阿含宗という宗教228

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605神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 21:10:41.17 ID:ToyCakuv
数学の能力がない者に、二次方程式の解答を、与えたらさ、インチキだよと
言われた感じだなw。
因縁とはさ、原因というほどに、解し
てたらいいのよw、ドタマの悪い者が
あれこれ考えても、せんないの(ゝω・)だから、因縁解脱とは苦の原因解脱な
のよ、そして最後は、縁起の世界を、
超えてしまうわけさ。解る?
606神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 21:40:05.95 ID:e9ygj7IX
なにがユビキタスだ
大東洋の長文キモス
607ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/09/12(木) 21:58:10.09 ID:p7wYmtqP
>>606
わざわざ興味もない宗教スレになんか来なくていいんだよ。
ここは議論をするスレで論理的に語るところなんだから、長文を書くのは当たり前で
控える気など毛頭ありません。
部外者こそ去ったら?
私もアゴン宗という宗教詐欺を批判すること以外に殊更宗教なんて興味ないし。
608ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/09/12(木) 22:08:45.09 ID:p7wYmtqP
>>605:神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 21:10:41.17 ID:ToyCakuv
>因縁とはさ、原因というほどに、解し
てたらいいのよw、ドタマの悪い者が
>あれこれ考えても、せんないの(ゝω・)だから、因縁解脱とは苦の原因解脱な
>のよ、そして最後は、縁起の世界を、
>超えてしまうわけさ。解る?

だから桐山さんが苦の原因を断つという意味で因縁解脱という用語を使用している
ことは肯定しています。
しかし因縁にいかに原因という意味があっても、てか単なる原因という意味が
因縁という用語なんだが、仏教では因縁解脱、原因解脱なんて用法はありません。
なぜ桐山さんは煩悩を離れる解脱という仏教では当たり前の用語を使用せず
かえってわかりにくい、一般にはその正しい意味も十分に普及しているとは思えない
因縁なんて用語を解脱に付けて造語したのか?
煩悩以外の要素を捏造したいからです。
609ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/09/12(木) 22:21:32.90 ID:p7wYmtqP
>>605:神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 21:10:41.17 ID:ToyCakuv
>因縁とはさ、原因というほどに、解し
てたらいいのよw、ドタマの悪い者が
>あれこれ考えても、せんないの(ゝω・)だから、因縁解脱とは苦の原因解脱な
>のよ、そして最後は、縁起の世界を、
>超えてしまうわけさ。解る?

因縁だけでなく解脱という用語も仏教を勉強したことのない一般人には
わかりにくい用語です。
桐山さんがわかりやすく示すために造語をしたとするならば、因縁解脱はわかりにくい。
桐山さんが自分の説きたいスローガンをわかりやすく表現するならば運命転換で済みます。
それを仏教用語である因縁と仏教用語である解脱をくっつけて造語し、いかにも
伝統ある仏教に則ったものであるかのように示してみせて、その実煩悩から離れることは
小解脱などと侮辱しているのです。
煩悩解脱ではまずいんです。桐山さんにとってそんな道徳みたいな話では。
特殊なオカルトにしてしまいたいのです。
610ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/09/12(木) 22:30:38.52 ID:p7wYmtqP
>>605:神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 21:10:41.17 ID:ToyCakuv
>のよ、そして最後は、縁起の世界を、
>超えてしまうわけさ。解る?

桐山因縁解脱とは例えば横変死の運命の星をなくして、殺されも事故死なども
しなくなることが苦からの解放だと思っている。
しかし仏教における苦からの超己とはそんな薄っぺらい思考ではない。
横変死するかもしれないことにビクビクし、あくせくすること自体が煩悩であり、
それ自体が苦なんです。
だからそんな追っても仕方のない都合のよい道などにあくせくする煩悩を捨て
ありのままに生きられれば、それが苦からの解放です。
外面的な苦からの逃避を求めて安楽を求めているうちはまさに苦界の縁起にどっぷり嵌ったきりで
ぬけることはできません。
611ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/09/12(木) 22:47:26.53 ID:52LyhEb8
>>605:神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 21:10:41.17 ID:ToyCakuv
>のよ、そして最後は、縁起の世界を、
>超えてしまうわけさ。解る?

桐山さんの因縁解脱とは要するに不当な欲望追求に他ならず、因縁解脱を求めること自体が
煩悩であり苦なんです。あなた方に苦の自覚がなくても。
そんなことをしているアゴン宗がどうして最後は輪廻もなくなる涅槃に赴くことになるのか?
さんざん人生を都合よく謳歌し、もういい加減飽きたから、生まれ変わらないように
ネハンでもしよーなんて言うのか?w
桐山さんはようやく本音が出て、死んで生まれ変わらないなんて耐えられないから
また輪廻して面白おかしく生きる輪廻転生瞑想法など打ち出して、ついに仏教を捨てたw
612ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac :2013/09/12(木) 22:54:09.95 ID:52LyhEb8
>>605:神も仏も名無しさん :2013/09/12(木) 21:10:41.17 ID:ToyCakuv
>のよ、そして最後は、縁起の世界を、
>超えてしまうわけさ。解る?

