>>927 セブン氏
>梵網経で言えば、外道等あらゆる見解が網羅され、如来はそれらを超えている、
>というところが重要なのw 幾つも幾つもあるうちのどれかが重要だという経じゃないのw
>(それは自歓喜経も等誦経も同様だけどw)
>幾つも幾つも併記されている中身の、どれか一つが突出して価値付けられてなんかいないのw
私が指摘したポイントをもう一度整理してみます。
1)釈尊は側近の500人弟子(多分、高弟)に「梵網経」と「沙門果経」とを説かれました。
2)2つの経典に「輪廻」は説かれておりました。
【ネタの意図】
・前スレから釈尊の対機説法の特徴「四悉壇」を度々紹介してきました。
・ある住人から特定の人にだけ説かれた対機説法を一々信じるな、固執するなとの尤もなご意見がありました。
・そこで大勢の(できれば側近達、高弟達)に説かれた経典を長部経典の中から洗い出しました。
・更に知名度の高い経典である「梵網経」と「沙門果経」を選びました。
【考察】
・当時の外道等の見解の中に「輪廻」があったことは「梵網経」で確認されました。
・500人の弟子達に共通に説かれた経典の場合は「四悉壇」をあまり考慮する必要はないかと思料します。
・よって「沙門果経」でも「輪廻」が説かれたのは方便だ、誘引だとの仮設は却下されます。
・もし誘引だとしたら500人の弟子達の全員が大したレベルでなかったことになるからです。
(もし大したことのない弟子達ばかりであれば解脱者も皆無でしょう。)
・また500人弟子に方便や誘引が無用であれば、どうして舎利弗に対して誘引での「自歓喜経」と「等誦経」が起きるでしょうか。
>まだ解らないかなぁ・・・ ┐(;´ー`)┌
折角、新年も議論スレで輪廻しましたので、前世スレよりは深く考えることに心掛けております。 \(^0^)/