仏教議論スレッド 77

このエントリーをはてなブックマークに追加
71宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
---否定論者たちに捧ぐ---
参考読み物:
 『このように、最初期のゴータマ・ブッダの仏教には、輪廻思想を否定した、いやむしろ、輪廻思想を否定したところに仏教
の斬新さがあったのだという見解が、ほかならぬ仏教学者たちからさかんに表明されるようになった。−中略−
 しかし、仏教は本来、輪廻思想を否定するものだったという考えは、日本の知識人たちの頭にかなり深く刻み込まれ、今日に
至っている。たとえば、キリスト教神学で有名な高尾利数博士はその著『ブッダとは誰か』 (柏書房)のなかで、『スッタニパータ』
でゴータマ・ブッダが「輪廻的な生存がなくなった」と語っているこの文言こそ、ゴータマ・ブッダが輪廻思想を認めていなかっ
た証拠だといっている。
 これは仰天ものなのである。「輪廻的な生存がなくなった」というのは、修行を完成したために、ついに輪廻転生から最終的な
解脱にいたった、という宣言なのであり、輪廻思想を前提しなければありえない内容なのである。ということは、仏教史を無視し、
はるか後代の大乗仏教中観派の空思想を最初期仏教のなかに強引に読み込む高尾博士の頭のなかには、端からゴータマ・ブッダ
は輪廻思想を認めていなかったという強い思い込みがあり、ごく簡単な経典の文言すらもまともに読めなくなっているということ
である。
72宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/11/07(木) 02:50:15.97 ID:5Eo255ys
 つい二年ほど前の『日本佛教學會年報』に、比較的若い仏教学者が、仏教は、本来、輪廻思想を否定したという見解を発表した。
内容を読んで驚いた。因果応報、業報という考えを解しないあるヨーロッパの学者(仏教学が専門ではない)が、仏教と輪廻思想は
関係がないかもしれないとちらりと述べたのを最大限の拠り所とし、最初期の仏教は輪廻思想を否定したと談じているのである。
 この論文は、こういう論文を書いてはいけないという、見本のような論文なのである。この若手の学者の論の組み立てはこうで
ある。すなわち、ゴータマ・ブッダは輪廻思想を否定した。どのような成立の古い仏典であれ、輪廻思想を前提とした文言は、す
べて後世の仏教徒による増広(追加挿入)の産物である、というのである。
 これはもう、天から降ってきたご信託ともいうべきしろものである。このご信託の前にあっては、ゴータマ・ブッダが輪廻思想
を前提としていたと、いくら文献学的な証拠をもとにして論じてみても、まったく無駄なのである。そういう証拠となる文献学的
な証拠は、すべて後世の追加挿入だというのであるから、いかんともしがたい。「わたくしの説は正しい。わたくしの説に反する
仏典の文言は、すべて後世の追加挿入によるものだからである」とは、本当に恐れ入る。−中略−

 ということで、わたしたちは、仏教が誕生したとき、その土壌となるインド思想界がどのようなものであったか、というところ
から出発しなければならない。輪廻思想が成立してこそ、解脱へのあこがれが生まれ、出家という独特の生活形態をもつ一群の人々
が登場するようになるからである。いうまでもなく、ゴータマ・ブッダは世俗人ではなく、出家となって道を切り開いた人である。
 もっとも最初の体系的な輪廻説は、西暦紀元前八世紀ごろに現れ、まずは五火道、二道説として展開された。二つの説は、−略−』
(宮元啓一著『これが最初の仏教だ−−ブッダが考えたこと』2004年刊/春秋社)