阿含宗という宗教1(501-1000)

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1口下手番長1
皆様へお願い
このスレッドは「阿含宗という宗教」の再現版です。
書き込みをなさらないよう、ご協力をお願いします。

「阿含宗という宗教」は書き込みが2000をこえたため、
現在読み込みができなくなっています。
そこでこれを分割して、再現しようという試みです。

阿含宗という宗教1(1-500)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=968997070

2名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:33
501 名前: 無明 投稿日: 2000/05/18(木) 00:16
「1999年カルマと霊障からの脱出」からの大河ドラマ、すごいですねぇ〜。
一気に読みました。
一時期教団に行っていた頃があるので、懐かしいなぁ。
当時は、超能力目当ての人と守護霊を持ちたい人と原始仏教というか仏教の本流に惹かれて来ている人(自分もかな)とTBSの番組でお護摩見てご利益求める人と、えらい熱気だったですね。
あっ自分はお金がかかるのと、教義に一貫性ないのがわかりましたからすぐ辞めました。
得意の超能力も当時でさえ怪しくてね。ぐもんじ飴とかさぁ。
ひとつ思い出した。確か布教用にビデオ撮りしてたけど、VHSではなくてベータ。
予知能力あるのなら、VHS選ぶはずなのに。(笑)

でも、桐山さんは特異なカリスマ性というか、ある種天才だったかもしれないね。
20年前から阿含経や原始仏典持ち出して、釈迦の教えの源流に戻れという一見まともな既成仏教の批判しても戦後何ひとつかわらねぇもんな、葬式仏教の連中は。
それによって独自性保てたわけだよ。
おまけに、オウムに吸収される信者の下地を造ったわけだし。
いずれにせよ大なり小なり、オウムの出現によって、日本からはある意味健全な宗教心が今後残っていく余地は絶たれたと思うんで、本質的な部分ではこの教団はもうおしまいだよ。

502 名前: >492 投稿日: 2000/05/18(木) 02:26
修行成就もなにも、修行そのものを
教えていないのだから
この質問パス!
のらりくらりと桐山氏、結局なにもおしえない。

503 名前: 暴力? 投稿日: 2000/05/18(木) 02:42
阿含批判するのに暴力に気をつけろとかいっている人いるが
どこが恐いんだ?
桐山氏殴ることは出来たり
卵ぶつけることもでき、こんなとこ辞める気になれば
なんてことないさ。恐いのは仲間はずれになることだろ
みかりんさんも思い切って辞めるときは
職員に卵ぶつけてやりなさいな!
すこしは反省しやがれと啖呵きって。

504 名前: なんかへん 投稿日: 2000/05/18(木) 03:12
なんかボードの調子がおかしいんですけど
また故障ですか?

505 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/18(木) 04:06
>492

桐山の元でクンダリーニ覚醒?したのは結局「麻原」だけか・・・。
求聞持法は一人もいない。
と言うことですか?

506 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/18(木) 07:52
>505
たぶんね

507 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 09:18
>502
あの〜σ(^◇^;)
聞きずらいんですが…
教わろうとしたの(笑)?

508 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/18(木) 10:13
求聞持法をきちんと習った人はホントに一人もいないの?

509 名前: 502 投稿日: 2000/05/18(木) 11:24
だから、元信なんだよ、いいじゃん別に教わろうとしても
人の勝手でしょう、興味あったからね。
>505、いや麻原や林郁夫でさえ教わっていないはず。
結局、教えたのは瞑想の基礎、数息観とか、そのたぐい
こんなのどこでも教えています。
求聞持法など習った人は一人もいません。
講義名だけギョウギョウしいですけど。
まあ、なんか阿含も普通のお寺みたいに先祖供養や墓苑経営
やるようになって、グモン持とか超能力、関係の信者は
もうホトンドやめているはずでしょう
もうこの方面は誰も見向きもしません。
今は中高年信者の先祖供養の宗教のようです。

510 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/18(木) 16:54
あと、八段錦法、独古の加持、四度加行、マーシャルアーツバレエ、
受け入れの秘儀・・・(以下省略)

念力の護摩の前段階であるところの「火界定」の伝授も、つい最近
あったようです。

本格的な修行の場、錬成道場での指導が待たれるところです。

511 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 18:23
イニ、ホナチヒ。イテ、ニケ鄂ノ、゚、ソ、、、ハ、ホ、ャ、「、熙゙、ケ、隍ヘ。「
、「、・マ、ノ、ハ、ウ、ネ、荀テ、ニ、・ヌ、ケ、ォ。ゥ
3名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:34
512 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 18:30
夏の伝法会って合宿みたいなのがありますよね、
あれはどんなことをやってるんですか?

513 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 19:51
>481 このクサレ坊主、箱根の千石原にどでかい別荘持ってるんだけど

ホントですか!以前、法話の時、古くて狭い家に住んでいるっていってましたが・・・。
そういえば、桐山さんは普段、どこに住んでるんでしょうね?
その別荘って箱根のどの辺ですか。7月頃、湯本に行くので見たい気がしますが?

514 名前: 元信者 投稿日: 2000/05/18(木) 20:48
十数年も前になりますが、当時さまざまな悩みを抱えていた私は、
派手な宣伝にだまされて入信してしまいました。
桐山氏がとんでもないインチキ野郎であることは、半年くらいで気付きました。
最近の動向はよく知りませんが、これ以上だまされる人が出ないように願って
やみません。

515 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/19(金) 06:53
>510 本格的な修行の場、錬成道場での指導が待たれるところです。

俺の友達20年前に入信したから待つの慣れてるって言うけど
もう、白髪になってきたよ。
果して、彼が生きている間に指導を受けられるかね?

516 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 00:32
実際のところ今何人信者がいるんだろう

517 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 02:33
>515さん
本人がいいっていうのなら、別に文句はいらないのでは?

インチキって、指導してくんないのをそう言えば言えないことも
ないけれど、一応、護摩たいて祈とうしてくれんだから
宗教としてインチキといえるかどうか、(それなりに霊験あったし)

桐山氏、ふだんは三田の関東別院にいます。
信者激減という人いますが、激減したのは超能力を求めて
入ったオカルト好きの若い連中で、きちんとした信仰をもった
信者はけっこういます。
名前だけなら30万人、実際に活動し、活発に動いている信者は
その十分の一ぐらいだと思います。

密教ブームも去り、昔のように異常に入信する人が多いという
こともなくなり、宗教批判もたかまるなか、最近はよく考えて
慎重に入信するかどうかきめる人ばかりです。
宗教団体としては安定期にはいったようです。

518 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 04:52
桐山は指導をしないのではない。
指導できないだけ。


519 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 04:54
桐山は求聞持法をどこで修行したのか?
この謎解きだけで彼の人格がわかるというもの。


520 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 10:56
桐山氏はもともと行者でして、各地の霊場をわたり歩いて
おりました。 昔は宗教家として当然のことでした
今の宗教家のような理屈だけでやっていたわけでは
ないのです。
京都、五社の滝、(昔、ここの管理していたおかみさんに桐山氏
のことを聞いたことがあります。いろいろ不思議なことがあった
ようです。)
目黒不動尊のお滝場とか大峰山の修験系、鞍馬、高野山
その他、仕事の合間に修行にでていたそうです。
80歳ちかくになっても、一日中動き回る、星祭り
(しかも、今年は病み上がり。)
若いころから鍛え上げているなということがよく分かります。


521 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 17:03
五社の滝のおばさん、僕には桐山は余り来ていなかったと言っていました。
目黒不動尊のお滝場は水量も少なく年取ったおばさんでも入れます。
大峰山の修験系、鞍馬、高野山 の話は古い幹部の人達は否定していました。
クンダリーニヨーガもやっていなかったし、それほど荒行もしていません。
この話には自信があります。
4名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:35
522 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/20(土) 20:33
>503
一部誤解があるようです。私はもともと結婚相手が信者で、自分の
意思とはあまり関係なく入信した形になってます。暴力に関しては脱会を
望むと夫にひどいめにあうとか、そういったことではないのですが。
でも関係ないことで喧嘩したとき、「愛だの慈悲の心だの言ってても実際は
冷たくて嫌な野郎だよね!あんな宗教やってても時間と金の無駄だから
辞めちゃえば!!!」と叫んだら鉄拳が跳んできたことはありました。
桐山さん、あんたの弟子は最低よ。

523 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 20:42
そういえば、苦行に出るといって刑務所にいっていた。
確かにそれも彼にとっては苦行かもしれないけれど。

かの有名な「行に立つの記」ね。

餞別まで受け取って、1年間霊山霊場へ修行に行くと宣言したとは・・・。
彼の霊山霊場とは、実際には「千葉県習志野刑務所」でした。
ちなみにこの時期が求聞持法の修行時期と重なるのね。
「行に立つの記」によれば滝行の修行は1年間、日常生活と仕事の合間に
ちょこっと出掛けての1年間ですよ。
一体何回行ったんだろうね。
夏だけだったりして。
水浴びに。(笑)524 名前: ラージャ 投稿日: 2000/05/21(日) 03:45
>520
>今の宗教家のような理屈だけでやっていたわけでは
ないのです。
京都、五社の滝、(昔、ここの管理していたおかみさんに桐山氏
のことを聞いたことがあります。いろいろ不思議なことがあった
>ようです。)

>若いころから鍛え上げているなということがよく分かります。


??
それが宗教と何の関係があるのでしょう?
あなたがそういう嘘を信じている、というのはよくわかりますが
私のような無信仰かつ無宗教の人間でさえも、
100歩譲ってその通りだったとしても、
それが宗教と全く全然何の関係も無い、ということくらいはわかりますが。

525 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/21(日) 19:43
滝の行は古くからの伝統的な修行方法です。
それはそれでそれなりの成果はあるのでしょう。(説得力がないのは自覚してます)
ただ、桐山の場合はろくにやってもいないことを真剣に沢山やったと嘘を並べるから
「詐欺」的なのです。


526 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/23(火) 22:43
>512
だんなに訊いたら、「えー、まず如意輪法をやってー・・・」
とかで、後は思い出せないらしいです。この「夏の伝法会」かは
私も忘れたけど、チャクラを開発するなんて言って、尾てい骨の先あたり
(要するに肛門のうえ)にピップエレキバンみたいなのを貼って帰って
来た事があった。何やっとんじゃ、いったい。。。???


527 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/24(水) 09:48
>526
随分高いピップエレキバンでしたね・・・。
5名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:36
528 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/24(水) 23:55
>随分高いピップエレキバンでしたね・・・。
どわははは!と思わず笑ってしまった。いやいや、楽しんでる
場合じゃないね。一回5万円なーりーー。合宿中は、南青山のあるお店から
豪華(うそ)懐石のお弁当が届くそうです。
このスレ見っけてからやたらと私が阿含のこと訊くんで、「やっと真面目に
修行する気になったか・・」などと思っているらしい。
本当は今、持ち帰りの仕事を片付けなきゃいけないんだけど、サボって
書き込んでます。
ヌマエビさんって医学の知識も相当ですが、もしかして林郁夫が正体?
なわけないって。失礼しました。我ながらさぶー。
そういえば林受刑者、文芸春秋から本出してたね。ちょっと立ち読みだけで
買ってませんが。
彼が元勤務していた病院内では(彼が)阿含宗信者であることは広く
知られていました。職員や患者からの信頼も厚く、活動のためのカンパ
を募ると(もちろん職員だけ)皆こぞってお金をだしたそうです。
「あの林先生が信じているものなら間違いない」と言いながら。
オウムに入信してから少しずつ歯車が狂いだして。ついには病院の講堂に
「研修」とか偽って職員を多数集め、のちに大事件を起こすことになる幹部たちを
招き入れて「食後に塩と水を飲んで食べたものを吐く(だったかな???)」
食事法を皆に講義した。これが当時の院長の逆鱗に触れ、結局「オウムの病院に
行く」と辞めてしまった。愛人を含め何人か一緒に入信し出家していった。
ちなみにあの愛人とは夜の心電図室でデートするのが常だったそうです。


仕事しよ。

529 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/25(木) 10:07
>ちなみにあの愛人とは夜の心電図室でデートするのが常だったそうです。

「不適切な行為」ですな

530 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/25(木) 13:38
私もかつて知人に紹介され、阿含宗に騙された愚かものです。
脱会してもうかなり経ちますが未だに精神的なダメージが大きいです。
>みかりんさん とても大変ですね....旦那さんは信徒暦が長い分、
マインドコントロールを解くのは容易ではないかもしれないです....
でも、みかりんさんもどうか旦那さんを力いっぱい支えてあげて
早く社会復帰させてあげて....人事ではない話なので見ているこっちも
辛いです。
騙された私がいちばん悪いんですけど....阿含宗にはもう許せない気持ちで
一杯です。
もう阿含の皆さん、飯屋ごっごはいいかげんに止めましょう!!

531 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/25(木) 21:32
>530
救いを求めて入信したあなたが愚かものなら、結婚相手に
選んでしまった私はもっと愚かだね。
だいぶ傷ついちゃってるようだけどさ、過去は過去って割り切れない
もんですかね?前だけ見て歩きましょうよ。
目が覚めて、脱会できただけでも偉いって。

結構いろんなレスをもらえるんで、一つ一つ参考にしてる。
一生懸命決定打になるものを自分で考えてんだけど、
まだ見つからない。
今までは最新レスしか見なかったんだけど、昨日仕事を
サボるついでに全部読んだら管長について
沢山の醜聞が出てきた。仮にだんながこれ読んでも「くだらない
誹謗中傷」と信じないだろう。仏陀の法とかいろんなの
あるけど、全部体得したって言ってたよ。一応「先達」だって。

532 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/25(木) 21:42
まだ、うだうだやっているんだ!
だから、職員殴ってやめちまえよ
大騒ぎになってダンナも目がさめるだろ
いまさら桐山氏の醜聞だって
こんなの昔から言われていることじゃねえか
調べもしないで信者になるおろかもの
信者になるんだったら覚悟きめな!

533 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/26(金) 07:13
なにはともあれ、阿含宗からオウムに行かなかっただけ良かったですね


534 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/26(金) 16:09
>なにはともあれ、阿含宗からオウムに行かなかっただけ良かったですね

どういたしまして。
6名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:37
535 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/26(金) 17:16
>みかりんさんへ

 長いこと宗教団体で熱心に活動された方にどうやって家族が対処
したらいいか?ってかなり難しいと思います.依存する人にはその
人なりの(本人も気がついていないような)理由があるので.ただ,
反対しても返って逆効果になることもあると思います.その点から
言えば,最初は相手が何を考えて熱心にやってるのかを良く知るこ
とが肝心かもしれません.

 後は,カルト脱退者のカウンセラーなどに相談するとか.

 スティーブンハッサンの書いた「マインドコントロールの恐怖」
等は参考になるかもしれないですね.

 カルト脱退者のHPがあるので参考になると思います.
 たとえば,下記のHPです.カルトの呪縛から脱出するための
指針などをまとめています.結構,有名なHPのようでリンクもある
から役に立つかも知れません.オウム裁判に江川紹子氏と出席した
感想記等もありますね.カルトにのめり込む人の心理が分かるかも
知れません.

 http://www.ne.jp/asahi/cult/kyongja/


 また,日本弁護士連合会が「反社会的な宗教活動にかかわる消費者
被害等の救済の指針」をまとめていて,下記のHPから自分のパソコン
にダウンロードして印刷できます.

 http://www.nichibenren.or.jp/sengen/iken/9907-02.htm

 また,弁護士の後藤氏のサイトにカルト関係の様々なリンクがあり
カルト被害者向けの書籍の紹介もされているので参考になると思いま
す.

http://homepage1.nifty.com/kito/

阿含宗は統一教会,オウム真理教,法の華などと比べて法に引っか
かるほどのことはやらないようなので,なかなかご家族の対応も難
しいと思います.持久戦だと思うので諦めないで頑張って下さい.

536 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/26(金) 18:34
結局のところダンナが阿含宗を信仰しているってことが
気にくわないわけだろ。
なんでつきあいで入信してしまったんだ?
たとえ夫婦でも信仰の問題は個人的なものだ
夫婦で違う信仰もっている人たくさんいる。
まあそれはさておき裁判おこしたら?
阿含の真相がハッキリしていいと思うぞ!
反阿含にしても、信者側にしても
嘘とホントがわかるだろうから。


537 名前: 535の続き 投稿日: 2000/05/26(金) 20:16
みかりんさんへ.

誤解を招くかも知れないので,一応お断りしますね.
弁護士会の資料を紹介した理由は離婚や裁判をお勧めしているわけ
ではありません.念のため.

535で紹介したHPを覗くと,

(1)カルト脱退者の解説した脱カルトの方法
(2)カルト信者やカルトの被害の実態および法的な対応の仕方
(3)カルト信者の心理

などが分かり易いので,参考になると思ったので紹介しました.

阿含宗の場合,法的訴訟には馴染まないでしょうが,一歩間違え
ると裁判沙汰になってもおかしくありません.弁護士会の資料は,
一歩間違えたカルト信者の強引な勧誘や被害の実例があるので,
色々と参考になるかと思います.

以上,お断り.

538 名前: 530です 投稿日: 2000/05/27(土) 07:44
私の場合、金銭的被害は軽佻でしたが(貧乏学生だったもので)
精神的被害がとても甚大です(現在進行形)
霊障だとか因縁だとか、インチキだと分かりつつもつい頭の中を
よぎってしまうような.....ほんとうに精神的にレイプされた気分
です。
でもこのスレッドに出会ってかなり吹っ切れた気がします(2chに救われるとは..笑)
>みかりんさん あなたの旦那さんは本当に依存症がひどいですね...もう今更
阿含宗を捨てられない、いや捨てれば自分自身が自分で無くなってしまうくらいに
中毒なんですね...でも誰よりも傷ついているのは旦那さん自身であり、そして
だれよりも脱会が必要なのも旦那さん自身なんです....。
みかりんさんも大変だと思いますが、必要ならば専門家に相談したりして
ご主人を救ってあげて....あなた自身のためにも。

阿含宗からオウムに行かなくて良かったねと言うレスがありましたけど
私はそこまでアホじゃないで〜す(爆笑)
7名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:38
539 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/27(土) 08:21
結局、依存中毒になってしまうことが問題なんだな。
なにが問題の原因なのか、自分自身を見つめることが
大切なことだと思うよ。
原因を他の別な物にもとめ、霊障だとか因縁だとかに
なすりつけているんだな。(霊障・因縁が原因の場合もたしかに
ある、とワシは考えるが、それに対応することをしても効果が
なけりゃ、原因はべつのもんだろう)
なんでも霊障とか因縁のせいにするのはやめてほしいわ。
自分の性格が悪いとか色々あるだろうに。
みかりんさんのダンナさんが阿含宗ということならば、そうだね
自分自身を見つめなおすような瞑想とかすすめてみては?
(瞑想を重視しているみたいだから)
気ずき、がおきれば好転すると思う、でも本人のやるきしだいだな

オウムじゃ霊障とか因縁とか説かないはずだ、麻原が元阿含に
いたからといっても、かなり内容は異質なところがある。
オウム信者に対応するのとは別なことが必要な気がする。


540 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/28(日) 08:41
みかりんさんへ

場合によっては離婚も選択肢のひとつとして考慮しておいた
ほうが、いいかもしれませんね。まぁ、暴力も程度の問題が
あるでしょうが。

結局、ダンナ様は自分の中の砂のお城を壊されるのがイヤな
ワケでしょうね。そのテの奴、おおいです。

どんな宗教、あるいはコミュニティでも、「光」と「影」が
あるんだから、自分にとっていいように取捨選択していけば
いいものを、全てを大肯定しようとするとどうしても無理が
でてくる。

幻想をぶち壊すのが、宗教だって気がしますが。

536さんの
>夫婦でも信仰は別問題ってのは、正鵠を射てますね。
僕もそうおもう。アタリマエです。いまさら言っても仕方
ないんで、貴方が幸せになるための選択肢のひとつとして
お考えください。
                  敬具

P,S,
あ、そうそう、滝行については自分で実際にやってみないと
どうこう言えるものではないでしょう。関東では高尾山の
琵琶滝が有名です。滝打ちの指導もあります。

541 名前: 南人 投稿日: 2000/05/29(月) 16:49
申し訳ない。ここに書き込んだつもりが新規書き込みになってるみたいで。

ほんで、僕は阿含宗の信者です。でも、会費を払っていないので(笑)、どうなるんだろ。
桐山管長に解脱供養をあと20回ほど申し込むつもりです。金かかるねー。
でも、僕の気が済めばそれでいいんです。
確かに桐山管長の本にはいろいろ矛盾がある(笑)。

今年じゅうに、色情の因縁を断ち切って、すべて無くしたいと思ってる(笑)。
洗脳されすぎ?542 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/29(月) 17:12
俺も新規書き込みにコメントしちゃった。まぁいいや。
宗教って、時代が下るにつれて尾鰭背鰭がついてくるから。
あるいは伝言ゲームみたいなもの。いろいろ矛盾はあるで
しょうね、確かに。

貴方が納得いくようにいろいろ勉強してみたらいかがですか(阿含にかぎらず)

543 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/29(月) 19:11
うちの旦那も信者です。
結婚する前から知っていたけど、熱心な信者てなほどでもないみたい。
小さいお賽銭箱みたいのに、お金入れてていっぱいになったら封筒に入れてるけど
送らないみたいだし、桐山管長とやらをあがめてる訳でもない
ただ毎日千座行とやらを15年以上、朝一か寝る前にやっています。
私は、宗教とかはまったく信じていません。
本当は、辞めて欲しいんだけど、無理そうなので黙認しています。
千座行って終わりはないのかなぁ
桐山管長が亡くなれば辞めるのかなぁ
8名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:38
544 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/29(月) 19:51
>桐山管長が亡くなれば辞めるのかなぁ
543さんのダンナ様タイプは辞めないでしょう、おそらく。
回りのコバン鮫連中はどういうリアクションを示すのか、今から
楽しみですな。

さして家計を圧迫しないのなら、現状維持でよろしいのでは
ないでしょうか。

どうか、ご主人を大切になさってください。もちろん、赤の
他人にとやかく言われる筋合いのものでは、ないでしょうが・・・。

545 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/29(月) 23:07
なんか、結構反響大きくて、びっくり。でも様々なアドバイス、いただけて
多謝、多謝。これからはホント、長期戦ですね。
恋人でも夫婦でも、もちろん相手の信教の自由は保障すべき。
そう思って特に気にもとめずに結婚した。彼は「お前の悪い因縁を切って
幸せにするために(入信の)手続きをしておくから。」と言った。
ま、私のためを思ってのことだから・・・てなもんだった。
その後は別に会合に参加するわけでもなく、テキトーにながしてた。
子供が生まれてからかな、だんだんうっとおしくなってきたの。
とにかくそんな彼だから、子供に何かあったら困る・・・と
それまで以上に金をかける、かける。子供一人につき
二体も三体も下りて来るもんだから、いったいいくらかかったんだろ?
それで私がPCやネット始めると「金の無駄」と大文句。
じゃかーしい!これやってるお陰で仕事に重宝してるんだよ!
だいたい私が優雅に専業主婦やってらんないのは
なんのためだと思ってんのよう。。。

多分これからはだんなだけでなく、自分自身を見つめ直す必要を
今強く感じています。ここへ来て自分のいい加減さとか
色々浮き彫りになってきたような気がします。


546 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/30(火) 06:56
あ、そうそう、滝行については自分で実際にやってみないと
>どうこう言えるものではないでしょう。関東では高尾山の
>琵琶滝が有名です。滝打ちの指導もあります。

ほとんどのまともな修行者は高尾山では蛇滝に行きます。
水量も多めですし、そばに山小屋もあります。
五社の滝などとは比較にならない厳しさです。
観光なら知りませんが行場としては関東では蛇滝でしょう。


547 名前: ラージャ 投稿日: 2000/05/30(火) 07:35
>540
>幻想をぶち壊すのが、宗教だって気がしますが。

幻想をぶち壊す、という幻想を作るのが宗教だって気もしますが(笑)。

>P,S,
あ、そうそう、滝行については自分で実際にやってみないと
どうこう言えるものではないでしょう。関東では高尾山の
>琵琶滝が有名です。滝打ちの指導もあります。


体を鍛えたり、滝に打たれて精神修養を積むのが悪いことだとはいいませんが、
そういうことの結果として、いわゆる霊能力とか超能力とかが、
仮にもしも、ですが、本当に発現することがあるとしても、
それこそ、そんなくだらないことにいったい何の意味があるんだろう、
と思いますね。

やっぱりインドにいったときの話をするべきかな(笑)。

548 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/30(火) 08:39
>やっぱりインドにいったときの話をするべきかな(笑)

どうぞ御遠慮無く。誰も止めませんから。

だいたい話の先は読めてますよ(爆笑)

549 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/30(火) 08:45
>546さん、よく御存じですね。

蛇滝を引き合いにするのもあまり一般的でないと思ったもので。
琵琶滝の道場長にはあまり見せたくないコメントですが(笑)
9名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:39
550 名前: ぶっせん 投稿日: 2000/05/30(火) 10:59
いつのまにか、最近は冷静でマトモなコメントがついている!
いままでは桐山氏への悪口ばかりで、阿含宗信者あるいは
自己に対して信仰のありかたとか修道に対しての意見とかは
かきこする人あまりいませんでした。
(スレッド立てた人がまあ醜聞集め目的だったからでも最近
訪問していないんだよな。)

ぐもんじさんやラージャさんの滝行体験談とか修行談聞きたい
です。(まあ、阿含宗とは関係ないんだけれど。)

南人さん、なんか変ですね供養だけでなにもかも問題解決
するわけないでしょう。 まあ心から御先祖を供養したいと
いう気持ちでやるんだったら他人がどうこう言う筋合いは
ないですけど・・・。

543のかた、千座行は10年以上前に廃止になったはずです。
(当時、本尊が準堤尊から仏舎利様に変りゴタゴタした。)
もう御主人は阿含宗の信者というよりは自分の考えで修行
しているのでは?
文面からはたぶん会費も納めているとは思えません、
信者はやめてしまっていると思われますよ。聞いてみられたら?

551 名前: 543 投稿日: 2000/05/30(火) 13:52
廃止になってるんだ 知りませんでした。
会費は納めてるかどうかはわかりませんが、
月何回か阿含宗から封書のようなものはきています。
あと数年前に棒に飾りがついてて名前と裏に××××修法成就
とか漢字が書いてあるものが送られてきて、
千座行の時にそれを振っているようです。

子供達はまだ小さいから父がなにをしているか全く
わかっていないけど、できればやめて欲しいと思っていました。
廃止になっているのでは、何故まだ続けるのか
それとなしに聞いてみようと思います。
552 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/30(火) 19:10
私が観音慈恵会にいた当時は滝行といえば、目黒不動と五社の滝が相場でした。
でも蛇滝の厳しさと比べれば誰が見ても子供だましですよね。
つまり
桐山の修行など「子供だましの荒行?」ということです。


553 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/30(火) 22:07
552さんと546さんは同じかたでしょうか?まぁそれはこの際
関係無いかも。

僕は別にお滝場の優劣をつける気は毛頭無いし、例えば琵琶滝で
あれば毎月28日のお不動さんの縁日に集まって、先生に気合いを掛けて
もらって行をするワケですよね。

それはそれで素晴らしい事なんじゃないでしょうか。

あの日にしかお滝を受けないひともいて、道場長さんは
「他の日にも来て自分でお滝を受ければいいのに」って
言ってましたが、裏を返せばそれだけ信頼関係ができて
いるのでしょうし。

滝行=霊能力・超能力目当て、でしょうか?

加持祈祷を生業にしているかたならともかく、我々一般
ピープルはまた違ったスタンスが、各人各様にあるんだ
とおもいますよ。

宗教的行為の規定は誰にも出来ないでしょう。

また、滝行はかならずしも「ガマン比べ大会」である必要も
無いでしょうし。

もちろん、552さんが誠実に行をなさっているのは、
文面から容易に判別できますよ。

554 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 00:22
桐山さんは「私ほどの荒行をやった人はいない。釈尊以来だ」と昔言っていました。
本当はどうなんでしょうか?


555 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 00:27
>滝行=霊能力・超能力目当て、でしょうか?

そう思ってやっている人は多いと思いますよ。
僕の友達で、本山さんが滝場で転んでクンダリーニを覚醒したからと
転ぶことをいつも期待していた奴がいましたもの。(爆)
10名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:40
556 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 01:03
>555
いつの時代もそんな輩がいるもんだな

557 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 02:50
>522
このひと桐山氏個人の行の「子供だましの荒行」とやらを
見たこともないくせにいちゃもんつけていやがるんだぜ!
信者用のタキギョウやったということと
ただ桐山が嫌いという理由だけで
べつに桐山氏の元内弟子というわけでもあるまいに
目黒でタキギョウしたという自信と想像だけで言ってるのさ
お子様用でもオトナ用でもドーデもいいことだと思うけど。


558 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 02:58
>544さん
まいどの大袈裟なたとえです。
あまりマジで受け取らないように!
まあ、でもそれなりに荒行はしたんじゃないでしょうか?
死にぞこなってもまだピンピンしてんだから。

559 名前: ぶっせん 投稿日: 2000/05/31(水) 03:20
>543さん
ちょとわからないですね?
棒にかざりのついた××修法成就というのはたぶん星祭り
の御札かと思われます。
これを振り回してするお祈りなど聞いたこともありません。
これは神棚や仏壇におまつりする物であって
手に持ってなにかするもんじゃありません。
封書というのはたぶん行事のお知らせかと思われます。
会員やめても自然退会(退会届けを出さないままやめること)
の場合送られてくることがあります。
なんか自己流の修行なさっているみたいですね。

560 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 04:00
>死にぞこなってもまだピンピンしてんだから

ホントに死にそこなったんでしょうか?
その話も「まいどの大袈裟なたとえ」かもね。561 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 04:05
>目黒でタキギョウしたという自信と想像

あんなとこじゃ到底「自信」などつかないでしょう。
水浴びかシャワー程度だね。

桐山本では京都の五社の滝がよく出てくるけど、そこも似たようなもの。

まあ、刑務所での求聞持法修行?の方が余程彼にとっては「荒行」だろうね。
オカマ掘られる危険付だしな。(笑)562 名前: ラージャ 投稿日: 2000/05/31(水) 08:00
>548

誤解のないように付け加えておきますが、
私は別に滝行そのもののことをとやかくいうつもりはあまりありません(笑)。
問題は、そのことをなにか宗教的なことと結びつけたり、
あるいはそうでなくても、とにかくなにか特別なこととして意識することでしょうね。
誰かがアスレチックジムかなにかに通って自分を鍛錬したとしても、
確かに健康に良いだろうし、それなりに精神修養になるとは思いますが、
仮に、そのおかげで病気が治ったり、健康を取り戻したりしたとしても、
誰もそのことを宗教に結びつけたりはしないでしょう?

>550
>ぐもんじさんやラージャさんの滝行体験談とか修行談聞きたい
です。(まあ、阿含宗とは関係ないんだけれど。)

別に私はいままで何かの修行や瞑想をしたことはありませんし、
何らかの宗教を信仰したり、どこかの教団に属していたことも全くありません。
ヨガとか心理学とかに、それなりに興味を持ったことはありますが、
それも小学生のころの話で、桐山密教を本で知ったのも中学生のころです。
もちろん、高校に入る頃にはそういうこと全般に徐々に興味がなくなり、
社会に出てからは、人とそういう話をすることさえなくなりました
(現在30代半ばです)。
たまに(こういう場所で?)、いまだにクンダリーニがどうこうとか
そういうのを信じてる人がいると、ちょっと信じられないというか
一言いいたくなってしまう、という感じですかね。

インドの話は、その内容を本当に理解してもらおうと思ったら
予備知識も必要だろうし、長くなりそう(軽く1冊の本になる)
なのでやっぱりやめときます(笑)。
ただ、こういうこと全般(精神世界系?)のことでは、
単に本で読んだ知識以上の個人的な体験はあるのでコメントしてみただけです。
11名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:42
563 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/31(水) 19:21
555さんの本山さんのエピソード、初めて聞きました。ナイスなネタ話
ですね(笑)お友達の話と似たようなおマヌケなエピソードを聞いたこと
ありますが、アブナイのでヤメときます。

あそこと阿含とも結構ひとの出入りがあるらしいんで、そのテのオカルト
オタッキーの一群だけ見ればそうでしょうが、それとはまた違う人たちの
事を言ってるわけで、そのへん、お含みおきを。

「貴方はクンダリニーの覚醒を目指して行をなさっているんですか?」

なんて聞いたら、目がテンになっちゃうんじゃないですか。普通の
オバサンに。なんか、家庭内の問題で願かけしてるとか、そんなとこ
でしょう。まぁ、イチイチ聞かないですが。

僕は滝行によって霊能力・超能力が発現するとか、クンダリニー云々
って話、しましたっけ?記憶に無いなぁ・・・。

BBSでは相手の発言をよく読んでコメントしないと、無駄なやりとり
が多くなりますな。

お滝場で滑って転んでクンダリニー覚醒を目指すのが、宗教と関係あるん
でしょうか?僕にはわかりません。お友達に聞いてみてください。>555さん

ムー世代の病根は、かなり深いものがありますね・・・(いろんな意味で)

564 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/31(水) 20:19
>562

>ただ、こういうこと全般(精神世界系?)のことでは、
単に本で読んだ知識以上の個人的な体験はあるのでコメントして
みただけです。

ここんとこがイチバン言いたかったワケね。

あい、わかりた(カビのはえたギャグ!)565 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 20:37
>お滝場で滑って転んでクンダリニー覚醒を目指すのが、宗教と関係あるん
>でしょうか?僕にはわかりません。お友達に聞いてみてください。>555さん

傍から見ていて滑稽でも本人は悟りと関係あると思っているらしいですよ。
わざわざ氷の張った日を選んで滝に行くくらいですから。(運良く滑る事を期待して・・・)
こんなのも<桐山&本山>関連書籍の影響らしい。(笑)


566 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 23:25
「氷を割って滝に入る」これが桐山大先生の口癖だった。


567 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/01(木) 02:39
「深い定に入る」これが桐山大先生の口癖だった。


568 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 02:56
「ん〜マンダム」これがブロンソンの口癖だった。

569 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 02:59
「てめえら人間じゃねえ!」これが破れ傘大先生の口癖だった。

570 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 03:02
「ガンダムいきます!」これがアムロの口癖だった。

571 名前: ラージャ 投稿日: 2000/06/01(木) 04:51
>あそこと阿含とも結構ひとの出入りがあるらしいんで、そのテのオカルト
オタッキーの一群だけ見ればそうでしょうが、それとはまた違う人たちの
>事を言ってるわけで、そのへん、お含みおきを。

オカルトオタッキーでないけど滝行してる人ってどんな人?
趣味でやっている、というなら話は分かりますが、
もしも仮に、何らかの功徳を求めて、あるいは修行の一種としてやってる、
というなら大同小異だと思いますが。

>僕は滝行によって霊能力・超能力が発現するとか、クンダリニー云々
>って話、しましたっけ?記憶に無いなぁ・・・。

私があなたに対してあなたが個人的に霊能力・超能力が発現するとか、クンダリニー云々
って話をしました、って話をしましたっけ?記憶に無いなぁ・・・(笑)。

>BBSでは相手の発言をよく読んでコメントしないと、無駄なやりとり
>が多くなりますな。

まったくその通り!よく読みましょうね(笑)。
ほかの方はちゃんと意味が分かってるからそれなりにフォロー
入れてくれてるみたいですけど。
12名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:43
572 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/01(木) 23:50
求聞持法を言い始めて早30年になろうとしていますが、
桐山の弟子で誰か成就した人はいるんですか?


