ラマナ・マハルシ他【不二一元論】アドヴァイタ総合8
1 :
神も仏も名無しさん :
2013/05/21(火) 12:48:19.75 ID:N4vQfcOV インド古典のヴェーダやウパニシャッドから発展し
中世のシャンカラ(Adi Shankara 8世紀)が思想と学派をまとめたとされる
インド哲学のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(純粋不二一元論)の分野について
難しい言葉の議論でなく、むしろ瞑想や体験など実践的な視点で
結局‘真我探求’って何?とか、本当に‘梵我一如’(真我実現)を会得できるの?
とかを、初心者〜覚者の分け隔てなく、自由に語りあおうという主旨の
「アドヴァイタ関連・雑談その他なんでもOK」の総合スレです
関連書籍やサイトなど
>>2-10 あたり
前スレ
ラマナ・マハルシ等【不二一元論】アドヴァイタ総合7
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1361959525/
2 :
神も仏も名無しさん :2013/05/21(火) 12:50:41.99 ID:N4vQfcOV
3 :
神も仏も名無しさん :2013/05/21(火) 13:02:04.98 ID:N4vQfcOV
4 :
神も仏も名無しさん :2013/05/21(火) 13:31:17.36 ID:N4vQfcOV
5 :
神も仏も名無しさん :2013/05/21(火) 17:41:49.92 ID:shOjnQcP
>1000 :神も仏も名無しさん:2013/05/21(火) 17:32:13.40 ID:M/Dr4SfW
> 良い歌詞ですね!
>
>>999 さんの巡り会えた奇跡が凄いですね!
巡り会いも奇跡ですね。
6 :
神も仏も名無しさん :2013/05/21(火) 21:03:26.64 ID:y75GE5LK
奇跡の安売りかw
8 :
神も仏も名無しさん :2013/05/22(水) 00:03:21.81 ID:M/Dr4SfW
>>5 ホントそうだよね。
さっき千手観音さんの顔をウィキペディアでみたんだけどかっこいいね。
長い時間見てると曼荼羅みたいに見えるよ凄い!
9 :
神も仏も名無しさん :2013/05/22(水) 00:29:26.11 ID:4/wRbXPf
ここでの俺たちも巡り会いなんや みんなありがとう みんな素直に悟りと恩寵に導かれていこう
こちらこそ有難う!!! いつも凄く勉強になってます! みんなありがとう!!!
>>7 自称全てが奇跡なら、奇跡なんて言葉いらないだろうw
一般的には悪い事は不幸。 良い事は幸福(奇跡)かな? で、実際には過去の幸不幸を、この世ではない場所でも良いからいつか振り返って、 「色んな事あったな」「凄く嫌だったけど、それがあったから今の自分に成れたんだな」「良かった・・・」 と想えたら、その奇跡に気付くというか・・・奇跡という本当の言葉に変わるんじゃないかな?(説明下手ですみません・・・) だから本当は事象全てが奇跡なんだと思うよ。全部カルマだと思うし。修業の様なものなのかもね。 ただキツイことがあり過ぎて、実際は難しいけどね。 過去のいじめとか、ああいう感じかな。絶対に有り得ないけど、経験しておいて良かった。 生きてて本当に良かった・・・という感じや感覚なのかもね。 長文駄文すみません<m(_ _)m>なんか矛盾しててすみません・・・
13 :
神も仏も名無しさん :2013/05/22(水) 15:28:00.11 ID:iCAzHZNc
でも、つらいことが多すぎて。 真我に帰した後にはすべて恩寵と思えるのでしょうが。
[Be As You Are p242] (Maharshi:) When a man is born he is no bigger than this electric bulb, but then he grows up and becomes a giant wrestler, or a world-famed artist, orator, politician or sage. People do not view this as a miracle but they are wonderstruck if a corpse is made to speak. [適当私訳] (マハルシ談:) 生まれた時は電球と大差ないサイズの人間が、 巨大なレスラーや世界的な芸術家や演舌家や賢者にまで育ちます。 人々はこれを奇跡とみなさないのに、死体が喋ったりすると 驚異の念に打たれます。 ----- 日常の全ての出来事が奇跡の連続だ、というマハルシの考え方に僕も賛同。 大腸菌とか古細菌とか膨大な数の生命が、僕の胃腸を支えてると思うと胸熱。 ニサルガダッタも確か同じ点を強調してたと思う。 イエスとか聖霊降臨後の使途たちが行なった「目に見える」奇跡ってのは 最近のサイババの‘名刺’云々と同じで、耳目を集めて教えを広めるための 特殊な演出意図なのかも。
そんなのは何億の精子の中から生き残ったのが生まれて来た人だとか そういった類と一緒だろ 奇跡と呼ぼうが偶然と呼ぼうが、そういう観念自体要らないものだよ。
16 :
神も仏も名無しさん :2013/05/22(水) 16:34:01.39 ID:SkLdyhzU
悪い食べ物を食べたらお腹が痛くなり下痢でトイレに駆け込みます あなたは下痢便を見て歎き、下痢便をして辛いといいます しかし出さなければもっと辛くなるでしょう あなたの辛い境遇もダメな自我も真我から見れば下痢便に過ぎません 他人の黄金色の健康的な大便もあなたのひどい下痢便も真我からみれば糞に過ぎません
糞の集まりがココ
頭ではわかる、というか、知的には子供の頃からそういうアイディアはあった。 でも、平常時だからそう達観できるけどさ、頭でそうわかってても、 実際になったらたまったもんじゃない環境もあると思うよ。 その情況でヨブ記のラストのヨブのように神に全面降伏して「受け入れられます」と いえるのが悟りを開いた人なんだろうけど。 ヨブの場合は、財産を失い、職を失い、明日への糧を失い、家族という愛情も失い、 病に冒され・・・ 今で言えば、事故にあって家族全滅、無職、病気になったが生保も受けられないみたいな? 俺は絶対無理。
と書くと、真我や神はきびしいもの、人間に都合のよい神などいない、と来るんだろうが。 そうね、で、君はそういう情況にあっても「神の与えるものは平等に受け入る」 といって平然と出来る人なの?と訊ねたい。
20 :
神も仏も名無しさん :2013/05/22(水) 19:17:15.06 ID:iCAzHZNc
>>20 どういう状況かイメージするしか無いけど
善悪含めて全員の経験が必要だから神というかブラフマンは「そう想った」「定義した」んじゃない?
悲観的な貴方も必要だったと思う。これからは違うんじゃない?
>>18 死んだら(死ぬ前後は)みんな同じ。向こうにお金や家とか持ってけないでしょう?
多分死んだ後にこの世の未練を無くしていく世界があるはず。
その後に向こうの世界のどこの階層だか分からないけど行く事になりそう。
断捨離だと思えば良いんじゃない?
22 :
神も仏も名無しさん :2013/05/22(水) 20:08:33.96 ID:SkLdyhzU
肉体も財産も家族も仕事も自分の力で手にしたんだと思う限り手放すのは難しいと思います 急激に全部手放す必要はないと思います。 なんでも段階があると思いますので普通の人は徐々にゆっくりと手放すでいいんじゃないでしょうか ヨブみたいなのは代表として選ばれたんだからしょうがないと思うしかないですね
金や健康や家族を手放すのではなく 自我を明け渡すの。 そのための途上で自我を弱めるために しんどい目やつらい事に出会うの。 自我の明け渡しができれば、ひどい人生も終わる。
>>23 なるほどね。
そういう事も考えた事あります。
ここのみんなは本当に凄いね。
こういうの理解して貰えそうなのは日本にはあまりいなさそうだったから凄く嬉しいよ。
なってみなきゃ分からないだろ 絶対無理って言い切るほうがおかしい
というか根本的な問題として 「何にあけわたすのか」 を解っていないのでは。 そのへんの場所で適当にあけわたしても真我は実現できないよ。 師のいる場所で「御心のままに」「ゆだねる」「あけわたす」 と成功できる。 次善でアルナーチャラのような聖地であけわたすことだけど 生きたグルがそばにいないで悟れるのはかなりの天才だけなんで。 禅でも聖地のような場所ではなく、師から弟子へと人を媒介として 悟りが伝わっていることに注目。 問題は生きている師に出会えるかどうかであり パパジはそのためにインド中を歩いてまわった。
>>26 生きてなくても師は師なんじゃないかな
それこそ、キリストやブッダ、シヴァたちはどうなるの?
自分がそう想ったら師なんじゃないかな。
千手観音だって色んな如来だって明王だって、シヴァもヴィシュヌだって
この存在!と想えたらそれが師なんじゃないかな
師のいる場所で明け渡すというのは・・・かなり宗教っぽい発想だね
私が考えてたのは断捨離の延長上にある考え方だけど、何かの宗教色が強い発想だね
酒飲んでの発言だから日本語おかしくてもかんべんな。 飲酒を禁じているのはインド系宗教だけで 中華の丹道や日本の神仙道は飲酒しても問題ないから 酒飲んでるので間違ってるとか言うなよ。 で偶像崇拝型のシヴァや千手観音は人間の考えた妄想だ。 そんなものは実在しない。 人間の妄想が形を成した仏を見ることはあるが あくまでも現実に存在したことはないしこれからもない。 でラマナやイエスのような無師独悟で悟れる聖人は天才だ。 このスレでオタオタしている俺や君とは異なる。 シャカは悟りの寸前まで色々な仙人に弟子入りして 最後の詰めのところだけ、菩提樹の下で自力で行った。 でそもそもとして、そのへんのバイトですら 自分より上位の人に教えてもらわないとものにならないのに なんで悟りだけ一人で神様にあけわたしたらできると思うの。 あけわたすとして、いったい何にあけわたすの。 その結果として何が起きるのか考えているの。 先人の文献や体験から勉強したほうがいいよ。 あけわたした先がラマナやシャカのいう良いものでなく、 ろくでもないものだった場合は 本当にえぐい結果がまっているわけで。 先人の文献を紐解けば魔禅という言葉が出てくるけど キリスト教にしろ禅宗にしろ 瞑想の世界では自殺や精神病の人が多数いることを知っておいたほうがいいよ。
「神は遍在」 「どうして自分の外に神を求めるか?神を探しにあちこち旅をするのか?」 「神芝居」 「操り人形」 「唯一なるものが色々な姿をして出来事を体験している」 「自分が決断して行動していると思っても 実際には意志とは別の力によって行動が起こり、出来事が起こっている」 「目覚めることができるのは神の恩寵、ないしは生まれたときから定まっている運命」
29の書き込みは全面的に正しいけれど、 それは自分の中心に安定させたうえで知る神と 世界そのものである神が同質であるという体験がなければ 人に伝えることはできないよ。 沈黙の中でしか教えられないのが真我だからね。 シャカの拈華微笑を読めばよくわかる。
>>29 上からの流れで浮かんできたことをいくつか選んで書いただけなので、
伝えるとかそういう考えはないです。こちらが教えてほしいくらいです。
33 :
神も仏も名無しさん :2013/05/22(水) 23:34:29.40 ID:SkLdyhzU
明け渡しはプラサードの観点から考えればいい。 プラサードというのは神とか仏壇にお供えものを捧げて余りものを頂戴するというもの。 食べ物でもなんでも全部いったん捧げるそれで余りものを受け取る。 しかし実際は気前がいいから本来なら2倍ぐらいで戻ってくる。 欲望につながる悪いものを捧げたら全部奪われる。 しかし良いものを捧げたら2倍3倍になる。 そういう実際の経験があって最後に全託できるようになる。 神は鬼じゃないからその人の段階で必要なものを全て与えるし 与えるべきでないものはほとんど与えない 逆に言えばどうしても欲しいのに与えられないものはそこに神の意思と教えがあると考えて間違いない。 何も心配せず執着をなくしてどんどん断捨離を実践していけばグルの呼び出しは間違いなくかかる。 神やグルは常に見ている、呼ばれないのはそういう意思が働いているんだぐらいでいい。
成功とか失敗とか結果は現象に過ぎないからどうでもよい 現象はマーヤーだから
そんなこと言ってるからお前はダメなんだよ。 現実世界で人並みの収入や生活がなければ 生きていくこともできないだろうに。 まずは仕事をして。 その間の時間で瞑想や修練をするのが正解だよ。 幻影とかマーヤーとかアホか。 概念上の哲学をコネコネして。 自分で体験できないし人にも伝えられないで マーヤーの意味は悟った後に理解・体感できるものであって それ以前には自我を弱めるというか 世俗に対する執着を少なくする理由でグルが説くんだよ。 金が無くて貧乏しているときに 「お前の貧乏はマーヤーなんだよ」とか アホなこというのは偽のグルだけ。
皆さん「俺は解かってる」みたいなことをおっしゃるが、 上にある、事故にあって家族全滅、無職、病気になったが生保も受けられないみたいな 情況にあっても、平然と出来る人なの? それとも、今なんとなく順境だから、順境なりの発言をしてるだけ? 上にあるような逆境になっても、寸分たがわず同じ心境で同じことを言える? だとしたら、尊敬する。
揶揄してるわけじゃないよ。 確信もって諭すような自論を展開してるような方々だから、素晴らしい境地におられるんだろうし。 その境地を語って欲しいだけ。
他人のことより自分のこと。 他人が悟ろうが何ができようができまいが、自分ができなければ同じこと。
まあ、単に自分の参考までに2ちゃんスレッドにきただけだけど・・・ 確かにね。 悟ってる人は言うことが違うわ。
どこでもいいから可能性のありそうなグルに会いに行ってみたらいいんじゃないか 日本にも何人かいるだろうから 金、女、権力、これと縁がないならそれほど問題にはならんだろ 実際、外れを引いて苦しんだとしてもたいした人生じゃないんだから 当たればみんなで真理へ意識を向けるチャンスが得られる グルと集団での集中、この恩恵は大きい いま意識を真理に向け続けているならそんなこと全く必要ないが
その通りだと思うけど、金、女、権力以外にも、自分の思想に依存してるグルもある気がして・・・
なんというか、あちらから現れてくれるのを待つかな・・・
>いま意識を真理に向け続けている
これって結構難しいよね。特に平常時には、自分を安定させてくれるあれやこれやを
あえて手放そうという気に離れない。
危機的状況、自分ではいかんとも出来ない情況になって、初めて
そうするしかねーかな・・・という気になる。そういう足元が崩れるような感覚は、ある意味で変性意識に近い。
だから、そういう意味で苦しみがグルになるということもありうる。
少なくとも、したり顔で「他人のことより自分のこと」とか「自分」のやってないことを「他人」にいう人よりは信頼置けるね。
ペマ・チュードンという人の本に、「苦しみは避けられる、という考え方を、仏教ではサムサーラ(輪廻世界)と呼びます。」
「信じようと信じまいと、もっともみじめで苦しくよるべないときに、心は大きく成長します」とある。
必然的に明けわたしを迫られる情況におかれるからなんだろうな。
http://www.youtube.com/watch?v=Y-mV0Q2Yd1g
>>41 >>38 さんはあなたに「他人のことよりも自分のことを心配しなさい」と
言ってくださったのでは?
43 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 12:33:58.04 ID:TmlNZOsW
>>21 >神というかブラフマンは「そう想った」「定義した」んじゃない?
>悲観的な貴方も必要だったと思う。これからは違うんじゃない?
そうですか
44 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 12:48:21.10 ID:nmVWVeHR
全てを奪うのも神ならその状態に耐えられるようにしてくれるのも神だから 基本心配する必要はないと思います 肉体もない状態から始まって、そこまであれもこれも心配する程にたくさんのものを与えたのは誰ですかということじゃないでしょうか。 キリストの言う 「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」 ってことが時期が来れば素直に実践できる心持ちになるはずですから あんまり無理して心の中で暴れないことですね。 ヘラカンババは 「私はここに裸でやってきたし、裸で去るのだ」 って言ってます。 ラマナの持ち物だって杖と水差しと褌くらいじゃないでしょうか。 しかしヨブの物語を読んで苦しく思うのはそれ自体が浄化の過程なのかもしれませんね。 瞑想する時は家族も仕事も財産も自己も何もかも忘れてるわけですから 普通の人だって実践できていないわけではないのです。 それが常時できないから心配するんでしょうけどw
45 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 14:21:15.85 ID:TmlNZOsW
でも、これは私には真似できない ↓ 「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方 カンポン・トーンブンヌム 体育高専に体育教師として入職したが、2年後、水泳の模範演技中に事故に遭い全身不随に。 その後、ルアンポー・カムキエン・スワンノー僧に師事し「気づきの瞑想」を修める。
46 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 14:46:08.25 ID:nmVWVeHR
さっきの書き込みがあまり実践的でなく抽象的過ぎるのでおっせかいかと思いますが付け加えれば 「私の身体や健康、財産や地位、名誉、家族が失われたらどうしよう、これらがヨブのように失われたら俺は耐えられない」という心配や想念が起こったら すぐさまkoham(私は誰か?)の真我探究にスイッチを切り替えて下さい。 心配をするのは自分の為にするわけですから、それを即座に真我探究に切り替えればこれは立派な真我への明け渡しです。 こういう日々の細かい明け渡しの修練こそつまんないように見えて大事なことです。 それがやがては大きな明け渡しにつながると思います。 色々な無駄な心配を端的にやめて沈黙するこれだけでも立派な瞑想です。
47 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 14:50:05.58 ID:9x7XZ//e
48 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 17:07:10.87 ID:aDCC6/3G
それは誰にとっての人生ですか?
49 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 17:15:18.11 ID:TmlNZOsW
公案でございますか?
50 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 18:58:27.11 ID:lrM9DGcv
?
51 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 20:12:53.34 ID:ceJuEpxZ
悟ってる奴がいたら、そもそも解脱しているから生まれてこない。 自称悟っている人間はうそくせえな。 今世で悟りをえたってか?ハハハ
悟りを得て繋がりのある者達の手伝いをするためにあえて肉体を纏って生まれて来てさえ、この世でかなり振り回されてしまうという だから悟りに至るのは今生のみではない場合も多いんじゃないか
そういうことは、自分が悟ればわかることだし、自分が悟らない限りわからないことなんだから、 あまり考えてもしょうがないんじゃない? グルだって、エゴにまみれた自分が正しいグルなんて見極められるわけないんだから、 まず自分のエゴを少しでもなくしていくことでしょう その結果、出会えるグルには出会えるだろうし、 そもそも人に限らず、今出会って目にしている全ての人、物をグルのようにして、 そこから自分のエゴに気づき学んでいかないといけないんじゃないの? グルとグルでないものをエゴで分けて、エゴの妄想や想像で悟りを考えてても、 しょうがないと思うけど
54 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 21:35:04.19 ID:ceJuEpxZ
>>52-53 それはごもっともだが、
ラーマクリシュナですら、
「人のスカーフをほしいと思ってしまった、
そのためにもう一度生まれてこなければならないかもしれない」←うろ覚え
つってんのに、
ラーマクリシュナを越えてるって琴だからね。
自称悟ってる人は。
自称悟った人がスレに降臨したときに話せばいいんじゃない? それとも最近そういう人に出会ったの? そういう人がいないのに、わざわざそういう人の話をする意味がわからないなあ
56 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 22:10:43.22 ID:37LQZwY6
横からすいませんね ヨンゲイ・ミンゲール・リンチェのThe Joy of Livingを楽しませて頂いています。 紹介してくださった方どうもありがとうございました('ω')ノ
夢とか幻とかマーヤーとか考えるのがすでにヴァーサナだもんな 実際は生とか死とか無く今現在「自他なく在る」が本当のリアルだから
他人なんていない 他人に見えるのは幻想にすぎない
59 :
神も仏も名無しさん :2013/05/23(木) 23:01:30.80 ID:37LQZwY6
ロマンチストですね
ロマンチストに見えるだけで 本当は超現実主義者なんだよ パウロがイエスに出会って変わったような ガツンと来る何かが信仰なわけで 言葉でああ〜そうなのかなあ〜とか思っても 次の瞬間に忘れてるとか信仰でも何でもないとは思う そのくらいサマーディの至福は強烈な体験だろうね
眠りや死は必ず訪れるとか 信仰もそのくらいの精神的な確信が無いと 何かやるにも心が定まらないってのはある
62 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 00:55:11.72 ID:Ym5NhVf3
永続しない「体験」でしょうね。残念
>>56 面白いですよね。基本ヴィパッサナーなんだが。
>>57 はー?
ラマナ・マハルシ本人が悟ってない一般人に向かってこの世は幻と言ってるんだが?
幻という言葉が嫌いならマハルシのスレなんか来るんじゃねえよ
というか言葉が悪と思ってるなら2ちゃんなんか来るなよ
>>53 ひとりで努力できるならグルなんか必要ない
自分よりもマシな人間はいくらでもいるし、そういう人々とともに存在しているだけでその影響を受けていく
これはひとりでやるより楽だよ
自分が努力していれば相応しいグルに導かれるけど、自分で出かけて行ったほうがずっと出会える確率は高いと思う
グルに巡り逢うために行動を起こしたわけだから
とくにこの日本では本物・偽物どちらのグルにも道でバッタリ会うことはまずないだろう
67 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 09:00:05.72 ID:J4aKEDcI
>>66 よく”〜と思う”という言い方をされる人。
なにを根拠にそう言う?直感?
まあ自分ががインドに行きたきゃ行けばいいんじゃない?
インドでもほとんどがインチキと聞くがね。
68 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 09:33:40.08 ID:/APd/geS
>>66 なにかなっとくしたいのかね?
どうせなるようにしかならんのに。
我々に意志はないのに。
>>66 ひとりじゃできない、楽したい、って聞こえる
>>65 さんはナニに対して怒っているの?夢?まぼろし?
別にグルを否定することもないでしょう。
居ないよりいたほうが絶対いい。仏教でもヒンズーでもそう強調している。
集団での恩恵もあるだろうし、ラマナだってグルでしょう。
ただ、実際のグルに付く力が自分らにあるかといったら難しい。
自分のエゴがエゴを呼んで、安心感を獲る為に、自分と同じ問題を抱えた人物をグルとして
選ぶかもしれない。
だから、まあ、時節を待ち、物事全てをグルとみなして(キリスト教なんか全てに感謝してるね)、
人のグルが現れるのを待つのがいいのかなあと自分は思うが。
>ヘラカンババは
>「私はここに裸でやってきたし、裸で去るのだ」
ヨブ記に同じセリフがあるね。それを踏まえての言葉かもしれないけど。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。」
「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
ヨブ記呼んだことない人はウィキでも結構面白いよ。本買っても薄いから一日で読めるけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%96%E8%A8%98 紀元前3〜5世紀成立というから、ブッダ、孔子、ソクラテスと同時代の話だね。
まあ人生のすべてが思い込みの連続だからね 私は身体であるも思い込みなら学校で同じクラスに居て 理解力がそれぞれ違ったにも関わらず ラマナの本読んでもみんな同じ理解度だろうとか 美味しい物食べて他人も同じように旨い食べたいと感じると違いないとか ベシタリアンならいくら美味しくても肉なら食べないだろうし そのような先入感や思い込みは誰でもだが多いと思う
グルは否定しなくていいけど、グルへの依存心はアドヴァイタでも否定されてるでしょ グルへの依存心とグルを信じるということは違うと思うよ 安易に悟りに導いてくれるみたいな依存心は仏教でもアドヴァイタでも否定されてる グルをどういうものだと思うか、何を求めるかでも違うんじゃない? 特に仏教では、あくまで良き友、指導者、執着や依存心に気づかせてくれる先輩であって、 グルは神の化身でも神秘的な存在でもないし 仏陀はグルではなく法(真理)を拠り所にして一人進めって言ったし そもそもグルが必要っていうけど、マハルシやマハラジのところにいっても、 何も変わることができなかった人間が大半でしょ そのグルがどんなに素晴らしくても、グルが何とかしてくれるとグル頼みの依存心で行ったら、 何にもならないと思うよ
ビルゲイツと一般人なら同じ空間で共に過ごしても まるで違うだろうし 双子や体がくっついて生まれてきたりならともかく 意識も神経もそれぞれバラバラなんだから みんな同じ価値観考え方じゃないと気がすまないのも思い込みで 実際に世界最大の宗教のイエスも人当たりの良い 敬虔なユダヤ教徒の金持ちの議員を駄目だしして弟子を驚かしたり 逆に民族の違う弟子が遠ざけようとしてたカナンの女に対して あなたの信仰は素晴らしいとか言ってたんだから 個人個人の人を見る目や有能さなんかバラバラなんだから仕方ない
でも最近の自称・グル、自称・悟った人をそれを言っちゃってるからね。 自分のとこに来てエネルギーを浴び続ければ何もしなくても悟れる、みたいな。 先に悟らせて、リボ払いとして後でマーヤ解きすればいいんだよ、みたいにね。 変なのがいっぱい出てきてるよね。 スカイプとか便利な道具ができたお陰で、90分3万円とかさ、 法外なお金ふっかけて悟りのセッションみたいな名前でいろいろやってるよ、 福岡在住の某氏とかね。 当然自分のブログにはセッションの失敗例は一切出てこない。 実際はほとんどのケースでクライアントにはなにも変化は起きないんだけどね。
76 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 15:30:32.74 ID:/APd/geS
>>70 >>65 とかの気持ちはわかる、結局振り回されっぱなしだ。
インド行こうが比叡山に行こうが
なんにもなるもんか。
自由意志なんてないのだろう?
77 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 16:22:53.71 ID:/APd/geS
悟るかもしれない 犯罪者になるかもしれない 犯罪に巻き込まれるかもしれない。 孤独死するかもしれない、、、、 ガンとかで死ぬかもしれない。 わからない。 どうやってわかる?
78 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 17:19:19.39 ID:WPRTzq4j
グルの効用としては当然、道を示すのがひとつ。 もうひとつはどんな境地に達しても自分より上の人がいる、 つまり霊的な傲慢を粉砕して謙虚にさせるというのも大きい。 ある程度欲望を破壊して全てをグルに明け渡す用意ができていないと呼ばれないだろうな。 全てを明け渡す用意がない状態で自分のグルにあっても判別できないと思う。 そういうところは弟子の自由意志を重んじる。 強盗のように無理に全部明け渡せとはどんな師でも言わない。 逆に言えば脅して明け渡しを要求するようなグルは危ない。 グルがいないと歎くのは人情だが本当に全部明け渡す用意が自分にあるかその資格を厳しく自問するのも必要。 ヨブのような人生を命ぜられてもついてくるぐらいの捨身の気持ちがなければ 伝統的なグルなら呼んでも無駄だということで呼ぶのをとりあえずまだ保留するだろうね。
「私は身体である」って感覚がラマナいわく思い込みらしい その思い込みがあるのが全ての不幸の元凶だとか言ってた ラマナ視点から見たらヨブのような働き蟻が居るから 女王蟻が安定した生活できるって個が無いと全体で一つって感じなんだろうな
80 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 17:35:24.54 ID:J4aKEDcI
グルがいると安心するんだろう (カルト)宗教と変わらん
>>67 わざわざ自分の実体験をここですべて明らかにするわけがないだろ
日本にもいると言っているだけだよ
>>68 なるようにしかならないと思っているならなにも必要ないな
実際にその通りになるだけだ
>>69 いつからここにいるか知らないしいつから学んでいるか知らないけど、いまもひとりじゃ前に進めていないだろ
楽な道があると言っているだけだ
あと、グルは基本的に重荷を代わりに背負わないし、安易に助けたりもしない
死なない程度に手助けしてあげるようなもの
前に進まない者には手助けしてあげられない
82 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 18:46:13.94 ID:J4aKEDcI
>なるようにしかならないと思っているならなにも必要ないな >実際にその通りになるだけだ 自由意志がないって書いてあるじゃないすか!?
>>82 自由意志があってもなくても行為した結果は必ず顕れるじゃないか
なにを望むか、それだけ
なんにもせずにいても、必死で努力しても悟りに至る時が全く変わらないなら、グルはグルでいることを放棄しているだろ
何千年も同じ言葉を繰り返し続けるわけもない
ここでおすすめのグルの名前を書いてみてはどうかな? 人類に益する行為だ。グルには迷惑かもしれないが。
って、まあ無理だな。その人にも迷惑だろうし・・・ 自分で出会わなきゃというところか。 ただ、探さなきゃ会えないなら、当面はいまここで内面を追及したほうがいいのでは? 恩寵が導いてくれて出会うなら、それはいいが。
憶測だが、エックハルト・トールのような悟った人というのは、結構いるのではないか。 エックハルト・トールは、わかりやすく人に伝える才能があるとおもう。 覚者であり講演家(タレント)。 龍樹は覚者であり哲学者、イエスは覚者でありボランティア、 妙好人は覚者であり農耕者、スーフィーなんかは覚者であり詩人。 そうした才のない人なんかは、人に知られず亡くなるのかもね。
ネルソン・マンデラさんなんかも限りなく覚者に近かったような気がする
ガンジーなんかも語録をみると完全にアドヴァイタ。 政治家として行動するとなるとなかなか難しいし、 クリシュナムルティなんかにはいろいろ言われてたようだが・・・ 彼みたいに講演だけして喋りだけで生きるわけにはいかないからなー。 さて寝るか。
89 :
神も仏も名無しさん :2013/05/24(金) 23:32:29.25 ID:WPRTzq4j
初心者用に真我探究ゲームを考えたので暇な人はやってくれ 想念の制御は難しく、心は常にさ迷い安いものだ。 それ故その特性を鑑みて 想念が4秒はどこにさ迷ってもいいものとする。 しかし4秒以上さ迷うことには手助けをしない。 必ず4秒以内に真我探究モードに戻す。 この要領でリラックスしてテレビゲームをする感覚でひたすらモグラ叩きをする。
瞑想が深い人は深い眠りのような脳波が違うらしいからな ラマナとか癌でも麻酔が効いてるように 痛みを感じてない脳波かも知れないし どれだけ深く眠れたってのを味覚に例えて ラーマクリシュナも悟るのをマンゴーを食べなさいとか言ってたが 深い眠りか浅い眠りか寝たふりかなんか他人に判断されるもんじゃないからな 他人はどうあれ俺はマンゴー美味いと思うよって信念が大事だな
91 :
神も仏も名無しさん :2013/05/25(土) 07:29:24.28 ID:tVtrtD1S
ラマナマハリシの写真・画像を高画質で沢山置いているサイトってありますでしょうか。公式サイト以外で。
92 :
神も仏も名無しさん :2013/05/25(土) 08:28:29.55 ID:ndye44bH
ここでグルが欲しいと言う人はラマナの弟子の系列か直接アルナーチャラ行くのが筋だと思う ラマナ好きなんだから、これが最良の選択だと思う ラーマクリシュナ直系かラマナ系列に行ってひどい詐欺にあうことはないでしょ多分
93 :
神も仏も名無しさん :2013/05/25(土) 12:47:41.68 ID:XJEqbK8E
ひとそれぞれではないですか?
94 :
神も仏も名無しさん :2013/05/25(土) 16:44:06.82 ID:qD9YhI4F
グルなど実はなかった
グミなら有る
96 :
神も仏も名無しさん :2013/05/25(土) 23:27:24.22 ID:eGAxRmBv
美味しいよね グ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ グル
グルを求めるのは勝手だが、間違っても和平のところには行くなよ。 時間と金の無駄遣いになるだけでなく、反日売国奴の共産党支持者一家を支援することになるだけなんだからな。 様々な問題を抱え苦しんでいる人たちからお金を徴収し、 一か月数日しか働かずに、普段は伊豆の自宅に共産党員の両親や子供と一緒に悠々自適、 信者から金を巻き上げるために週末に東京や大阪にふらりと出掛ける“ブルジョア生活” 呆れ果てるとはこのことだ。
お前なんでここに粘着してるの?