縁起の世界とは超えるものではありません。
それまで運命や宿命があるかのように固定化された考えのあったインド社会に
釈尊は縁起を用いることによって苦から離れる道を示したのです。
つまり縁起の活用です。
これあるによって、かれ生じ
これなきによって、彼滅す

苦もまた然りで煩悩ありによって苦生じ、煩悩なきによって苦滅すです。
縁起があるから苦からも離れられる。
桐山さんも縁起の解説の時だけはこれを示すのに、信者にはこれすらも理解できず
足を引っ張る輩がいることに、私は時々桐山さんに同情もしたくなる。
613深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/12(木) 23:35:03.42 ID:ZCr01tNS
>>590 :神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 09:03:06.09 ID:NJM4oHVd
>阿含時代の縁起説と大乗時代の縁起説

誰も大乗の縁起の話などしていない。
あなたが部派仏教の縁起の説明を釈迦仏教だと読み違えただけで、
私の知る限り、批判側の誰一人として大乗仏教の縁起説を持ち出したり、
議論した人はいない。
昨日の>>583の縁起の説明も釈迦仏教の縁起説をそのまま出しただけで、
大乗仏教も部派仏教も縁切り寺も二次方程式も何も関係ありません。
関係ない話を持ち出して誤魔化そうと必死なんでしょう、と思ったら、
そうではなく、あなたは相変わらず縁起が理解できないのですね。

>無明・・・老死を滅すれば、縁起の法
>が作用しない涅槃へ至る、と考えたの

まったくあなたは縁起を理解できないのですね。
ワレモンさんの知能って、八歳の子供以下なんだ!
ワレモンというハンドルをやめているから、今後は「愚輩」さんと
お呼びするのはいかがでしょう。
>>578であなたが自分で名乗ったのだから、問題ありませんよね?
614喜智山 精湧:2013/09/12(木) 23:39:29.12 ID:whq52VrA
諸君と中途挫折していったかつての法友とは、
大きな違いがあります。
釈尊が対機説法であるとわからない。
諸君は、釈尊の対象と目的を見失うことのない様に・・・
良いですか。
私たちは、論争する事を目的とする人とは違うのです。
法から離れた言い訳は、すでに重いカルマでしかないのです。
諸君は、勝つ。そこが掛け替えのない尊さなのですねえ。
615深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/12(木) 23:40:36.39 ID:x32Q/sbg
>>590 :神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 09:03:06.09 ID:NJM4oHVd
>無明・・・老死を滅すれば、縁起の法
>が作用しない涅槃へ至る、と考えたの

また愚輩教が始まった。
前に否定されても全然記憶も学習もせず、何とかの一つ覚えで、
同じことをクドクドと繰り返す。
阿含経に「縁起の法が作用しない涅槃へ至る」などという事は書いていない。
桐山さんも「縁起の法が作用しない涅槃へ至る」などと書いていない。
また、「縁起の法が作用しない涅槃へ至る」など嘘です。
前に書いた反論をまた書きましょう。

釈尊は解脱しており、涅槃に到達していた。
あなたの理屈だと彼は「縁起の法が作用しない涅槃へ至」ったことになる。
だが、釈尊は「毒キノコを食べた → 食あたりで亡くなった」と
縁起が成り立っている。
解脱や涅槃は縁起が作用しない世界などではない。
それはあなたの勝手な空想です。
前にこの反論をされたことを愚輩さんはまったく覚えていないのでしょうね。
この学習能力の低さは、さすがは八歳以下の知能です。
616深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/12(木) 23:48:12.54 ID:zJnxbhHu
>>596 :神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 14:02:51.13 ID:ToyCakuv
>だから煩悩解脱とは、苦の素因解脱という意味なのよ、本来は。
>だから因縁解脱で正しいのです。

どこから2行目の結論が出てくるのだ?
煩悩という苦の素因をなくせば解脱すると釈尊は縁起を使って説いた。
それがどうして縁起解脱になるのだ?
煩悩を捨てろというのだから、漏尽解脱であり、煩悩解脱ならわかる。
縁起を解脱してどうするのだ?
縁起は解脱するものではなく、因果関係を示すものであり、理解するものです。
617深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/12(木) 23:55:58.86 ID:zJnxbhHu
>>596 :神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 14:02:51.13 ID:ToyCakuv
>因縁を、原因という意味に取ればいいのです。
>>605 :神も仏も名無しさん:2013/09/12(木) 21:10:41.17 ID:ToyCakuv
>因縁とはさ、原因というほどに、解し
>てたらいいのよw、ドタマの悪い者が

縁起を原因という意味にとれば良いというのは前に私が書いたことです。
愚輩さんの前世の準シュダオンさんがあまりに理解力が低いので、
釈尊は、煩悩が原因となっているのだと理解させるために縁起を
用いたという意味で、縁起は原因くらいの意味に考えれば良いと述べたことがある。
だが、こういう反応をみるとかえって誤解を与えたようです。

