1 :
神も仏も名無しさん :
2014/03/26(水) 13:14:02.56 ID:VsmP1lN6
2GET
3 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/26(水) 20:24:51.11 ID:b1ajz/QW
4 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 20:31:03.93 ID:tEwSbdko
前スレ
>>1000 > 虚勢だね。
>
> まじめになったらどうだ。
ポッタンよ、
おまえも机も、同じ穴のムジナだけど、おまえは机に対抗できる器じゃないよ。
おまえはドンキホーテだよ。
5 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 20:47:06.48 ID:/PF81Qv8
880: 机龍之介 >◆8Z1PfzdK1. [] 2014/03/26(水) 07:33:06.20 ID:GbSoN7yw (1/17)
>>875 >「心が何も考えないよう強制するのは間違いです。その時だけ強制して心を滅すことができても、また別の界(あるいは有)に生まれなければならないからです。」
> そういう思惟の連関の中の一瞬の隙間を垣間見るとこに仏教の本懐がある。
思いは思い、そこに本懐などない、意味付けしてるのはお前の自我
無用においての一瞬の有用のことだよ。
> 例えば、ニーチェの虚無における受け止め方でも、人それぞれに違うのは当然。
虚無においての絶対肯定をそこに垣間見る人もいるだろう?
どう読み取るか?というのは、
その人のセンスとか、感性とか、直覚とか、第六感とか、そういった領域にある。
ニーチェは虚無など言っていない、キリスト教徒がそういうレッテルを張っただけ、意味不明な事を申すな
6 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 20:48:14.75 ID:/PF81Qv8
> 公案は、そういった領域に人を導くものだよ。そのカラクリってのは非常に単純。 第六感など意味不明なオカルトには持ち込まない、この切って張ったような偽物が >頭を混乱させて自省を促すもの。 反省と混乱に因果関係はない、混乱しない理性があればこそ反省する お前には論理性は皆無 >簡単に透過できる者もいれば、一生かかっても駄目な人もいる。 反省することなく、糞みたいなかきこみをして、カルトにすら嘲笑される哀れな2ちゃん人生、その名は机龍之介 >アスペルガーは先ず無理。 文面どうりにしか受け止められないから。 経典を我見でねじ曲げて相手を貶めることで勝利を狙うようなゲスにはまず無理
7 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 21:15:42.03 ID:rcGBIRsa
一毛群毛を率いて以て落つだね
8 :
○ :2014/03/26(水) 21:21:53.49 ID:eB3mAYoQ
仕事から帰って食事をし、パソコンの前に座って今日一日のかきこを読んでおります。 阿頼耶識の奥に霊魂がいると言われた方がおりましたが、新興系の方でしょうか。 私も似たような教えを信じておりますが、本スレでは言争いになりますので言挙げは しないことにしております。 本スレでも禅定で自称悟ったという方々がおられますので、長部経典で説かれているように 『前世想起』されたか否かを根気よくヒヤリングしております。 【余談】 新興系の仏教の中では高橋先生のところの霊道現象が昔は噂になりましたが、 弟子の中川氏の教団でも引き継いでいるかも知れませんね。
9 :
○ :2014/03/26(水) 21:36:09.18 ID:eB3mAYoQ
>>8 中川氏の初期の霊言集をいくつか読みました。
その中に21世紀の中国情勢を予言したものが数冊あります。
どの位当たっているのか簡単に『現証』できます。
持っていない人は今すぐに中古本が無くならないうちに入手されては。。
こうやって超能力を求める人間は 世俗で金儲けするのと同じく、自我が得することばっかり考えてるって 気付かないんだろうか?
11 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/26(水) 21:45:41.23 ID:b1ajz/QW
12 :
○ :2014/03/26(水) 21:51:06.34 ID:eB3mAYoQ
>>9 >持っていない人は今すぐに中古本が無くならないうちに入手されては。。
大手中古本サイトを見てきましたが、2005年以前に発行された霊言集はまったく見当たりません。
流石ですね。。。
なんとあのヤフオクでも現時点でたったの三冊しかない。。霊言全集第3巻がありましたが、高値落札かも。
13 :
神も仏も名無しさん :2014/03/26(水) 23:36:58.32 ID:eiRs+c/C
>>12 ID:eB3mAYoQ
真光在家くんの為に、成し得た者から正式にレスしてあげるね
先ず、前世想起に付いての回答はサンユッタニカーヤ12.70・スシーマ経と
私の答えはほぼ同じだ、如来の住所に種類は無い、それを知るんだから
当然悟達にも種類などある訳が無い、となれば、君への解答は誰でも
同じ事、となる
有ると思っている、無いとは言い切れない、有ると思っていたい、有る無しをハッキリさせてくれ
これらは全部悉く一つの漏れなく、無明を根源とする迷いに過ぎない、つまり根拠は無知だ
だから前世に迷う、前世に迷ったまま死んで、運良くまた人と生まれし時に無明で前世に迷う
これは来世に付いても業報に付いても然り
輪廻の道理と仕組みは厳然とした事実だが、前世の業報・来世の業報などは
無明所以の戯論に過ぎないので、戯論は涅槃へ持ち込めない
釈尊が伝えたかったこの三界の本当の道理とはこう言う事で、全て成し得れば全て解る
14 :
前世は○○○ :2014/03/27(木) 00:00:20.39 ID:86eQIPJz
>>13 自称『成し得た者』氏
>だから前世に迷う、前世に迷ったまま死んで、運良くまた人と生まれし時に無明で前世に迷う
>これは来世に付いても業報に付いても然り
文脈から、迷ったまま死んだ前世を想起した、迷ったまま死んだ前々世を想起した、という事がよく分かりました。
だから輪廻の道理と仕組みは厳然とした事実だが、このような前世をいくら想起してもどうしようもないという
三界の本当の道理を釈尊が伝えたかったことも分かりました。
貴重はご自身の体験と見解を真に有難うございました。 合掌
15 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 00:01:59.73 ID:Xtevkitg
釈尊の時代は彼岸へ渡ると称された涅槃 時代的に輪廻転生観が根強く、業報によって転生しない事など考えられなかった時代 だから、成し得なかったものはそのまま輪廻する的に思われていた、としても仕方が無い 21世紀の現代、業報輪廻をどれだけの人が根強く信じているのかは定かではないが 大方の人達が”半信半疑”で何となくだろうと私は思う ならば、21世紀なりの言い方として敢えて強調したいのは 人間は死んだら誰でも一旦は涅槃へ全員還る、例外は無し と言う事である これは輪廻の道理・仕組みと同等に至極当然の道理なのである 誰も極論として否定出来ない事実である これからの仏教はこうありたいと私は思う
16 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 00:06:43.03 ID:Xtevkitg
>>14 >文脈から、迷ったまま死んだ前世を想起した、迷ったまま死んだ前々世を想起した、という事がよく分かりました。
そうではない、都合良く解釈しては行けない
良く思って死のうが悪く思って死のうが、苦悩の迷いで死のうが希望に満ちて死のうが
それらは全て無明故の戯論なので涅槃へ持って行けないのだ
無明は人間が生まれて心を脳が始めて起動しだした時に必ず付随するTempフォルダみたいなもんなのだよ
外道は都合良くしか解釈しない悪い癖がある、それも悪しき業なのだよ
17 :
○○○ :2014/03/27(木) 00:35:15.55 ID:86eQIPJz
>>15 自称『成し得た者』氏
>人間は死んだら誰でも一旦は涅槃へ全員還る、例外は無し
>>16 >良く思って死のうが悪く思って死のうが、苦悩の迷いで死のうが希望に満ちて死のうが
>それらは全て無明故の戯論なので涅槃へ持って行けないのだ
文脈からは、無明故の戯論は持たずに誰でも一旦は涅槃へ全員還る、
でも生まれて心を脳が始めて起動しだした時に必ず付随するのも『無明』、ということでしょうか。
18 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 00:39:46.48 ID:Xtevkitg
私が思うに、釈尊が伝えたかった本当の三界の道理には明らかにオカルトは無かった訳で この論で今後の仏教を正して歩むと、その内人智の方がもっと高度になり科学が仏教に追いつく事にもなろう そうなったなら、嘗ての錬金術が科学に淘汰されて行った様に、仏教の悟りの境地も人の一般常識となり 仏教の使命はそこで終わり、恩師釈尊とその代々の所願もそこで満足されるんだ、と私は思う そうあって欲しいと切に願う 悟りよ、幸あれ
19 :
おじゃる :2014/03/27(木) 00:51:23.90 ID:yOwvnG9s
20 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/27(木) 00:52:56.41 ID:MB7BXHFN
21 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 01:05:58.87 ID:Xtevkitg
>>17 無明は生まれながらに持っています
解答が出せず一旦考察が保留にされた考え等が一切格納される場所ですから
一般的な解説では無明は真理を知らない事、などと解説されているのも強ち間違いではないのですよ
心は脳にとって交換不可のOSです
脳が機能して心を起動し、自我を構築して実感を得ているに過ぎないのです
前世と業報・来世と業報の事や霊動や手かざしの効能、霊魂の有無なども、全て心の中の自我アプリが
好んで考え、妄想し、空想上の結論を出し、根拠が見出せないから何度も無明へ出たり入ったりしてる
真実を知らないので結論が出せず、仕方なくそれら妄想の格納場所は自ずと無明から出して無明へ格納される
解脱を為さねば一生この通りで間違いありませんし、例外もありません
そして、例外無く涅槃で全ての妄想は滅し尽くす、途上で解脱を成してれば無明の妄想は駆逐されつくされてサッパリして涅槃へ至る
一風呂浴びて綺麗になってから、若しくは風呂を浴びずにそのまま死んでも、運よく新たに人となりし時には、
また無明は付属して人間になる
この運良き新たな人は風呂を浴びる・浴びないの如何に因らず、生まれながらに無明に惑う仕組みを持って育つ
そして、一風呂浴びてない人は、以前人の時に迷ったまま涅槃で迷いを捨てさせられたのに
新しい人の付属の無明と繋がってる妄想をここで生み出す
これが苦滅対象の妄想輪廻が連結されてると妄想する業報トラップの仕組みなのです
事実の輪廻はそんな所を転がってないのです、厳格ですから
愚者にはこれが一切理解出来ないのです
22 :
○○○ :2014/03/27(木) 01:34:54.40 ID:86eQIPJz
>>13 自称『成し得た者』氏
>先ず、前世想起に付いての回答はサンユッタニカーヤ12.70・スシーマ経と私の答えはほぼ同じだ、
只今、サンユッタ・ニカーヤの「スシーマ」を読んで参りました。
(一部抜粋)
その時、ちょうど、多くの比丘たちが、尊師の面前で完全智に達したことを明らかにしているところでした。
「『滅尽したのは、生まれることである。完成したのは清浄行である。為すべきことは為し遂げられ、
もはや、この(輪廻の)状態に再び戻ることはない』とわたしたちは知ります」
(考察)
ディーガ・ニカーヤの「自歓喜経」で舎利佛が釈尊から聞いた神通と同じ内容を遊行者スシーマが修行完成者達
に質問すると、「いや、友よ、そのようなことはありません」と全て否定でした。
二つの原始仏典間で神通に対する答えが真逆ということをまず確認しました。
「大智度論」では常見者には輪廻を説かずに、無常・無我を説かれたとの解説がございましたので、
常見者と思われる遊行者スシーマには真逆を教えたということでしょうか。
滅尽したのは生まれ変わりであれば、滅尽しなければ生まれ変わる、ということになります。
しかし、常見者には釈尊も阿羅漢達も輪廻から注意をそらされたのも慈悲でしょう。
23 :
○○○ :2014/03/27(木) 01:46:52.86 ID:86eQIPJz
>>13 自称『成し得た者』氏
>運良くまた人と生まれし時に無明で前世に迷う
>>21 >以前人の時に迷ったまま涅槃で迷いを捨てさせられたのに
上記の2つの文章から、貴方は生まれ変わりを知っていることになります。
昔人だってまた人に生まれることも。
まあ、素粒子レベルで見れば、不生不滅なのでしょうけど。
遺伝子レベルで見れば、先祖と子孫とはつながっております。
24 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 01:47:59.63 ID:Xtevkitg
>>22 ”私”が新しい”私”として生まれ変わる、これが妄想願望業報輪廻
脳に依存して心で思ってる以上、死んだらその妄想は脳の失われる機能と共に終わり
これは断見でも同じ事で今世限りで一切終わりと言う考えも妄想となり脳と一緒に終わる訳です
誰が次生に人間に生まれ変わるなんて言ったんでしょうね?
我々の次生は既に決まってます、死体を経由して現代的火葬に焼かれて
灰と骨とガス類、つまり塵芥の類ですよ
そこから無心で転生をやり直して行くことは既に決定済みで変更不可なのです
相当の偉人なら或いはミイラとか何とか技法の保存法とか冷凍とか有り得るでしょうが
そっちの場合はそれなりに、塵芥類への時間が延びるだけの話です
そこに当人の是非の入る余地など当然有りません
涅槃ですからw
25 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 01:53:29.61 ID:Xtevkitg
>>23 塵芥の類が一切衆生に転生しない謂れなど全く無く、されば新たに人に成れない言われも全く無いのです
この世界は四大元素・五大元素で成り立ち、これらは縁起によって絶えず流転しているのです
ここに、想念などの心や霊魂由来の霊動などは含まれません
全ては縁起する現象なのであり、厳格な因果律をもって無常に続くからです
如来はオカルトが大嫌いなのですw
26 :
○○○ :2014/03/27(木) 02:10:37.10 ID:86eQIPJz
>>15 自称『成し得た者』氏
>ならば、21世紀なりの言い方として敢えて強調したいのは
>>25 >この世界は四大元素・五大元素で成り立ち、これらは縁起によって絶えず流転しているのです
21世紀なりの言い方としてならば、ニュートリノや重力子は五大元素でしょうか?と疑団でしょう。
数多の光の波長の中で可視光線は極狭い範囲で、幾多の波長の中で可聴音波も極狭い範囲です。
オカルトが大嫌いなのは分かりましたが、不可思議な現象がある限りは「ない」と断言するのは如何でしょうか。
平行線なのでそろそろ止論かなと思料します。
他の方々のように異教と馬鹿にせずに、親切に対話して下さって真に有難うございました。
べしさん、暇ですね
28 :
○ :2014/03/27(木) 02:14:51.36 ID:86eQIPJz
>>25 >如来はオカルトが大嫌いなのですw
断見各位に阿弥陀如来がオカルト扱いされていることに私は反論しております。
29 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 02:22:36.09 ID:Xtevkitg
>>26 >21世紀なりの言い方としてならば、ニュートリノや重力子は五大元素でしょうか?と疑団でしょう。
縁起によって生じて縁起によって滅してるなら含まれるんでしょう
>不可思議な現象がある限りは「ない」と断言するのは如何でしょうか。
凡そ縁起する現象で無いものは存在しません
無も有に縁起し、有も無に縁起して成り立っています
有無ですらこの限りで、だから空な訳です
在家くん、今はアレでもですね、門前の仔犬の仏性なんですよ
無って言われて腹を立てる言われも無いでしょう、今現に外道なんですから
釈尊は君の様な信仰心の篤い人を無下には扱わなかった、私はそれを思い出しただけです
おやすみ
30 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 02:33:13.28 ID:Xtevkitg
>>28 最後っ屁は勘弁して下さいw
阿弥陀さんは応身として実在した事無い筈の如来さんで
って言うか、”実在した”と仮定した阿弥陀さんが観た”如来”
なので阿弥陀如来な訳です
如来は尊称風に付けられる事が多いですが、役職名の類ではありません
縁起する現象の異名が如来、なだけです
阿弥陀さんの流れは、何らかの事情で仏道に於いて
今世で悟れなかった人の為のセーフティーネット(転落防止網)だと思っています
だって、私仏の論じゃ「一切皆入涅槃」なんですしね
31 :
安堂 :2014/03/27(木) 02:35:58.70 ID:9JXc3xXl
僕もここに少しいたら いい刺激になるのかもしれません・・・。 みなさん先鋭な方々ですし。 たいへん刺激になるでしょう
32 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 05:46:27.25 ID:IUUnpccb
>949 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/26(水) 12:31:00.19 ID:vCFGW1gg俺が思うに、 仏教において、師匠が弟子にまず一番に教えるべきことは >「自己の境地について人に語るな」・・・・これだと思うがwwww 一度も語った事はねえがwポンコツねつ造バービー18番w > 禅を少しかじった奴に共通にみられる特性として、必ず、「自己を語りたがる」 だろ?www そして、「お前は分かってない」と必ずやりだすww その裏返しの心理として、「自分はわかってるぜ〜〜〜〜」という 自己顕示欲がしっぽを出しているのを少しは意識しろよとww >自己を語る、他者の境地を評価することの醜悪さをちったあ、理解しろよww 知識レベルで間違っていると言えば、 ポンコツねつ造マシーン脳バービーにはこう感じるらしいなw
33 :
○ :2014/03/27(木) 07:19:30.67 ID:86eQIPJz
>>29 >釈尊は君の様な信仰心の篤い人を無下には扱わなかった、私はそれを思い出しただけです
>今世で悟れなかった人の為のセーフティーネット(転落防止網)だと思っています
>だって、私仏の論じゃ「一切皆入涅槃」なんですしね
大層慈悲深い結言にて恐縮しております。
今朝も是好日、世の中のお役に少しでも立つべく、リーマン出勤します。 合掌
34 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/27(木) 07:23:35.80 ID:xJx7znbO
>>32 >一度も語った事はねえがwポンコツねつ造バービー18番w
また、すぐそうやって大嘘つくww
「ワイは、臨済、曹洞、両方マスターした『禅マスター』や〜〜」
って、喚いていたの、なかったことにしたいの?wwwwww
>知識レベルで間違っていると言えば、・・・・・
ほ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜wwww なるほどww
なら、これからは、「・・・・・は、嘘つき」「・・・・・は、はったり」
などというヤジのみのスレ汚しはやめて、「〜〜〜〜が、・・・・のように
間違っていて、正しくは・・・・・である」・・・・・このように、きっちり
自己の見解を述べる方向に修正するわけだww
こりゃ、楽しみだwwwwwwwwww
35 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 07:26:32.44 ID:IUUnpccb
ポンコツねつ造マシーン脳バービーちゃん、おっはーw >知識レベルで間違っていると言う事 をねつ造解釈して言論弾圧するバービー将軍様であったスンニダw
36 :
○ :2014/03/27(木) 07:28:32.13 ID:86eQIPJz
>>30 自称『成し得た者』氏
>だって、私仏の論じゃ「一切皆入涅槃」なんですしね
習応品第36に、菩薩は不退転の地に住して、仏道を浄める、という趣旨が説かれているそうです。
矢に矢を次々打って地面に落とさないように、方便の矢を打って涅槃の地に落とさないそうです。
(『大正』25、p.323a)
「涅槃」入りの、おあともよろしいようです。
37 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 07:30:53.29 ID:IUUnpccb
ホント、ポンコツ意味ねつ造バービーは北朝鮮レベルだなスンニダw 性格異常が基礎にあるんだろうけれどもなw 性格異常のポンコツ・バービーはやっぱり、 まともに論理的に会話不能で不毛だからw スンニダオチョクリの玩具がいい処だなw
38 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/27(木) 07:38:45.93 ID:xJx7znbO
wwwwwwww なに言ってんだ? このバカwww こいつ、今まで自分がしてきたことマジで覚えてねえの?wwww お前が、このスレで繰り返してきたことは、 「・・・・・は、大嘘」「・・・・は、はったり」などのヤジの繰り返しww 「どこが、どのように間違っているから、「嘘」「はったり」という指摘を してきたか?」wwwww 自分は、きちんと相手の見解の瑕疵を指摘して、それを是正してきたとでも いうわけ?www カスがw 消えろww
39 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 07:58:37.27 ID:IUUnpccb
ポンコツ将軍様バービーのポンコツねつ造活動スンニダw ポンコツ言説がスレのコンセンサスwww という妄想がポンコツ・バービーにはあるようだがw
40 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 07:59:33.16 ID:G/QGfo9l
習応品第36に、菩薩は不退転の地に住して、仏道を浄める、という趣旨が説かれているそうです。 ホント、ポンコツ意味ねつ造バービーは北朝鮮レベルだなスンニダw 矢に矢を次々打って地面に落とさないように、方便の矢を打って涅槃の地に落とさないそうです。 (『大正』25、p.323a) 性格異常が基礎にあるんだろうけれどもなw 性格異常のポンコツ・バービーはやっぱり、「涅槃」入りの、おあともよろしいようです スンニダオチョクリの玩具がいい処だなw
41 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 08:17:37.55 ID:IUUnpccb
ポンコツ将軍様バービーのポンコツねつ造活動によれば、 仏教議論とは知識の正確さを追求するものではなく、 ポンコツ・バービーさまの妄想するスレのコンセンサスwww に基づいて正邪は判定されるようだなw
42 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/27(木) 08:28:35.45 ID:xJx7znbO
>>41 wwwwwww
やっぱり、かわらねえじゃねえか、このカスwww
「ねつ造、ねつ造」と繰り返すのみで、こっちの意見に反論できないでしょ?ww
俺は、お前の今までのこのスレにおける書き込み状態を指摘したわけw
お前は、他者の書き込みに対して、「揶揄、ヤジ、罵倒」を繰り返すのみで
「・・・・・が、〜〜〜〜のように間違っている。正しくは・・・・である。」
のようなこと全くなかったろうが?www
それは、このスレの住人皆が知っているぞww
そして、それを指摘すれば、今度は「嘘だ、ねつ造だ」とやりだすww
バカの上に、「大嘘つき」ww
ホンマにスレ汚しにしかならないから、消えろカスwww
43 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 08:29:45.26 ID:IUUnpccb
ポンコツ・バービーに説明しても無駄だと悟ったw ポンコツ書き込み製造御苦労だなwバービーw
44 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 08:31:36.02 ID:IUUnpccb
ポンコツねつ造を前提とした、ポンコツ・バービーに意見、反論? 意味をポンコツねつ造する相手にかw ポンコツ意味ねつ造祭りするだけだろうw? ポンコツ・バービーw
45 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/27(木) 08:41:02.30 ID:xJx7znbO
まただ、wwwwwwww
興奮すると、同一語彙の罵倒連騰www
ねつ造????? www
俺が、
>>42 に書いた事実をねつ造とする住人は、おそらく
一人もいねえぞwww
すべて、「事実」w
お前にできることは、「ヤジ」だけww
46 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 08:43:45.50 ID:Dvw96eR3
朝鮮人はきもちわるいね 粘着して嫌がらせするのが心底楽しいらしい
47 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 08:50:46.97 ID:TM21ImiI
そんな不毛のやり取りを敢えて演じて 何をそんなにレス流ししたかったんだろう? 2ちゃんじゃ古典的手法だね、レス流し
48 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 08:59:55.96 ID:IUUnpccb
>お前にできることは、「ヤジ」だけww >興奮すると、同一語彙の罵倒連騰www ポンコツ・バービーが、上記そのものであると自覚できないから、 ホント。ポンコツと会話するのは難しいなあ。 ポンコツには同じ言葉で躾するしかないなあ。 バービーちゃんみたいなポンコツと解った上で相手しているんだから、感謝してくれよw バービーちゃんも寂しくなく幸せな事だろうw バービーは、ポンコツの分際で、論理的に意見くれと高尚に要求するのは笑えるなあw
49 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 09:02:25.46 ID:IUUnpccb
意味ねつ造、しない、これ仏教の基本、 議論においても当然でしょうw ポンコツ・バービー様は、妄想のスレのコンセンサスwwの 正統な御意見番のつもりらしいのだがw 意味ねつ造のポンコツの分際でw
50 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 09:22:44.97 ID:IUUnpccb
意味ねつ造、しない、これ仏教の基本、 議論においても当然でしょうw のポンコツ・バービーへの躾でしょう。 これも、まあ縁だわなw 相手して欲しいというのだから、需要があるんだし不毛でもなく不要な親切でも無いだろうw
51 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/27(木) 09:41:16.29 ID:xJx7znbO
ほんと、このスレ荒らしのカスdaio- だけは、始末におえんなwww 粘着、ヤジ罵倒、それから何だ?w AAの貼り付け荒らしだったか?w それしかできないカスのくせして、「ワイは禅マスター」だ〜〜〜などと ほざきやがるww まじめに禅を志すひとに謝れ、バカwww いい迷惑だwww
52 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/27(木) 09:46:52.65 ID:kwMDb8ko
>>6 >第六感など意味不明なオカルトには持ち込まない、この切って張ったような偽物が
だったら「直覚」だって意味不明なんじゃないの?直覚した者しか意味は解せないだろうし、
そもそもそれが「直覚だった」って認識するのは、それはイメージ化されたものへの摺り合わせなのだよ。
公案だってそうなのだよ。
先ずイメージ化されたものがあり、それにどうコンセンサスを合致させるか。この作業なのだよ。
> 反省と混乱に因果関係はない、混乱しない理性があればこそ反省する
> お前には論理性は皆無
その「混乱しない理性」ってのを一時的に破壊するのが公案なのだよ。
だからそれは論理性の破壊と同義なんだね。
>反省することなく、糞みたいなかきこみをして、カルトにすら嘲笑される哀れな2ちゃん人生、その名は机龍之介
人生は、「遊をせんと生まれけむ」なんだよ。
このフレーズを使った御仁は、私見だが達観してるかとおもうよ。あれは閻魔氏かな?
> 経典を我見でねじ曲げて相手を貶めることで勝利を狙うようなゲスにはまず無理
そうでしたか、皆様の暖かいご教示がなりよりも私の餌になっているんですよ。
餌がないと書く気が起きないですからね(^^)/
53 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 09:49:37.54 ID:IUUnpccb
意味ねつ造、ポンコツ活動止まりませんなあ、ポンコツ・バービーw
54 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 10:14:28.20 ID:IUUnpccb
ポンコツの分際で、まともな書き込み、言説、ご意見番のつもりらしいいなあw ポンコツバービーはw バービーのポンコツのクォリティー高過ぎw今日、確信したw
55 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/27(木) 10:18:54.91 ID:xJx7znbO
だから、そうやって下らんヤジ書き込みでスレを消費するなと 多くの者から言われてきたでしょ? 「お前の禅」ってのは、人に迷惑かけることなんか?wwww 大した「禅マスター」だなwww
56 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/27(木) 10:20:16.47 ID:kwMDb8ko
>>5 >思いは思い、そこに本懐などない、意味付けしてるのはお前の自我
私が書いた「思惟の連関の切断」というのは、意味付けの否定だろうよ。
よく私がかいた文章を読んだらいいよ。そしてそれは端的に表すのだったら死体(しにたい)だと言ってるんだよ。
>ニーチェは虚無など言っていない、キリスト教徒がそういうレッテルを張っただけ、意味不明な事を申すな
ニーチェが虚無を言ったかどうかは、それは誰も分からんのですよ。
つまりニーチェはメッセージを発信しただけなんだから。
それをど受け止めるかは、受け止める側の感性に依存せねばならない。
感性は人それぞれだから、どう受け止めるかは、その人に依る。
私の書き込みもそうなんだよ。
私は自分の考えをメッセージしているだけ。
だから反論する人間もいれば、同意する人間もいる。
そのカオスの中で、人はアイデンティティーを確立しているんじゃないかね?
それを人が「我執」と言うかもしれない。
そして人はまた、こう言うだろう
「机のレスで、我執について考える切っ掛けができた」。と
57 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/27(木) 13:38:47.53 ID:kwMDb8ko
>>19 おじゃる氏
通時的同一性についてのお題でありますが、
私が掲示板にその件を書きますと非常に荒れるかと予想されます。
これは般若波羅蜜においても難解とされるとこですので、
その機が熟せねば、私が書いたとしても不毛に陥るでしょう?
しかしヒントだけ書いておきました。
理論物理学から連想してください。
▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▲▽▽▽▽▽▽▽▽ ▽ ▲ ▲ ▽ ▽ ▲ ▲ ▽ ▽ ▲ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▽ ▲ ▲ ▽ ▽ ▲ ▲ ▽ ▽ ▲ ▲▲▲▲▲▲▲▲▽▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
59 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 16:10:58.61 ID:e0yFp1q2
無駄だ。
60 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 17:30:30.57 ID:iH0QxZyX
test
61 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 17:35:12.72 ID:iH0QxZyX
瞑想のすすめ 日本経済新聞 2013年2月10日(日)朝刊「文化」欄 … … 座禅が煩悩まみれのこの世の生活から離れた ただ在るだけの世界に人を連れ戻すのに対して ヴィパッサナー瞑想は煩悩まみれのこの世の生活から 離れたただ在るだけの世界にこの世の生活を変える それは間違いなく心の平安をもたらすだろうが 真の幸福をもたらすかといえば それはまた別の、もっと大きな問題であるが …
62 :
おじゃる :2014/03/27(木) 17:45:49.06 ID:iH0QxZyX
机先生、レスありがとうございました
前世は○○○さんも↓こちらにどうぞ
>>19 の
仏教以外でも良し(シベリア版)
63 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 17:52:49.29 ID:2sGGd8Kp
究極の真理なる勝義諦が言葉や文字に出来ない理由 この理由を論ずるならこうだ 真理とは絶対に正しい事実の事なので、これを示されたら人は 認めざるを得ないか、理解出来ずに黙るしか選択肢が無い事を言う 少々解っていて探していたものならそれを示された時全て腑に落ちてしまう 全然解って無いものは理解の範囲を超えてしまっているので何も言葉が出ない 事実としてこう言う自体以外にはなり得ないものが真理となる しかし、それを文字で説明しようとなると、様々な考察的選択肢を生む事が可能となり 凡そ学術上に明らかな単語を駆使し尽くしても否定する事を可能としてしまう 否定できる事案は真理とは言えない事になるので、この場合 いくら文字で勝義諦を書く努力を講じてみても、書いている論・文はあくまでも 否定可能な世俗諦と化してしまうのである 世俗諦は否定可能ではあるが、真理を言い得ている事にもなるので間違っている訳では無く 単に真理そのものだけを言い表せていないだけなのである、故に世俗諦では誤謬も生まれる 逆に言えば、勝義諦専用の文字列が全ての言語体系の中に存在しない・存在できない証明でもある 勝義諦の説明にしか使えない文字列など、日常には不要なのだから仕方が無い話
64 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 18:07:02.62 ID:2sGGd8Kp
ぽまいら、あったま悪ぃーからこんな事全然解んなかったろ 実は俺もだ、全然解らんかった
65 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 18:14:14.70 ID:2sGGd8Kp
因みにこの「勝義・世俗諦」と言う用語も世俗諦に属す文字列なので 勝義の中身は当然の如く、宗派・宗教・思想に依って解釈も変わってしまう 故に、勝義諦=仏教の真理とは限定出来ず、その確証は文脈に依存される 難しいね
66 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/27(木) 18:17:55.75 ID:Kr87M2cG
>>15 >>人間は死んだら誰でも一旦は涅槃へ全員還る、例外は無し
まさに死ねば仏ですか。
まさに極論であって、それならば生きている人生、何をやってもいいんですか。
極悪非道、レイプ強盗殺人、どんな悪行をしても死ねば涅槃で仏ですか。
それが仏教なんですか?そうじゃないでしょう。
人間が正しく生きる姿、その完成された生き方そのものを涅槃と呼ぶのですよ。
あ、今日の俺チョットカッコイイかも。
67 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 18:21:39.46 ID:2sGGd8Kp
>>66 正しいって何? 基準次第で変わっちゃう曖昧なものだろ
68 :
おじゃる :2014/03/27(木) 18:22:17.69 ID:iH0QxZyX
> 世俗諦では誤謬も生まれる (諸法に通達する智と断惑証理する慧)般若波羅蜜を成就してない場合は 「仮設としての」と言う意味で仮に 因と縁に依存して現れ(滅し)ている 無知(無明)の暗闇に覆われて 渇愛によって、固執・掴むこと(取)も現れ(滅し) 心の流れ(心相続)によって 誤謬も生まれる 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察 1. 無知(無明)の暗闇に覆われて 人はその者自身を未来の生へと 追いやることになる性質を持った 三種類の行為を行う(カルマを積む)
数人を殺したら極悪非道で死刑だが、戦争で大勢を殺したら英雄。 まさに基準次第で変わる曖昧なものですね。
70 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 18:24:50.62 ID:2sGGd8Kp
71 :
おじゃる :2014/03/27(木) 18:37:23.61 ID:iH0QxZyX
> それをどうやって確認するんですか? 私(おじゃる)の場合は 「縁起・空・無我」を観察する為の方法も実践した事はないので (「実践によって」と言う意味で)確認した事は、ありません
72 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/27(木) 18:47:18.23 ID:kwMDb8ko
>>71 おじゃる氏、ひとつ聞きたいことがありますが、
貴殿は現在に至るまで、何か感動したことがありますか?
それは小説でもいいし、軽いエッセイでもいいし、映画とか音楽とか、
もしもそれらがあるのでしたら、
貴殿が自由に、貴殿の思うままに、私に教えてください。
73 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/27(木) 18:48:12.25 ID:Kr87M2cG
>>67 >>正しいって何?基準次第で変わっちゃう曖昧なものだろ
他人に迷惑をかけない、これを基準にしていただけたら幸いです。
>>69 英雄に殺された側からしてみれば大迷惑なのでNGです。
74 :
おじゃる :2014/03/27(木) 18:54:40.87 ID:iH0QxZyX
実践するか?どうか?わからないけど、もう一度↓これを聴いてみます それぞれのアップデート 投稿日時: 2014年3月17日 2014(平成26)年 日曜ワンダルマ坐禅会法話 山下良道(スダンマチャーラ比丘) 法話 早春の京都で、チッタヌパッサナーが始まる 投稿日時: 2014年3月21日 2014(平成26)年 京都春彼岸接心法話 山下良道(スダンマチャーラ比丘) 法話 青空の瞑想インストラクション(1) 投稿日時: 2014年3月23日 2014(平成26)年 京都春彼岸接心 瞑想インストラクション インナーボディワーク+慈悲の瞑想(1) 青空の瞑想インストラクション(2) 投稿日時: 2014年3月23日 2014(平成26)年 京都春彼岸接心 瞑想インストラクション 慈悲の瞑想(2)+ アナパナサティ+チッタヌパッサナー+只管打坐3.0
75 :
おじゃる :2014/03/27(木) 19:10:13.10 ID:iH0QxZyX
>>72 机先生へ
> 貴殿は現在に至るまで、何か感動したことがありますか?
小学4年生の時の
落武者の霊を見た時の事が(感動的と言う事を凌駕する程の)恐怖体験です
_ _ _
今・現状では「我がある」と執着しているけど
実践した事はないけど
今は教学として勉強させて頂いているので
最終的には
「我ではない」とします
落武者の霊も「自性ではない」とします
76 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:12:31.26 ID:2sGGd8Kp
>>73 >他人に迷惑をかけない、これを基準にしていただけたら幸いです。
じゃあ君の今の行動は極悪非道って事になっちゃうね
77 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:18:57.77 ID:uRYkiQ3R
>>63 >究極の真理なる勝義諦
ハナから間違っているw
勝義は、「究極」でも「真」でも「理」でも「諦」でもない。
したがって、一行目から駄文でしかない。
78 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:20:40.57 ID:2sGGd8Kp
>>75 >小学4年生の時の
>落武者の霊を見た時の事が(感動的と言う事を凌駕する程の)恐怖体験です
小学4年頃の私の記憶、落ち武者とする私の認識、それを霊だと私が断定
恐怖と言う私の感受、それらを踏まえての私の体験記憶
どこから観ても実体が無いですね、私なる実体無き事象の上で調理されたものに過ぎませんから
あなたはそれらを”事実”だと誤認してるに過ぎません、言い換えれば思い込んでるって事です
79 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:22:26.38 ID:2sGGd8Kp
>>77 勝義諦は単語、文字列に過ぎませんからw
そりゃ、「究極」でも「真」でも「理」でも「諦」でもないのは当然です
アホは口出すなw
80 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/27(木) 19:25:31.41 ID:kwMDb8ko
>>75 ありがとうございます。
実は貴殿に、私がこのような質問をしたのは訳があります。
人が小説読んだり、映画を観て感動するのは、それは作者とか監督のメッセージを受けとるからです。
芸術の分野でも何でもそうです。
それは必ず作者のメッセージが必ずあります。
そのメッセージを受け取ることにおいて、作者と共有して楽しむのです。
そしてどんな作品においても、人は間接的体験をして、より人生は豊かになっていきます。
だけど、貴殿が感動したのは・・・・「落ち武者の霊」ひとつ、ってのは寂しいですね><
いや、ごめんなさいね。立ち入ったことを聞いてしまって。
どうも私はそこのとこが引っ掛かったものですから・・・
解答ありがとう。
81 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:39:40.81 ID:uRYkiQ3R
>>79 だったら「勝義諦」の使用はおやめなさい。
たとえば、
『比丘たちよ、これらが、如来がみずから悟り体現して教示している、
「深遠で、見がたく、了知しがたく、寂静で、離れており、思考と思惟とを越えており、微妙で、賢者だけが理解できる諸法』
この梵網経37は真理ですか?
目撃される霊に共通点があるから不思議なんだよ 霊とかになると単に1個人だけの体験とすることができないだろう
83 :
おじゃる :2014/03/27(木) 19:41:46.77 ID:iH0QxZyX
> あなたはそれらを”事実”だと誤認してる 私(おじゃる)の場合は 無明の闇に覆われて 「我がある」「落武者の霊を見た」 と執着しようとする心の働きが現れ(滅し)ている 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察 1. 無知(無明)の暗闇に覆われて 人はその者自身を未来の生へと 追いやることになる性質を持った 三種類の行為を行う(カルマを積む) 第十八章 自己(self)と実在物(entities)の考察 4. 内的にであろうと外的にであろうと 「私」と「私のもの」という観点が消滅するとき 自己に固執する者(取著)は消滅する これが消滅すると、誕生することも止まる 5. 行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある 行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである 作り出されたものは空性によって消滅する
84 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:43:09.84 ID:2sGGd8Kp
>>81 アホなんだから賢いフリはおやめなさい。
全ての文字列は真理を表現しようとしても世俗諦にしかなり得ない
そんなのは定説でしょ
そのレベルで議論したがるのがお前ってだけw
85 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:44:31.81 ID:2sGGd8Kp
86 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:46:13.74 ID:EbxPgqGN
>>81 その境地はたぶん、竜樹の「空」ではないだろう。
竜樹の「空」では単純すぎる。
87 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:47:46.90 ID:uRYkiQ3R
>>84 まったくつかめていないようですねw
無駄でした。
徒労ですから、止めます。
88 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:48:43.17 ID:2sGGd8Kp
>>83 で、その論が本当に正しいのか自分で確認したかい?
まさかそれも「正しかろう」の鵜呑みじゃないよね?
そこを鵜呑みなら先の落ち武者も思い込みの鵜呑みを否定する根拠を失うんだよ?
横槍スマソ。
世俗的に考えると
>>85 より梵網経37とかいうのの方がどちらかと言うと正しいんじゃないの?
90 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 19:59:34.09 ID:EbxPgqGN
釈迦は成道後、かっての五人の仲間へ何を説いたのか。 @ 竜樹と同じ勝義諦「空」 A 縁起の理法 〜 無明で始まる十二縁起 B 四諦八正道 C 三法印ないし四法印
91 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 20:00:10.37 ID:uRYkiQ3R
>>86 >竜樹の「空」では単純すぎる。
ところが、龍樹もその単純すぎる間違いを犯しているのです。
たとえば、中論24-8〜10、25-20など。
やはり、止めときましょう。
92 :
おじゃる :2014/03/27(木) 20:03:02.23 ID:iH0QxZyX
> その論が本当に正しいのか自分で確認したかい?
私(おじゃる)の場合は
「縁起・空・無我」を観察する為の方法も実践した事はないので
(「実践によって」と言う意味で)確認した事は、ありません
> 落ち武者も思い込み
ちなみに ID:2sGGd8Kp さんが何を主張したいのか?わかりません
「実践した事もないのに、教学だけで議論スレに来るな」と言う事でしょうか?
私(おじゃる)は↓ここに居るのでよろしく
>>19 の
仏教以外でも良し(シベリア版)
93 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 20:12:00.00 ID:EbxPgqGN
>>90 の続き
釈迦「喜んでくれ、ついに悟りを開いた」
仲間「いったい何を悟ったのかね」
釈迦「生きてることは空であり、結局、実体などなかったのだよ」
仲間「ないものをどうやって確かめたのかね」
釈迦「それはだね〜勝義と言ってだね〜言葉では表現できないの〜」
こういう展開になって初法転輪は失敗する。
@の「空」は確実に、釈迦の悟りにはならないだろうね。
94 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 20:24:15.15 ID:mtX1e5Tl
てい 【諦】
http://kotobank.jp/word/%E8%AB%A6 [常用漢字] [音]テイ(漢) タイ(呉) [訓]あきらめる
〈テイ〉
1 明らかにする。「諦視」
2 締めくくり。まとめ。「要諦」
3 あきらめる。「諦観・諦念」
〈タイ〉仏教で、悟り。真理。「三諦・真諦(しんたい)・俗諦・妙諦
諦が真理を指してる訳だから 勝義が真理じゃないとか言われてもね〜
95 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 20:26:01.23 ID:EbxPgqGN
>>90 の続き
釈迦が悟ったと言えば、何を悟ったのかと必ず聞かれる。
それに納得できれば、その次にどうやって悟ったのかという話になる。
Bの四諦八正道はこの段階、悟りの方法論になる。
Cの三法印、四法印は、釈迦の説法を、
釈迦あるいは弟子が後に整理したものではないだろうか。
初法転輪でいきなり説いたとは思えない。
可能性があるのは、Aの縁起の理法〜十二縁起になる。
96 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 20:36:58.91 ID:EbxPgqGN
>>90 の続き
Aの縁起の理法〜十二縁起であることは、
SN.梵天勧請に「縁起という理法」として登場するので、
ほとんどまちがいない。
ただ十二支ではなく、もっと少ない支の縁起ではないかと思う。
悟りの内容を伝えるにはそれで十分である。
もちろん、自分が体験したことを語らなくてはならないだろう。
そうしないとウソかホントかわからないからだ。
97 :
おじゃる :2014/03/27(木) 20:47:55.42 ID:iH0QxZyX
ウィキペディアの場合は 全てを諦めて平穏に生きろと言っているようだが、そうではない もともと日本語の「あきらめる」は 「明らかにする(=一説によると「明らむ+める(めり)」)」から来ている 苦は「知り尽くすべきもの」(遍知) 苦の原因は「滅するべきもの」(滅除) 苦の滅は「実現すべきもの」(成就) 苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)
98 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 20:55:55.58 ID:EbxPgqGN
最近、自分は悟ったと言い、如来宣言をする人を見かける。 しかし、悟り体験を具体的に書かないのではニセモノというしかない。 釈迦は相手が初対面でも出し惜しみしなかった。 悟ったと言う以上、自分の体験を具体的に書くべきだと思う。 出し惜しみは悟っていない証拠だろう。 神秘体験を書いても、何も損するわけではない。 それを読んだ方も、それを知ったからと言って悟れるわけではない。 でもいつか、悟りに到達した時に役立つ。 それによって、自分の体験の正しさが検証できるから。
水も、地も、火も、風も、堅固に存在することのないところ、そこでは、星もまたたくことがなく、太陽も輝かない。 そこでは、月も現れることがなく、そこでは、闇も存在しない。 バラモンである聖者が、自己の寂黙によって知ったとき、かれは、形あるものからも形のないものからも、苦楽から解脱する。 体験自体が笑止であることがわかる
100 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 21:29:46.60 ID:EbxPgqGN
原始仏典を読んでいると、 煩悩を「根こそぎ」にするという表現がしばしば出てくる。 信仰心を持って、少しづつ努力していたのでは永遠に達成できない。 そうではなくて一挙に片づけてしまう。 神との出会いで、古い自分が粉砕されてしまう。 さらに、坐禅の魔境で「アラヤ識」を捨て去ることで根こそぎになる。 マナ識が「アラヤ識」に執着することで「無明」が生じる。 「アラヤ識」がなければ? 無明が生じない! マナ識こそは自分自身、夢の中にも登場している自分自身である。
101 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 21:44:11.78 ID:EbxPgqGN
>>99 中村訳「感興のことば」26章、「安らぎ」ですね。
そういう境地は坐禅(サマタ)中の、神界の様子に酷似している。
形がないのではない。形ある霊魂が神界を見ている。
この世の苦楽、この世の名色から解脱したからこそ神界に入れる。
この世とは異なる神界の話ですね。
102 :
おじゃる :2014/03/27(木) 21:44:14.79 ID:iH0QxZyX
佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月) ウダーナヴァルガのギルギット写本 迷妄を性質として壊滅するもの その〔ようなもの〕を離れることは 思弁の領域を離れた寂静なる境地であり 苦しみを性質とするものの滅尽であり 形成作用の寂滅であり 縁起したものを離れ ブッダは 〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも 死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない それこそが苦しみの終わりである
103 :
おじゃる :2014/03/27(木) 21:59:25.43 ID:iH0QxZyX
ウィキペディアの場合は 睡眠中でも深層において働き続け 根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる 煩悩障(自己に対する執着) 所知障(外界のものに対する執着) の二種の障害を根絶することによって 阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち) これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し それを得たものは解脱身であり 仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
104 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/27(木) 22:00:55.30 ID:Kr87M2cG
>>76 すいません。猛省します。
>>98 >>最近、自分は悟ったと言い、如来宣言をする人を見かける。
俺のことですか。
>>しかし、悟り体験を具体的に書かないのではニセモノというしかない。
そのような「体験」なるものは存在しません。
>>悟ったと言う以上、自分の体験を具体的に書くべきだと思う。
あえて体験と言いますか、輪廻をピコーンと悟ることです。
地獄や不幸な境遇に輪廻しないよう正しく生きる。
それが如来であり涅槃であり悟りです。
つまらなくてすいません。
105 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 22:14:25.53 ID:mtX1e5Tl
大不善地法 から未だにぬけだせないか
106 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 22:24:26.06 ID:3lNaU+U9
>>104 先ほどピタゴラス教団についてを読んでいた。
ピタゴラスは、輪廻を信じていた。自分は過去、何々の人間であって、その証拠もあると証明したと言われている。
どういう見地から輪廻思想を奉じていたのか詳しいところは判らなかった。
しかし、その教団の教えは、輪廻に安住するようなものではなかったと思う。読んでみる?
