1 :
洗脳教育 :
2000/11/17(金) 09:58 1978年に南米のガイアナで912人もの人々が集団自殺を図るという前代未聞の事件があった。 彼らはPeople's Temple(人民寺院)に所属する信者たちで、この事件があって以来、 キリスト教のカルト(キリスト教と称しながら既成キリスト教会を否定し、独自の教理や教典を 持つ新興宗教)の活動と教育方針が注目を浴びるようになった。 カルトの指導の元で勉強する人々は、知らず知らずのうちに自分の教祖・組織に対して、 強い依存心を持つようになり、組織から言われた事を全て鵜呑みにして、その結果、もはや 自分一人で考えたり、判断したり、物事を決めたりできなくなる。言い換えればリーダーの 指示どおりに動くロボットになってしまうのである。この洗脳教育が人民寺院の惨事を生み出した 訳だが、エホバの証人も、People's Temple等のグループとよく似た 洗脳教育を行っている。(ウィリアム・ウッド著から抜粋編集→以下同じ)
2 :
名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 10:21
やれやれ、背教者の皆さんご苦労様。
3 :
社会にて :2000/11/17(金) 10:32
エホバの証人が受ける教育は、その社会生活にも大きな支障を来す。 ハルマゲドンが来て、その後にパラダイスが訪れると信じている彼らは、現世的な成功を いっさい否定する。エホバの証人にとっては、職業とは、日々の糧を得るための手段に 過ぎず、従って自分の労働時間を最小限に抑えてでも、ものみの塔のために伝道する。 さらに、諸国の政府が悪魔サタンの支配下にあるということで、エホバの証人は、 選挙に投票しない。地域の自治活動にも参加しない。自衛隊員、警察官、政治家、 学級委員等になることが禁じられている。 ものみの塔の教理では、一般の不信者も悪魔の側についているゆえに、彼らと交際しては ならないことになる(『ものみの塔』誌) ものみの塔がこの世での救済援助を否定することに疑問を持った元エホバの証人のAさんが、 ある時、会衆の長老に訪ねたところ、次のような答えが帰ってきた。 「戦争や飢餓は、聖書の預言どおり行っているので、神様の邪魔をしてはいけません。 そうした行動をするキリスト教は、予言の邪魔をしているのです」 Aさんは、何と冷たいのだろうと、呆れたと言う。
文句言う人は都合の良いようにとるので放置
5 :
名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 10:45
警察庁に勤務しているエホバの証人いますよ。
郵便局に勤めている子もいるよ(ワラ
7 :
エホバ紹介 :2000/11/17(金) 11:00
エホバの証人(ものみの塔) ピッツバークの商人で会衆派のチャールズ・T・ラッセルにより 始められた。聖書を独自に研究して、キリストの再臨は1874年、 世の終わりが、1914年と信じるに至った。 ものみの塔は雑誌の名で、宣伝に大変力を入れた。 既成の会派を攻撃するのと、入念な聖書の知識の伝達によって、庶民に浸透し、 千年至福の密かな期待が、一部では魅力となっている。 後継者J・C・ラザフォードによると「宗教は神に敵対する」というのであって、 また、キリストも最後の審判に際して、悪魔の軍勢を滅ぼしにくる存在という考え もあって、いわゆる正統的キリスト教の埒外にある。 by世界の宗教と経典
8 :
(1)ラッセルの預言 :2000/11/17(金) 11:02
<1914年に関しての預言> キリスト教会の滅亡。クリスチャンが天に引き上げられること。 ハルマゲドンが終了すること。神の国が設立されること。等 1914年に、第一次世界大戦が勃発し、信者たちは期待を高めた。 しかし、期待は裏切られた。ラッセルは、信者の動揺を最小限に抑えるために、 忠実に伝道を続けることを信者に訴えた。 それから2年後の1916年10月ラッセルは病気で64才の生涯を閉じた。 後に、この預言については、地上において実現するはずの事柄が、 天において実現した、という解釈になった。つまり、1914年に、 イエスキリストが天の王座についた、ということになる(1943年決定)
9 :
(2)ラザフォードの預言 :2000/11/17(金) 11:04
<1925年に関する預言> 1925年に、旧約聖書の義人たたちが復活して、地上における神の国の 支配者として現われる。そして、神の国が到来するから、現存する万民は 決して死することなし、という内容。 この預言を大規模な「万民運動」として、伝道した。 預言が実現しなかった時、ラッセルと同様、信者の動揺を抑えるのに 苦労した彼は「立証」という本の中で、こう書いている。 「エホバの忠実なしもべたちは、1914年・1918年(スパイ容疑で服役)・ 1925年に関して失望し、その失望は暫くの間続いた。(中略) 特定の日に何が起こるかを預言することをやめ、将来の出来事について 神の言葉に信頼する教訓を学んだ。」(1931発行)
10 :
(3)ネイサン・ノアの預言 :2000/11/17(金) 11:06
<1975年に関する預言> 1975年の秋に、ハルマゲドンが終わり、神の千年王国が始まる。 地上にパラダイス(楽園)が実現する。という内容。 3代目、ネイサン・ノアの、この預言が外れた時、その主な理由として、 「ものみの塔」誌で次のように述べている。 「そうした要素や、またそれらの要素から生まれ得る、幾つかの可能性がある以上、 アダムの創造から最初の女の創造までに、どれ程の時が経過したかを はっきり言うことはできない、ということです。(後略)」(1980年6月15日) その後、1977年にノア死亡。
11 :
エホバの証人預言一覧 :2000/11/17(金) 11:10
1799年・・・「終わりの日が始まった」 1874年・・・「キリストが再臨した」「千年王国が始まった」 1914年・・・「キリスト教が滅びる」「クリスチャンは栄化される」 1914年・・・「神の国は設立される」「第一次世界大戦で勝利を収める国はない」 1914年・・・「異邦人による統治は終る」 1916年・・・「今はハルマゲドンの真最中である」 1918年・・・「キリスト教は滅びる」 1925年・・・「旧約聖書の聖徒たちはよみがえる」 1937年・・・「大英帝国もアメリカも、カトリック教会に支配されるファシズム主義国となる」 1937年・・・「国際連盟は、ファシズムの連盟となる」 1941年・・・「数ヶ月たてば、ハルマゲドンに突入する」 1941年・・・「ナチス・ドイツは英国を滅ぼす」 1941年・・・「今の戦争で枢軸国も自由主義陣営も勝利を収めない」 1975年・・・「秋には神の千年王国が始まる」 19××年・・・「ソ連をはじめとする共産主義国はハルマゲドンで滅びる」 <最後までエホバが固守した預言> *1914年の出来事を見た世代が過ぎ去らないうちに、ハルマゲドンが起こる。* 1914年に10歳以上の方、と明記してあるので、 現在96歳以上の方々が、ご存命の間に、ハルマゲドンが起こる、という預言です。
はいはいご苦労さん >1914年の出来事を見た世代が過ぎ去らないうちに、ハルマゲドンが起こる。 そんなのとっくに無くなっているよ
13 :
名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 11:36
ホントご苦労さん。 死ぬまでやってな。ヒッキーさん。
14 :
預言がはずれた時の弁明 :2000/11/17(金) 11:47
言うまでもなく、ものみの塔は、その預言が外れたこと等について弁明する。 その代表的なものを幾つかピックアップしてみよう。 記事【間違いを認めるだけの寛大さを持って下さい】 「エホバの証人は教義や崇拝の仕方に関して間違いをしてきたことを躊躇わずに認めて います。・・・間違いをすることをこのように認めるからといって、エホバの証人は 決して偽りの予言者としての烙印を押されている訳ではありません。なぜなら、 偽りの予言者は自分が間違いをする者であることを認めないからです」(『ものみの塔』誌) これによると、間違ったことを教えても、その間違いを認める寛大さがあれば、 偽予言者でなくなるそうだ。不思議な論法だ。 さらに、この問題に関してエホバの証人は、 「私たちの組織のリーダーも人間も人間ですから、時には間違いを犯すのは当然でしょう」 と弁明することがある。(『ものみの塔』誌)しかし、これは問題の核心をごまかすための トリックにしか過ぎない。 なぜなら、組織の首脳部は、その考えが人間の考えによるものではないことを、 初めから徹底的に主張してきたからである。
15 :
訂正 :2000/11/17(金) 11:52
私たちの組織のリーダーも人間も人間ですから ↓ 私たちの組織のリーダーも人間ですから
>トリック このへんが偏見に満ちたところですかね ま、どうせコピペなんだろうけど
エホバの証人の教理を幼児に教えるための本として「わたしの聖書物語の本」がある。色々な聖書の話を、 ものみの塔特有の解説とともに分かり易くまとめたものだが、最後にはこう書いてある。 「私たちに素晴らしい神エホバとそのみ子について、できるだけ多くの人に話しましょう。そうすれば、 私たちは神の新しい楽園で永遠に生きることが出来るでしょう」このように、小さいうちから教育され 訓練される子供は「神の新しい地上の楽園」で永遠に行きたいという希望を持つと同時に、 「ひょっとしたら、伝道が足らなくてハルマゲドンで滅ぼされるのではないか」という恐怖を覚えるようになる。 エホバの証人の子供は、日頃から死というものに対して、多大な不安を持っている。 子供たちにおいても、伝道の実績を作っておかなければ、地上の楽園に復活する見込みがなくなるからである。 そして、このプレッシャーの度合いを倍加しているのは「ハルマゲドンが近い」というものみの塔の決まり文句である。 「私たちの王国宣教」は、エホバの証人の若者に対しても、こう述べている。 「神の王国が間もなくこの体制に終わりをもたらし、義の支配の下で全人類を祝福することを本当に信じていますか。 では、奉仕の勤めに携わり、効果的に音信を伝える点で進歩するよう努めることにより、それを信じていることを 示して下さい」(以上エホバの証人年鑑) エホバの証人の伝道者たちが布教活動を行う際、子供を連れ歩くことが多い。彼らはただ大人について回ってるのではない。 組織の訓練を受けた一人前の伝道者だ。大人の伝道者と全く同じ台詞を用いて家の人に話しかけ、雑誌を勧める。 聖書を開いて、教理について流暢に述べる、効果は抜群である。宗教に関心のない人であっても、相手が子供なら つい聞いてしまう。勧められた雑誌も断れない。場所によっては、大人よりも子供の出版物配布数が上回るところもある。 初代のラッセルから始まる子供と若者の伝道参加の訓練は、現在も続いている。
子供の伝道参加の訓練は、組織の圧力があってこそ成り立つものだ。 親も子供も、自分が生きるか死ぬかが、かかっていると教育されるのである。 つまり、伝道しないものはハルマゲドンで滅びる、ということである。 「ものみの塔」誌から引用してみよう。 「次の事実を忘れてはなりません。すなわち真理を知る機会があり、 また生命をエホバに捧げるとはどういうことか知りながら、 なおも献身しない人(注・伝道者にならない人)にとっては、 死を意味するということです。」 子供たちの親に対して、次のような記述もある。 「野外奉仕(伝道)の真の目的に対し、子供たちは認識を欠いていますが、 命が関係していること、また私たちの奉仕が、エホバに誉れとなることを 子供たちが悟るように助けて下さい。」(「わたしたちの王国奉仕」誌要約) 「自分の子供を愛して、子供が新しい世で生活するのを見たいと思う両親は、 子供が奉仕(伝道)を拡大し多くの責任を負うように励まし、導くでしょう」(「ものみの塔」誌) 若者に対して次の記事もある。 「若い皆さん−忠節をもってエホバに仕えなさい」(「わたしたちの王国奉仕」誌) 「私たちが、永遠の命を得るためには、エホバとエホバの組織に対する忠節が必要です。 忠節な若者たちは会衆の集会と同様、野外宣教(伝道)にもあずかります。(中略) ますます大勢の若者たちが、宣教を生涯の仕事にすることを学び、 高所得の仕事とか大学教育を退けています。 年長の人たちからの助言や導きが忠節で神聖な奉仕にとどまるのを 可能にするでしょう。(要約)
19 :
名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 22:23
そんなにだめな宗教なら、なんで一度辞めた奴が戻ってくんの? 俺の友達にもいた。「宗教ヤメトケ」っつたのに、またカムバックしてった。 それと、部外者のオレから言わせてもらえば、 18は、ただ重箱のすみつついてるようにしか見えない。 自分が「これは違う」と思うなら、その宗教辞めればいいだけの話で、 なんでいちいちそんなこまけー事気にすんの?
さらに子供が忠実な伝道者として歩み続けるために、「外の世界」との交流が見事に カットされる。それについて、若者には、次のような言葉がある。 それによれば、外部の人間のみならず、仲間のことも疑え、という記述がある。 「この世の若者の中にも、良さそうな人がいるかもしれません。それはただ、そういう人が 煙草を吸わなかったり、汚い言葉を使わなかったり、不道徳なセックスをしなかったり するからです。しかし、その人が義を追い求めてなければ、その人の肉的な考えや 態度は、簡単にあなたにうつってしまうかもしれません。・・・ですから、不健全な 仲間からは離れて下さい。霊的に熱心で、エホバを愛しているクリスチャンとだけ 交わるようにします。会衆内の若者や批判的な若者にさえ、気をつけましょう。」 親には 「理想的なのは、親が子供のために良い計画を作り、外の交わりのため、時間が、 あまりあるいは少しも残らないようにすることです。」 「不信者(外部の人間)と係わり、交わり、あずかり合いがあってあなりません。 別の言葉で言えば、神と交わるためには不信者と交際を持ってはいけないのです」 外部の世界に対する説明がどうであっても、ものみの塔は、子供の生活の あらゆる面を完全にコントロールしている。 子供に課せられる規則は、数えきれない。次には、具体的な事例をあげてみよう。
22 :
1 :2000/11/17(金) 22:50
現在のエホバの証人さんたちへ このスレが気に入らなければ、さわらないで下さい。 現在と違うと意見がおありでしたら、指摘して下さっても結構ですが、 どちらかと言えば、これまでの歴史、として見て下されば、 腹も立たないと思うのですが。 だいたい、1960年〜1996年あたりのことをコピペしていますので。
<具体例の一部> 「誕生日・クリスマス・父の日・母の日を祝ってはならない」 「国旗敬礼をしてはならない」 「国家・校歌・応援歌を歌ってはならない」 「学級委員の投票をしてはならない」 「運動の試合で応援団に参加してはならない」 「宗教的もしくは愛国主義的な祝日に関連した音楽や美術の授業に参加してはならない」 「学校の部活動に参加してはならない」 (不健全な交わりにさらされる。スポーツの競争心が有害な影響を及ぼすなどの理由) これらの規則を守ろうとするエホバの証人の子供たちは、その当然な結果として 学校生活において孤立した存在になってしまう。いじめの対象になることも しばしばある。 そこで「エホバの証人以外の人々は、ハルマゲドンで滅びるべき悪い人たちである」 という組織の教育が、更に体験的に印象づけられて、子供はますます 組織に依存し、組織に避難場所を求めるのである。
24 :
名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 23:29
>>19 やめた人間がまた戻るからと言って、悪い宗教でない根拠にならないでしょ?
コピペの中にもあるけど、やめることへの恐怖心、罪悪感を植え付けられ、
エホバの証人という組織の中で育てば、外で生きていくことを難しく感じるのも
不思議じゃないでしょ。
「やめればいい」なんて簡単なもんじゃない。理由を知りたきゃ、調べてみ。
調べる気もないんなら、「何も知らないくせに、書き込むな」って思われるのがオチだよ。
25 :
名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 23:36
なにアツクなってんだよ。 ばーか。
26 :
輸血拒否 :2000/11/17(金) 23:55
当時、日本中の国民が関心を持った、エホバの証人の輸血拒否事件の経過を、 もう一度再現してみよう。 1985年(S.60)6月6日午後4時30分頃、神奈川県川崎市にある久地駅前の 交差点で、鈴木大君という10歳の男の子がダンプカーにひかれ、両足を骨折した。 大君はすぐに聖マリアンナ医科大学病院に運ばれた。出血多量のため ショック症状が現われ始めていたものの、意識ははっきりしており、 「両下肢開放性骨折・入院60日」と診断された。医師団は手術の準備に取り掛かった。 ところが、手術前に事故の連絡を受けて駆けつけた両親が、宗教上の理由で、 手術に必要な輸血を拒否した。彼らは熱心なエホバの証人だったのだ。 当惑する医師団は、親を説得し、手術とそれに伴う輸血の承諾を得ようと試みた。 しかし、親の決意は予想以上に固かった。だんだん血圧が下がり、意識レベルも降下し、 子供はショック状態に陥っていった。医師たちは再三、輸血の必要性を説得し続けたが、 両親は一歩も譲らない。「輸血をしないとお子さんは死にますよ」と医師が言うと、 両親は「たとえ子供が死んでも、楽園で復活があります」と答える。 最後に決意書を医師に渡した。それにはこうあった。 「今回、私の息子が、たとえ死に至ることがあっても、輸血なしで万全の治療をして 下さるように切にお願いします。輸血を受けることは、聖書にのっとって受けることは できません」 住所と電話番号が書いてあって、署名の後には捺印がされていた。 病院に運ばれて約5時間後、大君は死んだ。解剖結果は「失血死」。 うぅ不覚にも書きながら泣けてきた。読むと書くは違うね。 でもって、今日はここまで<1
27 :
名無しさん@1周年 :2000/11/17(金) 23:58
煽って何ぼの2ちゃんねる・・・・か。
28 :
名無しさん@1周年 :2000/11/18(土) 00:00
頑張れ>子どものコントロール 無知は危険だ 反教団カキコ見たくない奴はここに来なければいいじゃん それこそ、なに細かいこと言ってんだ
>26 大勢のJWは、「大君は事故に遭ったときもう助かる状態ではなかった」 と聞かされ、それを信じてます。俺は、元だけど、そう知らされてました。 JWは自分たちに良いようにしか情報を流さないのだなあと 改めて感じました。 コピペ、頑張ってくだされ!
元は人によっちゃあタチ悪いね、どの宗教でもな >コピペ、頑張ってくだされ! で、頑張ってもらって、何を期待しているの?????
31 :
名無しさん@そうだ選挙はしちゃいけなかったんだ :2000/11/18(土) 04:58
>30 お前が一番タチが悪そうだが。
32 :
輸血拒否 :2000/11/18(土) 05:12
>29はい、頑張ります(笑) 前述<26の、鈴木大君のご両親は、医師から輸血の必要性を説得され、かなり動揺した と言われている。(『説得』大泉実成著、現代書館、275頁)しかしその都度、両親は 「相談してきます」といって、詰め掛けて来た信者やリーダーと話あっては 「やはり輸血を受けることは出来ません」と返事するのであった。 両親二人だけで決断することができなかった訳である。 エホバの証人の輸血拒否による死亡事件は、アメリカなどでは以前から多発しており、 日本でも死亡例は、既に数件あったが、いずれも死亡した本人の意思であった。 親が子供の意思と関係なく、輸血を拒否して死なせたという内容で、日本のマスコミを にぎわしたのは、この事件が初めてであった。 各地の各団体で信教の自由に関する激論が繰り広げられた。医療、法律の分野でも 対応策が論議されたが、再発を防止する決めてとなる結論は出なかったという。 厚生省の医事課も「心の問題であり、国の施策になじまない」と述べるにとどまった。 川崎市の事件以来、北海道(34歳主婦)浜松市(男子高校生)にも信者本人による 輸血拒否死亡事件が発生している。今後も必ず起こり続けるだろう。 なぜなら、日本のエホバの証人の信者は17万人を超え、研究生(洗礼前の段階の人)が 少なくとも15万人いると推定されているからだ。しかも、その数は増加する一方 である。今も、17万人を超えるエホバの証人の信者が、毎月平均して40時間をかけて 日本中の家庭をくまなく回って野外奉仕(布教伝道)を続けているからに他ならない。
33 :
名無しさん@1周年 :2000/11/18(土) 13:43
宗教オタクはクセーから死ね
34 :
名無しさん@1周年 :2000/11/18(土) 14:03
>32 でもね、あのね。 輸血のことでエホバの人を叩くけど、一般ピープルでも輸血 はコワイです。 エイズになったり肝炎に感染したり・・。 A/B/O/ABっていう4種類の血液型の分類は弊害あると思いますぅ。 実際、私の親戚で輸血の後遺症で苦しんでいる人を見ると、ちょ っと輸血は嫌かなって感じます。 輸血をしなくても大丈夫な方法もあるようだし・・。 でも、私のカキコで怒らないで下さいね。 ここってブラウザークラッシャーとか嫌がらせされるって聞いた もので・・。
35 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/11/18(土) 14:42
上のレスって、ちょ、ちょつよだね。
36 :
名無しさん@1周年 :2000/11/18(土) 15:34
>35 うむむ、なんだか意味がわからんぞう。
オームや法の華に比べたら、問題点がちっぽけだねー。 シアワセそうでうらやましいッス。
ものみの塔の教育の最初の狙いは、組織を絶対的権威のある高い立場にして、 研究生をはるか下の立場の者にすることである。組織は神のことを何でも理解しているが、 信者には何も分っていないということになる。 『ものみの塔』という名前が用いられているのも、このことと深い関係がある。 つまり、組織のリーダーは、高い「ものみの塔」から全てを見渡せることが出来るが、 信者は何も見えないことになる。 「ものみの塔」誌より、その部分を抜粋してみよう。(スレ立て人より→すごく具体的な文章です) 「高い塔の上の部署に就き、前屈みの姿勢を取りながら、昼間は地平線のあたりをじっと眺め、 夜は目を凝らして闇を見据える。常に警戒を怠らない見張りの者の姿を思い描いて下さい。 ・・・見張りの者はしっかり目覚めているで、正常な人ならこの者が報告を声高く告げることに 疑いを差しはさまないでしょう。 同様に今日でも、見張りの者級はエホバがこの事物の体制のために、備えておられる事柄を 理解できるよう、聖書の研究をすることに励んできました」 ここにあるように、高い塔にいる者、つまり組織の言うことに疑いを差し挟むような人は 要注意人物としてマークされる。 それでは、組織の支配について、しばらく続けてみたいと思います<1
ものみ塔の研究生がはじめからたたき込まれることは、 「ものみの塔だけが神に認められる唯一の真の宗教であり、その指導者が神の代弁者である」 ということである。 さらに、聖書を理解するためにも、正しく生きるためにも、また地上の楽園に入るためにも、 ものみの塔の組織を認め、常に組織の指示を仰ぐことが不可欠だと教育される。 組織を認めない者は、たとえ聖書を読んでも、真理を追求しても、真面目に生きようとしても 悪魔の手先であり、そのような者を待ち受けているのは、「死」であると指導する。 「ものみの塔」誌から抜粋してみよう。 「(前略)この組織だけがエホバの目的のために、またエホバに賛美を帰するために機能を果たしているのです」 「・・・エホバ神は、あらゆる国にいるクリスチャンが聖書を理解し、それを自分たちの生活に正しく適用する ための助けとして・・・ご自分の『忠実で思慮深い奴隷』を備えて下さいました」 さらに、別の「ものみの塔」誌では、次のように書かれている。 「神の家族内の、すべての人にとって、地上の「忠実な奴隷」を通して伝達される、偉大な神権統治者エホバ、 および王なるみ子キリスト・イエスの教えや取り決めに、忠節に服するのは、何と重要なことなのでしょう」 (ここで、注目すべき点として、組織の教えや取り決め=神の言葉、と解釈されていることである) (これを踏まえて次を読む) 「神権的秩序は、まずエホバご自身を頂点として始まり、そこから下に向けて拡がっているのですから、 私たちは、神権的な支配から独立して悪魔サタンを見倣す者になってはいけません」 (次には、組織に忠実でなかった者は死刑になると脅している) 「私たちは神権的支配に服さないよう勧めたサタンの欺瞞的な言葉に従ったエバに起った悲惨な結果を 思い起こして下さい。サタンはエバに、次のように語りました 『神から独立しなさい。自分で考えなさい。正邪は自分で決めなさい。そうすればあなたは神のようになり 決して死ぬことはありません』 この言葉は魅力的であっても、偽りでした。イヴがエバに加わり、神権的秩序に服することをやめた時、 二人はエデンの国から、神の家族から追放されました。やがてエホバが警告しておられた通り、 二人は死に処されました」
40 :
訂正 :2000/11/18(土) 17:12
>39 イヴがエバに加わり→アダムがエバに加わり(原文はアダム→夫と書かれている)
41 :
名無しさん@1周年 :2000/11/18(土) 22:43
39読みにくくてすみません、繰り返し編集します。ご迷惑かけます。 ものみ塔の研究生がはじめからたたき込まれることは、 「ものみの塔だけが神に認められる唯一の真の宗教であり、 その指導者が神の代弁者である」ということである。 さらに、聖書を理解するためにも、正しく生きるためにも、また地上の楽園に入るため にも、ものみの塔の組織を認め、常に組織の指示を仰ぐことが不可欠だと教育される。 組織を認めない者は、たとえ聖書を読んでも、真理を追求しても、真面目に生きようと しても悪魔の手先であり、そのような者を待ち受けているのは、「死」であると指導する。 「ものみの塔」誌から抜粋してみよう。 「(前略)この組織だけがエホバの目的のために、またエホバに賛美を帰するために 機能を果たしているのです」「・・・エホバ神は、あらゆる国にいるクリスチャンが 聖書を理解し、それを自分たちの生活に正しく適用するための助けとして ・・ご自分の「忠実で思慮深い奴隷」を備えて下さいました」 さらに、別の「ものみの塔」誌では、次のように書かれている。 「神の家族内の、すべての人にとって、地上の「忠実な奴隷」を通して伝達される、 偉大な神権統治者エホバ、および王なるみ子キリスト・イエスの教えや取り決めに、 忠節に服するのは、何と重要なことなのでしょう」 (ここで、注目すべき点として、組織の教えや取り決め=神の言葉、と解釈されていることである) (これを踏まえて次を読む) 「神権的秩序は、まずエホバご自身を頂点として始まり、そこから下に向けて拡がって いるのですから、私たちは、神権的な支配から独立して悪魔サタンを見倣す者になっては いけません」 (次には、組織に忠実でなかった者は死刑になると脅している) 「私たちは神権的支配に服さないよう勧めたサタンの欺瞞的な言葉に従ったエバに起った 悲惨な結果を思い起こして下さい。サタンはエバに、次のように語りました 『神から独立しなさい。自分で考えなさい。正邪は自分で決めなさい。 そうすればあなたは神のようになり決して死ぬことはありません』 この言葉は魅力的であっても、偽りでした。アダムがエバに加わり、 神権的秩序に服することをやめた時、二人はエデンの国から、 神の家族から追放されました。やがてエホバが警告しておられた通り、 二人は死に処されました」
>42の文章で、注目すべき点が2つある。ひとつは、悪魔がエバに語ったとされる言葉が、 聖書に忠実でないということ。(やや42と重複しています) 悪魔の言葉を正確に述べると、 「そこで蛇は女に言った『あなたがたは決して死にません。 あなたがたがそれ(善悪の木の実)を食べる時、あなたがたの目が開け、 あなたがたが神のようになることを神は知っているのです』」(新改訳聖書) 「ものみの塔」誌は、この誘惑の言葉を 「神から独立しなさい。自分で考えなさい。正邪は自分で決めなさい」と表現し、 人間が自分で考えたり、決断したりすること自体が悪であるかのように述べている。 もうひとつは、ものみの塔の組織が、神と同等の権威を主張していることである。 「組織の教えや取り決めイコール神の言葉である。したがって組織の言うことを聞かない者は、 アダムとエバと同じ罪を犯したことになり、それは死刑に値する」と言っている訳である。 こうして、信者に対する権威をより強いものにするために、「神」とあるべき聖書の言葉が、 「組織」にすり替えられているのである。
(「ものみの塔」誌) 「・・・一部の人々は、この組織がこれまでいくつかの調整を行ってきたことを指摘し、 (この点からすると、私たちは何を信じるかについて自分で決定しなければならない) と論じます。これは独立的な考えです。この考えが非常に危険なのはなぜですか。 (中略)・・・自分は組織よりもよく知っていると考え始める人は、こう自問してみるべき です。「自分は最初に真理をどこで学んだか、組織の導きがなかったら真理の道を 知っていただろうか、実際に神の組織の指導なくしてやっていけるだろうか」 確かにやってゆけません!」 この言葉によると、自分が何を信じるかを自分で決定する者、あるいは、組織の指導 なくして生きていけると思う人は、危険な立場にいるというのである。そして安全なのは 素直に組織に従う者だけ、ということになる。 このようにエホバの証人は、自分が何を考えるべきかを組織から事細かに 教わる訳だが、同時に、何を考えてはならないか、ということも厳しく訓練される。 組織に対する疑問、否定的な考え、批判的な思い、不満などを一切捨てるように 持たないように教育される。外部の人から組織に対する正当な批判があっても それを偽りということにしたり、迫害だといって絶対受け付けない。 また、内部の人が疑問を抱いて質問した場合「悪魔の影響を受けている」とか 「霊性が低い」といって、未熟者あつかいをする。 こういう訳で。いかなる場合にも、組織が正しく組織を疑う者が悪い、という ことになるのである。
エホバの証人の間では、エホバが是認している組織を疑うことが最大の罪とされている。 まして、不従順は滅びに至らせる罪であると、反復して教育する。 それゆえ、普段はにこやかに話したり、穏やかな態度で人の話を聞いたりする エホバの証人が、相手が組織に対する疑問をぶつけると、顔色を変えて完全に 心を閉ざしてしまう。震えあがる人もいるし、怒り出す人もいるし、そそくさと 逃げてしまう人もいる。組織を疑うことが怖いのである。 また「ものみの塔」誌の中で、組織は信者の母に例えられている。したがって 信者は子供の立場になる。長いので引用を要約したものをあげておく。 「我が子よ、汝の父のいましめを守り、汝の母の法を棄つるなかれ。それ いましめは燈火なり。法は光なり。教のこらしめは生命の道なり・・・これには 父のいましめと母の教なる法の2つの事柄が言われています。(中略) この世には神のいましめの書かれた聖書で満ちていますが、なぜ、人は 正しい道を見つけることができないのですか。なぜなら、母の教なる法を持って いないからです。 エホバ神が全人類に与えた聖なる御言葉の中には、 生きるのに必要なすべての知識が記載されています。しかしその御言葉を 自立で語らせるとか、真理を自立で輝かせるというのは、神のとりきめ給うもの ではありません。母の教なる法は、神の制度を通して備えられるのです。 エホバ神を私たちの父と認め、その制度を母と認めねばなりません。(後略)」 このように、エホバの証人の信者は、子供のごとく、黙々と「母なる組織」に 従っていく訳である。
46 :
名無しさん@1周年 :2000/11/19(日) 16:13
↑ みなさ〜ん、あまり長いカキコは読むのがしんどいので短くしてね。 アタマ悪くてごめ〜ん。
>46それでは短く。 <国語辞典> 宗教=@ 心の空洞を癒すものとして必要な時、常に頼れる絶対者を求める 根源的、精神的な営み。 A また、その意義を必要と説く教え。
48 :
名無しさん@1周年 :2000/11/21(火) 12:51
>1さん あなたは結局何をやりたいわけ?