和平は勉強会等でラマナやラーマクリシュナを利用しているし、 このスレに関心を持っている人が将来、奴のところに行く可能性もあるからだ。 何も知らずリアルワールドのブログに騙されて奴のところに行ってしまう前に、 実態を知らせる責任があると感じている。
今のところここで和平とか言ってるのお前だけなんだから お前が宣伝してるようなもんなんだけどな。 批判を見て関心を持つなんてのも世の中にはよくある話だし いい加減やめてくれ。
誰が何を書き込もうと、お前にあれこれ指図する権限はない。 これからも書きたいときに書きたいことを書いていく。
人のためとか言わず自分のためになることを 自分を大切に 自分が本当に何をしたいのか、何を求めているのか、それを知ろうとしないと、 自分の悲しみや怒り、欲望に染まって、自分が見えなくなっちゃうよ 他人がどうかより、まず自分を大切に
103 :
神も仏も名無しさん :2013/05/26(日) 12:04:47.81 ID:VZdgnwoX
サンニャーシンは霊性の修行を正しく行い続けるのでなければ家住者から贈り物を受ける権利はない。 ………家住者はサンニャーシンが衣食その他の生活のことを思い煩う必要なく終始霊性の修行に専心できるようにと思って彼らに奉仕する。 こうして善根を積んだのだから彼らは当然サンニャーシン達の霊的修行の果実の一部の分け前に与ろうと思ってやってくるだろう。 それだからサンニャーシン達は、自分の後援者や寄付者に行く分を差し引いた後にも自分の分が残るよう、十分に功徳を積んでおかなければならない。 そうでないと、もし破産するようなことがあれば彼ら自身が道徳的にも霊的にも莫大な損失に苦しまなければならないだろう。 スワミ・ヴィラジャーナンダ(ヴィヴェーカンナンダの高弟)「最高を目指して」より
104 :
神も仏も名無しさん :2013/05/26(日) 13:04:24.24 ID:2RH+AU4m
あんなブログ見てひと目で胡散臭いって分からないのお前だけだから
>>104 そんなことはない。
ウソだと思うなら試しに一度お話会なり勉強会に行ってみるといい。
お前と同じ臭いのするキモイおっさんおばはんが、
リアルワールドさんのブログ見て来ました〜って自己紹介してるからw
106 :
神も仏も名無しさん :2013/05/26(日) 15:43:44.66 ID:luKUJnS1
真我ってなんで回りくどいんだろうね。
しかし本当に真理とは奥深いよな DNAとか粒子とかエゴでは把握出来ないほど 世界は複雑なのはなんとなく理解してたが そんなものは氷山の一角で更にカルマとか 圧倒的な不可知なシステムが世にはあるんだからな まあ宇宙には太陽のよーな星は無数にあるから 世界がそのくらい複雑で未知でもおかしくもないが 悟ってる人ってのはその世の未知さに気付いてるんだから凄い
108 :
神も仏も名無しさん :2013/05/26(日) 16:24:34.67 ID:luKUJnS1
そして悟りにも段階もあるらしい。 ただし!! 宇宙人はいないよ。 宇宙もないと思う、アポロなんとかは捏造だし。 それと悟りとかとは別だ。
かなり人間の能力を真理は超えてるよ 学校で教えることなんか広い世界の一部分で 大人がわかってない子供なんだから負の連鎖って感じ 俺も最近ここまで不可知なものとは思ってなかったから驚いた わかってるって思い込みは危険なんだよな その点は聖書を簡単に信じた昔の人間のほうが純粋とはいえる
110 :
神も仏も名無しさん :2013/05/26(日) 16:51:59.46 ID:luKUJnS1
そうですか
理屈はまったくわからないけど そうだなと思ったね かなり世の奇跡と言われてることなどは人知を超えてるなと ちょっとまるで気付かず一生終わるのはヤバいくらいだね 足元の影が死ぬ間際に実は人格持ってて勝手に動きだした くらいの驚きだったよ 思い込みマーヤーってのはそれくらい人を蝕むもんなんだなって
>>105 お前の書き込みで初めてリアルワールドって知ったわw
お前本当にステマ要員だろうw
お前はお前で丁度よい 顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい 幸も不幸もよろこびも 悲しみさえも丁度よい 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい 地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも丁度よい
>>112 そうかそうか、じゃ是非とも騙されてこいよ。
来週の金曜日に吉祥寺でお話会というのがあるぞ。
3000円出せば詐欺師のサットサンガに加わることができるw
行ってお前自身がその感想を個々に書き込んでみろ。
それともニートの引きこもりじゃ3000円出すのも無理なのか?w
115 :
神も仏も名無しさん :2013/05/27(月) 12:11:12.70 ID:+j+2fK5Z
116 :
神も仏も名無しさん :2013/05/27(月) 15:55:42.58 ID:3p5XJTPd
すべて世の中うそだらけ それにだまされるのも恩寵なのか
117 :
神も仏も名無しさん :2013/05/27(月) 16:51:37.42 ID:JEMEyT/U
何かを外側に求めるから騙されるんであって無欲となって外側に何も求めなければ騙されないんでは? 外側への関心をなくしていくのが離欲であり、 その外側への関心を生む源、内なる一点に集中するのが修習です。 離欲と修習によって対象を伴う想念の止滅を達成するのがパタンジャリの言うヨーガです。 これはラマナやラーマクリシュナの言う方法とも完全に一致しています。 騙す者は騙される者と同じです。 欲望が騙す者なのです。 欲望から自由になったものを騙すことはできないと思います。 あなたの言う通り欲望がある限り恩寵によって手放せという警告と共に人は騙され続けるのかもしれませんね。
118 :
神も仏も名無しさん :2013/05/27(月) 17:16:15.47 ID:+j+2fK5Z
>欲望が騙す者 >欲望がある限り恩寵によって手放せ そうですね
みんながみんな同じ判断をすると思ったら大間違いだよ ラマナもヨガナンダと出会って思い切りシカトしてたしな 日本人の常識ならとりあえず表面上はニコニコして会話するだろうが その判断が第六感によるものか知能が異常に高いのかわからないが 例えばビルゲイツなら同じように小中高と同じクラスで勉強してても 企業したりしてリーマンになったりしないから嫌な上司に会って 今の不幸な状況はヨブがどうとか言わないと思う そのように異常に危険回避能力が高い有能な人はいるもんだ 不幸になりたくないなら有能になるしかないな それがカルマってもんなんだろな
120 :
神も仏も名無しさん :2013/05/27(月) 18:38:20.71 ID:+j+2fK5Z
まあ、ヨガナンダが悪い人間か良い人間かなんか俺にはわからないよ ただみんながみんな同じ行動を取るとかの思い込み先入観はよくないなと アドヴァイタには本当にそういった思い込みってのはポイズンみたいなもんだよ 究極的には「私は身体である」ってのがそもそも思い込みらしい
ラマナは同じ景色に見える川も日々変化して同じ景色はないと言ってたからな 同じように見えるだけだとも そういった現実と思える複雑さに対応できないと駄目なんだよな結局は
>ラマナもヨガナンダと出会って思い切りシカトしてたしな ここkwsk あと可能ならどの本に書いてあったか教えて
シカトなんかしてないよ。 動画を撮ったときにたまたま明後日の方向をラマナが向いていただけで。 ラマナとヨガナンダの対話は『ラマナ・マハルシとの対話 第1巻』の対話106・107(p200〜p204)に掲載されている。
ヨーガーナンダ 「どうすれば人々の精神性を向上させられるでしょうか?」 「どのような指導が与えられるべきでしょうか?」 マハリシ 「それらは個人の気質と彼らの心の霊的成熟度にしたがって異なります」 「全般的な教えというものはありえないのです」 ヨーガーナンダ 「なぜ神はこの世に苦しみをあらしめているのでしょうか?」 「神は全能の力でたちどころに苦しみを取り除き、宇宙全体に神の実現を命ずるべきではないでしょうか?」 マハリシ 「苦しみは神を実現するための手段なのです」 ヨーガーナンダ 「別の方法を定めるべきではありませんか?」 マハリシ 「それが神のやり方なのです」
ヨーガーナンダ 「ヨーガや宗教は苦しみに対する解毒剤なのでしょうか?」 マハリシ 「それらは苦しみを克服する助けとなります」 ヨーガーナンダ 「なぜ苦しみがあるのでしょう?」 マハリシ 「誰が苦しむのですか? 苦しみとは何でしょうか?」 答えはなかった。ヨーギーはついに立ち上がると、「私の仕事のために祝福をお与えください」と シュリー・バガヴァーンに祈り、「性急に去ることを遺憾に思います」と告げた。 彼はとても誠実で、献身的であり、感情に訴える人だった。
127 :
神も仏も名無しさん :2013/05/28(火) 16:04:23.38 ID:Iut9r/5K
そういうこと フーマンエマミの本にもあった
>>124 該当箇所を抜書きまでしていただいて、御丁寧にありがとうございます。
ラマナが「苦しみが神を実現するための手段」と言ったことに
ヨーガナンダは納得できなかったのでしょうね。
でも実際、人間は苦しまないと神なんか本気で求めないようになってますよね。
129 :
神も仏も名無しさん :2013/05/28(火) 16:43:45.58 ID:Iut9r/5K
YOUは何しに日本へ?って番組 ででましね
130 :
神も仏も名無しさん :2013/05/28(火) 16:46:18.67 ID:j125roVD
しかしヨガナンダがこんなことも分からず質問したとは信じられんな これって禅の人が祖師西来意をきくような相手の見識を確認するようなもんではないのかな
菩薩と如来の邂逅を思わせるようなエピソードだな。 菩薩は悟れることができながらも、自分の意思で人間苦界に身を置いて衆生を利する存在だから、 人間的苦悩も共有している。ガンジーなんかも、大政治家の立場に身を置きながら ラマナのようにはできないからね。「全ては夢」では即座には救えない苦悩もあるわけだから。 ダライ・ラマは観世音菩薩の化身、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身とされてるけど、 あえて菩薩を法王としているところに、チベット仏教の大乗的思想があるのではないか。 そういう考え方もあっていいだろう。
ラマナに政治家をやれと言っても出来ないだろうし。 まあ、もちろんラマナがやる必要はないのだが、じゃあ世に政治家が必要ないかと 言えば、そうではなく、その証拠に、このスレにいる我々も、 政治が不可欠な世俗から脱却して山ごもりするかといえばそうはしない。 やろうと思えば数時間後には出来ることだが。
133 :
神も仏も名無しさん :2013/05/28(火) 18:55:19.78 ID:DoUT0e6N
>YOUは何しに日本へ?
134 :
神も仏も名無しさん :2013/05/29(水) 01:18:11.63 ID:dDEyD/X6
アンマの高弟のプールナムリターナンダさんの日本橋公会堂でやってた講演会行ってきたが、 結構しっかりした瞑想の講習会だった。 明日も同じく瞑想をテーマに講習会やるらしいから時間ある人は19時からだから行けばいいと思う。 参加費は自由な寄付金のみだし。
135 :
119 :2013/05/29(水) 03:10:56.26 ID:fmKUcQNh
ラマナがヨガナンダをシカトとか書いた者だけど ラマナくらい悟り人なら度々トランス状態に入って 忘却の彼方に意識が行ってるのかも知れないし そんなことは俺もラマナじゃないのだからわかるわけないよ ようするにそのようなシカトもそうだが 決め付けや思い込みはアドヴァイタではポイズンだと言いたかっただけだよ わかりにくい文章で正直スマナカッタ
覚者と称する、わけの分からないことを語る人たちの人間関係なんてどうでもいいではないか。
マハルシとかクリシュナムルティとか覚者と称する人たちの語録を何冊も読んだが、 「なにをいってるのかサッパリ分からない」というのが率直な感想だ。 彼らは真理を説きたいのか?真理など言葉では語れない。 中途半端に真理を語られても語られた相手は迷惑だ。 どうせ語るのなら、もっと単刀直入に核心を突いてもらいたい。
まあ、自分の経験からもっとも考えを整理するには ようするに結果だよね 日本は戦争に負ける結果を出すまでは勝ち目のない戦いを 立ち向かったわけだし そのようなエゴが満足する結果を出せるように 神はこの世界を作ったってことだよな いくら旨い物を作れるレシピでは 実際に旨い物を食べた感動には絶対勝てないってわけだよ
結果くらい強烈な体験は無いから 実際に悟ることだよ、それがようするに真我だということだろうね
>>137 同感です。ただ、クリシュナムルティは知らんけどラマナの場合は、
相手の境涯に合わせて適切なことを言っているから、自分がピンときたこと
だけを拾えばいいのではないかな。
例えば、「苦しんでいるものなどいない」といわれても、俺は自我がしっかり
残っているので、そんなこと言われてもな、と思うしきっと俺にはそんな
高級なこといわないだろう。
一方で、「神は外界にしっかりいる、人間よりも智慧がある、祈れば人格的な
神々を派遣して助けてくれる」と言われれば、そうか、じゃあ俺はそれピンと来るから
その線でいこう、と思う。
エックハルト・トールはたぶん世俗の最も一般的な人にむけてのエクササイザーを
自認していると思うので、わかりやすい
他にも、ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェや、ソギャム・トゥルンパ、
法然や親鸞などの浄土系の人の本は、一般人むけですごくいい。それも、自分にとっての話だけど。
このスレの人は、きっと自我が薄い人も多いんだろう。俺はそうはいかないけど。
だから経験というのはすごい大事だなと思うわ 仮に今までの人生で寝たこと無い派と寝たことある派が居たとしたら 凄い議論になると思うし それが何の議論にもならないのは誰もが眠りを経験してるからだな 実際に行動した結果とか経験とかそれくらい強烈なんだよ
釈迦とかイエスキリストとか凄い高みから話してるわけで 我々は池のコイみたいなもんだな だから小さい世界の池の水が濁ったとかで死活問題なわけで 我々が小さな池なんかよりもっと大きい世界に気付いてるように 悟った人すべてを知ってるからゆとりがあるわけだ それが現実なんだから怖いよな
143 :
神も仏も名無しさん :2013/05/29(水) 13:41:17.23 ID:7dCc2st5
気のせいって事で
そもそも悟り人は疲れてるなら寝なさいとかそんなレベルの話をしてる訳で 我々が眠りを知らないのが悟りが伝わらない全ての原因のような気はする どんな旨い料理を作れるレシピも旨い料理を食べた感動には絶対勝てないからな ぐっすり寝て疲れがとれて旨い料理食べて 初めてああこの事を言ってたんだなってなる
146 :
神も仏も名無しさん :2013/05/29(水) 23:20:31.36 ID:hrNhlEkv
失礼で申し訳ないが なんかとってもあんた青臭いんだが
会ったこともない あなたの脳内イメージなんか知らんがな
たまにいい書き込みもあるんだが 基本的にクソスレだよな、ここ。 もう何年もずっと同じ話題がループしているのは 新規参入が定期的にあるのか それとも古参がまったく進歩していないのかどっちだ。 できるようになったら、ラマナの言ってることもわかるようになる。 逆に言うとそれがわからないなら、瞑想ができていない。 なら出来るようになるまで修練するだけ。 ハワイに行ったことが無いのに ハワイのガイドブックの論評をするとかアホか。
まあそうなんだけど、ここは別に瞑想する場所じゃないでしょ。 君も糞じゃないのを自負するなら糞みたいなレスは止めて、他のレスとは違うってとこを見せてよ。
そりゃ無理だ。 不特定多数が閲覧する場面で いらんこと書いたらえらい目にあうからな。 技術的なことを書いて、アホが不適当に真似をしだして 自殺やうつを発症されたらかなわん。 どうせ書いても脊髄反射で反論するだけだし。 ネットで書いてある内容は公刊の書籍と同じく、 書いても問題のない範囲に限定されているだとわかった上で読もうぜ。 あと瞑想しないならラマナスレに来て何するんだ。 瞑想と真我探求は異なるとかそういう返しがあるなら うれしいんだけどね。
先に進んだものは後に続くものへ慈悲と導きを与えましょう わざわざそのようにしなくとも、自らに執着やエゴがないとき、 自然とそのようになっていくでしょう そのようになっていないのなら、自と他を分け、自らの作り出したエゴに同一化してないか、 自分を振り返りましょう
152 :
神も仏も名無しさん :2013/05/30(木) 01:36:11.14 ID:7v/Kl2AY
心が開かれれば謙虚さ・信仰心・愛が自然と生じるものです 開かれざる心にどれ程集中しようとそれは冷たい石像を睨みつけるようなものです
どこにでも文句言いたいだけって奴は居るな
>152 なんかすごくよくわかる気がする。でも「心を開く」方法というのは、どちらかというと 活発な動きだとか熱い思いだとか感情的にも肉体的にもエネルギッシュな活動と関係が深い ように思う。例えば、山登りで頂上に着くと和気藹々として、麓では知らん顔してた知らない 人同士でも仲よくなる。 それに比べ瞑想は静寂が中心になる。不活発な人は壁に向かって坐るような瞑想では心が 開かないのではないだろうか? 初体験で坐禅の接心を受けたことがあるが、最初の3日間くらいは何にも分からなくて 固まっていたが、休憩の時に河原に下りて坐禅をしていたら心が開けてコツが掴めた。 そういうこともあって暫らくは朝早く河原に行って坐禅をするのが日課だった。いまは 朝河川敷を10kくらいを軽くジョギングをして見晴らしのいい公園でヨガ(ストレッチ) をするのが日課になってる。 坐禅のような静寂の練習からは遠ざかっているが、静かに 仕事をして静かに寝ている。
瞑目して座る瞑想では、まず一度自分という身体の境界(例えば全身の皮膚)を十分に感じてみて、 それから徐々にその境界が失われ、、境界がなくなり、他者を含むこの世界と一体化するように瞑想すると、 心を開く感覚、自他を区別しない感覚がわかりやすいかもしれません
俺は腰が悪いので座らないで毎朝站?功をしているが 時間が少し経つと腕を上げてる感覚は全く無くなる。
リラックスの仕方(力の抜き方)が分からない人は、一度思いきり力を入れて、 それから力を抜くことで、リラックスできるといいます それと同じように、自分という境界の失い方の分からない人は、一度自分の境界をきちんと感じてみて、 それからそれが失われるように、手放していくようにすると、分かりやすいかもしれません
>158 うーむ。現実世界は酔っぱらって天国から落ちた感じ。天国を基準にしたら現実世界は ミュージカルみたいな感じじゃなかろうか? 今日エホバの証人が来たが、何ともどうにも対応に困った。そちら側に行く人のことは良く わかる気がするし自分も気持ちを込めたらそっちに行ける。酔っぱらった人は素面の人を 見れば 「酔えないのか? だめな奴だな」と思うだろうが、別に酔えない分けじゃなくて 今は醒めているだけだ。その気になれば自分にも神様はチャンと見える。 宗教は強烈なイメージを使って気持ち良く酔うことだが、それになかなかの美酒だとは 思うのだけれど、色々メンテが面倒だし中毒になりそうで怖い。一時期自分では全くの 素面で正常だと思うのに、実際には酔いが醒めていないことが数年間あった。 そもそも自分の場合はそんなに高い酒を飲まなくても、ウーロン茶でも空気を吸ってる だけでも酔えるので宗教は勿体ない。
>156 自分も毎朝站椿功をしていたことがある。腿が太くなったのを覚えている。太極拳の教室で 教えてもらった方法でかなり腰を落としてやるのでしんどくて2か月くらいでやめたけど 頭頂のチャクラが開いた。 気功では宗教のように人格紳は使わないが、気のボールだとか水に浮かんでるようにとか 豊かなイメージを使う。自発動功がわりと好きだが、これもイメージを使ってそっちの世界に 入り込む感じでやると上手くいく。 (もっとも自発動功とはいわないでインプロビゼーションというが、、) 坐禅や瞑想などはイメージを積極的には使わないのが正しいやり方だと思うが、強く入り込む 人は人格紳などのイメージを使っているように思う。
後世に正しい真理を伝えようと悟り人自らが筆をとったのは シャンカラが初じゃないかと思うからな 釈迦もイエスも弟子と呼ばれた人物の記憶だよりの伝聞だし 釈迦も真理は一つしかないとか言ってカルト思想とか争ったらしいし イエスも間違ったユダヤ教相手とは議論して正してる シャンカラも大乗とはかなり議論してるから 排他的なようだが基本的にはアドヴァイタのみが正しい真理の究極だと俺は思う
>>160 何が言いたいの?
頭頂なんてとっくに開いてるし、2ヶ月で挫折した人に気功のサイトや本になら
何処にでも書いているような情報を指導してして貰うほど初心者では無いが?
ちなみに私は太極拳も20年弱やっている。
あっそなの。 20年とはすごいね。太極拳はおばちゃんにまじって半年くらいはやったよ。 俺は1週間もしないうちに閉じたよ。ずっと開いてたらどうなんだろね。
パッカーンと常に開いてる訳じゃないからね。 まあ普通に生活していても姿勢を正すと頭頂はチリチリしてる事多いね。 氣をコントロールすることはまだ出来ないから、気が頭に昇って 眠れないこととかはたまにある。
「トランスと瞑想は全く違う」というのが瞑想の側の説明だとおもうが、自分的には どうも良く似ているように感じる。とはいえある種の(危険なと言っていいかどうかは 分からないが)傾向はかなりあって、イメージを使う人はそこに嵌りやすい。宗教に 代表されるような酔いかたをするように思う。何十年もそこに嵌ってしまうとベテランに なってしまう。そこまで行くと覚ますのは恐らく不可能だろう。
なぜ
>>162 が
>>160 に切れているのかわからない。
怒る理由があるとしたら162自身の中しかないと思うが、何で切れたの?
教えて教えて
その前に俺が切れてると思う理由を教えてくれ
いやあまりにも
>>162 に対して失礼なこと書いてないかね。
20年やってるというプライドが傷ついたのかなぁと。ちがうかな。いや、そうだよね。
違ってたらごめんね。
あれ読んで切れてないとしたら、ふだんからああいう感じなんですね。
だからあれを失礼だと思う理由を教えてくれって
じゃなかった、×162○160 ほんと純然たる興味なんだけど、160は指導もしてないし、単に自分の経験はなしてるだけなのに、 それがストレートに162の中に入っていかず、なんらかのバイアスかかってるような気がしてね。 っていうか、普通あの反応はしないだろ。
基本的には大量の料理のレシピより 一つでも作って食べて旨いのほうが遥かに正しく 旨かったよりも今旨いのほうが更に正しい 真のリアルは今だけだ過去にも未来にもないな
>>170 普通って言うのは何かね?
あなたが俺のレスを読んでそう思ったらそれが普通の事なのかね?
単なる経験を語ったレスを指導と受け取るとことか。 相手を挫折者といい、こっちゃ初心者じゃないとか、別にくらべっこじゃない話を くらべっこにするところとか。飛躍の仕方がちょっとビックリしたんで書き込んだ。 まあ普段からそういう話し方する人なんかね。
ま、太極拳20年続けても腰痛もちで、コンプレックス抱えていろんなものに挫折したってところですかね。 と書いてもまあ、彼には失礼に当たらないんだろうな。 てなわけで気にしないで寝よ。
イメージを使うトランス状態はトランス状態との同一化 トランス状態との同一化で普段の日常意識が消えるので、それを有意義とみなす 瞑想がイメージやトランス状態に否定的なのは、 日常意識は日常意識との同一化、トランス状態はトランス状態との同一化で、 同一化という点では大した違いがないとみなすからでしょうね 瞑想においては、同一化を落とすことが目的ですから イメージを使う場合も、同一化ではなく(形式としては同一化のようにするとしても)、 あくまで道具として使うということでしょう
>>173 >気功では宗教のように人格紳は使わないが、気のボールだとか水に浮かんでるようにとか
>豊かなイメージを使う。自発動功がわりと好きだが、これもイメージを使ってそっちの世界に
>入り込む感じでやると上手くいく。
俺にアンカーを付けてこう書いてるから、そんな事は気功に興味を持った事がある人なら
誰でも知ってるいる情報だし、自分はこれくらいやってるとただ伝えただけだが?
で、それに対して
>>163 も普通にレスを返した。
あなたが気に入らないというだけで何の問題も起きていないんだが?
>>174 あなたの言い分だとあなたのこの書き込みは、切れてるという事に成るのかな。
>怒る理由があるとしたら162自身の中しかないと思うが、
とあなた自身が語ってる通り、俺の書き込みを見て俺に対して起きた
あなたの感情は、あなた自身の問題でしかない。
しかしあなたは、色々妄想が止まりませんな。
よく、何をしてもエゴであっても真我なのだからいいという言い方をする人がいるけれど、 それはそういう真我のイメージと同一化してるだけで、以前と何もかわっていない 私という意識で何かをしてしまうことをやめて、同一化が消え、そのままでありながら、 全てに真我が現れてくること、それがちゃんとわかること、 などは、トランスと瞑想の違いと同じでしょう
そうだね、思考や自我がある限り 悟ったとならないよね トランスや瞑想とかチャクラとか深い眠りでは 考えないどころかいちいち気付きさえしないからな ただ今だけあるって感じなのだろうな
ラマナも言ってたもんな 気付いたら何日も経ってたとかが素晴らしい沈黙だとか
180 :
神も仏も名無しさん :2013/05/31(金) 03:49:09.97 ID:TElbqHxf
責めの粗衣を背に纏い
私は栄辱の瓶を石へと叩きつける
一体それが何だと言うのでしょう
ハイダル様、ハイダル様、石へと叩きつけるのです
人が何と言おうが知れたこと
信者らはワインへの愛を禁じられたことだと言う
それに充たされ飲み干す罪は私にある
一体それが何だと言うのでしょう
ハイダル様、ハイダル様、罪は私にあるのです
人が何と言おうが知れたこと
時に天高く舞い上がり、私は世界を見る
そして時に私が地上に降り立てば、世界が私を見る
人が何と言おうが知れたこと
ハイダル様、ハイダル様、世界が私を見るのです
一体それが何だと言うのでしょう
時に私はマドラサに出かけ神の理を学ぶ
そして時に飲み屋へと向かへば愛の刹那に浸る
人が何と言おうが知れたこと
ハイダル様、ハイダル様、私は愛故に飲むのです
一体それが何だと言うのでしょう
もしある者がこのネシミに「最愛の方と共にあるお前は素晴らしい」と言ったとて
私が素晴らしかろうがなかろうが
一体それが何だと言うのでしょう
ハイダル様、ハイダル様、最愛の方は私のものです
人が何と言おうが知れたこと!
http://www.youtube.com/watch?v=MzS917_NFHs
183 :
神も仏も名無しさん :2013/06/01(土) 01:31:41.41 ID:rCi5gzsh
伊藤和夫とか大学受験でお世話になったな
積読やってる俺がいうのもあれだが、きれいに飾るより読め 元のカバーはずして厚紙でカバー作るといいぞ
なんで上から?
186 :
神も仏も名無しさん :2013/06/01(土) 11:32:27.84 ID:X/y+v/Bp
>184 >元のカバーはずして厚紙でカバー作るといいぞ 厚紙でカバー作る具体的方法を知りたいんだけど紹介しているサイトなどありますか?
本は裸が一番。
たいていの本は買ったら紙のカバーはゴミ箱行きだけど
聖書とか一番信頼を寄せている聖者の本は難しいね。
最近はパソコンでKindle本を読むことが多いけど、
中には何度か読み進めていたり、他の本を開いた後など
Kindle for PCがハングアップするKindle本もあるね。
うちではラメッシのConfusion No More(※)がよくハングアップする。
一時的に本を削除して再ダウンロードするとしばらくは大丈夫だけど。
強制終了が必要なことが多い。結構なところまで読んでて先々読む本として
Back to the truth:5000 years〜買ってから。
※この本にもWho Caresという100ページ超の章があって、
>>3 のWho Cares?!
の本文と最初と最後が同じでだったので同じ内容と判断して読み飛ばした。
ただし、Who Caresの本の方は付録にBhakti and Jnanaという文章や用語集がある。
Kindle本価格としてはConfusion No Moreの方が安い。
ただし、読みはじめからしばらくは別人が書いてるのかと思うくらい
Who CaresやConsciousness Speaksとは文体の感じが違った。
普通にブックカバー買うとか・・・
外で読むものにはまともなブックカバーつけたほうがいいかもな
本屋でしてもらうブックカバーじゃ駄目なの? 俺は逆に裸で読んで、しまう時にブックカバーを付けるけどね。 夏場は手汗かくからお勧めは出来ないけど。
本屋のカバーでも別にいいよ 俺は通販で買ったからカバー作ってるだけ 近所の本屋は精神世界系の本の入荷があんまりない 対話に関しては置いてあるの見たことが無い
193 :
神も仏も名無しさん :2013/06/01(土) 13:52:47.06 ID:X/y+v/Bp
>188 丁寧に教えてくれてありがとう。
>>182 の本はすべて東急ハンズで売られている透明のブックカバーを使っている。
上段の英語の参考書は帯をすべて外しているが、下段とさらにその人の段にあるアドヴァイタ、ACIM関連本は
帯をつけたままでブックカバーの袖に通している。
本についている帯は日本の出版文化特有のものだそうで、
古本の世界では初版本の帯が綺麗に保存されているかどうかで本の価値も雲泥の差が生じるとのこと。
別にこれらの本を将来売ろうとも思わないけど、本はすぐに絶版になるし、
とりあえず目ぼしいタイトルの本が出たらすぐに買ってハンズのブックカバーで帯ごと保護するようにしている。
外に持ち歩くときは、さらにその上から革製のしっかりとしたブックカバーで覆って持ちだす。
ある小説の帯つきをわざわざ買いなおしたことがあるわ
あっても無くても本の内容には関係ないんだよな
俺はカバーだけ別の入れ物にしまって日光避けて保管してる
カバー劣化してもしなくても本の内容ry
>>193 ここ3年で5本の指に入るほど丁寧な説明だったと自負している
>>182 マスター英文法と和文英訳の修業、英文標準問題精講は
30数年前に買った覚えがあるけど、あまり使わなかったな。
英文解釈教室にはずいぶんとお世話になった。
本棚に見えないので言うと、
試験にでる英文法は文法の根幹教材としてずっと使ってた。
文法は好きだったので使い捨てで文標や基礎英文法、実戦英文法、
江川某かの薄い問題集、駿台の文頻などもやった覚えがある。
文頻を除き高校2年のときだと思うけど、文法の勉強と基礎固めに。
にしてもカバーきれいだね。
高校のときからカバーは本を開く前に捨ててる。
試験にでる英文法はいきなり不定詞から始まっているのが斬新だった。 当時は駿台の文頻とでる文、文標の3冊さえやれば英文法問題に関しては怖いものなし、 とエール出版社の私の大学合格参考書作戦等に書かれていたのを覚えている。 僕が実際に最終頁までやり遂げることができたのは文頻だけだったが(笑) あの当時は藤本憲幸の記憶術とそれに関連してハタヨガや玄米食等には関心があったが、 真我がどうのとか、エゴがどうの、マーヤがどうした、なんてことは知る由もなかったし、 そんなことに関心を寄せる必要性必然性もなかった。 ただただ目の前の課題に取り組み、目指す大学の学部に合格しさえすればそれでよかったのだ。 勉強しながらついついタモリやたけしのオールナイトニッポンに聞き入りつつ、 いつのまにやら寝入ってしまい、はたと気づいたときには外はすでに白々と明けていて、 オールナイトはとっくに終わっており、ラジオからは旺文社のラ講が流れていて、 数学の寺田文行先生が、「問題は解けるようにできているんです」と、あの独特の声で 講談師のように喋っていたのはもう何十年前のことだろうか。 今この歳になって、「ほとんどすべての問題に解答はない」ということこそ真実だと知り、 将来ACIMを原書で読みたいとの思いから始めた英語学習の再開ではあったが、 本当は「問題にはすべて正解がある」ことが当たり前だった、高校生のあの頃に 単に先祖返りしたいだけだ、というのが自分の本当の本音なのかもしれない。
なんの話してんだよw
カバー如きで何顔真っ赤にしてんだ
200 :
神も仏も名無しさん :2013/06/01(土) 18:47:21.37 ID:mqlOuV5T
我々は我々の本質を覆う5つのカバーを除かねばならない。
201 :
神も仏も名無しさん :2013/06/01(土) 18:57:12.79 ID:s2z2Yhp4
>カバー如き 腰布一つも執着
202 :
神も仏も名無しさん :2013/06/01(土) 21:09:34.11 ID:mqlOuV5T
放棄とは心の執着の放棄であり、外側のことではない。
英語のときは高校受験だろうとセンター試験だろうともれなく寝ていた俺 センターで試験監督に起こされたけど、あれは見るに見かねてなのか、そういう規定なのかどっちなんだろう
みんな頭良いな、俺は不良ばかり居るようなおちこぼれ高校だった 学校の奴がカーブで事故って死んで 別に知り合いじゃ無かったけど ある日よく事故がそこ起こるから怖いなあとか思いながらそこ通ってたら バイクのハンドルがビリビリ振動しだしてそれだけだったんだけど そのような怪奇現象から俺は神霊に興味持ち出した 始まりは完全にオカルトだった
オカルトはしかし強烈だよ 現実の体験だからな 最近は聖書だろうと仏典だろうと 現実のこととして読んでるから たぶんそんな読み方をしてる俺みたいなタイプは稀だろうな 天国も地獄もこの世と同じように存在するんだろうなと 最近確信した この世だけでも太陽みたいな星なんか無数にあるのにな 実はさらに霊の世界を含めたら大きい世界があるから驚く
火の玉とかも二度も見たことあるし 高校の時に真我体験して しょっちゅうだよ、そんな奇跡見るのは もう見飽きたくらい見てきた 聖書の奇跡なんか全然現実の話として信じられる
それでいいんじゃないの? アドヴィタ的には、現実を幻のように実体ないものとみなさいって方だけど、 ようするに、天国も地獄も現実も何でも同じように見るって意味では同じだと思うよ 何でも同じように見て、同じように執着しない
そのようにしたいと最近は思っている どんな悪人でも善人でも深い眠りの間は等しく悟ってるし そのような生や死や時間の流れのような 抗えない力に逆らっても仕方ないから 何故テレビに出るような東大卒の科学者がそのような奇跡を見ないで 俺のような奇跡を見たと言っても 気の毒な奴で終わるような者が見るのもまた抗えないカルマ や逆らえない力なのだと諦めてる
209 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 02:31:35.15 ID:MVdp7eMQ
英文解釈教室だけ集中的にやったら 苦手だった英語の偏差値が一気に70超えて安定した記憶がある 向き不向きがあるし例文が難しすぎる批判があるらしいけど 俺にとっては名著だな
210 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 08:20:47.67 ID:cmMJUA2E
すごい自己顕示欲
高校中退の岩城和平が火病を起こしたようですw
また岩城和平のステマが来た
うん完全なステマだよなw どれどれ、どんな人なんだ?と検索して調べてしまうもんな。 で今週金曜日に吉祥寺でお話会があるというじゃないか。 参加費用がたったの3000円。 これは行かない手はないだろう。 本当に悟った人なのか、それとも口がうまいだけのペテン師なのか。 自分で確かめてくるしかないぞwww
ステマでは無く完璧な広告だな
うん、実態が知られるようになってきて、だんだん人の集まり悪くなっているからねぇw
>>204 俺の高校、授業中にギター弾きだしたやつがいて温厚な英語教師が切れてたww
217 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 11:11:29.84 ID:cmMJUA2E
また英語かいな。
数学はもちろん大学への数学使ってたよね? 雑誌のほうの増刊。 物理は親切な物理と新体系物理には本当にお世話になった。 化学は三國均先生の化学標準問題精講と旺文社から出てた有機反応パネル。
219 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 11:58:22.18 ID:cmMJUA2E
もう勉強できるの連呼しなくてもわかったから
220 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 12:09:37.32 ID:cmMJUA2E
バカはもうきませんから 失礼
別にいいけどあまりにもスレ違いに過ぎるだろ 自分の話したいことだけだったら適合するスレで。
222 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 12:53:16.60 ID:cmMJUA2E
地獄の沙汰も金次第といいますね。 こんなとこでもまた学歴ですか この世に居場所なんてない
223 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 12:58:26.87 ID:cmMJUA2E
いじめも恩寵か
昔使ってた懐かしい参考書の名前書いただけで学歴自慢とかw 俺は確かに旧帝大出身だが、そんなことは今まで一度も書いてないしなw
225 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 14:12:39.52 ID:u2si5kx0
君は何が言いたいんだ
自分より他人を見てると、今ある業の上に、新たに業を積み重ねてしまうだろうね
227 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 15:40:02.17 ID:cmMJUA2E
2chねらーってすぐ自分より下の人間を探して優越感に浸るんですね。
228 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 15:42:41.45 ID:cmMJUA2E
犯罪者と賢者は紙一重なのかもしれませんね。 2chには見切りをつけました。 スレ汚し失礼しました。
彼は確実に戻ってくる
学歴や勉強の話になると報われない自分のことを誰かに慮って欲しいわけだよ 他人に自分のことについて考えて欲しいんだな それが叶わないと苦が生じる 自分のことは自分で考えて、自分の身は自分で思いやればいいんだけど、 それだと自己完結しちゃって自分が世の中に負けた気分になって惨めになるんだな そういうの見切って捨てりゃいいのに
231 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 17:12:03.57 ID:Wcz32t4K
そんなことより瞑想の話をしようぜ。
そういや大型書店の高校参考書エリアにいい年こいた冴えないおっさんがうろつくのたまに 見かけるがここでネチネチ書き込んでる奴らもこんな感じなんだろうなあww
大人になってから勉強やりなおす必要に迫られたか 趣味に関係するから自主的にそうしようとしてるだけじゃね
>>228 学歴と人格、学歴と霊的向上が関係あるかな?絶対無いよね。
だから、戻ってきなよ。
英文解釈教室とかオレンジ色の表紙の頻出なんとかとか、山川の日本史とか、
なつかしいな。でも今の自分にはまったく結びついてない。
学校のお勉強なんて、機械的な反復練習だよ。
スクワットと同じで、やったからって、霊性があがる訳じゃない。
ここでスレ違いの話やってた奴が間違ってるし、君を咎めるほうがおかしい。
むしろ、なんか糞くだらない外的な肩書きやお勉強の話にゲンナリしてる君のほうが、
本質的な人間性を保ってるような気がするな。
開き直って自分のスレ違い発言を省みないような奴よりね。
236 :
神も仏も名無しさん :2013/06/02(日) 22:47:04.38 ID:I5AximmX
シャンブの話はまだですか?
肌の色が青色で 嫁さんに踏まれている あの変な神さんのことか。 あんなん人間の妄想だから真我とは関係ないぞ。 ラマナはシヴァについて度々言及しているけど 肌の色が青色とか男性器の形しているとか言ってないし。 というかインドの連中のはなはだ勘違いなんだが シヴァの本質であるリンガムはエネルギーの柱であって まかりまちがってもチンコじゃない。
シャンブ近々読もうと思ってたけどそういう内容なの?
>>234 やさしいな。とうぜあの時ちゃんと勉強していい大学にいけば俺の人生だって…!!俺の人生だって…!!
に決まってるだろうwあの哀愁漂う背中が物語ってるのさ
試験には目標もあるし合格すれば良いだけだが 人生にはそのようなわかりやすい答えは無いと 言いたいことは実にわかるよ でも誰でも寝てる間の熟睡中は悟ってるし罪は無いからね 自己の内面に答えはあるにも関わらず 外界に答え求めるから多くの場合に迷うのだとラマナはそんな風に説くね
ラマナ・マハルシとの対話って三巻全部読んだほうが良いと思う?
夢って考えているという自覚なしに生成されていくよな 明らかに自分が考えて夢を作り出しているのにさ
>>241 読んでみたい気がするなら読めばいいんじゃないかな。
人が知ってて自分が知らない大切なことが書いてあるかも知れない
という強迫観念的なもので読もうかどうしようか迷ってるんだったら、
なんとなく読みたくなるまで読まずにおくのがいいんじゃないかな。
自分は読んでないけど平気だよ。本はあるけど、いつ読むかわからない。
>三巻全部
対話集でしょ。質問を受けるのがずっとラマナマハルシなら
どの箇所もきっと金太郎飴(ラマナマハルシ)。
244 :
神も仏も名無しさん :2013/06/03(月) 17:20:30.84 ID:FMfG15GD
答えは本ではなく、心の中にある 禅もそんな感じでしょ。 それに気づいてからは、本におもきを置かなくなった。 ただひととおり呼んだのは無駄では中ったかな。
245 :
神も仏も名無しさん :2013/06/03(月) 17:30:18.81 ID:FMfG15GD
>>242 夢をつくり出しているように、自分で人生をつくり出しているんだろうか。
初学の段階では先人の知恵を学ぶために 経典や書籍を重視する。 中途では文字ではなく体験こそが重要と知って 聖典よりも師との交流や瞑想に重きをおく。 出来るようになったあとは 後進に教えるために 先師の書籍を紐解くようになる。 自分がどこにいるかで、本の価値は異なってくるよ。 とりあえず読んでみること。 ラマナの本はどこでも同じことを書いている金太郎飴だけど 繰り返し読むことで理解が深まることも確かだから。
マハルシとの対話の1巻に古い弟子のラーマクリシュナが質問した。 という文章が出てくるんだけど、これってあのラーマクリシュナの福音の人? マハルシの弟子だったの?
