私が感じた大本教と聖師様について。

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1月を見上げる人。
パソコンを買ったばかりで嬉しくて、ネットサーフィンしていたらココを見つけて私なりに色々考えさせられ、チョットお話させてもらいます。

2名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 06:25
>>1
 大本については既にあるから、下に書きこもう。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=979995420&ls=50
3月を見上げる人。:2001/04/23(月) 06:42
私は都内に住む二十三の女の子です。友達と一緒に小さな会社を立ち上げ、働いています。私は大本を信者で聖師様を崇拝していますが、最近の大本の動きを見ていて、疑問を感じずにはいられません。ホントはこんな言い方は適切ではないと思いますが、もうダメなんじゃないかと思っています。私の家は元々私の祖母が入信して信者になりました。押し付けられたわけでもなく私の母もいつの間にか大本の教えに心動かされ、私も小さな頃から月ナミ際に連れられていって、いつの間にか祝詞を覚えていました。家は複雑な家庭環境で貧しかったのもあり、小さい頃から自分の身の寄せどころや心の持っていき場所を探していました。兄弟も居なくて一人ぼっちでいつもいじめられたりしていました。誰も守ってくれる人はいませんでした。おばあちゃんは私に辛い時とか困ったときは祝詞を唱えなさい、そしたら神様が必ず助けてくれるからね。と私に言い、私の心の中に神様が住むようになりました。大人になるまでに、誰でもそうですが、いろんなことがあり、死にたくなったこともありましたが、命と言うものは、神から与えられたもので、自分でどうこう出切る物ではないと思い、いつもふみとどまり、見えない神の力を感じました。今から思うと色んなことがありましたが、すべて大難だつたものを小難に変えてもらった気がします。
4月を見上げる人。:2001/04/23(月) 07:16
一度に書ききれなかったので・・・
不思議な巡り合わせで、私の母が出口家の方と懇意にしていただいてて、一般信者の方は入れない所に入れていただいたり、本当に貴重な聖師様の作品を見せていただいたり、いろんなお話を聞かせてもらいました。私は神だけども一人の人間として生きていた。聖師様の話を聞くにつれ、大本のすばらしさをあらためて感じました。
最近、綾部と亀岡の確執が激しくなり、亀岡側の教主様は白血病で入院されていて、その後誰が継ぐのかとか言う話や信者離れの話を聞くと本当に悲しくなります。いったい大本は、何処に向かっているんでしょうか?
だれが継承して行くかはもうどうでもいいと私は思います。何処でどう間違ったかはわかりませんが、大本は本当にもうダメなんでしょうか・・・
聖師様の教えだけを個人個人が継いで行き、大本教と言う団体は無くなってもしょうがないのでしょうか・・・

誤字脱字が多くメチャクチャな文章でごめんなさい。感情が先に走ってしまいました。

5名無しさん@1周年:2001/04/23(月) 07:25
大本がなくても、あなたの神様を信じる心さえあればよい
この世の全ては神の御心によって変化転変するもの

永遠の滅びぬものは私達の中にある「神の御霊」のみ
6月を見上げる人。:2001/04/23(月) 07:31
ありがとう。本当にそうですね・・・涙がとまりません>5
7名無しさん@1周年:2001/04/24(火) 07:29
>月を見上げる人さん

 大本が、現在の第三次大本事件と呼ばれるような状態になることは聖師によって預言されていたことであり、なぜ現在のような状態になったかと言えば、大本の二世、三世が、教主や人に頼って右往左往することなく自立して自分の判断で活動できるように、霊界物語に基づく真の信仰を確立させる為の試練だと思います。

 聖師は、昭和10年12月8日の第二次大本事件の勃発の5ヶ月前に弾圧が起きることを前提に次のように言われています。

「吾々の前途にはいばらが横たわる。だが終りまで忍ぶ者は救はれる。もし終りまで耐へ忍ぶことができなかつたならば、結局それは神に対する信仰が無かった証拠である。」
      『人類愛善新聞』昭和10年7月22日「昭和神政会結成一周年に際して」

 そして、聖師は、第二次大本事件の解決後小山昇弁護士に次のように語っています。

「(小山)『今度の事件で私たちは絶望して、ただ聖師さまのご先途(せんど)をどこまで見届けさして頂けるかぐらいの考えよりありませんでした』
 (王仁)『そうじゃろう。これが人間わざであったら、絶対助かりようはないわい。しかし神さまのおしぐみだから、ついには屁のように解決してしまうのだ。神さまにおすがりしておれば間違いないという心ができたであろう……』」
      『出口なお・王仁三郎の予言・確言』出口和明・光書房

 現在の第三次大本事件も最終的には、第二次大本事件のように「神さまのおしぐみだから、ついには屁のように解決してしまう」でしょう。それまでは、霊界物語を拝読しながら自分の真の信仰を確立することが大事だと思います。大本がなくなることはないでしょう。
 いわゆる大本の三派の内、大本信徒連合会、愛善苑の信者たちは、ほぼ自分たちの信仰を確立しつつあり、残る大本本部の信者は行き先不安の中で動揺しながらも自分の信仰の道を見出していく必要があるでしょう。
8名無しさん@1周年:2001/04/24(火) 08:22
>聖師様の教えだけを個人個人が継いで行き、大本教と言う団体は無く
>なってもしょうがないのでしょうか・・・

私はそれが本筋だと思っています。

大本の教えにもあります。師匠や他人を杖につくな、と。宣伝使は
原則としてひとりで世界を巡るというのが三五教の掟のはずです。
聖師とも深い親交があった、バハイ教ではもっとはっきりと説いて
いて、真理は自分の頭で考えて習得しろ、他人の頭を借りるな、と
言っています。

自分の頭で考えないから、つい他人の頭を借りたくなって、群れたがる
のです。その究極の姿が、「ウラナイ教の本部(おほもと)」です。
自分の歯で噛むことをせず、教主の言うことを鵜呑みにして、ひたすら
芋かゆをすすり、あり難がっている。

大本教団が時代の要請に応えられず、自然消滅していくのも神様の御
仕組みに違いないと思っています。
9つきを見上げる人:2001/04/24(火) 17:01
いろいろ親切なレスをありがとうございました。霊界物語を読み返して色々考えます。
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バハイ教の経典からの引用です。

「その(正義)の助けにより、他人の眼でなく自分の眼で見、隣人
の理解力でなく、自分の理解力で知りなさい……」(かくされたる
言葉、p.4)

たとえ、正しい教義であったとしても、自分が本心から納得しない
まま鵜呑みにしてしまえば、それは迷信に化してしまうと思います。

「バハイとして活動する人々は、創設者、バハオラの残した数百の
書簡、書物を「座右の銘」とし、それらの書物に書かれた内容を最重
要視します。解釈者や権威者はいません。聖職者も無く、運営は、
すべて選出された委員の合議制によるものです。」
http://www.bahaijp.org/nsa/index2.html

大本も、将来的にはバハイ教のように、聖職者もなく、経典の解釈者
もなく、ひとりひとりが自分の判断で霊界物語を読みながら、自分な
りに工夫して愛善の道を歩むような団体になることでしょう。ちょうど
今の愛善苑のように。