1 :
名無しさん@1周年 :
2001/03/28(水) 00:33 旧約の神は、イエス・キリストが生まれた時点で、 イエス・キリストと新たな契約をしたはずだ。 新約の神は、現代に通用する部分が大きい。 それが、時代に合った選択というものだろう。 旧約の野蛮な神を信仰するのは間違いだ。
こんなスレを立てる前に、新約聖書をちゃんと読みましょう。 新約も旧約も同じ神様。契約内容が、イエズス様によって更新された だけです。そもそも、野蛮なのは神様じゃなくて人間の方です。
3 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 00:45
更新されたのに、何で古いのを強要するんだ!
1がそこから学んだことは
>>1 なのか?
聖書は文を読むだけでなく、味わうんだ。
現代云々と言うより1に通用するかどうかに見えるぞ。
ローカル・ルール制定スレ読んでから書き込んでほしいな。
このスレも乱立に当たりそうだから。
キリスト教徒が連日信者を呼び寄せて大爆裂中!!
7 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 00:52
戒律を守れない奴は、石で頭をぶち割って、ぶっ殺せ? そういう聖書を信じてるやつが信じられん。
8 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 00:54
>>2 横暴なのは、間違い無く神様だけどね(ゲラ
もしかして1さんは、律法を批判しているのでしょうか。現代のキリスト教会は、 律法は受け継いでいませんよ。受け継いでいるのは、イエズス様が更新され た、十戒だけです。盗むな殺すなと説く十戒の、何処が野蛮なのでしょうか。
10 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 00:55
ローカルルールのことは知っている。 100スレ立ててもいいらしいぞ。
>>2 も仲間。スレ乱立よりまず教義。
馴れ合いの醜い醜い布教ゴッコ。
WMがいなくなった隙間で、狙った様に陣地取り。
伝統宗教が率先してこれじゃ、新新宗教と変わらない。
14 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:00
>>9 1は旧約の神が野蛮だといってるんだよ。親に子供生贄に出させてみ
たり、それに応じるアホを信者の鑑扱いしたり。求める阿呆に応じる
キティって感じだな。
それに、処女は男の為に残しておけ、それ以外は見せしめに殺せとか
言うオヤジの十戒なんて、オウムがキレイな教義唱えてるようなもん
だな。
15 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:00
いいや、モルモンは律法、律法と唱えている。 プロテスタントは献金と奉仕に苦しんでいる。 エホバは輸血するな、とほざいている。
>>12 だから、聖書も読まずに、こんなスレを立てるなと言ってるでしょうに・・・
19 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:05
「おいカス」 と「なな信徒@求道中 」も わーいスレが育って嬉しいな!と大はしゃぎ…… 特に「おいカス」 は1とダブリかも? 自作自演の偽善宗教。 宗教以前に掲示板を破壊する特別な常識の人々。
21 :
おいカス :2001/03/28(水) 01:05
聖書を読んだら何がわかるんだ。 女を肋骨で作ったとか、安息日に病気を治療したら死刑だとか? そうなのか?
つう訳で、既スレに移動。しかる後に削除依頼ということで。 −−−−−−−−−−−終了−−−−−−−−−−−
23 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:08
勝手に終了するな。答えてからにしろ。
読むんじゃない味わうんだ。
25 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:09
>>17 「聖書を読めば、アナタの疑問が解決出来る」とか思ってるんでしょ
う。読んで出てくる疑問もあるし、読む前からあって、読んでも未解
決のまま残る疑問もある。そんな認識してるなら思考放棄と言われて
も仕方が無い。
26 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:10
>24 なめてみたが、うまくねえ。
27 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:12
豚を食べるな、とか古いよもう。
28 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:16
なんで、焼き尽くすなんて神に服従する。 最後は人間への呪いじゃないか。
29 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:18
旧約は、全編、殺しのススメじゃないか。 気に入らんやつは、殺す。 それだけじゃないか。 信じてるやつの気が知れん。
>おいカス そういう難しい話じゃないんですけど・・・。 1さんは、イエズス様が生まれたから、旧約の神は消えるべき存在だと 考えているようですが、福音書のイエズス様の言行を見る限り、むしろ 旧約以来の神を愛しなさいと説いています。 だから、このスレのタイトルそのものが間違っているんです。”キリスト教 は去れ”なら、議論には加わりませんが、まあ納得できます。
味わって読めば 読むことで出てくる疑問に答られる力がつく。 それが出来ないのなら、1は味わって読めていない。
まだ続く自作自演。みにくいね。
33 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:19
残念だが、このスレは削除できないね。 ちゃんと意見を書いているんだ。
34 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:24
>30 旧約も新約も同じ神だと言ったのは君じゃないか。 旧約の神がイエスに全権委任したんだから、 イエスの教えは旧約の神も承知のうえ。 野蛮な神はそこで教えを改めたんだろ。
36 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:31
>>31 いやいや!!聖書はそんな、いかにも神様が書いたっぽい完璧な書物とは程遠い。
女性恐怖症による、童貞のみ救われるなどといったいらん加筆修正とか笑える人
間臭さいっぱいのコミックです。
37 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:34
>36 しかし、聖書信仰してる連中は、山といる。 聖書は全て神の言葉だそうだ。 プロテスタントもそうだろう。
38 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:36
>>35 オマエさ、なんで自分で削除依頼出さないの?
他人に頼ってないで、勝手に出せばいいじゃん。
39 :
名無しさん :2001/03/28(水) 01:37
聖書は信者向けに書かれた書物なのよ。そこを考慮して読まないと。
削除したいそぶりも一応見せるだけ。延々続ける宗教談義。
41 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:41
>39 なるほどな。 そういう野蛮な神を信者だから、信じてるってわけか。
42 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:44
信者向けに書かれた本を信者が信じても不思議はないが、 最初に書いて失敗したから新約を書き直したんじゃないのか。
43 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:46
↑オマエモナー
45 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:50
命令とあれば、我が子の命も差し出す。(しかも焼き殺し)こんな 関係、人間の神に対する隷属という以外に表現の仕様が無い。 本質が愛であるはずの神が、なぜ存在当初からそうでなかったのか ?それは、神の本質が愛などではなく、神は流動的な価値観をもつ 稚拙な精神性の持ち主でしかない事のよい証左である。人間同様葛 藤し、思いを改めることもままある。人間を水洗便所の様に流した ときも、なんか勝手に凹んでいた。もうこんなことは二度とすまい とか言いつつ。
46 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:50
>>44 だからあ、おまえ、自分で削除依頼出したことないの?
47 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:52
>45 神が後悔するようなことをやるのは変だな。 旧約の神は完全じゃないのか。
48 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:53
信者は痛いところは突かれると、途端にいつもの雄弁さを失う。 信仰の根幹に関わる部分の是非とは無関係な所の知識と考察にお いてのみ、彼らは雄弁である。
49 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 01:54
信者は完全だと思い込んでるようだ。
50 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 02:22
じゃーん!
このスレ>>1の勝利!
結局、旧約の神を信じている連中は、
>>1 の理屈を、ねじふせることもできないらしい。
ドツボだったな。
51 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 02:42
理屈って言うか、信者の屁理屈への常人の突っ込みだよね。
52 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 03:07
>45 一度聖書をきちんと読めや。基本的なところで大間違い(藁
53 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 03:19
>52 藁わないで、説明しろよな。 反論も出来ないのに、ちゃちゃいれるな。
54 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 05:59
神の命令で自分の子を殺してささげようとしてしまう、 というのは「愛」なんかじゃないよな。むしろ、逆だ。 自分の子を、自分の信仰心を満たすために「処分」して しまうって事だからね。アブラハムにとって、イサクは かけがえのない人間ではなく、自分の目的のためならば 何かと「交換」したり「処分」するような所有物・道具で しかなかった。
55 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 06:29
シオニズム万歳ってプロテスタント教会で宣伝してるけど、 あれもどうかと思うよ。 イスラエル建国は聖書の予言が成就したって 信じてるの、あれは、建国してやると イギリス人が第二次大戦中に約束したらしいよね。 ユダヤ人の力を借りるため。
56 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 12:02
>>53 こういう反論ポーズも思考停止信者の定石。
57 :
クイックルワイパー :2001/03/28(水) 12:12
たしかに旧約の神ってとんでもないよね。 「私は嫉妬する神だ」 だって。神のくせに。 旧約聖書の神がいるから、聖書原理主義やイスラム原理主義のキチガイどもが 暴挙の限りをつくすのだ。 それを間に受ける奴らも奴らだ。 聖書はイエスの教えだけでよし。
58 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:13
11@`13@`16@`18 笑った。
59 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:17
>>4 @`24
読むんでなく、味わう。。。
奥の深い言葉だねぇ。
でも、これ、ほんと同意。
いくつかのスレッドでいったけど、俺の信仰理解としては、
基本的に聖書は歴史書でなく、信仰の告白を表した書物だと思う。
何がいつ起こった、、ってことを得るのでなく、何がそこで語られているか
ということを読み取るのが大事だと思う。
60 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:20
で、それは、たぶん、多くのクリスチャンってのはその 語られている内容に感銘をうけて信仰をしてるのであって、 その歴史的事実の検証に基づいて信仰をもっているのではないの だと思う。 それが、信仰というものにふれていない人からすると理解できない ところだと思う。 クリスチャンは、このスレの1のような人に出会い続けるだろうが そこで、きちんと自分なりの説明をしっかりしていくべきだと思う。
61 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:22
で、もちろん、そこから得るものってのは、それぞれ違いが あってあたりまえで、質問する側もいろんな答えが出る中で 自分なりに得るものってのを見つければいいのだと思う。 と、いうことで、私はたまたま今日暇なんで、アブラハムと その息子イサクに関して少し、私なりに得ていることを はなさせていただく。
62 :
大作@駄作 :2001/03/28(水) 13:29
意味不明とか、旧約聖書がどーのこーのとかほざいてる人って そもそもの存在を否定してるんだから、そんなのまともにレスする 必要無し・・・
63 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:29
まず、知らない人のために簡単流れを説明するけど、 アブラハムってのはまじめに神につかえていた人だ。 子供ができなくて悩んでいて、歳をとった。 ところが、歳をとったにもかかわらず、奇跡的に神の恵みに よって子供が与えられた。 それがイサクだ。 つまり、イサクってのは、アブラハムにとって、 「神から愛されている」ということのなによりの証拠なわけだ。 それはいいかえれば、苦しい人生を送ってきたアブラハムに とって「神が私を気にかけてくれる」ということであり、 また「神が私と共にいる」という、何よりも元気になれる源、 人生をいきる上でのはげましの証拠ってわけだ。 それを神が捨てろ、、、っていった。これがこの物語。
64 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:33
物語的には、神がそのイサクをいけにえとして捧げなさい! ってアブラハムにいうわけだ。 で、悩んだすえ、その最高の宝物であるイサクをいけにえとして ささげようとするわけだ。 そこで、神が、アブラハムにストップをかけて、 結果的には、父と息子と普通の生活にもどっていくわけだ。。。
65 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 13:36
子供には内緒で焼き殺そうとしたよね。
66 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:38
で、おれなりにここから得ているものってのは、 神の恵み、ってのは決して遺品でないってことだと思うんだ。 人生いきていると、神の恵み、みたいなものってのをいくつか 思い浮かべることがある。 で、クリスチャンにとって、大事なのは、その過去の恵みだけを 頼りにしていきるってことよりも、今共におられる神が下さる 今日の恵みってのに目を向けていきるということが、とても大切 ってことなんだと思う。 遺品ってのを大切にするってのと、神の恵みを大切にするってこと は違うってことだと思う。 亡くなってしまった者から受けた物ってのは、遺品になって、 そこから先にもとめることはできないけど、神は亡くなってしまった わけでなく、今、この私とともにいきているのだと信じることが 大事なんだと思う。 今、どんな人生をそれぞれが送っているのかわからないけど、 今、自分の人生を神が共にいきているから、その神に、今の恵みを 望んでいきるということができて、これが人生に希望を産み出す のだと思う。
67 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 13:41
>>62 その発言が、
>>48 の発言の正しさを証明する。信者同士で
タブーに触れない論議を延々続けるわけだ。
神の実在については、常に思考放棄。一般人の疑問は、あ
なた方にも当然沸いてきている筈なのに。彼らに答える事
が出来ないのは、自分の葛藤にも光明を見出せない事に繋
がる。そもそも内なる葛藤に耳を塞いでいるのなら、正に
思考停止。
パブさんが言ってる
>で、もちろん、そこから得るものってのは、それぞれ違いが
>あってあたりまえで、質問する側もいろんな答えが出る中で
>自分なりに得るものってのを見つければいいのだと思う。
の所、あなたはわかっていないようだ。
68 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:42
ちと、わかりにくいと思うけど、クリスチャンにとって、今、 神が私に恵みを与えてくれるのだ、、、ということに、気づいていく 日々を送るってのはとっても大切なことなんだ。 本題からはずれるけど、たとえば彼女がいたとして、過去に彼女に 何かお金をつかってプレゼントしたとしても、その彼がいきている のならば、彼女ってのは、そのプレゼントだけで満足しないわな。 彼がその日その日で「自分にとってすてきな人であるか」ってのを 大切にしてくるわな。 それとおなじだ。 神はいきて、今、人生とともにいる。 だから、過去のことだけでなく、今、共にいる神がくれる恵みに 気づいていこうとすること、これが大事っちゅうわけだ。
69 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 13:47
気づく間もなく死んだアジアアフリカの恵まれない子供達は?
70 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:47
そうすることで、過去の恵みも含めて、毎日の人生で恵みを より感じられるようになるってことだ。 実際、アブラハムが、過去の恵み以上に今の神に期待したことで 「過去の恵みであるイサクも含めて」恵みを感じることができたわけだ。 彼女だって、そうでしょう。 彼がその日いちにちいちにちすてきでいつづけるなら、 過去にもらったプレゼントも、より価値の高いものになるわけでしょう。 わかれた男からもらったものより、今でも大好きなひとからもらった もののほうが、うれしいもんだ。余談。。。
71 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 13:56
69>> それとこれとは基本的に別問題。 実際、この話でイサクは死んでいないにゃり。 その都度その都度の流れ、、っていうかテーマをよみとって ほしい。 だれかの誕生会でうまいもんくってるときにアフリカの子供は、、 ってはなすのといっしょだ。 でも、その問題もとても大切な話だと思う。 それに関してはひととおりあるスレッドで書いたのだが、 どっかいっちゃったな。 っつーか、そのスレッド自体にいろいろ問題があって、あまり 紹介できない。。。
72 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 14:29
信仰心を試すために、親子の絆を引き裂いた風にしか見えないです。 俺が子供ならショックだが。
73 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 14:35
神がイサクを殺してささげるよう命じる話は、アブラハム が「神を畏れる者」であるか、命じられれば子供を殺すような 事すらやってしまう文字通りの「盲従」状態にあるか、試した わけだよね。その結果、アブラハムは子供を殺そうとする事 で、神が命じればどんなひどい事でも神の言いなりでやって しまう事を示した。 このような卑劣な手段で信者が自分の言いなりになるか 試す神もおぞましいが、それ以上に怖いのはアブラハムが 人間としての愛、人として守るべき人道を棄て神に盲従す る道を選んでしまった点だな。このような狂信的な盲従は、 現代の破壊的カルトに共通する問題でもある。 アブラハムのような狂信者にだけはなりたくないね.....。
74 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 14:40
45=65=厨房 おまえはここには要らん。去れ
75 :
大作@駄作 :2001/03/28(水) 14:54
信者じゃないけど・・・・ 意味不明とか、旧約聖書がどーのこーのとかほざいてる人って そもそもの存在を否定してるんだから、そんなのまともにレスする 必要無し・・
76 :
うんこ :2001/03/28(水) 15:43
カトリックだけど、旧約なんかまともに信じる気になれんぞ。 そんなものはパリサイ派でもやっていた。 基本的にそれを完成させにきたイエスの教えを信じるべし。 十戒の偶像崇拝禁止のせいで、キチガイどもが神社参拝を拒否するなどくだらん。 偶像崇拝ってそもそもそんな悪いか? 磔刑のキリスト像に祈ってなにが悪なんだ?
77 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 15:53
test
78 :
マリア :2001/03/28(水) 16:05
あたしの捉える偶像っていうのは、神のないものを指すのね。 だから、多くの宗教の神は偶像には見えない。 理由は、それぞれの教えの本質も、あまり変わらないと思うから。 あたしも旧約の殺人肯定の神は信じられない。 人のものにしか見えないのよ。 その思想を信じて、殺人を肯定してるのは 自分が高くありたい欲望に見えるの。 あれとイエズスが同じ神だとは、あたしには見えない。
79 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 16:06
>>74 そんなこと言えば、「わかっている俺」が演出できると
思ってるの?低脳。所詮思考停止。
80 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 16:08
>>74 具体的な事何もいえないお前が一番いらないんだよ。信者の底辺。
81 :
1>パブさん :2001/03/28(水) 16:24
パブさんの言うことはわかる。その話の中から、神が言わんとする何かを、 各自が汲み取ることが信仰なんだって言うことがわかった。 だけど、旧約の神は、戒律と罰則の神で、その罰則がエグイんだよ。 新約の方は正反対に、常に人間には赦される機会が与えられている。 旧約は最後には神の怒りに触れて人間は焼き尽くされるわけだけど、 新約じゃ、たとえ、死ぬときでも悔い改めたら赦されるという 逸話があるよね(十字架上の盗賊の話) 今でもその戒律・罰則の神の教えを使う必要があるのか、ということが聞きたい。 ましてや、聖書は絶対なもの、旧約の神まで完全なもの、としてしまうと、 神があとから考えを変えた(?)イエスのゆるし、や救済の教えはどうなって しまうんだと思うよ。だいたいのキリスト教は、旧約のいいとこ取りをしているのに 神や聖書が完全だと言ってること自体、奇異に感じるよ。 あんまり来れないんで討論はできないかもしれないけど、疑問を書いておくよ。 よろしく。
82 :
こねこ :2001/03/28(水) 16:30
きゃー。なんかさぁ、旧約聖書まともに読んだ事 ないんかなぁ? まぁ2000年以上前のお話だからねっ。。 それに、和訳されてるうちに、どんどん多少は、話 ちがってくるでしょー 笑 殺人のススメなんかどこかにかいてあったけかなぁ? 誰が書いた、第○章の○節か おしえてくれぇ でも2000年以上も続いてるんだもん。 すごいじゃん。 日本で、できた新興宗教と大違い・・・笑
83 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 16:35
いいからお前はパラパラ踊ってろよ。
84 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 16:36
2000年前は新約聖書。 旧約聖書は何年前かな?知ってますか? 2千年以上には違いないけどね。・・・笑
85 :
また、現れたなパラパラあほ女 :2001/03/28(水) 16:38
あほは書き込みすんな。 どっかほかのナンパ掲示板いけっつてんだろ。
86 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 17:09
旧約聖書の神は、きよいものと汚れたものとにはっきり分けている。 人間まで分けている。例えばレビ記10-8。それが当時の衛生思想のことだとしても、 旧約信仰では、そう教えない。豚が汚れてるから食べるなと今でも教えて いたりする。 殺せ殺せと書いてあるとこは、同じくレビ記20-9〜民数記35-16 罪に対して7倍もよけいに罰をあたえる神レビ記26-23 他にも呪いの勧めとかあるし、神が怒ってる場面なんて数知れず。 それを人間が沈めなきゃいけない。申命記13-16なんて、町をまるまるひとつ 焼き尽くして、神に生贄として捧げて怒りをしずめるんだぜ。
87 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 17:15
つーか、俺は実をつけてない木にやつあたりしてるイエスを見て 、こいつは麻原だと確信したよ。
88 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 17:21
新約では、病気の人も差別しない。 イエスは「行って○○してやりなさい」と言っている。 新約でもイエスが怒る場面はあるけど、どっちかというと、 人の子として生まれたから、制限があって、 何も出来ない自分に対して憤っているような怒りと思える。 あきらかに新約の神の方が、完全とは言えなくても、今の時代にも通用する。
89 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 17:23
それじゃあ面白くないんだよ。
90 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 17:25
なんか、くだらねぇ 議論だな。 このスレ・・・・。 ばかばかしー
91 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 17:32
>>90 だから何も語れないお前が来る必要は無いんだって。
92 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 17:33
>>87 イエスが大食漢で、酒が好きだというのは聞くけど。
イエスは人間の体を持って生まれてきたから、
ひもじい時は、そういう気にもなったんじゃないの。
説法して、1日歩き回ってるわけだし。
人間の苦しみを味わうために、あえて人間に生まれてきたんでしょう。
旧約の神は、天からガミガミああせいこうせい、と言うだけだったけど
まだまし。人間イエスよ。実在の人物らしいし。
93 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 17:35
ばかばかしいと思う人間は、ここから去れ!!! 邪魔をするな!!!
94 :
ばぶてすまんこ :2001/03/28(水) 18:08
>>87 こらーーーーーーーーーーー!!!
貴様、悔い改めるザマス!!!!
口先ばかりで行動の伴わないあほは滅びてしまえという、イエスさまの示唆的なお話ざんす!!!
アーメンですだ!!!!
95 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 18:12
87
>>92 >>
94のいう通りざます。と思いますです。
96 :
こねこ :2001/03/28(水) 18:16
ごめんなさい。もお きません・・グスン
97 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 18:18
旧約=ユダヤ教 新約=キリスト教 もともと、こうやってわかれてりゃいいのに。
98 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 18:23
>>94 >>95 説明してあげればいいんじゃないですか。
聖書が信者にしか理解できない読み物だとしたら、
それは、本物の神が言った言葉とは思えない。
聖書の神は、そんなに思わせ振りに、わかる人間にしか
わからないように、書いているっていうことですか。
そんな神ってあるんでしょうか。
そっちの方がもっと不思議です。(@非信者)
99 :
がんかい :2001/03/28(水) 18:27
>神の命令で自分の子を殺してささげようとしてしまう、 >というのは「愛」なんかじゃないよな。 神はそのひとり子イエスが十字架にかけられる場を そのままにしておいた。 ならば「新約」の神も、「旧約」と変わらず野蛮なのか? 「救い」がわからないと、 表面的な愛(ヒューマニズム)では聖書の記述は混乱してしまうだろう。
100 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 18:30
わかる人間だけで信者をやっていて、 わからない人間を誹謗するような宗教は、おかしいです。 もし神がいるとしたら、わからない人間も分け隔てしないと 思います。そういう神じゃないとやっていけない。 やっぱり皆さんて、旧約の神に呪縛されてないですか?(@非信者)
101 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 18:32
>>99 それは、人間の律法で裁かれたからでしょう。
人間が作った社会のシステムまで、天が変えられたら、
もとから、ずっと人類は平和だったかもしれないです。
102 :
バプ@品川 :2001/03/28(水) 18:37
木に葉っが茂っていて、たいそう立派な実がなっていると 思ったら、そうでなかった。 それを偽善者にたとえたわけであります。
103 :
マリア :2001/03/28(水) 18:47
104 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 18:58
>>102 たとえをするときは、いつも信者の方を向いて「まことに、まことにあなた方に
告げます」の文句で、「これからたとえの話をしますよ」で始まるのに、この時
だけは自分ひとりの行為で完結しているような…。
何か、あそこだけ流れの中で浮いていて唐突なイベントに感じました。でもまあ
そこはそれで納得という事にしておきます。
105 :
ばぶてすまんこ :2001/03/28(水) 19:07
>>100 ちょっと、キリ番ゲットしたからって調子こいてんじゃないわよーーーーん!!!
へ理屈言ってないで聖書をよくよむザマス!!!
わかりやすい教義で信者を引き込むのが新興宗教ざんす!
旧約の神に呪縛されてて結構毛だらけ!猫まっしぐら!!
それが洗脳なのよねーーーー!
つべこべいわずに悔い改めてバブテスマ受けるざんす!
106 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 19:13
>>99 「神が」ささげる、あるいは「そのままにしておいた」というのなら、
信仰の問題で信者以外にはどうでも良いこと。でも「人間が」自分の
信じる神の命令で自分の子供を殺してささげるようなことをすれば、
それは「野蛮」であり人として最悪の「罪」ではないだろうか。自分
の子供を自分の信仰のために殺害しささげるという行為は、その子
を自分の目的のために「処分」することであり、人である子を自らの
「所有物」「道具」として扱う事なのだから。
そのような、人としての愛を棄て神の命令であれば人を殺そう
とするような盲従に陥る事が「救い」の結果であるのならば、私は
永遠に救いを求めないことにしよう。その「救い」は、愛とは最も
かけ離れた地獄でしかないのだから。
聖書には、神の言いなりになって際限のない殺戮と略奪に堕ちて
いく者たちが描かれている。彼らは、まさにアブラハムのような神
のために愛を棄て神に盲従する者たちの末路であろう。
107 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 19:17
そんなわかりずらい? 実を結ばない木の例え。 信者じゃない自分にもわかるが・・・・・。
108 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 19:20
>>81 >旧約は最後には神の怒りに触れて人間は焼き尽くされるわけだけど、 >新約じゃ、たとえ、死ぬときでも悔い改めたら赦されるという >逸話があるよね(十字架上の盗賊の話) 旧約にもヨナ書の逸話がありますよね。 ニネベの町の人々は悔い改めて、主に立ち返った。 神はアダムがエデンの園を出てから、 常に人が立ち返ってくるのを待っておられると思います。
109 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 19:22
>>79 >>80 焼き殺し焼き殺しってうるさいんだよ。創世記22章ちゃんと読めや。
アブラハムはイサクを犠牲にする場面のことを言ってるのだろうが
10節でアブラハムは短刀でイサクを殺そうとしたことがちゃんと
書いてある。
だいたい動物を犠牲に捧げるときに生きたまま火に入れたり
しないだろ。
きみはバアルと「旧約の神」との区別もつかないのかい?
こんな基本的なことも説明しなければならないのかい?
わかったかい低脳君。
(そんなことは議論の本質じゃないって? でもね、こんな基本的な
こともわかってないんじゃ議論する資格も無いんだよね)
110 :
マリア :2001/03/28(水) 19:35
>>106 そういうねたみやすい神は、程度の低い宇宙人か
そんな辺りの者だったのかも知れないわって思う。
何とか言う中東の神話にも変な宇宙人出てきてるそうね。
オカルト好きのオネエさんが、いつだったか
目をらんらんと輝かせて「やっぱり宇宙人はいたのよ。
あたし達の創造主よ」って解説してくれたのだけど、
その神ってんのが、旧約聖書の妬む神と重なって、
思わず「そんな創造主はもう地球に着て欲しくないわね。
とっても迷惑な存在よね」って言ってしまった。
理由は、人を奴隷程度にしか思ってない神だったから。
人を創った理由は、奴隷が欲しかったから遺伝子操作したそうな。
111 :
ばぶてすまんこ :2001/03/28(水) 19:40
その宇宙人捕まえて キリスト教新教派つくるざんすよ!!!!!!! 世界征服するざんす!!手伝うざんす!!!
112 :
マリア :2001/03/28(水) 19:41
この説がもし本当であったなら、そんな神は神でなく、 あたし達よりちょっと文化的に進んでいる人だから神ではないわ。 もし、どこかで出会うことがあったら、まぁ、遺伝操作で、 いろいろ考えられるようになった事については ありがたくお礼を言っておけばいいんじゃない? その頃になったら、人間も結構連中程度になってると思うし、 はっきりと「再びあんたたちの奴隷にはなりません」 って言ってやりましょ!
113 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 19:42
>>109 ほら、関係無いところだけで雄弁だ。わかってないじゃなくて、どう
でもいい詳細だからね。資格が無いと感じるのは、おまえが相手を同
レベルに見れないというだけの主観的要因に過ぎんよ。
雄弁ついでに、パブさんやマリアさんの様にせめて自分なりの解釈で
も述べてみたらどうだい?出来ないだろ?自分を晒す勇気はないんだ
よ。知識を垂れ流すだけなら、自分を晒す事とは無関係だからな。
基本的な事?どうでもいい事だ。イエスが食うなと言ったのはタネ入
りのパンだが、それがパンだろうが他の食べ物だろうがどうでもいい
だろ?説明しなきゃならんのじゃなくて、説明する必要性も修正する
必要性も無いことなんだよ。思考停止にも程がある。
114 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 19:48
>>109 低脳と罵倒するのは、これに答えてからにしろ!
けっきょく、オマエらは、良いとこ取りで、こんな部分から
目をそらしてるだけじゃないか!
*********************************************************
殺せ殺せと書いてあるとこは、同じくレビ記20-9〜民数記35-16
罪に対して7倍もよけいに罰をあたえる神レビ記26-23
他にも呪いの勧めとかあるし、神が怒ってる場面なんて数知れず。
それを人間が沈めなきゃいけない。申命記13-16なんて、町をまるまるひとつ
焼き尽くして、神に生贄として捧げて怒りをしずめるんだぜ。
**********************************************************
115 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 19:52
もしそこに敢えてこだわるなら、どうでもいい事で無いというなら 、焼き殺すのと刺殺するのでは何の見地から、正当性がどのように 変わるのか説明してみろよ。かわらねぇだろうが。 こんなことも知らない奴とではまともに議論できんとかいうなら救 えないエリート気取りのアホだ。学問としての宗教を語るのと、神 の実在やら本質を語る事との違いも区別できん低脳だ。
116 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 20:01
エレミヤ記なんて最悪だよ。 主は、脅迫ばかりされておられます。 旧約は、悪いことをしたら、神はこんなに怖いぞという脅しばかりの神。 新約のイエスは、憐れんだり、悲しんだりして悪い人間のために祈る神。 新約の方が、どうみても平和のためには役立つと思うよ。
117 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 20:03
118 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 20:07
115は113の内容の補足。
119 :
マリア :2001/03/28(水) 20:12
>>114 焼き殺すのは、火によって清められると
考えていたのかもしれないわね。
伝染病ににかかった動物を殺したあとは、焼くでしょ?
石で打ち殺すのは、人が殺したのでなく、石が殺したのだから
人間に呪いは及ばないと考えられていたそうね。
でも、物質にも、記憶する力があると科学的に分かってきたし、
これは本当のこと言うと、大変な勘違いよ。
その石たちは忘れないからね。
で、浄化のためにその石も焼いてしまうのよ。
化学反応によって、別のものに変化することを
知っていたのでしょうね。
120 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 20:13
旧約の神と新約の神ってどっか変わったの? イエスは殺され、その後の信者たちもライオンの餌食etc. 自分達の国をやっとこさ持ったら、今度は逆に他国を侵略しだす。 南北米でインディアンと黒人の犠牲はどれほどか。 結局多くの血が流された歴史がある。新約の神も野蛮でないのかな?
121 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 20:18
戦争くらいは止めてくれてもよかろうにね。
122 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 20:30
ここ20年の世界の拷問虐殺の現状だけでもすごいよね。 一方では牛糞の未消化の豆拾って集めて喜んで食ってるような、極貧の国の人間もいれば 贅沢三昧の人間もいる。 悪人は永遠の地獄に放りこまれるとかいって、それって人間のせいか? 幸福な善人もいるしな。その差はなんだ? たった、一生の失敗で永遠の地獄だよ。 その一生だって人間が好き好んで選んだわけでもあるまいに。 とにかく理不尽な神だよ。
123 :
マリア :2001/03/28(水) 20:33
>>120 あたしの変な体質が感じた解釈はこう。
残念ながら、後世のキリスト教徒たちは、ユダヤ人主体だったせいか
自らの正当性をユダヤ人たちに訴えるために、
殺戮の神=イエズスに結び付けなければならないかったの。
イエズスの言われた「人を愛しなさい」「右のほほを打たれたら
左のほほも差し出しなさい」といったことより重点をおいた。
いつしか多数派になった頃にはすっかり殺戮の神の僕となって
拷問によって改宗させる=許しなさいの勘違い。
焼き殺す方法を取ったり、石で打ち殺してみたり、
色んなことをやってみたのよ。
でも、現代になって歴史を検証してみたら、
大間違いだって言われてるでしょ?
新約の神の力が今やっと、及んできたってわけよ。
124 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 20:53
>>119 伝染病で焼き殺すのと、罪を犯した人間を焼き殺すのと
一緒にしないでほしいけどね。
125 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 21:00
最初に戻るけど、聖書を読んで概念的にとらえるならまだいいけど、 文面をそのまま捉えている信者とか宗教がおかしい。 旧約を文面どおり捉えてる信者、いるでしょう。 前に宗教板で「マンションで羊」問題があったけど、マンションで羊買って 生贄にしろ、とは誰も言わないのに、衛生問題の解決した豚肉とか 血液をめぐる問題について、旧約の神を認める心理がわからない。
126 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 21:24
旧約の神って、自分が殺すだけでなく信者にも異教徒や自分に 従わない人々を殺させるんだよね。さらに、聖書を読むと「神の 言葉」が侵略や略奪の「口実」として利用されているふしもある。 ・・これらの町町の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの 人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をこと ごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さな かった。主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュ アに命じ、ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられ たことで行わなかったことは何一つなかった・・ (ヨシュア記11.14-15) 殺すな、盗むな、と言ったモーセとその後継者ヨシュア。彼ら の実態は、神に従って「殺し」と「盗み」に明け暮れる凶悪な盗賊 だったわけだ。
127 :
マリア :2001/03/28(水) 21:54
>>124 ほんとに、迷惑な話しよね。
>>125 民族や宗教の歴史を肯定的にしか受け取れない人には
何を言っても、正しい事としか受け取れないもの。
狂信者には理解しろって言っても無理があるのよ。
生きている間に理解できなくても、死んであの世へ
行ったら多分、理解できると思う。
そしてまた、やり直したいって願うと思うわ。
>>121 イエズスを受け入れていない証拠だとあたしには感じる。
イエズスを受け入れていたら、また違っていたかもね・・・。
みんなと仲良く生きて、非暴力を貫き通しなさいと教えられたのに。
イエズスの思想のみなら、他の宗教にも受け入れられたかもね。
>>126 砂漠の掟だという事なら、文化の違いということで
終わっていたかもしれない。
ただ、彼らは神と結び付けていたからね・・・。
自らの正当性を民に説得する手段として用いたのかもね。
神が定められた「殺すな」との矛盾を解消するために。
128 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:03
129 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:04
関係ないけど、 ヒンドゥー教のクリシュナ神だって神のくせに戦争おっぱじめて、何万もの悪人を殺すんだぞ。 でも一番人気の神様。 神ならなんでもしていいってことかい。
130 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:04
>127 >神が定められた「殺すな」との矛盾を解消するために。 そうでしたね、それって矛盾してますよね。 今頃気付くなんて、おマヌケな私ですが。 その矛盾て、旧約信仰している信者さんは、 どうやって解決しているんですか?
131 :
130 :2001/03/28(水) 22:07
神は完全なもの、と言いながら、片や矛盾は飲み込んでいるだけなのかな。
132 :
ばぶてすまんこ :2001/03/28(水) 22:09
皆、つべこべ言ってないで、割礼するザマスヨ。 サイズと共に持久力もパワーアップしてなおかつ、衛生的ザマス。 これで天国逝けるのよねーーーーーーーーーー。 ご先祖がキリシタン大名の由緒正しい家柄のアタシが言うんだから間違いないザマス。
133 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:18
>>132 君はHNからして、プロテスタントか?
プロテスタントは、旧約も使っているんだよな。
だから、煽るしか出来ないのか?
134 :
ばぶてすまんこ :2001/03/28(水) 22:31
御先祖が切支丹大名と言ったらカトリックに決まってるザンスヨ! 旧約なんかどうでもいいのよねん!
135 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:35
>>133 そんないちいちくそまじめにうけとんなよ。 そういうあんたはカトリックなの。
136 :
マリア :2001/03/28(水) 22:38
>>129 あたしに伝わってる口伝の伝承として、
楽園の国が滅びる前に、戦争があったらしいと聞いているわ。
楽園の国の大神官の皇帝に逆らったために、追放されたので、
彼は、楽園の国の王や女王たちをそそのかして戦争を始めたそうよ。
インドの神のことをあたしは全く知らなかったけど、
なんか好きになれなかったの。
それと関係しているかも知れないわね。
皇帝は、全ての文明を「我々は神に従わなかった」と悔やんで
文明もろとも消す呪文を唱えたそうよ。
神のお告げを聞く事ができる正しい神官や巫女たちは、
彼らの言うことを聞いた民を船に乗せて逃げ出したそうよ。
あたしのいる地方には、八家族がたどり着いたと伝えられているの。
こんな伝承は明治になって権力者たちに嫌われたから、
幾人かの長老とあたしと伯父以外に知っている人はいないと思う。
137 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:38
新薬も旧薬もどちらも毒です。
138 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:40
なにカトリックって旧約使わないの? そんなこたないでしょう。 ただ、聖書をプロテスタントほど重視しないってだけでしょ?
139 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:42
別に旧約の神が嫌なら、信仰しなきゃいいだけ。 イエスで充分。
140 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:42
141 :
旧約はつまらん :2001/03/28(水) 22:44
読んでてもつまらん。 これだけ。
142 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:44
>138 カトリックが使っているのは、 新約と旧約外典だと、本に書いてありました。
143 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:48
144 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:50
>142 外伝ってどこまで、信憑性あるのかね。 それを言っちゃあ、聖書も、ってことになるんだけど。
145 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:51
やはり電波板と統合がいい。
146 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:52
ここに来てる人みんなクリスチャンってわけじゃないよね。
147 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:52
原書を見てみないことには分からないと思うが…。
148 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 22:56
149 :
マリア :2001/03/28(水) 23:05
>>144 信憑性がないところが正典・外典・偽典問わずにあると思う。
旧約の神なんて、本当に言ってる事が矛盾しまくりだしね・・・。
正しい神と思える場所だけ拾い読みした方がいいかも。
他は「イスラエル民族歴史書」として読んだ方がいいかも?
あたしのところも明治以降は口伝しかできなくなったから、
あたしは、口伝を整理して後世に伝えたいと思ってる。
そうしないと、忘れ去られていく可能性が大だからね。
150 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 23:05
>知りたい 旧約聖書の外典って、 聖書に載ってない、別の書物なんでしょうか。
151 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 23:11
信憑性といや、聖書にあるいくつかの奇跡なんて信じる気にならんよ 。 個人的に一番気にいらないのが、神の存在ほどのものを肯定しながら 創造論も奇跡も否定する信者。半端に学問やってる人に多い。本人は 頭いいつもりが一番頭悪いと思う。確実に。進化論を完全否定しない までも、せめて幾つかの生物の典型は神が創った事にしとけばいいの に。
152 :
┏((=゚エ゚=))┛ :2001/03/28(水) 23:12
聖母の伝承もどの程度の真実なんだろうか。
153 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 23:30
>151 >神の存在ほどのものを肯定しながら創造論も奇跡も否定する信者。 それじゃ、宗教は、原理主義しか認めないってことになるよ。 >進化論を完全否定しないまでも、せめて幾つかの生物の典型は >神が創った事にしとけばいいのに。 それじゃ、いい加減すぎないか。その生物だけが選民(選動物)になっちまう。 原始宗教みたいなものか?
>>149 口伝も結構やけど、個人的な電波をあんま入れたらあかんよ。
「イスラエル民族歴史書」とか、勝手に強調したらあかんよ。
似たようなもんやけど信者に失礼なんやない?
155 :
名無しさん@1周年 :2001/03/28(水) 23:55
標準語でしゃべってくれ。
>>155 マリア?
俺は軍隊語は好かん。あんさんみたいな煽りも好かん。
157 :
マリア :2001/03/29(木) 00:30
>>154 口伝は、伝えられてる事だけを
後世の巫女達に伝えるだけだから問題はないわよ。
失礼なんやない?って言う語は、失礼なんじゃない?って意味よね?
母は京都出身なんだけど、向こうの言葉がイマイチ理解できてないの。
旧約については確かにそうかも知れないけど、普通の人が読む分には
そう思っといた方がいいって感じに思うわよ。
信者さんたちには不愉快かも知れないけどね。
>>155 はあたしではないから安心して。
さっき友達から電話がかかったから話してたのよ。
158 :
155> :2001/03/29(木) 01:44
マリアさんじゃないっす。 いや、女かと思ったんで。 関係ないけど、女の大阪弁て嫌いだから。
159 :
うんこ :2001/03/29(木) 01:54
つーか、24が自作自演?
160 :
ゴメン :2001/03/29(木) 01:55
板間違えた。↑159無視してヨシ
161 :
プロテスタントの女子大生 :2001/03/29(木) 02:07
私は、新約と旧約の神がそれほど矛盾するとは思わない。 どちらも、妬む神には変わりないし、決して単に穏やかな平和主義者 なんかじゃない。 なぜ神が妬むのか? 神様は、俗世の他の全てを捨てても構わないほどの信仰を求めておられる のではないでしょうか。「キリスト教ってカルト?」の板でも問題になっ ていましたが、12使徒は家族も何もかも捨ててイエス様に従いましたよ ね。「お願いします、一生のお願いです、何でもしますから」と言いなが ら、横目で自分の地上に積んだ宝を惜しんでいるような人物を、神様は果 たして善しとされるでしょうか。神様にしては狭量だとおっしゃるかも知 れませんが、神様はそれだけの力をお持ちなのですから、審査基準が厳し くても当然です。 (続く)
162 :
プロテスタントの女子大生 :2001/03/29(木) 02:14
また、日本とドイツの戦後民主主義の違いの話しはご存じですか? ドイツの戦後民主主義は、日本のそれのように単なる事なかれ主義では なく、「戦う民主主義」として有名です。神様は、理想を実現するため にはかなりの痛み・犠牲を伴う手段をもいとわない、勇気のあるかたな のです。世の人々に気づかせるためにはソドムとゴモラを焼きもするし、 愛する一人子イエスを人の世に遣わし、苦しい死を迎えさせることさえ してきました。今、神も仏もない時代と言われて久しいですが、神様は 愚かな人間達が気づくのをじっと待っておられるのでしょう。
163 :
名無しさん@1周年 :2001/03/29(木) 02:18
>神様は、理想を実現するため >にはかなりの痛み・犠牲を伴う手段をもいとわない、勇気のあるかたな >のです。 痛いのは神様じゃない。痛みと苦しみは人間に。栄光は神に。アホか。
164 :
あほか2 :2001/03/29(木) 10:50
>神様は、理想を実現するため にはかなりの痛み・犠牲を伴う手段をもいとわない、勇気のあるかたな のです。世の人々に気づかせるためにはソドムとゴモラを焼きもするし、 愛する一人子イエスを人の世に遣わし、苦しい死を迎えさせることさえ してきました。今、神も仏もない時代と言われて久しいですが、神様は 愚かな人間達が気づくのをじっと待っておられるのでしょう。 とんでもなくおめでたい考えだな。愚かなのはオマエだ。 神は自分のひとり子や人間を犠牲にして、自分自身は何もせんと 天の玉座で踏ん反りかえっているということはあまり気にしていないようだ。
165 :
クイックルワイパー :2001/03/29(木) 10:51
「勇気があるかた」って誰かを変わりに苦しめることのどこに勇気がいるんだ?