248 :
神も仏も名無しさん :2013/06/04(火) 08:01:08.62 ID:tbgTxRoH
弟子のラーマクリシュナは、ラーマクリシュナ・パラマンサとは違う人です。 ラーマクリシュナ・パラマンサはマハルシが7歳ぐらの時に亡くなっています。
真理を極めたいなら普通の発想では理解できないだろうね 人には良いところも悪いところもあり 寝てる間の熟睡中は全ての人は善であり そして眠りとか人が抗えない天災のような力ではある イエスだって一回はユダは自分が選んだ弟子なのだからな 地球の常識の話でなくどこか別世界の常識なんだと 割り切れないと理解は出来ないし駄目なのだと思うのだよ
影に影の原因である実物のことはわからないだろうし、 考えるのが影でも影の原因でもないエゴならなおさら。 宇宙に無数に存在するインプットどおりに動く(反応する)コンピュータが インプットの意図するところが理解できるはずと考えるのも無理がある。
空の世界から私たちがこの世界に生まれると同時に意識が生まれた。 私たちはこの世界に存在するからこそ意識がある。 悟りというのはこの世界にいながらにして空の世界を生きることだと思うのだが、 私たちの意識が空の世界で存在するということはありえないのではないか。 意識と空の世界とは相容れないのではないかと思う。
つまり、私は「悟る」ということはそもそも不可能なのではないかと思う。
その私が問題なんじゃないの?
>>254 「意識」を「私」と置き換えてもいい。
空の世界では「私」は存在し得ない。
つまり「私」は空を体験し得ないわけだ。
眠りのなかでは悟っているというが、それで満足できるのならばこの問題は一件落着だ。
だが、悟りを得たい、空を体験したいと望むのならば私の指摘することは当然問題になる。
世の覚者と称する人々はヌルい。
肝心な疑問に答えきれていない。
>>255 自我がある間はずっとそうなんじゃ無いの?
自我が消えたら悟ってるんだろうけど、その時点で「私」は無くなるんだから
だから私の問題は無くなるって事でしょ。
257 :
神も仏も名無しさん :2013/06/04(火) 13:56:14.22 ID:EK18Zguz
対象を伴うのが意識作用である パタンジャリはその意識作用を五つあげている @正しく考える思考作用 A誤って考える思考作用 B仮象で遊ぶ想像作用 C無を対象として意識が統一する睡眠作用 D思い出に浸る記憶作用 そしてこの五つの対象を伴う心的作用が停止させるのがヨーガである 対象がある限り心の作用が働いているのであり 対象がなければヤバいと思う根源的な無知が欲望の大元です 真我探究によって対象への根源的な渇仰が消えた時、対象を伴わない真我それ自体が立ちあがる 簡単に言えば対象がある限り、そして対象を伴う意識と自己の同一視がある限り、まだ先があるということです 意識を私と同一視する限り意識は空を体験しえない 体験をしたいというのが欲望であり 言ってみれば無体験こそが空なのです 無体験なるものが真実の私です 散漫と書いてしまいました
マハルシも言葉を用いるのならば、「私はなにか」などと中途半端に終わらせるのではなく、 私が空を体験するのでなければ一体なにがそれを体験するのか、 私が悟りを得るのでなければ一体何が悟りを得るのかついて説明を試みるべきだったと思う。
マハルシは私なんて無いと言ってるのに、そんな事説明するわけ無いだろ。
260 :
神も仏も名無しさん :2013/06/04(火) 14:15:34.69 ID:EK18Zguz
炎の周りを蝶が飛んでいて 誰かがこの蝶に感情移入して「あの蝶は私だ」といいます その蝶は光に導かれて炎に入り燃え付きて灰になります 炎を体験するのは蝶ですがもし炎こそが実際の私であるならば私は炎を体験してるのでなく炎であるだけです 炎を体験するにはもう一度蝶になる必要があるでしょう 体験が蝶と共に燃え付きる必要があるのです! て気取って書いてみましたよw
正直何言ってるかさっぱり分からない
仏教の縁起とか最先端の科学と比較しても矛盾しないとか言うが シャンカラは日本に居たのか居なかったのかわからない 聖徳太子の時代にダークマターや粒子が在るのを知ってたような そのようなことを言ってたわけだからな この時代進んだローマでも被像物と霊はまったく別な物だと信じられてたのに 真面目にシャンカラ文書は学者が調べて欲しいくらいオーパーツだよ
マハルシは私なんて無いと言ってるというのは語弊があるね。 自我という意味の私が無いとういう意味です。
「私の次の思考はどこからくる?」
265 :
神も仏も名無しさん :2013/06/04(火) 17:19:27.19 ID:h+Jt3aho
自由意志がないのになぜカルマをつくれるのですか? これも神のきまぐれ?
>>257 >意識を私と同一視する限り意識は空を体験しえない
>体験をしたいというのが欲望であり
>言ってみれば無体験こそが空なのです
>無体験なるものが真実の私です
これに関して私なりに考えてみたのですが、「私」のなかには「意識」と「自我」とがある。
「意識」はあるかないかの問題で、「自我」は「意識」のあり方の問題だ。
「意識」はスクリーンのようなもので、「自我」はそのスクリーンに映像を映し出す映写機のようなものだ。
睡眠中の無自我の状態では「意識」というスクリーンにはなにも映らない。
「意識」と「自我」とはこのような関係ではなかろうか。
そして、そのスクリーンが反転して空の世界を向いた時、我々は空を体験するのだろうか。 それとも「意識」それ自体が空なのだろうか。 空の世界からこの存在の世界に生ずるときに、 まず「意識」が生まれ、それから「自我」が形成されるのかなあと漠然と思ったりもする。
だが、正確に自己観察をすれば、 「意識」と「自我」との関係について考察しているもうひとつのなにかも私のなかにあるんだよなあ。 全くもってワケがわからなくなる。
>>265 そのカルマも含めて過去未来のすべての存在を含んだ宇宙の青写真がどこかにあるのかも?
関係ないですけど、自分の場合は、考えてもわからないことを追究するよりも、
行為者としての意識が自他の区別や自他の対立、自分に対しては苦しみを生み、
他人に対しては憎しみを生むといった考え方や、人間には自由意志はなく
自分の行為も他人の行為も起こるものと考え、「御心のままに」という姿勢で、
運命は受け入れるが、行為の結果は享受しないという生き方のほうに魅力を感じます。
>>264 だぶん思考が思考を生むのだと思う。
思考の集積である程度の自我が形成されると、
あとは条件反射的に思考の上に思考が積み重ねられて、さらに自我が肥大するのではないかな。
そして、私たちはその肥大した自我に主体性がある、それが私であると錯覚しているのではなかろうか。
272 :
神も仏も名無しさん :2013/06/04(火) 20:35:06.26 ID:EK18Zguz
ヨーガ・スートラやサーンキヤの立場から言えば 意識はチッタ(心)の部分だで 自我はアハンカーラで その奥にさらにブッディ(英知)があり これらはプラクリティを基礎にした対象なのでなるほどなと気付けます わしは悟ったわい!というのはどんなに高くてもブッディとの同一視の状態です さらに奥にプルシャ(真我)がありますが これは見る者です そして見たい聞きたい悟りたいという対象への執着がなくなれば 見る者は対象という杖や餌あるいは鎖を離れて自由となります 反転している状態は真我探究の状態でしょう
>>272 どうもありがとう。
ここは私の問題意識に沿った良スレです。
ヨーガスートラはサンキャ・ヨーガ派の書物だから ラマナの思想であるアドヴァイタとは微妙に異なる。 具体的に言うと サンキャ思想では分離を目的として、アートマンの独存で終わるけれど サンキャ以前のウパニシャッドでは分離したあとにブラフマンとの合一と融合がある。 ラマナの真我探求だけではサンキャ派の結末までしかいけないが ラマナ自身は明確にブラフマンとの合一ができていた。 肉体感覚が消滅して精神作用が断滅しても そこで終わりではない。 古代インドではそこからさらに先、 神との合一するための思想と技術が確かにあった。 で同様の技術は中華の丹道や日本の禅宗にもあるわけで。 何もしないのが正解なのは確かなんだけど 何もしない状態を作るのに技術が必要になるのも事実。 技術的な伝承に欠けているから、 Kやアドヴァイタ系聖者は覚者を増やせなかったんだろうなあ。
275 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 09:19:18.42 ID:F9trgXcd
知的な話がでたので、ちょっとしたお遊びにて。気を悪くしないでね。 >サンキャ思想では分離を目的として、アートマンの独存で終わるけれど サンキャ以前のウパニシャッドでは分離したあとにブラフマンとの合一と融合がある。 サンキャ思想とか知らないが、アートマンが独り存在するなら、その他に合一などできない。 それが即ち、ブラフマンである、となる。つまり、ブラフマンと合一という次の段階などない。 >ラマナの真我探求だけではサンキャ派の結末までしかいけないが、 ラマナ自身は明確にブラフマンとの合一ができていた 矛盾してる。ラマナ・マハルシは自分で行った方法を教えている。 その方法をつかえばマハルシが到達した地点に最終的に行きつくはず。 272には反論ないけどね。
ラマナは真我探求して真我実現できたんじゃなくて、 仮死状態のような体験からそうなったんじゃないの? 自分の真我実現から、それによい方法を述べてるだけで、 ラマナ自身がラマナの言うような真我探求して、 真我実現できたわけではないと思ってたけど。
277 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 11:44:12.92 ID:F9trgXcd
う〜ん、確かにマハルシがはっきりそう言ったわけじゃないんですが、 真我実現の体験では「私は何か」と問いかけていますから、根本は同じじゃないかと思います。 仮死状態は確かにマハルシ特有のものと言ってもいいかもしれませんが、 その後は「私は誰か」という皆に説いた方法を自然に経ていると思います。 ただ、探求は一瞬で終わったようです。 だから、思考が起こって探求からはずれたら探求に戻るとかの過程は一切なかったようですね。
>「私は誰か」 「私は誰か」というのは、「私」を調べるために問いかけたものではなく、 答えが出ないことを前提に、雑念が浮かんだときに新たな思考を生まないための 問いかけとして使われたものだというのを、複数の人の本で読んだことがあります。
279 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 12:14:57.12 ID:F9trgXcd
>>278 それは間違いです。雑念が起こった時は、「この雑念は誰に起こったのか」ですね。
答えは「私に」となり、それから「私は誰か」となります。
281 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 12:30:38.03 ID:F9trgXcd
まず自我が生起してから諸々の想念が湧くからしょうがない
>>281 (笑) ← こういうのはここではやめましょうよ
284 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 12:41:33.41 ID:F9trgXcd
>>283 (笑)は和ませるために使ったのですが、気分を害したのなら申し訳ありませんですた。
285 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 13:07:47.39 ID:F9trgXcd
うわあ、「ですた」になってる。ふざけたわけじゃなくて、単なるミスです・・・
気にすんな、岩城和平の会合にさんかしてるような馬鹿よりはよっぽどマシだ。
>>275 酔って書いたから間違っていた。
アートマンではなくプルシャが独存するわけで。
でブラフマンとアートマンは同じ性質のものだけれども
アートマンの認識イコールブラフマンとの合一じゃないよ。
詳しくはヨーガスートラができるようになったら必要な
カタ・ウパニシャッドでも読んでくださいな。
ほんでラマナの真我探求は、ラマナの面前で行うのが基本だから。
「私とはいったい何なのか」とたずねると
心意識の運転が止まっていき、肉体の感覚が薄れていく。
その状態でラマナの面前に座ると真我の実現ができる。
技術的に真我探求は師の前に座る準備段階をクリアするためのもので
一人で最後まで行けるようにはなっていない。
グルがいないときは次善の策として聖地に行くのもありだけど。
生きた師もなし・聖地もなしで一人修行してできたら大天才だよ。
世の中は広いからそういう例外もいるかもしれないけどね。
288 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 14:13:09.45 ID:F9trgXcd
>>287 マハルシだとアートマン=ブラフマン=プルシャだから、そちらはややこしいん
ですね。独存するなら同じことなんだけどな。
>ほんでラマナの真我探求は、ラマナの面前で行うのが基本だから。
技術的に真我探求は師の前に座る準備段階をクリアするためのもので
一人で最後まで行けるようにはなっていない。
これは明確に間違いですね。そういうことはどこにも書いてないし、逆にどこでも
行えるって言ってますからね。生きたグルがいたらそれに越したことないけどね。
まあ、グルなしでは難しいのには同意します。
289 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 14:25:21.20 ID:4CPzEm56
グルなど実は幻想であった
ラマナってぶっちゃけ変わってるなと思うよ 何らかの意思はあったに違いないが 他の神の化身と違って 自らの魂の完成も目的にあって 世に生まれてきたのかも知れないくらい 激動の時代に現れながらもまるで世俗に関心ない
サイババいわく人間の反応だけは理解出来ないとか 人間獅子を見て有り難がる者も居れば怖がる者も居るから ラマナのような完全沈黙な神の化身のほうが慕われるのも 人間の気紛れな心ってやつなのかも知れないな
292 :
神も仏も名無しさん :2013/06/05(水) 16:07:07.60 ID:4CPzEm56
すべてなんにもないのに勝手に自我が解釈するだけさ。 だから”〜の名言”とか注目されるなんにもねーのさ。
まあ、神はまるで急いでないからね 人間がここまで来るまでに46億年 イエスの周りのユダヤ人はお前が本当に神なら 今すぐに答えを出せとか強気だったが その彼らも何回も何回もおおよそ生まれ変わって 神の化身ってのはとにかくそんなスタンスらしい 逆を言えば人なんかそのような小さな存在だよ
この手の議論をしていて面白いのは 神という言葉の定義は人によって異なるところだね。 同じ言葉で議論しているのに 頭の中で考えている内容が全く違うから 会話が食い違うわけで。 それをわかった上で酒の肴に楽しんでいるから 俺としては問題ないのだけれど。 さしあたりアブラハムの宗教の神であるゴッドと 古代インドやラマナの言う神が 全く異なる存在であることを理解したほうがいいよね。 俺が世界を六日で創ったんだぜなんて 古代インドの神は言ってないから。 青い色した踊ってるおっさんは、ヒンドゥー教から出てきた妄想だから あれは現代インドの神であって古代インドの神じゃないよ。
295 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 06:06:20.13 ID:KsN6vtm6
ヴィヴェーカーナンダも若い頃分かったような風をして 親切にもラーマクリシュナに向かって同じような 形をもった神の土くれ妄想説を滔々と講釈したものです
今日ジョギングしてたら亀が3匹甲羅干ししてたよ。世界中にいろんな聖地があって何処にも 行ったことはないが、ここと同じようにいいところなんだろなとふと思った。
>甲羅干し 天王寺公園の茶臼山の横の池の亀の甲羅干しを思い出した。 自分の場合は、住吉大社が聖地だな。 近くに住んでたときは休みの日によく行ってた。 今はなかなか行けなくなったので写真(カモ/アヒルを撮ったのが多いけど)や 昨年大河ドラマの番組終了後の予告の後に流れた映像(録画)を思い出したときに見てる。 神や神の化身も時空を超えて遍在ということなら、 今いる場所もまさしく聖地なんだろうけど。
298 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 14:08:31.50 ID:zN7uJjr8
インドへ行けと主張された輩はどうした? 日本に聖地などないと言ったじゃないか?
299 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 15:43:25.85 ID:sx90hJ0r
インドに行ってグルの岩城とやらが助けてくれるのか? 自由意志などないのに。 業ってなにさ。神がつくったんだろ? 犯罪者も善人も。
スピリチュアルツアー地としてのインドはもうオワコン。 未だにシルディ村なんかを敬虔な面持ちで詣でているオメデタイ奴らもいるみたいだがw 聖者ブームはカルキとカレスワールの化けの皮が剥がれて終わり、 そして悟りブームも雨後の筍のように群生し始めた自称悟ったブロガーたちのオウンゴールの連続で終焉間近。 さて、次はどんなブームが来るのかな?w
301 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 16:05:49.77 ID:sx90hJ0r
さあ
302 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 16:30:48.16 ID:sx90hJ0r
聖地にブームもへったくれもないだろ? スピだとどこでもパワースポットにするんだろうが あくまでインドだろ?インド行かなきゃ地獄に落ちるってだれかいったろ? ここで?
マハルシの本を読んでいて、深い眠りの時は私を認識していないから 真我は存在するというおおざっぱな解釈をしてるんだけど 酒のんで途中の記憶が全く無いってケースはどうなんだろう? その間は全く自分を認識してないが、周りの人からはいつもと変わらように 見えているし、記憶は無くても私としてふるまってる訳だよね。
304 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 17:20:09.69 ID:zN7uJjr8
自由意志がないのにどうにもならんだろ?
305 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 17:36:00.37 ID:KsN6vtm6
>>302 ヘラカンババは「なぜあなたは神とその被造物との間に分離を設けるのかね?」
と言ってますよ。
というわけで神が作ったこの宇宙全体が聖地です。
ニームカロリ・ババは
「全ての水がガンジス河である。
全ての土地がヴァーラーナシーである」
と言ってます。
「物理的な次元においてグルに会う必要はない。
グルは自分の外にいるわけではない」
とグルに関しても言ってますし、これは聖地についても当てはまるでしょう。
あらゆるものに神をまたグルを見てあらゆる土地を聖地と見てこそアドヴァイタじゃないですか。
神は人間の自由意志を重んじますよ
神に一歩近づけば神は必ず三歩近づきます。
しかしマーヤーに魅了されてる心には三歩神が近づいてることさえ気づけないんです。
それで「神の野郎、この俺様がせっかく努力したにも関わらず近づいてこなかった」
と恨み言を言うのです。
意志を創造したのは神です。
それをどこに向けるかは被造物の範囲内で人の自由です。
しかし神が作ったものはやがて最初のところに戻ろうとします。
あんまり早く戻られても困るのでマーヤーがもっと公園で遊んできなさいと言うんです。
仮に生まれ変わったとして うわあ〜助かったってのはあるんだろうな エゴにとって体ってのは大事なパートナーだもんな 光見て眩しいとか物触った手応えで おお〜コレコレって安心感 そもそもエゴってのがドブ川でしか生きれないような 何かがあるのかもな 片手無い人とかも無いのにも関わらず 手の先が痒くなったりするらしいからな
起きてても深い眠りとかくらい 自我無い基準なら しかし別世界だよな 真理とはそれくらい別世界の話だとは思うが 起きてる深い眠り基準が進化の究極なら あとまだ何億もかかるかもな 神はそれくらいじっくり平気で待つ用意あるから怖いよ 宇宙の雄大さや進化の歴史みたらガチだろうよ
本質的にはまったくわからんよな ネズミが何か暖かいからコタツに入るように それが人間の文明の利器とかまるでわかるはずもなく ただ暖かいからネズミはそこに居るわけで それが悟ると言うことなんだろうね
309 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 18:50:59.39 ID:KsN6vtm6
ラーマクリシュナとか見れば分かりますが聖人というのは常に神のことしか考えてないですよね 本当に悟りたいなら、まず常に神のことを考えるべきですね それが難しいからグルのことを考える 例えばラマナのことでいい 常にラマナの姿を暇さえあれば思い浮かべて、空を見ればラマナといい 川を見ればラマナといい、異性を見ればラマナという何を見てもラマナという これはやる気さえあえ誰でもできます しかしそれでラマナから思いを離すものがあればそれがグル以上の欲望の対象なわけです ひたすら何をみても狂ったようにラマナと言い続る それで三年過ごして何も変わらないかどうか見ればいいと思います 逆に言えばこれで何かが犠牲になるから嫌だと思えば本当は悟りよりそれが欲しいんですw 何を見てもラマナというのが今度は沈黙に変わればあなたがラマナだということに気づくはずですし、瞑想なんか簡単でしょう
わかりやすいね。 沈黙は好きだしラマナになっても構わないけれど、こんな日はアイスクリームは食べたいな。
311 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 19:26:41.93 ID:KsN6vtm6
実際的にはラマナにプラサードとして心で捧げてその後に自分がラマナからの恩寵としてアイスを食べればいいわけです こういう状態でラマナ中毒になれば 何をみても感動して涙が落ちるぐらいになります どっかで読んだことがあるような状態ですね これがハートが開いた状態です こうなれば誰を見ても私のグルなんだ状態ですよね こうなったら神もグルもほっておかないわけです ある場所が聖地だと思えるってことはすでに心が随分浄化されてるんだと思いますよ
313 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 20:14:08.61 ID:KsN6vtm6
自分はそれ程徹底的にはやってないですがジャパを一日最初は一万回ぐらいを2年やったら 急にインド行くことになってグルにも会えました 昔は全世界が敵であらゆる場所が地獄、体はボロボロという境地だったんですけどね その時俺は完全終了したからもうどうせ終わってんだからジャパやるしかないって始めたのがきっかけでした
>>313 今はどういう境地なんですか?
心や体との同一視はなくなりましたか?
執着などはなくなったのでしょうか?
315 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 21:07:19.44 ID:KsN6vtm6
瞑想してない時の境地はall OKですねw ワアオーーーみたいな 心と体の同一視っていうのは心と体の欲望の放棄でほとんどすみます 全ての欲望を捨て切って瞑想がおこらないとしたらそれこそ不思議です 逆に言えば欲望があるのに悟りたいというのが矛盾だと思います 全ての欲望がない状態がほとんど悟った状態です 裸でただ座ってるだけであと一人で沈黙して神を思う一生で死ねればいいやと思えるぐらい無欲な人で始めて悟れると思います そんな状態になりたくないけど悟りたいというのはわがままです その状態で瞑想したらすぐに悟りは来ると思います 思いますっていうのはそこまで行ってないからですね 自分は執着は相当捨てましたが、神から突き返されて関わらなくてはならないことも沢山あります 2ちゃんとかは気晴らしにおしゃべりしたいんでしょうねw あと多少悟ったちゃん気取ってみたりですね
>>315 心と体の欲望を放棄できてるならすごいですね
ふつうはそれがむずかしいわけですから
それはジャパを唱えたり、ハートが開くことで放棄できたわけですか?
瞑想してるときの状態はどんな状態なんですか?
どのような意味の瞑想で、どのような状態にあるのですか?
317 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 21:26:20.58 ID:/fhhbSMF
気取りたいって欲望がきえてないところが話全体の信用度を下げるなあ。 >これはやる気さえあえ誰でもできます こういう風に言って自分がやってないって・・・自分で実証してないのに無責任なこと言うなあ。
前世の記憶なんかまったく残ってないけど 小学か幼稚園の頃に空を見て 遥か昔にこの景色を見たことあるなと 確信みたいなものは感じたことはある ほんの少しだけ思い出したんだよな
人は何回も何回も何回も生まれ変わる 一回の人生でどれほどのことがわかろうかと ガンジス川河口で砂のリンガム作ってた ヨガ修業者が世界紀行で語ってたな
320 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 21:59:38.55 ID:KsN6vtm6
>>316 とりあえずジャパで十分です
瞑想はこれではない、これではないというneti netiの方向ですから
とりあえず身体→五感→心→
という具合に十分それを感じながら内側に向かうことです
静けさの方向です
だから宇宙意識と合一して粉々に自我がぶっ飛んだっていうのはないですよ
そういうのはシッディの発現でありそれが執着になったら致命的ですから
>>317 おっしゃる通りですね
でも信用してもらう必要もないですよね
別にあなたから奪わなきゃいけないものもないわけですから
嘘を言わない程度に語りました
年中無休のジャパは今ならできるし、
昔の俺でもどういう気分でやるかその秘訣を教えてくれる人がいたらできたなあって思いで書きました
とりあえず化けの皮が剥がされるといけないのでこれで終了します
修業者は自分の個人的な境地を人に語るなという言葉の意味が今よく分かりました
一般的な瞑想の話や神の話とかならいいんですが
>>320 ああいうのはやろうと思ってできるもんじゃなくて、やっぱ恩寵なんだと思うよ
322 :
神も仏も名無しさん :2013/06/06(木) 22:11:56.41 ID:KsN6vtm6
その通りですね! 神の御名を唱えようという気が起きてる時点でもう完全に全てが始まったわけですから 完全に呼ばれたってことですから 神の恩寵がなければ神の御名を人は唱えることすらできないというのは真実ですね
>>320 レスありがとうございます
ここで何を語るかは、あなたが話してるように、
相手を言葉を、このスレのそれぞれの人やそれぞれの書き込みやネットや個々の交わりを、
どれも、神やラマナだとみて行為できてるなら、
それでいいんじゃないですかね
324 :
317 :2013/06/07(金) 05:37:56.14 ID:YdbLOKyU
>>320 いや、語ってもいいと思うけど、謙虚さがないと過大評価してしまうから、それで
おかしなことになるんじゃないかと思います。
ジャパが年中無休でできるなら、私の遥か先にいらっしゃることになるなあ。自分
としては一時間でもきついですけどね。たいしたもんだ。
ガヤートリーマントラとかのジャパかな。どういう風に唱えてるんだろう。
成果があるって話は励みになりますね。
自分はジャパより、あらゆるものを神とみるほうがやりやすいな 会う人も、食べるものも、吸う空気も、聞こえる音も話も、街や日常のものも、自分の声や感情も、 自分の意識が接するもの全て、神とみなしながら接する 表面的な個々の違いにあまり反応しなくなったし、執着はずいぶん少なくなったよ 自分に都合の悪かった人やものや考えにも親しみがわくようになったし
まあ、この宇宙はものすごい広大だし 人類のここまで来た歴史も何十億年だし エゴがたった一回の人生で悟りたい真理を知りたい とか思って吠えたところで 神はあと何億も人類の進化を平気で待つ用意あるから オームや新興宗教の明日には答えだそうと騒いでも 悪カルマしか大体が生み出さないからな 大自然に逆らっても仕方ないんだっての 人は何回も何回も何回も生まれ変わる
ラマナいわく沈黙は凄いパワーや力があるらしく それは信じるしかないよなあ そんな力とは何なのかさっぱりわからないが 確かに個々のエゴの騒ぎが無いなら戦争なんか起こらない
精子にも凄いパワーが有るから、射精しちゃ駄目とか何かで読んだな。 でもあまりにも射精しないと前立腺の病気に成るんだよね。
イエスも言ってたよな 殴られたなら殴られたままにしておきなさいとか そんなことされたら殴られ損だと思うのだけど イエスの弟子のペトロも本当に訳わからんと聖書で述懐してたな
ペットの猫なんか凄いよな 人間みたいな体が大きい者相手の膝に乗ってきたり 逆に人間に懐かない野良猫なんかのほうが 長生きできない場合多いから 究極でギャンブルだな、信じるってのは 猫でもできるんだから人間にできない道理はないのだが
生まれ変わっても前世で身についた才能とか 熟睡してても変わらない真我とか 生まれつきの大金持ちとかは前世の徳とか 確かにラマナも普通の学生だったが家で寝てたら悟ったらしいし それ信じるのはギャンブルというか 生きてたら誰でもそうならざるえん 有限だから選択迫られる
損して得しろの究極だからな 殴られても在るがままにありなさいとか イエスはその態度を徹底して生き返って 終いには巨大なローマ帝国にさえ キリストの教えは認められたんだから 先人のありようや学びとは深いよなあ 現代でもその繰り返しだよ 2000年前と何も変わらない
私は最近思うことがある。 もうずっとこの世界に転生してきて悟りを求めてきたけれども、いずれの生も結局は悟れずに終わっている。 こういう人生を何回となく繰り返してきたのだろうなと。 これが私の心の奥にある漠然とした諦めや絶望感の原因なのだろう。 つまるところ、悟りを求める心が私を不幸にしている。 なんと皮肉なことでろあろうか。
なんだかもう自分の存在自体に「どうしようもなさ」を感じている。 私が悟りを求めるのもただ単に究極の快楽を求めているだけなのかもしれない。 わがままな私が単に全てを欲しがっているだけなのかもしれないと思ったりもする。 自我が悟りを求めているのだとしたら、自我が求める悟りの姿は本来のそれとは全く違うものだろう。 つまり、自我が悟りを求めている限り悟るのは不可能だと思う。
そうかもね 与えられてる今の自分を認めることができずに、 今の自分でない悟り(悟った自分)を望んでいるなら、 今の自分を認めることでしか、 悟りには近づけないのかもね 悟りを求めてる自分を手放すとかね
もうずっと前からなんとなく分かってはいた。悟りを求めているのは自我なのだと。 自分のなかの聖なる部分などではない。自我が欲張っているのだ。 悟りを得ることで自我がなんらかの満足を得ることを望んでいる。 自分のなかに真なるものがあるとしたら、たぶんそれはなにも望んでいない。 ただそこにあるだけだ。
私のなかの真なるものは私に対してなにものをも望んではいない。 だが、私は私が悟りを得ることを望んでいる。 しかし、私が描く悟りの姿はたぶん真なるものとはかけ離れたものだ。 それに気づいて真なるものに近づこうとしても、両者の距離は縮まらない。
それがなにかの弾みか間違いで真なるものから飛び出してしまった私の宿命なのだろうか。
www.youtube.com/watch?v=logXI-nA57c この人は、今は移転してるけど結構web初期からいろいろHPでupして 活動されてたけど、どういうひとなの? ramanayabysw.blogspot.jp/
340 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 01:30:41.10 ID:ZcEBxvQ2
>>338 さんは自分の文章読み返すといいですよね
私、自分の主語の多さの分、執着があるんだと思いますよ
それでいて完全に分かってる
私を減らすのは苦行ですからゆっくりゆっくり慌てずじっくりやるしかないですね
獲得するものは何もないただ減らすだけです
って分かってるんだからこんなアドバイスさえ実際はあなたには余計でしょうw
悟りへの欲求、悟りたい自我をなくすのはむずかしいよ 悟りへの欲求をなくそうとするのも自我の欲求だし 悟らなくていいとか、ありのままでいいとかも、 自然にそうなってるのではなく、そういうふうでありたいという自我の欲求の場合があると思うし でも悟りを求めてるのにも、自然な流れと、自我の欲求と、両方あると思うんだよね だから、自分が必要以上に求めなくても、自然に悟りに導かれると思ったら、 悟りへの余計な欲求の部分だけ手放しやすくなるんじゃないかなあ そもそも悟りへの欲求が過剰にわくのは、 自分は悟れないとか、悟りに導かれてないとか、 自分やこの世界や悟りを信じられてない、懐疑心や恐怖心から来てる場合も多いと思うんだよね
それって探究は始まってるの? それともゴッコの状態からぬけだせないってこと?
悟ろうなんて思わないで、妄想が浮かぶ度に、今囁いたのは誰だ?ってやればどうだろう? 俺なんか朝起きてまだ眠いなと思った瞬間に、今眠いと思ったのは誰だ?ってやってるけどね。 難しいことは分からないから、気づいた時にこれとあとは瞑想を1日20分位してるだけなんだけど。
本人がどれだけ真面目に探求してると言っても、 自分や他人からそう見えようとも、 以前と何も変わらないなら結局ゴッコでしかないだろうね 探求かゴッコかは自分自身で振り返るしかないかと
345 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 09:25:18.49 ID:ZcEBxvQ2
>>343 さんの探究してる状態と瞑想してる状態がまさしく真の状態ですよね。
IDにもI have atmaって書いてあるw
探究していない状態・瞑想していない状態が通常の自分で、
瞑想や探究から普通の状態に戻った時にやっと帰ってきたな!って思い込みがなくなればいいんですよね。
でも何十年と探究していないで身体の表面にとどまった意識状態が故郷なんだという深い思い込みがある。
人類の多くがそういう状態だから瞑想や探究しているのが何か旅してる感覚にしか思えない。
そういう感覚がなくなって難しく考えず逆転すればいいんですよね。
我々の意識は昼夜逆転したみたいなもんです。
バガヴァッド・ギーターの
「一切万物の夜に、制御者は目覚め、
万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である」ってのがそれですね。
夜を昼と思う思い込みが消えなくてはならない。
聖と俗の問題は哲学的に分かってるんだからあとは実践論としてやるしかない、
身体感覚の表面と雑念の世界を故郷と思うのを実践の場でやめなくてはならない。
まあ人間に現に今生まれてるのは もって生まれた才能みたいなものだからな いくら善良な犬だからとしても いきなり人間になるわけじゃないだろ オームみたくたった三日の修行でかなりの悟りや真理を極めたとか言うなら 大体がカルト思想だな テレビに出てる霊能者が評価されるのも 良くも悪くも適切に他人にアドバイスできる生まれもっての才能だからな オームの浅原もあの教祖になった詐欺能力はある意味で才能なんだから たった三日でそんなもん身に着くか
悟りって、 肉体を持ったまま100年前、100年後の何もない状態に(近い状態に)戻ることなんじゃないの? 自己の存在も他者の存在も必要としない状態に。 故に、悟ったからといって自分が何か特別な存在になるわけでもなく、 何か特別なこの世的な付加価値を求めてるとしたら それは悟りとは相容れないものなんじゃないのかな。 悟りという言葉は自分から使うことはないですが、イメージとして。
348 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 14:23:05.02 ID:ZcEBxvQ2
その通りですね。 ヨーガスートラでいう無想三昧というのは 心の止滅の努力が時間的に先行し、その行(サンスカーラ)のみが残るのが無想三昧 って書いてます。 道元の只管打坐の究極みたいなもんですね。 単純に言えば座ってる外形を残して、あと内面もなく何もなく世界全体と完全一致してる状態ですね。 外側から見れば座ってるという行為だけが残っている。 あとは透明だし空っぽだし世界そのものの根源と一致している。 座っている以外、一切生じないし、滅びない、内もなければ、外もない。 睡眠は寝ているという状態が内面に発生してるのでこれとは違いますね。 こういう古典的定義を理解した上でそういうものをお望みですかってことですよね。
349 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 14:32:05.03 ID:ZcEBxvQ2
心の止滅の努力が時間的に先行し、行(サンスカーラ)のみが残る。 というのが翻訳としては正しかったかもしれません。サンスカーラの定義が難しいところなのですが、 自己の内観でいえば無形の空に解消したような感じで、 外観からいうと座る行為が残ってあと過去のカルマも残存した状態というのが正しいのかもしれません。 過去のカルマも空になれば輪廻からの解脱ですよね。
そんなセミの抜け殻みたいなものに興味あるんかな? そうではなくて至高体験みたいな とこに興味があるのではないだろうか?
