1 :
名無しさん@1周年 :
みなさん阿含宗ってごぞんじですか。
そうです、あのオウム真理教の母体となった最悪の宗派です。
仏陀(ゴータマ・ブッダ、釈尊)と仏陀の教え(阿含経)をデタラメに曲解して
日本、そして世界に広めようとしているニセ仏教の教団です。
そのインチキに満ちたホームページをみながら、阿含宗が如何に酷い教団であるか
その実態を正しく暴きましょう。
http://www.agon.org/ この掲示板にはここ数ヶ月でいくつもの阿含宗関連のスレッドが立ちました。
その数々のスレッド上の議論を拝見させていただきましたが、
特定の1名乃至2名の狂信者達以外には阿含宗擁護に参加される方がないことを発見して、
たいへん嬉しく思っています。
また、その特定の狂信者達は、ある時は他の信者を装い、又ある時は他の人になりすますなど、
仏弟子としても,又人間としてもまるで誠実な方とは思えません。
またそのピントのずれた低レベルの批判は事実を歪曲したうえでの、ステレオタイプ化したものとなっております。
その事実歪曲の卑劣さは「教祖の経歴詐称、多数の犯罪歴、過去の詐欺的な活動,オウムとの深い関係等々」においても、
社会的に既知となった事実さえ大きく捻じ曲げ,まるで常習詐欺師の口上そのものです。
信者を騙して餞別までとって刑務所に行くような最低の教祖を信じて
反社会的な凶悪犯罪を犯した多数の元直弟子達も今,次々に死刑の判決を受けています。
第2のオウム真理教を生まない為にも、全ての発端となった阿含宗の正体を明かにすべきでしょう。
これ以上犠牲者を出さない為にも。
合掌。
==このスレッドではよーちえんおばさんの参加を禁止します==
2 :
よーちえんオバン出入禁止! :2000/10/03(火) 18:44
質問
信者の方々は当然ご存知の事と思います。
すきっとした解答を期待しています。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
・いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
・誰から如意輪、不動、護摩法を伝授されたのか、
・阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩を何故焚くのか
・釈迦が禁止とした占いで何故金儲けするのか
・釈迦の説かない先祖供養・水子供養を何故やるのか
・真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか
・桐山氏は出家者かそれとも在家者か
・オウム真理教教祖・麻原の阿含宗在籍期間を何故偽るのか?
まだまだ沢山あるけれど取り合えずここまで。
3 :
よーちえんオバン出入禁止! :2000/10/03(火) 18:48
>2
これを自問自答すれば
余程マインドコントロールされていない限り
退会するけどね。普通。
4 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 00:15
>1・2
それで、あなたは、実態を正しく暴いて、あなたの人生にとって何か利益するものがあるのでしょうか?
このスレッドを立てることで、あなたはより、涅槃に近づくことができるのでしょうか?
どうなのでしょうか?
仏陀の教えには、涅槃に資することには、近づき、涅槃に資さないことには、離れよ、とありますね。
ちなみに、涅槃とは、
「比丘たちよ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである」
と説いておられますよね。
他のひとの もろもろの あやまちを 見ることなかれ
他のひとの 為せると 為さざるを 見ることなかれ
ただ みずからの 為したるを はた
為さざりしを のみ 見よ
第一に 自己をこそ
ふさわしく 調え
しかるのち 他に 教うべし
かくあらば 賢きひとは 煩い なからむ
他に 教うるがごと
そのままに みずからに 為すべし
みずからを 制御してこそ 他を 制御せむ
まこと 自己は 制御し 難ければなり
とも、説いておられますよね。
5 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 00:44
>4
あなたは悪を見て見ぬふりをしろというのですか?
他人が騙されているのを黙って見ているのがお釈迦さんの教えだというのですか?
そうではないでしょう。
自分のことを棚に上げて、他を批判するなというのでしょう。
他人には厳しく、自分には甘い、そういう自分勝手なことはするなというのでしょう。
桐山・阿含宗の過ちを指摘することは批判ではありません。
本当のこと、事実を教えてあげているのです。
あなた達、阿含信者こそ、桐山・阿含宗のあるがままの姿を見つめなさい。
自分たちのあるがままの姿を見つめなさい。
よーちおばんは自分の多重人格性に気付いていないようだ。
人格破壊ですね。阿含宗って怖いね。
オウムみたいに頭にヘッドギアつけたりしているのかな
サイバーナントカ求聞持法?
7 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 02:32
>5
なにを偉そうに正義ぶっているのでしょうか、
なにが悪だというのでしょうか、
こういう独善的なきめつけをする人こそ悪でしょう。
なんのために阿含のスレッドがあるのですか?
反阿含、信者、おたがい意見をぶつけあって
ROMする人とかが、ひとりひとり考えて結論を
だせばいいのです。
狂信は宗教を信じる方がなるもんだと思っていましたが反対もヒステリックに攻撃・こういう人もいるのですね。
ま〜、みっともないわあ!!
よーちオバさんたら、嘘つきだらけの顛末がこの有様ねえ。
9 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 03:24
稚拙な文章力と勉強不足の内容、もうバレバレ。
アホな書き込みですね。
よーちを馬鹿にできるレベルかよ、
同じというよりそれ以下ですね!
10 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 03:26
人格破壊ですね。阿含宗って怖いね。
オウムみたいに頭にヘッドギアつけたりしているのかな
サイバーナントカ求聞持法?
11 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 03:29
所詮、恥知らずな人って、何度恥かいても何ともないのよね。
あーぁ、みっともな〜い。
(は・あ・と!!
12 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 03:30
>9
おやおや、
==このスレッドではよーちえんおばさんの参加を禁止します==
と、あるんだがねえ。アメリカに行ったんじゃないの?
13 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 03:37
つまりあなたが下品でアホ丸出しなのは、
阿含宗を貶めるディスインフォメーションだったのね。
14 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 03:46
アホの相手はもうこりごり。バカみたね。
15 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 03:53
でも、どーせまたすぐ来て、嘘の上塗りするのよねえ。
所詮、恥知らずな人って、何度恥かいても何ともないのよね。
16 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 06:02
6〜15
よーちおばさん、あんたが多重人格性を発揮して
取り乱せば取り乱すほど
阿含宗の評判は下がるだけですよ。
あんたのようなアホは阿含宗の為にもならない。
早く成仏しなさい。
最近思うけれど、よーちおばんは
ほんとはオウムじゃないかな?
故郷の阿含宗に戻りたいけど戻れずに
頭がイカレてしまったとか・・・。
17 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 06:08
6〜15
よーちおばさん、哀れだねえ
<自作自演はもう止めなさい>
もうわかったから
理性では阿含宗が詐欺集団だと理解したのに
感情がそれを認めることを拒否しているんだね
それとも
阿含宗をオウム真理教の道連れにしようとする策略かな?
18 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 06:12
質問
信者の方々は当然ご存知の事と思います。
すきっとした解答を期待しています。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
・いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
・誰から如意輪、不動、護摩法を伝授されたのか、
・阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩を何故焚くのか
・釈迦が禁止とした占いで何故金儲けするのか
・釈迦の説かない先祖供養・水子供養を何故やるのか
・真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか
・桐山氏は出家者かそれとも在家者か
・オウム真理教教祖・麻原の阿含宗在籍期間を何故偽るのか?
まだまだ沢山あるけれど取り合えずここまで
***このスレッドではよーちえんおばさんの出入を禁止します***
***幼稚地縛霊はもう消えなさい。あなたは阿含宗の恥さらしです***
19 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 07:26
おかしいのはよーちオバサンです。
20 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 07:29
品性下劣でゴロツキみたいなよーちオバ
よーちおばかさんほど厚顔無恥な人は
あんまりいないってことかもよん。(はあと〜!!
21 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 07:40
オバン皆狂冬景色
関空発の阿含スレッド降りたときから
オバサンの心は雪の中
阿含宗の人たちは誰も無口で
オバサンの独り言を聞いている
オバサンも独り
みんなから嫌われて
未練たっぷり 指がうずく
キーをたたけとばかりに
あーあー よーちオバサン
クサイ芝居
22 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 07:52
阿含宗のよーちおばんを
はやくオウムで引き取ってくれ
ヘッドギアで脳障害になったやつを
野放しにしとくから
阿含宗にもどってとち狂ってるぞ
異物混入で返品するから
不良品はすぐに粗大ゴミで捨ててね
おねがい
23 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 07:54
地縛霊だね よーちおばんは
2ちゃんの悪霊として名前が残るぞ
24 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 07:59
19〜23
よーちおばさん
あちこちからコピペするのはやめなさい
自虐趣味のマゾッ気が出たのかな?
もういい加減に消えて欲しいね ウザスギ!
阿含宗の信者って病気なんだと、既に社会的に烙印を押されているのに
このままだと、さらに「極悪地縛霊」の称号まで付いてしまうよ
25 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 08:00
***このスレッドではよーちえんおばさんの出入を禁止します***
***幼稚地縛霊はもう消えなさい。あなたは阿含宗の恥さらしです***
阿含宗のだれか〜 このよーちおばさんを引き取ってくれ
おたくじゃ模範信者かもしれないが 社会的には”病人”だよ
返品したいけど そのまえに異物混入製品のように自主回収してね
27 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 11:30
隊員:関空方面にヨーチオバタリアンが現れ、ゲロ爆弾を吐き散らしています。
隊長:よし、大黒天講線を発射しろ、あれなら一万円で済む。
隊員:借金だらけの阿含宗の大黒天なんて、効果ありませんよー。
あのニヤケ大黒天は信者の金を阿含宗に持ってくだけ。
隊長:しゃーない。金拾万円也の解脱供養ミサイルを打ち込め。
隊員:たいへんです。ミサイルが命中したら、ヨーチオバカが分裂して、
罵倒観音に変身して、あちこちのスレッドを荒らし回っています。
そのへん罵倒ゲロだらけです。
隊長:冥徳連続ミサイルを出せ...終わりがないから金かかるんだよなあ...
隊員:あっ!中身がありません。隊長、だまされたんですよ。
堤商会で買ったんでしょう。あそこは詐欺商法だから、みーんなだまされた。
隊長:最後の手だ。飯屋に電話して、
金業靖雄大唖砂利一歳蛮冷浣腸芸蚊勲章暮暮大奇人をお呼びしろ。
隊員:えっ、マスオさんのことでっか。あんな脳梗塞の欲ボケじーさん。
隊長:知らんな。あのジーさんは因縁付けるのがチョーうまい。
隊員:信者から吸血鬼みたいに金を吸い取っているジーサンじゃ、
タダで動いてくれないだろうし、光和の勲章饅頭でも持ってくか。
28 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 12:47
よーちおばさんにはここで随分楽しませて頂きましたよ。
お礼にアメリカ大使館にメールを出してあげるね
>よくアメリカが桐山にビザを出したね。
>化学兵器殺人集団とあれほど深い関係があって、
>かつ前科多数,刑務所帰りなのに。
>大使館へ知らせてやろうよ。
>アメリカはカルトを嫌っているから入国拒否になるかもね。
>NYの焚き火は不発に終わらせるのが世の中の為ですな。
ついでに阿含宗の事務局へもね
よーちおばさんのお蔭で信者が増えて表象されるかも(激吐)
29 :
阿含宗で人格破壊された信者の弁 :2000/10/04(水) 12:55
あなたたち、面白いね。
空白あげや、コピペしてるのが私だと告白しても
絶対、そのよーちさんっていう人だと言い張っている。
面白くてやめられない。
誰も、削除依頼しないの?
自分たちの発した汚い言葉で、スレッドが埋まっていく気分って
いかが?
批判けっこう、罵倒けっこう、侮蔑けっこう。
私だって、そういう喜びみつけてしまった。
て書いても、これはよーちさんが書いたことになっていて
私は痛くもかゆくもない。やっぱり楽しい。面白い。
最初は乱立スレッドに嫌気がさして意見したけど、
そんな楽しみをみつけてしまった。
あなたたちが、教えてくれたんだよ。
私は、このスレッドから生まれた餓鬼かな?
私は175で、初めてこのスレッドに来たんだけど、
今のところ誰も信じてない。笑えます。
ここで、告白しても、絶対私のせいにはならないだろうから。
あなたたちが、私を私と認めたらやめます。
でも、絶対認めないでしょうね。
だから、やり続けます。
このスレッドを止めてくれなかった
あなたたちに向けて。
嫌だったら、削除なり、2CH追放なり、なんなりしてね。
私は、今しばらくここに合わせて醜い人間楽しみます
30 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 13:14
>29
は私ではありません
>自分が一番醜いのに気付かないとはなさけない
そう思っていますよ。
醜さには、もっと醜いもの(私)で対抗する。
何度もいうけれど私はよーちさんとかじゃないの
あなたたちが、私を私と認めたらやめます。
でも、絶対認めないでしょうね。
だから、やり続けます。
このスレッドを止めてくれなかった
あなたたちに向けて
>阿含宗で人格破壊された信者の弁
私は「よーちおばさん」でなければ、今度は「信者」ですか?
いいですよ。「信者」でいきましょう。
32 :
信者 :2000/10/04(水) 16:18
>自分が一番醜いのに気付かないとはなさけない
そう思っていますよ。
醜さには、もっと醜いもの(私)で対抗する。
33 :
信者 :2000/10/04(水) 16:18
34 :
信者 :2000/10/04(水) 16:18
35 :
信者 :2000/10/04(水) 16:43
>32
私の主張したとおりですが、何かおっしゃりたいことでも?
36 :
信者 :2000/10/04(水) 16:48
私は全てsageで書いています。sageで書いていないものは別人です。
37 :
追悼の言葉 :2000/10/04(水) 17:17
よーちおばさん
やっと落ち着きましたね。よかった。
あなたを壊したキーワードは「伝法灌頂」でした。
ここに触れられたのが一番効いたんですね。
ニセ坊主・桐山の詐欺師たる原点ですものね。
誰からも真言宗の伝法灌頂を受けていないなんて
信者として絶対に認めたくないという気持ちもよくわかりますよ。
みんなそうでしたから。
もう取り乱さずにこの掲示板から成仏してください。
あなたの行為は阿含宗の評価を今以上に下げるものと自覚すべきです。
あなたは全力で闘いそして無様に散ったのです。
議論に負けると逆上するのが阿含宗信者のパターンですが,
読んだ人達はオウムの母体となった阿含宗の怖さを再認識します。
あなたの行為は詐欺師桐山にもマイナスなんですよ。
いろんな名前で多重人格振りを示すのも止めてね。
アメリカ話も無理して捏造しなくていいんですよ。
あとは退会届を出すだけですね。
やっと阿含宗の嘘がわかったのだから。
もう帰ってこないでね さようなら
38 :
よーちおばさん成仏記念@おめでとう :2000/10/04(水) 17:40
質問
信者の方々は当然ご存知の事と思います。
すきっとした解答を期待しています。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
・いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
・誰から如意輪、不動、護摩法を伝授されたのか、
・阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩を何故焚くのか
・釈迦が禁止とした占いで何故金儲けするのか
・釈迦の説かない先祖供養・水子供養を何故やるのか
・真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか
・桐山氏は出家者かそれとも在家者か
・オウム真理教教祖・麻原の阿含宗在籍期間を何故偽るのか?
まだまだ沢山あるけれど取り合えずここまで。
39 :
よーちおばさん成仏記念@おめでとう :2000/10/04(水) 17:47
よーちおばさんが自らの恥を自覚してくれたお蔭でやっとまともな状況になりました。
さて
今までに数多くの信者たちが
上記<38>に対する疑問を持ち,そしてその真相を知って退会しましたが,
阿含宗が第2のオウム真理教を生み出さないためにも、この際
とことん正邪をはっきりさせたいと思います。
先ほどよーちおばさんの件でメールを出したついでに
この掲示板に勧誘しておきましたので
阿含宗精鋭の方々のレスを期待しています。
40 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 17:55
一つ一つ潰して行きましょう。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け
誰からも正式に受けていません。
信者の方々この結論でよろしいですね。
よろしければ次に行きます。
41 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 17:58
>40
<確認>
誰からも正式に受けていないということは
つまり阿闍梨、大僧正でもない事になります。
その嘘の肩書で信者達からお金を騙し取っていたわけですから
立派な詐欺事件となりますが、その結論でいいですか?
42 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 18:10
自分の所属する教団の教祖がどこで誰から伝法灌頂を受けたか
信者たちがそれすらも知らないというのは阿含宗くらいでしょう
つまり厚いベールの裏側に様々な知られたくない事情があるのです。
桐山が刑務所にいたのも事実ですが,自分の前科よりも隠したいものがあったからです。
阿含宗の成立にかかわる秘密の数々が露見した時、桐山は一介の三流詐欺師に成り下がります。
ヒリュウという言葉で一部の信者が取り乱したように、この問題こそが全ての発端なのです。
あの阿含宗信徒代表?のよーちおばさんですら伝法灌頂の一件で逃亡し,
その精神に異常をきたしました。(やっと落ち着いた様でよかったですが)
43 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 18:15
==このスレッドではよーちえんおばさんとその変身者の参加を禁止します==
くれぐれも成仏の件宜しくお願いします。輪廻禁止です。
あなたが参加すると阿含宗の信用が更に地に落ちます。
桐山の顔にこれ以上泥を塗りたくなければおとなしくしていてください。
44 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 18:59
「寂聴って? 」と言うスレッドに、横浜じじいの
スレッド間違いコメントがあります。
別人の掛け合い漫才なんだけど、二人ともスレッド間違えて
やんの。
一人三役四役、24時間で数百スレッドご苦労さん。
寝てないでしょう?
ようちえんさんに去られて、さびしいの?くやしいの?
45 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 19:39
きちがいスレッドすべて横浜。
46 :
阿含宗の信者ではない :2000/10/04(水) 19:50
よーちおばさんとからかうのはやめたらどうか。
お前らも阿含宗の馬鹿と同じレベルということになるじゃないか。
人をからかうことが目的のお前らが人のことを言えるのか。
47 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 19:53
昨日からの、きちがいスレッド、きちがいコメントは
すべて横浜じじいです。
48 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 19:53
阿含宗とワールドメイトのスレッドが多すぎる。
書いている奴らは結局宣伝しているようなものだと気がつかないのか。
49 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 20:12
>47
自分に都合の悪いレスにレッテルを貼ってわかったつもりでいるのは、
お前が馬鹿な証拠だ。
阿含宗を批判したいのなら、もっと頭をよくしろ。
50 :
名無しさん :2000/10/04(水) 20:25
きちがいよこはま。3時から5時まで寝ただけで
あとはずっと書きこみ。AM3−AM5だよ!
51 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 21:32
>44-50
よーちえんさん
いい加減にやめなさい
恥の上塗りですよ
==このスレッドではよーちえんおばさんとその変身者の参加を禁止します==
くれぐれも成仏の件宜しくお願いします。輪廻禁止です。
あなたが参加すると阿含宗の信用が更に地に落ちます。
桐山の顔にこれ以上泥を塗りたくなければおとなしくしていてください
52 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 21:32
<確認>
誰からも正式に受けていないということは
つまり阿闍梨、大僧正でもない事になります。
その嘘の肩書で信者達からお金を騙し取っていたわけですから
立派な詐欺事件となりますが、その結論でいいですか?
53 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 21:33
自分の所属する教団の教祖がどこで誰から伝法灌頂を受けたか
信者たちがそれすらも知らないというのは阿含宗くらいでしょう
つまり厚いベールの裏側に様々な知られたくない事情があるのです。
桐山が刑務所にいたのも事実ですが,自分の前科よりも隠したいものがあったからです。
阿含宗の成立にかかわる秘密の数々が露見した時、桐山は一介の三流詐欺師に成り下がります。
ヒリュウという言葉で一部の信者が取り乱したように、この問題こそが全ての発端なのです。
あの阿含宗信徒代表?のよーちおばさんですら伝法灌頂の一件で逃亡し,
その精神に異常をきたしました。
やっとおちついたと思ったら、またこのキーワードに触発されて狂い出しましたね。
困ったものです。
54 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 21:35
質問
信者の方々は当然ご存知の事と思います。
すきっとした解答を期待しています。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
・いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
・誰から如意輪、不動、護摩法を伝授されたのか、
・阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩を何故焚くのか
・釈迦が禁止とした占いで何故金儲けするのか
・釈迦の説かない先祖供養・水子供養を何故やるのか
・真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか
・桐山氏は出家者かそれとも在家者か
・オウム真理教教祖・麻原の阿含宗在籍期間を何故偽るのか?
まだまだ沢山あるけれど取り合えずここまで
***このスレッドではよーちえんおばさんの出入を禁止します***
***アメリカへ行ったはずの”よーち地縛霊”はもう消えなさい。あなたは阿含宗の恥さらしです***
55 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 21:44
阿含宗ってオウム真理教の母体だけあって本当に怖い団体ですね。
一連の破滅的妨害行為を見て再確認できました。
オウムは退会者に対してリンチや殺人を繰り返しましたが,
阿含宗のおばさんの取り乱し方を見ると何となく頷けます。
ご覧になっている他の方々も同じ思いだと思いますが、
どこまで荒んだ精神の持ち主かしばらく静観しましょう。
ここに来ている信徒が阿含宗の代表的なタイプですので
刑務所帰りの前科者・教祖の指導方法が窺がえますね。
まちがっても知り合いがこのようなカルト教団に嵌らないよう
ご注意下さい。オウム事件の再発はこりごりですから。
56 :
真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか :2000/10/04(水) 21:51
(真実@過去のレスから)
仏舎利には「仏舎利」と「本物の仏舎利」があります。
前者は自称仏舎利で、後者は考古学的にたぶん本物だろうという仏舎利です。
日泰寺(名古屋市千種区城山新町)の仏舎利は、日本にある数少ない本物の仏舎利です。
これはペッペが1898年にインドのピプラハワから発掘したものです。
ピプラハワは、釈迦族の都・カピラヴァストゥの候補地の一つです。
阿含宗が持っている仏舎利のうち7粒は、1986年にスリランカからもらった仏舎利です。
実際には三億五千万円で購入したと言われています。
この仏舎利も考古学的には本物だと言われています。
阿含宗で信者に分け与える仏舎利は、もちろん本物ではありません。
使われているのはムーンストーンです。
それに桐山氏が加持祈祷して、仏舎利として信者に授けています。
こういう内容は公開されています。
57 :
真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか :2000/10/04(水) 21:51
(つづき)
阿含宗には各県などに道場があります。
そこには真正仏舎利(本物の仏舎利という意味)が祭られています。
信者たちが500〜1500万円を寄付して、祭ってもらうのです。
前述のように、阿含宗には本物の仏舎利は7つしかありません。
台湾にも祭ったそうですから、国内には6つしかないことになります。
しかし、真正仏舎利を祭っている道場の数はこれをはるかに越えます。
道場で祭ってある仏舎利のほとんどは真正仏舎利であるはずがありません。
それでも、阿含宗信徒たちは、自分たちの道場は真正仏舎利を祭っているのだと信じています。
信仰の力の偉大なところは、このように簡単な足し算、引き算すらも無視してしまう点です
58 :
桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受けたのか :2000/10/04(水) 21:56
(真実@過去のレスから)
1970年 1月 初護摩にて「念力の護摩」を公開の場で焚く
11月 小田慈舟大僧正猊下より「如意宝珠法」の伝授を受け、翌年1月より初護摩が如意宝珠法によって奉修される
1972年 〜 小田慈舟大僧正猊下より「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授
突然ですが、以上阿含宗のHPからの抜粋です。
1970年は昭和45年、1972年は昭和47年ですね。
さてさて、桐ちゃんが天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務庁に出した経歴書には、
「昭和35年2月 真言宗金剛院派得度加行
昭和35年 四度加行 学識灌頂 講義講式
昭和35年 伝法灌頂 」 とあります。
護国寺で行われた仁和寺の小田慈舟大僧正による金剛頂経講伝の際に提出した書類では、
「得度 昭和30年10月5日 戒師 北野恵宝師
伝法灌頂 昭和40年5月10日 北野恵宝師に従って」となっています。(
59 :
桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受けたのか :2000/10/04(水) 21:56
(つづき)
昭和45年8月に護国寺で行われた仁和寺の小田慈舟大僧正による「金剛頂経講伝」では、
《「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授》などという内容ではありませんでした。
また、時期も全然違いますね。1972年(昭和47年)ではありません。
なおかつ、桐ちゃんは講義途中で未入壇の疑いにより帰されています。
なにやら凄いストーリーですね。
「未入壇の疑い」つまり・・・・。とても言葉に出来ません。
60 :
いつ阿闍梨、大僧正になったのか :2000/10/04(水) 22:04
(真実@過去のレスから)
かって私が例会で直接「グル桐山」から聞いた話。
当時は平河町の狭い建物だった。
いつものように護摩が終わり、最後に恒例の質問の時間がきた。
誰かが手を挙げた。
「管長先生は權大僧正でしたのに、先月から肩書きが大僧正に変わっていますが、
高野山からいつ授与されたのですか?」
彼は多分悪気はなかったのだろう。
いつもなら大体質問者は決まっていて筋書き通りに終えるのだが、この日は時間がたまたま
余ってしまった為、最後に用意していないフリーの信者が当たってしまった。
私が退会を決意したのはその3分後だった。
「先日、中外日報の記者が私のプロフィールを間違えて大僧正と新聞に書いてしまったんですよ。
どうしたものかと思いましたが、いい機会だから、仏様のプレゼントだと思い
そのまま大僧正を名乗ることにしたんです。」
一部で拍手が起こったものの、私の周りはかなりしらけていた。
ずっと引っ掛かっていた胡散臭さが一気に露見したようなものだ。
61 :
いつ阿闍梨、大僧正になったのか :2000/10/04(水) 22:10
(真実@過去のレスから)
阿含宗では真言密教の行法を教えています。
真言密教の行法を教えるためには、真言宗の僧侶の資格がいります。
真言宗の僧侶、阿闍梨であるためには伝法潅頂を受けたはずです。
だが、それを授けた人はいません。
桐山さんは偽僧侶です。
62 :
いつ阿闍梨、大僧正になったのか :2000/10/04(水) 22:15
(真実@過去のレスから)
伝法灌頂の嘘。
昭和43年8月 天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務局に出した履歴書では
得度 昭和35年2月
四度加行 昭和35年
伝法灌頂 昭和41年。
昭和45年8月 小田猊下の「金剛頂経」講習会受講に際して提出した履歴書には
得度 昭和30年10月
四度加行 無記
伝法灌頂 昭和40年5月
つまりなにひとつ受けていないことがわかります。
本当に受けていたら正しい履歴が書ける筈です。
いずれにしても小田猊下からは伝法灌頂は受けていません。
なぜならば昭和50年6月の例祭で、小田猊下の講習会に「戸籍名」で参加したと言い,また
「これで阿闍梨になったわけです」と言っています。
真言宗の基本的なシステムすら知らないとはお笑いです。
そのへんの小坊主以下ですね。
それに得度すら受けていないから「戸籍名」で参加だそうです。(激爆々々〜〜〜!!)
さらに偽坊主がばれて講習会開始前に追い出されたとは、ホント落語みたいな話だったのです。
63 :
いつ阿闍梨、大僧正になったのか :2000/10/04(水) 22:16
伝法灌頂の嘘−2。
昭和43年8月 天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務局に出した履歴書では
生年月日 大正10年4月20日
昭和45年8月 小田猊下の「金剛頂経」講習会受講に際して提出した履歴書には
生年月日 大正10年1月5日
自己申告の書類で自分自身の生年月日を偽った事実は有名な話。
つまりHPの経歴を信じる方がおめでたいということ。
HPより。
>1970年11月 小田慈舟大僧正より広島県の御自坊・城福寺にて
>「如意宝珠法」を伝授される。1972年-1973年小田慈舟大僧正
>より、京都道場にて、「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授される
これらも全て事実無根。
これまでの自己申告による経歴話(例祭・履歴等)では講習会は1970年の事。
ただしこれは伝法灌頂の類ではなく,単なる「講習会」。
1970年11月の話も嘘八百。
さらに小田猊下は京都道場になど行っていません。これも嘘。
いつものことながら反論されなくなってからの嘘八百言いたい放題。
当時の信者が殆どいないのをいい事に経歴の書き換えをはじめた桐山は
ついでに生年月日も新しくしたらいい。(3回目だね)
64 :
阿含経も読まずに阿含宗をたてる :2000/10/04(水) 22:32
(真実@過去のレスから)
「阿含経」についての認識
更に云えば、桐山氏が「阿含宗」を立宗したとき、「阿含経」を読んでいなかったのは
明らかです。「阿含経」についての認識も満足では無かったことも、『阿含密教いま』
13頁から16頁までの文と、『原初経典 阿含経』67頁から70頁を読み比べれば明白です。
一部引用しておきます。
『原初経典 阿含経』より
「第三には相応部経典であって(中略)そこには七千七百六十二経があつめられておる」
次ぎに
『阿含密教いま』から
「第三には相応部経典で(中略)そこにはなんと七千七百六十二経がかぞえられます」
パーリ語相応部では二千八百七十五経。漢訳雑阿含では千三百六十二経と云うのが
妥当な数値です。大正新修大蔵経では通し番号がふられ、1362で終了しているのですが、
読んでいれば、当然、その番号が経の数を表していることを知っている筈です。
経典も読まないで、都合の良い処を盗んでいるのが「一目瞭然」の「立宗の書」なのです。
本当に次回は桐山家系譜の嘘を『人は輪廻転生するか』から明らかにします
65 :
桐山家系譜の嘘 :2000/10/04(水) 22:34
(真実@過去のレスから)
桐山家系譜の嘘
『人は輪廻転生するか』154頁〜160頁を引用
わたしの母方の祖父は、武士であった。
信州某藩の剣術指南番の家柄に生まれ、若い頃、三年間、江戸に留学して神田お玉ケ
池の千葉周作の門に入り、免許皆伝となった。かなりの腕であったようだ。
鳥羽源一郎といい、のち、浪人して桐山家に入り、桐山姓となった。
この祖父が、明治維新に際し、勤王佐幕の争いで、二人の家中を斬った。
殿様の命による上意討ちであった。
祖父は二百五十石の上士で、佐幕派であった。 (中略)
何回か出撃して、全部で十八人斬った。
そのうち、じっさいに祖父が手をかけたのは、二人だったという。 (自賛が続くので中略)
しばらくして、藩論が急変して、勤王派が天下をとった。勤王派のクーデターが成
功したわけで、そうなると、殿様などというものは、いいかげんなもので、今度は、
祖父たちが佐幕派の上意討ちの対象となった。
(中略)
この桐山家のその後の状況を見てみよう。
引用終わり
66 :
桐山家系譜の嘘 :2000/10/04(水) 22:35
桐山家系譜の嘘−2
(転載)
嘘である。信州十一藩に、このような事実は無い。
1995年の夏休みの2ヶ月、信州を回り、歴史博物館や、各図書館、郷土史家を訪ねて
伺ったが、「そのような事実はありません」と一笑に付されてしまいました。
「そのような事実があれば、斬られた家中のご遺族も、何らかを伝えている筈でしょうが
聞いたことはありませんし、その記録も、各藩史にも残っていません」
との事でした更に引用
わたくしは、若い頃から運命学を学んで、自分に「刑獄の因縁」のあることを知っていた。
(中略)
わたくしの場合もそうであった。気がついたら、酒税法違反という罪名で起訴されていた。
わたくしが、もっと素直に、そして冷静に行動していたら、罰金だけか、悪くいっても、執行猶予はついていたであろう。
引用終わり
桐山氏は『キリンビール』という、偽ブランドのビールを造っていたのです。
起訴されたのは、「酒税法違反」「私文書偽造」「詐欺罪」で実刑を受けています。
罪の重いのは残りの2つですが、それには一切触れていません。
確かに、「酒税法違反」だけなら『罰金か執行猶予』かも知れませんが、3つもでは
『冷静に行動して』していても、露見すれば実刑でしょう。
今ならば、「商標権の侵害」でしょうか。つまり、得意の「パクリ」です。
その教訓も活かせず、相変わらす「パクリ」を続けているのは先祖の悪い遺伝子なのでしょうか。
彼の得意とする「ソンディ博士の理論」のいうところの
「子孫の無意識の意識のなかに抑圧されている特定の祖先の欲求」
とは、このことでしょうかね
67 :
桐山家系譜の嘘 :2000/10/04(水) 22:35
桐山家系譜の嘘−4
(転載)
信州某藩の件で問い合わせた(阿含宗・広報)ら、
「管長が霊視されたて、言われているのだから・・・」
との答えでしたが、有りもしないことを「霊覗」出来るのでしょうか?
>べつに一宗たててもいいじゃん。
>新興宗教なんだから、伝統宗教の一つだというなら
>問題だとおもうが。
一宗をたててもかまいませんよ。
他の宗派を「偽の経典に基づいて立てられた」等と言わなければ。
自分は「パクリ」で阿含宗を作りながら、他の宗派を非難する根性が情けないし、
嘘を垂れ流して「金儲け」に奔走する姿があさましいと申し上げているのです。
阿含経に基づく「戒律」には、出家修行者は「金銭に触れても、蓄えてもいけない」
と説かれていますよ。「嘘をついてはいけない」「与えられないモノを盗んではいけない」
と云うことも。
68 :
:2000/10/04(水) 22:52
69 :
:2000/10/04(水) 22:53
70 :
:2000/10/04(水) 22:53
71 :
:2000/10/04(水) 22:54
72 :
:2000/10/04(水) 22:54
73 :
:2000/10/04(水) 22:54
74 :
:2000/10/04(水) 22:54
75 :
:2000/10/04(水) 22:55
76 :
:2000/10/04(水) 22:55
77 :
:2000/10/04(水) 22:55
78 :
:2000/10/04(水) 22:56
79 :
阿含宗と阿含経 :2000/10/04(水) 23:32
<転載>
もともと阿含経は仏教の初期経典であり、
仏陀滅後に最初に編纂された仏典に近いものだといわれています。
ところが現在の阿含宗は護摩を焚くなどきわめて密教的な色彩が強くでています。
密教というのは仏教の歴史ではかなり遅く成立した者です。
護摩を焚くだの真言を唱えるなど、そんなことは全く阿含経になど書いていません。
仏典の阿含経と、いわゆる阿含宗とは何の関係も感じられません。
すこし仏教の歴史を知っている者ならば常識の範囲です。
阿含宗は私は密教の影響を受けた新興宗教のひとつです。
80 :
桐山と阿含宗の犯罪歴抜粋 :2000/10/04(水) 23:33
「犯罪歴について」
<転載>
「偽ビール事件」は昭和28年8/17の毎日、朝日新聞の夕刊に載っています。桐山氏(本名/堤真寿雄)32才の時です。昭和35年、桐山氏39才の時、習志野刑務所に約1年間、服役しました。
控訴したために刑(酒税法違反・私文書偽造の罪)が確定するまで、時間がかかりました。
「求聞持聡明法秘伝」(平河出版)の中で桐山氏は27才の時に酒税法違反で1年間、刑獄の人となったと書いていますが、ウソをついた理由は、若気のあやまちと言いたいことと、昭和29年、33才の時に横浜で観音慈恵会をはじめていたからです。刑務所に入るとき、信者にはご霊示により修業に出るとウソをついていました。(当時の機関紙「慈恵」より)
いまだにおんなじ様な手口のサギををやってると、思いませんか?
また、彼は17〜20代初めまで結核で自殺を考えるほど苦しんだ、と言ったり、書いたりしていますが、「霊障を解く」には18、9才の学生の頃、山登りが好きでロッククライミングをやっていた。夏休みには軽井沢に行って勉強していたと書いてあります。彼のデタラメと見えっ張りな性格がモロに出ていて笑えます。
81 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 23:39
よーちおばさんたら、空白つくることしかできないのぉ?
こんなことばかりして、よく自分が「みじめ」じゃないわね。
阿含宗批判に答えられないと、妨害することしかできないの?
ちゃんと論旨で勝負したらあ?
でもあなたの知能じゃ無理なのよね、お可哀想に。
敗北した人は、黙って去る、それが美学ですよ。
あなたご自身のためにも、不毛なことはやめた方がいいと思うんですがねえ。
(は・あ・と!!!
82 :
桐山と阿含宗の犯罪歴抜粋 :2000/10/04(水) 23:52
<転載>
ニセビールの前年、昭和27年8/26 詐欺、契約違反で西新井署に、
同年12/2手形詐欺で千葉県松戸署に逮捕されていますが具体的な内容は不明です。
上記の情報は元信者 広野隆憲さんの著書「阿含密教の研究・桐山密教の内実」
東方出版1992年初版にのっています。
(桐山氏の経歴がかなり詳しく書いてあるコッテリした告発本です。)
昭和60年5/4 朝日新聞に「6700万円所得隠し」
当時、阿含宗全体の経理を担当していた関西総本部が国税局に摘発されています。
ちなみに責任者の和田尚子事務長は桐山氏の愛人といわれている人で、
現在は関西総本部のトップになっています。
阿含宗の関連企業の代表、役員はすべて桐山氏の身内です
83 :
桐山と阿含宗の犯罪歴抜粋 :2000/10/04(水) 23:52
<転載>
昭和62年1/20神奈川新聞、朝日新聞に「密教食は違反食品」
無許可の漢方薬品を混合した「密教食」を600〜635円で仕入れ3000〜4500円で
信者に7億円売りさばく。光和食品社長(当時)桐山靖雄ら7人が神奈川県警と横浜港南署に
薬事法違反で書類送検される。
平成3年12/20 朝日新聞(朝刊)に「米州長官に現金」
勲章好きの桐山氏がアメリカの警察署長協会に寄付をしてメダルかなんかを貰ったお礼に
役員夫妻5名を日本に招待し土産として現金各々40万〜160万を贈ったものです。
一行のリーダー、バージニア州サザード公安長官はお金は返したのに辞表を出したそうです。可哀相に・・・
84 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/04(水) 23:55
「刑獄の因縁」 1.劣等感と優越感
<転載>
桐山氏の心を知るためには、彼の生い立ちから見る必要があります。
桐山氏の年表から、子供の頃かなり貧しかったことがわかります。
父親は定職すらなかったようです。(292〜年表参照)
一方で、母方の桐山家は武士の子孫であり、彼はその長男です。
貧乏の劣等感と武士の子孫という優越感が混在していたのです。
ヒトカドの人物になることが堤(桐山氏の本名)少年の目標だったのでしょう。
桐山氏がベンツに乗り、ホテル・オークラに出入りし、総本山に銅像を建て、勲
章を欲しがるという、聖者の行いとはかけ離れたことをするのは、彼のこの頃の
劣等感を癒してくれるからでしょう。
鳴り物入りで姿を現し、聖者として、信者たちがひれ伏す構図は、桐山氏の優越
感をいたく満足させるものなのです。
ただ、昭和初期なら、堤少年の境遇は特別珍しいものではありません。
貧乏も、教育を受けられないことも、立身出世を夢見ることも、同じ境遇の人た
ちはたくさんいました。
これだけでは、因縁、霊障、予言で人々を脅かし、妄想と思いこみの宗教を作り
上げた今日の桐山氏の姿は十分には浮かび上がってきません。
桐山氏のその後の人生を見ていくと、最初に目を引くのが犯罪歴です
85 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/04(水) 23:55
「刑獄の因縁」 2.偽ビール事件
桐山氏は若い頃、酒税法違反で逮捕され、刑務所に入ったことがあります。
いわゆる「偽ビール事件」です。
この話は、桐山氏を批判する本や記事には必ず取り上げられます
信者たちは、前科の話がでると「また、それか」とあきれ顔をします。
その信者たちも実際に何があったのかを詳しく知っている人はまれです。
たいていは桐山氏の言い分をそのまま繰り返しているだけです。
事件の経過を見て、桐山氏の言い分を聞いてみましょう。
桐山氏もある程度認めている偽ビール事件の経過は、次のような内容です。
桐山氏と仲間たちは合成ビールを醸造した。
仲間がキリンビールの偽ラベルを作り、偽ビールを販売した。
昭和28(1953)年、偽ビールを積んだ車が立ち往生し、犯行が発覚した。
昭和29(1954)年、桐山氏と仲間は裁判にかけられ、桐山氏は1年半、罰金5万円
の実刑を言い渡された。
この年、桐山氏は一時収監され、上告したが、高裁でも有罪となった。
昭和35(1960)年、桐山氏は刑が確定し、約一年間服役し、仮出所の後、半年の保
護観察を経て刑期を終えた。
86 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/04(水) 23:56
「刑獄の因縁」 3.桐山氏の言い分
<転載>
偽ビール事件についての、桐山氏の主な言い分です。
桐山氏は合法な合成ビールを販売する計画だった。
桐山氏に同意なく、仲間が偽ビールにして販売しようとした。
これらの仲間とつきあったのは、作家的な興味からだった。
桐山氏は出資しただけで、仲間の罪をかぶったのだ。
犯罪も酒税法違反という軽いものなのに、実刑は重すぎる。
犯罪を軽く見た桐山氏は、最初自分で弁護士を雇わなかった。
国選弁護人は親身になって弁護してくれなかった。
当時、他の密造酒事件で死者や失明者が出たために、見せしめに実刑を科された。
桐山氏はすでに処罰を受けて、刑期を終えている。
酒税法違反は40年以上も前の話であり、犯罪としても時効だ。
いつまでも前科者扱いするのは不当で、人権侵害だ。
仲間が犯罪をなして、桐山氏は巻き込まれ、運悪く、他の密造酒で死者が出たた
め、軽度の犯罪であるにもかかわらず、実刑を科されたということです。
判決文を見ると、桐山氏は3人の犯人の3番目に来ています。
他の犯人たちは、別な密造酒の2件でも訴えられていますが、桐山氏はこれらに
は連座していません。
桐山氏が懲役1年半に対して、主犯格のS氏は懲役3年の判決です。
つまり、桐山氏は主犯ではないのです。
これを見るかぎり、桐山氏の言い分にも一理あります。
87 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/04(水) 23:59
「刑獄の因縁」 4.逆効果の前科批判
<転載>
償いをしている人にいつまでも過去の過ちを追求するのはまちがいです。
桐山氏の前科は、宗教家になる前の若い頃の過ちです。
桐山氏は、この前科を、血の涙を流しながら悔いたと言います。
何度も自殺を試みたと桐山氏は書いています。
昭和28(1953)年に逮捕され、昭和29年には観音慈恵会を設立しているのですか
ら、桐山氏は罪を悔い改めるために宗教を目指したように見えます。
前科だけを批判すると、それを悔いて宗教家になった桐山氏を、マスコミ報道の
被害者にするだけで、かえって桐山氏の本性を覆い隠してしまいます。
信者から見れば宗教的迫害です。
前科を持ちながら、血の涙を流し、最後は聖者にまで到達したという桐山氏は、
信者の目には宗教的英雄に見えます。
これでは桐山氏を受難者として祭り上げるようなものです。
桐山氏への批判記事、批判本では前科のみがとりあげられました。
前科を前科のみで取り扱うと、桐山氏の姿はかえって見えなくなります。
前科者というレッテルを貼って終わりにするのではなく、前科に現れた桐山氏の
心の中を見るべきです。
そこで、もっと丁寧に何があったのかを検証してみましょう。
88 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 00:01
「刑獄の因縁」 5.三度の逮捕歴
<転載>
桐山氏の前科をもう少し詳しく見てみます。
桐山氏の逮捕歴は3度あります。
昭和27(1952)年8月16日、詐欺、契約違反、警視庁西新井署
昭和27(1952)年12月12日、手形詐欺、千葉県松戸署
昭和28(1953)年8月16日、酒税法違反、私文書偽造、警視庁防犯課
このうち、裁判で有罪になったのが、三番目の事件です。
偽ビール事件で逮捕される前に別件で二度逮捕されています。
桐山氏は、酒税法違反の件は本にも書いていますが、その前、二度もある逮捕歴
についてはまったく書いておらず、釈明もしていません。
裁判で訴えられた内容は酒税法違反だけではありません。
昭和28(1953)年の逮捕に私文書偽造の罪があります。
桐山氏が千葉県の農協の契約書や組合長の印鑑を偽造して、桐山氏の経営してい
た北日本物産商会が独占的に青森や岩手のイモを入手しようとしたものです。
契約書は昭和26(1951)年頃、桐山氏の流山の自宅に、和文タイプライターの業者
を呼んで文書を作らせました。
私文書偽造は明らかに桐山氏本人のやった犯罪であり、仲間が勝手にやって、桐
山氏が巻き込まれたのとは違います。
酒税法違反で逮捕される2年も前の話ですから、偽ビールを作る前から、桐山氏
は犯罪行為をなしていたことがわかります。
前に二度の逮捕歴があることを書いてしまうと、桐山氏の偽ビール事件への言い
訳は説得力がなくなるので、口をぬぐったのでしょう。
桐山氏の言い訳では、偽ビール事件は、何も知らない無垢な桐山氏が突然プロの
犯罪者集団に巻き込まれたような言い方でした。
しかし、実際の桐山氏は、何年も前から自ら犯罪をなし、さらには二度もの逮捕
歴を持つ、立派な犯罪者予備軍だったのです。
89 :
:2000/10/05(木) 00:14
90 :
名無しさん :2000/10/05(木) 00:15
>>>
44 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/10/04(水) 18:59
「寂聴って? 」と言うスレッドに、横浜じじいの
スレッド間違いコメントがあります。
別人の掛け合い漫才なんだけど、二人ともスレッド間違えて
やんの。
一人三役四役、24時間で数百スレッドご苦労さん。
寝てないでしょう?
ようちえんさんに去られて、さびしいの?くやしいの?
45 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/10/04(水) 19:39
きちがいスレッドすべて横浜。
47 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2000/10/04(水) 19:53
昨日からの、きちがいスレッド、きちがいコメントは
すべて横浜じじいです。
50 名前:名無しさん 投稿日:2000/10/04(水) 20:25
きちがいよこはま。3時から5時まで寝ただけで
あとはずっと書きこみ。AM3−AM5だよ!
>>>>
91 :
:2000/10/05(木) 00:16
93 :
:2000/10/05(木) 00:19
94 :
:2000/10/05(木) 00:20
95 :
:2000/10/05(木) 00:20
96 :
:2000/10/05(木) 00:21
97 :
:2000/10/05(木) 00:22
98 :
:2000/10/05(木) 00:22
99 :
:2000/10/05(木) 00:23
100 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 00:24
「刑獄の因縁」 6.二度逮捕されても懲りなかった性格
<転載>
桐山氏は酒税法違反で逮捕される前に二度も逮捕されているのです。
二年間に、なんと三度も逮捕されているのです。
ここには普通の人にはまず見られない桐山氏の独特の性格が如実に現れています。
普通、一度でも逮捕されれば、「二度とこんな目にはあわないぞ」と決心します。
しかし、桐山氏は一度ならず、二度でもまったく懲りませんでした。
これは桐山氏の、一般人には見られない、驚くべき性格を表しています。
酒税法違反で刑務所に入ったという前科よりも、桐山氏の性格を知る上では、そ
の前に二度も逮捕されていたという事実のほうがはるかに重要です。
おそらく、二度の逮捕の時は、警察からの説教だけで済んだのでしょう。
これはかえってよくなかったのかもしれません。
警察の温情だとは思わず、自分の詭弁でうまくごまかせたと思いこんだのです。
自分は知恵者なのだとさらに信じ込んだのでしょう。
二度の逮捕の時、どのような詭弁を用いたかは、偽ビール事件での桐山氏の言い
訳を見れば十分です。
今日でさえも、自分が「恐怖の大王だ」と言い出したように、あらゆる場面で荒
唐無稽な自己弁護を繰り返すのを見れば、警察への詭弁も想像がつきます。
二度の逮捕さえも、桐山氏は、自分は頭がいいから、うまく切り抜けられたのだ
と自信を深めただけで、なんら反省の材料にはなりませんでした。
自分ほどの知恵者なら、警察なんてチョロイ、世間のバカどもをだますのは簡単
だと確信したのでしょう。
自分の詭弁の能力に自信を深めただけでした。
三度目の逮捕までは時間があったのだから、密造酒を作るのをやめるチャンスは
ありました。
二度目の逮捕で懲りて、犯罪行為から手を引くくらいのことはできました。
だが、現実の桐山氏は手を引かなかったのです。
桐山氏は二度の逮捕にもひるむことなく、同じような犯罪を繰り返したのです。
いくら戦後の混乱期とはいえ、これは普通の神経ではありません。
後の桐山氏の宗教に現れる「自分の能力への過剰評価」「世間への侮蔑心」「激し
い思いこみ」といった心癖が、すでにここに明瞭に現れています。
今日の桐山氏の姿を見るなら、正確には「三度逮捕されても懲りなかった性格」
というべきでしょう。
101 :
:2000/10/05(木) 00:24
102 :
:2000/10/05(木) 00:25
103 :
:2000/10/05(木) 00:26
104 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 00:27
「刑獄の因縁」 7.桐山氏は善良な市民だったのか
<転載>
二度の逮捕歴は、偽ビール事件と桐山氏との関係を知る上で、重要です。
偽ビール事件の前に二度の逮捕歴があることで、偽ビール事件の流れはまったく
違ったものに見えてきます。
偽ビール事件での桐山氏の立場は、その前に二度の逮捕歴があるかないかで、ず
いぶん違ったものになります。
それは、桐山氏が犯罪に巻き込まれた善良な市民であったかどうかという点です。
桐山氏の弁舌では、「善良な市民」の桐山氏が、犯罪者たちに手玉にとられて、巻
き込まれたのが偽ビール事件でした。
偽ビール事件だけなら、桐山氏のいうように、事件に巻き込まれた、という言い
訳も成り立つかもしれません。
しかし、「善良な市民」であったはずの桐山氏が、実はその前年に二度も逮捕され
ていたというのです。
酒税法違反の前に、二度逮捕されていた、という事実は、偽ビール事件が偶発的
に起きて桐山氏が巻き込まれたものではないことを示しています。
二度逮捕されて、ほとぼりも冷めない次の年に、大々的に密造酒を作るのは、ど
う見ても「善良な市民」ではありません。
こんなことをするのは、犯罪を犯罪とも思わないような性格なのか、逮捕すらも
勲章だとする特殊な道の人たちだけです。
二度の逮捕という事実は、桐山氏の「善良な市民」という姿を瓦解させています。
二度の逮捕という事実からは、偽ビール事件は桐山氏と関係なしにおきたのでは
なく、彼の性格の延長にあった、彼が作り出したと考えるべきでしょう。
犯罪者に手玉にとられ、巻き込まれたのではなく、桐山氏自身が犯罪者的な素質
を十分に持ち合わせ、自ら犯罪に手を染めたと考えるのが妥当です。
105 :
:2000/10/05(木) 00:27
106 :
:2000/10/05(木) 00:28
107 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 00:30
「刑獄の因縁」 8.裁判官の慈悲
<転載>
桐山氏は最初の裁判では「おれは悪くない」と開き直って、自分で弁護士すら雇
わなかったと言います。
これは今日の桐山氏の、都合の悪いことを忘れたり、変えて信じてしまう性格を
見れば、納得できます。
桐山氏は決して自分の非を認めません。
矛盾を追求されると、怒鳴りつけ、相手を威嚇するのが桐山氏の解決方法です。
桐山氏は家族にすら「おれを怒らせるなよ」とすごんでみせると自慢しています。
だが、こんなことは家庭や阿含宗内ならともかく、世間では通用しません。
さすがの桐山氏も裁判官をどなりつける訳にはいきませんでした。
前年に二度も逮捕され、懲りずにまた大がかりな犯罪を繰り返し、裁判でも見え
透いた言い訳を繰り返す人物に、裁判官はどのような判決を下すでしょうか。
裁判官の立場になって考えてみましょう。
逮捕歴、犯罪内容を並べてみると、私文書偽造など、簡単に言ってしまえば、詐
欺的な性格です。
32歳の、まだやり直しのきく青年が二度と犯罪に手を染めずに、まっとうな人生
を送るようにさせるにはどうしたからいいか。
刑務所で臭い飯を食わせ、二度とこんなことをしないように、身体で覚えさせる
しかない、と裁判官は判断したのでしょう。
有罪は、ある意味で裁判官の慈悲だったかもしれません。
あるいは仏の三度目の慈悲だったかもしれません。
だが、その慈悲は堤青年にも、今日の桐山氏にも通用しませんでした。
桐山氏の、一見もっともらしい言い訳も、丁寧に見ていくと、おかしなことがた
くさんあります
108 :
:2000/10/05(木) 00:30
109 :
:2000/10/05(木) 00:30
110 :
:2000/10/05(木) 00:31
111 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 00:54
刑獄の因縁」 9.国選弁護人が悪い?
