仏教 議論スレッド 67

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755宝珠愚者@(規制代行) 
>>729
>では、業をつくらないことと、三昧はどう関係するのか
>涅槃はある種の三昧か?
>三昧であるとして、それは非想非非想と何がちがうか?
>それを弁別できないと仏教が何かとは言えないだろう。

 悪業をつくり続けるようなレベル(意識状態)の者では、とても深い三昧に入ることなどはできないでしょう。
心の純化と瞑想の深さは比例すると思われます。非想非非想はあくまでも三昧に過ぎないので、三昧を解け
ばそれで終わってしまって断絶してしまう。涅槃は三昧を超えたものであるから、涅槃についての説明そのも
のが不能。尚、一度、涅槃に到達すれば、その境地から堕ちることは有得ません。

>>518
>密教に関しては衆生の苦をなくす あるいは軽くする の観点でいいでしょ?--中略--
>いまのテラワーダやチベット仏教が公開している範囲より狭くてもいいので
>求める人間が苦を軽くできる程度の教えや行法 伝えればいいでしょってこと

 私は、サロメさんの意見には共感していますよ(ただし、性技法や左道密教のタントリズムの導入、及びクンダ
リニーとシャクティパワーの覚醒着手の推奨については断固として同意しませんが)。
 ゴータマの教えは万人のためのものでしたが、密教の持つ閉鎖性は僧侶だけの特権にしてしまった・・・。素晴
らしいこの叡智が僧侶たちによって独占されたのです。その主な理由が、タントリズムの危険性とその呪法性の
故です。
 在家にも有益な最小限の範囲で公開指導することはできない筈はないにも関らず、法が歪められて伝播される
ことを避けたいがために、地獄行き(越法罪)の“脅し”を導入してきた。
 実際、阿含宗や真如苑のように、従来は僧侶に限定されるとされてきたかなり深い部分まで、積極的に直接指
導をしているところはある。問題はしっかり指導するかどうかに過ぎない。