縁起は厳密には原因という意味ではありません。
縁起が原因なら、釈尊は原因と述べたはずです。
だが、わざわざ縁起という言葉を用いた。
なぜなら、縁起とは
「愛人を囲った(原因) → 裁判に訴えられ恥をかいた(結果)」
こういう因果関係を示すもので、縁起の中に原因は含まれるが、
原因が縁起なのではありません。
原因と結果が結びついていることを縁起というのです。
だから、縁起(因縁)は解脱するものではありません。
因縁解脱とは縁起解脱ですよ。
他の信者さんたちは縁起解脱など、聞いただけでおかしいと思うでしょう。
そういうおかしな意味不明の言葉をアゴン宗は用いている。
618深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 00:04:54.73 ID:Lkqq6WDv
>>614 :喜智山 精湧:2013/09/12(木) 23:39:29.12 ID:whq52VrA
>釈尊が対機説法であるとわからない。

釈尊の対機説法のどこに因縁解脱、霊障解脱、死者成仏、
護摩、占い、先祖供養があるのだ?
あるなら出してみなさい。
口から出任せに適当なことを言うのはやめなさい。
自分のしていることがわからないようですね。
あなたは如来を誹謗しているのです。

対機説法の意味を知らないのは喜智山さんです。
対機説法とは、一つのテーマを相手や場所に応じて、手を変え品を変えて
様々な形で説くことを言います。
一つのテーマとは、漏尽解脱、つまり煩悩を捨てることです。
釈尊は、相手の立場やその場の状況において、様々なたとえなどを
用いて、漏尽解脱を説いた。
これを対機説法というのです。
釈尊は対機説法で漏尽解脱以外のことなど説いていない。
619深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 00:09:31.45 ID:Bfm36dxW
>>614 :喜智山 精湧:2013/09/12(木) 23:39:29.12 ID:whq52VrA
>私たちは、論争する事を目的とする人とは違うのです。

論争?
なるほど、あなたはここで論争しているのですね。
だが、批判側は議論はしているが、論争などしていない。
愚輩さんのように、二言目に罵声を投げつけるのは論争でさえなく、
ただの罵倒です。
喜智山さんや愚輩さんみたいに根拠も示さず、
ただ自分の思い込みを主張するのは論争ですらなく、狂信です。

喜智山さんみたいに、論争と議論の区別もつかない信者は珍しくない。
だが、あなたの思い込みと違い、釈尊は議論を奨励したのです。
教法に関する議論をして、きちんと知性で理解するように奨励した。
だから、三蔵の中の一つは論蔵です。
時々、信者の中にはあなたみたいに知ったかぶりで、
議論をしてはならないかのような言い方をする人がいるが、
論蔵があることが見えないのでしょうね。
あなたも仏教徒を自認するなら、カルマの意味もわからずに
お説教するのではなく、正しい言葉で、理路整然と、
根拠を示しながら、きちんと議論しなさい。
620神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 07:50:34.10 ID:ya7rSivU
 
内閣総理大臣賞 「深山」   http://tokyokomon.jp/work-kimono.html
621神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 09:27:54.39 ID:UIO74j45
釈迦は、つまり阿含時代は、涅槃を
縁起の世界を、超えた世界と教えた
のです。だから涅槃無常ではなくて
涅槃寂静なのです。もし涅槃にも縁起
の法が及ぶならば、涅槃無常と言わねばいけないのです。
622神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 09:40:06.90 ID:UIO74j45
涅槃にも縁起の法が及ぶと定義したのは、
涅槃を空と定義した大乗時代からなのです。
空は無常でほぼ縁起の法と同義語ですから。
623神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 10:03:06.38 ID:UIO74j45
阿含時代の解脱は、煩悩と業と苦と輪廻、から
の解脱を意味したのです。阿含経に、尽苦際、
尽生死、とあるようにね。
業によって苦も輪廻も生じるのですから、
業解脱も当然説かれています。
624神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 10:23:36.78 ID:UIO74j45
煩悩とは、苦が語源ですから、煩悩解脱は苦解脱
を意味したのです。釈迦は、苦滅を追求して、
無明・渇愛を発見したのですからね。
苦解脱は、煩悩解脱をも包含しますが、
煩悩解脱は、苦解脱をも包含するわけでもない。
625神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 10:46:09.43 ID:UIO74j45
因縁解脱とは、癌の因縁やら横変死の因縁やら
とだけの縁切りを意味してるのではない。
縁起の世界、そのものとの縁切りをも意味して
いるのです。
末世成仏本尊経講義68ページを読めば、
それが解る人には解るよ。
626神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 10:48:22.58 ID:UIO74j45
阿含時代の解脱は、煩悩と業と苦と輪廻、から
の解脱を意味したのです。阿含経に、尽苦際、
尽生死、とあるようにね。
業によって苦も輪廻も生じるのですから、
業解脱も当然説かれています。
627神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 10:52:25.41 ID:Pg4U60Ve
支離滅裂。完全に病気だ。
季節の変わり目に発病する人と同じ。
自分教をどれだけ説いても説得力なし。桐山と同様に妄想の世界で遊ぶ老人の戯言(たわごと)だ。
そんなものに付き合う暇はない。
一人で遊んでいればいいよ。
.
628深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:00:59.24 ID:W7RQZINa
>>621 :神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 09:27:54.39 ID:UIO74j45
>釈迦は、つまり阿含時代は、涅槃を
>縁起の世界を、超えた世界と教えた