Barbaroiで検索
107 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 22:27:24.53 ID:EbxPgqGN
前世の記憶が潜んでいるとしたら業識であるアラヤ識だが、 アラヤ識を捨てることが悟りだから、悟ったら決して前世を思い出せない。 悟っても宿命通は生じない。しかし漏尽通はあるだろう。 アラヤ識を捨てたという記憶が残るから。 前世の記憶は、悟る前の方が思い出す可能性がある。 なぜならアラヤ識が存在するから。しかし何も思い出さないのは、 アラヤ識が死んだ識であり、何も発信していないからに他ならない。 経典を見ても前世の細部に渡る詳細な記述はない。 作り話程度の短い話でしかない。 完全に思い出したら、気持ち悪くて生きていけないだろう。
108 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 23:03:50.82 ID:EbxPgqGN
岩波文庫の原始仏典しか読んでないが、
初期の仏教教団にバラモン出身者がかなりいる。マハーカッサバ
モッガラーナ、サーリプッダなど。輪廻の支持者たちだ。
これに対して空の支持者は、アーナンダやラーフラや比丘尼たちか。
この辺を調べるとおもしろいかもしれない。
>>104 前世をブリやマグロにした時点で失格。ウソであることがわかる。
アラヤ識を見たとしても、人は人のアラヤ識を見る。
>>107 阿頼耶識を捨てることが悟りじゃないと思うよ。
捨てるんじゃなくて、捉われない。
あるんだけど、捉われない。
このあるんだけどというのは、実際にあるということじゃなくて、
現象的にはある、という意味。
あるものに捉われなければ、それは空。
無じゃない。
よく、雑念が無くなることを座禅の目標にしている人がいるけど、そうじゃない。
雑念を無くすんじゃなくて、雑念があっても捉われないってこと。
それが本当の座禅の目標。
無じゃない。空ってこと。
110 :
おじゃる :2014/03/27(木) 23:08:26.37 ID:iH0QxZyX
> 地獄や不幸な境遇に輪廻しないよう正しく生きる > それが如来であり涅槃であり悟りです ウィキペディアの場合は 一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる 無明を滅させて 輪廻からの解脱を目指すことが初期仏教の目的であった > 経典を見ても前世の細部に渡る詳細な記述はない 漢訳 第一義空經の場合は 此の陰滅し已らば異陰相續す。俗數法をば除く 無明 → 行 → 識 → 苦起る (苦集滅道によって) 無明滅 → 行滅 → 識滅 → 苦を滅させて 迷妄を性質として壊滅するもの その〔ようなもの〕を離れ 縁起したものを離れる
111 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 23:13:17.89 ID:EbxPgqGN
>>103 おじゃるは自分の頭で考えないとダメだよ。
ウィキは完璧じゃない。
アラヤ識は死んだ識であり、何も発信していない。
教会にあるイエス像のようなものだ。イエス像は何も発信しないが、
信者はイエス像から様々なイメージを受け取っている。
112 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 23:23:29.43 ID:EbxPgqGN
>>109 キミは捉われないという思いだけで、
情欲と怒りと迷妄を根こそぎにできたのですか。
113 :
おじゃる :2014/03/27(木) 23:35:15.90 ID:iH0QxZyX
ウィキは完璧ではないので セブン先生に確認して見て下さい 唯識(ゆいしき)とか・末那識(まなしき)については ID:EbxPgqGN さんの主張よりも ウィキペディアの説明の方が 経典・論書・一般的な解説書の説明に近いと思います
115 :
神も仏も名無しさん :2014/03/27(木) 23:55:13.29 ID:uRYkiQ3R
>>95 >それに納得できれば、その次にどうやって悟ったのかという話になる。
>Bの四諦八正道はこの段階、悟りの方法論になる。
まったくのデタラメを書きなさんな。
つか、
>>90 の書き方自体が、何も知らないって告白だわなw
117 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 00:33:05.11 ID:BLOZJVTd
>>98 如来宣言はしてないな、如来は口利けないから
仏とも言ってないな、まだ誰も救った気がしない
悟りは日常でもある気付きの事だから問題ないな
多分解脱だろな、癪に障ってんのは
それは嫉妬なんだけどな
解脱は自己の迷いの原理・根源を悟り
三界の原理そのものを知る事だ
何ら特殊な事じゃ無い罠、自慢にもならん
知りたいのに、幾ら頭で考えても解らん
それなら、その解らん頭を一旦離れれば良いだけなのに
それが出来ないと言い訳する
何の為の出世間なのか
お釈迦様は今頃ほくそ笑んでると思うよw
118 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 00:48:57.98 ID:BLOZJVTd
甚深微妙の法門は頭と知識だけでいくら分析を試みようとしても無駄なんだよ 頭が良い事に越した事は無く、知識がある事に越した事は無いんだが、そこに足りないのは実践なんだよ 仏法は中道を教える訳で、その中道ってのは「右と左との真ん中」って訳じゃない、真ん中に道なんか無いんだよ それを頭で考えて探そうと必死になるから迷う、そこに道なんか無いのに「空だから見えないだけ」とか勘違いまで始める それらの全考察を脱却し尽くした所に悟りがあり、悟りの有るところに智慧があるんだよ 知恵は勉強すれば得られる、しかし、智慧は実践しなくちゃ得られないんだよ 仏道は実践を教える道なのであり、実践からしか仏法は知る事が出来ない 仏法は道理だからね
119 :
おじゃる :2014/03/28(金) 00:56:52.77 ID:rk8jboI5
> 三界の原理そのものを知る事だ 三界の原理って↓これの事ですか? 三界 人間の住む世界のことで 目に見える世界 目に見えない世界を含めた世界をいう 1欲界よくかい は 五欲に満ちている人間社会 2色界しきかい は 心のなかで 形などを考えられる世界 3無色界むしきかい は 純粋な心の世界 衆生たちよ 現象界のものごとの 変化にとらわれてもいけないし 不変にこだわってもいけないのです つまり 差別や違いだけを見ることや 平等だけを見ることは 完全な見方ではありません 正しい仏の見方とは 現象界の奥の実相界じっそうかい を 慈悲の眼で見ることなのです _ _ _ 原始仏教では「四禅三明」の教説、あるいは、単に「四禅」の教説が広く説かれている 「四禅」の後に、さらに、無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を説明することが多い 想受滅(滅尽定)は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅(滅尽定)の直後に「解脱」するとされる
120 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 00:58:48.14 ID:ULaIOALf
>>117 >如来は口利けないから
デタラメ妄想失調症の如来サマでっかw
如来サマなら、
『深遠で、見がたく、了知しがたく、寂静で、離れており、思考と思惟とを越えており、
微妙で、賢者だけが理解できる諸法』をお示しくださりませ〜〜〜w
たとえば、下記は真理ですか? 法理をお示しくださりませ〜〜〜
『このゆえに、花開の万木百草、これ古仏の道得なり。古仏の問処なり。
世界起の九山八海、これ古仏の日面、月面なり。古仏の皮肉骨髄なり。
さらに又古仏の行仏なるあるべし。古心の証仏なるあるべし。古心の作仏なるあるべし。
仏古の為心なるあるべし。
古心といふは、心古なるがゆえなり。心仏はかならず古なるべきがゆえに、
古心は椅子竹木なり。』
121 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 00:59:54.65 ID:BLOZJVTd
>>119 それは単なる説明に過ぎない
俺らは現に三界に生きている
この仕組みが解れば涅槃が解るんだよ
実践しないおじゃるには与り知らぬ事さ
122 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:04:33.87 ID:BLOZJVTd
>>120 >『深遠で、見がたく、了知しがたく、寂静で、離れており、思考と思惟とを越えており、
>微妙で、賢者だけが理解できる諸法』
涅槃の事だ、涅槃の事実を説明している
>『このゆえに、花開の万木百草、これ古仏の道得なり。古仏の問処なり。云々
真実の輪廻を説明している
理解出来ないのは凡夫の知恵しか使ってないからだ
大した事無い
123 :
おじゃる :2014/03/28(金) 01:09:46.98 ID:rk8jboI5
ID:BLOZJVTd さんへ ご教示ありがとうございます
124 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:24:59.80 ID:BLOZJVTd
>>120 私が普段ここで説明している真実の輪廻は
いつも心の輪廻転生惑の断滅か非仏道に於いての輪廻惑の連結を言っている
君が示した文例の場合は、その同じ立場において、仏法・仏道・念仏の処遇を言っている
俺らが今世で仏道を成して輪廻惑を断滅する事に成功すると言う事は
逆に言えば心に仏を宿す事に成功したと文学的には表現出来、
その宿した仏は、次に人と生まれし時、また煩悩と無明に苛まれて(これは生まれながらにデフォで避けられない)
縁有って仏道に専念する事にあいなる、その時念仏する仏は嘗て宿した過去仏だと言って入る
綺麗な御文じゃないか
125 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:26:26.95 ID:ULaIOALf
>>122 >涅槃の事実を説明
アホらしw
これは直接現実(勝義)ではありません。
無分別智による縁起の現実は、ただただ無分別智直覚するのみであって、二項相対分別表現はありえないのです。
もし表現するなら、〜三世緒仏までの般若心経やウダーナ8-3などのように間接否定表現に徹するべきでした(四句第4 中論18-6・8・11)。
廓然無聖=廓然無真=廓然無善=廓然無聖=廓然無美(達磨)、庭前柏樹子=無(趙州)の禅師たちほうが
よっぽど的確に『直接現実』の様相を掴んでいると断言できます。
>真実の輪廻
これは道元さんなりの無分別の分別→縁起の還滅表現ですよw
いわば即心即仏(無門関30)です。
真実の輪廻?
世俗そのままですな。
笑わせるな。
126 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:33:29.81 ID:BLOZJVTd
>>125 そんなんだからダメなんだよ
他人を小馬鹿にする業を先ず絶った方が良い
直接現実で一体何が観えたんだい?
127 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:36:03.41 ID:ULaIOALf
>>124 >その宿した仏は、次に人と生まれし時、また煩悩と無明に苛まれて
こんなことでは道元さんが泣きます。
縁起の直接現実の般若智直覚→還滅に時間性を見出すことはナンセンスそのものです。
あなたはまったく仏法に触れてさえいない。
間接現実 一切と一切外を混ぜるな危険!
128 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:38:28.89 ID:ULaIOALf
>>126 >直接現実で一体何が観えたんだい?
返答不能
129 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:39:44.46 ID:BLOZJVTd
>>125 あとね
>無分別智による縁起の現実は、ただただ無分別智直覚するのみであって、二項相対分別表現はありえないのです。
>もし表現するなら、〜三世緒仏までの般若心経やウダーナ8-3などのように間接否定表現に徹するべきでした(四句第4 中論18-6・8・11)。
ってのは古今東西の宗教学で馬鹿にされるドグマチズム以外の何ものでもない
君は一体何時代の人なんだい?今時の感性で今の気持ちで今の論説を書けばいいのに
なんで教条ばかりに拘るのか
残念だよ
>>127 >一切と一切外を混ぜるな危険!
出世間は一切内か?一切外なのか?
身の程を弁えてない君にこれが答えられるか?
130 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:41:13.72 ID:BLOZJVTd
>>128 >返答不能
それは釈尊が”涅槃”と答えた事への冒涜だ罠w
破仏法の極みだ
131 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:42:03.72 ID:ULaIOALf
遅くなったので、落ちます。
ズボンを履いてない小僧とシャツを後ろ前に着てる小僧とが、 指差し合って互いに嗤い合う図
133 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:51:58.50 ID:ULaIOALf
>>130 >”涅槃”
涅槃とは、“娑婆における”こころ(無我)とこころの作用様相(慶安)です(相応部35-23)。
>出世間は一切内か?一切外なのか?
非出世間
134 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:52:59.93 ID:Ufc7BNFU
混ぜるな危険バカはゼッテー最後逃げるよねw
135 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:57:59.57 ID:uhGTxPBw
>>133 >涅槃とは、“娑婆における”こころ(無我)とこころの作用様相(慶安)です(相応部35-23)。
なら返答不能とした君の回答は矛盾するね
>非出世間
それが何の事だか言ってみなさい
文字列だけなら覚えれば誰でも書ける
136 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 01:59:12.52 ID:ULaIOALf
>>134 >ゼッテー最後逃げるよねw
おまえみたいに、2ちゃんねるにへばりついていられるほどの
プータローではない。
遊ぶのに忙しいのさw
137 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 02:00:03.31 ID:uhGTxPBw
138 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 03:18:54.78 ID:uhGTxPBw
彼が説く、プータローに該当してると気を落とす菩薩達よ、聞きなさい 先ず、応供の位は皆さん既に講じておられる、故に望む事無かれ そして菩薩達よ、先に汝らが自らを以って説かねばならない重要な法門があるのです その法門を人に、他者の為を以って心して説くべきである、と仏も教えています 悔悟の念が已まないならこの法を先ず説くべきです 夜が明けて、時を見計らって、縁に即して説くべきです 道はそこから順々と、縁起に即して開けて行きます 菩薩達よ、畏れず慄かず、誇りを持って、心して説くのです ご両親へ、有難う、と 皆さんの可能性は無限大です 地味で結構、小欲知足は信条の筈です 仏はそんな菩薩達を未来永劫見捨てたりはしません
イスラム教はあの世があると言われている。 だから死を恐れずみんな喜んで戦争に行く。 キリスト教は他の宗教を邪教と言って征服の手段化したようにおもう。 仏教もかつて僧兵みたいな武力集団、呪詛があった。 宗教って何がいいの?
140 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 05:51:23.33 ID:aYHKT0sO
親の躾を軽んじた奴には宗教も無力
141 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 06:10:19.30 ID:pHz0C5f7
>親の躾を軽んじた奴には宗教も無力 確かに、思い当たるw ポンコツ・バービーwが代表。
142 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 06:12:58.57 ID:aYHKT0sO
どうせパーと閻魔は而二不二なんだろ
143 :
○○ :2014/03/28(金) 06:13:31.77 ID:ClxR9vRX
>>124 >その宿した仏は、次に人と生まれし時、また煩悩と無明に苛まれて(これは生まれながらにデフォで避けられない)
>縁有って仏道に専念する事にあいなる、その時念仏する仏は嘗て宿した過去仏だと言って入る
肉体は朽ちて塵芥となり、やがて塵芥が細胞となり母胎に宿ります。
情報は朽ちずにどこかに漂い、やがて仏縁で信仰を結ぶ、という輪廻のモデルのようにも読めます。
かのエドガー・ケーシーが知識は宇宙のどこかに蓄積されていて(アカシック・レコード)、将来に引き出せると
寝言で説いておりましたことを思い出します。
言葉は空性にて、喫茶乙、毎日是好日、リーマン始動。 合掌
144 :
○ :2014/03/28(金) 06:17:58.36 ID:ClxR9vRX
>ご両親へ、有難う、と >親の躾を軽んじた奴には宗教も無力 神仏は親様。衆生は実子。 両親を軽んじた者には信仰は難しいでしょうね。 と異教の私もうなずきます。
145 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 06:23:39.06 ID:XzEzmfVl
>>143 塵芥が因果も縁起も無視して細胞となり母胎に宿ったらオカルト
情報は朽ちずにどこかに漂うにも因果並びに縁起と媒体が必須で無視すればオカルト
こんなオカルトが事実なら常見以外の何ものでも無い邪義
如来はそんなに生易しくない、冷徹無情にして正確無比
人の思いの事なんか知っちゃか居ないのが涅槃の常識
146 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 09:01:16.11 ID:P5aO+f98
147 :
おじゃる :2014/03/28(金) 10:16:17.35 ID:rk8jboI5
148 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/28(金) 10:58:24.76 ID:Ry4SQXJw
閑話休題 世俗諦 ※因果の理法 ※過去の因が果報をもたらす 勝義諦 ※自己と過去を対立させてはならない。 ※自己と未来を対立させてはならない。
149 :
おじゃる :2014/03/28(金) 11:35:02.90 ID:rk8jboI5
> 世俗諦
> ※過去の因が果報をもたらす
「仮設としての」と言う意味で仮に
因と縁に依存して現れ(滅し)ている
心の流れ(心相続)は
五蘊の仮和合の
仮に現れ(滅し)ている状態だからこそ
渇愛によって、固執/掴むこと(取)も生じて
「過去からの心の流れ(心相続)によって果報が現れている」
と掴み捉えようとする、心の働きが現れ(滅し)ている
「今現在は、ある」と言う想いが生じて
今現在は、あるのだから、それを元にして「過去も、あった」と言う想いも生じている
(これに対して)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6299/repo1.htm 上座部である部派仏教徒の一部も
大衆部も
実体我の存在は否定する
150 :
ノスタルジア :2014/03/28(金) 11:48:04.23 ID:kpRN9bCb
ここで昔、パーピーマンという悪魔に囁かれました・・・ 頭がおかしくなりました・・・ あっちの悟りスレで、大王という糞外道がいます。 頭がおかしくなりました・・・ これからも、投稿していきたいです。
鬼和尚さんのいる 悟りを開いた人に聞くスレ もあるよ
152 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 12:27:20.73 ID:P5aO+f98
153 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/28(金) 13:04:18.51 ID:Ry4SQXJw
>>149 >「過去からの心の流れ(心相続)によって果報が現れている」
これが無明の因かとおもわれ。
生滅の理法によりて、滅したはずなのに何故生起するか?
生起する故に、それは心相続している。という錯誤が生じるんじゃないでしょうか?
だからその錯誤を錯誤と承知・了解することを、一般的には悟りと呼ぶ訳ですが、
貴殿においては、過去の出来事はそのままに現時にまで引きずってる訳ですから、
この迷妄を解き放ったのが勝義諦になる。
過去において、貴殿が「落ち武者の霊」と認識した時点においては、
そう認識した訳ですから、それは貴殿にとっては”事実”だったかもしれません。
過去においてに”事実”は、
現時においても”事実”ですか?
そういうことから、自分に問い続けるのを直指人心とかいう。
154 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/28(金) 13:18:07.39 ID:Ry4SQXJw
>>149 >「今現在は、ある」と言う想いが生じて
>今現在は、あるのだから、それを元にして「過去も、あった」と言う想いも生じている
過去というのは現時にしか無いのですよ。
未来というのも現時にしか無いのです。
これは勝義諦ですから、そんなことは議論しても無駄です。
議論して無駄なことでも、そういうことは知識でもいいから、先ず知っておいた方がいい。
私がこういう事を掲示板にでも書くと、それこそ板が荒れるので書きませんけど、
そのうちに私が書いた意味が分かるかも知れません。
今の時点では、基地外とか、ライヤー(嘘)とかの煽りが入るのは分かってますから、
この話は終了です。
155 :
現在という存在 :2014/03/28(金) 13:46:55.80 ID:ULaIOALf
そもそも時間概念は、共同幻想で共通と看做している(擬制)相対的概念でしかない。 相対的概念でしかないがゆえに、絶対的概念も存在しない。 ならば、「現在」という時刻も存在しない。 網膜に入った情報はレンズの原理で上下左右が倒立している。 メガネが必要なように、多かれ少なかれ歪んでいる。 倒立し歪んだ網膜への情報が大脳後頭葉で不正確に視覚情報化されるには、 0.5〜0.8秒の差がある。すべて「過去」の歪んだ姿だ。 他の知覚情報もかくの如し。 現時そのものが知覚できないのに「過去」を、ましてや「未来」の知覚はありえない。 →第一義空経 十二支縁起は妄想である。
156 :
おじゃる :2014/03/28(金) 13:50:24.30 ID:rk8jboI5
> 過去においてに”事実”は > 現時においても”事実”ですか? > そういうことから、自分に問い続けるのを直指人心とかいう 私(おじゃる)の場合は 今・現状では 無明の闇に覆われて 心の流れ(心相続)によって 「過去において落武者の霊を見た」と言う 心の働きが現れ(滅し)ている 今は「我がある」と執着しているけど 無明を滅させる為の方法を実践した事はないけど 教学として勉強させて頂いてます 仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」 衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し 因と縁の依存によって 双方が相応一致することで 死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
157 :
おじゃる :2014/03/28(金) 13:58:00.07 ID:rk8jboI5
> →第一義空経
> 十二支縁起は妄想である
チベット・ニンマ派
http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html 3)仏法の本質
煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です
障害のなかでも基本となるのは
煩悩の障害(煩悩障)と智慧の障害(所知障)です
戒律・禅定・智慧を修して
様々な障害を浄化したところで、滅諦へと到るのです
滅諦(苦の滅した状態、涅槃にまつわる真理)
道諦(涅槃にいたる修行の道にまつわる真理)
キリストと仏陀とどちらが偉いですか?
159 :
おじゃる :2014/03/28(金) 14:22:52.65 ID:rk8jboI5
例えば仮に キリストは梵天(ぼんてん)と同じ神のようなものだとして ブッダは 無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処) (神のような状態のもの)も超えた位置に置かれていて 迷妄を性質として壊滅するもの その〔ようなもの〕を離れることは 思弁の領域を離れた寂静なる境地であり 苦しみを性質とするものの滅尽であり 形成作用の寂滅であり 縁起したものを離れ ブッダは 〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも 死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない それこそが苦しみの終わりである と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
160 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 16:11:26.41 ID:YQSj6zL+
>>149 龍樹は中論観去来品第二に於いてこうある
「已去に去有ること無く、未去にも亦た去無し、已去未去を離れて、去時にも亦た去無し」
己去が去らないのは既に無いから去れない
未去が去らないのはまだ現れてないから去れない
故に、去時こそが”有る”と今認識されてる事実なのであり
この去時は縁起して生じ縁滅して己わる
心相続はこの去時にこそ起きていて、それは縁起に即して絶えず生滅し、
生滅同士は連結され已む事が無い
当は思いしかなく、己も思いにしか無い
当に憂うのは縁起するからであり、その憂いも思いに過ぎない
已今当は道理にして縁起する現象に過ぎない
161 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 16:14:29.73 ID:YQSj6zL+
×当に憂うのは縁起するからであり、その憂いも思いに過ぎない 今に憂うのは縁起するからであり、その憂いも思いに過ぎない
162 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/28(金) 16:27:57.15 ID:Ry4SQXJw
>>156 >無明を滅させる為の方法を実践した事はないけど
>教学として勉強させて頂いてます
教学として勉強しても駄目かと思いますね。
何故かと言いますと、貴殿は小学4年生で時間が止まってしまったかとおもいます。
人間というのはですね、タイムラグで苦しむ、ってことかと思います。
そのタイムラグってのは、人それぞれで違います。
ある人は過去(幽霊とか)において、そしてある人は未来(業報輪廻とか)において・・・
仏教の本懐ってぇのは「今を掴む」ことですね。
163 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 16:47:42.19 ID:YQSj6zL+
>>149 この世界(三界)の絶対の理は、事物事象は滅しても絶対に無くなる訳では無い、と言う事
生と言えば生しか無く、滅と言えば滅しか無いのはこの為で、全ての事物事象は
永遠に姿を変えながら継続され続け、そのどれ一つもが同じ形を継続し続ける事が出来ない
全ては縁起する現象なので縁起しない現象は存在出来ないのである
164 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 16:57:21.90 ID:YQSj6zL+
斯くの如くを、釈尊の教えを縁にして自力で悟り得る事が解脱の証となるのである 思弁で解った気がするだけでは全然足りず、身を以って感得する事を悟ると言う 仏教は思弁哲学の類ではないので、行が無ければ悟れない
165 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 17:28:33.55 ID:YQSj6zL+
心の所在・自我の実在はどこか? 自我や心とは”私”を実感している観念である この観念は脳に依存し、脳の機能的効果として一時的に観念されているに過ぎない 故に、脳が役目を終えれば一切の観念とそれまでの記憶は行き場を失って消える 縁起する現象は永久に流転しながら変貌し続ける存在は現象として永遠なので 心も残りそうな妄想を渇愛する、しかし最初から心は脳に依存して観念されていただけなのであり 最初から単なる空想に過ぎなかった、と言うだけなのである 早い話が心とは、脳が生じた原初から存在などしていなかった、故に記憶と共に消失するのである 愚者にはどうしてもこれが許せないらしいが 許す許さないに因らず、これが事実なのであり現実なのである
如来にとって、この現実世界は存在してるの?
168 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 17:47:56.51 ID:YQSj6zL+
>>167 如来は実在しているが、衆生の事ではない為
常人には目の前であっても気付かない、また
自身が如来であっても気付けない
観ている筈なのに普通は気付いていない
169 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 17:56:37.02 ID:YQSj6zL+
>>167 168を踏まえて、現実世界と称するものは如来によって実在してる
如来を離れて現実は無く世界も無い、また、世界を離れて現実は無く如来も無い
更に、現実を離れて如来は無く世界も無い
故に、不生不滅 不常不断 不一不異 不去不来 なのである
170 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 18:14:29.05 ID:42vli4qV
凡夫のおじゃるは相変わらず頑固だねえ。 悟ったつもりでウィキをコピペし、それが正しいと盲目的に主張する。 かなりの高齢者と見た。キミには心の柔軟性がないw 忠告するが、自分の頭で考えないとダメだよ。 ウィキやセブンを頼っていては、人生をドブに捨てるようなものだw ウィキの記載者に悟った人はひとりもいない。 キミには柔らかさを感じない。キミの心には病的な固さを感じる。 心を柔らかくしないとダメだよ〜ん ♪
171 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 18:19:10.04 ID:YQSj6zL+
>>170 >ウィキの記載者に悟った人はひとりもいない。
どことは言わんが私が居るw
そして、自分の頭でいくら考えても悟れないのが仏法
思考は使うがそれでは現実を感得できない
だから思考だけでは悟れない
172 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 18:22:25.43 ID:42vli4qV
>>171 またまた如来宣言かw 悟った経過を詳しくw
173 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/28(金) 18:24:19.38 ID:Ry4SQXJw
>>167 如来については、その時々において様々な受け止め方ができる。
浄土門においては、如来に帰依して念仏を唱えるのであるが、
悟後は、如来の受け止め方が全く違う。
如来の”如”に注視すれば、そこに意味が隠されている。
174 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 18:32:55.74 ID:YQSj6zL+
>>172 だから何度言わせれば理解出来る、如来は人ではない
人じゃないから喋らない、法も説かない、迷いも悟りも思わない
如来には思いがそもそも無い、人じゃない故に
悟った経緯は坐禅瞑想による心身脱落を成して、その時の自己の所在から悟り得た
難しい話ではない、考え様とするから混乱するだけだ、経文をよく読み、行を正しく行なえば
如来は直ぐ近くに居た事が”今すぐ”解る、解らないのは何かに心が蟠っているからだ
その蟠りも手放せば如来に会える
>>173 受け止め方など関係ない
如来への帰依も不要、その帰依は悟れなかった時の保険に過ぎない
如来は受け止める受け止めないに因らず実在している
175 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 18:39:51.02 ID:YQSj6zL+
何でみんな”行”を省いて悟りを知ろうとするんだろう 知れたところでそれは知ったかぶりに過ぎないのに
176 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 18:52:36.74 ID:42vli4qV
>>174 >悟った経緯は坐禅瞑想による心身脱落を成して
>その時の自己の所在から悟り得た
意味不明なり。もっとクワシクw
如来は具体的にどんな姿をしていたのだろうか?
177 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/28(金) 18:54:05.90 ID:Ry4SQXJw
>>170 >キミには柔らかさを感じない。キミの心には病的な固さを感じる。
おじゃる氏は、幽霊を見た恐怖体験を、いつのまにか自己肯定の認証に摩り替えているのですよ。
これは本人にも気づかない、深層の部分ですがね、
よくこういう事例はあります。
普通は記憶というのは薄れていくのですが、こういった場合は記憶が変質・変異して、より一層の幽霊体験を肥大化させていってしまうのです。
この原因を確かめるには、退行催眠とかするのですが、殆どはこれで寛解する場合が多い。
わたしって悟ってるの…? おしえて?
出かけてきますね♪ 返信楽しみにまってます
181 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/28(金) 19:02:12.36 ID:Ry4SQXJw
(つづき) 幽霊体験が肥大化してきますと、やがて自己より幽霊が優位に立ってきます。 そして落ち武者が自分に命令などするようになってきます。 こうなると自分でも制御できなくなりますね。 ここまできて、それで「病的」と認知されますけど、今でしたらまだ大丈夫です。 しかしこれは非常に怖いですよ。 自分の意に反して、事件でも起こしかねないですから。
>>174 その「如来」は、大乗のスーパーマンとしての如来なw
上座部の如来は、飯も食うし糞もするし、病気になるしこの世から生体として居なくなる。
パーリ三蔵は、≪如来が言い残した教えの集成≫なんだよw
183 :
おじゃる :2014/03/28(金) 19:47:25.71 ID:rk8jboI5
ID:42vli4qV さんと
机先生へ
レスありがとうございます
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 私(おじゃる)の場合は
今でも
輪廻を信じている
永遠ばかりを探している
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない
だからこそ
縁起・空・無我を観察する為の練習が必要だ
およそ、禅定に入ろうとする人は …
この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
五蘊の仮和合の
仮に現れ(滅し)ている状態なので
何かに対して「ある・ない・肯定・否定」と
掴み捉えようとしている心の働きを滅させて
「輪廻から解脱すれば仏だ」と言う事に
気づくまでは、気づくことは難しい
184 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/28(金) 19:51:38.43 ID:TeQOu9WB
>>105 >>大不善地法
すいません、学術用語は勘弁してください。
>>106 ウィキでググッたんですがピタゴラス教団って無理数の存在を認めなかったらしいですね。
それを口外した弟子をぶっ殺したとか。
輪廻も有理数と同じように循環しているという発想からきているのかもしれません。
循環が輪廻? 個が循環するから輪廻でしょう。 大きな循環では個などに意味は無い。 つまり、大きな循環の中で個の循環=輪廻などに意味が無い。
186 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/28(金) 20:06:00.15 ID:Ry4SQXJw
>>183 >輪廻を信じている
>永遠ばかりを探している
人間が、過去を振り返ったり、未来を想起したり、心はここに留まることなし。
実は「今に生きる」というのは非常に難しいことです。
縁起の現観というくらいですから、
「今」というのは捉えようがないのです。
「今」が現に分かるなら、過去も未来も全てを悟ることになります。
これが仏教の大意なのですが、凡夫にはなかなか「今」は解し難きなり。
では、本日のお題を書きましたので、このことについて考えながら寝てください。
おやすみ。
187 :
おじゃる :2014/03/28(金) 20:15:31.33 ID:rk8jboI5
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB ヒンドゥー教における輪廻
ヒンドゥー教の前身であるバラモン教において
はじめて断片的な輪廻思想があらわれたのは
バラモン教最終期のブラーフマナ文献ないし最初期のウパニシャッド文献においてである
二道説
再生のある道(祖霊たちの道)と再生のない道(神々の道)
そして様々な思想家や、他宗教であるジャイナ教
仏教などの輪廻観の影響も受けつつ、後世になってヒンドゥー教の輪廻説が集大成された
輪廻教義の根幹に
信心と業(カルマ、karman)を置き、これらによって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする
行為が行われた後、なんらかの結果がもたらされる
この結果は
行為の終了時に直ちにもたらされる事柄のみでなく、次の行為とその結果としてもまた現れる
行為は、行われた後に、なんらかの余力を残し、それが次の生においてもその結果をもたらす
この結果がもたらされる人生は、前世の行為にあり、行為(カルマ)輪廻の原因とされた
行為を超越する段階に達しない限り、永遠に生まれ変わり
生まれ変わる次の生は、前の生の行為によって決定される
これが、業(行為)に基づく因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり
輪廻の思想と結びついて高度に理論化されてインド人の死生観・世界観を形成してきたのである
188 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/28(金) 20:19:44.60 ID:TeQOu9WB
>>108 >>前世をブリやマグロにした時点で失格。ウソであることがわかる。
仏教の大前提が一切が虚妄であるですから。
すべて大嘘のこんこんちきです。
しかし!俺の前世はブリやマグロです。これはウソではない。マジです。
189 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/28(金) 20:34:32.12 ID:TeQOu9WB
>>185 すいません。背伸びして意味もわからず循環なんて言葉を使ってしまいました。
発言を撤回して謝罪します。
>>187 ヒンドゥー教の輪廻と仏教の輪廻って基本的に同じですよね。
元々どれもバラモン教だったんだから。
いっそヒンドゥー教も仏教も一つに統一したらどうでしょうか。
俺には違いがわかりません。
190 :
おじゃる :2014/03/28(金) 20:47:50.49 ID:rk8jboI5
>>189 コレ悟りかよ!? さんへ
> 俺には〔バラモン(ヒンドゥー)と仏教の〕違いがわかりません
「縁起・空・無我の観察などによって
輪廻から解脱させる為の方便を示すのが仏教だ」と思います
191 :
○○○ :2014/03/28(金) 21:17:30.66 ID:ClxR9vRX
>>145 >塵芥が因果も縁起も無視して細胞となり母胎に宿ったらオカルト
>情報は朽ちずにどこかに漂うにも因果並びに縁起と媒体が必須で無視すればオカルト
>>174 >如来は受け止める受け止めないに因らず実在している
塵芥が因果も縁起の法にも依らずに偶然に細胞となり母胎に宿ることはなく、
朽ちずにどこかに漂う情報が因果も縁起の法にも依らずに偶然に母胎に宿ることもなく、
如来は実在している、ということでしょうか。
如来→不去不来→常住→いつも内にもありてあるもの→常住の縁起の法そのものか立法者
と手かざし”行”の私も感じたままに整理してみました。
192 :
おじゃる :2014/03/28(金) 21:43:19.31 ID:rk8jboI5
はいはい、お偉いお方、縁起の法そのものだけを取り出して 見せてくださいませね
194 :
○ :2014/03/28(金) 22:24:45.40 ID:ClxR9vRX
>>193 >はいはい、お偉いお方、縁起の法そのものだけを取り出して見せてくださいませね
>>191 :○○○と、
>>192 :おじゃる氏とのかきこが『縁』で、
>>193 のかきこが『起』こった。
と見せても分かりませんか。
かきこ如来
ひどい…何も返信してくれないなんて でも 心は一緒って信じてるからね
このスレ また来ます 知らぬが仏だなんて 思われたくないので
むしろアブドーラザだよ
アブラ?ラード?
200 :
現在という存在 :2014/03/28(金) 22:56:09.07 ID:ULaIOALf
>>169 >★現実世界と称するものは如来によって実在してる
>如来を離れて現実は無く世界も無い、また、世界を離れて現実は無く如来も無い
>更に、現実を離れて如来は無く世界も無い
>故に、不生不滅 不常不断 不一不異 不去不来 なのである
これって、突っ込みどころ満載のアホ議論なんだけど、だれも突っ込まないの?
「この静まった境地について、どうして常、無常などの四句が成立するであろうか(成立しない)。
また、この静まった境地について、どうして有限、無限などの四句が成立するであろうか(成立しない)。」(断つ樹 中論22-12)
現実は『如来によって「実在」している』⇒“実在”とは自性(スバヴァーヴァもしくはプラクリティ)そのものであって、
龍樹中論・釈尊縁起仏法の全面否定です。
お前の言う如来とはブラフマンのことであり、シャンカラ的不二一元論の超劣化版に他ならず、明確な反仏法である。
201 :
現在という存在 :2014/03/28(金) 22:57:39.56 ID:ULaIOALf
×断つ樹 〇龍樹
アブドーザラってなに? 魔法のコトバの害毒が ここまでひどいとは思わなかった
203 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/28(金) 23:21:45.57 ID:mXFIsSFQ
204 :
○ :2014/03/28(金) 23:25:42.08 ID:ClxR9vRX
>>169 >★現実世界と称するものは如来によって実在してる
如来を『縁起の法』と置き換えますと、
★現実世界と称するものは『縁起の法』によって成り立っている
とそれほど矛盾にも思えないでしょう。
205 :
○ :2014/03/28(金) 23:28:08.67 ID:ClxR9vRX
『縁起の法』は如来。 『縁起の法』を悟った者も如来。 と自称悟達者は連呼していたような。
206 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 23:29:25.13 ID:bRB86KSR
どこでおたずねすればよいのやら。 今日、ある場所で有名アイドルコンサートのリハがあったんですが、そのとき「おはらい」が行われました。 その声(音だけ聞いていたので)には仏名なども入り祝詞ではないと思われるのですが、現在のおはらいというのは神仏習合を 地で行っているのでしょうか。それとも「おはらい」がギャグだった? とりとめのない、というよりわかりにくい質問ですいません。
法と如来は別じゃないですか? 俺こそが法ってなっちゃいますよ
何を払おうとしたのか分からないのでなんとも… ちなみにこのスレは仏と神なら仏が優位と考えています
>>208 公演中、事故等が起きないこと。
お客さん、いっぱいはいること。>チケット売り切れだけど
>>202 これ言ったらいけないやつだった。忘れてくれ
やるんならきちんとしたお寺で自分に合った真言教えてもらったほうがいいよ
なるほど… わたしはギャグというか形式と思いますよ 才能がひとを呼んだんじゃないですか…? oct inc.はガチ勢すぎて引かれてますけれど
212 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/28(金) 23:47:02.14 ID:mXFIsSFQ
>>211 いえ、リハですから一般客は関係ないわけでして。ついでに、前売り(当日はあり得ないけど)はとっくに売り切れ。
アブドラ・ザ・ブッチャーというプロレスラーのことかと思った
215 :
○ :2014/03/28(金) 23:51:08.40 ID:ClxR9vRX
>>207 >俺こそが法ってなっちゃいますよ
さあ、どうでしょう。 『法身の如来』って聞いたことあるでしょう。
また常住不変のものはこの世には無いと思われますか。
少なくとも『因果の法』や『縁起の法』は常住不変、不生不滅だと思いますよ。
もし『縁起の法』が無常であれば、論理矛盾になるでしょう。
といつもの経論引きではなく少し考えてみます。
明日は道場に朝から参りますので、そろそろ寝板入りします。 合掌
如来の親が法のような気がします 如来も怠けたり嘘付いたり いろいろなので いつも必ず法身の如来とは限らないかなぁ…と
217 :
神も仏も名無しさん :2014/03/28(金) 23:56:55.57 ID:4EngPVh0
空とは⇒無⇒ゼロ⇒零⇒レイ⇒霊 在家がいる真光の立教者が教える空の思想wwww空とは霊の世界wwwwwww おんな子供騙すには駄洒落が一番wwwwwwwww
風が吹いたら桶屋が儲かる バタフライエフェクトは落語が一番wwwww?
219 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 00:04:18.20 ID:oUhZAZmR
>>188 >仏教の大前提が一切が虚妄であるですから。
>すべて大嘘のこんこんちきです。
あー、お前は愚かだわ
一切が嘘妄の世界で、さらに嘘を重ねるのだから・・。
えらいねぇ〜
221 :
シッダールタ :2014/03/29(土) 00:12:35.04 ID:la5kF4Ww
理論いらなくない? 体感せよ・・・。
>>221 強盗に襲われてドキドキした女性が、
「この人にドキドキした!この人を好きになってしまったんだ!」
というのは、理論は勿論、他の情報なき体感を信じるが故と思うが?
或いは、暴力ヒモ男、夫から離れられないとか。
或いはまた、
「ボクのことを叱るママは、僕のことが嫌いなんだ・・」
というのも、理屈無き体感重視故と思われるが?
223 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/29(土) 00:22:39.08 ID:Un/rza/B
> 学ぶ事無くただ太るだけの嘘ツキばか狗、【嘘臭】(; -y-)ツ))鼻つまみ クッサー♪ ほんとに粘着があっても、卑下故のまなぶことがない。 みんなが歩みを進めるなか おくれるばかりだ、しっかりせい! 無字の公案 新参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、有。 古参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、無。 野狐の公案 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法に落ちず(不落、ふらく)。 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法くらまされず(不昧、ふまい)。 同じ事をこの二つの公案は老婆親切にも姿を変えて、問い、答えている。 バカ狗でもやる気があるならこの公案に真っ正面からぶつかってみよ。 答えよ。 執着と自己卑下に終わるなら、物縁が無い。 蜘蛛の糸は、切る。 水の中に居て、熱砂の砂漠をよろめきゆくばか狗か。。。
感応しやすくなるわけか なんでも拾うラジオみたいに役立たずだな
三十棒子はだまって座ってろよ
>>224 慈悲の一側面としての「同情」って、そういうものなんじゃない?
少なくとも大乗が掲げる生きとし生ける物(一切衆生)への慈悲って、そこが理想じゃない?
維摩居士には、そうした悲壮感・必死感は感じられないけれど。
チベット系の、なんとかっていう行法は、そういう感受の訓練らしいし・・
感情をなくした中二だけど質問ある?
>>226 まず自分の心配しろよ、俺に同情するのやめていいから
229 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 01:51:57.54 ID:qZF1OVw8
>>176 >如来は具体的にどんな姿をしていたのだろうか?
姿など有る訳が無い
君は風の姿が見えるか?
風そのものの色や姿や大きさなどが見えたらオカルトである
230 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 02:08:01.50 ID:qZF1OVw8
>>187 君は自分で
>輪廻を信じている、永遠ばかりを探している、だからこり固まりありのままに変化を見ることに慣れていない
>無我を、縁起を、空を見ることがうまくない、だからこそ縁起・空・無我を観察する為の練習が必要だ
としながら仏典は読むだけに留まり
>信心と業(カルマ、karman)を置き、これらによって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする
としながらヒンドゥーその他も読み漁る
読むのは自由だし考えるのも自由だ、行なわないのも自由だ
君は全てに於いて自由を楽しむ権利を有し、それを行使して今が有る、それも自由だ
君が苦悩するのも、これまた自由だ、好きな様に永遠を探せば良い
しかし、現実として仏法では、一生涯中に縁生滅する業報は事実を認められても
現当出生を跨ぐ業報輪廻の法則を、遂には見つける事が出来なかったのは動かざる事実なのである
それは縁起の理法に反する上に、色身を離れた業報に、存続出来得る媒体を持たないからである
君は色々読み色々調べて賢いつもりなのだろうが、残念な事に詰めが甘く愚かであると言わざるを得ない
霊魂等無く、幽霊等居ないのである
231 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 02:44:58.94 ID:qZF1OVw8
>>192 古今東西の宗教・思想と、仏教の根本教説との違いを君は考えた事無いだろうか?
勿論、行じ無ければ与り知る事の出来ない領域なので知る由もない上で言っている訳だが
それを教えようと思う
キリスト教やイスラム教その他と言えども、神の国や楽園を説き、或いは他のものは霊魂を説き
或いは幽霊を説き、或いは念動や神通を説き、或いは涅槃を説く
これらは全て悉く、人の心の上に於いての言動・言語を用いて伝承され、されて来た
この中で唯一無二の教えが、涅槃を説く仏教なのである
涅槃は一切の戯論が滅した目出度き境地の事である、そこには神も仏も悟りも迷いなども
戯論の一切が滅し尽くされた寂静の境地なのである、当然ブッダの教説も滅する対象なのである
こんな教えが他のどの宗教に存在するだろうか?
君は先ず、死者の沈黙に付いて思う存分思料すべきなのである
仏教はその後でも遅くは無い
232 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 06:24:18.12 ID:IY4Hx2+Z
柔肌の、熱き血潮に触れもみで、寂しからずや道を説く君。 能書きより行動せよ、と言う事だな 鈍感にはいつまで経ってもこれが解らない
233 :
○ :2014/03/29(土) 06:29:35.47 ID:TjLJwQjB
>>145 >塵芥が因果も縁起も無視して細胞となり母胎に宿ったらオカルト
>情報は朽ちずにどこかに漂うにも因果並びに縁起と媒体が必須で無視すればオカルト
>>230 >現当出生を跨ぐ業報輪廻の法則を、遂には見つける事が出来なかったのは動かざる事実なのである
>それは縁起の理法に反する上に、色身を離れた業報に、存続出来得る媒体を持たないからである
同じ人のかきこだろうか? 一見矛盾しているけど。
違う人のかきこだろうか? ならば後者は断見寄りに見えるけど。
と名無しさんのかきこに小疑団です。
234 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/29(土) 09:00:57.48 ID:hztJKmWU
>>189 コレサト氏
>いっそヒンドゥー教も仏教も一つに統一したらどうでしょうか。
> 俺には違いがわかりません。
ヒンドゥー教の一角にはには仏教も入ってます。
もともとヒンドゥー教は何でも受け入れますから、日本の神仏融合と同じです。
だけどヒンドゥーと仏教は方向性が全然違う。
仏教といのは自分の内側を見つめる宗教ですから。
だから、仏教が自分に合わないようだったら、ヒンドゥー教とかバラモン教で全く差し障りはない。
これは個人の趣向の問題です。
ただ私個人的には、仏教と他宗教はチャンポンにしたくないのです。
(これも私の我見なんでしょうか・・・)
梵我一如、一神教、仏教、全く違う。
235 :
現在という存在 :2014/03/29(土) 09:34:33.40 ID:DdVySZOZ
>>204 >>215 >如来を『縁起の法』と置き換えますと
>少なくとも『因果の法』や『縁起の法』は常住不変、不生不滅だと思いますよ。
おまえのようなアホカルトが、オカルト妄想に耽っても不思議ではない。
アホ信者をそうして騙しているのか。
常住不変、不生不滅はまったく異なる。
>>169 のアホ如来とかアホ在家よりもうちょっと高級?な西田幾多郎のインチキ議論を引用しておく。
『これまで論じた所によって見ると、我々が自然と名づけている所のものも、精神といっている所のものも、
全く種類を異にした二種の実在ではない。つまり同一実在を見る見方の相違によって起こる区別である。
・・・即ち宇宙にはただ一つの実在のみ存在するのである。而してこの唯一実在は…、一言にていえば独立自全なる無限の活動である。
この無限の活動の根本をば我々はこれを神と名づけるのである。神とは決してこの実在の外に超越せる者ではない、
実在の根底が直ちに神である、主観客観の区別を没し、精神と自然を合一した者が神である。
・・・実在の根底には精神的原理があって、この原理が即ち神である。インド宗教の根本義であるようにアートマンとブラフマンとは同一である。』
(西田幾多郎『善の研究』p120・121)
これらは相対論範疇の発想でしかなく、仏法に非ず。
間接現実相の一切と一切外の混乱であり【一切門】透過にはほど遠い。
成りすまし仏教のなかには『法身』だとか『応身』だとか『報身』だとかの概念を弄ぶ連中がいるが、
空海をはじめ、ヒンドゥーからの密輸入発想に他ならない。
そんなことさえ見抜けないアホ如来とかアホ在家は愚かという他ない。
236 :
現在という存在 :2014/03/29(土) 09:48:20.91 ID:DdVySZOZ
「この静まった境地について、どうして常、無常などの四句が成立するであろうか(成立しない)。 また、この静まった境地について、どうして有限、無限などの四句が成立するであろうか(成立しない)。」(龍樹 中論22-12) 戯論の消滅という吉祥な縁起法を説きたもうたブッダと、仏法の中興の祖である龍樹師を 諸々の説法者のうちで最勝のお方として敬礼いたします。
237 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 09:51:12.65 ID:WpWw/hTF
>>233 物質現象を離れて業報は無く、業報を離れて物質現象は無い
霊魂や幽霊や魂や霊動などは物質を離れた作用を言おうとしてるのでオカルトとなる
霊魂や幽霊や魂や霊動などの因果と縁起と媒体が明らかにならない限りこれらはオカルトのままであり
これらを自然現象から見出すことは出来ない、何故なら「人が説いた空想話」だからだ
凡そ眼耳鼻舌身意によって確認出来る事は色声香味触法で任意に誰でも再現されなければオカルトである
238 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 09:58:25.69 ID:WpWw/hTF
>>235 >間接現実相の一切と一切外の混乱であり
如来はどっちに含むと思ってるんだ?
他人の言説を引っ張ってこなければ自己弁論も成り立たせられないのは
自身が理解出来てないからであり、理解してはいけないと仏法を軽んじている証拠だ
輪廻は有るのか無いのか?
明確に答えてみよ
それと、仏の法を奉じるものが同じ法を報じるものを罵倒する訳がないと知れ
龍樹尊者すら行なっていない、そんな親の躾けレベルも守れないお前に何が解ってるのか甚だ疑問を否めない
239 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 10:02:21.18 ID:WpWw/hTF
>>236 それが現実として何の事か、他者に解る様に示せなければ悟りではない
字句をなぞっただけで悟ったつもりならお門違いだと知れ
上辺だけで釈尊と龍樹尊者へ敬礼しても無駄だ
240 :
現在という存在 :2014/03/29(土) 10:14:59.07 ID:DdVySZOZ
>>238 >如来はどっちに含むと思ってるんだ?
どちらでもない。
如来とは文字通り<彼岸から「来」るが「如」く>の比喩でしかない。
>他人の言説
『★現実世界と称するものは如来によって実在してる』(
>>169 )
>輪廻は有るのか無いのか?
輪廻が一切行無常の意なら、菩提心凡夫にとって一切内で仮設現象(縁起の間接現実)している。
輪廻が業報輪廻転生の意なら、菩提心凡夫にとって経験的検証不能であるから一切外として無視(無記)する。
→『凡そ眼耳鼻舌身意によって確認出来る事は色声香味触法で任意に誰でも再現されなければオカルトである』w
>仏の法を奉じるものが同じ法を報じるものを罵倒する訳がないと知れ
ゆーてることと、やってることが、ちゃいまっせ?
アホ如来サマw
241 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 10:19:46.94 ID:WpWw/hTF
>>240 >輪廻が一切行無常の意なら、菩提心凡夫にとって一切内で仮設現象(縁起の間接現実)している。
>輪廻が業報輪廻転生の意なら、菩提心凡夫にとって経験的検証不能であるから一切外として無視(無記)する。
何故保険をかける?
悟れてないよな?お前
だから二項対立から離れられない訳だ
それと、如来は喋らないし法は説かない
何度もその過ちを犯すお前が一番仏法を解って無い
242 :
現在という存在 :2014/03/29(土) 10:20:29.01 ID:DdVySZOZ
>>239 >それが現実として何の事か
縁起の直接現実
>他者に解る様に示せなければ悟りではない
悟りは迷妄である。解ったら悟りではない。
243 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 10:22:32.41 ID:WpWw/hTF
>>242 >縁起の直接現実
それが何の事かを言えねば悟りではない
>悟りは迷妄である。解ったら悟りではない。
悟りは気付きのことである、お前は一生気付かないつもりかw
244 :
現在という存在 :2014/03/29(土) 10:23:55.27 ID:DdVySZOZ
>>241 おやおやペンキ屋二代目さんですか。
何度も書いた既述を読み返せw
アホ如来は無用
245 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 10:26:31.31 ID:WpWw/hTF
>>244 >>243 実はお前、仏法フリーターとか言いながら、仏道修行なんかした事無いんじゃないか?
そろそろ白状したほうが良いと思うよ、真光在家以下でしたってな
246 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 10:47:12.86 ID:DgMx3J/H
>>244 >アホ如来は無用
そもそも喋らない・法を説かない如来にアホを付けて言う自体が大冒涜
仏法を何も解って無いどころか、悟りと言う言葉に踊らされ嫉妬しているに過ぎない
>縁起の直接現実
が何の事かさえ説けないものが何の法を方便出来ると言うのか
そんなレベルの知識で切り文を朗読した所で何の法にもなっていない
故に涅槃の事実もお前には説けない(受け売りや切り文は貼れるだろうがな)
247 :
おじゃる :2014/03/29(土) 14:03:16.66 ID:YUDrYSkf
248 :
△ :2014/03/29(土) 14:07:37.03 ID:TjLJwQjB
>>245 >そろそろ白状したほうが良いと思うよ、真光在家以下でしたってな
本スレの仏法者にとって最大級の侮辱ですね。
これまで異教を馬鹿にしてきた縁で起こったのであれば仕方ないでしょうが。
249 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 14:43:32.44 ID:O1QBDRcI
>>215 バター犬
無字の公案
新参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか?
