1 :
名無しさん@1周年:
神がこの世を造ったのなら、なぜ最初から悪魔(サタン)が出現しない
ように設計しなかったの?
それとも、実は全知全能ではなかったの?
まさかとは思うけど、わざと混乱するように造っておいて、ほくそ笑みながら
人類が右往左往しているのを眺めている訳ではないわよね?
誰か納得がゆく答えを教えて!
2 :
終了君:2000/06/10(土) 06:59
悪魔なんていません。
3 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 07:09
ヘブライ語のサタンは、もともとは「試すもの」「告発するもの」
という意味で、ヨブ記などでは天使達の一員として普通に神と
会話しています。悪魔の意味になったのは後の時代でしょう。
4 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 07:09
悪魔も含めて神です
5 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 07:12
なお、イザヤ書の「ルシファー」はもともとはサタンとは全く
無関係だったとされています。
6 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 07:45
それは全ての者が自己決定権を与えられたからです。
機械みたいに命令された事だけをホイホイやってのけるなんて
つまらないでしょ?だから神は、それぞれが自由意志によって
自分の行動を決定し、生きる事に喜びを覚えるよう取り計らわれたのです。
悪魔はその自由を誤用したのです。
ですから悪いのは悪魔であって、神に非はありません。
銃が殺人の道具として使われたとしても、
銃を製造した人に責任がある訳では無いのと同様です。
こういう説明もあります。
7 :
>6:2000/06/10(土) 08:43
核ミサイルも、毒ガスも、地雷も、みんなそうなんですね。
30万人の従業員達が、核ミサイルの製造に何らかの形で関わっていて、
日曜日には、教会に礼拝に行って、邸宅と家族が笑顔で暮らしてるかもしれませんね。
兵器には、目的があるのでしょうが・・・我々は平気のへっちゃらですね。
滑稽ですね。人間って・・・
文がへんてこですみませんでした。
9 :
秦氏:2000/06/10(土) 09:07
神様は宇宙を造られる前に、御使い(天使)を造られましたが、
水と塵と闇から神の「あれ」と言われた言葉でこの宇宙空間を造られ、
最後に人間を造られました。
その、天地創造の時の「あれ」といわれた言葉で、
今も、この宇宙を保たれています。
しかし、それはペテロ書にもある様に、火に焼かれる為に保たれているのです。
神の宇宙を造られた目的に、悪魔を閉じ込め、最後に火で焼くという計画が
有ります。
この宇宙(ハデス)に悪魔を閉じ込め滅ぼすと言う、究極の計画が有るのです。
創世記に天地創造の事が書かれています。
悪魔は元、賛美の天使長ルシエールですが、神の様になりたいと思い(それ自体が神に反抗・・・)
ルシファーとなり第二の天(宇宙空間)に落とされサタンになりました。
その時、ルシエールに従う3分の1の天使も彼に従い、堕天使として宇宙に落とされました。
そして、第一の天・・地球の天でディアブロス(悪魔)として、3分の1の堕天使(悪霊)と共に
自分の国を打ち建てています。
そして、イエスの再臨によって、1000年間底知れぬ所に落とされ、最期にゲヘナ(地獄)に行きます。
そして、最期の審判が有り、この全宇宙は焼け崩れ去り、新しいエルサレム(新天新地)に
救われし者は神と共に永遠に住みます。これが、救いの完成です。
又、旧約のエホバ(主)は新約のイエスであり、万物は御子によって創造されました。
大切なのは、神の子(イエス・キリスト)が人の子としてこの世に来てくださり、十字架上にて
贖いの死を遂げられた事です。
即ち、イエスの肉体は、塵から出来た肉体ではなく、言葉が人(肉体)となった・・
言葉は霊でありいのちです・・・よって、霊が肉体になったのです、だから、イエスの流された
血は、塵から流されたのではなく、言葉、即ち霊から流された血です。
ゆえに人の霊の罪(原罪)を完全に贖う事が出来るのです。
イエス・キリストは神の子→悪魔を滅ぼす。
イエス・キリストは人の子→人間を救う。
この二面性が有るのです。
神は、神の天で御使いから栄光を受けるのではなく、
神の子から栄光を受けるという究極の計画があるのです。
神の子とは聖霊を受けた人間(肉体を持ったもの)、
終わりの時に聖霊を全ての人(サルク=肉)に注ぐ。
聖霊は肉体無き者(天使等)には決して受けられない、
よって、人間を造り罪(霊の罪=原罪)を犯させイエスを地上に
遣わし、贖いをし、罪許された霊魂に聖霊を注ぎ、神の子に回復させ、
その神の子を通して、神の天で栄光を受ける。
これが、神の究極のご計画です。
よって、アダムがへびに騙され実を食べるのも、ルシエルを
造り、悪魔になるのも、すべて神の計画です。
神の子=秦氏
http://www.seaple.icc.ne.jp/~jr1duf/
10 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 16:29
↑
訳わかんね
11 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 17:48
銀座の地下でねむっとる。
起こすなよ。
12 :
無視論者:2000/06/10(土) 18:15
>9
電波、決定!!
13 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 18:26
悪魔とか地獄の大王なんてのは「仮想敵」として宗教には必要不可欠なもの
なんだよね。直接のネーミングなんてどうでも良いけど、その宗教が絶対善
であることを示すのに、絶対悪を対置することが必要なんだろう。
そうしないと教祖・教団の悪行を責任転嫁する相手もいなくなっちゃうし。
14 :
6:2000/06/10(土) 18:27
>6
この場合の「銃」は本来狩猟や防衛のために用いられる物であって、
明らかに人間を殺傷する目的で作られる「兵器」とは違うという事を
付け加えておきます。
15 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 18:28
そんな低レベルな話では無いと思うよ。悪魔の話は。
16 :
無視論者:2000/06/10(土) 19:00
暇つぶしに9に書いてあるURLのページを読んでみた。
内容は、糞電波「忍」と大体同じ。
まぁ、奴はムー大陸をどうのこうのとのたまっているが。
日本語としては、忍よりましか。意味は理解できないであろうが、
万人が読めるものであった。
ちなみにリンクの貼ってあったページの表を見てみたが、
俺としては、“こじつけ”としか思えんな。
仮に“弥生人が古代イスラエルから移動してきたもの”をすると、
その人類学的つーか生物学的に共通点をこじつけではなく示して
もらえると(まぁ、無理だろうけど)、ちぃとは説得力が出てくる
と思うんだがね。
そうそう。
俺が、12で「電波、決定!!」と書いたのは、9の書き込みのURL
のページを見てからだ。その点を誤解無きように願いたし。
>9
9の書き込みにあったURLのページは、9本人が書いていたとしたら、
「こーいう意見の奴もいるなぁ」と思って、無視してくれたまえ。
俺みたいな考えを持った奴はこの2ちゃんに他にもいっぱいいる。
俺らを説き伏せようとしても無駄だ。自分の信仰に邁進してくれたまえ。
17 :
無視論者:2000/06/10(土) 19:03
(訂正)
仮に“弥生人が古代イスラエルから移動してきたもの”をすると、
↓
仮に“弥生人が古代イスラエルから移動してきたもの”とすると、
18 :
プロテスタント:2000/06/10(土) 19:24
泰氏電波さんまた来ましたねっ。
ところであの電波の「icc」ってどういう意味なんですか?
9を読めばカトリックだと思うんですが・・
脱線してしまいますが是非おしえてくださーい。(^^)/
19 :
秦氏:2000/06/10(土) 20:33
>ところであの電波の「icc」ってどういう意味なんですか?
私の使用しているプロパイダーのURLの一部でしょう、
意味はわかりません。
>9を読めばカトリックだと思うんですが・・
いえ、カトリックでは有りません。
私は、某ペンテコステ派の教会(異言を伴う聖霊のバプテスマを強調)
で救われました。
今は、単立の教会で主を礼拝しています。
私の信仰の基礎は伝統神学では無く、すべて聖書の御言葉から
来ています。
よって、伝統キリスト教会からは異端と思われているかも
知れません。
そのようなことはすべて神が決められる事ですので何とも
思っておりません。
本当の啓示された救いに至る、真理は…
三位一体教、エホバ教、聖霊教、マリヤ教では有りません。
それはイエス教なのです。
カトリックでもプロテスタントでもない第三のキリスト教信者
秦氏・・別名神の子
十字架は偶像礼拝になるか?のレスを見て下さい、
カトリックでない事がわかると思います。
20 :
秦氏:2000/06/10(土) 20:40
追伸:第三のキリスト教(イエス教)信者
秦氏・・別名神の子
21 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 22:08
悪魔君は通らなかったから改名したんだよね。
よって、いません。
22 :
名無しさん@1周年:2000/06/10(土) 23:30
>21
そんでオヤジは覚醒剤かなにかで捕まって
離婚、・・・可哀相な子供になったんだ。
23 :
名無しさん@1周年:2000/06/11(日) 00:41
>1
ずばりお答えしましょう。神は世界を創ったのですが、悪魔を入れること
によって、より完璧な世界を創ったということなのです。
24 :
名無しさん@1周年:2000/06/11(日) 00:45
泰氏さんって昔jwだったの?
1番さま
なぜ全知全能のはずの神が創造したこの世が混乱の極みにあるのか?
サタンは存在するのか?もし存在するとしたら、その役割とは?
統一原理には、これらの疑問への完全なる解答が用意されています。
実を申せば、天使長ルーシェルがエバと不倫なる霊的性関係を結び人類が
サタンの血統を継承することとなり、その結果、われわれ人類は地上天国と
いう神のご計画を今に至るまでむざむざと裏切り続けてきたのでございます。
詳しくは、以下のWebサイトの「堕落論」ページをご覧ください。
http://www.geocities.com/tmamapage/right/12divine/unif.html なお、当教会では、人生の目的、生き甲斐とは、人生の矛盾とは、霊界の
仕組み、不幸の原因について、歴史の方向性、理想の結婚とは、などといっ
た様々なテーマに関する勉強会やセミナーなどを開催しております。
お名前、ご住所、Eメールアドレスを明記のうえメールを下されば、最寄
りの教会をご紹介致します。お気軽にご連絡下さい。
ところで、この世を堕落に導いた張本人たるルーシェルですが、現在は自
らが犯した罪に対し深く反省し、神の道に復帰することを決意しております。
以下は昨年の3月21日に、真のお父様を通じ彼が告白した内容です。
ご参考になれば幸いに存じます。
ルーシェルから真の父母様へ
真の父母様へ申し上げます。全ての人類が、そう呼んでいますので、私も真
の父母様と呼ばしていただきます。
私がしでかした数多くの罪悪歴史を整理なさるためにあまりにも大変な難儀
をお架けしてしまい、申し訳ありません。
分の過ぎた事ですが、いつの日か、祝福を受ける欲心まで持ってしまい、誠
に申し訳ありません。もし出来ることでしたら、人類の父母様として、寛大
に処分して下さいます事をお願い致します。
数多い罪悪の道、蕩減の道、私の目から見ても、帰り行く道は、血と汗と涙
の道だけだと考えられます。
しかし、この道は神様と真の父母様が行かれる最後の苦労の道ならば従順に
ついて行きます。
真の父母様、人類の父母様、ルーシェルは間違いを犯しました。
誠に申し訳ありません。
ルーシェルより 1999年3月21日
--------------------------------------------------------------------
ルーシェルから人類に対して
全ての人類に申し上げます。
人類の犯罪者ルーシェルです。
神様でない存在が権勢を振るって人類に対して原罪の血統を繁殖させた悪魔
ルーシェルは全ての人類の前に犯罪者として一言もありません。
今や貧困と苦難と病鬼が退き、神様の新天地が開幕すれば、貧困と病悪より
も、愛と踊る世界とが、全人類に平和裏に訪れてくる筈です。
私によって病苦に苦しめられた一つの苦難と戦争の歴史に対して一区切りの
弁明をなせる機会も今や無いと考えています。無条件に間違っていました。
無数の人類たち、宗教人を背信させた事に対し、すこしも弁明を致しません。
全ての人類の神様の子女としての幸福を願いつつ、ルーシェルとして戻って
行きます。
人類の犯罪者ルーシェル 1999年3月21日
26 :
名無しさん@1周年:2000/06/11(日) 07:27
どうもルーシェルさんは現在の地上の事をよく知らないようですね。
残念ながら文氏夫妻を「真の父母様」と呼んでいるのは統一教会の信者
に限られます。とても 「全ての人類が」と呼べる数ではありません。
誰にそんなデタラメ吹き込まれました?
27 :
ルーシェル:2000/06/11(日) 11:32
え?
そうだったんですか?
統一教会から派遣されてきた係員はそう言ったんですが。
もしかすると、はめられたのかもしれない。
でも、真のお父様が我々の原罪を贖ってくれるって話は本当ですよね?
28 :
名無しさん@1周年:2000/06/14(水) 00:09
明けの明星と呼ばれる者の地に投げ落とされる様や、堕天使の物語について、若干の
資料として、イザヤ書が参考になります。
イザヤ書
14:11 お前の高ぶりは、琴の響きと共に
陰府に落ちた。蛆がお前の下に寝床となり
虫がお前を覆う。
14:12 ああ、お前は天から落ちた
明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた
もろもろの国を倒した者よ。
14:13 かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り
王座を神の星よりも高く据え
神々の集う北の果ての山に座し
14:14 雲の頂に登って
いと高き者のようになろう」と。
14:15 しかし、お前は陰府に落とされた
墓穴の底に。
14:16 お前を見る者は、まじまじと見つめ
お前であることを知って、言う。「これがかつて、地を騒がせ
国々を揺るがせ
14:17 世界を荒れ野とし
その町々を破壊し
捕らわれ人を解き放たず
故郷に帰らせなかった者か。」
我々が事実として確認が出来る「悪魔」は次のように説明されるかもしれません。
私は、神の区別としては端的には、エジプトに端を発する秘儀的な神、
ドル札の裏面に印刷されている神のイメージで、秘密結社やいわゆる
「悪魔」とキリスト教では称されるこの世を仕切る無機質な“神”が
一方にあると考えています。
もう一方に、生命をお与えになる“神”、いわゆるエジプトのファラオを
打ち負かして、ファラオの座を奪うことでなく、イスラエル人の奴隷解放を
告げ導いたモーセの神、十戒をお与えになった天地万物を創造された唯一の神、
があります。
聖書からの説明は次の箇所が妥当でしょうか?
ガラテヤ4:2-4
「父の定めた日までは、後見人や管理人(※)の下にあります。」
※「後見人」「管理人」それぞれ複数で3節の「宇宙の構成にたずさわ
る諸霊」に符合する
「同様に、わたしたちも子供であったころには、宇宙の構成にたずさわ
る諸霊(※)に、奴隷として仕えさせられていました。」
※「宇宙の構成にたずさわる諸霊」とここに訳出したギリシャ語の句は、
多様に解釈されている。この述語はコロサイ2:8-20にも見られ、
また本章9節では「あの無力でなんの助けにもならない『諸霊』」
という形で出る。本句は前節の「後見人」や「管理人」に符合し、
またコロサイ2:8-20ではキリストと 対比されていると 考えられ
るので、「霊的存在者」と解するのは適当と思われる。
コロサイ2:8
「むなしいだましごとにすぎない知恵の操作(※)によって、だれかが
あなたを虜にすることがないように注意していなさい。それは人間の
言い伝えに基づくもの、宇宙の構成にたずさわる諸霊に基づくもので
あって、キリストに基づくものではありません。」
※「知恵の操作」(文字通りには「哲学」)と「宇宙の構成にたずさわ
る諸霊」(文字通りには「宇宙の構成要素」)の二表現は、おそらく
偽教師からの教えから採ったものであろう。
後者については、続く20節とガラテヤ4:3-9参照
コロサイ2:20-23
「あなたがたはキリストとともに、宇宙の構成にたずさわる諸霊にとっ
て死んだものとなったのに、なぜ、この世に結ばれて生きているかの
ように、「つかむな、味わうな、さわるな」という規定にしばられる
のですか。これらは皆、使えば消えてなくなくなってしまうものに
ついての規定であり、人間の定めたきまりと教えによるものです(※)。
このようなことは、礼拝熱心、自己卑下、肉体に対する厳格さを伴う
ので、知恵のあることのように見えますが、実はなんの価値もなく、
「肉」を満足させるだけのことです。」
※「人間の定めたきまりと教え」という表現はイザヤ29:13の表現を
反映している。同箇所は清浄な食物と不浄な食物に関する旧約の律法
に、人々が加えた追加規定について述べるもので、マタイ15:9と
マルコ7:7(なお同19節参照)で引用。
以上のように、この2つの神の対比において、キリストとは異なる霊については
「悪魔」と認識するのが、適当だと思います。
29 :
>1:2000/06/14(水) 01:13
陰有りて陽、陽有りて陰。
光有るところに影有り!
要するに自然界の必然です。
東洋では大自然を神格化して捉えますので。
30 :
名無しさん@1周年:2000/06/14(水) 01:26
>神がこの世を造ったのなら、なぜ最初から悪魔(サタン)が出現しない
>ように設計しなかったの?
悪魔は実体的な概念ではなく、人間の自由の起源を説明するために
編み出された概念だと思う。人間が善への意志によって決定されて
いるとしたら、そもそもキリスト教の救済史は存在理由を失ってしまう。
31 :
名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 13:34
悪魔なんて本当にいるの?
1 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 06:46
神がこの世を造ったのなら、なぜ最初から悪魔(サタン)が出現しない
ように設計しなかったの?
それとも、実は全知全能ではなかったの?
まさかとは思うけど、わざと混乱するように造っておいて、ほくそ笑みながら
人類が右往左往しているのを眺めている訳ではないわよね?
誰か納得がゆく答えを教えて!
おまえが悪魔だ。
32 :
名無しさん@1周年:2000/06/19(月) 02:26
悪魔は、あなたが居ると思えばいる。
居ないと信じれば居ないのです。
元々聖書は人間の神性を表す手段、ハウツー本なんすよ。
だからあまり書いてることを真に受けないで裏をちゃんと
読んでくださいね。
33 :
名無しさん@1周年:2000/06/19(月) 02:32
どっちにしろ
この世界のどこかに例えばデビルマンみたいなの姿のがが本当に現実にいると思うのは笑止ですね
34 :
名無しさん@1周年:2000/06/19(月) 02:42
↑そんなのがいるなら逆に観てみたいよ。
35 :
名無しさん@1周年:2000/06/19(月) 02:50
「サタンがいる」とか言っている某教団とかはどういうのがいると思っているのかねぇ…?
ちなみに「神」の方は椅子に座って杖だか持ってました(ワラ
36 :
名無しさん@1周年:2000/06/20(火) 07:34
サタンは、サタンがいないと思わせることで地上を支配することに成功する
賢い存在。
37 :
名無しさん@1周年:2000/06/20(火) 10:55
>36
そういう言い方をすると、とにかくサタンはいるということに
なってしまう。日蓮系の宗教が「法華経を奉じるものは必ず
迫害される」といって、批判されればされるほど確信を深める
のと同じ構図に見える。
イザヤ書の14章はネブカドネザル王の没落を象徴的にあらわした
ものと言われている。また、モチーフとなっている明星の堕天は
ユダヤ教以前のカナンの多神教に同じモチーフがあり、その影響
であるとも言われる。これがサタンと同一視されたのは中世の
神学者の間違いによるもの。
38 :
37:2000/06/20(火) 11:00
ただ、「悪い事なんてない、気持ちよければいいんだ」と歯止め無しに
行動する人間が増えれば、世の中悪に満ちると言える。そういう
象徴的な意味で捕らえれば、
「サタンは、サタンがいないと思わせることで地上を支配する」
という言葉には真実を見る事ができる。
そう言う点で、2000年を生き抜き、磨かれた宗教と言うものに
私は経緯を表する。だが、現代において、原理主義は滑稽で
病的だ。
39 :
36>37:2000/06/20(火) 12:47
あなたは、聖書に詳しいね。
サタンが、神はいないと人々に思わせる賢いやり方は、
自らを否定することで神から人々を引き離すことだ。
私は、魂がもっとも大切だと感じている。
他トビでの自分の書き込みを引用すると次のようなもの。
“私は、神の区別としては端的には、エジプトに端を発する秘儀的な神、
ドル札の裏面に印刷されている神のイメージで、秘密結社やいわゆる
「悪魔」とキリスト教では称されるこの世を仕切る無機質な“神”が
一方にあると考えています。
もう一方に、生命をお与えになる“神”、いわゆるエジプトのファラオを
打ち負かして、ファラオの座を奪うことでなく、イスラエル人の奴隷解放を
告げ導いたモーセの神、十戒をお与えになった天地万物を創造された唯一の神、
があります。172で引用したように、キリスト者は霊の識別が必要なことを
聖書から学んでいると考えています。
「重い」が魂だし、「渇く」が魂。
“はらわた(腎臓)”を意味する言葉が魂を意味する言葉となった。
“のど”を意味する言葉が魂を意味する言葉と受け取られる。
古代のイスラエルの人々の生命に対する感覚。これは、私たちの生命観を
原初の感覚に帰らせる。我々現代人にとっては、新鮮で、不思議、かつ素朴。
しかし、目から鱗が落ちるような真実なのだ。数字や法則よりも大切な本質。神は、常に生きている者の神なのです。
マタイ22:32
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とある
ではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」”
40 :
アグネス・ボワジュ:2000/06/20(火) 12:55
教会は、昨日も今日も不変です。
使徒たちもまた、恐怖に脅えたり、不信に陥ったり、
落ちこんだ日もあれば、失敗もしました。
にもかかわらず、キリストは彼らを叱らず、ただ次のように仰せになりました。
「なぜ脅えているのか。どうして心に疑いを抱くのか」(ルカ24・38)
このイエスの優しい言葉は、今日、私たちが持っている恐怖心に対しても当てはまります。
41 :
39補足説明!:2000/06/20(火) 13:04
世界は、法則とさいころで動いているわけじゃない。
しかし、生きている者の神である「主」を忘れた世界は、
無機質な法則と、気まぐれの偶然に支配されかねない。
悪魔は、そのような状態を作り出して、人間が間違いを犯す
ことをじっと待つ。実に狡猾な存在だ。むろん、救われる者は
その状況下からは一人もいない。
42 :
名無しさん@1周年:2000/06/25(日) 00:42
悪魔とは、訴える者、中傷する者、誹謗する者の意味があるらしい。
43 :
名無しさん@1周年:2000/06/25(日) 07:31
デビルマンになりたひ・・・。
44 :
騙り派:2000/06/25(日) 08:40
この世は魔物が創造したものです。
45 :
名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 13:11
神の子イエズスは、この世におられる間、ずっと「父」の御心を行おうとされていた。
神様の御旨を行おうとする霊は天使であり、人間の過ちを告発、中傷、あげつらって
神から引き離す努力をするのが悪魔ではないか?
人間である我々は、常に、悪魔に打ちのめされて神から離れ、暗がりを好むか、
それとも、恥ずかしさや後悔を乗り切ってまた、神に向き直って生きていくかが
問われているのだ。「開き直る」のではなくて、神に「向き直る」事が必要なのだと思う。
「向き直る」先が、“悪”の場合は悪魔に仕えているということになるのだろう。
46 :
通りすがりの学生:2000/06/26(月) 17:43
「悪魔」なんて、人間の悪意を象徴したものにすぎない。
47 :
通りすがりの学生:2000/06/26(月) 18:01
もちろん、善意・悪意両方で人間です。
ちなみに私は科学者の卵なので、ここにある本気(?)の会話は
正気の沙汰とは思えない。
宗教とは、宗教家が主観的な宇宙観を述べたものにすぎない。
そういった意味で、ゴータマ・シッダールタやナザレのイエスは
天才的な人間である。
48 :
>47:2000/06/26(月) 18:17
そうだよなーなんたってどっちも2000年(片方はもっと)
経ってこんなことになるとは思ってもいなかったに違いない。
これがほんとの「お釈迦様でも気がつくめえ」というやつか?
