1 :
神も仏も名無しさん :
2013/06/05(水) 02:19:02.84 ID:v/8FIJ2H そもそも悟りがどういうものなのか自体が誤摩化されていてはっきりしないので
(宗教特有の永久に辿り着けないゴール地点を置いて支配するテクニック)
これが悟りだ!って、誰でも辿り着けるような低い境地・状態を悟りだと言い張るなら
まあ悟りがあると言えなくもないんでしょうけど
そんなものだったら有り難みも何もないわけですし
ネット見てると自称悟った人が妬みや自己顕示欲などを剥き出しにしていて
こんなおかしな人がけっこう世の中には居るんだなと溜め息が出ます
関連スレ
神なんて存在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 69
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1370326904/
2 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 02:21:42.32 ID:v/8FIJ2H
今の日本に生まれ育って、普通に義務教育を受けてテレビなどから情報を得ていれば 宇宙の成り立ちや進化、ほかの動物と人間との関係、人類の歴史、文明の成り立ちについて、 何となくはわかっているはずです。 そういう知識があれば、欲とは何か、悩みとは何か、善悪とは何か、 ということも、何となくわかるはずです そしたら、悟りなんて無いって、わかりますよね?
3 :
安道 :2013/06/05(水) 02:32:31.15 ID:CzIfWYWx
俺が悟りだ! イェイ! 私が神だ! イェーーーい! 以下省略
4 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 02:33:29.69 ID:v/8FIJ2H
人間が、不安定でフレキシブルで、それゆえに高い適応力を持つ生物として作られている以上 人間の前には迷わなくていい完全な生きる道は無いし 自分たち自身の有り様の中に悪というものを見出してしまう この世も人間も糞でどうしようもないのは決定事項で そこから解放された完全な人も完全な境地もあり得ないわけです 大事なのは、それでも糞の中で踏ん張って皆で手を取り合って 少しでも世の中よくなるように頑張り続けて行くことで、それしか出来ないわけです それなのに宗教の修行だの言って普通の生活を捨てちゃうのって 要するに現実逃避ですよね?
5 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 11:32:28.57 ID:v/8FIJ2H
ね?
6 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 11:57:55.67 ID:ZBXoY3nv
途中まではまさに悟りのことを語っているよ、お前
7 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 14:57:25.71 ID:v/8FIJ2H
寧ろ逆に悟りは存在するよ
9 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 15:15:35.67 ID:v/8FIJ2H
>>7 >>4 の途中まではその通り
「世の中"良く"なるように」とあるが、その善すらも不完全で不安定である自覚は必要である
適当なサイトからガンジーの言葉を引用しよう
>すべての宗教は同じ神から発している。しかし,どの宗教も不完全である。
>なぜなら,それらは不完全な人間によってわれわれに伝えられてきたものだからである
>我々の考えている宗教は,このように不完全なものであるから,常に,進化と再解釈の過程に従わなければならない。
>真理すなわち神に向かっての進歩は,このような進化を通してのみ可能となる。
>すべての信仰は真理の一つの啓示であるが,しかし,同時にみな不完全であり,誤りを免れない
不完全という真理を知ることが悟りである
11 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 15:33:49.29 ID:v/8FIJ2H
それが悟りであるとするのはガンジーさんの意図とも反している気がしますが・・
故に、不完全を知るならば >それなのに宗教の修行だの言って普通の生活を捨てちゃうのって >要するに現実逃避ですよね? のような一つの結論を導くことはできない だから結論というものは、般若心教にもあるように 「悟りを得た者は、悟ったという思いを持たない」 みたいな不完全な結論でなければならない 悟りがある、というのは誤り 悟りがない、というのも誤り 悟りがあるというのは悟りがないということなのである
13 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 15:35:21.49 ID:v/8FIJ2H
誤摩化しですねえ
>>11 まあ理屈でいうとこうなるんだが、悟りを得る方法は、実践だ
具体的には、自分の心を分析して、不安定、不完全、矛盾を全て無意味とする
最後に残る何かを感じること、或いは何も残らないことを実感するのが真理、
神への到達であり悟りであると言える
>>13 お前は、口では人間が不完全といいながら、多分人間が不完全だと認めてないんだろうと思うよ
実際、無意識なだけに難しい
16 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 15:51:59.30 ID:v/8FIJ2H
ていうか別に不完全じゃないですよ ありのままの人間が人間の全てです でも人間は、あれが悪いとか、これが足りないとか、思うように作られてるんですよ
瞑想とかせずに生活の中で実践するなら、常に物事を両面から見ていくこと この時「だって俺は俺の視点からしか見れないし」てのは現実逃避であり、 お前の言う、悟りを求め生活を捨てるのも現実逃避である どちらも一応正しいんだが、そこで諦めてしまわず 「両面の視点から見ようと努力する」「生活を捨てずに悟りに近付こうと努力する」 その努力は現実逃避の反対、現実と戦うということだ
18 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 15:55:42.58 ID:v/8FIJ2H
なぜ悟りに近付こうとしなきゃいけないんですか?
>>16 「そういうふうに作られてる」なんて、不完全な宗教の言い方の典型じゃないですか
>>18 あるかないか確かめるためだろ?
スレの趣旨ひっくりかえすなよ
思い通りにできないことを、思い通りにしようとするから、苦しいだけのことで・・・
22 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 16:00:43.82 ID:v/8FIJ2H
>>19 おや
そこに「不完全」がかかるんですか
そうですね
ある意味ぼくは科学教の信徒なのかもしれないです
科学をきちんと理解してるわけじゃなくて、結果をつまみ食いした部分について
正しいと思い込んでますから、そういう意味でも宗教的かもしれないですね
ですが、進化論的に世界を、人間を見るならば、やはり、
そういうふうに作られているってことになりそうなんですよねえ
悟りってのが不変的なものなら、悟りってのは存在しないよな。 悟りは線上の点でしかない。なう。
24 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 16:03:48.98 ID:v/8FIJ2H
>>20 あるかないかもわからないのに
あると言ってる人達が推奨することを頑張るんですか?
わかってますか?宗教がどういう機能を持っているか?
宗教ってのは、人間が人間を支配するためのツールです
お前らが生きてて色々苦しいのは、お前の気持ちのせいや!
お前が悟ってないからや!
これって、民衆の不満を自己責任にしちゃって押さえ込むテクニックですよ
25 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 16:05:45.50 ID:v/8FIJ2H
>>23 普遍的って言葉は聞いた事がありますけど
不変的ってのはあんま聞いた事ないですね
不変のものなら、ならわかります
ぼくらみんな年老いて死ぬ ってわかってれば悟ってるよ
27 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 16:12:38.69 ID:v/8FIJ2H
>>26 それは仏教用語としての悟りじゃないんじゃないですか?
28 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 16:19:34.33 ID:v/8FIJ2H
やはりこの板には 「宗教」というもの自体を一歩引いた視線で見るということが出来る人は あんまり居ないみたいですね
>>22 進化論なら、そういうふうにただある、でいいんじゃないの
作られただなんて、まるで現実世界に創造神がいるような言い方だわ
>>24 いやいや、確かめたいならこうすればいいと教えてるだけで、
こんなスレ立てながら、悟りがあってもなくてもいいというなら、何がしたいのかわからんぞ
後段は、刃物が人を傷付ける道具だっつうようなもんで、一面の真実ではあるが両面を見ろとしか
まあ俺の言葉より、ガンジーの言葉を考察してみれ
「全ての宗教が同じで、全て不完全」なんて、立場考えたら本当に凄い発言だぞ
だから暗殺されたが
30 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 16:50:34.25 ID:v/8FIJ2H
んー 全て1つの神から、なんてのは、信仰がある人らしい発言ですよねえ 宗教が「ある」という神秘的な真実を肯定しつつ 色んな宗教があるという現実を納得しようとした場合の一つの結論ですよね 昔の日本でもキリスト教の神を大日如来ってことにしたりしてくっつけてましたよね でも、正直、ここでガンジーさんのその発言を持ち出す意味がわかんないです 宗教者としてじゃなく人間としてガンジーさんは尊敬に値する人だとは思いますけど
31 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 16:59:04.97 ID:v/8FIJ2H
ただ、その発言を見た感じ、実際のとこガンジーさんは無宗教だったんじゃないかって気もしますね 悟りとかあると思ってなかったんじゃないですか?
>>30 ガンジー持ち出したのは、お前の言う不完全と同じことを言っている悟り人からだよ
ガンジーは人間が不完全という思考をを貫いてる、あるいは貫こうとしてるけど、
お前は自覚なく適当に使い分けすぎだ
あと、確かにキリスト教の神は如来に相当するね
33 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 17:01:19.34 ID:v/8FIJ2H
宗教それ自体は人間が作ったものだから神の真実そのものではあり得ない ってのは、とりあえず宗教を信じてる人を言いこめるにはいい言い方だと思いますけど ガンジーさんが言う「真実」そのものが無いんだっていうのが 私の、あるいは現在の常識的な見方ですよね そしてたぶんガンジーさん自身もそれはわかってる わかってるけど理想を追う事は捨てられないってことですねえ
34 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 17:03:32.81 ID:v/8FIJ2H
ガンジーさんはその発言で別に宗教的な教義を説いてるわけじゃないですよね むしろあらゆる宗教の否定に近いことも言ってるわけで 不断の更新と努力が必要っていう、科学主義的、進歩主義的なことを言ってるだけっすよねえ
35 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 17:05:54.85 ID:v/8FIJ2H
ガンジーさんは自分のことを「悟り人」だと思ってたでしょうか? 思ってなかったんじゃないかなあ 発言の内容も、ただ単に「西洋の現代の科学的思想に触れて感化された東洋の宗教関係者」 ですよねえ 宗教の内側から見たら、ものすごいことを言ってるんでしょうけど 現代日本に生きる立場から見ると、当然のことにちょっと宗教的迷信がくっついたことを言ってるだけにすぎない
36 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 17:24:25.11 ID:v/8FIJ2H
あなたはガンジーさんは「人間は不完全」を徹底してると言ってますけど ガンジーさんは「神の唯一の真実」はどっかにあるという風に(少なくとも字面では)言ってるわけですね。 そういう意味では、僕ほど徹底してはいないですね。
>>33 無いことを客観的に分かってるようだけど、主観的に知るのが悟りやね
俺も、15年前から人間がなんでも無いことを客観的には分かっていたんだ
38 :
連投規制されたのでケータイから1 :2013/06/05(水) 17:33:03.32 ID:nhRvAmug
人間の能力が低いせいで、どこかにある「真実」にたどり着けないわけじゃないんですよ。 「真実がどこかにある」ということ自体が、 人間が、宗教が、作り出したフィクションなんです。 だから、そこに行けるわけがない。
39 :
連投規制されたのでケータイから1 :2013/06/05(水) 17:47:07.25 ID:nhRvAmug
「悟り」は、人間が作り出したフィクションです。 どこにも、ありません。
>>34 まさにそう
科学と宗教の関連についても語ってるから調べてみ
悟りを得た者が悟り人だと自覚しないのは、まさに般若心教にある通り
41 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 18:05:50.59 ID:v/8FIJ2H
>>40 その理屈を使えば、何か偉い人がどこかで出て来たときに
「あの人は悟った人だ!」と言って自分の勢力に取り込んで宣伝に使えるわけですね
まるで予備校が優秀な学生に冬期講習だけ金を払って来てもらって
合格後に○○予備校のおかげで東大に入れました!とか言わせるみたいな
セコい手ですね
宗教らしいセコさです
42 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 18:14:00.04 ID:v/8FIJ2H
あらゆるお経は、人間が書いたものです 基本的にフィクションです
43 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 19:35:41.34 ID:v/8FIJ2H
仮にね 「悟り」を得た人は、それを自覚しない、ということが真であるとしましょう では、誰が、あの人悟ってる!って、どうやって、判定すんの?
>>41 もちろん可能
なんせ、人の心はわからない
わからないからこそわかろうとできるのでもあるけど
疑問なんだが、般若心教とか禅宗、あるいは多少分かりやすくした中論なんかはお前の中でどういう位置付けなんだ?
「如来は如来である特徴を備えないから如来だ」
「悟った者は悟ったと思わないから悟ってるといわれる」
「人が感じる事柄は感じる事柄でないから感じるという」
物語としては無茶苦茶でエンターテイメント性のかけらもない、
普通に読んだらわけわからんこと言ってるだけで人を支配するのには使えない
お前の考えにたったとき、なんで今存在するのか理解するのは難しそうに思う
俺は根本的に他の宗教と同じこと(神に至る道)を示すと思うから、求心力があって当然だと考えているし、
もしアレが仏教の中に突如現れて意味不明のこと言って偉ぶってるだけの経典なら、
こんだけ続くはずもないと考えるから、今存在するのが不思議だとは思わないが
45 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 19:47:27.47 ID:v/8FIJ2H
わけがわからんものというのは オタク的な集団の結束を強めるのにとても効果的でしょ 上にも書きましたけど、絶対に辿り着けないゴールを設定することによって お前はまだまだこわっぱじゃあ!って従わせるにも有効なんですよ
>>43 パソコンよくわかってるひと、みたいな感じかな
パソコンについてディープな会話が成立していても、
実は相手は教本を丸覚えしてるだけだけかもしれない
全く別のこと考えてて、偶然会話が噛み合ってるだけかもしれない
相手が何考えてるかなんてわからんのは、チューリングテストで示された通り
あるいは中国語の部屋を考えてみてもいいかもしれない
俺が人間か、自動応答悟り布教プログラムかすら、お前にはわからんのと同じ
俺の考える悟りとガンジーの言動に、一致する点が多いと「俺が思っているだけ」だよ
人間て凄いよね
47 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 19:49:39.59 ID:v/8FIJ2H
>>46 あなたが考える悟りの条件の正しさは誰が保証するの?
あなたは悟ってるの?
>>45 本当にそれで消化できてるのか、少し驚いた
オタクが共通認識もってりゃそれもありだが、少し意味ズレるだけで内戦勃発しそうだがなあ
偶然会話が一致し続けるには長く続きすぎてるとは……思わないのか
ちなみに聖書は解釈わかれて内戦起こりまくりだわな実際
俺にすれば、般若心教なんかは一旦判れば解釈分かれようがないくらい厳密に見えるが
>>47 悟りの仕組みというか内容はだいたい理解したと思うよ
ただあくまで客観だから悟ってはいない
主観はすこし理解して引き返した、あるいは立ち止まってる
50 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 19:56:07.08 ID:v/8FIJ2H
日本の仏教が長く続いたのは政治権力との折り合いが上手く行ったからですよ 支配のツールとして社会システムの中に組み込まれたからです 内戦は実際起きてるでしょ 仏教の宗派いっぱいあるじゃない
51 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 19:56:54.57 ID:v/8FIJ2H
>>49 悟った人は自覚しないけど
途中だと自覚できるんですねえw
だいたいしか把握してないけど他人のことは判定できるんだ?w
52 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 20:00:21.33 ID:v/8FIJ2H
例えば昔の聖書が専門家しか読めないようなラテン語?ギリシャ語?だかで書かれてたってのも 専門家の権威を守るためっていう面があったのは定説でしょ わけわからんは上手に使えば支配を強められるんですよ
53 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 20:06:37.49 ID:v/8FIJ2H
般若心経が今ポピュラーなのは、適度に短くて写経しやすいとか そういうのもありますねw そういうのも重要 宗教の基本的な手法として一回成立した過去の権威はなるべく否定せずに それを印籠的に使って虎の威を借りて自分らの存続をはかるから 一度成立したお経だのはそう簡単には否定されない
54 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 20:07:14.09 ID:wlvMXbXl
自我=パンティー 真我=おめこ パンティーがおめこ見たい!!おめこを見たいんや!!どうしたらええんや!? と悩み苦しみむが「迷い」 何のことはない、パンティーを脱がせばおめこが見える、その時パンティーはない これが「悟り」や そういうことやろ!?
>>51 だから「俺が思っているだけ」だよ
俺の主観は俺にしか保証できない
お前の主観についてはお前にしか
>>54 的確すぎてワロタ
そういうのがパッと出てくる人間になろう
自殺者だよ
58 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 13:17:01.62 ID:1vYNLmJt
>>57 妖怪の「サトリ」って居るでしょ
「悟る」って、日本語の普通の動詞になってますよ
59 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 13:19:05.34 ID:1vYNLmJt
>>54-55 パンティーを脱がすのはパンティーじゃない
おめこが見えるのはパンティーを脱がせた誰か
パンティーは誰かの手の内で、おめこ見たいとうなっているでしょう
お釈迦様がおまんこ見るの?
60 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 13:23:19.01 ID:1vYNLmJt
ttp://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/88772/m0u/%E6%82%9F%E3%82%8B/ > さと・る【悟る/▽覚る】
> [動ラ五(四)]
> 1 物事の真の意味を知る。はっきりと理解する。「芸の神髄を―・る」
> 2 隠されているもの、また自分の運命などについて、それと気づく。感づく。察知する。「危険を―・る」「言外の意を―・る」「失敗を―・られないようにする」「死期を―・る」
> 3 仏語。迷い・煩悩(ぼんのう)を去って生死を超えた永遠の真理を会得する。悟りを開く。
生死を超えた永遠の真理w
ただの夢想ですよね
たとえば、そのへんの幼稚園児が空想した怪獣をどうやって捕まえに行くか、みたいな話
悟りなんてありません
61 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 13:25:13.84 ID:1vYNLmJt
>>54 みたいな屁理屈はね
僧侶っていう肩書きを持っている人間が
その肩書きに頭を下げてくれて悟りというものに価値があると思ってくれる人間に対して
けむに巻いて威張るための糞くだらない戯れ言にすぎないんだよ
そういうものを恥ずかしげもなく発言する時点で
自分自身を省みる姿勢ゼロ
悟りどころか、普通の人間として、全くダメ
>>59 自我と真我の意味をそのまま受けとって考えるといい
第三者は出てこない
おめこは観音様やね
64 :
神も仏も名無しさん :2013/06/07(金) 04:35:13.09 ID:u1fNu/rG
>>62 だからさwww
おめこ見たいって言ってるパンティーが自分から脱げたりしないでしょ?
誰がパンティー脱がしたのよwww
第三者は絶対に必要でしょうがwww
65 :
神も仏も名無しさん :2013/06/07(金) 05:22:33.55 ID:MlqfEDk6
>>54 その言い分だと、
自我は目的を邪魔するもので、
真我は目的ということになるな
悟りとか関係ないじゃん
誰でも思うことだし
それどこらかなんの説明にもなってない
66 :
神も仏も名無しさん :2013/06/07(金) 10:40:13.01 ID:t7D6Y/pi
海と波の関係だとか、スクリーンと映写機の関係だとか鏡だとか古今東西 いろんな例え話で思いっきりネタバレされてんのにまだ迷って悶絶しながら脱糞失禁してんのか このボンクラどもはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww お前らいったい「誰」なんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
67 :
神も仏も名無しさん :2013/06/07(金) 10:44:43.16 ID:t7D6Y/pi
答えを書いたカンペを目の前に差し出されてるのに このカンペの紙の材質はどうのこうのだとかカンペの持ち方がどうのこうのとか この文字は何で書かれているのだろうとかヘリクツ言いながらああでもねーこでもねーとか 文盲かよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
68 :
神も仏も名無しさん :2013/06/07(金) 20:51:18.43 ID:u1fNu/rG
だからさあ・・ そういう「有り難がってくれる人向けのけむに巻くための屁理屈」で 部外者に対して威張っても意味ねえって気付けよ 本当に恥ずかしいやつだな
悟りなんて無いでいいんじゃない?それでいいだろ? 無いんだよ悟りなんて、無いんだ、インチキだ、そんなものは無い 宗教特有の永久に辿り着けないゴール地点を置いて支配するテクニックだ カネ集めのためにデッチ上げたウソだ これで間違いありません これであなたの悩みは解決しました、おめでとうございます。
70 :
神も仏も名無しさん :2013/06/08(土) 18:34:19.26 ID:Kqx7VYW8
ずいぶんカチンと来てるみたいですね あのね 別に宗教が人を支配するツールっていうのは 悪いだけの意味じゃないんですよ 例えば分かり易いとこで卑弥呼なんか想像してみてよ 科学が未発達でわからないことやどうにもならないことが多かった時代に みんなをまとめてうまくやって行くためには神話的な作り話が有効だったんだよ まあ煮えたぎるお湯に手を突っ込んで火傷しなかったら無罪 なんてのは、やりたくないけどねww
71 :
神も仏も名無しさん :2013/06/08(土) 19:38:35.09 ID:Kqx7VYW8
カネ集めのためにデッチ上げたウソだとかwwww 宗教の歴史がいつから始まると思ってんのよwwww
72 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/08(土) 20:18:42.09 ID:z0BqelqK
宗教の歴史? 考古学的にはネアンデルタール人の埋葬例があるから10万年くらいか?
73 :
神も仏も名無しさん :2013/06/08(土) 20:24:31.36 ID:Kqx7VYW8
はるかなるロマンだねえ
74 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/08(土) 20:30:34.84 ID:z0BqelqK
一方、ホモサピエンスは、そのネアンデルタール人を食っ…
75 :
神も仏も名無しさん :2013/06/08(土) 20:46:32.02 ID:Kqx7VYW8
きゃー
76 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/08(土) 20:52:35.25 ID:z0BqelqK
しかし、毎度毎度、宗教信者VS無神論者という安直な構図ってよーやるわな。(笑) (^。^)もうちょっと突っ込んでかき回してグチョグチョにしてあはんうふんな議論が出来る論客は居ないのか?(笑)
人は自分の観念でものを見る
例えばたまたまこの板に来た宗教にまったく縁のない人がスレを立てた人に
悟りがどうのこうのとレスをつけたとしましょう。
それを受けてスレを立てた人は
>>1 に在るような観念で判断するだろう
例えばウヨサヨまったく関係ない人がたまたま東亜板に行って
住人の気に入らないレスをつければシナチョンブサヨ在日認定されるだろうし
その住人とってはそれが真実の世界なのだろう
だから悟りがないというのならないのだろう、あるというのならあるのだろう
白いものを青いサングラスをかけてみれば青に見えるし、
赤いサングラスをかけてみれば赤く見えるのと同じなのだろう
色付きのサングラスをはずしてみれば白いものはあるがまま白く見える
これが悟りというものなのだろうか?わたしにはわからない
78 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/08(土) 21:02:54.82 ID:z0BqelqK
>77 もし、貴方が「悟りという特別な境地」を想定して「悟りというもの」が解らないと言っているならば、 そんな「境地」は無いと断言します。 詳細は「中論」をご覧下さい。 坊主でもたまに居ますが、「悟り」という特別な境地があって、それが崇高だとするのが仏教だと勘違いしている人が多いですね。 仏教が崇高だとされているのは、差別や囚われから離れた境地を説くからであり、 「悟った仏」が偉いわけではありません。 まぁ、あくまで「本義に於いては」ですがね。(笑)
79 :
神も仏も名無しさん :2013/06/08(土) 21:05:04.49 ID:Kqx7VYW8
>>78 えー
じゃあ仏教とかいらなくね?
小学校の先生が「差別はよくないです!」って教えたらそれでよくね?
80 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/08(土) 21:15:23.64 ID:z0BqelqK
>79 んー、 学校でだけじゃなくて、生涯その問題と向き合い、突き詰め、 葬儀や祭祀も受け持ち、 文化遺産や伝統の継承まで学校のセンセーが受け持つなら、 坊主も仏教もいらないかもね?(笑)
>>64 まず、自分がパンティつけたおめこだというのが前提
素直に読もうよ
無いと判断してる時点で、何かしら具体的なイメージがあるわけだ
有るという側は、当然何かしらイメージはあるわけだ
で、このイメージが一致していないと、会話は成り立たんよね、ここまでは解るかな?
とりあえず「悟り」イメージのすり合わせから始めたら?
>>54 で、「自我が消えて、自我が真我を見ること」と定義されてるわけやん?
だったら次は
・俺の考える悟りと
>>54 は同じだが、存在しない
・俺の考える悟りはこういうものなので、
>>54 とは違う
を語らなきゃ前に進まん
他の動物にも自我と真我があるの? 悟りがあるの?
84 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 04:13:46.31 ID:7NUxj8Ni
>>81 あのさwww
素直に読んだら俺の反応のほうが普通だよww
おめーらみたいな宗教オタクのダメウンチクの上での解釈が「素直」とか
これだからオタクはwww
85 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 04:14:34.62 ID:7NUxj8Ni
旧世代のアニメオタクなら自分のイタさを自覚してるのが普通だが ここの連中はイタさの自覚ないのが多そうだなwww
86 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 05:42:36.17 ID:wdWlX7wn
>85 アニオタが痛いと考える人がコミケに行かないように、 伝統宗教が痛いと思うなら宗教板なんか来なければ良いんじゃね?(笑)
87 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 05:44:19.62 ID:7NUxj8Ni
誰も伝統宗教がイタいとか言っとらんがな・・ さらっと矛先そらすからなー(呆れ
88 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 05:48:03.98 ID:7NUxj8Ni
>>80 ・本来は仏教のやることではなかったとも聞く「葬式・お墓」
・古い建物や仏像の保存
が存在意義ってことが言いたいの?
>>78 の平等を説いたのがうんぬんとかってのは、
過去において画期的だったんじゃないの?っていう話ですよね?
89 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 05:50:28.12 ID:7NUxj8Ni
つーか
>>78 を読み返してみたら
・仏教「が」崇高だとするものは
っていう話から
・誰かが仏教「を」崇高だとするのは
につなげちゃってて天秤の右と左ががちゃがちゃで
小学校の国語レベルのことも出来てないんだな・・
やれやれ
90 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 06:05:48.28 ID:wdWlX7wn
ぼく、にほんごうまくないのー♪(笑)
>>1 かの白隠禅師をして「大悟十八回」と言わしめたほどでありながら、
実際のところ、白隠禅師で十八回の大悟とするのならば、彼にとっての小悟ともなれば
それこそ数えきれないほどの回数の悟りがあったことだろう。
然らば、我ら俗物の凡夫であったとしても大悟は仮に無くても
小悟ぐらいならばそれなりには有るはず。
>ネット見てると自称悟った人が妬みや自己顕示欲などを剥き出しにしていて
>こんなおかしな人がけっこう世の中には居るんだなと溜め息が出ます
ごめんなさい。
92 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 07:05:50.66 ID:7NUxj8Ni
>>81 下品な喩えに何の意味もないのにつきあってやらにゃならんのが無駄に苦痛だが
おめこにはパンティを脱ぐ力は無い
パンティにも自分で脱ぐ力は無い
パンティが脱げたなら絶対に何らかの第三者の介入があったはず
そして接しているおめこが見たいと言ってるパンティが脱げたってことは
おめこが見えなかったってことだよねえ
93 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 07:06:58.34 ID:7NUxj8Ni
>>90 あのさあ・・
よくテレビ番組でやってるような難漢字を読んだり書いたりなんてのは
出来ても出来なくてもどうでもいいことだけど
文章の論理的な接続とかがちゃんと出来ないってのは
物を考えること自体がまともに出来ないってことなんだよ?
開き直らずに真面目に取り組んだほうがいいよ
94 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 07:08:23.59 ID:7NUxj8Ni
>>91 ただの「気付き」という意味での悟りだったら、そら誰にでも色々あるでしょうけどね
>>94 じゃあそれで話は終わりじゃないか
もし違うなら、お前の考える悟りってのはどんなもんなのさ
96 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 09:02:16.22 ID:wdWlX7wn
>93 アドバイスありがとう。 (^。^)でも、バカにされても理解出来ない人に注意されてもねぇ。(笑)
97 :
罵倒マスター :2013/06/09(日) 09:59:02.07 ID:QUGddEjP
>>2 >そういう知識があれば、欲とは何か、悩みとは何か、善悪とは何か、
ということも、何となくわかるはずです
そしたら、悟りなんて無いって、わかりますよね?
>悟りなんて無いって、わかりますよね?
馬鹿なんだなWWWWW
98 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 14:25:41.63 ID:7NUxj8Ni
>>96 何だかなあ
相手を殴り倒す空想をして喜ぶ弱虫みたいなこと言って、情けなくないか?あんた
99 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 14:26:39.65 ID:7NUxj8Ni
>>97 マスターを名乗るんだったら、もうちょっとマシな罵倒をしてみろよ
お前のその書き込みじゃあ、俺のどこがどうバカだと言ってるつもりなのかもわかんねーし
何にも響かねえぞ
100 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 14:45:00.06 ID:eOR8hMI2
101 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 14:45:31.29 ID:7NUxj8Ni
ああ、コテ付けたほうが良かったかな 1だよ
102 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 14:49:42.06 ID:eOR8hMI2
そうですかw 質問箱の方にも書き込みされていたみたいですが、仏教系スレには もう長いことおられる方かな?
103 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 14:52:58.51 ID:7NUxj8Ni
いいや たまたま思いつきでこのスレを立てただけで それまではこの板にはほとんど来た事ないよ
104 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 14:54:20.57 ID:eOR8hMI2
>ああ、コテ付けたほうが良かったかな 出来ればそうしてくれた方がスタンスがつかみやすくてベターですがw (もし過去にコテつけていたら、それでやってくれると、さらに分かりやすいww)
105 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 14:59:00.67 ID:7NUxj8Ni
だからさあ 来た事ないって言ってるのに疑うんだったら意味ねえだろ 来た事ねえんだから過去のコテなんてねえよ 普段は全然違うカテゴリの板に居るよ
106 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 15:02:38.51 ID:eOR8hMI2
>それまではこの板にはほとんど来た事ないよ ナルホドw 了解です。 私も、そもそも仏教徒でもないし、覚者どころかそれを目指したことすらありませんが もう結構長いこと、仏教系スレを閲覧しておりますw その経験から言いますと、この板はまさに玉石混交、(99.99%は石ww) ですが、いきなり「悟りなんてない」と断定せずに、まったり眺めてると 面白いこともあるとおもいますよw
107 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/06/09(日) 15:04:52.49 ID:eOR8hMI2
>来た事ないって言ってるのに疑うんだったら意味ねえだろ >来た事ねえんだから過去のコテなんてねえよ 別に疑ったわけではありませんがw どうやら、不快にさせただけのようんですなw 失礼しました。 それではw
108 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 15:05:11.08 ID:7NUxj8Ni
> まったり眺めてる そこまで長居するつもりもないなあ 他板で書き込み少なくてヒマなときに来るくらいだよ
109 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 16:44:19.43 ID:7NUxj8Ni
スレの流れがグダグダになって来たので、また最初から書きましょうか。 人間は、迷い、悩み、苦しみます。その根本は何なのか? それは、自由である、選択できる、ということです。 人間は、高い知能を持ち、自己を認識し、状況を認識し、考え、選ぶことができます。 その選ぶことの出来る範囲が他の生物に比べてもだいぶ広い。 だから、どうすればいいのか、どうしてあんなことをしたのか、と、悩み、苦しむことになるわけです。 どちらを選べばいいのか、という葛藤の材料の1つが欲です。 欲とは何なのか。それは、生物として、DNAを後世に残していくために 有利な行動をとるように動機付けとして刻み込まれたものです。 ただし、欲に従うだけではDNAが残る率は上がりません。 従って、人間には、生物として、欲を抑えたり、よくないものだと思う気持ちも刻まれています。 何故、単純に欲に従うだけではダメなのか? それは、より複雑な状況に対応するため、ということもあるでしょうし、 人間が、集団で生活するように出来ている生物だ、ということが大きい。 集団で効率よく生活するには秩序が必要です。 簡単な秩序は上下関係。上の者がより欲を満たし、下の者は我慢する。 集団で生きる上で「やっていいこと」と「やっていけないこと」を おそらく我々は本能的にある程度知っていて(狼の群にも秩序がありますね) それを知能によって拡張し純粋な概念としたのが「善悪」です 人間は、本能と社会的積み上げによって、自分自身の中に悪を、罪を感じ 己を責めるように出来ています。それによって、欲が抑えられ、集団の秩序が保たれる という具合なわけです
110 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 16:47:31.38 ID:7NUxj8Ni
以上のことから、人間は、欲からも、罪の意識からも、逃れられない 迷いや悩みや苦しみから、逃れることは出来ない 一時的に楽になるときがあるとすれば、 それは、社会の中である程度安定したポジションを築けたとき 生き物としてある程度欲が満たされたときです 「悟り」はどこにもありません それは人間が考え出したフィクションです 悲しい作り話です 永遠に届かない切なる祈りです 悟りなんてどこにもありません
だからあきらめてもう二度と生まれ変わってこない→悟り
112 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:09:16.92 ID:7NUxj8Ni
>>111 え?自分の意思で生まれ変わるかどうか決めちゃうんですか?
114 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 17:11:23.59 ID:wdWlX7wn
>109 未だに利己的遺伝子信じてんの?(笑) ちゃんと基礎から勉強しなよ。(笑)
115 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:12:01.12 ID:7NUxj8Ni
>>114 分かり易く説明していただけるとありがたいです
116 :
罵倒マスター :2013/06/09(日) 17:14:52.94 ID:QUGddEjP
>>99 悟りってのはわかるってことだ。
>欲とは何か、悩みとは何か、善悪とは何か、
ということも、何となくわかるはずです
わかってるなら悟っているな。
で、結局
>>1 はどういうものが悟りだと思ってるんだ?
結局のところ、それがあるかないかの話だよね
しっかり定義すればあるかないかは答えられる奴いくらでもいるとおもうんだけど
あるかないかを知りたくなくて、自分の考え隠してるだけにしか見えない
118 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 17:19:22.41 ID:wdWlX7wn
>115 キミに理解する気があるのか怪しいもんだが、 簡単に説明すると、海外の生物学者が一つの視点として、 「まるで遺伝子が利己的な振る舞いをしている様に見える」 と書いたのを、日本語板で「利己的遺伝子」と題名にした為に、 日本の一部では「遺伝子は利己的に働いている」という珍説が流行ったが、 もちろん、タンパク質の集合体であるDNAにもRNAにも「利己的な振る舞い」をする能力は無い。 つまり、「遺伝子は利己的に振る舞い」はしないという話。 分かった?
119 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:19:37.37 ID:7NUxj8Ni
>>116 あらま
仏教用語の「悟る」ってのは
一般的・日常的な意味での「わかる」と一緒なんですか
じゃあ1+1がわかった小学生も悟ってるわけですね
この世は仏陀だらけですね^^
120 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:20:44.17 ID:7NUxj8Ni
>>118 何だ
そらそうですね
DNAに脳味噌はありません
その程度の話なら109の私の話を否定することは出来ないと思いますが?
121 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:24:14.28 ID:7NUxj8Ni
>>117 109-110を読んで頂ければわかると思いますが
そこでは私は「悟り」を「それを得れば迷いや悩みや心の苦しみを脱することが出来るもの」として扱いました
ただし仏教自体が悟りとは何なのかを「体得できなければわからない」としてぼかしているようなので
仏教の悟りは私が言うようなものではない、と誤摩化されれば、それまでですね
122 :
罵倒マスター :2013/06/09(日) 17:25:50.33 ID:QUGddEjP
>>119 >じゃあ1+1がわかった小学生も悟ってるわけですね
>この世は仏陀だらけですね^^
そうだ、わざわざ悟って無いとき以外は悟っている。
123 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:28:43.75 ID:7NUxj8Ni
>>122 みんなが仏陀なら、何のためにお経はあるんでしょうか?
124 :
罵倒マスター :2013/06/09(日) 17:31:34.35 ID:QUGddEjP
>>123 >みんなが仏陀なら、何のためにお経はあるんでしょうか?
わざわざ悟ってないやつらにお前らはすでに仏陀だと教えるためじゃね?
125 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:34:26.26 ID:7NUxj8Ni
自覚がないのに頑張ってわざわざ悟ってない人達が居るんですか? ちょっとした曲芸ですね
126 :
罵倒マスター :2013/06/09(日) 17:37:52.79 ID:QUGddEjP
>>125 >自覚がないのに頑張ってわざわざ悟ってない人達が居るんですか?
>ちょっとした曲芸ですね
まったくだな、たいした曲芸だなWWW
>>121 成る程
ならばそんな便利な体験はありません
そんな錯覚を起こすことはありますが全て勘違いです
これは私の体験からくる解釈ですが、
気付きにより迷いや苦しみが「一気に減る瞬間」が、悟りです
しかし、迷いや苦しみは0にはできませんし、0に近づけても、またすぐ増えはじめます
迷いや苦しみをゆーーっくり消せば、悟りという瞬間はないでしょう
迷いや苦しみが元から0に近い人間にも、悟りはありえません
というわけで、私の思うに、貴方の考える悟りは、あり得ません
あるという方もいらっしゃるかもしれませんので、あとはその方にお任せいたします
でも多分、無駄じゃあないかなあ
128 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 17:43:27.28 ID:wdWlX7wn
遺伝子は利己的に振る舞いはしない。 だから、 >欲とは何なのか。それは、生物として、 >DNAを後世に残していくために >有利な行動をとるように動機付けとして刻み込まれたものです。 なんて話にはならない訳。
129 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:44:44.50 ID:7NUxj8Ni
>>127 興味深いので、よろしければ、あなたの考える悟りについて、もう少し説明してください。
ただ、私、ちょっと用事があるので、今からしばらく席を離れます
あともう一つ、光が見えるという体験があります しかしこれは悟りと同時である場合が多いだけで、悟りと直接的には関係しません 迷いや苦しみの元である自我が一定値以下になると現れる体験のようですが、単なる酸欠でもこの体験は起こります 臨死体験やオーガズムや催眠やドラッグでも起こります
131 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:47:55.54 ID:7NUxj8Ni
>>128 あのねえ・・・
あなた自身が全然理解してないじゃん
原著読んだ?
例えばね。実験。
ワイ字路があったとします。右のほうに行ったロボットを複製し、再度スタートさせる
左のほうに行ったロボットは廃棄するというルールにします。
分かれ道があったら右へ行くとプログラムしたロボットと
分かれ道があったら左へ行くとプログラムしたロボットを用意します。
さて、10回スタートさせた後、どんなプログラムのロボットがいくつありますか?
132 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 17:51:22.30 ID:7NUxj8Ni
こんなのは別に利己的遺伝子の話を持ち出すまでもなく 適者生存の基本的な話だと思うんだけどなあ やれやれ
133 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 17:59:37.99 ID:wdWlX7wn
古典的ダーヴィニズムの信者さん? キミ、何時の時代の人? キミも「DNAには脳みそは無い」って理解してんでしょ? >DNAを後世に残していくために有利な行動をとるように動機付けとして刻み込まれたものです。 DNAにもRNAにも刻みこまれて無いの。 理解出来ないのか、理解したくないのか知らんが、文脈無視して訳の判らん言い訳するくらいならスルーしなよ。
134 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:13:53.43 ID:7NUxj8Ni
>>133 へー
じゃあ、ネズミや雀や犬やネコが餌を欲するのは
DNAと無関係なんですか?
135 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 18:17:38.43 ID:wdWlX7wn
一体、どんな教育を受けて来たら、そんなバカな質問になるんだ? 日本の義務教育受けてないのか?
136 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:19:14.51 ID:7NUxj8Ni
あなたが勝手に利己的という言葉に囚われているだけのように見えます。 私が言っているのは、ただ、生存や繁殖に適した形態や行動を発現させるDNAを持っている生きものは 生存し繁殖する可能性が高いので、生存や繁殖に適したDNAは次世代にも引き継がれやすく、 生存や繁殖に適さないDNAを持っている生きものは 生存し繁殖する可能性が低いので、生存や繁殖に適さないDNAは次世代以降に引き継がれにくい という、それだけのことです
137 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:21:24.75 ID:7NUxj8Ni
別に媒介がDNAでなくなっていいんですよ。 生きものを観察し、人間を観察すれば、 欲というものが生来持っていて捨てることの出来ないものだってわかりますよね。
一回自我なくなって軽く悟ったんだけど 生きている間にもう一度あの境地に至れる気がしないわ あれより深まった境地が「大悟」なんだろうなと思う ただ悟りは「ある」と、確実に言える 私は女なので、女でも禅とかで悟れると確信をもっていえる それは日常とは違う「体験」だった
139 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 18:26:23.54 ID:wdWlX7wn
>136と、 >欲とは何なのか。それは、生物として、DNAを後世に残していくために >有利な行動をとるように動機付けとして刻み込まれたものです。 では、意味する所が全く違うのも理解出来ないのか? 環境に適応した種が存続する事が、 DNAを残すようDNA自身に刻みこまれているというトンデモ話が同じだと本気で考えてるのか? キミ、ドーキンスの原著読んだんだんでしょ?(笑) こんな簡単な話も理解出来ないの?
140 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:26:33.75 ID:7NUxj8Ni
>>138 「風変わりな体験」は色々あると思いますが
それが「悟り」なのかどうかは、どうでしょうねえ
141 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 18:29:18.07 ID:wdWlX7wn
>137 はぁ? DNAが関係ないなら、最初から書くなよ。 訳の判らん言い訳しやがって、朝鮮人かよ?
142 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:30:25.27 ID:7NUxj8Ni
>>139 うーん
喩え話とか擬人化とか全然理解できない人?
現在生きているほとんど全ての生き物が欲を示すことからも
欲っていうのは生存や繁殖に必要(=DNAを後世に残すのに必要)って判断は妥当ですよね?
もっと細かく言うと、餌を見たら食おうとするとか、繁殖期の異性を見たら交尾しようとするとか
そういう行動を促すってのは、DNAを後世に残すのに有利ですよね?
143 :
罵倒マスター :2013/06/09(日) 18:32:50.30 ID:QUGddEjP
>>137 >生きものを観察し、人間を観察すれば、
>欲というものが生来持っていて捨てることの出来ないものだってわかりますよね。
そうだな。
ただし生来持っている欲以外の欲は変化しうるな。
そして欲への態度も人それぞれだ。
144 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:32:56.20 ID:7NUxj8Ni
>>141 関係ないとは言ってないですよ
あなたが話の肝腎なとこより細かいとこにこだわってるようなので
細かいとこより大筋を見ましょうって言ってるだけです
145 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/06/09(日) 18:33:14.39 ID:wdWlX7wn
>142 分かった。 キミは小学生だな? 中学生になってから、生物の先生に色々質問してみなさい。
>>137 仏教でいう苦や欲と、一般的な意味での苦や欲はニュアンスが違うと思うけどな
そこは区別しないといかんと思うぞ
147 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:34:59.64 ID:7NUxj8Ni
>>145 一応、高校は理系で生物を選択し、センターでもそこそこの点数をとって
そっち方面の学部に進みました
利己的な遺伝子は大学の図書館にあったのを読みました
日本語訳のやつですけどね
148 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:35:26.51 ID:7NUxj8Ni
>>146 不勉強でわからないので教えていただけますか?
>>148 例えば仏陀は欲のない状態になったかもしれないが、
食欲がなくなって食事をしなくなったとか、そういう話ではないし
仏陀は苦のない状態になったかもしれないが、
ナイフで刺されても苦しまないような特異体質になったという話でもない
仏教的文脈での苦や欲は、独自の専門用語と思ったほうがいいと思うな
150 :
罵倒マスター :2013/06/09(日) 18:47:50.12 ID:QUGddEjP
オウムのある幹部は「私は7年間セックスもオナニーもしたことありません」とか言ってたな。 そういうカルト信者は案外多いだろうが全然悟ってねぇだろWWW
>>140 体験すれば悟りだとわかる
ただ、自我がなくなる
体験しなければわからない
悟りは個人的な体験であり、証明不可能
疑うのは当然だ
悟りがあると信じるのは科学的態度ではない
科学的な貴方は科学と同じように悟りを仮定し、自分自身で実験してみればいい
ここであるとかないとか言ってるのは言葉の遊びで何の意味もない
152 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:55:39.15 ID:7NUxj8Ni
>>149 例えば、A子さんが好きだけど、告白してフラレたらどうしよう・・
というような欲、苦しみからは解放されたのでしょうか?
153 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 18:59:25.55 ID:7NUxj8Ni
>>151 うーん
個人的な体験なのに、お釈迦様の悟りと同じと思えるのは
なぜなんでしょうねえ
不思議です
>>152 それが一過性の苦しみなら、ナイフに刺されれば辛いのと同じで、
必ずしもなくなるわけではないと思うけどな
ナイフの傷が物理的に癒えた後、その出来事をトラウマに思う人間と、
それを気にしない人間がいるってことだと思うよ
155 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 19:11:54.70 ID:7NUxj8Ni
苦痛を長引かせない態度、みたいなことですか
>>153 釈迦以外にも悟った人の話と照合して、当てはまった
他人の体験は全て厳密には立証不可能だ
人は誰かがローマに行ったことすら立証できない
飛行機のチケットや写真の証拠、一緒に行った人の証言があっても、その人が本当に行ったかどうかは決して立証できない
悟りを立証するのは難しい ただ、悟りはあるとしか言えない
158 :
罵倒マスター :2013/06/09(日) 19:42:27.69 ID:QUGddEjP
悟りを開いているのにはなんの努力もいらない。 悟りを閉じているためにはとても努力しないといけない。 そしてその努力は必ず失敗する。 たいした曲芸だなWWW
@あることに気づく A自我がなくなる(一気に減る?) B物事をありのまま見られるようになる どの語りもこの三段階で構成されてるけど、どこを悟りと呼ぶかで錯綜してるなー @が一番広い意味での悟り Aが起きたときの@が悟り? Bが起きたときのAが悟り?
釈迦は悟った後、コレが他人に伝わるかどうかをずいぶん迷ったとある 悟っただけで迷いがなくなるわけでないのは明らか 悟った瞬間に迷い消え、その後に元に戻るのか、 悟った瞬間は単に迷いが減っただけなのか
161 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 03:37:02.75 ID:MeplUz2x
>>159 ありのままに物事を見たら、どうなるんでしょうね?
ありのままに見る事によって何らかの『真実』みたいなものに気が付くって話なら
3→1ですよね
>>160 なるほど・・
162 :
罵倒マスター :2013/06/10(月) 09:35:36.66 ID:s3qAMdka
>>160 悟っても迷う時は迷うな。
ただ迷いを悪いものだと決めつけたりはしなくなる。
ただし決めつけるときはべつとしてWWW
163 :
罵倒マスター :2013/06/10(月) 09:44:43.54 ID:s3qAMdka
>>161 >ありのままに物事を見たら、どうなるんでしょうね?
やってみれば?
悟ると、自我が判断を持ち込む前の情報を得られるから、感覚がすげー研ぎ澄まされるよ 俺は悟りに拘っちゃったせいか、一週間くらいでまた自我増えて感覚戻っちゃったわ 前と同じやり方じゃ自我減らんし、他のなんか試した方が良いんだが、どうしよっかな ひとつ確実なのは、体力使い果たしたり飯抜いてガチ死にかけること 苦行や断食やワタミはそういう方法論なんだろうね でもあの自我減る体験ねえ、大麻と同じだよ結局 大麻も自我薄くすんだろね
しかし、負荷かけて自我薄くする場合は、そのダメージも見据えなきゃいけない ダメージ無視してやりつづけると、負荷なくなった時に「あれ俺何やってたんだ」とかなる あくまで自分の意思で、ダメージ自覚しながら、負荷かけて死にかけて悟るのは多分アリ
166 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 13:39:56.13 ID:MeplUz2x
でも仮に判断かける前の生の情報が手に入ったとしても 判断しないと使えないですよね?
もちろん 「生の情報」のほか「何に使いたいか」もよく見え、結果として、 情報を利用する道筋を間違いにくい、という効果はある
判断しなくなるんじゃなく、無意識的にしてた判断を自覚的にできる感じ でも頭の動き自体はむしろ無駄が減るから楽にはなるよ
169 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 17:07:57.19 ID:JIqtLiwr
薬が切れたら元の木阿弥?
大麻ならね たどり着く方法分かってないから当然
具体的にはどういった実利が出てるの?
頭が冴え渡る感じ? 幻覚はないの?
173 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 22:42:42.58 ID:JIqtLiwr
>>164-165 ここには、悟り体験だけでなく、その方法論まで書かれている。
スレ主さんはどう思うのだろうか。
174 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 23:12:24.35 ID:MeplUz2x
あ、俺、1ですよ 飢餓とか薬効のある植物とかお酒とかで意識を変な風にして神秘的なものとの一体感を目指す みたいなのは世界の色んなとこで昔からあるみたいですよね まあなんつーんですか?タナトス?とか?そういうのも感じますよね 擬似的な死で日常から解き放たれる的な? そういうことで、心がラクになる面はあるのかもしれないですねー
175 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 23:19:03.81 ID:MeplUz2x
お釈迦さんは確か苦行には否定的だったような気がするんですけど どうでしたっけ?
苦行もやって否定したのだから重みありますね 要は、穏やかな山への登り方を推奨した方ですから 窒息セックスとポリネシアンセックスくらいの違い
177 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 23:33:10.99 ID:MeplUz2x
マカデミアンセックスはありますか?
あると思いたいけど、俺自身悟ってないから無記で あるかないかは悟った奴にしかわかんない 死ななきゃ死後の世界あるかないかわからんのと一緒
悟りの境地…一定以上自我が薄れた状態 悟りの体験(広義)…気付きにより、いろいろ見えるようになる体験 悟りの体験(狭義)…自我が一気に薄くなることで、いろいろ見えるようになる体験 広義のは勘違いも含む
広義のは、真理の片面ばかりに囚われる状態で起こりやすい 人間の本質は悪である、善である、悟りは存在する、この世は金が全てである、仏教が正しい、世界は美しい など、偏った一面のみの真理により現象を理解してしまい、いろんなものがよく見える体験
見ての通り、狭義と広義に明確な境はない また仮に真なる悟りの境地があるとすれば、無自我の状態であり、人間には無理 哲学的ゾンビ概念に近いが、外から見ると、まさに人間そのもの
人間には無理というより、そもそも人間でもないのに自分は人間だと勘違いし、 さらに性別、年齢、常識や法律とかさまざまなレッテル貼りをして 寝ぼけてる状態なんだとか。 本当かどうかわかりませんが、そういう内容のブログを最近多く見るようになりました。
>>182 それも真実ではあるが、単なる理論先行であって実感が不可能なんよな
色即是空ばかり見て、空即是色を忘れている
酒と水の区別がつかないって言ってるようなものだけどなぁ 違いがわかる大人になりたいもんだな
>>184 そそ
しかしそこまでいくと分かりにくい
・水も氷も、本質はH2Oだから一緒
は確実に一つの真実であるが、
・水と氷は、状態が液体と個体だから別物
という一面を忘れちゃいけない
本質は大事だけど、本質以外を忘れたら何も見えてないのとかわらん
186 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 15:58:17.21 ID:Brpy9IB9
>>182 人間じゃない?!
本当はこりん星のりんごももか姫とかなんでしょうか?
187 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 15:58:40.82 ID:QOuC6F1b
俺は今にあるという意味が昨日ふとわかった 一切の気の緩みの無い状態に自分を持っていった場合それが今にあるということだと思った スポーツマンは試合でも気を引き締めてるつもりがどうしても締め切れない部分がよくある そういう意味での気の緩み 環境や状況が持つ特有の気の緩みが起こる原因を全てを取り除くことでしか今にあることはできない それが明け渡すということの意味 エネルギーが無限にある宇宙で色んな物や環境、状況、意識状態が抵抗のように働きエネルギーの邪魔をしているので 抵抗を取り除けば悟る 悟りたいなら引き締めようとしても締め切れない様な気の緩みが無くなるような環境下に身を置く必要がある
188 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 16:00:27.82 ID:Brpy9IB9
>>187 その「今にある」ってのは、誰の or 何の言葉なんですか?
189 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 16:04:17.28 ID:QOuC6F1b
多分エックハルト・マイスターだと思う けど悟り自体が段階的な物なので人によって色々言葉が違ってくるけど言ってることは皆同じことだよ
190 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 16:05:00.18 ID:Brpy9IB9
たぶん? 忘れちゃったんですか
191 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 16:05:27.10 ID:QOuC6F1b
192 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 16:08:57.20 ID:Brpy9IB9
あなたの発言内容から推測すると その人は、自分は悟ったと言っていて、その過程についての著作を出してて あなたはそれを読んでどうすれば悟れるか考えてるわけですね?
一期一会やね
194 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 05:19:51.33 ID:RwbBXrd+
と言いますと?
>>179 >悟りの境地…一定以上自我が薄れた状態
これってよくても無色界の境地じゃないの?
自我が薄れた程度で悟りとは言えないと思うけど
197 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 16:04:30.62 ID:RwbBXrd+
凡夫がいくら悟りの事語っても戯論よ
199 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 18:26:35.00 ID:lJSpNjq+
>>195 非想非非想処レベルかもしれないね。
少しづつ悟りに近づいていくのは逆に非常に難しい気がする。
禁煙も少しづつだと塗炭の苦しみ。蛇の生殺し。
あー、段階か 幅じゃなくて境地の話だと非想非非想になるかね しかし自我無しは無理だよ、そう本気で勘違いすることはできるけど 鏡にいくら近付いても向こうに触れることはできないように
201 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 21:25:30.75 ID:lJSpNjq+
シュテルナー『唯一者』は、無を根底に置いた自我を説いたらしい。 無が根底だから、自我は100%肯定される。 この無は仏教で説いているいわゆる無ではないかと思う。 この自我を超えられたら「悟り」だろうね。
202 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 22:40:04.34 ID:oTjCfsa8
(ウィキをちらっと読んだだけだから間違っていたらごめん) シュテルナーによれば、人間とは生産して消費するだけの存在でしかない。 換言すれば、食って糞をするだけの管のようなものに過ぎない。 まったく無意味な存在なのだが、それでも生きるとしたら、そういった 存在であることを引き受け、それを100%肯定する以外にない。 そう決意した人間が「唯一者」ということになる。 神も人間関係も必要としない。それがシュテルナーの「唯一者」である。 この「唯一者」は普遍的に成立するのか否か。 それとも、とんでもない誤りがそこに隠されているのか否か。
単にその食って糞をする行為さえもユニークであり、 そのユニークさ以外には価値を見いだせないと言ってるんじゃね?
204 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 01:06:45.96 ID:ghfXlNe1
具体的な悟りへのプロセス教えてください
信心→戒律→禅定→智慧→解脱だと思います 一番簡素な三学でもいいと思いますが、まず三宝に帰依することが大事なような気がします 日本の僧侶を帰依するのは難しいと思うので仏と法に帰依しましょう 疑いの気持ちが邪心をうむような気がするのでやっぱり信心が一番大事です
206 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 01:51:45.04 ID:ghfXlNe1
難しいので後は自分で調べてみます ありがとう
207 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 02:28:25.43 ID:SXCiv0L7
>>198 だよね
でも上のほうでは悟ってる人は自覚がないとか言う人が居たし
そうだとすると、悟りについて語れる人は誰も居ないってことだねw
208 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 02:30:07.22 ID:SXCiv0L7
>>202 > 神も人間関係も必要としない。
随分飛躍してるなあw
生物としての人間が生きるということには
漏れなく人間関係がついてくると思うんだけど
209 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 02:31:06.79 ID:SXCiv0L7
人間関係の面倒臭さを引き受けられないなら 人間としてありのままに生きることを引き受けたとは言えないよねー
>>202 それは
>>185 の前者、真理だが片面
そっちに囚われすぎると、いくらでも本質突き詰められるぞ
人間なんて葦どころか石とかわらん
例えば顔ダニはうんこしない 飯食って子孫残して死ぬ だから管ではなく袋なんだが、元々あったケツ穴が退化しただけなので、 管か袋かなんてのすら、生物にとって本質的な違いにはなりえない
>>210 仏教かどうかの見極めは三宝に帰依してるかどうかだ
そういう意味ではまず信心すべき
三宝に始まり三宝で終わる。これが仏教
214 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 08:17:00.16 ID:SXCiv0L7
三宝に帰依せよって、鑑真さんが伝えたんでしたっけ? お経的には、いつ頃のお経に書いてあるんです? お釈迦さまが言ってたの?
>>213 お前は正しいが、それはお前の正しさだ
多少広げるにせよ、仏教の概念を共有できるグループにおいての正しさだ
概念は空、空は概念、分かってんだろ
空論を持ち出してきたら全部空に帰結してしまうやん もはや全てが戯論になってしまう じゃあ具体的な悟りのプロセスってなによ? 世俗に生きてる以上ある程度言葉で説明しなきゃね
>>215 概念が空は正しいけど、空が概念ってのはどこから出てきたんだ?
>>216 だから概念が空であると同時に空は概念なんよ
空だから語れないなんてこたない
空であるが故に概念をもってしか語れない
219 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 18:43:26.53 ID:SXCiv0L7
理屈のための理屈って むなしいですよね・・ 数学とかだったら公理っていう作り事から始まる閉じた世界で理屈こね回してても 現実に役に立ったりしますけど
>>203 たぶんそうなんだと思う。ニヒリズムの極北だよね。
>>208-209 人間の根底を、食ってクソするだけの管と見るから、
究極的なところで人間関係は成立しないと考えていたのではないか。
人間の全員、ひとり残らずが自分中心に生きているから、
論理的に人間関係が成立する余地がない。
これがシュタイナーの思いだったのではないだろうか。
221 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 19:19:55.70 ID:SXCiv0L7
>>220 さっき軽くググったけど、きちんと独立した個人同士の連携を指向してた的なことが
書いてあったようななかったような・・
でも随分孤独な死に方したみたいですね
「論理的に」ねえ・・
じゃあ現実に存在する「人間関係」は何なんでしょうねえ
「人間の根底」を何を根拠に考えたのか・・
>>219 いくらでも後付解釈できるからね
理屈こねくりまわすより瞑想して観じて中道を見なきゃ意味ないよね
空が概念とか屁理屈の極みだわ
>>221 シュタイナーにとって、現実の人間関係は虚構ですね。
かれの哲学はかれの人生経験に基づいている。
>>211-212 シュタイナーの底の底には徹底した唯物論があると思う。
しかし、かれが単なる唯物論者で終わらないのは、
管でしかない人間を積極的に肯定するところだろうか。
この世は虚無である。しかし、この世というドラマの中で
自分の役を演じることで生きている意味が生まれる。
かれは仮面の人生を肯定している。かれの考え方は、
ニーチェの超人思想や、二十世紀の実存主義ときわめて近い。
>>221 人間は管と思いつつも、それでは片付かないさまざまな思いに、
シュタイナー自身が悩んでいたかもしれない。
たぶん、シュタイナーのモデルは間違っているのでしょう。
225 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 05:03:02.26 ID:VKX65ctz
要はただのボッチさんか・・ 観察からスタートして思考するんだったら きちんと人間社会の現状とか成り立ちとか類人猿の群れとか観察したほうがいいな
226 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 06:20:34.24 ID:VKX65ctz
>>201 何か違う気がする。
それって「我思う。故に我あり」と同じようなことで、
スタート地点である「1」をどこに置くかって話で、
それ以前の「0」のことは特に何も考えてないんじゃない?仏教の無とは関係ない気が
実際のとこ、非想非非想の先の悟りなんていらんよね 色界までいきゃ現実はかどるし、2段飛ばせば悟ったというカンジは得られる
現実なんぞ捗っても、行が捗らないと仕方がないけどなぁ 正味な話、一日2〜3時間労働で生活出来るようになりたいもんだ
231 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 13:11:40.64 ID:VKX65ctz
>>220 >>223 >>224 の訂正
× シュタイナー(神智学・人智学) → ○ シュテルナー(唯一者)
シュテルナーの『唯一者とその所有』は昭和初期に熱心に読まれたという。
恐慌から戦争へと向かいつつある時代の、国民の不安を反映している。
233 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 13:17:42.35 ID:VKX65ctz
234 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 13:19:01.27 ID:VKX65ctz
>>232 左のかっこに合わせるなら右は「唯一者」じゃなくて「哲学・ヘーゲル左派」とでも書くべきでは
>>225 悟りを議論する前に、人間とは何かを議論すべきかもしれない。
もしかすると悟れない構造をしているのかもしれない。
>>226 シュテルナーには、食ってクソをするだけでは
何の意味もないという絶望感がある。これは無ではないのか。
唯一者は、その無の世界で、さまざまなドラマを演じてみせる。
死でさえも演じる。唯一者は生きることに醒めている。
唯一者は役者であることを積極的に肯定する。
237 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 15:20:58.70 ID:VKX65ctz
238 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 15:39:23.40 ID:VKX65ctz
239 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 15:59:33.97 ID:VKX65ctz
ものすごーく浅い理解だから間違いだらけだろうけど、 人間が、あたかも自分は利他的であるかのように自覚し、互いに協力して助け合おうとし 組織・国を形成・運営したときに、かえって個々の人間を苦しめている、 という現実に対して腹を立ててた人 みたいな印象だな
>>237 無や空を知ることは不可能。それらには中身がないからです。
しかし、無や空ではない、神との出会いという悟りがあるのかもしれない。
それが悟りなら、それが可能な精神的構造が人間の中に最初からある
のではないか。それはいったい何だろう。
それを問題にしているのです。
悟りとは何か、ではなく、人間とは何かですね。
>>238 ググってみた。じっくり読めば、ひとつひとつの章句は理解できるし、
なかなか鋭い指摘だが、じきに忘れてしまうと思う(^^)
それから最後の方は前出の章句でエンドレスになっていた。
シュテルナーは予想通りだったかもしれない。
政治的にはアナーキスト、哲学的には弁証法的唯物論者なのだろう。
しかしマルクスたちと同じヘーゲル左派には違和感がある。
>>240 色は無常かつ無我だと言っているだけで、
空に中身がないなんて言ってないと思うけどな
>>239 いいですね。かれはアナーキストですね。
〜とは何か、を考えたがる人が哲学者なんだと思う。
シュテルナーは唯物弁証法を学ぶうちに、人間とはつまるところ
食ってクソをするだけの存在だと気づいたのでしょう。
(241の弁証法的唯物論より、唯物弁証法の方がスマートでしたね)
244 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 19:43:43.32 ID:VKX65ctz
あのさー
Wikipediaを見ても
>>202 みたいな文章見つからなかったんだけど
人間は食ってクソするだけっていうのはどういう文脈で発言してたの?
ソースを出していただけるとありがたいが
これは仏教でも禅でもない解釈で申し訳ないが
唯物論だろうが観念論だろうが化楽だろうが三禅だろうが非想非非想天だろうが悟りだろうが、
「でも俺ら結局は人間だよね」に帰ってくるよな
無念無想の先にある、悟りとよばれる「振り出しに戻る」まで行かなきゃ帰ってこれないなんてのは、
見方を変えれば単に頭でっかちで疑り深いだけとも言える
>>229 みたいな禅のための禅とか、どう考えても囚われっぱなしだ
帰って来た時点こそが本当のゴール、悟りでよくねえ?
行ったきりの龍樹の異質さがヤバい、という意味にもなるが
247 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 11:31:08.06 ID:tIG6sc+c
所有とか生産とか消費とか、こういった言葉は仲間内の術語であり、 これをかみ砕けば、人間とは食ってクソをする管、という話になるだろう。 シュテルナーを理解するカギは、かれの思想の根底にある「無」を、 かれがどういうふうにイメージしたかにあると思う。 唯物弁証法の学徒に、シュテルナーのようなエゴイスト、ニヒリストが 誕生しても不思議ではない。ありえる。
よくよく考えれば、人間は存在論的にエゴイストなのであり、 エゴイストをやめることは絶対に不可能である。 それをやめたら餓死する。死ぬ。 生きることはエゴイストであることを肯定することに他ならない。 自分を超えることはけっしてできない。 シュテルナーはそう言っているように思われる。
249 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 13:03:28.07 ID:8RyE1REw
うーん・・ 国家が後ろ盾にある「権利」だとか、 それによって資本家が手の届く範囲以上に貯め込んでる膨大な資産だとか そういうものを否定するために 「手の届く範囲のものを消費し1人で考える個人」を基本単位にしたんじゃないの? 彼にとって「無」って、根底とか言うほど大切なもの?
250 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 13:05:20.56 ID:8RyE1REw
「個体の欲」を基本に置くってさ、生物の生態の研究とかで考えたら けっこう古くさい気がするんだよね
251 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 13:23:35.29 ID:8RyE1REw
上で書いたURLから、シュテルナーが「無」について発言してるとこをコピーして来たよ。 > 神は、人類は、自らの事柄を無の上に据え、自ら以上の何ものの上にも据えはしなかった。 > 故に、私も同じく、私の事柄を私自らの上に据えよう、 > 神と同じく他の全てを無とする私の上に、唯一者である私の上に。 これって要は、 私は国家の土台の上とか国家の枠の中にあるんじゃない! まず最初に私(個々の人間)が居るんだ! っていう宣言でしょ?
252 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 13:24:39.92 ID:8RyE1REw
やっぱシュテルナーって悟りと関係ない気がするんだけどなあw
欲と色を消した境地とも見えるが
254 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 14:40:42.07 ID:tIG6sc+c
>>249 そうではなく、自分が無意味だから、自動的に国家権力なども無意味になる。
シュテルナーの根底は「無」→たぶん唯物弁証法から導かれた結論
>>250 社会は、人間は動物を超えた存在だと信じきっている。
人間>動物なのであり、そうでなければ社会が成立しない。
人間=動物なら、動物を食べられなくなる。
シュテルナーはそのウソを見ている。
>>251 その「私」も「無」だと言っている。この世は「無」だと宣言している。
>>252 シュテルナーの虚無主義を超えれば、それが悟りだったとか(^^)
かれの考え方のどこかが間違っていると思うのだが、
どこが間違っているのかはっきりしない。
>>250 欲を基本に置いてるんじゃなくて、個性を基本に置いてるんじゃね?
だから没個性的な人間を量産する社会や会社の構造に反発したんだと思うが
257 :
神も仏も名無しさん :2013/06/16(日) 12:22:53.78 ID:7ibfeNog
シュテルナーの言うように人生が無意味なら、 結婚したり子供を作れば、それだけ社会的な規範に拘束されるから、 そういったことは煩わしいという話になる。 ひとりで気ままに生き、野垂れ死にするのがベストなのかも。 かれの考えは、仏教の「無の思想」に近いように思う。 昭和初期に読まれたらしいが、日本人とは相性がいいかもしれない。 埴谷雄高も『唯一者とその所有』に強く影響されたという。
258 :
神も仏も名無しさん :2013/06/16(日) 13:50:52.18 ID:7ibfeNog
聖マックス(シュテルナー)は所有・生産・消費、聖ジュネは盗品・消費。 たぶん聖ジュネには、所有・生産の概念がなかったのだろう。 そういう意味では聖ジュネの方が、食ってクソをするだけの空虚な生活に より徹していたかもしれない。〜 泥棒日記、花のノートルダムなど ただし、どっちも読んだことがなく、あまり読みたいとも思わない(^^)
259 :
神も仏も名無しさん :2013/06/16(日) 14:56:33.36 ID:zTGWV8wi
シュテルナーは人生は無意味と言ったの?
悟りがない大川隆法ほどみっともないものはない。
261 :
神も仏も名無しさん :2013/06/16(日) 15:12:24.91 ID:zTGWV8wi
悟りがある大川隆法があるんですか?
262 :
神も仏も名無しさん :2013/06/16(日) 15:15:59.94 ID:zTGWV8wi
やれやれ 誰かの名前を出さないと喋れない人の多いこと それでいてきちんとソースを出す事はしないんだもんなあ
263 :
神も仏も名無しさん :2013/06/16(日) 19:07:34.51 ID:DTsFGr2D
>>259 >>251 で「自らの事柄を無の上に据え」とコピーしてくれたので、
それを踏まえて「人生は無意味」という展開になっている。
たぶんシュテルナーは同意すると思う。
人間とはこの世という舞台でドラマを演じる役者なのであり、
それはつまり、人生とは無の上の虚構に過ぎないということだろう。
無の上の虚構ならば、人生が無意味ということに他ならない。
なぜだかわからないけど、 おてんば総長は幸福の科学を嫌っているみたいね。
265 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 17:51:04.42 ID:XpwyQdY9
まあ人生が無意味だとかいうのはなあ・・・ まず普通に考えて、人生に固定的であらかじめ与えられた意味があるためには 意味を付与する意識・意思が必要なわけで 少なくともそのような存在と我々は対話することが不可能であるから 我々にとってあらかじめ与えられた固定的な人生の意味がない(知り得ない)ことは 改めて言うまでもなく自明なことだわな 「だから」人間は宗教を作ったんだろ?
266 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 17:52:58.92 ID:XpwyQdY9
いつになったら悟りの有無に話が戻るんだろう ('A`)
何もない、ことを理屈だけでなく体感してしまうのが悟り
268 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 17:57:36.07 ID:XpwyQdY9
それは何かのお経に書かれてることですか?
269 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 18:02:15.14 ID:XpwyQdY9
つーか267の「何もない」ってのが人生の意味のことを言ってるなら むしろ人生に決められたこれこれの意味が「ある」なんてことを体感してる人のほうが珍しいでしょ
無いと思う人には無いんだよ。悟りなんて無いと思えばいい。 それが、要するに共産主義とキリスト教というものになる。
>>269 意味じゃない
単なる「何もない」だ
現代なら「観念論的には」がつくが、
初期仏教は観念世界しかなく、唯物世界を無記としてる唯識世界だしな
大乗から外の世界、唯物世界をある程度認め出したが、
観念の集合と一致する部分以外は無記の態度だ
272 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 00:20:16.23 ID:OBTx0s1v
悟りなんてない ところで投薬とか行動療法なしで精神を安定させる簡単な方法が悟りだと俺は思ってる
悟り=すべての苦を滅した状態=無明を滅した状態=真理を悟った状態 全ての人間は生まれてから今まで身口意によって無限に執着の業をつくってきた 例えば食べ物が食べたいと思えばそれが執着の業だし、彼氏彼女が欲しいと思えばそれも執着の業になる その執着の業が無明となりこれが空しさ、孤独感、不安感を生み出す。過去に恋人が欲しいとよく思った人ほど恋人が居ないことに空しさや孤独感を感じる このあらゆるものに対する執着の業を無常観、不浄観、無我観、などの様々な観瞑想によって滅していけば無明は無くなり智慧のみが残る、これが悟りの境地 無明(執着)が無いのだから空しさ、孤独感、不安感がなく常に満足し心は晴れわたっている、凡夫から見たら想像もつかないほど素晴らしい境地だろうね
悟りなんてどこにでもあるんだよ どこにでもね
277 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 21:57:13.40 ID:2FwPyTyY
>>272 おれは鬱病で抗不安剤が手放せないけど、(ちなみに会社では普通に働いている)
鬱とか不安とか薬で簡単になおるんだよね。
不安発作時の心理と薬で落ち着いてからの心理を比べると、あなたの言うように、
悟りもそんなものかもしれない、と思わないでもない。
279 :
神も仏も名無しさん :2013/06/20(木) 22:54:42.77 ID:68MkZdr9
西洋哲学は神や霊魂との格闘によって展開してきた。 神や霊魂は体験できないとされるが、 ギリシャ哲学とキリスト教が精神文化の土台にあるから、 それらを最初から除外することは簡単ではない。 神や霊魂をそぎ落としたときに姿を見せたものが、 ヘーゲル哲学をひっくり返した唯物弁証法ではないだろうか。 それは仏教の空と似ているが、 神や霊魂をどこかで意識しているようなスキがある。 これは西洋哲学の長所だと思う。
280 :
神も仏も名無しさん :2013/06/20(木) 23:20:44.69 ID:68MkZdr9
神や霊魂を求めているのに、いくら探しても見つからない。 疲労困憊してたどりついたのが唯物弁証法。 無意識にせよ、そういった消極的な意味合いがそこにある。 これに対して東洋哲学、仏教の空は積極的に信仰されている。 信者は空こそが完全な真理だと完全に思い込んでいる。 反論を許さない。これが仏教の短所だ。 空という落とし穴に自ら落ち、 空という絶対に体験できない境地を一生追い求める。 そして空を知ることなく死ぬ。アホを通り越して憐れなり。
281 :
神も仏も名無しさん :2013/06/20(木) 23:43:28.39 ID:68MkZdr9
仏教の信者はいい加減で目を覚ませ。 無や空を探そうなんて考えるな。 よく考えろよ、無や空は見つからないから無や空なんだって。 それに万一見つかっても何の役にも立たない。 同じ探すなら神や霊魂を探せ。 それが見つからないなら、あなたの意志で善を行う者になれ。 神が見つからなくても神がいるように振舞え。 そうすれば奇跡が起こるかもしれない。見つかるかもしれない。 この方がよっぽど正常であり、将来に希望が持てる。
282 :
it's fantastic! :2013/06/21(金) 01:58:00.12 ID:CDqAOgb1!
>神や霊魂を求めているのに、いくら探しても見つからない。 tukuranakerya naiyone omowanakerya sonnzaidekinaiyone Imagination, life is your creation sekaiha anataga tukurunndayo
無はともかく、空や霊は観念世界に簡単に出てくるだろ
284 :
神も仏も名無しさん :2013/06/21(金) 19:02:18.66 ID:TkmbL9vk
神や霊魂を体験できたら宗教も哲学も終了だよ。 体験できるのか? できる! それがわからないような仏教徒とはあまり関わりたくないな。 しかし釈迦には耳を傾けよう。 すごいね、釈迦は神や霊魂を体験しているよ。 梵天勧請で釈迦のすごさがわかる。 仏教書など読む必要はない。釈迦が慈悲心から語った 信仰はやめよ、という梵天勧請を知れば十分。 あとはその人のセンスだと思う。
釈迦は慈悲心から「信仰をやめよ」という。 これで十分、釈迦の思いが100%ひしひしと伝わってくる。 ここに釈迦がいるんだよ。 頭から空を信じている仏教徒には絶対にわからないだろうね。 空など、イワシの頭なんだってさ。
哲学が終了とは、カントもヘーゲルもニーチェも、 フサールもハイデッカーもサルトルも、ウィトゲンシュタインも 過去の人になったということだね。 もちろんプラトンもアリストテレスも過去の人だね。 宗教は哲学ほど簡単にはいかないだろうが、 神や霊魂を体験する人が増えれば、やがては消滅する運命にある。 現代人はそれを目撃するかもしれない時代を生きている。 毎日毎日が、ワクワクする時代になってきたよ。
287 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 18:14:52.77 ID:VZ70hneb
ハイデッカーの『存在と時間』は読む気がしないので調べたが、
どうやら
>>263 で書いたように、
人間を世界という舞台に登場する役者として把握しているようだね。
かれは、世界という文脈を取り去った後に残る人間存在の根源的本質、
これについて語ろうとしたがついに語ることができなかった。
しかしじつは、このテーマはすでに、
マックス・シュタイナーが粗筋としては片づけていたように思う。
食ってクソをするだけの管。
これが人間存在の根源的本質ではないだろうか。
288 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 18:54:03.27 ID:VZ70hneb
マックス・シュタイナー → ○ マックス・シュテルナー シュテルナーの主張を正しいと認めているわけではない。 神も霊魂も存在しないなら、人間なんか食ってクソをするだけの管 でしかないではないか、という話である。 唯物弁証法は神も霊魂も否定する。唯物・・・人間は物でしかなく、 弁証法・・・その物が正反合によって変化するだけである。 であるからして、人間の営みは根源的にクソなのであり、 人生など「シューシュポスの神話」であり、徒労でしかないと。
仏陀「だから悟りなんて無いって言ってるのに……」
>>285 前半はその通り
しかし頭から空を信じたら、信仰は無くなるよ
空を信じられないから、坊主は修行し続けてる訳で
290 :
神も仏も名無しさん :2013/06/23(日) 10:05:05.50 ID:hbNLWgFQ
>>289 仏教の空を正しいと信じている人とは噛み合わない。
空を正しいと信じて空を探し回っている人々。
その人なりに空を理解して空を実行しようとする人々。
前者には希望がない。いつまでも探し回るだけ。
後者には希望がある。空を実行しようとしても実行できないことに
気がつくチャンスがあるから。Sn.1119「世界を空なりと観ぜよ」とは、
この世界の中で「空を生きる」ことだよ。
空は教えとしては正しい、というか優れてるよ 空を目指せば、その過程で空なんて空だと気づくからね
僧院や修道院の修行が実を結ばないのは、 日々の勤行や大量の経典・聖典があって時間潰しに事欠かないし、 修行が厳し過ぎれば逃げ出せるという精神的余裕もある。 現在では経済的にもそこそこ保障されている。 これに対して「空を生きる」ことは容易ではない。 世間が認めないから、世間からドロップアウトしながらやっと生き、 砂を噛むような、ひりひりするような毎日を送ることになる。 背水の陣をしき「神との戦い」をする。こんな生活は だれも望まないから、なんらかの運命がそうさせているのだね。
そういった言葉遊びに終始しているやつも多いしな そりゃあ実も結ばないよ
>>292 そうそこに行き着く
空に気づけば、なんら気負いも必要なくその境地に至るしかなくなる
ニーチェの超人だな
ただし出家してると自分の理想が立派な坊主になっちまうので、
理想の坊主になるしかないのが問題だ
また、そこでまた空に囚われるとニーチェみたいになるし、
空を軽視しすぎたまま、その生き方を続けても、果てには気を病む
これも、同じこと
>>292 自分のすべきことをやらなければならないのに、
いつのまにか世間に外れることそのものが目的になっちゃったり・・・
自分を見失う危険性がある
週に1,2時間でも座禅や武道でもやって、
自分の心に嘘をついていないかだけはしっかり確認しながら、
そういう生き方をするのが一番良い
296 :
神も仏も名無しさん :2013/06/23(日) 20:09:49.86 ID:roop+8w5
>>293 中論信者なんかは、ほんとに言葉遊びが好きだね。
>>294 空を生きたら、だいたい神経をやられる。
私の場合はフロイトを読み込んでいたのでなんとか通過できたよ(^^)
ユングより、唯物論者のフロイトがいい。
>>295 俗社会にどっぷり漬かるより、坐禅や武道に打ちこむ方がいいだろう。
しかしこれでは非想非非想処が行き止まりだと思う。
神や霊魂を体験するには、狭い門である「空を生きる」以外にない。
★ 唯物弁証法から「空」をどう理解するか ★ 唯物論・・・人間は物質である。 ★ 弁証法(正反合)・・・正は作用、反は反作用であり、合は消滅。 正と反が一枚のコインの裏表の関係ならば、合がコイン。 あるいは陰陽の太極図をイメージしてもよい。 しかしこの状態は瞬間的なものであり、時間の経過を考慮すれば、 長い円筒の内側が正反合の世界になる。 円筒の内側では正と反、あるいは陰と陽がぐるぐる渦を巻いている。 その渦には何の意味もなく、それをやめる時が死である。 これが「空」あるいは「無」であり、人間の根源的な在り方である。
すなわち、生きるとは生きることである。 生きることに意味などない。 この長く続いた円筒が、食ってクソをするだけの管になる。 あるいは、むき出しの世界だと言ってもいい。 すなわち同義反復、生きるとは生きることである。 生きることに意味などない。
空そのものは、単に観念が空というだけの話でそ その裏に潜む実在については、初期仏教では無記 大乗仏教では外界という実在を設定してるけど、 これもせいぜい素朴実在論止まりじゃねー? 中論読んでる途中だから間違ってたらすまん 東洋の特殊性は実践に重きを置くところと、 途中の論理が残されてないのに、仏陀の弟子やら龍樹みたいな、 謎すぎる哲学者が急に出てくるところであって
意味が無いことを実践して意味を浮き彫りにする、という手法は弁証法だし、 結果として唯物論の世界でのみ意味を見出せるのは確かだけど、 空の概念そのものはかなり初期の唯識論の範疇は出てなげ 経験則で得られた実践としては凄いんだけど、 それについては仏教以前のバラモン教からあった話だよね?
