誠成公倫会って知ってる? 23

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384神も仏も名無しさん
普通、親に感謝してたら、
「私は家を追い出されました」「父親は日本刀で私を追いかけました」
ってエピソードを大多数に何度も言うかな?

これを教祖は連呼してたけど、これを聞いて信者は
「キチガイな親がいた教祖」「キチガイな親にでも感謝できた教祖」って印象づけられてない?

教祖は次に、
「両親にどんなに冷たくされても、感謝の心を失いませんでした」
と続けるけど、信者は「教祖の親は冷たい」「教祖の親は無理解」って印象付けられただろ?

普通、親に感謝してたら、
自分の親がキチガイとか冷たいって印象を周りに植えつけるか?

しかも「そんな親に対しても、感謝の心を失わない私」をアピールしてるだろ。

本当に、親に感謝していたら、
「どうして日本刀で追いかけられたのか、よく考えると」
「どうして家を追い出されたのか、よく考えると」
というように「親の気持ち」を理解しようとするフェーズをアピールして
「自分」ではなく「親」を主体にして考えないか?

若いころは親の言うことが理解できませんでしたが、大人になって考えると親が正しい部分も見えてきた、とかならわかる。

教祖がやってることって「自分が若いころにされた親からの仕打ち」のアピールだろ。
普通に考えて、60年も前に親にされた、自分が辛かった経験のアピールを毎日するか?

教祖は親に感謝してなかったんだよ。だから、知識もない。