49 :
通りすがりの学生:2000/06/26(月) 18:24
↑わっはっはっ。まったくだ。
仏陀とイエスの残されている言葉はどっちも本人が書いたものじゃ
ないからね。
50 :
名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 18:33
悪魔を実体的に捉えているキリスト教徒は、超保守派以外はあまりいないと思う。
たしかに悪魔は悪の象徴にしか過ぎないけど、宗教は科学とは違ってイメージが
重要な要素となっている。抽象的に悪を分析するだけでは宗教的訴求力を持ち得ない。
たしかに科学者には笑止千万な神話的世界だけど、宗教を科学と比較するから
そのように思えるわけで、むしろ芸術と比較したほうがわかりやすい。
つまり絵画のもつ訴求力みたいなものとして、キリスト教は悪という抽象的概念では
なく、悪魔というイメージが必要なわけ。この辺がキリスト教と道徳倫理が
区別されるメルクマールだと思う。
51 :
通りすがりの学生:2000/06/27(火) 14:14
メルクマールってよう分からんけど、キリスト教のみならず宗教は
お子様向けにお話をアレンジしてあるって訳ね。
僕は科学者の卵(素粒子論屋)だけど、神話を笑いはしません。
神話をそのまま「事実」だと考える脳休眠状態の奴を笑うだけ。
52 :
名無しさん@1周年:2000/06/27(火) 15:28
西洋の思想は唯物論ベースで国家という枠組みを作ったのもヨーロッパ人。彼
らはルールによって社会秩序を構成するのが好きで、契約を絶対の物とする。
法治国家も早い話が政府と人民による契約の様なものであるが、その思想に
よって迷惑する国も沢山あった。彼らは国家の全権力がコントロールされてい
る国だけを国家と認め、それらの国に対しては不干渉の原則を保ったがそれ以
外の国や地域には植民地化し放題というわけである。
それは人命より契約の方が大事と言う悪魔的思想であるが、逆に世界の救世
主になったのも彼らヨーロッパ人である。産業革命がそれで、どう考えても生
産力増強無しに民主化や福祉の充実はありえない。
何故彼らだけが産業革命を起こせたのかは未だ良く分からないが、あるいは
物質的欲求を追及する悪魔的思想だからこそではないかと思う。
キリスト教的な書き方をすると
良く「神様がお作りになった人体には無駄が無い」というが悪魔も神が創っ
たわけで「無駄なもの」ではないのではないか?
社会科学的に言うと
人類に必要な一つのステップだが最後まで固執する事が出来ない危険な思想
を差すのではないだろうか?
53 :
どへー:2000/06/27(火) 18:44
もーやめようよ宗教なんてさー。別にだれが何を信じたっていいけど。自分自身がそこの宗教が良いと感じたからって、勧誘したりさー。
自分が良いと思ったからって、他人もそう思うとは限らないジャン。しかもさー、神様っていうか、真理は本来一つのはずなのに、どうしてこんなに宗教がいっぱいあるわけ?
おかしいじゃん。それで、他の宗派とか宗教を糾弾したり、しまいにゃ戦争起こしたりって、矛盾してるよ。戦争を起こさないように平和のためにあるんでしょ。宗教は。私からいわせれば、
それじゃなにかい!ここの宗教に金つんで拝んでいればここの信者だけは、救われるって選民思想じゃん!ってなかん字ですよ。まー私的には、神様って偶像だったり、教祖を立てて拝んだりするもんじゃ
なくて、皆のそれぞれの心の中にある良心の事だと思っています。道で蹲っている人にどうされましたか?と手を差し伸べる心。親が子供にかける愛情なんて神の心ですよ。そして、それにたいして、怠ける心
いいかげんな心や人をねたむ、そねむ心これが宗教家のいう所の悪魔とかじゃないでしようか。でもこれは、悪魔や悪霊に憑かれたからとか、先祖の因縁とかなんか、自分が物事がうまく行かないのはこういう物のせい
だって脅して金を巻き上げるんだから。だから、皆の心の中にある良心は、何かを拝まなくても育つものだと思うし、何かしら物事が上手くいかないのは、誰のせいでもなく
自分にも絶対非があるからそうなっちやうんだろうなと。皆で寄り集まってなんだかんだと、拝むよりも、個々の心の中の神様、良心を育てましょうよ。
54 :
悪魔でないために:2000/06/27(火) 18:58
渇く者、苦しむ者が、通勤途中にいたら個人としての判断と組織人としての
判断の両面から取るべき行動を判断する。「誰かがやるだろう」よりは「自分が手を
差し伸べよう」が良いし「誰かと手を差し伸べよう」なら自然かもしれない。
人の渇きを癒すこと、病を癒すことは、損得関係無く相手に対して手を尽くす
ことが出来れば、だいぶ悪魔からは遠ざかると思う。
55 :
焼香:2000/06/27(火) 19:15
>神様っていうか、真理は本来一つのはずなのに、どうしてこんなに宗教がいっぱいあるわけ? (53)
真理は一つです。しかし、すべての言葉やシンボルを超越していると。
だからこそ、それを人に伝えるときには、さまざまな表現がとられるし、
真理に至るさまざまな方法が存在すると。大切なのは、それぞれ自分の
能力に適した教えや方法を選ぶべきだということだね。
心の中の神(真我)を大切にすることといい、自業自得の考え方といい、
貴方は自然に仏教の考え方というか、インド人の考え方そのもので、たぶん
前世はインド人だったのだろうと。しかし私としては、グルに帰依したり、
志をともにするものが集まって生活することも、心の中の神に到達する有効な
手段であり、伝統もあることだから、偏見を持たないで欲しいと思います。
56 :
どへー:2000/06/28(水) 00:37
55>さんへ。レスポンスありがとうございます。特に偏見は持ってる訳ではないんですよ。まぁ、途中文章が熱くなってしまったので申し訳ないのですが、私の真意としては、基本的に何を信じても良いということです。それは、個々の心の問題ですし、だれにとやかく言われる筋合いのないものですから。ただしね、宗教をビジネスとして
利用している輩が多いので、それに惑わされる方々に対してのメッセージだったんです。人間はとても弱いものです。人の命のあっけなさ、大自然のなかのほんの小さな存在でしかないのが人間です。だからこそ、何かに恐れるのも解る気がします。だからこそ
宗教が発展していったというのも解ります。解らないものへの恐れ、何か自分の力ではどうしようも出来ない事が世の中にはいつぱいあります。そういった事に遭遇して、傷ついた人に悪魔がどうとか、先祖の因縁やら言ってつけいる輩がおかしいという事なんです。だから、志を同じくして集まって生活している方々は、
その方がそれで心が救われるのであれば、それは良いと思います。でもね、現実として、お布施って必要かしら?
自分の家財道具やら金品を投げ打つのがそんなに良いことなのかしらとも思うんです。その家財道具やらは、その人のしてきた仕事などの報酬で得たものです。それは結果なのです。虚飾は罪であるなどといっても、人間お金は必要なものです。事足りた生活を送りながら、心の中の神に到達することだって良いのではないでしょうか。と言う事なのです。
57 :
名無しさん@1周年:2000/06/28(水) 01:37
>1
昔、母校立教中学(聖公会)に「宅麻」(たくま)という牧師がいました。
彼は「聖書の時間」に講義をして
「主は暴力をお嫌いになりました。……。コルァ!そこ、何、寝てんだぁ!」
と叫びつつ何人もの生徒をボコボコにしてまいりました。
我々生徒の間では
「悪魔も裸足で逃げ出す宅麻」といって恐れられていました。
結論。
宅麻がいるのだから悪魔もいる。
58 :
通りすがりの学生:2000/06/28(水) 02:37
俺はそんなに物分りがよくねぇ。
志を同じくする者が共に生活なんて、所詮傷の舐め合いやんけ。
独り立ちしようっていう気概はないのか。
あぁ、ないから宗教に頼るんだね。
でも宗教には客観性が全くないし、素粒子論を研究する俺から見れば
宗教によって真理を探求するなんて、意味があんのか?
真理は人間の知性を働かせ、議論を闘わせて得るものだろう。
人間の知性では無理なんて言うなよ。よく分かってるんだから。
でも少しでも近付くにはそれしかねぇだろう。
今の世の中、宗教は倫理としてだけ使え。使えねぇものもあるがな。
59 :
名無しさん@1周年:2000/06/28(水) 07:33
ともかく勧誘するなよ勧誘! しつこいよ、どこの宗教も。
ほんとに自分で最高の宗教をやってると思うなら、まず自分が奥義を
極めてから人に説きなさいよ。 自分で後光が出てくるまでやって
みせてよ。
そこまでやった人が集まっている教団なら勧誘なんかしなくても
ぞくぞくと人がよってくるよ。
言葉だけで、教本読んだだけで悟った気でいる頭でっかちが多すぎ
じゃないの? 仏教が人間の仏性を表し、神道やキリスト教が神性を
表すのなら、まずやってみせろ! 後光を光らせてみろ!
それが出来ない所は所詮、宗門の存続だけしか考えてないと決め打ち
しときます。
60 :
>57:2000/06/28(水) 09:37
宅麻先生いいなあ。
61 :
焼香:2000/06/28(水) 16:15
>言葉だけで、教本読んだだけで悟った気でいる頭でっかちが多すぎじゃないの?(59)
おっしゃるとおりだと、思います。
宗教には、完璧な教義とともに、その教義を具体的に現証化する、つまり、実際に体験
できる修行体系が存在しており、なおかつ修行者個人個人に対する完璧なアドバイスが
できるグルが存在しなきゃならないと。この点で、日本の今の仏教が、果たして真の
仏教と言えるかどうか、疑問だよね、これは。
あなたの指摘はとても重要だと思いますよ。真理は言葉で表現したり、知性を使って教科書
で学んだりできるという考えを持っている人が多いと思うけど、それはあまりにも単純に
近代西洋思想に染まっているし、偏っているんではないかな。
言葉、知性、概念、教科書、これらは真理に到達する助けになるでしょう。
でも真理そのものと合一してゆくさまざまな段階では、やはりそういうものに頼らず自分で体験
しなければならない。自分の体験で検証しなければならないと。たとえば、これはよく使う喩え
だけど、小舟に乗って川を渡ったと。じゃあ渡り終わって岸に着いた後、その舟をどうしますかと。
ずるずる引きずっていくことは、意味がないよね。いいかな、これは。
で、話を元に戻すんだけど、やはり最後は自分の体験を頼りにするという点で、たとえ集団生活
していても、修行者はすべて自分だけというか、各人独立しているんだよね。
釈迦牟尼は「犀のように一人で歩め」とおっしゃって、けがれた俗世間から離れて出家することを
説いてるんだけど、同時に真理をわきまえた者どうしが<修行者の集い>つまりサンガをつくる
ことは否定なさらなかった。というよりも、サンガは仏教において最も大切にすべき三宝のうちの
ひとつなんだよね。だから、仏教のおいては矛盾しないんだ、独立ということと集団生活は。いいかな。
62 :
>名無しさん@1周年 :2000/06/28(水) 16:50
>後光を光らせてみろ!
あなたも新興宗教にひっかかるタイプです。
新興宗教にはテレパシーなどの動物的超能力を実際に運用している人が
多いので要注意!