神や霊魂を体験するには、本当に生きる意味がないのかどうか、 それを実際に体験することが前提条件になっているようなのである。 言葉で「空」を理解するだけでは足りない。 では聖マックスや聖ジュネは、なぜ神や霊魂を体験できなかったのか。 ただ「空」を生きればいいのではなく、無意味であると知りつつも、 少しでも善いことをしようという気持ちが重要である。 人生など無意味なのに、少しでも善いことをしようというギャップ、 このギャップの大きさに秘密を解くカギがありそう。
>>299-300 空は「実在には本質がない」という立場でなかった?
本質がないから空になる。
龍樹の『中論』は、先行する般若経典などを参考にしているらしい。
かれは中観派の祖だが、唯識派(唯だ識のみ)は中観派の後で登場する。
唯識派の場合は、本質(識)を認め、実在を識の展開と見なすから、
本来の仏教とは違うような印象を受ける。
>>302 実在という言葉が一致して無い気がするお
そちらで使ってる実在は、観念実在論の実在、かな
龍樹は素朴実在論って言ったけど、やや科学的実在論に近いのかな
>>299-300 東洋哲学も西洋哲学も、神や霊魂の存在をテーマにしていると思う。
両者の違いは、何と何を比較するかにもよるけど、東洋哲学(仏教)が瞬間的
なのに対し、西洋哲学(弁証法)は時間的なような気もする。
〜 西洋でも教会や修道院で瞑想をやるらしい。
バラモン教にも古くから瞑想や苦行がある。
ただ、そういった実践で神や霊魂を体験できたのは釈迦やその弟子、
ジャイナ教の開祖など、ごく少数になるのではないか。
>>303 「実体」という意味の「実在」だね。
素朴実在論、観念実在論、科学実在論などを含め違いがよくわからない。
どれも似たような気がするのだが。
釈迦が言ったとされることは、結局
「非想非非想の先に行ったけどなんもねーぞ、苦行なんてやってねーで良く生きろ
苦行したいならしてもいいけど、重ねて言うがなんもねーぞ」
みたいな
で、なんもねーことを体感するのが悟り
西洋東洋どちらでも、神に会うだけはもっと前の段階でできる
>>305 解釈の違いだと思う
初期仏教は無記とした実在部分を、
中観派は「無記部分は、こういうものである」と弁証した
唯識派は「無記部分は、無である」とした
有名な例えで言うと、
初期仏教「矢を打った者などどうでもいい(そんなことより治療しろ)」
中観「矢を撃った者は、証拠によると、このような者のはずだ」
唯識「矢を撃った者が居ることは証明できない」
みたいな
んー、初期仏教は西洋の唯識や唯心にあたると思ったが、
無記って特殊だからうまくあてはまらんな
>>306 非想非非想処はまだまだ本当の悟りではない。
これは小悟と言われ、しばらくすると元の木阿弥に戻ってしまう。
神や霊魂を「体験する」のが本当の悟り。
仏教用語や哲学用語は難しい。
無記は、知らなくて話せない場合と、知っていても話す気にならない
場合があると思う。実在論とか観念論とは意味が違うね。
せっかく独創的だったのに残念でした(^^)
>>307 だから「非想非非想の先」と書いたんだが……
独創的ではなくて良い
こんな語り尽くされた過去の思想については、
当たり前の意見でなければ正しい解釈ではない
>>307 仏教でいう悟りは空を悟り涅槃に入ることで、神や霊魂を云々ではないよ
単に神や霊魂や奇跡を見たいなら天部で遊べばいい 普通に神に会いたいなら、それはおそらく色界の果てに居る 西洋宗教にも哲学にも無色界はない 生まれる前の赤ん坊はそこに近いだろうが
>>308 非想非非想は何回か体験しているからよく知っている。
想うでもなく、想わないのでもないとは、自分がなくなることではなく、
自分の心が周囲に左右されない不動の状態になることをいう。
これは悟りのようだがまだまだ序の口、その先に不思議な体験がある。
しかし、たいがいの人は非想非非想にも到達できない。
精神集中の準備が整い、最低でも1時間は静かに坐れないと無理。
>>309 空は、主体も客体も存在しないだけでなく、非存在の場もないことをいう。
まったく何もないのだから、論理的に悟りもありえない。
ただし、これが真理なのではなく、仏教がそう考えているだけなのだが。
ヒンズー教の場合は、非存在の場をブラフマンと想定している。
ブラフマンがアートマン、というのが梵我一如。これは非想非非想だね。
>>310 それは帝釈天やら持国天やらの神々のことだね。
私が言っている神は、唯一神である創造神のことだよ。
>>312 勝義諦と世俗諦を混同するのは、いい加減やめてほしいな
ちなみに何もないのではなく、一切皆空が正しい
空=無ではないというのも、再三言い尽くされたことだと思うわ
>>311 物事を言うには資格がいる
自分にその資格がないと弁えた上で、しかし言わなければならないと思った
精進してください
>>306 無記はエポケーか
無駄に拡大する必要はないが認める必要はある
語りえないこと
>>314 勝義とか世俗とか一切皆空とか、
体験もないのに仏教用語を振り回すことが戯論なんじゃない。
観念論とか形而上学とも言うね。
>>315 掲示板に書き込むのに資格などいらない。だから掲示板は玉石混淆だね。
読書だけでは真理に到れない。真理を知りたければ体験が重要だよ。
坐禅だけでは不足。働いて苦労する必要がある。
西田幾多郎をネットで調べたが、 この人の純粋経験とは非想非非想処ではないかと思われる。 その良し悪しは別に体験に基づいた哲学だね。
いいから思考を止めろ。あとは放っておけばそのうち悟る。悟るのはあんたじゃないからね。細かく言うとあんたの「意識」は悟れないよ。悟りは向こうからやってくる。あと、思考を止めることを思考するなよw
傍で眠れよといい続ける人がいれば眠れないわけで。
眠れるひともいるさ ただ2chではその見極めが不可能で対機説法ができない
>>321 例えば殺人しようが強姦しようが、
ぼーっと座禅しているだけで業が消えるとか、そういうこと?
>>324 殺人も強姦も業も全て元々なかったことが分かる。法的根拠以外にこれらを咎めるものはない。あ、唯一あるとしたらそれこそ仏性であるかな。色は、それをもって見ているというよりも見せられているという表現が正しい。
>>324 あと、そういうことを考えることそれをもって悟りからは離れているよ。実に人間らしいね
梵天勧請にある釈迦の言葉「おのが信仰を捨てよ」は、 スッタニパータ1146でも「汝もまた信仰を捨て去れ」と繰り返されている。 これが本当に釈迦の言葉なら、篤く三宝を敬えとか、 仏法僧に帰依しろという仏教の教えは、釈迦の教えではないことになる。 敬うにしろ帰依するにしろ、信仰が前提になるからである。 釈迦が自分や、自分が説いた教えを敬えなどと言うはずがないから、 仏教教団が教団利益のために付け加えたものだろう。
ところで、「おのが信仰を捨てよ」は、いったいどのくらいの深さから 語られたかが問題になる。たとえば、キリスト教やイスラム教などの 宗教レベルの話なのか。そうではないだろう。 宗教の話なら「おのが宗教を捨てよ」と言うと思う。 では何を捨てよと言うのか。信じ仰ぎ見ているもののすべてを捨てよ、 権威的なもののすべて捨てよ、と言っているのではないか。 こういったものを外面的にも精神的にも全部捨てる。 国家も地位も財産も仕事も家族も全部捨てて乞食同然に生きる。 釈迦がやったことはこれだ!
そういうことから言えば、釈迦はアナーキストであり、ニヒリストであり、 自分の悟りだけを求めるエゴイストなのではないだろうか。 釈迦は自分の体験から「おのが信仰を捨てよ」と言っていると思う。 この釈迦像は聖マックス(シュテルナー)にきわめて近い。 二人の共通点は、社会的権威や精神的権威に対する生理的嫌悪感だろう。 自分を拘束するような権威に対して自然に反抗している。 権威的なものを嫌うのは、性格的なものだから仕方がない。 しかし、そういう性格であれば次第に社会からドロップアウトする。 だからかれらの歩みは運命的なものと言っていい。
何か小難しい話してるなー。 はっきり言って何か経典に乗ってることとかはクソだと思うわ。仏教の経典って般若心経のみで充分位だろ。腹減った時に飯食ったら美味かった。それが仏教っつーか全てだろ
>>331 そういう馬鹿が多いから、教えを説いても理解されず意味がない
疲れるだけ損だと駄々こねたのが、かの有名な梵天勧請ですw
小悟の非想非非想処なら、坐禅に慣れればやがて体験できるよ。 しかし、釈迦レベルの悟りは無や空を実践しないと無理。 そこで釈迦の金口を頼りに、大悟に到達する方法を模索している。 いま、あらゆる権威への反抗という糸口を見つけ出したところだろうか。 親や教師を含め、あらゆる権威に対して何らかの違和感があり、 うさん臭いものを感じてしまうからかもしれない。
カミュは反抗、シュテルナーは反逆。 反抗・・・権力・道徳・教育によって加えられる圧力に反対しながら、 それに耐えて、いつかはそれにうち勝とうとする行動をとること。反抗期。 反逆・・・国や世間のやり方に逆らうこと。反逆精神。 反抗すれば嫌われるのに反抗する。そのうえ自分の中に確固としたものが ないのに反抗する。反抗する人間はたぶん、そう意識していなくても たえず自分探しをやっている。自分の中に、何らかの事情で自分という 確固としたものが育たなかったため、自分を守るために反抗するのかも しれない。権力や権威に自分を委ねることは自分を見失うことを意味する。
335 :
神も仏も名無しさん :2013/06/27(木) 21:13:10.79 ID:X0qMBXia
アナーキズム、権力や権威に対する生理的嫌悪感の中身が見えてきたね。 それは自分の中に確固たる自分がないことに由来する。 そのために釈迦は、いっさいを投げ捨てて修行に入った。 自分からあらゆる虚構をそぎ落とし、自分自身と向き合う生活を始めた。 そういった生活が世界を空と観じることではないのか。ただ単に、 頭の中だけで空を想像しただけでは、世界を空と観じたことにはならない。 想像と体験の間には、超えることのできない断絶がある。
>>332 馬鹿に理解させられない時点で大いなる知恵が足りてないだけだな
>>336 その結果、世界的に釈迦仏教は廃れて、大乗仏教に取って代わられたんだよ
日本では行き着くところまで行って、浄土系と日蓮系が大流行したわけだけど
これからの仏教は馬鹿でもOK!お題目を唱えるだけで救われます!
辛い修行はもう止めて、あなたも新しい仏教を経験しましょう!
Let's begin!!
>>337 何かがが結果であることなどありえない
って龍樹のおっちゃんが書いてるから安心しろ
現代が結果だなんて自惚れた錯覚だ
釈迦の修行経過を箇条書きにしてみよう。何かわかるかもしれない。 @ 29歳で出家、35歳で成道する。その間6〜7年。 A 出家した当初、二人のバラモン師匠に従って学ぶ。しかし悟れない。 B そこで五人の仲間と共にサールナート(鹿野苑)で苦行を開始する。 C その後、五人と別れ、ブッダガヤでひとり苦行。苦行をさらに強化? D ある日のこと、ブッダガヤ近くの川そばで空腹のため倒れる。 E 村娘(人妻?)スジャータの牛乳がゆで救われる。 F 6年間の苦行の誤りに気づく。その後は修行方法を「中道」に変更。 G 再び瞑想を初めて49日目に成道。
まず第一に、かりに悟りのレベルが非想非帆想処なら、6年間も修行する 必要はないだろう。苦行するほどの、悟りへの強い思いがあれば、 長くても1〜2年座れば体験できる。これでは満足しなかったのだろう。 次に、6年間も苦行の誤りに気づかなかったのに、 なぜスジャータの牛乳がゆをきっかけに気づくことができたのか。 飢え死にしそうな目にあったからではないだろう。 なぜなら、その時点では、中道で悟りに到達するかどうかは不明だから。 常識的には、楽そうな中道より、苦行の方が悟れそうに思われる。 そう思ったから6年間も苦行したのではないか。
個人的には、釈迦はスジャータに会った後、仏教で言う甘露体験、 キリスト教で言う聖霊体験をしたのではないかと思う。 神との出会いを体験したからこそ、苦行の誤りに気づいたのではないか。 なぜなら、神との出会いは苦行とはまったく無関係に生じるからだ。 自分の誤りに気づくことによって神との出会いが生じる。 ★ ネットや仏教本では、苦行から中道への転換を軽く扱っている。 あるいは、中道に気づいたから、五人と別れたような書き方をしている。 しかしこれだとブッダガヤで空腹で倒れた説明がつかない。 サールナートとブッダガヤの距離は徒歩だとたぶん1週間ぐらいある。
スジャータに救われた後、釈迦は甘露体験(聖霊体験)をする。 これが神(命)との出会いである。インドでは 額の中央にティッカをつけるが、あれが甘露(聖霊)を象徴した印だろう。 甘露(聖霊)は頭の中、額の中央あたりに落ちてくる神のしずく。 それがどれほど凄いかは体験しないとわからない。 では、再び瞑想を初めて49日目に体験したものは何か。 これが明けの明星、自分の霊魂を自分の目で見るという体験である。 仏教は、釈迦が無や空を体験したと考えているらしいが、 無や空そのものは絶対に体験できるものではない。 ただし自分なりに想像した無や空に近づくことは可能である。
釈迦が神も霊魂も体験しているとしたら、 2500年の大昔に、現在の哲学も宗教もすでに息絶えている。 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もありえない。 しかし簡単には体験できないから、釈迦の体験は 弟子たちによって隠され、歪められ、闇から闇へと葬られてきた。 その替わりが無や空であり、それを体験したのが釈迦の悟りにされた。 冗談じゃない。非想非非想処ぐらいに6年も7年もかかるわけがない。 静かに坐禅すれば、せいぜい1〜2年で到達できてしまう。 そんな境地が釈迦の悟りだなんて失礼極まりない。
とりあえず仏教質問箱からやり直すといいと思う 色々と酷い
345 :
神も仏も名無しさん :2013/06/28(金) 19:59:27.74 ID:Fny+UsGV
梵天勧請の「おのが信仰を捨てよ」は、 神や霊魂を実際に体験できるのだから、信仰などやめて実際に体験すれば いいではないか、という意味だろうと思う。 ただし釈迦は、縁起や四諦八正道や慈悲心を説いている。 無や空だけなら縁起の理法だけですむ。慈悲心や四諦八正道を説くのは、 釈迦の究極の教えが無や空でないことを逆に証明している。 釈迦は神や霊魂を体験する方法を説いたのである。 それで体験できたら、釈迦が神や霊魂を体験していたことが証明される。 すでに知っているから道案内ができるのだ。
何かぐちゃぐちゃうるせーなー 仏教が好きな人なの?仏教の心得が全くなくて笑えるが 四諦もなにも何かで読んで理屈をこねくりまわしてるならそれは国語だな。宗教ですらない まぁ坐りたまえよ
理屈ではないのだよ。口でぐちゃぐちゃ言ってもダメ。愛媛県産の甘いミカンの美味しさを君はベネズエラの人に伝えれる?
食わすしかないでしょ。座れよ
>>348 腐っていないこと、産地偽装でないこと、毒が入っていないこと
それをせずに食えで済ませちゃ、どうしようもなく餓えてる者以外は誰も食うまい
どうしようもなく餓えてる者は、腐っていても農薬まみれでも心底喜んで食うだろうが
歓びとは、わかることではなく、わかり合うことだよ
経験すればいいってものでもないんだけど、言ってもわからんのだろうね 白紙の素人に教えるより、我流の経験者に教えるほうがずっと大変なんだよな
351 :
350 :2013/06/29(土) 15:46:09.65 ID:BY8d+BnU
訂正 x ずっと大変 o 往々にして大変
スジャータから牛乳がゆを布施されて、釈迦は何を思ったのだろうか。 牛乳がゆで育った幼い頃のこと、そしてそれ以来、自分が何ひとつ、 他人に善いことをして来なかったことではないだろうか。 今も自分が救われることだけを考えている。釈迦はスジャータの布施で、 自分が骨の髄までエゴイストだったことに気づいたのだと思う。 自分の中には善いものも正しいものもまったくないではないか。 それに気づいて深く悔いる。もう取り返しがつかない。終わりだ・・・ そう悔いた時、頭の中に神のしずくが落ちてくる。 それが神であることは瞬間にわかる。
自分の中に確固とした自分がないから悩み苦しんできた。 しかし神と出会った時、悟りたい、救われたい、自分とは何かといった 問題意識は自然に消えてしまう。神に個体の根拠があるわけだから、 自分探しはたぶん原理的に済んでいる。 それでも再び瞑想に向かうのは、神に導かれてとしか言いようがない。 以前は悟ろうと思って必死だった。瞑想に悲愴感があった。 しかし神に出会った後は、すでに癒され、さわやかな喜びに浸され、 そのうえ冴え渡っている。これが深い瞑想を可能にする。
354 :
神も仏も名無しさん :2013/06/29(土) 18:59:31.17 ID:CgQf4Wxb
神を体験しているから、49日目はたとえにしても、 きわめて短期間に成道することになる。自分の目で自分の霊魂を見る。 これが確固たる自分であり、自分探しの答えになる。 神は命であり愛である。それがわかれば、自分の中に確固たる自分がない 理由も明らかだろう。子供時代に十分愛されなかったからだ。 その人が悪いのではない。周囲の人間関係に問題がある。 釈迦は生まれてすぐに母を失い、家庭内孤児のようにして育っている。 王子の身分だったが、幸せな子供時代ではない。
356 :
狂気の匿名ウサギ :2013/06/29(土) 21:13:36.42 ID:4oXpfZWI
古明地 さとり 心を読む程度の能力 その力はサードアイという第三の眼により心が観透かされる程度の能力だとされている 悟(さとり)?覚(さとり)! さとりとは妖怪になることでもあるの? あと霊夢も巫女だお〜! 二次創作じゃお賽銭ネタ多いけど「本気出すとすごいから!」 超絶弾幕を攻略できる図太い苦難の精神が心を読む程度の能力となった
>>355 解ってたら2chなんぞに書き込むまねーよ、常に理屈先行だ
しかし俺は理屈は正しいと信心してっから、
つまり論理に帰依してっから、非論理は排除しないが、非論はただ無記だ
神主ZUNはどうだろな、彼の論理レベルはどうにも計り知れない、つまり確実に俺より上だ
今の俺にはどうしようもなく高い理屈に生きているか高いセンスに生きているか、わからない
ま霊夢は常にフラットであろうとするZUN自身だろうさ
正体がわからない神に帰依する、ただの無垢な化物だ
>>357 あ、そう。まぁ良いんじゃない。頑張ってー。ただ、一つヒントをあげると理屈の届かない所もあるってことを知っておくべきかなと思うよ。そんなこと分かってるか
>>357 あ、ただ
>>349 の返答は俺は「愛媛県産の甘いミカンの甘さを伝えるには食わすしたかない」と言ったのに、あなたの「腐ってないこと云々」は筋違いの返答だからね。
俺は感情や心、それを通じた所謂さとりというものを文書その他の知的な方法で伝えるには限界があるから直接食うべき(さとりに至る行動をとるべき)と言ってるのに、あなたは「それが腐ってないか(正しいものか)、農薬まみれでないか(有害ではないか)」という議論をしている。
あるみかん(さとりに至る道)が正しいものかどうかの話はあなたとは一切していない。腐っていようがいるまいが、それを伝えるには食わすしかないという話をしている。
理論派なあなたにとっては致命的な返答であったね。
360 :
狂気の匿名ウサギ :2013/06/30(日) 03:50:50.36 ID:mZgiE20x
洩矢 諏訪子ちゃんなどExtraHard並の神様がやってきたら私感激しちゃいますよ 要するにケロちゃんのミシャグジさまの弾幕を攻略するくらいの覚醒する程度の能力も「超」が付けば覚醒する程度の超能力になる 能力を越えた超能力くらいになると念動力が覚醒して精神ポイントが拡大化して精神コマンドをより多く使えるようになるし「T-LINKナッコォ!」もできる
>>359 なるほど申し訳ない
食わすしかない、にはもちろん同意だ
その上で、食わすしかないと言っても誰も食わねえ、という別の話をしたんだ
解るためには食うしかないが、食わすためには言葉がいる
362 :
神も仏も名無しさん :2013/06/30(日) 09:16:11.10 ID:4+z5IGPs
心を吾のものにする=悟り 保守的に着実に生きることになるだろう
ネットなどを見てると、釈迦が苦行の誤りに気づき、 苦でも楽でもない中道を歩み始めたことで成道したという説明もある。 前にも触れたが、この説明は次の理由でまちがっている。 @ 釈迦の気づきは、苦行でもなく快楽主義でもなく、中道すなわち ほどほどの修行で悟れるということだ。ほどほどは悟りとは違う。 これに対して龍樹の中道は空、苦楽に実体がないことを言う。 B仏教信者は、釈迦の悟りが空だと強弁したいがために、 釈迦の中道を 龍樹の中道と同じものにしてしまう。 かりにそうだとすれば、 釈迦の説く慈悲心はどこからやって来るのか。
似たタイプだと思うが、釈迦は成道したのに聖マックスや聖ジュネは なぜ成道できなかったのか。その理由はいくつか考えられるが、 そのうちのひとつは「朱に交われば朱くなる」だろうか。 聖マックスの場合は、その周辺にバウアー、フォイエルバッハ、マルクス、 エンゲルスなどの優秀な人間が揃い、かれらと議論するにはかれらに合わせて 相応に勉強する必要があった。それに当時のドイツは封建社会が崩壊しつつ あり、社会情勢が流動的で落ち着かない時代を生きていた。 そのうえ酒飲みだし、50歳の早死にだし、自分探しに専念できなかった。
365 :
神も仏も名無しさん :2013/06/30(日) 22:46:31.48 ID:ALzVDQy8
聖ジュネの場合は、親に見捨てられ、泥棒と男娼と刑務所暮らし。 神にではなく、同性愛によって虚構の自我を生きた。 同性愛でも、それによって虚構の自我が成立、自分探しは不要になる。 軍隊や刑務所や修道院や僧坊など、特殊な環境下で同性愛が発生するが、 その背景には性欲だけでなく、愛されたい、認められたいという 精神的な要求が潜んでいるのかもしれない。 自分探しで深刻に苦しむより、この方が楽チンな感じがするね。 ここ宗教板でもおかまコテが目立つ。
>>363 苦行をしたから、苦行の誤りに気づいたんだよ
厳しい修行をしたからこそ、中道を知ることができた
最初から中道を信じる素直さと頭の良さがあれば誰だって悟れるが、
残念ながら、頭の良さは、素直さだけからは産まれない
367 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/01(月) 04:23:17.58 ID:8QxNXuUn
いくら苦行で精神を鍛えようとしたってその分精神ポイントを消費ばかりして根性や不屈などの精神コマンドを使えなくなったあたりで命を危険さえある だから楽行が楽で楽しいからといいそればかりだとひとの意識は衰退し廃と化す傾向がある そこまで自然の摂理に逆らうことこそ狂った気なまでの狂気だよ もっと自然で生き物として純粋になろう 「大自然のお仕置きです」
>>367 今更人類は自然には帰れないだろ。
自然に帰るってことは、狩猟生活に変える事。
文明を頼らないってことは、武器も持たないということ。
もし万が一何かの影響で人類が強制的に自然に帰らなければならない状況になったら、
一年持ちこたえる事もなく全滅するだろうな。
>>367 あなたの正気は誰が保証してくれるのかしら、ねえイナバ?
370 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/01(月) 13:01:50.25 ID:8QxNXuUn
>>368 なにを言いますか
某格闘ゲームで遊んでて腋巫女っていう博麗の巫女とバトってたナコルルっていうアイヌの巫女が「大自然」について教えてくれたのに
巫女さんは「ほとけさま」や「霊術」について知ってるはずだもん
>>369 そもそも私の正気の定義がわからない
私のようなメンヘラは常にカオス化してうどんげったりしないと鬱になってばたんきゅ〜
聖ジュネの「虚構の自我」は、自我などもともとそんなものであり、 怪しげなものだということを教えているような気がする。 親から愛されることで、自分は愛される存在なのだという無意識の自信が 形成される。このプロセスが繰り返されて、いつしか自分を信じ、 自分を大切にする思いが自然に湧いてくるようになる。 しかし、このプロセスのどこにも、自我の存在を証明するものがない。 自分の何が愛されているのか。肝心の自我はどこにも存在しない。 身体を除けば、自我などは「虚構の自我」でしかない。
そうすると、すべての人間に確固とした自分がないことになる。 あるのは「虚構の自我」だけ。そしてそれを信じる度合いが違うだけ。 幸福に育てば、自分を信じ、プライドが強くなる。不幸なら逆。 常識から言えば、幸福に育った方がいい。 かれらは自信にあふれ、明るく元気で、伸び伸びしている。 それらは「虚構の自我」を深く深く信じていることに由来する。 自己催眠あるいは自己暗示のようなものである。 しかし自我が存在しないことは、 自分探しをしている不幸な人たちとまったく同じである。
373 :
神も仏も名無しさん :2013/07/01(月) 22:11:48.69 ID:ipT/VbPh
釈迦はこの「虚構の自我」への信仰も含め、「おのが信仰を捨てよ」と 言ったのではないか。なぜなら釈迦自身が自分探しをしたのだから。 そうなるとむしろ、不幸な子供時代を送った方がより多く、 悟りのチャンスに恵まれることになる。悟れば「真実の自我」ですね。 不幸な子供たちはたくさんいる。そしてかれらは神の近くにいる。 かれらを幸せにするのが大人たちの責任ではないだろうか。 到達不可能な無や空が悟りだなどと言って悟りを閉じるのではなく、 神や霊魂に到達する方法を教えなければならない。
374 :
神も仏も名無しさん :2013/07/01(月) 23:00:43.67 ID:UOZXQe6R
一般人は、仏教という名の、 釈迦の教えから かけ離れた宗教によって 悟りを誤解させられています。 悟りは、超人になることではありません。仙人みたいになることでも無いし。 仏像なんか拝んでも無意味なんです。偶像崇拝は 釈迦の教えには ありません。 悟りを開いたからといって、他人を救うとか できません。 基本的に、普通の人間のままです。感情や欲望も そのままです。 動物的本能は、ほとんどそのまま 残っています。 悟りって、たいして凄いことではないんです。 普通に生活して、幸せな人生を送っている人々には、悟りは 必要ありません。 だから、そんな人々が悟りを開くのは、 困難だと思います。 理解することも不可能だと思います。 では、なぜ悟りを求めるのか? 私の場合は、人間として生きていることが苦しかったから。 その一点。 で、30年くらい ずっと修行(仏教の座禅や苦行とかじゃなく) して、やっと悟りの境地に達することができました。 と、私が言っても 信じてもらえるとは思っていません。当然ですが。 別にかまいません。悟りとは完全にプライベートなものですし。そして、 そんなのが、悟りのワケないじゃん。と、思われてもかまいません。 悟り そのものを否定するのも一般的な感情でしょうね。 あ、 霊魂とか、スピリチュアルとか、悟りとは、無関係ですからね。
375 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/07/01(月) 23:25:29.55 ID:5tlyuuTi
偶像崇拝なんかしてんのは、世界中でキリスト教徒だけなんだが。(笑)
376 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/02(火) 05:47:15.82 ID:jJV6RDR+
『さとり』がないと『古明地 さとり』さんとかの第三の眼を持つ妖怪はどうなるのですか? 『古明地 こいし』さんみたいな第三の眼を完全に閉じてしまうのですか?
こいしは無の境地やね さとりといえばブラックエンジェルズを思い出す
>>374 もはや、うつからの回復を悟りと定義しても良いくらいということかな
世界を二つに区別し、悟りの全体像を簡単に要約しておこう。 @ 自分以外の世界 (周囲の現実) A 自分という世界 (意識−マナ識−アラヤ識) / (霊魂) / 神 意識・・・目覚めている時の心 マナ識・・・夢の中に登場する自分、夢を作り出す無意識の心 アラヤ識・・・無明とか原罪とか言われている盲目的な衝動 仏教は神や霊魂を認めない。 その意味では、仏教は宗教ではなく哲学になるかもしれない。
仏教は神や霊魂を認めないから、その悟りは(意識ーマナ識ーアラヤ識)の 範囲ということになる。それも意識を軸にして展開する。 なぜなら、マナ識やアラヤ識は無意識だから基本、問題外。 坐禅をすればわかるが、意識は自分以外の世界に敏感に反応し、 たえず動揺して落ち着くことがない。しかしやがて意識が静まり、 鏡のような湖面になる。これが非想非非想処である。 それからどうする? マナ識やアラヤ識は無意識であり、 神も霊魂もないのだから、これが仏教の最高の境地ということになる。 すなわち、非想非非想処を体験すれば悟った人である。
381 :
神も仏も名無しさん :2013/07/02(火) 21:52:37.35 ID:3n57Po2R
欧米哲学も似たようなものだろう。 神や霊魂を想定して議論を展開したソクラテスやプラトンから、 そういったものは体験できないとするカントを経過、 ニーチェが神の死を宣告するに到った。 キリスト教には「神」を観想する習慣があるらしい。 しかし仏教のように、空(?)を神格化する理論も技術もないために、 欧米哲学は哲学でないものへと退化しつつある。
如来はニーチェの言う神でね 色即是空が虚無主義(ただし至る道は違う) ブッダ(覚者)が超人 釈迦がニーチェ うひ
欧米哲学に好感が持てるのは、 体験できないことを理由に、神の存在を頭から信じない理性を 示し得たこと(カント)。そしてさらに、神がいなければ、 人間は単なる物質ではないかと自問自答していること(実存主義)。 それで退化するなら退化しても仕方ないと。 これに対して仏教は、龍樹が空(=無)を証明したと自負する。 しかし神の証明と同じで、神がいないことを証明できるわけがない。 神や霊魂を切り捨て、マナ識やアラヤ識を切り捨て、 意識レベルですべてを片づける。仏教には身を滅ぼしそうな、 おごりと高ぶりを感じる。謙虚さがない。
龍樹の空は観念論(と実在論)しょ 観念と実在が一つに重なったのがこの世界、みたいな 無は悟りの境地だけど、無理 無だけに
仏教はなぜ、非想非非想処を最高の境地にしているのか。 まず第一に、釈迦が坐禅によって成道したから。 最高の境地は坐禅の中になくてはならない。 次に、坐禅にいくら励んでも非想非非想処止まりだから。 たとえだれかが超えたとしても、そんなことはありえないと潰してしまう。 神や霊魂がいたとしても、神や霊魂を認めないのが仏教だ。 こういう仏教のあり方を「伝統の墨守」と言うのだろうね。 仏教で食べているから、自分たちのまちがいを決して認められない。 百姓にとっての田畑のようであり、哀れなり。
>>384 インド哲学は唯名論と実在論に大別される。
その背景には、属性(法・ダルマ)と基体(実体・ダルミン)との関係により、
対象や存在を把握しようという方法論的態度がある。
対象や存在から、色・形・重さ・広がり・音・香・味・感触などの属性を
取り除いて行き、かりに最後に何か残っていればそれを基体と言う。
そのものが占めていた空間(広がり)も属性になる。
唯名論・・・基体がない。もの(法)には実体がないとする。
実在論・・・基体がある。もの(法)には実体があるとする。→ブラフマン。
(386の訂正 基体ありのヴェーダーンダ派は唯名論になる) 要するに、基体として残ったものの中に、神とか霊魂があるかもしれない というような考え方なのではないかと思われる。 唯 基体がない・・・非正統派・・・仏教 名 基体がある・・・バラモン正統派 論 (属性と基体の区別がない)・・・ヴェーダーンタ派(インド哲学の中核) 実 (属性と基体の区別がある)・・・ミーマンサー派 在 ヴァイシェーシカー派 ニヤーヤ派 サーンキャ派→ヨーガ派 論 ヨーガ派は後にヴェーダーンタ派を理論的支柱にした。
>>385 理屈で言えば
・無に達すれば、有に反転する
・無に達することはできない
この二つは確かなんだよな
>>388 それで正しいと思うよ。後は自分なりの無を実践し、
さらにはチャンスに有を洞察できるかどうか。
無の実践は、神経を病むから精神分析が欠かせない。
有の洞察は、無から有、陰から陽、反から正などを見透かすような
能力が必要になる。原理がわかればゲームを利用してもいい。
フロイトや唯物弁証法を多少学ぶと役に立つ。
宗教本は読んでも理解できないし、まったく必要ない。
神を知ってから読めば十分間に合う。
梵天勧請で釈迦が「人々を害するであろうかと思って、 わたしはいみじくも絶妙なる真理を人々には説かなかったのだ。」とある。 有を説きたいのに、有を体験させたいためにまず無を説く。 これがわからないと釈迦の話が理解できない。 いまの仏教が空(無)を信仰しているのは釈迦の本意ではないだろう。 ヨハネ福音書20.25に、復活したイエスの件で「イエスの手に釘の後を 見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れて みなければ、わたしは決して信じない。」というトマスの言葉がある。 自灯明とはこういった態度のことをいうのだろう。
392 :
368 :2013/07/03(水) 17:23:11.20 ID:yRWe4RsL
>370 俺、それ作ったトコ「直接」知ってるけど。 アレは「アレ」のパクリだって認めてるぞ。
393 :
神も仏も名無しさん :2013/07/03(水) 18:05:00.92 ID:CSVF/AuM
>>383 仏教は全部意識レベルで片付けてないよ。
龍樹の空だって自分の能力や自我では到底及ばない領域があ
りましたと言っているようなものだよ。西洋哲学は自意識の
自問から進むからわかりやすい部分があるが、
仏教はそういう自己の告白みたいなものを省略したような書
物が多いからかけ離れたように見えるんだよね。
>>391 中論は難解だし、運動や時間を否定している。
そこで展開されている空や無は、絶対の真理として神格化されている。
龍樹は「神を知らない」から空や無を神格化する。
唯物弁証法は運動の変化を時間の中で追いかけていく。
現実に沿っていて理解しやすいだけでなく、
そこで主張されることは相対的歴史的な事実という限界を持つ。
絶対の真理は唯物弁証法という方法論だろうか。
日本の大乗も含め、インド哲学の特徴は引き算にあると思う。 この方法はたぶん、ヨーガ(坐禅)の伝統に由来している。 静かに坐って、自分の心から余分なものを少しずつ引き算する。 そうすると本来の自分が現れる、という考えがある。 インド人の引き算思考がゼロ(空)の発見につながったのだろう。 これに対して西洋は、足し算思考が優勢なのかもしれない。 人間活動は、仕事にしても芸術にしても足し算的な性格を多分に 持っている。これは時間を前提にした思考だろうか。 キリスト教の聖霊(釈迦の甘露と同じ)は足し算的だと思う。
396 :
神も仏も名無しさん :2013/07/03(水) 18:32:59.97 ID:CSVF/AuM
>>394 龍樹は「神を知らない」訳ではないよ。少なくともヒンズー
教の神という教えは知っていた。 無や空を神格化もしていな
いと思うよ。「無」は自我の葛藤や精神の揺らぎを持つ「弱
き我」を表明しているとも言えるんだよ。私は凡人ですって
言っているのと同じ。
397 :
神も仏も名無しさん :2013/07/03(水) 18:40:31.27 ID:CSVF/AuM
>>395 それは一理あると思います。
仏教の引き算は東洋文化の謙遜にあると思う。
西洋は自己主張の文化で東洋は奥ゆかしさの文化みたいなも
のでしょうか。
>>393 中論に「心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。」
とあるから、できるだけ言葉を省略するのだろう。
なんにせよ、あれこれ語るのは凡人のすることになる。
悟っているなら話すこともないだろうと。
>>398 中論と言っても飽くまでも心の話をしているんだと思いますよ。
人間は親であってもよい子悪い子の好き嫌いがありますが、
偏らない心は良きも悪きも好き嫌いも選ばずに等しく愛する
という意味の事だと思います。
>>396 龍樹は神も霊魂も明確に否定している。
中論27章15〜19詩を読めばそれがわかると思う。
龍樹はどっちも体験したことがない。
>>394 中論は観念的な弁証法だから、最終的、究極的、絶対的には変化を否定するけど、
行動や外界など、観念と実在の連関を語る段階では変化を認めている
時の弁証法を無視するのでなく、しっかりやってから場の弁証法に移行する感じでは
近代なら、ヘーゲルを踏まえて西田幾多郎、みたいな
>>399 どっちが正しくてどっちが間違っているかを議論したらきりがない。
中論をどう読むかはそれぞれの自由だと思います。
今回はこのぐらいにしておきましょう。
>>401 ものには実体がないから、ものの変化は全部、幻になってしまう。
それでなくても色メガネをかけて現実を見てるのに、
さらに幻という色メガネが加わり、いっそう現実が見づらくなる。
時間を否定すると、空間(場)も消滅すると思う。
場の弁証法はあるようだが実際にはない。
最後に身体が残っている小空経の方がより真実に近い。
>>400 神や霊魂を否定しているのではないと思いますよ。
誤った見解という事に考察しているだけであって
決定付けを嫌った。やはり「そこの細かい事はわかりません
から思い込みません」と言っているに過ぎないと思いますよ。
今日は長々とすみません
f^_^;
>>403 それは色即是空が空即是色より真理に近いという偏りでは
色は空だから無、というのではなく
色は空、空は色、合わせて無
>>403 龍樹は時間を否定してませんよ。
始まりのないとか時間の流れを指す言葉を使って考察してい
ますが、龍樹の理屈っぽさの表明であって、自分の思い込み
や概念を捨てて自分の殻を破っていきたいという意思表示み
たいなものです。
他の業績と比べても決して神仏や霊魂を否定しているのでは
なく、やはり私は凡人だという告白だと思いますよ。
407 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/03(水) 19:54:36.75 ID:4jG+DK5v
>>377 無我の境地→古明地 こいしさんのように第三の眼を閉じて心のほか存在感すら空になる→「覚っている」
そんなバカな…!
