マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.12

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1神も仏も名無しさん
前スレ

マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.11
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1372257286/

マハシ
日本テーラワーダ仏教教会
http://www.j-theravada.net/
上座仏教修道会
http://jyouzabukkyo.jp/information/senninbiku.html
グリーンヒル瞑想研究所
http://www.satisati.jp/index.htm

ゴエンカ
日本ヴィパッサナー協会
http://www.jp.dhamma.org/index.php?L=12

パオ
http://paauk.jp/index.html
2神も仏も名無しさん:2014/02/22(土) 05:43:33.04 ID:ecS5pxsP
マハシ式のテキスト(テンプレ)

気づきと智慧のヴィパッサナー瞑想 (入門者のための理論と実践)
http://www.amazon.co.jp/dp/4905425026/

ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法
http://www.amazon.co.jp/dp/4877315934/

PDF
<マハーシ長老によるヴィパッサナー瞑想の実践法>
http://www.mediafire.com/view/?vduj3asz6tvts5i

Vipassanaa Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法
http://gotami.txt-nifty.com/mahasi_pa_japan.pdf

チャンミェサヤドーの瞑想指導pdf
http://www.mediafire.com/view/?4o9qtscl9uelozc

マハーシ長老のヴィパッサナー瞑想法
初心者指導・日本語訳音声。

翻訳:ウ・コーサッラ西澤長老
音声:天野和公さん

http://www.mediafire.com/play/yxicz7f9mmwdjwm/mahasi%2Bvipassana%2Bdiscourse%2Bjapanese-gained.mp3
3神も仏も名無しさん:2014/02/22(土) 10:11:23.23 ID:ecS5pxsP
『マハーシ長老によるヴィパッサナー瞑想の実践法』翻訳:ウ・コーサッラ西澤師 協力:ウ・スジャータ藤井師

http://www.mediafire.com/view/?vduj3asz6tvts5i
4神も仏も名無しさん:2014/02/22(土) 10:17:16.47 ID:ecS5pxsP
アシン・テジャニヤ師 - 瞑想に対する正しい態度とは? -
日本語訳: Ven. Nanajoti

http://sayadawutejaniya.org/wp-content/uploads/2008/08/Right_Attitude_Japanese.pdf
5神も仏も名無しさん:2014/02/22(土) 12:16:10.26 ID:qRB0ZOfD
おまえらの神秘体験は脳貧血だから。
6神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 03:35:44.66 ID:TTFRckSq
それはやっかみと言うものだね
釈迦自体が神秘体験を何よりも重んじているではないか
 
それから般若の「空」を信じているなら、「空」こそは画に描いた餅であり、
永遠に体験できない概念でしかない。ちっとも有難くない。
風車に挑むドンキホーテみたいなもの。
 
しかし縁起の「空」なら「悟り」の入り口である。
それは彼岸に渡る筏であり、彼岸に至れば捨てられる道具のようなもの。
縁起 〜 これあればかれがあり、これなくばかれもない
縁起の「空」は認める。「観」の基本ツールだね。
7神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 03:53:47.02 ID:TTFRckSq
四諦八正道も「観」の基本ツールだね。
苦集滅道は因果関係の重要性を指摘し、苦の滅に八正道を教える。
 
これを批判する人は、八正道の「正しさ」とはいったい何かとかみつく。
しかしこれは転倒であって「正しさ」を知るために八正道がある。
試行錯誤の連続をしながらある日、真理に至る。
 
ただし、八つに細分された八正道自体には問題がある。
単純に、何が正しいのか、何が善いことなのかを考えながら生きれば十分。
知識無用、まったくの無学でも悟ることができる。
8神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 04:13:36.38 ID:TTFRckSq
無明から始まる十二支縁起、これはどうなんだろう?
八正道と同じで細分しすぎだし、悟った後でないと理解できない代物だな。
悟る前に、苦の根源は無明だと説かれても実感がない。
 
十二支縁起(順観・逆観)を唱え、いくら研究しても悟れないと思う。
それを裏付ける体験が欠けている。→ 十二支縁起は無用
9神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 09:23:22.74 ID:1qdRDKx0
釈迦の言う中庸を理解した方がいい。中庸とは普通になることだ。お前は異常になることを
目指している。
人は自然な状態。ナチュラルが最も心地よくて幸福なのだ。それは自然になってみると解る。
10神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 13:28:28.38 ID:dzmvTikl
Sn.1042「かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)
中間にも汚されない。かれを、わたしは<偉大な人>と呼ぶ。
かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」
 
両極端を知らなければ、中間(中庸)の知りようがないではないか。 
釈迦はさらに、「中間にもこだわるな」と教えている。
11神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 14:16:44.90 ID:1qdRDKx0
釈迦は人殺しなど極端はしていないが、人殺しの意味を理解しているだろう。
普通の人も同じだよ。
やってないことは解らないと思うのはやったことのある者の思い込み。
12神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 14:58:31.40 ID:dzmvTikl
前スレ>>998の「変性意識」は説明不足だったので補足する。ネットでは
変性意識状態とは、日常的な意識状態以外の意識状態のことである、とある。
わかりにくいし、誤解を生じさせるような、曖昧な定義ですね。
  
日常的な視界は、意識と現実が関係することで成立している。
睡眠時、瞑想時、坐禅時、臨死体験時の視界も、意識と周囲の映像が関係する
ことで成立している。意識自体が変性しているわけではない。
わたしという意識が変性することなどない。睡眠時の意識を調べたら明白。
集中度に深浅はあるが、意識が置かれた環境が異なるに過ぎない。
→ 結論、変性意識という意識は存在しない。
13神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 15:26:40.37 ID:dzmvTikl
Sn.1042は、人殺しの話ではなく、世間への執著かもね。
世間に執著することと、世間に執著しないことが両極端になる。
その中間は、熱くも冷たくもなく、なまぬるい。
14神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 19:54:46.62 ID:VOXM8Mus
中村訳「悪魔との対話」にある梵天勧請を読めば、悟った後に梵天が現れる。
滅尽定を経、霊魂と出会い、成道してから梵天が登場する順序である。
わたしの体験から言っても、これが正しい順序だと思う。
 
わたしの場合は、三途の川の向こう側に行くことを龍神に拒まれた。
龍神の背に乗ったまま禅定が緩み、坐禅が終了した。
その意味がわからないから、その後、再度三途の川に出かけて行く。
しかし、三途の川に架かる橋の行く手を、高級霊と死んだ身内の霊によって
阻まれた。こっちに来るなという無言のメッセージに圧倒された。
そんなことがあったから、ネットで体験を語るようになったのかもしれない。
15神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 20:05:02.98 ID:VOXM8Mus
この話に登場する、龍神と高級霊が不可解過ぎてわからなかった。
龍神はなんとなくわかってきたが、高級霊のことがまったくわからない。
姿形があるのに顔が見えない。顔のないムハンマドの肖像画と同じ。
でもそれが、高貴な霊であることは一瞬でわかった。
 
そういえば龍神の恐ろしい顔も見なかったな ♪
16神も仏も名無しさん:2014/02/23(日) 23:19:16.82 ID:m9SxqysX
滅尽定をやったら阿羅漢らしい。はたしてそうなのか。
釈迦は滅尽定から霊魂体験をして成道するが、説法しようとは思わない。
悟りは個人的なものであり、説法の動機にはならないからだ。
 
釈迦は梵天勧請で初めて説法しようと傾く。
梵天勧請を作り話だと思うかもしれないが、自分の体験から思うに、
この話には精神的な意味での真実性が感じられる。
 
慈悲心がないと龍神体験はできない。ここで自分以外の他者が登場する。
この体験によって阿羅漢、応供という関係が周囲と成立するのではないだろうか。
似たような体験を含め、龍神体験をすることで阿羅漢になると考えたい。
17神も仏も名無しさん:2014/02/24(月) 04:58:57.75 ID:RVMtJGRM
 強い信念は現実になる。人は信じたとおりの物を見て信じたとおりの者になる。
臨死体験で見る世界は文化的背景でそれぞれ異なる。
 若い人だと竜神よりもトロルを見るかもしれないな。
 
18神も仏も名無しさん:2014/02/24(月) 10:43:08.10 ID:PoAdLHBS
無神論者や摂理信者は
19神も仏も名無しさん:2014/02/24(月) 11:16:53.81 ID:zBjwS4rZ
自分の空想の世界と深い瞑想で得られる真理の世界をごっちゃにしてはいかんぞ。
20神も仏も名無しさん:2014/02/24(月) 21:17:20.90 ID:w/J238E5
>>17
龍神には無関心、龍神などまったく考えていなかったから、
坐禅をして龍神に出会ったことにびっくりしたよ。
>>18
無神論者や摂理信者でも、ある日突然、神霊体験をする可能性がある。
ただし物事には順序があり、龍神体験は最後の最後だね。
>>19
意識と空想は別物であり、空想は意識的にならないと展開しない。
最初にメインテーマ、次にだいたいのデッサンと意識的に構築していく。
夢や瞑想などでは、荒唐無稽な映像が向こうからやって来る。
21神も仏も名無しさん:2014/02/24(月) 21:26:41.02 ID:UbEZzAfY
>>20
それほどの瞑想の境地に達してるのなら阿弥陀様の浄土も見えます?
是非、浄土の存在を確認していただきたい。
22神も仏も名無しさん:2014/02/24(月) 21:39:01.80 ID:w/J238E5
>>21
阿弥陀も大日如来も久遠仏も作り話だよ。
しかしあの世はあるよ。春のような、のどかな風景が広がっている。
それを見、そこにどうしても行きたいと思ったが行けなかった。
 
不思議なのは人の姿がまったくない。太陽のない青空と草や丘ばかり。
それに空気や風景に不思議な透明感があった。
竜の背に乗って遠望した。
23神も仏も名無しさん:2014/02/25(火) 11:37:05.43 ID:6e2+SDai
ヴィパサナーも流派があるんだね
それぞれの特色を観るのも面白い
24神も仏も名無しさん:2014/02/25(火) 22:50:37.90 ID:7S/OLLp2
 空想の世界で遊ぶというのもいいものだね。
皆は赤ん坊のころ、お袋の膝の上で「竜神物語」とか聴かされて眠りに
ついたんだろうね。ほほえましい。
25神も仏も名無しさん:2014/02/26(水) 04:30:35.72 ID:uNHxOh20
>坐禅をして龍神に出会ったことにびっくりしたよ。

何故手には5本の指なのか? ということをすこし考えたら別に不思議じゃないでしょ。
26神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 00:59:48.17 ID:TR9aKYxO
空想は意識的にやる。「わたし」という自己意識が空想の作者になる。
夢や坐禅の場合は、周囲の映像に自己意識が放り込まれ、
たいがいは周囲の映像に翻弄され、その映像をまったく左右できない。
 
夢の中に登場する「わたし」は、昼間の「わたし」と何も変わりない。
夢を見ながら、何かを感じ、状況を判断しながら行動している。
自分が何者かを知るには、目が覚めてから夢の中の自分を思い出したらいい。
 
竜を見たのは夢ではなく坐禅中の魔境だけど、
信じられなければ信じなくていい。信じる信じないは聞く側の自由だよ。
しかし、夢でもいいから、竜の背に乗りたいと思わないか (^^) 
27神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 01:19:08.24 ID:TR9aKYxO
自分の手足は見慣れているからね。犬猫も見慣れている。
でも、初めて見た象やライオンには感動したよ。
 
竜の場合は、単なる空想の産物だと思っていたから、
まったく相手にすることもなく、バカげた子供だましだと忘れきっていた。
しかし、坐禅中に竜を見、その思いが砕かれたw
 
こちらの動きで竜が動き、竜の動きでこちらが動く。
何年も経つが未だに、生きている竜がいたことにびっくりしている。
28神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 13:43:24.55 ID:PfKwVH7W
昔ヘミシンクやったときにちかい体験はしたな。竜には遭わなかったけど。

あれやると比較的簡単に別次元にいけるよ。リアルな体感だった。
瞑想なんかやったことほとんどない頃だったのに。

まあフォーカスなんとかとかあんまり興味なくてすぐやめてしまった。
29神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 13:47:51.35 ID:PfKwVH7W
ヘミシンクスレにいくと、リアルな体験談がたくさんある。
単なる妄想、狂気と言い切れないような、別次元での高次的存在との邂逅。

でも、ヘミシンクやってて思ったのは、あんまりあれって、精神的にしろ心理的にしろ、
「成長」にはつながっていってないような・・・
それでやめてしまった。

ただ、そういう探求の仕方もあるのかな。よく知らんがシュタイナーとかスウェーデンボルグとか。
龍神にあったって人はヘミシンクとかやってみたらいいだろうな。
30神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 14:31:58.99 ID:kzVM4OV1
31神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 18:24:12.04 ID:tzGSj3V9
そもそも悟りの世界は認識の彼岸であって、直観や概念を放棄した主観と客観がなくなった、忘我の状態なのであって
瞑想中のイメージは認識という意欲がまだ存在している証である
32神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 18:36:44.21 ID:sOyMYZhd
アラハン、応供の意味はだいたいわかってきた。
では次に「如来」とは何だろう ?
 
この世にやって来る体験はひとつしかない。
滅尽定から涅槃定に入り、神界で霊魂になり、その霊魂が再び
この世に帰還する。これが成道だが、この成道を描写したものに他ならない。
かくの如くやって来る。だから「如来」という。
 
如来は神界からやって来る者であり、同時にそれを見る者でもある。
空海の「谷響きを惜しまず、明星来影す」〜 これが如来誕生の瞬間ですね。
信じられないだろうが、わたしも坐禅中、まったく同じ体験をしたよ ♪
33神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 19:18:15.86 ID:sOyMYZhd
>>28-29
ネットで調べたが、ヘミシングには興味がまったく湧かなかった。
というか、神も自分自身も龍神もすでに体験している。
単なる荒唐無稽な幻覚では、無意味であり、有害でしかない。
>>31
>そもそも悟りの世界は認識の彼岸であって・・・
これが間違っている。意識と対象が関係することで認識が生じる。
五感の対象が無くなると、意識が消失したかのような状態になる。
これが滅尽定だが、これでは全身麻酔と変わりがない。
全身麻酔を体験しても悟ったとは言わない。
34神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 19:49:58.44 ID:tzGSj3V9
全身麻酔の状態でどうやって坐位を保つことができるのか、薬物で脳中枢を麻痺させているのとは根本的に違ううだろ
35神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 21:01:15.38 ID:sOyMYZhd
全身麻酔は、薬物で神経をマヒさせ、意識と五感の関係を強制的に遮断する。
そのため、手術時の記憶が飛んでしまう。
これは意識を通過しないと記憶が成立しないという証拠でもある。
 
これに対して坐禅は、対象からの刺激を意識的に断つことで、
意識そのものになろうとする。滅尽定・涅槃定に入ると、マナ識が活性化し、
これらを監視し、評価し、記憶しながらフォローしている。
 
薬物ではなく、坐禅だからこそ、マナ識が活性化するのだと思われる。
マナ識を活性化させることが「心眼を開く」ということであり、
このマナ識が坐位を保たせ、自分が自分を見るという成道を可能にする。
36神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 21:08:39.02 ID:u2UFV7CJ
 で竜神をみたら心眼が開いたの?
37神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 21:25:56.38 ID:sOyMYZhd
心眼とは意識の「肉化」のような感じもする。
涅槃定においては、意識そのものは神界にあるのに対し、
マナ識は地上に残された身体にある。
魂魄という言葉があるが、魂が霊魂・意識そのものであり、
魄がマナ識になるかもしれない。
>>36
竜神はアラハン・応供の話ですね。レスを読み返してください。
38神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 22:03:16.95 ID:u2UFV7CJ
 智慧が発現するとか、心眼が開くとかまあそういうことが起こるのならともかく
ただ竜神に乗ったとかなら妄想とおなじことでは?
39神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 22:16:20.10 ID:sOyMYZhd
マナ識が肉化しているならば、心眼を開いても麻酔が効く理由がわかる。
麻酔は意識そのものには無効だが、肉化したマナ識には有効だ。
だから麻酔は悟り人にも有効になる。しかしマナ識がマヒするから、
麻酔専門医の管理下で全身麻酔が行われる必然性が生じる。
 
ではアラヤ識とは何だろう。マナ識より、もっと意識そのものに近い。
わたしという自己意識は霊魂であり、その霊魂を覆っている死んだ識である。
その人らしさだが、死んだ識!だから肉化することもない。
それゆえ麻酔は効かず、その人らしさが手術前後で変化することもない。
アラヤ識を消滅させることが解脱なのだが、手がかりがない。
40神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 22:31:10.88 ID:sOyMYZhd
>>38
竜の背に、乗れるものなら乗ってみたらいいよ。
  
それよりも竜の夢さえ見られないと思う。
41神も仏も名無しさん:2014/03/01(土) 08:56:41.97 ID:08bgQ4nT
別に龍の背中にのらなくてもいいと思うが、WWW
でも空を飛ぶ夢は時々みるな。平泳ぎでスイスイと空を泳ぐ。

 やりたくてもできないことは五万とあるのに、それを一々憂鬱に思ったりしないだろ。
夢で龍の背中に乗れたら「よかったね」とは言ってあげられるけど、そんなものは
夢でも現実でもどっちでもいいんではないのか?

>アラヤ識を消滅させることが解脱なのだが、手がかりがない。

俺には簡単なことにおもえるが。WWW
42神も仏も名無しさん:2014/03/01(土) 17:41:27.61 ID:HvkDOkOm
>>41
いろいろ体験したようだから、それを具体的に書いたらどうだろう。
キミに救われる人もいるかもしれない。
 
キミのは話は何が言いたいのか、さっぱりわからない。
出し惜しみしないで、体験したことを正直に語ればいいと思う。
体験を語れないなら相手にしたくないなw
43神も仏も名無しさん:2014/03/01(土) 20:15:54.51 ID:f1f96aFo
>>39 の前半部分は保留したい。間違っている可能性がある。
全身麻酔と脱魂現象での「マナ識」の位置づけがどうもはっきりしない。
もうすこし考えてみたいと思う。
 
話を「如来」に戻したい。
神界の霊魂が地上に生還することを「如来」と定義するなら、
阿弥陀も大日如来も薬師如来も「如来」ではない。
これらは架空の存在だしw問題外w
 
しかし釈迦は完全な如来であり、空海も如来の一員になるかもしれない。
空海が如来なら、夢窓国師も如来になると思う。
44神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 11:01:46.75 ID:cEF8jSRc
「アラハン(応供)」とは、梵天勧請に応じた如来をいう。
「如来」とは坐禅中、滅尽定・霊魂体験をし、成道した求道者をいう。
アラヤ識を清算した人のことである。
 
これに対して「菩薩」は、大乗の空想であり、実際には存在しない。
なぜなら、アラヤ識を清算しない限り、人間は徹底して自分中心だからである。
できることはせいぜい「利他を心がけること」ぐらい。
この程度なら「求道者」に過ぎない。
45神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 12:25:00.65 ID:cEF8jSRc
浄土の有無については微妙だ。
(個人的には「神界」と区別して「浄土」を「霊界」と表現している。)
三途の川の向こうに霊界を少し見たし、川の近くで霊的存在も見ている。
そういう意味においてなら「あの世」があることを認める。
しかし、阿弥陀の浄土があると主張されたら、引く。

他力の問題は、「苦労して悟るべきはずの体験」を偶像化し、
悟ろうという気持ちを放棄させる点にある。
何かを信じれば「心の安らぎ」を得るのだろう。しかしその代わり、
偶像化された教義に支配され、左右される。
→【他力信仰は必然的にカルト化する】
46神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 13:01:01.88 ID:cEF8jSRc
梵天勧請を受けた後の釈迦の詩句
 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。
 おのが信仰を捨てよ。
 
「信仰を捨てよ」と釈迦が言っている。
信仰を捨て、苦労しても自分で「甘露」を味わえと教えている。
甘露とか神霊(聖霊)とか呼ばれるものがあり、
それとの出会いが観(ヴィッパサナー)の完成なのである。
 
仏教も神道もキリスト教もイスラム教も全部捨ててしまえ。
そして「甘露」を探しなさいと教えている。
47神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 15:06:26.40 ID:iy02YQ1p
>46
 君の体験は嘘だとは思わない。言いたいことも良くわかる。
でも何故そんなに悟りたいの?
 釈迦と同じ体験をしてみたいということだよね。もちろんそれもありだとは
思うが、別に釈迦の体験を逐一しなくても自分を体験したらいいのではないか?
48神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 17:30:57.59 ID:xgxO5ycW
>>47
>でも何故そんなに悟りたいの?
生まれながらの運命かもね。幼い頃、蛇が枕元にいたらしい。
事情があったが、それだけ放ったらかしで育った。
 
>釈迦と同じ体験をしてみたいということだよね。
というか、もうすでに全部体験したよ。30前後で主要な体験を終えている。
 
>自分を体験したらいいのではないか?
宗教に興味がなかったから全部自分の体験だよ。借り物ではない。
49神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 18:03:16.05 ID:xgxO5ycW
マルクスは「宗教はアヘンだ」と言ったらしい。
このごろつくづくそう思うようになった。
 
洗脳され、教団や教義を信じ込んで安心している信者の態度は、
アヘン中毒者となんら変わりない。
 
大麻を吸って魑魅魍魎を見、その幻覚を悟りだと錯覚する人もいる。
かれらは表面的であり、幻覚の精神性を見ることがない。
 
信仰をやめよ。〜 大麻をやめ、アヘンをやめよ。
素面で神を探そうではないか。神と一戦まじえようではないか。
50神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 19:23:07.55 ID:qGtzoAt0
瞑想の効果はすごいですわ
特にヴィパッサナー瞑想はすごい
変な先入観や予期不安が消えます
51神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 22:01:06.05 ID:iy02YQ1p
水の上を歩くことはできないし、空を飛ぶこともできない。だからと言って何か
不都合があるのだろうか?
 できないことは無限にあるが、出来ることだって無限にある。できることに注意を
向けて今を生きるなら悟りの段階がどうだとかは全く気にならないと思う。何故今を
生きることが出来ないのだろう。

仏陀にしかできなかったことはあるが、仏陀にもできなかったことは無数にある。
仏陀は一時代を生きた人だ。
彼の説法はその時代のその地域のそこに集まった人に向けて行われた。当時が
小学生だとすれば今我々は大人ではないか? 小学生に向けられた説法をいまだに
真に受けるのだろうか? それとも人類は当時から全く進歩していないのだろうか?
52神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 23:10:30.10 ID:ldOh/hpg
>>47
>でも何故そんなに悟りたいの?
 
48は不十分な答え方だった。逆に質問した方がいいかもしれない。
たとえば真宗信者なら、今生で悟れないことを、なぜ知ることができるのか。
なぜ自分の可能性を見捨てられるのか。
 
かりに輪廻があるとすれば、阿弥陀が方便だから成仏できない。
アラヤ識が清算できていないからだが、あの世での清算は不可能だろう。
極楽ではなく、地獄に落ちて苦しまないと清算できない。
だからこそ釈迦は「苦集滅道」を説いている。
53神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 23:32:47.92 ID:ldOh/hpg
>>51
>水の上を歩くことはできないし、空を飛ぶこともできない。
悟りとはそういった超能力を目指すことではない。
神霊と出会い、アラヤ識を清算することだ。
 
>当時が小学生だとすれば今我々は大人ではないか?
釈迦の教えは、教えを実践、悟りを体験させることを目標にしている。
体験を素通り、教えを強調、展開することは転倒だろうと思う。
 
釈迦は「信仰を捨てよ」と説いている。
簡単に言えば、聖書も経典も捨ててしまえと言っている。 
54神も仏も名無しさん:2014/03/02(日) 23:53:42.03 ID:ldOh/hpg
中村訳「スッタニパータ」をようやく読み終えた。
本文は、抽象的、観念的、概念的な言葉の連続で意外に難しい。
註は分量が多くて苦労した。
 
読後の感想は、これは悟りを体験しないとわからないし、
身につかない話だと思った。似たような言葉が繰り返されているし、
道徳の教科書のような印象も受ける。
 
要するに、体得すべき話なのであり、体得すればすむ話なのである。
釈迦の話に不足するものは何か。悟り体験そのものがあまり語られていない。
これが不足している。今は、これを語るべき時期なのだと思う。
55神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 00:14:39.76 ID:QubjOY1+
瞑想するってことは、
なにか問題を抱えていたんでしょ
56神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 07:19:36.99 ID:5F1MVJ2d
>なぜ自分の可能性を見捨てられるのか。

 そういうことに賭けるならそれらしいやり方でのぞまないとだめだろう。
戦略はあるのだろうか? ただひたすら坐るだけ?

すこし考えたらわかると思うがひたすら坐るだけでは、思索はおろか言葉すらろくに喋れる
ようにはならない。幼児期にちゃんとした環境で育ち初等教育をうけたから今日がある。
 それを空気のごとく吸っているから、有難みもなにも感じないが、困難を乗り越えて
人類が築きあげて成果なのだ。

 瞑想は何かの解決にはなるが決して万能な方法ではない。瞑想だけで道を開こうとするのは
極めて杜撰な計画というものだ。

 仏陀は決して瞑想だけを薦めているわけではない。仏陀が現代にいれば当然現代の成果を
使っただろう。
57神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 08:23:37.05 ID:QubjOY1+
まずは瞑想すればいいよ
それから考えればいい
先のことを考えさせるのは妄想になる
58神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 13:06:55.05 ID:QWjsfaQl
<悟りを可能にする人間のタイプとは?>
A 世間に楽を感じる人 〜 そう思って生きていればいい。問題外。
B 世間に苦を感じる人 〜 苦は人間を成長させるバネである。
@ 世間を否定し、逆に自分を肯定する(反体制派、犯罪者など)
A 信仰で現状を肯定する(信仰者) → 成長のためのバネを失う。
B 自分の力で苦から抜け出そうとする 〜 これが「自力」である。
 イ 世間的に成功すれば Aになる
 ロ 苦労が続けば、生きる意味や、自分とは何かを考えだすだろう。
 ハ 絶望すれば自殺か発狂、運が良ければ「甘露」と出会う。 
59神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 13:47:18.80 ID:QWjsfaQl
>>56
いわゆるヴィッパサナーは、本来の観を行う準備のようなものだろう。
本来は、(58に書いた)ロが観であり、ハが観の完成になる。
苦をバネにして命がけで行う。
観の完成〜甘露(神霊)と出会ってから、止(サマタ)を開始する。
これに関しては前スレ>>972-973にも要約している。
 
観は命がけで行うもの。場合によっては自殺や発狂にもつながる。
釈迦はそのため、観の基本ツールを教えている。
縁起の理法と四諦八正道だが、この二つで十分間に合うと思う。
60神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 17:34:21.73 ID:B3D+8e7/
精神的な「苦」こそが悟りの原動力である。これが理解できれば、
社会的な地位や財産を得た者がなぜ悟りから遠ざかるのかもわかるだろう。
年老いた者は世間に慣れ、財産もそこそこある。
かれらには若者のようなヒリヒリするような「苦」が存在しない。
であるからして、老人が悟るのはほとんど無理 (^^)
 
悟りたいなら30前後を目標にしよう。
思春期から、そのまま求道者になれば、30前後までには何とかなるだろう。
年を取れば取るほど悟りから遠ざかる。
61神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 21:11:30.98 ID:QubjOY1+
そんなひねくれたものではない
とにかく瞑想しろ
やれば分かる
62神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 21:54:56.09 ID:ui2JboDN
>>61
キミはいったい何を悟ったの? 
それを言わずに、ただ瞑想しろでは詐欺師と変わりない。
釈迦はそういう教え方をしていないw
63神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 22:05:17.67 ID:QubjOY1+
>>62
とにかくヴィパッサナー瞑想をやってみなよ
朝晩かかさず一週間もやれば効果あると思うんだけど
効果なくても詐欺師と怒るほどのものでもないだろ

釈迦とか関係ないんだよ
俺にとって必要ならば偽経でもいい
64神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 22:13:08.89 ID:ui2JboDN
悟りは「精神的に死ぬ」ことで得られる。
観は目を開いたままで死ぬ。
止は目を閉じて死ぬ。成道は臨死体験のようなものである。
  
ただ坐れ、ただ瞑想しろ、というような生ぬるいものではない。
65神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 22:15:51.12 ID:QubjOY1+
>>64
頑張ってね
俺には意味が分からない
66神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 22:24:57.04 ID:ui2JboDN
>>65
頑張るも何も、もう全部体験しているよ (^^)
 
キミはもしかして、大麻をやったことがあるのではないか。

そんな匂いがするんだけど?
67神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 22:34:21.54 ID:QubjOY1+
瞑想をすれば
そういう妄想もなくなりますよ
68神も仏も名無しさん:2014/03/03(月) 22:48:40.67 ID:ui2JboDN
妄想? キミに聞いているんだけどw
 
キミとの話はやめるよ。何も得ることがない (^^)
69神も仏も名無しさん:2014/03/04(火) 13:24:42.46 ID:dgvOF4l7
信仰者は信仰すると現状を肯定するようになる。
本来は苦であるはずの現状を、苦であると感じなくなって行く。
これが「宗教はアヘンだ」と言われる理由である。
 
苦を感じるからこそ、苦から抜け出そうと努力する。
苦は努力の原動力だ。しかし信仰者は、苦を信仰で覆い隠してしまう。
仏教も神道もキリスト教も同じ構図だ。
 
何も変わってないのに、頭の中だけが苦から楽へと変換している。
苦は、現状に問題があることを知らせる信号なのに。
釈迦が「信仰をやめよ」と説いたのは正しい。
70神も仏も名無しさん:2014/03/04(火) 13:59:07.86 ID:s96oqbpo
釈迦がいつ「信仰をやめよ」と説いた
71神も仏も名無しさん:2014/03/04(火) 14:04:58.62 ID:dgvOF4l7
時代を経過するに従って宗教も進化するのではないか、
という考え方には同意できない。かりにそうなら、キリスト教よりエホバ、
大乗仏教より創価学会が優れていることになる。
 
科学技術なら単純に進化する。しかし宗教の領域は単純ではない。
神霊や霊魂は、昔も今もまったく変化しない。
これに対して教義や修行方法は変化し、進化も退化も起こりえる。
 
宗教の目的は、変化しない神霊や霊魂を知ることにある。
それらの正体も、それらを知る方法についても、基本的に何も変化しない。
神霊や霊魂は完璧であり、進化も退化もしないのだから当然だろう。
72神も仏も名無しさん:2014/03/04(火) 15:45:28.53 ID:sHiyUY7T
ここ最近スレ違いの話題ばかりだなあ
73神も仏も名無しさん:2014/03/04(火) 19:08:54.02 ID:vmkawodJ
意味が分からん
どころか
狂ってる
ただ瞑想してみなよ
74神も仏も名無しさん:2014/03/04(火) 19:22:51.60 ID:PMpC5h1e
同じやつがIDコロコロ変えて書き込むからNGにするのが面倒だ
75神も仏も名無しさん:2014/03/05(水) 22:19:47.26 ID:KG3kqW7i
なんか最近サボり気味だし上手くいかないんだが・・・
まあ、懲りずに瞑想しようかね
76神も仏も名無しさん:2014/03/09(日) 06:36:14.90 ID:4Ph3U7A/
何をもって巧くいかないと思うのかだけど、そんなにうまくいくような性質の
ものでもないので、「巧くいっている」と思う人は、たいていは妄想に陥っている
 悟りというのは究極の妄想だから段階を踏んで妄想のステージを一歩づつ
登っていくといっても過言ではない。
77神も仏も名無しさん:2014/03/09(日) 19:06:43.03 ID:vtiSjU25
逆だろ
妄想せずにありのままに見るのが悟りだよ
そのためのヴィパッサナー瞑想だよ
78神も仏も名無しさん:2014/03/09(日) 19:12:59.73 ID:vtiSjU25
妄想がなくなるわけではないからね
妄想したら「妄想」と気付きを入れていく
訓練が進むと物事をクリアに見ることができるようになる
79神も仏も名無しさん:2014/03/10(月) 05:32:22.04 ID:XWAsIPFK
クリアに見えていると思い込んでいるのも実は別の妄想。
訓練が進むと別の妄想に覆われる。
80神も仏も名無しさん:2014/03/10(月) 21:43:49.14 ID:vV41ShGI
私は先入観を持たないようにしてるので
81神も仏も名無しさん:2014/03/10(月) 21:44:37.62 ID:vV41ShGI
意味が分かりません
82神も仏も名無しさん:2014/03/11(火) 05:36:26.44 ID:hVSpjG2G
 ある種のトレーニングをすると全く同じ妄想を体験できる。非常にクリアに
世界が丸ごと理解できる。もちろん妄想だが、、、
この手法は宋代に開発されたとされるが悟りの技法として日本にも伝承した。
83神も仏も名無しさん:2014/03/11(火) 12:41:31.94 ID:VrSt+bUm
戦争は、もうすぐ無くなる 2014年03月04日 | こっくり亭日記
2014年も、時間の流れがますます速い。気がつけば、また1ヶ月ほどブログを留守にしていた。

急速に進む円安 2013年01月15日 | こっくり亭日記
早いもので、2013年ももう半月がすぎた。こんな調子で時間が飛ぶように過ぎていったら、
また2014年もアッという間に来るのだろう。「アセンション・イヤー」だった2012年を過ぎても、
時間の加速感はまだ続いている。

2012年、意識進化の年 2012年01月15日 | こっくり亭日記
時間がたつのが、本当に早い。もう、2012年も半月が過ぎてしまった。
気がつけば、またしばらくブログの更新が止まってた。
それにしても、地球で生きるのは、本当に大変だ。なかなか、楽にはならない。
まったく、なんとかならないものか・・・?

