仏教 議論スレッド 69

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12宝珠愚者@(規制代行)
>>前スレ865
>いやぁ、宝珠さんの解釈も字面だけみると気持ちはわかるけど、
>涅槃を寂滅や滅諦で表現することと整合がやっぱりとれないねぇ---中略---
>十二縁起の逆観で、「これ滅すれば、かれ滅す…すると、なんと最後に真実在が生じる!」とか言われてないしw
>最後は生じちゃうんかい、みたいな。論理的にも飛躍が出てきて、まずいことになる。

 仏教の説く“滅する”という表現は、一切における現象界の非実体性に対する認識を示すものです。“自己と
自己のもの”として覚知されていた実体性についての崩壊です---つまり、これが「無我」ということ。
 無我は一切(現象界)に限定されたものです。その性質が空性ということ(水野氏の解説を参照のこと)。アー
トマンは一切(内)には存在しないので、この一切における縁起の教えの中でアートマンが登場することはありま
せん(一切ではない、一切外においては無記)。

>あと、アートマンを説く外道や常識と何が違うのかも分からんし

 ゴータマ時代のバラモンたちは皆、アートマンではないものをアートマンと勘違いした境地を説くものばかりでし
た(これが『梵網経』の真義)。つまり、アートマンを実現してみせたバラモンは当時、皆無だったのです。
 そして真実は、アートマンを実現してみせたゴータマがそれらの間違ったバラモンたちとの混同を避けるべく、
アートマンを説く手法を自らは摂らなかったのだということ(ヴェーダも使用せず)。---これがすべての総てです。

 いずれ(の近しい未来で)は、この私の主張の正しさが確認されるだろうと強く確信しています。
尚、現状では仏教学の成果により、仏教のアートマン否定は間違いであり、無我の理解にも誤解が生じていた、
ということまでは殆ど論証されたという段階といっていいでしょう。
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm