1 :
しゃばねる:
カトリック・聖公会共通の「主の祈り」ができましたね。
カトリック教会では、4月から、遅くとも復活祭頃から
ミサの中で唱えられるようになりました。
そこで、カトリック・聖公会の両方の信徒にお尋ねします。
1 新しい「主の祈り」、好きですか?
2 その理由は?(こんなとこが好きとか、嫌いとか)
そんな哲学的・神学的じゃなくて、自分のフィーリングでは
こうだ、って感想でおっけーです。
私はカトリック教会の一員なので、聖公会ではどのように
使われているのか、教えて下さればなお幸いであります。
2 :
信者200:2000/04/26(水) 21:39
聖公会では試用中です。今度の五月の総会で多分公式に使用が決定するでしょう。
それは機構上の問題で、運用上は既に使っているところ、使っていないところがある模様です。
3 :
名無しさん:2000/04/26(水) 23:16
カトリックですが、わたしの所属する教会ではいまだに今まで通りのを使ってます。
ほかの教会の信者の話しでは新しいものに替えたのが多いみたいですが。
主観的には、「天におられるわたしたちの父よ」は「天にまします・・・」のほうが
なめらかに唱えられるのですが。後の部分には違和感は感じません。
4 :
信者200 :2000/04/27(木) 09:17
我らの罪を
赦しているから
赦しますから
どっちなんでしょうか?今回は赦します、でしたっけ?
5 :
『主の祈り』:2000/04/27(木) 14:03
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
わたしたちの罪をおゆるしくだい。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
アーメン。
6 :
聖公会の中では、:2000/04/27(木) 23:53
日ごとの食物だったから、飽食の時代では
糧の方が幅広く解釈できていいよ。。
もろフィーリングだけどね。
7 :
信者200(聖公会):
飽食の時代だからこそ、その日のしょくもつ以上は求めません、という祈りの心もいいと思います。
もちろん、それ以上に欲しい、というのが偽らない本音ではありますけど。