2011年02月25日 | 精神世界を語る
気がつけば、もう2011年も2月の終わりが近づいた。早いものだ。
かつては、2012年がだいぶ先のことに思えたものだったが、
今となっては、すぐそこにある。人類の意識の変容は近い。

いよいよ、2010年 2010年01月01日 | 精神世界を語る
いよいよ、今日から2010年。いつかは来ると分かっていましたが、
本当に2010年代に突入するとは、特に感慨深いものがあります。
「時間がたつのが、だんだん早くなる」というのは、多くの人の実感ですが、
これは「年をとると、時間がたつのが早く感じられる」という、年齢による心理的効果なのか、
それとも、世界全体の時間の流れが変わってきているのでしょうか・・・。
     
今年こそ、アースチェンジだ!? 2009年01月10日 | 精神世界を語る
2009年になった。「地球が激変する」というウワサで持ちきりの「2012年」
まで、あと3年を切った。かつては遠い未来に思えたのだが、もうすぐそこまで来ている。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin

他力本願で同じところ回り続けて進歩が無い。アセンション信者の特徴。
84神も仏も名無しさん:2014/03/11(火) 19:15:44.24 ID:HoPhEG1B
あるがままにみることはできないと理解している。
調べれば調べるほど、いかにあるがままにみていないことを痛感する。

見るたんびに、またあるがままに見ていないことに気が付く
85神も仏も名無しさん:2014/03/11(火) 19:57:11.43 ID:oFVjlz+i
>>84
究極的には分子レベルまで正しく見ることが出来るのかという話になる
そこから、分子見えますが何か?と開き直って主張しだす人、
分子は科学の分析的な言葉であってあるがままの認識とは関係ないとかいう人、
見えているものだけが現実だと唯我論に走る人、
あるがままの意味を勘違いしてるよ、雑念を交えずに観ることがあるがままだよと言う人、
色々いて訳が分からないことになってるんだよね
86神も仏も名無しさん:2014/03/12(水) 01:38:48.08 ID:NlonYLu9
仏法僧を拠り所とすれば良いんじゃないの。
ここでいう僧とは、四向四果に達した人のこと。
それ以外の人の意見(私見)を聞いても、仕方ないよね。
87神も仏も名無しさん:2014/03/12(水) 01:39:47.49 ID:NlonYLu9
四向四果じゃないや。
道果に達した人。
預流果以上の人に聞かないと、そりゃ間違えるでしょ。
88神も仏も名無しさん:2014/03/12(水) 01:43:59.44 ID:NlonYLu9
預流果以上で、分かりやすい言葉で説明できて
その該当箇所を仏典から引用できるっていうと
本職の僧侶しかおらんと思うよ。
89神も仏も名無しさん:2014/03/12(水) 03:33:39.31 ID:1GLFSYPl
>>78
レスを参考にさせてもらった
妄想が出てもしょうがない、出来るだけ気づいて続けるってやったら久しぶりに長く座れたよ
ありがとう
90神も仏も名無しさん:2014/03/12(水) 10:54:20.29 ID:gMmSgdGP
瞑想は妄想だ。どんな上級のサトリも妄想に過ぎない。しかし妄想と理解した
うえで楽しむことが出来る時に妄想がたんなる妄想でなくなる。
91神も仏も名無しさん:2014/03/14(金) 02:13:49.22 ID:kAbreUvf
これみたいにですか

http://mui-therapy.org/
92神も仏も名無しさん:2014/03/16(日) 02:10:11.95 ID:wkco7hun
パニック障害の発作の時、瞑想をしようと試みているけど、何も考えられなくなり、早い鼓動だけが聞こえる状態になってしまう
それが無意識の不安を呼び起こして、不安がぐるぐる渦巻いてるような状態になる
さっき、発作が起こる状況を脳内で思い描いただけでその状態になった
93神も仏も名無しさん:2014/03/16(日) 04:49:23.79 ID:HHPSLJbh
眠りから完全に覚醒してなくて精神的に安定してないときに、頭おかしくなりそうな感覚になった事あるんだけど
すごく尊敬してるアーチャン・チャーに心を集中したら落ち着いたわ
僧随念がパニック障害には効くか分からんけど
94神も仏も名無しさん:2014/03/16(日) 12:43:13.17 ID:9KuZJAmX
>>92
パニック障害の発作をまず薬で直してから
瞑想するべきだと思いますよ。
95神も仏も名無しさん:2014/03/16(日) 14:04:31.66 ID:eLwv/ys4
パニックはチャンスだろ。俺はパニックなんて何でそんなことになるんか
分からん。パニックの時に坊主なんかを思い浮かべるのは間違い。パニックを
見つめるのが正解だろ。
96神も仏も名無しさん:2014/03/16(日) 18:53:43.86 ID:SRrfEL/D
>>92
そういう時は慈悲の瞑想をやるといいよ。
それでもダメなら数息観をやるといい。
そこまで余裕が無ければ座禅を組んで左手に心を集中するだけでいい。
心が囚われなければ不安は消える。
97神も仏も名無しさん:2014/03/16(日) 19:49:10.05 ID:GII9EZP+
>>96
同じ事をしている
息を観ている
98神も仏も名無しさん:2014/03/17(月) 05:46:01.44 ID:T58KC9Gp
>>92だけど、重要なことに気が付いた
発作が起きてるときに瞑想しても意味がない
起きてるものは、出てる鼻水と同じで、原因がある
瞑想は原因を発見し取り除く時に行うもので、発作も鼻水も、
薬なり心臓落ち着ける呼吸なりで適切な処置をしたほうが止まりやすい
その意味では、数息観がいいかもしれない
今度発作に襲われたときやってみる
皆さんアドバイスありがとう
幸い過呼吸にまでは陥ってないが、脳血流量の減少があるから、
慈悲の瞑想みたいな何か考える必要のあるものは難しいかもしれない
99神も仏も名無しさん:2014/03/18(火) 03:55:52.48 ID:9YoYth1l
>>96
自分も似た状況で、精神が若干不安定なので慈悲の瞑想をやってるんだけど、
「私の好きな人」と「私の嫌いな人」は毎回それぞれ変えたほうがいい?
それぞれ複数いるんだけど、一番好きな人と一番嫌いな人が同一人物なんだよね
100神も仏も名無しさん:2014/03/19(水) 01:41:08.76 ID:KoJSt+2z
>>98
お大事に!
101神も仏も名無しさん:2014/03/19(水) 01:47:10.89 ID:KoJSt+2z
>>99
じゃあその一番好きで、かつ一番嫌いな人は除外した方がいいと思います
要するに物凄く執着してる対象ってことでしょう?
外国のお坊さんの指導で"very dear person"は避けなさいっていうのが出てくるし
102神も仏も名無しさん:2014/03/19(水) 07:33:50.93 ID:ga2bouC9
>98
ビタミンB群、とタンパク質摂取不足と言う事は無い?

脳内物質については、これらが関係していると思うので
103神も仏も名無しさん:2014/03/20(木) 02:31:12.58 ID:NzQrJVt9
>>101
ありがとうございます。そうします。
それで、それぞれ毎回変えたほうが良いでしょうか?
104神も仏も名無しさん:2014/03/20(木) 05:26:13.15 ID:uBeKqbjg
>>103
えーっとですね…
初心者は以下の4つのタイプの人には慈悲の瞑想をしないそうです
理由はやろうと思ってもできないから

1.嫌いな人
2.とても愛着を持っている人
3.無関心な人
4.敵

慈悲の瞑想はじめられてどれくらいか分かりませんけど
「自分」と「私の好きな人」に集中するのが良いのではないかと
とくに精神的に落ち着いてないならこの2者に限った方が無難だと思います
105神も仏も名無しさん:2014/03/20(木) 06:00:26.28 ID:8vDxW+Zr
 瞑想を始めてから、瞑想には集中できるが仕事に集中できなくなった。
どうしたらいい?
106神も仏も名無しさん:2014/03/20(木) 20:54:09.43 ID:3dKsO5oi
今を感じようとしてると計画を立てるとか
出来ないよね
107神も仏も名無しさん:2014/03/20(木) 21:05:26.47 ID:LgnMxWaq
>104
4つのタイプだけど、すぐできたけど

ただ自分がそう思っているだけだから

なんて自分はばっかなんだろうかと

クスッと自分を笑いながら

これって難しいと聞くけど、そういうもんなんだろうか?
108神も仏も名無しさん:2014/03/20(木) 22:10:37.65 ID:XNXJtdVe
>>105
その仕事に深く深く入っていくと、それもある種の瞑想になるよね。
あとは、仕事の合間に、パッと気づく。
今コーヒーを飲むその行為に気づく。
コーヒーカップを掴むその動作に気づく。

合間合間に、時折気づきを入れていけばいい。

>>106
両立させればいいんじゃない?
理想ばっかりに捉われるのもダメ。  現実ばかりに捉われるのもダメ。
瞑想の理想と、現実生活とを、両立させないといけない。
瞑想が深まれば、それが日常生活にも自然に現れてくると思う。
109神も仏も名無しさん:2014/03/21(金) 02:02:30.85 ID:/VPsLCFT
>>104
繰り返しになります。好きな人は毎回変えたほうがいいですか?
嫌いな人だと落ち着かないということはないです。
生きとし生けるものは扱わなくて良いですか?
110神も仏も名無しさん:2014/03/21(金) 03:36:50.50 ID:4xl59Tcd
>>109
毎回変える必要はないと思います
誰か一人に専注するより好きな人が集合写真的に集まった様子を思い浮かべて念じるべきかと
生きとし生けるものはふつう「無関心な人」にあたるので
嫌いな人で問題ないなら対象にすべきです
111神も仏も名無しさん:2014/03/21(金) 04:38:20.23 ID:/VPsLCFT
>>110
謎が全て解けました。ありがとうございました。
集まった様子というのは新鮮な意見でした。
112神も仏も名無しさん:2014/03/22(土) 19:08:36.37 ID:e3uyJani
 腿の一部とかがワンポイントで発熱することがあるんだがなんでだろ。
それからポケットにいれた十円玉とかがかなり熱くなることがあるんだが、
からだから電磁波でもでるようになったのだろうか?
瞑想するとそんなことある?
113神も仏も名無しさん:2014/03/23(日) 01:05:36.81 ID:D8EvrV4H
>>98だけど、今週めちゃくちゃ調子悪くて、眠りも浅く精神もおかしくなった
で、藁にもすがる思いで、昨日今日と慈悲の瞑想やってみたら、今日は久々にぐっすり眠れて調子戻ったわ
調子以上の収穫として、自分の本心というものがあること、そしてそれについて把握できた
慈悲の瞑想してると、それらの願いが自分の本心から来てるという確証が持てる
緩い確証なんだけど、否定を否定するというか、否定を受け付けない
これは不思議だ
敵味方、俺が嫌いな人嫌われてる人関係なく、本心はすべてに対して愛を与えたいと思ってる
本心から慈悲の瞑想するようにしてる
眠れないのには肉体的な病も関係してるっぽいから病院行くけど、病院行くまでの精神面の悪化を気にしないでよくなって気が晴れた
どうもありがとう
>>100>>102
栄養不足ではないと思うが、食で一番思い付くのはコンビニ弁当とかコンビニおにぎりの食い過ぎだなあ
自分じゃなく家族が買ってきてるんだけど、不要と何度言っても、小食じゃ生きていけないと買って来てしまう
家族も同じ物くってて、自分にだけ不調が現れてるから関係ないかもしれんけど
114神も仏も名無しさん:2014/03/25(火) 18:23:18.66 ID:M52jMeR4
ローマ・バチカン金融崩壊を加速させる全世界集団瞑想3月25日夜10時(日本時間)

Cobra によれば、3月20日に極めて重要な機会の窓が開いたそうです。
小惑星エリゴネによるレグルスの星食により、金融崩壊が始まっています。
この機会を逃さず、金融崩壊を私たちの力で加速させようと、世界で、
二つの集団瞑想が計画されています。
闇の勢力、国際金融マフィアの総本山、バチカン市国を、サンジェルマンの
紫の炎と、AA マイケルの青い炎で包んでしまおう、光で満たしてしまおうと
いう集団瞑想です。
「イベント」まで、登山で言えば、既に9合目くらい、頂上がすぐそこに
見えている感じです。もう、一気呵成に登ってしまいたいっ!
いよいよ闇の総本山、バチカン、ローマに総攻撃だー!
全力で、潰しに行くゾー。私、今度の瞑想は、メッチャ、本気で行きます!
└( ̄◇ ̄*)┘ └( ̄◇ ̄*)┘ └( ̄◇ ̄*)┘
115神も仏も名無しさん:2014/03/26(水) 02:38:10.36 ID:LDofD8Xb
>>112
電磁波は感じる。磁力っぽいのと、静電気ぽいの。
116神も仏も名無しさん:2014/03/29(土) 00:06:10.09 ID:DK/MhEsN
私は幸せでありますように(aham sukhito homi)
生きとし生けるものが幸せでありますように(sabbe sattA bhavantu sukhit'attA)
117神も仏も名無しさん:2014/03/30(日) 20:20:53.53 ID:6BqQIhZO
苦しみを見ることで、他人と同化して始めて慈悲の心が生じるし、諦念、厭離の心も苦しみを見ることでしか生じることが出来ないからお釈迦様は、初転法輪で四聖諦を説いたと思う。
118神も仏も名無しさん:2014/04/03(木) 03:41:54.56 ID:r8ib6GNF
そういう見方もあるのか
119神も仏も名無しさん:2014/04/03(木) 12:18:42.45 ID:A/gNhD60
あべ頌詠(スピリッチ) & 齋藤匡章(音色塾)に投資話を持ちかけられたら110番
騙されないで!!

【最近の手口】
 多種多様な投資話で、あたかも事業が実現するかのように装って
出資を募ります。
 例えば、
○ 財宝を積んで沈没した船の引き上げ(サルベージ)事業への投資
○ 地球環境に貢献できる事業への投資(「エコロジーファンド」などを
名乗ります)
 また、
○ アジア・アフリカなどにおける資源開発事業
などのように、直接事業内容が確認できない海外における事業への
投資話も増加傾向にあります。

このような投資話をもちかけられたら、必ず警察に相談してください。
●うまい話で投資をすすめる→●数ヶ月、事実金を振込み安心させる
→●計画倒産→●お金は戻らず泣き寝入り
120対戦相手募集w:2014/04/05(土) 00:06:20.03 ID:o8h9s+vS
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1395807242/902
902 神も仏も名無しさん sage New! 2014/04/04(金) 23:50:27.09 ID:gxCilNxJ
あ、そうそうw まさにビッパサナー サマタとかの瞑想云々が阿呆〜って言いたかったのですw
だって馬鹿そのものでしょうw
121神も仏も名無しさん:2014/04/05(土) 02:12:14.70 ID:jj9LvNQc
あべ頌詠(スピリッチ)=エデン
2ちゃんねる女性板での変態行為の数々

★エデンの樹が熱い!総合スレッド【Part.1】
http://cheese.2ch.net/wom/kako/997/997845822.html
★エデンの樹が熱い!総合スレッド【Part.2】
http://salami.2ch.net/test/read.cgi/wom/1005028472/
★★★女性板スレッド削除依頼★★
http://teri.2ch.net/saku/kako/992/992172165.html

あべ頌詠(スピリッチ)のすすめる投資話にご用心

●うまい話で投資をすすめる→●数ヶ月、事実金を振込み安心させる
→●計画倒産→●お金は戻らず泣き寝入り→●投資金はネコババ、持ち逃げ
122神も仏も名無しさん:2014/04/05(土) 15:48:10.29 ID:wrw5q+HD
こっくり哀れ
123神も仏も名無しさん:2014/04/06(日) 01:21:42.78 ID:/3lKs80d
<あべ頌詠(スピリッチ)=アダムとは?>

12年前、2ちゃんねる女性板での変態、痴漢サイトを立ち上げ
釣られた女性被害者から2chで袋叩きにあい逃亡潜伏
後に、「自称日本一の瞑想コーチ」阿部将英として復帰するが
様々な瞑想団体から総スカンをくらい商売あがったりとなり
阿部将英からあべ頌詠に改名、別人としてスタートする。
フリダヤ瞑想を名乗って多くの人間に性感マッサージや
合法ドラッグ・麻薬販売、投資金持ち逃げ詐欺を行っているので注意

<↓12年前のアダムと名乗って多くの女性に変態行為を繰り返すあべ頌詠>
★エデンの樹が熱い!総合スレッド【Part.1】
http://cheese.2ch.net/wom/kako/997/997845822.html
★エデンの樹が熱い!総合スレッド【Part.2】
http://salami.2ch.net/test/read.cgi/wom/1005028472/
★★エデンの樹が痛い!★★【Part.3】
http://mimizun.com/log/2ch/wom/1029310654/
★★★女性板スレッド削除依頼★★
http://teri.2ch.net/saku/kako/992/992172165.html
124神も仏も名無しさん:2014/04/08(火) 03:24:16.14 ID:m8TOrr/7
★生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように


生きとし生けるものの喜びが絶えることがありませんように


生きとし生けるものの幸せが続いていきますように
125神も仏も名無しさん:2014/04/10(木) 17:15:09.15 ID:AIVr3ypH
こっくり迷走
126神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 02:14:32.88 ID:sna0aMt5
うーむ、サティ入れる時にノーティングした方が調子良い時と悪い時があるな
127神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 14:35:56.40 ID:b3IC6xZi
自分はノーティングしたほうがうまくいく時が圧倒的に多いように思ってて。
もちろん自分が経験した範囲での話だけど、これはいけるぞと思って。
それで呼吸以外にも色々ノーティングしながらやってたんだけど、
ある人にそんなことやってたらダメだよと言われてやらなくなってしまったな。
やっぱり流派を固定して1つの師のもとで一貫してやったほうが良かったな、と思う。
128神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 20:14:10.46 ID:1GV0BcZz
ヴィパッサナ−が本当に上手く行っているときは見える景色がいつもよりはっきりととしていて、視野が広がり、
あたかも写真を見ているように見えるのは私だけ?
そこにラベリングを出しちゃうとせっかくありのままに物を見れているのに邪魔になる(雑念になる)と思うが皆さんどうでしょう?

あとラベリングは補助輪であり、本当に上手くサティが入っているときはラベリングはせず、観察対象をただ、見つめる。
何か今の状況だとラベリング有の方が集中できるとか、妄想、雑念などとラベリングを入れることに思考を断つのには有効ですが、
あくまでも瞑想の一つの手段として適宜使い分ければよいことですよね?

あとヴィパッサナ−で嬉しい感情を消すことなく、歓喜や勇気、前向きな気持ちを持ちながらもヴィパッサナ−を並列することは可能ですよね。
ネガティブな感情はすぐ打消しますが。
129神も仏も名無しさん:2014/04/11(金) 22:42:02.29 ID:o5FueLsc
私のブログを参考にしてください
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin
130神も仏も名無しさん:2014/04/12(土) 00:35:05.36 ID:3B0Fc6Fy
>>128
エックハルトトールはラベリングはするなって言ってたな。
何かの動画だったか・・・

>ネガティブな感情はすぐ打消しますが

ネガティブな感情こそ、観察の対象では?
131神も仏も名無しさん:2014/04/12(土) 02:13:17.69 ID:++FbFtpU
ふむ〜色々な意見があるなあ

>ネガティブな感情こそ、観察の対象では?
ネガティブな感情はまさにノーティングなしではまったく冷静に観察できない、自分の場合
地震で揺れが起こっても、「恐怖、恐怖、怖がっている、怖がっている」だと割と中立に観察できる感じなんだよね

やっぱりラベリング一本で続けたほうがいいのかな
132神も仏も名無しさん:2014/04/12(土) 10:35:48.50 ID:3B0Fc6Fy
観察って気づきのことだよね。

「冷静に観察できない、中立に観察できる」

これだと二つの心(感情)に分離しちゃうよ
客観的になるのは、「気づき」だけ。
「気づき」は思考じゃない。

感情が荒れる、も、感情が冷静になる、も、思考だよ
133神も仏も名無しさん:2014/04/13(日) 12:36:42.92 ID:0JT1pp4A
不安になるイメージが浮かんだら嫌だなと怖がっている状態が続いている。
「妄想」とラベリングしているがあまり変わらない。
134神も仏も名無しさん:2014/04/13(日) 13:22:38.00 ID:kjN9tzUC
不安を妄想として否定するんじゃなくて、不安に気づくってことじゃないかなぁ。
135神も仏も名無しさん:2014/04/13(日) 17:33:17.67 ID:jvp+ultc
サマタは手のひらの上で棒を立ててバランスを保ち静止させる、ヴィパッサナーは動きながら手のひらの上で棒のバランスを保つ、感じに似てるなと思った。
136神も仏も名無しさん:2014/04/14(月) 15:48:57.57 ID:cZAR15BM
>134
そう不安を気がつくことは、否定じゃない
気がつく
自分が不安なんだと気がつくだけで良いと思う

ビパッサナーとは、パーリーの原意では
分けてみると言う事らしい

気がついたとき、不安な自分とそれを見ている自分に分けて観えるはずだよ
137神も仏も名無しさん:2014/04/14(月) 15:49:37.35 ID:cZAR15BM
それを見ている自分こそ

実は
138神も仏も名無しさん:2014/04/14(月) 20:54:58.12 ID:5WghK25p
否定もせず、肯定も当然せず、ただ静かに観る ただそれだけだと思う

そうするとわかる、理解できる
139神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 07:21:02.49 ID:PcOcdXV2
南無阿弥陀仏とか南無観世音菩薩とか唱えている時のほうが気分が落ち着くんだよな。
原始仏教では完全に否定されるだろうけど。
140神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 07:33:55.31 ID:1+HmD50i
>139
それって実は瞑想なんだよ
141神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 07:41:44.50 ID:1+HmD50i
南無阿弥陀仏

その名号を唱えると、実際に心が安らぐのは何故か?

唱え続ければさらに心が落ち着くのは何故か?

名号の中に自分はあり、自分を忘れることになる

自分の思考が落ちていること

これもある意味瞑想にみえる。

名号(南無阿弥陀仏)を不思議とたたえた親鸞聖人の意図はここにあると思える。

一遍上人の

南無阿弥陀仏ととなへて、わが心のなくなるを臨終正念という

ことは、まさにこのことを狙っていると思える。

一遍上人は、またこのような言葉を

となふれば仏もわれもなかりけり、南無阿弥陀仏の声ばかりして

はじめはこれであったのだけど、修正して以下の言葉となった。

となふれば仏もわれもなかりけり、南無阿弥陀仏なむあみだ仏

さいごのなむあみだ仏で、思考が落ちている

このなむあみだ仏で、その中に自分に入っている。
142神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 08:00:05.93 ID:FV9G+KqU
念仏は悟るための修行ではない。
悟りやすい場所(浄土に)往くための修行。
つまり、念仏で心が落ち着けば悟りやすくはなるだろうが、
そこから先はヴィパッサナーをやらないと悟れない。
143神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 10:06:01.28 ID:vXw9RLC6
>>139
それただのサマタ瞑想だから別に否定されない
144神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 10:07:35.28 ID:vXw9RLC6
四十業処には入ってないけどサマタはサマタ
145神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 10:09:10.46 ID:/TjDOAay
気分が落ち着くと、気づいている じゃないか
146神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 11:06:22.77 ID:vXw9RLC6
>>145
それは単なる自己認識で、気分の落ち着きに耽溺してるからサティではない
147神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 12:27:02.01 ID:/TjDOAay
そういうとこからはじまるんでしょう
148神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 12:54:27.64 ID:wGf8URnK
>>142
浄土ってのは、悟りの世界のことだよ。
149神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 17:15:15.15 ID:kxHO9kqS
まぁ、マントラでしょ?
150139:2014/04/15(火) 20:03:13.74 ID:PcOcdXV2
ただ唱えるというよりも、
成仏させてください、というように、ひたすら他力にすがる、そんな思いを持ちながら唱えるんだよね。
そうすると気分が良くなる。
自分ではかなり大乗的だと思っているんだよね。
151神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 21:21:15.98 ID:wGf8URnK
他力というのは、こういう考え方もあるね。
「すべてをお任せする」ってこと。

気分が良くても、悪くても、すべてをお任せする・・・

すべてをお任せしたんだから、後は自分がどうなろうと知ったこっちゃない。
自分がどうなろうが構わないってことは、それだけの確証、「信」がないと出来ないことだよね。

阿弥陀様が救ってくれることは間違いない・・ というか、もう既に、阿弥陀様の救われの中にいる。
なので、自分がどんな状態にあろうが、どういう感情であろうが、どういう事態に陥ろうが、
阿弥陀様に必ず救われているから、すべてはお任せ・・・・
これが他力とも言えるよね。

信が深くなればなるほど、それだけお任せの度合いが強くなる。
そうすると、自我が薄くなっていく。

親鸞は、行の座につくか、信の座につくかっていう、お題を出したんだね。
親鸞は「信の座」についた。
信の座についたのは小数だったが、最後に師匠の法然さんは、
親鸞と同じ「信の座」についた。

信が極まれば、命も任せられる、何が起こっても任せられる、自分のすべてを託することが出来る・・ ってことだね。
全託すれば、それは無我と同じだね。
152神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 22:33:09.34 ID:FV9G+KqU
>>145 四念処の気付きでないと悟りにつながらないのでは?
身は不浄だ、受は苦だ、心は無常だ、法は無我だと
気付くことが悟り(煩悩の消滅)につながる。
153神も仏も名無しさん:2014/04/15(火) 22:48:32.29 ID:5F/PdMAF
サティと気づきの違いってなんですか
154神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 00:39:51.42 ID:D7MAY7MF
サティ=気づき だね。
155神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 02:28:37.71 ID:bByl46dF
念仏って要するにバクティでしょ。ラマナ・マハルシやラーマクリシュナはバクティで
悟れるといってるんだから悟れるんじゃないの?

まあラマナの「私はだれ」は感覚としてヴィパッサナーに近いけど
156神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 05:38:13.63 ID:QS3YIS5E
>ラマナ・マハルシやラーマクリシュナはバクティで
>悟れるといってるんだから悟れるんじゃないの?
ヒンドゥーの行者的な意味で「悟れる」のはそうだろうけど仏教的な意味で「解脱」することは無理でしょうね


>まあラマナの「私はだれ」は感覚としてヴィパッサナーに近いけど
はじめから「真我」ありきでプロレス的に「私はだれ」と問うてみるのがヴェーダーンタ
ガチで「私はだれ」と心と体を観察してみて、「無我」を発見するのが仏教
157神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 06:56:27.69 ID:aIPiguav
え?ノアはガチだろjk
158神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 07:29:36.09 ID:XOVDfesI
いいんだね?やっちゃって
159神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 07:49:57.40 ID:kORt6cD6
心はからだが作り出す幻影

手を動かすとする

自分が手を動かしたように見える

しかし、どうも、手が動き、それから動くという心が出てきている

こんなことを言うと、何を馬鹿なことをといっているみたいだが

じつはこうではないだろうか?

もしこうであるなら、自由意志というものは、無くなる

無我という言葉がある、実はこのことを言っているのではないだろうか?

動きが先にあり、それが作り出す幻影が心になるなら、当然我はと言う物はもとから存在しない

からだが先であるという点は、現在の脳科学の観測からそのような例が観測されている
160神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 07:59:12.56 ID:bmgApgJo
>>155 念仏を心の主人、妄念・雑念を心の客人とすると、
主人を邪魔するように妄念が入ってくるが、しかし、
妄念はすぐに過ぎ去る一過性のもので、執着に値しない。
「執着に値しない」と気づくことが悟りにつながるとすれば、
念仏と妄念の攻防のはざまに、そのような気づきはありえるかもしれません。
161神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 08:03:59.75 ID:bmgApgJo
念仏(主人)をサティやラベリングに置き換えてもいい。
特定の作業に集中しようとする中で、それ以外の妄念をスパスパ斬っていくときに、
「一過性のものだ」「因縁に触れて生じては消えてゆく」「執着に値しない」
という感覚に慣れ親しんでゆく。
念仏は利剣と呼ばれる。
罪業や妄念をスパスパ斬ってゆくするどい剣。
162神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 09:30:25.60 ID:0zM+DpCJ
>>141>>151
なるほど、よくわかりました。ありがとう。
>>159
自分というものは心でも体でもないということだよ。
163神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 19:56:37.07 ID:QS3YIS5E
>>159
>どうも、手が動き、それから動くという心が出てきている
この実感は正しいと思う
動かしたいという無意識的衝動(サンカーラ)=脳の反応があって、意識はそれにあとづけるものなんだよ

>自由意志というものは、無くなる
「自由意志」ではなく、衝動に対して後発的に生じて行動を選択する「自由否定」はあるんだという説もあるらしい(池谷裕二)
http://d.hatena.ne.jp/hatthin/20111217/p2

自由意志があるのでもなく、自由意志がないのでもない、中道である、というのが正しいんじゃないかな
164神も仏も名無しさん:2014/04/16(水) 22:28:24.61 ID:fMzbwrsB
>>163
脳が動けと命令してから、動く行動が出るんじゃないの?
だから、動くという心が先だよ。
その一つ一つの脳の命令にサティを入れていくことが大切。
165神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 01:24:48.98 ID:9UB2T9fs
>>164
ラメッシ・バルセカールの本を読んでみな。
166神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 02:27:19.64 ID:sZX/tqM2
>>164
ああ、読み直したらけっこう変なこと書いてるね>>159
先行する心もないのに勝手に手が動いてそこから心が生じるってことだから
ごめんちゃんと読んでなくて適当に肯いてしまった

俺の言いたいのは

1.動かしたいという無意識的衝動(サンカーラ)=脳の反応

2.意識が認識する(ここでGoかNo Goかを選択する)

3.実際に体が動く(もしくは動かさない)


>>164が書いてることには完全同意
167神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 08:07:50.45 ID:BBcMmEZq
心を脳に限定するのもおかしい。
体全体の細胞すべてのネットワークが心なんじゃないか?
たとえ脊椎反射であっても、
脳ではなく脊椎が指示しているから心が関与していないとは、私は思わない。
体が勝手に動いて脳が後付けで認識している場合もあるかもしれないが、
体全体に心があると思えば、勝手に動いた指先も実は心の仕業。
168神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 13:50:10.00 ID:T+avxOOz
腸の乳酸菌やサナダムシの意向はどうなんだ。
169神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 16:01:49.06 ID:1BxJmY09
呼吸の入って来る、出て行く時を観察する場合

あるときから、

入る息が入るとき、入る動きに対して、入ると感じ取っている心が生じる

風の動きがあるこの掴まえられる対象に対して、掴まえている心があり

それを観ている心という物に、分離して観る事ができる。

掴まえている物は色であり、それを掴まえている心は名

この色と名が分離するとき、智慧を生じると言うものらしい

そしてそれらを観ているものと

別けて観る=ビパッサナーのパーリー語の意味
170神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 18:52:43.78 ID:sZX/tqM2
>>167
俺も心脳同一論とか随伴現象説はおかしいと思ってるよ
必ず心が先で、脳の化学反応はあとだと思ってる
量子力学でノイマン・スタップ アプローチってのがそれに近いらしいね

>>168
物理的な接触だけだから身体的な影響にとどまるのでは
171神も仏も名無しさん:2014/04/17(木) 23:22:03.51 ID:LwEkI1A6
夢と同じなのでは
つまり、心がこうでありたいと望んだら、即座にそれが現れる
手を動かしたいと心が望んだら、手を動かしたいと感じる自分が感じられる
心が手を動かすことを望んだら、手を動かした映像が見える
172神も仏も名無しさん:2014/04/20(日) 23:22:44.43 ID:PtfzZ8al
オショウ式試された方います?
173神も仏も名無しさん:2014/04/21(月) 06:04:28.22 ID:YgZmRkN3
>物理的な接触だけだから身体的な影響にとどまるのでは

 そんな簡単なことじゃないよ。腸内細菌が反乱を起こせば精神的に
正常ではいられない。
174神も仏も名無しさん:2014/04/21(月) 08:03:44.32 ID:G5qATDW7
単細胞生物一匹一匹が死んでも輪廻しない
(単細胞生物には輪廻の因となる無明がない)のだろうか?
単細胞生物も輪廻するとしたら、我々人間の細胞も新陳代謝する中で
細胞各々が死ぬごとに輪廻していってると思える。
175神も仏も名無しさん:2014/04/21(月) 18:38:23.34 ID:1psDDiTQ
生命にはsaviJJANaka(有識)とaviJJANaka(無識)のものがいる
植物などは無識
おそらく単細胞生物は前者で、人間の細胞は後者ではないか
176神も仏も名無しさん:2014/04/24(木) 00:18:17.67 ID:97HTqumO
177神も仏も名無しさん:2014/04/30(水) 23:33:18.43 ID:t342yy4p
ダンテスダイジの『ニルバーナのプロセスとテクニック』
辺りの修行法に付いて誰か教えて下され。
178神も仏も名無しさん:2014/05/01(木) 01:03:15.90 ID:1bp05tSp
なんでこういう胡散臭い瞑想グルの話題をヴィパッサナースレでやりたがる人がいるんだろう
179神も仏も名無しさん:2014/05/01(木) 01:54:50.70 ID:fYvvpSBK
ヴィパッサナー瞑想も胡散臭くない?
180神も仏も名無しさん:2014/05/01(木) 01:55:49.40 ID:/S9bdRFl
ダンテスのはクンダリニーヨーガだから、
ヒンドゥー教か、チベット仏教か、
オウム真理教のスレに行った方がいいわな
181神も仏も名無しさん:2014/05/01(木) 14:23:42.24 ID:d7O80qV6
ゴエンカやティク・ナット・ハンに比べるとスマナサーラは一枚も二枚も落ちるな
182神も仏も名無しさん:2014/05/01(木) 19:29:22.43 ID:Y47xmRnO
マハーシ(マハシ)は?スマナサーラ長老の瞑想法とほぼ同じだよ
ポー・オー・パユットーは言わずもがな
183神も仏も名無しさん:2014/05/01(木) 19:40:35.52 ID:fYvvpSBK
で、何が一番良いの?
184神も仏も名無しさん:2014/05/01(木) 20:39:54.29 ID:qxkAuMGh
>>181
スマナサーラは「ゴエンカはレベルが低い」と言ってたよ。

一枚も二枚も落ちるのはゴエンカのほうだと思うよ
185神も仏も名無しさん:2014/05/01(木) 22:26:41.81 ID:fYvvpSBK
お互いディスり合ってるのかね?
両方実践したやつの話を聞きたい気もする。
結局、自分が向いてる行法が良いんだろうとは思う。
186神も仏も名無しさん:2014/05/02(金) 00:32:29.15 ID:MK93cRt7
じゃあパオ最強ってことでいいよもう

ゴエンカは比丘でもないし確かに胡散臭い
ルーツであるレディ・サヤドーならまだしも

つーことで
パオ>マハシ>>>>>>>>ゴエンカ
で決まり
187神も仏も名無しさん:2014/05/02(金) 17:15:16.34 ID:Qs8SstAi
教学の難解さでいえばパオ最凶
188神も仏も名無しさん:2014/05/03(土) 09:33:15.63 ID:CRprMGae
パオから見ると、マハシのヴィパサナはサマタだということになる。
それに比べると、ゴエンカのヴィパサナは本当にヴィパサナということらしい。
189神も仏も名無しさん:2014/05/03(土) 16:28:15.58 ID:Pua/5GnH
自分はサマタもヴィパッサナーも、厳密な区分は
実際は無いのでは無いかと思っています。
190神も仏も名無しさん:2014/05/03(土) 18:59:18.76 ID:pBvfo67+
サマタってイマイチ分からないんだけど、
現世に対する欲望が沸き上がって来ちゃう瞑想がサマタ?
191神も仏も名無しさん:2014/05/03(土) 19:17:03.65 ID:h2uoGY7f
生理的な鎮静化がサマタ
観想による煩悩除去がヴィパッサナー

サマタは麻酔
ヴィパッサナーは病巣除去
192神も仏も名無しさん:2014/05/03(土) 20:01:00.89 ID:Pua/5GnH
サマタの特色として、集中性が上がってくるので、知覚の分解能が
上がってくる、より微細なものがわかるように思えます。

この状態で観察行動をするとビィパッサーになるのではと思えます。

と言う事は、ある程度サマタのちからが無いと、ビィパッサナーにならないと思います。

このちからがどの程度必要かと言う点になると思うのですが、

初禅定(第一禅定)までの力は必要ないと自分では考えています
193神も仏も名無しさん:2014/05/03(土) 20:43:40.44 ID:h2uoGY7f
沙門果経の記述に従えば四禅まで行って
完全に外界と感覚が断ち切られてから、
四念処、神通に意識を傾けるのが正道だわな
194神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 05:44:14.41 ID:gdEA57f0
 サマタは脳みそを停止すること。ビッパサナは脳みそのアイドリング。
STOP      サマタ
アイドリング  ビッパサナ(感覚器だけ動作)
ロー      低速
セカンド    中速
トップ     高速
オーバートップ さらに高速

 無負荷でエンジンを吹かしまくるのがパオ式。
195神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 19:56:18.32 ID:0fekCtkN
マハシ系は素人向けに変に加工しちゃってるから
パオ系の人達が非正統だと批判するのも
よく分かる

ちゃんと正統な上座部教義・実践を知りたかったら
パオ森林僧院の集会に毎週行った方がいいな

長期的には日本テーラワーダ仏教協会を
超える組織になると思う

俺は地方人だから行けなくて残念だけどね
196神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:22:51.65 ID:Qxf4cTpw
一応日本テーラワーダ仏教協会の会員だけど、
年会費を振り込むだけで会員になれるし、
イベントとかも参加したいときだけ参加すればいいという、
信者を放ったらかしでドライな感じが気楽でいい。
しかし、スマナサーラ長老がいなくなったときに協会がどうなるのかは心配。
197神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 03:21:57.45 ID:q+rhn8LR
パオ森林僧院はモーラミャイン本部があって
そこで日本人の比丘が修行してるし、
彼らが帰って来て日本支部にフィードバック
してくれるという循環が出来つつある
ちょうど鎌倉時代に中国との間を行き交った
臨済宗みたいに

