福音

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1バプ@品川
天国というのを定義するなら、イエスキリストを信仰しようが
しまいが、すべての人が入れるのだと俺は思う。
イエスキリストが、”信仰しきれない人間”のために罪をせわわれたから。

また、この世において、イエスを知ることや、信じることは、
「救われる」ことであると思う。
それは、「愛されていることを感じる」ことが人にとってとても
大事なことだから。

こういったことを、「福音」というのだと思う。

決して「信じないと地獄だよ」ということが福音でもないし
また、「信じたら天国」ということも福音でないと思う。

だれひとり”イエスを信じきる人がいない中”で十字架上のイエスが
いっさい”呪い”の言葉を語らなかったことを今一度考えてみたい。

みなさんの意見をきかせてください。
今日はもう寝ますが。スマソ
2名無しさん@1周年:2000/12/31(日) 02:50
悪人も天国に行くのか?それじゃ、やりたい放題だな。
3吾輩は名無しである:2000/12/31(日) 02:50
エリエリラマサバクタニは?まあ呪いとはいえんだろうが
4名無しさん@1周年:2000/12/31(日) 03:00
如何して十字架にかけられようか? 何故 【Father@` why you forsaken me?】など
いわるれであろうか?
吉田松陰の留魂録と比べれば、イエスがその様なこととを言うはずがない。
またイエスが我々の為にしんでくれた だの 神はキリストのことで精霊
であると、中世のヨーロッパのうんたら会議で決定された三位一体論を
当時の社会統制のための理論を未だにしんじているなんて阿呆もいいところだ。
クリスチャンは今あるキリスト教がイエスキリストが存在した時の教えと
遥かに異なることをしらなければならぬ。
こうなることをしっていてジーザスは【再び来た時私はこういう『お前達等しらぬ。』】
といってあろうがな。
また福音とは真理で、キリストは真理の御霊おりんとき 汝らに福音を述べん
といってあろうが。彼は福音の全てを述べていないのじゃよ。述べる事を
許されておらんのじゃよ。
5名無しさん@1周年:2000/12/31(日) 03:37
>>2
時代時代で変化する社会制度を守るかどうかということと宗教的
な善悪の概念は違っている。普通は宗教の方がきつい。というのは
普通の法律は人間の行為を重視するが宗教の場合は心の状態を
重視するからだ。なので人間は全て罪人ということになったりする。

仏教でも「殺生はいけない」ということになっているがそんな
のは生きている者には永遠に達成できない。達成できないので
みんな罪人なのだ。罪人でない人はいないのだ。そういう概念に
基づいた上で「罪人でも救われる」という風に言っていたり
しているのだ。国が作った法律に違反した人間がという意味
ではない。
6名無しさん@1周年:2000/12/31(日) 03:40
>>2
君は地獄行きだよ。
7名無しさん@1周年:2000/12/31(日) 03:55
2>6おまえがな。
8名無しさん@1周年:2000/12/31(日) 04:25
>>7
俺は悪魔だから最初からいるんだよ。(ワラ
9光の子:2000/12/31(日) 07:25

 天国や地獄って「どこか」にある場所ではなく、心の状態なん
じゃないかな。罪人はどこにいても安らげず「地獄」に生きるの
かもしれない。逆に、「この世」ですでに天国に生きている人も
いる。
10世俗教皇:2001/01/01(月) 07:07
それは福音って言うんじゃなくて、ヒューマニズムっていうんだ。>1
11名無しさん@1周年:2001/01/03(水) 12:32
んじゃ、ふくいんってなんだ?>10
12名無しさん@1周年:2001/01/03(水) 12:41
>>11
戦争から戻ってくること
13名無しさん@1周年:2001/01/03(水) 13:19
エヴァンゲリオン
14名無しさん@1周年:2001/01/03(水) 18:51
>>9
俺もそう思う。
新約聖書でももろに「天国はあなたの只中にある」と書いてあるよな。
この辺の事についてはだいたいの宗教は似たようなことを言っている
ような気がするんだが。死んでから行くというのは俗信から派生した
考え方じゃないだろうか?
15柳家地下水:2001/01/03(水) 18:54
まず、私の立場をはっきりさせておきますが、私はプロテスタントの信者です。
ただし、心は既にカトリック。
私はプロテスタントに多くの矛盾点を感じ、プロテスタントの信者をカトリックに改宗させる運動を密かに行っています。
今までに多くのプロテスタント信者をカトリックの教会に導きました。
先日も悪名高いICFから、カルト系として最近注目されている日本ホーリネス教団の信者をカトリックに導きました。
彼は今、教理の勉強をしていて、来春、カトリック教会に入信することになっています。
アレルヤ感謝です。
先の掲示板にも書きましたが、特に最近、日本ホーリネス教団とインマヌエル綜合伝道団のカルト化が急速に進んでいます。
16名無しさん@1周年:2001/01/03(水) 18:58
>>12
・・・「復員」?
17名無しさん@1周年:2001/01/03(水) 18:59
エヴァソゲリオソ
18名無しさん@1周年:2001/01/07(日) 06:27
>>14

