霊法会って

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1ポー
御存知ですか?どんな事でもいいので教えてください。
2名無しさん:2000/02/28(月) 22:48
知りませんが名前が・・・オカルトですね。
3グノール:2000/04/04(火) 11:51
はい、知ってます。わたしも先日までほんの半年ですが、会員でしたので。
しかし、この短期間でいろいろと疑問に思い、脱会しました。
身近に10年以上やっている者がおりますので、だいたい中身はわかります。
霊友会から分かれた会で、法華経を経典としてます。入会すると、
法座といういくつにもわかれたグループの一つに入り(導いた人(勧誘した人、会では
大乗へ導く言います)の法座に入ることになる)年齢が若ければ
(詳しくはわからない)、青年部会に同時に所属になります。
まず入会すると、陀羅尼経、青の経巻(法華経の抜粋版)、黒の経巻(法華経の抜粋版の
拡大版)、数珠、「南無妙法蓮華経」と神戸にある「霊法会本部」の字の入った、たすき
を買い(これ自体は全体で2000円くらい)、普段は、各家にいるとされる
守護神を表す紙または木(木の方がよいとされる。神戸の本部でしか木は
もらえない)でできた「総戒名」という家の守護神をあらわす札を申し込んだところで
導師なる修行を積んだ人につけてもらい、それを買い、家に置き、
自分の家とまた、結婚している人はその相手の家の先祖をできるだけ集め
(過去帳に亡くなった人(自分と関係した人なら先祖でなくともよい)の
戒名を付けてもらってその名前を書き込んでいく)毎朝毎晩、供養と称して
法華経から抜粋して先祖に届くように一心に拝んでいく。それが亡くなった
方への成仏と考えている。
教祖が2人もともといて(2人とも亡くなっていまはその三男が継いでいる)
つまり、「夫婦一体の修行」を強調しています。
夫または妻のみが修行していると「それはあなたの修行が足りない」
といわれます。
つきあい方にもよりますが、カルト的ではないですが、ちょっと間違うと
思いこみが激しくなる感じです。わたしの身近な者もたいそう信じすぎて
まわりが見えなくなってくることがしばしばです。
以上長々とすみませんでした。
4グノール:2000/04/06(木) 10:32
続けます。
ちょっと修正があります。霊法会では、戒名ではなく「法名」という言葉を
使うそうです。日が浅かったものですからちゃんと把握してませんでした。

なぜ霊法会という霊という、一般的にはどろどろしたイメージの名前をつけて
いるかといいますと、ここの教義に、
先祖の因縁浄化のためにはどうしたらいいか?
それには「本部修行」を受けて、そこで「発言者(はつごんじゃ)」
といわれる修行を積んだ人に降りてきた「霊」(いたこのようなもの)
の発した言葉をとらえて、その霊の言われたことを実践していくと
因縁を浄化できるという、神秘的な部分を持っているのです。
わたしは受けたことはないですが、いわゆる宗教団体というより
ひとつの組織としてとらえると、ここで下手なことを実践させると
社会的に見ても、またその言われた信者に対しても、大変なことに
なる(生活がままならない等)ので、実際受けた人に聞いてみますと
絶対無理な事は言わないそうです。その降りてきた霊をやはり自分の
過去帳に書き、そしてお経を上げていくのです。
本部修行とは、各人がそれぞれ3人を大乗させないと(つまり3人勧誘
する)できません。しかも神戸の本部でしか受けられません。
その辺が少々問題だと思います。形はどうあれ、普通に考えてみますと
お悩み相談室が形を変えたみたいなものですが、しかし、たとえば、
北海道や九州に住んでおられる方は、かなり信心している方でないと
わざわざ神戸にまで足を運ぶというのは大変であると思います。
つづく。
5グノール:2000/04/06(木) 10:38
また、総戒名は紙よりも木の方がご先祖が喜ぶということでも本部までそのために
足を運ばねばならないのもかなりの労力です。
わたしの身近なものも気が付けば入会していたと言うくらい幼いころ
から入ってましたので、なんのためにご先祖の供養をしているのか、
また、どこをもって、行っていることが「よい」とされるのか、
わたしの質問に答えられません。そこが、怖いところです。
ややもすると、大乗ということで、なにも知らない他人に迷惑を
かけることもなきにしもあらずということです。実際わたしにも
そうでしたし。 このことからも、思いの外、「教学」の少ない
団体であるといえます。
この団体の名前はみなさんご存じではないでしょうが、実際には
日本全国で20万人は信者がいると言うことです。機会があれば、
11月2日ごろから、神戸の本部に置きまして、法礼祭という
霊法会あげてのお祭りが(形は「恩師」という今の代表者に捧げる
奉納祭のようなもの。各法座ごとに踊りを披露したりとにぎやかになる)
行われます。この日ばかりは一般の方も見に行けます。普段は本部のみ
ならず、支部にも会員以外は立入禁止となっています。見に行ってみて
ください。
またまた長々と失礼しました。
6グノール:2000/05/15(月) 15:07
ここら辺であげておきます。
信者の方など、いらっしゃったら投稿願います。
7グノール:2000/05/24(水) 13:32
反応がございませんね。同じ霊友会からわかれた、立正佼正会の方や、法華経を
経典とする教団に属している方、見られていたら、ぜひご意見を。
8知り合いが入ってます:2000/05/24(水) 15:17
神戸近辺ですが、知人が入ってます。
9グノール:2000/05/24(水) 16:00
>8さま
神戸は本部があるところですし、信者の方も多いかもしれませんね。
10名無しさん@1周年:2000/05/29(月) 08:54
関西って宗教多いですね
11グノール:2000/05/29(月) 10:11
関西に限らず、信者数の多い教団は、いたるところに支部などを設けているようです。
天理教、創価学会、金光教などはいたるところで関西では見かけますね。
めずらしいところでは、近所に天率教なるところがありましたが、ふつうのお家に、
ひっそりと看板がかかっているだけなので、どんな教団かはわかりませんが。
あと、キリスト教系の団体もいろいろなところで見かけますね。
12グノール:2000/05/30(火) 13:47
少々霊友会の方と交流をもちましたところ、霊法会は同じ法華経、そして、
青の経巻という法華経の抜粋版を日々のおつとめようの経典としているにもかかわらず、
かなり違う性質の団体であるとわかりました。
あまりにも観念的な部分を多く持ちすぎて、それにとらわれていらっしゃる方が
多いのではないかと、思い始めております。
そのため、会員以外は一切立ち入り禁止であるし、経巻の一部は外の目に触れても
ならないという教えもあるわけではないかと。
13グノール:2000/05/30(火) 13:52
少々霊友会の方と交流をもちましたところ、霊法会は同じ法華経、そして、
青の経巻という法華経の抜粋版を日々のおつとめようの経典としているにもかかわらず、
かなり違う性質の団体であるとわかりました。
あまりにも観念的な部分を多く持ちすぎて、それにとらわれていらっしゃる方が
多いのではないかと、思い始めております。
そのため、会員以外は一切立ち入り禁止であるし、経巻の一部は外の目に触れても
ならないという教えもあるわけではないかと。
14名無しさん@1周年:2000/05/30(火) 17:53
あげ
15グノール:2000/05/31(水) 14:39
霊法会は各所に講堂という修行場を持っております。
基本的には在家の仏教集団なのですが、なぜかお題目を唱える間のぬかずきには
「国家の安泰」「天皇家のご健勝」「霊法会の隆盛発展」「先祖への感謝」「恩師への感謝」を思い
深く地に頭を付けるほどに額ずくよう、マニュアルに書いてあります。よって、
修行場には、現神さまという、現在の代表者の写真と天皇家のうちのある夫婦の(どなたかは
はっきり見ていないためわかりません)写真、本部に参りますと、+恩師(開祖)の写真
が飾られております。そして皆、「恩師は一人」という教えに基づき、大門薬上菩薩と唱えさせる
「恩師」に対し、絶対の信頼をおいております。
先祖の因縁浄化のため、徹底的な「影の修行」をうたっているため、世間にその
修行方法が知られることは、未だありません。わたしも深く入っているわけでは
ないためよくわからず、また、発言者に聞いても、はっきりとは答えていただけません。
観念的な部分をかなり強調しておりますので(霊能者の育成等を目標としております)
危険なのはその観念的な部分のみにとらわれてしまい、現実の問題からは目をそらす
ということがなきにしもあらずということです。
16名無しさん@1周年:2000/06/01(木) 00:28
霊法会って、仏壇じゃなく、あの段々みたいなのに、
いっぱい色々乗せてます?
彼の家がそうなんですけど、、。
たしか霊法会って言ってたような、、。
17立正佼成会のもんです:2000/06/01(木) 01:39
このスレッドの最初のカキコを見ると、
立正佼成会に近いところがあるなと思いましたが、
よくよく読んでいくと、使用するアイテムが同じだけですね。
立正佼成会は、総戒名と守護神は別だけど。また、陀羅尼経は青巻の
裏にあり、別々になってないし。
まぁ、立正佼成会も本尊と教学を確立する(脇祖妙佼が死ぬ)までは、
脇祖妙佼の霊能力を使っていたわけだから、霊法会でいう発言者がいう
事をやらせることと、同じようなことをさせていたんでしょうな。
18グノール:2000/06/01(木) 10:24
書き込みありがとうございます。

>16さま
霊法会では、信者の希望により(わたしは入った初日にそうした方がよいと勧められ
こまりましたが)、法殿とよばれる(それ自体は2万円位したと思いますが)ご先祖を
祀る、その段々みたいなのを、約半畳位の幅をとって、置きます。神仏混合ですので、
飾り方が注連縄があったり、供え物が山と盛られていたり、御神酒、水、玉串にあたる
もの等いろいろです。正月用の飾り付けもマニュアルに載っております。我が家には
法殿は置いてませんが、通常法殿の上に総戒名、信心深い方は現神の写真等置いております。

>立正佼成会のかた
ありがとうございます。比較というのも一つの参考となりますので、いろいろと
お聞きしたいのですが、そうですか。陀羅尼経は青巻の裏にあるのですね。
霊法会では別冊で、黄色となっており、陀羅尼経自体は一回につき3度同じ所を
繰り返し読まねばならないことになっております。
未だ霊法会は発展途上の段階にあるといえます。立正佼成会での脇祖さまが霊能者
というのは知っておりましたが、今はそれから一歩先へいったという感じですね。
質問ですが、
1.立正佼成会では、菩薩行の一環としてお手取りがあると思いますが、それを
こなせばこなすほど、一歩上の修行を受けさせてもらえる、ということがあります
でしょうか。霊法会では本部修行ということになっておりますが。
2.1に関連して、先祖の因縁浄化のために、佼成会独自の方法はございますでしょうか。
以上、よろしかったらお答えください。
19名無しさん@1周年:2000/06/03(土) 00:15
age
20名無しさん@1周年:2000/06/05(月) 14:58
age
21ケロリン:2000/06/06(火) 07:24
以前公衆電話を探していたら霊法会の本部に迷い込んでしまい、刺すような視線を浴びたことがあります。俺何にも悪いことしてないのにさー。こわかったよー。信者の皆さんが、奉仕活動でしょうか無言で掃除なさっていましたし、全員がとある建物の前でお辞儀していたり・・・。「特別な空間」って感じでした。不思議っていうか、気持ち悪いっていうか、恐ろしいっていうか・・・。結局電話もできず早々に引き返してきましたが。籠池通り一帯は全部霊法会のものなんですね。税金とかやっぱ免除されてんだろうなぁ。いいなぁ。
22グノール:2000/06/06(火) 10:52
投稿ありがとうございます。<ケロリンさま
そうですね。神戸のあの通り一帯ははぼ霊法会本部のものになっております。
普段は敷地内には会員以外の立ち入り禁止となっているため、わたしも最初に敷地内に
入ったときは刺すような視線を浴びました。これが、「影の修行」を強調するひとつの
あらわれでもあります。とある建物の前というのは、たぶん修行場であったり、
修行場への入り口で一礼したりということと、また本部には恩師の家があるため、
そこでは信者は必ず立ち止まって一礼してますね。
わたしでも、さすがに本部からはすぐに立ち去りたい雰囲気を感じてしまいます
ものね。外部者を受け入れないといった雰囲気はあると思います。
23ケロリン:2000/06/07(水) 07:18
グノールさま
早速のレスありがとうございました。
もう随分前になりますが、実は僕つきあっていた彼女が霊法会に入信し、修行に専念するために関係をリセットしたいと言いだしたんです。僕としては将来結婚したいと考えていたので全くの青天の霹靂。入信することと僕と別れることがどう関係するのかと聞くと、「あなたと別れることで信仰に忠実である自分でありたい」とか言われました。何だかよくわかりませんでしたが、まぁ、結局ふられたわけですね。「同じ方向を向いている人と結婚するつもりだ」とも。そんなわけわかんねーこというやつなんかこっちからごめんだとは思ったのですが、彼女が宗教に入っていったのは、心のよりどころを求めてだと思うんです。そうすると僕は今まで彼女に依存するばかりで何も与えられなかったのかもしれない。そう考えると居てもたってもいられなくなって神戸の本部までふらふらと行ってしまったというわけです。そこで前述したような「よそ者を寄せ付けない視線」を猛烈に感じました。僕は彼女にあってどうしようとかといったことは全く考えていませんでしたが、本部からの帰り道どうしようもない無力感・脱力感に襲われました。
僕には教義はわかりません。好きだった彼女が入信したのですからきっとすばらしい宗教なんでしょう。僕はいまも自分の心を整理できずにいます。
24グノール:2000/06/07(水) 10:52
>ケロリンさま
貴方のお気持ちは痛いほどよくわかります。わたくしも、身内が貴方と同じ様な態度を
とっていますので、ある程度、共通点があります。人間関係をぎくしゃくさせるほど、本部での
修行なり、普段の修行をしたいということは多々あります。それは本来の霊法会の姿では
ないと、法座主さんなどはいいますが、それもすべて霊法会の姿の一部であると思います。
ですから、同じ信仰を持った人と人生を分かち合いたいといった発言は、わたくしの身内のものも
言っておりました。本来は個人個人信仰は自由なわけですから、たとえ結婚となって相手が
自分とは違う信仰をしていても、また、別にどこかの宗教団体に入信していなくても、それは
自由なはずです。
霊法会を例に取りますと、ここも在家の仏教団体でありますから、出家をせずに家で先祖供養など
を修行の「方法」として日々行うよう教えられるわけですが(わたしは教えられませんでしたが)
「夫婦一体の修行」(教団内では「妙法(夫婦のこと)一致の原則」といいます)を大原則と
しているため、結婚は同じ信仰をもってなくてはだめ。と、思ってしまうわけです。これは実は大間違いで、
夫婦手を取り合って人生を分かち合っていくという教えが曲解されているわけですね。
わたしは、貴方と似たような経験をしまして、様々な角度から霊法会をとらえ、そして、頭でだけでなく、
心でも理解してきたつもりです。しかし、いわゆる「思いこみ」をやわらげていくことは、結構大変です。
貴方のように一方的にふられるというのは、かなりまずい傾向では、と思うと同時に、わたくしだけではない
のだと、より一層の注意をもって、日々のぞんでいこうと思います。
わたくしも貴方同様、いまも身内のものが正しく信仰していないために、日々、無力感・脱力感を感じて
おります。本来は霊法会にかかわっていても、正しく信仰していれば(曲解せずに)、だれとでもつきあえ
ますし、自分の趣味やしたいことや、また恋人と楽しく過ごすことは、なんら問題なくできるはずです。
それを、信者さんによっては、こうしなくてはだめ、などど言う人も多く、ただ、言われた人も自分の精神が
しっかりしていれば、いや、それはおかしいとはっきりわかるのですが、たいてい入会する方はなにか心に
(または体に)病を持った方が多く(現代の傾向でしょうか)、言われるままに無理な修行をなさる方が多い
のです。また、その姿を見ているそのほかの方々も、「あの人は一生懸命だ」というだけで、その方個人には
それがいいのかと真剣に考えてあげていない光景もみたことがあります。わたくしはそれらのことをすこしずつ
関係者に伝えてはいますが、なかなか反映はされません。
25オヌ:2000/06/07(水) 17:08
始めて投稿します。
ついこの前まで、霊法会という宗教団体の名称すら知りませんでした。また、
どのような活動をしているのか私には全くの無縁のことでした。ところが
先日、私の彼女が貯金を実家に送金していると聞いて、最初は仕送り程度かと
思っていましたが、詳しく聞くとかなりの金額でした。なんでもお父さんが
霊法会と言う宗教団体に入っていてそのお金を親戚から借りてくめんしたそうで
彼女が替って返済していると言うことです。
実際にその団体の会費か、お布施のようなものに使ったのか判りませんが、
おそらく間違いないないそうです。もしお分かりの方がいらっしゃれば霊法会
がそのような会費やなにか購入させられる事があるのでしょうか。また、彼女が
心配しているのは、費用の支出は今後も続けなければいけないのでしょうか。
今までに約500万円位かかっているそうです。お父さんの状況などは詳しく
わかりませんが、ご存知の方がいらっしゃいましたらお願い致します。
26名無しさん@1周年:2000/06/07(水) 18:07
始めまして。
霊法会のことは存じませんが、おそらく霊友会から分派した教団だと思います。
霊友会は先祖供養とか他人を導いていくことで功徳を積めると教えている宗教です。
理屈よりも実行を重んじるという感じでしょうか。
おそらく分派した教団も佼成会など一部を除けば、同じようなものだと思います。
秘密主義的な雰囲気も多少あるようです。
霊的な力を有する古いベテラン会員の人が九字を切ったり、霊を降ろすまがいの
こともやってると聞きました。
何でも霊友会の小谷さんという昔の偉い人が霊能力者だったそうで、他の分派
した教団もそれを真似たのでしょう。
でも霊法会が500万円払わなければならないのと違って、霊友会はほとんどお
金はかからないようですよ。聞いた話ですが。
すみません。 何の答えにもなっていないかもしれません・・・。
27グノール:2000/06/09(金) 16:24
>オヌさま
はじめまして。わたくしの過去の投稿文を読んでいただければ、霊法会のだいたいの
中身はわかるとおもいます。
基本的な霊法会の姿勢は、恩師(開いた方)の言葉を言えば「お金をとらない」
「人に迷惑をかけない」ということなのですが、すでに恩師はなくなられて、
2代目の方に(三男)替わっておりますし、各法座ごとにその長である法座主さんの
姿勢でその元に集うひとたちの信仰姿勢も替わってしまう危険性があります。
もしかすると、法座によっては、お布施を強要するところがあるかもしれません。
すくなくとも私の身内が所属している法座にはそういったことはありませんし、
500万ものお金がかかるものは、わたしの聞く限りありません。最もお金が
かかるのは希望者のみですが、仏壇のような「御法殿」で2万円くらいです。
一歩上の修行をなさる方々が着用する修行衣も8千円くらいです。
その500万という額は霊法会の建物をどこかで新しく建てようとするときに
個人的に布施をしているのかもしれませんが、少なくとも本部なりが一個人に
布施を強要することはないはずです。
できれば、相手のお父様の状況を彼女つてでもよいので聞いてみては。
わたくしもできる限りお手伝いできるかもしれません。幸い本部に近いところに
住居を構えておりますし、法座主さんも知ってますので、問題がありましたら、
詳細にお知らせすることができます。
28オヌ:2000/06/09(金) 20:50
名無しさん@1周年、グノールさん
さっそくの貴重なご意見ありがとうございます。
霊法会が基本的に間違いのなさそうな団体のようで少しホットしました。
私は宗教団体と聞いてすごく心配しておりましたが、新聞をにぎわしているような
団体ではないようですね。しかし、私の彼女が仕送りを続けているのは事実ですので
今度、詳しく状況を確認しています。あまり推測や思い込みでご迷惑をおかけしないよ
うに、なるべく具体的に聞いてみようと思います。
また何かわかりましたらメールさせて頂きます。そのときは是非ご助言お願い致します。
また、私の彼女がいちばん不安がってますので、このサイトのことを伝えておきます。
29グノール:2000/06/11(日) 21:15
>オヌさま
うまく伝わったかわかりませんが、わたしの知っている情報はだいたいこんなところです。
霊法会は基本は、といいますか、はじめた方の教えはなるほどというかんじなのですが、
ひとつひとつの教義の意味となりますと、いまや形骸化しているところがありますし、
やはりそれぞれの時代に合わせた教えなり、方法でやっていくべきところもございますので、
場合によっては、なんでこういう修行をするのか?とわたしも疑問に思う所が
多々あります。いまや、身内の者のみが朝夕のおつとめ(法華経の抜粋版を読経する)
をしておりますが、結局の所、個人個人の気持ちの持ちようで自分自身もしっかりとし、また
他人にも公平な立場で接する事ができる訳です。ですから、現代のとくに霊法会の例を
とりますと、気持ちのしっかりしていない方、なにか病を持っておられる方、そういった
方が圧倒的に多く、釈尊の教えをしっかりと学んで体感したいという方はあまりおられない
ようです。結果的にそうなるように修行して行くのですが、なかにはなにもわからないまま
目の前の利益のみを追いかける方もいらっしゃいます。(より多くの信者を集める等。例えば
そうすれば、何度も一歩上の本部修行を受けられますのでより徳があると「がむしゃら」に
なる。これは間違っているのですが。)
長々と失礼しました。
30グノール:2000/06/12(月) 10:40
あげておきます。
霊友会の方や、また、霊友会系といわれている教団の方々も、見ていらっしゃったら
ぜひご意見を伺いたいと思います。
31グノール:2000/06/13(火) 16:08
age
32レッド:2000/06/13(火) 22:28
私は現在霊法会の会員です。
まだまだ、奥深いところはわかりませんが、
本部修行も受けたことがあります。
私はまだ独身で仕事も普通にしてますし、
趣味やいろんな人との交流もしてます。
他の宗教のことはあんまりよくわからないけど、
確かにやれば、なにか違うってことはわかりました。
私も先輩の人達には疑問も少しあるところもあるけど
自分なりにがんばっていけばいいかなあと思っます。
霊法会ってあんまり知られていないので、このレスが
あって、ちょっとうれしかったです。
33グノール:2000/06/14(水) 00:07
>レッドさま
はじめまして。投稿ありがとうございます。
はじめての霊法会の会員の方の書き込みがありうれしくおもいます。
本部修行を受けたことがあるそうですが、どんな感じでしたか?
もしよろしかったら、どういった行法でなされたのか、発言者から
発せられた言葉はどんな風に聞こえましたか等教えてください。
また、本部修行となりますと、3人を大乗させなくてはなりませんが、
どういった判断で大乗させたとしましたか。
いろいろと質問で申し訳ありませんが、よろしかったらお答えくださいませ。
知られていないため、逆に不安に思う方が多い様です。よろしくお願いいたします。
34レッド:2000/06/14(水) 21:43
グノールさんレスありがとうございます。
本部修行ですが、私も受ける前はどんな事をするのか、ぜんぜんわからなくて
何をするんだろうって不思議でした。
本部修行とは、はたから見たらいたこさんと同じような感じかもしれないです。
私の場合は、発言者の方からご降臨されたのが、恩師でした。
そこで、私の家の因縁を教えてもらいました。
あとは、私にしかわからないことを、恩師がおっしゃってたので、すっごく
びっくりしました。発言者の方は違う法座の法座主さんだったので、ぜんぜん
接点はないので、これはほんとに恩師がおっしゃってるんだと確信しました。
先輩方が本部修行はすごいからってよく言われてるけど、実際自分が体験して
みないと、わからないと思います。
私も実際に体験して、自分ではすっごいと思うんですけど、本部修行をやって
ない人たちには、やってみないとわからないとしか言えないです。
3人の大乗はまずはその時に付き合ってた彼氏が、入ってくれました。
あとは、友達2人です。
彼氏の方はなぜ、入会してくれたのかは、わからないですが、私がこんな
法をやってるんやけど、どう?って言ったらすんなり入会してくれました。
友達2人は、私と同じ家庭での悩みとかがあり、私がこんなことしてるけど
どう?って言ったら、2人ともすんなり入会してくれました。
私も、あんまり強制的に言えないし、それに本人しだいなので、一応こんな
事をしてるという説明しかしませんでした。
でも、大乗をしたのはその3人だけで、それ以後は大乗はしてません。
本部修行は受けたいと思いますが、強制的に大乗をしてもあやしがられるし
自然に入会してくれる人を待ってるんですがね。
こんな、感じです。うまく伝えることが苦手なのでわからないとこだらけ
だと思いますが、ごめんなさいね。
35名無しさん@1周年:2000/06/15(木) 05:28
決してふざけて聞いているわけではありません。
差し支えない程度でお教え願いたいのですが、発言者の霊おろしという
ものは特別の(それが霊法会特有のものかどうかは別にして)修行を積
まなければそうした能力は身につかないものなのでしょうか?
例えば滝に打たれたりとか、断食したりとか・・・。
あるいは普通のお導きの修行を真摯に行って、霊法会の行軌に則った信
心を真面目にされている方なら誰でも備わる能力なのでしょうか?
また本部修行はすごいということですが、具体的にはどうすごいのでし
ょうか?
質問ばかりですみませんが、興味がありますので。
36グノール:2000/06/15(木) 10:46
>レッドさま
レスありがとうございます。私自身、本部修行は受けてはおりませんので
いかほどのものかわからなかったのですが、なるほど、よくわかったつもりです。
わたくしなどがこういうのもおこがましいですが、すくなくとも長期間修行に
携わっているものを身内に持つ者の心から感じていることですが、レッドさまに
とって恩師がでてこられたことは大変有意義であり、またあなたの状態が本部修行の
場に反映されたということでしょうね。できれば、そのお言葉をガイドブックに、単に
観念的なものとしてとらえずに、たとえ説明のつかない事象であっても、現実として
捉える上に発言者のかたが発する恩師なりの言葉があるのだと、体感するようにしてください。
単に恩師なりの言葉を聞きたいからまた大乗させなくては、とは、ずれた修行になりますので、
ぜひともそのことを心に留めておいて下さい。恩師も発言者の方も、それこそ大変な人数の
方々と共に修行をなさってきた方でしょうから、本部へはるばる遠方からきてくださった信者の
因縁浄化のためにがんばってらっしゃるのです。
私の経験上、人を本来大乗させるという行為はとてもではありませんが、一朝一夕ではできません。
限りなき慈悲の念を持って日々臨むことしかありません。
特に妙法(夫婦)になってからは、想像を絶するほどでございます。
修行もそぞろな者の戯言とお許しください。大変失礼いたしました。
さて、できればまた質問がありますのでお答え願いますでしょうか。
本部修行にはいくらかお金がかかりましたか?また、そちらの法座では
青経巻、陀羅尼経は表に出してはならないと教えられましたか。
それから普段は各修行場には会員以外出入りできませんが、これをどう
おもわれますか。また、その件について理由など教わりましたか。
それと、もっと根本的に、身内の方々は総戒名など独自のものを御家に
奉ることをどう思われておりますか。ご理解が得られておりますでしょうか。
すいませんが、よろしくお願いいたします。