166 :
名無しさん@1周年 :2001/03/29(木) 11:29
少なくとも、我が身を挺して子を救う親ほどの愛は、神には感じない。
167 :
マリア :2001/03/29(木) 11:55
>>161 -162正しいのキリスト教徒の解釈の仕方がようやく出て来た。
ソドムとゴモラは、人に性的儀式を強要して反対派をみんな
殺して行ったからよ。呪文で神の声を人に聞け無くしたから。
お陰で、同性愛否定の元ともなってしまったけど。
ただ、あたしはそういう考えは全く受け付けられなかった。
その挙句の果てが、十字軍だったり、見るものみんなを
異教や異端や罪人といって否定して殺して行くやり方だったから。
あたし達の相手をするのは大変だろうけど、良かったらまた来てね。
168 :
名無しさん@1周年 :2001/03/29(木) 19:34
>167 ということは、旧約聖書の神様は、暴力は暴力で返せ、という主義なんですね。 「目には目を、歯には歯を」っていうのは、一般にはそのように受けとめている けど、あれも旧約聖書からですよね。 聖書は読んだことがないので、ここに書く資格はないかもしれないけど、 外国映画を見ると、ほとんどの映画にキリスト教の信者としての「セリフ回し」とか 出て来るでしょう。暴力映画なんかでも「神のご加護を」とか言ってバーンって 銃を撃ったりする場面。ああいうのが、旧約聖書の神様の教えだとすると、 当たり前の日常にそういう教えが潜んでるって、怖いですね。
169 :
マリア :2001/03/29(木) 19:49
そうね・・・。それから、ああいう教えが流行りやすい環境として、 戦争によって出ないと、物事を切り開けないって言う歴史的環境 もあるとは思うのだけどね。 そうでなければ、イエズスの教えだけが伝えられたのでしょうけど。
170 :
すずめ :2001/03/30(金) 00:16
旧約のイスラエルの神、新約のイエスの神、アッラーの神・・・ 神がいろいろいるわけではなくて、 森羅万象の創造主としての神は唯一であるとおもいます。 偉い人が亡くなって神になったりとか、宇宙人が神とかというのとは違う この大宇宙の創造者、その根源は「一」なるものでしょう。 ただ、その神をとらえる人間が正しくとらえてきたかどうか? 凡夫にして無知無明に陥っている人間が、神をとらえようと、神に帰っていこうと その時代時代において努力し、時には失敗もあったであろう、地域的、時代的制約 も受けながら、漸次発展させてきたのが宗教だと思います。
171 :
すずめ :2001/03/30(金) 00:28
旧約聖書のイスラエルの人々のとらえている神への認識は幼いものだったでしょう。 神は単にイスラエル民族だけの神ではなく、全人類の神であることをとらえていな かったかもしれません。 しかし、イエスもそのようなイスラエルの信仰の土台があって、初めて来られた訳 であるし、旧約聖書を完結させる為に世に来られた訳です。 一方的、全面的に旧約聖書を無視、否定するのではなく、長い歴史の中に、 彼らが神に立ち帰ろうとした姿、神が彼らを導こうとされた思いをはかるときに 新約聖書のイエスも大きく意味を深めてくると思います。
172 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 00:32
>>168 全然違います「目には目を歯に歯を」はその罪に対し
その罪にあった罰を与え、それ以上の罰を与えないという意味です。
映画などの使用は間違った使い方で悪いイメージ付けてるだけです。
それを経てからのイエス登場も神の計画です。
>>169 マリアさん本当に聖書読んでます?
分けて考えるんじゃなく一つとして考えて理解して下さい。
イエスの言葉もあれやユダヤ教がなければありえません。
でないとイエスも生まれなかったんです。
173 :
マリア :2001/03/30(金) 00:58
>>172 あなたの言わんとしている事は分かるわ。
そういう部分はあたしも認めているでしょ。
あたしは全てを否定してない。
ただ、認められないところが旧約に含まれている。
神でないからのものでないものが含まれてるの。
それさえも神からのものとあたしには出来ないわ。
文化的風土的価値観の違いという点について認めても、
神からのものでないものは、あたしには認められないわ。
それから、あの虐殺肯定の神のお陰で
どれだけの罪のないと思われる人たちが虐殺されたか。
罪人だから殺されても当たり前なのかしら?あなた達の中では。
それが、他宗教やアミニズムを否定する材料なら迷惑。
納得できる良い解説があるなら、あたしも歩み寄れるのだけど。
174 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 01:36
>一方的、全面的に旧約聖書を無視、否定するのではなく、長い歴史の中に、
>彼らが神に立ち帰ろうとした姿、神が彼らを導こうとされた思いをはかるときに
>新約聖書のイエスも大きく意味を深めてくると思います。
文章はきれいだけど、その通り、きれい事でしょう。
イエス誕生までのイスラエルの神の歴史書として読むのだったら、
何も問題があるわけではない。新約を読むとき、解釈する時の
参考にすればいい。
>>1 は「旧約信仰」が間違いだと言っている。
どういう理由で、「旧約聖書を信仰する」ことが正当化されるのか
そっちを答えてほしいね。
>>1 の言うとおり、教義を神みずから改定しているのに
なぜ、人間は勝手に旧約を教義とするのか、ということ。
175 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 02:10
>>173 いいえ殺されるのが当たり前なんて言ってませんよ。
そこから得た言葉と取れるものが後に数々の聖者達によって語られます。
色眼鏡をはずし素直に味わって読むと身になります。
あなたの迷惑とするものを、後に人が振り返った時
そこから人がそれを学んでいます、結果としてもたらされたものへと
受け継がれています、それは読み取ってますよね。
確かにその部分だけ読むと意味が違ってきますので仕方ありませんが
マリアさんにもきっと御理解いただけると信じております。
176 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 02:14
>>175 >色眼鏡をはずし
初めから色眼鏡で見られない様な内容にしておけばいいのでは?
177 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 02:27
>>175 >あなたの迷惑とするものを、後に人が振り返った時
>そこから人がそれを学んでいます、結果としてもたらされたものへと
>受け継がれています、それは読み取ってますよね。
それこそ、今のイスラエル・パレスチナが学んだことではないの。
178 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 02:58
>>176 初めからだと人が学べない、相手が人だけに理由が分からない。
眼鏡を外す事も人は学ばねばなりません。
イエスも主は盗人のように来られると言っています。
その時を知る為にも見る眼を養わなければならないのです。
>>177 あれは繰り返す人達です。
人が完全にあれの根本に持つ問題を無くせるようになるまでは
常に問題は人に出され続けています。
人から出た問題は人が解決しなければならないのです。
179 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 03:09
>>178 >人から出た問題は人が解決しなければならないのです。
永遠に繰り返される課題だけど、良いことは聖書(神)のせい。
悪いことは、人間のせい、ですか。
>イエスも主は盗人のように来られると言っています。
>その時を知る為にも見る眼を養わなければならないのです
屁理屈トシカ思えない。わざわざ見る目を養うために聖書が難解に書いてあるとでも?
イエスは、無学でも文盲でも平等に愛を与える人だけど、
旧約の神は、卑屈じゃありませんか。人の頭脳レベルをお試しになっていらっしゃるのですか。
180 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 03:24
>>179 イエスも言ってます。
「人の内から出るものが人を汚す」と。
人によって、人に害したものは人から出ているのです。
試すのではなく人にとって必要な事を身につけさせる為です。
人が罪を犯し、それを罪と知ったからこそ出てきた問題に対し
犯した罪への反省とそれに立ち向かう知恵と力を身に付け養うのです。
ですから人は問題の解決へと努力し続けなければなりません。
181 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 03:33
>>178 屁理屈ばかり。こわれたラジオのようね。
182 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 03:36
>>179 そこで、どうしてイエスが出てくるのかな。
やっぱり、新約で締めるわけですか。旧約の神だと、矛盾が多すぎるからね。
旧約の神は結局、意識の高くなった現代社会には不適切な存在なんでしょう。
歴史に留めておくべきではありませんか。
信仰すれば、いい訳できない問題を孕んでいますよ。
183 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 03:37
184 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 10:36
くだらん話題のスレッドのようね。
185 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 12:02
なんか爺さんの代までは柄が悪かった成り金みたいな話だね。
186 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 12:06
>184 なんの意見もできないお前が口をはさむな
187 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 12:07
↑オマエモナー
188 :
コピペ・ :2001/03/30(金) 12:28
先日、ある海外の新聞にてアメリカ人クリスチャンの訃報が大きく掲載されました。 彼は第二次世界大戦中、日本軍の捕虜となり「バターン死の行進」にて 口では言い表せないほどのひどい扱いを受けました。彼の同胞は自分の墓を 掘らされたあげくころ銃剣にて刺し殺され、ある者は炎天下のもと延々と 歩かされた挙げ句餓死させられ、ある者は死ぬまで殴られ・・・という この世の地獄図を絵に描いたような描写がなされていました。彼はこのような 扱いを受ける中、常に聖書の御言葉を思い出し(聖書も何もかも日本兵に 取り上げられたので)、強制労働中は讃美歌を口ずさみ、他の捕虜から "you are crazy!" と言われていました。戦争後、多くの同じ苦しみを 受けた同胞が日本兵に仕返しをし、また現日本製品は絶対に買わないと 心に決めて反日感情をあらわにしていた中、彼は「それ以上の酷い罪を イエス様によって許されたのだから、私も日本兵に受けた扱いを許す」とし、 戦後、東京にやってきて自分の結婚式をあげたそうです。その後、 極東宣教団体に加わり、あの忌まわしき思い出の地であるフィリピンなどで 宣教をされた後、海外に駐在する米兵の宣教に努め、80才で主の御元に 行かれました。 ↑大変立派な話だ。 しかし、立派なのは人間で神じゃないと思うが。
190 :
こねこ :2001/03/30(金) 16:50
ごめんなさい。傍観者になるってきめたんですケド ひとつだけ質問あります。えっと、 84番さん>2000年以上は、わかってるんですけど、 あの、具体的に何年なんですか??わかります? みなさん> やっぱり・・あたしはホント親不孝の馬鹿女ですよね はぁ・・・産まれてこなきゃよかった・・・。 何千年かわかればいいので、それ以外のレスは、いいです。 わかれば・・・傍観者として勉強するヨ んじゃっ
191 :
マリア :2001/03/30(金) 16:51
あたしが思うのは、殺戮が神の名によって行われているけど、 あの殺戮は神の命令であったのか、 また、そうでなかったのかでかなり変わってくると思うけど、どう思う? あたしは神の命令ではなかったと思うのね。殺人を否定しているから。 あの砂漠の地で、民族が生き残るために仕方がなかった戦争だったと思う。 良い場所が少ないから、一緒にいられなかった。って理由なら理解できる。 ああいう土地では良い場所を探すのはとても大変な事だし、 その土地が養える人数は、限られているもの。 しかし、それがさも神の命令であって、神の命令が下れば(と感じれば) これから先も殺しても良いっていうのは違うと思うの。 同性愛の問題もそう。同性愛者を認めれば民の数の減少が避けられない。 こういう土地にいる限り、同性愛は禁じておかないと困る。 でも、それには民を納得させる根拠がいる。 それを神に当てはめたのなら、あたしは受け入れられる。 その時代は、神の命令だといわないと人は動かないから、 こうする以外なかったというのなら、あたしは受け入れられる。 それから、あるキリスト教徒たちが口癖のようにいう、 自分達だけが救われ(て)ると言っているのは、 そういうことと同じように思うのよ。イエズスが警告を発しているのに。 誰か、ここら辺をうまく説明して欲しいわ。
192 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 17:20
>>191 仮に殺戮が神の命令じゃなくても、殺戮をたしなめるくらいはしてもいいだろ。
つーか、カスが人間の前に姿現しゃいらん殺し合いもなくなるし、みんな自分の
行いを常に省みるようになるんだよ、クソが。調子こいて傍観者なんぞ気取って
なんの意味があるんだよ。無いだろ?いねんだよ神なんぞ。
本気で人間に責任もつなら、悪い行いに走らないようにさせたいなら、カスが顕
現して、その存在と力を知らしめる義務があるだろ。
漫画太郎風に、クソ野郎にこう言ってやりたいね。
俺「口で言やぁわかるんだよーー!!」
カス「ぶべらっ!!」
193 :
no name@one year :2001/03/30(金) 17:31
>209(将来この番号でレスする人) 地獄へ落ちチャイナ!
194 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 17:36
あるところに親子がいました。 親は子に、「危ないから道路に出てはいけない」といいました。 しかし子供は道路に出てしまい、トラックに轢かれてしまいまし た。 親は、目を離した事を人に責められたとき、こう言いました。 「私はちゃんと子供に言っておいた。出ると危ないと。私に責任は無い。」 あるところに神とアダム、エヴァという二人の人間がいました。 神は二人に(以下略) 責任無いから、全ての人間から苦しみを取り去れなくても、救えなくても 糾弾されるべきいわれは無い、と。子供に分別の能力がありますか?智恵 の実を食べる前の人間に、サタンの惑わしを回避するほどの分別がありま すか?親は、言うだけでなく目を離さぬようにしているべきでは無かった のですか?どうしてドキュソは、こんな昔話を鼻で笑わずにおられるので すか?
>193 あんた、脅してるつもり? どこの坊ちゃん。 お子様ランチ食べたい?
196 :
193 :2001/03/30(金) 17:42
はい!食べたいです!!
197 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 17:45
>196 ついでに2人前食いたいと言ってやれ
198 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 17:54
>>193 ほら、呪う神の信徒は、やはり呪いがお得意だ。本領発揮だね。偉そうに
世の事象に神の視点を通した理由付けしてる時より、よっぽど目が輝いて
るよ。
199 :
大魔王サタン :2001/03/30(金) 18:13
>198 いいんじゃないの、それで むしろその方がいいよ
200 :
マリア :2001/03/30(金) 18:16
>>192 そうよ。でも、神は最初にたしなめていた。「殺すな」って。
それをあの民は受け入れてなかった。だから現れられなかった
というか、現れてても民には見えなかったのよ。
ソドムやゴモラの悪徳神官たちや彼らに騙された民と同じように。
あたしから言わせると神を信じていなかった。そういうことよ。
神は砂漠でナンを降らせたりもしたのにね・・・。
それを「食べる分だけ取りなさい」とも言っていたのにね・・・。
201 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 18:45
>あたしが思うのは、殺戮が神の名によって行われているけど、 >あの殺戮は神の命令であったのか、 >また、そうでなかったのかでかなり変わってくると思うけど、どう思う? > >あたしは神の命令ではなかったと思うのね。殺人を否定しているから。 しかし、そうすると旧約の神の言葉や預言はかなりの部分が 神ではなく人の都合で書かれた事になるね。モーセ・ヨシュア が繰り返した異教徒の殺戮や略奪・侵略は、「約束の地」奪取の 過程として聖書信者が拠り所としている面もあるわけだけど....。 実際、キリスト教徒にもヨシュアを「英雄」扱いする人は多い。
202 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 18:45
旧約聖書をキリスト教に持ち込む背景には、パウロ神学の影響が無視
できないと思うよ。「怒れる神」をなだめるために「独り子のイエス」
を十字架につけて、万民の生まれながらに持つ「原罪」を贖う、と
いう思想は、明らかにパウロの持っていたユダヤ教学(=旧約聖書)
から出てきたものだからね。
パウロがいなければ、「原罪」も「贖罪」もキリスト教の教義の柱
にはならなかったでしょう。そうすれば、「怒り、妬み、罰する神」
というイメージも、「キリストの贖罪なしには誰も救われない」と
いうような独善的かつ暗〜いイメージも払拭されていたでしょう。
神が命じれば、殺人もまた義とされる、というのは明らかにイエス
の隣人愛と相反するし、パウロが持ち込んだ毒麦だと思うよ。
パウロ神学とイエスの教えとの乖離については、以下のリンク先の
論文が秀逸です。
http://www.magi-system.org/christ/reformation/00000002.htm
203 :
202 :2001/03/30(金) 18:55
リンク先からの引用文: 「イエスの言葉は、人の心を自由にするのに対して、パウロの言葉は 人を奴隷か家来のような服従者の心理に追い込むのである。」 これがすべてを物語っていると思うよ。キリスト教の過去の過ちも、 現在のキリスト教徒の頑迷さも、彼らが未来に犯すであろう過ちさえも。
204 :
マリア :2001/03/30(金) 19:05
「毒麦は、良い麦と一緒に大きくしてから 刈り取られて炉に投げ入れないと、 良いものも一緒にダメになってしまう」 という表現も確か新約にあったわね。
205 :
やぱーり :2001/03/30(金) 20:06
かみさまは、愛だよねええ
206 :
202 :2001/03/30(金) 20:32
イエス自身は、ユダヤ教の教え、特にモーゼの十戒については否定 的ではなかった。ただ、ユダヤ教の祭司達はそれを「曲解」して 「律法のために人がいる」ような律法主義に走ってしまった。その 証拠に、イエスの教え(神を愛することと隣人を愛することが一番 尊い)に共感した律法学者も少なからずいたらしい。イエスを敵視 したのは、「曲解」を利用して人々を支配し、利益を独り占めにし ていた上層部の連中だけだったんだね。 同じ悲劇がパウロによって、キリスト教にもたらされた。「キリスト を信じさえすれば」というのは、形を変えた律法主義に他ならない からね。
207 :
やぱーり :2001/03/30(金) 20:38
かみさまは愛だねええ
208 :
マリア :2001/03/30(金) 21:39
>>206 パウロはパウロなりに一生懸命考えたんだろうけど、
彼は、生きてる時のイエズスの言葉を知らなかったしね・・・。
それで、ちょっと他の使徒と違っていたのかもね。
イエズスとユダヤ教との接点を探っていくうちに
おかしくなったのかも知れないわね。
そんな事に対する注目もできるようになった今の世に
生まれてあたしは幸せだわ。
209 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 21:42
地獄っていいな♪
210 :
>1 :2001/03/30(金) 21:43
ズバリおまえは「イエスキリストは精神分裂病だった」スレッドを立てた奴だろう。 論理の回し方が似ているぞ。保守的キリスト教会でプライドを傷つけられたか何か したのか?
211 :
七資産@アイドリング中 :2001/03/30(金) 21:53
212 :
マリア :2001/03/30(金) 22:00
ヒューマニズムと信仰には、接点というものは 今後も期待できないのかしら?あたしはあるって信じたいわ。
213 :
大魔王サタン :2001/03/30(金) 22:30
こんばんわー 聖書で「試みる者」と呼ばれてるサタンでっす マリアさんは天国行き決定! わたすの誘惑が少しも通用せんもの
214 :
子ひつじ :2001/03/30(金) 22:41
愛深き人こそ、神の御心に叶うなり・・・
215 :
1 :2001/03/30(金) 22:52
216 :
無邪気なクソガキ :2001/03/30(金) 22:58
>215 ねーおじさーん 神様ってやさしいのー?
217 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:00
俺は悪霊に憑かれて困ってるが、その悪霊にお前の前世は旧約の神 だといわれたことがある。そこでの悪業が原因で悪霊に憑かれたらしい。
218 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:08
キリスト教に前世の悪業とかないし、悪霊とかいないからね。 悪魔はいるらしいけど。それ、ウソね。 死んだら、天国行くか、地獄に行って二度と戻って来れないか、 煉獄で、天国行く修行するかのどっちかだから、前世はないのよ。
219 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:10
イエスは本当に、数切れのパンで数千だったか数万人の腹を満たした と信じていますか?
220 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:15
実際は、数切れのパンを分かち合うことを教えたことによって、 持っている人みんなが自分のを分かち合って、それが可能になったんだと 考えるのはどう?
221 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:16
>>218 それだったらやはり納得いかないよ。たまたま貧国に生まれて
物心つかん内に死んだ赤子が、仮に地獄に行くにしても天国に
行くにしてもあまりに不公平じゃない?事故で死んだ子供とか
。
神様はその人が乗り越えられるだけの試練しか与えないとかい
うの、ちゃんと現実見て言ってるのかな?子供が医療事故とか
自力で超えられるの?ねぇ、つまらんつまらん言ってる人は、
たまにはいい事言ってみてよ。
222 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:18
>>220 他にも癒しの奇跡とかありますが、どうにも胡散臭さはぬぐえません
よ。本気でイエスを信じていた人の、超プラシーボ効果とか?でもそ
れで、見えない目が一瞬で見えるようにはならんよなぁ。
223 :
218 :2001/03/30(金) 23:20
221のつけたしです。 前世の業とかがあるなら、現世で生まれる環境に不公平が生じても 少しは納得がいくという事です。
224 :
221 :2001/03/30(金) 23:21
すみません、
>>223 を書いたのは218さんではなく221の私です。
225 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:39
>>221 カトリックでは、ということですが、命の短い者は、
最初から自分の意志で、他の人間の罪を肩代わりして生まれてきたので、
最初から天国は約束されている、ということです。
また、自分から罪を引き受けて生まれてきたその子たちを、
イエスは特に愛されて、早くに天に召されるということです。
226 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:43
人間の罪というのは、前世のでなく、現世のです。 十字架の上のイエスキリストと同じ立場です。
227 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:46
>>225 でも、ひどい死に方する人も可哀相な死に方する人もいるよ。
子供が死ぬ前に、親に「生まれてごめんなさい」とか、どれ程
辛かったんだろって思うよ。本人も、言われた親も。
贖罪の為に苦しんで死ぬってのは、なんか違う気がするなぁ。
228 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:47
>>226 うん?それでは、生まれる前に既に自我をもった存在として在ったと
いう事ですか?その子供達は。
229 :
名無し :2001/03/30(金) 23:52
カトリックは要するに、あえて自分から亡びることを望まない限り 洗礼を受けた者はだれでも天国に行けるの。基本的に万人救済。
230 :
名無しさん@1周年 :2001/03/30(金) 23:54
>>229 それではまた、形骸化したシステムとしての救いとイエスの教えの内容
こそが重要とする概念とで、明らかに前者に偏ってる気がしますが…。
231 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 00:00
>>228 自我は後からできるものだから、魂として宿る。
232 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 00:06
自我の無い魂がどうやって自ら罪の肩代わりをするという能動的 意思表示をしたのですか?う〜ん。
233 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 00:14
>>228 さあ〜。そこまで考えたことがありません。
最初は無垢な魂として胎内に宿るけど、人間になって地上に
降りた時から、罪を負うのかもしれません。
でも、どの家にどの子が行くかというのは、
その魂が好んだ人たちのところに行くといわれています。
234 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 00:15
235 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 00:22
>>232 だから、貧しくても、不幸な家庭でも、そのお父さんとお母さんが
好きだから、魂はそこを選んで行くとも言われています。
236 :
マリア :2001/03/31(土) 00:51
これは、あたしのいい加減な記憶でしかないけど、 確かにあたしは光のような存在に「どこがいい?」って聞かれて、 「この人のところ」って答えたわ。 そして、気がつくとお腹の中だった。
237 :
七資産 :2001/03/31(土) 06:08
>212 接点があるからといって混同していたらダメだよ。マリア君。
238 :
名無しさん :2001/03/31(土) 07:24
>>236 そこまで知ってたとは、嬉しいよ。
君もその光の一部なんだよ、そこから出てそこに帰るんだよ。
君はかなり覚えているね、輝きが増したよ、ありがとう。
意味を理解するのも、もう少しだ更に光を磨いて帰って来てね。
君は愛されているんだから。
239 :
名無しさん :2001/03/31(土) 07:30
↑ なんだ、これはキリスト教スレではなくて神秘主義のスレだったのか。(藁) 実に下らん。
240 :
709 :2001/03/31(土) 08:12
>>238 マリアさんの内に更なる火が灯ることに喜びがありますように。。
241 :
709 :2001/03/31(土) 08:13
242 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 12:10
俺も、聖霊の満たしとかそういうのは信じられん。スティグマータとかも。
243 :
なっちありがとう! :2001/03/31(土) 13:00
結局ね。旧約の言葉と新約の言葉を同じ重みで受け止めてはいけないと思います。 クリスチャンならね。旧約はあくまでユダヤ教徒にとっての聖典なわけで、クリスチャン はイエスのバックボ−ンを理解するために、旧約をユダヤから借りてきているにすぎない。 参考書にすぎないのよ。そこをわかっていないと、ICFフォ−ラムにいる保守福音派のように 間違った信仰を持ってしまう羽目になる。イエスもはっきりと言ってるでしょ。 「新しき酒は新しき皮袋に入れよ!」ってね。
244 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 15:44
イエスは否定ではなく成就させに来たと言ってますね。
245 :
マリア :2001/03/31(土) 15:53
>>237 もし、キリスト教徒の方だったとしたら、
それがキリスト教の信仰で一番問題なところ。
異教徒のいうことは糞も味噌も混ぜて考えてしまうところ。
接点があるということさえも否定してしまう。
イエズスが成就させにきたということは、
何であるかをもっと考えて欲しい。
また、何で成就させなければなかったのか。も。
246 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 17:15
旧約聖書も新約聖書も、所詮、人間が書いたものじゃあないか。
247 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 17:52
人が勝手に書いたものを、神様のせいにされたら、神様も 迷惑だろうよ。
248 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 17:56
>246 でも、聖書は、人類最大の思想書とも言えるかもしれない。 イエスは人類最大の哲学・思想家かもしれないよ。
249 :
マリア :2001/03/31(土) 17:59
>>246 確かにそうよね・・・。
でも、旧約・新約どちらにも一応は神に通じる道や
人の生き方についても書いてある部分もあるから、
全てを否定できないわね。
ただ、ああいう土地の風土や習慣もあるし、
ちょっと日本の風土や習慣になじめないものもある。
そして、人の都合によって書かれたものもある。
250 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 18:03
>>248 別に否定するつもりもないが、、、
イエスの思想の総ては、タルムードやミシュナーにあるという
話もある。
251 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 18:10
ちなみに、旧約聖書で、神様が本当に書いたのは、モーセの十戒 だけでしょう。 十戒は「じっかい」なんだね。俺、「じゅっかい」だと思ってたよ。 変なの。
252 :
:2001/03/31(土) 18:48
>ERROR:名前いれてちょ カトリックでは「聖書は人が書いたもの」だよ。
253 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 19:00
254 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 19:17
255 :
:2001/03/31(土) 19:19
>>253 つーか、そのまんま。
聖書ってのは、別に神が直接書いたものじゃない。
だから聖書一字一句をそのまま受け取るのではなく、書かれた当時の時代状況を考え合わせ、聖書の筆者が一体何を伝えたかったのか、その真意を汲み取ることが大事、ということです。
256 :
:2001/03/31(土) 19:23
>>254 >人が「勝手に」書いたものを
何千年にもわたって受け継がれて来たものだから、確かに人が書いたものだけど、やはりそこには何か「普遍的」なものが潜んでいるのだと思いますよ。
257 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 19:27
>「普遍的」なものが (たぶんそうだと思うが、、)カンソックだねえ(藁)。
258 :
256 :2001/03/31(土) 19:34
「普遍的」と言ったのは 「聖書は決して『絶対』ではない。かといって無視して良いものではない」 という意味で使っただけです。 ま、カトリックっぽいですが。
259 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 20:11
旧約聖書を読むと、モーセの十戒以外は、総て、律法解釈にすぎない という風に感じるんだがね。
260 :
広辞苑 :2001/03/31(土) 20:19
でも十戒って私でも考えられそうだが。 「神の名をみだりに唱えてはならない」はちょっと、我侭ってきがする。
261 :
名無しワトソン :2001/03/31(土) 20:24
>260 人に「私は信仰してます」という態度をひけらかすな! というぐらいの意味なんじゃないの? 普段から「神様が〜神様が〜」と言ってる人を見たら あなた、どう思う?俺は引くなあ。
262 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 20:26
たしかドイツで、マスコミが、聖職者へ電話で、モーセの十戒を 総て答えられるか?という、アンケートをしたことがあったらしい。 パーセンテージは忘れたが、そのマスコミが、びっくりするぐらい 低い回答率だと、書いていたのを憶えている。
263 :
マリア :2001/03/31(土) 21:27
そんなものでしょうね。 ユダヤ教のラビは完璧って感じなのかしら?
264 :
ERROR:名前いれてちょ :2001/03/31(土) 21:36
>>260 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしの
ような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。
このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたし
の神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないように
してください」とあなたの神、主に求めたことによっている。
主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。
わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を
立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをす
べて彼らに告げるであろう。
彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者が
あるならば、わたしはその責任を追及する。
(申命記18/15-18/19)
きたら、マジで怖いよ。
265 :
>>215 :2001/03/31(土) 22:19
でも、舌足らずで、傲慢な精神はよく似ていると思うわよ。
266 :
名無しさん@1周年 :2001/03/31(土) 23:41
旧約聖書には「ただし書き」をつけようね。 「これは、野蛮な国民を治めるために書かれた、野蛮な神の物語です。 良い子のみなさんは、真似をするのは、やめましょう。」
267 :
名無しさん@1周年 :2001/04/01(日) 05:41
>>266 そんなこと気ままに書いていたら今に泣くぞ。
268 :
:2001/04/01(日) 05:48
269 :
名無しさん@1周年 :2001/04/01(日) 05:50
>>267 そんなこと脅していたら今に泣かされるぞ。
泣かぬなら、殺してみれや「266」フフフ
ネタはsageでかこうね
271 :
名無しさん@1周年 :2001/04/01(日) 07:52
ただ、旧約聖書の神の信者はかなり「野蛮」な面もあるよな。 異教徒に対する殺戮や略奪・強制労働、教団内での残虐な処刑、 神に従わない者の徹底排除(虐殺).....。 このような人たちの生み出した「神」が、野蛮で自分勝手な 性格になるのは当然なのかもしれない。「真似」はしない方が 良いのは、確かだ。
272 :
このスレを無効にする一撃必殺 :2001/04/01(日) 10:04
新約聖書の使徒行伝に、自分の土地を売った代金の献金の額を ごまかしたアナニヤとその妻サッピラが、「聖霊を欺いた」と いう罪のためにペテロに「逝ってよし」と言われて命を絶たれ るというエピソードがある。献金をごまかしただけで死刑にな ったのだ。これは旧約世界同様の極刑である。しかもこの出来 事はイエスキリストの「新しい契約」以後に起こったものであ る。パウロはこの時にはまだユダヤ教徒でありクリスチャンに 改宗もしていないので当然この事件には何の関与もしていない。 従って、これから得られる結論は一つである。 結 論 : 旧 約 の 神 も 新 約 の 神 も 変 わ っ て い な い ! 反論出来るならしてもいいぞ。
273 :
マリア :2001/04/01(日) 13:31
>>272 誰がしたかで変わるわね。神がしたのか、ペトロがしたのか。
また、この時はイエズスはいたのか、いてなかったのか。
274 :
名無しさん@1周年 :2001/04/01(日) 14:32
>>272 あのお話は、「青年たち」が死体の後始末をしてるのが不快な感じ。
オウムのカリヤさん事件を思い出す。
275 :
広辞苑 :2001/04/01(日) 14:33
>261さん。 うーん。そういう解釈ははじめて知りました。ナルホド。
276 :
広辞苑 :2001/04/01(日) 14:43
しかし、結局のところ、旧約の神であろうが、新約の神であろうが 現実の世界が理不尽で残酷、混沌としていることに変わりはないと思われ。 カトリックの聖人の伝記なんか読んでると神よりも尊い行いをしれいる気がする。 悪魔だって神が創造したもののはず。(もしいるとするならば) クリスチャンが都合の悪いことは悪魔の責任にしているけど それって、神の全能性を否定してると思う。
277 :
名無しさん@1周年 :2001/04/01(日) 15:01
>>276 「全ては神の思し召し」だと都合の悪い人がいるのです。
278 :
名無しさん@1周年 :2001/04/01(日) 16:11
でもでも、悪魔はホラー映画に貢献してると思いまーす。
279 :
マリア :2001/04/01(日) 16:26
>>276 悪魔の存在を信じてる人もいるけど、
イエズスは人の心から出てくるものと言っているからね・・・。
この世で生活してて思うけど、
人は色んなものを考えて生み出す力を持っているしね。
あたしは人の気次第だと思うのよ。
>>277 そう言う人もいるわね。
自分の人生振り返った時や歴史を振り返った時に、
あたしはそう感じる事も多いわ。
色々あった分、何でそれが起ったのかも分析すると
いろいろなものが見えてくる。
あたしは、旧約の人が犯した間違いをイエズスは正しに来たけど、
これからはあたし達人間(特に信者)が、新約以来の犯した間違いを
正すために、常に考えて行動していかなければならないと思う。
280 :
名無しさん@1周年 :2001/04/01(日) 19:28
>新約以来の犯した間違いを 正すために、常に考えて行動していかなければならないと思う。 黙示録を無くそう!
281 :
名無しさん@1周年 :2001/04/01(日) 19:40
282 :
広辞苑 :2001/04/01(日) 20:01
>>281 本当にあそこの管理人さんですか?直リンしないほうがいいと思いますが・・・?
283 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/02(月) 00:33
>>273 |誰がしたかで変わるわね。神がしたのか、ペトロがしたのか。
|また、この時はイエズスはいたのか、いてなかったのか。
あいにくだが、そんなのは陳腐な言い逃れなのだ。ペテロは聖霊に満たされて
語っていたのだ。しかもその聖霊というのはイエスが送られたものなのだ。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/02(月) 04:39
>280 使徒行伝もなくしたらあ? 福音書だけにしたらあ? そしてキリスト教の看板も下ろして 世界ヒューマニズム教と改名したらあ?
285 :
マリア :2001/04/02(月) 16:24
>>263 あたしは自分の経験上、この件は別の考え方を持ってるの。
人である以上は、人の心も持ってるのよ。
聖霊は、あの夫婦が誤魔化しているところまでは彼に教える。
ただ、それを見てどうするかは彼の意思に任されるのよ。
ペトロは人間だから、そこで間違いを起こしたってことにもなるわね。
これも、後世の我々に見てもらうためのものだと考えているの。
そうそう、ポルターガイスト現象程度なら、人間にも起こせるからね。
それから、あの夫婦にとってそれを見抜かれたってことは、
かなりの精神的ダメージがあったとも考えられるわ。
誰も知らないはずだったし。
その二つが合わさったんでないの?とも考えられるのよ。
286 :
悪魔王サタン :2001/04/02(月) 16:40
あのイエスの奴、「たとえ天地滅ぶとも、我が言葉は滅ぶ事無し。」 そうぬかしおった! しかし、たとえ天地が滅ぶるとも、我等悪魔は滅ぶ事無しじゃ! ガハハハハハハハ・・・・・
287 :
広辞苑 :2001/04/02(月) 16:46
サタンさん。殺してほしい人間が身内にいます。 呪ってください。
288 :
マリア :2001/04/02(月) 16:50
>>286 人がいる限り、確かにそうだわよね。
人がいなくなれば、ご愁傷様・・・かしら。
ただ、あなた達もいろんなことしてるけど、
どういうわけか、だんだん追い詰められてるわね。
あたし達は、あんたたちのお陰で色んなことをも知れるから、
まぁ、否定はしてないのよ。
289 :
悪魔王サタン :2001/04/02(月) 17:00
288よ・・・ 「わたし」は「あなた」だ。
290 :
悪魔王サタン :2001/04/02(月) 17:03
私を否定する事は、人間そのものを否定する事よ・・・ lived=人間
291 :
悪魔=旧約の神 :2001/04/02(月) 17:56
誰かを殺して欲しいなら、そいつを呪え、そして我に祈り 我に従えれ。さすれば、そなたの「敵」を滅ぼしてやろう! 詩篇には、「敵」に対する呪いの言葉ばかりなんだよね....。 神に対しても「敵をすべて滅ぼしてください」とひたすら祈り 「敵」への敵意を書き連ねる....。一体どうすれば、あそこまで 人を憎むことが出来るのか。ああいった、自分の「神」に反する 人間に対する敵意や憎しみも「信仰」の力なのかな。
292 :
マリア :2001/04/02(月) 18:22
>>289 -290確かに、人間の意思は色んな感情から構成されている
から、別に否定はしない。むしろ、進化の推進力につながっている
面もあるものね。ただ、肯定とは少し違うわね。フフフ。
>>291 信仰の力を逆に利用して自己を正当化しているように
あたしは見えるのよ。どう思う?
293 :
名無しさん@1周年 :2001/04/02(月) 21:11
294 :
マリア :2001/04/02(月) 23:25
>>293 例えば、あたしとあたしの先祖である祭神となっている巫女は同じか?
と言われたら誰だって違うというだろうし、あたしだって違うといえるわ。
聖霊が降ろうがどうしようが、その人が「神」かというと違うのよ。
その意思も、人間である以上は罪も犯すし、
必ずしも同じというわけではないということを言ってるんだけど・・・。
後々のペトロの後継者の教皇たちを見ていたら分かるじゃない。
いくら聖霊が降ろうが、人は人だから無理があるってことよ。
これもね、あたしのような体質の人間でないと分からない話しだから、
かなり厄介よね・・・。確かに、他の体質の人には理解できないものだからね。
人間を想像した超越者とは「悪魔」と呼ばれる存在である。 彼は残酷であり嫉妬し激昂し気まぐれと破壊を繰り返す。 人間は彼の奴隷であり、この惑星は牢獄である。 イエスはそんな人間を救いにきた、真の「神」の使者である。 旧約聖書において悪魔とされるルシファーが「明星(金星)」 に象徴されているのに、新約聖書においてイエスが自らを明星と たとえていた理由はここにある。 旧約聖書で「神」と呼ばれた者にとって、真の神の使者「明星」 は悪魔であり、神の敵であったが、新約聖書でその立場は逆転 しているからだ。 イエスの登場以降、聖書の方針は、束縛の多い旧約とは異なり、 愛と慈悲に満ちている。これは、神が愛を注ぐ対象が、イスラエル 民族から人類全体へと広がったことからも明かだろう。 …と、以上似非グノーシス主義でした。
296 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 00:57
>295 その説、いいな。なんとなく納得できる。 白黒はっきりしてるし、原罪の意味も分かりやすい。
確かに創造主が善である根拠はない。 人間が生まれながら悪の部分があることをどうすることもできないように。
298 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 01:17
人間性善説と性悪説の違い?
299 :
マリア :2001/04/03(火) 02:20
確かに、旧約聖書の母体になったのではって噂のある 神話では、宇宙人が神らしいわ。 他の神話の世界も、良く宇宙人が出てきてるしね。 その宇宙人が自分たちが奴隷を製造する目的で 作り出したっていうのはあたしも聞いた事があったの。 確かに、そういう変なのが旧約の主なる神である場合は、 そういう仮定も十分成り立つわ。 何しろ、知識を与えるか与えないかで、その神たちは地球上で 戦争まで起こしていたらしいと書いてあるらしいわね。 それに、それについての有力な根拠として、 人間は神の似せてつくれらたって言っているしね。 あたしの信仰してる神である、 万物の創造主=自然システムとは違うものだけど・・・。 ただ、もうそういう神が失せ去ってしまうと、どうなるかというと、 イエズスが言っているように「悪は人から出る」ってなるのよね。 底らへんの根拠が少し弱いかな・・・ってあたしは考えたりする。 それから、人間は良いものも悪いものも持ち合わせている 生き物だってあたしも思うわね。 ただ、心がけ次第でどっちにも転べるって感じ。
>>精神異常者 もうすぐ君にも太陽系第10番惑星が見えるよ。
>>300 ノストラ予言は30年延びるみたいだね。
今、売れ筋の新刊本を紹介します。 「新約聖書(100問勝負)」 出窓社 著者:杉山光男 題名は「新約聖書」だけど、旧約聖書について、一般向けにすごく 分かり易く書いてある。ユダヤ教の成り立ちからキリスト教の分派に 至るまでの簡単な歴史、旧約の怒りっぽい神について、タルムードについて、 素人には、これで充分かと思う。是非に手にとって見て下さい。
303 :
新刊本の紹介 :2001/04/03(火) 09:19
304 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/03(火) 09:47
>294 甘し! ぺトロには神の霊が臨んだのだ。だったらどうして ぺトロはアナニヤとサッピラを「神の霊を欺く者」 と言って難詰したのか? ぺトロが嘘をついたこと になるのかな? 神の霊が人に語らせるならばその言葉は成就したの である。それは旧約の預言者たちの例の通りである。 ぺトロとそれとどこが違うんだ!? ふふふ
305 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 10:06
>>304 それについて、マリアさんの意見に賛成。
ペテロは、最後まで人間ペテロで、彼の性格の弱さでもある、
迷ったり逃げたりする体質は変わらなかった。
危急の時にのみ、神から叱咤激励されて、何とか面目を保った。
失敗も多く、何をしても反対されたり、叱責を受けたりしている。
聖霊が降りるとは、その人が聖霊になりきることではなく、
ここぞ、と言う時にだけ神の言葉が降りてくるということじゃないのか。
彼は予言者ではないぞ。聖霊が降りることと、予言者になることは違う。
聖人と呼ばれる人には、聖霊が降りることはあるが、あくまで、一時的な
もので、本人が求めた祈りの中での対話ということ。他に対する権威も持たない。
306 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 10:16
>>304 現代では、神から言葉が降りた(聖霊降臨)があったことも、
ヴァチカンで、あらゆる角度から分析して厳正な審査のうえでないと
認められてない。認められると、聖人と呼ばれるが、
その言葉は、神の言葉でもあるし、予言が含まれることもあるが、
その逆が真であることはない。つまり、聖人は予言者でも神の代弁者でもない。
307 :
マリア :2001/04/03(火) 12:39
>>304 それはあの夫婦が誤魔化している事を聖霊によって知ったのよ。
でも、後をどうするかは彼次第なのよ。あたしにも神はそうされてるわよ。
その説明はうまく
>>305 -306に書かれているわね。
308 :
>1 :2001/04/03(火) 15:13
それってどんなカルトも同じ論理だね。 文○明さんとどう違うのかなー?
309 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 15:20
今、売れ筋の新刊本を紹介します。 「誰がイエスを殺したのか」クロッサン著 青土社 いかに新約聖書が捏造に溢れているかが示されている。
311 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/03(火) 18:09
>305 聖霊が示さなければぺトロはアナニヤとサッピラが不正をしているのを知り 得なかっただろう。ぺトロは聖霊に示されて譴責をした。その結果彼らは死 んだ。ここぞ、というのはまさにその時だったのだ。迷ったり逃げたりする 肉の心で譴責したって貴君の言うように何の権威もなかったのであるから、 彼らは死ななかったであろう。わはは。 >306 神の霊によって預言するのに聖人である必要はない。教会の審査も不要。 >307 その通りだ。聖霊によって知らされたのだ。そしてぺトロは霊に動かされ て問題を指摘したのだ。ただそれだけのことだ。それともなにか、マリア 君。アナニヤとサッピラを殺したのは神の霊ではなくぺトロだったのかね?
