:2001/08/10(金) 11:50
渡海様 ご指摘どおり、アナタに解かりやすい言葉で訂正いたします。
>>701にもあるように
「輪廻は六道の中の問題です。」と表現するのは止めた方がいいです。
六道の上に色界、無色界があるのではないのです。六道(欲界)の天界にこの二つが含まれる、というのはあなたは瞑想家じゃないので、わからないと思いますが、
欲界とは次元が違うんです。六道(欲界)の上、というより奥にある感じです。
ですから、「輪廻は六道の中の問題」と表現するのはもうやめた方がいいです。
「輪廻は六道(欲界)、色界、無色界の話」って言ったほうがいいです。
ちねみに、涅槃は無色界の上にあると考えてください。
また、
>>762 >これらの様子は詳しく述べることはできない<往生要集>
こんな経典読まない方がいいですよ。
色界と無色界は十分に詳しく述べることができます。
述べることができないのは、親鸞(?)のレベルが低いからです。
釈迦系統の仏典をお勧め致します。
色界も無色界も、細かく書いてますから。
私に教えてくれ、とは言わないで下さいね。
あなたもアチコチで「自分で調べなさいよ」と言ってるんですから。
因みに、私は仏典に基づいて、瞑想経験もありますから、
色界や、無色界の世界観は、仏典の記述のとおりだと自身を持っております。
是非、仏教を学問として捕らえるのではなく、修行方法だと思って、
実践されてはいかがでしょう?
あなたに対して、真剣にレスしてると、みんなに笑われますから、
もう、この板には来ないで下さい。
808 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 12:07
>>1 >あなたに対して、真剣にレスしてると、みんなに笑われますから、
もう、この板には来ないで下さい。
僕は渡海難ではないけど、笑わないからもっと続けてほしい。
>渡海難さん
自分に理解できないことはすべて呪文で片づけるおつもりですか?
809 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 12:10
>>807 むちゃくちゃ書いている。例えば小学館のバウッダとか
基本的な書物を読みなおしてから、書き込みしたほうが良いよ。
810 :
809:2001/08/10(金) 12:16
>>807 まちがいでした。コメント先のトカイさんが間違っているのね。
六道を離れれば、涅槃界であって、、。
無色界にも無色貪という(涅槃に至る)最後の(最大の?)難関が
待ち構えているんですよね。
809は間違いなので削除です。
811 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 12:27
きっちりこのスレを熟読していなくて悪いんだけども印象として。
@渡海難支持派
「悟り」には「聖なる悟り」と「俗なる悟り」があると考えている
@渡海難批判派
「悟り」に聖俗はなく正真正銘の涅槃に至る唯一のものと考えている
812 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 12:30
>811
渡海難支持派なんて存在しないのよ。
自作自演。
だって、なぜか私のPC渡海のレスだけ赤で表示されるんだもん。
813 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 12:38
>だって、なぜか私のPC渡海のレスだけ赤で表示されるんだもん。
そんなことを言うと渡海難支持派と同じ穴のムジナになるよ。
814 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 13:34
何を揉めてるんかと思ったら、
確かに、
>>701で「輪廻は六道の中の問題です。」とカキコしている。
>>782 は、岩波仏教辞典のコピペなんだけど、議論の参考にと私がコピペしたものです。
単純に判断すれば、渡海氏の「輪廻は六道の中の問題です。」という表現は間違いだと思う。
間違いは間違いと素直に認めて議論をすすめてはどうだろう。
これは第3者の提案です。
815 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 14:16
渡海さん、間違いは間違いと認めないと、
何言っても、相手にされないと思われ
816 :
nanasi:2001/08/10(金) 15:10
割り込みごめんなさい!
>未知の人間様
先程、例の別スレを見たのですが、削除されてますよね?
もしかして、私が余計な事を書き込んだせいで、削除依頼をなさったのかと心配になりまして、、
そうでしたら、本当に申し訳ありません。今後は気をつけます。
あのぅ、スレ主からって事はまさかないですよね、、、もしそうだったら2chって私には難しすぎる(!)と、
ちょっと考え込んでしまったもので、、、。まぁどっちにしろ本当に難しいにゃー。
(個人連絡に使ってしまいました事を、どうか皆様お許しください。)
>>807名前:1
>六道(欲界)の上、というより奥にある感じです。ですから、「輪廻は六道の中の問題」と表現するのはもうやめた方がいいです。
六道=欲界と考えていますか?あなたは、従来説に対して特異説を主張するようですね。新興宗教の方ですか(麻原理論ですか)。斬新な説を主張するのは勝手ですが、自分たちは従来説と異なっているという認識は持った方がいいでしょう。六道=欲界+色界+無色界というのが従来の一般的な考えですよ。
六道=欲界+色界+無色界
=地獄+餓鬼+畜生+修羅+人間+天
天=六天(欲界)+十八天(色界)+四天(無色界)
欲界=地獄+餓鬼+畜生+修羅+人間+六天
三界=欲界(地獄+餓鬼+畜生+修羅+人間+六天)+色界(十八天)+無色界(四天)
=六道
>涅槃は無色界の上にあると考えてください。〜瞑想経験もありますから、色界や、無色界の世界観は、仏典の記述のとおりだと自身を持っております。
あなたは涅槃にお詳しい方のようですね。(
>>1)の、「誰か、“悟り”を開けた人、いたら教えてくれぇ〜!」は、悟りを開いた自分を呼び出して自説を宣伝したいために掲げたスレッドだったんですか。自作自演の猿芝居だったようですね。どこの新興宗教の方ですか?。自説を宣伝しようとする前に、早く貴方が悟りなさいよ。催眠術じゃ無理でしょうけどね。
>これらの様子は詳しく述べることはできない<往生要集>こんな経典読まない方がいいですよ。
往生要集は日本仏教の重要な古典です。平安時代以降の高僧達は、これで六道を学んできました。往生要集を読んで批判するのは勝手ですが、読まない方がいいというのはいかがなものか。貴方は、六道・輪廻に関心があっても、往生要集を読まないんですね。教祖様から禁止されてますか。古典はお嫌いですか。
>色界と無色界は十分に詳しく述べることができます。
そうですか。そうですか。ご立派、ご立派。
貴方には、著者の言い分が分かってないだけでしょう。読んでなければ分かるはずも無い。
>親鸞(?)のレベルが低いからです。
往生要集は親鸞の著作だと思いますか? (藁)
>釈迦系統の仏典をお勧め致します。
(
>>1)を書いた御自分に申し上げてくださいな。しっかりお読みなさい。
>>808 >自分に理解できないことはすべて呪文で片づけるおつもりですか?
>>8(
>>1)さんとは肌の合う方のようですね。同じ宗教のお仲間ですか?
>>814-815
僕も素人だから良く知らない。辞書学的な問題は勘弁して欲しい。興味もない。詳しいことは専門家に聞いてくれ。2CHには坊さんも顔を出しているようだが、黙ってるところを見ると、知らないらしい。
もっとも、815は僕を試そうとしてるんかなぁ。策に乗せられたかな(笑)。
六道 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天。(広辞苑)
天 六道の一で、なお輪廻リンネを免れない領域とされる。欲界の六天、色界の十八天、無色界の四天と階層的に構成される。(広辞苑)
六道の中に天が含まれ、天の中には既に色界・無色界とが含まれているんじゃないの?色界も無色界も輪廻を免れない六道の一角でしょう。六道以外に輪廻の世界があるというの?。そんな話は聞いたことがない。輪廻は、六道の中の問題でしょ。
なんで素人の僕がこんなこと、くどくどと説明しなけりゃいけないの?。他人を間違ってると言いたいときは、そう思った自分を先に疑ってください。僕は叩けば応えるデュークボックスじゃないよ。僕は仏教学の専門家じゃないし、まして2CHでの家庭教師じゃないから、後のことは自分で確かめてください。
ちなみに、岩波の仏教学事典と広辞苑とは矛盾はないようですね。岩波の仏教学事典は、丁寧に読んで欲しい。ちなみに、岩波の仏教学事典は、次のように書いてあれば誤解がなかったかも知れない。
「輪廻:解脱しない限り、生ある者は迷いの世界つまり三界(六道)を輪廻しなければならない。
六道とは地獄・餓鬼・畜生・(阿)修羅・人間・天をいう。阿修羅道を人間道に含めた場合は、五道という。天は、六天(欲界)と十八天(色界)と四天(無色界)からなる。
なお、欲界は六天の外、地獄・餓鬼・畜生・(阿)修羅・人間を含む。欲界と色界と無色界で三界を構成する。三界が輪廻界である。
>>820 「六天の外」 これは六天の「そと」とは読まないでくださいよ。「ほか」と読んでくださいね。
「欲界は六天も含みそのほかにも、」という意味です。
<ボクミタイナ シロウトニ ココマデ コタエヲ モトメテ プロハ ダマッテル。 イッタイ ナニヲ カンガエテ イルンダカ>
823 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 19:34
1はここにはきませんよ。
渡海がきたから、他のスレに行きましたよ。
824 :
未知の人間:2001/08/10(金) 19:44
816nanasiさん
別のスレって何だろう?私はなにもしてないよ。心配ない。自分はアホなところがあって
真剣に悩んでもすぐ忘れる質なんです(エヘ)。 だから、私に限ってはそんなに気を
まわさなくても大丈夫です。
でも、いつか「かの先生」が誰なのか、教えてね。共通の知識としてあるのなら、何処か
でnanasiさんと会っていたということなのかなあ?
ネットの世界っておかしなものですね。もし、電車の中で隣に座っていたとしても、私には
分からない訳です。ネットで嫌いと思っていた人と、何かの縁で会ったりすると好感を持った
りしてね。(笑) 心配要らないよ。
825 :
nanasi:2001/08/10(金) 20:54
>824
あれ?アレ?are?、、、ということは、私の一人大ぼけスレッド勘違いだったのかな?(笑)
えー、「「先生」のお国はスリランカ」じゃダメでしょうか(笑)。別に秘密めかしてる訳でも
ないんですよぉー。変に宣伝みたく他の見ている方に受け止められたら、別にそういう意図はないんで、
ちょっとツライなぁ、と。なんせ私自身がこの程度だからそれで迷惑になっちゃ、それも困るなぁ、と。
私の立場はコレですから!と別に宣言するような事でもないしねぇ(笑)。
ただ、ついつい気易くレスしてしまっていたのは、未知の人間さんには未知さんなりの考え方ややり方が
あるはずなのに、やはり良くない事だと思いました。824の暖かいお言葉、ありがとう!嬉しかったデス。
826 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 21:13
>>820 >僕も素人だから良く知らない。辞書学的な問題は勘弁して欲しい。
>興味もない。詳しいことは専門家に聞いてくれ
確かにあなたはド素人です。ですから黙ってて下さい。
あなたが理解できずに反論してる人は、みんな専門家です。
自覚されてるのなら、もうこのスレには来ないで下さい。
あ、反論は、ご自分専用のスレでお願い致します。
ここは、これ以上荒らさないで下さい。
>>あなたが理解できずに反論してる人は、みんな専門家です。
貴方は、
>>807(
>>1)さんと同じ宗教で、共に専門的指導的な立場にいらっしゃるんですか。
六道=欲界などという主張を非常に大事にする教祖は、どなたですか?。
六道=欲界+色界+無色界という主張が広まることは、そんなに困るんですか?。広辞苑でも、岩波の仏教学事典でも、広く紹介されている常識的な考えですよ。
あなた方は、2CHで何を布教したいのですか?どこの宗教ですか?
>これ以上荒らさないで下さい。
これもみな、応えられない質問なんでしょうね(笑)
828 :
岩波仏教辞典:2001/08/10(金) 22:32
六道:衆生が自ら作った業によって生死を繰り返す六つの世界。六趣ともいう。
地獄・餓鬼・畜生・修羅(阿修羅)・人・天の六つ。
地獄・畜生・餓鬼…の順序にする伝承や、修羅を地獄におさめる〈五道〉の考え方
もある。
とくに、地獄・餓鬼・畜生を三悪道(三悪趣)という。
〈行くこと〉〈道〉が原意で、〈道〉〈趣〉と漢訳されるが、六道の場合は〈境
涯〉〈生存状態〉の意。
四生(シシヨウ)とあわせて〈六道四生〉という。
六道に卵生・胎生・湿生・化生の四つの生れかたの分類をあわせたもので、これで
輪廻するすべての存在を包括する。
六道を輪廻することを〈六道輪廻〉という。
829 :
名無しさん@1周年:2001/08/10(金) 22:38
まぁ、大激論だったけど、どっちが勝った、負けたっていうより、
いろいろ勉強できてよかったんじゃない?
っていうと、渡海さんはプライドが許さんのかな?