師、答える、有。
250 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 16:18:46.80 ID:1yGoecgt
>>248 >少なくとも『因果の法』や『縁起の法』は常住不変、不生不滅だと思いますよ。
これはあってる
>もし『縁起の法』が無常であれば、論理矛盾になるでしょう。
これは間違ってる
個々は無常、総体は常住と観るのが真実
どちらか一方ではない、実質両方なのが所謂大方広仏的な視点
251 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 16:55:35.84 ID:1yGoecgt
>>247 >異蘊相続によって、又、次の、この世の生に戻り来る
合気道だから次も必ず人間に転生すると解釈するんでしょう
異蘊とは違う身体の事は言わず”違う形”の意味なんですよ
取り敢えず我々に大方決まってるのは、通常人である以上
骨と灰と気体と決まっています、人間だったと言う業が利くので
スッタニパータの方の解釈は方便ですから如何様にも解釈できます
と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた [中論觀四諦品第二十四]
この世の生に戻り来るというのは、まるで以前の意識が残っているのような言い振りだが そのようなことは有り得ない。 死んで、個に関する全てのものが終焉するから死なのですよ。 残るものがあれば死ではない。
253 :
おじゃる :2014/03/29(土) 18:14:03.35 ID:YUDrYSkf
中村元氏が晩年「宗教とは慈悲である」と主張されたように「慈悲」が仏教の象徴でしょう。 認識論です。 何をどのように認識するのか?が肝要でしょう。 中村氏は宗教とは慈悲であると認識して実践した。 別の人間は仏教は輪廻からの解脱と認識し瞑想励む〜。 両者の認識−実践は全然違う。私は認識では中村氏に賛同する。
まず自分が解脱して 次に慈悲をかけなよ
解脱なんて全く志向しないで慈悲を志向する人間もいると言う事。 解脱だの悟りだの見向きもしな人間がいると言う事。 解脱だの悟りを志向する事自体が嫌らしい〜。
257 :
おじゃる :2014/03/29(土) 18:50:53.39 ID:YUDrYSkf
例えば仮に
「輪廻している」と捉えていた
その当時のインド人にとって仏教を理解せしめる為に
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
1.
無知(無明)の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
三種類の行為を行う(カルマを積む)
6.
渇愛によって、固執/掴むこと(取)も生じる
11.
無知(無明)の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである
第十八章 自己と実在物の考察
5.
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある
行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する
と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた [中論觀四諦品第二十四]
死ねば個人にまつわる諸々は全て消失します。 死んで消失する事を前提に「生きる」から断滅ではない。 無論、常住でもない。 分からないものを恐れるのは間違いだし、恐れて妄想に陥るのは尚深い間違いである。
259 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/29(土) 19:52:52.04 ID:hztJKmWU
死ぬことばかりを考えていますと、既に心は死んでいるのです。 庭を見てご覧なさい。 ヒヤシンスやスイセンは芽を出し、既に自分の役割を果たそうとしているではないか! 「今を生きる」とは、そういうことなのであります。 そこに理屈はないのであります。 世界は悟っておるのです。 自分に自信のもてる、何かを、そう何かを見つけるのです。 そうして、それを無心に成し遂げるのです。 悟るとは、そういうことです。 今を大事に生きること。それ即ち悟ることなのであります。 と、いうことで、今日のお題を書いておきました。 おやすみ。
死をまったく考えない宗教があろうか? そんなものはありはしない。 認識論で慈悲に焦点をあてると言っても、根底には死生観あってのもの。 死生観抜きの主張等は単なる詩人の感嘆に過ぎない。
261 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/29(土) 20:08:07.28 ID:hztJKmWU
>>260 死なんか普通は考えないよ。
精神的に何か異常があるんじゃないか?
ってか、実は貴殿の書き込みは正直驚いたよ。
そんなに死ってのが身近なのかな?
やはりオカシイ。
死なんか普通は考えないよ。 単なる詩人の感嘆に興味は無いです。
263 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/29(土) 20:47:47.07 ID:AuO0Yvbp
>>190 ウィキでヒンドゥー教をググッて勉強しました。
ヒンドゥー教もその前身であるバラモン教でも輪廻からの解脱が究極の目標らしいですね。
ここでも仏教と同じです。
ただしバラモン教などは人生を4段階に別けて、学童期、結婚して子供を作るなど社会的義務を果たして、それから出家して輪廻からの解脱を目指すらしいんです。
しかし仏教の特色は、社会的義務を否定して直ちに出家して解脱を目指すのがバラモン教との唯一の違いだと思います。
昔は平均寿命も短かったんでしょうが、「輪廻からの解脱」は老後のある意味趣味みたいなものだったんですよ。
役目を終えた老人に乞食修行して追い出すシステムがバラモン教の解脱です。
社会的な役割から解放された老人の出家だからこそ、ナニモノにも執着する必要がない。
まさに「無我」なんですよ。
しかし釈迦は老人じゃなく、老若男女すべての人間に出家を勧めたでしょ。
これって無茶ですよね。
社会的義務にみんなが執着するからこそ社会はシステムとして機能する。
それを放棄すれば社会が国家が破綻します。
つまりですね、仏教の特色とされる「無我」によって輪廻から解脱するという思想はすでにバラモン教に説かれていたんですよ。
ただしそれはナニモノにも執着する必要のない老人だからこそ可能。
・・・俺は何が言いたいんだ?えーと、つまりバラモン教(ヒンドゥー教)と仏教は同じだと。
釈迦は「直ちに出家しろ!」と無茶を言っただけで、バラモン教と同じなんじゃないかと。
老人を追い出すシステムでも、いつまでも若い人間などいないw 誰でも老人になるw 誰でも年をとって死ぬ。 さて、解脱だ、悟りだ、と突き進むのが望ましいのか? この生を淡々と慈悲の精神で生きるのが正しいのか? 認識論である以上、様々な人間がいて当然。 誰も他者を批判できはしない。 自らの立場を正当なものであるとして他者を批判する事自体が駄目な証ww
265 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/29(土) 20:53:38.57 ID:Un/rza/B
266 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/29(土) 21:40:17.36 ID:AuO0Yvbp
>>219 俺の言ってることは、う、ウソじゃないッスよ。
>>234 >>仏教といのは自分の内側を見つめる宗教ですから。
机さん、自分の内側を見つめて何が見えたんですか。
俺は怒り・・・他人に対する怒りです。
俺悟ってないんですかねえ。
>>梵我一如、一神教、仏教、全く違う。
いや、同じだと俺は思います。
無我と梵我一如も、結局同じですよ。
宇宙のすべてが俺だも、俺なんか存在しないも、つまり同じじゃないですか。
絶対神よりも釈迦のほうが偉い。つまり仏教も究極の一神教です。
神様より我々人間の方が偉い凄いんだという、キリシタンやタリバンが聞いたら卒倒しそうな無茶な宗教ですよ仏教は。
>>266 他人に対する怒りを慈悲に変えれば仏教でしょう。
所詮、認識論、アナタの仏教認識はアナタの仏教認識。他の人の認識とは違う。
アナタがコレが仏教と認識すればそれを超えるには自らが変わらねばならない。
268 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/29(土) 21:58:19.22 ID:Un/rza/B
269 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 22:01:53.20 ID:1yGoecgt
>>257 衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた事を行もなくどうやって確認するのか
鵜呑みにしているだけではないのか
読書で真理を知る事等出来ない
所詮、人間は真理を知りえない。 知った〜と思っても、また後ろから知りえない事が迫ってくる、永遠の繰り返し〜。 ならば、今与えられている自分のエリアで自由に生きる事こそが貴重な事ではなかろうか? イデオロギー(仏教等の宗教含む)に束縛される事自体不幸な事と思う。
271 :
ψ :2014/03/29(土) 22:23:43.46 ID:r4bo2Bxu
ルールあると生きるの楽と おもわん?
>>271 一般にはルール=イデオロギーではないが、仮にそうであったとしても思わんですね。
このスレは、スッタモンーダだな
274 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 22:51:04.86 ID:DdVySZOZ
>>246 (アホ如来)
地獄の釜もやっと春を迎えて、一段落。今年の冬は厳しかった。
>そもそも喋らない・法を説かない如来にアホを付けて言う自体が大冒涜
アホにつける薬はない。
しかし、心配すんな。
『如来は阿呆にして人を済度す』(盤珪)
もっともアホ如来は自称如来だから、阿呆ではなくアホだから<無理>かもねw
>>241 >何故保険をかける?
アホ如来の語彙定義が不明確だから親切に対応してやったのだから感謝せよ。
>二項対立から離れられない
間接現実では相対だから二項対立は当然。判っていないのがアホ如来w
>如来は喋らないし法は説かない
>そもそも喋らない・法を説かない如来にアホを付けて言う自体が大冒涜(
>>246 )
プラクリティでっか?w
ポンコツ・サーキヤ哲学なんか止めなしゃれwww
単なる比喩を実在(
>>169 )とみるのは愚の骨頂だw
これを戯論といふ。
>>243 >>246 >それが何の事かを言えねば悟りではない
即不中
275 :
274 :2014/03/29(土) 23:05:45.41 ID:DdVySZOZ
>『プラクリティでっか?w』 念のために、 アホ如来は<プルシャ>のほーを謂いたいのだろうけどw いずれにしても、一切外の戯論であることには変わりがない。 アホ如来は『如来は喋らないし法は説かない 』という形而上学的アホ議論を証明せんかいw
276 :
ψ :2014/03/29(土) 23:47:39.52 ID:r4bo2Bxu
アホのかんがえ 休むに似たり が俺の親父のモットーなんすけど アホなら 方程式 乗っかったほうが お得…w
277 :
神も仏も名無しさん :2014/03/29(土) 23:56:29.91 ID:1yGoecgt
>>274 縁起の直接現実と言う事実を、現象の説明として説示出来ないと逃げるわけだ
言葉では説くことを中たらずと
禅語カブレはインチキだな
それか解ってないだけか
>>275 プルシャも論外、そんなもん持ち出してくるお前が既に崖っぷちって証左
笑止
278 :
おじゃる :2014/03/30(日) 00:04:28.31 ID:oClbFvCC
> バラモン教(ヒンドゥー教)と仏教は同じ 例えば仮に バラモン(ヒンドゥー)は非想非非想処の段階までとする (これに対して) 仏教は 非想非非想処を超えて さらに深まった状態として 「心のあらゆる動きが全く止滅した状態(滅尽定)」があるとしており 以上9の段階を「九次第定」と数えている
一般人にとり「非想非非想処」なんて無意味w
280 :
おじゃる :2014/03/30(日) 00:09:42.55 ID:oClbFvCC
>>278 の続き
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 釈迦は
出家してバッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察するも、その結果
死後に天上に生まれ変わることを最終的な目標としていたので
天上界の幸いも尽きればまた六道に輪廻すると悟った
次にアーラーラ・カーラーマを訪れ
彼が空無辺処(あるいは無所有処)が最高の悟りだと思い込んでいるが
それでは人の煩悩を救う事は出来ないことを悟った
次にウッダカラーマ・プッタを訪れたが
それも非想非非想処を得るだけで、真の悟りを得る道ではないことを覚った
(これに対して)
身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し、よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである
みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として
四念処(四念住)の修行を実践するように「自灯明・法灯明」の教えを説いた
>>280 仏陀のアーナンダに対して説いた自灯明法灯明は事実あった説法でしょうが、
仙人やら天上の生まれ変わり〜は全く作り話でしょう。
同等に解釈するべきではないと思いますが、解釈は人それぞれですので
一字一句全部鵜呑みにする解釈もあるでしょう。(私はそのような解釈はしません)
282 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:17:01.33 ID:jflufDte
>>275 お前は仏道を行なっていないから私の論から
プラクリティなる的外れを、無理解故に探し出してきたんだろう
では訊くが、縁起する現象はプラクリティなのか?
そう思ったのならお前はやはり仏道を行なっていないか
行ない方を間違えているとしか言い様が無い
既にお前は道元師の
「生といえば生しかなく、滅といえば滅しかない」
の意味が理解出来てなかった
この時点でお前の仏道は成ってないと判ってたんだよ
283 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:32:11.38 ID:jflufDte
因みに、この世界(三世十方三界)に神やブラフマンなるものが存在しないのと同じ様に 根本原質やら第一原因やらの不可解な根源など実在しないし存在すらしていない 全ては縁起する現象故に相互依存して成り立ってるに過ぎないのだから
284 :
274 :2014/03/30(日) 00:39:58.58 ID:dB48GVho
>>282 >「生といえば生しかなく、滅といえば滅しかない」
生といえば生ではなく、滅といえば滅ではない。
道元禅師に奉る
285 :
おじゃる :2014/03/30(日) 00:41:58.28 ID:oClbFvCC
286 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:43:36.13 ID:jflufDte
>>284 非生非滅ならお前はどうやって生まれてきたんだ?
お前は死んだのちどうなると思ってるんだ?
287 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:46:12.51 ID:dB48GVho
有漏路より 無漏路透過でまた有漏路 アホはアホにあらず、ブスはブスにあらず(閻魔) アホでも心配すんなw
288 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:50:04.24 ID:dB48GVho
>>286 >はどうやって生まれてきたんだ?
生前も、死後も知らぬに「生まれて」?
矛盾した問いには応えようがないw
289 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:50:47.73 ID:jflufDte
>>287 答えられないのか?
無視して通れる問題でもない、それは単なる現実逃避に過ぎん
一切の戯論が滅して涅槃とは、現実逃避しろって事じゃ無いぞ?
利口ぶって頭で考えようとするから判らないだけだ
お前は他人に”アホ如来”だ何だとこき下ろしながら
おまえ自身が実は肝心な事が判ってない
290 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:53:09.65 ID:jflufDte
>>288 >生前も、死後も知らぬに「生まれて」?
知らないのか?理解出来ないのか?悟りの智慧はどうした?
お得意の縁起の現観はどうしたんだ?ただの言葉遊びか?
291 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:53:57.54 ID:dB48GVho
292 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 00:58:20.69 ID:jflufDte
>>291 全ての事物事象一切は、縁起する現象で成り立つ
お前も私も縁起によってこの世に生んでもらえて、縁起によって今に至っている
仮説として始まりに相当するのは両親の縁による行為
それ以前はお前の頭で考えろ、解んなきゃ瞑想して問え
293 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 01:13:25.43 ID:jflufDte
>>291 因みに、お前の出生前の受精前、精子がお前か?卵子がお前なのか?(不一不異)
そしてお前の死後、まだ予定なのを言うのは許せ、多分普通に焼かれて骨と灰と気体に変わる
骨がお前か?灰がお前か?気体がお前か?(不一不異)
これらの以前、以後について詳しく考え出すと、それはお前の言う「無視する領域」で良いと思う
際限無く連なって終わりが無いからな
294 :
おじゃる :2014/03/30(日) 01:15:39.29 ID:oClbFvCC
295 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 01:19:20.84 ID:dB48GVho
規制がうざい。
仮設=仮説されたことばでしかない。
はい、証明せよ。
>>290 →有漏路より 無漏路透過でまた有漏路
アホはアホにあらず、ブスはブスにあらず(閻魔)
アホでなければ、直覚できる。
>>291 縁起ということばに逃げているだけ。
一切内であることを証明せよ。
それにしても、アホ如来は相対範疇でしかないではないかw
>不一不異
不一不異は四句第4であって、間接現実の言語論理でしかない。
何度も警告しておいたのに、まだ間接現実一切外と直接現実(の如し)とを、アホ如来は<混ぜるな!危険>侵犯している。
296 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 01:26:38.77 ID:jflufDte
>>295 お前はお前の出生・生成自体を既に否定する気なのか?
お前の生まれる原因と成り得た精子と卵子はどうやって調えられたんだ?
両親が霞食らってぼうっと生きて作り得たのか?
現実を直視しろ
それが縁起の現観の筈だろ
お前は縁起の理法を軽んじ過ぎてる
297 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 01:32:40.30 ID:jflufDte
”私”の輪廻転生から離れられないから常見断見に陥る 禅師曰く我々の存在とは「糞袋」に過ぎないと それは言い換えればモノに過ぎないと言っている モノは無くならせようとしても無くならない、形を変え”それ”以外のものに変じていくだけ 釈尊はそれをちゃんと示し、龍樹尊者はそれを受け継ぎ八不と称した
298 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 01:39:45.21 ID:dB48GVho
連続投稿ですか?だと、ウザ!
>>290 >知らないのか?
当たり前だが「不識」(達磨)
アホ殿様と同じく、結局、二項相対アホ如来とは「不契」で終わる。
>出生・生成自体を既に否定する気なのか?
現成=縁起だから、否定も肯定もない。
ことばでしかない。
なんど<混ぜるな!危険>と言わせればいいのだ? →中論24-18
>現実を直視しろ
時空際断の如し 識に非ず
299 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/30(日) 01:41:25.59 ID:Cy3d+MTh
300 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 01:46:08.38 ID:jflufDte
>>298 行が無ければ悟れる筈もない罠w
私は行により智慧から悟ったまでの話し
それにお前は嫉妬しているだけ
その嫉妬は無駄だ、お前の悟りを私は邪魔していない
勝手にお前が悟ればいいだけ、悟りに幻想抱いて冒涜するのはやめたほうがいい
お前の場合、気付けない仏道なら遠回りにしか成ってない、そして他人を小ばかにする愚人に陥ってる
それなら少し休んだほうが良い
メンヘラなんじゃないのか?違うなら良いが
メンヘラに仏道は却って良く無いと聞く
301 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 02:04:54.32 ID:dB48GVho
>>300 >私は行により智慧から悟ったまでの話し
→>現実を直視しろ
時空際断の如し
当たり前だが「不識」(達磨)
アホ殿様と同じく、結局、二項相対アホ如来とは「不契」で終わる。
>それにお前は嫉妬しているだけ 、その嫉妬は無駄だ、
哀れんでいるだけだw
『・万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく★“さとりなく”★、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。』
ところが、アホ如来の場合は
⇒『諸法の仏法なる時節、すなはち、迷悟あり、修業あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。』(道元)
ゆえに、悟りは悟りに非ず。これを悟りと名づける。
結局、上述のようにアホとは「不契」
以上、寝る
302 :
安堂 :2014/03/30(日) 02:07:02.09 ID:j1/22m/T
これまでもなかなか おもしろい議論ですね。 今後も楽しませてください___
303 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 02:10:10.06 ID:jflufDte
>>301 お前は自分で”見よう”と意識したものだけを「見る・見た」と思っているに過ぎない
お前は自分で”聞こう”と意識したものだけを「聞く・聞いた」と思っているに過ぎない
お前は自己が選び取ったものだけがこの世界の全てだと錯覚し、それは既に一切法内に反しているのだ
お前は自灯明法灯明を解ってない
304 :
おじゃる :2014/03/30(日) 02:26:59.60 ID:oClbFvCC
305 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 02:47:11.28 ID:poj44YBe
真光の道場へ行ってここで仕入れたネタを使って教団の導士たち 捕まえて「あなたたちは勉強してないねえ」とかエラソーに言って 「だったらやめりゃーいいじゃん」とか思われてる知恵遅れの糞在家おる?(笑) 霊主心従体属法則とかまるでチンパンジーが見る夢みてーなこと言ってる教団を いつ退会すんのよ?wwww
306 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 02:48:28.91 ID:jflufDte
ひょっとして閻魔とおじゃるも而二不二なのかな だとするなら、彼はそもそも仏法なんかどうでも良く 論破する事のみが本懐って事で全て腑に落ちる
307 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 03:25:03.01 ID:TJq14uxJ
言葉にして言う、思う 同義だと思いますか?
308 :
おじゃる :2014/03/30(日) 03:28:23.56 ID:oClbFvCC
309 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 03:29:33.28 ID:ygDrkk3t
自己の言葉は自己の思いに縁起して起こる 自己の思いを離れて自己の言葉は自発出来ない 病気の人を除く
310 :
おじゃる :2014/03/30(日) 03:43:51.41 ID:oClbFvCC
> 言葉にして言う、思う 同義だと思いますか?
http://www16.plala.or.jp/PC-MURA/Gou.htm 身における3つの行為
殺生(せっしょう) 人間や生物の生命を奪うこと 身における3つの行為
偸盗(ちゅうとう) 盗むこと
邪淫(じゃいん) 邪悪な性行為
口における4つの行為
妄語(もうご) ウソをつくこと 口における4つの行為
綺語(きご) 不当に飾りたてたことばを用いること
悪口(あっく) 悪口を言うこと
両舌(りょうぜつ) 二枚舌を使うこと
意における3つの行為
貪欲(とんよく) むさぼり欲しがること 意における3つの行為
瞋恚(しんに) 怒り憤ること
愚癡(ぐち) 真理に暗くおろかであること
311 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/30(日) 03:56:37.77 ID:Cy3d+MTh
312 :
おじゃる :2014/03/30(日) 04:05:25.61 ID:oClbFvCC
>>310 の続き
私(おじゃる)の場合は
肉・魚貝類・卵・野菜などを食べているいるので
そして、ゴキブリ・ハエ・蚊・アリ・ムカデなどを殺しているので
殺生(せっしょう) 生物の生命を奪うこと
そして脳の働きが悪いので
愚癡(ぐち) 真理に暗くおろかであること
こんな↑感じです
313 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 04:27:37.26 ID:hxalgwZG
まあ大東流合気道でも治んないな
314 :
○ :2014/03/30(日) 06:57:41.84 ID:crTzdr88
>>306 >だとするなら、彼はそもそも仏法なんかどうでも良く
>論破する事のみが本懐って事で全て腑に落ちる
横レスですが、それは貴方の自燈明からの出力でしょう。
閻魔さんも彼なりに座って気付いたと思っており、貴方も悟ったと思っている。
仮設ですが禅定には何段階もあり、業によっての個人差があるので、各自が
悟った(気付いた)ことをぶつけ合っても慈悲無しということかと思料します。
根拠は幾多の宗派に分かれた開祖達もまた悟った人達だったからです。
また別の仮設ですが、貴方が覚ったことを伝える言葉のレベルでは一部の人にしか
伝わらないのかも知れません。この場合はやがて分かるでしょうが。
と悪口慣れしている私の所感です。
315 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 07:38:57.90 ID:f6DiLfZP
閻魔と在家の非仏教議論スレかw アホらしい駄文議論今日も進むかw
316 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 09:21:59.62 ID:kz3h1Ii6
と言うより果報有ったかと 閻魔を在家が庇う茶番は流石にすまいと予想してたが この流れは波木井並みの自演使いが暴かれる流れ、的な
317 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 10:59:46.89 ID:dB48GVho
>>306 休憩中に覗いたら、あ〜あ、また低レベルな駄文が書いてあったw
>論破する事のみが本懐って事で全て腑に落ちる
二代目ペンキ屋,乙!
アホ如来も、『蟹も甲羅に似せて穴を掘る』
→お前は自分で塗った捏造ペンキだけを「見る・見た」ことにしているに過ぎない(←
>>303 w)
お前のは、とんだ捏造灯明だなw
>そもそも仏法なんかどうでも良く
仏法に触れてもいない二項相対成りすましアホ如来に相応しい感想だなw
しかし実は、そこまでいけたら素晴らしいことが分かっていないのだ。
閻魔には、まだ仏法(→時空際断の如し)を担いでいるところがある。
放下著の趙州禅師からは、まだ「恁麼ならば則ち(仏法を)担取し去れ」と怒鳴られても仕方がない。
異類中行(南泉)の異類には仏法の意識はないだろう。
筏の喩えの法門(金剛般若経6、中部22)だ。
縁起のまにまに、遊びをせんとや生まれけむであるw
俺は、フーテン菩薩たちとの遊びに忙しい。
318 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 11:08:24.95 ID:f6DiLfZP
>放下著の趙州禅師からは、まだ「恁麼ならば則ち(仏法を)担取し去れ」と怒鳴られても仕方がない。 異類中行(南泉)の異類には仏法の意識はないだろう。 筏の喩えの法門(金剛般若経6、中部22)だ。 これ自体がポンコツの自覚が無いのだからなあw
319 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 11:18:06.06 ID:f6DiLfZP
禅系のポンコツは全て基礎から間違いの塊だからなあw ほんと、指摘しようがないぐらい滅茶苦茶でw 丁寧に指摘しようもないなあw
320 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 12:08:38.97 ID:AsQ29BiH
「一切は空」とか詭弁にしか聞こえないw 仏教で現実逃避しても痛いもんは痛いし、 苦しい感覚が消えるわけではない。 苦しみの価値を説くキリスト教のほうが解決しているね。
321 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 12:24:13.32 ID:f6DiLfZP
320の言うとうりさw中途半端意味不明仏教用語禅用語でキモい自己陶酔して、 キモい至福に酔っているぐらいならw
ウィキから同じコピペを繰り返している「おじゃる」には、 強迫神経症のような印象を受ける。 落ち武者の霊に恐怖した体験がトラウマになっているのかもしれない。 幽霊は肉眼で見えないから枯れ尾花だよ。安心しろ。
323 :
おじゃる :2014/03/30(日) 12:53:00.00 ID:oClbFvCC
324 :
おじゃる :2014/03/30(日) 13:08:27.00 ID:oClbFvCC
>>320 仏陀も病気で苦しんだ。
肉体的な物理的な痛みは耐えるよりない。
仏陀が示したのは心理的苦痛からの解放。
だから、仏陀の教えは不老不死の教えとされる。
老いない死なないではなく、老いや死に悩まされないという意味。
326 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 13:44:52.53 ID:YVZmwZUX
>>323 >強迫神経症とも呼ばれる
>同じ行為を繰り返してしまう強迫行為と、同じ思考を繰り返してしまう強迫観念からなる
神経症は精神的ストレスによって発症する場合が多い。
過去にあった嫌な出来事が、何度も繰り返して記憶に蘇る。
こういった経緯を経ると「認識の歪み」という、認識のクセみたいなものが出来上がってしまい、
考え方が一方向になりやすい。
過去のことと未来のことが、巡り巡って頭を攪乱していく。
そして死後のことばかりを考えたりする。
死後は輪廻転生があるか?どうか?気になってしょうがない。
この病状(神経症)の辛いところは、自分が精神障害であることをハッキリ自覚できるからだ。
こんな考えは止めて、机龍之介のように「今に生きる」という境涯になってみたい。と思うのだが、
その意に反して、過去が蘇り〜〜〜そして死後が気になってしょうがない。
(つづく)
327 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 13:46:48.36 ID:YVZmwZUX
(つづき) この状態をどうにかしたい。その努力は相当なものだけど、残念ながらどうにもならない。 何故かというと、輪廻転生の是非が問題ではなく、そういった「認識の歪み」がそもそも問題だからだ。 恐らくはこのスレッドで、「悟った」とか書き込みする連中も、その症状の表れだろう? 潜在的に「自分は悟った」と念じることにおいて、現状回避行動に出るのである。 これは自己防衛における自己催眠の一種なのだ。 しかし残念ながら、それで病状が寛解することはない。 頭は、過去と未来が渦巻、それはまさに地獄そのものとなるであろう? しかし心配なさるな。ひとつだけ救われる方法がある。 では、また書き込みます。
328 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 14:02:24.88 ID:YVZmwZUX
【過去のトラウマと輪廻転生観念に悩む方々へ】 過去と未来が全て解決する方法がある。 それは簡単に言えば「今を掴む」ことだ。 簡単なようで、これは非常に難しい。 人が短期間で成し遂げることもあれば、また一生掛かっても駄目な場合がある。 何故これが難しかと言えば、「今」ってのは実は無いのです。 無いものを掴む、このように私は書いた訳ですから、最初から無理な話なんです。 無理は無理でも、どうにかそれを掴むのが仏法なのです。 そして「悟った」と法螺吹いてる連中はこう言うであろう 「そうだったのか、悟ってはおらんかったのか」。と これが仏法なのです。 深甚なる法に敬礼。
329 :
おじゃる :2014/03/30(日) 14:03:49.51 ID:oClbFvCC
> 肉体的な物理的な痛みは耐えるよりない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E9%99%80 純陀(ちゅんだ Cunda)
死に迫る病の発病と純陀の供養の意義
純陀の料理を食べた釈迦はその直後激しい腹痛を訴えるが、平静を装っていた
しかし高齢に激しい食中毒様の症状を現した釈迦は遂にカクッター川のほとりで倒れ伏し
純陀に床を作るよう指示し、そこにしばし休むことになる
釈迦はここで内弟子のアーナンダらに対し次のように告げた
「いいかアーナンダ、きっと誰かが言い出すだろう
『純陀が毒料理を食べさせたせいだ。純陀は徳のない悪党だ』と
しかしそれは間違いである
私は純陀の料理を最後の供養として逝くのであるから
第一にこの生涯のさとりを大成させ、第二に大般涅槃に至らせてくれたのである
この供養は、私が受けた供養の中でもスジャータのものと並び
我が人生の供養の中で最も重要なものである
大いなる威徳がある供養だ
純陀は大いなる威徳を積み、偉大な尊者となるべき偉業を成し遂げたのだ
純陀を恨む者が現れたなら、よく諭すのです」
そして総括として
「布施を実行する者こそ功徳あり。貪り・怒り・痴を超越し、人心を超える」と宣言した
330 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 14:17:04.82 ID:dB48GVho
>>320 >苦しみの価値を説くキリスト教のほうが解決しているね。
神やキリスト、苦しみの価値への<執着>は、苦しみだ。
何の解決にもなっていない。
隠居の言うとおり、宗教戦争のひどさはまさに神・本質への<執着>による。
寂静に非ず。
一神教に近い浄土系も、阿弥陀仏の手を離れてはじめて、無執着→寂静となる。
それまでは、蓮如がいう「当流の安心は弥陀如来の本願にすがり一心に極楽往生を信ずることにある」という教義の
一向一揆の激しさはイスラムの激しさを思わせる。
アッラーの手を離れてはじめて仏法との邂逅がある。
331 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 14:17:48.87 ID:YVZmwZUX
>>323 >強迫神経症とも呼ばれる
神経症の所見は、先ず相手に「最近何か感動したことがありますか?」。と聞くのです、
神経症を発症しますと、無関心になっていくのが特徴で、
ある分野だけ固執してくるのです。
この分野というのは精神世界のことであります。
通常は、自分の病状を何とか治したいため真剣に努力します。
治癒に努力する人と、精神世界に没頭する人と、その二分に分かれるようです。
ですから、このスレッドに書き込みしている連中も、ある程度精神が病んでいるのは推測できます。
全く精神が病んでいない人間というのは、ある意味深刻な精神の病に陥っているとも言える。 つまり、全く精神が病んでいない人間などいないという事ですw
333 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 14:58:47.64 ID:AsQ29BiH
>>332 つまらない詭弁ですね。
癌細胞が全く無い健康体の人へ向かって、
「何も病気が無いほうが病的です」と言うような詭弁。
334 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 15:03:31.22 ID:YVZmwZUX
>>266 コレサト氏
> 机さん、自分の内側を見つめて何が見えたんですか。
私が自分の内側を見つめたのは、あれは年も押し迫った大晦日の除夜の鐘を聞いたときでしたね。
その時は病に臥して床の中で聞いておったのです。
鐘を聞きながら、私はこのように思いました。
「人間は煩悩があるのか?」
「煩悩があるうちは、まだ自分は生きてる、ってことだな」。と
そのようにッフと思ったのです。
明日はどうなるか分からないけど、
今はこうして生きている。
このことに非常に感動したのであります。
だから「今」が大事なんですね。今をおいて、過去も未来もないのです。
(つづく)
335 :
おじゃる :2014/03/30(日) 15:07:56.63 ID:oClbFvCC
336 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 15:12:08.24 ID:YVZmwZUX
(つづき) 「自分の内側を見つめる」ってぇのは、何も仏教に限らず、 文学でも音楽でも芸能でも、全ての芸術の「自己表現」なんですね。 そういうことも段々に分かってきました。 自分の内側を見つめる、というのは段々にコツみたいのが分かってきます。 これが動中禅ですね。生活の中に禅はあるのです。 > 俺は怒り・・・他人に対する怒りです。 怒りはそのままですよ。そのままが自然ですから。 「見つめるだけ」。それだけで十分です。自分を知ることで十分であります。 アリノママを見つめることが大事なのであります。 そのうちに気づくことがあります。
337 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 15:12:51.55 ID:QiQwMqLr
提婆達多は釈迦仏に違背し逆罪を犯した大悪人とされている。しかし法顕三蔵の『仏国記』などの記録から、
後年における提婆達多派の教団では、提婆達多の遺訓を尊び、独自の戒律を定めて、
釈迦を除く過去の6仏を信仰していたことが明らかとなっている(なお、近年の研究では、
提婆達多は戒律をより厳しくするなどを釈迦仏に進言するも、これが受け入れられなかったことから、
釈迦教団から分派したことで、それが次第にスケープゴートされたものとされている)。
このことから、古代インドの釈迦在世の当時に、既に過去に仏が出世したことがあるとする、過去仏信仰があったことが理解できる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E4%B8%83%E4%BB%8F 南伝パーリ三蔵といえど付け足し改竄があった証拠の一つですね。
提婆達多が狂象で釈尊を襲い出仏身血の五逆罪で大地が割れ地獄へ落ちた話とか
2500年前には過去六仏の智慧の伝承もあったのかな?
>>333 何故、何も病気が無い方が病的なのか?
それは全くの健康体ならば病の立場が分からないからですよ。
全くな健康体で病を想像しても想像の域を出ず、つまりは分からないと言うこと。
病で死にかけた経験があれば健康のありがたみも分かり、病の立場も分かる。
経験の無い人間は経験のある人間に勝る事はない。
339 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 15:22:47.27 ID:AsQ29BiH
>>338 結局さ、禅問答って詭弁で謎掛けするだけの言葉遊びでしょ?w
自覚していないぶん哲学よりも劣るんじゃないかな。
心の安定を求めるならカウンセラーだけで足りる。
霊魂という見えない領域を扱ってこそ宗教となる。
>>336 >> 自分の内側を見つめる、というのは段々にコツみたいのが分かってきます。
> これが動中禅ですね。生活の中に禅はあるのです。
それじゃ禅にはなってない。
これが生半可に禅を齧ったものが陥るところ。
正受老人が若い頃の白隠を、穴蔵坊主とののしったのを知った方がいい。
341 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 15:41:51.08 ID:YVZmwZUX
>>338 > 全くな健康体で病を想像しても想像の域を出ず、つまりは分からないと言うこと。
神経症は、つまりノイローゼのことだから、受験ノイローゼとか出産ノイローゼとか、
人生における精神的疲労から誰でも発症する可能性はある。
人生で、一度くらいは経験してるんじゃないかな?
非常に苦しい病です。たまたま自殺とか考えたりしますから。
ただ自殺を決行する勇気?はありませんけど。
でもそういう神経症がネットで書き込みしても寛解に向くことはない、。
非常に精神はデリケートになってますから、心が傷つきやすい。
ましてや年がら年中、輪廻転生とか考えてたら急速に病状は悪化する。
これは、今日一日生きることさえ辛くなりますから、
毎日が地獄です。
末期ガンで死にそうな人を羨むくらいに辛いです。
342 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 15:48:06.65 ID:YVZmwZUX
>>340 >それじゃ禅にはなってない。
>これが生半可に禅を齧ったものが陥るところ。
便所で糞を出し切るのが禅ですよ。
生半可に出すことではない。
貴殿は禅の何たるかを知らず。
<典座教訓より>
大事なことを言い忘れた。 それが禅だと思って、続けていたら、真正の禅が分からないことは勿論、 しまいには精神分裂症などのキチガイになって取り返しの付かないことになるぞ。 というか、既になっているか?
344 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 15:59:35.61 ID:YVZmwZUX
>>343 >それが禅だと思って、続けていたら、真正の禅が分からないことは勿論、
これが禅で、あれは禅ではない。ということは無い。
これは道元が宋において典座和尚との出会いで、
道元が禅について教訓を頂いたのが、現在の永平寺においての基礎となっている。
よく調べもしないで書き込むと、貴殿が恥をかくことになる。
>>339 >霊魂という見えない領域を扱ってこそ宗教となる。
そのような宗教観もあるでしょう。
慈悲こそ宗教という宗教観もある。
私は後者に賛同はしますが前者には賛同しません。
仏教は(最も)リーストドグマティックな宗教で、あーせい、こーせい、あーするな、こーするな、という事が少ない。
だから仏典を読む人もいるわけで、伝統やら伝承やら文化の外側にも十分仏教の立ち位置はあると言う事です。
伝統、伝承最重視なんてのは一つの立ち位置に過ぎず、それしか認めないというのは言語道断。
>>342 >便所で糞を出し切るのが禅ですよ。
>生半可に出すことではない。
禅を脱糞に例えたところで,生半可に禅を齧っっていることに変わりない。
今おぬしが言ってる自分の内側を見つめるなんてことは、自分を生半可に出していることだからな。
>>344 > よく調べもしないで書き込むと、貴殿が恥をかくことになる。
なにを調べろと言うのか分からぬが、知識だけで禅が分かっているつもりなんだろ。
348 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 16:07:58.18 ID:YVZmwZUX
>>346 >禅を脱糞に例えたところで,生半可に禅を齧っっていることに変わりない。
禅は齧るものに非ずして、生活そのものを禅となす。
コレ南宗禅の法統ゆえ案ずることはない。
>>348 > 禅は齧るものに非ずして、生活そのものを禅となす。
> コレ南宗禅の法統ゆえ案ずることはない。
論点をそらして、逃げ出すのが机流だな。
では、その「生活そのものを禅となす」がなしていないとでも言えば気が済むかい。
350 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 16:19:40.33 ID:YVZmwZUX
>>349 生活そのものを禅となすもよし、
生活そのものを禅となさざるもよし、
無可無不可なり。
これ禅といふ。
351 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 18:17:04.97 ID:YVZmwZUX
>>335 >「これを唱えないと何か不幸な出来事が起きるのではないか?」
>と言う強迫観念が現れるみたいな
公案というのは、理屈では何とでも講釈ができますが、
ようするに作為的に神経症を作り出すのです。
ここからどう抜け出すか、が自分との勝負になるのですが、
抜け出せないならそのまま人生は終わりです。
ここで大事なのは、自分の殻を破ることです。
「自分の内面を見つめる」というのは、そういう意味です。
公案の目的というのは、精神病から如何に自分の力で克服できるか。
これに掛かっているのです。
禅は幾多の修行僧が、このように自分と闘ってきました。
貴殿も、今が勝負の時です。輪廻転生云々よりも、先ず自分と勝負して下さい。
そもそも自分に殻など無い。 まるで殻があるかのように錯覚するのが病気。 自分の内面は見ても分からんでしょう。 人間に分かる事は微速前進で大して進まないのですよ。 分からない事の方が多いのが当たり前と認識する事です。 何でも分かった様に思うのは間違い。
>>350 おぬしは一端の禅理論を展開する2chでは一流の有名な理屈屋だ。
おなじ虚論空論を展開するポ○タンというものがいるが、おぬしの足元にも及ばないだろう。
仏教専門用語を煌びやかにちりばめ一見見栄え簿するような理屈だ。
それに騙されて、先生と仰ぐものもいよう。
だが、見性体験が無い点では同じで、実体験の無さからくる矛盾を多くはらんでいる。
さて本題に戻るとしよう。
おぬしは「自分の内側を見つめるのが動中禅」というが、それでは見つめる自分と、見つめられる自分というふうに、自己が二人に分離しているではないか。(そんなことを同行二人という戯言を吐くものがいるが)
禅は別名、一如と言うのは、おぬしも知ってるだろう。
自分でさえ一如になれないものが、自他一如になれるはずが無いのは、自明の理であろう。
こんなことは、禅を実践している者には初歩的なものだ。
354 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 18:55:40.38 ID:YVZmwZUX
>>353 >それでは見つめる自分と、見つめられる自分というふうに、自己が二人に分離しているではないか
神経症の場合は、このように二分化するが、
自分の内側を見つめる。これ即ち直指人心のことだから禅では基本的。
>>352 >そもそも自分に殻など無い。
「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」。の有名な文学の一節は
トンネルが視界を遮っておったから、こういう表現方をとった訳で、
殻とは、この場合のトンネルに相当する。
いわゆる文学的表現と理解されたし。
355 :
おじゃる :2014/03/30(日) 19:00:39.17 ID:oClbFvCC
> 仏教は、あーせい、こーせい、あーするな、こーするな、という事が少ない
>>310 の続き
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%88%92 五戒(ごかい)とは
仏教において在家の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒のことで
より一般的には「在家の五戒」などと呼ばれる
不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない
不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 不道徳な性行為を行ってはならない
これは、特に強姦や不倫を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含む
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない
356 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 19:02:18.07 ID:YVZmwZUX
>>353 >こんなことは、禅を実践している者には初歩的なものだ。
馬鹿を言っちゃ駄目だよ。
自省は禅の基本だし、浄土門も自省は基本。
(浄土門は自証というが、意味は同じ)
>>355 五戒で5個しかないのだから少ないでしょうw
>>354 川端康成、太宰治、三島由紀夫など純文学者が自殺するのは、全て欠陥人間だから。
まさにあなたの言う病気の深刻な状態。
この重病人が書く小説が素晴らしい〜なんてのは、私は賛同しない。
すべて却下。素晴らしいと評価する人間も却下。
自殺する人間に価値は無い。
358 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 19:08:28.28 ID:leA3prgo
経典を根拠にして争うと、プライドも絡むから必ず甲論乙駁になる。 しかし、すでに原始仏典からして相互に矛盾している。 であれば、ただ主張するだけではなく、そう主張する根拠、理由を語ろうw 相手のどこが、どう間違っているのか。 経典や教祖の文言だけでなく、自分がそう考える理由を書くようにしよう。 ただ主張し、相手を否定し、罵倒するだけでは余りに不毛過ぎる。 時間のムダだし、後で必ず後悔するだろう。 体証 > 理証 > 文証を、絶えず念頭に置いて前進しようw
359 :
おじゃる :2014/03/30(日) 19:15:18.95 ID:oClbFvCC
明治36年(1903年)5月22日
一高生の藤村操がこの滝の近くにある樫の木を削り
「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残して投身自殺した
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1215120932 岩の上で思う
天地は何者にもとらわれず、何んと余裕があることか
今は昔の時代とは、何んと遠くはるかに離れていることか
五尺(1メートル50センチほど)の小さな体でその大きさを測ろうとする
ホレーショの哲学はなんら専門的でも権威のあるものでもない
宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「不可解である」と
私はこの恨みを胸に持って思い煩い、ついに死ぬ事を決断した
すでにこうして岩の上に立つことになって
私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ
非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った
360 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 19:15:38.54 ID:YVZmwZUX
>>357 >この重病人が書く小説が素晴らしい〜なんてのは、私は賛同しない。
まあ貴殿にはそもそも文学など分からんのだろうな?
あの、今にも崩れ落ちそうな三者のナイーブな心。これだよ文学の醍醐味ってのは。
即ち貴殿には、そういう感性ってもんが無いのだから分かるはずはない。
自己愛性・境界例は先ず無理です。
人の心が分からんのですから、文学そのもの良さは分からんのは普通。
自殺する人間に価値は無い。 自殺する人間に同情はする。 しかし、自殺した瞬間にその人間の価値はゼロになる。 ドブにはまって死ぬほうが遥かにマシ。つうか越えられないくらい自殺と非自殺には断絶がある。 文学なんてものは少女がたしなむ趣味で大の大人がたしなむものではない。 女、子供だけが夢中になるものw
362 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 19:31:14.50 ID:leA3prgo
>>359 >私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ
>非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った
それが本当の本当なら、自殺しなくてもいいではないか。そうだろw
藤村操は最後の最後まで格好をつけている。いい格好しw
ずぶ濡れになり、泥まみれになる覚悟がなかった。
イエスも同じだが、釈迦とその教団は乞食をやって生きていた (^^)
真理とはそういうものかもしれないよ。
363 :
begezan :2014/03/30(日) 19:36:11.20 ID:imQCb2sM
禅は或意味滑稽。でもなぜイカスかは、正気は狂気を支えることもあるが狂気は狂気で正気を 支えることができないとありったけの全存在で解っているから。 最近は狂気だけ育ってる人が多すぎる。正気もそだっていないと悟る道理がない。 上記で書いたことが分かってないと禅などの逸話をよんでも何のことかわからないだろう。
364 :
○○ :2014/03/30(日) 19:36:33.81 ID:crTzdr88
>>358 >経典を根拠にして争うと、プライドも絡むから必ず甲論乙駁になる。
>しかし、すでに原始仏典からして相互に矛盾している。
龍樹菩薩の活動時の仏典は相互に矛盾していることは「四悉壇」として解説済みです。
ですから経典「如是我聞」を根拠にして争うのは阿呆ということで同感です。
「四悉壇」(慈悲の四枚舌)故に側近のアーナンダの悟りが一番遅れたとの説もなるほどと思える次第です。
と似た見解の住人を見つけてコメントしてみます。
365 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 19:44:19.48 ID:leA3prgo
自殺するのは、精神的に死ぬことができなかったからだろう。 肉体的に死んでも、人生の不可解さは何一つ解決しない。 自殺は、精神的な勝利ではなく、精神的な敗北を意味する。 精神に肉体以上の価値を見いだせないから自殺する。 精神の否定であり、人生の否定でもある。 かれはブタであることを拒否した。
366 :
おじゃる :2014/03/30(日) 19:45:37.30 ID:oClbFvCC
> 文学なんてものは少女がたしなむ趣味で大の大人がたしなむものではない > 女、子供だけが夢中になるもの 文学(幻想文学)と言えるのか?どうか?わからないけど、とりあえず 涼宮ハルヒの分裂(角川スニーカー文庫)は α世界とβ世界へと分裂していく物語で面白いと思いました 「ポンペイ最後の日」も興味を持って読むことが出来ました
>>366 そういった話の方が歓迎される。
自分が思ったこと、感じたことを正直に書けばいいと思うよ。
相手にされなければ、それはそれでいいではないか。
自分自身を知るチャンスでもある。それが悟りにつながる。
ウィキをお守りにし、盾にして書かない方が絶対にいいw
>>354 > 自分の内側を見つめる。これ即ち直指人心のことだから禅では基本的。
これが、そもそも体験の無いところからくる、誤解そのもの。
内側を見つめるのではない。
そうではなく、自分の心の中にある仏性を直ちに掴み取れ(観てとれ)と言っているのだよ。
語彙に囚われて理屈で考えるから、そういう誤解をする。
>>356 > 馬鹿を言っちゃ駄目だよ。
> 自省は禅の基本だし、浄土門も自省は基本。
???
はて、自省などとは言ってないが・・・・・・。
369 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/30(日) 20:19:39.18 ID:YVZmwZUX
>>368 >そうではなく、自分の心の中にある仏性を直ちに掴み取れ(観てとれ)と言っているのだよ。
仏性なんて、そもそも無いんだよ。
即心即仏。→世俗諦
非心非仏、→勝義諦
禅でいう仏性というのは森羅万象のことだよ。
あらゆるものが仏性ならば、そこに仏性という意味が寂滅してしまう。
(対象化できないものに意味はない)
つまり仏性というのは無いんだよ。
では、おやすみ。
自分に対する反省などは常時していて当たり前でしょう。 しない人間なんているのでしょうか? 全く分かりません。 当たり前の事を声高に大事だ大事だ〜って言う気持ちが分かりません。 経験が大事とかいうセブン氏も同じw 経験やら反省やら当たり前すぎて、語る気もしないだけなんですが?w
>>365 の訂正
かれはブタであることを拒否した。
→ ○ かれはブタであることを自殺することによって拒否した。
372 :
begezan :2014/03/30(日) 20:38:14.38 ID:imQCb2sM
感じることを基盤に考えて導き出すことそして表現することが大事だね。 明日世界が滅ぶともりんごの樹を植えるという感性が勉学のもとだろうね。 結局異言語おぼえるの早い奴は聞く・話す・書く・読むをやってるからだろうな。 母国語でも同じだろうし、少しずつ差がつくから皆さんも気をつけたほうがいいですよ。 昔のエリートは本当に凄かったろうな。 エニアグラムが円になっちゃうようなヤツがたくさん居たんだろ。 昔の坊主って正真正銘のエリートじゃん。
373 :
おじゃる :2014/03/30(日) 20:45:47.82 ID:oClbFvCC
> 自分の心の中にある仏性を直ちに掴み取れ(観てとれ)
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 一切の有情には仏性があるといわれる。本当はもっと単純だ
一切の有情は、もともと仏なのだ
なぜなら、縁起によって空から生まれた無我なる現象であるから
では、有情とはなにか?
悲しみ、怒り、喜び、妬み、執着するものたちだ。それこそが仏なのだ
解脱すれば仏だという。解脱の前と後でなにが違うのか?