「教えた」という証拠を示しなさい。
話はそれからです。
あなたは証拠を示せない。
なぜなら、釈尊はそんなことは説いていないからです。
あなたの勝手な解釈を、釈尊が説いたと頑迷不屈に言い続ける。
前も、「釈尊が預流向を聖者ではないと述べている」と主張して、
その根拠を信者から質問されて、愚輩さんは「逃げた」。
毎回、あなたはそうやって逃げる卑怯者です。

あなたの個人的な説はこのスレと関係ないから出すな。
涅槃に縁起が及ぶかどうかなど、ここでは誰も議論していない。
阿含経にそんな記述は存在しない。
桐山さんもそんな話はしていない。

愚輩さんはただ頑迷で自惚れが強いだけですよね。
自説を否定されるのが死ぬほど嫌いで、
1.愚輩説の根拠を示せと言われても出せたためしがない、
2.愚輩説を否定する証拠を示されても無視する。
あなたはこれまでの人生でずっとこれを繰り返してきたから、
周囲から嫌われ、疎んじられ、今も孤立している。
629深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:06:31.92 ID:W7RQZINa
>>621 :神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 09:27:54.39 ID:UIO74j45
>釈迦は、つまり阿含時代は、涅槃を
>縁起の世界を、超えた世界と教えた

愚輩説が成り立たないことは、>>615で私が示した。
涅槃に達したお釈迦様に縁起はそのまま成り立ったから、
毒キノコを食べて亡くなったのです。
解脱者に縁起が成り立たないなら、釈尊は毒キノコを食べようが、
青酸カリを飲もうが、何の効果もないはずです。
だが、釈尊は食あたりで亡くなった。
「毒キノコを食べた → 食あたりで亡くなった」
きちんと縁起が成り立っている。
愚輩さんの目には成り立っていないのだそうです。
八歳の子供でも理解できることを彼は理解できない。

涅槃に到達した解脱者と言えども、この世界の法則から
逃れているわけではありません。
大目連は暴行され、殺された。
「異教徒に殴られた → ケガが元で亡くなった」
当たり前ではないか。
バケモノじゃあるまいし、解脱者たちもこの世界に肉体をもった人間です。
この世界にいる限り、この世界の支配を受け、彼らも縁起のままです。
解脱者と我々の違いは、この世界からの煩悩という誘惑に
いっさい囚われていない点です。
これしか違いはないし、縁起が彼らにも成り立つからこそ、
解脱者も入滅するまで必死に修行をしていた。
630深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:11:55.12 ID:Bfm36dxW
>>621 :神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 09:27:54.39 ID:UIO74j45
>釈迦は、つまり阿含時代は、涅槃を
>縁起の世界を、超えた世界と教えた

愚輩さんの、涅槃に入ると縁起に支配されない、という考えは
実は非常に危険な思想です。
信者さんたちはこれがオウムの殺人を生み出したことを知っていますか。
麻原彰晃は、「解脱者は娑婆世界の法則に縛られないから、
人殺しもカルマにはならない」と説いた。
簡単に言えば、解脱者は何をしても良いという意味です。
信者さんたちも似たようなことを信じていませんか。
それらは、
1.いったん解脱したらその境涯にずっと留まる、
2.解脱者が俗人と同じことをしても意味が違う、
などと信者さんたちは信じている。
まったくの間違いです。
631深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:18:35.50 ID:W7RQZINa
1.いったん解脱したらその境涯にずっと留まる、という嘘

信者さんたちは桐山さんは因縁解脱した有余依涅槃の聖者なのだから、
どんなことがあってもその境涯に留まり、落ちることはないと信じている。
阿羅漢を医者や弁護士のような何か資格のようなものだと思っている。
間違いです。
仏教の解脱者とは、生きている間は、滑り台の上にいるようなもので、
ちょっと修行を怠れば、たちまちその境涯から転落する。
解脱とは資格ではありません。
境涯なのです。
たとえていうなら、百メートルを常に10秒で走るようなものです。
オリンピックならその時だけ10秒を切れば入賞できる。
だが、解脱とは毎日毎時、常に百メートルを10秒で走り続けるようなものです。
マグロが一生泳ぎ続けるのと似ている。
一瞬でも修行を怠れば、解脱から転落する。
修行を怠るとは、煩悩に囚われることです。
解脱者だから煩悩がないだろうなんて嘘です。
釈尊ですら、亡くなるまで悪魔という煩悩がつきまとっていた。
肉体を持っているのだから、当たり前です。

信者さんたちは、解脱すれば安住の境涯であり、彼らはのんびりと
その境地を楽しんでいると思っている。
まったく逆で、滑り台から落ちないように、日々、煩悩と戦い続けている。
だから、男性の解脱者が自分から女性に近づくなどありえない。
632深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:23:48.35 ID:r8swfELh
2.解脱者が俗人と同じことをしても意味が違う、という嘘