広島にあるチベット仏教僧院もデプン大僧院
という後ろ盾組織がちゃんとある

それに比べて日本テーラワーダ仏教協会は
組織的な強固さがいまいち見えない
スマナサーラはスリランカのシャム派の
坊さんだし、指導してる比丘達はマハシ系・
ミャンマー系だし、運営には左翼活動家崩れ
みたいなのが混じってるし、バラバラ
スマナサーラいなくなったら終わりだよ
198神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:41:45.70 ID:d1dxRwCb
>>195
パオに行っても、いつもアナパナさせるだけだろ。
勉強にはならんよ。
一人でアナパナの実践しても同じこと。
199神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:00:20.30 ID:q+rhn8LR
>>198
そうでもないんだな
ちゃんとパーリ経典の内容や理論・実践の
説明・解説もしてくれるし、個別指導も
してくれるみたいだよ
ほんとにガチンコで上座部学びたければ
パオ一択だろうね
だから長期的には日本テーラワーダ仏教協会
よりも正統派と認知されて日本仏教界変革
の礎になり得ると思う

スマナサーラは切り込み隊長としていい仕事
してるけど、日本テーラワーダ仏教協会は
組織としてまとまり無さ過ぎて、上座部を
日本に根付かせるには弱い
200神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 19:12:31.41 ID:d1dxRwCb
>>199
私は行ってみたことあるけど、実際アナパナだけだったよ。
いちおう説法もあったが、それほどたいした話ではなかった。

パオでは、四禅に達するまではとにかくアナパナを続けなさ
いという立場だから、そんなもんだよ。
四禅なんて、われわれ凡人がいつ達成できることやら・・・
死ぬまでに達成できる可能性は低い。
パオは、そんな気の遠くなるような修行を続ける覚悟のある人
だけの修行法だと思うよ。
201神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 20:09:16.93 ID:CQDs8JWI
なんのために四禅に達する必要があるんだろう
202神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:38:09.60 ID:q+rhn8LR
>>200
気の遠いかどうか、四禅が困難かどうかは
個人によって見解が違うだろうけど、
正統性ではパオが一番でしょう

機根の低い者のためにいくらでも手法を
捻じ曲げていいんだったら、南無阿弥陀仏
と何ら変わらなくなってしまう
203神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:39:01.16 ID:gZypzvSJ
 歴史的に有名な名著だからって内容を鵜呑みにしちゃだめだよ。
偉大な哲学書でもどれもこれも片っ端から間違いだらけ。サルトルでさえ
構造主義が出て来たときはショショ、ショボーンとなったわけで生きてる
ときにそういうのに交代されるのは恥ずかしかっただろうね。
 あれだけ世界中が熱狂したマルクスも熱が冷めてみればヒステリックな
駄文だった。
 スッタニパータをなんら先入観なしに読んで御覧なさい。
デカルトの方法序説をなんらの先入観なしに読んでみなさい。
普通の読解力があれば「プッ」っておもうけどなー。
204神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:43:40.14 ID:q+rhn8LR
>>203
だったらこんなスレ来ないで俺様教作って
オナニーしてて下さい
205神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 23:12:49.91 ID:IEnuUWhR
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アップデートする仏教 のコメント欄がいまだにアップデートし続けているなw
206神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 23:25:50.94 ID:CQDs8JWI
>>202
貴方は詳しそうだから聞きたいんだけど
パオが四禅を必須とするのはどういう根拠なの?
207神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 02:48:01.36 ID:FIfyGwTR
今生で悟れなくても、輪廻前提で、今生で積めるだけの功徳を積んでおく、
できるだけの修行をやっておくという考え方もできる。
禅定に達してからでないと悟れないとしても、
今生でできるだけの訓練を積んでおけば、
来世では禅定に達する可能性が上がる。
スポーツの練習で言うと、
来シーズンに向けて今シーズンは筋トレから地道にやるのか、
今シーズンの大会での結果を急ぐために
今シーズンから実践のテクニック習得に力を入れるのか、の違い。
まぁ功徳を積むだけなら、冥想以外の善行為でもいいのかもしれない。
208神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 03:05:57.24 ID:FIfyGwTR
禅定って、本当に難しいんだろうか?
少なくとも、出家して毎日修行に打ち込める環境の場合は、
そんなに難しいことではないのかもしれない。
209神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:31:06.24 ID:dHTF+B+I
 それほど難しくないとおもうよ。集中的に練習すれば3,4日でマスター
できる。それから先はいろいろあるのかもしれないが取り敢えず禅定を
マスターしておけばちょっとだけ世界が広がる。
210神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:12:26.58 ID:dHTF+B+I
 テンションを上げる方法が運動
 テンションを下げる方法が瞑想
日常と運動と瞑想を繰り返せば生のダイナミズムが広がる。
 要するに頭と体が柔らかくなるということ。なのでちょっと難しいことに
挑戦するのに都合がいい状態になる。
 で特殊な瞑想や特殊な運動は特殊な目標の為のもので、そういうものは
必要ない。自分の目標の為に自分の運動と瞑想を開発するのが本筋だ。
パオだとかゴエンカだとかの到達点はいろいろあってもとにかく禅定を
掴めば後は必要ないと思う。
211神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:27:38.54 ID:dHTF+B+I
 運動と瞑想と日常を繰り返す。するとゴッツ体が柔らかくなってエネルギーの流れが
よくなる。そうするとチャクラがあってそこが抜けるのもわかるようになる。

 瞑想や運動の細かい技法は回路の作り方、イメージの作り方を示している。確かに
色々な到達点があるのだが、到達点の意味がハッキリしないのにその技法を練習する
意味はない。 「光の輪が見える」というような脳内回路を作るのは可能だ。でそれが
できるようになってもそこに意義を発見できないなら無意味だ。(それが悟りの通過点だ
というなら、それをマスターする意味があるが)
悟りはそういうものではない。
212神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:43:20.68 ID:lHS0fP5L
>>206
いや別にパオ・メソッドに限ったことでは
なくて、例えば『沙門果経』なんかを見て
もらっても分かるように、四禅達成してから
ヴィパッサナーってのが釈迦以来のやり方

要するに、欲界から離れて、初禅-四禅まで
行って、感覚を研ぎ澄ませて(というか
意識・生理を変性させて)からヴィパッサナー
やらないと、神通・漏尽といったマインド
セットを塗り替えるほどの体験を得られ
ないわけでしょ

ただの通常覚醒時の自己観察と何ら変わら
ないものになって終わってしまうわけだ
213神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:43:52.64 ID:dHTF+B+I
 運動と瞑想を両方するのは時間的にむり。なので隔日で運動と瞑想をする
のがいい。
今日は10km走る。
明日は1時間瞑想する。
この繰り返し。隔日ならかなり激しい運動をしても疲れが残らないので
怪我することはない。瞑想も運動を併用すると偏差(禅病)にならない。
214神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:44:40.04 ID:lHS0fP5L
>>211
クンダリニーヨーガのスレへ行ってらっしゃい
215神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:12:36.64 ID:ssnb8vpk
>>208
だからパオは出家者向けの修行なのさ。
「出家者には難しくない」と言うが、一般の人にとって出家するというこ
とがどれほど困難なことか・・・
まあ、仕事を持ちながら片手間に出来る修行ではないわな。
216神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:16:16.08 ID:ssnb8vpk
>>209
短期の練習で「四禅に達した」と勘違いしている人も多い。
217神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:48:08.76 ID:MXUquafg
ある覚者が『日常をごまかさずまっすぐに懸命に生きてれば、
それは瞑想だ』みたいな事を言ってたけど、どう思います?

村上春樹なんかは、一日一時間走る事は呼吸法で、
小説を書く事は瞑想だと思う。
218神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:57:58.08 ID:FIfyGwTR
>>217 何のための冥想なのかが抜け落ちてはダメでしょうね。
仏教の冥想は、身・受・心・法への執着をなくすための冥想、
煩悩をなくすための冥想。
219神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:26:51.86 ID:+jOzUHtB
>>212
>いや別にパオ・メソッドに限ったことではなくて、
ということはスンルンもモーゴッも四禅を目指す?

>例えば『沙門果経』なんかを見てもらっても分かるように、
たしかに『沙門果経』には四禅からの観智・神通修習が説かれてるけど、四禅を得ないと悟れないという証拠ではない気がする
それだとアーナンダ長老が横臥しつつあるときに悟ったというのも不合理ですし
経典読めば明らかに四禅に達しなくても、施・戒・生天からの四諦説法で預流果を得た人がいっぱいいますよね
220神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:32:30.82 ID:+jOzUHtB
>>217
ただの呼吸法で智慧は現れないし、小説は貪瞋痴を増やすだけの妄想戯論だと思う
「ある覚者」って誰ですか?なんかそのメソッドはバガヴァッド・ギーターのカルマ・ヨーガと変わらない気が
221神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 15:21:34.36 ID:lHS0fP5L
>>219
預流果ってのは、三結を断じた段階のこと
で、五下分結の内の貪・瞋がまだ残ってて
欲界に繋がれてる状態

四禅はその先の色界の話だから、関係無いよ
222神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:11:09.90 ID:nmzeGRz7
>>218
村上の場合は、小説で自分の心に深く潜るためのジョギングだと村上自身が言ってました。
体力がないと、潜れないと。
走っていると文体も呼吸も物語も変わると。


>>220
>ただの呼吸法で智慧は現れないし、

例えば、羽生に勝ち越している渡辺は一日15分のジョギングを日課にしているし、
羽生は昔水泳をしていました。
有酸素運動が精神活動に与える影響は最近、頓に言われるようになって来てます。


>小説は貪瞋痴を増やすだけの妄想戯論だと思う

村上の小説は現代に生きる人間の揺らぎを的確に表現しています。
それが意味を持たない人間には単なる妄想でしょうけど。
これは音楽や映画も同じですよね。


>「ある覚者」って誰ですか?

酒飲みの異端な存在なので秘密ですw
223神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:15:02.61 ID:ssnb8vpk
パオに行ってみて、禅と同じだなと思ったよ。
スマナサーラさんは、禅をサマタ瞑想だと言っているが、それは初期の段階だけのこと。
パオでも初期はアナパナというサマタ瞑想をするわけだから同じだよね。
禅もサマタ瞑想で四禅をめざして、その後はヴィパッサナで解脱をめざす。
224神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:15:41.55 ID:+jOzUHtB
>>221
貪・瞋を抑えるのなら第一禅定でもよいのでは
225神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:40:29.48 ID:NTTG1j/T
第一禅定の前の近定行でも良いと言う考え方もあります。
マハシ長老の考え方だったと思います。
226神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:41:54.20 ID:NTTG1j/T
近定行 ×
近行定 ○
227神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:50:53.40 ID:lHS0fP5L
それがマハシ系のおやさしいところでも
あり、邪道の誹りを受ける原因ともなって
いるところだと思うけど、いずれにしても
五戒止りの在家の身分である以上、比丘と
同じことは望めないわけで、どこで妥協し
世俗生活と折り合いを付けるかは、人それぞれの
判断だよね
マハシ系でいいって人もいれば、パオ系で
もうちょっと本格的なものに触れたいって
人もいるだろうし
228神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 21:59:57.77 ID:ssnb8vpk
マハシだけを引き合いに出してるけど、パオ以外はどこでもかなり早くからヴィパッサナ
に入るよ。
山下さんも以前はパオのスタイルだったけど、いまはサマタとヴィパッサナを区別しない
というスタイルだしね。
プラユキさんは、最初からヴィパッサナだね。
ゴエンカはサマタをしてからヴィパッサナをするという順番だけで、2・3日でヴィパッサナ
に入る。

少しでもヴィパッサナの効果を体験したいのなら、早くからヴィパッサナをしても問題ない
と思うよ。

どうしても解脱したいんならともかく・・・
しかし、解脱なんて、一生かかっても難しいよ。
日本のヴィパッサナの指導者のなかで解脱している人なんか誰もいないんだから。
そんな指導者に学んで解脱できると思う?
229神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 23:12:09.22 ID:+jOzUHtB
パオが本格っぽいのはいいとして、四禅が必要な理由がイマイチ明確じゃないですね
貪・瞋を抑えるのが理由というわけでもなさそうだし

>五下分結の内の貪・瞋がまだ残ってて欲界に繋がれてる状態
>四禅はその先の色界の話だから、関係無いよ

これは何だったのだろうか?
第一禅定も立派に色界だし、貪・瞋もないのだけれど
230神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 00:58:38.62 ID:/n7sdSea
>>229
そこで「四禅」と言ったのは、「初禅-第
四禅」の4つという意味での「四禅」ね

あなたは第四禅の意味で捉えてたのか
噛み合わないわけだ
231神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 02:44:03.19 ID:+S1eA9hl
皆さん、瞑想して心のコントロールが出来るようになったりしましたか?
232神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 09:15:01.64 ID:DQG5bzLu
不安などは確かに減ったよ
自分というものが、いかに困った存在であるか
よく理解できる
233神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 13:01:22.57 ID:VIZq2nCs
心のコントロールくらいならマハシ系で十分だよ。
234神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 17:40:17.44 ID:CGhS18FM
>>230
なーんだ
第四禅定に入ってからでないとヴィパッサナーを始めないなんて正気かと思いましたよ
235神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 07:28:51.32 ID:IGF9JnVm
対人恐怖(自臭症、醜貌恐怖、社会不安)的な症状がある場合、オススメの瞑想とかありますか?
236神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 08:03:22.11 ID:GLUlt1kW
医療機関に相談はしておられるのかな?
法(頭で考えたこと)は無我(夢・幻みたいなもので現実とは違う)と理解したうえで、
ヴィパッサナー冥想によって、心に浮かんでは消える思考や概念を観察し、
「事実とはちがう、私が勝手に考えたことにすぎない」と納得していくのは、よいと思います。
しかし、それが普通にできないからこそ○○症と病名がつくのであって、
危険な場合や悪影響もありえるので、医療機関に相談しながらやるほうがいいでしょう。
237神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 09:34:11.10 ID:eZGidmiv
病院へ行った方が良いと思うには、同感
238神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 10:24:54.13 ID:eZGidmiv
自分の場合、話を聞いてもらえるのが良かった
239神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 12:29:15.87 ID:CtzJCX3U
>>235
瞑想じゃないけどTFT(思考場療法)を自分で試してみるといいよ。
EFTつーのもある。
240神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 16:56:58.48 ID:IGF9JnVm
皆さんありがとうございます。

>>236-238
精神科は抗精神薬の副作用を身近な人間に見てきたせいで、不信感があって嫌なんですよね。

で、カウンセリングは受けた事がありますが、
学校のカウンセリングだったので、良い人がいたんだけど異動しちゃいました。
昔より随分いろんな事が精神的に楽になったけど、まだ根深く残っているから、瞑想等で変わるなら良いなと思った感じです。

>>239
調べてみますね。
241神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 17:08:30.97 ID:Nl8csUCP
TED 鬱 アンドリュー・ソロモンでぐぐる。これが参考になるぞ。
242神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 17:39:05.60 ID:wd7uk9vz
対人関係なら慈悲の瞑想がすすめられるんだろうけど
仏教は精神医療ではないのであまり期待しない方がいいと思う
243神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 07:50:38.96 ID:M9FMEkuA
自分の心を観る事をしていると
こころの勝手なおしゃべりが、減ります
時間はかかりましたが
ただ静かに、否定も肯定もせずに、ただ心に浮かぶ思いを
観ています。
必ずこの思いは消えていく
心は消え去っていく物、無常なんですね
自分が見ている物も、実は自分の認識物、作り上げた物だから
これも無常なのでしょうね
244神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 15:02:54.31 ID:4DTxYMai
>>240
対人関係を気にするというのは、自分が攻撃(非難や嘲笑など)されるという恐れを抱いてるからじゃないかと思う
それは自分のほうが他人を信じてないってことになる
攻撃してくる他人が悪いんじゃなくて、すべての他人にもれなく攻撃されると誤解してるのがいけない
つまり、その対人恐怖症の源、出発地点は自分にある
耐えられない発作が起きるというなら頓服貰った方がいいかもしれないが、>>235の症状なら、
人を信じられる経験を積むか、人を信じる経験を積むだけでも効果があると思う
カウンセラーや内観による思考の修正だけでも十分かもしれない
薬を貰ったとしても、それは自らの信念を変える薬では無く、緊張感や発作など身体的な反応を抑えるものだから、根本治療に至らない
発作が起きないようになって表面的には普通に暮らしていけても、恐怖の源は残り続ける
245神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 15:15:51.62 ID:4DTxYMai
現実的に考えて、実際に体臭がきつく、他者との比較によって不細工だということが明らかになったとしても、
それはそういうことであるというだけで、本来は攻撃材料にできるものじゃない
社会生活を送る上で消臭や化粧など修正は必要かもしれないし、他人が迷惑しているのに修正しないのは傲慢と言えるが
肉体的特徴というどうしようもないものを使って攻撃する人間は確かに居る
しかし、そいつのほうが社会的には問題児扱いされる
つまり社会は君の味方になる
でも現実的な考えで終わると、君の中にある「敵と味方」、「攻撃するものされるもの」という構図が解消できない
攻撃も防衛も必要ないというところまで踏み込まないと安息がない
246神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 16:29:12.55 ID:wKhwB/TJ
>>243
素晴らしい智慧の発現だね
まさにそれこそが本来の仏教
247神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:06:23.80 ID:M9FMEkuA
消え去る物であるから、無常です。
消え去る物であるから、それは私ではない無我
この消え去る物は、好ましいものでは無いだから苦
であると説かれた
248神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:39:34.63 ID:dVhsIT2z
なんかここの人は冷静で優しいな。
2ちゃんだとメンタルな話題は忌避されて廃除されるのが普通なのに。
これだけでも瞑想がホントに意味があると感じられます。


>>241-242
見てますね。

>>243
そういう風に冷静になりたいですね。
理想はビートたけしかな。
おちゃらけたような温かいような人情味溢れるビートたけしと、
クールで突き抜けたソナチネみたいな退廃的な死生観を抱えた北野武、
その二人を冷静に見つめている武自身がいて、そんな風になりたいなと。
249神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:02:17.09 ID:dVhsIT2z
>>244
>対人関係を気にするというのは、自分が攻撃(非難や嘲笑など)されるという恐れを抱いてる
>それは自分のほうが他人を信じてない

全くその通りですね。
根深い傷や人間不信がある。


>攻撃してくる他人が悪いんじゃなくて、すべての他人にもれなく攻撃されると誤解してるのがいけない
>つまり、その対人恐怖症の源、出発地点は自分にある

こちらが相手の憎しみに怯えていると、相手の憎しみを引き出してしまう、
というのはありますね。
怯えたり揺れてる人間を攻撃して楽しむ心が誰の心の中にも確かにあります。
で、責められると自分をより責めてしまっていました。
こういうループは止めようかと。


>人を信じられる経験を積むか、人を信じる経験を積むだけでも効果があると思う
>カウンセラーや内観による思考の修正だけでも十分かもしれない

してみます。
250神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:04:19.76 ID:8iBHM9kS
>>245
規制でId一時的に変わります

>現実的に考えて、実際に体臭がきつく、他者との比較によって不細工だということが明らかになったとしても、
>それはそういうことであるというだけで、本来は攻撃材料にできるものじゃない

かなり気をつけているので、大丈夫だとは思いますが、それでも生理的なものは誰でもあります。
強烈に臭いという観念が自分の中にあるので、
それにより転位関係が起こりやすいということかと。
逆転位(相手が相手自身の臭いを気にする、僕が相手の臭いを気にしてしまう)もままあります。


>しかし、そいつのほうが社会的には問題児扱いされるつまり社会は君の味方になる

実際には社会は不安定なもの、異端なものを廃除するものかと。
僕に対して悪意を向けるものは社会的には上手くやってますね。
むしろエンガチョみたいなものでケガレをこちらに押し付ける事で安定してるかと。

>攻撃も防衛も必要ないというところまで踏み込まないと安息がない

僕は正当に人を責めたり自分を守るために他者を攻撃したりせず、
自分を責めることしかしなかったから、今の状況になっている気がします。
人に悪意を向けあったり攻撃しあったりするのが、人の本質(の悪い面)なのに、
自分を守るために闘うよりも、自分を責めてしまったのが問題かと。
251神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:57:45.14 ID:aji30iI4
無理をしないでくださいね
252神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:41:06.92 ID:ZokESqjK
普通に認知療法か森田療法でいいと思うんだけど・・・

人にされたことじゃなく、してもらったことを思い出してみたら?
人間不信というけど、世の中どれだけ多くの「信じられる人間」がいるかを
考えてみたらいい。そうじゃなきゃとっくに死んでるはずだよ。

自分を守るために他者を攻撃したり闘ったりなんてしてたら、
それは自分を責めるのと同じだよ(自分には問題があるという前提のもとの行動ということで

「仮に臭かろうと自分の人格とは関係ない、自分は自分の人格を高める行動を
とることができる。自分を他人がどう思おうと、それは他人の問題だ」ということ。
253神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:13:42.60 ID:zXuJ2I6V
自己啓発系の説教はじめたよ・・・
254神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:38:54.51 ID:ZokESqjK
自己啓発レベルの悩みだからな。社会がどうの闘いがこうのってのは。
255神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:40:40.78 ID:jdlV8QHp
つまりハナからそのぐらいレベルの低い悩みだと見て貴方はアドバイス(?)してるわけだ
256神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 03:08:17.85 ID:XAs1F6aH
思考は離れるというか距離をとるのが前提だからね。
感情も。

体験→感情が起こる→思考が形付けられる、というのが日常の一般的なプロセスで、
その出来上がった思考形態そのものに執着して客観視できてなければ、
瞑想いくらやっても無駄。というか、感情なり思考なりを絶対的真実としてではなく、単なる現象として客観視するのが瞑想。

>>250はいちどその作り上げた思考というかドグマから距離を置いて
絶対的真実か疑って見なけりゃ一生苦しいままだ。

特に後段4行なんて、そんときの心境によって、そうとも言えるしそうとも言えないような、
もってても意味のない色眼鏡だよ。絶対的な真実じゃない不善心所。
実際、不善心所と真逆のものの見方をもって楽に生きてる人もたくさんいる。ちがうか?
抱えてても苦しいだけ、自分を苦しめるだけの、過去の感情反応から来た、一時的な、特殊な思考形態だ。
瞑想して「あー、今俺こんなこと考えてるな」つって流しちゃいな。

つって書くと自己啓発って言われるのか。
社会だの闘いだのなんて不善心所の色眼鏡、もってても苦しいだけだろ。ちがう?

>>253
意味なく突っかかってこないで内容に不満があるなら反論しろよ。
>>255
低い悩みだといってねーだろ。からむな。反応する前に自分の感情を見ろ。それが瞑想。
257神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 03:31:27.91 ID:jdlV8QHp
>>256
>思考は離れるというか距離をとるのが前提だからね。
距離をとるんじゃなくて別の思考・見解でリプログラミングするのが貴方の解決策だったような
それは質問主さんの考えの逆張りの思考パターンを押し付けてるだけで、瞑想でも思考から離れることでもないよね

>絶対的真実か疑って見なけりゃ一生苦しいままだ。
絶対的真実とはいってないでしょ
現状の不満を見解として吐露しただけかと

>特に後段4行なんて、そんときの心境によって、そうとも言えるしそうとも言えないような、
と、貴方に言えるだけの根拠があるの?
自虐的にならない、自分がしっかりする(我具足)というステップも仏教にはあるけど

>実際、不善心所と真逆のものの見方をもって楽に生きてる人もたくさんいる。ちがうか?
不善心所と真逆とは不貪・不瞋・不痴の見方ってこと?そういう人は悟ってるんと違う?

というのはまー軽口として、個人には個人特有の環境があるのだから、アフリカで餓死しそうな人に聖人君子になれと説いてもしょうがない
「恒産無ければ恒心無し」ともいう。社会から愛されて生きてきた人を持ち出して説教かましても意義のあることとは思えないねえ

>社会だの闘いだのなんて不善心所の色眼鏡、もってても苦しいだけだろ。ちがう?
色眼鏡とか邪見(とは言ってないけどね、例え)とかワンフレーズで理を尽くした気になって、ご高説垂れてもなんら解決にはならんでしょ
258神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 11:35:10.24 ID:xaAX3imR
>>252
>普通に認知療法か森田療法でいいと思うんだけど・・・
認知療法は自分でかなり出来るし、してみようと思ってます。

>自分を守るために他者を攻撃したり闘ったりなんてしてたら、
>それは自分を責めるのと同じだよ
『戦う』と言うと大げさになりますが、正当な相手への批判、間違った行為に対する正当な拒絶は必要だと思うんですよ。それが出来なかった。
でも確かに自分を責めることと表裏一体ですね。

>>256
>>250はいちどその作り上げた思考というかドグマから距離を置いて
>絶対的真実か疑って見なけりゃ一生苦しいままだ。
その通りでしょうね。そこをするようにします。

>実際、不善心所と真逆のものの見方をもって楽に生きてる人もたくさんいる。ちがうか?
『人の本質(の悪い面)』と書いた通り、全くその通りだと思うんですが、余りにも人の不善心所を見過ぎたせいで、それにとらわれて、
それ以外のものが見えにくくなっている・・・という感じだと思います。
本当に限りない悪意でしたから。
高校くらいまでに、例えばイジメ等による自殺者が結構いるのは、そういう事だと思っています。これは妄想でも観念でもなく。
ある人間に思春期的な不安定さを押し付けて、殺してしまうような。

僕の問題点は、人間にある悪い面を見過ぎたせいで、それ以外の者が見えにくくなっていること、また、そのことにより自分だけを責めてしまっていて追い込まれてしまったこと・・・だと思います。
>>256さんが言うように、その悪い面の記憶と感情にとらわれない様にするのも良いかもしれないし、
逆に、>>252さんの言うように、良い面を探して行くことで、より相対的になって行くのも手かも知れないです。
両方模索しますよ。
ありがとう。

そろそろスレチなのでここら辺で相談を終えます。
みなさん、とても優しくそれだけでも瞑想の意味がある気がしました。ありがとうございました。
>>251>>257さんもありがとう(´・ω・`)
259神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 14:50:19.72 ID:KhWeDKJl
こっくり必死
260神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 09:27:53.87 ID:BNWZk8rV
ヴィパッサナー瞑想法は、我執に強い執着がある場合は無意味なのでしょうか?効果は出ないのでしょうか?

俺は金の苦労で悩み苦しむ者です。ヴィパッサナー瞑想法で少しでも煩悩を潰せたら楽になれそうな気がして、この瞑想を始めました。

この瞑想の果てに、我執をすてることが出来るのだから、今は我執に取り込まれていても仕方ないよね。って考えることも有ります。
261神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 10:59:03.05 ID:8I4f+4U2
たまに仏教も瞑想も現実に対する不感症を生成する装置みたいに思える時があるが気のせい?

金に困ってる事から目を背けても、金に困ってる事実は変わらんのに。

それとも金に困ってる事実を冷静に受け止められるようになるんだろうか?
262神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 11:04:00.57 ID:CyaHNGLx
借金などがあるようなら、まず借金整理などを進めるべきだろうと思いますよ
263神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 11:17:10.23 ID:BNWZk8rV
あはは、そうだね。その通りだね。
借金を難病と置き換えても同じかな。
宗教的な瞑想では人は救われないのかね。
残念だね。残念だね。
264神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 12:25:31.17 ID:NjXOGm/z
仏教は、借金があっても不幸だと悲観しないようになれる教えでしょうね。
あるいは、悲観してブルーになることがあっても、
その感情や妄想にどっぷりはまらない教え。
265神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 12:51:56.89 ID:8I4f+4U2
>>264
つまり仏教は現実の受け止め方の方法論で、
現実的な解決とはまた別だって事ですかね?
上記の例えだと、
借金苦を感じなくなる、もしくはそれに囚われなくなるのが仏教の思えで、
借金の現実的な解決には直接結び付かないと。
そもそも現実的な解決を指向する教えではないと。


上記の例だと、現実的には、上手く金稼いで借金返せよってのが一番ですよね。
266神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 13:35:26.60 ID:CyaHNGLx
もし何事かが起きて
改める方法があるならば、その努力をすべきである。

もしも改める事ができないのならば
それをより以上に悲しむ必要は無い

「入菩薩行論」から
267神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 14:27:51.14 ID:Y9Jre9yn
>>260
ヴィパッサナーはありのままをみる事=受け入れることだよ。

別に貧乏を肯定するのでもなく、といって否定するのでもなく、
その上で流れに沿った生き方をすればいい。

物語を付け加えないで、現状を生きる。
268神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 14:32:43.49 ID:Y9Jre9yn
借金にもいろいろ理由がある。借りて得たいものってなんだろう。
家族の安全とか。でも家族がいない人もいる。幸せは相対的なものだ。
269神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 15:13:59.72 ID:8I4f+4U2
>>268
>幸せは相対的なものだ。

仏教に良くあるこの言葉って難しくてさ、
これは他人に振りかざすものではなく、
自分で自分に言えるようになる事を重視してるのが仏教だよね。

つまりさ、友人に騙され借金まみれになり、家族と離散して、病に侵されてるやつが
『幸せは相対的なものだ』なんて言われても、馬鹿馬鹿しくて意味がないよ。

苦しみの中にいる人には仏教って余りにも無力な言葉かなと思う事もある。
270神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 18:20:30.56 ID:B9R+3WKx
逆に五欲が満たされて人生楽しんでる人は仏教に興味持たないだろうしね
それほど苦しみのどん底でもなく、幸せ過ぎもせず、中間の人しか救えないってのは現実としてあると思う

伝統的な例えでも、
神々と三悪趣の衆生は仏教を実践できず、苦楽が半々の人間だけが実践するみたいなのってあるよね
271神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 20:17:03.91 ID:Y9Jre9yn
>>269
そりゃそうだよ。自明灯だもん。俺もその人にアドヴァイスしたわけでも、
救おうとしたわけでもない。
もちろん幸せであって欲しいけど。

宗教の類型としては、ジェイムズのいう
1.健康な魂による求道的な悟り
2.病める魂による回心体験

があるという。前者は禅、上座部仏教、ジニャーニヨガなどの自力宗教、
後者はキリスト教やバクティヨガ、大乗仏教、とくに浄土思想などの他力宗教。
もちろんそれぞれのなかにお互い重なるところもあるが。

正直スレ違いになるけど、おれ自身後者の他力宗教のほうによりシンパシーを感じてる。
他人の苦しみ、自分の苦しみを考えるとね。だから、苦しんでる人は
他力門のほうへ関心寄せてはどうだろう。
272神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 20:17:37.76 ID:Y9Jre9yn
>>269や270のいうこともわかるけど、どんな人にでも合った宗教形態が必ずあるし、
苦しみにも絶対マイナスの側面だけじゃなく、宗教的側面がある。
フランクルの「夜と霧」とか、普通の主婦の回心体験もある。

苦しみのなかから何かをつかんだエピソードだっておおい。
正直上に書いたように、テーラワーダは健康な魂むけ
だから大乗仏教では悟りには八万の法門がある、というのだと思う。

あと、講談社学術文庫から出ている「宗教学入門」という本が本当におすすめだ。
宗教の諸類型をこまかく分類していて、それを読むと自分の進む道がつかめる。
p172あたりから、苦しみのなかからの宗教的体験という類型に触れているけど、
それ読んだだけでも救われるような気が俺はしたよ。

あと、こんなサイトもいいかもしれない。
結構限界体験が、宗教的救いに転化するエピソードが多い。
http://www.geocities.co.jp/noboish/case/index-c.html
273神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 21:16:10.26 ID:NjXOGm/z
>>269 そもそも人間は必ず死ぬわけですが、
それを本気で気にしだしたら不幸な気持ちになる。
しかし、我々は気にしないで暮らしていける。
死ぬことさえも気にしないことができるなら、
他のトラブルだって、気にしないでいいときは気にしなくてよいのです。
スマナサーラ長老の言い方だと、
生きるのが辛いと言う人がいても、今の1秒は生きられる。
本当に生きられない苦しみであれば、その瞬間にショック死するから大丈夫です。
(つまり、生きていけないほどの苦悩とは妄想)
274神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 21:17:17.33 ID:8I4f+4U2
仏陀って自らの苦しみではなく、
城から出て他人の苦しみを見てから、
修行の道に入ったんだよね?
自分の痛みから入ったら、また違う形の宗教になった予感はする。

>>271-272
君、詳しいね。
目茶苦茶参考になるよ。
図書館で探して読んでみる。
宗教スレはいろんな人がいて面白いね。
275金有財 ◆HOBfTo8Y1977 :2014/05/12(月) 22:03:40.04 ID:xl07hphj
修行などしなくても
イエスキリストの名を信じるだけで救われるキリスト教が
最強です。
276神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 23:44:48.50 ID:B9R+3WKx
>本当に生きられない苦しみであれば、その瞬間にショック死するから大丈夫です。

これはどうかと思うわ。末期がん患者にこんなこと言えない

>(つまり、生きていけないほどの苦悩とは妄想)

ヴァッカリ長老に仏陀はこんなこと言わなかったよね


スマナサーラ長老は悟った人の視点から極論を言うから論理は通ってるけど実行不可能な教えが多い気がする
277神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 00:00:52.42 ID:8I4f+4U2
>>273
>他のトラブルだって、気にしないでいいときは気にしなくてよいのです。

気にしないでいられない状態の人の事を話してるんだ。

>本当に生きられない苦しみであれば、その瞬間にショック死するから大丈夫です。
>(つまり、生きていけないほどの苦悩とは妄想)


これは言葉遊びみたいなもののような。
実際に自殺未遂や願望を抱いたり、
ともすればなんかのきっかけで死を選ぶほどの苦痛を抱いてる人間は結構いるだろう。
死と生は地続きだよ。
278神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 00:16:55.07 ID:Xue80rQU
>>274
思いがけず参考になったならうれしいです。
自分自身苦しみをどうにかしたくて、客観視するためヴィパッサナをやっています。
やはり苦しみが契機で宗教的な回心、恩寵を得るってパターンは多いですよ。

古典的なテーマでいうと、聖書の「ヨブ記」で
上の人のように、経済的、人間関係、病気、家族の喪失など徹底的な苦境の人が、
自分も神の一部であるとの安心を手に入れる物語で・・・。

法然の浄土思想なんかは、インドのバクティ(神への親愛)ヨガとおなじで、
自分の進退をすべてアミダ任せにするのですが、言ってみれば禅と同じ自我の放棄が主眼だけど、
当時の地獄のような世相においては、自力修行よりも苦しみを利用しての他力任せが自我放棄には有効だったんでしょう。
苦しんでいる人には特におすすめの本です。

これは「夜と霧」最後の一文ですが、一つのバクティでしょう。
「収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のなにかだと思える日も、
いつかは訪れるのだろう。
ふるさとにもどった人びとのすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、
もはやこの世には神よりほかに恐れるものはないという、
高い代償であがなった感慨によって完成するのだ。」


人間として生まれてきて苦しみが必然なら、苦しみに意味がないわけがないというか。
「人間苦」をより多く感じるものの方が、それからの脱却も近いのだと思います。
その脱却はヴィパサナでの自力訓練もそうですが、上の体験事例集だと苦しみと幸福への期待の
放棄と同時に「恩寵」として現れると思います。
279神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 00:55:40.53 ID:Mv0iRylE
>>278
やっぱり苦しみを契機にして、宗教や瞑想に向かう人は多いよね。

ヨブ記は僕も好きだけど、ヨブが救われる結末になったのは近年で、
実は元のヨブ記は、ヨブは苦しみに苦しみ抜いて、救いもなく、そのまま死んでしまうらしい。
その方がヨブ記らしい気がする。
正に苦しみの物語として。
280神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 02:42:38.11 ID:D7JKj+sV
苦の中でどんな選択をすることが自分にとって有意義かを考える。
納得出来て不完全燃焼にならないような行為を積み重ねていく。
今という刹那の時の中での判断と行動の積み重ねが人生を紡いでいくのだから。
私はそう考えてるよ。
一行目はスマラナサーラ氏の言葉だけどね。
ある本に書かれていて、読んで納得したしスッキリした。
281神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 08:32:16.46 ID:e82dOTmS
俗世間で生きている人は何かと悩みの種が多いから
瞑想をしてもなかなか心の平安は得られない。

安心が欲しければ、出家して修行することだね。
282神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 09:07:04.08 ID:Xue80rQU
世間的な悩みのなさという意味での安心と、瞑想から得られる平安は違う気がする。
283神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 10:01:28.51 ID:mckYEA+n
まりあ
284神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 10:29:09.68 ID:dLC8DdBa
下記、教えて頂けると助かります。

最近ヴィパッサナー瞑想を始めました。座る瞑想で心を観察しようとしても、上手く出来ません。

心を観察しようとすると、心がモヤモヤした状態で、集中力がきれた瞬間に何かの妄想に囚われていることがあります。
特に心を観察しようとしている時は、薄い想念のような弱い思考が、ずっと感じられています。ラベルをつける程強くない想念です。
このような状態でヴィパッサナー瞑想で心を観察していれば、この薄い想念が段々と強く認識されて来るのでしょうか?

よろしくお願いします。
285神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 10:52:18.32 ID:7yi7Ld+1
苦なくば悟れずという言葉もある
286神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 11:25:18.63 ID:dLC8DdBa
それは、このままで良いと解釈できるのかな?
287神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 12:17:42.96 ID:ewaryvcT
>>284 座る冥想より、歩く冥想とか、手を動かす冥想とかのほうが、
ボーっとなりにくいのでいいかもしれませんね。。
私も、座る冥想は楽(集中を怠けやすい)なので、
ついつい座る冥想ばかりやってしまいますが。
288神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 12:31:28.36 ID:dLC8DdBa
>>287
コメントありがとうございます。

自分は心を観察するつもりで、座る瞑想をしています。もしかすると、この時点で間違いを犯しているかもしれませんが。
289神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 14:06:06.43 ID:7yi7Ld+1
自分は歩く方を主体としています。これなら歩いているときは常に、どこでも、少しでも出来ますので
290神も仏も名無しさん:2014/05/13(火) 14:15:49.15 ID:7yi7Ld+1
苦なくばという言葉は、前に聞いていたのですけど
今思えば、思考がはっきりとかたまりでみえるので
わかりやすいのでは無いかと思うようになりました。
ただあまりにひどいものは、巻き込まれますし、まずある程度
軽減できるのなら、それを一番にするべきだろうと思えるのです。
291神も仏も名無しさん:2014/05/14(水) 09:14:32.05 ID:L4AVASMd
私の場合について書きます。
瞑想中の思考は集中力がある時は、なかなか出て来ず、出て来ても気配のような感じで弱いものです。その気配を注視してると思考に育つ場合があります。
集中力が落ちて居る時は、思いっきり思考に乗っ取られる時もあります。

なので、思考にサティを入れる場合は、感情や想念に変化が有れば直ぐに入れてます。
大きな思考に乗っ取られ場合は、気付いた後に瞑想のヤル気も無くなります。瞑想続けてますけどね。
292神も仏も名無しさん:2014/05/14(水) 22:32:11.41 ID:SXaOpAKR
サティですが、言葉を使っているのですか?
自分はうるさくなるので、使っていませんが
293神も仏も名無しさん:2014/05/15(木) 08:56:47.20 ID:TAmbl0kY
言葉といっても初期の段階だけだよ。
なかなか集中できない初心者のための方法にすぎません。
うるさくなるのなら使わなくてもOKです。
294神も仏も名無しさん:2014/05/15(木) 10:27:46.08 ID:0lrzIhZY
スマナサーラ長老は、ラベリングを推奨してるから、俺もそうしてるよ。しかし、スマ長老が下記で示しているような事は、まだ全然出来てないけど。

これ読むと、在家向けにアレンジしたとは言え、ヴィパッサナーって難易度高いと思うよね。

http://www.j-theravada.net/dhamma/oriori10.html
295神も仏も名無しさん:2014/05/15(木) 11:04:37.58 ID:mzUepVSg
瞑想中の思考は敵ですと言い切ってる人だからなぁ。
ティクナットハンみたいに、思考を抱擁して、とは真逆。
後者も勘違いするとまずいけど、要するに抵抗=執着に気づくということだから。
296神も仏も名無しさん:2014/05/15(木) 12:42:03.63 ID:JcuqBPNz
自分では思考を理解するというか、包み込んで観るとでも言うか

泣き叫ぶ小さな我が子をやさしくじっと観ているとでもいうか
297神も仏も名無しさん:2014/05/15(木) 12:47:02.28 ID:JcuqBPNz
そう観ている方が、子供は早く泣き止むように思います。
またこのだだっ子も、だんだんとあんまりだだをこねないというか,その声も小さくなるように思えます。
298神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 00:34:41.63 ID:dGLIaMMl
>>295
スマナサーラ長老がそんなこと言ってるかなあ?
あり得ない話だな。
誤解してるんじゃないの?
299神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 06:44:29.58 ID:KxSBIG5k
言ってるな
300神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 06:48:36.65 ID:z9RaZU7+
みんなは、瞑想していない時でも、妄想の類が頭に浮かんだら、妄想をやめる様にしているのかな?

普段から妄想しない様に努力しないと、ヴィパッサナー瞑想中だけ妄想カットしても意味ないよね。どう思う?
301神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 07:04:21.84 ID:alVAXdEq
あ!!またやってるって、気がついて、今に居るようにしているよ
いつもはできないけど、気がついた時に

日々すべての動作は瞑想にできるともいえるんじゃないか
と思っています。

おそらく、茶道とか武道とか言うものも、本当の意味はここにあるんじゃないかと
思えるのです。
302神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 10:28:19.41 ID:z9RaZU7+
そうだよね。同じ考えの人がいて安心しました。
茶道とか武道の意味、雑念を払うとかの観点なら分かります。
303神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 12:02:39.12 ID:dGLIaMMl
>>300
ヴィパッサナー瞑想というのは妄想カットするものではありません。
そんな瞑想いくらやっても意味ないよ。
304神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 12:31:09.44 ID:/r4Ef1Pl
身・受・心・法への執着をなくすために、
無常・無我に納得するための観察をする。
妄想のカットについては、
観察をするための集中に邪魔であるためと、
妄想を含めた法境への執着を消すための、
2つの意味があるのでは。
305神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 12:37:34.43 ID:/r4Ef1Pl
仏教の基本は四諦。
仏教は、悩み苦しみの原因である煩悩・執着を消して
悩み苦しみを消すための教え。
戒・定(サマタ)・慧(ヴィパッサナー)の三学は、
煩悩・執着をなくすための手段。
306神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 12:52:20.02 ID:z9RaZU7+
>>303
妄想カットは、言葉が至らなかったです。
初心者だから、分からない事や言葉の使い方が間違っている部分があると思います。失礼しました。

>>304 >>305
妄想カットは、妄想に対してサティを入れその妄想を止める事を、安易に表したものです。

自分には、仏教の教えが欠けていました。簡潔明瞭なコメントありがとうございました。
307神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 13:02:00.38 ID:IQZkgXCK
妄想をカットすると言うより、理解、受容することで
減ってくるとでも言うか

同時に、どれが正しいかがわかってくるし、努力しつづけることで、何とも言えないような喜びのようなものが
現れてくる、歩き動きなどの動作が軽く、心がどれほど邪魔をしていたかが理解できる
こころがいかにいろいろな物を掴まえているかが理解でき、それを分離できるようになるので
集中性が上がってくることがわかり、揺らがない静かな湖面のような心が発見できる
308神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 13:05:46.62 ID:IQZkgXCK
カットできると言う事は、分けてみることが出来ることを表していると思える。
おそらく名色分離智と呼ばれる、入り口に立っているはず
309神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 15:44:07.13 ID:z9RaZU7+
>>307 >>308
妄想癖があった私でも、ヴィパッサナーにより妄想のない日常の動作がいかに軽く、妄想中の心がいかに重いかが解るようになりました。或いは、宝くじに当たったなどの楽しめる妄想でさえ陳腐に感じられる様になりました。今の私はそんなレベルです。

揺らがない静かな湖面のような心とは良い表現ですね。そんな心に近付けたら、嬉しく思います。

名色分離はこれから調べ、今後の励みにします。コメントありがとうございました。
310神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 21:10:33.94 ID:alVAXdEq
動作が軽くなるでしょ
あたかも雲の上や、水の上を歩いているかのような軽さを感じるはずです。

これがわかることは、ただの初心者ではないと思いますよ
311神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 21:40:24.26 ID:alVAXdEq
静かな心が生じるようになると、心を観ていると、じわーとした喜びのような
ものが現れると思います。

もうこうなってくると、酒なんて飲んでられません。
まずお酒などを飲むと、一気に消えます。
そんなものより、もっと心地よいものです。
だから、なぜ戒として不飲酒戒が存在するのか、よくわかります。
312神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 23:01:19.17 ID:z9RaZU7+
>>311
追加のコメントありがとうございます。
私が静かな心を感じるまで、まだまだ道のりは遠そうです。
マイナス思考に苦しんで、やっとたどり着いたのが、仏教の教えと瞑想です。
この先に静かな心の世界があることを楽しみにして、瞑想続けてます。
313神も仏も名無しさん:2014/05/16(金) 23:58:19.77 ID:x2NpKeSu
会社の飲み会は付き合いで参加してたけど
とても辛いので止めることにした。
騒々しいのはもう勘弁だ。
314神も仏も名無しさん:2014/05/17(土) 14:44:12.69 ID:ajvlW0iL
こっくり自殺寸前
315神も仏も名無しさん:2014/05/17(土) 18:00:50.85 ID:GVUa3v9t
>>284
ヴィパッサナー瞑想にもいろいろあるけど。
在家で心を観察するというのは、どこのやり方だろう。
ヴィパッサナーとは観法で、
座法の場合は呼吸を観るとか腹の動きを観るとか・・・・そこらへんが基本ですよね。
思考や心の観察というのは、思考や心の動きというのはすごい早いから、相当な上級者レベルの行法でしょう。
呼吸や腹の動きを観るというのは感知しやすいし、それに集中(ということはサマタでもある)し観つづける。
妄想に入ってるのに気がついたら、そこからまた、呼吸や腹の動きに戻るの繰り返しでいいのではないでしょうか。

呼吸や腹の動きを観ることは、あるターニングポイントへ導く方法になっており、だから大事なのです。
歩く瞑想で、足の裏に集中するのも同じです。
先達の意図がこめられています。
316神も仏も名無しさん:2014/05/17(土) 19:34:32.78 ID:e0tyIbEB
>>294
ラベリングが号令にならないように気をつけなければ…
317神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 01:20:52.96 ID:zxE/mM9J
>>284
妄想や雑念がなくなったら、それでもう相当な高い境地のレベルであり悟ってるのです。
妄想や雑念があってあたりまえで、だから修行するわけで、「集中力が無い」とか「うまくできない」
とか悩む必要はないんです。
心身ともに浄化されていき、妄想や雑念の根がなくなっていく・・・・そのために瞑想などの修行をするわけ
なので、妄想に入ったりしたら呼吸や腹の動きに戻るでいいのです。
318神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 10:20:50.59 ID:n2R83cSL
早いもので、2014年も5月。ますます時間が進むのが速くなる。
このまま、どこに向かうのか?
地球の次元上昇は、着実に進行している。「次元が上昇しているというのなら、
証拠を見せろ」という人もいるけど、証拠はある。
「波動が上がっている」というのが、その証拠だ。
もっとも、「波動が上がっている」と言っても、「ボクにはそんなの、ちっとも
感じられないよ?」という人もいるだろう。
そういう人には、「残念でした。ご愁傷さま」としか言いようがない。
でも、ちょっと呼吸を止めるか静めて、雑念を消し、意識を集中してみよう。
何か、ビリビリ感じられるものはないかな?
そう、それが上がってきた地球の波動なのだ。もしくは、地球の波動に合わせて、
自分自身の波動が上がってきているのだ。何ヵ月かするうちに、ビリビリ感が
だんだん上がってくるから、そのうち実感できるはず!?
どちらにしても、全員がそれを感じ取れるわけではない。
「地球の次元上昇」にもともと興味がなければ、まず無理だろう。
これは植物の生長と同じで、日々の変化は微細なものでしかない。
でも、何ヵ月かすれば、明らかに違ってくる。もちろん、植物と言っても
タケノコとか、ツクシとか、ああいうのではなく、普通の樹木の話。
こんな話を世間の一般人にしたって、笑われるのがオチかもしれない。
「お前は、アセンションを信じ込んでいるのか?」と言われるかもしれない。
でも、まさに、その通りだ。こちらは、アセンションを信じ込んでいる。
それで、何が悪いのか?
そちらも、「このままの地球が続く」と信じ込んでいるのであり、それもまた
一種の信仰なのだから、お互いさまだ。
319神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 10:34:43.79 ID:+g7ip0iw
長文の力作ですがスレ違いです。別のスレでやってね。
320神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 12:04:16.12 ID:bUUvSMRS
この時期になると地球の次元が上昇してると言い出す馬鹿が現れるが
春と夏は地球が蓄えたエネルギーを活動させる時なので波動が上がるのは当然である
321神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 14:43:50.79 ID:zxE/mM9J
>>298
スマ師のやり方は、実況中継して思考を止めるやり方だよね。
ラベリングをやり続けることによって、思考を止める。
マントラ唱え続けるのとかわらんというか、マントラのかわりに
実況中継し続ける。

お釈迦様はマントラを禁止したのだから、マントラの替わりに
ラベリングの言葉を唱え続けるのはどうなんだろうと思う。
その分、あるがままに観ることがおろそかになると思う。
322神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 14:58:04.85 ID:jWSb6ULu
ある程度のレベルに達するまではマントラが一番早いけどね。
カルマ焼き切れるし、エネルギーを起こすし。
悟った人ならその辺りわかると思うんだけど。

釈迦やクリシュナムルティーは何でマントラ否定したんだろうね。
悟りのレベルが低かったのかな。
323神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 15:03:08.88 ID:zxE/mM9J
>>322
マントラは否定しないよ。
でもラベリングでマントラのかわりにするなら
観法ではなくなるよね。
マントラを禁止したお釈迦様がそのような方法を説いたとは思えないんだけど。

初期仏教だとかいいながら、勝手にアレンジしているのがおかしいと思うわけ。

慈悲の瞑想だって、後年の創作だし。

本当の原始仏教を知りたいね。
324神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 15:52:52.64 ID:o8x+z9a7
何か誤解してない?
マハシ式だって、本気でラベリングすると、忙し過ぎてマントラの代わりにならないし。。。
お腹の膨れる縮むだって、こればっかりやってれば、見清浄で名色分離が掴みやすいし。。。
325神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 16:12:24.18 ID:zxE/mM9J
>>324
マハシ式がダメだといってるわけではない。
原始仏教でないものを原始仏教のようにいうのがおかしいといってる。
広義の意味において嘘ついてるよな。
在家用だという理屈だけど、在家用なら勝手につくりだしたりアレンジしていいのか?
お釈迦さまが在家に指導していたとおりに指導するべきで、それが現代にあわないと
いう理由でアレンジするなら、アレンジされた仏教であり初期仏教・原始仏教ではない。
326神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 16:36:01.04 ID:MI0SI0rg
>>325
スレチのように感じるが気のせいか

知りたいことは経典に書いてあるんじゃなかろうか
327神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 16:49:37.02 ID:4U0ePPTS
釈迦 〜 輪廻転生からの卒業 - 宇宙のこっくり亭 - gooブログ2013年9月9日 ...
それを仏教では縁起と呼びます。縁によって ..... それにしたって、自殺は良くないことだ
という考え方が、仏教にはまったく見られないことに変わりはない)。 もちろん、「 .....
それはともかく、原始仏典は、どこから読んでも、「私は解脱した。輪廻は ...
blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/.../a97ccbf3715a3362bad8d8ae3c22cd91

湧玉の祝事の儀式 - 宇宙のこっくり亭 - Gooブログ2012年12月13日 ...
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=iJi5EbSkQCQ まぁ
、あくまで海の向こうでの話 ... ようは、仏教で言うところの菩薩であって特定周波数を
保持し思い出させる為に存在する。 私自身は、行者をしながら波動 ...
blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/.../1656d29e04191fafb8391284eafe2866

2011年9月 - 宇宙のこっくり亭 - gooブログ2011年9月20日 ...
ヴィパッサナー瞑想は、主にスリランカやビルマなどの南方系の仏教で伝えられてきた、
初期仏教に最も近い瞑想法。いい悪いは別にして、文化が異なる中国や日本では、
インド伝来の仏教もちょっと違うものに変質してしまっていた。
blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/m/201109
328神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 16:56:29.74 ID:o8x+z9a7
>>325
>マハシ式がダメだといってるわけではない。
なら、特に異議なし。

>原始仏教でないものを原始仏教のようにいうのがおかしいといってる。

これについては、俺もそう思う。在家向けってアナウンス足りないと思う。
が、別な観点から、スマナサーラ長老の書籍に救われた人も多いと思うから、何とも言えないって感じだ。
329神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 18:31:34.51 ID:9XBQYEKZ
じゃあパオ・メソッド最高ってことで
いいんじゃないの
330神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 18:34:06.89 ID:zxE/mM9J
>>328
>スマナサーラ長老の書籍に救われた人

その書籍主義というか、そういうのも問題おおありだとおもってるんですけどね。

本や経典と悟りは関係ないのに、答えを文字に求めようとする大脳肥大をおしすすめてしまっている。

思考を止める指導をしていながら、思考の世界にとどまらせることを推し進めている。

お釈迦様は経典など一つものこさなかったし、口伝で伝承していくことを望まれてたはずですけどね。
331神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 18:40:21.56 ID:o8x+z9a7
>>330
じゃあ、勝ってにに思ってな。
332神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 18:43:09.05 ID:48dLmSx0
マントラはラベリングじゃないだろ
333神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 19:06:18.05 ID:jWSb6ULu
正法は500年で失われてんだから、いまさら厳密に釈迦のやり方にこだわる必要も無いけどね。

現在の小乗仏教だって原始仏教や上座部仏教と違った亜流の生き残りみたいだし。
334神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 19:07:30.65 ID:jWSb6ULu
さらに言えば仏典の多くも大乗のほうから再輸入してるみたいだし。
335神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 19:11:03.48 ID:jWSb6ULu
大乗のほうから再輸入して自分たちに都合のいいところだけ取ったつーのが正しいか。
336神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 19:26:53.38 ID:9XBQYEKZ
>>333-335
どこでそんなデタラメ吹き込まれたんだ?
337神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 19:33:27.21 ID:jWSb6ULu
>>336
仏教の歴史や文献学をちゃんと調べてみ。
338神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 19:49:42.12 ID:9XBQYEKZ
>>337
いや、君のさっきの書き込み見れば、
仏教の歴史も、文献学も、仏典の知識も
全く無いように見えるけどね

増広やスリランカ仏教の分派とかの知識を
ちょっとかじって妄想で十把一絡げに
否定・相対化したがる日本人によくいがちな
にわかそのものって印象だけど
339神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 19:56:37.27 ID:jWSb6ULu
>>338
wikipediaにすらこう書いてあるぞ。

ただし分別説部は分岐に諸説あって、上座部の異端として扱われたり、そもそも上座部系では無いと言う指摘もある。
また代表的な部派仏教とされる北伝20部派や南伝18部派には含まれない。

分別説部と言う良くわからないものの生き残り。


ちゃんと自分で調べろ。
340神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 20:10:56.81 ID:9XBQYEKZ
wikipediaのにわか知識で文献学とかw
ネタなのかな?
小学生みたいだね
341神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 20:19:09.89 ID:jWSb6ULu
>>340
あなたの誤りの1例としてwikipedia出しただけ。
俺はちゃんと文献で歴史を調べた。

お前が間違っていたのは確かだろ。
自分の間違え認めないで人を茶化すのが小乗仏教なのかね?


そして仏典の多くも大乗の方からの再輸入と鑑定されてる。

自分で調べろよ。
342神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 20:22:17.72 ID:789ILewk
_  争  も  _...: :_;. --- .._: : : : : : : :\       \  | |  /
_  え  っ  _.,ィニ-‐……ー-: 、`ヽ、: : : : ヽ、      _        _
_   : . と   _ : : : : : : : : : : : : :ヽ、 ヽ| : i : : :,    _   争   _
_  :      _.ハ : : : :ヽ : : : ゝ-- :\ | : :! : : : ,   _   え  . ._
/, -‐/.: : : : :i : : /ィ:爪: : :\ :\ : : :\: : :`ト : !: : : :′   _  :   _
/          \...:ハ:| \: .、\: : xィ¬ト、: :| : : ! : : : : :,    :
 /  |  |  \ .Гト、       / |_,ノ0:::ヽ : : :i : : : : :′/       \
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.. ∨i: |: : : : |: :ヽ| |::∩::| ::::::::::::::::  !.::∪::::::| |: : :i : : : : : : ′            ,ィ /〉
   . |: |: : i : :', : |  |::∪::| ::::::::::::::::  !: : : : : :||: : i : : : : : : : :,          / レ厶イ
    .ヽハ: : :、: :ヽ|  l : : : |:::::  ,  ::::└――┘ ! : : i : : : : : : : ′        /   ⊂ニ、
     い、: :\/   ̄ ̄                 ', : : i : : : : : : : : ,     _, -‐'   ⊂ニ,´
      ヽ: :〈        <  ̄ フ         |: : : ! : : : : : : : :′,.-‐T   _,. -‐'´ ̄
        | : \                   /| : : :i : : : : :_, -‐'    |  /
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 Τ`ー―-- L: : : : : `: : . . .  __    .:〔: : :|: : :r┬'
343神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 20:24:33.25 ID:9XBQYEKZ
別に茶化す気は無いけど、あまりにも
君の書いてることが支離滅裂でつい笑って
しまうし、呆れてしまうんだよ
344神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 20:26:24.46 ID:9XBQYEKZ
いちいち誤りを指摘する気も起きない
くらい支離滅裂
345神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 20:47:40.35 ID:jWSb6ULu
仏教学の正式な見解だからしょうがない。

調べろとしか言いようがない。

お釈迦様「自分で確かめたもの以外信じるな」

君みたいな狂信者やゴエンカ、スマナサーラみたいな独善的な奴らが自分たちだけが正しい教えとか
平気で嘘言ってるんだから始末に負えない。
嘘吐きなのによく修行者とか師とか名乗ってると思うわ。

仏教学者の見解隠して
「私たちがだけが正しいお釈迦様の教え」
とか言ってんだからあきれる。
ワロス
346神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 21:26:35.31 ID:9XBQYEKZ
宇井伯寿や中村元だって君が書いてるような
デタラメなことは言ってないよ

一体君の言う文献学やら仏教学とは
具体的にどこの誰のこと言ってるのかね
347神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 21:45:27.70 ID:/nyKT/hJ
>>339
>ただし分別説部は分岐に諸説あって、上座部の異端として扱われたり、そもそも上座部系では無いと言う指摘もある。

ワロス
有分心(bhavanga-citta)を説く分別説部を
他毘梨部(Sthaviravāda)すなわち上座部と呼ぶよ、とバリバリの現地インド人である真諦三蔵が証言してるのに、
そもそも上座部系ではない、上座部であっても異端であるというのは無理があり過ぎじゃないデスかね?

T1595_.31.0160c09: 名。等者正量部立名。果報識上座部立名有
T1595_.31.0160c10: 分識

T1598_.31.0386b16: 由勢用故觀所夢事。如是等分別説部亦説。
T1598_.31.0386b17: 此識名有。分識

T1618_.31.0881a03: 不失名隨。隨最後顯故名得也。若是他毘梨
T1618_.31.0881a04: 部。名有分識
348神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 22:47:33.21 ID:+g7ip0iw
正直筋トレと同じで、効果の出しかたが正しく伝わっていれば、
〜流、みたいな初期とやり方が細部まで同じかどうかはどうでもいい。
仏教は伝統保存委員会じゃないはず。

実際仏教は仏陀の死後も多くの瞑想法を開発してきたはず。

だから、スマナサーラさんのやってることが原始仏教のやり方と同じじゃなくてもいい。
349神も仏も名無しさん:2014/05/18(日) 23:46:27.75 ID:FAi4vU9q
ヴィパッサナー瞑想をやりつつ、四界分別観瞑想もやってみたいな。
350神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 01:44:15.76 ID:ELLwA9ME
>>332
>マントラはラベリングじゃないだろ

マントラをラベリングだといったおぼえはないっですけど。
351神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 02:12:39.25 ID:ELLwA9ME
>>348
スマ教、スマメソッドとして布教するらかまわんよ。

>>303

妄想があるがままに観るのを妨げてるのだから、妄想から離れないといけないわな。

妄想をカットするためにやってるんだよ。

スマ師のやり方は、妄想や思考をカットしてるんだわな。

妄想へとすすまないように、ラベリングするんだわな。

妄想がなければあるがままに観てるんだよ

ただあるがまま観ててもレベルがあって、

妄想はないとおもっててもあるから問題なんだよ。

自分はロボットでないと思ってるけど、ロボット化してるから問題なんだけど。

そういう自覚さえないから、観えてない、知覚してない、狂ってるんだよ。

人生で身に着けたいろんな観念や思考の癖(からくる思考)も妄想だよな。
352神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 02:41:20.16 ID:naEInzjR
仕事中にラべリングしてる人いる?

右手釘 左手金槌 とんとんとん とんとんとん 親方起こる オイラ怖がる 身体に力入る 冷や汗出る


みたいな感じで良いんですか(´・ω・`)?
なんか森田療法的には、症状が固着しそうだけど。
              
353神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 02:59:08.71 ID:UD8S1Lsc
ラベリングは向き不向きがあるよね
「囚われないことに囚われる」という
よくあるパターンにはまり込む人が多そう

「白い球(心)を想像して、そこに黒い
シミ(煩悩)が付着してきたら、拭き取って
常にきれいな状態を保つように心がける」

みたいな教え方した方が分かりやすい人も
多いと思うんだけどね
354神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 03:00:34.53 ID:0/u4xJaw
>351
 ロボット化が問題だとして、ただしいロボット化が必要なのかそれとも
ロボット化そのものが問題なのかということを考える必要がある。
ところがロボット化をなしにするなんてのはできない。なので正しいロボット化
を目指す以外にないのだよ。
355神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 03:32:38.12 ID:0/u4xJaw
>353
 白い球が必要なのは黒いシミを理解するためなんだよ。なのでシミを綺麗にふき取ること
ばかり考えていると本末転倒になる。
 新鮮な驚き、初めて触れたものに対するワクワク感のようなものは最初のシミを発見した
時に起こる。この状態はどれだけ持続するのか? たとえば新車を買うとワクワクして
ドライブしても楽しくてまったく疲れない。ところがその気持ちを維持できるのは1ヶ月
程度だろう。 最初は心をこめて掃除をしていたのに、だんだんめんどくさくなる。
後は汚れっぱなしになってしまう。そうはいっても人目が気になるのでコイン洗浄をする。
 多くの人がやってるシミ取り(瞑想)はこのコイン洗浄だな。めんどくさいが人目が気になる
ので嫌々やる。しかし一旦綺麗に掃除をするとまたある程度は新鮮さを取り戻す。
356神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 04:51:05.13 ID:AflL/nFu
351>>
>妄想へとすすまないように、ラベリングするんだわな。

違うだろ。何が分かっていないかも知らないと思うけど。
357神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 05:57:36.87 ID:ELLwA9ME
>>354
ロボット化の定義が必要なんだよ。
358神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 08:08:50.08 ID:Dsk/mhWr
>>351 スマナサーラ長老の「七覚支瞑想法」とかいうタイトルの本を読めば、
スマナサーラ長老は、相手のレベルにあわせて
段階を踏んで瞑想指導するつもりだとわかる。
359神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 11:10:55.55 ID:HbpG104B
>>352
やってるよー

右手釘 左手金槌 打ちます 打ちます 怒声 恐れ、恐れ 力み、力み 冷や汗、冷や汗

みたいな感じはどうかな

あと、あんまり誰々が〜という主語を立てない方がいいかなー

「オイラ怖がる」みたいに外から眺める感じでラベリングすると
「怖がってるみじめな自分」って感じに二次解釈していきがちだから
純粋に自分の心の状態だけを「恐れ、恐れ」とか「(心が)怖がっている、怖がっている」ってやってみるといいと思うよー
360神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 13:19:34.48 ID:yJC1ZYk+
右手釘 左手金槌 わら人形 打ちます 打ちます 深呼吸 神主の怒声で超ダッシュ
361神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 13:51:40.92 ID:c/OkQ4nh
@yJC1ZYk+さんをスパムとして報告✓

@yJC1ZYk+さんをブロックする✓
362神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 18:38:24.61 ID:ELLwA9ME
>>358
その本を読まなくても、スマ師はレベルに合わせて指導するのは知ってるよ。

それで?
363神も仏も名無しさん:2014/05/19(月) 22:19:45.98 ID:Dsk/mhWr
>>362 スマナサーラ長老が初心者に教えているやり方は、
あくまで入り口であって、
入り口だけを見て全体を判断できない、ということを言いたかっただけです。
364神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 09:53:26.44 ID:ZksKOTO1
ちょっとづつ、日常生活にラベリング入れるけど、ぎこちないね。でも、心は軽くなるね。

ラベリング無しの気付きのサティだけど、気付きの対象が不明瞭になるから、俺はラベリングしてる。
365神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 12:43:24.69 ID:seAQlcxg
ラベリングによって、10のうち1しか表現できないこともある。
366神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 15:55:37.29 ID:TeNaWrAe
まぁ私からすれば「魂の進化」という言葉がくせ者なんです。
これが闇が人類を3次元に縛り付ける名言なんですな。
私たちの魂は完全なのでその必要はない訳です。真実は単に神への回帰なんです。
それに気づきなさいとサイババも言ってた訳です。受け売りで云わせて頂くと

「私は神です。あなた方も神です。私とあなた方の唯一の違いは、
私はそのことを知っていますが、あなた方はそのことを全く知らないことです」

ということです。この言葉自体がもう全てを語っています。
あなたも瞑想して、肉体の衣から抜け出れば私の言ってる事が理解できますよ。
いあゆるJnana Yoga(知識の道)に固執することの落とし穴にはまってますよ。
367神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 17:18:11.42 ID:25uU/30E
>>365
あくまでラベリングは補助だから気づきがあるなら問題はないんじゃない
368神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 18:31:21.08 ID:sPlGX8Mc
>>348
効果、速さでみるならヨーガ+チベット密教がいいな。
テーラワーダの哲学、瞑想法も役に立つけど。
369神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 18:35:55.26 ID:fp46lGB9
クンダリニーヨーガをにわか知識で
語るもんじゃないよ
370神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 20:19:56.25 ID:ivXzTfc5
>>368
ヨーガとチベット密教だと何がおススメ?
独習用の本だと。
371神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 21:36:46.90 ID:seAQlcxg
横からだけど、
ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェの「「今、ここ」を生きる」
や、ソギャル・リンポチェの「チベットの生と死の書」
ダライ・ラマの「ダライ・ラマ 怒りを癒す」
が一般人向けにはすごく良かったよ。どれも定評がある。

密教的な話ではなく、中身はヴィパッサナーの仕組みみたいなものだけど。
あと、「トンレン」っていうチベット仏教の慈悲の瞑想法ものってる。
372神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 21:53:48.69 ID:JbAiRm1w
みんな馬鹿ですね。
あなた方にはテルテルさんのように実践に基づく知識を
持つ人間にはいつまでたっても立ち向かえません。
実践あるのみ、です。
他人の知識の受け売りをいくら繰り返しても時間を無駄にしてしまうだけですよ。
テルテルさんのブログをよく読んで自分たちの愚行を反省しなさい。
http://teruterulog.jugem.jp/
373神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 22:52:54.25 ID:fp46lGB9
自演宣伝?
いずれにしろスレ違いだね
374神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 23:03:45.96 ID:sPlGX8Mc
自作自演ではないと思います。
375神も仏も名無しさん:2014/05/20(火) 23:15:38.24 ID:sPlGX8Mc
ああ。読み違い気にしないでください。
376神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 03:29:44.21 ID:6OGh45vG
>>363
スマ師の教えに固執はしてないよ。ゴエンカ氏も言ってるよ。
数息観、マントラ瞑想、ヤントラ瞑想、阿字観瞑想、アナパナ瞑想・・・・いろいろあるけど
共通点はなにかに集中することだ、妄想や雑念にはいってそれに気がついたら集中にもどるのは基本だよ。
集中の間は思考が止まる。言語生活をする人間は左脳優位になりやすいが、集中している間は左脳の活動が弱まり
右脳が活性化してくる。
思考を止める意義はそこにある。集中することに一つの意義があるのだから、妄想に入って気がついたら集中に戻るのは
当然のこと。

左脳と右脳の機能をうまくコントロールするかが大切 ― スポニチ Sponichi Annex 社会 山川あずさの美しく生きよう
http://www.sponichi.co.jp/society/yomimono/yamakawa/kiji/K20120723003720670.html

↑にでてくるテイラー博士の言う右脳の世界と仏陀のいう涅槃が同じなのか?という点は検証の余地があるけれど、
瞑想の意義を考えるにおいて参考にはなると思う。
377神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 04:15:48.23 ID:6OGh45vG
>>356
ラベリングの仕方は宗派により違うから一概のいえませんが、
スマ師のやり方は、思考を止めるのです。
だから、ラベリングし続けます。
妄想へすすまない=思考を止める

違うと思うのなら、なぜ違うと思うのか、どう違うのか、書かないと意味がないし、
相手に失礼だし、違うというだけなら誰にもできますよね。
瞑想の世界は言語化することが難しいことが多々あるのはわかっています。
違うと思う理由や観点を少しでもいいので書いてください。

思考を止める意義は
>>376に書きました。
378神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 05:35:48.94 ID:6OGh45vG
>>324
まず、スマ師がマントラのことを
「仏教は意味のある言葉でやる」といってる。
ここでいう「意味のある言葉」とはラベリングのこと。
マントラは日本人にとっては意味のない言葉。

>マハシ式だって、本気でラベリングすると、忙し過ぎてマントラの代わりにならないし。。。

(スマ師のやり方の)ラベリングは行為と意識を一致させる行為です。その意味においてはマントラとは違います。
でも思考を止めるという点では一致しています。

思考を止めるということで、(スマ師のやり方の)ラベリングとマントラは同じだといってるのです。
そしてそれをスマ師も認めてます。

よくスマ師がラベリングで実況中継を続けてると疲れにくくなるというのは、
無駄な思考、雑念にエネルギーを使わなくなるからです。
日常生活の中で、頭でいろんなこと考えながら、それとは関係ない行為をやっているというのは
いわば分裂しているわけで、大きな疲労のもとになっているのです。
379神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 07:15:27.55 ID:xIQVvgR2
このコメントを読む限り、あなたは、まだ心清浄にも達していない。
実践なく、文献も紐解かず、Webで拾える知識だけで語るのは、もうやめなよ。
380神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 07:39:52.45 ID:He87aaTG
君もまだ心清浄に達していないよ。
381神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 07:42:25.89 ID:xIQVvgR2
そやねん。
382神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 07:49:50.03 ID:6OGh45vG
>>379
>このコメントを読む限り、あなたは、まだ心清浄にも達していない。

あなたは完全に上から目線ですよね。根拠もしめさず、ただ自分の主観でレベルが低いと裁定する行為には傲慢さしか感じませんけど。

>実践なく、文献も紐解かず、Webで拾える知識だけで語るのは、もうやめなよ。

実践がないと何を根拠にしめしているのでしょうか?私の経歴を知っていますか?私の求道歴は何年ぐらいだと思われますか?
もしかしたら、あなたよりすごい長いかも知れませんよ。なので私のいうことが理解できないかもしれませんよ。

「Webで拾える知識」をもとにしているのではありません。私の体験が主で、参考のために、わかりやすくするために、WebのURLを貼っただけですけど。

文献を紐解けばいいのですか?文献も知識にすぎませんよね。文献がすべて正しいのですか?
WEB知識は正しくなくて、文献の知識は正しいのですか?おかしいですよね。

まず、あなたは具体的なことは一切話してない、卑怯ですよね。おろかですよね。

以下のことにお答えください。
マハシ式では、たとえば、横になっているときでも「横になっている、横になっている・・・・」とラベリング
し続けなさいととかれています。(これは文献で読んだ知識です。)
これはなぜそうするのかお答えください。

スマ師がマントラのことを 「仏教は意味のある言葉でやる」といってる。
ここでいう「意味のある言葉」とはラベリングのこと。 マントラは日本人にとっては意味のない言葉。
↑先にも書きましたが、このスマ師の発言をもあなたは否定するのですか?

心清浄とは何か、どういう常態かをあなたの言葉で説明してください。できますよね。あなたは少なくとも心清浄に達しているから私を「心清浄」ではないといったのだから、
あなたが体験している「心清浄」について、あなたの言葉で説明してください。
383神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 08:14:50.50 ID:xIQVvgR2
まあ、頑張れよ。
384神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 18:08:50.66 ID:5PmdO+ck
>これはなぜそうするのかお答えください。
今の瞬間への気づきを保つためだけどそれが?
385神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 18:37:22.55 ID:6OGh45vG
>>384
「横になっている、横になっている・・・・」とラベリングするのが気づきを維持するためだということですね。

ラベリングしない宗派もあるし、ラベリングにもいくつかあると思います。
スマ師はラベリングのことを日本語で「実況中継」としています。
ラベリングのことをサティ(気づき)としている宗派もあるようです。
実況中継と気づきは微妙に違うとは思いますが、「横になってる」というのに気づいているを維持するということは
そのことによって、妄想・雑念・思考を入れないということで結局思考を止めているということです。
386神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 18:46:15.05 ID:5PmdO+ck
>実況中継と気づきは微妙に違うとは思いますが
仏教に特別知識のない日本人にも分かりやすく言い換えてるだけだと思いますが

>結局思考を止めているということです。
長老は気づいてさえいれば思考・妄想はあっても構わないと言ってますよ
ソースは「意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法」です
387神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 19:27:08.19 ID:6OGh45vG
>>386
>>384は、気づきの意識を持続するためだといい、あなたは妄想が入ってもいいという・・・・・。
妄想が入るというのは、気づきが途切れてる状態です。

で、あなたは、ラベリングは何のためにするといいたいのでしょうか?
それを説明してください。
388神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 19:37:16.17 ID:5PmdO+ck
妄想が入ってもいいんじゃなくて、妄想が生じていてもそれに気づいていればOK
妄想がまったく出ない状態でないとダメということはない、ということです
私が言ってるんじゃなくて長老がいってるんですよ

ラベリングは、思考を含む六根の対象をあるがままに観察するためじゃないんですか(←これは自分の見解)
389神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 19:55:47.69 ID:6OGh45vG
>>388
あなたは、たとえば「横になっている」と唱えながら思考ができるのですか?

>ラベリングは、思考を含む六根の対象をあるがままに観察するためじゃないんですか(←これは自分の見解)

そういうラベリングもありと思いますが、たとえば、瞑想のとき、「右足」「左足」「へこみ」とラベリングしますよね。これは機械的に
継続的にやりますよね。これが「六根の対象をあるがままに観察する」ためなんでしょうか?
390神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 20:02:40.30 ID:6OGh45vG
>>388
>妄想が入ってもいいんじゃなくて、妄想が生じていてもそれに気づいていればOK
妄想がまったく出ない状態でないとダメということはない、ということです

妄想や雑念に知らずに入ってしまうものです。妄想に入ってると気ずいて、ラベリングして集中している状態にもどればいいということではないでしょうか?
スマ師は「実感」に対してラベリングせよといます。実感しながら、それにたいして短い言葉でラベリングしているとき、妄想できません。思考できません。
あなたは、実感しながらそれをラベリングしながら、妄想や言語を使った思考ができますか?
391神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 20:18:06.89 ID:5PmdO+ck
>>389
それが正知を伴わず「ハレー・クリシュナ」とマントラを唱えるみたいにやってれば、微妙な隙間で思考が生じるでしょうね

>これは機械的に
瞑想中は感覚器官に触れるものや心に浮かんでくるものはなんでも観察しますから、そういう疑問は理解できませんね
392神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 20:21:19.88 ID:5PmdO+ck
>>390
>あなたは、実感しながらそれをラベリングしながら、妄想や言語を使った思考ができますか?
それは無理ですけど、マントラに実感がありますか?
393神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 21:43:36.26 ID:v28G7fh8
霊魂は存在するのか否か
 
プラトンが『メノン』『パイドン』で霊魂の存在証明をしている。
霊魂を否定する空の信者にはプラトンとの対決を勧めたい。
 
(参考) 〜 聖者たちの生没年(BC)と寿命比較
釈迦 566〜486、or463〜383、80歳
孔子 551〜479、72歳
ソクラテス 469〜399、70歳
プラトン 427〜347、80歳
394神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 22:02:54.37 ID:6OGh45vG
>>391 >>392

>295 >298 >299
上記では、「スマ師は思考は敵だ」といってるとのことだが、それには同意するのか?

>微妙な隙間で思考が生じるでしょうね

で、君はマントラは何のために唱えるといいたいのだ?微妙な思考とは、言語をつかった思考か?
隙間を作らないように唱えることは可能だ。唱えることに集中し隙間を作らないようにするという前提は認めないのか?

>それは無理ですけど、マントラに実感がありますか?

実感はないよ。でもとりあえず、慣れたマントラを単純に唱えればいいし、そういう利点もある。少なくとも言語を使った思考は不可能になる。

私の場合でいえば、マントラを唱えるときもあるし、ラベリングするときもあるしヤントラを見ることもある。ヤントラとマントラを併用するときもある。

>瞑想中は感覚器官に触れるものや心に浮かんでくるものはなんでも観察しますから、そういう疑問は理解できませんね

六根を精密に観察したいのなら、ラベリングは邪魔にもなるわけだ。微妙なものは言葉で表現できないし、次々と移り変わる感覚などをすべてラベリング
するのも無理だし、じゃあなんでラベリングするのか?ということ。あるがままに観察するならラベリングはいらない。

>ラベリングは、思考を含む六根の対象をあるがままに観察するためじゃないんですか(←これは自分の見解)

言語をつかわずに思考できるのか?という議論はあるのだが、例えば、パズルやルービックキューブをやるときの判断は左脳を使った言語での思考ではない。
あるがままに観察(観る)といことは言語を使った思考でするのではないよな。

スマ師はラベリングにより思考を観察るとはいってない。スマ師は、「(経典により)心の動きは光の100倍早い」という人だから、心や思考の動きをラベリングしながら観察
しろなどとは、言わないはず。
395神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 22:27:04.65 ID:5PmdO+ck
>>394
>上記では、「スマ師は思考は敵だ」と
アプローチの問題ですね。個人的には思考は敵じゃありません

>隙間を作らないように唱えることは可能だ。
マントラは思考にそれた時に戻るための錨だと聞いたんだけど違うのかな

>マントラを唱えるときもあるし、ラベリングするときもあるしヤントラを見ることもある。ヤントラとマントラを併用するときもある。
チャンポンは非常に危険だろうな、と一般的な意見を申し上げておきます

>微妙なものは言葉で表現できないし、
すべてラベリングする必要はないですね

>あるがままに観察するならラベリングはいらない。
相当習熟していないと気づきが弱いから補助としてラベリングするのです

>言語をつかわずに思考できるのか?という議論はあるのだが
「ブッダの実践心理学 3巻」のvitakka 尋の説明が参考になると思います

>心や思考の動きをラベリングしながら観察しろなどとは、言わないはず。
言いますけど
396神も仏も名無しさん:2014/05/21(水) 23:56:03.15 ID:XUSbCwRD
そんなにむきになって反論しなくても。WWW
たいしてちがわんことをいってるように思うが。
397神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 00:04:00.55 ID:dIXGi5JZ
 妄想を絶って集中するのが目的ならラベリングのように声にだすより
も、「傾聴」が良いように思う。一回チーンと鳴らしたら1分もなってる
筈はないのだが1時間くらい遠くへ音が行って絶対に聞こえないほど
小さくなってもまだ聞こえる。
398神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 00:11:01.21 ID:6zs6JQv3
>>396
いやクンダリニーがどうとかヒンドゥー系の人がよく来るから違いははっきりさせとかないと
この人もヤントラがどうとか言ってるし
399神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 08:48:45.02 ID:qLbmApo8
「ミャンマーの瞑想」(マハーシ長老) や
「ブッダの実践心理学 第八巻」(スマナサーラ長老) を読めば良いのに。と思うな。

俺は、在家でヴィパッサナーやっても到底最後迄行きつけそうも無いし、自分が未だほんの入口にしかいない事に気付いたよ。

それでも、ヴィパッサナーをやっていると、心が軽くなるから 続けているよ。
400神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 09:40:12.49 ID:1tlh+V6o
よんでみる
401神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 09:41:17.61 ID:qLbmApo8
ヴィパッサナーの初心者は妄想で瞑想が中断されるから、ラベリングの効果として妄想を入り込ませない効果がある。
これをスマナサーラ長老が言ってるのを聞いた事がある。この点は、この人の言ってることだね。
これが行きすぎると、ラベリングが機械的になったり号令になったりする。マントラとかも出てきちゃったよね。

しかし、ここが到達点にならそれはサマタにならなか?

ヴィパッサナーでは、心と体を観察するから、思考が暴走しない程度にとどまった状態が必要になる。この状態を心清浄と言うのだと思う。

妄想に飲まれないように、心と体を観察し、それを普段の生活の中に取り入れるのだから、そりゃ大変だ。
俺は全然出来ていないよ。
402神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 09:57:21.68 ID:vG7bqgk3
でもこころのおしゃべりは、減ったよ
ずっと気づいていると(切れるときもあるけど)
非常に心が安定している事がわかるから
403神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 10:00:51.32 ID:vG7bqgk3
「ミャンマーの瞑想」(マハーシ長老)も読んだけど
あそこで一番大切なのは、思考が走り出し
そこに気がついて戻ると言う点にあると思う

思考が走っても良いのだ、ただ気がついて戻れば良い
これを繰り返す

あ 走っているなと気がつく

これは、いつでも出来るというか、できるだけそういうようにしている
404神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 10:01:03.53 ID:qLbmApo8
「ブッダの実践心理学 第八巻」p104 〜 p110 直前と直後の因縁 に スマナサーラ長老なりにラベリングのことが書かれているよ。
ここを読むと、雑念 妄想の割り込みを抑えるためのラベリングだけど、それだけには留まらず、しっかりとした名 色の認識を言語で行なえる効果がある様に思う。
俺には未経験の境地だから、間違っているかもしれないけどね。
405神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 10:02:55.97 ID:qLbmApo8
>>402
私もそうです。だから続けてます。
406神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 10:35:28.04 ID:FIg0/uGS
目を節穴にして呼吸に常に注意していたら、こころのおしゃべりは当然
減るな。
407神も仏も名無しさん:2014/05/22(木) 12:45:07.84 ID:1EI25Jmi
悩み苦しみの原因を制御したり消したりして、
悩み苦しみを制御したり消したりするのが、仏教。
まずは煩悩の制御、その先に、煩悩の消滅(さとり)がある。
煩悩を制御できれば悩み苦しみを制御できるから、
悟っていなくても日常生活はかなり快適になる。
408神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 04:30:36.56 ID:YJtqzYL7
悟りとは新たな煩悩だな。
409神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 06:07:01.61 ID:peBdb+xU
で、実際悟ってみたところで何が
起こるわけでも無く、ただ空しさが
広がるのみだから、それを穴埋めする
ように大乗作って、衆生救済に励めだの、
如来蔵だの仏性だの瑜伽だの曼荼羅だの
色々とネタを生み出して、旧来の枠組みを
破壊しながら、誤魔化し誤魔化し生きてる
感じ

メメント・モリって映画を思い出す
410神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 10:20:57.24 ID:UwKyH1Ya
>>405

続けていくとこうなってくるでしょ

同時に、どれが正しいかがわかってくるし、努力しつづけることで、何とも言えないような喜びのようなものが
現れてくる、歩き動きなどの動作が軽く、心がどれほど邪魔をしていたかが理解できる
こころがいかにいろいろな物を掴まえているかが理解でき、それを分離できるようになるので
集中性が上がってくることがわかり、揺らがない静かな湖面のような心が発見できる
411神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 11:36:03.37 ID:caH6zuN3
>>395
もう、めんどくさいだけど。
スマ師やマハシ式を例にあげてるだけで、それにこだわってるわけではない。
ビッパサーナでもラベリングしない宗派もあるし、しない宗派もある。
経典には、ラベリングについてはかいてない。
ラベリングについいてはつまり絶対正解なことなどない。

>マントラは思考にそれた時に戻るための錨だと聞いたんだけど違うのかな

マントラは短い言語だ。短い言語を唱えながら、どうやって左脳で言語を使った思考ができるのだ。
錨というのはいい表現だラベリングも妄想や雑念がわいたときの錨だ。
ただしラベリングの意義はそれだけではなけど。

>チャンポンは非常に危険だろうな、と一般的な意見を申し上げておきます

ヤントラはたんなる図形だよ。べつに車の標識でもいいし。自分で書いた図形でもいい。
阿字観のような「阿」とい文字でもいい。
左脳は言語と理屈の世界だ、図形は言語ではないからそれを見集中していると右脳が活性化されるんだけど。
ただそれだけ。
危険だというなら危険だという理由を述べよ。

>アプローチの問題ですね。個人的には思考は敵じゃありません

人間の特徴は言葉を使用することであり文明を発達させた。
けれどそのために左脳優位になりすぎているのが問題。
たとえば寝転がって天井を見つめてるとき、天井を見ていても大人は仕事のことや明日のことなどを考え事をしてしまう。
ところが子供は、天井の模様が動物や人の顔に見えたりしてイキイキとして見ている。
子供は右脳が優位なので、右脳が働いていて天井の模様を見ていて、そこから連想が働き喜んで見る。
大人は天井を見ていても見ていないのだ。網膜に写ってるだけ。左脳が邪魔をしあるがままには見ていない。
同じように、自分にとって関係のないもの、利益をもたらさないものなどは網膜に写っても見てない。
右脳が活性化されてくると、子供のときのような感性が蘇ってくる、直感力もよくなってくる。
412神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 11:36:17.81 ID:x22VoTbZ
>>410
私は、まだ修行が足りず、心が軽くなる程度です。早く、仰るような境地に達したいものです。

少し観点を変えて、ヴィパッサナーのそのような効果に慈悲の瞑想がどのくらい影響しているか知りたいと思っています。

慈悲の瞑想は、私の嫌いな、、、など、自分ウソを付いている部分があるので、慈悲の瞑想の必要性は感じますが、その効果がイマイチ掴めないんですよね。
413神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 12:30:19.86 ID:nQxQcQTC
慈悲の冥想は、サマタ冥想(集中力の訓練)という効果と、
自我を弱めることにつながる地道なイメージトレーニングトレーニングという効果があるのでは。
実際に行わなくても考えただけで功徳や罪業になる。
実際に殺さなくても「殺してやる」と日常的に思っていると、その人は、
殺人を犯しやすい性格になってゆく。
逆に、実際に人助けしなくても、日常的に人助けのイメージを抱いて生活してれば、
その人は、何かあったときにとっさに人助けしやすい性格になってゆく。
慈悲の冥想は、自分の性格を矯正する地道な訓練。
慈悲深い性格になればなるほど、その人は悟りやすい(煩悩を消しやすい)性格になる。
414神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 12:33:53.60 ID:bNFmaIBb
>>411
うん、お互いめどくさいから一行で


それは純粋にサマタ瞑想ですね。ヴィパッサナーじゃない
415神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 12:56:18.31 ID:x22VoTbZ
>>413
レスありがとうです。
煩悩を消すための支援効果みたいなものでしょうか。
慈悲の瞑想がツライ時があるので、暫く、慈悲の瞑想なしで、やってみようかな、とか思います。
416神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 13:13:34.36 ID:bNFmaIBb
>>411
もういっこ こっちが重要

それは正しいサマタ瞑想でもなくてすごくレベルの低いことなんだ
そして脳が活性化とか程度の低いこと言ってるから心清浄もまだだと見抜かれるんだよ
417神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 14:19:39.45 ID:Fg2SUNIB
怒りとか不安などを観ていると消えることはもうおわかりになっておられる

この観ているものの視線は、どの様に観ているのでしょうか?

もしその視線が、母が我が子を観るような視線で

あたたかいもの、やさしいものであれば、消え去るスピードは速くなるでしょう?

ずっとそれで気づいていれば...........
418神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 20:14:24.98 ID:oZbPukgh
ブッダの実践心理学 第八巻までたどり着くのが
試練である。これも修行の内。
419神も仏も名無しさん:2014/05/23(金) 22:01:53.48 ID:8k3Cm7lx
>>409

悟った方のお話、興味深いです。
420神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 17:08:33.15 ID:bFamd+WR
>>414
>>416
>それは純粋にサマタ瞑想ですね。ヴィパッサナーじゃない
>それは正しいサマタ瞑想でもなくてすごくレベルの低いことなんだ

「それは」は何をさしているのでしょうか?あなたのサマタ瞑想の定義を教えてください。
また、サマタ瞑想でないなら、何瞑想なのでしょうか?お答えください。

>そして脳が活性化とか程度の低いこと言ってるから心清浄もまだだと見抜かれるんだよ

脳が活性化されることがなぜ程度の低いことなのかお答えください。程度の高いこととは何なのかもお答えください。あなたの心清浄の定義をお答えください。

また、ヤントラ瞑想がなぜ危険なのか、お答えいただけてないですけど。

>>395
>アプローチの問題ですね。個人的には思考は敵じゃありません

あなたの個人的妄想を持ち出すのはおかしいですよね。

>相当習熟していないと気づきが弱いから補助としてラベリングするのです

「気づきが弱い」とはどういうことでしょうか?気づいているものは気づいているのですよね。「横たわっている」とラベリングするときに、「横たわってる」状態などラベリングしなくても自覚はありますよね。

>「ブッダの実践心理学 3巻」のvitakka 尋の説明が参考になると思います

私は本はもってませんので、確かめようがありません。買う気もないです。
言語を使わず、言語をしようした思考ができないのは当然と思いますけど、できると主張するならあなたの言葉で説明してください。

人を批判なり否定する自由は認めますが、キチンと根拠、理由を示してください。それが大人の態度であり、悟り以前の問題です。
421神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 17:42:18.34 ID:RnpmlR9d
>>420
貴方もプライドの塊みたいな人ですね。ぜったい食いついてくると思った。
キリがないので、こっちからのレスはこれで終わりにしますね

>「それは」は何をさしているのでしょうか?
あなたがやってるサマタ(止)的なテクニックを使った瞑想全般です

>また、サマタ瞑想でないなら、何瞑想なのでしょうか?
サマタ瞑想の目的は五欲や怒りなどを抑えることです
言語脳を抑制して右脳を活性化するなどなどの脳科学的なご利益瞑想ではありません
(脳に良い影響があること自体を否定的に言ってるんじゃないですよ)

>程度の高いこととは何なのかもお答えください。
五蓋の抑制〜心解脱を得ることまでのさまざまな煩悩への対治です

>あなたの心清浄の定義をお答えください。
ご自分で調べることをしてください。私はウィキペディアじゃないんで

>ヤントラ瞑想がなぜ危険なのか
イメージを使った瞑想は神秘体験を生じる危険があるからです。チベット仏教などでは正しく師匠に師事することが求められるでしょ

>あなたの個人的妄想を持ち出すのはおかしいですよね。
スマナサーラ長老が思考妄想について、起きても気づきを失わないなら瞑想は問題ないと述べていることは言いましたよね

>気づいているものは気づいているのですよね。
まあそういう言葉が出るというのは貴方がヴィパッサナーを真剣に勉強してないことの表明でしかないと思います

>できると主張するならあなたの言葉で説明してください。
かなり難しい問題なので自分の言葉では誤解なく説明する自信もないし。あなたに頭を絞って何でもかんでも教える義理もないし
本を買う気がないなら図書館で借りるなり立ち読みするなりすればいいでしょ
じゃ、さようなら
422神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 18:15:37.49 ID:bFamd+WR
>421
>貴方もプライドの塊みたいな人ですね。ぜったい食いついてくると思った。 キリがないので、こっちからのレスはこれで終わりにしますね

食いついてるのはあなたのほうですよね。あなたのほうから私の意見にたいして食いついてきたのですよね。勝手に食いついてきて、終わりにするというのは、まったく無責任ですよね。
私はプライドでやってるのではないです。あなたは何事にも決め付けてきますよね。

>あなたがやってるサマタ(止)的なテクニックを使った瞑想全般です

サマタ瞑想が何かを説明するのに「サマタ的」という言葉を使うのは説明にはなってません。サマタ瞑想を定義してください。

>サマタ瞑想の目的は五欲や怒りなどを抑えることです

サマタ瞑想を定義せずにサマタ瞑想を説明しても意味がありません。

>語脳を抑制して右脳を活性化するなどなどの脳科学的なご利益瞑想ではありません
(脳に良い影響があること自体を否定的に言ってるんじゃないですよ)

まず、瞑想の一つの効果として思考を右脳を活性化するなどなどの効果があるといったけで、それが瞑想のすべてだとはいってませんが!あなたは「思考」を重視するわりには、頭悪いと思いますよ。

>ご自分で調べることをしてください。私はウィキペディアじゃないんで

心清浄の定義はさまざまでしょう。だからあなたがどういう定義で「心清浄」をいっているのか説明しないと議論にはなりません。

>イメージを使った瞑想は神秘体験を生じる危険があるからです。チベット仏教などでは正しく師匠に師事することが求められるでしょ

ヤントラはイメージではありません。図形です。あなたは馬鹿ですか?図形を見るだけですけど。
神秘体験の原因はエゴです。仏陀も悟るまでに魔境にはいってますよね。ビッパサーナーでも神秘体験や魔境に入ります。
ただし、身体という現実を観るということをしているので、イメージなどを使う瞑想よりは危険性は少ないかもしれません。
423神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 18:17:11.82 ID:bFamd+WR
>>421
>スマナサーラ長老が思考妄想について、起きても気づきを失わないなら瞑想は問題ないと述べていることは言いましたよね

気づきを失なってるから妄想なんでしょうが!これが現実ですよね。妄想の世界に入ってしまうわけですよね。
少なくとも、私は「気づきを失なってる」を妄想や雑念としています。それにたいして反論してください。

>まあそういう言葉が出るというのは貴方がヴィパッサナーを真剣に勉強してないことの表明でしかないと思います

勉強しているかどうかではありません。「気づき」の定義の問題ですよね。逃げないでください。

>本を買う気がないなら図書館で借りるなり立ち読みするなりすればいいでしょ

あなたの言葉で説明してください。理解してるならできるでしょう。

>じゃ、さようなら

自分から議論吹っかけといて逃げるわけですか!そんなら最初から食いついてくるなということですけど。
2CHの断片的な文章を読んだだけで、相手を「心清浄」でないとか見下しておいて逃げるとは!それが悟った人の行動パターンですか?
424神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 18:22:02.89 ID:kCVoBzJF
みんな馬鹿ですね。
あなた方にはテルテルさんのように実践に基づく知識を
持つ人間にはいつまでたっても立ち向かえません。
実践あるのみ、です。
他人の知識の受け売りをいくら繰り返しても時間を無駄にしてしまうだけですよ。
テルテルさんのブログをよく読んで自分たちの愚行を反省しなさい。
http://teruterulog.jugem.jp/
425神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 20:45:51.79 ID:6d5F5pmD
おい、今回はいいタイミングじゃないか。
426神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 21:09:52.53 ID:bFamd+WR
>>421

『ミャンマーの瞑想 ヴィパサナー観法』p67の第三章扉
「見清浄 念じる対象と念じる心しかないと正しく認識する」

マハーシ・サヤドーの「ヴィパッサナー(観法)修行書」(ウ・ウィジャナンダー大僧正訳)
念じる瞬間、瞬間に念じる対象に向かうので心が散乱することはありません。

上記をみるかぎり、妄想や思考、雑念を認めてはいないよね。
427神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 21:17:44.97 ID:6d5F5pmD
おい、テルテル出番だぉ。
428神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 21:35:40.22 ID:bFamd+WR
>五蓋の抑制〜心解脱を得ることまでのさまざまな煩悩への対治です

左脳と右脳の機能をうまくコントロールするかが大切 ― スポニチ Sponichi Annex 社会 山川あずさの美しく生きよう
http://www.sponichi.co.jp/society/yomimono/yamakawa/kiji/K20120723003720670.html ↑を読めば少しわかると思うけど、エゴ=煩悩とすると、それが左脳と深い関係がるんだよ。
動物は、生存、自己保存(エゴ・煩悩)のための情報を五感で収集し、左脳で分析する。
なので、左脳の分析・思考・判断はエゴ・煩悩を満たすためのものなんだよ。本来。
人間は特に左脳を発達させてしまった。左脳優位をあらためていくことは、あなたのいう煩悩への対治なんだよ

山下良道氏は、シンキングマインドと言っているけど、私の言う思考と同じです。
シンキングマインドをもったままでは、あるがままに観ることができないんです。
429神も仏も名無しさん:2014/05/24(土) 21:36:36.50 ID:bFamd+WR
>>428
>情報を五感で収集し、左脳で分析する。

情報を五官で収集し、左脳で分析する。

に訂正
430神も仏も名無しさん:2014/05/25(日) 04:48:35.69 ID:Qf/Wn/o6
>>424
たんに、いわゆる精神世界といわれてるような本が好きな人じゃん。

知識をいくらあつめても智慧にはならないからね。

>>416
>そして脳が活性化とか程度の低いこと言ってるから心清浄もまだだと見抜かれるんだよ

君のほうが相当レベル低いのだが!
脳が変わっていくのが悟りのプロセスだよ。
脳が全機能的に働くのが智慧だよ。
身体(脳以外)が変容していくことによって脳の機能も正しくなっていく。
431神も仏も名無しさん:2014/05/25(日) 10:26:45.37 ID:bu6tJ+7A
>>428
左脳が分析の中枢だとして、右脳はどうしているのか…?スポニチでは書かれていなかったな
それができないと右脳の制御がわけわかめ
432神も仏も名無しさん:2014/05/25(日) 10:34:41.37 ID:Qf/Wn/o6
>>424
>みんな馬鹿ですね。

というおまえが馬鹿だと思うが!

>あなた方にはテルテルさんのように実践に基づく知識を
>持つ人間にはいつまでたっても立ち向かえません。

本の紹介してるだけじゃん。
たいしたこといってないし。

>実践あるのみ、です。

実践というのは修行やメソッドの実践ですよね。
コレには同意するけど、実践あるのみなんだからテルテル氏のブログ読む必要はまったくないよね。
悟りには知識はまったく必要ない。メソッドさえあればいい。

>他人の知識の受け売りをいくら繰り返しても時間を無駄にしてしまうだけですよ。
>テルテルさんのブログをよく読んで自分たちの愚行を反省しなさい。

そのテルテル氏のブログのタイトルが
「今を精一杯に生きること」ですよね。ただの精神論!
くだらんねぇ〜。どっかの糞坊主の説教と同じだよね。
特に浄土真宗の糞坊主とか言うよね。
まあ、精神世界の本を読むのが趣味だというだけの人のようですから、しかたないですよね。
433神も仏も名無しさん:2014/05/25(日) 21:05:24.55 ID:YHCoo3t7
話の流れも読めない書きこみをしてすいません。

バンテ・H・グナラタナさんの本を読んでマインドフルネスを実践しているのですが
時間をそれ用にとってする瞑想のときは呼吸に集中できるものの
そこから離れて日常生活に戻ったときに、うまく呼吸を意識することができません。
ついつい目の前のことにとらわれて、呼吸のことを忘れてしまいます。
その対策として、「呼吸に集中!」とでも書いたメールを
30分間隔に自動送信でケータイに送ろうかとも思っているのですが
この手のソフトウェアに無知なのでうまくできませんし
また自動送信の時間が近づいて来ると
そのことに気がいってしまうのではないかと思っています。
グナラタナさんの本を読んで同じように実践している人が
普段どのように呼吸を意識しているのかと思うのですが、どうされてますか?
434神も仏も名無しさん:2014/05/25(日) 21:10:20.93 ID:xQU/hIjI
435神も仏も名無しさん:2014/05/25(日) 22:29:48.83 ID:K4dGjWPt
>>433
グナラタナさんの本の通りに実践しているわけではないのですが・・・

日常生活で呼吸に集中することは個人的にはとても難しいと思います

それより今自分のやっていることや動作に注意を向けるのはどうでしょうか
今ごはんを食べているなら、ご飯を食べることに集中する
歩いているなら歩いている動作に集中する・・・
436433:2014/05/26(月) 00:14:51.67 ID:7Yrgk9UW
>>435さん(>>434さんも?)
レスありがとうございます。

やっぱり呼吸は、日常生活の集中の対象としては難しいものがありますよね。
グナラタナさんの本には、呼吸を感じつつ、呼吸に合わせて日常の動作をするといいと
書かれていたと思いますが、なかなか行うは難しですよね。

スマナサーラ長老は、日常生活でもラベリングするように指導されていますよね(「実況中継」という言い方されてますね)。
435さんも、そのときそのときに行っていることに注意を向ける際、ラベリングをされていますか?
グナラタナさんの本にはラベリングのことは(たぶん)書かれていないので
ラベリングをすると集中力は長続きするだろうとは思うものの
別の先生のおっしゃていることを混ぜて実践していいものかどうか悩ましいところがあります。
437神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 04:44:27.40 ID:Qtkrg3vP
 >436
 無理やりやっても駄目だとおもうよ。「呼吸を観察するのが楽しい。眺めて
いるだけで楽しい。不思議だ。」という基本感覚があって初めて呼吸に集中できる。
 旅行やハイキングを楽しめる人は美味しい料理があるからとかじゃなくて単に
景色を眺めるだけで楽しい。
 行為に集中するのが簡単なのはそれが楽しく感じられるから。
 でも「ご飯を食べることに集中する」が難しいなら、「1口のご飯を30分かけて食べる」
というようなすこし極端なテーマにすると新鮮さを感じるはずだ。
 繊細な感覚が発達すると、「小指を動かす」というようなことを一日中やって
いても飽きない。面白い。呼吸の場合は感情とのリンクや行為とのリンクなどかなり
ダイナミックなのでさらに面白い。呼吸と動作がハモるような陶酔感覚がヨガの基本感覚
だと思う。
 我慢だけの修行では全くダメだよ。多少の我慢はあってもそれ以上の楽しさが無いと駄目
だとおもう。三日我慢してみて面白さが発見できないなら辞めた方がいい。
ラべリングも三日集中的にやってみて「意味不明」なら辞めた方がいい。
 面白さを伝えることが出来る人に習わないと難しいようなものもある。ラべリングの
面白さを知らない単なる受け売りの人が教えても楽しさが伝わってこない。
 ラべリングは解らない。呼吸がわからない。だから頭が悪いとか人間的に未熟だとは
思わない方がいい。
 解る振りをする必要はないし分からないでいいと思う。「ネコが好き」というのと
何ら変わりない。わざわざ好きのふりをする必要はない。
438神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 05:35:58.90 ID:5UBawVDE
>>431
たとえば寝てるあいだは、左脳の機能が低下して右脳優位になり夢とか見ますよね。
起きてる間は、それの反対。
439神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 07:15:41.72 ID:r9GAMTL5
夢はレム睡眠時の海馬の記憶再編成活動の
産物だから、それはちょっと違うな

覚醒時よりは脳機能が低下してるから
瞑想状態に近いのは確かだけどね

あと、左脳・右脳というのはあくまでも
象徴的表現であって、実際は脳の左右で
きれいに機能分担しているわけでもない

話を分かりやすくするのにちょっと用いる
くらいはいいけど、あまり多用してると
似非科学のレッテル貼られかねないから
注意
440神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 09:27:38.86 ID:C584ncvs
みんな馬鹿ですね。
あなた方にはテルテルさんのように実践に基づく知識を
持つ人間にはいつまでたっても立ち向かえません。
実践あるのみ、です。
他人の知識の受け売りをいくら繰り返しても時間を無駄にしてしまうだけですよ。
テルテルさんのブログをよく読んで自分たちの愚行を反省しなさい。
http://teruterulog.jugem.jp/
441神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 14:16:56.83 ID:5UBawVDE
>>439
>夢はレム睡眠時の海馬の記憶再編成活動の
>産物だから、それはちょっと違うな
>
>覚醒時よりは脳機能が低下してるから
>瞑想状態に近いのは確かだけどね

第26回 なぜ夢を見るのか?
http://www1.ocn.ne.jp/~kenspage/karadanoshikumi/karadanoshikumi_hataraki26.htm

>あと、左脳・右脳というのはあくまでも
>象徴的表現であって、実際は脳の左右で
>きれいに機能分担しているわけでもない
>
>話を分かりやすくするのにちょっと用いる
>くらいはいいけど、あまり多用してると
>似非科学のレッテル貼られかねないから
>注意

例えば、私の母が大病院に入院していますが、脳出血で脳外科の医者が手術をしました。
手術の結果や病状の説明のときに、左脳・右脳という言葉を使って普通に医者は説明しますけど。
言語部分がダメになって、その説明のときも左脳・右脳という言葉を使って説明がありましたけど。
その医者は、その先生しかできない手術という難易度の高い手術で、レベルの高い医師のようですけど。

君のほうが知ったかぶりをしたいだけなんじゃないの?
余計なお世話ですけどね。
442神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 14:27:23.61 ID:S77xPkZW
★悟りの為の修行法-クンダリニー,座禅,密教,気功★
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1401071811/
悟りを開いた人に聞いてみるスレ36
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1399291519/
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】26
http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1399043043/
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?26
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1381113177/
悟ったからみんなを悟りに近づけるよ
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1338589938/
究極の到達【悟り】
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1324770265/
悟りとは何か
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1313300232/
マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.12
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/
【静寂】  瞑想   二呼吸目  【平安】
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/healing/1389567385/
【座禅・瞑想】修行しよう!【滝行・写経】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1329740006/
443神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 16:19:34.29 ID:5UBawVDE
>>439
>夢はレム睡眠時の海馬の記憶再編成活動の
>産物だから、それはちょっと違うな

君は脳機能にくわしいようだから質問するけど、

「夢はレム睡眠時の海馬の記憶再編成活動」だというのは
本かなにかで読んだ記憶はある。
でも、夢というのは映像だよね。
なぜ映像を見るのか?ということと海馬が記憶再編成活動をするというのは、また違うと思うけど。
444神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 19:26:40.48 ID:0GVGx8mg
>>436
日常でのラベリングはその時によりますね。座るときはマハシ式でしっかりやりますけど

座る瞑想が上手くいったあとだと心が落ち着いているのでラベリングがスムーズに行くのですが
心が落ち着いてないときにやっても言葉だけが浮いてる感じになってラベリングしない方がかえって巧くいったり・・・

私はラベリングをするかしないか程度なら、個人の裁量の範囲だろうと思ってその都度自己流にやってます

理論的には気づきがあるならラベリングはしなくてもいいとマハシのチャンミー・セヤドーなども仰ってるので、
まあラベリングしないと危険というわけでもなし、いいかと思ってます
(サヤドーはラベリングはしてください、という文脈で仰ってるので言い訳にならないのですが)
445神も仏も名無しさん:2014/05/26(月) 21:41:21.96 ID:2ILOLXoy
>>441
まあ、普通に右半身麻痺の人は言語障害、左半身麻痺の人は半側空間無視の
人が多いな。
日常の行動は両者の連携で総合的に行われるんだろうけど。
446神も仏も名無しさん:2014/05/27(火) 02:31:42.59 ID:l6Nd59ru
>>439

左脳と右脳の機能をうまくコントロールするかが大切 ― スポニチ Sponichi Annex 社会 山川あずさの美しく生きよう
http://www.sponichi.co.jp/society/yomimono/yamakawa/kiji/K20120723003720670.html