573 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 00:00
今日京浜東北線の窓から外を眺めていて気づきましたが、
銀座阿含ビルなんてのがあるんですね。
目立ってますね。いくらかかってるんでしょう。

574 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 02:17
いくらかかっているんでしょう。ときましたか
なんのためにあるんでしょう?というのなら、まあ
わかりますが、宗教に対する関心など
そんなもんでしょうね。

575 名前: ぶっせん 投稿日: 2000/06/02(金) 03:02
>ラージャさん
行にかんしてなんかへんなかんじなので
滝行する人々はオカルトオタッキーの人たちだったんですか?
そんなこと初めてききました。
滝行のイメージからすると、行者さんとか祈とう師などを
思いうかべます。また真剣に行に打ち込むイメージを。
とてもムーだとかを読んでいるオタッキーが滝行するとは
思えないのですが、行と名が付くからには遊び半分で
するようなもんだとは思いません、たとえ目黒の小さな滝でも
つまりは精神の問題かと思うのです。
修行とは何か、勘違いしていませんか?
なにか御利益とか御褒美をもらうこと、迷信にすがりつくこと
訳の分からない我慢比べをすることを修行だと。
修行とは修めみがくこと鍛え練ることとあります。
なにを修め鍛え練るのでしょうか?
私は心、(意念、情緒)だと思います。
そういう意味ではスポーツなども修行になりうるかと
なぜ体をつかうのか、健全な体に健全な心がやどると言うでは
ありませんか。屈強な体に強靭な心がやどる。
そういうことなのでは?
趣味・・・趣味でたのしむだけでは行とはいえないのでは。???
13名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:45
576 名前: ラージャ 投稿日: 2000/06/02(金) 04:14
>575
うーん、かなり誤解があるみたいですね。
正直言って、別にあなたと論争しようとか、
私の考えをあなたに押しつけよう、とかは思っていません。

ただ、こういう場で話をするときに重要なことの一つに、
言葉の定義の問題とか、
その言葉が誰に向けられたものなのか(このスレッドの性格を思い出してください)、
などを考慮する、ということがあると思うんですよ。
で、そういう意識であなたの発言を読むと、
あなたの言う修行という言葉と、私の言う修行という言葉では
最初から言葉の定義の仕方が違っているようです。
辞書に載っている意味が言葉のすべてではありませんから。

>修行とは修めみがくこと鍛え練ることとあります。
なにを修め鍛え練るのでしょうか?
私は心、(意念、情緒)だと思います。
そういう意味ではスポーツなども修行になりうるかと
なぜ体をつかうのか、健全な体に健全な心がやどると言うでは
ありませんか。屈強な体に強靭な心がやどる。
>そういうことなのでは?

つまり、あなたは「修行」という言葉をそう定義している、ということですよね?
で、前回の私の発言をもう一度注意深く読んでもらいたいのですが
「もしも仮に何らかの功徳を求めて…」というただし書きを添えてあります。
つまりそれで意味をかなり限定しているつもりだったのですが…。
また、私は、体を鍛える、精神修養をする、ということが悪いことだ、
というようなことも一言も言っていませんし(過去ログを参照ください)、
あなたが言うように「スポーツも修行たりえる」というのなら
私も全面的に賛成です。ただし、そのことが
宗教の本質(ここでも言葉の意味に注意してください)
とどれほど関係があるか、というのは相変わらず疑問ですが。

>趣味・・・趣味でたのしむだけでは行とはいえないのでは。???

これに関しては完全に見解の相違ですね。
たとえば私の友人に山登りが好きなやつがいて、
趣味として登山を楽しんでいます。
でも、実際に山に登れば、それなりに自然にふれたり、おいしい空気を吸ったり、
それなりに宗教的な体験(ここでも言葉の使い方に注意(笑))をすることがあるのですが、
当の本人はいわゆる宗教(ここでも注意)には全く全然関心のない男なので、
自分が体験したことを、山はやっぱいいよねー、とかそんな言葉でしか表現できなかったりします。
っていうか、普通はそれが私にとっての健全な宗教性(再び注意喚起)の発現であって、
もしもその友人が山岳信仰かなんかにとりつかれて、山のバイブレーションがどうこう、
とか、この山には何々の神様がいてどうこう、とか、そういう怪しいことを言い出したら、
目を覚ませ、と忠告する事でしょう(笑)。
実際、ある種の心理学の一派では、かなりの人が、はっきりそう言わないだけで、
マラソン(ランナーズハイ?)とかスポーツ、音楽などを通して
それなりに宗教的体験(注意喚起)をしている、とかの報告をしているようです。

また、修行、というものに対して持っているあなたのイメージについてですが、
私の中では、申し訳ないのですが、
そのあなたが言うところの「真剣に行に打ち込むイメージ」
というものが、そもそもの最初からやっぱり感覚的に良いもの、だとも思えません。

たとえば禅宗の一部の人たちは、
よく「ただ座れ」と言うのだそうです。
で、座るのが(すなわち座禅を組む)修行なのか、と思うと、
いや、ただ座るんだ、とこう言うそうです(笑)。
さらに、じゃあ座ってなんになるんだ?なにか得るものでもあるのか?
と聞くと、
「いや、得るものなんか何にもない。むしろ日々失っていくんだ」
と、まあこういう風に答えるらしいです。
私は禅宗の人間ではないし、その方面に詳しい訳ではありませんが、
それでもこういう話には非常に感銘を受けるほうです。
まあ、なぜ感銘を受けるか、とかなぜ真剣に行に打ち込むのが好ましくないのか、
というのはそれなりにちゃんとした理由があるのだけれど、
説明すると止めどもなく長くなりそうなのでここら辺でやめておきます。
今はただ、何となくでもいいから、
その感覚だけでも感じっとておいていただければ幸いです。
14名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:46
577 名前: いいかげんにしろ 投稿日: 2000/06/02(金) 09:53
まだやってんのかお前ら!!
この阿呆宗の基地外シンパどもが!!
てめーら一生桐山のクソジジイに騙されて全財産
つぎ込みやがれってんだ!!

アホ基地外信徒と誇大妄想ボケ老人桐山靖雄まとめて逝ってよし!

578 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 11:14
はあ〜?
べつに別にラージャさんとかは信者でもシンパでも
ないと思いますが(文面から見て)。
信者の人も全財産つぎこむ過激な人は2chなんか見ないと
思いますが、それに今話題になっているのは修行に
ついてで、あってアゴン桐山氏についてはあがっていませんが
そんなに嫌いなんですか、
あんがい貴方オカルトおたくで勘違いしてアゴンにつぎこんだ
くちじゃないの・・・かわいそ・みじめですね。


579 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/02(金) 20:01
水子供養を流行らせた張本人も桐山だってね。
サスガ商売人!


580 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/03(土) 06:15
・・・副管長が5月30日に亡くなったそうです。
どーも「癌」らしい。いつから患っていたのかは知らないけれど、
「管長が酒断ちして一生懸命拝んだら、進行癌だと言われていたのが見事に
治った」はずなのに。
「酒断ちした」って、これじゃ一般信者以下。581 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/03(土) 06:43
>・・・副管長が5月30日に亡くなったそうです。

副管長ってたしか娘じゃなかったでしたっけ?
さてさて今度はどんな言い訳をするのでしょう。


582 名前: 妻 投稿日: 2000/06/03(土) 07:51
http://mesh.asahi.com/0602/news/condolences02003.html

583 名前: 577です 投稿日: 2000/06/03(土) 09:31
>578さんへ   ごめんねついカッとしてしまって....ははは
みかりんさんが家庭のことで苦しんでいるのにここのみんなはクソ
の役にも立たない怪しい修行の話ばっかり、それでついむかついちゃった。

でも578さんもこんなとこ見ているんだから貴方もカルト汚宅なんじゃないの??
はははは よって578さんには栄誉あるモナーの称号を与える!

   おまえモナー

584 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/03(土) 09:33
>580
それ20年前のはなしでしょう。
治ったといってももう年なんだから、いつ逝ってもおかしくは
なかった。人間不死でいられるわけない!
みかりんさんか、あんがい御主人のことで真剣になやんでいる
お方だと思っていましたが、結局、阿含をけなしたかっただけでしたか・・・。
俺は桐山氏が先に逝くもんだと思っていたが、悪運が強い。

585 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/03(土) 09:47
>583、584
ここは、みかりんコーナーではありません。
論議かさねて解決すんのか?
ただ不満と鬱憤をはきだしているだけじゃねか!
弁護士に相談するなりしてんのか?
ほんとに解決する気あんかのかね
副管死んだからどうこう言うより自分はどうなんだ?

586 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/05(月) 19:51
あげ

587 名前: はちべえ 投稿日: 2000/06/06(火) 20:20
あげてーーー

588 名前: 最低たよ 投稿日: 2000/06/07(水) 01:04
阿含宗恨みつらみ山ずもり!!やられたよ、私は難病になってそんな時信者の
おお馬鹿野郎にそそのかされて何十万も騙し取られました。親切のつもりかしんない
けどいい迷惑なんだよ!!金返せ詐欺集団め!!なんであんな宗教に染まるの?
供養とか言って金ばっか取るくせに。いんちきもいいトコじゃない?!
あんな所消えて無くなれ、桐山早く死んで(絶対地獄行き)
15名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:47
589 名前: あっち 投稿日: 2000/06/07(水) 02:57
平河出版という出版社が阿含宗系だと聞きましたが、

そこの本を読むというのは、やはり危険なのでしょうか?

590 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 04:26
>589
 翻訳とか結構良い本も出していますね。
 ソレが逆にイヤなんだけど (^^;)。

591 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 07:17
>588
私は健康を取り戻しました。
食養生の指導などもしてくれて感謝しています。

592 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 07:28
副管長が逝去された。
堤たちさん、このかた阿含宗の副管長としてよりも
平河出版社社長としての業務のほうがメインでしたのでしょう。
宗教に偏ること無く良い本も出してくれました。
ご冥福をお祈りいたします。

593 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 18:08
御宝塔の処分方法

以前、何人かの元信者から手元に残っている御宝塔をどうしたらよいか、
という投稿がありましたが、「仏教情報センター」に送れば、処分してくれると聞いたことがあります。
遅い情報でスミマセン。

テレホン相談の窓口がありますので問い合わせてみてください。ホームページも、もちろんあります(悪いけど自分で検索してください。)。
◆「仏教情報センター」テレホン相談
 東京 03(3811)7470
 大阪 06(245)5110
 岡山 086(226)3110
 仙台 022(295)3303
 本部/東京都文京区白山1-17-5 日応ビル

阿含宗の規則では、退会する時は法具一式を返すことになっていますが、多分、皆さん入行してから、それを聞かされたはずですし、阿含宗としてはトラブルがあった時、証拠を残したくないだけなので返す必要はありません。
ちなみに私の宝塔は物置の奥に転がっているはずです。分解した人の話では、中に小さい石ころが入っていたそうです。私はまだ確かめていませんが。
いずれにしろ、仏具メーカーが工場で製造した「モノ」ですから(しかも何十倍もの値段で売りつけられた)、どう扱っても気にすることはありません。桐山さん自身が日本の大乗仏教は偶像崇拝していると批判していたではないですか。(毎月、道場に持ってこないとパワーが落ちるなんてアホらしいことも言ってましたっけ)

「仏教情報センター」は各宗派の僧侶を中心としたボランティア団体で、「テレホン相談」では仏教に関する質問や日常の悩みなどの相談に交代で応えてくれます。
私も10年ほど前、信者だった頃、桐山さんの本と実際との矛盾や阿含宗の教えが、どうにもおかしいので2、3回電話したことがあります。親切な人もいましたが、応対するお坊さんによって知識や熱心さに個人差があり、あまり有意義な話は聞けなかったように記憶しています。

>みかりんさん あなたと同じような悩みを持った人の相談も多かったようです。あまり役に立たないかもしれませんが、客観的な話を聞くという意味で、気が向いたら電話してみてください。
16名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:48
594 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 20:30
>593
道場に返せば受け取ってもらえます。
一応やめたら返す規則にはなっていますが、粗末に
ならないようにという教団の考えで
実際は本人の自由です。(信者やめても護宝塔だけ拝んでいる
人もいます。)
>パワーが落ちるというアホらしいことも言ってましたっけ
パワーが落ちるというのではなく、お清めのためです。
いずれにせよ、本人の心の問題でしょう。
物置に放るのも本人次第
神社に納札するのも本人次第
宗派によって受け答えがちがうのはあたりまえ
阿含宗は辞めたければ退会届けをだせばすぐ受理されます。
トラブルの証拠をのこさないためなんてなにが証拠になるんで
しょう。あんな法具一式
工場直売の物うりじゃないんだから
祈願をこめた修法物だから値段がたかくなるんでしょう。
信者じゃなければ物にすぎませんが
信者として宝塔受けたわけでしょうそのときは
あとで、高いとか文句いうんだったら初めから受けなければ
いいのに、物としてみれば、ただの金物でしょう。
金額的価値などありやしません。
>石ころが入っていたそうです。
ご存知なかったんですか?驚いた。
月光石を仏舎利としてダト法で修法して収めてあるもので
これが宝塔の本体なのに、銀色の塔は被いにすぎないと
いうのに、このぐらいのことは誰か言っているはずでは
いずれにせよ
ゴホウトウの処分はアゴン宗に送り返せば済むことです。
大袈裟にしなくても大丈夫です。
どっかに相談しても別にいいですけど、
そんなの個人の自由ですから。
595 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 22:11
うむ!あぼ〜ん宗は存在自体あぼ〜んしてしまった方が世のためですね....

596 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/07(水) 22:28
ちょっとの間来ないでいたら、矛先が自分のほうに向いてた。

>577、583
>みかりんさんが家庭のことで苦しんでいるのにここのみんなはくその役にも
立たない怪しい修行の話ばっかり、それでむかついちゃった。
御心配有難うございます。でも、585氏の言うとおり私の悩みだけを
扱うスレではないんで、怪しいかどうかは別としてもそれは「アリ」
だと思います。滝にうたれるでも千座行でもなんでも気が済むまで
やるのがいいと思います。家族や他人に迷惑かけなければね。
ここに限らず修行を語る人は「覚醒」と言う言葉をよく使いますが、何に
「覚醒」することを目指しているのでしょうか?私は普段仕事と家事と
子育てに終われる日々で、自分の時間はあまりありません。嫌なことがあると
「なんのために頑張ってるんだろう」と、とてもむなしい気持ちになってしまいます。
けれどもそう思ってしまうと落ち込むだけで何の解決にもならないので、
何も考えずただ無心に取り組んでいます。今がたぶん、自分にとって試練のとき
で、乗り越えるたび大きく成長できると信じて。だんなは私がどんなに忙しくても
知らんふりで、きれいごとと理想論ばかり並べています。結局のところ自分が
楽したいだけなのです。阿含で彼が得たものは何なのでしょう。疲れを知らない肉体
は?強靭な精神力は?慈悲深い心は?。。。早く「覚醒」してよ。
>585
副管長のことは調べもせず私も軽率だったと思います。裏付けの無い批判は相手に
すきを与えるだけですね。反省します。
>ただ不満と鬱憤をはきだしているだけじゃねえか!
はい、そうです。2chに来る多くのひとも同じだと思う。
が、しかしそれと同時にささやかな「抵抗」の意味もあります。いろんな
事実をここに書くことで少しでも考えてもらえたら、という気持ちです。
訴訟ったって大変だし(すぐにやれるわけない。みんな「テレビの見過ぎ」)。
でもそんな私にレスをしてくれた人がいたことはホントうれしかった。
弁護士に相談はしてないけど、知り合いのカウンセラーのひとにも打ち明けて
アドバイスしてもらってる。紹介してくれたHPも開いてるよ。
長い時間がかかるけど、少しずつ壁を崩していくつもり。
17名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:50
597 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 12:31
>594
このスレッドは最近見つけたので、ほとんど元信者の人ばかりだと思っていました。信者の方(多分)から、あんなに素早い反応をもらえるなんてビックリしました。なんだか照れ臭いです。どうもありがとう。
本気で信者をやっている人もいるってこと、つい忘れちゃうんですよね。

>道場に返せば受け取ってもらえます。
>ゴホウトウの処分はアゴン宗に送り返せば済むことです。
みんなわかってます。どんなカタチでも一切、阿含宗とは関わりたくない。という人の参考になれば、ということです。あえて、工場で製造した「モノ」と書きましたが、やめた人にとっては複雑な思いがあるんです。私自身このレスを偶然、見つけるまでは思い出すのもいやでした。

>トラブルの証拠をのこさないためなんてなにが証拠になるんでしょう。
ごめんなさい。確かにオーバーでした。TVで見た「法の華」の仏舎利を連想しちゃったもんですから。

>祈願をこめた修法物だから値段がたかくなるんでしょう。
なぜ、祈願をこめると高くなるんですか?

>信者として宝塔受けたわけでしょうそのときは
あとで、高いとか文句いうんだったら初めから受けなければ
いいのに、
だまされたくて受けたんじゃないんですよー。ほんと後悔してます。

>石ころが入っていたそうです。
 ご存知なかったんですか?驚いた。
"「霊石」にダト法(陏都?駝都?こんな字でしたっけ?)を修したので真正仏舎利と同等だ"とか聞きました。月光石?それは知りませんでした。でも、やっぱり石でしょ?
例えダライ・ラマが修法したって石は石。仏舎利だって考古学的な価値は別として骨は骨です。それが「空」「無常」じゃないんでしょうか?ブッダは修行者は修業完成者(ブッダ)の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうなといってます。出家してないからいいんですか。
スゴイ法力とか超能力を持った教祖が祈願した○○○だから癌が治る、浄霊される、幸せになれるとかいうから、苦しむ人がたくさん出ちゃうんでしょ。「本人の心の問題」ですか。
もちろん、人は信仰に関係なく石ころ一つ、紙切れ1枚でもそれぞれの思い入れがあります。でも、本物の阿含経の教えとしては、それは消し去るべき執着心だといえるんじゃないですか。私は執着心、いっぱい持ってますけど。
18名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:51
598 名前: 神道自由派 投稿日: 2000/06/09(金) 19:37
阿含宗ってはやりましたよね。

 阿含宗も勢いが落ちたというか、まとまってきたのかな?
  ここのスレでもそう言ってるね。
 最初は画期的な本が次々とでてたよね?
  そうだね。でも、「間脳思考」も今思えば、間脳で思考する奴いるかっ、
  て感じだよね。お前は大脳のない生物かっ、て笑えるよね。
 でも、あの頃の方が楽しめたよね?
  そうだね。ブームもあったよね。
  みんなブームにのっていただけなんだよね。
 密教の宣伝にはなったよね?
  そうだね。終末預言も宣伝していたしね。
 みんな真剣に心配してたのかな?人類の将来を。
  でも、そういうのは政治や経済で決まるんだよね。
  普段の市民生活が決めることなんだよね。
 終末預言にからんだ宗教はどうなるのかな?
  せいぜい現状維持か尻すぼみだろうね。

 阿含宗の建物は普通のお寺に近いのでは?
  どうでもいいけどね、そんなこと。葬式はしやすいかもね。
 教祖の噂はどうなのかな?
  興味ないね。
  T大卒のエリート官僚や経営者が逮捕される時代だからね。
 阿含経はわかりやすいって話だけど?
  そうだね。ちょっとくどいけど。普通のことを普通に言っているからね。
 阿含宗の本で法華経は難解で実践的じゃないと聞いたけど?
  それで法華経くずれが入りやすかったんだよね。

 最近の新興仏教ってすぐ葬式仏教化して、物・サービスを売ってるけど?
  そうだね。お金かせがなきゃね。
 そう考えると、伝統仏教の戒名料なんて良心的な値段なのかな?
  そうとも言えないけどね。
  結局、葬式を多く受注すれば安くできるんだろうね。
 それなら、葬儀の値段を安くすれば信者が増えるんじゃないの?
  そうだね。葬式料に規制緩和・自由競争が必要だね。
  うちのとこでは、戒名料は安く戒名の位は高いですよってね。
 宗派にかかわらずに葬式頼むことはできないのかな?
  そうしたいね。宗派にかかわりなく仏教も神道も、伝統も新興も。

 以外と底は浅かったよね?
  そうだね。深みはなさそうだね。すごいと思うからはまるんだよね。
  人付き合いを楽しむくらいの気持ちでやればいいんだよね。
  肩の力を抜いて頑張って欲しいよね。

 「阿含宗」、いわゆる一つの葬式仏教、ということか。

599 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 01:36
>「阿含宗」、いわゆる一つの葬式仏教、ということか

ご存知なかったんですか?驚いた

600 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 08:38
結局のところ桐山さんも伝統宗教にはかなわなかった
と、いうことでしょう。
革新的な宗教をやろうとしたんだが、実力が追いつかなかった
というか、そんなこと出来る奴なんていないでしょうね。
でも、密教と阿含経に光りを当て、ブームを起こしたことは
評価できますね。

601 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/11(日) 19:49
あげ


602 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/13(火) 04:10
阿含宗にとどめを刺したのはオウム事件でしょう。
「オウム真理教と阿含宗」なんていう言い訳本を出してから
しばらく出版なども自粛し、アレだけ熱をいれていたHPも
更新しなくなりました。
元々好きだった酒の量が増えると共に脳にも影響が出て
自分でも何を話しているのかわからなくなってしまったようです。
ちょうどロッキード事件後の角栄のように。
麻原、林医師、井上にはじまり相当数の幹部達が阿含宗出身者というのでは
心中穏やかではいられなかったでしょう。
ましてマスコミに追われ、信者が激減して行く状況下で
よく耐えたとすら思います。


603 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/13(火) 11:27
つまりは阿含宗も伝統仏教のやり方に落ち着いた
ということでしょうね。
信者も過激な人は少なくなって
いわゆる、ご信者さん、善男善女があつまるようになるでしょう。
これからは細々と法要や行事を開催したりして
まあ、普通の仏教寺院のような感じになるんでしょう。
総本山も京都の観光地になることでしょう。
19名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:52
604 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/13(火) 21:07

「一九九九年七の月」 27.7の月は原稿を送った

桐山氏が18年間、脅し続けた1999年7の月には何が起きるのか。
このことは、この本において、最も重要な点です。

それは、桐山氏が講演の原稿を送ったことだ、というのです。
桐山氏が恐怖の大王であることと、アンゴルモアの大王がよみがえった根拠は、
桐山氏が中国に原稿を送ったことです。
1997年7月に桐山氏が中山大学に講演の原稿を送ったことが、ノストラダムスに
よって、「1999年7の月」として予言されていたというのです。

核ミサイルはどこに行ったのでしょうか。
どこの原発が崩壊したのでしょうか。
4割横変死の死体の山はどこにあるのでしょうか。
桐山氏の7の月では阿鼻叫喚の地球壊滅のはずでした。
それが、原稿を送ったこと、たったそれだけだというのです。
ノストラダムスは、桐山氏が原稿を送ることを大予言したのです。

講演や護摩に、アンゴルモア大王の「よみがえり」「復活の儀式」「復活祭」「生誕
祭」など、思いつく限りの名前を適当にちりばめただけのように見えます。
自分が恐怖の大王だ、自分の人生は予言されていたなどと、品格を重んじるとい
う桐山氏の羞恥心はどうしたのでしょう。


605 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/13(火) 23:22
>592さん
平河出版の社長業がメインだったなんて、マジですか。
宗教に偏ることのない本を、あのタチさんが
社長として出したと本気で思っているのですか。
名前出して給料だけもらっていたに決まってます。
家族を役員にして、給料だけもらい、仕事は何もしない
なんて、個人企業では珍しくもありません。
桐山さんが作った会社はすべて家族が役員になっています。
あなたみたいに善良な解釈をする人がいるから、
詐欺宗教が成り立つのでしょう。

606 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 02:42
でも社長には変りないし、阿含宗の傘下の出版社だということは
事実じゃないの、名前だけにしても、阿含関係者が宗教に
偏ること無く出していることは事実でしょう。
まあ、桐山氏の本をだすことを中心としているんだろうけど。
阿含が気に食わないからといって、ただクソミソにいうのも
おとなげないね。


607 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 02:45
クソミソ?
またクソエビだ!

608 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 12:08
>596みかりんさん
反省などする必要はないですよ。
あなたの個人的な悩みは多くの人たちの参考になります。
585さんの発言など気にしないで、
これからも遠慮せずに書き込んでください。

みかりんさんの指摘した副管長のことは事実です。
京都の阿含宗総本山には桐山夫妻の銅像があります。
その銘文は次のようになっています。

立像之記
一九八二年夏、妻"たち"卒然トシテ病ム。肝硬変、肝癌ノ疑イ強シ。
主治医密カニ予ニ告ゲテ曰ク、余命六ヶ月也ト。余、愕然タリ。
即チ断酒シテ仏陀ニ加護ヲ乞ウフ。然レドモ病日々ニ重キヲ加ウ。
余思エラク。余命幾バクモ無シ。何ヲ彼女ノ生涯ノ辛苦ニ報インヤ、
爾ジ、我等畢生ノ念願タリシ総本山ノ一角ニ像ヲ建立シ、
以ッテソノ労ヲ犒ハント。幸イ巨匠北村西望師ノ快諾ヲ得タリ。
奇ナル哉、像ノ制作ノ進ムニ随イ、病イ快方ニ向ウ。
完成トトモニ快癒セリ。仏陀ノ加護、医師団ノ労苦ニ深ク感謝ス。
生前ニ像ヲ建ツルハ、傲慢ノ謗リアランモ、世人此ノ経緯知ラバ、
恐ラクハ許容シ給フベシ。
一九九一年四月
桐山靖雄

酒断ちまでして本尊の釈迦に祈ってもダメだったが、
銅像を立てたら病気が治ったというのです。
因縁切りの教祖夫人がガンになるというのもおかしいし、
もっとオカシイのは、銅像を立てたら治ったというくだりです。
阿含宗の教学はどこに行ってしまったのか。
信者は病気を治したいときには、銅像を立ててみてはいかが。

総本山という本社ビルに創業社長の銅像を立てたいという欲望を、
夫人の病気治しに隠したつもりなのでしょう。
シッポが見えてる。
銅像は、桐山さんがインドの霊鷲山に上る朝日を指さす姿です。
まるで一昔前の共産主義国家の独裁者の銅像です。
20名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:53
609 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 18:31
>605さん 名前出して給料だけもらっていたに決まってます。
そのようです。昔はともかく、平河出版社の現在の社員(幹部を含む)は阿含宗の信者ではなく、たちさんは実質的な経営には参加していませんでした。教団とも強い繋がりはなくなっているようです。
ただ、堤一族がオーナーなのは事実ですし、信者数の売り上げは確保できますので、桐山さんの本を優先的に出版しているのでしょう。

610 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 18:46
「一九九九年七の月よ、さらば!」読みました。
桐山さんの歪んだ自己顕示欲にうんざりさせられました。
ある意味、ものすごいエネルギー(●な)の持ち主と言えます。
なんだか、力が抜けて抵抗する気力が無くなっちゃいそうです。
ヌマエビさん、大変ですがこれからもよろしくお願いします。

ところで、この本を読んで驚いたのは、後半85ページに渡って、一流の脚本家・作家である井沢満氏が「インド聖地随行記 神話創造 新千年紀への遺言」と題する桐山氏礼賛の文章を寄せていることです。
時期は不明ですが阿含宗一行とインドに行ったときのことを綴ったエッセイです。
お金目的のチョウチン記事を書くライターや学者の、一歩腰のひけた文とは全く違う、恥ずかしいくらい桐山さんを誉め称える文章は、はじめて見ました。もちろん桐山さんを崇拝するのは自由ですけど。

ちょっと長いですが引用します。例えば374ページ)
「・・・釈迦は阿闍梨を通して蘇った。霊的な意味での転生を遂げて桐山靖雄という名の阿闍梨として再臨なさった。パンディッタ桐山靖雄は今、釈迦である。私は宗教的熱狂の快感に酔いつつそう言うのではない。むしろ心は静まり返っている。今世紀最大のメサイアは、このお方であったのか、・・・」ドヒャーッ!!!

井沢さんが信者(道場にも来てるんですか?)であることは知っていましたが、これほどとは・・・
個人的な感情は消し、冷静な目でみても桐山さんの言動、著書には、いうまでもなく多くのウソ、矛盾があります。(感情を消さなきゃ詐欺師ですけど。)
作家が特別に頭の良い人だとは思っていませんが、観察力、分析力、読解力などは当然、職業として訓練されているのでは。(新興宗教信者の有名人に他の職業と比較して作家が少ない理由?)そういう人が・・・・・。

桐山さんの自画自賛以外にこんなすごい文章をみたのは初めてなので送っちゃいます。
他に桐山さんの文体にソックリの言い回しなんかがなんかがあって面白い?です。
(ちなみに、井沢さんは病気を管長に修法で治してもらったり、とか不思議な体験をしたそうです。)いちおう、公平のため書いときます。
21名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:55
611 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 20:36
たち夫人がお亡くなりになった。
そう言えば、春頃、ガンで入院したという噂がありました。
マスコミ発表は心不全ですか。
夫人がガンでは都合が悪いし、ガンの治療で心不全もおきるから、
死因としては、ま、いいか。
桐山先生は、世界救世教の岡田茂吉がガンで死に、
信者にガンが多いことをあざ笑っていましたねえ。

文京区の病院で亡くなったなんて、変ですよ。
たち夫人は阿含宗の同仁病院の理事長でしょ。
桐山先生によれば、すっばらしい病院だというじゃあーりませんか。
どうしてそこに入院しなかったんでしょう。
信者にはさんざん勧めておきながら。

76歳でお亡くなりになった・・あれ?阿含宗の
平均寿命は百歳だと桐山先生はおっしゃいませんでしたか。
副管長さんが俗人の平均寿命にも行かなかったなんて。
桐山さんは「法力で三・七・二十一で寿命が延びる」
なんておっしゃいませんでしたか。
ははーん、それで1982年以来、延ばしたのですね。
18年も寿命を延ばすなんて、あの像の威力はすごい。
今回も像をどうして建てなかったんでしょう。
「たち観音」なんて、前の像よりもでっかいのを
一つオッ建てれば、死んでも命があったでしょう。
たち夫人の戒名は「・・菩薩」だそうじゃありませんか。
今度は真如苑のモノマネですか。

たち夫人は光和食品の社長でもいらっしゃった。
管長猊下御創案のサプリメントはしっかり取っておられたのでしょう。
あれを取って、徳を積むとガンの因縁が切れるって、
桐山先生はおっしゃいませんでしたか。
バカ高いのに会員は、ガンにならないと信じて買ってますよ。
教祖夫人のガンの因縁が切れなかったように見えるのは錯覚でしょうか。
たち夫人ばかりか御先達様方はガンでばたばた死んでるみたいだし。

たち夫人は平河出版の社長として精神世界をリードされた。
光和社長で身体、平河社長で精神、阿含宗副管長で魂と、
実にバランスのとれた人生を送られました。
その割には、平均寿命よりもはるかにずっと短い人生でしたね。
心からご冥福を…あ、そーか。聖者の妻として徳を積み、
解脱して、菩薩になったんだから、
ご冥福なんて祈らなくてもいいんですよね。

でも、詐欺師の妻として人をだます手伝いをしたんじゃ、
桐山先生御創案の「斉の広場」で苦しんでいる・・なんてことはない。
彼女は信者から集めた金でずいぶん高級品を買い漁ってましたから。
慈悲心から祈りましょう。
ナンマイダブ、ナンミョホーレンゲキョ、アーメン

612 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 23:21
>606さん
平河出版が良い本を出したのは多くの人が認めることです。
あれらは平河のオタッキーな(これ誉め言葉)社員がなした仕事で、
たちさんはまったく関係ありません。
「社長には変わりない」というが、社長と社長業とは違います。
たちさんは社長であったが、社長業はしていませんでした。
たちさんは桐山さんに代わって、名前を出していたにすぎません。
592の表現では、まるで平河出版の業績はすべてたちさんがなした
ように聞こえます。
592が葬式で述べるお悔やみの言葉ならかまいません。
だが、事実とは違います。613 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 23:37
>平河出版が良い本を出したのは多くの人が認めることです

オウム真理教が麻原本以外に唯一愛読を許されていた「虹の階梯」も
平河出版でしたね。
この本で麻原は「ポア」という言葉を知ったそうですが。
22名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:56
614 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 12:30
 >「虹の階梯」も 平河出版でしたね。
中沢新一さんの本ですね。
オウムの時の態度で、どうも信用できない人です。
桐山さんが三女の寿美子さんと結婚させたがっていたという
記事を読んでことがありますけど。

 >たち夫人の戒名は「・・菩薩」だそうじゃありませんか。
桐山さんが死んだら、ブッダとして祭り上げるだろうと予想して
ましたが、たちさんが先に「・・菩薩」として利用されるんですね。
絶対に葬式の時、中国、モンゴル、チベットなどから偉い人が
来たとか、偉業を讚えて勲章やメダルが贈られたって宣伝しますね。
お悔やみをいう気はないです。「オウム真理教と阿含宗」には
いいわけと自己宣伝だけで、被害者に対するお悔やみの言葉は
ありませんでしたから。あやまって当たり前なのに。

615 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 12:53
麻原が阿含出身だからあやまらなければななないなら
法源は自然の泉出身だから自然の泉もあやまらなければ・・、当たり前ってのはちがうだろう。
たしか、オウムにつぶされた阿含の支部かなんか
あったみたいだからオウムにはアタマきてんだろ。

616 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 12:58
人、ひとり死んだくらいで
クヨクヨすんな!
みんな死ぬときゃ死ぬんだよ。

617 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/15(木) 13:27
>麻原が阿含出身だからあやまらなければななないなら
>法源は自然の泉出身だから自然の泉もあやまらなければ・・、
>当たり前ってのはちがうだろう。

サリン事件の首犯・共犯の相当数が阿含宗出身者です。
教義的なベースも共通している部分が多く、一般信者のかなりの人達も
阿含宗出身者だといわれています。
「全く関係ない。責任などまるで感じていない。」とは言えないでしょう。
阿含宗にも反省すべき点はある筈ですよ。


618 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 13:30
よーするに馬鹿が信者になるんだろ。
くそ食らえってんだ

619 名前: 諏訪神 投稿日: 2000/06/15(木) 13:37
麻原は中村元氏の著作や辞書を愛読して説法にも使っていたそうだから、
ひょっとして中村元氏も責任ありか?

620 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 13:40

>618
阿含が馬鹿を集めて、オウムがそれをひきぬき
吉外にまで育て事件を起こすって構図ですね!
馬鹿をあつめた責任は重い。

621 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 14:13
しかし教義はたしか、因縁とか霊症とかいってるあたり
真如苑に近いはずだと思うが?
まあヨーガの神秘思想なんかも取り入れ超能力とか
いっていたあたりがオウムにつながるんだろうけど
結局、阿含宗に失望した連中がオウムに行って
自分の理想を実現しようとしたんであって
直接、阿含宗に責任があるかどうか
人情としてはわかるけれども。
超能力をあおった点では雑誌の「ムー」とか「トワイライト・ゾーン」のほうが大きいと思うぞ。
いや、オウムの宣伝やっていたんだな、この雑誌!