>35さま
投稿ありがとうございます。私自身は、実を言いますと、霊法会の「夫婦一体の修行」
の教義にのっとり、形上霊法会の会員になっております。(このスレッドの最初のほうで
やめたとありますが、さまざまな個人的理由により戻っているのです)
が、ほんの半年しか経っていませんのでくわしくわからないのですが、
わかる範囲でお答えいたします。
発言者(はつごんじゃ)といわれるかたがたは、たいそう修行をつまれた
方であることは間違いありませんが、滝に打たれたりとかはないとおもわれます。
断食は、これは人によりけりでしょうが、しているかもしれません。というのも
母体である霊友会を開いた一人である小谷さん(女性)は断食行を恩師である
久保角太郎氏のもとで行い、霊能者としての力を身につけたといわれているからであります。
が、基本はたぶんかなり多くの信者の方々と共に修行をしてきているというのが
最低条件になるのではとおもいます。霊法会でいうところの大乗させる(会へ導く)
という行為もございますでしょう。
また小生のつたない経験から申しますと、必ずしも霊法会だからお導きなりをすると
特殊な能力がつくとは限りません。結局は、たとえ御法をしなくても(霊法会の修行を
する)、普段から人と接する上で、慈悲の念、そしてそれは宗教は関係なしに
相手の気持ちを汲んで自分自身を見つめなおす、という行為をつづけていくことで
充分ご自分の能力は想像もつかない(非現実的にみえる)ところへ達すると思います。
あまりしっかりした言葉ではなく、申し訳ありませんが、そんな感じです。
よくみれば、周りにもそういった方はいらっしゃると思いますよ。

大変長々と失礼いたしました。
37レッド:2000/06/15(木) 22:09
>クノールさん
ありがたい、ご意見ありがとうございました。
確かに、本部修行の時に恩師が出てこられてのはありがたいことだと
先輩方にも言われました。まして、家の因縁も教えていただいたと言う事も
ありがたい事だと、感謝しなければならないことです。
クノールさんの言うとおりに、ずれた修行にならないように
日々がんばります。
本部修行を受けたお金というのは、もう6年前くらいだったので
あまり覚えてないのえすが、数千円ほどしか、お金は使ってない
ように、記憶にあります。
私がこの霊法会に入会してお金を払うというのは、会費の月々
500円くらいです。あとは、伊勢参拝、出雲参拝に行くときの
旅費くらいですね。
>青経巻、陀羅尼経は表に出してはならないと教えられましたか
ぜんぜん、こちらの法座では、そのような事は教えられたことは
ないです。ただ、御経巻は地べたにはおいては、いけないと言わ
れましたけど。
>普段は各修行場には会員以外出入りできませんが、これをどう
 おもわれますか。また、その件について理由など教わりましたか。
この件も、初耳です。私のところの法座では大乗するときに、
まだ、入会されていない人を本部とかに呼んでそこで、実際に
どんな感じかわかってくれるように、出入りはされていますが。
あと、入会されていない方が身延山に一緒に、登っていたこと
もありますよ。まず、どういうことをしてるか、きちんと見て
相手に判断していただくかたちも大乗としてあります。
あと、身内は全員この法に入会しております。
私は、家族が先にやっておりましたので、母のすすめで素直に
入会しました。家族にいろいろありましたので、少しでも
なんとかなってくれるんだったら、とも思ってましたし。
それに、その時私はまだ高校生だったのですが、高校生活も
あんまり、思わしくなかったものでして。
私はまだまだ、あまりわかっていないことばっかりで、修行も
出来ていない者なので、これくらいしか答えられませんでした。
クノールさんも、形上会員ということは、まだ縁は切れていない
ので、いつかまたやる時がくるかもしれないですね。
3835:2000/06/16(金) 06:57
グノールさん、丁寧なご回答をいただきまして有難うございます。

>発言者(はつごんじゃ)といわれるかたがたは、たいそう修行をつまれた
>方であることは間違いありませんが、滝に打たれたりとかはないとおもわれます
ということは発言者の方は特別な秘法のような修行を積まれてそうした能力を
身につけられたわけではなく、霊法会としての先祖供養とかお導きの行を熱心に
やられてそうした裏付けに支えられた一心集中のお祈りか禅定の時に神秘的な
力を発揮されるということでしょうか?
あるいは青巻経の中のお経の力やお祈りする対象(神仏)にそうした神秘を現
ずる力があるのでしょうか?

何故、こうも突っ込んだ質問をするかと言えば、私の妻の実家が霊友会さんから
昔、分派した某教団(あまり有名な教団ではありません)の某地区の準法座主の
ようなことをやっており、義父母からよく熱心に入会を勧められるからです。
そしていろいろな因縁の不思議な話を聞かされて、多少、関心を持っていたとこ
ろ、このスレッドを見て、投稿させてもらったわけです。
私も結婚前から仏教に興味があって、暇な時にはよく仏教関連書を読んできました。
ただ仏教の説いている教えと妻の実家のやっている会の教えとはかなり隔たりが
あるように感じたことも事実です。

しかし長年聞かされたことにより、その会への入会には今だ至っておりませんが
、その会の母体となった霊友会や立正佼成会などにも興味を持って少々、勉強さ
せてもらいました。
もちろん勉強しただけではダメで、実際に入会して修行の実践をしながら学ばな
ければ何もわからないとは思いますが・・・。
そして私が最も深い興味を持ったのはその会でもやっている霊おろしのような、
因縁のアドバイスのような力はどこから出てくるのか、それはこの会や霊友会
から派生した会特有の行法によってのみ身につけられるものなのか、あるいは
法華経の力によるものなのか、あるいはそうしたことは一切、関係がないグノ
ールさんが仰るように慈悲の心を日常生活で実践されている方なら誰でも自然
と獲得できる普遍的なものなのか知りたいということです。
そのあたり差し支えない範囲で結構ですのでご教示いたたければ幸甚です。
39グノール:2000/06/16(金) 12:16
>レッドさま
レスありがとうございます。実際に修行なさっている方からの実体験が最も聞きたかった
ことですので、ありがたくおもっております。
前から少し思っていたのですが、やはりレッドさまの投稿を読みますと、法座により
かなり性格がちがうようですね。わたくしの所属する法座では青経巻にたぶん法座
独自であろう言葉を締めくくりに書くようになっております。その内容はいわゆる
すべての先祖にこの経が届き、成仏してくれるように。という感じです。
霊法会はいまだ発展途上の教団であるとわたくしは強く思うと同時に、各法座が
まるでひとつの別の教団のような気がしてまいりました。もともと法華経はあらゆる
解釈のできるものでありましょうから、このように法華経を経典とする教団がつぎつぎに
でてくるのでしょう。お互いにしっかりとした気持ちで日々精進いたしましょう。
40グノール:2000/06/16(金) 13:05
>レッドさまへつづき
できましたら、35さまのために、発言者の方はどういった修行を
なさって、その役目についているのか、聞いた事がありましたら、
投稿願えませんか。
41グノール:2000/06/16(金) 14:30
>35さま
教団により、独自の解釈がございますので、たしかなことはいえませんし、わたくし
自身この霊法会にかかわるまで、法華経自体、名前くらいしか知りませんでしたから
目下、霊法会の中身に関して、詳しいところまでは知らないのが現状です。
ですから、ここでは個人的な意見として述べさせていただきます。
わたくしも、身内(妻)の家族のほとんどが霊法会の会員という状態です。
が、強制されて入会はしてませんが、今おもうと、なかば強制ともとれます。
それ自体は私個人にはさしあたって問題はなかったのですが、とある大事件が
ありまして、霊法会のこと、その母体の霊友会のこと等調べ、できるかぎり
各信者の方々と交流を持つようにしようとおもったわけです。

わたくし個人が体感しますに、教祖や権威や教学やお祈りの対象は、
それほどの意味を持っていないと思います。霊友会の方も似たようなことを仰って
おりました。元をいいますと、先祖供養という行為は、仏教の教えの中には
ないはずです。ですので、これは霊友会系、日本独自のものなわけです。
しかし、もともと日本人に長く根付いていた祖霊信仰などと結びつき先祖供養
という方法はとっつきやすかったのでしょう。
ですから、発言者のような霊をおろす能力というのを、仏教観からみますと、
そんなことをできるのは、全世界の仏教界の中でもよほどの修行をつんだ
方でないとできないと、どこかで聞いた事がありますし、また、霊を
おろすという考えではなく、いわゆる仏の言葉を伝えられると考えたほうが
正確でしょうか。それでも霊法会の法座主の方は毎朝毎晩仏の言葉(または恩師の
言葉)を聞いて日々を過ごしているといいます。それは、私が思うに
なにも特殊な能力とは思わないのです。人は他人の根本をあやつることなど
できないと思いますし、なんでもお見通しということはまずないでしょう。
しかし、逆にいえば、自分自身に対しての執着心をなくし、
衆生に対して、限りなき慈悲の念を持てるようになれば、霊友会系でいう
ところの因縁解決に向けて、結局自分の力を強く信じ(そのためには抱き合わせで
過去の反省と前向きな姿勢が必要なのですが)打ち勝って、解決していくことで、
一歩でも仏になれるよう(そう信ずる)日々精進していき、そうすると
はたとこれが仏の言葉かと気づくときがあるかもしれないと思います。
決して祖霊信仰にプラスした怨念などというものはございませんし、
それはまさに個人の気持ちの弱さの現われであります。
本来、各個人本人が修行を積んでいき、仏になれるかもしれないのであって、
先祖等を成仏させるということはできないのです。(仏典にもそのようなことは載っていないはずです)
ですからたくさんの教団がございますが、解釈やアプローチにはそれぞれ違いはあるにせよ、
最終的な目標はいづれも、各人が「まっとうな」日々を送ることができ、すばらしい人間として
生き、そして、仏教で言うところの、仏になるということであります。
非日常的な能力を持った方はいらっしゃるでしょう。しかし、それは修行の副産物であって
そのために日々修行を積むのではないということです。
私個人のつたない経験からも、たとえば、私の妻との出会いも、信じられないほどの因縁により
成り立っております。これはまったく説明のつかないことでありますと同時に、なにも
わたしたちが特殊なのではなく、説明のつかない非日常的なことは、その辺にいっぱいあるのです。
それを観念的事項と単にとらえるのみか、いろいろな意味を考えるかはその個人により
ちがいますし、これを宗教の教団レベルに広げて考えますと、さまざまな考えや解釈法が
出てくるというかんじなのではないでしょうか。
大変あいまいで長々と申し訳ないですが、この辺で失礼いたします。

4235:2000/06/16(金) 19:46
グノールさん、ご教示どうも有り難うございました。
大変、よくわかりました。
結局は霊おろし(発言)や因縁説示などの神秘能力は霊法会やその母体
である霊友会に特別な秘法やコツがあるわけではないということですね。
私はまた心を集中したり、先祖供養やお祈りをする中で何か霊友会から
派生した教団特有の門外不出の行法があるように思いました。
でもグノールさんの説明を聞かせていただき、そうした能力は求めるも
のではなく、慈悲の心や行動が極まった時に自然に備わるものという感
じを持ちました。
お釈迦様も弟子達には神通力をむやみに使ってはならないと禁じておら
れたそうですが、半面、衆生教化のためには許されておられたと聞いています。
ある意味で科学万能の今日のような時代にはこうした不可思議な能力
を目の当たりにしないと宗教を本当の意味で理解できることは難しいの
ではないかという気がします。
これは私が身近で見聞した例ですが、私の義母のところにある人が相談
に訪れました。
その方はある中年女性で舅と大変、不仲な状態で長年暮らしてまいりました。
そしてその舅さんは胃癌で最後は大層苦しまれて亡くなったそうです。
そしてちょうどその亡くなった舅の三回忌が終わった頃より、その奥さんは
至って健康体の人だったのですが、突然、体調を崩し、舅と全く同じ胃癌に
かかってしまいました。
そこで義母がいろいろと相談にのって○○会にも連れていって尽力しました。
その人にしっかりと生前の舅との心のわだかまりを懺悔させて、衷心よりの
ご供養をさせたそうです。
すると数か月後、本人が夢で舅さんがニコニコとうれしそうな顔をして
天に上って行くのを見たそうです。
するとその後の検査で癌細胞は消失していたそうです。
これは嘘のような本当の話です。
他にもあるのですが、私は義母からこういう類の話を聞くうちに
因縁や人の想いというものの恐ろしさとか、因縁を解消(浄化)
することの重要性がまだ頭の中だけではありますが、何となく
理解できるような気がしてきました。
そして市販されている仏教書に書いてある「人間仏の子」だとか
「人間はありのままの姿ですでに救われている」というような教
えが何となく欺瞞に思えて、そうしてインターネットでこうした
疑問を解きたいと思っていろいろ関係HPを拝見しているわけです。
でも今一、答えははっきりしません。
何故なら「人間仏の子」だとか、「人間は仏に生かされている」と
いう教えは、頭では確かにその通りかも知れないし、法華経も
そうしたことを説いているように思います。
だが、いざ現実に目を転じてみると先に記したような因縁や因果
の法のからみで人間は苦しんでいるようにも思えます。
一体、どちらが正しいのだろう、仏教や法華経の正しい教えは
一体、どちらなんだろうという疑問がふつふつとわいてくるわけです。
グノールさんはこのあたりいかが思われますでしょうか?
他に聞く人もおりませんので、お聞かせ願えれば幸いです。
43グノール:2000/06/17(土) 01:30
>35さま
現実に起こりました因縁の例をあげていただき、誠に恐れ入ります。
なるほど、と納得することはあります。
まずは、立正佼成会の方からの言葉をお借りしましょう。
仏教では「生かされている」という教えを大事にしています。
生かされていることを「有り難い」と思いなさい、と。有り難いとは
有ることが難しいと言う言葉の意味から、苦しみのない世界は天国しか
なく、それ以外は苦しみに満ちた世界だというのです。
さて、私が思いますに、これは人間という動物の生み出した独特なものでは
ないかと。
説明のつかない不可思議な事象は仏教に結び付けると因縁因果の法則と
なりますし、神を想う方々には別の意味が有ります。キリスト教では
また違うでしょうし、様々な解釈が出てくるでしょう。
貴方の仰った因縁の話も、人間と言うものの想いを象徴している事象であり
また、現実的に遺伝子というレベルで考えても、過去から引き継いできている
ものは多々あるとおもわれます。つまりはからだの面だけでなく、精神面でも
引き継いでいるのであり、それには良いことも悪いこともあるでしょう。
そして様々な悪因縁を解決するために先祖の先祖と遡っていくうちに、
特に霊友会系の教団では本人の家系と、また結婚している場合はその相手の
家系迄供養していきますので、結局は全ての人々に対してとなっていくわけです。
そうすると、仏教で言う所の衆生に対して云々というところまでになっていくのでは
と思うのです。

つづく
44名無しさん@1周年:2000/06/17(土) 13:31
>つづく
はやく、続きが読みたいです。
45グノール:2000/06/18(日) 01:53
つづきがおくれました。すいません。

わたしには、明らかな体感というものはないのですが、前述した霊法会に関して
個人的な事件があったのですが、これは人生の一大事とも言えるものでした。
しかし事件前、わたしはある瞬間、この事件をさまざまな出来事から予想できました。
これは、なにもわたしに限ったことではなく、私自身はまったく仏道の入り口にも
立っていない人間ですから、別段特別な修行をしているわけではないのです。
しかし常に自らの力を信じておりますし、どんな事象に対しても前向きに対処
しております。そのわたくしが予想がついたのですが、これは起こってよかったと
今も思っております。その苦難を乗り越えたこそ、いまのわたしがいるわけです。

話は逸れましたが、とどのつまり、どんな宗教、信条、様々なものが渦巻いている
現代の日本ですが、もっと広い視野で見ていけば、なにも仏教やキリスト教や
ということは一要素でしかなく、釈尊の教えも、また、大変な修行により
非日常的な能力を身につけても、それは100%ではないのです。
どんなに素晴らしい能力を身につけても、結局は人間である以上、完璧ではない
わけです。その完璧ではないと言うことを卑下せずに、どれだけ自分自身を
高められか日々精進できるか、その見きわめが重要なのではないでしょうか。
あらゆる事象をまずは受け入れ、そしてしっかりと見ていき、体感し、判断していく。
そうなれるように、たまたま霊法会と言う信仰をつづけている方もいれば、
わたしのようにその教義のため、形だけ入会し、自分の修行はさまざまな事象等を
ガイドブックに(さまざまな宗教の教義や教典も、仏教に限らずわたしのガイドブックと
なりえます)して、日々精進しているのです。
不思議なもので、そうすることで、自分自身に様々な事象が実はすでにそこに
存在し、それの扉を開けているのは、良いことも悪いことも自分自身だと
気がつきます。
最後にひとつだけ、単純な例をあげましょう。
わたしは音楽を趣味で作曲しております。曲は生み出すのは私自身ですが、
曲は実はすでにそこかしこに有るのです。私の役目はそれをただこの耳で
聞けるようにダウンロードしているだけなのです。
大変あいまいですね。すいません。うまくつたわるといいのですが。
言葉が足りなかったらすいません。また質問してください。
では。
4635:2000/06/19(月) 07:57
グノールさん、有難うございました。
心のこもった書き込み、グノールさんの信仰に対しての真摯な思いが伝わってくる
ようです。
私は個人的に以前より仏教に興味を持っていました。
たまたま妻の両親が某会の幹部的地位の人間だったこともあり、義父母の話をいろ
いろ聞いているうちに、私が頭の中で描いてきた仏教の教えのイメージとそれがあ
まりにも違いすぎるというとまどいのようなものが正直言ってありました。(今でも
払拭できていませんが)
そこでいろいろ自分なりに勉強させてもらったことで私なりに得た結論は(現時点
での結論ですが)、我々は他の多くの人々、そして何か大いなる真理(命)に生か
されている、そしてその大いなる真理に生かされているように生きなさいというこ
とを仏教は教えているのではないかということです。
これはグノールさんも触れておられました立正佼成会の庭野日敬さんの著書等に影
響を受けて自分なりに得たものです。これが一番大切な根源の真理だと思います。
ただそうなると私の心の中で今一、釈然としないことが、義父母からしょっちゅう
聞かされている因縁を解消(浄化)するための修行が一番大事なことであるという
実体験に根差しているであろうその考え方なのです。
先祖供養というのはそれまでは私は最も仏教とは関係のない日本古来から伝わる
単なる習俗のようにしかとらえてきませんでしたし、その言葉をきいただけでアレ
ルギーといいますか、嫌悪感を持っていました。
今でもその思いは多少はありますが、義父母の話を聞くうちに先祖供養も大事なの
かなあと少し、思いかけているところです。(でもまだ完全には納得できません)

グノールさんは霊法会の信仰体験からそのあたりをどう感じられますか。
つまり私の思っている「生かされている」ということが最も根源的な真理ではない
かということ。そしてその中で因縁を解消(解決)すべく修行するという、第一義
的真理と二義的真理の関係のようになるのではないかという私の見解について。

それからグノールさんに質問ばかりするようで大変、申し訳なく思いますが、もう一つ。
それは霊友会から派生したグループは私が勉強した限りでは霊友会と同様、因縁という
教えを大変、重要視しており、その解消のための修行を積むことがその信仰の根本
になっており、その手段として先祖供養とお導きを中心にしているように思われます。
それらの効果は義父母から長年聞かされてきたことで歴然とあるような気がします。
ただあまりにも義父母は供養とか因縁と言う言葉を使いすぎて私はやや辟易として
いることも事実です。
私はお釈迦様も確か説いておられたと思いますが、これからの人生を切り開くのは
「今」をどう生きるかということに尽きるのではないかと思います。
つまり因縁とか業とかいっても、結局、人間にとって最も大事なことは「今を
精一杯、生きる」こと、これ以外に何もないのではないか、また因縁や業を
解消するのも「今を精一杯、生きる」、それが基本ではないかと思うのです。
ところが義父母はそのようなことを私が言うと、「それは理屈だ」とか何だと
か言ってあまりとりあってくれません。
グノールさんはどう思われますでしょうか。
因縁や業というものを本当に解消する力は「今を精一杯、生きる」(自分なり
に)であり、先祖供養などはその補助的なものだと思われませんでしょうか。
正直言って、私が最もギャップを感じているのはこの点です。
長い文になってしまいましたが、よろしくお願いいたします。
47名無しさん@1周年:2000/06/19(月) 08:09
 霊友会やその系統の立正佼成会や仏所護念会などが説く先祖供養の
行法を創出したのは西田無学です。彼は不具の子を二人亡くして以来、
「無縁仏の墓を捜しては戒名をうつしとって自宅にまつった。うかば
れないもろもろの霊を供養しなければ不幸の根源は断てないと西田は
考えたのである。この戒名写しの行が発展して、本尊と等質の神聖性
を持つ「総戒名」と「法名送り」の秘儀があみだされた。」「霊友会
系の教団群の大半では、初信者に下付される本尊は、曼陀羅ではなく、
総戒名である。その名称がすでに示しているように先祖供養をするさ
いの礼拝対象となる。」「総戒名には、信者として実践しなければな
らない宗教的倫理も示されている。また、総戒名は神秘的機能を持つ。
思親会の解釈によるとこうである。(略)人が死ぬと、生前の行為や
先祖の行為により、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・
菩薩・仏の十の世界のうち、いずれの世界に送りこまれる。思親会に
入会すると入会したという功徳だけで入会者の先祖の霊が最底辺の地
獄界にさ迷っていても、菩薩の霊域にすくいとられる。」「霊友会系
の教団では、入信すると近親者で亡くなった者の戒名をできるだけ多
く集め、改めて法名をつけ直して過去帳にしるし、総戒名とともに供
養する。先祖といっても一般の家庭では、三,四代前の先祖の名しか
知らず、その範囲内で供養しているが、霊友会系の教団では、十代、
二十代前の先祖が霊界でさ迷っている状態をシャーマンをとおして知
らせ、新たに法名を送って供養する。さ迷っている先祖がいれば、そ
れは霊のさわりとなって病気など悪しき現象を起こすことで、子孫に
知らせるのだという。先祖だけでなく、生きている人間の思いである
生き霊や動植物の霊で成仏していない場合にも、霊のさわりがあると
いう。したがってそのような霊にまで戒名をおくって成仏を期するこ
とが、信者のつとめになる。この秘儀を「法名送り」と呼んでいるの
である。」(『ふおるく叢書7救い』梅原正紀)
48グノール:2000/06/19(月) 13:27
>35さま
>グノールさんは霊法会の信仰体験からそのあたりをどう感じられますか。
つまり私の思っている「生かされている」ということが最も根源的な真理ではない
かということ。そしてその中で因縁を解消(解決)すべく修行するという、第一義
的真理と二義的真理の関係のようになるのではないかという私の見解について。