<転載>
桐山氏は弁護士を雇わなかったことを敗訴の理由の一つとして上げています。
国選弁護人が親身になってくれなかったから有罪になったと述べています。
裁判から有罪が確定するまでの経緯は以下のようになっています。
1954年3月、第一審判決、有罪(懲役一年六ヶ月、罰金五万円)
1954年10月、東京高裁、有罪
1960年5月、上告中、実刑が確定
地方裁判所で有罪になり、高等裁判所に上告して有罪になり、最高裁判所に上告
して、訴えが棄却されて、最初の判決どおりの実刑が確定したのでしょう。
桐山氏は一審で有罪になったのに驚いて初めて弁護士を雇いました。
それでも判決をくつがえせなかったのは、桐山氏によれば、
「一審を二審でくつがえすというのは至難である」
桐山氏が無実であれば、くつがえすことは不可能ではありません。
逆転判決は特に珍しいことではありません。
くつがえせなかったのは、一審の判断が正しかったから、二審どころか、3番目
の最高裁も支持したのです。
最高裁が棄却したのは、審議するに値しないくらい、犯罪行為が明瞭であり、判
決も妥当なものだと判断したからです。
少なくとも3人の裁判官が、桐山氏を有罪であり、懲役一年六ヶ月、罰金五万円
が妥当であると判断したことになります。
一審から弁護士を雇おうが雇うまいが、結果は同じだったのです。
桐山氏が主犯格とみなされなかったのは、国選弁護人が仕事をした証拠です。
国選弁護人が桐山氏の弁護に親身にならなかったのではなく、犯罪行為があまり
に明瞭で、有罪の者を無罪であるなどと虚偽の主張をしなかっただけです。
国選弁護人も、その場限りの開き直りの詭弁を並べる桐山氏を目の前にしたら、
「裁判官に通用するかどうか言ってみろ」と内心思っていたのでしょう。
つまり、3人の裁判官と1人の弁護士が見ても、桐山氏は有罪だったのです。
112 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 00:56
「刑獄の因縁」 10.心証が悪かった?
<転載>
桐山氏の雇った弁護士は、一審の書類を調べ、
「すごく心証が悪いですねえ」
と述べたと桐山氏は書いています。
裁判官が何か気分が悪くて感情的に桐山氏を有罪にしたような書き方です。
桐山氏は、事件そのものに対する心証が悪いと解釈しているようです。
自分はそのとばっちりを受けたと言いたいようです。
判決は、犯罪そのものの重さではなく、心証が悪いという感情的なものであると
主張したいのでしょう。
桐山氏によれば、この裁判官は、心証だけで判決を下すような、裁判官としては
不適格な人物だったことになります。
絶対に自分の非を認めない桐山氏には、自分の弁舌を受け入れない裁判官のほう
こそがおかしいのです。
桐山氏の理屈が正しいなら、一審から最高裁まで3人もの裁判官は全員が心証と
いう感情だけで判決や判断を下したことになります。
雇われた弁護士すらも、心証が悪いと強調したということは、いかに桐山氏が裁
判で開き直りを言い、周囲をあきれさせていたかを示しています。
今日、まだ判決は不当だったと言っているのですから、当時はもっとすごかった
のでしょう。
逮捕歴が二度もあるのに、懲りずに、また犯罪に手を染め、何の反省もなく、詭
弁で開き直りを言い張る人物に、裁判官でなくても心証が悪いのは当たり前です。
しかし、3人の裁判官は御気分で有罪にしたのではなく、桐山氏のやったことが
実刑に値する犯罪だから、有罪にしたのです。
113 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 00:56
「刑獄の因縁」 11.「実刑は不当」=「無実」?
<転載>
「どうころんでも執行猶予がつくケースだ」
と桐山氏の雇った弁護士が言ったと書いています。
執行猶予がつこうがつくまいが、有罪は有罪です。
桐山氏が無実だと思ったなら、こんな発言はしません。
問題は、桐山氏のなしたことが有罪なのか無罪なのかです。
刑務所に入ったか、執行猶予がついたかではありません。
弁護士が見ても、桐山氏は無実ではなかったのです。
金で雇われた弁護士すらも、有罪だと言ったのです。
桐山氏の巧みな言い訳に惑わされないためには、
◎桐山氏は無罪か有罪か。
◎実刑は不当に重い刑罰であったか。
の二点に分けて考えるべきです。
桐山氏は実刑が不当なものである点を強調することで、あたかも犯罪そのものが
大したことがないような印象を与えようとします。
さらにはまるで冤罪であるかのような印象を与えようとします。
桐山氏のさわやかな弁舌に、すり替えに気づく人は少なく、信者の多くは彼の詭
弁を信じます。
なぜなら、書いている桐山氏本人が自分の言い訳を一番信じているからです。
自分が作った妄想をしゃべり、書いているうちに、桐山氏が一番酔って信じてし
まうのです。
実刑が不当に重い刑であると強調して、犯罪の焦点をずらし、あたかも無実であ
り、冤罪であるかのように、巧みにすり替えるのが、桐山氏の論法です。
114 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:02
「刑獄の因縁」 12.軽犯罪程度か
<転載>
桐山氏は「酒税法違反なんて軽犯罪のようなものだ」と言ったことがあります。
自宅でドブロクを作って飲んでいたというのなら、軽犯罪程度です。
桐山氏は、4月から醤油工場を借りて、密造酒のプロと酒を造りました。
3万枚のキリンビールの偽ラベルを印刷していました。
販売した偽ビールは、わかっているだけで「2ダース入り2百箱」、つまり約5千
本です。
この年の6月には偽ビールが新聞沙汰になっています。
発覚する8月まで少なくとも2ヶ月に渡って販売していたことになります。
どこをどう見ても、計画的な密造酒の醸造と販売です。
桐山氏の本によれば、偽ビールの販売を知らされたのは、事件が発覚する2日前
だったといいます。
事件が発覚する2ヶ月も前に偽ビールが新聞沙汰になっているのに、「これまでは
ある程度主導権をにぎっていた」桐山氏が、3万枚のラベルを偽造し、5千本の
ビールが販売されたことにまったく気が付かなかったなどありえるでしょうか。
計画的な大量の密造酒の製造と販売はドブロクと同程度の軽犯罪ではありません。
これはれっきとした犯罪です。
桐山氏に実刑が科されようが、執行猶予が付こうが、有罪であったという点こそ
がもっとも重要なのです。
115 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:05
「刑獄の因縁」 13.主犯のS氏にだまされた?
<転載>
桐山氏は、主犯格のS氏を見て、小説のネタにしたかったと言います。
作家的な興味から、S氏とつきあっていたというのです。
S氏とその仲間は前から密造酒を作っていた人たちです。
彼らが密造酒のプロであることを桐山氏は知っていたと書いています。
それまで密造酒を作っていたプロが、突然、心を入れ替えて、合法的に作ると桐
山氏は本気で信じていたのでしょうか。
密造酒は売らなくても、醸造しただけで犯罪です。
作家的興味だけで、こんなに簡単に犯罪に手を染めたりするものでしょうか。
偽ビールの販売をS氏から聞かされても、呆然とするだけで、手も足もでなかっ
たと桐山氏は述べています。
何かあるとすぐに人をどなりつける今日の桐山氏の性格からは考えられません。
大きな資本を投資しているにもかかわらず、約五千本もの偽ビールを販売したの
も、すべてS氏であり、桐山氏はまったく知らなかったというのです。
三十すきだ桐山氏のこの言い分が裁判官に通用するはずはありません。
すべてS氏のせいにして子供じみた理屈を堂々と唱える桐山氏を見たら、裁判官
でなくても心証が悪くなります。
桐山氏のS氏への責任転嫁はこの程度では済みませんでした。
116 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:09
「刑獄の因縁」 14.S氏は悪魔的な性格?
<転載>
桐山氏は「現世成仏」で、S氏を「悪魔的な性格」と生来の犯罪者のように述べ
て、いかに自分がこの男に魅入られ、巻き込まれたかを描いています。
S氏を悪魔的な性格に描くのに桐山氏の文筆能力がいかんなく発揮されました。
自分が犠牲者だという書き方です。
S氏は反論できないのですから、どうにでも悪く描けます。
S氏に全責任を押しつけようとしたのです。
S氏は、桐山氏がおだてに乗りやすく、自分くらい頭がいい者はいないと信じて
おり、思いこみが激しいことを見抜いて、適当にあしらっていたのでしょう。
桐山氏は、自分ほどの者を手玉にとったのだから、悪魔的だと思ったのでしょう。
桐山氏の性格は、悪魔的でなくても、見抜けます。
桐山氏は、S氏と仲間が口裏を合わせて、自分に罪をなすりつけたと言います。
桐山氏一人が有罪であったなら、この主張は成り立つでしょう。
S氏は3年の実刑ですから、彼が主犯だと裁判官はみなしたのです。
S氏がなすりつけたかどうかはともかく、判決に影響はありませんでした。
桐山氏が言うように、彼一人が罪をひっかぶったのではありません。
桐山氏は、S氏が時効まで逃亡したことを出して、いかに悪人であるかを強調し
ています。
S氏が悪人であるからといって、桐山氏の犯罪行為が消えてなくなるわけであり
ません。
S氏が悪人であることと、桐山氏の犯罪行為とは別な問題です。
S氏に大悪人というラベルを貼り、桐山氏は彼の犠牲者であるという印象を与え、
自分の犯罪行為を矮小化しようとしたのです。
自分の犯罪を隠したいとはいえ、反論のできない人を悪魔的であるなどと、宗教
家がよくここまで人を悪し様に描けたものです。
ここには、桐山氏の、自分を浮かび上がらせるためなら、他人を足で蹴りつけて
も何ともない性格がよく現れています。
117 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:18
刑獄の因縁」 15.インスタント酒?
<転載>
桐山氏は、当時、つぶれかかった醸造所を買い入れ、合成酒を販売するつもりだ
ったと言います。
「インスタント食品の走り」と桐山氏は描写しています。
このような事が当時成り立ったのでしょうか。
インスタント食品とインスタント酒では、話はまったく違います。
今日でも日本では、酒類の製造、販売には強い規制があります。
戦後の混乱期には、なおさら税務署が目を光らせていました。
醸造所を勝手に売買しても、許可を取り消されれば、何にも作れないのです。
合成酒を作っても、許可がとれなければ販売はできません。
許可がとれなければそれまでの投資はすべて無駄です。
醸造所を買い、内容不明の合成酒を売れるなら、みんなやっていたはずです。
今だって、醸造所が無許可の酒を造れば、即刻、免許が取り消されます。
酒造メーカーは酒類によって許可を別にとらなければなりません。
通常、新しく酒類を醸造するには税務署から本免許の前に内免許を取ります。
その際、設備や人員など厳しくチェックされます。
密造に携わったような人たちがいれば、まず許可はおりません。
酒は内容が厳しく問われます。
正体不明のインスタント酒に許可が下りる可能性は極めて低かったでしょう。
桐山氏は、休眠中の宗教法人の売買を見て、宗教では何をやっても自由だから、
醸造所も何を作ってもいいだろうと、後で勝手な言い訳を思いついたのでしょう。
インスタント酒はインスタント食品ではなく、酒です。
密造酒をインスタント食品と置き換えて、あたかも大した事がないようにみせか
けようとしたのでしょう。
言葉をすり替えて中身をごまかす桐山氏お得意の手口です。
118 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:20
「刑獄の因縁」 16.醸造所を買い入れるつもりだった
<転載>
醸造してから許可をとるつもりだった、などとは今でも税務署には通用しません。
店で商品をポケットに入れてから、レジで金を払うつもりだったと弁解するよう
なものです。
戦後、密造酒が作られ、問題になっていたことを桐山氏が知らなかったはずはあ
りません。
正式に合成酒を作ろうというのなら、いくらでも調べられたはずです。
当時の税務署に相談に行けば、桐山氏の言う、醸造所を買収してインスタント酒
を作るなど、ほとんど不可能であることがわかったはずです。
インスタント食品の走り、醸造所の買い取りなど、一見、もっともらしい言い訳
に聞こえますが、いずれも当時も今も成り立つ事ではありません。
S氏が偽ビールとして売ってしまったから失敗したような言い訳をしています。
S氏が売らなくても、桐山合成酒が正式のルートで売れたはずがないのです。
桐山氏の「醸造所を買い入れ、インスタント酒を正式に売ろうとしていた」とい
う言い訳は成り立ちません。
桐山氏は最初から密造酒で一儲けしようとしたのです。
皆がやっていることだからとばかりにお気軽に始めたのでしょう。
当時、闇商売で大儲けして借金を返し終えた桐山氏は、密造酒も他の連中よりは
うまく儲けてやると、「新規事業」に自信たっぷりだったのでしょう。
密造酒をインスタント食品などと名前を付けて、犯罪内容をごまかしてしまうや
り方は、桐山氏の作った宗教にも随所に見られます。
密造酒も宗教も、製造方法は桐山氏にとっては大差ないのです。
119 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:22
「刑獄の因縁」 17.一罰百戒の犠牲者か
<転載>
別な密造酒事件で死者や失明者が出たことが判決に影響したと桐山氏は言います。
自分たちは軽犯罪程度だったが、他の事件の影響で、一罰百戒の見せしめにされ
た犠牲者なのだというのです。
桐山氏は1954年の判決に不服として、上告しています。
最高裁が棄却して、刑が確定したのは1960年です。
1954年の判決が、別な密造酒事件の影響を受けた可能性はあるかもしれません。
だが、6年たっても、最高裁の裁判官が別件の密造酒事件を記憶していて、一罰
百戒のみせしめの判断をしたとは考えられません。
なぜなら、棄却され有罪が確定した6年前の事件など、新聞ネタにすらならず、
何ら見せしめ効果はないからです。
最初の判決が6年後も支持されました。
最高裁では審議するに値しないとみなされるくらい明瞭な犯罪でした。
他の裁判官が、6年後に客観的に判断しても、最初の判決は妥当だったのです。
つまり、一審の裁判官も、他の密造酒事件の影響ではなく、純粋に、桐山氏本人
がなした犯罪に対して、実刑を科したのです。
他の密造酒の影響など、これもまた桐山氏の言い逃れにすぎません。
使える物は何でも使って、自分の犯罪行為を隠蔽し、矮小化し、焦点をずらすと
いう桐山氏の文筆の才を示す例です。
120 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:22
「刑獄の因縁」 18.宗教団体を作る必要はない
<転載>
桐山氏は1953(昭和28)年に逮捕され、翌年には観音慈恵会を設立しています。
桐山氏によれば、自分の犯罪を悔い、因縁解脱の道を歩むことが目的だったとい
います。
一見、もっともらしく、しかも立派な弁です。
だが、ここにも桐山氏の詭弁が隠されています。
「宗教に救いを求めること」と「宗教団体を作ること」とは違います。
自分の罪深さに目覚め、宗教に救いを求めるのに、宗教団体を作る必要はありま
せん。
自分を罪深い存在だと心底思うことから出発するなら、いきなり宗教団体を組織
したりするでしょうか。
宗教団体を作るとは、他人を指導ことです。
自分でもどうしたらいいかわからないような状態の桐山氏が、自分を変えるため
と称して、他人の指導をいきなり始めるなど、理屈になっていません。
多額の借金を抱えた人が金持ちになる方法を他人に教えているようなものです。
因縁切りが桐山氏の自己申告どおりの目的なら、教祖などにならずに、まずは師
匠を求めるべきでしょう。
桐山氏は、あちこちの門をたたいたが、これぞと思う師匠に巡り会えなかったと
述べています。
桐山氏のように、自分ばかり賢いと思いこんでいる人では、どの師匠も役不足に
見えたのは当然の結果でしょう。
それほどオメガネの高い桐山氏が生涯唯一師匠として選んだ相手は、北野恵宝氏
でした。
北野氏は、後に、あの桐山氏すらも照真秘流というエサでだました、猛者です。
両者は、まさに因が縁を呼ぶような、極めて類似点の多い師匠と弟子でした。
121 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:23
「刑獄の因縁」 19.宗教は転職先の天職
<転載>
1954(昭和29)年3月に第一審判決が下り、5月に一時収監され、上告します。
観音慈恵会を設立したのは、その数ヶ月後の8月〜9月です。
罪深い自分をなんとかしたい、因縁を切りたいとほんとうに思っているのなら、
その方法を求めて、少なくとも何年間か宗教遍歴をするのではありませんか。
その間に自然に信者が集まり、宗教団体が作られたのならわかります。
ところが、判決がおりるとわずか数ヶ月でさっさと宗教団体を作り、教祖に納ま
ってしまったのです。
桐山氏は「宗教に救いを求めること」と「宗教団体を作ること」を巧みにすり替
えています。
多くの信者はこのすり替えに気が付きません。
宗教に救いを求めたという格好のいい桐山氏の弁明に惑わされます。
偽ビールにキリンビールの偽ラベルを貼ったのと同じ手法です。
実態は、宗教団体を作って、教祖になって逃げ込んだにすぎません。
桐山氏は人助けと称して占いで生計を立てていました。
桐山氏の言うように、餓死するならそれでもいいという悲壮な決意をしたのなら、
どうして占いなどしたのでしょうか。
仏教徒として信仰するのなら、釈尊が禁止した占いなどすべきではありません。
桐山氏の言葉どおり、托鉢によって生活すればよかったのです。
占いで信者を獲得するという、今日の阿含宗でやっているそのままのことを、桐
山氏は最初からやっていました。
宗教に救いを求めたなどというきれいな話よりも、事実を見る限り、宗教で一旗
揚げようとしたことは明瞭です。
前科を持ち、世間では通用しそうもないから、占いや宗教という警察官や裁判官
のいない世界に「転職」をはかったとみるべきでしょう。
口がうまく、マスクもよく、インテリの雰囲気を漂わせ、ハッタリの得意な桐山
氏には、今日の結果をみても、この転職先は天職でした。
122 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:23
「刑獄の因縁」 20.偽ビール事件の顛末
<転載>
桐山氏の偽ビール事件は次のようにまとめられます。
桐山氏は、犯罪に巻き込まれた善良な市民のような言い訳をしているが、それは
成り立たない。
なぜなら、桐山氏の詐欺的な面は偽ビール事件が最初ではない。
前年に二度も詐欺系の事件で逮捕されても、桐山氏は反省することがなかった。
偽ビール事件は桐山氏の性格の延長にあり、自ら計画した犯罪である。
当時、密造酒が金になることを、嗅覚の鋭い桐山氏は知っていた。
桐山氏は合成ビールを密造し、ひと儲けすることをたくらんだ。
犯罪であることは百も承知だから、S氏など、密造酒のプロと組んだ。
桐山氏は、頭の良い自分のやり方であれば、ばれる心配はないと確信していた。
桐山氏はいつもの自己能力過信で、グループの主導権を握ったつもりだった。
実際にはS氏のほうが一枚上手で、手玉にとられて事件が発覚した。
桐山氏は、前年の二度の逮捕では、自分の弁舌で釈放されたものと信じていたか
ら、同様に、裁判も簡単に言い逃れができると確信していた。
並の弁護士よりも、頭のよい自分のほうがよほどうまく弁護できると自信満々だ
ったので、弁護士など必要がないとばかりに、自分では雇わなかった
桐山氏は何の反省の色もなく、醸造所の買収やインスタント酒など、桐山氏が今
でもやっている詭弁で言い逃れをしようとしたので、裁判官の心証が悪かった。
裁判官は、桐山氏は前年二度も逮捕されるような詐欺的な性格であること、密造
酒が計画的で、彼が最初から深く関わっていることから、有罪とした。
判決は犯罪内容に対する客観的なもので、実刑が不当なものでないことは、二審、
最高裁での棄却が示している。
桐山氏は、その性格の常として、事件のすべてをS氏などに徹底した責任転嫁を
して、自分は犠牲者だという妄想を作り上げ、本人が一番信じた。
前科をもった身では世間では通用しないという理由をつけて、客観的な批判を受
けることがなく、ごまかしの効く宗教に新たな活路を探した。
123 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:24
「刑獄の因縁」 21.犯罪に現れた詐欺的性格
<転載>
桐山氏の犯罪歴をよく見ると、一つの共通項があるのがわかります。
詐欺、契約違反、手形詐欺、酒税法違反、私文書偽造
これらはすべて詐欺的行為です。
偽物を本物といい、人をだましてもさしたる罪悪感もなく詐欺的行為をなす
「詐欺的性格」
は桐山氏の性格を表すキーワードの一つです。
後々、桐山氏が作り上げた宗教でも脈々と生きている重要な性格です。
前科のみを強調すると、この重要な性格が見えなくなってしまいます。
前科は桐山氏のこの重要な性格が現れた一例にすぎません。
ここであえて「詐欺師的性格」と言わないのは、詐欺師は最初から人をだますこ
とを目的としているからです。
しかし、桐山氏の場合、他人をだましているという意識はありません。
自己弁護が強すぎて、自分がなしたことを省みることもないから、だましている
という意識がないのです。
「1999年七の月」の件のように、詭弁を弄して自分を正当化してしまいますから、
桐山氏は人をだましているつもりも、罪悪感もありません。
そこでここでは、詐欺的性格と呼ぶことにします。
ただし、本人が人をだまそうという意識があろうがなかろうが、結果的に人をだ
ましていますから、詐欺師と呼ばれて当然です。
124 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:25
「刑獄の因縁」 22.すべて他人が悪い
<転載>
犯行に対する桐山氏の言い訳をもう一度並べてみましょう。
密造酒ではなくインスタント酒だった。
主犯格のS氏の悪魔的な性格。
別の密造酒事件のとばっちり。
国選弁護人の怠慢。
裁判官の不当な判決。
高等裁、最高裁の裁判官の判断ミス。
個々の言い訳は、よく見ると、一つの共通点があります。
別々のことを言っているようでありながら、実は一つのことしか言っていません。
●自分は悪くない。悪いのは他人であり、他の要因だ。
この考えは、徹頭徹尾、桐山氏の人生を支配する大原則です。
今日に至るまで桐山氏の重要な人生哲学の一つです。
絶対に自己責任を認めず、他人のせいにするのが桐山氏の一大特徴です。
すべての悪い事の原因を自分以外のものにもっていくのは、桐山氏が若い頃から
今日に至るまで連綿とやってきたことです。
血の涙、自殺未遂など、一見反省をしているのようでありながら、桐山氏の述べ
ていることは、結局、「自分には責任はない」と言っているのです。
自分の心を観察し、自分と向き合うことを教えた釈尊とは、百八十度も違う態度
です。
仏教は懺悔、つまり自己反省から入ると信者に説教している桐山氏が一番やって
いません。
桐山氏はあるがままの自分を絶対に見ようとせず、自分を直視することを避ける
ために、ありとあらゆる言い訳と手段を用いたのです。
彼はこの責任転嫁の手法を宗教に持ち込むことで、大きな成功を得ました。
125 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:26
「刑獄の因縁」 23.因縁への責任転嫁
<転載>
桐山氏は責任転嫁の大原則を使って、宗教を作りました。
それが桐山氏の因縁論です。
桐山氏は、密造酒を造り、有罪になり、服役することになったのは
「刑獄の因縁のなせる業(わざ)」
であると書いています。
この一文には見事なまでに桐山氏の責任転嫁の成果が凝縮されています。
自分がなした犯罪を因縁の一言で片づけています。
因縁などではありません。
因縁がやったことではなく、桐山氏がやった犯罪に対して三度逮捕されたのです。
密造酒を作ったのは桐山氏であって、因縁ではありません。
因縁という何か不可抗力な力に支配されたような言い逃れをしています。
因縁という仏教用語を使えば、桐山氏の犯罪は、仏教でも説かれている不可思議
な力によって操られたかのような印象を与えることができます。
もちろん、釈尊の説いた因縁とはまるで違う使い方です。
最初から最後まで、桐山氏本人がやったことに対して罰せられたのです。
因縁があったから、犯罪人になったのではありません。
犯罪人になったことを、因縁のせいにしただけです。
桐山氏は、自分の人生の言い訳を因縁と置き換えて宗教を作りあげました。
126 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:26
「刑獄の因縁」 24.先祖の因縁が悪い?
<転載>
桐山氏によれば、因縁は先祖の因縁と前世の因縁の2種類から成り立っています。
しかも、運命を決定づけているのは、大半が先祖の因縁だというのです。
多い人は運命の7〜8割を先祖の因縁に支配されていると強調しました。
釈尊が説いたことのない悪因縁で人々を脅かすのは、桐山氏の阿含宗だけではな
く、新興宗教では珍しいことではありません。
釈尊は先祖の因縁、刑獄の因縁などの悪因縁を説いたことは一度もありません。
因縁をこのような意味に用いるのは、新興宗教の教祖たちの独特の使い方です。
だが、先祖の因縁を桐山氏ほど強調した教祖も少ないでしょう。
どうして桐山氏はこれほど先祖の因縁を強調したかったのでしょうか。
信者たちは、桐山氏が霊能力で悟った根拠があると信じています。
桐山氏の、自分の犯罪を何とかひとのせいにしたい、という最も根本的な欲求を
考えれば、先祖の因縁を強調するのは当然のことです。
桐山氏の刑獄の因縁は、現在の自分はもちろんのこと、前世すら原因ではなく、
先祖が作った因縁こそが原因だと、責任逃れをしたかったのです。
「おれは悪くない。先祖が作った因縁によって、おれは犯罪者になったのだ」
というのが、桐山氏のもっとも主張したい点です。
この子供じみた責任放棄の心癖から作られたのが、桐山氏の因縁論です。
桐山氏は、仏教用語を本来の意味とはずらして用い、さももっともらしい教学を
作ったため、多くの人たちは彼のこの本音には気づきませんでした。
今でも多くの信者は気が付いていません。
127 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:27
刑獄の因縁」 25.刑獄の因縁に若い頃気がついていたのか
<転載>
桐山氏は若い頃、運命学から刑獄の因縁に気が付いていたと言います。
「最初から刑獄の因縁のあることは知っていた、だが、自分が犯罪などするはず
がないと、軽く見た」と述べています。
知っていて、密造酒に手を出すのはいくらなんでもおかしくありませんか。
密造酒造りが犯罪であることくらい、三十すぎの頭のいい桐山氏が知らなかった
はずはありません。
ほんとうに刑獄の因縁を自覚していたら、明らかな犯罪に自分から手を染めるな
どということがありえるでしょうか。
「自分が犯罪などするはずがない」と言いながら、自分から犯罪をしたのです。
若い頃から気が付いていたという言い訳は、宗教を立て、因縁話を作る過程で思
いついた物語にすぎないのでしょう。
桐山氏は後になってから、壮大な自己弁護を作るのが得意です。
暴露された前科を本に書くとき、最初から刑獄の因縁を知っていたような話を作
り上げて、本人もそれを信じ込んだのでしょう。
刑獄の因縁に最初から気が付いていたが、頭のよい自分でさえも、因縁があると
このように巻き込まれてしまうのだと言えば、物語は様になります。
桐山氏の言う因縁霊視は今日に至るまで彼しかできないのですから、刑獄の因縁
を後になって付けることくらい朝飯前です。
桐山氏が宗教を始めた当初から刑獄の因縁のあることを公開していたのなら、若
い頃からこの因縁に気が付いていたという主張もいいでしょう。
だが、暴露されるまで信者には刑獄の因縁があるなどと一言も述べていないどこ
ろか、明らかに前科を隠そうとした証拠すら残っています。
128 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:27
「刑獄の因縁」 26.必要のない嘘まで膨らませる
<転載>
桐山氏は前科があることを信者に話していたと述べています。
しかし、1960(昭和35)年、刑が確定して、収監される前に、桐山氏は機関誌に「行
に立つの記」と題して、
「このたび、御本尊準胝観世音大菩薩の御霊示を蒙り・・」
と述べて、山にこもって修行すると述べています。
刑期を終えると、機関誌に次のように書いています。
「・・老師家をお訪ねしました。口をそろえて、『法器である』『宝器だ・・・』
と過褒のお言葉を頂いたことは・・・」
刑務所に入るのを恥じて、山に籠もると嘘の言い訳をしたことは責められません。
人間ですから、最小限の嘘はしかたないでしょう。
だが、心底恥じて、血の涙を流し、自殺まで図った宗教家が、ここまでの無用な
嘘を書くでしょうか。
「御本尊から御霊示」「過褒のお言葉」などなんら必要な嘘ではありません。
「山に籠もる」という一つの嘘で十分なはずです。
桐山氏はこのような嘘をつくためにも堂々と仏の名前を利用しています。
必要もないのに仏の名前まで持ち出すところに、桐山氏の信仰心がどうであるか
をよく示しています。
本尊の御霊示や老師まで作り出し、壮大な嘘を言い訳に使っているという点に、
桐山氏の性格がよく現れています。
桐山氏がよく使う「仏様からの御霊示」が何であるかをよく示した例です。
仏様からの御霊示と言われてしまえば、誰も何も言えません。
桐山氏にとって、仏とは実に便利な「道具」です。
普通の人なら嘘は最小限にするところを、桐山氏は逆に力任せに嘘を膨らませて
壮大な物語を作り上げてしまう虚言癖とも言える性格であるのがわかります。
この性格と才能は、後に阿含宗を作る上で大いに役立ちました。
教団の正式な会報に残っているこれらの嘘の言い訳は、一般信者の多くが長年、
桐山氏の刑獄の因縁については何も知らなかったという証拠です。
129 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:28
「刑獄の因縁」 27.暴露された前科
<転載>
桐山氏の後の言い訳と違い、前科は長い間、信者には知られていませんでした。
前科を最初に暴露したのは、1975年、桐山氏が師事した北野恵宝氏の一派です。
桐山氏が、自分には刑獄の因縁があった、と言い出すのはこの後です。
1975年に北野氏側が前科を暴露したのは、信者の多くが知らなかったからです。
信者たちが皆知っていたなら、北野氏一派にとって意味のない宣伝でした。
信者たちにとって初耳だったからこそ、攻撃として効果があったのです。
阿含宗立宗が1978年ですから、わずか数年前まで、実に15年間、桐山氏は自分
の前科を信者たちに隠していたのです。
1976年、毎日新聞の「宗教を現代に問う」の中で、続いて1978年、「宝石」で
前科をマスコミが取り上げ、世間に知られることになります。
すると、昔から信者に語っていたかのように、自分の刑獄の因縁の話を始めます。
阿含宗の前身の観音慈恵会では因縁切りは大黒柱でした。
因縁切りを説くなら、自分の因縁を公開し、どれだけ切れているかを示すべきで
す。
刑獄の因縁こそが宗教を求めたきっかけであり、今日、信者を指導するための「座
右宝鑑」に取り上げる程なのだから、最初から示すべきでした。
しかし、暴露されるまで、桐山氏はガンの因縁と強い中途挫折の因縁だけで、刑
獄の因縁があることを述べたことはありませんでした。
1973年の「密教占星術T」には因縁が紹介され、刑獄の因縁の説明もあります。
しかし、桐山氏の刑獄の因縁については一言も触れられていません。
刑獄の因縁だけは、公開したのは他人に暴露されてからです。
凡人なら前科を隠すのは当然としても、宗教家として刑獄の因縁や因縁解脱を説
きながら、自分に都合の悪い刑獄の因縁はひた隠しにしていたのです。
130 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:28
「刑獄の因縁」 28.前科と刑獄の因縁の両方を隠した
<転載>
桐山氏は前科を悔いて自殺まで図ったと述べています。
前科がわかる前は、病気や仕事を苦にして自殺を図った話になっています。
ここで注意すべきは、血の涙も自殺も、桐山氏しか知らないという点です。
刑獄の因縁を若いころから知っていたという話同様に、誰もそれを確認することが
できないことですから、何とでもいえます。
刑務所に入ったときの言い訳をみてもわかるにように、あとで作った桐山氏の言い
訳は信用ができません。
自殺の原因が、病気や仕事の失敗から、いつのまにか前科になっているのは、
作家・桐山氏の作った物語であることを証明しています。
この人の物語は時間とともに変化し、増長するから、あてになりません。
桐山氏が信者に前科を隠したことだけが問題なのではありません。
前科を隠すことと刑獄の因縁を隠すことは、宗教的には別なことです。
宗教家として刑獄の因縁を説きながら、自らの刑獄の因縁を隠していたことは宗教
的重罪です。
因縁を売り物にし、後には、刑獄の因縁を三大悪因縁の一つにまで数えて、人々を
脅かし、教団の拡大に利用したのです。
血の涙とか、自殺とか、それほどの慚愧心のある宗教家が、どうしてこのような信
者に対する二重の裏切り行為ができたのでしょうか。
こうした流れをみれば、明らかに、桐山氏はバレなければ前科も刑獄の因縁も隠し
通すつもりでした。
人々をさんざん悪因縁で脅迫しておきながら、都合の悪い自分の因縁は口をぬぐう
つもりでいたのです。
ここには宗教家・桐山氏の良心、宗教心がどのようなものか如実に現れています。
予知能力があるという桐山氏の予想に反して、15年目に暴露されてしまいました。
しかし、転んでもたタダでは起きないのが桐山氏です。
逆風を利用して、新しい物語を作り始めます。
131 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:29
「刑獄の因縁」 29.そして霊障物語が始まった
<転載>
桐山氏は前科がばれてしまうと、今度は、それを逆手にとって、霊障話へと妄想
を発展させていきました。
1978年に「宝石」で前科が報じられると、例祭法話で、続いて1981年の「1999
年カルマと霊障からの脱出」で、自分の前科を逆手にとって、霊障の怖さを宣伝
し始めます。
1980年以降、霊障こそが悪因縁の元であると主張し始めます。
他の新興宗教では珍しくもない霊障ですが、桐山氏はそれまで説いたことがあり
ませんでした。
桐山氏は自分に霊視能力が備わったからだと述べています。
2年前に阿含宗を立宗したので、阿含経と霊視能力をくっつけ、一石二鳥を狙っ
たつもりでした。
霊障話が突然出てくるのが、前科が世間に知られた時期と一致するのは偶然では
ありません。
前科を正当化するための言い訳を構築する必要に迫られていました。
桐山氏は転んでもタダでは起きません。
逆転の発想で、前科がばれると、壮大な霊障物語によって、自分のカモフラージ
ュに留まらず、阿含宗に新たなセールスポイントを付け加えたのです。
霊障物語によって、前科は先祖の因縁だけでなく、大元は霊障によって作られた
のだと、言い訳に「奥行き」を持たせました。
作家として、詐欺師としての真骨頂です。
だが、桐山氏の主張を聞くときに忘れてはならないのは、因縁も霊障も、桐山氏
以外には誰も何一つ確認のできない内容だという点です。
132 :
桐山氏の前科とその背景 :2000/10/05(木) 01:30
「刑獄の因縁」 30.霊障話が教団を発展させた
<転載>
桐山氏の前科は、幕末に祖父が斬り殺した勤王派の武士たちの霊障、つまり祟り
によるものだと言います。
前科は桐山氏がなしたことではなく、祖父の作った怨念によって、何の罪もない
子孫が苦しんだのだという話にすり替えられました。
桐山氏のすごい点は、前科の言い訳に終わらせず、霊障の不成仏霊などというお
どろおどろしい新しい世界まで創作したことです。
霊的な世界は桐山氏にしか見えないのですから、完全な独り舞台です。
どんないい加減なことを言っても、誰も文句が言えません。
宗教の世界こそは裁判官も警察官もいない桐山氏に最も適した世界です。
桐山氏は霊障物語のヒーローになったのです。
桐山氏の責任転嫁の霊障物語は阿含宗を飛躍的に発展させます。
「守護霊を持て」などの一連の著作が爆発的に売れ、各地で行われた布教のため
の映画会などにたくさんの人が訪れました。
桐山氏は、守護霊というアメと霊障というムチを手に、信者の数を増やすことに
成功しました。
守護霊も霊障もすべて桐山氏の手の中にあるもので、誰一人確認も批判もできな
いのですから、完全な独占権を得たのです。
前科の目くらましに使えただけでなく、教団の拡大をもたらしたのです。
前科の暴露という攻撃を逆手にとって、かえって教団を大きくしたという自分の
能力、知能に、これまでにもまして深い自信を持つようになりました。
同時に、世間の連中など、自分の弁舌に簡単にひっかかるくらい愚かなのだと、
桐山氏の重要な性格の一つである他人を侮り、軽く見る心癖も拡大しました。
桐山氏の常として、言い訳に作り出した霊障話や悪因縁話を繰り返し話し、本に
書いているうちに、彼自身が最もよく信じるようになりました。
彼にとって嘘も百回しゃべるうちに本当になってしまうのです。
133 :
桐山氏の著作に隠された秘密 :2000/10/05(木) 01:33
阿含宗という「インチキ」宗教団体について。
阿含経には、人のものを盗むな!(戒律の一つ)と云うのがあります。
次の文は、人のもの(著作・知的所有権)を盗んで、平然としている宗教者の実態です。
それはアーガマからはじまる
むかし、といっても、わたくしたちの学生時代のことですが、「世界の四大聖人」とか、
「四大哲人」という言葉を、よく耳にしたものです。
それは、ソクラテス、イエス・キリスト、ゴータマ・ブッダ、孔子の四人のかたがたですが、おもしろいことには、この四人のかたがたは、そろって、ご自分ではなんにも書きのこしてはおられないのです。ご承知の通り、たとえば、現在われわれがいうとことのソクラテスの言行なるものは、プラトンやクセノフォンなど、その弟子たちが、ソクラテスの死後において書きつづったものです。イエス・キリストの場合もその通りで、やはりイエス・キリストがなくなったのち、その弟子たちが、それぞれの記憶に残るものをつづったのが、いまの四つの『福音書』に編集されているのです。孔子もまた、同じくその弟子たちが語録をまとめ、それが『論語』となって、いま、わたしたちの机上に置かれるというわけです。
仏陀の場合もまたそうで、その御生前にはなに一つ書きとめられたものはなかったので
す。やはり、いま述べた三人の聖者の場合と同じように、なくなられたのち−−それはなくなって間もなくのことですが、その弟子たちが集まって、その師、仏陀が生涯において説かれた教法、ならびに、時にのぞんでさだめられた生活上の規律、つまり教法と戒律とを編集したのです。そして、そのときに編集された教法の集録を、仏教者たちは「アーガマ」(教えの伝承)とよび、以後、仏陀の教団において大切に受け継がれてきたわけです。
桐山靖雄著 阿含密教いま(平河出版社)より
次は、そのオリジナルを掲載します。
わたくしどもが学生時代のころ、わたくしどもはよく世界の四大聖人あるいは四大哲人などということばを聞かされた。それはだれだれであるかというと、まず西のほうからあげれば、ソクラテス、イエス・キリスト、ブッダ、そして孔子。
それらの人々を四大哲人とよぶことがひろくおこなわれておった。突然そのようなことを申すのは他でもない。ソクラテスにしても、イエス・キリストにしても、また孔子にしても、いずれも自分ではなにも書きのこしてはいないのである。
一々もうしあげるまでもないことであるが、たとえば、今日われわれがいうところの
ソクラテスの言行なるものは、プラトンやクセノフォンなど、その弟子たちがソクラテスの死後において綴ったものにほかならない。あるいはまた、イエス・キリスト のそれは、やはりイエス・キリストがなくなったのち、その弟子たちがそれぞれにその思い出を綴ったもが、いまの四つの『福音書』に編集されているのである。
さらにいえば、孔子のそれも、やはりその弟子たちがその語録をまとめたものが『論語』となっているのである。
そして、いまブッダの場合もまたそうであって、その生前にはなにものも纏められたわけではなぁった。やはり、いまでいうところの三人の聖者の場合とおなじように、その亡くなったのち−−それは亡くなってから間もなくのことであるが−−その弟子たちが相あつまって、その師がその生涯において説かれた教法、ならびに、時におよんでさだめた生活の規律、つまり教法と戒律とを編集したのである。それは、いまわたしが事新しく申すことではなくて、昔からちゃんと経典にしるされていることである。そしてそのときに編集された教法の集録がほかでもないこの「阿含経」である。 増谷文雄著 原初経典 阿含経(筑摩書房)より
134 :
密教占星術の嘘 :2000/10/05(木) 01:34
<転載>
「密教占星術奥伝」
夏期伝法会の「密教占星術奥伝」の種本は、ご指摘のとおり、
「九星日盤鑑定要法 初伝」(斉藤擁道、東洋運命学研究会、1978年)です。
桐山氏は、他人の書いた本を、「密教占星術奥伝」とラベルを張り替えて、信者から金をとって、講義というよりは、ただ丸ごと読んだのです。
桐山氏が伝法会で「密教占星術奥伝」の講義を始めたのは、1978か1979年ですから、なんと釈迦の仏教を標傍する阿含宗を立宗した後で、この詐欺的行為をやったことになります。
斉藤氏の本は、当時、神田あたりに出ていて、占いの好きな人なら手に入れていました。
他人の本を丸ごと講義するという、簡単にばれるようなことを、なぜ桐山氏はしたのでしょうか。
たぶん、桐山氏はこれが出版された本だとは知らなかった、あるいは今でも知らなまるでだれかが筆記したノートのように見えます。
おそらく、K書店あたりの古本屋のオヤジが、
斉藤氏の本のコピーをとり、それを桐山氏に高値で売ったのでしょう。
桐山氏は、本のコピーとも知らず、手書きの秘伝だと信じ込んだのです。
桐山氏は本のコピーだと密教占星術で見抜けなかったのでしょうか。
「密教占星術奥伝」の件は、桐山氏の手の内がばれただけでなく、彼の宗教者としての良心がどうであるかを明瞭に示した事例です。
これだけ明瞭な事実でありながら、これを知った時の信者たちの反応は、たいへん興味深いものがありました。
135 :
密教占星術の嘘 :2000/10/05(木) 01:36
「密教占星術奥伝」その2
<転載>
1989年、例祭法話(信者を対象とした桐山氏の話)で、「今度の伝法会で、諸君が布教活動につかえるすばらしい占星術を伝授する」
と桐山氏は発表しました。
すでに伝法会を終了している信者までが金を出して参加しました。
ところが、講義内容は密教占星術奥伝そのものだったのです。
桐山氏は前に自分が伝法会で講義したことをすっかり忘れていたのです。
桐山氏は求聞持聡明法を修行して、 カメラやテープレコーダーのような記憶力をもっていると自称していました。
前の講義から十年もたたないのに、金をとって教えたことを 求聞持聡明法の体得者はすっかりお忘れになっていたようです。
受講生から苦情が出ると、桐山氏は、いつものように、ヒステリックに受講生をどなりつけ、黙らせました。
しかし、桐山氏はこの時、大きなミスをしました。
136 :
密教占星術の嘘 :2000/10/05(木) 01:38
「密教占星術奥伝」その3
<転載>
桐山氏は密教占星術奥伝の講義録の一部をコピーして信者に配ったのです。
それは斉藤氏の本のコピーそのものでした。
桐山氏は、自分の講義が斉藤氏の本からの盗用であることの証拠を自ら配ったのです。
桐山氏は、二つに分けてコピーして、別々の題名をつけて配りました。
その両者を組み合わせないと使えないように分けたのです。
自分は他から盗んできていながら、今度は、それが盗まれないようにと、二つに分けて信者に配ったのです。
1989年に至るまで、桐山氏に対して、だれ一人、密教占星術奥伝が斉藤氏の本の盗用であることを指摘しなかったのです。
もう10年以上たちましたから、桐山氏はまた密教占星術奥伝の講義をするかもしれません。
これだけ、桐山氏が手の内、頭の程度、根性をさらけ出しても、ほとんどの信者は動揺もせず、ついていきます。
桐山氏よりも、信者を見ているほうがよほどおもしろいのです
137 :
密教占星術の嘘 :2000/10/05(木) 01:42
「天命殺」その1
桐山氏は、密教占星術では、運気の悪い時期として、
小天命殺
中天命殺
大天命殺(死期)
があると述べています。
名前からしてわかるように、天命殺は、天中殺を模倣したものです。
名前の模倣や、他人の占いを名前だけ張り替えて、自分のオリジナル
であるかのように公表するのは占いの世界では珍しいことではありません。
占い師に、占いへの道徳、倫理、品性を求めるのは無理でしょう。
しかし、桐山氏は宗教家であり、聖者を自称しているのですから、
占い師と同等ではありません。
桐山氏は、超人的能力の一つとして高い道徳性をあげていました。
占い師がやっているからといって、桐山氏が同じことをやって、
許されることにはなりません。
「天命殺」その2
中天命殺は天中殺そのものです。
阿含宗では、信者の中天命殺がいつであるかを出して下付しています。
天中殺を出すのに、今ならパソコンで簡単にできます。
智慧を説く阿含宗では手作業で出しているらしく、
計算まちがいと思われる中天命殺をもらった人がいました。
まちがっていることを指摘すると、
その信者は「これは仏様から下付されたものだから」とありがたく信じていました。
天中殺(中天命殺)など何の意味もないことは言うまでもありません。
時間の天中殺まで計算すると、人生の半分は天中殺です。
「天命殺」その3
小天命殺は九星を用いています。
元修行者さんが伝法会で聞いた天命殺はこの小天命殺のことです。
9年のうち2年が運気の悪い時期です。
生まれた年とは関係なく、全員が四歳、五歳で最初の小天命殺に入り、
以下、九年ごとに巡ってきます。
生まれた年などまったく関係なしに年齢だけで決まります。
同じ年の人が全員いっせいに運気が悪くなるという点だけでも、
小天命殺などいかに無意味かがわかります。
天命殺、中天命殺は占いとしても意味がありません。
しかし、これを桐山氏側から見ると、大きな意味があります。
「天命殺」その4
小天命殺と中天命殺を合わせると、
12年に最大で6年は運気の悪い時期になります。
これだけ長いと信者を脅かすのにはたいへん効果的です。
4年もあれば、何かおこりますから、「天命殺が当たった」と天命殺を、
またそれを説く桐山氏をさらに信じるようになります。
信者は天命殺を避けるために、お守りやお札を購入します。
信者は「阿含宗を信じていれば天命殺も大事には至らない」と教えられますから、
いよいよ離れることができなくなります。
「信仰しているのにトラブルがおきた」という信者からの訴えにも、
「天命殺だから」とか「信仰しているからその程度で済んだ」 と言い訳に用いることもできます。
このように、天命殺は信者へのアメとムチとして、桐山氏にとっては大きな意義があります。
138 :
因縁透視の嘘 :2000/10/05(木) 01:44
「コンピューターによる因縁透視」その1
<転載>
阿含宗では1983年頃からコンピューターを用いて、
人生全般の占いを「因縁透視」と題してやっていました。
桐山氏が業者に依頼してソフトを作らせました。
料金は最初は一万円くらいで、あとで値下げしました。
後に、ソフトがいかれたらしく、1990年頃、中止になりました。
「因縁透視」の中身は紫微斗数です。
元修行者さんの知り合いが指摘したように、種本は羅洪先の
「紫微斗数鑑法全書」で、和訳も売られています。
コンピューターの因縁透視の説明と、この本に書いてある説明を
比較しましたが、ほぼ丸写しです。
「コンピューターによる因縁透視」その2
両者には一カ所だけ違いがありました。
因縁透視には「霊障あり」(霊的な祟りがあるという意味)が出てきます。
それも、因縁透視が始まった頃は記入されなかったのに、
後になると、「霊障あり」が増えてきます。
因縁透視とはいいながら、中身は「○○の因縁」といった具体的な
脅迫文字がないため、インパクトが弱いのです。
そこで、「霊障あり」を乱発したのでしょう。
「霊障あり」を解決するためとして、一般の人たちには入信(入行)を勧め、
信者には1体10万円の解脱供養を勧めることができます。
139 :
因縁透視の嘘 :2000/10/05(木) 01:45
「コンピューターによる因縁透視」その3
<転載>
紫微斗数は生まれた時間の干支を元にして星を出します。
紫微斗数そのものである因縁透視も生まれた時間が必要です。
日本人で自分が生まれた時間を正確に知っている人は少数です。
因縁透視を申し込んだかなりの数の人は生まれた時間がわかりません。
これでは因縁透視を出すことができません。
では、桐山氏はどうやって、この難問を解決したのでしょうか。
生まれた時間を全部12時にして計算したのです。
紫微斗数は生まれた時間が違えば、出てくる星は違います。
このようなデタラメな解決法は普通の人では思いつきません。
桐山氏は天才です
140 :
因縁診断の嘘 :2000/10/05(木) 01:47
「因縁診断」その1
<転載>
観音慈恵会時代、「お伺い書」で因縁を桐山氏に見てもらうことができました。
元修行者さんの時期には、桐山氏はすでにお伺い書を中止していたと思います。
1988年頃から現在まで、「因縁解脱修行宝鑑」で信者は因縁を教えてもらえます。
タダではもらえません。
一人以上導き(入信させること)がノルマです。
ノルマを達成したら、次に因縁診断士と面接して診断してもらいます。
因縁診断士が報告書を職員に出すと、職員は因縁解脱修行宝鑑の原稿を
ワープロで書き、最後に桐山氏がまちがっていないか確認します。
さて、その中身です
「因縁診断」その2
因縁解脱修行宝鑑に書かれている因縁は、桐山氏が因縁を霊視して
いるのではなく、信者本人からの聞き取りを元にしたものにすぎません。
因縁診断士は信者とその家系の人たちの人生や病気、
死亡形態を聞いて、そこからその人の因縁を推測します。
たとえば、家系にガンの人が多いと、「ガンの因縁あり」と書きます。
信者は自分で情報を与えているのだから、気がついていいようなものですが、
桐山氏が最後に因縁を霊視していると信じているのです。
因縁解脱修行宝鑑に書いてあるの課行(ノルマ)に赤丸がつくことがありました。
これは桐山氏がつけたものです。
つまり、目を通してはいたのでしょう。
しかし、桐山氏のしたことは赤丸を付ける程度です。
因縁診断士や職員が決めた因縁を桐山氏が修正しているはずはありません。
それは次の事例を見ればわかります。
「因縁診断」その3
桐山氏本人による因縁霊視は1984年頃、一時復活したことがあります。
元修行者さんも覚えているかもしれません。
「三人の導き」です。
三人の信者を獲得すれば、因縁を桐山氏が霊視してくれるというものです。
こうして桐山氏の直筆の因縁霊視をもらった信者がいます。
その人たちが今度は、因縁診断を受けて、再度因縁を見てもらいました。
そして桐山氏直筆の因縁と、因縁解脱修行宝鑑の因縁とを比較しました。
一人目のケースです。
この信者の場合、桐山氏直筆の因縁霊視のコピーを因縁診断士に提出した
にもかかわらず、因縁解脱修行宝鑑に書かれた因縁はまったく違っていました。
宗務局(阿含宗の事務局)に苦情を言うと、苦情を言った因縁を書き加えた
ものを後でくれたそうです。
冗談のようなほんとうの話です。
桐山氏が霊視しているのなら、数年差で因縁がこれほど違うことはありえません。
因縁霊視以前の問題として、このくらい雑でいい加減なのです。
141 :
因縁診断の嘘 :2000/10/05(木) 01:48
「因縁診断」その4
<転載>
二人目のケースです。
因縁診断士に面接した時、桐山氏直筆の因縁霊視に書かれた因縁とは
まったく違う因縁が出やすいように話をしました。
その結果、因縁霊視の因縁とはまったく違う、そして話した内容に
そった因縁がそのまま書いてある因縁解脱修行宝鑑をもらったそうです。
本当に桐山氏が因縁霊視をして因縁診断士の書いた因縁を修正して
いるのなら、こんなことがおきるはずはありません。
このことを桐山氏に訴えれば、次のような答が来るでしょう。
「ウソを書いていることは霊感でわかっていた。師を試そうとする
不遜な態度を見抜いて、本人の申告どおりの因縁を書いてあげた」
この詭弁的言い訳に多くの信者は拍手して安心するでしょう。
本当に見抜けるならそのように書いて、桐山氏が自分の超人的能力の
一つとする「物事の明快な認識力」を示すべきです。
「因縁診断」その5
修行者座右宝鑑での因縁は次のように出しているのです。
因縁診断士が、信者から聞き出した個人や家系に関することを元に、
阿含宗でいう因縁にあてはめ、報告書を提出する。
職員は、その報告書を元に、因縁を書き込み、ワープロで打ちだし、
桐山氏に提出する。
桐山氏は目を通し、時には課行などに赤丸をつけるが、修正はしない。
そのまま信者に授与する。
修行者座右宝鑑の因縁は、信者の自己申告を元に、因縁診断士と
職員が適当に推測して書いているにすぎません。
こんな程度なら、自分で家系を調べれば十分です。
信者たちは、桐山氏が霊視してくれたものと信じて、ありがたく拝受します。
桐山氏にとって、信者の因縁などどうでもよく、赤丸をつけたように、
導き(信者獲得)など教団拡大に興味があるだけです。
「因縁診断」その6
修行者座右宝鑑には性格の長所と欠点が書かれます。
信者たちは、桐山氏が霊視して指摘してくれたものと信じています。
これは、誕生日の十二支から出てくる性格を元にして因縁診断士や職員が
書いているのです。
元ネタは桐山氏の著書「密教占星術T」にも書いてある淘宮術です。
生まれた年、月などの十二支占いから出る長所、欠点を適当に混ぜて書きます。
市販の暦の後ろなどに書いてある程度の性格判断です。
当然ながら、こんなものは当たりません。
悲惨なのは欠点です。
全てを透視する聖者から指摘された内容ですから、絶対的なものとして信じます。
欠点を露骨に並べられると、たいていの人はかなりショックを受けます。
それが性格の欠点として思いあたらないと、はずれたのではなく、
自分の潜在意識にあるのだと信じます。
女性に奥手な男性に「色情のまちがいをしやすい」と書いてあったため、
女性と同席することすら避けるようになった人がいます。
この程度の代物を修行者座右宝鑑と称して授けているのです。
桐山氏は信者をなめきっています。
142 :
因縁診断の嘘 :2000/10/05(木) 01:49
「因縁診断」その7
<転載>
因縁は適当に言っても当たります。
ガンは死亡原因のトップで、約30%です。
「ガンの因縁」と言うと、三人に一人くらい当たります。
「ガンの因縁」「脳障害の因縁」「循環器系障害の因縁」の三つを
書いておけば、ガン、脳卒中(15%)、心臓病(15%)などが
これに相当しますから、三人に二人は当たります。
三人に二人が当たれば、信者ばかりか、数字に弱い桐山氏も
自分の霊視能力のすばらしさを信じるでしょう。
しかし、これは霊視という予言ではなく、誰がやっても当たる、
単なる確率の問題です。
桐山氏は修行者座右宝鑑で、因縁を霊視しているのではなく、
信者に「因縁を付けている」だけです。
どうして手の内が簡単にばれてしまう因縁診断などするのでしょうか。
それには桐山氏にとっての背景と理由があります。
143 :
因縁霊視の嘘 :2000/10/05(木) 01:51
「因縁霊視」その1
<転載>
因縁診断を最後に桐山氏が目を通すくらいなら、最初から、
桐山氏が自分で因縁を霊視すればいいようなものです。
なぜ、自分で因縁霊視をしないのでしょうか。
神田にある原書房は占い関係の有名な古本屋です。
そこで、十年くらい前でしょうか、信者が桐山氏を見かけました。
和服を着ているだけでも目立つのに、大きなマスクまでしていたそうです。
隠したいのか、目立ちたいのかよくわかりません。
桐山氏はこのように、占い関係の本を熱心に目を通しているのです。
運命を透視する超能力があるのなら、占いの本などいらないはずです。
「因縁霊視」その2
137にある、元修行者さんが京都道場で本の箱を見たように、
桐山氏は熱心に占いの本を読んでいます。
この本は天中殺を有名にした和泉宗章氏の師匠にあたる高尾政義氏の
「原典算命学大系」でしょう。
58万円くらいだったでしょうか。
一般信者にすぎなかった元修行者さんがこれらの本の箱を見つけても
おかしくはありません、
阿含宗がゴチャゴチャしているということ他に、桐山氏は頭隠して
尻隠さずのところがあります。
「どうせ、こいつらにはおれ様の手の内などわかりはしない」
と人を侮ったところがあるからです。
「因縁霊視」その3
桐山氏は因縁を透視する能力をもっているはずなのに、
熱心に占いの勉強をしています。
占いを使う言い訳として、
「いつもインスピレーションが働くとは限らないから、占いで補助するのだ」
と述べたことがあります。
言い訳どおりに占いを補助に、桐山氏が因縁霊視をすればいいではありませんか。
また、これはデタラメな因縁診断をしていることへの言い訳にはなりません。
「三人導きの課行」(160参照)での桐山氏による因縁霊視も、
全国で百人くらいが渡されただけで、自然消滅しました。
三人導きの課行は信者の数を増やす絶好の方法なのに、どうして、
桐山氏は辞めてしまったのでしょうか。
「因縁霊視」その4
因縁の一覧表を作り、桐山氏が信者一人一人の因縁を霊視して、印をつけ、
職員がそれを清書すれば簡単で確実ではありませんか。
桐山氏はこのやり方に次のように答えています。
「手で書いているうちにインスピレーションが浮かんでくるのだ」
桐山氏は「おしゃべりの因縁がある」と本人が言っているように、
時々、本音をもらします。
インスピレーションとは言い訳で、何か手で書いて、因縁を割り出して
いるのだ、と解釈できます。
このように、因縁診断などという子供だましの手法を用いていること、
熱心に占いの本を買い集めて勉強していること、インスピレーションの
言い訳をみれば、桐山氏のいう因縁霊視の中身の推測がつきます。
桐山氏は霊能力をもたなかった観音慈恵会創設当時、占星術から因縁を
出していたと述べています。
今でも、占星術を用いて因縁を出して、それを桐山氏は因縁霊視と
称しているのでしょう。
桐山氏は今でも占星術から因縁を出していると考えれば、彼の言動は
以下のように、よく説明がつきます。
144 :
因縁霊視の嘘 :2000/10/05(木) 01:55
「因縁霊視」その5
<転載>
手作業で占星術の盤(ホロスコープ)を組み、そこから星、つまり因縁を
出すのにはけっこうな手間がかかります。
誰かにさせればいいが、桐山氏は因縁霊視の中身を絶対に公開したくありません。
桐山氏の最後の砦、伝家の宝刀だからです。
他人に教えないためには、自分でやるしかありません。
桐山氏は、三人導きの課行で因縁霊視を百人ほどやってみたが、手作業が
たいへんなので"中途挫折の因縁"を出してしまったのです。
これが三人導きの課行が自然消滅した理由です。
桐山氏が因縁を「霊視している」と称しているのは、占星術から出している
ことがばれないための工作であると同時に、他人にまねされないためです。
占星術だといえば、まねされるかもしれません。
しかし、霊視と言ってしまえば、誰もまねできません。
桐山氏の因縁霊視は占星術だけではありません。
桐山氏は占星術で因縁を出したり、信者からの自己申告による因縁診断を