↑にでてくるテイラー博士というのは、神経や脳の学者やからね。
そのテイラー博士が左脳とか右脳とかいう言葉を使って自らの体験を語ってるわけ。

諸説あるのは知ってるけど、俺は学者じゃないし細かいこと言われても
「だからどうした」としかいえませんね。

あと話の流れとは関係ないけど、
死後の世界があると断定している脳外科医がいるね。

【衝撃真実】死後の世界は100%存在した! - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1llcFT0oNMs
447神も仏も名無しさん:2014/05/27(火) 17:39:49.91 ID:CM7W0nri
こちらのスレの話題に該当するかわかりませんが、身体のエネルギー漏れを修正する方法ってどんなものがありますか?
腰の辺りからエネルギー(気)が漏れていると指摘されたことがあります
実際、寝釈迦仏の姿勢で床置きPCを操作するというのを長年続けており、そのねじれた姿勢のせいで骨格が少々曲がっています(腰骨のでっぱりが左右で違う)
年を重ねるにつれ疲れやすさが出てきたので修正したいのですが、ヨガとかやればいいのでしょうか?
448神も仏も名無しさん:2014/05/27(火) 19:46:31.21 ID:QH+tyWkc
野口整体
449433:2014/05/28(水) 11:39:23.28 ID:CjKdmdJa
>>437 >>444

レスありがとうございます。
ラベリングは、スマナサーラ長老の本を参考に一時期はしていたのですが
人と会話しているときや、自分に感情が生じたときにラベリングをすると
なぜか、対人関係を構築していくことの虚無感におそわれて、気力が萎えてきたので
グナラタナさんの本に出会ってからは、控えています。
もっとも、自分のやり方が悪かっただけなのかもしれないので
レスをいただいて、ラベリングをもう少しやってみる気になりました。ありがとうございました。
450神も仏も名無しさん:2014/05/29(木) 18:51:48.53 ID:s645BRAr
精神的に行き詰って、身動きがとれなくなっている人は、文章に特徴があります。
それは、話題が、
「自分のことだけ、自分を見つめることだけ」になっていることです。
極端な内観ばかりに、偏っているのです。
これは、特に、精神世界系の人に多いみたいです。
悩んだり、苦しんだりした結果、自分の内側に、閉じこもっているのですが、
その結果として、ますます苦しくなるのです。
特に、精神世界系の書籍やブログなどには、
「全ては、自分が、創りだしている」
「この世界は、全部、自分の映し鏡である」
というような内容が多いので、全ての原因を、自分に向けがちです。
それはそうなのですが、こういう極論は、実生活には、直接は、当てはまらないことも、多いです。
さらに、真理というものは、実は、現実の世界には、役に立たないこともあるのです。
だから、自分の内面を、とことん見つめた後は、世の中の動向や社会に、
目を向けることも、大切なのです。
そもそも、この世界は、独学に向いていないのです。
本当に、自分一人だけで、内観して、悟りが開けるのならば、誰もいない無人島に、
生まれてくるはずです。
それが、大半の人は、たくさんの人が、生活している「社会」という学びの場に、生まれてきます。
これは、やはり、人間が、他者と関わって、悟りに至るという学びが、向いていることを、示しているのです。
451神も仏も名無しさん:2014/05/29(木) 18:52:55.08 ID:s645BRAr
人生に行き詰った場合、ほとんどの突破口は、
「他人や世間に、目を向ける」
という方向にあることが、多いのです。
自分にばかり目を向けていると、まず最初に、経済的に、行き詰ります。
なぜならば、全ての経済活動や仕事は、他者と関わることによって、成り立っているからです。
山の中の洞窟で、瞑想ばかりやっていて、お金が入ってくることはないのです。
自分のことばかり考えている意識状態というのは、「子供の意識」でもあります。
子供というのは、自分のことばかり考えて、生活しています。
特に、幼ければ幼いほど、
「自分にしてほしいこと」ばかり考えています。
赤ちゃんや子供は、それでいいのです。
親が、なんでもやってくれるからです。
しかし、この意識状態のままで、大人になった場合、人生が、苦しくなります。
こういう人は、常に、
「誰かが、自分に、何かしてくれないかな?」と考えています。
棚から牡丹餅ばかりを、期待したり、何もしないで、一攫千金を狙ったりするのも、このタイプです。
「世の中に、貢献したい」
という意識が、まったくないのが、特徴です。
こういう人は、本人は、意識してませんが、周囲は、すぐにわかります。
そして、「あの人、まるで子供だよね」と評価されます。
「貰うこと」ばかり、考えている意識状態が、「子供」の意識だということです。
「与えること」を考える意識状態が、「大人」の意識なのです。
言うまでもないことですが、人生が、どんどん苦しくなるのは、前者であり、
人生が、どんどん楽になるのは、後者です。
これは、世の中のほとんどのことに、当てはまると思います。
だから、もし、今、人生に行き詰っていて、苦しんでいたら、
「もしかしたら、自分は、子供の意識状態なのではないだろうか? 
貰うことばかり、考えているのでないだろうか?」
と考えると、新しい展開が、見えてくるかもしれません。
452神も仏も名無しさん:2014/05/29(木) 19:31:17.18 ID:EA9R+cWB
すいませんが「、」が多すぎる気がします
453神も仏も名無しさん:2014/05/30(金) 00:17:50.95 ID:squ7J4x8
そういう人を目の当たりにして書き込んだのだろうけど、
その人は内観以前に成長期の人格形成の段階で問題があった人だと思いますわ。
結果的に自我境界線が歪んでしまった。
また、自己愛性人格障害なども疑われますね。

生きるということは他者との関わりが避けられないもの。
社会に目を向けなくてはいけないのは当然ですね。
同意ですよ。
でも、社会の中での自分、自分が社会に対して他者に対してどうしていけばいいのか?
そういう視点のもと内観をやっている人達は沢山いますよ。
内省していれば、他者の気持ちになって考えることや違う立場の視点になって考えなけばいけないことに気づきますからね。
454神も仏も名無しさん:2014/05/30(金) 02:24:39.17 ID:Kbzg+4JH
長文はかえって読まれない法則
なぜ釈迦が対機説法したのか理解せぬ
愚か者よ、我執を捨てなさい
455神も仏も名無しさん:2014/05/30(金) 19:45:41.89 ID:lLj2NQ4r
解脱というのは、最終的に目指すのはこの世界を形成し成り立たせいる、脳の認識能力を停止させて脱落させることだ。
時間・空間・物質が消失して始めて神通力が出現すると思われる
456神も仏も名無しさん:2014/05/31(土) 03:00:55.90 ID:6GHSbinI
>>450>>451
世界から逃げ出すためにスピリチュアルに入ったはずが、学べば学ぶほど世界と対峙する、
それも、とても真摯で実直に対峙する必要があることが最近わかってきた
逃げ出さないといけない世界というのがそもそもの誤解なんだろう
だからって死にものぐるいで維持すべき世界というわけでもないみたいだ
457神も仏も名無しさん:2014/05/31(土) 07:09:54.00 ID:QsoQ6twO
>自分のことばかり考えている意識状態というのは、「子供の意識」でもあります。

無邪気になると儲かる。WWW
 俺は自営をしているが、無邪気にというか遠慮なしに見積もることが出来るようになって
効率良くもうかるようになった。
 「50万くらいかな?と思っても、まあいいやいろいろあるし300万にしておこう」
というような感じで見積もれる。下心が無く無邪気なのでそれがすんなりと通る。

 山に籠って1週間修行(接心という)をしただけだが三昧にはいるテクは身に付いた。
これは執着を手放す効果が実際にある。執着が無くなると心のコントロールがやりやすく
なる。だから短期の集中力は増す。同時に発想力が豊かになる。

 そもそも瞑想というのは自分に向き合うことではない。内観などとは違う。瞑想は
ただ坐ってじっとしているだけだ。考えたり向合ったり鍛えたりそういうことは一切
やらない。それが瞑想だ。
458神も仏も名無しさん:2014/05/31(土) 07:32:47.02 ID:QsoQ6twO
>人生に行き詰った場合、ほとんどの突破口は、
>「他人や世間に、目を向ける」
>という方向にあることが、多いのです。

人生に行き詰った記憶がないので自分は何とも言えないが、これも一つのテクニックだと思う。
 瞑想も内観もテクニックに過ぎない。
 内観には内観の使い方があり瞑想は瞑想の使い方がある。愛には愛の使い方がある。
効果的テクニックをいくつかマスターしておくといろいろ便利だ。一つだけマスターして
それで何もかもやっつけてしまおうとするのは怠惰だ。
 瞑想で世界を説明しようとか、愛で世界を説明しようとかそれは横着というものだ。
459神も仏も名無しさん:2014/06/01(日) 16:15:30.11 ID:4gEt5qlP
悟ら―参戦期待♪
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1376452574/l50
悟りに至った方たちとの対話


すれ主、ウェルカム、食いついてくれるタイプです。
スレ主論破参戦者希望。
460神も仏も名無しさん:2014/06/01(日) 18:35:44.20 ID:apmA8/at
悟りと論破を組み合わせるとはなかなかハイセンスなジョークだ
461神も仏も名無しさん:2014/06/03(火) 00:18:36.79 ID:6c3K08A0
偏頭痛と癇癪持ちが悩みの種だったんだけど(ありのままに見ようとしても見れない、瞑想の妨げになる)
苦を理解するんだ、苦しみという真理を観察するんだっていう、アヌパッサナー(随念)に近いやり方で観察すると
瞑想の妨げになることが減った

いままで本当に瞑想を難しくしてたんで、これが解決したのは本当にうれしい
たぶん俺が瞋性者なんで苦(ドゥッカ)という真理に共感しやすかったんだろうな
462神も仏も名無しさん:2014/06/03(火) 00:34:36.38 ID:6c3K08A0
アヌパッサナーじゃなくてアヌッサティだった
463神も仏も名無しさん:2014/06/03(火) 10:02:07.41 ID:nf60meNw
>461
それは良かったですね。
自分の場合は不安でした。
理解するそうしか無いです。よくわかります。
464神も仏も名無しさん:2014/06/03(火) 10:39:30.22 ID:ixBQqscN
>「全ては、自分が、創りだしている」
>「この世界は、全部、自分の映し鏡である」
>というような内容

これ、嘘だよね。
ホントに苦しんでる時に馬鹿に言われて、殺してやろかと思ったよ。
小泉ってマッチョバカだったな。
465神も仏も名無しさん:2014/06/03(火) 11:28:25.56 ID:3z8ax385
ヴィパッサナー瞑想はロジカルで面白いが説法している人で聖者レベルに達している人がいないから宗教的なものを求めている人にとっては不満が出る。
良き社会人としてはあれくらいをやっておくのが丁度いいと思います。
466神も仏も名無しさん:2014/06/04(水) 04:21:08.76 ID:YuxNBTmC
逆に 聖者レベルに達している人 が多いメソッドってなんですか?
また、悟ることが第一義だろうか?
467神も仏も名無しさん:2014/06/04(水) 06:55:11.72 ID:menHR16b
絶対神だとか、救世主だとか、聖者だとかは、
自分の願望の投影に過ぎないって理解しない
内は、何やっても一緒だと思うけどね

大乗仏教も釈迦を神格化し過ぎて愚劣な
宗教になっちゃったけど、そういう轍は
踏むべきではない
468神も仏も名無しさん:2014/06/04(水) 15:50:20.54 ID:oCvIPdax
>>466
インドの聖地のヨガのグルは平均値が高いと思います。臨済宗の高僧もたまに凄いのはいます。
>>467
絶対的なものはありますよ。あれもありだし、これもありだって価値相対主義も面白いですが。
469神も仏も名無しさん:2014/06/04(水) 16:51:14.98 ID:AteV5Bua
全ての人の中にある、善きものの存在があるように自分には思えます。
470神も仏も名無しさん:2014/06/05(木) 02:30:46.49 ID:bcQWuVhU
そう思いたい願望・欲望があるだけって
理解できない内は釈迦の悟りすら
遥かに遠いね君らは
471神も仏も名無しさん:2014/06/08(日) 18:20:34.71 ID:mJSRhWUG
テスト
472神も仏も名無しさん:2014/06/10(火) 18:01:25.43 ID:qqMDVTva
>>469
逆に全ての人の中にある、悪きものの存在があるようにも思える?
473神も仏も名無しさん:2014/06/11(水) 20:02:36.57 ID:vZe3LgUZ
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1401956564/887
887 神も仏も名無しさん sage New! 2014/06/11(水) 19:59:43.51 ID:YPgQC8Ot
サマタ瞑想だのヴィパッサナー瞑想だのを頼る時点で0点。
区別があって限界があって何が悪い?
ありがたそうなものを志向する時点で0点。
0点をいくら積み上げても0点だw
474神も仏も名無しさん:2014/06/12(木) 08:09:53.65 ID:lCbaM1iy
こっちもよろ

【仏教3.0】山下良道 Part1【一法庵】
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1402505393/
475神も仏も名無しさん:2014/06/12(木) 16:33:30.82 ID:xyVQUKwX
>>474
うん。.山下さんが最強ですね。
476神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 02:14:23.78 ID:L7BTQcaw
怒りの過程を終始見られるようになるまでどれくらいかかる?
ゲームとかで無意識にいつの間にか怒ってる
477神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 03:54:11.27 ID:KW3WFK2Y
もう観えているんじゃないですか
478神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 04:11:24.30 ID:lC5ddyNZ
顕微鏡で細菌を見るとして、一応、10倍でも見えるとするじゃん。
でも、顕微鏡で見えるといっても、100倍もあれば、何十万倍の電子顕微鏡もある。
終始見られるといっても、それぐらいの差はある(はず)。

サマタでサマディ(三昧=禅定)に入れる人が観察する精度と、一般人の観察力の
精度では、まるで次元が違う。
479神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 04:31:20.45 ID:lC5ddyNZ
虫や動物が物理現象について考察する時の知性と、人間がそれをする時の知性。
これは段違いに違う(はずですよね)。

サマディ(より正確にはカニカ・サマディ)の定力による観察と、人間の意識による
観察も、やはり段違いの差がある。

というのは、サマディの意識状態というのは梵天の意識であって、その時、その
修行者の心には、欲界の衆生に起こりうる心はすべて止まっている。
つまり、(一時的にせよ)五蓋がなくなっている。

梵天の知性と、人間の知性では、動物と人間以上の差の開きがある。
480神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 07:37:54.06 ID:lC5ddyNZ
>>476
毎日、どれくらい瞑想をやるかにもよる。
合宿に参加して、集中的にやり込むと早く感覚を掴める。

スマさんは、毎日1〜2時間の瞑想を一週間やれば、だいぶ人格が
しっかりしてくるとか、ヴィパッサナー本の中で言ってなかったっけ。

マハシでもパオでも、どの瞑想でも1時間、本気でやり込めば
瞑想の感覚を体験しはじめると思う。

連続1時間半を越えたあたりから、心がギアチェンジすると思うけど
1時間半続けられるようになるまで、時間がかかるんだよね。
そして、そこまで期間にも個人差がある。
481神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 12:04:24.22 ID:L7BTQcaw
呼吸とか推奨されるけど興味ないから続かないわ
というより思考のほうが断然強い
おなかの縮み膨らみを観ているつもりでもいつの間にか頭に意識がいっちゃう

瞬間の観察を続けようとするといつ怒りが飛び掛るかビクビクしながら生きなきゃならない
ハードル高いわ
482神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 13:07:04.95 ID:z7CunZr4
じつは頭に意識がいっちゃう時がチャンスで
そこでまた戻る所が大切で

怒りがでるときも実は、チャンスで
出たらそれをただ静かに観て下さい。

怒りを否定もせず、また肯定もせず、払おうともせず
ごまかそうともせず、押さえつけようともせず
ただ怒りが出ていると言う事を
あるがままに観て下さい。
483神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 15:28:38.67 ID:+HcAkWc8
あずけるというか、投げ捨てるとでもいうか、帰依するとでもいうか
五体投地とでもいうか、おまかせするとでも言うか

で観るのだと思っていますけど
484神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 18:41:08.45 ID:nDgPsrGs
完全受動
485神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 18:42:19.46 ID:wwuqRQXd
ヴィパッサナーって体面を整えないと瞑想できないといってるようなもんだな
欲・怒りがあったら瞑想は困難だから慈悲の瞑想に切り替えなさいとか
明晰さから洞察は生まれるのにやってることは擬似的な洞察ごっこというか
こうしてくださいああしてくださいこれはしないで下さい制限が多すぎる
目的が心の解放なのにいつまで呼吸に集中したらおkなのかも分からんし

結局つかず離れず踏み込めず状態
486神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 18:47:36.99 ID:nDgPsrGs
>481
 その感じわかる。
例えば絵に興味がない人は、何か月もかけてコツコツと細密画を描くような作業は
全く理解できない。
 スポーツでもマラソンのような単調なスポーツのどこが楽しいのか理解できない。
ところが嵌ると面白い。

呼吸も興味が湧くと面白い。

 社交ダンスだと男が女を好きなように操る。しかし本当に気持ちがいいのは操られる
側の女。男はその気持ち良さになかなか気が付かない。ダンスに限らず自分を任せ切る。
委ねると恍惚状態になる。
487神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 19:03:36.71 ID:wwuqRQXd
寝るときだけでも呼吸に注意しようと思うんだが無意識に思考に吸い込まれる
記憶の整理が睡眠の仕事だからか?

何かになりゆく過程を瞑想にも当てはめちゃうから
純粋に呼吸に興味がないと自発的に行うのは難しいな
ヴィパッサナーの本は結構持ってるんだけど
488神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 19:09:08.40 ID:nDgPsrGs
>欲・怒りがあったら瞑想は困難だから慈悲の瞑想に切り替えなさいとか

「欲を無くす」とか「慈悲心を持つ」とかよりも
 「完全に受け身になる。神に委ねる」という感覚の方が解りやすいと思う。

完全受動状態が瞑想。

 呼吸を観察するのは意識(意識的呼吸)と無意識(自然呼吸)が微妙にスイッチする
ところが観察できるからで、呼吸を見ることで呼吸という自然に身を委ねる感覚
わかるようになる。それがつまり神に委ねること。自分を放置してしまう。放擲して
しまう。
489神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 19:17:50.19 ID:KW3WFK2Y
そうです その通りだと思います
490神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 19:26:07.99 ID:wwuqRQXd
神は信じてないので呼吸に任せます・・・zzz
491神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 19:28:06.76 ID:wwuqRQXd
集中は自力行、だからつらい
492神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 20:00:27.91 ID:t82Bvn/u
>>480
俺は15分くらいしかできない
1時間も座っていられたら足が壊死するんじゃないかと心配
何か工夫がありませんか?結跏趺坐が上手に出来る方法をどなたか編み出してください
493神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 21:13:58.51 ID:lC5ddyNZ
494神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 21:28:53.61 ID:ym/VI6iG
禅宗も結跏趺坐できなければ半跏趺坐で
いいって言われるし、立禅も経行(きんひん)
もあるし、タイの仏教では体動かしながら
ヴィパッサナーやったりもするし
あんまこだわる必要はないっしょ

結跏趺坐自体が目的ではないからね
495神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 21:28:54.31 ID:lC5ddyNZ
大事なことは、瞑想対象に意識を向け続けること。

マハシなら
雑念が湧いたなと気付いたら、すぐにまた「膨らみ縮み」に戻る。
思考に流されていたなと気付いたら、すぐにまた「膨らみ縮み」に戻る。
足が痛いなと思ったら、すぐにまた戻す。
痒いなと思ったら、すぐにまた戻す。
何がおきても、何を感じても、どんな雑念や思考がおきても、すぐに瞑想対象に意識を戻す。
戻し続ける。

パオなら、
とにかく全ての感覚、すべての雑念、すべての思考を無視(スルー)して
入息&出息を見続ける。

同じこと。
496神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 21:33:12.50 ID:lC5ddyNZ
そのうち気持ちよくなってきて、ずっと瞑想していたいと感じる状態になってくるから。
まずはそこまで頑張れ。

その後は、その気持ちよさにも囚われることなく、さらに瞑想対象のみに集中していく。
続けてさえいれば、必ずブレークスルーの時がくる。
心の状態が次元の違う段階に切り替わる瞬間がくる。
497神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 22:45:46.22 ID:KW3WFK2Y
じつは瞑想は、眼を開けても、動いていても
できる
だから、お釈迦様の大涅槃経に
いつも気づいていなさいと言い残された
意味がそこにあるように思う

ここに至って、実は日頃の立ち居振る舞いとか
話し言葉とか、茶道とか、作法とか言うものを
厳しく指導される意味がある

武道における型は何のためにあるのかも
498神も仏も名無しさん:2014/06/13(金) 22:47:32.39 ID:KW3WFK2Y
気づく(マインドフルネス)のは、皮膚の接触点に
気がついていくのが、一番わかりやすいと思います。
499神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 11:19:24.97 ID:cxN+ESYm
無理無理無理
何万回怒っても怒りの管理なんてできない
聖者の書いた境地からの怒りに関する本なんて役に立たない
だって凡夫だもん
500神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 11:21:43.00 ID:cxN+ESYm
生まれてから父親に関してどれだけの怒りを溜め込んできたか
発散させるなら殺すしかない苦しい
501神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 12:13:37.82 ID:cxN+ESYm
書いたことで少し発散
知恵袋見ると結構適切なアドバイスあるんだな
502神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 20:44:48.68 ID:zTkh2EPp
>>499
そんなあなたは浄土真宗へどうぞ
503神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 22:05:53.18 ID:cxN+ESYm
それ慈悲ですか?
504神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 22:22:04.40 ID:cxN+ESYm
風の気持ちいい夜だなぁ
でもそんなことは意識から排除して鼻先に意識を集中しよう
これが正しい実践ですか?(疑念)
505神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 22:24:31.06 ID:cxN+ESYm
今一瞬のうちに悟れる確信がないのなら一生懸命やれない
少ない時間でも果を味わえると約束してください

うーんマジ乞食
506神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 22:45:17.19 ID:xMd/lASE
>>504
それは人間的情緒からすればは美しいと思える体験でしょうが、
それもまた無常であり、苦であるわけです。

回答は、「正しい実践です」です。
507神も仏も名無しさん:2014/06/14(土) 22:46:33.38 ID:xMd/lASE
瞑想によって到達する境地は、風の気持ちいい夜よりも
ずっと美しく、ずっと気持ちの良いものです。
508神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 00:29:56.36 ID:h4zRE4n7
心と体を認識している主体とは何か?を探求するのはなし?
ヴィパッサナーは始めるまでの条件付けが厳しすぎる
まず座ることから修練せんといかん
正しく座れんから昏沈ばっかや
509神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 00:51:35.41 ID:QQ+MFL7q
我々は五蘊を自己だと思っています。
五蘊とは、色受想行識のことです。

何かを感じるのは受ですが、受を感じているのは受そのものだそうです。
受は生じた次の瞬間には滅しています。
そこに変わらない実体的な主体があるわけではありません。
510神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 01:00:18.83 ID:QQ+MFL7q
視覚を例にとれば
視覚というのは、眼球と、眼球に映り込む光と、その光を放射または反射する物体と
視神経と視覚野などが組み合わさって生じるものですよね。
縁によって生起し、縁が変われば滅してしまう。

視覚の主体は眼球なのか、光なのか、光を発する物体なのか、視神経なのか
視覚野なのか。
現代人の多くは視覚野など、脳にその主体を求める傾向が強いと思いますが
視覚野も主体ではありません。

例えば、視覚野のどの細胞が主体なのか考えてみて下さい。
どこにも主体などありません。
511神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 01:43:29.76 ID:h4zRE4n7
思考から離れてる感覚、包み込んでる感覚
この受も五蘊によるもの?
つかもうとすると逃げるけど
512神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 01:52:04.90 ID:QQ+MFL7q
お、瞑想やってるんだね。
受は色から入ってくる五感に対しての感覚だから、思考から離れている感じは
たぶん想が止まってきているのを、まだ動いている想が認識している状態じゃ
ないかな。多分だけど。

掴もうとすると逆に瞑想が壊れるから、ひたすら集中するしかないんじゃないかな。
結果はすべて成り行きに任せるというか、つかまないことだよね。
513神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 02:00:10.63 ID:QQ+MFL7q
瞑想の前に、仏陀への礼拝と、三宝への三帰依をやって
瞑想が始まったら、あとはもう全てお任せ。
自分がやるべきことは、瞑想対象に集中し続けることのみ。
514brown:2014/06/15(日) 03:06:35.10 ID:CSbejOAw
>>511
自己の思考を客観視しているんですね。
そこに取り込まれないで離れていられている訳です。
これは,例えば,「魅惑的なモノ」が目の前に現れても,
それに対する感情に巻き込まれて執着しない状況と言えます。

思考を見つめて離れて見つめられている訳ですが,
その見つめている見つめ,それを見る必要があります。
それは,別の思考なんですね。

それを見つめようとすると,つまり掴もうとすると,
また別の思考が生じます。

それを掴もうとすると,また別の思考・・・

このように永遠に続いていきますが,
そのような主体と客体の関係全体を掴もうとする観点が
生じてくるかも知れません。
そうすると,その構造から,より一段離れることができます。

しかし,その離れた観点,それ自体がまた別の思考なのです。
515神も仏も名無しさん:2014/06/15(日) 04:40:47.49 ID:vBn1kPv9
>514
 思考の枠内でいくらでも多重化できるから至極当然だね。じゃ無くて一般には
使わない第三の脳を使って思考を観察するのが瞑想。
516神も仏も名無しさん:2014/06/16(月) 12:45:01.06 ID:cXMEqvvf
どれだけ対象を追い続けても認識したものは過去のものでしょ?
時間のかからない直接的な知があるの?
517神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 07:44:01.94 ID:hZeuN5l6
 時間感覚の無い認識はあるよ。ただそれだけのこと。
凄いことでもなんでもなくて、景色が違うだけ。
518神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 13:06:31.52 ID:hTdxBJSx
思考が介入しなきゃ時間はない
100mとか全力で走るときの感覚
ヴィパッサナーはもろに思考が邪魔するから過去の感覚しかない
519神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 16:01:33.27 ID:WU/Z5OMX
フロイト氏が説くエスについて調べてみるといいかも。
分かりやすいよ。
520神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 18:03:26.67 ID:k7wGdI0L
スマ長老が昔dhammacastの質疑応答で
「顕在意識と二重構造での無意識は存在しない」って精神分析を否定してたなぁ…
昔からこの界隈って精神分析とかスピリチュアルみたいな志向性の強い人が多いみたいだな
521神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 20:07:11.51 ID:WU/Z5OMX
思考・想念と感覚を観察しているうちに捉えられる意識の領域が広くなり、
深度も深くなっていくのは確かだね。
無意識的な領域のことだと思っていたことも
顕在意識で捉えられる事柄が増えていくのは分かる。
522神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 23:13:09.23 ID:hZeuN5l6
て、たとえばどんなことづら。
523神も仏も名無しさん:2014/06/18(水) 23:41:35.47 ID:qQIVT6I5
まあ阿頼耶識とかあのあたりが大乗の思想だから、大乗に抵触するものは
なんでも否定したい年頃なんじゃないの。

スマの言動って、自分で無自覚なかくされた動機に基づくものが多いね。
524神も仏も名無しさん:2014/06/19(木) 04:47:09.49 ID:ZIYGOyxT
TEDの宇宙の歴史ってのが面白いよ。これを理解すれば大乗も小乗もすべて
含んでスマートに説明できているので、そんな乗り物は捨てたらいいと思うよ。
525神も仏も名無しさん:2014/06/19(木) 17:35:33.57 ID:1yiOncjo
宇宙と仏教になんの関係が・・・(^^;)
526神も仏も名無しさん:2014/06/19(木) 22:42:19.07 ID:dIXvqAYF
>>522
反射的な行動の裏に、過去に経験した出来事の記憶とその時想いとその時に生じた感覚の記憶が呼び起こされて、
それをもとにどんな行動をとるか頭が考えて動作につなげる様子を顕在意識でキャッチでしました。
まだ奥がありそうだったので完全ではなく上澄みだとは思いますが...
あとは、想いが沸き上がるとき、いくつかの感情や思考・記憶の信号のようなものが生じて絡み合って渦を形成するのを捉えたことがありました。
でも、まだまだ観察が足りず上澄みだと思うので、もっと修行したいと思います。
527神も仏も名無しさん:2014/06/20(金) 18:50:26.02 ID:yxsSiRws
瞑想がサマディの段階まで深まらないと、色んな意味で仏教はわからない。
そもそも、唯物論的な考え方から抜け出せない。
脳が心を生みだしているという考え方は、唯物論を前提とする価値観だけど
サマディに達すると、それが間違いであることを知るようになる。

そこまでいかないと、色々なことがわからない。
528神も仏も名無しさん:2014/06/20(金) 18:54:03.81 ID:yxsSiRws
脳など、物理的身体との相関関係で生じる心は確かにあるし、普通、ひとは
それが自分だと思っている。
だが、すれが心のすべてではない。

身体が死んでも、脳や身体を動かしていた(いる)、生命たらしめていた
もっと深い部分の心までは無くならない。

心を止めてみると、それが見える。
529神も仏も名無しさん:2014/06/20(金) 18:56:12.98 ID:BwV9Gl82
心が止まったら認識作用が止まるから何も認識できませんけど
滅尽定みたいに
530神も仏も名無しさん:2014/06/20(金) 18:57:53.31 ID:yxsSiRws
五感の感覚はない。
身体を認識していないし、身体に意識があるときに考える部分の意識は止まってる。

でも、それより深い部分はまだ動いてる。
色界禅定の段階。

無色界禅定の段階では、その認識も止まるのだうけれども
そこまでの経験はない。
531神も仏も名無しさん:2014/06/20(金) 23:41:47.98 ID:ZwliYT7j
悟りって経験の有無の問題なんですかね
それなら宗教の枠を超えて、
共通の体験がないと悟りと認めない
検定試験みたいなものがあっていいですね
532神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 03:47:07.08 ID:jYMhtvvK
共通の体験がないと悟ったとは認められませんし、検定試験みたいな
ものはありますよ。
師僧が弟子の状態を見極めるポイントというのがあります。

教学的には、十結と四向四果のことです。


悟りの段階は、四向四果という八つに分けられる。
大まかには、預流果、一来果、不還果、阿羅漢果の四つ。
これに預流向、一来向、不還向、阿羅漢向の段階を加えて八つ。

衆生を輪廻の生存に結びつけている、十の障害のことを十結という。
十結の最初の五つを五下分結。残りの五つを五上分結という。
そして、最初の三つのことを、特に三結という。

三結がなくなれば、預流果の悟り。
五下分結がなくなれば、一来果の悟り。
五上分結の一部、無色貪さえもなくなれば、不還果の悟り。
五上分結のすべて、従って十結がすべてなくなれば、阿羅漢果の悟り。
533神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 03:51:20.54 ID:jYMhtvvK
瞑想が深まり、ものごとの認識の仕方が変わり、ものの感じ方、精神状態が
変わってきて、もしかして自分は悟っちゃったんじゃないかと思ったら、まず
十結をチェックする必要がある。

瞑想をしていて、禅定に入れちゃったんじゃないかと思ったら
五蓋と禅支をチェックする。
五蓋が消え失せ、禅支が出ていたら禅定。
そうでなければ、その瞑想状態は禅定ではない。

明確な基準がある。
534神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 03:54:25.12 ID:jYMhtvvK
>>532
ごめんなさい。間違えた。
五下分結がなくなった時点で、不還果でした。
535神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 06:44:00.44 ID:coI2ExdU
>>527>>528
526ですが、分かります。
自分が捉えたものも、526で書いた通り上澄みとしか思っていませんから。
頭で考えて〜のあたりは誤りですね。
潜在意識に近い領域での演算・算出という表現の方が近いかもしれません。
でも、こうしたことも、あくまで上澄み、浅い領域の断面的なものでしかないと思ってます。
瞑想を続けていくうちに三昧の境地から観たいという思いが沸いてきまして、
また、その境地から見ないと理解できない事があるんだろうなと思っていました。

ちょっと質問なのですが、瞑想をしていく中で意識の動きなどに回転運動を感じた事ってありましたか?
536神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 10:24:34.06 ID:sgDAYXIo
>>495
それはマハシはヴィパッサナをしているに対して、パオはサマタをしているからだよ。

パオはよほどの上級者(達人)でない限りヴィパッサナをさせません。
537神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 13:43:36.29 ID:uT2uPtGe
>>533の判断は自我がするのですか?
538神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 13:46:51.11 ID:uT2uPtGe
>>536
同じことだと思うんですけどどうして分けるのですか?
むしろ両方ともサマタの初歩段階のように見えるのですが
539神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 20:52:40.92 ID:jYMhtvvK
>>537
サマディに入っている時、自我は停止しています。
サマディから出た時、瞑想状態を振り返って、停止していたことを思い起こします。

停止しているのを見ているのは、サマディの意識であって、自我は止まっています
から、それを直接見ているのは自我ではありません。

サマディから出た時、肉体に意識がある時は自我がありますから、その時に思い
起こすのは自我です。
540神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 21:01:56.76 ID:pLqhcI/d
ちなみに仏教的には自我と真我の区別はナンセンス(^^;)
541神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 21:09:05.93 ID:jYMhtvvK
自我という単語で、どの部分を指しているのか、人によって違ってると思うんだよね。

今回の場合、>>537が言っているのは、肉体に意識がある時
「これが私」、「これが自分」だと思っている部分のことだと読み取れた。

また、心の状態は禅定の種類や深さにもよる。
色界禅定だと、不善心は止まってるけど、善心はあるからね。
本当に止まるのは四禅からであって、二禅までは喜と楽を伴うし。
542神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 21:33:08.71 ID:jYMhtvvK
>>540
真我という単語が、どこから出てきたのかわからない。

三昧に入っている時の状態は、五蓋が消え失せ、禅支が出ている
状態です、とは言ったけれども、それが真我だなどとはひと言も
言っていないはずです。
543神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 21:40:30.52 ID:pLqhcI/d
>>542
言葉を使っていないからといって真の自己を想定していないとは限らないので(^^;)
また言葉たくみに言い換えても実質的に真我を語っているとしか思えない人もいますね
544神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 22:12:55.61 ID:jYMhtvvK
三結の見がなくなって初めて、我見が消失しますからね。

たとえ仏教徒であっても、修行中は「わたしが悟る」ために頑張っているので
しょうし、また別にそれでいいと思います。(思うようになりました。昔は責め立てる
気持ちがありましたが。)

論理的、哲学的な思弁によって、無我を理解することは、大変有意義ですが
知的レベルで満足せず、悟りの智慧を目指していきたいものです。
545神も仏も名無しさん:2014/06/21(土) 22:57:48.10 ID:uT2uPtGe
jYMhtvvKさんは師匠いるんですか?
それとも本と照らし合わせての見解ですか?
546神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 00:01:05.95 ID:5NAXSrJE
師匠いますよ。
一人でサマディを目指すなんて、凡人には無理です。

師匠いますが、特定の一人に決めているわけでもありません。
日本と違って、海外にはテーラワーダのお坊さまは沢山おられます。

仏教徒の拠り所は三宝。仏法僧です。
どれか一つでも欠けていたら、三宝になりません。

お釈迦さまが指導された通りにやるのが、一番早くて安全だと思っています。
547神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 02:16:41.77 ID:FuMx1W5X
ですよね。
本とか入り口に過ぎないですよね。
そこから先行きたきゃ直接指導受けたほうがいいですね。
548神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 02:51:17.96 ID:YLteP/fL
預流果に到達した人のブログを見てると、
言っている事の本質は同じで、有身見・疑・戒禁取が無くなっている。
諸行無常も体感している感じだし。
彼からの文章から、預流果になる際に、
心身に一定のアルゴリズム展開のようなものが起っているようにも感じるんですよね。
実際に情報処理のアルゴリズム的だったと表現している人もいました。
瞑想していると、身体と意識に何かしらのアルゴリズムを感じる事ありませんか?
549神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 03:00:30.58 ID:YLteP/fL
>>546
個人的に質問なのですが、
私が瞑想していて雑念が収まってくると、
心と思っていたものが無くて自分がいない。
あるのは無機質な電気信号だけで、ただただ空虚な世界。
最近イこういう状態が増えて来ました。
こんな時期ってありましたか?
無機質な方向に進んでいるような感じで、
今の自分ではこの状態がどんなものか見当つきません。
ご意見を頂けたら幸いです。
550神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 04:53:25.15 ID:5NAXSrJE
>>549
まず、ご自身が修習されている瞑想の系統の指導者にお聞きになる
のが一番でありますし、私には人を指導できるほどの知識も経験も
ありません、ということは先に申し上げておきます。

