1 :
名無しさん:
うちのそばに真光教ってのがあります。
薄ら笑いを浮かべた人々がうちの前を行進していて怖いです。
まだ、声をかけられた事ないけど、心配です。
何を考え、何をしている人たちなんですか。
2 :
真光は:1999/10/14(木) 09:40
世界真光文明教団と崇教真光とふたつあります。
跡継ぎ争いで分裂しました。
手かざしで霊障を浄化する、神道系の教団です。
手かざしとはいっても街頭で「健康と幸せを・・・」とゆっているのは
神慈秀明会で、別の団体です。
たぶん真光の布教は新聞(とゆうかチラシとゆうか)を
ポストに入れるぐらいじゃないでしょうか?
ン?はなっから真光のことだと思ってたんですけど、
行進???どうしよ、違う教団だったらば(笑)。
3 :
名無しさん(ハイパー):1999/10/14(木) 13:25
世界真光文明教団と崇教真光、世界救世教、神慈秀明会、みんな元は一つの分派どうしじゃなかったっけか。
4 :
もともとはそう:1999/10/14(木) 15:25
2です。
手かざし系はもともと世界救世教あたりから分化されてんじゃなかったっけ。
ゴメン、職場からだからうろ覚え。
5 :
1です。:1999/10/14(木) 20:43
文京区の春日駅から言問通りを集団で歩いて行くんです。
たぶん集会か何かだと思うんだけど。
2さんによるとあんまり強烈な勧誘はないんですね。やや安心。
話はややずれるんですが、
以前、参院選のころ、ピンポンなって部屋のドアを開けると
像をかぶった女のこたちが楽しそうに踊っていたことがあります。
漫画やら本やらもらって、麻原をよろしくっていって帰っていきました。
とっても怖い、思い出です。
6 :
>5:1999/10/15(金) 09:51
それは貴重な体験を。
わたしはパソ通時代の知り合いが入信しまして、
たしか5〜6年前に、あすこが持っていたロシアのオーケストラ
「キーレーン」のコンサートに連れて行かれました。
麻○はパンフレットで「寝ないクラシックを作った」と豪語していましたが、
わたしと連れの三名は、連獅子のように頭をぶんまわして寝てしまいました。
「すわ、睡眠学習か!?」なんて少しビビったりして(爆)。
アンコールではなんと麻○が指揮をしたんですよー。
その後、知り合いはパソコンを売って出家をしたとか風の噂で聞いたのですが、
テレビに教団施設がうつると、つい探してしまいます。
でも、顔とハンドルネームしか知らなかったのでねえ・・・。
7 :
詳しく:1999/10/16(土) 00:51
真光は世界救世教の教祖、岡田茂吉氏の弟子であった岡田こうたま氏が開いた教団です
彼は余りにも霊的な事ばかりにとらわれすぎるので破門された様です
神慈秀明会は世界救世教の中の一教会であった秀明教会が教祖の死後に幹部達が御神体や教義の変更等を強引に
行ったため離脱独立した団体です。その時に秀明教会他いくつかの教会も救世教から分かれていったようです。
8 :
名無しさん:1999/10/16(土) 05:14
岡田茂吉氏自身は割と立派な人だったみたいだよ。
彼が亡くなってから、本家争いで今でもゴチャゴチャやってるんだよね。
手かざし系の信者自体には、あまり危険性は感じない。
9 :
そうねえ:1999/10/18(月) 10:26
>8
ただ、捻挫や発熱のとき冷やしてはいけないっちゅうのは
キツかったよ。部活に信者がいたんだけど、冷やすと霊障が
固まるから冷湿布を断固拒否で一生懸命手かざししてた。
でも治りは通常の倍かかったからねえ・・・。
10 :
信者です:1999/10/18(月) 22:01
崇教真光の信者ざんす。
みなさんが、あんまり怖がってないのが判ったので
のこのこ出てきました。別に他の人達と何か違ってたり、危険な思想を
持ったりはしてませんよ。現にこうして、2チャンネルなど
毎日さまよったりしてる訳だし。
でも、これだけは言いたい。
捻挫はねえ、冷やしちゃいかんよ!(ここで、笑っとけ)
でも霊障が固まるからではないんだけど。
11 :
そうなの?:1999/10/19(火) 09:58
>10
あたしは文明教団のほうで初級研修を受けたことがあるんですけど
霊障が固まるからって教わってた。
面白いのでどうしてかおせえて(^^)。
12 :
信者です>10:1999/10/20(水) 03:32
私が教わったのは、霊障が固まるではなく、濁毒が固まると
いう教えです。だから、熱が出たりするのは体内の濁毒を溶かす為
なので、冷やしたり、解熱してはいけないということに
なっています。
13 :
>12:1999/10/20(水) 10:14
11ざんす。
なるほろね、うんうん。ありがとうございました。
知らなかったんだけどヤフーで検索したら、
何か新しい分派があるみたいね。ご存知でした?