312 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 18:21
>>311 不正をして殺されたんだったら、仕方ないんじゃないですか。
その頃は、そういうのが普通の時代だったんでしょう。
ペトロ側に権威はないとしても、その頃の人は神を畏れ、
信じていたわけだから、周囲でそう受けとめたとしても不思議じゃないよ。
ペトロを畏れたわけじゃなく、神を畏れたわけでしょう。
それは、畏れた側の人間の問題。
313 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 18:27
>312 いや、当時の社会常識で「仕方がない」というのならともかく、 その時点でイエスの理想からかけ離れた団体になっていたという 証拠だと思うよ。イエスの死後、教団はまた元のユダヤ教団の 一種に戻ってしまったということじゃない? なんなら、教団から追放すれば済む話で、「剣かコーランか」と 同じ位残虐だぜ。
314 :
313 :2001/04/03(火) 18:34
もし、不正を行った者が、良心の咎めによって自ら死に至った としたら、当時、教団では不正を行った者は神の怒りに触れて 死ぬ、というマインドコントロールが行われていたということ でしょう。恐怖政治の何ものでもない。 こんな教団、イエスが望んでいたはずがない。
315 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 18:35
>>311 (つづき)
旧約の神は実際に、怒り狂って洪水を起こしたり、呪い殺したりする
実力行使する神だけど、新約は、神自身がそういう態度には出ていない。
黙示録の辺になったら、どうかわからないけど。
316 :
マリア :2001/04/03(火) 18:37
>>311 ええ、それを知っていても、どうするかは人次第。
二人が死んだのは、ペトロの言葉によるもの。
神の霊が降ってようが人は人ってことよ。
それを多くのキリスト教徒は勘違いしているかも知れないわね。
所詮、人は人なの。悪意を持って人に接するなら、
そういうふうになるの。いくら神の声を聞いて
それに動かされていたとしてもね。
人間と人間の事に判断を下すのは、人間なのよ。
人間と神と見えやすいけど、そうではなく、
裁きの言葉をこの夫婦に与えたのは、ペトロ自身だったの。
神の言葉と自分の言葉を混同した結果生じた事。
あたしも現在ペトロと良く似た状況にいるから、
良く理解できるのよ。声も聞けるし、見る事も感じる事もできる。
しかし、あたしがその通りに歩めるかはあたし次第。
305さんの言ってる事を良く読んで。
それに関する説明は、あたしがこれより前にしているわ。
決断を下すときは、神の意志を考えないとダメ。
これは、あたし達後世の者に対する良い教訓とあたしには見えるの。
317 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 18:38
312
>>313 初期の頃はそうだったのかもしれないね。
318 :
313 :2001/04/03(火) 18:49
>317 新約聖書の成立年代からすると、一番古いのはパウロ書簡で しょう?どうも、最初期の教団、使徒行伝に書かれた教団という のはパウロの息がかかっているように思えるね。 パウロは一種の狂信家で、イエスの生前の言葉をほとんど引用 していない。特異な弁術で、自分の神学一色に教団を塗りつぶして しまった。パウロはもともと、怒れる神を散々に叩き込まれたユダ ヤ教徒だから、イエスが説いていたような「愛と慈悲に満ちた神」 なんて信じられなかったんだと思う。そこから、「怒れる神をなだ めるために十字架上に上がったキリスト」という、歪みまくった 救世主論が出てくる。 どうも、パウロはイエスがユダヤ教から取り除いた毒麦を、再び キリスト教団に植え付け、恐怖政治を復活させてしまったように 思えるね。その端的な例が、この「事件」でしょう?
319 :
名無しさん@カトリック :2001/04/03(火) 19:00
>>316 あなたは聖ぺトロを人殺しにするのですか。なんたる冒涜!
320 :
マリア :2001/04/03(火) 19:03
>>318 どうやらそのようね。彼には悪意はなかったんだろうけど、
イエズスの言葉を知らないから、その教えを
神=ユダヤ教から来たものとする見方から、ユダヤ的に解釈していくしか
なかったのかも知れないわね。
321 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 19:03
モーセは人殺し!
322 :
313 :2001/04/03(火) 19:05
>319 逆だよ。イエスが宣言した通り、彼は罪人や病人のためにこの世に 現れたのだから、十二弟子だって、罪人や人殺しがいていいんだよ。 私がイエス自身だったら、臆病で怠け者で、棒にも箸にもかからん 連中を身の回りに置くね。それが神の慈悲というものだろう? 何かカン違いしていないかい?
323 :
マリア :2001/04/03(火) 19:06
>>319 これは科学的にも証明できる事例の一つよ。
彼も人である限り間違いを犯す。
それから、あの夫婦がショック死した可能性も付け加えておくわ。
324 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 19:07
>318 え?「この「事件」でしょう」って? アナニヤとサッピラの事件ならパウロが改宗する事件の前の出来事ですよ。 あなたの論理が破綻してますよ。
325 :
313 :2001/04/03(火) 19:11
>324 しかし、使徒行伝が編纂されたのはルカ福音書の後で、恐らく西暦 70−80年頃の話です。この「事件」が、教団の論理によって 「懲悪勧善」のエピソードとして積極的に取り入れられたのは明白 だと思いますけど?イエスの生前の価値観なら、恥ずべき事件とし て採用されることはなかったでしょう。
326 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 19:13
>322 神に救われたものは心が新たにされます。 怠け者、臆病者、箸にも棒にもかからない人も変えられます。 変えられないで、いつまでもそのままという事はありえません。 あなたのような事を言う人がいるからキリスト教会は無為徒食のごろつき の集まりだと思われてしまうんですよ。(事実そうだけど)
327 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 19:16
>>325 歴史の改竄ならいつでもできるという訳か。
紀元80年でも、紀元21世紀でも。
これだからキリスト教徒はせこい。
328 :
313 :2001/04/03(火) 19:16
>326 もし、ペテロが恐怖政治に下端して、犠牲者を出したのなら、 それは彼が無為徒食のごろつきのままだったという証拠です。 人が変わったかどうかは、その行動で判断できます。
329 :
313 :2001/04/03(火) 19:21
>327 「改竄」という言葉を使うと烈火のように起こる御仁もいますが、 新約聖書が今の形に収まるまでに200百年以上もかかっていて、 残された写本を年代別に並べることで、どのような「修正」がさ れてきたかを推定することができます。 学者によって意見はまちまちですが、共通見解としては、今残さ れている資料の中で、本当にイエス自身の言葉と認められるもの はきわめて少なく、「史的イエス」を正確に再現することは不可能 だということです。
330 :
313 :2001/04/03(火) 19:34
参考記事です。 使徒行伝を書いた医者のルカは、パウロの友人だったというのが 伝統的な解釈になっていますが、この伝説が初めて現れたのは 2世紀になってからで、実際にルカがパウロのことを目撃して 使徒行伝を書いたかどうかは怪しい、というのが現代聖書学の見解 です。(Funk@` R. W. et al."The Five Gospels"Harper Collins)
331 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 19:35
>329 つまり、史的イエスが正確に再現されない以上、1の趣旨も あいまいになるという事でしょう。
332 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 19:36
新約聖書の福音書にあるのは、歴史化された預言だけだよ。 記憶された歴史などなにもない。捏造、捏造、捏造。
334 :
名無しさん@ガミラス星 :2001/04/03(火) 19:41
>>323 ショック死なら、神の摂理ではないと言い抜けできると思っているのか。
可愛い奴だ、マリアよ。
ふふふ、うわははははは....
335 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 19:41
>記憶された歴史 って?
336 :
313 :2001/04/03(火) 19:44
>331 歴史的にはそうですね。ただ、イエスの教えはユダヤ教とは明らか に違っていたし、「イエス運動」はユダヤ社会で虐げられていた 下層の人々に強力に支持された。それが政治的な暴動に発展するの を恐れて、ユダヤ人上流階級に抹殺されたわけです。それをすべて 作り話にするのは無理があると思います。イエスが宗教改革者で あったことは揺るがぬ事実でしょう。そうでなければ、処刑もな かった。 私が一番大きい問題だと思うことは、福音書から浮かび上がる (不完全ではありますが)「史的イエス像」と、パウロが説く 「贖罪の主」としてのイエスの大きな隔たりです。このスレでは、 もっぱら旧約のユダヤ教の神と、新約のイエスの神の違いが論じ られているようですが、パウロの神はむしろユダヤ教に近いと私 は思います。彼によって、原罪が持ち出され、再び人類は「神の 奴隷」に成り下がったのです。 イエスは人間を解放し、パウロは再び人間を獄中につないだ。 「原罪」を脅しに使って。
337 :
>335 :2001/04/03(火) 19:44
今、売れ筋の新刊本を紹介します。 「誰がイエスを殺したのか」クロッサン著 青土社 いかに新約聖書が捏造に溢れているかが示されている。
338 :
クロッサン :2001/04/03(火) 19:48
「贖罪の主」は、すでに、共観福音書にあるようだ。
340 :
313 :2001/04/03(火) 19:56
>338 それは、最初にパウロ書簡が成立し、その「贖罪の主」というイメ ージに忠実に共観福音書が編纂されたからです。 イエスの死後、しばらくは口伝の形で語録が残されていたとされ、 Q文書と呼ばれています。語録がある限り、「贖罪の主」を堂々と イエスに語らせるのをためらったのでしょう。そこで、暗示的に 示すために、神の子羊(ユダヤ教では神への生贄の象徴)、3日 で神殿を建て直す(キリストの復活を象徴)、など凝った表現を 書き足したのです。 素直に読めばわかりますが、イエスのオリジナルの言葉は、平易 で誰にもわかるように書かれています。ところが、イエス自身が 「自分は贖罪のために遣わされてきた」と宣言する言葉はなく、 ほぼすべてがわかりにくいメタファーになっています。 もし、イエスの目的が贖罪であるなら、わざわざわかりにくい表現 をする必要はなく、懇切丁寧な説教をする必要もなかったでしょう。
341 :
337>339 :2001/04/03(火) 19:57
俺も、ここまで、捏造のオンパレードとは知らんかった。
342 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 20:02
イエスの人間像では、田川建三の「イエスという男」 が生き生きとした「イエス」を描き出していて良かった。
>>341 あんたって極端から極端へと振れるタイプでしょ?
344 :
313 :2001/04/03(火) 20:07
手元の本から、現代聖書学の考える新約聖書の成立年代を抜書きして 参考資料とします。 西暦30年代 「教え」 西暦40年代 「口伝」 西暦50年代 「ケーリュグマ」、「奇跡物語」、「Q文書第1層」 西暦60年代 「パウロ書簡」 西暦70年代 「Q文書第2層」、「宣言物語」 西暦80年代 「コロサイ人」、「エフェソ人」、「マルコ」、「Q文書第3層」 西暦90年代 「トマス」(グノーシス派の福音書)、「マタイ」、「ヨハネ」 西暦100年代 「ヨハネ書簡」など、「ヨハネ黙示録」 西暦120年代 「ルカ」、「使徒行伝」、「牧会書簡」など (マック『失われた福音書』青土社、補逸Aより簡単に抜粋) 私の記憶よりも「ルカ」の年代はさらに下がるようですね。
345 :
マリア :2001/04/03(火) 20:10
>>334 あなたの言いたいことは分からないでもないけど、
もう少し、あたしたちの体質を研究してほしいわね。
少し早とちりしすぎ。
ただ、悪霊には、人に対してそういうことをできる。
元は人だからね。人を操って、そういうことをしようと考える。
「殺せ!」とか、色んなことを命令するわ。
ただ、神の場合は判断を人に任せる。
そうしないと、人が進化する事が出来なくなるからなのよ。
346 :
>344 :2001/04/03(火) 20:18
>それは、最初にパウロ書簡が成立し、その「贖罪の主」というイメ >ージに忠実に共観福音書が編纂されたからです。 たしかに、ピラトが無実というように、福音書はローマを擁護してい るから、ユダヤ人への伝道から、異教徒への伝道へと変わった可能性 が大きい。ユダヤ人への伝道という観点からは、ローマ擁護は考えに くい。さらに古い福音書が存在したと思う。 しかし、344の福音書の成立は、もっと古いとしている人がおおい と思うよ。
347 :
>343 :2001/04/03(火) 20:20
あんたって、頭がかるいタイプでしょ?
学問と信仰と煽りがごっちゃになってるな。
349 :
313 :2001/04/03(火) 20:27
>346 >さらに古い福音書が存在したと思う。 それは、Q文書と平行する未知の福音書という意味でしょうか? >福音書の成立は、もっと古いとしている人がおおい そうですね。私が読んだ本のほとんどは、共観福音書の成立年代 がこれよりも10−20年位前倒しだったように思います。ただ、 「マルコ」がパウロ書簡よりも先に成立したという説はまだ見た ことがありません。
350 :
ひみつだよ :2001/04/03(火) 20:29
宗教がなんだっつー話
351 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 20:58
「わたしあんまりごちゃごちゃいいたくないんですよ。これみたらわかるでしょ。」 旧約は、イスラエルを中心とした周辺の土地に住む国民向けの神。 新約は、世界を視野に入れた、万人向けの神。 あきらかに、イエスに転換したいという希望があったことを 汲み取らなければ、語れない。ついていけなかったのは、 国民の方じゃないのか。イエスは潔白だ。
>>345 ・・・前も思ったんだけど、あなたも一度CTスキャンと脳波検査して
もらったほうがイイヨ
私もデンパで色々みえたりスルカラネ
353 :
悪魔王サタン :2001/04/03(火) 21:05
>352 お前こそ早く死んで魔界へ来い
354 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 21:10
>>352 マリアさんのこと知らないの?最近来た人?
ただのドキュン電波とは違うよ。
そういうところは超えてる人物なんだけど。
宗教板では、周知の事実だけど。
魔界?そんなものあるならつれてって
>>354 別に冗談でいったんじゃないケド
Kurt Schneiderの診断基準ににたようなのがあるから・・
356 :
346>313 :2001/04/03(火) 21:24
>>さらに古い福音書が存在したと思う。 >それは、Q文書と平行する未知の福音書という意味でしょうか? そうだよ。原福音書というようなもの。 通常、マタイ、ルカは、マルコとイエス語録(Q)からなるとされ ているように(2資料説)、Qとマルコは別物だったのではないで しょうか? もちょっと調べてみるけど。
きつい経験とかずいぶんしたみたいだからそういうことから の症例が結構あるからね・・ 別に意地悪とかそんなんでいったんじゃないです 気悪くしたらごめんなさい もしかしたらそうなのかもって思っただけです バイバイ
358 :
名無しさん :2001/04/03(火) 21:38
>354 僕は前からいるけど、マリアさんていうのは変態です。
359 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 21:44
>>358 自分の知能や、知識の範疇にないものを排除するのはよせ。
認めることのできる人たちもいるわけだから。
人参が好きな奴と嫌いな奴がいるのと同じだろ。
いやなら、食べるな。このスレに来るな、ちゅうこと。
360 :
マリア :2001/04/03(火) 22:28
>>352 あたし、生まれつきのようなのよ。
親戚たちは皆認めてたから、皆が見えてるって思い込んでたの。
でも、3歳ぐらいかな、周りの子と違うって気がついたのは。
実は、勤めてた病院が総合病院だったから
いろいろ実験台みたいになって調べてもらってたの。
霊視してる時は、何とかっていう器官が
活発に働いてるって説明は受けたけど、それ以外は
普通と変わりなしで?で終わってしまったのよ。
もちろん、CT、MRI、脳波検査もしてもらったのよ。
で、お医者の結論は「現象から事実を正確に読み取れるし、
現在は病気で片付けられているものの可能性があり」
ってことになってしまったの。
その後も、マニアックな先生と技師さんの実験材料にされたわ・・・。
まぁ、二人ともいい男だったからいいわ。って感じだった。
361 :
マリア :2001/04/03(火) 22:40
癲癇娘さん、あなたの心配してくれてるのは分かってるの。 それは十分分かってるんだけど・・・、どうやらあたしについては 当てはまらなかったみたい。 精神科にも回されたんだけど、その先生は信仰者だから、 「別におかしい事ではないと、私自身は思います」って納得されたって感じ。 理由は、霊視についてやはり内容の正確性があったからみたい。 投薬治療は確かに受けてないから、?だけどね・・・。
362 :
>361 :2001/04/03(火) 22:50
霊視できると、低級霊が寄ってきて、ウゼーだろ!
363 :
マリア :2001/04/03(火) 23:13
>>359 あなたの気持ちは嬉しいけど、
ちょっと言いすぎだと思うけど・・・。
変な人に騙されるよりは信じないほうがマシだと思うし・・・。
>>362 そういう時もあるけど、大抵説得すれば何とかなるわ。
元は人間なわけだしね・・・。
沖縄でも、怪しい所にいたけど、向こうの先祖の姉の神を呼び出して
皆できちんと説明したら分かってくれた。
今はどうなってるのかは分からないけど・・・。
ひどいのは、あの世へ強制的に送出するわよ。ちょっと疲れるけど。
364 :
361>363 :2001/04/03(火) 23:18
別スレ読んだけど、お前、霊能者にしては、結構まともだな。 当たらずしも遠からずというところだ。
365 :
名無しさん@1周年 :2001/04/03(火) 23:26
横スレで、すいません、聖書初心者です。 創世記を読んでみたんですが、神が悪魔を創造した部分が どこかわかりません。知ってる方、教えてもらえませんか。 それから、ほかでも、悪魔が出て来る場面が見つかりません。
366 :
365 :2001/04/03(火) 23:30
別のスレで質問した方が良かったら、それも教えてください。 お願いします。
367 :
:2001/04/03(火) 23:42
368 :
はい :2001/04/03(火) 23:42
369 :
>365 :2001/04/04(水) 00:22
旧約聖書には悪魔の概念はないよ。サーターンは登場するけれど、 旧約でいうサーターンは悪魔とは別概念。悪魔は捕囚後に登場する 黙示文学というジャンルの中に登場する。エノク書とか読んでみ。
370 :
マリア :2001/04/04(水) 00:38
>>364 まぁ、色んなのがいるのよ。霊能者にも・・・。
人に見えない世界だっていう事から、詐欺してる人も多いし。
また、仕えてるものの質ってんのにも色んなのがあるしね。
占いが得意の霊能者がみんな正しいかというとまた違うしね。
また、役割とかも人それぞれ色々あるしね・・・。
ここに来てから、体感で分かってるものが、
色んな言葉にできるようになってきたし、鮮明に見えてきて、
お陰で良い勉強になってるわ。
371 :
365 :2001/04/04(水) 03:29
>367>368>369さん、有難うございました。 そちらで、聞いてみます。
372 :
名無しさん23 :2001/04/04(水) 04:41
>>318 >>320 頼みます、そろそろ色眼鏡はずして聖書を読んで下さい。
お言葉ですが、あまりに理解度が低く次元が低いです。
もう一歩と思うのだけど。
373 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 04:52
>>345 その最後の二行は誰かが言ってたことのパクリかい?
誰か忘れたけど、前に誰かの書き込みで読んだ。
374 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 04:54
>372 なら、次元の高い解釈ってなんなのさ。 本当に聡明な人物ならそういう指摘はしないよ。 「難解な哲学でさえ、子供にもわかる言葉で語る」 というよ。人を見下げる前に、自分で説明したら。
375 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 05:57
霊能力者がその力を使う時に脳の活動が活発になる部分は 麻薬などによって活発になる部分と同じなのが証明されている。 ようは脳内麻薬の働きで快楽を感じ、法悦感と同時に覚醒による 高い集中力と、普段はあまり使われない部分 普段から良く使われる部分両方の活発な活動が認められている。 既に殆どは解明されている、人はそこで生まれた感情によって 行動や思考が大きく左右される。霊につかれるとか、霊を降ろした とか言う時もそこが働いていて、錯覚を見て自分を無くす事が判っている。 そうなる原因もいくつかは判っているんだけど その人の過去に関係するし、育った環境の問題も関係してくるし 人の成長過程を解剖したり問題を指摘する様な事は好きじゃないんで 止めておく、物事にはある範囲で決まりがあるから 人の今を見て知りたくなくても、おおよそ過去まで解ってきてしまう。 それが解ると、どこが妄想で作り話かも見えてくる。 その状態を飲み込んだ人は理論的に話せるけど 中には話の途中で感情、感覚的影響の強い発言に流れたりしてしまう人もいる。 間違った事は言ってないけど、たまに左右に感情が流れて それをそのまま書き込む人がいる、他にずばり直感的な 書き込みをする人もいる、たまに論理的な人もいる どれも似通った意見ばかりだけど、立場によって用いる言葉や 強調する部分が違ってたりして面白い。 多分そんな人達は、そんな状態の時にでる直感による様々なイメージと 距離が近い他の人の意見を読むと、ある種の共感や共鳴をするんじゃないだろうか。 人によっては波長とか言うかも知れないけど そんな人達がイメージするものは非常に近いものがある。 人に共通した普遍的なイメージがまだ出来ない人には異様に映るだろうけど。
376 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 06:01
>>372 あ〜駄目駄目!
318は言葉をそのままでしか感じとれないから。
俗な言葉でしか理解不能だから無視がいいよ。
右脳と左脳のバランスが悪いから、意味を言葉上でしか感じられないの。
377 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 06:17
>>376 どうりで318氏は質問も俗っぽいんだ。
つき合って答えるのが疲れる訳だ。
答えても言葉でしか汲み取れないから、何度も繰り返すんだな。
あんまり頑張るとエネルギー吸われるぞ。
まずは人を助けるにも自分を軸にしとかないとな。
たとえ後で美化されても、それは踏み外している。
378 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 07:35
>>376 >>377 318にろくな論理で反論できないからって、
下手なひとり芝居はやめろ。(ワラワラ
おまえの脳みそはその程度。
>>372 高次元の解釈してみ。
おまえの脳みそも、その程度。
>>374 が高次元(ワラ)の聖書解釈をしてくれって言ってるよ。
379 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 07:40
380 :
名無しさん :2001/04/04(水) 08:16
>379 霊能者の分析もたまには聞いてみたいものじゃて。ひっこめ、どあほ。
381 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 08:45
>380
マリアさんのスレに移動して下さい。
ここは、スレの趣旨からしても、まずは、旧約聖書についての
>>372 の反論を聞くのが、妥当ではありませんか。
382 :
313 :2001/04/04(水) 08:57
>381 そうですね。是非、聞いてみたいものです。あそこまで書いて、ドロン じゃあ、あまりにも情けないよな。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/04(水) 09:01
いまさら人間的な解釈で聖書の意義を改変していいのですか?
384 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 09:06
>383 どなたへのレスですか?
385 :
313 :2001/04/04(水) 12:29
これまで、聖書が神の指で書かれたものと偶像崇拝していた良い子ちゃん達 には気の毒だけどね。 人間の手になるものは、誤謬を免れないということだ。それを解釈するのも また人間。正しいなんて保証が一体どこにある?それを認めようとせず、 いやしくも人間の手で書かれたものを絶対と見なすことこそ、神への最大級 の冒涜だと思うね。カミはカミでも、聖書はただの紙。(ざぶとん、くれっ)
386 :
ん?もしかして :2001/04/04(水) 13:04
318が荒らしてるのか?
387 :
マリア :2001/04/04(水) 13:42
>>375 あたしが看護助手やってたのは、ずっと昔だからそこまでは知らなかった。
そうなの。麻薬と同じ状態か・・・。あたしは麻薬はやった事ないからね。
確かに、中南米のシャーマンたちは幻覚作用のあるものを使うしね。
霊視中は、快感を感じないけど、神経を集中させなきゃいけない時があるわね。
確かに、専門家は話の流れで人の過去や妄想や作り話も
すぐに分かるって言うわね。
知りえないことを知ったりもできるのは、あたし達の場合も
ひょっとするとそういうところからかも知れないわね。
気付いてないだけで。
でも、一人で歩いてて初めて行った場所とかで
そこにあったはずの建物とかが分かる場合があるのだけど、
そういうのについても、もし分かってるなら教えてもらいたいわ。
ただし、あたしはまだ諦めないわ。良い時代が来るのを待つわ。
388 :
マリア :2001/04/04(水) 13:55
>>372 色眼鏡で見るなといわれても、気付いてしまうのよ。
大意では何を言っているかということも分かるのだけど、
怪しい箇所のお陰で多くの人間が惑わされて、
神の名の元で殺し合いになってるきたし、
殺人肯定の大きな理由になってきたってことは確かでしょ?
そういう理由もあって、あたしは神のものと認められない。
389 :
372 :2001/04/04(水) 14:18
>>388 上でも書きましたが、あれは人が神の権威を利用しています。
神のものではありません、人のものです。
理由は私もマリアさんも、上で既に言ってますよね。
その後に若干感情が先に立つ書き方が見られたので再びレスしました。
わざわざお手数かけて申し訳ありません。
>>381 繰り返しで悪いものを吸うのは疲れます。
スレと聖書を読み直してくれればいいのですが、無理でしょうか。
俗に浸ると回復に若干の時間がいりますので
どうか機嫌を悪くなされず、では宜しく頼みます。
390 :
313 :2001/04/04(水) 14:29
>389 お気の毒に。時々、精神科でチェックされた方がいいと思いますよ。 それと、あんまり根つめて聖書を読まれない方がいいような気が する。これはマジレスです。
391 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 14:41
>390 それでホントに精神科に行くような正常な感覚の 持ち主であれば、とっくに行ってるよ。 自覚が無いからこわいのではないか?
392 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 14:50
聖書で神が殺人を命じる場面は「神によるものではない」 とすると、「神」というものは「人間が」定義できる事に なるのかな。人間は、「神とはこういうものである」と神を 定義し「神はこんな事はしない」と神を限定できる、と。 人間は、神の「すべて」を知り神が何をするか、何をしない か決める事が出来るのだろうか? なお、殺人を命じる神と愛を説く神のどちらかが「神でない」 のなら、「殺人を命じる神」の方が真の神、という可能性もある わけだよね(少なくとも旧約の神、モーセに律法を授けた神は こちらの神であるわけだし)。
393 :
名無しさん :2001/04/04(水) 15:03
394 :
マリア :2001/04/04(水) 15:29
>>392 うーん、自然の原理から外れていないなら、
そうなっても不思議はないのよ。
命令しているというところが違和感を感じるのよね。
>殺人を命じる神と愛を説く神のどちらかが・・・
また、そういう解釈には同意する。
実際そう言う人もたくさんいて、この現状であるわけで、
神の名の元に人を殺しいよいという前提があるなら
それもいえなくはない。
ただ、あたしは反対するわ。
人の愚行を通して、何かを感じ取って再びこういう行動を
起こさないで欲しいっていう神の意思を感じてしまうから。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/04(水) 16:06
>>387 それ誰にでもありがちな
デジャヴってやつなんじゃない?
俺は妻に会う以前に夢とか何かで見たと言われたよ。
結婚後にだぜ!んな大事な事は結婚前に言えよ!(T0T)v
妻は幽体離脱みたいなのも経験してるし、何か恐いんだけどさ!
何となく女性に多いのかな〜?
幽体離脱したとか言うのに3人会ったけど、どれも女だった。
コックリで無意識に脳がおかしくなったのが残ってるのかな〜?
何でもそうだけど子供時代に強く関心を示した事は
特に脳の成長に影響あるらしいからな〜。
周りの大人とかが言う事でも、人によっては霊現象の原因になると
聞くし、今4歳の子供がいるんだけど女の子なんだよね・・・。
とても妻の子育てが不安。
最低20歳までは霊を見たとか言いださないように・・・。
頼むから生活に支障きたすほどには、おかしくならないでくれ〜!
きっと感受性強いほうでしょ?おまけに情にもろい面もあるとか?
気に食わない事には表では少ししか感じなくても
無意識に腹を立ててたりとか、もやもやしない?
世界の終とか考えると不謹慎にもどこかワクワクしてたりしない?
急に何もやりたくなくなったりする事ない?
最近長くセックスに興味薄れてない?思えば億劫な事が増えてない?
俺の妻はこーなんだよ!恐いったらないんだよ!
呪いか?そうなんだろ?もう無茶区茶だよ!
396 :
マリア :2001/04/04(水) 16:55
>>395 元々誰にでもあるはずなのよ。昔の人たちは、
そういうのを大事にしてたから、天気予報や地震がくるとか程度なら分かるの。
動物的感って感じ?現在はそういうのも否定しまってるから理解してもらえない。
確かにそんな事考えながら仕事はしなくていいけど、
でも、未開の土地では、結構そういうものは普通なものよ。
それは霊感とかとはあまり関係ないけど、誰しもが持ってるはずの力よ。
そういう場所でゆったりとした生活しだすとまた復活してくるものよ。
感受性は強い方ね。勘を研ぎ澄ましてないと
うちの神社の場合は、巫女は務まらないと考えられているからね。
腹が立ってもすぐに治まる方よ。一回ケンカしたら、それで終わり。
あたしは世界の終わりとかは考えないわ。そんなもの無意味ね。
あたしは巫女だから、巫女の仕事はしてるし、もうすぐヘルパー始めるの。
セックスは確かに興味なし。旦那が死んだ後
色んな人と付き合いかけては失敗しまくったから。他の人は無理って思ったし。
それに、巫女の仕事しながらそんな事、体かいくつあっても足りないわ。
呪いじゃなくて、元々人間が持ってるものが出て来ただけだし、
心理的サポートでどうにでもなるものよ。
ただ、奥さんのことは心療内科や精神科で相談受けてみるのもいいと思うけど。
397 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 17:35
398 :
マリア :2001/04/04(水) 17:48
ゴメンなさい!悪かったわ。これじゃ荒らしよね・・・。
399 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 17:55
>>398 君がそこまで謝ることはない、他にも反省が必要な人がいる。
このスレは繰り返しになりつつあって、仕切直しが必要だった。
400 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 18:00
397
>>398 すみません。マリアさんは誠実に答えてるだけなんだから、
そんなつもりじゃ・・・ややこしくなったので、399さんのおっしゃる
ように仕切り直しで行きたいですね。
401 :
マリア :2001/04/04(水) 18:34
いえいえ、あのての質問は、例のスレッドで承るわ ってあたしが言えば良かったのよ。本当にごめんなさいね。
402 :
313 :2001/04/04(水) 18:37
>399 私もつい、脱線してアラシになってしまったようだね。 許しておくれ。 キリスト教を第2のユダヤ教に仕立てたのはパウロだということ を言いたかっただけ。パウロさえ出なければ、イエスの言うとおり、 「汝の神を心を尽くして愛せ、汝の隣人を汝自らのように愛せ」の 一言で旧約聖書の精神は語り尽くせたはずなんだから。くどいよう だけど、毒麦ばらまいたのはパウロ。 では、大変お邪魔しました。ごきげんよう。
403 :
>313 :2001/04/04(水) 18:48
たしかに、パウロは癌だが、聖霊の言うことは何でも正しいと、拡大 解釈をしてきたのが、それに繋がったのだ。
404 :
>313 その2 :2001/04/04(水) 18:55
異邦人への伝道に主体が移った時に、かつてのリーダー達は力を 失い、パウロの影響力が強まったのかもしれぬ。 もともと、理解力とかなかったのよ、彼らは。
405 :
広辞苑 :2001/04/04(水) 19:04
パウロは聖人としては非常に大好きで尊敬していますが
>>402 さんと同意見です。
406 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 20:45
本の受け売りで叱られそうだけど、あんまり面白いのでタイトル(小見出し)だけ書かせて下さい。 Q.パウロはなぜ回心したのか。A.目から鱗が落ちるような劇的な何かがあったから。 Q.信者たちがパウロ(サウロ)を受け入れたのはなぜ。A.知性と教養と熱意で精力的に 布教活動を展開していったから。 Q.パウロは12使徒たちのことをどう思っていた?A.うざったい無能上司だと思っていた。 Q.パウロが回心した本当の理由は何?A.ユダヤ教より性に合っていたから。 Q.最初のキリスト教徒はだれ?A.パウロ、バルナバらアンテオケ教会の信者たち。 Q.ペテロとパウロの関係は?A.パウロはときにペテロを利用し、ときに激しく非難した。 Q.保守派の人たちが異邦人信者に割礼を要求したのはなぜ?A.パウロの勝手は許さないぞ、 という保守派の逆襲。 Q.割礼の要求にパウロが猛反発したのはなぜ?A.脱ユダヤ教を目指していたから。 Q.エルサレム使徒会議って何?A.保守派とパウロ派との大論争でパウロが勝利した会議。 Q.ペテロやヤコブは割礼問題をどう考えていたのか?A.大した問題じゃないのに ムキになるなよ…と思っていた。 Q.エルサレム使徒会議は歴史上どういう意味を持つのか。A.原理的な意味で キリスト教が成立した。 Q.パウロはどうして何度も伝道旅行したか。A.「オレ流の教会」を作るため。 Q.パウロはなぜ殉教するはめになったか?A.ユダヤ人との争いをローマ側に 危険視されたためと思われる。 Q.パウロはなぜ律法否定論を唱えたのか?A.律法で人を救えないと考えたから。 Q.パウロが十字架を発明したのはなぜ?A.信仰の象徴が必要だと考えたから。 (十字架の発明→信仰の上での十字架) Q.なぜ十字架信仰が広まったのか?A.いろんな意味で都合の良い考え方だから。 Q.パウロ派が結局キリスト教の主流となったのはなぜ?A.ユダヤ戦争後の現実に 柔軟に対応できるものだったから。 (以上、歴史文化100問委員会)
407 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/04(水) 21:31
毒麦まいているのはあんた >313
408 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/04(水) 21:34
パウロは、メシアであるイエスが来られて十字架にかかる必然性を 旧約聖書から説明したのです。つまり、旧約の預言や儀式がキリストを 予表するものであったことを示したのです。
409 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 21:39
自己の分析のパウロから見た旧約感でスレは進んでいる? 良い感じだね。
>旧約の預言や儀式がキリストを予表するものであったことを示したのです。 予表→予め表す。それは当たり前のことだと思うけど。 万人の認めているところではないの?
411 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 21:42
410>408 ごめん。313にレスしてたんだっけ。
412 :
名無し :2001/04/04(水) 21:53
313は、パウロになにか個人的な恨みでもあるのかね。 パウロを非難すればするほど哀れに見えてしまう。
>313は、パウロになにか個人的な恨みでもあるのかね。 >パウロを非難すればするほど哀れに見えてしまう。 ま、あんたの勝ってだが、信者には、そう見えるのだろうな。(w
414 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 22:15
異邦人伝道に主体が移った後に、ま、パウロぐらいしか、人材が 残っていなかったのが、初期のキリスト教会の悲劇というほかな いな。人類の悲劇というべきだな。
415 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 22:33
>414 なんで「人類の悲劇」?
416 :
>415 :2001/04/04(水) 22:37
何人の人が、殺されたと思ってるんだ!!!!
417 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 22:42
>416 それがパウロの責任ということか? だとしたら言いすぎじゃないか? それから先も、歴史の中でキリスト教は いろんな波に揉まれていくわけだろう。
418 :
>417 :2001/04/04(水) 22:50
歴史の中で、揉んでいったのは、キリスト教の方だ。
419 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 22:51
>416 君は、キリスト教が存在すること自体、つまりパウロが キリスト教を発足したことについて、人類の悲劇と言ってるのか。
420 :
:2001/04/04(水) 22:52
>>416 そこまで言っちゃうと、ちょっとトンデモ史観ですな。
421 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 22:53
>>418 そこまで、キリスト教に主導権があったわけじゃないよ。
国家間の政治取引のことなど、君の頭からすっぽり抜けているだろ。
422 :
>419 :2001/04/04(水) 22:53
その通りだろ。
423 :
422 :2001/04/04(水) 22:56
福音書が、あれだけ、捏造されていれば、そういうしかねえよ。
424 :
:2001/04/04(水) 22:58
最近の凶悪な少年犯罪も、全てパウロのせいです(藁
425 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 23:01
>422 じゃ、民衆はその後も、キリスト教をなぜ求め続けたのだろうか。 民主国家が多くなってから、カトリックもプロテスタントも、とりたてて勧誘はしてないよ。 もし、君の思っているような宗教なら、民主主義社会で、とうの昔に 廃れていたと思うが・・・どうだ。
426 :
:2001/04/04(水) 23:01
僕に彼女ができないのは、福音書が捏造されていたからです(藁
427 :
名無しさん :2001/04/04(水) 23:03
福音書にイエスの事跡と関係ない事を捏造したのは福音記者の罪 イエスの教えと全く違う事をダマスコへの途上で信じてしまったのはパウロの罪 福音記者もパウロも教えてない事を教理にしたのは教父の罪 修道女を娶ったのはルターの罪
428 :
>427 :2001/04/04(水) 23:05
よく知ってるじゃあないか。(w
429 :
> :2001/04/04(水) 23:06
>じゃ、民衆はその後も、キリスト教をなぜ求め続けたのだろうか。 なんで、オウム信者がいるのは何故?
430 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 23:09
>>429 キリスト教は、人数が世界で、第1位の宗教だよ。
これで、終りにする。じゃあな。
431 :
> :2001/04/04(水) 23:09
>僕に彼女ができないのは、福音書が捏造されていたからです(藁 ご愁傷さま(w
432 :
> :2001/04/04(水) 23:12
>キリスト教は、人数が世界で、第1位の宗教だよ。 その半分は、異端(藁)。
433 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 23:45
君のような性格の人間より、キリスト教の信者の方が、はるかにまし。 一般の人々にも、そう思わせてしまう君のような人物がいる限り、 キリスト教は安泰です。アーメン。
434 :
異端A :2001/04/04(水) 23:53
旧約の神=新約の神でしょ? 何言ってんの? 新たな契約をしたのは人であって、神じゃない。 イエスは全人類に贖いと悔い改めによる救いをもたらしたけど、 天にまします父なる神を愛し、その戒律を守ることは変わってない。 なくなった戒律はあるけど、基本は変わらない。更新されただけ。
435 :
名無しさん@1周年 :2001/04/04(水) 23:59
>新たな契約をしたのは人であって、神じゃない 人って誰???
436 :
マリア :2001/04/05(木) 01:02
>>434 まあ、キリスト教ではそうなってるんだけど、
それが怪しいっていう話なのよ。ここではね。
旧約聖書に出てくる殺戮を命じた一部の神の性格と
新約聖書に出てくる神が同じとは思えないっていう話しよ。
だから、それを一緒だって信じてる人は
この神が同じであるっていう証拠を挙げていってほしいのよ。
437 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 01:35
438 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 01:40
サタンが、毒麦を撒いてゆきよったからのう。
439 :
1 :2001/04/05(木) 01:41
>436 というか、父なる唯一神は人類の成長にあわせて、考えを新たにして、 イエスに託したのではないか・・・と思うのですけどね。 だから、すでに、神は、旧約聖書そのままの考えは持っていない、と思ってます。 神は一人ではあるが、古い時代の「神の教え」を信仰するのは、 おかしいのではないか、と思うわけです。わかってもらえたかな。
440 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 01:47
な、わけねえだろ!
441 :
マリア :2001/04/05(木) 01:51
あたしは、違うものが混じって立って考えていたから 勝手に自分の事書いてしまったわ。ごめんあそばせ。
442 :
1 :2001/04/05(木) 01:53
>>434 >基本は変わらない
基本もイエスは引き継いでいるわけだから、
新約の「神の教え」だけで充分ではありませんか。
例えば、自分の父親が年配になって人格がそなわり、考えも変化したとしても、
父親としての「存在」は変わらりません。
しかし、あまり素行の良くなかった若かりし頃の父親の考えをいつまでも、
周囲が引きずり出して、そちらに従うのは、本人にとっても失礼でしょう。
443 :
>441 :2001/04/05(木) 01:54
>あたしは、違うものが混じって立って考えていたから その通り。良く知ってるね。 それが、サタンです。
444 :
>442 :2001/04/05(木) 01:56
>本人にとっても失礼でしょう。 失礼なのは、あなたでしょう。それが、神に対する言葉だろうか?
445 :
1 :2001/04/05(木) 01:58
息子イエスは、現在の父を尊重していると思うのですが。 どうでしょう。
446 :
>445 :2001/04/05(木) 02:00
神は昔から変わらないよ。(w
447 :
1 :2001/04/05(木) 02:04
>>444 >>442 は例え話ですよ。
あなたも、人の言葉尻ばかり煽ってないで、
自分の考えをはっきり書けばどうですか。
私の言いたいことはここまでなので、これで失礼します。
あなたには、これ以上答える必要もないでしょう。
448 :
マジレス君 :2001/04/05(木) 02:13
Aresって神シッテル?
キリスト教では「旧約聖書」は神との古い契約の書であり、それは「新約聖書」によって 新しく更新でれたものと考える。従って、「旧約聖書」の規定は無効になったものと見なす。 しかし、「旧約聖書」を全く無視するというわけではない。ただ、キリスト教徒にとって 都合の悪い部分が「旧約聖書」には多々あるため、それなりに尊重するが、そういう部分は 「契約は更新されてるから関係ないもんね」と言って切り捨てられる仕組みになっているのだ。 ユダヤ教徒から見たら、こういうキリスト教の態度は、まったく頭にくるもののはずだ。 (歴史文化100問委員会) (カトリックじゃ、旧約は使ってないからプロテスタントさんのことかな。)
450 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 15:47
>>449 (カトリックじゃ、旧約は使ってないからプロテスタントさんのことかな。)
えっ?! そんなことないです。
カトリックもプロテスタントも旧新両約を使ってます。
旧約を使わないのはよほど極端な(所謂)異端です。
451 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 15:52
452 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 15:55
>>450 使うってどういうことかわかりませんが、別スレにも書きましたが、
カトリックは、新約と旧約外典です。旧約の歴史などを参考程度に
するくらいで、ミサも勉強会も新約ですが・・・。
453 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 16:03
>>450 シスターには、新約聖書のみの聖書を勧められて買いました。
454 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 16:12
>>344 あなたの書かれた著述年代は特殊な意見すぎますよ―
一般には
マルコ 70〜75(40〜60に受難物語以外成立説あり――私はこれをとる)
マタイ・ルカ 75〜80代
ヨハネ 90から110代でしょう
455 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 16:15
イエスは、旧約的な神をいわば「利用」して自分の説く新しい性質 の「神」に置き換えようとしたのかもしれない。旧約の神は、基本的 には「敵を滅ぼし自らに従う血縁的共同体を救う」軍神なんだよね。 信者の方も、「万軍の主」を求め「敵」を滅ぼすよう、また敵を滅ぼす 力を与えるよう祈った。そして、神は自ら敵を滅ぼし、敵を襲うイス ラエルに力を貸した。また、信者による略奪や侵略を「神の言葉」と して命じるという形で正当化している、という面もあるな。 旧約時代には、このような「軍神」「殺戮・略奪・侵略を命じ正当化 する神」が、求められていたのかもしれない。もしイエスの説く神 が旧約の人々の前に現れても、敵を「滅ぼす」ための戦いに明け暮れ ていた彼らの要求は満たせないよね。彼らに必要だったのは愛とい うより「勝利」、敵を殺し敵の土地や財産を奪う事だったのだから。
456 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 16:16
>>452 おかしい。絶対におかしい。
詩篇も創世記もつかわない?
