>>65 信仰義認はパウロが救済された体験に基づいています。
キリスト教に反感さえ覚えていたサウロは、
神の介入によって回心しました。
一方で主キリストと共に過ごした聖ヤコブは、
善行の価値を新約聖書に記しています。(ヤコブの手紙など)
主キリストも聖福音書にて善行を強く勧めています。
パウロとヤコブのどちらかが間違っているというよりは、
信仰へと至る経緯の違いが、相反するような主張になったのでしょう。
神学的にはどちらも正しいのでしょうが、
重要性と信頼性は主キリストと聖ヤコブのほうが上です。
主キリストは礼拝対象だから当然のこと、
聖ヤコブも主キリストと公生活を共にしたからです。