>47は1ではありません。 ずっと堅いお話が続いたので、次はエホバの証人の家庭崩壊について、 しばらく続けたいと思います。創始者ラッセルも妻と離婚したことにちなんで、 エホバの証人の信仰が、多くの家庭に深刻な問題を提供していることに注目してみましょう。 1992年10月4日、韓国でショッキングな事件が起った。江原道原州市内のエホバの証人の 王国会館(集会場)で一人の男性が入口にガソリン10gをまいて放火した。火が建物全体に広がり 逃げ遅れた14人の信者が焼死し、26人が火傷を負った。 放火した男は、妻が半年前から集会に参加するようになったことに反対し、その日も妻を引き留め に王国会館に来たが、妻が「来ていない」と他の信者に言われて逆上したものと見られる。 日本でも1986年9月、横浜市で39歳になる県立病院の精神科医が、エホバの証人である妻を 殺害するという事件が起きている。妻が入信したのは5年前だった。 彼は真面目で温和な性格で、かっては奥さんと仲が良かったことで知られていたという。 しかし、妻が入信して以来集会出席や布教活動で頻繁に外出するようになり、家事や 子供の教育がおろそかになり、信仰をやめるように迫ったが、妻は嘘をついてまで外出を 続けたので堪り兼ねた夫は、その晩酒を飲み妻に殴る蹴るの暴行を加えたあげく殺害した。 同じ年の正月には、夫は家に集まった親族の前で、妻を指して叫んだ。 「こいつは魔女だ!『エホバ』は家庭を壊す宗教だ!」 夫はなぜここまで追いつめられていったのか、このあと他の事例を参考に考えていきたいと思う。 17万人もの訓練されたエホバの証人の伝道者が、毎月平均して40時間をかけて日本の家庭を くまなく回っている今日、エホバの証人に無関心でいることはもはや許されない。 信仰について、組織についてどうなっているのかを明らかにして ありのままの情報を与えなければ、家庭崩壊の被害が広がっていくだろう。
20年ほど前から、家族の一人がエホバの証人になり、生活が一変し、 家事を放棄して、家族をかえりみずに、異様な熱心さで伝道に当たっている という現状を訴える者が増えてきている。 そのうちの、いくつかのケースを、取り上げてみよう。 (ケース1) 大阪府の石橋さん(仮名)。奥さんがものみの塔の勉強を始めたのは15年前で、 「聖書を学ぶのは良い事だ」と考え、最初の2年は奥さんを励まし、送り迎えも していた。 しかし、選挙や誕生日を祝うことさえ否定するようになった。 奥さんの言動に疑問を感じ始め、忠告を与えた。だが、 奥さんは耳を貸そうとせず、家庭は大混乱に陥り、離婚寸前にまで 発展してしまった。 (ケース2) 名古屋市に住むTさん。奥さんが2年前からエホバの証人の学びをし、 5歳の長男を連れて夜の集会にも出席し、洗礼を受けるための準備を進めている そうだが、Tさんが奥さんの言動に疑問を感じ始め、その信仰にブレーキを かけようとしたところ、奥さんからも、5歳の長男からも 「あなたは悪魔だ」と言われて、計り知れない苦痛を覚えたと、話している。
(ケース3) 東京都に住む荒井さん(仮名)。6年前からエホバの証人と一緒に学んでいた 奥さんの生活ががらっと変り、狂信的な態度が目立つようになり、荒井さんが 危機感を覚えたそうである。冷静に話し合って、信仰をやめさせようとしたが、 「エホバの証人をやめさせられるくらいなら、包丁を持って来い」と奥さんが 叫んだと言う。 (ケース4) 東京郊外に住む大野さん(仮名)。大野さんは初めから、妻が宗教団体の集まりに 出かけていると感づいていたが、黙っていた。ものみの塔の勉強をするようになって 1年ほど立ったある正月のことである。野球の仲間たちが、大野さんの家を訪ねて 子供にお年玉をやろうとした。ところが妻は、聖書の教えに反するということで 受け取らせない。大野さんは「これは絶対に変な宗教だ」と思い、その後、 宗教の問題をめぐって、どなりあい、言い合いが続いている。 (ケース5) 横浜市に住むSさん。夫婦間で摩擦が絶えないということで、Sさんは、 エホバの証人の伝道者となった奥さんとの離婚訴訟の手続きをした。 その手続きの書類の中で、離婚請求の理由として挙げられたものを、 次に転記することにしよう。
51>前述、横浜市のSさんの離婚訴訟の時に提出した離婚請求理由の内容。 @ 被告は毎日、奉仕と称して、昼間の2ないし6時間位入信勧誘のため戸別訪問 して、歩き回っていること。 A 火曜日と金曜日の夜6:45から8:45まで、及び日曜日の昼12:00から 3:40まで、集会と称する信者の集まりに出席すること。 B 年3回位、各2、3日ずつ、早朝から夜まで、大会と称する信者の大きな集まりに 出席すること。 C 大きな時間帯をその宗教のために割いて、家庭生活をないがしろにすること。 D 原告が持病(省略)で苦しく、看病してほしいと思う時でも、被告はその宗教が 最優先であって、集会に出席するため、出ていってしまうこと。 E 被告は、子供が風邪を引いていても、家に置いて看病するどころか、必ず集会に 出席し、さらに子供にその宗教を教え込むことに執着するあまり、 雨の中でも風邪をひいている子を奉仕や集会に連れて行って、しかも当然と 考えていること。 F 被告は、日本のどの子供も楽しむ童話、童謡、正月、ひなまつり、七夕、 クリスマスなどに、自分の子供が馴染むことを禁止にし、それらの本や カセットテープがあれば捨ててしまうこと (つづく)
52>前述、横浜市のSさんの離婚訴訟の時に提出した離婚請求理由の内容。 (つづき) G 被告は、原告と約束していた家族旅行も、集会に行くことになったから という理由で、一方的にやめてしまうこと。 H 被告は、子供を叱る時も、その宗教のやり方に沿って、赤い跡がつく程に ムチで打つこと。 I 被告は、原告が子供が小さいうちに特定の宗教を教え込むことに反対すると、 これに応じず、かえって原告にサタンがついてると、子供に教え込むこと。 J 原告は、被告が子供を集会などに連れ出すのを防止するため、毎週火曜日と 金曜日などには残業を断って早く帰宅しなければならず、それでも被告は、 日時のウソをついて、子供を集会などに連れ出すこと。 (以上11項目)
54 :
1 :2000/11/21(火) 23:33
>>48 >>1さん あなたは結局何をやりたいわけ?
多くの一般の方に「エホバの証人」という宗教団体を知って頂きたいと思っています。
それでも、入信するかどうかは、各自の判断だと思いますが、勧誘、友人の勧め、
などにより、少ない知識で安易に入信される方が、減ることを願っています。
55 :
名無しさんといつまでも一緒 :2000/11/21(火) 23:38
ものみの塔で信者の若い女集めて SEX乱交したいな〜 フェラチオ大会でもいいんだけど あと、女の信者をM奴隷にしたいです
1984年、大阪の会社員が、エホバの証人の宗教活動に熱中し、子供の教育にまで 教義を持ち込もうとする別居中の妻を相手取って、4歳の長男の引き渡しを求める 裁判を起こした。 裁判長は、「自分の信じる教義を子供に押し付ける事は、子供の個性を損ないかねず、 真の愛情とはいえない」と、夫の言い分を認める判決を下している。 また、1987年1月に、大分地裁でも同じようなケースで、夫の主張をほぼ全面的に 認める判決を言い渡している。 <歴史のポイント> 120年ほど前、アメリカのペンシルバニア州での小さな聖書研究会から 始まったものみの塔は、現在約230の国や地域で活動し、約430万人もの 信者を抱える、巨大な組織に成長した。 「ものみの塔」誌は毎月112の言語で、約1600万部発行されている。 「目ざめよ!」は、67の言語に翻訳され、月約1300万部発行されている。 この成長の理由を説明するために、エホバの証人が用いる聖書箇所がある。 それは、イザヤ書60章22節である。 「ちいさな者が子となり、小なる者が強大な国民と(なる)」 エホバの証人は、自分たちの組織こそが、この予言の成就であると主張するが、 600万人の会員を持ち、驚異的な成長を遂げ続けているモルモン教会にも、 イザヤ書の言葉は、おなじみの箇所である。
57 :
名無しさん@1周年 :2000/11/22(水) 11:13
>55 バカだなお前。証人の女は大抵処女で、セックスにもあまり積極的でないからおもしろくもなんともないぞ。お前経験少ないだろ。 AV見て一人で妄想してろ、この変態野郎が!
58 :
名無しさん@1周忌 :2000/11/22(水) 15:51
アーメン・ラーメン・冷やソーメン
59 :
名無しさん@1周年 :2000/11/22(水) 18:58
>55 知らないのか、 夫婦での正常位以外は禁止されているんだぞ。 夫婦でもバックなんか絶対にできないぞ。 AV見て一人で妄想してたほうがいいぞ。(藁
項目38〜45で研究生は、組織の奴隷として、頭のマインドコントロールを受け、 次に行動を規制されることで、体のマインドコントロールを受けることになる。 新興宗教の組織は、信者の生活のあらゆる面に及ぶ規則を作って、信者に守らせると いう。このことに関しては、ものみの塔も例外ではない。組織を母と受け入れた者 には、家庭生活、学校生活、社会生活、医療生活に関する、細かい規則が課せられる。 例えば、次のようなものがある。(過去〜現在までのもの。過去レスと重複あり) * 誕生日・クリスマス・母の日・父の日を祝ってはならない。 * 学校のクラブ活動に参加してはいけない。 * 格技の授業に参加してはならない。 * PTA活動に参加してはならない。 * 選挙・学級委員の投票をしてはならない。 * 自衛隊員・警察官・政治家・学級委員になってはならない。 * YMCAの会員になってはならない。 * 不信者と交際を持ってはならない。 * 年賀状・お中元・お歳暮を送ったり、受け取ったりしてはならない。 * 乾杯・万歳斉唱・おめでとうなどの挨拶をしてはならない。 * 募金・署名運動に参加してはならない。 * 国家・校歌・応援歌を歌ってはならない。 * 輸血をしてはならない。 * 血を含んでるえさを動物に与えてはならない。 他にも多くの規則があるが、これらの規則は、「神権的な条令」と呼ばれている。 1973年頃の「ものみの塔」誌では、「神権的な条令」は、夫婦生活までに 及んでいた。禁じられているのは、口腔交接や、肛門交接である。 信者たちは、組織に従う時は褒められ、逆らうときには、批判されたり無視されたり 「霊性が低い」とか「それでは、楽園には生き残れない」と言われたりするので、 たとえ疑問を感じても、指導者を喜ばせ、仲間として認められるために、 言われたとおりの行動をとる。
第3番目に、研究生の感情がコントロールされる。 信者の情緒は、組織の評価の一つで、左右され、支配されるのである。つまり、 組織から認められ、評価された場合、それは神の好意に与かったことを意味するだけで なく、他のメンバーに愛されることにも繋がるから、信者は有頂天になるが、 不従順な行為のゆえ組織から叱責されると、神に懲らしめられたと思って、 良心の呵責を感じ、落ち込んでしまうのである。 結局のところ、証人の幸せは、あくまで組織から言われたことを忠実に やっているかどうかということに係って来ているのである。 さらに信者は組織の都合の良い時に、組織の意向に添った感情だけを 出す人間に仕立てられていく。特に布教活動を行う際、家の人には良い顔を 見せるように訓練される
62 :
脱退者の話 :2000/11/23(木) 19:50
1988年秋。 神戸でエホバの証人の監督をやっていた方が、ものみの塔を脱退し、その影響で、 40人ほどのエホバの証人が組織を離れた。 現地のエホバの証人にとっては、まさに衝撃的な出来事であったが、 監督の断絶発表があった時、会場の中に異様な雰囲気が流れたそうである。 その時点で、まだ組織に留まっていた一人の女性が、その時のことを 次のように語っている。 「あれだけ皆が家族のように親しく交わり、慕ってきた兄弟(監督)について、 『自らエホバの証人をやめました』と、素っ気無い発表がありました。 その後、会衆の会員は何事もなかったように平然としていました。内心は 動揺したり、寂しくとも素直に表に出せない人間味のない組織だということが わかり、背筋が冷たくなりました。」 こうして、喜びも悲しみも、組織の指示によって表される訳である。 まさに、人間のロボット化である。
63 :
名無しさん@1周年 :2000/11/23(木) 19:59
/.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.`ー@`―@`二ヽ-/@`r―、ー'.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ /:.:.;@`:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.//:r;;=、:Vr==、:::\.:.:.:.:.;@`;/'.:.:| |:.:;@`;@`;@`;@`;@`;@`;@`;.:.:.:. //::/'':::‐::::;::::;::;::::\:::\@`;@`;/;@`;:.:.:| 〈.:.:@`;@`;@`;@`;_;@`;@`;@`;@`:|// / @`. /|: ノ|: |:|ヽ .;;ヽ...:::V、.:;@`;.:.:| ____ |:@`;@`;@`;/ヽ \;@`;@`||:|.:|/|/_ノ_' ノノ ' _ノイ;;;;|..i:|〈 >.;.ノ / \;@`;ヽ 〉 \|::::|;;;|( li` ´ il )ノ;;;;:/ ー'/ さくら `ー' |::::!;| /// @` ///::イ < エホバじゃないもん!! \:;ト ─ ノ::ノ ー───── ||`_''>、―@`<_''イ _ri_ r:::`:| Т |:ノー、 /'/lヽ /:.:.:.:.:.| _@`-、_@`ヘ _@`_\:.:.:.| __/'ー' _ _ _____|;_;_;_;_;r' @`| | lYヽヽ`i`〉――――))⊂⊃l〉― <)__二─────r‐r―| 〉 /、| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\@`-、 |/ ヽ::`ー〉、_ / 一〈 ):〉 `ーv _/|:.:.」、___〉、_/|:.:.| _/;.:.:/|:.:.:.:.:.:.:@`;@`;/ー'|;@`:.:.:.:.ヽ.|、 /:./:.:〈:.\:.:.;@`;@`/:.:.:.:.:\;@`;.:/〉\
64 :
脱退者の話 :2000/11/23(木) 20:24
10年間、エホバの証人として伝道したヨージ・ドイオンというドイツ人の女性がいる。 彼女は、そのベストセラーとなった『無慈悲な牧者たち』(湯川真人訳 あかし書房) の中で、この問題(神権的条令)にふれてこう述べている。 「結局ものみの塔は、世界中でエホバの証人ほど礼儀正しく親切な人間はいないことを、 今まで、私たちに度々知らせいたのだ。気難しい顔をしたり、歯をむき出したりする ことによって、この事実が嘘であることを暴くことは許されなかった。 誰も見ていない内密の時こそ本当の顔はこっそり使うべきものだったのだ。 ・・・・・私は家では、幸福そうな外見を装っていた。それは、本当は心理に対する 義務であった。」(109・151頁)
最後に、研究生に伝わる情報がコントロールされる。 エホバの証人は、組織の定例刊行物や、本の中で提供される情報、つまり グループのフィルターを通った情報しか聞かないし、読まない。 エホバの証人は、好き嫌いのない、素直な子供のように組織の与える情報をすべて 受け入れなければならない。 組織の出版物の中で取り上げられる聖書理解について、信者は時間をかけて 研究する必要はないそうである。それは、組織のトップの仕事だからだそうである。 (「ものみの塔」誌より) 従って、定期刊行物に書いてあることが本当なのかどうかを確認するために、 図書館で調べたりする人はまず、いない。信者は上層部の研究の産物を 少しも疑わずに、そのまま受け入れてしまう。 しかし、編集している出版物が、学問的良識を欠いている例は、数え切れない。 そのひとつの例をあげてみよう。 これは、組織の輸血問題に関する書物に関しても言えることである。 輸血の危険性を強調するためには、紙面を惜しまないが、輸血によってどれほどの 人間の命が助かっているか、ということには全く触れていない。 (「血はあなたの命をどのように救うことができますか」参照) さらに、組織の歴史における都合の悪い話、例えば教えがころころ変えられたことや、 組織が予言したことが実現しなかったことなど、ほとんど信者に伝えられていない。
当然のことながら、組織以外の宗教の出版物を読むことが、きんじられている。 特に、組織を出た者(背教者)と話をしたり、その人が書いた本を読んだりすることが 厳しく禁じられている。 背教者は「憎むべき者」とされており、その言葉も「避けるべき毒」とされている。 背教に関する文書を賢明に破棄すること、つまりゴミバケツに放り込むことが 写真つきで教えられている。「(ものみの塔)誌」 また、原則として、エホバの証人の若者が大学に進むことは肯定されず、 むしろ伝道者になることが熱心に勧められる。「ものみの塔」誌によれば、 若者にとって、大学教育がわなになり、人間の哲学によって洗脳される 可能性があるそうである。 こうして、ものみの塔には、旧ソ連に勝るとも劣らない、非常に強い 情報統制ができている訳である。
67 :
名無しさん@1周年 :2000/11/24(金) 12:16
ほんと熱心ね、背教者
68 :
1 :2000/11/24(金) 12:53
>67 1です。残念ですが、背教者ではありません。 HN→ときどきA子で、宗教板に来ています。たまたま、手持ちの本が あったので、コピペしているだけです。
>A子 67じゃないけど、要はエホバの証人が嫌いなのね でもさ、ここ見て思ったんだけど出回っている情報って結構古いよね
70 :
名無しさん@1周年 :2000/11/24(金) 17:02
>68 エホバ信者だったことはないのね?