解脱してみたら仏だった
もともと仏であったことに気づくこと、それが解脱だ
解脱してあなたたちは思う
変化する世界のすばらしさ、世界のすべてとともに現象する喜び、空の力への感嘆
そして我執は消え、みずから苦を創り出していた自分の愚かさに気づく
わたしはなにを苦しんでいたのか、悩んでいたのか。悲しむ必要もなかった
苦しむ必要もなかった。気づいてみればたやすいことだ
しかし、気づくまでは、気づくことは難しい
悩み怒り悲しむことのできるもの、迷うものだけが、気づくことができる
悩み怒り悲しむ心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを理解することができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、慈悲の心を持つことができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを解脱に導くことができる
>>369 > 仏性なんて、そもそも無いんだよ。
これが、そもそも理屈と言うもの。しかも屁理屈にしかすぎない。
では、「一切衆生悉有仏性」と釈迦がいったことは虚言だということになるし、成仏を目指した仏教をすべ否定することになる。
しかも、古来、坐禅修行して、事実に見性、悟りを開いた古仏も、皆、嘘と言うことになる。
そして、今日、悟りを目指して修行する僧をあざ笑うことにもなろう。
君よ、馬鹿も休み休み言いたまえ。
気づくべき事は自らが自由な存在でナニモノにも束縛されない〜という一点だけ。 仏教なんてイデオロギーに束縛される事は阿呆である。 解脱も悟りも不要。 淡々と死ぬまで生きる事こそが生命体として最重要。 言葉の修飾は意味無しであり、他を束縛する可能性もあり、無視するのが一番。 ちなみに影響を受けるのと束縛されるのは似て非なるものである。
376 :
○○ :2014/03/30(日) 20:59:44.12 ID:crTzdr88
>>374 >では、「一切衆生悉有仏性」と釈迦がいったことは虚言だということになるし、成仏を目指した仏教をすべ否定することになる。
そうですね。「見性成仏」と達磨がいったことは虚言だということになりますしね。
禅定で阿頼耶識まで見た人はいるでしょうが、仏性まで見たのは流石達磨でしょう。
と禅宗の開祖に称賛をしてみます。
377 :
○○ :2014/03/30(日) 21:07:56.14 ID:crTzdr88
>>376 本スレでは「十牛図」の各ステージの住人達が登場し、互いになあーんだそのレベルかと言い合っているようにも観じられます。
まあ、私は現世では『見跡』まで行けたらよいとこでしょう。(元々、牛を追っていないし。)
本スレの住人で『返本還源』まで行けた人はまた体験談をアップして教化して下さい。
378 :
おじゃる :2014/03/30(日) 21:20:32.90 ID:oClbFvCC
> 禅定で阿頼耶識まで見た人はいるでしょうが … 阿頼耶識が大円鏡智に変化するらしい 煩悩障(自己に対する執着) 所知障(外界のものに対する執着) の二種の障害を根絶することによって 阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち) これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し それを得たものは解脱身であり 仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち) チベット・ニンマ派の場合は 煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です と言う事であるらしい
379 :
begezan :2014/03/30(日) 21:21:27.42 ID:imQCb2sM
>>360 本はたくさんwありますけど、本当の読書家なんて皆がおもってるより
ずぅ〜〜〜〜〜〜〜っと少ないんです。
なにかエゴ心につられて読んでるだけです。これ読んだら得するだろうかとか。
何かわかるだろうかとか・・
ちなみに私も読書家ではありません。著者と感性に圧倒的差があるんです。
感性に圧倒的差がある場合、考えをたどることすらできないので、眠るだけです。
380 :
begezan :2014/03/30(日) 22:10:55.54 ID:imQCb2sM
379訂正 読書家→読書好き
381 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 22:22:50.30 ID:iPhMI6Z2
今来ました。久しぶりです。曹洞宗は完全な世襲です。内情を外から見る人たちからの噂はよくありません。良い方がいても、完全な世襲は釈尊の時代でも否定される体制なのでは。
382 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/30(日) 23:16:16.46 ID:ebSz5e3+
>>278 >>280 空無辺処とか非想非非想処って、どんな気分なんですか。
だれかその境地に到達された方はこのスレでおられるのですか。
感想をお聞かせください。
釈迦はそれの更に上の境地に到達したんですね。
うーん、よくわからんです。お手上げッス。寝ます。
あ、俺昼寝したんですが、チョー気持ちよかったです。
あれがひょっとして「心のあらゆる動きが全く止滅した状態(滅尽定)」ですかね。
思わないでもなく、思わないでもないのでもなく〜ウナギ論法で大して意味は無いですよw サンジャヤのウナギ論法を仏陀も受け入れたというだけでしょう。 仏典の言葉を一字一句そのまま受け入れるという人間は現代では少ないでしょう。 非想非非想処〜なんてマトモに捉える人は今の時代あまりいないと思いますw
384 :
神も仏も名無しさん :2014/03/30(日) 23:35:46.61 ID:iPhMI6Z2
思想は多くの人にその時代に支持されているかに、その有良性は関わらないですし、宗教は尚更、時代に沸いたものは悪にはなります。
385 :
○○ :2014/03/31(月) 00:09:31.41 ID:36m1sksB
>>377 >まあ、私は現世では『見跡』まで行けたらよいとこでしょう。(元々、牛を追っていないし。)
なんとなく牛に乗っているようなので、妄想かも知れませんが、それでいいです。
386 :
おじゃる :2014/03/31(月) 00:14:15.14 ID:ovuo8QYN
> 非想非非想処って?
私(おじゃる)は↓実践した事は、ありません
http://www.bukkyouoshie.com/tenkai/hisouhihisousyo.html 非想非非想処とは
限りなく意識がゼロに近い
消滅寸前のような状態の世界で
かすかに想念が動く世界ともいいます
微細な動きしかしない世界
ですが非想非非想処は「涅槃ではない」ということですね
非想非非想処に達すれば、ほとんどの人は
「これは涅槃だ。悟りの境地だ。解脱した」と勘違いするでしょう
非想非非想処すら理解し難い世界なので
滅尽定(想受滅)は凡人には理解の及ばない状態です
_ _ _
この解説を書いている人も↑実践した事は、ないかも
387 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 02:57:07.20 ID:zqzxQ0+q
想受滅(滅尽定)は入出の方法が経典で明らかにはなっていない 特に問題なのが”出方”で、想受滅では自己の想念一切が寂滅した状態になる事から 自己の意思の介在が許されない理屈となり、結果「入ったら出てこれない」事になる サイト等ではこの禅定に至ったと称する自意識過剰がたまに散見されるが みんな一様に出方を問われると嘘八百を並べるか黙る 滅尽定の有無の観点から言うなら、この瞑想状態は存在するのだろう しかし、自力では不可能だと推測される、薬剤を使ったりして 第三者に意識の酩酊・消失・覚醒を制御してもらえば或いは可能かも知れないが それでは既に自己の意に因って行なわれる仏道修行とは言えない では釈尊は嘘を語ったりしたのだろうか? 釈尊は三界に起こる現象を全て同等に差別無く語る人であった 故に神通も禅定も、物質的現象も差別無く現象一切の一部として語っていたのである それらに特に差を設けず自在な方便を為していたのである であるなら、中道の観点から見ればどれにも因らずに何かに至れねばなら無い事も推測できる 禅定・神通・物質的現象のどれにも因らない何か その何かを何かすると成道なのである
388 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 03:16:42.66 ID:zqzxQ0+q
どれにも因らずに、は誤謬かもしれない どれにも偏らずにと言う事で中道を為すと補足します 禅定も状態としては割りと必須な行法なので、これも「三昧」に変更します 三昧・神通・物質的現象のどれにも偏らない何かを以って どうかすれば成道に至る このスレの語録や経文を引くだけの御仁はこれを示せなかったのは事実 仏教に於いて教学は手引きにしか過ぎず、事を為さねば仏道にはならない 信行学の三学は仏道修行者に必須で大事な徳目ではある しかし、中道を説く釈尊の教えに於いては、このどれに偏っても 事を為す事は不可能なのである その事実は釈尊が菩提樹下で成道された事に由来する
389 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 07:41:06.39 ID:sRim9CDo
>>387-388 この方は時々見かけるが、まともなレスなのでいつもホッとする。
バランスがよく、砂漠の中のオアシスのよう。
390 :
おじゃる :2014/03/31(月) 08:50:28.68 ID:ovuo8QYN
> 信行学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AD%A6 三学(さんがく)
仏道を修行する者がかならず修めるべき基本的な修行項目をいう
『涅槃経』獅子吼菩薩品に詳細に説かれている
三勝学(さんしょうがく)とも
具体的には、戒学・定学・慧学の3つを指す
戒学(かいがく)戒律のことで、「戒禁」(かいごん)ともいい
身口意(しんくい)の三悪(さんまく)を止め善を修すること
律蔵に相当
定学(じょうがく)禅定を修めることで
心の散乱を防ぎ安静にするための方法を修すること
経蔵に相当
慧学(えがく)智慧を修めることで、煩悩の惑を破って
すべての事柄の真実の姿を見極めること
論蔵に相当
391 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 10:00:22.97 ID:CLiLQ6me
>>387 >滅尽定
滅尽定なんて、簡単なことだ。凡人でも毎日やっている。
完全熟睡状態がそれだ。
入り方は、スポーツや仕事やによる肉体疲労とストレスが少ないこと。
恋愛相手との激しいセックスのあとの熟睡は滅尽定状態だよ。
出方は目覚まし時計か、愛人のキスw
だから、滅尽定というサマ−ディ(サマタ瞑想)は般若智直覚とは別問題だ。
無心や無の境地の獲得は仏教の目的ではなく,覚りでもない。
仏道からすれば、集中力養成の手段として利用しうるという程度のものだ。
現にブッダは「無所有処定」(カーラーマ)も「非想非非想処定」(ラーマプッタ)という修定主義を一蹴している(中部26)。
>釈尊は三界に起こる現象を全て同等に差別無く語る人であった
一切外妄想は語らず(無記)
>中道の観点から見れば
中道が観点であるわけがないw
観点なきを中道といふ。
392 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 10:10:14.23 ID:san/Y1XK
>>374 >では、「一切衆生悉有仏性」と釈迦がいったことは虚言だということになるし、成仏を目指した仏教をすべ否定することになる。
仏性があるか?仏性がないか?それを問うのが公案だろう。
一切が仏性なら、一切は無仏性と同義。ってのが公案の解答。
だから仏性は無い。
公案は、有無の二項迷妄を破壊するツールシステムと考えたらいい。
393 :
無仏性 :2014/03/31(月) 10:16:29.80 ID:CLiLQ6me
>>374 >これが、そもそも理屈と言うもの。しかも屁理屈にしかすぎない。
・『しるべし、無仏性の道取聞取、これ作仏の直道なりといふことを。
しかあれば、無仏性の正当恁麼時、すなわち作仏なり。
無仏性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作仏せざるなり』(道元 正法眼蔵 仏性より)
・『念仏はりけん(離見)なり。 *離見-外相を離れる(慧能)こと、「想い」からの解脱(Sn.1072)
かならす(必ず)仏になると思ふべからず。
仏にはならぬが仏也。
身の業のつきはてぬれは何もなし。
かり(仮)にほとけといふばかりなり。』(至道無難 即心記より)
・『万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく★さとりなく、諸仏なく★衆生なく、生なく滅なし。』
ところが、アホ如来の場合は
⇒『諸法の仏法なる時節、すなはち、▼迷悟あり▼、修業あり、生あり、死あり、▼諸仏あり▼、衆生あり。』(道元)
ゆえに、悟りは悟りに非ず。これを悟りと名づける。(
>>301 より)
394 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 10:32:39.53 ID:san/Y1XK
>>370 > 当たり前の事を声高に大事だ大事だ〜って言う気持ちが分かりません。
私はアタリマエのことを書いておるんです。
しかしながら、アタリマエは何故か通用しません。
では公案です。
@川は流れる
A時間が流れる
これはアタリマエですか?
人に依って、アタリマエは違います。
実は釈尊の本懐たるアタリマエに到達することは、非常に至難であります。
川ではなく水が流れているのだ 水から見たら我々が流れているのだ
えっと川が流れるという言葉の揚げ足を取ったわけではなくですね 川が流れるという表現は当たり前なんですけど細かく見ると基準の取り方で動いている対象が変わるということです
>>394 公案「南泉斬猫」のパクリじゃねえか。
下らねえな。
す〜ぃす〜ぃす〜だらたった♪〜
399 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 11:09:28.32 ID:san/Y1XK
>>397 >川が流れるという表現は当たり前なんですけど細かく見ると基準の取り方で動いている対象が変わるということです
基準とかはあまり関係はないです。
実はこの公案のポイントってのは「流れる」にあります。
「流れる」というのは錯誤です。
人は便宜上・慣習的に「流れる」という言葉を使いますが、これは正確には比喩的表現です。
禅でいう「自省」というのは、自分自身の錯誤に気づくことを意味します。
貴殿がアタリマエであることは、
必ずしも禅者においてはアタリマエではない。
正見というのは、アタリマエに到達した「正しい見かた」の意味です。
世俗諦における意味とは違います。
それが、禅の禅たる所以です。
400 :
おじゃる :2014/03/31(月) 11:13:15.92 ID:ovuo8QYN
> @川は流れる
> A時間が流れる
> これはアタリマエですか?
因と縁の依存によって
五蘊の仮和合の
仮に現れ(滅し)ている状態だからこそ
「過去からの心の流れ(心相続)によって果報が現れている」
と掴み捉えようとしている、心の働きが現れ(滅し)ている
「今現在は、ある」と言う想いが生じて
今現在は、あるのだから、それを元にして「過去も、あった」と言う想いも生じている
(これに対して)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6299/repo1.htm 実体我の存在は否定する
「今現在の我はないのだから、過去の我もない」とする
うんこと布団を見た僕は落花生の香りに科学の息吹を感じイオンのほとばしる引き出しの中をレモンの波動から受ける情熱のようにコクが決め手の味噌スープ
>>399 川が流れるというのは正確にはどう表現するのでしょう?
「化学成分で見れば主成分がH2Oの液体(水)が重力の影響で大量に地表の上を移動している」とか?
>>392 自己撞着に気づいてないのか。
>公案は、有無の二項迷妄を破壊するツールシステムと考えたらいい。
といいながらも、
>一切が仏性なら、一切は無仏性と同義。ってのが公案の解答。
>だから仏性は無い。
だという。
403 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 11:20:57.01 ID:san/Y1XK
>>400 >「今現在は、ある」と言う想いが生じて
>今現在は、あるのだから、それを元にして「過去も、あった」と言う想いも生じている
そうです。
ですから「川が流れる」というのは錯誤です。
「時間が流れる」も錯誤です。
世俗諦は錯誤において成り立ちますが、
そういった錯誤に気づいていくのが禅であります。
「川は流れていない」と、了解・了承することを如実知見という。
「川が流れる」というのはある認識を伴った言葉上の風景の描写であると思うんですけど 時間と時間変化の概念がこの書き込みを行うコンピューターやネットワークの設計や製造に関わる式にパラメーターとして入ってると思うんですよ。 ようするにこの書き込みが書けているのは、その錯誤を含めた理論のおかげなんですけど、、、、ねぇ。。。。 有効性のある錯誤とでもいいましょうか。。。
405 :
滅尽定 :2014/03/31(月) 11:29:06.25 ID:tfSg30EE
滅尽定の入口は坐禅中の「魔境」である。 ここで「アラヤ識」を捨てることで滅尽定に入る。 なぜならアラヤ識の中に「霊魂」があるから。 滅尽定は熟睡や全身麻酔などとは違う。 これらはアラヤ識をそのままにし、そのままにしているからこそ、 日常に戻ることができる。しかし凡夫のままだ。 滅尽定で業識であるアラヤ識を清算するから解脱する。 ただし、滅尽定の出口は謎であり、生きて生還する保証はない。 その危険を防ぐため、坐禅は薄明下、半眼で行う。
406 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 11:30:07.76 ID:san/Y1XK
>>402 貴殿は読解力がないようだから、簡単に説明する。
全てが仏性ということは、仏性でないものは無いことになる。
ならば既に「仏性」という意味は無くなる。
何故かというと、仏性というのは、仏性でないものを対象化した言語なのだよ。
その対象化した仏性というのが無いのであれば、仏性もない。
無仏性だよ。
その凡夫が設計してるんですよこの掲示板
408 :
おじゃる :2014/03/31(月) 11:34:24.78 ID:ovuo8QYN
> 世俗諦は錯誤において成り立ちます > 如実知見 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察 1. 無知(無明)の暗闇に覆われて 人はその者自身を未来の生へと 追いやることになる性質を持った 三種類の行為を行う(カルマを積む) _ _ _ われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り 自分の心身を厭う思を起こし 心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である このように現実を厭うことは 人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが その世俗性の否定によって、結果として 真実の認識 ( 如実知見 ) に至るための必要条件が達せられるのである 正見は「四諦の智」といわれる この正見は 正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定よって実現される
409 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 11:38:00.06 ID:san/Y1XK
>>404 >有効性のある錯誤とでもいいましょうか。。。
ええ勿論。世俗諦は錯誤で成り立ちますから、全否定している訳ではない。
大事なのは、錯誤は錯誤と認識することです。
これなくして勝義諦悟入は無理かとおもう。
パソコンは俗なんですよ
411 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 11:46:34.79 ID:san/Y1XK
>>410 ヒントとすれば、経験的に知り得た情報であっても、
それを言語表記した途端に錯誤に陥る。
412 :
おじゃる :2014/03/31(月) 11:50:16.52 ID:ovuo8QYN
413 :
滅尽定 :2014/03/31(月) 11:50:45.42 ID:tfSg30EE
坐禅を薄明下、半眼で行うから、 魔境に入るほどの禅定が得られず、結果としてだれも悟れない。 滅尽定の出口は、坐禅(止)をスタートする前、観によって得られる。 悪い方から言えば、空の信者には相当な危険がつきまとう。 この世に帰って来ようという思いが生じないから。 実は空の正反対が出口なのである。 この世を肯定し、自分を肯定することこそが絶対条件になっている。 そういった思いは、観において苦を滅した瞬間、 神との出会いによって生じる。神と出会えたら、マナ識が活性化し、 心眼が自然に開いていく。これも欠かせない。
え、じゃあ書いちゃだめなんじゃないですか?
415 :
滅尽定 :2014/03/31(月) 12:10:28.47 ID:tfSg30EE
実は滅尽定の予行演習を観で行っている。 心の深い所で、自分自身の無明に気づいたとき、無明に覆われた 自分自身を心から悔いる。この無明がアラヤ識なのだが、 それを悔いた瞬間に神との出会いが起こる。 その時の体験から、次の詩句が本当であったと今でも思う。 旧約イザヤ書1.18 論じ合おうではないか、と神は言われる。たとえ、お前たちの罪が 緋のようでも、雪のように白くなることができる。 たとえ、紅のようであっても、羊の毛のようになることができる。
416 :
滅尽定 :2014/03/31(月) 12:33:00.95 ID:tfSg30EE
比べれば、観の体験を坐禅(止)で行っている。 神との出会いがあるから、神への信頼は100%であり、 何の不安も持たず、音のしない真っ暗な部屋で目を閉じて坐る。 だからこそ、非想非非想から魔境に入り、自分自身であるアラヤ識に 出会うと、それを即座に捨ててしまう。そして滅尽定に入る。 滅尽定から神界に入って霊魂体験をする。 活性化しているマナ識が、霊魂を再び自分に呼び戻して地上に生還する。 意識は、マナ識(魔境)→霊魂(神界)→マナ識(地上)へと瞬時に移る。 滅尽定の間も、たぶんマナ識が働いているのだろう。
魔境だの霊魂だのがでる話には全く関心がありません。 なぜなら確認のしようがないから。 瞑想で確認なんてのは確認になりません。
仏性の在り無しってそんなに大事か?
419 :
おじゃる :2014/03/31(月) 12:39:07.36 ID:ovuo8QYN
420 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 12:46:46.55 ID:RgGMr7mo
今日も来ました。
>>388 この方は正しい筋からお話されておられるように受けます。
確かに禅も川の流れというようなことをいいますが、教養から考えますと、川の流れ、つまりせせらぎを知る境地とは、動物より高度な時間を知る意味であり、地位や名誉や安心を妥当に得ていくことを示すという。
動物の本能的な生き方や偏った固まった考え方から離れて、仏道に対して細やかな人生をどう努力を謳歌していけるかという。
421 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 12:53:14.52 ID:RgGMr7mo
>>417 言語になっている存在を否定するのは文化的劣化と言えますが宿命的でもあります。
逆説的には、健全かつ有効に知り得た人生は有意義ではと考えましたら、夏目漱石を思いつきました。
422 :
滅尽定 :2014/03/31(月) 12:54:48.24 ID:tfSg30EE
>>417 カン違いしてるようだけど、別に信じろとか言ってない。
自分で実際に体験しないとわからない。
しかしたぶん、釈迦の体験も同じではないかと思っている。
岩波文庫の原始仏典を読んだが、弟子の間に早くから派閥が生まれ、
バラモンのグループが輪廻思想を持ち込もうとし、アーナンダなどの
主として釈迦族グループが空を強調したのではないだろうか?
釈迦は慈悲を強調するから、神との出会いを体験したと思う。
バラモンが釈迦の弟子になったのは、釈迦が空を説くからではなく、
神(≒ブラフマン)との出会いを求めたからではないだろうか。
体験での確認が確認にならない。なぜならその体験とは瞑想体験を指してのものだからw 瞑想による確認は確認にならない。 確認できないものをアレコレ言っても、そんなものに関心を持つ人間は少ないでしょう。
>>406 > 貴殿は読解力がないようだから、簡単に説明する。
> 全てが仏性ということは、仏性でないものは無いことになる。
> ならば既に「仏性」という意味は無くなる。
それは机上の空論、否、机流の虚論というものだろう。
そもそも、この出だしから間違っている。
仏性でないものは無いが、意識は仏性のなかに埋没しているのではない。
我々人間は、普段、仏性に気づかず、それを意識せずに生活している。
仏性を明らかにするには、その意識を仏性というものに向ける必要がある。
だから仏性に意味がないわけでない。
> 何故かというと、仏性というのは、仏性でないものを対象化した言語なのだよ。
そうではない。
仏性が認識できない、または認識していないものに向けた言語だろう。
仏性を認識できれば、それはなんと呼ぼうが、呼ぶまいが無意味だろう。
> その対象化した仏性というのが無いのであれば、仏性もない。
> 無仏性だよ。
つまり、御仁は理屈だけに溺れた虚論を展開しているだけだろう。
425 :
滅尽定 :2014/03/31(月) 13:04:52.40 ID:tfSg30EE
>>117 魔境の話は、サンユッタニカーヤにけっこう登場する。
自分で確認してください。
426 :
コレ悟語録 :2014/03/31(月) 13:15:42.24 ID:48vlyAgY
>>403 ホント カカシに似てるな 突然なぞなぞを出すw
427 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 13:23:19.98 ID:RgGMr7mo
体験は理論的に示され、同じ理解の方があり納得でき、繰り返しできる。科学的で精神的な歓びがある心で、私心なく理解できる体験は無いよりあるほうが有意義。自己であり、自己を超えていく直観は大志的で文化的な営みに違いない。壊れない建物は無い。
428 :
ノスタルジア :2014/03/31(月) 13:41:54.96 ID:qcJmZSt7
大王氏にいじめられました・・・「泣」・・・ パピーマンにこのスレを来るなと、強制中出しされました・・・「泣」 結果的に、悪魔の便所・・・。
429 :
:2014/03/31(月) 13:42:44.49 ID:CLiLQ6me
>>422 >自分で実際に体験しないとわからない。
おじゃるは、落武者「体験」をしているのだがw
変性意識下の「体験」は経験主義的検証不能であって、一切事実性の証明にはならない。
>神との出会いを体験したと思う。
>神(≒ブラフマン)との出会い
仏道・仏法に非ず
430 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 13:45:48.72 ID:san/Y1XK
>>424 >仏性が認識できない、または認識していないものに向けた言語だろう。
仏性を認識することは出来ない。
全てが赤であったなら、まず赤であることは認識は出来ない。また
全てが赤であったなら、もはや赤であることは識別できない。というか
全てが赤であったなた、そこに色という概念さえない。ゆえに
無仏性なのである。
>>430 > 仏性を認識することは出来ない。
> 全てが赤であったなら、まず赤であることは認識は出来ない。また
> 全てが赤であったなら、もはや赤であることは識別できない。というか
> 全てが赤であったなた、そこに色という概念さえない。ゆえに
> 無仏性なのである。
もう一度言うが、
我々人間は、普段、仏性に気づかず、それを意識せずに生活している。
つまり、御仁の論理で言えば、全てが赤であったならではなく、赤の外にいるのだ。
赤の外にいるから、赤が認識できるし、赤の概念がある。
だから仏性というものに意味がある。
御仁は、禅体験というものが全くなく、頭の中にしか存在しないから、そういう不毛の戯論しかできないのだと思う。
432 :
コレ悟語録 :2014/03/31(月) 14:36:25.79 ID:48vlyAgY
>無仏性なのである。 グフォw
433 :
:2014/03/31(月) 14:45:16.45 ID:CLiLQ6me
>>374 >「一切衆生悉有仏性」と釈迦がいったことは虚言だということになるし
>>431 >我々人間は、普段、仏性に気づかず、それを意識せずに生活している。
釈迦が実際に言ったかどうかは未確認、検証不能です。
貴殿は、下記基準で@釈迦が言ったことA仏性の存在を立証する責任がある。
そうでなければ一切外妄想の単なる信仰です。
1.現に証せられるもの(現実に今ここで実証できるもの)、
2.時を隔てずして果報あるもの(時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの)、
3.来り見よというべきもの(ここに来て実際に見なさいと言えるもの)、
4.よく涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの)、
5.知者がそれぞれに自ら知るべきもの(勝れた知者が、自分で知ることのできるもの)。
(相応部 35-70 ウパヴァーナ)
なぜなら、上記基準を外れたものは「ありもしないもの(妄想・物語)を語っているからである(相応部 35-23 一切)
>全てが赤であったならではなく、赤の外にいるのだ。
「★一切★衆生悉有仏性」←全てが仏性であったならではなく、仏性の外にいるのだ。
ゆえにお前には無仏性。
お前の論は「★一切★外」の妄想に他ならない。
証明せよ。
>>431 仏性の話は置いといて(知らないから)
色の話は
>>431 でいいんじゃないの?言い換えてもしょうがないでしょ
435 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 15:05:32.72 ID:san/Y1XK
>>431 >御仁は、禅体験というものが全くなく、頭の中にしか存在しないから、そういう不毛の戯論しかできないのだと思う。
そんなことはないのですよ。
私も貴殿のような境涯におったことがあるからこそ、このように貴殿に対応できるのです。
貴殿の境涯というのは禅定初期にあるのです。
この境涯というのは、
「宇宙に満遍する仏を見る」のです。
まるで別世界にいるような錯覚に陥るのです。
こういう体験というものを経ながら、少しずつ疑団が出てくるのです。
つまり疑団がないと、その世界に溺れてしまうのです。実はこれが怖いのです。
疑団は、次の段階へのバネとなります。
つまり疑団をもって涅槃到着です。
涅槃に至れば、机龍之介の講釈も真(まこと)であった。と
そのようなことになるでしょう。
>>433 > 「★一切★衆生悉有仏性」←全てが仏性であったならではなく、仏性の外にいるのだ。
> ゆえにお前には無仏性。
つまらねえ言葉遊びしてんじゃねえよ。
A→B 言葉をはめてるだけじゃねえか。 このドアホ。
> お前の論は「★一切★外」の妄想に他ならない。
> 証明せよ。
かってに言ってろや。 カスに用はねえんだよ。
あ、ニセモノ
438 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 15:13:33.80 ID:Y524UUic
密教と重篤な中二病はどこが違うのですか?
439 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 15:14:12.39 ID:zqzxQ0+q
>恋愛相手との激しいセックスのあとの熟睡は滅尽定状態だよ。出方は目覚まし時計か、愛人のキスw 仏道・仏法に非ず 釈尊の時代、菩提樹の下に目覚まし時計が有ったとは斬新な新説ですなw
>>435 > 「宇宙に満遍する仏を見る」のです。
> まるで別世界にいるような錯覚に陥るのです。
はははは・・・・
それは、ありませんよ。
見性したからって言って、仏を見ることは決してないし、別世界にいるような錯覚に陥ることもありませんよ。
幼稚な作り話ですね。
>>437 >あ、ニセモノ
はははは・・・・・
まともなものにはまともに
いいかげんなものにはいいかげんに
カスにはカスなりに
そうでないものにはそれなりに・・・・・
442 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 15:23:07.53 ID:san/Y1XK
>>634 >仏性の話は置いといて(知らないから)
仏性においての迷妄は、長引くと精神的に不安定になります。
大体が1年くらいが限度でしょう?
2年以上になると、それだけでも魔境に入ります。
私においてのこの時期は、頭の上に重石を乗せたような毎日でした。
これ自体が不安定な状態です。
ただ、自分で不安定かどうかは自覚はできない。
出口のない暗闇に入ってしまったら、それで即アウトです。
涅槃(ニルヴァーナ)は、その出口です。
涅槃で全て解決します。
>>442 > 仏性においての迷妄は、長引くと精神的に不安定になります。
> 大体が1年くらいが限度でしょう?
> 2年以上になると、それだけでも魔境に入ります。
はて、仏性においての迷妄とは、どういう状態ですかな。
ご教示くだされ。
444 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 15:33:16.29 ID:san/Y1XK
>>440 >見性したからって言って、仏を見ることは決してないし、別世界にいるような錯覚に陥ることもありませんよ。
おかしなこと言うね。
つまり「仏を見る」というのは、自覚がないけど精神的不安定な状態なんだよ。
その時点では全くそのことに気づかない。
その時に気づかないことでも、少しづつ気づいていくのが禅なんだよ。
@その時に仏を見た。
Aその時に仏を見たのは間違いだった。
この@とAを繰り返していくのが禅なんだね。
だから悟ることは何度もあるけど、全ては偽物なんだよ。
445 :
:2014/03/31(月) 15:36:26.83 ID:CLiLQ6me
>>443 >仏性においての迷妄とは、どういう状態ですかな。
お前の精神状態をいう→あ、ニセモノ(
>>437 )
滅尽定さんの話だけ面白かったです あ、悟りとか滅尽定とかさっき読んでやらないことに決めたんで迷ってないです
447 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 15:42:49.56 ID:san/Y1XK
>>443 >はて、仏性においての迷妄とは、どういう状態ですかな。
貴殿のように、何にも迷妄を気づくなく一生を終えてしまう人間もいる。
それならばそれで良いんじゃないですか?
それがその人の「悟り」なんですから。
しかし中には疑団が生じる御仁もいる訳で、
その疑というのは自己内面に向けられている。
つまり疑というのは、自分では納得していないんだよ。
納得したのであれば、疑団が生じることは先ずない。
納得するか、納得しないかは個人の考え方だから、
私が何かをコメントするものでもない。かしこ。
そう、迷妄してても悟ってなくても解脱しなくても困らないと思って
>>444 > @その時に仏を見た。
> Aその時に仏を見たのは間違いだった。
> この@とAを繰り返していくのが禅なんだね。
仏を見たり、間違いと気づいたり、その繰り返しが禅だとは、まったくの勘違い。
それじゃあ、いつまでたってもそんなものから離れて、絶対自己になりきることができないだろう。
> だから悟ることは何度もあるけど、全ては偽物なんだよ。
それでは、御仁の言う涅槃に至ることはないではないか。
450 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 15:59:28.25 ID:san/Y1XK
>>449 >それでは、御仁の言う涅槃に至ることはないではないか。
おかしなこと言うね。
たぶん貴殿は何か勘違いしてるか寝ぼけているのかと思うけど、
涅槃というのは、全てが偽物であったと気づくことだよ。
>仏を見たり、間違いと気づいたり、その繰り返しが禅だとは、まったくの勘違い。
それは貴殿が禅をよく知らないからだよ。
涅槃に逝けば、机龍之介の講釈が全て真(まこと)であったと納得いくはず。
>涅槃というのは、全てが偽物であったと気づくことだよ。 >涅槃に逝けば、机龍之介の講釈が全て真(まこと)であったと納得いくはず。 偽者なのか真なのか?w 何が言いたいのか全く分かりません。 私に言わせれば涅槃も解脱も悟りも無いという事に尽きる。 そのようのモノが有ると思うのが根本的な間違い。
452 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 16:12:33.37 ID:san/Y1XK
>>451 > 何が言いたいのか全く分かりません。
そんなことはないだろ?
机龍之介の書き込みで随分目が開いたかと思う。
その証拠が、貴殿のこの↓書き込み。
> 私に言わせれば涅槃も解脱も悟りも無いという事に尽きる。
今日は良い一日でしたね。
私はタメになることしか書かないから(笑
>>450 どうやら禅というものを頭の中だけで構築しているので、何を言ってもすれ違うだけみたいですな。
このまま続けても、不毛な議論を重ねるだけでしょう。
どうぞ、机流戯論をそのまま、ご大切に。
>>450 >涅槃というのは、全てが偽物であったと気づくことだよ。
涅槃には真も無ければ偽も無いよ
また、真じゃないものも偽じゃないものもないよ
>涅槃に逝けば、机龍之介の講釈が全て真(まこと)であったと納得いくはず。
ハハハ、机さんの講釈そのものもまた無いでしょうね
455 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 16:19:37.90 ID:san/Y1XK
>>454 >ハハハ、机さんの講釈そのものもまた無いでしょうね
私のおかげで悟って良かったですね。
456 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 16:27:22.51 ID:48vlyAgY
>涅槃というのは、全てが偽物であったと気づくことだよ >私のおかげで悟って良かったですね 迷言が生まれたw
>>455 >私のおかげで悟って良かったですね
悟りとは誰かのおかげで悟るのでもなく、何かによって悟るのでもないですよね
458 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/31(月) 16:43:10.61 ID:Vj42CKSw
学ぶ事無くただ太るだけの嘘ツキばか狗、【嘘臭】(; -y-)ツ))鼻つまみ クッサー♪ 聞く耳が無い執着と粘着があっても、育ちの悪さからの自己卑下故のまなぶことがない。 みんなが歩みを進めるなか 一人おくれるばかりだ、しっかりせい! 無字の公案 新参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、有。 古参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、無。 野狐の公案 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法に落ちず(不落、ふらく)。 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法くらまされず(不昧、ふまい)。 真理さとりをこの二つの公案は老婆親切にも姿を変えて、問い、答えている。 バカ狗でもやる気があるならこの公案に真っ正面からぶつかってみよ。 答えよ。 執着と自己卑下に終始するなら、物縁が無い。 垂らした蜘蛛の糸は、切る。 水の中に居て、熱砂の砂漠をよろめきゆくばか狗か。。。
悟りや解脱があると信じ込むのがスタートから間違っている。 根本が間違いでは、今ある理解は全て間違いという事です。
>>459 それはマズイ。
最初は「ある」というところから始まらなきゃ。
「どうせ無いんでしょ」では、最初の一歩が無いんですよ。
甲子園の一勝だって同じだ。
>>459 貴方に於いては、ウダーナ8も後世の誤伝という判断ですか?
462 :
ノスタルジア :2014/03/31(月) 16:57:20.00 ID:qcJmZSt7
>>458 もしかして僕のことでしょうか?その狗とは?
甲子園や相撲ばかりをやるからNHKは駄目なんですよ。 野球や相撲に全く興味の無い人間も多いというのを理解していない。 根本の認識が駄目では、積み上げた理解は全て駄目というのは当然でしょう。
>>463 日本語理解できてます?
そうじゃなくて、何かを始めるときに、目標設定は必要だということです。
野球選手に武道館ライブという目標が不要なのは当たり前でしょう?w
また、NHKの番組編成、方向性がどうしたというのでしょう?
何の話をしているのかさっぱり解りません。
今年の宝塚は26倍だったそうです。
舞台に立つという目標設定は、モチベーションの維持向上に大変有効だと思いますよ。
最初から何も無しでいいなんてのは、稀少例だと思いますけどねぇ・・・。
(ああ、そういうのを机節とか野狐とか言うんですよ。)
中村元氏訳の「感興のことば」の元がウダーナでしょうが、誤伝とは思いません。 誤伝云々より、書かれているものをどのように理解して信じるかが問題で、一字一句 そのまま信じる〜というのは阿呆らしいと思うだけです。 2500年も前の事なので様々な装飾が多いのは当たり前で、可能な限りそれら装飾を そぎ落として理解するのが望ましいでしょう。何が装飾であるか?の判断は検証不能の 事柄は全て該当すると思うべきでしょう。 何度も言いますが瞑想で検証できる〜なんてのは検証になりませんw
私からみればセブン氏の方が遥かに日本語が理解できていないように思えます。 あと、比喩表現が恐ろしく下手w
467 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 17:50:43.05 ID:zqzxQ0+q
>>465 神々との対話部は清浄道へ至らせようとする心に於いての神々の如くの振る舞いを言っている
悪魔との対話部は降魔道を貫き通す上での肝要が明らかにされていて、悪魔とは煩悩の振る舞いを言っている
>何度も言いますが瞑想で検証できる〜なんてのは検証になりませんw
仏道とは己が行なう事実の行為なので、他者から検証的な事は一切代替摂受出来ない
尿意便意を他人が解消出来ない事とほぼ同じ
>>467 同意します。
しかし、瞑想の検証は検証にあらずという持論は下ろすつもりはありません。
469 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 17:55:27.99 ID:zqzxQ0+q
>>468 それはあなたの勝手であり執着に過ぎません
煩悩克服には何の役にも立たないでしょう
毒矢の例え故に
470 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 17:58:31.59 ID:san/Y1XK
>>457 >悟りとは誰かのおかげで悟るのでもなく、何かによって悟るのでもないですよね
禅は「積木崩し」のようなものです。
@積木を積んでいく。この場合は何かの目的が必ずあります。
Aそして最終的に自分の考えていたとおりの、ある程度積みあがる。
Bこの時点で、自分を振り返る。勿論、振り返らない人もいる。
C自分は果たして目的を果たしたのか?その目的とはいったい自分にとって何なのか?
Dこれがいわゆる疑団であります。
E疑団とは、つまり目的を果たしたとしても解決できないことを悟ることです。
F勿論、このまま疑団のないまま終了する人もいる。
G実は、この目的(積木積み)が迷いだったのではないか?
Hそのような疑念において、全て今までのことが崩壊する。
I涅槃とは崩壊のことであります。
Jで、崩壊とは、それ以前に構築したものがあって、そして崩壊できるのです。
K構築は、崩壊において、その何たるや?を知る。
Lこれが最初の気づきです。
Mそれから先もまだありますが、とりあえずは涅槃の説明です。
そもそも執着を全く無しで人間は生きて行けません。 生きている以上誰にも執着はある。 仏陀が戒めた執着は、生きる上で必要以上に執着するなという主旨のはず。 まるで死人のごとく執着ゼロを目指すのは誤でしょうw
煩悩克服は日々実践するのみですよ。 ある時、一気に煩悩解消〜とはいきませんw 人間だから煩悩はあって当たり前。それを認識した上で日常コツコツと 無くす努力を積み重ねるよりない。 瞑想で悟って一気に解消なんてのは、最も望ましくない方向性でしょうねえw
473 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 18:14:55.84 ID:zqzxQ0+q
>>471 >仏陀が戒めた執着は、生きる上で必要以上に執着するなという主旨のはず。
ある程度までならそれも可能でしょう
日常の生活では上記に徹してられていれば何の不自由も無い筈です
そう言う合理的な考察なら何も仏法を使わなくても可能で、それでは仏道修行の否定と為り得ます
人間には合理的手法や考察などからの理想に反して、疲労などの不確実要素が付いて回るのが現実です
その為に、現代の学問にある「生産能率」を考察する学問レベルでは、疲労等の不確実要素を除外するために
交代要員を用いて如何に生産性を落とさないか、が学問される訳です
仏教は道徳教育や生産能率を考える学問でもありません
自己の本姓を悟って一切の煩悩から解脱する事を達成する為の清浄行です
それは死人の事も生人の事も弁えて悟る事も意味します
執着をゼロにする事は目的ではありません
そこが俗人の幾つか勘違いしてる部分の一つとも言えます
474 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 18:19:35.94 ID:zqzxQ0+q
解脱とは、「解して脱する」の意味なんです 解するとは領解(諒解・了解)と言う意味です
仏教は倫理、道徳の教えを含んでいると思いますよ。 慈悲は倫理であり道徳でしょう。 学問ではないでしょうが、倫理、道徳を教えるものではあります。 了解の仕方は人それぞれで、霊魂話で了解する人間もいれば、私のように極めて 現実的な事でなければ了解しない人間もいます。 私の了解はOKであなたの了解はNGとは言えないでしょう。 ここのスレは、パーピマン氏が指摘するように己の了解自慢スレで俺は分かった、お前は分かっていない〜 のオンパレードです。 瞑想論議に特にその傾向が強いように思えます。 だから、瞑想で検証できた〜なんて阿呆らしいと言っているのです。
476 :
おじゃる :2014/03/31(月) 18:32:59.20 ID:ovuo8QYN
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E8%84%B1 解脱(げだつ)
1.仏教においては、煩悩による繋縛から解き放たれて
全ての執着を離れることで
迷いの苦悩の世界から悟りの涅槃の世界へと脱出することを指す
2.ヒンドゥー教において用いられている究極的な意味合いにおいては
サマーディ(三昧)に入定し
サンサーラ(輪廻)の迷いの境界から脱することを指す
仏教の場合は
慧解脱 - 「智慧」の障りを離れていることで、正しい智慧を得ていることをいう
倶解脱 - 慧の障りを離れるだけでなく「定」の障りをも脱していることをいう
心解脱 - 心に貪著を離れること
慧解脱 - 無明を離れていること
心解脱 - 精神的には既に解脱していても
肉体的にはどうにもならない束縛を持っている場合をいう
例えば釈尊の成道後の伝道生活の如きである
身解脱 - 完全に肉体的な束縛を離れているのをいう
477 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 18:39:00.64 ID:zqzxQ0+q
>>475 >だから、瞑想で検証できた〜なんて阿呆らしいと言っているのです。
釈尊は菩提樹の下で瞑想によってこの世界の真実を悟ったんですよ
阿呆らしく思うのはあなたの勝手ですし、それすらも
「ぼくはこう思う」に過ぎません
仏道は自己の内面を処する事を第一とします
それは他人が検証出来得る事ではありません
あなたの空腹を他人の食事行為で代償出来るなら話も変わりますが
478 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 18:46:30.85 ID:48vlyAgY
興禅護国論WIKI 建久9年(1198年)以前の成立と考えられる[2]。全3巻で、禅宗は決して天台宗の教えに 違背するものではなく、根本的には対立・矛盾するものではないとして、仏典 (経・律・論[注釈 1])において説かれる禅の本旨を述べた著作である
仏陀が瞑想で悟ったから、私も菩提樹の下で同じ瞑想をしなければ駄目〜というのは強迫観念というものでしょう。 仏陀が6〜7年苦行をしたから、誰しも苦行→菩提樹下瞑想を経なければ仏陀の様な悟りには至れない〜w 私はそのような考えこそ阿呆らしいと思う人間です。 何でも仏陀のとおり〜で実践したければすれば良いでしょうが、それで上から目線で「おめ〜ら分かっていない」と あざ笑うのは、こちらがプッと失笑しそうですw
480 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 18:54:31.41 ID:zqzxQ0+q
>>479 その書き込みがあなたの人間性の限界って事です
あざ笑われていると思ってる時点で本質を見失ってると言わざるを得ないでしょう
481 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/31(月) 18:56:26.99 ID:oS3RV+XP
>>383 >>非想非非想処〜なんてマトモに捉える人は今の時代あまりいないと思いますw
そうですよね〜
想わない、想わないでもない、・・・だから何なんだという話ですよ。
こんなもん悟りではないですよね。ホッとしました。
>>386 おじゃる丸さんよ。
俺は非想非非想処を体得しました。
つまりアホになれです。
>>387 滅尽定って死ぬことなんじゃないですか!?
>>391 わかりますわかります。
俺一時期、統合失調症が悪化して完全に「悟った」境地を体験したんですよ。
そのとき2時間ぐらいしか寝れなかったんですが、そのとき一切夢をみることなく熟睡でした。
そのとき不思議だったんですが、寝てるんだけど意識があるような変な境地だったんです。
寝てるのにハッキリと覚醒している。矛盾してますよね。
これが滅尽定でしょうか。だれか判定してください。
・・・今は元の木阿弥、8時間寝ても寝たりんのです。
悪夢は見るしイビキはかくし寝言は言うし・・・
しかし悟りを解明するキーワードは睡眠にあると思います。
目覚めた人・・・これは単純に言えば寝ない人です。
あざ笑われているというより、了解自慢でしょうw 俺は分かっているがお前は分かっていない〜という。 自分を語るのは構わないと思いますが、上から目線というのは本人にその気が無くても 伝わるものですw 例えばセブン氏のごとくw
483 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 19:03:14.35 ID:zqzxQ0+q
>>482 >俺は分かっているがお前は分かっていない〜という。
そういう人が居る事は否定しませんが、結局は受け取った側の”器の問題”なんじゃないですか
例え対等な立場で書かれていても、受け取った側が卑屈ならそれは上から目線に見える事でしょう
逆も然りです
>>481 >目覚めた人・・・これは単純に言えば寝ない人です。
私は知りませんが、睡眠は重要であるとは思います。
寝ない人間は欠陥人間でしょう。寝すぎるのも駄目でしょうが、
一日6〜7時間はじっくり寝るべきです。
ちょくちょく目が覚めるとか、睡眠障害があれば即刻治した方が良いでしょう。
485 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 19:26:00.14 ID:san/Y1XK
>>479 >何でも仏陀のとおり〜で実践したければすれば良いでしょうが、それで上から目線で「おめ〜ら分かっていない」と
> あざ笑うのは、こちらがプッと失笑しそうですw
禅の場合は、ひと言でいうと「現実」ってそのもの自体が二相に見えるのです。
@ストレートに入ってくる現実
A世俗諦という、フィルターを通しての現実
この二相を上手く使い分けるのが、いわゆる「世間と馴れ合う」ってことなんですが、
どう馴れ合っていくか?は、その人の考え次第ですが、
ややもすると、この@が強く出てしまうと、
「上から目線」と勘違いされるかもしれません。しかし、それも
>>483 が言うように
受け取った人の器の問題なのですよ。
では、おやすみ。
486 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/31(月) 19:32:49.74 ID:Vj42CKSw
学ぶ事無くただ太るだけの嘘ツキばか狗、【嘘臭】(; -y-)ツ))鼻つまみ クッサー♪ 聞く耳が無い執着と粘着があっても、育ちの悪さからの自己卑下故のまなぶことがない。 みんなが歩みを進めるなか 一人おくれるばかりだ、しっかりせい! 無字の公案 新参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、有。 古参の修行僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか? 師、答える、無。 野狐の公案 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法に落ちず(不落、ふらく)。 修業僧問う、悟後の人はおしゃか様のおさとりである因縁果の因果の法(しんり)に拘束されますか? 師、答える。因果の法くらまされず(不昧、ふまい)。 真理さとりをこの二つの公案は老婆親切にも姿を変えて、問い、答えている。 バカ狗でもやる気があるならこの公案に真っ正面からぶつかってみよ。 答えよ。 執着と自己卑下に終始するなら、物縁が無い。 垂らした蜘蛛の糸は、切る。 水の中に居て、熱砂の砂漠をよろめきゆくばか狗か。。。φ(`д´)メモメモ.
私は自分を卑屈な人間と思った事はなく、人からも言われた事もないのですが、 「上から目線と思うのはお前が卑屈だから」と初めてこのスレで指摘されましたw 確かに卑屈な所もあるのかもしれません。 器が小さいからそのように感じるのだ〜と言われればその通りでしょう。 しかし、自覚無しの上から目線というのも確かにあるようでw これは本人の自覚が無いだけにいかんともしがたいですねえw
488 :
おじゃる :2014/03/31(月) 19:39:29.05 ID:ovuo8QYN
ID:uDrPLTDk さんの場合は 「 ぼくはこう思う 」
と掴み捉えようとしている心の働きが現れ(滅)している
( − これに対して − )
五蘊の仮和合の
仮に現れ(滅し)ている状態なので
(最終的には)
非想非非想処を超えて
想受滅(滅尽定)によって
想受を滅させて 「 解脱 」 するとされる
_ _ _
バラモン(ヒンドゥー)の場合も最終的には輪廻からの解脱を目指す
と言う事であるらしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E8%84%B1 解脱(げだつ)
2.ヒンドゥー教において用いられている究極的な意味合いにおいては
サマーディ(三昧)に入定し
サンサーラ(輪廻)の迷いの境界から脱することを指す
皆「ぼくはこう思う」なんですがねw 「ぼくはこう思う」なしに何を得るのか?
490 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 19:54:09.11 ID:48vlyAgY
自灯明 考えるな感じろ
自灯明は自らを洲(島)として頼れという教え。 考えるでも感じるでも同じことでしょう。
492 :
おじゃる :2014/03/31(月) 20:02:17.93 ID:ovuo8QYN
> 皆「ぼくはこう思う」なんですがね > 「ぼくはこう思う」なしに何を得るのか? 「 ぼくはこう思う 」 と掴み捉えようとしている 心の働きを滅させて 無明滅 → 行滅 → 識滅させて 心解脱 - 心に貪著を離れる 慧解脱 - 無明を離れている _ _ _ ↑ 実践した事はないけど教学としては、こんな感じであるらしい
>「 ぼくはこう思う 」 >と掴み捉えようとしている >心の働きを滅させて 何をしようともくろむのですか?もくろむでなければ志向するのですか?と聞いても同じw
臨済録のどこかにあった話で、表向きは針を通す隙間も無いが裏では車馬も大通し〜w つまり、瞑想などにより得がたい経験をして〜なんて難しい事を言うのは針の穴で、その実、 そんなものは何ら意味が無く、誰でも分かる簡単な事で死ぬまで淡々と生きれば良いだけ〜と気づくw 気づくのが悟り? 元々、悟りを目指していたんじゃないの? 全く馬鹿馬鹿しい事であり、コレに気づくのが悟りかもしれませんw
495 :
おじゃる :2014/03/31(月) 20:30:17.67 ID:ovuo8QYN
> 何をしようともくろむのですか? 例えば仮に 私(おじゃる)の場合は 「今現在は、ある」と言う想いが現れ(滅し)て 今現在は、あるのだから、それを元にして「過去も、あった」と言う想いも現れ(滅し)ている 「過去からの心の流れ(心相続)によって果報が現れている」 「異蘊相続によって、輪廻を繰り返している」 と掴み捉えようとしている、心の働きが現れ(滅し)ている この様に 何かに対して「ある・ない・肯定・否定」 (異蘊相続によって、輪廻を繰り返している) と掴み捉えようとしている、心の働きを滅させる為に 苦集滅道を実践する と言う事であるらしい
496 :
禅とかけて、宝くじと解く :2014/03/31(月) 20:33:02.46 ID:36m1sksB
禅とかけて、宝くじと解く。 その心は、やってみないと当たらないです。
なぜ、衆生は宝くじを買うのでしょうか?
