>>914 >蝉は冬を知らず死ぬ
>>914に語られたは、すべて身勝手で傲慢な妄想でしかない。
>>916>>917はアホだから仕方がない。
仏はいかにも知っているかのような言説は思い上がった驕慢だ。
その仏とやらも、“それ”を直覚できていない。
蝉はただただあるがままでしかないのだ。
仏法さえ透過している、そのままだ。
南泉やその弟子である趙州は「異類中行」という。
本分事だ。
『三世諸佛不知有
狸奴白牯却知有』
三世諸仏ごときよりも、
狸奴たちは、かえって仏法さえ透過したあるがままだという。
馬祖・南泉・趙州に透徹を観る。