622 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 14:23
チベット密教の方が責任あると思う。
アゴンのような新興宗教じゃなく
伝統ある宗教だけに責任は重いものがあるんじゃないの。 とくにダ○イ○○は人を選んで会うべき。
オウムはチベット密教に修行を認められた本ものの
もんで、アゴンのような陳腐な新興宗教はダメだ
ってんで、いっちゃったんじゃないのかな。


623 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 14:29
>620
普通の馬鹿=阿含宗に失望し、反阿含になる元会員
薄ら馬鹿=ノウテンキのまま信者を続ける。
大馬鹿=オウムにくら替えし事件おこし捕まる。
以上。
23名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:57
624 名前: koutarou 投稿日: 2000/06/15(木) 16:39
阿含宗は、世界で最高、最大の実力ある宗教だと思います。
それは、極めて優れた霊能力者を指導者として戴くからと思います。
処で、改良点は、無いかと言うとあります。
それは、守護霊を、本人に憑いている不成仏霊が、無くなるまで、
付けないと言う方針です。
猿に、人間にならない限り、言葉を教えないと言っているみたいで、
無理難題では、ないかと思うのです。
まず、守護霊を付けて、因縁を、共に排除していくと言う姿勢に
なれば、世界中に広まるでしょう。

625 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/15(木) 17:18
>624
あなたは本当に「幸せな人」だ。

不成仏霊を祓い清めて、守護霊を1日も早くもらってください。
極めて優れた霊能力者を指導者として仰いで、
世界で最高、最大の実力ある宗教を広く世界に布教してください。

以上。626 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/15(木) 21:13

「一九九九年七の月」 28.名誉欲教授で後塵を拝す

原稿を送って復活したという釈迦は今どこにいらっしゃるのでしょうか。
桐山氏以外に、だれか復活した釈迦を確認した人はいるのでしょうか。
すべては桐山氏の頭の中での話で、誰一人何一つ客観的に確認できません。
仏教が中国に伝来した年は、今日でも学者の間で異説があります。
それなのにノストラダムスは伝来した年を確定していたというのです。

桐山氏がこのような支離滅裂な言い訳をならべた背景は明らかです。
講演した中山大学と北京大学から名誉教授をもらうためでした。
仏教学の基本の一つである阿含経は、中国の仏教学者たちもよく知っています。
桐山氏に御講義いただかなくても、五時教判が間違っていることは知っています。
彼らは、桐山氏の話を聞きたかったのではなく、持参した物がほしかったのです。

創価学会の池田大作氏も、桐山氏よりも前に、両大学の名誉教授になりました。
桐山氏は名誉欲を釈迦の名前を使って正当化したのです。
自分の名誉欲の大行進を、ノストラダムスの予言に強引にあてはめただけです。
そして、池田大作氏の後塵を拝したのです。

地球壊滅の言い訳と名誉欲とを強引にくっつけて説明を試みたのがこの本です。
ただの講演を釈迦の復活という壮大な話に膨らませ、名誉欲を隠して、脅迫の言
い訳もするという一挙両得を狙ったつもりです。
頭の中は名誉教授でいっぱいで、7の月ことなど原稿を送った話で十分なのです。

原稿まで予言した偉大なノストラダムスも名誉欲教授は予言できませんでした。


627 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 23:12
>624
守護霊をもらったお歴々をよくご覧ください。
共通点は何ですか。
行歴?梵行?徳の大きさ?
お金持ちであることです。
最初の人は冥徳解脱供養150体、つまり1500万円でした。
守護霊の拝受式で御礼など多額の金がかかります。
拝受式の金額の大きさに、守護霊を辞退した人すらいます。

ご存じなかったようだが、あなたも150体冥徳解脱供養を出せば、
梵行をしていなくても、心の因縁など切れていなくても、
守護霊はもらえます。
さあ、あなたも「世界で最高、最大の実力ある宗教」の
「極めて優れた霊能力者」の指示に服従して、
1500万円+αを供養し、守護霊をいただきましょう。
サラ金から借りても、守護霊がうまく返済してくれるでしょう。
それとも守護霊のディスカウント・セールを待ちますか。

628 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 02:25
まだやっているノストラダムス
どうでもでもいいと思うぞ。
いいじゃん名誉教授もらいたい奴はもらえば
それで、どうなるの?
名誉教授もらったって阿含宗が大きくなるわけじゃなし
べつに桐山氏が偉大だとは誰もおもわないし
一般市民は関心なんかないし、だからどうしたの
むきになって批判するようなことかな?

629 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 02:34
守護霊か、そんなん無理してもらわなくとも
すむ方法教えます。
守護霊もらった人とお友達になるのです。
遊びに行くといつでも拝むことができます。
150体もメイトク供養出せる人はそれなりに
人徳者ですよ。御存じない。
まあ、2chなんかに来る信者は???ですが
人のこと言えないな!
24名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:58
630 名前: 読み人知らず 投稿日: 2000/06/16(金) 06:00
阿含宗 狂気の沙汰も金次第

631 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 18:10
 >628さん
  まだやっているノストラダムス

あなた、こんな番組はやめろ。と文句を
いいながらTVを見てる人みたいですよ。
他のチャンネルを見れば?

 >一般市民は関心なんかないし
関心のある一般市民しか、ここ見ないし。

632 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 23:06
>628さん

何をどう読んでいるのかねえ。
桐山さんが何をしたか、それを見ることは、
信者にも元信者にも役立つ。
それどころか、新興宗教の典型的なパターンが桐山さんじゃないか。
オウムも法の華も桐山さんの物まねの部分がかなりある。

信仰を持っているのかどうか知らないけど、
何も関心ないなら、このスレッドをのぞいたりしないだろ。
つまり、あなたも新興宗教にハマル可能性があるんだよ。
どうでもいいなんて悟り開かないで、
せっかく来たんだから、最初からしっかり読んでごらん。

633 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 02:44
>632
のすとらなんか今更読む気しねよ
おまえら時代おくれもいいとこだ!
だから阿含関係のやつら(信者も反信者も)
ばかだっていわれんだよ。
あほう

634 名前: うんこBOUZU 投稿日: 2000/06/17(土) 03:43
上〜なんだ?
真成寺・密門会系、反阿含、
盛んだな!

635 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 11:34
あげ

636 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 12:52
えーと、阿含宗の信者です。1番から634番まで、ざっと読んでみました。
阿含経に大工?と金槌の例えがあります(鍛冶屋とハンマーかもしれませんが)。
毎日職人が槌を持って仕事に精を出しているといつのまにか手の跡が柄に残る
というものですね。
元信者の方に伝えたいのですが、阿含宗で最も大事なことは毎日の勤行です。
千座業とは言わずに、仏舎利宝珠尊法典勤行と言うと思うのですが、それを毎日
ちゃんとする事が、最初の第一歩だと思っています。これは私自身に言っている
言葉なのですが。それを2日か3日柄を握ってみて、跡がつかないというのは
早過ぎるのではないでしょうか。
必ず、因縁は切れていきます。私も私の知り合いの人たちも大勢の人が信じて
幸せに暮らしています。
超能力や荒行を求める前に、毎日の勤行をちゃんとするべきです。毎日きちん
とすることは意外に大変なことです。

637 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 13:24
>633
あんた一人がこのスレ見てるんじゃないんだぜ。
勝手に話題を牛耳ろうとすんなよ。
一人相撲のバカっているんだな。
631の人が言うように、他のチャンネル行けば。
独り合点・独りよがりは見苦しいことこの上ない。
あんたみたいな「頑なタイプ」が一番洗脳されると抜けられないタイプだよ。注意した方がいいぜ。(藁638 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 14:09
阿含宗の特徴は法力です。

639 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 14:13
日本人なら日本人らしく普通に暮らせばいい。
その普通が、1000年2000年日本人が呪縛され、
気づいていないマインドコントローラーなのです。
25名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:58
640 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 16:39
>636さん

典型的な信者の反応で、結局、何にも読んでいないんだ。
「千座行」を「千座業」と書いているところをみると、
636さんは仏舎利行になってから入った人でしょ。
「2日か3日」って、仏舎利行よりもはるかに時間のかかる千座行を、
3〜4回、つまり3千〜4千日と欠かさずやった人を知ってます。
手の跡どころか、柄がすり減ってしまった。
勤行はもちろん、梵行も、解脱供養も、桐山さんの指導まで受けて、
それでも、その人の問題は解決どころか、進展もしなかった。
仏舎利行もやっていました。
その人は超能力は求めておらず、因縁切りをしたかっただけです。

教祖は脳梗塞で借金まみれで、教祖の妻がガンで死んで、
それでも信者は因縁が切れて、幸せか・・・・。
現実を見ないで、桐山さんの妄想を信じていられるというのは、
「幸せに暮らしている」ことなんだろうなあ。

あれだけ阿含宗の中に問題が山積しているのに、
636さんは因縁の切れた幸せな信者しか見ないというのは、
指導者をよくよく見習っています。
桐山さんも自分に都合の悪いのはいっさい見ない。
見ても、すぐに忘れる。
桐山さんを見習って、このスレッドも見ないほうがいいよ。
せっかくの幸せがぐらついだりすると気の毒だから。

ただ、桐山さんのマネして、阿含経や釈迦を使うのはやめてくれ。
桐山密教を信じてハッピーになった、それでいいじゃないか。
釈迦を自分たちに都合のいいようにねじ曲げて使うなよ。
636さんは知らないだけで、悪意がないのはわかるけど、
それって、釈迦に対する一種の冒涜ですよ。

641 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 17:07
>633さん
おやまあ、ずいぶん怒ってますね。
仕事か家庭でオモシロないことありましたかな。
それ、きっと悪い因縁、いや、霊障だっけ。
阿含宗でセンザギョウでもされてはいかが。
桐山さんは仏陀の智慧を説いてますから、阿含宗には
「ばか」や「あほう」はいないみたいですよ。

642 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 19:27
桐山に仲人までやってもらった林元医師は10年以上真面目に修行しましたが、
あのような人生になってしまいました。
「信じるものは救われる」とは限らないのです。
26名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 15:59
643 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 19:45
640 さん、こんにちは。阿含宗で幸せになれなかった人の話とかを、
雑誌、ネットなどで聞くのですが、私の周りにはいないのですよ。
その人の話は、もう亡くなられたのかも知れないが、こもごもと直接
お聞きしたいですね。
副管長の死はショックだったですね。死なないと思っていましたから。
末期の癌??が二十年近く延命できたのはすばらしいことだと思うので
すが、それでも亡くなられるとは夢にも考えてなかったのでショック
というしかなかったです。
管長げいかの症状は、軽い脳梗塞だと思いました。よく立ち直られた
ものだと思っています。しかし、家ではげいかもいつ何事があっても
おかしくない年なのだから、と話し合っています。火を焚く激務です
からね。
仏陀、釈尊のことですが、お釈迦様の名前を日本人に思い出させたの
が阿含宗であるということを忘れないでください。何宗にしろ宗祖が
唯一で、仏陀のことは忘れてしまっていたのです。いまでも仏陀をメイ
ンに出そうという宗派は無いのではないですか。
私は、阿含宗徒ですが、まず、仏舎利尊(仏陀のスピリットと思って
います)を拝み、諸仏諸尊を拝み、その後で一切萬霊守護金剛を拝み
ます。最後の金剛サッタの礼拝は阿含宗で教えられたことではなく、
私が勝手にやっているのです。ですから、阿含宗では教祖様を正式に
は礼拝していないのです。阿含宗は宗祖を拝む宗教ではなく、仏陀が
本尊なのです。宗祖の一切萬霊守護金剛は、私が勝手に遠慮がちに拝
んでいるのです。

どうして根本仏教と密教を混合したのかという、質問があると思う
のですが、現代日本人には、仏陀の仏教は無理です。欲望が強すぎる
のです。ダライラマが日本人に対して八正道の実践で十分だというメ
ッセージを残したのですが、はたして、日本人のどれだけが、ストレ
ートに、仏陀や諸天諸菩薩に頼らずに八正道の実践ができるでしょうか。
密教の行法で自分の欲望を整理して、妥当な欲望はかなえていただいて
それをばねに自己を高めていく、というやり方が現実的だと思います。
仏陀の仏教を実践するといったって、阿含経典を読んで、瞑想していても
寝てしまうだけでしょう。人間が実際に変わらないと行けないのだから
仏陀の助けがなくては不可能です。
しかし、法のとおりに行えば、小さな奇跡など日常茶飯事に起こっているし
、人格のよい意味での変化など簡単に(といっても年単位でゆっくりですが)
実現しているのです。


644 名前: ラスト 投稿日: 2000/06/17(土) 20:49
>642さん、阿含宗から落ちていったり、去っていったり
する人は、ほんとうに不思議です。私から見れば理由にもな
らない理由で去っていっているとしか思えません。(直接知
りあいにはいないのですが)。分かれ道で、悪いほうへ悪い
ほうへ向かっていくようです。何かが判断を誤らせるのでし
ょうね。それが、運命とか、霊的なものなのでしょう。林氏
の10年?の修行よりも、その影響のほうが強かったのでしょ
う。
学校を辞めていったやつを、どうして辞めたんだろうとふと
考えるようなもので、ほとんど、普段の意識には上りません。
林さんも、助かった命で罪を償ってほしいと思います。

これ以上書き込みしますと、広報みたいなのでやめます。
コメントいただいても、お返事しませんが、ご容赦を。
27名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:00
645 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/17(土) 20:51

「一九九九年七の月」 29.信者の唖然

桐山氏は信者にこの本を積極的に施本するように指示しました。
こんな本を他人に勧めたら、勧めた人の頭の程度が疑われます。

本を読んだ信者たちが一番驚いたのは、
・地球壊滅が1997年、つまり2年も前にすでに終わっている
・桐山氏が恐怖の大王であった
という点でしょう。

本が出る直前まで、1999年7月の地球壊滅を回避するために、信者たちは様々な
イベントを通じて、真剣に護摩木などで祈願をしていました。
阿含宗はそれを奨励し、これをネタに護摩木を集めていたのです。
核ミサイルか、原発崩壊かと、毎月、桐山氏は信者たちを脅迫していました。
いよいよ「その時」が来たのですから、桐山氏を信じている信者は必死でした。
その地球壊滅が、実は、もう2年も前に桐山氏が原稿を発送して、終わっていた
というのです。

信者が自分一人で唖然とするのはまだいいでしょう。
熱心な信者は地球壊滅を説いて、周囲に護摩木を勧めたり、入信させています。
これらの人たちに、いったい何と説明をすればいいのか。
まじめな責任感のある信者であればあるほど立場がなかったはずです。

けなげにも、信者は必死に桐山氏に頭を合わせようと努力します。
言い訳を受け入れ、矛盾は見ずに、桐山氏についていくのが正しい弟子なのです。
先達の一人は、この本を「いちおう、筋が通っている」と評価しました。
この本の筋が通っているのなら、北朝鮮は地上天国です。


646 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/17(土) 20:57
>643
>死なないと思っていましたから。
ここまで来ると、笑うどころか背筋が寒くなりました。あのー、
恐いのをおさえて確認させてもらいたいのですが、「ガンや難病など
治療法が確立されてない致死率の高い病気」やあるいは得意の「黄変死」
のために「死なないと思って」いたのか、それとも「永遠の命」という
意味の「死なない」のどっちですか?もし後者なら、あなた、いや御家族中
で精神科を受診されることをおすすめします。もちろん決め付けはしないけど、
かなり危ない・・・。
別院での例祭に何度か参加したけど、あそこに来てた人達って、まさか皆
「死なない」人がいると思ってんの!??
うちの先達は、「人間いつかは死ぬんだからさー」と言っていました。
ちょっとはマシかなあ。なんて変わんないか、たいして。
ホントはもっと書きたいことあんだけど、背筋の寒さが抜けないんで、
後にします。。。


647 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 20:57
元信者さんたちの辞めた理由

1・超能力の開発を教えて欲しかったが、叶わなかった。
2・自分の欲望を満たすために法を利用しようとした。

こんな連中はどうでもいいですが、陰険な性格の会員に捕まって酷い目にあった
ひとは確かにいます。問題が無いとは言えないでしょう。

わたしは解脱供養の法力で家族が救われました。そんな事情を知らない第三者が
「あなたの親父さんはまるっきり別人になった。神様みたいだ」それじゃまえは
どんなんだったんだか。でも、感謝しています。

ダライラマの発言については、欧米人に対しては本格的なチベット式の修行は無理
なので、自分たちの文化に仏教をうまく取り入れるようにしなさい、と言っていた
ような記憶があります。それの日本バ-ジョンかな。関心の高さのわりには、実際
に修行してるひとは少ない。チベット語がある程度読めないといけないし、大変
だとおもいますよ。

無難な発言ととれなくもないですが、そう言うしかないのかな。
28名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:00
648 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 21:30
桐山は自称「超人」だそうだ。
予知能力なんてお手のもんだという。
ならなんで無差別殺人犯となる人物の仲人になったんだ?
予知能力が全くないのに「超能力者」を自称するな。
それだから詐欺師だといわれるんだよ。


649 名前: 死なない 投稿日: 2000/06/17(土) 22:50
阿含経に、仏陀が入滅されたとき、信者たちは嘆き悲しんだ。
仏陀は死なないと思っていたので、弟子たちは驚いた。

こういう文章があるのですが、それを下敷きにした表現です。

本当に死なないわけがないでしょう、生者必滅ですから。

枕草子に香炉峰の雪、とかいう文章がありましたね。原典を
知っているもの同士の会話です。言葉の綾ですね。

そこまで考えなくても、当面は、とか、今しばらくは、と普通
に解釈すればよいのです。

650 名前: 死なない 投稿日: 2000/06/17(土) 22:57
また、その下の段に
管長げいかも、いつ何事があっても、おかしくない年だから
と書いているでしょう。何事とは何の婉曲表現なのか解説し
ないと、おわかりにならないですか。651 名前: 死なない 投稿日: 2000/06/17(土) 23:07
落語の、おちを解説しているみたい。
仏陀の入滅の経典、一番大切な経典のひとつを
読んだことが無いんだね。

652 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 23:56
いま阿含宗の信者ってどのくらいいるの?
サリン事件以降、ここ数年で激減したらしいけれど。


653 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 23:59
求聞持脳でもボケたりするんですね。
ホモ・エクセレンスって脳梗塞にもなるんですね。
ところで
桐山のように都合の悪い事を全て忘れるのも求聞持法の効果ですか?


654 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 23:59
>647さん、キーワードは法力ですね。
そうと知らない者にも如法に行えば効果が出てしまうという。

護摩木だって、私は効くから書くのです。密教食はあまり
買っていません。(怠惰だから飲むのが面倒)そんなの、買お
うが買うまいが何もいわれません。寄付だってしようがしま
いが勝手です。月2千円か何かの会費を払えばなにひとつ義務
はありません。なにか薦められはしますが、いやならNOといえば
いいのです。会費だって滞納している人はいっぱいいます。5年
くらい滞納すると1年分くらいでゆるしてもらえることもあった
そうです。なにもかも自由なところです。変な事件が起こるまで
は、出入りだってもっともっと自由だったのです。
解脱供養も昔は半額でできたので残りを踏み倒す人がいたのです。
阿含宗は、会員も職員もだれも取立てには行きませんから。
今は半額で順番待ちの列に入り、全額でスタートですか?
本だって買おうが買うまいが勝手です。月刊の準?機関雑誌600円
すらみんな買わずにまわし読みしています。私は買っていますが。
解脱供養は恐ろしいほどの効果があります。知り合いはそんなお金
がどこにあるのといって、ちゃらちゃらした洋服を買ってヨーロッ
パへ遊びに行っていました。我慢すれば月5千円20回払いは払え
るはずです。その気持ちもないのであれば解脱供養などしてもらう
資格がないのです。

655 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 00:03
桐山の奥さんですら癌の因縁が切れないのに、信者が因縁解脱できるわけないじゃん。
アホクサ。

あ、そう言えば
桐山本人もメシアのくせして脳障害の因縁が切れないようだ。

もうそろそろ信者たちも詐欺だって気がつかないとだめだよ。656 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 00:07
>変な事件が起こるまでは、出入りだってもっともっと自由だったのです。

「変な事件」ってなんですか?
仲人までした弟子とかが団体で無差別殺人やった例の事件ですか?
それともまだまだ他にたくさんあるんですか?
29名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:01
657 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 00:12
解脱供養は順番待ちです。みんな早くしてほしいから、
緊急依頼の文書を添付するのです。
お金儲けなら順番待ちなどないでしょう。入金するの
に時間はかかりませんから。
実際に供養しているから時間がかかるのです。

658 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 00:15
>656 オウムの事件以来、参拝時にIDカードが
必要になったのではないかと思っています。

659 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 00:15
「解脱供養」

踏み倒したら完全な効果などあるはずがありません。
支払い分相当、つまり半分だけ解脱されるのです。
残り半分は払い込み終了後に解脱されます。
ローンの場合は毎月分割で解脱されるのです。
だから一括支払いをお勧めします。


660 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 00:18
「解脱供養」

銀行に対する借金返済予定に会わせた人数だけ受けつけています。
余分な収入があると無駄使いするからです。661 名前: 超人 投稿日: 2000/06/18(日) 00:22
桐山先生は超人です。
私たちの周辺のみんなが認めていますから、自称ではなく他称超人
です。超人でも超能力者でも、この世に生を受けたものは、年老い
死んでいかなければならない。悲しいですね。
しかし仏陀は不死の道を教えられたのです。
(また経典を読んでない方が誤解して寒くなるかもしれませんね。
決り文句ですから、読んでから書いてね。)


662 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 00:27
「超人への奥義」

阿含宗では超人になるためにメディテーションバレーを奨めています。
眼に見えないパールとともに、金モール付きのバレー着も購入下さい。
チャクラ・タッチを受けてから、チャクラ開発ペンダントをお求め下さい。
壺瞑想もおわすれなく。(霊感壺近日発売です)
663 名前: 脳障害は私です 投稿日: 2000/06/18(日) 00:28
>655さん、脳障害の因縁なんていう言葉を
使うところを見ると、元、会員ですね。
なぜやめたのか、語りなさい。聞いてあげます。
一時にしろ師と仰いだ人を呼び捨てにしてはいけません。

664 名前: 脳障害は私です 投稿日: 2000/06/18(日) 00:30
阿O宗さん、あなたも、元会員でしょう。
どうしてやめたのですか。語りなさい。

665 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 00:52
切っ掛けは破地獄光明曼荼羅の一件でした。
あの当時で30万でした。
古い話だからご存知ないかな。

僕の友達など苦学生でお金に困っていた為、
あれからしばらく冗談ではなく本当にドッグフードを食べていました。
その後、体調を崩して寝込んでしまいましたが。

別の友達は親の病気が治るからといわれて6本も買いました。
家族全員で入信もしました。
もちろん病気は治る事もなく、直ぐに他界しましたが、その間
特別ご祈願とお伺い、特別お手配等々いくら貢いだかわかりません。
桐山は法力で寿命を1ヶ月延ばしたとほざいたそうです。

やめた理由はいろいろありますが、まわりの人達を見ていてアホらしくなったのと
あとは教義の矛盾と嘘だらけの教祖に愛想を尽かしたからですね。
あそこにいたなんて恥ずかしくてとても知りあいには言えませんよ。
30名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:02
666 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 00:59
信者の女性に対するラブホテル・強制猥褻事件について知ってる方いますか?


667 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:12
>666
それはよその教団でしょ。
むかしふらいでーに出てたよ。


668 名前: みかりんさんへ 投稿日: 2000/06/18(日) 01:15
過去のログを(少し)読みました。

あげあしとりの物書きかなにかと間違えて、強い口調でコメントを
書いてしまいました。嘘ではなくて本当にぞっとしたのですね。
家庭の事情に苦しむ主婦だったのですか。
もし阿含宗に縁があるのなら、そのまま少しづつでも続けるべきです。
背中がぞっと寒いのは霊障のせいです。
霊障のかたは阿含宗を嫌うのです。


669 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:19
>背中がぞっと寒いのは霊障のせいです。
>霊障のかたは阿含宗を嫌うのです。

霊障のある人がそばに来た時も背中に寒気が走りますか?
670 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:34
阿O宗さん、破地獄光明曼荼羅はうちにもあります。
30万円だったのですね。それをいただくときに世間福を期待
するからいけないのですよ。三悪趣から逃れる出世間福期待す
べきなのです。現世でも三悪趣から逃れられるというのはすば
らしいことです。
6本買ったとすれば、完璧に先達が悪いです。ドッグフードを
学生に食べさせたとしたら、それも、完璧に先達が悪いです。
私が代わりに謝ります。目先の権力欲、成績主義のやつがいる
んですよ。売上なんて言う職員もいるくらいですから。情けな
いです。昔、知り合いの方がガンになって、先達を紹介したの
ですが、千本の護摩木(10万円分)と自前の薬品まがいを売り
つけ、全くく信用を失ってしまいました。ガンの方はいくらで
も金を出すのです。その頃はその先達を信用していたので、私
も賛成してしまったのです。彼らは生涯、阿含宗を信じないで
しょう。
一度失った信用は取り戻せませんが、人を見ずに仏陀を見て修行
しようと、仲間内では励まし合っています。
人間関係のトラブルは人間のいるところ常のことです。仏陀の
教団でも修行者同士のトラブルが発生しています。憎み合った
ままでは、地獄界から逃れられないのですね。
わたしも、どうしても許せないやつが一人います。許すまでに
あと1年はかかりそうです。(それまで死なないようにしよう)

671 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:43
669>さんへ。霊障は多かれ少なかれだれでもあります。
非常に霊障の強い方がこられたときは、周りが、明かりが消えた
ように暗くなります。人によって感じ方は違うと思います。
私はその人の霊障の強さは色でわかります。強い人は暗い紫色
です。みかりんさんの寒気は、私の霊障かもしれません。
ただ、道場へ行くのが嫌でたまらず、道場ではぐったりとする、
あるいは、むやみに歩き回りじっとできないなどは、霊障かも
しれません。

672 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 02:25
貴方のような方ばかりでしたら宗内も過ごし易い環境だったと思います。
でも、宗教は教祖次第です。
このスレッドを読まれてどう感じましたか?
とくにヌマエビさんのレポートは貴重です。
ご意見をお聞かせ下さい。


673 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 05:03
> 610
井沢満氏はず〜と昔から熱心な阿含宗の会員だよ。

桐山氏とはベタベタで、お互いにおべんちゃら言い合ってる。
何たって桐山氏は「有名人」と「金持ち」と「高学歴」には弱いから。
放送作家で売れっ子の井沢氏なんぞは特別扱いですよ。
都合良く「聖者様」の本に礼賛文も書いてくれるしね。
例祭(月1回の祭礼日)にもよく来てるよ。
阿含宗の催し物でスピーチなんかもよくしてるしね。
そういえば、阿含宗には彼以外に有名人っていないような・・
31名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:03
674 名前: 少し関心のある一般人 投稿日: 2000/06/18(日) 06:44
有名人は宗教団体に必要ない!
広告塔にされるだけだろ?
井沢氏って誰?、有名なの。
なんかなあ〜ここも勘違いしてる人々が多いんだね。
阿含ってけっこう大きいとおもうんだけど、
あれなのかな、やっていることは拝み屋さんみたいな
祈祷するだけなの?
信者は精神修養とか修行とかふだんの心がまえの
ようななんか人を練り上げる修養のようなこと
しないのかな?
祈祷に金かけて効果なかったとか、供養が必要とか
根本的に違うようなきがする。
病気なら病院にいくべきだし、供養より生きている
人間のほうが大切でしょう。
なんか信者さんと元信者さんのやりとりも
不毛なんだよな。ここのスレッド。
桐山氏をおちょくるのが目的ならば何も言うこと
ないですけどね・・・。

675 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 08:05
674さん、ここでのはなしのもとネタはだいたいが80年代
ものです。あまり発展性を期待しないほうがいいですよ。

みかりんさんちの先達もたまには家族サ―ビスのひとつもすれば
いいのに。生きている人間を粗末にしたらいかんよ。

グ―で殴ったんですかね。

676 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 13:22
>674
阿含宗ではまず、毎日の勤行をするのです。自宅ですからだれも
見張る人もいなくて自由なのですが、一番大事なのです。これで、
人間が変わっていきます。

私も酒タバコ女の人生だったのですが、いつのまにか酒、タバコ
はやめ、出歩くのもめんどくさくなるのです。そういうことのな
い人生のほうが楽しいのです。

法力というのは不思議なもので、1000人集まっても
一人くらいしか煙草を吸わないのです。(禁止ではないのですが)
ふつう禁煙なんてできるものでは有りません。吸っている人が
いれば新人です。酒もセンチ単位です。今日はコップに3センチ
飲んだとか。私は盆正月も飲みません。
病院もちゃんと行くのですが、病院のあたりはずれがよくなり
ます。それと酒タバコ不摂生が治療にはよくないですから。

まあ、たいていの人は不摂生がすきですから。そんな人生が
苦しくなれば阿含宗に行けばよいのです。法力があるのは
阿含宗だけです。どの団体も、法力ありとは宣言していない
でしょう。その団体が宣言して、信者が見とめれば本当です。
いつまでも嘘はつき通せないものです。

法力も奇跡もたくさん見ていますから、嘘だという人が不思議です。

だけど、大切なのは、おかげではなく、人格が良い方へ変わること
なのです。年単位でゆっくりですが。普通はますます悪いほうへ行く
ものなのです。

勤行の時にろうそくをつけますね。解脱供養が始まると(1−2ヶ月
かかるのですが)ろうそくの炎が変わります。おおげさにいうと(
おおげさなのですが)天井に届くほどすすを出して燃え上がります。
霊が苦しんでいると思っていたのですが、最近、それは、霊がよろ
こんでいるからだと教えてもらいました。

お金のことですが、女遊びとかゴルフ、スナックには行かないし
クラブにも行かないし、病院がよいもしない。タバコも酒も買わ
ない。何が楽しいのかといわれそうですが。お金は浮いています。
32名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:04
677 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 13:57
>603 名無しさん@1周年へ
>つまりは阿含宗も伝統仏教のやり方に落ち着いた
>ということでしょうね。
これは間違っています。伝統仏教との違いは、釈迦、仏陀が本尊かどう
かなのです。伝統仏教で、これからは仏陀を中心にやっていくと宣言し
たところがありますか。
伝統仏教が釈迦と阿含経を表に立てて、僧侶は真摯な修行をし、身を慎む
と宣言されたら、今日からでもいっしょにやっていけるのです。住職
さんたちは今のままの俗人でいたいのでしょう。私だって、家が寺なら
そう思います。跡を継いだだけなのに、身を慎めとはとんでもないで
はないですか。俗人ご住職を見とめるべきです。胸に俗人ステッカーを
貼るのです。われわれは俗人でもなんでも、葬式にお経を上げていただ
いたら結構ですから。いくら息子が阿含宗でも、親が死んで坊さんを
呼ばないわけではないですから、俗人ご住職でもころろをこめていただ
いたら嬉しいです。
阿含宗総本山は、釈迦山大菩提寺です。桐山寺ではないのです。管長ご
夫妻の銅像も目立たない、探してもわからないところに
立てられています。(実は探せばわかりますから、これも文飾。)
阿含宗は日本の仏教の本流です。実は日本ではなく世界の仏教の本流です。
懸命の努力でアジアの融和が実現されつつあり、次はアメリカ
ヨーロッパなのです。西欧人には説法しても無駄、見せなければ
とおっしゃっていますので、なにを見せられるのか楽しみにしています。678 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:03
>588最低たよ さん。
どんな難病なんですか。お元気そうではないですか。
プライバシーですが匿名でもあり、よろしければ
お聞かせください。

679 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:11
貴方の尊敬する先生は、酒も女も大好きですよ。
ダチが喫煙してるのも見たといっていましたけど・・・。


680 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:17
関東別院の入り口に愛染明王が置いてあるし、神仏混合でいろいろ
祭っているけれどそれも阿含経の教え通りなんですか?
加持祈祷も阿含経で釈迦が奨めているのですか?
仏舎利崇拝も偶像崇拝ではないのでしょうか?