私はこれまで姉である心の読む程度の能力を持つ古明地 さとりさんのほうが覚っているとおもってたのに…!
>>378 以前に私は鬱で狂気に駆られて気絶した
それ以降人格が狂った
>>407 ブッダとは覚者、かくじゃ、さとりもの、目覚めた者
こいしは目覚めちゃいないだろう
ddd
410 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/04(木) 09:00:00.15 ID:EmrNsD4B
411 :
神も仏も名無しさん :2013/07/04(木) 13:01:18.61 ID:yu4iLcq1
気絶した時に、自分という意識はあった? もしあったとすれば、その時はどんな感じだった? その経験はその後の生活に影響した?
412 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/04(木) 18:42:11.07 ID:EmrNsD4B
>>411 白昼夢という夢遊病みたいになって意識はあってもなぜか私の大好きな亡霊みたいな現実にいるはずのないゆ〜ゆ〜(幽々子さま)が抱いてくれてたり二次元空間にいた感覚
その後大人みたいな大人しい人格が壊れたのか邪気がイヤで無邪気になりたかったのかおかぁさんに抱っこされたいとか泣き出したり感覚が幼稚化した
ずいぶんと健全に壊れたもんだな 元々350度捻れていたのが、360度に近くなった反動で170度あたりに戻ったんだろ 前と同じに戻るのが一番よくないから、いままでやってなかった東方プロジェクトでも始めてみたらどうか
>>412 ありがとう。なんとなくわかる。
わたしは子供の時、貧血で倒れて気絶した。目を閉じていたから
周囲は赤っぽく感じたが、やはり意識は持続していた。
そして甘く優しいものに包まれうっとりしていた。幸い声を
かけられて目が覚めたが、打った頭は少しも痛くなかった。
いま思えば、この時の意識状態は坐禅の「非想非非想処」に近い。
意識があるのに、周囲への関心がまったく消え失せている。
それに意識があるのだから、ひとりでに目を覚ますのかもしれない。
>>412 もうひとつ似ているものがある。
坐禅の最中に、三途の川でアラヤ識を見たことがある。
アラヤ識は人間の形をしているが、それはさらにいっそう甘美であり、
わたしには生きている死体のように見えた。
非想非非想処が究極の悟りにならないのは、
まだアラヤ識の支配下に置かれているからではないかと思う。
このアラヤ識を捨てることで成道する。
416 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/04(木) 22:23:53.79 ID:EmrNsD4B
あらま〜… なんだか追い詰められた狂気の心情【鬱(メンヘラ)=悟り】みたいな印象になります? あと大体私みたいなアスペルガー症候群の認定されてるひと全般はそもそも天性的に無意識のうちに無我夢中の無我の境地に達したり周囲への関心が薄かったり日常的に「コミュ障」扱いされてたり「生活支障」扱いされてる事例が多いよ
釈迦はうつ病、イエスは分裂病、ムハンマドも分裂かうつ。 狂気かどうかは別にして、精神的に追い詰められないと悟れないかも。 ドストエフスキーはてんかんで倒れた時に至福体験をしていたらしい。 これはたぶん、気絶した時の幸福感を言っている。 死者の表情が穏やかなのは、この幸福感によって癒されるからだろう。 生きている間は苦労の連続だから、顔がたいがい歪んでしまう。
無意識だが「生きている意味」や「自分探し」にはまり、そこに注意が <ぼんやり向いている>から周囲への関心が薄くなるのだろう。 ネットでアスペルガーを調べたが、自分の場合にも思い当たることが多い。 以前からそういう傾向を自覚していたので車の運転はやらない。 正統とされる社会人の多くは「虚構の自我」を生きている。 この自我は、生きている死体・アラヤ識が正体であり、人間をエゴイストに する元凶でもある。アラヤ識は甘美だからアラヤ識の虜になってしまう。 これに対して異端者は、そのウソをぼんやり見ている。
419 :
神も仏も名無しさん :2013/07/05(金) 13:34:51.09 ID:4r+IFFj1
空あるいは無とは、虚構の自我、意識ーマナ識ーアラヤ識のウソをいう。 このウソは、ウソの根源・アラヤ識を消滅させれば消滅する。 しかしモヤのようなものでは消滅させることは不可能。 アラヤ識の正体がわかり、そのうえでそれを消滅させるチャンスに出会い、 そのうえさらに自分の意志で消滅させる選択をしなければならない。 それができれば霊魂に出会う。チャクラ思想には興味はないが、 アラヤ識を消滅させることでサハスラーラが開く。 第三の目は、聖霊(甘露)体験に関係しており、微妙に異なっていると思う。 聖霊体験はアラヤ識消滅→霊魂体験をも包含している。
発達障害アスペルガー ってエルドランシリーズっぽいよね
神との出会いである聖霊(甘露)体験は目を開いたままでやる。 この体験をするまでは、あらゆる宗教から遠ざかっていた方がいい。 もうすでに信仰をしている人は「おのが信仰を捨てよ」 坐禅や瞑想などもやってはいけない。 何にも頼らず、親兄弟にも頼らず、自分だけの力で生きてみよう。 聖霊(甘露)は頭の中に落ちてくるが、 神→霊魂→アラヤ識→マナ識→意識の順番で通過する。 それは神の側に主導権があり、人間は受動的にそれを体験するだけ。 受動的だが、神につながる神秘的な瞬間でもある。 あらゆるものはこの体験に包含されている。
聖霊体験をすれば、あとの霊魂体験はきわめて容易である。 ただし坐禅による。今度は自分の方から能動的に神に近づいて行く。 非想非非想が最初の関門であり、さらに魔境からアラヤ識消滅、 霊魂体験に到って成道する。このプロセスからわかるのは、非想非非想は 否定されるものではないが、成道のための入り口に過ぎないことだ。 聖霊体験をしないで最初から坐禅や瞑想をやると、その後の魔境を 超えることができないで、非想非非想が最高の境地だと誤解してしまう。 それによる弊害がある。たとえば、非想非非想の境地は長続きしないから、 坐禅を毎日しないと安心できなくなる。
423 :
神も仏も名無しさん :2013/07/07(日) 01:17:53.14 ID:mv3UzZEn
お久しぶりです。1です。伸びてますねー。 俺も気絶したことあるけど、文字通り「気」が「絶」ってわけで、 まるで時間が飛んだみたいに、気がついたら自分が横になってて まわりの人間がびっくりしてて、おもしろかったなあ ニヤニヤしちゃった
気絶した時に意識がなかった? もしそうだとすれば、気絶にもその度合いに深浅がある。 自分の場合は全身麻酔の経験があるので意識がないケースも想像できる。 ところでこの状態は坐禅中にも体験する。以下は坐禅の経過。 (意識)→鏡のような意識→非想非非想処→(マナ識)→魔境→ (アラヤ識が登場)→アラヤ識の消滅→滅尽定→霊魂体験→ 帰り道・・・(マナ識)→(意識)→成道 このうちの滅尽定がまったく意識のない気絶になるかもしれない。 時間が飛ぶ。この場合は放置されると死ぬ可能性がある。
425 :
神も仏も名無しさん :2013/07/07(日) 08:56:55.42 ID:vC7hgHOn
悟りがあってもなくてもなんの問題もない なければ関係ないし、あっても関係ない 「オレはなんのためにここにいるんだろう」と考え続けるだけのニートに 人生の意味なんぞ関係ない
>>425 後半はどうなんだろう? ニートの原因は社会にもある。
それに学んだり考えたりしないと人生の意味に気がつかない。
学ぶ場は、学校や職場だけでなく、家族や友人やマンガやゲームなど
何でもいいし、どこでもいい。本能で生きている昆虫などと違い、
人間は「自分探し」をやっている。
自分を探し当てることで本当の人生がスタートする。
青虫からサナギへ、サナギから蝶へ。
自分を知らなければ、青虫の一生であり、酔生夢死で終わってしまう。
本当の自分とかw ない
>>427 あなたは合格だよ〜 そういった気持ちで生きないといけない。
わたしなんぞは聖霊体験をするまで、宗教に無関心、
呆れ返った唯物であった(^^)
429 :
神も仏も名無しさん :2013/07/07(日) 15:42:23.60 ID:mv3UzZEn
>>425 前半と後半のつながりがよくわからないですね
430 :
神も仏も名無しさん :2013/07/07(日) 15:44:51.02 ID:mv3UzZEn
>>425 さんは、「悟り」が「人生の意味」に関わるものだと理解していらっしゃるのでしょうか?
生き物は、食欲・性欲という本能があるから生きている。 この本能は「アラヤ識」を居場所にしている。 そして「マナ識」はこのアラヤ識を自分だと思って執着している。 神が用意したこの仕組みは実に巧妙である。 生き物はアラヤ識に支配され、生きることに疑問を感じないで生きる。 たとえ疑問を感じても、たぶん答えは出てこないだろう。 神はアラヤ識の彼方に隠れてしまう。
神が隠れてしまう理由は、生き物を地上に根づかせるためである。 この地上では、自分中心に生きないようではすぐに死滅する。 周囲に譲るような幼児では絶対に育たない。 だから生への疑問は神への挑戦を意味する。これは神の摂理に反するから、 その意味を考えるだけでも苦悩し、それは死に至る病になる。 しかし歴史上、その成功例も記録に残っている。 旧約聖書の創世記にあるヤコブの話は成功例のひとつである。 32章ベヌエルでの格闘で、ヤコブは神に勝利してイスラエルになる。 イスラエルとは、神と人と戦って勝った人のことを言う。
ヤコブの話(創世記32章ベヌエルでの格闘)は、 日本の相撲(神事)の起源のようでもあり、きわめて示唆的である。 ヤコブは神に腿の関節を打たれ、腿の関節がはずれてしまう。 どういうことかと言えば、神に挑戦し、もはや一歩も歩けないような 重傷を負ったが、それでも神との相撲をやめようとしなかった。 神は、ヤコブが命を捨てたのを見て取って、ヤコブの勝ちを認めた。 そして聖霊で祝福した。ヤコブには神の仕組みが通じなかった。 ヤコブが戦っていたのはアラヤ識である。夜が明けるとイスラエルは、 自分を殺しにやって来た兄・エサウに向かって歩き始めた。
434 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 03:39:37.32 ID:rmhiuzwH
アラ!ヤだ
435 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 03:54:04.97 ID:rmhiuzwH
>>432 > この地上では、自分中心に生きないようではすぐに死滅する。
> 周囲に譲るような幼児では絶対に育たない。
これは嘘
猛禽類のヒナなんか見てると、この通りみたいだけど、
集団生活する生き物だと、自分だけではないでしょ
>>435 確かに集団生活の場合はそのように見えるかもしれない。
ただそれは、親などの年長者が我慢すること、周囲に譲ることを教える
からだろうと思う。そうすれば今度はあなたの順番になると。
そしてそれを年長者が見守って保証している。
この社会性は、我慢や譲歩が報われるから受け入れられている。
自分のために我慢し譲歩しただけである。
だから、幼児でも成人でも相手の裏切りは許さない。
我慢や譲歩は取引であり、その底にはやはりエゴイズムがある。
437 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 11:56:41.43 ID:rmhiuzwH
最適点だよ 個人と集団との
>>437 本能とか、フェロモンなどの化学物質の作用だと思うが、
昆虫や動物などに詳しくないので正確なことはよくわからない。
ただし、働きアリを観察した研究者によれば、どのアリ集団にも、
うろついているだけのアリが常に一定割合いるらしいね。
>>438 AとBとの最適点はどうやって決める。
口論か、ケンカか、それとも法律に基づく警察力か、軍事力か。
人間の心は意識と無意識に大別される。日常的に活躍するのは意識だが、 その意識は影の無意識によって左右され支配されている。 つまり無意識は人間にとって非常に重要な働きなのだが、無意識と言われる ぐらいだからまだよくわかっていない。 世親の唯識を参考にすれば、無意識はマナ識とアラヤ識に区別され、 アラヤ識は人間の業を貯蔵する場所であり、マナ識はアラヤ識を自分だと 思い込んで執着している識ということになる。 この主張が正しいとすれば、人間はマナ識とアラヤ識で完結しており、 閉じた関係になる。この関係が意識を左右し支配する。
マナ識はアラヤ識に執着している。アラヤ識はマナ識から、 これが本当の自分だと思われている。この関係はナルシズムに他ならない。 であるから人間は本質的にナルシズムなのである。 男も女も本当は自分のことにしか関心がないから、 周囲への態度は表面的にいくら粉飾してもエゴイストそのものである。 要するに人間は本質的にエゴイズムなのである。 ここから人間の愛がなぜ不毛なのかが明らかになる。 人間は、自分を愛するだけであり、他人を愛することができない。 どうもそういう心的構造に作られているようなのである。
443 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 22:03:54.91 ID:TyZKu1Z4
こういったことならば、世の中のさまざまな愛の形が 実はひとり芝居だったことになる。純情もホモもレズも、どれもこれも 同じであり、目が覚めれば単なるナルシズムでしかない。 いまはホモやレズを性的な障害扱いして正当化する傾向がある。 しかし、それらが単なるナルシズムだとわかれば、かれらも冷静になり、 あるいは正常な状態に復帰できるかもしれない(^^) いつの時代もこれを逆手に、相手を持ち上げて自尊心をくすぐり、 高嶺の花を自分のものにしてしまう連中もいる。 かれらにとっては、高嶺の花が男の勲章のように思えるのだろう。
人間が宿命的にナルシズムとエゴイズムでしかないなら、 生きることは不幸であり、人間の将来はろくでもないものになるだろう。 幸いなことに神は出口を用意している。 たとえば思春期になれば、自然に人生の意味を考え始めるようになる。 社会で働き、恋愛し、結婚する前に考えておくべきことがある。 このプロセスは、自然の摂理というより、神の摂理である。 ただ社会全体が、こうしたプロセスに対して不寛容になりつつある。 その結果、青虫からサナギになれず、青虫のまま社会に這い出して行く。 社会は社会のために、サナギを受け入れなければならない。
445 :
神も仏も名無しさん :2013/07/09(火) 08:46:48.91 ID:ThAGi8cg
日本人は何にしても「〜道」や「修行」が好きである。 これら作用は、マナ識(自分)がアラヤ識(自分)に執着するところの 自意識を弱め、ナルシズムやエゴイズムをうすめることにある。 仏教の坐禅にもその効果がある。 しかし最終的には、アラヤ識を消滅させないと解決しない。 神の目的は人間を不幸にすることだろうか。 そうではなく、人間に対して「さあ来い」と挑発しているのではないか。 神は神と格闘するヤコブを探している。 神が人を作ったなら、人の不幸を放置するはずがない。
これから外出だが、いまはモンシロチョウがかなりいる。 それを目にするたびに、つい最近まで地面を這っていたのに、 いまは何を思って飛んでいるのかと思う。 トンボのすいすいより、ちょうのひらひらの方が優雅でいいね。
447 :
神も仏も名無しさん :2013/07/09(火) 14:00:48.67 ID:XNZJMswV
仮定の上に仮定を重ねてぐちゃぐちゃしすぎじゃないの? 意識って要は五感のモニタリングして随意運動による全体的な行動方針を決めるだけの場所でしょ? で、快と不快のシグナルによって身体からコントロールされてるみたいな
448 :
神も仏も名無しさん :2013/07/09(火) 14:06:59.70 ID:XNZJMswV
449 :
神も仏も名無しさん :2013/07/09(火) 14:12:20.56 ID:XNZJMswV
愛なんてのはただ単に家族を形成して繁殖し子供を育てるように体が発するシグナルにすぎない 愛はもともとそれしか無いのだから、それをナルシシズムとか、バカじゃなかろうか
450 :
神も仏も名無しさん :2013/07/09(火) 14:19:38.49 ID:XNZJMswV
人間ておかしいよね 勝手に無償の愛だの純粋な愛だのって概念を空想して それと人間の現実を比較して人間はだめだーとか言っちゃうんだからね 愛に限らずね アホだね
451 :
神も仏も名無しさん :2013/07/09(火) 14:20:44.39 ID:XNZJMswV
もちろん悟りの境地なんてのも空想の産物ですね
452 :
神も仏も名無しさん :2013/07/09(火) 17:18:52.05 ID:y3uiICot
なんとなく悟りとか覚醒ってありそうな気がしてたんだけど、 そういう言葉を目にして、自分で頭に刷り込んじゃっただけなのかな〜。 わからん。
それで説明済むなら家族は楽だわ
454 :
神も仏も名無しさん :2013/07/09(火) 21:15:06.53 ID:OXbhAs4l
神や悟りについての疑問はもっともだと思う。 そこで次の神業仏業を紹介したい。ようつべで検索して下さい。 これを見ればきっと腑に落ちるだろう。 遠藤千晶さんの「楽」・・・筝 川村旭芳さんの「祇園精舎」・・・琵琶
455 :
神も仏も名無しさん :2013/07/10(水) 00:00:55.00 ID:XNZJMswV
456 :
神も仏も名無しさん :2013/07/10(水) 00:07:12.81 ID:XNZJMswV
>>456 むしろ、
>>449 で愛の何がわかりますか?ってレベル
間違ってはいないが、ただ一面を言い表したに過ぎない
「水なんてのは単なるH2Oだ」だけで、水の持つ性質の何がわかると言うんだ
もちろんH2Oであることは極めて重要な認識だが、それが水の数多ある性質にどう現れているかを示さねば、
水を語っていることにはならない
家族や愛を語るさい「そんなものは体の出すシグナルだぜ!」なんて発言がいかに哀れなものかは、 流体力学の研究者に向かって、「流体なんて原子の集まりだぜ!」と言ってみることで確認できる
459 :
神も仏も名無しさん :2013/07/10(水) 14:32:32.84 ID:9K/idB2x
「家族は楽だわ」という部分が気になります その部分について思いを語っていただければうれしいな
460 :
神も仏も名無しさん :2013/07/10(水) 14:48:37.61 ID:9K/idB2x
単にシグナルということならH2Oと同じでしょうけど 家族の形成、繁殖、子育て、という目的のためのシグナルと言ってるわけですから たとえば、金属製の機械の潤滑油に適した液体、とか、 飲用に適した何の食事にも合う液体、とか、 それくらいのことは言ってるんじゃないかと思いますけどね 後は具体的な愛しさの感覚なんてのはだいたい皆さんわかるでしょ? 「〜家族は楽だわ」という発言は、単純な愛情が無くても家族の縁は切れない、 ということを思い浮かべていらっしゃるように思えます。 介護の大変さとか、育児の大変さとか、問題を起こす身内とも縁が切れないこととか。 家族の縁ってのも、一種のしがらみですよね。 単純な愛しさのシグナルだけに任せとくと長期的な家族の維持には不十分で そうすると家族という単位を基本にした社会のシステム、家族を内包する大きな群れにとって不都合なので 家族は相互に助け合わなければならない、という規範が、相互監視のもとに行き渡っているわけですね
461 :
神も仏も名無しさん :2013/07/10(水) 15:20:27.81 ID:9K/idB2x
愛についてナルシシズムだのエゴイズムだのという言葉が出てくるのは 特に男女間の愛において、愛のシグナルが強く作用している人は 相手のためにどこまでも尽くしてあげたいとか、相手を完全に理解したいとか、 相手そのものになってしまいたいとか、そんな風に思うけれど、 それが叶わぬことで、それぞれ自分の思いで動くことしか出来ないので、 がっかりしてやさぐれて「しょせんエゴなんだよ!けっ」とか言いたくなるんではないかと思いますw あらやだがどうこうなんてのは、後づけの屁理屈ぽいですよね。 まあ、それぞれ体が独立してて脳神経系が1人に1つずつあって、それぞれの意識は それぞれ自分の体のシグナルを受け取ってるわけですから、1つになれないのは当然のことですよね。 当然のことなんだけど、強い愛のシグナルに支配されていると、それがとてもだめなことのように思えるんでしょうねえ。 不足に感じるので、より強く求める、という仕組みなのかもしれません。 シロアリ、アリ、ハチなんかは完璧な協調行動をとりますけど、 あれらの場合は繁殖を女王と少数のオスに任せっぱなしという形態なので 群れ全体で1つの生き物みたいなもので、各メンバーの自由意思みたいなものはあんまりいらないんでしょうね。 人間の場合、思考力の高さ自体が生き方のフレキシブルさにつながって様々な環境で生きていけるわけですが 集団生活をする生き物でありながら個々の独立指向が強いということも 全滅を避け新たな環境に適応するために役に立っているんではないかと思います まああれですよ。結局のところ、 私たちは自分に完全に自由な意思があるように錯覚してしまうことがあるけれど 生存や繁殖を目指す肉体の発するシグナル(とそのシグナルへの対処方法を決める文化) に支配されてるってことですよ そしてそのシグナルと意識というのは切り離せるものでもないでしょう あらやだ!とか言っててもしょうがない
>>459 ・愛とは→家族を形成して→家族は繁殖し→家族は子供を育てるように
・愛とは家族を形成して、愛とは繁殖し、愛とは子供を育てるように
前者の読み方をし、また元々がそうであるのを認めた上で、
現代での家族は、繁殖について極めて非効率になりつつあると思うから
これも一面だが、
寿命が伸びたのを大きな要因として、直接的間接的に繁殖に与しないまま物理的な力を持つ老人が増えたり、
寿命が伸びた故の非婚晩婚、結果として良い年して自愛と他愛のバランスを欠いた人間が増えたり、
これを一般的に言えば、伸びた寿命に対して社会システムが追い付いていない
>>449 は種と個の利益(繁殖)が一定程度漸近している段階での理解であり、現代には到底適用できないように思う
もちろんこのまま種と個の解離が進めば、繁殖以外の価値を織り込みつつ
>>449 の状態への揺り戻しや反転はあるだろう
463 :
神も仏も名無しさん :2013/07/10(水) 19:34:23.74 ID:9K/idB2x
愛の性質自体は変わってないんじゃないですか? ただ、愛の快と不快のシグナルを上回るか代用になる程度の快や不快をもたらすものが出来たり 避妊の手段を手に入れたりしただけで
>>460 前半おっしゃる通り
>後は具体的な愛しさの感覚なんてのはだいたい皆さんわかるでしょ?
挙げ足取りでなく、わかんない人間も割といるよ
文章見る限り、お前さんは頭がしっかり回っているのがよくわかる
普通に考えることが普通にできている人間、のように見える
だからこそ極度に歪んだ愛や、愛を見失う現象が見えにくいのかもしれない
466 :
神も仏も名無しさん :2013/07/10(水) 22:02:01.59 ID:RQTx7kg0
悟った人は、愛という言葉を使わなくなる。 愛とは ○○である。 の、 ○○が 本当は実在しないことを 知っているから。 一般人が気安く 口にする愛なんて、実は性欲だったり、 エゴイズムだったり、動物の本能だったりする。 自分の命を捨てて、他人を助けるのが愛? 幻想だね・・・
467 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 00:55:09.63 ID:Pu+I592x
>>465 だから、個を制御するシグナルである愛が種の繁栄のための繁殖につながらなくなったのは
愛が変わったからじゃなくて、コンドームが出来たからでしょ?
468 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 01:52:20.01 ID:Pu+I592x
469 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 07:59:30.23 ID:DRYTxLdc
琵琶を聞いて蝶になろう。→ ようつべで検索 びかむ 「敦盛」・・・筑前琵琶 西原鶴真さんの「壇ノ浦」・・・薩摩琵琶
470 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 20:44:33.44 ID:Pu+I592x
精神・自我は肉体の機能によって生じたものに過ぎず、 肉体の発するシグナルから逃れられない 昔っから人間はそれをわずらわしいと思ってきたようで 肉体は精神の牢獄と言った人も居たそうだし、 精神の構造を理性と感情に分けて考えて対立させてどうこうした人がいたり、 いろいろあったわけだ。 仏教の煩悩だの悟りだってのも結局のところ、それの一部だよね。 どうしたら精神は肉体から自由になれるのか? 結論:無理
471 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 20:51:01.88 ID:Pu+I592x
最近の発言
ID:XNZJMswV
ID:9K/idB2x
ID:Pu+I592x
このへん
>>1
472 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 20:57:06.00 ID:Pu+I592x
苦行とか、薬物や酒を使用するとか、ああいうのも結局、 肉体を痛めつけることで精神を自由にしようみたいな試みっていう面があるわけね まぁムダムダムダァ!だよね 肉体が機械で精神が機械の機能の一部だからこそ 薬物が効いたり酸欠になってぼーっとしたりするわけでww
473 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:00:59.47 ID:Pu+I592x
逆に、じゃあ、肉体を精神にとっての理想に近づければいいんじゃね? みたいなことを考えた人たちも居るねw ネット上で誤った情報が広まった例として有名な「健全な精神は健全な肉体に〜」とかね しかしどんなに鍛えて美しい肉体を作ろうが、 根本的に精神は肉体に仕込まれた生物としての基本から逃れられないんだよなあ
474 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:01:40.68 ID:Pu+I592x
やっぱり 悟りなんて無いよね? みんな、わかったかな?^^
475 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:15:31.18 ID:Pu+I592x
進化論に対して、ダーウィン、あんたの先祖は猿か?ww とか言って感情的に騒いで否定したアホな人たちが居たようだけど、 感情は、愛は肉体の機能で生じたものって言うと 愛を汚されたとか気持ちを否定されたとか思ってギャーってなる人が居るからめんどい まあそういう反応が出るのも見事に精神が肉体に支配されてるからなんだよね
476 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:23:38.59 ID:SC/RDkM3
反論とかでなく、素朴な疑問。 じゃ、「悟り」って言葉(内容?)はどういう経緯で 生まれたと想像する? 1つの案は、憧れ。 もう1つは、なにかしらの体験。 他にもあるかな? 「悟り」はありますよ、と言って得をする人に よる洗脳とか?
477 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:25:29.04 ID:7Vb2i40u
連続カキコ ごくろうさま。 君に悟りは必要ないようだし、 悟ることも 不可能みたいだね。 普通の人はそれでOK。日本人は みんな幸せ。
478 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:26:09.09 ID:Pu+I592x
複合的なものでしょうね。 上に書いたように、色んな面倒なものから精神を解き放ちたいという憧れも昔からあるものだろうし、 その憧れ+たまたま何かの草木の汁を飲んだり激しく踊ったりしたときの経験とか、 広まった理由には、広めることが都合いい人が居たという面もあるでしょう
479 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:27:01.53 ID:Pu+I592x
>>474 君は愚か者と言わざるを得ない
理詰めで考えては悟りの境地にはたどり着けない
リンゴを論理で完璧に再現できるか?
できまい
触れてみなければ食べてみなければリンゴはわからない
釈迦は悟りの境地に行った
でも悟りなんて理詰めでは教えられない
リンゴを理詰めで教えられないようにな
だからありとあらゆるわかりやすい例え話を用いて弟子たちを解脱させたのだ
あれでもないこれでもないどれでもないところに悟りはある
お前は馬鹿者で一生、彼岸に渡ることなどできまい
481 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:38:05.65 ID:Pu+I592x
確かこのスレの上の方にも書いた気がするけど、 僕は占いとか地域に伝わる祭りとかも含めて宗教的なものは人の集団を支配するためのツールと思ってますけど、 かといって支配する側が計画的に1から作ったとは思ってなくて、 たまたま空想物語を考えるのが得意なやつが語った物語の断片がまとまって神話になったりとか、 救ってほしいという内からの願いが神様のようなものを考えだしたりとか、 そういうのが合体して整理されて、それによって集団がまとまって、 それを支配層が利用して、みたいな両面から発達してきたんでしょう (記紀とかもね) 仏教がインドに定着しなかったこととか、日本の仏教が原型からだいぶ変化してるみたいなことも、 支配側、受け取る側の両面の都合があったんでしょうね
482 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:38:34.87 ID:Pu+I592x
>>480 「行った」じゃなくて「至った」じゃないかな?かな?
483 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:39:28.25 ID:Pu+I592x
>>480 あと「バカ」って、もともと仏教から来た言葉で
「莫迦」と書くとか聞いたことがあるような気がしまふ!(>_<)
484 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:40:25.06 ID:Pu+I592x
まあ、人間という生き物が、宗教みたいなものでまとまるように作られてる ってことなんでしょうなあ・・・
485 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:44:02.50 ID:Pu+I592x
>>480 理詰めって言えるほど俺は理詰めではないし(理詰め出来ないし)
経験論的にも、「あるがままを見れば」
悟りなんて無いのは明らかだと思うけどねーん
486 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:50:03.94 ID:Pu+I592x
480から連想したけど、悟りはあるのか?無いのか?でおもしろいと思うのは 悟りがあまりにも簡単に到達出来るものでも人に言うこと聞かせていろいろやらせるのに不都合だし かといって1人のお釈迦様しか到達できないんだっていうことでも、じゃあ言うこと聞く意味がねえじゃん ってなっちゃって不都合ってとこねw いろいろ苦心したんだろうなあ 上座部仏教と大乗仏教とかのバリエーションとかねー で、この板には、自称悟った人のスレなんてものもあるwwww いやー、おもしろいねww
487 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 21:54:21.25 ID:Pu+I592x
日本は毎朝テレビの情報番組で今日の占いだの今週の占いだのが流れてますけど あれも一種の宗教による集団の支配ですよね たぶんマスコミの人はわかってやってると思いますよ マスメディアって広告の媒体だしね
>>478 うんうん。
私が考えていることと似ていて、しかも表現が的確で
わかりやすいよ。
愛しさもやさしさも、所詮、本能じゃなかろうか。
みたいな。
その本能 + 規律等の生まれてからの刷り込みで
思考しながら、自制して生きてるだけか、とか。
たださ、私は上記みたいなことが思い浮かんだあと、
「と、したら、、」
「を、ふまえたら、、」
と、ぼんやり考えてみることがあるんだけど、
それでも「悟りはない」っていう結論には
自分の中ではまだならなくてね。
とはいえ「悟りはある」っていう結論にも
なっていないのだけど。
やっぱり、わからん。
489 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:03:17.33 ID:Pu+I592x
>>488 まあ現代日本人としての常識みたいなことを書いてるだけで
俺のオリジナルでもなんでもないから
だいたいはうなずいてもらえるもんだと思ってます
490 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:04:30.15 ID:Pu+I592x
俺は占いはどうしても気になっちゃうってことまで含めて嫌いなんで 占いのコーナーになったらチャンネル替えるんだけど、 それでもまあ、ああいう占いの存在は(血液型はNGだが星座とかならまだなんとか) 許せなくもないんだけど 細木和子とか、江原なんとかとか、スピリチュアルとか、 ああいうのはほんと、ゲロが出るほど、虫酸が走るほど嫌い 言ってる内容はまあ、古典的、保守的な倫理観・道徳観を占いの皮つけて発してるだけだし、 まあギャーギャー否定することでもないんだけどさあ・・ エラッそうな態度やら何やら、ほんとムリ もっと遠慮しいしいやるべき商売だろうに、完全に金の亡者な感じだし
>>489 とは言っても
日常で対人関係とか自分の失敗(?)とかで
「なんでだろー?」って悩んでる人、多いと思うけど。
相手に望み過ぎというか。
492 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:12:40.11 ID:Pu+I592x
>>488 まあ可能性としてはね
人間は、体の外に、知識の産物を積み上げていくことが出来る生き物なんで、
例えば、男女ともに生殖可能年齢になる前に去勢して
生殖細胞は専門の施設で保管・培養して人口に合わせて人工子宮で育てて
誰かが喧嘩しそうになったら脳内に埋め込まれたコンピューターが検知して
やさしい気持ちになる薬物を注入、
みたいなSF的管理社会によって、
肉体のシグナルを制御できるようになるかもしれない
でもそれって楽しいかな?
493 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:14:35.43 ID:Pu+I592x
>>491 原理的なことについて自分なりの考えがあるからといって
各論でうまく行くわけじゃないからね
宗教の、人生・人間・世界の総論と各論の扱いも何かおもしろいよねー
宗教の場合は無理矢理でも答えださないといけないから各論まで行っちゃうんだよなあ
495 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:16:14.38 ID:Pu+I592x
愛が肉体の発する信号に過ぎないからといって すばらしい愛のドラマが台無しにならないのと同じように 愛が肉体の発する信号に過ぎないからといって 愛についての悩みが解決することは無いのです
496 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:18:30.22 ID:Pu+I592x
だいたい悟りなんかなくても、そのへんの50歳、60歳のおじさん、おばさんって、 それなりに落ち着いて生活してるよね。 人間は生まれたときに身につけてるものが少なくて そのままだと生きていけないけど 外部に文化として保存されてるその時代の生き方を学び身につけて 徐々に一人前の生き物になって 社会の中に自分の居場所を見つけられたら、それなりに落ち着いて生きていける
497 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:22:44.89 ID:Pu+I592x
>>492 スタートレックのボーグだとかエヴァの人類補完計画とかも
考えようによっちゃあ悟りの話なんですねえ
悟りの境地に誰でも行けるのである 既に行っているのである 大怪我をして痛みに苦しんでいる時もどんな苦境にいるときも眠っているときは苦しみを感じないではないか 何故か?精神の休止とともに肉体の自己保存欲求が送ってくる苦しみを受信しなくなっているからである 釈迦は覚醒していながら自己保存の苦しみから解脱することに成功した それが自我の解体なのである 苦しみは肉体の自己保存欲求が捏造する幻である 保存する自己がなければ肉体はもはや苦しみを発生させることができないのである わかりましたか
499 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:25:31.02 ID:Pu+I592x
500 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:26:40.84 ID:Pu+I592x
> 保存する自己がなければ で、即身仏という自殺に行き着いちゃうわけですね やれやれ
>>499 眠りは浅くなったり深くなったりするのです
浅い時に自己が反応するのです
502 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:30:06.94 ID:Pu+I592x
>>496 みたいなことを踏まえると
宗教集団って、学生運動とかヒッピーとかの熱に浮かされたような青年の集団と変わらないようなとこがあるんだよね。
普通に生きて一人前になればそれなりに落ち着けるんだけど
それを拒否して暴れて変な道を模索して・・・
あげくのはてに死んじゃったり
あるいは、ニート・ひきこもりの現実逃避みたいに思えるのもあるし
まあそれも人間らしさなんでしょうなあ
503 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:32:17.16 ID:Pu+I592x
ワレワレハボーグダでも人類補完計画でもないんだから 自分なんてなくならない 肉体はなくせない 世界もなくならない この肉体でこの自分でこの世界を生きていくしかない とても窮屈で面倒くさい現実 悟りなんてないのよー
自分なんかはじめからないのである 「我思うゆえ我あり」 我を思った時だけ我は発生するのである このことに気づかない愚か者が多い 我を忘れていれば我はないのである
505 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 22:39:27.18 ID:Pu+I592x
>>504 あんたが自分の顔をグーで殴っても
俺は痛くも何ともないし(人間は共感する生き物だから痛そう!とは思うが)
あんたは確かに痛いだろう
それでも自分なんか無いと言い張れるなら
自分って何だろうね
>>470 悟りはむしろ統一だろう
精神極めてもなんもなかったよ、的な
宗教世界観としては完全に観念論だけど
507 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 23:22:30.54 ID:Pu+I592x
>>506 統一とは?