自我によらない「本当の悟り」の場面では劇的なことはにも起こらないのではないか。 というか、本当になにも起こらないのではないか。 ただ単に自然に自分の内面にある無駄な思考や外界に対する余計な反応が落ちるだけ。 そして、当の本人は自分が変わったとも悟ったとも思わない。 そういう「気づき」は真なるものではなく自我のものだ。 つまり、自我が気づく。真なるものに気づきはない。 なぜなら、「本当の悟り」とは本来のものが本来の状態に戻るだけのことだからだ。 だから、そこに気づきはない。
また、「本当の悟り」においては眼前の世界が変わるわけでも他人に見えない余計なものが見えるようになるわけでもない。 ただ無駄な思考や余計な反応がポロッと落ちるだけ。 自我の熱望するような劇的な現象が起きて特別な存在になるようなことはないと思う。 これらのことは自我の世界で起きることだろう。
そして、自我の世界で「誤った悟り」、「生悟り」を経験した人は「私は悟った。自分は覚者である」と宣言するだろう。 だが、彼は本当に悟ったわけではないから自我は自分が本当に悟ったのか無意識的な不安を抱える。 その内面が外界に反映されて他人を「悟っていない者」として見る。 そこで、彼は自分が悟った者だと確認する必要と他者の救済という的外れな使命感を感じて他人に「教え」を説くのではないか。 その結果として彼の教えに深入りした人たちが迷い出すと。 こういうことではなかろうか。
その自我をそこまで落とすのが才能もあると思うのだが 瞬間湯沸かし器のように短気な懲役が 寝てる時に張り手して起こしたとして 少しの修行でまったく怒らなくなるとかありえんだろ やっぱ性格ってのは三つ子は百まで変わらないとか昔から言うからな
355 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 21:13:55.54 ID:v2Lu6DY7
ラム・ダスが聖者が本物か見分けるためにインドにLSDを持っていった
「ほとんどの"聖者"は怖がってやらなかっただろう。
そっちのもよこせ。」
ニーム・カロリ・ババは明らかに常人が使用したら
精神錯乱するほどの量のLSDを服用した。
「ああこれね。入門用にはいいだろう。
しかし最強の幻覚剤は愛じゃよ」
肉体的にも精神的にもまったく変わることがなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=WfdpR7w7l5E
自分のなかの余計な反応が落ちると簡単に書いたけれど、
私も含めてこれができないから苦労している人も多いと思う。
>>354 さんのいう短気な懲役がどうすれば本当に悟れるかはわかりませんが、
彼に本当の悟りが起こるとき、たぶん彼はそれを悟りと自覚することなく彼の内面からその人格が落ち、
それまで何事もなかったかのようにシレッと人畜無害のでくの坊に変身するのではないでしょうか。
それは自我による悟りではないので、そのときの彼は内面の変化には気づかないでしょう。
世に出ているいわゆる覚者と称する人たちの内面には、 「私は悟った。他人は自分が覚者だとわかっていない」という観念があると思う。 思うに、この観念は自我から出ている。 これに対して本当の覚者にはこのような観念はない。 彼からみれば、自分を含めみな覚者でしかない。 だから、彼は他人に悟りを説かない。 「教え」を説くことなく、ただ生きただ死ぬだけだ。
連続投稿をお許し願いたい。 私は世に出ている覚者と称する人たちは本当には悟っていないのではないかと思う。 彼らの言葉の背後には自我がある。 だが、彼らは「悟りというものがある」ということを世に知らしめる意味では存在意義があると思う。 しかし、本当の悟りを得る場面では彼らの教えは役に立たないのではないか。 自我から出た教えでは本当には悟れない。 準備を整えるためには彼らの教えを捨てるべきだと思う。
まあじゃあやってごらんなせー
360 :
神も仏も名無しさん :2013/06/09(日) 21:53:44.48 ID:6pyuMPRo
>>350 覚者を「セックスの後のペニス」と表現する人もいますがね。
>>354 apperceiveという言葉があって、それが鍵なのではないでしょうか。
単なる知識や理解としてではなく、学んだことや気づいたことを
過去の経験や日常の体験に照らしてそれが真実であるということに気づき実感し、
いくつもいくつも幾度も幾度もそうした実感を心に染み渡らせて、
徐々に自然なかたちで人間が変わっていくような、そのような内面を根本的に
変えるような体験というかプラクティスが必要なのではないでしょうか。
感情は自然に起こるもので否定的な感情が涌くこと自体は自然なことですが、
たとえば、怒りの感情が起こったとしても、必ずしも起こった感情に
反応しなくてもいいという趣旨の言葉を最近読みました。
頭でわかっただけでは難しいですね。
怒りの感情に反応せず怒らなければ自分の負け、
反応して怒れば自分の勝ちということではないことは頭ではわかりますが。
わかったから終わりということでなく線路はまだ先にも続くということでしょう。
>>361 >怒りの感情が起こったとしても、必ずしも起こった感情に
>反応しなくてもいいという趣旨の言葉を最近読みました。
>頭でわかっただけでは難しいですね。
witnessとかmindfulnessとか目にしたりもしますが、
やはり普段から練習しないといざというときには難しいですね。
悟りは一対一のコミニケーションで起こる場面ごとの態度のようなものではなくて、 「この子等の為に自分の一生をささげよう」みたいな感じでおこるのではないかな。 社会的なある種のポジションにつくと普通に誰にもある程度は起こることのような気がする。 だから自我を取り除くというようなことを意図的に行わなくてもそのポジションにつけば 自然に変容がおこる。 悟りというのは個人が修行によって賢者に変容するという個人的な視点でみるよりも、教師としての 自覚ができた者の周辺に「教師と大衆という感動的関係が出来あがる」こととして理解すると 分かりやすいようにおもう。 弟子が教師になるのではなくて 教師が一人逝けば誰かがその位置を埋めるべく変容が起こる。 女王蜂が事故で死んだら、働きバチの中の一匹にホルモンに変化がおこり女王蜂に変容する。これは驚異的な 出来事だが人間にもそれと同じような機能が蜂のように繁殖ではなく知的な側面で準備されている。 自分が教師になるかどうかは既に自分の中では直感的に解っていると思う。ハードな修行だとか高名な聖者の 弟子だとかとは関係ない。
瞑想や修業のチェックポイントとして愛と謙譲の心が重要だ。 瞑想や修業をして普段の生活にあらゆるものへの愛が増し あらゆるものにますます謙虚になれたなら その瞑想は良い瞑想であり良い修業である。 修行者・瞑想家は全てのものを愛し全てのものに平伏する心がなければならない。
そんな訳ない
367 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 14:51:27.92 ID:Ir0vtJkz
(ヽ )レ レ、 r、/((ノ()ヽヘ ∧/ (人 ()(()()ヽハ r、/ () ())("ミ=Jソr=、() し, r、/())(从(r,=,r'゙三ミヽ=ミ、=()(.)r、 (()()ノr゙ソ非:Nr,===、|/l:非ミ、(()゙ヘ (()ヽ())l非l"::|)|lミ尚:=l|(|:::゙l非lY()ノlr, (ヽ)=彡l非l:::::;|)|l(バハ)||(|;::::::l非lぅ(ブノ ((),()ヾl非l::::::{ ,r''‐''‐''‐''‐、 }::::::l非l彡 (ノ)r, Z=、ぅ)}l非l:::::::V-‐-、 ,r‐-V:::::::l非l"(フ(ノ } ゝ、(),r=l非l::rn| ‐-- --‐ |::::::l非l(r'7 (ニ′ ヽ(ヽ(r='l非l|| |l r l:、 l::::l非lミ、(米)(ノ) 从()ヽ()l非l:::l=| ',\ = = /:l非l:::l非l.「l (ノ レ,r、 r,(()ヽ=ミl非l:::,r'"´ヽ lヽ`_― '´ ̄l77ッ、:ヾ「l 「「r、(.) ) (())()rl非l::::::/l |=| // ∧ハ:::l.` ""1(r,リハ ヾY゙(r,l非l:::::::/ ', __.l │ // ( )ハ::| Aミ/ノ(.).) (()ソ(rl非l::::::/ 〈r"! | ///|| 「|゙l、!==|lEl((9()/ (()r゙(l非l:::::/=、、 ハ l | /´//{゙)C|.|.|.| .l非l()(()ノ) r)) }))l非l:::ノ ,r'"⌒ヽ | r'"゙ヽ7´///l || |l |非| ()7ノ(ノl J()ニ=゙l非l/ f l_ノ┴っノ//// 〃.__ / l |l非l(人(ノ./
368 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 14:52:53.42 ID:Ir0vtJkz
ゝ ()ハ.}F/ /| l|」_三⊇ノ/|| 〈ヽ..__ノ リl非l )>ノノl ヾ,()彡/ /::|l ll|二 -‐ニ゙ /l || |:::::::ハ ll非lソ(ノ/ノ ヾ、.=/=、、/ヨ::|lヽ ノl|ニ-‐ '/ || || |::::/::::l llヲ(ノr=''レァ / ノ `ll非l|lヽ  ̄ ノll|--‐ ´ lbリ__l/::::;ィl l(フ (7ノ (/ rooo/)ミlヨ|l、  ̄ ノll|__ __((ヾ)ノ>-∈ヨ__ l r_シ7 |」87)8ぅノlミ|.ll` -‐ ll|  ̄ ))〃 _.... -''" ̄ヽ‐''′ 8'"8ヾニシ| l ll ,r‐-、fr⌒Y⌒ヽ,r''"´ ニ 二  ̄ ノ }⊃ 8o8 | l ll / ヾ'"⌒「´|ミ ‐- .... _ / ,.....8o8--‐┴ー'r'ヽ).))))__..辷ゝ`二 ____ノ‐- 、 ヾ⌒(⌒"⌒`("⌒`"⌒`ソ"⌒`"⌒ヾ⌒`"⌒/⌒`⌒)⌒ソ ヽr‐ヽ、 ("⌒`"⌒`ヽ /⌒`"⌒) /"ン \ (`"⌒ヽ /⌒`"⌒ヾ /⌒"`)/ ``丶 ...___\ ( ) ∠ -‐''"´ l三三三三三三三三l
>>364 ありがとうございます。ブックマークしました。
事典代わりにBack To The Truth: 5000 Years Of Advaitaを買ってましたが、
さっと目を通すにはやはり日本語の方が早いですね。
サイト検索もあって助かります。
気になったテーマをじっくり丁寧に読みたいと思います。
370 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 16:33:18.32 ID:Ir0vtJkz
ありがとうございます。
>>364 のブログのヒロさんは、
以前、ここで時々話題になっている岩城W氏のサットサンに参加さていたけど、
最近はまったく姿を見かけなくなった。
政治的な意味ではない、別の違和感があったのだろうと推測する。
それにしてもこの方、アドヴァイタ系指導者の会合に参加するため、
ちょくちょく海外に行かれておられるが、
結構なお金持ちなんだろうね。
あれ、なんか日本語がおかしくなった。ま、いいか。 相変わらずスマホからだと入力しづらい。
373 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 18:21:55.82 ID:iHe+chhh
ようするにペテン師ばかりってわけだ
昨晩、私の胸の中に浮かんだことを書きます。 あなたは覚者と称する人たちの教えに触れ、「悟り」というものがあることを知った。 そして、あなたは迷い、彼らの教えを捨てた。 彼らの教えを捨てたことで、準備が整った。 準備が整ったら、あとは放っておきなさい。 修行をしても本当には悟れない。修行をするのは自我だから、 修行をすれば自我が「自我の悟りの世界」を見せてくれるかもしれない。
準備が整っても、何も起こらない。 あなたはしだいに無駄なことを考えなくなり、 自己嫌悪に陥ることも、外界の出来事に腹を立てることもなくなる。 悟りへの興味もなくなる。 悟りへの興味がなくなったとき、あなたは本当に悟ったことになる。 「なんだそんなものか」と思うかもしれないが、本当の悟りとはこんなものだ。 以上です。
376 :
神も仏も名無しさん :2013/06/10(月) 22:03:09.15 ID:lK1Dlomw
でも瞑想はして下さいね
思考が宿主を置いて一人歩きをしない様にマインドフルネスかな。
儲けようと頑張っていた時は全然儲からなかったが、そういうのを度外視して出鱈目を やっていると偶然ガバッと儲かる。それが不思議なのだが、経験を重なるうちに何故 そういうことが起こるのか何となく機序のようなものが分かって儲けるコツが分かる。 儲けるという行為にはやはり罪の意識のようなものがある。ところが自然体になると罪を 意識がなくなる。自然に悪びれずにボッタクリが出来る。なので儲かる。 マインドフルネスってそんな感じだな。
そうか? 自我が無くなると自分の都合でものを見なくなるから、本当に必要なものや 売れるものが分かるように成るとか、そっちに転ぶんじゃないの?
>374 修行を自我が行っているうちは修行になっていない。それは安全にコントロールされた修行だ。 本当の修行は非常に危険で、自我はそれをコントロールできない。だから自分を投げ出さざるを得ない。 自分を完全に明け渡すことになる。そこに自我はない。だから悟りが入ってくる余地が生まれる。
悟りに対する欲望がなくなるのはいいことだと思うけど、 他の欲望が残ってたらしょうがない それじゃ、悟りの欲望より他の欲望を選択しただけだし 悟りの欲望もなく、他の欲望もなく、悟りも悟り以外のことも、同じになったらいいよね
ワームホールの向こうの景色は飛び込まないとわからないらしい もうこっちの世界には帰ってこれないが 飛び込んでみないとイチかバチか 宗教とは究極はそんなのばかりだよ こっちの世界に居て楽して知りたいとか世俗人の発想ってことだよ
>379 それもある。それでも順当に儲かる。順当に貯めこむ感じだな。 ただ「ボッタクリ」という言葉に対して罪の意識があるのだよ。罪の意識が無くなるとボッタクリも ただ金の流れになるからボッタリで得た金も綺麗に流れていく。 >381 >他の欲望が残ってたらしょうがない >それじゃ、悟りの欲望より他の欲望を選択しただけだし 多分そうはならない。 >悟りの欲望もなく、他の欲望もなく、悟りも悟り以外のことも、同じになったらいいよね 金儲けでもまったく同じだと思う。金儲けでも悟れる。
>>383 ボッタクリってようするに適正価格じゃ無い価格で売るって事だろ?
罪の意識とかの前に、そういう判断をするとは思えないんだよね
>382 そうだよ。 真面目に坐禅とかをやっているのは、金儲けを頑張ってるのと何ら変わりない。
わざわざ異常なことを、正常だ、あるいは異常だと思ってやらないってのはあるな もっとシンプルに、やる必要性が無いことはやらない 悟りに至る/至らないは、ON/OFFのようなものであるから、 悟りに至らないうちは何をやっても悟りの真似事になると思う 部分的に悟るというのは矛盾している(あるいは、そんな状態は有り得ない)とも思う
>>386 自我との同一視は誰しも割合があるから、そういう意味では、
同一視が消えることが悟りとして、
部分的に同一視が消え、部分的に悟るという言い方もあると思うよ
実際、我が消えた分だけ2元的な見方もなくなり精妙に自由になるし
同一視が全て(100%)消えることが悟り、という意味では、
部分的に悟るという言い方はおかしいかもね
悟りはひとつしかないというのと、小悟をいくつも経て大悟があるというのは、
よく悟りに関する話のネタで出るね
どっちの言い方もいいと思うけど
388 :
神も仏も名無しさん :2013/06/11(火) 14:37:35.88 ID:j7UZmR3A
いやだよ
悟りという言葉の定義がまちまち 観照意識があるていど確立されたのを純粋意識の悟りとか言うばあいもあるが 観照者は実在の質を半分持ってるだけで実在ではない その状態は輪廻からの解脱ではない 観照意識からさらに実在に目覚めることが真の悟り 仏陀やラマナマハルシ、ニサルガダッタは実在の悟り OSHOは観照意識の悟り それぞれの悟りの前に疑似体験を繰り返す場合がある これを一回一回を悟りと数えれば、悟りの回数はいくらでもありうる 白隠が「大悟18回、小悟は数知れず」といったのはこれが原因
小悟なら俺も10回は有るな
悟りとか真我とかの言葉がピンとこないのかも知れないな 今パラダイスに居るとか 釈迦いわく悟ると三界を超越できるらしいが 「三界を超越できる」のほうが言葉の響きは魅力的に聞こえるな だって悟ると救われるって感じするもんな
例えば体が不自由でこの状態から救われたい 救われたいから悟りたいとかな 釈迦が悟りを目指したきっかけってのが まるでオカルトな理由じゃなくて そういった現実的な理由だったらしいよな 釈迦の周りの人間も悟りを目指す理由が同じく現実的なんだよな 本当にそうじゃないとピンとこないよな 何かハッキリしないものを求めるとかまず意思が固まらないもんな
ラマナいわく人は救われた存在なのだが 救われてないと思い込んでるだけだとか 悟るとそれがハッキリ自覚できるということなのかな? 何か難しいな、やっぱり
ヴィパッサナーなんかの上座部仏教では
初期仏典を元に悟りの4段階を定義してるよね
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html まだ煩悩の残ってる4段階の一番下の預流果でも悟ったと言ってもいいということになってる
アドヴァイタは悟りみたいな言葉は使わないけど、いくつかのサマーディを定義してるし、
その状態を経験できるようになることで、
悟りに近づいてるとみなしていいんじゃないかなあ
実践してる人は自分の状態を文献で確かめながら進めるといいんじゃないかと思う
395 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 07:41:08.37 ID:MGWOXS4R
あげだべぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。
聖書でもイエスは言ってるからな 最後の晩餐で最悪の状況にありながらも 私は救いの中にあるが弟子にはあなたがたは罪の中にあると それが信仰義認というか 現代科学とか遥かに超越した悟りの謎ってやつだよな 光子でさえ同時に2か所に現れるらしいから そんな有限な状態にない悟りの意識は三界を超越しながら 同時に世俗に肉体はあるってことなのだろうか? とにかくエゴがあるから救いの確信ってのが無いらしい 深い眠りの中では誰もが救いにある、うーむわからんし理解は難しい
イエスって実際に何か所にも同時に現れたらしい 聖書によればだが
>ロスチャイルド系の企業には
>Rothschild Nemrod Diversified Holdings 、Rothschild Nemrod Leveraged Signature Fund
>などニムロデの名が入っているものがある
グーグルEnglishで検索するといろいろヒットするが、
会社名にRothschildは入らず、Nemrod Diversified Holdings っぽい。
会社情報を見ると、Fund Promoter(基金プロモーター)にRothschildとある。
オフショア投資通信
http://www.aoia.co.jp/blog/2009/11/_vol_20.html ○HFR European Fund of Hedge Funds Awards 2009
ヘッジファンド業界の権威ある雑誌の一つであるHFR(Hedge Fund Review)恒例、2009年の
優秀ファンドがノミネートされました。ヘッジファンド界のアカデミー賞に相当する栄冠です。
(中略)
この他、あのロスチャイルドグループのファンドである、
Nemrod Diversified Holdingsが
・ "Best performing diversified FoHF over 10 years"
・ " Best High Net Worth/ Private Client product "
の2冠に 、同じくBlackpoint Global Tradingが
・ "Best performing diversified FoHF over 3 year"
・ "Best performing diversified FoHF over 1 year"
の2冠に輝いています。ロスチャイルドグループのファンドの概要は、次回お知らせいたしますが、
早く知りたい方は、個別にお問い合わせください。
Nemrod Diversified Holdings の会社情報など
http://funds.uk.reuters.com/UK/funds/overview.asp?YYY622_ziMcjat4Jn2Fg+IWEc3RARQahisTv0ttnJJqbjdIogW9P28Up3MTBuMy1Bmx+Ant
401 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 14:46:06.91 ID:ikIYIQ1B
ラマナ自身は、いわば突発事故に遭遇してああいう境涯に到達した だから「真我はすでに実現されている」は、 苦労して道を歩いて到達した末の言明ではない ラマナ自身が経験していないので、長い道程の話がないのだ
キリスト教とミトラはまるで似てないだろ 紀元前の旧約聖書が死海文書として発見されたが 改竄なんか殆ど無かったらしい 大体ユダヤ人自体が巨大なローマ帝国に逆らって 滅んだくらい厳格にしきたりは守る民族なんだよな 教義をパクったとしたらミトラ側のほうがパクった可能性高いな ユダヤ人やキリスト教徒は実際にかなりの血と犠牲を払ってるから重みが違うわ
巨大なローマ帝国が国教としてキリスト教を公認した 経緯と重みがまるで理解できてないから 軽々しくミトラとキリスト教は似てるからパクりとか 言い放つんだよな 全然違うっての
ユダヤ人は現代でも聖地奪還とかやってるくらいだからな こいつらに損得感情は希薄と言うか 日本人の常識なんかまるでつうじない ミトラの教義をパクったとかそんな生暖かいレベルで生きてないんだよ
>教義をパクったとしたらミトラ側のほうがパクった可能性高いな まじにお茶噴いたじゃねーかww 成立した時代がミトラのほうが10世紀近く前だぞ?
ID:Tj+TLyG7 は知的障害レベルだな 相手しようかと思ったけどやめとくw
人生ってのは有限だからな 100年後にはおおよそこのスレの誰も生きてはいない それを前提に俺も会話してるわけだ 学習塾みたいに相手のレベルに合わして話す暇なんか無いんだよな 利己的な理由で何より俺が救われたいわけだ はっきり言うがかなりわかってないよミトラとか言ってる自体で そんなレベルの話は最初からしてない
過去は真我探求においてまったく役に立たないよな 未来は見えない ならば今この瞬間しかない
今ここ とかってよくスピリチュアル系とかでうるさく言うけどさ スピリチュアル系の馬鹿者たちがほんと嫌いだわ とくに女が最悪 悟りには程遠い連中が自分は霊性が高いなどと考えてやがる 409のことじゃないぞ 世に溢れてるスピリチュアル馬鹿たちのことさ 今ココの真意は、仏教で言う刹那生滅にある 世界は一瞬一瞬新たに生まれて瞬時に消滅するのを繰り返してるという はじめに自己意識を持つすべての生物の「私」というマインドの始まりの一点が生じ つぎの瞬間にそこから世界と個人が現れる 個人を超えていくにはもちろん今ココからいくしかない 「私」が始まる前にそれがどこからきたのか それを探求するのが真我探究 つまり今この瞬間自体に価値があるのではなく 今という刹那生滅の瞬間がどこから生じたのか それがこの言葉の真意
411 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 16:17:53.45 ID:1+6L0EQT
あきらめた先に、いわゆる願望が叶う道が現れる。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1370844247/l50 1 :本当にあった怖い名無し:2013/06/10(月) 15:04:07.71 ID:mZLg12fA0
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/": : : : : : : : \
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r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i /
L_, , 、 \: : : : : : : : :i / 働いたら
/●) (●> |: :__,=-、: / < 負けかなと思ってる
l イ '- |:/ tbノノ \
l ,`-=-'\ `l ι';/ \ ニート(24・男性)
ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヾ=-' / /
____ヽ::::... / ::::|
/ ̄ ::::::::::::::l `──'''' :::|
乞食をやってると、どこに行けば食い物がもらえるかが直感的に解るように なるらしい。ずいぶん以前に聴いた話だが、「そんな馬鹿な」と思いつつも記憶に 残っていたのだが、最近になって随分と心当たりがある。乞食というまでには いかないが、殆どそれに近い状態になることがしばしばあった。ほぼ絶体絶命状態 なのだが、それでも能天気をかましていると何処からともなく金が入ってくる。 「今ここ」なんて俺には高級すぎてというか当たり前すぎて良くわからんが 俺にとっては 「慌てるな、ジタバタするな、騒ぐな!!!」 みたいなことが、ラマナの言う静寂っていうのだろうな。さて散歩にでもいくか。
413 :
神も仏も名無しさん :2013/06/12(水) 18:40:04.68 ID:1+6L0EQT
>「慌てるな、ジタバタするな、騒ぐな!!!」 クリシュナムルティ「俺がなにをやったんてんだ!畜生め!」(癌と知ったとき)
>>405 そんな厳格に教えを守ってたらそもそも滅びるか?
滅ぶっていうのはその程度の信仰だったってことだよ
昔のローマにはギリシャ神とか多種多様な宗教があったらしいが
ユダヤ人やキリスト教徒ほど頑固な人種はいなかったから滅んだらしい
2000年前の資料なんか殆どと言っていいほど 現代には残っていないが その数少ない資料だけ見つけてきてこうであったとかバカバカしすぎるぞ 実際に聖書を書いた記者が当時では読み書きできるインテリであり少数派なんだからな それも複写する人物がいたから現代まで残ってるわけで 大概が紙や繊維なんかは余裕で腐って無くなるわな
紙ってそんな昔からあったのか? 中国なんかだとまだ木を薄く切った束みたいのに書いてるよね?
417 :
神も仏も名無しさん :2013/06/13(木) 12:12:29.04 ID:nj6APfZ1
解除
紙がそんな昔からあるわけないだろ 石に削るのがもっとも後世まで残せる 雨で溶けるような石では駄目だな
パピルス紙なんかだと相当古くからあるんじゃない? 昔のものはもう残ってないんだろうけど
420 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 15:57:14.36 ID:7GJm/y1j
421 :
神も仏も名無しさん :2013/06/14(金) 18:25:08.48 ID:kcoyRxi+
紙なんてなかった チャネリング
オルダス・ハクスリーは、神秘主義に関心を持って最初はラーマクリシュナの 孫弟子にあたる人に師事したが、どうもその教えは自分には合わないと離れた。 その後、ある人の紹介でクリシュナムルティに会い、以来親交を深めていった。
誤爆なんだか 脈略も関係なく唐突に書き込む奴ってなんなんだろうな これがコミュ障か
何の話?
425 :
神も仏も名無しさん :2013/06/15(土) 15:32:08.44 ID:O3UaIAKr
死ぬる話
本当の悟りとは空(くう)という大海に沈むことだと思うが、自我はいわば沈みつつある船の船長のようなものだ。
彼は沈みつつある船にもう一度浮かんでもらおうとあがき苦しむ。
こう考えたら、今の私が苦しむのは当たり前だと思うようになった。
>>374-375 の声明は多くの人の支持は得られないだろう。
むしろ圧倒的多数の人たちに無視されるか、否定的に受け止められると思う。
船長の目指すのは太陽だ。海に沈むなんて詰まらない話だから。
先の大海に沈む船にたとえれば、なにかが起こるというのは海の上の話だ。海中ではなにも起こらない。 これは「なにかが起こる世界」から「なにも起こらない世界」への移行だ。 本当の悟りにおいてはなにも起こらない。「なにかが起こる世界」から見れば、それはただ消えるように見える。 これは自我にとっては脅威だろう。自我があがき苦しむのは当然だ。 私は長い間、自分がなんでこんなに苦しむのかその原因がわからなかったが、 今では少しずつではあるがわかりつつある。 私は海中に沈みつつあったのだ。これに対する抵抗が私の苦しみだった。 今後は少しずつ沈もうと思う。
私が完全に海中に没するとき、自我は断末魔の叫びをあげるのだろうか。 そのときになってみなければわからないが、海中に没すれば苦しみやさまざまな感情的なわだかまりは消えるだろう。 そして私の内面は空っぽになる。 「私は悟った」とも思わない。本来のものが本来の状態に戻るだけだ。 海の中のことは考えないことにした。そこがどんな世界か、考えるだけ無駄というものだ。
予断はいらんのよ 余計なことあれこれ想像するから間違えるのよ
430 :
神も仏も名無しさん :2013/06/16(日) 14:19:02.58 ID:4aMjJcL/
アハ!体験
宇宙から地球を見下ろした衛星画像とか あれを信じられない両目で見るまでは なんて言ってたら一生迷いの中に生きないといけないからな 信じることで宇宙の端と目の前のコップが等しく 生まれかわりや天国や地獄も知ることと同じになる ペットの猫ちゃんでも主人から信頼得られたら 莫大な財産得て人間以上の扱いや立場を得られることもあるから バクティってのはそれだけ大切なんだなって
結局私利私欲のためのバクティーって
結局は眠りに着くまでのプロセスは問題じゃないから 利己的だろうが他人に尽くそうが 疲れて眠るってゴールは同じなんだよな 慈善事業も利益が出ないと長続きしないもんなんだよ 出来もしない理想を追求するよりはね
慈善事業とかは悟りとか解脱というのとは違うような気がする。 もちろん立派な行為だけどね。
違うじゃ無くて関係ないだな。
エゴが理解できるかできないかは問題じゃないんだよ ある人には慈善事業にしか見えないかも知れないが 本人には慈善事業では無いかもしれない 眠ることで出会う事故を回避するのは慈善と言えるのか?
仮に大地震が起こり得る場所に住んでて 大家に嫌われて引っ越すのも 地震研究家の意見を受け入れて地震を回避するのも 同じ結果が得られるだろうが 悟ることでそういった人知を超えた完全性を得られるってことだな エゴが理解できるとかできないとかでは断じてない
俺が引っかかったのはここ >ペットの猫ちゃんでも主人から信頼得られたら >莫大な財産得て人間以上の扱いや立場を得られることもあるから >バクティってのはそれだけ大切なんだなって こんな事が大切かどうかの尺度になってるんじゃ話に成らないと思っただけ
だからそんなのは問題じゃないんだっての 時間であるとか生死であるとか眠りであるとか老化であるとか そのような逆らえない抗えない力に小さなエゴが逆らってどうなるんだ? 悟るのは神の意思であり大きなそのような力だからな 根底ではその大きな流れに逆らった行動かそうでないかだけだ 一見して利己的に見えても結果は利己的ではないそれだけだ
なら財産とかが大切に思うってのは何なんだ? あんたの私利私欲だけだろ
猫が人間の財産や人権なんか理解できるか ただ主人との信頼関係で得た報酬なだけだ 何かあなたは日本語が通じないな 我々から見て利己的に見えるそれだけだ
何事も神の意志ならバクティーもクソも無いだろう しかもそれによって立場や財産が得られるから大切だって 言ってることが自分に都合良すぎるだろう 馬鹿馬鹿しくてもう相手してられないよ
ID:B/3tmhspにとってのバクティーってのは、結局見返りを求める行為と一緒だろ。 神っていうのも自分にとって使い勝手のいい道具みたいなもんだな。
そんなに利己的で無いなら植物とかも生きてるんだぜ? なんで今あなたが生きてるのか謎だわ それらを食べてるから生きれてるわけだろ? ネットするのも電気代や配線引くために環境破壊してるんだが まったく罪の無い南極のペンギンとかがそのような地球温暖化の影響受けてるし あなたがそれだけ罪もない利己心も無いビュアな高みから何故見下ろせるのが俺には謎だわ
アドヴァイタではただ生きてるだけで罪はあるし カルマはあるからな その罪の中で上手に生きる方法がダルマだし 息吸うだけで虫を吸い込むこともあるよ、そりゃあ なのに虫も殺したことないような高みから他人を裁けるとか あんた何者なんだよって感じだが
そりゃ即神仏ミイラとかの話してるなら それが最高のバクティだろ 俺はそんな高いレベルな話はしてないし それらに不満を感じるなら今すぐ即神仏を実践して 向こうの天上界に行ったほうがいいぜ 虫もペンギンも神であり我々が生きてたら生物界には迷惑だろうからな それは最高のバクティだよ俺はそこまでの決心なら止めないし実践すればいいじゃん
ちなみにアドヴァイタでは行為では悟れるとはされないからな いくら即神仏をしても心根が卑しいなら輪廻するとされてる 行為で卑しいとか正しいとか裁くのはアドヴァイタとは違うぞ 行為の結果に立場や財産を得られても精神が利己的でないなら正しい
結局自分の都合の良い事しか言ってないな
なら自分の好きに生きればいいんだよ 広大な世界で似たような価値観で生きることないだろ 全然止めてないんだけど 日本語で無く何語で書き込んでもあなたの自由だ そのくらい好きに生きてくれ
とにかく止めない 正しいと思う生き方をしてくれ 全然止めない 本当に止めない これくらい言えばさすがに伝わるだろ
植物は二酸化炭素吸うのが正義だし 人間は酸素を吸うのが正義だし 広大な世界で一つの価値観だけが正しいとか 馬鹿馬鹿しいことだな よって好きに生きてほしいし生きてくれ
最近ぶっちゃけ 今まで超えれない壁をやっと超えれたわ 悟ってはないが確実に真理に近付いたと感じる 元々あったものに気付くのが悟りなんだけど それがなかなか気付けないもんなんだよなあ〜
>>426 ,427,428
そうなんだよ、それなんだよ
何なのだろうね
ラマナの言う「私とは誰か?」が
俺もそれは本当に生命の神秘というか
エゴの存在価値というか
わからないものは釈迦の言葉とかを信じるしかないね
この強靭な壁を超えるのは一生無理だろうなあ
エゴあったら超えるのは無理なんだよ
釈迦いわく エゴを煩悩の矢とか世界のどこも動揺してるとか そんな表現してたよな 何か、う〜むって感じだな 救われてるのに救われてないと 煩悩の矢によって起こるということだろうね わかるけどエゴによって盲目になりわからないって感じだな
456 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 07:47:51.77 ID:eDxCqSey
比丘たちよ、一切は燃えている。 比丘たちよ、一切が燃えているとは、どのような事であろうか。 比丘たちよ、眼は燃えている。色(物体)は燃えている。眼の認識は燃えている。 眼の接触するところは燃えている。また、この眼の接触を縁として生ずるところの受(感覚)の、あるいは苦なる、あるいは苦でも楽でもないものも燃えているのである。では、それらは何によって燃えているのであるか。 それは貪りの火によって燃えているのであり、瞋(じん・怒り)の火によって燃えているのであり、愚かさの火によって燃えているのであり、あるいは生・老・死により愁・悲・苦・憂・悩によって燃えているのである、と私は言う。
スゲェ スッタニパータって面白いな 釈迦の言いたいことって本当にタメになる 心の迷いの素がようする問題なんだよなあ それがあるなら無明なのだが 釈迦も潜在的な心の形成とか言ってるのだが う〜む煩悩の矢かあ、自己の観察 深いわあ、かなり深いよ
たとえば熱い湯をかけられたら無意識に手足を動かすが その無意識に動かした手足や目線の動きでさえ 無明によるもので取り除かないと悟れないのか 仮にそれさえも無明であるとするなら 相当に解脱とは厳しいことなのかもなあ ちょっと弟子は釈迦にそのあたり質問しないと駄目だよな
たぶん熱湯をかけられて騒ぐのさえ 無明に属することなんだろな 真我はそういったものではないのは理解できる 釈迦ってよく悟ったもんだわ、スゲェ 相当に深い瞑想の結果なんだろな 真我とは深い眠りかあ、う〜む
エゴの塊が連投してるな
コリン・ウィルソンだったか、聖者たちの意外な共通点としてあげたのが 「数学的なことが苦手」だとw ラーマクリシュナにいたっては、「文盲」などといわれているが、実際には 自分の名前や簡単な言葉くらいは書けたらしい。弟子のアドブターナンダは 本当に無学文盲で、さすがにそれでは困るだろうとラーマクリシュナ自らが 字を教え込もうとしたが、すぐに挫折したw
高見盛がこの間TVに出ていたが、聖者というか子供の純真さを感じた。
463 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 13:56:19.28 ID:E9hesyxR
大切なのは焦燥感だ。 神は私たちの内なる案内者だ。 たとえあなたが間違った道を歩いているとしても、そんなことは構わない。 ただ「彼」を慕い求めて焦らなければならないのだ。 「彼」が御自分であなたを正しい道に置いて下さるだろう。 またどんな道にも誤りはある。 誰もが自分の時計は正しいと思っている。 しかし実際、絶対に正しい時計などというものはないのだ。 だがそれは人のすることを妨げるわけではない。 もし人が神を慕い求めて焦がれていれば、彼はサドゥー達と交わるようになり、 サドゥーの助けを借りてできる限り自分の時計を直すのだ。 byラーマクリシュナ
464 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 15:48:34.23 ID:sAwy2gFQ
【ありがとう】元高見盛☆振分親方【精彦せいけん】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/sumou/1360260032/ 192 :待った名無しさん:2013/04/08(月) 11:44:51.65 O
さっき初めて永谷園のやつ2つとも見たけどなんやあのキモいCMわwwww
最後の「お嫁さんホジー」って言うとことかマジキチ過ぎるwwwwwwwworz
193 :待った名無しさん:2013/04/09(火) 12:28:02.79 O
相撲とりの嫁になるからにはまあデブとかブオトコ云々は別にして
おかみさんとかいう稼業をせにゃならん訳だから確かに他のマイナースポーツより嫁の来手は厳しいし大変なんだろうが
それでも高見盛クラスともなればサラリーマンとは比較にならんほど蓄えはあんだろうからな
月給にしたって親方なら100万は硬いし少々ブスなら人間的にしっかりしてんのはいくらでもいるだろ
こうみえても一応男なんでブスは嫌だ、アイドルみたいな娘っこがいいみたいな事宣伝しまくっとるが
アキバ系アイドルやその類いがこんな知恵遅れみたいなキモいのの嫁になる訳ねえだろ、鏡見てから言え
>>461 釈迦やシャンカラは頭良いよ
スッタニパータって良く読んだら凄い
真理に必要なおおよそが書かれているからな
10年前に買ったのだが買った当時は
よく意味がわからなかったが今は非常に理解できる
理屈っぽい奴は仏教を好むもんな
それが釈迦の凄さだよな
シャンカラは最後はヨガの技術で相手を黙らしたらしいから
釈迦とは違うしそれに理解を示した相手も優秀だったんだろな
スッタニパータって釈迦が悟るまでの迷いや疑問まで 書かれてるからな これは実際に凄い貴重だよ 釈迦は人間というものを良く理解しとる 一気に悟ったわけじゃないらしいからな ラマナシャンカラは結論ばかり言うが 釈迦は究極までの過程を重んじてるのがわかる
最近は宗教が趣味と言うか面白すぎ 言いたいことが理解できたら本当に面白いと思うぞ 釈迦はしかしスゲエなあ 目の付け所と言うかそこがなかなか 究極にこだわらないとこが凄いんだよな 人間の心の迷いや疑問や無明を物凄い理解してるんだよ
スッタニパータが理解できると言うか 言いたいおおよそが理解できるまで実に10年かかったね 昔はおとぎ話というか遠い世界の話というか リアリティがまるで感じられなかった それだけマーヤーというものさえよくわからなかったんだよな 今は少し壁を超えれて本当に良くなった 2ちゃんねらーでも実際少しは悟りに近付けるんだよ 迷いや無明とはエゴによるものだからな それだけ自分に問題あるんだよな
エゴの塊がまた連投してるよ
何で2ちゃんでエゴの塊だったらあかんの? 他人にはそれだけ実際に無関心なんだよな 自分の悟りにしか興味ないが2ちゃんねる流だな 何でそれが駄目なんだ?