71 :
1 :2000/11/24(金) 23:19
>70 エホバも何も〜、どこかの信者だったことは一度もありません(笑) 今、科学信仰スレがありますけど、そちらの方です。
72 :
名無しさん@1周年 :2000/11/25(土) 02:52
>69 そう。だから今はどうか、聞きたいわけ。 好きとか嫌いとか感情はないけど、カルトが許せない。 親子や夫婦でもめるような宗教は、許せない。 だから、嫌いより強い意志で実態が知りたいのかも。 これから生まれて来る子供たちのために。。。
73 :
1 :2000/11/25(土) 17:54
諸般の事情でしばらく来れません。皆様、良いお年を。
ものみの塔の教義の大きな特徴は、現実の世界を「邪悪なもの」として敵視し、 その「邪悪な世」はやがてハルマゲドンで滅亡するという強烈な「終末待望論」にある。 この教えに基づいて、エホバの証人は、選挙や政治家を否定し、福祉活動や平和運動 などに参加することを頑固にこばむ。 社会の現状の改善を目的とした働きは全て、神の言葉に反する行為と見なされる。 つまり、「神」ご自身の介入によって世の諸問題が解決される、と聖書の中で 約束されている以上、社会の現状を克服していこうとする人間の努力は、 神の支配に対する拒否だ、ということになる。
ものみの塔の教義の大きな特徴は、現実の世界を「邪悪なもの」として敵視し、 その「邪悪な世」はやがてハルマゲドンで滅亡するという強烈な「終末待望論」にある。 この教えに基づいて、エホバの証人は、選挙や政治家を否定し、福祉活動や平和運動 などに参加することを頑固にこばむ。 社会の現状の改善を目的とした働きは全て、神の言葉に反する行為と見なされる。 つまり、「神」ご自身の介入によって世の諸問題が解決される、と聖書の中で 約束されている以上、社会の現状を克服していこうとする人間の努力は、 神の支配に対する拒否だ、ということになる。
76 :
キリスト教会との相違点 :2000/12/06(水) 00:29
キリスト教会も、世が造り主に対する反逆を続ける限り滅びると宣言し、 キリストの再臨を期待しているが、現実の世界を否定したり敵視することはない。 「また群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに 思われた」(マタイ9・36) クリスチャンは、これこそ自分が従うべき模範だと考える。決して世の人を敵視せず むしろ、愛の対象だと思う。そして、具体的な形で世の中の人々の必要のために奉仕し、 神の愛を表そうとする。 世の終わりがいつ来るかという問題について、キリスト教会はものみの塔と違って、 特定の日時は定めていない。「キリストの再臨がいつあってもいいように、万全の 備えをしなさい」というのが通常の教えである。 また、キリスト教は神崇拝であるが、ものみの塔は組織崇拝である点など、 どちらかの見解が根底から変わらない限り、盟友となることは有り得ないだろう。
Mさんという主婦。大学卒業後、エホバの証人として洗礼を受けられる。 楽園の話や組織の統一した活動に魅力を感じ、毎日のように伝道に励んだ。 使命感に燃えたMさんだったが、集会で伝道の数字ばかりが強調されることに疑問を 感じた。数字の列挙で、セールスの教育を受けている感じだったという。 戒律主義によって制約されることも嫌だったが「組織への忠誠を保たないと、 ハルマゲドンで滅びる。組織を離れてもどこへも行く所がない」と徹底的に教育されて いたため、しばらくの期間、組織に留まった。 しかし、やがて脱会の決心をさせる悲しい出来事が起った。娘さんが突然、 ネフローゼになり、入院することになった。万全の治療がなされたものの、回復せず、 医者から輸血を勧められた。 Mさんは、輸血しか治療法のない我が子を前にして、輸血をどうしても拒否することが 出来ずに、承諾した。そのため「神より子供を愛している、感情に溺れている」など 批難されたそうだが、組織に排斥されたあとは「やっと自由を得た奴隷の心境だった」 と語っている。
Sさんという青年。Sさんは生まれてすぐ、母親がエホバの証人の研究を始め、 小さい時から、ものみの塔の方針に従って厳しく育てられた。柔道の授業も拒否し、 大学進学の夢も蹴った。16歳でバプテスマを受け、日本支部のスタッフになるという ゴールを目指して、その後は、正規開拓者にもなって、エリートコースを歩んでいた。 しかし、ある事件をきっかけに組織に疑問を抱き始めた。それは、古参のエホバの証人 として、台湾でかなりの伝道成績をあげていた人が、ある証人の嫉みから会長宛に 中傷の手紙が送られ、いきなり除名されたが、12年後に真相が判明して、 復帰を許されたたという件だった。彼は復帰したものの、痛恨のあまり ものみの塔との接触は絶っている。 彼の体験を聞いたSさんは、その後、エホバの証人の教えと実生活との間に大きな ギャップがあることが見えてきた。そして、組織のレベルの高い教えを完全に 守っている者が一人もいないことに気付くにつれ、伝道が苦痛になった。 ハルマゲドンが早く来ることを熱心に祈り始めた。 そんな時、一人のプロテスタント・クリスチャンに会い、ものみの塔の教義の間違いを 指摘され、組織を出る決心をした。「なんだか体が軽くなったような、世の中が 明るくなったような気がした」と語っている。 しかし、未だ組織のとどまっている母親との交流は、一切断たれている。
野村さんという主婦。エホバの証人の訪問を受けて勉強を始めたNさんは、実際的な 子育てと家庭生活に関する教えに魅力を感じた。「より良い妻、より良いお母さん」に なれるのではないかと考え、学びに励み、誕生日やクリスマスの禁止に抵抗を感じつつも 3年後にバプテスマを受ける。 ところが、伝道者になってみると、家庭生活や子育てに関する話が、めっきり少なくなり、 もっぱら、伝道のことが強調されるようになってきた。 「今は終わりの世だから、夫や子供の世話ができなくても、伝道をまず優先しなさい。 妥協しなければ、やがて家族が真理を受け入れるのを見る喜びを経験できるから、 働きをあきらめてはいけません」 以上のように教えられたNさんは「おかしいな」と思いながらも、組織に従って 開拓者になった。 毎朝伝道に出掛け、家の用事は子供が寝てからにし、疲れる日々が続いた。 ノルマを達成するために、子供が病気の時でも寝かせておいて伝道に出ることもあった。 冬の寒い時でも、道端で6ヶ月の赤ちゃんにミルクを飲ませたり、おしめを取り替えたり することもあった。<続く>
Nさんという主婦<続き> 近所の人から、Nさんの伝道の様子を聞いたご主人は激怒した。 ものみの塔が教える「幸福な家庭」とは裏腹に、不幸な溝は増幅されていった。 その事実が、Nさんの心の中で、不可解な疑問となっていった。しかし、立場上、 そのことが誰にも言えなかった。組織を出ることも、信仰の仲間との強い情の絆を 断ち切ることも怖かった。 結局、9年間の伝道生活が続いたが、「一度聖書を通読してみて、そのメッセージとは 何かを考えて見て下さい」と、ある人から勧められて、ものみの塔が説く「家族愛の実践」が 聖書から程遠いものであることを確信して勇気付けられ、組織宛に「断絶書」を書いた。
偽預言者を見分ける聖書基準・・・申命記18章20〜22節(新改訳) 「ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、 あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は 死ななければならない。(中略)預言者が主の名によって語っても、そのことが 実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にも それを語ったのである。彼を恐れてはならない。」 これに対してものみの塔は、次のように弁明する。 「間違いを認めるだけの寛大さを持って下さい。エホバの証人は(略)間違いをしてきたことを ためらわずに認めています。(略)・・・エホバの証人は決して偽りの烙印を押されているわけ ではありません。なぜなら、偽りの預言者は自分が間違いをする者であることを 認めないからです」 「私たちの組織のリーダーたちも人間ですから、間違いを犯すのは当然でしょう」 (以上、ものみの塔誌) しかし、ものみの塔は、こうも主張している。 「この組織を指導しているのは、単なる人間ではなく、 主イエス・キリストであることに違いありません」(ものみの塔誌) 組織の主張は明白である。教えの出所は人間ではなく、主イエス・キリストである ということだ。組織はこの主張を根拠にして、その教えに対する絶対的な服従を 信者に要求するし、教えに従うことを救いの条件にしている。 狐が虎の威を借りるように、神エホバの名の権威を利用して語ったからには、 「私たちは不完全なので、間違った時には勘弁して下さい」というのは、 常軌を逸する詭弁である。
下記の問題について、投稿者とエホバの証人の討論を見たい方はこちらへ
(削除されていない限り検索可能です)
↓
http://tokusan.virtualave.net/bbs/wforum.cgi?mode=all_read&no=75 タイトル:エホバの勧誘方法は社会問題
エホバの証人は、「奉仕」と称する勧誘活動を行っています。
ところが勧誘方法に大きな問題があります。夫が仕事で不在中に、家に勧誘員が訪れて
妻を信者にして家庭内がガタガタになった話があります。その後数年間も、
夫に何も言わなかった妻には「言うと反対されるから黙っていなさい」と勧誘員が
口止めしたというから悪質です。
また、夫に内緒で、妻が幼い子どもを連れて「奉仕(勧誘)」に出かけていた
というから困ったものです。その夫は呆然としましたが、やがて会社を辞めて
自宅で仕事ができる職に就いたということです。
エホバの証人は、このような勧誘方法を認めているのでしょうか。
家族に知らせず個人ベースで勧誘することは、家庭崩壊につながりかねない問題を
起こします。他人であれば「宗教の自由」だと言ってられますが、家族の間では
そうも言ってられません。
あまりに価値観が違いすぎると、生活するうえで大変な支障をきたすからです。
従って、宗教は慎重に取り扱わなければならないはずです。最低限、一緒に生活する人の
合意を得たうえで入信させることが「常識」だと思います。
日本では「宗教の自由」が保証されていますが、かといって何をしてもよいはずは
ありません。過去、節度がない宗教がいくつかありましたが、そのような宗教は社会的に
認められませんでした。今のような勧誘活動を行っている限り、社会的な問題となり続けます。
Kさんというサラリーマン。 Kさんは、最初は奥さんがエホバの証人に入信した。そして、奥さんの言動が変わって いくのを不審に思い、ものみの塔の教えを調べ始めた。ところが、集会に参加して エホバの証人の熱心さに引き付けられ、3年後に受洗した。 しかし、仕事の関係で日曜日しか伝道ができず、後ろめたさがあった。また、集会などで、 仕事を調整して伝道に励んでいる男性の話が頻繁に紹介されるので、余計に恥ずかしく 引け目を感じて小さくなっていた。 心に葛藤を抱くようになったKさんhが、或る日同じ会衆の男性で、既に組織の間違いに 気付いていた信者から、ものみの塔の問題点を聞かされた。それがすんなり受け入れ られた。最初は反発していた妻も間違いがわかり、夫婦そろって組織を離れることが出来た。
84 :
名無しさん@1周年 :2000/12/06(水) 23:15
ものみの塔の創始者ラッセルの時代から、150年近くに及ぶ教えの記録を調べると、 1つの大きな問題点が出てくる。それは、直接、神の導きを受けているはずの組織が 何度もその教えを変更したり、都合が悪くなってものを葬ったりしてきたという事実だ。 創始者ラッセルが独自に打ち出した聖書解釈は、もともとは、既成キリスト教会の おもだった教理を全て否定するものであった。 つまり、キリストが神であること、キリストが肉体をもって復活したこと。 キリストの可視的再臨、聖霊の人格、地獄の存在などについての既成の見解を、全て 否定し、キリストの目に見えない再臨によって神の千年王国が到来し、人類に 神の祝福をもたらすことを強調する解釈であった。 また、ラッセルは宗教法人の手続き上組織を作ったが、組織化されるのを好まなかった。 ラッセル自身が次のように断言している。「組織に用心しなさい。組織は全く不必要である」 現在のように組織主体の指導になったのは、2代目ラザフォードからである。 (このあと、教義の変遷について調べていくつもりです)
日本は臓器移植について、遅れているのでそれほど影響はないが・・・・ <1960年代のものみの塔の見解> 「エホバは人間が動物の肉を食べることを許されましたが、人の肉の場合、それを食べる にしても、あるいは他の人から取られた器官あるいは体の一部を移植するのしても、 人食い的に人の肉を体内にとり入れて命を保たせる行為を許されませんでした」 (ものみの塔1968年4/1号)このように、エホバの証人は、全ての臓器移植について、 「人食いの行為」ととらえていた。 ↓ <1980年の調整後の見解> 「聖書は特に血を食べることを禁じていますが、他の人間の組織を受け入れることを はっきり禁じている聖書の命令はありません。・・・ある人が臓器の移植を受けた としても、会衆の審理委員会は、懲戒措置を取らないでしょう」(ものみの塔1980年6/15号)
86 :
エホバ質問2スレからコピペ :2000/12/07(木) 01:20
割り当て:王国会館の演壇その他で講話,証言(勧誘活動のことね)をする(させられる)。結構度胸が付きます(爆) 奉仕の僕:若いお兄さん中心。長老の下で働く。 長老:王国会館での運営責任者とか公開講演とか審理委員とか大会での奉仕とかとにかく働きます。 姉妹たち(注:浸礼=バプテスマを受けた男女はそれぞれ,兄弟,姉妹と呼び合うことが多いです。例:鈴木姉妹,田中兄弟 懲らしめ:子どもに対する体罰とか他の罰のこと。各種まちまちです。怖い(爆 寄付箱:今もあるのかな?お金を寄付できます。強制ではありません(事実) 歌の本:賛美歌集です。(リズムのいい物から暗いやつまで各種あります) 大会:年に数回あります。幕張メッセ,東京ドーム,協会所有の大会ホール等が使用されます。 灯台社:知ってるかな?戦時中弾圧を受けた「ものみの塔」の前身にあたる組織です。 交(まじ)わり:お菓子やお茶をしながら,談話(各種の)することを指します。 二世:両親ともにJWの純粋2世,片親だけ(母親のみの場合が多い)の半2世など,文字通りJWの親を持つ人をいいます。 野外奉仕:皆様のお宅におじゃましてしまう例のアレです。JWの子どもは喜んで参加するコとサボるコに分かれます(爆 巡回監督:あちこちの会衆(後述)を訪問した回る偉い監督で,長老,奉仕の僕以上の役職は100%男性です。 この監督が会衆に来ることを巡回訪問といいます。 会衆:集まりの単位です。大抵50〜100人単位で,その下には「群れ」という単位もあります。 神権家族:家族全員がJWの信者の家族を指します(正式用語ではないかもしれん) ハルマゲドン:この世の終わりです。助かるはずのJW信者を「大群衆」と呼びます。 統治体:会長(一番偉い人ね。組織で)の下に位置するJWでは最高の地位です。 なぜかアングロサクソンでなくてはダメなようです。 ギレアデ聖書学校:世界各地に教えを述べ伝えるエリート養成校です。 王国焼け:野外奉仕のしすぎによる日焼けを指します。(正式用語にあらず) 新世界訳:JWによるお墨付きの聖書です。 霊的食物:協会から出版される出版物を指します。 不活発:集会にこなくなったり,野外奉仕に出てこなくなる状況をいいます。 未割り当て区域:誰も奉仕に行かないド田舎を指します。 海老名ベテル:神奈川県にある日本での代表地域と考えて良いでしょう。 自発奉仕:大会などでのタダ働きを指します。 う〜ん 10年以上も前のことだからもう忘れつつあるな。現役の方間違ってたらゴメンね。
−ものみの塔の聖書解釈の変遷− <1951年まで> 「ワクチン療法は、大洪水の後、神がノアと結んだ永遠の契約を直接的に犯すことである」 ↓ <1952年から> 「ワクチンのおかげで、ある種の流行病にかかる人の数が激変したことに疑問の余地は ありません。・・・ワクチン注射をするかどうかは各自が決める問題です。 子供と自分の健康のために最善と思われる道を選ぶべきです。だれもそれを批判する ことは出来ません」(目ざめよ!誌) 付け加えるならば、1952年といえば、日本でも種痘、小児麻痺のワクチンが 既に、一般的に行われていた時期でした。
<1898年> 「兵役を禁ずる命令は、聖書にはひとつもない」 <1903年> 「軍隊に入ることを拒む、良心的な理由は何もない」 ↓ ↓ <48年後> 「良心的な理由から、エホバの証人は兵役を拒否する」
89 :
ソドムとゴモラの復活 :2000/12/07(木) 03:39
−ものみの塔の聖書解釈の変遷− <1879年> 「ソドムの人々は復活する」 ↓ <1952年> 「ソドムは審判の日に耐え得ずに完全に失敗したのである」 ↓ <1965年> 「ソドムとゴモラの地が他の地よりも耐えやすいというからには、 それらの地の住民が、裁きの日に生きていなければなりません。 ・・・それで、その地に住んでいた人たちが復活することは明らかです」 ↓ <1988年> 「聖書は、ソドムゴモラ及び大洪水を、現在の邪悪な体制の破壊的な終わりの型として 用いています。ですから、それら過去の裁きに於いて、神が処刑された者たちは、 2度と命に回復できない滅びを被ったものと考えられます」 最初の教えから3回に渡って、考えを変えているが、復活のことは、新約聖書の ヘブル書6章1〜2節では、信仰の初歩的なこと、つまり基本的な教理とされている。
−ものみの塔の見解の変遷− <1903年〜> 「大ピラミッドは・・・全ての預言の書と調和して、神の過去・現在・未来の計画の 概略を示している・・・科学的・歴史的・預言的な大切な『真理の宝庫』であり その証しは聖書と完全に一致したものである」(ラッセル氏) ↓ ↓ <1957年〜> 「大ピラミッドは、エホバの真の崇拝者によって建てられたものではなく、 悪魔宗教の表明である、星占学に帰依している者によって、その宗教を広めるために 建てられたのです」(ものみの塔誌) (2代目ラザフォードも、ラッセルのピラミッド説を受け継いだが、やがて、 ピラミッドは『悪魔宗教の表明』と化した)
ものみの塔の教義の大きな特徴は、現実の世界を「邪悪なもの」として敵視し、 その「邪悪な世」はやがてハルマゲドンで滅亡するという強烈な「終末待望論」にある。 この教えに基づいて、エホバの証人は、選挙や政治家を否定し、福祉活動や平和運動 などに参加することを頑固にこばむ。 社会の現状の改善を目的とした働きは全て、神の言葉に反する行為と見なされる。 つまり、「神」ご自身の介入によって世の諸問題が解決される、と聖書の中で 約束されている以上、社会の現状を克服していこうとする人間の努力は、 神の支配に対する拒否だ、ということになる。
−ものみの塔の聖書解釈の変遷− <1938年〜> (注※)「地上に平和が訪れるまで、我らの結婚を延期するのは賢明であろう」 「彼らは今、結婚すべきであろうか。聖書に基づいた答えは『否』である」 「今、ハルマゲドンに差しかかっている我々は、ハルマゲドンの前に子供を作る 合理的かつ聖書的命令はない」 ↓ ハルマゲドンの預言が外れる。 ↓ <1979年〜> 「神は結婚をお定めになりました。ですから神のみ言葉は『婚姻を禁じる』者のことを 『信仰から離れ欺きの霊や悪霊たちの教理に従い、偽善的に偽りを語る者』と 呼んでいます」(ものみの塔誌) ↓ 1975年ハルマゲドン説に関する謝罪文発表。(1980年ものみの塔誌) (注※:いつのまにか、これを書いた2代目ラザフォード会長が、 「悪霊の教理に従い、偽善的に偽りを語った」人になっている!?)
93 :
組織崇拝か? :2000/12/07(木) 23:40
エホバの証人は明らかに、組織崇拝者である。これは「ものみの塔」誌も、 間接的に認めていることだ。 「自ら進んでするにせよ、強制的にさせられるにせよ、もしある者がある制度(※注) に従順な奉仕を捧げ、それがすぐれた支配圏と、大きな特権ある地位を持つと 見なすなら、その者は聖書的に言って崇拝者であります」 (※注)ある制度 → 英文は“organization”(組織)になっている。
94 :
名無しさん@1周年 :2000/12/08(金) 01:02
ものみの塔が輸血を禁止したのは、1945年7月から。 日本で言えば、調度、終戦の年にあたる。 JWの創立が、1852年だから、創立から約100年は禁止されていない。 それが、いきなり神の律法に反すると、禁止令が出た。 3代目会長ネイサン・ノアの編纂した、新世界訳聖書が完成したのが1961年。 彼が執筆した著書は、全て匿名で発行されていた。 この聖書は、ものみの塔独自のもの。
組織の出版物の中で取り上げられる聖書理解について、信者は時間をかけて研究する 必要はないそうである。それは、組織のTOP「忠実で思慮深い奴隷」の仕事だから だそうである。(ものみの塔誌) 従って、定期刊行物に書いてあることが本当なのかどうか、図書館で調べる人は、 まず、いない。信者は上層部の研究の産物を少しも疑わずに、そのまま受け入れる。 しかし、編集している出版物が良識を欠いている例は、数えきれない。 ここで、そのうちの一つを紹介しよう。 エホバの証人は、1914年を歴史の転換期とし、その年に類が「終わりの時代」に 突入したと主張する。そして、その「終わりの時代」の「しるし」として、 1914年以降、戦争・犯罪・飢餓・地震などが多くなっていると言うが、 地震活動が激しくなっていることを証明するため、マサチューセット大学の ケイイチ・アオキ教授にコメントを引用している。(続く)
97 :
情報統制(続き) :2000/12/09(土) 00:46
*ケイイチ・アオキ氏から、ものみの塔へのコメント* (協会あての手紙の一部) 「過去100年間に大きな地震の規模とひん度が、増大したことは明らかである。 それは、推察するところ、地震の進歩した記録や、地震災害に対する人間社会の もろさが原因となっている。・・・確かに過去の100年間は活動的であったと 言えるが、例えば、1500年〜1700年の期間も同程度の子簿で活動的であった のである ↑ *このコメントがものみの塔誌に掲載される時には、下記のように書き換えられている。* ↓ (ものみの塔に掲載されたコメント) 「ケイイチ・アオキ教授は、1500年から1700年までの期間にも地震は 活動的であったが、過去100年間に大きな規模の地震とひん度が増大したことは 明らかである。と述べています」(ものみの塔誌) みなさんは、どこが違っているのかわかりますか?実は、 意味が違ってきています。また、重要な部分も抜けています。 この例が示しているように、ものみの塔は、信者にとって都合の良いと思われる 情報しか信者に流していないのです。
98 :
訂正 :2000/12/09(土) 00:53
96> その年に類が「終わりの時代」に→ その年に人類が「終わりの時代」に 97> 同程度の子簿で活動的であった→ 同程度の規模で活動的であった
99 :
訂正 :2000/12/09(土) 00:55
96> その年に類が「終わりの時代」に→ その年に人類が「終わりの時代」に 97> 同程度の子簿で活動的であった→ 同程度の規模で活動的であった
100 :
エホバ質問2スレより :2000/12/09(土) 13:34
用語解説集:2 (主の)記念式:イエス・キリストが杭(JWではキリストは十字架ではなく,杭に架けられて処刑されたと教えられます)に架けられ,全人類のために死んでくださった(JWの教義ね)ことを記念する日。JWで唯一宗教儀式らしい式典。赤ワインと無酵母パンがイエスの血と肉の象徴として回されます。 輸血拒否カード:正式名称ではありません。5つ折り程度にするとキャッシュカード大になる紙製(当時)のカードで,全面には道路標識の禁止標識の要領で(○に/が入った奴ね)輸血用血液の入った袋のマークが書かれ,そのマークに上には「輸血しないでください」と赤字で書かれています。血を拒否する聖書的な根拠(JWの教義?)や医師に対する免責宣言なども併せて書かれています。常に携帯することが指導されています。 甦生(こうせい)記念病院:漫画「メスよ輝け!」で有名になった実在する病院。JW信者に対する無輸血手術を成功させたことで有名です。 聖マリアンナ病院:鈴木大君(冥福をお祈りします)が輸血拒否で無くなった病院。なお,数人の麻酔科医が麻酔薬で中毒死したことでも有名です。 医療機関連絡デスク:協会の一機関です。どうしても無輸血手術をする病院が見つからないときに,無輸血手術医に関する病院に関する情報を提供してくれます。 ものみの塔:月2回発行される,代表的機関紙です。日曜日の集会ではこの機関紙に対する討議が行われます。 目ざめよ!:ものみの塔の姉妹紙です。「ものみの塔」より宗教色は薄く,とくに科学や医学に関する最新の情報は一般マスコミのそれを凌駕しているかもしれません。個人的には医科学,動物に関する記事が非常に面白く,読み漁りました。なお,かつては「黄金時代」という誌名だったらしいです。 王国宣教:正式名称「わたしたちの王国宣教」だったと思います。組織が知らせたい実情が書かれています。 筆記の復習:聖書の内容についてどの程度理解しているかのテストみたいなものですが,採点は自己採点で,成績発表などはありません。 会長:「ものみの塔聖書冊子協会」の会長です。ラッセル,ラザフォード,ノア,フランズ会長と代々受け継がれ,現在はシュローダー(?)5代目会長だったと思います。なぜか全員白人だったと思います。 審理委員会:長老等によって構成される,特定の人物を会衆から排斥(後述)すべきか否かを決定する委員会です。(怖 わらび書房:主にJWを非JWの立場から見た本を出版しています。 コーヒー:別に飲んでも構いません(爆 王国会館:格闘技団体ではなくJWの活動拠点です。個人の家を王国会館に提供している人や,協会所有の物もあると思います(?)。集会,交わり,結婚式場,葬儀場などいろいろなJWの行事のために使われます。また,建築の知識を持つ兄弟などにより,極めて短期間で完成する例もあります。 野外集会:王国会館ではなく,近隣の公園等での集会を指します。年に2回ぐらいありました。 隠れキリシタン,隠れエホバ,隠れJW:JWであることや,かつてJWであったこと,親戚がJWであったことを隠して生活している人を指します。明るくカミング・アウトしましょう(爆)HIVみたいやね)
ねえ、聖マリアンナ医科大は、エホバじゃないけど。いいのかな?
102 :
名無しさん@1周年 :2000/12/09(土) 13:46
会長、しゅろーだーじゃないよ。〜だったと思いますがやけに多いけど うそばっかりですね。
なんだ。これってウソなんだ。 どーでもいいけど(藁
104 :
名無しさん@1周年 :2000/12/09(土) 14:36
>98>99 訂正ばっかりする人さん、もっと事前によく確認してから投稿すれば? 「どーせまたあとで訂正するんだから、読まずにスクロールしとこ」ってなって、 一生懸命資料を調べていい事書いても誰も読まなくなるよ。
うーん 現状とぜんぜん違うぞ・・
106 :
元2世(自然退会?)による用語解説 :2000/12/09(土) 22:11
102 今の会長誰だっけか・・・忘れた・・ごめん うそばっかりですね>意図的に事実を歪曲したつもりはないけどね。君に協会の都合の悪い情報が入ってこないだけだよ(爆 協会のマインド・コントロールの強烈さを相変わらず実感・・・ 現状はどうなってんだろうね。なんせ10年以上前のことやからな・・・ まあ,10年前より良化してることだけは無いと思うが(爆
107 :
1 :2000/12/10(日) 01:21
現状と違うと言う人は、どこが違うのか、新しい情報を教えて下さいね。 >104 すみません。いつも。。。気をつけます。
>>96 -97
ソースは「エホバの証人情報センター」ですね。
ソース自体に誤植があるのご存じですか?