俺が正しかったって。
でも、渡海さんだって100%じゃなかったよね。
まぁ、交通事故やボクシングの試合みたいに“100%−0%”とか“40%−60%”
とかって判定しないで・・・。
830 :
アストラル界の馬鹿どもへ:2001/08/11(土) 00:47
人々は人生を恐れているので、神の存在を信じます。けれども、神が何であるの
かを知るのはあなたが人生を愛しているときのみです。けれども我々の多くは
人生を避けています。聖職者たちやいわゆる宗教家たち全てがするようにです。
彼ら―――聖職者たち―――は人生を抑圧したいのです。彼らはそれを形成し、
鍛錬し、支配し、人生からあらゆるものを追い払いたいのです。そしてその結果
彼らは神について延々と語りますが、神にはちっとも近づいていない、からから
にひからびた貧弱な人間であるのです。神が何であるのか見つけ出すのは、全く
異なる問題です。それは驚くべき叡智が必要です。―――仏典を読むために
じっと座ったり、善行に励んだり、あるグルに追随するのではなくです。
神、真実なるもの、があるのかどうか発見するためには完全に成熟し、偏見のな
い、豊かで恐怖で台無しにされていない心とハートが必要です。
831 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 01:02
悟りはむずかしいものではありません。きわめて誰にでもできる簡単な
ものです。まして宗教は一部の人たちが研究すると言った大げさなもの
ではないのですね。おおざっぱにいえば、他人をいとおしみ、ねぎらっ
たり、やさしくしてあげようという心は宗教心に通じます。神は私たち
の心の中にいます。神はいないという人は、自分で神の問いかけをさけてし
まっているのです。宗教心は神からの私たちへの問いかけ、およひそれ
に対し私たちが応答することです。
さて、悟りとは私たちの迷いはどこからきているのかを理解することです。
物事には必ず原因があり結果がありますよね。苦しみというのも必ずその
原因があります。他人に嫌われる人にも同じく何かの原因があるはずです。
自分かもあるいは他人にあるかもしれない。その因果関係を冷静に見抜き、
その現実をまずは受け入れること。これが単純にとらえた悟りというものです。
832 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 01:08
単純だけど簡単ではないだろう。
この世の中、単純なことほど難しい。
初めてここに来たけど、渡海さんって思いやりの心が無いんだね。
余計な単語つけて不必要に相手の気持ちを逆なでしてる。
人として、学があっても徳が無きゃ、学も意味無いと思います。
834 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 07:52
>>832 そう思う。
>悟りはむずかしいものではありません。
>きわめて誰にでもできる簡単なものです。
>>831の文章は上記以外は同意できます。
>>833 同意。
>>831 >その因果関係を冷静に見抜き、その現実をまずは受け入れること。これが単純にとらえた悟りというものです。
なるほど。それでは、早く因果関係を冷静に見抜き、現実をまず受け入れてしっかり悟ることを貴方にお勧めします。
>>833 >渡海さんって思いやりの心が無いんだね。
そうですね。思いやりの心は無いかも知れませんね。それで貴方は思いやりの心がある方ですか?。ご立派な方ですね。貴方にはどのように思いやるの心があるのでしょうか。
>不必要に相手の気持ちを逆なでしてる。
逆なでを受けるような気持ちの部分が貴方にあったようですね。僕の発言で、不必要に逆なでを受けた貴方の気持ちとはどの部分でしょうか?。さぞかし貴方にとっては、宝物のように大事な部分なんでしょうね。そんな気持ちは、後生大事に守ろうとするよりも、逆なでを受ける前に捨てちゃった方がずっとサッパリするかも知れませんよ。僕以外の人から同じような目を受けと、また貴方は不必要に逆なでされたような不愉快な思いをするかも知れませんからね。
>学があっても徳が無きゃ、学も意味無いと思います。
本当ですね。徳は必要ですね。難しいですね。自分では学も徳もないと思っていますよ。
837 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 09:13
>自分では学も徳もないと思っていますよ。
もうそろそろ
>>432でいうところの【8】か。
>8 開き直って「私は悪人です。私の言うことなんて……」と卑下発言。
>もしくは「仮説」に逃げる。
渡海難、一方的勝利宣言まであとわずか。
ガンバ!
838 :
名無しさん@1周年 :2001/08/11(土) 10:34
>渡海難、一方的勝利宣言まであとわずか。ガンバ!
勝ち馬の尻に乗ろうとしているの?
アストラル界の馬鹿どもへさんの話は
いつも面白いです。楽しく読ませてもらってます。
840 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 12:23
渡海(とうみ)はまず、中村元からやり直すことを、薦める。
井の中の蛙で、何も聞き入れない。
ここは、もう渡海を構わず、渡海のいないスレで、マトモな議論した
方が大人だろう。
仏典には外道は地獄に落ちると、ある。
間違った教えを広めたものは、地獄の期間が無限になる。
どうか、渡海、早く気づけ!
これが最後の慈悲だ。
841 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 12:34
渡海はあらゆるスレにやってくるよ
どんなスレにも自説を書き込む権利があると思っているから
842 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 12:39
>>841 2ちゃんで議論する限りは、渡海の荒らしは覚悟しなければならない。
絡まれたら無視するしかない。
843 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 12:55
渡海よ、自分が「荒らし」だということに早く気づけ。
頼むよ、渡海。
844 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 13:07
今日は土曜なので、早い時間に渡海は現れるでしょう。
みんな無視しましょうね。
外道の教えを入れると、地獄に落ちますからね。
>>840 >渡海(とうみ)はまず、中村元からやり直すことを、薦める。 <なるほど。なるほど。>
>井の中の蛙で、何も聞き入れない。
ほほう。それで貴方は、中村元さんを勉強されて人の話が聞けるようになりましたかな?。中村元さんというのはお偉い方のようですね。何でも聞き入れる人に貴方を育ててくださった。そこういういうことでしょうか?
>ここは、もう渡海を構わず、渡海のいないスレで、マトモな議論した方が大人だろう。
マトモな議論は、子供には無理でしょう。(笑)
>仏典には外道は地獄に落ちると、ある。間違った教えを広めたものは、地獄の期間が無限になる。
そうですかそうですか。それでは精々貴方もお足下をお気をつけ遊ばせまし。
>どうか、渡海、早く気づけ!
中村元さんを勉強された貴方でも、自分で自分を気付くことはなかなか出来ないようですね。
>これが最後の慈悲だ。
ほほう。貴方は他人にお慈悲を垂れているおつもりのようですね。ご尊顔を拝すれば、さぞかし夜叉のように神々しいお顔の方なんでしょう。
>>841 >渡海はあらゆるスレにやってくるよ
僕が興味のないスレなどは山ほどありますよ。
>どんなにも自説を書き込む権利があると思っているから
貴方の場合、自分が自説を書き込むことを制限されているスレはどこですか?、そのよなものがあるのですか。自分は制限を受けないけど、渡海難は制限を受けると貴方は思っているんですか?渡海難は特別な人間ですか?
>>842 >絡まれたら無視するしかない。 <いやはや。嫌われてしまった。(苦笑)>
>>843 >渡海よ、自分が「荒らし」だということに早く気づけ。
はて?どこを荒らしましたかな? 貴方のお心は大変荒れているようですね。
>>844 >今日は土曜なので、早い時間に渡海は現れるでしょう。
とっくに現れていますよ(苦笑)。
>みんな無視しましょうね。 <嫌われてしまった(苦笑)>
>外道の教えを入れると、地獄に落ちますからね。
外道の教えでなくても、貴方は地獄に落ちるかも知れませんね。(笑)
848 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 13:30
悟りを開くだなんて、無駄な事はおやめなさい。
あれこれ考えたとて、元の木阿弥。
釈迦の境地になれど、自分の存在理由、生きる意味、死後の事など
解るはずも無し。
でも、イエズス様はしってるよ、聖書よんでね。
849 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 13:32
>>845 >ほほう。それで貴方は、中村元さんを勉強されて人の話が聞けるようになりましたかな?。中村元さんというのはお偉い方のようですね。何でも聞き入れる人に貴方を育ててくださった。そこういういうことでしょうか?
そういうことです。
>マトモな議論は、子供には無理でしょう。(笑)
いいえ、大人です。
あなたの子供の定義は?
>中村元さんを勉強された貴方でも、自分で自分を気付くことはなかなか出来ないようですね。
いいえ、自分に気づいてます。
>ほほう。貴方は他人にお慈悲を垂れているおつもりのようですね。ご尊顔を拝すれば、さぞかし夜叉のように神々しいお顔の方なんでしょう。
はい。神々しい顔をしています。
850 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 13:36
渡海さん、お願いですから、このスレには来ないで下さい。
私は、真摯な議論を聞きたいんです。
あなたは、気づいてないでしょうが、ここは本当に荒れてしまいました。
あなたがいると、本当に荒れてしまうのです。
このスレの最初の頃は、色々な方が色々教えてくださったのですが、
みんな離れて行ってしまいました。
お願いですから、ここには来ないで下さい。
真摯な姿勢で、学びたいと思っている人間がいろことにも、
どうか、お気づき下さい。お願い致します。
>>849 そうですか。そうですか。あなたはご立派な方でしたか。なるほど。なるほど。
自分から、自分をお偉い方、神々しい顔の方と名乗られる方には、始めてお会いしましたよ。
僕のような人間には、なかなか真似はできませんね(笑)
実るほど 頭(こうべ)の垂るる 稲穂かな。 あさましや。はずかしや。
>>850 >渡海さん、お願いですから、このスレには来ないで下さい。
あなたが会員制のスレを作ればいいでしょう。
852 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 14:16
渡海さん、もう荒らすのはおやめなさい。
みんなに批判されるから腹いせに、ではあんまりですよ?
結局このスレは、あなたの荒らし以外なにも残りませんでしたよ。
もっと、理論的になってください。
今のあなたは、ひたすら「ばーか、ばーか」と言うだけの
子供にしか見えませんよ。
ご自分を見つめて下さい。
自分より素晴らしい方は、賞賛して、自分もそのようになれるような
練習をしましょう。
853 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 14:28
悟りについての話は始まらないですか?
本に書いてあることじゃなくて実体験で
ありませんか?
854 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 14:57
>853
悟りについて語りたくても、渡海が荒らすので、
ここでは誰も語らないでしょう。
855 :
未知の人間:2001/08/11(土) 19:22
うーん、実体験でねえ。私には難しいなあ。
でも、皆さんは何の為に、何故、悟りに関心があるのだろうか?私がここに来るようになって、悟りに付いて得た実感
とは、ホント色々な悟りがあるっていうことなんですよ。
かつての私は、悟りを開くと言えば、仏陀になることだけだと思っていたんですからね。
そこで、私が見て、この人は仏陀だと思える人は、いくつかの条件を満たしている人だということは、私なりに持っています。
一つ、形而上、形而下を問わず存在と世界を正しく見渡す事ができる。
二つ、それらの事柄を言葉を巧みに説く事ができる。
三つ、それらの説かれた事を、明らかな現象をもって解き明かす事ができる。
以上、未知の人間が仮定する仏陀の条件。尚、仏陀とは仏教の枠に捕われない。そう言う状態の人を指す。
私の独断と偏見で言えば、十界的な言葉を使って、菩薩以上の存在の人は、世の為人の為にとても忙しく立ち働いている
と推測するので、あまり自分の悟りには興味を持っていないのではないかとも思います。
縁覚乗でも、高い存在にいる人は、超天才クラスで、この世ではその世界で超一流になってしまい、今度は自分の為より回りの人達の
ことを自然に考え出してしまうだろうと思うのです。また、縁覚乗の中級クラスの人も、その人なりの世界で人一倍の努力を惜しまず
その世界の人々からは賞賛を受ける実績を出すであろうと思います。
声聞乗に存在する人はごく一般的な普通の人ですが、その中では立派な人として生きているに違いないと思います。
以上、思いつくままの書きなぐりですが、言いたい事は、理論と実力が等価であって一致しなければ悟りとは言えまいと言う私の意見を
書きたかった訳ですよ。普通、悟りと言うとどうしても仏教とか宗教と言う枠組みから抜けられない気がしてならないのですが、そうでも
ないでしょう。そうなってくると、宗教と言うものは、一体何なのかってことにもなってくるが。まあ、本来なら宗教と言って特別視する
べきじゃないのかもしれない。どうだろうか?
(あと、すみません。これは個人へのレスなんですが、nanasiさん、質問の答えありがとう)
856 :
アストラル界の馬鹿どもへ:2001/08/11(土) 20:15
中村元、あの元巨人監督(藤田)の誰かも支持なさったお人ですね。。。
あれは何教にあたるんでしたっけ?立ち読み程度に読んだ記憶はあるのですが...
誰か教えてください。度忘れしていまいました。(^^;
857 :
名無しさん@1周年:2001/08/11(土) 20:22
858 :
アストラル界の馬鹿どもへ:2001/08/11(土) 20:56
ま、要は、インド哲学へ初めて入学なさった日本人と解釈できるのではない。
ですか?そのような人です。彼自身はきっと涅槃の背元まで逝ったに違いない。
でもできなかった、というその程度の人です。結びつく人は結びつくでしょう。
ただそれだけです。
859 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:33
>彼自身はきっと涅槃の背元まで逝ったに違いない。
だったらすごいじゃん。
ところでまだ生きてるの?
それならこれから涅槃にいけるかもしれない。
860 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 00:36
中村元は1999年10月10日逝去
861 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 02:57
862 :
堕靡泥の星:2001/08/12(日) 02:59
863 :
861:2001/08/12(日) 03:11
864 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 06:10
しばらく来ない間に色々論争みたいなことがあったみたいだけど、
言葉上でキツイ言い方をすることはあっても、
心の中で菩提心を捨ててしまわないようにね。
できれば、言葉もおだや課&まろや課にすることが無難だけどさ。
>>645 名前:未知の人間
>全ての仏教者が御釈迦様(仏陀)の悟りを超えている。また、超えていなければならない。ともある訳だし、このスレの方々も悟るのは誰でも悟れるなどとも言っている。この悟りも(仏陀)の悟りを超えているのでしょうか?
議論は、立場立場で結論が違ってきます。表面の相違に拘束されず、背後の本質に目を配ることが必要だと思います。
漠然とした形で考えてみます。「悟りはどこにでもある。誰でも悟れる」。こう主張される場合に想定されている悟りという言葉が持つ概念がひとつあります。例えばこれは禅宗系の人々から出てくる概念だと思います。「人には悟りはない」。こう主張される場合に想定されている悟りという言葉が持つ概念が別にあります。これは浄土系の人々から出てくる概念だと思います。実は、この二つの概念は、同じ言葉で、本質的に違う。違う意味の概念を同じ言葉で表現しているため、概念間で混乱が生じているようです。
禅宗系の人々がいう悟りの概念を浄土系の人が説明する場合、信心という別の言葉を使って別のアプローチの方法を取ります。浄土系の人々がいう悟りの概念を禅宗系の人が語る場合には、教化という別の言葉を使って別のアプローチの方法を取る。アプローチ方法に違いがあります。これは発想方法の違いに基因します。言葉の概念の統一を図らないと悟りの議論はできないと思います。
悟りという言葉で混乱が生じた原因は、仏教に大乗仏教と小乗仏教とがあることに遠因があると思います。ところが、このように大乗仏教と小乗仏教とで対立的に捉えるのは、これは大乗仏教の立場でしょう。小乗仏教から見れば、大乗仏教というのはたくさんある仏教分派の単なる一派に過ぎないでしょう。ここでも立場立場で見方が違う。見方の違い、見え方の違いをきちんと整理していかないと話が混乱してくる。そう考えます。
お釈迦様はたくさんのお弟子さんを育てた。お弟子さんの中から、立派な人が続出した。比喩的に言えば、こんな言い方ができるでしょう。例えば数学者が出た。物理学者が出た。政治家が出た。企業家が出た。その中に、教育家も出た。教育家はたくさんのお弟子さんの中の一人である。こうも言える。ところが、教育家からすると次のようにも言える。お釈迦様のお弟子さんは、教育家と教育家以外の人々に大きく二つに分かれる、と。さらにこうも言える。お釈迦様は教育者だった。だから、教育家たちこそお釈迦様のお弟子の本流であると。
教育者の目標はどこにあるか。裏表の関係にある同じ事を、重心を表において議論するか、裏に置いて議論するかで結論が異なってくる議論があります。具体的な生徒一人一人を自分の真正面で優秀な人材に育ててていくことをまず第一に考え、生徒が優秀な人材に育っていく結果で教師自らも育っていくと考える考え方。まずそうした考えがあります。別の考え方もあります。教師自身が優れた教師になっていくことをまず第一とし、優れた教師になっていく背中で生徒を育てていくという考えがある。教育を考えた場合、こういう二つの道がある。本質は同じだけど、議論の重心が違う。そんな相違が禅系の思考方法と浄土系の思考方法とに反映しているように思います。議論は、重心の違いで結論が異なってくるけど、本質は同じ事を言おうとしている。立場の違いに注意しながら、仏教が言う悟りを少し考えて行きたいと思います。
(続く)
867 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 08:08
悟りとは、諸々の概念の中にあるのですか?