他人のエゴが嫌いなら2ちゃん止めればいいのにな 俺としては外の空気に触れたくて歩いてるだけな感覚なんだが 別にそれに反応とか意味を求めてなんかいない それくらい他人に関心ないよ だから好きに生きてくれと言ってるだろうがw 価値観を押しつけてると思ってるなら誤解だからな 神経が繋がってない相手に痛みをわかってくれとか思わないね
大体が議論したいなら俺をスルーしてやりゃいいだろ? 全然止めないのだが
>>463 >大切なのは焦燥感だ。
これはマハラジの本を読んだときにも強く感じたんだが、正規の学校教育を
まったく受けていないにしては、言葉遣いが洗練されすぎw
(教育受けてないから粗野な言い方しかできない、という意味では、もちろんないが)
もっと単純素朴な言い方だったんじゃないのかなぁ?と。
まぁ、翻訳だから仕方ないが、妙に気取った表現が多くて鼻につく。
ラーマクリシュナは、もっとくだけた下世話な言葉も使ってたみたいだが。
弟子たちが普段の会話で使う英単語を聞き覚えて、自分でも話の中でその言葉を使ってみたりw
(それがいかにもたどたどしく、しかも最後にどや顔するので、弟子たちは大爆笑したとww)
個人的にラーマクリシュナとかラマナマハルシの 言いたいことに非常に共感できるなら 少し上のステージな人間のように思えるね まあアドヴァイタって宗教が悟り意識を重んじるからしゃあないが 釈迦はヒンズーから見てアンチと勘違いされてるくらい 変わり者だから逆に貴重なんだよな
ラーマクリシュナの言葉に感動して涙するくらいなら スゲエ思うよ このスレに関わらず多くの者は心に何の感動も与えず 読んだ後には忘れてると推測するのだが
476 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 19:10:11.84 ID:+GnRd2bo
なんでむりやりキモ力士の話題だすの? 永谷園かよ
ラーマクリシュナの言葉に感動して涙するとか そんな人間には一生会うことは無いと諦めてるよ 結局自分でやるしか無いんだよな ゆっくりだろうと何だろうとな 大陸だってゆっくり動いてるんだからな 釈迦も宣教とか心痛もあるし面倒だから嫌だと 一回は完全に断ったらしいし それだけ我々の生きる浮き世は汚れてると言うこっちゃな
なんで不二一元論スレなのに 二重性はともかく二元論の話が散乱してるの。 仏教も一元論でしょ。
とにかく他人が一生迷いの中に居ても どうでもいい関係ない 自分さえ救われて悟れたらいい そういった2ちゃんスタイルは確立して欲しいわ 変に潔癖症な自己中が食ってかかってくるからな こいつらは他人の汚れがミリも許せないようだからな
その2chスタイルってのも己のエゴの投影でしかない
別に人間だけじゃ無いからな 虫も生きてる 動物も生きてる 植物も生きてる ラマナに至っては座ってるタイルも生きてるとか言ってたし 会ったことないネットの人間なんかまるで関心ないのは必然だろ それに対していちゃもん付けられたくない 無関心なほうが正しいわ
座ってるタイル以下の他人のエゴが気になるとか 本当に程度の低い暇人だよな そんなのが気に触るとか生きていけれんだろ? 悟りとかの真逆じゃないか
>>479 スレの最初から自分が書いたレスの投稿日時、投稿頻度、投稿内容を
冷静に確認して自分の精神状態に気づかないといつまでも同じところを
ぐるぐる回ることになるよ。
あれこれ考えるよりもヴィパッサナー瞑想とか一本に絞って
しばらくそれだけ読んで、それだけ考えて、それだけ実践した方がいいと思うよ。
受胎の瞬間や生まれる前から運命や行動が決まっていて人間に自由意志がないとすれば、
どこかで何かをしたり、どこかで何かに出会って向きが変わるのもまた
あらかじめ定められた運命。
他人は関係ないというなら日記にでも書けば良いと思うぞ。 なぜわざわざここに書く必要が有る? 君は今まで読んだものの解釈を悉く間違えてるとしか思えない。
>>483 まあ、そゆことになるね
普通はそうだ、わかってるならば
正論ですな
そういった当たり前の返答も貴重だから怖いぜ
そゆことなんだよな
本当に当たり前も難しいから困る エゴがあるからそのような当たり前もできないってことだよな う〜む、煩悩の矢とはそゆことだな 一生この繰り返しなんじゃないか?ひょっとして 有り得すぎて怖いわ
一生この繰り返しなんだろな それらの自分の欠点も他人の欠点も 理解できるからキッついわ 予想できるってのがな
488 :
神も仏も名無しさん :2013/06/17(月) 23:45:04.89 ID:E9hesyxR
本心では繰り返しを望んでるじゃないですか? たとえ繰り返しを望んでいないとしても繰り返しの原因になるものを手放さないから繰り返すんです。 生きたリズムを感じれば単調な繰り返しが常に新しさを生むんです。 厳しいこと言えばなんかグダグダと未練たっぷりで書き込みが女々しいですよ。 もっと勇敢になって下さい。
つか俺は釈迦の煩悩の矢の話とか 原始仏典の中でも最古な名作の話とかしてるのに ここのスレって本当に宗教に興味あるん? 俺より自己流な人とか沢山居そうだな しかも指摘も的はずれだし
俺が悟りに近付いてるかどうか 評価してくれとか頼んだか? エゴがあるとか女々しいとか別にいちいち評価しなくていいよ それとも褒めてもらえたら国民栄誉賞でも貰えるのか? 他人を評価する前に自分をもっと知ったほうがいいと思うぞ
>>484 書いてある内容が正しいか正しくないかは
管理人が判断することだ
お前が決めなくていいから
俺が自分で買った本を何に使おうが
どんな解釈するかも俺の勝手だ
大体お前に思われた内容で現実に何があるんだ?
捨てられてるアルミ缶程の値打ちも無いと思うぞ
つまりはゴミだ
>>484 に仮に褒められた称賛された
それに何か意味あるん?
ずっと粘着してきてるが仮に認められた褒められたとして
それに何の意味があるのかマジで知りたいわw
相当なVIPなんだろなw護衛が付くくらいの
493 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 06:08:11.54 ID:f3yPbctR
比丘たちよ。このように 言ってはならない。 「 汝は論をたてたが、負けてしまった。もしできるなら反論してみろ 。 」と、 このような事を言ってはならない。 これらの論争が、もろもろの修行者たちの間で起こると、これらの人々には、得意と失意とがある。 これを見て、論争を離れるべきである。称賛を得る事意外に、他の利はないからである。 哲学的見解を保持して論争し、「これのみが真理である。」、と言う人々があるならば、 汝は、かれらに言え。 ―― 「 論争が起こっても、汝と対論する者は、ここにはいない。」、と。
494 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 06:14:34.64 ID:brOhXFsQ
>>492 お前の書き込みが一番ゴミだからどっか行けよ。
読み飛ばすのもこう量が多いと面倒だ。
人から注意されたりアドバイスされて従ったことないだろ?
だから苦しんでるんだろうがお前が一番偉そうだよ。
495 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 06:15:18.42 ID:f3yPbctR
「 わたくしがこの事を説く。」という事が、わたくしには無い。 もろもろの事象に対する執着を執着であると確かに知って、 もろもろの見解における過誤を見て、執着する事なく、省察しつつ、内心の平安をわたくしは見た。
そういった仏典の一節でも 出てくるなら納得できるけどね そういうことなんだよ 昨日から言ってたことわ 釈迦って本当に凄いよな
>>494 本性現したなw
だからレスもしないでいいし
スルーしていいし
評価もしなくていいから
日本語が通じてんの?お前
お前がしたいのは単にすげーなすげーなと誰かと言いたいだけだろ。 迷惑だから。 お前の話に付き合いたくないからだまれ
別に付き合ってくれとか頼んでないからお前が黙れ
本性って昨日の彼とは別だよ つか俺聖人じゃないし 汚い言葉も使うのが俺 俺だけじゃないだろ お前に色々思ってんの
別に思ってくれなんか頼んでないから 何でこう日本語が不自由なんだろな お前の自己アピールまでまるで興味無いのだが 言い返すなら仏典の一節とか何でできんの? スレタイ見れんのかな
お前の書き込みが邪魔なんだよね 飛ばすの面倒なんだ
503 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 06:39:16.32 ID:hkOL+q7Y
お前の独り言とかで埋めないでほしいんだ 中学生のような誰も相手しない思索とか書かないで
504 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 06:40:56.32 ID:hkOL+q7Y
そう思う人他にいるかな? はい、まず俺が一人目です
そりゃ気合い入ってるなw 邪魔して悪かったな 朝からそれだけの気合いで原始仏典の一節も出さず 宗教的に反論できんとか激しくイミフだが まあ頑張ってくれや しかも2ちゃんのスレで学習かよ 訳わからんが頑張ってくれ
原始仏教ww そこから何を学んだのかな? 毎日毎日狂ったように思考して2chに書きなさいと 釈迦は教えているのか それゃ素晴らしい教えだね
だから頑張ってくれと言ってるだろ あぼーんしてくれ スレからガッツリと学んでくれ どうぞどうぞ ガッツリ晩まで学んでくれ まったく止めないから
頭大丈夫? 学習とか訳分からないこと言い出してるし お前の独り言飛ばすの面倒って言ってるだけなんだけど 邪魔なんだよね 誰も相手してないし 女々しいって言われてるしww
509 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 07:15:47.67 ID:D80BFhs2
頭悪いんだからさ 考えて解決なんかしないから
だからあぼーんしてくれ 頑張ってくれ お前らの気合いはわかったから レスもしないでいいからじっくり読んでくれ
いや悪かったよ このスレに朝から何人も粘着するほど 気合い入れて読んでた奴が居たんだな その事にスゲエ驚いたわ 電車男超えたんじゃねw 邪魔して悪かったな
あまり他人を批判したり口論してもしょうがないと思うけど。 アドヴァイタでも原始仏教でもいいけど、 そんな行いよりすべきことを説かれているんじゃない? もし自分が批判や論を説くなら、ちゃんと相手に慈悲心を持ちながらできてるか、 教義や行法、神や法の実現のため、本当に相手や自分のためにそれをしてるのか、 身を振り返ったほうがいいんじゃないかな。
いや、嬉しい驚き?を壊して悪いが 俺と仏典コピペの人だけだ。 スマホからだから通信切れるとID変わる。 いても宗教の人は荒れるとスルーがほとんどだろう。 悪く言えばいい子ちゃんばかりなんで。
>>512 よくわからないけどあなたとかの書き込みに強烈な信者居るらしいし
別にガッチリ議論すればいいんじゃないかな
俺はまったくそれを邪魔する気無いし
何で邪魔してるように思われたのか謎だが
いや本当にガッチリ議論やスレ読めばいいと思うよ
再三言うがまったくそれを邪魔する気ないから好きにしてくれ
>>514 あなたは何のために連投してるの?
書き込む以上、心に動機が生じてるはずだよね
自分の知らない間に身体が勝手に書き込んだりはしてないでしょうし
誰の何のために書き込んでいるのかな?
自分のため?誰かのため?真我や法のため?何のため?
誰の何のためでもなく、身体が勝手に書き込んでる?
>>515 それは難しい質問だね
もっとその辺りの深いやりとりはしたかったが
ただ荒らし目的とかでは無いよ
だから気にしないでくれ
>>516 まあ、とくに気にしてないし、荒らしだとも思ってないけど、
誰しも、今の自分の心や身体の状態、行為や反応の原因を常に自分自身知るのが、
アドヴァイタでも仏教でも大切だと思うよ
あなたでも、誰でも、私自身も
それをきちんとしながら行為できてるなら、それもひとつの修行だよね
最近、他スレにもいるんだけどさ 2chをツイッターと間違えてる奴
519 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 13:48:29.22 ID:0YpyLI+K
520 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 14:36:05.32 ID:fsxD6RSi
最近出たシャンブって人の本どう思う?
521 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 14:38:38.06 ID:fsxD6RSi
個人的には非常に面白く読みやすい読み物という感じだけど。 まあ、「老師と少年の問答」的な陳腐な構図でのやり取りだけど、そこはお経の形式にのっとっていると思えば。 文学じゃないしね。 でも、面白い。
522 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 14:41:06.09 ID:Zt7h6sX9
523 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 17:02:17.80 ID:0YpyLI+K
>>518 それでもインドじゃ悟るためにフりチンで年中居る人も居るんだぞ
ツィッターと仮に勘違いしようがそんな小さいことを
キャンキャン言ってくるとか
正直言ってこのスレの器の大きさを俺はもう少し信じとったよ
その点は誤解してて悪かった
かといって努力するわけでもなく、後悔が増していく
>>524 ぺちゃくちゃおしゃべりするのを奨励する
器の大きなアシュラムなんてないけどな。
一回ラナマアシュラム行ってこいよ
>526 悟るとは外界に左右されない精神なんだぞ シルディサイババも鬼のように怒る時は怒ったらしいが 内面では静かな深海に沈んでた精神らしい そんなもん表面上のどうとか低いレベルで俺は生きてねえよ 実際はお前らの器をもう少しは信じとった俺は誤解してたということだわな
528 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 21:45:36.29 ID:nfiwipNt
このスレの住人の器がどうとか自分で勝手に妄想してるくせして 自分はそんな低いレベルで生きねえとか、頭のおかしい人だよね
だってスルーしてくれとかあぼーんしてくれとか 好きに生きてくれとか連呼してもお前ら日本語通じないじゃん そこまで言って気に触るとか俺ならありえんけどね
近所の口喧しいおばちゃんでも ネットの会ったことない他人はさすがに気にせんよ お前らがマジでどんな現実生活してるか知りたいわ
うざいから書くなって言っているのに 一向に日本語通じないのはお前も一緒なんだが。 お前の独り言がスレ占領してんだよ。 注意すりゃおかしな例持ち出すし。 2chに左右されずに本読んで釈迦すげーって 一人でなんちゃってアドバイタやってろよ
533 :
神も仏も名無しさん :2013/06/18(火) 22:36:37.17 ID:nfiwipNt
ベンガル地方の格言 東に行きたいと思って、西に向かって歩き出す人達がいる。 その訳を尋ねられると彼らはこう応えるのだ。 「何故って私は北の方に行きたいのですから!」
でもそんなの気にしててインドで裸の生活は無理だと思うぞ 普通に裸で生活しててキャンキャン文句言われるとか 俺にとってはその程度な疑問なんだが よくそんなのが気に触るねえ
>>534 裸の生活目指しているなら勝手にインド行ってやって来いよ
お前の口だけ修行はうんざり
悪い水飲んで腸チフスになって来い
>>534 何でインド行って裸の生活しなきゃならないの?
537 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 04:26:01.29 ID:lAuitu8C
何だこの流れ。 毎回同じパターンを繰り返してる人がいるな。 先日読んだ本に、「思考や感情は、記憶に過ぎない」と書いてあった。 ようするに、ありありと見える実在ではなく、たんなる過去の記憶の反射だと思えば、 自分に影響を与えないということだと思う。 だから、同じパターンを繰り返してしまう人は、その衝動が起こったときに、 「これはただの記憶なんだ」「これは、単なる条件反射だ」と、内面に意識を向ければいい。 「私は誰」とか、まあこのスレでいうのははばかれるけど、ホ・オポノポノなんかも、そのバリエーションだと思う。 口で言うほど簡単じゃないけどね。俺も実生活で、毎度同じパターンを繰り返している。
538 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 10:39:28.77 ID:BQ7Vap9L
アドヴァイタも仏教もスピリチュアルも、 みんな「思考」概念の誤解の上に成り立つ教説であるという点は同じ。
539 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 10:44:38.57 ID:6zC0AFhh
「思考」概念の正解とは一体何なんでしょうか?
540 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 11:53:23.56 ID:EFRd2urk
思考は引力
541 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 12:18:34.58 ID:Kj87y5hp
ラマナ・マハルシとサティア・サイババって会ったことあるんだな ラマナ・マハルシとの対話3巻に書いてた
543 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 12:43:57.79 ID:Kj87y5hp
サイババだけじゃ
サイババってひとりじゃないしね 生年的に会うの可能だったっけ?
3巻は1938、39年の対話だから、サイババ12か13歳か どうなんだろうね
546 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 20:39:57.19 ID:BQ7Vap9L
>>539 538ではないが、
哲学では思考とは論理的推論のことだと考えるのが普通。
「考え事をする」という場合の「考える」は、
単に思いを巡らすことだから思考しているとはいえない。
その意味では確かに
「アドヴァイタも仏教もスピリチュアルも」
思考でないものを思考と言う傾向がある。
ついでに言うと「自我」とか「エゴ」とか「マインド」も。
この界隈だけで通じる隠語になってしまっている。
英語版のtalksをbabaで検索かけて メヘール・ババしか引っ掛からない。 デマかね。
548 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 21:28:05.47 ID:6zC0AFhh
>>546 適当西洋アドヴァイタではそうかもしれませんが
そもそもインド哲学に於いても思考は
推論的思考であるanumaanaと誤った推論であるところのviparyayaとして区別されてますよ。
真偽を対象とする思考を止めることによってその先をみようというものだと思います。
その上で空想的な思考作用vikalpaや理性的判断buddhiなど全て止滅させるというのが狙いなわけです。
西洋哲学はたとえば自我意識にせよ、理性的判断にしろ、それを一瞥すれば分かった気になるところに問題があります。
アドヴァイタは自我意識ならその一瞥を途切れることなく何十分と持続することによって
それよりさらに微細なものへと進む或いは逆行しうるという気づきが前提にあります。
西洋哲学の一瞥主義で分かった気になってあとは図式論的に意識構造を外側から推論で組み立てるようなのとは違うんですね。
瞑想すれば階層が明らかにそうなってると分かるはずです。
自我意識なら自我意識を10分持続してそれから離れることなく気づき続けられたら一瞥主義の適当さが分かると思いますよ。
自我はサンスクリットでいうahamkaaraまたはaatmanでありマインドはmanasかcittaですね。
549 :
神も仏も名無しさん :2013/06/19(水) 22:13:27.36 ID:6zC0AFhh
思考はその本性上複雑化する傾向がある。 西洋哲学は切れ切れの概念をパッチワークのように組み合わせて一つの織物を作っているんですね。 それでどれだけ複雑かを競争しているw しかしながら一つ一つの概念は非常に意味的に薄いし充実していない。 5万の分裂した薄っぺらな概念を有してその上で感情がそれに癒着し、 さらに概念や思考を自己と見做してるから自我は五万の概念に散らばって恐ろしいほどに分裂しているわけですよ。 そして思考の流れを自分の思い通りにすることもできず、くだらないイメージと同一化して 劣等感に苦しんだり強迫観念に悩まされたりしながら西洋かぶれの現代人は無駄に忙しく疲弊するわけです。 昔は経典とかで 「感覚器官は五つである。」 とか大威張りで書いてるの見て何をそんな分かりきったことをと思ったわけですが、 西洋哲学なら概念にして分かった気になって終わりのところを 仏教とかそういったのはヴィパサナー的にひたすらそれを見続けて自己同一化している癒着を引きはがしていく。 五つの感覚器官で一つの感覚器官を10分ヴィパサナーで見続ければ50分それで瞑想できるわけです。
そうですね 結局そういった一つ一つを自分で反芻して消化して 理解する以外に自らを救う手段は無いですよね 個人の体験なんかも他人に伝えるには容易でないですし 怒るだけなら猿でもできますからね 人間には人間のダルマがあるってことですね
>>550 ID:Nvej05gi
ん?「ラマナ・マハルシとの対話3巻」でラマナが
サイババと会った話はどうなった?
勘違いなのかデマなのかソースを示すかぐらいしないのか?
ソースって3巻にあるってのがソースじゃないの。フツーに。
>>552 嫌疑がかかっているので
更なる詳細なソースかサイババに会ったと思うに至った経緯を
説明してくれと言えばいいのか?
流れとか文脈読めない人か?
サイババって3巻のどこにあるの? 何頁だろ
555 :
神も仏も名無しさん :2013/06/20(木) 01:43:38.31 ID:HCMIATfZ
めんどくせえやつだな
>>554 部外者です。
21st May, 1937
Talk 417にMehar Babaへの言及があるだけですね。(kindle版)
3巻p351にラマナを訪れて恩寵と啓示を受けた人々として、 ヨガナンダやプンジャジなどの名と一緒にサティア・サイ・ババとあるね talks本文ではなくラマナ・マハルシの生涯という、訳者の福間巌が書いた文章みたいだね でも年表にはサイババの名はみられないし、 会ってどうだったみたいな大した記録は残ってないのかな
558 :
神も仏も名無しさん :2013/06/20(木) 05:33:51.35 ID:/Y3Sbemp
サイババがラマナ・マハルシに会ったという記録はあまり見たことがないですね。 検索すると、マハルシが亡くなる時に、サイババが倒れて、そのあと空に浮かんだ。 サイババは「マハルシは私の蓮華の足に達した」みたいなことをつぶやき、右足の 裏がさけて、2キロぐらいの聖灰がでてきた。それはサイババが浮いてる間に、集め られた。そんな感じです。これ読んでも、う〜ん、という感想しか出ません(笑)。
訳者はちゃんとしたソースあって書いてるのかな? サイババ周辺はすぐ誰々もサイババを認めていた、会いに来たと言い出す 印象あってなんか信じられないなぁ。 会ったのならラマナはティルヴァンナマライから動いてないから 単にサイババがラマナに会いに来ただけのことだけど。
>>551 よかったね。知りたいという望みがかなって。これ以上知りたければ自分で調べようね。
まあ、インドの歴史的事実なんか、そもそも当てにならない。 ハクつけるために、あるいは観念的事実をのべるために、歴史的事実を無視するなんて 山ほどあるだろ。どうせ歴史的事実すらマーヤーなんだから、流せばいいんだよ。
私は心・知性・自意識・記憶でもなく耳・舌・鼻・目でもない
空・地・火・風でもない私は純粋観照者
歓喜を本性とするシヴァである、シヴァである
私は生気・想念・五風でもなく七大身や五つの鞘でもない
発声器官・手足・生殖器官・排泄器官でもない私は純粋観照者
歓喜を本性とするシヴァである、シヴァである
私には敵意・欲望・悲嘆・迷妄もなく傲慢・嫉妬・情動もない
法・実利・快楽・解脱もない私は純粋観照者
歓喜を本性とするシヴァである、シヴァである
私には善悪・快苦もなくマントラ・聖地・ヴェーダ・儀式もない
享受・享受物・享受者もない私は純粋観照者
歓喜を本性とするシヴァである、シヴァである
私には死・恐怖・階級・相違もなく父母や誕生もない
縁者・友人・師弟もない私は純粋観照者
歓喜を本性とするシヴァである、シヴァである
私は無想・無形を本性とし、あらゆる所からあらゆるところへとあらゆる器官を通して遍在し
永遠かつ平等、そして合一も解放もない私は純粋観照者
歓喜を本性とするシヴァである、シヴァである
アーディシャンカラ
http://www.youtube.com/watch?v=qif38Cr4WgI
563 :
神も仏も名無しさん :2013/06/20(木) 20:11:42.20 ID:/Y3Sbemp
チダーナンダ ルーパ シボォーハム、シボォーハム!
瞑想のとき、神像をおくとして カーリー、シヴァ、クリシュナ、ラクシュミー、大日如来、キリスト 何でもいいのでしょうか?
俺はその中だとキリスト位しかイメージは湧かないな。 カーリーとかシヴァとかイメージ出来る? イメージ出来ないなら、仏像とかのが良いかもね。
自分が尊敬できて心(自我)を明け渡せるものなら何でもいいと思う 献身を実感できない神像よりは、 献身を実感できるような、親でも尊敬する人のイメージでも絵でも本でもフィギュアでも食べ物でも、 地球でも宇宙でも具象でも抽象でも、何でもいいと思うよ カタチより、いかにそれに献身できるか、明け渡せるかだろうし
中学生の頃はギリシャ神話にでるグリフォンとか エジプトの犬みたいなのとか多神を信仰してたというか ある意味で厄除けだった ああいった変な神様を信仰してたら他人からは 楽しい人に見られそうだ、頭が象とかのガネーシャとか
今でもグリフォンって言ったら あのころ思い出すから信仰に関心持った最初って大切だな やっぱ心が純粋ってやつ
569 :
神も仏も名無しさん :2013/06/21(金) 11:40:46.46 ID:2adwjkKd
心が純粋!? じゃあまた高見盛か!?
紙一重
571 :
神も仏も名無しさん :2013/06/21(金) 16:28:09.92 ID:qvb3DCPE
高見盛とやれや
中学まで公立で、高校から一応名門と言われている私学に入ったら皆純粋というか率直 でたまげた。 確かに勉強はよくできて賢いけれど、みんな高見盛みたいに何にも余分の智慧がなくて 子供子供している。授業中に騒いだり立って歩くような奴とかいないし。 悪智慧をだいぶ叩き込んでやったがあんまり効き目が無い。
573 :
神も仏も名無しさん :2013/06/21(金) 18:40:18.07 ID:2adwjkKd
574 :
538 :2013/06/21(金) 20:10:41.44 ID:elCr0KbO
>>546 おっしゃる通りです。
西洋哲学に限らず、そもそも思考とは論理的推論のことで、
それに伴う心理的付随物は思考とは関係ありません。
だからもちろんコンピュータも思考します。
とはいっても西洋でも明白な心理主義批判は19世紀のフレーゲ以後のことなので、
インド哲学系統がそれを知らないのはやむを得ないことです。
概念と表象の区別というフレーゲ以後の最も重要な区別がまだ取り入れられておらず、
そのため混乱した議論が続いているというのが現状でしょう。
たしかに「自我」などについても同じことが言えるでしょうね。
だれか本当に両方に通じている人が概念の分析的な整理してくれればいいのだけれど、
かつてのあの中村元でさえ西洋哲学についてはからっきし理解していなかったところを見ると、
これはなかなかの難事業なのかもしれません。
575 :
神も仏も名無しさん :2013/06/21(金) 23:48:08.66 ID:m2Q/KLtw
去年プリーに3日ぐらい滞在した時があって
その時そういやここヨガナンダの先生のユクテシュワル・ギリのアシュラムがあったよなって思い出したんだが
調べてまで行こうという気が当時おこんなくてそのままだった。
クリヤ・ヨガとか興味あってプリー行く人がいたらkarar ashramって言うところらしいから行ってみたらいいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=t5-vXTMwd2Uhttp:/ /www.youtube.com/watch?v=Wx4lu56DU_U
場所はジャガンナート寺院からswargadwar beachの中級ホテル街や火葬場に向かう所だそうだ。
ここまで去年事前に情報知ってたら修行するまではいかないけどお参りぐらいしただろうなと思って一応書いておく。
プリーはあんまり面白いって印象がなかったからもしなんかの用事で行く人がいたら、
地球の歩き方やロンプラに載ってない穴場スポットとして行く場所の一つに加えたらいいと思う。
576 :
神も仏も名無しさん :2013/06/21(金) 23:51:10.31 ID:m2Q/KLtw
577 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 00:33:02.47 ID:rGeISAXS
この際だからと思ってユクテシュワル・ギリの先生のラヒリ・マハサヤのヴァーラーナスィーのアシュラム調べてみたんだが、
チョウサティー・ガートとかもろいつも泊まってるベンガリトラの安宿街の近所で笑った。
縁がないっていうのはこういうことなんだと思ったわ。
去年泊まった安宿の路地を隔てて反対側だったわw
とりあえずヴァーラーナスィー行く機会のある人はお参り行っといてくれ。
shibendu lahiri ashram
http://www.youtube.com/watch?v=p0jyk4lwCHA
578 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 01:26:50.06 ID:rGeISAXS
>>564 他の人も言ってる通り実際は集中しやすければ何でもいいんだと思う
ヨガナンダの本で紹介されてたタイガースワミことソーハム・ババの先生のチベッティ・ババ(tibbeti baba)は
ネパールでアドヴァイタの先生に瞑想の方法質問したら
「お前家にあるもので一番何が好きなんだい?」
チベッティババは十代だったんで
「僕は家の羊をとっても可愛がってるんだ!」って言ったら
「じゃお前はこれからその大好きな羊を毎日瞑想しなさい」
って言われて数年後にサマーディに達して羊にブラフマンを見たらしい。
アドヴァイタならぶっちゃけグリフォンでも羊でも何でもいいだろうねw
王陽明は格物致知で竹かなんかでそれやって確か発狂しかけたらしいw
「悟りについての思考自体が悟りへの障害になる」と思い至ってしばらくしたら、 悟りについての思いが浮かばなくなった。 少し前まではここにいろいろなことを書き込んでいたが、今は書き込むべきことがなにも浮かばない。 心の中には苦しみとそれを見る何かしかなくなった。 苦しみの中心には痛みがある。苦しみの中核をなすこの痛みに出会いたい。 しかし、なぜ痛みがあるのだろうか。 なにが痛みを感じているのだろうか。
自己観察によると私の心の中には苦しみがあり、その中核には「ぼんやりとした痛み」がある。 この痛みがぼんやりとしているのは、さらに奥に確固とした痛みがあるからだと思う。 自己観察を深め、この確固とした痛みに出会いたい。
興味の対象が「悟り」から「苦しみ」と「痛み」に変わっただけのような。 アーナパーナ・サティでもヴィパッサナーでもがんばればいいのに。
>興味の対象 執着の対象だった。
もともと心の中に「苦しみ」と「痛み」を抱えていたから「悟り」に関心を持っただけだ。 悟りを開けば胸中の苦しみや痛みがなくなると思っていた。 私は普通の人間つまり俗物で、実のところ「悟り」というような崇高なものには大して興味はない。 苦しみや痛みをなんとかしようとして悟りを求め、さらにその悟りを捨てて再び苦しみや痛みに戻った。
心の中にある苦しみや痛みそれ自体、または苦しみや痛みを感じている「なにか」が私の本質だと思う。 今の私が追究しているのは、この「妙な主体的存在」だ。 この「妙な主体的存在」が「消える」などということがあるのだろうか。
自分というものが存在してるという苦しみだろうね あらゆる想念の元には「私」という想念がありそこから全てが起こっているというし 「私」という想念を持ってしまってる苦しみだろうね そういう根源的な苦しみが現れてるのは、真剣に探求がすすんでることだと思いますよ
すべてが完全であることを知れば自分や周りでどれほど悲惨な状況が現れようとなんともない さらに肉体から解脱してしまえば痛みや苦しみと関わる必要もない しかし別の姿を持った自分を救ってあげたいという立場になると、世界中の苦しみまでも味わうことになる 難しいな、、どこまでいけば苦しみがなくなるのか? 退屈な人生を望んでいたなら、聖者に興味を持つような人生を選ばなかっただろうし 退屈よりも、苦しみの中にあっても変化を望んで生まれたんじゃないのか
>>579 >少し前まではここにいろいろなことを書き込んでいたが、今は書き込むべきことがなにも浮かばない。
なら何で連投してるの?
君はマジで病院行ったほうが良いよ
2ちゃんのスレの住人が良い人間か悪い人間か 実際に出会って関わらないとまるでわからん いや、むしろ俺はこう感じた 人生は万事その同じことの繰り返しであり 二元のベールってのはそういうことなんだと サマーディってのはそういう二元を超えてるし 全てが完璧なのが瞬時に理解できる ラマナが真我にありなさいってのはそういうことなんだなって
589 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 12:14:33.89 ID:xXEptua7
棒の両端を見るか、一本の棒として見るかみたいなもん
590 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 13:13:17.53 ID:rGeISAXS
文体からして緊張感が伝わってくるからよなw ここまでくると肉体の次元で単純に身体が硬いんじゃないかとも思われる。 身体の硬さとその無意識の緊張から来る苦しみは内観だけで取るのは難しいからな。 肥だめの中に入っているようじゃ内観の力で肥ダメは幻だと言いいきかせて何とかしようとしてもそれは無理がある。 クリシュナが言うように、ヨーガは行為の熟練であり巧妙さだから ある種、実際的になることも必要だ。 歯痛なら歯を抜かなくてはならないし、 身体の緊張ならアサナとかで完全にリラックスできるようになるまで柔軟にしなくてはならない。 心の痛みなら、それは心によってしか取り外せないだろう。 自分を無駄に常時、自傷してるなら今へのヴィパッサナーが必要だし。 痛みが過去の経験ならその原因となる過去に向かってヴィパサナーしなくてはならない。 サマーディやヴィパサナーで痛みを無視できるような真実の安らぎに達することができてもサマーディ抜けたら歯痛は戻ってくるw ラマナだって寒い日にいきなり水かけられたら冷たいって言ってるw
アキ心の声(・・・なんだ?こいづら。言っでるごど全然わがんね) ナレーション「正直、アキはドン引きでした」
592 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 15:29:03.95 ID:EeDHw3PE
>>587 このスレに投稿するのは、「私」というテーマをめぐって他者と多少なりともコミニケーションをとりたいからです。
現実の世界では他者とこのような話は一切しません。
また、今まで自分の内面のことで病院に行ったことは一度もありません。
病院に行かないのは、病院に行っても薬を貰うだけだと思うからです。
医者は私の問題を解決してはくれないでしょう。
この世界は「私はある」という錯覚にリアリティを持たせる世界だ。 この錯覚をしているのは自我だと思うが、自我にこのような錯覚を起こさせているのはもしかしたら肉体ではあるまいか。 荒唐無稽な考え方だと一蹴されるのを承知で書かせてもらうが、 肉体の個々の細胞ひとつひとつの意識(?)がヒトの頭脳や胸中に総体的に反映されたものが自我なのかもしれない。 これを知らずに自我は自らの頭脳や胸中に反映された細胞の意識の総体をもって自分に主体性があると錯覚する。 この世界がものに支配された世界である点に着眼すれば、ものに意識があり、ものが主体性を持つと仮定することもできるかもしれない。
そういうふうに判断するより、そういうふうに判断してる「私」に向かうことが、 探求では?