681 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:18
ところで昔のご本尊 ジュンティ如来はどこへいったの?
仏舎利を買ったから 用済みでお払い箱ですか?682 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 14:49

>643さん
>その人の話は、もう亡くなられたのかも知れないが、こもごもと直接
>お聞きしたいですね。

この人の話など聞かなくても、このスレッドでも、
たくさんの書き込みがあるじゃないですか。
あなたがどこに住んでいる人かしらないが、
多少の宗教的な探求心があるのなら、自分で探してごらんなさい。
必ず、あなたの地域にもそういう人がいます。

ちゃんとアンテナを張っていれば、情報が来る、
と管長猊下はおっしゃっていましたよ。
アンテナが幸せな人ばかりに向いていると、
目の前にいても気が付かないかもしれない。
大半の人が問題があるから、宗教を求めるはずで、
それが周囲が、幸せな人たちばかりだというのは、
アンテナの方向に問題があるのかもしれません。

信者一人一人とていねいに話を聞いてはどうですか。
愚痴でも不満でも批判でも何でも、聞いてあげるのです。
相手が言いかけたとき、阿含宗の教学を持ち出して、
説教して、止める先達様がいます。
「因縁物申す」「愚痴は因縁を作る」「徳が足りない」
「批判ではなく、建設的な意見を言いましょう」「感謝が大切だ」
などときれい事の教えで、相手の口を封じている先達は珍しくありません。
阿含宗の紋切り型の返事が返ってくるだけだと、
無駄だから、会員も本音の話はしなくなるでしょうね。
33名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:05
683 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 14:53
>643さん

副管長の末期癌が二十年近く延命できた、
という点は一般の話としてはすばらしいことです。
世間一般の常識ではなんのおかしさもありません。

話がおかしいのは、桐山さんの因縁切りの理屈にあてはめた時です。
桐山さんはガンの因縁も切れるといっているのです。
そう主張した桐山さんの夫人であり、副管長が
なぜ1982年にガンになったのですか。
そして、なぜ76歳でガンで亡くなるのですか。
副管長がガンで死んだのは、因縁ですか。
霊障ですか。
それとも不徳ですか。

あなたもショックだとおっしゃっている。
そのとおりです。
多少とも、阿含宗の教学、桐山さんの主張を理屈で覚えた人なら、
副管長の死や、管長の脳梗塞にショックを受けないはずはない。

信者ならもう少し、まじめに阿含宗の教学を勉強すべきです。
管長の本をすべて読んでいますか。
法話はちゃんと聞いていますか。
ご都合で教学を出したり、ひっこめたりしないで、
一貫して、あなたの信じている阿含宗の教学で見てごらんなさい。

その教学を、桐山さんの脳梗塞とたちさんのガンにあてはめてごらんなさい。
ただのショックではなく、ものすごいショックなはずです。
ものすごいショックを感じないなら、あなたは阿含宗の教学をまったく
信じていないことになる。

桐山さんの言ったことと現実が矛盾しても、
「年だから」「あれだけの激務をこなしていれば」
「げいかもいつ何事があってもおかしくない年なのだから」
などと常識を持ちだしています。
阿含宗の宣伝をするときには、桐山さんの因縁論を
そのまま受け売りして展開し、
「因縁は切れていきます。私も私の知り合いの人たちも
大勢の人が信じて幸せに暮らしています」
と言いながら、矛盾が出てくると、突然、そこで、
教学を捨てて、常識的な話にすり替えています。

あなたは桐山さんが軽い脳梗塞だと思うと認めました。
桐山さんの作った因縁論によれば、脳梗塞は脳障害の因縁の現れです。
桐山さんは脳障害がないはずなのに、すべての因縁を切ったはずなのに、
どうして、脳障害の因縁の現れである脳梗塞になるのですか。
軽かろうが、重かろうが、脳梗塞は脳障害の因縁です。
常識ではなく、阿含宗の教学で、桐山さんの因縁論で考えてみてください。

684 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 15:03
>643さん

「現代日本人には、仏陀の仏教は無理です」とのことですが、
釈迦直説唯一の経典を護持する阿含宗徒がこれを言ってはお終いです。
これでは大乗仏教と何の変わりもない。

桐山さんの話を検討もせずに、そのまま鵜呑みにしていますね。
「欲望はかなえて」というあたりも桐山さんの理屈そのままです。
師匠の言っていることを鵜呑みにしないで、自分なりに検討してみることも
宗教においてはとてもたいせつなことです。
桐山さんもそれを主張しているではありませんか。

桐山さんは自己弁護の理屈を後で作り上げているにすぎません。
先に密教をやっていたから、密教をそのまま残したのです。

桐山さんの創作した仏陀ではなく、客観的な学者が調べた
仏陀を勉強してはどうですか。
釈迦が説きもしなかった先祖供養や、不成仏霊の成仏などを説き、
釈迦が禁止したはずの護摩や占いをすることが、
釈迦の仏教を現代によみがえらせることですか。
現代風に「密教の行法で自分の欲望を整理」した結果が、
桐山さんの勲章のオンパレードですか。
整理して、様々な屁理屈をつけて勲章をもらうよりも、
普通に欲望を出していたほうが、よほど健全ではあるまいか。
34名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:05
685 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 15:08
>643さん

「お釈迦様の名前を日本人に思い出させたのが阿含宗である・・」
とは恐れ入りました。
釈迦の名前を知らない日本人がいったい何人いるだろうか。
釈迦を本尊とする仏教など珍しくもない。
まるで自分だけが釈迦を担いでいるような桐山さんの言い分を
鵜呑みにしないで、自分で確かめてごらんなさい。

阿含宗が阿含経を世に広めたと言う。
ほんとうだろうか。
桐山さんも本に書いているように、
友松圓諦のように宣伝した人たちはたくさんいます。
ただ、自分の宗教を広めるために徹底的に
利用した人は桐山さんが初めてです。

阿含経を広めることがそれほど珍しいですか。
日本、韓国など、東アジアの一部の地域を除き、
釈迦の言行録が阿含経であることは、常識です。

桐山さんのやったことは、阿含経を広めたのではなく、
「阿含経を利用して、自分の宗教を広めた」のです。
釈迦を看板にして、釈迦とは関係のない自分の宗教を広めたのです。

桐山さんは「命をかけて釈迦を広める」などと格好よくいう。
立宗するときの言葉なんか、人生の選択を迫られた孤独な男みたいで、
とても格好がいい。
何か激しい迫害を受けたような言い方を桐山さんはよくします。
だが、だれが阿含経のことについて攻撃しましたか。
桐山さんのやっているおかしい面を批判しているだけで、
阿含経そのものを批判している人などいません。

桐山さんの、ドラマチックに阿含経を演出した、
その才能はたいしたものです。
桐山さんは、阿含経を旗印にすることで、
まるで自分が憂国の士であるかのような、
釈迦に全権を依頼された代理人のようなポーズをとった。
その宣伝能力はすごい。

だが阿含経を広めたのはなく、名前を利用したにすぎない。
信者は素直だから、阿含経といわれれば阿含経、
仏舎利といわれれば、仏舎利を信仰します。
桐山さんにとってはこれらはすべて「道具」でしかない。
何でもあの人は使えるものは宣伝に使う。
桐山さんのたいへん才能であり得意技です。

686 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 16:31
>桐山さんのやったことは、阿含経を広めたのではなく、
>「阿含経を利用して、自分の宗教を広めた」のです。
>釈迦を看板にして、釈迦とは関係のない自分の宗教を広めたのです

そのとおり!
35名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:06
687 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 21:34
>671

これジョークでなく、本気で書いているのですよね。

阿含宗にいたとき、見えるという霊能者と信者に
被験者になってもらいました。
霊能者のいう霊障を説明してもらい、
その後、信者が解脱供養を出しました。
霊能者の指摘と管長の指摘とが一致したことはありませんでした。
結局、何人かの霊能者に、得意技をやってもらい、
試してみましたが、客観性はまるでありませんでした。

この種の霊能力をもった人で、
家庭や仕事がうまくいっていて、満足している人を見たことがない。
たいてい、自分は高い能力を持っているのに、
だれも認めてくれない、という強い不満を持っていました。
桐山さんはその筆頭でしょう。

ある霊能者が「強い霊障あり」と指摘した会員たちは、
その霊能者が嫌っていた相手でした。
本気でこれを言っていました。
自分の好き嫌いを投影したにすぎないことすら
気が付いていなかったのです。

霊能者の一つの共通点は、管長がそうであるように、
「思いこみが激しい」
の一言につきます。

「あなたには霊障がある」というのは、
「おまえはクサイ」というのと同じで、一種のイジメです。
臭いのはまだ客観的に判断もできるが、霊障はまったく判断できない。
霊障を信じていなくても、言われて気持ちのいい人は一人もいません。
霊能者は自分の発言に責任をとる必要もありません。

688 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 21:36
>671

霊能者は、自分はすごい能力を持っているのだ、
と他人からの尊敬を受けたいと思っている人が多いのです。
しかし、原因は霊能者だけではありません。
「あの人がそばに来ると、頭が痛くなる」
「この法座会の中に強い霊障をもった方がいます」
「道場の入り口に来たら、肩が軽くなった」
などと述べる。
聞いていてバカらしいのだが、案外、信者は本気にします。
信者の中には、暗示で、「さっきから寒気がすると思ったら」
などと発言し、皆さんも同様な顔をする。
信者たちも話を増幅し、柳を幽霊にしているのです。

「仏様からすごい力を感じる」
などと言うと、信者は、みんな同意します。
何か感じている顔をしないと、
霊的に鈍感なのだと思われるのが恐いのでしょう。
仏舎利を拝んでも何も感じないと言った人に、
「あなたは霊障で汚れているから、清らかさがわからないのだ」
とほざいた先達がいます。
先達の心のほうがよほど汚れている。

阿含宗の信者は、宗教が好きですから、霊能が好きです。
だから、霊能者がいると、たちまちミニ教団ができる。
自分だけがわかり、先生のような存在です。
これが霊能者たちには快感なのでしょう。
今でも、横浜に霊能者大先達が一大勢力を誇っています。
この人の話は阿含宗の話とは似ても似つかない。

十年ほど前、ある道場では、主な信者が霊能者に、
自分の因縁、霊障、前世のお伺いをたてていました。
「今日は仏様がとても喜んでいる」
などとご霊示をたれていました。

信者が霊能者をほしがっているのです。
需要があるから霊能者はいなくなりません。
36名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:07
689 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 21:43
>671

ある霊能者は、「ご宝塔がとても温かい」
「あの先達からは清らかなバイブレーションが伝わってくる」
などといつも言っていました。
金属の仏舎利尊がどうして温かいのかわかりません。
「あの先達」は人の導きを平気でとる人でした。

この人から「電話が何度も最初だけ鳴って、それで切れてしまう。
何か霊的なサインではないか」という不安げな問い合わせがありました。
幽霊が電話をよこしたと言いたかったようです。
「近くで電話工事をしていませんか」と答えました。
幽霊は電話工事でした。

彼らにとって絶大な霊能者である桐山さんが、
「仏舎利から紫磨黄金の光が・・」
「霊障の仏が来ると火が湿る」
「霊障の仏が団らんの茶の間でのたうちまわっている」
などと言われると、それを認め、「桐山さんと感覚を一体化」
することが信仰なのです。

ご宝塔が温かいのも、霊障を感じるのも、
彼らは心の共鳴現象をおこしやすいのでしょう。
阿含宗という閉ざされた村社会では、
妄想にすぎないものが、集団だと、思いこみの激しい人には、
現実的なものとして、感じることができるのでしょう。

桐山さんのいうような霊障が原因で絶滅するというのなら、
1999年でなくても、人類ははるか以前に絶滅しています。
大霊能者の「霊障の大予言」すらはずれたんですよ。

霊能者って、ウソついているとは言わないけど、
他人の霊障を指摘する前に、自分の感覚や頭を疑うべきです。
桐山さんを見習って、最新の脳生理学の本でも読んでみたら。

690 名前: 105元修行者さんへ 投稿日: 2000/06/18(日) 22:24
>105元修行者さん。
バチカンが仏教徒400人を招待して、ミサを執り行った。
カソリック教徒30万人の一番前の列に仏教徒が位置した。
仏教徒がバチカンの聖堂で修法をとりおこなった。ということは
世界史でも大きな事件なのです。
歴史的認な観点でもうすこし意味を深く考えるべきではないですか。
カソリック教徒と仏教徒が世界史で初めて、合同でミサをとりおこなったのです。


691 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 22:27
霊能者=零能者=零脳者=求聞持脳=桐山 (退化の法則)
で決まり!


692 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 22:33
貴方は行った事がないらしい。

>カソリック教徒30万人の一番前の列

あそこは特別招待席の外側で誰でも入れるところ。
前にいたければ先着順なので早く行けばいいだけです。

>世界史で初めて、合同でミサ

サンピエトロでの定例ミサに単に参列しただけで何故合同ミサになるんですか?
カトリック側から見たら大笑いですよ。

>世界史でも大きな事件

貴方のような方が信仰宗教を支えているのですね。
これからも頑張って下さい。


693 名前: 308名無しさんへ 投稿日: 2000/06/18(日) 22:53
ソ連の打ち上げた人工衛星は静止軌道にあり
シンガポール上空にあるはずです。落ちていなければ。
私の家族の写真も乗っています。

694 名前: 398大仏祭さん 投稿日: 2000/06/18(日) 23:12
大仏祭はいいですよ。食べ物も安いので、家族で1000円2000円
あれば一日遊べるし。昔は信者が奉納演芸を行っていたのですが、
さすが超能力者でも素人芸を半日見るのは疲れるものが有るので(ご本人談)
プロの演芸や演奏にかわりました。ただ阿含宗徒はまじめなので、のりが
悪いです。ギターの寺内?鹿内?さんがのりが悪いと怒っていました。
クラシックにすれば良いのですよ。←O宗事務局さんへ。

695 名前: 401さん 投稿日: 2000/06/18(日) 23:20
信者への指導が無いというが、7000人の伝法会、それが5,6グループも有る。
一夏にそれだけの者に、夜遅くまで、受講しているほうが根を上げるほど教え
込む。そんな教祖さんがいますか。
37名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:09
696 名前: 419大仏祭さん 投稿日: 2000/06/18(日) 23:32
>宗教入門
そうですよね。現在の日本の宗教学者はみんな影響を受けているの
です。→学者?さんへ、正直に書けよ。読んでますって。何事でも
方向性を見出すのが一番難しいのです。宗教関係の何とかブームが、
すべて桐山著書2週間遅れで始まったのを知っています。どちらが
先かなんて本好きにしかわからないでしょうが。決まった方向に
肉付けなんてだれでも(私はできませんが)できるのです。

697 名前: 455エビカワさんへ 投稿日: 2000/06/18(日) 23:44
暴露はボウロではなく、バクロだと思うのですが。
あなたの将来の為に(マジで)。それともボウロという若者言葉があ
るのでしょうか。知らないもので。
ちなみに遵守はソンシュでなくジュンシュです。

698 名前: 535さん 投稿日: 2000/06/19(月) 00:20
阿含宗をカルトというのはおかしいと思います。
由緒有る多くの神社などでも法要を年に何回も行っています。
宮司さんも主席され祝辞もいただいています。
ここには書けませんが(略)、、。
日本宗教界では営業上の不利益を恐れる伝統仏教以外には思
いのほか認知されていますので、よくお調べになってください。
国内でも本年も法要の予定があるようなので、取材にいかれ
ればわかるでしょう。

699 名前: 538さん 投稿日: 2000/06/19(月) 00:26
>私の場合、金銭的被害は軽佻でしたが(貧乏学生だったもので)
軽佻ではなく軽微です。軽佻だと軽はずみという意味です。
>霊障だとか因縁だとか、インチキだと分かりつつもつい頭の中を
よぎってしまうような.....ほんとうに精神的にレイプされた気分
インチキではありません。事実です。


700 名前: 672阿O宗さんへ 投稿日: 2000/06/19(月) 00:48
1番からずっとスレッド読んできました。疲れました。
破地獄光明曼荼羅が30万円だったと書きましたが訂正しておきます。
解脱供養3体のご法施としていただいたものでした。売り買いるもの
じゃないでしょうとしかられました。ヌマエビさんのコメントについ
ては、反応できませんでした。なにも感じなかったのです。私が知っ
ていることに関してはかれが間違っています。かれは今年二月の星祭
に行っているのでしょう。星祭の修行をしていながら、こういう文章
をかける人もいるのですね。これが彼の特徴(阿含宗用語で因縁なの
でしょう)ずいぶん助けられているはずなのですが。近親憎悪の体質
なのですね。ヌマエビさん、まだ後宝塔を持っているのならしっかり
拝んでください。本当はそんなうらみつらみの暗い世界から抜け出し
たいでしょう。管長げいかは許してくれていますよ。

701 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 00:59
>679さん。
末端の一番だめ男のわたしでも、酒や女やタバコは簡単に
切れたのだから、それはありえないです。そう言う生活を
していたらあの激務には体が持たないです。
簡単といっても3年以上かかりましたが。最初は愛人に法
をといていましたから。結婚してくれたら入るわよ、馬鹿
みたい。といわれました。
ご存知のように、酒タバコ乱れた生活というのは、教しえでは
どうしようもないのです。法力です。末端会員のみんなが
健康な生活を送っています。

702 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:02
>680さん。阿含経典を読まれたらわかるのですが、仏教は
仏陀の時代から神仏混交です。仏陀はヒンズーの神々を
捨ててはいないのです。ただ涅槃に至る道を付け加えただけなのです。

703 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:13
>681さん。仏舎利を買うという表現はおかしいです。
たとえば私ですが、この世の全資産をやるといっても阿含宗は
やめません。(拷問されたら口先だけで転びますが。)
そういうお金で買えないものがあるのです。日本には聖職者と
言う者がいないので、誰でも金で転ぶと思いがちですが、世界
を見渡せばそうではありません。
スリランカ大統領手ずから渡されたものを、買ったといっては
いけません。
阿含宗は本尊が仏舎利尊=お釈迦様、それに密教ですから諸仏諸菩薩
諸天善神を拝みます。
38名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:10
704 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:46
>682さん。会員さんのようで。元?
>683さん。同じ方かしら。
たとえば進行ガンの人が100人います。日本中
どこの病院へ行っても一人も助からないのです。
その100人のうち、5人10人助かってもすごい事だと
思っています。人は年老いて病を得てみんな死ぬのです。
例外は有りません。55歳の母が進行ガンで75歳まで
生かせていただけたら感謝します。
管長げいかの家族だって、信徒だって同じ人間です。
これは私の本音です。仏陀だって赤痢かなにかで亡くなられた。
ショックというのは寂しいと言う意味もあります。
ご夫妻銅像の意味がわかりました。偲ぶ便(よすが)だったのですね。

705 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:52
>684さん、夜もふけましたが。
阿含宗の教義は釈迦の根本仏教と密教を止揚したものです。
日本大乗仏教は釈迦を忘れているのです。
私もこの形がBESTだと思っています。考えてです。

706 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:55
>684さん、仏陀が護摩を禁じていたとは思えません。
占いは、僧侶に禁じていただけです。商行為を禁じていたのです。


707 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 02:00
>685さん、もう少し。
釈迦を本尊とする仏教など珍しくもない。
日本のどこにありますか?

阿含宗前の、友松師、中村博士などの、少量の阿含仏典の書物を
もとに私やあなたがどのような修行ができますか?
読んで、寝るだけでしょう。原始仏典は有る意味で退屈な読み物
です。一万巻の阿含経典から重要部分を探し出したのは、桐山先生
ではないですか。

708 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 02:06
>686阿含宗が出るまでは、世間の人に
は阿含経に対する興味など無かったのです。
特殊な人以外は知らなかった。


709 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 02:16
>692さん。
パームサンデーの30万人の大衆。警備も厳重。各国大使館の列席の前の列
に誰でも入れることはないでしょう。ミサを終わった法王げいかが桐山管長
と握手をされたのはご存知ですか。
防弾ガラスの車に乗るほど警戒厳重な法王げいかの至近距離に誰でも入れる
わけがないではありませんか。
それとは違う日にサンピエトロ寺院(違っているかもしれません)で阿含宗の
法要が行われました。
この話を一番嫌うのが、日本のカソリック教徒なのです。
詳しくは映画も本も有りますので見てください。本は「愛のために、、です。
本を読んだ上でもう一度お書き込みを。

710 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 02:31
1番から709番まで読みました。疲れました。
この馬鹿なところが私の因縁です。長文申し訳
ありませんでした。
準低如来さまは(低は月へんです)ちゃんとおがんでいます。
霊能者は霊障者とは、良く言われる言葉です。
見えないものも存在します。さようなら。

711 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 03:21
私は信者だよ。
アゴン宗は本物だよ。本当かどうかは入ってみないと
わからない。私はマジで助けられたことあるから。
くわしくは書けないけどさ。

712 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 13:32
桐 山師が本当に聖者なら、何故経歴詐称などする必要があるのでしょうか?
法力云々ですが、天魔外道や狐狸のような畜生でも神通力をもっている者はいる
そうです。悪魔でも聖書を引用することはできるし、仏舎利を拝むこともできるでしょう。
 以前、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHPを閲覧したところ、ダライラマ14世の来日履歴に、「阿含宗が招聘」というのはありませんでした。黒住教や念仏宗
なんてのはあるのに。
おかしいな〜。
39名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:11
713 名前: 鹿児島原始仏典くん 投稿日: 2000/06/19(月) 14:49
観音慈恵会の時代がなつかしい。アットホームで、各自が体験した救いや体験から
自然と広まっていた時代でした。管長や奥様とも直接親交がもてました。
教団が大きくなると、コストがかかるのでしょうが、集金システムが目立ちはじめ
請願と言って、布教ノルマが出はじめました。数を言い始めてから、教勢が鈍ったと思います。
昔の和気あいあい・自然と広まる阿含宗にもどってほしい!

714 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 15:05
>712 さん。ある人の伝記を書くとき、色々な書き方があ
ります。すべてを賞賛する。すべてを悪く書く。桐山師は大き
な人格ですから、一方的な文章を信じず、自分の目で、誉めす
ぎもしない、貶めもしない、公平な伝記を書いてみてください。
(実際に本を書けという意味ではありません。)
とことん貶めれば利益になる人達もいるのですよ。そう言う人
達の文章を丸のみにするのもおかしな話ではないでしょうか。
その人達の文章は私のこの目で見た範囲に関しては嘘であり
中傷です。
桐山師はごくごく普通の(野心もある、才能もある)人間から
今の聖者と宣言するような人間にまで変わってきたのです。
普通人がどのように変貌したかを研究することも意義あることで
はないですか。男子三日見ざればカツモクして見よ。君子豹変す。
と言う言葉があります。君子豹変は誉め言葉なのです。まだらも
よう?の頼りない豹の子供が、突然すばらしいパンサーになって
いることを言います。
あなたの周りにもいるでしょう。突然大きくなって、肩幅ができ
て。あいつは、ちびだった、はなたれだったと言っても仕方ない
でしょう。彼は今、巨大なのですよ。

ダライラマに関しては武道館における共同でなされた修法がすべて
です。宗教家が一緒に護摩を焚けば、それは永遠の契りなのです。

追伸ですが、ヌマエビさんへ。武道館のダライラマとの合同の法楽、
バチカンでのこと、モンゴルでのこと。楽しみにしています。
私はちゃんと知っていますから、どのように悪く書けるのか。


715 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 15:10
>712さん、
悪魔でも聖書を引用することはできるし、
仏舎利を拝むこともできるでしょう。

悪魔でも仏舎利を拝めば聖者になるのですよ。(なかなか拝まない
でしょうが。色々と理由をつけて。)
聖書の引用に付いては、聖書のことがわからないので教えてください。
阿含宗が聖書を引用しているのですか?ととぼける。聖書を知らない
のは本当です。たぶん100文字くらいしか読んだことが無い。面白
くない。退屈。

716 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 15:26
>712さん、桐のあとにスペースが残っていますよ。
男子三日見ざればカツモクして見よ、は、極心空手の
大山ますたつさんが好まれた言葉です。
チャンピオンに対して、おまえは新人の時、どじだった、
しっこちびりだったといってはならないのです。
そういうのを、武士の情け、惻隠の情、言わずもがな、
というのです。師がちょっとしばらく旅に出るといえば、
そうかなと思ってあげるのが弟子なのです。
しっこをちびったことは告白します。うんこまでは告白
しないかもしれません。立場上言えないこともあるのかも
しれません。しかし、それはすべて昔のことです。しかも
嘘かも本当かもわからないのです。

しかし、私の妻は、私の昔の浮気を今でもせめつづけます
がねえ。

717 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 15:40
>713
鹿児島さんこんにちは。
阿含宗が金集め(金儲けではない)をはじめたのは
総本山総本殿が大きな理由だと思います。

たとえば弘法大師なきあと真言宗が続いたのは高野山が
あったためだと説明されました。
桐山師なきあと、日本に釈迦と阿含の教えが残るために
は総本山が必要なのです。
この説明には納得しています。

阿含宗も、誰も知らない状態から、知る人は知る時代に
なりましたね。知らない人は全く知らないですが。
40名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:11
718 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 15:57
「悪魔でも聖書を引用することができる。自分の勝手な都合のために」って、
シェイクスピアの「ベニスの商人」の中に出てくる有名な台詞では?
桐 山師の場合は「詐欺師でも仏典を(孫引きで)引用することができる」でしょうか。
ニセキリンビールを製造販売して懲役刑喰うような人はごくごく普通の人なのでしょうか?
「栴檀は二葉より芳し」ニセ仏教を売る超一流の詐欺師、ペテン師、香具師であることは確かでしょうな。


719 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 16:10
>718さん
そうではなくて、この際、阿含宗がどのように聖書を引用
しているのか。そして、それに対するあなたの解釈はどう
なのかと言うことを聞きたかったのです。

偽仏教とはどうして、どのようなところが偽仏教なのですか?

ちょっと仕事します。また、夜に。

720 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 16:42
>712
もとダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表のペマ・ギャルボ氏の講演が載っているサイトを見つけました。
http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen6.htm
その中で氏は「今までに二回詐欺に遭ったことがあります」と言われています。
1回はオウム、もう1回は??

721 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 17:01
>719
しぇいくすぴあはキリスト教国のひとだからねぇ。

諸悪莫作
諸善奉行
自浄其意
是諸仏教

合掌

722 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 17:15
>700私が知っていることに関してはかれが間違っています。

ウラミツラミの聞いたような心理分析はいいから、
まちがっていると思ったら、反論したらどー。
まちがっているの一言で済むなら、
この掲示板いらねえよなー。

>反応できませんでした。なにも感じなかったのです。

これ、何も反論できませんと書いるのと同じだよ。
これだけテメエとこの教祖こき下ろされても、
なにも感じないなんて、おかしかねーか。
それともあまりの現実に頭がフリーズした。
後宝塔って、なに?
41名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:12
723 名前: koutarou 投稿日: 2000/06/19(月) 18:18
(Kotarou(2000/2/7受理)
宇宙に関する認識と地球に関する認識は、一致していると思う。
重力波に関して@`未だ測定にすら成功していない人類と、
それを増幅し小型化に成功している知的生命体との文明の差は、200万年とも言う。
今から200万年前の地球を、今の文明人が、侵略したいと思うだろうか。
科学的に言って、電池や、モータに相当する重力波制御装置が発明されたら、
宇宙に関する見方も変わると思う。
メンデルが生誕して、ワトソンらが二重螺旋(DNA)を発見するまで、遺伝子制御
などと言っても夢の夢だったと思う。
せめて、もし重力波が発見されれば、それだけで希望が膨らむと思う。
唯それまでは、宇宙に、人類が重力制御を可能にし、飛び立てる日を信じるしかないと思う。ヘーゲルは、「唯信じなさいは、いけない、一つ一つの概念を調べていけ。」
と言っているが、200万年もかかるのでは、ね。
それと、冒頭の地球に関する認識の意味は、中世の世界観と、今日のカーナビや、
衛星放送、衛星携帯電話を観ると、人類は、確実に世界の出来事を同時に一つの住処の出来事として理解していると思う。
この事は、「宇宙人ユミットからの手紙」の中に、「惑星ウンモには、大陸移動の現象が生じていない。」の意味と同じである。
織田信長の時代に地球が一つの大陸であったとすれば、核戦争の危機は無かっただろう。
個人的には人類がもう一段階の進化をして別の生物になることを期待している。
遺伝学的に植物の遺伝子の根、葉、茎の部分が進化して、動物の手足などの部分が出来ていると言う。人間の遺伝子に何が加わるのか。
宇宙のなぞと同じくらい興味がある。
上の2つの文章は、私が投稿したものです。
宇宙人によれば、仏陀は、人間の次の生き物だそうです。
因縁も、超能力も遺伝子が、進歩して、別の生き物になれば、
誰でも普通に出来る事かもしれません。それまでは、ある部分が、次なる生物の、優れた能力を示せば、それを、私達人間は、利用させて頂く事で良いのでは。
例えば、霊障を、取り除ける法力を有する霊能力者がおられれば、
取り除いて戴く。しかし、その方が、仏陀と同じ、完全なるミユータントと言うわけでは、
ないかも知れません。
でも、その使用価値は、仏陀と遜色ないと言いたいのです。
確かに、霊能力者は、突然変異の仏陀に、人間の信者が、修行でなれると説くのは、
遺伝学的に無理があるかも知れません。
あくまでも、人間として、生きる倫理を教えるべきかも知れません。
42名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:13
724 名前: koutarou 投稿日: 2000/06/19(月) 18:58
Kotarou(2000/2/22受理)

Kotarou
今日、縦、横、高さに時間を加味した4次元の世界に、我々が、住んでいる事は、広く一般に受け入れられている。
例えば、ある山奥の二束三文の土地が、新幹線が通る事で、高値になる場合など、時間的に連続して観れば、(人の一生が)時間と共に(3次元空間で)変化しているのが解る。
「宇宙人ユミットからの手紙」は、2000通もの多様なテーマの手紙で、解読者のプチ博士自身が、20年近く掛かり解読したごとく、全編とても難解で、読むのに何年も掛かった。
この資料の著者(=解読者のプチ博士自身ではない、ユミットと言う宇宙人)は、
乙女座の中のほぼ15光年の距離に有るウンモと言う惑星から来た、地球の人間と似通った存在で、全ての宇宙は、10次元で記述されると、(ユミットは)言う。
そうした、現実味を帯びているとは、思われない部分(=惑星間旅行方法についてのプチ博士自身の言葉)は、さておき、私が理解出来るところを紹介したい。
プチ博士は、東洋人の方が彼らの考え方を理解し易いかもと述べている。
この宇宙は、すべて対に成って出来ている。勿論、宇宙そのものも(=双子の宇宙)。
これは、陰陽の考え方と同じだと思った。
それと、測定の場合、測定範囲を現在と現在からプラスのある時刻でしか、観ない
(過去にも測定を広げない)現在の科学では、真実は、測定できないと言う。
それは、フーリエ変換で、積分の下限、上限を-∞から、+∞にするのと同じだと思った。
それと、真か、真でないか(=偽り)の二値論理の言語では、
同じ言葉の表現でも、受けとり方により全く逆にも受け取られる可能性が有り、
四値の論理が、論理的に正しいとも述べている。
(存在する、存在する)
(存在する、存在しない)
(存在しない、存在する)
(存在しない、存在しない)
数学、法律と言った、論理的(=logical)な物は、全て二値論理で出来ているから、
現象を完全には、表現できていないと述べている。
(日本語は、よく論理的でないと言うが、意外と、四値の論理なのかも。)
そこで、私は、私なりに、この意味を考えてみた。
ゾンブロゾ−女史の言う「女性は,頭と子宮で物を考える」をあてはめると、
  頭    子宮
(存在する、 存在する)  -----  いけない男(=いい男)
(存在する、 存在しない) -----  普通の男
(存在しない、存在する)  -----  普通の男
(存在しない、存在しない) -----  ダメな男
ではないかと思う。
43名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:13
725 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 19:06
>721 さん、わかりません。
阿含宗のどう言うところが偽仏教なのか。
それでは、どう言う仏教が本物の仏教なのか。
具体的に。

726 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 19:09
Kotaroさん。受理できません。理解不能。
境界領域です。交信は失敗しました。→惑星外生物へ。

727 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 19:26
>722さん、ヌマエビさんの文章は、何年も前から
見飽きたものなのですよ。そんな文章写されてもなん
にも感じません。また、逆に、阿含宗の見方や説明も
あるのだから、両方を載せて検討しなければ。
お金目当てで悪く悪くかけばああなるのでしょう。

ヌマエビさんも自分の言葉で書くべきです。

728 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/19(月) 20:25

「一九九九年七の月」 30.信者の呆然

桐山氏が恐怖の大王であるという新説にも信者は困りました。
1996年12月、桐山氏は脳梗塞になりました。(197〜参照)
病気の桐山氏を、東京の先達(指導的信者)の一人は、
「アンゴルモアの大王(桐山氏)は恐怖の大王と戦って傷ついた」
と弁護しました。
モンゴルで桐山氏が「恐怖の大王と戦って勝利した」と宣言したことを受け、脳
梗塞だと認めないで済むように編み出した桐山氏へのゴマスリ説です。
アニメのようなこのおとぎ話を、職員もいっしょに吹聴していました。

桐山氏が恐怖の大王なら、桐山氏が自分と戦ったことになり、話が矛盾します。
桐山氏を弁護しヨイショしたつもりが、かえって混乱を招きました。
先達も師をまねて、口をぬぐって素知らぬふりをするのが一番でしょう。

恐怖の大王は空から下りてくることになっていました。
桐山氏が飛行機に乗って中国やインドに行ったことを指すのでしょうか。
上品そうな桐山氏のどこが「恐怖」なのか、よくわかりません。
人々に因縁、霊障、地球壊滅で恐怖心を与え続けたからでしょうか。

脳障害から来た妄想と自己過信で作った予言話の矛盾は説明しきれません。
妄想の上に、詭弁で支えた妄想を積み重ねただけです。
桐山氏のお得意の求聞持脳を駆使しても、妄想は現実にはなりません。

ノストラダムスの大予言で世間をお騒がせした作家たちはたくさんいます。
自分がアンゴルモアの大王だ、恐怖の大王だと名乗ったのは桐山氏一人でしょう。
トンデモ・ノストラダムス本の中でも桐山氏の本は群を抜いた特異性があります。
この本には、これまでの桐山氏の本と比較しても、奇妙な特徴がありました。


729 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 20:44
>728ヌマエビさん。
うー。何を書いているかわからん。桐山師は頭のよい方ですから
つじつまは合わされるでしょう。長い阿含宗の教学の歴史でつじ
つまが合わないというか、大きな変更点は、1個所だけなのです。
それは最初は大乗仏教を認めていなかったが、途中で、釈迦の根
本仏教と止揚(アウフヘーベン)することによって、大乗仏教を
も認めるようになったことです。
ですから、阿含宗の文書や書物を読んでつじつまが合っていない
と言うなら、読み手の頭の中のつじつまが合っていないのです。

桐山師はそんなつじつまの合わない文章を発表するほどやわな
頭脳の方ではないのです。

730 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 20:47
>728 ですから、桐山師の文書のここが気に入らない
というのなら読んでみますが、桐山師の説明が混乱してい
るというなら、そちらの読解力を疑います。

731 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 20:57
ヌマエビさん、資料を捨てて、自分の言葉で語りなさい。
44名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:14
732 名前: みかりんさんの夫へ 投稿日: 2000/06/19(月) 21:06
みかりんさんのスレッドを読んだぞ。
君は間違っている。阿含宗徒として恥ずかしい。
柏原霊園をキャッシュで買ったって書いているではないか。
500万や600万はしただろう。300万払って200万
はローンにして、残った200万でみかりんさんに、
ルビーとか、ダイヤとか、エメラルドなどをなぜ買って
あげないのだ。ローンにしたって金利は格安だっただろう。
仏陀の教えをちゃんと読んでいるのか。
妻の心を踏みにじって、阿含宗徒と言えるのか。
それに、暴力とは何だ。ドメスティックバイオレンスとは
なんだ。仏陀は妻を尊敬しろ侮辱するなと書いているだろう。
それで信心に導けると思っているのか。

733 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 21:21
ヌマエビさん、資料を集めて、もっと書き込みをしなさい。

734 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 21:26
↑もうちょっと勉強して、ましなコメントをつけなさい。
学会さん。

735 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 21:31
732さん、同感です。だから「家族サ―ビス、ウンヌン」と、
発言したのですよ。

736 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 21:33
>727ヌマエビさんの文章は、
>何年も前から見飽きたものなのですよ。

へえー、ヌマエビさんとお知り合いですか。
何年も前って言うけど、書かれてる内容は、
去年のことじゃないか。
どうやって、何年も前から見飽きるんだい。
教祖さんみたいに透視したのかい。

信者らしいのが、
ここは80年代のことだけ書いてあるっていってたよな。
1999年て80年代なのか。
教祖さんの奥さん、最近死んだんだろ。

阿含宗のカレンダーは、こうゆうのがテーセツか??

737 名前: 675 投稿日: 2000/06/19(月) 21:48
732さん、同感です。だから「家族サ―ビス、ウンヌン」と、
発言したのですよ。

わたしは二回目のイタリア訪問のときに同行しました。一般謁見の際に
ロ―マ法王が日本語で桐山師と信徒に歓迎の意を表明してくださいました。

イエズス会のピタウ神父立会いのもと、イタリアの学生のための教育基金
が設立されました。神父も「仏陀の慈悲、キリストの愛、言い方や言葉は
違うけれど、目指すものは同じなのです」といった趣旨のおはなしをされて
いました。

これらはすべて真実です。

738 名前: 675 投稿日: 2000/06/19(月) 21:49
732さん、同感です。だから「家族サ―ビス、ウンヌン」と、
発言したのですよ。

わたしは二回目のイタリア訪問のときに同行しました。一般謁見の際に
ロ―マ法王が日本語で桐山師と信徒に歓迎の意を表明してくださいました。

イエズス会のピタウ神父立会いのもと、イタリアの学生のための教育基金
が設立されました。神父も「仏陀の慈悲、キリストの愛、言い方や言葉は
違うけれど、目指すものは同じなのです」といった趣旨のおはなしをされて
いました。

これらはすべて真実です。

739 名前: 675 投稿日: 2000/06/19(月) 22:05
ここでのはなしのもとネタは、だいたいが80年代ものです。発展性が
無い、と、発言したのですが。

オウム・チベット仏教、クンダリニ―、超能力開発、以下省略・・・

それらの夢に破れた人間たちの、恨み節的発言がやけに目立つので。失礼。
45名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:15
740 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:08
>704
>たとえば進行ガンの人が100人います。

あなたのたとえは世間的な、世俗的な解釈です。
それは正しいとすでに申し上げている。
世間的な話ではなく、あなたが勉強した
阿含宗の教学で考えて、回答してごらんなさい、と
前回も申し上げたのです。

1982年の話は、桐山さんが言っているだけで、
具体的に医者が証言したわけではありません。
たち夫人があの当時、末期癌であったかどうか、
だれもわかりません。
桐山さんの記述ですら、肝硬変、肝癌ノ疑イ強シとあります。
これをみる限り末期癌で18年延命したとはいいがたいでしょう。

>どこの病院へ行っても一人も助からないのです。

これを具体的に医学的なデータに
基づいて調べていますか。
桐山さんは時々、根拠に乏しいことを
断定的に言って、自分の力のすごさを誇示します。
あなたは桐山さんではないのだから、まねしないことです。

741 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:09
>707
>阿含宗前の、友松師、中村博士などの、少量の阿含仏典の書物を
>もとに私やあなたがどのような修行ができますか?