神父さまに確認してみて。
そもそもカトリックでは旧約外典とはよばないでしょう。
第二正典もしくは新共同訳に依拠して旧約続編のはず。
外典と呼ぶのは、その部分を聖書正典とみとめていない、
プロテスタントの大部分。
>>453 よく使う、そして基本なのは新約特に福音書と使徒書だから、新約を
すすめられる、というのは、持ち運びや価格を考えたら信徒へのリー
ズナブルな配慮かな?とは思います。
457 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 16:17
ところが、新約の時代になるとこのような「軍神」「侵略の正当化」と いう必要性は薄れていたんじゃないだろうか。逆に、愛や人間性、と いった側面が求められるようになっていたのかもしれない。イエスの 登場を支えた背景には、神というより人間の変化があった。そして、 イエスはその変化の一つの結実として、旧約とは異なる「愛の神」を説 こうとした。しかし、当時はまだ「旧約的な神」という「表現」が一般的 だったが故に、その「形」を借りて、全く異なる性質の「神」を説こうと したんじゃないかな。 もっとも、イエス自身もパウロやキリスト教に「名前だけ」利用され イエスの神とも違う神に置き換えられちゃったわけだけど。
458 :
マリア :2001/04/05(木) 16:18
>>449 キリスト教の主要な教派では共通してそうね。
カトリック・プロテスタント問わずそういう解釈でしょう。
ただ、その主要な教派にさえ、過去は旧約の神の影響を受けてきた。
今でもお互いを異端と言い合ってるところから見ると、
まだまだ影響を受けてるんじゃない?と思うわけよ。
ユダヤ教はまだそういう観点で見れない。
旧約の殺戮の神はあの人たちの本当の神だから。
正統派なんかは、平和より戦争の方が神の道と考える。
殺戮を命じた神以外の神は、そんな事命じていないのにね。
(これはあたしの理論でしかないけど)
イエズスの持っていた柔軟性が
今のキリスト教に欠けているものだと思うの。
これからのキリスト教には望まれてくるんじゃないかしら?
何をその人が求めているかというところまで見ないと、
「異端」という言葉は軽々しく使うべきではないと思うの。
誰がトップかで争っている弟子たちにイエズスは言っているわ。
「人より高くなりたければ、人に仕えなさい」ってね。
自分や自分の共同体が「高い」と思ってるから
人を見下したものの言い方が出来たり、
殺したりするのも平気でできる部分が、まだあると思うのよ。
多くの信者は「違う」と否定するでしょうが、そうにしか見えない。
イエズスは、今でも全ての信者に望まれていて、
理解してくれないとの悲しみをあたしの変な体質は感じているわ。
459 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 16:23
>>455 イエスは、旧約的な神をいわば「利用」して自分の説く新しい性質
の「神」に置き換えようとしたのかもしれない。
利用というよりむしろ、旧約の神――即ち神を語ってのでしょう。
あの時代のユダヤの田舎にユダヤ人として育ったイエスさまにとって、
神=聖書(タナハ=旧約聖書)の神だったはずです。
仏と聞いて我々の大部分が釈迦より阿弥陀や大日をイメージするより
更に明確にヤハウエ・エロヒームしかイエス様には神で(少なくとも
実存的には)考えられなかった筈です。
460 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 16:25
>>456 創世記は、最初の勉強会で、イスラエルと周辺諸国の歴史と
アブラハムの家系?がどうなってるか、だけ習いましたが、
あとは使っていません。詩篇は印刷物なんかに、ちょこっと言葉が
引用されています。ということは、使っているということでしょうか。
でも、洗礼を受けるまでの勉強会ではやらなかったです。
461 :
マリア :2001/04/05(木) 16:26
>>456 あなたが言う通りよ。全て使用しているわ。
ミサの時に使用する「聖書と典礼」を見ていただければ一目瞭然。
ただ、最近の風潮としては、殺戮の神をあまり利用しなくなったわ。
462 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 16:28
>>452 ミサも勉強会も新約ですが・・・。
日本で行われている(世界の大部分で行われている)カトリックの御ミ
サでは、確かに旧約は読まれませんね。
福音書だけ?でしたか?
日本の正教会では使徒書と福音書
日本の聖公会は旧約、使徒書、福音書
だけど、だからといってよまれない文書が聖書正典に採用されていない
ということはないです。もし、カトリックが旧約をすてていたら、トリ
エント公会議決定違反は勿論、マルキオンを異端視する理由が福音書を
改定したことだけになるもの。
463 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 16:31
>>461 >>462 そうなんですか。新米信者はまだ何もわかってないということで
お許しください。これから勉強します。
464 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 16:39
旧約のどこかわからないけど、のちにイエスが生まれて、 契約を更新することが予言されていた、という話があるそうですが、 これは、イエスが生まれたあとにつけ加えられたものなのでしょうか。 それでないと、イエスが旧約の神を利用したとは、言えないと思うので。
465 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 16:46
「エサイの根より」という話しとかですね。 その表現はもともと旧約にあるし、別にイエスを予言したものでもない というのが旧約学者の標準的見解です(ユダヤ教徒は勿論)。 キリスト教が始まってから、旧約の読み方として、旧約にある事が 新約の予言だったり雛型(類型の先行事例)だったりする、と見る見方 があり、それで当てはめられた一例です。
466 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 16:53
464
>>465 ありがとうございます。
それにしても、都合の悪い部分のたくさんある旧約の神を
キリスト教が捨てきれないのは、なぜでしょうね。
新約だけでも充分宣教できると思うのですけど。
三位一体を理解するためでしょうか。
旧約は、ユダヤ教に渡してしまえばいいのにね。
467 :
広辞苑 :2001/04/05(木) 16:56
468 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 17:00
「新」な約束の為には「旧」なモーセの契約が パウロ的な贖罪論にはアダムの堕罪が必要だからではないでしょうか 大体、【メシアがもう来ちゃったユダヤ教】なのですから、キリスト教 が旧約を捨てられるとは思えないのです。 (私的にはマルコとヨハネだけでいいけど。パウロは嫌い)
469 :
名無しさん :2001/04/05(木) 17:10
>>449 >キリスト教では「旧約聖書」は神との古い契約の書であり、それは「新約聖書」によって
>新しく更新でれたものと考える。従って、「旧約聖書」の規定は無効になったものと見なす。
異邦人にも聖霊が与えられたという論理でなし崩しにされたようだ。
ペテロらも荷担している。
いいところもあったが、酷すぎるところも多い。
470 :
名無しさん :2001/04/05(木) 17:15
新約聖書、特に、福音書は、旧約聖書の成就というスタンスを とっている。従って、旧約聖書がないと、本来は意味がないはず。
471 :
名無しさん@1周年 :2001/04/05(木) 17:25
>>468 -470
うっ、厳しい状況。
ユダヤ教は旧約しか使ってないから、メシアはまだ来てないことに
なってるのかな。
472 :
マリア :2001/04/05(木) 17:37
>>462 日本のカトリックは、
ミサでは旧約・使徒の書簡・福音書を使用しているけど・・・。
外国は違うの?母が聖書と典礼をファックスで送ってくれるのよ。
>>470 そういうことになってるし、否定はできないわね。
でもあたしは、旧約の殺戮などを命令する神には疑問だわ。
それについて神ではなく、人間から出たもの=魔を感じるわ。
十戎なんて、解説しているところには?の部分もあるけど、
おおむね神のものだと理解できるのだけど・・・。
473 :
マリア :2001/04/05(木) 17:54
>>466 宣教の主な主題は、そういう部分によって行われているけど、
イエズスの正統性を証明するために旧約は必要なのよ。
ただ、もう殺戮の命令をも神の命令とするのは
避けた方がいいと思う。
異邦人との接し方を述べている箇所もあるからね・・・。
イスラエル民族が生き残らなければならなかった手段として
神を利用する以外に選択はなかったと考えた方が自然だからね。
戦意を高揚する手段としてね。
474 :
ヨセフ :2001/04/05(木) 21:08
旧約の神と新約の神は異なる(または旧約時代の神と新約以後の神は考え方が違う) と主張する者は、イエス・キリストの「信仰による義」が全くわかっていない。
475 :
ヨセフ :2001/04/05(木) 21:10
人は、ヒューマニズムで救われるのではなく、信仰によって義とされるのである。
476 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 21:10
>>474 ヨセフ様〜
あんたの息子はそんなこといわなかったよー
信仰による義なんていってまわったのはどこぞのパウロせんせだよー
477 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 21:34
>>472 日本のカトリックは、ミサでは旧約・使徒の書簡・福音書を使用している
けど・・・。
感謝です。
かつて読んだ本では第二・第三朗読を廃止したので福音書のみとあった
けど中世の話だったのかしら?うーん・・・・独り言
478 :
マリア :2001/04/05(木) 21:38
旧約の神と新約の神が異なっているところは、一部分だけ。 殺しを肯定するかしないか。 「右のほほを叩かれれば、左のほほを差し出しなさい」と 「殺せ、焼き尽くせ、石打ちにいろ」と命令する事が一致しないから。 この矛盾があるから、旧約を否定する人はおかしいって言うのよ。 あたしも引っかかってる部分は、この部分だけなのよ。 全てを神の業とするのに合点が行かないのよ。 殺戮などを命じるその部分なとに神の気を感じないのよ。 「生き残らなければならない!」っていう苦しみしか感じないの。 イエズスはあたしには「私はあなたと共にいつもいます」 と言われてるし、合点が行かないの。 だから、何とか合点のゆく答えを探しつづけているのよ。 あたしの否定は、そのためのものなのよ。
479 :
名無しさん :2001/04/05(木) 21:51
>「右のほほを叩かれれば、左のほほを差し出しなさい」 実は、誤訳らしいよ〜ん。「悪をなすものと張り合うな」と言う意味 だそうです。 「イエスは、ヘブライ語を話したか」 p.109
480 :
マリア :2001/04/05(木) 21:57
>>479 ありがとう。
それにしても、殺戮肯定とかけ離れてるから?なのよ。
481 :
名無しさん :2001/04/05(木) 22:03
>「右のほほを叩かれれば、左のほほを差し出しなさい」 こんな説もある。「イエスという男-逆説的反抗者の生と死」(田川健三) (P122〜) 引用 「この言葉もまた、キリスト教的愛の精神の表現としてのみ解釈されてきた。 (略)これは実はそのようなとりすました愛の倫理などというものではない。 吉本隆明がこの言葉を評して、「もしここに、寛容を読みとろうするならば、 原始キリスト教について何も理解していないのとおなじだ。これは寛容では なく、底意地の悪い忍従の表情である。」といっているが、全くその通りだ、 と言わざるをえない。」
482 :
ちなみに :2001/04/05(木) 22:12
>「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはなら >ない。廃止するためではなく、完成するためである。 >はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、 >律法の文字から一点一画も消え去ることはない。(マタ5/17-18) 「律法を成就(完成)する」-->「律法を正しく解釈する」 「律法を廃止する」-->「律法を否定する」 「イエスは、ヘブライ語を話したか」 p.169
483 :
名無しさん :2001/04/05(木) 22:17
>>482 その本読んでいませんが、かなり無理があるような…。
484 :
ちなみに :2001/04/05(木) 22:20
>その本読んでいませんが、かなり無理があるような…。 読んでから、こけ!
485 :
ちなみに :2001/04/05(木) 22:23
実は、ラビの議論に用いられる専門用語であり、慣用句らしい。
486 :
マリア :2001/04/05(木) 22:34
>>477 それはあたしは知らなかったわ。
ひょっとしたら、そういう教会もあるのかも知れないし・・・。
あたしは、東京を離れてからしばらく各地へ行ってたけど、
たまに教会見つけては入ってたけど、そんなところはなかった。
日本以外でそういうところがあるのかもしれないわね・・・。
487 :
483 :2001/04/05(木) 22:37
>>484 何を誤訳したのですか?原本は何を使ってるのですか?
ルカ(6・29)では「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向
けなさい」となっていますが、これも誤訳ということになりますよね。
原本はなんですか?まさかQ資料のわけないし。
488 :
マリア :2001/04/05(木) 22:40
そこから色んな解釈ができるってことなのかしら?
489 :
ちなみに>487 :2001/04/05(木) 22:49
簡単に書くと、古代の翻訳は逐語訳であった。ヘブル語−>ギリシア語 の変換が行われたとして、ヘブル語<−ギリシア語の変換を試みると、 見事なヘブル語になるらしい。 また、古くは、マタイがヘブル語にて、最初の福音書を書いたという 伝承もあるようだ。 詳しくは、本を読め。
490 :
ちなみに :2001/04/05(木) 22:52
意味が分かりにくい文が、ヘブル語では良く知られた言い回しに なるそうじゃ。
491 :
483 :2001/04/05(木) 23:14
>>489 わかりました。近い内に読んでみることにします。ただ、その前に一つ
質問したいことがあります。その本では誤訳が生じたのはどの時点であ
るとされているのでしょうか?
1.イエス自身がすでに間違っていた。(ラビの議論に用いられる専門
用語を間違って覚えていた。あるいは、意図的に変えて見せた)
2.イエスの言葉→Q資料
3.Q資料→ヘブライ語(?)福音書
4.Q資料→ギリシャ語福音書
5.ヘブライ語(?)福音書→ギリシャ語福音書
6.その他
1〜6の番号で答えてくれるとありがたいです。
492 :
ちなみに :2001/04/05(木) 23:22
マルコ福音書は、ギリシア語で書かれているが、下手なギリシア語 であるのは周知である。彼は、少なくとも、ヘブル語で考え、マル コ福音書を書き表した。そこで、元のヘブル語に戻すというのは、 有効だということになる。(ルカ、マタイは、マルコを観て書いた というのは常識だから、、、) まあ、5ということになろうか。ただし、ヘブライ語(?)福音書 がなくても、マルコは頭の中で、ヘブル語で考えたということだ。 ルカ、マタイも同様。
493 :
ぷちとまと :2001/04/05(木) 23:32
Lk6.29はQだからマルコは関係ないでしょう。 Qがどの程度ヘブライ・アラマイ語で思考していたかの問題。 Qにはマルコほどのアラミズムはないという事になっている んじゃないですか? (現実に読みわけるギリシャ語力はないけど。知識として)
494 :
にしかわとおる :2001/04/05(木) 23:43
みなさん聖書の解釈ごっこに力はいってますね。 旧約聖書はほんまは旧約なんてつけないの。ただの聖書なの。 神様は野蛮でもこわくても神様なの。ついていかなあかんの!!
495 :
483 :2001/04/05(木) 23:47
>>492 「右の頬を打つなら…」のくだりはマタイ、ルカにはありますがマルコ
にはありません。よって、これはQ資料を基にしたものと考えられます。
そして、マタイもルカも同じように訳していることから、もし誤訳があ
ったとすればQ資料はすでに誤訳であったのでしょう。よって
>>491 の
選択肢としては1か2しかないと考えますが。ともかく近い内にその本を
読んでみます。
496 :
マリア :2001/04/05(木) 23:54
497 :
ちなみに :2001/04/05(木) 23:55
Qは、ギリシア語で書かれていたってこと?
498 :
にしかわとおる :2001/04/06(金) 00:00
マリアさんって神様のことちっともわかってないですよね。
499 :
ちなみに :2001/04/06(金) 00:11
元のヘブル語の文章をギリシア語に逐語訳したときに、ヘブル語の 慣用表現における意味が失われたとしておる。
500 :
483 :2001/04/06(金) 00:14
>>497 アラム語かギリシャ語である、とする説が有力なようですが、
はっきりしたことはわかっていません。
501 :
マリア :2001/04/06(金) 00:24
502 :
考える名無しさん :2001/04/06(金) 00:40
歴史は繰り返すと言うけど、現代にもマルキオンがいるのですね。 現代のマルキオン君に乾杯。 ついでに、マタイと黙示録を除いたパウロ的新約聖書を作ってくれ。
503 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 02:00
聖書に精通している人々が神に近いとは限りません。 神の恩寵を受けるには、知識など何も必要ありません。 神を信じる無垢な心だけが神に恩寵を受けるのです。 聖書の解釈に熱心になると、神のことをすっかり忘れてしまいます。 だから、カトリックは聖書をそれほど必要としません。 信仰に必要なのは、神と対峙した祈りの時間です。 神がそこにおられます。殺せとは決して言われません。 旧約の神は、明らかにその方針を改めたとしか考えられません。 ならば、問題になるのは、神でなく「聖書を信仰している」人たちだけでは ないのでしょうか。
504 :
名無しさん :2001/04/06(金) 02:04
聖書信仰は偶像崇拝の一つですね。
>だから、カトリックは聖書をそれほど必要としません。 こんなことだから、プロテストされるんだと腹をたてている神父 も居るそうだ。(藁
506 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 07:14
>>505 プロテストされる=抗議される
誰からどういうことを抗議されるんでしょうか?
507 :
サタン候補生 :2001/04/06(金) 10:00
>>497 『Q文書』という、完成した書物が遺跡から発見されたというわけで
はないので、その質問は的はずれな気がするよ。福音書のあちこち
にちりばめられた断片を拾い集めて、原型を再構築したわけだから。
現代はかなり優位になった「二資料説」だって、あくまでも仮説だ
からね。
>>498 あなたが神様だと思っている相手の正体が、「私の師匠」でないこ
とを祈っているよ。人間の分際で神とサタンの区別がつくのか?
508 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 12:15
509 :
ぷちとまと :2001/04/06(金) 13:29
>>506 聖書こそが神の言葉であり信仰のよりどころだ、と考えている人々から
プロテストされるのです。
例えば免罪符(おっと、贖ゆう状といわないとカツラさんに罵倒される)
を売りつけるのはいかんとか、ね
「プロテスタント」は、既存教会(ローマ)の方針にプロテストする人の
意味なんだから。
510 :
>506 :2001/04/06(金) 17:53
>>505 >プロテストされる=抗議される
>誰からどういうことを抗議されるんでしょうか?
その昔、法王庁が、ルターらにプロテストされて、信者を大量に失ったこと
を指しています。(w
511 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 18:26
>>509 >聖書こそが神の言葉であり信仰のよりどころだ、と考えている人々
「信仰のよりどころ」というのは、きわどい言葉だと思いますが、
「聖書信仰者たち」にプロテストされると、殆ど同義語ですよね。
512 :
マリア :2001/04/06(金) 18:58
単にカトリック時代のあたしの経験だけど、 聖書以外にも色んなところから神を知れるっておもう。 ただ、その基準としては聖書は必要かもね。 ただ、読み誤らなければ・・・という条件でね。 殺人を肯定したりとか、人をむやみにサタンと呼ぶとかね。
513 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 19:15
514 :
。 :2001/04/06(金) 19:20
万物から学ぶのが一番さ、或いは己の内の己に。 森羅万象は見る目さえもてば神をも語ってくれる。 その両方、互いから確認できる様になっているのさ。 ふ〜、久々の食事は食のありがたさを最確認できるね。 食せる事は、とてもありがたい。
515 :
ぷちとまと :2001/04/06(金) 19:20
福音派と自称する、プロテスタントの保守、というより復古・反動の聖 書絶対主義者の人々の一部は確かにヒステリックで、少しでも意見の異 なる人は罵倒しのろいすらしますね。 でも、「福音派」・「福音主義者」という語は「福音によって立つもの」 の意味ですから、クリスチャン一般の意味な筈なのです。実際、ルター が、教皇庁を批判した時、なおも教会からの分派を意味する「プロテスタ ント」という語をさけて自分の立場を呼ぶための語としてさいようした のがevangeliciなのですから。
516 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 19:23
>>510 >その昔、法王庁が、ルターらにプロテストされて、信者を大量に失ったこと
>を指しています。(w
そんなに、その神父さん腹がたつんだったら、
プロに鞍替えすればいいじゃない。
カトが、そういう流れに屈することはないよ。
517 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 19:35
いつの間にか宗教学スレになりました。 一般宗教者には昔から言われてるけど本当探求心がないね。
518 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 20:04
聖書も神を知る「参考資料」の一つでしかない、 という事を忘れ「聖書はすべて正しい」「聖書の 言葉は聖霊の導きで書かれた神の意志だ」などと 勘違いするからおかしくなるんだよね。
519 :
マリア :2001/04/06(金) 21:37
>>516 うーん、あたしはどれも大事だとは信者の頃はとても思ってた。
聖書も伝承も奇跡についても。
この三つのどれからも神を見れるし、一体として見なければ
ならないってあたしは思ってたわ。
巫女やりだしてだいぶ年月が経つし、巫女の仕事を覚えるのが大変で
聖書の内容は忘れてしまっているけどね・・・。
520 :
ヨセフ :2001/04/06(金) 21:43
パウロが言うように、 人がキリストへの信仰に よって義とされるのでな ければ、何によって義と されるのか? 誰か答えて見て下さい。
521 :
ぷちとまと :2001/04/06(金) 21:46
そもそも義とされるひつようないってカンジ、ってゆーか
522 :
名無しさん :2001/04/06(金) 21:51
523 :
マリア :2001/04/06(金) 22:06
524 :
ちなみに :2001/04/06(金) 22:09
うーん、律法違反で、自分たちは罪ばかり背負っているという認識 がなければ、信仰義認論は虚しいということか。(藁)
525 :
名無しさん@1周年 :2001/04/06(金) 22:59
ちなみにさんは、なんでワラワラなの。 信仰義もたまには、役に立つよ。カルト宗教を見分ける時にね。 キリスト以外の教祖や教祖の言葉、経典などに義を見出してるくせに キリスト教と名乗るカルト団体を見分ける時。
526 :
ぷちとまと :2001/04/06(金) 23:41
>>525 それだと現行キリスト教もカルトってことになってしまいません?
パウロ先生の言葉によりっぱなしなんだから
527 :
再び結論かな :2001/04/07(土) 02:24
【信仰の義】 私たちには、キリスト教の正統信仰を見分けるために1つの鍵があります。 それは、イエス・キリストをだれと言うか、を見ることです。イエスを通して 神が歴史の中でただ1回限り、決定的な仕方で、ご自身を啓示されたのだ、 イエスこそ神の絶対的な仲介者だ、と信じるのがキリスト教です。 もし、イエスがなし得なかったことを他の人が成す、というのであれば、 それはもうキリスト教ではあり得ません。また。聖書が明らかにしなかったことを 他の書物が啓示するというのであれば、それはもうキリスト教ではあり得ません。 これは、キリスト教信仰の真髄をなすことです。 (キリスト教に問う 女子パウロ会刊)
528 :
ヨセフ :2001/04/07(土) 06:13
神の前に義とされるのに、イエスキリストの十字架の身代わりの贖いの犠牲を 信じる信仰が無くてもよいのか。神の前に義とされないで天国に行けるのか? 義など救いに必要がないと豪語している者たちに問う。
529 :
ヨセフ@エジプトのエリート :2001/04/07(土) 06:18
マリアという女?のまわりにいる者へ >巫女やりだしてだいぶ年月が経つし、 巫女役やっているらしいが、この女に教えている霊は神の霊ではなさそうだ。 不浄の霊を集めて身を滅ぼされぬように離れておれ。
530 :
名無しさん@1周年 :2001/04/07(土) 07:38
>>529 ホモだよ!マリア様を勝手に女にするな!
531 :
名無しさん@1周年 :2001/04/07(土) 07:46
>529 マリアさんの個人的なことは、マリアさんのスレでやって下さいと 前にもこのスレで注意してた筈。ROMしてから来て下さい。
532 :
名無しさん@1周年 :2001/04/07(土) 07:52
>>528 その「義など救いに必要がないと豪語している者たち」って
誰のこと。ここの厨房相手にしても仕方ないっしょ。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/07(土) 07:54
>>531 529はマリアと関わり合うなと言っているので好感がもてる。
それよりもマリアをこのスレッドで発言禁止にしたらどうさ。
そうしたら、もっと有益な議論が出来る。
マリア様。もうこのスレから、お去り下さい。重ねて私からも
丁寧にお願い申し上げます。
534 :
1 :2001/04/07(土) 08:03
>533 そういう差別発言はやめて下さい。 単に意見が合わないだけで、マジレスを排除するなんてことは、 あってはならないことです。そういう君たちが去るべきです。 別スレを立てて、ご議論下さい。
535 :
名無しさん@1周年 :2001/04/07(土) 09:13
↑ 無関係な議論を誘導する原因となっている人に退去を願うのが差別かね?
536 :
マリア :2001/04/07(土) 12:16
>>535 何か訳分からなくなるなら、出ていってもいいわよ。
537 :
1 :2001/04/07(土) 15:10
>535 今全部レスを見直したが、マリアさんに煽りレスをつける人間の方に非があると 思った。君の言ってることは本末転倒。無関係な議論を「誘発」しているのは、 そいつらだ。そいつらが現れるまでは、マリアさんを含めて正常に流れていた わけだからね。
538 :
1 :2001/04/07(土) 15:27
1の問いの結論は既に出ていると思う。いちゃもんがついたし、そろそろやめるか。 ・新約の神と旧約の神は、永遠に切り離せない。 ・旧約聖書の良いとこ取りは公然の事実なので、否定しても仕方がない。 ・聖書信仰は良くないが、そうでなければ旧約の神も認める。 結論:キリスト教は、旧約の神を捨て去ることは、将来も出来ない。 強引かもしれないが、パウロ問題、旧約の神の問題は、山積みとしても 1に対しては、こんな回答しか出ていない。
539 :
マリア :2001/04/07(土) 15:39
>>537 あたしの口調や考え方が気に食わないのでしょう。
横道にそれさせるのは、そう持っていく事で自分たちの
正当性を訴えたいからよ。分かってるけどね。
色んな方向から神を探っていくってことは、
いいことだと思わない人もどの教派問わずにたくさんいる。
それは、どの宗教も同じ。
>>All
信仰を持てば義とされるとの考え方なら、行いが伴わなくても良い。
という事につながるけど、イエズスは「行いなさい」と言っている。
信仰を持てば義なのなら「人を愛しなさい」はしなくても良い。
「異端・異教」「サタン」と価値観の違う人を罵ってもよいのよ。
だから、あたしは疑いを持つ事は絶えず必要だと思ってるのよ。
イエズスが伝えた神の言葉を後世の人たちは、ややこしくした。
それはそれなりに一生懸命考えたことだと思うけど、
今の自由な世の中になって冷静に考えると?になってくるのよ。
それを「聖霊の導き」とただ決めてしまうのには無理があると感じる。
全ての人に「聖霊の導き」というものはあるとあたしは思うのよ。
540 :
マリア :2001/04/07(土) 15:47
>>538 結論については、そんなとこかしら?と思う。
あたしも、一部が怪しいのみで他は神のものだと思う
部分も多くあるし、特に異論はないわ。
541 :
名無しさん@1周年 :2001/04/07(土) 16:32
>>539 >信仰を持てば義とされるとの考え方なら、行いが伴わなくても良い。
>という事につながるけど、イエズスは「行いなさい」と言っている。
>信仰を持てば義なのなら「人を愛しなさい」はしなくても良い。
>「異端・異教」「サタン」と価値観の違う人を罵ってもよいのよ。
この言葉について、キリスト教の信者全員が考るべきではありませんか。
私は、マリアさんと少し違うかもしれない。
人間である限り、心と行動は切り離せないから、信仰によって行動が伴うとも考えられる。
洗礼を受けただけで救済される、と言われるけどそれには悔い改めるという態度が伴っているはず。
(実際に洗礼後にゆるしの秘蹟があって、これまでの罪を告白する)とともに、
これからも罪を犯さないということを約束しているはず。
それを理解しないで「信仰の義」を語るのは、聖書信仰と同じと思っている。
前出のヨハネさんのレスが良い例だと思う。
542 :
マリア :2001/04/07(土) 16:55
>>541 それは、あたしがカトリックにいたときに教わってるから
理解できるのよ。
ただ、神を信じてるから、他はどうでもいいっていう解釈が
何かキリスト教やってる人たちに良く感じるのよ。
あたしが教会へ行ってた頃の神父さんは揉め事がある度に
よく注意していたのね。
「まず、相手の主張を理解してから議論して下さい。
異端等と勝手に決め付けるのは、イエズスの教えに背きます」って。
543 :
ちなみに :2001/04/07(土) 19:34
>>うーん、律法違反で、自分たちは罪ばかり背負っているという認識 >>がなければ、信仰義認論は虚しいということか。(藁) >ちなみにさんは、なんでワラワラなの。 パウロらは、律法違反による罪を避けられなかった。 それなのに、何故、「清くなり」「聖霊を受ける」ことができるようになった のか? そこには、それまで積み重ねてきた罪が消えているということに気づ かねばならない。何故、罪が消えたのか? パウロらは、「イエスを信仰したので」とか、「イエスを贖罪の羊」とみなす ことにより、罪が消えたと論じている。 つまり、律法の罪を自覚しない人達は、信仰により義とされるありがたみが 理解できにくいとと思われるが、やはり、そうだった、というお話。(藁) >そもそも義とされるひつようないって これでは、理論上は、律法による罪が消えない可能性があるということになる。
544 :
名無しさん@1周年 :2001/04/07(土) 21:47
う〜ん…う〜ん…キリスト教ってややこしい。 そういうのわからん人間はどーしたら救われるんや。
545 :
ちなみに :2001/04/07(土) 22:02
どうせキリスト教もユダヤ教も屁理屈ばっかしだから、心配する 必要なし!
546 :
ぷちとまと :2001/04/07(土) 22:21
律法なんて関係ないってゆーか ベツニーエホバさんとなんて約束もしてないシー 罪なんてないもん、どーでもいーよー、そんなの
547 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/07(土) 22:25
>1 もう結論は既に出た。旧約と新約の神に何の本質的違いがないのはあきらかだ。 1が屁理屈をこねようが、巫女に助けてもらおうが、何をしてももうお前は既に 負けている。旧約とパウロを否定して全く別な宗教を創ろうとしても無駄なこと である。いちゃもんもたっぷりついたことであるし、この辺でこのスレッドは悪 あがきをやめてお開きにしたらどうかな。 旧約聖書に無知なものが旧約聖書を批判するのは、文才のない者が俳句を論じる ようなものだ。フランス語が読めない者が四行詩を批評するようなものだ。1に は気の毒だが、それが結論だ。
548 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/07(土) 22:28
ちなみに、聖書について初めから無知であるとみられる、544とか545とか 546とかに代表される発言者は、初めから聖書を論じる能力が無いのであるか ら、ここではあんまり罪はない。
549 :
名無しさん@1周年 :2001/04/07(土) 22:37
>547、548 人が人を裁いた 「このスレを無効にした奴」くんが、 一番罪が重いよね。可哀そうだけど、地獄逝きかも・・・
結論が出たところで、続きましては、 2000年たっても一向に神の国が実現しそうにないのはなぜ? 何が新約だゴラァ!ペテンな神も逝ってよし@キリスト教 を、お送りします。
551 :
マリア :2001/04/07(土) 23:00
>>547 あなたには勝ち負けしか興味ないのね。
いつぞの落書き氏と一緒ね。
あたしには、あなたの信仰が別のものに変化していると感じるわ。
あなたの言ってる事が真のキリスト教徒あるべき姿なら?ね。
小さい子の喧嘩じゃないんだから。
そういう狭い視野だから、全く別の宗教をつくろうとしてるとか、
そういう目でしか人を見れないのよ。
ほら、ちゃんとみんなに分かるように説明してみなさい。
552 :
マリア :2001/04/07(土) 23:01
553 :
サリー :2001/04/07(土) 23:43
552に同感。 人間自身が覚醒して、本当の意味でイエス様と一つになれば 神の国は、その人から始まると思います。
554 :
サリー :2001/04/08(日) 00:05
神の国はある日、天から降ってくるというものではないと思います。 神様の御心にかなう者、その行いを成す者の、心のただ中に神の国は あります。 そして、それが一人ではなく、二人、十人、百人、千人、万人と なっていくなら、そこに神の国が具体的な形となって表れてくるでしょう。 今混迷する世界を神様の元に帰そうとするいくつかの動きもあります。 私たち一人一人がキリストとなって、すなわち主体的愛の持ち主となって 愛を拡げていきましょう。今は、千人、万人のキリストが必要な時代です。
555 :
迷い人 :2001/04/08(日) 00:06
♪愛と〜 ♪いつくしみの、あ〜る〜と〜ころ〜〜♪ か〜み〜は〜そ〜こ〜に〜、お〜ら〜れる〜♪ なんて歌がある。典礼聖歌かな?? 具体的な表現が思い通りにできれば、信者同士、隣人との間に 神の国が始まるのかな?俺は自己表現が苦手でね。。 隣人に対して的を射た仕草や交流、配慮をしたいんだけど・・・ うまくないんだ。誰か、俺に諭しを与えて!聖書の一節、一句 でも与えてくれないかな?みなさんよろしく。
556 :
サリー :2001/04/08(日) 00:18
旧約の神が野蛮だと言われる方は、 よほど愛の神を求めておられるのでしょう。 素晴らしいことだと思います。 愛なるイエス様は、ただ「主よ」「主よ」と言うのではなく 天にいます父の御旨を行われることを望んでおられます。 イエス様の説かれる神様の愛は、 単にユダヤ人のみに降り注がれているわけではなかったのと同様に またクリスチャンのみに降り注がれているわけでもありません。 仏教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、全ての宗教家たちが手を組んで この地上の諸問題にあたる時、神の国は出発していきます。
557 :
ちなみに>556 :2001/04/08(日) 00:23
>愛なるイエス様は、ただ「主よ」「主よ」と言うのではなく >天にいます父の御旨を行われることを望んでおられます。 >546 名前:ぷちとまと投稿日:2001/04/07(土) 22:21 >律法なんて関係ないってゆーか >ベツニーエホバさんとなんて約束もしてないシー >罪なんてないもん、どーでもいーよー、そんなの こいつに、そこんところ、よくおせーてやってくれ。
558 :
サリー :2001/04/08(日) 00:35
>>555 私も自己表現が苦手です。
私自身が、生活の中で取り組むと良いと思うのは、
写経というがありますが、聖書を書き写すことです。
一日数行でも自分の好きなだけ。そして、祈る。
それをして一日を出発した時と、
そうしなかった時と、一日の内容が違ってきます。
人間関係が導かれてくる経験を何度かします。
これは理屈でなく、体験してわかってほしいことですね。
稚拙でも素直に真面目に相手に対していく人が好きです。
559 :
名無しさん@1周年 :2001/04/08(日) 00:40
サリーさん、何教なの?
560 :
サリー :2001/04/08(日) 00:59
>>543 「律法による罪」って何ですか?
律法があろうがなかろうが、人間には罪があります(ありました)。
エデンの園を追い出された人間は、正に神様と一つになれないところに罪があるのです。
律法は、神様から遠ざかった人間が、神に近づくための道ではないでしょうか。
>パウロらは、律法違反による罪を避けられなかった
パウロは、たとえ律法全てを守っても(違反しなくても)、しかしそれだけでは
最終的には神様と一つになれない、それをイエスとの出会いによって、悟ったのだと
思います。「積み重ねてきた罪」という自分が律法を守れる、守れないの次元での罪よりも、
もっと根本の神と一つになれない原罪を見つめないといけないと思います。
561 :
マリア :2001/04/08(日) 01:01
>>557 もし、キリスト教徒になった事が契約なら、
契約を履行しなければならない義務が信者一人一人にはあると思う。
自分と同じように隣人を愛する事とか、
イエズスが言われている事はたくさんあるはず。
それに沿って生きていくことだと思うの。
難しいとは思うけど、やれるところからすればいいと思うの。
イエズスを信じる事のみで後は昔と同じであれば、
神の国は永遠に完成しない。
考え方や方向性が違うからといって、
異端・サタンと互いに呼び合う内は神の国は生まれないと思うわ。
ただ、批判や議論は必要だと思う。
お互いを高めあえる手段の一つである事には変わりはないもの。
562 :
ちなみに :2001/04/08(日) 01:02
>サリーさん、何教なの? 同感!!!
563 :
ぷちとまと :2001/04/08(日) 01:14
>>557 ちなみにさん、ぷちとまとになんかおかしいとこ、あるんでしょ?
おしえてヨ。サリーさんにパスするだけじゃなくテ〜
564 :
サリー :2001/04/08(日) 01:17
もし、神がいるとするならば、創造主なる神がいるとするならば それを知らない、わからないということが最大の罪ではないでしょうか。 その神に近づく為に与えられたのが律法だと思います。 もちろん最大の律法は「神を愛せよ」「隣人を愛せよ」です。 しかし、いかに律法を守り励んでも限界があった。 その律法の成就者として来られたのがイエス様です。 神の子イエスを通して、神から離れていた人間が、 神と一つになれる道が開かれたのです。 律法の願いも、イエス様の願いも人間が神様の愛に立ち帰ることですが、 最終的な内容はキリストによるものと言えると思います。
565 :
ちなみに>563 :2001/04/08(日) 01:24
そういえば、「ぷちとまと」とかいうファミレスがあったなあ(藁)。 さて、寝るか。
566 :
ちなみに>564 :2001/04/08(日) 01:26
なんかずれているような気がして、仕方がない(藁)。
567 :
アスタロト :2001/04/08(日) 01:28
討論よりも善を行ったほうが良いのではないか・・・
568 :
サリー :2001/04/08(日) 01:31
個人的な感想として、 律法という言葉(日本語訳が悪いのかも知れませんが)には、冷たい 響きを感じることもあります。半ば強制的に守らないといけないみたいな。 でも、本当は、自然の心の発動として、それが成されていくのが、本来の 人間でしょうね。 孔子が「70にして、その心の欲するところに従えど、規を越えず」みたい なことを言われたように、私たちの心がイエス様に向かうとき、自ずと行動 も伴っていかないといけないと思います。 『行いの伴わない信仰はむなしい』 ヤコブ2:20
569 :
名無しさん@1周年 :2001/04/08(日) 01:34
>律法という言葉(日本語訳が悪いのかも知れませんが)には、冷たい >響きを感じることもあります。半ば強制的に守らないといけないみたいな。 実際、半強制的に多額の献金を求められる、プロテスタント教会もあります。
570 :
サリー :2001/04/08(日) 01:41
>>543 のちなみにさんの意見と
>>550 さんの呼びかけに答えて、長々とレスしました。
ちなみにさんが寝られるよう(565)ですので、私も寝ます。
>>559 、562
何教徒かということですか? 仏教徒でもあるし、クリスチャンでもあります。
お宮へはあまり行っていません。マリアさん、すいません。
571 :
名無しさん@1周年 :2001/04/08(日) 01:43
572 :
マリア :2001/04/08(日) 01:49
>>570 いいのよ。またその内行く機会も出てくるでしょう。
もし機会があれば、神社の境内の中でしばらく物思いに
耽ってみるのもいいものよ。
あたしは朝のうちはここに来ないけど、
結構そんな感じでお掃除なんかをしていたりするわ。
573 :
サリー :2001/04/08(日) 13:56
>>543 へ再び
「律法の罪」って、「罪の律法」(ロマ7:25)のことでしょうか?
「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、
わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中にわたしを
とりこにしているのを見る。わたしはなんというみじめな存在なのだろう。」
「わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている・・・わたしに
悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。」
善悪が私という一人の人間の中で戦っているという罪を自覚することによって
(罪の律法の自覚によって)、そこから救い、贖罪というありがたみが理解できる
という意味なら、同感です。
しかし、『律法違反で、自分たちは罪ばかり背負っている』というのとは違うと思います。
574 :
名無しさん@1周年 :2001/04/08(日) 16:19
旧約聖書に受け入れられない価値観があるからと言って軽んじ パウロも旧約的だからといってこれを排除しようとする人は次のような三重 の誤りを犯しているようです。 (1)キリストによる「信仰による義」の根拠がわからなくさせている (2)パウロの説明したアガペーの愛を否定し、かわりにヒューマニズムを持ち込んでいる (3)キリストが十字架にかかられて小羊の犠牲となった理由を混乱させている
575 :
ちなみに>573 :2001/04/08(日) 16:44
議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じの とおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりま した。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるよ うになるためです。人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えて くださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたこ とを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたし たちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。それなのに、な ぜ今あなたがたは、『先祖もわたしたちも負いきれなかった軛』を、あの弟 子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主 イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異 邦人も同じことです。」(使徒言行録15/7−11)、(『』:ちなみに)
576 :
ヨセフス@ローマ :2001/04/08(日) 17:39
さて、人間的嗜好を交えず、順序よく考えようじゃないか。 (1)アダムが罪を犯したので、アダムは死ななければならなくなった。 (2)アダムの子孫はアダムの死ななければならなくなった命から生まれ てきたのであるから、当然死ななければならない運命であった。 (3)神はその死ななければならない人類を回復する為にメシアとして イエス(またはイエズス)・キリストをお送りになった。 (4)キリストの十字架の犠牲は既に旧約聖書で聖所における小羊の犠牲として啓示されていた。 (5)キリストは旧約に啓示された律法を廃するのではなく成就する為に来られた。 (6)キリストは罪による死の報いを撤回するためではなく執行するために来られた (7)キリストは十字架で死なれたのは、みがわりの執行であった。 (8)つまりキリストの死は人類の罪の死であった。 (9)だれでもキリストの死を自分の罪によるみがわりの死と受け入れる者は救われる (10)こうしてキリストを信じ彼と共に十字架に死んだ者は、死んだものとみなされる (11)律法は死んでしまったものに罪の刑罰を課さない。 (12)よってキリストを信じて受け入れるものは甦られたキリストと共に生きる (13)それがポーロ(またはパウロ)の説明する信仰による義である (14)信仰による義はこのように旧約から新約に長大なスパンをかけた教えである (15)よってこの事実を否定する者には望みが無い。
577 :
マリア :2001/04/08(日) 19:21
>>576 あたしなりに解答を書いてみたわ。よろしく。
1@`2は、残念ながら、自然の流れを考えると信憑性はない。
動物は自然の流れの中で生きていて、
罪を犯しているわけでもないのに死ぬ。
人が神から離れた状態を「死」と呼んだとも考えられる。
人間は別物だといったとしても、
人間も自然の流れの中でしか生きられない。
3は、死ななければならないという意味でなく、
神の中で全ての民が生きている
ことを知らせるためにお送りになったとあたしは考える。
4@`5@`6はおおむね同意。
7@`8は、身代わりでなく、イエズスに対する妬み。
神より欲を求めた結末。
人類の罪の死でなく、人類が再び目覚めるために捨て石になられた。
イエズスはそれを受け入れ、復活という人間では成し得ない業を
通して死に打ち勝ち、人に神の正しさをご自身でそれを示された。
9は、人が神の道に立ち返る事を救われるという状態なのであって、
受け入れさえすれば、
それだけで救われるというものではないと考える。
578 :
マリア :2001/04/08(日) 19:24
10は、死んだものではなく、生きたものという証では? 11は、律法も神も死んだ者に対して罪の刑罰は課さない。 罪とは本人が自覚しない以上、受け入れることが出来ないもの。 現世的な法による裁きとは異なったものであるため。 「互いに許しなさい」と言われる神の裁きとは、 人間に生涯全てのものを本人見せて振り返らせるものであり、 肯定も否定も共存したものであり、それを受け入れることしか 人間には出来ないものになっている。 (死ぬ直前に人は一生のビジョンを見るという事例もあることから) 12は、キリストに寄らなくてもキリストの教えと同義なものを 知ることも不可能ではないという事例も歴史を通して 散見されるので、あたしは退ける。 13@`14パウロの解説は、彼の主観によるもの。 彼なりに一生懸命に考えた理論であるし否定は出来ないが、 肯定も出来ない。 彼の理論だけで神の世界を語るのは無理がありすぎると考える。 多くの歴史の事例から、そうあたしは判断する。 15「互いに愛し合いなさい」「許しあいなさい」という教えの者が 人を裁いている典型例にあたしは感じる。 望みがないとの決め付け方は人を許す事も愛する事も放棄しており、 キリスト教徒の一番の核心を捨てているとも感じる。 相手に自説を受け入れさせようとする努力さえも、 放棄していると感じる。 あたしには「正統」というぬるま湯に浸かっているだけにしか 見えない。 以上、あたしの考え方と答え。
579 :
名無しさん@1周年 :2001/04/08(日) 22:09
「あたしなりの答え」というあなたの主観ではなく、神は何て言っている のか知りたい所です。これじゃ聖書と一致していないですね。
580 :
>579 :2001/04/08(日) 22:23
横レスですいません。 しかし聖書と一致しているからといって、真実に神のお考えと 一致するとは限らないわけですよね?