僕が
>>470 で「一部」と書いたのは、人間が昔から行ってきた精神を肉体から自由にしようとする試行錯誤の一部
ってことです
精神極めても、かあ
極められないですよねえ
悟りという極地は空想上の幻ですからねえ
508 :
神も仏も名無しさん :2013/07/11(木) 23:24:25.54 ID:Pu+I592x
自分というものが「流れ」「つながり・関係」から生じているものなのは間違いない。 だけど、だからといって、自分はないということにはならない。
自分はない 無理やり区切っているに過ぎない 痛みが届く範囲が自分などと考えるのは馬鹿げた話である それはまるで見える範囲が晴れだから晴れという天気はあるといっているようなものなのである しかし晴れなどというものはどこにもないことは理解できるだろう
>>507 精神と体の一致、統一
精神ばかり無にしようとした結果、自由になんてならねーって事を知る
精神を体から自由にしたいのは、宗教じゃなくてお前じゃね?
511 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 07:23:53.31 ID:x2AN6Q9r
何を考えても自由だが、その結果は自分が負うことになる。 神仏を信じないなら、いずれ神経を病む可能性が高い。 その対策を自覚的にしっかりやるべきだろう。 精神分析を学び、音楽、詩、小説、絵画などに親しむのがよい。 この板は基本的に、信仰がある者を対象にしている。 神仏を信じないなら、むしろ哲学板の方が居場所としてふさわしい。 余計なことを言わなくてすむ。
ようつべで検索してください。 TENBI ・・・ 癒し系の三味線 高橋竹山 津軽じょんがら節 ・・・ 三味線
もし「悟りがある」とするなら「ない」という意見を 考察する過程で「ある」を肯定することができるかも。
悟りとは?? の、立場の自分にとっては、どちら側のレスも 興味深いですよ。
515 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 17:53:56.80 ID:dhhOO3YR
>>510 > 精神を体から自由にしたいのは、宗教じゃなくてお前じゃね?
宗教一般において精神を肉体から解放することがテーマになってるとは書いていませんが・・
どっちかつーと思想・哲学の古典みたいなのの話のつもりで書きましたけど
まあでも宗教一般においてもそうなのかな?
あなたの言い方は「当然のことだから丁寧に言わねえよ。けっ」みたいなのが行き過ぎてて
ぜんぜんわからないので何とリアクションしていいやら。
もうちょっと、これこれこうだからこうだ、と説明してください。
じゃないと会話が成立しない。
唐突に「お前じゃね?」とか言うあたり、飛躍した発想ばかりしてちゃんと考えないのが癖になってるんですかねえ?
516 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 17:55:45.02 ID:dhhOO3YR
>>509 いくら空がつながってても、あなたが立ってるとこから空を見上げれば晴れか曇りか雨かわかるでしょ
まして人間は空のようにはつながっていない
1人1人が違う体を持ってるんですよ
517 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 17:56:49.92 ID:dhhOO3YR
>>511 残念ながら現実的には宗教に入れ込んで精神を病む人のほうが・・・・
518 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 18:01:10.42 ID:dhhOO3YR
がっつり固定して確かにそこにあるようなものでも さまざまな因果の流れ、物質の流れの中の一瞬としてそこにあるものであって 決してずっと同じではない ということをちょっと心に留めておくのも大事なことだと思いますけど だからといって自分はないなんてのは極端すぎます
519 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 18:04:10.32 ID:dhhOO3YR
>>509 ああそうだ
「免疫の意味論」読んだことあります?
>>515 宗教でなく人間か
相変わらずよく見えている
悟りを得ようとする行為は、もちろん精神を肉体から自由にする試みだろう 悟り自体は統一 精神が肉体から自由にならんということを理解せざるをえなくなるよ 悟りを語ることそのものはどこまでも観念的だ(精神が肉体から独立的とする)から、 悟りはない
>>518 それが分かってる人間に、悟りは必要ない
悟りが必要なのは"不必要に"苦しんでいる人間だけだ
>>452 覚醒体験はあるよ
ただ、特定の行為で得られるものではなく、観念を正しく組み立てることで得られる
宗教は、ガッツリ強い観念(信心)を作ることにより、
それ他観念の相対価値を低め、観念の間違った強弱差を矯正し、組み立て直させる
>>523 うん、あるのかな。
いろんなブログでも覚醒体験談を目にするから、
あるのかな〜と思いながらも、自分の体験無しに「ある」と
盲信することへの危機感もあります。
自分の目に見える物だけや知識だけが、世界の全てではないから
「ない」と言い切る自信も無いし。
なぜか、なんとなくだけど、いつかわかりそうな気だけがしてる。
結論がどっちになるかはわからないけど。
幽霊とか幽体離脱とかケツアクメとか女性器とか、 都市伝説っぽいし一定の勘違いや誤解を含むんだろうけど、 そういうものを感じる体験というのがあることは間違いないと思うよ
526 :
神も仏も名無しさん :2013/07/15(月) 00:13:04.41 ID:Y3c947Hw
>>516 人間と人間は大気で繋がっていますよ
大気なくして人間が生きていけないことを知れば独立した存在じゃないことがわかりますね
もちろん区別しようとすればどこからでも区別できますがね
527 :
神も仏も名無しさん :2013/07/15(月) 02:15:28.78 ID:Y+Dsy9N7
>>526 大気でw
のび太の屁理屈なみw
この場合は人間同士のコミュニケーションによるつながりのほうがずっと意味あるでしょうに
>>527 屁理屈じゃないでしょ
実際に繋がってて酸素のないところでは数分と持たずに死んでしまいます
無色透明だから実感できないだけで実際には人体外の血液といえるぐらい重要な存在なわけです
コミュニケーションなんてなくてもとりあえずは生きているけるわけで大気の方が意味があるんです
「自分」というものがあるとしたならそれは「意識」でしょ
あなたと私がこうして交信できるのも「意識」があるからですよね
でもこの「意識」って存在してますか?
「意識」を人体から取り出せますか?
肉体が織り成す現象に過ぎませんよね?
天気と同じであるように思えるだけですよ
晴れ以外によって晴れがあるようにみえるように自分以外によって自分があるように思えるだけです
でも実際にはないんですよ
私は527では、ないですが その「肉体が織り成す現象」で「意識」があり、それを「自分」と 認識するんですよね。 この手の話では、いつも、そこまでは理解できるんですけど、 その先の「実際にはない」が、なかなかピンとこないんですよね。 他があるから自を認識できるってことだと思うんですけど・・
色即是空 空即是色 前者は真理だけど後者も真理だよ
531 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/15(月) 10:06:26.32 ID:UIItjRr2
>>525 西行寺 幽々子の魂は亡霊になってその魄は桜の樹に封印されました
西行の詩のとおりだとすると桜の樹にはひとの魄が埋められています
魂は白玉楼の屋敷のお嬢様になりました
ゆ〜ゆ〜のお話
>>529 太陽が昇り、物体を照り付け、影ができる
その影が「意識」に相当します。
さて、影は存在ですか?実態ですか?主体ですか?ということです。
太陽が沈めば影も消えてしまう。
しかし太陽が昇ればまた影は現象として浮かび上がる。
肉体が覚醒すると意識は浮かび上がる。
肉体が眠りにつくとき意識は消えてしまう。
形の異なった物体を並べてその影を見ると別個の存在であるかのように見える
でも同じ影でしょ。
だから個別の自分なんて存在はなく唯一の「意識」という現象が別個の肉体にそれぞれ顕れているにすぎないのです。
先祖の遺伝子を引き継いでできた体、このスペックをもってして この環境で育ったなら、こんな「感情」や「意識」を持つだろうな〜 と自分のことを考えているので 心と言われているものは複合的な要素からくる現象だと思います。 > だから個別の自分なんて存在はなく唯一の「意 識」という現象が別個の肉体に それぞれ顕れて いるにすぎないのです。 このあたりがよくわからないので、もう少し考えてみます。
あぁそうそう、もし魂が存在するとするなら、それは今の自分に どのような影響をもたらしているのだろうとも考えます。 いつも、考えるばかりで答えが出ないんですけどね。
>>531 お嬢様ということは、その屋敷は西行法師の所有物件?
536 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) 14:59:55.37 ID:ML6SDGMO
>>532 あほやろ・・
太陽→物→影
肉体→意識
この違い、わかるかなー
地球を照らす太陽は1つしか無い。だから、(屋外の)影は全て1つの太陽の光による影。
太陽が昇ると一斉に影が出来て、太陽の傾きに応じて同じように影が動く。
一方で肉体と意識の場合
私の肉体が覚醒すると私の意識が目覚め、私の肉体が眠れば私の意識が眠ります
あんたの肉体が覚醒するとあんたの意識が目覚め、あんたの肉体が眠ればあんたの意識が眠ります
自分があるという証じゃないか
>>536 光のあるところ、影が付き添います。
光原は太陽だけじゃないでしょう?
光は条件さえ揃えばいつでもどこでも発生するんですよ。
肉体そのものを光原として捉えるとわかりやすいでしょう
肉体が発光し影が浮かび上がる
それが意識ですよ
肉体の形によって様々な形を形成するがそれは影と同じでまったく同じ性質を持つのです。
影絵ってあるでしょう?
そこに狐と狸の形をした影が写っている。
その影を見て狐と狸がいると錯覚している人が自分があると主張している人たちです。
狐も狸も存在はなくそこには影があるだけなんですよ。
538 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) 15:27:10.15 ID:ML6SDGMO
だからw それぞれの肉体が光源ならそれぞれの意識・影は独立してるじゃん 何で自分が無いと言えるんだよ
539 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) 15:28:16.67 ID:ML6SDGMO
どっかで読みかじり、聞きかじりしたことを自分の頭で消化しないまま横流ししてると こういうアホが出来るという好例
>>538 君はバカすぎて話になりませんね
懐中電灯を二つ用意して違う物体を照らしてみる
そこに写ったそれぞれの影が独立した影A、影Bに思えるならそのように生きてみてはいかが
お釈迦様はたった一つが光によって分割されているに過ぎないとおっしゃったんですけどね。
541 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) 16:29:01.93 ID:ML6SDGMO
じゃあ逆にあんたはアリやハチのように無私の生き方が出来るの? アリやハチと違って集団を導く絶対的指針も存在しないのに?
543 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) 17:01:56.21 ID:ML6SDGMO
逸らすっつーか、影はあくまでも喩え話だから 本筋は自分があるかどうかのほうなんだけどねw
光影と対応させるなら、肉体が光源て対応おかしいんよな 唯一意識が肉体を照らして個別意識が現れる、の方がしっかり対応してる また光源は物だから、これと対応させるなら「影が映った物」でなきゃおかしい
545 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) 18:22:46.73 ID:ML6SDGMO
そうだね。その点でも537はおかしいねw 昔の人は、人間がどうしてイメージを共有して意思疎通が出来るのか不思議に思って 集合無意識とかイデアとかいうものを考えたらしいけど 伝達と記憶で十分な話だよな
そういえば、シンクロニシティとでもいうか やたらと出来すぎとも思える偶然(?)が続いたときは 集合無意識の存在とか考えたな〜。
547 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/16(火) 21:59:41.69 ID:cJki4u5V
>>537 ちなみにダークパワーっぽいのはナイトが持つと
光と闇が両方そなわり最強に見える
暗黒が持つと逆に頭がおかしくなって死ぬ
548 :
神も仏も名無しさん :2013/07/16(火) 22:02:54.78 ID:E7YOHdSB
まぁ、悟りなんて たいして凄いことでもないんです。 悟った人だけには解ってもらえると思うけど・・ 宗教的奇跡ではないし、超常現象ではないし、 ましてや オカルトのたぐいでもない。 脳内麻薬のトリップでもない。 輪廻からの解脱? ウソですね。 それこそオカルト。 オウムなんぞ、糞の極み。反吐がでるわ。 悟りは 現在の日本の仏教とは関係ないです。 前にも書いたけど、しあわせいっぱいの日本人(他国と比べて)には、 悟りなんて、関係ないんです。無意味なんです。 普通の日本人には 葬式仏教が ぴったりですねー。 悟りなんて 関係ないでしょ? あなたには・・ でも、 それでも、、 それでも自分には 悟りが必要だ と、真剣に考え、苦しんでいる、ギリギリの人、死さえ覚悟した経験の ある人にだけ言います。 ≪悟りなんて無い≫ いいえ、 これこそ嘘ですよ。 あります。 断言します。
後期密教のように 一心不乱にセックスしたら悟りの境地に達するんじゃね? 3回連続、抜かずの中出し射精したら 全てを超越した境地に到達した経験がある
だから、覚醒の体験談は絶望的な状態状況がきっかけだったという 記述をよく見かけるんですね。 そういった意味では、それが必要な人にだけ「ある」がわかる体験を する流れなのかな。 だとすると、体験(体感?実感?)できない人には、それが不要な理由が あるということか。
「悟りなんかない」って思いながら、日々(深く)悩み苦しむことの 生活を送っている状態では 「あったんだ!」という認識を持てるような機会はないのかな。
>>551 訂正
深く悩み苦しむことの生活
→深く悩み苦しむことのない生活
553 :
神も仏も名無しさん :2013/07/17(水) 16:01:56.37 ID:BVwp+grQ
「だから」は何を受けてるんだよ
554 :
狂気の匿名ウサギ :2013/07/17(水) 16:07:56.02 ID:z+kxUvep
555 :
神も仏も名無しさん :2013/07/17(水) 16:08:50.31 ID:BVwp+grQ
懐かしいw
ああ、そうだねえ。 あまり深く考えてなかったけど、 548の「関係ない」「無意味」「必要」って言葉を含む文章から、 切羽詰まった状態が思い浮かんだから、 それが悟りとか覚醒を語る人達の共通項のような気がして 「だから」って思ったんだよ。 共通項にするには、自分にはサンプル数が少ないとは思うんだけど なんとなくそんな感想を抱いたんだよね。
557 :
神も仏も名無しさん :2013/07/17(水) 18:57:19.02 ID:BVwp+grQ
548ってあんたじゃないの?
>>557 違うよ。紛らわしかったかな、ごめん。
私は毎度「悟りってあるのかな、わからん」って
ぶつぶつ言ってる側だよ。
548の人は「あります。断言します。」って言うくらいだから
自分は悟ったと自覚がある人なんだろうねえ。
559 :
神も仏も名無しさん :2013/07/18(木) 14:06:22.40 ID:cXtY9fZw
>>548 > 自分には 悟りが必要だ
> と、真剣に考え、苦しんでいる、ギリギリの人、死さえ覚悟した
そこまで悟りを欲するって、何だろうね
奇妙奇天烈だね
どっかのカルトの2代目として生まれて
教祖を引き継ぐために悟らないと殺されるとか?w
殺されかけなきゃわからないよ
561 :
神も仏も名無しさん :2013/07/18(木) 19:41:48.35 ID:oDos8zNM
>>559だから 言ったでしょ。 ほとんどの日本人は幸せなんだから、悟りなんか必要ないのよ。 奇妙奇天烈だと思うのは、あなたの人生が幸せだから。>>
562 :
神も仏も名無しさん :2013/07/18(木) 21:13:01.80 ID:cXtY9fZw
「悟りが必要な不幸さ」というのが奇妙だと言ってるんだが。 どのような不幸な身の上なら「悟りがあると思うこと」が必要になり また「悟りがあると思うこと」によって救われるのか
奇妙だと思うなら、君にも必要なのかもね
564 :
神も仏も名無しさん :2013/07/18(木) 22:57:56.77 ID:cXtY9fZw
いや、単に筋が通ってないから変だと言ってるんだがw
565 :
神も仏も名無しさん :2013/07/18(木) 23:03:58.84 ID:xp68odf2
普通に生きて普通に死ぬことが出来ればこれに勝る幸せはありません、断言できます それが出来なくなった人には必要なのかもしれません
最上の幸せは腹上死 自身が歓喜仏となり涅槃に至ることができる
>>564 ん、単純だよ?
・仏陀の課題は苦を除く方法で、仏陀は悟りによりそこにたどり着いたから
・仏教では、悟りはないという
論理的に考えて、苦しんでいるときのみ悟りがあると推理できる
ちなみに苦しむというのは主観的なもので、客観的な不幸じゃない
IDのXYZの配置かっけえね
568 :
神も仏も名無しさん :2013/07/19(金) 14:08:18.66 ID:aXfXHNtC
煩悩はキリスト教で言う原罪にあたるようなもので人間の苦しみの根本にあると見なされるものだろ > 仏教では、悟りはないという へ?そうなの? じゃあ解決じゃん。悟りは無いんだね。
「悟り」という言葉ほど、日常使われる割に意味の不明な言葉はないな。 「悟り」ってなんだってきかれて正確に答えられるひとはほとんどいない。 ただ、「悟り」がないと言うことになると世界中の仏教寺院の存在意義がなくなる。
570 :
神も仏も名無しさん :2013/07/19(金) 19:57:21.41 ID:FlGiJmNW
悟りを正確答えられるひとは ほとんどいない? そんなことはないよ。 一人もいないよ。 釈迦でさえ、悟りを正確に答えることなんかできなかったよ。
身近には、ゲシュタルト崩壊とかに近いんでね ゲシュタルト(形)があるから崩壊できるので、崩壊だけというのはありえないし、 ゲシュタルト崩壊すると(悟ると)、ゲシュタルト(迷い)がないから崩壊(悟り)もないとわかる
仏教的には、迷いは人間が勝手に作ってるのでないし、だから悟りもない 故に悟ればわかる
573 :
神も仏も名無しさん :2013/07/19(金) 20:34:07.35 ID:BJo/Dmbi
もし「迷い」というものが有るとすれば、「悟り」も有るであろう しかしながら「悟り」は無い、したがって「迷い」もまた無いのだ
かつてサンタクロースというゲシュタルトがあった しかしそれはお父さんだと知り崩壊した すでに崩壊したのでなかったことになったとはならんでしょう 記憶は残る
それ、サンタクロースの概念の接続が謎人物から父に変わっただけで崩壊してないよ
>>575 サンタクロースは崩壊したでしょ
単なるオヤジのプレゼント
それがわかればオヤジを崩すことも簡単
社会や国家、最後に生を崩して悟り完了
「悟り」を定義するなら、天、天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の「六道」を仏教用語抜きの日常使ってる言葉で、一般人の凡夫にも解るように説明してもらいたいんですわ。 我々は六道に生きてるから苦悩するんでしょ。 ブッダ=目覚めた人て、何に目覚めたんか。 ダルマ(縁起の法則?)に目覚めたんなら、六道の苦から抜け出せるのか。 苦から抜け出したとこが悟りなんやったら、その辺りを解説してもらいたいんですわ。
578 :
神も仏も名無しさん :2013/07/20(土) 05:45:56.49 ID:3u3aUcvt
>>577 認識 サ
六道という苦の認識から、空という認識を得たのサ
釈迦は、空という認識を得て六道を対象と観ることができたからサ
>ブッダ=目覚めた人て、何に目覚めたんか。 要は釈迦が自分自身の苦しみを無くすことと同時に全ての生き物の苦しみを無くす為の真理を発見したということ 人間の心はみんな煩悩(無明・執着の心)に覆われて苦しんでるんだよね、釈迦はそれを智慧(思惟すること)によって全て滅っしたわけだよ それと同時に人間の全ての苦しみが無明(智慧のない心)からやってくることを発見した(十二縁起) また無明を無くす為の手段(声聞なら四諦八正道、菩薩なら六波羅蜜)を発見した(声聞と菩薩では到達する境地が違う) 無明(=執着の心=我)が少しでも残ってれば善悪の果報によって六道のどこかに生を受けてしまう 無明が無くなれば当然どこにも生を受けることはなく涅槃に入ることができる(解脱、苦から抜け出したということ) ※すべての生き物は生まれてから死ぬまでに身と口と意で無数の善悪の業をつくる(善業は楽果を生み悪業は苦果を生む、これが因果の法則) その一生の善悪の業によって六道のどこに生まれるか決まる 有業(執着の業)をつくってる限り善悪の果報に翻弄されて永遠に六道を輪廻しつづけるんだけど 悟りを開いて有業を滅してしまえば善悪の業をつくっても果報は受けないし輪廻することもなくなる
え、人間以外もなの?
基本的には人間界と天上界だけしか悟りを得られないみたいだね ただ他の地獄〜修羅の衆生もいずれは人間天上に生まれるからすべての衆生は悟りを得る可能性を持っている
582 :
神も仏も名無しさん :2013/07/20(土) 18:24:03.43 ID:vdWSIuyc
>>579 >>581 嘘を言うのはやめなさい。
信じてしまう人だって いるんですよ?
あ、妄言と自覚してないの? 君・・
583 :
577 :2013/07/20(土) 19:59:12.08 ID:NW4QGk7y
>>578 、そらそうやけどなぁ、、、。
>>579 、末法の世やからねえ、あなたが言うてるような、今までの概念じゃ無理みたいな気がしますわ。
ブッダ言うのも釈迦の名称として聞いたんと違うんですわ。
目覚めた人って意味です。
とにかく、お二方、コメントくれてありがとう。参考にしますわ。
末法の世とか思い付いた奴スゲーよな 確信犯だったのかはしらんけど
末法Wiki 末法(まっぽう)とは、仏教で、仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期のこと。 なんちゅう事じゃないよなwあかんやろ、これ。
586 :
神も仏も名無しさん :2013/07/25(木) 14:32:23.07 ID:RwqSz6+Z
587 :
神も仏も名無しさん :2013/07/25(木) 18:47:18.47 ID:le8daq5L
末法時代て、仏教側の人間はいろんな講釈付けてるけど要は 「仏教(宗教)より、簡単にその境地へ達する物事が有る時代」つう事やと思えて仕方ないわ。 ただ、そこの基本には仏教的な知識や閃きなりは要るみたいな。情報はいくらでも有るんやろ。
末法の世、というのは 目覚めてない奴「今の時代目覚めた奴おらんわー末法の世やわー昔はよかったに違いないわー」 という構図
損して得とれ。そこは±0。立場が変われば違う人間に なる。傲慢な人間は 下積みを忘れ、落ちぶれた人は努力を 始める。ものは仏様から見ればそれをその時意識させない のが仕事である。寝た子を起こすな。最中には最中の良さ がある。人間は幸せを追い求めても良いならば、さすらう 人の貧しくとも生きるだけが満足な人が映えるのみ。夢々 疑うなかれ
仏教の究極の悟りはセックスですよ セックス セックス タントラ密教こそ仏教の最終形態 さあ セックス セックス
悟りとは 悟るとか悟らないとか そういうことは無いんだと気づくのが悟り よって悟りが無いということは 悟りが無いということによって 悟りがあるということ 「悟りなんて無いですよね。ね?」 というのは正しい
涅槃に達するのが究極の悟り 抜かず連続5発射精の荒行を行うと 全ての煩悩は消え去り 煩悩・迷いの根本たる人間の生命欲さえ 消失するので 悟りに達する
それもあると思うwww つまり、悟りが在るとか無いとか 言うのは人間の観念の問題で 宇宙の無限の外側まで含めた「実存(無限の外側も含めた宇宙)」は 在るわけでも無いわけでもない スクリーンに映し出された映像に実態がなく そこに映し出された映像は在るわけでも無いわけでも ないのと同じように 人間から見えている観念物質も 実際はスクリーンに映し出された映像のように 関係性「因縁」によって一時的に 現れ出ているように見える幻夢なのだと 悟ることが悟り
日常、普通に暮らしてるようで業が身体を蝕んでるんやろ。 「腰痛は心身症」とも言われるけど、特に加齢で体力の衰えとともに生じる不定愁訴の殆どは、溜まった業を身体が補えられんようになる、みたいな事なんやろ。 ブッダに「佛」の字を充てた古代漢人の叡智は旁で「弓」の字を以て「TT」身体を縛る業が緩んだ様を表してるんやと思うわ。 悟りて、まず自分を縛る業から解放されてから感じる全ての事と違うの。 蓄膿症で悩みつつ、手術を恐れてた人が蓄膿が取れた瞬間に 「呼吸て、こんなに楽に出来るモノなんか…世の中が変わった」 っつってたのを聞いた時にもそう思った。 この蓄膿症の人は、蓄膿が日常で六道のベースやったんやろ。
595 :
神も仏も名無しさん :2013/07/30(火) 22:05:10.36 ID:YaTk5w5M
使い込んだフライパンがボロボロになるのは 業を溜め込んでるせいだったんですね
お前んちの安物のフライパンがボロボロなんと、その歪んだコメントはお前のお母さんが粗末に扱って来たからやと思うわ。 死後の世界とか信じて無いし、業っつうのは誕生から生い立ちの環境で負うんやろな。 安物のフライパンでも大切に使って、丁寧に手入れしてたら使い込んでもなかなかボロボロなれへんでw 人間も生い立ちで、回避不能なストレスを受け続けたら酷い業を背負わされてしまうんやわ。
何年も前に見たテレビで おばあちゃんで、若い頃にダンナと死別 女手一つで花の行商で子供を育てたとかいう人 花ばさみを使う手指の関節がすっごい歪んでいて 「ずっとやってたからいつの間にかこんなになって」と テレビでちらと見ただけで、実際にそのおばあちゃんがどんな人か知らないけど ボロボロとか酷い業とかそういう言葉をかけたくはない感じ 蓄膿の話も、、、 病気を業として、それが所謂健常な状態になることを業から解放されるとして、、、 もしかしてその考え方があなたの業の現れ?
俺の業て、そうかもわからんな。 そのおばあちゃんの指も早くに旦那を亡くされて、子供を養う為に歪んでしまった事はまさしく業と言えるやろ。 もし「お父さんが早く死んだせいで、母子家庭に冷たい社会のせいで、あんたがいたせいで、私の指はこんなに歪んでしまった」 そういう思いで生きると業に負けて、子供を粗末に扱ってしまうんやろ。 でも業に負けんと 「旦那を亡くして辛かったけど、この子が居てくれて頑張って生きてこれた、本当に有り難い」 と、暮らしてたら業の中のひとつには潰される事なく生きられるんやろな。
状況じゃなくて考えそのものが業?
600 :
神も仏も名無しさん :2013/07/31(水) 09:42:42.26 ID:xXVuXxbZ
業って、ただの行いのことと どっかで聞いたことがあるようなないような
601 :
神も仏も名無しさん :2013/07/31(水) 09:44:12.56 ID:xXVuXxbZ
まあいずれにせよ 溜め込んだ業のせいで腰痛がどうたらなんて いかにもインチキ霊能者、占い師が好きそうな話でw 死んどけっつー話だ
>>599-600 業→考え→行動→状況、現状を招く因縁てそういう事なんやろな。
腰痛は心身症、そういう学説ですよ。
603 :
神も仏も名無しさん :2013/07/31(水) 10:55:18.57 ID:xXVuXxbZ
心身症の意味わかってんの?
604 :
神も仏も名無しさん :2013/07/31(水) 12:46:58.12 ID:E0U5wrfN
腰痛 心身症で調べてみて下さい。
605 :
神も仏も名無しさん :2013/07/31(水) 15:45:23.79 ID:xXVuXxbZ
俺1だけど医学部6年行ったからw 俺がお前に、わかってねえだろって言ってんだが?
606 :
神も仏も名無しさん :2013/07/31(水) 15:46:42.45 ID:xXVuXxbZ
まあいずれにせよ 宗教家ぶった語り口で書き込んでるが 人の不幸を増すようなことしか言わないお前は、失格 いや、インチキこそが宗教家の標準だとすれば、合格なのか?ww
宗教家でも無いし、あなたが医学部に何年行ったとか知りませんでした。 知り合いの心療内科の先生に聞きかじったり、関係書を読んだ程度です。 人の不幸を増すような事を書き込んだつもりも無かったですが、そう取られたんなら申し訳ないです。重ねてお詫びします。 出来たら、どの辺りが不幸を増す‥と言われるのか知りたかったですが、自分で読み返して再考します。失礼しました。
読み返してみたけど、指摘された箇所が判らんかったです。 自分が言いたかったのは、死後の世界的な霊界なんて無い。 だから、業って言うのも誕生後に刷り込んでしまったモノで、六道はその業による発想、行為、行動がパターン化したループだろうと言う事です。 悟りは、それから抜け出した境地なんだと思ってます。 素人ながら、身内や知り合いに心療内科の医者、精神分析医、臨床心理士がいていろいろ教えてもらって関係する本などで独学です。 やっぱり自我が形成される幼少期の生活環境が、人の生き方に影響が大きいとか。 長文規制?で丁寧に書き込んだつもりのコメントが飛ばされて…不幸を増してやろうとか、本当に思ってないんで悪しからずご理解の程をお願いします。
素人が悪気なく書いたことだし、知り合いの専門家だって言ってることなんだからぼくは悪くない
>>600 行いを積み重ねると病気になる
え、それでよくね
611 :
神も仏も名無しさん :2013/08/16(金) 15:12:48.02 ID:gatmFGAr
それを業というオカルティックな用語に言い換えて、何の益があるかって話。 わけがわからない上に「自己責任」みたいなニュアンスも加わって あと一歩で「ご先祖の供養のために100万の壷を買え」になるでしょ。 いたわりの気持ちが根本にあるなら業とか言わずに 「今まで色々ご苦労なさったんですね」でいい話
自己責任と先祖は関係ないよ そこを繋いでしまう飛躍に飲まれちゃいかん 業思考を変に受け入れてしまっている
産まれもった体質→積み重なると病が発現する、いわば他人のせい 意思による生活→積み重なると病が発現する、まあ自分のせい この二つをまとめて現せば、業ということになるんだろう 西洋医学なら便宜上切り分けるが、もちろん本来的には切り離せない 教育、環境、食生活などを通して繋がっているからだ 繋がりかたを間違うと不幸だね、程度のハナシ
不幸の殆どが繋がり方を間違って起きると思うんですが。 それも霊界とかオカルトじゃなくて普通の日常の親子間などで。それを仏教者は業と称するだけのような気がする。 医学部の方に言うのは、ちょっと憚るけど学習性無力感などは典型例かも、とか思ってます。
615 :
神も仏も名無しさん :2013/08/16(金) 23:47:22.31 ID:NYAfBWjC
すげーな ガキの考えることは 病気になった人間に「あんたの業が」とか言ってどうなるっての? 仏教ひけらかして尊敬してもらえるっての? 業が業がって言ってりゃ病気にならないっての? くそだな
616 :
神も仏も名無しさん :2013/08/16(金) 23:49:24.68 ID:NYAfBWjC
>>614 まさに繋げ方を間違ってんだよ
アホの典型例だてめーは
(いやこれ明らかに肉食い過ぎだろこいつ)と思った時に、 「お前が悪いからお前が食生活改めろ、あと食べ物大事にしろ」と言うか、 「先祖が殺生しまくった報いでブタみてえになってるから 野菜メインにして、肉食うときはしっかり感謝して供養すべし」と言うか どちらがいいか、だなあ 食に対する感謝は過食や拒食を防ぐ意味もある そういう個別の(食に感謝)教育を受けてこなかった場合にも、 信心てのを使えば本人にその気を起こさせることができる 単に「食に感謝せよ」だけじゃ、なかなか実行できないもんさ
病気が業なんて当たり前なのに、何を言ってるんだかな 膵臓が膵臓がって言ってりゃ糖尿病にならないっての?とか逆ギレしてるようなもので、意味がわからん
619 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 09:05:20.04 ID:fuigOYys
>>618 簡単なことだ
お前らが仏教やら悟りやらふりまわしても
意味がないってことだ
死んどけ
621 :
神も仏も名無しさん :2013/08/24(土) 12:58:46.73 ID:MDc8h1zW
>>618 うーん・・・
君、自分が仏教の知識持ってることに酔ってるだけだね
ずばり中2病でしょう
仏教やらないと悟れないってことでもないし 仏教側から偏って見てる人多すぎて悟るってことのホントのとこが湾曲してる気がするなぁ
623 :
神も仏も名無しさん :2013/09/09(月) 11:02:11.84 ID:gw1UoVdG
仕事 ビール ドライブうまい
丑三つ時に裏庭で物音がしたので恐る恐る見に行ったら風で梯子が倒れただけでした。
625 :
神も仏も名無しさん :2013/09/20(金) 16:15:17.56 ID:3ewAqjlA
中どらいぶ うまいビール やれ お前ら仕事ハロー「わー!!」
>>622 聖徳太子もイエスキリストも悟ってるものな
ついに無宗教の時代が到来しまして 悟ったら負けなんて言う人達が出てくるものです お前ら悟りは?
628 :
神も仏も名無しさん :2013/10/21(月) 21:04:47.66 ID:FZbI+eFA
【署名のお願い】 カリフォルニアで韓国人が慰安婦を教科書に載せようと運動をしており、疑問に思った現地の方々が署名運動をして下さっています。皆さまもご協力をお願いします。 慰安婦の多くは個人的な契約でした。頻繁に変わる女性の証言はプロパガンダの為に作られたものです。文書から国や軍が強制したと示すものはなく、米軍のレポートからも 判る通り性奴隷は事実無根です。米国の歴史教科書に嘘の情報を載せるべきではありません。 【氏名・メアドを記入、国名を選択して"Sign the petition!"をクリックすれば完了】 //petitions.moveon.org/sign/comfort-women-fabrication.fb28?source=s.icn.fb&r_by=8546588 (↑リンク先が切れている場合は"MoveOn Petitions - Comfort Women Fabrication"でググって下さい。すぐに見つかります) 現在17000人突破!
629 :
神も仏も名無しさん :2013/10/31(木) 11:05:50.10 ID:V9URbOQ7
>>622 そんなのは、色んな有名人・偉人を「あの人も悟ってる」と言うことで
自分たちの教えの内側にあるとして宣伝に利用したい仏教系の商売人や、
「わたしも悟ってる」と言うことで仏教の威光を利用したい
非仏教系の霊能商売のやつや、
「わたしは特別」と思い込みたい頭がお花畑のバカに都合のいい物言いであって、
まともに考えるなら、宗教用語としての「悟り」は、あくまでも
「仏陀が得たとされる、あるいは、説いたとされる、何か」でしか無い
何か、って仏法の法は忍法とか司法の法じゃなくて仏と合わせて直訳して 「ダルマに目覚めた人」が、悟りでいいんと違うの? で、ダルマっつうのが因果律なんでしょ。 もんたじゃないけど日本語で法をみのりっていうんなら、美味しい果実も種から発芽するみのりなんかは因果律と同義語みたいなニュアンスだし。 仏教徒的な「悟り」って言葉の意味はそう理解してるけど。 宗教に嵌ってる人はもっと崇高な何かを想像してそうやね。
631 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 00:55:27.77 ID:Eae5lDrw
>>630 もうちょっとわかりやすい日本語で書いてほしい。
「ダルマに目覚めた人」は「悟り」じゃなくて「仏陀」じゃないの?