これは自我の主な機能がその肉体の維持にあることと整合する。 そして、自我はその宿る肉体の複雑さと比例する。 イヌの肉体はイヌの肉体の程度に比例した自我をもち、ヒトはヒトの肉体に比例した自我を持つ。 イヌの自我はヒトほどには発達していないから、自我それ自体を防衛する程度には達していない。 ヒトの肉体は高度で複雑だから、肉体のみならず自我それ自体をも守ろうとする。 以上は私の脳内の話でただの思い付きですが、どうも我々は完全に肉体に支配されているのではなかろうか。
「私」に向かってもなにもないのではないかと最近は思っている。 といいますか、「私」の向こう側に「空」があるのだろうと思っているが、 その「空」はこの世界では「なにもないもの」としてしか認識することができないのではないかと思っています。
ではないか思う、という判断はどこから生じてるのですか? ではないかと思う、ではなく、 まず「なにもないもの」として認識してみることなのかもしれませんね
「なにもないもの」として認識することができれば私の探求はそれで終了です。
まだ認識したことがないわからない状態を、探求のゴールにしているのは、 おかしくないですか? 知らない場所を、どうして知っている場所のように想像しているのかがわかりません
想像してしまう「私」が問題のように思います
この種の議論は思考に思考を積み重ねるだけだと思います。 先ほど、「私」というテーマをめぐって他者と多少なりともコミニケーションをとりたいという趣旨の書き込みをしましたが撤回します。 申し訳ありません。
日本人を知らない人が、日本人とは真面目で奥ゆかしく几帳面だ、と思って日本に来たら、 出会う人みな日本人なのに、日本人を探し続けるかもしれません 「なにもないもの」を「なにもないもの」だろうと探していたら、 いますでに全部が「なにもないもの」ばかりなのに、 想像上の「なにもないもの」を探し続けてしまっているかもしれません
>>593 の書き込みを一部訂正します。
批判を承知で率直に書かせてもらえば、私は他者とコミニケーションをとりたいが故にここに書き込むのではなく、
自己主張をしたいが故にここに書き込んでいます。
これまでの書き込みの全ては私の自我から出たものです。
私の自我と議論をしても、みなさんの悟りには役立ちません。
悟ってないのなら、何が悟りに役立つか役立たないかはわからないはずだし、 そういう判断はしなくていいと思いますよ
自我同士の議論は無駄だと思います。 思考に思考を積み重ねるだけで、私の自我が肥大するだけです。 私は肥大した自分の自我に嫌気がさしました。
自我同士の議論が無駄だと思ったり、自我に嫌気がさしているのも自我なんでしょうね
608 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 21:12:42.17 ID:rGeISAXS
人間には思考したいという根深い欲求があるから
もうあんたは歌うか踊るかして否定的想念を肯定的な想念に切替ていくしかないんだよ
それでタマスの部分を一端神的なラジャスに切替てそのエネルギーで瞑想すればサットヴァな瞑想になる
黒く固まったタマスな部分をいきなりサットヴァで綺麗な状態にするのは難しい、一端日々のカルマ・ヨーガやキルタンなどで揺り動かす必要がある
それで貯まった大エネルギー貯蔵庫に接続して神的なムードから寂静に進む瞑想が一番だよ
そうしないと非常に低調な瞑想になる
http://www.youtube.com/watch?v=x-a2F2OHN6o
609 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 21:26:18.54 ID:rGeISAXS
でも日本でキルタンとか環境的に無理だねw 反動で鬱になったりしないような何かハイになるものを見つけなくてはならない。 ローから瞑想しても、火のついてない蝋燭で光を求めるようなもんだから、 感謝感激でハイになった状態で瞑想しないといけない。
考えてみれば、真剣に思考しているというよりは深刻に思考しているという状態だ。 思考自体に問題があるというよりは、思考のあり方が問題なのかもしれない。 停滞していると言われればその通りだ。
これまで思考思考と思考にこだわってきたが、思考自体が問題ではなかったのかもしれない。 深刻に思考する、その深刻さが問題だったのではないか。
612 :
神も仏も名無しさん :2013/06/22(土) 21:43:44.16 ID:rGeISAXS
心の中で 《私はバカだ》 《私は‥私は‥》 《私は‥》 っていうのをハリオームに切替るだけでもそのうちダメな私はいなくなる。 私に関心があるなら 《私》で思考を止めるべきだ。 《私は》の《は》も余計だ。 自分を賢く見せたくて《私は何々だ》っていう断定口調も馬鹿になって《ワーワー》にするだけで私の心の浄化は進む。 思考の流れや思考の賢い展開の先に真実の私はいない。 実践の次元で思考の源にとどまらなくてはならない。 沈黙することが全てだ。 ということで俺も沈黙します。
数字の計算をしてもよけいな自我は働きません ただ脳が動いてるだけです 思考はただの思考としてただ論理的に脳を動かせばよけいな自我は働かないと思います 思考がわるいというのは、自分の作り出している観念でしょう 何かがいいとかわるいとかは、全て自分の作り出している観念でしょう
なるほど自分を賢くみせたい、インテリぶりたいという気持ちは非常に強い。 もしかしたらこれだけで生きてきたのかも知れない。 思考することが好きで哲学的なことが好きだったが、哲学者には深刻なイメージがあってそれも真似してしまったのだろうか。
今日はいろいろな気づきがあった。 みなさんどうもありがとう。 では。
本当のリアリティなんか自分で体験しないとわからない もし文章なんかで伝わるならラーマクリシュナの一文で 悟れないとおかしい
617 :
神も仏も名無しさん :2013/06/23(日) 11:45:42.72 ID:Rb8ocU1G
>616 インドに行くと何か悟れるようにいわれるが、寧ろインドから帰って來た時ドキッとする ことに沢山出会う。半年間インドにいて帰って来た時1週間くらいは日本は極楽浄土のような 気がした。「リアリティ」って言葉の意味が嘗ては分からなかったが、普段の生活で例えば お皿一つがこんなに綺麗なものだとはまるで知らなかった。これこそリアリティなんだと 驚いた。 とはいえ乞食の成りで生活していたからであって、空調の利いたホテルにいてのバカンス だったらインドの方が極楽だろうな。
「我人生に煩悶、曰く不可解」という言葉があるが、全くもって人生とは不可解なものだ。 だが、人生というものをわかろうとすること自体が無理なのであって、むしろわかろうとする姿勢を放棄して、 起こることを起こるにまかせておくべきなのだろう。 私の間違いは、人生において起こっていることを論理的に理解しようとしていたところにあった。 「起こっていることは、ただ起こっているだけ」。 これが腑に落ちれば私の煩悶は終わりだ。
「遅かれ早かれ人は死ぬ。いずれ死ぬのなら俺の人生って一体なんなんだ?」 というのが私の探求の出発点だった。 だが、空にこんな問いかけをしたところで、空はなにも答えないだろう。 「なにも答えない。」。 これが答えだったのだ。答えなどはじめからなかった。 答えを出そうとする姿勢、これが私の間違いであった。
都議会選、自民党第一党確実。 みこころ会の反日左翼の皆さん、残念でしたね! ざまあみやがれw
あまりに考え詰めすぎて胸やけがしてしまった。 今まで余計なことを考えすぎた。 これからの哲学は、真理を思考することの不毛さに気づくべきだ。 私の今までの書き込みも全て不毛だった。 全く遠回りをしたものだ。
皆から散々その不毛さを指摘されながらも、自分でそれに気がつかないと人は誰かから簡単に言われただけでは気づけないといういい例
というか、みんな気づいてないよ。 気づいてないから世の中はいびつで人はいつまで経っても愚かなんだろう。 >皆から散々その不毛さを指摘されながらも、 その散々の書き込みとやらを列挙しろ。 できないならゲリラ的に無責任に批判すんな。
↑まだまだだな。W
本町コミュニティセンターと御殿山コミュニティセンターのある吉祥寺は武蔵野市。 一昨日の都議会選では自民党候補が当選、民主党候補は落選しました。 岩城さん、あなたが、額に印がある仏像を彷彿とさせる、と推していた菅直人が、 民主党候補を何度も応援演説していたにも関わらず、民主党候補は落選しました。 さぞや悔しいでしょうね。 そんなことより、伊豆に住んでいるのに武蔵野市の公共施設を頻繁に利用する、 ということに道義的責任は感じないのですか? 貰えるものなら何でも貰っとき〜の河本顔負けの税金泥棒根性ですか? そんなことだからマーもあなたのところから離れていくしかないんでしょうね。 今やもぬけの殻なのに悟った人を演じ続けるのはさぞやご苦労も多いことかと思います。 ご愁傷様。
そんなことを思ったり言ってても自分の業が深くなるだけだと思うよ もし相手を正そうとするのでも、相手に慈悲や愛情を持ってそうしないと
628 :
神も仏も名無しさん :2013/06/25(火) 13:54:53.34 ID:mFWf2xb4
教えることは完全な善行のように思えるが多くの落とし穴がある。 因果の法則を考えればわかるが、人に良いことを教えれば、他人から良いことを教えて貰える、これ以上の本人への善果はないと見てもいい。 しかし教えることによって私は教えたというエゴを引き受けなくてはならない。これは他人が頭を垂れて謙虚に教わっているという姿勢から他人のエゴを引き受けるということに他ならない。 一人の弟子に教えるということはその弟子一人分のエゴを自分が引き受けているのである。 50人に教えれば私は50人に教えたというエゴの拡大が起きる。 人に教えながらその身に受けた50人分のエゴを常に解消する修業をしなくてはならない。 だから弟子を持つのは相当な負のカルマを背負う。これは覚悟しなくてはならない。 だからこの文章でさえ私は書いた教えたというエゴを生んでいる。 このことにより私は誰かによいことを教えて貰えることを期待できるが、 誰かに私は書いて教えたんだというエゴの解消は私自身がしなくてはならない。
629 :
神も仏も名無しさん :2013/06/25(火) 14:14:59.70 ID:mFWf2xb4
何かを悟っても自我がすっかりなくなっていない限りは、 その悟りを誰かに教え始めるや否や一気に雪だるま式に残ってた自我が息を吹き返して拡大する。 あらゆるグルの堕落はここにある。善行にさえ多くの幻想が付き纏う。 例えば10万部売れたスピリチュアル本の著者への影響もこの計算式で理解できる。 10万人に教えるという善行が、名声と金の悪影響を帳消しにしないのが悲しいところではある。 しかし彼らはたいていそれが迷える人々に教えたという善行で帳消しになっているという幻想を抱き、 悪影響のカルマを解消する努力を怠り一気に堕落の方向に進む。
〉〉628 自分でやってること見た方がいいだろ。 唐突に自分の考え連投とかエゴの塊だぞ。 ずいぶん香ばしいな。
631 :
神も仏も名無しさん :2013/06/26(水) 12:30:16.47 ID:mFB5rTFo
↑まだまだだな。W
>>629 バクティヨガとかそういうのね。
仏教だと十悪のうちで最も罪が重く
地獄行きだとされる邪見だけれども。
こういう観念はキリスト教くらいだな、救いがあるのは。
キリストの十字架に全部背負わせる。
>>628 それは見返りを期待してるからでしょ
道を教えてくださいと言われて、教えて、それ以上を期待しなければ、そこにカルマは発生しない
ふつうは、道を教えることに関して何の期待も持たず、ただ教えるのみだろう
期待する、しないという観念すらも持ち合わせない
ただ起こったことに関して反応するのみ
634 :
神も仏も名無しさん :2013/06/27(木) 09:47:46.89 ID:G+p9jrhf
インド人は基本的に怠惰で狡猾な人々だから、 あれだけたくさんの宗教を生み出して来たのだろう
よくこのスレで何か少し言ったらエゴだとか 極端な意見は出るが良くも悪くも客観的な意見ってのは 大事だからな まあ他宗教よりは指摘の内容は高等だとは思う 確かにエゴが無いと書き込む主体が無いからな
636 :
神も仏も名無しさん :2013/06/28(金) 06:33:21.68 ID:TExMaPlv
光明は無明から生まれる
みこころ会が各自治体のコミュニティーセンターを使えなくするように 武蔵野市や大宮市の市役所等関係機関に働きかけてみようと思う。 本人がウソの住所を記載してを借りてるんだから、これおかしいでしょ。 本当は東京都民でも埼玉県人でもない、県外に住んでいる人間なのにね。
>634 インド人は日本人と同じほど間抜けで面白い。しかし乞食の数は日本と同じ くらいだろうに、圧倒的に目立つ。日本の乞食はもっと大胆に活動してもいい と思う。
なにも起こりはしなかった。 なにも起こりはしないだろう。 そこにあるものがそこにあるだけ。
なにがあっても気にしない。
ラマナの言ってることは不良やヤクザに脅されてる者に 痛い目してもハッキリ嫌なら嫌と断れとそんな教えだからな 痛い目したくないから駆け込む警察や弁護士だよりの他宗教とは違うわけだ アドヴァイタを志したならそこは覚悟決めないといけんよ
>>637 別に、市外の人が使ってもいいだろ。
そこの細かい仕組みはわからんが、利用に関しては禁止してるわけでもないだろうし、
使用可能で市外の利用者だと割引が利かないとかの設定のとこも多い。
開催者もしくは利用者が複数いて、そのなかの
市内の利用者の人が申請すれば、それでもいいんじゃね。
利用者だし。
使用の申請をどうしてるかは知らないけど。
ウソの住所で申し込んでるのはどう考えても問題あり。
じゃあ、もし「ウソ」の申し込みならば、そこが問題なのであって、 市民以外の人でも、(規約にのっとって)施設借りることは特に問題ではないね。 どうやって「ウソで申し込んでる」こと(書類)を見たの?
受付に参加者が氏名と住所を書くんだよ。 で、そんなことを訊いてどうするわけ?
それは参加日の該当会場の参加者受付かなんかか? 施設レンタルの受付は、事務所とかで 前日以前、もっと前に申し込みの該当者がするもんだろ。大概は一人で。 事務所提出の申込用紙でも確認しなかったら、 実際の申込み者、申込み者の住所が誰名義でどう記入されたかなんて わからんもんだろ。
だからそれも含めて当該コミュニティーセンターと市の担当者に問い合わせてみるさ。 主催者が静岡在住でることは確かだし、民間の貸し会議室ならいざ知らず、 地域住民のための施設をカルトの集会場所として使わせていいのかどうかね。 慌てるなよ、関係者さんw
ちゃんと調べもしないで騒いでんのか。 大宮市って合併してもうないんでさいたま市だが ここは抽選になったら参加できないが市外の人でも予約はできるようだし、 武蔵野市のあるセンターは5名以上の利用で市内在住、在勤者が申しこめばOK。 というか、個人情報保護との兼ね合いはどうなるんだろうな。 向こうは情報は開示しないだろうし、 盗み見が怪しいという根拠なんだろ? まあ普通にキモい人だと思われるだけだろう ね。
なるほど、じゃあその条件に合致しなければ問題ありということなんだな? いいことを聞いた、ありがとう。 カルト集団が市の公共施設を利用して宗教活動をしている、 という触れ込みも合わせて担当者の耳に入れておくことにしよう。
規制中
651 :
神も仏も名無しさん :2013/07/04(木) 13:38:32.86 ID:WgEa6Hm3
悲しい
覚者と呼ばれる人たちの本を読んでも思考にエサを与えるだけだよ。
自殺をする気はないし勧める気もないが、 結局は死がこの生の呪縛からの開放なのかなと思ったりもする。
654 :
神も仏も名無しさん :2013/07/06(土) 03:21:02.84 ID:T0bOMbDh
悟りはある意味肉体を保持したままの死とも言えるし
覚醒は死からの復活だ。
ユーフィーリング! ―内なるやすらぎと外なる豊かさを創造する技法
http://www.amazon.co.jp/dp/4864510849/ resonanz360ブログのヒロさんが翻訳した本が7/11に発売だそうです。
QE(クォンタム・エントレインメント)のフランク・キンスロー氏著作の邦訳第二弾。
(邦訳一作目は『瞬間ヒーリングの秘密』(ナチュラルスピリット刊))
ユーフィーリングeufeeling(至福感覚)というのは、
euphoria ユーフォリア 至福感
euphoric ユーフォリック 至福感に溢れた
を元にキンスロー氏がつくった造語なんでしょうか。
657 :
神も仏も名無しさん :2013/07/06(土) 11:40:35.77 ID:qBGNoJWo
>>653 >>654 死だけが平等ってことですね、結局。
なんだかんだ言っても、悟りマスターと
自殺するいじめられっ子や、倒産した中小企業の社長とかと
やることは同じたぁ、こりゃ珍妙というか皮肉なこってすな。
夏目漱石の「こころ」でも坊主がたかが失恋のために自害するし、
亀仙人のモデルの久米仙人も女に欲情して術を失くしたらしいし。
まったくどういうわけだ!?
悟りもへったくれもねーや、ちくしょー!
658 :
神も仏も名無しさん :2013/07/06(土) 14:37:00.47 ID:tqg2VuFm
肉体との同一視が肉体の死を最終的な解決と思わせます。 生者に死は必定であり、死者に生は必定であるというのはバガヴァッド・ギーターの言葉です。 覚者と俗人を分別し価値付けしそれを背後から見る者がいます。 ヨーガは平等の境地と言われますので勝ち組も負け組もなくそこには仙人も自殺者もいません。 自己を覚者や敗残者と同一視しあるいは同一視しようとする心の素因を瞑想で取り外し破壊するべきです。
暑いんだけど、「暑い」から不快が消えて、暑いってのがどういうものかよくわからなくなってしまった 暑いという状態はわかるんだけど、暑いとしか言えない 昔は暑くしている何かへの怒りも一緒にあったのに
660 :
神も仏も名無しさん :2013/07/06(土) 14:53:13.39 ID:tqg2VuFm
無料でホットヨガじゃないですか。
体験する人の、その身を離れて、外側の世界に「暑さ」が存在するのだろうか?いやない 反語 もちろん、「今日は暑いね〜」などと、人間同士、他の誰かと感覚を分かち合うこともできるでしょう でも、それもあくまで体験する個々の主体があればこその話。 25度の気温と比較して30度は暑い。でもその30度も35度と比較すれば、暑くは無い 物理的に、分子の振動としての熱はあれど、その冷暖は実は、実体として存在してるわけではない。 平均体温36度の恒温生物としての人間という立場から体験する今日の気温は、暑い。暑いと感じる。 北極の海にすむクリオネは、北極海の水の温度を冷たいと感じているのだろうか。いやないだろう 反語
覚者と称する人たちが悟りや真理について言葉で語り出すと、 その教えの解釈が彼らの教えを受けた人たちの仕事になるわけですよ。 そして思考の無限ループに陥る。 つまり思考が真理を見出そうとし、思考が悟りを開きたがっているわけだ。
>>659 あなたの書き込みが本当なら、たぶんあなたは悟りを開いたのではないでしょうか。
「え?俺が?」と思うかもしれませんが、悟りを開くとは本来そんなものではないでしょうか。
「目覚める」とか「覚醒する」とか、なにか特別な体験をするとか、そういうことは自我の好むことだと思います。
私が思うに、あなたはこの世界にいながらにして「無」を経験しているんですよ。
悟りとは大袈裟に言えば「空への回帰」だ。 だが、こんなことを言い出せば無限に理屈をこね続ける羽目になる。 簡単に言えば、なにがあっても気にしない心境だ。 「解脱」とはそういうことではなかろうか。 釈迦やその弟子たちがどう言っているのかは知らないが、彼らには勝手に言わせておけばいい。 彼らが悟りを難しくしてしまった。 マハルシも同様だ。 「私とはなにか」 そんなことはどうでもいい。
精神的な死だろ。それは貴重な道しるべだけど、死に急ぐことはない。寧ろより強く生き生きと 生きることに利用する方が好い。
>>663 悟りに触れたってレベルだと思う
昨日は少し苛ついたからw
考えてみれば、私は暑さを直接経験して無くて、非実在の身体のフィードバックを受けて(非実在の)暑さを感じてるわけだから、
非実在の状況を、実在するかのように感じようと選択してるだけなんだよな
それに対して一喜一憂するのは、本当に自作自演というか、演劇やってるようなものだな
668 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 13:30:02.55 ID:TWQGWmN+
>>667 こういう奴に対して ラメッシ・バルセカールが
「じゃあお前俺が今いきなり殴りつけても何ともないわけ?」
「何ともないの? ねぇ? ねぇ?」
みたいに言って
現象の中では痛みを避ける事は出来ない
現象の中で目覚めている事を避けている事は出来ない
って言ってる問答があったな
669 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 15:02:57.70 ID:k1bxZIWy
ラマナが平手打ちを食らわした男が三十年後にやって来る話は その男の三十年がどういったものかは知らんが何か今日読んでてジーンとくるものがあった
それどこに載ってるんですか? ラマナマハルシとの対話?
671 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 17:21:43.00 ID:k1bxZIWy
ラマナ・マハルシとの対話の2巻のp237です
>>668 対話3巻読むと、ラマナも腫瘍に対して強い痛みがあると言ってる
ただ、その痛みと、「私」を分離(厳密には包括?)できるんだろう
長年蚊に刺され続けてきたせいか、痒みに関してなら同じようなことが出来るようになった
どれほど強い痒みでも、痒みそのものの主体性を確立することで、痒みが自分から離れて存在するものになる感じ
それに対するアクションは、ただ痒みを見るのみ
これによって俺の股間の皮膚は救われたのだった
>>671 ありがとう
ラマナが叩いたことがあるとか、30年前のそういうことをちゃんと憶えていたり、
短い話ながら貴重なエピソードですね
悟りを開いた人は世間的にはかなりの変人としてうつるんじゃないかな。 たとえば女房に浮気されてもなんとも思わない人になってしまうんだろう。 世間の人たちからすれば、そういうのってかなりじれったいよな。
675 :
神も仏も名無しさん :2013/07/08(月) 23:39:37.36 ID:TWQGWmN+
何が?
世間一般の亭主のなかにも女房に浮気されてもなんとも思わなくなっちゃった人がいるのは認めるよw 考えてみれば、悟りを開いた人が女房に浮気されてもなんとも思わないと決め付けるべきでもないな。 「そのときになってみなければわからない」というのが正解だろう。
どこからが浮気になるか自分の価値観に過ぎないし
規制がハンパないなw
679 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 04:29:14.89 ID:+kKQUnu5
悟りなんぞに達したら、こんなとこにあ〜でもない、こうでもないと、書き込む気 なんぞ起きるわけがない。
680 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 04:32:15.32 ID:+kKQUnu5
ここはいつでも、瞑想のハウツーや実践的な話題でなく、屁理屈や憶測が飛び交っているね。 ほんとに瞑想の実践してるのか?
681 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 07:02:55.82 ID:R5LYqlNK
こんな人はいますか? ・頭頂部、額の中央がいつもズキズキしてその部分だけ熱をもつ ・額の中央にドリルで穴を開けられるような感覚がある ・頭頂部が山脈のように盛り上がる
682 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 07:41:34.05 ID:IQkFSkyR
病院行ったほうがいいぞ
683 :
神も仏も名無しさん :2013/07/12(金) 08:37:27.55 ID:ID0CGc8D
あなたががそうなってるんですか? 中沢新一の虹の階梯の最終部分に載ってるポアの瞑想やって成功している場合の症状ですね 瞑想してるならそれ以上やるとあちらの世界へポアしてしまいますよw 額のチャクラと頭頂のチャクラが肉体の次元で開き始めてるんでしょうが 瞑想してそうなったんなら瞑想をやめた方がいいですね 瞑想ではなく普通にそうなったんならそれはそれで問題ですけども
684 :
神も仏も名無しさん :2013/07/13(土) 02:49:44.90 ID:55e+4b6k
>>681 ・頭頂部が山脈のように盛り上がる
例の岸和田のだんご頭か。
>681 俺の場合はスコーンと円錐状の空間が空に向かって開く感じだけどなー。 気持ちいいよ。もし目だったらフシアナになっただろうけどな。外れてよかった。 最近は腹がそんな感じだ。腹のど真ん中に風穴が出来たみたいだ。体調が すこぶる良くなった。
686 :
神も仏も名無しさん :2013/07/14(日) 10:35:40.14 ID:7B7Baxj2
>>679 その「あ〜でもない、こうでもない」が結構楽しいもんなんだよ。
俺、最近気づいたんだけど思考することを楽しんでるんだよな。
687 :
神も仏も名無しさん :2013/07/14(日) 10:37:56.88 ID:7B7Baxj2
>>680 その妙なズレっぷりがこのスレのウリなんじゃないの?
688 :
神も仏も名無しさん :2013/07/14(日) 11:06:33.47 ID:dQdzcvcX
>>681 >頭頂部が山脈のように盛り上がる
>例の岸和田のだんご頭
おまえ地球のものではないな。
689 :
神も仏も名無しさん :2013/07/14(日) 16:59:42.72 ID:HAz9exLR
「頭頂部が山脈のように盛り上がる」という状態は、 肖像や写真で割とはっきり分かるのは、 大燈国師 鈴木大拙 和尚ラジニーシ 等だと思う
690 :
神も仏も名無しさん :2013/07/14(日) 17:11:58.27 ID:dQdzcvcX
すると悟ると病気か異星人になるのか?
691 :
神も仏も名無しさん :2013/07/14(日) 17:33:57.20 ID:HAz9exLR
頭頂部の変化は、真横から見るとよく分かる たとえばグルジェフやラジニーシは完璧なハゲ頭で、 正面から見るときれいな卵形に見えるけど、 真横から見ると、頭頂部が高さ1.5〜2cm、長さ4〜5cm程度の山脈状になっていて驚く 真横から撮った写真が珍しいので、この現象は気付くにくい
692 :
神も仏も名無しさん :2013/07/14(日) 17:55:59.90 ID:FwvIhLL/
そんなオッサン腐るほどいるわ
693 :
神も仏も名無しさん :2013/07/14(日) 18:59:29.67 ID:dQdzcvcX
きちがいとしか思えない
覚醒の炎―プンジャジの教え って再販というか増刷してるよね?
書店で見かけた あれ増刷ものだったのか
being系の ヘルメス j よかったよ。 最後の ドゥクシャのくだりはちんぷんかんぷんだった。 読者(ドクシャ)とかけているのか? はたらく魔王のカツドゥーーンみたいに
君ら選挙行ったん? 選挙って行っても行かなくてもいい(選択できるという意味でね)わけで、 これを行うのは執着であるのか否か結構悩む 誰かに投票するというのは、何かに執着することになるわけだし・・・ 執着心無しの投票など可能なんだろうか
投票してきたよ〜 選挙があり、投票する ただそれだけのことじゃないか
最近は般若心経の現代語訳を寝る前に読んでいる。 それ以外はしたくない。
700 :
神も仏も名無しさん :2013/07/21(日) 23:34:19.74 ID:If0IpV/F
玄侑棟久さんの現代語訳般若心経でよく理解できたけど
701 :
神も仏も名無しさん :2013/07/21(日) 23:34:51.41 ID:If0IpV/F
玄侑宗久さん
勿論寝る前に読みましょう
703 :
神も仏も名無しさん :2013/07/22(月) 06:09:34.74 ID:K8evdsfX
選挙だけ特別視するのはなぜ?
704 :
神も仏も名無しさん :2013/07/22(月) 06:11:43.37 ID:K8evdsfX
学歴、結婚はないがしろかい?
705 :
神も仏も名無しさん :2013/07/22(月) 21:51:41.52 ID:Ul5508Jc
706 :
神も仏も名無しさん :2013/07/22(月) 22:09:30.24 ID:BBtgjyYD
終わった選挙のことであーだこーだ悩むのが執着だよ
選挙いかなかった ラマナとプンジャジの本に乗り物の例えがあるけど、 俺が選挙に行くか行かないかも、単に過ぎ去る景色でしかないから、別にどっち選んでもよかったんだよな
708 :
神も仏も名無しさん :2013/07/25(木) 12:31:49.92 ID:Q7uV01Pk
選べないと言ってるじゃないか? 選挙にいかなかったのは決まってたこと、だろ?
選べるよ
710 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) 11:40:24.42 ID:OAhSjG8g
バシャールスレで頑張ってください
711 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) 11:42:39.94 ID:5PlQ5h1G
>>709 バシャール系とかではそうだろうさ。
ここはスレ違い
バシャールって誰だよ
713 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) 13:28:35.27 ID:5PlQ5h1G
バシャールは あやしげなスピだよ
バシャールでゴザール 古過ぎて誰もわからないか
715 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) 13:48:48.53 ID:5PlQ5h1G
わかりますよバザールでしょ?cm。
うん、まだネットなんてなかった1990年代前半くらいのCMだよね。 あの頃はワープロの書院(笑)からパソコン通信のニフティサーブに繋いで、 松村潔さんがシスオペやってた精神世界フォーラムをよく覗いてた。 まだ大学生の頃、いい時代だった。
717 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) 17:14:28.28 ID:5PlQ5h1G
バブル まあ、昔のが夢があった。
金を信頼してそちらに目を奪われていた時代がいいのか あるいは金にも政治にも信頼できなくて内向的になる時代のほうがいいのか まあ人によって導かれるシチュエーションは様々か
719 :
神も仏も名無しさん :2013/07/27(土) 21:15:09.22 ID:fXxV8lUW
「選択する」という言葉をよく耳にするけれども、我々は選択なんてしていないんだよ。 アルコール中毒の人がアルコールを飲むのを選択しているわけではないように、 我々はただ自我中毒的に自我に振り回されて行動しているだけ。
選択してないと思う選択もないという事か
そもそも「我々」自体が存在していない
そういうのはマジでその境地に達してから言えよな こんな所に入り浸って何かで読んだ知識を書いてるなら滑稽でしか無いぞ
>>722 一体何の境地が必要なのさ?w
難しく考えすぎなんだよ
選択が無いんじゃなくて、選択する人が居ないんだ
空が雨を降らしているわけではなく、
いろいろな要因が重なり合った結果として雨が降るという現象がただあるだけなんだ
本で読んだ知識を書き込むだけなら俺にでもできる
2ちゃんねるを読もうとしたのも書き込もうとしたのも自分の選択では無いとでも言うのか?
「選択する」 これを否定することは、全ては必然であると言うに同義 どちらでも私には関係無い これからも今まで通り 議論するに値しない 問題は、その後何をするか
>>723 は、誰が何をしても選択や意思は介在しないと言ってるんじゃ無いのか?
そうなると「その後何をするか」なんていうのも問題に成らないと思うが
728 :
神も仏も名無しさん :2013/07/28(日) 17:35:35.35 ID:XxovveSR
>>725 そのとおり。
ラマナも他の覚者もそう言っている。
730 :
神も仏も名無しさん :2013/07/28(日) 21:05:07.47 ID:y556i1s5
考えること思うことは全部条件付けされてるって言いたいんじゃないかな? 人間はそれに気づかないで自由に選択していると思っちゃうってことだろ
連続の書込みで申し訳ないけど興味なかったら無視してくれ いま日本の禅の坊さんで盤珪って人の本を読んでいる。 言っていることはこれが全て 「不生にして霊明な仏心で一切事がととのいまする」 要するに「不生の仏心」でいれば万事がOKなのだよ なんにも迷うことも困ることも無くなるのだよ 誰でもすぐに悟れるのだよ。 と言うことなんだけど 読めば読むほどこれってラマナのいう真我のことじゃないの? って思うんだがどうだろう
ラマナとの違いは盤珪の場合は後に有名になる 生死をさまようような苦行で悟ったことで、 本人は「ムダなことをした」と以降苦行を否定するようになる。 あとラマナの神がかったような内容のトークと違って あまり教養のない人を相手の説法のためか 内容がシンプル・簡単・明快すぎて その凄さがさっぱり伝わってこないところ 「不生の仏心とは何か」と問われて 鳥の鳴き声やその辺の姉ちゃんを聞き分けること みたいな説明でピンと来ないんだけど いわゆる人間を迷わせ悩ます思考のそれ 以前の事を言っている。
クリシュナムルティが話を聞きに集まった人を前にこんなことを言っている。 「外を走っている電車の音をみんなが同じように聞いているように 私の話をただ聞いていて下さい。」 これらは同じ事を言っているんです。 もっと書きたいけど荒らしみたいになるし 俺の下手な文章では何か見えてきた人はいないかも知れないから この辺にしておきます、参考になるかもしれないと思って書きました。
だから、そんなのは本読んでればみんな知ってること何だよ 君達みたいにそういう事書き込んでる人は悟ってるのか?って聞いてんの
735 :
神も仏も名無しさん :2013/07/28(日) 23:07:51.09 ID:5XAKCt9z
君のこだわっているその悟りって何?
ヨーガで言う「無想三昧」まで到達てきたら悟ってると言ってもいいと思うよ
和平さん ブログ始めてたんですね。
738 :
神も仏も名無しさん :2013/07/29(月) 06:14:08.76 ID:EdA3ip7H
竹田和平はスピ
>>737 もっともらしい口八丁手八丁の文言の羅列に騙されないようにね。
740 :
神も仏も名無しさん :2013/07/29(月) 07:53:30.25 ID:EdA3ip7H
そう。斉藤一人の仲間
竹田和平のことじゃないよ。
立松和平か
743 :
神も仏も名無しさん :2013/07/29(月) 10:28:23.05 ID:EdA3ip7H
立松和平は冥土だ
久々に歯医者いったけど、麻酔無しで手術とか無理だわ 麻酔だけでも痛くて気分悪くなった いまも吐きそうだわ ラマナすげーな
歯医者で麻酔無しは痛いよな 脳に近いからガツンとくる痛さがある ラマナは膝か足が悪かったが 膝とか神経が多いらしくてかなり痛いらしいな ラマナの足は平気な顔してたが実際痛かったと思うよ アレは軟骨磨り減って骨がぶつかる系の歩きかたしてたよな
746 :
神も仏も名無しさん :2013/07/30(火) 12:29:35.38 ID:5/PPNbYG
歯医者乙
>>681 遅レスだが
天台宗の名僧、智証大師・円珍は、頭頂部の尖った頭をしていたそうな
唐への留学時代に、お前さんの頭は「霊蓋」と言って徳のある相で、
その骸骨を使ったまじない的なものに使われるため、殺害されやすいから
気をつけろ!と唐のそうにアドバイスされたらしい
「霊骸」だった
マヤかどっかでそういう頭頂にする手術なかったっけ?
最近ホ・オポノポノというのをやってる。 外界の現象は、自分の中の過去の集積が「見せている」ものであり、 その過去の集積に対して、感謝とか許しとかの感情を向けるというものだけど、 案外効果というか、必然性を感じる。 外界の現象はやはり「自我」というフィルターを通してみているものだから、純然とした「外界」なんて ものはないんだね。だから、内側に向かう必然性は必須なわけで。 また、この「過去の集積が見せている現実」というのが、五井昌久氏のいう、「過去の消え行く姿」と よく似ている。 まあ、前者はスピリチュアル本、後者は新宗教のコーナーにあるものだけど、読んでみると なかなか実用的だ。
ポノポノのアイムソーリをごめんなさいと訳すのはどうも肌に合わない そんなにネガティブな訳じゃないと思うんだが いま出てる本は訳が変わってるんだろうか
>>737 今彼のところに行っても多分何もないよ。悟りの伝播は起こらない。
それが起きていたのは今から10年くらい前のこと。
今彼の勉強会等に継続的に通い続けている人で“わかった!”ってなった人、一人もいないよ。
ハタヨガなどのアーサナなどは時間をかけるのは無意味だと言っていたが、その通りだと思う 身体は病気の巣であるとも言っていた
それはどうかな? 人によるだろう。 彼の経験則が他の人達にも当てはまるとは限らない。 彼はトラウマの治療や抑圧された感情の解放等も否定していたが、 個人差を無視したそのあたりの画一さは、 中○真○さんも間接的ながら批判していた。
大疑ありて大悟ありという事があるので、彼の少年時代の死の恐怖とその同一化の体験がすべての基礎だと思う これは内省的な性格と想像力豊かじゃないと無理ですね 自分には相当遠い道です
758 :
神も仏も名無しさん :2013/08/04(日) 12:39:33.11 ID:tx1g1wzk
ホオポノポノは胡散臭いスピですよ。 まあヨガでも胡散臭いもんは胡散臭いがね。
759 :
神も仏も名無しさん :2013/08/04(日) 16:03:25.87 ID:tx1g1wzk
それにしても頭を舞の海みてえに手術して強引に悟りをえられるのか? よく手相などではそういうことするらしいが。
760 :
神も仏も名無しさん :2013/08/05(月) 23:24:30.35 ID:MvoSHD4h
答えを得ることが悟りなのではなく、問いが消えることが悟りなのだと思う。
エゴを落とすと言うもんな 足算じゃ無くて引き算だったんだな
762 :
神も仏も名無しさん :2013/08/06(火) 15:02:10.48 ID:jdrXvc0J
だから、「私は悟りました」という前提で悟りについて語る人たちってのはどうなんだろうね。
自分の経験から言うと、状態を報告する類のものではなかった それが普通であるので、わざわざ言わない 悟ったかどうかわからないが、とても静かだとは言うだろうけど、問われればだから発信はない
764 :
神も仏も名無しさん :2013/08/07(水) 06:46:32.13 ID:iOgKxHdJ
あのガンジーも、カースト制については反対よりも、むしろ肯定寄りの立場で その点を、のちに「インド憲法の父」といわれた政治家で仏教者のアンベードカルに 厳しく批判されている。アンベードカル自身も、最下層カーストの出身だから。
生まれた以上、人間に縛られ性別に縛られるから、カースト廃止しようが、制限という概念を持っていたら同じことじゃないかとは思うがね 私というものは、カーストや国籍、財産や身体的特徴に縛られるものではないから、そっちはそっちでそのままにして、 早いところ私を発見しようという意味で、カーストはそのままにという姿勢だったのでは 対話のほうでカースト制について言及してた気もするけどちゃんと読んでないからわからん
聖者をヒーローかなにかと勘違いしてないか。 悟ってもパンを増やして貧困をなくすことはできない。 そっちは宗教者ではなく政治家の仕事だ。
768 :
神も仏も名無しさん :2013/08/07(水) 20:58:11.94 ID:xVhCQGJh
祭りの時か何かに不可触民に触れられたから汚れを除くために自分を祝福 して下さいとかなんとかラマナ・マハルシに頼んだ女性の話がありました。 マハルシはきっぱりと断わってました。「行きなさい。私はしません」みたい な感じで。マハルシ自身はカーストに対するこだわり(つまり、好き嫌い) はありませんでしたが、社会慣習について大声で反対することはしませんでした。 カーストに関してであれ、インド独立であれ、物事は「自分」が変えるものでは ないからです。全ては神の定め、計画により進んでいるようです。彼は静かに 自分の範囲で模範とすべき平等を実践していました。
仏教で言う利他行はしたほうがいいだろ。ただそれがイコール社会改革ではないけど
それが本物の利他行ならな でも勘違い利他行は不徳を積むことになるよ
それいったら勘違い瞑想も勘違いすべてはマーヤも勘違いすべては神の意思も まずいでしょ。
アドヴァイタにはまってしまい、修行は無意味だ、みたいな観念に囚われていたが、 それこそがエゴの策略だったと気がついた。 修行は必要だ、誰もがブラフマスートラを実践できるわけではなく、 ほとんどの人たちにとって必要なのはやはりヨーガスートラなんだ。 今日からまた、ホーンソーやケーチャリームドラー、マハームドラー等練習を再開しよう。
修行は無意味も修行は必要だもエゴなんだが 何にもわかってないから出直して来なさい
なんとでもほざけ。 そういうわかった風な観念論にはもう辟易だ。 人に笑われても馬鹿にされても構わね ならぬものはならぬ、やらねばならぬものはやらねばならぬ、だ。
わからないやつだな そういう決め付けこそが観念なんだよ それを理解するだけでいい、自分を見つけてみ 思考はそれ自体が空虚だとわかると静かになる
理解するだけでいいならこの世はとっくに悟った人だらけやんけ。 ある段階までは修行は欠かせないぞなもし。 何わけのわからんこといいようとや、自分自身も何一つ理解しとらんとにくさ。
さっき、源へ戻ろうとしたのだけど、まだここに居たいという欲求に遮られてしまった ここにいても暑いだけで楽しくないんだが、どうして自分はここに居たいんだろうか
>>776 必要/不必要ってのは無いよ
用いられるときには用いられるというだけで、手放されるときは手放される
常に瞑想を必要とするわけではなく、瞑想するときは瞑想する
必要ってのは外側から強制されるもの
でも実際には必要だと思いこむことを私が選択する
必要、つまり「自分以外から与えられる」という概念への執着が発生する
外ではなく内側を常に見るのなら、私が瞑想を行うことを選択するとなるので、瞑想は行われるときには行われ、行われないときは行われない
779 :
神も仏も名無しさん :2013/08/08(木) 18:16:02.23 ID:Y1iLH8Ud
寝る・起きる・歩く・食べる・働く・瞑想する なぜ瞑想だけやらないんだ
780 :
神も仏も名無しさん :2013/08/08(木) 18:18:15.67 ID:HOEKfyly
>>776 ラマナ・マハルシも修行の必要性を認めてるから、自信持ってください。
エゴがする修行により、エゴが消える・・・不思議ですね。でも、人は自殺
もできるからそんなに不思議でもないか。余りいい例ではないけど。。
>>776 お前は底なしの馬鹿だな
小学生でも毒だと分かったら飲まないぞ
理解とはそういうことで
本当は見てない理解してないから毒を飲んじゃうんだ
知行合一とはそういうことで、お前みたいな幼稚園並みの
奴でもやってること、ただそれを知らないだけ
782 :
神も仏も名無しさん :2013/08/08(木) 19:00:00.42 ID:Y1iLH8Ud
実際の修業はインドに行けば分かるが朝4時起きで寒暑問わず水行してとか地道で泥臭いものだよ
老人介護施設とかで働けば、インドまで行かなくても、相当いい人間修行になると思う。 正直、お年寄りの下の世話とか俺には絶対無理だけど。
>>782 それはどこの話なんだ?