(ケイイチ・アオキではなくケイイチ・アキが正しい)
>108 ソースは最初に書いた通り、ウィリアム・ウッドの著書「エホバの証人」です。
110 :
預言について :2000/12/11(月) 05:16
−ものみの塔の見解の変遷− <1973年3月15日ものみの塔誌>に、真の予言者の3つの基本条件があげられている。 @ 神の名によって語ること。 A 予言が実現すること。 B 予言が人々を神に向けさせる。 ↑ 1975年の予言が外れる。 ↓ 予言が失敗に終ったあと、組織の首脳部は、予言者の立場を固守しながら、 予言者の条件を変えている。 <1992ものみの塔誌> 将来を予告することが「昔の神の預言者たちが行った仕事の一面」とされ、 予言するという行為の基本的な意味は「ある問題に関する神の考えを告げる」こと、 または「神の壮大な事柄について話す」ことだと言っている。 続く「今日の偽預言者」という記事において、キリスト教世界が偽予言者になっている。 その罪は、神の王国を宣明せず、「神の言葉を盗んだこと」だそうである。 こうして偽予言者の基準は、予言が実現するかどうか、ということから、 エホバの証人の解釈する「王国の良いたより」を伝えるかどうかに、すり替えられている訳だ。
<1969年1月8日「目ざめよ!」誌> 「『世の終わり』を預言し、はっきりした日付けまで発表した人々が過去にいたことは 事実です。人々を集めて山に逃げたり、家にひきこもって終わりを待った人たちも いました。しかし何事も起こりませんでした。彼らの預言は誤りでした。(※注) なぜですか。何が欠けていたのでしょうか。それは聖書の預言の成就に必要なすべての 証拠です。彼らは神の真理と、神が支配しておられる証拠に欠けていました。 では、今日はどうですか。今日は必要な証拠が全部揃っています。それは圧倒的なもの です。確証となる聖書の年表に加えて「終わりの日」のしるしの多くの部分が 全部見られます。」 (※注)英文:They were guilty of false prophesying. 訳→「彼らは偽預言という罪を犯した」 さらに当時の「ものみの塔」誌に、預言を試みるための法則として、 「(1)エホバの御名により、エホバの命によって述べる。 (2) 成就しなければならない。(3)神の戒めに一致しており、正しい崇拝を 振興するものでなければならない」と記述されている。
112 :
JW :2000/12/11(月) 06:56
113 :
1 :2000/12/11(月) 07:29
>108 108さんの情報提供により、現在の生の情報を知る事ができました。 ありがとうございました。 よって「エホバコピペ専用スレ」は終了します。 以降は「エホバの証人情報センター」にリンクしていただければ、 情報が手に入ると思います。 なお、このスレを使用したい方がおられましたら、ご自由に、お使い下さい。
114 :
JW関連本の紹介 :2000/12/11(月) 09:46
・「エホバの証人 マインドコントロールの実態」ウイリアム・ウッド著 (発行:三一書房 TEL03-3812-3131) ・「エホバの証人 カルト集団の実態」ウイリアム・ウッド著 (発行:三一書房) ・「エホバの証人の悲劇」林俊宏著 (発行:わらび書房 TEL03-3292-8721) ・「エホバの証人 引き裂かれた家族」林俊宏著 (発行:わらび書房 TEL03-3292-8721)
−−−−−−−−−−−−−−−終了−−−−−−−−−−−−−−− −−−−−−−−−−これからこのスレッドは−−−−−−−−−− −−−−−−「エホバの証人オルグ専用スレ」になります−−−−−−
116 :
名無しさん@1周年 :2000/12/12(火) 03:28
強制伝道→奴隷→エホ症→性格陰険→脱会→卑屈→終末破滅
117 :
名無しさん@1周年 :2000/12/12(火) 22:01
エホバの証人の減少が最も顕著なのは次の五ヶ国で、 日本はフランスに次いで第二位となっています。 各国 伝道者減少数 フランス 2@`769 、日本1@`540、ドイツ1@`331、 イギリス1@`131、カナダ 695 日本の増加率はこの数年着実に減少しており、2000年度の成長率はマイナス0.69%、 実数にして1540人の減少となっています。 その他日本に特徴的な統計としては、一人のバプテズマを得るために必要な 平均奉仕時間数では日本が世界一であること、開拓者の伝道者の中に占める割合が 韓国に次いで世界第二位であることなどがあげられるでしょう。 10月7日にニュージャージー州ジャージーシティーの大会ホールで開かれた 毎年恒例のものみの塔協会の年次総会(株主総会)で、ものみの塔協会の管理機構に 大きな改変が行われたことが発表されました。同じ内容は、ものみの塔協会の 広報用ウェブサイトでも発表されました。 今回の変革では、ミルトン・ヘンシェルは会長職を退き、13人の統治体員も 全員協会の理事を辞職し、新たにドン・アダムスを協会の会長に据え、 理事や法人の役職も全て「他の羊」と呼ばれる油塗られた者以外の証人が 占めることになりました。
更に今回の年次総会では新たに三つの子会社が設立され、これまでの ものみの塔協会の業務を分散することが発表されました。 これらの子会社の正式の日本語訳は、いずれ協会の出版物で発表されるでしょうが 第一の会社はChristian Congregation of Jehovah's Witnesses (エホバの証人のクリスチャン会衆)と呼ばれ、会衆の実務、集会、宣教などの 業務を担当し、第二の会社はReligious Order of Jehovah's Witnesses (エホバの証人宗教機構)と呼ばれ、ベテル奉仕、特別開拓者、旅行する監督など に関する業務を扱い、第三の子会社はKingdom Support Services@` Inc (王国支援局)と呼ばれ、各地の建造物の設計施工の業務を担当します。
ものみの塔協会とエホバの証人の統治体は歴史的に見て渾然一体として 宗教上の教義や活動と一緒に、莫大な資産の運用、管理、と出版業務を支配して来ました。 しかし組織が拡大し複雑になるにつれ、老朽化した13人の統治体員だけでは 到底手におえなくなっていることは、最近の多くの統治体援助者の登用によっても 明らかになっていました。今回の組織改造は、老朽化した統治体を会社実務から離し、 彼らは教義上の決定に専心し、会社実務はより若い層に引き渡す狙いがあるようです。 その一方で、アメリカの大会社の歴史を見ると理解できるように、 会社がある程度大きくなると、その業務と責任を幾つかの子会社に分散させることは、 法的、財政的に見て多くの利点があることも間違いありません。 その中で大きな問題となるのは、組織の責任の分散化でしょう。 世界各地で元エホバの証人やその家族が、被害の賠償を求める集団訴訟を起こす 動きがある中で、これまでの体制では統治体は宗教的な側面では訴追を免れても、 会社の最高責任者としての訴追を免れることは難しいと考えられていました。 今度の組織改造では、統治体はもはや会社の最高責任者ではなくなり、 今後予想される訴訟に対して先手を打って、統治体をそのような危険から隔離する 狙いもある、と考えられています。
本年6月、ものみの塔協会は協会が、「主要成分」であると指定した分画以外の 全ての血液分画の使用を個人の良心の問題として、受け入れることを認めました。 <9月24日アメリカ・カリフォルニア州・サクラメント市の新聞サクラメント・ビー> 一人のエホバの証人研究生が、医療機関連絡委員会の正式の了承の元に、 牛の血液のヘモグロビンから作られた代用血液を受けいれて、 それによって命拾いをしたことを報道しています。 この記事によると、サクラメント市に住む34才のホゼ・オルドゥノ氏は自転車で出勤途中に ひき逃げ事故にあい、幾つかの骨折と内臓への損傷により、胸腔内に大量の出血を している状態で病院に運ばれました。外科医は直に輸血を指示し、オルドゥノ氏は 二単位の輸血を受けた所で目を覚まし、それ以上の輸血を拒否することを言明しました。 オルドゥノ氏は貧血に伴う心不全の兆候を示し、命が危ぶまれる状態に達しました。 医師団は最後の手段として、代用血液ヘモピュアの使用を検討しました。エホバの証人医療機関連絡 委員会のブラウン氏は、ヘモピュアが、ものみの塔協会が使用すべきでないと決め た血液製剤でないことを確認して、正式に医師団にその使用を了承しました。 ヘモピュアは牛の赤血球を使用してヘモグロビンを精製処理して 赤血球の代用として酸素の運搬をさせるために開発されたものです。 ヘモグロビンはものみの塔協会の代表者も書いたように、赤血球の主要成分です。 血液の最も重要な機能である酸素運搬能力はこのヘモグロビンの作用であり、 血液が赤い液体に見えるのもまたヘモグロビンの色によります。 ものみの塔協会は輸血拒否の理由として、繰り返し聖書の中でエホバが動物の血は 地に流して処分することを命じ、貯蔵したり体内に取り入れることを禁止している ことを取り上げました。今回、大量の牛の血液を貯蔵してその主要成分を体内に 取り入れることを協会が正式に許したことは、この教義の矛盾をますます白日の下に さらけ出すことになるでしょう。 もう一つの問題は、このような救命の為の治療がエホバの証人にとって 使用可能になったことを、ものみの塔協会は公式に一般のエホバの証人に通知しない ことです。このような情報を知らずに死んでいくエホバの証人がいたとした ら、ものみの塔協会の「血の罪」の責任はまぬかれられないでしょう。
122 :
コピペ :2000/12/13(水) 13:53
*** 目88 7/22 24-7 ジャズ・ドラマーが真の幸福を見いだす *** ジャズ・ドラマーが真の幸福を見いだす 「ドンドン@`ドドン」。劇場のスポットライトに照らし出されてドラムソロが始まりました。私の目はドラムに釘づけにされ@`その音に胸は高鳴りました。 1945年1月@`第二次世界大戦も最終段階にあった時に@`私たち家族は勝沼町にある母の実家に疎開していました。戦後@`父は町の若い人たちのバンドの指揮をしていました。その練習の様子を見ながら@`私は低く響きわたるドラムの音に心を奪われていました。 高校生になってジャズ・ドラマーを目指すようになりました。音楽の先生に音楽大学へ行くよう勧められ@`両親も入試の準備に協力を惜しみませんでした。そして1964年@`日本全国から来た大勢の受験生の中から選ばれた3人の合格者の一人になり@`東京芸術大学打楽器科に入学しました。 東京芸術大学は日本で最高水準の大学でしたが@`私はがっかりしました。なぜでしょうか。ジャズ・ドラマーになるための訓練は何も行なわれず@`学生の中にもだれ一人としてジャズを演奏する人はいなかったのです。それでも私は@`種々の打楽器をマスターし@`さまざまなテクニックを身に着けるために一生懸命でした。そして次第にジャズ・ドラマーになる夢を捨て@`ある有名なオーケストラに入ることを考えるようになっていました。しかし@`私は衝撃を受けました。 「どんなに努力してもこのオーケストラには入れないよ。新しいメンバーはお前たちが大学に入る前からもう決まっていたのだ」と@`そのオーケストラの一団員から内情を知らされたのです。 私はがっかりして打ちひしがれ@`ジャズ・ドラムへの情熱に再びとりつかれました。私は@`『ジャズ・ドラムの世界ではコネではなく@`実力だけがものを言う』と@`自分自身に言って聞かせました。卒業の日が近づいても@`私はあちらこちらの大学のジャズクラブの練習に加えてもらっていました。
123 :
コピペ :2000/12/13(水) 13:53
真に幸福か 私たちのグループが成功を収めてゆくにつれて@`私は気の赴くままの生活を送るようになりました。日本全国を旅行し@`気の合う仲間と好きなだけ遊びました。そのときまでには結婚していましたが@`レディーズ・オーケストラで打楽器を受け持つ妻の由紀子に少しも気兼ねをすることはありませんでした。 私は幸福ではありませんでした。競争相手となるドラマーにはねたみを抱き@`理想とは程遠い自分の人気や収入にますます不満を募らせていたのです。むなしい気持ちが湧き起こりました。それで時々仲間に@`「こうして仕事をして@`飲んで@`騒いで@`それが何になるのだろうか」と尋ねたものです。 仲間はこう答えました。「つまらないことを考えるのはやめろよ。楽しければそれでいいんだ」。しかし@`快楽中心の生活を追い求めたために肝臓を冒され@`1972年の夏に入院する結果になりました。猛烈な吐き気と衰弱を経験し@`死の恐怖にさいなまれました。『ドラムなどたたけなくなってもよいから@`死にたくない!』と思いました。 そのとき妻は演奏旅行中でした。ようやく帰って来て私の病状がひどいのを見た妻は@`このことをきっかけに仕事をやめてしまいました。妻はエホバの証人との聖書研究を始めたばかりでしたが@`妻の看護をたいへんうれしく思った私は@`研究を続けたいという妻の言葉に同意しました。体は順調に回復し@`3か月間の休養の後に@`私たちのミュージック・グループに復帰しました。テレビやラジオにも時折出演するようになり@`聴衆も収入も増えました。
124 :
コピペ :2000/12/13(水) 13:54
ヨーロッパでの成功 1973年に初めてのヨーロッパ演奏旅行に出発しました。一日目にはドイツのメアス・ジャズ・フェスティバルで演奏しました。演奏が終わると@`一瞬の静寂が流れ@`その後に割れるような拍手と歓声が湧き起こりました。フェスティバルの主催者はこう尋ねました。「皆さん@`このグループに来年も来てほしいですか!」聴衆はさらに大きな歓声を上げてこれにこたえました。翌日の新聞には@`私の写真と共に@`こんな見出しが肉太の活字で載りました。「日本のカミカゼ・ドラマー」。 翌年はギャラも出演依頼も増え@`ベルリン・ジャズ・フェスティバル@`ドナウエッシンゲン現代音楽祭@`ハイデルベルク・ジャズ・フェスティバル@`リュブリアナ・ジャズ・フェスティバル@`ノースシー・ジャズ・フェスティバルなどに出演しました。聴衆は何度もアンコールを要求し@`ある会場では@`私たちを熱狂的なファンから守るためステージの前には警官が並びました。まさに幼い日の夢をしのぐ@`大きな成功を収めたドラマーになったのです。
125 :
コピペ :2000/12/13(水) 13:54
妻の模範 妻が音楽のことで飛び歩いていても何の不満も感じませんでしたが@`それがキリスト教の集会や伝道のためだと思うとむしょうに腹が立ちました。私は@`『宗教に頼る人間は弱い人間。宗教は弱い人を利用する商売』と考えていました。何とかその新しい宗教をやめさせようとしましたが@`妻は絶対にやめようとはしませんでした。 ある時@`妻は酒を飲みに行く私の後を追って来て@`黙って酒場の私のそばに座りました。私は怒り狂い@`妻にウイスキーを浴びせ@`「帰れ!」とどなりました。妻は動揺せず@`ハンカチで頭と服をぬぐい@`平然としていました。私は店のマスターと客の目に責められていました。妻は酔いつぶれた私を介抱しながら家に帰りました。 ある夜@`妻をマンションから追い出し@`ドアにかぎをかけ@`ドアチェーンをおろしました。妻は負けませんでした。かぎを開けて@`どこで手に入れたのか@`金のこぎりでチェーンを切りにかかりました。寝静まったマンション中にその音は響きわたり@`私は妻を部屋に入れてやらねばなりませんでした。 私はやりきれなくなって@`やけ酒ばかり飲み@`死んでもいいとまで思いました。一方@`妻は怒りもせず@`いじめられても私を恐れません。夜テレビを見ている私に@`「聞いていてね」と言って@`「失楽園から復楽園まで」の本を読みました。毎晩それを読む妻に@`初めは「うるさい!」 だった私の反応も@`「もう少し読め」に変わってゆきました。
126 :
コピペ :2000/12/13(水) 13:54
演奏旅行のスーツケースの中にも@`「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌が入っていました。改宗させられるのではないかという恐れも好奇心には勝てず@`雑誌に載せられている@`キリスト教の生き方をするようになった人々の経験談を読むようになりました。そして@`こんな話に乗せられてはいけないと思いながらも@`涙を流していました。 ある晩のこと@`いつになく穏やかな気持ちになり自分を妻の立場に置き換えて考えてみました。私はこう自問していました。『妻が聖書を学んでどこが悪いのか。聖書に代わるどんな良いものを自分は持っているというのか』。翌日@`私は妻を試みました。「聖書を捨てろ@`さもなくば離婚だ」と妻に迫ったのです。 長い沈黙の後@`妻は泣きながらこう言いました。「離婚はしません。聖書の勉強もやめません」。 私はホッとして@`「もう反対はやめたよ」と言いました。 それから間もなく@`私は妻と共にエホバの証人の集会に行きました。しかし@`警戒心は依然として心の中にありました。それでも@`集会に来ている子供たちの立派な振る舞いと道理にかなった話の内容には感心させられました。何度か集会に交わるうちに@`エホバの証人に対する警戒心が薄らいでゆきました。そして@`むなしいと感じることへの解決策が聖書にあるのではないかということがおぼろげながら分かってきました。しかし@`それが分かれば分かるほど@`聖書を学ぶと自分の生活を変えなければならなくなると感じるようになりました。
127 :
コピペ :2000/12/13(水) 13:55
内なる闘い こうして内なる闘いが始まったのです。正しいと分かっていても@`それを実行に移すことができませんでした。たばこを吸いたいという気持ちや不道徳な欲望に苦しめられました。しかし@`もうそうした欲望には負けたくありませんでした。(ローマ 7:18-24)それで自らを強めるためにクリスチャンの集会にできるかぎり出席するよう努力しました。―ヘブライ 10:23-25。 私の考え方は集会の影響を受けるようになりました。栄光や富や世の快楽などを@`もはや価値あるものとはみなせなくなりました。この世の欲望がはっきり敵とみなせるようになりました。王国会館からの帰り道に@`かつて経験したことのない平安な思いを味わいました。生まれて初めて@`「ほんとうに幸福だ」と言うことができました。
128 :
コピペ :2000/12/13(水) 13:55
グループを去る 1975年@`聖書研究を申し込むとすぐに@`私は4回目のヨーロッパ演奏旅行に出かけました。聴衆は相変わらず熱烈な拍手を送ってくれました。しかし@`私の心は以前のように燃え上がりませんでした。主催者は再び@`「来年もまた来てください」と言ってくれましたが@`私は自分の属するグループを去ろうとすでに決意していました。 東京に帰るとすぐに聖書研究を再開し@`ほどなくして@`自分の味わっている真の幸福について他の人々に語るようになりました。国内での最後の演奏旅行の折@`とりわけ親しみを感じていた@`あるコンサートの主催者に@`私が抱くようになった新たな希望を是非とも伝えたいと思いました。それで@`その人に語る機会が持てるようエホバに祈っていました。でも@`どのようにして話の糸口をつかんだらよいでしょうか。 「幸福という言葉からどんなことを連想しますか」と@`私は切り出しました。 「病気と死がなくなって@`みんな仲よく暮らすことです」とその人は答えました。願ってもない答えに私はうれしくなり@`すぐにこう言いました。「僕はそのために今のグループを去るのですよ」。私が話を続けるにつれ@`エホバはその人の心にまかれた種をずっと成長させてくださいました。この人はその土地で最初のバプテスマを受けたエホバの証人になったのです。この経験から得られた喜びは@`ドラムをたたいて得られる喜びとは比較にならないほど大きく@`深く@`長続きするものでした。
129 :
コピペ :2000/12/13(水) 13:55
真の幸福を味わう 私がグループを去った後@`一人の人は訪問したエホバの証人に@`「森山を殺したのはあなた方だ」と@`食ってかかりました。確かにジャズ・ドラマーの森山は死にましたが@`クリスチャンの奉仕者の森山が生まれました。私は1976年6月に@`エホバへの献身の象徴としてバプテスマを受けたのです。 1979年に@`妻と私は全時間の開拓奉仕者になりました。それ以来@`真の幸福を見いだすよう何人かの人々を援助する喜びを経験させていただきました。また@`東京や名古屋の会衆で長老として奉仕する特権にもあずかってきました。 幼い日の私にとって@`ドラムなしにはどんな幸福も考えられませんでした。今でも時々ドラムはたたきますが@`音楽を一生の仕事として追い求めることにではなく@`創造者エホバに仕える生き方にこそ真の幸福があることを知っています。今の私の生活は@`妻と2年前に生まれた娘の紗織と共に@`楽園の地で真の幸福を永遠に享受するという希望を中心としたものです。―森山威男の語った経験。 [24ページの森山威男の図版] [26ページの図版] 妻(娘の紗織を抱いている)と私は@`楽園の地で真の幸福を永遠に享受する時を待ち望んでいる
エホバの証人の減少が最も顕著なのは次の五ヶ国で、 日本はフランスに次いで第二位となっています。 各国 伝道者減少数 フランス 2@`769 、日本1@`540、ドイツ1@`331、 イギリス1@`131、カナダ 695 日本の増加率はこの数年着実に減少しており、2000年度の成長率はマイナス0.69%、 実数にして1540人の減少となっています。 その他日本に特徴的な統計としては、一人のバプテズマを得るために必要な 平均奉仕時間数では日本が世界一であること、開拓者の伝道者の中に占める割合が 韓国に次いで世界第二位であることなどがあげられるでしょう。 10月7日にニュージャージー州ジャージーシティーの大会ホールで開かれた 毎年恒例のものみの塔協会の年次総会(株主総会)で、ものみの塔協会の管理機構に 大きな改変が行われたことが発表されました。同じ内容は、ものみの塔協会の 広報用ウェブサイトでも発表されました。 今回の変革では、ミルトン・ヘンシェルは会長職を退き、13人の統治体員も 全員協会の理事を辞職し、新たにドン・アダムスを協会の会長に据え、 理事や法人の役職も全て「他の羊」と呼ばれる油塗られた者以外の証人が 占めることになりました。
更に今回の年次総会では新たに三つの子会社が設立され、これまでの ものみの塔協会の業務を分散することが発表されました。 これらの子会社の正式の日本語訳は、いずれ協会の出版物で発表されるでしょうが 第一の会社はChristian Congregation of Jehovah's Witnesses (エホバの証人のクリスチャン会衆)と呼ばれ、会衆の実務、集会、宣教などの 業務を担当し、第二の会社はReligious Order of Jehovah's Witnesses (エホバの証人宗教機構)と呼ばれ、ベテル奉仕、特別開拓者、旅行する監督など に関する業務を扱い、第三の子会社はKingdom Support Services@` Inc (王国支援局)と呼ばれ、各地の建造物の設計施工の業務を担当します。
ものみの塔協会とエホバの証人の統治体は歴史的に見て渾然一体として 宗教上の教義や活動と一緒に、莫大な資産の運用、管理、と出版業務を支配して来ました。 しかし組織が拡大し複雑になるにつれ、老朽化した13人の統治体員だけでは 到底手におえなくなっていることは、最近の多くの統治体援助者の登用によっても 明らかになっていました。今回の組織改造は、老朽化した統治体を会社実務から離し、 彼らは教義上の決定に専心し、会社実務はより若い層に引き渡す狙いがあるようです。 その一方で、アメリカの大会社の歴史を見ると理解できるように、 会社がある程度大きくなると、その業務と責任を幾つかの子会社に分散させることは、 法的、財政的に見て多くの利点があることも間違いありません。 その中で大きな問題となるのは、組織の責任の分散化でしょう。 世界各地で元エホバの証人やその家族が、被害の賠償を求める集団訴訟を起こす 動きがある中で、これまでの体制では統治体は宗教的な側面では訴追を免れても、 会社の最高責任者としての訴追を免れることは難しいと考えられていました。 今度の組織改造では、統治体はもはや会社の最高責任者ではなくなり、 今後予想される訴訟に対して先手を打って、統治体をそのような危険から隔離する 狙いもある、と考えられています。
本年6月、ものみの塔協会は協会が、「主要成分」であると指定した分画以外の 全ての血液分画の使用を個人の良心の問題として、受け入れることを認めました。 <9月24日アメリカ・カリフォルニア州・サクラメント市の新聞サクラメント・ビー> 一人のエホバの証人研究生が、医療機関連絡委員会の正式の了承の元に、 牛の血液のヘモグロビンから作られた代用血液を受けいれて、 それによって命拾いをしたことを報道しています。 この記事によると、サクラメント市に住む34才のホゼ・オルドゥノ氏は自転車で出勤途中に ひき逃げ事故にあい、幾つかの骨折と内臓への損傷により、胸腔内に大量の出血を している状態で病院に運ばれました。外科医は直に輸血を指示し、オルドゥノ氏は 二単位の輸血を受けた所で目を覚まし、それ以上の輸血を拒否することを言明しました。 オルドゥノ氏は貧血に伴う心不全の兆候を示し、命が危ぶまれる状態に達しました。 医師団は最後の手段として、代用血液ヘモピュアの使用を検討しました。エホバの証人医療機関連絡 委員会のブラウン氏は、ヘモピュアが、ものみの塔協会が使用すべきでないと決め た血液製剤でないことを確認して、正式に医師団にその使用を了承しました。 ヘモピュアは牛の赤血球を使用してヘモグロビンを精製処理して 赤血球の代用として酸素の運搬をさせるために開発されたものです。 ヘモグロビンはものみの塔協会の代表者も書いたように、赤血球の主要成分です。 血液の最も重要な機能である酸素運搬能力はこのヘモグロビンの作用であり、 血液が赤い液体に見えるのもまたヘモグロビンの色によります。 ものみの塔協会は輸血拒否の理由として、繰り返し聖書の中でエホバが動物の血は 地に流して処分することを命じ、貯蔵したり体内に取り入れることを禁止している ことを取り上げました。今回、大量の牛の血液を貯蔵してその主要成分を体内に 取り入れることを協会が正式に許したことは、この教義の矛盾をますます白日の下に さらけ出すことになるでしょう。 もう一つの問題は、このような救命の為の治療がエホバの証人にとって 使用可能になったことを、ものみの塔協会は公式に一般のエホバの証人に通知しない ことです。このような情報を知らずに死んでいくエホバの証人がいたとした ら、ものみの塔協会の「血の罪」の責任はまぬかれられないでしょう。
ものみの塔協会は輸血拒否の理由として、繰り返し聖書の中でエホバが動物の血は 地に流して処分することを命じ、貯蔵したり体内に取り入れることを禁止している ことを取り上げました。今回、大量の牛の血液を貯蔵してその主要成分を体内に 取り入れることを協会が正式に許したことは、この教義の矛盾をますます白日の下に さらけ出すことになるでしょう。 もう一つの問題は、このような救命の為の治療がエホバの証人にとって 使用可能になったことを、ものみの塔協会は公式に一般のエホバの証人に通知しない ことです。このような情報を知らずに死んでいくエホバの証人がいたとした ら、ものみの塔協会の「血の罪」の責任はまぬかれられないでしょう。
135 :
非公開@個人情報保護のため :2000/12/15(金) 18:19
あげ
136 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:03