多分、現代の宝くじも、江戸時代の富くじも、当たった人の噂が口コミで広がるからでしょう。
>>376 >そうですね。「見性成仏」と達磨がいったことは虚言だということになりますしね。
菩提達磨以降1500年が経ちましたが、その間に世界中で大勢の人達が座り、「見性成仏」や「十牛図」において
幾千人かが『仏性』や『真の自己』に当たり、それを弟子や仲間が見て口コミで広がって今日があると思料します。
と異教で坐ることもないリーマンはその分余計に考察(理証)します。
註)1週間に数人は手かざしする行でも、個人差はありますが数日〜数年で霊動を体験し口コミで広がりました。
>>495 何かをどうにかしよう〜という心の動きは志向であり、執着であり、「ぼくはこう思う」であります。
「ぼくはこう思う」を止めよう〜というのも志向であり、まさにそれ自体が「ぼくはこう思う」の世界で
抜け切れないw
こんな矛盾はあって当たり前と言っている。
龍樹の中論なんて矛盾の書w
空を力説しながら私に主張は無い〜なんて阿呆か?としか言いようが無いw
498 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 20:45:07.10 ID:RgGMr7mo
知識ではありませんからね。犯罪に影にも力を貸すような者のレスはすぐに解りますね。
499 :
おじゃる :2014/03/31(月) 21:03:02.06 ID:ovuo8QYN
> 龍樹の中論なんて矛盾の書 例えば仮に 私(おじゃる)の場合は 輪廻を信じて 永遠ばかりを探してきた だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない 無我を、縁起を、空を見ることがうまくない ( − これに対して − ) 「作り出されたものは空性によって消滅する」 と縁起・空・無我を観察して 渇愛(タンハー)を滅させる 何かに対して 「 ある・ない・肯定・否定 」 と掴み捉えようとしている、心の働きを滅させる 第十八章 自己と実在物の考察 5. 行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある 行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである 作り出されたものは空性によって消滅する
おじゃるさんが何を志向しようがおじゃるさんの自由であり、自由である事が生きている事の証です。 生きていて段々病気などで自由度が減ってきても多少なりとも自由度があれば生きている価値があるというものです。 自殺は自由の放棄で、気の毒で同情はしますし、なんとか無くす方向で考えるべき事ですが、自殺=価値の消失です。 自殺した本人にもまさり自殺する子を産んだ両親が気の毒です。わが子が自殺で死ぬ〜というのは・・
501 :
○ :2014/03/31(月) 21:36:06.79 ID:36m1sksB
>>497 >龍樹の中論なんて矛盾の書w
>空を力説しながら私に主張は無い〜なんて阿呆か?としか言いようが無いw
有部を帰謬法でただ否定して否定して否定しただけですから、見方を変えれば「主張は無い」で良いのでは。
また見方を変えれば「有部が縁で中論が起こった」のでまさに『縁起』でしょう。
もし有部がいなければ、中論は書かれず、大乗もないのも『縁起』でしょう。
502 :
おじゃる :2014/03/31(月) 21:39:21.85 ID:ovuo8QYN
>>501 手かざしはいかがですか?
具合は良いですか?
全く信じない人間に手かざしは効くものですか?
それでも効くのなら私も手かざしを受けてみたものですw
504 :
おじゃる :2014/03/31(月) 21:55:09.29 ID:ovuo8QYN
>>501 ○ さんへ
ID:uDrPLTDk さんの場合は
「 ぼくはこう思う 」 と言う想いに、とらわれている
そして 「 どうして、縁起・空・無我の観察が必要なのか?」
が(「教学として」と言う意味で)理解できてないのかも?
>>504 できていないのでしょうねえw
で、あなたはできているという立場なのですか?
「ぼくはこう思う」でない主張は有り得ないw
主張=ぼくはこう思う、ですからねえw
506 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 22:04:24.79 ID:QoX4rUDu
ナーガールジュナ的な空観の信者に聞きたいんだけど、 「空」や「中」あるいは「空の空」もまた一つの教説なわけだ。 そこには「真」か「偽」の弁別が常に問題となり得る。 だとすれば、およそ真偽弁別を語り得る「絶対」や「超越」を認めない 空観は、どのようにして自らの信念を正しいものと語りうるわけ? 龍樹は自分の教説とキチガイの空事が違うということをどう論証できるわけ? 前にも言ったが、人間論なきところで、真理を求めることなどできない。
>>506 だから龍樹は矛盾の人だと思いますよw
矛盾でもOKなのでしょう。
というか矛盾を飲めるか飲めないか?にかかっているのでしょう。
仏陀の教えは矛盾そのもの。これを飲めるか否か?w
508 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/31(月) 22:11:57.08 ID:Vj42CKSw
509 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 22:13:46.36 ID:QoX4rUDu
人間は微生物や畜生共と違い世界の実相に触れることができるんだ。 解脱できるんだ。涅槃に至り得るんだ。 これが前提なわけだよな。龍樹も否定できないだろ。否定したら仏教が根底から無意味になるし。 じゃあ、なぜ人間はそこに到達することができる? 人間とはなにもので、いかなる力を持っていて、どのような起源からその力を持ち、 そしてどこへ向かっていくのか。 これが人間論であって、空観に根本的にかけてるものだ。
>>509 >人間は微生物や畜生共と違い世界の実相に触れることができるんだ。
>解脱できるんだ。涅槃に至り得るんだ。
>これが前提なわけだよな。
それを前提としているのはアナタだけでしょう。
何故、人間が他の生物と違うのか?
違うという方が誤のように私には思えます。
同じでしょう。人間も他の生物も同じ生物に過ぎない。
こちらの解釈の方が正しいように思えますねえ。
511 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 22:19:01.00 ID:QoX4rUDu
>>510 では微生物や畜生も解脱により如来の境地に至れるという見解で宜しいですね?
というか解脱そのものが無いw
513 :
おじゃる :2014/03/31(月) 22:22:51.01 ID:ovuo8QYN
> (「どうして、縁起・空・無我の観察が必要なのか?」について) > あなたはできているという立場なのですか? 実践した事はないので体感会得した事はないけど 教学として これからも(中論も・般若経も・その他も)勉強させて頂きたいと思ってます
514 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 22:23:46.18 ID:QoX4rUDu
>>512 それはそもそも仏教徒じゃねーからw
俺は仏教徒に対して言ってんだよ。
あるのは、のほほ〜んと一生を死ぬまで生きる事です。 途中で嫌だと死ぬのが最も駄目な例です。
ま、やはりどこまで行っても平行線のようですね。
貴方のお考えなら、
興味もやる気もなく、参考書を読んだ翌日にマウンドに立って完封勝利を収めることも可能でしょうw
「動機」「モチベーション(継続の爲の燃料)」「練習」「習得」等、すべて不要だと言うんですから・・・。
頑張ってください
で、一応資料的話なんで一言だけ。
>>465 違いますよ。
岩波青は、「ウダーナ・ヴァルガ」という有部他所伝の句集。ダンマパダと殆どの句が被る。
変わって「ウダーナ」は、自説経と和訳される全くの別物。
和訳は南伝大蔵経以外は、極々マイナーなものがあるかないか。
| (だから、何も知らないのに大言壮語してると言うのですよ・・・)
|゚)
|
|
|彡サッ
|
>>514 仏教徒は結構ですが、我こそは仏教徒で仏教徒面をするのは醜いことで見るに耐えないのでご遠慮願います。
このスレには酒呑みの仏教徒もいるようですからww
518 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 22:32:01.41 ID:QoX4rUDu
人間の肉体に関して言えば、確実に畜生共と大差はないよ。 猿とは99.9%遺伝子的にも同じだし。 進化論による生物の系統樹もそれを支持する。 だから、人は神の似姿だ!とか寝ぼけた妄言を垂れ流すユダヤ・キリスト教的神学よりも 人間を生物界の流転の中に平等に配置する仏教の方が遥かに好ましい。 では、人間を畜生共から根本的に識別する要因は何なのか? それは肉体でもなければ精神即ち大脳の機能でもないね。 それは「人間が人間としての桎梏を超克しようとする果てしない欲求」だ。 これは人間性の遥かな深みから現れる。人間論の根本はここにある。 禁欲だ、神だ、解脱な、はては文化、文明の全ての淵源はここに由来する。 その答えを真に追求したのは俺達グノーシスだけだがね。
一代と紐君の激闘が見たいなぁ・・・w
520 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 22:35:29.14 ID:QoX4rUDu
>>517 残念ながら俺は仏教用語でいえば外道だから。
釈迦牟尼の教えの中に真珠を探してるだけの好事家。
誰も仏教徒面なんてしてねーしw
521 :
おじゃる :2014/03/31(月) 22:36:35.68 ID:ovuo8QYN
> 微生物や畜生も解脱により如来の境地に至れるという見解で宜しいですね? 因と縁の依存によって 微生物とか畜生とかも 次に生まれて来る時には 人間として生まれて来て そして最終的には 無明滅 → 行滅 → 識滅させて 心解脱 - 心に貪著を離れる 慧解脱 - 無明を離れている _ _ _ ↑ 実践した事はないけど教学としては、こんな感じかも
522 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 22:42:43.85 ID:QoX4rUDu
あほくさw 業法輪廻転生の論者に聞きたいんだけど、 ダニとかミジンコとかってどうやって功徳積んで発菩提できるわけw?
業報輪廻転生論者は非仏教徒。
524 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 22:59:00.34 ID:fLlbzyyR
>>511 釈尊が智慧によって到達された境地からの見解では
一切衆生はもとより、すべての現象は仏性がある、と観ます
ただ、人間以外に於いては今じゃない、ってだけです
人間であっても、例えばネオ・グノーシス派とかイキがってる御仁なんかは難しいでしょうねぇ
下らない事ばかり考え過ぎてるから
525 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 23:02:23.27 ID:fLlbzyyR
>>522 それそのものは菩提は無いかも知れないしあるかも知れない
過去に人間だったかもしれないし、その可能性は否定できない
未来に人間になれないとは誰も言い切れない
精子と卵子から始まった君が未来に灰と骨と気体にならないと誰が言い切れるでしょうか
526 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/31(月) 23:07:30.63 ID:oS3RV+XP
>>484 喰い付いていただきありがとうございます。
もう少し私の駄文に付き合ってくださいませんか。
俺もたまに無理して原始仏典なんか紐解いてみるんですが。
その中でお釈迦さまは弟子たちに寝ちゃ駄目!みたいなこと言ってるんですよ。
釈迦に居眠りを注意された修行僧が不眠症になって失明したとかなんとか。
コエエ。
・・・・涅槃とか悟りってみなさん難解に考えてるでしょ。
俺は「寝ない」ことが悟りだと大胆に提言したいんですが。
これは輪廻とリンクしております。
睡眠とは「死」と同じことなんじゃないか。
我々は毎日床について寝ることで死ぬ。
朝目覚めることで生まれ変わる・・・この睡眠と覚醒も死と生の繰り返しの輪廻であると。
睡眠をとらない目覚めた人、これも輪廻からの解脱ですよね。
すいません、馬鹿みたいなことでしょ。俺はマジです。
527 :
おじゃる :2014/03/31(月) 23:14:12.67 ID:ovuo8QYN
> 過去に人間だったかもしれない 因と縁の依存によって 人間 → 人間以外の動物 → 人間 この様に輪廻してる場合もあるかも そして「人間として生まれて来ている今こそ解脱を目指せ」 みたいな感じかも
528 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 23:15:14.17 ID:QoX4rUDu
>>524 仏性(如来蔵)思想は中期以降の大乗思想で初めて理論化されたもの。
もとより常楽我浄を説く仏性思想は、同じ仏教の名で一括りにするのを
憚るほど特異な発展形。
ていうか、仏教徒はセクト概念が無いにしても酷すぎるほど内包がカオスだからw
鎌倉仏教に毒されたアホどもの土壌で論ずるならともかく、仏教思想になんでもかんでも
持ち込んで、こんな考えもある、こんな考えもある、ドヤッってのは止めとけやw
つーか、 仮に、「行や坐禅や瞑想など要らん」と言った禅師がいたとして、 彼が、その境涯に至るまでに「行や坐禅や瞑想」が要らなかったかどうか・行じなかったかどうか が問題なわけで・・。 弟子達ににそれをさせなかったかどうかが問題なわけで・・。 そもそも、動機無しには、その彼も門戸を叩かなかったし、努力もしなかったわけで・・。 少なくとも禅系の語録は、 そういう逆説的二面性を留意しながら読まないと何も見えてこないんだけどね・・。 「瓦を磨いて鏡になるわけがない」という古語のまま瓦を磨かなかったら、 そこに法は繋がらないのさ。 鏡になるわけないけど、瓦を磨くところに、禅の肝があるわけで・・。 東嶺和尚は何て言ってたっけな・・・。 なんとなれば、我々は瓦なのだから・・・。 (蛇足を加えれば、瓦がそのまま鏡なわけで・・・w) おやすみw ノシ
530 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/31(月) 23:17:18.51 ID:Vj42CKSw
531 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 23:18:22.41 ID:fLlbzyyR
>>527 永遠を探し続けてるおじゃるは何か気付いたのかな
全ての物質はきっと何かの役に立っている
心だけが身体が役目を終えたら二束三文で消え失せる
釈尊が気付いたこの世の真実はこの辺に在るとか無いとか等云々
>>526 原始仏典で仏陀が寝るなというのをそのまま「寝るな」と解釈するのは、私が言っている一字一句そのまま
鵜呑みにする立場です。
仏典にこう書いてあるから〜と言ってそのまま信じて疑わないのは阿呆でしょう。
現代では睡眠の重要性は知られており、これに反して寝ない〜というのは不健康な生き方を志向する事であり
それを自覚して実践するべきでしょう。
タバコを吸うのも非健康的である事を自覚して吸うべきで、自覚していれば何をしても自由ですよ。
大麻を吸うなど、法を犯す行為は駄目なのは当然です。
533 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 23:21:28.04 ID:fLlbzyyR
>>528 仏教風呂敷説ってのが有ってね、見方を変えれば随方毘尼とも言われるんだが
排他思想の外道には解らんだろうね
534 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 23:22:50.98 ID:QoX4rUDu
プ 単に歴史観がなさ過ぎて偽典概念が生まれなかっただけだろw
535 :
神も仏も名無しさん :2014/03/31(月) 23:25:02.02 ID:fLlbzyyR
>>529 セブンさん、私はきっかけとして色々やるのはOKだと思っていますよ。
しかし、あくまできっかけであり固執すればNGでしょう。
意味の無い反復訓練というのもありでしょうが、そんな精神論的な修練は
今の時代に必要か否か?
伝統、伝承、文化を最重要視するセブン氏には必要としか答えようが無いでしょうがw
537 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/03/31(月) 23:30:42.95 ID:QoX4rUDu
>>535 そら日本でしょ。国際法的にはね。
何が言いたいのか知らんがw
>>496 年末ジャンボは3億とか5億とかよく言われる一生に稼ぐ金額に近いんですよ
そんで宝くじは夢を全体で一部に成り立たせていると以前思ったんです
それは一生分の稼ぎを手に入れて労働自体や金銭にまつわる不安や心配から開放されたいという夢だと思うんです
さらにどこかで宝くじは夢を買うと聞いたことあるので、1等が5千万円6本じゃなくて3億円1本なんじゃないかと以前思いました
539 :
おじゃる :2014/03/31(月) 23:35:37.49 ID:ovuo8QYN
> 永遠を探し続けてるおじゃるは何か気付いたのか 「我はある」 「異蘊相続する」と言う想いに、とらわれているので 我愛を滅する事が出来なかった場合は この現世において身体を捨て己(おわ)っても 異蘊相続して また次の、この世の生に戻り来る と掴み捉えようとしている、みたいな感じです
540 :
コレ悟りかよ!?w :2014/03/31(月) 23:37:39.10 ID:oS3RV+XP
>>522 >>ダニとかミジンコとかってどうやって功徳積んで発菩提できるわけw?
あ、俺の前世もダニやミジンコだったんだよ。
そんときの記憶あるぜ。
ダニだったとき病原菌も持ってたんだけど、そんとき肌に取り付いた人間が釈迦だったんだよ。
ほんでなんか説法聞いちゃったんだよ。
功徳を積めば来世に良い境遇に生まれ変われるとかなんとか。
ダニだった俺は感激して釈迦の肌に噛み付いた牙を抜いて血を吸うのを止めたんだよ。
そのまま禅定というか餓死しちゃった。
気がついたらミジンコに生まれ変わったんだけど、速攻でマグロやブリの餌になった。
何兆回もプランクトンに輪廻転生して魚の餌になるという功徳を積んで、今こうして人間やってるんだわさ。
ご静聴ありがとうございました。寝ます。おやすみー
541 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/03/31(月) 23:41:13.53 ID:Vj42CKSw
あらw レスくれたのねw
>>536 生物学的に、或いは運動科学(?)的に、
或いは、(特に幼児期から少年期に於ける)反復学習は、
その後の(将来的)能力開花に絶大な影響があると思うが?(先日のNHKスペシャルも面白かったなw)
また、何事も「轍の如く習慣づいてくる」のさ。(だから夏休みの過ごし方が色々言われるわけでw)
「業」の持つ一つの側面は、この『習慣付く』ってとこなの。
だから、七仏通戒偈なの。
今、春の甲子園の季節だが、反復練習のない強豪チーム・練習法があれば教えてほしいもんだ。
(ああ、ヤンキースのマー君、チーム・大リーグの慣例・規定で『投げ込み』ができない分、
別の手段でカバーするらしいよ。 彼は、『投げ込み』という“貴方の嫌う行為”を評価重視してるようだねw)
つか、だいたい、ワシが、いつ、固執しろ!と言ったかね?w ┐(´ー`)┌
固執しろとは言っていないでしょう。 伝統、伝承、文化最重要視で仏教に取り組むのは「固執」というのだと言うだけです。
544 :
おじゃる :2014/03/31(月) 23:48:28.27 ID:ovuo8QYN
コレ悟りかよ!?さんへ 釈迦に取り憑いてたダニだったのなら 「釈迦が解脱する時に、一緒に解脱した方が良かった」と思いますが? 「釈迦から離れてしまった今、解脱を目指すのは難しい」と思いますが?
>>526 >睡眠とは「死」と同じことなんじゃないか
うん、寝ながら心臓止まってたらね
>>543 だからw
ピアノ教室に入塾して、
「なんでピアノ弾かなきゃいけないんですか!」とか「ドラムをやらせてください!」
っておかしいでしょ?
ピアノを弾く気がないなら、ピアノ教室に来る必要はないんですよ。
>>546 だから俺はピアノ教室にただ行かなくなった
>>546 セブンさんの「だから」と下手な比喩の組み合わせはこスレの名物なのでしょうかねえw
仏教に入るにはこのやり方で〜と固める事こそ阿呆でしょうという事なんですが?
色々な方向から入ってOKでしょう。
ピアノ教室に入ってドラムを叩いてもOKであり、それは駄目と言うのが堅苦しい伝統主義とうものでしょう。
ピアノとドラムでセッションをすれば良いのに、ピアノ教室でドラムを叩くとは何ごとか〜って叩き出すのが駄目ww
>>547 w
貴方も、「投げ込み」を希望する投手を馬鹿だと思う立場ですか?w
この「投げ込み」という部分が、行や瞑想、経験、(反復)練習なんだけどね・・。
で、(特にスポーツ分野なんかそうだけど)、伝統・伝承の部分なんだけどね・・。
羽生君、試合前までに、一体何本のジャンプを飛んだんだろうね・・。
スキージャンプの葛西選手も、これまでのジャンプ(の回数・練習)無しに、
練習量削減が成立しただろうかね・・。
あ、日付変わったかな?
ノシ
550 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 00:04:25.58 ID:fLlbzyyR
>>539 おじゃる→骨灰気体→何か色んな養分→どう言う訳か腐葉土→養分→何かの餌→何かの細胞→そのた何遍もループ
→運良く食肉→運良く人間の栄養→運良く卵子精子→過当競争を乗り越え運良く受精→オギャァ
物心付く頃「前世って有るのかな?私は何だったんだろ?」
おじゃるから→新しい私に「永遠なる謎」が連結される
釈尊曰く、この連結をちょっとの間でも断ち切れ、と清浄行を教えた
頑張って甲子園に行ったり、オリンピックで活躍するのはOKですよ。 で、甲子園やオリンピックに無関係な人に対して何と言うのでしょうか?w 殆どが甲子園やオリンピックとは無関係であり、また別の比喩を探しますか?ww
552 :
┐(´ー`)┌ :2014/04/01(火) 00:19:04.32 ID:sKCeKYpY
>>548 いやいやw
ドラムを教えられないでしょw
もっとキツイ言い方をすれば、分煙レストランで、その区分けに従わないでいいの?
ということです。たとえそれが腑に落ちなくても、
それが、「その店のやり方」なのですから。(合わないならキ教でもブードゥ教でも行ったらいいのです。)
勿論,
選択の自由や実行の自由はあります。
が、どこでも、というわけにはいかないのが、現実社会でしょう?
貴方がそれを解らないとは思えません。
ミッションスクールで朝のミサがあったとして、そこへの参加や挙行理由及び効果への洞察は、
入校の際に課せられる要素でしょう?
それを無視するのは、社会的生物である人間としてどうなの?ということです。
南泉和尚は猫を叩き切りました。
弟子を教導するためなら、伝統・伝承・常識・規律・戒律etc.etc.関係なしに、
(ピアノ教室でドラムをやらせろと言うが如くw)奔放に振舞うことが良とでも?
それは、貴方が嫌う在り方そのものじゃなかったですか?
ピアノ教室には、ドラムも無く、ピアノ以外の楽器を置くスペースもなく、
ドラムのイロハを教える先生もいないのです。
そういうことなんですよ。
もし、ドラム一式持込だとしても、教えられないのですよ。
(仏教でキリスト教を教えられないようなものです。)
消費税の切り替え時期も、業種・店舗で様々です。
それを、「あっちの店ではこうやってるからここでもそうしろ!」というのが、
個別の店舗や業種を無視した滑稽なクレームであることは貴方も解るでしょう?
貴方の言い分は常に、このようなクレームなんですよ。
553 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 00:19:39.29 ID:GKeevPms
つまり、ここに集う全員が嘗て釈尊だった可能性・竜樹尊者だった可能性、キリストだった可能性は否定できない これらの聖者も一度は土に還っている訳だし、この世界の万物に消滅するものは一つも存在しない 消滅させようとしても必ず気体や塵や芥として還元され、いずれ何かにまた変じている 確実に
554 :
┐(´ー`)┌ :2014/04/01(火) 00:21:36.54 ID:sKCeKYpY
>>551 だからw
>また別の比喩を探しますか
勿論ですよ。
だから、八万四千の法門なんじゃないですかw 今更何を仰っているのでしょう?
つか、(数学の各種公式の如く)
「構図」を見ることはできませんか?
556 :
おじゃる :2014/04/01(火) 00:31:47.56 ID:LNq6+Hfa
> おじゃる→骨灰気体→何か色んな養分→どう言う訳か腐葉土→養分→何かの餌→何かの細胞→そのた何遍もループ
> →運良く食肉→運良く人間の栄養→運良く卵子精子→過当競争を乗り越え運良く受精→オギャァ
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424 人が死ぬときに
我愛と戯論(けろん)と善悪業によって
中有が形成される
その中有が次に生まれる処を求めて母胎に入り
ここで精子と卵子が結合するときに
中有が滅すると同時に生有が生じ
一切種子たる阿頼耶識がこれに結合し
種子が成長して胎児を形成し、出生に至るのである
( − これに対処する為に − )
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
因と縁の依存によって
双方が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
.
「神主もの言わず」というが.本物志向で仏道を歩む者はこんなところでgdgd語らない.
まして議論なんぞするはずもなし.
>>506 >>509 龍樹は認識の体系化を成し遂げました.当然仏教は「空」で完結しているのではありません.
>>それは「人間が人間としての桎梏を超克しようとする果てしない欲求」だ。 ・・大【欲】得清浄.
>>ダニとかミジンコとかってどうやって ・・喰われたり寿命尽きて死ぬからです.百千万【劫】難遭遇.
>>554 私とアナタ(セブン)の違いは深い所では分からず浅い所では
固定(セブン)か柔軟(私)かの違いだけの様に思えます。
伝統に固執するのも「固執」であり、固執は執着であり、執着は仏陀が戒めたもの。
私が私の考えに固執している〜というのもそのとおりでしょうw
アナタはアナタの考えに固執している。
所詮、何が正しいかを判断するのは人であり、その人の判断は様々であり、ある人間が
他の人間を自分の判断と違うと却下してもそれは意味の無い事である。
なぜなら、自分が正しいという保障は何も無いのだからw
人が何を主張し、それに賛同するか否か?それだけでしょう。私は仏陀の慈悲に賛同した。
瞑想で悟りの世界を目指す人間と別物ですw
悟りなんて目指さないのだからw
559 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 00:52:38.35 ID:GKeevPms
>>556 >その中有が次に生まれる処を求めて母胎に入り
中有なるものの縁起と媒体は何だろうね
母体に宿る縁起も明かされなくては釈尊の悟りに反する
何てったってこの世界の真理を悟ったんだからね
不明ですでは真理にならない
輪廻を具体的に全部、人間から次の人間へ辿ったら
膨大な情報量になるから追いきれないだろう
そう言う意味での不明はまだ解るけど
材質やら物性も不明で因果も不明な中有
有り得ないと思いますよ
そもそも中有なんて概念は仏教に無い。 あるのはチベット仏教でチベット仏教は仏教にあらず。 死者の書なんてのはフィクションでありそのまま信じる人間が多いのは 情けない事と思います。
561 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 01:05:22.60 ID:GKeevPms
>>560 突っぱねるのは簡単です
でも、何故そうなのかを説明してあげるか、風呂敷に包みいれるか
それが従来の仏教の歩んできた道だと私は思う訳です
例えば梵天勧請とはどう言う意味が有ったのか、とかね
ブラフマンが釈尊に「民衆の為に法を説いてあげてくれ」じゃ実も蓋も無い訳です
突っぱねるも何も中有なんて概念自体が無い。 作ったのがチベットの人なんでしょう。 だからチベット死者の書なんてのがあるのだからw ブラフマンだとかアートマンだとか執着するなかれ〜と説いたのが仏陀であり、 2500年経ってもあいも変わらず執着するのだからww
563 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 01:23:03.04 ID:GKeevPms
>>562 密教はインドで起こった後期仏教です
阿弥陀信仰は中国に渡った頃には既に仏教に組み込まれて居た様です
要するに釈尊所以の解脱が出来れば、間は何があっても問題無い訳です
解脱しちゃえば一切の信仰行為が無に帰す訳ですから
そこへ向かわせる手段として、排斥するのか方便で手繰り寄せるのか
どちらが慈悲の行為かは明白です
釈尊だって経典では有能なバラモンを尊重して無下には扱わなかった筈です
>>563 >解脱しちゃえば一切の信仰行為が無に帰す訳ですから
解脱云々の前に、つまり解脱しているかいないかに関わらずに、信仰行為は無であると?
私はそもそも「解脱、悟り、涅槃」は無いものと思っています。
アナタはあるものと思っていれば私とは180度認識が違う。
565 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 01:36:45.19 ID:R+LHAZFz
救世の提案の救世主様は解脱されている。 でなければ、あのような救世の提案は書けない。 くだらない言葉遊びをしている限りは解脱は無理でしょう。
解脱が無いのに解脱は無理でしょうって???ww
567 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 01:45:43.29 ID:mU2laFl0
>>564 甚深微妙の法は信仰するものではありません
そもそも認識とは心の作用の一つです
認識主体が誤っていれば認識も誤ったまま認識されるでしょう
それを信仰では解決できません
心の緊縛を解き放つ解脱は信仰では叶わないのです
妄信あるのみに陥るのですから
>>567 ああ、その通りでしょうねえ。
で、あなたはこのスレで何が言いたいのか?
言いたければ主張があり執着があるという事ですが?w
それでも構わなければ語ってください。
.
>>567 >>甚深微妙の法は信仰するものではありません
>>それを信仰では解決できません
>>心の緊縛を解き放つ解脱は信仰では叶わないのです
------------------------------------------
同意
.
それ以上をここで語る事に意味は見出せない.
>>567 .
571 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 01:58:19.54 ID:mU2laFl0
>>570 脱益は種を撒いておかなければ収穫出来ない
ブラフマンとかアートマンとか、おそらく最初の言ってる人は、正しかったんだよな。 後に解釈する人が間違った。 そういうものが存在すると、自我の延長線上でものを見てしまった。 自分が超人になる〜〜 とか、ブラフマンという神が実在するとか、固定したあるものを想定してしまった。 お釈迦様はこういう誤解を恐れて、あえて自我を越えた世界を表現することを控えた。 自我を越えた世界に素晴らしい世界があるとは言わなくて、 自我を越えたところに苦の滅があるとし、そこで表現を止めちゃった。 これはこれで洞察力の鈍い人が、勝手に自我の延長線上に大いなる存在を築くことを防いだけど、 新たな問題をもたらした。 それは、本当に何も無い、虚無思想に傾くってこと。 死後の永遠なる存在は無い、とか、自我を越えた意識は無い、意識は無くなるとか、 虚無思想の格好の言い訳にされた。 そして仏教を信奉するものは、辻褄を合わせるために、道徳理論を持ち出した。 これはもう仏教じゃないよね。 今ここでもう一度、仏教はブラフマンやアートマンの理論を持ち出す必要があるよね。 それと涅槃寂静と無我の理論を融合させて、新たなロジックを構築する必要がある。 これは道徳理論を展開する人にとってはオカルトだが、オカルト主義者からとってみれば、 無我によって、自我の延長線上で考えていたものが消えうせるわけだから、 到底受け入れられないものになるだろう。 今の仏教はオカルトか、道徳哲学か、両極端になってるよね。
573 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 02:59:36.44 ID:+X0CBn23
目覚めてないんだから当然そうなる
前の超常現象番組で空間を隔てた友人間の脳に刺激に対する反応の同期現象が見られたという実験結果が紹介されていたけど 体験的にも一部で騒がれている?ようなこともオカルティックなことが科学方面で証明されつつあるような。。。。
575 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 03:15:56.58 ID:+X0CBn23
オカルトってのは体験するとオカルトではなくなる 体験しない人間が空想で語るからオカルトなのよ ヨガなんかの神秘体験やテレパシーなんてのはオカルトでもなんでもない
576 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/04/01(火) 03:40:19.71 ID:Opls9u8/
577 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 04:00:04.80 ID:9WfLTHuH
オカルトは体験しようがしまいが信じようが信じまいがオカルトだ 神秘主義も同類で、道理と根拠と確実な再現性を示せない限り空想に過ぎない 仏法はオカルトや神秘主義の空想が及ぶ事は一切無い現生的なる法だ 何を以って現生的なる法か、内訳はこうだ 現実に今ここで実証できるもの 時間をかけることなく瞬時に効果の現れるもの ここに来て実際に見なさいと言えるもの 良く涅槃に導くもの(苦の寂滅・心の平安に導いてくれるもの) 知者がそれぞれに自ら知るべきものである 涅槃では一切の戯論が全て無条件で滅し尽くされる 当然涅槃にオカルトや神秘主義の一切も及ぶ事は無い、戯論故に この世界の生類一切から心を消し去った状態を想像してみて欲しい 戦争も経済動向も交通も人間関係も社会性も、生類が作ってきた一切と言う合切が 止まる 完全に停止したその有り様は寂静だ 涅槃は現に目の前に見えている
578 :
おじゃる :2014/04/01(火) 06:16:49.73 ID:LNq6+Hfa
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm 【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
1110
どのように気をつけて行っている人の識別作用が、止滅するのですか?
1111
内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人
このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである
1115
無所有の成立するもとを知って
すなわち『歓喜は束縛である』ということを知って
それをこのとうりであると知って
それから(出て)それについてしずかに観ずる
安立したそのバラモンには
この<ありのままに知る智>が存する
1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り越えることができるであろう
このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない
579 :
○ :2014/04/01(火) 06:53:11.03 ID:E7a++a9f
>>518 グノ氏
>だから、人は神の似姿だ!とか寝ぼけた妄言を垂れ流すユダヤ・キリスト教的神学よりも
>人間を生物界の流転の中に平等に配置する仏教の方が遥かに好ましい。
人は「神の雫」の拡散とかで宜しいのでしょう。
580 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 06:57:13.27 ID:ZoW6Xe7T
ポンコツ在家w >人は「神の雫」の拡散とかで宜しいのでしょう。 仏教には関心が無いテーマです、神を論じるスレへ行って下さい。 ここから消えろw
581 :
○ :2014/04/01(火) 07:08:12.39 ID:E7a++a9f
>>557 Johannes氏
>「神主もの言わず」というが.本物志向で仏道を歩む者はこんなところでgdgd語らない.
>まして議論なんぞするはずもなし.
私も当初はそう思っておりました。
でも議論している当事者達でなく、横から見ている大勢のROMに気付き(覚り)の縁が生じるのであれば良き哉でしょう。
小乗の悪は大乗の善とも言いますでしょう。
「事々一切必然にして偶然なし」って教えは仏教ではないかもですが。
582 :
○ :2014/04/01(火) 07:14:42.39 ID:E7a++a9f
>>572 >ブラフマンとかアートマンとか、おそらく最初の言ってる人は、正しかったんだよな。
>後に解釈する人が間違った。
「十牛図」で探して探して探してやっと出会う『真の自己』とはアートマンのことであり、ただ解釈が違っていたという仮設も持っております。
譬えとして探して探して探してやっと出会う『青い鳥』でも宜しいでしょう。
また探して探して探してやっと自身の内に見出す『神の国』でも宜しいでしょう。
とセブン氏に似て譬えが好きな私です。
583 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 07:17:52.47 ID:ZoW6Xe7T
>でも議論している当事者達でなく、横から見ている大勢のROMに気付き(覚り)の縁が生じるのであれば良き哉でしょう。 小乗の悪は大乗の善とも言いますでしょう。 「事々一切必然にして偶然なし」って教えは仏教ではないかもですが。 仏教を正確に理解する気が無いのに。 垂れ流すなw 在家消えろw恥知らずw
584 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 07:18:41.09 ID:E7a++a9f
>ポンコツ在家w 空としてどこに「ポンコツ」や「アホ」や「姑息」があろうか。 これから喫茶乙して出勤です。
585 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 07:38:00.16 ID:ZoW6Xe7T
>空としてどこに「ポンコツ」や「アホ」や「姑息」があろうか。 人は「神の雫」の拡散のどこが空か? ポンコツw2度と来るなよw
586 :
まこと :2014/04/01(火) 07:58:37.08 ID:5OCjtjSe
よっ!!悲惨で不憫な人生まっしぐらの粘着被害妄想者さんw小細工使い分けてまで悪質発言の火消ですねw こちらが優雅な週末過ごしてる間にこそこそと妄想こじつけのリンク貼で話題変更作戦が笑えるwwwwウケル 粘着さん自身が発言した悪質発言にガクブルしつつもこちらが居ない隙に負け惜しみすることで恐怖は少し消えた?ww あ!無理か!!なんたって 「障害者手帳と生活保護もらえるレベルの頭のおかしさだな(笑)」と全国の同じ境遇の方々まで侮辱してしまったからな!!
587 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 09:34:56.68 ID:oYA/c/C2
>>497 >こんな矛盾はあって当たり前と言っている。
> 龍樹の中論なんて矛盾の書w
> 空を力説しながら私に主張は無い〜なんて阿呆か?としか言いようが無いw
カミュの異邦人は、人間社会の矛盾(不条理)を描いた作品だが、
「こんな矛盾はあって当たり前」と言ってしまえば、それだけの話になる。
だけどこの著書が何故に名作と言われるのか?てぇと、改めて「不条理」について考える切っ掛けを作ってくれるからだよ。
中論もそうなのだ。
中論は社会の不条理ではなく、人間内面の矛盾性を指摘したものだ。
これをどう読むか?はその人の資質の問題だろう?
輪廻転生論というのは、その根底にあるのは「不条理」にある。
本質的なものを辿らないと、なにも見えてこない。
588 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 09:45:59.81 ID:ZoW6Xe7T
450 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/03/31(月) 15:59:28.25 ID:san/Y1XK
>>449 それは貴殿が禅をよく知らないからだよ。
涅槃に逝けば、机龍之介の講釈が全て真(まこと)であったと納得いくはず
ハッタリ豪語の机様ではあーりまんせんかw
ハッタリ・オナニーしに来たのかい?w
589 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 10:05:00.72 ID:PfwkhmHE
> これは道徳理論を展開する人にとってはオカルトだが、オカルト主義者からとってみれば、 > 無我によって、自我の延長線上で考えていたものが消えうせるわけだから、 > 到底受け入れられないものになるだろう。 > 今の仏教はオカルトか、道徳哲学か、両極端になってるよね。 オカルトでは、非日常的で未知の力、定義不能のエネルギーやその働きが対象となる。 自己の延長線上はない(?)がが完全否定で、自我と無我の間に何らかの決定的な質的差異を設けるなら、 それは、仏道とは何も非生命的な道でなく、人間が行ずるものであるから、 自己消滅(日常自我〜無への完全な消滅)を謳っては滑稽だ。エネルギーは変化しながら続いて行く。 オカルト主義がどういうものかは知らないが なお、キリスト教の罪が贖われること、仏教の解脱(エゴイズムからの解放)は充分にオカルト対象だ。 エゴから解放された様々なはたらきへの参入こそオカルティストの本懐ではなかろうか。 仏教が廃れれば、無か道徳に傾くというのはある意味正しいが、更なるオカルトの定義が必要に思う。
590 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 10:28:40.21 ID:oYA/c/C2
>>539 おじゃる氏
>異蘊相続して
> また次の、この世の生に戻り来る
異蘊相続とは、現に滅しているものが、縁において再生・構築されるものですから、
異蘊相続は死んでしまえば相続できる訳ない。
相続しているのは、今現在です。
過去でも未来でもなく、今です。
591 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 11:17:02.10 ID:9WfLTHuH
>異蘊相続は死んでしまえば相続できる訳ない。 これは断見になりますね 相続できる訳が無いのではなく、連結されるんです 根拠不明・真理無知の”新たな無明”と言う形でね ただ、凡愚には理解出来ないだけです、智慧で悟らない限りは 無明が過去世からの迷妄等と言われる理由もこう言う訳です
592 :
支那・朝鮮は泥棒国家 :2014/04/01(火) 11:22:50.27 ID:IE40OT4I
>>589 >キリスト教の罪が贖われること、仏教の解脱(エゴイズムからの解放)は充分にオカルト対象だ。
両者(超越的な罪、解脱)ともに、一切外(相応部35-23)の妄想でしかないからだ。
オカルトの生息領域だ。
『神がいないとは言っていない、それはまだ議論の余地がある』(カミュ)
さすがに、カミュは判っている。
不条理な運命に目をそむけず見つめ続けるカミュの態度が「反抗」だ。
そして、反抗者である彼は慎み深く次のことばを隠している。
(しかし、その議論の決着はつかない。検証できないからだ・・)
そんな断定どうしてできるんだよ。そういう断定できる証拠が無いだろうが。
594 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 12:02:44.02 ID:oYA/c/C2
>>591 記憶というのは、縁において再生・構築されるのですが、過去の記憶がそのまま再生される訳ではなく、
一端バラバラなった記憶の欠片が、縁によって連結され、
それは再生されるたびに、変節・変異され劣化していきます。
ですから人が寿命を終える頃になると、それはとんでもない劣化版でありますね。
痴呆症は特に殆ど変性されたものが再生されるに過ぎんのです。
また人間の記憶は、その殆どはぼ忘却してしまいます。
記憶として再生されるのは、かなりインパクトのある事象のあったことが因となり、
これが何度も何度も再生されるのが、いわゆるトラウマであったり、
また、とても感動したことであったりします。
つまり相続といっても、それは極わずかの断片でしかないのです。
それが、仮にも次生に繋がるとしても、殆どが何の役にも立たんでしょう?
人格そのものが繋がる訳ではなく、殆どは人生の負の部分でしかないものですからね。
596 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 12:24:31.34 ID:oYA/c/C2
>>591 >これは断見になりますね
仏法では、断見でもなく常見でもない。と何故説示されるのか?
そのことに関して説明します。
それは断見・常見以前の問題として、
実は未来というのは無いのです。未来が無いなら、断見も常見も無い訳ですから、
それは説示は出来ない、ってことですね。
では、何故に未来は無いのか?
未来というのは来ることですから、来るものは来ることはないのです。
つまり未来というのは、現時に繋がることは無い。ということですね。
永遠に未来は来ない。
これが正しいです。
597 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 12:45:32.85 ID:qOGUW381
概念と体験を混同すればそのような思想になるのだろう。
598 :
おじゃる :2014/04/01(火) 14:05:17.43 ID:LNq6+Hfa
599 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/04/01(火) 14:09:40.26 ID:Opls9u8/
かまって欲しい狗餓鬼精神と2ちゃんに狂わされた 呪われた協力者安堂w,全人類を呪いの狗的かまって欲しい基地外迷道に呼び込む呪い・・・ | _____________ | | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| | | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| | ザー | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| | | |::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;::::::::::::::| | | |:::::::::::/ ̄ ̄ ̄`´ `ヽ:::::::| | | |::::::::::| :ill||||||||||ll: ,-‐‐、l::::::| | ザー |  ̄ ̄| ||||||||||||||||「しi .l ll ̄ .| | ̄「 ̄| ||||||狗|||||||i ̄川リ ̄| ̄| |_| ノ |||||||||||||||||| |_| / |||||||||||||||||| / /|||||||||||||||||| / ̄/ ̄ ||||||||||||||||| / / |l|l|l|l|l|l|l|l / / |l|l|l|l|l|l|ll / ヘJ l|l|l|l|l|l|l ノ川 ||l||l|| |l||l 狗がパソコン画面に現れる、呪いのかまって欲しい基地外迷道に全人類を呼び込むw くーーーる、いぬ、くーるー 狗、くるー書き込みくさーーくw♪ バカ露呈!w
600 :
おじゃる :2014/04/01(火) 14:25:02.78 ID:LNq6+Hfa
> 仏教を正確に理解する気が無いのに > (正確に理解する気が無いのなら)垂れ流すな > 在家消えろ恥知らず この論法の場合だと ID:uDrPLTDk ID:KW92qfCn この人の場合も 「どうして、縁起・空・無我の観察が必要なのか?」について 教学として「理解する気が無い」と言う事であるらしい _ _ _ 私(おじゃる)の場合は 縁起・空・無我の観察を実践した事はないので 縁起・空・無我を体感した事はないけど 教学として これからも(中論も・般若経も・その他も)勉強させて頂きたいと思ってます
601 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 17:27:17.85 ID:9WfLTHuH
>>594 記憶だのトラウマだの、異蘊相続に関係無いですよ
相続と称して連結するのは無明なんですから
連結も方便です
無明は何遍違う身体で始めて起ころと、前世疑問起こすんですから繋がって思えてしまう誤認がカラクリの基本
>>596 何か変ですよ
仏法は突き詰めれば出世間が基本です
そこは思い一切が寂滅した見解です
602 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 17:33:22.70 ID:tvhqrlru
キリスト教はわからないバカ 仏教はわかったつもりのバカ
603 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 17:44:54.94 ID:9WfLTHuH
>>602 それは思考停止した人が悔し紛れに良く陥るカタルシスに過ぎません
非難すれば自身の立場が優位に感じるのは単なる勘違いです
だから非難だけはだめなんだよ 実は有意な点がその人に見当たらないという考えになっちゃう
605 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 17:53:25.31 ID:QBLgjoYp
滅尽定に関連して若干の補足をしたい。 坐禅で非想非非想まで行くのは、それはそれなりに価値がある。 悟りまで、あと一歩の禅境まで到達したと言えるだろう。 しかし坐禅終了後、遅くても翌日には元の木阿弥になってしまう。 なぜなら、いまだアラヤ識を清算してないから。 坐禅をやめたら、必ず凡夫に戻って行かざるを得ないのだね。 この状態ではまだまだ悟ったとは言えない。
606 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 17:55:45.67 ID:9WfLTHuH
元々人は生まれて物心付く頃には無明の完全起動を完了している生き物です その無明が全ての混迷の原点なのであり、結論の出せない謎の一切合切がここに格納されてます 格納も方便です、結論の出せない謎の一切が集まって無明を形成している訳ですから 無明は大抵前世来世を思い付き迷います、この世界の真理も「何だろう?」と大抵迷います 釈尊はこれに気付けと教えた訳です、人が持って生まれた心の性質であると
607 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 18:09:12.25 ID:9WfLTHuH
>>605 我々が通常、肉眼で見て思う実像の世界に拘り続けるのを仮観と言い
瞑想状態(三昧)に拘り続けるのを空観と言います
仏法は中観が基本です
608 :
コレ悟りかよ!?w :2014/04/01(火) 18:15:48.77 ID:kdKkeZMm
>>532 >>仏典にこう書いてあるから〜と言ってそのまま信じて疑わないのは阿呆でしょう。
アホで上等でございます。
我が教団「幸福の輪廻(ネオ日蓮宗)」は仏教ファンダメンタリストを標榜しております。
聖典に書いてあることは一語一句真実であると断定します。
釈迦が寝るなと説けばたとえ目から血を流しても失明しても寝てはいけないのです。
609 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 18:19:06.35 ID:QBLgjoYp
逆に言えば、非想非非想から魔境を経てアラヤ識を清算すれば、 坐禅をする意味はほとんどなくなったと言ってよい。すでに清算された ものを再度清算する必要もないし、そんなことはできない。 坐禅にはあと一つ、重要な体験、梵天勧請(龍神体験)があるが、 ややこしくなるので、今はこれを省略しておく。 さて、これを根拠に道元の「只管打坐」を検証すれば、 かれは非想非非想に達したが、まだまだ悟っていなかったことになる。 翌日には元の木阿弥だから、坐禅を再び繰り返す必要が生じる。 だからこそ「只管打坐」を主張したのではないだろうか。 それにも関わらずざ
610 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 18:29:43.69 ID:9WfLTHuH
>だからこそ「只管打坐」を主張したのではないだろうか。 悟りに必須な何かを知らないだけの、たられば論未満な稚拙疑団に過ぎません 阿頼耶識の研究は浴び阿毘達磨の成果ですが 涅槃に対しては滅する対象である心の処遇を精査追及したに過ぎません その成果が生かされるのは悟達以前の修行者の改善までであり これに拘っている以上は、悟達など有り得ません
611 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 18:29:45.60 ID:QBLgjoYp
>609の訂正 最後の一行を削除(消し忘れ) orz
612 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 18:34:10.28 ID:oYA/c/C2
>>596 >何か変ですよ
>仏法は突き詰めれば出世間が基本です
> そこは思い一切が寂滅した見解です
何も変なことを私は書いてない。
私が書いたのは出世間のことだし、思いの一切が寂滅したことを書いている。
未来とは「未だ来ない」ことだから、来ることはない。
来ると勘違いすること自体が錯誤であるし、
悟るとは、錯誤に気づくことである。
そもそも世俗諦で法を解釈するのは無理がある。
出世間にて解釈すれば、私が書いたことに矛盾はない。
(詳しくは中論参照)
613 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 18:42:18.44 ID:9WfLTHuH
>>612 出世間に於いて解釈など出来ません
だからあなたの論は矛盾しています
”そこは思い一切が寂滅した見解です”
とあくまでも”こちら側”からの見解を言ったまでであり
向こう側に見解などある筈もありません
どこに解釈など出来る余地があるでしょうか?
614 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 18:48:31.75 ID:oYA/c/C2
>>601 >記憶だのトラウマだの、異蘊相続に関係無いですよ
>相続と称して連結するのは無明なんですから
>連結も方便です
何を貴殿は言ってるんだね?
連結するのは縁ですよ。無明は関係ない。これについて説明します。
一休は闇夜のカラスの鳴き声で悟ったとされる。
@カァ〜の鳴き声。→縁
A記憶の連結。
Bこの鳴き声をカラスと認識。→生起
Cつまり縁がなければ、記憶を連結するのは無理。
あまり馬鹿なことを書いてはいかんよ。
615 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 18:55:49.97 ID:oYA/c/C2
>>613 >とあくまでも”こちら側”からの見解を言ったまでであり
>向こう側に見解などある筈もありません
勝義諦に、こちら側も、向う側もないでしょう?
二項対立しないのですから、二項は成立しない。
つまり貴殿が主張したいのは、涅槃というのが「向う側」という意味か?
それなら涅槃の意味が違う。
616 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 19:01:13.23 ID:9WfLTHuH
>>614 連結は”方便”だと申し上げた筈です
それは私個人が言い出した方便であり我論に過ぎません
あなたは無明は関係無いと断定している、これも矛盾です
人が最初に前世や真理に惑うのは、真如を知らない無明からです
仏法者の筈なのにそれを否定するんでしょうか?
だとするならあなたの論は外道だと言わざるを得ません
縁によって無明が起こる事は否定しませんが、答えを得られないまでの
無明の縁滅は心相続に拠っている為、答え無きはずっと無明のままです
無明が答えを得ずに他へ変わる事などありません
あなたの説明は、ただの生きてる内の心相続を言ってるまでに過ぎません
それは異蘊相続に当たりません、異蘊は異体の事であり時空を凌駕した方便ですから
617 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 19:02:42.08 ID:QBLgjoYp
>>606 −607
>>610 間違ってると思うけど、どう間違ってるかはいずれ書きます。
いまは気になったところを先に書きたい。
「ブッダ最後の旅」に登場する「九式第定」も変な話ですね。
ブッダは入滅に際し、初禅→第二禅→第三禅→第四禅→空無辺処→
識無辺処→無所有処→非想非非想処→滅受想処(滅尽定)に入る。
その後に、滅受想処→非想非非想処→・・・→初禅といったん戻り、
再び、初禅→第二禅→第三禅→第四禅に入って涅槃入りする。
〜 ブッダは九種類の禅定を行ったり来たりするが、ありえない!