581 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/08(日) 22:30
>>549 あいにくだが、俺はクリスチャンではないので人を裁くのを恐れない。人を裁くな
と言って教会の中で悪を指摘する良心の声の発言を封じようとする汚いクリスチャンは
いくらでも見てきたが、ここでは遠慮なく矛盾を指摘させていただいたのだ。俺には地獄
も煉獄もへちまもない。
しっかし、なんだな。お前は旧約やパウロや黙示録は軽んじていても、ちゃんと地獄
だけは覚えていて信じているんだな。こりゃまた滑稽。うわははは (爆笑)
582 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/08(日) 22:32
>>580 おもしろい。こんどは不可知論を持ち出してくる人が現れた。
どういう展開をしてくれるのやら。(藁)
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/08(日) 22:36
584 :
名無しさん@1周年 :2001/04/08(日) 22:38
>581 オマエのHNからして、スレ潰したら勝ちなんて思って喜んでる 単純バカというか、精神年齢の低い輩なんだろうね。 あいにくこのスレ無効になりそうにないね。(厨)坊ちゃん。
585 :
マリア :2001/04/08(日) 23:04
>>579 この件は、あたしの霊感うんぬんでなく
聖書の中のイエズスの言葉を拾って感じた事を書いてみたのよ。
>>580 確かにそういわれると、肯定派もあたしにも痛い所だわ。
あたしはあたしの霊感を通じていろいろあたしなりに考えた結果に
過ぎないもの。聖書自体も怪しいって明らかになりつつあるし・・・。
>>581 何か自分でそう言うのってあなた、
自分で自分を下げているような印象を受けるわね・・・。
まぁ、何を言って何を考えようが自由な世の中だからいいけどさ。
あなたの意見に賛成の人からも
相手にされなくなるだけだと思うわよ。
586 :
名無しさん :2001/04/08(日) 23:05
587 :
サリー :2001/04/08(日) 23:58
人類史の時間的流れを分けて考えてみますと、
A.神がアダムと妻を造られた、エデンの園の時代
B.エデンの園を追い出されて、イエス様を迎えるまでの時代
C.イエス様が生まれて、活動され、十字架にかかるまでの時代
D.イエス様が十字架から復活されて、現代までの時代
E.将来、イエス様が再臨され神の国ができるまでの時代
>>576 の(1)(2)はB時代であります。それまでのA時代、アダムは神と共にいました。
しかし人間始祖の罪という大事件、大転換が起こり、B時代に移ります。アダムの死は肉体的なものでしょうか、内的な心のものなのでしょうか?
一般人に受け入れやすいのは
>>577 の罪を犯してなくても人間は(他の動物同様に)死ぬ
という意見でありましょう。ともあれ、内的には確かにアダムは死んでいると思います。
主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した、その心は既に神から遠く離れています。
取って食べた後に、心は既に死んでいたのです。そして、そのアダムの子孫である人間も同様、
心は死んでおり、現に神から遠く離れた存在となっています。死の状態といえるでしょう。
588 :
サリー :2001/04/09(月) 00:04
B時代こそ、旧約時代であり、次のC時代の重要事件であるイエス誕生までの期間です。 ここで疑問なのは、なぜ神はイエス様をその『時』に送られたのでしょうか? 私なりには、それはたまたまその時ではなく、必然的な時間的内容があって、 その『時』になったのだと思います。 しかし、アダムがエデンの園を去った直後であれば、救いは簡単だったのでは? あるいは洪水直後であれば、ノアとその家族しかいませんから救いは簡単だったのでは? アブラハムの時、モーセの時、ダビデの時では、なぜなかったのかと考えます。 皆さんはどう思われますか?
589 :
名無しさん :2001/04/09(月) 00:22
>>588 あぶないね。その先にあるのは統一協会。
590 :
サリー :2001/04/09(月) 00:33
ともあれ、神から離れ死の状態にいる人間達。
神は、神と人間との関係を回復させる為にメシヤを送ろうとされ、
その前に多くの預言者が遣わされました。旧約時代の目的は、人間がメシヤを
迎える為であると思います。旧約時代の完結がイエス様の来臨でしょう。
(
>>576 の(3)(5) )
591 :
サリー :2001/04/09(月) 00:39
旧約時代は捨て去るものではなく、イエス様を迎えるまでの 重要な時代だと思います。律法もイエス様を迎えるまでの間の 心の訓練、育成の為に与えられたのではないでしょうか?
592 :
ナナ :2001/04/09(月) 01:03
ヤバイな、イエス様だってよ、、、。 イエスは精神異常だぞ、明らかに。 しかも世の中良くなってない。 さらにイエスの言葉は先人の言葉でしかない。 行動の殆どは異常。
593 :
サリー :2001/04/09(月) 01:04
>>576 の(6)〜(12)がイエス様による救いとなりますね。
ただ、知識として漠然と受け止めるのと、
それを自分自身の現実のものとして受け止めれるのとは大きな違いがありますよね。
かつて聖体をうける時、隣の友の姿を見てショックを受けたことがあります。
イエス様と一つになる、真摯な心が一杯にあふれていたからです。
(私も知識としてだけしか受け止めきれていないかもしれません)
イエス様と一つになることによって、神と一つになることができる。
友のように、毎日の生活をイエス様と一つになりたいと願って、努力している途上です。
594 :
サリー :2001/04/09(月) 01:17
>561、マリアさん >もし、キリスト教徒になった事が契約なら、 >契約を履行しなければならない義務が信者一人一人にはあると思う。 義務があるとしても、それは『先祖もわたしたちも負いきれなかった軛』(575) のようなものではなく、イエス様と一つになることによって、 喜びと感謝をもって自発的能動的に成されていくものであると思います。 喜びと感謝が大事です。 イエス様とは聖書を土台にしつつ、生活の中で出会っていくものだと思います。
595 :
サリー :2001/04/09(月) 01:24
>>592 イエス様が異常なのでしょうか? 神様を知らない人が異常なのでしょうか?
私は神様を知っているイエス様を思慕し、敬愛し、「様」をつけます。
確かにイエス様の言葉は先人の言葉です。昔ということが問題ではなく、
内容を判断して慕わせてもらっています。
百歩、万歩譲って、イエス様が救い主でなかったとしても、「様」をつけるに
値する、重要な先人の一人だと思っています。
596 :
サリー :2001/04/09(月) 01:32
>>592 >世の中良くなってない
不満はごもっとも。
それはイエス様の責任ではなく、
不足な弟子たち、私たち信徒の責任でしょう。
私たちがもっと世の中が良くなるために、
イエス様の手足となって、動いていくべきでしょうね。
努力している多くの友がいますが、
まだまだ足りないのも事実でしょう。
592さんもいっしょに世の中を良くするために
活動していただけますか。お願いします。
597 :
名無しさん@1周年 :2001/04/09(月) 02:09
>>583 聞けるよ。聖書読んでごらんよ。
聖書は神が託された言葉だよ。
祈ってみなよ。神が答えられるよ。
屁理屈捏ね回す人たちと一緒にいないで、やってごらん。
598 :
名無しさん@1周年 :2001/04/09(月) 04:20
結局聖書よりも主観的自然を重んじる人が背教して行くのね。
599 :
名無しさん@1周年 :2001/04/09(月) 04:24
カトリック信者は、みんな背教者だったりして。
600 :
名無しさん@1周年 :2001/04/09(月) 06:42
イエスは人間としては結構まともな方だと思うが(少なくとも 偽善者モーセ、強盗殺人鬼ヨシュアや狂信者アブラハムよりはね)、 彼は聖書の中ではかなり例外的な存在だよね。言動はモーセなど 旧約の預言者とは正反対の部分が多いし、パウロを始めとする信徒 からもほとんど無視されている。聖書の中では彼が一番の「背教者」 だったのかも。
601 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/09(月) 08:13
>>576 ヨセフス師よ。もしできるのであれば、その(1)から(15)までの箇条書きの
項目を聖書によって証明してもらいたい。フィーリングや主観というのではなくて。
602 :
サタン候補生 :2001/04/09(月) 11:17
>>576 私からも注文。できればパウロ書簡を引用せずに、ね。
パウロの言葉を借りて、パウロの正統さを説明しても全然意味が無いよ。
603 :
マリア@和霊 :2001/04/09(月) 14:53
マリア氏の代わりのものです。以後お見知りおきを。
>>598 @`599もしあなた方がクリスチャンなのであれば、
背教者という言葉はその方がそのような状態にあっても
避けるべき表現だと思いますし、そう教わってきました。
そういう状態の人に対して人が罰しても良いと
イエスは言われたのでしょうか?もう一度再考してほしく思います。
>>602 正統性の一つとして採用する事は
証明できるかもしれませんが、彼だけが正しいという証明は
難しいかも知れませんね。
彼に対する他の使徒たちの目は冷ややかだったらしいですし・・・。
ただ、ダマスカスへ向かう道中の事は聖霊の賜物とは思います。
また、彼のお陰でキリストの教えは世界に広がるきっかけに
なっていますので、彼の業績は評価します。
604 :
サタン候補生 :2001/04/09(月) 15:15
>603 あのパウロの「霊的体験」が本当のできごとであった証拠はありま せん。使徒行伝そのものの成立年代が、紀元後100年付近のもので すからね。また、そういう「霊的体験」こそが「正法」の証という のであれば、崖から飛び降りても落ちなかったマホメットの方が、正し い神の使徒だという論理になりませんか?
605 :
マリア@和霊 :2001/04/09(月) 15:30
>>604 お返事ありがとうございます。
確かにそれを言われると困りますが、
霊的体験とは色んな種類のものがあり、否定は出来ません。
確かにそういう体験は悪霊にもする事が出来ますし。
伝承というのかそういうものとして伝わっていた可能性はあります。
彼が迫害者から転向してしまった事実を見ても明らかだと思います。
ただし、彼の主観のみが正しいとされてしまったのは
非常に惜しいと思います。人を罰する事はイエスが禁じられています。
その部分は、イエスのお考えと異なるように私は感じますので。
606 :
サタン候補生 :2001/04/09(月) 15:57
>605 パウロ自身、書簡の中で自分が「異言」を受ける能力について 誇りを持っていることを述べています。パウロにとって、生きた イエスの言葉、それを伝承の形で受け継いだ直弟子達の語りより も、自分の「異言」を信じたということだと思います。そこには、 確かに「悪霊」の付け入るスキがありました。 パウロが転向した理由は定かではありませんが、熱心なパリサイ 人であった彼自身も、形式に陥った律法主義ではもはや人は救え ないと考えていたのではないかと思います。「人間の力では善な どできないものだ」という彼の自論には、かつて自分自身の「悪」 と格闘して敗れ去った苦い経験が裏打ちされているように私には 見えます。パウロ自身、律法を守りきるのが不可能と悟ったため、 「律法は死である」と極端論に走ったのではないか、と。あくまで 推測ですけどね。「霊的体験」を振り回すよりも説得力があると 思います。 >人を罰する事はイエスが禁じられています。 揚げ足をとるようで、申し訳ないのですが、「禁じる」では、もと の律法主義のままです。イエスは「人を罰するなんて、馬鹿なこと はやめなさいよ」と諭しただけだと思います。「相手だって、あなた と同じく神様から子供として愛されているのだよ。神様がお許しに なるのに、何であなたがでしゃばって許さないと言うのか、あなたに 何の権利があるのか」と説明されたのだと思います。「イエスが命じ たから、それに無条件に従います」では、単なる盲信、律法至上主義 (パリサイ派)にすぎません。 律法主義は人を神の奴隷にします。イエスは、人を神の子にしたか ったのです。
607 :
マリア@和霊 :2001/04/09(月) 16:15
>>606 私はカトリック信者なので、どうしてもそういう盲信というところから
抜け出せていないきらいがあると思います。いい回答でありがたく思います。
律法主義の弊害についても同意します。
そして、最後のイエスは人を神の子にしたかったということにおいては、
私は同意しますし、クリスチャンの中でもそう信じられているはずです。
ただ、パウロの役割によってイエスの教えが
ユダヤ人以外に伝わったということだけは評価したいと思います。
そういう意味では否定しません。
その他は実は私も実は内心首を傾げている部分が多いのです。
マリアさんではないのですが聖書を読んでいて
「魔」の力を感じる時があるのです。
608 :
サタン候補生 :2001/04/09(月) 17:27
>607 >パウロの役割によってイエスの教えがユダヤ人以外に伝わった >ということだけは評価したい 私もその功績については異存はありません。ただ、功績があった ことと、主張が正しいかどうかは別問題です。広まるのさえ早け ればよいのなら、社会的な悪癖の方が数百倍は早いでしょう。 >その他は実は私も実は内心首を傾げている部分が多いのです。 どの宗教においても、そういう「目覚め」の時が近づいていると いう気がします。それぞれの宗教が、伝統という名のヨロイで固く 護ってきた誤謬が取り払われたとき、すべての宗教の説く真理が ひとつになると私は信じています。
609 :
ヨセフス@ローマ :2001/04/09(月) 20:35
>>601 >>602 了解しました。貴君たちがお望みならば喜んで12時間以内にここに掲示します。
ただ、こちらは、この掲示板の発起人の人のような偏見をパウロに対して持ち
合わせていないので、いくらかはパウロの書簡の引用もあろうと思います。一
応それだけお断りしていいですか。それから、パウロは自分の正統性を主張し
ていたのではなく、キリスト・イエスのメシアとしての正統性を主張していた
のです。パウロの霊感による言葉を引用したからといってキリストよりもパウ
ロを高めることにはなりますまい。
610 :
名無しさん@1周年 :2001/04/10(火) 02:36
パウロを敵にする皆さんへ。 歴史上のことを、現代の価値観で裁くのは、フェアじゃないって どこかに載っていたよ。 彼は、神を変えようとしたわけじゃないでしょう。 頼りにならない弟子たちに代わって、キリスト教会を、 何とか建て直すために、奔走したわけだから、味方も敵も多かったと思う。 彼がいなければ、キリスト教は、ユダヤやイスラム教みたいに、もっと 過激になってたかもしれないし、衰退したかもしれない。 どっちにしろ、現代において、結果が良かったのだからいいと思うけど。 戦争に加担したことや何か、いろいろ言う人たちは、 誰だったら、あの時代に世界中が戦争をしない世界にできたのか答えてよ。 あの時代に戦争に無関心に、自分たちだけ平和でいられたのか、 反対すればいい、と簡単に言うなら、なぜ、ヒトラーにホロコーストを 止めさせることが出来なかったのか、日本の侵略を止めさせることが出来なかったのか。 歴史上の悪は、キリスト教に全責任があるようなことを言う奴は、思考回路が単純なバカ。
611 :
ヨセフス@ローマ :2001/04/10(火) 07:58
聖句が
>>576 の各項目を説明します。
(1)創世記3:17-19@` 1コリント15:22(前半)@` (2)使徒17:26@` (3)1テモテ1:15@` (4)レビ5:15@`ヨハネ1:29@` マルコ14:12@` 黙示録21:22@` (5)マタイ5:17@` (6)ヨハネ12:31-33@` (7)イザヤ53:6@`(8)2コリント5:14@` (9)マタイ10:38@`(10)1ペテロ2:24@`(11)ローマ7:4@` (12)ヨハネ12:32@`(13)ローマ4:16@`5:9@`10:13@`(14)ヨハネ8:37@`ローマ4:3@`4:13@`(15)1コリント3:11
それぞれの項目の説明を上の聖書の該当個所が直接説明していると考えて下さい。
「あたしの考え」よりもまず聖書に立ち返ることが大切です。>無効にした奴さん、>サタン候補生さん
612 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 08:46
>611 私が特に興味があるのは、本当にキリストの十字架上の死が、万人 の罪の贖いのためであったか、という部分ですので、とりあえずは (7)〜(10)に限定して検証してみたいと思います。 まず、引用されている聖句を見ると、(9)以外は旧約聖書(イザヤ) とパウロ書簡のみです。さらに、マタイの引用はこうなっています。 「また、自分の十字架を担ってわたしに従って来ない者は、わたし の弟子に値しない。自分の命を保とうとする者は、それを失い、 わたしのために命を失う者は、かえってそれを保つのだ。」 この聖句の中で「自分の十字架を担って従う」とあるのは、イエス の「言いつけ」を実行し、それに対する迫害をも恐れないという 意味だと解釈するのが妥当でしょう。 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて実行する人は皆、岩の 上に自分の家を建てた賢い人に似ている(中略)わたしのこれら の言葉を聞くだけで実行しない者は皆、砂の上に家を建てた愚か な人に似ている(後略)。」(マタイ7:24) 私には、このイエスの「言いつけ」が、「だれでもキリストの死 を自分の罪によるみがわりの死と受け入れる者は救われる」こと を信じることだ、とは、どうしても読み取れないのです。こんな こと、イエスは語っていない。福音書のどこを探しても。言い出し たのはパウロなんだから、当然の話です。
613 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 08:55
(続き) そもそも「信じる」という行為が「実行」できるものでしょうか?実行とは、 自分の意思を行いの上に現し、「実証」するということです。例えば、ある 人が自分のことを医者だと信じたとします。しかし、それは実証されていな い。国家試験に合格して「お墨付き」を貰い、実際に病人を診察して、治す。 こういった「実行」を通じて初めて、彼は自分が医者であることを「実証」 するのです。 ただ単に「信じる」ことは、何の証明にもなりません。古い自分はイエスと ともに死んだ、と信じたところで、やっている行いが変わらない限り、それ はその人の思い込みにすぎない。本物は、上の聖句にもある通り、口先だけ ではなくて、その行動に現れるものです。
614 :
名無しさん@1周年 :2001/04/10(火) 09:21
ヨセフス@ローマ 氏は、福音派だろうか。
615 :
横からすみません :2001/04/10(火) 09:56
>サタン候補生 “人の子は・・・・多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た”(マタイ10章45節) このようなイエスの言葉がありますが、伝承句がイエスにまで帰らない、つまり原始教団の創作である ことを説明してみてください。
616 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 10:15
>615 マタイ10:45というのが見つかりませんが。
617 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 10:30
あっ、マルコ10:45ですね。 福音書の内容の信憑性を議論する場合、どうしても資料批判に頼らざる を得ません。たとえば、その語句が当時、一般に流布していた喩え話と 同じなら、その時代に書き加えられた可能性がある、写本を時間的に 遡ると、ある時代以前にはその表現がない、ということなら、後世の 加筆であろう、などなどです。 私は、その道の専門家ではありませんので、一応「定評」がある、 イエスセミナーの The Five Gospelsの判断を仰ぐことにします。 イエスセミナーの出したマルコ10:45の信憑性(本当にイエス の言葉を伝えている確率)は、25−50%です。まあ、3人に ひとり程度と解釈すると、3人の学者のうちひとりはYes、あとの 2人はNo、と答えたことになります。 次に内容についてですが、確かにマルコ10:45単独だけで解釈 すると、あたかも「贖いのためにイエスは来た」ととれますが、その 直前には「一番上になりたい者は、すべての人の奴隷になりなさい」 という文章があります。もし、イエスの贖いによって、すべての人の 罪が許されるのなら、「すべての人の奴隷になる」という指示は意味 をなさなくなります。同様に「自分の命を捧げる」という表現には、 真理のために殺されようと厭わない、というイエスの常套句のひとつ にも見えます(わたしのために命を投げ出す者は生命を得る、など)。
618 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 10:40
(続き) 少し補足させていただきます。 もし、パウロが主張する通りに、イエスの死が万人の贖罪であることを信じ ることが救済の絶対条件だとしたら、イエスはマルコ10:44−45の ような順序で語らなかったでしょう。先に、自分の救世主としての役割、 次に救済されるためには、自分の贖罪を信じなさいという指示、最後に人々 を救済に導くための「教会幹部」としての心得、の順になるでしょう。 実際には、先に「幹部」の心得が来て、最後についでに自分もまた真理の ために死んでいくんだという言及がされています。最も大切なこと、一般 人の救済のキイになるはずの「イエスの贖罪を信じよ」は一言も触れずじ まいです。 イエスが説教する時には、誰にもわかるような喩えを使われ、秘意を含んだ ような、もって廻った言い方はされませんでした。私はこの「豹変ぶり」に マルコの加筆の臭いを感じます。
619 :
このスレを無効にした奴 :2001/04/10(火) 11:36
>ヨセフス師 どうもです。説明にある聖書の言葉をよく検討してまたレスします。
620 :
名無しさん@1周年 :2001/04/10(火) 11:52
>612 サタン候補生さん パウロでなくても、ヨハネが「彼(イエズス)はわたしたちの罪の為のあがないの そなえものです。ただ私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪のためです」とヨハネ 第一の手紙2の2でも言っていますよ。
621 :
名無しさん@1周年 :2001/04/10(火) 12:06
>615 Q資料との強い因果関係の無い福音書のヨハネが同じことを言っている 以上、マルコの該当箇所が加筆だという主張は弱い。またヨセフス氏紹介 のイザヤ書53:6が強烈に効いている。イザヤの書は当時のユダヤ人達 にとってはシナゴーグで朗読されてなじみの深いものだった事も考える必要があるね。
622 :
名無しさん@1周年 :2001/04/10(火) 12:17
そっかー。なんかわかってきたぞ。 このスレ急にレベルアップした。
623 :
615 :2001/04/10(火) 12:31
>サタン候補生さん >っ、マルコ10:45ですね。 失礼しました。 >次に内容についてですが、確かにマルコ10:45単独だけで解釈 >すると、あたかも「贖いのためにイエスは来た」ととれますが、その >直前には「一番上になりたい者は、すべての人の奴隷になりなさい」 >という文章があります。 たしかにそうですが、マルコ10:45bが単独で伝承されていた(このように主張する 聖書学者は結構多い)ならば、マルコ10:45aと結びつけて解釈することはマタイの イエス像を知るということでなら正しいけど、史的イエスがどう考えていたかを知る上では、 誤った解釈方法でしょう。マルコ10:42〜45がワンセットで伝承されていた証拠を 挙げられますか?
624 :
615(続き) :2001/04/10(火) 12:51
サタン候補生さんはイエス・セミナーにご執心のようですが、マックやクロッサンのイエス観が 成立するためには、ガリラヤのヘレニズム化が通説が考える以上に進んでいたという ことが認められなければなりません(私はこの前提自身がかなり怪しいと考えていますが)。 仮にそれが正しいとするならば、なおさらイエスが贖罪という考え方を持つ機会が高かった ことになります。というのも他人のために自らを投げ出すという観念はギリシャ思想にすでに 存在し、そのような思想を受容したヘレニズム・ユダヤ教でも贖罪思想が存在しているからです。 別にパウロが登場しなかれば、贖罪などという「でっちあげ」が行われなかったのだとは、 必ずしもいえません。なにか有力な反論はありますか? それにマルコ10:45は621さんが挙げるイザヤ53の影響を受けているとする聖書学者も 多くいますが、そうするとこの箇所は必ずしもヘレニズム教会の創作ということにはならなく なります。マルコ10:45がイザヤ53の影響を受けていないと証明できますか?
625 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 13:04
>620 >ヨハネ第一の手紙2の2でも言っています イエス以外の人間が、何人居ようとも、あんまり本質には関係ないように 見えますが。イエスの死の意味が何だったかは、イエス以外の人間が理解 できるものではない。 >623 >マルコ10:42〜45がワンセットで伝承されていた証拠を挙げられ >ますか? その証拠はないと思います。ただ、なぜ一番大切なことを最後に持って きたのでしょうか?理由はただひとつ、イエスにとってそれは重要なこと ではなかったからです。「そういう私だって、皆のために真理を説いたため に殺されるんだから」という、付けたしにすぎません。 福音書を読む限り、弟子達が「イエスは万人の贖罪のために死ぬのだ」と いう解釈は夢にもしていませんでした。パウロがそれを創作した、あるいは 百歩譲って、謎を読み解いたのです。その頃には、イエスの言行録の中から、 「贖罪のイエス」を示す箇所は大部分、失われていたでしょう。 私としては、逆に10:45のような「そのものズバリの表現」が残ってい ることこそ、あやしいと思うのです。矛盾しているように思われるかもしれ ませんが、そこには2つの正反対の矛盾がからんでいるのです。 1)なぜ、イエスは直弟子達に「贖罪のイエス」の役目を伝えなかったのか? (「贖罪のイエス」が登場するのは、パウロ書簡のロマ書からです。パウロ のこの説に対し、生前のイエスと行動をともにした弟子達の間に論争があった ことは明らかです。彼らが「贖罪のイエス」について、イエスから聞いたわけ でないのだから、当然の反応です) 2)「贖罪のイエス」を夢にも想像していなかった弟子達が、どうしてそれを 臭わせるような記述を覚えていたのか? この「2重の矛盾」は、もともとイエスが「贖罪のイエス」など説こうともし なかった、という仮説でもって、簡単に解くことができます。
626 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 13:15
>624 >別にパウロが登場しなかれば、贖罪などという「でっちあげ」が >行われなかったのだとは、 必ずしもいえません。なにか有力な >反論はありますか? そういう仮説は否定できませんね。第2のパウロが登場した可能性は 残る。マルキオンのように、パウロ主義に共感する人が実際にいた わけだから。 >マルコ10:45がイザヤ53の影響を受けていないと証明 >できますか? これも証明できませんね。 ただ、そういう瑣末のことを議論しても始まらないと思います。 私はキリスト教会と関係のないところで、福音書一本でイエスの心 を読み取り、それに共感した者です。だから、イエスの心というの が、パウロ達が主張したような「贖罪のイエス」にあるはずがない、 と自信をもって言えます。 私は元々、「イエスの贖罪」を当てにしませんので、もし、幸いに 「イエスの贖罪」があったのなら、有り難くこれに便乗させてもらう つもりです。「イエスの贖罪」だけを当てこんでいる人は、そうは いかんでしょうけどね(^^)。神様に「お前は、生きている間にイエス の贖罪を信じていなかったから無効だ」と言われたら、そんな不合理 な裁きをするメクラ神など、こっちから願い下げだ、とはっきり言って やりますよ。
627 :
624 :2001/04/10(火) 14:40
>625・626 >>マルコ10:42〜45がワンセットで伝承されていた証拠を挙げられ >>ますか? >その証拠はないと思います。ただ、なぜ一番大切なことを最後に持って >きたのでしょうか?理由はただひとつ、 イエスが「一番大切なことを最後に持ってきた」とも言えないと思いますが。 というのも42〜45aと並行する伝承が、マルコ9:35やルカ9:48b にも存在するからです(ブルトマンの『共観福音書伝承史』もそのように 取り扱っていますよ)。つまり45bが閉めの言葉とは必ずしもいえないと いうことです。もっともブルトマン以上に有力な反論があれば話は別ですが。 それにマルコ10:42〜45をワンセットで読むと、45b以外は弟子たちに 謙虚であれという諭しの内容となっているのに、45bだけはイエスの贖罪と いう内容になっています(「身代金」という言葉が使われていますが、この箇所の ギリシャ語はテトス2:14の「贖い」とまったく同じ言葉が使われています)。 つまり45bだけが全体の流れとは調和しにくい(この点について色々説明されて いますが、ブルトマンのように45bだけが独立で伝承されていたと考えれば 納得がゆきやすいです)。 >「贖罪のイエス」が登場するのは、パウロ書簡のロマ書からです。 その根拠はなんですか? >>マルコ10:45がイザヤ53の影響を受けていないと証明 >>できますか? >これも証明できませんね。 >ただ、そういう瑣末のことを議論しても始まらないと思います。 瑣末な議論とは思えませんがね。これだけをとりあげた論文もありますし。 イザヤ53との関連性と最後の晩餐におけるイエスの聖体制定の言葉とを 考え合わせて、史的イエスに贖罪の考え方があったと説明する学者も結構います。
628 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 16:24
>627 では、マルコ10:45bはどこから来たか、ということになりますが、 「マルコ」が福音書をまとめたときには、パウロ書簡がすでに存在した のですから、必ずしも伝承の中に「贖罪のイエス」が含まれていて、そ れがマルコにはいったという証拠にはなりません。 >>「贖罪のイエス」が登場するのは、パウロ書簡のロマ書からです。 >その根拠はなんですか? 新約聖書の中で、最も成立年代が若いのがロマ書などのパウロ書簡だと いうことです。たとえば、「Q」の中には、「贖罪のイエス」は見当たり ません。もう少し成立年代が下がりますが、グノーシス派の福音書である トマス福音書には、「贖罪のイエス」は見当たりません。これは、もとも とあったイエスの伝承には「贖罪」という概念がなかったか、それとも パウロのように重視されていなかったことの証拠になると思います。もし、 生前のイエスが「贖罪」を明言し、それが最も重要な教義であるというの が、弟子達の間で常識であったならば、トマス福音書のように「贖罪」が 抜け落ちたような文書など、誰も見向きもしなかったはずです。 >史的イエスに贖罪の考え方があったと説明する学者も結構います。 そりゃあ、仮説を立てるのは自由でしょうけど。もともと、はっきりと白黒 がつく話じゃないんだから。「贖罪のイエス」が灰色である、という事実だ けここの議論で明らかになれば、私は満足ですよ。
629 :
627>628 :2001/04/10(火) 16:45
>は、マルコ10:45bはどこから来たか、ということになりますが、 >「マルコ」が福音書をまとめたときには、パウロ書簡がすでに存在した >のですから、必ずしも伝承の中に「贖罪のイエス」が含まれていて、そ >れがマルコにはいったという証拠にはなりません。 Qばかりでなく少しはパウロ書簡の研究をされたほうがよろしいですよ。 パウロ書簡に含まれるさらに古い伝承、つまりパウロがアンティオケ教団 ないしはエルサレム教団から受け継いだ伝承についても調べてから、断言 されたほうがよろしいですよ。それにマルコ福音書に含まれる、より古い 伝承についてもですが。 >もともと、はっきりと白黒 >がつく話じゃないんだから。「贖罪のイエス」が灰色である、という事実だ >けここの議論で明らかになれば、私は満足ですよ。 そうですね。だったらあまり断言めいた言葉を弄さないほうがいいのではないですか? なんだか、あなたは聖書学について知らない信者を不安がらせるのを楽しんでいる ようにしかみえません。あなたがどんな考えを持とうが勝手ですが、自分のイエス観 の押し売りしは、ちょっと悪趣味じゃないんですか?
630 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 16:59
>629 >パウロ書簡に含まれるさらに古い伝承、つまりパウロがアンティオケ教団 >ないしはエルサレム教団から受け継いだ伝承についても調べてから、断言 >されたほうがよろしいですよ。それにマルコ福音書に含まれる、より古い >伝承についてもですが。 それはいいことを伺いました。是非、お勧めの参考書を教えていただきたく 存じます。できれば、市販されている本があり難いのですが。 >あなたがどんな考えを持とうが勝手ですが、自分のイエス観の押し売りしは、 >ちょっと悪趣味じゃないんですか? この2chの場というのは、もともとそういう雑多な「半信半疑」な情報が 飛び交う場だと思いますけど。最後は、受け取る人がその信憑性を判断する しかない。私は、これまでに何度か、現役のクリスチャンの方とこの種の 議論をしてきましたが、「Q」の存在ですら知らなかったという方が多く、 かえって感謝されるケースの方が多かったです。 それに、私がいくらここでがなりたてたところで、それを受け売りする人 なんていないですよ。これを機会に「自分の頭で考え、判断する」人が 増えれば、ちょっとはキリスト教会の改革につながるだろうと思っています。 それが「悪趣味」と言われるのなら、しかたがありませんね。
631 :
629>630 :2001/04/10(火) 18:19
>お勧めの参考書 現在も容易に入手できるものでは、ファニッシュ『パウロから見たイエス』 (新教出版社)が薄くていいと思います。 パウロ書簡に含まれるイエスに関する伝承について網羅的に説明されています。 ただ説明が簡易なため、当該箇所について注解書を調べるのがいいでしょう。 注解書としては詳細な解説がほしいならEKKシリーズがいい(でも高い)。 もうちょっと易しい解説でいいなら、NTDシリーズがいい。 それからQの研究も大切だけど、伝承史の研究が同じ位大切でしょう。 ブルトマン『共観福音書伝承史』はその後色々修正意見が出ていますが、 大きな骨格としては現在でも通説です。 >最後は、受け取る人がその信憑性を判断 そりゃ、そうですが、イエスが贖罪という考えを抱いていたかは、あなたがいわれた ようにまさに「灰色」なのだから、灰色であることを明示して自分の主張をしたほうが いいのではないでしょうか?大体灰色であることを知るにはそれなりに勉強が必要で ここにアクセスするキリスト教徒のすべてにそれを要求することは不可能なのだから、 素直に贖罪から入信したひとにへんな動揺を与えるのはどうかと思います。 たしかにあなたがQについて色々紹介し、キリスト教徒に啓蒙を垂れるのは多いに意義が あると思いますが、べつに啓蒙を必要としていないひとに混乱を起こさせるのは、同じ キリスト教徒として見るに忍びません。
632 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 18:49
>631 貴重な情報をいただき、感謝します。 >べつに啓蒙を必要としていないひとに混乱を起こさせるのは、同じ >キリスト教徒として見るに忍びません。 これについては、以前悩んだこともありましたが、文盲がほとんど だった昔とは違って、誰でも真理を知ろうと思えば、勉強できる時代 です。少なくとも、私にとって「試練なき信仰」など、あり得ない話 です。私はこれまでに何度か「神」を捨てましたけど、捨てる度に 「神」のありがたさがよくわかってきたと思います。 天国の門番のことを勝手に想像して、ひとりで吹き出しています。 門番が、天国の門にやってきた人に対して、一体どんな「裁き方」 が行われると思われますか? 「あなたの信仰していた聖人の写真を選びなさい」「ええっと、 これかな?」「ブッブー。残念でした。あなたは地獄行きです」 まさか、こんな裁き方などないでしょう。これでは「競馬」と同じ ですから。少なくとも、「誰を対象に信仰したか」という○×形式 ではないでしょう。キリスト教徒であろうが、イスラム教徒であろう が、「よき人」は天国へ迎えられるのだと思います。よきサマリア人 がイエスの賞賛を受けたように。 「贖罪のイエス」が本物かどうかも、やはり○×形式に違いありませ んから、こんな「愚問」を門番から問われることはありえないと信じ ています。人は知識でもって天国に入るわけではありませんので。 こう考えると、どうしてもイエスの価値観「神を愛せ、隣人を愛せ」 をいかに身につけたか、という尺度で裁くしか方法がない、という 気がしてきます。その時に力となるのは、どんな試練に耐えて、神 と隣人を愛し続けたか、それに尽きるのではありませんか?「ただ、 信じる」というのが「愛」につながるとは、とうてい思えないので すよ。 まあ、これは私の妄想にすぎませんけど。
633 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 19:20
>631(追記) 推薦していただいた、『EKK新約聖書註解』は、既発行分につい ては、某大学図書館に全巻揃っていることがわかりましたので、 知人に頼んで借りて読もうと思います。
634 :
620 :2001/04/10(火) 20:22
>>625 「なぜ、イエスは直弟子達に「贖罪のイエス」の役目を伝えなかった
のか?」というのは自問自答の設問自体が誤っています。なぜなら、
イエスがマタイによる福音書で「これは罪のゆるしを得させるように
と、多くの人の為に流す私の契約の血である」(26:28)と言っ
ています。イエスご自身が贖罪の羊である事をこうして何度も事前に
弟子たちに告げていたのです(弟子たちがそれを認める迄時間がかか
りましたが)。この事実一つをとっても(「贖罪のイエス」が登場す
るのは、パウロ書簡のロマ書からです」)と言う断言が無意味だとわ
ります。
それからイエスの死の意味を人類が悟るようにと与えられたのが聖書
です。自分の気に入らない所を切り捨てていれば理解しえないのは当
然でしょう。
635 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 20:49
>620 ところが、マタイ福音書のその部分の信憑性は、イエスセミナーに よれば、25%以下なのです。 その理由は、マタイがマルコをほぼ逐語的にコピーしてきたのです が、マルコには「贖罪のイエス」を思わせる部分がない。 マルコ14:22−26 「これは、多くの人のために流すわたしの血、契約の血である」 The Five Gospelsには Has been poured となっていて、直訳 すると「これまでに流されてきた」という感じになります。この 時制については、後で調べておきます。 さて、マタイ26:28では、このようになっています。 「これは、罪がゆるされるように、多くの人のために流すわたしの 血、契約の血だからである」 つまり、「贖罪」という意味に限定されたのは、マタイが「罪が ゆるされるように」という句を加筆したためです。 >自分の気に入らない所を切り捨てていれば理解しえないのは当 >然でしょう。 むしろ、福音書の方こそが、自分の気に入るように加筆していった のですよ。
636 :
サタン候補生 :2001/04/10(火) 20:54
>620(補足) 新約聖書の並びの順に、書かれていったのではありませんよ。異論がある かもしれませんが、ほぼ、以下の順番にできたというのが定説です。 パウロ書簡(ロマ、コリントなど)--> マルコ -->マタイおよびルカ --> ヨハネ
637 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/11(水) 05:54
旧約を否定し、パウロを否定し、挙げ句の果てに福音書を否定したら、何も残らないな。(藁)>サタン
638 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/11(水) 05:59
「イエスセミナー」ってなんじゃらほい? 誰がやっているの?