632 :
神も仏も名無しさん :2013/11/01(金) 00:58:50.75 ID:Eae5lDrw
仮に「因果律に対する理解を得ること」が「悟り」だとして、 じゃあ「因果律」って何なの?それについて理解したらどうなんの? とか、曖昧なことはいくらでもある だから「とされる、何か」と書いた 信者目線じゃなくて、客観的に文献なり宗教なりを見る立場なら、そうとしか言えないはず
>>631 御免
仏一字で目覚めた人の意味で、何に目覚めたのかが「法に」目覚めたと。
で、法とは何か、それは膨大な?因果律でしょ。みたいな事が言いたかった。
果実を得る為に必要な因果律的な条件を知る、でも台風や津波が来たら流されるよという事を知る、その為の対策を知る、でも巨大隕石が落ちたら絶滅するよという事を知るのも悟りの一部分の知恵。
想定できる結果は面白くも無いけどね。
ただ、対策したお陰で災厄を逃れたら痛快かな。
古代高地性集落は津波や洪水の対策だったら後期縄文人は現代人に「懲りんな」とか感じる事なんでしょう。
社会の授業では山岳崇拝だとかだったか、津波対策だったと習った記憶は無いわ。
未だ、そんな危険な家に住まざるを得ない現代人に悟りなんかないんかもね。
諸事情>悟り、みたいな感じか。
634 :
神も仏も名無しさん :2013/11/02(土) 13:29:54.18 ID:cbfoKsWT
はあ つまりあなたの考えだと、悟りを得るってのは 常にいい結果を得るための正解を得るってことなんだね
本当の悟りを開いたら、素で静まって活き活きとするもんなんじゃないかなぁ 覚悟の上での悟りなんだし。覚悟は幸せの始まりって言うしさ
636 :
アミーダボー :2013/11/02(土) 19:33:32.59 ID:QDN39+PI
悟りはありますよ魂の最終目標です 我々が日々悩み苦しんでいるのも魂の進化の途上にあるからです 人間はこの世で魂の修行をしているんです 釈迦やイエスも悩み苦しみ真摯に心と向き合い悟られたのです 釈迦やイエスは神ではありません悟って仏になった如来という神の代弁者なのです 意固地にならず素直に自分と向き合えば神は心の中に待っておられます パニャーパラミターすればアヌクタ−ラサンミャクサンボーデの境地を得るでしょう
637 :
神も仏も名無しさん :2013/11/03(日) 12:49:56.31 ID:Pi3UG3zJ
>>635 本当の悟り(笑)
あなたのように勝手に理想を考えゴールの無い道を追い求めてくれることが
宗教を使って人を支配しようとする人間にとっては、実に都合がいいわけですよ。
638 :
外道主人 :2013/11/03(日) 16:15:44.56 ID:gODqnaNp
ふむ、ここの論調をみていると大川りゅうほうタイプを想定して悟りの議論なのか? と思う、ま、幸福の科学は映画を作り熱心だからなあ・・・
639 :
神も仏も名無しさん :2013/11/04(月) 12:52:16.64 ID:OdEqzt5h
別に大川りゅうほうタイプに限った話じゃないですよ。 お釈迦様は本当に悟ったのか、でもいいですよ。
640 :
20→18→15 :2013/11/04(月) 15:41:34.86 ID:spD2Mlqx
本当に悟ったのです、でも彼は迷ったといわれています。 他人はこの法を理解できるだろうかと、それは心の問題だから。 奇跡を起こせば他人はそれを見て実感できるし、その場に居なかった 人々に話すことが出来るが、悟りは個人の心の中にあるので見ることが出来ない
641 :
神も仏も名無しさん :2013/11/05(火) 01:31:36.30 ID:ntY2QqqU
問題は、それがどのように価値がある心の変化なのかですよね 例えば、単に、何があっても自分自身が常にほろ酔いのように快適で居られる、というだけなら 他人が見て実感できないかもしれない しかし心のありようが、見てわかる言動に出る場合もありますよね
642 :
神も仏も名無しさん :2013/11/06(水) 19:05:28.85 ID:YSesfANb
極端な話、心を失ってしまえば、何が起きても平気で居られるだろうけれど、 それだときっと、困ったことを何とかしようという気持ちも起きないわけだから、 どんどん酷い目に遭って、どんどん酷い状況に身を置くことになるかもしれないし、 まわりの人が困っていても助けてあげられなくて、まわりも不幸にしてしまうかもしれない それではきっと、悟りとは呼べませんよね
643 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 18:00:22.54 ID:WQFHwHF7
もし悟った人が、他人に接する時にいつも素晴らしい選択をして その結果、自分も相手も幸せにするような人であれば まわりの人にも悟りの素晴らしさが伝わりますよね
644 :
外道主人 :2013/11/09(土) 20:01:07.99 ID:Asqfu+4s
仏教の本流を限定するなら、物事は相対的であり、という認識、 それ前提の判断、行いが、悟りとするならば・・・・・ ま、日本に多い伝説的な神話的なものが・・とするならば、批判多くても、しかりでしょう・・
645 :
外道主人 :2013/11/09(土) 20:04:38.11 ID:Asqfu+4s
ま、西洋哲学のポストモダニズムと矛盾するか?命題を想定すると・・・・ >仏教の本流を限定するなら、物事は相対的であり、という認識、 それ前提の判断、行いが、悟りとするならば・・・・・ がオカシイものなのか?という論点はあってもいだろう。 むろん、日本に多い伝説的な神話的なものが・・とするならば、否定、批判多くても、しかりでしょう・・
646 :
神も仏も名無しさん :2013/11/09(土) 22:08:42.67 ID:WQFHwHF7
何をおっしゃってるのかわかりません^^;
647 :
外道主人 :2013/11/10(日) 12:08:19.07 ID:6If/ogyh
頭の悪い人には議論は不要です、安心してネンネしてくださいませ・・・
648 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 00:46:17.28 ID:AI83FfQs
コテまで付けて構ってほしい、自分を見て欲しいという欲望丸出しのクセに 他人に通じる言葉を書く気が無い 誰にも通じない独り言で何となく自分が凄いように見せかけた気になって 小さな自己満足に浸るだけ 悲しい人だね
649 :
神も仏も名無しさん :2013/11/12(火) 00:47:28.03 ID:AI83FfQs
こういう人間の悲しいサガを越えられる秘法みたいなもんが どこかにあるのだろうか
悟ると生きる意味を探す作業が始まるからそこが辛かったな 死んでも何も変わらんのだけど どうも死を拒絶しちゃう 楽しむ喜ぶという感情は気持ちいいと感じるのでそこだけを楽しむように生きてる 究極の悟りは悟った瞬間に自決する事だと思う
651 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 08:17:33.86 ID:5St+WYTW
>>650 はあ・・
それって、それだけの話を聞くと
「悟った」どころか
思春期突入して「迷いに入った」ように思えるんですけど
あなたにとって、どのへんが「悟った」という実感だったんですか?
>>651 一言で言えばこの世の全ての物質や現象は無意味だと知る事かな
653 :
神も仏も名無しさん :2013/11/13(水) 14:45:36.55 ID:5St+WYTW
それって、世間では、ニヒリズムに陥った、とか言うような気がします (>_<)
>>652 何のために生まれてきたか、とか、そういうのはないってこと?
それは、悟ってなくても知ってるよ。
655 :
神も仏も名無しさん :2013/11/14(木) 14:07:55.36 ID:nKsvZZKo
自分が色々不満を持っていることを 世界が自分を受け入れてくれないと感じて 世界のほうが無価値なんだと否定したくなる 典型的な中2病ですね (´・ω・`) アニメやラノベでもさんざん使い古されたようなノリですな
悟られると困る業者きてんね
657 :
神も仏も名無しさん :2013/11/14(木) 20:31:46.71 ID:nKsvZZKo
何言ってんだ、お前 (´・ω・`)
658 :
神も仏も名無しさん :2013/11/15(金) 18:50:57.94 ID:HWvP0/O+
人生がつまらないものに思えるけど、死ぬのも怖くて出来ない とりあえず当座の快楽に身を委ねる 悟りどころか、煩悩どっぷり! (>_<)
悟りと虚無感は別物だぞ 悟りを開くと心の眼が開いて活き活きするんだよ ……って書いても、悟りを開いた人にしか実際のところわからんのだろうけどww
660 :
神も仏も名無しさん :2013/11/16(土) 00:04:45.54 ID:duzDF3Ds
661 :
神も仏も名無しさん :2013/11/16(土) 02:09:37.03 ID:XQYD+pcR
悟りとはほど遠い権力欲、金欲、そして闘争
662 :
神も仏も名無しさん :2013/11/17(日) 23:52:51.53 ID:bITriRHs
>>659 どこで聞き習った言い回しなのか知らんが
何かミョーにシンコーシューキョーっぽい香りがして気持ち悪い
自己啓発セミナーっぽいというか
663 :
神も仏も名無しさん :2013/11/17(日) 23:56:39.77 ID:bITriRHs
「悟り」の最低限の条件は 「生きる中で感じる苦しみ、迷いを乗り越えること」のはずだから 「人生をつまらないものに感じるが、死ぬのも怖くて出来ない」なんてのは 全く条件を満たしてないですね むしろ生の苦しみど真ん中
664 :
神も仏も名無しさん :2013/11/18(月) 00:02:03.66 ID:bITriRHs
まあでも、同じインドの宗教のジャイナ教なんてのは 断食を続行して死ぬのが理想的な死に方なんて極端な方向に行っちゃってるらしいし 仏陀が導き出した「生の苦しみを越える方法」が「結局死ぬしかねえww」だったとしても 不思議じゃないんだけど、その場合「死に至る過程の苦しみと死に対する恐怖」をどう克服するのか っていう問題が出て来るんだよね
665 :
神も仏も名無しさん :2013/11/18(月) 00:02:43.15 ID:f1id9ZJp
どっちみち、「結局死ぬしかねえ」って結論では 生の苦しみに対して、完全敗北ですよねー^^;
666 :
神も仏も名無しさん :2013/11/20(水) 07:58:32.19 ID:N4rs7lSj
age
667 :
神も仏も名無しさん :2013/11/21(木) 15:58:38.76 ID:bWaTpoAo
やっぱり、悟りなんて無いみたいですね
668 :
神も仏も名無しさん :2013/11/21(木) 16:50:54.24 ID:u5SLep2q
669 :
神も仏も名無しさん :2013/11/21(木) 17:29:10.71 ID:bWaTpoAo
>>668 フィクションに出て来る「老師」か何かのつもりですか?
何もおもしろくないですよ
670 :
神も仏も名無しさん :2013/11/21(木) 17:32:37.25 ID:u5SLep2q
671 :
神も仏も名無しさん :2013/11/21(木) 17:43:20.64 ID:bWaTpoAo
あ
672 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 15:45:26.17 ID:bMaMiExH
やっぱり、悟りなんて無いみたいですね・・ そんなものを目指すより、現実的に出来る範囲の妥協で どう幸せに近づくかを考えたほうが、有益みたいですね
673 :
神も仏も名無しさん :2013/11/22(金) 17:47:46.36 ID:rUzeRyqo
どういう状態を指して悟りというのかが問題。 悟ったという人が釈迦以来ほとんどいないからどういう状態か聞きようがない。 あんな仏教世界の空想を悟ったというなら、病気ではないか? 古代のヨガの苦行もそうだ。
>>1 >そもそも悟りがどういうものなのか自体が誤摩化されていてはっきりしないので
悟りとは迷いの不在、思考の作り出したフィクションが無く醒めていること。
人は自分で思っている以上に様々なフィクションを作りあげている。
>>672 >現実的に出来る範囲の妥協でどう幸せに近づくかを考えたほうが、有益みたいですね
幸せに近づくという思考が既に自分は幸せで無いというフィクションに支えられている。
おそらくその根底には幸せはある特定の条件下で達成されるという思い込みがある。
>>676 >ひねくれてるね〜〜
そう感じるなら貴方はやはり思考の作り出したフィクションの中にいる。
>>678 >貴方も同様でしょ
私は幸せに近づきたいとは思わ無い。
何故なら私が幸せそのものだからね。
>>679 まあ、そういうのは言ったもん勝ちで確認しようがないからね
でも、そういうのも含めて「貴方はやはり思考の作り出したフィクション」なんでしょう
681 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 02:50:55.66 ID:sUWyuRjT
>>675 今が幸せだったとしても、それは何故なのか、維持して行くにはどうしたらいいか、という問題があると思いますよ
あと、自分だけじゃなく皆が幸せに近づくにはっていうこともありますしね
>>680 >そういうのも含めて「貴方はやはり思考の作り出したフィクション」なんでしょう
貴方は思考の作り出したフィクションでは無い。
貴方が思考でフィクションを作り出している。
>>681 >今が幸せだったとしても、それは何故なのか、維持して行くにはどうしたらいいか、という問題があると思いますよ
わざわざ不幸を作り出さない限り人は幸せだ、幸せは人間の本性だ。
>あと、自分だけじゃなく皆が幸せに近づくにはっていうこともありますしね
貴方が幸せなら貴方は世界に幸せを生み出さずにいはられない。
貴方が不幸なら貴方は世界を生み出さずにはいられない。
684 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 04:32:42.45 ID:mgtylA3M
>>683 幸せといい不幸といい、何基準?
本来人間に感じられるのは苦しみだと言っている人がいるそうな。
そしてあなたは、幸せは人間の本性だと言う。
それらが所謂「思考のつくり出したフィクション」なのではないか。
とすれば、「何故なら私が幸せそのものだから」というところのあなたは
フィクションの産物でしょう、とID:5bT2UBWAは言っているんだと思いますよ。
というか、私はそう思いました。
人間は本来。本来って何基準?
>>684 >幸せといい不幸といい、何基準?
基準自体が思考の作り出すものだね。
幸せをなんらかの基準で計測できると考えているなら貴方は思考の作り出したフィクションの中にいる。
>それらが所謂「思考のつくり出したフィクション」なのではないか。
幸せは感じるものであって考えるものでは無い。
>人間は本来。本来って何基準?
貴方が「本来」を何かの基準で定義しても、それもまた思考の作り出したフィクションでしかない。
686 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 10:13:27.46 ID:sUWyuRjT
>>685 仏教の話をしてるわけじゃなさそうだね
どっかのシンコーシューキョーの人ですか?
それとも、新しいキョーソさんかな?w
687 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 10:14:50.20 ID:sUWyuRjT
「かぐや姫の物語」観に行ったら、悟りなんかしょーもない 煩悩にまみれたまま一所懸命生きろ!って話でワロタ
688 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 10:18:21.97 ID:yY6TVpSh
少なくとも、私は悟りましたと言って2chに出てくるようなアホについては、 悟りなどあろう筈が無い。
689 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 11:19:07.75 ID:NsncGxwe
煩悩が108あるなんて数えた奴、お前109個目!
690 :
ネ申降臨!! :2013/11/24(日) 12:21:49.80 ID:5vQpUN0P
死、自分の最後を受け入れる覚悟だよ 平和ボケした日本人には解らない 宗教というビジネスのカモ
691 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 14:30:27.07 ID:sUWyuRjT
>>690 仮に死を受け入れる覚悟だけ出来たところで、
それだけじゃ生きてる間の色んなことを解決できないでしょ(呆れ
それとも、悟ったら自殺するわけ?
692 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 14:59:14.48 ID:mgtylA3M
>>685 なんのことやら。
わたしが「考えている」のは、
なぜ「人間」について、反対方向の「本来」を言う人がいるのだろう?
ということです。
わたしは、人間の本性や本来は○○だ、というものを「感じて」いません。
だから、本来といい本性といいながら逆のことを言う人がいるとき、
それはなぜかな?と「考える」のです。
例えば「不幸」と言い「幸せ」と言い「「苦しみ」と言いながら、
それらの言葉を違う意味で使用しているのかも知れない、とか。
あるいは「基準」の置き方が違うために違ってしまうのかも知れない、とか。
「基準で計測できる」というのが「1メートル」とか「1シーベルト」のように測れる
という意味なら、「馬鹿馬鹿しいずらしかたをするものだなあ」と思いますね。
あなたは「幸せ」と「不幸」を対比させているじゃありませんか。
693 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 15:00:45.55 ID:QFb6JtzD
死を受け入れる覚悟出来たところで、世界征服やりたい放題し放題!!
694 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 15:01:49.54 ID:mgtylA3M
>>688 全部が全部と言い切れるものかどうかわかりませんが、
多分、多くの場合そうなんだろうな、と思います。
695 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 15:12:40.17 ID:sUWyuRjT
>>686 >仏教の話をしてるわけじゃなさそうだね
悟りの話をしている。
>>688 >少なくとも、私は悟りましたと言って2chに出てくるようなアホについては、 悟りなどあろう筈が無い
それも貴方の思い込みだ。
>>692 >わたしが「考えている」のは、 なぜ「人間」について、反対方向の「本来」を言う人がいるのだろう? ということです。↓
>>684 >幸せといい不幸といい、何基準?
↑
私はこの質問に答えてたのであり
>なぜ「人間」について、反対方向の「本来」を言う人がいるのだろう?
という質問には答えていない。
>>698 >理屈っぽいねって言われるでしょ
言われないな。
700 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 19:42:14.08 ID:mgtylA3M
理屈になってませんもの。
言ってることがわからないから生暖かくスルーされるクチでしょう。
アチラについて答えたものでコチラについては言及していない
なんて、なぜいちいち言いたいのでしょうね。
アチラとコチラはわたしの中でこういう流れで繋がっている、と
>>684 では言っていると思うんですけどね。
それを切り離すなら、こういう理由で切り離すと言わないと。
701 :
ビックバン信者 :2013/11/24(日) 19:48:20.25 ID:TpXewxwK
オイラだって悟りを得てる、今の嫁以上の女を娶ることは出来ない。
>>700 >アチラとコチラはわたしの中でこういう流れで繋がっている、と
>>684 では言っていると思うんですけどね。
>>684 は
幸せが人間の本性だという私の意見に貴方が、それは思考の作り出したフィクションだと思うと言っているね。
>>692 では
>わたしが「考えている」のは、 なぜ「人間」について、反対方向の「本来」を言う人がいるのだろう?
ということです。
わたしは、人間の本性や本来は○○だ、というものを「感じて」いません。
↑
と貴方が「考えている」ことについて述べている。
>わたしが「考えている」のは、 なぜ「人間」について、反対方向の「本来」を言う人がいるのだろう?
ということです。
↑
これはつまり人間の本性は幸せだという私の主張が貴方の「考えている」人間の「本来」と反対方向だという意味かな?
703 :
神も仏も名無しさん :2013/11/24(日) 23:21:35.52 ID:mgtylA3M
>>702 ああ、失礼。
>>700 でアンカーつけている684は
>>692 の間違いです。
>これはつまり人間の本性は幸せだという私の主張が貴方の「考えている」人間の「本来」と反対方向だという意味かな?
………
>>684 本来人間に感じられるのは苦しみだと言っている人がいるそうな。
そしてあなたは、幸せは人間の本性だと言う。
>>692 なぜ「人間」について、反対方向の「本来」を言う人がいるのだろう?
以上。
結局人間の本性は幸せだというのは「あなたの主張」なんですね。
わかりました。
704 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 07:20:06.67 ID:T167nJQF
まあ幸せっていうのは、高く望めばそれだけきりがないものではある。
かといって、飢えや寒さの中にある人に、あなたは既に幸せなんだからそれ以上を望むな、
なんて説教したところで、何の説得力も意義も無い。
>>672 の「どう幸せに近づくか」は
いかにしてより多くの人が「足りている」感じを得られるのか
と言い換えてもいい
あ
706 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 12:40:40.53 ID:SQmnnSZQ
>>1 ゴマ化してないよ。
ちゃんとした定義がないから誰も答えられないだけだよ
707 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 17:11:31.01 ID:T167nJQF
>>702 >結局人間の本性は幸せだというのは「あなたの主張」なんですね。
わかりました。
私が「感じた」ことをこのスレで書いているという意味ではそうだね。
もちろん人間の本性が幸せだという「事実」は私が主張しようがしまいが変わらないね。
ところで貴方は人間の本性は「不幸」だと「考えて」いるのかな?
709 :
神も仏も名無しさん :2013/11/25(月) 23:54:21.20 ID:hXSRlZF+
>>708 おまえな、日本語読めるようになってから出直してこい
自分の意見に賛成か反対かしか考えてないようなのがえらそうこくな
710 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 12:21:16.35 ID:8uSk+oDj
それより欲が幻覚であることを確認すべきだろ 幸せなんざ、その幻覚の一部だろうて
711 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 15:50:01.67 ID:xKMiJyw2
>>710 言葉の上で幻覚だと言うことは簡単でしょう。
その主張が真となるように定義なり概念なり整えればいい。
しかし、飢えている人、凍えている人に、
食べたいという気持ち、暖まりたいという気持ちは幻覚にすぎない
と言うことに、何の意義がありますか?
>>709 >おまえな、日本語読めるようになってから出直してこい
日本語は読めるよ。
>自分の意見に賛成か反対かしか考えてないようなのがえらそうこくな
それも貴方の思考の作り出したフィクションだな。
私はただ面白いからレスしているだけだ。
>>710 >それより欲が幻覚であることを確認すべきだろ
なら食事も睡眠も取らず生きられるかな?
貴方が2ちゃんにレスしたいというのも欲だね。
欲が幻覚だと確認して、それで何か変わるのかな?
714 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 22:23:48.22 ID:zeTLnuH9
>>711 寒くてひもじい人に対しては意義がなくても、
欲は幻覚だと言う人には意義があるのかも知れない。
「真理を伝えた」的な。
「真理を伝えたい欲を満たせて嬉しいな」的な。
715 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 23:36:17.60 ID:XRm8iOWZ
いいや、 すげえ痛くて苦しかろうが それには根本的な必然性は無い事を教えてやる むしろ、身体を失った後に、より自由で感覚に必然性のある 状態となる可能性は充分にある だから、幻覚の世界を脱して真実の天国へ行けると言ってやれば良いんだよ 本当に救い様の無い残酷な終焉だと伝えて何か意味あるのか? ちょっとでも気が紛れればめっけもんだろw
716 :
神も仏も名無しさん :2013/11/26(火) 23:41:24.75 ID:XRm8iOWZ
禁じられた遊び
717 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 02:25:54.15 ID:wZsDugJf
「教えてやる」w
718 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 02:49:50.37 ID:wZsDugJf
祖師方がたいへんなご苦労をされて法を伝えてこられたおかげで私たちは今云々 禅宗の説教でよく出てくるらしいフレーズ いろんな人達の、時には命もかかった(超ドメスティックな意味の)ご苦労のおかげで 今の生活ができているんだろうなあ、と、うっすらと思ってみたりもする。 「わたしは悟った者である。来なさい。」とかいうのは お坊さんぽい生活にあこがれてるんじゃない? 頭下げずに金もらう、みたいな。 反論されない前提でしゃべって金もらう、みたいな。
719 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 09:11:39.92 ID:3r47JafK
>>715 それで済むなら一向一揆とか無かったんじゃない?
720 :
神も仏も名無しさん :2013/11/27(水) 18:01:38.06 ID:xxPria3X
宗教団体が何をしようと観念とは関係ない 客観性を重視すると、分かっている事実はひとつもなく すべての事をやっても、それがどういう事かは判定できない 現状で自殺、殺人を含めてどういう事かは不明 やろうがやるまいがどっちも同じって事よ 殺そうが生かそうが好きにすればいい 欲によって現状の人間には実行し難いがね
721 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 07:27:22.81 ID:yiSriMt6
同じって、何が同じなんですかw 客観的に見れば、殺人をすれば恨みをかうとか罰せられるとか色々あるでしょうがw
722 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 08:51:50.86 ID:ikCP6Yt1
一般的現実に根拠は無いからな 何をやって何をやられても どういう事かは謎であるだけ そういう瑣末な事をいちいち考えるのは無駄
723 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 09:03:01.05 ID:ikCP6Yt1
現実の真実がいかに宙ぶらりんの地獄かという事を扱うから 聖職者は家族を持てないんだよ
724 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 11:52:02.86 ID:a4MAsPGj
ニトリと共に走れよ乙女♪
「心頭滅却すれば、火もまた涼し」 1582年、甲斐(かい)国の恵林寺が織田信長に焼き打ちされた際,住僧快川(かいせん)が この偈(げ)を発して焼死した とのことです。 心頭滅却=死ぬこと、と考えれば、生きているうちは悟れないので火に巻かれて もだえ苦しむが、死んだら何も感じなくなり、苦から解放される=悟る、と言うことですな。 で、このように多数の坊さんを殺しまくった信長も、本能寺で光秀に焼き殺されて、いっさいの 権力欲・支配欲の煩悩から解放されたわけです。 信長のような五逆謗法の大悪人でも、死んだら即時に煩悩から解放されて悟りを得るわけで、 人間はみな最後は死ぬので、誰でも最終的には必ず悟りの境地に至ります。 よって、悟りはある、と言う結論になります。
問題は、生きながらにしてそのような悟りの境地に至ることができるか、ですが、 A・上座部仏教のような厳しい戒律を守れば、できるよ。でもそれで悟れるのは、行者ひとりだけだよ。 B・いや、もっと簡単な行でないと、大衆を救うことはできないだろ。 B1・・僕は、何年も山に籠もってお経を読んで、その後3年間、山の中を歩き回る行が有効だと思うね。 B2・・いやいや、密教修行でしょ。 B3・・ひたすら座禅を組めば悟れるよ。 B4・・四六時中、念仏を唱えれば、悟れるよ。 B5・・どんな行をしても悟れないよ。でも、最後には阿弥陀様が救ってくれるのだから、迷いながらも、 安心して自分の人生を生きれば良いよ。 B6・・法華経のみが正しい。 などの流派が生まれて、今日に至ります。 自分としては、下から2番目のB5が良いと思います。
>>726 それって浄土宗真宗大谷派か?
じゃあB4は?浄土宗か?
その辺不明
728 :
神も仏も名無しさん :2013/11/28(木) 22:48:50.08 ID:ikCP6Yt1
教団や派閥に属したからといって 信じている証明にはならん
悟りと信仰は関係無い。
730 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 10:51:15.30 ID:/v3pwn4k
>>729 悟りというモノがもし本当に在るのなら、そうかもしれませんが
今のところは「悟り」というのは、それがあると「信じる」対象だと思いますよ
731 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 13:10:51.66 ID:BOMrXshY
現実
>>730 >悟りというモノがもし本当に在るのなら、そうかもしれませんが
>今のところは「悟り」というのは、それがあると「信じる」対象だと思いますよ
悟りという「モノ」など無い。
733 :
神も仏も名無しさん :2013/11/29(金) 14:30:41.53 ID:/v3pwn4k
じゃ「コト」ですか?
>>733 神と私の関係は真実であって現実ではない、
神と私の働きは物として機能するが、事ではない。
形而下の説明で形而上を類は説明できないが多くの人はこの形而上と形而下の
区別ができない。
例えば原子や分子で人間の肉体の働きを説明してしまうこと。まったくもって無意味
また人間の臓器の働きで経済や戦争を説明してしまうこと。
アホはすべて原子や分子でできているから全てそれで説明できると考えてしまう、
元がその対象の上にできていからこそ働きも繋がっていると主張してしまう、
それは完全に間違いである、形而上のそれは形而下の基盤を他の原理に変更しても
形而上の働きに影響がでない観念である。
それを具体的にいえばソフトウエアである、コンピュータのハードウエアがトランジスタでも
真空管でもパラメトロンでも同じようにソフトウエアを実現可能である。
基底の原理は上位の形而上の仕組みの土壌となっていても形而上の機能を
説明できないのは明白である、
「浮世も心次第」ということわざをベースにして、 少しばかりでも悟れるところは悟って達観してみよっと♪
736 :
神も仏も名無しさん :2013/12/02(月) 13:05:42.46 ID:KWqCrM2Q
>>734 えーと・・734さんは、732さんなの?
あなたにとって「悟り」とは、神とあなたの関係の中に生じるものなの?
737 :
神も仏も名無しさん :2013/12/02(月) 13:09:32.76 ID:KWqCrM2Q
>>735 それって仏教の「悟り」と一緒なのかなあ・・
ある種の諦めを決めつけて思考停止するってことでしょ?
結局、悟りとは大麻だの酒だのでみる幻覚と何ら変わらないもので 自分の身体が溶けだすだとか、宇宙と一体化だとか陳腐な、空想としては小学生でも思い付きそうな凡庸なイメージに なんか知らんが勝手に意味を見出してそれらしいけど的外れも良いとこな解釈をつけたら、周りの奴等が知らないが故にまたそこに神秘性を見出しちゃってどんどん箔やら権威を帯びてきちゃって今に至るみたいな 救いでも何でもないよなこんなの(笑)
哲学も宗教もただの戯れ言なのなら僕たちはどうすれば良いのでしょうか
いいえ。数々の話とか色々調べて自らの肌の感覚などと重ね合わせているうちにそのような判断に至りました ありきたりで何処にでもあるステレオタイプの幻覚症状なのだろうなと
何だくだらん( ゚д゚)、ペッ
743 :
神も仏も名無しさん :2013/12/02(月) 21:33:54.55 ID:61VRxh56
釈迦もバラモンのマネをして悟りを開いたらしい。 バラモンは現在のヒンドゥー教、その司祭は大麻を吸うんです。 真似事から始まったんで、確実に大麻すってるはず。 キリストも聖書に載ってるけど、カナビスという万能薬をつかって人々を癒したと言われている。 キリストもイスラムも元はユダヤ教から派生している。 そのユダヤ教は大麻を吸う。 エジプトのピラミッドにも麻からできたロープが発掘されてる。 日本神道も大麻をまつってる。 それに反発したのが、創価学会、日本神道の神の概念を否定し、大麻を奪うために 国に逆賊として反発して逮捕者までだしてる。 古代の宗教は大体大麻が絡んでいる。 悟りを導く草として、人々を癒してきた草。 ユダヤ人頭多い人多いしね・・・学者やら、映画監督、宗教かも・・・。
悟りなんかねえよって境地に至る
745 :
神も仏も名無しさん :2013/12/04(水) 12:09:57.34 ID:G+izWNJH
大麻厨うぜえw 屁理屈武装しやがってw
746 :
神も仏も名無しさん :2013/12/04(水) 12:11:19.35 ID:G+izWNJH
とりあえず、人生が「続く」ものである以上、 人生の苦悩・苦難を乗り越えるための何かも「続く」ものである必要がある これは明らか
747 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/12/04(水) 12:27:50.80 ID:DP0kOMlK
例えば、女性達は「美」を求めるし、自称「美人」もいる。 万人が納得する「美」が無い以上、今までも、これからも、勘違い女達が「美人」と詐称する。 バカ共が指す「美」に従うのは愚の骨頂であるように、 「美」など無いというバカの相手をするのも時間の無駄。 経に曰わく 「自らを島とし、法を島として」 「善知識無くば一人歩め」と。 (^。^)まぁ、俺くらいになると仏教とか「美」とかどうでも良くなる訳だが。(笑)
748 :
begezan :2013/12/04(水) 12:34:11.01 ID:XRt5JjwQ
バーミヤンでおならこいだやついたよね。 サラスポンダサラスポンダサラスポンダエッセッセ ですんだけれどもそこに仏教さえあればまたちがった 様相になっていたと思う。
749 :
神も仏も名無しさん :2013/12/05(木) 14:37:05.30 ID:lrWIBY1A
>>747 美の基準が曖昧な物であっても、美人を見て美しいと感じることは実際にいくらもあることでしょ。
それに対して「悟り」はどうですか?
あの人、悟ってるなーとか、実感できます?
俺はそんな実感を持ったこと無いですね
750 :
神も仏も名無しさん :2013/12/05(木) 14:41:07.93 ID:lrWIBY1A
美は、まず実体と実感ありきなのに対して 悟りは、言葉、理屈、想像から始まっている そんな物があるらしいよという伝言ゲームが長々続いてるだけ
751 :
神も仏も名無しさん :2013/12/05(木) 23:19:14.76 ID:UQ7afSl5
>>750 だいたい「そーだよなー」と思うけど。
一つ聞きたいのは、悟ってるということになってる人に会ってみてやっぱり「感じなかった」のかってこと。
感じないもん?
悟り悟り言ってる人って健康オタクみたいなもんかなと思ったりする。
健康のためなら死んでもいい、みたいな。
752 :
神も仏も名無しさん :2013/12/06(金) 14:28:02.35 ID:NbEmNPZ4
いやいや・・ 会う機会がある時点でおかしいでしょw 少なくとも仏教的に確かに悟った人と言えるのは、仏陀その人ただ1人であり、 2000年以上前に亡くなってるわけで。 自分は悟ってるなんてことを2ちゃんみたいな場所でなく 外でオーブンに語っていて人に会う機会を作るやつなんて、 まず間違いなく危険な詐欺師だよ。 関わり合いにならないのが正解でしょ。
753 :
神も仏も名無しさん :2013/12/06(金) 14:30:06.99 ID:NbEmNPZ4
手品師、詐欺師、占い師、あるいはセミナー講師みたいな連中なんてのは、 人に、この人なんか凄いと思わせるようなテクニックなんて色々持ってるもんだし、 そういうものを感じたからといって相手の言うことを信用したりするのは愚の骨頂だよ
そして仏陀がそうでなかったとは言い切れないよな。
というか悟った(と言われてる)のって仏陀ただ一人だけなの?んな事あないでしょ
756 :
神も仏も名無しさん :2013/12/06(金) 19:27:04.73 ID:NbEmNPZ4
少なくとも仏陀が基準で、仏陀と同じところに到達してないと「悟った」とは言えないでしょ? で、それを誰がどうやって確認するかだよね。 ぶっちゃけ確認不可能でしょ?
757 :
神も仏も名無しさん :2013/12/07(土) 08:10:31.03 ID:yv1Ns51z
>>756 釈迦がお花くるくるして「あんたおk」つって
その後そのように続いてるんじゃなかったっけ?
758 :
神も仏も名無しさん :2013/12/07(土) 08:12:41.94 ID:yv1Ns51z
そーいや明日は釈迦が悟った日
759 :
神も仏も名無しさん :2013/12/07(土) 08:12:43.78 ID:ou0FcF6O
2013.11.08 AV女優 無修整撮影ほう助容疑=静岡|読売新聞 千葉県佐倉市吉見、映像制作業 上滝浩一容疑者(45)をわいせつ電磁的記録記録媒体有償頒布目的所持の疑いで現行犯逮捕 画像を撮影させたとして、「埼玉県三郷市谷中、AV女優 飯田佳那(26)、千葉県船橋市西船、AV男優橋本和明(30)、 東京都豊島区池袋、同田中潤一(38)、東京都目黒区青葉台、芸能プロダクション経営安藤拓生(47)」を ほう助容疑で逮捕。 2013.11.30 無修正アダルトビデオを撮影させたとして、横浜市港北区新吉田東7の非常勤講師、菅原瞳容疑者(27)をわいせつ電磁的記録記録媒体頒布幇助(ほうじょ)容疑で逮捕
760 :
神も仏も名無しさん :2013/12/08(日) 14:21:56.24 ID:aqYhPkUW
>>757 へー
その話は初めて聞いた。
お釈迦さんの生きてる間に最終解脱した人が居たん?
761 :
神も仏も名無しさん :2013/12/08(日) 17:29:35.83 ID:ipK2Sbfe
>>760 さー?
そのように続いてるらしいよ。禅宗では、かな?
最終解脱者かどうかは知らない。
禅宗じゃないところだとどんな人がいるのか知らないけど。
テーラワーダ?には「誰某はブッダの悟りの境地のここいら辺まではイケてる」と
判断できる人がいるらしいから、そこそこ行っちゃってることになってるんじゃない?
ブッダが最終解脱者かどうかは、他に最終解脱者がいないなら判断しようがないね。
ならブッダも基準になりようがないわな。
悟りがないなら仏陀といい如来というのもナシってわけじゃん?
762 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/12/09(月) 13:06:21.55 ID:Ove0tm8f
「最終解脱」とは、松本死刑囚が至ったと思い込んだ妄想上の境地だよ。(笑) つまり、>760は、釈尊が社会病質者並みだと冒涜してる訳。
763 :
神も仏も名無しさん :2013/12/14(土) 09:09:35.26 ID:0zJ4TXe/
あらそうだったのかw
色々ググってるうちに変な話が頭の中に混ざり込んじゃったのねw
>>761 > ブッダも基準になりようがない
それは違うんじゃないの?数学で言うなら公理みたいなもんでしょ
764 :
神も仏も名無しさん :2013/12/14(土) 13:05:33.04 ID:0zJ4TXe/
釈迦が自分の体験を元にして、悟りってものがあって、それはこういうものだよ と説いたのが始まりなわけだから、釈迦が基準なのは揺るぎない事実 そしてその釈迦自身が特別何かを得ていたわけでないということになれば 悟りは無いと言っていい
765 :
神も仏も名無しさん :2013/12/14(土) 13:17:14.74 ID:WanAUIZr
魂の世界の仕組みやこの世の構造を自分なりに理解(内的理解)すること。 さとりは心の平安だと思っています。
766 :
神も仏も名無しさん :2013/12/14(土) 20:56:12.20 ID:0cxyMyiO
>>764 めんどくせえやつ
釈迦が基準ならあんたの「・・・と言ってもいい」なんてお説はじゃまなだけ
あろうがなかろうがあんたの頭基準で考えてもムダ
>>釈尊が社会病質者並みだと冒涜してる訳。 王子のシッダルタが出家に至る件なんかは、現代日本の社会じゃ病質者と言われると思うわ。 そこで麻原などクズの名前を出す意味合いが無いやろw
768 :
神も仏も名無しさん :2013/12/15(日) 04:00:25.53 ID:/gXJ3G4r
>>766 いや、説じゃなくてさあ
理屈ではそうなるよってだけ
基準だからこそ、そこを否定できれば全部否定できるのよ。
アンダスタン?
769 :
神も仏も名無しさん :2013/12/15(日) 04:01:38.79 ID:/gXJ3G4r
>>765 みたいなのが「自分独自の勝手な説」でしょ
770 :
神も仏も名無しさん :2013/12/15(日) 04:16:01.95 ID:/gXJ3G4r
まあ今となっては釈迦が実際のところ何を得ていた、 あるいは得ていなかったのかを検証する術も無いけどね ただ1つ確かなことは、今の世界の現状を見れば、 釈迦もイエスもマホメットも、人間の生きる上での悩み苦しみを取り除くことは出来なかった ってこと
771 :
神も仏も名無しさん :2013/12/15(日) 07:14:00.90 ID:5EKrki98
>>768 特別何かを得ていたわけであるかないかはあんたの脳のなかのできごと。
釈迦が死んでいる以上確かめようがないんだろ?
あんたの理屈が破綻してるって言ってんのよ。
わからんだろうがね。
悟りと他人の生きる上での苦しみを取り除くことにどういう関連があると思ってんだこいつは。
悟りなんて無い。 と悟った。
773 :
神も仏も名無しさん :2013/12/15(日) 21:38:21.02 ID:WgZfov5G
悟っとるやないけ
774 :
神も仏も名無しさん :2013/12/17(火) 21:09:18.10 ID:dV24jjib
>>771 バカの言うことはわからん・・
お釈迦さんがどうだったかは過去の事実だろ
何で俺の頭の中にあるのさ
775 :
神も仏も名無しさん :2013/12/17(火) 21:24:16.92 ID:/IaahWbs
自分の言っていることがわからないのは馬鹿の特徴だな。 >そしてその釈迦自身が特別何かを得ていたわけでないということになれば >悟りは無いと言っていい おまえの頭の中の出来事から結論らしきものを導き出しているわな? 得ていたわけではないというのはおまえの頭の中の出来事。 釈迦が死んでいる以上確かめようがないんだろ? どうすれば「得ていたわけではないということに」なるんだ? おまえがそう考えれば、だわな? 確かめようがないといいながらなんで「悟りはないと言ってもいい」んだ? おまえがそう言いたいから、だわな? 確かめようがないものは肯定も否定もできんだろ。 それが理屈ってもんだと思うがね。
776 :
神も仏も名無しさん :2013/12/17(火) 21:29:51.56 ID:/IaahWbs
もっと簡単に言うとだな 釈迦がどうでも悟りがどうでも おまえが馬鹿なのは変わらん、ということだ。
777 :
begezan :2013/12/18(水) 21:30:01.44 ID:c/Moh99n
だけど完璧な馬鹿ってのはいないんだよ。
778 :
神も仏も名無しさん :2013/12/18(水) 22:55:41.75 ID:C3KcExZM
>>775 「もしなれば」と言ってるだけで「なった」とは言ってないんだが・・・
バカが勘違いして1人で暴れてるよ・・
お願いだからWebをうろつくのやめて
学校の宿題を真面目にやってくれ
779 :
神も仏も名無しさん :2013/12/18(水) 22:56:23.40 ID:C3KcExZM
マジで18歳以下は自由にWebを利用できないようにしてほしいわ
780 :
神も仏も名無しさん :2013/12/18(水) 23:03:27.31 ID:ttdxuDwc
釈迦さんが悟った時に ヤバすぎてほかの人に言おうか迷ったらしいけど どうなんだろ?
781 :
神も仏も名無しさん :2013/12/18(水) 23:53:47.29 ID:C3KcExZM
もともと布教みたいなことをする気はなかったけど、まわりの人にうながされてシブシブ伝えた みたいな話なら、どっかで聞いたことある気がするが 「ヤバすぎて」とは聞いたことないな
782 :
神も仏も名無しさん :2013/12/19(木) 00:01:40.22 ID:kXIUN6vw
>>781 ヤバすぎてってのは、俺の誇張した表現かもしれん
ただ釈迦さんが悟ったことって死んだら本当に終わりってことだったのかな?