618 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 19:05:35.67 ID:9WfLTHuH
>>615 向こう側とは彼岸、つまり悟達果報の例えです
場所の問題を言ってはいません
勝義諦が二項対立に及ばないのは全て寂滅するからです
涅槃寂静に対立など存在しません
だから我々はこちら側からしか話が出来ないのです
619 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 19:08:26.96 ID:9WfLTHuH
>>617 良く考えてください
釈尊は死に際に三昧の一部始終を実況解説しながらお亡くなりあそばしたのでしょうか?
克明に実況されてる時点で方便なのだと気付くべきです
620 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 19:14:23.05 ID:oYA/c/C2
>>616 >無明の縁滅は心相続に拠っている為、答え無きはずっと無明のままです
そうですかね?私は一休の悟りで、もう答えは出てるかと思いますがね。
縁において全ての現象(例えば五蘊)が生起するなら、
縁なくば生起しようがない。とね
だから縁があるのは現時しかない。
(現時そのものはないですが)
これが全てなんじゃないですか?
>人が最初に前世や真理に惑うのは、真如を知らない無明からです
前世や真理や真如も、全ては現時において生起しているに過ぎない。
これを「縁起の現観」という。
621 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 19:25:07.48 ID:oYA/c/C2
>>618 >だから我々はこちら側からしか話が出来ないのです
空即是色ですから、勝義諦はそのまま世俗諦です。
ですからこちらも、あちらも、それは無いかとおもいますね。
私が書いているのは勝義諦を世俗諦に還滅したことを書いている訳ですから、
二相であっても不一不二ですよ。
八不を世俗諦に還滅すれば、「未来も過去もない」という説明になる。
622 :
コレ悟りかよ!?w :2014/04/01(火) 19:30:50.44 ID:kdKkeZMm
>>544 ダニは輪廻から解脱できないんじゃないかしら。
やはり人間に生まれ変わらないと解脱はできないと思います。
なぜってダニって噛み付いて血を吸うぐらいしかできんでしょう。
それでは輪廻から解脱するための正しい行いには不足です。
>>545 >>うん、寝ながら心臓止まってたらね
・・・いや、そーゆー意味なんだけど、そんな意味でもないんだけど。
623 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 19:39:44.57 ID:9WfLTHuH
>>620 >前世や真理や真如も、全ては現時において生起しているに過ぎない。
発生原理のタイミング的な話はしていません
それらを思う原因は何か?結論は出たか否かの話をしているのです
詭弁はやめてください
>>621 >ですからこちらも、あちらも、それは無いかとおもいますね。
あなたの思いを開陳されてもそれは真理では無いですし勝義でもありません
世俗の身で勝義諦の直接内容は云々できませんから言うだけ無駄です
それを言おうとしているあなたの稚拙さに、私は哀れみを禁じ得ません
624 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 19:55:01.29 ID:QBLgjoYp
「ブッダ最後の旅」の「九次第定」が変なのは、 いったん滅受想処に入れば、涅槃を経て成道しないと元に戻れないのに、 非想非非想処を経て、瞑想を逆にたどり、最初に帰る点にある。 意識がないのだから、そんな器用なことはできない。それに、 ブッダはすでに成道しているから、滅受想処を再び体験できないのだ。 ブッダ入滅の話は「悪魔との対話」VI.2.5「まったき安らぎ」にもある。 ここでは滅受想処がなく、アーナンダがそれを死と間違える話もない。 中村氏は「ブッダ最後の旅」にある滅受想処だけでなく、 アーナンダを貶める文章を後の付加と見る。
625 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 19:55:59.96 ID:oYA/c/C2
>>623 >詭弁はやめてください
詭弁とは違います。私は仏法をアリノママに書いているだけです。
八不は矛盾の無い相を言い現わしている訳ですから、
矛盾のないことを世俗諦に還滅(分かりやすいように説示)すれば、
私のような論法になる。
「未来は永久に未来だ」と私は言ってるだけです。
全く矛盾はないですね。
勝義諦そのまんまですから。
世俗諦なら「未来はやがてやってくる」。ってなりましょうか?
この言い方の方が矛盾なんじゃないですか?
矛盾でも、それに慣れると矛盾と認識することすらない。
これを無明という。
626 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 20:02:21.19 ID:9WfLTHuH
なるほど、疑団を並べてあわよくば掠め取ってやろうって事なんですね 机は寝る時間w
627 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/01(火) 20:06:05.12 ID:oYA/c/C2
>>626 そうです。私は寝る時間ですので今日最後の書き込みです。
未来はやってくるのか?それとも
未来はやってこないから「未来」というのか?
これを寝る前によく考えてください。
では、おやすみ。
過去ー今ー未来 この構図で見続ける場合、人は今に居て過去と今と未来は今を中心に存在する。 ある瞬間の過去ー今ー未来と、別の瞬間の過去ー今ー未来を見た時、ある瞬間の未来は別の瞬間の過去か今か未来で、それが今で会った時にある瞬間の未来が別の瞬間の今であるといえるかもしれない。 時間が連続的に流れる(と書きます)ならば、今を基準にして時間に沿い未来へ今へ到達したとも、ある瞬間の未来に今が到達したとも言えるかもしれない、 と思った。
629 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/04/01(火) 20:21:54.80 ID:Opls9u8/
630 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 20:27:41.63 ID:QBLgjoYp
>>619 「九次第定」を方便とする見方には賛成できない。
それが経典に残るのは、それを禅定経過として実践する勢力が
背景に存在したからではないだろうか。
「ブッダ最後の旅」から、アーナンダに対立する勢力が想定できるが、
たぶんバラモン出身者による「空」の信奉者対策では?
バラモン出身者は滅受想処を認めていたのだろう。
このスレにも、九次第定を認めている人がいる。
滅尽定のことがわかれば、原始経典に対する理解も深まるだろう。
631 :
○○○ :2014/04/01(火) 20:30:31.54 ID:E7a++a9f
>>609 >かれは非想非非想に達したが、まだまだ悟っていなかったことになる。
>翌日には元の木阿弥だから、坐禅を再び繰り返す必要が生じる。
お話を聞いておりますと「十牛図」の4段階の『得牛』かも知れませんね。
6段階以上になると元には戻らないようです。(手許資料より)
10段階になると多くの衆生の教化に出掛けるそうです。
(一考察)
「見性成仏」の達成者は自身の『仏性』を見るそうですが、ということは
同時に衆生の『仏性』も見えるので、それが「衆生済度」への動機になると
仮設しております。
>>625 > 詭弁とは違います。私は仏法をアリノママに書いているだけです。
詭弁に詭弁を重ねて、究極にまで行くと、見栄えがして、本物の仏法らしく見えてくるものです。
それにつられて、寄って来るものもいるでしょう。
だが、見栄えがするから本物だと思って寄って来ると自身を失います。
そう、ちょうど捕虫植物のように。
633 :
○○○ :2014/04/01(火) 20:36:14.56 ID:E7a++a9f
>>631 「尊きかな汝、尊きかな我、尊きかな人」って菩薩の口癖かもね。。
「君は毎日糞便を垂れる。その行為から逃れられる人はアイドルのみだ。 しかしながらこの糞便、垂れることが出来ぬのも病のうちである。 摂取したものに余計なものが含まれるから、完璧な食物なぞ無いのだからこそ君らは糞便によりそれを排泄することができる。 排泄は仏の慈悲に匹敵する恵みである。故に糞便を製造するなどと自己を卑下することには何の正当性もない。 ただ神の、仏の摂理を享受することに罪などあろうはずもない。 わかったら寝なさい。寝て起きたら私の口座に有り金の半分を振り込みなさい。 それが解脱へのみ・・・おっと誰か来たようだ・・・」
>>631 > 「見性成仏」の達成者は自身の『仏性』を見るそうですが、ということは
> 同時に衆生の『仏性』も見えるので、それが「衆生済度」への動機になると
> 仮設しております。
『仏性』を見ると言ってますが、もしも、見るというものが、何か目で見えると思っていれば、それは違います。
仏性とは、ああこれが仏性なのか、と自覚認識するものです。
ですから、衆生の仏性も見えてくるのでもありません。
その逆に、衆生という殆どの衆生が、折角の仏性を自覚していないということが、分かって(見えて)くるのです。
その仏性を自覚していない衆生に教えてあげねば、という思い、衆生済度の思いは仰るとおりですね。
636 :
○○○ :2014/04/01(火) 21:02:40.53 ID:E7a++a9f
>>635 >その仏性を自覚していない衆生に教えてあげねば、という思い、衆生済度の思いは仰るとおりですね。
最初が少し違って、真ん中がかなり違って、でも終わりが同じならば、「それでいいのだ。」
とバカボンのパパみたいに言ってみます。
637 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 21:06:07.59 ID:QBLgjoYp
>>631 非想非非想処は、見跡から見牛あたりではないですかね。
時間の経過によって失ってしまうのだから。
得牛は神との出会いかもしれない。
神との出会いから、自分自身(欲望)をコントロールしようとする。
これは後戻りしない、というか、できない。
同じ人間だから、自分の気持ちから他人の気持ちを想像して、
他人が見えてくるということはあるでしょうね。
>>637 非想非非想処と牛には何の関係もありませんよ
639 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 22:04:04.65 ID:QBLgjoYp
>>606 >釈尊はこれに気付けと教えた訳です、人が持って生まれた心の性質であると
無明に気づいた後、どうするのでしょうか。気づいたまま放置ですか?
>>607 >仏法は中観が基本です
この世には客観世界と主観世界しかないのに、中観とはいったい何ですか。
生きるのにやっとの人たちに、中観をどうやって説明しますか。
640 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 22:17:48.13 ID:QBLgjoYp
>>610 >悟りに必須な何かを知らないだけの、たられば論未満な・・・
体験から話しているのであり、たられば論などではないです。
>涅槃に対しては滅する対象である心・・・
どうして意識が涅槃で滅すると知ったのですか。
それは誤った思い込みであり、意識は涅槃でも滅しないのです。
641 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 22:22:32.06 ID:QBLgjoYp
>>638 十牛図の牛は、悟りのレベルを表す「たとえ」ではないですか。
非想非非想は悟りのレベルです。
642 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/04/01(火) 22:33:12.48 ID:QmoaMfGJ
禅の深みに入ることで精神の階層的な深みに沈潜していく。 俺に言わせれば進化の過程で大脳が重ねた発展の諸層、 それも原始的な諸層へと沈んでいくことでそれを神秘だ奥義だと 勘違いしているに過ぎないねw 実践厨にありがちな誤謬。釈迦牟尼は修業の初期の段階で、 ウッダカラーマ等に師事して禅定の深甚な領域(非想非非想処)にまで 達したが、結局それに満足せず師の元を去った。 最終的に釈迦は中道の道を覚り、菩提樹下の禅定で成道した(涅槃に入った) とされるが、それはかつて捨てた禅定の道に再び舞い戻ることで得られたもの なのか?そうは思わんね。 釈迦は禅定に入る前に既に「認識」を得ていた。認識を得ていたからこそ、禅定では 行き詰った壁を突破し、人間存在の真の実相に到達することができた。
動物と仲良くしなさい。 そうすれば、あなたはふたたび快活になり、 何事もあなたを悩ませることはできないでしょう。 - アルベルト・アインシュタイン 『アインシュタイン150の言葉』より 人間の原始領域ということではないけど
644 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 22:45:26.01 ID:QBLgjoYp
>>642 >俺に言わせれば進化の過程で大脳が重ねた発展の諸層、
>それも原始的な諸層へと沈んでいくことでそれを神秘だ奥義だと
>勘違いしているに過ぎないねw
これは完全に違う。坐禅(止)はそういったものではない。
>釈迦は禅定に入る前に既に「認識」を得ていた。認識を得ていたからこそ、禅定では
>行き詰った壁を突破し、人間存在の真の実相に到達することができた。
これには同意する。スジャータとの出会いがきっかけだろう。
645 :
神も仏も名無しさん :2014/04/01(火) 22:48:12.52 ID:IE40OT4I
>>609 (オナニー三昧アホ如来)
>非想非非想から魔境を経てアラヤ識を清算すれば
アホか!
そーゆー「サマタ瞑想」による妄想と、般若智直覚による「気づき(sati)の瞑想」とはまったく別問題だ!
サマタ瞑想なんて、事実上『催眠術』でしかない。
自己暗示催眠術だ。
滅尽定?笑わせるなw
はっきりいえば、一種の猿のオナニーでしかない。
★そういった、修定主義はブッダによって明確に否定されている→相応部26
仏道からは、手段として単に集中力を養えるかも?程度のものだw
サマタ瞑想の『滅尽定』とは脳味噌が逝かれたサルのオナニーでしかない。
言いたくはないが、実は末期の達磨も、<脳味噌が逝かれたサルのオナニー>に陥っていた可能性がある。
インドにはそういったアホの『聖者サマ』の死骸がごろごろころがっているんだぜwww
646 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/04/01(火) 22:49:03.40 ID:QmoaMfGJ
瑜伽行派(唯識)のいう阿頼耶識なんてのが、瞑想大好き人間が 生み出したミスリードの典型w おそらくは禅定の深みの先に真如に至れると信じた人間が、 実際その種の彼我を超えた精神の深層に到達したんだろうが。 じゃあ無著や世親は涅槃に至ったんですかっていうw
647 :
ノスタルジア :2014/04/01(火) 22:52:05.21 ID:eAasI/Ql
大王氏にかなりイヤガラセをされて、体内がぼろぼろです・・・ パピーマンに根も葉もない苦痛(ペイン)を受けて人間機械の状態です・・・。 くやしいが、彼ら嘯くものどもの、イヤガラセからの煽りに体がずたずたであります・・・ 悪魔の便所はここ。
知らねえからやってみろじゃねえの?
誰の話が誰の毒になってるんだか・・・
650 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 23:00:34.55 ID:QBLgjoYp
グノーシス氏の昨夜の問題提起は秀逸だった。勉強になった。 残念ながら、わたしも含め、議論に対応できる人がこのスレにはいない。 西洋は言語の、因果関係や相関関係や所属関係で真理に迫ろうとする。 ロゴスだ。しかし仏教は引き算である。事物から属性を引き算し、 最後の最後に何かが残るかどうかを問題にする。 インド哲学の中で、仏教だけが空、何も残らないと言っている。 その理論の大成者が竜樹だが、竜樹の最終的な根拠は、 神も霊魂も見たことがない、ということにつきる。
>>641 まあ、その辺りは実際に悟ればハッキリする事ですよね
652 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 23:12:32.93 ID:QBLgjoYp
>>646 無著のことは知らない。
世親に関しては、悟ってないと思い始めている。
唯識三十頌のうち、後半十頌は中観派への妥協、へつらいを感じる。
世親は滅尽定〜涅槃定止まりのような印象がある。
坐禅をしている世親の異常に気付いただれかが
世親の成道を妨害したように思う。
>>650 パーリの「空」は、「空じていった先に何か残るものがある」という経になってるが?(MN.121 小空経)
>>651 「白魚のような手」「馬車馬のように働く」
白魚と人間の手には、何も関係ないですよね。でも、この言明は成立しています。
馬車馬の在り方・動き・仕事と、人間の実際の仕事では、条件が全く異なります。
でも、この言明は成立します。
同様に、「牛(を飼い馴らす)」というプロセスと「悟り(の階梯)」に、
禅は共通点を見出している、ということでしょう。
悟りと牛に直接の関係がないのは当然としても・・。
牛が嫌いなんですか?w
馬と鹿で馬鹿 牛とニワトリでも〜ケッコウ 誰かが以上に気づいてそう言ったんだよ
655 :
ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/04/01(火) 23:24:17.14 ID:QmoaMfGJ
>>650 引き算発想ね。
インド的事物観ってのは西洋アリストテレス的な質料と形相の概念とは
根本的に違う原基と属性のそれだってのは聞いたことがある。
いわゆる空の器の中に色だ匂いだ音だ触感だ、ここ独立した「属性」を詰め込んで
それが事物であるとする。
五蘊の分析的発想もそうだし、有部の5位七十五法もそうだろう。西洋的観念からすれば
理解しがたい所以。
しかし俺に言わせれば、器から何かを控除していって何かが残るかどうかなんてのは、
そもそもの話、器の中に何があるのかを全て知悉できる人間を前提に初めて言える話だぜw
例えば5位七十五法に電磁波や重力の概念はありますかっていうwそこに既に誤謬が顕在化してる。
そっちのほうでは有名な人が行は行者同士でもつるまず一人でやった方が良いと言ったそうな ある人に俺は神懸かりになってると言われた その状態であることを相談したら、上に行くなら困らされていることを受け入れそうでなければ超能力者にでもなればいいと言われた 結局一人っきりでも妨害ってのはあるもんだ、と思ったんだけどいま誰もいないし床も軋まない家なのに「ギギ〜ギギ〜」という音が・・・・ ええ、あるんですよ・・・こういうポルターガイストのようなことが・・・
657 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 23:55:52.63 ID:QBLgjoYp
>>655 引き算でも最終的にはロゴスになると思う。
しかしもっと突き詰めたら、竜樹が中論でぼやいたように、
神や霊魂を見たなら、ということになるだろう。
そのために釈迦は、四諦八正道や縁起の理法を説いたのではないか。
各自が実際に神や霊魂を体験しろ、ということだと思う。
658 :
滅尽定 :2014/04/01(火) 23:59:25.08 ID:QBLgjoYp
>>653 身体が残ってるけど、おかしいなあw という話ですね。
659 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/04/02(水) 00:01:25.72 ID:2uC3HAjW
_ { ::三} ビールとツマミの枝豆 ..| =| | :=| | ::=| . i := i :::i. .,' .::', /.; ;;;; .::', ./ ; ;;;;; .::', ,-'-"^⌒、_ ./ ..:;', 。 (⌒ ⌒ |::______=| ( ( ∪ ⌒ ) |r―――――- | ( (,,,,、,-,,, ‐,,,∪,,,_`)。 |::.. __ ::| 。|:。 ∪ °。 ┌└─┐ |:: (beer) :| 。 |: 。 。 ° ┬┐ | |:  ̄ ̄ :::| |:::::::i:::::::i::::::::i::::i::::! | | |: ヒ゛ール :| | :i:::::::;;::::i:i::::::i::::::」_/ / |______:|. ____ |:::::::::;::i::::;;:::::i:::::「___/____ |ー――――― ! |i_:_ i _:_:_i_:_:i :_:_i | lL_____=」 └────‐‐‐┘ ,,ノ⌒ノ __ /⌒;;_,ノ (⌒;''"⌒>__ / ¨ ̄_ノ⌒)(⌒⌒⌒ン \ | /⌒;,-'´∠`'⌒⌒⌒). | . \__¨ ̄  ̄` ̄´´__/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
つまみ枝豆
.
>>642 それはその通りでしょう.
「>>人間存在の真の実相到達することができた。」これが画期的でありました.
その「実相:本性」を悟ることが仏教そのものと言い切ってよいほどに.です.
>>646 その唯識理解は誤りです.理由は
>>642 の釈迦の悟りと矛盾する.
>>650 あなたのその考え方は我流の典型と思われる.
.
662 :
おじゃる :2014/04/02(水) 01:27:40.23 ID:iIq0XJvV
663 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 01:31:33.32 ID:w2S6pAGJ
>>589 >オカルトでは、非日常的で未知の力、定義不能のエネルギーやその働きが対象となる。
>自己の延長線上はない(?)がが完全否定で、自我と無我の間に何らかの決定的な質的差異を設けるなら、
>それは、仏道とは何も非生命的な道でなく、人間が行ずるものであるから、
>自己消滅(日常自我〜無への完全な消滅)を謳っては滑稽だ。エネルギーは変化しながら続いて行く。
なるほど。
>オカルト主義がどういうものかは知らないが
>なお、キリスト教の罪が贖われること、仏教の解脱(エゴイズムからの解放)は充分にオカルト対象だ。
>エゴから解放された様々なはたらきへの参入こそオカルティストの本懐ではなかろうか。
>仏教が廃れれば、無か道徳に傾くというのはある意味正しいが、更なるオカルトの定義が必要に思う。
仏教は科学だとの主張があるが、心を取り扱っているのであれば中道は最もオカルテックではあるまいか。
苦が生じたり、滅したり「苦集滅道」はエネルギー形態の変化の方法であり、
更なる新定義を大胆に加えるとすれば、オカルトとは、心の科学である、というのはどうだろう。
664 :
おじゃる :2014/04/02(水) 01:47:09.99 ID:iIq0XJvV
665 :
○○○ :2014/04/02(水) 02:02:47.55 ID:Yr/aQpf0
>>637 滅尽定氏
>非想非非想処は、見跡から見牛あたりではないですかね。
>時間の経過によって失ってしまうのだから。
早速のコメントを有難うございます。
『非想非非想処』ですら、十段階の中の第二段階か第三段階ですか。
因みに貴方はご自身は第何段階と認識されてますか。その根拠は。
また『直覚』は何段階と思われますか。
トイレの為に寝板から出て、また寝板に入ります。 (U_U)zzz
クク・・・ここがトイレと申す・・・・
667 :
おじゃる :2014/04/02(水) 02:32:20.45 ID:iIq0XJvV
668 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 05:22:28.83 ID:dkPCry4+
おじゃる、ビビんなくていい 心は仮も何も、人が人として生きてる以上そこに有るんだ ただ、心の実体を探した時はその正体が脳の演算し続けてる結果だったってだけ 「この家にある筈のWindowsはどれ?」って聞かれたら今その家に有るであろうパソコンを指す筈だ 五蘊仮和合も同じ事で、今和合して人と成し得て心を運用してるに過ぎない 故に、その人が居る限りその心も存在してる為、心と身体は而二不二である ただし、その人が死ねば、その脳に依存していた心は、元から実体を持って居ないものだった故に無条件で消える 脳も変化しない根拠を元から持たない空なる存在なので、役目が終えれば次なる物質へ変化し、脳と言う色は終わる 諸行無常の真髄もこの一点に尽きる、諸法無我故に
>>663 > なるほど。
>
> 仏教は科学だとの主張があるが、心を取り扱っているのであれば中道は最もオカルテックではあるまいか。
二辺(両極端)の定義を撥ね付ける中道は、まさにオカルト対象です。
心は目に見えないが確かに存在する。
> 苦が生じたり、滅したり「苦集滅道」はエネルギー形態の変化の方法であり、
> 更なる新定義を大胆に加えるとすれば、オカルトとは、心の科学である、というのはどうだろう。
いいですね。心のはたらきの不思議を取り扱い、そこから森羅万象に迫る。
エゴから離れ、心の不可思議を厳密に探求して見えてくる世界観=心の科学。
670 :
○ :2014/04/02(水) 06:44:02.87 ID:Yr/aQpf0
>>666 >クク・・・ここがトイレと申す・・・・
すごい読解力ですね。。
元 トイレの為に寝板から出て、また寝板に入ります。 (U_U)zzz
改 トイレの為に寝板から出てココを見て、書き込んでまた寝板に入ります。 (U_U)zzz
671 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 06:44:10.47 ID:xANtZzhA
>>669 >二辺(両極端)の定義を撥ね付ける中道は、まさにオカルト対象です。
混ぜるな!危険
672 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 06:50:12.22 ID:xANtZzhA
>>665 >『非想非非想処』ですら、十段階の中の第二段階か第三段階ですか。
ゴータマ・シッダールタがサマタ瞑想を却下したのはなぜか?
お前にも<混ぜるな!危険>
673 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 07:00:22.88 ID:w2S6pAGJ
仏教が、共同幻想道徳に傾くとすれば、中道や慈悲の安易な解釈などに起因するところが あるかもしれない。 苦を増す様な偏狭な道徳なら、元の黙阿弥であるから道徳は方向性として正しいのであれば、 固定観念を植え付けるのでなく「固定観念突破型道徳」でなければならぬ。 医学は心理学も含め、固定観念からあみだし、病に対応するのだが 回復とはその病人が所属する各グループの常識からの逸脱を治そうとすることだ。 肉体の法則がもたらす苦(エゴ、足るを知らず)は、無明の病に多くの者が羅漢し、 しかして治癒は心の根本科学のオカルト領域に参入する。 想念、心のエネルギーコントロールは錬金術のごとし。 Content is the philosopher's stone, that turns all it touches into gold. (満足は触れるものすべてを金に変える『賢者の石』である) ようやくオカルトと道徳は離反しないであろう。
674 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 07:18:34.52 ID:dkPCry4+
>>669 心の作用を心を用いて真偽を問い、心で吟味するから迷いを解明できない
迷った心で迷いを吟味しても迷った解答しか導けない
ならば、心の迷いはどこまでが範囲か?を観た時、脳の嗜好性と演算結果と導ける
機能としての脳はそもそも迷っていないのである
これは事実なのであり、オカルトとは言えない
中道は仮観・空観の両極に偏らず中観にて物事を観るプラクティカルな方法である
そこから得られる結論はファクトであり曲げる事は出来ない
675 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 07:28:16.70 ID:dkPCry4+
>>673 道徳などは人の心が人の為にして勝手に決めた掟に過ぎない
表層のレベルで言うなら「上っ面」なのである、これで善悪は説けても改心には至れない
道徳は上っ面である以上、欺瞞を生み偽善も生む
道徳はこれに対処できない
676 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 08:44:51.05 ID:jSVzODhu
>>628 >時間が連続的に流れる(と書きます)ならば、今を基準にして時間に沿い未来へ今へ到達したとも、
>ある瞬間の未来に今が到達したとも言えるかもしれない、 と思った。
たしかに世俗諦では、その通りです。
時間が連続的に流れると仮定するならね。しかしそれは仮定である訳です。
こういう話は、これで止めましょう。
今、このような話をしても無意味ですから。
仏法はあまり知らない方が良い場合もあります。
人はファンタジーワールドで夢を見たいのです。
そう、あのTDLで戯れるように、夢が自分を救うことさえあるのです。
程ほどに、そして今日も夢を見るでしょう?
そして彼等はこう言うのです。
「仏教で私は救われた」。と
ファンタジーワールドでは時間が連続的に流れるなら科学の諸法則はそのファンタジーワールドが基準なんですよ。だからこのパソコンも当然そのファンタジーワールドにあるファンタジーワールドの産物なんです。
時計なんてものは時間の流れというものを視覚的に確認させてしまう道具ですよ。
もっと直接的にそのファンタジーワールドとはまた違う想像の世界を表現して見せる娯楽もあります。
では
>>627 の解答をお願いします。
678 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 11:26:11.86 ID:jSVzODhu
>>677 >時計なんてものは時間の流れというものを視覚的に確認させてしまう道具ですよ。
こんなことなら世俗諦でも簡単に説明が付くのですよ。
時間が流れているなら、一切が流れている訳ですから、それは流れていない。
もしも流れていないものがあるなら、
対象化するにおいて、それは流れている。と言えましょう。
しかし、
勝義諦は、そのような相対・分別においての論考とは全く違いますね。
世俗諦においても論破できるものを、これ以上の説明はいらんのじゃないですか?
>では
>>627 の解答をお願いします。
八不、不去不来を参照のほどを。
679 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 11:31:39.27 ID:xANtZzhA
>>677 >では
>>627 の解答をお願いします。
日々是好日
皆さん、ご機嫌いかがですか。
こんな簡単なことは、ちょこっと直観を働かせれば簡単ですよw
机先生を煩わせるまでもありません。
未来ってことばですよね、
その相対が現在・過去、これもことばです。
ことばで分けて分別していますから、未来も現在・過去もともに中道ではありません。
ですから、未来は無明です。
無明の相対は明智です。
これもことばで分けていますから
明智は無明です
これを<菩提即煩悩>といいます。
簡単ですよね。
ごきげんよう、みなさん!
合掌
680 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 11:39:29.50 ID:0AswgFIP
釈迦は孫悟空を封印する力を持っていたんですか?
681 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 11:41:51.89 ID:jSVzODhu
>>679 >こんな簡単なことは、ちょこっと直観を働かせれば簡単ですよw
> 机先生を煩わせるまでもありません。
そうですね、実は机龍之介を煩わせるよぉなレスポンスを期待しておったのですが、
なかなかそれらしき書き込みが無かったものですから、非常にガッカリしてました。
682 :
おじゃる :2014/04/02(水) 13:51:08.03 ID:iIq0XJvV
> ゴータマ・シッダールタがサマタ瞑想を却下した 無知(無明)の停止は 止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである(中論26-11) 【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳> 1036 智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか? 1037 識別作用が止滅することによって 名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態とが滅びる 1110 どのように気をつけて行っている人の識別作用が、止滅するのですか? 1111 内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人 このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである
>>628 >ある瞬間の未来に今が到達したとも言えるかもしれない
この表現は実にいい表現だね。
時間というのは常に「今」しかない。
例えば、「そば屋に行こう」と未来を想定している時も「今」だし、
そば屋に向かって歩いている時も「今」。
そばを食ってる時も「今」。
そばを食い終わった時も「今」。
今今今。今しかない。
多くの人は、春が夏になると思ってるんだよね。
春という働きのある季節が、夏という働きのある季節になると思ってる。
でも、これでは働きが二重になっちゃうんだよね。
夏をひっぺがしたら、春が隠れてた・・ ってことになっちゃう。
今の状態が変化するって思ってるけど、実は違う。
今の状態が変化するって思ってるのが、時間的な思考なんだよね。
本当はどこをとっても、金太郎アメのように、今しかない。
「自分がある」とか、「これがある、あれがある」という風に、
物事の実存を設定してしまった時点から、「それがそのまま変化する」っていう、
時間的な錯覚を生み出すんだよ。
特定のものはそのままで、そいつが変化すると・・。
でもこれは、矛盾してるよね?
特定のものは常に特定のものじゃないんだよ。
684 :
おじゃる :2014/04/02(水) 14:11:52.78 ID:iIq0XJvV
> おじゃる、ビビんなくていい 渇愛(タンハー)によって 又、次の、この世の生に戻り来る 無明と渇愛が絡み合って 無始なる過去から終わりなく 何かに対して「ある・ない・肯定・否定」 と掴み捉えようとしている心の働きが現れている 末那識(まなしき) 睡眠中でも深層において働き続け 根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている
685 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 14:37:45.71 ID:pmQt6u1C
>>683 あなたは去来の考察を見間違えてるか誤認しています
>今の状態が変化するって思ってるけど、実は違う。
とするなら、それは龍樹尊者の論敵の主張「三世実有法体恒有」になってしまう
三世の概念を人が認識する時、実際の事物は縁起によってその場で「変化」し続けているんです
未来が訪れるのでも過去へ去る訳でもなく、未来の事物は未だ無く、過去へ流れた事物も実は無い
有るのは現時眼前の現象のみが刻々と変化し続けて時が流れてる、これが去来の事実です
諸行無常故に全ての事象事物は常に変化し続けてるのが現実なのです
去来考察とは実際の事物事象の直接有無を言っていません
事物事象を六根で捉えた後の認識上に於いて、三世の実有性を議論したものです
現実の事物事象は認識の有無に拠らず、有るものは有り無きものは無く縁起によって絶えず変化しています
それに対しての認識中の存在の有無・去来を考察されたものが龍樹尊者の論、となるのです
机氏の去来認識も間違っているのは言うまでもありません
686 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 14:47:53.00 ID:pmQt6u1C
因みに、去来の考察すらも満足に理解できなければ 空の考察も縁起の考察も不可能だと個人的には思います そうなると涅槃の考察も無理な話となります これらを正しく考察出来る様に調える方法は仏道にしかありません
>>685 いや〜、違う違う、その反対。
俺が言ってるのは、自性を想定するからこそ、時間が生まれるってこと。
何者かが変化していくから、時間があるんだけど、
つまりこの言い方は、「変化していく『(変わらない)何者か』」が、あるってことなんだよね。
例えば、20歳のあなたの10年後、20年後、っていう言い方は、よく考えてみると、
おかしいでしょ?
20歳のままのあなたが、10年後、20年後になるわけじゃない。
あなたという自性ある存在を確定させてから、その10年後、20年後を想定するって、
おかしいんだよ。
ようは、何か変わらないものの存在を確定してから、そのものの未来を想定するから、
時間っていう概念が生まれるんだよ。
つまり、自性を想定するから、時間が生まれる。
時間の認識があるってことは、自性を想定しているってこと。
>>685 もしも10年経っても20年経っても、「変わらないあなた」がいるんなら、
それは「自性がある」ってこと。
「あなたの10年後、20年後」という時に、10年経っても20年経っても変わらない「あなた」という存在を
設定してるんだよ。
しかし、さっきの喩えの通り、20歳のときのあなたがそのままず〜っと続くわけじゃない。
それは外面的にも、内面的にも含めて。
長いスパンでみてこの喩えなんだけど、例えば短いスパンでも、
そば屋に行く前のあなたが、そのまま変わらずず〜っと、
そば屋に行く道中も、そばを食べてる時も、食べ終わってる時も、
続いているとするならば、それはおかしなことだよね?
もしも変化しないで続いているとするならば、20歳のあなたが10年後も変わらず続いているということになる。
しかし、一切変わらず10年もつづく「わたし」なんて、どこにもないんだよ。
689 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 15:00:25.19 ID:pmQt6u1C
>>687 全てが縁起によって変化し続けてる現象のどれ一つにも自性はありませんよ
自性が無いから縁起出来るのであり変化できるのです
変化し続けながらそこに有り続けるのは自性がある、と認識するのは誤謬です
あなたは矛盾論を言ってるだけです
690 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 15:28:22.61 ID:xANtZzhA
>>682 (おじゃる)
>>ゴータマ・シッダールタがサマタ瞑想を却下した
『この法は智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かぬ。
私はむしろこの法を捨てて、さらに無上安穏の涅槃を求むべきである』
>中論26-11
『無明が滅したとき、もろもろの形成されたもの(諸行)は成立しない。
しかるに無明の滅することは、知によってかの(十二因縁の)修習(連続的念想)からくる。』(中村元 龍樹 p389)
中論26・27章は小乗教説の付録解説でしかない。
中論は25章で完結している。
―と思って、彼のところを去った。』(中部26 聖求経より)
691 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 15:30:59.44 ID:xANtZzhA
訂正 『―と思って、彼のところを去った。』(中部26 聖求経より) 上記を 『私はむしろこの法を捨てて、さらに無上安穏の涅槃を求むべきである の下へ移動。 すまん
692 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 15:31:55.46 ID:pmQt6u1C
>>688 そもそもあなたは自性が何の事だか解ってない
全ての事物事象に自性が無いのだから時間にも自性はありません
全てのもの・ことは自性が無いから縁起するのであり
縁起に因らなければ全ての事物事象は成り立たないのです
因みに自性とは、自発的存在性の事であり、何にも依らず存在できる性質の事です
例えば時間一つ取ってみても認識に依存し事物の変化に依存して成り立ちます
逆に言えば認識が無く事物の変化も無ければ時間は成り立たないのです
一切の事物事象は必ず変化するので、時間が無になる事は到底有り得ない、となるのです
逆も然りです
この考察が出来ないと、無(虚無)の考察も不可能となり、全ての考察が矛盾した結論となります
通常「無」と言えば「有」に依存した関係なので、両方を以って存在と言い、それらは空であるとなります
虚無の場合は有に依存しない真なる無となるので、そもそも認識できないので「無という事すら知る事が出来ない」となります
矛盾論を唱える人にはこれが理解できなかったりして、虚無が実在できるとか矛盾を言い出したりします
正論では全ての事物事象は縁起して成り立つので、縁起しない虚無は実在できないとなるのです
そしてもし、虚無も縁起するのだと言い出せば、それは既に虚無では無くなるのです
693 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 16:06:08.83 ID:jSVzODhu
>>685 >有るのは現時眼前の現象のみが刻々と変化し続けて時が流れてる、これが去来の事実です
変化しているのでもなく、また時が流れているのでもないですね。
「変化」とか「時が流れる」というのは錯誤でしかない。
刹那において生起・生滅しているに過ぎないものを、
それを連続とか変化とか流れとか、そのような錯誤に陥ることを無明という。
有部は、生起・生滅を連続して繰り返す。としたのが実有論ですが、
中論はその連続性についての矛盾を指摘したのです。
つまり仮設においての生起・生滅ですから、実体としては生起・生滅している訳ではないのです。
その仮設が連続する。という論法が一代氏だったのですが、
仮設が連続したと仮定しましても、連続もまた仮設なのであります。
ようするに、「変化」も「時が流れる」も、そこに矛盾ができてしまいます。
694 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/04/02(水) 17:16:40.03 ID:2uC3HAjW
ζ (⌒Y⌒Y⌒) ____ / ̄ ̄ ̄ ̄\/\__//∵∴∵∴\ / \/ \,∴∵∴∵∴\ /\ ⌒ ⌒ |⌒ ⌒ \ / \| ||||||| ( 。) ( 。)| ( 。) ( 。) | ( 。) ( 。)| (6-------◯⌒つ | つ | つ | | _||||||||| | ____ | ___ | ,____/\ / \_/ / \_/ / \_/ / ほほう? r'"ヽ t、 \____/\____/.\____/ それで?それで? / 、、i ヽ__,,/ ヽ__,,/ ヽ__,,/ / ヽノ j , j |ヽ j , j |ヽ j , j |ヽ |⌒`'、__ / / /r | / /r |, / /r | {  ̄''ー-、,,_,ヘ^ | ''ー-、,,_,ヘ^ | ̄'ー-、,_,ヘ^ | ゝ-,,,_____)--、j____)--、j____)--、j / \__ / _ /_ / | "'ー‐‐---'' "'ー‐‐---'' "'ー‐‐---''
695 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 17:19:27.59 ID:oO/o8B7J
>>693 >ようするに、「変化」も「時が流れる」も、そこに矛盾ができてしまいます。
大間違いです
縁起は変化も含み、事物は変化し続けて居る事が縁起の実態なんです
仮設なのは寧ろ「生滅」の方なのであり、事物の本姓は生滅すらしていないのです
あなたは仏法者なのですか?ならば生滅の本姓を見抜けていてこそ中論を了解出来る筈です
不生不滅とはそう言う意味です
696 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 17:37:45.86 ID:jSVzODhu
>>695 >縁起は変化も含み、事物は変化し続けて居る事が縁起の実態なんです
んなことないですね。生滅に実体がないゆえに縁起に属性があるはずはない。
> あなたは仏法者なのですか?ならば生滅の本姓を見抜けていてこそ中論を了解出来る筈です
縁起というのは、実体はないけど自分の認識の範疇をいうのです。
だから本姓などないです。
それは私が説明することもなく、大体分かるんじゃないですか?
分からんのなら説明を試みてみます。
貴殿が美人を見て、ひと目惚れをしたとする。
貴殿の「恋心」に本姓はありますか?
馬鹿なことを言ってはいかんですよ。
697 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 17:48:18.35 ID:oO/o8B7J
>>696 業報有りて、而も作者無し、この陰滅し已わって、異陰相続す。
これが縁起する現象の本姓なのであり、生滅などどこにも無いのがこの世界の実態なんですよ
悟っていなければ見抜けない実相の本当の姿とはそう言う事です
不生不滅 不常不断 不一不異 不出不来も縁起する現象の姿の事です
>>692 >例えば時間一つ取ってみても認識に依存し事物の変化に依存して成り立ちます
時間が事物の変化に依存してるわけだよね・・・?
問題はここなんだよ。
何が変化してる?
変化するってことは、ある一定の存在を、時間を掛けて追ってるってことなんだよ。
同一物を時間をまたいで追ってるってこと。
つまり、ある特定の同一物が、時間をまたいで存続することになる。
これが自性ってこと。
すべてが変化しているのなら、時間をまたいで存在する同一物なんて、ありゃしない。
もしもすべてが変化していて、同一物が無いというなら、一体何ものが変化するのだろうか・・・?
そんなものはあり得ない。
だからあなたは矛盾してることを言ってることになるよね。
>一切の事物事象は必ず変化するので、時間が無になる事は到底有り得ない
一切の事物が変化するから、時間をまたいで同一物が変化するということはあり得ない。
つまり、時間という概念が無くなるってこと。
逆に、時間を生じさせるには、固定された自性と自性の関係で、その差を割り出すしかない。
固定された自性と、別の固定された自性との位置関係の変化や、状態の変化を見るから、
固定された自性を存続させるから、時間が発生するんだよ。
699 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 18:10:31.70 ID:oO/o8B7J
>>698 時間そのものは人が決めた概念に過ぎません
認識しなければ無いも同じとなります
概念故に時間だけ虚しく過ぎる事も有り得ないのです
現象を離れて時間は有り得ず、時間は単立出来ない思いに過ぎない
時計が時間なんですか?太陽の地上から見た位置が時間なのですか?
時間というモノは元々存在しないのです、人が決めた概念ですから
ただ、変化する過程に於いての経過概念として厳格に推し量れるだけです
一切の事物事象に自性は無いですから全て空と言え、空と言えるから縁起する
それが現象の実態です
700 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 18:17:54.23 ID:jSVzODhu
>>697 業報はあるというが、そもそもこの原因は分からない。
分からないようなものが突如として何かのカタチで続いている。
それにどのような理由付けようが、それは第一義とはされない。
ってことですから、
不落因果、不昧因果のことですね。
つまり因果はあるにせよ、それが本姓という訳ではなく、
そもそも是非が問題ではない。ってことですね。
701 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 18:29:51.47 ID:oO/o8B7J
>>700 >それにどのような理由付けようが、それは第一義とはされない。
そう言う風にあべこべに観るのが遠塵離垢の法眼を得ていない証拠です
702 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 18:38:09.33 ID:jSVzODhu
>>699 >ただ、変化する過程に於いての経過概念として厳格に推し量れるだけです
この「変化」ってのがよく分かりませんね。
何が変化するのか?
例えば無自性ならば、それ自体が変化することは無いでしょうし、
縁起が変化する訳はない。生滅ですから。
無自性というのは、縁に依存している訳ですから、
昨日の自分と、今日の自分は違うはずです。
変化するその実体は何ですか?
日々の物質の入れ替えに対して保存する(変化しない)その実体こそが重要なのでは?
704 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 18:46:20.80 ID:oO/o8B7J
>>702 >縁起が変化する訳はない。生滅ですから。
縁起自体は変化などしませんし生滅もしません
変化するのは各現象なのであり、それを縁起する現象と言うのです
縁起する現象にそもそも生滅など存在しません
あなたにはそれが観えないのです、法眼を得ていないから
机氏、あなたはオギャァと産まれて色々あって死ぬまでを一生と観て
この間に色々有るのは解ってる事なので差し置いて
この一生の前後は忽然と生じ、死んだ後は忽然と消えるんでしょうか?
仏法では違うと見解を示す訳です
>業報有りて、而も作者無し、この陰滅し已わって、異陰相続す。
ですからね
705 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 18:49:46.20 ID:jSVzODhu
>>703 そうですね。疑団というのは、そういうところへ疑を向けていくんですね。
706 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 19:02:15.63 ID:jSVzODhu
>>704 >この一生の前後は忽然と生じ、死んだ後は忽然と消えるんでしょうか?
一生の前後は、忽然と生じ、忽然と滅すことだと思います。
何故かというと、死ぬときは自覚がありませんから、
生も知らねば、死も知らぬのが人生なんじゃないでしょうか?
>仏法では違うと見解を示す訳です
>業報有りて、而も作者無し、この陰滅し已わって、異陰相続す。
>ですからね
異陰ですから、こんなもん相続してもどうしょうもないでしょう?
異陰が次生に相続されるのが仏法ですか?
何でも相続すれば良いってもんじゃないですよね。
でも異陰でも相続したら良いな。ってのが個人の希望かもしれませんね。
私は異陰は、もういいんです。
707 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 19:07:48.16 ID:oO/o8B7J
>>706 ではあなたは外道の邪師の真似をするオカルト論者と言う結論になりますね
それは真光在家くん未満の因果無視大虚妄の人と言う事です
あなたに向けて語る事は既に何も有りません
708 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/02(水) 19:15:57.33 ID:jSVzODhu
>>707 >ではあなたは外道の邪師の真似をするオカルト論者と言う結論になりますね
異陰を相続するくらいなら外道と言われようと構わないです。
異陰てのは「異なる陰」ですよ。
こんなもんを相続したらヤバイんじゃないですか?
>あなたに向けて語る事は既に何も有りません
そうですか。でも貴殿の考えを聞けただけでも、私は勉強になりましたよ。
では、おやすみ。
>>699 彼と貴方とは、全く同じ意見・同じ見解だと思うが?
ただ、彼は、
「時間や変化を“意識してしまう・志向してしまう”“「何か(固定的なもの)が」「変化する」”」
という考え方は、(無明として、凡夫の常識として)自性を想い描いてしまうからだ
と言っているのでしょう?
私には、何故貴方方二人の意見が対立しているのか解りませんw
710 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 19:22:25.63 ID:oO/o8B7J
>>709 >と言っているのでしょう?
いいえ違います、全部真っ向から否定です
縁起する現象全てに自性なる寝言は絶対に存在しないのです
縁起自体も自性が無いのですから当たり前の話です
それが観えないのは遠塵離垢の眼を得ていないからです
観えない事を責めてる訳ではありませんので悪しからず
>>710 いや、だからw
彼も、
自性なきところに自性を認めてしまう凡夫の思考が時間・変化を感じさせている
と言っているのでしょう?
彼は、 自性はある のだ、と主張していますか?
712 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 19:37:33.04 ID:oO/o8B7J
>>711 自性が仮初にも有ると言ってるのは別の人
机氏は人間は忽然と生じ忽然と滅すると言い
縁起は生滅を言う理だと言っている
それは破仏法の大妄語であり一闡提の言う虚妄に過ぎない
こんなのが禅を語る自体邪師の片棒を担ぐ極みだと私は言っているだけです
713 :
おじゃる :2014/04/02(水) 19:43:23.76 ID:iIq0XJvV
> 『この法は智に導かず、覚に導かず、涅槃に導かぬ
> 私はむしろこの法を捨てて、さらに無上安穏の涅槃を求むべきである』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 釈迦は、出家して
バッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察するも、その結果
死後に天上に生まれ変わることを最終的な目標としていたので
天上界の幸いも尽きればまた六道に輪廻すると悟った
次にアーラーラ・カーラーマを訪れ
彼が空無辺処(あるいは無所有処)が最高の悟りだと思い込んでいるが
それでは人の煩悩を救う事は出来ないことを悟った
次にウッダカラーマ・プッタを訪れたが
それも非想非非想処を得るだけで、真の悟りを得る道ではないことを覚った
( − これに対して釈迦は − )
身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し、よく気をつけていて
世界における欲と憂いを捨て去るべきである
みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として
四念処(四念住)の修行を実践するように「自灯明・法灯明」の教えを説いた
714 :
おじゃる :2014/04/02(水) 20:02:11.74 ID:iIq0XJvV
715 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 20:10:10.11 ID:LFt/9SlI
で、おじゃるはそれが正しいかどうかの確証はどこで得たのかな?
>>673 なかなかの書き込み、参考になりました。
>>698 なるほど! 竜樹が時間を必死に否定する理由がわかってきた。
時間を認めると、自性を認めることになるわけね (^^)
717 :
やれやれ、僕は名を失った名無し さん :2014/04/02(水) 20:14:42.67 ID:2uC3HAjW
718 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 20:20:50.24 ID:HDlTz62M
719 :
おじゃる :2014/04/02(水) 20:29:48.18 ID:iIq0XJvV
空と如来蔵とは両立しない。空と仏性はどうなのだろう。 仏性がモヤのようではっきりしない。はっきりさせない下心がある。 空とアラヤ識はどうなのだろう。両立しないと考えられる。 アラヤ識は如来蔵につながる考え方である。 世親の三十頌は、十九頌までにアラヤ識、マナ識、六識を説く。 二十頌からは、唯識が空であることを説いている。 両立しないはずの、空とアラヤ識を両立させようとしている。 これでは常識的に変だよね。世親がそんなミスをするのだろうか。 それとも中観派への屈折した配慮なのか。
721 :
おじゃる :2014/04/02(水) 20:51:17.69 ID:iIq0XJvV
722 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 20:56:20.82 ID:LFt/9SlI
>>719 涅槃の素性は経典で明かされているが、どこに在るかは定かにされていない
如来の素性も経典では明かされているが、どこに居るのかは定かにされてない
輪廻の事実も経典では否定されずに懇々と説かれているが、実態を知る方法は明かされていない
解脱を達成する事を念頭に種々の教えは明かされているが、解脱そのものの内容とその手法が明かされていない
智慧が大事であり智慧を得る事を経典では推奨されているが、具体的な智慧の実態と得る手法が明かされていない
おじゃる、どうする気だ?