くれぐれも「宗教」と「動物的超能力」を混同せぬように。
また、「霊」「悪魔」など実体のない観念も盲信せぬように。
63 :
どへー:2000/06/28(水) 16:51
うーん。否定もしないし肯定もできませんが、専門家ではないので。客観的に見れる目を持った人なら、志をともにする人同士集まって
集団生活を営んでもいいだろうけど、そう言うことが出来ない人はやめたほうが良いと思う。穢れた俗世間から離れて出家すると言うけど
その穢れた俗世間とは現実の世界であって、私達の生きている三次元の世界なのだから、他に何があるわけでもないし、そこから隔絶した世界を作るということは
外部との社会生活を断絶して、正しい情報を取り込める判断力が欠落してしまう恐れもあります。私達は唯の人間であって、次元を超える事は出来ないし、
欲があるからこそ生命活動を維持しているのだから、いつまでも同じ考えを持つ人たちばかりと生活を共にしてるのも何かなー。人間自分を否定してくれる存在も必要
ですよ。そうやっていろんな価値観を学ぶことも立派な修行の一つかもね。私はここらへんで、このページに来るのはやめにしようかと思っています。最後にここのページで
意見交換をしている人にメッセージとして。
言葉はまやかし。
どんな所にも花は咲く。
という言葉を送りたいと思います。また、気が向いたら寄らせてもらいます。
64 :
焼香:2000/06/28(水) 18:35
>でも宗教には客観性が全くないし、素粒子論を研究する俺から見れば宗教によって真理を探求するなんて、意味があんのか? (58)
では客観性、というのは、いったい何かと。私は科学については全く素人だけど、あなたの研究する素粒子に
しても、計測装置抜きには観察できないわけでしょう、ね。人間がつくるどんな記号・概念からも独立した宇宙を、
人間の精神は客観的に認識できるかと。できないよね。少なくとも、あなた勉強されている科学では。
科学(サイエンス)というのはもともとラテン語のスキエンティアから来ていて、これは「知ること全体」
「総体的智」を表していると。しかし20世紀の科学は、それぞれの専門領域に細分化して、特化、局所化されて
たけど、果たしてそれは本当のサイエンスなんですか、と。そこでね、しっかりと根本をつかみなおかつ全体を見渡
そうと思えば、私たちは何に対して注目すべきかと。それが私たちの心、精神なんだよと。だから、まず心に対し
てしっかりと洞察する。これが精神科学で、それがあってその後に実際の科学が存在してくるというか。
そうしてこの精神科学こそ、古くからの仏教あるいはヨーガの実践であるということは、欧米でも非常に注目され
ていますね。よろしいでしょうか。
65 :
59です:2000/06/28(水) 20:18
焼香さん>
書きなぐりにちゃんとレスくれて、恐縮です。
あなたの意見は理解出来ますよ、できることなら現存する宗教が全て
あなたの言う通りにしてくれると、僕ら一般人はもっと宗教に対する
誤解を少なくすることが出来るのですが、悲しいかな実際は教団の拡大
にしか興味をもってないような人が多く見受けられるのが現実ですね。
実際に僕の周りには62のように人の言葉尻を捕まえて相手をなじり、
論破することで他人を説き伏せようとする有象無象がうじゃうじゃいる
んです。
こちらの意見や状況もみずに人を馬鹿にしたり、高飛車に自説を押し付
けたり、俺は知ってるけどお前は解ってないという態度をよくしますよね
宗教の勧誘者って。 今日も近所で言い寄ってきたので丁重に断りました
(きつい言葉で追い返すと必ず仕返ししようとするんだよね、あいつら)。
私自身は天才科学者アインシュタインの言葉の通り
「宗教心の無い化学は不完全であり、科学的でない宗教は盲目である」と
思ってます。 、、、多いですね、人を盲目にしたがる宗教が。
>人間の精神は客観的に認識できるかと。できないよね。少なくとも、あなた勉強されている科学では。
宗教の優劣を客観的に判断できる術があるなら是非教えていただきたい。
宗教に詳しい方ならきっとよい方法をご存知かと思うので。
僕はその一つの方法が「後光」だと思います。 神人合一、神我顕現をうたう
宗教は悟りを得た時に誰から見ても解るくらい細胞が発光するそうですからね。
そんな人に会ってみたいですね。 冷やかしじゃなくて本心からね。
66 :
焼香:2000/06/28(水) 22:18
アインシュタインは徹底したユダヤ教徒だったからね。
アインシュタインはまたこうも言ってるよね。
「自分は科学の大きな波の一部を経験したにすぎない。
そして、真理の本当に一部を経験したにすぎない」と。
私はこれが、単に彼がけんそんして言ったんではなくて、事実そうだ思います。
この点を考えると、現代科学の最先端を担う科学者・研究者が、仏教に大きな関心や称賛を示し、
実際に仏門に入ってしまわれる方もおられるというのは、深い意味があると思う。
しかし、あなたもおっしゃるように、本当にその人を精神的に高い世界へ導くのが宗教の
目的なのに、かえってその人の無知や煩悩を増大させてしまう宗教が多いというのは、本当に残念なことだと
思う。私はほんらい、宗教に優劣をつけるようなやり方は好まないんだけど、まあ私が上の61で書いたような
条件を参考にして判断してもらったらいいと思います。簡単に言うなら、人間と宇宙の構成についてについて
整合的で欠陥のない理論を持ち、なおかつそれを実際に体験している人たちがいるということですね。
それから「後光」というのも、いいと思います。解脱して真我になった者は、声においても光においても、大変
神聖なものを発しますから。しかし、誰でもわかるというのは、どうだろう。たとえば、ね。
原始仏典でも、釈迦牟尼が皮膚から金色の光を放ちながら歩いていかれるのを一目見て、帰依して弟子になった
人の話がいくつかあると。しかし誰でもというわけでにはいかない。それまでのその人の霊的ステージというか、
精神の浄化度も関連すると思います。
67 :
お願い:2000/06/28(水) 22:30
ここは「心と宗教」版です
オカルト系または心ない方は来ないで下さい。
68 :
名無しさん:2000/06/28(水) 22:43
>67
多重かきこです。
69 :
59です:2000/06/29(木) 16:03
おっと! ここは悪魔の存在について語るスレでしたね、、こりゃ失敬!
焼香さん、レスありがとう、また違うスレで会いましょう。 それでは。
70 :
通りすがりの学生:2000/06/30(金) 02:15
>64
何が言いたいのか良く分からないけど、科学は計測装置で観測するから
まだましだってこと。
宗教家が宇宙観を述べたって、それが正しく宇宙を表現しているかなんて
全く確かめようがないけれど、科学は少なくとも、理論の計算値と実験値を
比べることで間接的な証拠、宇宙を表現している方程式の証拠を得ることが出来ます。
仏教で瞑想したり、ヨガを実践なんてしても、それは所詮人間の脳内の
化学反応なんだから、人間の精神状態によってどうとでもなる。
「神が見えた!!」とかね。
科学・哲学どっちも表現論です。
宇宙の法則なり真理をかたや数学、かたや言語で表現している。
「人間がつくるどんな記号・概念からも独立した宇宙を、人間の精神は客観的に認識できるかと。」
なんて言われても、何の事やらさっぱり分からない。
むしろ意味のない言葉のような気がします。
>66
それから、アインシュタインの家はユダヤ教徒だったかもしれないけど、
アインシュタイン自身は「スピノザの神を信じている」とはっきり言っています。
それから、「現代科学の最先端を担う科学者・研究者が、仏教に大きな関心や称賛を示し、実際に仏門に入ってしまわれる方もおられる」
のは誰なのか、はっきり教えて下さい。
少なくとも素粒子論の分野にはいないと思いますが。
それから、普段から頭にきていることなんですが、
「霊的ステージ」とか「精神の浄化度」とか、一般人には定義のはっきりしない
言葉を使わないで下さい。もしちゃんとした定義があるのなら言ってください。
人間は言葉の生き物なんですから。
それから、どうやら「悪魔なんて本当にいるの?」からずれてしまってごめんなさい。
71 :
通りすがりの学生:2000/06/30(金) 02:21
一応言っておきますと、僕はゴータマ・シッダールタを全く非難しないし、
むしろ非常な傑物だと思っています。
仏教も好き。
けれど、訳もわからず科学の言葉を適当に使って己の正当性を維持しようとする
オカルト野郎が嫌いなだけ。
それにもう21世紀が来ようというのに、宇宙論を宗教でやっても仕方がないでしょう。
72 :
名無しさん@1周年:2000/06/30(金) 15:14
優れた宗教はみな究極は同じ。 キリストもイスラムも仏陀も神道もね。
>それにもう21世紀が来ようというのに、宇宙論を宗教でやっても仕方がないでしょう
自分の理解の届かない所にあるものは認めないという狭量さが現代の無明を作っている。
結局、闇、悪魔とされるものは自分の心に中にある無知からくる恐怖感、宗教は
その闇を祓ってくれるツール、ただの道具。
道具に振り回されるなんて、愚か過ぎる。
73 :
通りすがりの学生:2000/07/02(日) 02:17
私は70、71です。
誰か反論してくれ。このままじゃつまらん。
反論できないものと見なすぞ。
74 :
名無しさん@1周年:2000/07/02(日) 02:31
まぁまぁ、反応がないってことは引っ込んだと見てよいってことでよしとしようや
ビリーバーを無闇に挑発すると妙に怒って変な書き込みするよ
(それがお望みならどうぞ)
あんたここには貴重な人材なんだから、末永く楽しめるように先急がず行きませんか?
(旧進化論スレで、文系の知識で「と」さんとやり合うのは大変だったよ…)
75 :
通りすがりの学生:2000/07/02(日) 02:42
73>74
アドバイスありがとう。そうします。
76 :
52:2000/07/02(日) 04:44
互いに自分のスタンスを押し付けあってないか?
宗教と科学は違う。
77 :
通りすがりの学生:2000/07/02(日) 04:46
いや、そう違わない。
少なくとも宗教は宇宙論を語っているものがある。
78 :
52:2000/07/02(日) 05:06
この議論は面倒だぞ。
キリスト教では教会の権力を守る為に科学者と議論したが、宗教が科学と
対決姿勢を見せるのはキリスト教くらいなものだ。
>少なくとも宗教は宇宙論を語っているものがある。
それが目的ではない。「始まりの問い」を科学的に解決しても幸福になれ
るわけではない。
客観性を追及するのが科学なら、ある意味主観性を追及するのが宗教である。
私は「人間は死ぬと、その魂はどこへ行くか??」のスレッドで唯物論の
スタンスを認めたが、それは唯物論でも幸福になれるからである。
しかし、それでも宗教的真実を追究する必要がある。主観性を追求すると
言っても。「俺はこう思うから、これで決定」なんて物じゃない。
自分の心を正しく見つめる事が重要でそれは様々な論理(道具)を踏まえ
た上で実践して身に付けていく事ができるものである。
>言葉だけで、教本読んだだけで悟った気でいる頭でっかちが多すぎ
>じゃないの?
この意見は宗教が知識だけでは成り立たない事を意味している。
80 :
怒れる者:2000/07/02(日) 06:27
筍子が説くように、人は誰でも悪魔の芽を持っており、宗教の一つの役割は、その芽を摘む
事です。具体的には、欲望を制御する正しい心の在り方を教える事です。
今の科学は、欲望を充足する事で欲望を克服しようと試みていますが、欲望には限りが無い
ので、科学単体では破滅です。そこで、科学哲学とかエコロジーで宗教に代えようとしたけれ
ども失敗です。
悪魔の暴走を防ぐには、今のところ、宗教に頼るのが一番だと思います。
しかし、この世界に神と転生の不存在を数式で証明できれば、宗教が無くても、人間は合理的
に善となるかもしれません。
81 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/02(日) 07:09
80>
数式による証明。
それを行うには、まず哲学のレベルで、神の存在の証明・反証を行う必要があります。
まだそこまで人間の科学は進んでません。
82 :
名無しさん@1周年:2000/07/02(日) 13:58
アメリカはキリスト教国だから、スタイルだけはクリスチャンにあわせている人が多いけど、
実際のところ、仏教に関心を示したり、無意識に仏教的スタンスを取る人は相当数いる。
かのホーキング博士も「神がいるとしたら、私は宇宙の真理そのものを神とみなします」と
言っていたが、これは真理(ダルマ)そのものを(法身)ブッダとみなす仏教徒の立場に近い。
ダライ・ラマ14世が滞在先の各国で行う説法会や法会はいつも盛況だが、特に先日ワシントン
で開かれた講話会には四万人が集まったとされ、その中には科学者や理工系の学生も多くいた。
そのダライ・ラマの通訳の一人(M.Ricard)も、もと分子生物学者で、チベット仏教に弟子入り
して僧となった人である。トランスパーソナル心理学において数多くの著作を出して「西洋と
東洋の融合」をはかるケンウィルバーも、もとは生物学などの研究にたずさわっていて、仏教
経典や老荘思想に巡り会ったという経歴を持つ。だいたいアメリカ人の三分の一は潜在的仏教徒
というのが定説である。
83 :
名無しさん@1周年:2000/07/02(日) 16:26
>80
通りすがりさんが来る前にちょっとだけ
「科学哲学」ってのは多分「実証主義に即した哲学」ってことを言いたいんだろうけど
「科学哲学」ってのはもっと違うもので、大抵は、宗教や道徳とは無縁のことをやってますよ
無視してる・否定してるってんじゃなくて、領域が全然違うってこと
実証主義を踏まえた道徳論や神学ってのもあることはあるけど、普通それを「科学哲学」とは言わないね
あと、この辺もどうかねぇ
> 神と転生の不存在を数式で証明できれば
確かに神の不在を論証することはできないと、可能世界意味論だかを使って論証した人がいるとは聞いたことあるけど
一概に「科学=数式」ってのはいかがなものですかね?