北のハタヨガのアシュラムの話か?
つかいまだに電球ぐらいしかない家もあって
暗くなったら寝て明るくなったら起きるとかは
農民なんか普通のことで修行ではないんだけど
老人介護施設で働いているが、ターミナルの人と夜勤中一緒にいると修行になっている気がする。 気を回してさすったり排泄介助したり、相手の気持ちを傾聴したり。 手に便がつこうと、唾液がつこうと仕方ない。感情をぶつけられることもある。 そのときばかりは自分のことは後回し。なにより自己覚知が求められるので、自分の感情を見る練習になる。 しかし一歩外にでれば元の木阿弥。 それに感情的に働いている人もたくさんいるしね。
修行と言う名の苦行をありがたがってる人は割といるんだよね 苦行を苦行と感じない、つまり日常の立ったり座ったりと同じレベルのものとして見るのなら別だけど、 苦しいという感情があるのなら、それを修行だから仕方ないみたいに抑圧したり否定したりしないで、 「苦しい」という本来は存在しない感情をなぜ感じているのかについてアプローチを行えばいいんだけど、 多くの人は、苦しめば苦しむほどポイントがたまるみたいな考え方になっちゃってるんだよね
だれも修行が苦しいとか苦しみがポイントだとかいってないのでは。 そんな単純なものの見方は。
>>787 言葉が少なかった
このスレでは修行と苦行をちゃんと分けてる(修行の意味をわかっている)けど、一般的には修行=苦行という見方がまかり通っているって話ね
原罪の概念がベースにあって、罪を償うために苦しまなければならないという論理が出来てるのではと思う
五体投地でメッカまで行くという修行者の話を耳にしたことがあるが、そんなことしても、それが無意味な行為であることしか発見できない
無意味だと教える師に付けばメッカまで行く必要ない
789 :
神も仏も名無しさん :2013/08/09(金) 11:43:37.11 ID:ATJHHuVG
自分としては苦行が完全に無意味だとは思えない。そういう苦行で献身の気持ちや欲 から離れることが起きないとは言えないと思う。 でも、苦行は肉体を通じて心を鍛えるのが目的だと思うけど、ともすれば肉体 をいじめることが目的そのものになったり、見た目派手だから、尊敬を獲得す るための手っ取り早い手段みたいになる危険性はあるともう。無理して死んだり することもニュースであったような。
790 :
神も仏も名無しさん :2013/08/09(金) 13:48:29.50 ID:FFRP4U9W
いろいろ言ってらっしゃるが どうせ我々に自由意志などないのでは? ラマナ他、みんなそうのたまっておられるんじゃ? それともワタクシの読解力がないからそう解釈してるだけでしょうか?
主観をなくすためには、客観になり切らなきゃダメだと思う 自分を押し出しているうちは、修行とは正反対の結果になる
たとえば早晨修法(導引)という仙道のハタヨガとも言うべきプログラムを暫く続けていると、 身体の歪みが取れ、不必要な脂肪は自然に落ちていき、唾液の性状が変わり食べ物の嗜好も変化してくる。 ナディ・ショーダナというナディ浄化のためのプラーナヤーマを3〜4か月も続けていると、 身体が驚くほど軽く快活になり、睡眠の質も向上する(短い睡眠時間で充分な休息が取れるようになる)。 こういうことは覚醒とは何の関係もないといえば何の関係もない。 しかし神の宮としての肉体を清掃し整えることは神をそのお宮に迎え入れるための準備として欠かせないだろう。 よく言われる喩えだが、ゴルフのホールインワンは狙ってできるものではない。 しかし少なくとも、ゴルフ場に足を運び、仲間と数人でコースに出てゲームに参加していなければ、 決してホールインワンが起きることはない。 修行とは、この場合のゴルフ場に足を運びコースに出ること、を意味する。 あるいはそのために毎週末に打ちっぱなしに行ってスイングの練習をし、時にはレッスンプロにチェックしてもらう、 こういうことも含めての修行と言えるだろう。 だから修行は絶対に欠かせない。 ラマナや誰かの本を読んでその受け売りを繰り返し、その気になっているだけでは ホールインワンどころかゴルフをしたこともない、ゴルフのルールさえ知らないただのど素人に過ぎない。
目的が明確な修行ならいい
まあ、悟りとは違うかもしれないけど、苦行にも一定の効果はあると思う。 千日ほうかい行なんかは、やってる間は勘が冴え渡っていて、どの後輩がどのくらい後ろで へたばってるかわかるとか。 苦行はわりと簡単(というと語弊があるが)に日常意識から脱却できると思うので、 日常に戻ったときにも、その日常意識を絶対視する頻度は少なくなるでしょう。 もちろん、苦行をポイントというか、自己満足の対象としてしまう危険はあるかもしれないが、 そこは先輩修行者やメソッドが舵取りをするのでは。
ところで話は変わるが、自分が普段どれだけ日常を絶対視しているか気づくために、 「マトリックス」という映画がお勧めと、チベット仏教の本に書いてあった。 そのほかにも、何人かそういうことを聴いたことがある。 マトリックス観てないんだけど、そういうフィクションから学べることもあるのかね。 知的な方面から概念を揺さぶるのも、あながち悪くないと思う。 悟りは知的なものではない、というのはわかるけど、まず知的にがちがちになっている部分を 破壊する意味で・・・。 時間概念にしても、一般的には矢印的に方向があるイメージを持ちがちだけど、 ある僧侶の本を読んだら、すべては今ここにあり、それが縁によって現れたり消えたりするだけだ、 だから目の前の芽の中に、過去未来すべての花と根と葉が内在していて、なにも失われずなにも新たに生まれない、 と書いてあった。これで自分の時間イメージがかなり更新された。 といっても、日常では相変わらず矢印的時間イメージなんだけど、ふっと立ち止まると、 ああ、なにもかも「いまここ」にあるんかなぁ・・と。
で、何もかもここにある、何も減らず失われないと思うと、なんか安心して・・・ 日常の、矢印的時間イメージの中で繰り返される人生のあれやこれやが、 なんか、一時の夢のように思えるときもある。
797 :
神も仏も名無しさん :2013/08/09(金) 17:05:44.65 ID:m/cDEDe0
暑いだけだから自分勝手な長文は止めて
798 :
神も仏も名無しさん :2013/08/09(金) 17:58:37.35 ID:T6JKwe72
今書店で話題のヘルメス・J・シャンブーちゃんは雑誌に載ってたがソース顔のイケメンだったな
792が正しすぎて言うことがない。 あえて言うとヨーガスートラを実践するのなら 制感から始めて調気法、さらに坐法と進むのが正解。 ヨーガ・スートラの内容は八支則であり、 はじめから最後まで順番に並んでいる八段階でないことに注目。 ハタヨーガを極めたいというのなら理解できるが ヨーガスートラを習得するのに ケーチャリームドラー、マハームドラーが 出てくるのはよくわからない。
アドバイスするなら、 アドバイスする人が探求終了してのアドバイスなのか、探求中でのアドバイスかを書いて欲しいです 探求終了してのアドバイスなら、じっくり読んでみます
801 :
神も仏も名無しさん :2013/08/10(土) 11:45:34.25 ID:0I/tEpBk
嫌でも悟り(サマーディ)に追いやられるのが本物で、 無理な修行で得られるものは、幻覚と妄想だけだ 自分の熟成の時節を待つしかない
802 :
神も仏も名無しさん :2013/08/10(土) 15:36:56.42 ID:uuFN4PBU
結局、悪あがき どうにもならない。
>>799 ケーチャリームドラー、マハームドラーだからクリヤヨガだね。
広い意味でのアシュタンガヨガの一種だから別におかしくはない。
だから悟りは足し算じゃなくて引き算なんだっての エゴさえ落とせばたちどころに救いに在るのに気付く 俺たちは最初から救われてるんだよ 悪夢から目覚めた人がただ寝てただけに気付くだけだ
そういう能書きだけなら誰でも言える。 エゴを落とす、言うのはかんたんだ。 そのエゴを言いくるめ、巧妙に誘導するための方便という意味合いも修行にはあると捉えておけばいい。
806 :
神も仏も名無しさん :2013/08/10(土) 21:38:05.48 ID:lalFTDKr
巧妙に誘導するとか 俺でも真理への道はそんな作為的なもんじゃないって分かる
807 :
神も仏も名無しさん :2013/08/10(土) 22:25:24.14 ID:gpeTPlmU
エゴを落とすのは修業の入口であって出口ではない 安易な現代スピリチュアリズムでは楽観的にエゴを落とせば終了みたいな風潮があるが そこから先に山ほど落とすものがある
修行は無意味、真理への道は作為ではない、という観念に囚われること。 そっちの弊害のほうが遥かに深刻だけどね。
809 :
神も仏も名無しさん :2013/08/10(土) 22:58:02.68 ID:gpeTPlmU
時間が来れば解脱する・運命によってのみ解脱があるのであって 諸原理に習熟することには意味がないとして時間や運命に満足する人には解脱はない とサーンキヤカーリカにも載ってるよ
810 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 00:18:30.13 ID:jeonGAR0
運命とは何かね 自由意志とは何かね
811 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 00:31:54.47 ID:mCsw32bj
運命や自由意志があるかないかといったことでもなく その観念が何かという定義でもなく そうした観念そのものから自由にならなくてはならない 神の御心というのも方便に過ぎない そうした観念の残存や執着も瞑想では捨てきらなくてはならない ヨーガスートラでは聖者の心に意識の焦点を合わせ続けるだけでサマーディを得ると書いてある 真我探究すら難しい人はラマナの姿を思い浮かべてその心を瞑想すればいい そこに運命や自由意志の観念などないのが分かる そしたらその問いも浮かばない
812 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 00:39:27.65 ID:jeonGAR0
瞑想をすべきとか、或いは 捨てなくてはならないならないってのも観念 スートラに書いてあるからってのもそう 君は何か勘違いしてないかね 観念から自由になれというのはいい、その通りだから だけど瞑想ってのはね、さあ瞑想しようと思った時には それは妄想の世界なんだ
813 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 01:00:59.30 ID:mCsw32bj
瞑想が妄想になるのは欲望を捨てきれてないからです 瞑想以前にヤマとニヤマを完全に実行し、慈悲喜捨ができればエゴは落ちます ヤマとニヤマがいいかげんで他者への愛が欠如し自己中心的であればあなたの言う通り瞑想は妄想になります 物事には段階があります 自分だけはそんな段階を飛び越えていきなり瞑想できるという考えは無明であり傲慢です
お前らいろんなもん捨てろってわかった顔でいってるけど、 今から2ちゃん捨てろ、読むのも書くのもやめろ、っていってもできないだろ?
815 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 01:14:47.93 ID:mCsw32bj
できますよ
816 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 01:16:09.63 ID:dKMwSXiY
自分だけができるとか言ってるとか決めつけて傲慢とか言われてもねえ・・・ 瞑想とは自分をあるがままに見つめることなんだ 瞑想とは瞑想を理解することといってもいい それには段階とか時間の概念が介入するものでは無いのだよ。
817 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 08:00:43.91 ID:KxV7pdzd
悟り(サマーディ)は人間の処理計画で実現できるものではない ラーマクリシュナやラマナは、修行の結果それを得たわけではなく、 ある日突然、それに乗っ取られたのだ 禅やスーフィズムの継承の歴史を見ると、 いかにも悟りの人為的な伝達や習得が可能に見えるけど、 もともと無師独悟を実現できるような弟子が次々に現れたためだ 現在のように、ふさわしい弟子が途絶えてしまえば、 禅寺院やスーフー教団も、空しい形骸に過ぎない
818 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 08:59:38.07 ID:Ikfnl5Rw
>>817 ラマナ自身が即座に悟った人がいても過去世で修業が終わってたからと言ってますが・・・
819 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 09:11:51.15 ID:KxV7pdzd
スリ・ユクテスワがヨガナンダに言った 「食べ物の消化は、お前が持っている何らかの技術によるのかね?」 食べ物の消化は自然に起こる 悟り(サマーディ)も同じことだろう
では食べ物を口に運び、それを噛み砕き、飲み込むのは誰がやるのかね? 神があなたの代わりにやってくれるかね?
「自然に悟りは起こる」と自信を持って言える人は、それだけ明け渡しの心境が進んでいるのかもしれないけど、 ならば修行している人に対して、その修行も神の計らいで自然になされているものなんだから肯定するということが 何でできないのかね。 すべてが自然に起こるものなら、君の出る幕はないだろ。
そもそもここでで自力論、他力論双方語ってるけど、結局悟るまでは自力論に過ぎないような気がするんだよな・・・ というのも、悟るまで人間は「主体性」「自我」というものから逃れ得ない。 悟りとはそれが幻想であることに気づくこと。 すべては他力によって起こる、というのは、悟ったあとに言えることであって、悟るまえは、どうしても 自力的要素が、幻想であれ、必要。 禅でも「倅啄同時(そくたくどうじ)」、スーフィズムでも、母猿(神)が子を咥えて運ぶ猿の道、自分で走る犬の道、 と自力他力双方の存在を認めている。 すべては神の計らいなんだから、自力的修行も神の計らいだろ?それに異を唱えるなら、神に異を唱えることにw まあ、異を唱えることも計らいといってしまえば仕方ないがw
823 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 10:14:25.21 ID:Ikfnl5Rw
824 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 15:26:51.40 ID:83wXlzyr
漫画の中で複数の登場人物があれやこれや言っているのを 一人の読者がそれぞれのキャラクターに感情移入しながら読書している 漫画を読んでいる最中の読者の頭の中では それぞれのキャラクターは別々の人格(人間)として確かに生き生きと存在している (読者はそれぞれのキャラクターの立場に一々感情移入してハラハラドキドキします) しかし漫画を読み終えると「ああ、面白かった」で全て終了 作中で登場人物全員が幸せになろうが人類が滅亡しようが 読者の生には何の関係もない 読書を終えることによって、読者は作中の全ての登場人物から読者自身に(多から単一性に)還るわけです そしてこの読者は完全者であり、悩みも問題も何一つ抱えていない、最も幸福な愛そのものの存在なのです サマーディに入るとは、一キャラクターから読者自身に立ち還ること その時には「問題など何も存在していなかった」「全ては完全だった」「矛盾が真であった」ということが直知されます (私は19歳の時、シンクロシニティ満載の強引なシナリオ展開の末に強制的にこれを経験させられました) 自由意思がまったく存在しないということは科学的にもほぼ明らかになっているわけですから 瞑想するというのも 瞑想をすると考えるのはエゴだと言うのも ただ単に登場人物達がそのように言うシナリオの作品だからとしか
826 :
神も仏も名無しさん :2013/08/11(日) 22:18:11.73 ID:Ikfnl5Rw
古くからある夢の喩えの方が適切に思えます。夢は目覚める時消えますが、 マンガは読み終わってもそこにあります。夢はまさに自分が夢の世界にいる わけですが、マンガ読んでる時は自分はあくまで「読者」ですからね。それに 読者は本を作りだしていない点もうまく当てはまってません。夢は夢見る人が 作り出してますから。この世界もそのようらしいですね。
827 :
神も仏も名無しさん :2013/08/12(月) 22:01:44.72 ID:hKQXNnih
この世界の他に別の世界はあるのか。 私はないのではないかと思う。 自我が消滅するとは、外の世界を経験している主体が消滅するということだ。 主体が消滅すればどうなるか。 熟睡中のなにもない状態になるのではないかと思う。 結局のところ、それが一番の理想の状態なのではないか。 存在とは非常に偏ったものだ。 「なにもない状態」は、存在という一種の愚かしさからの解放なのではないかと思う。
828 :
神も仏も名無しさん :2013/08/12(月) 22:18:39.55 ID:hKQXNnih
私が思うに、「存在」とは一種の愚かな状態、無知な状態だ。 ひとりの人間としてのちっぽけな私がこの世界の全てを知ることは不可能だ。 私というものはそういうものなのだ。 「井の中の蛙大海を知らず」というが、たとえ蛙が井戸から出ることができたとしても、 蛙は一匹の蛙であるがゆえに大海を知ることは不可能だ。 せいぜい身のまわりの極々一部を知ることができるくらいだろう。 この世界に存在するということはこういうことだ。 存在するがゆえに我々は愚かで無知なのだ。
自作ポエム乙。 もうちょっと人様の役に立つレスしろ。 もう一言付け加えるとお前はアホか。
>>829 俺に人の役に立つという発想はないよ。
他人の評価も関係ない。
俺は俺の道を行くだけよ。
831 :
神も仏も名無しさん :2013/08/12(月) 23:35:15.58 ID:hKQXNnih
人様の悟りに役立つ思想や思索なんてものはないんだよ、たぶん。 そもそも「悟り」という言葉からして我々の問いに対する答えでしかない。 問いが消えると悟りも消えるんだよ。 悟りなんてない。 ただ問いが消えるだけだ。 私はこう思うから、悟りを語る(答えを語る)覚者の言葉もなんだか的外れの感を否めない。 たぶん覚者の言葉も私の言葉と同じく大して人様の役には立たんよ。
832 :
神も仏も名無しさん :2013/08/12(月) 23:46:07.73 ID:hKQXNnih
ひとことで言えば、我々は問いが用意する「悟り」という解答に振り回されてんだよ。 悟りを求めることは答えを求めることであって、問いが消えるという方向性とは真逆なのだ。
833 :
神も仏も名無しさん :2013/08/13(火) 03:35:03.52 ID:k72veHVx
我々は悟りを開くことがなく死んだら無になる。 これのどこがいけないんだ?
いけないわけじゃない それが真実かどうかが問題だ
死んだらどうなるかは、死ねばわかるさ。 それを生きているうちに体験するのが悟りだろう。 「死ぬことを学ぶことなく。 死ぬことを学べ。 そして汝は生きることを学ぶだろう」 チベットの死者の書より アドヴァイタや禅や原始仏教や丹道など 様々な道があるのに、それを行わないのは不思議だ。 ラマナの教えでも ・ジュニアーナ・マールガ ・バクティ・マールガ ・カルマ・マールガ があげられているけど、最終的にはこの三つは合一して 真我実現となる。 やらなきゃ始まらないし、やらなきゃ成功しない。
やりたくないからやらない ということをまず自覚するのが先かもしれない 精神的な修練においては、できないのではなくて、やらないわけだ なぜやらないのかを自らに問うと、この世界への愛着が見えてくる この愛着は、いまのところどうやっても外せない
君がやりたくないのいたしかたないが 他の人間が修行しなくても悟れると勘違いするから 言葉を選んで書けと言いたい。 「御心のままに」だから 人様のやることには口を出したくないけれど 師にもつかず修行もせずに ただじっとしていたら悟れると勘違いさせるのは 本当にヒドイ。 金銭を奪うことよりも信頼を裏切ることよりも 人間としては酷い行為だ。 ウパニシャッドや原始仏教は師が側にいることを前提に書かれているから 師がいない状況ではハタヨーガや導引などの修行が必要となる。 そもそもグルがそばにいて日常的に指導してくれれば ハタヨーガやクンダリーニヨーガは必要がない。 トークスをもっと読み込め。
ラマナ・マハルシとの対話全3買ったけど、難しいわ スワミ2チャンナンダ様、どうしたらいいでしょうか?
>>837 勘違いしてるのは君のほうでは・・・
修行しなくても悟れるとは一言も書いてないぞ
>様々な道があるのに、それを行わないのは不思議だ。
ってことについて見解を述べただけだよ
精神的な修練を行わないあるいはできないというのは、
自らがそう望んで「行わない」だけだということに気づくのがスタートラインに成り得るのではないか
寺が無いから、師がいないから修行ができない、チベット語が読めないから本当の教えにたどり着けないとかってのは、単にやらないことへの言い訳だってこと
悟りはめざすものでなし すでに極楽浄土(悟り)なんだから
>>840 マハームドラーとヨニムドラーは、
ダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』
という本に載っているのとほとんど同じだね。
ダイジもインドかどこかでババジと邂逅したらしいけど
彼もクリヤを伝授されたということなんだろうか。
843 :
神も仏も名無しさん :2013/08/14(水) 17:22:01.01 ID:EmvCSzyw
今世で解脱するような聖者も、 遥かな昔の過去生で盗んだり、レイプしたり、 殺したりしたのかな?
無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。 本当は、輪廻転生などまったく存在しない。 いまも、いままでも、そしてこれからも。 これが真理である。 ラマナ・マハーリシの言行録より。 この内容を真我が実現すると輪廻がなくなると理解するのか そもそも輪廻転生が宗教ビジネスのまっかな嘘と見るかは その人次第。 俺は前世だの来世だの言ってる経済的かつ時間の余裕があるのなら 真我探求をして自分の真我に明け渡すか まっとうな師につくか、まっとうな聖地にいくかしたほうがいいと思う。 それも人の勝手だから好きにして欲しいけど。
845 :
神も仏も名無しさん :2013/08/16(金) 23:44:52.79 ID:F26Ndapu
オウム信者のなれの果てか
846 :
神も仏も名無しさん :2013/08/16(金) 23:45:52.12 ID:rqJ2jn7Z
それをいうならラマナもプンジャジも過去世いいまくりだ。一般人以上にはいってるよな。 それに対してどうぞ批判を。
>>837 の思い込みの深さに笑った。
文章読み込む前に自分の思考に飲み込まれるタイプだね。ADHD。
脊髄反射乙。 もうちょっとラマナやパパジの本を読み込め。 あと真面目に瞑想をして結果をだせ。 できるようになったら、輪廻転生についての議論が いかに意味がないかがわかるようになるから。 肉体感覚の消失や自分の本質を見ることもしないで 人様に語ろうとするからボロがでる。 ラマナはヒンドゥー教の教義や輪廻の話について語ると それが実のところ議論にすぎないというか 幻影でしかないという表現をしている。 そもそもラマナにしてもパパジにしても 面前の人が最も理解しやすくて真我を実現できるように 教え方を変えているのだから。 輪廻転生が瞑想の前提となっている人には それを否定しないで教えていることを理解しないで なんで言行録を読み解けるのか。 前世で功徳を積んでいると慢心を与える。 前世で悪行を積んでいると罪悪感をもたらす。 ゆえにそれを記憶させないのは神の慈愛である。 それがあってもなくても、すべきことは決まっているのだから 前世や来世の話なんぞほっておけばいい。 めんどくさいから「あるがままに」と「不滅の意識」と 「ラマナ・マハルシとの対話」を読み返せ。 答えはそこに全て書いてある。
一番輪廻をほっとけてない人がいたので、揶揄してみただけだよw 俺は、君みたいに輪廻転生なんてキーワードをテーマにくどくどまくし立てる趣味はないね。 読んでも読まなくても、ああ、そうね、としか思わないな。
言行録の感動と瞑想への依存と肉体感覚の消滅の思い出と輪廻に対する見識を 両手いっぱいに抱えたままでいたら重たいと思う。手放したら楽になると思うよ。 実際にそんなもの、存在に必要ないしね。
輪廻は肉体や現実と同じように真我の現れとしてあるでしょ 「真我のみが実在」という意味において、存在しないという話でしょ 何が輪廻するかといえば個人性が輪廻するのだから、 個人性は幻、真我のみが実在、という意味では輪廻はないとも言えるし、 自分や身体や世界があるというような言い方では輪廻はあるとも言える それだけの話でしょ
852 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 00:16:14.95 ID:SlWSzVhY
「個人」を形作る名前・思考・形・記憶というものが 実態の無い概念上の幻でしか無い ゆえに輪廻転生する魂のような主体も存在出来ない 輪廻転生があるなら 一なる神と 一なる神から外れた何か がある事になってしまう 実際は一なる神のエネルギーがあるだけ
輪廻はないけど話題として出すのは、実際にはないが、あると思いこんでる人の視点から説明するなら、 あるという前提で無いという真実を語った方がわかりやすいってことだろ? パソコンの中で小人が動いてると思いこんでる俺のばあちゃんにパソコンの仕組みを説明する場合は、 CPUを机などに例えて、小人が仕事しやすくなるように机を大きく云々と言ったほうがわかりやすいが、 でもばあちゃん、小人はいないんだよ と必ず付け加える
854 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 07:49:55.84 ID:fLl6uBRe
あらゆる経験への渇望が消滅すれば、 サマーディのプロセスは自然に始まる
855 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 08:53:42.04 ID:fLl6uBRe
>842 ダンテス・ダイジさんってどうなんだろう 若いころから何度も自殺未遂を繰り返して、 解脱を達成したと思ったら、本当に自殺してしまった 自殺の前に、電話で話したことがあるけど、 「もう弟子達に必要なことは全て伝えた」と言ってた オウム側からアプローチしていたという噂があるけど、 「弟子達」ってアサハラとその信者のことだろうか
>>855 弟子って概念があるのなら、悟ってないだろうな
師匠も弟子もない
みんなが師匠だとか、みんなが弟子だとかじゃなくて、どっちも無い
あと自殺してるのも不自然な行為だ
肉体が死なないようにする、肉体を故意に傷つけたり死なせようとするのは、肉体に執着がないとできない
雨宮ダイジが自殺したというのはデマだと聞いたけどね。
858 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 11:02:00.02 ID:fLl6uBRe
859 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 11:32:44.06 ID:SlWSzVhY
聖者も名前を呼ばれれば応える程度に 個人として自己同一化した心は持っている でも聖者が弟子・師匠ゴッコして見えるのは 未悟の人間から見た見かけ上の話 本人は一なる神しか見ていない
860 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 11:53:32.12 ID:fLl6uBRe
オッカムの剃刀を神秘主義に応用して、 悟り(サマーディ)に絶対必要なものだけを残し、 不要なものをどんどん捨て去っていくとすると、 輪廻転生、ヨーガ等、インド産の思想や哲学や技法は、 ほとんどがドブに捨て去られてしまうと思う そうやってラジニーシは、晩年禅の入り口に到達した
何かを考えたり感じたりするってことは、何らかの器官が興奮してるだけなんだろうな、と思った。 感情的興奮をエスカレートさせると行き着く先には悲劇しかないんだろう。 何を求めるにしても、結局は興奮したがってるだけなんだろうねえ。
862 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 21:46:44.37 ID:HbFVD9u1
ラマナマハルしは、今世も 幻想として否定しているけどな、 でも実際に存在しているからね。 究極の実在=真我からすれば、前世も今世も来世も 幻想。ラマナが言っているのはそういうことだよ。 実際はそんざいするからね。輪廻も。
863 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 22:37:55.37 ID:iglG+rFV
我々はなぜ問いを発するのか。 それは自分と自分を取り囲むこの世界、この現実との違和感ゆえではないか。 「なにか違う」、「なにかが違う」。 心の奥深くにあるこのような感覚が問いを発する原因ではないかと思う。 この感覚が強ければ苦しくて辛いのだろう。
864 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 22:54:16.67 ID:iglG+rFV
では、なぜ我々はこの世界との間にズレを感じるのか。 難しい問題だが、私は自我の形成過程の中にヒントがあるのではないかと思っている。 母親を介して肉体が生じさらに自我が形成されるが、この自我は外界との関係で築かれる。 この辺りにヒントがあるのではないのか。
「あるがままに」の抜粋。 「真我は永遠に存在し、影響を受けない。 転生する自我はより低い次元、つまり想念の次元に属している。 それは真我実現によって超越されるのである。 輪廻転生はヒンドゥー教の偽りの分派による概念である。 それゆえ、それは仏教徒に否定された。 現状における無知は、意識(チット)と生命のない(ジャダ)身体との 同一視によるものである。」 この話を読んでみてなお、輪廻転生が自分に適応されるというなら そう信じて生きてみるのも良いことだ。 来世に望みを託して、今回はあきらめるというのも御心のままに。 御身の望むがごとくされるといい。 スレが止まってたから燃料投下したら 書き込みが増えたので私的には十分に満足です。
866 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 23:18:47.89 ID:HbFVD9u1
来世に望みなんて託してないんですよ。 むしろ絶望を感じる。 来世がないなら、死んだらみんな 真我そのものになれるから、輪廻なんてない方がどれだけ良いか。 ラマナは「そもそもあなたは生まれたのですか?」 と今世も否定している。
867 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 23:30:53.00 ID:iglG+rFV
自我の機能について考えてみると、それは詰まるところ肉体の存続にあるのではないか。 肉体を存続させるために自我がある。 ときには外界に適応し、ときには外界と敵対し自己を守る。 つまり、自我の機能は外界に対して身を守ることにあるのだ。 自我にとって外界は決して心地良い世界ではない。 だから、自我はこの世界に居心地の悪さを感じるのではないか。
868 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 23:43:43.18 ID:iglG+rFV
このようにみてみると、より正確に表現すれば「この世界は自分の居場所じゃない」という感覚だ。 これが我々が問いを発する原因だと思う。 だから我々はこの世界ではない、別の世界を欲するのだ。
869 :
神も仏も名無しさん :2013/08/17(土) 23:53:28.12 ID:iglG+rFV
では、我々の発する問いとは具体的にはどのようなものか。 今更ながらだが、それはこういうものだ。 「この世界は自分の居場所じゃない。別の世界があるはずだ。」 この別の世界が、ある人にとっては「あの世」であり、他の人にとっては「悟り」なのだ。 これが問いの用意した答えである。
自作ポエム乙。 マトモな師さえ見つかれば 寝言を人様に語る必要性がなくなるから まずはグルを探せ。
>>870 グルは要らん。
覚者と称する、または覚者と評価される連中の禅問答みたいな教えにはウンザリする。
彼らにはもっと核心をつけといいたい。
私は自我が消滅することを否定しないが、自我が消滅したら熟睡中の「なにもない状態」になると思う。 我々が「無」と認識する状態だ。 これのなにが不都合なのだ。 自我にとって不都合なだけではないのか。
子供を産む、というリアルが体験できない側の性は、あらゆるものを幻想としてしか 体験できないんだろうね。 ってか、存在そのものが幻想なんじゃないかw 権威も価値も主義もまったくの幻想なんだってつくづく思うよ。
>>873 石なら2回ほど産んだ
ラマナを知る男性として生まれたことには何らかの神の恩寵があるのだろう
過去生で女性の経験は絶対あるんだから、女性ではなく男性で生まれた方が利点があるということだろう
>>872 熟睡中と起きてるときの違いはラマナが述べてたな
何をどう述べてたかすっかり忘れた
もう一回読み直すわ
つまり熟睡中がグルってことか? 目覚めてる時と比較する自我がまったく無いよな そんなことすら考えない別世界が熟睡だよな
話は変わるが、「悟り」を探求する人たちの多くは親との関係で何かがあるのではないかな。 さらに言えば、親にまともな愛情を注いでもらえなかった人たちが多いのではないかと思う。 親子関係というのは、なかなかに個人の人格形成に影響を与えるものだ。 恋愛関係で失敗しても相手との関係は一時的なものだが、親との関係は普通は一生付きまとう。 自分のなかの満たされなかった思いが、「悟り」に向かって余計な理屈を作り出す。 考えすぎだろうか。
宗教ではなく悟りに関してなら考えすぎだろう ラマナは親が追いかけてきたくらいだし 宗教ジプシーは親友人など人間関係に問題抱えてるかもしれない あれ、宗教そのものはどうでもいいらしい SNSみたいなものだな
両親に健全な愛情を十分に注がれた人は、あまり自分自身に疑問を持たないのではないかな。
>>878 考えすぎですか。
それじゃこの話題は控えます。
>>874 何を考えたって何を感じたって世界の礎を生み出すことができない性なんだから、
やることなすこと全部リーラだわなぁ、と思う。
>>880 悟りを追求する人たちを見ている私は誰か
に考えを向けた方がいいだろうね
他人がどうかを分析しても悟りの役に立たない
もし親との関係が芳しくない人がいたとしたら、その人は瞑想の最中に親のことばかり浮かぶという体験をするだろう
そして自分が親に対しての執着を持っていることを知る
それを解消するか否かはその人次第だね
それがハードルとなって悟りを阻害するようなら、それを解消する機会が恩寵として与えられるんじゃ無かろうか
>>881 子供産んじゃうと、子供へのリアリティから、悟り自体を避けるようになるかもしれない
それはそれで罠だな
対象が存在するか存在しないかだけに注目してしまう
悟りの本質は、「私」についての話だから、外側は気にしないでいい
子供に限らず特別に強い感情(愛だけではなくて憎悪など)を向ける対象が出来た場合は、この罠にはまる可能性がある
よろしく愛執
>>882 セックス→妊娠→出産って自我を越えた「在る」を体験できる現象なんじゃね?。
男にしてみれば幻想のひとつでしかない現象なんだけど。
感情的な装飾で世界を見る、ってのが人の仕組みであるなら、それはそれでしょうがないんだろううし。
自分の今の興奮状態に気づいていればとりあえずそれでいいんじゃないかと思うよ。
感情的興奮をエスカレートさせるとロクなことにならないのは、これまでさんざん言われてきたことだしね。
885 :
神も仏も名無しさん :2013/08/18(日) 06:04:51.12 ID:HKJ0bS7G
現時点での私の見解をまとめると、結局のところ「悟り」というものはないと思うんだよね。 ただ自我がこの世界での居心地の悪さを感じていて、それゆえに別の世界、つまり「悟り」というものを希望しているのではないかと。 だが、自我が自我であるかぎり居心地の悪さは解決しないでしょう。 また、別の世界というものもないのではないか。 別の世界といえるかどうかはわからないけれども、たとえていえば熟睡中の「なにもない状態」にはなるだろうと。
886 :
神も仏も名無しさん :2013/08/18(日) 06:12:49.21 ID:HKJ0bS7G
そして「なにもない状態」って、そんなに嫌なものかなあと。 この状態はいわば自我の枠が取っ払われた状態で、むしろ無限に解放された状態だと思うんですよ。 自我が消滅してもなにか主体めいたものが残って、それが「悟り」を体験するというのはちょっとむしが良いのではないか。 自我というと自分のなかの一部のように思えるけれども、結局は自我=自分ですよ。 自分が消滅するということは自分の全部が消滅するのであって、自分が消滅すればなんの体験もしないはずです。 このように考えたら、自分が消滅すれば「なにもない状態」になると結論するのが素直でしょう。
887 :
神も仏も名無しさん :2013/08/18(日) 06:26:48.62 ID:HKJ0bS7G
さらにいえば、自我の感じる「居心地の悪さ」についてはあまり深刻に捉える必要はないのではないか。 なぜなら、我々はいずれこの世界とおさらばするからです。 我々はこの世界に一時居るだけで、いずれこの世界から去るのだから深刻に捉えるだけ時間の無駄ではないか。 死が我々を本来の場所に戻してくれる。 仮に私が30歳だとすれば35年前はこの世界にいなかったわけで、いずれ死ぬとしても死ぬ前の状態に戻るだけでしょう。 我々は死を恐れますが、生まれる前は死んでいたんですからもう一回死ぬだけです。 といっても、念のため言っておきますが自殺を肯定しているわけじゃありませんよ。
888 :
神も仏も名無しさん :2013/08/18(日) 06:41:20.76 ID:ZV3tAq41
末法仏教。中でも禅被れのアホウの能書きは相手にしないほうがいいよ。 彼らの悟りは言葉で表現するなら無。それは安息日で終わり。復活を説かない彼等の教えは滅びだよ。 仏教は悪人達からヴェーダを守る為に出来たようなものだ。ゴータマさん自身の教えは間違ってないけども、 残された教えは皆を滅びの道に誘うよう、あえて誤謬するように巧妙に書かれている。
「自分は今どのような思考を採用しているか?」 これが意識できていれば大分楽になるよ 言語フィルターは避けて通れないからねぇ…
あともうひとつ。所詮死んで終わりの唯物論者の悟りの能書きな。禅宗もこの類だけど、 凡夫の能書きを聞いても意味が無いから惑わされないように。
