1 :
名無しさん@l周年 :
ヤマギシが創ろうとして失敗した学校法人ヤマギシ学園が、計画では
えらい人を対象にした小中学生乱交の場って話を聞いたんですが、
このことについて内部からのチクリ情報とかないですか。
2 :
名無しさん@1周年 :2000/09/28(木) 23:23
結局、学校法人格はとれなかったのでしょうか?
3 :
名無しさん@1周年 :2000/09/30(土) 14:12
あげ
4 :
ジェスター :2000/09/30(土) 15:07
ヤマギシ会って面白い組織ですよね。
5 :
名無しさん@1周年 :2000/09/30(土) 15:56
怖い組織ですけど。
日本TV「今日の出来事」の密着・潜入取材を見てないんですか?
6 :
名無しさん@1周年 :2000/10/01(日) 03:36
自分の持ってるもの全部アボーンしなけりゃならないんだよね。
辞めたらそれこそ無一文。完全無欠の強奪集団だよね。
7 :
名無しさん@1周年 :2000/10/01(日) 08:35
そのとおり。
マインドコントロールもなかなかのもの。
潜入したスタッフも、頭よれよれになって、帰ってきたようです。
ただのサラリーマン風のオジサンたちが経営?しているからよけい怖い。
オウムのように、にぎにぎしい風体だったら、最初から引くけどねぇ。
8 :
ジェスター :2000/10/02(月) 09:43
>5
見てないです。
でも、財産が無いなら何も取られないですよ。
9 :
名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 09:51
>8
ヤマギシは強制労働させられますよ。
三重県の広大な畑で。野菜の収穫です。
さぼったら拷問、ムチ打ち、覚悟して下さい。
10 :
名無しさん@1周年 :2000/10/03(火) 05:52
小中学生と乱交できるならヤマギシ会入るよ。
財産なんか全部くれてやらぁ。
たいして無いけどよ。
12 :
ジェスター :2000/10/03(火) 16:02
>9
本当なんですか?
ポルポトみたい。
13 :
名無しさん@1周年 :2000/10/03(火) 16:48
>12
本当だ。
米本和広「洗脳の楽園」を読みなさい。
14 :
名無しさん@1周年 :2000/10/04(水) 04:03
毛沢東も最後は女子中学生と日替わりでやってたんだし…
革命(共産主義)目指す人間ってのは普通主義社会のモラルとかけ離れていくみたいだし…
でどうなの?小中学生と乱交出来るの?
15 :
名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 04:11
>11
俺なんか皆無
16 :
名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 06:59
ちなみにヤマギシ会は公安警察&公安調査庁の常時監視団体です。
17 :
名無しさん@1周年 :2000/10/17(火) 00:04
はじめまして
使い方がよくわからない。
以下情報です。
ヤマギシ財産返還裁判(松木氏)が12月一日、東京地裁705号法廷
で結審します。
当日、ニュースなどに御注目ください。 2000.10.16ユートピアコレクション
19 :
名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 09:32
それはそうと障害者がいないのは何故?
元ヤマギシです。
もっともヤマギシにいたのは20年くらい前の話です。
ヤマギシ会の創始者は山岸巳代蔵といいますが、この人は生家が貧しく、幼くし
て丁稚奉公に出されたといいます。ここで山岸さんは世に矛盾を感じ、全国を放
浪したり、宗教や左翼運動にハマったりしました。特高警察に追われて逃げ込ん
だ鶏舎のなかに理想社会を見た、というエピソードは関係者の間では有名です。
その後、山岸さんは革命家になったかというとそうでもない。養鶏家になって、
山岸式養鶏法というユニークな農法を開発し、そこそこの成功をおさめ、小金を
蓄えてお気楽、極楽な晩年をおくるはずだった。なにもなければ。
ところが山岸さんの運命を変えたのは、ジェーン台風で、回りの稲が全部倒れて
いるなかで、山岸家の稲だけが青々として残った。これを見出したのは農業普及
員の和田義一。これが山岸式農法が世に知られるきっかけとなったわけです。
山岸会は元々、山岸式農法の普及会として始まったわけですが、ここで”女狂い
”だった山岸さんは会員の女性に手を出しまくったらしい。参加者は裕福な農家
が多かったといいますが、第一回山岸会総会の時には、山岸さんは奥さんにウチ
を追い出され友人宅を転々と泊まり歩いていたといいます(無所有体得)。
変といえば最初から変だったのかも知れませんね。
そのヤマギシでは今、大リストラが進行中らしく、二三年前のヤマギシとも、又
様変わりしているようです。
これがヤマギシのすべてというわけでもありませんが、大迫力の本です。
『ヤマギシ会の暗い日々』
またこの時期、僕は密かに文章を書こうとしていた。
ぼくがいつの日か実顕地を出ていくことを予感していたのかもしれない。
その文章は、実顕地の現実を永久に記録に残そうとするものだった。
この反社会的な記録を書こうとすることも、大きなストレスの原因だった。
小心な僕は、この二重のストレスで悪性脱毛症になった。
髪の毛がバラバラとぬけた。
この時期、ぼくはオーエルの小説『1984年』を読んでいた。
ぼくの人生でこれほど深刻な気持ちで読んだ本はない。
過去数年の実顕地の現実は、ほとんど『1984年』そのままの全体主義社会
に思えた。
ぼくは髪の毛が抜け落ちるなかで、鳥肌が立つような思いでこの小説を読んだ。
脱毛症のため病院に行かざるをえなかった。
N子(人事係)に話に行くと。「それ(脱毛症)は、あんたの心に問題がある
んじゃない?」と言われた。これは実顕地生活のなかで、何度となく言われて
きた言葉だった。
しかし、ぼくはすでにこの論理には惑わされなかった。
何年も前から、ぼくは決して自己批判しないと決めていた。
実顕地生活で、自己を反省的に内省することは命取りだった。
「もしかしたらぼくの感じ方は間違っているかもしれない。これは我執かもし
れない」などと内省しだしたら、彼らは執拗に食いついてくる。
それは果てしない自己否定、混迷の始まりでしかなかった。
ぼくは脱毛症によって腹がすわった。
こんなところで脱毛症になっても、当たり前ではないかと思った。
『ヤマギシ会の暗い日々』武田修一著 野草社
*注文かと思いますが一般書店でもお求めになれます。
2000.7.29ユートピアコレクション
22 :
名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 19:07
で、老人と障害車がいないのは何故?
re
>>22 老人はいますよ。老蘇さんといいます。
現在はよくわかりませんが、儲かってたときは、一般の村人よりはいい生活を
していました。
障害者は少数だと思います。
70年代は誰でも入れたのですが、80年代になってからは、ヤマギシに入る
のはかなりの狭き門になった。
障害者を参画させる必要がなかったんじゃあないでしょうか。