783 :
神も仏も名無しさん :2013/12/19(木) 06:54:00.29 ID:5sKEq8Py
六本木襲撃事件、石元被告に懲役22年求刑 関東連合元リーダー「最も大きな影響」 産経新聞 [12/16 12:22] 東京・六本木のクラブで飲食店経営、藤本亮介さん=当時(31)=を暴行し死なせたとして、傷害致死などの罪に問われた 暴走族「関東連合」(解散)元リーダー、石元太一被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判が16日、東京地裁(鬼沢友直裁判長)で開かれた。検察側は「共犯者間の役割分担の協議に関わるなど、事件発生
784 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 00:37:22.33 ID:l+a+xFCV
785 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 01:15:57.21 ID:Smju9zde
>>778 764 :神も仏も名無しさん :2013/12/14(土) 13:05:33.04 ID:0zJ4TXe/
釈迦が自分の体験を元にして、悟りってものがあって、それはこういうものだよ
と説いたのが始まりなわけだから、釈迦が基準なのは揺るぎない事実
そしてその釈迦自身が特別何かを得ていたわけでないということになれば
悟りは無いと言っていい
だからこれが全部デタラメで理屈になってないっつってんの
釈迦の悟りが基準だって言いながらそれは確かめようはないし
何かを得ていたかいなかったかも確かめようがないし
死人に口なしだから好き勝手言ってるだけだろうが
だいたい釈迦は「悟りってものがあってそれはこういうもので」って言ったのかよ?
いつそんなこと聞いたんだよ?
救われねえ馬鹿だな。
786 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 01:35:12.51 ID:Smju9zde
それにしても見事にブレブレだな。 悟りという言葉を知っているだけで、なんかを分かっている気がするのは、馬鹿の証明。
787 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 02:32:52.04 ID:l+a+xFCV
はあ? 確かめようが無いのは過去のことなんだから事実だろ? 何言ってんだ?
788 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 02:34:03.17 ID:l+a+xFCV
>>786 お前、まず日本語がおかしいよ
「馬鹿の証(あかし)」ならいいけど、そこで何で証明って言っちゃうかなあ・・
マジでネットうろつく前にちゃんと義務教育受けろ
789 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 02:39:00.59 ID:l+a+xFCV
後さー 同じスレの中のちょっと上の書き込みを全文コピペして、何の意味があると思ってんの? それじゃ結局、どこがどうおかしいか説明出来てないでしょ? まともな脳みそが無い奴が無駄に全文コピペするんだよねえ
790 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 03:32:19.70 ID:l+a+xFCV
つーか釣られて俺まで変なこと言っちゃったw その文では「馬鹿の証」でもおかしいわw せめて「何かを分かっている気になるのは」だろうなあ んでそもそも「〜を知ってるだけで何かを分かってる気になってる」ってのが ただの決めつけ、空想な時点でグダグダ つまり直すなら 「お前、悟りって言葉知ってるだけで何かわかってる気になってるだろ?w 馬鹿丸だしだよw」 とかかなー。 ちなみにバカってもともとは仏教用語らしいね 莫迦って書くんだってさ
791 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 07:37:33.13 ID:FCXXateC
悟りなんて無い。 これに気づくことが悟りだ。 オトギ話で、仙人からが何もしゃべるな、と言われて、母親が鬼に殺されそうになって叫んだ。 仙人は、これでしゃべらなかったら殺そうと思っていた、というペテンにかけたが、同時に 「これで、仙人になりたいという気持ちも消えたじゃろ」 とも言った。 共通点はあるだろ。 修行の先に何もなかった と、オレは悟った。 それそのものが悟りだった。
792 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 09:14:27.62 ID:0xW2zHBh
793 :
神も仏も名無しさん :2013/12/20(金) 12:32:48.62 ID:G+7wKIpl
>>791 > 悟りなんて無い。
> これに気づくことが悟りだ。
> オトギ話で、仙人からが何もしゃべるな、と言われて、母親が鬼に殺されそうになって叫んだ。
> 仙人は、これでしゃべらなかったら殺そうと思っていた、というペテンにかけたが、同時に
> 「これで、仙人になりたいという気持ちも消えたじゃろ」
> とも言った。
>
> 共通点はあるだろ。
> 修行の先に何もなかった
> と、オレは悟った。
> それそのものが悟りだった。
親まもりたいのも欲だから
悲しくなりたくないのも欲だから
794 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 13:54:32.53 ID:dosXaskc
その話、俺も記憶にあるなあ。 何だっけ?
795 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 13:57:32.42 ID:dosXaskc
お釈迦さまも確か、最初苦行三昧やって、これじゃ何も得られないってんで苦行をやめて それから何やかやして悟ったってんだよな お釈迦さまに教えを広めるように頼んだって人は いったいお釈迦さまに何を見いだし、何を期待したんだろうなあ
796 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 17:22:33.25 ID:dosXaskc
キリスト教が、 ・イエスは神の子で、救い主として地上に現れた ・イエスは磔で処刑された後、復活した っていうことを土台に置いて成り立っているように、 仏教は ・お釈迦さまは、さまざまな苦難の後「悟り」という人智を越えた領域にたどり着いた ということを土台に置いて成り立っている もっとも仏教は、キリスト教における聖書のような標準テキストさえ定められないまま 土俗の信仰や後世の人間の発想と混ざりながら広がってるから、 日本の仏教なんか見ると、その仏陀の悟りを前提って部分すら怪しいんだが、 それでもやっぱり、仏陀が何か特別なものを得たんだという土台が崩れれば 全て崩れざるを得ないだろうね
797 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 18:34:32.18 ID:1wgTMR/b
>>1 悟りとは、考え方の工夫なり
と言う言葉があるそうだ
798 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 21:42:35.64 ID:dosXaskc
>>797 発想を転換すれば生きるのがラクになりますよ
的な話は、NHK教育の宗教の番組を見ててもよく出て来る気がしますね
だけど問題は、果たしてそれがどこまでどれくらい可能なのかですよねー
799 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 21:50:58.21 ID:5brarv/d
こんなに文明が急激に発達しなかったら、発想も考え方も違ったと思う。 そのへんの何かをいい具合にそぎ落としたら悟りに通じるのではないだろうか。 仙人でも現代人でもない。なにかがあるということ。
800 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 21:57:31.24 ID:m4+Ys3Od
ドラッグに手を出した者はただ迷うんだよ。
801 :
神も仏も名無しさん :2013/12/21(土) 22:56:32.63 ID:dosXaskc
>>799 文明発達してない昔の人達だって迷ったり悩んだりしてましたよ?
>>800 迷うだけじゃ済まない気がします
深い暗い淵の底へ・・
802 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 02:04:27.24 ID:jCa5zvaw
ただ彼らには彼らのやり方があったのだがほとんど一掃されてしまった。
803 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 05:03:03.22 ID:G4PLi3Yz
釈迦が「人智を超えた領域に達した」かどうかと、 誰かが「釈迦はウンタラ〜に達したんだな」と思うのは別のことだと解っているか? おまえは「仏陀の悟り」を問題にしているつもりかしらんが (いやまあ、近頃方向転換してるみたいですがね^^) 「噂話は本当か」しか言っていないんだと解っているか? そしておまえ自身が言ったわけだが 「釈迦が死んでしまっている以上真偽のほどは確かめようがない」 ならば「噂話が本当かどうか」をウダウダ詮索するのは馬鹿の証明。 そんなのは「噂が嘘ならその噂話は嘘」「噂が本当なら噂話は本当」 で、おまえがなにやらこねくり回す必要がない。 そして結局こねくり回せているのは「噂話」についてだけで、 釈迦の悟りは「わからない」だ。 そして。 仏教にとって「釈迦が人智を超えたウンタラ〜」である必要はあるのか? 「釈迦が『人智を超えたウンタラ〜』である必要があるとしたら それは時代や地域性や集団の特性だ」と言われたとき、 どうやって否定するんだ? もう釈迦にお伺いを立てることはできないわけだが。
804 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 07:45:52.74 ID:/CBsboep
805 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 10:05:27.65 ID:HU5MFkx0
>>803 長いだけで中身が無いっつーか、何言ってんだかさっぱりわからん。
> 釈迦の悟りは「わからない」だ
うん。わからないね。過去のことだしね。
> 必要はあるのか?
そらあるだろ
釈迦がただのおっさんで、彼の教えがウソなら、何のために仏教を信仰するんよ?
まあこれだけ組織が肥大化している以上は、坊さんがみんなうすうす悟りなんて無いとわかってても
保身のため、組織の維持のため、そして救いや弔いを求める檀家のためにも、仏教は続いて行くだろうけどね
806 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 10:06:26.15 ID:HU5MFkx0
>>804 では何なんでしょうか?
出来ればわかりやすくお願いします
807 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 10:08:38.34 ID:HU5MFkx0
うわさ話か・・ 宗教って、大昔からのうわさ話をみんなで真剣にこね回してるようなもんだよね それで殺し合いまでする人達が居るんだから、ひどいもんだわ
808 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 10:42:00.37 ID:/CBsboep
>>806 苦の源泉である意識・業を鎮めるための道です
809 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 15:17:15.94 ID:HU5MFkx0
>>806 だから考え方や物の見方を変えて、ダメでもともと、欲を出さない、とかやるわけでしょ?
810 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 15:17:49.32 ID:HU5MFkx0
811 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 15:33:09.70 ID:HU5MFkx0
結局のところ、釈迦というスーパーマンの存在や悟りの存在自体が 「方便」ってことだったりするのかもしれないけど、 じゃあ何のための方便なのかってことだよねー。
812 :
神も仏も名無しさん :2013/12/22(日) 23:28:33.20 ID:/CBsboep
>>809 そういうこともやりますが、単に観念的な思い込みではありません
n
814 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 11:21:36.28 ID:4XbUac75
ポンチックララバイ 米良崎宏美さんです。どうぞ〜〜〜〜〜〜
815 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 21:13:22.86 ID:1E8TFjQd
>>812 行動を変えて、将来の災いにつながりそうなことはしないとか?
816 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 21:31:01.91 ID:3aSVI5w9
>>815 いや〜、そういうじゃ埒が明かないんで、以下三冊のどれか読んでからにして
ダライラマ『智慧の眼を開く』
パユトー『仏法』
『仏遺教経』短い
817 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 22:34:04.30 ID:1E8TFjQd
何だ ただのアホだったか
818 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 22:35:54.76 ID:1E8TFjQd
えれーもったいぶるから何かと思ったら ボロを出すのが怖くて自分の言葉じゃ何も語れん 有名書籍の権威に頼るだけのアホ それなりに自分の考えを持ってるから自信持ってるのかと思って 何を語ってくれるのか期待してたのに 完全な見込み違いだったわ 見る目がない自分にがっかり
819 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 22:36:35.94 ID:H5Z1SDLv
悟りとは坊主の商売道具である
820 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 22:59:24.99 ID:3aSVI5w9
>>817 まあ、そう思ってもいいが、付き合ってられんは
そんなとこから、せめてそのぐらいの知識もってから
訊いてくれってこと
どうも貶すのに忙しくて無理っぽいけど
821 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 23:09:17.98 ID:1E8TFjQd
「られんわ」 自分から語り始めといて どうぞ語ってくださいと答えたら こんぐらい読んでから訊けだと じゃああんたが語り始めたのは何のためよ 内省してる? あんたが悟りとは無縁なことだけは確かだね
822 :
神も仏も名無しさん :2013/12/23(月) 23:10:39.99 ID:1E8TFjQd
>>819 それだけならまだいいけど
何も中身のねえバカが
妄想の世界で自分を慰めるための道具にしてるから
苦笑しちゃうわ
823 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 06:52:39.01 ID:K8id7HjN
>>821 いや、オイラ的には問いに答えたんことになってる「は」
824 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 09:14:23.11 ID:qur9Tb7Y
本の権威で威張りたいだけのおばかさん わざわざ早起きしてつまらんこと書いてたか
825 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 09:15:58.81 ID:qur9Tb7Y
まあ、あれだ それらの本を読んでもこの程度の人格ってことは 役に立つ本じゃ無さそうだ
826 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 09:17:32.25 ID:qur9Tb7Y
ちょっと前まで噛み付いて来てた莫迦が急に消えたけど まさかこいつと同一人物か? そうだったら本当に苦笑するしかない
827 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 09:57:01.82 ID:K8id7HjN
なんというか自分棚上げの文だな、好きにしてくれ
828 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 13:01:09.98 ID:qur9Tb7Y
出たー「ドッチモドッチー」w そして出来るだけボロが出ないように言葉少なに上から目線で あたかも自分が冷静な側のように振る舞って逃げるw 2ちゃんやまとめブログにゴロゴロ転がってるチンカスw
829 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 13:02:15.85 ID:qur9Tb7Y
誰か もうちょっと実のあることを書いてくれる人はおらんかね?
830 :
神も仏も名無しさん :2013/12/24(火) 19:19:59.09 ID:hhVzg+H7
ぶりっと実が出たよ。
831 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 18:53:15.71 ID:kyRd0XBG
「悟りは嘘から成り立っている」 と、おっしゃったのは司馬遼太郎だ。 要は上手く行けばいい、と、修行の作法を無視して修行を続けることがある。 むろん、時間がないからだが、そんなときオレは 「方便」 と、口にする。 なるほど。 悟りは矛盾だらけだ。 「嘘も方便」 は、悟りの一種だ。 悟りは嘘から成り立っている。
832 :
神も仏も名無しさん :2013/12/27(金) 20:21:51.29 ID:1RK2jr6B
>>831 司馬とか全然分かってないから
空海の風景は酷かった
最初っから最後までこき下ろしのみ
まるでネトウヨがシナ・朝鮮をこき下ろすようなかんじ
しかもホラ満載で
833 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 17:48:12.83 ID:gu5Cy95y
司馬遼太郎と呼び捨てにしてるのにおっしゃったと敬語使ってるのが
何か違和感
作家とかの発言について紹介するときペンネーム呼び捨ては普通に使われると思うが
その場合はおっしゃったとは言わないのではないだろうか
>>832 空海さんって道教とか儒教とか学んだ後に、やっぱ仏教だ!と思って留学して密教学んだんだっけ
考えようによっちゃだいぶ仏教と遠い人だね
でも親しまれてるよね
やっぱ庶民には悟りみたいなもんよりおまじないや奇跡みたいなもんがわかりやすいよね
834 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 20:13:47.02 ID:NvxkIlw1
>>833 >空海さんって道教とか儒教とか学んだ後に、やっぱ仏教だ!と思って留学して密教学んだんだっけ
ずいぶん、違う。子供の頃から化身で、親に無理やり官学、学ばされ、
遁世し修行した後で留学
835 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 20:44:32.93 ID:gu5Cy95y
化身て何? つい最近読んだばかりの本に、留学前に道教と儒教と仏教を比較する本を書いたって書いてあったんやけど・・
836 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 20:45:36.74 ID:gu5Cy95y
> 親に無理やり〜学ばされ の中に道教や儒教も入ってたのかな? 無理にやらされたから嫌いになったのかな?ww
837 :
神も仏も名無しさん :2013/12/28(土) 21:09:16.46 ID:NvxkIlw1
838 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 20:07:12.21 ID:MP3KLVxe
835は「それはそう」で833は「ずいぶん、違う」なの??
839 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 20:08:06.53 ID:MP3KLVxe
いずれにせよ、密教ってあんま仏教ぽくないよね
840 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 20:23:36.82 ID:htR3cv1a
>>838 そう。書いたことに君が妄想を加えてるとこが違う。
>>839 いやいや、仏教だよ。
君の仏教理解が誤解に基いていると思う。
841 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 21:14:40.91 ID:MP3KLVxe
妄想? 833に妄想って言えるほど色んなこと書いてる? むしろ835は「本を書いた」で833は「学んだ」だから 835の方が833の内容+アルファだと思うんだけど?
842 :
神も仏も名無しさん :2013/12/29(日) 21:36:14.00 ID:htR3cv1a
>>841 > 道教とか儒教とか学んだ後に、やっぱ仏教だ!と思って留学して密教学んだんだっけ
これだと主体的に意図して「道教とか儒教とか学んだ後に」
意識が代わって「やっぱ仏教だ!と思って留学して密教学んだ」
って断定してるけどそうではない
君が知ってるのは「留学前に道教と儒教と仏教を比較する本を書いた」ってことでしょ。
随分違う。その差が妄想で、そういうところから誤解が生まれるんですよ
オイラは色々、根拠あるよ。
843 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 10:43:58.19 ID:tcsVOIaj
その書き方では道教や儒教をどういう成り行きで、どういう意志で学んだのかは限定されてないと思うけど? 学んだという事実と順序を書いてるだけでしょ? 「やっぱ」の部分に「以前は儒教や道教がいいと思っていたけれど」というニュアンスを読むことも出来るけど 「以前から仏教が優れていると思っていたがやはり」という風に解釈することも出来るし 特に意味の無い勢いの表現という風にも見ることが出来ると思うよ? ちょっと読み取りが狭いんじゃないの? 相手(俺)を見下して蘊蓄自慢して威張りたい気持ちが先行して視野が狭まってるように見えますが?
844 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 10:50:46.73 ID:tcsVOIaj
上でも書いた俺が最近読んでる本ってのは、ちくま新書の「宗教学の名著30」で、 空海さんについて述べられてるのは27〜34の8ページだけだけど、 改めて読み返してみても、俺の書いたことが妄想呼ばわりされるような変なこととは思えんなあ
845 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 10:52:43.58 ID:tcsVOIaj
どうでもいい知識ため込むだけで偉くなった気になれるバカが多いから 二千年以上も前の宗教が時代に合わせた改訂や見直しもちゃんとされないまま 保存され続けるんだろうなあ
846 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 11:22:54.53 ID:hIZ0NbTU
>>843-845 いやいや、そういう断片的知識で過去の伝承者たちを見下す態度には叶いませんは
過去の伝承者たちは、人生をかけてひたすらその道に励んで傑出したから残ってきた
8ページの記述に「以前は儒教や道教がいいと思っていたけれど」というニュアンスを読むのが妄想なんだって、そうは書いてないだろ、流石にオイラはそんな本読んでないが。
それを他の膨大な伝承からありえないって指摘してるのに、
それを認められないだけでしょ
時代に合わせた教えはある
しかし時代に迎合した教えは、もはや教えではなく唯の経済行為に過ぎない
和辻とかそういう系統の学者や作家が言うことは、時代に受け入れられるように言っている
受け入れられるように言うのはいいが、本質を外してその時代の見方で妄想して読み込み解釈したら、それは仏教ではない
和辻以前は、凡人は仏教は分からないから語ってはいけないという了解があった
和辻はそれを壊し分かってないのに凡人が勝手に読み替えていいとしてしまった。
以降、そういう方法の凡人常識解釈の仏教が日本では流行してるが、それは仏教でもなんでもない。
847 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 11:53:57.01 ID:tcsVOIaj
>>846 だからあ・・
俺はそういうニュアンスは込めてないって言ってるだろが
お前マジで知能低いな
外に出て来るなよ
迷惑
848 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 11:54:30.89 ID:tcsVOIaj
そのへんの犬っころの方がお前より言葉を理解すると思うぞ
849 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 11:56:08.98 ID:k3+smn0i
中川泰秀
850 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 18:21:00.62 ID:ThyETcjc
最新のビッグコミックでゴルゴ13を読みましたか? 依頼して任せきっているなら病原を狙撃される夢は見ません。 加持祈祷の効験は祈願者に正しい修行をさせる教えがなければなりません。 それは宗門の違いにこだわる心とは無縁。 止観の「止」、禅定の「定」・・・梵語でいえば 「サマーディ(三昧)」なのです。
851 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 18:25:32.70 ID:dA6Gw6EI
>>850 脳腫瘍で現代医学の限界に追い込まれていた少年患者が
ゴルゴ13に狙撃される夢を繰り返し見るうちに
脳腫瘍が小さくなって奇跡的な快方へと向かう話だな。
852 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 18:35:42.76 ID:tcsVOIaj
何だそれww すげえシナリオだなw
853 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 18:40:49.01 ID:tcsVOIaj
>>850 まあ仏教の全てがインチキなら
宗門の違いなんて小さなことだよね・・
854 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 20:03:50.20 ID:tcsVOIaj
まあそれにしても 何がどうして仏教の流れでおまじないの類いが正当化されるのかわからない
855 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 20:15:13.56 ID:hIZ0NbTU
856 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 20:30:40.89 ID:tcsVOIaj
>>855 うわ・・
それマジで言ってんの?
お前の何がおかしいか解説してやろっか?
でもどうせ、解説してやった内容も理解出来ないんだろうなあ
857 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 20:33:03.37 ID:tcsVOIaj
>>846 > 8ページの記述に「以前は儒教や道教がいいと思っていたけれど」というニュアンスを読むのが
どこからこんな話が出て来たんだよ(笑)
お前が、俺の書き込みに対して、そういうニュアンスを読み取って発狂してるようだから
俺はそんなことは言ってないよっていうのが
>>843 の書き込みな?
858 :
神も仏も名無しさん :2014/01/04(土) 21:34:45.00 ID:J8Y11eNQ
>1の 悟りを「有り難み」のある境地と思い込んでいる様子が滑稽です でも >1さんの 真剣さに心打たれます
859 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 07:49:51.79 ID:cjTg+QSS
>>858 これは興味深い話ですね
悟りに「ありがたみ」が無いってことになってしまうと
仏教はおしまいだと思いますし、今まで、ありがたみがあるよっていうことで続いて来たんだと思いますが
860 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 10:30:22.36 ID:cjTg+QSS
まあ、内部に向けては悟りなんてありがたみあるもんじゃないし〜って感じでユルくしといて、 外に向けては知らんぷりして権威を維持 っていうのも、アリなんでしょうね、今の状況だと
861 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 10:39:57.23 ID:DBX/0R8Z
そういう日本の仏教を問題にしてもしょうがない 問題にするなら今も生きてアルハットや成就者を出してるビルマとチベット系でしょ
862 :
858 :2014/01/05(日) 10:49:05.78 ID:/x0NhUaB
>859 上に向う眼の届く範囲が 「有り難み」と「仏教」 まででは、ちと情けなく思われます そこまでの次元の方達と そこに留まらない方達がいます ついでに860のような、 批評で自分を述べる方達もいますね
863 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 11:51:41.63 ID:cjTg+QSS
864 :
858・862 :2014/01/05(日) 13:30:35.73 ID:/x0NhUaB
>863 「今の状況だと」オカルト方面に聞こえちゃうのですかね、 「内部」と「外に向け」と「オカルト」と この三つしか持ち合わせがないというのも 貧相に見えます
865 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 14:20:21.54 ID:cjTg+QSS
もったいぶった言い回しで自分が何か凄い感じであるように見せるのが好きなんですねえ もし違うんだったら、もうちょっと分かり易く1から説明して欲しいですけど あなたの場合、それが出来る能力も持ち合わせてなさそうですよねえ・・(ため息
866 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 14:42:44.37 ID:cjTg+QSS
どちらかというと宗教に対して外部からの視点で興味を持ってる俺にとって
「悟り」はあくまでも仏教用語なわけで、
>>862 > 上に向う眼の届く範囲が
> 「有り難み」と「仏教」
> まででは、ちと情けなく思われます
こんなこと言われると、「悟り」っていう用語を自分の好みで拡張しちゃってる
オカルト霊感趣味系の人かなー?と思うわけですが、違ったのかな?
「ありがたみ」って言葉を出して来たのはそっちなわけだけど、
「ありがたみ」があることが上限かどうかっていうことは重要じゃないでしょう?
庶民が何故仏教をありがたいと思い拝むのか、何故出家する人が居るのかって言ったら
理解可能な「ありがたさ」があると思うからでしょ?
あんたらにわかるような「ありがたみ」なんて無いよって屁理屈こねて排他的な態度取ったら
仏教終わると思うよ
867 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 14:44:21.01 ID:cjTg+QSS
って、実際は、もう終わってるのかもしれないけどね。 お葬式、先祖供養の慣習に支えられてるだけでさ。
868 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 15:29:21.07 ID:DBX/0R8Z
>>864 現代日本仏教を見て単に素朴実在論を信仰してる人なんじゃないですか?
869 :
858・862・864 :2014/01/05(日) 15:38:58.83 ID:/x0NhUaB
>「ありがたみ」って言葉を出して来たのはそっちなわけだけど、
>>1 からもらったので「」に入っています
読み直してご覧なさい
> 俺にとって「悟り」はあくまでも仏教用語なわけで、
つまらない「外部からの視点」ですね
お気に入りの「視点」をご自由に見つけてください
870 :
858・862・864 :2014/01/05(日) 15:50:46.56 ID:/x0NhUaB
>>869 現代日本仏教が
お葬式、先祖供養の慣習とかに関連づけているなら
「現代」というのは何年ぐらいからのことをいうのですか
871 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 15:53:52.98 ID:DBX/0R8Z
>>870 もしかしてオイラ宛?
いや、cjTg+QSSがってこと。
そういう彼と話してもしょうがないでしょう、ということです。
872 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 16:15:56.75 ID:cjTg+QSS
>>871 海外の仏教事情に詳しくていらっしゃるようですが、
そういう方から見て、悟りって、どういうものなんですか?
873 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 16:20:40.21 ID:cjTg+QSS
ところでお釈迦様の教えって、 「素朴実在論」を否定するようなものでしたっけ?
874 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 16:25:47.92 ID:DBX/0R8Z
>>872 非難するための問いでしょw まあ、それでも答えましょう。
五蘊に対するとらわれがなくなり、慈悲が起こることだと思います
実際にそういう方々にたくさん拝したし、
法友が、そういう方向に変わっていくのを経験してますよ
それとアメリカとかでは仏教のそのような効果を大学や企業が認めて、
ワークショップなどが開かれ生産性が上がるという結果が出てると聞いてます。
アメリカなどでは仏教を文献学で学ぶのはもはや時代遅れで、
伝統的な師から学ぶ方向に移行しつつあるようです。
875 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 16:30:55.28 ID:DBX/0R8Z
>>873 逆に仏教を素朴実在論と捉えるのが妥当だと見るなら、
その根拠はなんでしょう?
和辻みたいな学者とかの解釈でしょうか?
876 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 16:38:02.29 ID:cjTg+QSS
>>875 いやー。僕はただの門外漢で、哲学についても仏教についても無知ですからね。
何も根拠も腹芸も無いですよ。
例えば、物事は常に移り変わって一定ではない、なんて話が仏教であるようですけど、
そういうのも、普通に季節の移り変わりや商店が出来て栄えて潰れる様なんか見てれば
実感出来ることかなーと思いまして。
見たままのものの実在を素朴に信じることを否定する必要があるのかしらん?と
疑問に思いました。
877 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 16:39:39.72 ID:cjTg+QSS
>>874 > 五蘊に対するとらわれがなくなり、慈悲が起こる
うーん
よくわかんないですねー
例えば単に面倒見がいい優しい人と、どう違うんでしょう
878 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/01/05(日) 16:41:47.99 ID:dsC4wrUC
>>875 wwwwwwwww
どうした? 一代ww
最近は、このスレで頑張ってるんか?ww
879 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 16:42:23.59 ID:DBX/0R8Z
>>876 では、その無常はなんのために説かれると思いますか?
880 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 18:07:24.01 ID:cjTg+QSS
すいません。ちょっと用事で出かけてました。
>>879 うーん
例えば、いつまでも季節が変わらないと思って春の作物の種を撒き続けたら収穫出来ないとか
そういうことでしょうか?
881 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 20:31:57.50 ID:DBX/0R8Z
>>878 おがまいねぐ
>>880 いやいや、仏教、つまり仏の教えは全て苦を鎮めるために説かれています。
なぜ、無常が説かれてるかというと、人は今のままで変わらないことを望むのですが、実際は世界は常に変化しているので、
まず、そこから入るのが誰でも納得しやすく、変化することに馴れ、苦しみが軽減するからです
882 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 20:43:23.94 ID:cjTg+QSS
変わらないつもりで行動していると苦しみに遭遇することになるから変わると心得ていた方がよい ということかと思ったんですが、ちょっと違うんでしょうか?
883 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 21:02:04.95 ID:DBX/0R8Z
>>882 そういう心構えみたいなのは入り口です。
もちろん、心構えだけでも苦は軽減するので、それも素晴らしいのですが、
仏教はそこから、一歩踏み込んで先ず、悟った仏、仏が説かれた悟りへの教えである法、その法を伝える聖者である僧団の三宝に帰依し、
伝統の聖者から教えを聞きます。
聞いた教えの内容をよく思考し理解し、理解した内容を修行します。
これが聞思修の三学です。
どういう道かというと先ず、悪いことを止め、善いことをする。
その規範である戒律によって身体、言葉、心の三つを整えます。
ここで言う悪いというのは、その結果、苦しむことになる行為です。
良いというのその逆に楽になる行為です。
基本的に他者であるあらゆる生き物を傷つけず、楽にすることです。
具体的には殺さない、盗まない、淫乱にならない、嘘をつかないなどです。
戒律によって行為が抑制されると悪業がなくなり善業が増えるので、
苦が軽減し楽が増大するようになるとともに意識の散乱も軽減します。
そこで次の禅定、意識集中に入りやすくなります。
意識を集中することで、意識の散乱が止まり縁起観や無我観、空観に入りやすくなります。
ここまで来て縁起や無常、無我、空という言葉が観念でなく
実際に体得できるようになります。
これが観といわれ、般若とも言われます。
般若心経もヴィパサナも本来ここでの観法です。
この観法によって無我や空を悟り、本質的に苦から逃れます。
以上が、戒定慧の三学と言われ、仏教共通の修行法です。
だいたいこういうところが仏教の基本だと思います。
884 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 21:14:25.68 ID:cjTg+QSS
長いですね ちまちま相手する余裕が無いのでまとめて書いてみた という感じでしょうか 882は上の無常についての問いの話なんですけど・・ そうまとめて一気に書かれましてもねー。うーん > 戒律によって行為が抑制されると〜苦が軽減し楽が増大 これは、まあ、誰でも、ウソってわかりますよねw
885 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 21:16:13.96 ID:6+wEN3up
クマちゃんがですね。うさちゃんと一緒に考えています。
886 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 21:16:47.04 ID:cjTg+QSS
そういや般若心経って、偽経らしいって話があるそうですね 偽と言っても、美術品の贋作みたいなのとは意味が違うらしいですが・・ お経って、本物とか偽物とか全然気にしないのかと思ったら、一応気にしてる人達いるんですね
887 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 21:23:44.14 ID:DBX/0R8Z
>>884 >> 戒律によって行為が抑制されると〜苦が軽減し楽が増大
>これは、まあ、誰でも、ウソってわかりますよねw
まあ、そう思うんなら仏教とはほとんど縁がないってことですね
>>886 スリランカ仏教と、文献学者の一部ですね。
まあ、もう止めときますね。
888 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 21:51:21.89 ID:cjTg+QSS
例えば、皆が他人を殺さないとか他人の物を盗まないとかいう決まりを守ることによって 平安に暮らせてるっていう事実がありますけど、これって、他人の行動が抑制されるからなんですよね・・ 欲を捨て去ることが出来た後の人間ならともかく、そうでない人間が 戒律によって自分の行動を制限されて、何で苦が軽減するんでしょうねえ
889 :
神も仏も名無しさん :2014/01/05(日) 23:30:07.11 ID:cjTg+QSS
この程度の問いは答えてほしいもんだけどなあ・・
戒律によって苦が制限されるのはあまりに当然でしかない 情報が減るから苦しさも減る。
891 :
神も仏も名無しさん :2014/01/06(月) 07:52:32.00 ID:wPIIlbPH
そのまんまで、詳しくしようもないけど。
893 :
神も仏も名無しさん :2014/01/06(月) 19:06:13.66 ID:9bMvPxCr
・・・・・。 バカなんですか?
バカヴァンです
895 :
神も仏も名無しさん :2014/01/07(火) 03:02:14.85 ID:2zWZZral
ふざけてないで 詳しくお願いしますよ
中道を発見した天才にしたがって、中道を生きる工夫をすれば 戒律は両極端の道をいかない工夫であることが分かる 学び過ぎれば知識で埋まって苦しみとなる 食べ過ぎれば体を重くして苦しみとなる ルールの無い世界を作ればでたらめばかりで苦しむ してはならないことをきめてしない することをきめてしていれば 余計なわずらわしいことなどなく 理解と安心の中に居られる。 快楽の追求、苦痛の追求のために ルールなんてなくそうという考えに陥るのはバカなのだよ。 すべきことが少ない してはならないことが少ない 情報の少ない生活それはもちろん理想だがそうするためには 戒律を守って余計な情報を減らして 少なくとも増えないようにして 普段から生活するべきだね
897 :
神も仏も名無しさん :2014/01/07(火) 21:58:44.68 ID:2zWZZral
なるほど 奴隷の喜びか
898 :
神も仏も名無しさん :2014/01/07(火) 22:06:21.44 ID:d4sUK/Wk
>>897 896じゃないが、そういう考えでは絶対仏教は分からないよ
899 :
神も仏も名無しさん :2014/01/08(水) 05:39:42.41 ID:ka1HMMs/
自分で判断しなくていいことが多く 制限された行動だけしてればいいからラク 制限されること自体がラク っていうのが、仏教の正しい教えだとも思えないけど?w
寧ろ逆に優秀だろ 他に別に優良だろ 当然正反対に優等生だろ
901 :
神も仏も名無しさん :2014/01/08(水) 06:42:50.37 ID:Dby4wy5p
>>899 まあ、誤解だが
あなたに付き合う気はない
聞く耳がないから
902 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 02:47:07.95 ID:ELjvH295
誤解?
>>896 を踏まえた上で読めば、
>>890 にはっきりとそう書いてあるだろ
選択肢を制限されること自体に価値があると
903 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 02:47:52.11 ID:ELjvH295
俺に聞く耳がないというのはウソで あなたが自分が傷つきたくないから語りたくないだけでしょ
選択肢を列挙してみる ・するべきこと ・すべきでないこと ・すべきでないこと ・するべきでないこと ・すべきでないこと ・できることならしないほうがいいこと ・してもいいけどしなくてもいいこと ・できるんならしないほうがよいこと ・どうでもいいこと ・きんしはされないがあまりよくないこと エトセトラ以下選択肢が無限に続く・・・ とした場合にだな、「するべきこと」以外の選択肢が無限にあったら只のノイズだろう。 消してもかまわんわけだ、整理して。むしろそうしないとうっとうしい。
905 :
黄金の羽毛 :2014/01/09(木) 10:09:28.08 ID:vdclyaLN
日々是好日 ごきげんよう、皆さん!
906 :
黄金の羽毛 :2014/01/09(木) 10:20:03.81 ID:vdclyaLN
なにがあっても、大丈夫! 悟りってことばですよね。 明智、その相対が無知・無明、これもことばです。 ことばで分けていますから、明智も無明もともに中道ではありません。 ですから、明智は無明です。 これを菩提即煩悩といいます。 ごきげんよう、みなさん! 合掌
907 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 10:21:13.57 ID:/bGOBGwP
>>906 全く違うよ〜
それだとなんでも言葉だから、同じになっちゃうぞw
908 :
黄金の羽毛 :2014/01/09(木) 10:24:53.30 ID:vdclyaLN
>>907 そうです、ことばが仮設されているだけですw
ほんと、お釈迦様はいたずらものですね。
909 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 10:43:54.60 ID:ELjvH295
>>904 最低限「絞ってくれる何かが適切に絞り込んでくれるなら」という条件が必要だろ
あと「したいこと」って視点も抜けてる
やっぱりお前は、奴隷にしてもらえたらうれしいです女王様って言ってるだけ
910 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 10:47:39.18 ID:ELjvH295
情報とかイマドキっぽい言葉使っておれって賢くてかっこいいハアハアってオナニーしてるだけの間抜け
911 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 10:49:31.93 ID:ELjvH295
>>906 何を言ってるかよくわからないけど、どうやら、
専門用語をこねまわして喜ぶようなことは賢くない
って意味かな?^^
僕もそう思います
912 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 11:01:10.29 ID:/bGOBGwP
>>908 仮設されてるのは確かだけど、
そんな勝義のことを悟ってもないのに言葉だけで遊ぶのは厳しいぞ
913 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 11:25:16.92 ID:ELjvH295
結局んとこ、言葉じゃ語れない、体験するしかない、という誤摩化しか。 そんなら伝えることが不可能だし、お釈迦さん以外は無理ってことじゃんね。 お釈迦さんの体験自体がどんな価値や意味があるものだったかすら、わからない。 なのに何でそんなもんを追いかけるんだかね。
914 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 11:31:41.25 ID:/bGOBGwP
>>913 最終的境地は言葉では表現できない。なぜなら、言葉など分別が鎮まった境地だから。
だけど、仏教というのは、そこへ至る道、方法を教えてるのであって、
これは言葉に他ならないんですよ。
これが二諦といわれるもので、半解なひとはここをごちゃごちゃにして適当に説くから始末が悪い。
915 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 14:07:16.76 ID:vdclyaLN
>>912 >悟ってもないのに
それが矛盾です。
悟り、それ自体はありえない、といっているのです。
じゃあ、どーするのか?
あくまで世俗では本懐から逆算推算するしかありません。
916 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 14:23:03.57 ID:vdclyaLN
ほんと、お釈迦様は悪戯好きですね。 相対対象化思考では把握できない「悟り」を馬の鼻先の人参のようにぶら下げるんですから! 一体何人が幻のような「悟り」の人参を追いかけて徒労のうえに過労死したことかw 仏教とは妄想と見つけたり!