*** 目83 9/8 16-19 “人間起重機”は聖書を高く持ち上げる *** “人間起重機”は聖書を高く持ち上げる それは1965年の春のことでした。私は土俵上で大横綱の一人とされる大鵬と向かい合っていました。私たちは清めの水で口をすすぎ@`土俵に向かって清めの塩をまきました。仕切りに許された4分間の制限時間が過ぎました。私たちは再び向かい合いました。行司の軍配が返りました。制限時間いっぱいの合図です。さあ@`立ち合いです。そして激しい相撲になりました! 私は@`大鵬に6度目の土を付けました。この取り組みで私は“大鵬キラー”というニックネームを付けられました。力士として胸の躍るような経験でした。 相撲はオリンピックの種目に含まれておらず@`日本以外では実際のところ余り知られていません。事実@`相撲を国技とする国は日本以外にありません。では@`相撲が独特なスポーツと言えるのはなぜだろうか@`と尋ねられるかもしれません。相撲の取り組みの目指すところは@`公式に定められた差し手や投げを使い@`押したりうまく動き回ったりして相手力士を土俵上で倒すか土俵外に出すかすることです。
137 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:03
相撲―日本古来のスポーツ これは日本で幾世紀も昔にまでさかのぼる古くからあるスポーツで@`その起源はさらにそれよりも昔のアジア大陸に由来するものかもしれません。幾世紀にもわたって@`相撲は神道と緊密な結び付きを持ってきました。信者たちが米の豊作を神々に祈り求めた際に@`その儀式の一つとして相撲が行なわれました。平安時代(西暦794-1185年)には相撲が宮中の人々を喜ばせ@`その結果天皇家のスポーツとなりました。12世紀になると武家が政治権力を握るようになり@`相撲の鍛練は弓術や剣術と並んで重要なものとされ@`武士に求められるものになりました。今日知られているような形の職業相撲は徐々に形造られてゆきました。江戸時代(1603-1868年)以降@`相撲は観客を集めるスポーツとしてすっかり定着するようになりました。
138 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:04
なぜ相撲取りになったか 12歳のころに@`私は既に身長が175aあり@`重さ60`の米俵を2俵軽々と持ち上げることができました。両親は@`身長が高くて力のある私が跡を継いで農業をすることを望んでおり@`非常に期待していました。十代になった時@`自分としてはその身長が農作業の大きな障害になると思っていました。一日じゅう腰をかがめて畑仕事をするのは自分にとって非常に困難なことだったからです。 北海道で生まれ育ったので@`私は“生まれつきの”相撲取りだったと言えるでしょう。11月から4月までは普通雪に閉ざされますが@`雪の中を歩いて足腰を鍛えた子供には相撲取りとして大成する見込みがあると言われています。両親の願いに反して@`私は相撲界に入りました。
139 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:04
相撲“部屋”の機能 前途有望な若者たちは相撲の学校とも言える@`部屋と呼ばれる所で修業を始めます。私の所属していた部屋では午前3時に一日の生活が始まりました。厳しいけいこは準備運動から始まり@`申し合いけいこへと進んでゆきます。相撲部屋での生活は封建制に基づいて地位が最重要視され@`私たち“新弟子”は上位の力士のために掃除や炊事すべてを行なうよう求められていました。だれが最初に食べるか@`まただれが一番遅く起きるかは序列によって決められます。 けいこは昼まで続き@`それから序列に従ってその日の最初の食事が始まります。もちろん@`その順番も地位によって決まります。その食事がまた豪快です! 相撲取りの食べ物はちゃんこ鍋です。これは肉や魚をベースに@`にんじん@`ねぎ@`その他色々な野菜@`豆腐@`しょう油@`砂糖などを加えた味の濃い@`栄養豊かな鍋料理です。私たちはちゃんこ鍋をおかずに@`山盛りのご飯を食べ@`大量のビールでそれを流し込みました。 相撲取りの目標―体重を増やし@`勝負に勝つための力をつけること―を達成するのに役立つのは@`このごちそうの後ののんびりした昼寝です。力士の成功は一にけいこ@`二にけいこ@`それによって体重と力をいかに速く身に着けるかにかかっています。体格に重きが置かれていることは@`新弟子が修業を始められるようになるために規定の身長と体重に達していなければならないという事実にも現われています。そして@`相撲の番付を上へ上へとあがって行くには多大の忍耐力が求められます。若い力士は自分の力を発揮する機会を本場所で与えられます。15日間にわたって行なわれる本場所は毎年6場所行なわれます。
140 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:04
相撲―レスリングと違って正方形ではない土俵 相撲が行なわれる大きなホールの中央部には@`高さ60aほどで@`545a四方の@`土俵場があります。取り組みの行なわれる場所は円形で@`西洋のレスリングに見られる“リング”よりも“リング(輪)”らしい形をしています。土俵と呼ばれるこのリングの周りにはロープが張り巡らされてはいません。土俵場の上には土を詰めた俵が直径455aの円形に埋め込まれており@`土俵場の表面は薄い砂の層で覆われています。この砂は微妙な一番の時に非常に役立ちます。どうしてでしょうか。砂の上に残された跡を調べて@`勝ち力士を判定することができるのです! 清めの塩と水が手近に置かれています。頭上には神明造りの木製のつり屋根があり@`土俵の下には幸運を呼ぶとされる品々が埋められています。それに加えて@`武家の装束をして神道に由来する黒い冠を着けた目の鋭い行司がいます。 上位の力士が毎日土俵入りする儀式は壮観です。力士たちはそれぞれ4`以上もある凝った化粧回しを着けています。力士たちは輪になって土俵を囲み@`柏手を打つ儀式を執り行ないます。やがて取り組みが始まります。本場所ちゅう毎日@`力士が番付の低い順から高い方へと順ぐりに土俵に上がります。一度その地位に上がったら不動とされる横綱を除くと@`その場所の勝敗の記録に基づいて次の場所には番付が上下します。
141 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:05
だれが勝つか 相撲では@`心や精神の状態が体力や技と同じほど重要視されます。「礼をもって始め@`礼をもって終える」という言葉はこの競技の精神を見事に言い表わしています。力士は土俵に上がる際に土俵に向かって礼をし@`勝ち力士が決まると@`再び礼をします。 力士は各々取り回し@`つまり長さ11.5bほどの絹織物の締め込みを着けています。これは縦に6回たたまれてから@`腰部に巻かれ@`後ろで丹念に結ばれています。 中には体重が170`を超える力士もいます。立ち合いと呼ばれる最初のぶつかり合いで@`両力士は相手を目がけてブルドーザーのように猛烈な勢いで突っ込んで行きます。その衝撃はすさまじいものです。ぶつかり合うと@`力士は何とかして互いに相手の回しをつかみ@`それを使って相手を投げようとします。同時に相手に回しを取られないよう自らを守ります。なかなかの見物です! 土俵から相手力士をつり出す得意技があったので@`私は“人間起重機”として知られるようになりました。 勝ち力士はどのようにして決められるのでしょうか。力士の体のどこかが土俵の内外の土に付くなら@`そのとき勝負はつき@`先に土の付いたほうの力士が負けます。勝ち力士は手を差し伸べて敗れた力士が立ち上がるのを助けます。勝負はしても@`力士同士は友情を示します。 私の現役時代の16年間を通じて@`空手まがいの手やその他のひきょうな手が用いられるのを目にしたことは一度もありませんでした。少なくとも@`そのような手は非常に無作法なものです。 相撲の番付の最高位は横綱です。私は大鵬に土を付けた時に@`その二つ下の関脇の地位にまで昇進しました。1969年に健康上の理由で現役を引退しましたが@`審判委員また親方として相撲界にとどまりました。そのため@`生活は生涯保証されていました。
142 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:06
聖書@`それとも相撲と神道―どちらにするか 相撲界で生活していたために@`1年のうち6か月は家を空けていました。1974年のある日@`一人のエホバの証人の婦人が私の家を訪問しました。私はすぐにパンフレットを受け取って@`それを妻に渡しました。それから私は巡業で九州に出かけました。留守の間に@`その婦人が再びやって来て@`妻が聖書に対して深い敬意を抱いていることを知りました。私は6週間後に家へ帰って来て@`妻が聖書を研究していることを知りました。宗教というものが嫌いだったので@`私は反対しました。 それでも@`妻との研究を司会してくれたエホバの証人は@`家族でその証人の家を訪問するよう度々招待してくれました。単に“相撲取り”と話したいだけなのだろうと思っていました。その人たちがなぜ私個人に関心を持つのか理解できなかったのです。妻が涙を流して@`一緒に行くよう懇願したので@`私はしぶしぶ承知しました。ところが@`このエホバの証人の家族と交わって@`私はそのくつろいだ良い雰囲気を楽しみました。しかし@`妻が1975年8月にエホバの証人としてバプテスマを受けた時にも@`自分が真理の道を歩むことになろうとは思ってもみませんでした。 1976年のある日のこと@`一人のエホバの証人が私のところを訪ねて来ました。私はろくすっぽ会話をしようともしませんでしたが@`ふいに@`「兄弟@`聖書の研究をお願いします」という言葉が口を突いて出て来ました。どうしてそう言ったのか分かりませんが@`とにかくそう言っていたのです。研究が始まり@`幾らかの進歩を遂げましたが@`間もなく試練が始まりました。 相撲界では行動を共にすることが求められます。地方巡業の際には@`時間をもらって各都市で集会に出席したいと思いました。そのような許可をもらうのは並大抵のことではなく@`あざけられました。しかし@`兄弟たちと会うことができた時には@`国内のどこに行っても見られるエホバの証人の愛と一致を目にするという報いが得られました。
143 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:06
私の最初の願いは@`クリスチャンになっても@`収入が保証されている相撲協会にひきつづきとどまることでした。エホバのご意志をより正確に知るようになると@`それは不可能であることが分かりました。なるほど@`ヤコブは確かにみ使いと取っ組み合いをしました。(創世記 32:24-29)しかし@`相撲と偽りの宗教との強いつながりをも考慮に入れなければなりませんでした。終始儀式の伴う相撲は@`神社の境内で行なわれた事柄に由来します。前途有望な力士がその宗教的な面を考えることはほとんどありませんが@`それでも相撲を神道から切り離すことは不可能です。 そこで私は1977年1月に相撲協会から身を引く固い決意をしました。その年@`私はバプテスマを受け@`その後@`会衆内で奉仕の僕として仕える資格を身に着けるようになりました。今持っている物で満足することを学び@`私は現在ビル清掃の仕事をして5人家族を扶養しています。 私はもう相撲取りではありませんが@`重みのある神のみ言葉@`聖書を“高く持ち上げる”ことを楽しんでいます。そうすることによって@`手ごわい敵―偽りの宗教の教えと迷信―をうち負かすことができます。(コリント第二 10:4@`5)現在私は正規開拓奉仕者として毎月平均90時間@`創造者に仕えています。どのようにしてでしょうか。神の王国の良いたよりを宣べ伝えることによってです。(マタイ 24:14)私と同じように聖書を“高く持ち上げ”たいと思われますか。エホバの証人と交わることによって@`あなたにもそうすることができます。―明歩谷 清の語った経験。 [17ページの図版] 元関取 明武谷の現役時代 [19ページの図版] 今ではクリスチャンの奉仕者
144 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:10
*** 塔88 9/1 32 それ以来@`音楽のことで苦情は言われなくなった *** それ以来@`音楽のことで苦情は言われなくなった 福岡県のある中学校では@`校内放送で流される音楽のことで@`近所の人々から苦情が出ていました。そこで@`ある若者が「王国の調べ」のカセットテープを学校へ持って行きました。先生はそれを聴いてから@`「これはいい音楽だ。校内放送で流してもいいだろう」と言われました。その時から@`生徒と教師@`それに近所の人々も@`毎朝10分そして昼休みの25分間@`「王国の調べ」を聴いています。それ以来@`音楽のことで苦情は言われなくなりました。 あなたも@`気分をさわやかにするこの編曲された音楽から益を受けられます。「王国の調べ」1@`2@`3@`4@`5@`6@`7@`8の8本のカセットは@`いずれも1@`000円のご寄付でお求めになることができます。演奏時間はどのテープもおよそ1時間です。下のクーポンに必要事項を記入してお送りくだされば@`下記のカセットをお送りいたします。 印を付けた下記のカセットを郵送料発行者負担で送ってください。寄付としてカセット1巻につき1@`000円を切手または現金書留で送ります。 [ ]「王国の調べ」1 [ ]「王国の調べ」2 [ ]「王国の調べ」3 [ ]「王国の調べ」4 [ ]「王国の調べ」5 [ ]「王国の調べ」6 [ ]「王国の調べ」7 [ ]「王国の調べ」8
145 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:27
*** 目91 1/22 9-13 「特攻が私たちの任務でした」 *** 「特攻が私たちの任務でした」 昭和20年(1945年)8月15日@`私はこの日をはるか南方の洋上で迎えました。私は伊号第367潜水艦に乗り組み@`回天特別攻撃隊として作戦行動中でした。天皇陛下の終戦の玉音放送を聞いた時@`乗員全員が茫然と自分の持ち場の前に立ちつくしていました。太平洋戦争は終わりました。 旬日を経ずして内地に帰投しましたが@`私たち海軍で身を立てようとした者にとっては@`戦争に負けたというのに大勢の兵士たちが嬉々として復員してゆくのが不思議でなりませんでした。この戦争で多くの若者たちが「お国のために」死んでいったというのに@`終戦を喜んでいる人たちがいるのです。それを見ると悔しさが込み上げてきました。
146 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:28
特別攻撃隊としての出撃 その8か月ほど前のことが脳裏に浮かびました。海軍の対潜学校@`続いて潜水学校を卒業した後のことです。1944年12月25日に@`私は伊号第367潜水艦の乗り組みを命ぜられました。1945年の正月元旦に私たちが横須賀で乗艦すると@`我が艦にも特攻作戦参画の命が下りました。“特攻”とは@`空の神風特別攻撃隊と同じような体当たり攻撃を意味しています。私たちは回天特別攻撃隊振武隊と呼ばれました。 この作戦に加わるため@`艦は広島に程近い軍港@`呉に回航され@`回天を装備するための改装工事が施されました。回天というのは@`中央部に人が一人乗れる狭い操縦席を取り付けた改造魚雷で@`潜水艦の上甲板から発射されると@`搭乗員がそれを操縦して目標に体当たりをするのです。これが人間魚雷と呼ばれるゆえんです。一度発射されると@`回天は戻って来ることができません。命中すれば英雄として死に@`外れればまさに犬死にです。 お国のために死ぬのは@`非常に名誉なことだと考えていました。それで将校が特攻隊を志願する者を募って@`希望者は前に進み出るようにと述べると@`全員が一斉に前に進み出ました。私は回天の搭乗員ではありませんでしたが@`潜水艦の乗組員全員が特攻隊員とされたのです。実に名誉なことです。 回天の発進訓練を終え@`回天5基を上甲板に搭載して出撃しました。瀬戸内海を抜けて太平洋に出て行く艦の甲板に立って@`初夏の美しい景色を見渡しながら@`自分の横に積まれた必殺兵器である5本の魚雷の行く手にはどんな獲物が待っているのだろうと考えました。すると@`練習生当時の苦しかったことや@`楽しかったことが走馬灯のように思い出されてきました。
147 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:28
海軍の訓練 若くして海軍軍人を目指した私は@`1944年に18歳になると@`海軍機雷学校に入校しました。最初の2か月は陸戦の基本訓練と海軍常識についての猛訓練を受けました。2か月後@`学校の名称が海軍対潜学校と改称され@`私たちは@`水中聴音機や水中探信儀<ソーナー>を最大限に使いこなせる将兵を一刻も早く前線に送り出すための教育と訓練を受けました。 入校して二日間は@`分からないことがあれば教官たちが何でもやさしく教えてくれ@`まるでお客様扱いでした。そして@`三日目に第1回の“修正”が行なわれました。1日の課業を終えて就寝し@`当直将校の巡検(見回り)が終わるや否や@`「総員起こし@`総員デッキに整列」という教員の号令がかかりました。どうしてよいか分からず@`うろうろしていると@`「遅い。早く整列しろ」の叱咤が飛んできます。整列が終わると@`「貴様等は全員たるんでいる」と言われ@`“修正”が行なわれました。海軍では殴ることを“修正”と言い@`事前に脚を開け@`歯を食いしばれと言って@`倒れないように@`また口の中を切らないようにさせてから@`往復ビンタを食らわせるのです。 修正は連帯責任の原則に基づいて加えられました。一人がミスをすればその班全員が修正を加えられるのです。「軍人精神注入棒」と呼ばれる@`野球のバットのような棒で尻を殴られることもよくありました。修正は@`艦上で大いに必要とされるチームワークを育むものとされていました。しかし@`修正を受けるたびに@`これが実戦に役立つのだろうかと不審に思えて仕方がありませんでした。 対潜学校を卒業し@`続いて潜水学校に入校しましたが@`今までとは逆に潜水艦から水上艦船の音源を捕捉し@`これを攻撃する講義や訓練が行なわれました。海軍でいう@`月月火水木金金の日課@`すなわち週末なしで対潜学校以上に厳しい訓練が毎日行なわれました。
148 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:28
特攻 「本艦は今@`豊後水道を出た。明朝までは浮上航走で進撃する。回天特別攻撃隊振武隊として今次作戦の完遂を期す。各自持ち場に全力を尽くせ」というスピーカーからの声で@`現実に引き戻されました。沖縄とグアムを結ぶ輸送ルートの途中で敵の船を待ち受け@`これを撃滅するのが私たちの任務でした。それからの四日間は明け方に潜航し@`日没後に浮上航走するという毎日が続きました。 五日目の14:00時<イチヨンマルマルジ>@`私たちは音源を捕捉しました。艦は深度を水深14bに保ち@`徐々に近づきながら潜望鏡による観測を続けました。突然@`矢継ぎ早に号令がかかりました。 「総員配置に就け」。 「回天戦用意」。 「搭乗員乗艇」。 日の丸の鉢巻きを締めながら搭乗員が狭い通路を走り抜ける。乗組員は側壁に体をつけて@`挙手の礼で見送る。 交通筒(潜水艦内から魚雷に乗り込む通路)へのラッタル(はしご)を駆け上がった搭乗員がハッチの入口で振り向いて@`「皆さん@`いろいろとお世話になりました。元気で征きます」と怒鳴りながら挙手の礼をする。下のほうで送る者は皆@`顔をこわばらせたまま声一つ立てない。 「各艇発進用意」。艦長の命令を伝える伝令の震え声が伝わってくる。 「目標@`大型輸送船1隻と駆逐艦1隻。1号艇は故障のため2号艇と3号艇を出す。他の艇は待機せよ」。艦長からの連絡が伝えられる。 「2号艇発動」。 「3号艇発動」。 ガタン@`ガタンと@`回天を縛っていたワイヤバンドが外れて甲板に崩れ落ちる音がした。ガーッという熱走音の余韻を残して2号艇が飛び出して行く。3号艇がそれに続く。搭乗員の童顔が目に浮かぶ。ともあれ@`水中聴音機で回天の跡を追うという自分の任務に全神経を集中させる。 「もう命中してもいいころだがなあ」と@`だれかがつぶやく。回天が発進して15分しかたっていないが@`1時間以上にも感じられる。その時「ドッカーン」という爆発音が伝わり@`続いてもう一発の爆発音が伝わって来る。 「千葉兵曹命中!」 「小野兵曹命中!」 艦内はしいんとして咳一つない。爆発音のした方に向かって手を合わせている者もおり@`立ちつくす乗組員たちの頬にすうっと一筋@`涙が流れる。大戦果を挙げたにしてはあまりにも静かな光景である。 小野隊員は遺品の中に@`日本の伝統に従って@`そっと辞世の句をしたためていました。「敷島の大和桜と咲きにしをあたりて砕け深く散りなん」。まだ19歳でした。
149 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:29
空襲 その後@`日の出前に潜航@`日没後に浮上という索敵の毎日が続きました。会敵することなく2週間がたち@`直ちに呉に帰投するとの艦長の声がスピーカーから流れました。わあっと艦内が沸き返りました。こうして呉に帰港し@`艦の修理や食糧の搭載をしている間@`乗組員は近くの温泉で休養を取っていました。 そんな1945年6月15日のことです。呉海軍工廠の岸壁に艦を係留@`次の出撃に向けて準備していると@`空襲警報のサイレンが鳴りだしました。何をするいとまもなく@`敵機B29の大編隊が工廠めがけて舞い降りてきました。私は上甲板から岸壁に飛び移り@`前部のもやい(係留ロープ)を外しました。そして@`居合わせた毛利兵曹に@`後部のもやいを外すよう頼みました。艦がすうっと岸壁から離れ@`私たちは飛び乗ることができませんでした。 岸壁のすぐそばにある防空壕に避難しましたが@`壕内は工員たちで一杯でした。入口に立っていると@`爆弾の爆風で外に吹き飛ばされました。このままでは危険だと思い@`工廠の裏山に掘られた横穴の壕まで走ることにしました。爆撃機の攻撃が3分間隔で行なわれるので@`敵機が行き過ぎると同時に飛び出し@`裏山に向かって走りました。横穴に着くか着かないうちに後ろで爆弾が破裂し@`私は爆風で穴の中に吹き飛ばされました。幸いにもけがはありませんでした。後ろにいたはずの毛利兵曹が見当たりません。空襲が終わるとすぐ@`彼を捜しながら岸壁まで戻りましたが@`見つかりませんでした。通路には何か所も大きな爆弾の穴が開いていました。戦友を捜して至る所を調べましたが@`見つかりませんでした。 これほど大勢の死者や負傷者を目にしたことはありませんでした。また戦争の悲惨さ@`むなしさをこの時ほど強く感じたこともありませんでした。そして@`この世には神や仏はいないのだ@`神や仏がいるのならこのようなむごいことを許すはずはないのだと思いました。
150 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:30
信頼に値する神を見いだす あの夏の日に南洋で大日本帝国の敗北を受け入れなければならなかったのは@`この空襲からほんの二か月後のことでした。1945年11月20日に@`私は残務整理を終えて我が家に帰りました。二日後には@`国鉄に就職しました。その後30年間@`私は四国各地の車掌区や駅で勤務しましたが@`戦時中の経験ゆえに無神論的な考えにとらわれていました。 1970年に@`家から通勤に3時間かかる@`隣県の佐古駅に転勤を命ぜられました。通勤の車内では新聞や雑誌を読んでいました。朝かばんを開けると@`いつも上の端に「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌が入っていました。エホバの証人になったばかりの妻が入れたのです。最初は腹立たしく思い@`網棚の上に投げ捨てるように置いていました。宗教というものに反感を抱いていたのです。それで妻のキリスト教の宗教に激しく反対しました。帰宅してから@`「あんな雑誌は入れておくな」と怒鳴りつけましたが@`翌日もやはり入っていました。 ある日@`ふと気がつくと@`一人の人が網棚からそれらの雑誌を取って読んでいました。『何が面白いのか』と不思議に思ったものです。そんなことが何度かあった後@`新聞を読んでしまってから@`何の気もなく「ものみの塔」誌に目を通しました。そこに書かれていることの意味はよく理解できませんでしたが@`「目ざめよ!」誌の方は興味深く読みました。一度読んでみると@`何か普通の雑誌とは違うところがあるように感じ@`それからは両方とも読むようになりました。もっとも@`反対している立場上@`家では読みませんでしたが@`妻が伝道だといって毎日出かけることの意味が分かるようになりました。 1975年の初めごろから体調が悪くなり@`同年4月に退職しました。医師の診断で@`喉頭ガンにかかっていることが分かりました。入院中に@`一人のエホバの証人の男性から@`見舞いに「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」と@`「今ある命がすべてですか」という書籍をいただきました。ちょうど退屈していたところです。聖書を見舞いにいただいたので@`公然と読む口実ができました。 退院するとすぐその人が訪問してくださいましたが@`最初の2回の訪問は世間話に終始し@`戦争の話をしました。しかし3度目の訪問の時に聖書研究を勧められ@`その場で研究が取り決まりました。戦争の後遺症である無神論的な考え方を克服し@`ようやく1980年の地域大会でバプテスマを受けました。それ以来@`他の人に仕える特権を与えていただき@`最近になって@`地元の会衆で長老として奉仕するよう任命を受けました。
151 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:30
今になってみれば@`政治支配者や軍部が多くの若者たちをこれほど見事に教育し@`ひたすら国のためだと信じさせ@`散っていかせることのできた理由が理解できます。神の言葉である聖書を学んで分かったことですが@`悪魔サタンの大きな力が人々を駆り立てていたのです。今にして私は@`特攻という自殺的な集団ヒステリーとも言うべき任務の背後に@`サタンのサディスト的な意図を見て取れます。啓示 12章7節から9節また<G<゙>G>啓 12章<G<ワ>G>12節はこう予告していました。「また@`天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが@`優勢になれず@`彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。こうして@`大いなる龍@`すなわち@`初めからの蛇で@`悪魔またサタンと呼ばれ@`人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ@`その使いたちも共に投げ落とされた。このゆえに@`天と天に住む者よ@`喜べ! 地と海にとっては災いである。悪魔が@`自分の時の短いことを知り@`大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。 私は思いをくらまされ@`特攻という任務を名誉とみなしていましたが@`今ではベールが除かれ@`真理が理解できます。私の思いをくらましていたのがだれかも分かります。コリント第二 4章3節から6節にある使徒パウロの言葉は@`その点を明らかにしています。「そこで@`もしわたしたちの宣明する良いたよりに事実上ベールが掛けられているとすれば@`それは滅びゆく人たちの間でベールが掛けられているのであり@`その人たちの間にあって@`この事物の体制の神が不信者の思いをくらまし@`神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光明が輝きわたらないようにしているのです。わたしたちは@`自分自身ではなく@`キリスト・イエスを主として@`また自分自身をイエスのためのあなた方の奴隷として宣べ伝えているからです。神は@`『光が闇の中から輝き出よ』と言われた方であり@`キリストの顔により@`神の栄光ある知識をもって明るくするため@`わたしたちの心を照らしてくださったのです」。 真理を知り@`生ける唯一まことの神を知るようになったことは@`浮上して潜水艦のハッチを開けた時に入って来る自然の空気の甘さ@`あのさわやかさに例えることができます。そのような甘さとさわやかさはそれを味わった者にしか分かりません。私はこの霊的さわやかさに対してエホバに深く感謝しています。また@`私が神に献身するまで10年間もあきらめずに聖書の真理を伝えようとたゆむことなく努力してくれた妻にも感謝しなければなりません。そのおかげで@`今ではクリスチャンの宣教という生ける神からの任務@`命を救う任務に携わらせていただいております。―青野吉美の語った経験。 [9ページの青野吉美の図版] [10ページの図版] 妻のたゆまぬ努力のおかげで@`今では生ける神からの@`命を救う任務に就いている