適当に使い分けしています。
それは次の事例でよくわかります。
「因縁霊視」その6
1987年頃、「ご指導願い」という制度がありました。
信者が桐山氏に文書で悩みを相談し、指導を受ける制度です。
重い病気を抱えたある信者がご指導願いを出すと、「横変死の因縁あり」
と下りてきました。
横変死の因縁とは、事故死、自殺、他殺などで死亡するという運命です。
この信者はその数年前に、三人導きの課行(160参照)を達成して、
桐山氏直筆の因縁霊視をもらっていました。
ところが、この因縁霊視には横変死の因縁はありませんでした。
この信者は三人の導きなど、言われたとおりの修行をしていたのに、
その数年の間に横変死の因縁を作ったことになります。
「因縁霊視」その7
160や161の事例と違い、172の信者の場合、二度とも桐山氏本人が
因縁霊視をしたはずなのに、違う因縁が出てきました。
その理由はこうです。
三人導きの因縁霊視の時は、桐山氏は占星術から因縁を出したのでしょう。
ご指導願いの時は、占星術から出すのが面倒だから、信者の病気の重さから、
適当に横変死の因縁と付けたのでしょう。
つまり、ご指導願いでは桐山氏は信者の自己申告による因縁診断をしたのです。
この件を桐山氏に質問したら、次のような答を言うでしょう。
「因縁とはカルマの種類を指している。私はカルマそのものを霊視している。
そのカルマをどのように分類し、名付けるかは、見方によって微妙に違って
くることがある。因縁を別々に分けて言わず、横変死の因縁として
まとめてしまうこともある」
信者の多くはこれで十分に納得します。
誰も見えない桐山氏の腹の中の話ですから、なんとでもご都合を言えます。
しかし、このようなもっともらしい言い訳よりも、占星術と因縁診断を
適当に使い分けたとみなせば、簡単に説明がつきます。
信じている桐山氏のご都合で、横変死の因縁を付けられた信者こそ大迷惑です。
145 :
因縁霊視の嘘 :2000/10/05(木) 01:56
「因縁霊視」その7
<転載>
160や161の事例と違い、172の信者の場合、二度とも桐山氏本人が
因縁霊視をしたはずなのに、違う因縁が出てきました。
その理由はこうです。
三人導きの因縁霊視の時は、桐山氏は占星術から因縁を出したのでしょう。
ご指導願いの時は、占星術から出すのが面倒だから、信者の病気の重さから、
適当に横変死の因縁と付けたのでしょう。
つまり、ご指導願いでは桐山氏は信者の自己申告による因縁診断をしたのです。
この件を桐山氏に質問したら、次のような答を言うでしょう。
「因縁とはカルマの種類を指している。私はカルマそのものを霊視している。
そのカルマをどのように分類し、名付けるかは、見方によって微妙に違って
くることがある。因縁を別々に分けて言わず、横変死の因縁として
まとめてしまうこともある」
信者の多くはこれで十分に納得します。
誰も見えない桐山氏の腹の中の話ですから、なんとでもご都合を言えます。
しかし、このようなもっともらしい言い訳よりも、占星術と因縁診断を
適当に使い分けたとみなせば、簡単に説明がつきます。
信じている桐山氏のご都合で、横変死の因縁を付けられた信者こそ大迷惑です。「因縁霊視」その8
占星術と因縁診断が、桐山氏の言う因縁霊視の実態です。
だれか、桐山氏に占星術のソフトが数千円で売られており、
手作業でなくても、簡単に出せることを教えてあげてはどうですか。
きっと、急にインスピレーションが沸くようになって、桐山氏による
因縁霊視を再開してくれるかもしれません。
桐山氏は既存の占星術から出した星に因縁という名前を付けるか、
信者からの自己申告を因縁霊視と称しているにすぎません。
また、172の信者のケースからわかるように、占星術から出す因縁と、
因縁診断から出てくる因縁との間には何の脈絡もありません。
信者にわからないことをいいことに、桐山氏のご都合で使い分けているだけです。
なぜ桐山氏が自分で因縁霊視をしないで、因縁診断をさせているのか、
という疑問への答は次のようになります。
「因縁霊視」その9
長年の経験から、桐山氏は人を因縁で脅迫するのが一番効果的で
あることを知っています。
「ガンの因縁」「横変死の因縁」があると言われて、心穏やかな人はいません。
そのためにも信者に因縁を付けたいと、三人導きの課行で因縁霊視をしました。
しかし、手作業で占星術から出すのは桐山氏の負担が大きくてやってられません。
かといって、因縁を出すための占星術をコンピューターに入れるには、
中身を誰かに教えなければなりません。
最後に、桐山氏は簡単な方法をみつけました。
それは因縁を信者に自己申告させることです。
信者が申告した因縁に桐山氏は因縁霊視という「桐山ブランド」を貼るだけです。
桐山氏は何の労力もなく、因縁や性格の欠点などで信者を脅迫できます。
導き(入信)、解脱供養(十万円の霊供養)といったノルマを課して、一挙両得です。
因縁診断を物まねされても、一番大事な占星術の因縁霊視は公開しませんから、
桐山氏の手元に残ります。
こうして因縁診断士が登場し、因縁解脱修行者宝鑑が完成しました。
このような子供だましの方法で作った因縁解脱修行者宝鑑をありがたがっている
信者を見て、桐山氏は、自分は釈迦の智恵を体得した天才だといよいよ
確信したことでしょう。
146 :
「尊師麻原は我が弟子にあらず」 1995.徳間書店 :2000/10/05(木) 02:01
<阿含宗はオウムの先行モデル>
<転載/全文は
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/aum6.htmlを参照>
オウム世代に影響を与えたものはサブカルチャーだと申し上げましたが、もう一つ、影響を与えたものとして、70年代以降のカウンターカルチャーとしての神秘主義やオカルティズムのブーム、さらにその発展型であるニューエイジ・ムーブメントをあげなくてはいけないでしょう。オウムの教義が東西の神秘主義をごった煮にしたものであるということが、オウムのいかがわしさの証明のように言いたてられていますが、こうした混血性は何もオウムのみの特色ではない。ニューエイジの思想はどれもおしなべて、ハイブリッドなものばかりです。また、ニューエイジ的な文化に寄り添って成長してきた新新宗教である阿含宗は、オウムに大きな影響を与えました。よく知られているとおり、麻原本人をはじめ、オウムの幹部の何人かは阿含宗出身です。あえていえば、阿含宗は、オウムの先行モデルだったということができると思います。
阿含宗は、オウムと同様に、もともと「観音慈恵会・日本密教根本道場」を名乗っていたときから「超能力」を売り物にしてきました。桐山靖雄氏の最初の頃の著書『変身の原理』などを読んでみますと、「信仰などいらない。人間は誰もが潜在能力を持っていて、密教の行法を行じれば、必ず超能力が身につく。こんな素晴らしいことはない」というふうにハッキリ書いています。
また、入り口では超能力を売り物にしておいて、その後は信者に恐怖感を与えることで教団に縛りつける点も同じです。たとえば、阿含宗に入ると、因縁解脱のための修行として、かつては「千座行」、現在は「解脱宝生行」と呼ばれる修行を課せられるのですが、それを途中でやめると「因縁返し」といって、大変な災いがふりかかるという「脅し」がかかる。この「因縁返し」という言葉は、オウムの「カルマ返し」という言葉にそっくりです。これも、麻原彰晃が桐山さんから学んだ、信者コントロールのテクニックの一つということになるでしょう。
また、教義の面でも阿含宗とオウムには共通点があります。周知のとおり、仏教は小乗、大乗、金剛乗(密教)と発展してきました。桐山氏の教団は、仏教史上、最後に登場してきた密教の一宗派としてスタートしたのですが、後に原始仏教(小乗仏教)の教典である「阿含経」をもち出してきてこれを従来の密教と結びつけ、阿含宗を立宗しました。仏教史の真ん中を抜かして、最初と最後を結びつけたわけです。この点も、オウムと阿含宗は非常に似かよっています。オウムの場合は、ヨーガの行法を接着剤として、原始仏教と密教の教義を混合していますから。
147 :
サリン事件実行犯と阿含宗 :2000/10/05(木) 02:05
<転載/全文は
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2434/aum-so0902.htmを参照>
オウム真理教とはいったいどんな宗教団体だったのか。一億総オウム・ウオッチャーと
なった今、改めて語る必要もないと思うが、本誌なりにちょっと纏めてみよう。
1:輪廻転生、前世、来世、地獄や天国(極楽)を信じている。
2:超能力、あるいは神通力といった摩訶不思議な能力に憧れる。
3:世紀末思想、終末思想を持つ。
4:科学的、論理的思考を大切にする。
5:一般には無価値な物を高額で売りつけ、多大なカネを得ようとする。(この無価値
な物には、超能力を引き出したり、人格を高めたりする力があるとされる。)
6:統一教会の元信者が、高い位置にいる。
7:創価学会との関連、協力が噂される。
8:ロシアとのコネクションに力を入れる。
9:武装し、武力行使を考えている。
10:自衛隊、警察、やくざといった武力集団に接近を図る。
11:全国に支部を広げるが、最大の拠点を富士一帯に置く。
12:女性信者が多く、また一般信者は平均して若年である。
まだあるが、とりあえず気にかかるのはこれくらいだろう。
これはオウム真理教について述べたものである。ところが不思議な事に、日本中のさま
ざまな新興宗教団体、新興思想団体には、この十二の条件のすべて、あるいはかなりの条
項があてはまるのである。
逮捕された早川紀代秀(建設大臣)は、御存じのとおり元統一教会の人間である。それ
が阿含宗に入り込み、そこで麻原彰晃とめぐり合い、後にオウム神仙の会を作ることになっ
たのだが、もし早川が麻原と会わなかったらば、彼は阿含宗の信者として、阿含宗を統一
教会の目的通り操ることにすべてを賭けたことだろう。阿含宗には現在も統一教会の元信
者が入り込んでいるが、これは阿含宗に限ったことではない。幸福の科学にも、エホバの
証人にも、いや、あらゆる新興宗教団体、思想団体に、統一教会は人を送り込んでいるの
だ。もちろんその中には、ほんとうに統一教会をやめた元信者もいるだろうが・・・。
この早川紀代秀は、ロシア射撃ツアーを企画したり、軍事訓練を受けたりと、非常にロ
シアに接近している。麻原オウムがロシアに接近しようとした最初のヒントは、恐らくは
この早川紀代秀によるものだろう。
ここでちょっと、オウム真理教の歴史をざっと見てみよう。
阿含宗で麻原彰晃と早川紀代秀が運命の出会いをしたのが昭和六二年(一九八七年)、
その翌年には、麻原も早川も阿含宗を飛び出してオウム神仙の会を作っている。オウム真
理教と名称を変え、平成元年(一九八九年)八月には東京都から「宗教法人」の認証を受
ける。この頃からすでに、山梨県上九一色村の土地を買い始めている。
そして翌年、平成二年(一九九〇年)二月、麻原彰晃は「真理党」を組織し、二五名が
総選挙に打って出るが、惨敗する。この総選挙出馬は、早川紀代秀の案によるもので、当
時は幹部の上祐史浩らが猛反対したと伝えられるが、早川が押し勝つ。この選挙惨敗によ
りオウム真理教は、「米びつに米一粒さえもなくなった」(元信者の話)というほどの経
済的打撃を受ける。
148 :
麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を斬る! :2000/10/05(木) 02:08
第八回 「嘘と貪りのカルマによる魔境」 麻原彰晃 (「マハーヤーナ・No.21」1989年4月号より)
人にはいろいろな生き方がある。正しい道を歩くのも一つの生き方であれば、嘘をつきながら目先の利益を得ようとするのも一つの生き方である。前者の場合、心を清めて魂を高い世界へと引き上げることができるので、真の幸福があ約束されている。反対に、嘘をつきながら目先の利益を得ようとする後者の生き方は、一時的には楽しみを得ることができるかもしれないが、心をけがしてしまうので、来世では三悪趣(地獄界・餓鬼界・動物界)に落ちていく。
そして、私がここに取り上げようとしている阿含宗管長・桐山靖雄氏は、間違いなく後者の生き方をしている人間なのである。
既に桐山氏の言動については、何度となくマスコミ誌上をにぎわせているので、彼の狂言癖については皆さんもよくご存じであろう。虚偽の学歴を吹聴したり、授かってもいない伝法灌頂を受けたりして阿闍梨(あじゃり)を名乗ったりしたことは、有名な話である。
そして、桐山氏が、次から次へと積み重ねていく嘘が、阿含宗の教義にも重大な影響を及ぼしている。そのために、信徒がその信仰と心のよりどころとしていて根本となるはずの教義が、数多くの矛盾を抱えてしまっているのだ。何しろ、本尊でさえ、桐山氏にとって都合が悪くなると、他のものにすり替えられてしまうのであるから、そのひどさといったらない。彼は大魔境に陥っていると言っても過言ではないであろう。
このような、嘘に揺らいでりる正しくない宗教を信じたりしたら、いったいどうなるであろうか?また、その教えを実践したりしたら、どうなるであろうか?---身の行いをけがし、言葉をけがし、意識をけがして多大なる悪業を積んでしまうことは明白であろう。
149 :
麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を斬る! 2 :2000/10/05(木) 02:15
実は、私は以前、拙著『超能力・秘密の開発法』(大和出版)の中で、この阿含宗の問題について、簡単に触れたことがあった。このとき、私は阿含宗に大きな疑問を抱きながらも、ずいぶん遠慮がちに書いたのだった。なぜなら、私もかつて阿含宗の前身である、観音慈恵会に入ったことがあったからである。
現世における苦しみから修行の道を志し、ようやく原始仏教に救いを見いだした私は、『阿含経』をもとにしていると誤解して、入会したのであった。経緯はともかくとして、やはり、一度足を踏み入れた以上、そう悪くは書けなかったのだ。
教義の矛盾は入会してすぐに知れた。それでも私は、挫折のカルマを作ることだけは避けたかった。そのため、約三年間かかって、千座行といわれる修行をやり遂げたのである。
しかし、当時を振り返ってみても、良いことは一つもなかったといえよう。桐山氏が提唱していた観音慈恵会の修行によって、私には真実が全く見えなくなってしまった。そして、煩悩ばかりがやたらと強くなってしまい、それが数々の不幸を私にもたらしたのである。まさに、私は誤った修行によって、かえって苦難に没入してしまったのだった。
今にして思えば、私がこの宗教にだまされたのは、解脱してすべてのカルマを滅する以前の私自身に、嘘つきのカルマがあったためである。そして、そのカルマが消滅したとき、私は阿含宗(1978年に観音慈恵会は阿含宗に変わっている)から離れることができ、初めて正しい修行の道を見いだしたのだった。
このように、阿含宗の修行をしたために、ひどい目に遭ったにもかかわらず、以前の私は阿含宗の問題点について、あまりはっきりと書きはしなかった。しかし、今回は違う。私が宗教家としての立場から、阿含宗を糾弾しなければならないと決心したのは、桐山氏の大魔境からくる言葉を信じたがため、迷妄の世界に引きずり込まれていっている阿含宗の信徒が哀れでならなかったからだ。桐山氏自体は、もう悪業を積みすぎて救いがたい存在であるが、信徒の方々の場合は、真実に気付きさえすれば、まだまだ救われる道は残されているのである。
150 :
麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を斬る!3 :2000/10/05(木) 02:16
実際、私と同じように、以前に阿含宗に入会していった人達が、おしなべて非常に悪い状態に陥ってしまって、何人も私のオウム真理教に改宗してきているのだ。
初めにも述べたように、桐山氏の悪業については既に多くのジャーナリストが取り上げている。そこでここでは、主に阿含宗の抱える教義に関する矛盾点を指摘しておきたい。それに対する判断は、本文章をお読みの皆さんに委ねたいと考える次第である。
阿含宗ではその名の示すとおり、原始仏典である『阿含経』をもとに立宗されたことになっている。そして、桐山氏自身、今年(1989年)2月26日の講話でも、こう言っている。
「仏陀釈迦牟尼以外のものを崇拝してはいけない。」
と。これは、釈迦牟尼の言葉が最もよく残されているといわれている『阿含経』をもとにしている宗教だから、当然であると云えよう。
しかし、その一方で、彼はこうも言っている。
「私は求聞持法(ぐもんじほう)をやったから、知能指数が普通の人の2,3倍になっている。そして、この求聞持法は、三宝の中の重要な法である。」
と。ところがである。仏陀釈迦牟尼の直説であるはずの、そして、阿含宗がよりどころとしているはずの『阿含経』のどこを探しても、求聞持法の「ぐ」の字も出てこないのである。しかも、仏教に精通している人は、すぐ気付くであろう。求聞持法の本尊は、仏陀釈迦牟尼ではないじゃないか、と。
151 :
麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を斬る!4 :2000/10/05(木) 02:19
中村元著の『佛教語大辞典』では、こう説明されている。
<求聞持法>
「虚空蔵求聞持法の略。虚空蔵菩薩を本尊として修する行法で、頭脳を明快にし、記憶力を増大するものとされ、空海が入唐前に勤操(ごんそう)から授かって修したことで著名である・・・。」
つまり、桐山氏は、虚空蔵菩薩を本尊とする求聞持法を修めたと喧伝していながら、仏陀釈迦牟尼以外を崇拝してはいけないと、矛盾したことを言っているわけである。
彼の教義における矛盾は、もちろんこれだけではない。以下、列挙してみることにしよう。
阿含宗の有名な年中行事に「阿含の星まつり・宝生解脱大柴燈護摩供(ほうしょうげだつだいさいとうごまく)」というものがある。これは、信徒から集めた数千万本ともいわれる護摩木を焚き上げて、現世利益を願うものであるが、火を拝して現世的な願望成就を祈願してはいけないとする『阿含経』の教えに明らかに反している。
また、護摩法を司る神は、火の神アグニである。そして、阿含宗では、アグニのマントラ、
---オーム・バジラグニ・プラディープターヤ・スワハ---
(私は、マントラはもともとのヴァイブレーションが重要であると考えるので、インド式発音で表記した。)
を唱えさせているが、これも仏陀釈迦牟尼以外を崇拝するなという言葉に反している。
護摩法について、もう少し詳しく説明しておこう。というのは、オウム真理教でも護摩法が行われているので、宗教に興味のない人の目には、阿含宗の護摩法との違いがわからないのではないかと思われるからだ。
オウムにおける護摩法とは、インド・ヨーガと原始仏教の流れをくんでいるオウムが、その教義の中心としているタントラの儀式の一つである。ここでいうタントラとは世間一般で誤解されているセックス・タントラのことではなく、仏教における三乗(小乗・大乗・真言秘密金剛乗)の一つであるタントラ・ヴァジラヤーナのことをいう。
そして、本来この護摩法とは、修行の手助けをしてくださる神々を純粋に供養するためのもので、自己の欲望や煩悩を満足させたり、現世利益を考えてなされるものではない。
オウムで行われている護摩法も、私のためではなく、すべて他人のため、真理の流布のために実施されるのだ。護摩木に願望を書いて火にくべるなど、はなはだしい無智といえよう。それは、カルマの法則をきちんと理解していれば容易にわかることだ。火を自己の欲望を満たすために利用すれば、必ずや火によって苦しむときがやってくるのである。
152 :
麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を斬る!5 :2000/10/05(木) 02:21
次に、行法について述べよう。以前、桐山氏は因縁切りの「準てい尊千座行」で解脱できると説いていたが、各方面から、「仏陀釈迦牟尼は、そんな教えを説いていない」 「『阿含経』には、そんな修行法など出ていない」 「だれも解脱できなかった」 などと指摘された。そのため、1986年、スリランカより真正仏舎利をもらい受けたのをいい機会に、「千座行」をなくしてしまった。そして、もっともらしくこじつけて、「仏舎利尊・解脱宝生行」という修行法にすり替えてしまったのである。
その理由というのが、またおかしい。つまり、桐山氏によれば、それまでの「千座行」というのは観音慈恵会当時の行法であるから、阿含宗となったからには、おのずと行法も変えなければならないというのだ。しかし、阿含宗がその名を変えたのは78年である。彼の理論からいえば、当然そのとき変えてしかるべきである。にもかかわらず、その後何年もしてから、「仏様(?)のご霊示」が下ったから行法を変えるというのだ。お得意の嘘の延長線上に、メインとなる修行法のすり替えがあったのだ。
まだある。仏陀釈迦牟尼は、輪廻転生を説いているのに、阿含宗では先祖供養や水子供養などを行っている。こんなことをやっていたら、仏陀釈迦牟尼の教えを全く信じていないと公言しているも同じではないか?
なぜなら、仏陀釈迦牟尼の教えでは、魂はすべて死後、次の世界へと転生してしまっているからである。自分の先祖であった人の魂もである。つまり、実体のないものに対して行っているのが先祖供養や水子供養であるということになるのだ。にもかかわらず、阿含宗では、「阿含宗は釈尊の本当の成仏法により、どんな不成仏霊でも成仏させ、霊障を解く成仏力を持っている。」 と臆面まなく言い切っているのである。とても求聞持法を修めたといわれるほどの人がやるとは思えない愚行といえよう。
153 :
麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を斬る!6 :2000/10/05(木) 02:22
しかも、「千座行」をやれば、あらゆる悪因縁を断ち切れるとしながら、普通の不成仏霊ではない、強い霊障を生じた不成仏霊や水子を供養するためには、「不成仏霊解脱供養」「水子霊解脱供養」を受けるように勧め、一体十万円の供養料を得ている。
そもそも、仏陀釈迦牟尼がどこで霊障や水子を説いたというのであろうか。これも、阿含宗の特色といえば特色である。
「千座行」について、もう一つはなはなだしい矛盾を指摘しておこう。桐山氏はこの「千座行」は、「釈尊の成仏法、七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうぼん)にのっとって、修行法と梵行から成り立っている」と言っていたのだが、実はその「千座行」で使われる経典の中には、約七年間、『阿含経』がどこにも含まれていなかったのである。
それについて桐山氏は、1985年9月の例祭法話で、観音慈恵会からの聖典を改定するのは大変だから、しばらくの間は『阿含経』は自分一人が信徒を代表して行じ、何か機会があったらそのとき考えよう、としてきたと述べている。そして、ようやく「仏様のご霊示」が下ったとして、85年11月、それまでの経典に『雑阿含経』と『増一阿含経』の一部を抜粋した「仏説阿含経」を追加した『阿含宗千座行聖典』を新しい経典とさせたのである。
釈迦牟尼を崇拝するとしながら、信徒が行をなすための最も基本となり、信仰のよりどころとなるはずの経典に 『阿含経』を載せず、自分一人が代表して行じてきたというのだ。こんなおかしな話はあるまい。
ちなみに、桐山氏が七科三十七道品をいつ、どのようにして修めたのかも定かではない。これも不思議なことである。
154 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 02:30
てめえだけ独占してカキコすんなよ!
このサイコ野郎!
あごんなどどうでもいいんだよ
投稿できねだろがだろがほかの人がよ!
155 :
麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を斬る!7 :2000/10/05(木) 02:31
さて、次は酒の問題である。『阿含経』における在家の戒では、酒を厳しく戒めているというのに、阿含宗では酒を 公認している。
阿含宗名物の「星まつり」の打ち上げなどでは、盛大に樽酒が振る舞われるという。
それも、桐山氏自ら音頭を取って乾杯し、阿含宗の発展を祝うというのだから、ひどい体たらくである。
それだけではなく、献酒としても在家信者に酒を使わせているのだ。そんなことをして仏陀釈迦牟尼が喜ぶとでも思っているのだろうか。
次に阿含宗のマントラにまつわる問題を採り上げてみよう。
阿含宗ではよく唱えられているマントラに、---オン・サラバ・タータギャータ・ハンナ・マンナノウ・キャロミ---というものがある。
これはインドの正確な発音をもって記すならば、オーム・サルバ・タターガタ・パーダ・バンダナム・カロミ ---であり、
その意味は、(オーム。すべての如来のお御足を、私はいただきます)ということである。
つまり、すべての如来を礼拝するということだ。ここでも、「仏陀釈迦牟尼以外を崇拝してはいけない」という、
桐山氏の言葉とは裏腹なことを日常的に唱えているということになる。
嘘に嘘を積み重ねていくと、何が本当だったのか、自分でもわからなくなってしまうのだろう。
---オン・ソワハンバ・シュダ・サラバ・ダラマ・ソワハンバ・シュドカン---というマントラが、また面白い。
この意味は、 (オーム。すべてのものの本性は清らかなり。我の本性も清らかなり)というもので、
これは密教の教えに属するものなのである。
『阿含経』であったなら、当然八正道の中の正念で、四念処が説かれているので、
<我が身、これ不浄なり>とならねばならないところだ。
『阿含経』に代表される原始仏教と密教が、まるでごった煮風に共存しているところも、
阿含宗の教義のいいかげんさの象徴であろう。
いろいろと挙げてみたが、これらはまだほんの一部である。
もっと知りたいという人がいれば、もちろん他にもたくさんの矛盾点を挙げることができる。
これらすべてをとおして、何よりも私がひどいと思うのは、前にもちょっと触れた本尊のことである。
仮にも宗教組織であるなら、本尊は最も重要なものであるはず。
にもかかわらず、阿含宗の本尊は、準てい観音(準てい如来)から、仏舎利にすり替えられてしまったのである。
この仏舎利は、86年4月、桐山氏が130名の教団関係者を引き連れてスリランカを訪れ、持ち帰ったというものだ。
桐山氏は、釈迦牟尼の遺骨を収めたといわれる仏舎利を本尊とした方が、宣伝効果があるとでも思ったのだろうか?
(それが事実遺骨を収めているかは疑問である。)それとも、自分自身が仏舎利を手に入れたということに感激したからであろうか?
いずれにしろ、本尊がすり替えられたという事実には、唖然とするばかりである。
もし、これをオウムに当てはめてみるならば、それまで、「グルとシヴァ神に帰依し奉ります」と唱えていたものを、ある日突然、
「天照大神に帰依します」とする替えるようなものなのだ。
長年ひたすら励んできた行が、結局は駄目だから、今度はこれをやりなさいと言われたり、一心にその信仰の対象としていた本尊が、
こちらの方が霊験あらたかなので、取り替えますと言われてしまったら、
苦悩からの解放を願って一途になしてきた今までの修行はいったい何だったのだろう、と普通ならば思うところである。
信徒の方々は、これを知ったとき、どのように自分を納得させたのであろうか?
<全文は
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1733/aum/agon-1.html参照>
156 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 03:06
>154
>てめえだけ独占してカキコすんなよ!
>このサイコ野郎!
>あごんなどどうでもいいんだよ
>投稿できねだろがだろがほかの人がよ!
このスレッド、よーちオバは出入り禁止だって読めなかった?
よって、よーちオバは投稿しなくてよし。
他で相手してもらいな。
157 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:23
〜〜こんなの見っけたよ〜〜
文芸春秋1992.5
特集 神々のたわむれ
阿含宗桐山密教秘部と恥部
その実体は密教的色彩を帯びた物品販売業だ
廣野隆憲(高野山真言宗僧侶)
”米州長官に現金、阿含宗管長が日本招待時に長官が辞任”
これは平成三年十二月二十日朝日新聞朝刊の見出しである。同新聞記事と阿含宗内刊行の総合、整理、要約すると次のような内容になる。
「米バージニア州サザード公安長官が『日本電気』(NEC)の顧問の一柳博志氏が関係する宗教団体『阿含宗』から、日本に無量で招待された際、多額の現金を受け取っていたことがわかり、十八日夕(日本時間十九日朝)引責辞任した。
企業などからの贈物収受を規制する『利害抵触法』に違反する疑いがあるとみて、すでに操作を開始している。
阿含宗が平成二年九月、米国で設立した慈善団体『日米アゴン友好財団』が平成三年四月末、京都総本山の建立式開催を機にサザード長官が幹部を務める国際団体『国際警察庁協会』(IACP)の役員五人を夫人とともに日本に招待、一行は三日間、新潟と京都に旅行した。NEC顧問兼、阿含宗最高顧問でIACPの名誉会員でもある一柳博志氏も一行の旅行に同行。その際、阿含宗の桐山管長が『日本アゴン友好財団』の設立に協力してもらったお礼として、役員五人の夫人たちに最初の予定の『京人形』では好みの違いもあろうし、荷物にもなろうと判断し、人形代金そうとうに現金三千ドル(約四十一万円)から約一万二千ドル(約百六十万円)入った土産袋を渡した。うち三人は現金をすぐ返したが、三千ドルを受け取ったニューヨーク氏警ブラウン長官(ISCP会長)は帰国後、小切手で返却したと主張している」
この事件ははしなくも日本に生まれた新興宗教が国際的に進出を計っている実体を垣間見せたのである。
阿含宗年中行事最大のイベント「阿含の星祭り」が今年も行われた。京都新聞平成四年二月十二日夕刊によると、今回は第十九回で、参拝者は約五十万人、焚きあげられた護摩木本数三千三百万本であったという。昭和五十年に同じ山科区追分の火打谷で行われた第二回に比較すると、護摩木本数は百六十五倍、参加者は五百倍になっている。これが阿含宗十四年間の歩みである。
そして今度は米国にも進出。これだけの成長をなしとげた阿含宗とはいかなる集団か。その教祖桐山靖雄氏とはどのような人物なのか。
結論からいえば、その出発点から欺瞞と虚構の上に築かれた日本宗教市場からいっても異色の教団である。
158 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:25
〜〜つづき〜〜
信者を集める様々な道具立て
阿含宗は阿含密教、また通称「桐山密教」とも言われている。極めて簡単に密教について述べると、仏教には「顕教」といって顕な教えと「密教」という密なる密やぁな教えの二門がある。判りやすく言うと、州はの別では、真言宗、天台宗は密教でこれ以外の宗派を顕教という。
この密教を仮に分けて、物的な物的な物的な小道具と教義的な小道具と言える者がある。こんな不遜な言い方をすると、密教に携わる人々の中から大変な失跡を被りそうだが、それは桐山氏と阿含宗の姿勢に言及するための手だてなのでお許しいただきたい。
物的な小道具とは密教的な仏具.法具の類で、桐山密教、阿含宗では盛んにこれらを販売して収入をえている。曰く護摩木及び護摩木を数千本勧請(売り上げ)した信者に与える各種の御宝塔、ペンダント、ブレスレット、仏像、曼陀羅、破地獄曼陀羅、各種のお守り、独古などの加持伝授用法具、星祭りで火や煙などが如来、菩薩、龍王等のかたちに写った写真等々、まだまだいろいろあってきりがない。私が阿含宗は密教的色彩を持った物品の販売業だというのはこの点である。
次に教義的な小道具とは真言(呪文ではないがそれに似たもので、普通梵語を用いる)や印(忍者.猿飛佐助などが煙と共にドロンと消えるのに左右に手指を組む、あれと思っていただきたい)、経本、次第書(法の順序を記したもの)などなど。
桐山密教.阿含宗の場合各種の伝法会などを開いて、この教義的な小道具を切り売りする。本来、伝統的な密教である真言宗、天台宗はそれを門外不出として大切に守ってきたが、阿含宗はそれをどしどし在家に売った。これが「桐山密教」の名の起きた由縁の一つである。
前置きがながくなったが、阿含宗では、このような道具を、州の根幹とする教義や行法(お経などを定めた方法、順序で読み進めること)に活用、併用し、あるいは折り込みながら信者を誘導していく。
それをさらに大きく索引して拘束していく力となっている道具立てがある。それは阿含宗の前身、観音慈恵会(以下慈恵会と略す)の開教当時から、桐山氏の神通力、超能力と思わせ、信者を畏服させてきた「お伺い書」「因縁透視」やその答え「御霊論」であり、御霊示、御霊宣、おさとしなどである。また、神通力、超能力の誇示としての念力、その応用としての<念力の護摩>や<法力の護摩>、この室内護摩と併行して行われてきた屋外の<柴灯護摩供養>それを次第に発展さえて大イベントにした毎年二月二十一日、京都花山の<阿含の星まつり>があり、さらには記憶力増強と能力開発の法として売り込んでいる<求聞持法>である
そしてこれらを宣伝する媒体にしているのが、桐山氏が次々と精力的に刊行する著作なのである。今となっては恥ずかしい限りであるが、かく言う私も桐山氏の「神通力に」魅せられて昭和39年7月に入信した一人である。以後言行甚だしく不一致教祖桐山氏にたびたび惑いながらも意を決して決別することが出来なかったばかりか、桐山氏の念力によって焚く<念力の護摩>の護摩壇に、四人脇導師(護摩の助手.桐山氏の氏名による幹部)として着座し参加するなど、十二年も在会した。縁あって東京新宿区四谷の真成院住職.高野山真言宗の織田隆弘氏に逢い、即日弟子になり慈恵会を辞め、伝統真言密教に結縁する事を決意したのが昭和五十一年七月であった。昭和六十三年八月、高野山真別処で加行成満し、高野山真言中院流伝法灌頂に入壇し了り、六十一歳にして僧侶となった。以下は私が見た桐山密教の真の姿である。
159 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:26
〜〜つづき〜〜
「戦後最大の怪宗教」で修行
桐山靖雄氏は本名堤真寿雄といい、大正十年一月五日、横浜市神奈川区に四人兄弟の長男として生まれた。桐山は母方の性であるという。千葉流山町小学校卒業のとき担任の訓導が父親を呼んですでにこう明言したという。
「この子はよく注意して下さい。非常に偉くなるか、さもなければ、大変な悪人になるか、いずれにしても中途半端な人間にはならない子ですから、くれぐれも気をつけて下さい」
人の子をよく観る訓導の言葉であった。
桐山氏は学歴について理解しがたい劣等感を抱いているようで、昭和四十三年八月、天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務長に提出した履歴書には学歴を偽証してきにゅうしている。これを直木賞作家の志茂田影樹氏に、雑記『宝石』昭和五十三年十一月号でばくろされて、また発表し直した学歴も偽証だった。
その後、さまざまな職を経たらしいが、本人の語る経歴には矛盾が多く、謎の人物というしかない。私文書偽造、酒税法違反等で何回かの逮捕歴があり、昭和二十八年八月十七日毎日新聞夕刊に大きく報道された。「ニセビール一味捕まる」の事件でも逮捕されている。それ以上ふれないが、つまり、そういう人物である。
阿含宗の前身、観音慈恵会が発足したのは昭和二十九年八月か九月、横浜鶴見区生麦の裏長屋の一軒家においてであった。教祖桐山氏は弟子と呼ぶ塚田康人氏から運命学を学びながら二人で細々と客を待っていた
それでも将来を期してか、宣伝には力を入れていたようで、このことの経済関係の雑誌『黄金』などに運命鑑定、指導などの広告を出していたという。その広告には、当時、総理大臣級の人物と言われていた緒方竹虎氏の運命を的確に鑑定したという触れ込んだことも手伝ってか、すでに昭和三十一年の『日本週報』に一教祖として寄稿、登場している。 宗教面としてはこのころに詳しい長古参の元信者の話によると、桐山氏は単に拝むだけだったというから、素人と余り変わりがなかったようである。一説によると戦後、闇屋をしていた時代に戦後最大の怪宗教といわれた皇道治教系修行したという。混乱期は信教の自由化とともにさまざまな新興宗教が籏出し、「神々のラッシュアワー」と呼ばれた時代でもあった。皇道治教がなぜ怪教といわれたかというと、この教団は信教のの自由を逆用し、宗教法人とう隠れ蓑のもとでクリーニング屋、アイスキャンディー屋、宿屋はもとより、売春斡旋業までも宗教法人化して大がかりな脱税行為を行ったため、検挙されて壊滅したからである。
その教団の生き残りに浦野耕牛(後に改めて晴弘)氏という人物がおり、浦野氏を師匠と仰ぐ人物が北野氏である。その北野氏は桐山氏が皇道冶教の教団で修行していた時、ともに修行した仲であり、真言宗金剛院派を名乗って後に姫路市本覚寺で開教している。桐山氏は昭和三十年十月、この本覚寺で得度した。と称している。従って新興宗教のノウハウは浦野、北野、桐山と伝えられたと見ることもできる。
160 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:28
〜〜つづき〜〜
さて、桐山密教の教義である。
桐山密教の修行を「千座行」というが、桐山氏は千座行布教開始当時、道場を訪れる人には“大白身”を説いて聞かせたという。
その大白身が実現する行がつまり「千座行」というわけで、千座行第一期生の信者は昭和三十四年二月ごろ桐山氏のこんな話を聞いている。
「二千年前のインドのヒマラヤの岩影に、龍樹菩薩が、後の世の人を救うために、鉄塔の中に身を秘めておいた秘宝が、この千座行なんだ。これは九百九十九日間、黒い法統に自分の因縁(不幸の条件)を封じ込めて、初めの三百三十三日間に過去の因縁、次の三百三十三日間に現在の因縁、後の三百三十三日間に未来の因縁を千日かかって封じ込めると、自分の孫子の代、七代までの悪因縁を全部浄められるそれだけやれば、人間は絶対清らかになって、大白身になる。つまり最初は墨みたいに真っ黒だった自分の悪因縁も、毎月の行によって汚れが落ちるように次第に灰色になり、千日の後には因縁は浄化されて真っ白の大白身となって、皆さんは未来永劫幸せこの上なく成る。
この秘法は、日本へ入ってから聖徳太子から誰それへ、そして平清盛もやっていたんだ。そして現代では桐山靖雄が受け継いで、皆さんに今度伝えられるようになった。いまに私が準備を整えたら、皆さんにお授けします。しかし、この行法は修行を積んで非常に高い境地に至った人でないと受ける資格はない」
つまり、大白身になるためには千座行によって人間がもっているあくいんねんをなくさなければならないと桐山氏はいうのである。
ではその因縁とはなにか、私は出来るだけ本稿では抹香臭い話は避けたいが、この千座行は正式には『三世因縁解脱大白身法千座行』という名称なので、一応述べてみたい。
これを桐山氏の「因縁論」という。
桐山密教では仏教の目的は因縁解脱であると教えている。因縁解脱とは仏法による自己完成であり、仏法による自己完成とはその目的を仏に置くことである、という。
仏に成るためには束縛から解き放たれなければならないが、自分で父母を選べないように、人々は自分の意思以外の条件によって縛られた存在である。そういう人間の持つもろもろの条件によっ、ことに人間を縛る様々な条件を因縁と呼び、その因縁から離脱する事を因縁解脱という。因縁解脱を成し遂げることを成仏といい、亡くなることではない。人は様々な因縁を持って生まれてくるが良い因縁は少なくほとんどが悪因縁であり、不幸、不運、災難は悪因縁から生ずると、説く。
つまり桐山密教で「因縁」と呼んでいるのは悪因縁であり、よい因縁は放っておいて、悪い因縁を解脱すれば結果的に良い因縁ばかりになり、幸せになる、というのである。
その因縁解脱を完成する法は千座行だけ、それだけの大事業を完成する法は千座行だけ、それだけの大事業をするのであるから、千日を一日も休むことは許さない。一日でも休めばまた第一日目に戻らなければならない。教団では、行の中断を「中途挫折」といって問題にしており、単にわっっっっすれただけならともかく怠け心で千座行を休んだときは「因縁返し」という法罰が下るという。もちろん、正しい仏教からいえば何の根拠もないことである。
161 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:31
〜〜つづき〜〜
コロコロ変わる千座行の由来
千座行を始めるには、法具、経典等一式が必要である。その内容には煩瑣なのでここでは省き、法(宝ともかく)塔ついてだけ述べておこう。千座行を行うとき打敷きという三十センチ角くらいの金襴の敷物の中央やや後ろに立て、それに向かって祈る塔ので、法具の中でも最も尊いのもで、その取り扱いについては厳重な心得を教えられていた。
宝篋印塔を模した黒い炉の陶製で、中に梵字の陀羅尼(少し長い呪文のような文)が封印されている。一度封印された法塔を無断で開けたり、粗末にしたり、破壊すると甚だしい時は死に至る法罰が下ると教えられた。そのおどおどしい実話(?)が慈恵会時代の機関誌『大白身』創刊号に出ている。
とにかく千座行は単に行法に頼るだけでは因縁解脱はおぼつかない。千座行は単に行法に頼るだけでは因縁解脱はおぼつかない。千座行を始めるまでの自分の不徳を懺悔し、誤った人生観を改め、生き方を正すことが肝心と教育された。
およそなんの行でも本尊が大事である。千座行の場合准胝観世音を祀る。この観世音を本尊としたのは、桐山氏が事業失敗して縊死しようとした際に手にしたのが観音経で、その経文を見て自殺を思いとどまったからだという。爾来、この奇しき仏縁により本尊とし、その縁から千座行を布教するに至ったことになっている。
酒興として見逃せないのは、この「千座行」の由来についての桐山氏の発言がコロコロ変わっている点である。
後の項で述べる「御霊論」の表紙裏面にはこう書かれていが、これは説明会と銘打って布教した当時の 宣伝だという。
この行法の御利益は、色々の書物に伝えられておりますが、中でも源平盛衰記中、平清盛が、この法を清水寺の法王から授かって千座の行を積み、家運衰退の因縁を断ち切って満願の後、平家にあらざれば人に非ずというほどの栄華をきわめた話は有名であります。清盛は晩年、心おごって千座行者のこころがまえを逸脱して徳を積むことを忘れ、為にその利益はその身一代限りで終わって子孫にまで及ばなかったのはまことに残念なことでありました。然し、時の人は、清盛が千座行を修してこの目ざましい功徳を得たことを聞き知り
『なんとあらたかな不思議な御法であろう』
うわさをし合い、後には誤り伝えられて、清盛は魔道の法を行じたのだと云われた、ということが源平盛衰記に出ておりました。
なるほど『源平盛衰記』には
「かねて清水寺の観音を憑み奉り御利生を蒙らんと千日詣でを始めたり。雨の降るにも嵐の吹く日にも日を闕かず、千日既に満じける夜は通やしたり」
という一説がある。だがこれは千座行ではないことは本尊を見れば明らかである。清水寺の観音は『清水寺縁起』によれば、七九八年作の十一面観音である。千座行の本尊は准胝観音像でなければならないのは、仏教の常識であろう。
162 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:31
〜〜つづき〜〜
昭和四十二年二月桐山氏の法話は先師がどこの誰かは判らないが「千座行は先師から伝授された」ことになっていた。ところが同年十月の法話では「誰からも教わりゃせんこれは私が復活させたんだ」に変わってしまった。これがまたされに変わる。阿含宗立宗の4ケ月後に発行した『修業読本1』(昭和五十三年八月一日発行)には「この修行法(千座行のこと)は(中略)大導師桐山靖雄が編成したものである」とあるのである。さらに慈恵会時代の機関誌『大白身』第三号(昭和四十二年三月十五日発行)では、こんなことを言っているのだ。
「大白身法も、歴史的には弘法大師以前にすでにわが国に伝えられて、すでに一部において行じられておった形跡があるのです。
なぜ、そう伝えるかと申しますと、奈良正倉院の写経の記録の中から読みとることが出来るのであります。
すなわち天平初年、勅による写経所の記rくとして正倉院文書に残っておるものの中に、左のような記録があります」
私が調べたところ、その文書は“准胝尊”に関するお経には違いないが、桐山氏の言う“大白身法”とは無関係の経典であった准胝という文字が一致しているにすぎないのである。
平清盛にまで千座行をやらせたり、正倉院文書にまで用いて人々を欺いた桐山氏、その意味で、日本宗教史に残るかもしれない人物であろう。初めに「阿含宗は出発点からして欺瞞と虚構の上に築かれた教団である」と結論した根拠はここにあった。
宗教上見逃せない桐山氏のもう一つの嘘は、氏の僧階(僧としての階級)についてである。昭和四十二年十一月の法話で、氏は大要をこのように述べている。
同年十月、旧師北野恵宝氏と再会した桐山は北野氏から、
「高野山に行って信者と共に千座行をやりなさい。高野山の大殿(実はこのような物はないのはなく、後から判ったが、大師教会の大講堂であった)で千座行をやったならば、そのお祝いに権大僧正の僧階を贈ろう」
と言われ、その結果、高野山で桐山氏の僧階審査が行われたという。
審議会では無僧階の桐山氏がいきなり中僧正にした後に、来年権大僧正にするという条件で宗議にかけた。当然大反対された。特例も特例、いまだかってないと。審査委員の一人、北野氏は前もってっそれを予測して、慈恵会の機関誌『大白身』と『慈眼』を持って行き、「一機関紙だが内容は論文だ。これだけのものを書ける人が高野山に居るか」と委員に回覧したので審査が通って、僧階は中僧正、学階監学に決定した、という。
高野山に全く関係ない物の僧階審査など考えることもできない。私は馬鹿馬鹿しいがこの事実関係を高野山の内局に問い合わせたが案の定、その事実はないと書面で回答をいただいたのである。
163 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:35
〜〜つづき〜〜
「超能力のカラクリ」
私が阿含宗の前身、観音慈恵会に入ったのは、その「神通力」に惹かれた故であることは先に述べたが、その「神通力」の道具につかわれたのが、いわゆる「お伺い書」である。
「お伺い書」とは教団刊行物によると、「生活の中で現実に起こるいろいろな問題について、どうしても自分の判断できない事柄.....、その他結婚、仕事等に自分できめかねるとき、自分の因縁と運気を通じて会長先生より御霊示を頂くのがお伺い書」
とある。お伺い書は白いボール紙に、氏名とお伺い用件を一つだけ書き、「お伺い書」と印刷されたクラフト紙の封筒に入れ氏名、生年月日を記入しのりで封をして、職員を会長の桐山氏に渡す。すると桐山氏が先ほど出したクラフト紙の「お伺い書」の封筒と一緒に、「御霊論」と印刷されたお伺いの書の答えが返ってくる。「御霊論」を開くと桐山氏の答えを書いた複写用便箋がホチキスでとめてあり、右側に“左ノ御霊示ヲ得タリ”と印刷されている。つまり、桐山氏派封筒を開けずに中の内容を知り、的確な答えをえ(霊示)を出す、という仕掛けである。
この仕掛けはお伺い透視とか因縁透視とかいわれて、桐山氏のまれに見る超能力、神通力と信じ込まれて、東京.渋谷に道場があった昭和三十年代から、千代田区平河町に道場が移転した後も続いた。このころ入信した信者のほとんど全部が、この「お伺い書」の透視に魅惑された人々と言って過言ではない。
ところが厳重に封をした封筒の中にあるお伺い書を読みとれたのは、桐山氏の超能力のせいではなかったということが判明する事態が起きた。
昭和四十二年春ごろ、世田谷道場での出来事である。会長室出入り自由幹部が入室した際、誤って足元の容器を蹴飛ばした。なかの液体がそばにあった封筒にかかった。わてt拭いたところ、中の字が透けて見えた。“透視”のトリックを見破ったその幹部は、他の幹部を招集して会長室の桐山氏を糾弾した。一般信者は知らない桐山氏の犯罪についても幹部からなじられた桐山は「申し訳なかった」と手をついて謝ったが、なおも続く厳しい糾弾に「以下巣も殺すも勝手にしてくれ」と居直ったので、幹部たちは気勢にひるんだという。
お伺い書はその後何事もなかったようにそのまま続いたが、次々に発刊する桐山氏の本を見て入信する信者の増加に追いつけず、特に秘密を要するお伺いの他は開封にさせるなど対処したが、桐山氏の個人処理揚力に委ねるほかないこの秘技は、昭和五十年代の初めには事実取りやめになっていった。
164 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:40
〜〜つづき〜〜
桐山氏を一躍有名にさせたのは『変身の原理』のベストセラー化と、同書で紹介された「念力の護摩」であろう。マッチやライターなどの道具を使わず「念力」で火をつけるという護摩である。
この護摩の発火の成功は、一番最初は京都道場において、昭和四十五年一月三日ということになっているが、教団機関誌『大白身』第五号(昭和四十五年四月十五日発行)の信者の体験談集によるといまひとつ歯切れが悪い。「一月三日一回目は発火後立ち消え、四日の一回目は煙だけで立ち消え二回目は立ち消えたので、傍らの燭台のローソクの火で点火した」とある。
京都で焚かれた以後、三年間は非公開であった。公開に踏み切ったのは昭和四十八年四月二十八日東京道場改築落慶法要の前夜祭であった。招待した各界の人士の目の前で行った「念力の護摩」は失敗であった。翌二十九日も再び挑んだが、脇導師の私の注視するなかで一条の白煙が上がって消えた。
両日とも明らかな失敗であったにもかかわらず、宗教新聞の中外日報五月二日号によって、公開の模様がさも成功したように錯覚する筆致でほうどうされたので、桐山氏は常識では不可能な「念力」による護摩を焚いた偉大な超能力者として、その審議がマスコミで賑々しく問われるようになり、つのだじろう氏のマンガにまで登場することになった。
護摩について少し解説しておこう。もともと護摩とは知恵の火で煩悩を焼くことを意味する密教の行法であり、点火器を使うか使わないかについては重要な意義を持たない。火を燃やさないで行う観念上の護摩を内護摩といい、精神的な解脱を目標にし、行者自身を炉として、行者の煩悩を焼く修法である。この内護摩を目でも見えるように儀礼化したのが、実際に火を点ずる護摩といえる。
その外護摩の点火にマッチやライターなど点火用器具を使わないで焚いて見せることは、超能力デモンストレーションになり、大衆受けするのは当然である。
165 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:48
〜〜つづき〜〜
着火のメカニズムは桐山氏は次のように語っている。以下は例祭法話のようやくである。
「四人の脇導師が一せいに火を切る。その火は一瞬に内に消え、凡眼には見えない四つの小さな火点となって散在している。それが火種である。火のないところから火は出せない。その火点をわたしが印をむすんで二@`三分の内に念力で一点に集中拡大して火の固まりにする。その火の固まりを前以て炉上に敷いてある奉書紙の火天の象徴の梵字に収斂して発火させる。その際の信者の火天呪の斉唱も発火に大いに助勢される」
ではこの桐山氏の力説ははたして本当なのか。当時、私と同様に桐山氏と咫尺の間で脇導師として府座した元北陸本部長の某氏はその当時の模様を次のように語った。
「法の次第も進んで、桐山氏が結印し『ウーム』と気合いを入れないさきに“ボボッ”と火が出たので“ハハーン、インチキや”と思った。あんなもん火薬の調合と一緒や」
また東京道場の某幹部はこうも言った。
「桐山氏が散杖の先に酒水器の水を付けて振った時、 突然ボッと大きな音がしてその瞬間に奉書の紙の梵字から橙色のきらめく火が出たすぐに消えて白煙が立ち登り火薬の臭いがした。」
まだ「念力」を入れない先にである。この人は後に桐山氏の師匠、姫路の北野
恵宝氏の門人となった。その折りに北野氏から「あれは私が教えたトリックだ」とハッキリ聞いている。
桐山氏は昭和四十八年四月二十八日、九日の東京道場での失敗を最後に「念力の護摩」をやめてしまった。
166 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 04:50
〜〜つづき〜〜
いわば<回転宗教>
慈恵会でじゃ、入会してもすぐに辞める信者が跡を絶たなかった。ある時例祭にそれを憂えた一信者が、
「桐山先生、入信しても定着しない信者が相当います。こんなことでは、慈恵会は容易に大きくなれないとおもいますが」
と質問したところが、桐山氏は落ち着き払らってこう答えた。
「そんなことは問題にならん。新興宗教はどこでもそうだが、うちの場合、入信者の二割残る。これは歩留りの大変良い方で、これだけ定着すれば大したものです。
そう言っても、教団の成長発展を願わない教祖はいない。この桐山氏の答えは信者に弱みを見せたくない教祖の、本心を隠す虚勢であったのだろうか。
このころ、教義的に第一作『幸福への原理』の延長上にあっても、カタカナの外来語をふんだんに用い、抹香臭さを偽装した『変身の原理』を出版する本を見て入信する超能力、オカルト志向の信者の急増によって事情は一変して行き、桐山氏の自信は深まっていく。
何事にも喰いかけては途中でやめる桐山氏の本来の性格に見切りをつけたり、経済的についていけず脱落する信者も出ているが、入信者の自然脱会は前以て折り込み済みの現象なのである。どんどん入信すれば、次々に辞めていっても、仏具の法具の購入等でフレッシュマネーを落としてもらえば一向痛痒は感じないだろう。また、あまり長く居て桐山氏や教団のアラを見過ぎた信者は、新入信者には悪影響があるから、特定の幹部を除いてはほどほどにお引き取り頂いた方が好都合であるともいえる。辞める以上に入信する信者がいれば、つまり“信者増加率”さえよければ、教団は確実に伸びていく。 桐山氏にとっては、この阿含宗とはいわば<回転宗教>ともいえるものなのである
167 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 05:10
〜〜つづき〜〜 これでおしまい〜〜バイバ〜イ
さて冒頭に述べた“献金疑惑”の結末はどうなったのであろうか。
「NECの阿含宗献金疑惑 前収公安長官訴追せず」これは下野新聞平成四年二月八日(土)のみだしである。童心文は次のように報じている。
「日本電気のこもんが関係する『阿含宗』による州政府高官への献金疑惑を捜査していた米バージニア州検察当局は六日夕(日本時間七日朝)、昨日十二月に引責したサザード前州公安長官を利害抵触法違反で訴追しない決定を下した。と発表した。
テリー州司法長官が発表した捜査報告によると、サザード前長官が昨年四月末、...日本へ無料招待された際の経費さらに日本で手渡された多額の現金については阿含宗かNECか解明できなかった。
州検察当局の捜査は@前長官がその職務権限内で、阿含宗やNECに何らかの便宜を図ったみかえりとして、日本に招待され現金を受け取ったA具体的には、州警察が一九八七年にNEC社製の自動指紋照合システムを導入したことへのほうしゅうだったかB現金収受などが将来職務遂行に影響する恐れがあったか−の三点に絞られ、いずれに「ついても訴追につながる証拠がないとの結論が出た」
この事件について『阿含宗報』中に「(人形の)代金相当の現金を差し上げて好きな人形をかって頂くことにした」、そして「この現金は返却された」と明記している。またどう週報に記録されている「IACPの公式見解」でも「金の入った包みが贈呈さた。...理事会メンバーに提供された資金はすべて返却され...」
IACP、阿含宗双方が現金授受を認めているにもかかわらず、米捜査当局が「現金の出所は解明できなかった」としているのは面妖な話である。あるいはこれも、この教団特有の「念力」のおかげ、ということなのだろうか。
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219 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 09:14
24時間ぶっ続けスレッドか?きちがいだね。
このスレッドで,横浜じじい=ヌマエビが証明されたわけだ。
結局阿含宗批判の書きこみは,横浜じじい一人なんだね。
こいつの特徴は
「24時間書きこみ」。他人のふりをしてもすぐわかるよ。
220 :
よーち@おばかさん :2000/10/05(木) 09:45
すごいですねぇ。
1晩で阿含宗資料集(堤真寿雄詐欺のテクニック集)が出来上がってしまいましたねぇ。
それにしても、219はよーちおばのカキコのそっくりコピペですね。
おばさんは、アメリカへ行ってるかもしれないし、行っていないかもしれない、
というよーちな撹乱戦法のためにカキコしないと宣言したんだから・・・。
でも・・・。
221 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 10:06
凄いぞ,こいつは保存版にしよう
もっと充実させてくれ
探しやすいようにINDEXも付けてくれ
222 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 10:10
よーちえんが暴れたお蔭で
阿含宗真相暴露リストが出来てしまった
因果応報か。
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「一九九九年七の月」1 インドから始まった
桐山氏が世紀末破壊を本格的に書いたのは、1981年の「一九九九年カルマ
と霊障からの脱出」です。
この本を要約するなら、次のようになります。
1980年、桐山氏はインドの祇園精舎の「ミラクルの池」で、釈迦から
「白銀のバイブレーション」によるメッセージを受けた。
それによれば、世紀末に霊障(霊的祟り)による地球的破壊がおきる。
このことはノストラダムスの予言とも一致する。
世紀末の破壊のとき、人類を救うためにアンゴルモアの大王がよみがえる。
アンゴルモアの大王とは、霊障を除去する釈迦、あるいは釈迦の成仏法である。
地球壊滅のとき、桐山氏は再び祇園精舎に来て、釈迦を日本に移す。
桐山氏はアンゴルモアの大王をよみがえらせ、地球壊滅から人類を救済する。
桐山氏は、釈迦からテレパシーでの世紀末の地球壊滅を教えられ、人類救済の
使命を負わされたという話です。
「一九九九年七の月」2 ミラクルの池
この本の中の見せ場は、釈迦からの「白銀のバイブレーション」です。
桐山氏はこれを祇園精舎にある「ミラクルの池」から受けたとあります。
桐山氏によれば、ミラクルの池とは、昔、釈迦が空中を浮遊し、池の上に降り
立ったとき、身体の半々が火と水になって奇跡を示した場所です。
1981年初護摩(正月の護摩)で詠んだ4つの和歌うち2つにミラクルの池が
出てくるように、ミラクルの池は重要なキーワードでした。
2500年前に奇跡を行った釈迦が、そのミラクルの池に桐山氏宛てに残した、
人類救済のための白銀のバイブレーションという組み合わせは、信者たちに
深い感動を与えました。
指導者である桐山氏が釈迦から直接、人類救済者に任命されたのです。
この後、阿含宗は爆発的な布教活動を開始します。(114参照)
布教の起爆剤こそがミラクルの池と白銀のバイブレーションの話です。
桐山氏は、祇園精舎の中にミラクルの池があると紹介しています。
祇園精舎を案内したのは、祇園精舎の入り口に建つスリランカ寺の初代管長です。
桐山氏の指さす場所を初代管長が「ミラクルの池です」と言ったと書いています。
スリランカ寺の初代管長は1984年に亡くなりました。
幸い、その前に、ミラクルの池を確認に行った信者たちがいます。
「一九九九年七の月」3 ミラクルの池とは何のことか?