想定され得るものなのでしょうか?
その方法を辿って、本当にアプローチできているのでしょうか?
或いは、そのものに、触れられるのですか?
言葉は概念を持っているというということです。違った概念が同一の言葉で表現されることがある。同じ概念が、違った言葉で表現されることもある。同じ対象を別の角度から見ていることもある。
例えば、富士山を頂上から見た場合と、麓からみる場合では話が違う。頂上から議論する人と、麓からの話をする人がいれば、同じ富士山という言葉を使っていても、相手の立場を考えないと議論が噛み合わなくなる。
静岡側から見た様子を10人の人が写生すると、みな微妙に違う。相手の主観を検討しないと話が混乱する。
一人の人でも、静岡側から見た様子を写生した絵と、山梨側から見た様子を写生した絵では形が違う。同じ次元でも南から北を見ているのか、来たから南を見ているのか、方向を考えないと議論が見えなくなる。
悟りも同じ事で、先人の主張は、概念、定義、立場を考えていかないと議論が噛み合わなくなるということです。
869 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 08:29
>>868 そこまで言うのなら他人の意見を呪文だの、宇宙語だのと言うなよ。
870 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 08:39
>>868 親切にこたえていただきありがとうございます。
871 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 09:02
>>868 富士山の例えなかなかいいと思います。
頂上からは麓がよく見えるが、麓から頂上は見えないんです。
ですから、あなたは誰とも話しがかみ合わないんですね。
勿論、あなたが麓ですよ。
頂上の方から見ると、あなたは間違いだらけなので、
指摘することが可能なのですが、麓のあなたからは、
頂上が理解出来ないのです。ですから、なんでも呪文と言ってしまうのですね?
わかりますよ。
しかし、どんなに高い山でも、必ず登ることが出来ます。
みんなになんと言われようと、一歩ずつ、確実に登ってください。
頑張って下さいね!
872 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 09:18
>>871 そういう言い方をしたらまた渡海難は意固地になるんだろうな。
事実かもしんないけど。
>>871 頂上から富士山を見ると、山は眼下に見えます。眼下に見た写生画こそが富士山の正しい写生画である。頂上の人はそういうかも知れない。それはそれでいいでしょう。悪いとは言わない。麓からみると、山は目の上に広がっています。見上げて見た写生画こそが富士山の正しい写生画である。麓の人はこういうかも知れない。それはそれでいいでしょう。
実際は麓にいるのに、眼下に見た写生画を示し、これこそが富士山の正しい写生画であると言ってくる人がいる。麓にいながら、彼らは自分たちが頂上にいるんだと言い出す。湖に映った逆さ富士の幻影を見れば山は眼下に見える。そこでは、末広がりの富士山がすり鉢状になっている。話が逆転している。すり鉢状の富士山画は富士山の絵ではない。あくまで湖の絵である。湖と称すべきものを富士山と定義し、あたかも自分たちは頂上にいるような口振りでいれば、本人は真剣でも、聞いている人には呪文のように聞こえてくる。眼下に見た写生画が描ければ自分は頂上にいるんだと思ったら間違いでしょう。
874 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 10:50
水かけ論だな。
875 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/12(日) 11:32
・大おやかゆ
く切りまため
るなるかがゆ
しのとらてめ
いはきおんわ
のの りぐす
はぼ れとれ
八る ななな
合と くりき
目き なはよ
かよ ってう
らり たし。
876 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/12(日) 11:33
|| ___ T || |
\ / || つ 一一一一 ____ || __L__
\/ 一一}一一 / __L__
/ __|_ / |
<___ ____/ L_/ \ <__ し
|| ___ T || |
\ / || つ 一一一一 ____ || __L__
\/ 一一}一一 / __L__
/ __|_ / |
<___ ____/ L_/ \ <__ し
_ _ __}__
「_L_」 ____ \ 1 \ | | /
L_}_」 / | 一一十一 | | | 八_
__L_ / | / | | | /
/|\ <__ |/ / _| | | _工_ ♪
/ | \ V U \ V
877 :
敬:2001/08/12(日) 13:03
>>理論と実力が等価であって一致しなければ悟りとは言えまいと
理論の前に実力ですよ。理論だけの悟りなんて存在しませんが。
実力があっても理論が出来ない何ていうのもたくさんあるんだよ。
悟りは色々出来る力。
878 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 13:30
教えがいかに立派で、正しくとも、その修行をして悟れなければ意味がありません。
その教えで、悟れるか、悟れないか。
多くの人が悟れる教えが優れた教えでしょう。
879 :
:2001/08/12(日) 13:32
・げっぷを出している人ではなく、空腹な人に食物を食べさせなさい。
・他の人たちに立ち去るよう求めるよりも、私達が立ち去る方がずっと
よいことである。
・もし私達が利益の分け前を望むならば、私達はその罪をも分かち合う
べきである。
・全てに対する平等な愛は、あなたを神に気付くことができるようにす
るでしょう。
オーム スワミーエ ナーマハ
880 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 13:35
それにしても笑えるな。
悟りにおいては体験が大事、理屈で語っても仕方がないと言ってるやつほど
別の場面では、理論と実力が等価なんてことを言ってる。
単純に言ってることが矛盾してるってことに気付かないのかな。
881 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/12(日) 15:28
| | Λ
| |Д゚) .....ダメナヤツハ...
| |⊂)
| |∧|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | Λ
| |Д゚) .....ナニヲヤッテモ...ダメ...
| |⊂)
| |∧|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | サッ
| |)彡
| |
| |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
882 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 17:38
>876
ついに大悟徹底したな。
883 :
なんし:2001/08/12(日) 18:07
悟りたいって奴は「悟り」の亡者、煩悩の塊。
884 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 20:34
富士山の例えは面白いと思いました。
富士山の頂上が目的地である悟りの境地だと、静岡県側から登る人もあれば、山梨県側か
ら登る人もあるでしょう。
五合目まで車で登って、そこから徒歩で登る人もあるし、麓から徒歩の人もいるでしょう。
全く歩かずに、東京から一気にヘリコプターで登っちゃった人もいるでしょう。
多くの人が登った登山道を登る人もいるし、ほとんど人の登ったことのないルートを登る
人もあるでしょう。
中には、丹沢や箱根に登って、富士山に登ったと勘違いしている人もあるかもしれません。
到達した頂上は同じですが、経路はさまざまです。
そして、それぞれが未だ東京に居る者に対して、それぞれが辿った経路が富士山頂に登頂
できる道だと教えます。
また、行程が違うと、頂上からの景色の見え方も違うのではないかと思います。
それが宗旨宗派の違いなのかなぁ?と思いました。
全行程を徒歩で、自分の足で登れればすばらしいと思いますが、残念ながら、私にはそん
な体育会系の根性も、体力もありません。
できれば、ヘリコプターで何の労もなく連れてってもらいたいものだと思います。
885 :
未知の人間:2001/08/12(日) 21:09
渡海 難さん
いつも御丁寧なレスをありがとうございます。多くの人達?が貴方の書き込みに怒りを抱いておられる様ですが、
それは,自分にとってはどうでもいいことです。私は貴方の書き込みから、得るものがないとは思わないから。
しかし、皆さんは他人の悟りが気になってしょうがないようですねえ。誰かが、偉そうに私は悟ったなどと言おう
ものなら、それを否定せずにはいられないに違いない。私に言わせれば、情けないとしか言い様がないですね。
そもそも、これだけ表層の言葉の解釈で、混乱し、水掛け論を展開しているようでは悟ってないのを自ら証している
ようなもの。
例 私は悟りました。いいえ、貴方は悟っていません。いや、貴方こそ悟っていない。何を言う。私は悟ったよ。
私の悟りが解らないキミは悟っていないんだ。何を言う。私の悟りが解らないアナタこそ悟っていない訳じゃないか。
おかしいですよね。みんなわかっていることです。でも、やらずにゃいられない。そもそも、仏陀と同じ状態じゃない
人が、他人の悟りに付いて断定できる筋合いじゃない。資格がないのです。無免許運転をしているようなものです。
私はここに仏陀と同じ境地の人などいないと思っています。いれば、自然にその人の周りには人が集まってくる。実力
があるのだからね。実力のない悟りなど、絵に描いた餅と同じ。
ただ、人間には創造力があるので、想念のあり方ひとつで恍惚感に浸ったり、自分の素晴らしさに酔いしれることはできる
わけであります。でも、それは誰でも同じです。特別かもしれませんが、みんな同じですね。しかし、それを私は悟りである
とは思いません。誰にでもある想念の状態の一種というだけですね。だからといって、それを貶めることはできませんけれど。
まあ、渡海さんの事で問題があるとおもうのであれば、実力で何とかしてください。彼以上の悟りを自負するなら、実力を行使
すれば済む事です。不愉快な思いから逃げたいのであれば、覚者になるのはまず無理でありましょう。
886 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 21:34
>未知の人間
>私は悟りました。いいえ、貴方は悟っていません。いや、貴方こそ悟っていない。
>>871のレスを受けた、
>>873の渡海難の発言がまさにそれ。
887 :
名無しさん@1周年:2001/08/12(日) 22:01
>しかし、皆さんは他人の悟りが気になってしょうがないようですねえ。誰かが、偉そうに私は悟ったなどと言おう
ものなら、それを否定せずにはいられないに違いない。私に言わせれば、情けないとしか言い様がないですね。
そもそも、これだけ表層の言葉の解釈で、混乱し、水掛け論を展開しているようでは悟ってないのを自ら証している
ようなもの。
ぜんぜんトンチンカンな感じがする。
渡海難は悟りを開いたなんて言ってないだろうし、誰も悟りを開いたと主張している者を攻撃しているわけじゃない。
悟りを開いてる者を攻撃しているのではなく、コミュニケーションが成り立っていないから攻撃をしているのだろう。
話のスリカエだな。
>>895は、悟りにこだわってるからこそ↑のような自意識過剰なレスをしている。
誰も渡海難を妬んで貶めたいなんてことは思っていない。
自らを攻撃するやつはすべて自分を妬んでいるからなんてのはとんでもない自意識過剰。
888 :
nanasi:2001/08/12(日) 23:59
神秘体験報告(1)
わたしは<人の子>を生んだことがあります。
889 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 00:14
人類の中で一番素敵な神秘体験ですね。(笑)
890 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 00:17
>nanasiさん
は主婦?めずらしいね。悟りに興味があるって。
891 :
nanasi:2001/08/13(月) 00:34
神秘体験報告(2)
<人の子>の寝顔は、生きた仏様のようでした。
(多少仏像マニアだったこともあり、奈良や京都の国宝クラスはほぼ押さえていた私が言うのですから、
誇張および間違いはありません。)
892 :
nanasi:2001/08/13(月) 00:52
神秘体験報告(3)
なぜうちの子だけ、、、とひそかに慄いていたら、
隣の子もそうだったので、更に慄きは増しました。
その後も人知れず調査を続けたところ、<人の子>はみんなそう、でした。
893 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 07:48
>>885 >まあ、渡海さんの事で問題があるとおもうのであれば、実力で何とかしてください。
>彼以上の悟りを自負するなら、実力を行使すれば済む事です。
>不愉快な思いから逃げたいのであれば、覚者になるのはまず無理でありましょう。
正論です。
しかし、アレフの上祐を、言い負かさなかったら、お前らは上祐以下だと言っているようにも思える。
どちらかというと、自分の考えに自信を持ちすぎていて、素直に他人の言葉を聞く耳を持たないものを
言い負かせというのも無理無体な話しだ。
894 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 08:01
悟った人がいるならそれは素晴らしいことだと思うけど
それについて違うと思う人が失礼のない言葉で違うと思うと述べることは
別にいいんじゃないの?