152 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:32
*** 目97 3/8 11-13 組織犯罪から抜け出す―「私は暴力団員でした」 *** 組織犯罪から抜け出す―「私は暴力団員でした」 「パパもおうちに帰って来たら一緒に集会に行こうね。約束してくれますね」。私は次女の書いたこの手紙を3度目の受刑生活を送っている時に受け取りました。娘は妻と一緒にエホバの証人の集会に定期的に出席していました。家族からの手紙が@`唯一の心の慰めだったので@`私は娘の望みどおりにすることを約束しました。 『自分を家族から引き離すことになる犯罪にどうしてずっと関係しているのだろうか』と私は自分で考えました。私は幼いときのことを思い起こしました。父は私がまだ1歳6か月の時に亡くなったので@`父の顔さえ覚えていません。母はその後@`2回の再婚をしました。そのような家庭環境のゆえに心に傷が残り@`高校では不良グループと悪い交際をするようになりました。私は乱暴になり@`学校外でよくけんかをしていました。高校2年の時に@`学生たちのグループを組織して別のグループとけんかをしました。その結果@`逮捕されて@`しばらくの間少年鑑別所に入れられました。 私は@`坂道を転がるボールのように暴力の道へと転がってゆきました。やがて不良グループをつくり@`暴力団の事務所に出入りするようになりました。18歳の時に@`私は暴力団の正式な組員になりました。20歳の時には@`様々な暴力事件を起こして逮捕され@`3年の実刑判決を受けました。最初は奈良の少年刑務所で服役しましたが@`私の行動は改善されなかったので@`別の刑務所@`成人のための施設に移されました。しかし素行はいっそう悪くなり@`とうとう京都にある再犯者のための刑務所に送られることになりました。 『なぜそのような愚かな振る舞いを繰り返したのだろうか』と自問してみました。振り返ってみると@`それは私の浅はかな考えのせいでした。当時@`そうすることによって@`男になれると考えていたのです。25歳で出所した私は仲間の組員から大物として一目置かれるようになりました。こうして犯罪者の世界で出世する道が開けたのです。
153 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:32
家族の反応 そのころ私は結婚して@`やがて二人の娘が生まれました。それでも私の生活は変わりませんでした。傷害や恐喝で我が家と警察の間を行ったり来たりのくり返しでした。事件を起こすたびに@`仲間の組員の敬意と親分の信頼を勝ち得ることになりました。“兄”が最高位にまで上りつめて組長になると@`私は組のナンバー2の地位に就き@`有頂天になっていました。 『妻や娘たちは私の生き方をどのように思っているのだろうか』と心の中で考えました。犯罪者を夫または父親として持って@`肩身の狭い思いをしたに違いありません。30歳の時に再び服役し@`32歳の時にも再度服役しました。このたびの3年の服役は私にとって本当につらいものでした。娘たちとの面会が許されず@`会って話したり@`抱きしめたりすることができなくなってしまったのです。 この最後の刑に服し始めたころ@`妻はエホバの証人と聖書の研究を始めました。自分の学んでいる真理について毎日毎日手紙を書き送ってきました。『妻の言っているこの真理とは何のことなんだろうか』と私はいぶかしく思いました。服役中に私は聖書全巻を読み通しました。そして@`妻が手紙の中で述べている将来の希望や神の目的について考えました。 人間が地上の楽園で永遠に生きるという希望は魅力的でした。私は人一倍死というものについて不安感を抱いていたからです。『人は死んだら負け』という考えをいつも持っていました。振り返ってみると@`死に対する恐れにつき動かされて@`他の人に傷つけられる前に相手を傷つけようとしていたのです。妻からの手紙を見ても@`暴力団の世界で出世をしようとすることがいかにむなしいかが分かりました。 それでも@`真理を研究しようという気持ちにはなりませんでした。妻はエホバに献身して@`バプテスマを受けた証人になっていました。手紙の中で@`集会に行くことに同意をしたものの@`エホバの証人になるつもりはありませんでした。妻や娘たちが私を置いて遠いところに行ってしまったように感じました。
154 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:32
出所 ようやく出所する日がやって来ました。名古屋刑務所の正門には@`大勢の暴力団員たちが私を出迎えるために並んでいました。しかし@`黒山の人だかりの中に@`私は妻と娘たちの姿だけを探していました。3年半ぶりに見る娘たちは随分と大きく成長し@`私は目頭が熱くなりました。 我が家に帰って二日目@`次女との約束を守ってエホバの証人の集会に出席しました。出席している人たちの明るい様子に驚きました。証人たちは@`私のことを温かく迎えてくれましたが@`場違いな所に来ていると感じました。後で@`私にあいさつをしにきた人たちが@`私の犯罪がらみの背景を知っていたということを知らされて@`とまどいました。それでも@`温かいものを感じ@`聖書に基づく講演にも引き付けられました。それは@`楽園の地で人が永遠に生きることができるという内容でした。 妻と娘たちが@`生き残って楽園に入り@`自分だけが滅ぼされると考えると@`とても悲しい気持ちになり@`家族と共に永遠に生きるためにはどんなことをしなければならないかについて真剣に考えるようになりました。暴力団の組員としての生活から足を洗うことを考えるようになり@`聖書を研究するようになりました。
155 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:33
犯罪に終始する生き方から抜け出す 暴力団の会合や付き合いを断わるようになりました。自分の考え方を変えるのは容易なことではありませんでした。以前はただ自尊心を満足させるだけのために大きな外車に乗っていました。つつましい車に換えるまでに3年かかりました。私にはまた@`楽な方へ楽な方へと物事を考える傾向がありました。しかし@`真理を学ぶにつれて@`自分が変化しなければいけないことが分かりました。しかしエレミヤ 17章9節が述べるように@`「心はほかの何物にも勝って不実であり@`必死になる」ものです。それらしいことを言うことはできましたが@`自分の学んでいる事柄を当てはめるのに困難を覚えました。自分の直面している問題が大きな山のように思え@`あれこれと悩み@`何度も何度も研究をやめて@`エホバの証人になるという考えをあきらめようと思いました。 そんな時@`私の聖書研究の司会者が@`私の背景と似たような背景を持つ旅行する監督を招き@`私たちの会衆で講演をするよう取り計らってくれました。その人は600`以上離れた秋田から@`わざわざ鈴鹿までやって来て私を励ましてくれました。その後@`私が疲れ果ててやめてしまおうと思っているときに限って@`その人から主の道を着実に歩んでいますか@`と尋ねる手紙を受け取るのでした。 暴力団との縁をすべて断ち切ることができるよう助けてくださいと私はエホバに祈り続けました。私にはエホバが祈りに答えてくださるとの確信がありました。1987年4月にやっとのことで暴力団の組織から脱退することができました。私は自営で@`毎月海外へ出張して家族から離れていなければならなくなる仕事をしていたので@`清掃の仕事に職を変えました。ですから@`午後は霊的な活動のために空けておくことができました。生まれて初めて@`給料袋を受け取りました。中身は軽かったのですが@`とてもうれしくなりました。 暴力団の組織でナンバー2の立場にあった時は物質的に恵まれてはいましたが@`今では色あせることのない霊的な富を手にしています。エホバを知っており@`そのお目的を知っており@`自分が従って生きるべき原則を持っており@`本当に気遣ってくれる真の友がいます。やくざの世界では@`組員たちが表面的には気遣いを示しますが@`私の知る限り@`他の人たちのために自分を犠牲にするようなやくざはただの一人もいませんでした。
156 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 10:33
1988年8月に私はエホバに対する自分の献身の象徴として水のバプテスマを受け@`翌月から月に少なくとも@`60時間を使って@`私の生活を変えることになった良いたよりを@`他の人々に伝える業を開始しました。1989年3月からは全時間奉仕者として仕えており@`現在では会衆で奉仕の僕として仕える特権にあずかっています。 やくざの生活のなごりはほとんどすべて捨て去ることができました。ただ一つだけ残っているものがあります。それは@`私の体に残る入れ墨で@`私自身と家族と他の人々にやくざとしての私の過去を思い起こさせます。ある時@`長女が学校から泣きながら帰って来て@`友達から私がやくざで入れ墨をしていると言われたので@`もう学校に行きたくないと言ったことがありました。娘たちとよく話し合い@`状況を理解してもらうことができました。私は地球が楽園になり@`私の肉体が「若いころよりもみずみずしくなり」@`入れ墨もやくざとしての二十年に及ぶ記憶も過去のものとなる日を心待ちにしております。(ヨブ 33:25。啓示 21:4)―片岡康夫の語った経験。 [11ページの図版] 私は自分の入れ墨が消え去る日を待ち望んでいます [13ページの図版] 王国会館で家族とともに
157 :
名無しさん@1周年 :2000/12/26(火) 08:02
著作権あげ
エホさんは、暴力団員が更正するには、 ちょーどええ頃加減のカルトでんな。 強制労働もやってくれはるし、 組長以下幹部は、そっくりそのまま統治体やし。 犯罪に手つけんでもよろしから、 良い人間になった気がしはるんでしょう。 指つめもあらへんしな、せいぜい排斥や。 暴力団より多少はましでっしゃろな。
159 :
名無しさん@1周年 :2001/01/02(火) 00:01
*** 聖8-参 申命記 23:1 *** 23 「睾丸を打ち砕いて去勢された者@`また陰茎を切り取った者は@`エホバの会衆に入ることを許されない。
まえがき 「私は、自分が洗脳されているとはエホバの証人時代には思ったこともなかった。 私は、高校を卒業する前に、国から特別奨学金を受け取る事が出来た。そして、 ハーバード大学で数学を専攻した人間である。どうして私のような人間の心が だまされるだろうか。そう私は自分に言い聞かせていた。それに、洗脳とは、 暴力をふるったり、孤独にさせたり、睡眠妨害をしたり、24時間ぶっ通しで教理を 教え込むといったことが伴うはずである。エホバの証人の間では、そんなことは全く なされていないではないか。 しかしそれは間違っていた。そのようなことをされなくても、私たちは洗脳されていたのだ。 私は今でも恥ずかしく思うのだが、私自身も洗脳されていたのである。ものみの塔の組織の やり方は、ゆっくりと巧妙で、緩やかである。それでも、最も激しく残酷な洗脳の方法に よったのと同じ結果をもたらす。次のような一連の過程を終えるなら、生活のあらゆる面に 於いて、完全に無条件で組織に従うようになってしまうのである。」 次には、リードが分析したものみの塔がマインドコントロールを用いて、 普通の人々を「エホバの証人」に仕立て、自立的精神の仮死へと誘導する 「13階段」のステップを掲載する。
<第一段> *ファーストコンタクト* エホバの証人が戸別訪問または他のかたちで誰かに会うと、その人が「王国の音信」に対して 心を開いているかどうかを見極める。エホバの証人がターゲットにする典型的な人とは、 孤独で今の生活に不満を感じている人である。恋人に浮気された、最近離婚した、やもめとして 生活している、結婚生活が危機に瀕している、引っ越して来たばかりで友達がいない、そういう 人々である。 普通は教会に行っていない人の方が受け入れやすいといえる。しかし、エホバの証人は、 今の教会から疎外されていると感じている人々や、信仰が形骸化していて、神と個人的な関係を 持っていない人をも獲得することに成功している。 一度ターゲットが決まると、エホバの証人はその人を引き込ための武器を持ち出す。ひとつは、 ものみの塔の書籍であり、もうひとつは型通り体系化された議論である。 (略)・・・繰り返し訪問することで、そのエホバの証人が聖書や宗教のことをよく分っていると 印象づけることが出来る。 <第二段階> *無料の聖書研究* 相手とのコミュニケが成立すると、エホバの証人は無料の「聖書研究」を提供する。毎週1時間、 その人と決めた時間に定期的に訪問する。最初エホバの証人は聖書を中心に話し始め、相手の 持っている聖書でいくつかの選んだ場所を開いてもらうようなことをする。しかし、彼らはすぐに、 ものみの塔協会が出している「段階ごとに質問を掲げている」書籍にすり替える。 現在は「永遠の命に導く知識」が使われている。(その前は「あなたは楽園で永遠に生きられます」)
<第三段階> *永遠の命* エホバの証人は、聖書には人間が死なずにすむという希望が書かれていると研究生に教える。 もし、エホバの証人との学びを続け「神についての正確な知識を得る」ならば、彼らは 地上の楽園で永遠に生きられることを約束される。その地上の楽園は、エデンの園のような 美しい素晴らしいものだと教えられる。 <第四段階> *悪魔サタン* 研究生は、悪魔サタンが友だちや家族などを用いてエホバの証人と勉強するのをやめさせ、 永遠のいのちに必要な知識を得させないようにするかもしれないと、警告される。 したがって、実際に親しい人が、エホバの証人と聖書研究しているのを知って、 ものみの塔について忠告すると、研究生はエホバの証人の警告が正しいと思い込むように なり、その親しい人をサタンの手本とみなすようになる。 <第五段階> *キリスト教攻撃* 伝統的な教会やその聖職者たちについて、研究生はそれまで信じていた信頼を打ち壊すような 資料を配られる。彼らキリスト教会は、戦争を支持し、性的堕落を黙認し、お金のために さまざまな活動をしている、などといった情報がまことしやかに伝えられる。
<第六段階> *教理への忠誠* テキストに従って勉強を進めていくうち、ものみの塔の教理を支持する聖書箇所のみに目が留まる ようになり、組織の教えと矛盾する聖書箇所はすべて飛ばして読む習慣が身についてくる。 例えば、イエス・キリストが神でないことを証明するために、ものみの塔の書籍はヨハネ14・28 「父はわたしよりも偉大な方打からです」とイエスが言われた言葉をたたき込む。 ところが、子なる神の神性を宣言しているイザヤ9・6「ひとりのみどりごが、私たちのために 生れる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は 『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」といった聖句は無視される。 <第七段階> *新世界訳聖書* エホバの証人は、研究生がそれまで使っていた聖書を用いることをしばらくの間は許しているが そのうち「新世界訳聖書」の方がいかに優れた訳であるかを説明し、それを使うように勧める。 しかし「新世界訳聖書」は、ものみの塔の教理に合うように何百箇所も意図的に改ざんされている。 例えば、エホバの御名はギリシャ語写本(新約聖書)には1箇所も出てこないのが、 新世界訳では、237箇所に挿入されていたり、ヨハネ1・1は、イエス・キリストが 「God(唯一の神)」でなく「a god(神性を備えていた)」に変えられてしまっている。 このように、原文の聖書からかなり逸脱したものになっている。
<第八段階> *王国会館* 「無料聖書研究」を始める当初から、エホバの証人は王国会館の集会に出席するように勧められ、 そこでこそより多くの深い知識が得られる、と強調する。学びが進むにつれ、その誘いは 反強制的になり、6ヶ月の学びが終るころには強制的なものに変わる。 そのようにして、研究生が王国会館での集会に参加するか、或いは永遠のいのちを得るための 「正確な知識」を持たないままで学びを打ち切るかの選択を迫る。普通はここが転機となる。 ここで集会に行く人は、一人前のエホバの証人になっていく。集会に行くことを躊躇う人は 「実を結ばない地」として見離される。 <第九段階> *目に見える、神の組織* 議論の余地のある、すんなりと受け入れられない教理は学びの最後の方まで取っておかれる。 つまり研究生がものみの塔協会を「目に見える、神の組織」と認識しはじめるようになってから 国旗に敬礼してはいけないこと、クリスマスも祝ってはならないこと、輸血を拒否しなければ ならないことなどを教える。研究生がそのようなことを受け入れる用意が出来ていなければ エホバの証人は、そのような問題を持ち出すようなことはしない。
<第十段階> *「ものみの塔」誌研究* 毎週行われる5時間の集会では、同じ思想、同じ概念が常に繰り返される。 これが洗脳の鍵になる。日曜朝の「ものみの塔」誌研究を例にとれば、エホバの証人はそれぞれ 「ものみの塔」誌を受け取ったとき、端から端までよく読む。特に研究記事は丁寧に読む。 金曜から土曜にかけて、家族・親戚・友達で日曜の集会の予習をして集会に臨む。結局 エホバの証人は「ものみの塔」誌を、自分で読み、家族や友達と学び、集会でも学ぶので、 少なくとも5〜6回は研究記事の思想を読むことになる。この事実に加え、同じ事を記した 記事が幾度も繰り返される。以前と同じ情報が形を変えて何度も掲載されるので、 エホバの証人はたえず洗脳状態に置かれていることになり、精神的なダメージを受けざる得ない。 <第十一段階> *情報統制* 研究生が王国会館に通い始め、知人や友人ができると、以前の仲間から離れるように促される。 ものみの塔の考え方を持たない外部の人と定期的に話をすることは「つまずきの石」となる からだ。その人たちから研究生が別の考えを聞いてしまったら、組織の教理に疑問を 持つようになる。この時点で、研究生はテレビ番組や読み物など、研究生の考えに 影響を与えるような「悪いもの」をやめるように言われる。
<第十二段階> *社会生活からの隔離* この段階では研究生はもう、自分の子供が祖父母からもらった誕生日のプレゼントを 送り返すようになる。クリスマスにも家族を招いたりしなくなる。そして 「メリークリスマス」や「あけましておめでとう」などの挨拶にも「良い一日を」という 冷たい返事を返す。その結果、家族の絆は薄れて壊れ始め、新しくエホバの証人になった 人は、エホバの証人ではない家族・親戚・友人から離れていく。 こうして、洗脳に必要な孤立状況が完全に整う。 <第十三段階> *永久洗脳* あとは時間の経過を待つばかりである。何ヵ月も何年も、ものみの塔から出される考えだけ 聞いていれば、外部の人には理解できない、普通の考え方では出てこないものの見方を するようになる。
167 :
そして獲物の獲得へ :2001/01/02(火) 04:34
エホバの証人はこの「13階段」を昇りつめると、次のような考えすら受け入れるようになる。 「一部の人々は、これまで組織が幾つかの調整を行ってきたことを指摘し『この点からすると 私たちは何を信じるべきかは自分で決定しなければならない』と論じます。これは独立的な 考えです。この考えが危険なのはなぜですか。この考えは誇りの証拠です。(中略) 実際に神の組織の指導なくしてやっていけるだろうか。確かにやってはゆけません」(ものみの塔誌) そのような心の状態(あるいは心が無い状態)になったエホバの証人は、 ものみの塔聖書冊子協会が、黒を白、「はい」を「いいえ」と説くなら、そう信じ込む ことが可能になってしまう。エホバの証人はジョージ・オーウェルが彼の小説 「1984年」の中に書いた、2つの矛盾した考えを同時に受け入れる方法を 身につけてしまう。ある意識のレベルでは、黒は黒である知っているのだが、 思考の別のレベルでは、黒は白であると信じることが出来るようになっている。 こうして、組織が言っているどのような矛盾も受け入れてしまう」 そして、このマインドコントロールに縛られた信者たちは、新たな、 「13階段を昇る獲物」を捕らえるために、戸口から戸口への伝道へと 駆り立てられるのである。
168 :
名無しさん@1周年 :2001/01/02(火) 13:03
>>167 洗脳=マインドコントロールじゃないよ。
169 :
名無しさん@1周年 :2001/01/04(木) 23:36
*** 聖8-参 レビ記 22:24 *** 睾丸をつぶしたもの@`砕いたもの@`抜き取ったもの@`切り取ったものをあなた方はエホバにささげてはならない。
170 :
名無しさん@1周年 :2001/01/04(木) 23:59
ジム・ジョーンズはかわいそうな人でしたね。 それを信じた人達も・・・
171 :
名無しさん@1周年 :2001/01/05(金) 00:09
でも人民寺院はいいですね。あのキチガイ振りが。
172 :
悪魔サタン :2001/01/05(金) 00:48
おれよりひどいよ
173 :
悪魔サタン :2001/01/05(金) 00:49
おれよりひどいよ
174 :
名無しさん@1周年 :2001/01/05(金) 00:56
ひどいっちゅうねん
「親は、自分の教育のせいで私がエホバの証人から離れたと信じています。 つまり、ものみの塔が勧める教育方法を完全に実行できず、不備があったためと 思い込んでいるのです。ですから、親に証人として育てられたことで苦しめられたと 話しても『親を苦しめているのはあなたでしょう』と言って聞いてもらえません」 「親はあれほど、子供がエホバの証人にならなければいけない理由について、熱心に話したのに、 私がエホバの証人になることのできない理由は、いっさい聞こうとしません。 自分だって、親の宗教を捨て、反対を押し切り、エホバの証人を選んだというのにです。 自分たちには、親と違う宗教を行う自由があるのに、私たち子供には無いかのように振る舞う 親をみると、矛盾を感じます」 「エホバの証人の子供たちが、同じ悩みを持つ者と話し合おうとすると、親は、 『病気になる』『ショックで死ぬ』と言います。とにかく証人から離れた『反逆者』と いっさい接触を持ってはほしくないのです。でも、それはエホバの証人に戻るまで 孤立を勧めるようなものです。『いいから、そんなに強情にならずに戻ってらっしゃい』 などと言うこともありますが、それは親の側が戻るべき明確な理由を、きちんと説明 出来ないのです。
176 :
わらび書房<2世の証言 :2001/01/05(金) 03:42
「信者である母親と、エホバの証人のことを話題にすると、いつも喧嘩になります。 親は『あなたはエホバを信じてバプテスマを受けたんでしょう。その誓約を忘れたの』とか 『なぜ、エホバを信じて我慢しないの』などと言います。 しかしそれは、私にとってかなり腹の立つ言葉です。私は、自分から進んで信者になった 覚えはなく、そうなるよう教育されたというのに、その教育を正しいと思っているから こういう言葉が出るのでしょう。 私もエホバの証人が信じられず、ついていけない理由を述べます。そうすると今度は、 親の怒る番です。それが図星であればあるほど、親は支離滅裂に怒りをぶつけます。 親がこんなに子供を愛しているのに、なんでそんなに親を苦しめるのかなど、 およそ理性的なものではありません。」 「親への気持は複雑です。片や、親に対する情愛もありますし、他の人から 悪口を言われると頭にくる。もちろん親の宗教も含めて。 だけど、憤りや憎しみや悲しみも感じます。本当に、親さえこんな宗教を選んだり しなければ、と思うのです。もちろん、それで良くなかったと思うのではありませんが、 少なくとも自分が、エホバの証人であったことから生じる悩みはなかったと感じるのです。 まったく何も考えずに他人に依存する親の体質がこのような結果を生んだと思います。 そして、親と同じに染めようとする努力こそ、エホバの証人としての親の教育だったのかも しれません。」
「信者はみな兄弟姉妹で対等という主張。そのため他のキリスト教のように宗教指導者がいないなど、 現実は建前にすぎません。組織は見事なまでのヒエラルキーを持っているのです。 ですから、私はそれらに矛盾を感じていました。」 「愛を強調しながら、愛がないのです。それで多くの苦しむ人、うつ病になる人がいました。 しかし上手に渡っていける人、陰ではいろいろなことをし、人間として信頼出来ない人が 一番よくエホバの証人に順応しているのを見て、自分が間違っているように 感じることさえありました。」 「とにかく不透明です。その経路もわからず、どういった経過でそうなるかもわからず、 それなのに無条件で受け入れなければならない。その伝達もトップダウン方式 なのですが、下からの意見はほとんど聞かれず、情報の開示もない。ですから、 信者は『ものみの塔』について、本当のところを殆ど知りません。 いや、知ることができないのです。これは、独特の情報統制だと思います。」 「結局のところエホバの証人とその組織、指導する人々は、自己目的化して いるのだと思います。 聖書の勉強をするという当初の目標が、現在では組織の維持強化と、 信者数の増加が目標になり、この組織の存在こそが目的に変わってきて いるのです。これはエホバの証人の致命的欠陥であると思います。」
「巡回監督という、会衆内の長老より偉い立場の人がいるんです。その人が自分の家に しばらく滞在して、いろいろお酒を飲みながら話すことがあったんです。一つ驚いたのは、 彼にいろいろなことを訪ねると、最終的にこう言ったことです。 『私は、できるだけ考えないようにしています』 えっ、それってたんなる思考停止じゃないか、と思ったものです。」 「たぶん『ものみの塔』は、自分たちの最大の敵を作ってしまったと思います。 幼い時から、いかに『ものみの塔』が正しいかを論理的に話す、資料の引用の仕方、 論議の進め方などを徹底的に訓練するのですから、もし、これらの訓練の鉾先が 彼ら自身に向けられたら、それこそおしまいでしょう。 徹底的な情報統制くらいしか、対抗手段がないのです。そして現にその情報統制は、 『元信者といっさい口を聞いてはならない』とする、お触れによって実現しているの ですから、彼らはもう勝てないと、わかっているのでしょう。」
179 :
名無しさん@1周年 :2001/01/10(水) 09:40