もちろん、できますよ。
仏教徒は皆さんやっています。
教育も何も受けていない当時のインドの一般大衆に
口で言ってもわからないようなことを釈迦が説いたと
思いますか。
素人には修行ができないと桐山さんに言われて、
それをあなたは鵜呑みにしているのでしょ。

742 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:10
>706
>仏陀が護摩を禁じていたとは思えません。

桐山さんの信者なら、彼の本をちゃんと読みなさい。
カッサパ三兄弟の話を桐山さんは著書で何回も引用しています。
彼らは火を拝んでいました。
釈迦に帰依するとき、火を焚くのに用いる事火具を
すべて川に捨てました。
他の経典でも何種類かの護摩をあげて、禁止しています。
経典をよくごらんなさい。

743 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:12
>706
>占いは、僧侶に禁じていただけです。商行為を禁じていたのです。

出家の比丘に占いを禁止したというのはそのとおりです。
占い師という世俗的な職業を禁止したのではありません。

占いは、金品を受け取ろうが受け取るまいが、
釈迦の教団内では禁止されていました。
では、どうして桐山さんは占いをするのですか。
どうして阿含宗の僧侶も占いをするのですか。
どうして阿含宗の道場では占いをするのですか。
メシアの館、閉店になったシャリーラと、
どうして占いの店を経営しているのですか。

744 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:13
>708
>阿含宗が出るまでは、世間の人に
>は阿含経に対する興味など無かったのです。

阿含宗のおかげで、世間には、
前よりも阿含経の名前は広がりました。
一般大衆は、阿含経を阿含宗という新興宗教と結びつけて
覚えてしまい、阿含経の印象は粗悪なものになりました。
46名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:16
745 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:15
>707
>一万巻の阿含経典から重要部分を探し出したのは、桐山先生
>ではないですか。

重要部分だと思ったのは桐山さんでしょ。
桐山さんが重要部分だと思うのは宗教家としての見識ですから、
いっこうにかまいません。
しかし、誰が認めたのですか。
信者以外に、他に誰が認めたのですか。
阿含宗を支持する仏教学者が賛同文を書いてくれましたか。

「ノーベル賞級の発見をした」と言っている、
トンデモ科学者と何かが違うのですか。
桐山さんが重要な発見でもしたかのように言うけど、
こういうのを手前味噌、我田引水というのです。
"阿含宗村"でしか通用しない論理を出しても無駄です。

桐山さんが選んだ経典は、自分に都合のよいものを、
これまた極めて都合よく解釈した内容です。
そういう意味では、桐山さんにとっては重要な経典です。
まちがっても、占いや護摩を禁止している経典なんて、
選ばないでしょうね。

746 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 22:29
>736さん、この手の中傷目的の粗雑な文章は、、と訂正
いたします。私がヌマエビさんのスレッドをちゃんと読まずに
読み飛ばしていたことがばれてしまいました。だって支離滅裂
なんだもん。

747 名前: 名無し 投稿日: 2000/06/19(月) 23:31
正法眼蔵随聞記(面山本) 一

 一日示して曰く、続高僧伝の中に、或禅師の会下に一僧あり。金像の仏と亦仏舎利とを崇め用ひて、衆寮等にありても常に焼香礼拝し恭敬供養しき。有時禅師の云く、汝ぢが崇むる処の仏像舎利は、後には汝がために不是あらんと。その僧うけがはず。師云く、是れ天魔波旬の作す処なり、早く是を棄つべし。其の僧憤然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸けて云く、汝箱を開いて是を見べしと。其の僧いかりながら是を開てみれば、毒蛇わだかまりて臥りと。是を以て思ふに、仏像舎利は如来の遺像遺骨なれば恭敬すべしと云へども、また偏に是を仰へて得悟すべしと思はゞ還て邪見なり。天魔毒蛇の所領となる因縁なり。仏説の功徳は定まる事なれば、人天の福分となること生身と等しかるべし。総じて三宝の境界を恭敬供養すれば罪滅び功徳を得、また悪趣の業をも消し人天の果をも感ずることは実なり。是によりて法の悟りを得んと思うは僻見なり。仏子と云は仏教に順じて直に仏位に到る為なれば、只教に随て工夫弁道すべきなり。其の教に順ずる実の行と云は即今の叢林の宗とする只管打座なり。是を思ふべし。

私は曹洞宗の関係者ではありませんので念のため。
ところで、阿含宗については詳しくないのですが、仏舎利を拝めば悪因縁から解脱でき、現世成仏できると、
阿含経のどこにとかれているのでしょうか?


748 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 23:43
729さんへ

>桐山師は頭のよい方ですから
>つじつまは合わされるでしょう。
>桐山師はそんなつじつまの合わない文章を発表するほどやわな
>頭脳の方ではないのです。

やわでないんなら、どうして脳梗塞なんかになるんですかねえ?
ハードな頭で病気予防すれば良かったじゃないの。
普通の一般人から考えれば、脳梗塞だからつじつまの合わないような
コト書くんじゃないの?

あ〜あ、新興宗教にかぶれているヤツの言う事って説得力ないねえ。
47名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:17
749 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 00:22

>746
あなた人の揚げ足取りばかりしてないで、
もうちょっとちゃんとした論旨で反論したらいかがでしょう?

私、「智慧のために愛を〜」の本読んで、
ちょっといい教団かなあって思ってたんですけど、
何かここに出てくる会員さんの質がものすご〜く悪いみたいなんで、
正直幻滅しました。
入る気そげたわ・・。
だってヌマエビさんはじめ反阿含の人たちの書いていることの方が、
よっぽどマトモで常識的に見えるもん。
このスレッドに出てくる信者さんて、いわゆる電波ちゃんや
誇大妄想狂・自己顕示欲肥大者&ゴーマン病の人ばっかりみたいね。
性格わるーい!!
それともちゃんとした(正常な)人もいるのかなあ?
まともな議論以前の人ばっかみたい。
ライフスペースや法の華の「定説」や「天声」を連想しちゃった。
「智慧の宗教」を標榜している教団の人たちなら、
もうちょっと智慧の匂いがそこはかとするようなこと書いてよー。
類友っていうけど、信者の質がそれじゃ教祖さまもご一緒かもね。
本の中だけイイコト書いてるだけで。


750 名前: 中立の立場で 投稿日: 2000/06/20(火) 00:33
「桐山管長は未曾有の聖者」と仰る信者の皆さん、「桐山は稀代のペテン師」と主張されるもと信者の方、お互いもっと冷静に、視野を広く持ちませんか?「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」です。阿含宗だけではなく、法の華三法行や顕正会に帰依することによって救われ、安心を得ている人たちだっているのですよ(「AERA」6.19号)。

 下記のサイトでは、チベット仏教におけるラマ(上師)の条件について説かれています。
桐山靖雄さんがどれだけその条件に適っているか、それぞれ検証してみてはいかがでしょうか。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/buddhism01.htm

え、阿含宗はチベット仏教じゃない、究極の仏教でしたか?751 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 00:41
>738 さん
>わたしは二回目のイタリア訪問のときに同行しました。一般謁見の際に
>ロ―マ法王が日本語で桐山師と信徒に歓迎の意を表明してくださいました。
>イエズス会のピタウ神父立会いのもと、イタリアの学生のための教育基金
>が設立されました。神父も「仏陀の慈悲、キリストの愛、言い方や言葉は
>違うけれど、目指すものは同じなのです」といった趣旨のおはなしをされて
>いました。
>これらはすべて真実です。

事実あったとおりの話というのはこのようにシンプルなのですね。
これがヌマさんや、悪徳ライターにかかると、わけのわからない
話になる。
752 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 00:50
>742さん、これは阿含宗関係では言い古された論議なのですが
阿含経には火の祭典を最高であるとたたえる文章があるのです。(岩波)
また聖書にも、私の後からくる方は火で洗礼する、その方は私が靴紐を
直してあげる資格も無い(聖書は読んだことが無いので不正確です)との
バプテスマのヨハネ?の言葉が載っているのです。ルカ伝?かなんかです。
そう記載されているということは本当です。解釈は勝手ですが。

753 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 00:59
>743 仏陀は僧侶に医学も禁じていたのです。信仰と修行の日々を
送りなさいということでしょうね。しかし緊急の場合には医療も行った
でしょう。僧侶は耕さない(比喩的)生活を送らないとだめ。生活の糧を
稼ぐなと言う指導ですね。言葉はその意味を考えないとだめです。

阿含宗は在家集団です。僧侶は人数は知りませんが小数です。全国で50
人くらいなのですか?詳しい方。
僧侶にALC(占断)をしてもらったという話は聞いたことがありません。754 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:06
>747さん。禅の教えでは仏陀に会えば仏陀を殺し、師に会えば
師を殺すのでしょう。仏陀の教えでは仏陀に会えば仏陀を礼拝し
師に会えば師を礼拝するのです。
仏舎利供養の由来は「仏陀最後の旅(阿含経)」や「大はつ涅槃経?」
をお読みになってください。

755 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:11
>744さん。友松師の本を読んでください。
私が阿含経というとみんな怪訝な顔をする。それは発句経ですか?
と尋ねる人もいる、云々。
友松師の講話を聞くような仏教好きの人でも阿含経なんて知らなか
ったのです。
48名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:18
756 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:16
>750さん、桐山先生はチベットニンマ派?の最高位を
いただいているのです。
一切萬霊守護金剛は確かチベットからいただいた法位だったと
思います。
以上不正確です。本を読んでください。

757 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:19
>749さん。意味不明でした。
ヌマエビさんの文がまともに見えるのでしたら、あなたの頭も
混乱しています。
バチカンで阿含宗とが勝手に前の席にいったとおっしゃった方
ではないのですか。

758 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:23
以上、おしまい。寝ます。さようなら。

759 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 02:56
>桐山先生はチベットニンマ派?の最高位をいただいているのです。
>一切萬霊守護金剛は確かチベットからいただいた法位だったと思います。

幾らでかったんですか?


760 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 03:00
僕の父は洗礼も受けていないけれどある神父さんの紹介でバチカンに行った。
最前列で法王に謁見し、日本語でメッセージを受けた。
おみあげとしてロザリオをもらった。
父曰く、一定額以上の寄附をすればみんなそういう待遇を受けられるとのこと。
阿含宗はナンボ出したのでしょう。761 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 03:16
>仏陀の教えでは仏陀に会えば仏陀を礼拝し師に会えば師を礼拝するのです

原始仏典では否定されていますが。


762 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 03:21
信者の皆さん、
麻原や林元医師、井上等に例会の時会った事はありますか?
763 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 04:52
盲信とはいいません。
でも
桐山の経歴詐称問題について、それが宗教家として正しい行いだと思いますか?


764 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 04:59
前科者が改心して宗教家になったのならいいんです。
でも
桐山の場合、
一宗を建てた宗教家が、詐欺、偽キリンビール製造等々で懲役刑に処せられたから
宗教家としての倫理観を疑われ、詐欺し呼ばわりされるのです。
まして
懲役に行くときに、山へ修行に行くなどと嘘八百並べた文書を残すから
最低人間だといわれるのです。
信者の人達はそういうのを全て法難として片付けるのでしょうか?
だとすればオウム事件にもある種の必然性を感じます。
怖いですね。


765 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 09:51
>756さん。桐山管長のお友達(?)のダライ・ラマ法王はゲルク派の僧侶です。
どうしてゲルク派のゲシェー(仏教哲学博士)ではなく、ニンマ派の法号をもらったのでしょう?
下記サイトのコラムにある(インチキ宗教の見分け方)が参考になります。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-65.htm

<1) 当該宗教教団施設(建物)の趣味が良いか悪いか:
<2) やたら教祖やカリスマの銅像を造りたがる:
<3) 教えを説きながら、それを外部の基準によって正当化しようとする:
<4)「占い」や「運勢(命)鑑定」の類を強調する:
< 以上の、きわめて分かり易い4点のうち、貴方が関心をもって信者になろうとしてい<る宗教に、2つ以上心当たりがある場合には、勧誘者がいかなる高尚な説明(自己弁護)<をされたとしても、キッパリと断るほうが身のためだ。その宗教は、インチキ宗教もし<くはカルト集団である可能性が極めて高いからである。
49名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:18
766 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 10:51
>765

5)経歴を偽る
6)宗教家となってから実刑を伴う犯罪を犯す

というのもつけ加えてね。


767 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 10:57
ついでに

7)教え子から複数の「凶悪犯罪者」を出す。
8)予知能力があると自称しながら「無差別殺人犯」の仲人をしている。


768 名前: 中立派です 投稿日: 2000/06/20(火) 11:11
>767お釈迦さまでもデーヴァダッタのような(悪人)を弟子にしてます。
    イエスさまでもイスカリオテのユダのような(裏切り者)を弟子にしてます。
    桐 山師の肩をもつわけではないですが、ちと酷なのでは?


769 名前: 中立派です 投稿日: 2000/06/20(火) 11:53
 阿含宗を批判するなら、感情的に攻めるより、「仏教」を名乗る以上、その教義が(所依の経典たる)阿含経をはじめとする経典や律蔵に照らし合わせて内容を吟味し(これは釈尊自ら説かれたことでもあります)、
また、「密教」の「阿闍梨」を標榜する以上、桐山師が大日経などに説かれる「阿闍梨」の条件を充分満たしているかどうか冷静に検討し、論理的に検証するのがよろしいのではないでしょうか。
なにもバチカンや北京大学等の「外部の権威」に鑑定してもらう必要はないはずです。

770 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 12:51
>768
>イエスさまでもイスカリオテのユダのような(裏切り者)を弟子にしてます

確かにそうですが、イエスご自身が詐欺や偽酒作りで逮捕され、懲役刑になってはいないでしょう。
そこが大きく違うところです。771 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 12:56
>お釈迦さまでもデーヴァダッタのような(悪人)を弟子にしてます。

デーヴァダッタは釈迦を憎んで何度も殺そうとしました。
麻原は信者勧誘窓口として、桐山を多少批判はするものの、一度も狙ってはいません。
つまり阿含宗はオウムへの入り口のひとつとして凄く役立っていたのです。
  

772 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 12:58
>5)経歴を偽る
>6)宗教家となってから実刑を伴う犯罪を犯す

此れだけで充分。
阿含経や大日経などを持ち出すに値しない相手だよ。
桐山自身それらの経典をろくに読んでいないのだから。
773 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 13:03
>759.760
このスレッドでは、さまざまな法位、法要への参加、合同法要、
学位、などが金で買えるか、買えないかが論点ともなっています。
私はもちろん「お金では買えない」と思っています。

「お金で買える」とおっしゃっている方は、阿含宗のみを貶めている
つもりでしょうか、相手の、ダライラマ、バチカン、その他の関係者
、機関をも貶めていることに気づいていないようです。

たとえば桐山師とその弟子達400名はバチカンの大聖堂で、般若心
経を唱和し法要を行ったのですが、ローマはそのようなことをお金を
払えば許すのですか。カソリックの数々の殉教者をしっていますか。
拷問にも耐え忍び殉教した方が日本人でも多くいます。その総本山が
金で買えるのですか?


774 名前: 某阿含宗徒2 投稿日: 2000/06/20(火) 13:11
>749さん。
私はあなたをカソリック関係の女性、もしくは女性的な男性で、
信者、もしくは準信者。友人に阿含宗を進められ、やや、ほんの
少し迷っている方ではないかと思っています。
その場合、両方のよいところを見て迷うべきです。
一方への中傷誹謗にのっかかって、ああ、やっぱり阿含なんてだめ
、神様が良いな、と考えるのは、思考放棄であり、逃避行為です。
やめた方が自己安心のために中傷するのと同じです。
天にいます神様をすててはいけません、今までの信仰に生きてください。
阿含宗徒より。
50名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:20
775 名前: 「阿含まったくダメ」を聖書から 投稿日: 2000/06/20(火) 13:24
U列王記17:17
息子や娘に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、自らを売り渡して
主の目に悪とされることを行い、主の怒りを招いた。

と、同様のことが行われている。これは明らかに神に逆らう「悪」である。
聖書の神の律法である申命記18章10節も参照下さい。キリストと
阿含との間に一致点を見いだすのははなはだ難しい。

776 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 13:26
>761さん、こんにちは。
仏陀最後の旅(岩波文庫)を読んでください。これはパーリ聖典の
日本語訳だと思います。この漢訳が大はつ涅槃経だとおもいますが
後者は読んだことが無いので不正確です。
仏陀の葬式がどのようになされ、人々がどのように仏舎利を礼拝し
はじめるか、仏舎利供養の原点がわかります。
また、パーリ仏典をよく読まれますと、仏陀が諸天善神を礼拝供養
していたことがよくわかります。
禅宗のように、殺すといったー反語ーを使って信心の深さを表現する
のではなく、ストレートに礼拝するのです。
また、禅の、仏を殺す、師を殺す、仏舎利を毀つ、というような表現
を文字通り使ってはならないこともご存知でしょう。
暴流(ぼうる)を渡れば筏は要らないのです。ただ、渡る前に、暴流
にたどり着いてもいないのに、筏は要らないといっているのが
あなた達です。

777 名前: 守護霊を持て!(笑) 投稿日: 2000/06/20(火) 13:34

阿含宗の正邪をあきらかにし、ビリーバーを説得する
→論理的に分析し、証明する必要がある

阿含宗を罵り、ビリーバーを誹る
→感情的な悪口雑言で充分

どちらを採ることが賢明でしょうか?

778 名前: 某阿含信者2 投稿日: 2000/06/20(火) 13:38
>762
千人二千人いれば、数人の境界領域の方がいらっしゃるのですよ。
私は4人の境界領域の方を知っていますが、一人はオウムへ行き
ましたが、先日町を歩いていました。生きていたようです。
もう一人はオウムへ行きましたが、かなりな地位についたという
うわさです。帰ってくるなよ。もう一人は哲学科の学生ですが、
母親が必死でオウムから取り戻しました。もう一人の方は、阿含
宗で自称聖者になってしまいました。○君は本当に聖者なのでし
ょうか。最近は見ませんね。どのにでもそういう方は入るのですが
、阿含宗では相手になって、世話をしてあげる方がいるのです。
浅原さん達には会ったことはないです。

779 名前: 某阿含信者2 投稿日: 2000/06/20(火) 13:49
>765さん。
チベット仏教に付いてはよく知らないのですが。ニンマ派っていうのは
信用できないのですか?お金をもらえば、一切萬霊守護金剛、金剛サッタ
の法位を売る集団なのですか。
あなたの発言は、ニンマ派(チベットには四つの宗派がありお互い尊敬し
あっていると聞いていますが)チベット仏教会全体への冒涜になると思う
のですが。
また高い法位をもらっている外国人(チベット人以外)は、桐山師ただ
お一人だと聞いていますが、他の方はどうして購入されないのですか。

780 名前: チャンネルを回せ!(笑) 投稿日: 2000/06/20(火) 13:51
<776さん 私も岩波文庫はもってますよ。
<人々がどのように仏舎利を礼拝しはじめるか、仏舎利供養の原点がわかります。
釈尊は、仏舎利供養は在家者に福徳をもたらすが、出家者は仏舎利供養にかかわるな、それは解脱に至る道とは無関係だと仰っており、この点では道元禅師の主張と同じです。
もっとも阿含宗は管長以下在家だから関係ないですか。少なくとも長髪妻帯の出家者なんて釈尊在世当時にはいなかったはず。
<また、パーリ仏典をよく読まれますと、仏陀が諸天善神を礼拝供養
<していたことがよくわかります。
「仏陀が諸天善神を」→「諸天善神が仏陀を」の誤りではないですか?
51名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:20
781 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 13:55
>775さん、
バプテスマのヨハネが言われた、私の後からきて
火で洗礼する方はどなたなのですか。


782 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 14:03
>775さん。
あなたがおっしゃるような良くない集団をパームサンデーに招き、
各国大使席のまだ前の席に招待し、30万人の目の前でミサの後
に握手、言葉の交換をしたパパ様の意図はなんですか。
また、400人の阿含宗徒にスピーチをさせたのはなぜですか。
大聖堂で阿含仏教徒に仏教の修法(ミサ)を許したのはなぜですか。
ピタウ神父の、方法は違っても目指すところは一緒です。ともに
手を携えていきましょうというお言葉はうそなのですか。


783 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 14:18
ちゃんねるさん。古い本をご存知ですね。元信者ですか。

>「仏陀が諸天善神を」→「諸天善神が仏陀を」の誤りではないで
すか?
ここは突っ込まれるかもしれないと思いながら、めんどうで説明を
書かなかったのですが。一応正しいのです。仏陀は弟子達や人々に
神々を礼拝することを薦めています。神霊という言葉を使っていま
すが。仏陀は弟子達に「ともよ」と語りかけています。仏陀=弟子
との表現です。弟子、神霊、人々、仏陀が互いに礼拝を交わすので
す。
仏舎利供養に関する「仕事は」在家の役割です。仏陀のお葬式と
同じです。まきを集め壇を組み火をつけるのは在家です。しかし
その周りで、ゲ(詩文)を唱えるのは出家です。心をこめて詩文
を唱えることを供養と言います。
仏舎利供養は仏陀のお葬式の模様を参考にすれば良いと思ってい
ます。(私見です)。
仏陀の時代には仏舎利供養は無かったという人がいますが、あたり
前です。生きていたのでから。
キリストが死ぬ前には、みんなイエスの十字架など拝んでなかった
のと同じです。
まあ、礼拝の意味が難しいですが、
あいさつとして礼拝する、尊敬するために礼拝する、
本尊として礼拝する、などなど。 おげんきで。ともよ。
784 名前: 無断引用につき 投稿日: 2000/06/20(火) 14:21
>779さん、#750のリンク先、読みました?
カルマ・ゲレク・ユトクさんてお坊さんかな?
<人間社会のあらゆるレベルにおいて地位を濫用した重大な過失はごく一般的なものに
<なり、チベットのラマたちも同様である。最近、多くの不適任でインチキなラマが増
<えている。彼らが自分たちの生活を営むために法(ダルマ)を口にしてあらゆること
<をなしている。

<一、 学識かつ経験を積んだダルマを体得した人であること。
<二、 正直で平静かつ謙虚な者。
<三、 最高の真理を会得し、それに従って生きる者。
<四、 生きとし生けるものに溢れる慈悲の心をもつ者
<五、 精神的な師としての務めに常に励む者。
<または、
<一、 法(ダルマ)においてふんだんな知識と経験を持っている者。
<二、 この世の営利に執着を持たない者。
<三、 自分自身より他者の利益を大事にする者
<四、 あらゆる機会に対し、完全なる慈悲心と誠実さを持つ者
<五、 ダルマ研究に忍耐強く勤勉な者
<もう一つは、
<一、 真の倫理を守っている者。
<二、 真の分別の知恵を守っている者。
<三、 真の利他主義を守っている者。
桐山師が上記の条件を充分に満たしておられると自ら確かめて帰依するに値すると思われるならば、他の誰が(ヨハネパウロ2世だろうがダライラマ14世だろうが)ほめようがけなそうが、自分ただ一人でも師に従えばよい。自己責任で。それだけのこと。

< また高い法位をもらっている外国人(チベット人以外)は、桐山師ただ
<お一人だと聞いていますが、他の方はどうして購入されないのですか。
チベット仏教の僧侶以外の伝統ある仏教教団の僧侶なら、外部の権威など購入不要だからではないでしょうか?
52名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:21
785 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 14:30

>750

>「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」です。

思いこみの激しい人だ。「宗論」に勝ち負けがあっても「釈迦」とは
何の関係もない。


>阿含宗だけではなく、法の華三法行や顕正会に帰依することによって救われ、
安心を得ている人たちだっているのですよ

「AERA」にどう書いてあるか知らないけど、この意見って危険なのでは。
オームに帰依して「安心」を得た人もいるのだから、彼らを攻撃してはいけないってことにも
なりかねない。
加えて、人を勧誘し、入信を促す行為も、霊感商法などに荷担する危険性があるわけなのだから、
もっと慎重でなければならないと思うが。


786 名前: 公平 投稿日: 2000/06/20(火) 14:52
784さんありがとうございました。
観音慈恵会の全く無名のころから、桐山先生に指導していただいて
います。桐山先生は貴君が書かれたとおりのすばらしい方だと思い
ます。過去にはスキャンダルめいたこともあったという方がいます
が、弟子はそのようなことには反論もしないものです。反論は桐山
先生のご著書をお読みになれば良いと思います。ここに書かれてい
る方は、反論のほうもお書きになるのが公平だと思うのですが、
位階を金で買うなどととんでもないことをおっしゃる方なので、公平
などと言う言葉からは程遠い方なのでしょう。
チベット仏教は位を販売してはいませんので、購入などという言葉
を使わないでください。あなたはチベット仏教の信者なのでしょう。
引用文の方は「販売しているのならどうして購入しないのだ」と反
語文として使っているのです。販売はしていないとの前提に立った
発言のようですよ。

ところで、チベット仏教にも興味があるのですが、日本のチベット
仏教信者はどのような修行をしているのでしょうか。教えてくださ
い。これはあなたが本当はチベット仏教信者ではないのではないかと
疑っての発言です。信者なら販売していると言われれば激怒するは
ずです。違うボードの方ではないのですか。(密教系以外)

787 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 15:03
>780チャンネルを回せさん。
補足です。阿含宗では仏舎利供養はおもに在家の
修行法です。出家の修行法は七科三十七道品法です。
しかし、出家でも、仏陀にご挨拶し
、礼拝し、加護を祈る仏舎利供養は基礎になっ
ているのではないかと思っています。(私見です)
在家でも仏舎利供養を忘れて(笑)道品法に走る人も
います。自己評価の間違いですね。
道元禅師のことは全く知らないので、また教えてください。
賀正じゃなかった、合掌。

788 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 15:14
>780チャンネルを回せさん。補足です。
あなたのおかげで大変なことに気がつきました。
仏舎利供養は仏陀のお葬式の再現かもしれないと書きましたが、
十字架のイエスの礼拝は、イエスのお葬式の再現かもしれませ
んね。
そうだったんだ。どうして血だらけのイエスを拝むのかがわか
りませんでした。

臓器提供を日本人が嫌うわけはわかっていたのです。
釈迦のように火葬されたいのですね。外国人は嫌が
らないのです。イエスのように切り刻まれたいので
すね。最後は。
彼らは犠牲になることを喜びます。日本人クリスチャンは?

789 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 15:59
>宗論はどちらが負けても釈迦の恥

これは双方が釈迦の弟子だった場合でしょう。
釈迦の弟子とは、釈迦を信じている人のことです。

790 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:04
たとえば、オウムの本尊が釈迦であるとは
一度も聞いたことがない。
釈迦を礼拝してあんな不潔な集団ができる
はずがない。
奈良仏教などは釈迦が本尊かもしれない。
禅は釈迦が本尊だと思うが、釈迦に会うと
釈迦を殺すと言う倒錯した愛し方。
他の日本の宗教はみんな釈迦を本尊として
いないでしょう。
53名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:22
791 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 16:08
法の華三法行の信者の皆さんも世間からの誹謗中傷に耐え忍んでいます。
エールを送ろうではありませんか!

http://www.channelzero.co.jp/event/5_13/index513.htm
792 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:17
阿含経では釈迦を本尊として礼拝するように書いてあるのですか?


793 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:20
オウム=原始仏教+チベット密教+ヨーガ+仙道+ノストラダムス+運命学
阿含宗=原始仏教+チベット密教+ヨーガ+仙道+ノストラダムス+運命学+真言密教

とてもよく似ていますね。
ご親戚ですか?


794 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:23
阿含経は釈迦の言葉なのです。
阿含経=釈迦。
=の意味は自分で考えるように。

795 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:25
ヌマエビさん
さらなる投稿お待ちしています。
迷える盲目の子羊たちが一人でも
まともになりますように。796 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:28
仏教とは、釈迦の教え、仏の教えに従うことです。
誰の教えに従うか=なになにを本尊とするです。

たとえば、オウムでは誰の教えに従うのですか。
オウムの本尊は何ですか。何を最も尊ぶのですか。
良く知らないのですが、釈迦ではないはずです。

797 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:30
このボードには、お金がご本尊の人が多いみたいでね、

798 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:30
釈迦は自らを礼拝するような愚行を厳しく諌めていますよ。

原始仏教の精神からかけ離れた阿含宗が釈迦を持ち出すのは
単なる客寄せの宣伝にすぎません。
なぜなら桐山自身ろくに阿含経を読んでいないのですから。


799 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:37
阿含宗は仏舎利を本尊としているということは
在家信者の集団と言うことですか?
なら創価学会と全く々ですね。
54名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:23
800 名前: しょうこう 投稿日: 2000/06/20(火) 16:38
 日本にも仏教は伝来していると。そして、いろいろな宗派が立っていると。しかし、仏教を真に実践している宗派は
一つもないと。そうすると、会員に誤解を招かせることになると、ここで"仏陀"という言葉を使うと。
わかるね、言ってることは。そこでわたしたちはシヴァ神を立てたんだ。わかるね、言っていることは。
 つまり、名前なんてどうでもいいんだよ。例えばわたしが、例えば「タヌキ」だろうと、あるいは「麻原」であろうと、あ
るいは「へビ」だろうと、そんなのはどうでもいいわけだ、名前は。ここにいる、今、あなた方に講話をしているわた
し、で、それを「麻原」と定義しようということで、「麻原彰晃」という名前があるわけだね。それと同じように、シヴァ神
もこういう状態のお方と。それをわたしたちはシヴァ神と言っているわけだ。わかるね、言っていることは。
 だから、わたしたちは仏陀を否定しているものではない。いや、そうでなくて肯定してるわけだ。しかし、仏陀という
言葉は今使えない。だってそうだろう、まあオウムが現われて、仏陀の意味合いというものは日本において少しずつ
変わってきただろうけども、まだ仏像を仏陀だと考えている人たちが多い。わかるな、これは。だからそれを打破し
なきゃなんない。

801 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:46
麻原を崇拝していた人達も結構いたんだから、
阿含宗を盲信する人達がいたっておかしくはない。
どんなにゲテモノでもなれればよく見えるものらしい。
信仰とは自分の理性を麻痺させる事と同義なのかな。
悲しいほどに。


802 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 17:00
釈迦は出家者に対して仏舎利を拝む事を禁じました。
解脱の妨げになるという理由で。
桐山は出家者ではなく在家信者の一人だから仏舎利を祭ってもよいという事ですか?
そして解脱していないからその程度で迷っていても構わないというわけですか?


803 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:08
>752
>これは阿含宗関係では言い古された論議なのですが
>阿含経には火の祭典を最高であるとたたえる文章があるのです。(岩波)

釈迦が「火の祭典を最高である」とたたえとは、知りませんでした。
釈迦は火をよくたとえに用いているが、
火そのものの行事を最高だと言っているとは知りませんでした。

どこにそういう経典があるのか、
岩波のどの本にあるのか、
具体的に経典の名前や番号を、あるいは本文を示してください。

804 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:12
>753
>僧侶にALC(占断)をしてもらったという話は聞いたことがありません。

あなたが知らないだけです。
阿含宗の僧侶も信者の相談に乗ることがあります。
「僧侶が占いをするのはおかしいと言われたがどうすればいいか」
と相談して、占ってもらってはどうですか。

桐山さん初め占いをしていることをどう説明するのですか。
答えてください。

805 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 17:15
釈迦は原始仏典の中で明確に信仰を否定している。
つまり信仰を要求する宗派は釈迦の教えに反するということ。
実に簡単な話だ。
55名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:23
806 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:16
>755
>私が阿含経というとみんな怪訝な顔をする。それは発句経ですか?
>と尋ねる人もいる、云々。

桐山さんが引用した内容ですね。
友松圓諦がいつ頃の人か調べて言っているのですか。
今のように情報が十分に行き渡らなかった頃の話を、
我が事のように使うのは我田引水です。

「発句経」ではなく「法句経」です。
話も、あなたの記憶とは違い、
友松圓諦が阿含経の一つのホックキョウを紹介すると、
ホッケキョウかと聞き直す人がいた、ということです。

かつての日本で阿含経が知られていなかったことは事実です。
桐山さんによれば、「手垢がついていなかった」。
そして、桐山さんが手垢をつけてしまった。

807 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:17
>754。
>仏陀の教えでは仏陀に会えば仏陀を礼拝し
>師に会えば師を礼拝するのです。

761さんのおっしゃっているのが正しい。
仏舎利供養と釈迦を礼拝することは別です。
釈迦が自分を礼拝することを諫めた経典があります。

808 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:20
信者さんの中の一連の書き込みを見ると、
仏教についての知識も、
さらには阿含宗の教学についても知識が貧弱なわりには、
堂々と中途半端な思いこみを書き込んでる人がいますね。
自分は都合の悪いことには返事をせずに、
まともな議論もしないのに、
片端から他人の揚げ足取りをしています。

749さんの言うとおりで、
智慧を説く阿含宗信者のレベルがこれでは、
桐山さんが見たら泣く、いや、
あの人のことだから怒鳴るでしょうね。

809 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 17:53
>754。
>仏陀の教えでは仏陀に会えば仏陀を礼拝し
>師に会えば師を礼拝するのです

かりにも原始仏典云々言うのならすこしは勉強した方がいいよ。
恥をかくから。
桐山の本だけで、原始仏教をわかったような気にならない方がいいと思うがね。810 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:58
お稚児さんって坊主の男色相手だったわけですが
今でもお稚児さん居る寺あったら教えて欲しい

811 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 18:59
わたしが高校生だったころ、先生と地域の教師の集会でどんな
はなしをするのかきいたことがあります。

もちろん話題は生徒に対する教育および指導についてですが、
普通人間がその思考や哲学、思想を深めていくプロセスは

具体的なもの―抽象概念、という手順で進んでいくのが常道だそうです。

たとえば、最初から「神とはなにか」「真理とは」「どう生きるべきか」と
考えていっても、なかなかうまくいかない。

ところが、それ以前に「具体的な問題」が思考できない
生徒が多いのが現状だ、といったはなしだったとおもいます。

密教が具体的な象徴をつかうのも、
そういった人間の思考プロセスの深まりかたと
関係があるのではないでしょうか。

密教から7科三十七道品へ修行をすすめていくのは、
理に叶っているとおもいます。

もちろん、
上座部系の瞑想をなさりたいかたは、
そうすればいいでしょう。

ニンマの教えによると、
「ひとの数だけ教えがある」そうですから。
56名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:24
812 名前: 元修行者 投稿日: 2000/06/20(火) 19:51
私が会員だった20年程前のことですが、阿含宗が
お釈迦さんの遺志である「アーガマ」を世に出すんだ、
成仏法は「アーガマ」に書いてあって、それこそが
七科三十七道品だ、と断言していました。

ところが、阿含経を隅から隅まで読んだ強者が居た
たしく、「そんなもの書いていないぞ」と管長に直訴
したらしい。読み方が悪いとかなんとか、その場を
取り繕って、やがて阿含経講義が始まりました。だけど、
法句経や、中村元さんの岩波の「ブッダ」シリーズを
読まれた方ならわかるでしょうが、書いてあるのは処世
上の戒めだけで、成仏法などどこにもない。私が在籍して
いた数年間、結局のところ阿含経講義に成仏法は姿を
見せなかった。「強者」氏が実は正しかったのです。

以前、書店コーナーでチベット仏教の瞑想法について
書いた本を立ち読みしたら、なんと「七科三十七道品」
がしっかり書いてあるではないですか。著者はリン
ポーチェでしたか、教学部長クラスの職にある高僧
でした。彼が日本語を勉強して「七科三十七道品」を
知ったとは思えない。やはり、「七科三十七道品」は
遠の昔にチベット仏教によって世に出されていた。
別に桐山氏の手を借りずとも。

今思うと、私は盲目状態で、すっかり桐山氏に騙さ
れていました。

813 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 20:04
ここの教祖さんて、いちおー解脱者なんだろ。
聖者とか言ってたよね。
そんなご立派な人が、ローマ法王と会うのがどうしてうれしいんだい。
お釈迦さんて有名人と会うのを喜んでいたのかねえ。

信者さんたちは、一生懸命に、会ったんだと強調しているから、
信者さんもうれしいんだね。

こわごわ聞いちゃうけど、それって、けっこう恥ずかしくない?

