仏教 議論スレッド 65

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54神も仏も名無しさん
>>49
校門脇の路石の隙間に、毎年タンポポが咲く。

 「タンポポの花が毎年咲く、ゆえにタンポポの花は常住だ」

というのが、“貴方方”の論理なのです。
毎年枯れ(滅し)、翌年また咲く(生じる)、そしてまた枯れて(滅して)また咲く(生じる)、
実在ではないし、間断なく継続しているわけではない(→そのような「“常住”の要件」に当て嵌まっていない)、
だから、
≪常住論ではないし、実在論ではない(縁起・仮設も認める)し、
 「その意味で常住である」或いは「在る」と言っているのではない≫
と、貴方方は(少なくとも在家は)言っているのです。

これが詭弁でなくて何でしょうか?