639 :
名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 07:33
イエスを「聖書」の枠組みに押し込めようとするのが、 無理なのかも。イエスがパウロの文書や福音書を見たら 「サタンよ、去れ」と一喝するかもね。
640 :
サタン候補生 :2001/04/11(水) 08:29
>634(620さん)再補足 マルコ14:24には、創世記24:8の「契約の血」が引用されていま すが、この「契約の血」とは、モーゼに対して人民が「わたしたちは主が 語られたことをすべて行い、守ります」という契約のことで、贖罪の意味 などなかったのです。だから、マルコも贖罪という意味で「契約の血」と 書くつもりはなかった。 ところが、マタイとルカでは、にわかに「贖罪のイエス」がクローズアップ していきます。公平に比較するために、成立時代順に並べてみます。和訳は すべて新共同訳です。また、加筆・改訂部分を<>に示します。 マルコ14:26「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の 血である」 マタイ26:28「これは、<罪が赦されるように>多くの人のために流さ れるわたしの血、契約の血である」 ルカ21:20「<この杯は><あなたがたのために>流される、わたしの 血<による新しい契約である>」 ルカ福音書が書かれた頃は、恐らく「贖罪のイエス」が聖餐の儀式として 定着していたのでしょう。そこで、「この杯は」、「あなたがたのために」 という語の置き換えがなされたと思われます。また、マルコ、マタイにおい ても、「契約の血」の前に「新しい」という語を含む写本が混じっており (RSVの脚注参照)、ルカ福音書に近づけるためにマルコ、マタイをも修正 しようとした証拠と見ることができます。
641 :
サタン候補生 :2001/04/11(水) 08:41
八木誠一は、『キリストとイエス』の中で、イエスは律法の行為に よって義をするという考えを正し、パウロですら「信仰があらわれ た以上、我々は律法のもとにはいない」と律法を否定しているのに、 十字架の贖罪によって律法を守らなかった不義の埋め合わせをする のは矛盾している、と述べています。 さらに、当然の指摘ですが 『実際また、他人の十字架によって私の罪が赦されるとは、誠に 受け入れがたいことである。これは私の罪は私が自分で始末する ということではない。それは不可能である。我々の罪は「キリスト」 が「聖霊」において向こうの側から我々に到来する以外に、処理 されようがないのである。同じことだが、我々の思いや業以前、 我々の存在以前に、神が我々を肯定しているということがなければ、 世は立ちようがなく、我々の罪は赦されようがないのである。つま り、十字架という歴史的事実が我々の赦しの証拠だという考えは、 それ自体としても受け入れがたく、その持つ前提も正しいとは言い がたいのである。』(p.168) とも述べています。私はこの意見に賛成です。
642 :
サタン候補生 :2001/04/11(水) 08:46
643 :
名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 09:02
>642 物事は分析すればするほど、真実からは遠ざかることもある。 人間の体を分解して、細胞を知り、DNAまで知ることは、 医療に役立つかもしれないけど、「血も涙も心もある人間」の理解からは これほど遠いものもないだろう。 サタン候補生氏のやってる事は、そういうことなのじゃないかな。
644 :
名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 09:08
>643 つまり、キリストの愛を、十字架の上のイエスに見た人たちの、 心と感動を忘れているんじゃないか、ということ。 そこに、神と人間の愛の交流を見た人がいて、それが伝わって来た ことこそ、真実じゃないかと思う。
645 :
サタン候補生 :2001/04/11(水) 09:26
>643-644 もし、十字架に登ることで他人の罪を贖えるとすれば、イエスは 喜んで引き受けたと思うよ。そういう意味の「心の感動」はある。 たとえ、イエスの死が「贖罪の死」でなかったとしても、真理の ために死を厭わない高貴な精神に、私は感動を覚えるよ。 ただ、その感動と、「贖罪の死」の真偽とをごっちゃにすべきじゃ ない。ましてや、灰色であることを承知で、「絶対的な真理だ」と 偽って、他人に勧めるというのは、これこそ罪でしょう? ピンチになったら、ウルトラマンが飛んできて助けてくれる、と 信じるのは勝手だし、ウルトラマンが怪獣をスペシウム光線で焚殺 するのを感動の涙で見つめるのも自由だけど、「この物語はフィク ションです」のタイトルを入れておくのが良心というものです。
646 :
名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 09:28
イエスが神であろうがなかろうが、あのゴルゴタの丘で 人々が、そこに神性を見てしまったということを忘れて、 後に弟子が書いた聖書を切り刻んだところで、何がわかるのだろう。 また、聖書がなぜ、人々をここまでとりこにする読み物なのか。 反対する人は、論理の分析に忙しいが、なぜ多くの人が聖書に 神を見てきたのか、は理解不能じゃないのか。単に学習したから、 というわけではないと思う。 そこに、多くの人間が、心の癒される何かがあるのかもしれないし、 生きる希望の湧いてくるものがあるのかもしれない。それを見ないで 誰がいつ、何をどうしたこうしたの理屈ばかりでは、聖書を知ったとは 言い難いと思う。
647 :
サタン候補生 :2001/04/11(水) 09:36
ちょっと思い出した話があるので書きます。 イギリスの作家、ディケンスが、新聞に連載小説を載せたところ、 そのかわいそうな女の子の主人公がうけて、賞賛の手紙が殺到した のだそうです。ところが、その内に主人公を実在の人物と思い込む ファンが現れて、最後に主人公が死ぬ場面を書こうとすると、強烈 な反対運動が起きて、脅迫までされる始末。主人公あてに高価な服 をプレゼントする熱狂的なファンもいたそうです。 昔の人は純粋でしたので、思い込みもまた激しかった。彼らにフィク ションを本当のことと信じ込ませるのは、赤子の手をひねるような ものだったでしょう。ましてや、そのほとんどが文盲で、「文字」は 教会が独占している。 現代においても、マタイなどの直弟子が福音書を書いたなんておとぎ 話を信じる人に合うたびに、私は上のディケンスの話を思いだし、 このナイーブな心優しき人々を思って、深いため息をつくのです。
648 :
名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 09:41
>灰色であることを承知で、「絶対的な真理だ」と >偽って、他人に勧めるというのは、これこそ罪でしょう? すごく下世話な話だけど、カトリックでは、洗礼を受けるまで、 これが「絶対的な真理だ」とは絶対的に言わないよ。信者になっても、あまり 聞かないけど。神とはこういうものということや聖書を教えるだけ。 その話を聞くのも強制はされないし、途中で嫌になったらやめられる。 聖書は、弟子たちがあとで書いたもので「史実と神話と伝承が混ざっいます」と 教えられます。それに弟子たちは、医者であったり漁師であったりするから 自分の守備範囲で、書けることを書いているので、背景も捉えかたも 全く違う、と習いました。全部が事実だとは、誰も思ってないと思うよ。 全部が事実でない、ということはフィクションもあるということではありませんか。 そこまで、嘘を教えられた覚えはありません。
649 :
サタン候補生 :2001/04/11(水) 09:47
>646 それは、聖書の中に「神の声」が秘められているからだと思います。 ただ、玉石混交だということです。現代聖書学の目的とは、教会の 体制保持のために加筆・修正された石を取り除くことです。極端な 話、もしイエスが実在する自分でなかったという結論が出たとして も、私は福音書を読みつづけるでしょう。イエスが「悪魔」でも、 「狂人」でも同じことです。私は「イエスの心」に感動を覚えるか ら福音書を読むのですから。 「イエス」を救世主という肩書きで愛するというのは、本当に「イ エス」を愛しているのではない。「イエス」を愛しつづける限り、 現代聖書学がどんな結論を出そうが、変わりはないと思いますが? むしろ、そんなガラス細工のような信仰であることこそ、由々しき 事態だと思われませんか?
650 :
サタン候補生 :2001/04/11(水) 09:52
>648 そういうことならば、私は全く異論がありません。洗礼、秘蹟など については、恐らく見解が一致しないでしょうけど、聖書の読み方 という意味では、全面的に賛成します。
651 :
名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 09:53
>649 すみません。用事があるのでここまでで、夜にでもまた来てみます。 その時にまたお願いします。
652 :
サタン候補生 :2001/04/11(水) 09:55
>651 そうですか。お気をつけて行ってらしてください。 こちらこそ、よろしくお願いします。
653 :
名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 17:02
イエスセミナーのホームページに行ってみたが全部英語だったぞ。 日本語のはないのか?
654 :
名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 17:06
というか、私は英語だけで間に合っているのだけれども。
それにしても
>>648 は賢い。
655 :
マリア@和霊 :2001/04/12(木) 22:51
議論の流れを見ていましたが、人により注目している点が 違うだけなのでしょう。 信仰の義のみを振りかざしておられる方は、 行いの面を軽視しているようにも感じられる文面があります。 信仰と行いは二つで一つなのではないのですか? 考えが異なる人を非難する前に 自分がどういう行いをしているのか良く考えられてはいかがでしょうか? あなた方がキリスト教徒でないのなら、文句はありませんが、 聖パウロも否定した律法主義に陥っているように見受けられます。 第二のパリサイ人にならないように我々は常に心しなければなりません。 あなた方もそうでない人も皆神の子であるということを、 忘れてはいけません。自らを高いという者は神に良しとはされません。
>>655 それはごくごく当たり前で普通のことなのに
皆はどこか忘れてしまってますね。ま、巡るんだろうけど。
疲れてきたから、しばらく休んでいたが、まだやってたんだ(藁)。 読むの大変だな。
658 :
名無しさん :2001/04/14(土) 17:52
>1 氏ね
659 :
マリア@和霊 :2001/04/14(土) 19:57
>>656 実に易しく実に難解である。実践は難しいです・・・。
そうですね。巡ってゆくのでしょうね・・・。
私も含めて全ての信徒がイエスが説かれた道に
戻れる事を期待します。
今日も体調が悪くて復活前夜祭の御ミサは休みました・・・。
明日は体調がよい事を期待しますです(-_-;)
660 :
ちなみに :2001/04/15(日) 01:05
十字架の贖罪論がイエス生前からあったかということですか? これは、なかったでしょう。イエスは、自分をメシアであると強く主張しています (マルコ11/8-11)。また、神殿で、ユダヤ教諸勢力を、論破している。このとき、 律法学者に対して、「あなたは、神の国から遠くない」(マルコ12/34)と言い、 次に、自分がメシアであることを否定する論拠はないと主張している(マルコ12/37) このように、この時点では、イエスは、自分がメシアであることを認めさせようとする ことに注力している。それにより、この地上に神の国をつくろうとしたのだろう。 この努力はイエスが生きていることにより成り立つが、イエスの死によって成立する 十字架による贖罪論とは矛盾する。十字架による贖罪論の萌芽があったとしても、 積極的なものではなかったろうな。 イエス自身は、なんとか神殿で奇跡を起こし、ユダヤ教諸派に、自分をメシアである と認めさせたかったようだが(マルコ11/22-23)、叶わなかったよだ。 十字架での死の際に、この奇跡が起こったようで、信じた人は信じたようだな。
661 :
名無しさん@1周年 :2001/04/15(日) 13:11
>>658 なんで。聖書を読んだ素人なら誰でもそう思うかも。
素朴な疑問だと思うけど。
662 :
1 :2001/04/15(日) 21:39
663 :
名無しさん@1周年 :2001/04/15(日) 23:53
664 :
1 :2001/04/16(月) 07:49
>>662 662の1≠>>1
私に氏んで欲しい人は、旧約重視派ですか?
旧約重視の信仰は、同時に終末論偏重傾向がありますが、
その点についても、イエス信仰(新約)より、
どう見ても宗教としての「古さ」を感じてしまいます。
ヴァチカンは、既に三千年紀を迎える扉を開けたというのに、です。
665 :
放任主義者 :2001/04/16(月) 16:14
爬虫類の化けもんらしいな。宇宙から地球に現れて 人間を追っ払ってしまった。楽園簒奪だ。 西洋のあほどもはあんな生きもん崇拝してたのかって感じ。 母親が実際威張りこくっていたのは中国とかが典型。 明治の父親はそんなに支配的じゃあなかったというぞ?
666 :
放任主義者 :2001/04/16(月) 16:54
儒教のほうがわりと信用できそうだ。 翼の生えたあんな蜥蜴野郎より川を自由に泳ぎまわる 鰐のほうがまし。西洋のみんなは騎士道とかいうもん を信じてるけど中国の兵法や日本の武士道は世界に誇 るべきもの。男系保持と女子三従はいいぞ!!
667 :
放任主義者 :2001/04/16(月) 17:00
北方の人が始めた事は大体同じ。 親殺し、子殺しとか。 南洋の精神に学べ!! 白人主義、純潔主義、家族主義は これみな西洋人の偽善なり!
668 :
放任主義者 :2001/04/16(月) 17:07
家族無き家庭はガンダム以来の理想。 兄弟分関係こそ日本古来の人間関係。 性のタブーは労働力確保に好都合だった。 南方の部族はそんなもん必要ない。
669 :
名無しさん@1周年 :2001/04/16(月) 20:40
670 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/16(月) 21:17
1=カトリック
671 :
名無しさん@1周年 :2001/04/16(月) 21:28
ヴァチカンをレスに入れたからだろ。
672 :
1(671も) :2001/04/16(月) 21:31
違うよ。信者ではありません。 キリスト教では、カトリック(教会の雰囲気)が好きだけどね。
673 :
名無しさん@1周年 :2001/04/16(月) 22:32
カトリックは世俗化してカルト性が薄れたということはわかった。 もう誰も、神がいるなんて本気で思ってないんでしょ?
674 :
名無しさん@1周年 :2001/04/16(月) 22:40
>もう誰も、神がいるなんて本気で思ってないんでしょ? 爺さん以外は(藁)。
675 :
名無しさん@1周年 :2001/04/16(月) 23:27
要するに、敢えて神の存在を否定しない立場で心を支えるツールとしての 宗教を活用してるんですよね?
676 :
名無しさん@1周年 :2001/04/16(月) 23:27
上の文章訂正です。 敢えて→敢えては
神がいないなんて本気で思っているなんて?
678 :
名無しさん1周年 :2001/04/16(月) 23:33
679 :
名無しさん@1周年 :2001/04/16(月) 23:45
俺も聞きたい。主観的な根拠で構わん。
680 :
678 :2001/04/16(月) 23:52
自分は主観的根拠以外の証明できるもので頼みます。
681 :
神もサンタクロースも :2001/04/17(火) 00:07
>>678 「サンタクロースっているんでしょうか」
8才の女の子の、そんな質問に、答えた人がいます。今から80年前の
アメリカのニューヨーク・サンという新聞に出た社説です。
「(前略)そうです。バージニア。サンタクロースがいるといのは、けっして嘘ではありません。
この世の中に、愛や人への思いやりや、まごころのあるのと同じように、サンタクロースも
たしかにいるのです。あなたにもわかっているでしょう。―世界に満ち溢れている
愛やまごころこそ、あなたの毎日の生活を、美しく、楽しくしているものだということを。
(中略)サンタクロースを見た人はいません。けれども、それはサンタクロースがいない、
という証明にはならないのです。この世界で一番確かなこと、それは子供の目にも大人の目にも
見えないものなのですから。
(中略)赤ちゃんのがらがらを分かいして、どうして音が出るか仕組みを調べる
ことはできます。けれども、目に見えない世界をおおいかくしている幕は、
どんな力の強い人にも、いいえ世界中の力もちがよってたかっても、
引き裂くことはできません。
ただ、信頼と、想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンを一時ひきのけて
幕の向こうのたとえようもなく、美しく、輝やかしいものを見せてくれるのです。
そのように美しく、輝かしいもの、それは人間の作ったでたらめでしょうか。
いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、
この世には、ほかにないのですよ。
サンタクロースがいない、ですって?
とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。
それどころか、いつまでも死なないでしょう。1千年のちまでも、
百万年のちまでも、サンタクロースは、子供たちの心を、いまと変わらず、
よろこばせてくれることでしょう。」(フランシス・P・チャーチ)
682 :
名無しさん@1周年 :2001/04/17(火) 00:13
だからそれは、敢えては否定せずにって事だろ…。
ネタで楽しむ場で、例えばマジレスするのは興ざめだけど、敢えてキレイ事
を否定するのもそれに似ているんだろう。
信頼とロマンスと愛と詩と想像とからなる、「ある事にしておけば夢が膨ら
む」世界って言ってるだけじゃん。
>>681 の話。
683 :
名無し :2001/04/17(火) 00:19
>いるとする根拠は? 神だろうが人だろうが、それを「信じる」ことに根拠云々は必要ないんじゃないの?
684 :
名無しさん@1周年 :2001/04/17(火) 00:23
681>682 別に深い意味はないんだけど(横スレでごめん) こういう見方もあるよ、ということ。うちに本があったから。
685 :
名無しさん@1周年 :2001/04/17(火) 00:24
あ、横レスだった。
686 :
JOY :2001/04/17(火) 00:35
批判しているほとんどは、あの政治支援団体ですよ教徒さん 他の宗教団体もやられてますよ。 そいつらの挑発にまともに反論している所は,二流宗教だとおもいます。
687 :
JOY :2001/04/17(火) 00:38
批判しているほとんどは、あの政治支援団体ですよ教徒さん 他の宗教団体もやられてますよ。 そいつらの挑発にまともに反論している所は,二流宗教だとおもいます。
688 :
名無しさん@1周年 :2001/04/17(火) 00:55
>>686 -687
スレ違い?意味不明なんだけど。
>カトリックは世俗化してカルト性が薄れたということはわかった。
>もう誰も、神がいるなんて本気で思ってないんでしょ?
>>673 >>673 さんに反論が続いているわけだけど、別にかまわないんじゃない?
キリスト教スレで、神の存在の有無が問題になるのは不思議じゃないよ。
690 :
名無しさん@1周年 :2001/04/17(火) 01:03
関係ないけど、個人的には、あってもいいかな、と思います。 気にする人は、載ってないカレンダーもあるわけだし。
691 :
名無しさん@1周年 :2001/04/17(火) 01:27
>>683 主観的な根拠も無く信じる人なんていませんでしょう。
自分を納得させる何かがあった、それが主観的根拠です。
そのハードルは、人によって違う。だから、例えば同じ契機を
与えられても宗教始める人とそうでない人がいますよね。
>>691 宗教教育ってのもある。子どものときから自然に信じてる人もいる。
>>692 私自身がそうであったわけではないのでピンときませんが、それでも
物心ついて逡巡した事は無いのですか?その際に、やはり信じようと
思わせる何かがあったのではないのですか?
694 :
名無しさん@1周年 :2001/04/17(火) 07:56
モルモンスレを覗いて思った。 戒律を守ったら、救ってやろうなんてのが、神なのだろうか。 負荷なく自然に良心を喚起するものが、神ではないだろうか。 もし、前者が神なら、旧約の神もそれに近いな。
STF
696 :
:2001/04/17(火) 12:31
>>694 モルモン持ち出さないと言えないことか?
やっぱ神様はいないよね。 「神はいるのだろうか?」なんて中途半端にかんがえてる ひとのこころのなかにはいません!!
698 :
名無しさん@1周年 :2001/04/17(火) 21:42
>697 「神はいる」と信じている人の心には、神がいます。 だから「信じるものは救われる」のです。
699 :
いえす :2001/04/17(火) 22:30
イエス・キリストなんてのは、幻想だけどね。
>>694 モルモンが信じる神と聖書の神は性格的に
非常に近いものがある反面、その他のキリスト教
徒達はこの神から距離を置きたがっているようで
す。
「信じるものは救われる」って神様そんなこと 言いましたっけ? それともイエスさまが言ったのかな? 聖書のどこにのっているんでしょうか。その聖句? のってなければクリスチャンはなにを信じてるの?
702 :
これですか :2001/04/18(水) 01:15
いま、とっさに思い出せたのは、ローマの信徒へ の手紙10章9節 「心で 神がイエスを死者の中か ら復活させられた と信じるなら、あなたは救われ るからです。」の聖句です、ほかの皆さんはまた、 別の個所を思い浮かべているのかもしれませんが。
703 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 01:22
>>698 それは、結果的に現世で利益を受ける事になるってこと?平穏に暮らせる
から。
704 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 01:26
>>700 性格的に近いって???どこが。
* 神は、骨肉の体(つまり物理的身体)をもつ。
* 神は、かつて人間であった。
* 人間は、神になることができる。
* 数億、数兆の神々が存在する。
* アダムは、神である。
* 神は、結婚している(母なる神もいる)。
* 神は、多妻婚主義者である。
* 父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊は別々の神である。
* イエス・キリストは、処女マリアと父なる神との間に生まれた子どもである。
705 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 01:31
>>703 キリスト教は現世ご利益教ではありません。
試練も殉教もある宗教です。
モルモンイエスとは、全く違います。
706 :
名無し :2001/04/18(水) 01:39
707 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 01:52
>706 プロテスタント系には貢献したくない。 金いるし、伝道やらされるようないかがわしいとこも多いから。 そのバンドも伝道目的としか思えないな。顔悪いし、月並み。
708 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 02:11
>>705 でも
>>698 の内容はそうとしかとれない。信じる人の心の中にいる
っていう、あまりに陳腐な聞き飽きた台詞の真意はそう言うこと
だろう。
709 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 02:23
>>708 あんまりマジになるなよ。あれは、上のレスをパロってるだけだろ。
「神はいるのだろうか?」なんて中途半端にかんがえてる
ひとのこころのなかにはいません!!
↓ ↓ ↓
「神はいる」と信じている人の心には、神がいます。
だから「信じるものは救われる」のです。
710 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 02:31
>>708 >陳腐な聞き飽きた台詞の真意
「信じる者は救われる」の真意が、現世ご利益だなんて、あんた。
幸福の科学か、WMの信者かい。それとも中高生かい。
レアな「ことわざ辞典」くらい読んできておくれ。
711 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 02:44
>>710 お前馬鹿か。そんな事一言もいってない。神は信じる人の心の中にいる
ってことの話をしてるんだよ。
712 :
名無しさん@1周年 :2001/04/18(水) 03:01
713 :
ami :2001/04/19(木) 16:16
はじめまして、 聖書は「宗教書」スレを建てたものです。 あのスレのとうり、聖書とは「宗教書」ですよ。 そして聖書の神とはユダヤ・キリスト・イスラム教の神ですよ。 わたしは基本的に唯物主義者で信じていません。 古代から「教団」というものがあり、そいう団体は「信者」を獲得すると潤う方式に なっています。 現代の宗教書や宗教に書かれた奇跡やお話しが全て本当だと思いますか(仮にホントだとしても証拠がない) 聖書もその一つにすぎませんよ(たんに多くの人に信じられ古いだけ)
714 :
ami :2001/04/19(木) 16:29
古代にインチキとかトリックがあったかという疑問があります。 では、この話し聞いてください。 古代ギリシヤの神々の前で力と技を競いあう祭典 オリンピックは不正・八百長だらけだったって知ってますか? 古代ギリシャでは勝者に莫大な賞金と名誉と地位が与えられました。 そのため、非常に多くの談合による八百長や 調整がつかなかった場合の不正がおこなわれてました(闇討ちなど) また、キリシャ神話教で神像から神の助言がきけるというのもありましたが 実は中に人が入っていて喋っていたそうです。 紀元前の古代から宗教とかには現代同様、いや現代以上にトリックがたくさんありました。 どうして、モーゼやキリストの言葉が信じられるんです? 「聖書に書いてある」以外に証拠がないのに・・・・・
715 :
【^∇^】 :2001/04/19(木) 16:34
旧約聖書の神々は正しいニダ!
716 :
ami :2001/04/19(木) 16:43
ただ、わたしはモーゼやイエスや古代ユダヤの指導者を一概に非難しません。 こういう話しがあります。 第二次大戦中、あるユダヤ人の青年が機会にめぐまれナチのユダヤ収容所を脱走することになりました。 しかし、食べ物もなにもない決死の逃走です。 しかし一緒にいたラビがこう言いました。 「わたしは行けないがこれを持っていくが良い、ハンカチに包んだ一切れのパンだ、しかしこのパンは飢え死に寸前まで絶対あけて見てはならない 人間、パンが一つあるのとないのとでは大違いだからね」 それで青年はラビに礼を言い脱走しました。 そして、いろいろあり、お腹もす何度も包みを解きパンを食べようかとも思いましたが耐え、 包みを解かないまま、家族のもとに生還しました。 「僕はこのパンが心の支えになって生き延びられたんだ」 ところが包みの中を見ると木片がはいっていただけでした。 わたしはこの話しが大好きです。 そして、宗教というものをよくあらわしてます。 ラビは奇跡の力でパンを出現などさせなかったが青年を救った・・・
717 :
ami :2001/04/19(木) 17:04
神とは意図的な方便もしくは必要とする人の幻視 にしかわきよしさんは神は愛と魔、善と悪をあわせ背持った存在だと言いたいんですか。 他の人も聖書には魔も感じられるというのはわかります。 生き延びるのに必死なモーゼやヨシュアの元に「生きろ! 殺せ! 戦え!」という神が降り。 生活が安定して戦いで死にたくない人達の元に「愛」の神が降りてきました。 現代人は当然「愛」の神が必要な時代です(マッドマックスのような時代が来たら変わるかも)
718 :
名無しさん@1周年 :2001/04/19(木) 17:28
唯物論者にしてはアレだな
719 :
名無しさん@1周年 :2001/04/19(木) 17:35
うん。
720 :
シゲ :2001/04/20(金) 14:44
旧約聖書って、本当はユダヤ教の教本であり、イエスはそこから学んだ為に、 キリスト教は、勝手に旧約聖書と名を付け使っていると書いてありました。 それに、新約聖書は、それだけでは意味のなさない物で、平気で他の宗教の教本を使い その宗教の教えを変な解釈で教えてると書いてありました。 神様は、なぜ、エデンからアダムとイブを追放したのか? それは、キリスト教が教えるべきものでは無い。 キリスト教が世に出回るより、早く150年も前に旧約聖書は生まれている。 新約聖書とセットと思うのは、ユダヤ教に対して失礼だ。 もっと、キリスト教の事を知りたいなら、もっと歴史的なことから勉強して、 から、ゴタクを並べて欲しいものだ。
721 :
>720 :2001/04/20(金) 15:18
>書いてありました。 書いてあったって、どこにだ? >もっと、キリスト教の事を知りたいなら、もっと歴史的なことから勉強して、 >から、ゴタクを並べて欲しいものだ。 なら、“歴史”について解説してくれ。
722 :
疑問 :2001/04/20(金) 15:32
ユダヤ教の神とキリスト教の神とイスラム教の神は同一だと 聞いたことがあります。 成立順にならべるとユダヤ教、キリスト教、イスラム教となり、 神と契約した最後の宗教開祖はムハマンドということになります。 ユダヤ教とキリスト教が比較されているのならば、同じ神を抱く イスラム教との比較が無いのが不思議です。
723 :
名無しさん@1周年 :2001/04/20(金) 16:26
私はカトリックだけど、ami さんのおっしゃる意味がよくわかる。 唯物的なものの考えが一番まともだと感じてしまう。 確かに聖書だけじゃね・・・。 ただ、この100年の間にルルドに起きた癒し(国際医学委員会に調査されたもの)は科学的な説明の範疇を超えていて、 奇跡は沢山起きている。 そういうのを無視できなくなった。 基本的にキリスト教の教義って納得できないんだけど。
724 :
あみ :2001/04/20(金) 17:31
>>722 神と最後に契約した最後の宗教開祖がムハンマドですか?
そうかなあ、世間には「私はキリストの生まれ変わりだ」
「神の化身」だとか言っている人なんて古今東西ごろごろいますよ^^
欧米にもそういう教祖をいただくキリスト教系新興宗教なんて掃いて捨てるほどある。
東洋でも太平天国の乱とか天草四郎とかね。 今もあるね。
>>722
一応、体面上、そうなってるけど少し怪しい。
まあ、キリスト教の神はユダヤの神が受肉したってのはわかる。
でもイスラムはどうだか、キリスト・ユダヤの神が雷の属性の神なのに
イスラムのアラーは火の属性でアフラ・マスダやアリラトに近い感じがする。
最近の宗教学では一神教はユダヤ教(ヤハウェイ)キリスト教(イエス・キリスト)
イスラム(アラー)だけではなく、ゾロアスター教(アフラ・マスダ)も一神教と
言うのが定説化してます。
しかも、ユダヤよりも古いです。
725 :
あみ :2001/04/20(金) 17:47
ちなみに旧約聖書の創世記や詩篇などに厳格な一神教のはずの神が 突然「われわれ」と言い出す個所がありますが これは多神教から一神教への移行段階にそうなったといわれてます。 それで、旧約の神とは世界中の神話の元になったバビロニア神話(カルデア人)の 神々の一つ「エル」という雷神が元になったといわれてます。 そして、ミカエルやガブリエルもカルデア人の神々の一人です。 追い詰められていたユダヤ人達はユダヤには唯一神がついているという 信仰があみだされていったんですね。 マリアも元は地母神が聖母マリアと習合したものです。 >>723 ありがとうございます。 ただ、世の中には真偽は別として救われなくてはならない人もいますよ。 でも、ルルドの話しもわたしは誇張とブラシーボ効果などでは ないかと思います。
726 :
名無しさん :2001/04/20(金) 17:53
はて、それって、バビロンの捕囚時代にユダヤ人がつくったの??? それにバール、モロク、アシュタルテといった旧約聖書に 悪魔もしくは偶像の神とされてる異民族の神って悪い奴じゃなかったの???
727 :
あみ :2001/04/20(金) 18:24
>>726 726さんの言うとうりでしょうね。 バール(蠅魔王にされた)やアシュタルテ(イシュタル)はユダヤ以外の民族の信仰する神々で 悪い神様ではないです(それらの神を憎むユダヤ人によってそうされた) モロクの生贄の話しにしろ、そういうことはあったかもしれませんがね。 でも旧約の神のヤコブを生贄する話しも実際はヤコブは生贄にされたといわれてます(証拠にこの件以来ヤコブは登場しない) ただ、それじゃ、まずいので後世に改ざんされたようです。 少し話しはずれるけど、実は日本語版聖書が若干、脚色されているって知ってますか? 勿論、翻訳というのは言語ごとの微妙なニュアンスがあるので絶対正確な翻訳は不可能です(スリルとかロマンとか) しかし、日本聖書教会の訳にはどうみてもそれらをこえた部分があると思います。 たとえば黙示録に「滅びの時に救われるのは全員ユダヤ人の童貞(精液をだしたこと無い人、夢精もダメ)の男性だけ144000人」と なんて、あまりにバカバカしい部分、変な部分ははぶかれてたり、 おだやかなニュアンスで訳されてたりします。 旧約聖書の初めのほうの文に他の民族の神も偶像や架空の神としてではなく存在が否定されてなく、 「わたし(旧約聖書の神)はユダヤ人にとって唯一の神なのだ」という 個所があるそうです(西洋では「われわれ」の矛盾や「カインのたどりついた村」の矛盾と並ぶ有名な矛盾です) ですから旧約の神というのは「われわれユダヤには最も偉い神様がついているんだというユダヤ人にとって独善的なものだと思いますよ。
728 :
名無しさん@1周年 :2001/04/20(金) 19:06
私もプラシーボ効果と思っていましたよ。 よく調べるまではそう思います。癌が治ったくらいでは奇跡とは認められません。 それは自然治癒のレベルです。 顔面のエリトマトーデスが水浴の後、瞬時に直り瘢痕を残さないことを奇跡といいます。 エリトマトーデスは確実に瘢痕を残すものです。 ろうそうによって崩壊した鼻が元通りになるのは奇跡です。 火傷が治るのは奇跡ではなく自然治癒ですが、火傷の跡が治るのは奇跡。 ルルドの国際医学委員会は、誇張や誤診を牽制する役割を果たします。 6000件の癒しの報告のうち64件しか奇跡認定を受けないのはこのためです。 まあー、調べてみると面白いですよん。
729 :
名無しさん@1周年 :2001/04/20(金) 19:09
730 :
シゲ :2001/04/20(金) 19:48
>722 神様は同じだよ。 でも、ユダヤ教とイスラム教は考え方が似ていても、キリスト教は2つとは違う考えを持ち あくまで、神様とイエスとの間の契約をまっとうしているのがキリスト教なので、実は中身は違う だから、ユダヤ教とイスラム教はキリスト教を認めていない。
731 :
名無しさん@1周年 :2001/04/20(金) 21:46
キリスト教徒は、キリスト教を一神教だと思っているだろうが、ユダヤ教と イスラム教は、厳密には、キリスト教を一神教だと認めていないようだ。
732 :
【^∇^】 :2001/04/20(金) 21:55
キリスト教とユダヤ教は永遠に憎しみあうニダ!
734 :
名無しさん@1周年 :2001/04/21(土) 09:34
【^∇^】 ←「おまえは宗教板のダニだ!」
735 :
これが現実 :2001/04/21(土) 14:30
(牧師:長田秀夫著) 旧約聖書は、宇宙の全存在が神のものだと教え、全民族の救いを目標に掲げている。 しかし、イスラエルは、長い歴史の中で、諸国の宗教、文化、政治と衝突し、 自分たちだけが、神の選民であるという思想に閉じこもり、聖書の律法を 拡大した法典(タルムード)を奉じて、民族宗教「ユダヤ教」を形成した。
736 :
これが現実 :2001/04/21(土) 14:37
(東京国際大学教授:渥美堅持) イスラム教では、教徒は「神の奴隷」であると規定している。 奴隷とは、意志を持たない人間という意味で、教徒の行動はすべて神の意志の下に置かれる ということである。つまり教徒には自己意識はなく、あらゆる行動は、神アッラーの意志に よるもので、教徒は、操り人形のようになるのが、正しい教徒としてのあり方である。
737 :
名無しさん@1周年 :2001/04/21(土) 15:16
>>736 これって旧約聖書にもそんな部分があるね。神に命じられて
子を殺そうとしたアブラハム、神に命じられて異教徒の殺戮と
略奪を繰り返したヨシュアたち....。あんなふうにはなりたくな
いな。
まあ、「神の意志」だの「聖戦」だのと称して戦争を起こすよう
なことをせず、彼らだけの世界で信仰している分にはどうでも
良いことだが。
738 :
Joy :2001/04/21(土) 17:59
|イスラム教では、教徒は「神の奴隷」であると規定している。 |奴隷とは、意志を持たない人間という意味で、教徒の行動はすべて神の意志の下に置かれる |ということである。 神は、自由意志で神に従うことを人に求められたと思う。神は、ロボットとして人間を作った わけではないと思う。
739 :
>735 :2001/04/21(土) 19:23
>しかし、イスラエルは、長い歴史の中で、諸国の宗教、文化、政治と衝突し、 >自分たちだけが、神の選民であるという思想に閉じこもり、聖書の律法を 「自分たちだけが、神の選民であるという」などというが、異教徒は ユダヤ教に改宗できるのだよ。2,3世紀にローマ人がキリスト教に 改宗したように、ユダヤ教に改宗した人もいた。少なくとも、6世紀 までは伝道も行っていた。 誰でも、神の選民になれたのだよ。たとえば、あのヘロデ王も、ユダ ヤ教への改宗者であった。更に、キリスト教徒とは違って、改宗者に 対する差別は、ほとんどなかった。
740 :
>736 :2001/04/21(土) 19:26
>イスラム教では、教徒は「神の奴隷」であると規定している。 「クリスチャン」て、キリストの奴隷という意味だろ。 こんなもの、意味ないよ。
741 :
シゲ :2001/04/21(土) 21:31
>740 クリスチャンは奴隷じゃなくて弟子だと思ってるんでしょ? でもさ、伝言ゲームのように改定されてる聖書に、イエスの意思って100%残っているとはおもえない。
742 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 00:21
>>740 キリスト教を全然知りもしないくせに、よく書けるよね。そういうこと。
743 :
>742 :2001/04/22(日) 00:30
イスラムを知ったか知識で書く736ほどではないよ(藁)。
744 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 01:41
ユダヤ教は、別に信者にならなくても良い行いをすれば救われるそうです。 (つまり無宗教であっても救われる) キリスト教やイスラームにも優れた教義はいくらでもあると思いますが、 信者以外は救われないというところがどうも納得できないのです。
745 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 03:34
>>743 あれは、渥美教授の文献からの抜粋ですよ。
専門の先生に、知ったか知識なんて言っていいのかな。
>>744 カトリックでは、信者以外は救われない、なんてことはないよ。
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747 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 06:06
勝手に終了するな。荒し行為だぞ。
748 :
シゲ :2001/04/22(日) 16:29
名無しさん@1周年さんは、何人いるの?
749 :
:2001/04/22(日) 16:41
750 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 21:05
神の存在なんて本気で信じてるおまえたち信者が哀れで仕方ないよ
751 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 21:09
「神がいるかいないかわからないけど、神の存在を信じたい欲望がある」 という素直な気持ちがキリスト教徒をはじめ、全ての宗教団体信者には 欠けている
752 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 21:11
>カトリックでは、信者以外は救われない、なんてことはないよ。 口ではそういいながら、 カトリック以外の宗教は間違っていると本気で信じているのがカトリック信者。
753 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 21:14
>752 そういうの、社会では「ウソツキの傲慢」って言うのですよね
754 :
名無し :2001/04/22(日) 21:25
>口ではそういいながら、 >カトリック以外の宗教は間違っていると本気で信じているのがカトリック信者。 そういうのは、YAHOOカトの変人王katuraとその仲間達だけ。 ああいう連中の声が大きいから、みんな迷惑しているよ。
755 :
ぷちとまと :2001/04/22(日) 21:26
>>752 カトリックは「うそつき」ではない。
彼等は、「信者以外でもすくわれるものがいる」事を認めるが、「カト
リック以外に完全な宗教がある(あり得る)」は認めない。
不完全な、あるいは誤った(ところがある)宗教に属している人も、そ
の心や行いが正しければ、ローマ・カトリック教会の頭であるキリスト
の救いのもとにある、と考えている(無名のキリスト者論)のです。
少なくとも公的には。
756 :
名無しさん@お腹いっぱい :2001/04/22(日) 21:28
↑ 本心もそうだろう。 カトリックの頭がキリストだというトンでもな思い上がり。
757 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 22:22
>756 カトリックは他宗教を尊重する、という声明を出したから、 まだいい方だよ。どこの宗教だって、それ以上のことを したら、宗教としてのアイデンティティーが無くなってしまうだろ。 カトリック教会の頭がキリストであるのは当然だろ。 それを思いあがりというのは、君のキリストに対して、 ということか?自分で意味わかってんのか? どっちにしろ、宗教の世界では、カトリック人口が世界で1位なんだから、 他宗教に対して、尊重し合おう、とリーダーシップを取ることはいいことです。 君のあたまん中は、前世紀の遺物じゃないか? 少しは、知性をもって意見を言えよ。
758 :
マリア@和霊 :2001/04/22(日) 22:24
>>576 755のぷちとまとさんの見解は教皇庁で決められた
公式なもので正統とされます。
しかし、日本の信者しか私は知らないけど、
そんな信者は場所によるかも知れませんが実際はあまりいてないですね。
確かに成人して勉強してからカトリックに変わってきた人たちには
カトリック狂信者の比率が高いかも?と私自身は感じますけど…。
教皇庁批判をする信者なんて結構一般的だし…。
去年だったか教皇庁が出した何とかという教書になんて、
「時代錯誤も甚だしい」とか普通の信者間には
結構いちゃもんがついている始末やから。
ただし、どの信者もイエスを信じてることには変わりないですよ。
そんなことより対象がカトリック信者・非信者を問わず、
その人の行いがどうかで「あの人はいい人やね」とか言う傾向が強いですね。
「イエズス様みたいな人を見た」とか「マリア様みたいな人や」
「あの人カトリックやったら聖人級やわ」etcとか。
まぁ、そんな事をオバサン連中が言ってると
大抵保守派や正統派を自称する人たちがどこからともなく現れます。
「あんたらは異端や!異教徒にそんな風に言うなんて。
司教さんに訴えたるから」とか脅しに来たりする時もあります。
「あんたは何を信じてんの?ほんまにイエズス様信じてるの?」
などと応戦する勇敢な人もいます。
今のところ、色んなのがいるのがカトリックですかね…。
759 :
名無し :2001/04/22(日) 22:31
>758 日本のカトリックは世界的なカトリックの時代の流れに対して どうしても遅れているって、よく聞くよ。第二バチカン公会議の 精神も10年以上経ってようやく日本でも広まり始めたというし。 だからカトリックの中でも第二バチカン公会議なんかよく知らない 信徒もいるかもしれない、日本の場合。 >去年だったか教皇庁が出した何とかという教書になんて、 『ドミヌス・イエズス』でしょ。
760 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 22:35
今日も教派間と信者間の争いで頭がいっぱいのキリスト者達。
761 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 22:47
>>759 そうかな、うちの教会では公会議の内容研究会とかあるし、
公会議の本も売ってるよ。
>>760 この人アホですね。カトリックの信者にそんな暇人いないです。
「教派間」て書いてあるから、カトリックじゃないのかな。
カトリックが、ひとつの組織と知らないんじゃないの?
762 :
広辞苑 :2001/04/22(日) 22:51
>成人して勉強してからカトリックに変わってきた人たちには カトリック狂信者の比率が高いかも?と私自身は感じますけど…。 それは私もよく感じます。幼児洗礼者より、自分で受洗された人のほうが すごく、「カトリック」ってものに固執している気がする。 「異端!異端!」ってすごい偏見も多い、率が高い気が。
763 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 23:00
>>762 幼い時は、ただ「イエスさまに祈る」ことから出発して、
神が自分の近くにいることを、何とも不思議に思わないし
素直に信じられる。それが、カトリックの信仰の真髄なわけだけど、
大人になると、理屈なしには、それが出来ない場合もある。
聖書を分析したり、評価したり、研究したり、理屈や理論で
正しいことを証明したがる。しかたないけど、なるべく、
「無垢な心に帰れ」と言いたいですね。
764 :
759 :2001/04/22(日) 23:20
>761 たしかに。ただ私の知っている超保守の修道会のひとと話しをすると、 第二バチカン公会議の衣を被った第一バチカン公会議主義者という 印象しかないね。 >762 私の知っている幼児洗礼のひとたちは逆に成人してからの信者はクール過ぎる、 と批判するけど。
765 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 23:31
>>761 今この場に、暇人のお前がいるじゃないか。
766 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 23:32
761
>>764 末端の方まで、精神が行き渡るのは、時間がかかるかもしれませんね。
官公庁にしてもそうだけど、年寄りでも新しい意識に変化できる人と、
全く、旧弊からのがれられない人がいます。そういう時は、
世代交代しかないですね。
戦前の人、戦後の焼け跡世代の人、そして、戦争を知らない私たち、
くらいの意識の差は、数年くらいでは、埋められるものではないと思います。
767 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 23:39
>>765 これは、私の余暇です。
少なくとも「教派間と信者間の争い」のような
無駄なことはしていませんよ。
ネットでの、みなさんの意見も勉強になります。
君のような、ムダな意見を言うやつもいるけど
知らない情報を知るのも楽しみです。
768 :
名無しさん@1周年 :2001/04/22(日) 23:45
>>767 別にあんた個人に言った事じゃないんだよ、あの発言。
自意識過剰と宗教による過度のアイデンティティの担保が
宗教者の特徴ですね。
769 :
名無しさん@1周年 :2001/04/23(月) 00:00
>>768 そうかな。自意識過剰のやつなんて、宗教か否かにかかわらず
いると思います。それと、別スレでちらっと見ましたが、
「宗教なんて、保険金の支払われない保険をかけているようなもの」
という意見。笑えましたが、そのとおりです。それでいいと思っているので、
そこまでの担保は預けてないですよ。
特にカトリックは、個人主義でもありますし、現実肯定型なので、
信仰に依存してしまうケースは、無いと思いますよ。
770 :
マリア@和霊 :2001/04/23(月) 01:31
>>759 それは一部の信者や司祭や司教レベルかも?
身の周りの大人の信者は第二バチカン公会議を知ってる人が多いですよ。
肯定的な意見が多数派です。
日本語の典礼は全ての教会でもやってますし、
ラテン語ミサなんか私の世代では既に知りません。
「カトリックは開放的過ぎる」って正教の友達から
すごく批判を受けてるくらいですけど・・・。
それに、うちの教区は仏教などの宗教との交流はとても盛んですよ。
外人の神父さんが多いから他の宗教に興味もつのかな?
プロテスタントの教会とは時々早朝合同礼拝やったりもするし…。
>>762 いつも目を吊り上げてみんなを監視してるように見てますね。
昔いた神父さんが怒ってました。
「自分の意見が通らなければ異端と人に言いますが
あなたの行いのどこが正統なのか非常に疑問があります」って。
その人は色んな教義や公会議録や教書を並べ立てて反論してました。
「イエズス様が私たちに求めておられる行いとは何でしょうか?
人を裁く事でしょうか?もう一度聖書を読んでください。
お願いします」って神父さんが言ったら、その人しょんぼりしてた。
日本語がたどたどしい神父さんだったけど、ええ人やった。
「お父さんの仏壇さんの中に私も入りますねん」
とか言ってるお婆さんの信者さん達に食ってかかったりする人もいる。
私的にむちゃ怖い。というか引いてしまう。
口下手やし、難しい事わからへんから
とっても悔しいねんけど何もよう言えませんけど…(-_-;)
ああいう光景見てたら悲しくなります。
けどカトリックの本質はそんな激しくて怖くないものやなくて、
イエス・キリストの愛の教えを理解していく事なんやと思います。
カトリック信仰ってそういうことやと思うんですけど…また違うのかな?