桐山氏の数年後、信者がミラクルの池の確認に祇園精舎を訪れています。
スリランカ寺初代管長にミラクルの池の案内を頼みました。
するとスリランカ寺初代管長は、
「ミラクルの池とは何のことか?
祇園精舎の中にミラクルの池などというものはない」
と答えました。
桐山氏にミラクルの池を教えたはずのスリランカ寺の初代管長が、ミラクルの池
など知らないと答えたのです。
スリランカ寺初代管長は「ミラクルの池」を繰り返す信者を気の毒に思い、
オーラジャルに案内してくれました。
オーラジャルとは、釈迦が奇跡を示したという伝説のある遺跡です。
祇園精舎から南東方向に2qほどいったところにあるストゥーパ(仏塔)です。
もちろんオーラジャルにもミラクルの池などありません。
「一九九九年七の月」 4.桐山氏のミラクルの池
近年、信者の一人が祇園精舎を訪れました。
現在のスリランカ寺管長に聞いても「ミラクルの池などない」という返事でした。
ミラクルの池など祇園精舎にも、他のどこにも最初から存在しないのです。
経典にはもちろんのこと、伝説にすらミラクルの池などありません。
スリランカ寺の管長が桐山氏に「ミラクルの池」などと言ったはずがありません。
そんなものが祇園精舎にあると告げたはずはありません。
「桐山氏のミラクルの池」は現在も祇園精舎に存在します。
通路に面した一辺が10mもない窪地で、雨期には池になる場所です。
この窪地は釈迦が奇跡を行ったなどという伝説のある場所ではありません。
釈迦が何かをなしたところには必ずストゥーパ(仏塔)などの遺跡が残ります。
「桐山氏のミラクルの池」のように、窪地として放置されることはありえません。
332 :
転載 :2000/10/05(木) 16:09
「一九九九年七の月」 5.存在しないミラクルの池
桐山氏が白銀のバイブレーションが来たという窪地を指して「あそこは何か」
と質問したから、スリランカ寺初代管長は「池だ」とでも答えたのでしょう。
雨期には水が貯まるから池だと答えただけです。
その前後に、スリランカ寺初代管長は釈迦がなした奇跡の話をしたのでしょう。
桐山氏はこれをゴチャ混ぜにしてミラクルの池を創作したのです。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」では、ミラクルの池と白銀のバイブレー
ションは重要な柱でした。
だが、ミラクルの池は根拠のない単なる物語だったのです。
バジアン予言(216〜参照)のように、自分に都合のいいように作り上げたのです。
桐山氏はこれをインスピレーションだとか、仏陀の智慧だと主張します。
現実と一致すれば、インスピレーションや智慧と言ってもいいでしょう。
当たらないインスピレーションや智慧を妄想といいます。
そして、桐山氏の場合、妄想がとにかく多い。
信者をあおりたてたミラクルの池は桐山氏の妄想にすぎなかったのです。
では、白銀のバイブレーションはどうでしょうか。
「一九九九年七の月」 6.白銀のバイブレーション
白銀のバイブレーションは桐山氏だけが感じました。
当然の事ながら、すぐそばにいた数十人の人たちは何も感じませんでした。
白銀のバイブレーションが本物かどうかは、19年後の結果をみれば十分です。
ミラクルの池と同様に、なんの根拠もない桐山氏の妄想話です。
桐山氏は、白銀のバイブレーションを受けたとき、高層ビルのある空が真っ赤に
燃える未来の光景を見て、また、すさまじい戦慄と恐怖を感じたといいます。
世紀末の地球壊滅のビジョンを見たというのです。
だが、桐山氏の予言とも、白銀のバイブレーションのお告げとも違い、1999年に
地球が壊滅することも、その兆候もありませんでした。
では、彼が見たこと、感じたことは何だったのでしょうか。
桐山氏はまったくの作り事、嘘を書いたのでしょうか。
「一九九九年七の月」 7.白銀のバイブレーションと疲労
1980年の桐山氏一行のインド旅行は、約二週間でした。
インド旅行は、団体旅行でもきついものです。
慣れない食べ物でたいていの人は下痢します。
インドの仏跡はほとんどが田舎にあります。
この旅行では、朝早く出発し、夜遅く到着しました。
睡眠不足と連日の長時間のバス旅行は身体に負担がかかりました。
この旅行に参加した信者によれば、疲労困憊で、病人が続出したと言います。
移動に時間がかかるし、1980年当時、ホテルの設備も十分ではありませんでした。
強行軍であったため、予定が消化できず、桐山氏は、釈迦が亡くなった
クシーナガル行きを諦めています。
祇園精舎は一行が最後に訪れた仏跡でした。
ツアーが始まって8日目です。
桐山氏は自分が超人的な体力を持っていると言います。
しかし、このインド旅行では、桐山氏はミネラル・ウォーターをスーツケース
一つ分も持参したといいます。
また、「脳梗塞」(197〜)を見てもわかるように、桐山氏が特別な身体を持って
いる訳ではありません。
当時、59歳だった桐山氏もまた疲労の極に達した状態で祇園精舎を訪れています。
これは妄想や幻覚を見るのには十分な条件です。
「一九九九年七の月」 9.白銀のバイブレーションと脳障害
桐山氏は一時的な意識障害を起こした可能性があります。
今日、桐山氏が脳梗塞を患っていることをみれば、ありえない話ではありません。
旅の疲労やストレスから脳の一部に障害が生じ、白銀のバイブレーションと
なったり、損傷の信号が、桐山氏の記憶に刺激を与え、燃える空の映像や、
激しい恐怖感を引き起こした、という可能性です。
老人などは睡眠不足や過労から、卒中発作の意識障害をおこすことがあります。
これらは幻想、幻覚、幻聴を伴うことがあります。
本の中では、
「声が突然すうっと遠のいた」
「がぁんと、頭から頬にかけてなぐられたような衝撃」
とあります。
意識障害の始まりとしてはありえる症状です。
19年後の結果から見ると、桐山氏の頭の外ではなく、頭の中でおこったことです。
桐山氏は59歳で、疲労の極にあれば、脳障害がおきてもおかしくありません。
次の事実も脳に障害がおきたことをうかがわせます。
333 :
転載 :2000/10/05(木) 16:10
「一九九九年七の月」 10.白銀のバイブレーションは脳障害
桐山氏は、祇園精舎の後、ラクナウのホテルで自動書記があったと書いています。
自動書記とは手が勝手に動いて、文字などを書くものです。
自動書記は、桐山氏の大量の著作の中でも、これ一件のみです。
普段から自動書記が得意技ではなく、この時だけです。
この時の自動書記は桐山氏にとっても特殊な状態であったことを意味します。
脳梗塞などで身体の一部が機能障害をおこすことはよくあります。
脳障害が手の震えとなって現れ、それを桐山氏は霊動、自動書記と解釈したの
でしょう。
自動書記の原文は、脈絡がなかったことを桐山氏も認めています。
桐山氏が公開した自動書記文は、原文を元に桐山氏が書き直したものです。
原文は脈絡がないどころか、文字にすらなっていなかったのでしょう。
震える手に鉛筆をにぎらせても、何も意味がありません。
原文は公開しないのではなく、できないのです。
脳障害による手の震えが、桐山氏の豊かな空想力と激しい思いこみによって
自動書記になり、創作されたのが、公開された自動書記文です。
幸い、白銀のバイブレーションも自動書記も一過性のものとして終わりました。
脳卒中などの専門の医者に、桐山氏のこの本を読んでもらい、意見を聞いてみた
いものです。
信者たちは19年間、単なる意識障害からおきた白昼夢につきあわされたのです。
結果を見る限り、それはほとんど事実でしょう。
「一九九九年七の月」 11.事故
阿含宗のインド仏跡ツアーは班に分かれていました。
桐山氏の班では、バスが横転して、中に乗っていたインド人が両足切断という重
傷を負いました。
日本人はバスを降りていたので、被害はありませんでした。
別な班では、バスがバウンドして、多数の信者が打撲傷を負いました。
一人は骨にヒビが入り、移動に支障が出ました。
旅先で事故がおきても、ましてやインドでは何があってもおかしくありません。
しかし、予知能力を持ち、仏に守られているはずの桐山氏の周囲で、因縁解脱の
修行をしている信者を含めて次々と事故がおきるのでは、ご都合の悪い話です。
奇跡の白銀のバイブレーションの背後で、平凡に信者が病気をし、ケガ人まで
出たのではサマになりません。
信者は帰国後もこの件は話したがりませんでした。
この時参加した信者は、職員を含めて、やめてしまった人が大半です。
桐山氏と白銀のバイブレーションにとってはそのほうが都合がいいでしょう。
「一九九九年七の月」 12.ブッダになる
白銀のバイブレーションの話は、桐山氏の常として、時間とともに針小棒大に
膨らみ続けました。
桐山氏は本で、自分が「聖者」であることを高らかに宣言しました。
釈迦を「聖師」と呼び、自分が釈迦の「成仏力」を受け取れる器を持った唯一
の弟子であることを誇らかに宣言しました。
桐山氏は、祇園精舎の数日後、デリーのホテルで信者たちを前に、
「自分は死ぬまでにブッダになる。完全なブッダとなって死ぬ」
と宣言しました。
帰国後の各地での講演会でも、ブッダになって死ぬ、と繰り返しました。
ミラクルの池と白銀のバイブレーションは桐山氏をブッダ宣言に導きました。
意識障害からおきた白昼夢で、桐山氏は聖者になり、釈迦の真の弟子になり、
完全解脱することになりました。
桐山氏は今日に至るまで自分がブッダになったとは言っていません。
90年代初め、桐山氏に、オベッカ信者の一人が例祭(月一度の集まり)で
「猊下(桐山氏)をブッダと呼ばせてください」と言いました。
桐山氏はこれを認めませんでした。
桐山氏にも羞恥心が残っていたようです。
334 :
転載 :2000/10/05(木) 16:12
「一九九九年七の月」 13.メシアへの道
桐山氏は1988年「一九九九年地球壊滅」という小説を出しました。
地球壊滅の時、アメリカにメシアが現れ、日本のスゴイ宗教家が力を貸す話です。
スゴイ宗教家は明らかに桐山氏で、我田引水の自慢話です。
この本を表題どおりに小説や桐山氏の未来予測と見たら何の価値もありません。
しかし、当時の桐山氏の頭の中を示すものとしては一級資料です。
桐山氏の地球壊滅の妄想と自己評価の高さを自ら明らかにした貴重な資料です。
オウム真理教の麻原被告はいろいろな面で桐山氏を模倣したと報道されています。
しかし、一つ重要な指摘がされていません。
地下鉄サリン事件が「一九九九年地球壊滅」をヒントにした可能性です。
この本はカルト集団が原発を攻撃し、ハルマゲドンを人為的に引き起こす話です。
警察の捜査で、オウム真理教は原発の調査をしていたことがわかっています。
麻原被告は勉強熱心ですから、桐山氏の著作から重大なヒントを得たのでしょう。
この本では、メシアと桐山氏とが別々の人物として描かれています。
桐山氏は、自分で自分をメシアだと呼ぶことにまだ恥じらいがあったのです。
この本は、自分をメシアと呼んでくれ、という桐山氏からのサインでした。
信者たちは、聖者様ともあろうお方が、そこまで子供っぽい欲望を持っている
とは思いませんから、誰も気が付きませんでした。
数年後、信者の一人が気付き、桐山氏はメシアに出世するチャンスが訪れます。
「一九九九年七の月」 14.そしてメシアになった
1990年に出た「メシア出現」はいろかわちひろ氏が編集したことになっています。
いろかわ氏は阿含宗の長年の信者で、先達(指導的信者)です。
実際は、いろかわ氏が数十枚程の原稿を書き、このままでは本にならないので、
桐山氏の指示に従って、出版社が作り上げたのです。
桐山氏は、自分を人類救済のメシアだと言ってほしくてウズウズしていました。
ちょうど、いろかわ氏がそれをやってくれたのです。
桐山氏はメシアだと言われたのではなく、自分で言ったのです。
この本は簡単に言えば、桐山氏のメシア(救世主)宣言です。
桐山氏は「メシア出現」でメシアだと言われてよほどうれしかったのでしょう。
この後、メシア和讃を最初にやったいろかわ氏を重用します。
阿含宗神戸道場を「メシアの館」と名前を変えてみたりと、大はしゃぎをします。
「自分がメシアであるかどうかわからないが・・・」
と桐山氏は信者を前に何回かうれしそうに話したことがあります。
桐山氏がメシアと呼んでほしかったこと、いろかわ氏がそれで桐山氏の寵愛を受
けたことに先達たちが気づくと、なりふりかまわずのメシア連呼が始まります。
そして二匹目のドジョウを狙ったのが360の「ブッダと呼ばせてください」です。
先達たちは、裸の王様のお召し物のすばらしさを競ってほめちぎったのです。
メシア宣言が1990年です。
その前後から桐山氏の本には独自性が薄れます。(274参照)
桐山氏はこの頃から勲章や肩書きなどの大量の名誉をもらうようになります。
一連の出来事がほぼ同時期に起きているのは偶然ではありません。
桐山氏の脳が老化し、名誉欲がむき出しになり、自分はただものではない、特別
な人間なのだという思いこみが「メシア妄想」にまで発展したのです。
妄想はさらに発展を続けました
335 :
転載 :2000/10/05(木) 16:13
「一九九九年七の月」 15.さらにアンゴルモアの大王に
桐山氏は1996年6月、モンゴルで護摩を焚いたとき、
「アンゴルモアの大王とは自分である」
と宣言して、信者から大喝采を受けました。
アンゴルモアの大王は自分だと臭わせる話はこれよりも前からしています。
1981年に出た「一九九九年カルマと霊障からの脱出」の話はまさにそうです。
桐山氏によれば、世紀末の地球壊滅を救えるのは釈迦の成仏法です。
桐山氏の言う釈迦の成仏法を体得しているのは桐山氏だけです。
釈迦の成仏法を意味するアンゴルモアの大王とは、桐山氏の他にはいません。
最初から、桐山氏は自分がアンゴルモアの大王だ、メシアだと言っているのです。
桐山氏はモンゴルで護摩を焚いて、雨を降らせ、山火事を消したと宣言しました。
桐山氏によれば、モンゴルの山火事は「恐怖の大王」の仕業です。
桐山氏はアンゴルモアの大王として、恐怖の大王と戦って、勝ったというのです。
桐山氏はまた自分は「無能勝明王」であるとも宣言しました。
無能勝明王とは、釈迦の成道を邪魔した悪魔を退散させたという密教の仏です。
これらのストーリー展開を見ると、桐山氏は隠れアニメファンかもしれません。
阪神大震災を予言できず、桐山氏は世紀末破壊予言に自信がなくなっていました。
しかし、モンゴルで恐怖の大王に勝利した桐山氏は、再び自分の妄想に自信を深
め、アンゴルモアの大王の宣言をしたのです。
桐山氏はアンゴルモアの大王に即位し、いよいよ1999年を迎えました。
「一九九九年七の月」 16.地球を救う桐山メシア
1999年、釈迦の代理人であり、アンゴルモアの大王たる桐山氏が、恐怖の大王に
蹂躙された世界中の人々から、地球を救うメシアとして大歓呼で迎えられる準備
ができました。
桐山氏は、釈迦から与えられた1999年の地球救済の使命を果たすことで、その
偉大な功徳によって、ブッダとなり、栄光のうちに入滅するのです。
桐山氏の名前は、地球を救ったメシア、予言されたアンゴルモアの大王、完全解
脱したブッダとして、永久に歴史に残るのです。
桐山氏の頭の中では、世界中からのメシアコールが鳴り響いていました。
1999年の晴れの舞台に出る瞬間、桐山氏は長年望んでいた「自分はやはりただも
のではない」という自尊心の深い満足を得るはずでした。
その時こそが、長年、桐山氏を前科者、エセ宗教家、エセ霊能者、嘘つき、ほら
吹き、誇大妄想狂、ペテン師、いかさま師、詐欺師呼ばわりしてきた連中を見返
せる重大な瞬間なのです。
桐山氏は、たくさんの勲章をつけたアンゴルモア大王の服装をして、モンゴルで
の成功に酔いながら、舞台の袖で自分の出番の瞬間を待っていました。
だが、ついに桐山氏に出番の声がかかることはありませんでした。
「地球壊滅」などという劇は最初から存在しなかったからです。
万雷の拍手をする観客もいませんでした。
現実は、阿含宗という借金だらけの田舎芝居小屋に、華々しい主役を演じて拍手
をあびる自分を空想している桐山氏と、妄想を信じた信者が残っているだけで、
客席は最初から最後まで空でした。
では、桐山氏が描いた世紀末地球壊滅の晴れの一人芝居を見てみましょう。
336 :
転載 :2000/10/05(木) 16:14
「一九九九年七の月」 16.3度目の原爆
インドから帰国後、桐山氏の世紀末破壊の脅迫的妄想はもっと具体的になります。
1982年の「輪廻する葦」の中で、「原爆は三度落ちる」と題して、次のように書
いています。
「原爆はこの国にもう一度落ちる。それがわたくしには見えるのだ。」
いつ落ちるとは書いていないから、この予言がはずれたとは言えません。
しかし、その前後から、1999年に原爆が落ちるという意味でしょう。
1984年の「間脳思考」では、次のように書いています。
「読者よ、いまや、人類は二つの道を選択するギリギリの時点にさしかかった。
核ミサイルによる地獄の業火か、シャカの仏法によるきよらかな霊光(オーラ)
か、二つに一つである。」
この2冊の本では、1999年には核ミサイルが日本に飛んできて、日本に3度目の
原爆が落ちるのだ、と述べています。
1984年、日本武道館で、ダライ・ラマといっしょに護摩を焚きました。
桐山氏は全国から集まった約一万人の聴衆に前述の内容を熱く語りかけました。
後で、この場面を見ると桐山氏本人も感動すると言っていたほどです。
桐山氏の自信に満ちた感動的な言葉で、三度目の原爆が落ちる、自分には見える
のだ、言われれば、多くの信者が信じたとしても、おかしくありません。
だが、桐山氏の目にはっきり見えたはずの原爆はこの後、様変わりします。
「一九九九年七の月」 17.原爆から原発崩壊へ
1988年の「地球壊滅」は、原発をテロリストが攻撃して、大惨事になると
いう小説です。
1984年までは原爆で、1988年に原発崩壊と様変わりした原因はなんでしょうか。
もちろん、1986年におきたチェルノブイリ原発事故です。
冷戦時代には、ソ連が攻めてくる、核ミサイルが飛んでくるのではないか、
という恐怖感が日本の中にありました。
だから、1986年以前は、桐山氏は核ミサイルを持ち出しただけです。
当時、桐山氏は、北海道の信者に、個人的な恨みでもあるのかと思う程、
因縁が悪い、レベルが低いなどと、吐き捨てるように脅迫していました。
信者たちは、桐山氏の霊眼には北海道の破滅的な未来が見えているから、
救うために、叱咤していると信じていました。
その頃、北海道にソ連が攻めて来る、核攻撃があるという話がありました。
単に、桐山氏もまたこういう噂を信じて、利用していただけです。
原爆や核ミサイルが「それがわたくしには見えるのだ」とまで書いているのに、
1986年からは事情が変わったから、さっさと原発崩壊に乗り換えたのです。
桐山氏のいう未来予知とは何かを示す典型的な例です。
素人でもやれる予測に桐山氏の思いこみを加えると、予知能力になります。
そして、桐山氏はこの思いこみを仏陀の智恵だと信じています。
もっとも、見方によっては、次の事は智恵かもしれません。
337 :
転載 :2000/10/05(木) 16:14
「一九九九年七の月」 18.はずれた時の逃げ道
予測ですから、桐山氏にも地球壊滅を当てる自信はありませんでした。
予言がはずれた場合に備えて、逃げ道はかなり早い時期から準備してありました。
最初の本「一九九九年カルマと霊障からの脱出」でさえ、地球壊滅が1999年
だとは一言も書いていません。
「現世成仏」(1983年)では、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を解説して、
「その大災害が一九九九年に起きるかどうかはわからないが、わたくしの生涯の
うちに起こるということはたしかである。」
と、1999年と限定するのを避け、逃げ道を用意しています。
桐山氏の言葉どおり彼が120歳まで生きるのなら、当時残り60年近くあります。
60年もあれば、何か大災害がおきるか、あるいは予言も忘れさられるだろうし、
起きなくても、死んだ後なら、桐山氏は何を言われても痛くありません。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」では、題名からして「一九九九年」を
使い、ノストラダムスの「一九九九年七の月」の予言を出しています。
それでいて、「一九九九年に起きるかどうかはわからない」とは、桐山氏らしい
逃げ方です。
桐山氏は責任感が希薄で、言い抜けがお得意だから、いいでしょう。
バカを見たのは、桐山氏の言葉を文字どおり信じたまじめな信者たちです。
「地獄の業火かきよらかなオーラか」を文字通り信じて布教していました。
桐山氏は自分の逃げ道だけは最初からしっかりと確保していたのです。
御大将は、雑兵を残して、いつでも真っ先に逃げる準備をしていました。
これが桐山氏の言う21世紀の仏陀の智慧かもしれません。
「一九九九年七の月」 19.信者への脅迫と自分の逃げ道
1999年が近づくと、桐山氏は逃げ道を確保しながら、さらに脅迫を強めます。
1995年に出版した「一九九九年七の月が来る」では、
「横変死の因縁を持つ人は、十人中四人」
「無事である人は、10%しかいないのである」
「つまり、一九九五年から「危」に入って・・・・2000年に「滅」を迎える」
横変死の因縁とは、事故死、自殺、他殺などで死亡することを意味します。
ここでは、世紀末の地球壊滅で大量死があることを言っています。
これほどの脅迫をしながら、同じ本で、
「20001(原文のまま)年に、回復、安定に向かう」
「・・・2002年から、地球は回復・安定していくからである」
と書いています。
人口の4割が死ぬほどの大災害がおこりながら、その数年後には、回復し安定す
るというのです。
第二次世界大戦すら、日本人の死者は人口の1割に達しませんでした。
それが4割も死に、後の5割が傷ついたら、回復、安定などありえません。
このような矛盾した予言を出したのは、片や信者を脅迫しながらも、片や自分の
逃げ道を確保するためです。
1999年に何も起こらなければ、「自分は前から回復し安定すると予言していた」
と言い抜けるつもりでいたのでしょう。
実際、後で桐山氏はそれをやりました。
338 :
転載 :2000/10/05(木) 16:15
「一九九九年七の月」 20.横変死4割
桐山氏の言う横変死が4割という数字はどこから持ってきたのでしょう。
桐山氏は数字に弱く、彼の数字はあてなりません。
この時期、桐山氏は因縁霊視(165〜参照)はしていません。
数字は因縁診断(158〜参照)から持ってくる以外にはありません。
因縁診断は信者からの聞き取りによる自己申告であり、根拠がありません。
では、因縁診断でどうして4割もの横変死が出たのでしょう。
信者を脅迫するために、横変死の因縁は最も効果的です。
その結果、横変死の因縁が因縁診断では自然に増えるのです。
先祖や親戚筋まで探せば、たいてい一人くらい事故死、自殺、他殺はいます。
一人でもいれば、その信者には横変死の因縁を付けます。
4割に横変死の因縁があるのではなく、4割に横変死の因縁を付けたのです。
桐山氏は、自分で横変死が増えるように指示して、その結果をもってきて、
今度は、脅迫の材料に使ったのです。
自分で作った恐怖に自分で恐がってみせたのです。
桐山氏は自分で数字を増やしてしまったことにすら気が付いていないでしょう。
4割という数字を案外本人は信じています。
桐山氏の求聞持脳での直感や数字はせいぜいこの程度です。
「一九九九年七の月」 21.テロリストから大地震へ
桐山氏は、阪神大震災の数ヶ月後に「一九九九年七の月が来る」を出しました。
この本では活断層の一覧表を示し、大地震で原発が崩壊すると方向転換します。
ソ連を恐れていた時代の本では核ミサイルでした。
原発事故がおきると、テロリストによる原発崩壊でした。
阪神大震災がおきると、大地震による原発崩壊になりました。
北朝鮮がミサイルの実験をすると、核ミサイルをまた出しました。
結局、桐山氏の心にある不安や恐怖感を予言と言っているにすぎません。
阪神大震災は桐山氏にとっても相当なショックだったのでしょう。
桐山氏は地震の前日1月16日に京都の総本殿で冥徳祭の護摩を焚いていながら、
まったく地震を予知できなかったからです。
一〜二週間前からゴキブリやネズミすら騒いでいたのに、「事物の明快な認識と予
知」を一番目の超能力としてあげ、大地震は信者に事前に伝えると豪語していた
桐山氏が、すぐ近くでお得意の護摩を前日に焚いてさえ予知できなかったのです。
後に、桐山氏は、「仏像」という仏からのシグナル(ご霊示)があったと話しました。
仏像は九州から紀伊半島を横切る活断層「仏像線」に関係しているというのです。
この仏像線にそった活断層近辺で、近い将来大地震がおきるという意味です。
活断層の一覧表を見た時、桐山氏は仏像線という変わった名前に目がいったので
しょう。
仏像線のことはすっかり忘れた後、道場の仏像を見たとき、何か思い出せない感
覚にとらわれ、それを仏からのご霊示と称したのです。
普通の人なら自分の記憶を疑うところを、桐山氏はご霊示にしてしまいました。
もちろん、この思い込みと思い付きの大予言は今でも実現されていません。
339 :
転載 :2000/10/05(木) 16:15
「一九九九年七の月」 22.十三救いの輪運動
90年代中頃、桐山氏は、信者数増加のための露骨な脅迫策を打ち出します。
1996年8月から始まった「十三救いの輪運動」です。
信者1人が13人の新しい信者を獲得する(導く)という運動です。
桐山氏は、
「13人導けば、1999年の地球壊滅の時、命を保証する」
と断言しました。
逆に言えば、13人入信させなければ命は保証しないというものです。
これは「救いの輪」ではなく、「脅迫の輪」です。
桐山氏は、「一九九九年七の月が来る」の中で、横変死40%を出して、
「あなたは、この10%の中に入るか、40%の中に入るか、どちらだと思っているであろうか。
また、あなたの最愛の人は、どうであろうか?」
と「最愛の人」までひっぱり出して、人質にしました。
信者が減り、経済的にも苦しくなり、桐山氏お得意の一発逆転を狙ったのです。
世紀末破滅を脅迫の材料に使えるのは後数年しかありませんでした。
信者を増やしたいという桐山氏の切なる思いが文章から垂れ流しになっています。
「一九九九年七の月」 23.十三救いの輪運動の中身
十三救いの輪運動とは、13人を新たに信者として獲得することです。
これまで何人獲得していようが、まったく関係ありません。
桐山氏の言うように、人を助ける徳で自分も助かるというのなら、これまで入信
させた信者の数も数えるべきでしょう。
長年、桐山氏の言う行をやって因縁が切れているはずの人はどうなのでしょうか。
桐山氏の信者へのノルマはこのように前の事は完璧にリセットされます。
常に新しい数字を要求します。
目的が、信者の因縁を切ったり、助けることではなく、信者の数だからです。
13人を獲得できる信者は珍しいでしょう。
当然、そこではごまかしがおこります。
家族を無断で入信させたり、人数をそろえて、ノルマを達成すると、後は辞めよ
うがなんだろうが、知らぬふりです。
立場を利用して、他人の入信者をとってしまう先達(指導的信者)もいます。
こういうえげつないことを有名先達が堂々とやるのです。
こんなことは昔からありました。
中身がなかろうが、他人から盗もうが、桐山氏は気にしません。
桐山氏は目先の入信者の数にしか興味がないのです。
職員も先達もそれを承知しているから、信者に拍車をかけます。
桐山氏のご機嫌を損ねず、自分の命が助かりたいためです。
その結果、実態を伴わない空虚な数字だけが、毎月踊りました。
340 :
転載 :2000/10/05(木) 16:17
「一九九九年七の月」 24.十三救いの輪運動とは宗教ねずみ講
13運動を達成した信者は助かるとして、では、その13人はどうなるのか。
13人はそれぞれが新しく13人を入信させないと助かりません。
脅迫と欲で増殖させる「宗教ねずみ講」を桐山氏は作ったのです。
桐山氏のノルマの掛け方は、信者のエゴをむき出しにさせるやり方です。
元々それほど欲がなかった信者までが、だんだん欲の皮がつっぱってきます。
恐怖と欲望に駆られて、入信者獲得に奔走する信者を見ていると、何のための信
仰、何のための宗教かと、気色悪くなります。
入信させた信者数に対し、グランド・ミッショナリーなどの称号を与えました。
オウム真理教の「正大師」などの称号を、かつて桐山氏はあざ笑いました。
自分が小馬鹿にした内容をまねたのです。
桐山氏は、軽蔑した相手のまねをしたとさえ思っていません。
北朝鮮のミサイル実験を、桐山氏はすぐに恐怖の大王だと断言しました。
後は野となれ山となれで、信者たちを使い古しの手段で脅かし、低レベルな欲を
あおり、ブリキの勲章をぶら下げ、信者数を延ばそうとしたのです。
核ミサイルの、原発崩壊の、大地震の、4割横変死の1999年が近づきました。
「一九九九年七の月」 25.インド護摩
1999年が近づき、信者を脅迫し続けることはできても、核ミサイルも大地震もな
く、桐山氏の地球壊滅はおきそうにもありませんでした。
桐山氏は、お得意の壮大な言い訳をひねり出す必要に迫られました。
1981年の本の趣旨からいうなら、インドに行かないわけにはいきません。
それも、自分から行ってはサマになりません。
メシアは世界中から求められて、求められて、求められて出現するのです。
相手から請われて、自然に行かざるを得なかったという演出が必要です。
1999年、インドから招聘(しょうへい)され、デリーで護摩を焚きました。
阿含宗の招聘とは、お金をばらまいて、招待されたように見せかけることです。
身から出た錆とはいえ、インドの暑い3月は、体調の悪い桐山氏には負担だった
でしょう。
お金を使ってインドの著名人とのツー・ショットを撮り、準備ができました。
1999年、ついに出た最終章の言い訳本が「一九九九年七の月よ、さらば」です。
はたして、桐山氏の地球は壊滅したのでしょうか。
桐山氏の言い訳は、それはもう大方の予想をはるかに上回る天才的な出来でした。
341 :
転載 :2000/10/05(木) 16:18
「一九九九年七の月」 26.言い訳本の主旨
1999年7月には地球壊滅がおきそうもないことから、桐山氏は言い訳を取り繕
う必要に迫られました。
「一九九九年七の月よ、さらば」の言い訳の要点は次のようになっています。
・ノストラダムスの予言の「1999年7の月」とは、中国に仏教が伝来してから
1999年目にあたる西暦1997年のことである。
・1997年12月、桐山氏は中山大学(中国)で講演をした。桐山氏が中山大学に講
演の原稿を送ったのが1997年7月である。これは、ノストラダムスの「1999
年7の月」の予言と月まで一致する。
・原稿を送ったことがアンゴルモアの大王(釈迦)の「よみがえり」である。
・1998年11月、北京大学での桐山氏の仏教講演はアンゴルモアの大王(釈迦)の
「復活の儀式」である。
・1999年、インドで焚いた護摩は仏陀の「復活祭」、アンゴルモア大王の「生誕
祭」である。
・アンゴルモアの大王(釈迦)を復活させたのは桐山氏であるから、桐山氏が「
恐怖の大王」である。
・すなわち、桐山氏の人生はノストラダムスによって予言されていた。
「一九九九年七の月」 27.原稿を送った
桐山氏が18年間、脅し続けた1999年7の月には何が起きるのか。
このことは、この本において、最も重要な点です。
それは、桐山氏が講演の原稿を送ったことだ、というのです。
桐山氏が恐怖の大王であることと、アンゴルモアの大王がよみがえった根拠は、
桐山氏が中国に原稿を送ったことです。
1997年7月に桐山氏が中山大学に講演の原稿を送ったことが、ノストラダムスに よって、
「1999年7の月」として予言されていたというのです。
核ミサイルはどこに行ったのでしょうか。どこの原発が崩壊したのでしょうか。
4割横変死の死体の山はどこにあるのでしょうか。
桐山氏の7の月では阿鼻叫喚の地球壊滅のはずでした。
それが、原稿を送ったこと、たったそれだけだというのです。
ノストラダムスは、桐山氏が原稿を送ることを大予言したのです。
講演や護摩に、アンゴルモア大王の「よみがえり」「復活の儀式」「復活祭」「生誕祭」など、
思いつく限りの名前を適当にちりばめただけのように見えます。
自分が恐怖の大王だ、自分の人生は予言されていたなどと、
品格を重んじるという桐山氏の羞恥心はどうしたのでしょう。
342 :
転載 :2000/10/05(木) 16:19
「一九九九年七の月」28.名誉欲教授
原稿を送って復活したという釈迦は今どこにいらっしゃるのでしょうか。
桐山氏以外に、だれか復活した釈迦を確認した人はいるのでしょうか。
すべては桐山氏の頭の中での話で、誰一人何一つ客観的に確認できません。
仏教が中国に伝来した年は、今日でも学者の間で異説があります。
それなのにノストラダムスは伝来した年を確定していたというのです。
桐山氏がこのような支離滅裂な言い訳をならべた背景は明らかです。
講演した中山大学と北京大学から名誉教授をもらうためでした。
仏教学の基本の一つである阿含経は、中国の仏教学者たちもよく知っています。
桐山氏に御講義いただかなくても、五時教判が間違っていることは知っています。
彼らは、桐山氏の話を聞きたかったのではなく、持参した物がほしかったのです。
創価学会の池田大作氏も、桐山氏よりも前に、両大学の名誉教授になりました。
桐山氏は名誉欲を釈迦の名前を使って正当化したのです。
自分の名誉欲の大行進を、ノストラダムスの予言に強引にあてはめただけです。
そして、池田大作氏の後塵を拝したのです。
地球壊滅の言い訳と名誉欲とを強引にくっつけて説明を試みたのがこの本です。
ただの講演を釈迦の復活という壮大な話に膨らませ、名誉欲を隠して、脅迫の言
い訳もするという一挙両得を狙ったつもりです。
頭の中は名誉教授でいっぱいで、7の月ことなど原稿を送った話で十分なのです。
原稿まで予言した偉大なノストラダムスも名誉欲教授は予言できませんでした。
「一九九九年七の月」 29.信者の呆然
桐山氏は信者にこの本を積極的に施本するように指示しました。
こんな本を他人に勧めたら、勧めた人の頭の程度が疑われます。
本を読んだ信者たちが一番驚いたのは、
・地球壊滅が1997年、つまり2年も前にすでに終わっている
・桐山氏が恐怖の大王であった
という点でしょう。
本が出る直前まで、1999年7月の地球壊滅を回避するために、信者たちは様々なイベントを通じて、
真剣に護摩木などで祈願をしていました。
阿含宗はそれを奨励し、これをネタに護摩木を集めていたのです。
核ミサイルか、原発崩壊かと、毎月、桐山氏は信者たちを脅迫していました。
いよいよ「その時」が来たのですから、桐山氏を信じている信者は必死でした。
その地球壊滅が、実は、もう2年も前に桐山氏が原稿を発送して、終わっていたというのです。
信者が自分一人で唖然とするのはまだいいでしょう。
熱心な信者は地球壊滅を説いて、周囲に護摩木を勧めたり、入信させています。
これらの人たちに、いったい何と説明をすればいいのか。
まじめな責任感のある信者であればあるほど立場がなかったはずです。
けなげにも、信者は必死に桐山氏に頭を合わせようと努力します。
言い訳を受け入れ、矛盾は見ずに、桐山氏についていくのが正しい弟子なのです。
先達の一人は、この本を「いちおう、筋が通っている」と評価しました。
この本の筋が通っているのなら、北朝鮮は地上天国です。
343 :
転載 :2000/10/05(木) 16:20
「一九九九年七の月」 30.信者の呆然
桐山氏が恐怖の大王であるという新説にも信者は困りました。
1996年12月、桐山氏は脳梗塞になりました。(197〜参照)
病気の桐山氏を、東京の先達(指導的信者)の一人は、
「アンゴルモアの大王(桐山氏)は恐怖の大王と戦って傷ついた」
と弁護しました。
モンゴルで桐山氏が「恐怖の大王と戦って勝利した」と宣言したことを受け、脳
梗塞だと認めないで済むように編み出した桐山氏へのゴマスリ説です。
アニメのようなこのおとぎ話を、職員もいっしょに吹聴していました。
桐山氏が恐怖の大王なら、桐山氏が自分と戦ったことになり、話が矛盾します。
桐山氏を弁護しヨイショしたつもりが、かえって混乱を招きました。
先達も師をまねて、口をぬぐって素知らぬふりをするのが一番でしょう。
恐怖の大王は空から下りてくることになっていました。
桐山氏が飛行機に乗って中国やインドに行ったことを指すのでしょうか。
上品そうな桐山氏のどこが「恐怖」なのか、よくわかりません。
人々に因縁、霊障、地球壊滅で恐怖心を与え続けたからでしょうか。
脳障害から来た妄想と自己過信で作った予言話の矛盾は説明しきれません。
妄想の上に、詭弁で支えた妄想を積み重ねただけです。
桐山氏のお得意の求聞持脳を駆使しても、妄想は現実にはなりません。
ノストラダムスの大予言で世間をお騒がせした作家たちはたくさんいます。
自分がアンゴルモアの大王だ、恐怖の大王だと名乗ったのは桐山氏一人でしょう。
トンデモ・ノストラダムス本の中でも桐山氏の本は群を抜いた特異性があります。
この本には、これまでの桐山氏の本と比較しても、奇妙な特徴がありました。
「1999年7の月」31ひとり盛り上がる桐山氏
この本は、ここ数年の焼き直し本と違い、大半が書き下ろしでした。
それだけに、奇妙な文章が目につきました。
****************************
解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。
わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。
その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。
忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・
その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。・・・私は絶息、絶心していたか
もしれぬ。・・・
・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。
わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。
****************************
愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心などの
多用で、一人で感情的に盛り上がり、笑い、叫び、躍り上がっています。
こういう盛り上がる場面は昔の桐山氏の本にもありました。
18年前の本では、白銀のバイブレーションとアルゴルモア大王の謎解きです。
しかし、せいぜいこの2つ程度なのに、この本ではこの技法を多用しています。
何とか読者を自分のペースに巻き込もうと必死の様子が見えます。
だが、おじいちゃんが一人でフィーバー(古い!)すればするほど、読者は白けます。
桐山氏ほどの、人をだます技法にたけた人の文章にしては、ずいぶん稚拙です。
なぜでしょうか。
344 :
転載 :2000/10/05(木) 16:20
「1999年7の月」32なぜ?なぜ?なぜ?