891 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/08/18(日) 09:20:37.74 ID:NMd/1dlH
真のキリスト教の教え。 人は死に、それから蘇るであろうと言う者は間違っている。もし人が初めに生きている間に復活を受けなければ 死んだ時に何も受けないだろう。人には三つの状態がある。真の命と、偽りの命。そして中間の状態である。その中で 最も忌むべきものは中間の状態である。中間の状態。それを「死」と呼ぶ。人はその状態の時は何もできない。なぜなら 無であるから。真の命を掴むのは、あくまで生きている間だけである。光と暗黒。生命と死。右のものと左のものは 互いに兄弟である。それらが相互に引き離されることは不可能である。だから善きものも善きものではなく、悪しきものも 悪いわけではなく、死も死ではない。このゆえに各々はそれぞれ始原から根源へと解消していくだろう。けれども 世界を超えた者達は解消することが無い者達であり永遠まで存続する者達である。 選ばれた者達よ。わたしはあなたがたに目がいまだ見ず、耳がいまだ聞かず、手がいまだ触れず、人の心にいまだ 思い浮かばなかったことを与えるであろう。 仏教系スレと違い。ここは集まりが良いみたいだね。ま、僕自身は見込みがないと思うけど。エゴをコントロールできない。 今生はあきらめた。ここは僕より見込みのある人がいると思うので、参考になればとお邪魔した。でわ。
肉体が生きているうちに一度死に、そして蘇る(二度生まれ)。 人生になにがしかの意味があるとすれば、これ以外にはあり得ないね。
人は水と火による洗礼なしには天国へは至れない。 水による誕生、つまり肉体的な誕生、 そして火による誕生、キリスト意識への転位。 本当の意味でのポワ。
894 :
神も仏も名無しさん :2013/08/18(日) 11:40:24.95 ID:ZJee3zWO
まあ、いくら口と頭で輪廻はないと主張しても、執着がある限り心相続するんだけどな。 自己申告で「悟った」というのと同じ。実はそういわせているのは自我。
>>884 30歳童貞の俺が瞑想で「在る」に触れられたのは
これからもそういう機会はないから、せめて瞑想でという恩寵なのか
なるほどなるほど
あるいは魔力が開花したのか
>>894 「酔った」と言えば酔えるわけではない
ってよく言うもんな
いま俺が考えた言葉だけどさ
>>888 本質はやっぱり愛だと思う
真我においてわざわざ人を傷つけたりはしないわけだから
自我がある内は無こそ真実、到達点と思いこむが、
真我に至っては、真我は愛であるとわかるって感じではないかと
真我と言うから混乱するんだよ サマーディに在りなさいなら ああ、お悟りの境地なんだと混乱は起きない
マハルシってソーハム瞑想っていつも禁止ですか? それとも特別な場合だけ禁止なのかね
901 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 08:29:18.51 ID:eYDIc1/e
やはり評判悪いようだね。 「なにも無い状態」になるのは私も嫌だけれども、やはり嫌がっているのは自我なんだよね。 私は唯物論者だはない。むしろその逆ですよ。 我々はこの「存在の世界」とでもいうべきところで、存在するものに惑わされて生きている。 いわば映画のスクリーンに釘付けになっているような状態だと思うんですよ。 こういう意味では、むしろ物に対して否定的な立場だと思います。
902 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 08:39:22.81 ID:eYDIc1/e
ただ前回の見解を一部修正させてもらいますが、別の世界はあるかもしれませんね。 ただしその世界も本当の世界(?)ではないと思う。 やはり源は「なにもない状態」でしょう。 そして話は変わるが、 この「なにもない状態」は熟睡中に限らず、実は我々の活動中にも我々の中に内在しているのではないか。 こう思うんですよ。
903 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 08:53:03.10 ID:eYDIc1/e
熟睡中の、自分が消滅した時に「なにもない状態」が出現する。 そして、目が覚めた時にはそれが消滅したように思うけれども、 実は我々がそれを認識できないだけで、それは自我の下にある。 以下は単なる思いつきですが、 もしかしたら熟睡中の我々の肉体を生かしているのは、この「なにもない状態」なのではないか。 こう思ったりもします。
904 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 09:07:31.84 ID:eYDIc1/e
仮に悟った人がいるとすれば、認識するかしないかは別として、 この「なにもない状態」を土台にして生きている人ではなかろうか。 この人は「なにがあっても気にしない」人だろう。 自我は「なにもない状態」を知ることはできないが、 そもそも、「悟り」に「知る」という行為が必要なのか。 今気づいてしまいました。
905 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 09:31:22.24 ID:eYDIc1/e
「なにもない状態」を土台にして生きる人は、なにも思わない。 なにがあっても気にしない。 彼は「なにもない状態」を認識しているのだろうか。 たぶん認識していないと思う。 一度は認識したとしても、それは彼の過去とともに消えてしまった。 彼は「私は悟った」とは言わない。 彼に問えば、こう答えるだろう。 「なぜか知らないが、なんとも思わなくなった」。 もしくは、なにも答えないかもしれない。 彼の中からは、問いも悟りも消えてしまった。 彼は幸でも不幸でもない。
906 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 09:43:52.79 ID:xAM5POH4
自我だけになっても「何も無い状態」になれますよ。 他に何もなくなればいいんだから。 自我は本来真我なので、結局、無我と同じことになる。
907 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 10:36:13.44 ID:eYDIc1/e
でも、自我が真我を拒否してるんですよね。 自我は大きな勘違いをしているのでしょう。 なんで自我は真我を拒否するのでしょう。 そして自我はどういう勘違いをしているのでしょう
908 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 10:42:11.60 ID:eYDIc1/e
我々が真我を実現することができないのは、自我が真我と相反する性質のものであるか、 相反しないとしても、自我が真我の実現を拒否しているからだと思うんですよ。 後者だとすると上記のような問題が生じるわけです。
909 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 11:08:38.22 ID:eYDIc1/e
つまるところ、自我の源は真我であるにもかかわらずその自我が真我を拒否しているからこそ、 我々はこの世界に存在し、この世界にとらわれているのだと思っています。 そして、自我が真我を拒否するのは真我と融合すると自我自身が無くなっちゃうからでしょう。 そして、それが自我にとって良い状態ではないと自我自身が考えているからではないでしょうか。
910 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 11:13:29.01 ID:eYDIc1/e
ラマナ・マハルシは
>>909 くらいのことを突き詰めて語らないから、
禅問答みたいな教えになっちゃうんだよね。
911 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 11:19:56.63 ID:eYDIc1/e
私も基本的にはマハルシの教えに乗っかっているんだよね。 でも、彼は核心を突かないから独力でその先を行こうとしているんだよ。
912 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 11:43:23.82 ID:eYDIc1/e
核心を突かないから言葉ばかり増えてしまうんですよ。 悟りについて多くを語る人に従いていくと苦労すると思いますよ。
自我が真我を拒否しているというよりは、自我は真我を知らないからだと思うよ。 知らないものに対する恐れ。知らないものに明け渡すことなんて怖くて出来ない。 知らないからこその堂々巡りやさまざまな推論。 真我を知れば、なんということはない。そのための真我探求ってことかと。
あと自我の源は真我ではないよ。 自我は誤解から生じているから。
915 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 16:56:10.41 ID:2yLWVmTE
私は自我が真我を知ることは不可能だと思う。 それはあたかも井戸の中の蛙が大海の全てを知ることができないようなものだ。 「私」が「私」のままで「なにもない状態」を認識することも不可能だと思う。 「なにもない状態」においては「私」というものすら存在しないのだから。 結局、我々は悟れないのだ。
916 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 17:02:38.74 ID:2yLWVmTE
ただ悟りに至る道としてひとつだけ思いつくことがある。 それは「悟り」を諦め切ることだ。 我々は悟れないのだということを深く深く徹底的に自覚し、悟りを諦め切る。 悟りを徹底的に諦め切ったとき、悟りが向こうからやって来るのではないか。 向こうからやって来る悟りは至高体験でもなんでもない。 ただ思いがポロッと落ちる。 そして、なにも思わなくなる。 逆説的だが、こういうことではないかと思う。
917 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 17:08:43.76 ID:2yLWVmTE
この点、私は「俺はなぜ悟れないんだ?」というジレンマが根強くあるから悟りへの道はほど遠い。
まずは「そもそもこの世界に存在する俺は悟れないんだ」ということをよくよく理解する必要がある。
その上で徹底的に、絶望するほどに悟りを諦め切ることが必要だと思う。
諦め切って悟りを手放したとき、悟りは向こうからやってくるだろう。
このとき、私は
>>905 の状態になるのだと思う。
918 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 17:26:42.53 ID:2yLWVmTE
つまるところ、世のグルたちの問題点は悟りを説くと自我が悟りを追い求めてしまうといことに気づいていないことだ。 彼らの教えによって、悟ることの不可能な自我は延々と悟りを追い求める。 彼らは、我々はそもそも悟ることは不可能なのだということを教えるべきであった。 自我の消滅を説いても無駄だと思う。 要は、自我に悟りを諦め切ってもらって自我の悟りに対する格闘を終わらせることだ。
919 :
神も仏も名無しさん :2013/08/20(火) 19:48:30.44 ID:2yLWVmTE
今日は連投してスレを費消し申し訳ない。 新スレを立てようとしましたが、拒否されてしまいました。 お詫びしたのに手前勝手ですが、最後にもうひとことだけ言わせてください。 自我の求める悟りは観念的なものですが、向こうからやってくる悟りは生の悟りだと思います(生悟りという意味ではないです)。 では、これで失礼します。
まあ難しいよな ラマナでさえも他者は悟ってるように感じるんだから 凡夫の俺たちが相手のことなんか何もわかるわけ無い 真の自己を知らないのが悟りなんだから 自分のことを知らないなら他人にアドバイスなんか できるわけ無いもんな ただ人生は有限だよ死は必ず来るもんな
死は必ず訪れる それくらいのリアリティが無いと 無明の中で生きるってことなんだよな ネットでの話し合いを見てたら それが何の宗教でもリアリティが無いから 結果は迷いの外には行けないんだと思うな もちろんリアリティとは悟ることだよ
昔ファミコンでF1レースってのがあって 限界までスピード上げたら いきなりマシンの性能が上る裏技あったが 悟りの体験とはそうじゃないのかなって思うよ 限界まで行ったら誰でも悟れるわけで 熟睡と同じく今生では無理かも知れないが 誰でも悟れるような性質なものなんじゃないかな
悟りは死や眠りと同じように誰でも訪れると思う 仮に悟れるとか悟れないとか才能で個人差あるなら 永遠の存在とは言えないと思う エゴさえ落とせば誰でも悟れる足算で無く引き算 悟れば悪い夢から覚めるだけ 最初から救われてるのに気付くだけが悟り ただエゴを完全に落とすのには個人差があるんだと思うな
>>897 私と貴方を分かつ肉の自我は死ねば消えてなくなる幻。在るのは一つ。
一つのものが二つに分かれた。それが我々の自我である。
二つに分かれたものを再び一つにするなら、我々は再び初めから在った
自分自身を取り戻すだろう。一なる神。それは愛である。彼は悪人であろうと善人であろうと
全て平等に愛している。賢い人は、他人がいくら異性への愛を謳おうと、その人が愛しているのは
自分自身だけだと知っている。ならば真我と呼ばれている「一」なる神が、
我々全ての人を愛さない筈は無いだろう。なぜなら我々は、彼自身なのだから。
我々がエゴを滅ぼし、彼のように好き嫌いのない、万人に対して全て平等な愛を持てるなら、
再び「一」へと帰れるだろう。
原始仏典を読めばわかるが、ゴータマの仏教は別にブラフマンもヴェーダも否定していない。 元々仏教はヴェーダから派生した新興宗教に過ぎない。愚かな仏教徒達はそれを認めようとしない。 人が無と成りて仏となる。それは至高の存在。ゴータマは、その至高の存在として振舞った。 そこに今の末法仏教徒達の誤謬の源がある。本物の宗教は、自身をゴータマが仏と呼んだ彼の独り息子(ブラフマン=真我) として振舞う。真の命はそこにある。独り息子は、ゴータマが振舞った仏なるものと一つである。僕は仏教とヴェーダの 整合性を合理的に説明できるが、今はやめておこう。議論争論は自分自身を滅ぼすし、今は疲れててそれを説明するだけの エネルギーが無かったりする。ま、仏教自体が滅び行く者達のために残された宗教なのだから、目的は達成されているのだろう。 あ、一つだけ言っておく。あの時代の人だ。ゴータマ自身は当時、自性と呼ばれる至高神や、ブラフマンに真理を 願い求め祈ったはずだよ。賭けてもいい。
その日はせっかくの休日。僕は遊ぶ気満々だったが、アクシデントで遊びにいけなくなxり時間を持て余した。 それもあってか久々に座ろうと言う気に満々になった。僕はソファの上に足を組んで背骨を真っ直ぐにしし、 瞑目して念を真正面に向けて座した。そして僕は息を吸い、息を吐くときに聖音オームを詠唱する。 オーム。それは創造神を表す音。オーム。それは至高の存在の思考。オーム。それは「言」。私は息を吸い、吐くときに 聖音オームを唱えよう。オーム。そうすれば組んだ足も痛くなくなり、不思議とリラックスした状態になれる。オーム。 オーム。私は十分にリラックスした状態になったときに聖音オームを詠唱するのをやめ 呼吸と共に、我が神と言う意味の、ホーンソー。というマントラを心の中で唱える瞑想に切り替える。別に心の中で唱えるのは 聖音オームでもいいと思うのだが、オームだと吐く息でしかリズムが取りにくく、息を吸うときに、ホーン。吐くときに、ソー。とやる ホーンソーの瞑想のほうがリズムが取りやすいので、聖音オームを詠唱してリラックスする状態になれば心の中で唱える ホーンソーの瞑想に切り替える。私は息を吸おう。ホーン。私は息を吐こう。ソー。それを繰り返すといつものように雑念がわいてくる。 その雑念を観察すると多くは言葉による思考だと知る。それら雑念を消えるに任せて私は心の中で呼吸と共にホーンソーを唱える。 息を吸い。ホーン。息を吐き。ソー。我が神よ。良き物を私に与えて下さりながら、あなたの御心にそぐえない罪深い私を許したまえ。 私は息を吸おう、ホーン。息を吐こう、ソー。私は瞑想を続ける。そうすると部屋からポン。ポン。ドン。ドン。という音が所々から鳴り響く。 何かの軋みの音だろうか?普段生活していると全く聞こえないが、瞑想しているといつもこのような音がなる。私は気にせずホーンソーの瞑想を続けよう。 息を吸い。ホーン。息を吐き。ソー。
>>926 続き
私の愛する我が神よ。私は貴方のものです。罪深い私を許し給え。万物は内側にあり、
内側にあるものを外側に認識しているこの身体を感じながら私は息を吸おう。ホーン。私は息を吐こう。ソー。私は息を吸おう。ホーン。
私は息を吐こう。ソー。聖音オームを心の中で唱えてもそうだが、ホーンソーのような霊的な言葉を心の中で唱えながら瞑想を続けていると不思議と
呼吸が静まりほとんど呼吸をしていないような状態になる。私はかすかな呼吸を感じながら私は息を吸おう。ホーン。私は息を吐こう。ソー。
そうするとそれは突然にやってきた。閉じたまぶたの目の前が突然光だし、私は光に包まれ、光に溶け込んだ。同時に、
得も言われぬ幸福感に包まれた。なんという幸福感。そして ”来る” 私はそのまま一気に認識へと至ると思った。が、その思考と
同時に私は現実?に、引き戻されていった。これ以上集中力は持続できないと悟った私はそこで座を崩した。
もちろんこれらはお前の心が生み出した妄想だと言われればそれは否定しない。僕も確信が持てない。少なくともその時思考があったので良くて
有想三昧。それも入り口。瞑想の目的である無想三昧とは程遠いものだとは理解しているし、エゴにまみれた僕にはまだ、ゴールは与えられないのは
よく理解している。だが体験した時間自体があまりに少ないので確信は持てないが、臨死体験であの光に包まれた至福の幸福感はなんとなく
また体験するんじゃないかと漠然として思っている。あくまで漠然とね。ほかにもゴエンカさんとこのヴィパッサナ瞑想10日間合宿参加した時、体がドロドロ
に説ける様な体験と、自分では20分ほどだと思っていた瞑想が時計を見ると、ゆう1〜2時間ほど過ぎていたと言う経験があるが、この光の体験は
これらの体験とは明らかに異質の感じがしている。別にそんなのはおまえの心が作り出した妄想だと思われてもいいけどさ。別に反論する気も無い。
長い 3行程度にまとめられる
929 :
神も仏も名無しさん :2013/08/23(金) 11:50:36.08 ID:ZvoyzyXh
へー、頑張ってますね。ホーンソーって初めて聞きました。
930 :
神も仏も名無しさん :2013/08/23(金) 22:27:03.96 ID:XQhoaefF
ただ私は死んだら無になるとは必ずしも言えないのかなとも思ったりするよ。 幽体とか霊体とか、なんと呼ぶのかは知らないけれども、肉体の他に体と呼ぶべきものがあるのだとしたら、 それに相応した自我とその自我に相応した世界があるのかも知れない。 この世界において身体自身が自己を守るために造った自我は、 この世界以外の体を認識する必要がないがゆえに他の体を認識できないのかも知れん。 ただこの世界と同様に他の世界にどれほどの意義があるのかは疑問だけど。 ちなみに、活動している最中に熟睡中の「なにもない状態」を度々意識してみたら余計な思いが減った。 なにも思わなくなりつつあるのかな。
ラマナいわく悟る時は一瞬で悟れるとか言ってたな
932 :
神も仏も名無しさん :2013/08/24(土) 00:07:02.15 ID:Iqy06tos
睡眠は毎日のことだから、日々前夜の熟睡を意識するのは効果があるかもな。
オーで胸あたりから下へ、ムで丹田に来る感じでした。(重心がしっかりする感じ) ホーンソーは胸あたりだったけど、気づいたら頭のてっぺん、気づいたら丹田、最後は全体に包まれる感じで、瞑想後は頭がスッキリしてました。 深いのは久しぶりで、瞑想も久しぶりだったので、ただのビギナーズラックで続かないだろうけどw (それぞれ感覚が違ったのでどっちがいいのかな)
934 :
神も仏も名無しさん :2013/08/25(日) 07:18:14.82 ID:Bsxu6GqU
私には師はいないけれども、あえて言えば熟睡が私の師かな。 熟睡が私に無我を教えてくれる。 究極の真理は秘されたものでもなんでもないと以前から思っていたけれども、 やはりそうだという感を強くした。 我々は日々真理と出会っている。 熟睡中の「なにもない状態」がそれだと思う。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕 警視庁防犯課 二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
936 :
神も仏も名無しさん :2013/08/27(火) 07:12:53.11 ID:X8BN5RB2
質問に質問で返すのがラマナの悪い癖 この癖は対応が難しい質問を投げかけられると出る
937 :
神も仏も名無しさん :2013/08/27(火) 10:15:48.22 ID:r/TbSaHL
覚者って「わからない」とか「それは知らない」って言わないよな。 彼らのほとんどが「悟りに関しては自分はなんでも知っている」というスタンス。 それでいて禅問答のようなやり取りを延々と続けている。
説明が下手なのか インド人なら理解できる言い回しなのか悩む時がある。 「眠りの中では他人はいなかった。だからあなたは唯一のセルフなのだ!」とか。 部屋に引きこもって「この世界には俺しかいない」なんて戯言は通用しないわけでね。
939 :
神も仏も名無しさん :2013/08/27(火) 13:44:59.57 ID:r/TbSaHL
眠りの中では他人もいないけど自分もいないよな。 ラマナは「自分」というものに関して独自の捉え方をしているのかな。 「真我」という訳語には抵抗があるけど、 もしかしたら彼は本当に「本当の自分」という意味でこの言葉を使っているのかもな。 だとしたら、「私」には「自我」と「本当の自分」とがあってこの「本当の自分」を実現することが真我の実現なのかね。 でも、私は「自分」には本物も偽物もないと思う。 その全部が「自分」だよ。 ただ、外界に対して自我を形成する上で外界との関係で抑圧された部分てのは存在するだろう。 でも、それは「本当の自分」ではない。
変化するものは自分と言えるのかってことじゃないのかな いまの自分ってのは未だ確定してない脳によって形作られた物と言える 洗脳されたら簡単に形を変える それは果たして自分なのか 訪れても去っていく安息(悟り)が安息(悟り)とは言えないように 現れて消える自分は自分なのだろうか
自分といっても10年前の自分とは性格も考え方も体つきも違う。 生まれたときとは別人である。 どうしてそれを連続した一人の人間(自分)だと思うのか。 おまけに自分の意思と無関係に肉体は呼吸し血も巡り腹も減る。 感情や思考は生じコントロールもできない。 どうして自分の思い通りにも動かせないそれらを自分と呼べるのか。 自分が勝手に自分を自分と呼びそう思い込んでるだけとは疑わないのか。 何の根拠も無く、ただそう思える、そう実感できるというだけで、 自分というものがあり、それが自分なのだというのでは、あまりに適当すぎる。
KB会の渡辺充さんってどうなの?
天野清貴さんや神の使者という本に出てくるアーテンとパーサも警告しているが、 「悟った人と一緒にいるからといって、悟れるわけではない」 今巷では、悟ったと自称している人たちが、 様々なサットサンガや勉強会、共鳴会みたいなのを開催しているが 気をつけたほうがいいよ。 時間とお金を無駄にしないように。 悟りの伝播とか、覚醒の共鳴とか、マザーディヴァインのエネルギーを浴びるとか、 そんなの全部ウソだからね。
>天野清貴さんや神の使者という本に出てくるアーテンとパーサも警告しているが、 この人達は何で信用できるの?
>悟りの伝播とか、覚醒の共鳴とか、マザーディヴァインのエネルギーを浴びるとか、 >そんなの全部ウソだからね。 KB会の渡辺充さんの事知ってて言ってるようには見えないな。 youtubeに動画上がってるから見てみ。 俺が聞きたかったのは、クリシュナムルティの本の翻訳してたり 曹洞宗の印可受けてるみたいだけど、酒飲んだり随分くだけた人みたいだから こんな人でも預流果位までは行けるのかな?って気になっただけ。
946 :
神も仏も名無しさん :2013/08/27(火) 16:56:47.34 ID:f7oimIi+
KB会の動画で喋っている人が渡辺って人? 話も説明も上手くなくて 聞いている内に嫌になっちゃうんだけど
そうだよ。下手だろ。だから聞いたの。 言ってることはまともだと思うけどね。
預流果って段階自体そんなに悟ってないと思う。 あと7回生まれ変わるまでに悟りが終わるって定義だけど、 逆に言えば、あと7回生まれ変わらないといけないかもしれないくらいだし。 まだイライラしたりいろんな感情に捉われる段階って言われてるよ。 預流果くらいじゃ印可は出さないんじゃないのかな。 禅宗で預流果という用語を使ってるのは見ないけど見性体験したくらいのことだろうか。 見性体験くらいじゃ本来印可はしないと思う。 何か印可の認定に勘違いが起きてるか、師のほうに問題があるか、適当な印可かもしれない。 どっちにせよ、預流果くらいならこのスレでもたまにいると思うよ。
>>941 自分独自の思い出でけっこうニヤついたり心痛めたりしてるくせにw
>>948 預流果っていうのは、私が渡辺さんの動画を見て、悟りの第一段階に達してる人にも
見えなかったから使っただけなんだよね。
クリシュナムルティや仏教の解説はまあまともなんだけど、説明が下手だったり
言葉に詰まったりするも多い。
話もよく脱線して、座禅してる最中にキョロキョロ周りを見回す癖が有るとか、
酒飲んでるとか言ってるけど「悟れば〜」と自分の境地みたいなものは語るんだよね。
印可受けた人ってこんなもんなのか?と師匠に付いた事が無い私には疑問が
湧いたもんで聞いてみた次第です。
言葉足らずだったな。
それで、ここには
>>948 が言うように、預流果くらいに達した人は居そうだから
そういう人から見たらどうなんだろう?と聞いてみた。
952 :
神も仏も名無しさん :2013/08/28(水) 08:29:52.60 ID:BaFW2SdY
>937 >938 同感。「インドの覚者は無謬」みたいなナイーブな人が多すぎる
>>950 印可受けてるようには見えない。
でも、印可って今は大分いいかげんになってるらしいよ。
あと、印可とは関係なく人に教えてもいいみたいな許可をもらえることあるらしくて、
そういう許可もらったのを印可もらったと勘違いした場合もあるのかなあと思う。
ちなみに預流果は達しててもおかしくないと思う。
預流果ってひとつの体験だから、ほとんど元の俗人に戻っちゃうし、
下手したら自分は偉いみたなエゴ持ちになったりする。
神秘体験やサマーディに入れた人も大体預流果にはなってると思うけど、
だからって、見た感じ一般人とかわらないし。
それにマハラジとか有名な覚者でも動画とか見ると俗人っぽいよ。
話し方がちゃんとしてるとか、態度がきちんとしてるとかは、
むしろそういう教育受けたり自分でそういう社会訓練した人のほうがそうなんじゃない?
話し方とか見かけの態度とか人間という動物本来の機能と関係ないし、
訓練しなけりゃ悟ったとしても基本変わらないと思うよ。
特に預流果くらいじゃ。
自律的興奮で「私」と「世界」が意識されるとして、 興奮に慣れすぎ、あちこちに意識を散らしてしまうことが当たり前な「私」にとっては いくら思考しても益々興奮が高まる一方なんだから、問答したところで…、って ことなんじゃないかと思う。 常に自分が何かに興奮してること、興奮したがってることにまずは気づいてみて、 思考とか感情とか、興奮として現れてる「エネルギー(?)」のベクトルを静めてみましょうよ、 ってのが探求なんじゃないかなと。
悟ったお坊さんのしっかりした話し方とか態度を見て、 ああ、悟ったらあんな風にしっかりするんだと思う人多いと思うけど、 お坊さんとかは修行の過程で法話や読経させられたり寺の仕事したり座禅で姿勢よくなったり、 相当脳や身体の訓練してるんだよね。毎日毎日。 だから、坊さんは悟り関係なく、悟れなくても訓練してるおかげでちゃんとしてるだろうし、 まわりから見れば悟ったのでちゃんとしてるとか思いがちだけど、 悟りの結果や影響でそうなってるというのとはまた別な部分が大きいと思う。
まあでも、悟ったって事は私が思うにあらゆる矛盾から開放されたって事だから 理路整然と話せるように成るのは当たり前だと思えるけどね。 もちろん生まれついての吃りの人とかは言葉に詰まるのはしょうが無いけど。
理路平然と言っても、レベルの差はあるだろ 悟ってる人の話は抽象度が上がる。 実際に対話するならまだしも、一般人にとって覚者の言葉は又聞きになるからそこは考慮しないと。 分からないのは、自分に問題があると思うのが修行という意味で正しい理解。
矛盾なくても、例えば矛盾ない子供がいても、ほとんど何の教育も受けずただ成長するだけでは、 理路整然と話せるようにはならないんじゃないかと思う。 日本は教育がしっかりしてるから、話し方や論理性、思考能力が、 人間の基本機能にあると思いがちだけど、 それらは教育や訓練しないとなかなか形成されないと思うよ。 つまり日本人であっても教育や訓練をおろそかに育った人は、 その後悟っても、理路整然と話せるようにはなかなかならないかと。 ちょっとのことじゃうろたえないみたいな、肝みたいなところくらいじゃないですかね。 預流果の特長もたしか二つくらいあるよね。 仏教でも、預流果に達したと仏陀が認めた人がいた話で、 でも他の弟子から「あれは酒飲みだし態度もいいかげんでどうしてあれが預流果なのですか?」 と仏陀が聞かれたら、 でも、あの人は酒飲みで態度もよくないけどこれこれこうでしょうとその特長をあげて、 仏陀が説明した話があるね。
>>959 もちろん自分が過去インプットしたもの以上のものをアウトプットする事は出来ないと思うけど
渡辺さんは東大も出てるし、クリシュナムルティーの本の翻訳をしてるくらいだから
能力的には何の問題も無いはずだよね。
>>960 さあ、そのへんはわからない。
勉強できてもまともにしゃべれない人もいるし、
思考、論理、翻訳、言語、それらの能力はいろいろだと思うよ。
そらら同士関係ある部分ない部分があると思うけど。
試験が出来て翻訳できても、例えば脳内イメージを言語化できない人もいるんじゃない?
>>944 天野さんはいろんな覚醒者と言われている人のサットサンガに数え切れないほど参加しているからね。
経験則としてそう言ってるのなら相応の説得力はある。
>>961 その辺の能力が悟っても上がらないなら、悟りとは結局苦からの開放でしか無いのか。
なんて思ったりした。
私自身あがり症で人前で話すのが苦手だから、悟ればそのあがるという余計な状態が無くなった
本来の能力が出せるだろうから、それが能力が上がったように見えるだけって事なのかもね。
現実に対応しようとしてる限りは悟れんよ。 凄い障害だもの。
なんと勘違いして持論を書き込む奴の多いことよ。
ウゼえなこいつ、昨日から一人で長文書き散らしやがってw てめえのブログにでも書いてろよw
俺は少なくとも対話してるけどな。 勘違いの横レスしてる奴よりはマシだと思うぞ。
ラマナ的な悟りの定義って無認識と無執着じゃなかったっけ
>>968 自分のこと言われてるっていう自覚だけはあるんだなw
>>970 俺の事言ってると思ったから書いたんだろ。
そんな事を一々確認しないと理解できないのか?
>>969 まあそんなとこだと思う。
肉体と心を自分と同一視しないみたいな。
でも、そこに至る過程でのいろいろなサマーディの話もしてるし、
そういうサマーディが仏教での禅定や悟りの段階に当たるんじゃないかな。
仏教は仏教で禅定と悟りの各段階の関係ある部分と関係ない部分をいろいろ説明してるけど。
あんまごちゃごちゃ考える必要もなく、混乱気味ならとにかく何もないとこで 少し座って冷静になるだけでいい。
お前らおもろー 今やるべきことは その感情がどこから来てるか調べなさい ってやつかなw
975 :
神も仏も名無しさん :2013/08/28(水) 21:13:27.91 ID:3fI9Vffm
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕 警視庁防犯課 二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
私とはいったい何者なのでしょうか? と始まって 私とはいったい何者なのでしょうか? と終わる。 しかしみんな「知っている」人に騙され続ける。
君が君であるのなら、 私とはいったい何者なのでしょうか? と「知っている人」の不在を喜ぶことだろう。 君に、なにを付け足すことがあるのだろうか? 君に、付け足したものは、ひたすら死ぬだけだ。
君は「未知」のとき創造するが、知られるもののとき「破滅」する。
誰のポエム?
>>981 Kalu RinphocheのあとにRobert Adamsが抜けてました。
MoojiのあとはKen Wilber、Huang Po、Jean Klein、Ramesh Balsekar、
Unmani、Eckart Tolle、Anthony de Mello、Johon Wheeler、Wei Wu Wei、
Nisargadatta Maharaji、David Bhodan、Tony Parsons、Gangaji、Osho、
Jeff Foster、Eckart Tolle、Chogyam Trungpa、Lao Tzu、Bodhidharma、
Ramana Maharshi、Jean Klein、Eckart Tolle、Mooji、Sailor Bob Adamson、
Anthony de Mello、Pema Chodron、Adyashanti、Zen saying、Rumi、
Douglas Harding、Dogen、Kalu Rinpoche、Peter Mattiessen、Sogyal Rinpoche、
Mark Nepo、Gangaji、Jiddu Krishnamurti、Sailor Bob Adamson、Mahatma Gandi、・・・
ここまでで108ページ中の20%です。
言葉の引用(Quotes & Passages)は4%から始まっています。
引用の最後はKen Wilber(Pointing Out Instructions)で98%です。
amazon.comのURLの方はブラウザから本の一部を閲覧できます。
>>981 thanks!!
無料だったので、早速DLしました。
kindle最強w
984 :
神も仏も名無しさん :2013/08/30(金) 00:26:03.79 ID:yOpmTB04
Huang Po、Jean Klein、Ramesh Balsekar、 Unmani、Johon Wheeler、Wei Wu Wei、 David Bhodan、Tony Parsons、 Jeff Foster、Lao Tzu、Peter Mattiessen、Mark Nepo、 名前しらないのこの人たちだけだった。有名な人たちなのかな?
985 :
神も仏も名無しさん :2013/08/30(金) 00:31:14.20 ID:yOpmTB04
ケン・ウィルバーは「グレース&グリッド」だけ読んだことがある。 悩める普通の人という感じだった。 禅の見性もしたし修行もわれわれより数十倍もしてるだろうが、 「覚者」みたいなスタンスではない人だね。かといってスピリチュアル系でもないし、不思議なスタンスの人だ。 著作でディーパック・チョプラを結構評価してたり、病気の奥さんとヒーリングを受けに行ったり、 このスレの人からは批判受けそうなことだけど、それでもわれわれなんかよりはラマナやアドヴァイタに 対する造詣や境地は深いんだろうな
”自ら”なんて誰も同じものだろう、 その一語んも付け足す必要がまったくない”自ら”の説明だけが人の数だけある。
987 :
神も仏も名無しさん :2013/08/30(金) 06:15:17.99 ID:/HGVonoy
アリストテレスの昔から、どんなバカバカしい理論(空想)でも、 信者は見つかるものだ
オーム事件から天罰か何か知らないが やけに地震や大雨が多くなったよな シャンカラやラマナとか仏教以上の伝統宗教の流れだが 最初から偏見で本とか読まない見ないし オームや新興宗教は関係無い俺たちは本当に迷惑だよな
天災は事件とは何の関係ないだろ。 過去にも氷河期や色んな時代を経て現在に至ってるんだから。
関係無いだろうが 薄気味悪いタイミングではある 丁度あの頃からだからな しかも場所が神戸とか神付く地名だし あんな事件あったら最初から見んわな 宗教本とか偏見の塊で
だからそれは自分に都合の良いように出来事を見てるだけだろ
まあオカルトみたいだけど ヒマラヤ山頂では修行者が世界平和を祈ってるからな 神道だってそんな元担ぎにはデリケートだし 俺は嫌だなオーム事件とか 日本人はそういう厄払いとかオカルト気にする国民なんだよ
>日本人はそういう厄払いとかオカルト気にする国民なんだよ こういう線引きをしてるのは、他ならぬ自分でしかいないって事が分かってるから ここに来てるんじゃ無いの?
>>993 何言ってんだ?中国みたいに日本は汚い国だと
学校で教育したら意味も無く会ったこと無くても恨まれるんだよ
オーム事件とかあったら親が子供にそう教育するだろが
天災とかは確かにオカルトだがな
そこまでオームとか庇うとかあんた信者か?
>>994 俺はオウムとは何の関係もないが、あんたは何でここを覗いたの?
一冊でもラナマ・マハルシの本を読んでるのなら
俺の書き込みの意図は分かると思うけど。
オームをかばってるようには見えん オーム憎しが前提の思考なら、オームを否定しない=かばうという構図になるかもしれない
>>995 悟ってないならこの世界が俺たちの現実だよ
癌になんかなってみ?しかも脳腫瘍とかな
そういった現実の問題は俺たちには死活問題だよ
あんたも脳腫瘍なんかなったら慌てるの確定なんだし
机上の理論を我々の現実のように話されても困る
>>997 そんな事俺は聞いて無いだろ。
なんでここを覗いたの?と聞いたんだよ。
天災と事件を関連付けて考えたり、厄祓いとかオカルトチックな事を気にする人が
オウム信者に成っていったんだよ。
あんたがオウムに怯えるのは、潜在的に自分はそういうものに傾倒しやすいと
分かってるからでは?と俺には見えるけどね。
>>998 実被害あるじゃないか?
通り魔的に地下鉄にサリン巻いたの知らんの?
あんたの知り合いがそんな通り魔に殺されたらどう思う?
あんたアホか?
>>999 質問には全く答えないんだな。
実際に俺は死んでないし、あんたも死んでない。
脳腫瘍に成るまでそれに怯える必要も無いし、実際になって慌てるかどうかも分からない。
あんたは何故そんな事に怯えるんだ?
他人をアホ呼ばわりするまえに、まずは自分の怯える心の正体を観察してみるの事だな。
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