 俗信というよりも、教団の都合なのかも。「教団のためにがんばれば
死後天国に行ける」というのは、非常に都合の良い「ご褒美」だからね。
コストもかからない上に、違ってても死人に口なし(爆)。
 宗教が組織化されるうちに、信者の統制(あるいは献金)のため死後
の地獄やら天国やらというものが「整備」されたんじゃないだろうか。

 そう言えば、某チルドレンの母親によると

「生きていこうと思えば、どこだって天国になる」

 とか。これこそが最高の「福音」だと思う。
19名無しさん@1周年:2001/01/07(日) 07:31
>>18
日本には「住めば都」という諺があります。(笑)
20名無しさん@1周年:2001/01/07(日) 07:42
>>18
あとで思ったんだが、たとえば仏教でも布教の時に「拝めば
極楽浄土へ行ける」とかやってるな。でもよくよく考えて
みると昔は文字も読めない人が沢山いたし印刷技術もたいした
事はないので経典を沢山作ることもそう簡単には出来なかった。
なのでまず人を集める必要があって方便としてそういう風に
言って人を集めたんじゃないだろうか? で、肝心なのはそこから
あとで、人が集まったら坊さんがわかりやすい言葉で説教
して教えを伝える。で、その話を聞いて各個人で悟るなり悔い
改めるなりする、という風な感じだったのではないだろうか。

しかし、当然の如くこういう手法は悪用されてしまうわけだな。
21名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 01:33
どんな悪人だって天国にはいけます。
再臨が来て、最後の審判の時に本当に悔い改めた人が行けるからです。
でもその時悪人だった人が急に悔い改める事などできるんでしょうか?
22名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 01:38
人殺しが臨終の間際に命のなんたるかを悟り改心して「神よ許したまえ」
これで全てなかったことになるとでも?>21
殺された人はどーなんの、その家族は?誰がその悲しみの責任をおうの。
悔い改めたからって天国にいけるってわけでもないと思う。
キリスト教の点数稼ぎじゃないの、そーゆーのって。
23名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 01:39
>15
同じキリスト教のはずなのに、なんでそんな細かな違いで、
対立がうまれるんだろうね。悲しい事だね。
キリスト教だけでもイッペン全ての宗派をゴワサンにして、
大まかにただのキリスト教として再統合できないもんかねぇ。
カトリックが一番元祖だと言うならカトリックでもいいよ。
神様は絶対こんなショーも無い宗派の違いを嘆いていると思う。
24名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 01:44
>>21-22
宗教上の「罪人」という言葉と普通の「罪人」という言葉は
概念がちょっと違うんだよ。普通は宗教の戒律に合わせて
考えると人間は全員罪人になっちゃうの。たとえば思った
だけで姦淫した事になっちゃうとかね。他にも色々あるが、
そういうのに照らし合わせて考えると全員罪人になるんだよ。
それで、そういう罪人でも救われる道があるという風に
言ってるのが普通の宗教。しかしその救いも普通の裁判で
無罪になるのとはまた意味が違う。心が救われるという
事だから。
25名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 01:48
イムマヌエル綜合伝道団のカルト化とは具体的にどういうことですか?興味津々
26名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 12:07
バプさん、ご苦労様。
煮ちゃんねるの迷えるオオカミどもを、天国でも地獄でもなく、ゴミ箱に導いてください。
27名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 12:53
おい、おい、ゴミ箱ってことはないだろ。ゴラァ
28>25:2001/01/08(月) 13:53
イムマヌエル綜合伝道団 = カルト

ってことです、論理学的には・・・。
29名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 14:00
論理学的って何だよ。さては無教養だな、君。
30名無しさん@1周年:2001/01/09(火) 10:29
カルトって、そんなに悪いものですか。

31柳家地下水:2001/01/09(火) 13:37
カルトは悪いものです。これほど迷惑なものはありません。
しつこい勧誘。
マインドコントロール。
異端の流布。
僕はインマヌエル綜合伝道団が一日も早く解散する事を祈ってます。
キリストの名によって命ずる、インマヌエル綜合伝道団の幹部よ。今すぐ教団を解散せよ。
アーメン。
32名無しさん@1周年:2001/01/10(水) 03:23
「ミイラ取りがミイラになる」ってホントですね。
カルト批判者というのは、しばしばカルトになります。
柳家さんはカルトになってません?