その批評が自分に当てはまらないと思うなら、その批評を別に気にすることもないのだし。
895 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 08:45
>>894 まず疑問をもつっていう姿勢は大切だと、私も思います。
疑問を出しても、出しても、どれ一つとして間違っているといえないものが真実でしょう。
疑うことなくして、真実であるかどうか分からないと思います。
896 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 11:22
仏陀が言ったのは、欲を無くして、良心的に生きろって事でしょう、
苦しみを少なくして精神的に気持ち良く生きるにはどうすれば良いか
教えただけで、それが悟りなんじゃないの。
大悟なんて大層なのは仏陀の教えじゃなくて、後世の教団が作った物じゃないの。
897 :
未知の人間:2001/08/13(月) 20:26
893さん
私の885の書き込みはあなたのような人に向けて、言うものではありませんし、また、言うつもりもありません。
ただ、紛らわしい言いまわしを使って申し訳なかったとは思いますが、皆さんが、あまりにも渡海さんに傷つけられて
困り果て、あの人には書き込まないでくれ。とか、相手にするな。とか言う具合になってきてしまい、私としては渡海さん
に質問したいことがありますし、私の質問には、御丁重なレスを書いてくれるので、どうにかしたくてサイを振ってみたんです。
かつて、このスレが200前後だった頃に私はここに入ってきたのですが、その時もピエールさんという人がいて、色々と
あったようで、彼はもう来なくなってしまった。私は彼に質問してみたいことがあったのですが・・・。そしてその時、彼を
沈めたオレの偉業を称えよなどと、バカなことを自慢している人もいた。
議論に勝ったから、相手を言い負かしたから、その人の方が存在の状態が上であるとはおもえませんし、私はそうじゃないと
思います。実力を行使すると言っても、そう言う意味で言ったのではないのです。だってもしそうだとしたら、一番喧嘩に強い
者が覚者になってしまう。ちょっと違うだろうと私は言いますよ。
あと、私の個人的な意見を言いたいのですが、ここに参加する名無しさん達、HNを決めてもらえませんか?何をするにせよ、名乗る
ことがなければ、受ける方に礼儀がないと思われてもしょうがないですよね。批判、中傷をするのは自由かもしれませんが、それなら
自分の発言に、少しは責任を持って、これは何某の意見であると表明するのが道理だと思います。それに名無しさんだと、掴み難い
人間像がさらに掴み難くなります。これだって、混乱のもとに十分なっていると私は思う。
898 :
名無しさん@1周年:2001/08/13(月) 20:53
>>897 コテハンの件なんですけど、コテハンを使おうって呼びかけられたこともあったんです。
私も宗教板で少しは知られたコテハンを使っていたんです。
でも、いろいろあって疲れてしまって辞めちゃいました。
あなたの言っていることは正しいです。
みんながコテハンでカキコすれば、言い放しの恥知らずな煽りや中傷は減ると思います。
コテハンと言えども2チャンネルでは自分の名前ですから・・・。
899 :
未知の人間:2001/08/13(月) 21:17
898さん。レス、どうもありがとう。あなたのような人を数字で呼ぶのは、とても心苦しい想いがします。
経緯は私には分かりませんが、あなたは疲れていらっしゃるようです。今度は私がガンバッテみますよ。
愚かなことを書き込むこともあるんですが、よろしくお願いします。
900 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 00:16
>あと、私の個人的な意見を言いたいのですが、ここに参加する名無しさん達、
HNを決めてもらえませんか?何をするにせよ、名乗る
ことがなければ、受ける方に礼儀がないと思われてもしょうがないですよね。
ピエールは複数のハンドルを多用していると公言していた。
しかも、同じスレでハンドルを変えて自画自賛レスをつけていた。
失礼を通り越して狡猾さを感じさせる。
こういうのを実力と呼ぶのか?
名無しハンドルよりも、同一人物が複数のハンドルを使って自分の別ハンドルを
応援するようなレスをつける方が悪質だとは思わないか?
ピエールはこのことを突っ込まれると、2ちゃんねるごときで熱くなるなと返していた。
また、ここでは故意に誤解を招く表現をしているとも言っていた。
こんな発言さえなければピエールは責められることもなかったはず。
未知の人間は自分にきつい口調のレスをつけない者のレスを御丁重と言っているだけだな。
ピエールはここには来なくなったけど別スレで活躍してるよ。
困ったもんだ。
902 :
nanasi:2001/08/14(火) 03:57
神秘体験報告(4)
<生きた仏様>の尊顔は、生後六ヶ月あまりで消えてゆきます。
ほんの短い間の出来事ですが、奇跡は存在するのだ、と思います。
903 :
未知の人間:2001/08/14(火) 11:08
900
>未知の人間は自分にきつい口調のレスをつけない者のレスを語丁重と言っているだけだな。
多分、その通りだと私もおもいます。普通の人間としての情緒が活動しているなら、ある意味当然だと思います。
恐らく、誤解の風を送る縁になると思いますが、私の個人的な実力に付いての意見を述べてみましょう。
同一人物が複数のハンドルを使って情報操作を行うことなど、これも立派な実力だと思います。でも、実力は悪用も
出来ます。これは、難しい判断ですが、何事も、まず、どのように受け止めるかで始まり、そこからどういう関係を築き、
どう言う結果を出すか、で物事は進展して行きます。そして先にどうなるかが解らないのが人生であります。いくら念密なシュミレーションを行っても、思いがけない事態に出会う。そこから先が、私には悟りの力がものを言うような気がするの
です。事態はグレイゾーンで観えない。あるいは、暗闇かもしれない。それをそのまま受け取って、そなまま返せば、人間の自由意思と言う権能を使っていないか、あるいは暗転の縁を増幅させているだけとしか私には思えない。
人間の悟り、智慧はまさに、この部分で事態を動かせるのが実力の一部なんだとおもいます。だから、その実力は、個人の宝です。おそらく、死を超えて持っていけるものは、そういうものではないかと、想像します。
人間なら、誰にだってあるものです。かつて唯摩経の入門本で読んだのですが、浄土とえ土は、外側の世界にある
のではなくて心の中にあるとありました。衆生には外の世界を縁にして心の中にまで不浄の世界を映し出してしまうのに
対し、仏は世界の不浄の中にさえも浄土をしっかりと見出す。とありましたが、私もその通リだとおもうのです。
他人の悪意は外の世界からやってくるものです。しかし、それを受けた時には自分の心の中に入ってきます。
我々はどうするのがまず、自分にとって良いでしょうか?でも、他人の自由は奪いたくないですよね。
基本的に私は心(内側)の方が肉体(外側)よりも長生きすると信じておりますので、より、内側を重要視します。
外側の悪意に対しては、この世では不愉快千万を極めますが、これにはここで、答える必用をあまり感じません(続)
904 :
未知の人間:2001/08/14(火) 11:43
私自身のことを言えば、そういう悪意に対しては波長をあわせないようにすれば、何とかこれに付いてはしのいで、内側の輝きを保っていきたいと思っています。しかし、悪意や怒りなどを受け取って、自分の中に受け入れてしまい大変な想いをさざるを得ないのが、人生かもしれません。かつての御釈迦様やイエス様は、悟りの直前に、菩提樹の下で、あるいは砂漠の中で、魔、と言うものの力を制しています。この方々は外側、内側などあまり意味もないかもしれませんが心の中に湧いてくる悪意の根を確りと制する事に成功したんだと私は思います。彼らは外側からどんな悪意を受けても、輝きは失わなかった。しかし、この方々にしても、外側の悪意に対しては、どのような態度をとっていたんだろうか。何故、あんなに無力の様にしていたのだろうか。その彼らでも、苦悩する人々に救いを与える時、命令や強制と言う力を行使するより、智慧を授けるだけで後は本人に任せると言う態度の方が多いように思えます。それほどまでに彼らが尊重していた人間の自由意思とはいったい何なのでしょうか。私見としては、私達人間は、自我が苦しんでも、何か大切なことをする必要があるからに違いないとおもうのです。私自身がピエールさんや渡海さんに質問する動機は知識が欲しいと言うより、無意識の層に溜まっている善悪混在の意識を弁別してみたいからです。相手との関りは、自分を映す鏡になると言う法則を使います。だから、喧嘩をする為にではないのですよ。まあ、必用と感じるセンスが働くのだから、私には傲慢な質があるという事ですね。(彼らの意図は私には不明ですが)傲慢さを識るには、傲慢さに入ってみないと解りません。行きはヨイヨイ帰りはコワイ。悪意は、本当に必要でない限り、自分の心の中にはいれない方が心の為。そこまで弁別できればの話しですが。多分、本心では誰にでも出来ているのではないかと私は思ったりしますけれども。
905 :
nanasi:2001/08/14(火) 17:47
神秘体験報告あとがき、に代えて。
八つになりし年、父に問いていわく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云う。
父がいわく、「仏には、人の成りたるなり」と。
また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。
父また、「仏の教へによりて成るなり」と答ふ。
また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。
また答ふ、「それもまた、先の仏の教へのよりて成り給ふなり」と。
また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、
父、「空よりや降りけん。土より湧きけん」と言ひて笑ふ。
「問い詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。
(「徒然草」第二百四十三段/吉田兼好)
906 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 21:00
907 :
未知の人間:2001/08/14(火) 21:01
nanasiさんは、教養がありますね。徒然草なんて、学生の頃習った時は、こんなもの何の役にたつものかと言って、
放り投げていたのですが。あなたのカキこを見ると当時の私は何を見ていたのかと愕然としてしまう。
もともとはなんなのでしょうね。元もとの、基もと。私は、行ける処まで行って見たい。
1999年の夏の十日間と、五日間は忘れられない懐かしい想い出。今年も今頃きっと・・・。
ああー、自由に使えるまとまった時間が欲しいよう。
>>645 名前:未知の人間
>この悟りも(仏陀)の悟りを超えているのでしょうか?
仏教というのは釈迦の十二因縁の原理を原点としています。十二因縁の原理を根っこにして開いている花は、根の生えている大地より高いところにあるでしょう。
>仏陀のような、神通力を使えるはずだろうと思う。
仏陀の神通力とは何かということだろうと思います。神通力に通じる概念として、大無量寿経というお経では例えば次のような記述をしています。
宿命を識る。過去・将来を見通すことができてくる。
天眼を得る。見えないことも見えてくる。
天耳を得る。聞こえない音も聞こえてくる。
百千億那由他の諸仏の国を超過する。様々な世界が見通せてくる。
自らの愚かさに目覚め、再起・中断・疲弊・挫折をくり返してきたその原因は自分の愚かさにあった。こう気がついたとき、お釈迦様は実に全てのものが様々に教えてくれていることに気が付いたんでしょう。互いに学び合おう。教え合おう。お釈迦様は人々にそう呼びかけた。お釈迦様の提案に賛成した多くの人々が祇園精舎に集まってた。人々はそこで様々なことを教え合い、学び合いました。
互いに学び合い、教え合えば、見えなかった物も見えてくる。正しい認識を得れば、聞こえないことも聞こえてくる。価値観の違う様々な価値観世界も、正しく理解し素直に受け入れられるようになる。そうなると、これまで全く思いもよらなかった昔の事が分かってくる。このままでは将来どうなっていってしまうのか、どうすればいいのかも分かってくる。 神通力が得られるというのは、別に不思議なことではないと思いますよ。
909 :
名無しさん@1周年:2001/08/14(火) 22:28
渡海は雄弁だな。
狐憑きじゃないか?
仏道を成ずるのはこんな思慮分別じゃないだろうに。
908はいいこと言ってるぞよ。
911 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 12:54
912 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 13:05
>>908 >宿命を識る。過去・将来を見通すことができてくる。
>天眼を得る。見えないことも見えてくる。
>天耳を得る。聞こえない音も聞こえてくる。
これはいったい、誰が言ってるのか不思議でなりません。
宿名通は過去というより、過去世を思い出す力です。
自分はどのような転生を繰り返し、どのような因で、今生生まれてきたのか、を知る力です。
天眼、天耳通は祇園精舎に集まった、凡夫が噂話をして聞こえなかったことが聞こえてくる、というバカな力ではありません。
お釈迦様の修行法により、天界という人間界より次元が上の世界を見たり、その音を聞いたりする力です。
ということは、天界の神々の五蘊に近づいてきたということなので、空中浮揚なども起こるわけです。
>>912さん
>>空中浮なども起こるわけです。
空中浮揚は魂があがる事だと思う、その上に書いてある
事に付いては納得です。
914 :
名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 15:23
>>913 912です。仏典に空中浮揚に関するエピソードがたくさんあります。
例えば、神通第一の高弟モッガラーナは、釈迦に言われて、
施すことを嫌う男のところ(塔の最上階)に浮揚して行きました。
「★☆浄土真宗の人いる??☆★ 」で大事な議論が始まったと思っています。向こうを片手間にしたくないので、こちらのレスはしばらく休みます。
レスが900を超えています。どなたか新スレを立ててください。向こうが一区切りついたら参戦します。
空中浮揚は面白い問題です。
916 :
nanasi:2001/08/15(水) 22:13
>>907 いえいえ、私も学生時代は「何がかなしゅうて、、、」派でした(笑)。でも、なかなか気持ちに余裕を持てない時などにふと開くと、意外な発見があったりして良いものです。長い歳月を経て伝えられてきた作品だけが持つ、人間や世間に対する「観察眼」や「洞察力」の鋭さもさることながら、古典に学ぶに多いのは私の場合はやはり「謙虚さ」かなぁ、と云う気が致します。(というのも、謙虚じゃなかったりするからですが/笑)。
兼好の父もかなりな教養人だったわけですが、子供の<実存的>問いに対して真面目に答えつつ、最後にあの返事が出来るおおらかさって、なかなか現代では難しい事かもしれません。
あれは徒然草の中でもラストに記されている段ですから、兼好自身にもきっと慕わしい思い入れがあったのだろうと思います。まぁ兼好パパみたいな親なら子供もカルトに走る事はないだろう!と、いうことで(笑)。
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。
悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
騎(駿馬)を学ぶは騎の類ひ、舜(中国古代聖帝)を学ぶは舜の徒なり。
偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
(第八十五段)
917 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 00:17
>>915 いえいえ、お忙しそうなので、もう来なくていいですよ。
他のスレで頑張って下さい。
あー良かった。
918 :
nanasi:2001/08/16(木) 02:23
古典に言及して、ふと思い出したのですが、、、そういえば、あの結構態度の大きかった弘法大師(真言宗の方ゴメンナサーイ!)すら「オレは悟った、輪廻を解脱した!」とは言ってないような記憶があります。
(確かまだ高野山の奥の院で長生きしつつ頑張ってるんですよね?56億7千万年後に弥勒菩薩が降臨した時その説法を聞く為&「別に<トソツ天/現在(?)弥勒菩薩が思索中の所>ぐらい一人で行けないわけじゃないけど、
みんなが人間界での修行をさぼるといけないから、生きて見張っててあげるから安心しなさい!」じゃなかったっけ?)。
後は推してさるべしで、少なくとも大乗を名乗る日本の祖師方は、私の知る限り誰もそんな大それた事は発言してないように思うのですが、いかがでしょう?