全く仰る通りと思います。それも仏教を通して、ということになるのでしょうが。
誤解のないようにいいますと、私自身も、35さま同様、霊法会関係者の言う、
先祖供養が第一義といった考えには個人的にですが、今のところ納得してません。
といって、それは人によりけりとも思うのです。きっと35さまも同じ感覚では
ないかと存じますが、私自身、妻となった人間に、その宗教を辞めろとはいえませんし、
それは妻に限らず、どんな方にも自由な選択があるのです。が、一旦問題を起こす
ようなものであるとなれば、話は変わります。私はそういった目に遭いましたので
すごい衝突があったわけです。ですから人の信仰を邪魔できないのと同様、逆に
あらゆる信仰や考えを「持つことができるよう」自由な環境をつくっておくことも
重要なのです。つまり、それだけが絶対ではない。ということでしょうか。
私個人は霊法会の教義にのっとれませんし、先祖供養も私には絶対ではないし、
霊法会の、すくなくとも身内の信者が、47さまの仰る通り、西田無学という方が
その考えの元を作り、それをアレンジした、あくまで「方法」であるそのうえに
教義が成り立っているのだと、しっかりと心をもってくれなくては、わたしを
大乗したとは認められません。

話が逸れましたが、つまり私には言葉で言う「信仰体験」はないのですが、
私自身のまったくのオリジナルな感覚があるだけなのです。
ということで考えを述べさせていただきます。

49グノール:2000/06/19(月) 13:28
大抵霊友会系の教団の方が私に接するとき、「これは縁ですのであなたを
なんとかしなくては」という強い想いが感じられます。知り合いから勧誘
されたといえば、霊友会、霊法会とありますが、しかしどちらも結局は
わたくしが諭すような形におわっております。理論よりもなによりも、
私は自分の心に不安がよぎるものにはまず何かあるとおもいます。どちらの会にも
その練り上げられた行法により、とてつもないところまで達している方が
おられることでしょう。しかし、私を勧誘したのはたまたま、「やって
みなきゃわからんだろう」の一点張りな方ばかりでしたので、残念ながら
その真意は伝わってはまいりませんでした。そしてこれは、どちらにもそういった
方は多いのではないかということです。つまり教学は別段しなくてもいいでしょう。
しかし、なにもわからずただ行法のみにとらわれ修行するのは片手落ちであるのも
確かです。せっかく開祖なり恩師なりが何十年もかけて築き上げてきたもので
あるのですから、どなたも正しく行えば、すばらしい境地へと達することができる
のでしょう。が、逆にいえば、それは大層困難なことであるとも言えるわけです。
わたくしは目下総戒名に向かって、仏壇と同様、手を合わせているだけです。
感謝しているということのみの気持ちを込めて。
わたしが思ったことをただ行動に移して、現実に則しているだけなのです。
総戒名の横にはちゃっかり神社の祝詞があったりします。(結婚式のものですが)
とどのつまり、日々精進するという行為さえ損なわなければどういった考えでも
良いと思うのです。ただ自分自身のことは他人からみてもらったほうが、より
一層見えてくるものもあるというものです。そこで宗教に走る方もいれば、人生が
一変して別の生活を送る方もいるわけです。
ただうれしいのは私と35さまの考えは同じといえるということです。共感がある
のはうれしいものです。しかし、あくまで一人一人が培ってきたものであることを
私もわすれてはならないのです。「あーよかった」ではなく。
霊法会はわたしの周りに限って言えば、仲間同士「のみ」の共感を持ちそうに
なってきつつあると実感しています。すべての教義、行法を当たり前として受け
いれて「しまって」いる感じです。わたしの身内のものに聞くだけでも、いままで
生きてきて、その中身について、質問してきた人はいないそうです。
これはある意味、日本人のファジーな感覚と関係しているかもしれないです。
私を含め、「まーいいか」という感覚と「〜位」というだいたいな感覚はだれでも
あるでしょう。
したがって私には35さまと同様に、生かされているという感覚もありますし、
先祖供養という行法もひとつの真理であると思います。ただ、私自身が今のところ
それに囚われていて、そしてその姿を身内のものに見せるのは危険なのです。
なにも足かせのようなもの、たとえば、教団に入らなくてはならない、とか、
お金を払わなくてはならない、とか、そういったものがなければ、わたしも
すんなりと受け入れていたかもしれません。しかし、逆に衝突があったからこそ、
そしてその姿を身内に見せたからこそ、まわりの霊法会の会員の方もそれまでの
修行の年数はともかく、人生を一変するほどの変わりようで目下修行している
ことと確信しております。
それが今を精一杯生きているということではないのでしょうか?ですからそれも
真理です。真理とはそこかしこにある単純なものなのではないでしょうか。
過去をしっかりと反省するという基本はもちろんですが、それに囚われては
ならないのです。
50グノール:2000/06/19(月) 13:29
ちなみによく仏教関連で水子のことが挙げられますが、それも作られたものという
過去があるのです。ご参考までに。
日蓮宗も1200年代からですから、法華経の信奉もそれからです。その前に
神という概念があったことを忘れてはならないとおもいます。
現代においても神社をかなりの数減らした明治のころの(さだかではありません。
すいません)行いがあるため、仏教がこれほど浸透しているのでは、と思います。
また、日本以外の国の仏教等に対しての姿勢も見ると参考になります。

わたしはコップの中に水をいれれば、そこに宇宙を感じることもありますし、
歴史を積んできた樹木を見れば、その鼓動のようなものを感じることも
ありますし、体の不自由な方をみれば、何も自分と変わらないと感じますし、
すばらしい地位の方を見ても尊敬はしても、偉大だなーとは決して感じませんし
なにかに夢中であれば、ふっと別の世界にいる感覚が出てきますし、
そういったものです。
そうしてそう言った感覚は次の瞬間かわったりもするのです。
51グノール:2000/06/19(月) 16:10
>47さま
霊友会系の教団のもとになっている考えを解説していただき、誠に恐れ入ります。
私では言葉足らずですので、ここで、新宗教辞典に載っております、霊法会についての
公式見解を載せておきます。

 [霊法会]の教義は、一口に言って先祖供養と霊能者の養成を目的とする「
霊信仰」で「夫婦一体の修行」を強調しています。

 元々教団の所在地は神戸市中央区籠池通7−2−29で、修行地を身延山と
定めていましたが、神戸市東灘区岡本の天王山に30万坪の土地を購入し、昭
和57年に国家の守護神として[如来山仏舎利塔]を建立、「恩師仏舎利」と
称して吉岡元治郎の遺骨を納めてからは身延山とも縁を切り、修行地を神戸に
変更しております。

 創始者は、その吉岡元治郎(昭和51年死去。信者には[恩師大門薬上菩薩]
(おんしだいもんやくじょうぼさつ)と唱えさせている。)と元治郎の妻さと
(昭和62年死去。信者には[日月浄明徳如来](にちがつじょうみょうとく
にょらい)と唱えさせている。)の夫婦です。夫婦と云えども、創始者が二人
というのも珍しいのですが、これは[夫婦一体の修行]を強調する教義からそ
うなっているのです。

 現在では、「総らん者」と称する元治郎の三男、吉岡正義(まさよし)が継
承しています。信者数は20万人とも言われ、勢力は近畿圏を中心に西日本一円、
中部圏、九州圏(沖縄を含む)、関東圏の一部の範囲で、50の講堂が建設され
教勢の上では中堅教団の域に達したと見られています。

 創始者の吉岡元治郎は兵庫県神戸市生まれ、昭和11年に友人の勧誘によって
[霊友会]に入信、同会の支部長をしていた昭和20年に神戸の大空襲に遭い小
豆島に疎開、終戦後2年を経た昭和22年に神戸に舞い戻り、弟子を再結集して会
の基礎を作り上げ、創価学会に先立つこと2年、即ち昭和25年2月22日に[霊法
会]と命名して独立し、宗教法人令による宗教法人の認定を受け、昭和27年に
宗教法人法による宗教法人となった[霊友会系]の新々宗教です。

 従ってその教義は、[霊友会]の先祖供養の教義・儀礼を基本的に引き継ぎ、
特色としては家の先祖の因縁浄化、国家・世界の因縁浄化のための「影の修行」
が強調され、そのための「発言者」(はつごんじゃ)(先祖・神仏の言葉を通
して霊的因縁を解明し、その浄化に関与する霊能者)の養成、八方に拡がる意
気込みで衆生を救うとされる[八天の題目](陽の題目)の開顕(昭和30年か
ら)など、人材・儀礼・シンボルの開発・整備が進められてきました。

以上がすべてです。わたしの知らない内容も含まれております。
ひとつだけ、知られていないであろう事項を付け加えておきます。
教団運営というものは大変で、やはり、こうした在家の仏教教団にはよく
あることでしょうが、関連の企業なりが霊法会にもそんざいします。
まず、大国建設は霊法会関連です。それからロイヤルプラザという会員制の
卸販売のようなものもございます。これは利用するときはもちろん霊法会の信者でなくては
なりません。わたしの知る限りでは、神戸の本部のすぐ近く、オーパのすぐそばに
自社ビルがございます。入るのは自由ですから、ご覧になるのもよいとおもいます。
しかし、現在の代表の絵を売っていたり、やはりその雰囲気は通常のショップとは
かなり違うことを体感できると思います。
5235:2000/06/20(火) 02:53
グノールさん丁寧なレスどうも有難うございました。
グノールさんのお立場もどうやら私と似ているようですね。
私も義父母の話は疑ってるわけではありませんが、彼らの娘である妻同様、
やや供養とか因縁とか重視しすぎているなという時代遅れの感じを持っています。
でも義父母の話を聞くと「あら 不思議!」てな感じで因縁の恐ろしさや不思議さが
わかるような気もして、それは仏教の説く因縁とか業の理法と同じ謂いなのかと迷っ
てしまいます。

供養や因縁浄化の体験も大事ですが、私もグノールさんと同意見で、修行と
仏教の学問的なことを学ぶのを並立させる必要性が特に現代のような高度情報
化社会においては高いのではないかと思います。
ところで47さんがご照会されていた資料の中にありましたが、霊友会は先
祖の霊はもちろんのこと、人間の生霊の働きも認めており、そうした霊(念)
に対しても成仏を期する「法名おくり」をしているということですが、実は
義父母はこの生きた人間の生霊の念の恐さ、その障りについて多くの実例を
あげていろいろ教えてくれました。
長くなりますので、具体例はあげませんが、私も聞かされているうちにそう
した生霊の作用は本当にあるように思い始めています。
グノールさんはこれについてはどう思われますでしょうか。
また霊法会さんではこの生霊の成仏を期すためにどのような行法をされてい
るのでしょうか。
発言者の方がそうした生霊の因縁浄化の行法をされているのでしょうか。
差し支えないところで結構ですのでお教え願えませんでしょうか。

53グノール:2000/06/20(火) 10:49
>35さま
わたくしの長い話を読んでくださり、痛み入ります。
さて、「法名送り」ですが、生霊にもなされているとおもわれます。
といいますのは、義母は何度も本部修行により、さまざまな霊と対面している
わけですが、その中に、ご自分が無理やりのように大乗させた方が現れ、たいそう
ひどく怒られたそうです。もちろんそう言った方にも法名をつけ、供養している
わけですから、必ずしもなくなった方に対してとは限らないということです。
もちろん身内でない場合もあるということですね。極端な話、発言者からの言葉
がなくても、各人の意思により、法名を授けたい方がいれば、それにつけて
いただけるわけです。問題はそこへ入れこみすぎることがあるということです。
実はこのことに関して私的に問題があったわけです。かいつまんでお話いたし
ますと、単純な話、私に無断で先祖および私の関係者に法名をつけようとし、
そのために必要な資料を取り寄せようとしたということです。実際に自分の
ためということで、いまだにわたしに弁明などございませんが、すでに法名を
許可なしにつけてしまった事例があるのです。これはまさに基本がどうだという
以前の話で信頼関係の問題です。大基本は、人とのつながりの感謝であり、
信頼であり、のはずです。しかしわたくしはあえてなにも申しません。本人が
強い懺悔の念と日々の精進を実感しなければいけません。と同時に身内を安心
させられないうちに、ほかの方に教示することなど到底できないからです。
しかし私は前向きにとっております。このおかげで、客観的な見方をすることが
できましたし、法華経や仏教を知ることとなりましたし、その入り口に立つことが
できましたし、さまざまな霊友会系の方々や35さまのような方にも巡り会えまし
た。
少し前までは頑なに霊法会を拒んだこともありましたが、基本的にはなんら問題の
ないものとおもいます。霊友会系の教団はすべて、在家の仏教団体ですから、普通の
生活をしていて差し支えがでる行法を編み出しているものは全くないはずです。
出家をせずともできるのだ。とうたっているわけですからね。そこが重要です。
ですから夫婦間、兄弟間、家族間、友人間、親戚間あらゆる関係に障害がでる
ようならば、それは間違った行法になっていると、自分自身をもう一度みつめ、
問いたださなければいけません。これこれの催しに出なきゃ、とか、こうした
行法をしなければ!とちょっとした思い込みが間違った方向へと簡単に向かわせて
しまうのです。わたしにはホントによく見えるようになってしまいました。
こんな感じでわかりますでしょうか?わたくしも久しぶりに法華経を紐解いて
みようとおもいます。とはいえ、いまや情報社会。ネット上でも法華経を読むことが
でき、便利になりましたね。
5447:2000/06/20(火) 20:01
52さんへ
>でも義父母の話を聞くと「あら 不思議!」てな感じで因縁の恐ろしさや不思議さが
わかるような気もして、それは仏教の説く因縁とか業の理法と同じ謂いなのかと迷っ
てしまいます。
仏教の説く因縁とは全く違います
>私も聞かされているうちにそう
した生霊の作用は本当にあるように思い始めています
それはあなたの思いに過ぎません
しかし霊がどうしたこうしたといったことがあなたは好きなようで
すから、私が何を言っても賛成はしないでしょう。
新興宗教がねらっているのはあなたのような人なのですが。
5547:2000/06/20(火) 21:27
つづき
私が梅原正紀の本を引用したのは、霊友会などが説く先祖供養のばからしさをしって
もらいたいからでした。ところが皆さんにとっては、先祖供養=善根という
考えがどうしようもなくあるようですね。因縁浄化など仏教では説きませんし、
そもそも釈尊は霊を語ることを禁じています。ですから生霊の成仏など
という言葉は仏教ではありえません。その他おかしなところは多いのですが、
それが好きな人に何を言っても無駄なのでしょう。残念ですが。
56グノール:2000/06/20(火) 22:58
>47さま
貴方の仰りたいことは、全く私が身内に述べたことと同様です。ただ先祖供養
については、わたくしはもちろん仏教にそう言った教えはみあたらないことは
存じ上げておりますが、ばからしいとは思いません。べつに私が霊法会に
かかわっているからいうわけではないことを先に断わっておきます。

霊という形でとるか、また思い込みでとるかと言う問題は個人差があります。
要は人間として生活に支障が無い上で、しっかりとした心で日々を過ごせれば
よろしいのではないでしょうか。霊友会系の諸団体が考えた(もちろんベースと
なっている考えは別の所に有るのですが)行法は、方法なのであります。
それは社会的に問題の起こるような教えであるならば、それは各教団に意見を
述べるべきです。たとえ個人でそう思ってもです。
わたくしも35さまも、余りに身近に霊友会系の教団にかかわる方が居るということもあり、
それを理解し、そして意見を述べているに過ぎません。そうしないと、
特に私の場合は生活がままなりませんので。
ですから、霊が好きとかそういったことでは決してありません。
すいません、私の思う所ですので、35さまの気持ちと違っていたら
申し訳ございません。
5735:2000/06/21(水) 01:07
グノールさん、詳しいご説明、有難うございました。
霊法会では生霊に限らずとも、問題を感じた人や霊には法名をつけてその成仏を願うお祈り
や供養をされるということですね。

>霊友会系の教団はすべて、在家の仏教団体ですから、普通の
>生活をしていて差し支えがでる行法を編み出しているものは全くないはずです。
>出家をせずともできるのだ。とうたっているわけですからね。そこが重要です。
>ですから夫婦間、兄弟間、家族間、友人間、親戚間あらゆる関係に障害がでる
>ようならば、それは間違った行法になっていると、自分自身をもう一度みつめ、
>問いたださなければいけません。これこれの催しに出なきゃ、とか、こうした
>行法をしなければ!とちょっとした思い込みが間違った方向へと簡単に向かわせて
>しまうのです。わたしにはホントによく見えるようになってしまいました

私もこのことは大変、重要なことだと思います。
目に見えない霊に供養することも大事ですが、仏教の修行の基本は当たり前のことでは
あるのですが、この生きる現実の場にあるのですから。
先にも記したようにやはり「今を精一杯、生きる」ということ、自分を磨いていくこと
が修行の根本ではないかと思います。
ただ一方では目に見えない霊(念)に対する供養も大事ではないかという気もあります。
しかしそれは日常生活の中での修行と深くかかわっているという気がします。
自分が向上すれば、自分の先祖も救われ、向上する。
逆に先祖が向上すれば自分も救われ、向上するという関係になるのでしょうか。
そのためにも義父母は懺悔が大事だと常々申しております。
グノールさんはこのあたりどう思われますでしょうか。
やはり先祖供養は大事だとはいっても、普段の生活での修行に如くはないと
思われますでしょうか。

またいつもグノールさんには質問ばかりするようで申し訳ないと思いますが
、大して勉強していませんので的外れかもしれませんが、法華経はお釈迦様
の救いは特定の宗教や宗派にとどまるものではなく、宇宙全体の衆生をその
対象にしているものだと思います。
この法華経的観点より見れば、法華経の真理は霊法会とか霊友会とかといっ
た組織の枠組みを超えて、極端な言い方をすれば、どんな宗教を信じていよ
うが、あるいは無信仰であったとしても、そうした人をも包み込むぐらいの
大きなものではないかと思います。
つまり霊法会に入らずとも、霊友会に入会せずとも、やるべきことをやって
いれば、誰もが法華経の救いに与かれるものではないかなあという気がする
のです。
今後のインターネット社会においては組織やセクトの壁は徐々に崩れてくる
ように思うのですが。
まあこれは単なる願望かもしれませんが・・・。
グノールさんは法華経の救いとはこのように宗教組織の狭い意識を超えたもの
であると思われませんでしょうか。
5847さんへ:2000/06/21(水) 01:09
>仏教の説く因縁とは全く違います

仏教の説く因縁の理法とは確かに違うと思います。
でも生霊の作用の事例を見聞するうちにそういう働きもあるのかなあと
思い始めているのです。
それで迷いの念があるのです。


>しかし霊がどうしたこうしたといったことがあなたは好きなようで
>すから、私が何を言っても賛成はしないでしょう。

前のレスにも書きましたが、私もどちらかというと仏教の哲学的、学術的
な教理の方に興味を持ってきましたし、今でもそちらの方が正当なものだ
と思っています。
ただ生霊の作用の話を聞いているうちに、また多少、自分でもその働きを
体感しているうちに本来の因縁や因果の教えとははずれているかもしれま
せんが、因縁にからんだ何かを感じるのであって、皆さんにその考えを押
し付けるつもりは毛頭ありません。
それに私は元々、霊という言葉を聞いただけで吐き気を催すような嫌悪感
を抱いてきた人間であり、そういう類の話は全く信じておりませんでした。
でも義父母に洗脳されたわけではないと思うのですが、実際にあった多く
の事例を聞いているうちに人間の念とか生霊の作用というものを否定する
ことはできないのではないかと思っただけです。
正直言って私もまだ揺れています。

>ところが皆さんにとっては、先祖供養=善根という 考えがどうしようもな
>くあるようですね。因縁浄化など仏教では説きませんし、 そもそも釈尊は
>霊を語ることを禁じています。ですから生霊の成仏など という言葉は仏教
>ではありえません。

私も先祖供養=善根という考えを持っているわけではありません。
先祖供養は仏教というよりも道教や儒教に影響された日本古来の習俗が仏教
に取り入れられただけだと思っています。
ただ仏教でも偽経の疑いがありますが、十大弟子の一人目連尊者の故事を
綴った「盂蘭盆経」に生きている者の善根を死者にふりむけることを奨励
(?)してあるものもあります。
ただくどいようですが、だからと言って先祖供養が仏教の正道にある行法
であるとは47さんと同じで今のところ完全には思えません。
判断保留にしており、それでインターネットでグノールさんたちとこうし
ていろいろと意見交換をしているわけです。
先祖供養がたとえ仏教の教えにかなったものであったとしても、それをや
ってさえいればよいという考え方に陥ればすぐに形骸化してしまいますし。
因縁浄化という言葉は仏教にないとは思いますが、でも因縁や業というも
のを何らかの形で解消(解決)していく作業は大変重要なものだと私は思
います。
生霊の成仏というのは先に書いたように経験則としての範疇の言葉です。
5935:2000/06/21(水) 01:12
すみません、上の文は私、35が47さんへレスしたものです。
60ケロリン:2000/06/21(水) 06:58
あの、すみません。ちょっとお聞きしていいですか?。
三男さんが継いでいるってことは、長男・次男さんはどうしてしまったのでしょう。
61グノール:2000/06/21(水) 14:41
すいません。サーバーが不具合をおこしまして、61はグノールでございます。

>法華経はお釈迦様
>の救いは特定の宗教や宗派にとどまるものではなく、宇宙全体の衆生をその
>対象にしているものだと思います。
そうおもいます。それは法華経を通してたまたまわたしや35さまは知るであろう
感覚なのでしょうが、現実にも宇宙への憧憬ともいうべき感覚は昨今の宇宙に対して
の国家レベルでの関心事をニュース等でみてもわかります。なにかしら宇宙レベル
で物事を考えたりするというのは、その姿勢のみでも重要なことではないでしょうか。

>この法華経的観点より見れば、法華経の真理は霊法会とか霊友会とかといっ
>た組織の枠組みを超えて、極端な言い方をすれば、どんな宗教を信じていよ
>うが、あるいは無信仰であったとしても、そうした人をも包み込むぐらいの
>大きなものではないかと思います。
>つまり霊法会に入らずとも、霊友会に入会せずとも、やるべきことをやって
>いれば、誰もが法華経の救いに与かれるものではないかなあという気がする
>のです。
>今後のインターネット社会においては組織やセクトの壁は徐々に崩れてくる
>ように思うのですが。
>法華経の救いとはこのように宗教組織の狭い意識を超えたもの
>であると思われませんでしょうか。
その通りであると思います。
法華経に登場する常不軽菩薩は何処の教団に属するわけでもなく法華経を読誦して
居た訳でもありませんでした。
要するに、法華経に登場する「法華経」の教えとは普遍的なものですから、
その自覚の度合いを深めて行く為の道程である菩薩行の在り方にも様々な形が
ありえると思われます。
このことは、実はわたくしも少し前に疑問に思っていたことでありまして、
霊友会の修行を積まれた方に質問していたことであります。その答えが上記の
言葉であります。
ただ、現代におきまして、霊法会を例にとって見ますと、恩師は長年の修行により
現在の方法をつくりあげ、それを信者の方に教示してきたわけです。
少なくとも入会した方には正しい修行法を伝えることは各信者の勤めでしょうから、
過去長年にわたり、多数の人々によってその有効性が検証されている教えであれば、
それを体得できるよう、信者に教えていくということは利他行ということから
当然のことでしょうし、また一個人として信心していくのも一つの方法ではないでしょうか。
まったく一から、たとえば霊法会のような修行法を編み出していくことは
相当な困難があると思われます。ですから、真似とかをするのではなく、
あくまでガイドラインとして捉えていくというのが私の目下の姿勢であります。
ここでよく信者の方が間違えるのは、ただ言われた通りにすればいい、というだけでは
思い込みということになりかねないのです。本来の目的はそこにはないのですから。
また、法華経というのはわたしももちろんその真意等はわからないのですが、
すくなくとも現在のように多数の教団ができていることからも、さまざまな解釈が
できるものであります。ですから、法華経自体をとりあげると、35さまの
言われる通り、教団という枠を越えた普遍的なものであるわけですが、一方
法華経による菩薩行の方法論を成り立たせていると主張する団体が多くでてくることも
容易に予想できることであります。