迷惑だし、しつこいし、高圧的で、愛がない。

カウンセリングを受けてトラウマを取り去ってください。
33バプ:2001/01/10(水) 09:06
すんません、スレッドたてたままにしてしまって。
いろいろレスありがとうございます。
34バプ@品川:2001/01/10(水) 09:08
2>>
物理的な罪うんぬんを損得勘定で考えたらそうなりますね。
でも、たぶん、そういうことと少し違うんだと思います。

物理的な損得でなく、愛されるってことが心に発生するかどうか
だと思います。
愛されるってことが心に発生したばあいには、それが
なにか悪いことをしほうだいしてやろう、、ってことには、
つながらないと思います。
35バプ@品川:2001/01/10(水) 09:13
>>3
その言葉ですが、いろいろと解釈があるようですね。
訳としては「我が神、我が神どうして私をお見捨てになったのですか?」
になりますね。

イエスは十字架でいくつかの言葉をはきました。

「この罪を彼らにおわせないでください。彼らはなにをしているのか
わからずにいるのです。」などです。

私は、この「罪をおわせないで、、」ということばが昔は一番好きでした。
なんかとっても格好いいから。
そして、その「我が神、我が神、、、、」は、なんかイエスが失望して
しまったようであまり好きな言葉ではありませんでした。

でも、いま、確信してるのは、むしろ「我が神、我が神、、、」の言葉の
ほうが、まさに救い主としての言葉だ、、ということです。
36バプ@品川:2001/01/10(水) 09:30
と、いうのも、こんな話をきいたからでごぜーます。

裁判のたとえ。

私たちが罪人だとすると(もちろんこれに異論を唱える方もいるでしょうが)
単純に裁判にあてはめると、私たちが被告人として考えられると思います。
で、神様が裁くとするなら裁判官。

この関係において、イエスは「人類を罪から解放するために」こられた。

裁判官である神様に、なんとか罪人を許してもらおうと一生懸命人生を
送った。
人が悔い改めるということを願って、時に、教え、時に愛を示し、、。

それにもかかわらず、人間は悔い改めきることができずに、やはり
弱さをかかえつついきている。(弟子が逃げていったように。もちろん
クリスチャンしてる俺もたくさん弱い。)

そして、その裁判にて、イエスは私たちのための弁護士としてたつ。
それが、私たちに示してくださった十字架の言葉、「なにをしてるのか
わからないのだから、罪を負わせないでください。」だと思う。
これもほんとに大事な言葉。そして、こういう言葉によって愛を感じる人も
多いと思う。
37バプ@品川:2001/01/10(水) 09:37
では、、もういっこの死ぬ直前に語った言葉はなんであろうか?

俺はこう考えている。

弁護士イエスは、「許して」と神に語ることをひたすらにしたが
最後の最後で、もっと簡単な方法をとったのだと思う。

それは、弁護士の立場を捨てて、自分が被告人の席にすわること。

イエスが私たちに「そこをどいていい」とかたり、私たちの代わりに
その被告人席に座った。

だから、もう、「許してあげて」などということばでなく、
ひとりの罪人として、神様に捨てられてくださった。

それゆえ「我が神、我が神、どうして私を見捨てたのですか?」
という、*嘆き*しかでてこなかったのだと思う。

俺は、このこと意外に自分を救う者はないって思っています。
もちろん、いい行いをすること、人を愛すること、神を一生懸命
信じようとすること、どれも大事なこと出し、それをめざしたいと
思っています。

でも、やはり、俺は、いい行いばかりをすることはんできなくて、
悪いことしてしまうし、となりびとを愛そうと思っても、むかついたり
ねたんだり、生理的に好かなかったりします。
また、神を信じようと思っても、疑ったりするし、神がともにいる
って信じようと思っても、ひとりがこわくなったり、孤独を感じたり
します。(もちろん、神がともにいてくれるって後から気づいて喜ぶ
ことがあります。)

こんな俺にとって「福音」ってのは、このまさに無条件なキリストの
身代わり、、しかないな、、っておもっています。
38バプ@品川:2001/01/10(水) 09:42
よい行いをする人が天国にいけるなら、それは、いったい誰がいけるでしょうか?
神様を信じることができる人が天国にいけるなら、いったい誰が神を
疑ったことがないでしょうか?