私の知る限り、と言った所で専門家でも何でもないんで、教理史に詳しい方いらっしゃいましたら、私自身教えて頂きたく存じます。極端な話「悟りきらないが故に大乗仏教」だったりしませんか?
スレが900を超えて、こんなオマヌケな問題提議ってアリ?と、我ながら何とも言い様がありませんが、誰か答えられる方いらっしゃいましたら宜しくお願いします。
(あと、もう一つ思うんだけど、どなたが立てるのかは存じませんが、このままのタイトルでパート2を継続するより、<悟りって何だろう?>ぐらいの「謙虚」なタイトルにした方が、無駄なモメ事が少なく済むように思うのですが/笑)
919 :
nanasi:2001/08/16(木) 04:21
しかし真面目な話、このままだと、どこかの宣伝スレになりかねないんで、
適当に終わってしまった方が良いようにも思います。
みなさんは、どう思われますか?
荒らしや煽りの問題のレベルを超えたように私は感じているのですが。
(「僕は悟っていて、動じないから大丈夫!」だとしても、多くの年少の人も見てるわけで、
そういう責任(一旦停止?)はあると思うんだけど、、、)。
まぁ、別スレ立てて頑張って下さるとありがたいんですけどね。
「ア**の教義教えます」とかサ!
渡海死ねやてめえみたいな奴は
くそして寝とけ、ぼけ。
921 :
未知の人間:2001/08/16(木) 18:16
例えば、台風の目は悟りを開いた状態。目に一番近い所が最も強い暴雨風雨圏。
悟りを開く直前の状態も、最も強い煩悩の作用を受ける。このエリアを突破する
実力がなければ、悟りを開くことは適わないだろう。
神秘体験などは悟りではなく、次元を越えた世界の存在に気付かせる為のよすが
に過ぎないに違いない。いくら身体が空中高く舞い上がったところで、それは直接
悟るを開いた人の精神状態と同じとは限らない。前にも言ったが、実力は悪用できる
訳だから、善悪の分別が出来ない人が神通力などを使うことは危険極まりないことと
言える。善用のつもりが、何時の間にか悪用に変わってしまう。
まあ、普通の人が突然百億円手に入れたら、人生が狂ってしまうのと、大体同じ理由
ですね。私はある理由で五百万円のあぶく銭を手に入れたことがありますが、ダメで
したね。ろくな事に使わなかった。たった五百万円を突然手に入れただけで、金銭感覚
がおかしくなりましたよ。基の感覚に戻すのは大変な努力を必要としました。
922 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 18:32
密教で言えば求聞持法を成就して念力の護摩を焚ければ悟りのレベルです。
923 :
名無しさん@1周年:2001/08/16(木) 22:03
悟りなんてねーよ。これが悟りだ。わかったか!
924 :
nanasi:2001/08/17(金) 00:05
私はやはり、神通力を巡ってはこうした場所で賽を振るべきではなかった、と思っています。
921の論自体の整合性に異議があるわけではありません。しかし、これで「超能力に憧れる<人間>)」を
説得出来るのか、というといささか無理があるような気がするのです。善悪の分別と言っても、
「自分の回りこそ<悪>なのだから、<善>なる力を信じて何が悪い?」みたいな幼稚な論法だって簡単に成り立つわけで、
人それぞれが背景に抱えている煩悩世界をあまり甘く見ない方が良いように私は思うわけです。
(そんな風に思うのも「約束された場所で」(村上春樹)というオウム信者インタビュー集を読んだ事があるからですが、、、
「発想が何でそうなるの!?」とちょっと私からは驚くほかない人、でももし実際に回りにいても特に目立つわけでもない人
<意味と絶対>にどうしても引かれて行ってしまう人、、、そういう<親子関係につまずきのある人>は、今の世の中に沢山
いるのだから、あまり安易には考えるべきではないと思うのですが。まぁ私がゴチャゴチャ書くより、文春文庫で最近出たはずなんで
あれはやっぱり読んどくに越したは事ない、と思いますですねぇ、、、しみじみ)。
925 :
おほほの森教団・布教部:2001/08/17(金) 01:17
おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ。
おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ。
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おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ。
おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ。
はぁー、おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ。
926 :
魔境:2001/08/17(金) 02:15
仏道にとって障害となるものを一般に魔業と呼びます。
この魔業を成すことによってひとは必ず魔道に入るのです。
魔について『大般若経』の魔事品、『首楞厳経』および天台の『摩訶止観』のなか
に詳しいのですが長文のうえ煩瑣なのでここでは要約ということにしましょう。
魔には、二種類あるとされています。
つまり外魔と内魔との二つであります。
魔王や魔民が外よりやって来て修行者を悩ませるのを外魔と言います。
この魔王というのは欲界(迷いの世界)の第六天にいて、これを天魔と呼びます。
世間でよく天狗などと言っているのは魔民のことでしょう。
この魔王は迷いの世界の全ての人や生物を自分の配下と心得ていますので、
人が仏道(悟りの世界)に入ろうとするのを邪魔してくるのです。
反対に、世俗のことだけに気を取られて仏道修行など眼中に無いような人は
生死の迷いを抜け出る心配が無いので天魔もこれらの邪魔はしないのです。
魔は飛行が自由にできますし、身体から光明を放ち、過去や未来の事がよく分かり、
その上、仏や菩薩の姿となって弁舌さわやかに仏の教えを説いたりするのです。
このような外魔がやって来て悩ませることがなくても修行者の心の中に煩悩が生
じ悪見に執われ、また高慢な心を起こし、坐禅ばかりしたり、さとりの知慧を誇っ
たりすること、あるいは小乗の修行者のように自分独り苦しみを脱出しようとした
り、大乗の修行者、すぐに迷える衆生を憐れんではこれを救いたいと思ってしまう
心が起こるなど、全て究極的なさとりを得るための障害となるものであるから、
これを内魔と名付けるのです。
927 :
魔境:2001/08/17(金) 02:16
あるいは病気のために修行が止んでしまったり、たとえ精進努力しても生得的な
無力のため徒に身体を損ねるばかりで修行ができないのもみな魔境です。
あるいは、ごく当たり前に道を求める心が起こり、暫くの時間を惜しんで修行を
しても、さとりが得られないので悲しみを覚え日夜涙落するのもやはり魔障であ
ります。また、月日を重ねるうち懈怠の心が増長してその様子に自噴して修行に
むかっても、それは食欲の無い病人が食卓にむかうようなもので、これも魔障と
いえます。
また善知識を尊敬するあまり、この人の糞尿を食してもよいと思うのも魔障ならば、
逆に善知識の日常行為に少しでも欠点が見えると、折角の学ぶべき正法まで捨てて
彼の元を離れるのも魔障です。
貪りや瞋りというような煩悩が起こるのも魔障ならば、そうした煩悩が起こるのを
恐れ嘆き悲しむのもまた魔障であります。
このようにさまざまな魔障が起こるのは修行者の修行に対する心構えの間違いによる
場合もあるが、また、修行者の態度があまりに真面目なために諸々の魔障が最後のあ
がきとして出てくることもあります。
それは恰も、灯明の火がいよいよ消えるという直前の時に一瞬光を増すようなものです。
ともあれ、どのような魔障に襲われようとも、これに驚いてあわめふたく事さえなければ、
仏道修行を誤ることはありません。
928 :
質問:2001/08/17(金) 02:54
福を求めて仏道を行じることが、仏道の障礙となることは、それを誡められるのが当然であると
分かります。
しかし、智慧こそは仏道修行の助けとなるはずのものです。
にも拘らず、禅門においては仏教教理を学ぶのはもとより、悟りの智慧を持つことさえ嫌うとい
うのは一体如何なる理由によるのですか。
929 :
>>928:2001/08/17(金) 02:55
仏陀のことを両足尊と申し上げるのは、仏陀が福と智とを兼ね具えておられるからであります。
そういうことになれば、禅門が福智を嫌うということは無いはずであります。
にも拘らず仏道修行者が福智を否定するのは、修行者をして世間の真実でない仮の幸福や、
煩悩に満ちた妄想や知識を捨てさせ、悟りの世界の教え、あるいは人間がうまれながら具え
持っている真実の仏智に気づかせようとされるためです。
経典や教義の字面を理解し、先人の吐かれた言葉にくっついて頭の先で知識を得、凡人の
分別心をもって考えついたような智慧は、すべて世間の人々があれこれと謀を巡らして得た
福徳と異なるものではありません。
表面的には愚人よりは勝れた様に見えても、却ってそういう中途半端な智慧に礙られて悟りを
開くことはできないのです。
古人も「愚人は愚に障げられ、智者は智に礙げられる」といわれております。
そういう訳でありますから、本来的な仏の大智は誰にでも先天的に具わっているのに、それが
愚かしい無知さと中途半端な智慧とに礙げられて現れ出でないでいるのだということを信じて、
分別心の上に浮かんでくるような対象物や、架空の想念などを一切放下するならば必ず
「本分の大智」と一つになることが出来るのです。
それはちょうど酒によった人が、ひとたび醒めさえすれば直ちに本心に返ることができるのと
同じであります。
930 :
>>928:2001/08/17(金) 02:56
『夢中問答』中巻は、この問答に始まり以下同趣のテーマが四段継続的に展開している。
この一連のテーマに取り組む前に、本段の問答の直義の質問の前半部分で取り上げられる
「福を求めて仏道を行ずるということについて」簡単に触れなければならない。
『夢中問答』冒頭第一段より第五段までは夢窓疎石の直義に対する「福」をめぐる問答に
終始している。いかに重要な心得であったか知ることが出来る。
第一段における直義の「仏教はなぜ福を求める事を制するか」との質問に対して各自の前世
より受け継いだ福の受け分を越えての功利的行為の無意味さを嘆じた後、「福を求めようとする
欲心をさえ捨ててしまえば福の受け前は自然に満ち足りるであろう。
こういう訳で仏教では人間がこの世で福を求めること制するのであって、ただ貧しくしていよ、
という訳ではない。」と教えている。
其のうえで仏道を行ずるものは特に厳しく功利的行為の放棄を諭している。
さて、本段の要旨に立ち返る事とする。要するに学解はもとより悟りの智慧さえも仏道の究極
である真実の「大智」に相応するための礙げとなるということである。
このことは悟りを得ることを願って坐禅修行するものにとっては理解し難いことである。
なぜ学問してはいけないのか悟りの邪魔になるのか、この問こそ修行者にとって最も重要な
質問である。早く言えば、悟りさえも越えねばならぬということである。
さらに言うなら「愚痴さえも嫌うべからず」(第二五段)という次元にまで超え出ることこそが禅の
究極である。
931 :
>>928:2001/08/17(金) 02:57
「向上の一路」(『景徳伝燈録』盤山宝積章)とか「百尺竿頭さらに一歩を進めよ」
(同、長沙景岑章)といった禅語に代表される境地である。
この問答の要点は「悟りの智慧をも嫌う」ということの重要性にある。
まず、この問答で強調されているのは「経教の文によりて解了し、知識の語に隨って学得し、
情識の上に思量し得たる智慧」は世間の人があれこれと手を出して求めた福と同じであって、
悟り(大智)に至る礙げとなるということである。
そしてこの様に「智者は智のためにさへる」のであるから、修行者は「本分の大智は人々本
より具足すれども愚痴と智慧とにさへられて現前せざることを信じ」、「心識に浮かぶところの
法をも非法にも放下」しなくてはならないというのである。
更に続く第二五段で、夢窓国師は三賢十聖の智慧をも「一斬一切斬・一染一切染」
(『碧巖録』十九則)してゆく。
教えの「智還って惑となる」という言葉を引用して説明する。
例えば病の苦痛を直すときは鍼灸は大切だが、病苦が直った後は、身を悩ますものは鍼灸である
ようなものだ。
932 :
>>928:2001/08/17(金) 02:57
経に「前前の非を知ることこそ後後の位とす」とも説いてある。
初地の菩薩の智慧を改めて二地の菩薩の智慧とする。さらに二地の菩薩の智慧を改めて三地の
菩薩の智慧とする。
この様に見て行けば、最終の十地等覚の智慧といえどもまだ無明の域を出でてはいない。
大智とは十地等覚の智慧をも忘れ去られることによって初めて冥合しうるものであり、ここにおいて
初めて「元品無明」を断じる事が出来るのである。
第二七段においては、『円覚経』に智慧も愚痴もともに般若であると説いてあるといい、この意味は、
愚痴を改めたものを真実の智慧というのではない、円覚大智の中に智慧と愚痴の二相を分けるのは
妄想である。
しかもその妄想に立って愚痴を改めて智慧にしようとするのは二重の妄想だと語っている。
このように夢窓は禅者の立場から、大乗仏教の究極的価値であるところの悟りを否定したのであるが、
しかし果たして彼が悟りを全面的に否定したのであるかといえば、そうではあるまい。
夢窓が嫌うのは悟りを迷いと対置しようとする分別の心であったに違いない。
そういう悟りは禅者の慢心を助長するだけである。
真の大智は悟りと迷いの両辺を超えたものでなくてはならないのである。
そうでなくては、「愚人は愚のためにさへられ、智者は智のためにさへられ」ということになるであろう。
そこで、「法も非法も放下せよ」ということは、愚痴と智慧との二元対立をともに放下せよということに
通じるのであり、「かくてかならず本文の大智に相応すべし」となるのである。
933 :
質問:2001/08/17(金) 03:15
法をさとった人は必ず神通力の妙なるはたらきを身につけるのでしょうか。
934 :
>>933:2001/08/17(金) 03:20