これには二つの解釈が可能です。
一つ目は、桐山氏が読者を丸め込もうと四苦八苦した痕跡であるということです。
実際には、老化と脳梗塞で、読者をだませる能力がなくなってしまったのです。
丸め込もうとしたという点では、デキの悪さに目を覆いたくなる惨状です。
18年前の桐山氏なら、もっと上手なウソを書いたでしょう。
二つ目は、ここで描かれた桐山氏は、そのままの桐山氏であるということです。
老人には新陳代謝の低下や脳細胞の減少で、おだやかになるタイプがあります。
また、欲望や感情がむき出しになるタイプがあります。
理性を司る大脳新皮質の衰えで、押さえられていた欲望と感情が出てくるのです。
桐山氏も、脳の老化で、感情のコントロールが効きにくくなっているのです。
桐山氏の主たる欲望である名誉欲がむき出しになり、一方で、感情のコントロー
ルが効かなくなり、飛んだり叫んだりしているのです。
この二つは結局、脳の老化です。
老化して、隠すことができなくなって現れた桐山氏のあるがままの姿です。
桐山氏はかつてアナゴンというブッダに次ぐ聖者になったと宣言しました。
しかし、露出したアナゴンの姿は、自分を一角の人物として誇示したいという、
本能がもたらす名誉欲にとらわれた、ありふれた老人です。
重要なのは、桐山氏が老化して変わったのではなく、本当の姿が出てきた点です。
若い頃の桐山氏と、老化した点を除けば、何も変わっていないのでしょう。
これが桐山氏の元々の姿であり、今の姿であり、ほんとうの姿です。
これが桐山氏の言う心解脱した聖者の姿です。
「一九九九年七の月」 33.祇園精舎を日本に移す
桐山氏は、18年前の本「一九九九年カルマと霊障から脱出」で
「もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね」
と述べています。
この地とは祇園精舎とそこにあるミラクルの池のことです。
地球壊滅の時、祇園精舎にもう一度来い、と釈迦から言われたというのです。
地球と人類を救うため、桐山氏は祇園精舎に行き、釈迦を日本に移すという重
大な使命を負ったのです。
桐山氏は釈迦から直々にこの指示を受けました。
この使命を桐山氏に託したのですから、釈迦は桐山氏を高く評価しているのです。
釈迦みずから桐山氏を自分の後継者として選択したのです。
釈迦の真の法を受け継ぐ唯一人の弟子としてのまぶしい桐山氏がそこにあります。
釈迦は、自分の法を体得した桐山氏にすべてを託したのです。
釈迦の期待を一身にあびる桐山氏の姿はなんと輝かしいことでしょう。
1999年、祇園精舎から釈迦を背負い、阿含宗の総本山にお招きするのです。
そして、阿含宗の総本山は、釈迦仏教の祇園精舎になる予定でした。
しかし、桐山氏は1999年にインドに行ったとき、祇園精舎に行きませんでした。
18年前に本に書き、各地で講演し、映画で大宣伝したのに、行きませんでした。
理由は、インド旅行だけでもきついのに、祇園精舎は田舎にあるからです。
脳梗塞を患っている78歳の桐山氏の体調を考えて、やめたのでしょう。
行かなかったのではなく、行けなかったのです。
桐山氏が祇園精舎に行くだけで当たったことになる18年前の簡単な予言なのに、
自分自身が身動きがとれず、当たらせることすらできない状態だったのです。
こういうのを自業自得か、それとも仏罰というのでしょうか。
桐山氏は自分が作り出した妄想の釈迦すら背負うことができませんでした。
熱心な信者はこの程度の矛盾や腰折れは物ともせず、
「1980年のときすでに釈迦は移された。ミラクルの池は空だ」
「1999年のインドの護摩で成就した」
と必死に桐山氏に頭を合わせます。
345 :
転載 :2000/10/05(木) 16:21
「一九九九年七の月」 34.アンゴルモア大王の誕生日はいつか
1997年1月5日、桐山氏の誕生日に、桐山氏は、
「1999年7月17日の、アンゴルモアの大王の誕生日です」
という文章を、アンゴルモア大王の紋章を入れて信者に配りました。
アンゴルモア大王は、1997年の原稿を送ったことが「よみがえり」、1998年の北
京大学講演が「復活の儀式」で、1999年3月のインドの護摩が「生誕祭」です。
ずいぶん誕生日がたくさんあるが、いずれも1999年7月17日とは違います。
このメッセージを発信したのは、桐山氏が脳梗塞を発病した一ヶ月後です。
もともと妄想癖の強い桐山氏が脳を患い、無意味な妄想霊感が、ドブ川から発生
したガスのようにわき上がるようになっていたのでしょうか。
桐山氏は、二年後に自分がどんな本を書くか予想できなかったのです。
1999年7月にアンゴルモアのお誕生日のお祝いをするつもりだったのでしょう。
普通、よほどの根拠や確信がなかったら17日などと日付まで予言しません。
16日の冥徳祭で総本山にいるし、17日は土曜日だし、次の週は例祭だから、信
者を集めるのにはちょうどいいと、ご都合でこの日に決めたのでしょう。
これを仏からのご霊示か、霊能力でつかんだように発表しました。
ところが、二年後の本で、誕生日の変更を余儀なくされたのです。
自分で決めた妄想の誕生日のお祝いを実行することすらできなかったのです。
自分が出した予言で自家中毒をおこしたのです。
それとも、これは誕生日を祝ってもらえない恐怖の大王からの逆襲でしょうか。
桐山氏は数字に弱いし、責任感も欠落していますから、わずか数年前に自分が出
した誕生日のことなどきれいに忘れて、彼一人はハッピーなのでしょう。
桐山氏の19年に及ぶノストラダムスに事かけた予言お騒がせは終わりました。
いや、天才の名をほしいままにする桐山氏がこの程度では終わりませんでした。
「一九九九年七の月」 35.何もおこらないことを予言していた
予言が終わった1999年8月、一流新聞に本の広告として次のように載せました。
「本書の著者は、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」(一九八一年七月・平河
出版社刊)でノストラダムスの予言を解き、一九九九年七の月には、破壊も破滅も
おこらない、無事に終わるであろうと断定している。」
桐山氏は18年前から、1999年7月には何もおこらないと予言していたというの
です。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を中学生に要約させれば、1999年の地球
壊滅を説いていると述べるでしょう。
誰がどう読んでも、逆さに読もうが、後ろから読もうが、この本は破壊が起こる
と書いてあります。
それを桐山氏はこの本で、何もおこらないと予言したと言うのです。
「無事に終わるであろう」と予言し、断定していたというのです。
この本だけではなく、1982年の「輪廻する葦」では「三度目の原爆が落ちる」と
述べ、その様子を自分は見えると断言し、1984年の「間脳思考」では「核ミサイ
ルによる地獄の業火」と書き、1995年に出した本でも、40%が横変死すると説き、
信者に、助かりたければ、13人を導けと脅迫するなど、18年に渡って手段を選
ばず、地球壊滅を説き続けていた桐山氏が、実は、18年前から何もおこらないと
予言し、断定していたと新聞広告を出したのです。
346 :
転載 :2000/10/05(木) 16:21
「一九九九年七の月」 36.逆転の開き直り
新聞広告は広告代理店が作ります。
しかし、代理店が、広告主の主張とまるっきり逆のことを書くはずはありません。
この広告は、まるで泥棒の親方が、警察が踏み込んだとたん「おれは前から泥棒
はいかんと主張していた」とにこやかに警察に協力したようなものです。
1999年の予言をはずした五島勉氏のような人たちは、謝罪するか、沈黙しました。
しかし、桐山氏は彼らのような凡人ではないのです。
桐山氏は逆転の発想をもった天才です。
破滅を説き続けた本人が破滅など説いたことがないというのですから、これは普
通の脳の持ち主ではありません。
その前に、普通の神経の持ち主ではありません。
これを仏陀の智慧と称し「21世紀は智慧の時代」という本まで書いています。
常識も世間も理屈もすべて踏み越え、踏みにじったすごい智慧です。
小学生が見ても、桐山氏は詭弁を越えたただのウソツキです。
だが、普通の人にはただの嘘が、熱心な信者には仏陀の智慧に見えるのです。
信者には、桐山氏の仏陀の智慧を批判するのは、浅はかな凡夫の智恵なのです。
そして、桐山氏の言う仏陀の智慧を信じる者だけが残ります。
埼玉の有名先達(指導的信者)の一人は、
「猊下(桐山氏)は毎日進歩し、昨日の猊下と今日の猊下は違う」
と言いました。
昨日と今日の話に矛盾があっても、それは桐山氏の"進歩"だと言うのです。
桐山氏は自分を求道者であると言っていますから、日々進歩しているのです。
桐山氏の矛盾や嘘をリセットしてくれる、これこそ桐山氏の真の弟子です。
つい一年前まで桐山氏が言った事、本に書いていたことなど関係ありません。
どれほどひどい脅迫をしていようが関係ありません。
桐山氏が、18年前から1999年には何もおこらないと予言していたと言えば、そ
の瞬間から阿含宗ではそれが真実であり、桐山氏の宗教上の偉大な進歩なのです。
「一九九九年七の月」 37.のぞいてみますか?
なぜ、桐山氏はこれほどの大破壊を18年に渡って説いたのでしょうか。
桐山氏には予知能力などありはしません。
たまたま当たった1つを10倍に拡大して覚え、はずれた9つをきれいに忘れる
という超能力を持っているだけです。
簡単に言えば、誇大妄想癖です。
宗教家生命を断ち切られかねない予言を本という文字に何度もしてまで、なぜ彼
はこのばかげた予言に18年間とりついたのでしょうか。
1981年の最初の本でやめておけばよかったのです。
壊滅がいつ来るかは、「現世成仏」にあるように、巧みに逃げていたのです。
桐山氏自身、ほんとうに世紀末破滅が来るかどうかわからなかったからです。
ところが、1995年になってすら「一九九九年七の月が来る」を書いています。
直前の本に、題名にまですれば、自分で逃げ道をふさいだようなものです。
なぜ、このようなバカげたカケに桐山氏は出たのでしょうか。
桐山氏の主張は、地球壊滅も含めて、外の現実世界にあるのではありません。
桐山氏の頭のなかにあると考えるととてもわかりやすいのです。
桐山氏の宗教は、霊能力、超能力、予知能力にあるのではなく、彼の心にある抑
圧と葛藤、自己顕示欲などの欲望から来た妄想だと考えれば、理解できます。
桐山氏の心の中をのぞくと、大破壊を説かざるを得なかった理由がわかります。
聖者様にしては、おおよそ、きれいとはいいがたい心ですが、
のぞいてみますか?
347 :
元阿含宗広報室長の告発 :2000/10/05(木) 16:31
宝石1996.6 元幹部スクープ告発 より転載
オウムと幸福の科学を生んだ桐山阿含宗の危険度
ハデな宣伝、マスコミ対策、教義のツマミ食い、集金と暴力性今こそ全貌を明かそう
地下鉄サリン事件が起きて、オウム一色だった一年が過ぎた。
だが、いまもオウム裁判が続き、いままたTBSが坂本取材したビデオテープを、
事前にオウム側に見せていた事実が発覚、マスコミや世論の批判を浴びるなど、オウム事件は意外な展開を見せている。
だが、TBSがマスコミの集中砲火を浴びるのを見ながら、私はここにほとんど語られていない部分があることに、
もどかしい思いを抱き続けてきた。
かって、第三次宗教ブーム到来が声高に叫ばれ、新宗教.新新宗教という造語とともに、
常に時代の脚光を浴びていたのが、阿含宗であったといっても、そう間違っていないと想う。
その阿含宗の教勢が頂点に達しようという時代を阿含宗の機関誌「月刊アーガマ」の編集長として、
また広報室長として、教団周辺のさまざまな動きを、その内側から見てきた者には、
オウム心理今日の犯罪もTBS事件もなんら驚くべき事ではない。
むしろ、起きて当然という思いが強い。
後で述べるように「宝石」は私の広報室長時代に
「阿含宗..桐山館長危険な賭(一九八六年五月号)衝撃的なルポが載った。
忘れることの出来ない雑誌だ。
その「宝石」で、私自身のこと、そして阿含宗のことを語るのは、不思議な思いがするとともに、
私自身の責任を果たす舞台としては、もっともふさわしい気持ちもある。
私が七年間勤めた阿含宗との関わりを断ったのは、八九年の春、正確に言えば八八年の秋に、
それまで兼務していた広報室長および国際部長を辞職、その後嘱託として残ったのだが、
それも辞めて、八九年六月に株式会社インターカルチャー研究所」をつくって
調査研究出版プロデュース等、フリーで活動を始めた。
退職するに当たっては、のし袋いりの退職金をもらっての円満退社であり、取り立てて桐山阿含宗に
特別な恨みつらみがあるわけではない。
私が広報室長の仕事に携わったのは八〇年代は、バブルがムクムクと頭をもたげはじめ、阿含宗に限らず、
宗教の内実が失われていた。そんな時代にあった。
宗教団体が教勢を拡大して信者からお布施を集め、会費をもらうという本来のあり方を投げ捨て、
手っ取り早くお金になる土地の売買に奔走。
合法的な”脱税”のために、宗教法人の売買さえも行われていた。
地下が年に一割、二割あがろうということは、何十億の土地をいくつかもっていれば、
年に何十億という規模で資産が増加するということだ。
348 :
元阿含宗広報室長の告発 :2000/10/05(木) 16:32
そういう状況のなかで、宗教団体に出入りする人たちの質、人種が変わりはじめるのは当然だろう。
銀行、ゼネコンにまざって、地上げ屋、暴力団並びにそれに類するバブルな紳士たちが入り込んできて、
結局、宗教的な問題以外のところで、教団が動いていくというメカニズムができあがっていた。
そんな教団の変質を見ていて、私は「これは変だ」という思いを膨らませていった。
というのも、奥の金が荒っぽく動けば、人間の一人二人殺されてしまうことは十分にありうることだ。
しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、管長の一言で決まってしまう。
管長を利用しようという人間や、だまそうという人間などいろんな世界の人間が集まってきても不思議ではない。
そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ。
つまり、これまで日本では暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかではじめたとき、
オウム事件の素地が出来上がったのだ。だから、オウム真理教で起きた事件は自然な成り行きであったと言える。
私が阿含宗を辞めた八九年は、実は坂本弁護士がオウムと関わっている時期でもある。
彼は七月に対オウム弁護士に着任して交渉を開始し、八月には「サンデー毎日」をオウム真理教の連載をスタートさせた。
実際に、八九年の段階では、地下鉄サリン事件まではちょっと考えられなかったとはいえ、
オウム事件は完全に予測できたというのが、私の偽らざる実感であり、だからこそ坂本弁護士失踪事件報道に接して、
すぐに「これはオウムの犯行だな」との確信を抱いたのである。
オウムの危険性をことあるごとに叫んできた者の一人として、私はオウムを野放しにしあそこまで凶悪犯罪集団に
仕立てあげたのは、マスコミをはじめみんながそれを見過ごしてきたけっかだと、ハッキリ指摘しておきたい。
オウム事件は狂信集団が勝手に暴れたのではなく、それを許した私たちの時代の責任なのである。
そこの部分の反省がないいと、今後も同じような過ちがくりかえされるようになるのだと思う。
349 :
元阿含宗広報室長の告発 :2000/10/05(木) 16:33
宗教団体の金と恫喝に屈したマスコミ
私の広報室長時代、もっとも当たった企画は、じつは大手代理店がが持ってきた管長主催ゴルフコンペであった。
このとき、大手代理店の営業力の賜物か、日本を代表する出版社、新聞社等、活字媒体のすべて、
そしてラジオテレビのキー局の人間が全部やって来た。
もちろん、ゴルフコンペに来るのは、テレビ局でも雑誌社でも広告担当者それでもこうした企画を通して、
やがて新聞社、出版社、週刊誌全部に「桐山は案外悪い奴ではない」というムードが浸透し、「星祭り」広告や
パブリシティなどがスンナリと載るという地均しができていった。
それだけゴルフコンペの力は医大だったということなのだが、それはバブルの時代にふさわしい派手なコンペで、
いわゆる豪華な賞品あもちろんのこと、のし袋のなかに1万円札が何枚委も入るというかたちでの、「賞金」がバラまかれた。
そこから自然に桐山管長を盛り上げるような雰囲気が形成され、結局取材記事のパブリシティ化が始まっていった。
そうしたマスコミの変化は、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。
その意味では、私が広報担当者としてパブリシティを展開し、マスコミの取材を受けるなかで実際に見てきたことは、
マスコミがいかに宗教団体に屈してきたかという、その歴史
350 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 17:17
==このスレッドではよーちえんおばさん一味の出入を禁止します==
351 :
:2000/10/05(木) 20:17
352 :
:2000/10/05(木) 20:17
353 :
:2000/10/05(木) 20:17
354 :
:2000/10/05(木) 20:17
355 :
:2000/10/05(木) 20:17
356 :
:2000/10/05(木) 20:17
357 :
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443 :
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447 :
:2000/10/05(木) 20:28
448 :
:2000/10/05(木) 20:28
449 :
:2000/10/05(木) 20:28
450 :
:2000/10/05(木) 20:29
451 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 22:29
ずいぶん資料がそろいました。
集めて、書き込みをされた方はご苦労様でした。
せっかくだから、HPを作り、
そこに保存してはどうでしょうか。
よーちさんに妨害されることもなく、
阿含宗にだまされる人が一人でも減るように、
いつでも多くの人に見てもらうことは意義があります。
452 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 23:03
以前阿含宗被害者の会というHPがありました。
近々それに変わるものを考えています。
453 :
名無しさん@1周年 :2000/10/05(木) 23:45
反論できないと空白攻撃で対抗するとは阿含宗も最低ですね。
内容に対して具体的な反論を期待していましたが,
結局、我々の指摘したとおりが事実と言うことですから
なにも言葉がないわけですね。
それにしてもこんなに程度の低い輩を相手にして
本当に情けない限りです。
彼らも自らを省みて,恥を知るべきです。
マジに最低ですね。
454 :
怖いね :2000/10/06(金) 00:08
『銀行、ゼネコンにまざって、地上げ屋、暴力団並びにそれに類するバブルな紳士たちが入り込んできて、
結局、宗教的な問題以外のところで、教団が動いていくというメカニズムができあがっていた。
そんな教団の変質を見ていて、私は「これは変だ」という思いを膨らませていった。
というのも、奥の金が荒っぽく動けば、人間の一人二人殺されてしまうことは十分にありうることだ。
しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、管長の一言で決まってしまう。
管長を利用しようという人間や、だまそうという人間などいろんな世界の人間が集まってきても不思議ではない。
そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ。
つまり、これまで日本では暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかではじめたとき、
オウム事件の素地が出来上がったのだ。』
実に怖いね。
阿含宗に触れるのは控えた方がいいかも。
命が危ないよ。
マジヤバそうだね・・・・・・。
命あってのものだねだから。
今までに何人くらい死んだんだろうか?
オウムだって阿含宗から産まれたんだしね。
455 :
怖いね :2000/10/06(金) 00:12
>せっかくだから、HPを作り、
>そこに保存してはどうでしょうか
殺されるぞ
やめた方がいい
カルトは怖いから
サリン事件の実行犯も殆どみんな阿含宗信者だったんだよ
人殺すの平気なんだから・・・・・・・・・・・・・・・
>そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
>それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ
だって阿含宗大幹部の告発だぞ!
456 :
怖いね :2000/10/06(金) 00:20
>せっかくだから、HPを作り、
>そこに保存してはどうでしょうか
殺されるぞ
やめた方がいい
カルトは怖いから
サリン事件の実行犯も殆どみんな阿含宗信者だったんだよ
人殺すの平気なんだから・・・・・・・・・・・・・・・
>そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
>それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ
だって阿含宗大幹部の告発だぞ! 桐山の側近・元阿含宗広報室長の告発だぞ!!!
457 :
:2000/10/06(金) 00:22
458 :
:2000/10/06(金) 00:23
459 :
:2000/10/06(金) 00:28
460 :
:2000/10/06(金) 00:34
461 :
:2000/10/06(金) 00:35
462 :
:2000/10/06(金) 00:35
463 :
:2000/10/06(金) 00:36
464 :
:2000/10/06(金) 00:36
465 :
:2000/10/06(金) 00:36
466 :
:2000/10/06(金) 00:36
467 :
:2000/10/06(金) 00:44
468 :
:2000/10/06(金) 00:44
469 :
:2000/10/06(金) 00:44
470 :
:2000/10/06(金) 00:45
471 :
:2000/10/06(金) 00:45
472 :
:2000/10/06(金) 00:46
473 :
:2000/10/06(金) 00:47
474 :
:2000/10/06(金) 00:47
475 :
:2000/10/06(金) 00:47
476 :
名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 06:30
477 :
名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 06:31
さわらぬ神に祟りなし
ということか・・・・
478 :
名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 06:44
桐山の側近で大幹部の一人だった人の告発は実にリアルですな
阿含宗からオウム真理教が産まれたのは『必然』ですよ。
偶然の産物ではない事だけは確か。
つまり、オウムと阿含宗は
味噌ラーメンと味噌チャーシューメン程度の差しかなかった訳です。
ところで、476で真似してみたけど,空白攻撃は何だか空しいね。
単に画面をスクロールさせたに過ぎないのだから。
それよりも事実をありのままに認めながら
教団のあり方と内実を改善し,21世紀を迎えた方がいいと思う。
桐山ももうそろそろ氏にそうだし,時代のページが捲られる時だから。
阿含宗もある意味,今までの仏教に強烈な刺激を与えたカンフル剤だった。
オウムを生んだことで社会的にカルトの烙印を押され,
教勢が一気に弱まったわけだけれど、数年間の謹慎期間を経て、
すこしづつ回復の兆しが見えてきた。
麻原の裁判が終わらないと,阿含宗のイメージも完全には回復しないけれど
桐山が引退し,前科の無い『身元のきれいな』後継者が後を継げば
大分,社会の眼も変わるだろう。
今は,「桐山個人の詐欺性といかがわしさ」が問われているわけだから。
479 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:12
「脳梗塞」その1
<転載>
阿含宗では、毎月1日に朔日護摩という行事があります。
桐山氏が護摩を焚き、話(法話)をし、通信衛星で全国の道場に配信されます。
1996年12月1日、桐山氏は護摩を焚いた後、「口にできものができた」
と説明して、合い言葉だけを言い、話もせずに引っ込んでしまいました。
桐山氏の発音は不明瞭でした。
1996年12月の例祭(月一度の集まり)でもほとんど話をしませんでした。
かつては3時間以上も話をしていた桐山氏としては驚くべき変化です。
1997年1月1日の初護摩(正月の護摩)では、最後まで
「あけましておめでとう」の一言がありませんでした。
1996年のモンゴルでの護摩の件を書いた文章を脈絡なく読み上げただけでした。
頭の中で文章を構築することがうまくできないらしく、
ニコニコしているだけで、間合いが持てないまま、退場しました。
その後の朔日護摩(毎月一日の行事)の話では原稿を読みました。脳梗塞」その2
<転載>
桐山氏は、1996年12月1日には、口の中にデキモノができたといい、
次には入れ歯で舌を噛んだと言いました。
理由がこのように二転三転しました。
インプラント(人口歯根)で舌を噛んだとも言いました。
例祭(月一度の集まり)では、そのインプラントを舌の上に出して見せました。
だが、インプラントは骨に埋め込みますから、舌の上に出せるはずがありません。
あれはただの入れ歯です。
オシャレなはずの桐山氏が、この年寄りじみたパフォーマンスを見せたのは、
大したことはないのだと信者を説得したかったからでしょう。
桐山氏はラ行の発音が不明瞭だが、話はできました。
前述の初護摩での様子を見てもわかるように、
まとまった文章が頭から出てこないという状態です。
これは口のデキモノや舌を噛んだというのでは説明がつきません。
口の中ではなく、文章を作る脳の機能に障害がおきたのです。
一番考えられるのは脳梗塞です。
480 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:13
脳梗塞」その3
<転載>
北海道の信者の一人が、「猊下(桐山氏)のご病気・・・」と例祭で言うと、桐山氏はカンカンになって怒り、「おれは病気ではない」と言い返しました。
それでいて、1999年に出た本では、「身体の不調」で入院し、回復までに二、三ヶ月かかったと書いています。
桐山氏は脳梗塞になったことを認めたくなかったのでしょう。
桐山夫人は、この時期、激ヤセをしています。
脳梗塞の後、護摩を焚いている最中に桐山氏の動きが止まった事がありました。
信者は桐山氏が火界定(火の瞑想)にでも入ったと思っていたでしょう。
内陣(護摩を焚いている所)はパニックになっていたのです。
以後、法務部(専属の僧侶)と護摩を焚く手伝いの信者には、桐山氏がフリーズした場合、どうするべきかの指示が出ていました。
20年以上も焚いて、身体で覚えているはずの護摩すらこの有様でした。
それでも、信者の多数は舌を噛んだと信じていました。
「脳梗塞」その4
<転載>
桐山氏の脳梗塞は前に兆候がありました。
1996年3月の約一ヶ月間、桐山氏は突然行事出席をすべてキャンセルしました。
桐山氏は
「風邪で咳き込んでいても、護摩を焚いている時にはピタッと止まる」
と豪語し、例祭(月一度の集まり)を欠かしたことがないのが自慢でした。
その桐山氏が一ヶ月近くも行事をキャンセルするなど、ただ事ではありません。
脳梗塞の症状があったのでしょう。
当時の禿○局長は「例祭を自分たちだけでやってみるように言われた」
などと、取って付けたような言い訳を並べました。
古い信者は桐山氏の性格を知っていますから、言い訳に疑いもっていました。
桐山氏は病気を軽くみたのか、この後6月にはモンゴルで護摩を焚いています。
2000年1月にはまたしても例祭を休みました。
1月初めから体調を崩していたと述べています。
3月、12月、1月といずれも老人が病気をしやすい寒い時期です。
481 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:14
「脳梗塞」その5
<転載>
信者で、老人病棟に長年勤めている看護婦は次のように話しました。
「管長(桐山氏)は脳梗塞だ。多発性脳梗塞ではあるまいか。
自分が勤めている病院の老人にはありふれた症状だ。
管長が脳梗塞なのは調べてみるまでもない。
信者が管長の、舌を噛んだという言い訳を鵜呑みにしているのが信じられない」
当時まもなく77歳になる老人が脳梗塞になるのは驚くことではありません。
年をとれば、だれでも病気くらいします。
桐山氏もまた普通の老人と同じだということです。
1997年1月末の例祭(月一度の集まり)で40分、2月は90分の話をしました。
数ヶ月でこれだけ回復するには、リハビリに桐山氏は努力したのでしょう。
同じ年代、同じ病気の老人には模範であり、励みです。
桐山氏が普通の老人であるなら、そのとおりです。
だが、自分は普通の人間ではない、超人的能力の持ち主だと売り込み、
長年宣伝してきたのは桐山氏本人です。
「脳梗塞」その6
<転載>
桐山氏は、5つの超人的な能力を持つと宣言していました。
その一つに「強靱な体力と卓越した精神力」をあげています。
短時間睡眠でバリバリ仕事をこなし、病気一つしない体力を持っている
というのです。
だが、77歳で脳梗塞になり、80歳の現在も病気を患っているという現実は、
彼の身体が普通の人と同じであることを証明しています。
2000年2月11日の京都の星まつり(年一度の大護摩)では、桐山氏は
総本殿から会場までゴルフで使うようなカートに乗って往復しました。
昔、桐山氏は、他の教団の大護摩で、イスに腰掛けている老人の山伏を
罵倒して、「山登りもできなくなったら、おれは引退する」と言いました。
その桐山氏が、国道1号から護摩の会場までの山伏が行進する山登りを
やめて、会場入口の少し手前から加わるようになって、しばらくたちます。
今年は総本殿と護摩の会場の間すら、自分の足では歩かなくなっています。
桐山氏の売り物であった超能力の一つが否定されました。
ただ、これは問題としてはむしろ小さいほうです。
教祖の脳梗塞は、阿含宗にとって別な重大な意味があります。
482 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:14
「脳梗塞」その7
<転載>
桐山氏によれば、彼が持っていた因縁は、
刑獄の因縁、ガンの因縁、強い中途挫折の因縁
となっています。
脳梗塞は彼の因縁の分類からいえば、脳障害の因縁になります。
桐山氏は、自分は脳障害の因縁があると述べたことも書いたこともありません。
また、どのような因縁を持とうが、彼は「因縁切りの大将」で、
因縁解脱を宣言していたのだから、すべての因縁が切れていたはずです。
すべての因縁が切れていたら、脳梗塞になるはずがありません。
現実には脳梗塞という老人には珍しくもない病気を患っています。
自分は因縁を透視する力がある、自分は因縁を切る力をもっている、
自分はすべての因縁を切った、と主張したのは、桐山氏自身です。
この現実を見るなら、次のような結論が出てきます。
●桐山氏は因縁を透視する力はない。
●桐山氏は因縁を切る力はない。
●桐山氏は因縁が切れていなかった。
「脳梗塞」その8
<転載>
桐山氏は、自分は完全に因縁を切ったと宣言しています。
48〜49歳でガンになって死ぬ予定だったが、洗い出しが出て、因縁が切れたという話を、因縁切りの実例として何度も出しています。
「洗い出し」とは、因縁が切れる時、ガンとそっくりな症状が最後に出るが、
以後、ガンにはならないというものです。
48〜49歳でガンで死ぬと予言していたのは桐山氏だけで、誰かが根拠を確認したことではありません。
ガンの洗い出しと見る前に、心理学に精通しているという桐山氏なら、まず自己暗示を疑ってみるべきでした。
京都に総本殿を作ったことが強い中途挫折の因縁が切れた証拠だと言いました。
自社ビルを建てたのが証拠だと言われても、宗教的な説得力がありません。
桐山氏が始めておきながら、中途挫折した例はたくさんあります。(一例169)
1990年、アメリカの警察署長の組織にお金を寄付して、勲章をもらった理由として、
「刑獄の因縁が完全に切れたことを仏様が証明したのだ。
これで自分は完全に因縁が切れた」と述べました。
因縁を透視できる人が、仏に勲章で証明してもらわないとわからないのでしょうか。
これは勲章をもらうための言い訳にしか聞こえません。
勲章をもらう前の1987年、桐山氏が作り、光和食品(阿含宗の系列)が
売っている密教食が薬事法違反で、各新聞に大々的に報道されました。
桐山氏は最高責任者として横浜港南警察の事情聴取を受けています。
横浜簡易裁判所から罰金二十万円の略式命令を言い渡されました。
これは刑獄の因縁が完全に切れる前の洗い出しだったのでしょうか。
483 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:15
「脳梗塞」その9
<転載>
桐山氏は運命的な因縁よりも、心の因縁(煩悩)が切れたかすら疑問です。
桐山氏はどうしてあれほどヒステリックなのでしょうか。
自分の落ち度や誤解であっても、すぐに周囲の者をどなりつけます。(一例136)
信者には反省を説きながら、桐山氏は「瞬間湯沸かし器だ」「ちょっと気が短い」
などと自己弁護するだけです。
桐山氏のヒステリーは性格の欠点ではなく、人格の欠陥です。
桐山氏は毎年のようにたくさんの勲章や名誉を、大金を払ってもらっています。
名誉欲など解脱したはずの聖者が、どうしてあれほどの名誉をほしがるのですか。
このように、桐山氏の説く因縁論は、因縁切りの模範としている本人の
どこをとっても、成り立っていません。
では、信者の因縁切りはどうでしょうか。
「脳梗塞」その10
<転載>
因縁切りを教団の表看板にしている割には、信者の例は少数です。
阿含宗の系列会社である光和食品の舟○氏は、信者の前で桐山氏から
「95%因縁が切れた」と太鼓判を押されました。
因縁が切れた割には、根性が悪く、威張りたがり屋、傲慢不遜が直らない
のは、残りの5%か、それとも根性を治すサプリメントがないからでしょうか。
舟○氏は、95%切れる前の1987年、密教食の摘発で、桐山氏と同様に、
横浜簡易裁判所から罰金の略式命令を受けています。(236参照)
長年阿含宗に貢献して、理事職にいる信者は、三人導きの課行(160参照)で
もらった因縁霊視(165〜参照) に「因縁は全て切れた」と書いてあったそうです。
その後も、この信者は持病の胃腸を患い、奥さんを亡くし、苦しんでいました。
この他にも何人か桐山氏に因縁が切れたと言われた人たちがいます。
これらの人たちは、因縁が切れたと言われた事の他に、一つの共通点があります。
それは桐山氏に長年貢献し、絶対服従の人たちだということです。
桐山氏の言動にどれほど矛盾があろうが、不当に自分のメンツをつぶされようが、
信者がどれほど苦しもうが、桐山氏には決して逆らわず、礼賛を繰り返します。
桐山氏のお気に入りになると因縁は切れるようです。
信者の因縁切りの例は少ないが、切れなかった例はたくさんあります
484 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:15
「脳梗塞」その11
<転載>
1994年暮から1995年初頭、信者たちの間にショックが走りました。
関東別院(東京にある本部)でトップの座に君臨した先達(指導的信者)の
松○氏(60代?)、その子分だった某県の世話役の坂○氏(40代)、
阿含宗に莫大な寄進をしていた三○氏(七十数歳?)、
某道場の光和食品(阿含宗の系列)の職員(30代)が亡くなったのです。
この四人は全員がガンで亡くなりました。
松○氏は六百人の信者グループ(ファミリー)のチーフであり、
職員など彼女の鼻息で吹き飛ぶほどの権力をもっていました。
坂○氏は、松○氏の指導の元、信者たちに借金をさせるほどの
強引な数字の成果を上げて、阿含宗側から高い評価を受けていました。
桐山氏は梵行(阿含宗への貢献)で徳を積むことが最高であると説きました。
二人とも、桐山氏の言う梵行の最先端にいた信者です。
関東別院の仏が安置されている内陣の荘厳(法具や装飾)のすべては
三○氏が寄付したものだとさえいわれています。
桐山氏は、阿含宗の仏に供養して、徳を積むと因縁が切れると言います。
三○氏ほどの金の供養をしても、ガンの因縁は切れないようです。
桐山氏は、人の寿命を延ばせると法力を自慢していました。
三○氏ほどの金の供養をしても、平均寿命まですら延命できないようです。
三○氏の何千分の一も供養していない一般信者はどうなるのでしょうか。
桐山氏は常々、栄養学を説き、光和食品の高額なサプリメント
(栄養補助食品)を買うように信者に勧めています。
阿含宗の公報ともいえる「阿含宗報」は、8〜10ページのうち光和食品と
栄養学の宣伝で2〜3ページを占めています。
その宣伝の模範になる光和の職員が、若くしてガンで亡くなりました。
阿含宗も光和食品のサプリメントもガンに対しては何の効果もないことを
証明したようなものです。
「脳梗塞」その12
<転載>
ガンが死亡率のトップですから、この人たちがガンで死ぬことは
不思議なことではありません。
しかし、桐山氏の因縁切りの理屈からいくと話は別です。
4人は阿含宗の中で、それぞれに模範的な立場の信者たちだった点です。
4人は、自分の命をもって桐山氏の言う因縁切りが空理空論であることを
証明したのです。
これに対して、熱心な信者たちは次のような言い訳を考えます。
「解脱供養(10万円の霊供養)を出していなかった。我(ガ)で修行していた。
言われたことをやっていなかった。徳積みが足りなかった。
お金を出すだけでは足りなく、心構えがまちがっていると因縁は切れない。
カルマが強すぎて、因縁切りが間に合わなかった」
死人に口なしで、死んだ人に責任をすべて押しつけます。
桐山氏がなぜ先達(指導的信者)である彼らを指導しなかったのか、
桐山氏の因縁論がおかしくはないか、という桐山氏への疑問には結びつきません。
そして、桐山氏が最も得意とするように、都合の悪いことは信者も忘れます。
485 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:16
「脳梗塞」その13
<転載>
桐山氏本人も信者にも、因縁切りによる運命転換がなされた例は見あたりません。
桐山氏は因縁を透視(因縁霊視)できると宣言していました。
その中身は占星術か因縁の推測(因縁診断)です(165〜参照)。
だから、桐山氏が自分の脳障害の因縁(脳梗塞)を透視できなくても当然です。
桐山氏の脳梗塞は、因縁霊視がこの程度の稚拙なものであることの証明にも
なっています。
どんな因縁があるか透視するのは、誰でしょうか?
因縁を切れたかどうか透視するのは、誰でしょうか?
すべて桐山氏だけです。
だれも客観的に評価も、比較もできないのです。
桐山氏は、自分で試験問題を作り、自分で答案を書き、自分で点数を付け、
その点数だけを公表しているにすぎません。
桐山氏のいう因縁(試験問題)がほんとうにあるのか、その因縁とはどのような
ものか(答案)、因縁がどの程度切れたのか(点数)、誰一人わからないのです。
桐山氏の作り出した阿含宗は、因縁に限らず、すべてにおいて、
外部からは客観的な評価のできない、一種のブラックボックスです。
「脳梗塞」その14
<転載>
桐山氏の説いた阿含宗の特徴は、
・因縁切り
・霊障解脱
・超能力開発
の三本の柱からできています。
脳梗塞は、因縁切りがウソであることを桐山氏が身をもって証明した重大な
事件です。
教祖すらも切れない因縁なのに、信者が切れるはずがありません。
教祖自らが、自分が唱えた宗教の三本柱の一つを倒したのです。
教祖自らが、因縁切りが成り立っていないことを実証したのです。
因縁霊視の中身、桐山氏と信者の因縁切りの結果は、
桐山氏の説いた因縁論が根拠のない空中楼閣であることを示しています。
486 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:16
「脳梗塞」その15
<転載>
桐山氏の脳の老化現象は脳梗塞の少し前にもみられました。
1996年6月に出版した「脳と心の革命瞑想」でパール瞑想を売り物にしました。
7月にはノルマを達成した信者に一万円でパール瞑想を講義しました。
午前中は前にやった講義のビデオを流しただけでした。
午後になって桐山氏の講義が始まっても、一向にパール瞑想が出てきません。
講義が終わる頃、職員が桐山氏に耳打ちしました。
それから終了までの約10分ほど、桐山氏はパール瞑想の講義をしました。
桐山氏は、自分がパール瞑想をエサに信者を集めたことすら忘れていたのです。
信者にノルマをかけ、金をとり、一日を費やさせ、「君らにこんな難しいことを
教えてもねえ」ともったいをつけ、本に書いてある事を10分程講義しました。
講義に出席するためのノルマは護摩木10万円分を買うことでした。
これを買うと、もれなくチャクラペンダントがもらえます。
講義でチャクラペンダントを使うから必要だという話でした。
しかし、講義ではまったく使わなかったし、一言の説明も出てきませんでした。
その後も、桐山氏がチャクラペンダントの使い方を講義したことはありません。
護摩木の本数を増やすための毎度の手段です。
講義に出ると瞑想用の真珠をもらえるというのが前宣伝でした。
クズ真珠なら大した値段ではありません。
しかし、桐山氏は準備することすら忘れていたのでしょう。
講義では、桐山氏は観想(空想)で真珠を受け取るように信者に言いました。
桐山氏の投げる目に見えない霊的な真珠を信者は両手で受け取りました。
存在しない真珠を桐山氏が投げ、信者が手を出して受け取るという茶番じみた
光景は、桐山氏の頭の中をそのまま表していました。
桐山氏はサービス精神のない人ではありません。
その桐山氏は信者の気持ちやいらだちすら読むことすらできなくなっていました。
「脳梗塞」その16
<転載>
桐山氏の脳梗塞は、老化という自然現象の一貫として起こったことです。
その兆候は、ずいぶん前から見られました。
1990年代から桐山氏の本には独自性がなく、焼き直しばかりになりました。
真偽はともかく、それまでの桐山氏の本にはそこそこの独自性がありました。
脳梗塞を患った前後に出た本は、前の本からの引用がしだいに多くなります。
この時期、全4章のうち2章が前の本からの章ごと転用とか、
400頁のうち、新しく書いたのは最初の30頁だけ、などという本があります。
みっともない本は出さなければいいのですが、本人は気がつきません。
本人は前に進んでいるつもりでも、同じ所を回っているのが老化の特徴です。
桐山氏は突然脳梗塞になったのではなく、その前からはっきりと老化現象が
彼の本や行動に現れていたのです。
脳梗塞は、老化という坂にあった石につまずいたようなものです。
脳梗塞を克服しても、老化という自然の坂には逆らえません。
桐山氏は、普通の人と同じように、老化の坂を落ちつつあるのです。
坂を落ちれば落ちるほど、桐山氏の説いた阿含宗の3本の柱(264)が成り立って
いないことを、自ら証明してくれるでしょう。
桐山氏が脳梗塞になったのは老化だけが原因ではありません
487 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:17
「なぜ脳梗塞になったか」その1
<転載>
桐山氏が脳梗塞になっても不思議ではありません。
77歳の老人であった点、そして、彼の生活ぶりです。
たいへんな夜型の人間です。
明け方まで起きていることも珍しくないと本人が書いています。
もう一つは食事です。
桐山氏は美食家で、ホテル・オークラは彼の食堂です。
店での料理は塩分や油分が多く、血管に悪い影響を与えます。
クンダリニーを覚醒して、身体を自由にコントロールできるという割には、
桐山氏は腹に脂肪がついています。
そのことを暗に指摘されると、「少し太っているほうが体力が維持できる」
と自己弁護していました。
桐山氏が関東別院(東京の本部)で、ビールを飲んで、フラフラになって
いるのをある職員がたまたま目撃しました。
この職員は驚いて、このことを周囲に話したために、クビになりました。
自然のサイクルを無視した生活と、美食と、酒を飲むような不節制をしていれば、
脳や身体が壊れるのは当たり前です。
「なぜ脳梗塞になったか」その2
<転載>
食事については、桐山氏は気の毒な面があるかもしれません。
30代半ばで家を出てしまい、以後、家庭の味がありません。
関東別院(東京の本部)に、家庭料理の上手な信者がいました。
桐山氏は自分の料理人になってくれるように依頼しました。
この信者は自分の家庭があるので、断りました。
桐山氏の依頼を断ったことが引き金となり、この信者は様々な意地悪にあい、
阿含宗をやめました。
この信者の子供は法務部(専属の僧侶)で僧侶をしています。
桐山氏の行く先々で、この僧侶は桐山氏の目に触れないように、排除されます。
488 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:18
「なぜ脳梗塞になったか」その3
<転載>
美食と同時に、桐山氏の食事の偏りを指摘する声もあります。
桐山氏は昔、玄米菜食主義を主張していました。
「変身の原理」「密教占星術T」では肉食の弊害を説いています。
当時の信者の、肉食をし、酒を飲んでいたという目撃談もありますから、
本当に桐山氏が玄米菜食を守っていたかどうかはわかりません。
1986年頃、突然、彼は方向転換し、肉食の必要性を認めます。
同時に、サプリメント(栄養補助食品)を重視します。
方向転換したとき、すでに桐山氏は66歳です。
若い頃からの長年の偏食が身体に重大な影響を与えていたのでしょう。
「なぜ脳梗塞になったか」その4
<転載>
サプリメント(栄養補助食品)の過剰摂取の指摘もあります。
桐山氏は、自分の身体を実験台にして大量摂取していることを自慢していました。
阿含宗カルフォルニア道場の職員に、アメリカのサプリメントを直接
送らせていました。
桐山氏は科学コンプレックスがあります。
研究者の成果を鵜呑みにして、最新の栄養学の知識を自慢します。
桐山氏は良いと言われるサプリメントを大量に摂取していました。
過剰な摂取分の分解には肝臓などに大きな負担をかけます。
桐山氏のような老人の肝臓などは弱っていますから、なおさらです。
過剰な栄養素の摂取が身体にどんな影響があるかは、科学的にもまだ
十分にはわかっていません。
しかし、桐山氏の結果を見れば、逆効果であった可能性が高いでしょう。
489 :
桐山氏の病状‐脳梗塞について :2000/10/06(金) 16:18
「なぜ脳梗塞になったか」その5
<転載>
桐山氏の栄養学の目的は二つあります。
・自分の食生活の言い訳
・光和食品(阿含宗系列)がもうけるため
煩悩をすべて断ち切ったはずの桐山氏は食欲という本能が押さえられません。
その言い訳に、桐山氏は
「おれは人の三倍食べて、五倍働く」
桐山氏の栄養学は、おいしい物を好きなだけ食べて、サプリメントで健康を
保つというものです。
自分の食欲はおもむくままにして、サプリメントでごまかすのです。
桐山氏は、
「錠剤を飲めば栄養がとれて、後は何を食べてもいいような時代が来る」
と、あたかも未来予測であるかのように言いました。
これも、自分はサプリメントを取っているから、何を食べてもいいのだという、
食欲と美食への言い訳にすぎません。
幸い、桐山氏の栄養学をそのまま実行するのは普通の信者には無理です。
自分の身体を壊すほど飲む前に、光和食品で財布を壊すからです。
「なぜ脳梗塞になったか」その6
<転載>
桐山氏の短時間睡眠も脳に悪影響があったと考えられます。
桐山氏は超人的能力の一つとして短時間睡眠をあげていました。
桐山氏は他人を踏み台にして自分のすごさをアピールするのが好きです。
桐山氏は「八時間も寝る奴はバカだ」と述べたことがあります。
桐山氏は「一日八時間睡眠には科学的根拠がない」と話しています。
根拠はあります。
一日八時間の睡眠をとっている人が最も長生きするという調査があります。
長年の短時間睡眠による脳や身体への影響が蓄積され、脳梗塞や体調不良を
引き起こした可能性があります。
以上のように、桐山氏の脳梗塞は、因縁、霊障、超能力をもってこなくても
説明がつきます。
桐山氏は病気になっても何の不思議もない生活を長年続けているのです。
桐山氏がこれまで病気をあまりしなかったのは、若い頃、結核を患ったことを
除けば、元々身体が丈夫だったからでしょう。
490 :
名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 19:27
めこ
491 :
桐山氏の犯罪歴−常習者の手口 :2000/10/07(土) 06:06
「犯罪歴について」
<転載>
「偽ビール事件」は昭和28年8/17の毎日、朝日新聞の夕刊に載っています。桐山氏(本名/堤真寿雄)32才の時です。昭和35年、桐山氏39才の時、習志野刑務所に約1年間、服役しました。
控訴したために刑(酒税法違反・私文書偽造の罪)が確定するまで、時間がかかりました。
「求聞持聡明法秘伝」(平河出版)の中で桐山氏は27才の時に酒税法違反で1年間、刑獄の人となったと書いていますが、ウソをついた理由は、若気のあやまちと言いたいことと、昭和29年、33才の時に横浜で観音慈恵会をはじめていたからです。刑務所に入るとき、信者にはご霊示により修業に出るとウソをついていました。(当時の機関紙「慈恵」より)
いまだにおんなじ様な手口のサギををやってると、思いませんか?
また、彼は17〜20代初めまで結核で自殺を考えるほど苦しんだ、と言ったり、書いたりしていますが、「霊障を解く」には18、9才の学生の頃、山登りが好きでロッククライミングをやっていた。夏休みには軽井沢に行って勉強していたと書いてあります。彼のデタラメと見えっ張りな性格がモロに出ていて笑えます。
492 :
桐山氏の詐欺を追及する :2000/10/07(土) 07:00
493 :
名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 07:05
ついでにあちこちから検索できるようにしといたから
その内、「阿含宗」で検索すると一連のアドが全部出てきます
これで被害者も少なくなるでしょう
ああ いいことしたなあ
494 :
名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 15:18
>下のアド全部、阿含宗へメールしといたよ
ご苦労様です。
とてもいいことをしました。
でも、阿含宗はHPを何年も更新しなかったし、
通報されるまでこのスレッドの存在すら知らないように、
超ローテク宗教で、メールなんて見ないかもしれないから、
桐山靖雄管長猊下様殿宛にハガキでも出して、
メールを見るように催促しておいたほうがいいかもしれません。
495 :
名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 16:48
アホじゃん?
愉快犯かも、なんて頭まわんない石頭じゃん!
おばさんに、マインドコントロールされた
ローテク頭じゃん!
ご苦労なこって。
496 :
名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 22:01
NYの焚き火が中止になったらよーちオバさんの功績ですね
桐山がどうなるかお楽しみ。
でもね
またアメリカの役人を買収してるかも。
497 :
名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 23:54
493さん、本当にご苦労さまでございます。
人々が、霊感商法まがいの詐欺に引っかからないよう
断固糾弾することは、いわば社会奉仕です。
阿含宗での「梵行」という名のもとの「悪事の手助け」に比べ、
どれほど尊い善行になるかと存じます。
ホームページ、ぜひ作って下さいね。
(はあと!!