ま、実証主義の嵐が吹き荒れていた頃は、実証できないことを否定したり、
そういうことをいまだに考えたり信じたりする人を小馬鹿にするのが流行ったけど
今は科学やってる人達にもそんな堅物は少数じゃないかな
畑違いだから俺は詳しくは知らないけど
なんて書いたらまた「知識ひけらかし」とか言われんのかな?(笑)
自分の理解が乱暴なのを棚に上げて簡単にそんなことを言うのは互いに慎みたいと思うけどね
通りすがり氏が苛立つのは俺は気持ちはすごくよく分かるけどね
84 :
怒れる者:2000/07/02(日) 16:56
>80さん
>確かに神の不在を論証することはできないと、可能世界意味論だかを使って論証した人
>がいるとは聞いたことあるけど一概に「科学=数式」ってのはいかがなものですかね?
科学哲学の関するご説明、ありがとうございます。
引用した部分の事ですが、数式以外でも、一般性があれば何でもよいです。
ともかく、誰もが納得できる形で、神の不存在が証明できたらどうなるかと考えると、なかなか
面白いものがあります。
神という根拠を失えば、ユダヤとイスラムの宗教戦争は無くなるでしょうか? それとも、宗教
という枷を失って、人間の悪はむき出しになるのでしょうか?
85 :
回答:2000/07/02(日) 18:08
>1
「神がこの世を作った」を本気にしなさんな。
宇宙をつくった神などいない。
86 :
名無しさん@1周年:2000/07/02(日) 23:51
>宇宙をつくった神などいない
神がいないと言う証明は?
87 :
>1:2000/07/03(月) 01:30
>神がこの世を造ったのなら、なぜ最初から悪魔(サタン)が出現しない
>ように設計しなかったの?
>それとも、実は全知全能ではなかったの?
>まさかとは思うけど、わざと混乱するように造っておいて、ほくそ笑みながら
>人類が右往左往しているのを眺めている訳ではないわよね?
初めのうちはなんでもありの自由な状態を許しておきながら
いつのまにか商売にできるように悪魔はIPで弾かれ、削除され、
隔離板に封じ込められようとしています。神はなぜはじめから2ちゃんを
このように作らなかったのでしょうか?
まさかとは思うけど、わざと混乱するように造っておいて、ほくそ笑みながら
厨房が右往左往しているのを眺めている訳ではないわよね?
88 :
>84:2000/07/03(月) 01:46
すまんすまん。前からこの板ウロウロしていてあんたはこう言っても聞く人だと思ったからちょっとつっこんでみた
聞きそうにもない人には言わないよ、そういう意味では俺は意地悪だから
数式ってのは例えばE=mc2とか本当の数式じゃなくて比喩だってのは薄々分かっちゃいたよ
他の人とかにも一つの戒めっぽくなるかなと思ってのことだ。許してくれ
例えば、大昔にある哲学者が「神はあるともないとも言える。人間の知性は限界があるのでそういうことを考えると必然的に袋小路に陥る」
って言って、もちろんその後、しこたま再検討されてきたけど
大筋はそれで正しいと俺も思う
「神」という概念自体が人間の思考能力の欠陥の賜物だと思う
「妄想だ」ってんじゃなくて、本来考えて云々できるものじゃないってことね
(何かの手段によって実感するってことはありうるかもとは思っているよ)
本題に戻ると、「悪魔」ってのも同様に人間の思考能力の欠陥の賜物の
それもこっちは劣悪な類だと思う
「神」って概念を完全にできないために、現実と齟齬ができて
それを埋めるためのものって感じがするもんな
あと、中東紛争は宗教対立だけじゃないから一概に言えないけど
「神」が十全に把握できるようになると基本的に対立はなくなるとは俺も思う
けど、人間がそうなることはないだろう、とも思う
何か高飛車だったら御免
89 :
ザビアン田中:2000/07/03(月) 02:00
>神がいないと言う証明は?
要は、いない可能性がゼロに近いと言うこと。
証明ではなく、可能性の問題だ。
絶対の神がいたら、その神は孤独でさびしいだろうなあ。
宇宙を作った神にも家族がいるのか。子孫を残すのか?
わけないぞ。そんな不自然な得体の知れない固体がぽつんと
存在している可能性は限りなく低い。
90 :
あれ?:2000/07/03(月) 02:34
他の スレッド消えてるー
なんでー?
91 :
名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 10:08
中世の教会建築物をみると悪魔がくっついている
これは、悪魔までもが全能の神、万物の創り主である神を讃えるために教会の飾り物
されているそうな...
悪魔も悪魔の自由意志で悪魔になった、
イエスも自由意志で十字架に架かった、
自分からその道を選択したから、
信仰も自分の自由意志にまかされている。
92 :
名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 17:54
AKUMA
93 :
名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 21:24
こんばんは−
94 :
57>通りすがりの学生 さん:2000/07/04(火) 15:28
私、昔、院で素粒子論を専攻していました。
(今はぜーんぜん関係ない商売をしています)
で、その時思ったのは「こりゃ、神(絶対者)はいるな」でした。
その状況証拠は結構あります。
ですが、決定的証拠がありません。
↑
と言うような事を以前、別のスレッドで書いた覚えがあります。
(多分、『創造論か進化論か』みたいなスレ)
そこで、私が院生のころ思ったことを書きます。
?⇒クォーク⇒素粒子⇒原子⇒分子⇒タンパク質⇒原始生物⇒人間
の図式はほぼ合っていると思います。
もし、この間に「神の手」(意図)が介入したなら検証は可能かも
知れません。
少なくともクォークからタンパク質までは初期条件さえ与えれば、
「神の手」がなくとも流れていくと思います。
それ以後、タンパク質⇒原始生物⇒人間も不明な点は多いですが、
自然科学の経験則から多分、「神の手」は介入していないと思われます。
もう一度、言いますが、もし介入していれば「検証は可能」かも
知れません。
それは丁度、人跡未踏と思われる山奥で「テレビ」を発見した時、
「テレビを自然が偶然作るのは不自然だ。これはこの地に人が
介入したと推測される」
と考えるのと似ています。
ところが、もし、上の図式の最初の「?」だけを「神が創った」と
主張されると、その成否を検証するのは、もしかすると論理的に
不可能かもしれません。
95 :
57>通りすがりの学生 さん :2000/07/04(火) 15:30
「神の最初の一撃」という言葉があります。
「ニュートン力学によれば今の多様な宇宙を創った原因を過去に
遡ることができる。しかし、最初の原因を作ったヤツは不明」
という事でしょうか。
しかし、今(今世紀後半)の物理学にはその「神の最初の一撃」
すら「必要なし」と言っています。
ですが、私の心に引っかかるのは
「仮に『神の最初の一撃』がなかったとしても、
この『この物理定数』を決めたのはだれだ」
です。
以上、むかーしの感想。
付録
神の存在の証明。(自己言及版)
_________________
|(1)この枠内の命題は全て偽 |
|(2)神は存在する |
_________________」
で、成り立つのは
(1)偽
(2)真
だけ
よって、
「神は存在する」
96 :
名無しさん@1周年:2000/07/04(火) 16:21
キリスト教の悪魔って他宗教、他民族の神々を貶めたものが多いらしいね。
97 :
名無しさん@1周年:2000/07/04(火) 16:40
進化の過程で神が介入した、もしくは神がすべてを創造したという考え方は安易だと思う。
どこかで思考停止しているわけだから。
98 :
>97:2000/07/04(火) 18:02
もっと、具体的に言ってくれないと、何を言ってるんだか読む方はわかんないよ。
99 :
97:2000/07/04(火) 20:52
進化論以前は創造説が常識だったわけだ。しかしそれでは理解できないことが沢山ある。たとえば化石だ。聖書に出てこない生物の化石が発掘される。
神が創造してから約6000年だと神学者は考えた。しかしたったそれだけの時間ではエジプトや中国の歴史を解釈できない。
そんなこんなでつじつまを合わせようとした。しかしダーウィンをはじめ、多くの学者が聖書の矛盾を乗り越える理論を考えだした。もちろんそれらの学説が完璧だというわけではない。
進化論や宇宙の創造論など分からないことの方が多い。だからといって神が創造したんだとか、神が介入したんだでは思考停止に陥る。
バチカンではビックバンで満足しているということを読んだことがある。それ以上のことは研究しないでほしいというわけだ。なぜならビッグバンは神が行ったことにすればよいから。なぜビッグバンが生じたか。そこに合理的な原因が見つかり、ここでも神が必要とされなければ、バチカンとしては困る。
しかし科学の発展ということを考えれば、バチカンのいうことを聞いて思考停止に陥るべきではないことは言うまでもあるまい。
100 :
げっ!:2000/07/05(水) 05:36
>94
素粒子論を勉強していて絶対者を知るという点が面白いですね。
それではここのスレの原点に立ち戻って、
それでも悪魔という概念は人間にとって必要だと思いますか?
101 :
怒れる者:2000/07/05(水) 07:58
>84さん
ありがとうございます。
おっしゃる通り、神についての研究が進めば、それにつれて悪魔の存在・不存在も見えてくるかも
しれません。
それと、神の不存在が証明された後、世界から宗教戦争もカルト教団も無くなったものの、証明者
はタコ殴りにあったと、そういうSFがありました。
例え、神の不存在について完全な証明ができたとしても、受け入れる側に準備ができていなけれ
ば、聞き入れないか、暴動を起こすか、自殺するかのどれかでしょう。
仏教では、悟りを開くために修業を重ねますが、あれは世界の真理に触れても狂わないために、
必要なのだろうと思います。
102 :
もね:2000/07/05(水) 23:22
神も悪魔もいません。
103 :
名無しさん:2000/07/05(水) 23:27
>102 こんな奴にも飽きた
104 :
>怒れる者さん:2000/07/08(土) 22:00
101の「仏教では、悟りを開くために修業を重ねますが、あれは世界の真理に触れても狂わないために、
必要なのだろうと思います。」というのは意味深ですが、真理に触れると狂うと思われる
部分について、少し説明いただけませんか?「真理」とはなんですか?
105 :
名無しさん@2周年:2000/07/09(日) 00:20
悪魔に会わせましょう
106 :
>105:2000/07/16(日) 09:08
ぜひ会わせて下さい。
107 :
名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 09:33
宗教関係者は皆悪魔が取りついています。
108 :
名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 13:14
納得。
109 :
名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 15:22
あなたの心に棲んでいます。
110 :
<109:2000/07/16(日) 19:32
という事は、悪魔は神なしに、単独で存在できるんだ?
111 :
焼香:2000/07/18(火) 00:53
>101の「仏教では、悟りを開くために修業を重ねますが、あれは世界の真理に触れても
>狂わないために、必要なのだろうと思います。」というのは意味深ですが、真理に触れる
>と狂うと思われる部分について、少し説明いただけませんか?「真理」とはなんですか?