神通力を備えている人だからといって、法をさとった人とは限りません。
たとえ仏弟子ととして羅漢の位にあって三明、六神通力を得ようとも、未だ大乗の法理を
さとらなければ、さとりを得たとは言えません。
菩薩修行の位の進むに連れて神通力の妙なるはたらきをやってみせても法をさとらなけ
ればさとりを得たとは言いません。
六神通力のうちでもそれぞれ使い得る力は変わって来ます。
天魔悪鬼は五神通は使い得ても漏尽通を受けることができないので、煩悩が断ち切れず
終には通力を失い苦界の輪廻を免れないのです。
羅漢菩薩という漏尽通を受けたという者々といえども未だすべての迷妄を断ち尽くさないから、
真実の漏尽(断ち尽くす)ではありません。
古徳も言われるように、たとい六神通力を得たとしても那(あの)一通を知らねばなりません。
那一通とは凡夫も聖人も本来具えている、一切の神通力や日常一般の動作、見聞覚知の
悉くに恵みを与える力なのです。
この力には各人に少しも増減がなくまた勝劣はありません。
しかるに凡夫はこれに気が着かず外に向かって世俗の通力を求めています。
馬祖道一のお弟子の@居士が、神通并びに妙用は水を運び柴を運ぶことであると、示され
たのも日常一般の動作、見聞覚知の中に那一通があることを言われたのです。
『円覚経』の中で一切の衆生は各人それぞれ霊光(くしきひかり)をもっていると、
説かれています。
諸仏の身光・智光・通光も皆この光明蔵から出生しており、凡夫の分別も皆この霊光の
妙用なのです。
愚かな人は、本来具えている霊光を忘れ外に向かって世俗の光明を求めるのです。
このように世俗の小神通・小光明に化かされて本分の大神通・大光明を忘れてしまうために
迷妄の境界を出ることが出来ないのです。
ゆえに、大乗を学ぶ者はまづ第一にこの大神通・大光明を信ぜねばなりません。
そしてこのことを悟ってしまえば、永劫の迷妄も悉く尽き多生の業縁の束縛に妨げられることもなく、
限りなき光明を放って、衆生の迷暗を破って広大無辺の神通妙用をおこなって、悪魔の外の邪見
を降参させることが出来るのです。
935 :
>>933:2001/08/17(金) 03:25
ここでは神通力と真の自由、妙用についてのべている。ふつうに六神通というと、
(1)天眼通、山川を隔てた遠いところもはっきり見える能力
(2)天耳通、遠いところの声が聞ける能力
(3)他心通、他人の心が分かる能力
(4)宿妙通、前世のことが分かる能力
(5)神境通、自在に飛行ができる能力
(6)漏尽通、煩悩をたちつくす能力。
夢窓はこの六通を説いたあとで次のように言う。
古人の云はく、たとひ六通を得たりとも、更に那一通ある事を知るべしと云々。
那一通とは凡聖本来具足して、更に増減もなく勝劣もなし。
一切の神通妙用及び見聞覚知、挙足下足ことごとく是れ此の那一通の恩力なり。
これによると夢窓は普通に説かれる六種の神通力以外に更にもうひとつの神通力があると
説いたのだ。
その根本神通力とは凡夫にも仏にも本来具わっているもので修行したからと云ってその能力が
増すものでもなく、修行しなかったからその能力が減じるものでもない。
仏の神通力だからと言って勝れており、凡夫の神通力だからといって劣っているものでもない。
我々が見たり聞いたりすることも足を上げたり下ろしたりする働きもすべてこの那一通たる根本
神通力の用きにすぎないものである。
那一通を宇宙の根本生命とすれば、すべて我々の動作や行為は、根本生命の用きであると言える。
この根本生命を夢窓は「一切衆生本具の霊光」と呼んでいる。
我々はこの本具の霊光を忘れて外に向かって世俗の光明を求めているにすぎない。
この霊光を知らずに肉体からどんな光明を放っても、それは蛍の光と変わるものではない。
それは小神通であり、小光明である。
真の大光明とは本具の霊光をいうのだ。
仏法を信ずる者は、まづこの本具の霊光を信じなければならない。
更にこれを悟るならば、無限の光明を放って悪魔の束縛を離れて自由の境地に生きることができる。
936 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:09
■〜こ れ ま で の あ ら す じ〜■
春の初めのある日に仔猫を拾った1は、その猫をミミと名づけ、自分のアパートにつれて帰った。
ところが、翌朝目を覚ましてみると、部屋にはミミがいない。
その代わりに、どこから自分の部屋に入り込んだのか、猫耳と猫しっぽをつけた10歳くらいの少女が、
なんと一糸まとわぬ姿で、 自分のベッドにもぐりこんで、寝息を立てていた。
少女は自分の名前をミミと名乗り、1のことをご主人様と呼んだ。
ミミの話では、ミミは、猫から人間に生まれ変わるための、特別な試験の受験資格を得た仔猫だった。
この状況をどうしたらいいのか混乱してしまった1は
こうしてインターネットを通じアドバイスを受けようと考え、このスレッドを立てたのだった・・・・・・
しかし、予想外にスレは反響を呼び、各方面から自称賢哲、自称聖人達が覇を競うがごとく参加する事となる。
スレに参加する者達は異常な興奮を示しはじめた。
だが、やがてスレに一つの自我が宿る事になる。
「われ思う故にわれ有り」‘スレ’の発動であった・・・・・・・
一つの意思を持ち始めた‘スレ’はさらに多くの意思をその中に取り込むべく次々と巨大な意思を呼び込むのであった。
スレ発生から約2時間後
2 名前:おチャクラ全開悟りでGO! 投稿日:2001/04/23(月) 09:46
「開けたときにはすでにあの世行き
ここに「私は悟りを開きました」なんて書き込んでくる奴は
ただの妄想狂か煽りだな」を皮切りにぞくぞくと意見が書き込まれる。
100レス辺りまではそれぞれの参加者の悟り観が披露される。
>>44から一旦、渡海氏参加するも荒れず、前半200レス迄は多少のイザコザが見られるが比較的順調に進んでいた模様。
937 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:10
>>94 名前:ごっち 投稿日:2001/04/29(日) 18:17
「やっぱ、般若心教の語句通りじゃないの。 周りに、とかじゃなく、
自分がどういう状態にあるか(は、"我が人生に悔い無し"っ て感じだし)。」
この発言以降、悟りと般若心教についての考察が始まる。
>>117 名前:トマス 投稿日:2001/05/06(日) 21:44
「解脱しましたーー!!」発言。そもそもネタだったのか本心だったのか、今もって不明。
>>295・ピエール(mage)「面白おかしく参加するよ。プロをなめるなよ」発言
その後名無しに改名、以後地下ゲリラ活動に路線を変更する。(自作自演シンドローム)
がしかし
>>319・302=303
「ピエールが本気でキレルとは思わなかった」
「とにかくピエールは相当に応えたようだな」
ピエール氏
>>395・「多重ハンドルに騙されて、馬鹿を見てしまった」発言に続き
>>397・2001/07/23(月) 23:19「mageも復活!」宣言
だが周囲の反応はいったって冷静
>>398「ピエールはコテハン復活か」 「捨てハンのレスの方が面白いなと思いかけていたのに。」
しかしこの状況に危機感を抱く一人の漢がいた。
>>429「このスレの住人と思われる方からお誘いを受けているのですが・・・」突然の出来事だった。
938 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:13
渡海 難( p2133-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) の再登場である。
2001/07/25(水) 13:44 スレに緊張が走る。
>>430 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/07/25(水) 13:53
>>429 「渡海難が来るとこのスレが荒れるので、
渡海難はこのスレに来ないでください。以上」、
など事実上の非常事態宣言が住民から数多く出される。
>>431「せっかく沈静化され、良い方向に進もうとする
スレなんですから、手を出さない方がいいでしょう。」
しかし悲痛な叫びは天にはとどかなかった。
>>449渡海 難( p3244-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/07/25(水) 19:21
「ROMに徹しようと思っていたのですが、どうもそのようなことは許されない状況になってきているようですね」
この宣誓文をもって本格的スレッド内乱状態に入る。
以後500レス以上にわたり渡海派と反渡海派の攻防が繰り広げられる。
>>458 〜
>>495鎮静期。
嵐の前の静けさか・・・
これまでの暴言を悔い改めたピエール(mage)も参加しつつ比較的冷静かつ有意義な討論が行われはじめる。
>>488 >この種の掲示板が烏合の衆ばかりになってしまっている理由は、専門家に聞くことを怠っているからではなかろうか。
>>496 名前:渡海 難( p7017-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/07/27(金) 18:46
「専門家に話を聞くというのは大事だ。専門家はそれなりの知恵がある。ただ、専門家・・・」
ついにスレ再侵攻の口実・キッカケを掴んだ渡海氏は電撃的に長文レス爆撃を開始する。
ほぼ、時を同時にして旧Ω教らしき、yoga系書き込みが目立ち始める。
939 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:13
前後して別スレで「悟り」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=996124873 スレがたつ。
>>14 名前:ピエール 投稿日:2001/07/26(木) 23:47
「こっちのスレのほうが、本質的な話ができそうだな(笑)。こっちに映ろうっと。」( ピエール亡命宣言)以後消息不明となるも、どこかのスレで見かけたとの情報もよせられる。
。
>>554:「渡海 難氏は結局、親鸞の悟りについて、
言及したくてうずうずしていたわけだ(笑)。カオスが予想される・・・・。」
ピエールの不気味な予言が的中しその後スレの混迷がさらに深まる。
>>565渡海 難( p6002-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/07/30(月) 22:07
※踊念仏発言※
「僕は、自分が想像する踊念仏をやったことがある。」・・「脳は爆発しそうにふくれあがり猛烈な痛さを伴いながら脈動した。」・・
ネット上とはいえあまりにも衝撃的なpureな発言と、「瞑想しながら立ち上がって全身で仏像の形態を表現していく仕草は、能の動きに似ていた。」という冷静な自己分析。
予想外の答えにそれ以後この話題には渡海氏本人はおろか誰も触れなくなる。
>>605 名前:渡海 難( p5055-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/08/01(水) 12:33
何事も無かったかのように定時レスを開始する。
「引用の前後なんかは、引用者に聞くんじゃなく、自分で調べなさいよ。」
この頃から書き込みが乱暴さを増してくる。
>>617 名前:キリスト「悟りとは、内なる本当の父親に全てを委ねたような状態です」発言
しかし、渡海氏の親鸞パワーの前に悲痛な叫びはスレの流れにかき消されていく。
※ 本スレ、メインテーマである悟り論上に於いても、主に仏教系の視点からアプロ―チされる事が主流となってくる。※
参加者の質問や書き込みに対し
>>655以降、何故か呪文と催眠にこだわりを見せ始める。
>>672 「申し訳ありません。あなたのプライドを傷つけるつもりはありませんでした。」
名無しさん@1周年氏、単独に和平交渉に入る。がしかし・・・・
940 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:15
>>693「プライドを傷ついたかどうかなどということは、問題ではありません。心にない謝罪は不用です。」との一蹴のもと交渉決裂。
(前後して反渡海派の書き込みが勢力を増す)
別スレで2001/08/05(日) 18:04☆☆渡海難専用スレ☆☆が出現する
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=997002274 >>641 名前:緊急 投稿日:2001/08/04(土) 00:47
「「悟り」開ききっちゃってもう閉じないんです。」に対し
>>666 名前:nanasi 投稿日:2001/08/06(月) 03:12
「それにしても、どうして誰も641の緊急さんを助けてあげないのでしょうか?」発言
しかし、その後
>>641氏は現れる事はなかった。
>>693名前:渡海 難( p7126-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/08/06(月) 19:09
以降〜
>>708 名前:渡海 難( p6027-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/08/06(月) 23:33
「
>>707は、
>>706に対するレスです。」まで、旧Ω信者らしき書き込みと口戦する。
わずか4時間余りの活躍の間に11をレスつけ見事撃退。したか、に思われた・・・・
アストラル界の馬鹿どもへ氏、輪廻する葦の両氏をスレに呼び込む結果となる。
>>737において輪廻する葦氏は自然消滅。その後もアストラル界の馬鹿どもへ氏はたまに現れ活躍する。
しかしその後のスレの流れは更に、ぁゃιサを増してくる。
941 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:16
>>747 名前:慈愛 投稿日:2001/08/07(火) 22:54
「悟りを求め色々な修行をやっているが、どうしても悟れないという人いますか?
もしあなたが悟りに対して情熱があるなら秘訣を御教えしますが?」
>>750 名前:慈愛 投稿日:2001/08/08(水) 00:02
「これが最後の勧告です。
皆さん、悟りの秘訣を知りたくないんですか?