498 :
名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 04:24
ほ
ちょっとからかうとどこまでもノッテ来やがる
くだらねぇ<阿含に群がるダニ
愉快でたまらん
500 :
名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 14:46
NYの護摩は、マイナーな教会に金を積み上げているから、
護摩は焚くでしょう。
桐山さんは引き続き、海外に投資して、勲章を集めるはずです。
今はロンドン大学から名誉をもらうつもりでいます。
これで権威付けをして布教に使うつもりです。
桐山さんの海外投資のためにも、批判HPに英語版を作り、
世界に向けて発信してはどうでしょうか。
桐山さんの投資先にメールを送り、
HPを見せて、彼の正体を教えてあげるのです。
一人だけでは労力負担が大きいから、長期的に
複数の人が協力して得意分野で協力するのです。
アリ一匹は大した力はないが、
アリの穴から城が崩れることもある。
だまされる人を一人でも少なくするのは、善行です。
>500
阿含と反阿含と、こんなどんぐりの背くらべのような
知性集団の輩のほざくことは、相手にされんでしょう。
502 :
名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 21:32
おばさん、苦し紛れにどこでもsageてるのねえ。
空白攻撃とか、見苦しいわぁ。
悔しかったら、ちゃんと論理的に反論してみたら??
(は・あ・と!!
503 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 00:03
質問
信者の方々は当然ご存知の事と思います。
すきっとした解答を期待しています。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
・いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
・誰から如意輪、不動、護摩法を伝授されたのか、
・阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩を何故焚くのか
・釈迦が禁止とした占いで何故金儲けするのか
・釈迦の説かない先祖供養・水子供養を何故やるのか
・真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか
・桐山氏は出家者かそれとも在家者か
・オウム真理教教祖・麻原の阿含宗在籍期間を何故偽るのか?
まだまだ沢山あるけれど取り合えずここまで
***このスレッドではよーちえんおばさんの出入を禁止します***
***幼稚地縛霊はもう消えなさい。あなたは阿含宗の恥さらしです***
504 :
再告 :2000/10/09(月) 07:01
***このスレッドではよーちえんおばさんの出入を禁止します***
***よーち地縛霊は立ち入り禁止。あなたは阿含宗の恥さらしです***
クサイよ 阿含臭
阿含宗批判HPつくってね 協力するから
505 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 07:06
(は・あ・と!!
***このスレッドでは(は・あ・と!!おばさんの出入を禁止します***
***よーち妄想霊は立ち入り禁止。あなたは阿含反対派の恥さらしです***
506 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 07:10
(は・あ・と!!
悔しかったら、もっと感情的に反論してみたら??
507 :
元阿含宗広報室長の告発 :2000/10/09(月) 07:13
『銀行、ゼネコンにまざって、地上げ屋、暴力団並びにそれに類するバブルな紳士たちが入り込んできて、
結局、宗教的な問題以外のところで、教団が動いていくというメカニズムができあがっていた。
そんな教団の変質を見ていて、私は「これは変だ」という思いを膨らませていった。
というのも、奥の金が荒っぽく動けば、人間の一人二人殺されてしまうことは十分にありうることだ。
しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、管長の一言で決まってしまう。
管長を利用しようという人間や、だまそうという人間などいろんな世界の人間が集まってきても不思議ではない。
そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ。
つまり、これまで日本では暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかではじめたとき、
オウム事件の素地が出来上がったのだ。』
阿含宗って凄く怖いね
やっぱりたくさんの凶悪犯罪者を生み出したわけですね
508 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 07:33
また阿含関連のスレッドがあがってますね。
信者の方はこうやって次から次にスレッドをたてて、
反対論者に論駁されると空白攻撃を仕掛けているようです。
私は阿含でも反阿含でもありませんがはっきりいってウザいです。
冷静に見て阿含の方は反阿含の方の質問にまともに答えていないし、
やたらスレッドを立て空白で上げるなど攪乱作戦に出ているようですが、
イメージがますます悪くなるだけですよ。
もういい加減に自分たちの負けを認めて出ていきなさい。
509 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 08:21
うぜぇよ。
阿含も、反阿含も
同類だろーが
510 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 08:59
>508
>私は阿含でも反阿含でもありませんがはっきりいってウザいです。
>もういい加減に自分たちの負けを認めて出ていきなさい。
あんた、はっきりいって論理に矛盾があるよ。
511 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 09:05
>私は阿含でも反阿含でもありませんがはっきりいってウザいです。
>もういい加減に自分たちの負けを認めて出ていきなさい。
あんた、はっきりいって論理に矛盾があるよ。
***このスレッドでは、よーち&(は・あ・と!!の出入を禁止します***
***オバタリアン妄想霊は立ち入り禁止。あなたは方は、阿含スレッドの恥さらしです***
512 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 09:39
***このスレッドでは、よーち&(は・あ・と!!の出入を禁止します***
***オバタリアン妄想霊は立ち入り禁止。あなたは方は、阿含スレッドの恥さらしです***
513 :
名無しさん@1周年 :2000/10/10(火) 05:09
元阿含宗広報室長の告発
阿含宗サイドは裁判で勝てる見込みがなかった為に告訴せず。
・・・つまり事実という事です。
514 :
名無しさん@1周年 :2000/10/10(火) 12:51
>513
つまり桐山が認めたという事ですね
かなりヤバイ話もあるのに。
すると事実はそれ以上に酷いという事になりますね。
515 :
名無しさん@1周年 :2000/10/10(火) 20:50
この程度じゃないということがはっきりしただけで
もうオウム真理教のようなインチキ宗教・凶悪犯罪集団だと断定できます。
516 :
元阿含宗広報室長の「衝撃の告発」 :2000/10/11(水) 04:14
元阿含宗広報室長の告発
宝石1996.6 元幹部スクープ告発 より転載
オウムと幸福の科学を生んだ桐山阿含宗の危険度
ハデな宣伝、マスコミ対策、教義のツマミ食い、集金と暴力性今こそ全貌を明かそう
地下鉄サリン事件が起きて、オウム一色だった一年が過ぎた。
だが、いまもオウム裁判が続き、いままたTBSが坂本取材したビデオテープを、
事前にオウム側に見せていた事実が発覚、マスコミや世論の批判を浴びるなど、オウム事件は意外な展開を見せている。
だが、TBSがマスコミの集中砲火を浴びるのを見ながら、私はここにほとんど語られていない部分があることに、
もどかしい思いを抱き続けてきた。
かって、第三次宗教ブーム到来が声高に叫ばれ、新宗教.新新宗教という造語とともに、
常に時代の脚光を浴びていたのが、阿含宗であったといっても、そう間違っていないと想う。
その阿含宗の教勢が頂点に達しようという時代を阿含宗の機関誌「月刊アーガマ」の編集長として、
また広報室長として、教団周辺のさまざまな動きを、その内側から見てきた者には、
オウム心理今日の犯罪もTBS事件もなんら驚くべき事ではない。
むしろ、起きて当然という思いが強い。
後で述べるように「宝石」は私の広報室長時代に
「阿含宗..桐山館長危険な賭(一九八六年五月号)衝撃的なルポが載った。
忘れることの出来ない雑誌だ。
その「宝石」で、私自身のこと、そして阿含宗のことを語るのは、不思議な思いがするとともに、
私自身の責任を果たす舞台としては、もっともふさわしい気持ちもある。
私が七年間勤めた阿含宗との関わりを断ったのは、八九年の春、正確に言えば八八年の秋に、
それまで兼務していた広報室長および国際部長を辞職、その後嘱託として残ったのだが、
それも辞めて、八九年六月に株式会社インターカルチャー研究所」をつくって
調査研究出版プロデュース等、フリーで活動を始めた。
退職するに当たっては、のし袋いりの退職金をもらっての円満退社であり、取り立てて桐山阿含宗に
特別な恨みつらみがあるわけではない。
私が広報室長の仕事に携わったのは八〇年代は、バブルがムクムクと頭をもたげはじめ、阿含宗に限らず、
宗教の内実が失われていた。そんな時代にあった。
宗教団体が教勢を拡大して信者からお布施を集め、会費をもらうという本来のあり方を投げ捨て、
手っ取り早くお金になる土地の売買に奔走。
合法的な”脱税”のために、宗教法人の売買さえも行われていた。
地下が年に一割、二割あがろうということは、何十億の土地をいくつかもっていれば、
年に何十億という規模で資産が増加するということだ。
517 :
元阿含宗広報室長の「衝撃の告発」 :2000/10/11(水) 04:15
元阿含宗広報室長の告発
そういう状況のなかで、宗教団体に出入りする人たちの質、人種が変わりはじめるのは当然だろう。
銀行、ゼネコンにまざって、地上げ屋、暴力団並びにそれに類するバブルな紳士たちが入り込んできて、
結局、宗教的な問題以外のところで、教団が動いていくというメカニズムができあがっていた。
そんな教団の変質を見ていて、私は「これは変だ」という思いを膨らませていった。
というのも、奥の金が荒っぽく動けば、人間の一人二人殺されてしまうことは十分にありうることだ。
しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、管長の一言で決まってしまう。
管長を利用しようという人間や、だまそうという人間などいろんな世界の人間が集まってきても不思議ではない。
そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ。
つまり、これまで日本では暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかではじめたとき、
オウム事件の素地が出来上がったのだ。だから、オウム真理教で起きた事件は自然な成り行きであったと言える。
私が阿含宗を辞めた八九年は、実は坂本弁護士がオウムと関わっている時期でもある。
彼は七月に対オウム弁護士に着任して交渉を開始し、八月には「サンデー毎日」をオウム真理教の連載をスタートさせた。
実際に、八九年の段階では、地下鉄サリン事件まではちょっと考えられなかったとはいえ、
オウム事件は完全に予測できたというのが、私の偽らざる実感であり、だからこそ坂本弁護士失踪事件報道に接して、
すぐに「これはオウムの犯行だな」との確信を抱いたのである。
オウムの危険性をことあるごとに叫んできた者の一人として、私はオウムを野放しにしあそこまで凶悪犯罪集団に
仕立てあげたのは、マスコミをはじめみんながそれを見過ごしてきたけっかだと、ハッキリ指摘しておきたい。
オウム事件は狂信集団が勝手に暴れたのではなく、それを許した私たちの時代の責任なのである。
そこの部分の反省がないいと、今後も同じような過ちがくりかえされるようになるのだと思う。
518 :
元阿含宗広報室長の「衝撃の告発」 :2000/10/11(水) 04:16
元阿含宗広報室長の告発
宗教団体の金と恫喝に屈したマスコミ
私の広報室長時代、もっとも当たった企画は、じつは大手代理店がが持ってきた管長主催ゴルフコンペであった。
このとき、大手代理店の営業力の賜物か、日本を代表する出版社、新聞社等、活字媒体のすべて、
そしてラジオテレビのキー局の人間が全部やって来た。
もちろん、ゴルフコンペに来るのは、テレビ局でも雑誌社でも広告担当者それでもこうした企画を通して、
やがて新聞社、出版社、週刊誌全部に「桐山は案外悪い奴ではない」というムードが浸透し、「星祭り」広告や
パブリシティなどがスンナリと載るという地均しができていった。
それだけゴルフコンペの力は医大だったということなのだが、それはバブルの時代にふさわしい派手なコンペで、
いわゆる豪華な賞品あもちろんのこと、のし袋のなかに1万円札が何枚委も入るというかたちでの、「賞金」がバラまかれた。
そこから自然に桐山管長を盛り上げるような雰囲気が形成され、結局取材記事のパブリシティ化が始まっていった。
そうしたマスコミの変化は、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。
その意味では、私が広報担当者としてパブリシティを展開し、マスコミの取材を受けるなかで実際に見てきたことは、
マスコミがいかに宗教団体に屈してきたかという、その歴史
519 :
桐山と阿含宗の犯罪歴<抜粋> :2000/10/11(水) 04:25
オウムを生み出した桐山と阿含宗の犯罪歴抜粋
「犯罪歴について」
<転載>
「偽ビール事件」は昭和28年8/17の毎日、朝日新聞の夕刊に載っています。桐山氏(本名/堤真寿雄)32才の時です。昭和35年、桐山氏39才の時、習志野刑務所に約1年間、服役しました。
控訴したために刑(酒税法違反・私文書偽造の罪)が確定するまで、時間がかかりました。
「求聞持聡明法秘伝」(平河出版)の中で桐山氏は27才の時に酒税法違反で1年間、刑獄の人となったと書いていますが、ウソをついた理由は、若気のあやまちと言いたいことと、昭和29年、33才の時に横浜で観音慈恵会をはじめていたからです。刑務所に入るとき、信者にはご霊示により修業に出るとウソをついていました。(当時の機関紙「慈恵」より)
いまだにおんなじ様な手口のサギををやってると、思いませんか?
また、彼は17〜20代初めまで結核で自殺を考えるほど苦しんだ、と言ったり、書いたりしていますが、「霊障を解く」には18、9才の学生の頃、山登りが好きでロッククライミングをやっていた。夏休みには軽井沢に行って勉強していたと書いてあります。彼のデタラメと見えっ張りな性格がモロに出ていて笑えます。
ニセビールの前年、昭和27年8/26 詐欺、契約違反で西新井署に、
同年12/2手形詐欺で千葉県松戸署に逮捕されていますが具体的な内容は不明です。
上記の情報は元信者 広野隆憲さんの著書「阿含密教の研究・桐山密教の内実」
東方出版1992年初版にのっています。
(桐山氏の経歴がかなり詳しく書いてあるコッテリした告発本です。)
昭和60年5/4 朝日新聞に「6700万円所得隠し」
当時、阿含宗全体の経理を担当していた関西総本部が国税局に摘発されています。
ちなみに責任者の和田尚子事務長は桐山氏の愛人といわれている人で、
現在は関西総本部のトップになっています。
阿含宗の関連企業の代表、役員はすべて桐山氏の身内です
昭和62年1/20神奈川新聞、朝日新聞に「密教食は違反食品」
無許可の漢方薬品を混合した「密教食」を600〜635円で仕入れ3000〜4500円で
信者に7億円売りさばく。光和食品社長(当時)桐山靖雄ら7人が神奈川県警と横浜港南署に
薬事法違反で書類送検される。
平成3年12/20 朝日新聞(朝刊)に「米州長官に現金」
勲章好きの桐山氏がアメリカの警察署長協会に寄付をしてメダルかなんかを貰ったお礼に
役員夫妻5名を日本に招待し土産として現金各々40万〜160万を贈ったものです。
一行のリーダー、バージニア州サザード公安長官はお金は返したのに辞表を出したそうです。可哀相に・・・
520 :
桐山と阿含宗の犯罪歴<抜粋> :2000/10/11(水) 04:37
<元阿含宗広報室長の告発>
『そういう状況のなかで、宗教団体に出入りする人たちの質、人種が変わりはじめるのは当然だろう。
銀行、ゼネコンにまざって、地上げ屋、暴力団並びにそれに類するバブルな紳士たちが入り込んできて、
結局、宗教的な問題以外のところで、教団が動いていくというメカニズムができあがっていた。
そんな教団の変質を見ていて、私は「これは変だ」という思いを膨らませていった。
というのも、奥の金が荒っぽく動けば、人間の一人二人殺されてしまうことは十分にありうることだ。
しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、管長の一言で決まってしまう。
管長を利用しようという人間や、だまそうという人間などいろんな世界の人間が集まってきても不思議ではない。
そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ。
つまり、これまで日本では暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかではじめたとき、
オウム事件の素地が出来上がったのだ。だから、オウム真理教で起きた事件は自然な成り行きであったと言える。』
何人死んだんだろう?
オウムと暴力団の深い関係は有名だが,阿含宗とヤクザの関係はそれ以上に
深〜〜〜いらしい。
やはり命が大事だから,みんなこの程度で阿含宗の真相究明を止めたほうがいい。
誰か?に殺される前に・・・。
521 :
怖いけど・・・・・ :2000/10/11(水) 04:41
元阿含宗広報室長の告発
阿含宗サイドは裁判で勝てる見込みがなかった為に告訴せず。
・・・つまりまちがいなく『事実』だという事です。
522 :
名無しさん@1周年 :2000/10/12(木) 08:10
>しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、管長の一言で決まってしまう。
このあたりが一般の公益法人と違う所ですね。
新興の宗教法人は教祖が全てみたいな所がありますから,
普通考えられないような事が平然と行なわれるのでしょう。
>そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
>それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ。
> つまり、これまで日本では暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかではじめたとき、
>オウム事件の素地が出来上がったのだ。
宗教法人と暴力団との関係は,阿含宗が特別深いというわけではないでしょう。
たしかに桐山氏があのように幾つもの前科があり,刑務所にもいた人ですから,
暴力団としても親近感があるのかも知れませんが,実際に阿含宗とその取り巻き暴力団によって
何人の人達が殺されたのでしょうか?
オウムの様に,覚醒剤などを扱っていたのでしょうか?
そのあたりの具体的な話が聞きたいのですが,発言者の元幹部の方も
命が危険に晒される為か,阿含宗の凶悪犯罪について核心を語ることが出来ないようで
とても残念です。
ただ,裁判沙汰に出来なかった阿含宗側の反応が大変疑問です。
もしも嘘だと言うのなら,堂々と裁判にかけるべきです。
殺人や覚醒剤まで飛び出して内部告発されているのですから。
偽ビールの様に,「覚醒剤は売っていません。偽覚醒剤を作って詐欺しようとしたんです」
という結末ならまだ許せますけれど・・・・。
523 :
名無しさん@1周年 :2000/10/12(木) 12:40
>522
桐山さんは宗教詐欺師ですから、人殺しや覚醒剤まではいきません。
桐山さんのようにおだてると天井知らずになる人は、
ヤクザにとっては最も扱いやすいカモです。
数年前、総本山で購入した神社用の土地は
ヤクザがらみだと言われています。
ヤクザが地上げして阿含宗に売りつけたのです。
星まつりには黒塗りの高級車が列をなすことを
誰か目撃して書いていましたね。
ヤクザを取り締まる法律ができたとき、
桐山さんはヤクザを弁護するような法話をしています。
来る者は、職業を問わず、拒まないなどと
暗にヤクザとつき合いのあることを認める発言をしています。
星まつりのあれだけのイベントに、露店一つ立たないのは
誰が見てもヤクザの裏協力があるからです。
524 :
名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 06:27
>星まつりのあれだけのイベントに、露店一つ立たないのは
>誰が見てもヤクザの裏協力があるからです。
昔からお祭りに露店は付き物ですが,通常地元のテキヤ関連が仕切ります。
ヤクザにも色々な種類がありますから,露店一つ立たないとすると
通常のおとなしいテキヤ系ではなく,所謂「暴力団」と深く付き合っているという事です。
つまりより犯罪性が高く覚醒剤や殺人が日常的なグループとの癒着という事ですね。
阿含宗元幹部の方の告発を裏付けるお話だと思いました。
525 :
犯罪常習者・桐山靖雄の嘘 :2000/10/13(金) 15:54
犯罪歴について」
<転載>
「偽ビール事件」は昭和28年8/17の毎日、朝日新聞の夕刊に載っています。桐山氏(本名/堤真寿雄)32才の時です。昭和35年、桐山氏39才の時、習志野刑務所に約1年間、服役しました。
控訴したために刑(酒税法違反・私文書偽造の罪)が確定するまで、時間がかかりました。
「求聞持聡明法秘伝」(平河出版)の中で桐山氏は27才の時に酒税法違反で1年間、刑獄の人となったと書いていますが、ウソをついた理由は、若気のあやまちと言いたいことと、昭和29年、33才の時に横浜で観音慈恵会をはじめていたからです。刑務所に入るとき、信者にはご霊示により修業に出るとウソをついていました。(当時の機関紙「慈恵」より)
いまだにおんなじ様な手口のサギををやってると、思いませんか?
また、彼は17〜20代初めまで結核で自殺を考えるほど苦しんだ、と言ったり、書いたりしていますが、「霊障を解く」には18、9才の学生の頃、山登りが好きでロッククライミングをやっていた。夏休みには軽井沢に行って勉強していたと書いてあります。彼のデタラメと見えっ張りな性格がモロに出ていて笑えます。
526 :
犯罪常習者・桐山靖雄の嘘 :2000/10/13(金) 15:55
<転載>
ニセビールの前年、昭和27年8/26 詐欺、契約違反で西新井署に、
同年12/2手形詐欺で千葉県松戸署に逮捕されていますが具体的な内容は不明です。
上記の情報は元信者 広野隆憲さんの著書「阿含密教の研究・桐山密教の内実」
東方出版1992年初版にのっています。
(桐山氏の経歴がかなり詳しく書いてあるコッテリした告発本です。)
昭和60年5/4 朝日新聞に「6700万円所得隠し」
当時、阿含宗全体の経理を担当していた関西総本部が国税局に摘発されています。
ちなみに責任者の和田尚子事務長は桐山氏の愛人といわれている人で、
現在は関西総本部のトップになっています。
阿含宗の関連企業の代表、役員はすべて桐山氏の身内です。
527 :
犯罪常習者・桐山靖雄の嘘 :2000/10/13(金) 15:55
<転載>
昭和62年1/20神奈川新聞、朝日新聞に「密教食は違反食品」
無許可の漢方薬品を混合した「密教食」を600〜635円で仕入れ3000〜4500円で
信者に7億円売りさばく。光和食品社長(当時)桐山靖雄ら7人が神奈川県警と横浜港南署に
薬事法違反で書類送検される。
平成3年12/20 朝日新聞(朝刊)に「米州長官に現金」
勲章好きの桐山氏がアメリカの警察署長協会に寄付をしてメダルかなんかを貰ったお礼に
役員夫妻5名を日本に招待し土産として現金各々40万〜160万を贈ったものです。
一行のリーダー、バージニア州サザード公安長官はお金は返したのに辞表を出したそうです。可哀相に・・・
528 :
名無しさん@1周年 :2000/10/14(土) 21:03
質問
信者の方々は当然ご存知の事と思います。
すきっとした解答を期待しています。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
・いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
・誰から如意輪、不動、護摩法を伝授されたのか、
・阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩を何故焚くのか
・釈迦が禁止とした占いで何故金儲けするのか
・釈迦の説かない先祖供養・水子供養を何故やるのか
・真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか
・桐山氏は出家者かそれとも在家者か
・オウム真理教教祖・麻原の阿含宗在籍期間を何故偽るのか?
まだまだ沢山あるけれど取り合えずここまで
***このスレッドではよーちえんおばさんの出入を禁止します***
529 :
名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 18:29
>桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
>いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
誰からも伝法灌頂など受けていません。
だから偽坊主として糾弾されていたのです。
つまり阿闍梨、大僧正にもなったことはないの
全部嘘ですよ もうこれ常識だけどね
530 :
通りすがり :2000/10/15(日) 20:26
元阿含宗広報室長の告発の出典はどこですか?
以前守護霊ブームの頃、桐山氏の著書を見たことがありますが、同時期に何の雑誌か忘れましたが、関西の方だか、目つきの鋭いその筋の人達が道場に出入りしているという記事を見かけたことあります。
大教団はとかくこの手の話し聞きますけど怖いですね。
この間、故伊丹監督のマルサの女2をビデオ借りてきて見ていたのですが、モデルは阿含宗?とふと思いました。
遺作の方も
531 :
名無しさん@1周年 :2000/10/16(月) 15:39
阿含宗は、邪悪犯罪教団・悪霊団体そして「阿保の見本」として
小説や映画の題材に随分使われています。
でも実際には暴力団の巣窟みたいなものです。
オウムの事件は表に出ただけ良い方です。
阿含宗は怖いですよ マジで
532 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 05:40
>530
元阿含宗広報室長の告発
宝石1996.6 元幹部スクープ告発 より転載
オウムと幸福の科学を生んだ桐山阿含宗の危険度
ハデな宣伝、マスコミ対策、教義のツマミ食い、集金と暴力性今こそ全貌を明かそう
533 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 06:01
>532
はやく消えて欲しいですね
日本の恥ですよ
あんな「犬の下痢便教団」は,
>532
レスどうもです。すごいですね。もう全部転載してありますか?
幸福の科学も桐山の系統だったんですか?知らなかった。
あと、どのスレでもよーちとかはあととか出てくるけど、一見さんのROMには何だかわからないので、そこのとこヨロシク。
阿含宗が危ないのは良くわかったけど。
学生時の女友達で信者がいて、その後統一協会に逝っちゃって音信不通になったのがいて興味持って読んでるんだけど、スレ長くて夜はなかなか読み込めないんだよ〜。
では。
535 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 11:07
阿含宗の場合,統一教会とはタイプが違うんです。
インチキに気が付くのに余り時間がかからない点と
信者の出入りについて余りこだわらない所かな。
阿含宗は中身がほとんど無いために引き止める材料に欠けるんですよ。
だから3年以上いる人はとても少ないですね。
10年いたら病院へ行った方がいいくらいです。
精神科へ。
536 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 11:11
☆★☆★☆★☆★☆★このスレッド終了します☆★☆★☆★☆★☆★
537 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 11:18
>535
だから皆さん精神科の薬に詳しいんだ
阿含宗の信徒は精神科のいいお客さんだと証明されました。
538 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 11:19
なんか自作自演ばかり。阿含叩き云々も自作でしょう?
表題も、文章も書きなぐり。程度も低いし、論理もない。
539 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 11:22
君達、阿含側の人間は、言うだけ言って旗色が悪いと
いつもトンズラ決め込むよな。言向けして見せろよ。
540 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 11:38
僕の聞いた話では,桐山は酔うと凄くスケベになるそうだ。
541 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 12:09
>530
元阿含宗広報室長の告発
阿含宗・桐山靖雄と麻原彰晃、宝島30、1995年11月
桐山阿含宗の危険度、宝石、1996年6月
542 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 13:15
阿含の因果応報は良い。
人が幸せでも羨まないし、自分が不幸でも苦にならない。
他人に迷惑かけなくなるし、他人を思いやるようになる。
543 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 13:58
>542
>阿含の因果応報は良い。
大作さんの勲章が羨ましくて、勲章を追いかけ、
脳梗塞になっても苦にせずに、勲章を追いかけ、
奥さんを早死にさせるほど迷惑をかけても、まだ勲章を追いかけ、
他人を思いやる心からか、
地球壊滅で二十年も人々を脅かし続けた桐山さんには、
因果応報の報いが良い。
544 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 14:04
桐山先生
御神示なんてうそなんでしょう?
御チン示したのは本当らしいけど。
545 :
名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 07:14
>御チン示したのは本当らしいけど。
どこであの汚い粗チンを出したの?
たまたま便所で覗いた人が
猊下は短小包茎だって言ってたけど
546 :
名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 07:38
滑稽というか、気の毒というか・・・
うーん、アホやね。あっいかん言うてもうた。
547 :
名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 14:30
>猊下は短小包茎だって言ってたけど
ついでに早漏だってね ところで
刑務所でさんざんカマ掘られたって本当ですか?
548 :
猊下は短小包茎 :2000/10/18(水) 14:41
<転載>
慈恵会でじゃ、入会してもすぐに辞める信者が跡を絶たなかった。ある時例祭にそれを憂えた一信者が、
「桐山先生、入信しても定着しない信者が相当います。こんなことでは、慈恵会は容易に大きくなれないとおもいますが」
と質問したところが、桐山氏は落ち着き払らってこう答えた。
「そんなことは問題にならん。新興宗教はどこでもそうだが、うちの場合、入信者の二割残る。これは歩留りの大変良い方で、これだけ定着すれば大したものです。
そう言っても、教団の成長発展を願わない教祖はいない。この桐山氏の答えは信者に弱みを見せたくない教祖の、本心を隠す虚勢であったのだろうか。
このころ、教義的に第一作『幸福への原理』の延長上にあっても、カタカナの外来語をふんだんに用い、抹香臭さを偽装した『変身の原理』を出版する本を見て入信する超能力、オカルト志向の信者の急増によって事情は一変して行き、桐山氏の自信は深まっていく。
何事にも喰いかけては途中でやめる桐山氏の本来の性格に見切りをつけたり、経済的についていけず脱落する信者も出ているが、入信者の自然脱会は前以て折り込み済みの現象なのである。どんどん入信すれば、次々に辞めていっても、仏具の法具の購入等でフレッシュマネーを落としてもらえば一向痛痒は感じないだろう。また、あまり長く居て桐山氏や教団のアラを見過ぎた信者は、新入信者には悪影響があるから、特定の幹部を除いてはほどほどにお引き取り頂いた方が好都合であるともいえる。辞める以上に入信する信者がいれば、つまり“信者増加率”さえよければ、教団は確実に伸びていく。 桐山氏にとっては、この阿含宗とはいわば<回転宗教>ともいえるものなのである。
549 :
名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 14:42
<転載>
慈恵会でじゃ、入会してもすぐに辞める信者が跡を絶たなかった。ある時例祭にそれを憂えた一信者が、
「桐山先生、入信しても定着しない信者が相当います。こんなことでは、慈恵会は容易に大きくなれないとおもいますが」
と質問したところが、桐山氏は落ち着き払らってこう答えた。
「そんなことは問題にならん。新興宗教はどこでもそうだが、うちの場合、入信者の二割残る。これは歩留りの大変良い方で、これだけ定着すれば大したものです。
そう言っても、教団の成長発展を願わない教祖はいない。この桐山氏の答えは信者に弱みを見せたくない教祖の、本心を隠す虚勢であったのだろうか。
このころ、教義的に第一作『幸福への原理』の延長上にあっても、カタカナの外来語をふんだんに用い、抹香臭さを偽装した『変身の原理』を出版する本を見て入信する超能力、オカルト志向の信者の急増によって事情は一変して行き、桐山氏の自信は深まっていく。
何事にも喰いかけては途中でやめる桐山氏の本来の性格に見切りをつけたり、経済的についていけず脱落する信者も出ているが、入信者の自然脱会は前以て折り込み済みの現象なのである。どんどん入信すれば、次々に辞めていっても、仏具の法具の購入等でフレッシュマネーを落としてもらえば一向痛痒は感じないだろう。また、あまり長く居て桐山氏や教団のアラを見過ぎた信者は、新入信者には悪影響があるから、特定の幹部を除いてはほどほどにお引き取り頂いた方が好都合であるともいえる。辞める以上に入信する信者がいれば、つまり“信者増加率”さえよければ、教団は確実に伸びていく。 桐山氏にとっては、この阿含宗とはいわば<回転宗教>ともいえるものなのである。
>信者に高額な金を払わせ集めた金を使って桐山ら幹部が贅沢を
>している阿含は金儲けが目的で始めたインチキな宗教であると
>考えて間違いありません。
>ほとんどの宗教は現実にはこういった金儲け目的のインチキです。
>もし人助けが目的なら、集めた金を桐山が自分の贅沢のために使うはずはなく、
>その金を世界中で飢え死にしそうになっている、大勢の人間を救うことに
>使うはずです。
551 :
名無しさん@1周年 :2000/10/19(木) 23:57
桐山が包茎でも短小・早漏でも構わない。
べつにあいつとホモるわけじゃないんだから。
でも全てが嘘だと言うのなら信じて多額の金を出した人達に
謝罪して返金すべきだ。
人間として当然だろ
552 :
転載 :2000/10/20(金) 06:20
「刑獄の因縁」 5.三度の逮捕歴
桐山氏の前科をもう少し詳しく見てみます。
桐山氏の逮捕歴は3度あります。
昭和27(1952)年8月16日、詐欺、契約違反、警視庁西新井署
昭和27(1952)年12月12日、手形詐欺、千葉県松戸署
昭和28(1953)年8月16日、酒税法違反、私文書偽造、警視庁防犯課
このうち、裁判で有罪になったのが、三番目の事件です。
偽ビール事件で逮捕される前に別件で二度逮捕されています。
桐山氏は、酒税法違反の件は本にも書いていますが、その前、二度もある逮捕歴
についてはまったく書いておらず、釈明もしていません。
裁判で訴えられた内容は酒税法違反だけではありません。
昭和28(1953)年の逮捕に私文書偽造の罪があります。
桐山氏が千葉県の農協の契約書や組合長の印鑑を偽造して、桐山氏の経営してい
た北日本物産商会が独占的に青森や岩手のイモを入手しようとしたものです。
契約書は昭和26(1951)年頃、桐山氏の流山の自宅に、和文タイプライターの業者
を呼んで文書を作らせました。
私文書偽造は明らかに桐山氏本人のやった犯罪であり、仲間が勝手にやって、桐
山氏が巻き込まれたのとは違います。
酒税法違反で逮捕される2年も前の話ですから、偽ビールを作る前から、桐山氏
は犯罪行為をなしていたことがわかります。
前に二度の逮捕歴があることを書いてしまうと、桐山氏の偽ビール事件への言い
訳は説得力がなくなるので、口をぬぐったのでしょう。
桐山氏の言い訳では、偽ビール事件は、何も知らない無垢な桐山氏が突然プロの
犯罪者集団に巻き込まれたような言い方でした。
しかし、実際の桐山氏は、何年も前から自ら犯罪をなし、さらには二度もの逮捕
歴を持つ、立派な犯罪者予備軍だったのです。
553 :
転載 :2000/10/20(金) 06:21
「刑獄の因縁」 6.二度逮捕されても懲りなかった性格
桐山氏は酒税法違反で逮捕される前に二度も逮捕されているのです。
二年間に、なんと三度も逮捕されているのです。
ここには普通の人にはまず見られない桐山氏の独特の性格が如実に現れています。
普通、一度でも逮捕されれば、「二度とこんな目にはあわないぞ」と決心します。
しかし、桐山氏は一度ならず、二度でもまったく懲りませんでした。
これは桐山氏の、一般人には見られない、驚くべき性格を表しています。
酒税法違反で刑務所に入ったという前科よりも、桐山氏の性格を知る上では、そ
の前に二度も逮捕されていたという事実のほうがはるかに重要です。
おそらく、二度の逮捕の時は、警察からの説教だけで済んだのでしょう。
これはかえってよくなかったのかもしれません。
警察の温情だとは思わず、自分の詭弁でうまくごまかせたと思いこんだのです。
自分は知恵者なのだとさらに信じ込んだのでしょう。
二度の逮捕の時、どのような詭弁を用いたかは、偽ビール事件での桐山氏の言い
訳を見れば十分です。
今日でさえも、自分が「恐怖の大王だ」と言い出したように、あらゆる場面で荒
唐無稽な自己弁護を繰り返すのを見れば、警察への詭弁も想像がつきます。
二度の逮捕さえも、桐山氏は、自分は頭がいいから、うまく切り抜けられたのだ
と自信を深めただけで、なんら反省の材料にはなりませんでした。
自分ほどの知恵者なら、警察なんてチョロイ、世間のバカどもをだますのは簡単
だと確信したのでしょう。
自分の詭弁の能力に自信を深めただけでした。
三度目の逮捕までは時間があったのだから、密造酒を作るのをやめるチャンスは
ありました。
二度目の逮捕で懲りて、犯罪行為から手を引くくらいのことはできました。
だが、現実の桐山氏は手を引かなかったのです。
桐山氏は二度の逮捕にもひるむことなく、同じような犯罪を繰り返したのです。
いくら戦後の混乱期とはいえ、これは普通の神経ではありません。
後の桐山氏の宗教に現れる「自分の能力への過剰評価」「世間への侮蔑心」「激し
い思いこみ」といった心癖が、すでにここに明瞭に現れています。
今日の桐山氏の姿を見るなら、正確には「三度逮捕されても懲りなかった性格」
というべきでしょう。
554 :
犯罪常習者 :2000/10/20(金) 11:20
桐山氏は酒税法違反で逮捕される前に二度も逮捕されているのです。
二年間に、なんと三度も逮捕されているのです。
ここには普通の人にはまず見られない桐山氏の独特の性格が如実に現れています
555 :
δ :2000/10/20(金) 11:32
>阿含宗批判を繰り返している人は、
>宗教的信念で阿含宗を批判しているわけでは無い。
>お金のため。Only for money.
>また、向精神薬の常用者であり、長期療養経験者らしい。
>まともに取り合うには値しないとおもう。
>ハロペリドール、セレネース、デパス、チオペンタール(ラボナール)
>の常用者を雇っている教団はどこなのだろう?
>こういう人を雇ってもお金の無駄。私なら即刻解雇するよ。
>お金のため。
>それで充分だろ。金だって何だって。
>オレも勿論そうだけど。別にいいじゃん。
>金のためとあっさり認めましたね!
>彼のことなら良く知っているよ。有名だからね。
>金だ!金だ!金だ!
>先立つものは、金だ!
>むかし、金だ鷺鸚鵡歪曲さんという名前が出てたよね。
と言うことは、この人は「金だ」さんですね。
556 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 13:24
だけどどうなんだ、これだけ悪口を書かれても
阿含は発展しているんだろうか?
落ち目には見えないし、かといって、かつての勢いも
ないが、落ち着いた信者は確実に増えているように
も見える、さほど過激だとも思えないし
各地でのイベントなんかも盛んで、一般人とのトラブル
もあまり聞かない、さて将来この教団はどのように
なるのだろうかな?
557 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 13:40
ほとんどの阿含宗の悪口、批判は、桐山氏に関する
ことなのだが、阿含宗は教祖、依存型の教団では
なかったんじゃないのか?
教祖が叩かれても信者はそれほど動揺があるようには
思えない、ということは教祖依存から脱却しつつあるの
ではなかろうか、とは言っても桐山氏あっての阿含宗
次世代へと繋ぐにはそうとう苦労があるはずだろう、
しかし悪口批判とは裏腹に着実に教団の基盤は
かたまりつつあるようだ。
558 :
名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 13:48
桐山の「霊格」がいかほどのレベルか
559 :
犯罪者を糾弾する :2000/10/20(金) 21:46
桐山さん、今度はいつ刑務所に入るのでしょうか?
直弟子の麻原、林、井上、早川等々はすでに逮捕されていますけれど。
今収監されるなら、同類の法源、高橋たちも一緒ですよ
みんな「ぐる」だもんね
560 :
名無しさん@1周年 :2000/10/21(土) 06:19
>反社会的な凶悪犯罪を犯した多数の元直弟子達も今,次々に死刑の判決を受けています。
>第2のオウム真理教を生まない為にも、全ての発端となった阿含宗の正体を明かにすべきでしょう。
>これ以上犠牲者を出さない為にも。
同感
562 :
名無しさん@1周年 :2000/10/22(日) 15:16
桐山氏は酒税法違反で逮捕される前に二度も逮捕されているのです。
二年間に、なんと三度も逮捕されているのです。
ここには普通の人にはまず見られない桐山氏の独特の性格が如実に現れています
「次は上手く騙してやろう」という考えが見え見えですね
それにしても二年に三回とは、本物の犯罪常習者ですな
563 :
名無しさん@1周年 :2000/10/22(日) 23:02
質問
信者の方々は当然ご存知の事と思います。
すきっとした解答を期待しています。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
・いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
・誰から如意輪、不動、護摩法を伝授されたのか、
・阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩を何故焚くのか
・釈迦が禁止とした占いで何故金儲けするのか
・釈迦の説かない先祖供養・水子供養を何故やるのか
・真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか
・桐山氏は出家者かそれとも在家者か
・オウム真理教教祖・麻原の阿含宗在籍期間を何故偽るのか?
まだまだ沢山あるけれど取り合えずここまで
***このスレッドではよーちえんおばさんの出入を禁止します***
564 :
名無しさん@1周年:2000/10/24(火) 06:54
こんなに沢山罪を犯しながら
桐山の前科などについて
「ささいなこと」と思っている信徒がいる
そんなところから
オウム真理教が産まれたのだろう
金Xさん、第2の麻原にならないようにね
桐山の弟子だった多くの人達のように
平気で人を殺せるようになってはいかんよ
565 :
名無しさん@1周年:2000/10/24(火) 08:53
>桐山の弟子だった多くの人達のように
>平気で人を殺せるようになってはいかんよ
桐山式の詐欺も駄目だよ
犯罪だから。
566 :
名無しさん@1周年:2000/10/25(水) 04:36
>*金剛山=犀の角=いちご=コーラルリーフ=よーちオバ
>*ひたすら独り芝居、自作自演、自問自答を続ける。
そう思った。形勢が悪くなると、突然いろいろ現われて来るね。
567 :
名無しさん@1周年:2000/10/25(水) 14:54
金剛オバ山成仏しなさい
568 :
名無しさん@1周年:2000/10/25(水) 15:03
>今日、アメリカへ行かれたそうですね。
292 名前:さぶいぼ投稿日:2000/10/25(水) 11:40
金剛サッタさんは、もうアメリカに行かれたのかな?
どなたか知りませんか?
298 名前:獅子真鍮投稿日:2000/10/25(水) 12:03
>292
金剛サッタさんは、今日ジェットに乗られるはずですよ。
569 :
名無しさん@1周年:2000/10/25(水) 16:31
あげ
570 :
名無しさん@100周年:2000/10/26(木) 16:47
>金剛オバ山成仏しなさい
同感。
571 :
名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 16:58
みなさん阿含宗ってごぞんじですか。
そうです、あのオウム真理教の母体となった最悪の宗派です。
仏陀(ゴータマ・ブッダ、釈尊)と仏陀の教え(阿含経)をデタラメに曲解して
日本、そして世界に広めようとしているニセ仏教の教団です。
572 :
名無しさん@1周年:2000/10/27(金) 06:24
こんなに沢山罪を犯しながら
桐山の前科などについて
「ささいなこと」と思っている信徒がいる
そんなところから
オウム真理教が産まれたのだろう
金Xさん、第2の麻原にならないようにね
桐山の弟子だった多くの人達のように
平気で人を殺せるようになってはいかんよ
ホント
573 :
名無しさん@1周年:2000/10/27(金) 09:27
阿含宗の信者の方々へ
先輩たちのような「犯罪者」にならないように気をつけてね
殺人とか、詐欺とか、刑務所暮らしは辛いですよ
桐山氏も雑居房でいじめられたらしいけど。
阿含宗はたくさんの犯罪者を輩出しているから心配。
パンパカパ〜ン!
次は、世話焼きおばさんで出場です!
>>「病気になるのは信心が足りないからだ!信心で治せ!!」
>>池田大作が秋谷会長に言った言葉(実話)
>本人は糖尿病をどう治すのでしょうか。
創価学会を大いに笑おう!
阿含の桐山と一緒だあ!!!<<ワラワラ
576 :
名無しさん@1周年:2000/10/27(金) 10:38
==このスレッドではよーちえんおばさん(化身も含む)の参加を禁止します==
577 :
名無しさん@1周年:2000/10/28(土) 07:17
>創価学会を大いに笑おう!
>阿含の桐山と一緒だあ!!!<<ワラワラ
とんでもない
桐山は刑務所帰りですが
池さんはまだ収監されていません。
だから阿含宗が最低ということね
578 :
麻原靖雄浣腸VS正義の味方よこはま:2000/10/28(土) 13:03
質問
信者の方々は当然ご存知の事と思います。
すきっとした解答を期待しています。
・桐山氏はどこで真言宗の伝法潅頂を受け、
・いつ阿闍梨、大僧正になったのか、
・誰から如意輪、不動、護摩法を伝授されたのか、
・阿含経を依経としながら釈迦が禁止した護摩を何故焚くのか
・釈迦が禁止とした占いで何故金儲けするのか
・釈迦の説かない先祖供養・水子供養を何故やるのか
・真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか
・桐山氏は出家者かそれとも在家者か
・オウム真理教教祖・麻原の阿含宗在籍期間を何故偽るのか?
まだまだ沢山あるけれど取り合えずここまで
***このスレッドではよーちえんおばさんの出入を禁止します***
579 :
麻原靖雄浣腸:2000/10/28(土) 15:49
「真正仏舎利の数があわないのは偽物を作ったからか」
そのとおりです。
今でもこっそりと偽物を作りつづけています。
ビールの時はすぐに捕まりましたが
今回はまだ逮捕されていません。
幸いに阿含宗現役信者はIQが異常に低い為
いまだに桐山浣腸を信じていますが
退会したIQの高い人達によって
世の中にその詐欺の実体が暴露されています
つまり現役でいることはアホの証明なのです
2桁の足し算ていどの算数も出来ないのです
581 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 06:08
>桐山氏は出家者かそれとも在家者か
真言宗では最後まで正式な得度も受けずに偽坊主でしたが
裁判沙汰になったため、急遽でっち上げの阿含宗を作りました。
あまりに慌てて作った為に、勤行経典つくりが間に合わず
阿含経を唱えない阿含宗として長年馬鹿にされました。
自分で勝手に新宗教を作った為に、阿含宗では自分自身の得度が
出来なくなりました。その意味では未だに在家です。
在家ですから、酒・タバコ・女・ギャンブル等々制約が無いのです。
もともとそれらが異常に好きだったから今は脳梗塞になってしまいましたが。
彼の性癖については「あえて秘す」事にします。
ネタ元が割れると迷惑をかける人がいますので。
582 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 06:38
ニューエイジ的な文化に寄り添って成長してきた新新宗教である阿含宗は、オウムに大きな影響を与えました。
よく知られているとおり、麻原本人をはじめ、オウムの幹部の何人かは阿含宗出身です。
あえていえば、阿含宗は、オウムの先行モデルだったということができると思います。
阿含宗は、オウムと同様に、もともと「観音慈恵会・日本密教根本道場」を名乗っていたときから
「超能力」を売り物にしてきました。
桐山靖雄氏の最初の頃の著書『変身の原理』などを読んでみますと、
「信仰などいらない。人間は誰もが潜在能力を持っていて、
密教の行法を行じれば、必ず超能力が身につく。こんな素晴らしいことはない」
というふうにハッキリ書いています。
また、入り口では超能力を売り物にしておいて、その後は信者に恐怖感を与えることで
教団に縛りつける点も同じです。
たとえば、阿含宗に入ると、因縁解脱のための修行として、かつては「千座行」、
現在は「解脱宝生行」と呼ばれる修行を課せられるのですが、それを途中でやめると「因縁返し」といって、
大変な災いがふりかかるという「脅し」がかかる。
この「因縁返し」という言葉は、オウムの「カルマ返し」という言葉にそっくりです。
これも、麻原彰晃が桐山さんから学んだ、信者コントロールのテクニックの一つということになるでしょう。
また、教義の面でも阿含宗とオウムには共通点があります。
周知のとおり、仏教は小乗、大乗、金剛乗(密教)と発展してきました。
桐山氏の教団は、仏教史上、最後に登場してきた密教の一宗派としてスタートしたのですが、
後に原始仏教(小乗仏教)の教典である「阿含経」をもち出してきて
これを従来の密教と結びつけ、阿含宗を立宗しました。
仏教史の真ん中を抜かして、最初と最後を結びつけたわけです。
この点も、オウムと阿含宗は非常に似かよっています。
オウムの場合は、ヨーガの行法を接着剤として、原始仏教と密教の教義を混合していますから。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/aum6.html
583 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 06:39
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1733/aum/lifton-1.html シェインバーグ:麻原は、最初、どのようにして仏教を学んだのでしょうか?
リフトン:彼は、集中的にチベット仏教や密教を学んでいきました。
80年代の初期には、日本のいわゆる新興宗教の一つである阿含宗の会員だったのです。
19世紀以来、日本には何千という新宗教が設立されて、
第二次大戦後は、雨後の竹の子のようにたくさんの新興宗教が誕生しました。
グルという考えや、チベット仏教を修行の中心においていることは、
阿含宗からの影響が大きいということです。
阿含宗を去った後、彼はヒマラヤへ行き、1986年のことですが、
そこで最終的な悟り(解脱)を達成したと宣言しました。
584 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 06:41
>よく知られているとおり、麻原本人をはじめ、オウムの幹部の何人かは阿含宗出身です
でも殺人実行犯達のほとんどが阿含宗出身者でした。
阿含宗じゃない幹部達はほとんど殺人に手を染めていません。
この周知の事実は桐山氏も否定できないでしょう。
585 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 06:44
戦後の日本で阿含宗ほど確率的に凶悪犯罪者を輩出した教団は無いでしょう。
とくに大量無差別殺人など。
586 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 07:04
日本の仏教界はもともと、大乗仏教が圧倒的に多い。
そうした既成仏教では飽きたらない人たちは、たしかに一定程度存在します。
そうしたニーズをつかもうとしている点では、阿含宗とオウムは非常に近いものがあります。
実際、オウムの信者には、阿含宗の元信者が非常に多い。
91年の総選挙で敗北したオウム真理教は、石垣島セミナーで多くの出家者を出して
教団勢力を盛り返すのですが、このときの出家者約500人のうち4割が元阿含宗の信者でした。
石垣島セミナーのときに出家した元オウム信者に話を聞いたことがあります。
彼も元阿含宗信者の一人でしたが、「下地ができていた」と言うのですね。
つまり、阿含宗で何年間も行を積み、教学を勉強してきたが、どうも飽きたらない。
解脱もしないし、超能力も身につかない。
そこで、阿含宗によく似ているんだけれど、阿含宗より修行がラディカルで、戒律がより厳しく、
より本物に近く見えるオウムに惹かれていった、というのです。
宗教をサービス・ビジネスにたとえると、後発のオウムは先行する阿含宗に対して、
同じマーケットの中で商品の差異化を行ってきたのだといえます。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/aum6.html
どうしても阿含宗とオウムを結び付けたいかたがいるようですが。
NYで阿含宗のお護摩が焚かれると言うことは、米国政府やCIAが
阿含宗とオウムには関連がないと認識したことを示しているのですよ。
あなたたちが、CIAより情報力にすぐれているとは思えませんね。
588 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:01
(真実@過去のレスから)
伝法灌頂の嘘。
昭和43年8月 天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務局に出した履歴書では
得度 昭和35年2月
四度加行 昭和35年
伝法灌頂 昭和41年。
昭和45年8月 小田猊下の「金剛頂経」講習会受講に際して提出した履歴書には
得度 昭和30年10月
四度加行 無記
伝法灌頂 昭和40年5月
つまり本当はなにひとつ受けていないことがわかります。
本当に受けていたら正しい履歴が書ける筈です。
いずれにしても小田猊下からは伝法灌頂は受けていません。
なぜならば昭和50年6月の例祭で、小田猊下の講習会に「戸籍名」で参加したと言い,また
「これで阿闍梨になったわけです」と言っています。
真言宗の基本的なシステムすら知らないとはお笑いです。
そのへんの小坊主以下ですね。
それに得度すら受けていないから「戸籍名」で参加だそうです。(激爆々々〜〜〜!!)
さらに偽坊主がばれて講習会開始前に追い出されたとは、ホント落語みたいな話だったのです
589 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:10
>587
またこの前みたいに米国の役人が阿含宗からの収賄で
何人か逮捕されるのでしょうね。
可哀相に。
>どうしても阿含宗とオウムを結び付けたいかたがいるようですが。
これだけの事実があるのに隠蔽しようとしても不可能ですよ。
それとも阿含宗とオウムが無関係だと白々しい嘘をつきとおすつもりですか?