信者さんたちは桐山さんの行状がおかしくても、
それはブッダの智慧という高度の智慧による判断であり、
凡夫が凡夫の知恵であれこれ解脱者の行動を批判するのは間違いだと信じている。
それは間違いです。
俗人の目から見ておかしい行動は、仏道修行から見てもおかしい。
なぜなら、釈尊が説いた解脱の道とは、煩悩に囚われないことで、
煩悩に囚われているかどうかは俗人が見てもわかるからです。

釈尊はじめ仏弟子たちも当時の世間の人々から常に批判の目にさらされた。
釈尊に愛人がいて殺したという噂が流れると、比丘たちが托鉢しても
食べ物が得られなくなった。
煩悩に囚われない清浄の比丘だから大事な食べ物を分け与えたのに、
教祖自ら愛人を囲って、邪魔になって放り出したり、殺したのなら、
そんな教団の比丘に供養などしない。
釈尊は一週間ほどで問題は解決すると説明し、そのとおりに犯人は捕まった。
このように解脱者たちは常に俗人たちの批判の目にさらされていた。
振り返って、信者さんたちの教祖様をごらんなさい。
633深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:29:39.48 ID:r8swfELh
2.解脱者が俗人と同じことをしても意味が違う、という嘘

桐山さんは愛人から裁判に訴えられた。
このスレでも裁判の資料が何度も公開された。
桐山さんがE川さんに夜中にホテルに来るように誘う御霊諭、
E川さんに贈った恋歌、バスローブ姿の桐山さんの胸にもたれ
かかるE川さんの写真。
毎回、桐山さん自らがE川さんにお手当を渡したおかげで、
E川さんがブランド品で身を包んでいたのを目撃したのは、
私だけではないはずです。
これらを信者さんたちはどう見ているのだ?
誰がどう見ても愛人です。
しかし、信者さんたちは目をそらし、「俗人にはわからない事情があったのだ」
と言い訳を考えてあげる。
その姿勢は釈迦仏教ではありえない。
解脱者とは世間の人たちからものすごく厳しい目で判定されるのです。
釈尊が異性関係を疑われ、自らきちんと釈明し、問題を解決したように、
異性関係を疑われた解脱者は厳しい審問を受け、有罪ならば処罰された。
解脱者を自称する者が裁判沙汰にまでなったE川さんの件に一言も
触れないなどあってはならないことです。
634深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:36:30.65 ID:Lkqq6WDv
2.解脱者が俗人と同じことをしても意味が違う、という嘘

解脱者だという桐山さんは、E川裁判について口をぬぐって素知らぬ顔です。
黙ってやりすごせば、その内、信者も世間も忘れてくれるさ、と高をくくっている。
どれほど信者さんたちがなめられているか、これを見てもわかる。
桐山さんて本当に卑怯者です。
愚輩さんが縁起、空、無常などと仏教用語を並べて偉そうに書きながら、
根拠を示せと指摘されると無視して自説を繰り返すのと同じ卑怯さです。

信者さんたちはどうなのか。
E川裁判が過去のこととして忘れてしまうのですか。
それは現実逃避であり、今度は信者さんたちも卑怯者になる。
信者さんたちは仏教の基本である縁起をあるがままに学ぶべきだ。

「愛人を囲った → 裁判に訴えられ恥をかいた」
「美食飽食をした → 糖尿病になった → 脳梗塞になった」 

この縁起をしっかり見て、具体的に学ぶことです。
635深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:44:13.79 ID:uGsN0x/s
>>623 :神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 10:03:06.38 ID:UIO74j45
>阿含時代の解脱は、煩悩と業と苦と輪廻、から
>の解脱を意味したのです。阿含経に、尽苦際、

また同じ愚輩インチキ教が始まった。
すでに何度も反論されたことを無視して、同じ事をクドクド繰り返す。
愚輩さんの執念深さにはほんとうにウンザリされられますね。
この男に何を言っても無駄だから、他の信者さんたちのために
反論しておきます。

愚輩さんの主張の元は「惑業苦」という考えです。
これは「煩悩(惑)が元となった行為(業)をなすことで苦を生じる」というくらいの意味です。
新しい主張ではなく、苦の元が煩悩であることを別に表しただけです。
ここで注意するべきは「業」の意味です。
これはアゴン宗が言うような意味での業ではありません。
アゴン宗では森羅万象を動かす力が業(カルマ)であるなどと
とんでもないオカルトを唱えているが、仏教の業とは、行為という意味です。
身口意の三業という言葉どおりで、仏教の業とは
身体で行うこと、言葉で言うこと、心で思うことの行為を表します。
636深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 12:50:03.78 ID:Lkqq6WDv
>>623 :神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 10:03:06.38 ID:UIO74j45
>阿含時代の解脱は、煩悩と業と苦と輪廻、から
>の解脱を意味したのです。阿含経に、尽苦際、

煩悩によって行為が行われるのは当たり前です。
性欲という煩悩があるから、夜11時に自分のホテルに来いと誘い、愛人にした。
性欲が煩悩(惑)であり、誘って愛人にした行為(業)があり、
後に、裁判に訴えられて大恥をかくという苦を受けた。
桐山さんの事例がまさに惑業苦そのものです。