本日AM1:00までに御要求がなければもうお話しません。」
>>751 名前:慈愛 投稿日:2001/08/08(水) 01:09
「皆さん、残念でしたね。
お宝を逃がしてしまいましたね。
では、迷い続けてください。」
この頃から別スレで戦力を分散され、弱ってきた渡海氏の座を狙い群雄割拠しはじめる。
>>767 名前:けら 投稿日:2001/08/08(水) 22:31
「渡海がどうした」
「小物め」
>>768 名前:名無しさん 投稿日:2001/08/08(水) 22:32
「都会が入った時点で、このスレッドは死んだ。」など、悲痛な叫びも方々こだまする
942 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:17
>>777 名前:未知の人間 投稿日:2001/08/08(水) 23:31
「とにかく、理屈の応酬をやりあっても得るものは少ない。そう言う判断です。」
と事態の鎮静を図るも効果なし。
一層反渡海派書き込みが目立つようになる。
>>784 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/09(木) 09:47
「自作自演が渡海難のしわざじゃなくとも一人で何ハンドルも使って
渡海難応援レスをしているやつがいるのは間違いない。」
「渡海難の感性を擁護できるやつがそんなにたくさんいるはずがない。」再び悪夢の自作自演シンドローム疑惑が・・・
>>786 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/09(木) 12:17
渡海様へ
「・・・自作自演はおやめください。
あ、レスしないで下さいね。」と、この頃から渡海氏からの返信レスの受け取り拒否者が続出し始める。さらに念仏を唱える人。
>>787 >>789 >>790 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/09(木) 15:27
「念彼観音力 衆怨悉退散 妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音」
795 名前:nanasi 投稿日:2001/08/09(木) 22:21
「ある国ある所にて。」
など、 自問自答の問いかけをする人まで出はじめる。
さらに、
宗教ちゃんの精進日記
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=997281975 という、異色の別スレがたつ。悟りというキーワードが続出する事からこのスレの参加者もしくはROM者と推測されるも、スレを立てた本人の希望と、その気持ち悪い内容のためか現在、放置されている。
そして目的不明の独り言だけが現在もなお不気味に進行している・・・・
943 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:18
>>785・807においてこの“悟り”を開くってどういう状態??? スレを立てた>>1氏と思われる書き込み「もう、この板には来ないで下さい。」&かなり業を煮やしている事が伺われる一文であった。
>>812 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/10(金) 12:30
>811
「渡海難支持派なんて存在しないのよ。
自作自演。」
>>813 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/10(金) 12:38
「>だって、なぜか私のPC渡海のレスだけ赤で表示されるんだもん。」
「そんなことを言うと渡海難支持派と同じ穴のムジナになるよ。」
※ この頃から、反渡海派内の足並みが乱れはじめる。
816 名前:nanasi 投稿日:2001/08/10(金) 15:10
「>未知の人間様
先程、例の別スレを見たのですが、削除されてますよね?」「ちょっと考え込んでしまったもので、、、。まぁどっちにしろ本当に難しいにゃー。
(個人連絡に使ってしまいました事を、どうか皆様お許しください。)」
既に、本スレ住人にも疲れの色が出て来た模様。そして同様に、渡海氏及び反渡海派の書き込みにも泥沼の疲れが見えはじめる。
レス
>>864あたりまでは輪廻、因縁、六道、人の気持ちを考えよう。などの話題がレスの流を占める。
>>840 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/11(土) 12:23
「渡海(とうみ)はまず、中村元からやり直すことを、薦める。」
と、討論が始まるも、
>>851「 実るほど 頭(こうべ)の垂るる 稲穂かな。 あさましや。はずかしや。」と。一句
>>866「立場の違いに注意しながら、仏教が言う悟りを少し考えて行きたいと思います。」
おそらく、疲労の極限まで来たのだろうか。このころから渡海氏の心境に微妙に変化が訪れ始める。
>>868今までの、原理主義から一変して、比較的わかりやすいよう、万人ウケする富士山を例えに説法が始まる。
888 名前:nanasi 投稿日:2001/08/12(日) 23:59
神秘体験報告(1)
ゾロ目ゲッター:nanasi 氏。またもゾロ目ゲッチュ―の快挙達成。自らの栄冠を称え、詩の朗読が始まる。
944 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:22
>>893〜907辺迄、悟りを語る者の姿勢についてスポットがあてられる。また、コテハンするべきとの意見も出て来る。
>>897〜
>>898「私も宗教板で少しは知られたコテハンを使っていたんです。」
「でも、いろいろあって疲れてしまって辞めちゃいました。」
コテハンの宿命に疲れた発言に一瞬スレ内にセピア色の悲壮観が漂うも、「今度は私がガンバッテみますよ」と未知の人間氏、決意を新たに・・・・
※
>>901 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/14(火) 00:27
「ピエールはここには来なくなったけど別スレで活躍してるよ。」と、以前からその安否が心配されていた、ピエール氏の消息が伝えられる。
朗報か・・・と思いきや「困ったもんだ。」との住民からの苦情報告であった。
>>908 名前:渡海 難( p0409-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/08/14(火) 22:13
その過去において、踊念仏をカミングアウトした渡海氏。神秘行について肯定的発言をするも、あっさりと
>>909 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/14(火) 22:28
「渡海は雄弁だな。」
「狐憑きじゃないか?」と一蹴される。
しかし、
>>912〜
>>915にかけ、一斉に肯定的意見が出て来る。
945 :
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ:2001/08/17(金) 08:22
>>915 名前:渡海 難( p5038-ip02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp) 投稿日:2001/08/15(水) 22:10
「「★☆浄土真宗の人いる??☆★ 」で大事な議論が始まったと思っています。向こうを片手間にしたくないので、こちらのレスはしばらく休みます。 」
渡海氏、一方的休止宣言。これに対し
>>917>>920名無しさん@1周年氏熱い激励のエールで渡海氏を見送る。
ここに長かった内乱は終わりを告げる事となる・・・・・のか・・??
919 名前:nanasi 投稿日:2001/08/16(木) 04:21
nanasi 氏「「ア**の教義教えます」とかサ!」
いまなお潜伏中と思われるΩ信者らしき書き込みに危惧を訴える。
926 名前:魔境 投稿日:2001/08/17(金) 02:15〜
>>935迄ある程度まともな流れに還りつつある・・・・935以降の展開は!!?
差し迫る1000レス迄残りわずか・・・はたしてPART2は有るのか?
>>1氏は再びスレを立てるのか?
野次と罵声、感動の中、物語はいよいよ怒涛のクライマックスを今迎えようとしているのか。
946 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 15:42
>ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ 様
お疲れ様。
というか、すごいひま人。
お盆休みは帰省したの?
でも、面白かったよ。
こういう読み方もあるんだね。
でもさ、悟りって最後の最後の一回きりでしょ。
煩悩、執着、欲望から完全に解脱したときの。
なんでこんなにもめるんだよ。
悟りなどないことを悟ることが悟り、とか
段階的に小さな悟りがある、とか
まことしやかに語られてるけど、
やはり最後の最後の1回きりだよ。
それだと救いにならないって反論はありそうだけれど、
そういう原理になってるんじゃしょうがないんじゃないの。
最後の真正の悟りでないものを小さな悟りだと分類定義しても
しようがないと思うんだけれども。
947 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 15:52
↑の追加だけれども。
俺にはこのスレは、われわれのほとんど全員は
悟ることはできない、悟りに近づくことすら叶わないということへの
悲痛の抗議、叫びと読み取ったけどね。
泣こうが叫ぼうが悟りはやってこない。
948 :
はじめちゃん:2001/08/17(金) 19:48
バカボンのパパは間違いなく悟りをひらいてるよ。
949 :
未知の人間:2001/08/17(金) 21:24
924nanasiさん
うーん、私も仏陀の条件として神通力をあげたけど、まさか、空中浮揚などと言ってくるとは思いませんでした。
私の認識不足ですね。このスレに来る人って悟りを求めるのを第一にしている人達だろうと勝手に思っていたの
ですよ。まさか、神通力を第一に求める人などいないと思っていた訳です。
仏陀は神通力を使えるが、仏陀でなくても神通力は使えるのだから、求めるものの究極はやはり、仏陀になること
ではないかと、自然に考えていたということです。
それにしても、このスレに来たり書き込んだりする人達って、どんな人達なんだろうなあ。私には皆目、見当がつかない。
最後になりましたが、nanasiさん、もう書き込めないかもしれないので、色々と、ありがとうございました。
あと、ファンシー乙女さん、ご苦労様でした。私もこのスレを読み直してみましたが、全体を見通す眼差しも重要ですね。
私の書き込む余裕があれば、自分も最後にスレのまとめを書いてみようと思います。
最後に、このスレを立てた人、及び参加者の皆さん、まさか、こんなところまで自分がいるとは思っていませんでしたが、
とうとう終焉の時が来たようです。どうもありがとうございました。
950 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 21:26
951 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 21:56
>>949 悟り・解脱を目的とする修行では、神通力は自然とつくものです。
952 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 22:48
ファンシー乙女 ξξξ 第参章 ξξξ へ。
長−い連続カキコ見た時には、うんざりして無視しとったけど、今、読んだら面白かったよ。
私のカキコもいくつかピックアップされてたしね。
それにしても、このまま終わったら、不本意なのは渡海だろう。
踊り念仏の実践告白にも驚いたけど、
空中浮遊なんてものを肯定的に持ち出して、そのままドロンだから、
渡海って隠れオーム?っていう疑惑を残したままだからね。
でも、ひょっとしたら、麻原と共に空中浮遊の修行も実践していたのかもしれない。
953 :
nanasi:2001/08/17(金) 23:15
949未知の人間さんへ
何となく見るに見かねて初めて2chに書き込みし、それで終わりにするつもりだったのが、未知の人間さんがあの一人で頑張っていて下さった
あの方(!)だったのに気付いたのが新たな縁となり、私もついにこんな所まで来てしまいました(笑)。おばはんのおせっかいにうっとうしい思いをなさった事も
あったであろう、と今更ながらにお許し下さいませ。(私は東京圏の者ではなく、お互い知らずにお会いする機会はまずないと思うので、その点は安心して下さいネ/笑)
こちらこそ、本当にお世話になりました。未知さんみたく温厚な方がいなかったら、こんな業の深いトコ絶対書き込みなんてしませんでしたヨ、いや、ホンマに(爆笑)。
では、最後に、、、なんか本の紹介ばっかりしてたみたいですが、「自省録」はね、あれはホントにイイ本ですから、またいつかゲットに挑戦してみてやって下さいね。
ごきげんよう、どうかお元気で!!
>ファンシー乙女さんへ
堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛
>all
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
生きとし生けるものが幸せでありますように (三回)
おいて
954 :
名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 23:19
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| はい、終了♪
\ __ ___ ____ ___ __ _/
V V V V V V
∩_∩ Λ_Λ ∩_∩ ∩_∩
( ´m`) ( ´∀`)Λ_Λ ∩ ∩ (´∀` ) (´*` '' )
( V . つ( (´∀`)(´∀`) \⊂|〜〜 つ
| | | || | | ( )( : )^|^^|^^|^^ |__| |
(__)_)|| (__)_) U U U U(_(__) (_(__)
956 :
nanasi:2001/08/17(金) 23:23
だから、ほんとにパソコン初心者だったんだってばぁぁぁ!
あー、はずかし(笑)。
957 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 04:08
958 :
未知の人間:2001/08/18(土) 19:14
950さん
ホントの話し、私はピエールさんではないですよ。違う人です。
私にはまだ、複数のハンドルを使い分けるような技を使う時期ではないので。
何しろ、2ch初心者なので、事情が分からないことが多々あるわけです。
でも、あまり他人のやることなど、勘ぐらないで、自分の心に注意している
方が実が多いと思いますよ。
959 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 19:37
>>958 >あまり他人のやることなど、勘ぐらないで、
他人のことを勘ぐるというのが、2チャンネルの特徴の一つです。
渡海の「坊さんですか?」はめちゃくちゃ有名です。
無量壽会スレの信者も、批判者は浄土真宗の坊さんだと決めつけているみたいだし、
阿含宗スレでは、幼稚園児のお母さんが、
元信者・脱会者のヨコハマさん一人が批判者だと決めつけているようです。
議論の趣旨、正誤とは無関係な勘ぐりで、相手の批判をかわそうとする姑息な手段だと私は思います。
960 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 19:43
>未知の人間
バカか、こいつ。
>でも、あまり他人のやることなど、勘ぐらないで、自分の心に注意している
方が実が多いと思いますよ。
こんなことを言って、、、
>私にはまだ、複数のハンドルを使い分けるような技を使う時期ではないので。
こんなことも言ってる。
他人を勘ぐるなと言って複数ハンドル使い分けを肯定するのはどういう感覚してるんだ。
そんな技は永久に使えなくていい。
961 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 19:47
だいたい、他人を勘ぐる以外の目的で複数ハンドル使い分けのメリット
なんてあるのか?
やっぱり、渡海支持派はばかばっかりだ。
962 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 19:57
963 :
未知の人間:2001/08/18(土) 20:26
実力があれば、複数のハンドルを駆使して、あなたのような人に智慧を授けることが
できるのですよ。まあ、よっぽど慈悲深くないと960のようなカキコをする者には
無理だとおもいますが。
しかし、政治じゃないんだから、誰が誰を支持するかなんて関係ないだろう。そんなに
他人の振る舞いが気になりますか?
964 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 20:28
未知の人間がいいこといった!
965 :
名無しさん:2001/08/18(土) 20:34
↑お前はほんと馬鹿だね。
たぶん禿げているんだろう。
複数のハンドルを駆使する前に頭を下げてお詫びしろ!
禿げだから頭を下げれば多少光をあたえられるだろう。
そんな光は見たくないがな
966 :
未知の人間:2001/08/18(土) 20:41
965
どなたに、何の咎の為にお詫びをしろというのですか?
967 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 21:09
968 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 21:23
>>967 そのローマ字カキコは、渡海の得意技だったはず。
でも、いくらなんでも渡海じゃないよね。
ここまで恥ずかしいことしないよね。
969 :
名無しさん@1周年:2001/08/18(土) 21:59
まったく理解できない。
名無しハンドルだとだめで、複数ハンドルだと実力になる理由が。
それに、ピエールは複数ハンドルがほとんどバレてるから
実力のうちに入らないような気がするけど。
970 :
未知の人間:2001/08/19(日) 17:23
海の波はいつ見ても、いつ見ても違う姿を見せている。諸行無常
海の波はいつ見ても、いつ見ても同じ相を見せている。諸法実相
971 :
参考に:2001/08/19(日) 17:57
>>970 諸行無常:われわれの認識するあらゆるものは、直接的・間接的なさまざまな原因(因縁)が働くことによって、現在、たまたまそのように作り出され、現象しているに過ぎないと考える。
ところが、いかなる一瞬といえども、直前の一瞬とまったく同じ原因の働くことはありえないから、それらの現象も同一ではありえず、時の推移とともに、移り変わってゆかざるをえない。
すなわち、あらゆる現象の変化してやむことがないということ。
人間存在を含め、作られたものはすべて、瞬時たりとも同一のままでありえないこと。
諸法実相:すべての事物(諸法)のありのまま(自然)の姿、真実のありようをいう。
972 :
未知の人間:2001/08/19(日) 21:23
参考にさん
レス、ありがとう。
私は時々、海を見に行くことがあって、まあ、そんなことを考えてボーっと眺めていた
ことがあったんですよ。よく、波打ち際で瞑想してみたいなんて思ったけど、やはり人目
が気になって恥ずかしい。人気のない夜の海はとてつもなく恐ろしいときがある。
私は関東圏の人間なのですが、夜の城ヶ島公園にひとり佇んでいると、とてつもなく巨大
な自然の力を実感できると思います。まるで、黄泉の国の入り口にいるような。
さて、諸行無常を有常であると見て、哲学的見解で相争うよりも、千変万化な諸現象から
実相を推測し観察している方が私には向いている。その現象の背後の因縁を観ている限り
自他を分かつ事にあまり意味を見出さない。 諸法無我。
973 :
nanasi:2001/08/20(月) 18:53
見渡す限りに広がる水平線に上る朝日を受けながら、
巨大な波の彼方に沈む荘厳なる夕陽を眺めながら、
そして、漆黒の空間に煌く満天の星空の下、、、
誰もいない砂浜で、ひとり瞑想をした事があります。
字面にすると陳腐であれ、
深遠にして広大な愛は、<私>の意識とは無関係に、
千変万化しながら息づいているのを、その折実感することが出来ました。
「悟り」だという気もないし、あえて言えば「ヒーリング」に相応する感覚なので
しょうが、余り人目を気にせずに済むおすすめスポットとして、多くの方々にも
推薦させて頂きます。ちょっと関東圏からは遠いのですが、、、ですから、バリ島!(笑)。
(もうここのスレ終わってるんで、よかったら皆さん共に気の抜けたダラダラ話に
1000まで使いませんか?マターリマターリと、夏の終わりにふさわしく、、、)。
974 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 19:07
私は、海岸から100〜150mってところに住んでます。
少し行くと、海・小さな岬に沈む夕日が美しい場所があって、
夕方になると、なんとなくみんな集まってきて、
それぞれが何を思うのか沈んでいく夕日を眺めます。
毎日見てもあきない最高傑作のドラマですね。
975 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 19:09
>>974 地球温暖化で海面上昇が起きたら沈むな。無常なり。
976 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 19:47
悟りこそは全生命のあこがれ。そして、人界に生を受けたもののみに許された特権
人身受け難し、今既に受く。仏法聞き難し今既に聞く。この身今生に向かって渡せ
ずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。
大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。
以愛欲故 則有欲界 以攀厭禅定故 則有色無色界
此三界皆此有漏 邪道所生 長寝大夢 莫知希出
By『浄土論註』
977 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 19:50
俺の開発した呼吸法で簡単に悟れるよ。
悟りってこんなに簡単だったんだ!
