1 :
神も仏も名無しさん:
常に意識を傾注している者として、坐すように。
常に意識を傾注している者として、立つように。
常に意識を傾注している者として、歩くように。
考えるな、感じるんだ!
2 :
妖拳:2013/07/24(水) 00:25:29.72 ID:MnetN/pB
ブルース・リーのセリフじゃん
3 :
神も仏も名無しさん:2013/07/31(水) 23:19:52.33 ID:Ub3fDjOG
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
4 :
神も仏も名無しさん:2013/08/03(土) 13:47:35.55 ID:DTz7+ApE
師衆に示して云く、
「善知識よ、何をか名づけて坐禅とするや。
此の法門中は、無障無礙なり。外に一切の善悪の境界に於て、
心念が起こらざるを名づけて坐と為し、内に自性を見て動ぜざるを名づけて禅と為す。
善知識よ、何をか名づけて禅定とするや。
外に相を離るるを禅と為し、内に乱れざるを定と為す。
外に若し相著れれば、内に心即ち乱れ、外に若し相を離れれば、心即ち乱れず、本性は自浄・自定なり。
只だ境を見、境を思えば即ち乱るると為す。若し諸境を見て心乱れざれば、是れ真の定なり。
善知識よ、外に相を離るる即ち禅、内に乱れざる即ち定なり。外に禅、内に定なり。是れ禅定と為す。
菩薩戒経に云く『我れ本元自性清浄なり』
善知識よ、念ずるとき念中に、自ら本性清浄なるを見、自ら修し、自ら行じ、自ら成ずるが仏道なり。
― 『六祖壇経』坐禅第五
5 :
神も仏も名無しさん:2013/08/09(金) 21:42:26.55 ID:Lte342dC
立禅って原始仏教からあったの?
あと寝禅は駄目?
6 :
神も仏も名無しさん:2013/08/10(土) 18:48:44.54 ID:RWjjAFxv
どちらも、なかったよ
7 :
神も仏も名無しさん:2013/08/10(土) 19:03:14.41 ID:d1zdJIoh
弓道では射は立禅なりと言ってましたね。確かにメンタルな比重が大きいですが。
8 :
神も仏も名無しさん:2013/08/12(月) 07:54:55.00 ID:Bv3TFaND
>>5 ないよ。結跏趺坐も元はインドのヒンズー教あたりの座り方だから。
立禅も経行も後の人が応用して編み出したのだろ。
9 :
神も仏も名無しさん:2013/08/12(月) 19:42:26.53 ID:KHSbd+bc
どちらも今という瞬間を意識してください
これがとても重要です
10 :
神も仏も名無しさん:2013/08/20(火) 18:28:10.26 ID:xAM5POH4
ティック・ナット・ハンの『小説ブッダ』では、
ブッダがねんじゅう「歩く瞑想」(経行)をするけど、
あれは作り話ですか?
歩くことに限らず すべての動作が
瞑想になります。
12 :
神も仏も名無しさん:2013/08/24(土) 18:40:15.48 ID:pNW8WwFX
13 :
神も仏も名無しさん:2013/08/27(火) 20:40:59.26 ID:F6STf1JP
立禅も経行もおそらく仏教のはじめから
存在していたはずです。
その根源は気づきにあると思われ
それは寝ても起きても歩いても
気づき続ける必要があります。
今という瞬間を観つづけると言うのが狙いと考えられます。
坐禅でどういう経験が出来たら見牛の境地と言えますか?
15 :
神も仏も名無しさん:2013/09/07(土) 09:57:22.21 ID:ZANopq8T
>>13 気づき(サティ)が仏教の根本だというのは本当なのか?
作り話とまでは言わないが、中心点がずれているのでは?
まあ作り話だ。
>14
そんなのは無い。最初に段階過程のイメージを繰り返し刷り込みしてしまう
ので、そういう段階に至ったと錯覚するだけだ。それぞれの宗派で見えるものが
異なってくる。
17 :
神も仏も名無しさん:2013/09/09(月) 12:05:38.16 ID:ifZGQJqK
余計な意見に惑わされずに
瞑想を実践しましょう。
18 :
神も仏も名無しさん:
忙しくて静かに瞑想する時間がとれない人は、
通勤通学や日々の生活でのヴィパッサナーを
行うとよい。