6247:2000/06/21(水) 20:56
>自分が向上すれば、自分の先祖も救われ、向上する。
 逆に先祖が向上すれば自分も救われ、向上するという関係になるのでしょうか。
こういう考えは私には全く理解できません。また法華経の救い云々も
法華経が仏教の経典であるのだから、仏教の救いが、というのはまだ分かりますが
救いが法華経から来るような考えは分かりません。どうも仏教の話をしている
のではなく、仏教の言葉を使って仏教とは関係ない話をしているように、
私には思えます。
6335:2000/06/22(木) 03:23
>法華経が仏教の経典であるのだから、仏教の救いが、というのはまだ分かりますが
>救いが法華経から来るような考えは分かりません。どうも仏教の話をしている
>のではなく、仏教の言葉を使って仏教とは関係ない話をしているように、
>私には思えます。

私はあくまで現時点でのことですが、霊法会とは関係なく、法華経という経典が
仏教の精華であり、最高の位置にある経典ではないかと思っています。
つまり法華経にしか救いがないよという言い方に聞こえたのならば(当方はそう
いう言い方をしたつもりはありませんが)、それはとりもなおさず仏教の救いと
受け取っていただければよいと思います。
6435:2000/06/22(木) 03:48
グノールさん、いつもどうもです。
そうですね、仰る通り法華経に説かれる真理は宗教宗派の枠組み
を超えたものだと思いますが、でもいざその真理を現実生活の場
で実行実践していくとなると、私もそうでしたからよくわかるの
ですが、大変難しいですね。
私も苦慮しました。
たまたま連れ合いの実家が法華経教団の幹部的な地位にある立場
の人達だったのでそれまで私が法華経の修行は具体的にどうした
らよいのかという疑念に対しての一つの解答はもらったという気
持ちです。ただ今でもすべてに賛同はできません。
経典に説示してある比喩をもまじえた抽象的な真理の教え。
なかなかそれだけでは具体的な救いや安心につながるケースは実
際にはごく少数で、やっぱり昔から多くのノウハウを蓄積してい
る宗教団体の門を叩いてその指導に従うしかないのかなあという
気持ちにもなります。
グノールさんはこのあたりいかが思われますでしょうか。

また私は霊友会や霊法会さんや立正佼成会も今後は大同団結を目
指す方向に少しでも行くように努力すべきだと思います。
またそれと同時に私の義父母のように「理屈より実践だ」とばか
り、昔ながらの頑なな姿勢に安住するのではなく、創価学会のよ
うに仏教や法華経の学習や啓蒙の活動もすべきではないかと思い
ます。いつまでも旧来の先祖供養第一主義の姿勢では立ち行かな
くなるのではないかと危惧します。
65グノール:2000/06/22(木) 11:45
>ケロリンさま
返事が遅れまして、誠に申し訳ありません。
さて、現在の霊法会において、その代表は三男が受け継いでいるという件ですが、
残念ながら、わたくしもその経緯については存じ上げません。
一度、本部なりに聞いてみようとおもいます。
ひとつ、参考になるかわかりませんが、以前青年部会に出たときに流された
テープの件を。
その日のテープは現在の代表の兄にあたる方、つまり長男か次男の方とおもわれる
のですが、その方の声の録音されたテープがながされました。
内容はいわゆる懺悔ですね。「なぜこういった団体に深くかかわる家族の一員と
して生まれてきたのか。霊法会を受け入れることがなかなかできなかった」という
感じの内容であったと記憶しております。恩師の家族でさえこういった思いがある
わけです。
66グノール:2000/06/22(木) 13:24
35さま、いつもありがとうございます。
私自身も勉強がてら投稿しているものですから、かなりあやふやな
ところがあるかもしれませんが、また間違いのある点は指摘して
ください。

>経典に説示してある比喩をもまじえた抽象的な真理の教え。
>なかなかそれだけでは具体的な救いや安心につながるケースは実
>際にはごく少数で、やっぱり昔から多くのノウハウを蓄積してい
>る宗教団体の門を叩いてその指導に従うしかないのかなあという
>気持ちにもなります。

各団体で修行を積まれた方は、一様にそうしたほうが賢明であると
いいます。しかし、ではどの団体へ入ったらいいのか、というのは
かなり判断が難しいと思われます。例えば私や35さまの場合は
身内に関係者がいるので、疑問点等を聞いたり、また体験的に
ちょっと会などへ出ること等できますが、まったく一個人の方が
一から比較検討していくというのは難しいと思います。
しかし、何かの縁でこれが!というものに出会うこともあるのでは
ないでしょうか。これも全く個人差があります。
私個人としましては、目下入らなくて良いものであれば、入っていたくは
ありません。ただ、勉強になることは確かです。まだそのレベルなのだとも
いえますが。
私の場合は、いまや講堂にはいかない。催しには出ない。法華経を
読誦しない。という状態ですが、それでもしまった!とは思いません。
こうして、掲示板でさまざまな方々と交流が持てていることですでに
一歩先へ行っていると感じておりますので。
では、わたくしがなぜ、会に入ったままでいて、そしてなおも疑問に
思うところが多く、といったことの根本を探ってみますと、
まずは、身内にわたくしの姿をみせたいということがございます。
ただしく歩めば(まだまだでしょうが)まっとうな人生が送れる
といった姿でしょうか。
また、例えば霊法会では恩師である、指導者のことですが、これが
一種の悟りを開いた方といえるのかどうか私もわかりはしないのですが
そういった方に「なりたい」と思っている方に反論しているのです。
大抵、自分の心持の弱い方は(私が強いわけではないです。念のため)
「誰々になりたい」といいます。それはきっかけとしては別段問題
ないのですが、最終的にその人のクローンにはなれないのですから、
どこかの段階で、その思いは断ち切らねばいけません。
そして、もっとも自分自身に近い肉親等をないがしろにしては
なりません。例えば、困ったことがあり、相談するのがまず、宗教
関係者であれば、その時点で一度各団体から距離を置いたほうが良いと
思います。基本は、各家庭での生活です。「〜をしたい」から、法華経なり
を読誦するのはその時点で間違っていると考えます。
以上は私個人の経験に基づいたことです。

また霊友会系の団体が大同団結という件ですが、
私個人としましても、すくなくとも同様の団体での情報交換
くらいはしたほうがいいと思います。
教義に関しましては、いまやかなり異なっていると思われますので
団結は難しいかもしれません。立正佼成会等は政治に関しても繋がりが
あるようですので、そういった面からも、なかなか交流がもてないと
言うこともあるようにおもわれます。
霊法会でも、なかなかその教義や普段の活動等公にしませんので、というか
一度もわたくしは霊法会に関しての情報を得たことはこのネットに接続
するまでありませんでしたが、それくらいはした方が良いとおもわれます。
わたくしはそういったことからも、浅はかではありますが、多少なりとも
霊法会の情報公開をしたいと思っているわけです。
6735:2000/06/23(金) 01:56
>しかし、何かの縁でこれが!というものに出会うこともあるのでは
>ないでしょうか。これも全く個人差があります。
>私個人としましては、目下入らなくて良いものであれば、入っていたくは
>ありません。ただ、勉強になることは確かです。まだそのレベルなのだとも
>いえますが。
>私の場合は、いまや講堂にはいかない。催しには出ない。法華経を
>読誦しない。という状態ですが、それでもしまった!とは思いません。
>こうして、掲示板でさまざまな方々と交流が持てていることですでに
>一歩先へ行っていると感じておりますので。

グノールさんがこう仰る気持ちはよくわかります。
私も義父母のやってる教団に入会しようという腹を固めることはできません。
それはこれまでも述べてきたような様々な疑問点、釈然としない点があるからです。
義父母は私に「真剣にやれば必ず御法の有り難さがわかる」と言います。
でもやってみようと言う決め手にかけるのも事実なのです。
ただ私が思いますにグノールさんは今のところ霊法会の信仰活動から距離を置かれ
ていると言われておられますが、いくら会に入っていようが、いまいが、また宗教
に興味あろうが、なかろうが、不幸であろうが、幸福であろうが、庭野先生の言で
はありませんが、我々はすべて「生かされている」のであり、その絶対価値からい
えば、誰もがすべて平等なのですから、霊法会にあまりこだわらず、縁があれば入
って熱心にやればよいのだし、またそうでなければ距離を置いてみながらグノール
さんご自身を大切にされ、こうしたネットなどからも情報交換してレベルアップさ
れながら時を待たれたらよいと思います。
結論を性急に出そうとするのは禁物だと私は思います。
いくら霊友会の会員でも、霊法会の信者でも、創価学会の信仰者でもどのような会
に入っていようが、いまいが因縁因果の法則が働くことは同じです。
○○会の信仰をしているから因果応報の原理から免れたという話は聞いたことがあ
りません。要はグノールさんがグノールさんらしく日々、自分を磨いていらっしゃ
ることが一番大事なことだと思います。(すみません。偉そうに申しまして)

ところであまり近寄らせてはくれませんが、義父母の仏壇には過去帳があり、曼荼
羅が安置されているようです。
よくお経を上げてお祈りしているので私が前に拝む対象は法華経の「久遠の本仏釈
尊でしょう?」と聞いたところ、彼らはそれにははっきり答えず、よくわからない
ことがありました。
後日、同じ質問をしたところ拝むのは先祖であるようなことを申したので驚いたこ
とがありました。そして大事なことは神や仏ではなく、先祖であるようなことを言
ったような気がしたので正直言ってわけがわからなくなりました。(私の聞き違い
かもしれませんが)
義父母にこのようなことを聞くと非常にいやがるのであまりしっかり聞けないので
すが、もし拝む対象が神仏、あるいは真理ではなく、先祖であるのなら、これは私
には理解できないおかしなことです。このことはずっと疑問に思ってまいりました。
グノールさんのところはこの祈りの対象は何なのでしょうか。
またそうした祈りの対象より先祖の方を重視しているような雰囲気はありませんで
しょうか。
またもう一つお聞かせ下さい。
義父母は一年に2回程、身延山や七面山に登拝します。誘われたこともあるのです
が、今のところ断ってます。(家内は昔、行ったそうですが)
七面山は高くて険しい山だけど登れば登っただけのことがある本当に有り難い所だと
よく言ってます。
霊法会さんも昔は身延山を修行の根拠地にしていたということですので、今でも身延
山や七面山などへ修行に出かけられることあるのでしょうか。
差し出がましいことを聞くようですがお教え願えれば幸いです。

68グノール:2000/06/23(金) 11:28
35さま、いつもすばらしいレスに恐れ入ります。
かいつまんで、私事を知っていただければ、よりご理解していただけるかも
しれませんので、書いておきますが、私は霊法会には距離を置くというよりも
まさに35さまの言う通りで会は全く関係ないと断言できます。
なぜ私が、それでも入会しているのかということをもっと直接的に申しますと
わたくしは、一時(ほんの一週間)自ら辞めたことがあります。なぜ一週間
のみかともうしますと、その一週間で身内と断絶しそうになったからです。
それは、生活ができなくなるほど身内のものの精神が乱れたからです。
もちろんそれは「夫婦一体の修行」に囚われてしまったことに原因があるわけです。
ですから以前にほかの方の投稿にもありましたが、私の場合に限らず、その教えを
曲解し、会に入っている人でないといっしょになれないと考えてしまう方がいる
ということなのです。私の場合は一緒になってから辞めてますので、そこで
それまでの教えを覆されたように感じ、乱れたわけです。社会生活が営めないほど
では、私のみならず、ほかの方々にも多大な迷惑がかかることは想像に難くなかった
ため、対処療法として再度入会したわけです。これはほんの一例で、ほかにも
様々な角度から接しているのです。
身内のものは、まだ自分というものをしっかりと持てず、仏道ということの言葉さえ
理解できない幼いころから入会をしていますので、非常に危険なのです。
このことから私が思いますに、中学生くらいから(個人差もあるでしょうが)
少しずつ教えていくというのが自らの反省ができるという観点から必要では
ないでしょうか。あまりにも若いころから法華経の読誦などをすると、その行法に
とらわれ、自らを省みることは難しくなると実感しています。

霊法会におきましては、総戒名を守護神ととらえ、そこにむけて拝んでおります。
総戒名はその定義は私の正しい理解がされていないと判断し、ここでは避けますが、
先祖に対して拝むといった性格も持っているものと思われます。また先祖のほうを
重視してる雰囲気もあります。なぜなら修行場にいきますと総戒名のような
対象物はなく、今度はもっと大きな守護神(神棚のようなものだったと記憶して
います。)に対して拝んでいましたので。
私の聞き及んだところでも、中にはこの御法は仏教とは違うと言った方もいらっしゃった
ようです。かなりその言葉には問題ありと思いますが。
私個人は、対象はすべて各々の心の中にある根本的なものと考えてますので、
なにかに向けてというのは形だけと思っています。心持の方がよっぽど重要では
ないでしょうか。

また、身延山や七面山に関しては、これは霊法会におきましては、法座により
性格が違いますので、登っている法座もある、ということしかわかりません。
会をはずれて答えますと、私個人におきましては、実は身延山のあるところは
出身地なのです。ですから、遠足等を始め、大変身近な存在であったりします。
そういった様々な信仰の対象になってきた山々は近所にたくさんありますので、
仏道がどうだと言っている以前から、良く登っていましたし、いまも登っています。
ですから、これは行法うんぬん以前に、私にとっては自然な行為ともいえます。
こんな感じでご理解いただけましたでしょうか?七面山はわたしもたぶん登って
いると思うのですが、記憶に定かでありません。しかし、山梨県のことを
仰っているのでしょうが、とても険しい山が多く、よく山頂にその山のご神体や、
磨崖仏がある場合が多く、とてもびっくりしますよ。
6935:2000/06/24(土) 00:13
そうですね、グノールさん同様、私も義父母の言葉の端々から神や仏、あるいは
真理を尊ぶ姿勢は少なく、先祖(過去帳)を最も大切なものとしてとらえている
ように感じました。
そういうことからこの宗教は法華経とは関係ないのではないかという思いを持っ
たのです。
ただ守護神を拝むということはよくわかりませんが、天の高いところにいる神仏
では我々には遠い存在だけれど、守護神(先祖の中の高い魂の人)をまつり、そ
の守護神に神仏(法)と人間とのパイプ役になってもらって、はっきりした現証
の信仰のご利益や答えをもらいながら信仰することは有意義ではないかという気
がします。
ただグノールさんも書いておられましたが、私の場合は夫婦一体の修行と言うこ
とは義父母は申しませんが、私から見ますとどこがどうとは言えませんが、何か
「これこれこうでなければいけない」というような思い込みといいますか、頑な
な信念といいますか、そういった窮屈な縛られる感じを受けます。
先祖を供養しないとたたりがあるぞという思い込みのようなものでしょうか・・・。

70グノール:2000/06/24(土) 15:22
35さまの仰ることにとてもヒントが有ると感じました。
たしかに先祖先祖とかなりそのことを強調する姿勢は毎日の様に伺えます。
広い視野で見ますと、何代も前の先祖というふうに過去帳に記していきますと
その関係者も含めれば、いったい先祖といえど、いかほどの方々に拝んでいる
のかということになります。結局は、あやふやなのです。ですから、あらゆる
自分をとりまく方々に感謝の気持ち等があれば。ということになるわけです。
先祖とはきっかけにすぎません。本当に菩薩行を最も重要なことととらえて
いれば、なんらする必要などないといえます。実際そういった、なんら信仰
ということを重視せずに菩薩行とも言える行為をし、またそんなことは自覚せずに
まっとうな人生を送られている方もおられます。
まさに35さまの仰る通りで、祟りのような思い込みに囚われている方が
とくに先祖供養を第一にとらえている団体にかかわる方には多いかもしれま
せんね。
かくいう私も、なにも知らない時から、祟りのようなものを、それこそ
マスコミに流された情報や、また普段のお祭りやお盆の行事等で知り、まあつまり
祖霊崇拝や恐い神様に怒られない様にといったものをいつのまにか、先祖の
祟りみたいにあべこべにとらえてきてしまっていたんですね。わたしに限らず
普段の会話にも何の違和感もなく登場しますよね。ただそれはそれでいいんです。
問題は法華経による菩薩行に入ろうとする者が、その祟りのようなものを
信じたまま行法に励むのは、かなり危険なことと思います。
また、法華経のなかみとは関係ないとは断言は避けますが、すくなくとも
ガイドブックの役割を果たしていることは確かです。どんな方が法華経と
いうものを訳解らなくても、開いた瞬間から弟子なのだとありますものね。
そして、それをどう言う形にせよ、大事に取り扱っているということだけ
取り出せば、まずはそれだけでも良いでしょう。ただちょっとしたミスで
下手に取り扱ったから、祟りが。。。。というのは言語同断です。
身内の者にはそう言った傾向があります。
71名無しさん@1周年:2000/06/24(土) 21:10
クノールと35は電子メールでお話をしてもらえないか。
72グノール:2000/06/27(火) 15:27
>71さま
忌憚なき意見をありがとうございます。このスレッドではかなりつっこんだ
問答をしているため、関係者にとっては、ちょっとそれは、というかたも
いらっしゃるかもしれません。また、私の情報は間違っているところが
多々あるかもしれません。そういったことから、私のメールアドレスを公開
しておりますので、そちらのほうにも遠慮なく意見等送っていただいても
かまいません
73グノール:2000/06/29(木) 16:12
やはり、霊法会を知っている方は絶対数がすくないのでしょうか。
できれば、霊友会関係の方々が、特に法座主にあたる方々がみてくれていたら
うれしいのですが。各教団の内部事情がありますでしょうし、実際「霊おろし」
といったものは、よく当たると聞くものの、ではその霊おろしをやっている
当事者はどう思っているのかがしりたいのです。
この類のスレッドはいろいろと見させていただいておりますが、核心に触れる
ものがなく、残念です。
霊法会においては、実際に「霊おろし」が行われているのです。わたしの身近な
ものがついに受けて、その日からまったく別人のように(よく性格がわからなく
なった)なったのです。白い行衣を着て、発言者と呼ばれる女性の方数人が
ならび、その前に列になって全国から本部修行を受ける信者たちが並ぶ。
各発言者の脇に男性が各々、その内容を書き取っている。その紙は
各信者に配られる。わたしはまだ見てませんが、今度頼んで見せてもらいます。
恩師(すでに亡くなられた開祖の方)が降りてきて(大門薬上菩薩というそうです)
いろいろとしゃべったそうです。
これはどういうことなのでしょうか。どう身内のものと接していったらいいので
しょうか。
74名無しさん@1周年:2000/07/02(日) 20:40
あげ
75グノール:2000/07/02(日) 22:20
ぜひみなさんの忌憚なき御意見を。
急に発言がなくなりましたね。
76ケロリン:2000/07/03(月) 06:58
このごろ内容が難解すぎて何をどう表現すればいいのかわかりませんが、霊法会の
みならず「霊」の存在を語るとき、どうして現世利益と絡むのか(例えば癌が治る
とか商売が上手くいくとか…)がわかりません。僕がここにいるのは先祖がいるか
らだということは当たり前なんだし、盆に墓参りすると心がスッとするけれど、手
を合わせることイコール何か特典が与えられるというのはどうしても理解できませ
ん。
形に成果(信仰の結果)が現れるというのはわかりやすいけれど、なんかインチキ
くさいような感じがします(僕の身内には癌で死んだものがいますので余計その種
のことには敏感に反応してしまうのかもしれませんが)。
幸せになる道にはマニュアルはないし、決して他から示唆されるものでもないから、
悩み苦しみながら自分で探すものでしょう?霊が降りてきて、ああしなさいとかこ
うとなさいって言ってくれるから、その通りにしていれば万事上手くいく…的な
「霊」の使い方は正しくないと思います。
月に500円の会費を払うだけでその他一切のお布施は受け付けないということら
しいですけど、信者20万人として月に入ってくる金額の多さを考えると、恐くな
ります。危険な宗教でないとグノールさんは言っておられますが、籠池通り一帯の
異様な雰囲気(震災後土地を手放す人から買い受け、さらに広がっている)を思う
とき、「霊」の暴走をどうしても感じてしまうのです。信者の皆さんにとってはそ
れは素晴らしいことだし、この宗教が真っ当であることの証と映るかもしれません
が、僕は「うそだろー」と叫んでしまうのです。
77グノール:2000/07/03(月) 10:41
>ケロリンさま
意見ありがとうございます。ひさしぶりでございます。

わたくしも、身内のものが「霊おろし」を受けてからというもの、
いったいこの団体はなんなのだ?という疑問がふつふつと沸いてきて
身内の同じ言葉よりも、霊の言葉(と信じている)を信じるとは
どういうことなのかと、全く会話もできない状態です。
そして、核心に触れるとおもわれること、つまり、この「霊おろし」は
その受ける人の名前を聞いただけで、その人にしかわからないことを
いたこのように女性の発言者が述べるという、まさに摩訶不思議なこと
をやっているのです。これが、どういうことなのか、わたしは
霊友会系の諸団体が、みなこのような修行と称するものをやっていて、
実際にかかわっている当事者の方々がどういう状態でそういうことを
やっているのか、もしかしたら、単に精神的にトランス状態という
だけなのではと、ちょっと怖いものをかんじるのです。とくに隠されて
やっている雰囲気がありありで、わたしなどは、そのためにストレスが
かかり、ほんとに冗談抜きで体ががたがたになってしまったのです。

ちなみにこちらの法座では月に200円なのですが、わたしもケロリン
さまと同様に、たとえ月に100円だろうが、総信者数が20万人も
いれば、すごい額になるはずだと常におもっております。それにも
かかわらず、実際に信仰してる方々は、月にたったの200円しか
集めてないから大変なんだ、といっています。あれだけ立派な本部
があって、いったいそれはどこからお金が出ているのかと、だれも
考えないのでしょうか。
そして、わたしの今思ったことは、こうです。
たとえ信者の方々にとって、「霊おろし」をはじめ、霊法会にかかわる
すべてのことが、「まっとう」であっても、でも、実社会において
その「霊おろし」は生かされていないし(だれもそれを採用して人生の
指針としない)、といって、信者にとっては、むやみに人にこういった
不可思議な力は出してはならない、ということになるのでしょうが。
そして社会に生かされていないということは、問題があるということ
に相違ないのですから、いくら宗教が、神であったり、仏であったり
説明できないことを信仰するという大定義があったとしても、単純に
神社に行って、手を合わせてお祈りするのとは、かなり性格が違う
ことは一目瞭然なわけですから、これは一つよく考えて接しなければ
ケロリンさまの危惧するように「危険」であります。
わたしのように四六時中、信者である身内のものと生活をし、そして、つねに
隣に霊法会があるという生活は、ほんとに大変なのです。
これもわたしが選んだことであるわけですから、大変なのは当然です。
しかし、信仰を深めることで、人間形成がよりわるくなっていく危惧が
ものすごくあります。ここでこれ以上深くはのべられませんが、日々の
会話からそのことが伺えます。
つまり、現実には目を向けず、霊のことばを信じるという、ただこの
一点に問題があるのです。それさえなければ、信仰の一つとして
霊だろうがなんだろうが関係ないのです。
78グノール:2000/07/04(火) 13:04
みなさん、核心に触れようが、どんどん投稿してください。
79グノール:2000/07/05(水) 09:18
age
80名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 23:58
age
81グノール:2000/07/06(木) 09:33
さて、最近は書き込みもございませんが、やはり核心に触れるというのは
ご法度なんでしょうか。しかし、宗教をひろく採り入れてる人なんかは
各教団の内情とか良く知ってると思うのですが。巷にいろいろと本なども出て
いますし。とかくこういったスレッドでは教団の批判になりがちですが、
それにとどまらず、前向きな姿勢で臨んでいきたいと思います。
82グノール:2000/07/07(金) 11:10
あげておきます。
83名無しさん@1周年:2000/07/09(日) 22:26
あげ
8476の:2000/07/09(日) 23:26
ケロリンさんのような人がいる限り
安心だ。物事をまっすぐ見られる人って
いるものなんですね。
あなたの求めるものは、所謂お陰宗教なだけじゃ
だめなでしょう。本ものの神なのではないですか?
85グノール:2000/07/10(月) 09:37
各霊友会関係の諸団体にも、それでもすばらしい人はいるようです。
一部の方々とネット上の交流がありますが、とてもまっとうなことを仰る方も
いらっしゃいます。たとえば、よく修行ということで、あらゆる予定をキャンセル
してしまうということがありますが、これは、本来現実に生活があるわけですから
身内に理解されない、予定がある、等のことがあれば、たとえ信者にとって大事な
修行でも、そちらをキャンセルすべきだということです。当たり前のことでしょうが
その折り合いをつけることができなくなるというのが、わたしが危惧する、基本的
な人間形成ができていないのではと思うわけです。ですから、よく耳にするのは
2世3世という世代に、いまや新宗教といえど受け継がれて行ってるわけです。
すると、なんの疑問もなしに入会するわけです。それはある意味、人間形成という面で
危険であると思われます。たとえ両親が入っていても、考えがしっかりする年齢まで
自由に過ごさせるということが大事なのではないでしょうか。またはまずは生き物に
対しての愛情とか、ものを大切にする心とか、そういったものを教えなければ
ならないと思います。最初から先祖といったって、なんのことやら。
86ケロリン:2000/07/10(月) 12:55
グノールさん。
でも、そういうことって、入っている人の心には届かないんですよね。それが
もどかしい。
以前に書き込まれたレッドさんとも話がしたいのですが、今もこれご覧になっ
ておられるでしょうか?