おそらく、マハシ式のヴィパッサナーを修習されているものと推察します。
そして、観察対象が名と色のうちの、どちらかというと色を中心になっている
のではないでしょうか。
つまり、心よりも、身体、および身体感覚を重点的に観察している状態。

色とは物理現象ですから、
物理現象がアルゴリズム的に見えたとしても、不自然ではないかなと。

禅支には尋、伺、喜、楽、一境性の五つがあります。
順当に瞑想が進んでいけば、喜や楽がでてくるはずなのです。
551神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 05:05:15.19 ID:5NAXSrJE
自我(より正確には五蘊のうちの想のことだと思いますが)が止まって
くるほどの集中ができているということは、それだけ強い尋と伺がある
わけですから、それを正しい対象に正しく向ければ、一気に瞑想が
進む可能性はあると思います。

尋とは、瞑想対象に心を向ける働き。
たとえば雑念に囚われていたことに気付いて、その度に膨らみ、縮み
に意識を戻す。その戻す働き。

伺とは、瞑想対象に向いた心を他に逸らさない働き。
雑念に持って行かれないよう、対象を見続ける、その集中の継続性。

これが、慣性の法則で動き続ける物体のように、意識が自動的に
瞑想対象にへばりつき続けるようになるまで続けていくと、次の段階
に進んでいけます。

そうなる頃には、身に喜を、心に楽を感じ始め、いつも雑念や妄想を
していた心が、その思考を止め始めるのを見るはずです。
552神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 05:13:45.83 ID:5NAXSrJE
かなりエスパーな回答をしてしまうとですね、
膨らみ、縮みを見ている時に、あれこれ解釈を挟まないことですね。
ただ単に見ていれば良いのです。
553神も仏も名無しさん:2014/06/22(日) 07:45:47.36 ID:YLteP/fL
>>550>>551>>552
丁寧なお返事とアドバイスに感謝致します。
ありがとうございます。

仰るとおり、心より身体と身体感覚の観察に重点を置いていました。
振り返ってみてハッとしました。
空虚で孤独な世界が広がっていたのですが、
5NAXSrJE様のお返事と、とても親切かつ丁寧な説明・アドバイスに心が救われる思いです。
今後に活かし精進していきたいと思います。
ありがとうございました!
554神も仏も名無しさん:2014/06/23(月) 09:30:03.49 ID:WIRWTA9V
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1402587209/686
> >> 684
> サマタとかヴィパッサナーが糞と言っているw
> 龍樹の「我に主張なし」で空を主張する矛盾は飲み込もうw
> だが、我はこう思う〜は間違いだと、「我はこう思う」という矛盾は飲み込めないw
>
> 己の姿を反省してモノを言えw

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1402587209/693
> >> 692
> だからサマタとヴィパッサナーに頼っている事自体が駄目なのだよw
>
> 外なる権威や倫理を頼まないが、「サマタとヴィパッサナー」だけは頼るのか?w
>
> 瞑想の価値は呼吸を整え心を落ち着ける事くらいなものだ。
> 瞑想による変性意識で悟りを〜なんてのはキチガイの世界で論外w
>
> 己を信じられないモノに救いは無い。自灯明とはそういう教え。

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1402587209/695
> 瞑想の変性意識に頼っていては自灯明の教えは無視と言う事だな。
> 人それぞれで、何を重要と思うかは違うからOKですよ〜w
555神も仏も名無しさん:2014/06/23(月) 10:54:56.99 ID:tfwp7XSD
ここは集中して己を観て己を修するためにやっている人が多いよ。
変性意識に頼る瞑想とは違う。
観て己を把握する。中には己の解析もやっている人もいる。
556神も仏も名無しさん:2014/06/23(月) 12:37:35.52 ID:WIRWTA9V
>>555
彼にはそういう区別はないよw
というか、前者を、行や瞑想、修行という単語で括っていない、
とでもいうのかな。

なんつーか、坊主憎けりゃ何とかまで・・みたいに、
「修行」「行」「瞑想」という概念自体を敵視してるからねぇ・・w
ざっくり言えば、仏教は理論の理解だけで良い、というスタンスだから。

薬物使用の疑いは通報対象と言ってたから、
このスレのことも通報してきたら?とアドバイスしといたんだが、どうしたかな?w
正義感振りかざしてたから、こっちに啓蒙しに来てるかと思ったけど、
まだ来てないみたいだね。
557神も仏も名無しさん:2014/06/23(月) 23:21:59.89 ID:HTz/YolJ
なんでわざわざこのスレに貼ったの?
558神も仏も名無しさん:2014/06/23(月) 23:47:38.02 ID:WIRWTA9V
>>557
掛け持ちしてる人もいるみたいだし、
こういう考え方の人物に対して、どういう言葉が可能かな、と思って。
ワシはもう、彼に対する言葉を使い切ったから、
縁なき衆生は度し難し、でいくしかないかな・・とw


もう、これで最後にするよ。
迷惑かけてすまなかった。  m(_ _)m
559神も仏も名無しさん:2014/06/24(火) 14:11:21.28 ID:4/cLewJx
争いごとがすきなんでしょ
560神も仏も名無しさん:2014/06/24(火) 19:59:59.02 ID:dE57rk5X
仏道修行者の基本姿勢は、常に四梵住。
悪に対して怒りを抱き、「正義の戦い」を挑むようなことはしない。

問題に巻き込まれないようにするには、戦うのではなく、離れる。関わらない。

関わるなら、何があっても四梵住。
誰に対しても慈悲喜捨。
561神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 00:23:40.16 ID:Un5VUH1E
観察していて気付いたのですが、気分って信号みたいなものですね。
脳から出るデジタル信号って感じ。
人間の感情って何なんだろうって思って、何だか肩の力が抜けました。
562神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 00:29:27.67 ID:sd7x2XCZ
順序は逆なのでは?
感情が脳を介して自己意識の表に現れる
のほうがしっくりくる
563神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 00:40:06.20 ID:Un5VUH1E
私もずっとそういう認識でした。
今回とらえたのは脳から信号が発せられてから、
感情と過去の思い出の様子が湧き上がる瞬間でして...
ちなみに、湧き上がった過去の思い出とは全然関係ない事をしていて、
その信号を感知するまではその過去を思い出すような脈絡は一切ありませんでした。
リアルタイムの出来事に対する感情だったら、562さんが仰る通りだと思います。
564神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 00:46:54.92 ID:sd7x2XCZ
それは一種の自分の人生に対する問いみたいなものですね…
565神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 00:52:01.33 ID:Un5VUH1E
>>564さん
頂いたレスもふまえて、観察を続けてみたいと思います。
ただ、のめり込まないように気を付けます。
566神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 05:28:33.91 ID:3vpsT/3e
感情ってのは未発達な意識のことでは? 
「この野郎」と思って蹴り飛ばしてスッキリする時には

「この野郎」  未発達な意識
「蹴り飛ばす」  はっきりした意識
「スッキリする」 これはつまりハッキリした意識で未発達な意識を一掃した
 したことによる効果
567神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 09:14:35.97 ID:z+/v1j95
>561
それって無我の認識に至ったと言う事じゃ無いのかい?
568神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 09:15:56.78 ID:z+/v1j95
気分に巻き込まれず、それから離れた場所に居れるようになっている
569神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 15:47:20.69 ID:QCGzE3hF
>>561
瞑想体験の解釈については、個人的に指導者にお話しされてみてください。
不特定多数の意見が交わるところで話すと、議論、混乱、論争の元になりかねません。
570神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 19:45:44.25 ID:Un5VUH1E
>>566
参考になりました。

>>567>>568
レスありがとうございます!

>>569
了解いたしました。気をつけます。
571神も仏も名無しさん:2014/06/26(木) 20:09:33.17 ID:waGmbQ4h
最終的には、本人がどれだけ手応え
を得たかどうかでわかるんじゃないだろうか

心の中はその本人しかわからないから
572神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 09:18:04.22 ID:mKNjm88L
脳波の「ノイズ」で、行動を数秒前に予測できる 2014.6.22 SUN
http://wired.jp/2014/06/22/free-discretion/

(本文)
何か決定を下すとき。それに先立つ数秒の間に脳で起きる偶発的な電気活動が、決定の内容と深い関係にあるよ
うだ。カリフォルニア大学デイヴィス校での研究が、そのことを証明している。

「自由意志」の存在に答えようとする試みは、何世紀もの間に多くの仮説を生んできた。しかしいま、この疑問
を神経科学の研究が解決するかもしれない。

「Journal of Cognitive Neuroscience」で発表されたカリフォルニア大学デイヴィス校のCenter for Mind an
d Brainの新しい研究は、まさにこの問題に向き合ったものだ。彼らの研究によれば、決定に先立つ数秒の間の
脳の偶発的な電気活動をもとに、自由な選択の結果──とくに、人間が視線の方向を決めるとき──を予測する
ことが可能だという。

実験において研究者たちは、被験者のグループをモニターの前に座らせた。モニター上には、ある特定の記号が
完全にランダムな間隔で画面の中心に現れる。そのたびに、被験者たちにはそれぞれ、自由に選択して視線を右
か左に移すように求めた。参加者たちがこの「自由意志のエクササイズ」に携わっている間に、研究者たちは、
脳波計を用いて彼らの脳の電気活動における通常の変動、つまり、ある種の「ノイズ」を記録した。

集めたデータを観察したところ、記号の出現に先立つ数秒の間に、被験者の脳がおかれている活動状態によって、
彼らが左右のどちらを見るか予測することが可能だった。記号は完全にランダムな間隔で画面上に現れていたの
で、参加者たちが事前に選択の準備をする余裕はない。

「記号が表示されるそのときに脳がどのような活動状態におかれているかが、人が右を見るか左を見るかを決定
しているのです」と、研究のコーディネイトを行ったカリフォルニア大学の研究者、ジェシー・ベングソンは確
言する。

では、自由意志は存在しないということだろうか。「選択」とは、無意識の生理的プロセスにすぎないのか? 
ベングソンによると、脳の電気活動の中で記録されている変動の、偶発的な性質から道が開けるかもしれない。
573神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 12:03:25.79 ID:Jjw46D0X
上座部仏教の修行や瞑想してる人で、結果が出て、他人にも太鼓判を押してお勧め出来るって人居ます?
(単に思想が素晴らしいというだけじゃなくて、修行でも結果が出てることも大切)

自分なりに瞑想はしてみるのですが、どうも形式立って「瞑想しよう」と思うとイライラしたり感情が
乱れたりして上手くいかないんです。自身は煩悩も沢山あるし、心は常に彷徨ってて集中出来ず、長続
きもしません。こんな感じですが、煩悩減っていって、瞑想も上達して行く道はあると思いますか?
574神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 13:57:21.32 ID:mKNjm88L
自分も
煩悩はいくらでもありますし、心はお猿さんですが
ちなみに

どんな瞑想方法をされているのですか?

形式立ってというニュアンスがよくわからないのですけど
575神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 13:59:38.14 ID:FDDSodY+
アナパナサティで「息を吸って全身に気づく、息を吐いて全身に気づく」ってあるけど、
息と体を同時に気づくことってできるの?
実況中継なんか挟もうものならどっちかしか集中できないはずなんだけど

それと息そのものから他への観察って全人類共通で発展するものなの?
576神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 14:31:37.25 ID:mKNjm88L
出来ませんか?同時に?

おそらく息をすることに対して、それを掴んでいませんか?

目標化するでもいうのか、力を込めてとでも言うか?失礼な事を言っているかと思いますけど

怒らないで下さいね。自分でも不思議なんですけど、なぜそうなっているのだろうって
577神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 15:51:30.38 ID:up2JBmm2
>>575
息を吸いながら、(その息の)全体に気付く。
息を吐きながら、(その息の)全体に気付く。

というのがミャンマー比丘の訳でした。
彼によると、(身体の)全体に気付くと訳している派と
(呼吸の)全体に気付くと訳している派とがあるそうです。

パオではサマタとしてのアナパナにおいて、呼吸なら呼吸だけの集中しますので
身体はみません。むしろ無視、スルーします。
578神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 15:53:17.18 ID:up2JBmm2
身体感覚等を観ていくのは、サマタ(アナパナ)で禅定に入れるようになった後。
ヴィパッサナーの過程でやります。
サマタの時に、集中対象をあちこちに動かすことはしません。
579神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 15:57:43.51 ID:up2JBmm2
>>573
結果がでるまで瞑想して、自分で確認するしかないと思いますよ。
仮に誰かがここで「太鼓判押します」と書いたところで、納得はできないのではありませんか。
580神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 17:14:22.28 ID:Jjw46D0X
>>574
ヴィバッサナーとかアナパナです
これらを普通にやろうとするのですが、どうも、自己の幸福追求に対する思いが強くて、その思い
が混ざるせいか、上手くいかないです

>>579
成功した人の話や、先行く人達の体験やアドバイス等を聞ければ、参考とか励みになると思いました
581神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 18:51:36.99 ID:ATs31+6v
CVTで頭を働かせるのは無駄なことです。
シルクの様にスムーズな60k走行を味わう。
減速時は50..40..30..とスムーズに
落ちていくスピードを味わう。
シルクの様な肌触りを楽しむのです。
582神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 20:36:48.90 ID:DnqsZ/vC
アナパナは、自分では今と言う事を感じる指標にしています。
吸っていると感じる(気づく)、吐いていると感じる(気づく)
当然思考が出てきて、飛びますが、またこの気づきに戻ってくる
ポイントとなっています。
今ここに居ると言う事が、重要なので、ここに戻ることだけを
しています。
583神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 22:08:15.20 ID:xWclwHnz
>>580

幸福追求に対する思いが強くて、どうしてアナパナやヴィパッサナーができないのですか?
584神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 22:15:19.35 ID:cOp8ijIv
>>582
>ここに戻ることだけをしています。

「今」に集中しようってこと?
「今」から意識を離さないように、ってこと?
585神も仏も名無しさん:2014/06/27(金) 23:02:56.80 ID:Jjw46D0X
>>583
純粋な信仰心とかじゃなく、エゴや煩悩が背景にある感情が混ざってくるんです
イライラしてきたりして、感情が乱れ、これでは本末転倒だという感じになるんです
586神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 00:40:35.59 ID:v8DrBXtY
>>585
本末転倒も何もなく、単にあなたがそういう存在であるってだけでは?
行を行わなければ、そのことにすらも気づけなかったのだから意味のあることのような気がする
587神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 01:29:02.88 ID:jIUup02c
>>576
どっちかしか意識できないのでは?
なんとなく全体を意識してるような気がするときがあっても心が錯覚してるだけでは?
パソコンしながら飯を食べるような、無意識のどっちつかずの印象

>>578
なるほど、あくまでサマタと割り切るのですね
ラリーカールトンの「呼吸による癒し」では
アナパナサティの順番付けは自然と発展していくプロセスとあったような
サマタだけでヴィパッサナーへと発展するのか疑問です

そもそも経典って一番古いのでもブッダの死後500年後くらい経ってからですよね?
説明が必要な時点で不完全な出来なんでしょうか?
パーリ後に通じている人のが真意をつかめるのでしょうか
588神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 02:00:01.01 ID:/TB6Q7qu
ゴエンカ氏式では、3日間だったかな?徹底的にアーナーパーナーサティをやった後に
ヴィパッサナー瞑想を始めるという流れですね。
アーナーパーナーサティに徹している時は、
何かを思い出したり何かが浮んでも
徹底的にスルーして意識を鼻下に戻し、
鼻孔を出入りする気息の観察に戻って続けているようです。

ゴエンカ氏式の瞑想合宿に参加された方のブログを参考に
アーナーパーナーサティから取り組むようにしましたが、
段々と気息が心を撫でてくれるように感じられます。
気息が心を包んでくれる時もありますよ。
589神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 06:03:37.05 ID:4owUTpmz
経典なんですが、どうもどこかの時点で、ジャンプするようなことが
必要じゃ無いかと思えるのです。
言語自体には、原理的に不完全な部分があるようで
でも言語化しないと、わからないし(話言葉にしてもそう)

でも何かあるという実感(これしかないんですけど)があります。

根拠は不明ですけど。(笑ってやって下さい。)
590神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 06:07:58.35 ID:4owUTpmz
気息が心をなでるとでもいうか、そうなんですよ  

安心のよりどころでもいうか、絶対安全安心静寂の島が今ここにあるとでもいうか

すべての事をこのこの部分で処理すればとでも言うか
591神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 06:32:04.51 ID:J1LajpNK
合宿に参加するのが一番早いですよ。
592神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 22:34:52.67 ID:FxhfHVrT
>>573
山下良道が指摘する上座部仏教の問題点の
典型ですね

煩悩・エゴ混じりの主体が煩悩・エゴを
押さえつけようとする(雲が雲を払いのけ
ようとする)自己撞着的な構図のため、
ほとんどの人は挫折すると

まずは雲を俯瞰的に眺める慈悲に満ちた
青空としてのもう一つの自己を立ち上げる
プロセスが必要ということになりますね
593神も仏も名無しさん:2014/06/28(土) 23:09:23.99 ID:u5fRAPKK
ヴィパッサナー至上主義の人でも
ある程度のとこまではマントラでやっちゃった方が楽だな。
マントラ瞑想から入るよろし。
594神も仏も名無しさん:2014/06/29(日) 01:36:03.71 ID:55tR9t9F
瞑想中に胸の周りを覆うように陶器のような
硬いノイズの殻のようなものを感じました。
でもその中に意識があるのを感じました。
タイマーが鳴って瞑想が終わった後は
その殻を叩き割って胸の中の意識に入っていきたいと強く思いましたね。
595神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 00:39:39.15 ID:wbWvkqX0
観察とは、あるがままを見ること。
あるがままを見るということは、そこに「何かをしよう、という自分がいない」ということ。
自分がいなければ、あるがままと一体になる。

川がただ流れている。
川の流れに手を加えず、ただあるがままに川の流れを見ていれば、
自分は川の流れと一体になる。
596神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 01:06:27.90 ID:YSUAtPKJ
>>595
仰る事分かります。
同意です。

実は、日中にもう何も考えられない程の絶望を味わったのですがが、
何も考えずに解釈もせずに、只あるがままを見ようとしました。
それによって、只あままを見る事が安息と癒しでもあるのだと気付きました。
無心になって空に浮ぶを雲をただ眺めるが如く、
内外のあるがままをただ観るという事の癒しを知りました。
言葉にし難い、静かなでも腹の底からの癒しと安息でした。
同時に、煩悩としての希望というものがあり、
その煩悩としての希望はまた苦でもあるのだと気付きました。
597神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 02:05:55.02 ID:YSUAtPKJ
語弊もあったかもしれないので、付け加えます。
595の私の文章だと消極的な受動の印象を
持たれる方もいらっしゃると思ったので。

あるがままを只見ているうちに癒されてきて
心が現実世界に戻ります。
その戻る際と戻った後に色々気付く事があって、
その気付いた事を今後の現実生活において役立てることも可能だと思います。
598神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 03:01:03.74 ID:YSUAtPKJ
597の訂正です
×595
○596
595さん、申し訳ございませんでした。
599神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 05:50:38.26 ID:CnwffX4L
青山元不動 浮雲飛去来
600神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 10:15:24.96 ID:iQvJOlWE
考えられないほどの絶望ってなんだろうな・・・
601神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 18:05:11.99 ID:TM0F9j/6
エックハルト・トールかな
602神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 21:48:22.72 ID:Xeqsad+b
瞑想とは五感で世界の変化を感じ取ることではないかな?
五感で変化を感じ取ると、その刹那、自分が変わる。五感で感じたことでその変化を自分が体感する。
自分はあれこれと、捉われたり、悲しんだり、喜んだりして、あたかも「私」が存在し、「私」が何かを目指しているかのように感じる。
ところが、冷静に考えると「ある」と信じている「私」は、ただ五感で感じているだけだと知る。
人間は、変わることで悩み苦しむ。人間は変わらないことで悩み苦しむ。
その苦しみの根源は、永久不滅の「私」がいると信じているからだ。ところが、瞑想をして自分はただ五感による世界の変化を知ることで、自分が変わっているだけだと分かると、苦しみはなくなる。
意外なことだが、「愛」すらも自分を縛る框であることを知る。
世界は一瞬一瞬、変化し続ける。何かの目的があるのではなく、ただ変化するだけだ。
自分自身もそうだ。ただ変化を続けるのみである。
世界は無常である。無常の連鎖である。
人は「生きるために生き、時が来れば滅する」だけである。
603神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 22:07:24.28 ID:Xeqsad+b
世界は一瞬で変化している。自分自身も一瞬の間に変化している。
言い換えると、二度と同じ世界、同じ自分はこの世にはいない。仏陀はこれを「無常」と言った。
素粒子は光の速度で動き回り、物質を変化させ続けている。それは山だろうと川だろうと草木だろうと一緒である。
人間の「心」と言われている悲喜こもごもの変化もそうで、一瞬たりとも同じ場所にはいない。
「心」も所詮は脳細胞のイタズラ、錯覚でしかない。
神も人間の創造物である。霊界も魂も全てそうだ。絶え間ない命の連鎖があるだけで、儚い脆い「私」は絶対的な完全体の「何か」に縋っているだけである。
世界は無常である。無常の連鎖である。
人は「生きるために生き、時が来れば滅する」だけである。
604神も仏も名無しさん:2014/06/30(月) 22:28:41.38 ID:Xeqsad+b
世界と自分の変化には、当然ながら突発的な変化は起きない。
少なくとも僅かな時間的な間隔での変化を読み取ることは可能である。
他人に対しても、この現象世界に対しても、「自分」は何かの影響を与えている。
だからこそ、「無常」が分かると「自分」が意図的に起こす変化が、世界に影響を与えていることが分かる。
仏教的(仏陀的)な悟りが分かると、悪いことをする気が起こらなくなる。
逆を言えば、可能な限り想像できる「現象世界」の中で、「無常」に身を委ねながらより良く生きようと思うのではないか?
世界は無常である。無常の連鎖である。
人は「生きるために生き、時が来れば滅する」だけである。
605神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 02:35:13.17 ID:rt3dUqhx
身体の感覚はいつもあるし目にも見えるから
「私はこの身体」って制限から抜け出せないよね
606神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 07:12:14.53 ID:7ri/0SMS
 あるがままに見るなんて不可能だよ。仏教的に見ているに過ぎない。
607神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 07:49:52.62 ID:wWCusbyA
「あるがままに」じゃなくて「あるががままを」だよ。
「に」と「を」の違いで観方が全然変わるよ。
そこで躓いている人が多い気がする。
608602:2014/07/01(火) 13:01:12.23 ID:2bWmuv3b
瞑想の時、何を見つめればいいか?
「私のこの身体」が触れている場所(間隔)を観察する。ところが、同時に二つのことを人間は感じることが出来ない。
椅子に触れているお尻の感覚と、テレビを見ている瞳から入ってくる映像的な情報を同時に自覚することは出来ない。
仕事の悩みと恋愛の悩みを同時に悩むことは出来ない。これは、自分(名目上の・・・)を客観的に観察すれば分かることだ。
人間は、自分以外の情報を受け取る場合、五感で感じ取ることしか出来ない。
そこに絶対的な永久不滅の変化しない「私」があるという誤解した状態で外部の情報を受け取り、永久不滅の変わらない自分の価値観や感性で見つめ、捉え、判断するから間違うのだ。
変化し続ける現象世界を見つめるということは、その外部の変化を知り変化する自分自身を見つめるということだ。
あるがままを見るというのは、物凄く客観的に自分自身の瞬間的な変化を発見するということなのだ。
現象世界が変化する→その変化を捉える→知る・・・これだけだ。
「それが何?」と問い返す人は、仏陀の言う「全ては無常である」を知ることは出来ない。
「全ては無常である」が分からないと、というか発見できないと、どこまでもある筈も無い「私」に捉われた「苦」から逃れることは出来ない。
無常を知ることは、決して退廃的な投げやりな人生を送ることではない。
無常を知り、このあると信じている「私」は無いのだ、全ては現われては消える(生じては滅する)変化に過ぎないのだと知れば、これほどの幸福は無い。
無常の瞬間が分かると、時間的な間隔が無くなる。普通の人の一秒が一秒ではなくなる。
ただし、物理的な一秒が変化するということではない。グリニッジ天文台から発信されるセシウム振動子に基づいた一秒はどこまでもただの一秒だ。
無常の瞬間を発見すると、全てが変わる。
世界は無常である。無常の連鎖である。
人は「生きるために生き、時が来れば滅する」だけである。
609602:2014/07/01(火) 13:15:44.79 ID:2bWmuv3b
『天上天下唯我独尊』と、生まれたばかりの釈尊が言ったわけではない。それはただの伝承である。
「世界は無常である」ということを知る、分かることは、実はとても孤独なことで、釈尊はそれを『天上天下唯我独尊』と言ったのだ。
それが何故、人々を幸福に導き、「苦」から脱却できる唯一の手段であるかが分かってしまうことで、その目でこの苦の娑婆を見つめると、何とかしてあげたいと思う。
ところが、その「私」に捉われ「苦」にさいなまれている人々には、「世界は無常である」と説いても、糠に釘なのだ。
釈尊は「諸行無常」を悟って、「全ての仕事を成し終えた」と言った。
悟った自分自身にとってはそれで良い。肉体を持った状態で涅槃を経験したので、あとは時が来て滅するだけだ。
釈尊にとってはそれでいいのだが、何せ史上初めて『仏陀』が現れたのだから、世間が黙っていない、ということで仏教教団が生まれたのだ。
610神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 17:50:24.28 ID:r8wQWuMm
こっくり必死
611神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 20:00:26.11 ID:rt3dUqhx
慈悲深い人は震災で自分のものほとんど投げ打ったんだろうなぁ
御託並べる奴よりよほど実践的だよなぁ
612神も仏も名無しさん:2014/07/01(火) 22:55:12.95 ID:sXtz/ND9
>>611
殆ど擲って、社員や家族を路頭に迷わせろ、と?
613602:2014/07/02(水) 11:57:42.19 ID:SCcbj5S1
人間は脆く儚い。殊にあるはずのない「私」に捉われていると、「苦」の娑婆から抜け出せない。
無常を悟ることは、とても孤独なことだ。
無常を語ることは、とても難しい。
ただ無常を悟った時の幸福感は何ものにも例えようのない幸福である。
無常を悟った人は強い。誰よりも人として強い人である。
何ものにも頼らず、奢らず、高ぶらず、蔑まずあるがままである。
無常を悟ると、縁起が分かる。縁起が分かると、因果が見えてくる。
少なくとも自分に対してそれが分かるだけで、人間は幸福になれる。
別に世界の因果や縁起が見えなくとも、この世界と自分は無常であると悟るだけで、よりよく「生きるために生きる」道が分かる。
誰もが永久不滅の「私」がいて、自分は正しいと思い込んでいる。
その思い込みが自分の人生を煩悩まみれにしていることに気づいていない。
ポアなどという思想に縋ったどこかのカルトは、仏陀の悟りを貶めている。
「勝利」と叫び続ける日本最大のカルトにしても、仏陀の悟りに至ることはない。
誠に残念だが、神も仏もいないのだ。霊界など存在すらしていない。
存在しているとすれば、「存在している」と信じている脳の中だけだ。
614神も仏も名無しさん:2014/07/02(水) 14:36:59.03 ID:qwJZSFLY
何か仏教関連のスレって独り言が多いね

匿名掲示板で悟りすましたこと書いても
滑稽過ぎて誰も読まねーつーのw
615602:2014/07/03(木) 11:02:32.44 ID:CR/XF6Rm
匿名だから書くのだよ。
仮に自分が有名になりたい、金儲けをしたいと思えば、さっさと宗教団体を立ち上げて、その道に向かうだろう?
「悟り」などというものは、自分ではよく分からないものだ。
ただ、何かの真実に触れた瞬間の感動があるだけで、それをどう表現してよいか分からない。
これは一体、何なんだ?という疑問だけだ。
そして、束の間の虚無感に襲われる。どう表現してよいか、誰に訴えてよいか、途方に暮れる。
しかし、どう反証してもそれ以外に答えが無いと分かると、その真実を否定しようがないことも分かる。
2chなど、いい加減な人間の集まりと言えばそれまでだが、匿名であるからこそ、真実を開示することも可能だ。
誰でもいい。一人でいいから、この真実に触れてくれれば、それでいいのだ。
仏陀の言うように、世の中の多くの人々は「無明」である。
自分の廻りを見つめればよく分かる。皆、「自分」に捉われ苦しむのだ。
自分を肯定してくれなくて苦しむ。自分を否定されて苦しむ。自分の望む変化が起こらなくて苦しむ。自分の望まない変化が起きて苦しむ。
その自らが生み出す「苦」或いは「煩悩」を、仏陀は「輪廻転生」と言ったのだ。
「全ては無常」であると「知る」、ただそれだけで、人は幸福になれるのだ。
最初から永久不滅の「私」は無いのだ。
616神も仏も名無しさん:2014/07/03(木) 11:19:04.42 ID:uew+/sqX
違うだろ
実名で書く自信が無いから、こんな匿名掲示板の
マイナーなスレで長文書いてオナニーしてる
んだろ

その程度の自己分析もできないカスが悟り
云々を言っちゃあかんよw
617602:2014/07/03(木) 17:30:31.22 ID:CR/XF6Rm
www
それを自意識という。
過剰になってはいけないね。
それと、オナニー云々と言うが、いちゃもんをつけるとは君も余程、暇なのだろ?
お互い、暇人同士で良いではないか。
カスというが、皮かぶりのご自身の大事な場所を眺めると良かろう。
たっぷり、そのカスとやらが溜まってないか?
それが自意識の物質化したものだよ。
実名を公表すれば自信があるとか無いとか、2chではよく聞くセリフだな。
そんなことはどうでも良い。
事実か否か。真理か否かが大事だね。

がんばってください。
618神も仏も名無しさん:2014/07/03(木) 21:23:14.12 ID:WIrlTJpQ
過去は過ぎ去りもう無い。
未来は未だ来たらずまだ無い。
619神も仏も名無しさん:2014/07/03(木) 22:01:53.03 ID:uew+/sqX
>>617
図星突かれて発狂し過ぎだろw

まあそんなにメンタル弱いから匿名掲示板で
悟り長文オナニーしてるんだろうけどさ
620602:2014/07/03(木) 22:28:55.38 ID:CR/XF6Rm
人は生きていると随分と腹を立てることばかりだ。
しかしよく考えてみると、その中身の殆どは変わることに腹を立て、変わらないことに腹を立てているに過ぎない。
それは傲慢で不遜なことなのだ。変わらない永久不滅の「私」が強すぎて、自分以外のことに関心し過ぎるのだ。
そして、智恵無き弱い自分は、次の瞬間に全く別の、どうでもいいことに腹を立てている。
人間とは全く忙しい生き物である。
仏陀はそれを「無明」と言った。
ご自身の「無明」を知らず、人様についてはあれこれと言う。
それでも地球は周り続け、川は流れ続けていることに気づいてはいない。
ご自分だけが「無明」という暗黒の中でもがいているのだ。
真の強者とは、他人に迷惑をかけず、自分のことは自分でやり、人のために「生きるために生きている」人を言う。
それでも弱き者どもは、未完成の自分を補いたいという欲求から、完全なる「神」や手の届かない「霊界」「魂」を、勝手に想像しているだけだ。
人間の浅はかな智恵でどうがんばっても、世界はただ変化し続けているだけである。
世界は無常なのだ。
621神も仏も名無しさん:2014/07/03(木) 23:07:24.13 ID:uew+/sqX
>>620
匿名掲示板で図星突かれて涙目長文書いちゃう
君が何言っても説得力無いんだよなぁ

自分を客観的に見てごらん
PCの前に座って匿名掲示板に必死に長文書いてる
自分の姿を鏡で見てみるといい

そこにあるのは不安と煩悩と執着、そして
現実逃避だけ

その程度の自覚も無いんじゃ仏教語っちゃ
駄目だよw
622602:2014/07/04(金) 00:00:48.35 ID:1LBxS1Qo
弱き者よ。
浅はかな智恵に縛られる「我」の人よ。
心は千路に乱れるだろうが、迷いの中にある自分を発見したらどうだ?
学問としての仏教を完成された哲学と見るのは、浅学の極みである。
仏陀は、心優しき人は、これ以外には何もありませんよ。ご自分で発見されたらどうですか?と語りかけているだけだ。
もっと言えば、発見することは誰にでも出来るが、それを「悟る」ことは容易ではない。
この真理をして世の中を見た時の孤独感は言いようが無い。同時に悲哀も例えようが無い。
人は脆く儚いのだ。泡沫のようなものである。現われては消えるだけだ。
誰もが「私」という不確実な何かに縋っているのだ。
その「私」が悲喜こもごもを経験すると、「人」や「人生」の何たるかを思うだけだ。
仏陀は愛すらも煩悩と言った。仏陀の悟りは感情ではない。不変な真理を体得することだ。
623神も仏も名無しさん:2014/07/04(金) 01:04:18.45 ID:eJztj0nK
以上、デブオタニートの戯言でした
624神も仏も名無しさん:2014/07/04(金) 05:45:26.13 ID:MmLaM11s
仏教スレからホモがいなくなればこんなに荒れんのにな
欲求不満ホモ2chで三毒垂れ流し
625神も仏も名無しさん:2014/07/04(金) 08:23:01.95 ID:ltIU19hM
スマナサーラさんの教え方って、自分の場合は集中させかたが強引過ぎて
落ち着きより苛立ちが生まれるよ。
あまり、唯一の方法だとか、あちこちの瞑想をまわって比較する人は迷惑だとか
力説しない方がいいのにね。
まわりを見渡して、比較したりする余裕も落ち着きのひとつだから。

一時期、協会の人がイライラして人のあら探しするタイプが
多かったのは、この指導法に無理してなじもうとしたからじゃないのかな。
626神も仏も名無しさん:2014/07/04(金) 08:25:11.71 ID:ltIU19hM
スマナサーラさんの教え方って、自分の場合は集中させかたが強引過ぎて
落ち着きより苛立ちが生まれるよ。
あまり、唯一の方法だとか、あちこちの瞑想をまわって比較する人は迷惑だとか
力説しない方がいいのにね。
まわりを見渡して、比較したりする余裕も落ち着きのひとつだから。

一時期、協会の人がイライラして人のあら探しするタイプが
多かったのは、この指導法に無理してなじもうとしたからじゃないのかな。
627神も仏も名無しさん:2014/07/04(金) 13:36:33.20 ID:eJztj0nK
山下んとこの一法庵にでも行っとけよ
628神も仏も名無しさん:2014/07/04(金) 19:02:25.27 ID:x1luU0NE
>>619
貴方はなぜ、実名で書き込まれないのですか?
629神も仏も名無しさん:2014/07/04(金) 20:42:41.42 ID:eJztj0nK
悟り長文オナニーする気無いからに
決まってんじゃん
そんなことも分からんの?根本的にアホなんだね
630神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 00:56:49.31 ID:+8to8sA5
>>629
長文オナニー関係なく、
『自分の発言に自信があれば』実名やコテを使うべき、
としか>>616は読めませんが?
631神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 01:23:14.57 ID:SSuOuMya
おまえはどこまでアホなんだw
長文書きたい主張があるなら、こんな匿名掲示板
に書き込まず、ブログやサイト作って実名で書く
2chなんて信用0のただの雑談所だからな

それができずにこんな匿名掲示板で匿名のまま
悟り長文書き続けてる奴なんてのは、実名で
主張するだけの自信も勇気も無いけど、誰かに
自分の悟りを見てもらいたいっていう自己顕示欲
だけが先走ってるカス以外いねーだろ
632神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 02:16:34.03 ID:+8to8sA5
さて・・・
>>631が長文か短文か、主張かそうでないか、
他の住人に判断して貰いましょうかw

つか、その態度、滑稽で見苦しいわw
633神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 03:08:41.79 ID:SSuOuMya
悟りうんぬんについての長文だって
何度も書いてるだろ

俺はそんなもん一度も書いたこと無いわw

図星突かれて涙目なのは分かるけど
そうやって必死に食らいついてる時点で
自滅してることに気付けよw
634神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 05:12:05.29 ID:METFMn56
ここは現代の永平寺僧堂じゃねえんだ
虐めを極めるならよそいってくんろ
635神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 07:50:12.76 ID:cwhO5AB6
         (   (
        ( (   (. )
         . -‐ ) ‐- .
       .´,.::::;;:... . . _  `.
       i ヾ<:;_   _,.ン |
       l      ̄...:;:彡|
        }  . . ...::::;:;;;;;彡{
       i   . . ...:::;;;;;彡|∧_∧
       }   . .....:::;::;:;;;;彡{´・ω・`) お茶飲んでマターリしましょ
         !,    . .:.::;:;;;彡   と:.......
        ト ,  . ..,:;:;:;=:彳:―u'::::::::::::::::::::::::::..
        ヽ、.. ....::::::;;;ジ.::::::::::::::::::::::
636神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 09:45:26.06 ID:+8to8sA5


>>633
『悟り云々といった内容の長文は、実名・コテでレスされるべき』
という命題に必然性は無いよね。

「昨日行ったコンサートが良かった」ということを長文で書いても、
「お釈迦さんのお悟りは云々」ということを長文で書いても、何の差異も無い。
寧ろ、「このスレ」的には、後者こそがテーマに適うもので、前者こそがスレチだったりする。

ま、畢竟
「今日、クレーンゲームでふなっしーのぬいぐるみを取った゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚」という呟きも、
スッタニパータにはこうあって、中阿含の○○にはこうあって、中村元はこう解説してて・・云々」
と語っても同じことなんだけどね・・。
どちらも投下なレスであるのが、こうした掲示板の特徴であり、それを利用しているわけだ。

複数人で議論が錯綜してくれば、便宜上互いに名前欄を埋めることもあり得るが、
ID出る板ならIDで十分だし。  つか、君は2chに向いてないんだと思うよ。
ID(やレス内容)も見えてないようだしw   ワシのこと、ほかの誰かと混同してるよ。
637神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 11:08:41.91 ID:SSuOuMya
必死になり過ぎw
長文オナニーたしなめられて発狂するって
おまえ小学生かよ
638神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 11:56:03.00 ID:+8to8sA5
639神も仏も名無しさん:2014/07/05(土) 13:22:35.48 ID:SSuOuMya
それにしてもこの板はすごいな
自称仏陀がそこかしこにおるね
アホおちょくって暇潰すにはちょうどええわ
640神も仏も名無しさん:2014/07/06(日) 15:07:06.39 ID:z2Q/FGno
文句あるなら俺のブログで相手してやんよ
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin
641神も仏も名無しさん:2014/07/08(火) 19:59:43.26 ID:9sFJAgIA
阿那波那念は呼吸に繋念するものであって、お腹の膨らみや縮み、鼻端に繋念するのは明らかに身念住に固定化してしまうのでそのさきの受・心・法の観察には進めなくなる
それよりも呼吸に確実に集中するためにも、数息観を練習した方がいいだろ
642神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 05:59:00.12 ID:iHFUbE+i
自分では鼻端の状態を注視していくことで、心と体の関係が
よく見えるようになったよ

息が出て行く、息が入っていくんだけど、よくよく観ていると
どうもそれだけなんだけど、それだけじゃない

なんとも説明しにくいんだけど
643神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 14:19:53.09 ID:sA0kmiub
息に任せてりゃいいからストレス感じたときとか楽になる
644神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 20:24:08.70 ID:iHFUbE+i
安全の島

息を吸いながら 内なる島に帰る
美しい木々が茂る島
涼やかなせせらぎが走り
鳥と 陽光と さわやかな空気の満ちる島
息を吐きながら 安らぎを感じる

テックナットハン
645神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 00:58:48.10 ID:qXS9XtJB
八正道

正見 (四聖諦に則したものの見方、考え方)
正思惟 (慈悲喜捨に基づいた考え方、感じ方)
正語、正業、正命 (身口意において戒を護ること)
正精進 (戒・定・慧の修行に精励すること)
正念 (サンマーサティ。瞑想対象、観察対象を忘れないこと。)
正定 (三昧。禅定。サンマーサマーディ。)

サマーディの力によって如実知見が生じる(悟り)。
如実知見(悟り)によって遠離、離貪が生じる。
遠離、離貪によって解脱する。
646神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 09:50:19.25 ID:YWemOEej
しかし変な話なんだが、息を観ている、息に身を任せてるようにすることで

安全の島で書かれてあるような事が、実感できるとは

普通では考えられない

だから困っている。説明が付かない

安全の島はあるからとわかっているから
647神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 14:11:44.02 ID:JNG+OGZ4
阿那波那念では、始めに覚知するのは長い息風で次に短かい息風を覚知するものであるが
次の身体の微細な息風を覚知する段階になるといわゆる鼻腔の息風は止んで全身の毛根からの微細な息風を覚知するわけだが
いわゆる鼻端だの腹の膨らみ縮みに執着していては奥深い阿那波那念はたいけんできないあだろうし、まったく仏陀の教説からかけはなれた邪教の範疇であろうよ。
648神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 15:58:24.53 ID:1cKem8FL
>>647
パオのHPはご覧になった事はありますか?