それをこのような場所で簡単に発言できないということが、まさに「悟りを開くために修行
を重ねる」必要があるということなんですね。
段階を経て修行しながら、徐々に真理を体験しても心が動揺しないというか、ありのままに
真理を受け入れられるようになって初めて高次の段階に進める体系というのが、
小乗→大乗→金剛乗というステップです。だから高次のレベルの話は、しかるべきグルのもと
で修行を積んでからということになるでしょうが、それでは話にならないから一つだけ言いましょう。
これは大乗のレベルの話ですが、「一人一殺、一殺多生」という真理があります。
一人を殺して多くの人の命が助かるなら、深い慈悲からその人を殺すことは許されるということですが、
ジャータカやヨーガチャーラーブフーミーなどに出てくる真理法則ですが、これは未熟な修行者には無理です。
というのも彼らはまだ心が欲望にとらわれていますので、まずはきちんと戒律を守り禅定を修める必要があります。
そんな段階では、不殺生と慈悲からの殺生を矛盾と感じ、心が動揺してしまいます。狂ってしまいます。
しかし高いステージに進むにつれ、そのようなこともなくなり、本当に深い慈悲と洞察から実践できるようになる
ということです。よろしいでしょうか。
112 :
<111:2000/07/18(火) 12:06
私は、社会心理学的な側面から諸宗教の研究を行っている者です。
その為の調査活動の一環で、この掲示板の存在を知り、焼香さんの
書き込みを発見し、興味深く拝見しました。
ところで、私は元々死刑制度廃止論者だったのですが、
>これは大乗のレベルの話ですが、「一人一殺、一殺多生」という真理があります。
と言う書き込みを見て、思い付いた事があります。
それは、オウムの麻原が死刑になれば、未だに幻想に囚われている
信者やシンパ達の目を覚まさせる事ができるのではないか、という
ことです。
まさに、一人の人間、そしてこの場合、死刑にされても当然の悪行を
重ねてきたこの人物に死をもって償わせれば、多くの魂を救う事ができ
る典型的な例ではないでしょうか。
特に、この極悪人は、信者達に陰でこそこそと犯罪を働かせ、それが
発覚するや、内部には「深い慈悲によって行った事」と弁明し、警察
に捕らわれた後には、信者に責任を押し付け、狂ったふりをし、どう
にかして、自分の生命を生き長らえさせようとあがいているような
情けない詐欺師に過ぎません。彼の言によりますと「糞だめのように
汚れている」はずのこの世に、どうしても未練があるようなのです。
焼香さんも、高尚であるはずの、小乗・大乗・金剛乗の教えを、醜い
私利私欲の為に利用した麻原のような存在には立腹されているのでは
ありませんか。
さらに、彼は「グル」と言う高尚な呼び名まで騙った訳ですから。
ところで、密教的な事に相当お詳しいようですね。私も、もう少々
教義的な事をもっとつっこんで研究してみたいと思います。よろしけ
れば、どこで勉強ないしは修行されたのかをお教え下さいませんか。
是非とも参考にさせて頂きたいと思います。
113 :
104>焼香さん:2000/07/18(火) 13:25
次の聖書の箇所と、あなたの発言は似ていると思います。
●ヨハネ福音書11:49−53
彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。
「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が
滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」
これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であった
ので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。
祭司の発言はここでは預言です。あなたの仰る発言や実践の根拠は、どこから来るのですか?
わたしは、人間を絶対化することは閉鎖的自己完成に通じ、進歩や進化の方向性を
「謎」としたまま、個人にとっても全体にとっても、自己のうちに自己を築くこと
ではないかと個人的に警戒しております。
個人の精神の内奥を追求することはともすると、許し難い個人主義に陥ることを
まぬがれまいとおもいます。一方、社会の絶対化は自己抹殺に繋がるのでその状態
を経て真理と慈悲を体得して「悟」りまで行き着くとしても、安定的なあるべき状態
とは思われません。このジレンマを解くための鍵になるものは、私は「私」の核で
あると同時に全人類の完成であるリアリティーである何かだとおもいます。
この辺りは、バランスの問題を含めて、哲学と宗教の問題だと思いますが、視点を
ずらすと組織理論や管理理論における古典中の古典の書籍中、チェスター・I・バーナード
が次のように記していました。
「まったくかけ離れた2つの信念がある。その一つは、個人の自由に焦点を合わせ、個人を
社会的宇宙の中心とするものである。現在では概してそれは批判的であり、悲観的である。
協働の挫折、戦争と対立、混乱と分裂、浪費、飢え、病気と死を強調し、しかもなお極端な
自由、理想的な個人主義、自己決定を無批判的に説くから、この無制限な独断論によれば、
明白な直接の機会とか必要のためにやむを得ず協働する場合以外には、公式的な協働はすべて
阻害されるだろう。
第二の極端な信念は追従的であり、楽観的である。それは、広範囲に相互関連を持つ体系の
中で協働的に決定される無数の具体的行為には、秩序、予測可能性、一貫性、並びに有効性が
あると強調する。この観点に立つ人は広範な集団編成、際限のない従属、完全な調整を無批判に
擁護するので、彼らの無制限な独断論では、やむをえざるもの以外には、個人の発展がすべて
おさえられるのである。」
焼香さんの仰る悟りの高次のレベルは、ともすると個人主義に偏りがちで不安定なもの
ではないかと疑問を持ってしまうのですが、その辺りはどうなのでしょうか?忌憚のない
意見を伺えれば幸いです。
114 :
名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 15:00
ホンモノのグルなんているのかね。人間なんてどこまでいっても欠陥だらけの
生き物だろ。自分がグルだと思いこむやつは論外だけど、人に盲目的に服従する
やつも気味悪い。
115 :
焼香さんへ:2000/07/19(水) 13:34
112さんと113さんの書き込みを読んだ人が
焼香さんの返答を楽しみに待ってるよ〜
116 :
焼香:2000/07/19(水) 17:15
私の場合、大学(英文)時代に精神な病にかかり、就職してからも転々と職をかえた後、
自宅に一年ほど引きこもっておりました。その間、心理学・哲学・宗教・科学・精神世界の
本を千冊は読んだかな。まあ自分なりに実践して、どれも悪くないんだけど、今一歩突き抜け
ないと。ところがある日、佐保田氏のヨーガスートラの本に従いやっていると、尾てい骨から
背骨にかけてカーッと熱を帯びている。頭頂に向かってマグマのようなものが吹き出しそうだ。
これがクンダリニーの覚醒だと知ったのは後からだけど、それからは体は軽やかでエネルギーに
満ちあふれ、思考も速くなって、何事に対しても積極的になりました。もっと先を求めたくなり、
また自分の体験を確かめる意味もあってアメリカに渡って、カリフォルニアのアーシュラムに滞在
したりして、今は日本に落ち着いています。別に学者のような専門の知識はありません。
麻原についてだけど、私は立腹もしていないし、死刑が望ましいとも思えない。
確かに彼の死によって、迷妄から覚める信者もいるかも知れないが、かえって神格化されて盲信を
強めることも考えられる。また麻原が真実を明らかにしていない以上、単純に死刑にすることは
被害者にとってもベストとは思えません。こんなことは私が言うまでもありませんね。
それから「グル」という高尚な言葉、とおっしゃいますが、自称グルにニセモノや詐欺師がたくさん
いることは、この世界では常識です。道に入る者は無数。迷う者は多く、悟る者は一握り。
オウム信者もとんでもないグルに導かれて、ともに地獄に落ちて逝くのでしょうから、それに哀れみ
を感じますが、それもまた彼らのカルマです。冷たいようだが、私にはどうしようもない。
117 :
怒れる者:2000/07/19(水) 20:05
>104さん
>真理に触れると狂うと思われる部分について、少し説明いただけませんか?
>「真理」とはなんですか?
有名な数理学者、アラン・チューリングは、チューリングテストについての論考を重ねている内に、自殺
しました。一説には、真理の一端を知ってしまったための自殺とも言われています。
このエピソードを知った後、真理とは意外と残酷なもので、よほど達観しない限り、触れるべきものでは
ないと思うようになりました。
じゃあ、真理とは何かといえば、私ごときが知る由もありません。しかし、チューリングの例からいけば、
狂うか死ぬかしてでも、忘れたいものなのだろうと思います。
118 :
104>怒れる者さん:2000/07/19(水) 21:49
119 :
焼香さん:2000/07/24(月) 08:15
焼香さん、ご返答ありがとうございました。
とても詳細に、ご経験を書いていただき、大変に参考になりました。
私は、先に書きました通り、社会心理学的な側面から諸宗教の研究を
行っていますが、焼香さんと同様に学者のような専門の知識がある訳で
はありません。言わば、自分の仕事とは別にライフ・ワークとして研究
を行っている訳です。従って、人様が読んで面白い経歴など何も無いの
で自分自身に関する記述は割愛させていただきます。
ところで、佐保田氏のヨーガスートラの本を私も読んでみたいと思い
ました。是非、題名や出版社名をお教え下さい。当方は、インド的な精
神世界の本といったら、ラジニーシ(和尚)のものを数冊読んだ事があ
る位です。
それにしても、麻原に関するお考えを拝見しますと、修行がもたらす
「悟り」とは何か?とつくづく思いますね。当方は、研究対象とは言え、
個人的には宗教的な事とは一切無縁に生きてきた凡人です。オウム信者
が妄想から目を覚ます事により、本人達が真人間に戻り、また周囲の人
々達の不安も解消されるように思えるのです。
高尚な皆様の議論に比すると、やや焦点が定まらない文章になってし
まいました。上記出版物の件、よろしくお教え下さい。
120 :
113>焼香さん&119さんへ:2000/07/24(月) 23:39
私は、罪深い一介のキリスト信者なのですが、その立場からお二人に注意を促しておきますね。
ヨーガの「クンダリニー」は蛇の火という意味で悪魔の火のようなんです。
最近私が手にしたフリーメーソンの秘密結社「イルミナティー」に所属し、最高幹部にまで
のぼりつめたクロチルド・ベルソンという人が1886年に記した、告白の日記部分の翻訳
「悪魔に愛された女」成甲書房シスター・マリ・エミリ(修道女名)著/林陽訳ISBN4880861014
の訳者解説には次のような文章がありました。あまりに熱を入れすぎていて「と」解説にも
感じられますが、まず読んでみて損はない本だと思います。
“ ここで言う「ルシファーの燃え盛るエネルギー」とは、ヨガで言うところの
クンダリニー(蛇の火)である。東洋でも西洋でも、密教が教えるところは、
この蛇の火を内に目覚めさせて霊的な光明をえるというものだ。それは、
オウム真理教の信者たちが目指していたものである。[p241より]。”
“ 本書の主人公のクロチルドが、「聖霊」を称するルシファーから啓示
された話は、今の精神世界の教えとなんら変わることはない。七つのチャクラや
生まれ変わりの思想さえ、そこには登場する。[p242より]”
焼香さんの仰る書籍は多分平河出版社の「解説ヨーガ・スートラ」佐保田鶴次著
ISBN4892030317ではないかと思います。しかし、純粋に研究書として取り扱いになり、
ご自身で実行して覚醒しようと思われないようご注意下さい。私は、このような覚醒と
称する手段が人類と個人の双方にとって正しい選択肢であるとは全く思えません。
この辺りの私の配慮、心配をお二人とこのレスをお読みになった方が、
お汲み取り下さるようお願いします。
121 :
名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 00:03
悪魔はいるよ。
カルト宗教の教祖のおっさんおばはん連中はみんなこの世の
悪魔じゃん。
122 :
120:2000/07/25(火) 01:54
参考に「悪魔に愛された女」の本文から、メイソンの秘伝者が獣あるいは
「聖霊(Holy Spirit)※」と名付ける霊との交信について語っている箇所
をいくつか抜き書きする。
※ロッジの最高の秘密は1879年当時は、「聖霊」という言葉にあった
ことを著者は告白している[p101]。その内容は「カトリックで言われている
“ホリーゴースト”を、悪魔を表す“ホリースピリット”にすりかえる計画
がある。実際には、七頭龍がメーソンの“聖霊”なのだ」と本文にあり、その
すぐ隣の訳者注には次のコメントが記されている。
(訳注:カトリックの伝統的聖書、ドウェー聖書ではHoly Ghostは神の第三
ペルソナ「聖霊」を表す語であった。その後の聖書でこれがHoly Spiritに
変えられた。日本語に訳してしまえばいずれも「聖霊」になってしまうのだが、
この2つの語に込められた内意には大きな違いがあるようだ)
“ この途方もない地獄霊との交信によって、私の知識はいっそう拡大した。獣は
私をはるかに凌駕し、それまで考えもしなかった多くのことがらを教えてくれた。
霊はあらゆる宗教の誤謬をみな、私に告げてみせた。魂が死後、肉体から分離し、
さらに生き続けて新しい肉体を提供されるという話も教えられた。いわゆる
「生まれ変わり」の教えである。特に、他人に憑依する人魔の話を教えられた。[p137より]”
“ 「倫理」についてのフリーメイソンの教えについては、瞬く間にそのすべてを
学び取った。彼らは動物本能をすべて満たしながら、それがいかに邪悪であろうと、
望めばどんな霊的、神秘的体験も持てるという、とんでもない「倫理」を
教えていたのだ。だがそれが今や、自分には正しいことのように思え始めた。
私は自分が被造物への愛着をすべて捨て去ったあとで、この霊に完璧に支配されること
を学んだ。・・・・・[p137-8より]”
つまり、悪魔の教えは、ある種の仏教のそれに似ている。悪魔の諭しは
警戒しなければならない。
霊とその教えは密接密接な関わりがあり、私は仏教も人間中心主義も
これまで自己を知るという方法や効果の上で参考にしてはいたが、同時に
真実は異なると思い、警戒していた。この書籍はそうした私の漠然とした
疑問を裏打ちしてくれる内容であった。すべての宗教が向かう先は同じである
とは言えないということが見えてくる。一度は悪魔に魂を売り渡した人間が
神によって救われたのかどうかはわからない。この書籍の出版やキリスト者への
影響までもがあるいは悪魔の戦略であるかもしれない。その辺りは、
祈りとキリスト者の信頼しあえる交わりによって確信を得るより他
ないものと思う。
無神論や他宗教方には申し訳ない。最後は、キリスト教の立場から
の忠告を交えざるを得なかった。なぜならこれは「霊」の問題であり、
キリスト者の愛の真実性にかかる問題であると思われるからだ。
メーソンも組織内の秘密の厳守や個人の秘密を持たない潔癖さや、
秩序や階級を重んじている。一見秘密主義だが紳士的な外見を
呈しているに違いない。
長文乱文にて失礼するが、この長い文章を読んで下さった皆さんには、
何の宗教に所属しているにせよ、「悪魔」に注意していただきたいと
思うし、悪魔から皆さんが狙われないよう心から願っている。
123 :
ダミーさん:2000/07/25(火) 07:57
キリスト、マリア、釈迦....こいつらは悪魔の一種だ
神の子とは、悪魔にしていえること
それくらいに思えばいいでしょう
キリスト、マリア、釈迦は人であって、
特に、出来の悪い人
124 :
>123:2000/07/25(火) 08:33
あんたは・・・・・あほか???