では、釈尊は何をしろと説いたのか。
釈尊は、自らを業論者であると言うほどに行為(業)に煩悩を出さないように
慎むように説いた。
煩悩とは身口意の行為(業)に現れて初めて自覚される。
行為(業)に表さないなら、煩悩に囚われたことにはならない。
煩悩を断ちきるとは、煩悩それ自体を断ち切るのではなく、
煩悩が行為(業)となって現れた時にこれに囚われないことです。
色っぽい女性がいても、見ない、話しかけないことで心(意)と身体(身)に性欲が
起きないようにして、また性欲が起きても囚われないように、囚われそうになっても、
夜11時に来いなどと相手を誘うような言葉(口)や行動(身)をしない。
釈尊は煩悩を身口意の行為(業)に表さないようにすることを説いたから、業論者なのです。

ところが、愚輩さんはこういうことを何度説明されても理解できず、
業という言葉が出て来るアゴン宗の業と同じだと思いこんで、
業解脱などと言い出す。
業解脱などジャイナ教という外道の解脱で、仏教には存在しません。
637神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 13:19:33.92 ID:hXzvn1QR
阿含経に書いてあることを無視して反論してる批判派の反論は、妄論でしか
ない。だから意味ないのです。
阿含経に書いてある尽苦際、尽生死、が目に見えないのか!アホどもには。
末世成仏本尊経講義68ページには、
仏とは、因縁から成る世界を解脱した
存在、だと書いてあるだろよ。
また5根法の解説でも、因縁因果の法則を超越する、と解説してるだろ。
いずれも、涅槃は縁起の法の世界を、
超えた世界だと説明しているのです。
それさえ理解していなかった批判派w
管長も大変だぁな。
638神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 13:39:56.52 ID:hXzvn1QR
愛人裁判だと騒いでるのも妄想だね。
釈尊と阿難はゲィの関係だと騒いでる
に等しい。
色川氏は、信者として認めよ、と訴え
ただけだろ、何が愛人だね?妄者ども
よ。
639神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 13:51:31.35 ID:hXzvn1QR
御霊諭とか騒いでるのも妄想だね。
誰もその実物を、見た人はいない
だろ。ネット情報を妄信してるに
過ぎないね。
640神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 14:11:29.41 ID:hXzvn1QR
脳梗塞だと騒いどる批判派も、おかしい
ね。その後の管長を見てたら早、脳梗塞
というのは、医者の誤診じゃないの?と
思うのが普通だろ、管長の働き見た人は
さ、そうでなくば、健康者の立場ないね。
641Rashin:2013/09/13(金) 14:34:15.75 ID:a+fYIUMa
>>621 :神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 09:27:54.39 ID:UIO74j45
釈迦は、つまり阿含時代は、涅槃を縁起の世界を、超えた世界と教えたのです。

釈尊はそんなことを教えても説いてもいない。
初期仏教は、生存苦の生起消滅を示す十二支縁起(因縁因果)による
煩悩の滅を説いていたのです。
続く部派仏教は、「悟りは”滅”や”解脱”と表現され,縁起を
超越し縁起を滅した世界とされた.」ー岩波仏教辞典ー縁起の項ー
さらにKOwaremonn(準シュダオン)さんは、有余涅槃(肉体など生存の
制約を有する)と、無余涅槃(肉体など生存の制約からの完全離脱)を
判別できていない。
KOwaremonn(準シュダオン)さんの「釈迦が教えた」などでは無く、
それは部派仏教の解釈を"ツ"ギ"ハ"ギ"した虚説です。
学者も「縁起の世界」などと表現した事例は無く、部派仏教のは
上記「縁起を滅した世界」で、ようはあなたの"ツ"ギ"ハ"ギ"です。
釈尊は、無余涅槃者(滅びてしまった者)=入滅とは「論ずるよすが
などない」「飛び立った鳥に足跡は見えない」と表現したのです。

>>622 :空は無常でほぼ縁起の法と同義語ですから。

桐山さんの常ならざる世界観=空と、諸原因・諸条件を以てして
「縁って起こる」という縁起の教理が一致する分けがない。
桐山さんの空観は、インネン切りに歪曲化されているのです。
KOwaremonn(準シュダオン)さんの解釈は、単なる無知そのものだ。
642神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 15:59:46.71 ID:++/dSIvM
阿含宗サイトより http://www.agon.org/news/news000154.php

阿含宗 中東・東アジア平和祈念 成仏供養大法会

聖地エルサレム仏舎利塔建立供養
中東平和祈念護摩法要

8月末  イスラエル国エルサレム市  (終了いたしました)
9月15日 阿含宗エルサレム平和友好広場(阿含宗本山)    

阿含宗台湾本山道場落慶奉祝 東アジア平和祈念護摩法要

11月10日 阿含宗台湾本山道場(台北市)

このたび、阿含宗は、立宗三十五周年を迎えるにあたり、世界平和の実現に向けて、
中東での紛争と東アジアの緊張という二つの危難に対処するために、二つの記念行事を執り行うことになりました。