87グノール:2000/07/10(月) 23:23
ケロリンさま。
不思議なのは、まったくケロリン様の仰る通りです。
白い行衣を来て、鉢巻きをして、必死の形相で修行している姿を本部で
見たことが有りますが、これも、その真剣さは伝わっても、はたして、
人間としてただしいか?その雰囲気だけを見ると、異常に見えたことは
否めません。その姿を信者から見ても、なんとも思わない訳です。
「自然」な姿となるわけです。ここが、どうもおかしい。
世の中はその世相が変化して来た様に、あらゆる出来事の真意は変わらなくとも
その方法はどんどん変化させていくべきです。たしかに戦後などはこういった
霊おろしにより、病気を直すとか、アドバイスをもらうとか、それはホントに
神頼みみたいな意味あいもあったでしょうし、また、霊友会などは
東京の空をB29が飛び交っていた時代には、法華経の呪経ともいえる、
ダラニを空に向かって言い放ち、九字を切ったということです。このことは
霊友会の歴史からは抹消されたみたいですが、その当時を知る人にはなつか
しいはずです。つまり、時代時代で変化する訳です。

そうですね。レッドさんはどう感じていらっしゃるのか意見をうかがいたい
ですね。私個人では、霊法会も信者を大量に抱える様になって、ひとり歩き
していってしまっていると思います。地味な印象があるかもしれないですが、
わたしやケロリンさまのように、その中味をちょっとでもみた者には
なにか根本的にずれているものを感じざるを得ません。
88ケロリン:2000/07/11(火) 07:04
僕らが暮らしている毎日の営みの中には、どうしても理屈で片付けることができない
不思議な力が働いていることは否定できません。それが例えば「縁」という言葉で表
現されたりするのでしょう。けれど、その「縁」を結ぶために、「人」が「霊」を使
うということに、何かすごく不自然な、作為的なものを感じるのですがどうでしょう。
以前グノールさんが、心と体に悩みを抱えた人達が多く入信している、ということを
おっしゃっていました。藁にもすがる思いで入信された人々は必死だったと思います。
だからこそその組織の中枢にいる人達の責任は大きい。一緒にしたら失礼だけれどオ
ウムに入信した(している)信者は純粋だと思うんです。しかし、組織を動かす立場
の人が暴走してしまった。心身共にすがっているものにそれは止められない。止めた
ら自分自身を否定してしまうことになりますからね。
人が介在する宗教を僕は否定したい。
89グノール:2000/07/11(火) 09:40
わたしもたぶんケロリンさまと同じ感覚とおもわれます。
たとえば、一家が全員大変な悩みを持っていて、霊おろしのようなものにすがって
なにかの参考にしていくというのは、百歩譲っても良しとしましょう(鵜呑みにする
のはいけませんが)。しかし、
家族のうちの一部が悩み、ほかの人は普通に生活しているような場合は、どう
考えても、まず家族でその悩みに対処して行くべきでしょう。それができなく
なるのです。そこにたとえ宗教家といえど、介入ができるでしょうか?
たしかに教団としては来るものは拒めませんでしょう。しかし、そこを見切ってこその宗教家
と思うのです。それが各教団の責任者のしなければならないところと思われます。
人生でたとえば結婚のように、ひとつの節目を迎えたとき、自分自身がそれまで
やってきたものに対して、今一度省みると言うことは、宗教に携わっていようが
いまいが大切なことであります。たとえ苦渋の決断となっても、正しい方向へ
向かうように努力することが肝心です。しかし、信じ切ってしまっている信者に
してみれば、教団のすることは、とくに末端の信者にとっては別段問題なしと
写ってしまうわけです。今の霊法会は社会的に目立ちませんし、また、過去伝統的
といわれる宗教がもっていた、シャーマニックな面も持ち合わせていて、そういう
面では信者の「救い」にはなっているのかもしれませんが、ケロリン様の仰る通り
どうしても人が介在して、日常生活の場である家庭環境が整わないという危惧があります。
大勢の純粋な心を持った人が入信していたりするわけですから、わたしはそこを
問題視しています。まさにオウムの事件じゃないですが、あの教団の信者も
みんな純粋であったということではないでしょうか。
これはとりもなおさず、現代の問題でもあります。家族のつながりが弱くなり、
虚無感がはびこる。戦時中は明日の命も知れずと言う世の中であったはずですので
宗教はたいへんな救いになっていたと思われます。大阪に本社のある薬品会社の
社員が、昭和の昔、みんな病気になって、藁をもすがるおもいでとある宗教家へ
救いをもとめ、救われたという記録が残っています。
しかし、いまや、そのころに比べると、格段に生活は楽になり、余裕も生まれて
いるのに、なぜか仕事が忙しいとか、単にすることがないとか、今の生活に慣れて
しまってつまらないということになるわけです。わたしは一部の霊法会の、特に
若い信者からは、真剣になにかを得たいがために修行をしてるとは全く感じとれ
ません。流されているのです。こうした信者が霊おろしなどを受けたら、逆に
信じ切ってしまうことは容易に想像がつきます。ここをなんとかしたい、というのが
わたしの本心ですが、まだどうしたらいいか模索中なのです。単純に教団から
離れて生活するというのが手なのですが、なかなかうまくいきません。
90グノール:2000/07/12(水) 10:11
上げます。
91名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 10:15
あげないでください。
92モナーは嫌い:2000/07/12(水) 10:28

きみもね。(^^;
93名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 23:59
age
94名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 17:37
agep
95グノール:2000/07/14(金) 16:00
さまざまなシャーマニックな一面を持った宗教というものは、至る所で見かけますが、
結局至るところは一緒のような気がして参りました。
教典は各教団ごとに独自の解釈により、様々なものがあるわけですが、それは
ほんとに形的なものでしかない。そこにいろいろな意味をもたせてはいますが、
それもすべて、人間としてまっとうになるための方策として編み出されたと
考える方がよいとおもわれます。しかし、やはり大なり小なり日常に問題がおこり
また、それが心に、精神に関係のあることだから、関心が高いのですね。
96ラッキー:2000/07/15(土) 03:18
はじめてここに書き込みさせていただきますラッキーです。
ここは霊法会の方が多く参加されているようなのでお聞きしたいのですが、
「夫婦一体の修行」とは具体的にどういったものなのですか?
あと霊法会自体の教義について教えていただきたいです。
妻(籍は入っていない。)が霊法会の信者で、私は現在どこの宗派にも属さない仏教を信奉するものです。
私自身の勝手な考えかもしれませんが、夫婦が別々の教えについていることは何かと問題があると思うのです。
それは決して妻に私の考えに合わせろというのではなく、お互いの信じる教えについてきたん無く話し合い、
共に一つの信じるものを持つべきだと考えるからです。(出来るなら)
ただいかんせん妻は信じてはいるみたいなのですが(霊法会の教えを)、その詳しい教義を知らないのです。
でも信じているのは事実ですので、私もその教えを知った上で自分が、また妻がどうすべきかを考えたいので、教えて下さい。


97はにまる:2000/07/15(土) 21:28
始めまして。グノールさんは、人間が何度も何度も、生まれ変わるってことを信じますか?
98グノール:2000/07/16(日) 22:30
>ラッキーさま
投稿いただき、まことにありがとうございます。
わたくしと同じような立場にいるわけですね。心中お察しいたします。

さて、では霊法会の教義につきまして、以前このスレッドで載せましたことを今一度載せさせていただきます。

私では言葉足らずですので、ここで、新宗教辞典に載っております、霊法会についての公式見解を載せておきます。

[霊法会]の教義は、一口に言って先祖供養と霊能者の養成を目的とする「霊信仰」で「夫婦一体の修行」を強調しています。

元々教団の所在地は神戸市中央区籠池通7−2−29で、修行地を身延山と
定めていましたが、神戸市東灘区岡本の天王山に30万坪の土地を購入し、昭
和57年に国家の守護神として[如来山仏舎利塔]を建立、「恩師仏舎利」と
称して吉岡元治郎の遺骨を納めてからは身延山とも縁を切り、修行地を神戸に
変更しております。

創始者は、その吉岡元治郎(昭和51年死去。信者には[恩師大門薬上菩薩]
(おんしだいもんやくじょうぼさつ)と唱えさせている。)と元治郎の妻さと
(昭和62年死去。信者には[日月浄明徳如来](にちがつじょうみょうとく
にょらい)と唱えさせている。)の夫婦です。夫婦と云えども、創始者が二人
というのも珍しいのですが、これは[夫婦一体の修行]を強調する教義からそ
うなっているのです。

現在では、「総らん者」と称する元治郎の三男、吉岡正義(まさよし)が継
承しています。信者数は20万人とも言われ、勢力は近畿圏を中心に西日本一円、中部圏、九州圏(沖縄を含む)、関東圏の一部の範囲で、50の講堂が建設され教勢の上では中堅教団の域に達したと見られています。

創始者の吉岡元治郎は兵庫県神戸市生まれ、昭和11年に友人の勧誘によって
[霊友会]に入信、同会の支部長をしていた昭和20年に神戸の大空襲に遭い小
豆島に疎開、終戦後2年を経た昭和22年に神戸に舞い戻り、弟子を再結集して会
の基礎を作り上げ、創価学会に先立つこと2年、即ち昭和25年2月22日に[霊法
会]と命名して独立し、宗教法人令による宗教法人の認定を受け、昭和27年に
宗教法人法による宗教法人となった[霊友会系]の新々宗教です。

従ってその教義は、[霊友会]の先祖供養の教義・儀礼を基本的に引き継ぎ、
特色としては家の先祖の因縁浄化、国家・世界の因縁浄化のための「影の修行」
が強調され、そのための「発言者」(はつごんじゃ)(先祖・神仏の言葉を通
して霊的因縁を解明し、その浄化に関与する霊能者)の養成、八方に拡がる意
気込みで衆生を救うとされる[八天の題目](陽の題目)の開顕(昭和30年か
ら)など、人材・儀礼・シンボルの開発・整備が進められてきました。

以上がすべてです。わたしの知らない内容も含まれております。
ひとつだけ、知られていないであろう事項を付け加えておきます。
教団運営というものは大変で、やはり、こうした在家の仏教教団にはよく
あることでしょうが、関連の企業なりが霊法会にもそんざいします。
まず、大国建設は霊法会関連です。それからロイヤルプラザという会員制の
卸販売のようなものもございます。これは利用するときはもちろん霊法会の信者でなくては
なりません。わたしの知る限りでは、神戸の本部のすぐ近く、オーパのすぐそばに
自社ビルがございます。入るのは自由ですから、ご覧になるのもよいとおもいます。
しかし、現在の代表の絵を売っていたり、やはりその雰囲気は通常のショップとは
かなり違うことを体感できると思います。
(つづく)
99グノール:2000/07/16(日) 22:31
以上は以前私が書いたことですが、いろいろと質問してください。
とにかく、変に教えに囚われている方が多く、それは少々問題を含みます。
もし、身内の方が修行を最優先される方でしたら、修行の中でご自分の意見が
どこまで世間に通用するか(霊法会の教えを正しいと信じていたら、まわりの
方に菩提心をおこさせることが信者の勤めとなります。つまり、勧誘すると
いうことなんですが)ためさせるしかありません。そして、その上で多大な
迷惑が他の方にかかりそうでしたらそのときは気をつけてください。
わたしもまだ途中段階ですのでなんともしっかりとしたアドバイスはできま
せんが、まずはこんなところです。
在家の仏教とうたっているからは、生活や人間関係に絶対支障が出てはなら
ないはずです。ちょっとでも出る様でしたら、その信者の方が間違った修行を
していることになります。そのことは、本人が強く反省せねばならないこと
なのです。いくら周りが正論を述べても、聞き入れてもらえません。それは
完全に間違った修行と心得てください。
なんかあやふやですが、また思い付いたら書き足します。

>はにまるさま
初めまして。投稿ありがとうございます。
仏教の教えということによれば、生まれ変わりは信じています。しかし、
私自身ということになれば、なんともいえません。生命のつながりという
ことだけいえば、わたしの命は過去から未来迄ずっとつづいていると思って
います。それは生まれかわりというかどうかわかりませんが。

霊法会では総戒名をみれば、そこに、次にも人間として生まれ変わって来れる
ようにと(これは仏教では結構高い位といえるもので、そう簡単にまた人間界
以上に生まれ変わるのはむずかしいとされています)名前が刻まれています。

しかし、これは象徴であるだけで、ただの「紙」や「木」であります。
それ以上でもそれ以下でもありません。
100ラッキー:2000/07/17(月) 12:12
グノールさん、ご返事有難う御座いました。
グノールさんのおっしゃておられる注意すべき点は多々見受けられ、
そう言うことだったのかと大変感じ入りました。
ただ、昨日までの丸4日間仕事も休んで(自営・共働き)話し合い、自分自身(私)の今までの大きな間違いにもこのことからきずかせて貰い、その私の反省からかまた、妻の元々のもっていたような沢山のいい心根からか、どこまでそう思ってくれたのかはわかりませんがもう一度二人で客観的に、また素直な心で何が正しいかを見つけていこうということになりました。
今日は妻の個人的(宗教的ではなく)な用事と、いつまでも仕事を休んではいられないので遅くまでは話し合いが出来ないとは思いますが、正しい生き方を見つけようというテーマで話し合いが続いていくと思われます。
私としては自分なりには、これが正しいと思われる宗教観を持っているのですが、ただ自分が勝手にそう思っているだけなので本当のところは分かりません。
ですから、妻が正論を素直に受け止められる心が確かなら、二人が思う正しい教えの方向に進んでいけると思い(切なる願い)ますが、それが妻(妻の親族はほとんど霊法会に入信している)がしている霊法会の教えか、はたまた私が正しいと思う教えか、あるいはそれ以外の教えが正しいという結論になるかは分かりません。
でも私の切なる願いは、そのどれになっても二人が一致・納得出来た教えを、夫婦で励ましあいながらこれからの人生を歩んでいけることが一番だと思っています。
出来ましたら、これからもここに書き込み(文章力には(も?)問題はあると分かってますが)させて頂きますので、グノールさんや他の皆さんのアドバイスや叱咤・激励を頂きたくお願いいたします。
多分何を言っているのか理解し難い書き込みになりましたが、今後ともよろしくお願いします。
101グノール:2000/07/17(月) 13:44
>ラッキー様
貴方の仰ることはよく理解できて居るつもりです。
わたくしの家でも相手の親族は多くが霊法会の信者であります。
つまりそれは大乗(導きとかお手取りとか、他の霊友会系の教団ではいいます。つまり、
勧誘のことだとおもってください)させてきたひとつの証であるのですが。
しかしそのなかでもラッキー様のように、この霊法会の教えが必ずしも万人に必要か
というとそんなことはありません。そして、すでに仏教とかそういう宗教的な教えを
しらずとも、中道を歩み、万人に慈悲の心で接し、菩薩行をしている方はおられます。
つまり、このような限られたセクトのなかに入って修行をすると言うことは、ほぼ
100%、どうしたらいいかわからない方々が入っているのです。したがって、
私の場合は身近に(私の親族と妻の親族とに)そういったすばらしい方がおられ、
霊法会に入っていなくとも菩薩行にはげんでいらっしゃるので、そういった方を
見るにつけ、それでも間違った修行をしたまま、様々な方を大乗させようとする人を
みるのは、他人への、または身内への迷惑ということが容易に想像でき(本人には
それはわからない。なぜならば、ただすばらしいからという、本人のものさしでの
感想で人を勧誘するので。)危険です。その監視役にわたくしがいるのだと思って
います。
わたくしどもの家でも一度話し合えば、夜を徹しています。すでにその時点で
間違った修行をしているからそうなっているのだと、強く実感してください。
そして、たぶんラッキー様の場合もそうでしょうが、一応は納得するのです。
しかし、行動が伴わない。結局は修行と銘打って、本部や講堂へいく。
それ自体はよいでしょう。修行の一環ですから。しかし、それは「行きたい」
からいくのです。つまり、わがままになるのです。そしてそれは日常生活に単純に
反映されます。私の場合は一日のスケジュールをすべてキャンセルせざるを得ません
でした。そして、そういった行動にでれば、かならず本人にその報いはかえって
きます。霊信仰という、かなり現代においては理解に苦しむ、しかしほんらい伝統
宗教団体が持っていたと思われる部分であるのですが、かならずその根幹となる
霊なるものから、間違った修行をしていれば、訓戒が述べられます。わたくしの
妻の場合もそうです。霊をおろして言葉をしゃべる発言者(はつごんじゃ)という
方も、下手なことを信者に言えないのです。そうしたら最後、いまやかならずマスコミ
などで叩かれますし、また、在家の仏教教団といっているからには、日常生活に
支障をきたすような教えや訓戒を霊の言葉を借りてるということでも絶対に言えない
からです。これは発言者自身に聞きましたので間違いないと思います。そして、
そういった、霊法会の中でも責任者に当たる方も、仏ではないので、完全じゃない
わけです。ですから信者も鵜呑みにしてはならないのです。しかし、かなり信心している
信者と一度でも話せば、いかに鵜呑みにしているかわかります。かならずしも全員が
そうではないですが。
ラッキー様の仰るように、夫婦であれば、そして貴方の、わたくしの妻が正論を
まだ正論とわかるのならば、いつかは同じ方向を見ていくことは出来るとわたくしも
信じております。わたくしも些少ながら、ラッキー様がいつかは問題なく関係を
つづけていけるよう祈っております。
そして正しい方向を見ていけば、それこそ霊法会でいうところの、そして霊法会を
通さなくても、「夫婦一体の(妙法一致の)修行」を積んでいけるのだと思っています。
102ラッキー:2000/07/17(月) 15:30
グノールさん、早々のご返事有難う御座います。
私には、グノールさんのおっしゃっている発元者の言葉が怖いのです。
なぜなら妻は離婚をし、5年ほど一緒に私と一緒に暮らし、別れた前の主人は今も霊法会で3人の子供もその主人の方にいるからです。
グノールさんのおっしゃるように、発言者自身の意思が霊の言葉として反映されるなら、それこそどんな言葉を発するかは目に見えているような気がします。
私は妻を心より愛していますし、妻も前の主人とは霊法会の影の修行に偏った前の主人及び本人の生活から破綻したと聞いています。
ですから5年もたった今、また霊法会の修行をしたいと妻が言った時には、言葉に出来ないような衝撃が走りました。
その気持ちは言葉には出来ないです。
ですがそのことで、私自身はそのことから想像できることですが、私たちは別れるようになるんだなと思い、それなら最後に自分が出来る妻への最大のプレゼントを考えたとき、別れても、別々の人生を歩いていくことになっても、幸せに生きていけるように今本当に正しい道を教えてあげたい、また自分も掴みたいと思った次第です。
それと二人で正しい道を見つけられたときには、本当にかすかな希望なんですが、二人で生きていくことも出来るんじゃないか思う気持ちで、自分自身を勇気付けています。
ちょっと感情が高ぶっていますので、これ以上書き込みできませんが、どのようなことに二人がなっても、これからの妻の幸せを本当に祈っている私です。
103グノール:2000/07/17(月) 17:58
>ラッキー様
わたくしも、貴方の身近な方との間柄同様、以前の投稿でも書いたのですが、
破綻寸前まで行っております。そこで妻が思い直し、そしてまた、親族のなかにも
霊法会に頑なに関わっていない方がおられ、それでも立派に日々を過ごしていらっしゃ
いますので、そうした方を妻も見ておりますので、まだよかったのかもしれません。
しかしそうはいっても、間違った修行をしている当人が、そのことをしっかり認識
していなければ、夫婦の間柄の破綻は避けられないかもしれません。これは本来
絶対あってはならないことだと思います。そして、ここが重要なことですので
述べておきます。わたしはやはり今も日々緊張感を伴った生活を強いられていますが、
そのなかで霊法会の母体になった霊友会の信者の方で、修行を積まれた方に、第3者の
目で判断を仰いでもらっているのですが、この方の言葉はかなり正しいと思われ
ますので、ここで言葉を借りて、わたしの思ったこととします。
それは。。。
霊法会の信者で、その関係者が霊法会に入っていない、またはわたしのように形上のみ
入っていて、なおかつ慎重に対処している者が居る場合、その相手に対し信者が
うまく導けない(すばらしいという教えをうまく伝えることが出来ない)のなら、
信者の方が、たとえ修行のためだと言っても、本部修行なり(つまり発言者の
言葉をいただく)とか、各催しに出るとかはキャンセルすべきである、という
ことです。もし、また相手の方と話す機会がありましたら、この言葉を教えて
上げてください。そしてこの言葉は霊友会の修行を積まれた方のみの言葉では
なく、わたしは発言者のかたにも同様なことを意見として述べ、「間違っていない」
とお墨付きをもらっておりますので、そして、もっと信者の方に納得行く説明を
すれば、私の妻は、考えを押しきって本部修行に行きましたが、わたしの言ったとおり
霊(この場合は初代恩師である、大門薬上菩薩と信者に唱えさせている方が降りてきた
そうですが、)からしかられたそうです。つまり、わたしの言ったことがそのまま
恩師の言葉だったと言うことは、わたしにとってみれば、いままで妻にしかって
来たことは恩師そのものの言葉であったと確信が持てたわけです。というか、
私どもの場合は、世間的にもその叱られた内容は当たり前のレベルですが。先祖の
因縁を教えてくれたとかそういったレベルではありませんが。前置きが長いですが
つまり、恩師の言葉でもあります、と言っても結構です。
これは決して私がたいそう修行を積んだとかそういうことではなく、充分当然である
といえる範疇のことです。霊法会にとっては基本中の基本です。
夫婦共に修行をするとは、たとえ霊法会に関わらずとも、同じ考えで、そして、妻
は一度、夫の家に入ったからには(逆のパターンもあるでしょうが)その家の人間に
(基本的には)なれるよう、一生懸命努力せよ。ということです。これは妻がはっきりと
恩師の霊なるものから言われたことだと、わたしに述べたことです。
わたくしも、そしてラッキー様も相手の方の信仰(といえるかはなんともいえません
が)を止めることはできません。しかし、その相手の方が「だめ」というまで、
しっかりと見守って上げてください。わたしは少しずつ、妻のみならず、そのほかの
霊法会に関わる親類の方にも私の姿を持って、こんな者もいるのだと身をもって見て
もらっているところです。
お互いにがんばりましょう。そして、私もそうですが、不安があれば、いつでも
書き込んでください。こちらも常に情報は発信したいと思います。

104ラッキー:2000/07/18(火) 00:58
グノールさんご返事有難う御座います。
妻と何日も話し合う中で何が正しいかについては結論はでていませんが、5年程ブランクのある霊法会への関わり(修行も含めて)は思い止まってくれたようです。
それと今までの二人の暮らしの上での、互いが心にしこりを持っていたところも分かり合え、根本的部分(進展はある)を除いては返って今まで以上に打ち解けあうことが出来ました。
でも根本的な部分の一致においては、グノールさんのような方が大変努力されてもまだ解決できないように、相当大変なことなんだなと感じました。
ただ私の場合はグノールさんのような方から貴重な意見・激励・ご指導頂き、それが無かったらと想像すると改めて感謝の気持ちで一杯になります。
それなのに私の方から、グノールさんの何の力にもなれない事がとても口惜しいです。
とにかくグノールさんの激励に恥じないように、これからもがんばってまいりますのでよろしくお願いします。
105グノール:2000/07/18(火) 09:42
霊法会にかかわる信者の方の最初のきっかけというのは多様です。
ラッキー様のお身内の方の場合もそうかもしれませんが、いわゆる2世といえる
のです。つまり、ものごころつかないうちから、親に連れられて信者となったのです。
これは、私の意見ですが、ものごころのつかないうちからの修行というのはかなり
むずかしいものがあるとおもわれます。いきなり法華経なりを読ませても、そして
講堂へいかせても、それは公園へ遊びに行く感覚と同じになり、とりもなおさず、
成人してからも、それは「自然」な行為となります。そうすると、人間としての
基本である、生き物に対しての慈しみの心とかそういったことを教える前に先祖
とかの話となり、必ずといってよいほど、片手落ちの修行に陥る恐れがあります。
在家仏教団体の共通意見として、強い懺悔の気持ちを持ち、自分のものさしで
人と接することなく、相手の気持ちになって利他行をおこない、ということが
あると思います。つまり、ものごころのつかないうちから修行に入ると、自分自身を
省みることができなくなるのです。このことは私の身内からよく学びました。
修行はすでに10数年に及んでいるにもかかわらず、です。
ただひとつだけいえるのは、霊法会に関わっている方で、他人に迷惑の
かかっている信者の方の場合、霊法会自体はそこにあるだけであって、結局は
本人の意思によって(勧誘されたとかもあるとはおもいますが)修行なりを
しているわけです。ですから、霊法会自体に問題と言うよりも、当人達の中身の
問題なわけです。
しかし大抵入れ込みすぎて、まったく周りが見えてこなくなることがしばしばで
すので、やはり個人的には監視する方がいたほうが良いとおもわれます。これも
様々なパターンがあるでしょうが。
ラッキー様は充分私の力となっております。こうして努力している方がおられる
とわかっただけでもわたくしにとっては大変有意義なことと実感しております。
106名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 00:46
ageru
107グノール:2000/07/19(水) 12:44
上げておきます。
108グノール:2000/07/19(水) 12:50
上げておきます。
10935:2000/07/19(水) 19:32
グノールさん、ご無沙汰しております。
前に何度かやり取りさせてもらいました35です。
インターネットは最近はあまりしていなかったものでここに来たのも久し振りです。
最近のログを拝見させていただきましたが、霊法会さんもいろいろ問題を抱えてお
られるようですね。

実は最近、妻が実家へ立ち寄った際に義父母より、前世の因縁の霊示を受けたとか
何とか盛んに聞かされてきたようです。
詳しい中身はわかりませんが、義父母の法座のある人の前世の因縁がわかったとい
うことです。
その霊に法名をつけて、懺悔をして、真心から供養をしたら、その人の子供が長年、
患ってきた喘息が完全に治ったそうです。(もちろん今のところということでしょうが)
不可思議な話はいくつか今までにも聞いておりましたが、たいていは先祖供養に関す
る事が多かったのですが、前世と聞いて少々、驚きました。

霊法会さんやあるいは霊友会さんでもこうした前世の因縁云々ということは言われます
でしょうか?
因縁といえば、先祖関係ばかりではないでしょうか?