教育資金だした、なんて、
勲章もらうため大作さんがよくやっているよな。

つまりさあ、信者さんの、最前列にいたんだぞ、
法王と握手したんだぞ、て書き込みは、
「うちの教祖はこんなに俗物だぞー」
とわざわざ声を大にして叫んでいるように聞こえる。
ヲタクの教団じゃ、それすごいことなんだろけど、
おれらから見ると、ただの「コ大作」「プチ大作」だぜ。

信者さんたちはヌマエビさんが大嫌いなんだろ。
それなのに、エビさんの書いた内容を証明するような
実例をわざわざ書き込んだ訳よね。
それも鼻高々と何度も何度も強調して。

ね、大作さんなんか見てて、俗物だって思わんか。
あちこち金ばらまいて、有名人と握手して、勲章もらって。
あれ、俗物にみえるだろ。
なのに、どうして、信者さんは、おんなじことしている
自分とこの教祖さんが俗物にみえないの。
まったく、おんなじことやってんじゃん。
文面からいくと、むしろホコリに思ってるんだよね。
ヲタクらって、やっぱテーセツの世界だね。

814 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:14
>密教から7科三十七道品へ修行をすすめていくのは、理に叶っているとおもいます

7科三十七道品から技術的に進化したのが密教だと思うのですが。815 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:17
ダライラマやバチカンとの関係はその後どうなったんですか?
今でも積極的に交流しているのでしょうか?
それとも1回こっきりの寄附と挨拶だけですか?


816 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:18
阿含宗のHPはなんで永い事更新されていないのでしょう?
もっと情報を開示して欲しいものです。


817 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 20:56
四安那般那念法が「成仏法」です。

818 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 21:09
>816
なんか担当者が部署が変ったりして忙しいみたいです
信者から奉仕者を募って更新しろってメールだしたの
ですが、変な人と間違えられたのか無視されました。
なんかHPとかインターネット関係にはあまり熱心
じゃないみたいです。
57名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:25
819 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 21:19
>815
諸宗教と今でも交流していますよ。
ただ、今、管長が中国寄りのためか微妙な関係ですね
星祭りに中国、台湾、チベットの来賓がきたときは
さすがにハラハラしました。
政治には口をださないそうですが、それでも感情的
なものはあるんじゃないでしょうか?

820 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:08
>802さん、岩波文庫の仏陀最後の旅をよんで
一緒に考えて見ましょうよ。私も読みなおしてみます。
820

821 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:12
>803 さん。 スッタニパータのほぼ中央、
やや後ろよりです。阿含嫌いの研究者がこの部分
のみを、後世の混ざり物であると言うので有名な
ところです。

822 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:18
>804さん、私よりお詳しいようで。
生活の稼ぎのための業務をするなという意味にとらえています。
ALCは会員や会員の紹介者に対しては無料です。
出家、在家の人数比からいってもALCは在家信者やっていくしか
無いでしょう。

823 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 22:22
>812さん
チベット仏教まつまでもなく、天台ちぎの「摩可止観」
に37道品説かれていますよ。
ただ桐山氏は独特の瞑想法があると言っているのですが
今日に至るまで詳しく教えてくれたことがありません。

824 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:23
>805さん。現代の世界のすべての仏教の基本事項は
仏、法、僧 (三宝)への帰依なのです。
あなたの表現だと、世界には仏教が無いということになります。

825 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:36
>806さん、私の間違いでした。
友松園諦師の本は家に2,3冊あるのですが読んでません。
情緒的過ぎて私にはつまらないのです。桐山先生の科学と
しての仏教のほうが好きです。心理科学、社会科学、宗教科学。
最後の単語は無いでしょうね。
また、現代人にマッチした経典を選びだした、との前書きがあ
りますが、多分、一見現代人にマッチしないようなところが意
外と現代人に必要だったのではないかと思います。
ホテルにおいてある仏教聖典も友松先生の関係でしょうか。
これも読んでみようと思ったことも無かったですしね。ひらめき
がないのですね。
やはり桐山先生が「手垢」をつけてくださったのでしょうね。
(ここでは反語を使うと、そのまま引用されるので怖いです)。

いわゆる原始仏典から自分の信仰を作り上げる方法を考えて
見たことも有るのですが。。
本尊らしきもの、像か、掛け軸か、曼荼羅のようなものを用意
して、阿含経典をどくじゅし、また、勉強会を開いてそれを勉強
するということになるのでしょうが、、何か魅力を感じません。
そこには天才のひらめきが無いのですね。人生を託す気にはなり
ません。 ワープロ変換ミス、未変換ご容赦。

826 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:45
>807さん、仏教は三宝に帰依するものなのです。
三宝は、仏、法、僧です。僧は僧侶ではありません。

827 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 22:53
「成仏」と仰いますが、そもそも「仏」とは何ですか?
 お釈迦様のさとりと、原始仏典に出てくる仏弟子達のさとりは同等なのですか、
 それとも違うものなのですか。
「解脱」と「涅槃」と「成仏」は同じ意味なのですか、それとも違うものなので
すか。
私たち普通の人間でも、仏陀になれるのですか。
どうすれば仏陀になることができるのですか。
どうして仏陀になるべきなのですか。
お釈迦様はどうして出家されたのですか。
出家して戒律を守らないと仏陀になれないのですか。


828 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:54
>812 元修行者さん。
今の阿含宗の勤行式には二つの阿含経典(精要)がのっています。
ひとつが在家信者のための三福道。如来、正法、聖衆の元において功徳を
うえる。です。
もうひとつが上品の修行法、七科三十七道品法です。
58名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:26
829 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:59
>813さん。
嬉しいんじゃなくて、仏教とキリスト教が一同に会した
歴史的意義を考えないと行けないのです。
2000年の歴史で初めてのことなのです。(カトリックの歴史で
何年なのかは知りません)。従来カトリックはミサの席には
同じキリスト教とであるプロテスタントでさえ入れないのです。

まあ、本当は嬉しいですけど。

830 名前: >829 投稿日: 2000/06/20(火) 23:03
>従来カトリックはミサの席には 同じキリスト教とであるプロテスタントでさえ入れないのです
ええええええええっ??????誰から聞いたの?
教えた人はよっぽど貴方という人物をミサに連れて行きたくなかったのでしょうか???
誰でも預かれますよん


831 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 23:03
>814さん、密教の諸仏諸菩薩信仰から、、と言う意味だと
思うのですが。811さん済みません。勝手に口を出して。

832 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 23:08
>805さん、
スッタニパータ77に、
(師は答えた)「私にとっては、信仰は種子(たね)である。、、、

833 名前: 824訂正 投稿日: 2000/06/20(火) 23:14
日本の大乗仏教を除いて、世界の仏教はすべて、仏、法、僧(三宝)への
帰依がその第一歩なのです。

834 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/20(火) 23:18
>812さん
佛教学辞典 1928・法蔵館 より

 さんじゅうしちどうほん 三十七道品

道品とは梵語ボーデイ・パークシカの譯で、菩提分、
覺支、覺分とも譯する。佛教の至高目的たる悟の境地
(涅槃)を實現する智慧(即ち道、菩提、覺)
を得るための實踐道の種類の意で、これに三十七項目
あるから三十七道品といい、三十七菩提分法、三十七
覺支、三十七覺分とも稱せられる。
即ち四念處(四念住)・四正勤(四正断)・四如意足
(四神足)・五根・五力・七覚支(七菩提分、梵語
ボーディ・アンガの譯)・八正道(八聖道)の七科の
集計である。


阿含経典 1979 増谷文雄 第三巻より

 ついで、『阿合経典』の第四篇としてここに集録せら
れるものは、実践の方法すなわち道についての経典群で
ある。
 その「道」とは、究極の目標に到達するための実践の
方法をいうことばである。それは、例うれば、舎衛城よ
り王舎城にいたろうとするには、それに従って歩くべき
道があるように、人々が苦なる人生をたちいでて、苦な
き人生にまで到達するためには、そこにもまた、それに
従って歩くべき道が存しているのである。
 だが、その道は、かならずしも、ただ一つではない。
いろいろの道が存し、いろいろの道が語られているので
ある。それらを、古来の仏教者たちは、しばしば、「三
十七道品」あるいは「三十七菩提分法」などと称する。
この経典群のなかにも語られている「四念処」「四正勤」
「四如意足」「五根」「五力」「七覚支」および「八支
聖道」を合計すると三十七道品となる。すなわち、仏道
修行のためには、さまざまなる実践の方法が存するので
ある。


835 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 23:23
>830さん、キリスト教のことは全く知らないので
良く教えてください。バチカンではカトリックとプロテスタント
が混ざってミサをしているのですか。
大聖堂で仏教の修法がなされることは歴史的にまれなことでは
ないのですか。
バチカンではしょっちゅう、「カンジーザイボーサ」とお経が
高らかに唱えられているのですか。
「愛のために智慧を、智慧の為に愛を」という本を読まれたみ
たいなので、感想を教えてください。
また、ヨハネがおっしゃった、火で洗礼する方の事も教えてください。
59名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:26
836 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/20(火) 23:24
↑訂正『阿合経典』→『阿含経典』
失礼しました。

837 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 23:53
>827さん、スレッドで一番難しい質問なので、間違えていたら
ご容赦を。成仏とは人が人以外のものになることです。具体的には
六道輪廻から離れ、涅槃界、涅槃に至り、仏になることです。
お釈迦様の悟りと弟子たちの悟りは同じです。ただ仏陀の悟りは
無師独覚といって尊ばれます。たとえばエベレストの(いまはチョモ
ランマか)の頂上に登ることが悟りだとしたら、そのルートを開発
して道を示したのが仏陀(ゴータマブッダ)だからです。
いくつもの煩悩(色欲物欲ではないですよ。もう少し複雑)を
一つ一つ解脱して、涅槃の世界に行くことを成仏というのです。
ニルバーナ(涅槃)をえる=成仏すると考えて良いでしょう。
すべてを解脱すれば成仏ですから、解脱を大きく考えることも
できると思います。
普通の人間が仏陀になれる方法を説いたのが仏教です。在家の
ものは如来のみもとで、正法のみもとで、聖衆のみもとで功徳を
うえて(うえるの漢字は?阿含宗のかたへ)、大分類で10個有る
煩悩のうち、下の5個あるいは3個をきり(解脱し)聖者への
道を歩み始めます。その後、上品の修行者となったあなたは、
七科三十七道品法の修行を積んで仏陀になるのです。この間に
生まれ変わりがありますので、現代人には、なかなか難しい概念
ですね。(実は古代人にも難しかったようです。古代人も意外と
現代的です。)
現在しあわせそうでも、生まれた以上、老人になり、病を得て
死にます。そのた合わせて8つの苦しみがあります。(四苦八苦)
それを悲しい、本当の幸せがほしいと思う人が、成仏を願うのです。
それは仏陀も一緒というか、仏陀が教えた道です。
六道輪廻も大変です。上には天があり、下には地獄があります。
天に上ってもいずれは地獄に戻ってきます。それが永遠に続くの
です。キリスト教は天に上ることを望む教えです。
戒も在家のものは簡単なものです。出家は大変ですが。清らかな
行いがスタートなのです。
教学苦手の私の私見です。あとは阿含集のHPを見てください。838 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 00:06
>843さん、
>阿含経典 1979 増谷文雄 第三巻より
>ついで、『阿合経典』の第四篇としてここに集録せら

確か第六巻?まであったと思うのですが、六巻を持っている方と
持っていない方があるようです。(またまた未確認情報でした)
引用ありがとうございました。
60名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:28
839 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/21(水) 00:58
>738さん
長文に渡りますが、第五巻のはしがきを引用致します。
私が要約をしてしまったらせっかく増谷師が文筆を極めていらっしゃる
のに、それを歪めてしまって誤解の元になるかもしれませんので。
ちなみに、一〜四巻は1979年発行。
五・六巻は1987年発行、現行本です。


 さきに、南伝『相応部経典』に集録せられる五六相応、七七六二経
につき、いささかテキスト・クリティークをおこない、その若干経を
とり出して、現代語訳をこころみ、かつ、注釈を加えて、『阿含経典』
四巻を集録したわたしは、さらに、ここに、南伝『中部経典』一五二
経、および『長部経典』三四経、ならびに、漢訳『中阿含経』および
『長阿含経』に集録せられる諸経につき、ここでも、テキスト・クリ
ティークをおこなったうえで、その若干経を選び抜いて、現代語訳を
こころみ、かつ注釈を加えて、『阿含経典』第五巻・第六巻として集
録する。
 これらの経典群に属する諸経は、かならずしも、かの第一結集にお
いて誦出され、合誦されたままのものであるとはいいがたい。したが
って、これらを、かの『相応部経典』や『雑阿含経』に見られる原初
的な諸経に此するならば、あきらかに、おおくの増大、加上、再編の
あとが指摘せられ、疑いもなく、やや後時の成立になるものとせざる
を得ない。
 それにもかかわらず、これらの経典のしるすところは、なお、けっ
して、初期仏教教団の雰囲気を逸脱したものではない。
 ここに見られるものは、あるいは、さきにいうところの原初的な諸
経において見られる釈尊の説法に、さらに、その弟子たち(たとえば、
サーリプッタやアーナンダなど)による解説的な章句を加うることに
よって増大された経もある。あるいはまた、さきの原初的な諸経にお
いては取り上げられなかった、釈尊のエビソディクな言行や事件など
を題材として、新しく編まれた経も見られる。さらに、その時期まで
はなお欠けていた「仏陀の伝記」の最初のこころみもいくつか存して
いるのである。もちろん、いまだ、一経をもって釈尊の全生涯を叙す
るがごとき仏伝の成立は見るにいたらなかったけれども、なお、『中
部経典』二六「聖求経」ならびに漢訳同本『中阿含経』二〇四「羅摩
経」は、仏陀の出家、修行、正覚より初転法輪にいたるまでを、自叙
伝風の文学形式をもってまとめており、また、『長部経典』一六「大
般涅槃経」ならびに漢訳同本『長阿含経』二−四「遊行経」は、ラー
ジャガハ(王舎城)を出発点とする仏陀の最後の遊行を、まずは旅日
記風にこまごまと叙し、ついに、かのクシナーラ(拘尸那羅)城外の
サーラ(沙羅)の並木のもとにおいて「大いなる死」をとげたまえる
ことを、荘厳にして感銘ふかい叙述をもって記している。それらは、
いずれも、後年の仏伝にたいして大きな影響を与えるものとなった。
 そのようにして、これらの諸経は、いずれも、さきの『相応部経典』
や『雑阿含経』などに比すれば、かなりの長文のものとなって、ある
いは中量、時には長大なる経典として現在に伝わっている。『中部経
典』といい、『長部経典』といい、あるいは『中阿含経』といい、あ
るいは『長阿含経』と称するのは、その故である。そして、その中で
も、いまもいうところの「大般涅槃経」ならびに「遊行経」は、その
もっとも長大なる経典である。


840 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 05:57

七科三十七道品って、何て読むんですか?

841 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/21(水) 06:17
>840さん、おはようございます。
私は「しちかさんじゅうしちどうほん」と読んでいます。


842 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:33
「ヴァッカリやバドラーヴタやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨てたように、
その様に汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るだろう。」
岩波書店「ブッダのことば」スッタニパータ1146

中村元先生の解説等よく読んだ方がいいよ。
釈迦自身の言葉による信仰の否定(信仰=悟りへの妨げ)は常識だよ。
恥ずかしいから少しは勉強してね。
61名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:28
843 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:39
>日本の大乗仏教を除いて、世界の仏教はすべて、仏、法、僧(三宝)への
帰依がその第一歩なのです

帰依とは盲信する事ですか?


844 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:44
>バチカンではカトリックとプロテスタンが混ざってミサをしているのですか。

教会のミサにはたまに母と行きますが、二人とも仏教徒です。
誰でも入れますし、参加も出来ます。常識です。

>大聖堂で仏教の修法がなされることは歴史的にまれなことではないのですか。

紹介者を通してそれなりに寄附すれば出来ますよ。
私の祖父の葬儀は教会で神仏合同ミサでした。

>バチカンではしょっちゅう、「カンジーザイボーサ」とお経が高らかに唱えられているのですか。

阿含宗はじめ仏教寺院ではしょっちゅう聖書が読まれ、賛美歌が歌われているのですか?

845 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:50
>スッタニパータ77に、
>(師は答えた)「私にとっては、信仰は種子(たね)である。、、、

よく読んでいない人は必ずこの部分を指摘します。
ここもチャンとまともに読めば、スッタニパータ1146との矛盾は全くない事に気づくのが
普通なのですが、まだ勉強が足りないようですね。頑張って下さい。

846 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:55
現役の信者さんに質問です。
桐山密教立宗から30年以上経ちますが、
求聞持法、大随求法、クンダリーニ覚醒などを達成したお弟子さんはいますか?
一人もいなければ「嘘だったの?」と疑問を持つのが普通だと思いますか・・・。
如何でしょう。
何人達成しましたか?


847 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 09:24
在家オウムが沢山湧いてるな

848 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 11:08
インド宗教全体を見渡してみると、「沈静的な瞑想」や「難しい学問」よりも
バクティ(献身的信仰)のほうが、誰にでもできる容易な解脱への道であると
いうことは常識。

849 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 13:40
>842、恥ずかしいさん。

仏陀は「おまえの持っている間違った信仰をすてよ」と言っているの。
そして、私の示したルートをたどってチョモランマを目指せと。
中村先生の文章の時代背景。一見科学的、合理的思想しか読者が受け付け
なかったの。

850 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 13:42
>843さん、
帰依するためには勉強しないとだめでしょう。
研究して考えて、疑う余地もなくなれば、確信、信用したら
いいの。しかし、はじめから横を向いていてもだめだよ。
まっすぐ、仏陀のほうを見て、その教えを聞かなければ。

851 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 13:53
>844カトリックさん。
近所の教会に信者が非信徒の家族を連れていったり、葬式をする
のとは話が違うでしょう。ルイスフロイスの本にも家族、友人を
積極的に連れてくるようにとの話があります。古い話ですが。

後の質問は、バチカンの大聖堂で、仏教徒400人が声高らか
に修法をしたのを歴史的に見てどう評価するのかという話です。

ローマ、バチカン、パウロ二世などのキーワードを含むお答え
をどうぞ。話をすりかえないように。べつに一緒に仲良くと言っ
ているのですから。(ピタウ神父の言葉)

852 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 13:57
>845 さん。
仏陀にとっての信仰とは、、菩提樹の下で真理を得るまでは
命を失ってもここを動かないと決心したような、真理への真摯な
志でしょうね。
なんじゃもんじゃを信じている指導者や信徒に、なんじの信仰
捨てよと言った、その信仰とは意味が違います。
両文面は矛盾していません。
62名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:29
853 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 14:07
848さん、趣旨がわかりません。
ニンマ派の「人の数だけ、学び方がある」?とどなたかが書いていた
ほうが説得力があります。もう少し、具体的に説明してください。


854 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 15:59
>844 さん
>紹介者を通してそれなりに寄附すれば出来ますよ。
なかなか怖い文面ですね。
>私の祖父の葬儀は教会で神仏合同ミサでした。
それではおじい様は仏教徒で、お父上はカトリックということ
でしょうが、なくなられた後どこへ行ったら良いのでしょうか。
神様の元へ、あみだ様の元へ?
カトリックではなく、プロテスタントですか?

しかし、この850いくつのスレッドで、話のすり替えを行った
のはあなただけです。恥じてください。855 名前: >846 投稿日: 2000/06/21(水) 20:30
現役の仏教徒さんに質問です。
仏陀から2500年以上経ちますが、
成仏、解脱、正等覚などを達成したお弟子さんはいますか?
一人もいなければ「嘘だったの?」と疑問を持つのが普通だと思いますか・・・。
如何でしょう。
何人達成しましたか?

856 名前: >855 投稿日: 2000/06/21(水) 22:00
いいところに気がつきましたね。

857 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 22:05
「阿含宗被害者の会」のHPと言うのが有りましたが、
(検索で引っかかった)
http://www.asahi-net.or.jp/~BE9Y-IKD/
撤退している模様です。
どなたか新アドレスをご存知ないですか?
上に書き込みをしていた人がいれば、どうして撤退したのか
教えてもらえませんか?


858 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 23:01
最初のバチカン訪問は1985年、わたしは参加していませんが、
記録映画では尻枝神父を介して桐山師と法王がおはなしされていて、
その時点ではまだ具体的にどうやって他宗教とのあいだに
協力関係を築いていくか、お互いに手探りの状態だったように
みえました。

バチカン関係者の阿含宗に対するコメント

諸宗教対話政庁・フランシス・アリンゼ長官

「日本から四百人もの若い人がここに集まって下さったことを
感謝いたします。また、皆様の大導師にお目にかかれたことを
大変嬉しくおもっております。

桐山管長げいかはとても教養があり、学識豊かであります。
しかも、ただ単に学識が深いというだけではなく、
数多くの本を書いておられます。また、修行をつまれて、
物事を深く考え、徳のあるかただと思います。

それ故に、人をひきつける力があるのです。

今,私たちは、桐山管長げいかのような指導者を最も必要と
しています。平和のためには、われわれはいつでも
お手伝いする用意があるのです。

「宗教と平和の世界会議」および「日本の平和のための世界宗教」が
ともに偉大なる平和の推進力となり、それが宗教者によって推進されることは
すばらしいことであります。

皆様方に感謝をし、ともに平和を求めて皆様方と手を取り合いたいと
思っております。

神の祝福を・・・・」


859 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 23:20
バチカンも可哀相に。
63名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:30
860 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 23:24
聖者って嘘の経歴を並べ立てるものなんですか?
仏門に帰依してから幾つもの犯罪を犯して
刑務所に投獄される事は聖者の行ないのひとつなんですか?
この辺をはっきりさせないと
何を聞いても誤魔化しに聞こえるんですが。861 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 23:27
立宗以来、永いことやってるけれど
一人くらい因縁解脱した人いるのかな?
素朴な疑問です。862 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 00:00
>855 さん、阿含経典には多くのニルバーナを得た人の
話が載っています。テーラガータ、テーリガータなどです。
涅槃を得る前の段階として、シュダオン、シダゴン、アナゴン
などがあります。岩波文庫で出ていますので、読んでください。
その前に、清潔な真人間になる必要があります。

863 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 00:06
>860 さん。
夫婦喧嘩でもなんでも両者の意見をちゃんと聞かないとだめです。
私は先生のお話を聞いて十分納得しています。


864 名前: うわさ 投稿日: 2000/06/22(木) 00:16
最近は、神社本庁や皇室も阿含宗に祭祀を
依頼していると言ううわさを聞いたのですが
本当でしょうか。→阿含のかたへ

865 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 00:28
>861 さん、阿含宗の信者です。
完全に涅槃を得るというのは大変なことのようです。
私は末端の信者であまり知らないのですが、猊下が
今の世で涅槃を得て仏陀になられるのか、もうなられて
いるのか、一来で次の世で仏陀になられるのか知らな
いのです。どちらにせよ日本や東アジアの歴史始まって
以来だと思うのですが。そういう意味で東アジア大乗仏教は
罪が深いですねえ。
このことについて、どなたか教えてください。
また、げいかくらいは漢字をつかうこと。
「猊下」これをコピーしなさい。

866 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 00:31
阿含宗は、火の洗礼という言葉をどんどん
使っています。これは正しいのでしょうか。867 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 01:13
>私は先生のお話を聞いて十分納得しています

私は桐山さんの著作を何冊か読ませて頂きました。
もし差し支えなければ、貴方がどのように納得されたのかお教え下さい。
お願いします。


868 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 05:06
>完全に涅槃を得るというのは大変なことのようです

そこまで伺ってはいません。
ただ、昔から桐山さんが言っている因縁解脱を達成した人が一人でもいるのかという
問いかけです。
求聞持聡明法についても昔から本に出てきますが、もう長い年月が経っています。
教団でたとえば一人でも成就した方はいらっしゃるのですか?
因縁解脱者もいない、求聞持法の成就者もいないとなれば、
此れまでの30数年間は何だったのでしょうか?
869 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 05:10
>「猊下」これをコピーしなさい
>語りなさい

阿含宗ではみなさんこのような言葉使いをされるのでしょうか?
64名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:30
870 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 10:22
868 さん今日は。
私は末端の修行者で行歴も浅く、毎日の勤行と困った方を
見かけたらお助けすると言うだけの日々です。
ご質問の内容には、結界内で修行をされている方々、僧侶
の方々、修行が進んだ方々しか答えられないと思います。
いろいろ噂のようなものはありますが、憶測では書けませ
んね。ただ、少しずつでも前進して行くことのできる教えだ
と思っておりますので、信頼してついていっています。

「コピーしなさい」「語りなさい」は、阿含宗の仲間に向け
親愛の情+2chらしい表現のつもりだったのですが、お気
にさわったようでしたら謝罪します。
しかし、2chで言葉づかいとか、論旨のすり替えが注意され
るような、格調の高いボードを見つけてうれしいです。

871 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 10:35
火の洗礼と水の洗礼
質的にどう異なるのでしょうか


872 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 11:04
867さん、
ご質問がスキャンダルめいたことについてでしたら、事情を
ご存知なのはご本人だけですから、説明はご本人だけにしか
できません。また、それに対する回答に付いては十分理解し
納得していますが、弟子にとっては、反論対象の中傷誹謗の
内容に関してはここに書くことさえはばかられるのです。
これは、ああだ、これは、こうだと、説明しろと言われれば
十分に説明できますが、「これは」が一人歩きしてしまう
場合があるのです。週刊誌で「離婚のことは考えていない」
と発言すると、「離婚問題は、、」と見出し誹謗するような
テクニックもありますから。見出ししか読まない人も多いで
すからね。また「これは」を書くことは師に対して非常に失礼
なことになるのです。ですから、中傷誹謗の議論にははいって
行けません。
反論できなくて逃げているわけではありませんので、よろし
くご理解ください。
中傷誹謗には取り合わないと言う方針です。
また、ご質問の内容が教学についてでしたら、その時はまた
コメントをください。


873 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 11:13
最近の宗教版ってレベルが やたらと低くないですか?
65名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:31
874 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 12:17
バチカンと阿含宗について

>732さん、751さん 858さん
>二回目のイタリア訪問のとき・・・・ロ―マ法王が日本語で桐山師と信徒に
 歓迎の意を表明してくださいました。
>目指すものは同じなのです」といった趣旨のおはなしをされていました
>これらはすべて真実です。

信者の方はもしかして、阿含宗がバチカン及びローマ法王と特別に親しい関係にある。
又は阿含宗だけが認められていると思ってらっしゃるような気がするのでので、
次のことを記しておきます。

1981年2/24 来日中のヨハネ・パウロニ世はローマ法王庁大使館において
日本の諸宗教関係者29人と会見しました。出席した諸宗教の代表は
全日本仏教会、神社本庁の他、楔教、大本、金光教、黒住教、天理教、
立正佼成会、善隣会 他 10名以上の新宗教教祖が含まれています。
会見後、法王からメダルを授与され、記念撮影をしました。
その後、法王はバチカンを訪問した日本人の団体には日本語でスピーチ
をするようになりました。(ローマ法王庁大使館の職員〈神父さん〉談)
阿含宗の第1回バチカン訪問(85年〕以前の話です。

新宗教の代表者の中では、立正佼成会前会長の庭野日敬さんがバチカンと
特に関係が深いと聞いています。現法王と直接、何度も会っているはずです。
(念のため、私は立正佼成会とは無関係です。)

以下は立正佼成会のHPからのバチカン関係の記事

 1965年 昭和40年 9月14日
      庭野開祖、第二バチカン公会議に出席
 1965年 昭和40年 9月15日
      ローマ教皇パウロ6世と会見
 1986年 昭和61年 3月20日
      庭野日鑛会長(当時/次代会長)、ローマ教皇庁立サレジオ大学より
      名誉哲学博士号を受ける
 1992年 平成4年 11月15日
庭野開祖、ローマ教皇庁から「大聖グレゴリウス勲章」を受 賞
 1994年 平成6年 11月3日
      ヨハネ・パウロ2世と共にバチカンでの第6回世界宗教者平和会議」
      に出席

上記の宗教関係者がバチカンで法要をしたかどうかは知りません。
多分、他にも多くの宗教関係者がローマ法王と会っているでしょう。
バチカン市国はひとつの国家でありとローマ法王は世界的に重要な政治的役割も
担っています。(国際紛争などにおいて、バチカンの仲介が入るケースが
多いのはご存知の通りです。)宗教、思想的な枠を越えて世界中の人、特に
社会的影響力のある団体と友好関係を持とうとするのは自然なことです。
阿含宗もその内のひとつです。遠くの国から、何百人もの団体が来れば、
歓迎するのは普通のことだと思いますが。

他に比して立正佼成会と関係が深い(間違ってたらごめんなさい)
のは正しいことをしているからだとは思っていません。
日本で大きな勢力・影響力を持つ団体だからだと思います。これは私見です。

875 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 12:35
>871さん。
聖書のことは全く知りませんので、クリスチャンの方訂正して
ください。
聖書のルカ伝かなにかに、火の洗礼の話があるのです。
バプテスマのヨハネが、私は水で洗礼するが、私の後からくる
方は火で洗礼する。私はその方の足元にも及ばない。と言った
趣旨です。
つまり、私の後からくる方がメシアでその方は火の洗礼をおこ
なう。
イエスは水で洗礼されたのです。(この項間違いかも。)
ですから、阿含宗徒は自分達の星祭などが、火の洗礼ではないか
と思っているのです。
こんなことを何の根拠もなく考えたら少しおかしいと言うことに
なりますが、バチカンでの強烈な体験、事実がありますので、
あながち荒唐無稽とも言えないのです。
もし、私の書いたことが事実であれば、キリスト教文明は、仏教
文明に救われると言うことになります。
阿含宗ではメシアという言葉と火の洗礼と言う言葉はよく使われ
ます。
66名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:32
876 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 12:57
>874さん、こんにちは。
みなさん表敬訪問はされているのですよね。長島監督とか
クリントン大統領とか。「紹介者を通してそれ相応の寄付」
をすれば面会していただけるのでしょう。「」は他のコメント
の引用です。やはり重要なのは、ミサや法要でしょうね。

メダルに関しましては、普通を銅のメダルをいただける。
皇太子殿下(今の天皇)が表敬訪問された時は銀のメダル
であった。
阿含宗桐山管長は金銀銅のメダルをセットでいただいてい
ると言うことです。(幼稚園のメダルの話になってしまい
ましたが。)
また阿含宗は正式の招待状をいただいてバチカンのミサに
出席しています。招待状は普通でないものだそうです。

この話と、表敬訪問は別。表敬訪問されている方や団体は
無数にあると言うことですね。さあ、お昼の用意。

877 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:17
>874さん。
>阿含宗もその内のひとつです。遠くの国から、何百人もの団体が来れば、
>歓迎するのは普通のことだと思いますが。

阿含宗にバチカンからパームサンデーに参加するようにとのご招待が
合ったのです。もちろん口頭です。阿含宗では中傷誹謗には嫌気をさ
していますから、どうせ、押しかけたの、わりこんだのといわれるに
違いない。(ここは私の憶測)と思い「正式の招待状があれば出席し
ます」とのご返事をしたのです。伝達役の神父さんの言葉は神の言葉
なので、招待状などは決してださないのですが、その時に限り、後日、
正式の招待状が発行されたのです。招待状は重要な記念品として阿含
宗内に展示されています。

仏教徒400人が正式に招待されて、賓客として迎えられ、法皇の
ミサに出席したのです。宗教関係で一番重要なこと、唯一重要なこ
とは、ミサや法要なのです。

金銀銅の3つのメダルをいただいてからは、桐山師はどこの国に行っ
ても国賓なのです。皇太子殿下以上の扱いを受けるわけですね。それ
はどこの国でも規定にしたがって行われるわけです。878 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:22
庭野日敬のほうが桐山よりもバチカンでは遥かに高く評価されているんですね。


879 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:23
法皇は法王のまちがいでした。

880 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:26
>金銀銅の3つのメダルをいただいてからは、桐山師はどこの国に行っ
>ても国賓なのです。皇太子殿下以上の扱いを受けるわけですね。それ
>はどこの国でも規定にしたがって行われるわけです

国賓?
そんなバカな。
誰に聞いたのですか?881 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:29
<皇太子殿下以上>

いつのまにか皇太子以上になってしまった・・・・。
宗教だねえ〜。


882 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:32
>878さん、
庭野日敬さん(どなたか知らないのですが)とバチカンの
交流にはなにか歴史的な意味があるのですか。

VCIAは1980年前頃から日本語を学び始めたのです。
それは阿含宗桐山管長の著書を読むためです。ある神父さん
は管長げいかの著書に精通されていたそうです。
(VCIA と言うのが本当にあるわけではありません。V は
Vatican CIAは中央情報局です。読みまちがい傾向の方への注釈。)

883 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:35
>880
阿含宗に無数の映画がありますから見てください。
本当に食事の支度をします。読みません。
67名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:33
884 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:46
>やはり重要なのは、ミサや法要でしょうね

法王のミサに参加する事は誰でも出来ます。
教会での法要も然るべき手続きを経て申請すれば可能です。
法王と一緒にサンピエトロで大群衆と共に法要を行ない、
法王と共に仏典を読経したと言うのなら話は別ですが、
あの程度で「歴史的」とはとてもいえません。
教団の宣伝文句をそのまま受けとめるのはどうかと思います。885 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:56
>VCIAは1980年前頃から日本語を学び始めたのです。
>それは阿含宗桐山管長の著書を読むためです。

唖然・・・。
よ〜くわかりました。886 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:10
>821
>スッタニパータのほぼ中央、

「568、火への供養は祭祀のうちで最上のものである。
…王は人間のうちで最上のものである。…
569、…修行者の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって
最上のものである。」

教えていただいてありがとうございます。
これをもって、火の祭典を最高のものであるとたたえたとは、
見事な拡大解釈ですね。
まったく違うじゃないですか。

この経典の主旨は、最後の「修行者の集い…」であることは明らかです。
世俗で言われている、わかりやすい最上のものを羅列することで、
最後を強調したのです。
Aは最上、Bは最上、それと同様に、Cは最上だ、という論法です。
あなたの解釈は、「Aは最上」だけを抜き取って、
釈迦がほんとうに言いたい「Cは最上」を無視しています。

修行の集い以外は、すべて当時の世俗一般に言われた最上のものです。
王が人間のうちで最上である、などとはカーストを
否定した釈迦がたたえるはずがありません。
「王は世俗では人間のうちで最上だと言われている」ととるべきです。
同様に「火への供養は世俗では最上の祭祀と言われている」
という意味です。
話している相手は「結髪の行者ケーニヤ」ですから、
宗教家に一番わかりやすいたとえを最初に出したのは当然でしょう。

釈迦は世俗の風習としての祭祀は否定しませんでした。
ただし、宗教的な意義は認めず、
教団内で行うことは禁止したのです。

この経典をもって釈迦が護摩を認めたとか、
火の祭典をたたえたなどというのは、
釈迦の言葉尻をとらえた曲解です。
阿含宗で有名ということは、これをもって、
護摩や星まつりを釈迦がたたえたと信じているのですね。
それとも桐山さんがそう言っているのですか。

釈迦は出家の修行者には護摩を禁止したのです。
阿含宗の護摩をどう説明するのですか。

887 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:11
>822
>出家、在家の人数比からいってもALCは在家信者やっていくしか
>無いでしょう。

