何が善で何が悪か?煩悩にとらわれた人間が判断しても限界がありそもそも
自己満足のマスターベーションに過ぎない。
過去からの業縁を断ち切りがたい人間は高速道路の料金を踏み倒すこと、
出会い系サイトで知り合った女子中学生を相手にフラフラと買春すること、
講習会の受講者を一時の指導のいきすぎで殴ることも、また日本刀を振り回したり、
知人女性を鉄パイプで殴ることもあるだろう。そしてそれは個人が社会的に罰を受ける。
当たり前のことではないか?
親鸞が問題にしているのは断ち切りがたい悪縁を唯本願念佛の力にすべて
ゆだねる、そのことだろ。
諸行を積んで往生の業になると言うなら本願を理解しないばかりか、人間に対する深い洞察も
無いことになる。
「助かりたい念佛」から「ありがたい念佛への」意味もまったく貴殿は理解しておらない。
>天皇を守り、国家を守り、必要なときには敢然と戦え。正
>しい戦いは必ず四天王が守ってくれる。死を恐れずに戦う人になれ。親鸞は聖徳太子の話を通じ、
>関東武士の子ども達に人としてあるべき道徳的理想を教えた。
どこに上のような著作があるのか?
旧来の体制を根本的に覆すパラダイムの大転換が日本の浄土教ではないか?
それゆえに徹底的な弾圧を受けたわけだ、そしてやがて体制と融和して体制を維持する
道具として江戸時代からは機能してきたのが教団の歴史じゃろ。