私個人としますれば、アメリカの医者が書いた「前世療法」や「輪廻転生」といった
本を読んだこともありまして、多少、関心はありましたし、人間が輪廻転生するとい
うことはほぼ信じています。
当然、それに付随する業や因縁というものも存在し、影響していると思います。
因縁といえば自分の因縁が基本であり、義父母等が先祖の因縁ばかりをことさら
とりあげるのはおかしいとは前から思っておりました。

ただいくら前世や前世の因縁が存在するからといってもこの世を生きる我々人間に
とれば「今」が一番、大切であるということは論ずるまでもありませんが。
このあたりグノールさんはいかが思われますか。
また霊法会さんの修行を積まれた発言者の方からはそうした前世の因縁的な言葉は
出てきますでしょうか?
それとも発言の霊示はもっぱら先祖や家系のことだけでしょうか?
少々、気になったものですから、差し支えないところで教えていただければ有り難いです。
そして

110グノール:2000/07/20(木) 16:34
>35さま
おひさしぶりでございます。また、やりとりが再開しましてうれしゅうございます。
さて、まず、霊法会関係の質問から答えておきましょう。

霊法会の本部修行における、霊をおろす発言者からの言葉は、前世にまで遡って
その因縁について語られることはしばしばのようです。前世において、無理な大乗を
させた人が恨んで出てくることもあるようです。
霊法会もたぶんに漏れず、その基本修行のひとつとしてあるのは、先祖の因縁浄化
です。ですから、ことさら先祖とその因縁にこだわるわけです。
かなり昔の先祖なり、前世における因縁が今現在のことばを受けた人に、その影響が
でているというわけです。
ここでよく考えてください。自分自身の先祖とはいっても今現在の親類関係でも
大量の方がいらっしゃるのに、先祖ときたら、しかも何代も前、そして前世であれば
もう計り知れないこともあるわけです。そうなってくると、ある特定の人物を
先祖に持つ方は大量にいらっしゃるわけです。ですから私は個人的には必ずしも
先祖の、前世の因縁がわかったといっても、かなり?であります。それを本当か
見極めるのがむずかしいですし、あくまで自分の言葉ではありませんし、そして
発言者の状態にかなり左右されることだからです。
それは、宗教的には「信じていなくてはだめ」ということになりますし、
そうでなければ、「いかれてる」と言われかねないことです。そして、因縁や
業がいわゆる神通力によりわかったとして、たしかにそれは言えているのであれば、
それも受け入れましょう。しかし、今を生きる私が業(カルマ)を浄化すると
いうのは、まず、それは私自身の中に生きづいている生命が過去から未来へ脈々と動いていて
その途中でたまたま出てきた「なにか悪いもの」と思うのです。そして、人間で
或る限り、宗教的な考えということになってしまうのでしょうが、業を浄化
しなかったらいつしかまた人間に生まれ変わって修行のしなおしということです
ね。それも宗教という枠をとびこえて、私自身はつねに感じていることなんですが。
ですから、私がその業や因縁を浄化するという行為は、まず、じーっと、自分の
内なる声を待つんです。すると、「なにか」が様々な形や声となってあらわれて
くるんです。そしてその「なにか」の側に立って、物事をかんがえてみるんです。
そうすると、すっとするんですね。このことは最近読んだトランスパーソナル心理学
関連の本ではっと気づいたことなんですが、わたしはある程度、同じ行為を以前から
していて、びっくりしました。それと同時にいま、こうした宗教とかかわりの
なかった分野が関わってきて、そして、いままではなんでだ?とおもっていた
不思議な事象が、説明できると言いますか、公に出来る時がきた感じです。
そして話は飛んでしまいましたが、わたしが自らの内面を見つめるときの行為は
とりもなおさず、霊法会での大乗(勧誘)行為おける利他行などで、まず、相手の
気持ちになって考える(別に大乗行為と言わなくても、日常での生活で人のために
なにかをするということでしょうが)という基本事項がここに生かされてくるの
ですね。ですから早い話、自分の内面にある、自分が生きている上でするべき役目
のような、本来持っている可能性みたいなものを見つけ、体感するためにみんな
宗教なりの力を借りているのではないでしょうか。それにしても囚われ(執着)
ている人ばかりのような気がしますが。本来の目指すところを忘れているといいますか。
前向きに捉えますと、こういったことを示唆している伝統仏教や新宗教は
その限られた枠でというのはわたしには納得行かないことなんですが、その教えには
わたしが今書いた、本来目指すべきところを捉える方法等が内包されていることに
なり、それはすばらしいとおもいます。
大事なのは、どんな宗教(かなめのおしえ)に携わっていても、「今」と「自分」
は常にここにあるということを忘れてはならないということでしょうか。
なんかよくわからなくなりましたが、わたしが体感してきたことでありますので
説明があやふやになってしまいました。
これからもよろしくお願いいたします。
11135:2000/07/20(木) 23:13
グノールさん、心のこもったレスどうも有り難うございます。
それからこちらこそよろしくお願いいたします。

グノールさんの回答、響くようにわかります。(わかるつもりです)
私も以前から不審に思ってきたことがありました。それは先祖供養の意味です。
先祖がいて自分がいるということは当然のことですが、単純計算してみても10代
前には約1800人の先祖が実在したということになりますね。
それ以前に遡れば天文学的数字になるといっても過言ではありません。
当然、その先祖は他の人々との先祖ともバッティングしているとは思います。でも何故、
星の数ほどいる先祖の中で特定の先祖が作ってきた業や因縁が他ならぬこの「自分」
に影響するのか。特定の先祖がこの「自分」に頼ってくるのか。
同じ親から生まれた兄弟でも性格や体質、幸不幸といった人生模様は千差万別ですよね。
そのあたりがどうしてもわからないのです。
先祖をたどっていくと究極的には誰でも同じ先祖になってしまうのではないかなという
ことではないでしょうか。では何故、先祖供養ということにかくもこだわったり、それを
人生を開いていく最大の秘法のように扱うのか。よくわからりません。

でも先祖というものを3〜4代前までぐらいに限定して言えば、先祖供養は意味がある
ような気もします。
孔子の言葉でしたっけ確か「積善の家に余慶あり。積悪の家に余殃あり」というのがあ
ったと思うのですが、親や祖父母の作った善行や悪行が子供や孫に影響することは事実
だと思うからです。(ただその際にも何故、その影響が特定の子孫に強く働いたり、弱く
働くのかは不明ですが。もしかしたらそれが前世の因縁?)

私の義父母も世間の常識や通念よりも不可思議な霊示の方を何よりも優先しているよ
うですし、常々「理屈よりも因縁だ」と言っております。
私もある部分では因縁の働きは共感できるし、納得できるのですが、それを絶対的に
押し付けてくるような雰囲気には辟易としておるのも事実なのです。
(実の娘である私の妻も同じです)

>ですから早い話、自分の内面にある、自分が生きている上でするべき役目
>のような、本来持っている可能性みたいなものを見つけ、体感するためにみんな
>宗教なりの力を借りているのではないでしょうか。

これは私もそういう気がします。

>大事なのは、どんな宗教(かなめのおしえ)に携わっていても、「今」と「自分」
>は常にここにあるということを忘れてはならないということでしょうか。

本当に仰る通りだと思います。
私は先祖供養(これには全面的に賛成できませんが)をどれだけしようが、前世の
因縁をどれだけ力説しようが、それが「今、ここ、自分」ということに反映、ある
いはフィードバッグされるのでなければ全く意味や意義を持たないと思います。
逆にいくらおどろおどろしい前世の因縁だ、先祖供養だとある意味、世間より遊離
したカルト的、独善的雰囲気を醸し出している宗教であろうとも、「今、ここ、自分」
の生き方に反映されて、現実として自分を高めているのであれば、また素晴らしい人間
性を培うのに資するものであるのならば、そう大きくは間違っていないような気がしま
す。(うまくは言えませんが・・・)
これらはあくまでも私の個人的見解ですが。
112グノール:2000/07/23(日) 23:21
とりあえず上げておきます。
また、明日にでも書き込みしたいと思います。
113グノール:2000/07/24(月) 10:31
少し間が空きました。
>35さま
>孔子の言葉でしたっけ確か「積善の家に余慶あり。積悪の家に余殃あり」というのがあ
ったと思うのですが、親や祖父母の作った善行や悪行が子供や孫に影響することは事実
だと思うからです。
良い言葉ですね。とても感銘を受けました。
先祖供養はなにもたいそうなことをしなくてもいいと思います。以前にケロリン様が
仰っていましたが、お墓へいって、手を合わすだけでもけっこうスッとするもの
ですよね。それでいいとおもいます。霊法会のように細かくこうしなさいというのは
方法論なのですね。そして、先祖供養ってどうすればいいんだ?と言う人がそこで
学ぶわけです。が、かなりの確率で「そうしないとだめだ」と思いこむ危険性が
あります。
わたしなどは、小さな時から、お仏壇に向かって(べつになにも祀っては居なくて、
亡くなった親族の方の写真や犬の写真がかざってあるだけです)手を合わせて、
ナムって言ってただけですけど、それでもなぜか親戚をはじめお知り合いから近所
の方まで1年365日のうち300日以上はだれかがお茶を飲みに話をしに
やってきました。それはとても印象深いことでした。
わたしは人を大事にするということをここから学び、また大事にすれば、それは
自分自身に返ってくることを知りました。逆もまた真なりです。
そして強く実感しているのです。宗教団体という枠に入ると言うことは、会社に
入るのと全く一緒なのだと。わたくしの実家は霊法会で言えば、法座みたいな
感じでした。人の悩みを聞いて、時には尽力して、そんなかんじでした。
でもなんの団体にも入ってません。このことにより、わたしはごくあたりまえに、
人の立場になってものを考えることを小さな時から教わっていました。言葉では
なく。
会社のロビーに行って、わたしの魂を救ってください。とか言う方がいますで
しょうか?これが基本です。団体にはいると言うことは、その教えにより、様々な
まっとうな人になるための方法論を提示されるだけなんです。ですからもういいか、
となったらやめたっていいんです。それがどうしてわからないんでしょう?
とある方が言ってました。その方は法華経のすばらしさを説くのですが、と同時に
データもちゃんととっておられます。霊的なもの、というのはみんな懸念している
ところと思います。しかし、人一倍努力して、まっとうな人間になろうとしているのに
どうしてもうまくいかない方が居て、そういう人に「なにか」がじゃましていること、
それが霊的といえるかもしれない、ということは30%くらいしかないそうです。
だいたいは先祖の因縁で「すべて」を片づけてしまうことが宗教団体では多々あると
いうことです。
ほんとになにかとてつもない悩みを抱えていたら、藁をもすがる思いで宗教団体の
門を叩くこともあるでしょうが、わたしの見る限り、現代においてはそんな方は
まれではないでしょうか。別に団体に入っていなくてもよい悩みがほとんどです。
そして前述の通り、宗教法人なのですから会社となんらかわりないわけですから、
信者の方がより多くの方を勧誘できなければ、なんでうまくいかないんだろうと
悩み、より一層宗教に打ち込むわけです。信仰とは違うわけです。
霊法会でもお役目と言ってさまざまな仕事があります。講堂の掃除をしたりとか
ですが、これも宗教だから無償で(もちろんそれが菩薩行の基本だと教えるわけ
ですが)するのですが、だからといってそのままというわけでなく、大抵は
うどんなどをみんなでつくって食べたり、お供え物を皆で分けたり、楽しみが
あるわけです。ですから、そういうこともあって皆続けていけるのです。もし
これが本当に出家したように、ただただひたすら日々掃除をしていたら、はたして
続けていけるでしょうか?ここが在家の仏教といわれる所以であります。
本当に法華経がすばらしかったら、一生懸命その全体像を読み解く努力をするで
しょうし、人にも説くはずです。霊法会などで使っている経巻は抜粋版で訳も
ないのです。でも少なくともお題目の「南無妙法蓮華経」の意味をしっかりとふまえ
唱えていれば、そしてそれがすばらしいというのなら、それに付随することは
どんどん個人で高めていったりするのではないでしょうか?
また長々とすいませんでした。
114グノール:2000/07/25(火) 09:24
上げておきます。
115グノール:2000/07/26(水) 09:39
ここまでの霊法会の情報について、いくつか修正点が見つかりましたので、
ここで書いておきます。
まず、霊法会の恩師とは、初代のかたは亡くなって大門薬上菩薩となっているの
ですが、次の方を(つまり三男の方を)今は恩師と言っているそうです。
それから、以前わたくしが講堂に行ったときに流れたテープですが現在の恩師の
兄に当たる人ではなく、弟さんだそうです。それから国家の安泰を願う意味から
天皇家のある夫婦の写真が。。。。といいましたが、現在の天皇皇后の写真でした。
これはどんな宗教団体にも言えることかもしれませんが、一度でもその教え等に
囚われると、たとえテープが流れて、それを聞くだけなのに、恩師の家族という
ことで(その恩師がどういう方がよく知らなくても)額ずいて聞かなくてはならない
のです。このことに疑問はないのでしょうか。会社の部長の訓示を額ずいて聞いて
いるのと同じだとは、どなたも思わないのでしょうね。
116グノール:2000/07/27(木) 09:12
さて、最近の状況を述べましょう。やはり、私の身内はとくに朝晩のお務めのときに
はどうも精神が不安定です。それでもその状態をよしとしていないことは少しずつ
解っていくと思います。日々懺悔です。その成長ぶりを見ていきたいですが、
まだまだ囚われている状態です。

117グノール:2000/07/28(金) 09:44
上げておきましょう。
118グノール:2000/07/28(金) 21:45
age
119名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 01:04
あげ
120名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 16:06
本部修行で霊がおりてくるというけど、
要するに、後何人大乗せよと約束させられるだけ
でしょう、大体。
発言者の奥さんのほうが、声をおどろおどろしい感じにして、
先祖が人を殺したとか、悪いことをしたといって、
その因縁をきるには、大乗しかないといって。
今考えるとばかばかしいが、その当時は信じていた自分がいや。
121名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 16:12
あと、幽霊会員が多い。
知り合いに話をして、親とか親戚の名前を適当にきき、
勝手に入会したことにしてしまう。
そして、毎月200円ずつ肩代わりしていく、何十件も。
自己満足でしょうか。
話を聞かされた人は大体、入会させられています。
その人には別に害はないけど。
122グノール:2000/07/31(月) 23:19
120、121さま
投稿ありがとうございます。霊法会の会員(であった)方ですね。
そうですか、本部修行とはそういったものなのですね。
わたくしがほぼ思った通りでした。
教義の中に、大乗させる(導いてくる)というのが大事な修行の一環と
あるわけですが、やはり、発言者も人間、宗教法人の方であるわけですから、
やはりその人によりけりでしょうが、だいたいが大乗させることを約束
させるというのは、ちょっといただけませんね。
わたしはいまや霊法会も宗教法人と掲げている限り、たとえどんな事情が
あるにせよ、会社と代わりの無いものだとおもいます。ほんらい修行は
各人がやっていくわけでありますから、一生懸命本部修行を「受けたい」
と思う行為がわたくしにはすでに間違っている行為と確信できました。
ありがとうございました。ある意味もやっとしていたことが晴れました。
123グノール:2000/08/01(火) 23:22
霊法会には幽霊会員が多いという121さまの言葉も頷けます。
わたしが入会の際にもなぜか導者の欄には、入っていないはずの相手の
父親の名が入っていて不思議に思ったことが有ります。
夫婦のうち片方でも入れば、両家族の先祖代々の供養がはじまるわけで、
実際はどうあれ、形だけでも「世帯」または「夫婦」が入会したことに
しないと、なにかまずいことでも(教義においてとか)あるのでしょうか。
だれもそういったことに疑問が無いのかと思うと、それもどうしたものか。
善し悪しを見分けるのもまた、宗教(団体)に関わる人の大事な修行の
一環であると思います。個人個人が行う信仰とは違うのが残念ですね。
124120です。:2000/08/02(水) 01:40
グノールさん、どうもです。
サルベージしてくれたんですね、このすれっど。
この板は、しょっちゅうあげとかないとすぐ消えてしまうようですね。
霊法会自体、宗教の中では、ソフトで健全な方だと思っています。
会費も月200円だし。
教義自体もエキセントリックなところはないし。
大乗だ大乗だといわれて、周りの人にやたら話をして、浮いてしまうより、
自分だけで、経典とかを読みこむとかしているだけの方が救われる気がします。

私は、経典を読んでいる限り、物事が良い方向に向かうという
信じれば救われる、というプラス指向の教義だと思います。
125グノール:2000/08/02(水) 11:57
120さま、ありがとうございます。
なかなかこのスレッドは下がる傾向にあって、といいますか他のスレッドの
投稿が早いのでなかなかおいつけませんね。

わたくしも霊法会自体はソフトだと、総合的には思います。結局は
入会している方々の気のもちようでして、ただ、本部修行を受けると
たいていはその雰囲気に圧倒されて(120さまの仰るおどろおどろしい
言い回し等)我を忘れてしまう様ですね。なぜにそうも言葉使いを
変えるのでしょうね?そしてなぜ鵜呑みにする方が多いのでしょうか?
法名をつけるのも、まるで義務の様に、人の気持ちとそぐわないくらいに
つけまくる、というイメージがあるのも不思議な所です。
法華経自体には、真理をあらわす表現が随所に有る訳でして、そうとらえれば
なんら問題はないのですが、その真意を知らずして、ただ読むのでは意味は
掴みとれないと強く思います。
126名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 22:40
あげ
127名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 11:31
age
128名無しさん@1周年:2000/08/04(金) 22:52
ageru
129名無しさん@1周年:2000/08/06(日) 13:14
age
130名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 00:24
ageru

131グノール:2000/08/07(月) 10:01
久しぶりに書き込みます。
最近思うのですが、やはり法華経はかなり現代においても、言い回しはともかく、
かなり日常生活にのっとった内容をもっているとおもいます。
やはりガイドブックにするには最適とおもわれます。
132つばめ:2000/08/07(月) 13:15
>グノール様
なぜそう思われたのですか?
133グノール:2000/08/07(月) 16:03
>つばめさま
投稿ありがとうございます。
わたくしが法華経をガイドブックには最適と思いましたのは、まだ私自身すべてを
網羅したわけではありませんが、現代語に訳すと、随所に真理といえる事柄が
ちりばめてあるからです。もちろん信仰をする上での教典なりにはどんなものにも
真理を述べているものはあるとおもいます。しかしたまたまわたしの場合、法華経に
触れる機会があったものですから、調べているわけです。そうすると、結構勉強に
なる箇所があります。
一般的には一大スペクタクルのような物語展開を見せている、という解釈ですが
そればかりではないというところですか。
134グノール:2000/08/08(火) 10:24
上げておきます。
135つばめ:2000/08/08(火) 19:33
>グノール様
返事ありがとうございます。
最初の書き込みからずっと読ませてもらっています。
しかしbP31の内容が今までと感じが違っていたので質問させていただきました。
グノールさんのおっしゃることは、霊法会へというよりも奥様に対しての不満であるか
のようにかんじるのですが?
136グノール:2000/08/09(水) 10:00
>つばめさま
投稿ありがとうございます。
わたくしも日々勉強中でございますので、様子が変化してくることはありえると
思われます。
まさにつばめさまの仰るとおりで、身内のものへの不満は存在します。
一方それは私自身の不満ともいえるわけです。法華経とはどういったものかという
概略もまだ解らない状態ですので、様々な人や、また、信仰をしていらっしゃる
方々の経験、知識を頂戴しながら、わずかばかりでもまっとうな人間になれるよう
に精進していきたいと思っております。
わたくしはいつかは妻に限らず、霊法会、ひいては霊友会系の諸団体のかたがた
のうち、わたしのおもう間違った行法をしてしまっている方々が自ら反省することで
いつかはまっとうな人生が送れるようになると信じております。
単純にそこかしこにある真理がつかめれば、いつかは行動に移せるのだと思って
おります。また、宗教とは団体であり、企業であり、?�ニいうことを大前提に理解
することも重要だと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
137ラッキー:2000/08/10(木) 01:15
グノールさん、先だってはいろいろとご指導くださりありがとう御座いました。
おかげさまで現在妻は、霊法会の呪縛も溶け、平穏な日々をおくらさせて頂いております。
それというのも霊法会のいいところ(表の修行?)を私が認め、この掲示板に書かれていることを印刷し、また新しい書き込みがあれば追加して妻に見せておりました。
よくは分からないのですが、妻は大乗を沢山し、大乗された方がまた大乗することによって
ある一定以上の数をこなし、発言?の修行を出来るくらい(していた?)になっていたそうです。
それでもここの書き込みを見て、霊法会の活動に参加しているときに不信に思っていたことが納得(まちがっていると)できたみたいです。
ただ現在の教祖は今も尊敬しているようですが・・・。
グノールさんも法華経を勉強されているようですが、私も昔はある宗派(日蓮系)で永く勉強(実践系)しました。
私自身偏った解釈もあろうかとは思いますが、法華経についても意見交換しましょう。
138グノール:2000/08/10(木) 11:39
ラッキー様
お久しぶりでございます。
落ち着いてきたご様子を拝見でき、とても嬉しく思います。
わたくしどももわずかばかりではありますが、わたくしの日々の菩薩行を表す
(といって、単純になるべく規則正しく生活するというだけですが)ことで
徐々に前に進んでいる感じです。2歩下がって3歩進めば良いくらいです。
わたくしこそ、なんら法華経を理解していないわけですから、ラッキー様に
教えて頂かねばならないことは多々あると思われます。今後ともよろしくお願い
いたします。
さて、霊法会の信者の方は、大抵恩師にすがる思いの方が多いと思われます。
「恩師は一人」という教えの通り、絶対的な信頼の上に成り立っているわけです。
初代恩師は亡くなられ、大門薬上菩薩となり、いまだ霊となり本部修行のなかに
出てくることもあるわけです。しかしよくよく感じていただきたいのは、そうまで
しないと本部修行を受ける方々には納得させられないのです。変な話ですが、
初代の恩師を介してまで、本部修行において先祖の因縁浄化をさせたりというのは
必ずしも各修行者にとってどうか?という感じです。どんなことをいわれても、
それを体感し、しっかりと各人の内に問いただす行為ははたしていかほどの方々が
なさっておられるのでしょう?人を大乗させるようにということをよく言われたとの
投稿が以前120さまからありましたが、それはほんとに霊法会に入れろと言ってる
のでしょうか?そうではなくて、各人々が日々「なんで生きて居るんだろう」と
漠然と感じていることを感づかせるきっかけをつくってあげるとか、そうする行為
から自らもなにかの役割のようなものがあることを感づかせてもらうといった、
切磋琢磨のようなことが、大乗ではないのでしょうか?わたしは本部修行を
受けません。これはとても問題のあることなのでしょうか?本当に万策尽きた方が
どこにも頼ることができずに、いくら行動をおこしても良い方向に行かないという
方が受ければよろしいのではないでしょうか。
こういったことをよく理解された上で、その元の教えを説いた恩師なり、そのまた
恩師である、霊友会の久保恩師なり、そういったかたを尊敬するのは良いとおもいます。
ただ、なにもわからず、救ってくれたから、とか、そしてその救いとはなんぞや?
ということがわからずただ周りの方々の言うとおりに尊敬なさいといわれたから
尊敬するのでは、片手落ちといわざるを得ません。こんな言い方は失礼かも
しれませんが、宗教とは企業なのです。その教祖、つまり霊法会では恩師は一国の
社長なのです。そこをよく理解していただきたいのです。信者にはさまざまな
教え(商品)を提示しているだけなのです。そこから自分の気に入ったもの、または
良いと判断をつけたものをみな選択していくのです。霊法会といえど、この長い
歴史の中で様々に変化を見せてきているはずです。同じ霊友会系の立正佼成会では
シャーマニックな言葉を述べる(霊法会で言うところの発言者)という修行は
脇祖であった長沼さんが亡くなられてからなくなったそうです。方向転換を時代と
ともに行ったわけですね。霊法会も独自のものを出そうと変化してきているはず
です。
大変長々と失礼いたしました。
139グノール:2000/08/11(金) 17:41
age
140名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 00:04
age
141グノール:2000/08/17(木) 09:00
age
142ラッキー:2000/08/18(金) 00:33
グノールさん、こんにちは。ラッキーです。
ご返事遅れて申し訳ありませんでした。
もしよかったら個人的にメールのやり取り(霊法会についての)したいのです
が、メールアドレスは私のようにMSNのホットメールアドレス(無料)でも
結構ですので、お願いします。

143グノール:2000/08/18(金) 10:39
ラッキー様、お久しぶりです。
わたくしも私用のため、しばらく留守にしておりました。
わたくしのメールアドレスをいれておきました。フリーメールの方ですが、
こちらでもよろしいでしょうか?