もちろん、いろんな考え方のクリスチャンがいることでしょう。

ですから、俺と違う考え方もあると思います。

また、行いなどをもっとも大事なこととをして、自分の人生を
厳しく戒めていくのが、その人にとっての幸せにつながることである
人もいると思います。
禁酒禁煙もしかりです。
それが大切な人、それが幸せに近ずくことだというひともいると思います。

ただ、俺は、そうでなく、この無条件な愛ってのを福音としてとらえる
ことが自分の人生を豊かにしてると確信してるのでそう語っているだけです。

またいろいろ意見をくださるとうれしいです。
レスが遅くてこんなこというのもなんですが。
39バプ@品川:2001/01/10(水) 09:53
10>>
そうですね。するどいご指摘だと思います。
実際私が語っていることがただの私のヒューマニズムなのか、
それともイエスがしめしたことをただしく表現しているのか?
とてもきわどいことだと思います。
よって、常に点検していくことが必要とおもっています。
40バプ@しながーわ:2001/01/11(木) 09:25
>>9
そうですね。
私は天国、、、とか、神の国っていうときに両方のことを思います。
いま、この世界に展開される天国(平安ってかいたほうがいいかな?)
と、いわゆる死後って世界の話。(ま、死後のほうはいろいろ考えが
あるでしょうが、、。)

で、よく、”信じる者は救われる”って言葉がありますが、あれは、
前者の意味でつかうぶんにはとってもまっとうな言葉だと思います。

やはり、そういう神様、、、みたいなものに出会って、それで平安を
得た人生、、ってのはとてもすくいのある人生だと思います。

また、後者の意味でも、使われることもあるかと思いますが、
私としては、あまりその意味では考えていません。
信じ切ることのできない弱い自分がいるからです。

自分が信じたから死後の天国へ入れる!!っていうほど強い信仰を
もってないからなのかもしれませんね。。。

そのように、100%信じ切ることができないままに、クリスチャンしてます。
それでも、私にとって神様の愛ってのが、もっとも大切なものとして、
私の人生に存在しています。
矛盾するようですけど、そんな人生です。
41名無しさん@1周年:2001/01/11(木) 23:24
ややなっとくあげ
42名無しさん@1周年:2001/01/13(土) 04:56
あげ
43名無しさん@1周年:2001/01/16(火) 17:28
バプテスト連盟は福音は?
べつにカルトでないな。
44age:2001/01/24(水) 19:20
age
45名無しさん@1周年:2001/01/28(日) 16:14
age
46thankyoujesus:2001/02/07(水) 02:01
ここですね。「福音」のトピックは。
以前、探したんですが、見つからなかった。あった、あった、よかった、よかった。

バプ@品川さん、あなたにあえてよかった。
あなたには見習わなくてはならないところがたくさんあるようです。
今後も、信仰の友として話して行きたい。

そうそう、バプテストには、尊敬できる信仰の先輩が1人います。
あなたで2人目です。
47バプ@品川:2001/02/07(水) 14:06
尊敬だなんてとんでもないです。
いや、本当に。
でも、私もQQQさんの書き込みを読めてよかったっておもっています。
これからもよろしくです。

またーりいきましょう!
48thankyoujesus:2001/02/08(木) 02:45
>だれひとり”イエスを信じきる人がいない中”で十字架上のイエスが
いっさい”呪い”の言葉を語らなかったことを今一度考えてみたい。

 そうか、そうか
 深い!
 もっと時間をかけて、ゆっくり考えます。
 中傷にすぐ反応してしまう私とは、随分とちがうようだぞ・・・
49名無しさん@1周年:2001/02/15(木) 11:06
age
50mokoriko:2001/03/08(木) 03:28
aiu
51man:2001/03/28(水) 22:59
52なありさん:2001/03/29(木) 12:43
あげ
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申し訳ございません。
思いっきり沈んでいたものですからテストさせてもらいました。
ごめんなさい。m(_ _)m