阿含宗という宗教227

このエントリーをはてなブックマークに追加
497神も仏も名無しさん
<釈尊の教えの根本>

釈尊の 「教え」の原点は「渇愛(煩悩)」を滅することです。では何故に消滅が必要なのか?
それは、輪廻を起こす正体が「渇愛」であると見破ったからです。
釈尊の悟りの根本は、この「渇愛」の発見にこそあったと言えます。

私はこのスレでの議論を通して桐山さんの「因縁切り=因縁解脱」や桐山流の四聖諦の解釈が誤りだと理解しました。
つまり、苦の原因は桐山ゲイカが説く「悪因縁」などではなく
渇愛(煩悩)でありそれを滅する方法が八正道だど理解した訳です。

(ダンマパダ153番)
家の作者(作り手)を探し求め 幾度も生まれ、輪廻の中を 得ることもなく、彷徨(さまよ)った
(ダンマパダ154番)
家の作者よ、お前は見られた  二度と家を作りえず  お前の垂木(たるき)はすべて折れ
棟木(むなぎ)も破滅されている  私の心は無作にいたり  渇愛の滅に到達す

意訳:
『私は、輪廻を造りだす原因(家の作者)を探し求めて、何度も生まれ変わり、死に変わりして輪廻の中をさ迷い続けた。
 だがついに、私はその原因(家の作り手)を発見した(お前は見られた!私に見つかってしまったのだ!)。
 それ故に、私はもう、家の材料となる垂木も棟木も壊してしまって、私は輪廻に赴くような何ものも作ることがない。
 それは、(家の作り手である)渇愛 を滅すること に到達したからなのだ。』

「四聖諦」の中の最も重要なポイントは、苦の生起は「渇愛」に縁って起きる、
ということで、釈尊の悟りの根本は、この「渇愛」であり、それを滅する方法が八正道であることを示しているのです。