723 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 20:58:14.14 ID:LFt/9SlI
>>721 IP丸出しで君の様な陰湿な人に接するのは勘弁願いたい
何されるか解ったものではない
>>712 なんで机が出てくんだよwww
まったく関係ねーだろw
君が、彼(
>>687 他)の発言内容を理解できていないか、
私が彼の発言内容を読み違えているか、のどちらかでえはあろうが、
机の発言や存在は無関係だ。 ┐(´ー`)┌
725 :
おじゃる :2014/04/02(水) 21:18:37.04 ID:iIq0XJvV
726 :
おじゃる :2014/04/02(水) 21:31:48.23 ID:iIq0XJvV
727 :
○ :2014/04/02(水) 21:35:18.10 ID:Yr/aQpf0
>>707 >それは真光在家くん未満の因果無視大虚妄の人と言う事です
自称仏法者にとって「一在家以下」というのは最近2回目で大変な侮辱のようですが、
あまり私の名前は使わないようにして欲しいものです。
728 :
コレ悟りかよ!?w :2014/04/02(水) 21:36:29.55 ID:UNcwcbS5
>>725 すいません、基礎的なこと聞いていいですか。
阿頼耶識って脳を解剖して発見できてるんでしょうか。
頓珍漢な質問ですいません。
飯喰って寝ます。
729 :
やれやれ、わっちゃー 名を失った名無しさん :2014/04/02(水) 21:44:59.40 ID:2uC3HAjW
___ ,/ヽ ,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´  ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i ! __.. -/ ,.. / `ヽ、 クゥクゥ空 , -‐ ,.´-─./ /:. . . / ..__ / ! `ヽ ヽ /,.-‐´ _r‐' _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_ `丶、ヽ、 、__,ス ,) ~~ ̄/(三,. -‐ ´ / ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ . l. ! / / 名無し かまってちゃんは荒らし確定すれです . ! | (, ,,/ ! ,j 2chの鉄則(おやくそく) 【 荒らしは無視・放置 】 しましょう。 ゝ、ノ ● 荒らしは放置されるのが一番苦手です。 → ウザイと思ったらそのまま放置! ● 放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。 → 釣られてレスしたらその時点であなたの負け! あぅ ● 反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。 → 荒らしにはエサを与えないで下さい! ●枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。 、 _r 、 フムフム ∧ /「r\ヨ::|_ ∧ (゚、。`フ / j::レ'´/1マヽ_ ‐ッ''''ー . (゚、。`ノ ヽ / ´ 丶.ノ | く f , ‘ノ (uu ,,(uu ,,)o ー十 ' └ャーイ `仏'イ Χ / / l , - 、 ``T T く{⌒) ∩ _,ノ_ |. l r l | \_/ .{ { { 、j. ヽ ーく __人 / ヽヽ.__ゝ _ノ ` ┴――个 イ `ー‐'´ ̄ ノ ┴┬=
730 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 21:47:46.28 ID:GefUxIxC
>>724 >つまり、自性を想定するから、時間が生まれる。
自性など想定せずとも時間の概念は存在してる
時間と自性とは無関係
731 :
やれやれ、わっちゃー 名を失った名無しさん :2014/04/02(水) 21:56:35.84 ID:2uC3HAjW
732 :
おじゃる :2014/04/02(水) 22:05:35.33 ID:iIq0XJvV
> 阿頼耶識って脳を解剖して発見できてるんでしょうか
>>721 の、ところの
「仏教以外でも良し(シベリア版)」にレスして置きました
733 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 23:24:01.47 ID:xANtZzhA
>>712 >机氏は人間は忽然と生じ忽然と滅すると言い
>縁起は生滅を言う理だと言っている
>それは破仏法の大妄語であり一闡提の言う虚妄に過ぎない
だからおまえはペンキ屋二代目なんだよw
734 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 23:49:15.19 ID:xANtZzhA
>>704 >縁起する現象にそもそも生滅など存在しません
これは明白な間違い。
仏法のニュアンスを直覚できていないからだ。
蓋し⇒『あなたにはそれが観えないのです、法眼を得ていないから』
735 :
神も仏も名無しさん :2014/04/02(水) 23:54:55.82 ID:OS6UZqvT
>>733 >机氏は人間は忽然と生じ忽然と滅すると言い
>縁起は生滅を言う理だと言っている
>それは破仏法の大妄語であり一闡提の言う虚妄に過ぎない
これを理解出来ないからあなたは断見から抜け出せないんですよ
737 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 00:11:12.72 ID:Dr3HKpcS
>>735 >これを理解出来ないからあなたは断見から抜け出せないんですよ
下記を『理解出来ないからあなたは空見から抜け出せないんですよ』
『諸法の仏法なる時節、すなはち
・迷悟あり、修業あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。
・万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく“さとりなく”、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
・仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。
しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。』
738 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 00:15:18.51 ID:Dr3HKpcS
739 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 00:19:41.80 ID:Dr3HKpcS
まあ、おきばりやすw 寝ます。
740 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 00:28:56.81 ID:IyTnrmX8
>>737 諸法の仏法なる時節、すなはち
・迷悟あり、修業あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。
↑これがあなたの今措かれてる立場、未だ沐浴を済ませてない所謂菩提心凡夫
それが一風呂浴びたなら忽ち↓
・万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく“さとりなく”、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
あなたは悟りたい一心で仏法を貪る故に↓
・仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。
しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。
何だかんだと学んでおきながら未だに”花を見れば愛惜に散ると見えるし、草は雑草としか思えない”
どこを観て居るのかと私は嘆かざるを得ません
741 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 00:45:17.64 ID:Dr3HKpcS
>>740 歯ブラシを終わったら、まさに<劣化ペンキ屋二代目>の迷妄が書き込んであったwww
マジで本当に、まったく駄目じゃん。
>>737 の文章は仏法の全体像を闡明にしたものだよ。
ベースになっているのは中論24-18、金剛般若経、Sn.1072だよ。
とんだ「自称」如来サマだことw
狐狸庵閑話
742 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 00:49:04.02 ID:IyTnrmX8
>>741 つまりあなたは中論24-18、金剛般若経、Sn.1072を読み違えてると言う事で
だから悟れないんですよ
743 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 00:51:14.11 ID:Dr3HKpcS
見切ります。
744 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 00:53:49.87 ID:IyTnrmX8
断見が改まらない内は無理w
745 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 01:40:18.09 ID:IyTnrmX8
真光信者やってて常見なのは仕方ないでしょう、外道故に しかし、仏道を倣っておきながら常見にまんまと嵌って抜け出せないのは如何なものかと思います 仏法は悟ったら六十二見の邪見のどれ一つにも掛からない見地を得ます それが中観の意味であり、中道の境地でもあるのです 何度も言いますが、如来は口を利いたり2ちゃんなどしません 入?垂手の絵図に描かれてるのはあくまでも人です 布袋さんに描かれてるのは尊く見せるためでしょう もちろん私は布袋さんでもありません
746 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 01:54:36.60 ID:IyTnrmX8
747 :
○ :2014/04/03(木) 06:22:36.49 ID:25/1vYFJ
>>746 悟った方
>字が化けてたので入?垂手(十牛図10枚目)を引用
貴殿は十牛図の何枚目だと自己分析ですか?
5枚目位で神や霊魂を見るのででしたか?
748 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 06:27:45.53 ID:rmW+Zn9S
749 :
○ :2014/04/03(木) 06:33:48.42 ID:25/1vYFJ
>>745 >真光信者やってて常見なのは仕方ないでしょう、外道故に
現象世界(有為)は無常ですが、法身の仏(無為)は常住だと考えております。
肉体は無常ですが、仏性は常住かもと考えております。
人には仏性があり、如来の実子だから済度しようとするのであればロジックは成立します。
そして「十牛図」の主人公が探していたのは『仏性』だと考えております。
750 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 06:48:58.39 ID:rmW+Zn9S
>>749 如来に伴侶は居ませんよ
子供も居ません、無分別ですから
当然他者も居ません
そもそも実子だから済度しようなど無慈悲な事はしません
他子なら放って置くなんて呆けた事を如来がする訳もありません
仏性も無常です、永遠に有るけど常には無い、縁起しますからね
あなたは神や霊魂を信じているのでしょう?
なのに見方を知らないのはどう言うことかとこちらがお聞きしたい
見た事無いのは縁が無いからなのでは無いかと思います
全ては縁起して成り立っている訳ですから、見る縁を探せば良かろうと思います
751 :
○ :2014/04/03(木) 06:49:44.86 ID:25/1vYFJ
>お主と言う童子と遊んどろうが なるほど分かりました。 それならば、断見童子や空観童子や中観童子とも遊んであげて下さい。 今朝も是好日。喫茶乙して業場へ参ります。
752 :
○ :2014/04/03(木) 06:55:55.61 ID:25/1vYFJ
>>750 >そもそも実子だから済度しようなど無慈悲な事はしません
これは腑に落ちますね。
そもそもクリスチャンだから救おうとか、仏教徒だから済度しようとかは、
神仏の慈悲・仁・愛から見ても不合理だと思いますので。
753 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 07:01:42.12 ID:1UntZgcY
まだ、仏教知らずの在家、オナニーしちょるのかw
754 :
○ :2014/04/03(木) 07:30:54.61 ID:25/1vYFJ
>>750 >あなたは神や霊魂を信じているのでしょう?
>なのに見方を知らないのはどう言うことかとこちらがお聞きしたい
>見た事無いのは縁が無いからなのでは無いかと思います
私も手かざしの縁で霊魂(本霊ではなく憑依霊の方ですが)を実体験しました。
1週間ほど毎日眉間に光を受けていると突然体が動き出しました。
運動音痴でやや太り気味の青年が正座したまま何十回も跳ねたのです。←通常ならば1回も不可
意識はハッキリしており、1時間半勝手に暴れて、やっと鎮まりました。
あれから39年が経ちましたが、いまだに鮮明に覚えておりますよ。
そろそろ出勤にて、おあとはよろしく。
755 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 07:32:26.59 ID:1UntZgcY
二度と来るなオナニー在家、しっしっw
756 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 07:42:40.59 ID:rmW+Zn9S
真光一筋40年、その神さまに仏教の真偽を尋ねられたら宜しいかと思います まあ、その前に大神様に会わねばお話にもならんのでしょうけどね 縁が全てですから縁さえ調えば頼んでみたら宜しい、仏教の真偽の程を
757 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 08:35:27.91 ID:8uOO/dAq
>>712 >それは破仏法の大妄語であり一闡提の言う虚妄に過ぎない
> こんなのが禅を語る自体邪師の片棒を担ぐ極みだと私は言っているだけです
私の書き込みが分からない。ということは、まだ貴殿は無明から脱しきれてないからです。
> 机氏は人間は忽然と生じ忽然と滅すると言い
これは縁起の理を書いたまでのことでして、この書き込みから断見とか常見とか発想すること自体が無明であるのです。
禅は逆説的であります。
もはや断見とか常見なる分別は全く問題にしていないのであります。
ここまで達しきれて、それで解脱ですから。
解脱を、生の延長とか、変化とか、連続とか、そのような属性の結果としてもたらす。
と、思料するだけで即アウトです。
全くその範疇にはないからであります。
むしろそういった思料分別が一切寂滅することにおいて明智を得るのであります。
私が時制の破壊を書き込みしたのは、あくまでも疑団への誘いであります。
この疑団をバネにして全てを破壊しきった、その先に実は仏教の大意があります。
そしてやっと断見も常見も邪義であると悟るのであります。
かしこ。
758 :
コレ悟語録 :2014/04/03(木) 08:37:35.85 ID:HGaGH5KT
41 :コレ悟りかよ!?w:2014/01/31(金) 21:42:49.63 ID:L5E+sAPP
>>17 阿弥陀仏、弥勒菩薩、釈迦如来、だれをリスペクトすべきでしょうか。
俺は釈迦一筋でいこうと思うんですが。
真理を極めた勝者?
俺のことだよ。何か質問ありますか。
759 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 08:50:03.21 ID:1UntZgcY
>私の書き込みが分からない。ということは、まだ貴殿は無明から脱しきれてないからです。 ハッタリ10年で 無明脱しきれてるのかな?w >この疑団をバネにして全てを破壊しきった、その先に実は仏教の大意があります。 正直さ=議団を破壊=ハッタリ10年道とかww
宗教の扱う世界には神や霊魂が含まれるから仏教も葬儀や墓を担当しているはずなんだが
761 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 09:49:43.54 ID:1UntZgcY
>仏教も葬儀や墓を担当しているはずなんだが 江戸幕府の宗教介入です、葬儀は・・・・
762 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 09:52:39.52 ID:1UntZgcY
江戸幕府のシャーマニズム要素がある修験道の遊行修行を禁止し、 地方の拝み屋的土着した事により、在家みたいな宗教が成立する下地ができ、 明治政府による修験道禁止令により、土着修験道は滅び、神道の名を借りた 在家みたいな新興宗教神道が現れます・・・・
うーん・・・なんというか出家を理想とするのは現代でこそ無理があるんじゃないだろうか? 俺の聞いたことには、坊さんがシャーマニズム的療法である種の困難を解決したという話があるんだが なんというか、日本で大きな宗教は仏教と神道だけどどちらも社会の中で冠婚葬祭等、何かを担当してるんだよね 要するにあの世なんだけど
764 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 10:14:01.76 ID:1UntZgcY
葬儀や墓が、仏教で一般になるのは戦国期から江戸期以降です。 それ以前は、遺体を野に捨てていました。京都でも東山あたりは遺体の捨て場ですから。 それ以前は五輪塔石塔も生前の供養塔が多いらしいです。 江戸期以前の高貴な階級の墓は、今の墓よりも祈祷的な意味で死後極楽に行く為と周辺の衆生救済の意味も含めた神的な意味で。 中尊寺金色堂みたいな。(浄土教の流行により) さらに、平安後期、浄土教流行以前は、葬儀と墓は、仏教は関与しません。 韓国仏教では当然、葬儀と墓は全く関与しません。
765 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 10:18:03.51 ID:1UntZgcY
>日本で大きな宗教は仏教と神道だけどどちらも社会の中で冠婚葬祭等、何かを担当してるんだよね 要するにあの世なんだけど 江戸幕府の方針を捨てなかった日本仏教と言う処です。 葬式と墓、あの世の思想は、 それだけ、修験道と浄土教の影響を受けた仏教が日本の主流になってしまったという事です。 唯識、華厳、禅、天台(最澄)、真言(空海)が日本伝来した時の開祖の教義に反して・・・・
申し訳ない、そうなると俺の中の商売説が・・・
>>765 大衆の嗜好に合わせないと、いくら良い教えでも大衆に広まりませんから難しい所ですね
768 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 10:49:34.99 ID:1UntZgcY
明治維新以降に政府が坊主の妻帯許可で、 寺の世襲制が坊主の商売説の開始でしょうな。 世襲財産で生業をする訳ですからな・・・信仰心よりも・・・
769 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 10:59:23.19 ID:1UntZgcY
恐らく仏教の葬儀、墓のルーツは高野山だと思います。 空海自体が想定していない、永遠に生きて、参拝する、墓を建てる者を導くという信仰。 は平安後期、浄土教の流行、修験道(熊野信仰)要素と同時です、 源平合戦以降、法然、親鸞の単立的浄土教成立時期でしょうけれども、 親鸞は自分の遺体を鴨川の魚などの餌にしてくれと遺言したらしいですが、 この時期に、戦死者や、飢饉、疫病、崇徳上皇の呪いや死者の祟りに脅えて・・・ 野に転がる遺体や、骨を高野山に収める修行がったらしいです。高野聖。 この高野聖の活動で、本来、一流の仏教学者の空海が伝説的奇跡的超能力者として地方巡礼する話、伝説が生まれます。 高野山は高台にあり冬場空気が乾燥しており良く寺が燃えたらしいです。 再建に皇族上皇の祈祷、死後浄土へ行けるように生前の供養に始まり、 高野聖の活動により、高野山で納骨へと変化していきます・・・、
日本の伝統・伝承に則った仏教だけが仏教だと信じて疑わない人間だけが葬式仏教をやれば良い。 遅かれ早かれそんな仏教は日本でも廃れるでしょうが。 そもそもの仏教に葬儀などは無関係。仏陀自身の葬儀にも修行僧は関わる無かれと遺言したくらいですから。 まあ、そうは言ってもアーナンダは出席したでしょうが。
771 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 11:22:33.67 ID:1UntZgcY
>遅かれ早かれそんな仏教は日本でも廃れるでしょうが。 仏教教義が残る浄土教、修験道よりさらに廃退した在家みたいな新興宗教が流行るんだろうなあw 幸福の科学、おえっーーーーーw
>>771 というよりも、葬式仏教は形式として残るかもしれないが、直葬とかが
増えている事を考えても極少数派になる可能性は高い。
新興宗教というより、あらゆる宗教団体に属さず個人で仏典の訳本を読む
人間が増えるのでは?宗派の教義なんて糞食らえ〜ってねw
773 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 11:34:20.41 ID:1UntZgcY
幸福の科学は建物豪華で、映画で信者の金を巻き上げるw ま、パワースポット宗教、個人業占い霊媒業が主流だろうな・・・w
774 :
コレ悟語録 :2014/04/03(木) 11:51:33.02 ID:HGaGH5KT
その昔 日月灯明如来と云う 仏がいて 正法をお説きになった 声聞には四諦を説き 縁覚には十二因縁を説く 縁覚とは独覚とも呼ばれ 自分一人で覚りを求める人の事である 月灯明如来は結跏趺坐(座禅)をし 三昧に入り如来は眉間から光を放ち 東方にある仏土を照らした その時 その聴衆の中にいたのが 妙光菩薩であり 如来は妙光菩薩に 妙法蓮華 をお説きになった 妙光菩薩とは 後の世で文殊菩薩となる菩薩である 妙法蓮華 をお説きおわると 如来は入滅された 地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・ 仏界に分類され、これらの総称が十界である 菩薩界では六波羅蜜を実践するとある
775 :
コレ悟語録 :2014/04/03(木) 12:19:38.20 ID:HGaGH5KT
>>774 続き
世尊は優れた教化方法に「自分の悟った教えは深遠であり 一切の声聞や縁覚では
解らない」と言われたがその真意を誰も理解が出来なかった。
「もう止めようその理由は説明が出来ない」三度懇願した舎利弗の願いは
世尊についに届くこととなる
776 :
十二縁起の訂正 :2014/04/03(木) 12:42:49.75 ID:u6xfHso/
十二縁起は正しいのだろうか。 此縁性で順観、逆観を追って行くと意味不明な個所が出てくる。 順序だけでなく、不要な支、ひとつにまとめるべき支もある。 順観と逆観の意義も明らかでない。 そこで仮案だが、次のように訂正したらどうだろうか。 五蘊(色受想行識)を基本、有生老死を除き、残り九支を六支にまとめる。 【順観】・・・観(ヴィッパサナー)における観察(思考)順序 @色(名色) A受(六処・触・受) B想(愛・取) C行 D識 E無明 【逆観】・・・止(サマタ)における集中(禅定)順序 色なくば受なし。受なくば想なし。想なくば行なし。・・・・
777 :
おじゃる :2014/04/03(木) 13:08:25.86 ID:ppWR85ky
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳> 1072 あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て 最上の<想いからの解脱>において解脱した人 かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう 第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察 16. もしあなたが本質という観点で すべての事物の存在を認識するなら そのすべての事物の認識は 原因と条件(因縁)の認識なしに存在することになるだろう 17. 結果と原因(因果) そして行為者と行為 そして条件(縁)と生起と消滅(生滅) そして結果(果報)も不可能となるだろう 18. 依存的にともに生じたものは何であれ それが空として説明されるものである 依存的な名称であるというそのことが それ自体が中観なのである
778 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 14:01:26.52 ID:e2dTst5Y
◎以下これ以外にまだまだ創価者の犯罪多数あり、書類送検されていないだけであなたの街でも多数すさまじい事件の数が 発生しましたし、まだまだ毎日のように創価者による凶悪事件は発生しているのです! しかもこれ以外にもTVでも報道された凶悪事件多数あり!。あなたの周りにも潜んでいる。 ●高松和明→創価大学初代学長・高松和男氏の息子、有名大学の教授をしていた学会副支部長・高松和明は、妻子ある身でありながら、 インターネットで知り合った二十代の女性女性との不倫性交を収めた画像や女性のオシッコや下着を売る等の破廉恥事件を起こし、 猥褻(わいせつ)図画販売容疑で逮捕!! ●三宅正信 →(在日)ペッパーランチ集団強姦 破壊的、破壊的強姦 創価大学卒。創価学会員。(破壊的カルト信者) ●北山大輔 →ペッパーランチ集団強姦 破壊的、破壊的強姦 創価大学卒。創価学会員。(破壊的カルト信者) ●鈴木友吉(創価学会員・元公明党文京区議会議員)=知人女性と不倫。子どもの前で交尾する現場を不倫相手の男性によって撮影される (2001年)。 ●松本弘芳 →公明党江戸川区議(江戸川区文教委員)児童売春で実刑判決【女子中高生ら4人への買春容疑で公明党区議を逮捕 警視庁】 少女4人を相手に買春した江戸川区議の松本弘芳容疑者(48)=公明=を児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕するとともに、 松本容疑者は、区議会で文教委員を務めており、 「これまでに二十数回、少女を相手に買春した」 児童ポルノの撮影もしたということか ●公明党江戸川区議の少女買春事件(平成12年)女子高生20数名を相手に買春しビデオに収めていた 破壊的カルト信者 ●金大根 →在日韓国人の強姦魔 連続児童虐待暴行殺人 6名の女児死亡 破壊的に強姦 (女児を破壊する破壊的カルト信者) ●李昇一 →在日韓国人 東京 テレビ「ガキの使い」関係者を名乗り少女140人を破壊的に強姦。破壊的強姦 創価学会員。(少女を破壊 する破壊的カルト信者) ●沈週一 →在日韓国人 鳥取 大阪 和歌山 9人を強姦。破壊的強姦 創価学会員。(破壊的カルト信者) ●張今朝 →在日韓国人 長野 「一緒に猫を探して」と小学校4年の女児を破壊的に強姦。破壊的 創価学会青年部所属。女子小学生を破壊 する破壊的カルト信者
779 :
コレ悟語録 :2014/04/03(木) 14:23:10.34 ID:HGaGH5KT
多聞ありといえど修行せざれば不聞と等しい
780 :
コレ悟語録 :2014/04/03(木) 15:28:23.17 ID:HGaGH5KT
舎利弗仏に言った「今 私は世尊のお言葉を聞いて 大変嬉しく存じました」 と 大いなる感謝の気持ちを述べた それは舎利弗がどんな修行をしても 仏になれるとは思っていなかったからである 舎利弗の覚りは阿羅漢のそれであった それは仏になれるものでは無く諦めていた 始め仏の説法を聞いたとき 仏が悪魔に化けて 錯乱させるのではないかと思った 舎利弗も仏の教えを聞いて これを断ずる事が出来た それを知った世尊は舎利弗が未来に華光如来になるであろうと宣言された
781 :
ノスタルジア :2014/04/03(木) 16:17:17.24 ID:A/8pq3Lc
みなさん、このスレで最近、パピーマンというどこのやくざかしらない者に 失せろというようなことを言われました・・・人格性の伴っていない野獣のような暴言に 心が脆く砕けそうです・・・【涙】 大王氏の、やくざのような、プライバシーの侵害についても、のちのち警察に通報したいと思っています・・・【涙】
782 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 16:52:30.74 ID:8uOO/dAq
>>781 神経症の場合は、何でもクヨクヨ悩んでしまいます。
自分でも馬鹿馬鹿しいという自覚があってもです。
過去の出来事が突如として頭に閃いてしまうのです。
私はこういった症状のある方へ、某所でアドバイスとかして、
そうして寛解に至った方々から沢山の感謝の言葉を頂いています。
勿論これは無料です。一銭もお金を頂戴することはないのです。
とにかく神経症の場合はプライドが非常に高くなりまして、
そしてプライドを少しでも傷つくと、その事が度々頭をよぎって苦しむのです。
実は、そんなに気にしなくても良い。と、自分で自分を納得させたいのですが・・・
自分の意に反して、自分でも制御できないのです。
(つづく)
783 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 16:54:06.42 ID:8uOO/dAq
(つづき) 私はこういった方々に、各種の治療法を提示してます。 中には、私の書き込みを読んだだけでも心が癒される。とか、そういう人もおります。 それは私の文体に既に治療法を挿入しているからです。 病巣を治すことは考えないで良い。とアドバイスしたりします。 治すのではなく破壊することを考えよ。と付記したりするのです。 そして諸々の講釈をたれるだけで、「頭がスッキリした」。とかそんな感想を頂きます。 私の文章を読んで、少し参考になりましたか?
784 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 16:55:42.08 ID:WmyjhKzc
785 :
コレ悟語録 :2014/04/03(木) 17:04:11.35 ID:HGaGH5KT
「幸福の輪廻(ネオ日蓮宗)」は ステテココ氏 ダイオウ氏も入信している教団であり 教祖たる コレ悟氏の昨日のありがたいお言葉はこれである ( ̄^ ̄)えっへん すいません、基礎的なこと聞いていいですか。 阿頼耶識って脳を解剖して発見できてるんでしょうか。 頓珍漢な質問ですいません。 飯喰って寝ます。
786 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 17:05:03.51 ID:8uOO/dAq
>>784 私は、境界性・自己愛性パーソナリティー障害の研究家ですが、
神経症もある程度の知識があります。
一応はセラピストの資格を有する。
>>785 阿頼耶識は幻想です
辻褄が合うように唯識の人たちが作り上げたんです
>>786 >セラピストの資格を有する
その情報疑わしいので君が持っているその資格の画像をノアップしてくれませんか?そうすればあなたのいう言葉にも真実味が出てきます。
789 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 17:31:06.00 ID:2nSooCCE
>>757 断見常見以前にお前のは詭弁に過ぎない
詭弁も62の邪見の一種なんだぜ
そして
>解脱を、生の延長とか、変化とか、連続とか、そのような属性の結果としてもたらす。
解脱できた奴はそんな事考えないんだよ
お前が解脱出来てないから適当言ってるだけに過ぎない
解脱はこの世界の仕組みを知り極めてるから仕組みの概要が書ける
試しにお前書いてみろよ、書けなきゃインチキだ
790 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 17:37:37.65 ID:8uOO/dAq
>>788 セラピストは国家資格ではないので、その資格もピンキリですね。
私は専門職ですから、画像を提示すると、たとえ名前を伏せても
身元がばれる危険性がある。
占星術とか易でも資格を取るのは簡単ですが、
何の資格であっても、その資格を生かせなければタダの紙切れでしかない。
私はその範疇ではいなことを、ここに書き加えておきましょう。
791 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 17:42:46.41 ID:2nSooCCE
常見の人ってのは、自分の理解の範囲を超えたもの事について 超常的な人格や存在を想定して(それらのおかげ)として信奉する よって、輪廻転生なども普通に起こって謎な部分はみんな超常現象なので 疑念は残れど不思議ではなくなる 断見は上記より遥かに阿呆で、自分の理解の範囲を凌駕して超えてると 即座に思考停止して否定に走ってそれ以上の精査はしない 全く以って科学者にも向いてないツブシ利かず この断見と詭弁(62見の一種)が重なると相当度し難い極みとなる
792 :
begezan :2014/04/03(木) 17:45:03.41 ID:VSCK1D+r
机さんは、統合失調をどう思いますか。軽度から重度までありますが、 同じものだと思いますか?
793 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 17:51:55.17 ID:8uOO/dAq
>>789 >解脱はこの世界の仕組みを知り極めてるから仕組みの概要が書ける
この世界は、仕組みも、その理由も、そしてその意味も、なにもない。
大自然そのものが仏の当体であり、しかもその当体は”その在りよう”なのだ。
全く矛盾はなく、
春になれば花が咲き、秋になれば枯葉が舞う。
ただそれだけなのだ。
生も知らず、死も知らず、そこの無限の営みを見るであろう。
無限とは、その一瞬・一瞬のことだ。
その一瞬・一瞬において無限に生きることを
涅槃寂静と申すなり。
794 :
十二縁起の訂正 :2014/04/03(木) 17:52:25.82 ID:Xr1eUF6P
>>776 の続き
十二縁起の逆観には2説あり、A説@→K と B説K→@ がある。
どちらも同じではない。この違いは予想以上に大きい。
もともと十二縁起は、因果関係という直線的な関係で説かれている。
だから逆観だからと言って、K→@と見て行くと間違える。
十二縁起は、竜樹の相互依存には該当しないのだ。
因果関係だから、原因から結果という一方通行の話なのである。
結果から原因への話は成立しない。
従って逆観においても、@→Kが正しいことになる。
795 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 17:57:35.95 ID:2nSooCCE
>>793 おかしいんじゃないか?
法眼とか仏眼を得てれば正確に三世を見通す力が有る筈だろ
世界の原理も見通せる力も得てる筈なのにそれすら解らんのか?
それじゃ解脱出来てないどころか、断見のまま思考停止してるだけじゃないか
お前の言葉は釈尊を嘘吐きにする大罪なんだぞ?
お前の前世はなんだったのか、正確に言え、言えなきゃお前は法盗人だ
796 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 18:00:23.06 ID:8uOO/dAq
>>792 統合失調症は、人格障害から併発する二次障害だったり、
神経症から発症する場合があったり、いろいろですが、
前者は治りにくい。
後者は、場合によっては寛解することもある。
私は退行催眠とかが得意なのですが、この分野は人格障害には効き目があります。
統合失調症は専門外ですね。
ただ軽い統合失調症は、神経症と同じ療法を試みるだけです。
797 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:00:33.33 ID:2nSooCCE
>>794 二説も三説も無いよ
逆観を始める時の疑団を出発点にするだけだ
必ず無明から始めなきゃ行けない訳でも老死からじゃなきゃ行けない訳でもない
その時の疑団からで良く、拘らなきゃ便宜的に無明からやれば良いだけ
798 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 18:06:51.77 ID:8uOO/dAq
>>795 > 法眼とか仏眼を得てれば正確に三世を見通す力が有る筈だろ
だから貴殿のいってる「三世」というのは一瞬・一瞬のうちにあるのですよ。
だから私は、「一瞬のうちに無限を生きる」と書いたのです。
ただ貴殿は、私が書いた「一瞬」の極意に至ってないだけです。
799 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:10:39.63 ID:2nSooCCE
>>793 あとな、お前の「理由も無く」は”世界は原因なく生起すると考える”無因生起説で62見の邪見の一つ
>その一瞬・一瞬において無限に生きることを涅槃寂静
的な、現世のその身でそのまま涅槃を現じてるって考えも現世涅槃論で邪見なんだよ
お前は邪見の総合デパートだなw
800 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:13:45.80 ID:D+qN5npn
>>798 一瞬一瞬に涅槃たらを現じてるとか言うのは三世実有法体恒有のパクリ
邪見通り越して邪義だろそりゃ
801 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:15:03.72 ID:Dr3HKpcS
>>793 机先生、 ID:2nSooCCEは妄想空見・我見の成りすまし如来でしかありませんから、
応答するのは無駄です。
捨て置かれるのが当然かとw
わたしは見切って、切り捨てましたw→
>>743 たとえば、常見vs断見についても相応部12-17を批判的に咀嚼(如理作為)したものではありません。
まさに我見です。
貪・瞋・癡さえもクリアーできていない我執の成りすましでしかありません。
紙切れでしかないだと・・・紙切れでしか・・・・・(クヨクヨ)
803 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:19:11.22 ID:2nSooCCE
>>801 オメーは黙ってろクソガキ
お前は自分の前世=精子・卵子
自分の来世=骨・灰・気体
すら思考停止してたろうが
これが理解できなきゃ仏法じゃないんだよ
804 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:23:02.19 ID:Dr3HKpcS
ご立派な如来サマでww アホ如来は混ぜるな!危険がわからない。 無記は思考停止ではない。
805 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 18:23:24.33 ID:8uOO/dAq
>>799 >的な、現世のその身でそのまま涅槃を現じてるって考えも現世涅槃論で邪見なんだよ
涅槃というのは、現にある”今の在りよう”のことだから、ここを離れては法ではない。
貴殿が邪見とか正見とか思惟するのも”今の在りよう”のことだよ。
だから「三世」も今ここにある、貴殿の”在りよう”なのだ。
だったら「三世」はここにあるんじゃないか?
それが縁起だよ。
第一義を縁起としたら、全てが縁起でしかない。
それを涅槃寂静と申す。
806 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:25:11.30 ID:2nSooCCE
>>805 出世間に思惟は無い
詭弁は止めろ、それは仏法でも道理でもない
807 :
十二縁起の訂正 :2014/04/03(木) 18:26:12.99 ID:Xr1eUF6P
>>794 の続き
A説とB説の違いを、十二縁起の(愛→取)で見てみよう。
A説(正)の逆観は、愛なくば取(執着)なし、ということになる。
ところがB説(誤)の逆観は、取(執着)なくば愛なし、である。
B説の何が誤りなのだろうか。
「執着する」という行為は、ある主体がある対象に執着する、
という文脈において成立する動詞である。だから、対象が無いなら
執着以前、「執着する」こと自体が成立しない。論外なのだ。
808 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:26:39.27 ID:Dr3HKpcS
混ぜるな!危険 混ぜるな!危険 混ぜるな!危険
809 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:33:44.02 ID:D+qN5npn
とうとう発狂か あの紳士的な態度は何処に消えたのか
810 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:43:18.31 ID:2nSooCCE
理解できなくて悔しいのは解る 自分はその程度の人格だったって事も認めるべき 経を引いて非難するのは十牛図の2見跡にしか過ぎない まだ牛追ってるだけで姿も見てないレベル おきばりやすw
811 :
十二縁起の訂正 :2014/04/03(木) 18:49:02.59 ID:Xr1eUF6P
このスレにも、執着をなくすことで渇愛をなくそうとする、 転倒妄想をしている方がいる。早く目を覚まさないと日が暮れてしまう。 中論26.12「[十二因縁のもろもろの項目のうちで]、それぞれ前のものの 滅することによって、それぞれの[後の]ものが生じない。・・・」 竜樹はさすが、A説@→Kの逆観を踏まえて論じている。
812 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 18:51:51.29 ID:8uOO/dAq
>>801 了解
>>806 >詭弁は止めろ、それは仏法でも道理でもない
これは私が説明しても意味不明だろう?説明して了解を得るもんでもないし。
ただ言えることは、人は生死を離れないと何も見えてこない。ということだろう。
つまり人が「人は死ぬ」ということを経験的に学んだ。
そして、やがて自分も死を迎えるであろう?と考えるようになる。
それから人は段々とあたふたするようになる。
自分では死んでも、やがて復活するに違いない。そう思いたい。
願望はやがて確信となっていく。
そう思うことによって「救われる」と頭のスイッチを切り替えてしまうのだ。
そしてこう言うのだ
「私は悟った」。と
813 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 18:52:22.63 ID:2nSooCCE
それも見跡 牛は自分の身体を使って探さなきゃダメだと思いますよ
814 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 18:58:16.28 ID:8uOO/dAq
>>813 貴殿は未だに人牛倶忘に至ってない。
まあ、私はこれは書きたくなかったけど、そのように書かれれば
書かない訳にはいかない。
残念ながら貴殿の眼は開かんだろう?
815 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 19:01:24.22 ID:2nSooCCE
>>812 >自分では死んでも、やがて復活するに違いない。そう思いたい。
中略
>そしてこう言うのだ
>「私は悟った」。と
体験談乙
あんたはそうだったんだな、だからダメなんだよ
自分は両親の精子と卵子から資材を分け貰って
両親の思いと行為を縁にこの世界に転じ産まれて来た
これがあんたは理解出来ないんだな、だから破仏法なんだよ
そんで、その後は死して焼かれて骨と灰と気体に変じる
この事実もあんたは理解出来ないんだな、道理すら理解出来ないんじゃ
話の外でしょ
あんたのそれは既に仏法じゃないし、あんたは仏法者ではない
整えられた教えと名のある人、これらに匹敵しない体験や言葉をダメとする んなわけねーだろ お〜〜〜〜〜〜〜〜ぅめ〜〜〜〜〜〜〜〜んこ〜〜〜〜〜〜〜〜
自他を救えぬなら仏教などやめたまえ 職業セラピストのほうがよっぽど潔いわ
仏教は最近瞑想など健康法で盛り上がってたからな 名物坊主が書く本も売れるんだよ そんなかには本当の内容もあるけどな
819 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 19:19:11.84 ID:8uOO/dAq
>>815 >この事実もあんたは理解出来ないんだな、道理すら理解出来ないんじゃ
私は事実はよく分かってる。
人生とは儚いものだよ。儚いがゆえに仏法の真髄がある。
これしかない。
>あんたのそれは既に仏法じゃないし、あんたは仏法者ではない
貴殿は貴殿の道を逝くがよかろう。
あのセラピストさんは、どこか思い出すようななにかがしたなあ あの人の仏教の感度はあの人の品性を下げる。 今来ました。
821 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 19:28:22.45 ID:8uOO/dAq
>>817 >職業セラピストのほうがよっぽど潔いわ
良い療法がある。これは私のオリジナルだけど、ノイローゼには効く
邪念が渦巻いてどうしようもない時、頭を整理する療法だけど、
そのような方に随分奉仕したよ。勿論無料で。
ただし無暗に掲示板に書いたりはしない。
本当に困ってる人だけ。メールで教える。ここではやらない。
では、おやすみ。
俺はモリオンとホワイトセージと、、酒か、、、、酒言っちゃイカンと思うけど、、、
>>796 >私は退行催眠とかが得意なのですが、この分野は人格障害には効き目があります。
退行催眠によって人格障害が治るプロセスはどのようなものですか?
824 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/04/03(木) 19:39:53.66 ID:8uOO/dAq
>>823 プロセスは、幼児期とかに退行することです。
退行した時点から人生をやり直す。
人格障害は人格の障害だから病気ではないので治らない。
だけど、自分の障害の原因を探ることによって、寛解に近づく程度。
年齢を重ねれば、ある程度は良くなる障害です。
825 :
十二縁起の訂正 :2014/04/03(木) 19:46:35.42 ID:Xr1eUF6P
中論26.11「無明が滅した時、もろもろの形成されたもの (諸行)は成立しない。しかるに無明の滅することは、知によって かの[十二因縁の〕修習(連続的念想)からくる。 十二縁起の修習で無明を滅しうるかといえば否であろう。 順観も逆観(A説の@→K)も、無明からスタートしているからである。 無明が問題なのに、無明を前提として扱っている。 これが色受想行識無明の六縁起を提案する理由でもある。 無明とは何かと考えながら、色受想行識を連続的に念想していく。 言葉だけではわからない。無明を実感する必要がある。
826 :
○ :2014/04/03(木) 20:21:58.61 ID:25/1vYFJ
>>756 >真光一筋40年、その神さまに仏教の真偽を尋ねられたら宜しいかと思います
亡き師は仏教とは「真如」とよくおっしゃってました。
文字通り「真理の如き」ですね。
この7年ほど本スレに住んでいて分かったことは、仏教の98%位は誘引方便か良くて世俗諦ということですね。
また真理は言葉では説き難く、説いても分からず、または説くことが相手の為にならないということも多いようです。
と変わりゆく私も今はそう観じられます。
827 :
コレ悟語録 :2014/04/03(木) 20:28:52.11 ID:HGaGH5KT
>>776 十二因縁 別の読み方
(無明)とは生まれる以前の煩悩迷いであり 闇から闇にうごめく衝動である
(行)とは、過去世においてなした善悪の行為であり、これを縁(条件)として
(識)とは、すなわち母体に意識が宿る事となる
(名色)とは母の母体に宿った意識が、身体を形づくり
(六入)六根が完備された事を言う
(触)母体を出てから 2〜3歳までの事をいい 接触により外界を知るが 苦楽が理解
出来てない状態を言う
(受)4・5歳から〜14・15歳食欲を始め色々な欲望が育つ
(愛)性欲が増大し異性を愛する気持ちが生まれる
(取)25歳から〜50歳貪りの欲望が強く 執着が激しい時期
(有)今までの自分の業により 未来の果を作り出す状態
(生)現世の業により来世が決まる事である
(老死)老衰して死滅する事である
828 :
○ :2014/04/03(木) 20:34:08.77 ID:25/1vYFJ
>>810 布袋氏
>経を引いて非難するのは十牛図の2見跡にしか過ぎない
>>814 机氏
>貴殿は未だに人牛倶忘に至ってない
AさんはBさんに「君はまだ2段階だね。」と言いました。
BさんはAさんに「そういう貴僧も8段階未満だね。」と言いました。
横で聞いていたCさんは「あのー、今世では2段階が当面の目標ですが。」と言いました。
との現状認識からBさんはAさんを一番高く評価していることが分かります。
さて、メンツをつぶされているDさんがどう乱入してくるかは、大体読めるものです。
829 :
○ :2014/04/03(木) 20:40:57.65 ID:25/1vYFJ
>>827 コレ悟語録
>十二因縁 別の読み方
貴方の見解を読みましたが、非常によく考察できていると思います。
よって『精神障害』は貴方の勝手な思い込み、妄想に過ぎないということです。
一瞬でコレを悟り、平凡な衆生の人生を送って下さい。 合掌
830 :
ノスタルジア :2014/04/03(木) 20:45:00.65 ID:A/8pq3Lc
>>783 全然・・・言葉に新鮮さがない・・・春の息を奪っているようにしか思えない・・・
飛んで火に入る夏の虫よりもたちが悪い・・・と言い添えておきます・・・ではバタン。
831 :
コレ悟りかよ!?w :2014/04/03(木) 21:51:46.84 ID:/44xy+nf
>>827 ちょ俺、そんなこと言った覚えないんですけど!
でも大変勉強になりました。
なるほど、十二因縁ってやっぱ転生輪廻のことなんですね。
補足説明ありがとうございます。
バイトが忙しくて俺の語録書く暇がねーんだよ。
朝の八時から夜の九時まで働かせやがって。
そーか俺の語録に喰い付いてくれるリスナーがいるんだな!
ウレピー。
んじゃ飯喰って風呂入って寝るんで俺の代わりに語録も思いついたこと何でもテキトーに書いといてくれ。
俺よりあなたの方が頭が良くてマトモなこと書いてるし。
俺のゴーストライターとして雇おう!
あと俺の教団の宣伝アリガトー!後は任せたぞ。
832 :
コレ悟語録 :2014/04/03(木) 22:34:00.97 ID:HGaGH5KT
833 :
十二因縁の訂正 :2014/04/03(木) 22:46:13.59 ID:bVSjvA8I
>>827 十二縁起を前の三つ、中の六つ、終わりの三つにわけ、
過去世、現世、来世に割り当てる解釈は昔からあり、ネットでも見かける。
しかしそれは、十二縁起を正しいと前提した上での主張であり、
ひとつの誤った主張としか言いようがない。何も証明されてないのだ。
過去世やら来世やらが出てくる必然性もまったくない。
釈迦は、そういった十二縁起をかっての仲間に説いたのだろうか。
ダレからも相手にされないのがオチ。
肝心なのは、無明を洞察し切って苦を滅することにある。
真実味のない話では無明を洞察できない。
834 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 23:04:59.69 ID:Dr3HKpcS
三時の否定 『このように、三時<前世(過去)・現世(現在)・来世(未来)にわたって生存が連続するというのは正しくない。 そして、そうなら、どうして三時にわたっての生存の連続が存在しうるであろうか(存在しえない)。』(龍樹 中論21-21)
835 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 23:13:37.87 ID:HGaGH5KT
836 :
十二因縁の訂正 :2014/04/03(木) 23:15:41.16 ID:bVSjvA8I
>>827 のような珍説が出てきたのは、
前の三つ、中の六つ、終わりの三つのつながりが悪いことに起因する。
それを、過去世、現世、来世に割り当てて辻褄を合わせをする。
それがこの珍説の真相だろうね。
十二縁起の方に問題があるのに、それに気がつかないできた。
そのため、十二縁起が役立たない状態になっている。
837 :
十二因縁の訂正 :2014/04/03(木) 23:23:55.18 ID:bVSjvA8I
>>835 そういった経は、だれかの偽経としか思えない。
苦の滅に役立たない。
輪廻を前提にした話は、後の偽経だと考える方がまともだよね。
輪廻自体がまったく証明されてないのだから。
838 :
神も仏も名無しさん :2014/04/03(木) 23:39:57.74 ID:HGaGH5KT
まあ勝手に否定してくれてもいいんだけれども 十二因縁『阿含経』では釈迦が悟った直後、 自らの苦を解決する道が正しかったかどうか、この十二支によって確認したとあり、 人間が「苦」を感ずる原因を順に分析したものであることを説いている。とされている訳で
839 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 00:12:44.62 ID:eGnmkwxX
840 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 02:02:31.55 ID:JgpdrJ6m
>同じ長部経典の「自歓喜経」では三つの常住論の中の一つを釈尊は最高だと説いたと舎利弗が表明し、 >仏陀もその表明が正確であると保証されました。それは下記の常住論ですが、 >「梵網経」の62の見解の中に含まれますか? >「アートマンと世界は常住であり、何物も生み出さず、不動であり、 >石柱のように固定していて、かの生けるもの達は生死流転し、 >輪廻しているけれども、まさに常住不変に存在している。」 >(参照:長部経典V、春秋社) 前世は一在家、これは62見に含まれない如来の真の姿を言っている アートマンを個我と読めば間違いになり、我を人として観ずモノとして観る 世界を世界と観ずモノの集合として即物的に観る 全て即物的なモノとして観る限り、そこに思い一切は存在しない 思いが存在しないその境地に残る共通点は唯一つ「縁起する現象」だけとなる これが如来の真実である 如来は未来永劫永遠常住なのである 信じると信じないとに因らず、これは否定の余地など無い絶対真理である
841 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 02:27:51.15 ID:JgpdrJ6m
840に書いた事を、読んで即座に腑に落ちる者は解脱したものとなる それ以外の者は往々にして非難するか鼻で笑って内容を精査しないであろう 釈尊がそうであって様に、解脱出来た者にしか理解出来ない境地なので致し方が無いのだ では、仏教で最初に習う法印「諸行無常・諸法無我・一切行苦・涅槃寂静」とは何だったのか? これも事実の見解を言っていて、仏は何も嘘を言っていないのである 解脱を果たしていない衆生は遠塵離垢の法眼を未だ得ていない 故にこの世界は自身の身体も含めて仏道に習った眼で確かに観るなら 「無常・苦・無我・不浄」と観えるのである その上で人は、あらゆる宗教・思想を以ってして常楽我浄を夢見ているのである この夢想は遠塵離垢出来ていない故に起こる妄想に過ぎないのである しかし、人をして外道の宗教などもその人の大事な心の支えとなっているのも事実 故に、仏は無下にこれを否定せず、望むものだけに抜苦与楽の法を説き示したのである 否定するのは簡単である しかしそれは、仏釈尊に対する反逆と看做され、即ち仏敵となる 仏敵は仏法の根幹を否定するので、即ちそれは世界の道理をも否定する つまり、世界の敵と為り得るので重罪と看做される 心して考えて欲しいと願わざるを得ない
842 :
○ :2014/04/04(金) 02:35:11.78 ID:+9B8ezWf
>>840 >前世は一在家、これは62見に含まれない如来の真の姿を言っている (中略)
>如来は未来永劫永遠常住なのである
これは何年も前のセブン氏との議論ネタでしたね。
あの時は世間の常住論の中では3つ目が最高だが、それが真理だという訳ではないという
セブン氏の見解で一応止論になったと記憶しております。
ただ、その程度のことであの舎利佛が自歓喜するのも腑に落ちなかったのですが。
しかし貴方は別の見解ですね。ふむふむ。 寝板より
843 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 02:52:43.09 ID:JgpdrJ6m
>>842 >全て即物的なモノとして観る限り、そこに思い一切は存在しない 思いが存在しないその境地
これが涅槃の意味してる事だと解れば悟りである
君が引用した春秋社の一文は、如来の姿と涅槃の境地の事を言っている
844 :
○ :2014/04/04(金) 03:00:32.28 ID:+9B8ezWf
>これは何年も前のセブン氏との議論ネタでしたね。 調べましたら2006年から議論してました。 あれから、もう8年経ったということでしょう。。 62見には含まれないのであれば、第一義悉壇になり得ます。 流転、輪廻しても常住の存在は、法華経の「如来寿量品」で「仏の眼で見れば、仏も世界も常住で美しい」との仏説とも通じるかと存じます。
ひろゆき 2014/04/01 現状の2ちゃんねるのボランティアをしてる方々は 不法行為を助けてることになるので 民事及び刑事の責任を追及する可能性があります
846 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 03:09:45.04 ID:JgpdrJ6m
>>844 如来寿量品も方便品も嘘は何一つ言っていない
但し、通常の人に実相は観えない、観えない故に信じるしか無い
だから信仰と為り得るのである
釈尊の指南は「汝の信仰を捨て去れ」である
常楽我浄を夢見る生活は苦を必ず生む、だから仏は無常・苦・無我・不浄を教えたのである
苦の根源は思い一切を抱え込む我執にその源がある、それを除かなければ
常楽我浄の夢想から覚める事は無く、ずっと煩悩の大海を漂うばかりなのである
夢想では無く、真実として常楽我浄を如実知見する為に遠塵離垢は必須なのであり
それが解脱なのであり、所謂悟りなのである
釈尊は望むものにそれを勧めただけなのである
847 :
○ :2014/04/04(金) 03:15:18.98 ID:+9B8ezWf
>>835 >「尊い師よ、仏陀は、四つの出生について、
おー、こちらも8年前から幾度も引用した自歓喜経「入胎の法」ですね。
三時(入胎・住胎・出胎)に意識を持っておれたのは釈尊のみだったという仏説ですね。
住人各位からはシカトだったと記憶しますが、貴方は別の見解ですね。ふむふむ。 寝板より
848 :
○ :2014/04/04(金) 03:23:22.84 ID:+9B8ezWf
>>846 >如来寿量品も方便品も嘘は何一つ言っていない (中略)
>夢想では無く、真実として常楽我浄を如実知見する為に
夢想と皆が思っていた「常楽我浄」は第一義だったのですか。
やはり仏教は「真如(真の如き)」かも。。
平易な文章から察するに貴方は自称「布袋さん(童子と遊ぶ)」ですか。
849 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 03:23:32.44 ID:Sm3HkMjM
>>847 >三時(入胎・住胎・出胎)に意識を持っておれたのは釈尊のみだった
意識を常人の意識と記憶の類と看做せばオカルトになる、そう思いたいならそれも構わん
しかし、言われたとする人は仏・釈尊である
我々仏弟子は釈尊を筆頭に、解脱の暁には智慧を存分に使う
故に、意識や記憶の類では無い話となる
それを額面で受け取るのは受け手側の問題なのであり、理解度所以の処遇に過ぎない
850 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 03:31:36.49 ID:JgpdrJ6m
>>848 残念ながら常楽我浄も第一義そのものでは無い
第一義は言語に出来ないのだ、如来が口を利けないのと意味は同じ
人の思いや人の姿等の人由来の思いや考えの及ばない、言及出来ないもの・こと
それが第一義の内容なので如何なる言葉でも表現できないのだ
私が書かない・言わないどころか、釈尊自らも言っていないし龍樹尊者すらも
不生不滅 不常不断 不一不異 不去不来 としか言ってなく、これで了としている
言えないのだ、第一義は
851 :
○○○○○ :2014/04/04(金) 03:37:48.96 ID:+9B8ezWf
>>849 >故に、意識や記憶の類では無い話となる
8年前のかきこが『縁』で今晩(今朝)の解説が『起』こりました。
全て腑に落ちました。真に有難うございました。 合掌
853 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 03:55:28.04 ID:Sm3HkMjM
>>851 経論が筏なら、あなたの信仰は”浮き輪・救命胴衣”であり、確実にあなた一人を支えてくれるでしょう
しかし、彼岸に望むに当たっては、それら一切は不要となり捨てねば岸に上がれないのです
現実の岸なら「これは最先端のファッションですから」と嘯いて岸に上がる事も可能でしょうが
仏法ではそれは不可能なのです、例え話に過ぎませんから彼岸を望み上陸を行った時点で二者択一を迫られます
引き返すか、一切を捨てて突き進むかしかありません
腑に落ちた果報が善処する事を願います
854 :
○○○ :2014/04/04(金) 06:20:43.40 ID:+9B8ezWf
>>850 >釈尊自らも言っていないし龍樹尊者すらも
>不生不滅 不常不断 不一不異 不去不来 としか言ってなく、これで了としている
>言えないのだ、第一義は
ここは腑の落ちませんので済みません。
龍樹菩薩は、高い智慧のある者には真実義をそのまま釈尊は説かれたと解説されております。
(参照:「大智度論」冒頭の『四悉壇』)
ですから私は仏説の1%〜2%位は『第一義悉壇』かなと勝手に思っております。
「自歓喜経」、「如来寿量品」、「方便品」等々はその候補でして、根拠は対告衆です。
855 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 06:27:42.08 ID:+s1jrQ0c
ポンコツ在家は、しっしっしっ。 修験道崩れの産物の程度の宗教で無理して書き込むなw
856 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 06:39:33.22 ID:JgpdrJ6m
>>854 >龍樹菩薩は、高い智慧のある者には真実義をそのまま釈尊は説かれたと解説されております。
言葉で説いたのならそれは世俗諦に過ぎない
智者は世俗諦を聴いて悟れる
悟るのは自己の問題、悟りそのものは言葉に表現など出来はしない
聴いた事に対しての悟り、この悟りが第一義となる
言葉には出来ない
したとしてもそれは世俗諦にしかなり得ない
857 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 06:48:42.79 ID:JgpdrJ6m
仏法者が悟る時に言葉に出来ないその正体を詳しく言うとすれば それは智慧となる、智慧の解説はおじゃる辺りが詳しく出来ても 智慧をどう使ってどう悟ったのかは言葉に出来ない 故に第一義そのものは言葉に出来ない・語れないとなる 悟りとは智者が智慧を使った果報・結果の事なので 厳密に言うなら悟った内容は語れるだろう しかしそれは世俗諦にしか為り得ない
858 :
○○○ :2014/04/04(金) 06:53:33.18 ID:+9B8ezWf
>>835 >第一は、母胎に、意識せず入り、意識せず出る。
第二は、母胎に、意識して入り、意識せず出る。
第三は、母胎に、意識せず入り、意識して出る。
第四は、母胎に、意識して入り、意識して出る。」
四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない、A入胎時のみ意識あり、
B出胎時のみ意識を持たない、C三時に意識を持った
※解説では、@は凡夫、A80大弟子、Bは舎利弗と目連、Cは仏陀
細かい話ですが、貴殿引用の第三と私の手許のBとは少し異なっております。
舎利弗「尊い方よ、またある者は、知覚しつつ母胎に入り、知覚しつつ母胎にとどまり、知覚せず母胎から出ます。これが第三の入胎です。」
(参照:「長部経典V」春秋社の『自歓喜経』)
859 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 07:01:44.57 ID:JgpdrJ6m
>>858 この世界、特にこの地球は本来暗闇である事に自覚はお有りかな?