*** 聖8-参 サムエル第一 18:25 *** 25 そこでサウルは言った@`「あなた方はダビデにこのように言うのだ。『王は婚姻料ではなく@`王の敵に復しゅうするため@`フィリスティア人の百の包皮を喜びとされる』」。
世界の宗教(1996年の資料) <総合1位:キリスト教>・・1,833,022,000(33.4%) 1位.カトリック・・・・・・1,025,585,000(内訳 18.7%) 2位.プロテスタント・・・・・・448,581,400(内訳 8.2%) (内、エホバの証人・・・・・・・・・5,367,155 3位.東方正教会・・・・・・・・170,422,000(内訳 3.1%) 4位.その他・・・・・・・・・・188,433,600(内訳 3.4%) <総合2位:イスラム教>・・・・971,328,700(17.7%) <総合3位:ヒンドゥー教>・・・722,812,000(13.4%) <総合4位:仏教>・・・・・・・314,939,000(5.7%) <総合5位:その他の宗教>・・・188,433,600(29.8%)
世界の宗教(1996年の資料) 宗教人口総数[5,480,010,000人] <総合1位:キリスト教>・・1,833,022,000(33.4%) 1位.カトリック・・・・・・1,025,585,000(内訳 18.7%) 2位.プロテスタント・・・・・・448,581,400(内訳 8.2%) (内、エホバの証人・・・・・・・・・5,367,155) 3位.東方正教会・・・・・・・・170,422,000(内訳 3.1%) 4位.その他・・・・・・・・・・188,433,600(内訳 3.4%) <総合2位:イスラム教>・・・・971,328,700(17.7%) <総合3位:ヒンドゥー教>・・・722,812,000(13.4%) <総合4位:仏教>・・・・・・・314,939,000(5.7%) <総合5位:その他の宗教>・・・・・・・・・・・・・・(29.8%)
182 :
名無しさん@1周年 :2001/01/10(水) 22:54
<青春を協会に捧げてきた初老の元エホバの証人>
私は1958年に友人を通じてものみの塔と目ざめよの雑誌から興味を
持ちはじめたのは20歳の時でした。
聖書研究・集会えの出席・野外伝道・正規開拓者・特別開拓者と青春を協会に
捧げてきました。数十年に渉り奉仕をした結果,多くの善良な若者を伝道者@`
開拓者に育て上げた責任を今でも感じます。
ものみの塔と決別(当然悪魔と呼ばれた)しました。
マインドコントロールからの開放に数十年かかりました。
ものみの塔のことを一口で言えば偽善的な宗教でオウム真理教よりずる賢いと思います。
もしよろしかったら苦しんでいる元エホバの証人(昔は証者)にお手伝いが出来るかも
しれません。私は現在63歳の初老です。(男性)
http://www.jwic.com/forum/120300.htm
183 :
名無しさん@1周年 :2001/01/12(金) 00:31
*** 聖8-参 サムエル第一 18:27 *** 27 そこでダビデは立ち上がり@`彼とその部下たちは行って@`フィリスティア人の中で二百人を討ち倒し@`ダビデは彼らの包皮を持って来て@`王と姻戚関係を結ぶため@`十分な数をそろえてそれを王に差し上げた。すると@`サウルはその娘ミカルを妻として彼に与えた。
184 :
名無しさん@1周年 :2001/01/12(金) 03:45
183さん、聖書のこと知らないので、何を意味してるのかわかりません。 みんなにわかるように説明して下さい。
185 :
名無しさん@1周年 :2001/01/12(金) 07:04
*** 聖8-参 サムエル第一 18:20-24 *** 20 さて@`サウルの娘ミカルはダビデを愛していた。人々はそのことをサウルに伝えるようになり@`その事は彼の気に入るところとなった。21 それでサウルは言った@`「わたしは[ミカル]を彼に与えよう。[ミカル]が彼のためにわなとなり@`フィリスティア人の手が彼の上に臨むためだ」。そこでサウルはダビデに言った@`「この二人の女[のうちの一人]によって@`あなたは今日@`わたしと姻戚関係を結ぶのだ」。22 その上@`サウルはその僕たちに命じた@`「ひそかにダビデに話して言え@`『ご覧なさい@`王はあなたのことを喜んでおられますし@`その僕たちも皆@`あなたを愛するようになりました。ですから今@`王と姻戚関係を結んでください』」。23 それで@`サウルの僕たちはこれらの言葉をダビデの耳に語るようになったが@`ダビデは言った@`「王と姻戚関係を結ぶのはあなた方の目には容易なことなのですか。わたしは資力の乏しい者で@`軽んじられているのに」。24 それで@`サウルの僕たちは彼に報告して@`「ダビデはこのような言葉で話しました」と言った。
186 :
名無しさん@1周年 :2001/01/12(金) 07:05
*** 聖8-参 サムエル第一 18:25-29 *** 25 そこでサウルは言った@`「あなた方はダビデにこのように言うのだ。『王は婚姻料ではなく@`王の敵に復しゅうするため@`フィリスティア人の百の包皮を喜びとされる』」。しかしサウルは@`フィリスティア人の手によってダビデを倒れさせようと企てていたのである。26 それで@`彼の僕たちはこれらの言葉をダビデに伝えたところ@`その事は@`王と姻戚関係を結ぶのに@`ダビデの気に入るところとなった。期間はまだ切れていなかった。27 そこでダビデは立ち上がり@`彼とその部下たちは行って@`フィリスティア人の中で二百人を討ち倒し@`ダビデは彼らの包皮を持って来て@`王と姻戚関係を結ぶため@`十分な数をそろえてそれを王に差し上げた。すると@`サウルはその娘ミカルを妻として彼に与えた。28 こうしてサウルは@`エホバがダビデと共におられるのを見@`また知るようになった。一方@`サウルの娘ミカルは@`彼を愛した。29 そしてまた@`サウルはダビデのゆえになお一層恐れを感じた。サウルは終始ダビデの敵となった。
187 :
名無しさん@1周年 :2001/01/12(金) 07:12
>185・186 何言いたいのかさっぱりわからん。エホ証だったらわかるのか。 誰か教えて下され。
*** 塔80 2/15 9-11 ヨナタン―『千人の中の一人の人』 *** ヨナタン―『千人の中の一人の人』 賢いソロモン王は@`「千人の中から一人の人をわたしは見いだした」と述べています。(伝道 7:28@`新)この言葉は@`非の打ち所のない人がなかなかいないことを示しています。卓越した徳性を備えている人を見いだすのは難しいものです。サウル王の息子ヨナタンはそのような数少ない人の一人でした。ヨナタンは@`勇敢で@`忠節で@`利他的な人でした。そねみや対抗心@`ねたみの気持ちに駆られても仕方のないような人がいたとすれば@`ヨナタンこそその人です。しかし@`優れた徳性を備えていない人であれば自分の地位を脅かす人物とみなしたであろうまさにその人に@`ヨナタンは深い愛情と忠節を示したのです。 父の統治の初期に@`ヨナタンは勇敢な戦士として名を上げました。ヨナタンは@`装備の不十分な一千人の男子を引き連れて@`ゲバで@`ペリシテ人の武装した守備隊を撃ち破りました。(サムエル前 13:1-3)この時@`ヨナタンは少なくとも20歳になっていたはずです。イスラエルでは@`兵士の最低年齢が20歳であったからです。―民数 1:3。
後日@`ヨナタンとそのよろい持ちの従者は@`神の助けを得て@`敵のペリシテ人を20人ほど打ち倒しました。この行為は@`イスラエル人が敵に対して勝利を収める道を開くものとなりました。その戦役の間に@`ヨナタンは父の性急な誓いを知らずに破ってしまいました。サウルがこの誓いを十分に果たすためには@`息子を処刑することが必要でした。ヨナタンは恐れてひるむようなことをせず@`父に向かって@`「わたしはここにいます! わたしを死なせてください!」と言いました。しかし@`エホバがヨナタンと共におられたことを知っていたので@`民がヨナタンの命を救いました。―サムエル前 14:1-45@`新。 ダビデがペリシテ人の巨人ゴリアテを殺したのはそれからほぼ20年後のことでした。救いをもたらすエホバの力に全幅の信頼を置いたダビデの勇敢な行動はヨナタンの心を燃え立たせました。聖書はこう記録しています。「実にヨナタンの魂はダビデの魂と堅く結び付くようになり@`ヨナタンは彼を自分自身の魂のように愛し始めた」。(サムエル前 18:1@`新)ヨナタンは@`友情のしるしとして@`自分の衣や剣@`弓や帯をダビデに与えました。―サムエル前 18:4。
後にダビデがイスラエルの軍隊を率いてペリシテ人と戦い@`自らの勇猛さを示した時@`女たちは@`勝利を収めて帰還する兵士たちを歌と踊りで迎えました。女たちは@`「サウルは千を打ち倒し@`ダビデは万を打ち倒した」と歌いました。(サムエル前 18:5-7@`新)これを聞いたサウルは@`それまで以上にそねみの気持ちを強くし@`ダビデに対して極端な疑いを抱くようになりました。サウルは@`槍でダビデを殺そうとして失敗しましたが@`後日@`敵のペリシテ人を100人殺して@`その証拠を呈示するという条件で@`娘のミカルをダビデに与え@`二人が結婚することに同意しました。この時サウルは@`ダビデが敵の手に倒れるものと思い込んでいました。ところがダビデは@`ペリシテ人200人分の包皮を携えて戻って来たのです。それは@`ダビデが200人のペリシテ人を殺したことを証拠立てるものでした。これも@`ダビデに対するサウルの恐れと憎しみをかき立てたにすぎません。―サムエル前 18:8-29。 しかしヨナタンは@`父がそねみに満ちた憎しみを募らせても@`そのためにダビデとの友情を損なうことはありませんでした。ダビデを殺したいと思っていることをサウルが公然と口にした時@`ヨナタンは執り成しをして@`友を殺さないという約束を父から取り付けることに成功しました。しかし後日@`ダビデは@`サウルから再び槍を投げつけられたため@`命からがら逃亡するはめに立たされました。また王は@`夜の間に人を遣わしてダビデの家を見張らせ@`朝になってダビデを殺させようと謀りました。その夜@`ダビデは窓から外に出て@`首尾よく逃れることができました。―サムエル前 19:1-12。
その後ヨナタンは@`父が自分の友について一体どのように考えているのかを見極めるために@`ダビデと協力して事を運びました。サウルは激怒し@`自分の息子に対して次のような激しい言葉を浴びせました。「この反逆の女の息子め@`わたしは@`お前がエッサイの子を選んで自分の恥@`またお前の母の隠しどころの恥をもたらしているのをよく知らないとでも言うのか。このエッサイの子が地上に生きている日の限り@`お前とお前の王位が堅く立てられることはないのだ。それで今@`人をやって彼をわたしのところに連れて来い。彼は死に定められているのだ」。ヨナタンが異議を唱えると@`激高した父はヨナタンに槍を投げつけました。―サムエル前 20:1-33@`新。 そのすぐあと@`ヨナタンは前もって定めておいた場所でダビデに会い@`二人は自分たちの友情と忠節を互いに確かめ合いました。(サムエル前 20:35-42)二人の間にこのような友情が生まれ@`それが存続したことは@`実に驚くべき事柄です。ヨナタンは王位継承者と目されていましたが@`王位がやがてダビデの手に渡ることを承知していました。その上@`ヨナタンはダビデより30歳ほど年上でした。それにもかかわらず@`ヨナタンはダビデの成功を喜び@`ダビデが苦悩を味わっている時には共に泣くことができました。ヨナタンとのこの友情は@`王を害する機会があってもそれに乗じることなく王に対する正しい見方を保つようダビデを助けたに違いありません。サウルが情け容赦なくダビデを付けねらっている間も@`ヨナタンには友を力付ける機会が幾度かありました。そのような機会の一つについて@`こう記されています。「この時@`サウルの子ヨナタンは立ち上がり@`ホレシャのダビデのもとに行った。それは神に関して彼の手を強めるためであった。次いで@`彼は言った@`『恐れてはなりません。わたしの父サウルの手はあなたを見いだすことはありません。あなたはイスラエルの王となり@`わたしはあなたに次ぐ者となるからです。わたしの父サウルもまた@`そのことを知っているのです』」―サムエル前 23:16@`17@`新。
192 :
名無しさん@1周年 :2001/01/12(金) 08:42
王国で第二の地位を占めればよいとするヨナタンは@`なんと高潔な人物だったのでしょう。ヨナタンがこうした利他的で献身的な態度を抱けたのは@`王位に就くべくエホバに選ばれた人物としてダビデを受け入れ@`またその優れた特質ゆえにダビデを愛していたためです。 しかし@`ヨナタンは王国でダビデに次ぐ者とはならず@`父親と共に討ち死にしました。(サムエル前 31:2)サウルとヨナタンの死の報に接したダビデは「弓」と題する哀歌を作りました。当初@`この哀歌は@`詩@`歌その他の文書を集成したヤシャルの書に収められていました。その後@`「弓」の歌は@`霊感の下に記されたサムエル後書に含められました。この歌そのものはユダの子らに教えられることになっていました。―サムエル後 1:17-27。 ダビデとヨナタンとの間のすばらしい友情の絆について考えると@`ダビデが「弓」の歌の中で友の死をいたみ@`次のように語った理由が容易に理解できます。「わたしの兄弟ヨナタン@`わたしはあなたのことで苦しんでいる。あなたはわたしにとって非常に気持ちの良い人だった。あなたの愛は@`わたしにとって女の愛よりすばらしかった」。(サムエル後 1:26@`新)確かに@`ヨナタンは『千人の中の一人の人』でした。
193 :
名無しさん@1周年 :2001/01/12(金) 09:13
容量オーバーでスレッド潰そうとたくらんでる?
それとも、この記事が気に入らない?
<青春を協会に捧げてきた初老の元エホバの証人>
私は1958年に友人を通じてものみの塔と目ざめよの雑誌から興味を
持ちはじめたのは20歳の時でした。
聖書研究・集会えの出席・野外伝道・正規開拓者・特別開拓者と青春を協会に
捧げてきました。数十年に渉り奉仕をした結果,多くの善良な若者を伝道者@`
開拓者に育て上げた責任を今でも感じます。
ものみの塔と決別(当然悪魔と呼ばれた)しました。
マインドコントロールからの開放に数十年かかりました。
ものみの塔のことを一口で言えば偽善的な宗教でオウム真理教よりずる賢いと思います。
もしよろしかったら苦しんでいる元エホバの証人(昔は証者)にお手伝いが出来るかも
しれません。私は現在63歳の初老です。(男性)
http://www.jwic.com/forum/120300.htm
194 :
名無しさん@1周年 :2001/01/13(土) 03:20
−最近のエホ証事情− 2)会衆の質の低下と機能不全指導部の指導力低下は必然的に 末端組織である会衆の活力低下に結びつくことになる。 多くの会衆においては、今、次のような状況がみられている。 ●集会出席者の低下 ●集会における注解の不活発化 ●新しい研究生の減少 ●バプテスマを受ける人の減少 会衆全体の活力低下集会に集まる人の減少の大きな原因の一つは、端的に言うならば、 集会に来ても楽しくないからである。提供されるプログラムの質が低下しており、 マンネリ化が著しい。プログラムを提供する長老に熱意がみられず、プログラムの 内容に工夫がないので、聞く成員たちも飽き飽きしているのである。 例えば、公開講演の筋書きは100程度あるので、聞く聴衆の立場からすると、 2年もすればまた同じ主題の話を聞くことになる。筋書きはめったに更新されないので、 話し手が新鮮な経験を集めたり、適用を工夫しないと、2年前とほとんど同じ話を 聞くことになってしまう。筋書きといっても、結構ボリュームがあるもので、 筋書きだけを読んでいても30分ぐらいは経過してしまう。あとは適当に聖句を ちりばめれば、少し経験のある話し手なら、何とか45分の公開講演をこなすことが 可能である。でも、これでは、聴衆が益を得られるはずがない。
>つづく 新しい聖書研究生の減少は、オウム事件など宗教にまつわるマイナスイイメージが 社会に充満しており、そうした影響を無視することはできない。同時に、この宗教から 魅力が失われつつあることも確かである。たまに研究生がみつかっても、 いまどきの研究生は、社会からドロップアウトした人たちが多く、家から家を訪問して 関心を示すエホバの証人ぐらいしか相手にしてくれないので、見出された人たちである。 そうした人たちを迎えることによって、ますます会衆の質の低下を招くという悪循環が みられるという報告もされている。 研究生の減少は必然的にバプテスマを受ける人が減少することを意味している。 最近の巡回大会では、バプテスマを受ける人がゼロの大会があったということである。 少し前までは考えられない状況に陥りつつあることを物語っている。
196 :
実習生さん :2001/01/13(土) 03:26
パプテスマって「シロッコ」?
197 :
名無しさん@1周年 :2001/01/13(土) 03:28
「シロッコ」ってな〜に?
198 :
実習生さん :2001/01/13(土) 03:48
木星教団という信仰宗教の幹部。で、神湯という老人から、秘儀を授けられた って言ってんだけどね。歌手のあむろいるだろ。彼女も興味を持っているらしいよ。 ミンキー桃の拡大版やシャー派とは違うから注意してね。
199 :
名無しさん@1周年 :2001/01/13(土) 11:21
>197 「機動戦士Zガンダム」にでてくるパプティマス=シロッコっていう キャラクターのこと。ベタな説明ですみません。
200 :
名無しさん@1周年 :2001/01/13(土) 15:50
エホバの証人のバプテスマは、「洗礼」のこと。 パプティマス≠バプテスマ 一応似てるけどね。
201 :
名無しさん@1周年 :2001/01/13(土) 20:50
193の人のアレって烏賊臭いのですか? ちらりと興味あります。
> >(私などものみの塔協会と数件の民事刑事の訴訟をほとんど独力で闘い抜き > >ましたから) > > ご苦労様です、のーがきだけではなく自分で実行した上での意見は値千金だと > 思います、意見の違いを越えて「*****さんはすごいな」って最敬礼したく > なります、 ☆別にすごいことではなく@`組織内部の暴力を含む闘争〜口封じのための不正排斥〜暴力による集会大会からの排除〜刑事告訴・民事提訴という流れの中で@`全面的組織信仰の下に暴力闘争を受けて立たざるを得なかっただけのことです。 事件を説明しようにも@`関係者と事実関係があまりに複雑なので(私が現役JWであった約13年間と不正に排斥されてから自力でマインドコントロールを解くまでの7年間の合計二十年間@`広島県福山市から岡山県倉敷市までの会衆とJWが関係しているものですから)@`簡略化して説明せざるを得ないことをご了承ください。状況が整えばものみの塔110番で訴訟資料の一切を公表する予定でいますから(ドメインも取得してあります…monomino.to…toはトンガ王国のドメイン)。
> ところで質問なんですが、何でJWに訴えられたんですか? ☆その質問に答えるにあたって@`大多数のJWにとっても***さんにとっても(おそらく反ものみの塔の勢力にとっても)信じ難い真実を前提として据えておかなくてはなりません。それは長年の暴力を含む闘争の証拠隠滅を目的とした@`私に対する不正排斥とそれを口実とする一切の集会大会からの排除という@`暴力闘争です。 私は約13年間に渡る現役JW時代の大半を岡山県鴨方会衆の成員として過ごしたのですが@`1988年1月末@`主宰監督Sは私に対し@`それまでの暴力闘争を指導してきた近隣会衆の長老たちと連合し@`でっち上げ淫行による不正排斥を決定しただけでなく@`その発表の日の集会(神権宣教学校と奉仕会)に来た私に対し@`帰るよう命じました。それで別の審理委員Mが主宰監督をしている倉敷市酒津会衆の集会に行ったのですが@`そこでもMから帰るよう命じられました。 その後@`自分の会衆(岡山県鴨方会衆)で私の出席を認めたのは公開講演だけで@`それもものみの塔研究との間の歌が始まったらすぐ帰るよう命じられました。 広島県府中市での特別一日大会では@`午前のプログラムが終わったら昼の休憩が終わるまで約1km離れた駐車場に行って自分の車の中で待つように命じられました(前夜に世俗の仕事[ビル清掃]をしたばかりで疲れているし雨の中を歩いて会場に来たため寒けがしていて@`この上駐車場まで激しい雨の中を往復する体力は無いので救護室で休みたいと言明したのですが@`自分の車まで往復することを強制され@`雨に濡れたため@`熱が出て翌日からしばらく寝込みました…状況ゆえに裏付けが不十分なのですが@`Sは手下のE他若干名に私を追跡させ@`確かに駐車場まで行って自分の車の中で待っていることを確認させたようです)。その特別一日大会が終わると佐藤は@`私が鴨方会衆の王国会館に到着すると直ちに帰るよう命じるようになりました。
1988年広島A大会(サンプラザホール)では@`最後の歌の間に会場から出るよう命じられ@`それら不当な要求に全面的に従ってやっていたにも関わらず@`最終日には会場に到着して着席した途端に取り囲まれ@`会場から出るよう命じられました。 「排斥」の取り決めを踏み越えたそうした異常な扱いの理由の説明を求めても@`Sは全く説明しようとせず@`要求に従わないなら手下と共に実力行使に出る@`という言外の脅迫を伴っていたので@`私はひとまず王国会館に行くのを止めました。 と@`ここまで読んで次の事を見越した人は私という人物を理解できていますよ。つまり私はSの妨害を見越して広島A大会に先立つ米子大会(米子産業体育館)に全日通って出席しプログラムの大半を録音し(JWになった頃から@`大会は極力全部録音するようにしていて@`車に乗るようになると一語一句暗唱できるほど運転中に繰り返し聞くことを習慣としていたものですから)@`発表文書を入手してありました。つまり広島A大会へは録音漏れのプログラムの録音を兼ねてSの迫害を受けに行った訳です。予想通りの干渉を受けたので翌週広島B大会へ残りの録音漏れを録音しに行きましたが@`S一味の姿は無く何の干渉も受けませんでした。 それにしても@`路程のリハーサルを兼ねての米子往復5連発[早朝5時起き6時出発]は根性いりました…クーラーの無い@`しかも仮眠しようにもシートがリクライニングできない4ナンバーのACTYでしたから。猛暑の日中の渋滞路になった広島往復の方がもっとキツかったですけど)。
私が鴨方会衆の集会から締め出したしばらく後にSは@`以前に私を王国会館に呼びつけて殴らせることまでして利用したW氏(未信者なる夫)に言いがかりをつけて暴力をふるって王国会館から追い払ったということで@`その暴力排除の話と共に@`私を不正に排斥するために寝返らせ@`私との淫行事件でっち上げに使った私の元婚約者Y子(離婚して二人の子供を連れて実家に帰っていた@`暴力団周辺で生きてきた経歴のある女。私より9歳年上)が会衆内で悪行者としての扱いを受けないばかりか逆にSの寵愛を受けていることを知り@`広島A大会での干渉と合わせて@`Sと背後関係者の目的が私を組織から抹殺することにあることを確信しました。 それから約一年をかけてY子に対する家庭教師料請求の小訴訟(私が訴えた)をはさんだ上@`今後不当な干渉に出て来たら徹底抗戦してやろうと決意して鴨方会衆王国会館の集会に行ったのですが@`予想通りSは集会そっちのけで手下と共に私を取り囲んでドツキ回し@`警察を呼んで「妨害する」とまくし立てました。 それ以降@`暴行係@`撮影係@`録音係@`指令係と役割を決めて私を取り囲んで暴行することで集会と暴力闘争を両立させるようになって習慣化し@`集会を妨害しに来ているとして立入禁止訴訟を起こし@`また私が一味に暴力を振るったとして刑事告訴したものです。
Sは隣の笠岡会衆の主宰監督Kを鴨方会衆に移らせて暴力闘争に励んだものの@`暴力闘争の舞台が倉敷市生坂会衆や岡山県真備会衆に移った間にKと反目し@`短大を出たばかりの姉妹に姦淫を誘った件でKを長老の立場から除いたのですが@`その後@`私に対する暴力闘争を会衆決議として採択させようとしてK支持者の不満が噴出し@`巡回監督に直訴されて主宰監督の座を追われます。 巡回監督はSの権力母体のような宣教者だったので@`一時的に諸橋睦夫キョーダイを主宰監督として送り込んで@`騒ぎが静まったらSが主宰監督に返り咲けるよう計らったのですが@`後にSは長老の立場からも除かれました。 岡山県警玉島警察署で作成された平成5年7月28日付の諸橋キョーダイの供述調書には@`Sは「我意を張る@`道理をわきまえない 等の性格であり@`聖書の長老に求められている資格にかなわなくなったと判断され@`今年(平成5/1993)7月20日付で@`長老の立場から削除された」と記載されていますが@`それは表向きの説明で@`突然にSが罷免された本当の理由は@`SがY子と愛人関係にあってY子の機嫌を取るためにW氏と私を追い払うために暴力闘争を始めた…という事件全体の筋道を私が声高に言い立てたからです。「組織に戻りたいのなら(SとY子との関係を)言い立てないでくれ」という諸橋キョーダイの哀願を私が一蹴してやったら@`さっさとSは罷免されました。
さらに諸橋キョーダイのその調書には@`「一つ@`(*****)に同情できるのは@`(排斥)処分後@`復帰の道を閉ざした状況がみられるのです。排斥者としても集会に出席できる訳で@`その後の態度によっては@`エホバの証人として復帰可能な規約なのですが@`排斥直後から鴨方会衆の集会に対する立入禁止処分をしてしまったのです。この当時の聴聞委員は鴨方会衆ではSしかおらず@`Sの判断が大きかったと思う訳です。(中略)いずれにしても排斥直後に集会に参加させない状況にさせたことで(*****)の復帰の道が閉ざされたと思えるのです。(*****は)現在@`鴨方会衆では@`乱暴なことをしたりするのですが@`福山の大門会衆へは毎回静かに出席しているそうです。ですから@`私としては(*****)が@`本当に過去を悔い改めて復帰を望むなら力を貸してあげたいと思っている」と書かれています。 だから遅くともその時点でものみの塔協会は@`排斥制度を踏み越えた襲撃行為が@`異常人物なるSにより組織の名を騙って断行され@`近隣の一部の会衆を巻き込んで@`組織の恥辱となる騒動を引き起こしている事実を知っていたということです。 しかし諸橋キョーダイが巡回昇進で鴨方を去った隙に鴨方の残党が刑事とつるんで刑事訴訟の一回目を引き起すのを黙認したために事態収拾の機を逸し@`より暴力的な太田政道キョーダイを送り込んで闘争をエスカレートさせていったため@`不正排斥から七年目にして私は自力でマインドコントロールを解くことになったのです。 Kは長老罷免から一年ほどして愛媛県松山市へ転出してゆき@`Sは長老罷免の正式発表の前に福山市神辺会衆へ逃げてゆきました。 SもKもほどなくして奉仕の僕に復権しているということですが@`ものみの塔協会はそういう金まみれ淫行まみれ暴力まみれの悪行者たちを背負って社会と戦うのか@`それとも膿を出して悪事の精算をさせ組織を清めるのか@`態度をはっきりさせるべきです。