中東に仏舎利塔建立

まず、一つ目は、三大一神教の聖地エルサレムの仏舎利塔建立です。
2008年、阿含宗は、世界の火薬庫と言われるイスラエル国に赴いて、世界平和を祈る大柴燈護摩供を奉修し、
大成功を収めましたが、その歴史的偉業を後世に遺し、永遠に世界の恒久平和を祈るために、モニュメントを建立し、
その中心に仏陀釈尊のご聖物を納めた仏舎利塔を奉安することになりました。
同時に、本山境内地の「阿含宗エルサレム平和友好広場」にも対となる仏舎利塔を奉安いたします。
阿含宗本山とエルサレムの仏舎利塔建立地が、この二つの仏舎利塔を通じて霊的につながることになります。
阿含宗本山に仏舎利塔が奉安される式典では、三大宗教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教と、完全仏教の
阿含宗を加えた四つの宗教の融和と世界平和を祈念して、管長猊下ご親修の護摩法要が盛大に執り行われます。
643神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 16:01:14.82 ID:++/dSIvM
東アジアでの護摩法要

二つ目は、台湾本山道場落慶に伴う、東アジアでの世界平和祈念護摩法要です。 

阿含宗は20年近く前から、東アジアの要ともいうべき台湾で活動を続け、1998年には台北道場に真正仏舎利尊が
奉安されており、本年秋には、立派な錬成施設を備えた台湾本山道場が完成いたします。そして、この道場開きの
法要において、管長猊下を大導師に、東アジア平和の要となる台湾の法城を盤石にするとともに、東アジアに渦巻く
破滅のカルマを断ち切るための護摩法要が執り行われます。
仏陀の成仏法が込められた真正仏舎利尊を、三大一神教の聖地エルサレムに奉安し、成仏法の聖火を東アジアの
要の地、台湾に燃え上がらせて、完全仏教の祈りによって争いの根を絶ち、世界平和実現にむけて大きく飛躍
しようではありませんか。                                                   合掌

詳しくは各本部・道場にお問い合わせください。
644神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 19:56:27.46 ID:JZo4RvzW
成仏法の聖火…。オリンピック。あー東京オリンピックですか。
645神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 22:00:31.16 ID:xfCLtBII
仏とは、因縁から成る世界を解脱した存在、だと末世成仏本尊経に書いてあることを、確かめた人は、いるかな?
因縁から成る世界とは、縁起の世界で
あることは解るよね?
このように、管長は因縁切りの最後には、縁起の世界を超越することを、説かれているのですよ。
深山などアホは、縁起を超越した世界
など、想像さえできないだろう。
昔の人が、宇宙の無重力を想像できないようなものだな、それが深山だね。
646喜智山 精湧:2013/09/13(金) 22:10:48.74 ID:5Xdo94eb
十二縁起としてまとまるのは、後の時代です。
十縁起の原始仏教経典の話をしましたね。
うなづく人が多いので安心しました。
煩悩へのアプローチ、釈迦の時代には既に煩悩を御する仙人はいました。
煩悩を滅する境地の仙人もいました。
そうそう、仙人の名前を口に出来た人もいますね。
釈迦はね。仏教はね。其処から超えて始まっているのです。
647喜智山 精湧:2013/09/13(金) 22:12:04.90 ID:5Xdo94eb
十二縁起としてまとまるのは、後の時代です。
十縁起の原始仏教経典の話をしましたね。
うなづく人が多いので安心しました。
煩悩へのアプローチ、釈迦の時代には既に煩悩を御する仙人はいました。
煩悩を滅する境地の仙人もいました。
そうそう、仙人の名前を口に出来た人もいますね。
釈迦はね。仏教はね。其処から超えて始まっているのです。
648神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 22:53:20.75 ID:xfCLtBII
末世成仏本尊経とは、管長が三福道と名付け
た経のことだ。あの経の三善根を、無貪ジン癡
のことだという者は、浅はかだね。
なぜならば、癡という無明を、つまり無癡
を達成できたら阿羅漢なのだ。
しかも、貪欲、怒り、を断ずる修行は三結を
断じた後の修行課程ですからね。
この経の三善根は、いわゆる無貪ジン癡の
ことではないのは明らかですね。
649神も仏も名無しさん:2013/09/13(金) 22:56:52.39 ID:xfCLtBII
仏とは、因縁から成る世界を解脱した存在、だと末世成仏本尊経に書いてあることを、確かめた人は、いるかな?
因縁から成る世界とは、縁起の世界で
あることは解るよね?
このように、管長は因縁切りの最後には、縁起の世界を超越することを、説かれているのですよ。
深山などアホは、縁起を超越した世界
など、想像さえできないだろう。
昔の人が、宇宙の無重力を想像できないようなものだな、それが深山だね。
650深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 23:37:35.64 ID:Lkqq6WDv
>>646 :喜智山 精湧:2013/09/13(金) 22:10:48.74 ID:5Xdo94eb
>煩悩へのアプローチ、釈迦の時代には既に煩悩を御する仙人はいました。
>煩悩を滅する境地の仙人もいました。