こちらの質問を繰り返します。
釈迦は在家信者の占いまで禁止していません。
在家信者が占いをしているかを聞いているのではありません。
釈迦が比丘や教団内で禁止したはずの占いを
なぜ、阿含宗は釈迦の仏教を標傍しながら、
桐山さんが先頭にたって占いを講義し、
占いを道場の中で積極的に使わせているのか
とたずねているのです。
68名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:34
888 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:13
>825
>桐山先生の科学としての仏教のほうが好きです。

皮肉ではなく、助言として言いますが、
こういうことは書かないほうがいい。
あなたがいかに科学や仏教のちゃんとした知識がないまま、
桐山さんの、あたかも心理学、大脳生理学などの知識を
駆使したかのような文章に酔ってしまったか、わかってしまいます。

桐山さんはまたそういう人を対象に、
あたかも科学的な裏付けがあるかのような書き方をしました。
桐山さんはそういう才能があります。
バチカン、科学、阿含経、釈迦、すべて彼が自分の宗教を正当化する
ための味付けとして使ったものです。
「科学調味料」の味付けにごまかされないことです。

889 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:16
>825
>そこには天才のひらめきが無いのですね。

その天才が桐山さんですか。
寄せ集めの阿含密教を作り上げたのだから、天才かもしれません。
だが、それは釈迦の仏教とは似ても似つかない。
釈迦の仏教を標傍しなければいいのです。
桐山密教、桐山仏教ならそれでいい。
あなたがどんな天才に人生を託しても自由です。

ところが、桐山さんは、まるで釈迦の直弟子で、
釈迦が説いたことを現代によみがえらせ、
釈迦の説いたことを体得したのは、自分だけだと言っている。
信じ込んだ信者は、桐山さんの妄想の釈迦を
ここにも堂々と書き込んでいます。
あなたの選んだ天才のやっていることは、釈迦を拝みながら、
その顔にツバしているのと同じです。

890 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:18
> 庭野日敬のほうが桐山よりもバチカンでは遥かに高く評価されている
んですね。

某宗教評論家によると,日本の政治状況に間接的に影響力を
及ぼすためだそうです。

巨大教団すなわち大票田ですから。

891 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:19
>826
>仏教は三宝に帰依するものなのです。

帰依と礼拝をあなたはいっしょにしています。
阿含宗ではそれが同じなのだろうが、
釈迦をただ拝むことは帰依することとは違います。

阿含宗で礼拝供養などというから、
釈迦が自分を礼拝するように教えたと思いこんでいるのでしょう。
阿含宗の釈迦と違い、阿含経の釈迦は、
自分を拝むことを拒絶したのです。

桐山さんのように、釈迦が禁止したことを堂々とやり、
それをまた宣伝に用いるのは、釈迦を拝むことではあっても、
釈迦に帰依したことにはなりません。

892 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:52
>釈迦をただ拝むことは帰依することとは違います

では質問ですが、「釈迦に帰依する」とは
どういう意味、あるいは行為を指して
いるのでしょうか。

893 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 20:08

>7科三十七道品から技術的に進化したのが密教だと思うのですが。

宗教学者T師と人類学者N氏の対談

T師「密教では加持祈祷のさいに観想をもちいて信者さんの商売繁盛などの
祈願にお答えするわけですが、そういったものが現実的に
どれだけ有効性をもちうるか、疑問におもえて仕方がないのですよ。」

N氏「桐山さんはなんと言っているのかな。」

T師「彼は明敏だから密教を信じていないでしょう。」

なるほど、確かに「7科三十七道品から技術的に進化したのが密教」ですね。

チベットの転生化身の教育で最初に教わるのは、
加持の与えかただそうですから。
69名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:34
894 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/22(木) 21:02

「一九九九年七の月」 31.ひとり盛り上がる桐山氏

この本は、ここ数年の焼き直し本と違い、大半が書き下ろしでした。
それだけに、奇妙な文章が目につきました。

****************************
解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。
わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。

その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。

忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・
その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。・・・私は絶息、絶心していたか
もしれぬ。・・・
・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。

わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。
****************************

愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心などの
多用で、一人で感情的に盛り上がり、笑い、叫び、躍り上がっています。
こういう盛り上がる場面は昔の桐山氏の本にもありました。
18年前の本では、白銀のバイブレーションとアルゴルモア大王の謎解きです。
しかし、せいぜいこの2つ程度なのに、この本ではこの技法を多用しています。
何とか読者を自分のペースに巻き込もうと必死の様子が見えます。
だが、おじいちゃんが一人でフィーバー(古い!)すればするほど、読者は白けます。
桐山氏ほどの、人をだます技法にたけた人の文章にしては、ずいぶん稚拙です。
なぜでしょうか。
70名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:35
895 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/22(木) 22:13
>892さん
増谷文雄師の本より抜粋
    南伝 中部経典 一〇七 算数家目ノ連経
    北伝 中阿含経 一四四 算数目ノ連経
       より後半部分

「では、いかがであろうか。かように教え導かれた世尊の弟子たちは、みなよく涅槃を得るで
あろうか。それとも、得ないものもあるであろうか。」
「婆羅門よ、わたしの弟子の中にも、涅槃を得るものがあり、また得ないものがある。」
「では世尊よ、正しく涅槃は存し、涅槃にいたる道があり、世尊が導師としていますにもかか
わらず、いかなる理由によって、あるものは涅槃を得、あるものは得ないのであろうか。」
「婆羅門よ、それについて、いまわたしからなんじに問いたいことがある。婆羅門よ、なんじ
はラージャガハ (王舎城)にいたる道を知っているか。」
「世尊よ、私はよく知っている。」
「では婆羅門よ、これをどう考えるか。ここにひとりの人があり、ラージャガハに行こうとし
て、なんじのもとに来って、その道をたずねたとせよ。そのときなんじは、彼に語って言うで
あろう、『君よ、この道がラージャガハに通じている。これをしばらく行きたまえ。しばらく
行くと、かくかくの名の村がある。それをまたしばらく行きたまえ。しばらくすると、かくか
くの名の町がある。それをまたしばらく行きたまえ。するとやがて、ラージャガハの美しい園
や森や池が見えてくる』と。かように教えられて、あるものは安全にラージャガハに到るが、
あるものは道をまちがえ、あらぬ方に行くこともあろう。婆羅門よ、正しくラージャガハは存
し、ラージャガハにいたる道があり、なんじが導者としてあるのに、いかなる理由によって、
ある者は安全にラージャガハにいたり、ある者はあやまれる道を、あらぬ方に行くのであろう
か。」
「世尊よ、それをわたしがどうすることができようか。私は道を教えるだけである。」
「婆羅門よ、その通りである。涅槃は正しく存し、涅槃にいたる道があり、私は導師としてあ
り、しかも、わが弟子の中には、あるものは涅槃にいたることを得、またある者はいたること
を得ないが、それを、婆羅門よ、わたしがどうするということができようか。婆羅門よ、如来
はただ道を教えるのである。」

 おそらくは、その結びの言葉を、すこし冷たいと感ずる人もあるであろうと思う。だが、それ
を裏がえしてみると、そこには、ブッダの本領があかされている。ひいては、仏教そのものの本
質が、そこに見えているのである。
「わたしは、ただ、道を教える者」という、そのことばを裏がえしてみると、ブッダとは、けっ
して、全知全能の救済者ではないということである。あるいは、神と人との間をとりもつ仲保者
の役割を演ずる者でもないということである。したがって、信を表白して、この人を礼拝すれば、
それで所願が成就するというわけにはいかない。この人の本領は、あくまでも、みずから課題を
解決し、正道を実践して、それを人々に宣べ伝え、なんじらもまた、かく知見し、かく実践して、
涅槃と称するこの境地を実現せよと教えるところにある。その意味において、この人の本領は、
まさに導師、すなわち、智慧とその実践の先駆者であり、案内者である。
 したがって、結局するところ、その智慧と実践についての最後の責任は、この師にしたがう人
人に帰するのはかはない。眼を開いて存在の真相を見るのは、彼らじしんでなければならない。
心を励ましてその道を歩まねばならないのは、彼らじしんである。ブッダは、かつて、聖句を誦
する者を批判して、「他人の牛を数えるがごとし」といったことがある。自分じしんが智慧のま
なこを開かねば、何にもならないのである。われとわが身をもって実践しなければ、何の用にも
たたないのである。
71名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:36
896 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/22(木) 22:14
つづきです

    南伝 小部経典 如是語経 九二

たとえ わたしの裳をとって
わたしの後に随い来ようとも、
もし彼
欲をいだき、いかりをいだき、邪まの思いをいだき、
怠りにふけり、知解するところがなかったならば、
彼はわたしから 遠く離れており、
わたしは彼から 遠く離れておるのである。
なにとならば
かの比丘は 法を見ないからであり、
法を見ない者は わたしを見ないからである。


たとえ わたしを遠く離れて
百里のかなたにいようとも、
もし彼
欲をいだかず、いかりをいだかず、邪まの思いをいだかず、
放逸をすてて、知解し、確立することを得たならば、
彼はわたしのそばにおり、
わたしは彼のそばにおるのである。
なにとならば
かの比丘は 法を見るからであり、
法を見る者は わたしを見るからである。


897 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:18
>829嬉しいんじゃなくて、仏教とキリスト教が一同に会した
>歴史的意義を考えないと行けないのです。

やっぱ、うれしいんだ・・・・
信者さんたちって、教祖が俗物なのがうれしいんだ。
教祖さんが大作さんみたいになったら、うれしいんだね。

歴史的意義じゃなくて、阿含宗の歴史的意義だろ?
メダルもらって、握手して、バチカンに権威付けしてもらって、
教祖さんに一番意義があるんだよな。
阿含宗村のローカルな話を、
人類の歴史みたいな話にすり替えないでよ。

仏教とキリスト教じゃなくて、阿含宗とカトリックだろ。
阿含宗が仏教の代表なんて、誰が認めた?
バチカンも言ってないよな。
ヲタクらが勝手に言ってるだけよ。

信者さんの書き込み読むと、こんなふーに、
言葉を適当にすり替えて、
話をどんどん大きくしていくよね。
自分で膨らませたのに、元々大きいと本人が信じてる。
それって、教祖さんがそうなの?

898 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:23
>886さん。
私はわりと、このようなことに、仏とか神々の寓意を感じるほうなのです。
どう言うわけか、現代日本のどの大きな書店でも販売されている書物に
「568、火への供養は祭祀のうちで最上のものである。
という文章が残っていることが、嬉しいのです。これにたいする堂々めぐり
の果てしない議論はずっと続いていますので。ここではやめましょう。
これに対して、世間には二つの意見があるということです。


899 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:28
>880さん、
阿含嫌いの元信者さんに聞いてみてください。
阿含嫌いでも嘘はつかないでしょう。

900 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:32
>880さん、君主制とカーストは関係無いですよ。
日本だって君主制じゃないですか。
(ここは冗談です、わかってね、VCIA の話も面白いジョークだと
思いますよ。書いた方は半分以上信じているのでしょうが。)

901 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 22:36
>892
>では質問ですが、「釈迦に帰依する」とは
>どういう意味、あるいは行為を指して
>いるのでしょうか。

信仰をしている人でなくても、
礼拝と帰依という程度の言葉の区別がつきませんか。
826さんが混同して用いていることがまだ理解できませんか。
礼拝と帰依を混同して用いているから、それを指摘しただけです。

人に聞く前に、国語辞典を引いてみてはどうですか。
さらに、帰依のことを知りたかったら、
日本には中村博士など優れた仏教学者たちがいるのですから、
勉強してみてはどうですか。
勉強して、中村博士がどのように説明されていたか、
阿含宗の教えとどう違いか、信者さんたちに教えてください。
72名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:36
902 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:38
>884さん、バチカンの大聖堂で仏教徒400人が
仏教の修法を行ったことは、まあ、ありきたりの、普通の
出来事だったとして。火の洗礼についてはどうお読みにな
りますか。ルカ福音書はお持ちですか。

903 名前: 現役信徒へっぽこA 投稿日: 2000/06/22(木) 22:41
2chをうろついていたら、こんなところに阿含宗に関する板があったとは。
う〜ん、私のようなへっぽこには難しすぎる。
でも、入会して10年以上も阿含宗を脱退しようなんて考えなかったのは、
何だか阿含宗のことが好きで、道場にいるととても落ち着くというのが、
大きな理由の一つなんです。
難しい教学のことは解らなくても、阿含宗にいたいからいるんだ
というとバカに思われるかもしれませんが、(あんまり頭は良くないけど)
それも大事な動機の一つだと思っています。
(レスでいじめないでね)

904 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/22(木) 22:41
もういっちょ、つづきです。
参考にしてください。

     南伝 相応部経典 三五、一五四、説法者
     漢訳  雑阿含経  一、二八、現法涅槃

 かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータピンディカ
(給孤独)の園にましました。
その時、一人の比丘が、世尊のましますところに到り、世尊を礼拝して、その傍らに坐した。
傍らに坐したかの比丘は、世尊に申しあげた。
「大徳よ、法を説く者、法を説く者と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなるを法を説く
者というのでありましょうか」
「もし比丘が、眼において厭い離れ、貪りを離れ、その滅尽のために法を説くならば、まさに、
法を説く比丘というべきである。また、もし比丘が、よく眼において厭い離れ、貪りを離れ、そ
の滅尽のために実成するならば、まさに法をよく実践する比丘というべきである。さらにまた、
もし比丘が、よく眼において厭い離れ、貪りを離れ、よく滅し尽して、もはや執取するところな
くして解脱するならば、彼は、その現生において涅槃に到達したる比丘というべきである。
 また、もし比丘が、耳において……。鼻において……。舌において……。身において……
 あるいは、また、もし比丘が、意において厭い離れ、貪りを離れ、その滅尽のために法を説く
ならば、まさに、法を説く比丘というぺきである。また、もし比丘が、よく意において厭い離れ、
貪りを離れ、その滅尽のために実践するならば、まさに法をよく実践する比丘というべきである。
さらにまた、もし比丘が、よく意において厭い離れ、その貪りを離れ、よく滅し尽して、もはや
執取するところなくして解脱するならば、彼は、その現生において涅槃に到達したる比丘と称せ
らるるに足るのである」
73名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:37
905 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:46
>886さん、
護摩、火の祭祀を禁止したわけではないと思います。
祭祀にかかわる雑事を抑制したのだと思っています。
なるべく手を煩わせず、在家にやってもらいなさいと
いうことですね。偈のどくじゅは僧侶が行ったと思っ
ています。
仏陀の祭礼と同じような光景だったと思っています。


906 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:56
>887さん、
これも出家はなるべく雑事にかかわるなということですね。
それと生活のための稼ぎをするな。
桐山管長は、出家、在家、どちらの指導もせねばなりません。
やって見せるというのが、指導の第一歩ですから。
べつにお金稼ぎでやっているわけじゃあないでしょう。
また、世界から認められた大あじゃりなのだから良いではあり
ませんか。世界中の宗教指導者から、桐山先生がとんでもない
ことをしていると言う声などでていないのです。それよりも大
賞賛ばかりなのです。非難しているのは金銭的不利益をこうむ
る日本の宗教界ばかりでしょう。
在家の、われわれ未熟者が口を出すことではありません。
905仏陀の祭礼は、葬礼のまちがいでした。

907 名前: 某阿含宗信者 投稿日: 2000/06/22(木) 23:03
>888さん、
私はわりと深い科学知識があるのです。
それでも桐山著書は参考になります。
学者にとっても指導の書ですね。
研究より研究のテーマ探しのほうが難し
いのです。最高の「種本」です。

908 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 23:04
1985年のバチカン訪問に参加した信者の方は、
これまで書き込まれた阿含宗側見解にすべて賛成なのですか。
とすれば、あきれます。

阿含宗は世界青年年にバチカンに招待された。
法王を交えた青年たちの集いの後、参加者は
各教会に分かれて、平和の祈りのためのミサをした。

他の教会では、神父さんがミサをすれば、
そこにいるのはキリスト教徒だから、普通にミサが行われる。
しかし、阿含宗は神父さんのミサに合わせることができない。
「どうぞ、あなた方のやり方でいいから、共に平和を祈りましょう」
と神父さんが言った。
そこで、神父さんはミサを、阿含宗側は勤行を同時にした。
バチカンでは異教徒が来た時にはよくやるやり方です。

872さんが書いているように、バチカンは数代前の教皇から、
他宗教に対する寛容政策をとってきました。
阿含宗が招待されたのはその一環にすぎない。
阿含宗だけ特別扱いされたのではありません。
招待状もメダルも握手も誉め言葉も、
バチカンの客への儀礼にすぎない。

「教会で、各々のやり方で、共に平和の祈りをした」
と、これを普通の人なら表現するでしょう。
平和の祈りのつもりが、桐山さんの手にかかると、
バチカンが公式に準備して、認めた合同法要になり、
ついには宗教史始まって以来の大事件になりました。
信者は参加者すらも鵜呑みにしているのは見てのとおり。

仏教、キリスト教の公式の合同法要という重大事件なのに、
以来15年、一度でもバチカンはこれを認めましたか。
1990年に行ったとき、阿含宗だけ特別扱いしてもらいましたか。

桐山さんはバチカンの異教徒への寛容政策をうまく利用した。
バチカンは、客に対する儀礼を、桐山さんが
まさかあのように利用するとは思わなかったのでしょう。
74名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:38
909 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 23:08
解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。

― 中略 ― 【間10行】     

わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。

                  p176から178

場面は変わって・・・

その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。

                   p266

またも場面は変わって・・・

忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
  
             【間8行】

仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・

          【間12行】

その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。  【間半行】

私は絶息、絶心していたかもしれぬ。・・・

                    【間4行】

・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。

                 p284から286

また、場面は変わって・・・

わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。 
                                   
                      p288

ヌマエビさんの言われる

愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心は、
これだけの範囲の文章から抜粋したものです。

その意図するところのものはご本人しか
分からないものなのでしょうね。

なぜでしょうか。


910 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 23:12
>解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。

― 中略 ― 【間10行】     

>わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。

                  p176から178

場面は変わって・・・

>その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。

                   p266

またも場面は変わって・・・

>忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
  
             【間8行】

>仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・

          【間12行】

>その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。  【間半行】

>私は絶息、絶心していたかもしれぬ。・・・

                    【間4行】

>・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。

                 p284から286

また、場面は変わって・・・

>わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。 
                                   
                      p288

ヌマエビさんの言われる

愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心は、
これだけの範囲の文章から抜粋したものです。

その意図するところのものはご本人しか
分からないものなのでしょうね。

なぜでしょうか。
75名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:39
911 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 23:36
901さんご自身の「釈迦をただ拝むことは帰依することとは違います。」
についてお聞きしたかったんですが。

学者の受け売りでなくして。

言えないのであればいいです。912 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 23:56
>893
これは、なにも知らない人の発言ですね。
私など、ここに書けば信用していただけないようなすばらしいこと
ばかり経験しています。
法力とか奇跡というのは無いところには無いので信じられないので
しょうが、有るところには有るのです。
そんなことありえないという先入観にとらわれているのです。


913 名前: 阿含宗徒 投稿日: 2000/06/23(金) 00:16
>897さん。
人間はみんな、嬉しいことや悲しいことがあるのです。どんなことで
どうして嬉しいかで、その人の値打ちがわかりますよね。
桐山先生は今世紀最大の思想家であり宗教家であると思っていました。
この小さなアーク(弧、日本列島のこと)に閉じ込められた思想家が
次々に、世界の巨星に認められていったことは私の大きな喜びでした。
このような喜びは気高いものだと思いますが。

ところで、あなたはどんなことが嬉しいのですか、あるいは、嬉しかっ
たですか。

914 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 00:39
>901さん、礼拝と帰依の言葉の違いですね。
えーと帰依は良いが、礼拝は悪いというお説ですね。

仏陀がいます、その教えた法があります。仏陀の教えを学びたいと思ったものは、
仏陀にご挨拶します。参礼ですね。(これも教義の礼拝です)
そして指し示された道を学びます。考え理解します。そして納得すれば帰依する
ことになります。(納得しないものは去ります。)
帰依したものは、感謝と尊敬の礼拝をします。
仏陀が亡くなられた後は、帰依しているものは、残された法に対する感謝と尊敬
と、また、法を学びつづけますという決意を込めて礼拝するのです。

仏陀を礼拝しても、法を学び実践しなければどうにもならないよ、といったごく
当たり前のことが、礼拝の禁止などと曲解されるのですね。

またキリストに帰依してもいいが礼拝はだめなんて言わないですものね。
両者はきっても切れない間柄です。

915 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 00:39
>903

>入会して10年以上も阿含宗を脱退しようなんて考えなかったのは、
>何だか阿含宗のことが好きで、道場にいるととても落ち着くというのが、
>大きな理由の一つなんです。
>難しい教学のことは解らなくても、阿含宗にいたいからいるんだ
>というとバカに思われるかもしれませんが、(あんまり頭は良くないけど)
>それも大事な動機の一つだと思っています。
>(レスでいじめないでね)

それって、オウムにいたいからオウムにいるんだ、
と言っているのと同じだと思いますが。
自分の所属している団体のことをきちんと把握することは
大切なことですよね。
単に好きか嫌いかという感情的な部分は少し押さえて、
所属している教団を客観視することも重要なことです。
加えて、教団内部からの話だけを鵜呑みにするのではなく、
世間的に見てどうかということを常に念頭に置くことも必要です。
多角的な視野を持って判断して下さい。
たとえば、スレッド内で活発にされている教団批判においてさえも、
その批判を会員が受け入れたくない気持ちもわかるけど、
内容を吟味する努力はされるべきだと思います。
少なくとも頭から、「世間の(もしくはスレッド内の投稿者の)
教団批判はデッチ上げだ」などとはくれぐれもおっしゃらぬよう。
それをした途端、オウム信者とおんなじレベルになってしまいますから。


916 名前: 現役信徒B 投稿日: 2000/06/23(金) 00:46
>903
現役信徒Aさん、こんばんは。
やはり日々の勤行と、地道な実践が一番大事ですよね。
教学は勤行式の、和賛と二つの阿含経ですべて、に近
いと思います。
私は、屁理屈の因縁が切れないので困っています。
Aさんには、ぜひ、すばらしい実体験を語っていただ
きたいと思っております。(できればですが)
76名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:39
917 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 00:49
>904 16年目の現役信徒さん、ありがとうございました。

918 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 00:57
>908さん、パームサンデーで30万人カトリック信徒の
目の前で、法王が桐山管長げいかおよび阿含宗徒とのみ握手
をされ、言葉を交わされたということはごく普通のことであ
った。とのことでした。
阿含宗信徒一同の後列の各国大使席の方々の、驚いたと言う
より驚愕されているお写真はとても普通の出来事を目撃して
いるようには見えませんでしたが。
それはさておいて、例の件はいかがですか。


919 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 01:06
>894 ヌマエビさん。
あなたには本を読む力も、まとめる力もないようですよ。
初心に戻って、日々の勤行をしなさい。
そして自分の支離滅裂な考えは捨てて、一から少しずつ
先達に教えてもらいなさい。
それしか助かる道はないでしょう。

920 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 01:14
>915さん、
好きか嫌いかはとても大事です。心の清らかかな方は
きれいなところが好きです。人との付き合いでも同類が
親しく付き合います。
あなたはいろいろいろいろ言っているが、実は、阿含宗
が嫌いなだけなのです。
清潔な広い道場や総本殿で、いいなあ、すがすがしいなあ
と思うのはとてもすばらしいことです。

921 名前: 現役信徒へっぽこA 投稿日: 2000/06/23(金) 02:38
>915
ごもっともです。おバカな私なりに考えてはいるのですが、
自分と違う考え方を、特に信仰という心のよりどころの部分に関することを、
何の色眼鏡もなしに見るって難しい事ですね。
何と言いますか、どんなに科学が宇宙のことを明らかにしても
やはり地上からは太陽や月が地球を中心にまわっているように見えますものね。
オウムにいて逮捕された人たちの中にも、本当は心優しく真面目な若者も
たくさんいるんでしょうね。教団から一方的に洗脳されてしまうまでに、
私に頂いたような忠告を受けることができたら..と考えてしまいます。
ありがとうございます。

>現役信徒Bさん
いやぁ、私からすれば難しい教学がスラスラ言えたり、高度な解釈ができる人って
スゴイなと思います。
私はいつも、「当たって砕けろ...でも本当に砕けちゃったぞ」の
ノリなもので、私の実体験は漫才か落語みたいなものです。
日々の勤行と地道な実践、大いに反省です。

922 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 04:02
>法力とか奇跡というのは無いところには無いので信じられないので
>しょうが、有るところには有るのです。

その法力やら奇跡というのが、仮に本当にあったとしても
宗教とはなんの関係もないくだらないことだと気がつかないのが無明です。

923 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 06:25
無明を終点とする十結煩悩をひとつひとつ断ち切り、
彼岸にいたる方法が「成仏法」です。

その修行課程の途上で法力や奇跡の発現はあるかもしれませんが、
それを目標にしているわけではない。

そういうひとは辞めるしかないでしょう。あるいは
最初からご縁が無いか。

924 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 06:36
ヌマエビさん、あんな引用の仕方は汚いよ。

あれだとわずか1ペ―ジくらいの範囲でああいう表現が
為されたような誤解を不特定多数の人々に与えてしまう。

何故、そこまでしなければならないのか、
理由がわかりません。

925 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 06:52
なんだかんだ言っても、桐山師がキリ山師であることは
これまでのドタバタ劇で一目瞭然。
77名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:40
926 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 07:39
>パームサンデーで30万人カトリック信徒の
>目の前で、法王が桐山管長げいかおよび阿含宗徒とのみ握手
>をされ、言葉を交わされたということはごく普通のことであ
>った。とのことでした。
>阿含宗信徒一同の後列の各国大使席の方々の、驚いたと言う
>より驚愕されているお写真はとても普通の出来事を目撃して
>いるようには見えませんでしたが。

単に、桐山の前宣伝が効きすぎていたんじゃない?
西部の田舎ものがニューヨークへいって目を丸くしているのとかわんないでしょ。927 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 07:46
「わたくしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方よ。
 わたくしを諸々の疑惑から解き放ち給え。」
(スッタニパータ 1063)
「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者も解脱させえないであろう。
 ただ、そなたが最上の真理を知るならば、
 それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。」
(スッタニパータ 1064)

釈迦は自身に対する依存を拒否していました。
帰依する対象は人間釈迦ではなく、ダルマつまり「最上の真理」であるべきです。
礼拝については釈迦自身が望んでいませんでした。

信仰の否定は当然です。もし違うという方がいたら
釈迦は一体何を「信仰」していたというのか教えて欲しいものです。
928 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 07:49
もしも護摩が最上だというのなら
何故釈迦ご自身はなさらなかったのでしょうか。
成道後、一度たりとも護摩を焚いた事はなかったはずです。929 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 09:40
>922 さんおはようございます。

本当に奇跡と宗教は関係ないのでしょうか。
キリスト教では、列福、列聖(セイントと認めること)
の調査に奇跡を非常に重要視します。
マザーテレサは聖人に、ありのまちのマリアは??に
なるための調査を受けているとききました。
(列福されたひとのことをなんというのでしょうか。)
阿含宗でも多くの奇跡が起きていますが、目に見えない
仏様の力を、目で見えるようにしていただけるわけで
うれしいものです。

930 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 09:47
釈尊ご在世当時のごく初期、それも伝道されてから
まもなくの時期は「法宝」の概念はあったが、
「三宝」は無かった・・・                     

>帰依する対象は人間釈迦ではなく、ダルマつまり
「最上の真理」であるべきです。

釈尊の説かれたダルマの有効性を確認した
人たちが「仏は宝だ」「サンガは宝だ」と
言い出したのでしょう。

そのひとにお会いしただけで
良い宿縁を持ったものはその場において
解脱してしまう、そういうお方を
信仰するのはむしろ自然だと考えます。

>礼拝については釈迦自身が望んでいませんでした。

当然じゃないですか。

わたしが或るラマに質問するにあたって
礼拝したら拒否されました。本人がそれを
望むわけ無いでしょう。

やっぱり学者の受け売りですね。


931 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 09:53
>列福されたひとのことをなんというのでしょうか。

福者のことでしょう。
78名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:41
932 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 10:05
>924
憶測ですが、ヌマエビさんは、もっとほかのことで
悩んでいるのだと思う。
阿含宗に入って、華々しく活躍したかったのにできなかった。
かわいい女の子がいたが振り向いてくれなかった。
管長げいかと、さしで話がしたかったのに話ができなかった。
会員がすこしよそよそしい。
これだけ、誤った概念を頭に詰め込んでいたら、げいかも
さしでは話をしてくれないでしょう。一年かかりますものね。
友達にもいやがられるでしょう。
やはり、地道に勤行すべきです。それと身近にいる人に謙虚
に教えを聞くべきです。

反論を期待します。


933 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 10:12
>926さん
各国大使公使の方々は田舎者じゃないですよ。
みんな国際人ですから。

934 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 10:19
>927さん、
お釈迦さんを拝んで、頭をなででもらっても何にもならないよとの
意味です。「それよりも私の教えたことをまなびなさい。」
教えを忘れている人への言葉です。

後世の人の、本尊とする、帰依する、礼拝する、と言う意味は、
釈迦を尊敬し、感謝し、法を学ぶと言う決心を表明するものです。
仏陀に対する真摯な気持ちをあらわすのです。

釈迦の信仰とは、真理に対する真摯な気持ちです。935 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 10:53
>907
>研究より研究のテーマ探しのほうが難しいのです。

なるほど、卓見です。

936 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:03
>928さん、
おはようございます。私は思うのですが(受け売りかもしれませんが)
釈尊当時の様子がちゃんと伝わっていないような気がするのです。

たとえばあなたが平成の歴史を後世の人に残すとしたら、変わった事、
面白いこと、画期的なことを中心に書いてしまうと思うのです。
ごく普通のことは書き落とすと思うのですね。

仏陀最後の旅の仏陀の盛大な葬礼の様子、当然、僧侶も参加しています。
そのようなものが当時の仏教の常態だったと思っています。

釈迦のうちたてたサンガの生活のみが伝わって、庶民の楽しい祭祀を
中心とした仏教が伝わっていないのではないかと思っています。

ですから、今の阿含宗のやっているようなことが当時の仏教に一番近
いのではないかと思っています。

937 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:22
丁寧なレスありがとうございます。
でも「書き落とす思う」と「伝わっていないのではないかと思っています」
という根拠で
「今の阿含宗のやっているようなことが当時の仏教に一番近いのではないかと思っています」
と結論付けるのは飛躍ではないでしょうか。938 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:25
>釈迦の信仰とは、真理に対する真摯な気持ちです

信仰とは何かを仰ぎ「信ずる」事です。
釈迦はご自身が体得したものを何故「信じ」なければならないのでしょうか。
信じているうちは絶対に悟りには至れません。
否、悟ったときには何かを信じる必要がなくなるのでしょう。
何故ならダルマと一体になるのですから。
79名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:41
939 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:31
>後世の人の、本尊とする、帰依する、礼拝する、と言う意味は、
>釈迦を尊敬し、感謝し、法を学ぶと言う決心を表明するものです。
>仏陀に対する真摯な気持ちをあらわすのです

私もそう思います。
ただ、そこに御利益信仰が絡んでしまいますと、釈迦の本心から離れます。
仏舎利に対して、釈迦像に対して、病気平癒とか何かを祈願することを
釈迦は望んでいたのでしょうか。
釈迦の教えとは現世利益の教えだったのでしょうか。
阿含経には他のもの(仏像や仏舎利など)に依存し救済を得ようという考え方はなかったはずです。940 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:37
>922さん、こんにちは。
私も奇跡と言うものは10回以上経験しました。
励みだけでなく、苦しいものには本当に救いになります。
ただ、いつも、必ずと言うわけではないのです。
小奇跡はいつも必ずと言っていいと思うのですが、大きな
奇跡は時折思いがけずという気がします。
大奇跡を願って入信した人はそこに不満を感じるかもしれませんね。

941 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:49
>922さん、言葉尻のことですが、無明と言うのは
もう少し大きな概念ですから。
人間界に生息して涅槃を得ていないものは、みんな無明に
覆われています。
もちろん、このような意味で使われたのではないことは
分かっていますが。

942 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:52
>913さん、アークは(ノアの)箱舟のことでは
ないかと思うのですが。これはネタです。

943 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:57
>915さん、オウムの集まりなんかをひとめ見て、あるい書物を
数行読んで、あ、嫌。不潔。絶対に嫌、という直感的な好き嫌いも
大事ですよね。


944 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 12:08
>922さん、補足ですが、無明と言うのは
十結煩悩の最後のものです。
下位の三つは、身見、疑惑、戒取。すなわち
自分の意見にとらわれ、仏陀の見解に惑い、
仏陀が教えたもの以外の戒や規則にとらわれている。
三つが切れればシュダオン?でしたっけ。
仏陀の法を学ぶのは、別に阿含宗でなくても
よいのですが、こんなことをちゃんと教えてく
れるのは阿含宗だけでしょう。
教えだけ剽窃して、逃げると言う手もありますが。

945 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 12:45
>930さん、今日は。
三宝への帰依は、仏教の共通語となっていますのであまり複雑に
考えなくても良いと思っています。
帰依と礼拝もセットで考えても良いと思っています。
帰依なくして礼拝もないし、礼拝なくして帰依もないでしょう。
仏陀を礼拝するかどうかの問題は、仏陀のご在世の頃と、滅後に
分けて考えなければならないと思います。
仏陀にお会いし、右回りの?礼をして、お話を聞く。仏陀のサン
ガを守る。それの同等のこととして、仏陀滅後には三宝への帰依
があるのでしょう。
入滅前から仏陀はご自分の葬礼についての指示を出されています。
仏舎利の礼拝も予見されています。仏陀最後の旅。
仏舎利供養、すなわち仏の礼拝は仏滅直後から始まっています。
サンガを宝としたのはかなりたってからではないでしょうか。
仏滅直後は二宝だったと思います。

ラマの礼拝拒否はなんだったのでしょうか。普通、五体投地するのでは
ないでしょうか。日本人だったからか。まだ、弟子ではないよと言う意味
だったのか。しかし、すばらしい体験をされたのですね。尊敬。946 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 12:49
>931さんありがとうございました。
福者ですね。ありのまちのマリアさんが列福されるといいですね。
英語ではなんて言うのでしょうか。セイントは聖人ですね。Vから
始まっていたような気がするのですが、広辞苑にも和英中辞典に
も載っていません。
80名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:42
947 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 13:14
>937さん、
コメントありがとうございました。確かに飛躍かもしれませんが、
これだけエネルギーに満ちた人間と言う種族が、釈迦の時代のみ
しーんとして暮らしていたとは思えないのです。出家者への占い
の禁止、医療行為の禁止なんかも実は盛んだったから禁止規定が
できたのだと思います。
釈迦の時代も、日本人が考えているよりももっともっと賑やかな
時代だったと思っています。
南方のテーラバーダ社会が、月夜の晩には祭礼を行って賑やかな
のと一緒ですね。
庶民は娯楽なしには生きていけないと思っています。

948 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 13:32
>938
さん、仏陀釈尊ご自身の信仰に付いては、普通人が
考察するには難しいものがあります。(以下は憶測です)

仏陀は、涅槃への道、をその修行で見つけられました。
その真理への真摯な気持ち、求道心を仏陀の信仰であると
思っています。また、その道が正しいと宣言されたわけです。
「天上天下唯我独尊」ですね。その法に対する確信が信仰
かもしれません。

スッタニパータには仏陀の信仰は種子、苦行は雨と言う言葉が
でてきます。この信仰も苦行も誤解されやすい言葉なのです。
浅い理解で、苦行は否定されたと言う人もいるでしょう。

修行者に関しては簡単です。仏陀はご自分の教えることだけが
正しいとおっしゃっている。「天上天下唯我独尊」と言っておら
れるのです。興味があるならば、耳を傾け、学び、研究し、理解し
、もし信じられるならば信じれば良いのです。信じる。そしてそ
の道を歩むには、困難が伴いますから、仏陀の指導を仰ぐのです。