わたくしも霊法会の情報発信はできるかぎりしたいですが、霊法会にかかわる
方のなかで、インターネットに接続している方の絶対数が少ないのか、なかなか
交流が持てませんので、このスレッドはいつでも霊法会関連の方々が見られるよう
にしていきたいとおもっております。
144グノール:2000/08/21(月) 10:05
上げておきます。
145グノール:2000/08/22(火) 09:41
霊法会関連の方以外でも霊友会系の諸団体の方々、また、会員以外の方でも
ぜひ書き込んでください。
146グノール:2000/08/23(水) 10:00
age
147ラッキー:2000/08/24(木) 01:52
グノールさん、メール届いたかな〜?
148グノール:2000/08/24(木) 10:26
ラッキー様、すいません。ちゃんとメール届いていますよ。また、フリーメールか
個人メールから返信させていただきます。失礼しました。
149グノール:2000/08/24(木) 11:13
わたくしはただいま、霊友会から分かれた立正佼成会の開祖様である、庭野日敬様
の昔の本を読んでおります。生い立ち等、個人伝記でありますが、とても楽しく
読んでおります。宗教と言うものは各教団毎に教義をつくり、各教団の解釈で
修行をしていくという行動に出たら最後、一致団結して、ひとつの固まりで(例えば
一緒に修行をするなど)行動していくことは難しいのだということが解りました。
まだ全編終わっておりませんので、また感想は後ほど。
150グノール :2000/08/25(金) 11:09
上げておきます。
151グノール :2000/08/28(月) 09:48
age
152名無しさん@1周年 :2000/08/29(火) 09:19
age
153名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 09:57
書きこみがグノールさんばかりていうのもいかがなものか、
他の人の書きこみもみたいな、でもないだろうな。
154グノール :2000/09/05(火) 10:11
ちょっと間が空きました。
霊法会の、といいますか、霊友会系の在家仏教をうたっている教団の大切な修行の一つに
大乗(導き)があります。わたくしの書き込みには様々な印象を持たれて
いると思います。足りないところとか、間違っているという意見はあるとおもいます。
ですから、そこに対して、もし、在家仏教の教団に関わっている方がそれはおかしい
とか、違うというはっきりとしたことがありましたら、
わたくしをしっかりと大乗させていただきたいと思います。
インターネット上ですから心の交流は持てないという感じでしょうが、わたくしは
必ずしもそうはとらえません。その文面を通してつたわることはありますし、
そしていろいろな地域に住んでいらっしゃる方どおしで、
いままでは交流ももてなかったことがこうしていとも簡単に持てるのです。
わたくしは以前より、霊法会の本部修行等を受けるために
物理的に難しい方もいると言うことを言って参りました。ですからその件だけに
限らず、さまざまな修行をされている方が、インターネットを介して、大乗につながる
教えや体験を述べていくという行為は、とても大切なことと思うのです。
そして、もっと重要なことをいえば、宗教と信仰は全く別物なのです。
信仰はとても個人的なことだと思います。その信仰の手助けをするのが宗教です。
ですから、とても注意深く接しないと人生そのものがずれた方向へいってしまうでしょう。
いやなら宗教に関わる必要はないし、そして、宗教に関わる方々が「信仰をしてる」
ということで、これから信仰をしようとしてる、また信仰をすべきと判断した人に
大乗行為をする際に、喧嘩になれば、どんな場合でも宗教者の方が、すぐにその場では
折れるべきです。そして懺悔する。気付く。また大乗へ。そして、重要なのは
(個人的)信仰をしていれば、なんらしなくても、良い方向へみんな向いてきます。
これはわたしの経験からはっきり言えます。どんなつらいことがあっても利他行を
はじめとする菩薩行をなんの下心もなくしていれば、必ず方向はかわってきます。
長々と失礼いたしました。
155グノール :2000/09/18(月) 10:20
大変久しぶりに書き込みます。
最近やっと、立正佼成会の故・庭野日敬氏の本を読み終わりました。とても常人には
できないくらいの行動力の会った人と認識しましたが、とても印象的だったのは
当初教団を作った折、みんな病気直しを目的に集まってきたというのが時代といえば
それまでなのですが、それが大きなきっかけとして多くの信者が集まったという
ことです。しかし、一方、それだけで、直ればすぐに出ていってしまう人がいて、
それは残念だとも書いておりました。これは大変注意深く接しなくてはならない問題
ではなかったかと思います。なぜならば、たしかにごく少ない割合で、説明のつかない
事象で悩み、それが病気に繋がっているということはあると思います。が、
例えば当時の脇祖であった、故・長沼妙佼さんの神示によりそういった様々な
事象を解決していたという事実は当の会長である庭野氏も半分は否定的でありました。
いわゆる霊法会で言うところの発言者の言葉と同等のものでありましょうが、庭野氏は
法華経に乗っ取っていないものはとことん反対したそうです。そうすると、不思議なもので
その後には違う神示がある。つまり、当の発言をする人間も我執というものがあるん
ですね。そして、ほんとに霊能者であれば、先祖の因縁ととにかく言うのならば、
その先祖の亡くなった年月日、どこのだれか、当人とどういった関係にあるのか等
すべてクリアにわからなくてはおかしいのです。これは当たり前のことです。
ですから、先祖の因縁と言うことに、特にこの現代においては囚われている方が
ほんとに多いのでは?ととても不安にかられるときがあります。それはとても
悪い方向に向いていることは否めません。
信仰することは、病気直しではありません。宗教は悩み相談室が第一目的では
ないはずです。そして、信仰をするというのならば、そのことは第一に理解して
おかなくてはいけないはずです。
わたくしが読んだ庭野氏の本はオウム事件よりもずっと前の著作であります。
これからの未来のことを心配しておりました。彼らの草の根運動により様々な宗教者を
育てていっていたにもかかわらずオウムのような自称仏教徒集団が出てきてしまい
ました。このことを新宗教の宗教者は強く心に刻まなくてはなりません。
また長々と失礼いたしました。
156カエル :2000/09/29(金) 02:43
あ(^◇^;)ゲロゲロ〜〜〜♪♪
157とむくん :2000/10/04(水) 13:29
始めまして!
どうして霊法会の信者さんが 書きこみされないかお教えしましょうか?
ここでひろまっていることのほとんどが 誤りだからです
それを一つ一つ 議論しながら 聞く耳を持たない皆さん、誤解から始まっている皆さんを
説得しようとは思わないからです
興味ありません
本当のことを知っている人が居ない所での話し合いは 無駄ですよ
霊法会は 法華経を勉強して学者を作るところではありません
実践するところです
実践以外 心で理解することは不可能です
アタマでの理解も 「半年間 会員だった」方が先生では無理 かと・・・(失礼ながら)
158グノール :2000/10/04(水) 15:05
>とむくん様
返信をしていただきありがとうございます。
まったく貴方の仰るとおりで、わたくしなどは誤解だらけだということだという指摘
ありがたくお受けいたします。だからこそ、貴方様のような方に本当の姿を書き込んで
頂きたいのです。わたくしは頭の理解をしようとは毛頭思ってません。法華経の話も
知らないのですから、ごくわずか霊法会の方などから聞いたことしかわからないわけ
です。
そして、霊法会は実践するところというのはわかります。
わたしはまず実践ばかりをしていましたので、わずかながら頭での理解?も試みて
いる、といった感じです。
では、ひとつ議論の的を絞って、答えてはいただけませんか?それは、
ことさら本部修行を受けたがる傾向にあるのは、わたくしの思い違いでしょうか?
そして、本部修行を受けることはどういう意味があるのでしょう?
それから、そういったある意味特別な修行を受けるときに家族の理解がなくても
行って良いものでしょうか?
以上、3点です。よろしくおねがいいたします。

一つ誤解のないようにいいますと、わたくしは「先生」ではありません。まさにそれは
霊法会の法座主の方々がその役目ではないでしょうか?わたしはわからないゆえに
問題を提示しているにすぎません。そして書き込みがないからといって、それがどうだ
とも思いません。すべてわたくしの思うところを、「掲示板」ですので、つらつらと
述べているのです。それに反応があったらうれしいし、ありがたい。それだけです。
ですから、霊法会の信者であろうがなかろうがどんな方の反応でも大変ありがたく
おもいます。

それからわたくしの戯言のどこが誤り、つまり誤解となって世間に霊法会のことが
伝わっていると仰るのなら、すぐに指摘してください。信者の方ならば、すぐに
わたくしの言っている霊法会に関してのことを正してください。わたくしは
大乗されていないのです。手紙、直接対話、等、可能なときは霊法会の信者さんと
話したことはあります。しかし、その状況が全く個人的なことで恐縮ですが
できなくなったのです。ですからこうしたネットを利用させていただいています。

それでは、よろしくおねがいいたします。
159とむくん :2000/10/04(水) 16:56
例えば『大乗』と易々と仰いますが 理解の上での仰せでしょうか?

また、法座主は先生ではありません
法座主もまた 修行中の身
あなたは「支部」について触れられていないようですが 支部長も同じです
霊法会に「先生」は存在しません

御本部修行についての 認識も基本的に間違っています
法座主を先生と考えておられるなら それこそ あなたに縁(えにし)ある
御法座主さんにおうかがいなさっては いかがでしょう?
私は 「役目」ではありません
言葉での説明は あなたは何度も受けられていますよね
聞こえていないかも しれませんが
それがないとすれば これほど興味を持たれるのは不自然では??

本当に真実を知りたいなら
霊法会本部事務所直属、支部ではなく『本部』をお勧めします
先代の御次男が『本部長』を勤めています
本部長は 毎月第1日曜日朝7時
御本部境内の集会所にいらっしゃいます
半年で 辞められたなら
半年も続けてお話を聴かれたら いろいろな問題は解けましょう・・・
支部・法座を問わず入ることができます

各支部・各法座によって 考え方、モノの見方は違いましょうが
「本部」は 偏りの無い 創設当時の流れをのこしているようです

私があなたに 教えて差し上げられるのは このことだけです

言葉で知って 頭で理解しても余り意味はないのです
少しずつ 悟るのがよいでしょう・・・
でも、本当に先輩が仰るとうり「実践」なさっていらしたなら
このような やりとりは生まれないものなのですが・・・
「只 実行」ではなく、『分別・広説』です
正しく行じなければ悟れません
その程度のことは 申し上げるまでもないですね

役目違いのことを 多々申し上げたかもしれません
出過ぎた点が 御座居ましたら 御許し下さいませ
160グノール :2000/10/05(木) 01:40
とむくん様

数々のわたくしの間違いを指摘してくださり、誠にありがとうございます。
私の認識違いはかなりあるようです。
これもなにかの出会いでしょうから、大変ありがたく思います。

わたくしがなぜこうも本部修行の事をとりあげるかといえば、単純な話、
わたくしの身内がすべてを投げ打って受けにいったからです。
そうまでして「行かなくてはならないものなのか」と単純に疑問におもったのです。
年末年始におきましても、初賀式?ですか、その式に参列するのが最優先で
家のことは二の次になってもよいものなのでしょうか?
そうすると、わたくしは今もそうですが、このように霊法会に対して正しく
認識していない私が、単純に霊法会とはそういう教えをとくのか?とおもって
しまうんです。
仏教の用語も認識不足のわたくしが、仏教用語をならべられてもよくわからない
というのが本音です。では、ここで述べるなという方も多々いらっしゃるでしょう。
しかし、毎日霊法会にかかわる身内がいて、宗教に接していないわたくしという
人間がいるとき、霊法会はどうわたしに接していただけるのでしょう?
先祖の因縁といわれても、わかりません。「実践」とは霊法会の言う実践ではなく
単純に日々きっちりと生活するという行為をしようしているわたくしですので、
では、霊法会にそれでも入って、本部なりに行って、聞けばいいと、そう仰るのですか?

せっかくこの掲示板と言う場があるのですから、これもなにかの縁、わたくしに
メールでも結構ですから、言葉の上だけでしょうが、役目云々ではなく、教えて
いただけませんでしょうか?

よろしくお願いいたします。
161グノール :2000/10/05(木) 09:32
とむくんさま

もうひとつ質問があります。
本部へ行くようにとおっしゃいますが、わたくしが海外から発信しているとしたら
どうしますか?第一日曜日の朝7時といわれましても、現実行けないのではないですか?
これがわたしの基本的な疑問です。
支部のあり方は問題があるところもあると受け取れますが、どうでしょうか?
なんのための支部でしょう?
それから本部修行は、では、なんのために受けるようにことさら勧めるのでしょう?
もうひとつ。霊法会に入っていない人でも、世帯で会員という扱いになっているのは
なぜでしょう?といいますのは、申込書を見ると、たしか「導者」の欄に
入会していないはずの相手の親の名前を書かなくてはいけないようになっているの
ですが、これはどうしてですか?

以上、ぶしつけではありますが、よろしくお願いいたします。
162とむくん :2000/10/05(木) 13:52

とむくんに限らず このページに真剣に取り組む気持ちになれないのは何故か?
皆さんの 疑問・質問を拝見して とむくん自身、自問自答さえしないのです
例えば、入会間もない方の ご意見を拝読して「なるほどー 新しい方はこのように感じているのか・・・・」
とも 思いません  未入会の方にしても同じです・・・興味がありません

義務感で ではなく、楽しいから なのです
ここに参加なさっておられる皆さんが どのように感じ、どのように考えられ 何をひろめられようと
とむくん、この楽しみはやめられません

皆さんに関心を持って、皆さんの幸福を願っておられる方に相談なさるのがよろしいですよ
(とむくんは あなたがたの幸・不幸には 興味がないんだもん)

とむくん、本当は 教えたくないのかなあ・・・?
出し惜しみするなんて・・・ 人間の風上にも置けませんよねえ、そうでしょ?
何しろ、修行中・・・?発展途上中でございますので御理解下さい

本質は数多くの信者という名の キレイだったり汚れていたりの包装紙に包まれています
なかみは 色艶良く 味わい深く 香り芳しく ・・・なかなか手にとって見れるものではありません
見せて差し上げたいのは山々ではございますが 自力でないと無理なのです、残念。

ここのすべての やりとりのプリントアウトを お宅の法座主さんにお見せすればお答えは戴けると思いますが
もしかして とむくんの返信と同じに扱われちゃったら・・・・ごめんなさいネ!!

以上、とむくんでした                                              では、ごきげんよう
                                                    
163グノール :2000/10/05(木) 15:19
とむくん様

残念です。そういうことならいたしかたありませんね。

では。
164名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 07:23
とむくんは霊法会に「先生」はいないって言うけど、一番偉い人を「おんし」って
呼んでんだべ。おら「おん」ってどういう字かわかんねーけどもよ、自分のこと「師」
って平気で呼ばせるやつにいままで会ったことないけんどな。
そんでもって今までおもしろくやりとりさ読んでて、おらも霊法会入ってみてーなー
って思わね訳だばないけんど、とむくんさんば出てきて「選民意識」っての、そうい
うのが見え見えなんで興が冷めたべな。
ま、どうでもいいことだけんど。
165ラッキー :2000/10/06(金) 08:03
とむくんさん、おはようございます。
あなたの修行ははっきりいって、大乗ではなく小乗みたいですね。
それは法華経の教えではありません。
法華経の修行とは、自分のわかる範囲でもいいから出来るだけ他者を
幸福へ導くことだと思います。
決して自己満足することでも、思い込む事でもありません。

166ロッキー :2000/10/06(金) 20:20
初めまして。
霊友会のスレッドかと思いきや、霊法会というところだったのですね。
実は私の身内に霊友会の会員がおりまして、私は日蓮宗なのですが、結構、しつ
こく勧誘してまいります。
そこで霊友会の実態を調べてみようと思って2chの心と宗教を見にきました。
霊友会のスレッドはないようでしたが、何気なくこの霊法会の皆さんの意見を拝見
したら、霊友会の信仰の実態に酷似しているような感じを受けましたので、一言述
べさせて下さい。(後でわかったのですが、霊法会は昔、立正佼成会と同様に霊友
会より分裂してできた教団なのですね)

私の身内の霊友会会員はどの宗教団体でも勧めているような会員を増やす行い(導き
とその者は言います)を特に熱心にやっているようです。
本を読んだり、理屈では決してrわからないが、実際に他人を導いてこそ自分の欠点
や心のくせがはっきりわかるし、それを改善することもできるということを私に諄々
と述べてくれました。
言っていることは至極最もなことで「なるほど!」と聞けるのですが、どうも違和感
といいますか、矛盾を感じます。

それは霊友会に入って自分達の仲間になって先祖供養と導きをしなければ絶対に幸福
になれないぞというような押し付けというか、他人を見下しているような傲慢さです。

そして霊法会でいう「発言」ということなのでしょうか、いわゆる神がかり的になっ
た人(先輩の会員)にいろいろ先祖の因縁のお伺いをたて、そのお伺いの内容をそのま
まうのみにしているところがあり、またその因縁を切るために導きはもちろん、水をか
ぶったり、密教の坊さんがやるような九字を切ったりして何やらおどろおどろしいです。

因縁のお告げの内容が正しいかどうかは確認はできませんので、わかりようがありません。

私自身は前世の因縁ということを信じていますし、その因縁を切るために努力精進すると
いう考え方はあながち間違いとは思いませんが(ただ先祖供養や彼らの言う導きでそれが
可能とは思えません)、オウムや法の華ほどひどくはないものの、どうも殻に閉じこ
もったカルト宗教の臭いを感じます。
少し悪く言い過ぎましたかね。(^^;

また私は法華経の本を読んでいますが、法華経の教えは霊友会の会員にならなければ
救われないなどという尻の穴の小さなものとは思えません。
もっと普遍的で広大な救いを説いていると思います。
別に霊友会やここの霊法会の信者にならなくても、どなたかが述べていらっしゃいま
したように、感謝の想いを持って自分の出来る範囲で他人のためになるような行いー
たとえそれが妻の家事を手伝うことであってもーができれば、それで法華経の教えを
実行したことにはならないでしょうか。

身内の例を見ても霊友会の考え方には何かおかしなものを感じますね。
霊法会さんのスレッドで霊友会のことを書いてしまいましたが、ご容赦のほどを。
167ラッキー :2000/10/07(土) 07:57
ロッキーさん、はじめましてラッキーともうします。
霊法会では会員を増やす活動を、大乗と言っています。
おそらく法華経が大乗教なので、そこから取ったのかなと思われます。
私も法華経をどこまでわかっているかは別にして、法華経の教えを人生の指針としているものです。
法華経の教えは、森羅万象の実体をことごとくを説ききった教えて言われていますが、
その教えを学ぶものとしては、広く世界を見るべきで決してロッキーさんのお身内の方のように
霊友会のみが救いの教えだと思い込んでいることは、間違いだと思います。
ロッキーさんは、日蓮宗と言うことですが、妻の家事を手伝うという行為自体は小善で、
法華経でも、日蓮上人の教えでも大善を行い、大悪を制止することこそ肝心だと、
教えられていますが、慈悲の心という点では間違いではないと思われます。
なんか意味不明のことを書いてしまいました。
ロッキーさん、私は最近このスレッドをROMってばかりですが、いつも見てますので
またよかったらここに書き込んでください。
こけからもよろしくお願いします。
168ロッキー :2000/10/07(土) 12:21
ラッキーさん、始めまして。レス有難うございます。
ところでロッキーという名前は決してラッキーさんを茶化したものでも、真似し
ようとしたものでもなく、実は前に飼っていたうちの犬の名前をつけたものです。
ラッキーさんの名前と紛らわしいですね。書き込みした後で気づきました。
あわてずにもう少し吟味してハンドル名を決めればよかったです。悪しからず・・・。

>私も法華経をどこまでわかっているかは別にして、法華経の教えを人生の指針としているものです。
>法華経の教えは、森羅万象の実体をことごとくを説ききった教えて言われていますが

専門的に学んだわけではありませんが、私も法華経にひかれて(家が日蓮宗だからかなあ。
自分では抹香臭い日蓮宗なんかに全く興味ありませんが)、困難を極めますが、法華
経の教えのエッセンスのようなものを悟り、実践したなあと思っています。
ただ身内の者が言うように、その方法は霊友会や創価学会などの組織に入らなければできな
いものだとは思いませんね。

身内の者は「法華経は頭で学んでもわかるものではない。また一人では成長しない・・・」
というようなことをよく言いますね。
確かに人間は一人で生きているわけではありませんし、縁起の世界に生きている以上、
他者と交わり、触れ合って生きることで成長や進歩ができると思います。
でもそれは何も彼らの組織に入らなければならないということには結びつきませんよねえ。
宗教とは全く無関係の会社内の厳しい人間関係や嫁姑の間でも学べるものだと私は思います。
むしろこちらの方が本当の「仏法」を学ぶことができるという気がします。
身内の者と話していて「他人と積極的に交流しなければ成長しないよ」という時の他人
とはどうも霊友会の会員か、これから導こうとしている人にだけ視野が向いていて、
先に書いたような普通の人間関係は頭にないような気がしますね。
また仲間を作って刺激を受けて、切磋琢磨し合って人間性を向上することは否定はしま
せんが、その人その人の持つ因縁によっては人と交わらずに(あるいは交われずに)、
一人で(厳密には一人ではありませんが)人間性を練磨しなくてはならないタイプの
人もいると思います。
それを十把ひとからげの如くに「これこれこうだ」と力説されると何かおかしいと思います。

それから上の方でどなたかが書いておられましたが、法華経は学んでわかるものではない
ということは、これは身内の霊友会の者もよく言うのですが、おそらくそれは小谷何とかと
いう昔の会長さんのような指導者の教えが元になった長年の会の雰囲気でオウム返しのよう
にして私に語っているのだと思います。