14 :
1です。:1999/10/20(水) 10:51
>12
現代医学でも同じようなこといいます。
熱を下げるのはあくまで対症療法。
風邪なんか熱だしちゃった方が早く直るとか。
それから、確かに捻挫に霊を持ち出したら論理が破綻しますね。
毒にしておけば問題なし。
信者の皆さま。皮肉っぽくて、ごめんなさい。
15 :
崇教真光の:1999/10/21(木) 01:34
幽霊信者(ホントは信者ではなく組み手とよぶ)です。
真光は、言ってる事はまともだし、こうたま師といっしょに
居たくらいの人たちは魅力的な人が多いんですが、普通の信
者の言う事が酷すぎるんで、ちょっとなんとかしてほしいっ
す。
16 :
信者です>15:1999/10/21(木) 01:41
どんな酷い事言われました?今後の参考にしたいし、改めなければいけ
ないことなら、話しを通します。是非お聞きしたいです。
遠慮なくどーぞ。
17 :
うちの母が:1999/10/21(木) 01:57
真光教にはまっています。先日も頭にかさぶたをいっぱいつくっていましたが、浄化されるのがどうのこうので聞く耳もってくれません。
ついに父の大喧嘩して2人の通帳を整理したみたいなんですけど、財産を身ぐるみはがれる心配とかっていうのはないんでしょうか?
18 :
15です:1999/10/21(木) 02:02
基本的に、真光の教義の全ては、「天地一切、神の声なり。
物事一切徹底してス真に感謝せん」に尽きると思うっス。
こうたま師の世代の人たちは、本当に陽光子つう感じで、明
るいし前向きだし、何でもあり(良い意味で)という懐の深
さが感じられます。
ところが、末端の信者の人は、恐れが強くて、何かにすがる
為に御奉仕をしているのがミエミエなのに、ひとから何かを
指摘されるといきなり怒り出すし、そのくせ肩書きのある連
中にはからっきし弱いし、神様の事なんか全然見ずに周りの
信者の事ばっかり見てるし、・・・。
ハッキリ言って、一緒に話をしていると、すごく疲れます。
手かざしだって、手段のはずなのに、いつの間にかそれが目
的になっちゃってるし。手段が目的になったら、そんなのは
趣味だっつうの(わら。
真光それ自体は、不思議なお仕組みをいっぱいいただいてい
るので、凄いと思ってるっす。
19 :
13です。:1999/10/21(木) 10:47
崇教多いな〜。
あたしはもう霊線切れてるけど、
お金に関してはヘンな思い出はひとつもないよ。
高校生だったからっていうのもあるんだろうけど。
初級研修は当時3日で1万だったけど、ヨソからしたら
安い安い。月の会費は500円で、それすら滞納してた
けど、催促なんてされないし。
20 :
信者です>15:1999/10/22(金) 02:26
きゃあああああ!
まったくもって同感です。
実はあたしも、そんなところはなんだかなあと、思っています。
だから、おばさん達と付き合うのは難儀だなあと
考えつつも辞める気はありません。
21 :
名無しさん:1999/10/24(日) 12:26
僕、むかし(幼稚園のころ)、
真光の道場につれていかれて、なんだか手をかざされたことがあります。
そしたら、今でも信じられないんですが、
手が重くなって、涙が出てきました。
うわー! 怖いよー!!
どうしよー!!
22 :
変な掲示板:1999/10/25(月) 04:33
23 :
15:1999/10/28(木) 21:46
真光でひと括りにすること自体が無理なのかもしれませんが、
とりあえず知ってる範囲内での雑感です。
手かざしって、言ってみれば自分が成長するための手段、2階
や3階に登るための「はしご」のような物だと思います。要は
そのはしごが何であれ、上の階に登れれば良い。
ところが、それが木のはしごだとか、金のはしごだとか、同じ
木製でも桧だとか安物の合板だとか、目的と関係ないところに
こだわる人が多いわけです。
そんなことしてる暇があったら、とっとと上の階にあがっちゃ
えば良いのに(わら。
まあ、手かざしはある意味、取っ掛かりじゃないかと思ってお
ります。決して、恐怖を植え付ける(霊がいるとか)ためのも
のじゃない。でも、手かざしで相手を脅かしている(あるいは、
自分が怖がっている)信者って、結構いらっしゃいます。
本当にわかっている人たちは、霊だとかなんだとか気にしない
んですがねえ。
24 :
わこう:
元、組み手です。
僕はその昔、13年くらい前に初級検修を受けて、組み手になりました。が、10年前に『お御霊』の中身をあけ、捨てました。
それは、当時所属してたところが、あまりにも、言ってる事が矛盾
してたし、最初のうちは、僕の話に耳を傾けてくれていた人ばかりだったんですが、そのうち『御奉仕が足りない』『霊障』でかたづけられるようになり、周りの組み手の人達が、なんか『偽善』ぽく映ったので次第に離れていったのです。
そこの道場は、無理なことを押し付けてきたし、いわゆる幹部の人
同士がいざこざがあったようだし、なんとなく『派閥』ができてまして…
当時、僕はいろいろ悩んでいて、真光を『心の拠り所』にしていた
んですね(笑)。
結局、自分を変えるには、宗教ではなく自分自身、ということを、
教わったような気がしました。
でも、御教えは今でも素晴らしいと思いますが、僕としては、もう
復活する気はありません。なぜなら、そこでまで人間関係に振り回されたくないからです。