後半のコメントに関しましては、お話が混乱しています。
法を筏にたとえてください。(良くある話ですね)
暴流(ぼうる)を渡るには、筏が必要です。渡ってしまったら
筏はいりません。筏を信じないと身を託すわけには行きません。
筏と我は一体にはなりません。筏は道具です。

949 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 13:41
>939さん、
仏陀の法を修するものには、二つの福が与えられるのです。
世間福と、出世間福です。究極の修行者は、この世とあの世を
ともに捨てますが(スッタニパータ)なみの修行者はこの世は
捨ててもあの世は捨てられません。一般人はこの世が捨てられ
ません。そのような在家の信者には、福徳円満な長者になる道
があるのです。この道は、遠いですが、涅槃に向かう道でもあ
るのです。在家のものは世間福を望むのです。阿含経より。
仏像や仏舎利はお釈迦様の時代にはなかったのです。生きておられ
ましたから。お釈迦様のかわりですね。仏舎利にはお釈迦様の意思で
お釈迦様のスピリットが宿っていると思っています。

950 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 13:52
「天上天下唯我独尊」
について。誤解されると行けませんので、
書きますが、仏陀が本当にこう叫んだと
思っているわけではないのです。
ただ、仏教の本質を一言で語っていると
思いましたので使いました。
経典にある「仏陀は獅子吼された」と言うのが
これにあたるでしょうか。


951 名前: ヌマエビくんは怪しい 投稿日: 2000/06/23(金) 15:44
ヌマエビくんは怪しい。
元阿含宗とかは嘘。
一緒に登場したボウロ話くんも怪しい。
同一人物だろう。
ボウロと書いていればお前の
書き込みだぞ。
学会板調べてみよう。

952 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 15:48
ヌマエビ=口下手
81名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:43
953 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 16:04
世界宗教者平和会議は立正佼成会の提案から始まったと聞いています。
バチカンの厚遇もその意味では当然でしょう。

第二バチカン公会議以降の他宗教に対する対話路線についても
存じ上げていますよ。そういった現代世界にアジャストした
姿勢を示しているのは、先般ロ―マ法王自ら教会の過去の罪を
懺悔するミサをなさったのをみても、よくわかります。

1984年の阿含宗のバチカン訪問の意義について

「平和のために、また、人類の発展のために協力できるならば、
それはカトリック信者にとっても、また、他の宗教の
信者の方にとっても、おそらく一番大切なことだったろうと
思います。

その意味では、このたびのロ―マ法王と管長との謁見は
深い意義があって、そして、これからただ一回だけのものに
終わるのでわなく、具体的な計画、プロジェクトのためにも
このような計画があるならば本当にありがたいと思います。」

ただ単にバチカンへ行った、関係者に会った、それをもって
どうこう言うので無くして、異なる宗教同士でどうやって
協力関係を築いていくか、どんな仕事をするか、が
重要で、それを模索しているのですよ。
954 名前: 953 投稿日: 2000/06/23(金) 16:10
バチカン関係者のコメントはピタウ神父でした。


955 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:07
>898
>これに対して、世間には二つの意見があるということです。

あなたの書いた表現では、釈迦が阿含経の中で、火の祭典をたたえた、
したがって、阿含宗の護摩は正当化されるととれる内容でした。
二つの意見があるのではなく、結論が出たのです。
あの経典は、釈迦が火の祭祀をたたえたものではない、ということです。
火の祭祀を釈迦がたたえたり、教団内で行うことを認めた
などということはありえません。

956 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:08
>905
>護摩、火の祭祀を禁止したわけではないと思います。

根拠を示せなくても、どこまでも主張するわけですね。
桐山さんもそういうやり方を認めているのですか。
護摩をどうして焚くのか、という質問には答えていません。

桐山さんが、なぜ、護摩を焚くのかということを
説明していますよね。
どうしてその説明を書かないのですか。
重要な質問なのですから、
阿含宗の公式見解を紹介してみてはどうですか。

957 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:10
>906
>これも出家はなるべく雑事にかかわるなということですね。

釈迦が禁止した占いを阿含宗がやる理由がこれですか。
信者以外は誰もこんな答では納得しませんよ。
護摩同様に、桐山さんが、なぜ阿含宗で占いをするのか、
答えていますよ。
焦点をぼかしたような私見を毎回羅列するよりも、
その公式見解を書いてはどうですか。

958 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:12
>906
>また、世界から認められた大あじゃりなのだから良いではあり
>ませんか。

世界から認められたという「世界」とは、
「世界中の宗教指導者」とは、
だれのことを指しているのですか。
桐山さんがお金を直接、間接に出していない組織や人物で、
だれが桐山さんを賞賛しましたか。
82名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:43
959 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:14
>907
>私はわりと深い科学知識があるのです。

今の時代に、桐山さんのあの本から得られる
研究テーマって何でしょうね。

テーマ探しと、「科学としての仏教」とは違いますよ。
テーマが探せるのなら、科学としての恋愛小説、
科学としての漫才、科学としての遊び、というのですか。
何でも科学になってしまう。

テーマ探しというあなたの個人的な事を、
あたかも桐山さんの本が、
科学的であるかのように言い換えるのは、
いかがなものか。

960 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:17
>955 さん、今日は。まだまだ仕事中です。

あの文章は、釈迦の言葉ではありません。
釈迦の説法をきいて歓喜した結髪の行者??が釈迦の
法をたたえて唱えた偈です。
釈迦はそれを喜びのうちに受領したのですね。
釈迦が認めていなければこの言葉が後世までは残りませ
んから。

従来より火の祭典は邪法のように言われていましたが
スッタニパータの仏陀が快くこの偈を受領されているのです。
邪法ではないと言うことですね。
阿含宗のみならず、真言宗、チベット仏教にも当てはまることです。

961 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:21
>956さん。
なぜ護摩を焚くのかと言うことは、阿含宗、真言宗、
チベット仏教にも共通する問題ですね。
私は色々考えて、納得しています。

なぜ、焚いてはならないと主張されるのかも、わからない
ですね。チベット密教や、真言宗はよくて、阿含宗だけが
非難されるのも分かりません。
その方は、阿含宗がお嫌いなのでしょう。
83名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:44
962 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 19:23
バチカンと阿含宗-874です。

一日見なかったらすごいレスの数!おいてかれた。
>876さん 877さん 皆さん、こんばんわ
昨日、信者の人たちは阿含宗がバチカン及びローマ法王と特に親しい、
阿含宗だけが認められていると思っているのでは?と書きました。
ご自分で考えてもらおうと思ってなるべく控えめに事実を書いたつもり
でしたが、その方法は間違っていたことがわかったので
阿含宗信者流の表現ではっきり書きます。

  >この話と、表敬訪問は別
他の方はともかく、庭野日敬さんも表敬訪問のレベルにするんですか?
(庭野さんを例としてピックアップしたのは前にも行った通り肩書き、メダル
などの権威好きの桐山さんとの比較対照例として最適という理由のみです。
立正佼成会に関する御意見はよそへ、バチカンについてもクールに見ています。)

意識的に無視しているようなので庭野さんの経歴の一部を注釈つきでもう一度。

  > 1965年 庭野開祖、第二バチカン公会議に出席
バチカン100年の方針を決定する会議に「仏教徒として初めて招待」されました。
35年前からのおつきあいがあるということです。
  >1986年 庭野日鑛会長(当時/次代会長)、ローマ教皇庁立サレジオ大学
        より名誉哲学博士号を受ける
北京大学博士号以下ですか。日敬さんの方は1979年には宗教界のノーベル賞と
いわれる「テンプルトン賞」をアジアの仏教徒として初めて受賞(マザー・テレサ
も受賞)
  >1992年 庭野開祖、ローマ教皇庁から「大聖グレゴリウス勲章」を受賞
どんな意味のある勲章かは知りませんが金メダル以上に思えますが。
  > 1994年 「ヨハネ・パウロ2世と共に」バチカンでの
        第6回世界宗教者平和会議(WCRP)」に出席
WCRPについては古い信者の方から、まつわる話を聞いてください。

以上の事実においてバチカン・ローマ法王と阿含宗・桐山さんとの関係は
立正佼成会・庭野さん以下です。(もう、だれか言っちゃったけどね)
ローマ法王とおなじ道を歩んでいるのなら〈愛のために知恵を・・・〉
バチカンと関係の深い立正佼成会とも仲良くなったんでしょうね。
他宗のことは知らないといわないでね。
表敬訪問と決めつけたのはそちらですからね。

   876、877
  >皇太子殿下(今の天皇)が表敬訪問された時は銀のメダルであった。
  >阿含宗桐山管長は金銀銅のメダルをセットでいただいている
  >桐山師はどこの国に行っても国賓なのです。
  >皇太子殿下以上の扱いを受けるわけですね。
阿含宗ではそんなふうに教えているんですか!あの頃はそこまでいってません
でしたが。阿含宗 大丈夫か!

質問、桐山さんはなぜ招待状とメダルの写真を自分の本に載せないんでしょう?
国連平和賞や警察長協会栄誉賞のたてやメダルは載せるのに。(載せている本
があったら謝ります、教えてください。)みんなの質問にもちゃんと答えてね。

ミサや招待状の件も話があるんですが、他の方が色々、書いているんで今回はパス。
またそのうち・・・・。ヌマエビさんファイト!

963 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:29
>957さんこんにちは。
>釈迦が禁止した占いを阿含宗がやる理由がこれですか。
>信者以外は誰もこんな答では納得しませんよ。
>護摩同様に、桐山さんが、なぜ阿含宗で占いをするのか、
>答えていますよ。
>焦点をぼかしたような私見を毎回羅列するよりも、
>その公式見解を書いてはどうですか。

この前、私は教学が嫌いだといいましたが、謙遜とかではなく
事実なのです。本をはじめから読んだりとかはだめ、公文書な
どは嫌い、教学勉強会とかテストなど、とんでもない。
仏教サーファーなのです。あちこちと気の向くままに勉強して
います。基本的には阿含宗の勤行式の和賛で十分だと思ってい
ます。

公式見解に付いては、全く知りませんでしたので、ぜひお書き
込みください。お願いいたします。
84名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:45
964 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:35
>958
いくらお金を出しても、法位は買えないでしょう。
買ったと言えば、売ったということにもなりますから
両方の団体の信用がなくなります。
全部買ったのだろうと言う方は、桐山管長の履歴のひとつ
ひとつについて、複式の評価をされる必要があるでしょう。

965 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:56
>962さん、こんにちは。
庭野日敬さん、とか、については全く知識がないのです。
想像では、日本の人の道のようなものに法華経信仰かなにかを混ぜて、
やっているのかかなと思っています。ご本尊は何なのでしょうか。
昔は仏教とは言っていなかったのではないでしょうか。仏教と言い出
したのであれば阿含宗の影響でしょう。
ローマのことについてはミサがすべて。30万人カトリック教徒の
最前列で400人の阿含宗とが、ローマ法王と一緒に祈りをささげた
のです。カトリックの人々は神に祈りをささげ、阿含宗とは仏陀に
祈りをささげたのです。これを合同ミサと言うのです。(私見)

庭野日敬さんはなにか法位をお持ちなのでしょうか。リーダに
法位がなければ仏教教団ではないですよ。

メダルに関してはこの目で見ました。バチカンでお確かめください。


966 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 20:18
護摩法は釈尊の「火界定」の名残りだと考えています。

「ウルべ―ラ―の神変」を、参照の事。

とても倫理道徳だけを説いた方とは思えませんが。

967 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 20:20
>962さん。
立正佼成会については、全く知らないのですが
悪い印象は持っていません。インナートリップですよね。
もしよろしければ、かいつまんで、教義などを教えてください。


968 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 20:25
>966さん、
阿含宗の方ですか?
「ウルべ―ラ―の神変」って何に載っているのでしょうか。
教えてください。967の名無しさんです。

969 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 20:40
「ウルべ―ラ―の神変」は「ゴ―タマ・ブッダ」(春秋社)に
載っています。

国訳一切経にもあると思いますが,よう読み切れません(苦笑)

わたしも会員ですよ、末端のね。

970 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 21:55
>918
>パームサンデーで30万人カトリック信徒の
>目の前で、法王が桐山管長げいかおよび阿含宗徒とのみ握手
>をされ、言葉を交わされたということはごく普通のことであ
>った。とのことでした。

918さんはバチカンに参加したのですか。
青年年の集いと、パームサンデーをいっしょにしている
ところを見ると、そうではないのでしょう。
「目の前で・・・とであった。とのことでした。」
とは誰が書き込んだ内容を指しているのですか。
908にはパームサンデーのことなんか一行もない。

パームサンデーで法王と桐山さんが握手したのは事実です。
だが、他の阿含宗徒とは握手などしていない。
あなたの書いていることは誤解をこえたウソです。

異教徒が一人派手に目立つ格好で座っていれば、
握手して声をかけるのはバチカンでは珍しくないのです。
それを大げさに
「周囲が驚愕されている」とはおめでたい解釈だ。
桐山さんの後ろの女性も法王と握手したように、
皆さん、あこがれの法王が近づいてきて、
あわよくば握手の一つもできるかと、期待の顔をしているだけです。
目線は皆さん法王を向いている。
桐山さんなんか誰も見ていません。

>それはさておいて、例の件はいかがですか。

「例の件」とは908の何を指しているのですか。
誰か他の人の書き込みを誤解しているのではありませんか。
信者さんたちは、批判を書き込む人の性別、性格、抑圧や
異性性関係まで透視できるようですね。
何回もそのような書き込みがあるが、
中には自分のことを書いてるようなものまである。
思いこみもここまでくると、おごり、傲慢というのです。
桐山さんも、すべてお見通し、みたいなことをよくいいますね。
まねをしないことです。
知能よりも人格を疑われますよ。
85名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:46
971 名前: 一阿含信徒 投稿日: 2000/06/23(金) 22:31
>959さん、
桐山管長の著作における、科学がらみの内容は
人の目を驚かすためのものではなく、先生が
人間考察するために必然的に出てきたものです。
普通、門外漢が書くとおかしな記述になります
が桐山管長の著書にはそのようなことが無く、
専門家でも感心させられてしまう内容です。

それに仏教書に科学的記述を取り入れて悪いと
言う規則もないでしょう。

972 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 23:10
>最前列で400人の阿含宗とが、ローマ法王と一緒に祈りをささげた
>のです。カトリックの人々は神に祈りをささげ、阿含宗とは仏陀に
>祈りをささげたのです。これを合同ミサと言うのです。

合同ミサとは言わないよ〜。
ただ同席したというだけじゃない。
法王と桐山が並んで双方のやり方で同時にやったわけではないし、
桐山の読経や真言がスピーカーから流れたわけでもないのに。


973 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 23:14
一連のバチカン話を読んでいて、
昭和43年の高野山大殿の法螺話を思い出したのは僕だけかなあ。974 名前: 神秘なる奇跡 投稿日: 2000/06/23(金) 23:16
それにしても
よく前科数犯の元懲役犯がバチカンで法王と握手できましたな。
それこそが阿含宗の奇跡でしょう。


975 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 23:27
阿含宗信者の方、どうか明らかに説かれて、無知蒙昧なこの私の疑念を晴らしてください!

1)阿含経に出てくる仏弟子達(初転法輪のときのコンダンニャ他五人の比丘や、サーリ
プッタ、モッガラーナ、マハーカッサパ、アーナンダ等)は普通「声聞」と呼ばれますが、
阿含宗は声聞乗なのですか、つまり煩悩を滅して阿羅漢になり、灰身滅智して涅槃に入り
輪廻から解脱する、自己個人の救済がその宗教理想なのですか。

2)阿含宗は(仏舎利をもらった)スリランカやタイなどの、阿含経に相当する内容のパ
ーリ語経典のみをお経として奉ずる、いわゆるテーラワーダ仏教とどう違うのですか。阿
含宗がテーラワーダ仏教より優れたところがあるとしたら、それは何ですか。

3)阿含宗では、阿含経ないしパーリ語経典は歴史上実在した釈尊の言行に基づく真の仏
説であり、それに対して大乗経典は後世に「作られた」、いわば偽書なので価値がない、
あるいは役に立たないという見解なのですか。すると般若心経はどうなるのですか。

4)3が正しいとすると、大乗経典に出てくる(阿含経に登場しない)阿弥陀如来、薬師
如来、大日如来、不動明王、観世音(観自在)菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、虚
空蔵菩薩等の諸仏諸菩薩は架空の存在であり、拝んでも功徳はないということになります
か。

5)3と4が正しいとすると、「大乗仏教」を奉ずるチベット仏教の最高指導者ダライ・
ラマと仲良くなったり、同じくサキャ派のラマから胎蔵界(大日経=行タントラ)・金剛
界(金剛頂経=ヨガタントラ)の伝法灌頂を受けても無意味なのではないでしょうか。因
みにチベット仏教では無上ヨガタントラが最高の教えで、ヨガタントラや行タントラは、
やや格下の教えと位置づけているはずですが、どうして無上ヨガタントラの灌頂は授から
なかったのでしょうか。

6)阿含宗のHPを見たら、身体にあるという「チャクラ」のことについて書かれていま
した。仏典でチャクラについて言及されるようになったは無上ヨガタントラ以降だと何か
の本で読んだ記憶があるのですが、阿含経でもチャクラについて説かれているのですか。

7)阿含宗でいう「梵行」とはどういうことをいうのですか。阿含経や律蔵に出てくる用
語としての梵行(原語はブラフマ・チャリヤー)と同じ、不淫をはじめとする禁欲的修行
のことですか。

8)仏さまや神さまと、自分の周りにいる他人と、どちらに奉仕した方が功徳があります
か。
86名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:46
976 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 23:28
>973さん、バチカン関係者のコメントも
法螺話だとお思いですか。

977 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 23:33
9)麻原彰晃氏や、福永法源氏は、マスコミ報道によるととんでもない
極悪人だそうですが、麻原氏や福永氏でも未来の果てに仏になれる可能
性があるのでしょうか。978 名前: >977 投稿日: 2000/06/23(金) 23:48
人間であれば、可能性がない、とは言えない。
あとどれだけの生涯で成れるかは別だが。
私も、あなたも、過去にどれだけの善行・悪行をやったなんて
わからないわけだし。

979 名前: 978 投稿日: 2000/06/23(金) 23:50
訂正
過去→過去世

980 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 23:51
>969さん今晩は。
>「ゴ―タマ・ブッダ」(春秋社)
ありがとうございました。ウルベーラーの神変って
どこかで読んだような気もするのですが、全く覚え
ていません。
阿含宗どうしこういうところでお会いするのも
不思議な気がします。

981 名前: カルトバカ一代 投稿日: 2000/06/23(金) 23:58
法の華三法行のHP見たけど、結構好感のもてる内容ですね。
阿含宗とどっちがご利益あるかな。

http://www.channelzero.co.jp/dairy_topics/daytop.html


982 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 00:14
>970さん
青年の集いでは、阿含宗信徒が日本代表としてスピーチをさせていただいた
のです。スピーチは英語で行われ、その後、護身法が修せられました。
各国カトリックの青年たちの前で、御真言が唱えられたのです。事前に内容
のチェックはあったと思います。
大使の方の表情は、驚愕、天地がひっくり返った時のような驚愕に、何が起
こっているのかどうしてもわからないという表情が加味されたものでした。

ミサ、法要というものは心で行うもので、声で行うものでは有りません。

>桐山さんの後ろの女性も法王と握手したように、
この方は阿含宗徒だと思います。大使席の前には阿含宗としかいなかった
のです。握手は一瞬のことです、列は乱れていません。副管長げいかも
握手をされたはずです。

例の件とはルカ書の、火の洗礼の件です。三度も書くと失礼かと思い、例の
件としたのです。
983 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 00:18
>973さんは、
高野山の大僧正が阿含の星祭に毎年列席されていたのは
ご存知ないでしょう。

984 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 00:45
阿含宗の機関誌「アーガマ」って、この頃全然阿含臭がしないけど
どうしてでしょうか。
そういえば10年くらい前、津田眞一氏と中沢新一氏の対談が載っ
ていたな。
87名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:48
985 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/24(土) 00:55
>975さん
あくまでも個人の見解です。阿含宗の公式見解と違うかもしれません。
(3)
大乗経典が役に立たない、とは思いません。
仏陀を原点として、過去に何人も"正等覚"を得られた方はいらっしゃると思います。
大乗経典群を執筆された方々もきっとそのような方々だったでしょう。
よって、大乗経典群も、仏陀の悟りに端を発した、巨大な人類の智慧の遺産として、
尊敬に値するものと思います。
しかし、約2500年前に実在した、ゴータマ・ブッダの「実際に口から発した言葉」
を収めたものは、阿含経にしかありません。
(阿含経のすべてが忠実に間違わずに収めてあるとは言えません。
  これについては、仏教学者が検討しています。)
よって、大乗経典群も、仏陀の悟りを受け継いだ「仏教」とも言えなくもないのですが、
やはり、ゴータマ・ブッダ個人が教えた「佛教」とは区別されるべきものと考えます。
(4)
諸仏諸菩薩はそれぞれの智慧の"象徴"として立てられたものですよね。("本体"とも呼びますが)
象徴は象徴として尊敬はするけれども、いくら拝んだとしても智慧の"実体"
が体得できるものではないはずです。
仏陀が存命の時でさえ、「私の体を拝んで何になる、私の口から出た真理を実践し、体得しなさい。」
と説かれています。
功徳はないが、真理を象徴したものとして、尊敬する、と言ったところでしょうか。
↑あぁ、職員に怒られるかも。(^^;


986 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 01:01
(『アーラヤ的世界とその神』津田眞一(大蔵出版)より

例えば、一つ、象徴的な設問をして見ましょう。それは、「八正道とは何か」、「八正道という実践の本質は何か」という問題です。そして、寡聞にして私は、わが仏教学の世界において、この、これ以上簡単なものがないほどに簡単な問いが問われたことを知らないのであります。では、「八正道とは何か」と問われて私たちは何と答えれば良いの でしょうか。それは、「<現法的梵行>である」と答えればよい、いや、「<現法的梵行>である」と答えねばならないのです。そして、この、ゴータマ・ブッダ自身の言葉である筈のこの<現法的梵行>という言葉も、わが仏教学において、その意味ないし意義を意識されてはいないのです。しかし、八正道という実践の本質を問い、それに対して、 <現法的梵行>である、と答えることがないならば、<思想の学>としての仏教学はその最初の一歩を踏み出し得ない、と私は考えるのです。因みに、<現法的梵行>とは、一生を目処として性的貞潔を保つこと、もっと直接的に言うなら、一生、死ぬまで性行為をしないことです。
88名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:49
987 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 01:03
>975さん、私では力不足ですが、思いつくままに書いてみます。
間違いもあると思います。
1)声聞という概念は後世のものだと思います。仏陀滅後千年以上も
たって出てきた菩薩仏教が、仏陀の時代の修行者を貶めた言葉だと思
います。書かれたお名前のかたがたは、すべて涅槃を得てアルハトと
なられていると思います。
2)テラワーダと大乗密教などを止揚した仏教だと思います。私はこ
のほうが、テラワーダ仏教よりより仏陀の実際の仏教に近いのではな
いかと思っています。
3)般若心経は根本仏教と大乗仏教の橋渡しのようなものではないで
しょうか。両者を融合したのが阿含仏教です。大乗仏教でも釈迦、仏陀
釈尊から全く離れてしまった、法華経、阿弥陀経のようなものは全く
価値がないと思っています(私見)。ただ仏教思想をちりばめていますので
仏教研究の意味として参考にするのは良いと思うのですが。
4)ヒンズーの神々は仏陀の時代にも礼拝していたと思うのです。また
仏陀の変化神も礼拝しても良いような気がします。このあたりになると私の
能力を完全に超えてきました。
5)阿含宗は根本仏教と北伝大乗仏教、そして東伝といっていますがチベット
密教を止揚した円満仏教だと言っていますから、それで良いと思います。
後半のご質問に関しては勉強したことがないです。
6)チャクラについては、ゴータマブッダはヨガの達人であったというのが、
桐山管長の見解だと思います。当時としては高位の人のごく当たり前の教養
であったと。
7)在家の梵行とは、三福道、如来、正法、聖衆、のみもとにおいて功徳を
うえる。具体的には八法十六法、信、戒、施、聞、持、観、法次、法向の
八つと、それを他の人に薦める八つ、足して16個の修行です。
8)上記の十六法を見ればわかるように、自分のため、人のため。そして
仏と神々への法供養です。

これは宗務局か桐山管長の口頭試問ですね。おどして馬鹿な書きこみを
やめさそうとしているのでしょう。馬鹿はわかっていますので、やめます。

阿含宗のみなさん、元阿含宗の皆さん、創価学会の皆さん、そしてクリス
チャンのみなさんさようなら。

988 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 01:15
>975さん、それらの御質問は
阿含宗宗務局にお問い合わせ下さい。

例えば桐山師は1983年にはニンマ派のラマの
法号を、また1988年」にはアジャリ位を
授かり、その都度秘法の伝授があったそうですが、
信徒レベルでは分かりかねます。

公開された法要については参加した信徒は
だいたいの雰囲気は掴めるでしょうが。

1993年のサキャ派の伝法灌頂は、
11月6日から11日の六日間に行われました。
チョゲ・ティチン師の前行も含めて、
最長10時間に及んだが、その間殆ど
休息をお取りになることが無かったそうです。

他の質問には答えられるものも
あるかもしれませんね。

989 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 01:50
>無明を終点とする十結煩悩をひとつひとつ断ち切り、
>彼岸にいたる方法が「成仏法」です。

阿含宗では何かというと「成仏法」と言いますね。
昔から、「○○法という具体的な方法がある、顕教にはない」
という言い方をしてきたと思います。そういう意味では昔から体質は変わっていない。
しかしこれは、多少なりとも仏教を知るものにとっては唖然、呆然の嘘八百です。
仏になるのに「方法」などありません。というより原理的にあり得ない。
縁起の法をもう一度よく勉強し直してください。
89名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:49
990 名前: 975 投稿日: 2000/06/24(土) 02:56
智慧の大海の如き桐山管長のみもとで修行されておられる、きら星のような阿含宗信者の方々、無知蒙昧なこの私の疑念を晴らされますよう、どうか大悲により明らかに説かれてこの私をお導きください!

>985 仏陀を原点として、過去に何人も"正等覚"を得られた方はいらっしゃると思います。 大乗経典群を執筆された方々もきっとそのような方々だったでしょう。
>987 仏陀滅後千年以上もたって出てきた菩薩仏教が、仏陀の時代の修行者を貶めた言葉だと思います。書かれたお名前のかたがたは、すべて涅槃を得てアルハトとなられていると思います

1)「大乗経典群を執筆された」「"正等覚"を得られた方」が菩薩乗、一仏乗を称揚し、菩提心を賛嘆し、「仏陀の時代の修行者を貶め」なければならなかった理由は何故でしょうか。「加上」であり、単なる自己顕示ですか。

>987 法華経、阿弥陀経のようなものは全く価値がないと思っています(私見)。

2)桐山管長は観音慈恵会時代に「観音経」の解説のような本を出版され、阿含宗になってからも復刻出版されたと聞いておりますが、「観音経」、すなわち「法華経」普門品も全く価値がないお経なのですか。

>985「諸仏諸菩薩」 功徳はないが、真理を象徴したものとして、尊敬する

3)すると、阿含宗の前身である観音慈恵会の本尊であり、阿含宗の途中まで本尊だった準堤観音(準堤如来?)さまを、「千座業」で拝んでも「因縁切り」その他の功徳がなかったわけですか。また、桐山管長が「刑獄の因縁」で千葉刑務所に収監されていたときに修行され(?)、その後さんざん効能を宣伝された「虚空蔵求聞持法」(阿含宗では「求聞持聡明法」ですか)の本尊である虚空蔵菩薩さまも功徳はないということになりますか。「千座業」や「求聞持聡明法」を、桐山管長の言葉を信じて修行された信者さん達の努力は一体なんだったのですか。

>987 阿含宗は根本仏教と北伝大乗仏教、そして東伝といっていますがチベット
密教を止揚した円満仏教

4)チベット仏教の特色の一つとして、中国や日本の仏教(阿含宗のいう「北伝大乗仏教」)には伝わらなかった、無上ヨガタントラの体系をインドから直接相承していることがあげられるとのことです。チベット密教といえば無上ヨガタントラが典型だというのは常識です。阿含宗のHPにある胎蔵・金剛界の行法は(細かい違いはあるでしょうが)日本の真言宗、天台宗にも伝わっています。無上ヨガタントラの灌頂を受けていないのに「チベット密教を止揚した」と宣伝に使うのは、汚いことばを使うなら「インチキ」なのではないでしょうか。阿含宗の教義のどこに具体的にチベット仏教が取り入れられているのですか。

>987 チャクラについては、ゴータマブッダはヨガの達人であったというのが、
桐山管長の見解だと思います。当時としては高位の人のごく当たり前の教養であったと。
>7科三十七道品から技術的に進化したのが密教だと思うのですが。

5)三十七菩提分法や阿含宗のいう「阿那なんとか法」にチャクラは出てくるのですか?
それから、桐山管長は、金剛界マンダラ三十七尊は三十七菩提分法をホトケの形にしたものだとか著作の中でいわれてましたね。では金剛界マンダラ三七尊の五智如来、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩と三十七菩提分法の四念処、四精勤、四神足、五根、五力、七覚支、八正道の対応関係についてどうかご教示ください。グループの数が合わないと思うんですが。

>987 これは宗務局か桐山管長の口頭試問ですね。

買い被らないでください。ただのヒマな素人宗教ウォッチャー(非信者)です。
もしご存じないのでしたら、その宗務局か桐山管長にでも問い質されて、コメントを是非お聞かせください。その善行による自利利他円満の功徳は少なくないと思います。
90名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:50
991 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 03:43
>仏になるのに「方法」などありません。というより原理的にあり得ない。
縁起の法をもう一度よく勉強し直してください。

もし差し支えなければもう少し詳しく
御説明ください。

錯視が感じられるので。


992 名前: 988 投稿日: 2000/06/24(土) 03:55
あらら、990さんはわたしの発言を無視して
4)の質問をしてますね。

末端信徒ではわからない事もあると
言ったはずですが。

何が気にいらなかったんだろうか。

>買い被らないでください。ただのヒマな素人宗教ウォッチャー
(非信者)です。

本当の事かな。


993 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 07:33
>例えば桐山師は1983年にはニンマ派のラマの法号を、
>また1988年」にはアジャリ位を
>1993年のサキャ派の伝法灌頂は、

日本で言えば、
ニンマ派のラマ法号=得度
アジャリ位=伝法灌頂
サキャ派の伝法灌頂=伝法灌頂

それだけの事です。
だから

>因みにチベット仏教では無上ヨガタントラが最高の教えで、
>ヨガタントラや行タントラは、やや格下の教えと位置づけているはずですが、
>どうして無上ヨガタントラの灌頂は授からなかったのでしょうか。

当然でしょ。
伝法灌頂程度なら護摩を焚けるチベットのラマは全員受けていますよ。
やっと末席に並んだだけで、何時の間にかチベット仏教の最高位についたような
法螺を吹けるところが桐山大先生の昔からの特技?です。
994 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 07:40
>973さんは、
>高野山の大僧正が阿含の星祭に毎年列席されていたのは
>ご存知ないでしょう

大橋さんのことでしょ。
生前何度かお会いしましたが。
高野山系統で桐山を評価していたのは彼だけですよ。
桐山の某元秘書によれば
大橋さんのお寺に随分お布施したとか。
つまり観音慈恵会の仏教界での広告塔だね。
ただ、お蔭で高野山ではかなりパッシングされたそうです。
それに
大橋さんを桐山に紹介したのは、桐山がかって生涯の師として敬愛していた
稀代の詐欺師として有名なあの北野大先生ですよ。(爆)995 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 07:48
>バチカン関係者のコメントはピタウ神父でした

単なる一神父のコメントがバチカンの公式発表みたいに変質するところが
実に阿含宗ですね。

大司教とか枢機卿のレベルの方が発言したわけでもないのに。

路傍の石ころをダイアモンドだって売りつける詐欺師と余り変わらないのかな?996 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 07:50
ひとつ質問させてください。
桐山先生は昔から髪を伸ばしておられますが、
出家されていないのでしょうか。
現在、在家者なのか出家者なのか
お教え下さい。
91名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 16:50
997 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 07:58
><現法的梵行>とは、一生を目処として性的貞潔を保つこと、
>もっと直接的に言うなら、一生、死ぬまで性行為をしないことです。

お釈迦様はじめ過去の偉大な出家者(解脱者)は皆さん独身でした。
きっとお釈迦様が定めた梵行の戒律を誠実に守っていたからだと思います。
一方、桐山先生は奥様も、お子様もおられます。
従っていわゆるセックスレスの関係でないことは明かです。
だとしますと、桐山先生は梵行の基本中の基本を破戒していることになります。


998 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 08:07
かって真言宗の1派を名乗りながら、
得度をしていなかった為に、
「偽坊主のレッテル」をはられ、
泣く泣く真言宗の看板を外し、
どこからも裁判されないように
「阿含宗」の看板を掲げた時の様に、
辛い思いをしたくないから
とりあえず、あの日本語の上手い某氏に頼み込んで
ニンマ派のラマ位を購入しただけのこと。


999 名前: 礼儀 投稿日: 2000/06/24(土) 08:10
>990さん
質問して回答が得られたのですから、名前に敬称ぐらい付けられたらどうですか。
それと、回答を得て、それに対する990さんの考えを示しましょう。
文面を租借しないで自分の回答を出さないまま、次の質問に移るのは
非礼かとおもいますが。
ハタから見ていても、気分のいいものではありません。
これを見て、気分を害された方がいれば、ごめんなさい。
謝っておきます。m(__)m

1000 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 08:18
>997さん
お釈迦様はお子様がおられます。

うお!1000番取ったりー!(⌒∇⌒)♪
違ってたら、恥ずかしい。
92口下手番長1 :2000/09/23(土) 16:53

皆様へお願い
以上、「阿含宗という宗教」の501-1000までの再現です。
書き込みをなさらないよう、ご協力をお願いします。
93口下手番長1 :2000/09/30(土) 15:45
このスレッドは以下に続きます。

阿含宗という宗教1001−1500
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=969775122
94阿含宗元広報室長の告発 :2000/10/09(月) 07:28
『銀行、ゼネコンにまざって、地上げ屋、暴力団並びにそれに類するバブルな紳士たちが入り込んできて、
結局、宗教的な問題以外のところで、教団が動いていくというメカニズムができあがっていた。
 そんな教団の変質を見ていて、私は「これは変だ」という思いを膨らませていった。
というのも、億の金が荒っぽく動けば、人間の一人二人殺されてしまうことは十分にありうることだ。
しかも阿含宗では何百億単位の金が役員会を開くでもなく、管長の一言で決まってしまう。
管長を利用しようという人間や、だまそうという人間などいろんな世界の人間が集まってきても不思議ではない。
 そして、阿含宗にあれだけややこしい人たちが関わっていたとしか私には考えられないのである。
それが土地の問題をめぐってであり、いまから思えば覚醒剤、銃器、殺人といった全てが含まれているわけだ。
 つまり、これまで日本では暴力団という組織だけでしか行われなかったことが、宗教法人のなかではじめたとき、
オウム事件の素地が出来上がったのだ。』

阿含宗って凄く怖いね  XXXみたい
やっぱりたくさんの凶悪犯罪者を生み出したわけですね
95名無しさん@1周年





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***オバタリアン妄想霊は立ち入り禁止。あなたは方は、阿含スレッドの恥さらしです***