それから、ここの人たちがアーナーパーナーサティに取り組む際、
鼻端の動きや触覚的な感覚を重視しているように捉えてませんか?
また、単純に鼻端に意識を置く事だけしか考えていないと思っていませんか?
もしもそうだとしたら誤解ですよ。

ここの人達も取り組んでいる、アーナーパーナーサティでは感覚は観察の対象外です。
入出息の際の鼻孔表面の感覚を対象とするのは、四界分別観瞑想の方です。
アーナーパーナーサティとはまた違う瞑想法になってきます。

それから、アーナーパーナサティだけに取り組んでいる訳ではないですよ。
その後にヴィパッサナー瞑想を行っている人達もいます。
ただ、流派によってヴィパッサナー瞑想もやり方が違いますけどね。
649神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 17:21:49.31 ID:i6GXtXpf
かれらも仏典にも書かれてない、自説だと認めていますが
650神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 17:41:15.02 ID:1cKem8FL
>>650
具体的にどの事柄が自説なのか分かりますか?

パオのHPに掲載されている比丘の方達の法話は、
具体的な仏典が挙げられ、そこから引用されている文章も多いですよね。
指導内容のどんな事柄が自説によるもので、
仏典を根拠に代々指導がされている事柄はどんな事なのか、整理する必要があると思いまして。
651神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 18:01:34.81 ID:i6GXtXpf
ここはパオのスレじゃねーし
阿那波那念で呼吸に集中するのに、呼吸に集中すると光が見えてその光を意識するようにとか
まぁクソみたいなパオの瞑想やってろよ
652神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 18:08:05.18 ID:1cKem8FL
>>651
アーナーパーナーサティしかやっていない訳ではないですよ。
呼吸に集中する時間を設けた後は、
ゴエンカ氏式を参考に観察やっています。
653神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 18:55:31.07 ID:6K1tAE21
なぜ仏典をそのまま読まないの、仏典には
息入る時、息入るを知る
息出ずる時、息出ずるを知る

息入ること長き時、息入ること長きを知る
息出ずること長き時、息出ずること長きを知る

息入ること短かい時、息入ること短かきことを知る
息出ずること短かい時、息出ずること短かきことを知る

息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る

息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る
ここまでが身念住だが、仏典に書いている通り修行すればもっと先にいけるぞ
これ読んでなに書いてあるかわからないならそれまでだ
654神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 19:14:18.00 ID:qXS9XtJB
マハシもゴエンカもパオも、大念住経に基づいて修行していることに
変わりはない。

マハシでも、本当に意識が一点に集中してくれば、つまり禅支として
一境性が出てくれば、ウパチャーラ・サマーディ(近行定)や、カニカ・
サマーディ(瞬間定)には入ってしまう。
マハシでも、そういう体験談を見聞きするはず。

このことは、スマナサーラさんも一来果以上は瞑想しないと行けない
という話の中でサラリと説明している。
瞑想が三昧の域に達していない人に言っても、迷信との違いが区別
できないから、直接的な表現は避けているのだろう。
(参考>>527-528

光が見えるのではなくて、サマタにおいて、集中対象の本質を見抜く
だけの集中力が備わると、観察対象が光として知覚されるようになる
ということであって、「光が見える」のとは違う。
「見え方が光に変わる」という方が近い。
655神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 19:20:23.26 ID:jZLOSso9
光を持ち出している時点で、話にならんわ
656神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 19:20:24.67 ID:qXS9XtJB
マハシのヴィパッサナーは、瞬間定(サマタ)と観瞑想(ヴィパッサナー)を
ひとつながりのメソッドで修行し、そのふたつの間を細かく行き来するやり方。
サマタでサマーディに入れない人、在家の人でもヴィパッサナー的なことは出来る。

パオのやり方は、サマタをサマーディのレベルにしてからヴィパッサナーをやる
という方法。
サマーディに入れるのは、よほど才能があって、環境も整っている修行者か
あるいは一時的にせよ出家して修行に専念できる人に限られる。
657神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 19:22:30.62 ID:qXS9XtJB
>>655
迷信的な瞑想を警戒する気持ちはよくわかる。
経典通り、五蓋を抑制し、禅支によって正定に入ることを目指せば良い。
その時、何が起こるかは自分で確かめればいい。
658神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 19:26:41.36 ID:qXS9XtJB
三昧に達した時、修行者は肉体の感覚を忘れ、思考も停止している。
にも関わらず、心は瞑想対象に集中して禅定に入っている。

こういう経験を通して、心というものが、脳の中に収まるような小さなもの
ではなく、電気信号や脳内物質のような物質的なものに収まるようなもの
でもないことを知る。
経験的、体験的に知る。

そこで初めて輪廻転生や、肉体が死んでも回転し続ける心は消えないこと
が分かる。

それは、天動説を信じ、地球が平らだと思っていた人が
宇宙船から丸い地球を見るような体験で、認識の一大転換を引き起こす。
そうならざるを得ない。
659神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 19:30:22.64 ID:1cKem8FL
>>653
誰宛の書き込みか確認しても良いですか?

ちなみに、650の私の書き込みは、
649さんに情報ソースを求めるような意図です。
660神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 19:38:45.32 ID:MT8vrzrD
>>659
おめーだよ
661神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 19:54:28.95 ID:1cKem8FL
>>660
653さんですか?
662神も仏も名無しさん:2014/07/10(木) 20:00:05.73 ID:MT8vrzrD
>>661
スマホで書き込みしてるけど、IP変わっちゃうんだよね
お前も修行頑張れよ、っと
663神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 04:31:44.25 ID:ex3Uu4Sw
>658
 輪廻転生なんて科学的には当たり前のことだろ。なんでいまさら。種が保存
される限り輪廻転生している。
 でせまーい意味での輪廻転生のよなもの。つまり呼吸を整えることで感じられる
ような狭い意味でのね。それを知ることの意味ってなんなの?
664神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 05:47:57.70 ID:+wDA2xDG
>>663
>種が保存される限り輪廻転生している

心が無明と渇愛から離れない限り、輪廻から解脱することはできない。
無色界の梵天は、物理的な身体を持っていない。
665神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 14:39:54.36 ID:/6Nsjhcn
テーラワーダ系の阿那波那念関連の経典の日本語翻訳はまったくのでたらめであり支離滅裂で真実とはかけ離れている
666神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 16:32:37.12 ID:cZnnVWTR
釈迦以来の正統な修行は、パオでしか
体験できないよ
667神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 21:57:48.07 ID:b5T+n481
>>651
小学校ではひらがなしか教えないのか?
と文句を言っているようにしか見えませんが?
668神も仏も名無しさん:2014/07/11(金) 22:00:47.29 ID:b5T+n481
>>665
では、貴方が訳したら良いと思いますよ。

訳が出鱈目だと判断できるということは、貴方自身は翻訳できているということに他なりませんから。
669神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 01:24:15.11 ID:y7fdCHBI
最近、お客さんが増えたわね。
670神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 11:53:54.77 ID:70c/FzsV
>>668
英語のスペシャリストかもしれんよ
>>665氏の素晴らしい重訳に期待w
671神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 17:36:42.75 ID:dmFRN5ny
なんで英語ンゴwww
672神も仏も名無しさん:2014/07/12(土) 18:38:44.29 ID:wi9ReNB3
別にパーリ大蔵経や南伝大蔵経は否定してないからな、それと比較してテーラワーダ系の阿那波那念関連の日本語訳はでたらめで、それを比較してでたらめぶりや修行のやり方の偽造がわからないならそれは仕方がないな。
673神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 15:03:44.17 ID:XN/gSK4L
阿那波那念は呼吸の息が所縁の対象なのに、なぜ腹の膨らみ縮め、鼻端、ミニッタにズレてしまうのか教えてれ
ヴィパッサナーの瞑想は経典に出てくる身念住の変形で本来は身体の動きの現在的な認識で、それを偽造してむりやり阿那波那念に持ち込んだものだぞ
674神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 16:25:45.79 ID:qHOD557M
>>673
アーナーパーナで腹の膨らみ縮みは観察しない

>鼻端
呼吸の息を所縁とする時に、鼻端等の感受なしに、どうやって息そのものを認識するのかな?

一回その間違った経典翻訳とやらの具体例をあげてくれよ
675神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 16:43:23.08 ID:bwKetYRV
呼吸を覚知するのに何で鼻端が必要なんだ、はっきりいって呼吸を覚知するのが本質であって、自身が呼吸を実感するなら横隔膜の動きだろうが、腹の膨らみ、縮みだろうがた構わないんだよ
でもそれが適用されるのは身念住のことであって、受・心・法念住では身体のことは一切、粗末なことでありそこでも鼻端だ腹の膨らみ、縮みだといってるのは、理解できないことだな
676神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 19:40:57.61 ID:qHOD557M
けっきょく経典翻訳は関係ないじゃん
677神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 19:44:00.47 ID:IdgFCR6N
くだらんあげ足取りに付き合う馬鹿じゃないわ
678神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 19:44:11.54 ID:cVzNxXgS
正確な仏教を知りたければパオ一択
679神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 19:47:49.65 ID:e3UWQoOD
69 :神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 08:41:39.32 ID:QIh5P2++
李氏朝鮮王朝は土地を国有化し、住む土地が簡単には与えられなかったため、
国民は路上や空き地を不法占拠して粗末な掘立小屋を建てて住んだが、
糞便を処理せず、不潔を極めた。
彼らは悪臭を気にせず、糞尿まみれの生活を当たり前と考え、見てくれに良いと信じて、
「小便」で顔を洗い、「人糞」を結核の特効薬として食べた。

李氏王朝の役人(両班)など有力者は、自分の労働を嫌い、国民を奴隷として酷使した。
国民は結婚したくても、毎年多くの若い女性が中国へ献上されるために取り上げられたので、
適齢の女性が不足し、その性的欲求解決のため、密かに「試し腹」の風習ができ、
李氏王朝が崩壊するまで継続して、親族間の近親相姦に明け暮れた。

英国人が、何故人糞まみれになって汚い暮らしをしているのかと聞くと
「清に責められたとき身を守るためわざと汚くしている」だと言った。
 
 
【東亜日報】調査結果に愕然、韓国人の71.2%が人格障害
20歳男性の45%が対人関係障害の可能性
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2003021117138
680神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 19:57:31.26 ID:qHOD557M
>>677
IDコロコロ変えるし変なやつだな君
681神も仏も名無しさん:2014/07/13(日) 20:02:43.03 ID:Lg7vQ2+5
口調を変えても尻尾は出るものだね
682神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 00:46:20.07 ID:PjWOXCnY
まず該当箇所の原文をパーリ語で提示して下さい。
683神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 03:08:39.91 ID:YPSzm20D
動作を意識しようとすると、意識が動作に影響を与えてしまって、
動作がギコチなくなる。意識と動作が上手くかみ合わなくなる。

意識を後だしにして、動作を先行させる・・・ 先行した動作をただ意識する(起こったことをただ見つめる)
のが正しいような気がするけど、どうしても、意識が動作に影響を与えてしまうのは否めない。
茶道のように、やはり意識と動作が絡み合った状態が正しいのか・・、とも思える。
ここをちょっと探求する必要があるな。
684神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 08:05:13.92 ID:rOcPTQZ6
自分は、どうも思考というのは、動作が作り出したものじゃないかと思っています。
だから、体を観ることで、思考が落ちやすくなる用に思います。

どうも自由意思というものは、無いようで意識が生起するまえに、身体が
動き出しているという脳研究も出てきています。
685神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 16:44:45.78 ID:0e6g0x2a
>>684
>自分は、どうも思考というのは、動作が作り出したものじゃないかと思っています。
>だから、体を観ることで、思考が落ちやすくなる用に思います。

縁起。
瞑想で縁起を断つように、それ以上促進しないように、してるから、煩悩や思考とかが落ちてくる
のではないでしょうか?
686神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 16:53:59.07 ID:hUMSEvZ+
やっばり仏陀も言ってるように、自灯明、法灯明だろ
それ以外の他人に自分を投げ出して、それなりの安定感で自己満足して、凝り固まってるテーラーワーダやパオのやからに幸福なんてやってこないだろ、仏陀を利用した真実から、かけ離れた善意を利用した悟りを得たと言えない、凡夫に従っているだけだろ
お前らは、まずは時間がかかるが、自分でかんがえろよ
687神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 18:08:50.40 ID:6N0KMNyh
お前らはクソだと言うことが確定したな、なぜテーラワーダやパオが正統だと、仏典に則って正統だと言えないのか、結局言葉尻をごだごだ言ってそれらしく、自分のひよわな
自己を正当性しているだけだろ
688神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 18:14:48.27 ID:NfNgHTB4
まあ、2ちゃんのさ糞スレだもんな、結局マトモにぶつかっている真理に近ずようとする、まともなやつはいないか!
689神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 20:59:51.81 ID:7aIEpZiz
>>684
ナーマはルーパに依存し、ルーパはナーマに依存する、相互作用じゃないでしょうか
690神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 21:01:34.97 ID:PjWOXCnY
無色界にルーパはないよ。
691神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 21:02:30.84 ID:PjWOXCnY
部分包摂という考え方で、心をもっと広く捉えた方がよい。
瞑想がすすむと、身体との相互関係で生じる部分と、そうでない部分と
両方あるのが見えてくる。
692神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 21:04:27.51 ID:PjWOXCnY
十二縁起に照らしてみても分かるはずだ。
身体があるから心が生じるとは言っていない。
無明があるから渇愛が生じ、渇愛があるから様々な心が生じてくる。
693神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 21:07:14.20 ID:7aIEpZiz
ダンマパダでも「心が諸法に先行する」ですしね
仏教に信を置いてる人はそれでいいけど、そうじゃない人にどう説明するかというと悩ましいですが
694神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 21:11:45.13 ID:PjWOXCnY
瞑想が八正道にまで達していない、普通の人の感覚では
身体との相互関係で生じる心は理解できるだろうが、
心との相互関係で生じる身体は理解できないだろう。
それは、唯物論的な前提から抜け出せていないから。

しかし、相互関係というからには、論理的に考えても後者が
抜け落ちるのは論理破綻なのだ。
695神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 21:13:17.39 ID:PjWOXCnY
瞑想が八正道にまで ×
瞑想がサマーディ(八正道でいう正定)にまで ○
696神も仏も名無しさん:2014/07/14(月) 23:23:57.31 ID:QuB1OOcv
まず物質である肉体があって、その肉体から心が発生しているという考え方。
特に脳から心が発生しているという考え方。

これも有身見のひとつであって、預流果の悟りに達するまではその謬見から
自由になることはできない。

悟りの智慧に達していない人が、謬見を持っているのは、ある意味当たり前。
従って、責め立てたり、論争したりする必要はない。
697神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 01:15:08.80 ID:e61ZMmio
身体の感覚から心が生じるように見えているのは、
「触→受→想」の部分を見ているからだろうね。
698神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 04:58:17.30 ID:tKL7zPDv
「解る」ことの全体、つまり究極の「解り」があると仮定して、悟りは「解り」
のうちのどの程度のことなの? 例えば0.0001%とか0.0000001%
とか、まさか100%ってことはないよね。 
 例えば1000兆分の1%程度の「解り」を問題としているとしてその単位を1Wと
すると、預流果ってのは4WでWWWWくらいなのだろうか? ってことで

W:IQが100の凡人
WW: ちょっと賢い三昧経験者
WWW: さらに賢い
WWWW: 預流果
というような、少なくとも分母(分からなさ)を意識した悟りの段階を
考えたら、分子の大きさっていうのは陽炎の揺らぎのようなもので
錯覚だとか誤差範囲だとかそのあたりの事象ではあるまいか?
699神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 05:57:50.20 ID:7Cewwy28
悟りは分かり(智慧)そのものじゃなくて、厭離の気持ちを確立すること


そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。
患いであるという念いが現れた。
世を厭う気持ちが定まった。
次いで、私の心が解脱した。

ナーガサマーラ長老
}『仏弟子の告白─テーラガータ─』(76ページ)中村元訳、岩波文庫
700神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 06:01:04.75 ID:xn2zhoV/
>697
想が無いことが悟りだという話もあるので
それで良いのではないかと思っています。
これがみえると、思いが出てくる瞬間があらかじめわかるので
それに気づきをぶつけると、思いが出てこれなくなる様です。
想いと気づきは共存できませんから、そうなっていませんか?
701神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 10:43:48.91 ID:r9BAn53E
>>698
悟りの階梯の説明としては四向四果、
煩悩の減り具合の目安としては十結という物差しはある。
(参考 >>532

観智の程度(ヴィパッサナーの進捗度)については、清浄道論に
名色分離智から行捨智までが説かれている。

また、如来の智慧を100%とすると、普通の阿羅漢の智慧は
そのうちの極一部に過ぎないらしい。
702神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 17:52:16.32 ID:qUhTEQwe
703神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 18:05:16.47 ID:7Cewwy28
>blog.goo.ne.jp/konsaruseijin

定期的にポストされてるみたいなので
とりあえずNG Wordに入れときますね
704神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:12:56.86 ID:qlgu2zbY
>>653
>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

この、あまねくことを「捨てる」というのが理解できません。
あまねくの意味は、「広くいきわたらせる」という意味だと思うんですが
それを捨てるというのはどういうことかわかりますか?
705神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:20:07.32 ID:7Cewwy28
>>653
>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る

>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

これってもしかして南伝大蔵経?
こんなに訳がめちゃくちゃなのか・・・「身にあまねくことを知る」なんて日本語として成立してないし
706神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 19:52:27.02 ID:0RvjqQUt
あまねくと言うのは、微細な呼吸の息が全身の毛根から出入りすること
あまねくのを捨てると言うのは、その微細な呼吸の息が止まってしまうこと。
707神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 20:26:13.94 ID:r9BAn53E
長い息・短い息を見続ける

微細な息を観る

(出息と入息において)息の全体を間断なく観る
あまねく知ると訳されている部分は、呼吸の全体を観るということ(のはず。要確認。)

息のサンカーラ(息をしようとする意志。息の形成作用。行。)を鎮める

呼吸瞑想において、集中の度合いが増すに従い、呼吸もこういう風に
変わってくるから、やっていれば自然とこのステップを踏んでいくことになる。
708神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 20:37:27.77 ID:qlgu2zbY
>>706
>>707
わかりました。ありがとうございます。
709神も仏も名無しさん:2014/07/15(火) 21:00:52.48 ID:7Cewwy28
>>706
皮膚呼吸を観察するとかw
710神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 03:49:24.60 ID:5V64C3J2
 息じゃなくて、気功でいう気に近いものだろ。
711神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 06:17:36.50 ID:FfvkObwP
ティクナットハンの
「ブッダの〈呼吸〉の瞑想 」が出入息念経の全訳してて
「ブッダの〈気づき〉の瞑想 」が四念処経の訳が入ってるんじゃなかったっけ
712神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 06:40:01.31 ID:ZdWGuZeD
>気功でいう気に近いもの

経典を重視せよといってるのに、どこにも書かれていない「気」を観察するってどういうことなんだろう(?_?)
これって俺の読みたいように経典を読むってことでしょう
713神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 17:22:15.83 ID:ROFV8w4F
>>711
その本思わず買ってしまった。
ほかにも日本語訳探せばあるけど、
やっぱり瞑想熟練者の解説の方がいいかなと思って。
714神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 18:51:22.35 ID:ensKzB7y
>>712
仏教の呼吸法って言うのはヨガで言うプラーナヤーマ、調気法だから710の言ってることは外れてはないと思うよ。
経典に書いてある「息」とは単なる息ではなく「気息」のことであろう。
修行を長く積んで感覚が研ぎ澄まされていけばあなたの経典の理解も進むことだろう。

プラーナほぼイコール気ね
715神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 19:00:20.49 ID:ZdWGuZeD
>仏教の呼吸法って言うのはヨガで言うプラーナヤーマ、調気法

それって結局ヒンドゥー式に経典解釈してるだけですよね・・・

反論するのもめんどい
716神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 19:14:07.13 ID:ensKzB7y
>>715
ヨガはヒンドゥーだけのものじゃないよ。
仏教の修行もヨガ。釈迦もヨガの師に瞑想法習ったのだからね。

経典にかじりついてないで修行しなされ。
717神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 19:22:37.01 ID:ZdWGuZeD
>>716
瞑想文化は沙門宗教の伝統で、バラモン教は関係ないよ、バラモンはゾロアスター教と同じで祭祀宗教の伝統
当時ヒンドゥー教なかったし
718神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 19:36:50.87 ID:ensKzB7y
>>717
どこからバラモン教が?

沙門宗教はヨガで修行をしてた。瞑想文化って言うのはヨガのこと。
そして釈迦はヨガの師に付いて修行した。累計2人ね。

知識がどうの伝承がどうの言ってないで師について修行しなされ。

息は「気息」だよ。修行してプラーナ感じるところまで行けばそんなの一目瞭然。
まずは修行してそこまで辿り着いてまだ議論したかったら議論しな。

君の段階じゃ伝書がどう歴史がどうの言っててもしかたがない。
719神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 19:57:07.59 ID:6pOpZsN/
想いや記憶に伴う感覚を観察していたら、意識と感覚に力点・作用点を感じたよ。
そこを観察したら、今まで気がつかなかった深い意識層があって、
その深い意識層の中に想いを続けようと選択している意思があったのが分かった。
そのバックグラウンドも見えよ。
なんか脱力。
冷静に振り返って整理して区切りをつけたはずなのに癒えない傷だと思っていたんだよね。
でも、自分で想い続けることを選択していたことに気付いたよ。
720神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:27:23.49 ID:V4MlL7Jf
アーナーパーナサティは、プラーナーヤーマではありません。
サマタ瞑想です。

サマタ瞑想とは、つまり、つまり精神を集中することによって五蓋を止め、
禅支によってサマーディに入る瞑想法です。
721神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:31:18.85 ID:ZdWGuZeD
>>718
>そして釈迦はヨガの師に付いて修行した。累計2人ね。
彼らがプラーナについて語っていた証拠を出しましょうよ

>知識がどうの伝承がどうの言ってないで師について修行しなされ。
ヨガ系の師につく気はないので・・・

>息は「気息」だよ。修行してプラーナ感じるところまで行けばそんなの一目瞭然。
・・・そうですか
ちゃんとした師につかないとそういう妄想に執着する危険があるのかもね
体験というのは強力だから

>まずは修行してそこまで辿り着いてまだ議論したかったら議論しな。
すんまへん
722神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:32:44.36 ID:ZdWGuZeD
>>720
なんかヒンドゥー・ヨーガ系の人が「俺の実践してる瞑想法」をヴィパッサナースレで宣伝したがってるみたいですな
やれやれ
723神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:44:58.00 ID:V4MlL7Jf
プラーナーヤーマは調呼法、
呼吸を通してプラーナをコントロールする修行法です。

アナパナ・サティはサマタ瞑想、
呼吸を観察する瞑想法です。

アナパナは意図的に呼吸をコントロールしません。
単に呼吸の出入りを見つめているだけです。
724神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 20:46:05.64 ID:V4MlL7Jf
正誤訂正
× プラーナーヤーマは調呼法
○ プラーナーヤーマは調気法
725神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 21:19:55.81 ID:ensKzB7y
>>720
>>723
べつにプラーナーパーマーのこと話してる訳じゃないけど。

>サマタ瞑想とは、つまり、つまり精神を集中することによって五蓋を止め、
>禅支によってサマーディに入る瞑想法です。
これはまさにヨガ。

>アナパナ・サティはサマタ瞑想、
>呼吸を観察する瞑想法です。
これも特別なことなくヨガ。

>アナパナは意図的に呼吸をコントロールしません。
>単に呼吸の出入りを見つめているだけです。
呼吸は長くとか鎮めてるだろ。
これは「気息」というもの。

プラーナ、気、気息の話をした。

聞く耳持たない人間に何言っても無駄だね。
「気息」の意味がわからないようじゃサマディーなんてほど遠いよ。

あなたが言ってるサマディーもヨガの用語。
726神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 21:26:11.74 ID:ZdWGuZeD
>>725
>呼吸は長くとか鎮めてるだろ。
静めませんよw 自然な呼吸を観察して、長かったら、長く呼吸している、と観察するだけです
あなたが1回もまともなヴィパッサナーの講習に参加したことがなく、(おそらく本すら読んだこともない)証拠ですね

>あなたが言ってるサマディーもヨガの用語。
なんでも起源を主張したがるのはヒンドゥー教の悪いクセですな
727神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 21:27:19.09 ID:ensKzB7y
>>721
>彼らがプラーナについて語っていた証拠を出しましょうよ
釈迦がヨガの師に付いていたこれだけで十分でしょう。

>ヨガ系の師につく気はないので・・・
上座部仏教の師に付けばいいでしょう。

>・・・そうですか
>ちゃんとした師につかないとそういう妄想に執着する危険があるのかもね
>体験というのは強力だから
妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
一時的な体験じゃなくてプラーナは常に感じるようになるのが普通。
728神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 21:35:40.63 ID:ZdWGuZeD
>>727
>釈迦がヨガの師に付いていたこれだけで十分でしょう。
アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタが現今のヨガと同じ修行法を指導していた証拠はどこに?

>上座部仏教の師に付けばいいでしょう。
調息は教えられたことがありませんね

>妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
「プラーナ感じる」なんて原始仏典には書いてないですから
729神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 21:58:09.39 ID:ensKzB7y
>>728
>アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタが現今のヨガと同じ修行法を指導していた証拠はどこに?
ヨガの伝統として伝わっているものです。

>>上座部仏教の師に付けばいいでしょう。
>調息は教えられたことがありませんね
息を長くとかゆっくりとか鎮めるとか観察するとか習うでしょ???
まあ私は別に調息について習えと行ってるわけではありません。
「瞑想」を師についてきちんとやってれば「気・プラーナ」はは感じるようになるはずですよ。と言ったのです。
もういちど書きますが「瞑想」の修行について言ったのです。

>>妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
>「プラーナ感じる」なんて原始仏典には書いてないですから
息の表現に含まれてるんでしょうね。この世界では息と言えば気息ですから。


>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る

>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

これが判るようになればわかるでしょう。修行してプラーナが判るようになるしかないですね。
730神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 22:17:25.42 ID:F15F9tIv
とりあえずもちつけ
ヨガでも、瞑想とプラーナーヤーマやムドラーとの区別はするでしょw
731神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 22:19:14.98 ID:jFr6f17D
732神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 22:20:47.29 ID:ZdWGuZeD
>>729
>ヨガの伝統として伝わっているものです。
循環論法ですね

>息を長くとかゆっくりとか鎮めるとか観察するとか習うでしょ???
だから習わないって
呼吸を操作しないで自然な呼吸を観察するように習うんですって
なんで知りもしないのにヴィパッサナースレに来て語りたがるかなー

>息の表現に含まれてるんでしょうね。この世界では息と言えば気息ですから。
書いてないことをヒンドゥー文脈で読み取れと
それって要するに俺解釈ですよ
733神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 22:50:44.56 ID:ensKzB7y
>>732
>循環論法ですね
もともとこの世界は口伝だからね。文献以外否定、文献完全主義は馬鹿らしい。
釈迦は2人の師に付いて、非想非非想処定の高いサマディーまで行ってるけど
特にその修行内容について文献すら残ってないからね。
そして釈迦の前に仏陀は結構いたけどその内容も文献にはない。
ヨーガ八支則がヨーガの伝統と理解するしかない。


>息入ること長き時、息入ること長きを知る
>息出ずること長き時、息出ずること長きを知る

>息入ること短かい時、息入ること短かきことを知る
>息出ずること短かい時、息出ずること短かきことを知る

>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る

>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

あなたの好きな文献でも長く短く言ってるけど。
下の4行で気息であることも推測できる。
サンスクリット語の息が「気息」だから息はみんな「気息」

ヨーガはヒンドゥーの文脈じゃないよ。最初に言ったけど仏教の修行もヨーガ。
非想非非想処定などサマディー全てもヨーガから来たものなのはあなたが好きな文献でも明白。
734神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 23:01:28.82 ID:ensKzB7y
色々口論になるのはメンドクサイから結論だけ書いておくと。

師に付いてしっかり修行して「プラーナ・気」がわかるレベルにならなきゃお話にならない。
わからなきゃそれ以上の所には行かない。

もちろんサマディーなんて夢のまた夢。


そんなのが文献だの歴史だの言っててもしょうがない。
735神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 23:05:58.42 ID:ZdWGuZeD
>>733
>ヨーガ八支則がヨーガの伝統と理解するしかない。
アシュターンガ・ヨーガはまさにヒンドゥー教じゃないですか

>あなたの好きな文献でも長く短く言ってるけど。
「息入ること短かき時」とは書いてても「息入ること短かくせよ」とは書いてないでしょ
これは自然な呼吸のままに観察するからそういう表現になるわけで、呼吸を長くしたり短くしたりしろとは到底読めないですよ
「ある時には息入ること短かくし、ある時には息入ること長くせよ」とでも書いてあるなら、まだ分かる

>下の4行で気息であることも推測できる
いや全然推測できませんけど?

>最初に言ったけど仏教の修行もヨーガ。
あれもヨーガこれもヨーガっていうのがヒンドゥー教の悪いところですね
736神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 23:07:16.33 ID:ZdWGuZeD
>>734
結局あなたは「プラーナ・気」の行法を宣伝しに来ただけなんでしょ?
なら最初からスレ違いですよ
737神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 23:40:22.27 ID:ensKzB7y
>「息入ること短かき時」とは書いてても「息入ること短かくせよ」とは書いてないでしょ
こういう理解してるからまったく上達しないんだよ。
長くしなくて良い、短くしなくて良いならいちいち長く短く書かない。
文献主義者がまったく成長しない理由だね。

>いや全然推測できませんけど?
身にあまねく〜 が気息と理解できないならもうどうしようもないね。プラーナ前提で言ってるのがわからにゃどうしようもないね。


プラーナが判るレベルになればいままで自分たちのやってたことは瞑想じゃなかったってわかるよ。

上座部仏教の僧侶が瞑想中腕を動かして手で空中の何かをつまむような動作をしきりにするけど
あれはプラーナの動きに合わせてやってること。

文献馬鹿は救いようがないな。
738神も仏も名無しさん:2014/07/16(水) 23:49:17.58 ID:ensKzB7y
>>735
あと八支則はヨガの伝統であってヒンドゥーの伝統じゃないよ。
仏教をヒンドゥーにしようとなんてしてないよ。

あくまで仏教の修行法はヨガと言ってるだけ。

哲学の部分には触れてないから。
739神も仏も名無しさん
ヨガ教室の先生が宣伝に来た図?

仏教スレってヨガ馬鹿が定期的に湧くけど
同一人物かね?

こんな匿名掲示板で宣伝しても誰も来ない
だろうに