>NYで阿含宗のお護摩が焚かれると言うことは、米国政府やCIAが
>阿含宗とオウムには関連がないと認識したことを示しているのですよ。
示していませんよ。(ワラ)
米国には日本のヤクザだって入国しています。
米国内にある「阿含宗のような凶悪カルト」とどう繋がっているか
調べる為にわざと泳がすつもりなのでしょう。
>あなたたちが、CIAより情報力にすぐれているとは思えませんね。
007ですか?(爆)
桐山のような刑務所帰りではないものでよくわかりませんね。(ワラワラワラ)
590 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:16
「祖父が作った霊障」 1.親の因果が子に報い
桐山氏は前科が公表されると、
「因縁に動かされて、実刑を科せられる方向に無意識のうちに行動してしまうの
である」
と述べ、犯罪の元は刑獄の因縁であると責任転嫁しました。
さらに、この刑獄の因縁の元は、桐山氏の祖父が作った霊障であるといいます。
桐山氏の祖父が作ったという因縁と霊障とは次のような話です。
桐山氏の祖父は信州のある藩にいた剣術の指南番であった。
幕末に勤王派の武士たちを、祖父が中心になり合計18人を上意討ちにした。
この時の武士たちが祖父に非常な恨みを持ち、霊障のホトケとなり、桐山家に祟
りをなした。
その結果、祖父の子供は、長男が事故死、末娘が自殺、二女の長男が事故死、そ
して、長女の子供にあたる桐山氏が刑務所に入るといった悪因縁を作り出した。
祖父が直接斬ったのは2人だが、霊障のホトケとなって3人が現れた。
恨みによって家系の者に祟るという、まるで江戸時代の怪談話のような物語を桐
山氏はたいへんな熱意と説得力で講演し、本に書き続けました。
百年以上も前の血みどろの武士たちが恨みをもって斬りかかるという描写では、
桐山氏の文才はいかんなく発揮されました。
親の因果が子に報うという手垢のついた古典的な題材が、桐山氏の才能によって、
リアリティ豊かに創作されたのです。
1980年代前半、阿含宗が拡大する上で、霊障は重要なキーワードでした。
桐山氏は霊障によって地球は壊滅すると断言し、1999年7の月の話を生み出しま
した。
つまり、桐山氏の祖父の話は、阿含宗教学の因縁、先祖供養、解脱供養、地球壊
滅、成仏法などの基礎であり、最も根幹にあるのです。
そのほど重要な桐山氏の祖父の話は、いくつかの点で奇妙なことがあります
591 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:17
「祖父が作った霊障」 2.上意討ちは犯罪か
桐山氏の祖父の上意討ちは犯罪でしょうか。
当時の武士としては与えられた仕事をしたまでです。
上意討ちが犯罪とみなされたことはありません。
桐山氏の理屈が成り立つなら、死刑の許可を出した法務大臣や死刑執行に関わっ
た人たちの子孫は横変死や刑獄の因縁を持つことになります。
戦争で敵を殺した人たちの子孫は横変死や刑獄の因縁を持つことになります。
桐山氏はそこで武士たちの恨みといった怨念を出してきます。
第二次世界大戦で殺されたアジアの人たちの怨念など、上意討ちよりもはるかに
強いでしょう。
しかし、戦争に行った人たちの子孫だけが横変死したとか、刑務所に入ったなど
という話は聞きません。
人類の歴史は戦争、殺し合いの歴史です。
その多くは、上意討ちよりも、もっと激しい憎しみあいです。
桐山氏の理屈からは、人類の大半は横変死か刑獄の因縁を持つことになります。
これが事実なら、桐山氏言う地球壊滅のような大量死がおきるでしょう。
現実は、桐山氏の脅迫的な予言ははずれ、何もおきませんでした。
多くの人たちが犯罪に巻き込まれて、刑務所に入ることになってもいいはずです。
犯罪者が一般人よりはるかに少ないのは桐山氏の理屈では説明がつきません。
自分の意志とは関係なしに犯罪に巻き込まれてしまう人は今でも少数です。
要するに、桐山氏は祖父を犯罪人にしたかったのです。
祖父の上意討ちが犯罪でないと困るのは桐山氏だけです。
祖父が悪業を積んだことにならないと、自分の犯罪を正当化できないからです。
桐山氏は、自分の罪をごまかすために、祖父を犯罪者に仕立てる恐ろしい孫です。
592 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:17
「祖父が作った霊障」 3.人を殺すことと詐欺は同じか
桐山氏の祖父は人を殺しました。
武士たちの恨みで、悪因縁ができたと仮定しましょう。
人を殺した業がどうして子孫の詐欺行為となって現れるのでしょうか。
桐山氏が横変死の因縁を持っていたというのなら筋の通りもいいでしょう。
だが、桐山氏は横変死の因縁がないとはっきり断言しています。
なぜ殺された武士の恨みが酒税税法違反という詐欺行為になるのでしょうか。
恨みによって桐山家の人たちが事故死や自殺したというのはもっともらしいが、
桐山氏一人は、何の脈絡もなく、ただの詐欺です。
殺された武士の怨念の結果が詐欺とは、なんとも竜頭蛇尾です。
血みどろの武士が桐山氏の潜在意識に偽ビールを作るようにささやきかけたとす
れば、この光景は悲劇というよりは喜劇です。
桐山氏は簡単に刑獄の因縁とひとくくりにしています。
しかし、人を殺すことと詐欺を、刑務所に入れば同じだというのは暴論です。
桐山氏は両者が同じことであるかのように見せたかったのです。
詐欺罪とは書かず、刑獄の因縁と重々しく書くから、なんとなく読むほうは、横
変死の因縁と同じような深刻さがあるかのような錯覚をおこします。
桐山氏の犯罪は、これまで見てきたように、彼の弁明とは違い、不可抗力や偶然
ではなく、自ら計画し実行しました。
事故死や自殺した人たちと、自ら進んでやった犯罪とを同一に取り扱うのは、死
者に対する冒涜です。
事故死や自殺者たちを利用して自分の犯罪を正当化しただけです。
桐山家の家系の話にごまかされないことです。
自殺や事故死を、詐欺と同列に扱うのは桐山氏の目くらましです。
血みどろの武士、悲惨な死に方をする桐山家の人たちというおどろおどろしい話
に自分の詐欺行為を混ぜて、ごまかしているにすぎません。
593 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:18
「祖父が作った霊障」 4.信州の武士は情けない?
桐山氏の祖父は2人斬り、全体で18人の勤王派の武士が斬り殺されたそうです。
全員、霊障のホトケとなって桐山氏の解脱供養を受けたことになっています。
武士であり、藩に逆らおうというのだから、死ぬ覚悟くらいできていたはずです。
それなのに、斬り殺された武士は全員が怨霊になっていたというのです。
いくら腰砕けの情けない武士でも、これはおかしくありませんか。
桐山氏によれば「こいつさえいなければ」という無念の気持ちが、全員を不成仏
霊にして、桐山家に数代に渡って祟りをなしたと言います。
「その無念の思いは、祖父一人に集中されたに違いない」というのです。
武士たちにとって桐山氏の祖父は恨まなければならない相手だったのでしょうか。
藩主の命令で殺しに来たことくらい、彼らも知っていたはずです。
桐山氏の祖父は逆恨みされるような人だったのでしょうか。
後に、祖父は勤王派に追われたが、逃げのびることができた理由として、
「多少、人望らしいものもあったようだ」と桐山氏は書いています。
人望があるのなら、なおさら逆恨みなどされるはずがありません。
「藩主を恨めないから、桐山氏の祖父が恨まれた」という理屈も成り立ちません。
藩主が絶対的なら、逆らってまで、勤王運動をやろうとはしないでしょう。
一人くらいが逆恨みするというのなら、まだわかります。
直接手をかけていない人を含めた18人もの武士が、一人の例外もなく桐山氏の
祖父に祟りをなしたなどありえません。
桐山氏の手にかかると、信州の武士たちは道理を理解せず、目の前にいる人間を
一方的に恨むような愚かでみっともない武士になってしまいました。
こんな情けない武士がたまたま18人もそろうはずがありません。
文筆力に任せた桐山氏の作り話も、妄想を膨らませすぎて、現実にはありえない
話にまでなったのです。
誰も確認できないことだと、桐山氏は好き放題に話を膨らませます。
桐山家に祟った18人も最初は3人でした。
594 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:18
「祖父が作った霊障」 5.増殖した霊障の武士
どれほど強い怨念であったか、どれほどひどい霊障であったか、したがって自分
の犯罪は不可抗力であり、桐山氏には責任がない、と言いたいのです。
それを強調するために桐山氏の妄想は拡大していきました。
1981年「霊障を解く」では3人の武士が霊障の仏として現れたと書いています。
1991年「冥徳供養」では、斬られた18人を全員成仏させるのに3年かかったと
書いています。
桐山家に祟っていたのは3人だったはずなのに、十年たつと、斬られた18人全
員が桐山家に祟りをなしています。
十年の間に6倍に桐山家の怨霊の数は増殖したのです。
これは桐山氏の妄想が増殖したことを意味します。
3人の武士の怨念だけでは物足りないから、文筆の勢いにまかせ、後で残りを加
勢させたのでしょう。
武士たちの祟り方も並大抵ではありません。
普通の不成仏霊なら1〜2回の供養で済むという桐山氏でさえ、何と3年かかっ
たというのです。
毎月一回、解脱供養をして、36回もの修法が必要だったことになります。
信州の武士たちの祟り方は普通の人の何十倍も強いことになります。
話が時間とともに針小棒大に膨らむのは桐山氏の常です。
桐山家の霊障をひたすら大きく強烈にしたいのです。
桐山家の霊障は、通常ではありえないほど強烈であり、強烈な霊障から生まれた
強烈な刑獄の因縁に、自分は翻弄されたのだと言いたいのです。
前科は自分の責任ではなく、武士たちの空前絶後の祟りだと言い逃れるために、
霊障話を拡大させたのです。
十年の間に霊障が3人から18人まで拡大したのは他にも理由があります。
80年代後半から桐山氏の脳は老化が顕著になり、客観的に自分の書いた物を見る
知性がますます失われていました。
作り話ならなおさら注意深く書くべきなのに、生来のズボラさも災いして、脳の
老化で、この程度の注意力すらも散漫になっていました
595 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:19
「祖父が作った霊障」 6.死人総出演の霊障物語
桐山氏は、亡くなって口のきけない人たちを総出演させ、霊障物語の舞台で演技
をさせているのです。
18人の武士や、祖父ばかりか、一族郎党など、使える人は全部登場させ、さんざ
んな三枚目の役を与えて、霊障物語を作りました。
自称・霊視能力をもっているのは桐山氏一人ですから、どんな人を出演させよう
が、どんなひどい役割をさせようが、死人は誰も文句を言いません。
中身を知っているのは桐山氏一人ですから、筋はなんとでも作ることができます。
前科は自分のせいではない、というたったこれだけのことを言うのに、作り上げ
た壮大な物語です。
死人たちは、桐山氏の思うがままに操られ、数を増やしながら、桐山氏の前科を
覆い隠すための霊障劇を演じさせられました。
普通の人なら犯罪を認めて終わりにするのに、桐山氏は何十年もかけて、言い訳
のための物語を作り、さらに阿含宗の教学の柱にまでしました。
霊障を前科の言い訳に用いただけではありません。
父親の事業の失敗で学校に行けなかったこと、結核になって戦地にも行けず、サ
ナトリウムで青春をすごしたこと、事業が失敗したことも、すべて霊障のせいに
しています。
うぬぼれの極端に強い桐山氏は、自分ほど才能に恵まれた人間が失敗、挫折する
のは、霊障や因縁以外には考えられない、と確信しているのです。
能力の欠落や努力の足りなさにすぎないのに、反省心のない桐山氏はことごとく
霊障のせいにして、あるがままの自分を認めようとはしません。
この意味では、阿含宗は桐山氏の人生の自己弁護教、言い訳教であると言えます。
霊障物語は完全に桐山氏の頭の中にあるために、本人と死人以外は誰も検証も批
判もできない独壇場でした。
だが、悪事千里とでも言うべきか、死人をもてあそんだ罰というべきか、霊障物
語に思わぬところから伏兵が現れました。
596 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:19
「祖父が作った霊障」 7.信州の藩で殺し合いはほんとうにあったのか
桐山氏の祖父らが幕末に勤王派18人を斬り殺したという事件は、昼行灯氏の調
査によれば、次のようになっています。
****************
嘘である。信州十一藩に、このような事実は無い。
1995年の夏休みの2ヶ月、信州を回り、歴史博物館や、各図書館、郷土史家
を訪ねて伺ったが、「そのような事実はありません」と一笑に付されてしまいまし
た。
「そのような事実があれば、斬られた家中のご遺族も、何らかを伝えている筈で
しょうが聞いたことはありませんし、その記録も、各藩史にも残っていません」
との事でした。
****************
(以上、「阿含宗という宗教1」の45からの転載、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=968997070)
昼行灯氏の調査によれば、信州では、桐山氏の書いているような、勤王派と佐幕
派による斬り合いの事件はなかったというのです。
これは阿含宗の屋台骨をゆるがしかねない重大発見です。
霊障物語の基本中の基本になっている血みどろの18人の怨霊武士たちは歴史上
存在しなかったことになります。
これが事実なら、阿含宗の教義の大半が崩壊するといっても過言ではありません。
597 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:19
「祖父が作った霊障」 8.記録に残らないはずがない
幕末の信州の藩内で上意討ちなどの殺し合いがあったという記録はありません。
たかだか150年くらい前の話ですから、どの県でも、郷土史研究家などが調査を
行っているものです。
信州も公式な「長野県史」が発刊され、詳細に歴史が調べられています。
たとえば、信州で幕末に一揆をおこした百姓を3人撃ち殺したといった具体的な
数字すら残っています。
小藩といえども、いや、小藩だからこそ、18人もの人が殺されたら、記録が残ら
ないはずはないのです。
幕末の信州は平田派の国学がさかんで勤王派の人たちがいました。
信州出身で討幕運動に参加したり、支援した人たちもたくさんいました。
幕末ですから、信州の武士たちも死んでいます。
だが、藩内の武士同士が殺し合いをしたという記録はまったくありません。
上意討ちの記録などなおさら残っていません。
信州の藩主たちは、歴史家が日和見と批判したように、佐幕か勤王かと迷い、ど
っちつかずのうちに明治になってしまったのです。
経済力も武力も小さい小藩ばかりでは、当然のことだったのでしょう。
勤王派を斬るなどという強硬な藩主は一人もいなかったのです。
598 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:20
「祖父が作った霊障」 9.信州の藩では殺し合いなどなかった
桐山氏の説明によれば、勤王派が優勢になると、佐幕派の人たちは、桐山氏の祖
父ともう一人を除いて、すべて殺されたと言います。
一つの藩の中で、おそらくは三十人以上も殺されたことになります。
実際の身分が低い百姓が3人殺されても記録されているのに、小さな藩の武士が
数十人殺されても記録が残らないなどありえないことです。
藩主が秘密にする理由はありません。
上意討ちは殺人ではなく、藩主の権限であり、正式な命令ですから、公務であり、
隠す必要がないのです。
藩主が命令して勤王派を殺したとすれば、幕府に対する忠誠です。
隠しておくどころか、幕府に逆らう者はこうなると、みせしめのためにも、公表
したはずです。
後に、形勢が逆転しても、いったん公表した内容を消すことは不可能です。
勤王派は殺された武士を革命の英雄として記録したはずです。
誰にとっても隠す必要などありませんでした。
だが、桐山氏の言う数十人にも及ぶ死者を出した上意討ち事件など、信州の藩の
どこにも歴史的事実としては存在しません。
とすれば、もう一度、情報源から見直す必要がありそうです。
599 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:21
「祖父が作った霊障」 10.隠れたかったのか、目立ちたかったのか
霊障物語の情報源は桐山氏の祖父です。
桐山氏の祖父は仇討ちを恐れ、死ぬまで枕元に旅仕度を置いていたそうです。
家族に藩の名前さえ固く口止めしていました。
桐山氏が18人の武士の話を聞いたのは、霊視能力をもってから、母親に質問し
た時だといいますから、家族内でも秘密だったのです。
家族にすら上意討ちの詳しい内容が伝わらないほどの箝口令がしかれていました。
これほど用心深く、仇討ちを恐れたはずの祖父は、明治になってからとはいえ、
別な事件の犯人逮捕に協力して、知事から金一封までいただいています。
犯人が武士出身で手強いので、警官が頼みに来たというのです。
つまり、「桐山の旦那」は剣豪としてその近郷では有名だったのです。
剣豪として有名で、大立ち回りまでやってしまっては、仇討ちに、自分はここに
いるぞと宣伝しているようなものです。
上意討ちは、武士としての使命を果たしたのだから、家族や近所に隠す必要など
何もありません。
自分の藩名や上意討ちを近所にも明らかにして、もし仇討ちが尋ねて来れば、す
ぐに連絡が来るようにしたほうがよほど合理的です。
孫すらも上意討ちについて詳しく知らされていないほど家族でも秘密扱いなのに、
近郷では「桐山の旦那」はスゴ腕だと知られていました。
「桐山の旦那」が普段から剣術の自慢話を近所にしていたからでしょう。
祖父の矛盾した態度は、仇討ちを恐れていたというのでは説明がつきません。
桐山氏の祖父は流れ者のようにやって来て、桐山家に婿入りしたのですから、彼
の本当の素性を知る人はだれもいなかったのです。
剣術指南番だったことも、上意討ちの話もすべて祖父一人の自己申告であり、そ
れを確認した人は桐山家の家族にも近所にも誰一人いなかったのです。
600 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:21
「祖父が作った霊障」 11.祖父の素性
桐山氏の祖父は、犯人逮捕のとき、刀を預け、警官から借りた十手をもってにら
み合ったといいます。
人前で武士同士の斬り合いをしたくなかったという理由を述べたといいます。
刀をさして十手で、というのならわかります。
勝負に出るのに、武士の魂である刀を他人に預けたりするでしょうか。
相手が強くて、刀では自分が負けそうだから、丸腰なら、まさか相手は斬りかか
ることはないだろうと、一か八かの賭に出たともとれます。
祖父は孫とよく似て、ハッタリが得意だったようです。
ほんとうに強かったかどうかは誰も確認した人がいないのです。
祖父が恐れていたのは仇討ちではなく、婿入りした桐山家の家族や近所の人たち
が、元の藩に素性を調べに行くことではなかったでしょうか。
調べられないようするには、家族には仇討ちが来ると脅かせば十分です。
近所の人たちには藩名さえ教えなければ、信州では藩が十以上もありましたから、
調べがつくことはまずありません。
家族には藩名すら口にしないように言った理由もこれでわかります。
祖父は何か家族にも知られたくない秘密、素性を調べられては困ることを隠して
いたのでしょう。
上意討ちで藩を追われたのではなく、人に知られては恥ずかしいような失態をし
でかして逃れてきたのでしょう。
それならば、武士として名誉にしていい上意討ちや藩の名前すら必死に隠そうと
したことも説明がつきます。
枕元に旅支度の準備をしていたのは、仇討ちを恐れていたのではなく、素性がば
れたとき、一目散に逃げ出すためだったのかもしれません。
こういう人物が霊障話の全ての源なのです。
601 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:22
「祖父が作った霊障」 12.大法螺吹きの遺伝子
歴史的には存在しないにもかかわらず、桐山氏の霊眼には血に染まった18人の
不成仏霊となった武士たちが見えたそうです。
上意討ちは桐山氏が母親を通じて祖父から伝えられた話です。
上意討ちの事件も、18人が斬り殺されたという話も、あの桐山氏の祖父の情報が
すべてです。
家族を含めて誰一人実際に見たり聞いたり、確認したのではなく、祖父がただそ
のように言っただけです。
情報源が桐山氏の祖父だけである点はとても重要です。
祖父の性格は孫である桐山氏を鏡として考えればよくわかります。
祖父と孫は大法螺吹きの遺伝子を共有していたと考えれば、それだけで説明がつ
いてしまいます。
桐山氏の、話をどんどん膨らませていく物語作家としての性格が、祖父からの遺
伝であったと考えれば、ありえない話ではありません。
祖父もまた、桐山氏と同様に、自分を大きく見せるためなら、嘘をつくことが何
ともない性格だったなら、上意討ちが彼の空想でも不思議ではありません。
武士としてやむなく人を切ったというのは、自分がすごい剣士であることを誇示
するためにはちょうどいい物語です。
実際には悪いことをして、藩から追放されたのかもしれないが、それを正当化す
るために、このような話をでっち上げたと考えれば、理解できます。
桐山氏が刑務所に入るのに、仏様から修行に行くようにご霊示があったというの
とよく似た手法です。
幕末、あちこちの藩での勤王と佐幕の争いの話は伝わっていただろうから、その
あたりからヒントを得て、物語を作ったのでしょう。
桐山氏は祖父から作家としての才能を受け継ぎました。
祖父は18人が斬り殺された法螺話を作り上げ、孫は霊視能力で色を添えたので
す。
阿含宗の信者は、祖父と孫の二人の大法螺吹き大将にまんまとひっかかったので
す。
602 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:22
「祖父が作った霊障」 13.崩壊する阿含宗教学
桐山氏の祖父の法螺話は、孫の作った宗教に致命傷を与えます。
阿含宗では、因縁と霊障は重要な大黒柱です。
桐山氏の刑獄の因縁は、祖父の作った霊障からできたことになっています。
武士の怨念 → 霊障 → 桐山家の因縁 → 桐山氏の刑獄の因縁
という順序で組み上げられています。
武士の怨念こそは土台中の土台なのです。
これが嘘だとなると、桐山氏の刑獄の因縁は根拠がないというだけには留まりま
せん。
阿含宗では霊障と因縁は極めて重要な位置を占めています。
霊障から桐山家に生じたという横変死、刑獄の因縁に肉親血縁相剋の因縁を加え
て三大悪因縁と称され、阿含宗では特に重視されています。
阿含宗の霊障と悪因縁の話はすべてこの武士の怨念から始まっています。
どこを切っても、霊障と因縁が出てきて、桐山氏の法話といえば、この二十年、
これが十八番です。
霊障の仏を解脱させる解脱供養は桐山氏の重要なウリの一つです。
柴燈護摩では霊障解脱の護摩木を別に書かせ、不成仏霊を供養するための壇をわ
ざわざ設けています。
霊障と悪因縁によって地球が壊滅すると脅迫し、それを解決できるのは自分だけ
だと豪語していたのです。
このように18人の血みどろの武士は阿含宗の宗教的な土台なのです。
だが、18人の武士が存在しなかったとすれば、将棋倒しのように、次の霊障、桐
山家の因縁、桐山氏の刑獄の因縁はすべて存在しなかったことになります。
この霊障話の延長にある阿含宗の宗教行事はすべて根拠を失います。
存在しない霊障の武士が見える桐山氏が霊視し、成仏させる不成仏霊とその霊障
とはいったい何でしょうか。
宗教としての土台となっている武士の怨念が空想にすぎなかったとすれば、因縁
と霊障という阿含宗の教学の重要な柱は二つとも瓦解します。
祖父の嘘が孫の宗教を瓦解させたとすれば、阿含宗では何というのでしょう。
霊障から生じた家運衰退の因縁、肉親血縁相剋の因縁、それとも孫の運気を剋す
る因縁でしょうか。
603 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:23
「祖父が作った霊障」 14.実在しなくても霊視できる霊視能力
実在しない18人の血みどろの武士を霊視したということは、桐山氏の得意技で
あり、客観的には誰も確認のできない「霊視能力」にも疑問をはさみます。
桐山氏は解脱供養をするのに不成仏霊を霊視するといいます。
祖父の作り上げた架空の物語に登場する架空の人物の姿をありありと見るという
桐山氏の霊視能力とはいったい何なのでしょうか。
霊障の武士たちは、桐山氏の頭の中にしか存在しなかったのです。
本人の霊障のホトケすら実在しないのですから、信者の家系の不成仏霊もまた桐
山氏の頭の中にのみ存在するのでしょう。
最初3人の武士だったのが、十年後には18人全員が祟りをなしていたように、
桐山氏の霊視能力など客観性がありません。
不成仏霊の霊視と称するものがどれほどいい加減なものであるかを示しています。
不成仏霊と霊障は外の世界ではなく、桐山氏の頭の中に存在するのです。
桐山氏は、1999年の地球壊滅のビジョンをインドで見たように、普通の人には作
り出せないような、リアルな妄想を体験できる能力があるようです。
存在しない物が見えるのなら、まず病院に行くべきです。
解脱供養は10万円という高額な供養料を取ります。
解脱供養をするとは「あなたの先祖は成仏していない」「霊障を発している」とい
うことになります。
根拠となっている桐山氏の霊視能力では、架空の人物すらも見えるのです。
妄想を元に、先祖が苦しんでいるとして高額な供養料をとるのは、人の不安や不
幸につけこんだ霊感商法以外の何物でもありません。
604 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:23
「祖父が作った霊障」 15.闇黒の谷底に落とされた祖父
桐山氏は犯罪の責任を回避するために、荒唐無稽の因縁論や霊障話を作り、これ
を元に阿含宗をたてました。
最初と最後を見るなら、「おれには責任がない」と言いたいがために、阿含宗を作
ったと言ってもいいでしょう。
自己責任を回避するために、彼は一生をかけたのです。
そのためには桐山氏は手段を選びませんでした。
桐山氏の祖父は、亡くなって、闇黒の谷底に、悲痛な叫びをあげながら、落ちて
いき、斬り殺された18人に取り囲まれ、霊障のホトケになっていたそうです。
桐山氏の霊眼にしか見えないことだから、自分の祖父を、文筆の才能に任せて、
煮ようが焼こうが誰も文句は言いません。
桐山氏の霊能力はありもしないものを見るのですから、これはあの世の話ではな
く、桐山氏の心の中を象徴する光景と考えるべきです。
著書の中で、次のように書いています。
「人を殺した祖父に代わりその子三人を死刑にし、孫を刑務所に送りこんだわけ
である」
祖父は子を死刑にし、桐山氏を刑務所に送ったというのです。
自分はまったく悪くなく、祖父がすべて悪いといいたいのです。
この文章は、何やら祖父への憎しみすらも感じさせます。
死人に全責任をなすりつけ、さらに死体を憎しみを込めて切り刻んでいるような
不気味な文章です。
桐山氏の常で、妄想で作りだした霊障話を本気で信じ込んで、刑務所に送ったの
は祖父だと逆恨みし、文章で復讐しているのでしょう。
ここまで責任転嫁が徹底すると、桐山氏の心は極めて病的です。
聖者には絶対にあるはずのない心癖がここに如実に現れています。
605 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:24
「祖父が作った霊障」 16.先祖を売り渡して得た勲章
桐山氏は今でも「祖父が悪い。おれは悪くない」と叫び続けています。
この様子は、聖者や解脱者ではなく、ダダをこねて、わめいている子供です。
桐山氏は、先祖を供養して、大切にして、守護してもらおうと説きます。
ところが、ご本人は祖父を大悪人に仕立て、責任をなすりつけ、憎しみを込めて
なぶり者にしても、何の罪悪感もありません。
言うこととやることが違うのは桐山氏の場合珍しくないものの、これほどの大き
な落差は桐山氏の心に深いゆがみやひずみがあることを感じさせます。
桐山氏は祖父に責任転嫁しただけではありません。
人殺しや強盗などの凶悪犯罪ではないのだから、自分の詐欺行為を率直に認めれ
ば済んだことです。
認めたくないばかりに、壮大な絵空事で宗教を作り、人々を脅迫し続けて、その
見返りに、宗教家としてのそこそこの成功と、たくさんの勲章を得ました。
霊障を元にして宗教を立て、様々な名誉を得ました。
桐山氏は、武士たちの血と祖父への侮辱を、勲章と引き替えにしたのです。
祖父を踏み台にして、思いっきりその頭を踏んづけることで、勲章を得たのです。
祖父を大犯罪者に仕立て、勲章と引き替えに売り渡しただけでは物足りなく、勲
章をくれた祖父を逆恨みし、憎しみを燃やしたのです。
桐山氏の胸についている勲章は血と侮辱に汚れています。
桐山氏の先祖供養とは、先祖をありもしない侮辱で踏みつけて、その見返りに勲
章をもらうことのようです。
606 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:24
「祖父が作った霊障」 17.責任回避の先祖供養
桐山氏の祖父に責任をなすりつけるやり方は、そのまま阿含宗の先祖供養の方法
になっています。
阿含宗では不幸や災難は、成仏できずに苦しんでいる先祖の霊障が原因です。
阿含宗の先祖供養とは、不成仏霊となっている先祖の成仏から始まります。
これではまるで先祖は不幸の製造器のような存在です。
自分の努力の足りなさや、欲の深さを棚に上げて、先祖のせいにするのは、桐山
氏と手法がまったく同じです。
先祖は勝手に不成仏霊にされ、先祖が原因で子孫が不幸になったと、まるで病原
菌扱いです。
その根拠は、桐山氏による霊視と、信者の思いこみです。
実在しない霊障のホトケを霊視できる桐山氏の霊視能力がすべてなのです。
これほど先祖を小馬鹿にした話はありません。
先祖供養の名を借りた、先祖への罵倒や侮辱です。
先祖に感謝する日本の伝統的な先祖供養の習慣とは、似て非なるものです。
霊障の不成仏霊として手を合わせられて喜ぶ先祖がいるでしょうか。
先祖にしてみれば、解脱供養など、どこも悪くないのに強制的に入院させられ、
ありもしない病名をつけられて、手術されるようなものです。
桐山氏の目的は先祖供養ではなく、自己弁護と責任逃れです。
スタートから不純な動機を持つ先祖供養を、信者がどんなに純粋な気持ちでやっ
ても、最初のボタンの掛け違いは直りません。
阿含宗で先祖供養をするのは、自分の先祖を侮辱するだけでなく、桐山氏の責任
回避の片棒を担ぐことです。
607 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:25
「祖父が作った霊障」 18.自分は悪くない。自分には責任がない。
最初から刑獄の因縁について見てみましょう。
桐山氏によれば、悪いのは主犯格のS氏であり、死者を出した他の密造グループ
であり、親身にならない国選弁護人であり、桐山氏の言い分を受け入れない裁判
官であり、二審で判決を覆せなかった弁護士です。
こういう現実への責任転嫁だけでは足りず、妄想の言い訳を作り始めました。
桐山氏の小説家としての才能が発揮されます。
まずは刑獄の因縁という絵空事です。
しかも刑獄の因縁を作ったのは桐山氏ではなく祖父です。
祖父もまた法螺吹きの素養があり、上意討ちの作り話をしていました。
孫はこの物語をヒントに霊視能力で脚色し、18人の恨み武士をでっち上げました。
桐山氏の態度は終始一貫していて、現実の世界ばかりか、空想、妄想の世界でさ
えも、絶対に自分は悪くないと言っているのです。
「自分は悪くない。自分には責任がない。」
これだけを言うために、S氏を悪魔的な性格にして、弁護士や裁判官を無能、無
理解にし、18人の武士を創作し、祖父と桐山家の死人たちに演技をさせました。
霊障から来る地球壊滅まで説いて、人々を脅迫したのは、自分に責任はないのだ
と言うことから始まっているのです。
この姿勢は桐山氏の人生、宗教を理解する上で、とても重要なポイントです。
桐山氏の宗教は「自分には責任がない」と言うために作り上げたといっても言い
すぎではありません。
前科に限らず、桐山氏はあらゆる責任を認めたくないために、妄想を広げ、虚構
の世界を生み出していきました。
宗教や霊的な世界を骨格にして、桐山氏の妄想と思いこみが血肉となって、つい
には「宗教小説・阿含宗」を作り上げてしまったのです。
608 :
名無しさん@1周年:2000/10/29(日) 22:25
「祖父が作った霊障」 19.自己責任からの解脱?
桐山氏の責任感のなさは今日も何ら変わっていません。
教団内で問題がおきると、見苦しい言い訳をして、すべて職員や信者、世間のせ
いにします。
事実関係の調査をろくにしないから、自信たっぷりに間違ったことをしゃべりま
す。
桐山氏が恐いから、誰も反論などしません。
すると桐山氏は、自分の言い分が理論的にあまりに完璧なので、周囲の者は納得
し、心酔し、ひれ伏しているのだと、自分の智恵に確信を持ちます。
オベッカ使いが桐山氏を礼賛すれば、これで仏陀の智慧の完成です。
自己反省、自己責任という仏教の基本とは逆から桐山氏は宗教を出発しました。
自分のやった犯罪行為をS氏、裁判官、弁護士、18人の武士、祖父に責任を転嫁
し、因縁、霊障のせいにする宗教に作り上げたのです。
スタートからして仏教とは逆方向ですから、いくら釈尊を教団の看板に使っても、
矛盾だらけになるのは当然です。
あるがままの自分から一生逃げ続けた人です。
桐山氏の主張どおりに心解脱したのなら、詐欺的性格も消えたはずです。
逆に、詐欺的性格が変わっていないなら、同様のことが彼の人生には繰り返し現
れるはずです。
さあ、どちらなのか。
宗教家としてスタートした頃から、桐山氏のその後の人生を見てみましょう。
609 :
名無しさん@1周年:2000/10/30(月) 04:54
阿含宗がなければオウム真理教もなく、サリン事件も起こらなかっただろう。
610 :
名無しさん@1周年:2000/10/30(月) 04:55
戦後の日本で阿含宗ほど確率的に
多くの凶悪犯罪者を輩出した教団は無いでしょう。
とくに大量無差別殺人など。
611 :
詐欺師桐山@得度すら受けていない偽坊主:2000/10/30(月) 05:00
(真実@過去のレスから)
伝法灌頂の嘘。
昭和43年8月 天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務局に出した履歴書では
得度 昭和35年2月
四度加行 昭和35年
伝法灌頂 昭和41年。
昭和45年8月 小田猊下の「金剛頂経」講習会受講に際して提出した履歴書には
得度 昭和30年10月
四度加行 無記
伝法灌頂 昭和40年5月
つまり本当はなにひとつ受けていないことがわかります。
本当に受けていたら正しい履歴が書ける筈です。
いずれにしても小田猊下からは伝法灌頂は受けていません。
なぜならば昭和50年6月の例祭で、小田猊下の講習会に「戸籍名」で参加したと言い,また
「これで阿闍梨になったわけです」と言っています。
真言宗の基本的なシステムすら知らないとはお笑いです。
そのへんの小坊主以下ですね。
それに得度すら受けていないから「戸籍名」で参加だそうです。(激爆々々〜〜〜!!)
さらに偽坊主がばれて講習会開始前に追い出されたとは、ホント落語みたいな話だったのです
612 :
名無しさん@1周年:2000/10/30(月) 16:08
阿含宗の正体がよくわかりました
613 :
名無しさん@1周年:2000/10/31(火) 03:59
>611
書くたびに履歴書の内容が違うというのが桐山氏と阿含宗の実態を象徴しています。
いかに出鱈目な宗教かよほど知能に障害がある人でなければ理解できるはずです。
614 :
名無しさん@1周年:2000/11/01(水) 09:24
過去多くの阿含宗の詐欺、犯罪がマスコミ等々で報道されてきました。
この度、その関連資料並びに今回のNY護摩に先立ち、米国関連機関への請願FAX、英文HPのリンクを大量に集めました。
裏2chにアップしました。
<取り敢えずこれ以上よーちオバにばれないようにアクセス以外はsageレスで頼みます。>
裏2ちゃんの行き方(移転先)は
1.書き込みの名前の欄に
http://fusianasan.2ch.net/ と入れる。(裏ドメイン名)
#注意#「fusianasan」です!。”shi”にしないように注意してください。最近ミスが目立ちます。
2.メールアドレス欄に、現在の会社員の方はkaisha、学生はgkusei、主婦はshufu、その他はother
3.本文に見たいHPを入れてください。(自動的に飛びます)
桐山氏の経歴詐称の証拠はkiri、逮捕歴はtaiho、オウムとの関係の資料はaum、
米国関連機関への請願FAXはfax、
英文HPのリンクはhp、その他は日本語のキーワード入力で行けます。(例:護摩)
書込みボタンを押します。
4.タイトルが「ようこそ 裏2ちゃんねるへ(笑)」に変わればばOK
5.サーバーが重いと2chに戻ってくるけど、くじけずに何度も挑戦。
うまく行くと、目的のページにつながります。
6.家庭の電話回線よりも、企業や学校の専用回線からの方がサーバートラフィックの都合上つながる確立が高いです
阿含宗批判関係者名簿HPとしてantiを追加しました(キーワードanti)。
616 :
名無しさん@1周年:2000/11/01(水) 11:30
614は阿含の荒しコピペだよ。
IPさらされたくなかったら逝かないようにね。
過去多くの阿含宗の詐欺、犯罪がマスコミ等々で報道されてきました。
この度、その関連資料並びに今回のNY護摩に先立ち、米国関連機関への請願FAX、英文HPのリンクを大量に集めました。
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桐山氏の経歴詐称の証拠はkiri、逮捕歴はtaiho、オウムとの関係の資料はaum、
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6.家庭の電話回線よりも、企業や学校の専用回線からの方がサーバートラフィックの都合上つながる確立が高いです
過去多くの阿含宗の詐欺、犯罪がマスコミ等々で報道されてきました。
この度、その関連資料並びに今回のNY護摩に先立ち、米国関連機関への請願FAX、英文HPのリンクを大量に集めました。
裏2chにアップしました。
<取り敢えずこれ以上よーちオバにばれないようにアクセス以外はsageレスで頼みます。>
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1.書き込みの名前の欄に
http://fusianasan.2ch.net/ と入れる。(裏ドメイン名)
#注意#「fusianasan」です!。”shi”にしないように注意してください。最近ミスが目立ちます。
2.メールアドレス欄に、現在の会社員の方はkaisha、学生はgkusei、主婦はshufu、その他はother
3.本文に見たいHPを入れてください。(自動的に飛びます)
桐山氏の経歴詐称の証拠はkiri、逮捕歴はtaiho、オウムとの関係の資料はaum、
米国関連機関への請願FAXはfax、
英文HPのリンクはhp、その他は日本語のキーワード入力で行けます。(例:護摩)
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4.タイトルが「ようこそ 裏2ちゃんねるへ(笑)」に変わればばOK
5.サーバーが重いと2chに戻ってくるけど、くじけずに何度も挑戦。
うまく行くと、目的のページにつながります。
6.家庭の電話回線よりも、企業や学校の専用回線からの方がサーバートラフィックの都合上つながる確立が高いです
619 :
名無しさん@1周年:2000/11/02(木) 01:01
阿含宗は本当に恐ろしい狂団です。
上記の方法を試すとIP抜かれるから注意ね。
なに同じようなコメントをいってんだか、
自作自演はやめたら、
もうバレばれなんだから。
あちこちバカなスレッドたて、アホくさい猿芝居
ヨコハマ氏はホントどうかしているわ。
621 :
名無しさん@1周年:2000/11/02(木) 04:38
>614は阿含の荒しコピペだよ。
>IPさらされたくなかったら逝かないようにね。
そうそう。
617、618もそうだけどこれは阿含宗の仕掛けたトリック。
試すと名前欄にIPが表示される。
>620
なに同じようなコメントをいってんだか、
>自作自演はやめたら、
>もうバレばれなんだから。
620の言ってることがウソだ、というのは実際に試せば分かること。
こうも平然とウソを書ける、というのはさすが阿含宗です。
ある意味オウム以上に恐ろしい狂団です。
sage
623 :
名無しさん@1周年:2000/11/02(木) 11:53
>621
>620の言ってることがウソだ、というのは実際に試せば分かること。
???理解不能。こんなムチャクチャなこと言ってまで
ひとのIP取りたいのだろうか。
sage
ひとりでやってな!
sage
627 :
名無しさん@1周年:2000/11/02(木) 20:32
阿含宗ってオウム真理教と同じくらい
恐ろしい凶悪犯罪グループだったんですね。
無差別殺人を平気でやるような犯罪集団って
やっぱり怖いと思います。
今度は何人犠牲者が出ることか・・・。
628 :
名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 06:19
多数のスレッドに跨る一連のレスは
ブラクラっつーか、ひっかかった人のIPを公開させる罠です。
削除依頼板ではこの手でひっかった被害者から削除依頼がたくさん出ています。
fusianasanでIP抜かれるのは初心者板を見ていればわかります。
削除依頼することになる前に2ちゃんのシステムを知っておこう。
629 :
名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 07:08
阿含宗はIPを抜いてどうするのでしょうか。
オウムの隠された毒ガスが阿含宗に貯蔵されていて
ひとりづつポアするなんて事がないよう祈ります
オウムの母体となった阿含宗は本当に怖いですから
心配しています
阿含宗出身者が信仰を持ちながらなぜ平気で殺人を犯せるのか
色々考えてみましたが、原因はやはり桐山氏にありました。
つまりたくさんの逮捕歴や刑務所にいたことですら
自分が悪いのではなく、先祖の霊障だと責任を転嫁しています。
つまり殺人を犯しても「自分は悪くない」と言い逃れるパターンを
阿含宗では公式化しているようです。
それゆえ、そんな恐ろしい教団に何年もいて洗脳された沢山の信徒たちが
のちに無差別殺人や拉致監禁殺人などの凶悪犯罪を平気で
行なうようになってしまったのではないでしょうか。
つかまっても「自分は悪くない。先祖の霊を裁いてくれ」と
桐山流で自らを正当化するのでしょう。
本当におそろしい教義だと思います
いくらIP抜いても、個人攻撃はできねぇよ。
脅してるあんたが、荒らしだろーが。(ヴァカ
631 :
名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 08:49
>629
IPは削除対象にはなりません。
自己責任です。
現在、宗教板で削除依頼に出ているのは
「阿含宗HPを語る2005」スレの5〜6件のみです。
IPを抜こうとした奴も、削除されません。
騙された者が悪いということです。
IPは削除対象にならないくらい個人性の低いものです。
騙されて気になる方は、プロバイダーを変更しましょう!
阿含宗の仲間は、書きこみを止めました。
唯一、このハンドルだけが、代表として事後処理に当たっています。
このハンドル以外は、すべて、よこはまひとり旅ですよ。
フシアナ云々といててしまった人は一名もいませんでした。
裏情報?には、みんな興味がなかったみたいですね。
そもそも、表情報?にも興味がなくて読んでないのに、な ん で 裏に
行くはずがありましょうか、と言うことです。
633 :
名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 09:07
>632
空白攻撃といい、今回のあらしといい、
阿含宗の汚いやり口には閉口します。
やっぱり犯罪常習者の主宰する最低の教団ですね。
とても怖いと思いました。
>阿含宗の仲間は、書きこみを止めました
コピペと空白攻撃だけに専念する事にしたようです。
アラシ専門の阿含集団ですか
634 :
桐山@偽坊主:2000/11/03(金) 09:19
伝法灌頂の話になるとすぐに荒れる
前回もそうだが阿含宗はこの問題に
どうしても触れられたくないらしい。
635 :
名無しさん@1周年:2000/11/04(土) 14:23
伝法灌頂の話になるとすぐに荒れる
前回もそうだが阿含宗はこの問題に
どうしても触れられたくないらしい
sage
sage
638 :
名無しさん@1周年:2000/11/05(日) 14:55
阿含宗の方々に一言。
もういい加減に荒らし行為は止めてください。
ますます阿含宗の評判が悪くなりますよ。
>638
そう言うんだったら、あげるな!
言いながら、あげてんじゃん。
640 :
名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 19:54
阿含宗の先達たちは平気で殺人を犯しましたが
よーちさん達は先達を見習わないで下さい。
人殺しは良くないことです。
阿含宗の教義では知りませんが。
641 :
名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 20:36
殺人とか、どんな犯罪を犯しても
先祖の霊障で済ませる教義は危険だと思います。
責任の転嫁もいい加減にして下さい。
642 :
名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 20:39
みなさん
阿含宗とオウム真理教はほとんど同じ教義です。
例の「ポア」というのも阿含宗系列の出版社が出した本から
麻原は学んだそうです。
このような危険なカルト集団は、直ちに非合法化して
布教を禁止させましょう。
↑よこはま、えーかげんにせーよ!ぼけ、かす!!
↑よこはま、えーかげんにせーよ!ぼけ、かす!
板を汚すな。阿含なんてだれも興味無いんだよ!
645 :
名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 22:11
いくら荒らしを阿含のせいにしても、
よこはまって言う人の一人芝居ってこと
ばればれジャン!
だって意味ねーもの、あんな荒らし
なんのメリットもねえじゃん、バカみてーだし。
いいかげん迷惑だよ、
ケンカはここだけでやりな、興味ある奴はあまり居ね〜ぞ
阿含宗、たかが新教団の一つじゃん。あほくさ!
646 :
名無しさん@1周年:2000/11/07(火) 00:08
阿含宗に興味が無ければこのスレッドを見なければいいのでは?
阿含宗信徒の嫌がらせが見え見えです。
オウムを産み出しただけあって
本当に怖い教団ですね。
647 :
名無しさん@1周年:2000/11/07(火) 04:00
伝法灌頂の話になるとすぐに荒れる
前回もそうだが阿含宗はこの問題に
どうしても触れられたくないらしい
桐山氏の犯罪が明らかになる為か。
648 :
名無しさん@1周年:2000/11/07(火) 11:21
>伝法灌頂の話になるとすぐに荒れる
この際、伝法灌頂の件を徹底的に明らかにしましょう。
↑よこはま、うざい。しつこくあげるな。
その話し終わっている。このスレッドも終わってるぜ。
650 :
桐山氏@伝法灌頂の嘘:2000/11/07(火) 11:26
198 名前:ヌマエビ投稿日:2000/10/24(火) 21:06
「桐山氏は阿闍梨か?」 1.血の涙のその後
桐山氏は前科に血の涙を流して懺悔したはずでした。
桐山氏は悔い改め、因縁切りの修行によって、完全に変身したはずでした。
「変身の原理」「人間改造の原理と方法」などという本まで出したのですから、桐
山氏を特徴づける責任転嫁、詐欺的性格は改造されたはずでした。
しかし、桐山氏の自己宣伝と違い、その後の宗教活動には、偽ビール事件と同様
の詐欺行為がふんだんにみられます。
まず疑われているのは桐山氏の僧侶としての資格です。
宗教家としてスタートしたのに、血の涙も乾いていない最初に位置づけられる僧
侶の資格に、早くも疑惑があるのです。
僧侶になるためには、得度し、伝法潅頂を受けて、初めて真言宗の僧侶、つまり
阿闍梨として認められます。
学校でいえば、得度は入学式で、伝法は勉強であり、阿闍梨の資格とは卒業証書
をもらうようなものです。
阿含宗では真言密教の行法を用い、信者にも金をとって伝授しています。
行法を弟子に伝授するためには、本人が真言宗の阿闍梨であり、他の阿闍梨から
行法を伝授してもらったことが前提です。
血脈や法脈といい、空海以後だれに伝授されてきたかを重視します。
阿含宗を立宗する前は、桐山氏は真言宗を標傍していました。
1971年の「変身の原理」では真言宗金剛院派副管長、1972年の「密教超能力の
秘密」では真言宗大日山金剛華寺管長を名乗りました。
真言宗を標傍した限りは、真言宗の僧侶、阿闍梨であるのは当然でしょう。
阿含宗では桐山氏にあいさつするのに「阿闍梨様に三礼」と声がかかります。
阿含宗を立宗した今も、桐山氏は阿闍梨の資格があるはずです。
では、桐山氏はいつ伝法潅頂を受けて阿闍梨になったのでしょうか。
651 :
桐山氏@伝法灌頂の嘘:2000/11/07(火) 11:27
239 名前:ヌマエビ投稿日:2000/10/26(木) 21:11
「桐山氏は阿闍梨か?」 2.あまりに違う二つの経歴書
桐山氏は四十冊以上の著書がありながら、得度と伝法潅頂について具体的に記述
したものは一つもありません。
自慢話を羅列するための法話でも、ほとんど出てきたことがありません。
マスコミによって公開された桐山氏の経歴書は次の2つのみです。
得度と潅頂の部分だけを抜粋すると、
1968(昭和43)年8月、天台宗僧籍取得のために天台宗宗務庁に提出した経歴書
昭和35年二月 真言宗金剛院派得度加行
昭和36年 四度加行、学識潅頂、講義講式
昭和41年 伝法潅頂
1970(昭和45)年8月、小田慈舟大僧正の「金剛頂経講伝」に提出した経歴書
得度 昭和30年 戒師北野恵宝師に従って得度畢る
伝法潅頂 昭和40年 大阿北野恵宝師・大原最俊師に従って潅頂畢る
マスコミの取材に、北野師からの伝法潅頂は昭和38年頃と答えています。
合わせると、桐山氏本人の申告でありながら、伝法潅頂は3年、得度に至っては
5年も差があります。
経歴書が提出されたわずか2年ほどの間に、得度と潅頂の年にこれほどの違いが
出てくるのは、どういうことでしょう。
普通の人でも、自分が何年に学校を卒業したか、資格をいつ取ったかくらいは覚
えているし、経歴書を書くのに、記憶に自信がなければ、確認します。
普通の人と違い、経歴書を提出した頃には、桐山氏は求聞持法を体得して、目が
カメラに、耳はテープレコーダーになっていたはずです。
書くたびに、聞くたびに38年、40年、41年と答の違う求聞持法の記憶力は、普
通の人以下のように見えます。
違いを取り上げたマスコミの多くは、桐山氏の嘘の一つとして片づけています。
しかし、それでは桐山氏の頭の中を理解したとはいえません。
数字の違いに、桐山氏の性格や心癖のいくつかが現れています。
652 :
桐山氏@伝法灌頂の嘘:2000/11/07(火) 11:27
294 名前:ヌマエビ投稿日:2000/10/29(日) 20:35
「桐山氏は阿闍梨か?」 3.都合の悪いことは存在しなくなる
普通の僧侶でさえ忘れない伝法潅頂の年をどうして覚えていないのでしょう。
ここには桐山氏の頭の中がよく現れています。
まず、桐山氏には本人が言うようなすごい記憶力などありません。
阿含宗の職員の顔と名前すらも完全には覚えきれません。
数字はさらにデタラメで、分数の概念を理解していません。
記憶力や数字が不得意なだけではなく、桐山氏の独特の心癖も影響しています。
それは、桐山氏の頭の中では自分にとって都合の悪いことは消去されるのです。
僧侶としての資格がないのは都合が悪いことですから、思い出さないようにして
いたのでしょう。
その結果、ほんとうに年を忘れてしまったのです。
嘘でも同じ年を言い続ければいいものを、それすら忘れてしまったのです。
感情的に不愉快なことはすべて忘れ、思い出さないという技にかけては、桐山氏
は徹底しており、見事に忘れます。
事実であっても、桐山氏にとって感情的におもしろくなく、気分の悪いことはい
っさい見ないようにします。
忘れるというよりも、存在すらしなかったようになります。
自分にとって不愉快な人物に対しても同様のことをします。
一度でも、桐山氏に不快感を与えた職員や先達は、目に触れないように排除され、
最初から存在しなかったように忘れ去られます。
桐山氏に100%の落ち度があっても結果は同じです。
桐山氏は自己愛が強い分、他人への慈悲や愛情に欠けた人ですから、貢献してく
れた職員や先達であっても、頭の中からきれいに消去できるのです。
↑
よこはまじじい。あほ!ぼけ!かす!