もしそれが自覚出来たならその知恵を以って考えてみたら良いかと
「この世界で有情は無情を制し獲たか否か」
この世界は無情の天下である事を我々は考えた事も無い
それが一切の誤謬の始まりなのであり、釈尊の結論でもある
それが悟りとも言える
860 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 07:07:06.09 ID:+s1jrQ0c
ポンコツ在家は、しっしっしっ。 修験道崩れの産物の程度の宗教で無理して書き込むなw
861 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 08:07:56.04 ID:JgpdrJ6m
外道であれ内道であれ、正しく経論を学んでれば等しく知っている筈の事が一つある それは、本物は判で押した様な解答をしない事、詳しくは経論を引いて答えとしない事、である事を 智慧を以って真剣に答える故に、自在の方便力を以って自分の解答を語る 何故なら、筏は既に不要だからだ、筏に頼る事をせずとも答えは既に得ている、必要あらば引く事は厭わない 私の目的は見栄やハッタリや功名心や承認願望を満たす為ではない 解脱を身近にし、悟りの敷居を下げられたら本望だと思っている 解脱への道が身の丈以上の高き壁になってる現状を鑑みて、その理由を考えてみた 仏教には大まかに二大潮流がもともと有り、一つは正統派の道元師の様な平易な行法を打ち出した流れ もう一つは、真理獲得に神秘性を持たし難解にしたがる流れ、と言う感じ 今の一大勢力は神秘性に教説を埋もれさせ、白法穏没とさせてしまった感が否めない 悟れる機会があるなら、公序良俗に反しない可能な限りに於いては悟ってしまった方が良いのである 真理を知るのに資格など存在しない、縁が有るだけで十分なのである、縁起故に
862 :
悟りは迷妄 :2014/04/04(金) 10:30:48.29 ID:3/X9CKBV
そもそも、心とは「取る」「とらえる」もの(作用)です。 「心」という何かがあるのではなく、対象をとらえるのが心であり、瞬間瞬間の作用が心なのです。 まさに心と心の作用(相応部35-23)が一切における分別です。 だから、何ものにもとらわれない心というのは、あり得ないんです(*とらえるのがこころだから)。 ですから、仏教では、この状態(何ものにもとらわれない)に、「主語」がない(無我)のです。 ゆえになにかを『悟る』ということは対象化するこころがあるのであって、無我ではないのです。 そもそも、仏道の本懐は実存苦(貪・瞋・癡)の根本的超克です(相応部23-4)。 ある世界観の構築⇒真理の『悟り』が目的ではありません。 超越的な真理なるものはありません。 ですから、娑婆で暮らすにおいて、 この本懐(貪・瞋・癡の根本的超克)の様相から逆算して測るしかありません。 まさに<日々是好日>です。
心随萬境転 転処実能幽
864 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 10:52:19.58 ID:V4PjwAT+
それは見跡に過ぎない安易な結論と言わざるを得ません 仏教の悟りとは”真理”を知る事です、なので何も知る事が無いのは真理になり得ません 心が真理を知るに対して最終的な障害となるのは自明の理です しかし、多くの行者が勘違いして陥っているのは、その障害になり得る心を滅尽した その先に何かがあると考えている、これが大きな間違いなのです 何でも超克すれば良いなら煩悩の克服など不可能な事は、解脱できてれば解る事です 生存欲を超克したら帰って来れません 貪瞋癡の克服が出来てない御仁が先日荒れてたのが何よりの証拠でもあります 真理に超越的も減った暮れも無く、この世界の道理が真理なのです 輪廻転生の有無を有耶無耶に答え、一切無視を決め込む御仁の与り知らぬ事です 輪廻転生の事実は語るべき真理の一つでもあり、有耶無耶にしてはオカルト論そのままになるのです 断見に陥るのも心の処遇を処しきれていない証拠です 仏法はそんなに甘いものではありませんよ
865 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 11:01:42.50 ID:V4PjwAT+
>>862 因みに
>そもそも、仏道の本懐は実存苦(貪・瞋・癡)の根本的超克です(相応部23-4)。
に必要な要件は何だと釈尊は仰せか
866 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 11:10:30.93 ID:V4PjwAT+
言うだけ言って答えが遅い 遍知人(阿羅漢)でしょう つまり「遍く知れる人」=解脱した人 この人が貪瞋癡を超克し已わった人って事なんですよ 貪瞋癡の克服の要件は解脱であり、解脱の要件は真理を知る事です
867 :
十二支縁起 :2014/04/04(金) 12:14:35.84 ID:XI/s688U
十二支縁起の弱点は、十二支が無明からスタートすることにある。 そのため、無明を知らない凡夫は最初からつまづく。 逆観(@→K)においては、無明なくば老死なし、ということになる。 中村元氏は、竜樹が逆観を認めていることに驚いている。 さらには、順観、逆観の意義が不明なことも挙げられる。 これについては諸説あるようだ。 十二縁起自体、悟りへと導くのではなく、その逆、 悟れないように求道者を混乱させる。こんなもの知らない方がまし。 奥義を隠すための、カモフラージュの可能性もある。
十二支因縁、縁起〜は原初はもっと単純なものであり、十二支の形態は後世の人間による完成形〜 という見方は正しいでしょう。 何も十二支の一つ一つに焦点を当てて、また順観だの逆観だのとアレコレ言う事に何の重要性があろうか? 死を覚悟して死ぬまで淡々と生きる事に意味がある。真理など知る事に意味があるのではない。 真理などは人間が知りえないものと見極めよ。 仏陀ですら真理は知らなかった。知らないで構わないと気がついたのが仏陀。
870 :
悟りは迷妄 :2014/04/04(金) 15:39:26.32 ID:3/X9CKBV
<輪廻転生は一切外無記> 『<業報輪廻転生は事実なりとの見解の存する時、そのとき清浄の行がなる>ということはない。 <業報輪廻転生は不実なりとの見解が存する時、そのとき清浄の行がなる>ということもまたない。 業報輪廻転生は事実なりとの見解の存する時にも、あるいは、不実なりとの見解が存する時にも、 やっぱり、生はあり、老はあり、死はあり、愁・悲・苦・憂・悩はある。 わたしは、★いまこの現生において★それを克服することを教える。』(中部63 改) ⇒相応部35-23・70 『このように、三時<前世(過去)・現世(現在)・来世(未来)にわたって生存が連続するというのは正しくない。 そして、そうなら、どうして三時にわたっての生存の連続が存在しうるであろうか(存在しえない)。』(龍樹 中論21-21)
871 :
悟りは迷妄 :2014/04/04(金) 15:42:54.95 ID:3/X9CKBV
<断見とは>
『・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、同じであるとするのが、
カッサパよ・・・これは常住であるという見解に到達する。 *常見
・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、違うものであるとするのが、
カッサパよ・・・断滅するという見解に到達する。 *断見
カッサパよ、これら二つの極端に近づくことなく、中道によって如来は法を説くのである。』
(相応部12-17 )
この相応部12-17の如来も、おかしな定義をする奴だなw
(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者という<業報輪廻転生の“主体者”←有我論>を明確に設定した上で、
▼そもそも業報輪廻転生が有るという見解を前提とする論の内部論争で<常見⇔断見>を提示している▼。
しかし、そもそも『業報輪廻転生が有るという見解』と『業報輪廻転生が無いという見解』の『これら二つの極端に近づくことなく』、
★業報輪廻転生論は検証不能の一切外の説話物語的妄想として無記(無視)←
>>870 ★というのが、相応部35-23&70、中部63の趣旨からの当然の結論だ。
★断見VS常見はともに相対間接現実における一切外の妄想でしかない★のである。
この経文にいう『中道』とは二つの極端を想定する二項相対対象化思考(世俗諦)であって、
矛盾なき様相(勝義)の示唆(空=中道=時空際断の如く)ではない。
この如来とやらは、まさに<混ぜるな!危険>を犯しているのである。
如来さん、ヘンですよーw
872 :
悟りは迷妄 :2014/04/04(金) 15:50:23.25 ID:3/X9CKBV
仏道の本懐たる実存苦(貪・瞋・癡)の根本的超克に必要なものは、 菩提心を前提として 初転法輪の通り、四諦八正道(中部26、相応部45-7、同56-3・31など)。 貪瞋痴の壊滅を涅槃という(相応部38-1) 菩提心凡夫が 『<知るべきもの>とは色、受、想、行、識であり、 *分別如理作意(中部2) 貪欲、瞋恚、愚痴を滅尽することを、<あまねく知る>といい(相応部23-4⇔33-1)、 それを涅槃という。 これを実現する道が四諦八正道である(相応部38-1)』 仏法において「解脱」とは、<「想い」からの解脱>(Sn.1072)以外にはない。 対象化不能ゆえ、「悟り」や「真理」なるものはありえないのである。
873 :
871悟りは迷妄 :2014/04/04(金) 16:15:53.20 ID:3/X9CKBV
871は如来さんへの誤解かも?w 如来さんの趣旨は、間接現実の一切外妄想である<断見、常見>を無視(無記)して、 ★直接現実の様相から還滅して(→中道)★法を説く、ということだろう。 小生の誤解だったのだろうw すまん。 反省。
874 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 16:58:05.41 ID:0v1pq4f9
>>870-871 第一義空経
「業報有りて、而も作者無し。この陰滅し已わって、異陰相続す。」
両親の精子と卵子と思いと行為が(業)有って我々は出生(報)した、而もその我々の作者は両親でも神でも仏でも無い
我々の種々の生存活動の果てに死は厳然とある(業)、死すれば燃やされ、骨と灰と気体になる(報)、しかも作者は居ない
>>872 >仏法において「解脱」とは、<「想い」からの解脱>(Sn.1072)以外にはない。
それは間違いではない
しかし、現実には実現可能でも、想い(心)無しで実生活は出来ない
即身仏としてそのまま物故するならともかく、実際の仏道とはそれを目指しては居ない
釈尊は確かに口が利けたからこそ教えを残せた、つまり、常人として成道後でも
普通の人として暮らせる道がちゃんとあるのだ
それが本物の解脱となる、何でも無し無し無視無視にはならない
不明瞭を無視しないのが真の仏心となる
875 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 17:14:18.53 ID:8FYcSz3b
>>872 経に書かれてる無視項目と、悟ったとか抜かしてる私の言い分が違うから猜疑心に陥っているのは良くわかる
経文は子供を躾ける為の戒めの傾向しか書かれていない
だから筏に執着してはいけないんだよ、筏なんだから
行じて、自分に起こる智慧を灯明としなさいって釈尊は今際の際に教えられた筈です
瞑想で悟った私が正しい〜なんてのは阿呆の戯言w
877 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 18:02:56.38 ID:8FYcSz3b
では行は何の目的で行うんだ?飾りかw 経論を学んでさえいればそれでいいならそんな楽なものはない 仏法は中道が信条なのであり、信行学のどれに偏っても仏道にならない 学んだ経論を吟味するには行による瞑想は不可欠で、これ無くして仏道は有り得ない 自灯明法灯明も然り
878 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 18:05:38.41 ID:8FYcSz3b
>>876 書き忘れ
釈尊は菩提樹の下で、経論なんか無かったので瞑想だけで悟って
「天上天下唯我独尊」を証明し、私が正しいって言った人ですよ
879 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 18:13:13.94 ID:8FYcSz3b
因みに、題目行も念仏行も阿字観行も全部瞑想の一種です 集中して禅定を定め三昧を得る事に特化してるだけです
>>878 その通りw
それを言えば仏陀は、仏陀は苦行の後に苦行を捨て中道に入って悟りを得た〜
で、仏陀と同様の悟りを得ようと思えば、仏陀同様に、苦行6年なり7年を得た後に瞑想をせねば悟りは得られない〜
と主張するに等しいw
私から見れば阿呆か?という一言。
仏陀から学ぶべきものは人間のやさしさ=慈悲の精神ですよ。中村元氏も晩年、宗教は慈悲と言っておられた。
881 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 19:42:39.50 ID:8FYcSz3b
>>880 >仏陀から学ぶべきものは人間のやさしさ=慈悲の精神ですよ
キリスト教徒になら「汝の隣人を愛せ」で「はい、わかりました」で済むでしょう
妄信すればそれでいい宗教なんですから
でも仏教は違いますよ?
浅学は何かと慈悲慈悲と慈悲を言いたがりますが
慈悲と言えども空なので縁起に因る訳です
縁起しなければ慈悲でも自立発起はしません
何を縁にするのか、それを縁に出来る境地とは何か
あなたはそう言う因果を一切無視して語っているに過ぎません
>>881 中村元さんとの出会いが縁起でしょうねえ。
人間中村氏との出会いではありませんが、伝聞、書物との出会いも縁起と言えましょう。
「仏教徒は違う」ではなく仏教徒もしくは仏教に関心のある人は全て慈悲を最高価値として据え置くべきでしょうw
883 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 19:51:40.17 ID:8FYcSz3b
どこが反するのか?
885 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 19:54:59.33 ID:8FYcSz3b
>>884 自分の智慧(知恵ではない)を頼らず他人の意見などに頼っている
自分の智慧(知恵ではない)から観た法を頼らず他者の書物や論に頼っている
仏陀の智慧に頼るから自灯明とは言えない〜と言うに等しいw そもそも、真髄を見て吸収して自らのものとすればOKなのを、言葉に捉われ 自灯明法灯明〜では何が自灯明法灯明なのか!と言いたいw 自灯明法灯明と言う言葉自体が仏陀の言葉だろうがww で、何に頼るっなって?w 馬鹿だと自覚していなければ、自らの思考能力の低いのを嘆く事です。
887 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 20:02:44.92 ID:8FYcSz3b
>>886 あなたは仏道で得る智慧が何なのかを知らない
だから軽んじているだけ
仏法に私的思考は禁忌です
邪見しか生みません
仏教なんて無関係な人間一般=大多数の人間にとり有用な考え方なり思考法なりとして仏教があるとも言え、 一部の固定的な仏教信者だけの為だけに仏教があるとするのは大きな間違い。 そもそも瞑想第一主義の人間は後者で、勝手に自分勝手な仏教の殻に篭っていなさいと言う事。 仏教は慈悲です。慈悲は生きとし生けるもの全てに対して安穏に生きてくれる事を願う事です。
889 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 20:11:02.51 ID:8FYcSz3b
>>888 あなたのそれは所謂お寺の信心や創価学会などの信心
それで満足ならどうぞお好きな様に
お寺の信心や創価学会などの信心が一言で「慈悲」と言えるのか否かは知りませんw 瞑想で殻に篭るのが小乗で、慈悲で他に目を配るのが大乗とは言えるかもしれません。
>>890 瞑想してない大乗があるなら教えてほしいもんだw
>>875 オレオレ仏教はお腹いっぱいですw
ありもしない仏教を作り上げて批判して、何がしたいのでしょう?
>>890
○○瞑想〜を言ってるだけですよw 心を沈める瞑想を同様に言ってはいません。
894 :
○○○ :2014/04/04(金) 21:16:50.57 ID:+9B8ezWf
>>835 布袋氏(童子と遊ぶので仮設)
>自歓喜経 第三章
> 第二は、母胎に、意識して入り、意識せず出る。
> 第四は、母胎に、意識して入り、意識して出る。
>>874 >両親の精子と卵子と思いと行為が(業)有って我々は出生(報)した、而もその我々の作者は両親でも神でも仏でも無い
精子と卵子の縁(業)だけでは私達は出生できていないかと思料します。
根拠は精子と卵子との結合を縁として起こった細胞分裂とは別に「意識」が入って来るからです。
死後に肉体は朽ちて芥(五大元素)となり、芥が縁起して細胞になりますが、
それと並行して死後に離れた「意識」には別の縁起があるということでしょうか。
また長部経典「等誦経」でも、舎利弗は意識の5つの往く先を説かれておりますので(経引くのみで失礼)。
と土日休みで嬉しいリーマンの拙い智恵出しです。
895 :
○○○ :2014/04/04(金) 21:48:54.37 ID:+9B8ezWf
>>894 >また長部経典「等誦経」でも、舎利弗は意識の5つの往く先を説かれておりますので(経引くのみで失礼)。
4つの入胎の法と5つの往く先の法とが繰り返し縁起しておりますようで。
海の底の事も宇宙のちょっと外の事も人間の遺伝子の事も、分かっている事は限定的なのですよ。 チベット仏教は仏教にあらず。 精子と卵子がどうのこうの〜をさも、コレが真実のように語るのは、現代用語で言えば、偽り妄想出鱈目です。 仏陀はその様な事は言っていません。 中有なんて後世の人間の造語に過ぎず、そのような後世の人間の作ったもの(=文化、伝統、伝承)など に惑わされない取り組み方は大事だとは思います。
897 :
十二支縁起 :2014/04/04(金) 23:09:15.73 ID:XI/s688U
>>869 >仏陀ですら真理は知らなかった。
ちゃぶ台をひっくり返さないでください。
十二縁起は、短い中論でわざわざ一章を設けて論じられている。
それがきわめて重要なものだという認識がある。
898 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 23:17:05.48 ID:8FYcSz3b
>>894 >細胞分裂とは別に「意識」が入って来るからです。
意識は脳の成果であり、他所から入りません
母胎内なら尚更です
899 :
神も仏も名無しさん :2014/04/04(金) 23:21:00.50 ID:8FYcSz3b
900 :
六支縁起の提案 :2014/04/04(金) 23:29:22.25 ID:XI/s688U
十二支縁起の問題点はすでに書き込んでいる。 そこで提案したのが六支縁起。順観・逆観の意義を含め再掲する。 順観・・・観(ビッパサナー)における観察(思考)順序 @色(名色)→A受(六処・触)→B想(愛・取)→C行→D識→E無明 逆観・・・止(サマタ)における集中(禅定)順序 @色(名色)→A受(六処・触)→B想(愛・取)→C行→D識→E無明
901 :
○○○ :2014/04/04(金) 23:48:13.74 ID:+9B8ezWf
>>835 >自歓喜経 第三章
> 第四は、母胎に、意識して入り、意識して出る。
>>898 >意識は脳の成果であり、他所から入りません
自歓喜経と矛盾するようですが。
脳が死んだら意識も消えるならば普通の常識、断見のようにも思います。
釈尊が説く必要も無ければ、舎利弗が歓喜するのも不自然です。
あ、そうそうw まさにビッパサナー サマタとかの瞑想云々が阿呆〜って言いたかったのですw だって馬鹿そのものでしょうw
903 :
六支縁起の提案 :2014/04/04(金) 23:53:43.75 ID:XI/s688U
六支縁起では、無明を滅することを目的にする。 だから無明が最後に置かれている。 過去世だとか、来世だとかの珍説を排除することもできる。 では実際に無明を洞察できるのか。然り! 色(名色)が最初なのは、小空経の(まだ身体が残っている)という結末、 その結末からスタートすることを意味している。 六支縁起で、この身体が本当に空なのかという検証をする。 運が良ければ、順観で神霊(甘露)と出会い、逆観で霊魂(自分)と出会う。 真理とは、神があり霊魂がある、ということだ。
904 :
やれやれ、わっちゃー 名を失った名無しさん :2014/04/04(金) 23:57:18.30 ID:mKOLgvX2
>>902 バッティングの練習で素振りが不要とでも?w
ピッチャー役に色々な球を投げさせて、それぞれに対してどう打つかを検討する行為が愚かだと?w
パソコン眺めてるだけじゃ不健康だぞ?
ノシ
906 :
○○○ :2014/04/05(土) 00:01:54.60 ID:x90BXM7m
>>901 >脳が死んだら意識も消えるならば普通の常識、断見のようにも思います。
異教の行を積んで強烈な霊動を体験した者は自身の脳以外の存在が体を動かし得ることも覚っております。
臨死体験者の中には臨終中の訪問者と彼らの会話を記憶しており、更に自身を上空から見ることも体験しております。
このような事例を知っております故に、自歓喜経の「母胎に、意識して入り」という仏説を断見できない次第です。
907 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:04:03.09 ID:me+mZghE
>>896 >精子と卵子がどうのこうの〜をさも、コレが真実のように語るのは、現代用語で言えば、偽り妄想出鱈目です。
顔横鼻縦
悩乱していて真実が真実だと観れませんか
お気の毒に
>>905 相変わらず下手な比喩全開でご苦労様ですww
>>907 仏教が重い〜大事〜というのはそう捉える人だけで、軽い、がココは重要だと捉える人間もいるw
で、中有を真実とか見る人間は阿呆としか思えませんと言う事ですww
911 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:09:28.41 ID:me+mZghE
>>901 >>906 >脳が死んだら意識も消えるならば普通の常識、断見のようにも思います。
意識は脳が死ねば記憶・思考と共に無条件で消失します
身体は物体であり物質ですから役目が終われば次なる物質へ変じるだけです
身体の機能や形は失いますが、違う物質と変じて、それがまた縁によって変じて、繰り返して永遠になくなりません
心だけが脳の一時的な成果だっただけです
>>902 行もしないで仏教とか有り得ません
仏教学の学生さんなら別ですが、それじゃ悟れません
912 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:12:25.33 ID:me+mZghE
>>910 中有は不実です
一切内で検証できません
智慧を以ってしても媒体から確定出来ず因果率に反し縁起に則って居ません
故に中有は邪義となり、仏教ではなく外道の義となります
チベットは一枚岩ではないのでさも有りなんでしょう
>>908 そのまんま相似形だからだよ。
(特に現行上座部の)瞑想技術ってのは、
身心調整と感覚及び思考・考察の爲の練習であり実戦であるのだから。
まさに、バッターに於ける905のような効果が意図されてるわけ。
こういうこと言うとまた嫌な顔するだろうけど、
沙門果経、大念処経くらい読んでから瞑想云々発言しろよ・・・ orz
>>911 行をすれば仏教を分かる可能性があり、行なくして仏教は無い〜という認識が非仏教的なのですよw
そもそも行とは瞑想ですか?苦行ですか?共に「これさえすればOK」という認識が阿呆なのですよ〜www
915 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:17:35.05 ID:me+mZghE
>>914 仏教に於いて行とは智慧を得る方法を指します
大半は釈尊に倣って座禅瞑想が基本形です
智慧を得ない・用いない仏教はただのおすがり信心です
それを非難する気はありません
>>914 ああ、南伝やパーリが嫌いなら、
「普勧坐禅儀」とか「修禅要訣」とかも嫌いかね・・?w
あ、禅宗も嫌ってたか・・・w ┐(´ー`)┌
実践(実行或いは反復習得)なきところに成果があるとは思えんよ。
一度見ただけで(書物だけで)完全模倣できるなんて、北斗神拳じゃあるまいしw
瞑想馬鹿は仏教を語るな。 仏陀は苦行の後に瞑想で悟ったかもしれないが、瞑想は八正道の一つに過ぎない。 瞑想馬鹿は苦行6年も含めてやれw 瞑想だけやって仏陀を分かったように語る事自体阿呆。 そもそも特定の人間の立場など他人は分かりようがない。 仏陀の語った事の一部がうっすらと分かりうるかもしれない〜程度のもので、そのうっすらの大部分が慈悲だと言っている。
918 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:23:30.29 ID:me+mZghE
>>917 悟りは君でも得られますよ
そのままでは無理ですが、ちょっとの差で直ぐ可能です
この世界の道理を知りたいと思いませんか?
919 :
○○○ :2014/04/05(土) 00:24:25.87 ID:x90BXM7m
>>827 >十二因縁 別の読み方
> (無明)とは生まれる以前の煩悩迷いであり 闇から闇にうごめく衝動である
>(行)とは、過去世においてなした善悪の行為であり、これを縁(条件)として
>(識)とは、すなわち母体に意識が宿る事となる
十二縁起説は釈尊が菩提樹の下で繰り返し観想された悟りそのものだと伺っております。(参考:小部経典「ウダーナ」)
ある先達者から、真実の自己を知らない(無明)故に我執という業を生じ、我執という業を滅することができない故に、
無始からの流転を抜け出すことができない、と伺いました。
「十牛図」では牛(真実の自己)であり、達磨大師は「見性成仏」と説かれたのもこれだと思料します。
俺が一番嫌いなのいはセブンで、まあ好きなのがパーピマンですねww なぜなら、しこしこやることが仏教〜なんて阿呆以外の何者でもないからw「
>>918 >この世界の道理を知りたいと思いませんか?
阿呆の道理を知りたいとは思いますが、つまらんものだろうというのが先に沸くのでいかんともしがたいのですよw
922 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:29:59.45 ID:zS57UQzz
他人の悟りを疑う前に、自己が悟れるのかどうかを疑うべき そして自己が悟る事を信じるべき 信行学の信もこれに尽きます
もう何度も私は言っています。 悟りやら解脱やら志向するのは阿呆だと。 なぜ悟りやら解脱を志向するのか? 馬鹿じゃねえの?wwww
924 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:33:20.66 ID:zS57UQzz
>>923 大乗でも悟りは捨ててないでしょう
成仏って形で語り継がれています
仏教にとって悟りは飾りじゃないんですよ
925 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:34:30.70 ID:KiyDsYve
ってか、慈悲って無我(悟り)から出てくるものだろ。 まさか、自我の頭で出すものと思ってるんじゃないだろうな・・・? それはもはや仏教じゃなくて、慈善活動だ。 それを仏教と思ってるんなら、アホとしか言いようがない。
926 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:37:34.29 ID:zS57UQzz
>>925 無我は悟りでは無いですよ、事実なだけです
慈悲には対象と条件が付いて回ります
慈悲も空ですから自力発起はしません
縁が無ければ慈悲心も起こりません
この世界の全ては縁起で成り立ってますから
慈悲は悟りから出るものではないでしょう。 頭で捻り出すものでもないでしょう。 慈善活動が慈悲ではない。 慈悲の認識が甘すぎる。 成仏とは何か? 悟りと成仏と何の関係があるのか? そんなのは現代人は誰も知らない。 仏教を仏陀の教え、仏陀になるための教えと言うのならば 仏陀の言葉=原始仏典くらいは読んで書けということだ。
928 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:40:27.86 ID:9jEVbHcY
この世界は縁=運、で成立しているのでしょう。 運次第で全てが決まるという。 仏教はそれを説いています。
929 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:41:19.35 ID:KiyDsYve
>>926 縁起というのは無我と同義語ですよ。
縁起=無我=慈悲・・・ と言ってもいいかな。
縁起こそ慈悲の姿です。
しかしその縁起の世界は、無我にならないと出てこない。
慈悲には対象が存在しません。
なぜなら、対象 (個別のもの、我) があれば、縁起は破壊されるからです。
930 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:41:54.20 ID:zS57UQzz
931 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:43:06.14 ID:KiyDsYve
932 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:46:54.05 ID:zS57UQzz
>>931 無我は事実なので信じる信じない知る知らないに因らず既に無我です
よって、無我に気付いてなくとも縁起そのものは容易に体感できますし
慈悲心も体感できます
そして、縁起は金剛不壊の現象ですよ
933 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:50:34.94 ID:9jEVbHcY
無我が進めば進むほど縁起が生じやすくなります。 なぜなら自我が縁起を遮っているからです。 縁起とは、縁起物や縁起をかつぐと言われるとおりの 一回性のものです。 無我が進めば縁起は流れる様に生じやすくなります。
>>930 そうでしょうねえw
で、実生活で慈悲をいかに活かすか?
慈悲だ慈悲だと言っても実生活で活かせなければ意味が無い。
実生活で活かそうとすれば、無我だとか対処が存在しないとかいってられないでしょうねえw
無我やら対処が存在しなくてどうやって慈悲を実践できますか?
935 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 00:55:16.95 ID:zS57UQzz
>>934 あなたのそのやり方や考え方は如何なものかと思いますが
実生活で困らない様になる訓練が結局仏道修行な訳で、それ知らなきゃ難癖も後を絶たないでしょう
>>935 仏陀は実生活の向上法を説いた人ではない。
仏陀が説いたのは心理的な苦痛からの解放。
そもそもな勘違いで仏教に足を突っ込んでいる人間が何を言っても無駄。
仏陀は人間の物理的な苦痛、肉体的な苦痛からの解放については何も説いていない。
精神的、心理的な苦痛からの解放を説いただけ。
ここを勘違いしている輩が多すぎだな。
まるで仏陀の教えを極めれば全ての苦痛から解放されると勘違いしているw
転んで足を怪我したら痛いのは変わらんのだよwww
938 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 01:06:59.82 ID:RBs8oetc
>>937 >仏陀が説いたのは心理的な苦痛からの解放。
心理的な苦痛は結局行いに影響を与えます、身心不二ですから
仏道の諸学に身口意の三業を清浄にさせるのもそう言う意味からです
939 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 01:26:14.82 ID:9jEVbHcY
仏陀の教えは全ての苦痛からの解放です。例外はありません。 般若心経にも「能除一切苦」と記されています。 症例別の対処療法などと同じ扱いをされては困ります。
940 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 01:53:37.03 ID:RBs8oetc
>>939 苦は果報なので起きてしまったら縁滅しない限り自力では無くなりません
苦を開放しても苦を無くす方法も苦を避ける方法も何もありません
苦は苦果なのであり開放など出来る訳がありません
釈尊は能除一切苦の方法を煩悩の抑制法として教えたのです
鎮痛剤を見てみなさい
痛みと言う苦を直接消していますか?
痛む原因となる炎症を鎮めてるだけでしょう
痛みと言う苦を直接消す事は通常不可能なのです
もう少し道理を弁えましょう
941 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 01:55:31.65 ID:9IKFCf9t
「固定観念突破型道徳」(
>>679 ) の続
縁起、因果という時、時空をあらわしているではないか。
そこに変化があり変化は一瞬であろうと時間がともなう。
今ここ、ここここここ、今ここの果にあって囚われないありのままである。
「業報有りて、而も作者無し。この陰滅し已わって、異陰相続す。」
因果の因のすなわち原因は皆目見当はつかんが、
果はつねに現前す。
相続とは時間をあらわす、が捉えられない一瞬に今ここに、ここという否や
のここにたち現れている己にとっては、今は果の連続である。
しかしその果の連続の内実は、因の連続である。
果に因があり因に果が同時にあるから、今であり同時に過去未来。
もう一度言っておこう。我々の能力が今だけに限定されるとしても
その限定からもみえているではないか。
縁起、因果は時空をとらえた表現である。継続も然り。
果に対しての因は単純ではない、しかし
「業報有りて、而も作者無し。この陰滅し已わって、異陰相続す。」
因(作者)は解らずしても相続しているのだ、今。
その因果がどれほど経過は複雑であろうと、単純に結実している今、今。
今を生きよ、今を見よ。
942 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 02:01:32.30 ID:9jEVbHcY
>>941 高僧の文章ぽくしてますけど、
支離滅裂な意味のない病的文章ですよ。
943 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 02:03:41.53 ID:RBs8oetc
三世を観通せないのは最早仏法では無いですね 今だけに拘るのも執着に過ぎません 凡夫は今しか見えない、だから仏智に於ける法眼・仏眼が必須なんでしょうに
944 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 02:09:17.99 ID:9IKFCf9t
>>942 >高僧の文章ぽくしてますけど、
>支離滅裂な意味のない病的文章ですよ。
どこが。
945 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 02:09:58.11 ID:9jEVbHcY
まああれでしょう。 智慧も佛眼もない輩が努力をしていたが 焼きが回ったということでしょうね。 何ともこのスレ的ですよね。
946 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 02:11:08.89 ID:9jEVbHcY
947 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 02:34:26.67 ID:RBs8oetc
>>946 一つだけ苦言を失礼
>なぜなら自我が縁起を遮っているからです。
自我が縁起を遮ったら大変です、目が見えません
耳も鼻も口も体の感覚も意識も全て途絶えて生活できません
取りあえず、自我には体のどこを探しても自我なる実体が見つからない事を無我と言う
位で覚えとくと良いと思います
縁起は現象すべての事で、目で事物が見えるのも縁起です
眼だけあっても対象が無ければ見ることは適いません
また、対象が有っても眼が無ければ見ることは出来ないでしょう
こうして全ての事象・事物は原因が有って縁起して結果を得て成り立ってるんです
生意気に苦言など失礼しました
948 :
やれやれ、わっちゃー 名を失った名無しさん :2014/04/05(土) 02:41:11.83 ID:/dPTn0Dg
949 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 02:41:12.20 ID:9IKFCf9t
高僧を自分に当てはめたことはないが、高僧はいるぞ。 今後慎むがよかろう、きんぴら牛蒡ではなく、ちんぴら業方。
950 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 02:58:11.63 ID:RBs8oetc
破落戸にチンピラ呼ばわりされてもどうか?と思いますw
951 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 03:16:00.96 ID:9IKFCf9t
いや、呼ばわりでなく、チンピラはチンピラだ。 統合失調症の兎だな。 仏教でも治す事ができないが ひとつ提言しておこうか。 農業をしなさい。 手始めに小さなプランターでよいから種を植え、一生懸命 世話をしなさい。 自分の方が安易に依存し易い動物の世話ではなく、 言葉が遠い植物とともに生きて安らぎなさい。
952 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 03:42:15.23 ID:RBs8oetc
ここは自己紹介のスレでも自己分析のスレでも無いですよw
ウパニシャッドとリグ・ヴェーダを読んだ人はいますか? スッタニパータとダンマパダ、ウダーナヴァルガを読んだら、 ウパニシャッドを読みたくなってきました。 リグ・ヴェーダも読んでおきたい。
955 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 05:44:46.82 ID:vomYFE8X
942 :神も仏も名無しさん:2014/04/05(土) 02:01:32.30 ID:9jEVbHcY
>>941 高僧の文章ぽくしてますけど、
支離滅裂な意味のない病的文章ですよ。
大正解w自己陶酔キモいですw
>>928 >>933 頭弱すぎだなw、消防の仏教書読了後って感じ。
>>943 > 三世を観通せないのは最早仏法では無いですね
> 今だけに拘るのも執着に過ぎません
> 凡夫は今しか見えない、だから仏智に於ける法眼・仏眼が必須なんでしょうに
今以外、仏眼の備え付けようがなかろうよww
三世に拘るのは空を理解出来ておらず誤り。知ったかは消えなさい。
>>941 作家なき異陰相続は、作家なきゆえに可能である。アホはこれに引っ掛かる。
時間がなければ運動が不可能、実を立てなければ運動が可能。
今今今と言えば現在と思う厨房の読解力。
無為法、般若ハラミツ多時照見で、苦の愚かさを止める直観知の縁起の観である。
958 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 07:13:48.52 ID:ThLng5WB
>>956 >知ったかは消えなさい。
役に立たない智慧しか出ないならその行を止めるべき
即刻
959 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 07:15:46.08 ID:ThLng5WB
>>957 >苦の愚かさを止める直観知の縁起の観である。
そう言う想いは戯論故、涅槃では無力
960 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 07:29:50.10 ID:sKcNF5IB
>苦の愚かさ
苦に賢愚の分別は無い
>止める
苦を止めるには煩悩から止めなければ止まらない
>直観知の
スピノザに感化され過ぎ
>縁起の観である
別にそんなに力まなくても縁起は体感可能
結論、
>>957 は虐げられてるメンヘラの類で功名心から論破したがってるだけの小物
961 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 07:31:57.01 ID:QG2V7fVh
>>958 > >知ったかは消えなさい。
> 役に立たない智慧しか出ないならその行を止めるべき
> 即刻
役に立つ知恵をご教示あれ。
般若知レベルでどぞw
>>959 > >苦の愚かさを止める直観知の縁起の観である。
> そう言う想いは戯論故、涅槃では無力
どこが戯論なのだ?
涅槃では無力
↑
詳しくw
>>960 > >苦の愚かさ
> 苦に賢愚の分別は無い
アホw、苦に陥るのは、般若知の不在である。
> >止める
> 苦を止めるには煩悩から止めなければ止まらない
苦しみ悩むのを止めて下さい。
> >直観知の
> スピノザに感化され過ぎ
俺は読んでないな。トンチキなんじゃね?
> 結論、
>>957 は虐げられてるメンヘラの類で功名心から論破したがってるだけの小物
それに喝破される三品 乙
> 大正解w自己陶酔キモいですw
左手(利き手の反対側)で単発自演するクズは消えなさいw
963 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 07:43:59.27 ID:sKcNF5IB
>>961 般若知というものなど無い
涅槃も知らん様な者の与り知らん事だ
>>962 般若知と言うものが無い以上、不在も在宅も無い
苦しみ悩むのを止めるには因と縁を断ち縁滅させねば止まらない
尚、直観知などと言う仏教用語は無い
>左手(利き手の反対側)で単発自演するクズは消えなさいw
自己紹介乙
964 :
○○ :2014/04/05(土) 07:49:55.02 ID:x90BXM7m
他称「経論引き童子」の今朝の発見の紹介をば。。 答えて曰く、諸仏には、二種の説法有りて、先には、諸法を分別し、後には、畢竟空を説きたまえり。 若し、『三世の諸法に、通達して無礙なり。』と説けば、是れ分別して説きたまい、 若し、『三世は一相にして、無相なり。』と説けば、是れ畢竟じて空なるを説きたまえり。 (中略) 復た次ぎに、仏には、二種の道有り。 一には福徳の道なり。有る人は、仏の十力、四無所畏、四無礙智の十八不共法等を聞いて、恭敬、信楽心を生ず。 二には智慧の道なり。有る人は、『諸法は、因縁和合の生の故に、自性有ること無し。』と説くを聞いて、便ち諸法を捨離し、空中に於いても、心著せず。 (参照:つばめ堂通信「大智度論入門」第二十六(下)三世の有無)
965 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:00:02.43 ID:mqx8DoSN
ここでいつも議論してる人達って、生活費とかどう工面されてるんですか? ニート? 生活保護?
966 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:02:31.89 ID:sKcNF5IB
>>964 >是れ畢竟じて空なるを説きたまえり。
在家、意味わかってるか?究極の空を説いてるそうだぞ
無相とは固定された相が無い本来の相の事で、それはつまり実相の事
実相は固定相を持たない故に無常であると、無常故に空、しかも究極(畢竟)の空なんだとよ
967 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:04:49.58 ID:sKcNF5IB
968 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:08:07.88 ID:vomYFE8X
ポンコツ非仏教○○は消えてwしっしっしっ。 ポンコツ在家の自己陶酔の塊を相手しても餌やりに過ぎん・・・・ ま。餌やり行為で自己陶酔したい御仁も多いからなあw
969 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:09:50.02 ID:mqx8DoSN
>>967 わざわざそんな気取った言い方しなくていいよ。
はっきり答えれないの?
ナマポ?
970 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:11:33.56 ID:vomYFE8X
閻魔はナマボかもな。
971 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:12:37.99 ID:sKcNF5IB
>>969 何言ってんの?ナマポ?
事実として応供なんだが?
毎日生活とかそんなに大変なのか?
972 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:16:55.90 ID:mqx8DoSN
>>971 本物の寺の仏教僧ってこと?
衆生のお恵みでオマンマ食べてるの?
973 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:21:07.83 ID:sKcNF5IB
>>972 まあそれ以上は詮索するな
坊主では無い、ただの在家の一応行者だ
つっても白装束で山も登らない
974 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:26:48.04 ID:mqx8DoSN
要はニートみたいなものね。
975 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:32:04.23 ID:vomYFE8X
ま、対話する相手を選ぶ、(在家も含めて)のは大事な事だな。
だって文章の感じが偉いじゃなくて偉そうだもんなぁ
977 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:34:50.38 ID:sKcNF5IB
そうとも言うなw ただ家事とかは出来る限りやるから文句の一つも無いし 家に居る方が何かと便利だから追い払われる事も無い 金も使わんし、たまに総出で出かける時に序に買い揃えれば何でも事足りてる 飯は食い放題だしな 敵はメタボだけだな、気をつけてるけど
家事手伝いか
979 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:37:51.19 ID:sKcNF5IB
手伝ってはないな 邪魔して遊んだりはしてるが
子供なんだろうか
>>920 君に嫌われるってことは、或る意味
正しいことを正しく発言してるってことの裏返しだから、却って自信を深めるよwww
>>937 > 仏陀は実生活の向上法を説いた人ではない。
その通りでしょう。
> 仏陀が説いたのは心理的な苦痛からの解放。
ある面、その通りでしょう。
> 仏陀は人間の物理的な苦痛、肉体的な苦痛からの解放については何も説いていない。
ほぼその通りでしょう。
> 精神的、心理的な苦痛からの解放を説いただけ。
その通りでしょう。
> まるで仏陀の教えを極めれば全ての苦痛から解放されると勘違いしているw
“或る意味”そういうことなんですよ。
極端な諺を使えば、あばたがえくぼになるわけです。
痛みや疲労等の色合いが変わるとでも言うんでしょうかね・・。
いけ好かない上司の爲に茶を入れるのと、好きな相手に茶を入れるのとでは、「同じ労力」でも、その「受け止め方」が違う。
仕事なんかなら「やりがい」なんて言葉がよく使われたりもする。
鎮痛剤使いながらベッドで痛みをこらえるときも、当人の心の持ちようが『「痛み」の受け止め方』に作用しないとでも思ってんの?
緩和医療とかを馬鹿にしすぎじゃねーの?
今、末期に限らず、痛みや苦悩、憂いの緩和や解消への対処は、物理的・薬物的な事柄だけじゃねーぞ。
> 転んで足を怪我したら痛いのは変わらん
その通りですよw 大般涅槃経にある通りです。
> そもそもな勘違いで仏教に足を突っ込んでいる人間
自己紹介ですか・・ ┐(´ー`)┌
982 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:43:17.49 ID:vomYFE8X
981がセブンなのかあ・・・おはよう・・・
983 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:49:08.57 ID:sKcNF5IB
>>981 君が噂のセブンか
このスレで解脱したと抜かしてるアホとぶつかった事はお有りかな?
984 :
○○ :2014/04/05(土) 08:50:20.76 ID:x90BXM7m
>>966 応供氏
>実相は固定相を持たない故に無常であると、無常故に空、しかも究極(畢竟)の空なんだとよ
解説を有り難うございます。言葉の意味は分かりましたけど、それ以上はちと難しいです。
私の経論引きが縁で貴方のような解説が起こるのも縁起です。
また経論引きも馬鹿にせずに、根気良く。。。
自分は偉いと言ってアホとか書くから信用無くす
986 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 08:55:41.79 ID:sKcNF5IB
金貸しじゃ無いんでw そんな信用無用です
仏教サークルだわこれw
988 :
○○ :2014/04/05(土) 08:58:57.62 ID:x90BXM7m
>>981 多分ウルトラセブン氏
>君に嫌われるってことは、或る意味
>正しいことを正しく発言してるってことの裏返しだから、却って自信を深めるよwww
ここで、「君も私がいない方がよいと思うか?」との台詞を残して独り寂しく蝉の抜け殻になった菩薩を想起します。
また、「君が私の寿命の延長を望まなかったから。」との台詞を残して大勢の弟子にみとられて涅槃入りされた如来を想起します。
嫌われることも縁で色々と起こるのでしょう。
989 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 09:05:11.28 ID:sKcNF5IB
>>988 >君が私の寿命の延長を望まなかったから
望んでたら寿命が延びたと思いますか?
伸びたり縮んだりゴムじゃないんだからそう言う意味の訓戒じゃないですよ?
992 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 09:19:48.80 ID:N1eonkS0
君子危うきに近寄らず それも一考だねw
993 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/04/05(土) 09:20:08.21 ID:/9CBkJqn
なんだ? もう終了か? このスレもww 進行速すぎw 次スレたってるのか?
994 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 09:23:47.69 ID:N1eonkS0
>>963 > 般若知というものなど無い
ほう、ならば、お前も俺も無い。お前はアホだ。誰と話してる?
> 般若知と言うものが無い以上、不在も在宅も無い
よくそんなアホな文章かけるな。> 般若知というものなど無い だけで十分なのに。
> 尚、直観知などと言う仏教用語は無い
般若(⇔知的理解、頭の知)の知。
尚、そんな付言は必要無い。
996 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 09:32:30.54 ID:MXQtbVu0
>>995 智慧と知恵は別物
知恵は思考によって得られる
智慧は思考では得られない
般若は得るもの自体が無い
悟ってなければこの意味が解らない
悟りに必要なのが般若(プラジュニャー)だから
997 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 09:37:47.61 ID:5OVsR1a+
一切と一切外の混同傾向を「朝鮮仏教化」という。 経験的事実と妄想ウソの区別がつかない状態をいう。 このスレでは〇〇〇在家と三毒如来が典型だ。
>>996 > 智慧と知恵は別物
> 知恵は思考によって得られる
> 智慧は思考では得られない
> 般若は得るもの自体が無い
> 悟ってなければこの意味が解らない
> 悟りに必要なのが般若(プラジュニャー)だから
悟っているのか?
まあ、悟ってないだろうな。そんなつまらんことを言うくらいだからな。
般若とは涅槃からの土産なんだよ。般若とは仮に付けた名だ。
999 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 09:41:00.53 ID:MXQtbVu0
差別心と分別の捉われは心眼の穢れてる証拠、かな 二項対立を妙に嫌う御仁本人が二項対立主義という
1000 :
神も仏も名無しさん :2014/04/05(土) 09:42:47.26 ID:MXQtbVu0
1001 :
1001 :
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