917 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 14:30:14.45 ID:/bGOBGwP
918 :
神も仏も名無しさん :2014/01/09(木) 17:08:08.42 ID:ELjvH295
孟宗竹
919 :
神も仏も名無しさん :2014/01/10(金) 11:27:23.08 ID:+96KZTVD
>>917 >いやいや、君が妄想だよ
アンタもそうですよw
妄想=広義の戯論です。
言語論理=「想い」(Sn.1072)ですから「即不中」(南嶽懐譲)です。
月指の喩えの指です、月ではありえません。
ですから、悟りそれ自体は妄想です。←もちろん、左の語も妄想です(矛盾) ×α ×α ―――>> 発散 : 空=中道の如し
この意味ではいわゆる仏典なるものも、一切行無常ですから、固定化教義「仏教」は言語化されたトタンに即不中の妄想と化しているといえます。
仏教は妄想です。
これは『心不可得』(金剛般若経18)と同趣旨。
心不可得なのに悟りなど有り得べくもない。
相対化・対象化=分別は不毛です。
920 :
神も仏も名無しさん :2014/01/10(金) 11:38:20.54 ID:v/9mSWVj
>>919 「遊び」か
そんなこというなら、うんこ食っても生きられるよね妄想だから
君みたいな言い様は、勝義そのものと、教えとしての言葉をごっちゃにしてるだけなんだよね
結局言葉遊び
921 :
神も仏も名無しさん :2014/01/10(金) 16:24:04.03 ID:+96KZTVD
>>920 >うんこ食っても生きられるよね妄想だから
おやおや、揶揄は却下ですね。
いわゆる勝義透過のままの無分別で『うんこ食って』いたら本人はいいでしょうが、
現代の娑婆日本では精神病院入院のナマポ患者で社会の迷惑ですよ。
インドのガンジス川原や洞窟ではそーゆー斃死(行き倒れ、野垂れ死)のカッコイイ行者さんが多数で、
犬やカラスの餌になるほどに本人は自由らしい。
日本でも、釜ヶ崎では斃死は日常風景です。
比喩で、トラック走者が並走していても、トップと周回遅れを混同にしないようにしませう。
トラックを一周して元に戻ってきて、見える風景は変わらねど、
境地は一変しているということです。
>勝義そのものと、教えとしての言葉をごっちゃにしてるだけ
そもそも『勝義そのもの』はありえません。
勝義はカウント(分別)不能だからです。
カウント可能な『教えとしての言葉』との『ごっちゃ』はありえません。
★あなたの限界は「勝義がある」と考えることです。
>結局言葉遊び
ええ、世俗は無実体・無本質・無自性の言語ゲームの相です。
では、休憩おわりw
922 :
神も仏も名無しさん :2014/01/10(金) 16:50:29.88 ID:v/9mSWVj
>>921 経典も論書も何もかも世俗の言い習わしとしても妄想なら、
君が相手をあげつらう言い草も妄想なんだが、
君がやってるのは「すべては妄想」という高みに自分を置いて、
他人を見下してエゴに快感を与えるオナニー以外のなにものでもないでしょ
また、読みも半端だしね。
まあ、もう辞めとくは、ただの妄想に付き合ってられないですよ
923 :
神も仏も名無しさん :2014/01/10(金) 18:28:52.02 ID:+96KZTVD
>>922 相変わらずのペンキ屋さんで、まったく説得力が無いですね。
放下著(従容録より)です。
>経典も論書も何もかも世俗の言い習わしとしても妄想なら
仏法は執着対象となる世界観の構築=固定「仏教」教義ではなく、菩提心凡夫へ向けた実践仏道そのものです。
仏道は、ものごころついて以来の既成観念とくに自己意識や思い込み物語などの
“すべての妄想”を「捨てる!」技術です。
内乱れざる(定)うちに、外相を離るる(禅)ことで、すべての妄想を「捨てる!」ことで
般若智直覚によって、縁起の直接現実の現観に至ります。
様相が対象化不能である以上、言語不立です。勝義はありえません。
あなたにはしがみつく妄想でないものがあるのですか?空海さんの果分可説、その妄想にしがみつきますか?
さらに言えば仏法そのものも妄想ですよ。
仏法のゲシュタルトの崩壊です(Sn.1072)。筏の喩えの法門です(金剛般若経6、中部22)。
道元さんの云う『しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。』(「現成公案」冒頭)
>もう辞めとくは、ただの妄想に付き合ってられないですよ
妄想でないものがあるというなら、『恁麼ならば則ち担取し去れ』(趙州録より)
知不契。
では!
924 :
神も仏も名無しさん :2014/01/10(金) 21:33:53.36 ID:Khf2he+l
自分のいる場が真ん中ならば右も左も偏りかもしれない 真ん中でなかったらいまの自分がいる場所は偏っているわけだから、中心に向かって偏らかければ真ん中には至れないのかもしれない
925 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 06:25:28.06 ID:cOK8bbzg
>>923 仏法が妄想なら
何でそれに従うことで妄想を捨てることが出来ますか?
926 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 07:38:35.67 ID:bQuE1Y5y
>>925 無駄無駄、彼はキッチリテキストに添って誤読指摘しても無視して自説繰り返す人だから
何言っても無理
927 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 08:39:21.05 ID:cOK8bbzg
上で素朴実在論がどうたら言ってる人が居たし 今もまた妄想って話が出たけど、 大事なのは、他人と共有できるか、共通認識に出来るか、 どれくらいの範囲の人と共有できるか、共通認識に出来るか、 だと思うんですよね だーから宗教が武力まで使って信者獲得するっていうのもあるわけでえ
928 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 09:13:47.32 ID:bQuE1Y5y
>>927 それは悟りとか仏教とほとんど関係ないでしょう
929 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 09:30:13.72 ID:cOK8bbzg
そうでしょうか?
930 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 09:44:35.64 ID:bQuE1Y5y
>>929 そう思います。
共通認識というのは仮設といわれ、教えを伝える時に用いられます。
例えば、今のように伝達手段としてです。
ですが、そういった共通認識はもちろん、知覚や体験も妄想で幻だというのが、
無常、無我、空性で、そういった認識や知覚を本物、事実、実体、本質と捉えることが根本的に誤りであり、苦の源泉であるというのが仏教に一貫するものだからです。
ですが、共通認識、言葉というのは、その習慣内、体系内での妥当性は持ち、
そのなかで真偽、正誤などは持ちます。今、書いている通りに。
931 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 09:53:47.09 ID:cOK8bbzg
だから、事実だとか実体だとか本質だとかいうことを考えたりするよりも 共有できるかどうかが大事ですよねって言ってるんですけど? 仮に他人と共有できるものを全部捨てたらどうなると思います?
932 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 10:05:42.93 ID:bQuE1Y5y
>>931 ああ、それは無死、無所有になれるかってことですね。
それは重要ですね。
共通認識というのは、そうするとなんでも受け入れられるというような意味でしょうか?
だとすれば、それも重要ですね。
この流れで共通認識というだけだと、誤解されても仕方ないでしょう。
プラクティカルに重要だと思いますが、本質的には無常、無我、空性の方が重要だと思います。
933 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 10:20:45.85 ID:bQuE1Y5y
>>932 >ああ、それは無死、無所有になれるかってことですね。
これは誤解されない誤字なので訂正しときます。
>ああ、それは無私、無所有になれるかってことですね。
「無死」でなく「無私」
934 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 10:29:54.18 ID:cOK8bbzg
他人と共有できるものが何もないってことは、他人と一切コミュニケーションがとれないってことですよ。 もう人間ではなくなってしまう。変なケモノです。 あるいは、グレゴール・ザムザが変身した、奇妙な巨大な虫です。
935 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 10:33:15.16 ID:cOK8bbzg
まあザムザは変身後も人間としての意識は保ってましたから 声が出せないだけで他人と共有できるものは残ってたわけですけど 本当に共有できるものがなくなったら、それ以上におかしな状態ってことですよね 完全な狂気と孤独
936 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 11:00:49.16 ID:bQuE1Y5y
937 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 11:49:32.66 ID:cOK8bbzg
それは失礼しました 仏教用語にうといもので、気付きませんでした 後学のためにどの部分か教えていただけるとありがたいです
938 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 11:54:02.62 ID:bQuE1Y5y
>>937 >>930 >共通認識というのは仮設といわれ、教えを伝える時に用いられます。
>例えば、今のように伝達手段としてです。
>共通認識、言葉というのは、その習慣内、体系内での妥当性は持ち、
>そのなかで真偽、正誤などは持ちます。今、書いている通りに。
もちろん、共通認識は認めます。
それがないと教えられないし、一般の生活ができませんから。
ただし、それは仮のもので、それぞれの習慣を尊重するけど、
あくまで仮のものです。
939 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 11:57:48.45 ID:cOK8bbzg
仮ではないものがどこかにあるのでしょうか?
940 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 12:01:07.98 ID:bQuE1Y5y
>>939 有る無しをいうと面倒臭い話になりますが、
本来の境地、涅槃寂静であり、仏性が本来の姿と仏教は説きます。
しかし、これはヒンドゥー、ニューエイジのアートマンとかのような実在、実体ではありません。
941 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 12:08:14.58 ID:cOK8bbzg
もし、仮ではない実に独りたどり着いたとして、誰とも共有出来なかったら、どうなりますか?
942 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/01/11(土) 12:12:35.53 ID:cc0OAOUf
>仮ではないものがどこかにあるのでしょうか? wwwwww と、当然の如くこの問いが発せられるわなw それに対して、仏教側は現時点で、 @それは「勝義」と言われるもので言語表記により指示することはできません。 A有無の問い自体が不成立。 B或いは、様々な意味を含意させて、「無し」という回答を与え あとは自己の頷きに任せる ・・・・・ こんなもんかね? もっと、凝ったものでは維摩の一黙か?ww いずれにしろ、もう少しは仏教側も言語表記によるアプローチ方を 改善すべきだとは思うがなw いつまでも「不立文字」「拈華微笑」ではイカンとw (というのも、議論スレでね、仏教とは何だ? わかりやすく説明してみろw と喚くバカがいてねw そいつの主張を「全面却下」するのも、ちっとね・・ と思えるところもあるわけww)
943 :
パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/01/11(土) 12:13:50.14 ID:cc0OAOUf
>一代 横から適当に感想述べただけだから、スルーよろww
944 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 12:14:13.18 ID:bQuE1Y5y
945 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 12:23:43.63 ID:cOK8bbzg
誰とも共有できなくても、何かいいことがありますか?
946 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 12:28:23.91 ID:bQuE1Y5y
>>945 そりゃ、苦がなくなりますから。
それと、仏も共有すると言っても、その境地を他者に言葉で共有させるわけではなく、
教えによってそこへ導き、導いた人が、その境地になって初めて共有するわけです。
947 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 15:40:18.23 ID:cOK8bbzg
他人と何も共有できないのに、どうして苦が無くなるんでしょうね
948 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 15:52:43.06 ID:bQuE1Y5y
>>947 それは苦は何かの感受ですが、その感受する主体も対象もその潜在的エネルギーもなくなるからです。
とりあえず、常識から考えるのは止めて、よい仏教入門書など読んでみてはどうでしょう。
議論スレ参照 595 ID:Smryzygl 本当の仏教っていくら憎しみ合ってもたとえ親子であろうとなかろうと最後は愛してるから救うんじゃないのか 同じ根が生えたもの同士。 最後は助け合うんじゃないのか。 ちがうのか 大事なものを見失って大事な人を見失って 親は子を 子は親を くわしいお経なんて知らないどうでもいい。 なにを大事にしてるんだいったい。 間違った生き方をしてしまった為に自分で自分の命を失う者もいる 救いようのない者だ。 理由がいるのか。 みんな分かってるんじゃないのか。 だったら少しくらい悪かったなって思えないのか。それが仏教だと思ってたよ たったそれだけで救われる者が居る。なぜそれができないんだ。なぜ自分の方が大事なんだ それ本当に自分なのか?自分の出した見解ぐらいちょっとくらいへこまされたくらいどうでもいいではないか オレに本当に傷つけられたって言う者が居ればいくらでも謝ってやるよ。本当にそれでそいつが救われるのなら。お安い御用だよ。土下座だってする なんで答えれる人間が居ないんだ? 151もスレ消費して結局答えの分からぬ知識を並べ倒し、邪魔する者あらば言葉の刃で傷つけて排斥する 相手がキチガイだろうが傷つこうが関係ない。一体どんな心の闇を抱えてるかもしれないのに おい、仏教ってなんだ? おれはずっと同じ質問をしてるのになぜ誰も答えん。どこが議論なんだ? 598 ID:Smryzygl 愚かだと言ってる。不毛だと言ってる。ことばで文章で仏教したいのならせめて「わかりやすく だれでもすくえるように」すべきなんじゃないか? 難解な超難関からカンタンなことまで用意するのは今の社会、会社、お店だって要求される時代よね〜。 実際。ビギナーからマスターまで で、ビギナーには説明できない勉強してこいってもう議論をする上で肝心な根拠がないんじゃお笑だよねほんと ぎゃくにおべんきょうって一体なにをどこほっつきあるいて勉強してるのか詳しくお聞きしたいくらいなんだけど(苦笑) なにを議論してるの?? なんかもしかして安易にアナーキーな捉え方で「なんでもあり」みたいにやっつけて思考停止してない? じゃあ違うききかたしようか? ぶっきょうの一番大事なおしえってなに??
950 :
神も仏も名無しさん :2014/01/11(土) 16:18:36.90 ID:bQuE1Y5y
>>949 そんな簡単に分かるなら、誰も苦労しないよ
ただ簡単に救われたいなら、アンマンダブを称えるといいと思います
アミダを信じ、思い描いて称えると尚よい
これが一番大事な教えというわけではないけど
951 :
923 :2014/01/11(土) 16:24:25.70 ID:FzqjYVAn
ちょっと、休憩中ですので乱雑ごめん。
>>925 >仏法が妄想なら何でそれに従うことで妄想を捨てることが出来ますか?
一切の執着対象を断ちうるからです。
それが逆説的な【筏の喩えの法門】仏法のゲシュタルト崩壊の必然性です。
念のために、『仏法そのものも妄想』とは、仏法(縁起の直接現実)は非相対・対象の不立の様相である以上、
★比喩で<〜の如く>と示唆するしかありません。⇒中論7-34、金剛般若経32(如〜、応作如是観)
たとえば、『知覚や体験も妄想で幻だ』(
>>930 )ではなく、<幻の“如く”>です。
「幻論」の背後にある思想は、シャンカラ的不二一元論のように、仮設現象は幻であって、唯一の核となる実在→ブラフマンとか大日如来とかの背後の<自性>=I am that I am=を“指向する”反仏法です。
仏法は執着対象→苦を生む「核」=本質主義を認めません。
仏法自身さえ執着対象として「捨てる!」(金剛般若経6、中部22)。
ですから、そのような様相(勝義)が“有る”と考えること(
>>921 )はできない→妄想だと批判します。
952 :
923 :2014/01/11(土) 16:26:33.09 ID:FzqjYVAn
>>949 >ぶっきょうの一番大事なおしえってなに??
あらゆることに、執着するな!
以上
953 :
923 :2014/01/11(土) 16:39:13.03 ID:FzqjYVAn
(続)
>>949 >ぶっきょうの一番大事なおしえってなに??
執着するな!ということにも執着するな!
これが『あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、“その他のものを捨て”、
★最上の<想いからの解脱>(仏法ゲシュタルト)において解脱した(崩壊)人★、
──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」(Sn.1072)
これが奥義です。
954 :
923 :2014/01/11(土) 16:57:56.90 ID:FzqjYVAn
>>939 >仮ではないものがどこかにあるのでしょうか?
ありません
以上
956 :
神も仏も名無しさん :2014/01/13(月) 10:58:32.09 ID:BHBwTUGo
>>942 >いずれにしろ、もう少しは仏教側も言語表記によるアプローチ方を
>改善すべきだとは思うがなw
言語表記によるアプローチ法を許せば
仏教じゃ無くなるような気がするね
958 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 06:34:59.68 ID:z+63jmIN
>>956 『大四十経』MN PTS III, 71頁で、こう説かれてる。
邪見とは何か。〈布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、この世、かの世、母父なく、化生の有情なく、シャモン・バラモンで正しく道を行じて、自らこの世とかの世を直接知覚して説く人はいない〉とする。これが邪見です。
参考:『原始仏典』春秋社、中部4、151頁
パラレルな『中阿含経』ではこう。
T0026_.01.0735c15: 云何邪見。謂此見無施無齋。無有呪説。無
T0026_.01.0735c16: 善惡業。無善惡業報。無此世彼世。無父無
T0026_.01.0735c17: 母。世無眞人。往至善處善去善向。此世彼
T0026_.01.0735c18: 世。自知自覺自作證成就遊。是謂邪見。
参考:『国訳一切』 阿含部6、181頁
単純な話、来世が無いというのは一貫して唯の邪見、断見と言われる。
これはあらゆる時代、あらゆる地域の仏教で一貫している。
例外は邪見と方便のみ。その現代日本仏教の一部は邪見に他ならない。
現代日本では中観などの戯論寂滅への導きで輪廻や業がない、などと説かれる部分によって輪廻否定したとか、輪廻からの解脱を説く部分から、輪廻思想からの解脱などといった、しょうもない説を説くとこですよ
>>957 教えというのは、基本的に言語によるんだが
959 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 06:55:50.38 ID:zLg0s50E
>>958 >単純な話、来世が無いというのは一貫して唯の邪見、断見と言われる。
単純な話、来世が有るというのは一貫して唯の邪見、常見と言われる。
アホであることには、変わりがない。
960 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 07:08:50.31 ID:z+63jmIN
>>959 >単純な話、来世が有るというのは一貫して唯の邪見、常見と言われる。
こんなこと仏教では言わない。これは一部の仏教学者の捏造。
常見というのは、我などの基体が恒常不変な実体とすること。
和辻はそのような実体を想定しなければ輪廻を説けないという詭弁を編み出したが、現在の「私」も実体はない無我・無常・空性だが、縁起するように死後も縁起するだけの話。
961 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 07:35:23.12 ID:zLg0s50E
『来世が有る』も『来世がない』も経験的に検証不能(相応部35-23)であって、 ともに現生的なる法(相応部35-70)ではない。
962 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 08:27:54.10 ID:z+63jmIN
>>961 35-23の一切に過去世は入るでしょ。じゃないと釈尊の過去世話、宿命通も虚偽になってしまう。
一切といっても凡夫に限定されるわけではないよ。35-70の現法も同じ。
逆にそういう見方は「わずかなことだけを、この世のことだけを、戒だけを凡夫は、如来の特色として語る」と『梵網経』で説かれる。
こういった断章取義による現代常識への阿諛追従は仏教でもなんてもない。
仏教は先ずは教えとして因果を説く。
来世がないというのは上に説かれるように断見とされる。
来世が有るという説を常見という箇所があるなら、
それを示さなくてはならないよ。
それと上の文や、様々な上の文に従った断見をどう考えるか示さなくてはならない。
凡夫に「経験的に検証不能」だから仏教は過去世を説かないわけではなく、『梵網経』を始め様々な経典で聖者が過去世が直接知覚されたとして説かれる。
しかも、それらは無知な当時の盲信に添って言ったのではなく、道の最後に果として得られる智慧で宿命通として説かれる。
もちろん過去世も無常・無我・空性で幻のようなものではある、しかしそれは現在凡夫が知覚している現世となんら変わらない。
963 :
1/2 :2014/01/14(火) 12:35:34.88 ID:zLg0s50E
>>962 休憩中、乱筆御免。
おやおや、蒸し返しですかw
あなたは仏教を形而上的世界観構築であり、他者の見解の信仰だともと捉えるから、そのような信仰主義に陥るのです。
それは龍樹が批判する戯論主義に他なりません。
>35-23の一切に過去世は入るでしょ。
入りません。【一切門】の一切は菩提心凡夫限定です。
仏道は菩提心凡夫のためにあるからです。菩提心なき日常自我や外道、仏道「卒業」者(中部22)のためではありません。
縁起の知覚(間接)現実の【一切門】は時空事実(因果)関係の徹底した如理作意で、一切外の妄想を「捨てる!」過程です。
>釈尊の過去世話、宿命通も虚偽になってしまう。
『釈尊の』をあなたはどうして確認検証できたのですか?
検証できない限り、棚上げ=無記=無視するのが当然ですよ。
仏法は、形而上的世界観の構築ではなく、菩提心凡夫の実存苦の超克という実践仏道そのものですから、
機能的に把握する必然性があります。
いわゆる無記事項は自らの検証によって探し得ないものに対しては黙止する、つまり、形而上のものに関しては、相手にしない(沈黙する)という経験主義的な態度ですし(中部63)、
この態度は、現生的なる法(相応部35-70)やカーラーマ経にも一貫しています。
これは、世界観の構築ではなく、雑念妄想を抱えている菩提心凡夫の雑念・妄想を「捨てる!」技術である実践仏道にとって当然のものと納得できます。
「われは知る。われは見る。これはそのとうりである」という見解によって清浄になることができる、と或る人々は理解している。
★たといかれが見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう。
かれらは、正しい道を踏みはずして、他人によって清浄となると説く。」(Sn.908)
これは仏道にも当てはまることは当然であって、上記、中部63、相応部35-23・70、カーラーマ経、中部22に裏打ちされています。
検証未了の<経典記述丸呑み信仰主義>は、仏道に相応しい態度ではありません(相応部6)。
964 :
2/2 :2014/01/14(火) 12:46:30.46 ID:zLg0s50E
>来世が有るという説を常見という箇所があるなら、それを示さなくてはならないよ。 いろいろありますが、とりあえず以下を見繕っておきます。 @『想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、<この世とかの世とをともに捨て去る。> ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。』(Sn.7)*Sn.1072参照。 @-2<現世を望まず、来世を望まず>、不死の底に達した人を我はバラモンと呼ぶ。(Dhp.410・411) @&@-2は縁起の(間接)現実一切外の妄想(断滅論&常見論)を無記(無視)し、 不生不滅の如き縁起の直接現実に達したのが悟達者だという対機説法です。 これを踏まえて、以下はどーでもいい一切外のガラクタですのでほとんど興味はないのですが、 ABは来世が有るというのは一貫して唯の邪見、▼常見論・常住論と言われる▼批判されるべき例として出します。 A天国よいとこ、一度はおいで。 『比丘たちよ、長大な時間が過ぎたのち、いつかあるとき、この世界は消滅する。世界が消滅するとき、生ける者たちは、多くは、光音天に生まれる。 かれらはそこに意によって生じたものであり、善悦を食べ物とし、みずから輝き、空中を飛行し、美しく飾って住み、長大な時間にとどまっている。』 (『梵網経』一部常住論の1より) B地獄は怖いぞ、一度はおいで。 『修行僧よ。紅蓮地獄における寿命は実に長い。それを、幾年であるとか、幾百年であるとか、幾千年であるとか、幾十万年であるとか、数えることはむずかしい。』(Sn.3-10<コーカーリヤ>より) 以上 休憩終了、戻ります。
965 :
2/2 :2014/01/14(火) 12:52:23.45 ID:zLg0s50E
追 >聖者が過去世が直接知覚されたとして説かれる。 過去世と分別知覚したものを般若智直覚とはいわない。 その聖者はオカルト聖者だろうw 子供だましだw >断見をどう考えるか示さなくてはならない。 常見とともに検証不能の一切外妄想だからガラクタ無視する。
966 :
2/2 :2014/01/14(火) 12:58:49.73 ID:zLg0s50E
追-2 >釈尊の過去世話、宿命通も虚偽になってしまう。 「如是我聞」はきわめて証明力に疑問があるいわゆる<伝聞証拠>でしかないということの告白ですよ。 伝聞証拠に対しては本来反対尋問によって検証すべきですが、事柄の性質上不可能ですから、 他の手段によって何らかの検証が必然です。 これは菩提心凡夫の六処によって、経験的に検証するしかないではないですか。 検証できない限り、棚上げ=無記=無視するのが当然ですよ。 では
967 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 15:18:21.87 ID:z+63jmIN
>>963 なんだ遊びか
もうとっくに完全論破されてるのに
オイラって分かってて書いてるのが執着以外の何なんだ
君のような唯の断見で常識に基づく単なる慰めと仏教は全く違うよ
執着しないなら、オイラにレスするなよ
短文でまさか執着しないことが仏教だという君がオイラ、これ以上執着して
レスすることはないと思ったから別人だと思ったは
もうオイラに執着しないでくれよ
君の妄想に付き合う気はないんで
968 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 15:39:07.86 ID:zLg0s50E
>>967 >もうとっくに完全論破されてるのに
どこがじゃw
>君のような唯の断見で常識に基づく単なる慰め
またペンキ屋かw →『常見とともに検証不能の一切外妄想だからガラクタ無視する』(
>>965 )
『・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、同じであるとするのが、
カッサパよ・・・これは常住であるという見解に到達する。
・(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者とは、違うものであるとするのが、
カッサパよ・・・断滅するという見解に到達する。
カッサパよ、これら二つの極端に近づくことなく、中道によって如来は法を説くのである。』
(相応部12-17)
この如来も、おかしな定義をする奴だなw
(現世で)行為をする者と、(来世で)カルマを受ける者という<業報輪廻転生の“主体”>を明確に設定した上で、
そもそも業報輪廻転生が有るという見解を前提とする論の内部論争<常見⇔断滅>を示しているが、
『業報輪廻転生が有るという見解』と『業報輪廻転生が無いという見解』の『これら二つの極端に近づくことなく』、
業報輪廻転生論は検証不能の一切外の説話物語的妄想というのが、相応部35-23&70からの結論だろう。
如来さん、ヘンですよーw
969 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 15:41:11.83 ID:zLg0s50E
では!
970 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 16:07:47.75 ID:z+63jmIN
>>968 >どこがじゃw
>
>>君のような唯の断見で常識に基づく単なる慰め
>
>またペンキ屋かw →『常見とともに検証不能の一切外妄想だからガラクタ無視する』(
>>965 )
拘ってるなあ。自分の妄想と、自分の勝ちに
君の場合、基本、机と変わらない。若干テキストは読めるが、
詰めると、適当に言い逃れして、自説を繰り返すだけ。
そういう人と話しても、何もならないんで
だから、ずっと昔に話すの止めてる。
>如来さん、ヘンですよーw
変なのは君の妄想だって気づけ。だから、断章取義なんだって。
君みたいな理解は、伝統仏教にないから。
ただの妄想だってなんで、分かんないかな。
拘らないと自分で言って拘ってるし、自分が読んだ数少ない翻訳中でも整合性の取れない破綻した妄想なのに
971 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 16:08:14.56 ID:MjaOaOsQ
悟りがどこかへ至る為の方法だとおもってたら、よくないだろうな。 生きていく為の工夫だよ。人は生きるという言葉に生存いじょうの 何かを見ている存在だよ。
972 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 16:12:49.57 ID:z+63jmIN
>>971 それは誰が言ってるの?
君が思ってるだけなら、それは仏教ではないから。
少なくとも
973 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 16:31:43.79 ID:MjaOaOsQ
なにが仏教でないかなにが仏教であるかわかってたら、あなたは 悟っていることになるよね。
974 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 16:40:49.65 ID:z+63jmIN
>>973 そういう問に答えず、言語封殺するものいいやめようよ。
もちろん、私は悟っていない。
しかし、テキストも伝統の諸師も、あなたのように言う人はいない
現代日本仏教の坊さんなら、言う人はいるだろうけど、そういう人は除くよ。
975 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 16:54:00.71 ID:MjaOaOsQ
ちょっと考えたら分かるはずだけど、あなたは悟ってないと言明された。
でも悟りへいたる何かがあると思っている。
そうなればそれはあなた自身個人の悟りのイメージになりますよね。
だれの話をきいてもおなじです。あなたの悟りのイメージの膨らみ
になるだけじゃないの?実際問題。
>>974
悟りがあるかないかと言われれば 宇宙はあるかないかと同じ。 あるでしょ。 でもだからといってどうなるわけでもない。 で?っていう話。 まぁ科学者は「ある」宇宙を研究してるし その結果として今まで「無い」と思っていたものが 次々と発見解明されているよね。 宗教やるひともそういう感じなんじゃないの? 寧ろ無いものをあるとか無いとか言えないよね。 無いんだから疑問の対象にもならん。 その道の権威で先端をいってるわけでもないなら ほ〜そういうこともあるんだっていうスタンスが一番いい。
因と縁の依存によって
五蘊の仮和合の
仮設としての
仮に現れている状態であるからこそ
八正道(はっしょうどう)の正見は
正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の七種の正道によって実現することができる
チベット ニンマ派の場合は
http://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html 3)仏法の本質
煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です
障害のなかでも基本となるのは、煩悩障と所知障です
証悟とは、四つの聖なる真理のなかの
滅諦(苦の滅した状態、涅槃にまつわる真理)と
道諦(涅槃にいたる修行の道にまつわる真理)とかかわる教えです
特に戒律・禅定・智慧の三学は道諦と深くかかわっています
戒律・禅定・智慧の三学を修して、様々な障害を浄化したところで、滅諦へと到るのです
978 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 17:20:15.46 ID:z+63jmIN
>>975 いやいや、そういう答えない揚げ足取り論法だけで言われてもね
もうこれで最後にするけど
仏教というのは、仏の教えなんですよ。仏道とも言われる。
教えにしても道にしても、方法なわけ。
仏に至る道にしても、涅槃に至る道にしても方法なわけ。
この方法が、法、ダルマと言われて、2000年以上聖者によって伝承されてきたんです。
そして聖者は全てをかけて自らそれを体現し伝えてきた。
その聖者を僧というんです。
だから、仏教は仏と法と僧の三つの宝に帰依し、
僧から法を聞いて、それを修行して仏を目指すんですよ。
この法や道を思いつきで無いって言うのは、仏教に対する冒涜ですよ。
今後、謹んだ方がいいでしょう。
979 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 17:26:00.12 ID:MjaOaOsQ
悟り」から仏法僧の話に急に成って、それが無いといっているとかってに 決め付けて上から目線を保とうとしている。幼稚です。 あなたに悟りがないと申してるだけですよ。 あ・な・た」わかります?w
なんかさ、昔の人というだけで神格化する人多いね まぁアイデンティティってやつなんだろうけど。
981 :
神も仏も名無しさん :2014/01/14(火) 18:10:05.84 ID:eaHTnnt9
第1のチャクラムーラーダーラ・チャクラ 脊柱の基底にあたる会陰(肛門と性器の間)にある 黄色い四角形とヨーニ(女性器)を象徴する逆三角形が描かれている 三角形の中には蛇の姿をした女神クンダリニーが眠っている 第6のチャクラアージュナー・チャクラ 眉間にある 「意」(マナス)と関係がある 直感・知恵・霊的・透視 潜在意識への働きかけ。直感力。第三の目。透視力、直感力を養う場所 全ての物事に神聖な完璧さをみる。潜在意識をクリアーにして直感を伝える 第7のチャクラサハスラーラ 頭頂にある 他の6チャクラとは異なり身体次元を超越しているとも考えられ、チャクラの内に数え入れられないこともある 解放・超意識 内なる師とつながる。高次の知恵を発揮する ひらめき・霊性 チベット仏教の指導者であるダライ・ラマ14世は その場所に心を集中すると何かしらがあるという反応が得られると述べている
983 :
神も仏も名無しさん :2014/01/16(木) 07:59:42.48 ID:vCAqqASx
>>958 おもしろいと思ったのは引用した部分なので
引用した部分にコメントしてほしかったですぅ
984 :
神も仏も名無しさん :2014/01/16(木) 10:07:00.18 ID:bbkYAmuU
>>983 根本的に勘違いて常識的に解釈してる人なんで、「これが仏教」とか言われるのは困ります
なので、その理由を示しました
瞬間瞬間の意識を見るというのは仏教的ですけど、
そこから常識的に自分を見つめ抑制するのが仏教みたいなのは、あまりに浅薄すぎる
確かにそういう面もあるけど、それだけじゃありません。
985 :
神も仏も名無しさん :2014/01/17(金) 03:25:24.29 ID:4DFJj+Af
学問研究的に考えると、昔の事物について研究しようとするときに 今の自分の文化圏の考え方に落とし込んじゃうってのはNGだと思いますけど、 信仰的なことを考えると、むしろ、今の常識に合う、みんなが納得しやすい形に落とし込んじゃったほうが いいっていう面もありません?
986 :
神も仏も名無しさん :2014/01/17(金) 05:11:07.99 ID:6WNOola5
>>985 方便としては、そういう面も説き方としてはありますよ。
あと、正に文化的な習慣もあるし。
しかし、根本的な部分を変えるのはどうかな。
そして、ここで方便としての見方を言い合っても仕方ないでしょう。
そうなると、なんでもありになってしまうので
987 :
神は命なり :2014/01/21(火) 19:11:23.12 ID:HPy/Cq5t
釈迦以前、もっと大昔から悟りはある。 悟りとは、神を実際に体験し、霊魂を実際に体験することを言う。 体験すれば、それらが命であることを知る。 神は命であり、霊魂は個体としての命である。 神や霊魂は不幸の中に隠れている。 しかし不幸を目指す人などいない。だから神や霊魂が見つからない。 犯人は目の前にいるのに・・・ 目の前に悟りの答えがぶら下がっているのに (TT) 悟りとは、命だよ、命だよ、命だよ、命を体験することだよw
988 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 19:55:03.30 ID:4XgaXWaR
>>987 >悟りとは、神を実際に体験し、霊魂を実際に体験することを言う。
こういうのは仏教の覚りではないと、釈尊も諸聖者も言ってまして、
こういうのは仏教で伝統的に常見といって邪見とされます。
989 :
神は命なり :2014/01/21(火) 20:44:44.20 ID:HPy/Cq5t
>>988 人間は命と物質の矛盾を生きている。
もしも一部分は神的であり、一部分は人間的であるならば、
無常でもあり、常住でもあることになるであろう。中論27.17
もしも無常と常住との両者が成立するならば、常住でもなく、無常でもない
ということが、欲するがままに、成立するであろう。中論27.18
990 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 20:53:16.50 ID:4XgaXWaR
>>989 >もしも一部分は神的であり、一部分は人間的であるならば、
>無常でもあり、常住でもあることになるであろう。中論27.17
>
>もしも無常と常住との両者が成立するならば、常住でもなく、無常でもない
>ということが、欲するがままに、成立するであろう。中論27.18
全く誤解。この中論は、反語、帰謬なんで、主張してるんじゃなっすよ。
以下、中論15-11、何か実在があれば常見に堕ちると説かれてる。
神にしろ、霊魂にしろ内在の実在とするなら、常見に他ならない。
問曰。
T1564_.30.0020b25: 何故因有生常見。因無生斷見。答曰
T1564_.30.0020b26: 若法有定性 非無則是常
T1564_.30.0020b27: 先有而今無 是則爲斷滅
T1564_.30.0020b28: 若法性定有。則是有相非無相。終不應無。
T1564_.30.0020b29: 若無則非有。即爲無法。先已説過故。如
T1564_.30.0020c01: 是則墮常見。若法先有。敗壞而無者。是名
T1564_.30.0020c02: 斷滅。何以故。有不應無故。汝謂有無各有
T1564_.30.0020c03: 定相故。若有斷常見者。則無罪福等破世
T1564_.30.0020c04: 間事是故應捨
991 :
神は命なり :2014/01/21(火) 21:24:49.82 ID:HPy/Cq5t
>>990 竜樹は神や霊魂を知らないから、
27.17に「そういうことは理に合わない」と付言する。
しかし命が神ならどうだろう。付言が不必要になるではないか。
人間は一部分神的であり、非常非断の存在になる。
この神的な部分が霊魂(アートマン)である。
人間はこれを知らないだけ。
命が神であり霊魂であることを知る。
これが悟りである。
992 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 21:29:23.20 ID:4XgaXWaR
>>991 いや、そういうのはとっくに解脱に至らない見解とされてるって
単に君が知らないだけ
もう、止めるけど
993 :
神は命なり :2014/01/21(火) 21:37:12.20 ID:HPy/Cq5t
神・・・? 霊魂・・・? われわれ人間が頭の中にそれらしきものを探したとき、 最後の最後に残るのは「命」ではないのか。 神は「命そのもの」 霊魂は「個体としての命」 その「ふたつ」を実際に体験することを悟りと言う。
994 :
神は命なり :2014/01/21(火) 21:44:36.34 ID:HPy/Cq5t
>>992 キミは本の知識だけだろ。それじゃダメだよ。
わたしは神も霊魂も体験している。体験で話してる (^^)
995 :
神は命なり :2014/01/21(火) 22:24:33.81 ID:HPy/Cq5t
なぜ悟れないのか。それは苦労が足りないからだ。 仏教では、苦集滅道とか一切皆苦とか、悟るために「苦」を強調する。 キリスト教も同じで、山上の説教(マタイ5.8〜12)で、 不幸な人々が祝福されている。どういうことかと言えば、 悟るためには、苦労することや、心が砕かれる必要があるのだね。 まだ悟れていないなら苦労不足、もっともっと苦労しなければならない。 幸福ではなく、不幸のどん底に神が隠れている。
996 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 22:36:32.62 ID:nf0A78pD
人間が悟れたら人間やめてると思うの(`・ω・´)
997 :
神は命なり :2014/01/21(火) 22:58:18.71 ID:HPy/Cq5t
>>996 そういう選択もあると思うけど、
釈迦もイエスも、その他の悟り人もこの世に戻って来るよね。
この世に戻るかどうかの選択ができる。
わたしの場合は、不安に感じたマナ識が「ここはどこなんだろう」と
つぶやいた声が雷のように響き渡り、この世に戻ることができた。
猛スピードで走っていた霊魂がピタッと宙に停止し、次の瞬間、
あっというまに飲み込まれる。それをマナ識が見ている。
998 :
神も仏も名無しさん :2014/01/21(火) 23:09:26.12 ID:nf0A78pD
999 :
神は命なり :2014/01/21(火) 23:24:31.57 ID:HPy/Cq5t
神界は痛いほど清浄で、霊魂は何も不満を感じていない。 しかしマナ識が、その単調さより、この世の多様性を選んだかも。 その選択は、今でも正しかったと思っている。 苦労しても不幸であっても、この世で生きている方がすばらしい。 かといってこの世に執着する気もあまりない。 自分から無理に、この世を捨てることもないということか。 神界は霊界とは違うが、どちらもあまり怖がらなくていいよ。 この世以上に神が支配する世界だから。
1000 :
神は命なり :2014/01/21(火) 23:34:41.37 ID:HPy/Cq5t
悟りを目指そう。 苦は滅し、運がよくなる。ほどほどの生活もできるようになる。 哲学的宗教的な話も、よく理解できるようになる。 心配がなくなり、いいことづくめ。
1001 :
1001 :
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