あなたも良くまあ嘘を書き連ねますね。
アーラーラ・カーラーマ、ウッダガ・ラーマプッタなど釈尊が師事した仙人の
誰が煩悩を制御したのだ?
どこにそんなことが書いてあるのか、引用してみなさい。
二人の仙人は高度の瞑想法を体得した人たちです。
しかし、釈尊はこの瞑想法を体得し、二人の仙人が本物であることを認めながらも、
解脱の道ではないと彼らの元を去ったのです。
二人の仙人たちは、確かに高度の瞑想の境地に到達していたが、
煩悩を滅する道など説いていない。

喜智山さんは、桐山さんから煩悩をなくすなんて倫理道徳レベルだと
教えられ、それをそのまま鵜呑みにしている。
だから、煩悩をなくすなんて他の宗教家も説いていたに違いないと
勝手に決めつけて、空想で書いている。
あなたには釈尊への信仰心はないのか。

煩悩を断ちきることをものすごく簡単だと思いこんでいるのでしょう。
やってから言いなさい。
ただ小馬鹿にするばかりで、試したこともないから、そんなアホウなことを書いていられる。
651深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 23:42:34.22 ID:Bfm36dxW
>>646 :喜智山 精湧:2013/09/13(金) 22:10:48.74 ID:5Xdo94eb
>十二縁起としてまとまるのは、後の時代です。

十二縁起が後世にまとめられたと主張することで、私の縁起の説明が
間違っているかのような印象を与えようとしているようだが、無駄です。
十二縁起がいつ成立したかは学者の間でも異説があり、定説にはなっていません。
だが、いずれにしろ阿含経の中にあります。

後世などと言ったら、三十七道品なんて後世も後世、アビダルマになってからです。

また縁起の説明は何も十二縁起など用いる必要はない。
有名だから引用しただけで、いつも書いているように、
「無明→老死」、これだけでも十分です。
実際、阿含経には十二だけてなく、九つなど、様々に説かれている。
十二縁起による考察から得られた結論として大切な点は、
「輪廻の苦から脱出するには煩悩を断ちきれば良い」
というこの一点です。
どこにも因縁(縁起)を断ち切れなんて教法はありません。
652深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 23:47:03.56 ID:EH/CnIu3
>>646 :喜智山 精湧:2013/09/13(金) 22:10:48.74 ID:5Xdo94eb
>釈迦はね。仏教はね。其処から超えて始まっているのです。

嘘を書くな。
煩悩こそが苦の元であること、煩悩を断ちきれば輪廻も断ち切ることが
できることを発見したのは釈尊だけです。
煩悩について言及する宗教など他にももちろんあった。
ジャイナ教など煩悩の分類まで似ています。
だが、煩悩を断ちきれば解脱すると説いたのは釈尊のみです。
他の六師外道たちもそんなことは説いていない。
漏尽解脱こそ、釈尊のオリジナルです。
あなたは釈尊を拝みながら、彼の解脱を小解脱と罵っている。
これだけ根拠を示されて教えられてもまだわからない愚か者が一人いるが、
喜智山さんもそのお仲間らしい。
653深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2013/09/13(金) 23:48:06.74 ID:Bfm36dxW
>>646 :喜智山 精湧:2013/09/13(金) 22:10:48.74 ID:5Xdo94eb
>釈迦はね。仏教はね。其処から超えて始まっているのです。

嘘を書くな。
煩悩こそが苦の元であること、煩悩を断ちきれば輪廻も断ち切ることが
できることを発見したのは釈尊だけです。
煩悩について言及する宗教など他にももちろんあった。
ジャイナ教など煩悩の分類まで似ています。
だが、煩悩を断ちきれば解脱すると説いたのは釈尊のみです。
他の六師外道たちもそんなことは説いていない。
漏尽解脱こそ、釈尊のオリジナルです。
あなたは釈尊を拝みながら、彼の解脱を小解脱と罵っている。
これだけ根拠を示されて教えられてもまだわからない愚か者が一人いるが、
喜智山さんもそのお仲間らしい。
654深山 ◆Y0jS4ug6fQ
>>646 :喜智山 精湧:2013/09/13(金) 22:10:48.74 ID:5Xdo94eb

あなたは桐山さんの語り口を真似たつもりで書いているが、
桐山さん以上の嘘つきになっていることに気がついているか。
書いている内容は、愚輩さんと同じで、あなたの勝手な解釈です。
批判側に反論したい一心で、書いている内に、
釈迦仏教でもなければ、アゴン宗の教義ですらないことを作り上げた。
桐山さんですら言っていないことを、さも桐山さんが言っているかのように書いている。
それは釈尊への冒涜だけでなく、桐山ゲイカへの裏切りです。
喜智山さんも愚輩さんも、桐山さんが言っていない嘘を作り出して、
桐山さんが主張しているかのように書いている。
世間の皆さんの前で師に恥をかかせている。
愚輩さんだけでも桐山さんの顔に泥の厚塗りをして来たのに、
さらに桐山さんに恥をかかせたい信者が出てきた。