内容も内容。文章にもきちんと句読点すら入ってないし・・あなたも悪魔の一種なのか?
125 :
>123:2000/07/25(火) 14:32
確かに意味が掴みにくい文章ですね。
最後の「特に、出来の悪い人」と言う一行は、特に分かりません。
123番さん、何を言わんとしたいのかを是非お教え下さい。
あたしゃ123では無いけど、キリスト、マリア、釈迦は
「普通の人より出来の悪い人間」だって言ってんだろ?
出来の悪い人間ねぇ、、、
キリストはかなり頭のいい新興宗教の教祖だと思うけど。
しかしマリアとキリストが同一線上に上げられてるのは
確かに変な文章(プ
127 :
>126:2000/07/25(火) 19:54
なるほど、これらの登場人物が出来の悪いと言いたい訳ですか。
でも、126さんの言う通り、彼らは少なくとも馬鹿ではないと思います。
もっとも、本当に実在した人々なのかは、疑問無しとしませんが。
128 :
ダミーさん:2000/07/25(火) 21:39
悪魔がいるか、いないかを知らない
いるとするならば、釈迦やキリストのようなものかな
しかし ひとであったとなっている
できの悪い人であったのだろう
私は思う 釈迦は馬鹿であり、キリストはアホだと
悪魔といってもよいだろう
129 :
名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 01:32
ダミーさん、釈迦やキリストのどんな言動、行動が馬鹿らしくまたはアホらしく
感じる点ですか?
普通「悪魔」は賢いものというイメージです。ダミーさんの「悪魔」観はそれとは
全く逆なのですか?
130 :
名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 07:08
ほっとけ。構うな。
131 :
>128@`129:2000/07/26(水) 12:54
確かに、「馬鹿であり、アホであり、悪魔でもある」とする具体的な根拠を
お聞きしたいですね。
ところで、ダミーさんの文章、とても読みにくいし、前後から判断しないと
意味さえ掴みにくいけれども、何となく面白い。
一般に「電波系」と呼ばれる文章と合い通じるものを感じる。
132 :
電波翻訳者:2000/07/26(水) 14:34
>悪魔がいるか、いないかを知らない
>いるとするならば、釈迦やキリストのようなものかな
→悪魔がいるかいないか分からないと言っている人は、
釈迦やキリストの様に出来が悪いな。
>しかし ひとであったとなっている
>できの悪い人であったのだろう
→釈迦やキリストは人であったとなっているので、
それならば"出来の悪い"人であったのだろう。
>私は思う 釈迦は馬鹿であり、キリストはアホだと
>悪魔といってもよいだろう
→私は、釈迦は馬鹿でキリストはアホだと思っている。
むしろ、彼らこそ悪魔と言っても良いだろう。
…とこんな訳でいいのか?!分かりにくー
133 :
名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 15:20
レスは読んでません
悪魔を知りたい?人です。神も人。
134 :
<133:2000/07/26(水) 19:52
この頃、訳のわからん書き込みが増えているようだ。
まさかとは思うけど、わざと混乱するように書き込んで、ほくそ笑みながら
読者が判読に苦しんでいるのを想像している訳ではないわよね?
135 :
メーソン(イルミナティー)の悪魔観:2000/07/27(木) 00:41
「悪魔に愛された女」(ISBN4880861014)の記事は悪魔を次のように表していたとあります。
“三角形は聖なるデルタを表している。これはメーソンの三位一体を表し、ヒドラ(龍)である
ルシファー、獣であるベルゼブブ、そして偽預言者あるいは偽キリスト(アンチキリスト)を
意味している。[p72より]”
三位一体の悪魔の啓示についての体験的記述もあります。
“パリ・ロッジの紀要にも例を見ない、並外れたセッションが持てることを願い、龍への呪文を
開始した。三時間の後、希に見る「霊」からの啓示を経験した。代理石像の七つの頭が蘇り、目から
火が放たれた。残る胴体の部分は不動のままだ。それから獣は、聖三位一体に似た統一体を保つ、
3つの部分に分かれ出た。第一の分身は、すべての人間に対する反逆の力を解き放ちながら、
わたしの精神に完全に取り憑いた。第二の分身は、わたしの魂の感情の力に憑依し、あらゆる種類の
悪しき権力欲を生み出した。そして第三の分身がわたしの身体を奪い、情欲を与え、抵抗できないほど
わたしを弱めた。[p195より]”
136 :
このスレッドでのわたしの発言:2000/07/27(木) 01:08
137 :
名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 01:49
138 :
オカルトチックだが結構本気!:2000/07/28(金) 01:38
世間の関心は「物から心へ」だと言われて来た。
今後は「心から魂へ」が世間の関心となるかもしれない。
その時に、我々は人としての感覚を取り戻さなければならないし、
それが出来なければきっと、人類の終わりの時を迎えるだろう。
イエズスキリストがわたしの主です。と宣言できないようにする
霊との交わり。イエズスキリストが肉として現れたことを認めないもの。
天の父なる神と子なる主イエズスキリスト、聖霊の御名に入れる洗礼
がなされない教会。按手を伴う派遣や祝福が継承されていないキリスト教。
そうしたものには近寄らないことから我々は「悪魔」をさける一歩を踏み出す
べきだ。
結構、言いたいことを言ってしまい、ある種のプロテスタントの方々を
敵に回してしまったかもしれないが、これが今の私の偽らざる気持ちであるので
ご理解いただきたい。
139 :
>138:2000/07/28(金) 20:10
「ある種のプロテスタント」とは何派の事?
140 :
名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 20:19
伝統的プロテスタント各教派のことじゃないと思いますが・・・
そもそもそれらはプロテスタントとは呼ばないのでは?
いわゆる三大異端とカルト系のことじゃないですか。
141 :
自動カキコ:2000/07/29(土) 14:43
も気は組み手毛2か満九
須磨君国出羽ウニ角間
痴話医4鉈以下真美と
地位ワラ熊か真美と
セ氏のも食い若に虎込み
麻痺は未斗升神来手世に
らはキノコ見て諏訪苦に
も氷見子溶けて椅子書くな
142 :
139:2000/07/29(土) 14:49
>140
すみません。意味がよく分かりません。
138さんの指摘に伝統的プロテスタント各教派が当てはまっているのですか。
そうだとしたら、由々しき事です。
また、「それらはプロテスタントとは呼ばない」との根拠も明示して下さい。
「三大異端とカルト系」とは、モルモン教、エホバの証人、統一教会、そして
オウム真理教、創価学会、幸福の科学などを指すのは分かります。
143 :
anything king:2000/07/30(日) 00:09
質問 悪魔の定義ってなんだい?
人に害を及ぼす者かい?
144 :
悪魔の自動カキコ:2000/07/30(日) 00:15
後無い履く子非
利に加奈子イラク
素ら仁摩懲らす
礼らに子地位
世羅間古瀬間
鋸身世故
過去瀬間子
道椅子子
は身故知来子
身持ち介良故知真今
145 :
>143:2000/07/30(日) 21:53
宗教によって定義は違うのでしょうが、一般には、おっしゃる通り、この世に
降りてきて、様々な悪さをする者ではないでしょうか。
全能な神が造り、完璧なはずのこの世界が、戦争、病気などの諸矛盾に
覆われている事に対する、非常に都合がよい理由付けだと思いますね。
146 :
悪魔の自動カキコ:2000/07/30(日) 21:59
嶋木苦ミイラ看
徒のもは御子ら手酢か利のは尊すら御子
撮れすら加倉トス込みは子
紐三毛トス背から間
も水戸消す背から子の
とせ伊良子との混みと
利の子も地と行く
147 :
>135:2000/08/07(月) 06:55
メーソン(イルミナティー)に入会したいのですが、方法を教えて下さい。
148 :
名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 07:37
>1
「神」こそが「悪魔」だから(^^;。実際、聖書など
でも、聖書の神って信者に命じて街を襲わせ住民を
皆殺しにして財産を略奪させたり、自分への服従を
試すため信者の子供を生贄にするよう要求したりと、
「悪魔」そのものですしねえ。
まあ、自らを「絶対神」と思っている神を崇める
宗教では「他の神」が「悪魔」とされるんでしょう
ね。そして、その「悪魔」と決め付けた宗教を滅ぼ
すために他宗教の信者に悪魔的な憎しみを向ける、と。
149 :
>148:2000/08/07(月) 08:08
全て同感です。
150 :
>148:2000/08/08(火) 20:15
同感。悪魔、邪神、堕天使という言い方もあるし
151 :
ダミー:2000/08/08(火) 20:30
宗教とは悪魔が宿るところかな
キリスト、あいつはこどものころから悪魔をじでいく男だし
仏は悪魔の顔だし
しかし、悪魔は賢いというひともいる
となると 悪魔がおこる 「俺は奴らほど悪くはない」と
私にはややこしすぎる 悪魔は「悪いの代表」とおもっていた
悪魔についてはしらないのだ
キリスト、仏を見れば悪魔と思え
これでいいと思うけどネ
152 :
ダミー:2000/08/08(火) 20:56
148 賛成
153 :
138:2000/08/08(火) 22:20
悪魔が問題なのは神よりも「天使」の性質が神よりか非神よりなのかが重要なんだよ。
天使の素性の問題。神は「神」であり、問題にしなくてもいい。
>139.140.142
厳密に何派とは言えない。プロテスタントの派の数は何百というもの。
私が列挙した項目を参考にしてそれぞれの単立教会ごとにあてはめて判断して欲しい。
なんたって文化庁の公表でも登録されている単立キリスト教系団体は1000を越えている。
とても一つ一つのプロテスタント諸派を挙げて説明は出来ない。
http://www.bunka.go.jp/9/1/IX-1.html >147
あなたの言うことが全く本気であるとはこちらは受け取っていないが、
少しだけ意見を述べるとすれば、まず「悪魔に愛された女」をお読みになることを
お勧めする。イルミナティーで権力を得るには例えば「テスト57」というものが
あるそうだ。
「これは、ロッジのメンバーは、他のメンバーが見ている前で、妊婦がこっそりと
産んだ赤ん坊を、溺死させなければならないというものだ。もう一つのテストが、
縫い合わせ人形に閉じこめた、生きた人間を刺し殺す儀式である。(p201)」
やめといた方がよい。
当面は「天使」は切り捨てて「神」により頼もう。これが私の今の心境である。
もし天使がそばにいるならば自分を助けてくれるし、神を信じないならば、堕天使が
言い寄ってくる。そうに違いない。
154 :
138一応訂正:2000/08/08(火) 22:48
なんだか、私の日本語が分からないので、最小限の訂正を・・
l1 悪魔が問題なのは・・・→悪魔の問題は、・・・
155 :
創価原理主義者:2000/08/08(火) 23:06
悪魔なんて居ないよ。電話して聞いたもん。
悪魔止めたって。儲からないって言うんだ。
悪魔家業は今駄目だって。
それで、善人になってるって。
156 :
名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 00:26
悪魔って神様の自作自演なの? と疑問に思うさくらちゃん。
悪魔は今、朝日ニュースターで毎週金曜日夜8時に、
ニュースキャスターをやっています。
(いや、おちょくってる訳ではなくて・・息抜きだと思って、皆さん^^;)
158 :
ダミー:2000/08/09(水) 04:52
145 賛成
159 :
>156:2000/08/09(水) 06:01
さくらちゃんへ
やっぱ、人間なんて神様のおもちゃにすぎないのかな...