次へ
169ロッキー :2000/10/07(土) 12:22
上の続き

確かに人生、万般体験が大事ですし、特に宗教的なことに関したら教えを詰め込んで頭でっ
かちのようになったところで意味がありません。
真宗の妙好人のように(浅原才一さんとかいう人が有名ですよね)、無知文盲な人でも真摯な
信仰心とそれに基づいた生活の修行があれば立派に「成仏」(魂の向上)できると思います。
またこういう体験的なことが法華経の本質であるということも否定しません。
でもだからと言って「頭で法華経を学んでも意味がない」と断言されるのはおかしいと
思います、私は。究極的には人それぞれの「縁」によると思います。

頭での追求ばかりはいけませんが、本を読んだり、こうしてネットで見知らぬ人と意見交換
することもそれはそれで一仏乗の世界を説示している法華経の心にかなっていると思います。
身内の者も法華経の知識はあまりないようです(だからそれがダメだといっているわけで
はなく)。
そうした自分のコンプレックスを隠蔽せんがために霊友会の本部の言葉に乗って「学など必要
ない!」といっているとしか思えません。

>ロッキーさんは、日蓮宗と言うことですが、妻の家事を手伝うという行為自体は小善で、
>法華経でも、日蓮上人の教えでも大善を行い、大悪を制止することこそ肝心だと、
>教えられていますが、慈悲の心という点では間違いではないと思われます。

日蓮聖人は御遺文で確かにこのような趣旨のことを述べられていますが、それは法華経という
絶対的価値を打ち立てることを妨害する意味での世間的な小善は逆に大悪に変化するという
ことですよね。
何が大悪か、何が大善かという定義はさておいて私は単に例えば休みの日にテレビを
見てボーっとしているばかりではなく、妻が忙しそうにしているなら、目の前でできる
菩薩行の一環として(少しオーバーですかね)それを手伝うということも法華経の精神
に充分かなっていると思って書きました。
少なくともテレビを見てボーっとしているよりはその方が菩薩行かなと・・・。
また法華経の法師功徳品だっかな(解説書はしまってあり、目の前にないので不確かで
すが)、「一切の治生産業は実相に違背せず」とかいう一節がありましたよねえ。

つまり世間一般の仕事でも家事でも、それが法華経の修行になるのだと自分が思えば
、それは本当に「魂の向上」のために直結していると私は思います。
またそれが前世の因縁を消すための修行の基本だとも思いますけど・・・。

すみません、偉そうに言いまして。
ラッキーさんや皆さんはどう思われますか?
何も霊法会さんの「発言」のお告げを遵守したり、「大乗」をしなければならないと
義務感を持ったり、無理やり思うことより、自分に与えられた日々の修行の課題に真
摯にとり組む方が法華経の実践だと思うんだがなあ・
170ラッキー :2000/10/07(土) 16:26
ロッキーさん、こんにちは。 ラッキーです。
そういわれればHN、よく似てますね。
私のHNは、猫の名前です。
「一切の治生産業は実相に違背せず」の一文は、厳密に言えば法華経の因果律
からすれば、すべてのものがこの因果律から外れるものは無いということですね。
まぁその意味においてもロッキーさんのおっしゃるように、日常の生活自体、
自分自身の境涯を高めていく修行と成り得る要素があるということですね。
「自分に与えられた日々の修行の課題」と、とらえられるロッキーさんなら、
法華経の実践といえると思います。
残念なのは、法華経を根本としている宗教(教団)の信者の多くは、自分が信じる
宗教のみ正しくて、その宗教を信じない人を哀れに思い、その宗教に入信させる
ことが自分や相手の幸せにつながると信じているようです。
法華経の教義はそれ以前に説いてきた釈迦自身の教えを、方便や真実を現して
いないと否定しているので、正しいものは一つという考え方になるのかな?
私は法華経の教義のとおりの宗教なら正しいと思いますが、「発言」や「お告げ」
などと、神通力を使ってはならないという法華経や日蓮上人の言葉に違背する
宗教は、とても正しい宗教とはいえないし、却って人を不幸にするもののように
思えてなりません。
「頭で法華経を学んでも意味がない」と断言するのも、法華経を学ばれると
その教団の教義が正しくないことがばれるからかもしれませんね。
だって信者は馬鹿正直にその宗教を信じてもらったほうが、教団にとっては
大変都合がいいわけですから。

171ロッキー :2000/10/07(土) 17:17
ラッキーさん

>「一切の治生産業は実相に違背せず」の一文は、厳密に言えば法華経の因果律
>からすれば、すべてのものがこの因果律から外れるものは無いということですね。
>まぁその意味においてもロッキーさんのおっしゃるように、日常の生活自体、
>自分自身の境涯を高めていく修行と成り得る要素があるということですね。
>「自分に与えられた日々の修行の課題」と、とらえられるロッキーさんなら、
>法華経の実践といえると思います。

なるほど。
つまり法華経が教示せんとした世界は何も創価学会だとか、立正佼成会だとか、
霊友会だとか、霊法会といった組織や集団やセクトに限定されたものではなく、
因果律という普遍的な宇宙の真理を説示しているおり、その世界に我々を導かん
としている経典が法華経ということでしょうね。
それなら私も全く同意見です。
私は法華経の信仰は本来的には神仏と自分との一対一のもので、組織や団体に
属さずとも可能なものだと思うのですが(組織を否定するわけではなく)、
ラッキーさんはいかが思われますか?

>私は法華経の教義のとおりの宗教なら正しいと思いますが、「発言」や「お告げ」
>などと、神通力を使ってはならないという法華経や日蓮上人の言葉に違背する
>宗教は、とても正しい宗教とはいえないし、却って人を不幸にするもののように
>思えてなりません。

「通力によるべからず。法門によるべし」(趣意)と日蓮聖人の言葉にもありますよね。
ただ私は神通力はそれをあえて求めようとしたり、それを不可思議な現象だと無条件
で崇めたりして従うことは間違いだと思いますが、法華経の記述にも釈尊が六神通力
を駆使するとか、菩薩行の功徳としての六根清浄(私はこれは創価学会の言うように
生命が浄化するなどという抽象的な意味ではなく、霊的能力が授けられることだと
解釈しておりますが)が得られるなどといった表現がありますよね。
妙荘厳王本事品第26も神通力を(方便的に)使って王である父親を導いた二人の
息子の物語ですね。

私はこうしたことからも信仰の功徳として自然に備わる通力をすべて否定はしません。
ただ霊法会さんの「発言」はどういう類のものかはわからないのでコメントは
控えますが・・・。

またこの世ならざる不可思議な力があることも知っておりますし、そうした
ことがきっかけで法華経に縁ができた人も知っているからです。
理屈や理論ばかりで人間が神仏の世界を実感できるとはとても思えないからです。
ただくどいようですが、仏法への正しい求道心なくして、神通力を主としたり、
それを駆使したりすることは100%お寒い世界へ転落すると思います。

法華経を正しく信仰修行する過程において自然発生的に発現したような通力
はそれはそれで意味があると思いますし、ある意味、貴重なものとも思いますが。

ただ霊友(法)会のように、お告げを絶対視したり、それを遵守せんがために
家庭を放り出したり、常識はずれの行動をとることはまずいと思います。

ところで不躾なことを聞くようですが、ラッキーさんは霊法会の元信者さん
ですか、それともご家族が入ってらっしゃるとか・・・。
差し支えなければでいいですがお聞かせいただければうれしいです。
過去の投稿をみましても今一、わからなかったもので。
172ラッキー :2000/10/07(土) 18:38
ロッキーさん、早速のレスありがとうございました。
返答の順番は逆ですが、私自体は霊法会や立正佼成会の会員でも、元会員でもありません。
妻がしていた霊法会の事が知りたくてこのスレッドを知り、グノールさんという方に
いろいろご指導いただいて、平穏な日々を送っているものです。

因果律のことですが、これは一般的に理解できる部分で言えば原因と結果です。
ただ原因は過去の結果であり、結果は過去の原因で、始まりも終わりも無く無始無終をいいます。
無始無終といっても久遠元初があります。私達が知ることの出来ない遠い昔ですね。
話は戻って原因と結果と言う意味では、一つの例として引力という法則(一つの因果律)を考えてみると、
子供が高いビルから誤って落ちた場合も、自分の意志で自殺しようと飛び降りた場合も、結果は同じになります。
その因果を最大限プラスに生かして、命あるものの最高の状態に成れるように説いた教えが法華経です。
その因果を最大限マイナスに転じれば、地獄の苦しみの生命になります。
釈迦は例えれば神々諸仏は裁判官・執行官のようなもので、宇宙の法則の引力なり、遠心力なりの名前のようなもので、人の情けや温情などひとかけらもありませんし、またその存在はあるといえばあるし、無いといえば無いようなものですね。
ただ厳然と誰人といえど、その中から脱することは出来ないわけです。
またまた訳のわからないことを書き込んでしましいました。すいません。

通力の件ですが、神通力など存在しないと私は思っていません。
無いならわざわざ注意書き?などしないと思います。
ですが、成仏(命あるものの最高の境涯)を目指すに邪魔なものとして制止されているわけです。
例えば、超能力で当たり馬券がわかる人などは絶対成仏できないでしょう。
またそんな能力を人に見せたら、自分もあやかりたい(身につけたい)という気持ちで、またその人も成仏は難しくなるでしょう。
仏の真意は解りませんが、凡夫の私が考えても通力によるべからずだと思います。
ロッキーさんはこの世ならざる不可思議な力があると思っているようですが、それは我々が知らないだけで当たり前のように存在するものかもしれませんね。
ただ、それにより自分自身の方向性の転換のきっかけにするならば、「発言」、「お告げ」を使う教団の思う壺になってしまいそうです。

最近グノールさんの書き込みが少なくなって、淋しい気持ちのラッキーです。。。


173ラッキー :2000/10/08(日) 01:24
>ただ原因は過去の結果であり、結果は過去の原因で、始まりも終わりも無く無始無終をいいます。
この部分ちょつと変ですね、訂正します。
過去の原因は現在の結果で、現在の結果は未来の原因となり原因と結果は同時に備わっているということです。
一つの現象を捉えて、その現象は過去の原因の結果であり、未来の原因も含んでいる。
因果具時ってことで永遠に終わることの無い因果律です。
どうも私は説明が下手なのか、理解してないのか。。。(^◇^;)
すいません。 m(_ _)m
174ラッキー :2000/10/08(日) 01:26
>ただ原因は過去の結果であり、結果は過去の原因で、始まりも終わりも無く無始無終をいいます。
この部分ちょつと変ですね、訂正します。
過去の原因は現在の結果で、現在の結果は未来の原因となり原因と結果は同時に備わっているということです。
一つの現象を捉えて、その現象は過去の原因の結果であり、未来の原因も含んでいる。
因果具時ってことで永遠に終わることの無い因果律です。
どうも私は説明が下手なのか、理解してないのか。。。(^◇^;)
すいません。 m(_ _)m
175グノール :2000/10/10(火) 11:27
連休に入り、しばらくお休みしておりました。すいません。
ロッキー様やラッキー様の数々の投稿があり、嬉しい限りでございます。
厳密にはわたくしが立ち上げたスレッドではありませんが、こうも続くとは驚きで
あります。
これからも書き込んでくだされば幸いです。

ロッキー様やラッキー様同様、わたしも同じ考えであります。(ちなみにわたくしの
HNも昔飼っていた猫の名前であります。)
霊友会の会員である方からの意見によりますと、やはり会員の方のほとんどは
霊友会の提示する修行方法をただしく行ずることのできる方はほとんどいないそうです。
それは、つまり、釈尊が真理を発見し、それを提示したにすぎないのと同様に、
ホントに正しく行ずることのできたひとは、仏ということになるからではないか、と
いうことだそうです。
ですから、宗教に関わっていない方々からすると、霊友会や霊法会は、これでは
たんに勧誘することに執着しているのかな?と思われる会員の方を見る機会が
多いという感想になると思うのです。ですから、会員の方がその修行はちょっとや
そっとでは出来ないものなのだという理解をしていれば、そのすばらしい教えを
ひとにひろめようとするのは当たり前の行為になるということなのですね。
そこの微妙な違いが会員の多くの方はわかってらっしゃらないというのが実状の
ようです。
はっきりいって、ひとつの宗教という枠の中にはいって、その中で修行をすることは
楽なんです。たとえ滝に打たれようが断食しようが、それを管理してくれる人が
いるからです。
そこで得たことを日常生活に生かせないのでは、片手落ちなのですね。
トイレに入っている。きれいに使おうとおもうか、単に使っているだけか。
それだけでも、人間として、菩薩行に励んでいるか、単なる人糞製造器か(失礼!)
という違いがでてきます。わたしがいいたいのは、出家しようが宗教という
枠に入ろうが自由なのですが、問題は娑婆の方が、よっぽど大変なのです。
昔は家から出るときは火打ち石でかちっとやってもらって出ていきました。それは
家から一歩出たら邪気がうようよしていると考えられていたからです。
外へ出ていくことはそれだけで戦いなのです。そして、お寺や神社や現代宗教の
門をたたけば、楽になれると思い違いをしているのではないでしょうか。
信仰とはとてもとても個人的なことであるはずです。そして、大変なことでは
あるでしょうが、しかし、悲しくてつらくて涙を流さなくてはならないこと
ではないと思います。
人間うまくできていて、悲しいときは涙が出ますが、嬉しいときも涙が出ますね。
体自体が修行する上でうまくつくられているんですね。涙などは悲しいときに
流すようには本来つくられていないんじゃないかとおもうんです。わたくしは
この10年ほど、そう感じてきて居るんですが、いくら悲しくても、涙でないんです。
嬉しいときは瞬時に出ます(笑)。いつも微笑んでいたら、涙なんか嬉しいときしか
でないもんです。
話は脱線しましたが、つまり宗教に関わるとは、特に新宗教といわれているセクトに
かかわっていると、とくに最近は「勧誘が」という問題に多く出会いますが、
導く方がしっかりしていなければ、導いた方の宗教は段々と本来あるはずの真理から
ぐーっと遠ざかっていってしまうと言うことを強く感じていなくてはならないのです。
ちょっとへんな感じになってしまいましたね。
また思いついたら書き込みます。
176グノール :2000/10/10(火) 13:29
>つまり世間一般の仕事でも家事でも、それが法華経の修行になるのだと自分が思えば
、それは本当に「魂の向上」のために直結していると私は思います。
またそれが前世の因縁を消すための修行の基本だとも思いますけど・・・。

これは、まさに!と言う感じです。どんな方にも過去からの原因に対しての
結果は現在持っているわけです。人間だれしも避けられないことです。
だから良い悪いという判断があるわけで、そこに真理が見え隠れしているのでは
ないかと。

それから、神通力に関してですが、これは実際あるものとおもいますよ。
別にすごい!ということじゃなくて、では、はじめて会う人、動物に対して、
その形相やなりはともかく、良さそうだ、凶暴そうだとか、なぜ感じるのでしょう?
そこが入り口です。もちろん法華経なりで学ぶこともできますよね。
仏像を見てみたら一目瞭然です。半開きの目はどういうことでしょう?
現実半分、別の世界半分をみているのでしょうね。

>私は法華経の信仰は本来的には神仏と自分との一対一のもので、組織や団体に
属さずとも可能なものだと思うのですが

わたしもこの通りであると実感しています。さらに言えば、「信仰」とはそういう
ものです。この現実社会において、すべてが修行の一環となるのですから、例えば
定年までしっかりと会社なりに勤め上げたとします。そこで、定年を迎えると
大抵は「することがない」という悩みを持ち始める方が増えてきていると思います。
すぐにぼけてしまうという病気が増えていることからよくわかります。
しかし、そういう方はまさにそのときが信仰への入り口とおもうのです。
「あー、ここまでよくやったなあ」と実感されると言うことは、かなり修行を
してきたということにもなります。それからすることといったら神仏に近づく
様々な行為に向かえということになりはしないかと。単純に墓参りにいったりとか
個人により様々ですが、そういうことをしていれば、人生暇などないのですね。
宗教団体に入れということではないですけど(笑)。宗教は単に信仰の仕方を
提示している企業にすぎないのですから。こういうと悪い印象を植えかねませんが
そうではないのです。そういうものなのだと一線を引かないと、宗教と信仰を
混同しかねないからです。
結婚と恋愛の関係に似てますね。恋愛には責任は生じませんが、結婚にはお互いに
責任が生じます。それが自由を選んだ者にかならず生ずる責任というものです。
恋愛は分かれてもひっついても当人同士にはなんら責任は生じませんが、結婚と
なると別です。結婚しさえすれば幸せになれるなどということは決してありません。
大変な苦労が付いて回るのだということを端からわかっていれば、なにがあっても
動じないものです。最後に残るのはくさいことばですが、「愛」しかないのです
からね。
えらく脱線しましたが、真意はわかっていただけるとおもいます。
結婚を恋するのではないのです。宗教を信仰するのではないのです。
ちょっと変な表現ですが。。。。
177ロッキー :2000/10/11(水) 15:38
グノールさん、始めまして。

仰ることはよくわかります。
私は身内の者が霊友会の信仰に熱心で、私にも会う度ごとに勧誘してくるような状況
にあります。
昔は霊友会はあの創価学会よりはマシだろうと思ってある程度の評価はしていましたが、
実態を見聞するにつれ、ここもカルトとまでは言いませんが、結構、マインドコントロ
ールのきいた教団だという認識を持つようになりました。
(まあ宗教団体はどこも似たりよったりかもしれませんですがね)。

私は実家が日蓮宗ということからか、時折、法華経や日蓮さんの教えの解説書を読んでまいりました。
そのため創価学会や立正佼成会や霊友会の教えの特徴はある程度理解しておりました。

霊友会の教えは創価学会のように教義でがんじがらめにして頭でっかちにさせるもの
とは違って、体験を重んじているし、先祖供養といった法華経とは関係のない行法を
重視していることを除けば比較的、好感が持てる教団でした。
でも実際、身内の者と話したり、その行動に触れるにつれてこの教団は導きという
修行に大きな価値と意義を与えて会員達の尻をたたいており、また神がかり状態に
なった先輩幹部の霊感をその中身をあまり吟味することもなく、受け入れていると
いうことがわかりました。「理屈より体験が大事だ」ということを妹の夫(義弟)
はよく申しますが、それは私には道理に合った教えよりも神がかり状態になった人
から告げられた言葉の方を重んじているようにしか聞こえません。
(霊友会の悪い面ばかりを書いているようで片手落ちかも知れませんが)

このスレッドの過去ログをざっと読みましたが、霊法会さんも霊友会と同様の、あ
るいは霊友会以上に「発言」に会員が振り回されて、その過去の因縁や先祖の霊界
での状態を示す言葉を絶対と思い込み、熱心な会員は頑なに遵守して家族や周りと
の間に障害をもたらしていることがあるようですね。

私は先にも書きましたように、こうした「発言」の内容をすべて否定するわけでは
ありませんし(中には動物霊や低級霊のもたらしたでたらめな示唆もあるでしょう
が)、そのご託宣を守って利生を得られた会員もいることと思います。

決して創価学会の言うように「通力によるべからず。ただ法門の邪正によるべし」
ということだけで、そうしたお告げをすべて否定することはいたしません。
お釈迦様だってご自身も高弟の目連も神通力を備えていましたし、それを人々を
仏道に導くための方便という位置付けをはずさなければ、使用することを禁じて
おられなかったようですから・・・。

ただ問題は霊法会さんで言うところの「発言」をする人の人間性がどうかという
ところで、そのお告げの中身の正邪が大体わかるのではないでしょうか?
もし正しい神仏(あるいは守護の霊)からのお告げならそれを感受する人の人間
性や信仰の修行もかなり高度に研ぎ澄まされたものがあるように思います。
また正しいお告げなら家族を不幸にさせたり(一時の家庭内の波風は仕方がない
にしても)、反社会的行動、非常識な振る舞いをするようなことは金輪際ないと
思います。

・・・次に続きます
178ロッキー :2000/10/11(水) 15:41

よく神道の鎮魂帰神法では神がかり(神主といいます)になった人と対のように
審神(さにわ)がいて降りてきた神が正しいものか否かを識別する作業が大事だ
と言いますが、私個人はこの審神の効果には眉唾です。
なぜなら審神自身が神主に降り来たった「神なる存在」を見分ける目を有してい
るとは思えないからです。

立正佼成会の開祖で昨年、亡くなった庭野日敬さんは会の草創期の頃、脇祖だっ
た長沼妙佼女史に降り立った七面大明神とよく問答して納得できるお告げには
徹底的に従って、道理にはずれたお告げやどうしても得心いかないお告げには
決して従わなかったというエピソードが残っています。
私はこれが正しいあり方ではないかなと思います。(私は立正佼成会の会員や
シンパではありません。念のため)。

>はっきりいって、ひとつの宗教という枠の中にはいって、その中で修行をすることは
楽なんです。たとえ滝に打たれようが断食しようが、それを管理してくれる人が
いるからです。
そこで得たことを日常生活に生かせないのでは、片手落ちなのですね。
トイレに入っている。きれいに使おうとおもうか、単に使っているだけか。
それだけでも、人間として、菩薩行に励んでいるか、単なる人糞製造器か(失礼!)
という違いがでてきます。わたしがいいたいのは、出家しようが宗教という
枠に入ろうが自由なのですが、問題は娑婆の方が、よっぽど大変なのです。
昔は家から出るときは火打ち石でかちっとやってもらって出ていきました。それは
家から一歩出たら邪気がうようよしていると考えられていたからです。
>外へ出ていくことはそれだけで戦いなのです・・・。


全く同感です。
会の指導をただ守るだけの信仰と自分が考え、自分で祈り、自分で実践する
という信仰とどちらが法華経の精神に合致しているか。
答えは明らかだと思います。
法華経はただ上の教祖や指導者が「右を向け!」と言えば全員が右を向くような
個人としての主体性のない人間ばかりが集まった「烏合の衆」のような団体(サ
ンガ)を作ることを奨励しているわけがないと思います。
そんな会であっては社会に害毒を及ぼすことはあっても、社会や他人にプラスの
影響力をもたらすことはまずないでしょう。
「自帰依 法帰依」の精神を会得した一人一人が、日常生活を修行の場と心得て
実践している一人一人が自然発生的に集まった実力あるサンガこそが(当然、
そうした集団は人数は少ないでしょうが)、本当に社会を変革する波動というか
エネルギーを有しているものと思います。

ちょっと理想論すぎたかもしれませんです。
長文、お許し下さい。
179グノール
ロッキー様、こんにちわ。
大変有意義なご意見をありがとうございます。
結局、勧誘すること自体に囚われてしまっている宗教者の方々にはそれを
感じ取ることの出来る方から見たら、もう止めようがないのも事実です。
ですから、勧誘している方が、「あー、このままではだめだな」と心から
反省するまで、ロッキー様なりが「わたしはこのようにしっかりと生きているのだ」
ということを示すしか方法がありません。といって、何をするわけではなく
ただ、まっとうに人生を歩む努力をしていればいいだけのことです。(それが難しい
わけですが)
例えは悪いかもしれませんが、訪問販売をする会社の営業マンが自社の商品を
売るに当たり、よく売るためには、よっぽど口がうまいか、その商品を心から
好きでなんとしても人に広めたいと思うかです。現実の利潤追求の会社では
前者であることが多いですが、宗教法人は後者であるわけです。そして、もう一歩
先へ行けば、導きと言う行為は宗教という枠に入れるのが目的ではなく、
自分自身をみつめるということが第一の目的であるはずです。ですから、導きを
真摯に行う方は、きっと霊友会も霊法会も関係ないとこころに刻んでいるはずです。
なぜこう思うかと言えば、わたしはとある霊法会の方の体験談をワープロ打ちする
機会がありまして、その方の体験を知ったのですが、その方は自分と出会った方で
悪い方向に行っていると感じた方には「ぜひお経を持って欲しい、べつに読んだり
宗教に入らなくても良い」とはっきり言うそうです。ご本人は霊法会の会員である
わけですが、法華経のパワーを体感されているので、それをぜひとも出会った方々に
必要とあらばお分けしたいという、ただそれだけのことで、わたしも納得した実践であります。
また、一度だけお会いした法座主の方も、こう申しました。「もし、夫婦間、家族間で
霊法会に関わっているが故に喧嘩が絶えないのであれば、簡単なことだ。霊法会を
やめなさい。」と。
いつのまにか何年も何年も会に関わり、そして気持ちがゆるんでくると、
見えてこなくなることもあるんだということです。