> 刑事訴訟って事は、非暴力主義のJW信者をぶん殴っちゃったんですか? ☆その逆です。本当にぶん殴られて負傷したのは私の側です(後に書きます)。 先ず刑事訴訟の方は展開が少々複雑で@`しかもゼロ回目があって@`それから二件あります。どちらも私がJWを殴ったことにされていますが@`集団で引きずり回して暴行している最中の出来事に言いがかりを付けているのであって@`飽くまでも多数対一の集団暴行の中で生じた状況を@`警察がでっち上げ調書で私の側の暴行事件に仕立て上げたものです。 ゼロ回目は@`王国会館の集会に来た私に集団で暴行しながら写真を撮りまくり@`それらしく見えるカットを集めて「殴られた」と言いがかりを付けて告訴したものです。担当検察官(A副検事)が無理に事件にしようとして私の徹底抗戦に遭い@`処分未決で何か月も放置されていたのですが@`地検支部長が正常な人物だったので事件をA副検事から取上げ@`こちらの主張と証拠・証人を調査した上@`証拠不十分で不起訴になりました。 それでS一味は暴力闘争が泥沼化し@`毎週毎週警察を呼び続けて煩わせたため@`閉口した刑事課長が「任意同行」の名目で私を逮捕連行するよう部下に指示し実行させたのですが@`刑事課長を部下一同の前でやりこめた(法律論議で論破し@`その逮捕連行が違法なものである事実を認めさせ@`警察の責任で私を鴨方会衆の王国会館まで送り届けさせた)ことで逆恨みされたようで@`面子を潰された刑事課長の機嫌を取りたい一部の警察官たちが鴨方会衆のJW一味とつるんで「私人逮捕」という刑事訴訟法上の盲点を突く仕方で不当に逮捕拘禁し@`意識的に殴ったように調書を改竄して検察庁へ送り@`正義の味方気取りのB副検事に右から左に起訴されたのが一回目です。
二回目は@`大会会場で@`やはり集団で私を引きずり出し@`出席者一同の目に触れない場所で集団で暴行し@`落ちたカメラを拾おうとする私に周囲から掴みかかってきたので振り払おうとした時に私の手が掴みかかってきた太田政道キョーダイの顔に当たったことを「殴った」と言いがかりをつけて私人逮捕を気取って警察を呼んだのですが@`逮捕されませんでした。後日@`任意の取り調べに応じたのですが@`この度は@`担当の刑事は私の面前で堂々とでっち上げ調書を作文しました。その時既に私はものみの塔の教理の間違いと組織腐敗を確信しつつあったので@`確実に起訴してもらえるようでっち上げ調書に署名捺印し@`今度は反カルト活動をしている弁護士と共にかなり満足のゆく仕方で訴訟を闘うことができました。唯一の後悔は@`当時まだその悪事を知らなかったために提携関係にあった岩村氏を情状証人に立てたことです。 警察が調書をでっち上げたりもみ消したりしてきた事実は@`警察不祥事の発覚のためにもはや疑う人のいない時代だと思いますが。一回目も二回目も@`執行猶予なので@`前科にはなりません(だから特に二回目の時@`略式命令による罰金刑を受け入れさせようとする検察官の勧め(というより偉そうな哀願)を慇懃に拒絶して正式裁判に持ち込んでやりました…一回目に頼んだ弁護士から司法試験を受けてみてはどうかと勧められた私だからね@`はったりは相手を見てカマすもんだよ→C副検事さん)。
212 :
名無しさん@1周年 :2001/01/14(日) 07:06
213 :
名無しさん@1周年 :2001/01/14(日) 09:30
コピペの内容、すごいですね。JWが脱会後、社会的に立ちゆかないのは知ってましたが、 実際に事件は起こさない団体だと思ってました。が、これを読んでは、認識を新たにせざる 得ないですね。それも、やり方が所謂「おとし入れる」て言うんでしょうか。 相当陰湿ですね。 これまで事件が少ないのは、組織がまともなのではなく、女性信者の割合が多く、 男性にかしづくような教義があるから抑えが効いているだけで、男性信者が多ければ、 組織の不当さに気付いた時には、このような事件は頻発する可能性が多くなるだろう と思いました。 それにしても、いったん組織に反旗を翻したと見るや、執拗な攻撃は、暴力団まがいですね。
214 :
名無しさん@1周年 :2001/01/14(日) 13:40
M$B<T$G$"$k$s$dJl?F$H!"%(%[%P$N>Z?M$N$3$H$rOCBj$K$9$k$H!"KhF|KhHU0mG/Cf7v2^$K$J$k$s$d!#(B $B?F$O!X$"$s$5$s$O%(%[%P$r?.$8$F%P%W%F%9%^$r<u$1$?$s$G$C$7$c$m!#$=$N@@Ls$rK:$l$?$N!Y$H$+(B $B!X$J$s$G!"%(%[%P$r?.$8$F2fK}$;$s$N!Y$d$i$J$s$d$i$H8@$$$^$9$o!#(B $B$;$d$1$I%@%s$5$s$=$l$O!"$o$$$K$H$C$F$+$J$jJ"$NN)$D8@MU$d!#$o$$$O!"%*%N%l$+$i?J$s$G?.<T$K$J$j$h$C$?(B $B3P$($O$J$/!"$=$&$J$k$h$&650i$5$l$?$A$&$N$K!"$=$N650i$r@5$7$$$H;W$C$H$k$+$i(B $B$3$&$$$&8@MU$@`=P$k$N$G$C$7$c$m!#(B $B$o$$$b%(%[%P$N>Z?M$@`?.$8$i$l$:!"$D$$$F$$$1$X$sM}M3$r=R$Y$^$s$M$s!#$=$&$9$k$H:#EY$O!"(B $B?F$NE\$kHV$d!#$=$l$@`?^@1$G$"$l$P$"$k$s$d$[$I!"?F$O;YN%LGNv$KE\$j$r$V$D$1$^$s$M$s!#(B $B?F$@`$3$J$$$J$K%\%&%:$r0&$7$H$k$N$K!"$J$s$G$=$J$$$J$K?F$r6l$7$a$k$N$+$d$i$J$s$d$i!"(B $B$*$h$=M}@-E*$J$b$N$G$O$*$^$X$s!#!W(B e$B$X$N5$;}$OJ#;($d!#JR$d!"?F$KBP$9$k>p0&$b$*$^$9$7!"B>$N?M$+$i(B $B0-8}$r8@$o$l$k$HF@`$K$/$k$A$&$o$1$d!#$b$A$m$s?F$N=!65$b4^$a$F!#(B $B$d$1$I!"J0$j$dA~$7$_$dHa$7$_$b46$8$^$s$M$s!#%[%s%^$K!"?F$5$($3$J$$$J=!65$rA*$s$@$j(B $B$;$J!"$H;W$&$N$d!#$b$A$m$s!"$=$l$GNI$/$J$+$C$?$H;W$&$N$G$O$*$^$X$s$@`!"(B $B$J$s$\$J$s$G$b%*%N%l$@`!"%(%[%P$N>Z?M$d$C$?$3$H$+$i@8$8$kG:$_$O$J$+$C$?$H46$8$k$A$&%o%1$d!#(B $B$^$k$C$-$7$J$"$s$b9M$($s$HB>?M$K0MB8$9$k?F$NBN<A$@`$3$N$h$&$J7k2L$r@8$s$@$H;W$&$G!#(B $B$[$s$G!"?F$HF1$8$K@w$a$h$&$H$9$kEXNO$3$=!"%(%[%P$N>Z?M$H$7$F$N?F$N650i$d$C$?$N$+$b(B
215 :
名無しさん@1周年 :2001/01/14(日) 13:54
213のレスの内容が証明されたね。 JWの陰湿さ、阿含なみか。
216 :
名無しさん@1周年 :2001/01/14(日) 14:51
217 :
ケンジ :2001/01/14(日) 20:57
214がJWならそうとう程度の低い信者です。 霊性の高い信者ならそもそもこんな掲示板は無視します。 JWへ次の聖句を贈ります。 "嘆きも叫びも苦痛ももはやない。エホバの証人は過ぎ去ったからである"
218 :
ケンジ :2001/01/14(日) 20:58
214がJWならそうとう程度の低い信者です。 霊性の高い信者ならそもそもこんな掲示板は無視します。 JWへ次の聖句を贈ります。 "嘆きも叫びも苦痛ももはやない。エホバの証人は過ぎ去ったからである"
219 :
ケンジ :2001/01/14(日) 21:03
214がJWならそうとう程度の低い信者です。 霊性の高い信者ならそもそもこんな掲示板は無視します。 JWへ次の聖句を贈ります。 "嘆きも叫びも苦痛ももはやない。エホバの証人は過ぎ去ったからである"
220 :
ケンジ :2001/01/14(日) 21:06
申し訳ない。 回線の調子が悪くて「変だな書き込めないな」と何度もクリックしたら 3連発になってしまった。
221 :
名無しさん@1周年 :2001/01/14(日) 21:07
214はただの文字化けだ。解読結果はこれ。完全じゃないけど。 M者であるんや母親と、エホバの証人のことを話題にすると、毎日毎晩壱年中喧嘩になるんや。 親は『あんさんはエホバを信じてバプテスマを受けたんでっしゃろ。その誓約を忘れたの』とか 『なんで、エホバを信じて我慢せんの』やらなんやらと言いますわ。 せやけどダンさんそれは、わいにとってかなり腹の立つ言葉や。わいは、オノレから進んで信者になりよった 覚えはなく、そうなるよう教育されたちうのに、その教育を正しいと思っとるから こういう言葉が出るのでっしゃろ。 わいもエホバの証人が信じられず、ついていけへん理由を述べまんねん。そうすると今度は、 親の怒る番や。それが図星であればあるんやほど、親は支離滅裂に怒りをぶつけまんねん。 親がこないなにボウズを愛しとるのに、なんでそないなに親を苦しめるのかやらなんやら、 およそ理性的なものではおまへん。」 eへの気持は複雑や。片や、親に対する情愛もおますし、他の人から 悪口を言われると頭にくるちうわけや。もちろん親の宗教も含めて。 やけど、憤りや憎しみや悲しみも感じまんねん。ホンマに、親さえこないな宗教を選んだり せな、と思うのや。もちろん、それで良くなかったと思うのではおまへんが、 なんぼなんでもオノレが、エホバの証人やったことから生じる悩みはなかったと感じるちうワケや。 まるっきしなあんも考えんと他人に依存する親の体質がこのような結果を生んだと思うで。 ほんで、親と同じに染めようとする努力こそ、エホバの証人としての親の教育やったのかも
222 :
名無しさん@1周年 :2001/01/14(日) 21:09
214はただの文字化けだ。解読結果はこれ。完全じゃないけど。 M者であるんや母親と、エホバの証人のことを話題にすると、毎日毎晩壱年中喧嘩になるんや。 親は『あんさんはエホバを信じてバプテスマを受けたんでっしゃろ。その誓約を忘れたの』とか 『なんで、エホバを信じて我慢せんの』やらなんやらと言いますわ。 せやけどダンさんそれは、わいにとってかなり腹の立つ言葉や。わいは、オノレから進んで信者になりよった 覚えはなく、そうなるよう教育されたちうのに、その教育を正しいと思っとるから こういう言葉が出るのでっしゃろ。 わいもエホバの証人が信じられず、ついていけへん理由を述べまんねん。そうすると今度は、 親の怒る番や。それが図星であればあるんやほど、親は支離滅裂に怒りをぶつけまんねん。 親がこないなにボウズを愛しとるのに、なんでそないなに親を苦しめるのかやらなんやら、 およそ理性的なものではおまへん。」 eへの気持は複雑や。片や、親に対する情愛もおますし、他の人から 悪口を言われると頭にくるちうわけや。もちろん親の宗教も含めて。 やけど、憤りや憎しみや悲しみも感じまんねん。ホンマに、親さえこないな宗教を選んだり せな、と思うのや。もちろん、それで良くなかったと思うのではおまへんが、 なんぼなんでもオノレが、エホバの証人やったことから生じる悩みはなかったと感じるちうワケや。 まるっきしなあんも考えんと他人に依存する親の体質がこのような結果を生んだと思うで。 ほんで、親と同じに染めようとする努力こそ、エホバの証人としての親の教育やったのかも
文字化けの解読って、どうやるんですか?
226 :
コピペ :2001/01/15(月) 01:43
*** 目88 2/22 23-7 しあわせを求めた漫画家 *** しあわせを求めた漫画家 まだ1970年代も始まったばかりのころ@`私は日本でも由緒ある大手出版社@`講談社の売れっ子漫画家となっていました。私はわずか23歳でしたが@`30万から40万の月収を得ていました。それは@`当時大会社に数年勤めた大学出の男子の月収の三@`四倍に当たりました。また@`前途有望な青年への2年にわたる愛が結婚という形で実を結ぼうとしていました。 全国的に注目される原動力となったのは@`「しあわせ」と題する@`1972年2月に始まった連載漫画でした。「薄幸な少女@`志麻がしあわせを求める」というのがそのテーマでした。私は人間愛の尊さをドラマチックにうたいあげました。とはいえ@`若い読者の霊的福祉を向上させようなどという気はなく@`この連載漫画が当たるかどうかが主な関心事でした。 46週続いた連載の完了する時に自分が真のしあわせの意味を悟って新しい出発をすることになろうとは@`夢にも思いませんでした。その新しい出発とは何のことでしょうか。まず@`どのようにして漫画家の世界に足を踏み入れたのかをお話ししましょう。
漫画家になるまで 両親は教育熱心でしたので@`貧しくても@`本だけは物惜しみせずに与えてくれました。そうした本だけでなく少女向けの月刊誌も読んでいた私は@`そこに載っていた漫画のとりこになってゆきました。読むだけでは飽き足りなくなり@`自分でも漫画の登場人物を描くようになりました。 私の幼いころ@`少女向けの月刊漫画雑誌は3種類しかありませんでしたが@`時代は変わりました。“立派な”大学生や社会人までが堂々と漫画を読むようになりました。アサヒ・イブニング・ニューズ紙は最近こう伝えました。「テレビも太刀打ちできないほどの影響力を持つ本とは一体どんな本だろうか。日本でその答えは@`漫画である。日本では@`だれでも自分に合ったタイプの漫画を手に入れられる」。 マイニチ・デーリー・ニューズ紙は@`1986年にこう伝えました。「日本で出版される本や雑誌全体のほぼ3分の1は漫画である。年商3@`000億円の産業で@`年間総発行部数は15億部に達する」。また@`昨年初めの同紙はこう述べていました。「1986年8月現在@`成人女性向けの漫画雑誌は21種類出回っており@`その月間総発行部数は5@`800万部になる」。 私が成長していくにつれて@`新人漫画家が求められるようになりました。高校3年生の時に@`日本では最大手の出版社が初めて新人漫画家を見いだすための作品の一般公募を行なったのです。私は勇んで応募し@`見事に落選しました。その翌年には最終選考に残りました。3年目に@`出版社から連絡がありました。「昭和44年第3回講談社新人少年少女漫画賞入賞」。その文字に私は魔法にかけられ@`自分の仕事に没頭するようになりました。
人気漫画家になる 漫画家が商業誌に作品を載せてもらうには@`厳しい訓練が求められます。毎週@`連載漫画にわくわくさせるクライマックスを盛り込み@`どうしても次の号を買わずにはいられないような終わり方をさせる。これは並大抵のことではありません。完成した作品を編集部員は冷酷な目で調べ@`一片の同情もない事務的な口調で@`「ここもあそこも全然なっていない」と言います。 新米の私は返す言葉もなく@`うなだれて@`「すぐに直してきます」と言います。そして家へ飛んで帰り@`徹夜で直して持って行きますが@`それでも満足してもらえません。4回も5回も直させられて@`最後にはもうどこをどう直してよいのか見当もつかなくて@`一人で泣くこともありました。 それでもこの仕事が好きでした。ですから最大の努力を払って@`編集部の意向に添うようにしました。読者の反応を知り尽くした編集部員に従ったことが成功につながりました。ほどなくして@`私は人気投票の上位に食い込みました。新人が上位に入るのは珍しいことでした。やがて@`あこがれの的でしかなかった人気漫画家たちと1位を競うようになりました。デビューして3年目に始まった連載漫画@`「しあわせ」は@`最初から人気投票のトップを走りました。 私の描く主人公が日本の二大少女漫画雑誌の一つ@`「少女フレンド」の表紙を飾るようになりましたが@`それは私の名前で雑誌が売れるということを意味しました。しかし@`残念ながら@`私は自分が描いていたそのしあわせを本当につかんではいませんでした。
どんな生活か 人気が出るにしたがって@`生活の仕方も変わりました。上京してアパート暮らしをするようになってからは特にそうでした。仕事が終わるとバーやクラブへ行き@`明け方まで遊んで@`昼間は寝ているという生活の売れっ子漫画家たちをすっかりまねるようになっていました。 人気を維持するためには@`より刺激的なものを描くと同時に@`より多くの仕事をこなす必要があります。仕事が速いほうではないうえ@`納得のゆくまでやるほうだったので@`時間はいくらあっても足りませんでした。幾日も入浴しなかったり@`1か月間部屋の掃除をしなかったりすることなど日常茶飯事でした。締め切り前には@`30時間も40時間も続けて仕事をすることもありました。仕事のためにはどんなことをも犠牲にしました。 その結果@`お金はあるのに@`それを使う時間がないという欲求不満に陥りました。その反動でむだ遣いをするようになり@`あまり着ることもない新しい服を毎月のように買い@`どこへ行くにもタクシーを使い@`一度にレコードを何万円も買ったりしました。それは空しさを強めたにすぎませんでした。 人気が物を言うこうした世界では@`人気が上がるにつれて強烈なライバル意識がいやがうえにも強くなります。だれかが上がれば@`だれかが下がります。ひとたびトップの座に就くと@`他の漫画家は@`自分をそこから落とそうとねらう敵にほかならなくなります。人気が落ちるとどうなるでしょうか。普通@`一度上がった原稿料が下がることはないので@`人気がなくなったのに原稿料だけ高い漫画家には仕事が来なくなります。忘れられてゆくのです。 私の味わった充足感はすばらしいものでしたが@`華やかな漫画家の世界に私が見つけたのは@`心の中を風の吹き抜けるような空しさや焦燥感でした。しかし@`それを認めたくはありませんでした。
真のしあわせの源? 1971年の10月に@`一人の上品な若い男の人が私のアパートのドアをノックしました。その人はエホバの証人でした。幾度か訪問してくださった後に@`その人は自分の母親を伴って見え@`「今度から母に代わります」と言いました。 私には自分の望んでいた名声もお金もありましたが@`聖書研究を司会してくださった里上さんほど豊かそうでも@`幸福そうでもありませんでした。私が恋人に対して抱く感情も@`その人が自分の神エホバについて語る時の輝かしいばかりの喜びの前には色あせてさえ見えました。どこが違うのでしょうか。そのかぎが聖書にあるのかどうか知りたいと思いました。 しかし@`学ぶための時間を取るのは大変なことでした。昼に床に就いて@`夕方6時まで眠り@`それから起きて翌日の昼まで仕事をするという日課が特に問題になりました。呼び鈴の音で起こされ@`顔を洗い@`それから聖書研究に入るということがしばしばでした。
障害 やがて私は学んだことをアシスタントや恋人に話すようになりました。『みんなこのことを知るべきだ』と思ったのです。ことに@`恋人には学んでほしいと思いました。ところが@`彼は全く関心を示さなかったばかりか@`その話になるときまって不機嫌になりました。私は困惑し@`不安になりました。彼の言うように@`だまされているのでしょうか。このまま学び続けていると@`いつか彼を失うことにはならないでしょうか。それは考えただけでも耐えられないことでした。私たちは熱烈な恋に陥っており(というより@`そう思っていただけだったのですが)@`彼から電話が来なかったりすると@`仕事も手に付かないほどだったのです。私はその人のしあわせな花嫁になることをずっと夢見ていました。 勉強が進むにつれて@`ほかにも気になることが増えてきました。私の生活や人生観は@`聖書の規準とは余りにもかけ離れていました。漫画は著者の主張を反映し@`幾万もの感じやすい子供たちに影響を及ぼします。その責任の重大さに身のすくむような思いがしました。登場人物に言わせるせりふ一つをとっても@`間違ったことを推奨してしまわない自信は全くありませんでした。毎週受け取るファンレターを読むだけで@`幼い読者がそのちょっとしたせりふにどれほど反応するかは痛いほどよく分かりました。
とはいえ@`プロとして売れるものを書かなければなりません。店頭に並ぶ不道徳で@`暴力的な漫画を見れば@`何が売れる漫画かははっきりしています。私は看板漫画家の一人としてそうした読者の要求に応じるよう期待されていました。私は十代の若者が恋愛に陥り@`結ばれる話をいかにもさらりと@`夢見がちな少女たちの感情をかき立てるような仕方で提供するこつを心得ていました。実際のところ@`それこそ私を早い成功に導いた最大の要素に違いありませんでした。 私はジレンマに陥りました。聖書から自分が学んだ事柄は変化を求めていましたが@`そうする原動力が欠けていました。進化論を信じていたので@`創造者の存在を認めることができなかったのです。かといって@`学んでいることが正しくて@`道理にかなっているように思えるという点も否定できませんでした。 恋人が一緒に調べてくれたら@`とどんなにか願ったことでしょう。しかし@`とうとう彼はそうしてくれませんでした。そしてある日@`ついに言いました。「調べてみるのがこわいのだ」と。何という意気地なしでしょう。彼が私を本当に愛しているのかどうか疑いを抱くようになりました。そして私のほうはどうだったでしょうか。私はただ恋に恋していただけだったのでしょうか。
転機 1972年5月@`2度目にエホバの証人の公開集会に出席した際@`やはり里上さんと聖書を学んでいる若い聖書研究生に引き合わされました。私たちは意気投合して@`その日の後刻彼女のアパートを訪ねる約束をしました。アパートへ行く途中@`私は転んで足をねんざして@`その人の所に一晩泊まってゆくことになってしまいました。 その晩@`何気なく彼女の書棚から1冊の本を手に取りました。それには@`「進化と創造―人間はどちらの結果ですか」という題が付されていました。その中に何が書いてあるのか知りたいと思いました。カーテンは引かれていましたが@`窓から光がもれていました。私はカーテンの向こうに忍び込み@`寝ている友達の方に光が入らないように気をつけながら@`文字を追いました。 何とすばらしい本だったのでしょう。途中何度も涙で中断されながらも@`夜が白みかけるころには@`その本をほとんど読み終えていました。涙がとめどなくあふれました。進化論は間違っている! 全宇宙と人類には偉大な創造者がおられるのです。それは生涯で最も感動した夜でした。神は実在されるのです。これほど論理的な証拠がここにあるのです。どうして全能の神に仕えずにいられるでしょうか。
同じく神に仕えたいと願う人々と交わるようになり@`それまで楽しんできた事柄―みんなとお酒を飲みに行ったり@`気ままなおしゃべりにふけったりすること―が空しく感じられるようになりました。わいせつな話やアバンチュールを自慢げに話す友達にうんざりしました。 編集部のスタッフや漫画家の友達一人一人は本当に良い人でした。それでも@`私たちが属していた漫画界はサタンの何でも許容する精神の波をまともにかぶって@`それに侵食されていました。人は心に満ちあふれるものの中から語ります。(マタイ 12:34)不道徳な漫画は@`それを提供する人々の人生観を反映しているのです。サタンがある種の漫画を強力な武器として巧妙に利用し@`不道徳で暴力的な行動を助長してきたことを首尾よく否定できる人がいるでしょうか。少なくとも私は@`自分の漫画を読む子供たちに不道徳な考えを毎週毎週勧めてきたことを認めざるを得ません。 自分の性格を考えてみて@`神を第一にしながら人気漫画家として仕事をし続けることはできないとの結論に達しました。私はいずれ仕事をやめようと思っていることを編集部に告げました。同時に@`恋人との関係も清算しました。
しあわせの道 連載漫画@`「しあわせ」は@`1972年12月に@`志麻が希望にあふれて新しい生活を始めるところで完結しました。私も@`その連載を終えてから1週間後には新しい生き方を始めました。エホバへの献身の象徴としてバプテスマを受けたのです。 1973年6月に専属契約が切れるのを待って私は漫画家の仕事をやめ@`同年9月からエホバの証人の全時間奉仕者になりました。その間に@`二人のアシスタントが真のしあわせへの道を悟るのを助けるという喜びを味わいました。1975年以来@`私は毎月140時間以上をクリスチャンの宣教に費やしています。 これはしあわせの道となってきましたか。以前のような多額の収入はありませんが@`漫画家としては味わえなかったような満足感を抱いています。私には@`永遠に続くしあわせの道を歩むよう他の人々を助けるという仕事があります。それはどんな漫画家の仕事よりも創造的な仕事です。私はまた@`真の兄弟愛を示す仲間の信者たちに囲まれています。何よりも@`宇宙の偉大な創造者を知り@`その方にお仕えするというすばらしい特権に恵まれ@`地上の楽園でその方を永遠に賛美する希望を与えられているのです。―藤井由美子の語った経験。 [23ページの図版] 私の描いた主人公が一流漫画雑誌の表紙を飾りました [24ページの図版] 新人漫画家に与えられる賞を獲得して@`私は漫画家の世界に踏み出しました [26ページの図版] 今では@`エホバの証人の公に宣べ伝える業に参加しています
236 :
ニュースフラッシュ :2001/01/15(月) 23:17
【独】憲法裁、「エホバの証人」の法人否認を差し戻し
認可の判断は行動面で
【ベルリン20日豊田剛】ドイツ連邦憲法裁判所(最高裁に相当)は十九日、キリスト教系の新興宗教団体「エホバの証人」の教義が基本法(憲法)に違反するために宗教法人認可をしないという連邦行政裁判所の判決をくつがえし、差し戻しを命じる判決を下した。憲法裁は判決で、「宗教団体(の是非)は教義ではなく行動によって判断されるべきだ」と強調した。
連邦行政裁判所は九七年、「エホバの証人」の兵役および輸血の拒否、特に、選挙参加拒否という教えが、国家に対する忠誠に違反する、との見解を示していた。これに対して憲法裁は「宗教法人としての認可に要求されたものではない」との判断を示した。
ドイツにおける「エホバの証人」会員数は約十九万人。ヒトラーのナチス政権によって迫害された。このほかドイツでは、米国などでは公認されているキリスト教系新興宗教団体「サイエントロジー」も宗教法人として認めていない。
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http://www.worldtimes.co.jp/news/data/1001220-235214.html
237 :
名無しさん@1周年 :2001/01/15(月) 23:26
それも一つの大きな、大きなその人の魂の経験です。 みんな、そうやって成長していくのです。 心の奥深い所で必要だ、と認めて経験させられるのかも、しれないのです。
238 :
名無しさん@1周年 :2001/01/16(火) 21:58
239 :
名無しさん@1周年 :2001/01/22(月) 21:03
読みませんあげ
240 :
名無しさん@1周年 :2001/02/19(月) 04:44
age
241 :
忍の館 :2001/02/19(月) 15:39
242 :
名無しさん@1周年 :2001/02/23(金) 07:51
エホバカアゲルゾ
243 :
名無しさん@1周年 :2001/02/23(金) 08:19
エホバの証人は、創始者の純粋な意志に逆らって、組織を立ち上げたために、 悪魔に魅入られた宗教団体である。 以降、悪魔の配下にある決定機関が、全世界に向けて偽予言を発表し 世界統一をたくらむ悪魔の組織として、発展していった。
244 :
名無しさん@1周年 :
2001/02/24(土) 03:55 悪魔の配下にある集団であることを隠すためには、エホバの証人以外の人間が 悪魔に支配されていることを伝導することが不可欠だった。 善良な人間を支配することは、悪魔にとってはたやすいことである。 エホバの証人は、長い伝導生活の果てに、精神障害になる確率が高い。 善良な人間の良心を、癌のように蝕んだ果ての姿である。