468 :
神も仏も名無しさん:
聖ペトロによる三度の否みを責められるのは、
殉教できる覚悟がある者だけ。
主イエズスが捕縛される前に武装したローマ兵を斬りつけて
敵の耳を落とした聖ペトロは勇敢である。
臆病者とは思えないね。
殉教に否定的な分派(プロテスタント)の連中が、
三度の否みを嘲る資格など無い。
連中こそ逃げ出すチキンどもである。
アフガニスタンへ宣教に行って命惜しさに棄教した連中は、
韓国人プロテスタントではないか。
そもそも、殉教というのは自分の命よりも神を優先する尊い信仰宣言だろう。
殉教を否定するプロテスタントは軽薄な信仰であり、悪魔から生じている。