978 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 19:53
「またーり」とは行かないかもしれんけど。>973
何年間も、寝食を忘れて打ち込んできたプロジェクトが灰燼に帰した。
脱力感で重い体を引きずって、ぼんやりと川の土手へ上がってみると、
夕日が山並みを一色に染めながら、音もなく沈んでいくところだった。
自分は、何も思わず、「夕日と一緒になって」夕日に見とれていた。
それが「悟り」。
979 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 19:59
ははははは。
980 :
名無しさん@1周年:2001/08/20(月) 20:00
ははははははははは。
981 :
未知の人間:2001/08/20(月) 20:02
975dさん
長いスパンで見れば、オレの地域も多分沈むっす。無常なり。
974さん
>毎日見てもあきない最高傑作のドラマですね。
うーん、同感ですわい。それにしてもどうして飽きないのかなあ。海の波もそうだけど
朝日とか夕日とかも、いつみても素晴らしい。自分など、毎日同じ事を繰り返せばすぐに
飽きるのに、こういう自然のサイクルはいつ見ても飽きない。春の新緑や、秋の紅葉も。
不思議だなあ・・・。教えられてと言うより、元々あった感覚のような気もするなあ・・・。
973nanasiさん。
このスレも終わりに近付いているけど、夏も終わりに近付いているんだね。外では、コオロギ
の鳴声がそれを想わせます。
しかし、しかしですよ、バリ島は遠いなあ。多分、オレは行けないよ。でも、この人生でギリシャ
には行ってみたいと思っています。いつか、いつかですでど。別にギリシャ哲学を学びたいからって
訳でもなく、ただ、あの風や、風景、歴史を感じてみたいんだ。
チャキチャキと忙しいのも生命力を実感できるけど、いのちの実感とゆったりした時間の流れ、この感覚も好きです。
982 :
nanasi:2001/08/20(月) 22:23
974さんへ
うらやましいなぁ、海辺にお住まいとは。そういえば、世界一の夕陽の名所として知られる
バリのクタ海岸も、昼間は外人サーファーで賑わう浜ですが、夕方ともなると地元の人達が
どこからともなく集まってきて何となく散歩してましてね、、、それがまたいい感じで印象
的だったのですが、、、そうですか、日本人もやっぱりね、、、と、書いて今急に思い出したん
だけど、アフリカのチンパンジーがやっぱり同じような感じ(?)で、夕陽が見える丘に集まっては
三々五々のひと時を過ごすそうですよ。研究者の人も仕事を忘れ、しばし共にまったりするとか。
というのも、チンパンジーの群れって結構けんかが多いんだけど、たとえ別の群れの個体が来ても
その時だけは争いが起きないだからだ、そうな、、、いい話ですよねぇ。
うーん、私の今の住まいは市街地なんですが、引越し先を決めるにあたって夕焼けがちゃんと拝める所
というのが、そういえば選定基準にありました。子供の頃のなつかしい思い出為かと思ってましたが、
なんかもっともっと遠い記憶がそうさせたのかもしれませんね。
978さんへ
その昔どうしても行きたかった東京の大学に落ちてしまい、地元にとどまるしかないのが
決まったとき、私も同じような合一神秘体験をしたことがあります(笑)。今でこそ「(笑)」なんて
いってますが、悲しいなんて以前に足元がもう地面から浮いてしまってどうしようもない時こそ
それでも日は昇り日は沈む事のスゴサ(?)に圧倒されるとは、、、いやぁ、不思議なものですね!
981未知の人間さん及び若人(!)の皆様へ
自分が学生時代とかに余り行けなかったせいもあるのだろうけど、独身の内にですねぇ、
行ける外国にたくさーん行って、いーっぱい体験して来てくださーい!!この6月にもバリに家族で
行ったのですが、家族で海外ってたいへんなんですよぉぉぉ(笑)。
983 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 02:04
まんこ
984 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 03:28
俺は今魔境に入ってしまった。
誰か、魔境からの脱出方法を教えてください。
985 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 03:47
986 :
名無しさん@1周年 :2001/08/21(火) 04:01
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
あ〜あ、やっちゃったね。
せっかく盛り上がってたスレッドなのに、あんたのレスで台無しだよ。
なんでここで、そんなレスしかできないわけ?
空気読めないの?
だから君は駄目な奴だって言われてるんだよ。
わかってるの?
それにしても、もったいないなあ、せっかくここまで育ったスレッドなのに。
ここまででおしまいかよ。
まあ、しかしやっちゃったものをしょがない。
これからはもうちょっとマシなレスするように心がけろよ。
987 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 04:05
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
あ〜あ、やっちゃったね。
せっかく盛り上がってたスレッドなのに、あんたのレスで台無しだよ。
なんでここで、そんなレスしかできないわけ?
空気読めないの?
だから君は駄目な奴だって言われてるんだよ。
わかってるの?
それにしても、もったいないなあ、せっかくここまで育ったスレッドなのに。
ここまででおしまいかよ。
まあ、しかしやっちゃったものをしょがない。
これからはもうちょっとマシなレスするように心がけろよ。
988 :
アタタタタタタタタタ・・・・・・:2001/08/21(火) 05:10
――――――――――――,――-| | | | |||―――、―――――――――――――――
ブスッ!! / || ||| ||| ι \
――――――――――/ l || | l \――ブスッ!―――――――――
――――,―、――――| J し U |―――――,―、――――――
(⌒⌒ ⌒、――| ι |―――/⌒ ⌒⌒)―――
/ ヽ―-| | | \\ |-――/ |―――
,| '一⌒》 \__ \ || / __/ 《⌒ー' |―――
|/ ̄ ̄ ̄\ _》 /⌒`、\\///⌒`、 《_ ,一 ̄ ̄ ̄\|―――
'、_一~ | ( ,=, \ / ,=, ) |  ̄ー_/ |―――
) | ι二二二 | | 二二二J | ( |
/ ̄ ̄ ̄ヽ )―――-L U  ̄ ̄ ̄ | |  ̄ ̄ ̄ 」――――( / ̄ ̄ ̄~\|――
ヽ/――――| \ ι( )ι / |――――-|_/ |――
/―――――| ヽ ⌒ー一⌒ / |―――――-| |―
/――――――| || || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| || |――――――| |―
/――――――-| || |⌒'⌒'⌒'⌒'⌒'⌒| || |――/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/―――――――-| | | |⌒`ー一´⌒| | | | < そ、そんな・・・
/――――――――| | ├| |┤ | |――-\___________
/――――――――/| | ├| |┤ | |\―――――――|
/ / \ |/|____|、| / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/――――――――-/ | 、'ー―――-', | | このスレの命はあと12レス
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―――――――/ ヽ_____/ V \―――――|
989 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 05:11
誰か新スレ立ててくれ!
990 :
悟ったよ:2001/08/21(火) 05:26
/ ~-,, i ~~,i'
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./ く ,/ / / 'i, ./ ./
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/ ⌒ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ●_ ● | < 終わりなのか・・・せっかく悟ったのに・・もう、帰ってねる。
(〇 〜 〇 | \_________
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991 :
スレの叫び:2001/08/21(火) 06:27
)ミヾノ ノソ ソゞ 巛 》》 ) 》 ソ
)\( (ヽ ( ( γ/レ ノl ノlノノソノ丿
)ヾ ヾ (ヽ \、,》) 《 ( ノ ソ丿ソ丿丿)
)ノ /ヾヾヽゝ ' 》 》 ミ 》)ゝヘ
ノ (巛 |`ー´ (~ |
/ ̄ ヽ ノ) ノノ (( ゞ ミ| /| < このスレはもう、悟っている。
│ ヽ < 《巛 」ヽ ミ| /)| |
│ 》ヽ ((( ( (ゝ ヽ ミ| ミ| \___________
| 彡 ヽ ((ヽ((vV ミ | ミ、 ヽ
ゞ、 //ヽ /ミ ミ ミ ミ| 、、_、)
ヽ 彡 \ ─//ミ ミミ ミ ミ| ミ\ミ彡
|\_ / \゛ ̄゛ ̄ミ| ミ ミミ ミ ミ ミ彡|ミ
 ̄\ ゝ ミ| \ | \ ミ ミ ミ彡 |
│ミ \ 人 ミ ミ ミ|彡 ゛ ミ ミ 彡|ヽ
/ \ |/ ミ | ゛ ミ ミ ミミ|ミヽ
ミ| \ ヽ / ミミ ミ| ゛\ ミ ミ/ ミヽ
ミ ゞ / / | ゛ミ 彡 ミ | ヽ
| \ ヾ ‖/ ̄../ 彡| 彡 \ ミ |/ヽ ミヽ
ミ\ ヾ_/|\ ̄/ミ | \ | 丶 ミヽ
992 :
スレの叫び:2001/08/21(火) 06:29
)ヾ ヾ (ヽ \、,》) 《 ( ノ ソ丿ソ丿丿)
)ノ /ヾヾヽゝ ' 》 》 ミ 》)ゝヘ
ミ (( 巛 《《 ) ミ 丿ノ )ソ ソゝへ
ミ ノ ( 》>)ソ ソ ))ソ ) )))》
ノノ 彡 ノ/丿巛ヽ)) ノヘノ )ノ )ノ)ν
ノ 巛ノノ 》)》 ννミ_ヽ ノ)ソ
< 巛/⌒> ノ ≫,z=彳
)( )) || | ⊂\ | ≠  ̄了ヽ|
ノ( 巛 (( (~ ヽ| .. 、 く ヽ
(( 巛 \\ ~、|| ... > / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ (巛 |`ー´ (~ |
/ ̄ ヽ ノ) ノノ (( ゞ ミ| /| <このスレはもう悟ってる。
│ ヽ < 《巛 」ヽ ミ| /)| |
│ 》ヽ ((( ( (ゝ ヽ ミ| ミ| \___________
| 彡 ヽ ((ヽ((vV ミ | ミ、 ヽ
ゞ、 //ヽ /ミ ミ ミ ミ| 、、_、)
ヽ 彡 \ ─//ミ ミミ ミ ミ| ミ\ミ彡
|\_ / \゛ ̄゛ ̄ミ| ミ ミミ ミ ミ ミ彡|ミ
 ̄\ ゝ ミ| \ | \ ミ ミ ミ彡 |
│ミ \ 人 ミ ミ ミ|彡 ゛ ミ ミ 彡|ヽ
/ \ |/ ミ | ゛ ミ ミ ミミ|ミヽ
ミ| \ ヽ / ミミ ミ| ゛\ ミ ミ/ ミヽ
ミ ゞ / / | ゛ミ 彡 ミ | ヽ
993 :
禅:2001/08/21(火) 06:48
なんでも、脳が低酸素状態に陥ったとき悟るらしいぞ。ブッタ
も菩薩樹の下で座禅した時もまともな状態じゃなかったもんね。
俺も座禅組んだことあるけど、ありゃ苦痛。
994 :
未知の人間:2001/08/21(火) 07:04
986、987さんは、どのレスに付いてのレスですか?因みに、オレはこのスレが2chデビューなのですが、
少しは2chの特徴も分かってきたので、今度からは未知の人間を卒業しようかな。小智の人間になったからね。
それにしても、唐突にスレの方向が変わっても、驚かなくなりました。多分、少し慣れたんだろう。
皆さんは「慣れ」に付いてどのように思われますか?よく、無くて七癖などとも言いますが、生命にこの慣れと
言う機能がなければ、生活自体が毎日大変なものになってしまうでしょう。慣れるからこそ、色々なことが出来る
ようになるが、無自覚になってしまう反面もある。それが、本人の人生にどんな可能性や制約をもたらしているのか
もそうなっては不明だろう。この部分では人間は自動人形みたいなものになって、そんなに自由ではないと思うなあ。
慣れてしまったことを、もう一度白紙にもどす作業も、想像以上に大変だ。いや、ほとんど不可能かもしれない。
995 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 07:10
1
996 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 07:10
(-人-)ナムー
997 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 07:12
(-人-)ナムー (-人-)ナムー(-人-)ナムー(-人-)ナムー (-人-)ナムー
(-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー
998 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 07:12
998
999 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 07:13
(-人-)ナムー (-人-)ナムー(-人-)ナムー(-人-)ナムー (-人-)ナムー
(-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー
(-人-)ナムー (-人-)ナムー(-人-)ナムー(-人-)ナムー (-人-)ナムー
(-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー
(-人-)ナムー (-人-)ナムー(-人-)ナムー(-人-)ナムー (-人-)ナムー
(-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー (-人-)ナムー
1000 :
名無しさん@1周年:2001/08/21(火) 07:14
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| ●_ ● | < 終わりなのか・・・せっかく悟ったのに・・もう、帰ってねる。
(〇 〜 〇 | \_________
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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