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654 :
桐山氏@伝法灌頂の嘘:2000/11/07(火) 11:27
297 名前:ヌマエビ投稿日:2000/10/31(火) 20:43
「桐山氏は阿闍梨か?」 4.別な話にすり替える
伝法潅頂の件が桐山氏の記憶で曖昧になっているということは、外から指摘され
ては都合の悪い事だということを意味します。
桐山氏の頭脳では、伝法潅頂を受けていない彼が悪いのではなく、それを持ち出
してきたマスコミが悪いのです。
自分の能力に嫉妬した僧侶たちや、商売敵の宗教団体から金をもらったジャーナ
リストという、彼の頭が作り出した敵の悪意に満ちた攻撃としか映りません。
伝法潅頂の問題が、桐山氏の頭の中では、他人の嫉妬や攻撃の話にすり替ってし
まいます。
「嫉妬されるくらいおれは偉い」「阿含宗がそれくらい世間から注目されている」
といった物語を作って弁舌をふるいますから、信者の多くは信じます。
一番信じるのは、毎度のことながら、話している桐山氏本人です。
嫉妬や他宗教からの攻撃の話で、桐山氏の求聞持記憶テープは上書きされ、伝法
潅頂の問題は消去されます。
自分がすり替えた物語に一番酔い、すっかり気持ちがよくなり、問題が何であっ
たかをきれいに忘れるという特技を桐山氏は持っています。
妄想の世界では桐山氏は大阿闍梨なのですから、資格などどうでもいいのです。
世間からの批判すらも、それを格好よく踏み越えていく大阿闍梨様の妄想物語に
色を添えているにすぎません。
不愉快な事はすぐに忘れ、他人のせいにして、話をすり替えてしまうという桐山
氏の心癖が伝法潅頂の件にも端的に現れています。
304 名前:ヌマエビ投稿日:2000/11/02(木) 20:51
「桐山氏は阿闍梨か?」 5.伝法潅頂したという僧侶は否定
年月はともかく、伝法潅頂そのものはどうでしょうか。
桐山氏を伝法潅頂した阿闍梨として北野師、大原師が上げられています。
ジャーナリストや僧侶が二者に取材、確認したところ、桐山氏への伝法潅頂を否
定しています。
北野師は得度と準胝法、護摩界法を授けたことは認めたうえで、
「自分は桐山という人に加行も潅頂も授けた覚えはない」
とはっきりと否定しています。
大原師は真言宗正暦寺の住職で、桐山氏によれば、北野師から伝法潅頂を受けた
時の証明師だったようです。
大原師が伝法潅頂したのではなく、立会人だという意味です。
真言宗の僧侶からのこの件についての質問に、大原師は手紙で返事をして、
「・・少々知名の方々へは大変迷惑をおよぼしているらしく困った人物です」
と、証明師どころか、桐山氏を困った人物とまで評しています。
桐山氏は、北野師から伝法潅頂を受けたと主張し、北野師は授けていない、大原
師は証明師をしていないという。
桐山氏と北野師側でどちらが嘘をついているのでしょうか。
まず桐山氏が選んだ師匠である北野師について見てみましょう。
↑
よこはまじじい。あほ!ぼけ!かす!
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656 :
桐山氏@伝法灌頂の嘘:2000/11/07(火) 11:28
304 名前:ヌマエビ投稿日:2000/11/02(木) 20:51
「桐山氏は阿闍梨か?」 5.伝法潅頂したという僧侶は否定
年月はともかく、伝法潅頂そのものはどうでしょうか。
桐山氏を伝法潅頂した阿闍梨として北野師、大原師が上げられています。
ジャーナリストや僧侶が二者に取材、確認したところ、桐山氏への伝法潅頂を否
定しています。
北野師は得度と準胝法、護摩界法を授けたことは認めたうえで、
「自分は桐山という人に加行も潅頂も授けた覚えはない」
とはっきりと否定しています。
大原師は真言宗正暦寺の住職で、桐山氏によれば、北野師から伝法潅頂を受けた
時の証明師だったようです。
大原師が伝法潅頂したのではなく、立会人だという意味です。
真言宗の僧侶からのこの件についての質問に、大原師は手紙で返事をして、
「・・少々知名の方々へは大変迷惑をおよぼしているらしく困った人物です」
と、証明師どころか、桐山氏を困った人物とまで評しています。
桐山氏は、北野師から伝法潅頂を受けたと主張し、北野師は授けていない、大原
師は証明師をしていないという。
桐山氏と北野師側でどちらが嘘をついているのでしょうか。
まず桐山氏が選んだ師匠である北野師について見てみましょう。
657 :
桐山氏@伝法灌頂の嘘:2000/11/07(火) 11:29
325 名前:ヌマエビ投稿日:2000/11/04(土) 21:01
「桐山氏は阿闍梨か?」 6.金剛院派の肩書き
北野師は桐山氏が宗教において選んだ唯一の師匠です。
北野師といつから師弟関係にあったかは、前述の2つの履歴書でも、得度に5年
も差があるのではっきりしません。
いずれしろ昭和三十年代には北野師の伝法会に参加していたようです。
北野師は真言宗金剛院派を名乗っていました。
これは高野山真言宗とは何の関係もない真言宗系の新興宗教にすぎません。
この手法を桐山氏はまねて、「密教超能力の秘密」では、真言宗大日山金剛華寺管
長を名乗っています。
真言宗大日山金剛華寺とは桐山氏の作った、あたかも真言宗であるかのように装
った新興宗教であり、これまた高野山真言宗とは関係ありません。
阿闍梨かどうか疑わしいのでは、なおのこと、真言宗を名乗る資格はありません。
この本では、真言宗大日山金剛華寺管長、観音慈恵会々長、日本密教根本道場主
という3つの組織の長の肩書きを載せています。
実際には桐山氏が作った一つの小さな教団に別々の名前をつけたにすぎません。
桐山氏が1990年前後から急に海外から肩書きを買い集め、それまでとは方向が
変わってしまったと嘆く信者もいます。
しかし、桐山氏が名誉や肩書きをほしがるのは、最近のことではなく、この例を
みてもわかるように、昔から実体を伴わない肩書きが大好きでした。
1971(昭和46)年に出た「変身の原理」には、真言宗金剛院派副管長という肩書き
を載せています。
この本では権大僧正を、1972年以降の本では大僧正を名乗っています。
権大僧正は金剛院派という新興宗教の中での位階であり、高野山真言宗の正式の
ものではありませんから、世間的にはまったく通用しません。
桐山氏は金剛院派以外からは権大僧正の位階をもらったことはありません。
大僧正に至っては、金剛院派のものですらなく、まったくの自称であることが元
信者たちの証言にあります。
658 :
桐山氏@伝法灌頂の嘘:2000/11/07(火) 11:30
355 名前:ヌマエビ投稿日:2000/11/06(月) 21:06
「桐山氏は阿闍梨か?」 7.偽位階を見抜けない超能力
権大僧正など、当時の桐山氏の肩書きは金剛院派という新興宗教でしか通用しな
いものでした。
観音慈恵会があたかも高野山真言宗の一派であるかのように装い、自分が真言宗
の正式な阿闍梨、権大僧正や大僧正であるかのように名乗っていたのです。
屁理屈をいくら並べても、明らかな詐称です。
最初の頃、桐山氏はもらった肩書きが高野山真言宗でも通用すると信じていた形
跡があります。
このことは、1967年頃の会報に載った次の文章からもよくわかります。
「今回、はからずも、不肖不徳の身に、三国伝来の大マンダラを授かり、且
つ、高野山摂播本部副総監、中僧正、弘教、学匠という僧階を頂き、皆様よ
りお祝いと激励の言葉を頂きましたことは、真に有難く、心から御礼申上げ
ます。」
まるで高野山真言宗からこれらの位階をもらったような書きぶりです。
高野山真言宗は今日に至るまで桐山氏にいかなる位階も出していません。
高野山真言宗からの位階であるかのように北野師が桐山氏をだましたのです。
これらはすべて金剛院派でしか通用しない位階です。
この桐山氏の文章には興味深い点があります。
桐山氏が位階をもらえることを心底喜んでいる点、そして、北野師にだまされて
いることにまったく気が付いていない点です。
桐山氏の記述は明らかに、高野山真言宗から位階をもらえるものと誤解しており、
その権威に誇りを感じています。
会報が出た1967(昭和42)年には、桐山氏は求聞持法を体得していたはずです。
5つの超人的能力を持つと自慢する桐山氏にしては、北野師の簡単なトリックに
簡単にひっかかっています。
桐山氏の名誉心が強いことを見抜いて、北野師は手玉にとったのです。
桐山氏の言う、透視能力などの超能力とはせいぜいこの程度です。
659 :
桐山氏@伝法灌頂の嘘:2000/11/07(火) 11:31
偽の伝法灌頂を明らかにしよう。
そして桐山氏を詐欺で告発しょう!!!
↑
よこはまじじい。あほ!ぼけ!かす!
同じスレッドしつこく上げるな。
−−−宗教板一同
661 :
名無しさん@1周年:2000/11/07(火) 12:04
>660
阿含宗事務局の方々毎日「荒らし」ご苦労様!
でもますます評判を落としますよ。
それで無くとも阿含宗は沢山の殺人者を輩出しているのですから。
石垣島でオウム真理教出家者になった40%の人達は
阿含宗出身者でしたが、今でも深い付き合いがあると思われますよ。
事実を知る人達はみんな
「オウムを生み出した阿含宗は同類のカルトだから怖い!」
って思っていますよ。
662 :
名無しさん@1周年:2000/11/07(火) 16:41
石垣島はまるで阿含宗主催の伝法会の様相を呈していました。
どちらをみても阿含宗の顔見知りばかりで皆驚いたそうです。
そして
そんなにもたくさんの阿含宗信徒が参加していた為に
オウム真理教は阿含宗から生まれたといわれたのでしょう。
663 :
名無しさん@1周年:2000/11/08(水) 03:48
伝法灌頂の嘘。
昭和43年8月 天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務局に出した履歴書では
得度 昭和35年2月
四度加行 昭和35年
伝法灌頂 昭和41年。
昭和45年8月 小田猊下の「金剛頂経」講習会受講に際して提出した履歴書には
得度 昭和30年10月
四度加行 無記
伝法灌頂 昭和40年5月
つまりなにひとつ受けていないことがわかります。
本当に受けていたら正しい履歴が書ける筈です。
いずれにしても小田猊下からは伝法灌頂は受けていません。
なぜならば昭和50年6月の例祭で、小田猊下の講習会に「戸籍名」で参加したと言い,また
「これで阿闍梨になったわけです」と言っています。
真言宗の基本的なシステムすら知らないとはお笑いです。
そのへんの小坊主以下ですね。
それに得度すら受けていないから「戸籍名」で参加だそうです。(激爆々々〜〜〜!!)
さらに偽坊主がばれて講習会開始前に追い出されたとは、ホント落語みたいな話だったのです。
664 :
名無しさん@1周年:2000/11/08(水) 03:48
伝法灌頂の嘘−2。
昭和43年8月 天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務局に出した履歴書では
生年月日 大正10年4月20日
昭和45年8月 小田猊下の「金剛頂経」講習会受講に際して提出した履歴書には
生年月日 大正10年1月5日
自己申告の書類で自分自身の生年月日を偽った事実は有名な話。
つまりHPの経歴を信じる方がおめでたいということ。
HPより。
>1970年11月 小田慈舟大僧正より広島県の御自坊・城福寺にて
>「如意宝珠法」を伝授される。1972年-1973年小田慈舟大僧正
>より、京都道場にて、「金剛界法・胎蔵界法」の奥伝を伝授される
これらも全て事実無根。
これまでの自己申告による経歴話(例祭・履歴等)では講習会は1970年の事。
ただしこれは伝法灌頂の類ではなく,単なる「講習会」。
1970年11月の話も嘘八百。
さらに小田猊下は京都道場になど行っていません。これも嘘。
いつものことながら反論されなくなってからの嘘八百言いたい放題。
当時の信者が殆どいないのをいい事に経歴の書き換えをはじめた桐山は
ついでに生年月日も新しくしたらいい。(3回目だね)
665 :
名無しさん@1周年:2000/11/08(水) 21:59
>664
得度の時期ですら嘘をつくとは・・・・。
まあ芸能人並に生年月日も詐称だから仕方ないか。
だから、どうしたのヨコハマさん
真言宗なんか関係ないんじゃないの?
まあ、つまりそれしかネタがないってことでしょうね。
小田僧正から伝法かんじょうを受けてアジャリに
なったなんて本人は言っていないし
小田僧正からは受明かんじょうだったと本人も言っているし、たくみに嘘ですりかえても無駄ですよ。
昔からの常とう手段ですね〜あほくさ〜。
馬鹿ですね本の中の小田僧正と桐山氏の写っている
写真、あれ、京都道場で写したもんですよ。
なに言ってんだか、何も知らないとでも思っているの
まあヨコハマさんだからしょうがないかな〜。
667 :
名無しさん@1周年:2000/11/09(木) 06:00
>小田僧正から伝法かんじょうを受けてアジャリに
>なったなんて本人は言っていないし
桐山本人の言葉ですよ。
信者は師匠の著作や発言くらい知らなければ駄目。
もっとも都合の悪い事はすぐ嘘をつくのが阿含宗の生き方として有名だけど。
>馬鹿ですね本の中の小田僧正と桐山氏の写っている
>写真、あれ、京都道場で写したもんですよ。
はいはい、でもね小田先生が存命中に発表して。(詐欺で告訴されるけど)
いつもの「死者に口なしパターン」はもうやめたら。
668 :
名無しさん@1周年:2000/11/09(木) 14:19
>667
またよーちオバンの嘘がばれましたね。
阿含宗って詐欺師養成機関なのかな?
669 :
名無しさん@1周年:2000/11/10(金) 05:48
このスレは永久保存版ですね。
世の中のために、そして宗教凶悪犯罪を減らすために
また、無差別殺人事件を減らすためにも
670 :
名無しさん@1周年:2000/11/10(金) 18:14
>このスレは永久保存版ですね
犯罪者率の異常に高い阿含宗の詐欺行為が実によくわかるスレッドですな。
671 :
名無しさん@1周年:2000/11/10(金) 19:43
よこはまさん、実名、ひかえさせていただきました。
672 :
名無しさん@1周年:2000/11/11(土) 00:15
>671
>よこはまさん、実名、ひかえさせていただきました。
へえへえ、今度はどんな下劣攻撃かと思ったらくだらねー。
マボロシの「よこはま」さんの実名をどうやって挙げてみせるのかね?
いつもの「低脳よー痴攻撃」の類か!
薬品名をあげつらって精神疾患者をからかい、
朝鮮人差別をし、
ハンドル名を騙って反阿含宗側が書き込んだと見せかけ工作をし、
空白攻撃、落書きによる荒らし上げ、
IP抜き、下ネタコピペ、
何でもござれの「よーちオバ」
さすがオウムを生み出す母体となった教団の信者だねえ。
やることの悪辣さは天下一品!!
誰の追随も許さない!
673 :
よこはま28号:2000/11/11(土) 06:58
>671
>よこはまさん、実名、ひかえさせていただきました
どの「よこはまさん」かな?
一人多役のよー痴お馬鹿さんとちがって
「よこはまさん」は何人もいるからね
桐山も相当追い詰められてるんだ。
やっぱり伝法灌頂問題は、彼の逆鱗に触れるんだね。
詐欺師・桐山の原点だからね。
674 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/12(日) 05:43
「桐山氏は阿闍梨か?」 8.北野師とのトラブル
金剛院派の副管長や肩書き授与など、桐山氏と北野師との間はしばらく蜜月が続
きました。
北野師との関係がギクシャクした最初の事件が、1968年の高野山での勤行です。
北野師の口利きで高野山で千座行を勤行するつもりで行ったところ、高野山はま
ったく相手にしてくれず、拒絶されました。
大橋覚阿師の助けで、かろうじて次の日に勤行して体裁を保ったものの、桐山氏
は千人もの信者の前で大恥をかかされました。
桐山氏は初めて、金剛院派など高野山では全く通用しないことを知ったのです。
ここまでなら、桐山氏は北野師にだまされた被害者でした。
金剛院派の肩書きを捨てて、一から出直せばよかったのです。
北野師が高野山真言宗から相手にされていないことを見れば、自分の僧侶として
の資格や伝法内容についても疑問をもっていいはずです。
大橋師などから正式に伝法潅頂を受け直せばいいことです。
だが、桐山氏の野心と自負心だけは超人並です。
反省し、間違いを率直に認め、軌道修正するのではなく、嘘を更なる嘘でごまか
すという出家前と何の変わりもない心癖を出しました。
いつものように、自分の頭の良さを過信し、世間の目をなめきって、すべてをう
まく利用する道を選びました。
金剛院派副管長、大日山金剛華寺管長を名乗っているのに、今さら、伝法潅頂し
てくれでは、引っ込みがつかないといった消極的なものではありませんでした。
桐山氏のやったことは、金剛院派の肩書きをやめるどころか、後に自称・大僧正
を名乗り、むしろ嘘の上塗りに出ました。
金剛院派副管長を名乗ったのは「変身の原理」だけでしたが、北野師と小田師に
師事したと、1973年の「密教占星術T」まで両者を利用し続けました。
1974年以降、桐山氏は両者の名前を引っ込め、北野師の名前は二度と使いません
でした。
北野師との関係がギクシャクし、小田師側からも抗議が行ったからでしょう。
小田師の名前は、存命の間は出さず、死後、桐山氏は本に写真まで出してその権
威を使い、今日では伝法会で小田師を看板に利用しています。
675 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/12(日) 05:44
「桐山氏は阿闍梨か?」 9.奇跡の売り方
あの桐山氏をだますほどの北野師とはいったいどのような人物でしょうか。
北野師の性格や宗教家としての活動は弟子の桐山氏に劣りません。
宇宙人と会ったと称してテレビに出たこともあります。
北野師は観音慈恵会の信者の前で、おみくじの番号を透視したり、念力で電球を
つけてみせて、機関誌に「現代の奇跡」として紹介されました。
いずれも初歩的な手品にすぎないことくらい気が付きそうなものですが、信じる
者、信じたい者には奇跡と映るようです。
桐山氏には念力の護摩からモンゴルの雨まで、奇跡と称するものが付き物です。
この手法で信者を集め、信仰心を強くさせる手法が、桐山氏のオリジナルではな
く、北野師からの「伝法」であることがよくわかります。
念力電球の目撃者は信者たちでした。
信者たちが「疑って見ていたが、ほんとうにこの目で見た」と言えば、本人が信
じているだけに、説得力があります。
黙っていても、目撃者の信者たちが真剣に周囲に奇跡話の宣伝をしてくれます。
後に、念力の護摩やモンゴルの雨で信者たちを目撃者にして、宣伝に利用したの
と同じ手法です。
手品でもできるパフォーマンスをして、自分の力を示そうとする僧侶の汚れた心
のあり方にまず疑いを向けるべきでしょう。
だが、御利益を得たい、超能力や成仏力を得たいなどと欲にかられていると、た
だの手品が超能力や法力による奇跡に見えてしまうのです。
676 :
名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 07:03
677 :
名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 18:48
>北野師は観音慈恵会の信者の前で、おみくじの番号を透視したり、念力で電球を
>つけてみせて、機関誌に「現代の奇跡」として紹介されました。
これで味をしめて念力の護摩トリック事件へと進んだわけ。
でも何度かトリックに失敗して結局付け火したんですよ
「念力の護摩次第に従ってやっているんだから付け火でもよい」
と言う説明だったけれど、なら初めから普通にやればいいじゃん。
詐欺師特有の拘りと苦し紛れの言い訳だね
678 :
名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 12:16
阿含宗出身者が信仰を持ちながらなぜ平気で殺人を犯せるのか
色々考えてみましたが、原因はやはり桐山氏にありました。
つまりたくさんの逮捕歴や刑務所にいたことですら
自分が悪いのではなく、先祖の霊障だと責任を転嫁しています。
つまり殺人を犯しても「自分は悪くない」と言い逃れるパターンを
阿含宗では公式化しているようです。
それゆえ、そんな恐ろしい教団に何年もいて洗脳された沢山の信徒たちが
のちに無差別殺人や拉致監禁殺人などの凶悪犯罪を平気で
行なうようになってしまったのではないでしょうか。
つかまっても「自分は悪くない。先祖の霊を裁いてくれ」と
桐山流で自らを正当化するのでしょう。
本当におそろしい教義だと思います
679 :
名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 17:38
犯罪を先祖の霊障のせいにするのは
つまり自己責任を回避することだ。
だから人を殺しても何とも思わなくなるわけ。
阿含宗は実に怖い!
680 :
キテイ:2000/11/14(火) 22:46
東方出版から、「阿含宗の研究・桐山密教の内実」という本が出ているが、とてもよく書かれた本で、阿含宗のいいかげんさがよくわかります。
681 :
キテイ:2000/11/14(火) 22:53
東方出版から、「阿含宗の研究・桐山密教の内実」という本が出ているが、とてもよく書かれた本で、阿含宗のいいかげんさがよくわかります。
682 :
名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 05:17
>犯罪を先祖の霊障のせいにするのは
>つまり自己責任を回避することだ。
>だから人を殺しても何とも思わなくなるわけ。
>阿含宗は実に怖い!
昔は霊障の話はなかった。
自分の犯罪歴を誤魔化すために霊障論をでっち上げたけれど
結局は桐山の嘘話からオウム真理教が生まれてしまった。
カルマ落としから始まって阿含宗教学の焼き直しが凄く目立つ。
誕生だけでなく育ちまでオウムは阿含宗にそっくりだ。
自分の犯罪責任を回避する「教学」など仏法とは言えない。
阿含宗信徒はもうすこし頭を働かせて欲しい。
詐欺師にマインドコントロールされていては真実は見えない。
683 :
あ:2000/11/15(水) 21:19
釈迦直説の経典、阿含経を奉じるといっておきながら、真言密教や法華経など、
ごちゃまぜにして、チベット仏教まで持ち出し、神道も利用し、あげくの果ては、
ノストラダムスの「アンゴルモア大王」真言まで、お金を払えばお授けするという。
ここまできて、やめない信者は、大ばか者だ。
阿含宗という、名前はやめてもらいたい。お釈迦様も、嘆いておられるであろう。
「なんでもあり宗」とでも、改名したらどうであろうか。
684 :
名無しさん@1周年:2000/11/16(木) 17:33
>ノストラダムスの「アンゴルモア大王」真言まで、お金を払えばお授けするという
いくらだったんでしょうか?
とても興味があります。
685 :
名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 14:36
「アンゴルモア大王」真言
おしえて
思いっきり笑いたいから
686 :
名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 17:03
石垣島でオウム真理教出家者になった人達の40%は阿含宗出身者でした。
事実を知る人達はみんな
「オウムを生み出した阿含宗は同類のカルトだから怖い!」
って思っていますよ。
石垣島はまるで阿含宗主催の伝法会の様相を呈していました。
どちらをみても阿含宗の顔見知りばかりで皆驚いたそうです。
そして
そんなにもたくさんの阿含宗信徒が参加していた為に
オウム真理教は阿含宗から生まれたといわれたのでしょう。
犯罪が多発するカルト教団らしい話です。
687 :
名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 06:20
>681
「阿含宗の研究・桐山密教の内実」
読みました。
凄い本ですね。宗教詐欺の真相が良くわかりました。
さすがオウム真理教を産んだ凶悪教団ですね。
犯罪者が教祖だと最悪です。
688 :
名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 23:18
アンゴルモア大王真言・・・アンゴル・モンゴル・ルルル・ルンルン
・ハニャーンハニャーン・ソワカ
689 :
名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 23:26
>687
おい、わざとらしぞ(笑)。
もうとっくに読んでいるくせに、
本の宣伝ならもっとうまくやれよ!
ばればれだぞヨコハマ氏。
カキコの調子がまんまじゃんか
もっと面白くしろ。
690 :
名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 02:19
>689
687のコメントは、680、681のキティさんのカキコに応答したもんだよな。
>おい、わざとらしぞ(笑)。
>もうとっくに読んでいるくせに、
>本の宣伝ならもっとうまくやれよ!
>ばればれだぞヨコハマ氏。
何で、よー痴オバがキティさんのカキコに応答した687さんに
「わざとらしぞ(笑)」なんて言うのかねえ。
自分のネタに反応したからだろ。
ふーん、つまり「よー痴オバ = キティ」ってわけか。
すると「阿含宗という宗教6」の448の「にゃん」というのは
やっぱり「よー痴オバ 」というわけだ。
「キティ」と「にゃん」のカキコは457で重複するからねえ。
「にゃん」というHNで反阿含宗を装うカキコをし、
おまけにメアドまで公開してた。
あれ、やっぱり「よー痴な罠」だったんだ。
やっぱりやることはオウム信者並。
691 :
名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 21:08
みなさん
阿含宗とオウム真理教はほとんど同じ教義です。
例の「ポア」というのも阿含宗系列の出版社が出した本から
麻原は学んだそうです。
このような危険なカルト集団は、直ちに非合法化して
布教を禁止させましょう。
692 :
名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 21:50
ハニャーン、ハニャーン、ハニャーン
693 :
名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 21:56
何でもいいけど、「阿含宗の研究・桐山密教の内実」という本は、いい本だぞ。
694 :
名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 01:00
↑そうか、ではぜひ読んでみよう。
695 :
名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 16:02
阿含宗は殺人者養成所みたいですね
いままでたくさんの殺人者を輩出しましたが
桐山は全部霊障のせいにするのでしょうね
696 :
名無しさん@1周年:2000/11/21(火) 17:54
age
697 :
名無しさん@1周年:2000/11/21(火) 22:15
阿含宗は、レベル低すぎ。
スレッドなどいらん。
698 :
名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 07:07
>697
よー痴おばさん
自分で認めたね
ならこんどから
阿含宗惨疲スレを
新設しないでね
699 :
名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 13:53
age
700 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/23(木) 19:13
「桐山氏は阿闍梨か?」 9.奇跡の売り方
あの桐山氏をだますほどの北野師とはいったいどのような人物でしょうか。
北野師の性格や宗教家としての活動は弟子の桐山氏に劣りません。
宇宙人と会ったと称してテレビに出たこともあります。
北野師は観音慈恵会の信者の前で、おみくじの番号を透視したり、念力で電球を
つけてみせて、機関誌に「現代の奇跡」として紹介されました。
いずれも初歩的な手品にすぎないことくらい気が付きそうなものですが、信じる
者、信じたい者には奇跡と映るようです。
桐山氏には念力の護摩からモンゴルの雨まで、奇跡と称するものが付き物です。
この手法で信者を集め、信仰心を強くさせる手法が、桐山氏のオリジナルではな
く、北野師からの「伝法」であることがよくわかります。
念力電球の目撃者は信者たちでした。
信者たちが「疑って見ていたが、ほんとうにこの目で見た」と言えば、本人が信
じているだけに、説得力があります。
黙っていても、目撃者の信者たちが真剣に周囲に奇跡話の宣伝をしてくれます。
後に、念力の護摩やモンゴルの雨で信者たちを目撃者にして、宣伝に利用したの
と同じ手法です。
手品でもできるパフォーマンスをして、自分の力を示そうとする僧侶の汚れた心
のあり方にまず疑いを向けるべきでしょう。
だが、御利益を得たい、超能力や成仏力を得たいなどと欲にかられていると、た
だの手品が超能力や法力による奇跡に見えてしまうのです。
701 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/23(木) 19:14
「桐山氏は阿闍梨か?」 10.奇跡は詐欺のエサ
北野師の、手品を奇跡と言い換える手法を桐山氏は非常によく学び、後々まで奇
跡を用いて、信者たちの目くらましに使い続けます。
今日でさえ、桐山氏は総本山に修行場を作り、そこで賢人を作ると称しています。
桐山氏の知能程度、体力を見れば、彼のいう賢人がウルトラマンと同じ空想の物
語にすぎないことは明らかです。
昔の超能力を成仏力と名前を変えたにすぎないことにすら、今でも信者は気が付
かず、阿含宗から賢人が出現すると信じています。
あわよくば、自分もそのおこぼれに預かろうとしています。
賢人を作るという修行場に多額の寄付をする信者たちは、三十年ほど前に北野師
の手品を奇跡だと賛嘆した信者たちと同じレベルです。
時代が変わっても、簡単にだまされる人たちが常に存在するという実例のような
ものでしょう。
ところが、今の信者は、超能力時代の信者を軽蔑さえしています。
辞めた信者は超能力を求めただけの我欲の信者だったと、桐山氏が自分を正当化
するために作った屁理屈を今の信者たちは信じているからです。
しかし、桐山氏が信者に与えたエサは、超能力を成仏力とラベルを張り替えただ
けで、昔も今も中身はまるで同じです。
超能力時代の信者たちは最初だったから、詐欺にひっかかったのかもしれません。
今の信者は、前例がありながら、同じ罠であることすら気が付いていません。
仏陀の智慧や賢人を目指す前に、まず世間的な常識を学ぶべきでしょう。
北野師の念力電球と桐山氏のいう賢人の話は、規模が違うだけで、人の目をあざ
むき、中身のない手品だという点では同じです。
三十年間、師匠から伝授された桐山氏の手法は変わっていません。
702 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/23(木) 19:14
「桐山氏は阿闍梨か?」 11.照真秘流の千座行
念力電球くらいはまだかわいいほうでした。
北野師による最大の宗教詐欺は照真秘流でしょう。
また照真秘流こそが、二人の決裂が表面化した直接の原因でした。
照真秘流は金剛院派の最大の売り物でした。
北野師は照真秘流の第五十三世を名乗り、桐山氏は五十四世の予定でした。
しかし、真言宗のどこを探しても照真秘流などという流派はありません。
当時の桐山氏は、照真秘流は、真言宗の伝統的な小島流や三宝院流よりもはるか
に上位の流派であると信者には宣伝していました。
桐山氏は金剛院派の副管長して、照真秘流一本槍で来たのです。
1966年に出た「千座行教典」では、大白身法準胝尊千座行がどのように伝えられ
てきたかという血脈を次のように書いています。
大日、金剛、・・・・・、晴弘、恵宝、靖雄
また、機関誌の中で、千座行の由緒を次のように桐山氏は書いています。
「金剛院秘流に伝わる秘法で、密教門中最高最勝の因縁解脱法として有名な御法
であります。」
つまり、照真秘流は、真言宗に秘かに伝えられたインド伝来の由緒正しい流派で
あり、千座行はその中にある有名な修行法であると位置付けていたのです。
照真秘流を用い、千座行を真言密教の秘法として権威付けをしていました。
千座行の血脈と由緒は桐山氏による創作であり、まったくの嘘、デタラメです。
後に桐山氏本人すら、千座行は自分で編纂したものであることを認めています。
金剛院派の照真秘流の馬脚が現れて、認めざるを得なくなったのです。
では、照真秘流千座行の血脈と由来の馬脚を見てみましょう。
703 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/23(木) 19:15
「桐山氏は阿闍梨か?」 12.昭和初期に作られた照真秘流
照真秘流を標傍していた当時、桐山氏は自分が編纂したにすぎない千座行を、イ
ンドから伝えられた真言密教であると権威付けをしていました。
ばれないだろうと世間を甘く見て、権威付けのための壮大な話を作りあげるのが
桐山氏の得意技です。
桐山氏は知らなかったが、北野師もまた桐山氏とまったく同じ手法で、照真秘流
の権威付けをしていました。
互いに架空のホラ話で、自分の宗教を権威付けしていたのですから、一方が崩れ
れば、もう一つも崩れます。
そして、実際に崩れました。
照真秘流とは、昭和初期、実川泰仙氏が始めたもので、真言宗とは何の関係もな
い宗教です。
実川氏が発行した本を種本にして、北野師はあたかも流派を引き継いだように自
称し、中身を桐山氏に切り売りしていたのです。
実川氏は、北野師とはまったく面識がないと述べたと、実川氏の家族が、後に本
で証言しています。
北野師は実川氏から学んだことすらなく、単に本から盗用していたのです。
これなど後に、他人の本を丸ごと盗用して密教占星術奥伝と称して信者に伝授し
た桐山氏と同じ手法です。
師匠は昭和初期に他人が作ったものをインド伝来の密教として教え、弟子は自作
の千座行を照真秘流やインド伝来の密教として宣伝していたのです。
照真秘流のネタがばれても、本来なら困るのは北野師だけです。
ところが、桐山氏も全く同じ方法で千座行の血脈や由来に利用していました。
打ち合わせもしていないのに、アウンの呼吸で同じ手法を用いて権威をでっち上
げる、両者はまるで双子のように似た師匠と弟子でした。
だが、ばれた時の開き直りの手法は桐山氏のほうがはるかに上手でした。
704 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/23(木) 19:17
「桐山氏は阿闍梨か?」 13.照真秘流の実態がばれた
照真秘流からの盗用が本格的にばれたのは1975(昭和50)年でした。
この年、照真秘流の復刻本の広告が出ました。
復刻したのは著者の実川氏ではありません。
実川氏が亡くなったと思い、誰かが勝手に復刻して金儲けをしようとしたのです。
当時、実川氏は復刻を聞いて、「静観する」と述べたと言われています。
実川氏の本を見て、桐山氏は愕然としたに違いありません。
秘法として北野師から伝授された内容が、実川氏の本にそのままあったのです。
北野師は「照真秘流教伝書」という二冊の本を出していますが、これは実川氏の
二十冊以上にも及ぶ本からの抜粋にすぎません。
桐山氏はこの機会をうまく利用して北野師と公式に縁を切る作戦に出ました。
桐山氏は、ずっと前から照真秘流の実態を知っていたが、北野師の名誉のために
沈黙していたというような、お得意の自己弁護を展開しました。
しかし、桐山氏が縁切りの宣言をしたのは復刻本の広告の出た1975年です。
復刻本の広告がなければ、口をつぐんでごまかすつもりでした。
広告が出ると、信者に対して次のような文面を配りました。
「北野氏は弘法大師直伝の照真秘流第五十三世と名乗っているが、同流は昭
和初期に実川泰仙氏が開いたもので、北野氏のは詐欺だ。桐山は一時は北野
氏に師事したが現在はいっさい無関係である」
宗教詐欺のデパートか卸問屋のような桐山氏をして、「詐欺だ」と言わしめた北野
師は、師匠だけのことはあったのです。
この文面には、全責任を巧みに北野師に負わせて、しかも縁を切りたいという一
挙両得を狙った桐山氏の意図がはっきりと表れています。
北野師と縁を切りたかったのは照真秘流という宗教的な問題だけではなく、桐山
氏にとってもっと現実的な実害があったからです。
705 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/23(木) 19:19
「桐山氏は阿闍梨か?」 14.照真秘流は最大の売り物だった
真言密教とは何の関係もない照真秘流を、真言密教の最高の秘法として、桐山氏
は信者たちに宣伝してきました。
1969(昭和44)年には「慈恵会特別研修」という伝法会が行われています。
機関誌には次のような写真入りの報告を載せました。
「今回の研修は中等科で、昭和二十三年、文部大臣の認証を得た秘流の霊能開発
倫伽行法等の行事を研修する。」(「倫伽」は原文のまま)
照真秘流が文部大臣の認証を得たとは笑止千万です。
桐山氏はあたかも公の機関が保証したかのように、信者をだましました。
世俗的な権威を使う手法は昔も今も変わりません。
当時の観音慈恵会の広告には、セールスポイントの一つに次のような「虫切り」
というのがありました。
「霊法「虫切り」「虫封じ」施行。病邪の毒素が、毛穴から微細な糸状になって吹
き出し、健康になります。」
実川氏の照真秘流では「神伝顕法肝虫封じ相伝書」に公開されています。
他にも、桐山氏が「変身の原理」で書いた足止めの法などは照真秘流の「蟇霊念
力念誦秘録」にあります。
元ネタがばれてしまうと「霊法」というネーミングのすごさに驚かされます。
元ネタを知れば唖然とするような内容に「霊法」「秘法」「正法」「奥伝」
「成仏法」などと名前を付けて信者に高値で売りつけるのは桐山氏の得意技です。
今日、釈尊や阿含経を看板に利用しているだけで、阿含宗の中身が釈尊の教えと
はまるで脈絡がないのと同じ手法です。
昭和初期に作られ、真言密教と関係のない照真秘流を、インド伝来の真言密教の
最高峰であると桐山氏は長年宣伝していたのです。
706 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/11/23(木) 22:11
「桐山氏は阿闍梨か?」 15.照真秘流よりも切実な理由
北野師との関係が冷え始めたのは前述の高野山参拝がきっかけでした。
しかし、照真秘流を桐山氏も売り物にしていたので、持ちつ持たれつの宗教詐欺
師同士の腐れ縁がありましたから、全面戦争には至りませんでした。
桐山氏によれば1975年の復刻本の広告の前に真実を知っていたといいます。
1969年になった金剛院派の副管長を1972年には満期を理由に辞めています。
1973年の「密教占星術T」を最後に北野師の名前を削除したことから見ても、少
なくともこの段階で照真秘流の実態を知っていた可能性はあります。
それなら、この段階で、率直に自分の過ちを認め、軌道修正をするべきでした。
しかし、「大法輪」という信者の目にも触れる本に復刻本の広告が出るとわかって
から、桐山氏はあわてて弁明をしています。
つまり、桐山氏はばれなければそのまま嘘を突き通すつもりでいたのです。
ここには桐山氏の宗教や法に対する態度がよく表れています。
桐山氏にとって照真秘流の嘘など、信者にばれなければどうでもいいのです。
さんざん霊法だの最高最奥の秘伝だのと宣伝したことなど、きれいさっぱりと忘
れてしまう特技をもっているからです。
桐山氏は法に厳しくあれと信者には教えますが、自分自身はこのように場当たり
的でデタラメです。
ばれなければごまかすという態度は桐山氏の宗教人生にいつもつきまといます。
この態度には宗教者としての良心が感じられません。
桐山氏のこういう態度をみればわかるように、照真秘流の元ネタがばれた程度な
ら、北野師との絶縁宣言は必要がなかったのです。
絶縁宣言は、照真秘流という宗教的なものが原因ではありません。
宗教的な決別などという高度なものではなく、もっとドロドロした、桐山氏にと
って切実な理由がありました。
それは信者の取り合いです。
707 :
名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 22:29
阿含宗という宗教6の写しじゃねか
つまらねーよ!
708 :
名無しさん@1周年:2000/11/24(金) 07:55
>707
このスレは「阿含宗詐欺の真相・総集編」らしいから
709 :
名無しさん@1周年:2000/11/24(金) 23:29
謝罪します
凶悪殺人者を沢山出したあの「阿含宗」のスレで
刑務所帰りの桐山を部分的にでも肯定してしまいました。
このままでは地獄に落ちてしまいます。
詐欺師の片棒を担ぐつもりは無かったのですが
ついつい上手い言葉に騙されました。
今すぐに改心して阿含宗を止めれば地獄に落ちずに済むでしょうか?
最悪の教団に入ったことを心の底から後悔しています。
あそこは世の中の「最低の人間」がさらに汚い「地獄」に落ちる訓練をするところでした。
ゴキブリの糞を食うバクテリアのような集団ですね。
著わす言葉が見つからないくらい「最低の基地外・殺人教団」です。
710 :
名無しさん@1周年:2000/12/04(月) 11:34
>著わす言葉が見つからないくらい「最低の基地外・殺人教団」です。
それがわかれば
>今すぐに改心して阿含宗を止めれば地獄に落ちずに済むでしょうか?
大丈夫でしょう
711 :
詐欺師桐山のルーツ(転載) :2000/12/04(月) 12:22
「桐山氏は阿闍梨か?」 16.信者の争奪戦
北野師との対立が始まった一番の理由は、信者の取り合いです。
当時の観音慈恵会の信者は、桐山氏の師匠である北野師の所にも出入りしている
人たちがかなりいました。
念力の護摩や超能力などの密教ブームに乗って売り出し中の桐山氏にしてみれば、
北野師からは学ぶものは何もないばかりか、信者を引き抜く商売仇です。
信者の引き抜きに腹を立てながらも、北野師と公式に絶縁ができなかったのは、
照真秘流があまりに弱みだったからです。
長年に渡り、照真秘流を看板にしていたのに、1975年の復刻の広告で、真言宗の
秘伝ではないことがばれて、信者に言い訳を繕う必要に迫られました。
桐山氏にとってこのピンチはチャンスでした。
言い訳を構築することになれば桐山氏の得意分野です。
北野師をかばうために沈黙していたなどと自分を正当化し、全責任を北野師に押
しつけて、一気に北野師との関係を断ち切ることで、教団を守ろうとしました。
照真秘流という宗教的な大義名分を表書きにして、実際には、信者の取り合いで
もめていた北野師と縁を切るのに利用したのです。
桐山氏には、照真秘流の元ネタがばれたことは大した問題ではありませんでした。
宗教的な中身など、桐山氏の手の内で誰にも見えないのだから、彼の詭弁をもっ
てすれば、信者をだまし続けることは簡単です。
後に、照真秘流などから寄せ集めた雑多な密教にすぎない内容を、阿含密教と称
して、あたかも釈迦仏教であるかのようにすり替えた特異能力の持ち主です。
照真秘流が何者だろうが、ばれようが、桐山氏には大した問題ではありません。
桐山氏にとって深刻なのは、信者の数です。
信者の数は教団の勢力であり、金銭と直結します。
大教団を作り、伽藍の中で聖者としてかしずかれ君臨することが夢である桐山
氏にしてみれば、北野師は師匠どころか、邪魔者でしかありませんでした。
北野師との決裂は一見、照真秘流という宗教上の争いのようにみえながら、水面
下では、数年前から信者の奪い合いという泥仕合が始まっていたのです。
712 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/12/04(月) 12:23
「桐山氏は阿闍梨か?」 17.信者よりも教団
両者の激しい誹謗中傷合戦が始まると、信者の取り合いが表面化します。
北野師側は報復として桐山氏の前科を暴露しました。
両者の中傷合戦は当時「宗教を現代に問う」を連載していた毎日新聞にまで取り
上げられました。
桐山氏は、北野師と二股をかけている信者をスパイさせて、行かないように言う
など、教団を守るために必死でした。
透視能力があるのなら、スパイなど使う必要もなかったでしょう。
桐山氏は口癖のように「信者が一人もいなくなっても、自分一人で托鉢から始め
ればいい」といいます。
解脱した自分は何ものにも執着しないというお得意のポーズです。
これが本心で、自分に自信があれば、信者を引き留める必要などありません。
確かに桐山氏は信者個人には執着がありません。
役に立たないとか、桐山氏の気に入らない信者は、職員でも先達でも、何のため
らいもなく切り捨てられ、きれいに忘れさられます。
執着しているのは数としての信者であり、誰であるかはどうでもいいことです。
百人がやめても、無知な百人が入信すれば桐山氏には同じことです。
桐山氏が執着しているのは自分の教団です。
教団の構成要員である駒としての信者がほしいだけです。
信者を守りたいのではなく、自分の教団を守りたかったのです。
自分が築き上げたという自負心と強い執着のある教団が、かつての師匠によって、
土台を揺さぶられていると危機感をつのらせていました。
北野師が実際に信者を引き抜いていたかどうかは問題ではありません。
実際に教団が危機に陥っていたかどうかではなく、攻撃を受けると、程度にかか
わらず、桐山氏の頭の中では警報が鳴り続け、止まらなくなるのです。
教団への妄想的な危機感が、北野師を攻撃し、前科をばらされるという、返り血
をあびるような愚かな選択をさせたのでしょう。
桐山氏は自分や私有物である教団が攻撃されていると感じると、冷静さや度胸を
失い、こっけいなまでにヒステリックな反応を示すのが常だからです。
713 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/12/04(月) 12:24
「桐山氏は阿闍梨か?」 18.教団の守りは無能無策
観音慈恵会は桐山氏の私有物であり、彼は創業の社長ですから、会社を乗っ取ら
れるなど、プライドにかけて許されることではありません。
桐山氏はこういう時には過剰なまでの防衛反応を示します。
ある時、幹部信者が組織運営をもっと自分たちに任せてほしいと申し出ると、桐
山氏は「出て行くのはキサマらだ!」とどなりつけたことを自慢していました。
幹部信者たちは、桐山氏の一貫しない運営を正常化しようとしただけでしょう。
だが、桐山氏はこれを教団の乗っ取りと受け取り、過剰反応したのです。
透視能力があるはずなのに、幹部たちの気持ちも透視できず、しかも、何年も後
になって、どなりつけて追い出したことを自慢しました。
教団に強い執着を持っている割には、教団の守りは見事なまでに無策です。
桐山氏は攻撃が主体なので、好対照に、守りはまるで無能です。
適当な手だてが思いつかないという知性の問題だけでなく、桐山氏は攻撃を受け
ると頭に血が上って、冷静さを失ってしまうからです。
1980年代末にオウム真理教が阿含宗の信者の引き抜きを始めて、実際信者が流れ
ても、具体的な対策が何もとれませんでした。
オウム信者が道場の前でチラシ配りしたので、職員がどなりつけて追い返したの
を法話で自慢していました。
どなりつけ、それをまた自慢するのですから、チンピラ程度です。
桐山氏は、守りが無能だと自覚することはなく、自分は完璧な知恵者だとかたく
信じて、今もどなりつけています。
しかし、弱みまで握られているかつての師匠では、桐山氏の唯一の防衛策である
どなりつけることは通用しません。
仏陀の智慧を自認する桐山氏のとった防衛策とは、北野師に全責任を押しつける
ことであり、結果、前科をばらされるという彼にとっては最悪の結末でした。
前科を暴露されて霊障物語を作り、嘘の上にさらに虚の話を作り上げることにな
ったのですから、この防衛策はその意味でも最悪であったと言えます。
714 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/12/04(月) 12:24
「桐山氏は阿闍梨か?」 19. キツネとタヌキの師匠と弟子
北野師は桐山氏の師匠だけあって、決別すると、桐山氏の創作である千座行を大
白身千座因縁解脱法として、金剛院派の中にちゃっかり取り入れています。
北野師の、何のツテもない高野山にいきなり桐山氏を連れて行く度胸のよさや、
他人の本を切り売りするだけの照真秘流など、今日の桐山氏を彷彿とさせます。
弟子は、照真秘流を権威に自作の千座行の伝説を信者に宣伝しておきながら、嘘
がばれると、師匠に全責任を転嫁して、口をぬぐってしまいました。
宗教詐欺師の師匠と弟子をはるかに超えて、キツネとタヌキの化かし合いです。
二人はまるで双子のようによく似ていました。
桐山氏はよく「因が縁を呼ぶ」と言います。
簡単に言えば、類は友を呼ぶ、レベルの似た者が集まるという意味です。
嘘の多い桐山氏の教えですが、北野師との関係においては、この教えが正しいこ
とを身をもって示しています。
北野師と公式に決裂した1975年、「変身の原理」が角川書店から再刊されたこと
もあり、信者が増加していました。
反面、超能力開発が空宣伝であることに気づいたり、桐山氏の前科を知ってやめ
る信者もたくさんいました。
北野師からの信者の引き抜きはあっても、出入りが激しいことが幸いして、致命
的な打撃にはなりませんでした。
むしろ、阿含宗の立宗や、北野師がばらした前科を逆手に霊障物語を作り上げ、
教団を発展させたと言ってもいいでしょう。
桐山氏の希望どおり、百人がやめても、何も知らない百人が入信しました。
観音慈恵会は知名度が低かったので、だませる一般人が多数存在したからです。
715 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):2000/12/04(月) 12:24
「桐山氏は阿闍梨か?」 20.唯一の師から何を学んだか
桐山氏が北野師から最もよく学んだことは、宗教そのものではなさそうです。
信者をいかにうまくだますか、いかに外部の権威を利用するか、北野師の大胆で
ズボラな手法を桐山氏は実によく学び、後に実行しました。
北野師は照真秘流の本から盗用したにすぎないのに、自分こそは秘法の継承者で
あるように自称していました。
桐山氏も、他人の書いた本を丸ごと密教占星術奥伝と称して、伝法会で金をとっ
て信者に講義しました。
北野師は「渡印入蔵沙門」と称して、チベットで一年八ヶ月修行したなどと、パ
ンチェン・ラマの名前まで出して宣伝しています。
桐山氏はチベット仏教から寄付によって法位法号をもらうなど、ダライ・ラマな
どの権威をたくみに利用しています。
北野師は「小乗と大乗と金剛乗である現代は、まさに応用仏教でなければならぬ」
と書いています。
桐山氏の「阿含宗は北伝、南伝、東伝を合わせた完全仏教」とそっくりです。
あちらこちらからの宗教を切り張りし、寄せ集めて、師匠は「応用仏教」、弟子は
「完全仏教」と称しているのです。
北野師が応用仏教を書いたのは1974年頃、桐山氏の完全仏教は1995年頃ですか
ら、決別から二十年たっても、弟子は師の教えを忘れませんでした。
桐山氏が最も学びたいと思っていた宗教詐欺を、彼自身を教材にして実行してみ
せる、すばらしい師匠についていたのです。
北野師は、自分の教えた宗教詐欺を見事に開花させてみせるすばらしい素質を持
った弟子に恵まれました。
716 :
詐欺師桐山のルーツ(転載):
http://www.asahi-net.or.jp/~BE9Y-IKD/kiji.html 「戦後最大の怪宗教」で修行
桐山靖雄氏は本名堤真寿雄といい、大正十年一月五日、横浜市神奈川区に四人兄弟の長男として生まれた。
桐山は母方の性であるという。千葉流山町小学校卒業のとき担任の訓導が父親を呼んですでにこう明言したという。
「この子はよく注意して下さい。非常に偉くなるか、さもなければ、大変な悪人になるか、いずれにしても
中途半端な人間にはならない子ですから、くれぐれも気をつけて下さい」
人の子をよく観る訓導の言葉であった。
桐山氏は学歴について理解しがたい劣等感を抱いているようで、昭和四十三年八月、
天台宗僧籍取得の為に天台宗宗務長に提出した履歴書には学歴を偽証してきにゅうしている。
これを直木賞作家の志茂田影樹氏に、雑記『宝石』昭和五十三年十一月号でばくろされて、
また発表し直した学歴も偽証だった。
その後、さまざまな職を経たらしいが、本人の語る経歴には矛盾が多く、謎の人物というしかない。
私文書偽造、酒税法違反等で何回かの逮捕歴があり、昭和二十八年八月十七日毎日新聞夕刊に大きく報道された。
「ニセビール一味捕まる」の事件でも逮捕されている。それ以上ふれないが、つまり、そういう人物である。
阿含宗の前身、観音慈恵会が発足したのは昭和二十九年八月か九月、横浜鶴見区生麦の裏長屋の一軒家においてであった。
教祖桐山氏は弟子と呼ぶ塚田康人氏から運命学を学びながら二人で細々と客を待っていた
それでも将来を期してか、宣伝には力を入れていたようで、このことの経済関係の雑誌『黄金』などに
運命鑑定、指導などの広告を出していたという。
その広告には、当時、総理大臣級の人物と言われていた緒方竹虎氏の運命を的確に鑑定したという
触れ込んだことも手伝ってか、すでに昭和三十一年の『日本週報』に一教祖として寄稿、登場している。
宗教面としてはこのころに詳しい長古参の元信者の話によると、桐山氏は単に拝むだけだったというから、
素人と余り変わりがなかったようである。一説によると戦後、闇屋をしていた時代に
戦後最大の怪宗教といわれた皇道治教系修行したという。
混乱期は信教の自由化とともにさまざまな新興宗教が籏出し、「神々のラッシュアワー」と呼ばれた時代でもあった。
皇道治教がなぜ怪教といわれたかというと、この教団は信教のの自由を逆用し、宗教法人とう隠れ蓑のもとで
クリーニング屋、アイスキャンディー屋、宿屋はもとより、売春斡旋業までも宗教法人化して大がかりな脱税行為を行ったため、
検挙されて壊滅したからである。
その教団の生き残りに浦野耕牛(後に改めて晴弘)氏という人物がおり、浦野氏を師匠と仰ぐ人物が北野氏である。
その北野氏は桐山氏が皇道冶教の教団で修行していた時、ともに修行した仲であり、真言宗金剛院派を名乗って
後に姫路市本覚寺で開教している。桐山氏は昭和三十年十月、この本覚寺で得度した。と称している。
従って新興宗教のノウハウは浦野、北野、桐山と伝えられたと見ることもできる。