771 :
>745 :2001/04/23(月) 16:13
>あれは、渥美教授の文献からの抜粋ですよ。 >専門の先生に、知ったか知識なんて言っていいのかな。 少なくとも、あなたの目的(と思われるもの)と合致しないように思われたという 意味です。もうどうでもいいけど、、、
772 :
名無しさん@1周年 :2001/04/24(火) 12:29
745
>>771 何を勘違いしてるのかわかりませんが、
>>735 >>736 は、
スレが止まってしまっていたので、刺激のために書き込んだだけです。
私の目的?それだけだけど。
>>745 まで、私は、レスつけてないんだけど。
773 :
名無しさん@1周年 :2001/04/24(火) 15:58
やっぱ、知ったか知識じゃあねえか。 渥美教授が、知ったかだと言っていないよ。 それを書いたお主が、知ったかだと言ってるんだよ。 どうでもいいけど。
774 :
nanashisan et.al. :2001/04/24(火) 22:16
>>740 @`741
「クリスチャン」は「クリスティアノイ」(希)を語源とする語。
この「クリスティアノイ」は「〜の者・人」を意味する接尾語「〜アノイ」に「クリ
ストゥス」についた語。「キリストの者」程度の意味で奴隷という意味は語にはあり
ません。
775 :
名無しさん :2001/04/24(火) 22:50
う〜む。本当らしい。 どうりで、ムスリムに比べ不心得者が多い訳だ(納得)。
776 :
塩の柱 :2001/04/24(火) 23:46
>1 おまえほうけてるな 時代にあった神を信仰するのなら 長い年月の間にいくつもの神を信仰することになるじゃねーの 絶対なる神はひとつなんだよ それに神様は野蛮なことをときになさるけど それでも信仰するから真の宗教なの! (行うは難し、だが) 1はあおくせえ宗教厨房
777 :
名無し三等兵 :2001/04/25(水) 00:25
けっして新約時代になって性格が変わったとはいえない ヨハネの黙示録19章17〜21節などを読むと神は「殺すこ と」をやめてはいない。
778 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 01:46
>>776 そういう野蛮なこともする神を信じて生きていくしかない
おまえらは、どう見ても奴隷だな。神に囚われた奴隷。
779 :
実習生さん :2001/04/25(水) 04:50
>>777 ただ、新約の神って少なくとも「信者に」殺させたり奪わせたりって
しないよね。旧約聖書の神は、やたら「殺せ」「奪い取れ」と命じていた。
それだけでも、かなり違う気がする。信者が神の命令と称し殺戮や略奪
を繰り返した旧約的な「神」信仰は破壊的カルトそのものだが、「神が」
殺す、というだけなら信者の勝手な信仰、という程度ですむ。
780 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 08:02
だから、旧約に重きを置いている宗教団体は、 社会から浮いているんだろうな。
781 :
マリア@和霊 :2001/04/25(水) 11:04
>>780 それはそうでしょうね・・・。
同朋以外は地獄行きだから粛清しなくてはいけませんし・・・。
みんな神の子であって、神の奴隷ではありませんから・・・。
不心得な者がいても神から見れば「自分の子」のようです。
しかし、改心すれば皆でまた楽しく生きることができる。
だから「敵を愛しなさい」「許しあいなさい」と言われたのでしょう。
イエスが現れたのは
律法が生きたものでなく偶像になり果ててしまったからなのでしょう。
782 :
ななし :2001/04/25(水) 13:07
そんなことを熱く語り合ってるこいつら。 そもそも、神がいないという確率のほうが高いということを少しは考えろ。 キリスト教の教義では「神が愛」と定義すること自体矛盾だ。
783 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 13:19
神がいるかいないかは、確率じゃない。 いると思う人にはいる。いないと思う人にはいない。 だから、君にはいないけど、他の人にはいるかもしれない。
784 :
:2001/04/25(水) 13:20
>そもそも、神がいないという確率のほうが高い ここまで馬鹿だと突っ込む気にもならんな。
785 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 13:22
世界の人口が60億で、54億が宗教人口だから、 君の方が、マイノリティー。 そういう確率でいけば、神のいる確率の方が高い。
786 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 13:24
787 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 14:02
神がいる、いないはここでいくら議論しても水掛け論になりらちがあきません。 自分も5年前は神を知らぬものでした・・・。 主にであって全てが変えられました。自分の人生にとってそれは大きな宝です。 この日本という国は先進国のなかでも特に無神論者がおおい国です。 神という概念が本当に受け入れにくいのです。日本人には・・・。 けれども神が自分の一人子をあたえるまでに世を愛されたことを知らないことは 大きな損失だと思います。 主イエズス・キリストがあなたを愛していらっしゃっています。 永遠の昔から未来に至るまで。あなたが母の胎内に宿るまえから・・。 しかも無限の愛をもって。今この瞬間もです。 もしもこの愛によって愛されていることを知りたいのなら 誠実に主にお願いしてみてください。神様わたしはあなたを知りたいと。あなたがもしも本当に存在しているのなら その印をくださいと。そして1ヶ月程つつけてみてください。 神は必ずあなたに答えてくれるはずです! だってあなたも神様から無限に愛されている者なのですから!かならずあなただけに わかる印をもってこたえてくれるはずです! 神様がそのようなかたならばどうしてそれをあなたに伝えないでしょうか。 実はこの私にもそのようにして神様がその存在を教えてくださいました。 もしも本当にそのような神様が存在しているのならば 一生に一度だけでもこんな風に私たちの間におられる神、ともにいてくださる神 に対してお願いする価値はあるのではないでしょうか? とにかく試してみてください。茶化すことなしに、誠実に。主は必ず答えてくださいます。 そしてこのレスを呼んでいるクリスチャンの方々、祈りましょう、一人でも多く の人が主の愛を知ることが出来ますように。 いまのこの国には苦しんでいる人が大勢います。 −祈りの内にー
788 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 14:16
>787 随分、熱くなってますね。 子供のうちに洗礼を受けると、そこまで熱くなれません。 神がずっとその辺にいて、ちょっと振り向くと微笑まれる、 という感じですね。
789 :
ななし :2001/04/25(水) 15:46
>ここまで馬鹿だと突っ込む気にもならんな。 あほか。それは特定の宗教に属している盲信者の誰もが持つ主観なんだよ。 どこの新興宗教の信者も伝統宗教の信者も唯物論、無神論者に対して自分のほうが悟りすましたように思ってるな。 「いない」と言い切ることも科学的じゃないが、その可能性のほうが大きいって言ってるんだよ。 馬鹿はどっちだか。
790 :
ななし :2001/04/25(水) 15:49
>>785 あんたの言ってるのは、カトリックの人口が10億で世界最大の信者数だから
カトリックが真理、と言うのと同じ理屈だな。
791 :
あみ :2001/04/25(水) 15:50
>>730 シゲさん、ユダヤ・キリスト・イスラムの神が同じってのはそりゃ宗教内部からみての話しでしょう? わたしたち民族神話学的に見る者はそうじゃないです。 イスラム教でそういう教義なだけです。 例えばこういうことです。 わたしが「わたし(あみ)は聖書の神であり、シヴァ神であり観音である」という教義の宗教を作ったとします。 すると、その宗教内では「あみ」と「シヴァ神」と「観音」と「聖書の神」は同一存在ということになります。 ユダヤ教ではキリストを聖書の神と同一とはみなしてませんし、アラーもそうです。 アラーに関しては元が「アリラト」というアラビアの民族神をマホメットが旧約聖書の神にこじつけたというのが民族神話学的な定説です。
792 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 15:53
神は科学的なものじゃなくて、精神的なものだと思うけど・・・
793 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 15:57
>>790 いや、君が確率、と騒いだから数字でいえば、という例を出したわけ。
だから、神は、確率じゃないと思うよ。
794 :
あみ :2001/04/25(水) 15:58
587のサリーさんの意見はどうでしょうか? サリーさんはアダムとイブの話しとかエデンの園(ちなみにバビロニア神話からの流用と思われる)の話しを信じてらっしゃるようですね。 マリアさんもソドムとゴモラが神が焼いたとかいう話しを例え話しとかではなく 事実として、信じてらっしゃるようですけど・・・・ そいうのはどうでしょうか? そういうファンダメンタリストのような 考え方は「今時、いくらなんでも・・・・」と思いますよ。
795 :
あみ :2001/04/25(水) 16:15
ユダヤ教 キリスト教の神X イスラム教の神X イスラム教 キリスト教の神X ユダヤ教の神△ キリスト教 イスラム教の神X ユダヤ教の神△ 聖書系新興宗教を除いてこうですよね? それでカトリックとは大乗仏教のような人間くさい教えだと思います。 応用が利いて、過激な問題を起こしにくいです。 そのかわり堕落しやすいというのはあります。 プロテスタントとは小乗みたいなもので聖書からは外れにくく 堕落しにくいかわりにそういう問題を起こしやすいです。 「プロテスタントでは新約よりも旧約を重視するため女性の地位が下がった」とかです。 注 ここでいう堕落とはあくまで、宗教的な意味です。 社会的にみた場合、過激に宗教的なほうが危険です。
796 :
ななし :2001/04/25(水) 17:40
神の存在の有無が精神的なものだとすると、有神論は無神論を論破するほどの根拠があるのか? 仮に、神が存在するとしてその神が善であり、愛であると言い切る理由は何だ? 私はカトリックの家に生まれたが今はほぼ無神論だよ。 だからこそ、NGO活動や慈善活動もする。 ここでも絶えず言われていることだが、世界中で絶えない、陰惨な拷問や醜悪な病気や奇形や不具を「神が無作為に選んだかのような特定の人間」に与える理由は何だ? まさか「悪魔の仕業」とか「人間の原罪のため」なんて言わないでくれ。聞き飽きたよ。 赤ん坊の性器にペニスを突っ込むビデオをみたがね、何の罪だか。 このなかで、顔に硫酸をかけられて拷問されてもなお「神さまは偉大なお方」と愛し続けることができる人間がいるのか?。そういう人間は何か特別な罪を犯した人間だとでも思ってるのか。しょっちゅうそういう報告に接するがね。 何かを信仰している人間は宗教的な打算から不幸な人間に奉仕することはできるくせに、自分の身に不幸がおきなければわからないかもね。 例えば、輪廻転生という教義があるなら「神は善であり慈愛である、平等である」という信仰を持つことも差し障りはない。 だが、一回きりの人生という試験の出来次第で「永遠の天国と地獄逝き」を決定するキリスト教の教義でいうところの神は本当に両親のような慈愛を持ったお方かな? 善人であり、幸福で恵まれた生涯をすごして天国に逝く人間もあれば、不幸な境遇から罪を犯し永遠の地獄に追いやられることもあるだろうに。 旧約の野蛮な神ならそのくらいのことはするかもな。 でもそれは神ではない、創造主という名の悪魔だよ。 現実社会と自分達の宗教の矛盾につくづく目をそむける人々だな、クリスチャンは。
797 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 18:11
マザー・テレサがまだ御健在だった頃、彼女の修道院に一人の少女が訪ねてきました。 彼女は言ったそうです。「私は神様なんて信じない!こんなに世界中に苦しんでいる 人たちがいる!もしも本当に神様がいるならこんなことにはならないわ!」 そのときマザーは優しくおっしゃたそうです。 「そのような人達を助けるために神様はあなたを造ったのですよ。」と・・・。 これは私達一人一人にたいしても言えるのではないでしょうか?
798 :
ななし :2001/04/25(水) 18:20
だから、「助けられる役回り」をやらされてる理由はそれだけ? あなたは助けられるほうになりたいですか? 両親に片腕を切断されて乞食の商売道具にされるインド人になれるの?
799 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 18:22
796ななし さんへ 人間に天国行きや地獄行きをきめるのは神様ではありませんよ。 それは自分自身です。全ての人間は自由意志をもっています。 全てを選べる自由です。神をも徹底的に拒否できうる自由なのです。 そして死後神様の前に立ったとき 神様の愛を信じられずに自分は許されるはずはないと言って 離れていってしまう人たちがいるそうです。 神様はそのような人達にはなにも出来ません。神様ができるのは提案 することだけです。 そして選ぶのは私達です。 そして地獄とは神と一緒にいない状態です。愛の全くない所です。 なぜなら神は愛ですから。
800 :
ななし :2001/04/25(水) 18:31
>>799 だからその典型的クリスチャンの思い込みに何の根拠が?
>全ての人間は自由意志をもっています。
>全てを選べる自由です。
あなたが今生まれた国、環境、家庭、両親、肉体や容姿、健康をあなたは選択して生まれてきたんですか?
801 :
ななし :2001/04/25(水) 19:14
>そのときマザーは優しくおっしゃたそうです。 「そのような人達を助けるために神様はあなたを造ったのですよ。」と・・・。 助ける人を造ったのはいいけど、助けられるハンセン病の人はなんで造られたの? 手足はモゲてるわ、顔が崩れてたり。神ってつくづく不平等だな。
802 :
ぷちとまと :2001/04/25(水) 19:42
>>800 「あなたが今生まれた国、環境、家庭、両親、肉体や容姿、健康をあなた
は選択して生まれてきたんですか?」
私も人間の自由意志は否定します。
が、あなたのこの反論は揚げ足とりに過ぎる、と考えます。
というのは、自由意志や選択の自由は、ほぼ常に、将来に向かって論
じられるものであり、あなたが出された事例は過去のそれだから。あ
なたの事例については、自由意志よりもまず過去の改変可能性・時間の
逆行可能性が問題にされるでしょう?
803 :
ななし :2001/04/25(水) 20:07
私が常に言いたいのは、「神は愛じゃない」ってことだ。 それに屁理屈をつけて神を正当化する考えに反論してるだけ。
804 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 21:10
「ななし」さんの真摯な質問に答えられるクリスチャンは、多分この世には いないのではないか・・・
805 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 21:30
>>803 横レス失礼。
>>796 読んだけど、「この世の不幸」と「神の愛」の関係には、
何の問題もないと思ってる者です。「この世の不幸」は神の手を離れた
人類が作ったものや、自然に引き起こされたものがありますが、それは、
神が意図して与えた運命ではありません。
魂は、全部、同じ価値を持っていて、それに注がれる神の愛も等価です。
という考えは、ガイシュツかもしれませんが、私もそう思います。
この世の不幸は、肉体を持つ人間の不幸で、魂の不幸ではありません。
人間には、この世の不幸は悲惨に見えるが、魂が神を求めれば同じ愛と恵みが
与えられる、もしくは、この世で幸せな人以上の恩寵を受けることすらあります。
806 :
Joy :2001/04/25(水) 21:41
>>801 では、逆にお尋ねします。
助ける人を造ったのはいいけど、助けられるハンセン病の人はなんで造られたの?
手足はモゲてるわ、顔が崩れてたり。神ってつくづく不平等だな。
これから導き出される結論は神はいない・信じられないということなのでしょうか?
神はいない。この世の不幸には意味がないということなのでしょうか?
ハンセン病の人はたまたまそうなっただけ。運がなかったのでしょうか?
なぜ彼がこのような目に会うのか?何の意味もないというわけでしょうか?
だとするならばその方がずっと悲しいですね。
807 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 21:41
>>803 あなたは、他人の不幸を、どうしようもなくどこまでも悲惨に悲惨に
考え、表現しておられますが、それで彼等を理解、共感してるとでも
言いたいのでしょうか。不幸なことが起きても、自分がその不幸の
中心にいたら、懸命に闘い、生きると思います。それを悲惨と
言いきっていいのでしょうか。
むしろ、彼等が不幸の中にも一条の光を見出したなら、喜んであげる
べきではないでしょうか。その一条の光が「神の愛」そのものです。
それは、幸せな人が感じるより、不幸な人により強く感じられるものです。
あなたは、不幸じゃない、と思ってあげることこそ共感ではありませんか。
808 :
805 :2001/04/25(水) 21:49
>>806 それは、神が作ったものではありません。
感染症です。神はそれから人を守るためにもいろいろの
戒律を人間に与えています。(これは時代により不具合な面もありますが)
あなたもまた、ハンセン病のことを汚く悲惨に描いています。
それでいいのですか?私たちと同じ魂と心を持っているのが見えないのですか。
彼等の表面はどうあれ、魂と心は私たちより美しいかもしれません。
そのことを考えてあげるのが、私たちのする事ではありませんか。
「神の愛」は、そういうものではありませんか。
809 :
805 :2001/04/25(水) 21:58
これまでのことを「神の慈愛」と呼ぶこともあります。 あなたの表象は不幸だが、それと闘ってきた、あなたの魂と心は 私たちよりもっと強く、美しい、と思うと、彼等の外面的なことさえも 神々しいとすら思えることがあります。 たぶん、ハンセン病患者のもとで看病することを、自ら志願した神父や、 日本では、神谷美恵子さんなどは、そういう気持ちだったことと思います。 それこそ、神の愛の実践ではなかったのでしょうか。
810 :
ななし :2001/04/25(水) 22:07
随分、典型的クリスチャンの主観的意見が同時に続くな。同一人物か? >人類が作ったものや、自然に引き起こされたものがありますが、それは、 神が意図して与えた運命ではありません じゃあ、神は少なくとも全能ではないということか。 生まれつきエイズ患者の子供がカポジ肉腫にまみれているのは親のせいだが、 なぜ、その子供がその罪を引き受ける役割なのか教えてくれ。なぜ、あんたでなく。 >だとするならばその方がずっと悲しいですね。 結局、神を肯定する人間の心理はこういうところから来ている。 「神がいなきゃあんまりだ、理不尽だ、たまたまなんてかわいそうだ」 悲しいか悲しくないかは問題ではない。 なにが現実なのかが問題なんだ。 >あなたは、他人の不幸を、どうしようもなくどこまでも悲惨に悲惨に 考え、表現しておられますが、それで彼等を理解、共感してるとでも 言いたいのでしょうか。 だからどうだと言うんだ。理解と共感を主張しているんじゃない。 神が善でも平等でもない理由を言ってるんだ。 あくまでキリスト教の教義でいくところの神だけどね。 あんたがぜひ彼らと同じ宿命を背負ってから言ってほしいもんだ。 「私は幸せ、神様は平等です」と。他人の不幸は許せるらしいな。 キリスト教の教義は疑問・矛盾だらけ。 たった一度きりの人生だというのに、生まれてまもなく死んだ赤ん坊はどこに逝く? まともに「試験」を受けずに永遠に天国で暮らせるなら羨ましいかぎりだ。
811 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 22:11
ハンセン病とか、この世のあらゆる病気を克服しようとしたのは、 宗教ではなくて、病気と真っ向から立ち向かった、科学者・医学者の 功績ではないでしょうか? 知識・技術を総動員して病と戦おうとした方々こそ、神に祈るより他に 方法の無い方々よりも、神の精神を体現された方々ではないでしょうか? 神を信じなくても、自分達の限られた知識を使い、様々な物と立ち向かう 姿勢こそ、宗教精神そのものであると思われます。 「神よ、神よ」と口にする者が天国に入るとは限らない、とのイエスの言葉は 真実であります。
812 :
805 :2001/04/25(水) 22:18
>>810 >なぜ、その子供がその罪を引き受ける役割なのか教えてくれ
全ては、神を認めるという前提に立たなければ、理解不能でしょうけど、
子供は、その親を選んで生まれてきます。このスレのどこかに同じことが
書かれています。親が不幸であれ、貧乏であれ、子供はその親が好きだから、
その親のもとに生まれてきたのです。自ら不幸を引き受ける志願した、ということです。
813 :
ななし :2001/04/25(水) 22:32
>>808 >それは、神が作ったものではありません。
>感染症です。神はそれから人を守るためにもいろいろの
戒律を人間に与えています。
本気でこんなことを思っているとしたら絶望的にあほだな。
あのなあ、汚く表現するしないが問題ではなく、
現実にそういう不幸にみまわれている人間がいるということを言っているんだ。
その感染症に守られる人間と守られなかった人間にわかれるのはなぜなんだと聞いてるんだよ。
>それでいいのですか?私たちと同じ魂と心を持っているのが見えないのですか。
彼等の表面はどうあれ、魂と心は私たちより美しいかもしれません。
じゃあ、あんたがハンセン病になっても魂と心は美しいから幸せなんだな?
私が綺麗に形容すれば、苦しくないのか。
「そういう方の魂は光り輝いている、神様はちゃんと人間に戒律を与えているわ」
って遠くの先進国の人間にいわれて納得するのかね、神様は平等だと、神に責任はないと。
なぜ、あんたはハンセン病にならなかった?・・いい時代の日本に生まれたからだよ。
第一、ハンセン病は単なる一例だぞ。
この世の不幸はハンセン病だけじゃない。
814 :
805 :2001/04/25(水) 22:35
>>811 >科学者・医学者の功績ではないでしょうか?
それは確実にその通りです。しかし、治癒すれば、病人の心も同時に救われることが
あると思いますが、治癒しない病気の場合、その人の心を癒せるのは、
科学者や医者でしょうか。まずは本人と、周囲の人たちの心ではありませんか。
信仰と医療を両天秤にかけて、片方しか役に立たないというのなら、末期癌のホスピスのケアの
ことを考えてください。医者に出来ることは、既に、痛み止めを打つだけとなります。
ほかには対処療法しかありません。患者の心のケアは、日本では看護婦さんと家族が
することが多いですが、外国では聖職者や、信仰を持つ人がしている場合が多いです。
本人が弱気になった時に、迷いなく死を迎えられるように心のケアをする
ことで、体も安定し、安らかに死を迎えられる場合も多いです。
医者にしても、そういう仕事をされている方には信仰の深い方も多いです。
医療と信仰だけでなく、家族の愛や、友情や、動植物に至るまで、
あらゆるものが、人の生きる力に関わっていると思います。
815 :
ななし :2001/04/25(水) 22:35
>>812 それは神様が君に言ったのか?
妄想を聞いているんじゃない。
816 :
Joy :2001/04/25(水) 22:37
第一、ハンセン病は単なる一例だぞ。 この世の不幸はハンセン病だけじゃない。 で、あなたは何を言いたいのですか?
817 :
名無し :2001/04/25(水) 22:39
>子供は、その親を選んで生まれてきます 子供は親を選べません。1+1=2並に当たり前過ぎる事なんでまさか とは思うが、アンタ本気か・・・・?
818 :
ななし :2001/04/25(水) 22:43
神はいないか、いても平等じゃない、っつってんの。 もし、神が善であり、慈悲深い存在ならキリスト教の教義は真理じゃない っていってんの。<クリスチャン。
819 :
805 :2001/04/25(水) 22:50
>813 >あんたがハンセン病になっても魂と心は美しいから幸せなんだな そんなことないですよ。みんな大変な苦しみですし、私ものたうちまわるでしょう。 でも、のたうち回ってばかりいるとも思えません。それでも生きていかなければ ならないことに、いつか気付いて、同じ生きるならわが身を嘆くばかりの毎日より 残された時間を、よりよく生きようと思うでしょうね。 あなたは、なぜそんなに攻撃的なのですか。神が信じられないなら、 普通は神を無視するか、バカにするかですが、あなたは、神には矛盾があることに 非常に怒っておられて、それを私たちに転嫁されているようですね。 なぜ、不幸な人とそうでない人に分かれるのかを、キリスト教の神で 解決するのが、あなたの命題ですか?でも、あなたは絶対に納得することは ありませんね、その怒りが自分のどこから発せられているのかを自分で理解できるまでは。 怒りをもっていては、どんな有益なことも受け入れられません。 いかなる怒りも根源は、自分自身の中にある。(心理学カウンセリングから) (つづく)
820 :
805 :2001/04/25(水) 23:09
>>815 カトリックでは、そう教えています。
>>816 医者と科学者だけでは、人間は癒されないということ。
全ての病気に共通です。
>>811 さんがハンセン病を例にあげたから、
それに従ったまでです。
>>818 >神はいないか、いても平等じゃない、っつってんの。
>もし、神が善であり、慈悲深い存在ならキリスト教の教義は真理じゃない
あなたは、既に、自分で結論を出してるじゃありませんか。
その結論を私たちに知らしめるために、議論を吹っかけてるわけでしょう。
あなたの結論は、それでいいのだと思いますよ。神と無縁に生きていく限り
あなたが生きていくうえで何ら、影響する考えでもないのですから。
私の結論と違うのは、あなたは神を信じていなくて、私は神を信じているからで、
それだけのことです。私の結論は遡って
>>805 に書きました。
821 :
ななし :2001/04/25(水) 23:10
意味不明だ。私が攻撃的であろうがなかろうが事実は同じじゃないか。 議論となんの関係があるんだ。 キリスト教が不完全であるのに唯一の真理として盲信するところに怒りを感じるね。 神を憎めばいいと言っているのではない。 そもそも神がいない可能性の方が高いと言ってるんだ。 そしたら「馬鹿すぎて突っ込むきにもならん」と言われたから 自分の考えをいったまでだ。 私には神がいてもいなくても人生に差し障りは無い。 幸福で恵まれた環境に生まれついたからね、宿命的に。 自分で選んだわけじゃない。 でも自分が幸せだからといって 苦しんでいる人間の存在を無視して神を肯定する気にはなれないね。 あくまで「神がいてほしい」という人間の願望を無視して客観的に考えた結果だよ。
822 :
マリア@和霊 :2001/04/25(水) 23:22
>>817 どうなのでしょう?
私たちには今は未知の世界ですね。
たやすく「選べません」という結論はつけるのは早すぎます。
私自身の記憶はありますが、
それも怪しいものと分類されますので正しいとは断言できません。
三歳以下の子供を100人くらい集めてお聞きになると
面白いかもしれませんが…。
>>818 神がいるかいないかも、断言は出来ないでしょう。
古代人は月に神がいると考えた人もいますが、
近代の研究で、月には地球や生物に対して
ある種の働きがあることが分かってきていますね。
いたとしてもその種のものなのかも知れません。
意志をもっているか持っていないかは
植物の事例が最近解明されつつありますが、
そのようなものに近いのかも知れませんね。
それまで植物は意志や記憶の能力はないと考えられていました。
あるいは、実体がなくて意志だけを持つものかも知れません。
今後解明されることも出てくるかも知れませんね。
私たち信者には受け入れられないものかも知れませんが…。
私の中では、神は平等であると感じます。
人間から見た物の見方と神から見た物の見方が
違うことは確かでしょうね。
人間から見るとそれは平等ではないと見えるかも知れませんね。
そういう意味なら、神が善であり、慈悲深い存在ではない。
真理じゃない。という考え方にも一理あるかと思います。
神は決して人間のみに都合がいいとも思えませんので。
823 :
805 :2001/04/25(水) 23:24
>>821 >私には神がいてもいなくても人生に差し障りは無い。(以下・・・・
結論がぴったり合いましたね。それで、平和が訪れそうです。
824 :
ななし :2001/04/25(水) 23:29
825 :
ななしさん@お腹いっぱい :2001/04/25(水) 23:31
狂信者には何を言っても無駄ということ。 自分の信じたいように信じるということか。
826 :
805 :2001/04/25(水) 23:39
>>824 >(1)あなたの結論は、それでいいのだと思いますよ。神と無縁に生きていく限り
>あなたが生きていくうえで何ら、影響する考えでもないのですから。
>(2)私には神がいてもいなくても人生に差し障りは無い。
(1)と(2)が合致したということ。
827 :
名無し :2001/04/25(水) 23:42
だから親なんて選べねぇよ。選べるんだったらあんなクソな母親なんか にゃいねぇって クソ母親ぶっ殺すかそうじゃなきゃ自殺して嘆いてるクソババァに 「ザマアミロ」っつってっかどっちかだよ。 まぁ、アンタはまだわからないっつってる分かなり良心的なほうだがな
828 :
ななし :2001/04/25(水) 23:44
私とあなたの結論は別だが、真理は一つだ。 それはどっちなのかという話。
829 :
ななし :2001/04/25(水) 23:46
>>827 なんかいろいろありそうだね。・・がんばってくれ。
830 :
名無し :2001/04/25(水) 23:50
>>827 スマン、少々キレ気味だったかもしれん。いずれにせよ俺は自分の判断
で生きていきたい。それが人としての生き方だと思う・・・・。
応援有難う
831 :
名無し :2001/04/25(水) 23:50
832 :
名無しさん@1周年 :2001/04/25(水) 23:54
人間は「神の前では」みな平等ってのがキリスト教なんでしょ? 「現実世界が平等じゃない」=「神はいない・キリスト教はおかしい」 って言うのは、なんかおかしくねーか?
833 :
805 :2001/04/25(水) 23:57
ある世界的科学者の論争についての、論文があります。 「高尚な叡智の真理は、絶対的でなく、2つの意味を持つ言葉のどちらの意味に 従うかにおいて相対的であるにすぎない。つまり反対の意見もまた妥当であり 聡明である」
834 :
マリア@和霊 :2001/04/25(水) 23:58
色んなことを体験したり見聞きした結果の結論なんでしょう。 私の薄い人生経験でも私なりに色々ありましたから 理解出来ます。
835 :
805 :2001/04/26(木) 00:03
836 :
コピペ :2001/04/26(木) 00:08
336 名前:ちょっとずれるが投稿日:2001/03/29(木) 02:55 信仰を持つ意味というのは 「生きている意味」というものを どんな境遇だろうと同じように享受できる、 ということだと思う。 マザーテレサの言葉に、こんなのがある。 「この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。 自分が誰からも必要とされないと感じることです。」
837 :
805 :2001/04/26(木) 00:11
838 :
名無し :2001/04/26(木) 00:16
>>834 スマン、な余所の人間には関係無い事をグチっちまったよ。
839 :
ななし :2001/04/26(木) 00:16
>>832 この現実の世界とキリスト教の教義を照らし合わせると
キリスト教でいうところの神が
「愛に満ちたお方」とすることがおかしいといってるんだ。
840 :
ななし :2001/04/26(木) 00:19
841 :
ななし :2001/04/26(木) 00:22
>魂が神の前に平等だということ。 それは愛されているという意味で平等なの?
842 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 00:29
今日の昼にこのレスを見つけました。そして今夜あけてみたらなんと書かれている 意見の多いこと・・・。 正直いってとても驚きました!すごいエネルギーだと思いました。真面目に。 特にななしさん、あなたには何か言葉の裏に大きな悲しみを感じます。 本当に神様に対して無関心な人はこんな風には議論に加わってはこないと思うのですが・・。 あなたは宗教、特にキリスト教に関して大きく傷つけられたことがありませんか? なんだか出すぎたことを行ってごめんなさい。 でもなんだかあなたは神様を否定しつつも、それを探しているようなそんな気がします。 あなたは実際にあってみればとてもいい人だと思います。そんな、ななしさんの考えを 僕は尊重したいと思います。 ななしさんが 大勢の人がこの地球上で苦しんでいる事についてそれだけ深く考えていることに対して トウトウとキリスト教の教義を語るつもりはありません。 僕のような青二才の言葉など力をもたないでしょうし・・・。 それよりもななしさんが自分自身の人生を迷うことなく幸せに生きていけますよういのります。 がんばってください。応援してますから。 人間の苦しみの意味と主の十字架・・・贖い・・・。 これは議論にあたいする本当に大きなテーマですね。
843 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 00:36
でも相対主義から倫理は生まれないと思うんだけどな…
844 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 01:19
「神」から直接言葉なり、姿なり見たり聞いたりしないことには、観念や憶測の 域を出ないと思います。 信仰というものは、所詮、主観の域を出ないものです。そこに真の救いがあるのか どうか、私にはわからない
845 :
おチンポ教団 :2001/04/26(木) 01:23
846 :
マリア@和霊 :2001/04/26(木) 01:27
>>338 いいやん。生きてたらいらんことはようけあるもんや。
愚痴りたくなる時はあっても当然や。
ちょっと悪いけど、うちにも言わせてください。
うちかて、もう辞めるけど今の職場には山ほど言いたいことある!
うちら仕事してる人間のことも少しは考えてもの言えや思う。
うちが辞める言うたら途端慌てだして懐柔策とか検討してるけど、
もう遅い。みんな辞めるいうねん!
>>841 自然の法則は変えられないということでは
ないでしょうか?
しかし人間に対しては別の意志を持っているのかも?
「人間間の問題は心の持ちようによっては
解決できる事もあるんとちゃうの?
互いを受け入れようとせずに、人を見下したり争いばっかりして。
わしらだけ正しい言うてる人間がいる。
悪いけど、あんたらが人間社会の諸悪の根源作ってるんやで。
それより、いい心で接すれば解決できる事なんかいっぱいある。
特定の人間だけわしのつくったものやない。みんなわしの子供や。
あんたらが自分らの都合ええように解釈した
宗教的なものに結び付けて差別したりしてる暇があったら、
みんなで楽しく生きれる道を考えてほしい。
何のために色んな経験して生きてるんや?
ええこと悪いこと、みんな同じように経験してるやろ?
その経験を踏まえてどう行動するか考えて欲しい。
そう考えたら見えるやろ。断罪するより温かく見守ることやろ?
何とかしたろって思えや。できるのは人間だけやろ。
わしは魂だけや。全てを産み出し流れを回すだけの存在や。
たまに奇跡も起こすけど、それはわしがどこにでもいるいう事を
覚えててほしいからや。ほんまは実はというと管轄外や。
それから、わしは太陽を作って、地球には雨が降ってるけど、
人間のため、あるいは特定の人間のために与えてるんやない。
この世の生き物全てのためや。勘違いせんといてんか」
的な発想を神がいるならしているって事だと思います。
イエスはそういうことを言ってるのだと私は受け取っています。
847 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 01:29
誰も自分で神を見たり、声を聞いた事がないのに、イエスという人物の 言葉を唯一絶対の真理としてとらえてしまうという人間の心理にこそ、 むしろ興味がある 「私は神がいるのかいないのかわからないが、その存在を信じたい、 という願望がある。」という話であれば、理解出来るのですが・・・ 何の根拠も無しに「神はいる!!」「神は愛だ!!」と断言出来る人 はどうしてそのような言葉が言えるのか、私はそこが知りたい
848 :
1 :2001/04/26(木) 02:24
そろそろお休みのようなので、ちょっとお邪魔します。スレの更新どうしましょう。 @更新するA更新しない レスのあとに、ちょっと数字を書き込んでもらったら、有難いです。
>338 名前:クロッサン投稿日:2001/04/03(火) 19:48 >「贖罪の主」は、すでに、共観福音書にあるようだ。 なんか関係あんのか?
850 :
おチンポ教団 :2001/04/26(木) 03:35
みんな俺のことは無視してるようだな。 真摯に疑問を投げかけたというのに。
>答えろ。 ヨッシャー。
852 :
Joy :2001/04/26(木) 07:21
「私はあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく熱くもない。 むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くもなく冷たくもなく 、生ぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている」 黙示録3:14
853 :
Joy :2001/04/26(木) 07:24
なまぬるいキリスト信者よりも御心にかなっているのかな? こんなことを書いたら、勝手に決め付けるなとか来そうだけど。
854 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 07:38
>>847 >何の根拠も無しに「神はいる!!」「神は愛だ!!」と断言出来る人
>はどうしてそのような言葉が言えるのか、私はそこが知りたい
信仰とは、むしろ、そこから入るものだと思います。
言葉が言えるのではなく、信仰という文字の表しているとおり「信じる」ということ。
ふつうは、いきなり信じることは出来ないと思います。すんなりと信仰できる人は
それまでの日常に、信仰する土壌があるのだと思います。
だから、そのような土壌のない人は、特別に信仰する必要もないし、
信仰を持つ人を特別扱いする必要はないと思われます。
外国へいけば、信仰を持っている人ばかりだから、なぜだ、とは考えないでしょう。
仏壇や、神棚、神社やお寺で拝むときの気持ちの延長のようなものです。
小さい時は、疑いを持たずに拝むでしょう。その時の無垢な気持ちを思い
浮かべて頂ければ、それの延長です。 頭で考えることではありません。
855 :
Joy :2001/04/26(木) 08:21
>>845 聖書の中に書かれているイエスという方の生き方、教え、心惹かれるからです。
心を捉え照られてしまったからです。自分のために命まで投げ出すほど愛して
くださっているからだと思っています。時には抹殺してしまいたいほど、醜い自分の心
過去・欠点すべてをひっくるめて愛してくださる方がいるということ
それにつきます。
「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」イザヤ43:4
856 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 09:17
>>818 名前:ななし投稿日:2001/04/25(水) 22:43
>神はいないか、いても平等じゃない、っつってんの。
>もし、神が善であり、慈悲深い存在ならキリスト教の教義は真理じゃない
>っていってんの。<クリスチャン。
ななしさんは、キリスト教国の、アメリカ人やフランス人やイギリス人にも
同じ言葉をぶつけられるのかな。もし、勇気あるなら、外人の方たちと1度話して
みられたらいかがですか。別の視点が持てるかもしれません。
ここに来ている、キリスト教に懐疑的なみなさんも、外国のクリスチャンのことを
考えて下さい。だいたいが生まれた時に洗礼を受けるから、まずは、両親から、
「祈りの生活」を学び、キリスト教の道徳的な規範を学び、最後に聖書に入っていく
という、日本人とは逆パターンになっています。
彼等なら、あなたの問いかけにどう答えるでしょうね。
857 :
805 :2001/04/26(木) 13:52
>>836 836さんのコピペは、私の言いたかったことを
簡潔にまとめてくれていると思います。
結局、何も言ってないのと同じじゃん。
859 :
ななし :2001/04/26(木) 14:46
>>856 いえるかいえないかは問題ではない。
私も幼児洗礼者だけど、たしかに聖書は後から読んだものだった。
「キリスト教こそが絶対史上のもの」と信じて疑わない狭い価値観しか持てないクリスチャンと話をしてきたから憤っているんだ。
欧州人は狂信的なカトリックや原理主義的なクリスチャンが多い。
キリスト教徒こそその独善的・排他性に満ち満ちた教義や価値観に固執してないで他宗教の人間と少しは対話してほしいものだ。
>あなたは宗教、特にキリスト教に関して大きく傷つけられたことがありませんか?
>あなたには何か言葉の裏に大きな悲しみを感じます。
>本当に神様に対して無関心な人はこんな風には議論に加わってはこないと思うのですが・・。
私の十二分に青二才なんだけど・・・・。
そうかもしれないね。既成の宗教やいろんな思想で真理を模索してはみたけどね。
傷つけられたとは違うけど、神には失望し憤ってきたよ。
無関心とは違うかな。なんだかあんまりにも不幸な人間と接しすぎたよ。
神などいないと思ったことが、私がNGO活動するきっかけなんだ、そしてその思いをますます強めてしまった。
860 :
ななし :2001/04/26(木) 14:53
>顔に硫酸をかけられて拷問されて 随分、前のことになるけどこれはアンタッチャブルというカーストにも属せない階級の14歳の少女が実際に受けたことだった。 シュードラの女に口答えしただけで村の男達に強姦された揚げ句、性器に石を詰められ顔に硫酸をかけられた。 今でも顔にゴムマスクをして生きている、働かなきゃならないんだ。 似たような例で地主に0・5ルピー(15円)賃金をあげてほしいと頼んだだけで、男たちに見世物のように弄られて性器にやけ火鉢の棒を突っ込まれたなんてのもあった。 井戸水を飲んだというだけで、素っ裸にされて村中を引きずりまわされなければならないような虐げられてきた身分というものがある。不可触民という階級に生まれたばっかりに何でこんな思いをしなければならないんだ? 人間の自由意志の範疇を超えた宿命的な境遇を神の責任でなければ誰のせいだ。 彼らの心がどんなに醜かったとしてもそんな苦しみには値しないと思うが。試練にも限度があるだろう。 しかし、これらの世の不条理を「慈しみ深き天のお父さま」の御業とすること自体、破綻した考えだと思うから今の考えに至った。 吐き気を催すような虐殺や拷問、死んだほうがマシと思えるような病にまみれているよ世界は。 それを人間の罪のせいだとか悪魔の仕業とか言うキリスト教徒に可笑しさを禁じえないし、深い憤りを感じる。 自分の身の上に起きない他人の不幸は無制限に許容し、教えの屁理屈を駆使して神の愛を正当化。 神の栄光のために盲人にされた人間の身にもなってみろ、と言いたい。 「あなたの存在が人々に勇気をあたえるのです」 なんて盲人に諭している牧師がいたが殺意を覚えるね。 励ましたい気持ちは汲むがそんなことを能天気に信じていることが腹ただしいだけだ。 彼らは「私のほうが幸せだわ」という君たちの神への感謝のため、慰めのために苦しまされているのか。 こんなことをくどくどしく訴えて、棄教しろと言ってるわけじゃない。 世の無心論者が悪魔の手先のように軽蔑されるいわれはない、信仰というものを考えたことがないわけじゃないってことが言いたい。
861 :
>859 :2001/04/26(木) 14:55
結局、キリスト教とは、「終わり良ければ、全て良し」という ことだろう。今のところ、一人一人のことには、あんまし関わって は、おらんな。
862 :
>860 :2001/04/26(木) 14:58
おそらく、キリスト教徒は、「人のことばかり考えて、神のことを 考えていない」とでも、答えるのであろう。
863 :
862 :2001/04/26(木) 15:01
>それを人間の罪のせいだとか悪魔の仕業とか言うキリスト教徒に >可笑しさを禁じえないし、深い憤りを感じる。 まあ、個人の罪というよりは、人間の原罪の類とか、かんがえるの であろうな。
861-863は、キリスト教徒ではない。
「この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。 自分が誰からも必要とされないと感じることです。」 自分が貧しく病気になってから比較するがいい。 マザーは尊敬してるが、馬糞の中の未消化の豆を集めて食ってるような人間を 散々、見てきてこんなことを言えるのだから骨の髄まで宗教人だったのだと思う。 膿でただれて手足を失いながら物乞いをするより、 自分が誰からも必要とされないと感じることを選ぶよ、私は。 野宿者支援活動に何らかの信仰を持つ人間は多いが、奉仕した気になって自己満足の極みだ。 弁当を貰うホームレスより渡す人間のほうが「運命に」奉仕されているということを知っとけ!と腹の底で思っている。 マザーよりレプラ患者や貧しい人間のほうが偉大だ。
866 :
マリア@和霊 :2001/04/26(木) 16:45
>>879 -880私には上手に答える事は出来ません。
が、そういうことと似たことに関しては、信仰は甘えスレで
本物マリアさんが自分の信仰体験をいろいろ言ってました。
ただ、神のせいのことと人のせいのことに関しては
私の記憶や心霊的経験という、ものを見る尺度としては
成り立たないかも知れませんが、分ける必要があると思います。
ただしそれに沿うと、キリスト教的価値観の神とは異なってました。
もうこの時点で私は既に異端であり、誤謬かな?
改心しなければサタンの一族。もしくは石打ちか火あぶりで死刑かな?
もしくは「地獄に落ちた状態」かな?
