>>949 追加
家族や近隣の住民 属するカーストからも見放されて路上で病んで死んでゆく人たちは
頼る相手がいない 孤独で空っぽの状態
そうなるに至った彼らの罪はもちろんあるけど 本人はそれに押しつぶされて手を差し出してるだけの状態よね
その手を掴んで引き起こし 施設で必要な処置をする 自分と同じ人間として敬意をもって接する
世話を通じて彼や彼女を愛する
世話を受ける人たちがそれによって心に何かを取り戻し 心に何かが芽生えたら 世話をする修道者やマザーへの
感謝が起きて 喜んだり平和な気持ちになることが出来たら たとえ異教の神に向けたとしてもその人たちが
世話をする人のために祈れたら
その瞬間に癒しがおきる可能性はあるでしょ?
主の福音を良く知らず 悪いことばかり教えられて 福音に心を閉ざしていたとしてもね
もし彼らが心で主を信じたとしたら カトリックでは救いにあずかれる 煉獄経由だけど
そうした癒されて亡くなる死者が生前信じていた宗教で葬られてもカトリックではもはや無関係なわけ
これは蛇足だけど^^