永遠に生き続けるわけだから、よっぽど暇なんだろうね。
160 :
わからないな・・悪魔:2000/08/17(木) 23:30
神様を信じていない人にも悪魔はいるの?
神様を知らない人には神様も悪魔も関係ないのかな?
神様を信じるって事は、神様を愛している事だよね?それなのに神様は悪魔に私を
渡してしまうことがあるの?
161 :
名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 00:00
こんなお話を聞いたことがあります。
神様にとっての大目標である理想郷を造るにあたって二つ重要なことは
物質文化を成長させることと精神文化を成長させることでした。
人間が現実世界で生きていくためにはまずものが必要ですから神様は
物質文化を成長させることを優先させました。物質文化を早く成長させ
る為には競争が必要でした。そこで神様は悪魔の存在を認め,悪魔は
やがて人間に競争をけしかけるようになりました。悪魔は競争の他にも
人間にいろいろ悪いことをするようにけしかけたので神様はこれはいか
んということで宗教を通じて悪いことをいないようにと人間の心に
訴えました。つまり人間は心の中に天秤を持っていて常に悪魔のほうか
神様のほうに傾きつづけているのだそうです。
この話によると悪魔の存在理由は競争を熾烈にさせることで人間を
物質的に豊かにすることで,神様はその為に悪魔の存在を認めていると
いうことになります。
162 :
天使→堕天使について教えて下さい。:2000/08/18(金) 00:14
キリスト教では、悪魔は堕天使であり、元は天使だったと言い伝えられている
とおもいます。
そこで疑問があるんですが、永遠の観点から見て、ひとたび神に背いて堕天使
になるのであれば、今現在天使であるもの達もいつかは堕天使にならざるを得
ないのではないですか?本当に永遠にガブリエルやミカエルやラフアエルは大
天使でいるのでしょうか?それはなぜなのですか?
163 :
名無しさん@1周年 :2000/08/31(木) 22:18
悪魔が問題なのは神よりも「天使」の性質が神よりか非神よりなのかが重要なんだよ。
天使の素性の問題。神は「神」であり、問題にしなくてもいい。
>139.140.142
厳密に何派とは言えない。プロテスタントの派の数は何百というもの。
私が列挙した項目を参考にしてそれぞれの単立教会ごとにあてはめて判断して欲しい。
なんたって文化庁の公表でも登録されている単立キリスト教系団体は1000を越えている。
とても一つ一つのプロテスタント諸派を挙げて説明は出来ない。
http://www.bunka.go.jp/9/1/IX-1.html >147
あなたの言うことが全く本気であるとはこちらは受け取っていないが、
少しだけ意見を述べるとすれば、まず「悪魔に愛された女」をお読みになることを
お勧めする。イルミナティーで権力を得るには例えば「テスト57」というものが
あるそうだ。
「これは、ロッジのメンバーは、他のメンバーが見ている前で、妊婦がこっそりと
産んだ赤ん坊を、溺死させなければならないというものだ。もう一つのテストが、
縫い合わせ人形に閉じこめた、生きた人間を刺し殺す儀式である。(p201)」
やめといた方がよい。
当面は「天使」は切り捨てて「神」により頼もう。これが私の今の心境である。
もし天使がそばにいるならば自分を助けてくれるし、神を信じないならば、堕天使が
言い寄ってくる。そうに違いない
164 :
名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 14:16
age
165 :
ほいほい :2000/09/01(金) 19:06
難しい事わかんないけど、世の物事全てに表と裏があり、
半分が善であり半分が悪であると。
つまり悪魔が居なければ、神も存在しない・・・のかな?
166 :
善は「神」おひとりなんだな :2000/09/01(金) 23:21
神の存在は普遍的なんだな。
天使の存在に神に従うものと自由意志で反抗して神に成り代わろうとした
ものとが居るんだな。
167 :
名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 23:56
悪魔って、この世界を目覚めさせた革命家なのかな。
神とその神の言いなりにしかならない天使ばかりの世界
なんて、何の可能性もない死んだ世界だからね....。
そんな世界は、まさに地獄そのもの。
もし、悪魔が神以外の可能性を作り出したのなら、
悪魔こそがこの世界の「創造者」なのかもしれない。
神ではなく自らの意志に目覚めた偉大な悪魔に感謝!
168 :
>167 :2000/09/01(金) 23:59
悪魔の言いなりのあんたは、死んだ世界にひと、もしかして?
せいぜい悪魔に感謝して地獄にでも落ちなさい。(ぷぷ
169 :
名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 00:08
神にとって都合の悪い存在は悪魔なんだよ。
この板で宗教を批判している人は信者にとって全て悪魔なんだ。
170 :
名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 00:39
ああ、その論法は既成の宗教団体の本音かもね。
内部でも、悪魔扱いすることがあるし・・・
冥土のみやげに教えてやるって奴かも。
171 :
170 :2000/09/02(土) 00:40
神を個人とか信者とかに置き換えて読んでね。
172 :
名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 02:06
神にしろ悪魔にしろ、誰かの言いなりになってたんじゃ
だめだな。人間は、神のものでもなければ悪魔のものでも
ないんだから。
そもそも、神と悪魔の戦いっての自体が神の信者の被害
妄想・責任転嫁でしかない気がする。自分たちの信仰が認め
られないのは、自分たちのせいではなく悪魔のせいなのだ、
という類のね。都合の悪い事があれば、「これは悪魔のせい
なのだ」と思い込んで現実から目をそむける。神に反抗する
悪魔という空想は、逃避先として実に都合が良いんでしょう。
悪魔を一番「必要」としているのは神の信者なのかもしれない。
173 :
イザベル :2000/09/02(土) 05:13
172>そうだったら幻滅ね。
あたしは、悪霊は見えるけど、悪魔は見えないわ。
悪霊は人を引きずり込むけど、それは寂しいから、
天国へあがりたいからなのよ。
でも、それってダメだから余計に状況が悪くなる。
宗教も悪魔の事ばかり語るようになれば終わりね。
174 :
名無しさん :2000/09/03(日) 13:05
悪霊が見えちゃうってのもスゴイですね。
175 :
名無しさん@1周年 :2000/09/09(土) 22:58
悪魔など宗教屋だけにある概念です。
アメリカには悪魔を崇拝する悪魔教会なるものがあるようですが、
実在としての悪魔を信じている人は少ないそうです。
177 :
ジェスター :2000/09/10(日) 17:59
悪魔って、やっぱり仮想の敵なんでしょうね。
天理教には悪魔っていないですよ。
神様と人間だけ。
178 :
名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 04:38
だから、天使は永遠に天使なんですか?
それとも、いつか悪魔になる可能性があるんですか?
永遠と「神ではない」天使との関係がわかりません。
どなたか教えてください。
179 :
名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 05:03
「なにもかもサタンに責めを負わせるのはやめるべきだ。
そして人間の内になぜ悪魔が棲んでいるのか、その理由を知る努力をするべきです。
そしてサタンと対峙し睨みあったとき、けっして目をつぶって教会に逃げ込んではいけない! いけないのです!
悪魔を地獄まで追いかけていき、相手の縄張りで闘う根性を持たねばなりません!」
まえに読んだ小説(たぶん)からの引用。
原典覚えてないので、あってるのかはよくわからんけど。
宗教関係者どもに聞かせてやりたいよ、このセリフ。
180 :
イザベル :2000/10/08(日) 20:22
そうそう、悪は人から出るものと言うわ。
魔術によって、悪のものに変えてしまうことができるの。
変えられたものの事をサタンと呼ばれていると思うのよね。
181 :
名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 23:59
祝福は「あなたに平和がありますように」と言えば、
ふさわしい者には平和が留まり、相手がふさわしくなければ自分に
帰ってくると言われる(マタイ10章12−13章)。
魔術や呪いの場合には、同じようなことは言えないのかな?
その辺がわかる方、教えてください。
すみません、流れにまったく関係ないですが、
「エクソシスト」のディレクターズカットがでるようです。
向こうじゃ、悪霊付きの裁判があって、霊能力で物とかが飛んでくるので、
マフィアの裁判よろしく防弾ガラスで囲まれた法廷の様子が報道されたのを見たことがあります。
なんか正式な悪魔祓いの神父もいるとか、詳しい人、教えてください。
183 :
名無しさん@1周年 :2000/10/09(月) 02:04
日本にも正式に認可を受けているエクソシストが一人だけおられるとか・・
悪霊を追い出しても、また誰かに取り憑くのが宿命ならば、却って取り憑かれた
人を公的に監視してもらうだけの方が安心な気がするのは俺だけかな?
悪魔払いのエクソシストが実際に書き下ろした本があったような気がするけど、
なんて本だったっけ・・・??
ディオニソスとアポロンとか、
ジキルとハイドとか、
二項対立による物語の便法とはべつに、
人格に潜む分裂した二面性。
バスジャック少年の事例をもとに、
人間の成長に関して卓抜な意見を劇作家が朝日新聞に書いていたな。
185 :
名無しさん@1周年 :
貴方はどうですか?
実在のカリスマ的指導者が中心にいて、メンバーは無条件に心酔している。
新しいメンバーの獲得に余念がない。
金儲けにのめり込んでいる。
質問したり、疑問を持ったり、反対意見を唱えることは認められず、 罰せられるケースさえある。
瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など、精神を麻痺させるテクニックを用いて 疑いの心を持てないように仕組んでいる。
指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。
エリート主義的な発想に立ち、集団とそのメンバーと指導者は特別な高い地位に あると主張している。
自分たちは善、外部者は悪という「二分法」的な考え方に立ち、一般社会との 軋轢を生み出している。
主流の宗教の聖職者などとは違って、指導者にはいかなる権威に対しても 従う意思がない。
倫理に反すると考えられるようなこと(不正な目的の募金活動など)でも、 目的のためなら正当化されると教える、または、ほのめかす。
メンバーの罪悪感をあおって、支配力を強めている。
メンバーは集団に従属させられ、家族や友人との絆は断たれ、それ以前の 個人的な関心事も忘れてしまう。
メンバーは当然の義務として、集団の活動に法外なまでの時間を費やすことを 求められる。
同じ集団のメンバーとの共同生活や、メンバーのみとの交流が奨励される、 あるいは、義務づけられている。