続けて、キリスト教のように擬人化された全能の神ではなく、
自然を統率するある種の意志を持つ力的な存在だということです。
当然、神から見た「平等と愛」と人から見た「平等と愛」は異なります。
私は介護福祉士ですが、あなたの憤りの気持ちも理解できます。
しかし、私はそういう気持ちになった時に逆に神を見ます。
「これを解決しろってことやね。
ええ加減なままおいとくなってことやね」って。
有神論と無神論の違いはそこなのでしょうね。
まぁ、私の場合は感じるから神を信じているわけですが…。
それから、最近やけに感じる事があります。
人間も所詮生き物の一部だってことです。
どんなに文明が発達しても自然の中からはみ出して生きることが出来ない。
抜け出して生きようとすると環境破壊などにつながって返ってくる。
宗教は甘えスレを読んでいて「なるほど」と思いました。
あの人、はっきり言って巫女のクセしてヤーさんやけど、
あのスレのその部分だけは結構理解できる部分があって良かったです。
867 :
マリア@和霊 :2001/04/26(木) 16:56
あっ、間違えてた!
>>859 -860やった。スマソ
868 :
マリア@和霊 :2001/04/26(木) 17:50
>>865 やっぱり標準語疲れるわ!あかんわ!
うちがゲイだと確信したとき、もうこれで誰からも
必要とされないと思った…。中3の時やったけどね。
今でも結構被害妄想的な部分も大きいよ。
一升酒飲んだりして体壊したわ。内臓全部いわしたわ。
信仰は、たまに人を活かすものでなくて殺すものに化けるからね。
うちにとっては、貧乏より何よりきつかったね。
近所の金持ち連中の子が遊んでくれなくなったり、
「この町内が汚れるから出て行け」とか言われたし、
石投げられていつも怪我だらけやった。
御飯食べれへん時もあってんけど、それよりきつかった。
落ちてるもの食べたり、エロ本拾って売ったりしてたけど、
なんか希望があってん。貧乏は抜け出せるねん!ってな。
でも、あの時はあかんかった…。
自分をしっかり持ってたらどうでもいいことやねんけど、
持たれへんかった。その時の助けは信仰やなかった。
信仰は逆に追い詰めるもんやった。助けは友達やったね。
うちは友達の中に神様を見たわ。教会やなくて。
「あんたがオカマであろうが、なんであろうがツレやないの」
みたいなこと言われたから、今があると思う。
869 :
マリア@和霊 :2001/04/26(木) 17:52
うちも西成のおじちゃんやおばちゃん、 もうだいぶ死んだりしてるらしいけど、知り合いいたで。 薬に手出した友達の事や自分の事でも色々あって 世話になったこともあるから。バブル時代のことやけど。 宗教がらみで奉仕やってる人見てたら?って思うこと多かった。 ほんま、自己満やね。なんか勘違いしてるやんね。 それが何て言うたらいいんか分からんけど、よくムカついた。 「わしら貰うもん貰ったらいいんやから、させといたらいいねん。 ちょっと泣き落としたったら、喜んどるんやから」 てみんな言うてたよ。 世の中みんなお互いさんやのに、それ忘れたら終わりやね。 うちは仕事の時はそう思って仕事させてもらってるねん。 その代わりしんどい時は「今日はしんどいねん。あかんわ」 言うけど。ほんまはこれ言うたらあかんらしいけど…。 大抵「わしもしんどい時あるわ。お互いさんや」言うてくれはる。 だから、年寄りがしんどい時は「いつも迷惑かけてるからお返しや」 言うてるねん。もう辞めるけどな…。
870 :
ななし :2001/04/26(木) 19:11
時計を造ったのは人間だ。 その時計が狂ったとき、その時計を非難しても時計に責任はない。 その程度の性能に造った人間に責任がある。 それと同様に神がいるなら、人間を創った創造主には全く責任はないのかね。 不完全な人間を作り過ちを犯した人間をばっさり裁いていく神とは? 時計が壊れたから捨てると同じ感覚か。 >宗教がらみで奉仕やってる人見てたら?って思うこと多かった。 >ほんま、自己満やね。なんか勘違いしてるやんね。 これはあるね。 「もう使いませんから役立ててください」 っていって毛布とかもってきてくれた人いたんだけどさ あるクリスチャンが「いらないからあげるなんて、マザーテレサの意志を理解していない」 とかガタガタ文句言ってて、あほか!と思ったね。 気持ちなんかどうだっていいんだ、供給できる物資の量と質が大事なんだよ。
871 :
マリア@和霊 :2001/04/26(木) 20:29
>>870 マリアさんがいい事書いてたよ。
信仰甘えスレの383からいろいろおもろいこと書いてたわ。
進化の過程で生じるものなんやって。
それを通らんと最初から全ては人間には理解できひんから
色んなものを見せたり体験したりしてる
っちゅうことなんやと思った。
うちみたいなアホはこの程度で納得してしもた^_^;
ただ、彼女の場合はカトリックを捨てて先祖さん達みたいに
巫女さんになってしまってるから
そういう解釈がきっとできるんやね…。
毛布のことやけど、クリスチャン特有の理論やね。
人を裁きたいねん。自分を正当化したいから。
イエスさんがあかんことやって言うてるのにな。
うちもそういうの嫌いや。
おじちゃんやおばちゃんの気持ちなんか全然分かってないから
言うのやと思う。おじちゃんやおばちゃんたちの
気持ち分かりたかったら、体験してから言うて欲しいわ。
気持ちうんぬんって所は引っかかったけど、
何でもええから寒さをしのげたらいいねんっていうのが本音やで。
うちの家貧乏やったから、破れた毛布も使ってたし、
持っていってあげられへんかった。いつも世話になってたのに…。
「珈琲飲まへん?いつの世話かけてるしおごるわ」
言うのがあの頃は精一杯やったな…。
ちょっといい生活しかけたら、今度は震災で風呂場が潰れて
家建て替えやなあかんようになった。ほんで、また貧乏してる。
うちの住んでる所は助成金受けられへん地区やねん。
あーあ、世話になったお返し何もしてあげられへんわ…。
祈る事と飲み代ケチる程度の募金しかできてへんわ。
872 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 20:54
>860 >糞の中の未消化の豆を集めて食ってるような人間を >散々、見てきてこんなことを言えるのだから すごく気になったので書かせてもらうけど、その様子はテレビで見ましたが、 彼等がどうなったら、あなたは満足なんですか。自分の国が豊かだからといって、 他国の風習や文化を差し引きしないで、ただ、惨めだと思うあなたは傲慢です。 よくそこまで不幸や悲惨さを集めて吐いて棄てるように、言えると思う。 日本だって、貧しいときは、木の根や、草を食べていたし、それより糞の中に豆が 貧しいとは言えないと思う。あちらには、牛糞や尿や血液を利用する文化だってあるのだから。 今の北朝鮮だって、食べるものが無くて、石ころを口に含んで飢えを偲んでいる人もいる そうですが、それぞれの国の気候風土・文化・為政者の政策や諸々の条件が重なって そうなってることを見ないで「神は不平等だ」と嘆いているあなたを見ていると、 「神が絶対」と思ってる人たちとあまり変わらないじゃないですか。
873 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 21:07
>>860 自分だって何ほどのものか。という視点がなければ、彼等とともに歩むことはできない。
「小さき者」であることを知ることから・・・、とキリスト教では言うでしょう。
傲慢、というのはそういうところからです。どれだけ自分が豊かで幸せかを、
宣伝しまわっているようなものでしょう。
874 :
ななし :2001/04/26(木) 21:17
>日本だって、貧しいときは、木の根や、草を食べていたし、それより糞の中に豆が >貧しいとは言えないと思う。 >今の北朝鮮だって、食べるものが無くて、石ころを口に含んで飢えを偲んでいる人もいる >そうですが、それぞれの国の気候風土・文化・為政者の政策や諸々の条件が重なって >そうなってることを見ないで「神は不平等だ」と嘆いているあなたを見ていると、 「神が絶対」と思ってる人たちとあまり変わらないじゃないですか。 あんた、何の議論をしてるか認識してるのか。 まさか現実社会こんなこと言ってるんじゃないだろうね。 恥かくぞ。話にならないよ。頼むから脱力させないでほしい。 私の投げかけた疑問に明瞭な答えを出せないから、私の人格を非難することに議論の矛先を変えるわけ?私が傲慢だと神は正しいんか。関係ないこと言うな。 >あちらには、牛糞や尿や血液を利用する文化だってあるのだから。 ふざけんな!まさか神聖灰のこと言ってるんじゃないだろうな。 いかに貧しいかの現状を言ってるんだよ。 あんたの言ってるのは、貧困で木の根っこを食ってる人間に「私たちだってゴボウを食べてます」と言ってるのと同じことだ。 意味不明なこと言うな。 嘆いてるんじゃなくて意見を投げかけてんだ。結局、こういうのがクリスチャンか?
875 :
ななし :2001/04/26(木) 21:26
>>872 神の全能性を否定するということか。
君の考えはまるで無神論者だな。キリスト教の思想から話をすすめているんだ。
っつーか神がいないということの理由を言ってるだけだ。
私の人格と何の関係があんだよ、全く。
>>873 カトリックですか?
876 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 21:31
>>872 バカ決定。
国の文化比較しあってるんじゃないんだから。
877 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 21:50
>>874 >ふざけんな!まさか神聖灰のこと言ってるんじゃないだろうな
知らないの?世界の暮らしのドキュメントとか見たことないの?
国際社会の政治・経済・文化に関心を持ったことありませんか。
牛の尿や血液を飲んだり、薪のかわりに糞を利用する文化もありますよ。
糞の豆は文化はなく貧しさですが、あちらでは糞は相当、
貴重なものであることは確かですよ。
878 :
マリア :2001/04/26(木) 22:36
ずらっと読んでみたけど、最近いい議論になってるようね。 ちょっと外れてるかもね。まぁいいわ。 外れの中にも、得るものはあるものよ。 このスレはキリスト教問題だけど、教義に固執せずに 目を開けて良く見て欲しいわ。 パウロにこだわるのでなく、キリストにこだわって欲しいわね。 あたしの考えは、旧約のような裁く神というのはいないわ。 ただ、自然のシステムからはみ出すと、ダメよ。 そういう意味ではお裁きなのかしら? 神は全てを愛しているわ。ただ、システムの中に留まるならば。 外れたときは神は何も出来ないわ。 色んな現象を通してそれを防止するけど、決めるのは人間次第。 でも、後になってみれば色々分かってくる。 神はそれも良く知っているわ。 ダメと分かったらすぐに変えたらいいのよ。 神の御旨にそって歩くっていうのは、 目隠しされたような状態だから難しい。 違うから否定するというのでは何も見えないわ。 そんなことをしてるから、日本にキリスト教は根付かない。 日本の風土とは合わないのよ。 人間は自然環境を悪化させたりしている。 事故の正当化のために階層を分けて貧困を作り、 ずっと自分たちが得できるようなシステムを作った国もある。 江戸時代の日本も身分制度。明治時代は天皇がキリスト教の 御父のように祭り上げられて、政治家や軍はそれを利用して 国政や国民を弄んだわ。その結果が敗戦。当然ね。 しかし、人間はそれを見て学ぶ事ができる。 神というのは、そうやって人間を進化させていく自然のシステムよ。 地球自身、太陽自身、月自身、など、だったりするわ。 ただし御父というのは、神道の神にも良く似た神に 天之御中主という神がいる。 ただ、この神は何も命じないわね。 天皇家が来てから霞んでしまったけど、興味があれば、 見て欲しいわ。
879 :
Joy :2001/04/26(木) 23:16
|吐き気を催すような虐殺や拷問、死んだほうがマシと思えるような病にまみれているよ|世界は。 それを人間の罪のせいだとか悪魔の仕業とか言うキリスト教徒に可笑しさを|禁じえないし、深い憤りを感じる。 キリスト教徒がそのような苦しみをまったく体験したことがないかのような決め付けをされています。 江戸時代、島原で煮えたぎるお湯をかけられたキリシタンは、何を思ったのでしょうか? 苦しみの中でなぜこのような目にあうのかというのを問い掛けたでしょう。踏絵を踏めば、助かったものも大勢いたことでしょう。事実、踏絵を踏み、キリシタンであることを隠してむしろ死ぬよりも苦しい隠れを選んだものもいました。そして、それをせずに死んでいったものも大勢います。 皇帝ネロの時代、ローマの放火をキリスト教徒のせいにし、松明代わりに燃やし、また闘技場でショーとしてライオンに襲わせました。なぜ彼らはこんな目にあわないといけなかったのでしょうか?そのような疑問を思わなかったでしょうか?しかしこのような迫害の中で死を選び、そしてそのような光景を目にして、続々とクリスチャンになったものが大勢たわけです。 太平洋戦争中、天皇の名のもとにキリスト教会は迫害を受けなかったでしょうか? いわれのない罪で投獄され獄死したものも大勢います。何も無心論者だけが獄死したわけではありません。 そして、内戦の続いたブルンジのツチ族とフツ族の対立の中で教会に避難していた人々虐殺されたこともあります。あなたの言葉を返せば、何も無心論者だけが苦しんでいるわけではない。ということです。 今の日本に住むキリスト教徒は何の困難もなく、生ぬるい状況にあるかもしれません。あなたのおっしゃるような部分もあるかもしれません。しかし、民族として共有する歴史観というものと同様、キリスト教徒は迫害の中で、むしろ生き延びてきたという歴史を持っています。
880 :
Joy :2001/04/26(木) 23:17
|時計を造ったのは人間だ。 |その時計が狂ったとき、その時計を非難しても時計に責任はない。 |その程度の性能に造った人間に責任がある。 時計には意思はありません。神が人間を意思を持たないロボットとして作ったのならそのような論法でよいと思います。しかし神は、意思を持ったものとして人間を作りました。 意思を持った完全なものとして作りましたが、その意思を与えるということ自体が、罪を犯すという可能性を否定できなかったとしかいえません。 |不完全な人間を作り過ちを犯した人間をばっさり裁いていく神とは? |時計が壊れたから捨てると同じ感覚か。 だからこそ、神の御子であるイエスが人類の罪を背負って十字架にかかると信じるのです。
881 :
ななし :2001/04/26(木) 23:24
>彼等がどうなったら、あなたは満足なんですか。 私が満足するかしないかの主張をしているわけではないことをわかってますか? 神の全能性と善、存在の有無に対してこういう現状をキリスト教の宗教的見地からすると矛盾が あるがどう説明するのか?ということを聞いているんだよ。 人間の不幸を並べ立てることの何がおかしいんだ?具体的な例をいわなきゃ、「戦争・飢餓」の漠然としたイメージでピンとこないでしょうが。 >それぞれの国の気候風土・文化・為政者の政策や諸々の条件が重なって そんな国がどうたらとか関係ない。 君のいってるのは「この男が生まれつき盲目なのは親の罪か本人の罪か」 という質問に対してイエスが「それはDNAのせいだ」とか「母親が妊娠中に飲んだ薬が原因だ」 とか答えるようなものだ。 聞きたいのはそんなことじゃない。 >知らないの?世界の暮らしのドキュメントとか見たことないの? 私はインドで1年間暮らしていたんだが、アーユルヴェーダのことを言ってるわけ? 馬糞を燃やした灰はさまざまに使うがそれと何の関係があるの。 自分の尿を飲む健康法があるが、飢えと乾きで自分の尿を飲むのと同じことかな。 君が日本で道端の犬の糞の未消化の魚の骨舐めてる貧しさじゃあ苦しいでしょうという話だよ。 インド人全体の生活レベルで抵抗のないことだと思うの。 そこまで貧しい人間がいる一方で、携帯持ってベンツ乗り回している先進国並の普通の金持ちが混在するのがインドだ。 それに昔、日本が貧しかったから、絶望的な貧困の人間がいてもだからどうだという理屈なの? 全然、話の主旨が外れたが一応言っておいた。 ほんと、私が嫌な奴ということを言いたいのはわかるが、私の問いかけに対する意見を言って欲しい。
882 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 23:51
>>881 >神の全能性と善、存在の有無に対してこういう現状
>「この男が生まれつき盲目なのは親の罪か本人の罪か」
彼等が貧困・飢え・病を負っているのは、本人の罪でも誰の罪でもないです。
勿論、神が望んでるものではないです。神は、嘆いて憐れんでおられます。
神の全能性と善を、世の中の不平等をあげて疑うのは、あなたが神を信仰していない
立場だからで、信仰することによって、その不幸から救われる人もいます。
キリスト教の宗教的見地から考えて矛盾がある、などと言ってる方と、
彼等に、神の愛と祈りを伝える人がいれば、どちらが彼等を救えるのでしょうか。
神の愛は、人を救えるが、あなたのおっしゃることでは、人は救えない。それが答えです。
883 :
名無しさん@1周年 :2001/04/26(木) 23:54
>>881 何の答えか。
「神が全能で、善なる存在(有)であること」の答え。
884 :
ななし :2001/04/27(金) 00:13
>>879 私はカトリックなんだよ。(精神的には棄教してるけど。)
キリスト教徒の殉教者がどんな拷問をうけてきたか知らないわけがないでしょう。
そういう言い合いをしてるのではないとゆーに。誰もわかってくれないんだろうか?
生きたまま皮膚を剥がされたり、わき腹を焼かれたり、歯を全部抜き取られた信者がいたから神が人間に与える試練は当たり前の納得済みということではないでしょう。
神を愛し信仰する人間にそんな仕打ちを容赦なく与える神などなおのこと残酷だ。
私が挙げた人々は聖人ではない私と同じ普通の凡人たちだ。
単に人間の受ける苦しみは3・4世紀の迫害時代と現代も変わらないというだけのことじゃないか。
「神の存在」の有無と「神の愛」示すことはできない。
そんな聖人の受けた苦しみを「犠牲」という美徳にできるのはキリスト教独特の価値観だ。
第一、讃えられるべきは殉教者であって神ではない。
聖書における私の見解はあみさんに、ほぼ一致する。
885 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 00:42
もし、ななしさんのいう醜い神がいなかったら、人類は平和で貧困もなくて おんの字で、とっくに人口過剰で滅亡してたかもな。
886 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 00:50
ななしさんの指摘する不幸はなくなっても、あらゆる生物には「死」が存在するよ。 あれが、人間にとって、最大の不幸なんじゃないの。 ななしさんは「死」を抜かしてるよ。人間の苦しみだけ神のせいだと言ってる。 「死」は人間に訪れる平等の不幸だろ。それだけは仕方ないなんて言うなよ。
887 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 01:03
若くしてコロっと逝く人間も、長患いで苦しんで逝く人間もいる。 人それぞれ人生に苦しみも喜びもあって、死ぬ。 神様は、十分平等。苦しみがなきゃ喜びも味わえない。 苦しみがある世界を与える神が間違いなら、 正しい神は、喜びも与えられないだろうな。 「神は存在するか?」ななしさんには、存在しないだろ。 「神は存在するか?」信じる者には、存在するだろ。 きみのように、信じる者に、それは間違いだと言うことは、 信じる者が、きみをの考えは間違いだ、とい言うことと同じだろ。
888 :
マリア :2001/04/27(金) 01:07
いろんなことを見聞きしたり体験したりすると、 そうなるものよ。もっと言わせてあげましょ。 確かに、ななしさんは頑なになってるわね。
889 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 01:12
>もっと言わせてあげましょ そうですね。みんな1度は通る道かもしれない。
890 :
ななし :2001/04/27(金) 03:34
いつも思うことだけど、ここの住人(というかクリスチャン)は神は信じるが、神の全能性は否定するようなことを言うね。 >神の愛は、人を救えるが、あなたのおっしゃることでは、人は救えない。それが答えです。 私は人を救いたくて言っているわけではないんですよ。新興宗教の教祖でも人の心を慰めている。 しかし欺瞞は欺瞞だ。人の心が救えるから正論だとか、ある宗教が真理だとかいうことはない。 私が論じたかったのは何が真実か、不確かか、信憑性に欠けるか、矛盾してるかということです。 そんな思想だけのことならキリスト教でなくとも心が救われる宗教・思想を信じればいい。 自分の精神的乾燥感を潤すために宗教・真理を選択するなら私は合理的で矛盾がないヒンドゥー教を選ぼう。 全く、現世の不条理を如実に表しているという理由で大乗仏教もいい。 ならないのはなぜだ。信ずるに値する根拠がないからだ。 >「神は存在するか?」ななしさんには、存在しないだろ。 >「神は存在するか?」信じる者には、存在するだろ。 神が存在するのなら私が信じなくとも存在する。 信じたものだけに存在する精神上の架空のものなら宗教・神などあってないもの、哲学も同然だ。 ヒンドゥー教の聖典「ラーマヤナ」「マハーバーラタ」を信じた人間にだけ輪廻が起こるのか? 何を信じようが真実は一つのはずだ。 あなた方が神を信じるのは聖書を信じてるからだ。 5千年前年前のヒンドゥーの聖典は誤謬で2千年前の聖書が無謬だとなぜ言える。 これら両者の教義は一致しないのにお互い絶対視されてるが。
891 :
ななし :2001/04/27(金) 03:37
>あれが、人間にとって、最大の不幸なんじゃないの。 死が最大の不幸?生き地獄が最大の不幸だ。 ある人にとっては死は希望であり慰めだ。でなければ逃れようと自殺する人間などいない。 幸福な生涯を送り死ぬ人もあれば、不遇に苦しんだ揚げ句死ぬ人もいる。 どちらになりたいか。私は幸福に生き死にたい。 死に方にもさまざまだ。老衰、拷問の悶絶死、自殺、病死、事故死、そして選択できない。 死は自然法則(いるなら神)が与えた賜物だよ。 >みんな1度は通る道かもしれない。 誰の通っている道が真実への道か、どちらが事実に「気づいて」いるかなど判断がつかないはずだ。 私から見れば、あなた方も「一度は通る道」を通っている。 少なくとも私も、信仰する道を通り、信仰を捨てた道を通り、また信仰し、また捨てる道を通った。 頑ななのはお互いさまだ。 自分がこのスレにこんなに関わるとは思わなかったよ。 まあ、あとはクリスチャン同士、本題を議論してくれ。
892 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 03:47
>私は人を救いたくて言っているわけではないんですよ 耳を疑ってしまいますよ。あなたは宗教の正偽を論ずるために、 あの、貧しい国の不幸な人々を引き合いに出したのですか。 あの人たちを救いたいために、宗教の正偽を議論してるのではないのですか? >信じたものだけに存在する精神上の架空のものなら宗教・神などあってないもの、哲学も同然だ。 神の存在に限らず、証明されていないものの存在は、主観によるでしょう。 真実はひとつ、そのひとつの真実が何かを信じた人にとってだけそれが真実でしょう。 全世界の人間を無視して、理想論に走るなら、それは仕方ないが、 宇宙はどこまで続いているのか、すらわからない人間(あなたも含めて)が これが真実、と証明してみても全て嘘、ということになる。
893 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 03:55
>>891 >死が最大の不幸?生き地獄が最大の不幸だ。
それは、完全なあなたの主観です。
いろんな人が、同じ事を言っていますよ。
宗教家も、医学者も、科学者も。今、誰かと言っても思い出せないが、
これまで読んできた本の中で、何回も出てきた覚えがあるので、
それが通説だと思っていました。あなたとの主観と、通説の
どちらが正しいかは、解らないが、そういう見方もあるということは
知っておいてほしい。
894 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 04:04
>>891 >死が最大の不幸?生き地獄が最大の不幸だ。
それなら、不幸に生まれついたら、すぐにポックリ死ぬほうがまし、という
ことだ。障害や難病や、飢えや貧困の運命に生まれついたら、親の愛情や友情や
あらゆる生きる喜びを得ることがあるかもしれない、という可能性もないから
死んだ方がまし。ということか?
895 :
名無しさん@1周年 :2001/04/27(金) 04:07
>>891 私は、君に抗議する。どんな不幸を背負った人間にも、
生きて、喜びを得る権利はある。そして、喜びを得るチャンスもある。
896 :
預言者 :2001/04/27(金) 04:51
>>1 キリストを約束の子と考えるか否かで解釈は分かれる
ユダヤ教を見よ
897=1です。 以下書き込みされる方は、sageでお願いします。
899 :
ななし :2001/04/27(金) 14:04
私を認めようが認めまいが、私を否定しようが、
個人的感情に縛られて真実を判断することを拒否しないように。
それに、具体的に私の質問の答えでなく、どうして私が引き合いに出した人々が救う救えない、
私自身の人格を認めないとかの意見にすりかわるんだ。
>あの人たちを救いたいために、宗教の正偽を議論してるのではないのですか?
救いたいと思ったら私は行動するだけだ。
私は現実生活に発展途上国などでNGO活動をしてきて自分が感じたことを述べ、
キリスト教の神の愛の矛盾点を指摘したまでだ。
苦しんでいる人々に散々、私が言われてきたことを自分も消化して感じ、考えたということ。
「そういう人たちがかわいそうだ」という感情論になったらなんの議論ができるんだ。
「なにが現実か」ということを議論しているんだ。
救うためなら自分の考えや事実をを捻じ曲げることができるのか?
君たちが苦難にあった時、神への信仰が揺らいだとする。
「ひょっとして、神様なんていないのでは」
と頭で思ってもそれでは自分が救われないから自分に言い聞かせて信仰を保とうとするだろう。
私はそれをしないで、意見してるだけだ。
>>893 >>894 こちらこそ生き地獄を余儀なくされた人間の
「主観」をぜひ知ってもらいたいくて言ってるんだ。
死を願うほどの苦しみを「経験」したかしないかのことだろう?
私は死を恐れているし、死にたくない。
だって生きてることが楽しいから。
仮に私の主観だとしても死んだほうがましだと思わされている
者にまみれているという事実に変わりはない、ということを言っているんだ。
聖書という不確かな書物を信じ続けることのほうが「信仰」という名の主観だということを言っておく。
前にも質問して答えがないんだが、生後3ヶ月で死んだ赤ん坊の魂は何処に逝くんだ? 天国?煉獄?地獄?確実に地獄ではないだろう。 ある貧しい男が不幸な境遇ゆえに性根が腐ってしまい、殺人や強盗、数え切れない過ちを犯したとする。 不幸な生涯のまま、殺されて死んだ。 彼が地獄に逝くか、煉獄に逝くかは知らんが、3ヶ月で死んで永遠の天国に逝った赤ん坊の魂とは純然たる差だ。 仮に男が許されて、天国に逝ったとしても、何の苦しみも知らぬまま永遠の天国に逝けた赤ん坊のほうが得だと思うが。 「神は魂において平等だ」というのはどういう意味だ? 少なくとも現実世界では平等ではない。 ここの住人は神の全能性に反することをよく意見するが、魂を創ったのが創造主である神でなければ誰だ。 「創ったものの、出来が悪かった、だから罰しましょう」 じゃあ、産んだはしたけど出来の悪い子供に育ったから虐待してる母親のレベルと変わりない。 君たちがいうところの創造主とは、何の仕事をしてるのか。 戦争・飢餓も神の責任でないなら、何の仕事をしてるんだ、裁いてるだけか? 「とりあえず創った。あとは御勝手に」ということじゃないか。 こういう諸々のことを疑問だと言ってるんだ。
私が例にあげた時計の話は機械で意志がないからというがおなじことだ。 有神論では魂・人間は神が創ったものではないのか? 百歩譲って、不完全な魂を創ったのが神の責任ではないとしよう。 ならば自分が創造した不完全な被造物に対して やさしく諭すのが両親のような慈愛を持った父ではないか? 厳しく裁きすぎることに創造主の愛は感じない、ということを言っている。 裁きや試練にも限度があるだろう。 サルが高等数学を解けないからといって責める人間があるか。 全ては創造主の意志によって造られたはずだ。 子供が不完全だということは誰もが知っているから間違いも軽く許すんだ。 子供が大人並の仕事ができないからとい責める奴があるか。 子供が出来たが、自分に似てか頭も性格も悪かった。 しかし産んだものの責任として親は子に出来る限りのことを計らうだろう。 創ったが出来が悪かった、だからせめて戦争・飢餓が起きないよう神がよきに計らうのが創造主としての努めでは。 「人間の罪によって戦争を与える」など、赤ん坊から子供まで何の罪もなく 戦争の犠牲になった人がいないとでもいうのか。 「神が人間に誰しもある程度同じ好条件の人生を与えているのに」 というのにちっともそれぞれが期待に答えてくれないというならまだわかる。 キリスト教の思想からの神とはこういうことだ。ある意味、旧約の神そのままだな。 少なくとも私が子供の頃から聞かされてきた「おやさしい天のおとうさま」は妄想だ。
903 :
名無しさん@ :2001/04/27(金) 15:44
ななしさん。あなたの疑問には誰も答える事が出来ない。 誰も。 なぜなら、抽象的な、いるかいないかわからぬ存在についていくら 尋ねたところで、あなたの不満が増すだけで、満足する答えは得られない のですよ。 あなたがこれ以上キリスト教信者を非難したところで、何の解決にも ならない。私は神など信じていない、神などに期待しない。 期待した所で、自分の心の苦しみが増すばかりだ、と気付いたからです。 あなたも、「神」という概念を捨てて、神を信じる者達は勝手に信じさせて おけばいいじゃないかと思います。 彼等を非難しても、欺瞞性を糾弾しても、何の解決にもならない。 あなたを必要としている人々は、ここでは無い。 他の地にいるのです。 信じたい者には、信じさせておけばいい。私達は有限の力と知識を 使ってこの世界を少しでも良くしようと努力しよう。 私は神は信じないが、人の可能性は信じたい。
904 :
名無しさん@ :2001/04/27(金) 15:50
ただ、私の感想だけど、あなた以外の自称クリスチャンよりも、 あなたのほうがよっぽどクリスチャンのような感じを受けるのは 不思議だ。 きっと自分の心身を使って人々の苦悩や不幸と対決されているからでしょう。 心より敬意を。
>私は、君に抗議する。どんな不幸を背負った人間にも、
>生きて、喜びを得る権利はある。そして、喜びを得るチャンスもある。
私に抗議したってしょうがないだろう。神に言ってくれ。
それは私がずっと願ってきたことだ。
理想はそうだが、現実は「生きて喜びを得るチャンスのないまま死んだ」
人間がいるから言ってるんだ。
飢餓で死んだ赤ん坊や子供は一日4万人、1年間に1500万人いるんだ。
そんな選択は彼らに許されなかったはずだ。
キリスト教で期待する幸福は、後の世でなんだろう?
不幸を背負った人間が幸福になる権利やチャンスがあるかどうかは本人たちが決めることだ。
私が「あなたの罪はキリストの死によって許されてるのよ」
と説得したところで、本人がそう感じないてないのだから同じだ。
「よくもまあ人の不幸をあげつらって」と前に言われたがそれは現実の他人の不幸に目を背けたい、
神を肯定したい心理からそう不愉快に感じるのか。
>>903 全くそのとおりなんだけどね。
自分が神がいないと思うに至った根拠を言い始めたらどうしても批判する形になる。
神を信じる気持ちを表現できないように、信じない気持ちも筆舌に尽くし難い。
別に、キリスト教だけのことではない。
あと私が随分神を憎んでると思えるかもしれないけど、いないと思っているものを憎んでもはじまらない。
人生のくじ引きにハズレを引いてしまった人間が苦しまされていると思ったからNGOに就職したりしたんだ。
宗教を信じていた頃はそんなもん興味がなかったさ。
「神はいない、人間は哀れだ」と思う感情が何かしたいという欲求につながり、
エネルギーになるんだから私はこれでもういい。
自分では解決していたことを信仰者にぼやいたようだ。
パート1にはいかないと思うが、皆さんがんばってくれ。
>>905 まあ、大目にみてくれ。忘れることもあるさ。
飢えて死んで天国に逝くより 幸せに生きて天国に逝きたいよー。すっごい幸せそうでいい人、善人っているよ。 きっと天国にいくんだろうけど、一緒くたにされてもねえ。 やっぱ恵まれたモン勝ちなの?
908 :
1 :2001/04/27(金) 22:35
このスレで「ななしさん」との残る議論ができるように、早目に新スレを立てました。
1000スレまではいけると思うので、
>>905 さん、原則「sage」で、過去ログに落ちそうに
なったら1回「age」くらいでどうでしょう。うっかり「age」は、仕方ないですね。私も経験ありますから。
909 :
きりん :2001/04/27(金) 23:16
私、管理人さんじゃないけど みんな、なるべく名前は書こうよ! 名無しさん、ばかりでものすごく読みにくい。
910 :
きりん :2001/04/27(金) 23:24
ななしさんへ ななしさん、いいことも言ってると思うんだけど、 口調がきつすぎて、誤解されやすいよ。 もう少しやんわりした口調だと、もっとみんな に理解してもらえると思う。
911 :
1 :2001/04/27(金) 23:29
きりんさん、あげるのは、このスレが90以下に落ちてからにして下さいね。
>>910 2ちゃんねら、だからね。
はじめに喧嘩ごしで入ったからさ。
913 :
Joy :2001/04/28(土) 09:12
神は人間の目からみれば、不公平に見える方だと言うことは否定しません。 ですが、神には神の論理があり、神の論理で公平な方なのです次のたとえ話 を皆さんはどう思いますか? 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に 労働者 を雇うために、夜が明 けると同時に、出かけて行った。 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、 労働者をぶどう園に送った。 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広 場に立っている人々がいたので、 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふ さわしい賃金を払ってやろう』と言った。 それで、その人たちは出かけて 行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何 もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 彼らは、『だれ も雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶど う園に行きなさい』と言った。 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に 来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、 彼らも一デナリオンずつであった。 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛 抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 主人はその 一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一 デナリオンの約束をしたではないか。 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしは この最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分 のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
パート2の
>>27 のレス
JOYさん。私は今は棄教し、精神的欠点も野放し状態ですが、
キリスト教に得ることがなかったとは全く思いません。
確かに宗教はある人々の人生を救うことはできるでしょう。
ヘレンケラーが生前、実に幸福だったのは、スウェーデンボルグに傾倒していたからです。
スウェーデンボルグ派が単なる異端で彼がエセ神秘家どうかはわかりませんが
少なくとも心は救ったでしょう。ただ、私はそれを抜きに、意見したのです。
たしかに苛立つことはあり、その辺は的を得ています。
何の罪なき人間が無作為に選ばれ苦しむ・・という考えかたに納得することができないのです。
因みにイエスは好きです。
もうこっちに人はこないと思うので
私が世間でも人並み以下に欠点だらけで言動と行動の一致しない
弱い人間だということを充分認めたうえで、オナニーレスも甚だしいがあえて呟やきます。
何度も言いますが私の両親は典型的な厳しいカトリック信者です。
しばしば告解をし、大斎と小斎を守り、御聖体を拝領し、食前に祈り、聖書を読む。
小学生の頃、ホームレスのおじさんを指して「乞食のおっちゃん」
といったらそれはもうこっぴどく注意されました。
「帰る家のないおじさんと言いなさい!」と。
そのうち、おっちゃんと会話を交わすようになり、
おっちゃんに風呂を貸そうと家に連れて帰ったら両親は
「何をされるかわからない、物を盗まれるかもしれない、お前は世間を知らない」
と酷く私を非難し、おじさんに適当に金を渡し追い返しました。
それはうちの親に限ったことかもしれないが、 クリスチャンとは何なんだ一体、と今だに腹ただしい。 口先では人を敬いながらその行いはなんなんだ、と言いたい。 大事なのは彼らをどう呼ぶかではなくどう接するかではないのか・・。 それじゃあ、何のために毎日聖書を読み、日曜にはミサに行くのか。 うちの親はクリスチャン=洗礼を受けたもの、唯一救われる者としゃあしゃあと思っている。 元信者の私見を述べればキリスト者とはキリストの言葉に従い、行う者のことだと思っていた。 口でいくらホームレスに「あの人たちの魂は輝いてるのよ!」と言ったところで 自分の家の風呂も貸せないようなら、そんな言葉は空虚だ、欺瞞だ、偽善だ。 他人が輝いてるかどうかを決めるのは勝手だが、 自分ではなく変わりに野宿生活を余儀なくされてるんだ なんて風には思ってないからそんなことができたんだろう。 そういうレベルで他人の苦しみを許し、 神を肯定するクリスチャンに苛立ち、憤懣をぶつけてたのだと思う。
917 :
Joy :2001/04/28(土) 16:48
>>915 @`916
やっとななしさんの本心がわかったような気がします。そういう事情ではないかと
うすうす思っていました。時々耳にするパターンです。クリスチャンが躓きの石に
なってしまったということでしょう。
|自分の家の風呂も貸せないようなら、そんな言葉は空虚だ、欺瞞だ、偽善だ。
|他人が輝いてるかどうかを決めるのは勝手だが、
まさにおっしゃるとおりだと思います。
>>917 Joy
sage の意味分かりますか?
俺のメール欄を確認してください。
半角英数字で、sage とすれば、スレッドが上がりません。
ご協力をお願いいたします。
ななしさんに送るお伽話1 昔々、ある所に絵を描くのがとても上手な子がいました。ある日、その子が大きな紙の上に人や動物や家など描いていました。その子には信じられない能力がありました。その描いた絵の人物や動物に命を吹き込むことができたのです。自分たちで増える力も与え、そして、何をしてもよい自由を与えました。絵の中の人間は、なぜ自分がそこにいるのかも分かりませんでした。 絵の中の人間達がどんどん増えたのですが、悪いことをする人間がたくさん出てきました。これには、その子も予期していませんでした。そこで、その絵を消してしまおうと、その子は思いました。幸いなことに、その絵は水彩画でしたので、水でその絵を流してしまいました。しかし、たった一人だけノアという非常に良い人間がいたので、そのノアとその家族と幾種類かの動物の上にパラフィンを塗って守ってやりました。
ななしさんに送るお伽話2 それからノアの子供たちがどんどん増えたのですが、やはり悪いことをする人間も増えていきました。特にソモラとゴモラという町の人間はひどかったので、その町だけマッチの火で燃やしてしまいました。 その子は自分のしたことを後悔しました。それ以降、その子はいくら紙の中の人間が悪いことをしても何もしませんでした。何をしてもよい自由を与えたと自分の責任を考えたからでした。しかし、自分の意志を持った人間を描けば、ひょっとしたら紙の中の人間も改心するかもしれないと思い、描いてみました。しかし、紙の中の人間たちは、その子の意志を持った人間も殺してしましました。幸いにして、その子の意志をもった人間の思いは受け継がれ、よい人間が増えてきました。一方、悪い人間も増えていきました。
ななしさんに送るお伽話3 紙の中の人間の中には、もし自分たちを作った者がいるのなら、なぜこんな悪いことをする人間を許すのか疑問に思う人間が出てきました。そして、その者たちは、自分たちを作った者などいないと結論づけました。 その子は、紙の中の人間がそう考えていることを知っていました。しかし、依然として何もしませんでした。紙の中の人間を愛していたので、その自由を奪うことは考えなかったのです。 その子には計画がありました。紙の中で人間が満ちた時、よい人間だけを自分の世界に招くことでした。悪い人間?紙ごと火の中に入れられましたとさ。
>>915 >おっちゃんに風呂を貸そうと家に連れて帰ったら両親は
>「何をされるかわからない、物を盗まれるかもしれない、お前は世間を知らない」
>と酷く私を非難し、おじさんに適当に金を渡し追い返しました。
あなたに、さんざん叩かれた805です。その話を聞いて、私も思い出したことがあります。
私の幼い頃、お酒に酔った父が、ホームレスのおじさんと意気統合して、
家に連れて帰ったことがあります。うちに大きな犬舎があったんですけど、母が気がついた
時には、2人仲良く犬小屋で寝ていたそうです。それで、家の中に連れかえり、一夜の宿を
提供し、朝ごはんを出して、ホームレスのおじさんは機嫌よく帰りました。
うちは両親ともキリスト教ではなかったのですが、親戚の人がキリスト教だった関係で、
十字架とマリア像が私のおもちゃ箱にありました。いつしか、そういう両親の
生き方と、キリスト教の教えが一致して、大人になってからクリスチャンになった
者です。それぞれに、いろいろなことが影響しているのですね。少し感慨深く拝見しました。
ななしさんは、そのことをご両親と話し合われましたか?話し合ってわかって下されば、
和解できるのではないでしょうか。ご両親も若い頃は間違われることもあると思います。
「親は子に教えられ」という言葉がありますが、キリスト教と無関係のこととしても、
ななしさんが、ご両親の心を見捨てられないように、と思います。
おせっかいなことを言って、すみませんでした。
そうでしたか、、、叩いてましたか。 私には誰が誰だかわかりませんので、特定の誰かという意識がないのですが・・・。 ネットの言葉の上のことですから、あまり気にしないでください。 って私が言うことじゃないんだけど。 いいですね・・そういうのは。よいご両親に恵まれたんですね。 今はもうおっちゃんは死んでしまいましたが、 家に連れて帰ったとき、うちの親の明らかに迷惑そうな反応と、 私と親のやりとりの最中に気まずい思いをさせてしまい、 その時の彼の顔がはっきりいってかなりのトラウマになっています。 昔のことを親に詰ったことはありますが「あの時はあれが最善だった」という感じです。 気持ちはわからないでもないんですけどね。 関係ないけど、日本のホームレスは物乞いをしない、 これは凄いことだとつくづく関心します。
>>919 そのお伽話を読んでしばらくこんなことを考えました。
私が神だったらどんな世界にし
どんなシステム(真理)にするだろう、、、と。
なぜ存在そのものがあったのだろう、と。
神ほど不可解なものはありません。
それは人間以上に、です。
925 :
名無しさん@お祈り :2001/05/15(火) 14:06
アブラハムがイサクを生け贄に捧げようとしたのは、 神が最初にアブラハムの子供イサクを通して、イスラエルの 諸部族を繁栄させようという約束を憶えていたからではないでしょうか。 神が自分に約束したことを違えることはない、必ず、神はイサクを 助けて下さるということを信じていたからできたことでは?
926 :
名無しさん@1周年 :2001/05/15(火) 14:11
>>921 オチがお粗末。
再考を強くお勧めする。
927 :
名無しさん@1周年 :2001/05/15(火) 15:05
>>925 それにしては「子供を殺して自分に捧げろ」などと言う神の
やり方はあまりに卑劣。また、「神はイサクを助けて下さると
いうことを信じていた」なら、この話自体とんでもない茶番だっ
た事になる。この話はアブラハムが自分の信仰のためイサク
を殺そうとした、それほどまでに自分の信じる神を優先した、
という所に要点があるわけだよね。もしアブラハムが、最初
から神がイサクを助ける事を前提にしていたのなら、アブラ
ハムにはイサクを「捧げる」(神のために殺し神に捧げる)意志
などなかった事になる。
928 :
名無しさん@1周年 :2001/05/15(火) 15:16
なつかしや、パート1があがってる。 ななしさんはコーヒー牛乳さん。
929 :
名無しさん@1周年 :
2001/05/27(日) 07:42 紙の中の人間は、紙の中の紙に神の言葉を書いた。それが聖書。 紙はすべての人とものを想う神の幻。